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北村季吟「源氏物語湖 月 抄 」

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北村季吟「源氏物語湖 月 抄 」
こ げ っ しょう
北村季吟「源氏物語湖月抄」
村上勘左衛門、延寶元年(1673)
六十冊、28cm
本館の貴重書庫の中で、さまざまな和装本の
季吟に「古今伝授」印可を授けます。これは和
うち、目をひくのが江戸中期、元禄時代に活躍
歌の『古今和歌集』などの解釈論の体系をす
した歌学者・北村季吟(1624-1705)のコレクショ
べて伝授したという儀式的証明書で、連歌の大
ンです。特に代表作の『源氏物語湖月抄』は
成者・宗祇から武将の細川幽斎・貞徳まで継承
巻序のちがう2種があり、他に『大和物語抄』
・
され、その学燈の系図を記したものです。季吟
・
『枕草子 春 曙抄』も所蔵
『伊勢物語 拾 穂抄』
は、この本質をよく理解し、和歌の精神を俳諧
き ぎん
しゅうすいしょう
しゅんしょしょう
うもれ ぎ
(1655)とい
にも生かせるとして『俳諧 埋 木』
しています。
『湖月抄』全六十冊(1673)は、
う教科書を草案、これを後には公
それまで多くが歌学の秘伝として
刊(1673)し、青年時代の松尾芭
非公開とされていた『源氏物語』
蕉らに授けたのです。
こうした華々しい業績に比べ、
関係の多数の注釈や読み方の相
違点を列挙して物語本文と対照し、
季吟の実生活は不遇でしたが、66
控えめに取捨選択をするという画
才になって、5代将軍・徳川綱吉
期的な印刷刊行本でした。これは
に招かれて、京都から江戸(千代
儒教経典の注解研究の方法を体系
田区神田神保町)に移住(1689)
しました。その背景には、綱吉と
的に応用したものでしたが、現代
北村季吟
の『源氏物語』の刊行本も同じス
ともに京都文化を江戸に扶植しよ
タイルを踏襲しています。
『源氏物語』を現代
うとしていた将軍側用人・柳沢吉保の庇護があ
語訳した与謝野晶子も、大正時代に再刊本を
り、季吟も吉保の出世とともに栄誉を受け、晩
精読して参考にしています。国学の祖・本居宣
年はその歌論を具体化する吉保の別邸「六義
たまかつ ま
りく ぎ
えん
(1793 年執筆)は、 園 」
(文京区本駒込)の理想的な造園(1702)
長の源氏論の随筆『玉勝間』
この『湖月抄』初版から 120 年後に異論点を批
判的に修正しようとしたものです。
にも参画しています。
季吟の後、芭蕉をはじめ、膨大な数の弟子た
また北村季吟は「松尾芭蕉の俳諧の師」とし
ちが江戸文化の旗手、あるいはスポンサーとな
ても知られています。現在の滋賀県野洲市に生
り、さらには一般の愛好者として庶民すみずみ
まれ育ちましたが、この地域の人々は「近江商
にまで普及する文芸開放の流れとなっていった
人」といって、京都を中心に関西の商業流通に
のです。
たずさわる人が多く、季吟の父も京都の東、粟
田口で彼らの往来を見守る町医者をしていまし
た。季吟も医者になりましたが、当時の関西の
俳諧文化の中心だった松永貞徳の晩年の門下
(情報提供:中央大学 中島悟史先生)
展示:4 月~ 6 月 大学図書館本館
参考文献
北村季吟:この世のちの世思うことなき』
(1645)となり、さらに洛南の長岡に移住(1649) ・『
島内景二著 ミネルヴァ書房 2004
後、当地にゆかりの深い『伊勢物語』の在原業
平の研究をすすめていくことで、和歌の道にも
才能をあらわしました。このことで師の貞徳は
・『北村季吟傳』石倉重継著 ク
レス出版 1995
(本館収書課受入係 中島直子)
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