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キーウィタースとレース・プーブリカ

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キーウィタースとレース・プーブリカ
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Issue Date
キーウィタースとレース・プーブリカ −ロックの市民
社会について−
遠藤, 博也
北大法学論集, 41(5-6): 253-359
1991-10-31
DOI
Doc URL
http://hdl.handle.net/2115/16801
Right
Type
bulletin
Additional
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File
Information
41(5-6)_p253-359.pdf
Instructions for use
Hokkaido University Collection of Scholarly and Academic Papers : HUSCAP
││ロックの市民社会について││
はしがき
一ロックとホップズ
ロックの市民社会論の検討
ロックの市民社会論の内容
次
l ウ ィ タl スとレ 1 ス・プiプ リ カ
二 フ ァ l ガソンとへ l ゲル
三キ
北法 4
1
(
5
6・
2
5
3
)2
2
9
9
目
四 ポ リ ス と ポ リlテイアl
藤
博
也
説"
1
あとがき
ユ
昼
:論"
プlブリカ
キlウイタ!スとレl ス -
四
はしがき
石川武教授は、その論稿﹁いわゆる﹃市民政府論﹄(ロック)に関する覚書ご)﹂において、ジョン・ロックの
国政二論第二艇の鵜飼信成教授による翻訳(ロック著・鵜飼信成訳﹃市民政府論﹄岩波文臨)について、大要、 つ
ぎ﹂の
ような誤訳を指摘しておられる。
1 ルジョア(的)政府﹂のこ
まず、何よりも表題の寸市民政府﹂(の守口問05552門)は誤訳である。俗にいう ブ
L
と
と対置されている部分(一三節)、﹁社会契約﹂にもとづく寸社会
L
寸市民法﹂(わ守口印 O丘広三、寸市民的政治制度﹂(の守口宮ロミ)などの訳語において﹁市民﹂ないし﹁市民的
L(
℃。℃己ロ印)である。
寸市民法
任命胃ouZH
L(
﹁市民社会﹂(と訳されているもの H丘三
-ga21 は、﹁自然状態 Lと対置されるものである。それは、 (近代的)
﹁市民社会﹂すなわち政治社会ないし国家と対立する私的な﹁経済社会﹂ないし﹁ブルジョア社会﹂ではなく、﹁政治社
aHT
(家) の法﹂のことである。
形容調ではなく、ラテン語の丘三g
m(園、国家)の形容詞である。したがって、広三二ωさも、﹁市民法しではなく、﹁国
ω
と訳されているもの)が﹁自然法﹂と対置されていることからわかるように、巳巳
NgゃσORg
ぬ uの
σ。ロ吋問。。目印)は全く登場せず、不法な政府に対する抵抗の主体とされているのも、これらではなく、﹁人民
訳されているのは、すべて丘三一という形容詞であるが、これに対する名調である﹁市民﹂ないしコブルジョア﹂ P
ENg
ω
結合行為﹂と関連する部分(二二六節)では、まったく理解することができない。
O節)ではそう解する余地があるものの、﹁自然状態
とをきしているものと推定されるが、この言葉が本文中に登場する三か所中、﹁絶対君主政 Lと対置されている部分(九
(
1
)
説
論
北法 4
1
(
5
6・2
5
4
)2
3
0
0
会
L
事実、﹁市民社会﹂(と訳されているもの)は、 コモンウェルス ROBESさ21F)と同義に用いられ、﹁政治社会﹂
ないし﹁国家﹂のことである。
u
同
F
点において、﹁家﹂ないし﹁父権
L
と区別・対置されているが、﹁政治権力﹂の内容は﹁国家権力
L
吾巾己︿一-包括山田守山件。は寸国政﹂ないし寸国家権力﹂を預る為政者のことであって、﹁為政者
L
と訳すべきものである。
という訳は、偶然
である。
L
(
R巳gE2-s-
同じ岩波文庫版のモンテスキュー﹃法の精神﹄野田良之・稲本洋之助・上原行雄・田中治男・三辺博之・横田地
に多義的に用いられる
に始まる解説がつけられている。
gu の私的領域
つとに福田歓一教授は、﹁フランス革命における人権宣言(中略)は巳吉宮口と区別されたぴ Oロ括
L
に由来する。したがって、丘三-の原義は﹃国家の﹄あるいは﹃国家構成員の﹄というものであるが、この形容詞は次第
このn
Firは古代の政治共同体つまり国家を意味する丘三片山田(ギリシアなら芯rtないしその構成員を意味する丘三回
弘訳では、最初の凡例において、フランス語のの守口について﹁ラテン語の巳︿口町がフランス語に転化したもの。そして、
ω
が多いことは、かねて指摘されているところであり、また、日頃、痛感するところである。
の円︿口、ラテン系のフランス語、イタリア語、スペイン語などの巳︿口、丘三貯の語が多義的であり、右のような邦訳に問題
わが国において、右の鵜飼訳にかぎらず、相当広範に、﹁市民﹂ないし﹁市民的﹂と訳されることが多い、英語の
1
) との対比において、世俗の﹁国家の統治﹂ないし、寸国政
℃
。
]
円3
﹁市民的政治制度L
(nz--uorちという訳は、歴史的大誤訳であって、正しくは、﹁教会政治﹂
に正しい。
(
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ω
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o
-同庁 m
o
n
{巾昨日﹀℃05-s-gn{巾片山、)と等置されている。この﹁政治社会﹂は、﹁政治権力Leo-X片山-℃。者巾円)をもっ
キーウィタースとレース・プープリカ
説
論
の確認でもあった。しかも、この領域を指示する形容詞は皮肉にも三宮古ロと同根の丘三-であった。ルソ lが嘆いたよ
うに、そういう使い方は一八世紀の新現象であって、一七世紀までは丘三]はギリシャ都市国家に由来する宮EZ5と
g 母丘三]が、まさにこの新しい用法を確定し、それをH55EE
大体同義に使われてきた。革命の落し子フランス民法典
の反対概念にしたのである﹂﹁このような分裂を定着したのは、それこそ﹃市民﹄革命の条件のなかったドイツにほかな
らない﹂とし、 へ!ゲルの﹁﹃欲望の体系﹄としてのぴロ話。ユwEC20口凹与え門は、決して国家・政治社会を意味するの円三}
としておられた。
o
Z 丘三日ではあり得、ず、社会ないしプルジョワ社会﹂であるとしたうえで、このような﹁歴史的用法のある
n
o
q2
。
印
∞
一
コトパが、多くの場合、歴史的文脈を無視して、無差別に市民、市民的と訳され、それが日本の歴史学ないし社会科学
L
この語が多義的であることは、日頃体験するところであろう。たとえば、ホップズの﹃リヴァイアサン﹄の正式
の術語として、それこそ﹃市民権﹄を獲得して独り歩きしてきた
ω
g
}
)
(nZENEg巳21
に
R22gamwq) にあっては、広三}は、文明(のぞENm片山。ロ)に由来し、原始的ないし
時mqznFゅの2色町与え丹)のもとになったといわれるアダム・ファ lガソンの﹃市民社会
(BEEZ) と対比的に用いられている。
R
n
g
u
m
名は、﹃リヴアイアサン、もしくは、キリスト教会の (
コモンウエルスと俗世の(のぞ巴コモンウェルス
山
片
の質料、形相、権力﹄であって、教会政治と対比的に用いられている。また、マキアヴェリの﹃君主論﹄においては、社
ドイツ語の市民社会
会生活ないし政治生活 (
zig 巳i
z
) が軍事
ω
(の語
の歴史論﹄における市民社σ
会
sE話回。巳21 と対比的に用いられている。アダム・スミスにおける文明社会
伝統的社会(胃-
近く、また、ルソ l の用法を想起させるものがある。ただ、ファ!ガソンは、いうところの文明社会の基本的メルクマ 1
ルとして政治をあげ、 さらに、 そこにおける腐敗堕落(公益に対する私益の優先) の基本的原因を商業の進展に求めて
いるため、政治社会に重なる面と、経済社会に重なる面との両面がみとめられる。
北法4
1
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25θ2302
キーウィタースとレース・プープリカ
一九世紀的な﹁国家
L
L
でないことは、学問上の常識
とわが国で訳されているもの)と﹁政治社会﹂ないし﹁国家﹂と
L(
と対立するものとしてのブルジョア的寸市民社会
ヨーロッパの伝統的思想において、﹁市民社会
が同一であり、
として定着しているように思われる。
わかりやすい例をあげると、 ドイツ歴史的基本概念辞典第二巻でこの項目を担当し、とくにへ lゲル法哲学にお
けるこの概念の意義を論じているマンプレート・リ lデルは、邦訳﹃へ lゲル哲学。その成立と構造﹄(清水正徳・山本
道雄訳、福村出版一九七六年)の中で、 つぎのようにいっている。
﹁アリストテレスからカントにいたるまでの法哲学的伝統が、人間社会はすでにそれ自体、自由市民(己認印)の法的
権能や身分的特権という点で政治的に秩序づけられており、さらに家のもつ経済的・実体的位置という点で社会的 gNU-
L
白
に秩序づけられているという理由によって、国家を市民社会として特色づけていたのに対し、へ 1ゲルは国家の政治的
領域を、その後﹃市民的 σ
号m 巾円zny﹄となっていった社会領域から区別するのである
﹁キヴィタスすなわちソキエタス・キヴィリスすなわち狭義のレス・ププリカという、トマス・アクイナスとアルベ
ルトゥス・マグヌスから、 ボlダン、 ホッブズ、 ロックおよびカントにいたるまでみうけられる、 そして前革命的市民
社会組織を表現している、政治哲学の伝統的定式を、 へ1ゲルはその著作のいかなる個所においても受容していないの
へー・ポリスすなわちへ l ・コイノニアすなわちへ l ・ポリティヶ、キヴィタスすなわち
であ﹂る(傍点、遠藤。以下同じ)。
﹁国家すなわち市民社会、
ソキエタス・キヴィリスすなわちレス・ププリヵ、まさしくこのような等置こそが、国家と社会の近代的分離の彼方で、
スピノザ、 ロックおよびカントにいたるまで変ることなく通用していた、古いヨーロッパ政治哲学
アリストテレスからアルベルトゥス・マグヌス、 トマス・アクイナスおよびメランヒトンにいたるまで、 のみならずボ1
ダンからホップズ
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3
(
1
)
ヴ
A
ルガlリ ッ ヒ ゲ ゼ ル シ ャ フ ト
の古典的定式なのである﹂
寸
へ 1ゲルは﹃市民的﹄と﹃社会﹄を、政治哲学の根本概念として統一したが、しかしこの概念はなるほど外的にみれば、
アリストテレスのコイノニア・ポリティケや、 ボlダン、 メランヒトン、 ヴォルフのソキエタス・キヴィリス、そして
市民
会﹄
の伝
符合
いと
るも
のの
、伝 統 と の ま っ た き 断 絶 を 前 提 に
カ ン ト の﹃
し
か社し
その
成統
立とか
らし
みてる
、のこ
しているということである。そのかぎり当然次のようにいラことができる。すなわち、このような意味における市民社
右の引用部分において、ロックは、 伝統的学説の中に教えられている。 また、 リiデルは、 ロックの﹃国政二論﹄
会概念は、総じてへ lゲル以前には、のみならず一八二O年以前の彼の著作においですら、存在していなかった﹂
ω
第二編の第七章の標題が﹁政治社会、 すなわち市民社会について﹂ (鵜飼訳)とあるところから、 重ねてこれを確認して
いる。
しかしながら、右のリ 1デル自身が、 スコラ哲学の実践哲学における、①人聞を対象とする倫理学、②市民を対
一八世紀においては、 イギリスとフランスとちがって、 もっぱらドイツにお
そして道徳が実定法へ拘束され、あるいは倫理学が政治学へ拘束されている点、以上の諸点である
L
としている。これ
z
g
) と市民社会(由。三兵器丘三]目的)という異質の領域へ区分されている点、また、国家と社会が一体をなしている点、
以下の諸点において前革命的社会の構造を反映しているのである。つまり、経済学と政治学が家的社会(印 O巳え虫色。Eg'
いてのみ、実践哲学の形市上学的伝統が保たれている。ヴォルフやヴオルフ学派においては、実践哲学はいぜんとして
ている)、次にフランスにおいて (中略)。
レス学徒の政治学のうちにあり、 ロック、 ファ lガソン、 ヒュ lムはすでに完全に、新しい﹃社会﹄の基礎のうえにたっ
ソサイアティ
る、国家からの近代社会の解放と共に、この伝統は崩壊する。 まず最初にイギリスにおいて(ホップズも反アリストテ
象とする政治学、③家の成員を対象とする経済学の三分割の伝統について論ずる部分では、 ﹁一七・八世紀の革命におけ
(
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)
説
論
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1
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によると、 へlゲルをまたずに、
一七・一八世紀のイギリス、 フランスでは、すでに国家からの市民社会の解放が行わ
ロックは、この新しい社会の基礎のうえに理論を構成していることになる。
本稿は、鵜飼訳の妥当性は問題としない。たしかに、鵜飼訳には、石川教授の指摘されるように、①基本的用語
一的訳語が与えられていないなどの問題点がみとめられるが、④解説において、﹃国政二論﹄第二編が、一六八八年の名
八節の﹁召使﹂と八五節等の寸僕 L、第六章・第八章における﹁父親﹂と﹁家長﹂など)について神経の行きとどいた統
について誤訳があり、②そのほかにも文章上の誤訳が散見されるほか、③学問上基本的な論争点となるべき用語(例、二
11
の古典的定式の把え方の妥当性を問題とする。
デルのいう、﹁ポリス﹂すなわち﹁キl ウィタ1 ス Lすなわち﹁レ l ス・プ lブリカ﹂であるとするヨーロッパ政治哲学
本稿は、ロックの市民社会論の論理構造を明らかにすることを目的とするとともに、そのために、右に引いたリ l
マの古典社会においてすでにみられることになる。
にみていた﹂としている。これを文字どおりにとると、プルジョワの登場は、近代市民社会をまたずに、ギリシア、ロ 1
一人物におけるシトワイヤンとプルジョワの分裂の現象を若きへ lゲルは﹁すでにギリシアの都市共和国の崩壊のうち
れ自身とかわす葛藤を、時代を越えてたかめられたアイスキュロス悲劇をかりて説明することができた﹂とし、この同
(市民)社会の政治的・経済的解放と共に歴史的に発生する、 シトワイヤンとしての﹁市民﹂がブルジョワとしてのおの
古代世界末期のプルジヨワ像に関するある独特の構想がもたらされた。そしてへ lゲルはこの構想にたつことで、近代
凶 リ lデルはまた、﹁ロ l マ法の誤った解釈(これは﹃法哲学﹄においてようやく訂正される)が外的機縁となり、
れ
誉革命を正当化しようとしたものであるとか、ホップズ的絶対主義理論の批判を前提としているとか、今日の学界では
北法 41
(5
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5
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3
0
5
四
あまり通用しない見解がのべられていることからうかがわれるように、翻訳の時期が約半世紀前の戦中・戦後であって、
本稿は、ロックの市民社会論の基本的内容である財産権をめぐる論争二七世紀イギリスがプルジヨワ社会であっ
その後の学界における成果をとりこむ余地がなかったためであると思われる。
ω
本稿は、 ロックの﹃国政二論﹄第二編における政治社会論の論理構造を明らかにすることを目的とし、 そこには
たか資本主義であったか、イデオロギー的にロックはいかなる立場にコミットしていたか、等々の論争には立ち入らな
L
ロックにおける国家と社会の区別は、しかし、石川教授が反発を感じておられるような、市民社会をプルジョワ
すなわち﹁キlウイタl ス﹂すなわち寸レ 1 ス・プ 1プリカ﹂であるとする古典的定式は問題であるとする議論
②イタリア・ルネッサンスの諸段階において、教皇権と皇帝権のはざまの中で、近代的国家理論の建設が試行された
ア思想の多大の影響をうけているが、国家論に関する基本的用語をラテン語化し、後世の共通の財産とした。
は、国家について明確な定義を与えた最初の思想家である。また、市民社会概念の元祖ともいわれる。もちろんギリシ
①アウグスティヌス﹃神の国﹄第二巻第二一章と第一九巻第一一一章ないし第二四章に引用されているとおり、 キケロ
由を、 つぎのとおりである (なお、正しくはキケローだが、慣例にしたがってキケロとよぶ)。
zwm)、﹃法律論﹄(ロmFmmF5)、﹃義務論﹄(ロo C E丘町田) における用語例を検討する。キケロを用いる理
(ロゆ同巾司c
を展開することにする。そのため、本稿では、 キケロの﹁キlウィタ1 ス L と﹁レ 1 ス・プ lブリカ﹂の語の﹃国家論﹄
リス
な伝統的理論の中にすでにある区別を反映したものであるとする立場を主張する。すなわち、先に引いたリlデルの寸ポ
社会とみる(いわば一八・九世紀を一七世紀の理論の中に読み込む)ことによってではなく、全く逆方向から、古典的
ω
国家と社会が区別されているとする立場を主張する。
(
3
)
30
・ν
説
論
北法 4
1
(
5
6・
26ω2306
キーウィタースとレース・プープリカ
﹀﹂主﹂、
キケロの国家理念がしばしば指導的役割を演じた。マキアヴェリにも強く影響を与え、 その﹃君主論﹄ では反発
を示しているが、﹃リウィウス論﹄いわゆる﹃政略論﹄では共感を示している。
③一八世紀にいたるまで主要な国家論関係の文献において引用される頻度が高い。たとえば、ロック﹃国政二論﹄第
二編でしきりに引用されているリチャ lド・フツカ l の﹃教会統治法論﹄では、論敵のトl マス・カ lトライトを別と
して、アリストテレス、アウグステイヌスについで、キケロの引用頻度が高い。
④ロック自身、学生にキケロの繕読を勧めるほどに愛読し、その蔵書中、友人ボイル、ロック自身の著作についで、キ
ケロのものが多かった。何よりも、 ロックの理論は、自然法論のほか、 とくに国家論において、 キケロのそれと酷似す
(対)
る部分が少くない。極論すると、 ロックの﹃国政二論﹄第二編中の基本的な諸命題で、 キケロの著作中にそれに相当す
る類似の文章を見い出すことができないものはほとんどないといってよいくらいに、両者は、よく似ている。なお、ニー
自然状態と自然法
自然状態において、すべての人は完全に自由かつ平等な状態にある (四節
ロックによれば、自然状態は一つの自然法が支配する世界である。
)0
﹁人聞はす
ル・ウ lドは、 ロックの社会的面に精神的な影響を与えたもの四つを数え、 キリスト教、 ベーコン主義、社会人類学と
自然法の根拠・内容
ロックの市民社会論の内容
並んで、 キケロをあげている。
'
a
A
べて、唯一人の全智全能たる創造主の作品であり、すべて、唯一人の主なる神の僕であって、その命により、またその
ω
g
z
oロ 地
事業のため、この世に送られたものである﹂から、﹁各人は自分自身を維持すべきであり、また自己の持物(
北法 4
1
(5
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2
61
)2
3
0
7
説
論
位)を勝手に放棄すべきではない。同じ理由からして、彼は自分自身の存続が危うくきれないかぎりできるだけ他の人
g
間(任命 52 え 冨M
Ew-E 自己をのぞく人類全体)をも維持すべきであり、そうして、侵害者に報復(仏CE在日
を処罰)する場合を除いては、他人の生命ないし生命の維持に役立つもの、他人の自由、健康、肢体、もしくは財貸を
奪いもしくは傷つけてはならない﹂(六節。なお、傍点は原典イタリック。鵜飼訳傍点。括弧内の訂正訳は遠藤。以下同
じ)。簡単にいえば、すべて人は、自然状態において、自由かつ平等であり、自然法によって、①自己保存の権利および
②全人類を維持する権利を有する(一一節)。①から、身体に対する自由権(一九O節)、包括的な自由権(一二九節て
その核心としての所有権(第五章)、賠債を求める権利(一 O節、一一節)、相続権(七二節、一九O節)を有し、①②
から、自然法の執行権である違反者の処罰権(七節ないし二二節)を有する。
なお、神の命令である(一三五節)とともに理性の命令であり、神の声であるともに理性の声である自然法は、理性
自然法の執行権
ロックの (九節、
L
一三節の最初にロック自身がみとめるように)特異な点は、自然法の執行
のある者にとって明瞭平明に理解できるものとされている(四節、六節、一二節、二五節など)。
ω
L(
L(
八節)ゆえに、﹁野獣
八節)。その理由は、自然法
権を各人が有するとすることである。すなわち、﹁自然状態においては自然法の執行は各人の手に託されているのであっ
て(中略)、各人は、犯罪者を処罰し、かつ自然法の執行者となる権利を有するのである
を犯す者は、﹁全人類および、自然法によって設けられたその平和と安全とに対する侵害である
(一一節、二ハ節、一七二節など)に等しいから、﹁各人は自然状態においては、人を殺した者を殺す権力﹂をもち(一
一
節
)
、 また、﹁この法のより軽微な違反をも処罰することができるし(一二節)。なお、暴力を用いる泥棒は、権利なく
して暴力によって人の自由を奪う者として、殺してよいとしている(一八節)。この各人(万人)にみとめられる自然法
の執行権に加えて、侵害によって損害をこうむった者は、寸行為者より賠債を求める特別の権利を有する。そうしてそれ
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を正当と認めるものは何人も、損害を受けた者に加担し、被害者が加害者からその蒙った損害に対し満足できるだけの
ものを回復するようにこれに助力していいのであるし(一 O節
)
。
元来、各個人は包括的自由権の一内容として、不法な侵害に対して自衛(二三三節参照)する権利をもっている(右
の泥棒の例はこれにあたる)が、これをこえて、侵害後に、①万人の犯罪者処罰権と②被害者の損害賠償を求める権利
自然法と政治社会自然法は、政治社会の成立によって使命を終らずにに、存続する。むしろ、自然法の確実
ならびに万人のこれへの助力がみとめられるわけである。
ω
かつ公平な執行のためにこそ政治社会は構成される。まず、自然状態においては、各人一人ひとりが裁判官権執行人と
なるが(八七節)、このような自然法の執行は不確実で不公平なものとなり、所有権(生命、自由、財産の総称。
節)の享受が不安定となる欠点がある(一二四節ないし一一工ハ節)。このような欠点をなくし、自然法の確実かつ公平な
執行によって所有権を維持することが政治社会と政府の目的である (第九章)。 ついで、政治権力は、寸各人が自然状態
でもっていて、後に放棄して社会の手に与えてしまったものしで、右の目的のために用いられるという信任(片言え信託)
のもとに与えられたものである (一七一節)。したがって、 さらに、人は、﹁自然状態にあっては他人の生命自由または
財産に対してなんらの恋意的権力ももたず、 ただ自然法が彼自身および、その他の人類の維持のために与えただけを有
つのであるから、これだけが彼が国家に、したがってまた立法権に譲り渡し、また譲り渡すことのできるすべてであり、
そのために立法府はこれ以上のものをもつことはできないのである。彼らの権力は、その究極の限界としては、社会の
公共の福祉に限定されている。それは保存のほかには何の目的をももたない権力であり、それ故、臣民を滅ぼし、隷属
させ、'または故意に疲弊させるような権利を、決してもつことはできない。自然法上の義務は社会になっても終止せず、
かえって多くの場合には一層厳密となり、その道守を強制するために人定法によって定められた刑罰が附加されるので
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一
一
一
目
岡
ある。このように自然法は、万人に、すなわち立法者にもその他の者と同じように、永遠の規則として存続する。彼ら
が他人の行為のために作る規則は、彼ら自身の行為や他人の行為がそうでなげればならぬと同じように、自然法に適合
していなければならない。自然法というのは、すなわちこの法が宣言している神の意志である。そうして自然の根本法
(
4
)
章
九
章
自然状態と戦争状態
第
ロックは、ホップズと異なり、この両者を区別する。ロックの用語例によれば、﹁人々が
態)が回復されることにより、自然法上の包括的自由権の一内容である自衛権(抵抗権) の行使が可能となる(第一八
体して自然状態が回復されることにより、 または、不正な権限なき力の行使者に対する関係で自然状態(ないし戦争状
え、政治権力には、右にのべた限界があるため、この限界をこえた不正な力の行使によって、極端な場合には政府が解
四五節、一八四節など)などに対する関係で自然状態にある。そればかりではなく、⑥自国民に対する関係においてさ
場合の被征服国の国民中の非戦闘員(一八二節ないし一九六節。なお、戦闘員に対する関係では戦争状態)、⑤他国ご
しなかった者(一一六節ないし三二節)、③自国領内に居住する外国人(一二二節)、④正当な戦争において勝利した
立契約に加わらなかった残余の者(九五節)、②設立後の自国民の子供であって未成年者、成年後国民となることに同意
他の一切の国家および個人に対して、自然状態にある一体なのである﹂(一四五節)。すなわち、国家は、①設立時に、設
類に対しては依然として自然状態にあるから﹂であって、寸協同体 (855ロロ日々共同体)はその協同体(共同体)以外の
いまひとつ、政治社会(国家)の成立は、そもそも自然状態を全面的に消滅させるものではない。それは﹁自余の人
