Comments
Description
Transcript
トリニティ実験
トリニティ実験 主要カテゴリ > 技術 > 原⼦⼒ > 核兵器 > 原⼦爆弾 > マンハッタン計画 > トリニティ実験 トリニティ実験(トリニティじっけん、 英:Trinity) は、1945 年7 ⽉ 16 ⽇ にアメリカ で⾏なわれた⼈ 類 最初の核実験 である。 この実験はアメリカ・ニューメキシコ州ソコロ の 南東 48km(北緯33.675 度、⻄経106.475 度)の地 点で⾏なわれた。実験場は現在ではアラモゴード に本部を持つアメリカ陸軍ホワイトサンズ・ミサ イル実験場 の⼀部となっている。トリニティ実験 は爆縮型プルトニウム原⼦爆弾 の爆発実験で、同 型の爆弾が後に⽇本 の⻑崎県⻑崎市 に投下され た。この実験による核爆発は約 20kt のTNT の爆発 と同規模のもので、この核実験を以ってしばしば 「核の時代」の幕開けとされる。 1 歴史 核兵器 の開発は1930 年代 後半の政治潮流と科 学の発展に端を発する。この時代にヨーロッパ でファシスト 政権が誕⽣したことと、原⼦ の性質 に関する新たな発⾒がなされたこととが⼀つの流 れにまとまり、アメリカとイギリス において原⼦ 核分裂 反応をエネルギー源とする強⼒な兵器 を 開発する計画が⽣まれた。この計画はマンハッタ ン計画と呼ばれ、最終的には1945 年7 ⽉に今⽇ト リニティ実験場と呼ばれる場所で⾏なわれた⼈類 初の核実験と、その数週間後の広島・⻑崎 への原 ⼦爆弾投下へとつながった。 1.1 マンハッタン計画で研究された 2 つのタイプの原⼦爆 弾 の動作原理。爆縮型( 下)は複 な動作をするた め、実戦での使⽤の前に試験を⾏なう必要があると考 えられた。 度から取り組むために多⾯的な研究体制がとられ た。研究の初期には試験プラントや研究所の加速 器 で作られたごく微量のウラン 235(濃縮ウラン) やプルトニウム を使って、兵器の設計に関する決 定が⾏なわれた。これらの初期の研究から、核分 裂性物質の⼩⽚を別の⼩⽚に撃ち込んで全体が臨 界質量 となるようにすれば爆弾を作るのは容易 であると考えられた。 開発 ウラン 235 の⽣産は当時の技術では⾮常に困難で 核兵器の実現可能性を調べる研究はアメリカとイ あることが明らかになったが、プルトニウムは専 ギリスによって1939 年 には開始されていたが、実 ⽤に作られた原⼦炉 の副産物として得られるた 際の開発が本格的に始まったのは、1942 年 に研究 めに⽣産は⽐較的容易だった。このような原⼦炉 がアメリカ陸軍の権限の下に委譲されてマンハッ は1942 年 になってようやくエンリコ・フェルミ タン計画 となってからのことだった。マンハッタ によって開発された。しかしこのような原⼦炉で ン計画の⽬的は核兵器の内部で起こる核分裂連鎖 作られる「原⼦炉級」プルトニウムは、サイクロ 反応 の源となる核分裂性物質 を開発することと、 トロン で作られるプルトニウムに⽐べて純度が 核兵器⾃体の設計であった。この計画はニューメ かなり低いものだった。原⼦炉級プルトニウムに キシコ州 のロスアラモス研究所 で最⾼機密とし こうした別のプルトニウム同位体 が含まれてい て進められた * [4]。 るということは、単純なガンタイプの爆弾(Mark 1944 年1 ⽉から1945 年7 ⽉にかけて、核物質を⽣ 産する⼤規模な⼯場が稼動を続け、ここで⽣産さ れた核物質が核兵器の特徴を決めるために⽤いら れた。爆弾の設計で⽣じた問題について様々な⾓ 2)ではうまく作動しないことを意味する。すなわ ちこれらの同位体が放出する余計な中性⼦ によっ て爆弾が早期爆発 (pre-detonate) してしまい、出⼒ が⼤きく損なわれてしまう。1942 年にこの問題が 1 2 明らかになるとプルトニウム爆弾は再設計を迫ら れ、その結果、球形のプルトニウム・コアを通常 爆薬によって圧縮し、プルトニウムの密度を上げ て臨界に到達させるという爆縮 (implosion) のアイ デアが⽣まれた。 