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学習するビジネス英語
24( 492 ) 「学習するビジネス英語」から 「共に創り上げるビジネス英語」へ 則 Ⅰ はじめに Ⅱ 求められてきたビジネス英語 Ⅲ グロービッシュ Ⅳ 求められるビジネス英語 Ⅴ おわりに代えて∼イスラエル人とインド人の間の手紙∼ Ⅰ 定 隆 男 はじめに 英国の言語学者である Crystal が,現代の世界を「地球村」 (global village)と呼び, 1 英語を「地球語」 (global language)と位置づけてから,すでに 20 年以上が経過する。 この間,それを「英語帝国主義」 (English imperialism)と捉える,デンマークの言語学 2 者,Phillipson を代表とする反対論も根強く広がってきたが,現実には,英語を地球語 とする動きは加速してきた。 ビジネスの世界では,国境を超えた取引のコミュニケーションのツールとして英語が 用いられてきた。巨大な経済圏である,英語を母語とする国々との取引はもちろん,英 語を母語としない国との間でも,第三国の言語である英語を「つなぎ言語」 (linking language)として,用いるようになってきた。 そして,販売市場を地球全体に広げるだけでなく,労働市場をも広く外国に求めるよ うになり,企業内でも様々な国籍の人間が協働することとなった。その結果,社内の共 通語として英語が使用されだしてきた。わが国の企業の多くは,海外子会社のトップに 日本人を据え,本社と子会社の間のコミュニケーションをもっぱら日本語で行なってき た。このあり方を問題視し, 「内なる国際化」つまり,本社自体が国際化する必要性が 3 叫ばれてきた。そのわが国においても,日本語能力を問わず優秀な人材を海外から採用 することを開始し,英語を社内公用語する動きが一挙に広まりだしてきた。 4 この英語の社内公用語化の動きに対しても,大きな反対論が展開されてきている。英 ──────────── 1 Crystal[4] 2 Phillipson[19] ,フィリプソン[36] 3 吉原[39] ,吉原・岡部・澤木[40] 4 則定[35] ,津田[29] 「学習するビジネス英語」から「共に創り上げるビジネス英語」へ(則定) ( 493 )25 語帝国主義史観からの反対論は,英語力の有無が富の格差を生む,英語圏の価値観が支 配的となることなどであった。英語を社内公用語化することにより,日本企業でありな がら,採用や昇進に英語力が左右し,英語圏の価値観が企業全体を覆うのではないかと いう不安が生まれてきている。 こういった状況下で, 「グロービッシュ」が提唱されている。英語を簡素化し,英語 を母語としている人にもその学習を強いることを狙い,英語圏の価値観を抜こうとする 試みである。また,英語を英米の所有物だといった考え方を改め,インド英語,シンガ ポール英語など世界には,多くの英語(Englishes)が存在することを認めようとする動 きも出てきている。 ビジネスの世界で英語が共通語であることは否定しようがない。様々な反対論が展開 されている間も,その動きは加速されている。ビジネス英語を教授し研究する者に問わ れているのは,これからのビジネス英語とはどうあるべきかという問題である。 グロービッシュがすべての問題を解決してくれるのであろうか。多くの英語が併存 し,それらが独自の発展をしていけば,理解し合うということは可能であろうか。ま た,英語力はグローバル・コミュニケーション能力とは同義ではないという指摘もあ 5 る。本論ではこういった問いに対して答えていきたい。 Ⅱ 1 求められてきたビジネス英語 ネイティブに近づける英語 多 国 籍 企 業 の 進 展 を 分 析 し た Perlmutter は,企 業 の 経 営 姿 勢 を,本 国 志 向 (ethnocentrism),現 地 志 向(polycentrism ), 地 域 志 向 ( regiocentrism ), 世 界 志 向 6 (geocentrism)の 4 つに分類した。 アメリカと比べて小さな日本の住居や,アメリカと正反対に車は左側通行をする日本 の交通事情を考慮せずに,大きな冷蔵庫や左ハンドルの自動車を売り続けたアメリカ は,自国と同じ方法で成功できると考えた本国志向の例といえる。それに対して,各国 の米飯嗜好を調べあげて,それに応えられる炊飯器を売ることで成功を遂げた日本は, 現地に適応しようとした現地志向の好例である。この対照的な日米の姿勢が,これまで のビジネス英語にも見られる。 わが国では,ビジネスで使われる英語を長く「商業英語」と呼んできたが,それはも っぱら外国との商用通信用の英語を意味した。範としたのは,英米のビジネス英語であ った。しかし,英米両国の間には一般の英語でも,単語の綴りや意味,そして文法に違 ──────────── 5 Kameda[10] 6 Perlmutter[17] 26( 494 ) 同志社商学 第65巻 第5号(2014年3月) いがあるように,商業英語のスタイルにも違いがあった。昭和初期の著作で,山崎は, 7 米国人は「何事でも新奇なもの,極端なこと,他人の注意を引くこと,など」に「とて 8 も敏感である為め,新式商業英語の流行が英国よりも遥かに長足の進歩をなした」のに 対し,英国人は, 「冷静で理知的,非常に個性の発達した国民だから,保守的で伝統を 重んじ,何でも正式か正当 Orthodox を尊敬し,独立心が非常に強いから自治的精神に 富んでゐるので,何でも新奇なものか極端なものか過激なものか,あるいは人の注意を 9 引くものは凡て下品か俗悪か」と考えるので, 「新式商業英語の普及も徐々である」と 指摘してた。そして, 「米国及び其の他の南北両亜米利加各国には米国式の英語で,其 10 の他(英国及其の植民地,欧州,支那及び南洋等)の各国には英国式の英語が適当」で あると推奨した。 内容面では,英国が外国との取引に求められる英語を取り上げているのに対し,米国 ではもっぱら国内取引に使用される英語に焦点が置かれていた。しかし,米国では,書 簡の読み手である顧客を説得する上で効果的な表現に関する研究が盛んであった。そこ から,わが国では,引合やオファーといった状況ごとの表現では英国に範を求め,効果 的な表現では米国に範を求めた。 わが国における商業英語研究者の代表者 2 人である中村と羽田の共著で,長く読まれ てきた商業英語のテキストでは,米国で提唱さ れ た,Clearness(明 晰) ,Correctness (正確) ,Conciseness(簡潔) ,Courtesy(丁重) ,Character(個性)からなる,効果的な 商用英文に不可欠の基本的要素の 5 C’s を紹介した後,取引開始,引合,オファー,注 11 文,積送,クレームという外国貿易の流れに沿った表現が例示されている。 