然法の限界内にある(なお、第一四章における大権容認の理由参照)。
有効でもあり得ない﹂(一三五節)。すなわち、国家の最高権である立法権をはじめとして、すべての政治権力は右の自
(EEωBggご md司え ZωEZ基本的自然法) は人類の保存にあるから、どんな人定法も、それに背反しては正当でも
説
品
北法 4
1(
5
6・
2
6
4
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3
1
0
キーウィタースとレース・プープリカ
人間相互の聞を裁判する権限をもった共通の上級者を地上にもたず、ただ理性に従って共同に生活しているのが、まさ
に自然状態である。しかし他人の一身に対する暴力、あるいは暴力を用いようという明白な意図は、その救済のために
。したがって、﹁権限ある共通の裁判官がないと
訴えるべき地上の共通の上級者がいないところでは、戦争状態である L
L(
一九節)。言葉をかえると、
いうことは、すべての者を自然状態におく。権利がないのに、他人の身体に暴力を加えるということは、権限のある共
通の裁判官のあるところでも、ないところでも同じように、戦争状態を生み出すのである
ロックの戦争状態は、ホップズの用語例における戦闘行為の語に近く、しかも、自然法に違反して、権利(権限)なく
に、局面的であり、かっ、パーソナルな主観的な概釘であって、自然状態においても、政治社会においても、存在する。
して、他人の身体に暴力(不正に力)を行使する者は、自らその身を戦争状態に置くとする頻出する用語例の示すよう
すなわち、戦争状態は、①原始的自然状態において自然法に違反して他人に暴力を行使する者の行為により、②政治社
会成立後も権利なくして他人に暴力を行使する私人(例、泥棒)の行為により、③政治社会成立後、政治権力の現実の
担い手である国王その他の為政者が、信託や法に違反して、権限なくして他人に暴力を行使する行為により、④相互に
自然状態にある国家聞において、不正な戦争に訴えたとき(一七六節。侵略国と被征服国民の間)、適法な戦争により戦
勝したときこ七七節以下。征服固と被征服国民中の戦闘員との間)などに存在する。
ただし、戦争状態の継続ないしその終了は、自然状態においては、問題処理が被害者の自衛権、損害賠償を求める権
利、万人の自然法執行権の行使によることとなるが、これらも程度ご二節)をこせば、たちどころに同様の反撃を受
けてしかるべき性質のものであるため、一方が断念(相手方の権利行使の受容。なお、右の④の場合は、征服国の政治
支配への被征服国民の同意。二四節、一七二節、一七八節)しないかぎり、戦争が終らないという特色をもっ。これに
対して、政治社会においては、訴えるべき法と裁判官が存在するから、現実の暴力行為が終れば、戦争状態も終る。こ
北法 4
1
(
5
6・
2
6
5
)2
3
1
1
H冊
れが政治社会を作る理由である。しかし、この場合にも、現実に法と裁判が公平でなく正義に明らかに背くときには、戦
争状態が継続する(二O節)。政治権力の担い手の信託違反による独自の戦争状態をもつことはすでにふれたとおりであ
ロックは、ここでもホップズと異なり、自然状態においてすでに所有権の存在と契約の拘束力
る。ロックは、くり返し、これを自然状態におけるそれよりも悪い状態であるとしている。
所有権と契約
とをみとめている。主として所有権について論じよう。
ロックによれば、所有権の根拠と限界を与えるものは、いずれも神の命令である同一の
二五節)を説明すると、ー世界を人間に共有のものとして与えた
L(
附加えたのであって、このようにしてそれは彼の所有となるのである﹂(二七節)。
状態から取り出すものはなんでも、彼が自分の労働を混えたものであり、そうして彼自身のものである何物かをそれに
労働、彼の手の働きは、まさしく彼のものであるといってよい。そこで彼が自然が備えそこにそれを残しておいたその
身の一身については所有権をもっている。これには彼以外の何人も、なんらの権利を有しないものである。彼の身体の
こ で ﹁ た と え 地 と す べ て の 被 造 物 が 万 人 の 共 有 の も の で あ っ て も 、 し か も ( し か し 。 誤 植 か H遠 藤 ) 人 は 誰 で も 自 分 自
ところの神は、同時にそれを生活の最大の利益と便宜とに資するように利用すべき理性をも彼らに与えた﹂(二六節)。そ
なしに、 ど の よ う に し て 人 が 所 有 す る に い た っ た か
まず、﹁神が人類共有のものとして与えた世界の種々の部分に対して、しかもすべての共有者の明示の契約によること
目的によって画される(二七節、三一節、三二節ないし三四節、一二六節、一ニ八節)。
ある自己ならびに自余の人類の生存(自己保存の権利、全人類を維持する権利、一一節。生存の権利、二五節)という
(一一二節)。所有権の成立要件事由は神の命令である労働であり(三二節てその限界はやはり神の命令で
所有権の根拠と限界
自
然(1)
法
で
あ
る
説
苔'A
北法 4
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(
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26θ2312
ところで、 ロックは、私の労働の中に私の﹁使用人LGRS昇 鵜飼訳は、二八節、二九節では寸召使﹂、八五節、八
引き受けるべきサービス)をその受取る賃金と引換えに相手方に売ることによって、その僕
ω骨三2
六節では﹁僕﹂となっている)の労働をふくませている(二八節)。ロックは、この﹁使用人﹂に自由人と奴隷(第四章、
ロロ門凶巾円門知WO印
第二ハ章、 なお一七二節) の二種をみとめ、前者について、三定の期間を定めて労務を引き受け、それ(同町内
町。
使用人)となるのである。もちろんこのために彼は、通常その主人の家族の一員に加えられ、それで普通行わ
rl
ト
一一二節)。③﹁自然は、人間の労働の程度と生活の便宜とによって巧みに所有の限度を定めた
L(
果実が腐ったり、鹿肉が腐敗したりするならば、彼は万人に共通な自然法に違背したのであり、処罰されねばならない
(三六節)。④﹁もし彼の所有に帰したものが、適当に使用されないで滅失したとすれば、すなわち、彼が使用する前に
範囲がその限度である
のものとして、十分なだけが、また同じようにょうものが、残されているかぎり﹂(二七節)。② 7自分の用に供し得る
ついで、所有権の限界(自然法的制約)としてロックがあげるものは、つぎのとおりである。①﹁ほかに他人の共有
者を絞首刑にする規定があったが、その命を助けて通報者の下で一定期間奴隷として使役できる規定もあった。
ちなみに、一六世紀イギリスの救貧法制の中には、神の命令に背いて働く能力がありながら労働していない怠惰な浮浪
違反の野獣として)殺されても仕方がないものであって、命を助けられた者(ラテン語の225︿目当。)のことである。
おり、解釈が分かれているが、ここでは立ち入らない。後者の奴隷は、不正な戦争をした側の者で捕虜となり、(自然法
家族の一員となって家長権力の規律に服従する伝統的な家内(オイコス)使用人とし'ての側面を強調するか、周知のと
めた範囲を出ないものである﹂(八五節)としている。この文章中、契約による賃金労働者としての側面を強調するか、
れている規律に服するのである。しかも主人が彼に対して有する権力は一時的なものに過ぎず、それは相互に契約で定
同
。
ー
。
。
L
のであった。彼はその隣人の持分を侵したのである。何故なら彼は、自分の使用のために必要とし、彼に生活の利便を
北法4
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(
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26η2313
(828
キーウィタースとレース・プープリカ
説
苔2
、
弘
日間
一九二節)。これ
与うべきであったものよりも以上のものに対しては、何らの権利をも有しなかったのだから﹂(三七節)。
、
いまひとつ、 ロックは財産の権原として(父親ないし祖先の)遺産相続権をあげている(一九O節
は、自然法上の子供を保育、保護する義務(五六節、五八節、六四節ないし六六節など)に由来するようにも思われる。
しかし、それは、あくまで未成年の子供に限られているから、これをこえて一般的に相続権があるものとすれば、また、
妻にも(自己の労働または契約により)相続権があり(一八三節てさらに、家族の長としての父親に﹁自分の財産を自
分の一番好むものに与える権力﹂がみとめられる(七二節)ことなどにてらして、経済(政治、宗教、教育等)共同体
L
﹁各人は自分の利用し得るものだけをもっべしという法則﹂(三六節)、﹁使用し得るだけ
をもっ (四六節) という所有権の限界は、しかし、貨幣(保存しても腐朽せず、また相互の約束によっ
貨幣使用後の所有権
ないし単位としての家(オイコス) の存在をとうぜんの前提としているように思われる。
ω
について権利
て、人が実際に生活上有用な、しかし滅失する性質のものと交換に受取るであろう、何か永続性のあるもの。四七節)の
使用後、変容する。まず、 ロックは、ある物を、 それを利用する他人に譲渡し、 または、自ら利用する他の物と交換す
ることは、何ら﹁共同の資源を浪費しなかった﹂ゆえに、人を害しないとしたうえで、さらに、これを貨幣等と交換し、
﹁これら永続性あるものを、その欲するだけ蓄積して差支えなかった。自らの正当な所有権の限界を越えたかどうかは、
その財産の大きさのいかんにあるのではなく、何かが無用にそこで滅失したか否かにあるから﹂、決して他人の権利を侵
L(
三七節。いわば使用価値)ではなく、人の同意、合意という約束事にもとづ
したことにならないとしている(四六節)。ここでは、使用、利用の概念が極度に拡張され、﹁人間生活にとって有用で
あるかどうかに依存する物の本来の価値
く﹁想像的価値﹂(一八四節。いわば交換価値)をもつにすぎない貨幣等の取得・蓄積を目的とする財貨も、滅失しない
というもっぱら消極的理由から、所有権の範囲内とされている。積極的な本人にとっての使用価値の基準が消極的な人
2
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4
北法 4 l( 5~6 ・ 268)
キーウィタースとレース・プーブリカ
類共同の資源の浪費・滅失禁止の基準によって、 とって代わられているといってよい。
このようにして生ずるであろう各人間の財産の量の格差を、 ロックは、 しかし、労働の程度の差異に求めている
八節)。貨幣の使用とともに生ずるものに土地の専有があるが、ロックは、﹁自分の労働によって土地を専有するものは、
人類の共有財産を減少するのでなくてかえって増加するのである﹂(三七節)として、これを積極的に肯定する。労働が
土地所有権と領土土地所有権についても、基本的に他の所有権と同様の論理が妥当する。しかし、土地は、領
所有権の根拠ばかりでなく、物の価値の差等の基準とされているからである(四O節ないし四三節)。
ω
土と関係するために、そのかぎりで特別の扱いをうける。
L(
三二節)。当初は、人間の労働の程度と生活の便宜の二つが土地の場合も所有の限度を定めている(三
まず、﹁ひとが耕し、植え、改良し、開墾し、そうしてその産物を使用し得るだけの土地は、その範囲だけのものは、
彼の所有である
六節)。ところが、貨幣使用後、人は﹁暗黙かつ自発的の同意により、剰余の品物に対して、金銀(すなわち、何人にも
L
し、﹁土地の不均等な所持﹂をするようになる (
五O節)。そこにおいても、価値の基準は大部
不法を加えないで蓄積され得るもの)を交換に受取ることによって、自分がその生産物を利用し得る以上の土地を正当
に所有する途を、発見
分労働であって、改良を加えられた土地の生産性が荒れ地のそれと比較して、十倍、 ときに百倍に及ぶことを、 ロック
は、くり返し強調する(三六節、三七節、四O節ないし四三節)。この点で、 ロックは、少なくとも農業資本主義の立場
を代弁していると思われる。
ぎの宮資産)が増加すると、需要につれてその領地(司
g括部門OB
しかし、土地所有権の確定は、政治社会(ないし類似する社会)の法をまたなければならない。 ロックはいう。①﹁し
かしながら家族が増加し、勤労によって資本
(誤植か H遠藤)彼らが団体を作り、定着し、そうして都市 (hEg
領)も増加するのであった。しかも(しかしω
。
北法 4
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四
都
市 所
説
三A
、
共同体)を建設するまでは、彼らの利用した土地については、普通、確定した所有権は何も生じなかった。こうしてそ
の後になってやっと彼らは、同意によって漸次その区分の明瞭な領地(任包﹃島田片山口巳斗qュ
gEB それぞれの領土)の
境界を定め、彼らとその隣人(同宮町 z
o
m
F
σ
o
z
g 隣国)との聞の限界を協定するようになり、そうして彼らの内部の
宮島資産)が増加し、貨幣が使用されるようになった結果として、土地
法(戸山名目三F
EFσ 自
由ozg 各国の園内法)によって、同じ社会に属する人々の所有権を決めた﹂(三八節)。②﹁し
かし後には、世界のある部分で人口と家畜
(ずるようになった。そこで若干の協同体行。日自己ロEB 共同体)では自
が乏しくなり、したがっていくらかの値をω
生
それぞれの領土)の境界を定め、また自分たち自身の内部での法
各国の国内法)によってその社会に属する私人の所有権を規律し、このようにして労働と
分たちの明確な領土(円宮町門出印昨日ロ立叶司ユ件。ュ2
円
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向
。
ロ
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山
、
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四五節)。③土
L(
はなく、金銀に価値を置いて貨幣使用に黙示に同意することとによって、現実のものとなった)。何故なら国家において
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mEmoc同岳吉明暗 E S E 2 5ロ与え耳目g 件。℃ C gm円。ロタ B g E︿
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一
可 mmgozmEFぬ
w
m この私人の土地所有の不均等をもたらす物の配分は、攻治社会の領土境界が存在すること回、契約で
実行されるようになったのはただ人聞が金と銀とに価値を置き、かっ貨幣の使用に暗黙に同意することによってであっ
地の不均等な所持という、﹁不均等な私有財産を作り出す物の配分が、社会の限界の外で、またなんの協約もしないで、
うにして、はっきりした合意によって、地球のおのおのの部分について、相互間に所有権を確定した
らの連盟は、相互の同意によって、本来彼らがこれらの国々についてもっていた自然の共有権の主張を棄てた。このよ
色。ロ領有)に属する土地に対する一切の権利の主張を拘棄した、いくつかの国々、諸王国の聞の連盟が結ぼれた。これ
勤労が作り出した所有権を、協約と同意により確定したのである。そうして明示的または黙示的に他の国の所有(旬。gg
(FS﹃担当正巳ロ吾岱ロ印ozg
両聞
白
北法4
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27ω2316
は、法が所有権を規律するのであり、そうして土地所有権は実定制度によって定められるからである﹂(五O節)。④寸土
も分割されたり、その協同体行。B
EE-q 共同体)以外の者が享有したりすることを許さない。そこで、息子はその
父がしたと同じ条件の下で、すなわちその社会の一員となることによってのみ、普通は父の財産を享有し得るし(一一七
L(
一一九節)、﹁この国の一部となり、そうしてその政府の
節
)
。 ﹁どの政府の領土のどの部分でも、財産をもち (
gpm富山、司28gED え 所 有 し ) あるいはそれを享受している
ものはすべて、これによって黙示の同意を与えたものであり
一
二O節)。ロックは、正に所有権保護を国家目的とするところから、以上を導いている。
そのすべて
下にある土地のどの部分でもその後、相続、売買、 許可その他によって享有する者は誰であれ、 その土地が負っている
L(
条件の下でのみそれを受取らなければならぬ。 すなわち、 その支配の下にそれが置かれている国の政府に
の臣民と同じように服する
L(
一七六節)。②適法な戦争における征服者は、﹁不正な暴力に同調した
凶征服と財産権ロックはつぎのようにいう。①﹁不正な戦争で征服する者は、それによって被征服者の従属と
服従を要求する何らの権原を得るものではない
者﹂(一七九節)すなわち﹁自分たちを戦争状態におき、自らその生命を没収される地位に陥った人々の生命に対して、
L(
一八O節。なお、一八一節、一八二節)。ロック自身、これが世界の慣行と正反対の一見奇妙な原理であること
彼は絶対的権力をもっている。けれども彼は、それによって、これらの人々の財産に対して権利も権原ももつわけでは
ない
をみとめる。また、﹁彼らは正当な戦争で捕えられたものであるから、自然の権利によって、その主人の絶対的支配権恋
意的権力に服するのである。これらの人々は、いわば、その生命およびこれと同時にその自由を剥奪され、その上また
L(
一九O節)をもっ子孫にある ご 九
その財産をも失ったのであり、そしてなにものをも所有することのできない奴隷状態にある﹂(八五節)とする部分と矛
盾する。しかし、③その財産に対する権原は、﹁彼の父親の財産を相続する権利
北法 4
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7
地の享有は、常に、その土地が属している国の政府への服従と結びついている﹂(七三節)。﹁国はその領土のどの部分で
キーウィタースとレース・プープリカ
説
論
L(
一九六節)をこの財産に関してもつにすぎない。しかし、この場合も、
三節)。④征服者は﹁自分のうけた損害と戦費とを、彼ら(敵方に参加助勢したすべての者 H先の奴隷たるべき者。遠藤
注)の労働と財産によって償ってもらう権利
右の③の権原と衝突するとき、これによる生存維持のほうが優先するこ八三節)。⑤右の④による戦費と損害賠償の請
求権は、被征服国の領土に対して何らの権原を与えないこ八四節)。⑥征服者の政治支配について被征服者が自由な同
意によって服するときは、征服者と被征服者とが同一の国民に合体する(一七八節)が、強制された約束によっては、何
ら支配の権原は生じない。その約束には拘束力がない(
一
八、六 節
、
一、九 一 節 ) 。
一八
七節
一八
九節
政治社会と政治権力ロックによれば、政治社会は政治権力をもっ社会であり、政治権力とは、﹁所有権の規制
と維持のために、死刑、したがって当然それ以下のあらゆる刑罰のついた法を作る権利であり(立法権。第一一章)、そ
共同体)
政治社会の基本的意義は、自然状態と対立する状態をさす概念である点にある。すな
一四六節) であり、 しかもこれらすべてはただ公共の福祉のためにのみなされるものであ
うしてこのような法を執行し(執行権。一四四節)、また外敵に対して国を防禦するために協同体ROBEC巳与
の力を用いる権利(連合権。
政治社会の意義と起源
る﹂(三節)。
ω
わち、自然状態において各人(万人)は自然法執行権(とくに処罰権)をもっているが、これを放棄して、一個の共同
∞
体の手に委ねるところに政治社会がある。ロックによれば、﹁結合して一団 25 c身 一 団 体 ) を つ く り 、 訴 う べ き
ZZECi]ωRぽ守政治社会にある)人々である。けれ
一の共通の確立された法と裁判権とをもっていて、それが自分達の聞の争いを決定し、また犯人を処罰すべき権威をもっ
ている場合にはこれは、相互に市民的社会をなしている
どもこのような共通の訴えをなすべきところをーーもちろん地上にであるが││もたない人々は、他にそれをする人が
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8
キーウィタースとレース・プープリカ
ないので、一人一人自分で裁判官兼執行人となるのであって、この場合には彼らは以前として自然状態にある﹂(八七節
ないし八九節)。
ロックは、このような政治社会の特色を明らかにするために、政治社会のもつ政治的権力(旬。ES己vodZ吋)を父権
的権力(司え
25︼旬。君。円第六章、第七章七七節ないし八六節)並びに専制的権力(巴命名ctg]旬。君。円第七章九O節
ないし九四節、第二ハ章ないし第一九章)と比較する方法をとっている。後者の専制的権力との比較ないし区別がロッ
クの政治理論の核心をなしている。のちに論ずる。前者の父権的権力との比較は、﹃国政二論﹄第一編のフィルマ l理論
批判の継続として、第二編においても相当の分量がついやされているが、その論証に成功しているとはいえない。その
理由は三つある。
①家族の主人(オイコスの長) としての家長権のことがほとんど論ぜられないで、もっぱら子供に対する親権のこと
が論ぜられている(第六章、第七章七七節ないし八四節)。わずかにこれにふれる部分でも、家長支配の内容やそこにお
L
を免除する
ける規律(八九節)について立入った考察がない。なお、父権の一内容である教育権(子供の服従義務)について、﹁自
分の息子を他人の徒弟としたものにとって、その期間中彼自身と母親とに対する息子の服従義務の大部分
(六九節。この部分の鵜飼訳には脱落と二文の融合があって意味不分明)とあることが示すように、この期間中の服従義
務は、他の家の長に向けられ、 元来、教育権の主体が親としての父親ではなく、家長としての父親にあることを示唆し
ている。
②ロック自身、国家の歴史の初期の時代、すなわち寸貧しいけれども正直な時代(かつて地上に継続するにいたった
政府がはじめて作られたほとんどすべての時代がそうである)﹂(一一 O節)ないし寸黄金時代(空虚な野心や ω52
5EZE--s邪悪な貧慾が、人の精神を堕落させるようになる以前)﹂(一一一節)には、統治は一人の手にあ
虫色。門主
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9
り、それは家長が政治的君主となったものであることを、 くり返しのべている (七四節後段、七五節、七六節、
五
ぜ ん 政 治 支 配 に 服 す る も の と な る も の と し ご 二O節)、領土内の土地については、相続によるものであれ(七三節、
正に政治社会の目的が所有権の保護にあることを理由として、政治社会への一身の結合はその者の所有する土地がとう
③ロックは、さらに貨幣使用後、土地専有後の﹁大きい財産﹂をめぐる﹁大きい争い﹂がみられる時代についてさえ、
も有能な者が選挙や話合いによって君主とされるのが自然であった(一 O 五節ないし一 O 七節)。
が複数集まって村共同体(これが複数集まってポリスとなる)を形成している段階に照応する。複数の家長の中から最
幣使用後・国際取引後の交換的な商人術に対するそれ以前の家政術、共同体分類論における複数の家共同体(オイコス)
利益は一致していた(一一 O節、一一一節)。これは、アリストテレス﹃政治学﹄の用語例によれば、取財術における貨
機能は主として外敵に対する防禦にあり、政治支配者は軍隊の将軍であった(一 O 七節ないし一 O九節)。君主と臣民の
(七五節) にかぎられており、﹁大きい財産﹂(三六節)をめぐる﹁大きい争い﹂(七五節)はほとんどなかった。統治の
代に対応するものである。そこでは、人の欲望は﹁小さい財産﹂(一 O 七節)にかぎられ、これをめぐる﹁小さい争い﹂
節ないし一一二節。なお、九四節、 一六二節参照)。この時代は、先の所有権論における貨幣使用、土地専有の以前の時
O
)
、 その後の承継者の一身を臣民とするものとしている。逆にいうと、政
一七節)、取引などによるのであれ (一二O節
ヨ
ン
る
人びとが結合して政治社会を形成し、 その政治支配(鵜飼訳で政府と訳されることが
,
性
を
強
め
て
摘しない)に服する主たる目的は、所有権の維持にある(一一一四節)。それは、自然状態にあっては、 つぎの三つの欠点
多 い の0
2550旦は、組織としての政府よりも作用としての政治支配 H統治をさす場合が少なくないが、 いちいちは指
す
治社会の正式メンバーを家長たる土地所有者に限定するものと解する余地もあるが、領土国家の立場から政治支配に対
シ
政治社会の目的と成立
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同
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H間
北法 4
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キーウィタースとレース・プープリカ
から、所有権の享受が不安定だから、これらの欠点をなくすためである。三つの欠点とは、①﹁確立され、安定した、公
知の法が欠けている﹂(一二四節)、②寸一切の争いを確立した法に従って権威を以って判定すべき、公知の公平な裁判
官が欠けている﹂(一二五節)、③﹁判決が正しい場合に、これを支持し、それを適当に執行する権力がしばしば欠けて
いる﹂(一二六節)ことである。これらの欠点をただすために、人は、政治社会を結成し、自然状態において有していた、
包 括 的 な 自 由 を 政 治 社 会 の 規 制 に ゆ だ ね る 、 す な わ ち 、 自 然 的 自 由 (一
四二節
、
を社会の法
O、
節)
九節
、二 二
一三節
の下における自由(二二節、五七節)に変えるとともに、自然法執行権(とくに処罰権)を放棄して、社会に委ね、法