そこで問題は、プルトニウムの球体を全ての表⾯ から正確に等しい圧⼒で均等に圧縮するような仕 掛けを作り出すことに移った。圧縮⼒に少しでも 偏位があると、⼤事なプルトニウムが爆弾の外に 放り出されてしまい、⼤規模な爆発を起こさず不 発に終わってしまう。当時存在した技術で完璧な 圧縮を実現するためにこの「爆縮レンズ」を作り 出すのは困難を伴ったため、マンハッタン計画の 軍の最⾼責任者であったレズリー・グローヴズ と 科学部⾨の責任者であったロバート・オッペンハ イマー は、この爆弾を実戦で⼗分な信頼性を持っ て使⽤するためには、この起爆機構の実験を⾏な う必要があると考えた。 2 実験計画 なっているアラモゴード爆撃試験場の⼀部が選 ばれた。実験場の位置は爆撃試験場の北端(北緯 33.675 度、⻄経 106.4756 度)で、アメリカ合衆国 南⻄部のニューメキシコ州カリゾゾ とソコロ の中 間に位置する。 2.2 名称 この実験に付けられたトリニティ(Trinity:キリス ト教 における三位⼀体説) という名称の正確な由 来は不明だが、ロスアラモス研究所⻑のロバート・ オッペンハイマーがジョン・ダン の詩 から引⽤ したものとしばしば⾔われている。オッペンハイ マーはかつて交際していたジーン・タットロック を通じてダンの作品に触れており、彼⼥は 1944 年 7 ⽉に⾃殺 している。1962 年 にレズリー・グロー ヴスはオッペンハイマー宛の⼿紙 で、実験の名 前の由来について、「トリニティ」という名前はア メリカ⻄部の川 や⼭ の名前としてよくあるもの 2 実験計画 だったため、実験が世間の注意を引かないように この名前を選んだのではないか、と尋ねた。これ 実験の計画⾃体は爆発物の専⾨家ジョージ・キ に対してオッペンハイマーは次のように答えてい 「確かに私がトリニティという名前を提案し スチアコフスキー* [5]* [6] の下で働いていたハー る。 バード⼤学 の物理学教授のケネス・ベインブリッ ましたが、その由来はそのような理由によるもの ジ によって起案された。この実験で爆発させる ではありません…何故私がこの名前を選んだのか 核兵器の威⼒は未知だったが、にもかかわらず実 は定かではありませんが、⾃分が当時何を念頭に 験の結果については秘密が保障されるような適切 置いていたかについては覚えています。私がよく な場所を実験場として選ぶ必要があった。また、 知っていて愛しているジョン・ダンの⼀篇の詩が 実験のデータを取得するために適切な実験装置を あります。これは彼が死の直前に書いたものです。 設置したり、未知の威⼒と⼤きな危険を伴うこの 以下はこの詩からの引⽤です:'As West and East / 実験の参加者の安全を守るための安全指針も策定 In all flatt Maps̶and I am one̶are one, / So death doth する必要があった。この実験の公式写真家とされ touch the Resurrection.' (“Hymn to God My God, in たバーリン・ブリックスナー はこの爆発をフィル My Sicknesses”)」オッペンハイマーは続けてこう ム に捉えるために何⼗台ものカメラ を設置した。 記している。「この詩には三位⼀体に関する記述 はありませんが、ダンが書いた別のよく知られ ている賛美詩は次の⼀節から始まります:'Batter 2.1 実験場 my heart, three person'd God;?.' (Holy Sonnets XIV) こ れ以上の⼿掛かりは私も持ち合わせていません」 * [7]。 2.3 実験の予想 トリニティ実験の結果を観察する研究者たちの間 では爆発の⼤きさについての賭けが⾏なわれた。 予想には「0(不発)」というものから「TNT 換算で 18kt」(I. I. ラービ による予想)、「ニューメキシコ 州を破壊」、「⼤気 が発⽕して地球 全体が焼き尽 くされる」というものまであった(幸いにも最後 の予想については事前の計算でほぼ除外できるこ とが分かったが、研究者の中にはしばらくの間こ れを⼼配する者もいた)。結果的にはラービが賭 けに勝つこととなった。