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その1(PDF:2802KB)

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その1(PDF:2802KB)
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水郷水都全国会議 滋賀大会
基調講演
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水は社会
∼水の境界と社会的境界はつながっている∼
琵琶湖流入
河川120本
地域自治会
3000地区
ダムだけに頼らない治水政策とは?
ー 時代を先取りする滋賀県の実践から ー
1.はじめに − “近い水” “遠い水”
平成22年10月10日
滋賀県知事 嘉田 由紀子
近い水??遠い水??
地域境界
わかったこと
4
5
“近い水”が生きていた
∼地域生活現場を徹底して歩き、耳を傾けることで∼
水系境界
“近い水”が生きていた時代
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循環と使いまわし、自己管理の時代
人びとが好んで語ってくれたこと
■ 水システム模式図 江戸∼明治中期(昭和30年代まで)
琵琶湖周辺の人びとの暮らしと水とのかかわ
りを湖辺の各地を歩きながら、昭和30−40
年代のちょっと昔の話を徹底して聞き書き。
当事者としての意識、人びとがこだわりをもっ
ていて、今からでも復活したいと思っているの
は水質そのもの以上に水とのかかわりだった
。
つまり問題そのものが属地的、属人的に多様
だった。
そして人びとの願望はハード面の整備にプラ
スして川との関わりの豊かさを求めている。
多種多様な生き物
–
–
「この川にはホタルが顔にあたるくらいたくさんいた」
「ボテジャコがあふれるほどいた」
生活の中で生きていた湖と川
–
–
洪水
洪水
「この川からは風呂水をくんで洗濯をした」
「この川の水は昔は飲めたのに・・・」
子どもたちの遊び場としての水辺
–
–
自警
水防組織
「毎日、川に魚つかみにいった」
「えかい(大きな)ナマズをつかんだことはわすれられん」
小さなコミュニティによる自主的な治水対策と川への愛着
–
–
「大雨のとき、堤防の見回りを自分たちでした」
「堤防直しも自分たちでした。川は私たちのもの」
出典:嘉田由紀子:『環境社会学』、岩波書店、2002、P15
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淀川水系流域委員会とのかかわり
(平成14年∼平成18年)
■ 水システム模式図 平成年代
多目的ダム
「変革」を感じることができた委員会
– 行政は最初は聞き役、基本哲学は委員が提案
(自分たちの度量を試される)。
– 一般委員会は「原案」は行政が提示、修正の困難さをそれまでに経験。
嘉田の主張点:
逆水灌漑
堤防内治水
(1)川と人のかかわりの再生:
「遠い水」から「近い水へ」、「制御・管理論から対話・共感論へ」
(2)地域から学ぶ、普通の暮らしから学ぶ、という視点の導入:
調査研究、モニタリング場面での生活知の尊重、住民の参画
(3)住民と市民の違い: CommunityとAssociation、「物言わぬ住民」は状況でいく
らでも発言する素地をもつ
(4)専門家的業界言語の払拭、暮らし言葉の提案
例:「洪水ポテンシャル低減化委員会」→「洪水に強い地域社会づくり」
(5)「公私二元論」に「公共私」三元論の導入:
例:洪水対処の方法:「自分で守る」「みんなで守る」「社会で守る」
出典:嘉田由紀子:『環境社会学』、岩波書店、2002、P15
(6)「河川レンジャー」(川守り人)制度の提案
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水と人の3種の距離概念
1. 物理的距離
普遍的尺度で計測可能な距離(*キロ、*メートル)、計
測する自然科学的知が前提。
2. 社会的距離
社会関係にひそむ親近性の程度
制度としての社会組織、この距離を縮小することが、社会
参画・自治論とつながる、社会関係性の知が前提。
3. 心理的距離
人が主観的に感じる近さの程度
情報の授受、行動への動機づけ、満足、幸せ感と深くつな
がる共感的知が前提。
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“近い水”から“遠い水”へ
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“近い水”から“遠い水”へ、そして今
第2期:「遠い水」の出現:明治22年町村合併、明
治29年河川法制定、「河道閉じこめ型治水政策」
の拡大、官僚的制御論の登場(水量計測)、地主
制度の拡大、機能別水管理組織の拡大(発電、都
市用水需要)
流域のはん濫特性をしっかりと知っておくこと。
河川管理者として、洪水時に、どこまで大丈夫なのか、どこから溢れるの
か、どこが危険なのか、流域のはん濫特性を科学的にしっかりと押えて
おく。
属地的・属人的情報に基づき、対策を考えること。
被害の原因は、属地的・属人的であり、多様。いつどこでどのように溢れ
、そして人々はどのように振舞ったのかによって、結果は異なるはず。