にもとづく社会の執行権の行使に協力する(一三O節)。そこで、政治社会の政治権力は、ー人民に公布公知させられた
確立した永続的法によって統治すべきであって、臨機の命令によるべきではない。これらの法によって争いを判定する
厳 正 公E502E 不偏不党な)無私の裁判官によるべきである。また協同体 R
OBES-q 共同体)の力を用いるの
はこの法を執行する場合だけであり、国外に対しては外敵による加害を予防反撃し、協同体(共同体)を侵略侵害より
保障するためでなければならない。そうしてこれら一切は、ただ人民の平和安全および公共の福祉の目的だけに向けら
れるべきである﹂(一コ二節)。
ついで、このような目的をもった政治社会は、政治社会を結成することに複数人が自由に同意する、すなわち﹁一政
府の下に一個の政治体を作ることに他人と同意する﹂(九七節)ことによって成立する。政治社会の結成契約は、結成者
の全員一致による。しかし、結成後は、事柄の性質上、多数決によって事が進められる(九五節ないし九九節)。
このような自由人の同意によるとする社会契約説に対する代表的な二つの批判に対して、 ロックは、 つぎのような答
えを用意している。
①歴史上、実例がないとする批判に対し、ひとつには、﹁いかにあったかということから、本来いかにあるべきかを結
2
3
2
1
北法 41(5~6 ・ 275)
説
論したところで、到底強い力をもち得ない﹂(一 O三節)とする反論と、いまひとつには寸歴史の実例の示すところによ
れば、平和の中に生まれてきた世界の諸政府はその起源をこの基礎に置いており、それは人民の同意によってできた﹂
ば、自由に他のどの国家にでも加入し、 または、末占有地に新しい国家をはじめることができるとされている
(
一七二節)によって正当な政治支配が始まるものとされている。しかし、非戦闘員以外の者(戦闘員の子孫を
由人の自由な同意がありうるものか、論理的に疑問なしとしない。
ふくむ) である自由人は別として、不正な戦争の戦闘員として奴隷たるべき者について、政治支配の前提となるべき自
(二四節、
なお、正当な戦争による征服国と被征服国民の聞にも自由な同意(一七八節、一九二節ないし一九四節)または契約
節
)
。
一
一
成員たることをやめて、再び自然状態の自由に復することはできないのに対し、後者の場合は、財産を手放しさえすれ
意﹂と﹁黙示の同意 Lとを区別し(一一九節)、前者の場合は、政府の解体か、公の行為による除籍以外に、政治社会の
ロックは、政治社会の結成、ないし、すでにある政治社会の政治権力への服従の根拠となる同意について、﹁明示の同
は、土地の所有権を相続する場合について例外をみとめていることは上記のとおりである。
の子供あるいは子孫を拘束することはできない﹂(一二ハ節)という理論とによって答えている。しかし、後者について
(一二ニ節)とする批判に対して、ロックは、国家の離合集散の事実(一一五節)と、人は﹁どんな契約によっても、彼
合して新しい政府を始めていいとか、またはそもそも合法的政府を建てることができるとか、いうことはあり得ない﹂
②寸すべて人は、いずれかの政府のもとに生れるのであるから、彼らの中の何人でも本来自由であるとか、自由に結
O 四節)とする反論とをしている。例としてあげられているのは、先にふれた国家の歴史の初期時代のものであるこ
一
(
O五節ないし一一二節)。
論
北法 4
1
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2
2
キーウィタースとレース・プーブリカ
政治社会における諸権力の序列
ぎのようになっている。
政治社会の構造を知るために、ロックが諸権力に与えている序列をみると、つ
①﹁共同体﹂(己百円055ロロ日々)それ自体もしくはこれに結合している一体としての﹁人民﹂(任命司810)。元来、政
治社会の全権力をもち、政府形態を決定する権力(一三二節)、具体的には、立法権を樹立する権力をもっ(一三四節)。
政府の形態は、﹁人民 Lのうちの多数者が直接に立法権を行使するとき完全な民主政であり、立法権を少数者(とその相
続人・後継人)に委ねたとき寡頭政であり、一人に委ねたとき君主政であるご三二節)。政府が存続する聞は立法権が
最高権である(一五O節、二四三節)。しかし、立法権も信託的権力にす、ぎないから、寸共同体﹂ないし﹁人民﹂には J 斗
法権がその与えられた信任に違背して行為したと人民が考えた場合には、立法権を排除または変更し得る最高権﹂があ
る。しかし、政府が解体されるまでは、この権力は行使できない (一四九節、二四三節)。
②立法権。立法権は国家の最高権であり、﹁それ以外の者のどんな布告も、どんな形式で述べられ、どんな力に裏づけ
られたものにせよ、民衆 (
5
0℃
ロE片 付 人 民 H共同体)が選任した立法権によって承認を得ていないものは、法として
)0
﹁そうして社会のどの成員ないし部
の効力拘束力をもつことができない(中略)。最も厳粛な紐帯によって何人をも拘束することのできる服従義務は、終局
においてはこの最高権に源し、それが制定する法によって指揮される﹂(一三四節
分のであれ、およそ一切の他の権力は、それから由来し、それに従属しなければならぬ﹂(一五O節
)
。
③執行権。執行権は﹁立法権の補助的従属的権力﹂(一五三節)である。したがって、﹁執行権をもっている者が、同
時に立法権にも参与しているの(山色ロmZHMqgロただ一人の者)でない限り、彼は立法権の下に立ち、立法権に対し
て責任を負っていることは明らかで、自由に変えられ、解職され得るものである。それ故これは、伺ものにも従属しな
い最高の執行権ではない。しかし最高の執行権がただ一人の者に与えられ、その者が立法権に参与すると、この上に立つ
北法4
1
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モ
:
:
A
日
間
て、それに従属し、責任を負わなければならない地位にある、はっきりした、上級の立法者はなく、立法者というのは、
執行者自身が参加し、同意を与えるだけの者となる﹂(一五二節)。
最高の執行権をもっ者に対して、下級の官吏など他の補助的・従属的諸権力が服従し、その委任にもとづく諸権限を
行使する。右の立法権に参与するただ一人の最高の執行者の場合であっても、﹁しかしながら、たとえ忠誠忠義の誓が彼
に対してなされるとしても、それは最高立法者としての彼に対してではなくして、彼が他のものと協力して作ったとこ
ろの法の最高執行者としての彼に対してである。忠誠というのは、法による服従に他ならないのであり、その法を彼が
)O
寸どんな為政者であれ、権限をもっていないところで、委任や命令を与えても、それは普通
犯せば、彼は服従を要求する権利はないのであり、また法の力を付与された公人として以外には彼は服従を要求するこ
とはできない﹂(一五一節
の人がそういう委任をしたのと同じで、無効であり、意味がない(中略)。行為をする権利を与えるのは、委任ではなく
て、権限なのである。そうして法律に反する場合には何の権限もあり得ない﹂(二O六節)。
L
﹁それは、彼の気の向
なお、立法権は常設の必要はない (一四三節)が、執行権は常設の必要がある (一四四節)。﹁立法府を召集解散する
権力が執行部におかれた場合、それは執行部を、立法府に対して優越した地位におくのではない
くままに用いられる恋意的な権力としてでなく、 それがつねに公共の福利のために、時宜に応じてもちいられるという
信頼(ロロ忠信託)をもって与えられるのである﹂(一五六節)。
④連合権。﹁協同体(共同体)全体はその協同体(共同体)以外の他の一切の国家および個人に対して、自然状態にあ
る一体﹂であるゆえにもつ自然権であって(一四五節)、寸その国家の外にある一切の個人及び協同体(共同体)との和
戦、締盟および交渉の権を含んでいる﹂(一四六節)。執行権と連合権は常にほとんど統合されているが、連合権は、﹁執
行権と比べれば、前行的、恒常的、実定的な法によって指図されるには、とうてい適しないもので(中略)、国家の利益
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)2
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4
キーウィタースとレース・プープリカ
のためには、この権力を委任された人々が、その最善を尽して処理し得るよう大体は彼らの思慮(自己巧{丘05と知恵)
に委されていなければならぬのである﹂(一四七節)。
⑤大権。﹁法の規定によらず、時にはそれに反してでも、公共の福祉のために、裁量にしたがって行為する L権力(一
六O節)。立法者が予見できないような事態に対応するために執行権にみとめられる。これは、後述の最高の法規範であ
る寸公共の福祉﹂に制定法が譲歩するものである (一五九節)。たとえば、﹁立法府の組織法は、社会の本来的かつ最高
の定めであり、 そこでの一切の実定法に先行 Lするため、議員定数不均衡の是正は、制定法によっては不可能であるこ
五七節)が、大権によれば可能である (一五八節)。なお、イギリスの議会召集権は国王の大権である (一六七節)が、
ロックは、
々C 宇品犬﹂
政治社会における諸権力の根拠と限界は、上記の政治社会の目的と諸権力の序列によっ
この大権が正しく行使されたかどうかの判断権は人民にある (一六八節)。 のちに論ずる。
凶諸権力の根拠と限界
ω包
5 3℃ロロ EUREm-2(公共の福祉は最高の法)という根本規範があるこ五八節)。
て与えられる。
まず、
公益)と両立し得る限り)その内部の個人の維持にある﹂(一一ニ四節)。﹁自然の根本法は人類の
まの表現を用いてくり返しこれをのべる。﹁立法権自身をも支配すべき第一のかつ基礎的な自然法は、社会および(公共
z
w
m
c
a
の福祉(吉
保存にあるから、どんな人定法も、それに背反しては正当でも有効でもあり得ない﹂(一三五節)。﹁神と自然の法が、す
べての国のあらゆる形態の政府の立法権に置いた限界﹂がある(一四二節)。人民ないし共同体、すなわち政治社会は﹁自
己保存の、神聖不可侵な根本法を侵害する者を排除する権利をもっ﹂(一四九節)。先の大権の場合、法それ自身が寸自
然と政治のこの基本法││すなわち社会のすべての成員が保護されなければならぬーーーに譲歩する﹂(一五九節)。大権
行使の正当性について人民は寸人間の作った一切の実定法に先行し、優越する一つの法によって、次のような終局的決
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(
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9
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3
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5
説
論
定権を留保してきたのである。それは、地上に訴えるべきところがない場合、彼らはその訴えを天に向かってする正当
な理由があるかどうかを自ら判断するというすべての人類に共通な権利である﹂(一六八節)。
可
Foωon-oq
政治社会が立法者
ロックは、 とくに立法権について、章をもうけて(第一一章)、その限界を論じている。 ロック自身のまとめるところ
L
にもとづく立法権の限界は、①﹁公布確定された法によって支配すべきであ
(一四二節) によれば、﹁社会が彼らに与えた信任(円宮門22Fω三
田
℃ E E FE
巾σ
に与えた信託ごと上記の﹁神と自然の法
る。法は個々の場合に異なってはならない﹂、②﹁これらの法は、人民の福祉(円
Zmg仏丘岳巾司21。 公 共 の 福 祉 )
以外の目的を究極の目的としてはならぬ﹂、③﹁人民の所有(
50paqq 所有権)に対しては、彼ら自身またはその
代表者によって(任命打。ロZE え任命旬。。1
0wm-g
MH58︼見守BU2F巳吋 UouE-2であれ、人民の)同意が与え
︿σ
られた場合の他、租税を課してはならぬ L、④﹁立法府は、法を作るその権力を、他の何人にも譲渡したり、または人民
によってすでに置かれた立法部以外のどこにおくことも、 しではならないし、 またすることもできない Lの四つである。
国家の最高権である立法権の限界は、同時に、政治社会の諸権力のすべての限界である。
あるべき政治社会の政治権力は、﹁法を、自らの権力の限界とし、公共の福祉を政府の目的としている﹂(二O O節
)
。
このような限界内にあってはじめて、政治権力の行使はその法的正当性がみとめられる。この﹁権利 (
EmZ 法的正当
性)を超越した権力の行使﹂(一九九節)は、政府形態のいかんをとわず(二O 一節)、専制である。したがって、公共
の福祉を目的とせず、政治支配者の寸彼自身の個人的で独自の利益 Lを目的とするものは専制であり(一九九節)、権限
は法律の授権によるから﹁法律に反する場合には何の権限もあり得ない﹂(二O六節)。﹁権威をもっている者が、法によっ
て彼に与えられている権力を蹄越して、自分の指揮下にある力を、法を認めないことを臣民に強制するために用いれば、
このようにして彼はもはや為政者ではなくなる。そして権限がない行為を行う者は、力で他人の権利を侵害する者なら
北法 4
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0
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3
2
6
ロックは、これまたホップズと非常に異なる点であるが、社会の解体と政府の解体
誰でもうけるような抵抗をうりる﹂(二O 二節)。
社会の解体と政府の解体
社会の解体ロックは、寸政府の解体ということを、いくらかでも明確に論じようとすれば、何よりもまず、社
とを区別している。
ω
会の解体と政府の解体とを明確に区別しておく必要がある﹂として、協定にもとづく一個の国家たる政治社会の﹁結合
が解体される普通の、そうしてほとんど唯一の途は、彼らを征服する外敵の侵入である。というのはこういう場合には
(自分たちを一つの全体としての独立体として維持保全することができなくててその団体の特色である統合が、必然的
になくなり、各人は、彼らが前に属していた状態(自然状態。遠藤注)に戻ることになる﹂(一一一一節)とする。
L
としつつ、その例外として、公の行為による除籍と並んで、政府の解体をあげ
ただし、ロックは、政治社会の結成ないし政治支配への服従に寸明示の同意しを与えたものについて、寸決して再び自
然状態の自由に復することはできない
(一二一節)、また、抵抗権と君主の一身神聖性について論じた部分で、﹁下級官吏や、その委嘱をうけたもの(。F2
(討。
君主)が、実際に自分の人民たちとの戦争状態に身をおき、政府を解体し、彼らを戦争状態(FoωEZえ Z山
片
足
。
自然状態) にある一人一人のものであるあの防禦にたよらせるという方法に任せることを欲しないかぎりである。
と
した(ジェ lムズ二世のこと。遠藤注。この部分の誤訳はちょっとひどいごとし(二O 五節てさらに、法の不執行に
うのは、こういうことになれば、 その結果がどうなるか、誰にもわからない。近隣のある王国が世界に一つの悪例を示
し
〉
よる政府の解体により、ー人民は秩序も連関もない混乱した群衆となる﹂(一二九節)とするなど、政府の解体がただち
北法 4
1
(5
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81
)2
3
2
7
四
855-BZR己σ可ES その他君主任用の者)の不法な行為に対しては、人は抵抗することができる。ただしこの官吏
キーウィタースとレース・プープリカ
説
三点、
民間
に自然状態への復帰をもたらすと読める部分があって、首尾一貫しない。しかし、 ロックの以下の議論並びに体系の全
政府の解体政府の解体は、権力の乱用すなわち専制によってもたらされる。権力喪失の理由は人民の自由の
体はこの区別を前提としていると解されるから、この前提に立って以下の紹介を進める。
ω
喪失にある(二三九節)。﹁専制をのがれる権利﹂と﹁専制を予防する権利﹂(二二O節)に対応して、政府解体の原因に
は、立法権の変質ないし機能不全と立法権または君主の信託違反行為とがある。
前者は、﹁社会の本質と統一は、一個の意志をもっところにある﹂から、﹁国家に、形体、生命、統一をあたえる魂﹂と
しての性質をもつべき立法権がこの性質を喪失する場合である(一二二節)。ロックは、君主(最高の執行権者で他の二
つの召集解散権をもっ)、世襲的貴族の集会、﹁人民によって、臨時に(官oZE宮円。その都度任期付きで)、選ばれた代
表者の集会﹂の三者で立法権が構成された政府形態を想定したうえで(一二三節)、①﹁君主が、立法府の宣言した、社
会の意志である法の代りに、自分自身の勝手な意志を通そうとす﹂る場合(一二四節)、②﹁君主が、立法府の、適当な
時期に会合するのを妨げ、 または立法府が作られた目的にそって自由に活動するのを妨げた場合﹂(一二五節)、③﹁君
主の恋意的な権力によって、選挙人あるいは選挙方法が、人民の同意なしに、 そうして人民の共同の利益(公共の福祉。
遠藤注)に反して変えられる﹂場合(一二六節)、④﹁君主であれ、立法府であれ、外国の権力の支配に人民を引渡した
t(
一二九節)には、政府が解体するものとしている。この場合には、﹁人民は、
場合﹂(一二七節)、⑤﹁最古同の執行権をもっている者が、その責任を怠り、これを放棄し、このようにしてすでに制定
された法が、もはや執行され得ない場合﹂
自分たちの安全と福利のため一番いいと思うように、立法府の人員や形体や、あるいはその両方を変更することによっ
)
。
て、従前のそれとは違った新しい立法府を作り、こうして自分たちのための備えをなすのである﹂(二二O節
後者は、﹁立法者が、人民の所有を奪いとり、破壊しようとする場合、あるいは恋意的な権力のもとに、彼らを奴隷に
2
3
2
8
北法 4 1( 5~6 ・ 282)
L
場合である。この場合には﹁立法者は、人民に対し
おとし入れようとする場合﹂(一二二一節、なお二二一節)すなわち﹁人民の生命、自由および財産に対する絶対権力を、
自分の手に握ろうとし、または誰か他の者の手に与えようとする
(
R
O
]民
同 g F。255。ロ河内同口問。
普遍的救済措置に訴
て戦争状態に身をおくことになり、人民は、かくて、これ以上服従する義務を免れ、神が人聞を一切の実力暴力に対し
て身を守るため与えたあの共通のかくれ場所にのがれてよい
えてよい)ことになる﹂すなわち﹁人民は、 その本来の自由を回復し、 (自分たちの適当と思う)新しい立法府を設置す
ることによって、彼らが社会を作った目的である自分自身の安全と保障の備えをする﹂ことができる。同様のことが、立
法権に参与する最高の執行権者が、①﹁自分の勝手な意志を、社会の法として定立する﹂場合、②-国民代表を買収す
るために、その社会の実力や金銭や官職を使用する﹂場合、③﹁選挙民に公然と働きかけて(中略)、いろいろの方法で、
自分の計画に合うものを選挙するように売りつける場合﹂、④これらによって、﹁あらかじめどういう投票をし、どんな
専制を予防し、専制からのがれるための救済手段には、抵抗権と革命権の二つがみとめられ
立法をするかを約束している者を選挙させる場合﹂にもみとめられる (二二二節)。
抵抗権と革命権
抵抗権は、自然状態における包括的自由権の一内容としての人の﹁自衛の権利しならびに損害賠償を求める権利ない
し﹁不法な力が彼らから奪いとったものを力で奪い返す権利(二O 八節)﹂のことをきしている。これら自然状態におけ
る不法な暴力に対する自力救済手段は、政治社会に入ることによって、原則として、法と裁判(政治権力)による救済
手段にとって代わられている。﹁被害をうけた当事者が救われ、その損害が法に訴えることによって賠償された場合には、
力に訴える口実はなくなるのである。力は、法に訴えることが妨げられた場合にのみ用いられるものだからである﹂(二
北法 41
(5
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3
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9
る。
(
3
)
O七節)。しかし、政治社会においても、﹁訴えという救済手段が残されていない場合ヘ﹁法に訴える時間の余裕がない﹂
キーウィタースとレース・プープリカ
説
ロ
八ッ
節、
ク
二を
Oし
節)
て
。、
これ
﹁
が、
自然状態﹂と﹁戦
場合には自衛権が行使されなければならない(二O七 節 、一
争 状 態 ﹂ と を 区 別 さ せ た こ 九 節 、 二O節)理由であると推測される。とくに政治権力の担い手である為政者が、法の
授権による権限の限界をこえた不法な力を行使する場合には、法による救済が困難な反面、もはや正当な政治権力とは
いえないから、不法な暴力により自らを戦争状態におく他の者(泥棒など野獣と同視すべき者)同様に、自衛権行使の
ロックは、 その語の本来的意義で用いている。
二O節、二O 二節、二O六節、二O 八節、二三二節など)。
対象とされる (
ついで、革命権を
第一に、革命は、﹁上から権威をもっ者﹂が行うのであって、﹁下から権威のない者﹂が行うものではない。 ロックは、
Jv
一法権がその与えられた信任(信託)に違背して行為したと人民が考えた場合には、立法権を排除また
先に示した政治諸権力聞の序列において、寸共同体 Lの別語である﹁人民﹂に最高権をみとめ、これに立法権を樹立する
権力とともに、
は変更し得る最高権﹂をみとめているこ四九節、二四三節)。革命とは、このように政治諸権力を与える権力をもち、
その担当者を任命する権力をもっ最高権者が、信託違反があるときに、これらを﹁没収﹂(二二二節)し、﹁罷免﹂(二四
した叛逆者を取り除いて、本来あるべきもともとの姿を正しい権威にもとづいて回復するために行われている ご 五 五
ではない。最高権者である人民の手によって新しい立法権が作られる場合でも、 それは、法と信託に違反し権威を破壊
第二に、革命は、寸旧来の秩序を回復﹂するために行われるのであって、﹁旧来の秩序を破壊﹂するために行われるの
あるとをとわない っ=二節ないし二三九節)。
Z
σ 巳凹)にほかならないつコ工ハ節、二二七節)。それは、下級の官更であると、君主で
るがゆえに、 まさしく叛逆者 (
であれ政治社会の法であれ、法に違反して暴力を行使するものは、自らをふたたび戦争状態におく者(吋与色白日)であ
O節)する権力を行使して行うものである。これに対して、﹁下から権威がない者 Lが行う暴力行為にあっては、自然法
論
北法 4
1(
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4
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3
3
0
キーウィタースとレース・プープリカ
節、二二O節、二二二節、二二三節)。文字通り、流れをもとに戻すもの
-J
。
可
(司ぬ︿OR己 凹 ︿ 黒 川 ︿ 。
である。
このような抵抗権、革命権の承認が、無政府状態ないし内乱の混乱をもたらすのではないかとする批判に対して、ロッ
クは、①政府を解体し戦争状態をもたらした叛逆者にその責任があるとし(二二七節ないし二三O節)、②専制(戦争状
態)よりも自然状態のほうがなおよいとする(九O節ないし九四節、二ニ七節、二二八節)一般論のほかに、③抵抗権、
革命権の行使の条件を限定することによって答えている。それは﹁人民の大部分が、それに関心をもたない限り不可能
である﹂(二O 八節) ゆえに、寸不都合がはなはだしく大きくなり、多数者がそれを感じ、それにうんざりし、それを訂
正することが必要だと思うようになる﹂(一六八節)場合であり、不法な行為が、﹁人民の過半数﹂にも及びまたは﹁少
数の者にしか及ばないけれども、先例として、また結果からいって、全部の者を脅かすような﹂場合で、﹁彼らの法や、
それと共にまたその財産、自由、生命が危険にさらされ、多分またかれらの宗教も危ないということを、良心に照して
思い知らされた﹂(二O九節)場合、大臣・官僚の選任、専制をとり入れるのに容易なような宗教の優遇など、﹁長きに
わたって行われた一連の行為によって君主の顧問たちが、すべてこの方向を見指していることがわかる﹂士二 O節)場
合、﹁乱用ゃいい逃れやたくらみが長く続き、みんな同じ方向を目指していて、その意図が人民に解ってしまう﹂(二二
五節)場合、﹁害悪がひろがり、支配者たちの悪い意図が日に見えるようになり、あるいはその攻撃意図が大部分のもの
に感ぜられるようになる﹂(二三O節)場合である。これらの要件は、権利行使の要件を示したものであるのか、権利行
巾)
の語は多義的である。しかし、 その中心的な用
使の事態にいたる蓋然性をしめしたものであるのか、必ずしも判然としない。また、これらの要件を厳格に解すると、極
ロックの用語例において、人民(汁宮司
gZ
端に例外的な場合にしかみとめられないことになるおそれがある。
凶人民とは何か
例は明確である。
北法 4
1
(5
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)2
3
3
1
説
①政治社会成立後においては、人民は、おおむね、政治社会である統一的な共同体 (FohoEヨ
ロ
ロ5可)そのものをさ
している。たとえば、 Jv
一法権がその与えられた信任(吾巾門E丸信託)に違背して行為したと人民が考えた場合には、
立法権を排除または変更し得る最高権が依然としてなお人民の手に残されている(中略)。このように協同体(
HZSEE
(印
L
っとする(二四三節)ところに明らかであろう。
OEゆえ F030立。) との聞に、法の規定はなく、あるい
それである。しかし、 さきの革命権、抵抗権行使の要件の中には﹁多数者しという言葉が屡々登場する。また、政治社