こういったテキストの学習者が,企業での実地経験を踏みながら,その英語力を磨い ていった。各企業には,達意で流麗な英文を書くベテランがおり,その人が部下の英文 に朱筆を入れて指導し,推敲された英文書簡が送られるといったことが行われてきた。 12 企業が国際化していく場合,その段階をいくつかに分けることができるが,上記のよ うな英語力のある人材を養成できたのは,企業における国際ビジネスの比重が小さく, その機能も限定されていたからである。各企業は,国際ビジネス業務に対処すべく,貿 易部とか海外事業部と呼ぶ部署を設置し,そこに英語力の優れた人材を配置した。彼ら は海外企業とのコミュニケーションにおいてゲートキーパー的役割を果たしたのであ る。しかし,今や,企業内すべての人が英語を使う場面に遭遇するのであり,そういっ ──────────── 7 山崎[38]xx ページ。 8 同書,xx ページ。 9 同書,xxi ページ。 10 同書,xxii ページ。 11 中村・羽田[31] 12 則定[34] 「学習するビジネス英語」から「共に創り上げるビジネス英語」へ(則定) ( 495 )27 た人全員に優れた英語力を期待することはできない。 前述の Perlmutter は,国際ビジネスが進展してくれば,地球志向の姿勢が求められる と提唱したが,ビジネス英語でも同様のことが言えるであろう。 英米人の使う英語を「本物」 (genuine)と考え, 「ネイティブのような」 (native-like) , 13 「ネイティブに近い」 (near-native)英語を求めようとしてきた。これを Kachru は, 「ネ 14 イティブ・スピーカー・シンドローム」 (native speaker syndrome)と呼んでいる。 応用言語学者の矢野は,この日本人の姿勢は,江戸末期の開国と第二次世界大戦後の 15 アメリカによる統治という 2 つの出来事に大きな影響を受けていると指摘する。これに より,欧州と米国に対する憧憬と劣等感が植え付けられ,日本人の中に西洋に同化しよ うという願望が生まれたと説明する。 そしてその同化願望は,英語表現の上達のみでなく,日本での慣習を捨て,英語圏で の慣習を取り入れるといった面でも見られた。わが国では,古来,手紙の中では,すぐ に用件を書くのは不躾であり,まず四季折々に応じて時候の挨拶文を入れる習わしがあ 16 ったが,それを捨て去り,英米の流儀に合わすことが勧められた。 昭和初期に出版された英文書簡のテキストでは, 「重要ならざる観念を以て手紙の冒 17 頭あるいは終りを占有せしめてはならない」と戒めている。また,同時期に出版され, その後 50 年に渡り,改訂と増補を重ねてきた別のテキストでは, 「無駄な前口上を省い 18 て直に用件を述べる」ように勧められてきた。 日本人はまず,こういった「ネイティブ・スピーカー・シンドローム」をなくしてい くことが求められるが,英語圏のネイティブ・スピーカーにも,本国志向からの脱却が 求められる。 2 簡易化した英語 英語がグローバルに使用されるにようになると,外国人の学習を容易にするために, 簡易化した英語が考案されるようになった。英国の心理学者 Ogden を中心にした組織 が 1930 年に公表した Basic English がそうである。Basic とは, 「基本」という意味もあ るが,同時にそれは,British, American, Scientific, International, Commercial の頭文字で あり,英米語を元にし,科学的に研究され,国際的に,商用で用いることをめざした英 語であることを意味した。 ──────────── 13 Yano[24] 14 Kachru[9] 15 Yano[24] 16 Haneda & Shima[7] 17 山崎[38]173 ページ。 18 三井[37]45 ページ。 28( 496 ) 同志社商学 第65巻 第5号(2014年3月) この英語を専門分野で使用すべく,まず, 「科学用ベーシック」が作られ,その後, 「ベーシック式商業通信文」が発表された。後者を執筆したのは,長年英国において諸 外国で書かれた商業通信文の英訳をしてきた言語学者の Salzedo であった。そしてこれ は,わが国でも,1935 年に同志社高等商業学校の岡本春三教授により翻訳され, 『商英 叢書』の一篇として出版された。 この翻訳本に,当時のわが国の代表的英語学者である岡倉由三郎が,序文を寄せ, 「そもそも,一つの国語を,己が母国語として,揺籃の中から日夜に母乳の如くに覚え ることと,やや長じての後,他国の言葉を,外国語として教師から学習することと,こ の二つの手続きの間には,学ばれる対象としての国語は同じく一つの言葉であつても, 19 二つの別々の事として扱はれるのが正しいのであると思ふ」と,Basic English の意義を 評価している。 Basic English は,動詞や機能語など,英語の構成上どうしても必要な 100 語と,600 語の名詞,そして 150 語の形容詞からできている。この内動詞は,16 語と極端に少な いが,get と into を組み合わせて enter, off a ship を加えて,disembark, up を付けて climb というように,機能語と組み合わせて,幅広い表現が可能となる。また,名詞の 場合も,crowd に代わって,a great number of persons と簡単な定義で間に合わせるこ とができる。 ただこれは一般的な英語の代用であり,専門分野で使用される場合には,それぞれの 分野の専門用語が必要であると考えられ,商業通信文の場合も,agency, client, export など 50 語が選択され,追加されている。 なお,この当時商業通信文では,単に引合を受けたことを,being favoured by an enquiry( 「引合の恩恵を賜った」という意味) ,手紙の相手先企業を,your esteemed firm ( 「尊敬すべき貴社」という意味)というように,度を超した装飾的,儀礼的表現がなさ れていた。Ogden は, 『ベーシック式商業通信文』に寄せた序文で, 「斯る書き振りはチ ョコレートを包んだ銀紙見たようなもので,中味が貧弱であつては,折角の銀紙も釣合 20 が取れぬ」と批判している。シンプルな英語により,簡潔で一般人にも明瞭な表現が可 能となったのである。 ただ,上記のような表現は多少度を超しているとは言え,人と人との間の手紙にあっ てはある程度の儀礼的表現は必要である。ベーシック式でも, 「‘We have pleasure in saying . . .’