なお、核融合を⽤いた更 に強⼒な爆弾の開発を主張していたエドワード・ トリニティ実験場( ⾊の ) テラー は、破壊⼒の⼩ささに落胆し「こんなちっ 実験場には現在ホワイトサンズミサイル射場と ぽけなものなのか」と漏らしたという * [8]。 2.5 爆発 最終組⽴のために実験塔の最上部へ運び上げられる「ガ ジェット」 3 ⽤意されたジャンボ いうコードネーム で呼ばれる巨⼤な鋼鉄製の容 器が⽤意されていた。ジャンボは 240t の重量を持 ち、当初の計画ではこの中にプルトニウムと通常 計測機器の較正を⾏なうため、5 ⽉ 7 ⽇ に 108t の 爆薬 5t からなる起爆装置を置いて爆発させるこ TNT を使って予備の爆発実験が⾏なわれた(この とになっていた。爆縮が成功してプルトニウムの 時以来、核爆発の出⼒はTNT 換算 のトン数を単位 連鎖反応が起これば、ジャンボは蒸発して消滅す として表されるようになった) 。 る。連鎖反応が失敗に終わった場合には、ジャン 本番の実験で⾼い位置に原⼦爆弾を配置するため ボの内部で爆発が留まるため、貴重なプルトニウ に、⾼さ 20m の鋼鉄製の爆発実験塔が建設された。 ムが⾶散するのを防ぐことができる* [9]。ジャン これは、空中で爆発させれば(爆発の衝撃波 が球 ボは多額の費⽤をかけてペンシルベニア州ピッツ ⾯状に膨張するために)⽬標に直接与えるエネル バーグ で製造され、鉄道 で実験場まで運ばれた。 ギー量を最⼤化でき、爆発後に放射性降下物 に変 しかしジャンボが実験場に到着する頃には、爆縮 わる粉塵の巻き上げが地表で爆発させるよりも少 機構について研究者たちは強い信頼を持てるよう なく抑えられるためで、これらに加えて航空機 か になっていたため、本番の実験にジャンボを使わ ら爆弾を投下した際にどのようになるかをより良 ないことになった。その代わりにジャンボは、ガ く⽰すだろうと考えられたためである。 ジェットから 730m 離れた位置にある別の鉄塔に 引き揚げられ破壊⼒を観察する試料とされた。こ の距離は爆弾の威⼒を概算した結果決められた。 最終的にガジェットの爆発によってジャンボは破 壊されずに残ったが、ジャンボを⽀える鉄塔は倒 壊した。 2.4 実験の準備 爆発は、当初7 ⽉ 16 ⽇ 午前 4 時(現地時間)に 予定されていたが、当⽇の早朝から雷⾬が続いた ために延期された。⾬天の下では放射線 や放射 性降下物の危険が⾮常に⼤きくなることが予想さ れ、また雷 によって予期しない爆発が起きてしま う可能性を研究者たちが⼼配したためであった。 2.5 組⽴が完了して実験を つガジェット 爆発 7 ⽉ 16 ⽇午前 4 時 45 分になって気象情報が好転 し、午前 5 時 10 分に 20 分前の秒読みが開始さ 7 ⽉ 12 ⽇ に実験場近くのマクドナルド牧場に資 れた。最上級の研究者や軍⼈たちのほとんどは実 材が到着し、ここでプルトニウムのコアを内蔵し 験塔から 16km 南⻄に設けられたベースキャンプ た核爆弾(ガジェットというニックネームが付け から実験を⾒守った。その他の多くの⾒物⼈は約 られていた) の組⽴が⾏なわれることとなった。 32km 離れた位置におり、それ以外にも様々な距 組⽴は7 ⽉ 13 ⽇ に完了し、翌⽇に実験塔の上部へ 離に陣取った⼈々がいた(物理学者 のリチャード・ 引き揚げられた。 ファインマン は、⾃分は⽀給された遮光ガラスを 万⼀実験が失敗した際に貴重なプルトニウムを回 使わずに爆発を⾒た唯⼀の⼈間だと書いている。 収するため、グローヴズ将軍の命令でジャンボと 彼は有害な紫外線 を遮断するためにトラックの 4 2 実験計画 実験後の爆⼼地 トリニティ実験での核爆発を捉えた数少ないカラー写 真の⼀ た森林警備隊員が「閃光の後に爆発⾳と⿊い煙を ⾒た」という証⾔を報じている。また実験場から 北に約 240km 離れた場所にいた住⺠は「爆発で空 が太陽 のように明るくなった」と述べた。その他 の報告では、320km 離れた場所でも窓がガタガタ と鳴り、爆発⾳が聞こえたと⾔われている。 ⾵防ガラス越しに爆発を観察した* [10])。