者)以外に、この信任はどこまで及ぶつもりであったかを審判する適当なものがあるだろうか﹂(一一四二節)とするのが
切。身。ご宮司
g立巾)であるべきだと思う(中略)。人民全体(門耳切。門守 oごZ301ぬ)(最初、君主に信任を与えた
はあいまいであり、 また重要な事柄について争いが起こったとすれば、このような場合の適当な審判は、人民全体(匹巾
を明示するものがある。﹁もし君主と人民の中にある人々
②上記の革命権の主体も、右にいう最高権の担い手である共同体に結合している一体としての人民である。この趣旨
れは社会の手に戻り、人民は最高のものとして行為する権利をも
くは、権威の地位にあるものの失敗でそれが没収された場合には、その没収なり、定められた期限の到来によって、そ
の存続期間に限度を設け、個人もしくは会議体のもっているこの最高権を一時的に過ぎないものとしたとすれば、もし
合、立法権は決して、この政府の存続する聞は、人民に復帰することはない(中略)。けれどももし彼らが、この立法府
と彼らの後継者が引続いてそれをもち、また後継者を定めることについての指示とそうして権限とが与えられている場
も協同体(共同体)の手に残るであろう(中略)。そうして社会が立法権を、どんなものであれ人間の集会に与え、彼ら
個人が社会を取り結んだ時、これに与えた権力は、社会が存続するかぎり決して個々人に復帰することなく、いつまで
定め実行する場合には、このような計画企図から自分を救出すべき最高権を常に保有している﹂(一四九節)とし、﹁各
EZEq 共同体)は、何人でも、彼らの立法者さえもが、愚劣邪悪にもその臣民の自由と所有とを害するような企てを
論
北法 4
1
(
5
6・
28θ2332
キーウィタースとレース・プープリカ
会の意志は多数決によって決せられ(九六節ないし九九節)、政治社会の全政治権力は結成時には多数者がもっとする文
章もある(一三二節)。さらに、寸たった一人﹂(一六八節)、寸各人﹂(二四一節)、﹁侵害された方の当事者﹂(二四二節)
などにも、戦争状態において﹁天に訴えるし自由、すなわち、自らが審判者となって右の権利を行使することがみとめ
られているとする文章が散見される。
③人民の中の一部にすぎない一人、各人、被害者などにも、人民としての権力ないし権利がみとめられるものとする
と、統一的な共同体としての人民概念とは希離することになる。このような混乱の原因は、ひとつには、自然法にもと
づき各人に帰属すべき自衛権に由来する抵抗権と、政治社会結成後にその根本規範(公共の福祉)にもとづき統一体た
る人民に帰属すべき最高権に由来する革命権とが、屡々ごっちゃに論じられているからである。
④いまひとつは、人民そのものと、人民を代弁し、人民の名において行動すべきものとが明確に区別されず、後者に
ついて論ぜられていないことである。議会、君主、教皇など、伝統的諸学説において、人民を体現するものとされたも
わが国ではかつてロックとホップズを対極的(自由主義と絶対主義)にとらえる俗説が流
ロックの市民社会論の検討
ロックとホップズ
布したことがあるが、 ロックは、 その生存中親しい者もみとめるとおり、基本的にホップズ主義者であり、とくに国家
(政治社会)論においては、 ホップズの基本的枠組みを踏襲している。ただし、 その軌跡がズレている。正確にいうと、
J
北法 4
1
(5
6・
28η2333
のが数々あるが、 ロックは、何らこれにふれていない、革命権、抵抗権の主体が具体的に特定されているとはいいがた
。
し
〉
説
論
文字どおりに踏襲している部分とズレている部分の二重構造になっている。このズレないし焦点のブレのため、多くの
政治社会に先立つ自然状態を想定し、 そこに自己保存の権利などの自然権の保護を中心と
論者がみとめるように、 ロックの理論は、 わかりづらい、首尾一貫しない、混乱したもの、といった評価をうけるもの
自然状態と自然法
となっている。
ω
する自然法が支配しているものとする点において、 ロックは、基本的にホップズ主義者である。たしかに、 ロックの自
然状態は、ホップズと異なり、戦争状態ではない。むしろ平和な状態として描かれている (ただし、二二一節と二二七
節では、ロック自身、市民社会を平和状態、自然状態を戦争状態としている)。ロックは、自然状態と戦争状態とを明確
に区別する。しかしながら、①ロックの戦争状態の語は、自然法違反の暴力行為に限定されているため、ホップズのそ
れとは異なる主観的個別的局面をさしている。②ロックの戦争状態は、自然状態ばかりでなく、市民社会においても生
ずる。しかし、戦争状態の継続・終了は、自然状態において長引くのに対し、市民社会では短く早い。③ロックの自然
L
L
をめぐる﹁大きい争い
L
が生じた時代には平和とはいい
状態が平和であるのは、初期の素朴な﹁黄金時代﹂ないし寸正直な時代 、すなわち、﹁小さい財産しをめぐる﹁小さい
争い﹂しかなかった時代の話である。その後の﹁大きい財産
がたい。ここにもロックの理論の二重構造がみられる。④ロックは、自然状態において、各人に、自然権のみならず、自
然法執行権(とくに処罰権)をみとめる点において、ホップズとは著しく異なる。ホップズによれば、私的理性にもと
づく私の剣の行使こそは戦争状態の原因である。ロックも、自然法執行権の行使が不確実であり不公平であることを政
所有権と契約ロックは、自然状態においてすでに、所有権の存在をみとめ、契約の拘束力をみとめている(一
治社会結成(公的理性にもとづく公の剣の行使)の主たる理由に数えている。
ω
四節)。これに対し、ホップズは、その第三の自然法を論ずる部分で﹁正義の本質は、有効な信約を守ることに存するが、
北 法4
1
(
5
6・2
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8
)2
3
3
4
キーウィタースとレース・プープリカ
L
としているため、両者は異なるようにみえる。しかしながら、①ホップズは、この部分で、信約の
信約の有効性は、人びとにそれを守らせるのに十分な、社会的権力の設立によってのみはじまり、 それと同時に所有権
もまた、 はじまる
拘束力の存在ではなく、強制力にもとづく有効性を問題としている。まさしく第三の自然法こそは信約の拘束力を内容
とするものであり、政治社会の主権にもとづく強制力の根拠さえもがここに求められることは、別稿で論じたとおりで
ある。②ロック自身も、所有権の成立と確定とは明確に区別していると解される。すなわち、ここでもロックの理論の
二重構造がみられるわけであって、前者は、自然状態においてもひろくみられるものであるのに対し、後者は、﹁ある種
の事実上の﹂(その意義については後に論ずる)政治社会とその実定法の存在を前提としてはじめてみとめられる。これ
L
の前後の時代区分に対応する。たしかに、 ロックは、貨幣使用に対する暗黙の同意については、政治社会の存在と
は、土地所有権に関連して引用した部分でロックが明言しているとおりである。これはまた、貨幣使用による﹁黄金時
代
関連づけていない。しかし、所有権の確定にあっては、そうではないと筆者は考える。③ホップズは、所有権の実質的
L
(刷)
と明言し地域間の価値移動による富の蓄積を論じているために、ロッ
根拠を労働に求める点において労働価値説の元祖の一人であり、それに加えて、﹁人間の労働もまた、他のすべてのもの
と同じく、利益をえるために交換できる財貨だ
ク以上に進んだ(より後代に符合する)経済理論を展開したものとみられることがあるのは周知のとおりである。④ロッ
クの所有権には自然法的制約がともなっていることが顕著な特色となっている。貨幣使用後、(ある種の事実上の政治社
会の法にもとづく)土地専有後の自然状態の第二段階においては、不均衡な土地所有がみとめられるため、自然法的制
約の内容は変容をまぬがれないものの、なお存続する。ホップズは、この点は強調してはいない。しかし、その自然法
政治社会と政治権力
ロックを自由主義政治理論としホップズを絶対主義政治理論とする俗説が流布したこと
の第九ないし第一四において平等と衡平を論ずる部分には、配分の平等をも内容とし、類似の考えがみられる。
ω
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があるが、両者は、直接これにかかわる部分で、どのように違ったことをいっているのであろうか。
①政治社会の目的は、ロックにおいては、﹁平和安全および公共の福祉﹂(一一二一節)であり、その成員の﹁生命自由
および資産﹂すなわち総括的に﹁所有権﹂とよぶものの相互的維持である(一三二節)。ホップズにおいては、﹁人びと
を、外敵やかれら相互間の侵害から守り、またそれによって、人びとがみずからの労働と土地からの収穫物でその生命
る
が§ホ
ズ
寺
フ
は
コモンウェルス(。。ョョ。ロ 45mpy)とよび、ラ
ロックも、これをそのまま採用している (一三三節)。
、ツ
を支え、快適な生活を送ることができるように保護﹂することであり、生存と快適な生活の維持のための平和と防衛で
(の日︿円一行釦印)
し
〉
ある。このような目的のため結合した政治社会のことを、
テン語でキlウィタ 1 ス
ば
れ
る
と
し
て
状態の継続が政治支配への服従の同意という契約によって終了することがみとめられている (二四節、
一七二位即、
二節)。この点でも、ホップズと基本的に一致する。ただし、ホッブズは、奴隷取引に投資していたロックと異なり、奴
九
た側の戦闘員たる捕虜を奴隷として、その生命を絶対的、恋意的に支配する権力をみとめるとともに、このような戦争
五節)にもとづかせている。また、専制的権力については、正当な戦争により勝利した側に、不法な戦争により敗北し
六節、一 O 五節ないし一一一節。二重構造の一例といってよいてこれを子供の同意、﹁暗黙のほとんど避け難い同意﹂(七
はとりあげていない。しかし、国家の歴史の初期の時代について家長による父権的支配をみとめ(七四節後段ないし七
支配の権利の内容が設立による主権の場合と同一であるため、前者との区別はない。ロックは、後者の場合を正面から
らではなく支配者に対する恐怖からという動機において異なるものの、支配の権利の根拠が被支配者の同意にもとづき、
をみとめている。後者は父権的支配と専制的支配(征服や戦勝によって獲得された支配権)であり、成員相互の恐怖か
について、両者は基本的に一致している。ホップズは、設立によるコモンウェルスと並んで獲得によるコモンウェルス
②政治社会の成立は、成員となる者、すなわち、自然状態において自由かつ平等である者の同意にもとづく。この点
と
よ
説
論
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隷の存在をみとめていない。ホップズは、自然法の第九原則をのべる部分で、自然状態において、﹁すべての人が平等な
のである。現在ある不平等は、市民法によって、導入されたのである﹂とし、 アリストテレス ﹃政治学﹄第一巻が寸人
びとは生れながらにして、ある者は、支配するほうがふさわしく(中略)、他の者は奉仕するにふさわしい﹂とするのは、
一方を自然法執行者(正当な戦争)他方を自然法違反者(不法な戦争)として、
一方に正義の体現者
寸理性に反するのみならず、経験にも反する﹂としている。加えて、ホップズは、私的理性の主体にすぎない当事者の間
の戦争について、
(公的理性)を倦称せしめて、他方を奴隷とできるような考えはとっていない。この点のロックの考えは、自然法上の処
罰権の行使も限度をこせば自然法違反となるロック自身の説にてらしても、単純にすぎる考えというべきであろう。
なお、両者ともに、領土国家の立場から、政治支配への同意がきわめてフィクション性の高いものとなっていること
は、別稿でふれたとおりである。
③政治社会の政治権力の基礎(性格・限界)づけとして、 ホップズは授権 (252町三吉ロ)理論、 ロックは信託(門2
2)
理論をとっている。まず、ホッブズによれば、 コモンウェルスの設立には、①構成員全員一致による結合契約(各人の
各人に対する信約)、②多数決による代表者(主権者)の選任、③代表者(主権者)への代表権の授権(主権者の行為と
判断を各人本人のものとする)の三つの側面があるが、②③は①の内容とされているため、これらの全体をふくんだも
のが一個の結合契約となり、これによって、いわば一気に代表者(主権者)をもったコモンウエルスが設立されれ。こ
れに対して、ロックの場合は、コモンウェルス設立契約の内容は、右の①だけであって(九五節)、②の多数決による決
定は事理の当然として説明され(九六節ないし九九節)、③は、コモンウエルス設立後に、立法権を樹立する(最高権を
もっ政治社会が立法権を作り、その行使を信託する)ことによって行われる(一三四節)。この立法権は、政府存続中は
最高権をもっ (一五O節など)から、ホップズの主権者に近いが、これと並んで、立法に参与する最高の執行権ご五
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二節)、大権をもっ執行権(第一四章)がみとめられ、かっ、立法権そのものが、最高の執行権をもっ君主、世襲貴族集
会、選挙代表集会の三つから構成されたものが念頭におかれている(一二三節)ため、唯一不可分の近代的主権概念は
ロックにはみられないように思われる。もちろん、人民主権論とみることはできるが、ロックの人民は政治社会そのも
のをさすから、国家主権論にひとしく、 その担い手は不明確である。 ついで、 ホップズの場合、政治社会結成にあたっ
て、各人の権利放棄は、代表者(主権者)への授権と対応しているが、しかし譲渡ではなく、主権者の行使すべき公権
力の内容となる諸権限は政治社会設立の目的にてらして独自に構成されている。これに対して、ロックの場合、立法者
の行使すべき政治権力は、自然状態において各人がもっていた自然法執行権(とくに処罰権)が、政治社会の結成によっ
て政治社会に譲渡され、立法権の樹立によってこれがさらに立法権に譲渡され、その行使が信託されているものである
にすぎない。立法権の主要な任務は、自然法執行権の確実かつ平等な行使にあるから、﹁公布された値常的な法と、公知
の授権された裁判官によらなければならない﹂(一三六節)基本のほか、政治権力は法と公共の福祉による限界をもっ。
しかし、公権力の内容の独自の構成はみられない。私的権力と質的に区別された公権力をもっ近代国家の概念はそこに
はまだ乏しいといってよい。
④ホップズとロックが顕著に異なる点は、信託違反があった場合である。 ホップズは、主権者が信約の当事者でない
ことから論理的に﹁主権者の側からする信約破棄は起こりえない﹂としたうえ、信約違犯をめぐる﹁論争を決定する裁
定者は存在しない。したがって、 そのさいにはふたたび戦争状態となり、各人は、 その[主権]設立の意図に反して、
ずからの力によって自分を保護する権利を回復するのである。だから、あらかじめ [臣民と]信約を結んで主権を授け
るというのは無意味である﹂としている。これに対して、 ロックの場合は、立法権(最高の執行権も) はこれまた政治
社会設立契約の当事者でないものの、設立後の政治社会によって樹立されるものであるがゆえに、立法権を樹立する最
み
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高権をもっ政治社会は、同時に、信託違反があったとき、﹁立法権を排除または変更し得る最高権﹂(一四九節)をもっ。
これによって、ホップズが不可能としている統治形態の変更も可能である。この点に関するかぎり、両者は対立する両
極に位置するようにみえる。しかし、右の最高権(革命権)は、政府存続中は行使できず、政府の解体によってはじめ
て社会に復帰する。その要件がきわめて限定されたいわば極限状況にかかわるものであり、かっ、その具体的主体が不
明確であることはすでにふれたとおりである。したがって、このような極限状況をのぞいて、すなわち、政府存続中は、
立法権が最高権をもっ。 そして、ロックによれば自由とは、﹁サ l ・ロパ 1ト・フィルマ lが言うような(﹃アリストl
トル政治学考﹄五五頁)﹃各人が、その欲することを為し、その好むままに生活し、如何なる法によっても拘束せられな
も閉
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皇
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もちろん、 この立法権には、 すで
い自由﹄ではない。政府の下にある人間の自由とは、 その社会の誰にも共通な、 そうしてその中に立てられた立法権に
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口
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恒常的な規定に従って生きることにある﹂ (二二叶即、
神と自然の法による限界があるが、
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この両者を区別する点が、 ロックの特色の最たるものの一つ、あるいは、代表的な
ス
②いまひとつ重要な相違点は、ホップズにおいては、コモンウェルスからの離脱や他のコモンウエルスへの帰属がもっ
ているから、政府が解体しても、社会は解体しない。
約は、構成員相互の結合契約だけを内容とし、設立後の政治社会が立法権(をはじめとする政府)を樹立することとし
が内容として入っているから、政府の解体は、政治社会の解体をもたらす。 ロックの場合は、 コモンウェルスの設立契
①ホップズの場合、 コモンウェルス設立契約の中に、代表者(主権者)の選任とこれへの授権(すなわち政府の樹立)
ものといってもよい点である。
れ
は
ホ
ッ
よって作られた
よ
フ
社会の解体と政府の解体
7
こ
ぱら各人本人の利害打算にもとづく主観的判断にゆだねられていおのに対し、 ロックにおいては、このような自己打算
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的なコモンウエルス離脱・選択の自由はみとめられていない。政治社会結成や政治支配に寸明示の同意﹂を与えたもの
は、いわば永久会員として政治社会にとどまることが要求され、﹁黙示の同意﹂を与えたものも、生存の基盤である領土
内の土地所有権などの財産権を放棄しないかぎり、離脱が許されない。
③そこで、ホップズの理論によれば、主権者の保護能力の喪失という政府の解体(政治機能の不全) は、新しいコモ
ンウェルスの設立ないし他のコモンウェルスへの帰属によって処理されるのに対し、 ロックの理論においては、立法権
の排除・変更という社会を存続させたうえでのその革命権の行使によって処理されることになる。ホップズは、政府と
一緒に社会も新しくするのに対し、 ロックは、社会はもとのままで政府だけ新しくする。実体において全く変わらない
現象についても、両者の理論構造の差異に応じて、異なる説明がされる。世間一般の理解によれば、ホップズは、
L
とし、主権の絶
かし、それがないことから生じる結果、すなわち、各人の隣人にたいするたえまのない戦争のほうが、それよりもずっ
対性について、﹁人びとは、そのような無制限な権力から多くの望ましくない結果が生ずると考えるかもしれないが、し
1 1 とくらべると、ある統治形態において、一般人民に起りうる最大の不便さえも大したことはな凶
い人びとの無法状態││法にたいする服従もなく、人びとの手が強奪や復讐にむかわないようにする強制権力もない
のである﹂(一三七節) とする。 ホップズは、これに対して、﹁内乱のさいの悲惨で恐るべき災厄と、あの支配者のいな
ている者の意志が他の者の意志より善いということは、保証できない。しかも彼の力の方が十万倍も強いことは確かな
権をもっただ一人の恋意的な権力にさらされたものの方が、はるかに悪い状態にある。何人も、このような命令権をもっ
わすのは、 つぎの文章であろう。ロックは、寸十万人の個人の窓意的権力にさらされたものよりも、十万人のものに命令
ロックが関心をもつのは、政治社会の解体ではなく、政府の解体である。 ロックとホップズの違いをもっともよくあら
ンウエルスの維持に関心があるのに対し、 ロックは、その解体に関心があるというのであったが、実は、逆なのである。
コ
モ
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と悪いのである﹂とする。
1
人々は自分の利益から偏見をもち、また自然法の研究をしていないため無智であって、自然法を、彼
④ロックが関心をもつのは、しかし、政府を解体して無政府状態をつくりだすことにあるのではない。 ロックも、自
然状態において
ら自身の事件にも適用すべき拘束力ある法としては認めない傾きがある﹂(一二四節)こと、寸各人が自然法の裁判官で
あり、 かつ執行官でもあるので、人は自分自身に対しては偏頗であるから、自分自身の事件については、感情や復讐心
のため余りにやりすぎをし、 しかも余り熱をいれてしがちなものであるが、また他人の事件に関しては怠慢無関心で余
りにも不注意(吋巾55 凹 不熱心)になりがち﹂(一二五節)であることを十分に承知していた。寸自然状態は不便であり、
人々は社会を愛し、これを欲するので、彼らの幾人かが一緒に集まるや否や、もし共同生活を続けたいと思うなら必ず
結合して団体をなしたのである﹂(一 O 一節)。 ロックも、政治社会の建設をめざしている点において、 ホップズと異な
らない。ただ、 しかし、決定的に異なる点は、政治社会一般をめざしているのではなくて、特定の政治社会をめざして
L
のことである。そこでいう﹁逸脱した
いることである。ここで特定の政治社会とは、﹁公共の福祉﹂を目的とするものであり、アリストテレス﹃政治学﹄の用
語例によれば、﹁共通な利益﹂ないし﹁公共の利益しを目標とした寸正しい国制
国制 Lは排除される。まさに寸正しい国制﹂を樹立するために、﹁逸脱した国制﹂を排除するのに要請されるのが、ロッ
クの革命権の行使である(ホップズは、後者は前者に不満をもっ者の呼称にすぎないとして両者の区別を否定する)。
(州)
ロックは、その理論の核心的部分に、いわばゾレン(叩♀ぽロ)をもちこんでいる。これが、ロックの理論をとく鍵であ
L
の概念をみとめる必要がある一方で、是正措置をとる(革命権を行使する)べき主体としての社会を残存させ
ると筆者は考える。第一に寸逸脱した国制﹂(ザイン)を排除して﹁正しい国制﹂(ゾレン)を樹立するためには、﹁政府
の解体
る必要があるために、これと寸社会の解体﹂とは区別しなければならない。第二に、その前提として、社会と政府とを
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区別し、政治社会の結成契約の内容から政府の樹立をとりのぞき、これを結成後の政治社会の最高権にゆだねる必要が
ある。第三に、政治社会が存続しつつ、革命権を行使するためには、寸自然状態﹂とは区別された﹁戦争状態 Lの概念を
みとめなければならない。第四に、戦争状態において正当な側が行使する権利を﹁自然法執行権﹂に求め、その存在を
自然状態においてもみとめざるをえなかった。第五に、自然状態において自然法執行権をみとめるものとすれば、自然
法の存在と、その主要な内容である所有権の存在と契約の拘束力を自然状態においてもみとめなければならない。以上
がロックの理論の骨子である。
また、ロックの理論の随所において指摘された二重構造もこれに由来する。すなわち、所有権論における貨幣使用、土
地専有(所有の不均衡)の前後、政治社会論における寸正直な時代﹂ないし﹁黄金時代﹂とそれ以降の時代区分は、ー理
想的な自然状態﹂(小さい財産をめぐる小さい争い)の時代と﹁腐敗堕落した自然状態﹂(大きい財産をめぐる大きい争
い)の時代との区別に対応するが、後者の自然状態においては、上記のとおり、すでに﹁ある種の事実上の﹂(ザインと
しての)政治社会が存在する。しかし、これらは、必ずしもロックのあるべき(ゾレンとしての)政治社会の価値基準
をみたすものばかりとはかぎられなかった。 ロックは、国家の起源を論ずる部分で、﹁いかにあったかということから、
本来いかにあるべきかを結論したところで、到底強い力をもち得ない﹂
O三節)とし 歴史の実例を論ずるにあたっ
一
(
ても、 注意深く、 ﹁平和の中に生れて来た世界の諸政府﹂は人民の同意に基礎をおいている(一 O四節)とする限定をも
うけている。(なお、本引用部分の傍点は筆者)。 ロックも、初期の時代には、﹁一種の自然的権威﹂に対する寸暗黙の同
意﹂という﹁不注意で先見の明のない無邪気さからはじまったのに、 やがて時が権威と神聖さを与え﹂た政治権力をい
ただく政治社会が事実として存在することを否定していない (九四節)。しかし、 それは、あるべき政治社会ではない。
とくに、﹁腐敗堕落した自然状態﹂の時代にふさわしい政治社会ではない。
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29θ2342
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さらに、 ロック理論のもつ、あいまいさ、首尾一貫性や体系性の欠如といった混乱の原因は、ここに求められる。こ
の点についての従来の評価は、つぎのようであった。①ロックは、プラトン、アリストテレス、ホップズなどと並ぶ一
級の政治哲学者ではなくて、時局的政論家にすぎな凶。②かりに政治哲学者だとしても、ロックは、右の点について無
神経な欠点をもっている。③右の点は、ロックが承知のうえで、わざと自己の説をあいまいなものとし、ホップズ主義
者であることをかくしたり、政治的非難や宗教上の攻撃をさげるためにしたカ今ラージュである。正統的な権威であ
るリチャ lド・フツカ lを引用したのと同一目的に出ている。④ロックの﹃人間悟性論﹄における(自然科学的)知識
についての確実性 R
25zq) と(人文社会科学的世界の)信念についての蓋然性(℃B