(拝啓...仕候) ;‘Will you be kind enough to . . .’(...為し被下間敷候 也) ;‘To my regret I am unable to . . .’(遺憾ながら...致兼候) ;‘Kindly let me have ──────────── 19 サルゼド[28]4 ページ。 20 同書,11 ページ。 「学習するビジネス英語」から「共に創り上げるビジネス英語」へ(則定) ( 497 )29 21 . . .’(御依頼申上候) 」など一通りの表現はある。そして,Ogden は,次のように,こ のベーシック式が,文化の違いをも乗り越えるメリットがあることも指摘している。 「この種の礼詞をどの程度にまで使用する要があるかは,国々の慣例に依つて多少の相 違があらう。仏蘭西人は英国人よりも辞令を飾ることが好きだし,更に東洋人になれ ば,欧州諸民族に優つて修辞を重視するかに見える。ではあるが仮にベーシックを万国 民に強要し,用件を可及的直截に述べることにすれば,書簡文の文言如何によつて先方 22 の感情を害するなどの気遣は,毛頭起きないであらう」 。 この Basic English は,発表された当時は熱狂的に迎えられたが,その後その熱気は 下火になっていった。しかし,その簡易化のアプローチは,その後も企業や業界で試み られきた。その代表は,Caterpillar Fundamental English である。Caterpillar 社は,製品 の取扱書を限定された語彙と文法で表現し,世界中の従業員が容易に理解できるように 23 したのである。 このような簡易な英語が有用なのは,簡易でルーティン化された作業においてであ る。日常頻繁に交換される定型化された貿易通信文や,工場での単純作業では,こうい った英語で充分に意を尽くすことはできる。しかし,説得的,社交的コミュニケーショ ンのツールとして英語が用いられるとき,この種の英語では不充分である。 Ⅲ 1 グロービッシュ グロービッシュの理念とそれが生まれた背景 ビジネスの世界においては,まず取引の国際化により英語が必要になった。英語圏は もちろん,それ以外の言語圏の企業とも,多くは英語を媒介としてコミュニケーション が行なわれるようになった。しかし,すでに述べたように,このコミュニケーションを 任されたのは,企業の中の一部の人であった。 次に経営の国際化が英語の必要性を高めた。企業が海外に子会社を設立し,そこに本 社から従業員を派遣すると同時に,現地人を採用した。しかし,ここでも英語力が求め られたのは,企業のごく一部の人に限定された。 しかし,わが国でも,子会社の経営トップに現地人が登用されるなど現地化が進む と,本社内でも英語でのコミュニケーションが求められるようになった。そして,今本 社でも有能な人材を求めて,日本語能力を問わずに,様々な国籍の人を採用するに至 り,すべての従業員に英語力が求められるようになってきた。これが,英語の社内公用 ──────────── 21 サルゼド[28]11 ページ。 22 同書,11 ページ。 23 Norisada[16] 同志社商学 30( 498 ) 第65巻 第5号(2014年3月) 語化の動きとなってきている。 このような状況になると,これまで一部の言語学者が主張してきた英語帝国主義的批 判に同調者が増えるようになった。この状況は英語を母語としない国々で,多かれ少な かれ見られる。 筆者は, 「英語の社内公用語化を考える」と題する論文において,反対論には 2 種類 24 あること,そしてそれぞれについて具体的事例を指摘した。ここで改めてそれを略述し ておきたい。 反対論の 1 つは,英語力が,企業での採用や昇進の大きな基準となり,ネイティブ・ スピーカーやそれに近い英語力の優れたものが経営のトップに登っていき,英語力の乏 しいものはその競争から脱落していくというものである。 その好例として,フィンランドとスウェーデンの銀行の合併事例を挙げることができ 25 る。合併後は,スウェーデン語が共通語となったが,これは,スウェーデン銀行による フィンランド銀行の支配を象徴するものと解釈され,フィンランド社員は,その言語能 力の欠如のために職務上の能力も落ち,昇進面でも不利益を被ることが明らかとなり, 有能な社員の多くが退職することとなった。 また,もう 1 つの反対論は,英語が社内コミュニケーションのツールとなるだけでは なく,英米圏でのビジネス・スタンダードが取り入れられ,ぞれぞれの国が伝統的に守 ってきた慣行が廃止されていくのではという心配であった。 その心配が現実に起きた事例として,イギリスとイタリアの合弁会社を取り上げるこ 26 とができる。そこでは,役職名が英語表記されるようになったが,それは単にイタリア 語の翻訳ではなく,職務内容自体が変化したことを意味した。また,英語の使用はそれ だけにとどまらず, “appraisal” , “briefing” , “focus group”といった用語が日常的に用 いられた。その結果,イタリアの中間管理職は大きな不満を抱くようになったのであ る。 自身長く IBM 本社で働いたフランス人の Nerrière は,こういった問題を自ら体験 し,それを解決するものとして, 「グロービッシュ」 (Globish)を提唱している。 彼は,英語力がプロフェッショナルとしてのスキルの指標となることはありえない 27 が, 「大規模な多国籍企業や国際的企業ではそのことが忘れがちで」あり, 「特にアメリ カを拠点とする企業において,経営幹部らが単に楽だからという理由で,外国人に最高 28 の英語を身につけるよう追い立てる」ことを批判している。つまり, 「英語が優れてい ──────────── 24 則定[35] 25 Piekkari & Zander[20] 26 Bargiela-Chiappinni[1] 27 ネリエール[32]124 ページ。 28 同書,124 ページ。 「学習するビジネス英語」から「共に創り上げるビジネス英語」へ(則定) ( 499 )31 れば,仮にひどいアイディアであっても,少なくとも彼らの上司にとっては理解しやす いものになる。その一方で,有益で独創的なアイディアが完全に見逃されることもしば しばである。あまりにも多くの大企業で,このような深刻な間違いが繰り返されてい 29 る」と指摘している。 また,彼は, 「グロービッシュはフランス語や中国語,あるいは英語のように,文化 30 的な言語になろうとはしていない」ことを断っている。現在, 「自分たちの文化が英語 31 「英語 文化に乗っ取られるのではと恐れて」いる文化圏があることを承知し,それは, 32 は質の悪い価値観をもたらし,自分たちの文化の優位性が奪われると感じている」ため だと理解を示している。