最終秒 読みは物理学者のサミュエル・アリソン によって 読み上げられた。 現地時間(アメリカ⼭岳部戦時標準時)の 5 時 29 分 45 秒に爆弾は爆発し、TNT 換算で約 19kt(87.5 TJ)のエネルギーを放出した。この爆発で砂漠 の爆⼼地 には放射能 を帯びたガラス質の⽯ から なる深さ 3m、直径 330m のクレーター が残され た。爆発の瞬間、実験場を取り囲む⼭々は 1 秒から 2 秒の間、昼間よりも明るく照らされ、爆発の熱 はベースキャンプの位置でもオーブン と同じく らいの温度に感じられた、と報告されている。観 察された爆発の光の⾊は紫から緑、そして最後に は⽩⾊へと変わった。衝撃波による⼤⾳響が観察 者の元に届くまでには 40 秒かかった* [8]。爆発の 衝撃波は 160km 離れた地点でも感じることがで き、キノコ雲 は⾼度 12km に達した。ロスアラモ ス研究所⻑のロバート・オッペンハイマーはこの 爆発を⽬の当たりにして、ヒンドゥー教 の詩篇バ ガヴァッド・ギーター の次の⼀節が⼼に浮かんだ と後に述べている。 は死なり、世界の破壊者な り* [11]。 実験直後のトリニティクレーターの航空写真。画⾯ 下(南東)の⾓に⾒える⼩さなクレーターは TNT 100 ト ンを⽤いた予備実験でできたクレーター クレーターの内部では、主にケイ酸塩 でできてい る砂漠の砂は融解して、明るい緑⾊でわずかに放 射能を帯びたガラスに変化した。この物質はトリ ニタイト と命名された。トリニタイトは熱で融解 した⻑⽯ と⽯英 からなる。クレーターは実験後間 もなく埋められた。 実験後、アラモゴード航空基地は「遠隔地の⽕薬 実験責任者のケネス・ベインブリッジはオッペン 庫が爆発したが、死者・負傷者は出なかった」とい ハイマーに対して、"Now we are all sons of bitches." う 50 語からなるプレスリリース を発表した。実 (これで俺達は皆糞ったれだ)と⾔った。オッペン 際の爆発の原因は8 ⽉ 6 ⽇ に広島に原⼦爆弾が投 ハイマーの弟のフランク・オッペンハイマー によ 下されるまで公表されなかった。 れば、ロバート・オッペンハイマーは爆発の瞬間、 マ ン ハッ タ ン 計 画 の 公 式 ジャー ナ リ ス ト で あ ただ“It worked."(うまくいったな)と⾔ったとい るウィリアム・L・ローレンス は、緊急時に発表で う。 きるように事前に複数のプレスリリースをファイ 当時のニュース では、実験場から約 240km ⻄にい ルしてニューヨーク・タイムズ の⾃分のオフィス 5 に置いていた。この原稿の中には、実験の成功を 伝えるもの(これが実際に使われた)から、たっ た⼀度の異常な事故でなぜ研究者全員が死んでし まったかを説明するという恐ろしいものまで⽤意 されていた。 の後も時とともに多くの⼈々が犠牲となった。⾮ 戦闘員の無差別虐殺であるという主張や、これに よって⻑期的に⾒ればより多くの⼈命を救う結果 となったという主張も存在する(原⼦爆弾投下に 関する歴史的疑問やこれを取り巻く議論について トリニティ実験では約 260 名の⼈員が参加してい は広島市への原⼦爆弾投下 及び⻑崎市への原⼦ たが、爆⼼地から 9km 以内に近づいた者はいな 爆弾投下 を参照のこと)。 かった。1946 年 に⾏なわれた⼀連の核実験であ るクロスロード作戦 では 40,000 ⼈以上が参加し ている。 3 実験結果 実験の数週間後に実験塔の跡地に⽴つレズリー・グロー ヴス中将( 端、軍 )やロバート・オッペンハイ マー(中 、 ⼦を被っている) トリニティ実験場付近での放射性降下物の分 。放射 能を含んだ雲は⾼レベルの放射線を放射しながら北東 へ約 160km 移動した。 トリニティ実験についての情報は広島への原爆投 下の後間もなく公表された。1945 年8 ⽉ 12 ⽇ に 発表されたスミス・リポート にはこの爆発実験に 関するいくつかの情報が書かれており、この⽂書 のハードカバー版はプリンストン⼤学 出版会か ら数週間後に出版された。この中には有名なトリ ニティ実験の泡状の⽕の⽟を写した写真が掲載さ れている。 