EE--4) の区別に応じて、政
治社会論は、後者の世界を取扱ったもので、それなりに、また、ロックの思想全体の中での一貫性を肯定することがで
きる。以上が、筆者がこれまでに出会ったロック評価の代表的なものであるが、筆者は、これらにつけ加えて、⑤ザイ
ツ
ンとゾレンの混同をあげることができるように思われる。すなわち、あるべき政治社会を中心として、ゾレンを論ずる
革命権の要件・具体的主
かぎり、 すなわち、理性にもとづく推論として論じられる(℃5
q
) かぎりにおいて、
σωσEqではなく、 ztoロ包-
クの理論には首尾一貫性がある。しかし、ゾレンに合わせて、ザインを変えようとするとき
9
体がその例) など、ゾレンと サインが交錯する局面になると、 にわかにあいまいになる。ゾレンを論じているのか、ザ
インを論じているのか、 はたまた理性的推論であるのか蓋然性の議論であるのか、わからなくなる。基本的な骨組みに
おいて、 ホップズにしたがいつつ、換骨奪胎の仕方ないし肉づけの仕方が、たとえていえば、ホップズが男性的である
のに対し、 ロックが女性的であるくらいの違いがある。 ホップズが幾何学的論理を追うのに対し、 ロックには、文学的
で熱き血潮が通っている。しかし、自然法執行権のように私的理性による公的理性の代行は、悪くすると、昨今もみら
ステリー
れる血に飢えた正義という狂ヒ気
に途を開く恐れがあるように思われてならない)。
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(5
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29η2343
ロ
L
ロックの政治社会は、ロック自身の理論に即していえば、﹁正しい国制﹂を樹立し、
を排除するための、立法権の樹立・排除・変更を主内容とする最高権を行使することを任務とする存在
ブァ lガソンとへ 1ゲル
﹁逸脱した国制
である。それは、国家社会において、制度的側面を除いた、または、制度の基盤となるべき共同体的側面をさしている。
その機能は、右の最高の政治権力の行使にあり、かっ、それにかぎられている。したがって、経済史的にみて、一七世
ロックの理論に即していえば、 その市民(政治)社会論では
これへの過渡期とみるかのいかんによって、 ロックの市民社会をブルジョア社会とみるかどうかといった議
紀イギリスの社会を、伝統的社会とみるか、少なくとも農業資本主義とみるか、さらに進んで商工業資本主義とみるか、
J
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A ? - 主 ム 戸 ? - 、
十
中/昔。ナ
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v
・ ロックの理論とはずれている。このような議論は、
コZUBbu
ム聞+﹂晶、
なく、 その自然状態論(とくに第二の自然状態)についてこそ妥当する。なぜなら、 ロックによれば、所有権も契約も、
理論的には、市民社会(政治社会U国家)をまたずに、自然状態においてすでに、その存在がみとめられるものだから
である。このように、政府と社会の区別がされてはいても、その社会はあくまで国家社会であり、われわれが、今日、国
家と社会の区別という言葉によって想定するものとは、 ちがったものである。 ちがったところに線が引かれているとい
み
て
お
門町角川
叶
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回目印門
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同)
ω。巳21 は、その翌年ドイツ語に訳され、へ 1ゲルなどが用いたドイツ語の市民社会
ないし野蛮な社会﹂(吋
E02ggmoω
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可)
と対比させる。ただし、文明化の基準としては、政治的なるもの、す
n
y巾 の ゆ 凹 巾-znyE のもととなったといわれているが、その骨子を簡単にいうと、 つぎのとおりである。
ロ﹃m
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( ①ファ lガソンは、寸市民社会﹂におけるの-i一の語を広く文明化(丘三EEZロ)としてとらえ、市民社会を寸原始的
ト吟、
アダム・ファ lガソンの一七六七年の﹃市民社会の歴史に関する研究﹄(﹀ロ何盟主
わなければならない。このことを、 なお寸市民社会﹂概念の元祖とみられることが多いファ 1ガソンとへ lゲルについ
単
ファ 1ガソンの市民社会論
く
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て
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なわち、法と政府による自由の確保があげられているから、 ファ lガソンにおいても、市民社会とは政治社会をいみす
る。しかし、 ファ lガソンは、人は、本性上、その生存と能力発揮について平等であるとしつつ、同時に、生れながら
にして、共同体の一員であるとしているから、自然状態説とここから政治社会への飛躍に要する社会契約説をとってい
ない。人間社会はこのような単純で人為的な計画によって作られるものではなく、複雑で漸進的な進化によるものとす
る。右の著書の全体は、人間社会の自然史的考察でみたされている。その際、進化の契機をなしているものは、内外の
競争と戦争である。たとえば、対外防衛の必要が、内部の結束、政治機能の多様化、知的能力の発揮などを生む。これ
は、ファ lガソンの人間観、社会観の基本にかかわるものであって、彼によれば、幸福とは、安息状態や目的達成にあ
るのではなくて、目的追求の過程にあれ。この点、ホップズに似ている。しかし、ホップズと異なり、共同体の一員と
しての人の幸福は、苦痛、快楽、恐怖、嫉妬といった個人的事柄への気づかいをすてて、社会的寄与を自己の仕事のは
げみとして共通善のために情熱を燃やすところにある。ファ 1ガソンは、﹁公共善が個人にとって基本目標であるならば、
同様に、個人の幸福が市民社会の偉大な目的であることも真実である﹂とし、﹁最も幸福な国家とは、その国民によって
最も愛されている国家のことであり、最も幸福な人間とは、 その心情が共同体に傾けられ、そこに、義侠心と熱情のす
べての対象、すべての美徳の行為の発揮の場を見出す人間のことであるしとしている。その著書に最も頻出する用語は、
国家精神、国家愛着の共通の幹、社会の結合、公共への愛などであり、これらをこわす対立用語としての﹁腐敗堕落﹂
22宮吉ロ)である。ファ iガソンによれば、国家の力は、国民の数や富によるよりも、その風習・習俗ないし気風
(
の
(
白
山
口
ロ2印)による。﹁国家の富、隆盛、力は、通例、美徳(三35) の産物であり、これらの喪失は、屡々、悪徳 (
iB)
とするところに、彼の考えの真髄がみられる。
の結果である。人の美徳は、目的達成後ではなくて、目標達成をめざして苦闘している聞に最もよくあらわれる。美徳
L
(附)
によって獲得された目標自体が、屡々、腐敗堕落と悪徳の原因となる
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②右の基本的テーゼを経済の側面でみると、つぎのようになる。まず、寸所有権は進歩の一因(白日巳月刊)である﹂。﹁商
業の進歩は、機械的技術の断えざる分化﹂にあり、﹁技術と職業の分離によって、富の源泉がおかれた﹂。しかし、寸職業
の分化は、極まるところ、結果として、かなりの程度に、社会の幹を破り、才能を様式に代え、人びとから熱情と心情
印
。
。
向
。 R己℃巳宮口)を奪うことになる。﹂
のたけを満足感をもって注ぐことができる天職の日常感覚 (HZ8550Dmg
さらには、﹁高度に商業技術がいたった国々は、個人的な向上や美徳にもとづかない富に差別の多大の根拠をみとめ、尊
重と名誉にいたる途として利益に関心を向けることによって、腐敗堕落にさらされてい幻 L。寸財産が活気あふれる精神
の道具としてではなく、 ケチであれ、気前よきであれ、 はたまた、大胆であれ、小心であれ、これらの心の偶像となる
とき、自由のよって立つ基盤が専制を支えるものになりかわるおそれがある﹂ のである。
③つぎに、右の基本的テーゼを政治の側面でみると、っ、ぎのようになる。まず、ーなんらかの恒常的な政府を確立し紛
NE)とはいえない﹂。﹁人びとは、対外戦争や内乱をさけ
争を審理する司法裁判所をもつまでは文明化されている(のぞE
て社会の平和を維持する目的をもっ公的諸制度をもうけ、また、紛争を騒乱なく裁断して、法の権威によって、各市民
が個人的権利の享受を確実なものとすることを学んだ﹂。文明社会(政治社会)において、法と政府が自由を守る。とこ
ろが、皮肉なことに、﹁自由の維持をもくろんだ国家の諸制度が、市民が自己自らのために行動して、自己の権利を要求
することをさせないで、自分の側での個人的注意・努力を求めることなく、安全を与えるものとすれば、 このような政
府(政治支配) の外見上の完成は、社会の紳を弱めるおそれがある 。
L また、政府の事務の分割は、﹁各役所の公務員を
して、国事(任命丘町山町2 0町
田EZ) に優れていないのに、他人の経験にもとづいて確立された様式を遵守していれば
成功することを可能にし、それ自体何の調和もなしに、一つの目的に合わせて働くエンジンの部品のようなものにして
い却し。われわれは、﹁政治家(国土)と戦士の代りに、書記と会計係をやとうにいたってい初﹂。ファ lガソンによれば、
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兵士と市民の分離も不幸なことであって、﹁軍隊の規律は改善されたにせよ、国家の活力が失われてしまった Lのであり、
﹁市民と政治家を形成する技術と、政策と戦争の技術とを分離することは、人間性をバラバラにすることであり、まさに
改善すべきだとした当の技術を破壊する試みであ訂﹂。
それでは、自由は何によって確保されるか。﹁自由は法の支配(円ZmC︿巾55巾ロ件。刊訂者団)によってもたらされる。
われわれは、法令を、人びとの権利が記録された書き物ではなく、自由たらんと決断した人びとの決意と格律として考
え、さらに、人びとを守ために作られた権力であり、人の窓意が犯すことのできない障害として考えるべきであろう L。
﹁かりに手続の様式や書かれた法令、その他の法の諸要素が、それらがよって立つ精神によって運用されることをやめる
ならば、権力の不公正を制約することなく、それを隠すだけに役立つのであれ 。﹁文字面上の最も公正な法が、運用上
L
の最悪の専制と両立する L
。﹁人身の安全と財産の保有が、法令の文言上いかによく定義されていても、その確保のため
には、自由な人びとの活力と嫉妬、国家の全秩序で払う尊重の程度によるのである L。﹁自由は、構成員聞の争いと対立
によって維持されるのであって、公正な政府への一致した熱情によってではな ML。﹁自由の確保のために構成された基
gEztg印)は多くの部分からならなければならない。そして、上院、民選議会、司法裁判所、その他各種の
本構造(の
公務員は、執行権を行使、停止、牽制しながら、お互いにバランスをとって協働しなければならない﹂。﹁したがって、全
(出)
昌二致を賞讃すること自体が自由にとって危険だと考えるべきである L。﹁あらゆる国家において、構成員の自由は、内
部の部分のバランスと調整による﹂。そこで、行き過ぎた規制が、﹁気風を腐敗堕落させて、国家の精神を失わせる傾向
をもっ﹂ことや﹁市民社会で喧伝される改善が、政治的精神を休止させ、人びとの休みない無秩序よりも、積極的な美
(凶)
穂に鎖をつけるものとなる Lことに警告するとともに、他方でバランスが大きく崩れて、﹁同等の牽制する権力がないと
き、専制におちいる﹂ことや、﹁権力が確立されている場合において、強者が制約を嫌がり、弱者が保護を求めることが
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説
論
できないとき、法の欠陥は完全な腐敗堕落のしるしとなる
L
ことを強調する。
④以上によれば、自由を確保するものは、制度ではなくて、制度を支える政治的徳としての共同体の精神である。富
の偏重・偏在と制度の完成は、この精神を腐敗堕落させる傾きがある。その精神を活性化させるものは、構成員ないし
構成部分の相互間の争いと対立である。制度もまた、このような力のバランスを保つ工夫をしなければならない。これ
が、ファ lガソンの骨子である。これは、あるべき制度の確立をめざすロック理論の射程範囲をこえている。 ロックに
よれば、﹁法が終るところ、専制がはじまる﹂(二O 二節)のであったが、ファ 1ガソンにおいては、むしろ、法制度の
(川)
完成が人びとの腐敗堕落を生み専制をまねく。また、専制は政治支配者の恋意にはじまるものでもない。人びとの腐敗
堕落にもとづく。ファ 1ガソンは、プラトンの﹃国家﹄におけると同様に、極端なデモクラシーが専制に転化すること
を知ってい問。機械的平等によって、人びとをバラバラのアトムと化してはならず、相互に相争い、社会に生き生きと
した活気を与えるだけの活力をもった諸党派が存在しなければならない。 さらに、 しかしながら、 ロックと異なり、富
の不均衡が手ぱなしで容認はされず、力のバランスを破るほどに、財産が自己目的化し偏重されて偏在してはならない。
ロックにとって、市民社会は所有権を保護するための組織機構であるのに対し、 プァ lガソンにとっては、自由な精神
が競い合いつつ躍動する場である。ファ lガソンはいう。自由のもたらす恩恵は、寸一人の人間の胸の中で働く徳や善の
産物ではなくて、多くの者への徳自体のコミュニケーションと、構成員それぞれにふさわしい行動と天職をそれぞれに
(川}
へlゲ ル の 市 民 社 会 論 経 済 社 会 と し て の 市 民 社 会 と 政 治 社 会 と し て の 国 家 と の 区 別 が 、 一 八 二 一 年 の へ lゲ
与えるような市民社会の中における富の配分である﹂。
ω
ルの﹃法哲学﹄にはじまることは、先に引いたり lデルなどのいうとおり、ほぽ定説となっている。 へlゲルによる市
民社会と国家の区別の意義は、彼の﹃法哲学﹄の体系全体の理解にかかわることであって、本小稿の範囲をこえている。
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L
その全面的議論は別の機会にゆずりたい。ここでは、 もっぱら、ごく大ざっぱに、概念史的な粗筋からみて、
、第三部寸ジットリッヒカイ同
、
L 第二部﹁道徳性 L
だけを問題とする。
へlゲルの﹃法哲学﹄は、第一部﹁抽象的法
の市民社会は、伺をさしているのか
①まず、
へlゲル
に分かれ、
この第三部は、第一章﹁家族﹂、第二章寸市民社会 L、第三章﹁国家﹂に分けられている。ここにおいて、すでに市民社
会と国家とは区別されている。また、右の﹁市民社会しは、 A ﹁欲求の体系 、
司法﹂、 C 寸ポリツァイとコルポラ
L B ﹁
チオン﹂に分けられている。この﹁市民社会﹂の最初の部分には、自己目的追及が全面的な相互依存の体系にあること
(一八三節)、特殊性である限りない欲求充足が偶然と恋意によるとともに、普遍的な力によって制約をうけるという﹁対
立と錯綜の中にあって市民社会は、満ち足りて余りある者、足らざる者、さらに両者に共通の身心の腐敗堕落の見せ場
回口叶
、 一八七節)、欲求充足の目的・手
mqszσo己吋m
o
o
-印)としてあらわれること (一九O節
となっている﹂ことこ八五節)、 また、右の﹁欲求の体系﹂の部分において、市民社会にあっては、人が﹁市民(プル
ジヨアとしての)Laq
ゅー
な
ど
て
ら
て
し
へlゲルの寸市民社会﹂が経済的な寸ブルジョア社会 L であることはまちがいないよ
とみることができるとする(一八三節。なお、一五七節参照)。また右の寸国家
L
を論じた最初の部分にも、﹁国家が市
的な相互依存の体系のことを﹁外面的な国家、必要的・悟性的国家﹂ (
Eロ
28宮SPIt-z♀ lロ昆︿司忠告号gEE)
へ1ゲルの寸市民社会しがある種の国家であることをしめす部分がある。まず、 へ1ゲル自身、先の全面
え四
る8五
。節
民社会と混同されて、 その目的とするところが所有権と人身の自由の保護にあるとされる場合には、個人の利益自体が
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段などが複雑な相互依存関係を通じて無限定なものとなること(一九三節ないし一九九節)、不平等と身分を生むこと(二
うい
②他方で、
にし
OO節、二O 一節てさらに、右のコホリツアイ﹂の部分において、貧困の問題がとりあげられていること(二四一節な
キーウィタースとレース・プープリカ
説
論
国家結成の究極目的とされ、 その結果、国家の構成員となることが自由選択となる﹂(二五八節)とする。このような混
同や結論は、 へlゲルの立場からすると、許されない。しかし、 ホップズやロックをはじめとして、このような考えを
とる者が事実として存在することは周知のとおりである。当時のドイツの憲法学者もそうであった。したがって、先に、
ロックの第二の自然状態について、他の者の説によれば政治社会であるうるものが、 ロックによれば、政治社会でない
m巾ロゲ
といったのと同様の関係がみられることになる。ここでは、 ロックによれば国家であるものが、 へlゲルによれば国家
。
(
ではない。へ 1ゲルは、外面的国家である市民社会と区別された国家のことを、﹁本来的な政治国家とその国制﹂
には、﹁第二の家族﹂(二五二節)としての寸コルポラチオン﹂ のほかに、﹁司法﹂と
という公権力が登場する。しかも、これらは、﹁国家﹂を論ずる部分で、再び﹁執行権﹂の内容となって
L
山
岳
℃ozzRZωE旦ロロ己紹吉ぬぐqpgロロ閃) と呼んでいる (二六七節)。
L
ついで、 へ1ゲルの﹁市民社会
﹁ポリツアイ
登場する(二八七節以下)。まさしく国家公権力といってよい。加えて、市民社会における三つの身分 25ロ門芝、すな
ω反省的・形式的身分(商工業)、例普遍的身分(公務員)(二O 一節、二O 二節)
わち、例実体的・直接的身分(農業)、
ωは執行権の担い手となる(三O三節)。同は、
は、国家において、その重要な構成部分となる。判例は立法権を構成し、
世襲身分(土地貴族。大家族ないし地方の代表)として上院を構成し(三O七節)、川は、コルポラチオンなどを通じて
商工身分団体代表として、下院を構成する(三O 八節)。これらの諸身分の立法権参加には特別の意義がみとめられる。
これらの諸身分には、他の国家諸制度とともに、公共の福祉と理性的自由の保障があることであって、﹁これらの諸身分
には、普遍的自由における主観的要素、すなわち、本書において市民社会とよぶ側面における固有の分別と固有の意志
とを、国家との関係で現在させている﹂ところに本来の意義がみとめられる (
三O 一節)。
③へ lゲルによる市民社会と国家の区別は、これらが相互に入り組んでいるために、 その境界が明確ではない。その
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原因は、 へ1ゲルがこの両者を区別する理由に求められる。ひとことでいって、へ!ゲルは、この両者を区別して分離
アトム
し、それぞれを別個独立の無関係のものとするためではなくて、まさに両者を入り組ませて相互に密接に関連づけるた
めにこそ、この両者を区別しているからである。そして、その目的は、原子論的国家観の排斥にあった。へ 1ゲルは、つ
ぎのようにいう。﹁これは、立法は、私人の立場にある者が国事に参加するものだから、代表者を選んでやらせるにせよ、
自らが投票するにせよ、個人の形式においてあらわれなければならないとする他の流布している見解と対立する。この
ような原子論的・抽象的見解は、すでに、個人が普遍の一員(冨円高ロ包包ロgE]moE包日ロ)としてあらわれる家族に
おいても、市民社会においても、消え失せている。国家は、 バラバラのものではなく、それ自体まとまったものによっ
て構成される。個人としての多数者は、 いくら国民とよぽうとも、集積にすぎない集合であって、形のない大衆は、バ
ラバラで、理性なく、野蛮で、恐るべきものであろう。憲法との関連で、この組織されない全体を国民とよぶ話は、最
初から空理空論にきまっている。この見解は、すでに、政治、すなわち、最高度に具体的な普遍性の境地にいたってい
る共同体を再び個人の集合に解体し、市民生活と政治生活を分断し、政治生活の基礎を、恋意と意見という抽象的個別
性、すなわち、それ自体確固とした正統的な根拠を欠いた偶然性に求めるがゆえに、政治生活を空中楼閣に描くにいたつ
ている ol--いかに、 いわゆる理論の中で、市民社会一般における諸身分と政治的意味における諸身分とが、相互に遠
J
く 一本離されても、このドイツ語 (
ω
gロ仏ぬ) は少くとも昔からあった統一性を保持しているのである﹂(三O 三節)。
へlゲルは、家族が拡大・連合して、 そのまま国家となることがありうることを否定しない(一八一節)し、市民社
会が、時間的には、国家よりも後であることもみとめている。市民社会は近代の産物だからである。この市民社会を家
族と国家の聞に介在せしめるのは、経済社会としての市民社会の自立的発展の結果という側面はあるものの、政治と経
済の相互の解放と分離独立のためではない。むしろ、その結果として生じている原子論的風潮が、市民生活と政治生活
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を分断することによって、国家を解体することを恐れたからである。あるべき国制の樹立のための確固たる基礎を、共
同体的基盤に求めて、市民社会を発掘したといってもよい。世上いわれる国家と社会の分立が、相互の解放と分離独立
にとどまるものであるならば、これこそは、 へlゲルが戦うべき原子論的見解であった。 へiゲルは、原子論的見解に
よる市民生活と政治生活の分断を克服し、両者の統一を、市民社会にあるべき差異を活用して国家の中に統合すること
によって達成しようとしたのである。
④へ lゲルの﹃法哲学﹄は、別名﹃自然法と国家学﹄という表題をもっている。 へlゲルは、すでにふれたところか
L
の語は散見される (九三節、
一六八節、二OO節、三三三節)。これらからみると、寸市民社会﹂は自然状態とは
らもわかるとおり、自然状態から政治社会への飛躍を人為的な合意に求める社会契約説はとっていない。しかし、﹁自然
状態
異なるものとして描かれている。第三部第三章﹁国家﹂の終りの部分に登場する国家相互間の自然状態(三三三節)を
別として、第一部の寸抽象的法﹂は、孤立した個人について論じられている点、 その内容として、第一章﹁所有権﹂、第
、第三章﹁違法行為﹂がとりあっかわれている点などからして、 ホップズやロックの自然状態と照応するも
二章﹁契約 L
一般にいわれるとおりである。しかし、 まことに乱暴ながら、﹁主観
のがある。第二部の道徳性が、空虚な形式主義であるカントの道徳主義との対決に主眼があり、 それが第三部の寸ジツ
トリツヒカイト﹂登場の契機となっていることは、
的自由の権利が、古代と近代を分かつ転回的ないし分岐点をなす﹂とする言葉(一二四節)や国家実定法にもとづく適
法性と区別された道徳性をとりあっかい、それが現実性ではなく、要請としてとらえられていることなどからすると、具
体的な内容は別として、この部分は、ホップズなどの自然法に照応する。第一部と第二部とが自然状態と自然法を論ず
るものであるのに対して、第三部は、政治社会をとりあっかうものとみることが可能である。その家族、市民社会、国
家からなる三部構成のスタイルは、 アリストテレス﹃政治学﹄第一巻の家共同体(オイキア・コイノ l ニア)、村共同体
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(
コ lモl ン・コイノ l ニア)、国共同体(ポリティケ l ・コイノ l ニア) の三部構成と形式的には符合している。もち
ろん、 へ!?ケルにおいては、家族はすでに、 ロックにおいてみられた家父長的支配にもとづく政治権力も、その存否が
問題とされたオイコスの経済権力も有していない。犬家族や家族連合ではなく、基本的に、 かつての大家族(オイコス)
は解体して、感情的つながりの小家族となり、人は家の子ではなく、市民社会の子となり(二三八節)、 かつての家の機
能の多くは、市民社会の中の寸第二の家族﹂としての寸コルポラチオン﹂(二五二節)や﹁ポリツァイ﹂という公権力(一一
四一節)が代行するにいたっている。いわば﹁普遍的家族﹂としての市民社会(二三九節)が、かつての家族になり代わっ
ている。このように、地殻の変動は深刻であって、スタイルの同一性を強調することは許されない。しかしながら、ア
HW
国共同体の目的は、他の共同体のそれよりも高次のものであって、﹁国は場
リストテレスにおいて、的国共同体は、家共同体、村共同体それぞれの独自の存在を許容しつつ、これらを包摂したう
えで、これらによって構成されている点、
所を共同にする団体でもなく、また互いに不正をしないことや物品交換のための共同体でもない(中略)。完全で自足的
な生活のために家族や氏族が普争全世において共同するとき、始めて国が存すれ Lとされる点、竹田共同体(ポリス)の
構造に応じて国制(ポリ lテイア1)のあり方が論じられている点、以上の最も基本的な三点において、へ lゲルは、ア
リストテレスと一致する。そしてへ lゲルの国家もまた、右の仰と全く同様に、歴史的起源や他の者の説によれば国家
で あ り う る 家 族 ご 八 一 節 、 二O 三節)や市民社会(二七O節、三O 三節など)をその中に包摂するとともに、これら