そして, 「グロービッシュには文化的目的がないので,どんな 33 言語,どんな文化にも脅威を与えない」と断言している。 2 グロービッシュの魅力と限界 グロービッシュでは,使用語彙数を 1500 語に制限し,この中の語の組合せにより, 様々な意味を表現させようとする。put に on とつけて「着る」 ,work に man をつけて 「労働者」 。また my nephew は the son of my brother と定義すればよいとしている。そし て,この語彙に専門用語を追加すれば,あらゆる分野で,コミュニケーションは不都合 なく行なわれるとしている。こうしてみると,その発想やアプローチは,ほぼ Basic English と同じであることがわかる。 しかし,違う点もある。Basic English は,ネイティブ・スピーカーが,ノン・ネイテ ィブ・スピーカーに,英語の学習を容易にしてもらおうという思いで作ったものであ る。学習するのはもっぱらノン・ネイティブ・スピーカーであった。 これに対し,グロービッシュでは,ネイティブ・スピーカーにも学習を強いている。 ネリエールは,これを「シンプル英語」と呼ばなかったのは,そうすると, 「これは自 分が知っている英語を簡潔にしただけのものだ。私の英語も同じように簡潔にできる。 34 簡単なことだ」と思い込んでしまうからだと述懐している。 ネリエールは,ネイティブ・スピーカーのこれまでの態度は,自分たちにとって心地 よい完璧な英語の領域である「川の向こう岸を指して,我々に『あそこで会おう。さ 35 あ,泳げ!』 」と言っているようなものだと批判している。そして,その態度は, 「間違 ──────────── 29 同書,124−125 ページ。 30 Nerrière & Hon[14]p.65[訳書 83 ページ] . 31 Ibid., p.65[訳書 83 ページ] . 32 Ibid., pp.65−66[訳書 83 ページ] . 33 Ibid., p.66[訳書 83 ページ] . 34 ネリエール[32]124 ページ。 35 同書,127 ページ。 同志社商学 32( 500 ) 第65巻 第5号(2014年3月) 36 いである。彼らは川の真んなかにある島でわれわれと落ち合うべきなのだ」と述べてい る。 37 そして,グロービッシュでは, 「 『あなたはわかっていない』 (You do not understand.) 」 という表現はすべきではなく,代わって「 『私は言いたいことを明確にできていない』 38 (I am not making myself clear.) 」と言うべきであると述べている。この考え方の背後に 39 は, 「 『わかる』ように努める責任は,聞く側ではなく話す側にある」との姿勢がある。 40 ,ノン・ネイティブ・スピ ネイティブ・スピーカーが「たとえ完璧な英語を話しても」 41 ーカーである「相手にわかってもらえないならここでは無価値である」と言い切ってい る。 「完璧さ」 (perfect)よりも「理解される」 (understandable)ことを優先すべきであ るとしている。 また,英語が英語圏の文化を背負っていることも意識し,グロービッシュでは,言語 をその文化から切り離そうとしている。英語では, 「死ぬ」ことを bite the dust, 「大き な過ちを犯す」ことを crash and burn,そして「遅れて間に合わない」ことを miss the boat などというが,なぜそういった言い回しにするかには,文化的背景がある。同じ 英語圏でも英米では文化が異なり,a rolling stone gathers no moss ということわざが英 米では別の意味に解釈されている。英国では,これは,仕事や居住先を頻繁に変えてい ては成功はおぼつかないと戒める言葉として使われていた。しか,このことわざが米国 に行くと,まったく逆の意味となり,常に動いていること好ましいことを教える言葉と なっている。社会における可動性を好ましく思う米国文化が反映された結果であると考 42 「特定の文化を理解していることが前提な えられている。グロービッシュの提唱者は, 43 らば,使わないほうがよい」としている。 しかし,言語を文化から切り離すことは可能であろうか。前述したように,グロービ ッシュでは,my nephew を the son of my brother と表現するように勧めている。しか し,son や brother は daughter や sister と対比的な語であり,そこでは男女で表現を変 えるという思想が反映されている。男女により呼称を変化しない文化もある。 英語では,過去,現在,未来という 3 つの時制を使用する。しかし,アメリカインデ ィアンの言語の 1 つであるホーピ語では,こういった時制の区別はせずに,報告なのか 44 期待なのかそれとも法則なのかという区分をする。 ──────────── 36 同書,127 ページ。 37 同書,127 ページ。 38 同書,127 ページ。 39 同書,127 ページ。 40 同書,127 ページ。 41 同書,127 ページ。 42 Yano[24] 43 Nerrière & Hon[14]p.88[訳書 44 サピア&ウォーフ[27] 111 ページ] . 「学習するビジネス英語」から「共に創り上げるビジネス英語」へ(則定) ( 501 )33 また,矢野は,日本人が名詞化と受動化を好むことを指摘し,それは,行為者を隠そ 45 うとする日本人の思考を反映していることを指摘している。例の 1 つとして, “We decided to close down the factory”が“It was decided to close down the factory”というよ 46 うに表現されることをあげている。その上で,そういったコミュニケーション上の意図 を理解してもらい,同時に相手との良い関係を維持するためには,英語でもそういった 表現をとればよいとしている。しかし,グロービッシュでは, 「できるだけ能動態でメ ッセージを発するのがよい。 『誰が』あるいは『何が』その動作をしているのかを明瞭 47 にすべきである」としている。 文化の違いを経営の分野に持ち込んだオランダの学者 Hofstede は,当初 4 つの次元 を提唱していたが,後にアジア人と出会うことにより,彼らと西欧人の間に大きな違い 48 があることを知り,長期的視点と短期的視点という新たな次元を追加した。またアメリ カの心理学者 Nisbett は,中国人学生と出会うことにより,西洋と東洋の違いを認識 49 し,両者を比較する研究を発表した。 思えばグロービッシュの考案者のネリエールも,フランス人である。