– 昭和28年13号台風(安曇川決壊 死者13名) 白井さんのお話から
第4期:行き過ぎた「遠い水」への反省と「近い水」
の再生・創生:平成9年河川法改正、「環境」概念
の導入、「住民意見の反映」、河川整備計画、低成
長時代、「超過洪水」の認識、「水需要抑制」、新し
い「流域型治水」の必要性
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近代治水政策の再帰性
• 堤防の穴が放置されていた。
• 河川の砂利採取が十分されず、河床が高かった。
• 戦時に提供したため、そのときに半鐘がなかった。
それゆえ、導き出される対策は、河川によって個性があるはず。治水対
策を考えるとき、画一的な手法で片付けてしまってはいけない。
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近代治水政策の再帰性
∼部分最適の弊害①∼
大規模な河川改修やダム建設は
、人の一生にも及ぶにもかかわ
らず、河道内に洪水を閉じ込める
治水に集中
効果は小さいが着実に発揮する
対策が選択されない
“溢れたあと”“復元力”に向かない
関心
治水本来の目的が埋没 − その背景
• 近代科学的な要素還元論に基づく技術者教育
• 個別の部分最適を求める法制度・予算制度、行政機構
例えば、自然遊水地の開発
• 備え(地域連帯感・水防意識等)が手薄なまま、新住民が定着
• 土地利用、社会組織、社会意識 − 全ての面で災害に脆弱
• 公共施設(福祉・教育・廃棄物処理等)も立地
(背景)
• 政治的集票慣行
−施策の完全性を求める声
• 計画があるだけで安心という
風潮
• 高度経済成長
部分最適を目的とする行政機構には、
認知され難く、政策的手段もない。
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野洲川水害の記録から
高橋裕 東京大学名誉教授 (「国土の変貌と水害」1971)
大正2年、32名死亡
昭和28年、6名死亡
昭和40年、1名死亡
昭和40年代
新川開削による治水計画(
政治家への陳情)
・40戸の集落移転
・昭和46年、移転合意
・昭和54年、新川完成
(しかし洪水リスクはゼロでは
ない)
•
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•
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資料:京都新聞、昭和46年11月
資料:昭和46年11月10日 京都新聞
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近代治水政策の再帰性
かつて技術者は“建設する”ことに技術の目的を設定し、
そこに建設もしくは開発の意義を認め、かつそれに生き甲斐を感じていた。
技術者の使命が“造ること”である時代は過ぎた。
(中略)
造った後の技術的処置について、方策を提供できないようでは、
技術者は今後の社会における発言権を失っていくであろう。
河川に対する流域住民、ひいては社会の要望を工学がどう受け止めるか、
そして技術者がどう処理するか。
(中略)
これからの技術者は、その踏襲のみに甘んじていては、
『人間不在』の技術を振り回すことになるであろう。
この間、変わらず“建設”重視であった治水政策
今まさに人間重視の治水政策への回帰が必要ではないか
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∼部分最適の弊害∼
治水の目的 − “人と暮らしにとっての被害の最小化”
2.県政の現場から見える
近代治水政策のジレンマ
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∼住民実感を理屈で補強∼
第3期:「遠い水」の浸透・完成期:昭和20−30年
代、昭和20年代の洪水多発、「国土総合開発法」「
水資源政策」「多目的ダム法」、高度経済成長、新
河川法(昭和39年)、確率洪水・基本高水論の登
場、「中央管理的制御論の完成」、「治水公費主義
」「水利権許認可主義」
第1期:「近い水」共存期:江戸時代から明治時代
中期まで、藩政村の自治機能、多機能型水組織(
治水・利水・環境組織の未分化、自己管理時代)、
「あふれることを前提とした治水=流域受け止め
型治水」
属地・属人的な情報から導く治水対策
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防災現場のダブル・バインド
ダブル・バインド / 二重拘束 (Bateson, 1972)
メッセージとメタ・メッセージとの間に生じる矛盾・葛藤により、
メッセージの受け手が股裂き状態になること
防災現場での拘束要因
(避難勧告の例)
①「避難勧告が出れば逃げなさい」
∼「避難勧告が出なければ逃げなくてもよい」
②「避難勧告に頼りきらずに自主的に避難して下さい」
(防災マニュアル(地域防災計画など)の例)
① 対症療法的に記述が追加 − 複雑化・詳細化・大部化
② 一方で実用性が低下 − 簡易マニュアルが数多く作成
更なる対症療法!
対症療法の繰り返しの結果、意に反して、
社会構造が脆弱になる側面
主体的態度の形成が必要
(金井・片田,2009)
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