を基礎とする家族、コルポラチオン、諸身分に、国家公権力の主要部分である立法権の構成部分、執行権の担い手(普遍
的身分)とこれを批判する役割(コルポラチオン。二九五節、二九七節)などをみとめることをはじめとして、国家の基
盤そのものを求めている(二五五節、二五七節、三O 二節など)。したがって、ここには、基盤としての国家と、基盤国
家の諸制度を活用しつつ固有の政治制度をもっ国家と、この両者を包含した国家の三種がみとめられる。へ lゲルは、第
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説
号A
H聞
一の国家を外面的な寸必要的・悟性的国家
L(
一八三節) とよぴ、第二の国家を﹁固有の政治的国家とその国制﹂(二六
七節)とよび、第三の国家をただ﹁国家﹂(二五七節、二六O節)とよんでいる。この第三の包括的な国家概念の存在ほ、
ノック却とペルチンスキ円の見解にしたがったもので、なお確信は乏しいが、この見解を前提とするときは、へ iゲル
﹃法哲学﹄ の第一部と第二部は、自然状態をとりあっかい、その第三部は、国家をとりあっかうものという点において、
ホップズ、 ロック以来の伝統とつながり、しかも、市民社会と国家の区別もまた、国家における基盤社会(共同体)と
ロックによる市民社会と政府の区別も、 へlゲルによる市民社会と国
政治制度(国制) の区別に対応する点において、古典時代以来の伝統にもつながるということができるのである。
キ1ウィタ 1 スとレ l ス・プ lブリカ
家の区別も、基本的には、政治社会の基盤となるべき共同体とその上に樹立されるべき政治制度としての国制の区別に
L
概念の元祖といわれるキケロについて行う
対応するものとするならば、そのような用語例の検討(大げさにいうと概念史的探究)を古典社会に求める必要がある。
本稿は、これを、 リ1デルによれば、アリストテレスとともに﹁市民社会
w
m
u
z
σ
ロ円釦)
の語と約九O のキ lウィタ!ス(丘三宮印) の語を検討の対象とし、手持ちの仏訳、独訳、英
こととする。なお、本稿では、紙幅と時間の制約から、 とりあえず、 キケロの﹃国家論﹄に登場する約一八O のレ l ス
・
プlプリカ
(
訳を参照しコ
つ
つ、 その意義の差異を検証する。ここで登場回数に﹁約﹂をつけている理由の第一は、 キケロの﹃国家論﹄
が、﹃法律論﹄とともに、﹃義務論﹄などとは異なって、残欠の度がひどく、 アウグスティヌス﹃神の国﹄をはじめとす
る後世の諸著によって補われている部分が多く、 キケロ自身の用語例とは断定できない場合があるほか、版により補充
の範囲に差異があり文章にも不完全な部分があることであり、第二は、この本が、 プラトン ﹃国家﹄にならって、複数
の登場人物の問答形式で進められているため、 キケロ自身の考えや用語法かどうかに疑問が残されている部分があるこ
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とであり(アウグスティヌスによって引用されている有名なレ 1 ス・プ lブリカの定義もスキピオの言葉として語られ
ている)、第三には、 レース・プ lブリカの同義語としてのレ 1 ス・ポプリ(話回℃。匂ロロ)が約一 O 回ほど登場するが、こ
れを原義にしたがってレ l ス・プ lプリカの中に算入するか否かによって、 レース・プ lブリカの登場回数が異なるこ
g巳2 2丘三EF
とであり、最後に、 レース・プ1ブリカと異なり、必ずしも明確に定義づけが与えられていないキ lウィタl スについ
ても、それと同義のとりあっかいをうけているらしくみえる市民社会類似の諸概念(nZEmg巳兵包F
-22) が存在するほか、ポプルス (吉宮古印)が同義語と読める個所もあって、その登場回数を画しがたいこ
}ロ江田印 Oの
とである。したがって、以下の検討は、以上の諸制約の下でおおまかな傾向を検出することに重点をおいたものであっ
基本的用語例
まず、 レース・プ lプリカとキlウィタl スの最も基本的な用語例をみると、 つぎのとおりで
て、細部にわたって厳密なものではないことをあらかじめ断っておきたい。
11
ある。
①﹁レ l ス・プ lブリカ (g
吋u
}
M
O印巾℃ロEEロク色町訪のめ目。山口gm Pω8550口当gpy) とは、 レース・
zz-SHEの
。
由
ポプリ (話回目︼。℃丘一HEnyo印。仏己℃角川口問)
出
。ω
ω
n
F
O 己命的︿。︼wgLZ ℃円O
P門
H
X
U円与え吾ぬ℃巾01。)のことである。ここ
・門出何回)
キlウィタ 1 スを形成したのである﹂(一巻二五節)。
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5
でポプルス(宮匂巳5Hug-タ︿。]
w
m宮。立巾)とは、いかなる種類態様による人びとの結合体のすべて(。百三回の(E5
(
n
oロ
n
o
H
な性格なものではなく、繁栄の状態においても(残欠)。ひとことでいって、散在する多数者は、相互調和によって
第一原因は、個人の弱さではなく、自然が人の中に植えつけた社会的本性である。なんとなれば、人は孤独で反社会的
己0 8コ唱巾mE5) をさすものではなく、同一の法の支配に同意した多数者の結合体(の(255三広言己E2
門官。宮C E。
Eユ由。。ロ話口町己)であり、かっ、共通の利益をめざして結合したもの (EEEH2255cE。ロ巾由。。U E印)をさす。その
キーウィタースとレース・プーブリカ
説
論
﹁したがって、すべてのホルプスは、上記のような性質をもった多数者の結合体(の日吉田自己E E門出口町) であり、す
であって、 その永続のためには、何らかの統治のための組織機能
(
n
oロ
t
o℃C℃ロロ) であり、すべてのレ l ス・プ lブリカは、上
印
丘
門
戸H
﹁命的)
べてのキ l ウィタl スは、ポプルスの構成するもの
述のとおり、ポプルスの所有するもの (
句
。
日
)
ロ
ロ
(向。ロ印巳。門官。門U55mgEー)を必要とするものである﹂(第一巻二六節)。
②﹁法律は市民社会(丘三]28巳巳巳ぽ)の幹であり、法律によって平等な法が実現されるがゆえに、市民間が不平等
であるとき、 いかなる法によって市民社会(由。氏。E凹丘三ロヨ)が維持できるであろうか? かりに人の富を平等にし、
一体、何であろうか?﹂(一巻三二節)。
人の能力を平等にすることができないとしても、同一のレ lス・プ lプリカに属する市民相互は平等にしなければなら
ない。法にもとづく社会(︺528n-22) でなくして、 キl ウィ l タl スは、
ここでいう﹁法にもとづく社会(古門2 8巳22)﹂が、先の①でいう﹁同一の法の支配に同意した多数者の結合体(の8 E印
g ロEEロ)﹂と同一だとすれば、キl ウィタlスとポプルスとは同一ということになる。事実、第三
自己江吉門出口佐官ユ∞
巻の正義を論ずる部分において、﹁事情は個人における場合とポプルスにおける場合とで同一であって、 いかなるキ 1
ウィタl スも、不正を主とし、正義を従とするような、 おろかではない﹂(三巻一八節)とする文章がある。なお、最後
(
gロnEωn8E25z。BE己目︺己目 mon目白色)ほど、喜ばれるものはない﹂(六巻一三節) としている。
の第六巻には、﹁全世界を支配する最高の神にとって、この地上で、キ i ウィタ1 スとよばれる、人びとの結合体であって
法にもとづくもの
このようにして、 キケロのキ l ウィタl スはキケロ自身の定義において、寸ポプルスの構成するもの (
。
。
ロ
印
円
一
円
己
門
目
。
w
℃。円︼ロロ)﹂であり、寸法にもとづく結合体(﹄R28222)Lであるとともに、 その用語例からみて、﹁ポプルス(宮℃己5
)﹂
8乱立ω江
田 印Oの目立自の一三 ZB)Lをさすものと解することができる。すなわち、法によっ
自体ないし﹁市民社会(の守口2
て相互に平等な市民からなる結合体をさすものであって、国家社会の人的結合の側面をあらわしているものとみること
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ができる。
③﹁したがって、 すべてが野蛮な一人の圧制の下にあって同一の法による幹 (BEE-R三ロヨ吉江印)も同意にもと
門
v
づく一致 (
gロ印g 印己印)も結合体 son-22n25) もないところ、すなわちポプルス(宮匂己5) のないところでは、ポ
(55℃己 一口の釦B) ということができるであろうか?(中
プルスの所有物(耳目匂 C℃ロロ)、すなわち、レ 1 ス・プ lプリカ
略)そこでは、 ポプルスが所有する物は何もなくて、かえって、ポプルス自身が一人の所有する物となっている。した
がって、専制 (
qEロロロ印)が支配するところでは、昨日私(スキピオ H遠藤注)がいったように、 レース・プ lプリカ
(2550口当ゆ包岳) ではない
の悪い種類が存在するというべきではなく、論理的にいって、 そもそもレ l ス・プ lプリカではないというべきである﹂
(一二巻二二節)。専制は、 そもそもレ l ス・プ 1ブリカ、英語でいえば、 コモン・ウエルス
とする考えは、 わがロックのとる考えであった。
また、寸専制者(
qgロロロ印)は人にとっても神にとっても、 それ以上に悪しく、恐ろしく、忌むべき存在は考えられな
gESE-oロ巾ヨ) や 人 聞 社 会 PCBS-E片山田
いものであって、人の姿はとっているものの、 その極悪非道の性は野獣のうち最も醜悪なものをこえるものである。
体、同じ市民とともに、 ひいては他の人類とともに、法共同体(︺号一∞
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巾
片
山Z
S)を望まない者が、人間の名に値するであろうか?﹂(二巻二六節)とし、専制者を野獣と同視する点も、ロツ
n一
ローマ共和制(河g 司
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人も私人にとどまりえない先例をひらき、全国事 (ZE555℃
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いているが、﹃国家論﹄の中でも、ブル 1トゥス(プル lタス)なる者が、私人ながら市民の自由が問題となるとき、何
エサル(シ l ザl) はその敵であり、 2義務論﹄の中でも、くり返し、野獣たる専制者を人間社会から抹殺すべきだと説
。
由クと同じである。
キーウィタースとレース・プープリカ
例がのべられている (二巻二五節)。
④キケロのレ l ス・プ lプリカ H レ1 ス・ポプリ、すなわち、ポプルスの所有物という定義は、 しかしながら、多数
者の支配といういみでのデモクラシーを支持するものではない。ポプルスとは、あくまで寸法にもとづく一致(のO
BOEロ
]ロユ印)﹂であって、これを欠くとき、多数者の専制は一人の専制よりもさらに悪く、 レース・プ lプリカの名に値しない
のである。ポプルスの名を借称する多数者ほど恐ろしい野獣はない(三巻三三節)。キケロにおいても、極度の自由が隷
従をもたらし、専制にいたるとするプラトン﹃国家﹄の定式が採用されているご巻四四節)。キケロによれば、市民間
g 包。ロぬのぞ巳) において、徳が数よりも優先すべきであるがゆえに、市民の頭数が数えられるべきではな
の争論(岳部
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ローマの歴史を論ずる部分において、多数の大衆が過半数をしめないような階級投票制や、今日のプロレタ
くて、 その軽重が衡量されなければならない(六巻一節)。権利の平等はむしろ不公平となることがある(一巻三四節)。
キケロは
リアの語源であるプロレタリオス (
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28EE。)、すなわち、お金を国に出す人という市民の身分の区分を肯定的に紹介している(二巻二二節)。
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) であり(二巻四二節)、このた
とって重要なことは、 キiウィタ l スにおける上層、中層、下層間の調和 (
めに、各人に各人のものを配分するとともに全体に公平に配慮すべき正義(三巻七節、同一五節)が必要とされた。公
の
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と
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頻出度数の多いレ i ス・プ lプリカからとりあげると、 つぎのようになってい
る
(なお、邦訳は目安のためにつけた仮の訳にすぎない)。
カ
ま
務担当者、有力者、大衆の聞における権利自由、義務、職務の間のバランス 三巻三三節)を保つ、 いわゆる混合政体
お
レース・プ lブリカの用語例
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所
まず、仏訳によると、第一位は、 ただ国家(]品百円)とするのが五六か所、第二位は、共和国(円mucEE己ゆ)とするの
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つぎに、独訳によると、第一位に、ただ国家 (
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して、市民、市民権(丘公)ヨロ 2・門町三汁仏巾巳丹市1
まず、仏訳によると、第一位に、 シテ(巳丹市)とするのが圧倒的多数の五六か所をしめている。これと関連するものと
ω
ωEZEE-) 三、都市(巳与) 一などがある。
治 的 、 政 治 家 ( 宮]Eg-- 宮ロ青山]1・
キ ! ウ ィ タl ス の 用 語 例 つ い で 、 キ l ウィタl スの用語例をみると、 つぎのようになっている。
内
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が一一か所、第五位に、公共事務ないし政府事務(℃己ZW E町
唱え片山町2 0問
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) 二、国 (EZOロ)一、郷土
に、共和制(円告z
凶両者の比較検討以上の概観は、文字どおりに、どくどく大ざっぱな概観にとどまる。前後の文脈、とくに、ラ
ω片山吉)という一般的な用語の利用率の高さだけをもって、翻訳の水準を論ずることも、早計であろ
テン五円 フランス語、ドイツ語、英語、それぞれにおける前後の単語や文章構造を抜きにした比較には問題がある。国
山
家(でmEFmE戸
う(ただし、他の諸点も考慮に入れると、ほぽ符合する)。しかし、大まかな傾向として、 つぎのようにいうことができ
一般的な用語例のほかは、国家公共事務、国家(政府) の諸形態、種類などの諸制度、政
G2EPmgg池
田Z吉田)がついて
レース・プ lプリカは国家の諸制度の側面を、 キ!ウィタ l スは人的結合たる共同体の側面をさす
いることが少くない。
訳語が与えられている場合も少くないが、 その場合はおおむね前後にその種の単語
れているほか、市民の共同体などの人的結合の側面をあらわしている場合が多い。たしかに、政府の形態、種類などの
③キ lウィタ l スは、仏訳にあっては一般的用語例においてすでに国家(]品百円)と区別されたシテ(巳芯)が用いら
治的なものをさすことが多い。
②レ l ス・プ lブリカは
者の傾向的相異はすべてについて看取できる。
半において、訳語上にも明らかに区別されている。仏訳、独訳、英訳の順序で、 その顕著さの程度に差異はあるが、両
①レ 1 ス・プ lプリカとキ lウィタ l スとは、共通の訳語が与えられている場合が少くないとはいうものの、 その大
る
。
④以上の結論は
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q宮 O ωEZ2・問。555OE--) とするのが一 O か所あり、第四位に、コモンウェルス (855。口当SFY) 五、他
(25H弓)一などがある。
キーウィタースとレース・プープリカ
説
三A
、
のではないかとする筆者の予断と偏見にあわせていささか強引にまとめられているきらいがある。そこで、これを別の
角度から補強しておきたい。
キケロの﹃国家論﹄は、問答体形式がとられ、残欠部分が多いことも加わって、体系的整理がしづらいもので、理論
的部分にも歴史的事例がふんだんに引照されている。このため、理論的意義と歴史的意義とがいくぶん混在したもので
あるが、 レース・プ lブリカを完成体ないし目標、キ 1ウィタ l スを形成過程にあるもの、または、目標達成いかんを
L
一九巻二一立早から補った部分で問題はあるが)、国
とわないものとして、両者を対比的に用いている場合がある (二巻一八節、二巻三O節、三巻四節、同二四節、同三二
節、四巻一節)。
代表的なもののひとつは(残欠部分をアウグスティヌス﹃神の国
家は不正義なくして地方を支配できないとしてもとする文章中の国家にあたる部分が、﹁勢力あるキ lウィタ 1 ス、その
大なるものがレ l ス・プ lプリカである﹂と訳する余地があるもの (
一
ヨ
})qzscigpn£ロ印 2ご足凶mE 円。印℃ロE片山)
(50 巳芯仏O
B-EE月刊O﹁
自
己 PR)、独訳 SEER宮山口印ロ
σg門目。
5mH55m司
であることである。残念ながら、仏訳
P
J
リア戦記﹄近山金次訳)の第一巻第二節の注には、キ lウィタ1スの訳語を﹁大きな国家組織と混同しないようにここ
なる。事実、このような用語例は他にもみられる。カエサル(シ 1ザ1) ﹃ガリア戦記﹄の岩波文庫版(カエサル著﹃ガ
訳が正しいものとすれば、キ lウィタ l スは小さなもので、レース・プ 1プリカはそれよりも大きなものということに
円リ︼円一予
にキlウィタl スがレ 1 ス・プ lブリカよりも大きなものとされている
一
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ロ 一日吉ユ出]
。HHHσsnEmB
(二訳にしたがったものである。かりに、この
mgZ)。上記の日本語訳は、教文館﹃アウグスティヌス著作集日﹄の松田ω
禎
(川)
趣旨は明確でなく、両者を同視しているかにみえる。アウグスティヌス﹃神の国﹄の英訳 (F27者n
C
5
8巾)では、逆
ωEm淳、門日号。一口唱。回2 の巾白色口当日BEB古}]円)ともに、この場合のキ lウィタ 1 スとレ l ス・プ lブリカを区別する
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キーウィタースとレース・プープリカ
では便宜上、これを部族(もしくは単に族) と訳す的﹂としている。石川武教授の﹃序説・中世初期の自由と国家﹄第
三章第一節﹁序論││諸部族の形成﹂の最初の部分にも、﹁タキトゥスによって﹃キヴィタ l スヘ ドイツの学者によっ
いず
て﹃ブエルケルシャフト﹄と称ばれる比較的小さな部族的まとまりは、民族大移動を経て、今や (中略)比較的大きな
部族(リシュタム) となって、再び歴史の脚光を浴び却しとする文章がみられる (この部分の傍点は筆者)。
もちろん、これらはゲルマン人の国家・社会を論じたもので、 ローマ人のそれを論じたものではない。しかし
れもロ l マ人のうち代表的なラテン語使用者の用語例といってよい。 いまひとつ、 キケロの代表的な例をあげよう。全
てが一部の者の手にあるときレ l ス・プ lプリカがあるとはいえない、ペロポネソス戦争後の三十人専制下においてア
テネ人の所有物としての国家(﹀吾g ぽ
5255m)は存在しなかったとする部分に続りて、寸古き栄光あるキlウィタl
ス、その輝くばかりの街並み、劇場、ギムナジウム、円柱群(中略)のごときは、 レース・プ lプリカをなすものとい
(55 列
。B
mEB)
えるであろうか?﹂としている(三巻三二節)。ここでは、明らかに、過去に現存したキlウィタ│スが、国家の理念像
としてのレ l ス・プ lプリカにはあたらないとされているのである。キケロは、さらに、 ローマ国家
を支えてきた古き風習・習俗 (
仏5
9cggn-gロ
gBm) の
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ω 吉BLEBn-g件
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gwrロω
(
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) がなくなっている原因は偶然(不運)にあ
喪失をなげき、 レース・プ 1ブリカが名ばかり(話号。)で実体
へlゲルのジットリッヒカイトもまた同じ志向に
るのではなく不徳にあるとしている (五巻一節)。徳(︿町吉田)もとづく古き風習・習俗の回復によるレ l ス・プ lプリ
カの確立こそはキケロの目標であり、 マキアヴェリのヴィルトゥ 1
根ざしている。
以上の検討の結果をとりまとめると、 つぎのようになるものと思われる。
第一に、キ 1ウィタl スは、法にもとづいて平等な市民からなる共通の利益をめざした結合体であるポプルスの人的
北法 4
1
(5
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31η2363
結合体としての側面をあらわしている。権力、財産、権利自由等の著しい不均衡、偏在がその構成部分間にみられると
きには、ポプルスそのものが解体してしまう。専制の場合がその例である(三巻士二節)。第二に、 レース・プ lプリカ
は、キlウィタl スが真にポプルス全体のものとなっているかどうか、すなわち、 レース・ポプリ(吋何回宮司ロロ) かどう
かの理念型ないし価値基準となるとともに、この目標達成の手段となるべき国家諸制度をもさしている。 ローマ社会は
すでにプロレタリオスとアシドゥオスという身分的差異を生み、﹁小さな財産 Lをめぐる﹁小さな争い﹂の時代ではない。
このような社会において、国家諸制度を適当に構成することによって、諸部分のバランスをとり、全体としての統合さ
れ た ポ プ ル ス の 共 通 の 利 益 に つ か え る も の と し 、 安 定 し た 基 盤 の 上 に た っ た 国 家 で あ る レ l ス・プ│プリカの永続を目
指さなければならなかった。 キケロにおいても、 ファ lガソン同様に、﹁善きレ 1 ス・プ lブリカに住むことほど善き生
活はなく、善く構成されたキlウィタ!スほどに幸福を与えるものはない﹂(五巻五節)のであって、政治支配者の任務
は、市民の幸福にある(五巻六節)。
ごく単純化すると、 キlウィタ!スにも、 それを構成する市民(丘三回)が自由平等なものかどうかという基準がある。
第二に、 レース・プ 1プリカには、 さらに、国家諸制度の形態、構成、運用等々の結果、 それがポプルス全体のものと
なっているかどうかというより上級の基準が付け加えられている。このようなキケロのレ l ス・プ lプリカの定義ない
し理論構成を前提としつつ、アウグスティヌス﹃神の国﹄は、このような地上の﹁人の国﹂よりも、さらに天上の﹁神の
国﹂がその上にあるものとする。そして、その神の﹁国﹂をレ l ス・プ lブリカではなく、キ lウィタ1 ス(巴巾丘三ZZ
ロ巳)とよぶ。なぜか。それは、第一に、ポプルスの所有するものではなくて、人をふくめて万物は神のものだからであ
り、第二に、国家諸制度の介在などの媒介なくして、単純かつ直接に、神の被造物である人は相互に平等なるものとし
て、唯一の社会の一員となっているからである。逆にいうと、この世の人聞社会には、政治社会たる国家が必要であり、
北法4
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6
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←
説
論
キーウィタースとレース・プーブリカ
その理想と手段を提供すべきレ l ス・プ iブリカなる概念が必要であった。ロックの市民社会論におげる第一の自然状
態である黄金時代は人類堕落以前の楽園時代の悌を残して、右の J仰の国しをしのばせるものがある。第二の自然状態、
すなわち、寸大きい財産 Lをめぐる寸大きい争い﹂の時代には、事実としての国家であるキ lウィタ l スがすでに登場し
ている。第三の市民社会においては、あるべきキ lウィタ1スである自由平等な市民の結合体、すなわち、ポプルスが
形成され、このポプルスがレ!ス・プ lプリカたるべき国家をめざして、政府を樹立し改即する。レース・プ lプリカ
を英語に直訳すれば、ポプルスの所有物(叶2 吉
) であるが、同時に、 コモン・
豆
一gHB巾官。uq与 え 吾 巾 胃 oZ巾
一
F
) でもある。プラトンの﹃国家﹄やト 1 マス・モアの﹃ユートピア﹄のように、私有財産を
ウエルス(。。BBO口当
g-
否定することによって、 コモン・ウェルスを実現することではなく、私有財産を承認しつつ、自然法的制約をともなっ
へlゲルである
た所有権保護を目的とするコモン・ウエルスの建設をロックは目的とした。しかし、私有財産承認による貧富の格差、不
平等の下でいかにしてコモン・ウェルスが可能であるかの探究に腐心したのが、 ファ lガソンであり、
が、キケロも、 さらに、 キケロが基本的に依拠しているプラトン、 アリストテレスにも同じ事情がみとめられる。
クは、他と比較して、この点の関心が乏しく、 理論も単純である (あるいは勤勉なる者の労働の成果である財産権を怠
キケロの﹃国家論﹄は、 その最後の部分に、唯一者の神が支配する宇宙や魂の不死
情なる者の侵害から守ることに重点をおいたとも解することができる)。
ポリスとポリ lテ イ ア !