フランス語と英 語とは源をたどれば同じ言語グループであり,文化的にも似通っている。ネリエールが 文化というとき,フランス人の知らない英語圏の文化であり,英語圏と同根の西欧の文 化については普遍的なものと考えているのではないだろうか。後述するように,ビジネ ス・コ ミ ュ ニ ケ ー シ ョ ン の 研 究 者 で あ る 亀 田 は「英 語 の 東 洋 化」 (English to be 50 Easternized)を提唱しているが,それは,このグロービッシュに欠けた視点を補おうと する試みであるといえる。 Ⅳ 1 求められるビジネス英語 ビジネス英語とは何か 共通語を意味する「リンガ・フランカ」 (lingua franca)という語は,地中海貿易で使 用され,この貿易にかかわった人たちの複数の言語からできた混成語であった。また, 交 易 の た め に 複 数 の 言 語 が 混 成 し て で き た 英 語 と し て は, 「ピ ジ ン 英 語」 (Pidgin English)がある。Pidgin は,business の中国語的発音から来ていると言われている。い ずれの言語も非常に簡易なもので,売買に必要な最低限度の表現をカバーするものであ ──────────── 45 Yano[24] 46 Ibid., p.141. 47 Nerrière & Hon[14]p.86[訳書 48 Hofstede[8] 49 Nisbett[15] 50 Kameda[10] 109 ページ] . 34( 502 ) 同志社商学 第65巻 第5号(2014年3月) った。 前述したように,わが国でも, 「商業英語」と呼ばれていたビジネス英語は,もっぱ ら通信文で用いられる英語を意味した。つまり,かつて,ビジネス英語とは,限定され た場面で,限定された目的のために使用される,一般の英語とは区別された特殊な英語 であった。 ビジネスのグローバル化が進み,ビジネスで要求される英語は変化してきた。わが国 を例にとれば,国際ビジネスといえば輸出入がほとんどであった時代から,海外に進出 して生産する時代へと移って行った。定型的な輸出入には型通りの表現を用いた英文通 信で用が足りた。また,海外工場で単純な作業の指導や管理であれば,簡易な英語で充 分であった。 しかし,国際取引自体が多様化し,複雑化していく。交通が発達し,海外との取引で も対面でのコミュニケーションの機会が増えていった。また国際経営面を見ても,海外 において,生産だけでなく,企画や財務など,本社と同じ職務が行なわれるようになっ てきた。その本社自体に外国人が入り込み,そこで理解し合えるコミュニケーション手 段として英語が用いられだしている。 ビジネス英語はもはや単に,取引の希望や条件を伝える手段にとどまらない。顧客や 同僚に自身の提供する商品やサービス,さらには企画の魅力を伝えるプレゼンテーショ ン,彼らとの議論や交渉,そして彼らと良き人間関係を築き,説得するコミュニケーシ ョンのツールとして使われる。 こうなると「英語」と「ビジネス英語」との区分が難しくなる。中村は,書簡文に見 られる特殊な表現を商業英語ととらえる見方を批判し, 「商業の場において一定の現実 的効果をあげることを目的とする意思伝達のために英語を用いて行なわれる動的な言語 51 52 53 活動」を「商業英語現象」と呼んだ。その後,この定義を踏襲して,則定,亀田は, 「ビジネスの場」と「効果」をキーワードとして,ビジネス・コミュニケーションを定 義している。 「英語」に代わり「コミュニケーション」という語が用いられているが,それは,英 54 語というと,中村が批判したように,メッセージの一形態としてその表面的な言語に注 目しがちであるからであった。それを避けて,メッセージを作成して(コミュニケーシ ョンの用語でいえば encode) ,それが受け取られて解釈される(コミュニケーションの 用語でいう decode)過程に注目させようと, 「コミュニケーション」という語を用いた のである。 ──────────── 51 中村[30]5 ページ。 52 則定[33] 53 亀田[26] 54 中村[30] 「学習するビジネス英語」から「共に創り上げるビジネス英語」へ(則定) ( 503 )35 本論では,グロービッシュや Basic English,そして商業英語などと並列させるため に, 「ビジネス英語」との用語を用いているが,決してメッセージの表現としての英語 のみを意味するのではなく,後述するようにコミュニケーションのツールとしての「ビ ジネス英語」を意味している。 2 グロービッシュの理念を活かす 前述したように,the son of my brother と言えば,nephew という語を知らなくても用 は足りるとしている。しかし,聞き手がこの語を知っているなら,あえて言い換える必 要があるだろうか。また,すでに述べたように,情報の伝達だけでなく,説得のため, 社交のための効果を考えて,ビジネス英語は使われなくてはならない。制限された語彙 と推奨する構文で,目指すコミュニケーションは可能であろうか。 自然言語は絶えず進化している。新しい語が生まれ,古い語が廃れていく。しかし, グロービッシュは,学習のしやすさを優先するために, 「クローズド(完結した) ・シス テム」としている。語彙やその使い方,文の長さや構文に制約を課し,それを合意する ことで理解し合えるようにしようとしているのである。 筆者は,グロービッシュの理念には賛同しながら,クローズドとは逆の「オープン・ システム」のビジネス英語を提唱したい。Linux というコンピュータのオペレーティン グ・システムがある。これはオープンソースのソフトウェアとして開発され,誰でもが 自由に使用し修正できる。これにより,世界中の英知を取り入れて,幅広い機能と柔軟 性を獲得できている。またネットの世界では,ネット利用者が創りあげる Wikipedia と いう辞書がある。これからのビジネス英語はこういった恊働で創り上げるべきものであ る。 その中にあって活かすべきグロービッシュの理念は,まず,ネイティブ・スピーカー の英語を学習するのではないというものである。米国の言語学者である Nelson は,英 国の英語で米国の英語が違っていても,一方を正しく他方を間違いということはない が,インドの英語と米国の英語がおれば,インドの英語を間違っているとみなしてしま 55 うことを指摘する。 これまで英語とは,the English つまり,英米人の使用する唯一絶対的なものであると 考えられてきた。しかし,今や世界には多様な Englishes があり,英米人の使用する英 語は,その中の 1 つであるというような見方が出てきた。したがって,英語の使用に関 しては規範的な姿勢に代わって寛容な姿勢が求められる。 アフリカ英語では,advices, furnitures, informations といったように,不可算名詞も複 ──────────── 55 Nelson[13] 同志社商学 36( 504 ) 第65巻 第5号(2014年3月) 56 数化する。child の複数形は children であるが,語尾に s をつけて複数形を示すという 規則性が適用されて,childs が用いられることも予想される。動詞の過去形も同様で, wrote のような不規則動詞は減少して,語尾に ed を付けて writed という表現も見られ るであろう。 こういったスペルや語法の新種が許容されるかどうかは, 「理解されるか」が基準と なる。同じことは語の意味についてもいえる。すでにビジネスの世界では,国際商業会 議所が,各国あるいは,各業界が異なる意味で用いてきた貿易用語の統一作業を進めて きた。また,貿易で用いられる信用状における用語についても誤解のないようなガイド ラインを設けてきた。 保険証券の英語は,保険発祥の国である英国の保険法と密接に結びついているし,英 米契約書の語句の意味をめぐっては,英米の判例が重要な意味を持ってくる。英語が英 米人の所有物でないという姿勢を貫くためには,こういった文書で用いる語句の意味の 統一をグローバルに行なっていくべきである。 3 話す力,聞く力,そして思いやりの必要性 かつて米国においてビジネス英語の 1 つの要素として, “You-attitude”が提唱され た。そ れ に 対 し て,わ が 国 の ビ ジ ネ ス 英 語 の 研 究 の 草 分 け で あ る 尾 崎 は, “You57 consideration”を提唱した。この尾崎の薫陶を受けた亀田は,You-attitude は単なるライ ティング上のテクニックであり,コミュニケーションにおいては,Berlo の主張する 58 “empathy”の必要性を指摘し,この empathy を言い換えたのが,尾崎が提唱する You59 consideration であると述べている。日本語にすると,相手への「思いやり,共感」と言 えよう。 グロービッシュでは,ネイティブ・スピーカーに対してノン・ネイティブ・スピーカ ーの英語力への配慮を要求しているが,これも語彙や構文といった表現レベルでの配慮 にすぎない。聞き手の理解を得ようと考えたならば,表現上の工夫ではなく,そもそも いかなるメッセージを伝達すればよいかから考えなくてはならない。その「思いやり」 は,異文化間コミュニケーションにおいてはより重要である。 ロー・コンテクストのコミュニケーション・スタイルの国では,直接的な表現を好 み,依頼に対し,we can’t と言うであろう。逆にハイ・コンテクストの国では,間接的 な表現を好んで,it is difficult と言うであろう。共に表現自体シンプルな英語であるが, 前者の表現は,ハイ・コンテクストの人の反感を引き起こし,後者の表現は,ロー・コ ──────────── 56 Yano[24] 57 Ozaki[12] 58 Berlo[2] 59 Kameda[11] 「学習するビジネス英語」から「共に創り上げるビジネス英語」へ(則定) ( 505 )37 ンテクストの人に誤解を与えるおそれがある。 グロービッシュの創始者のネリエールが,川を挟んだ人が出会うためには,双方が歩 み寄って(泳ぎ寄って)川の真ん中にある島で落ち合うべきだと述べていることは紹介 した。コミュニケーションにおいても同様であり, 「思いやり」を持つべきなのは話し 手だけでなく,聞き手もである。 組織行動学の研究者である Gibson は,異文化間コミュニケーションにおいて聞き手 に要求されるテクニックとして, “active listening” (積極的な聞き取り)と“listening for 60 ideas” (真意を聞き出す)をあげている。前者は,伝達されたメッセージがよく理解で きない場合に, “elaboration” (詳述化)や“clarification” (明確化)を求めることであ る。後者は,前述したハイ・コンテクストのコミュニケーション・スタイルでははっき りとメッセージとして伝達しないことがあるが,そういった場合に話者の気持ちを忖度 してその真意に気づくようにすることである。 わが国は,ハイ・コンテクストの代表的な国と言われている。島国で閉鎖的で集団的 な文化がそのようなコミュニケーション・スタイルを生んだのであろう。しかし,異文 化の間では共通のコンテクストがほとんどないのであるから,ロー・コンテクスト・ス タイルのコミュニケーションを心がけるべきであろう。 しかし,寡黙な分,逆に聞く側に回ると,話し手の真意を様々な手がかりを元に探ろ うとする。米国の言語学者である Yamada は,日米のコミュニケーション・スタイルを 比較し,米国のコミュニケーションを“Speaker Talk” (話し手主導) ,日本のコミュニ 61 ケーションを“Listener Talk” (聞き手主導)と呼んでいる。この日米の違いは,東洋と 西洋の違いと言ってもよい。米国の心理学者である Nisbett は,西洋人が“‘Transmitter’ orientation” ( 「発 信 機」中 心)で あ る の に 対 し て,東 洋 人 は“‘Receiver’ orientation” 62 ( 「受信機」中心)と呼んでいる。 グローバルなビジネスの世界では,ハイ・コンテクストの人たちは,より明確なメッ セージを発信すると同時に,ロー・コンテクストの人たちには,聞く力を身につけるよ うに求められるであろう。 4 文化的前提の理解 ハイ・コンテクストやロー・コンテクストという概念を提唱したのは,米国の文化人 63 類学者の Hall である。同じような趣旨を,英国の社会学者である Berstein は,簡潔な 表 現 を す る“restricted codes” (限 定 的 コ ー ド)と,詳 細 な 説 明 を す る“elaborated ──────────── 60 Gibson[5] 61 Yamada[23] 62 Nisbett[15] 63 Hall[6] 38( 506 ) 同志社商学 第65巻 第5号(2014年3月) 64 codes” (詳述的コード)という用語で表現している。 話し手が聞き手に,聞き手が話し手に「思いやり」を持ってコミュニケーションする には,こういったコミュニケーション・スタイルの違いだけではなく,互いの思考法や 価 値 観 の 違 い も 知 ら な く て は な ら な い。