ツ
ど、外面的形式において、プラトンの模倣が顕著であるが、その原理的な内容の点においても、理性の支配をとき、寸真'
の法は理性の法であり、自然と合致する﹂とし、全民族、全時代をこえた唯一不変の法、すなわち、神の法があるとす
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)2
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ロ
が論じられる﹁スキピオの夢﹂ の物語があることや、 それに続けて﹃法律論﹄がやはり問答体で展開されていることな
四
説
論
(山)
イ1モクラテイア1
オリガルキア
ブ ァlガソンなど多数の踏襲するところとなっている。プラトンの国制変遷論の内容は、①哲
②への変遷が人知をこえた神秘的な数の産物とされるなど、全体としては自動的にとらえられていることである。第四
は逆のコ l スをとる)ことである。第二は、変遷の順序が固定されていることである。第三は、変遷の原因が、①から
ンの国制変遷論の特色の第一は、最善の国制から段々と悪い国制に転落していく(イデア論における洞窟のたとえ話と
るが、③はそのうち必要な欲望の支配、④は不必要な欲望の支配、⑤は不法な欲望の支配である。したがって、プラト
分に照応するものであって、①は理性的部分の支配、②は気概的部分の支配、③④⑤はいずれも欲望的部分の支配であ
貧しい多数者が支配する民主制、⑤借主独裁制への順次の変遷である。これらの国制は、プラトンの魂の構造の三区
ヂーモクラテイアI
学者の支配する最善の国制である優秀者支配制から、②クレ夕、スパルタ型の名誉支配制、③金持が支配する寡頭制、④
口、ホップズ、 ロック、
るべき国家の形成を論じたあとで、 その解体ないし変遷を論ずるプラトンのスタイルは、後世のアリストテレス、キケ
人と国家における正義論、第五巻ないし第七巻で理想国家を論じたあと、第八巻、第九巻で国制の変遷を論じている。あ
う訳語がふさわしいとされている。プラトン﹃国家﹄は、第一巻での序章、第二巻ないし第四巻で基礎理論としての個
mzzE。D O 内 向 印EF 甘口出。問問。︿ q D 5 0互の意味に限られ、日本語では﹁国制﹂とい
は、英語では、丘三ご)。]
EJBロ
民主制や寡頭制といったさまざまの形態に区別されるような、国家統治のあり方のことしであって、プラトンの用語例
によれば、﹁ポリス (都市国家、市民国家) のあり方・組織・制度・政体﹂といった意味であり、﹁具体的には君主制や
'Eよ プラトンの﹃国家﹄は、原名﹁ポリ
lテイアl(grsE)﹂である。この﹁ポリlテイア 1﹂は、藤沢令夫教授
ア語のポリスとポリlテイアi の区別に符合するところがある。最後にごく簡単に、これをみておきたい。
レスの影響が顕著である。さらに、キケロにおけるキlウィタi スとレ 1 ス・プ lブリカの区別は、相当程度にギリシ
(三巻二二節)など、プラトンと酷似する点が多い。また、政府の形態、構成を論ずる部分では、 やはりアリストテ
る
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に、しかし、 そ れ ぞ れ の 国 制 に 対 応 し た ポ リ ス の 代 表 的 人 間 像 が 描 か れ 、 こ の 主 流 と な る べ き 人 間 像 の 変 遷 と 、 そ れ が
もたらす、支配層内と全社会層における紛争に個別の変遷の原因が求められていることである。しかしながら、全体と
してのプラトンの理論は、個人において魂の右のコ一つの部分がそれぞれの分をおかきないのが正義であり、理性的部分
の支配に他の部分が同意をし調和がとれているのが節制であるとしたうえで、これを国家における三つの魂の部分に対
応する三つの種族相互聞の関係に推及し(説明の順序は一部逆に国家から個人に論理が推及されている)、国家における
正義、節制を論じ、この正義と節制のある理想国家と右のような国制変遷を論ずるものであって、体系的に首尾一貫し
ている反面、現実ばなれした理想論としての色彩が濃いものである。ただし、個人において、魂の理性的部分が欲望的
ブ ァlガソン
へlゲ ル な ど に も み ら れ る 西 欧 の 法 思 想 、 国 家 思 想 の 核 心 を 形 成 す る も の で あ
部分を支配するのが真の自由であって、これが国家における理性を体現した法によって現実化されるとする思想は、キ
ケロ、 ロック
は複数の家共同体
(EEeHKELNる と か ら な る 村 共 同 体 ( きEeで
N
Q
R
e
hるで)が複数集つ
アリストテレス﹃政治学﹄は、 ポ リ ス と ポ リl テイアl に明確な定義を与えている。
(grq)
グノスコ!メ
1
でもない(中略)。完全で自足的な生活のために家族や氏族が善き生活において共同する時、初めて国が存するのである
その目的からすると、﹁国は場所を共同にする団体でもなく、また互いに不正をしないことや物品交換のための共同体
全体としての自己の中に包摂するものとして、他に先立つ(一巻二章)。
リスの順序となるが、終極目的としての自然(もr
sq)す な わ ち 本 性 上 は 、 ポ リ ス が 終 極 の 最 善 の も の 、 他 を 部 分 と し て
ポリス
て 形 成 さ れ る 図 的 す な わ ち 政 治 的 共 同 体 (EEERRgra阿部司)である。生成の順序からいえば、個々人、家、村、ポ
まず、ポリス
L
内
ることはいうまでもないであろう。
ソ
(中略)。国とは氏族や村落の完全で自足的な生活における共同である、そしてかかる生活は、われわれの主張するよう
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J
レ
説
呈泊、
日間
に、幸福にそして立派に生きることである。従って国的共同体は、共に生きることの為ではなく、立派な行為 (RRHhz
秩序維持国家は真の国家ではないとされている。
{附}
r
v
eで)のためにあるとしなければならない﹂(三巻九章)。アリストテレスにおいても、へ lゲル同様に、外面的な
さh
これに対して、ポリlテイア l(graE)、すなわち、﹁国制は国のいろいろな役に関する組織であって、それがど
L
のであって、 その逆であってはならない(四巻一章)から、 いわば、今
んな仕方で配分されるか、国の主権はどこにあるか、またそれぞれの共同体の目的は何であるかを規定するものである L。
﹁国制に応じて法律は制定しなければならない
gロ住吉江。ロ)。
日の憲法に相当する面がある(英訳は
(刷)
ごく大まかに、ポリスが先のキl ウ ィ タl スに相当するのに対して、ポリlテイア 1がレ l ス・プ lブリカに相当す
るといってよい。
ところで、 アリストテレスにおいて、国を構成する国民は、元来は能動的な﹁裁判と役とに与かること﹂を要件とす
るが、国制によっては、﹁民会員も裁判官も無期限の役人ではなくて、役に応じてその任期に制限のある役人﹂であるた
{問﹀
め、﹁審議の役か、もしくは裁判の役かに与かる権利を有する者がすなわちその国の国民であるといい、国とは大ざっぱ
にいって、このような人々が、生活の自足を確立するに充分な数だけ集ったものである﹂とされている(三巻一章)。し
たがって、国制に応じて、国民の範囲が異なってくる。その反面、寸たくさんの国制があることの原因は、どの国にも多
数の部分があることである。すなわち、第一にどの国も多数の家族から構成されているのをわれわれは見る。次にまた
この多数のうち或るものは必ずや富裕であり、或るものは貧乏であり、或るものはこの両者の中間である(中略)。国制
というのはもろもろの役の組織であるが、 それらの役は凡ての人々が、国民権に与かる人々の勢力に応じて、或いは彼
らに何か共通な等しさに応じて、互いの聞に分配するものだからである。ここに私が彼らというのは、例えば貧乏な人々、
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或は富裕な人々のことであり、共通な等しさというのはこの両者に共通な等しさのことである。従って国制はちょうど
国制の種類は、アリストテレスによれば、まず、﹁正しい国制﹂と﹁逸脱した国制しとに区別される。前者は、公
部分の優劣なり相違なりを基準とした組織の数だけあることになる﹂(四巻三章)。
ω
広三 L、少数であるものを﹁優
共の利益を目標とするものであって、支配者(主権者)が一人であるものを﹁王制官QqL
E
)﹂、多数であるものを﹁立憲制(
g
r
a
E
)﹂とよばれる。後者は、公共の利益を目標とし
秀者支配制﹂(トミ詩。さぬ品川
ないために、前者より逸脱したものであって、﹁借主制定 § Q でてwq)が王制のそれであり、寡頭制(どミぬもし円 NQ)が優秀
者支配制のそれであり、民主制(止、。さぬ叶 NQ)が立憲制のそれである。というのは借主制は独裁者の利益を目標とする
れらのうち、何れとして、公共の利益を目標とするものではないからである﹂(三巻七艶)。
独裁制であり、寡頭制は富裕者の利益を目標とするものであり、民主制は貧困者の利益を目標とするものであって、そ
この国制分類の特色の第一は、何よりも、﹁正しい国制 Lと﹁逸脱した国制﹂の区別であり、その区別の基準が公共の
利益を目的としているか否かにおかれていることである。ここでいう﹁正しい国制しとは、まさしく、キケロのいうレ 1
ス・プ lプリヵ、すなわち、 レース・ポプリのことであり、 ロックのいうあるべきコモン・ウェルスである。 ロックに
よれば、公共の福祉を目的としないものは、専制であり、 それは政府形態のいかん ご 人 H専制君主か、多数か)をと
わないのであった(二O 一節)から、寸逸脱した国制﹂は、この専制にあたる。キケロも、 ロックも、このゾレンとして
の寸正しい国制﹂を論じているといってよい。
特色の第二は、プラトンの国制分類のように魂の部分の三区分から出発するといった純理論的な構成をとっていない。
ゾレンとしての﹁正しい国制﹂ のほかに、ザインとしての﹁逸脱した国制しがあげられ、しかも、そこでは、富裕者の
利益や貧困者の利益というポリスにおける社会的・経済的利益がとりあげられている。これは、アリストテレスの方法
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長冊
、
ω最善のものはどれであるか、そして外的条件に
論によるところが大きい。 アリストテレスは、国制の研究について、寸
は何一つ妨げになるものがない場合、 どのような性質のものであれば最も理想に適ったものであるか、 また倒どの国制
ω第三には或る前提にもとづく国制を研究すること(中略)、
がどの人民に適合するかを研究すること(中略てさらにまた
倒凡ての国々に最もよく適合する国制を認識しなければならない。 それは国制について自分の意見を述べている大多数
の人々がたとえ他のことでは立派なことをいっているにしても、実際に有用なものという点では全く過ちを犯している
からである。何故なら最善の国制だけでなく、現状からみて可能な国制をも、また同様に凡ての国によって比較的容易
に到達し得る比較的共通な国制をも研究しなければならない﹂(四巻一章) としている。 ここには、 ゾレンを論じつつ、
いかなる制約条件の下での、ザインであり、 ゾレンであるのかが十分に意識さ
ザインの混入をまぬかれることができなかったキケロやロックと異なり、 方法的にも、 明確にザインとしての国制とゾ
レンとしての国制とが区別され、 ぇ=りに
れている。 アリストテレスは、 四巻四章ないし一 O章において国制のそれぞれをさらに詳細に細分類したうえで、同
一章以下ないし六巻において﹁最善の国制は何であるか、また国々や人々の最大多数のものにとって最善な生活は何で
あるかーーといっても、ここに最善というのは、普通人の力の及ばない徳を基準にしたり、素質や幸運の贈物たる外的
条件を必要とする教育を基準にしたり、理想通りの国制を基準にしたりしないで、最大多数の人々の与り得る生活や最
大多数の国々が与かり得る国制を基準にして判断する場合﹂(四巻一一章の最初の部分)が論じられ、これとは区別して、
カ2
ら
れ
じ
て
る
国は三つの部分、すなわち非常に富裕な人々と非常に貧乏な人々と第三にこれら両方の中間の人々とがある。従って、適
右のような実際的見地からする最善の国制として、アリストテレスはつぎのようにいう。 ﹁どの国々についても、
日冊
第七巻には、プラトンの﹃法律﹄におげると同様に、人口規模、国土の大ききゃ位置をはじめとする理想国家における
国
(
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)制
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三L
>
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度なものと中間的なものとが最善であるということが一般に認められているのであるから、幸運の賜物にしてもその中
間的な所有が何ものにもまして最善であるということは明らかである。何故ならその程度の所有は理性に最もたやすく
従うが、過度の美しさとか、過度の強さとか過度の善き生れとか過度の富とか、或はそれらと反対に、過度の貧しさと
か過度の弱さとか非常な賎しい地位とかもつ者は、なかなか理性についていきにくいからである(中略)。国は出来る限
り等しく同様である人々から成立つことをめざす。しかしこのことは中間的な人々において最も多く存するのである、
従って必然にそのような中間的な人々から組織された固に最も善き政治が行われるということになる。というのはわれ
われは国の組織は本性上そのような人々から成立つと主張するのだから。そして国々においてこれらの人々は国民のう
ちでまた最も安定している(中略)。というのは或る人々が非常に多くのものを所有しているのに、他の或る人々は何一
一
章
目
)
。
つ所有していないところでは、極端な民主制か生粋の寡頭制か或はこの両方の極端なものを通じて借主制かが生じてく
るからである﹂ (四巻
アリストテレスは、第五巻の国制の崩壊と保全を論ずる部分で、プラトン流の画一的な単線的な国制変遷論ではなく、
複雑で交錯した変遷の多様な姿を描き、たとえば、倦主制の保全について後世のマキアヴェリ顔負けの議論を展開する
などしている。その第一章の総論的部分で、内乱原因に国家構成各部分の不平等感、すなわち、平等への欲求があると
し、そこでいう平等には、﹁二種類ある、すなわち一つは数におりるそれであり、他の一つは値打ちに応じたそれである﹂
としている。アリストテレスは、プラトンと異なり、大衆である多数者をかなり高く評価している点に特色がある。﹁多
数は、その一人一人としてみれば大した人間ではないが、それでも一しょに寄り集まれば、一人一人としてではなく、寄
り集まったものとしては、少数者よりも優れた者でありうるのだ﹂(三巻一一艶)とし、﹁大衆が一そう重大なことの主権
者であるのは正当なことである。何故なら民会も評議会も裁判所も多数の者からできている上に、 それら多数の者凡て
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論
(問)
削}
の財産評価は重い役に一人で或は少数の者でついている人々よりも多いからである﹂(三巻一一章)とし、﹁多数者は一
A
しょにして少数者と比べられると、より強い力であり、より富裕であり、より善くある﹂(三巻一三章)とし、﹁国は多数
のものからできていて、皆が持寄った宴会がただ一人の単純な食卓よりは立派である程度に個々の人より優れているの
である。このゆえにまた大衆の場合どのような一人よりも善く判断するのである。そのうえ、多数は一そう腐敗し難い
ものである﹂(三巻一五章)とするのがその例である。他方で、しかし、理想国家を論ずる第七巻の第九章においては、
士農工商的な身分観に立って、士のうちの年長者に国政の中心の審議的役割、その年少者に戦士的役割を付与している。
ここでは、プラトン流のエリート支配がみられる(なお、ソクラテス自身がそうであったように、ギリシア社会では優
一方において、多数者の求める数の平等の論理と、他方において、少数者の求める価値
秀な戦士であることと哲学者であることは両立したばかりか、実例も多かった)。
そこで、 アリストテレスは
の平等の論理とを調整するために、制度上実にこみ入った、公務の配分、公務担当への経済的思恵と負担、担当者選出
におけるくじ引き (民主制的手段)と選挙(優秀者 H貴族制的手段)、任期・重任等々の組み合わせによる諸制度を提示
している。ギリシア世界の一五八にもおよぶポリスの比較憲法研究の産物とはいえ、政治社会であるポリスの経済的・
社会的(同時に政治的、宗教的)構造と、国家諸制度からなる国制ポリ lテイアーのあり方の適合性の探究のもつ現実
的迫力は、後世のものをはるかにこえているといって過言でないように思われる。それだけ、ギリシア(とくにアテネ)
︹山川d
における社会内の政治的対立の深刻さと政情ただならぬ国制の激変が背景にある。人民大衆の中に天命をみる孟子と異
なり、アリストテレスは、中間的な中産階級の支配する社会と、これに適合的な中間的な国制を実際的見地から最善の
ものとし、中産階級に普遍的な理性の担い手を求めた。これは普遍的身分たる公務員を中産階級が占めるべきものとす
るへ lゲルの考え(﹃法哲学﹄二九七節など)などにつらなっているといえよう。
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キーウィタースとレース・プープリカ
あとがき
複数のコモンウェルス
ホップズに関する別稿で多数のコモンウエルスが離合集散を重ねつつ統合していく過
程において、複数のコモンウエルスが一つのコモンウエルスとなることがのべられた。 いずれの地域においても統治体
は長い歴史の中で減少を重ねてきたものとすれば、通常の姿といえよう。今日の民族問題の多くの原因がここに求めら
ロックは、国家の歴史の初期段階における自然の父の父権的支配は、複数の家族が連合した場合には、とうぜ
れる。このような統合の過程において統治団体としての目的・機能の純化が進められたのではないかと推測される。た
とえば
へlゲルなどにみられるゾレンとしての真の国家とは区別されたザインとしての国家が、同時代にお
ん自然の父たる者が複数だから、そのうち戦争の指揮者として優秀な者がみんなによって選ばれたであろうとしている。
キケロ、 ロック、
ける国家の堕落形態ないし未完成状態であるばかりでなく、しばしば、歴史的に前の時代には国家とみなされたもので
へlゲルなどにとって
あることも、歴史的過程における統合が、現実の国家をして、価値評価基準としての国家の完成体に近づける契機となっ
ていること (逆にいうと、同時代におけるあるべき国家の不在をなげくキケロ、 マキアヴェリ、
は、完成体の歴史的将来における回復、実現の夢を描くことになる)をしめしているように思われる。たとえていえば、
暴力団も系列化が進展すると、最上部組織は、暴力的機能を失ない、管理的機能に純化するようなものである。このた
とえ話は適切さを欠くようであるが、キケロ ﹃国家論﹄(一一一巻一四節)やアウグスティヌス﹃神の国﹄(四巻四章)に登
一O万人
場するアレキサンダ l大王と海賊との対話、十字軍、アフリカ・北米・中南米大陸、植民地支配等の歴史などからして、
必ずしも不適切とはいえないであろう。今日においても一 O人単位で人を殺せば人殺しとして処刑されるが、
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32η2373
四
説
論
単位で人を殺せば英雄あつかいをうけることにかわりはない。それだけに、国家を社会と制度の両側面からいかに構成
一部の利益ではなく、全体の利益(公共の福祉)につかえるものとするかは、永遠の課題であるといわなければな
国家の目的・機能を純化する過程において、 と く に ヨ ー ロ ッ パ 世 界 に お い て は 、 異 質
と
わが国の現状はどうか。プラトンの基準によると、 わ が 国 は 幸 い に し て 、 軍 人 や
軍需産業といった気概的部分すなわち軍事的エリートが支配している大国ではなさそうである。しかし、 どうやら、欲
わが国はコモンウェルスか
準備の時聞をはるかにこえることであるため、将来の課題とするほかない。
マルシリウムの用語例などについても、このような歴史を抜きには論ずることはできない。これは現在の自分の能力と
(同)
げ た キ l ウィタ 1 スと同義語であるとされることの多いポプルス(℃。℃己5
) の意義についても、たとえば、パドヴァの
ネツィア共和国の一千年﹄、﹃わが友マキアヴエツリ﹄、﹃神の代理人﹄などの歴史小説に活写されている。本稿でとりあ
帝権、俗世の王権、 イタリアの都市国家、 オ リ エ ン ト 諸 国 家 な ど の 聞 の 確 執 は 、 塩 野 七 生 氏 の ﹃ 海 の 都 の 物 語 │ │ ヴ エ
をとって血を流すことをいとわない、 と き と し て 血 に 飢 え た 正 義 の 狂 気 を 体 現 す る も の と し て あ ら わ れ た 。 教 皇 権 と 皇
はずであったが、歴史の現実においては、土地、領土、社会を支配し、最もすさまじい物欲を体現するとともに、武器
アウグスティヌス ﹃神の国﹄ の名称キ l ウィタi ス か ら も う か が わ れ る よ う に 、 元 来 、 魂 の 内 面 の 世 界 の み を 支 配 す る
く に キ リ ス ト 教 の コ モ ン ウ ェ ル ス (ホップズ﹃リヴアイアサン﹄第三部参照) である。 キリスト教会は、 さきにふれた
のコモンウェルスの存在とこれとの角逐が大きな役割をはたしているように思われる。異質のコモンウェルスとは、
異質のコモンウエルス
らない。
し
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キーウィタースとレース・プーブリカ
望的部分である経済的エリ!トの支配している国のようである。
へ1ゲルの期待する普遍的身分として理性を体現する
役割を公務員がはたしているかどうかはあやしい。 ロ ッ ク の い う 神 の 命 令 た る 財 産 権 の 自 然 法 的 制 約 は 無 視 さ れ 、 人 類
共同の資産である自然は破壊するにまかされている。 ロ ッ ク の 基 準 か ら す る と 、 今 日 の 財 産 権 の 行 使 は そ の 正 当 性 の 限
界をはるかにこえている。 ロックの政治社会(国家) の存在理由は自然法執行権の確実かつ公平な行使のためにこそあ
一部の利益につかえているのであっ
る。ところが、 わが国で、業・省・族(関係業界、関係省庁、関係族議員一体となった省庁タテ割りセクショナリズム)
体質がいわれている。 かりに、これが事実とするならば、立法府、行政府ともに、
て、全体の利益(公共の福祉) につかえていないことになる。そのような国家は、 レース・プ lブリカ (レ!ス・ポプ
L
を形成し、それが群れ集まった村落共同体を形成し、経済
リ)とはいえないし、 コモン・ウエルスともいうことはできない。国家社会ならぬ顛倒した会社家園、会社をはじめと
する各種法人、各省庁などが、それぞれ大家族的な﹁一家
へlゲルにせよ、これ
的充足のみを求めて狂奔する状態にある。精神的世界もまた、会社広告費の支えるマスコミに支配され、習俗ならぬ気
ままにゆれ動く都会の風俗が文化の名を倦称して俳個している。キケロにせよ、 ロックにせよ、
このような現状の原因は学問の世界にある。 かりに、学聞がプラトンの言う理性的部
J
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を国家とよぶことはしないであろう。
学問のコモンウェルス
や
社会さらに国家などを分析検討するに十分な道易概念や理論体系を手にしているのかどうかが疑問代ある。たとえば、近
代や国家というコトパによって、 われわれは伺を知り、何を理解することができているのであろうか。
されたブルジョア市民社会と解する戦後派の有力な潮流の評価を別としても、そもそも、われわれは、西欧世界や近代
分を育てるものであるならば。石川教授が反発を感じておられるようにみうけられる、ロックの市民社会を国家と区別
四
説
E
命
学界自体が、家共同体か、よくて、その連合体たる村共同体の状態にあるのではないか。自由・平等な市民からなる
キ l ウィタ l ス が 、 全 体 の 財 産 と な る べ き 業 績 を あ げ て い る の で あ ろ う か 。 か え り み て 、 不 安 は 大 き い 。
筆 者 が 北 大 法 学 部 に 奉 職 し て 得 た 最 大 の 学 問 的 刺 激 の 一 つ は 、 国 際 的 な 学 問 の レ l ス ・ プiブ リ カ で 活 躍 さ れ る 石 川
教授を通じて、同教授をふくむ内外の第一級の法制史研究者を直接・間接に相知る機会を得たことである。石川教授が
(川)
印)並木をシンボルとするわが学園を去られるに際し、ったない小稿によって、深甚の謝意を
ポプラ(句。1R ︿ 匂 凡MUZZ
表わしたい。
R
a
w
-
(1) 北大法学論集三六巻一・二合併号(富田教授追悼記念特集)四三五頁以下。
(2)
吋
ロntoロ白ロ己 ZC円
B
σ ユ己閃巾
吋吋巾白色印巾由。向。。︿巾円ロヨ巾ELM門回一定己巧RV白
。
∞ σ山、司巾門巾吋戸田氏2F(U白
C
﹄
F
2
F
o
n
r
p
ロ Eqo己
4
5
由∞∞(洋書刊行年度は筆者所蔵本の刊行年度。以下同じ。ただし、マクファlソンのは学部所蔵本)。
CE︿巾﹃印日々司
(3) 以下、本稿において、邦訳としてこれを用いる。ただし、誤訳ないし不適説な訳と恩われるところについては、括弧内に
筆者の試訳をしめしておいた。
(4) のちにしめすように、むしろ、ロックがアリストテレス以来の伝統にしたがっているためだと解すべきであろうと思われ
ヲ
。
。
(5) 前掲四四八頁、四五八頁注(必)参照。
(
6
) 福田歓一﹃近代政治原理成立史序説﹄(一九七一年、岩波書庖)四三八頁以下。
(7) 、
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において、ホップズの引用は、拙稿﹁戦争と平和の法l│ホップズの自然状態について││﹂北大法学論集四O巻五・六合
併号上巻一頁以下(以下﹁別稿﹂と略称)同様に、英語全集版(開口m
谷垣RW印)により、邦訳は、水田洋・田中浩訳の河
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出書房新社版による。
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以上のうち、マンプレー
ト・リ lデル﹃市民社会の概念史﹄河上倫逸・常俊宗コ一郎編訳こ九九O年、以文社)の形で邦訳されている。
(日)このほか、リlデルのへ lゲル﹃法哲学﹄解釈を知るのに使利な邦訳として、リlデル著﹃へ 1ゲルにおける市民社会と
国家﹄池田貞夫・平野英一訳(一九八五年、未来社)がある。
(
H
) 前掲書一二八頁。
(日)前掲書一二九頁。
(凶)前掲書一五二頁。
(口)前掲書一六七頁。
(凶)前掲書一五三頁。
(四﹀前掲蓄一一八頁などで、学校哲学と訳されている。また、前注(日)の邦訳では講壇哲学の訳語がみられる(九、一一、二
-一、二三頁など)。
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が、しかし、前掲書一四一頁が﹁中世の学校哲学﹂(庄町 55巾
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m。℃庄巾)としているのは疑問である。
﹁
巾
(却)前掲書二九│一二O頁
。
(紅)前掲書一一一頁にも、寸一六・一七世紀において、マキアヴェリ、ボ!ダン、ホップズ以来国家学は、政治的に組織されて
いるソキエタス・キヴィリスからの近代国家の解放と撲を一にして、おのれを古い政治学から解放して、その結果一八世紀
におげる自然法と国家学の対立がもたらされうることとなった﹂とされている。
(泣)の・項目り出品巾foEE-EB門同日早丘。印CZぽ仏gHN275wY22括持各自︿。ロ ]OEロロ巾凹出O民BmER-z- なお、へー
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其の方法と体系││﹄平野秩夫訳(一九六三年、勤草書房)一七七頁参照。
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キケロの﹃国家論﹄はロックはごく一部間接的にしか読んでいない。
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③政治は信託であり、受託者の利益ではなく、信託者の利益のために行われなければならない。ロσ。民
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④人類共通の鮮として神の命令である自然法があり、他人を害する者は自然法に違反し、人聞社会の紳を破るものである。
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)・キケロは、‘フルートゥスにカエサル暗殺をあおっている。カエサル暗殺の黒幕といわれる。
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観念﹄訳者代表飯島昇蔵・千葉真ご九八七年、行人社)七七頁以下もほぼ同旨。このような理解に対して、ロック﹃自然
法論﹄ H前注(訪)の編集者・注釈者であるライデンの序論では、自然法第六論文から、ロックを基本的に主意主義者とし、
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イデンをして、ロックの主理主義的修正をいわせる一理由をなしている。しかし、ロックは、他方で、自然法第一論文で、﹁自
然法が理性によって知られうるということから、必ずしもとうぜんには、万人に知られているということにはならない﹂ど
し FRW巾・。匂・巳? 3・
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lロ品)、﹃国政二論﹄第二編第一二四節にも、﹁自然法はすべての理性ある被造物にとって、明白
でありまた理解し得るものであるが、しかぶ人々は自分の利益から偏見をもち、また自然法の研究をしていないため無智で
あって、自然法を、彼ら自身にも適用すべき拘束力ある法としては認めない傾向があるしとしている。
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ホップズとロックにおける政府解体論の差異を比較している。巧gD-F巾
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なお、タリーによれば、一七世紀とくにピューリタンの文献で﹁労働﹂とは﹁行為﹂(白22ロ)をさし(丘 ﹀・月白宮口可EEZ山宮吋巾白昆可。-一昨日門的wnoE巾]]己包括35、司525gw 匂
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C中村元・後掲室百二O七頁参照)、ロックの財産権そのものが、
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という語に由来するものか、印巾ヨ同月すなわち、救うという語に由来するものであるかについては、わたくしは、文法学
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しかし、この説に異論があることは、
つぎのホップズの言葉からうかがわれる。なお、当(い・の5 2巾
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C一口・門町・出。σσgwTE担任白P 匂HS・邦訳第二部第二O章二ニ五頁。﹁召使という語は、(それが凹qiz すなわち、仕える
者たちの議論にゆだねるご。ちなみに、 D ・H ・ローレンスとの関係でも知られるウィクリ!の﹃ことばのロマンス。英語
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の語源 L (寺津芳雄・出淵博訳、岩波文庫)二一O 二頁の説は、フランス語の R 2町説。
(幻)常行敏夫﹃市民革命前夜のイギリス社会ーーーピュ lリタニズムの社会経済史││﹄(一九九O年、岩波書庖)一一一O頁。な
お、キ1 ス・ライトソン守イギリス社会史一五八O 一六八O
L 中 野 忠 訳 二 九 九 一 年 、 リ プ ロ ポ lト)二五三頁以下、二五
九頁以下参照。
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(時)この部分の邦訳は、。5 0同
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2ぽについて、鵜飼訳にか守きらず、﹁社会の限界(わく)の外で﹂と訳す
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のが一般的である。中央公論社版・世界の名著幻大槻春彦編集﹃ロック・ヒュ 1ム﹄(宮川透訳二二三頁)、
ソン﹃所有的個人主義の政治理論﹄藤野渉・将積茂・瀬沼長一郎訳ご九八O年、合同出版)二三七、二五八、二六O頁が
oロロ骨といえば、﹁限界の外﹂であり、拘束からの解放という印象を与える。
その例。たしかに、一般的に、。E O同吾巾 σ
しかし、この場合の岳町 σ
ozE由民 ω0225 は、少し前の第四五節の文章(応括的2 R回一円OBEE-丘g おE E S巾∞。ロロ告
。同任包円門出印巴ロ円庁、同qユZユ巾印)が明示するように、﹁国家領土﹂のことであり、。三丘は、その原義(同554司正己ロ)にし
たがって、﹁国家領土の外側﹂ではなく、逆に、正に、寸国家領土が存在することそれ自体にもとづいて﹂というふうに、根
拠ないし原因をさす用法のものと解釈すべきではないかと考える。そう解さないと、つぎに続く二つの文章(とくに土地所