亀 田 は,西 洋 人 の 使 う 英 語 を“Western English”と名付け,その背後には,アリストテレス的修辞学と演繹的思考法,自己主 張と個人主義,そしてキリスト教とその哲学があると指摘し,英語がグローバルに用い られるためには,それらと決別して“Easternized” (東洋化)すべきであると提唱して 65 いる。 Gibson は,ハイ・コンテクスト,ロー・コンテクストという 2 つの文化圏では,判 断基準やメッセージの内容,そしてコミュニケーションのチャネルも違ってくると指摘 66 している。ハイ・コンテクストの代表としてインドネシア,ロー・コンテクストの代表 として米国を取り上げ,それぞれの国の企業で,ある部署だけが制服を支給されなかっ た場合どのようなコミュニケーションを取るかを解説している。 インドネシアでは,思考や行動の判断基準を他者に求め,他者との差異を小さくしよ うとする傾向がある。他の部署では制服が支給されていることをまず述べるであろう。 そして共に働く一員であることを重視し,仲間として働いてきたことを情に訴える。い かに自分たちが献身的に働いてきたかを切々と訴えるであろう。そして組織内で決めら れた正式ルートを使って自分たちの要求を伝えようとする。上司に直接会うことが必要 であればアポを取り,書面で請求が必要ならその手続を欠かさないであろう。 対して米国では,思考や行動の判断基準はあくまで自分自身であり,その結果他人と 違うことがあっても問題にしない。集団の一員というよりも個人に重きをおき,自身が どれだけのことをなしてきたかを意識する。制服が欲しければ,自分たちの業績からし てその権利は十分であることを理論整然と訴えるであろう。コミュニケーションのチャ ネルは形式張らず,気のついた時に遠慮せずに訴えるであろう。 こういった文化の違いに起因するコミュニケーション・ギャップを具体的事例を示し 67 て解説した先駆的研究者として,米国の社会心理学者,Triandis がいる。彼は,米国人 上司とギリシャ人の部下との間の会話が紹介し,互いに相手に対する反発が高まってい る様子を分析した。上司は報告書の作成を依頼する際, “How long will it take you to finish this report?”と尋ねる。部下に自主性を求めて,作成時期を自ら決めさそうとい う思いがある。しかし,明確な命令を期待する部下は,相談的な姿勢に戸惑い, “I don’t know. How long should I take?”と返事する。上司は,これを自らが責任を取ろう ──────────── 64 Bernstein[3] 65 Kameda[10] 66 Gibson[5] 67 Triandis[22] 「学習するビジネス英語」から「共に創り上げるビジネス英語」へ(則定) ( 507 )39 としない姿勢だと思い込む。 この事例では会話はさらに続き,互いに対する反発が強まっていく様子が紹介されて 68 いるが,これ を 通 し て,Triandis は, “Attribution theory”を 展 開 する。attribution は, しばしば「帰属」と訳されるが,この場合, 「意味付け」と訳したほうがわかりやすい であろう。コミュニケーションで大事なのは,メッセージそのものではなくメッセージ の意味付けである。そして,それぞれの文化には,それぞれの役割に対して独特の期待 があり,それに沿って意味付けがなされる。上例の場合,米国とギリシャでは,上司と 部下の役割に対する期待が違っており,それが間違った意味付けを生んでいたのであ る。 こういった文化的期待を含む,コミュニケーションの前提となる文化的なもろもろ を,異文化間コミュニケーションを研究する田中は, “cultural assumptions” (文化的前 69 提)と呼んでいる。この概念を用いて,ルノーと日産の提携後の両社の社員間での会話 を分析している。会合のテーマは,CM のアプローチであり,ルノー側は,ルノーの技 術を売るこむべきであるとするのに対し,日産側はフランスのテイストを全面に出すべ きであるとしている。会議ではルノー側が,多少の差があっても会議に参加する全員が 順に発言するのに対し,日産側はもっぱらリーダー 1 人が発言して他の人は沈黙してい る。 日本の文化的前提に立てば,責任あるリーダーが代表して発言すればいいのであり, それに異論がない部下はあえて発言する必要がないと考える。しかし,田中は,こうい った文化的前提を知らない人は,リーダーの意見に対して部下たちは積極的に賛成して 70 いないという解釈をしてしまうことを指摘している。 グローバルのビジネスの世界で,優れたコミュニケーターとなるためには,英語力だ けではなく,こういった文化的前提にも習熟しなければならない。 5 各国の価値観を伝える英語 英語を通して英語圏の価値観が入ってくることを拒むことはできないし,拒む必要も ない。明治の開国以来わが国では,英語など諸外国語を学んで,それを通して,わが国 にはなかった多様な知識や思考法を導入して発展してきた。問題は,もっぱらわが国は 受信のみに力をおき,わが国からの発信を積極的に行なってこなかったことである。今 後求められるのは,各国が自らの価値観を英語で発信することである。 ノーベル平和賞を受賞したケニアのワンガリ・マータイは,来日した際に, 「もった ──────────── 68 Ibid. 69 Tanaka[21] 70 Ibid. 同志社商学 40( 508 ) 第65巻 第5号(2014年3月) いない」という日本語を知って感銘を受け,mottainai という語を世界に広めていくこ とにより,資源を無駄にしない環境にやさしい活動を推奨した。ビジネスの世界でも, すでに,トヨタのものづくりのすばらしさの要因として, 「改善」があることが知られ, kaizen を学ぼうとの姿勢が見られる。また,これまでもっぱら財の取引が中心であった 国際取引でサービスの比重が増して来た今日,わが国の優れた接客術が omotenashi と いう語を通して注目されつつある。 前述したイギリスとイタリアの企業合併でイタリア人幹部が反発したのは,英語を共 通語にすることよりも,それに伴い英語圏のマネジメントを導入して伝統的なイタリア の慣行を排除していったことだと思われる。英語圏のマネジメントを取り入れると同時 に,イタリア独自の優れた慣行も残して両者を融合する努力をしておれば結果は違って いたであろう。 米国の経営学者である Peters と Waterman は,米国のエクセレント・カンパニーすな 71 わち超優良企業を対象に調査して,その共通する特性を探った。その中で彼らは,米国 72 のビジネススクールで教えてきたマネジメントにおいては, 「合理主義アプローチ」が 73 とられ,そこでは, 「形式ばらない自由を好まない」ことが指摘され, 「分析,計画立 74 案,指示命令,特定化,チェックなど」の用語が頻繁に用いられることを紹介してい る。