有が実定諸制度によって定められるとする文章)、第四五節をはじめ、本文に引いた他の部分と平灰が合わないように思われ
ン・ダン﹃ジョン・ロック││信仰・哲学・政治﹄加藤節訳(一九八七年岩波書庖)六七│六八頁。なお、タリーによれば、
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る。ただし、マクファ lソンは、この部分の同意を自然状態のものとしている行・∞・呂田GF28ロ
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説
論
と略称
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一三八頁。また、前五・四世紀のアテネは、一八世紀以降のイギリス、一九世紀以降のドイツと同様の資本主義
BEER己ぴ日NFE-ω205F 円
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巾σ 邑
∞N
5品・プラトン著﹃国家﹄(藤沢令夫訳、岩波文庫 U以下﹁邦訳
岡
山
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のきざしの下にあったとする少数説がある。 ω・冨巾
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- JERWさ巾]}昌也H・円)匂H
g
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- 円)・口同に孫引きされている
肘
己
EE 冨42 の説。さらに、ローマについて、弓削達・後掲書五六頁に引用のロストフツェク説参照。なお、タリ lは、ロッ
クの第八五節で使用人が売るのが労働ではなく、サービスであることを指摘し、一八世紀後半まで、イギリスの雇用労働者
-w
は、労働を売ったのではなく、その産物であるサービスを売ったとしている。吋ロ}]予 O日
)
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円
一
昨 匂
七-E戸E0・
-NElN呂田中正司﹃増補ジョン・ロック研究﹄(一九七七年、ミネルヴァ書房)二七六頁。
(臼)(い切呂田告げ巾叶印。
門
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)
ちなみに、タリ l(ベ
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ロFCHvn一円・)は、ロックの財産権がイギリスのコモンをモデルとしたものであり(七℃ H
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)、
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-w
個人の財産権は神の財産、家族の財産の享受にすぎず(℃℃・己品温ロω
lE品)、その論敵フィルマ!のそれが無制約の私的財産
権であったのに対し、グロティウスやプ l フエンドルフにくらべても制約の大きなものだったとしている G E∞
)
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印
)ZSZ印咽円雪山田岳山P 3・ECEN・邦訳第一部第一五章一 O 三│一 O 四頁。
(伺)出。
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- 5吋邦訳第二部第一七章一一五頁。
巾
・
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(訂)出。σ
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(伺)目。σσguF巾丘三
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)・5∞・邦訳第二部第一七章一一五頁。
(
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) ただし、前注(臼)参照。
(叩)図。 巾タ円2
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- 匂 ∞印巾門凹邦訳第二部第二O章一三二頁以下。
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してきたことはみとめている。日)円yE叶出品∞・邦訳第四巻第四五章四四一頁。
(日)別稿六二頁注(剖)。なお、ロックの明示の同意と黙示の同意の区別について、前者は土地所有者、後者は土地なき者に妥
当するのか、あるいは土地所有者についてのみ両者が問題となるのかなど、議論があるが、ここでは立入らない。広℃巾凶
北法 4
1(5~6 ・ 342) 2
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8
キーウィタースとレース・プーブリカ
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向
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(町一一回。σσ2・
F255出
5吋回目由・邦訳第二部第一七章一一五頁、同第一八章一一六頁。なお、ホップズによれば、﹁群衆
puu・
が、一人の人閉または人格によって代表されるときに、もしそれが、その群衆のうちの各人の同意によって行われるならば、
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その群衆は一つの人格にされる﹂(国各σ2 F2一
)
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・
・
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(河)今日の主権概念はロックには存在しない(当・同g
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とっている(円ア︺戸甲山口E戸。七
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) ためであるが、いま一つは、個人の所有権と政府の政治権力とが明確
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に区別されずに混乱しているためである(円
ガフ・前掲書一 O 二│一 O 三頁)。また、一七世紀中葉には主権国家自体が新しい
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現象であり(の・句R4・。℃n
-了間)・2
) ロックの主権者たる人民は共同体をさした(刀・句。ロp ﹄F2r巾〆わ Oロロ8zoロ 丘
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(花)出
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円
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・ 50・邦訳第二部第一八章一一六頁。
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2∞・)か、
FgPEEn- 。℃・円一f u・
自然法が先(﹄・寸三-FC℃・巳?℃・8
) かの議論があり、つぎに'自然法の制約の程度の議論 H前注(臼)があり、さらに、実
定法との関係で、コモンウェルスが存続するかぎり、実定法が絶対で、絶対的に服従せざるを得ないとする(当・関
S
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-告
ロ
) か、それほど、極端ではないとみる(の・句同弓・ 0℃・巳?匂S・S- 話
己門ニ℃U・
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N由一ガフ・前掲書三二、四
・ 5品
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七、四八、五O、二二O頁)かの議論があり、これらの諸議論が相互に錯綜している。
(位)因。σ宮田wF2-丘町田P 同
N戸 ωお 邦 訳 第 二 部 第 二 六 章 一 九O頁、同第三一章二三三頁。
省(出)別稿二三、三五│三六頁参照。
岨
同
(制)図。σσ2 F25吾
白PE-HSiH吋。,邦訳第二部第一八章二三一頁。
・
(部)国各宮田-F2EBB- 匂
UHEl呂町・邦訳第二部第二O章一三九頁。
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匂七 頁 以 下 参 照 。 な お 、 ロ ッ ク が よ く 引 用 し て い る フ ツ カ lは当時の代表的アリストテレス主義者だった。
同)
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と規範上の政府(号﹄zzmO2552円)とを区別して、父権的君主制や絶対君主制はロックの理論では前者にあたるとし G・
5g ま た 、 名 誉 革 命 直 後 の イ ギ リ ス で 事 実 上 の 政 府 を 規 範 上 の 政 府 に 転 換 す る に は 何 が 必 要 で あ る か が ホ ッ ト な イ シ ュ ー
だったとしている 6・
5
H
)。また、ロックに先立つシェイクスピアの時代の後進国イギリスで、レース・プlブリカ論議が
盛んであったことについては、塚田富治﹃カメレオン精神の誕生│I徳の政治からマキアヴェリズムへ││﹄(一九九一年、
m
g 司ロ豆片山)の定義も規範的な
平凡社)が豊富な資料にもとづいて興味深く描いている。なお、後述のキケロの国家 (
価値判断の色彩の濃いものであって、現実性の乏しいことが、アウグスティヌスの批判のまととなっている。え出巾号mユ﹀同)同
L
田中正司・平野歌責任編集﹃ジョン・ロック
E
n色白ロ仏 ω。己目-E巾同団。同 ω円・﹀C
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巾EP 、吋げ巾句。]
H
H∞H
m古川出江口mw )
∞との継続性を肯定)する見解が少くない。とくに初
(的)ロックの理論の基本的部分について、その独創性を否定(伝統的思・
考
期思想についてよく指摘がみられる(例、友岡敏明﹁初期ロックの思想形成
︻
研究﹄(一九八O年、御茶の水書房)一二O頁、吉浜精一郎寸ロックにおける自然法の問題﹂同上書二ハ一頁)が、その全体
についても、各人の自然法執行権はグロテイウスの主張であり(吋日}pcunFuu-Blg唱話)、信託の概念は一七世紀に
一般的で中世の政治思想の常套語だったとし(ガフ・前掲書一六五│二ハ六、一七三、二O 五頁)、ロックは、伝統に対して
何も新しいものがなく、ただ、伝統をうまく要約したとし、(戸間V
R弓wO)
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があり、政治哲学者たるホップズに対して
ンの主権理論と同一だとする(出甲山口E戸
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-なお、マキアヴェリの乱立。の用語例については、河口邸内]句ユ円少﹀古℃巾ロ仏皮切さ吋宮司ユロ2 ・℃℃呂ωEAH・
キ ケ ロ に よ る 三 三5 の定義については、 C23w ロ巾。呂丘町w 戸印(口)・三35H1525 匂
32S525HZ580 問
団己目)巾ユ。吋即日比ロミ・これらキケロのヴイルトゥスやマキァべりのヴイルトゥ 1が、イギリスでは刀己主一円三円吉町ないし匂
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呂町広巾己口町田由と訳されたことについては、。己巾一口昨日ロ ωE口
口
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巾
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巾
円
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ロσロ
円
白
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ω ・また、目的達成がかえって逆の効果を生む原因となるとするファ 1ガソンの説は、頼山陽の﹁勢 L
自己河岳ロσロ
m
g
w ω
・
}
同
の説を想起させる。頼
山陽・前掲書四六頁。これは、ヴイルトゥ i (三江口)と並んで、マキァヴェリの著作の基調となって
いるフォルトゥ lナQ2Z口出)を思わせる面もあるが、マキアヴェリは、周知のとおり、フォルトゥ lナはわれわれの半分
w
しか支配せず、﹁フォルトゥ lナは女だから、コントロールしたけりゃ手荒にとりあっかう必要がある﹂(吋﹃巾司江口 nphE
白U,
R円MM︿wU匂
g
w ∞吋)とし、強者はフォルトゥ lナを支配し(ロ22RmgNs
H
) 2Hムロ)、勇気と準備がフォルトゥ l
・匂
E
N
) とするなど、運命に果敢に挑戦する人間・
ナを支配する(盟問。ロ門的巾印 ω
ω
N・匂像が描かれている(同旨、佐々木毅﹃マ
キアヴエツリの政治思想﹄一九七O年、岩波書底六O l六一頁。なお、
・ヶ lギ﹃世界年代記。中世以来の歴史記述の基
印
巾
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円
︿
・
wH25仏口三一。pv内
本 形 態 ﹄ 坂 井 直 芳 訳 こ 九 九O年、みすず書一房)三二一ーー六二頁参照)。これに対して、頼山陽の﹁勢﹂は、基本的には逆らえ
ないもので、大勢をよく見極めて、あやまりなく対処することが要求されている。なお、塩野七生・前掲書三五二頁は、ヴィ
ルトゥ l、フォルトゥ!ナと並んで、ネチェシタ(ロ2mg昨帥)をあげて、この時代の要請こそが﹃君主論﹄執筆の動機とさ
れている。
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とがある。国家をさす語として、このほか、℃同EPEE白
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下のキケロの引用は、仏訳、独訳、英訳の各版のいちいちの頁数の表示を紙面節約上省略し、巻と節を本文括弧内に注記す
ることにとどめる。
のコンスルの一人。この人については、守プルタ!ク英雄伝﹄(河野与一訳、岩波文庫)第二分冊四九頁以下参照。また、ヵ
(
凶) H前注(却)の⑦参照。
(印)ル lキウス・ュ l ニウス・ブル 1トゥス(門口町一gEEE ∞日吉田)のこと。王政をたおし、ローマ共和政を樹立し、最初
エサルを暗殺したブル lトゥスの先祖にあたるといわれているが、それについては、同上書・第一一分冊二三O頁参照。な
お、右の王制をたおすきっかけとなったルクレ lティア暴行・自殺事件については、周知のとおり、アウグスティヌス﹃神
の国﹄第一巻第一九章が論じている。また、マキアヴェリ﹃リウィウス論﹄でも、右のユ l ニウス・ブル lトゥスをロ l マ
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の自由の父とよんでいる。冨RE2巳-rER232ω-rNH
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g--Y ℃・ぉω・キケロは、この。フ
下 ) は 、 第 て 第 二 の プ ル lトゥスを引き合いに出して同時代人をあおっている。
ルートゥスを引き合いに出して、若き友人マルクス・ブル lトゥスをしきりにあおったわけである。わ}
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・312・さらに、キケロの心酔者の一人であるペトラルカ(近藤恒一編訳﹃ルネサンス書簡集﹄岩波文庫一七六頁以
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(印)一部にレース・ポプリの直訳がふくまれる。
(問)なお、﹃法律論﹄(仏訳版)では、レース・プ lブリカが五二回、キlウィタ1 スが四二回、﹃義務論﹄(英訳版)では、レー
ンなどにみられたパルパロイが存在しないことが注目される。ミヒヤエル・ラントマン﹃哲学的人間学﹄谷口茂訳(一九九
ス・プ lプリカが一一 O回、キlウィタl スが二三回、それぞれ登場する。とくにきわだった特色をもつものはのちにとり
包28222wno旦ロロntoZBEES-FOB-ロロ自由。門町gp
あげる。この両著に特徴的なことは、人聞社会をさす言葉 (EE吋
町SFF。
gEcgn8E-FOB-ロロヨ 255zER巴巾)、が頻出することである。そこには、プラト
zロぞ句包閃巾ロ巾吋{田町ロ自白2 8丘
一年、思索社)二五 1四七、とくに三五頁参照。
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ウィタl スはロ l マ都市国家、レース・プ lブリカは、属州温
(問)キケロの﹃義務論﹄におけるキlウィタl スの用語例にも、これがレ l ス・プ 1プリカをはじめ、国家をさすものよりも
小さい単位をあらわすものがある。第一に、人聞社会を親密の度合いに応じて分類する部分で、①同一のキ lウィタ 1 ス内
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の市民相互間、②近親者相互間(由 ぽg r胃喜一E525)、③友人相互間(町田円訂正EzggE52一)、④最後に最高のもの
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Eg)。第二に、取引関係における信義を論ずる部分
として祖国(叶虫匂ロ豆一円白)への愛をあげているo U
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で、人聞社会の紳は、同一国家(巾
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gm巾ロ江田)に属する者相互間においてよ小緊密であり、同一キlウィタi ス(巾宮山号ヨ
巳三百民間)に属する者相互間においてさらにより緊密であるとし、キlウィタl スがゲンス(拘巾ロ印)より小さいことをしめし
ている(ただし、 mgm にも小部族をさす用法がある )OU
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)・第三に、ル lキウス・スラが複数のキ 1
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5 0同同町巾∞昌一同己門町内噌同)・ 5︼)・ごく簡単にいえば、ローマ帝国は、ロ l マを中心とする複数の
都市国家(丘三円山田)の連合体としての性格をもっ。そこで、たとえば、右の第二の紹介部分につづいて、キケロが、イウス・
キウィ i レ (
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5 丘三ぽ)は、イウス・ゲンティウム (-C印mg巴ロヨ)とはかぎられないが、イウス・ゲンティウムはとうぜ
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マ帝国共通法としてのそれに発展したともいわれているから、これらの用語が伺をさすかについては、前後の文脈とともに
ウス・キウィ!レはロ l マ帝国国法をさすことになる。しかし、イウス・ゲンティウムをロ l マ帝国共通法をさすものと解
すれば、イウス・キウィ l レは帝国内の諸都市国家法をさすことになる。ローマ都市国家法たるイウス・キウィ 1 レが、ロー
時代の確定が必要だといえよう。なお、くわしくは、石川真人﹁法曹法の歴史的基礎づけ同 │llエl ルリツヒの法源論l │ ﹂
に、キ1ウィタi スが、中世において国家よりも規模の小さい都市国家ないし都市共同体をさす用語例は、イタリアについ
北大法学論集四一巻四号三頁以下参照。また、キケロの生まれと法にもとづく二つの祖国参照。ロ巾 F
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二O 八頁参照。なお、キ lウィタ 1 スなどの語源について、門戸
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てもドイツについてもみられる。イタリアについて、-宍国 込
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0・ドイツについて、 E-ヴェルナl著﹃中世の国家と教
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会。カノツサからウォルムスへ。一 O七七l 一一二二﹄瀬原義生訳ご九九一年、未来社)五七、五八、六五、六七、一 Oコ
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一九八三年、創文社)四五頁。
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(国)カエサル著﹃ガリア戦記﹄近山金次訳(岩波文庫)二五頁。同州出g
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い人民の統合体(ロZXBH855551) と固有の政治社会である国家(門2℃
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とが区別され、その区別の基準にキケロの理論(﹄ロ江田口 Oロお自己)が使われ G・
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- 邦訳九一頁)、しかも、ロックの抵抗権
論ばかりか国家論の全体はロ lソンの主権理論と同一だとされている G・
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- 邦訳一二七頁)。
年
、 教文館) 四九七頁以下、
L ﹃アウグスティヌス著作集日﹄(一九八O
七頁以下参照。
(即)前注(氾)の諸文献のほか、赤木善光﹁解説
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∞、日本放送出版協会)八五一 O七頁(堀米庸三寸グレゴリウス改革﹂)、 A ・フリシュ著﹃叙任権闘争﹄野口洋二訳(一
年
九八一年、創文社歴史叢室百)、パコ 1著の﹃テオクラシ│││中世の教会と権力││﹄坂口昂吉・鷲見誠一訳こ九八五年、
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創文社歴史叢書)、ハスキンズ著﹃十二世紀ルネサンス﹄野口洋二訳(一九八五年、創文社)一七一│一九七頁、 J ・
イクネル﹃キリスト教の伝統的形成者﹄高久真一訳(一九八三年、木鐸社)六三│七回頁、 G-デンツラ l編著﹃教会と因
子相沢好則監訳ご九八五年、新教出版社)七七│九八頁(カルロ・ゼルヴァツイス﹁中世における教会と国家││カノツ
、鷲見誠一﹁支配原理としての中世ロ 1 マ教皇制││庇種と着生│l﹂(慶応義塾大学)法学研究六二巻ご九八
サへの道 L)
九年)一 O号一ーー五O頁、ルイス・ J ・レツカイ﹃シト1会修道院﹄朝倉文一・函館トラピスチヌ訳ご九八九年、平凡社)
一二頁以下、一二七頁以下、三六五頁以下等、 E、ヴェルナ l著﹃中世の国家と教会。ヵノツサからウォルムスへ、一 O七
七一一二二﹄瀬原義生訳こ九九一年、未来社)、佐藤伊久男・松本宣郎共編﹃歴史における宗教と国家﹄(一九九O年、南
、アシル・リュシェ lル﹃フランス中世の世界。フィリッ
窓社)二四三頁以下(関口武彦﹁一二ニO年のシスマと枢機卿団 L)
プ Hオlギユストの時代﹄木村尚三郎監訳・福本直之訳(一九九O年、東京書籍)第一章│第八章、 M ・
D-ノウルズ他著・
上智大学中世思想研究所編訳・監修﹃キリスト教史 3 ・中世キリスト教の成立﹄(一九九O年、講談社)一一二二頁以下等参照。
アウグスティヌスにおいて天上のキ 1ウィタ lスであったはずの教会は、右の諸文献がとりあげるグレゴリウス(七世)改
革とカノッサへの道に象徴される一一世紀には、すでにキリスト教のコモンウエルスたるロ l マ教皇権国家として地上の
レース・プ lプリカとなり(在位八七二│八八二年の教皇ヨハネス八世のとき足∞吉
江田広告白という言葉が登場す
る。鷲見誠一・前掲論文八頁)、世俗国家の国王達のキリスト教目的からする適格性を判断する権限を行使する (UR-n門 戸
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品C
2HW8H) とともに、みずから、地上の国家として、皇帝、諸候、諸都市国家等と血躍く相
田cp 。
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円
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円
℃、聖俗の二つの剣が戦った。この戦いの中から、世俗の剣、すなわち、国家権力の近代的基礎づげ
争った。そこにおいては
の試みがみられた。このような、ごく大まかな文脈からするとき、たとえば、﹁王権神授説 Lという言葉を、神がかり的な古
色蒼然たる理論として、人民主権論と対立するものとみるのは、とんでもない誤解であることがある。かりに、この﹁王権
神授説﹂が、宇宙の森羅万象すべて神の被造物であり、地上の政治的権威も神の目的につかえるものである点に基礎づけら
れるというキリスト教世界の共通認識を基本的前提としたうえで、政治的権威の基礎づけに、ペトロの後継者たるロ l マ教
北法 4
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キーウィタースとレース・プープリカ
皇権を介在させる方法と介在させない神の直接の授権方式とを区別したときに、後者をさすものとすれば、それは、教皇権
からの世俗国家の自由独立をいみし、ひいては、その構成員全体の人民に政治的権威の基礎づけを求める方向と一致する。
ロックの論敵フィルマ lのパトリアlキアも、このようなロ i マカトリック排除の基本的発想に立つものではないかと恩わ
れるが、ここでは立入るだけの準備がない(斗己ぞ・。七 -n-Fw 5叶﹁フィルマ!のものは新しい起源のもので、ロックの考
匂イギリスでは一七世紀に現われた﹂││ちなみに、前注(招)
えは保守的である。王権神授説は、ヨーロッパでは一六世紀・
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のジヤン・ボダンに関するフランクリンの論文では、一五七二年のサン・パルテルミ l の大虐殺の前後でボダンの説が伝統
的思考から革新的な絶対主権説に激変したとある)。
近代主権国家の成立は、二つの剣の聞の戦いを、一つの剣(世俗の剣)によって収束し、他の剣(聖なる剣)は、数ある
思想(寛容、信教の自由)の一つ(剣ではなく、言葉)として存続させることとなった。ところが、このような世俗的な主
権国家論の代表者であり、右にいうキリスト教世界の共通認識を否定することによってキリスト教世界から嫌悪の的とされ
たとみられているホップズにも、その﹃リヴァイアサン﹄の第三部に寸キリスト教のコモンウェルス﹂が論じられている。な
ぜか。アイゼナツハは、第一部第一 O
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れぞれにちがうものではあるものの、何かしらある共通のものをさしているように思われる。ホップズ﹃リヴァイアサン﹄の
体系に関する別稿以来の宿題については、なお今後の課題としておきたい。
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三 丁 六 O頁、同寸マルシリウス・パドゥアにおけるアリストテレ!ス受容の問題ーーその政治学的考察││﹂法学研究四
三巻一号二三五│二五二頁、同﹁マルシリウス・パドゥアの実定法理念﹂法学研究四八巻九号三一│五九頁、同﹁マルシリ
ウス・パドゥアの自然法思想﹂法学研究五O巻八号一八四五頁、同﹁マルシリウス・パドゥアの神法理念﹂法学研究五一
巻八号一ーー四三頁参照
(即)近年、ポスト・モダンという一言葉がみられるが、モダン(近代)に対する評価はともかく、モダンが存在することを前提と
して、ポスト・モダンを論じている。しかし、古代や中世と区別されるだけの近代が存在するとすること自体が、近代人の
思い上りにすぎないのではないであろうか。世界のごく一部の地域の価値基準をもとにして、近代とか、近代化とか、先進
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国家・後進国家とか、先進地域・後進地域とかを論ずることは、独断と偏見にすぎないのではないか。そもそも一七・一八
世紀西欧世界における近代・古代優劣論争、発展概念による近代概念発見の初期の様子をみても、近代概念はかなりいいか
げんなものでなかったかと思われてならない。歴史が発展したのではなくて、歴史観が変わったのであり、それが思い上り
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によって天空高く舞い上がっているにすぎないのではないかとさえ思われる。ぇ・ハい印ユ戸・切巾n
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物戦争他一編﹄(深町弘三訳、岩波文庫二五九頁以下(書物戦争)参照。ちなみに近代の始期ひとつをとっても説さまざまで、
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早くは一二世紀に始まって今日に及ぶとするものがある(レオ・パレット﹃レンプラントとスピノザ﹄奥山秀美訳・法政大
学出版局三!五頁)が、ベッヵーによると、西欧の一八世紀人は現代人よりも一三世紀人にはるかに近かったという
℃・ω己。なお、宇野哲人・前掲書は、宋初から清末までの約九百五十年を近代とし(二三七頁以下)、中村元著・春日屋伸昌
編訳﹃中村元英文論集2 ・日本思想史﹄(一九八八年、東方出版)は、江戸時代を近代とする(一四六頁以下 ) 0
(胤)あるテレビのクイズ番組で、北大のポプラ並木のポプラの語源は人民をいみするポプルス(七。七三己凹)であると説明されて
いた。しかし、この説は間違いで、たまたま綴りが同じだけだと思われる。ちなみに、キケロは、﹃プルタ lク英雄伝﹄によ
れば、もともと、あだ名で、これを﹁えんどう豆﹂(円w
qunznw宮山)と訳しているものもある(村川堅太郎編訳﹃プルタルコ
ス英雄伝的﹄ちくま文庫二七三頁)。城戸幡太郎によれば、明治末頃、私塾巣園学舎の遠藤校長は、﹁キケロと孟子﹂という
題の講義をしていたという(蝦名賢造﹃遠藤隆士口伝﹄一九八九年、西国書店一二六頁)。筆者同様に、同姓のよしみで、キケ
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キーウィタースとレース・プープリカ
ロに愛着を感じたためではないかと推測するのは、少し失礼であろうか。前注(町)の松陰の﹃講孟別記﹄は、周知のように、
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幽閉の問、同囚を相手に始められた講義の記録で、至誠、人の胸を打つものがある。時代状況から、漢土に対する皇国の特
殊性を強調するあまり、普遍性を欠くうらみがあるものの(なお、中村元・前掲書二三三頁以下、二五九頁以下参照)、古典
が言葉の本来の意味でのラディカル(吋即応
円)をはぐくむ一例のように思われる。ケ l ベル博士の薫陶をうけ
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た右の遠藤隆吉博士には古典学の構想があったそうだが(前掲書二三三頁)、北大百年史によると、法文学部創設期の先人に
は﹁北のアテネ Lたらんとする夢があったという。このような夢をいだいた学部創設期以来の最後のメンバーである石川教
授を送るにあたり、無量の感慨を禁じえない。
重ねて蛇足ながら、本稿の題名をみて、キウイとレタスにパプリカを使った野菜サラダと誤解したご婦人がいた。専門家
の論文からなる本特集号の本格的料理の中にあって、その程度の役割をみたすことができれば、さいわいである。
(補注)本稿=二 O頁ロ行目は誤訳で、正確には寸いかなるキ lウィタ l スも、正義によって服従者(奴隷)たるよりも、
不正義によって支配者(主人)たることを選ばないほどに、おろかではない﹂となる。この部分は、プラトン﹃国家﹄第二巻
のグラウコンの説によく似たアイリスの説を紹介したもので、第三巻全体のキケロの趣旨は、この説を否定するところにあ
ると解されるため、あえて逆の意味となる誤訳のままにしておく。
むゆ
ホップズに関する別稿には、つぎの原稿ミス、誤植、校正ミスがありました。つぎのとおり(括弧内に)、訂正いたします。
全体について、ホップス(ホップズ )06頁5行目、国家レベル(国家間レベル)。叩頁ロ行目、公に向く(公に向く)。日
頁8行目、日頁印行目、同口行目、、 ,
巧(吋者。)。 mw
頁却行目、 u
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頁お行目、ロ巾︿-552E巾)。行頁 8行目、ルソ1 1政治経済論﹂(ルソ lは寸政治経済論 L。
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