そして,そういったアプローチは, 「本来生身であるところのものから生きた要素 75 を取り除いてしまう」と批判している。それを踏まえて彼らは, 「新しい言語が必要で 76 ある。われわれは経営用語の辞書に新しい言葉を書き加えなくてはならない」と提唱し ている。この「新しい言語」に寄与できるのが,われわれ英語圏以外の人間である。 また,かつては多国籍企業,今は超国籍企業と呼ばれる巨大企業が数多く出現してグ ローバルなビジネス活動を推進している。1 つの企業の拠点が世界中に点在し,多くの 国籍の人間がそこで働いている。かつてその違いが注目された国民文化は徐々に収斂し ていくことが予想される。代わって注目すべきは企業文化である。 Peters と Waterman は,エクセレント・カンパニーとは,共通の価値観を有する従業 77 員を擁する組織であると述べている。言い換えれば,明確な企業文化を持った組織であ る。その文化は,そこで働く従業員ひとりひとりが持ち込んだ価値観を統合してできあ がるものであり,それぞれの国において伝えていくべきものを英語で発信していくこと が望まれる。 ──────────── 71 Peters & Waterman[18] 72 Ibid., p.50[訳書,106 ページ] . 73 Ibid., p.50[訳書,106 ページ] . 74 Ibid., p.50[訳書,106 ページ] . 75 Ibid., p.46[訳書,98 ページ] . 76 Ibid., p.106[訳書,194 ページ] . 77 Peters & Waterman[18] 「学習するビジネス英語」から「共に創り上げるビジネス英語」へ(則定) Ⅴ ( 509 )41 おわりに代えて∼イスラエル人とインド人の間の手紙∼ 最後に,イスラエルの学者,Zaidman が取り上げたイスラエルの企業とインドの企業 78 の間で交換されたファックス文書を紹介したい。Zaidman によれば,両国のコミュニケ ーション・スタイルは対照的である。イスラエルでは,明瞭,簡潔,率直が重視され, 修辞的な言辞は廃止,必要な情報のみを与えようとする。対してインドは,階層的社会 であり,自らをへりくだり,相手を敬うという姿勢が根本にあり,丁重さや言い難いこ とは後回しにしたり間接的に表現したりするところから,文は概して長くなり要点が文 末におかれることが多い。また大げさな表現もインド人の特徴である。 これら 2 つの国の企業が合弁を立ち上げようとしてファックスで連絡を取り合ってい るが,このコミュニケーション・スタイルの違いから誤解が生じ,感情の行き違いも発 生する。 まず,飛行機とホテルの予約を取ってインド人を招待するイスラエル人に対し,イン ド人は,会合は事項尚早であると言いながら同時に希望するなら出かけてもよいとも言 い,訪問するのかしないのかが明確ではない返事をしてイスラエル側を困らせる。 一方イスラエル側は,インド企業は情報の提供などを含めて一方的に頼んでくるばか りで,自らが提供するものがないように思えて,ビジネスでしているのであり,慈善事 業ではないという強い口調の批判をして,イスラエル側を当惑させる。 また,コミュニケーションは仕事に直接関係あるものに焦点を置くべきであり,人間 関係を構築するよりも情報の提供を求めるイスラエル人は,ビジネスに関する情報が不 明確で仕事に無用な情報が多いインド人のファックスに当惑する。逆に,インド人は, イスラエル人のコミュニケーションは,攻撃的で,柔軟性がなく,人間味に欠けると反 発する。 しかし,興味深いことに,ファックスの交換を繰り返して行くうちに相手に対する適 応現象も見られる。イスラエル人が, “I must congratulate you for the achievement in receiving the approval for our project and looking forward for the wind to blow in our ship’s 79 sail”とインド側に書き送っている。事業の成功を願う気持ちを,帆船を進めるような 風が吹くと比喩を用いるのはインド人の特徴的表現であり,事務的,効率的なイスラエ ル人としては珍しい表現である。 対するインド側も,次第に,イスラエル側と同じように短く直接的なファックスが増 えていっている。そして,丁重で儀礼的表現を好むインド人が, “Shalom! How’s the ──────────── 78 Zaidman[25] 79 Zaidman[25] ,p.432. 同志社商学 42( 510 ) 第65巻 第5号(2014年3月) 80 Nofar project going on?”と,イスラエル側の挨拶表現を使い,彼らと同じようにくだけ た表現を用いてファックスを書き始めている。 Zaidman は,異文化間コミュニケーションにおいては,互いに相手のコミュニケーシ ョン・スタイルに適応することにより,収斂(convergence)が見られることを指摘し 81 ている。今後のビジネス英語においても,このように互いに適応して収斂していくこと が望まれる。これに対しては,時間がかかりコストもかかるという批判も予想できる。 しかし,短時間で,低いコストでという考え方自体が,英米で重視されて来た価値観で あ る。そ こ か ら の 脱 却 も 必 要 で あ る。前 述 し た よ う に,亀 田 は, “English to be Easternized”を提唱しているが,そこには,長期に理解し合うという姿勢も含まれるで 82 あろう。 参考文献 [ 1 ]Bargiela-Chiappinni, F. (2001) . Management, culture and discourse in international business. In M. Stroinska(Ed.) , Relative points of view : Linguistic representations of culture(pp.144−160) . Oxford : Berghahn Books. [ 2 ]Berlo, D. K.(1960) . The process of communication : An introduction to theory and practice. New York : Holt, Richard and Winston. 布留武郎・阿久津喜弘訳(1972) 『コミュニケーション・プロセスー社会 行動の基礎理論』 .共同出版. [ 3 ]Bernstein, B.(1964) . 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