戦後間もなく、オッペンハイマーとグローヴズが 実験塔の残骸のそばでポーズを取る写真が撮影 実験の結果はハリー・トルーマン⼤統領 の元に伝 された。この年、この写真はいわゆる「核の時代 えられ、ポツダム会談 でソビエト連邦 との交渉の (atomic age)」の始まりを告げる顕著な象徴となり、 カードとして使われた。しかしトルーマンは、ヨ トリニティ実験は⼤衆⽂化の中でも取り上げられ シフ・スターリン に⾮公式に原⼦爆弾のことを伝 るようになった。 えた際に彼が反応を⽰さなかったことにいささか ショックを受けた。スターリンは既にアメリカの 計画について諜報員 を通じてよく知っていた。 4 実験場跡地 トリニティ実験の成功に続いて、⽇本に対して使 ⽤するために 2 発の爆弾が準備された。8 ⽉ 6 ⽇に ⽇本の広島に投下された 1 発⽬の爆弾は「リトル 1952 年 に実験場は整地され、跡地に残されてい ボーイ」というコードネームで呼ばれ、核分裂物 たトリニタイトは廃棄された。1965 年12 ⽉ 21 ⽇ 質としてウラン 235 が使われていた。このタイプ にトリニティ実験場はアメリカ国定歴史建造物 の原⼦爆弾は実験を⾏なっていなかったが、爆縮 (National Historic Landmark) に指定され、1966 年10 型の原爆に⽐べて構造がはるかに単純なため、ほ ⽉ 15 ⽇ には国定史跡 (National Register of Historic ぼ間違いなく正常に作動することが予想された。 Places) にも指定された。 それ以前に、ウラン 235 はこの時点で爆弾 1 発分 実験から 50 年以上が経過した 2003 年現在でも実 しか⽣産できていなかったため、いずれにせよ投 験場跡地では通常環境の約 10 倍というわずかな 下前に実験を⾏なうことはできなかった。8 ⽉ 9 残存放射線が検出される* [12]。アメリカ陸軍当局 ⽇ に⻑崎に投下された 2 発⽬の爆弾は「ファット は、トリニティ実験場に 1 時間滞在する間に浴び マン」というコードネームで呼ばれ、トリニティ る放射線の量は⾷物を摂取したり⽇光を浴びたり 実験でテストされたのと同じタイプのプルトニ する際に受ける放射線量よりもずっと少ないとし ウム爆弾だった。広島と⻑崎への原⼦爆弾投下に ている 。実験場に建てられている⾼さ約 3.65m の よって少なくとも 12 万⼈以上の⼈々が即死し、そ 溶岩でできた記念碑は爆発の中⼼地表を⽰してい 6 6 注 [3]“Trinity Site”. National Historic Landmarks. National Park Service. 2008 年 1 ⽉ 28 ⽇閲覧。 [4] Hans Bethe (1991), The Road from Los Alamos. American Institute of Physics ISBN 0-671-74012-1 [5] 1938 年にハーバード⼤学冠教授。1959-61 年に⼤ 統領科学諮問委員会委員⻑ [6] George Kistiakowsky [7] Richard Rhodes, The Making of the Atomic Bomb (New York: Simon and Shuster, 1986). Quotes regarding the naming of the test from p. 571-572. [8] James Hershberg (1993), James B. Conant: Harvard to Hiroshima and the Making of the Nuclear Age. 948 pp. ISBN 0-394-57966-6 p. 233 トリニティ実験の跡地に⽴つ記念碑 る。この近くには「ジャンボ」もそのまま残され ている。 ト リ ニ ティ 実 験 場 は 現 在 も 「核 ツ アー(atomic tourism)」の客たちにかなり⼈気の⽬的地となっ ているが、実験場跡が開放されるのは年に 2 回、4 ⽉と 10 ⽉の第 1 ⼟曜⽇のみである。2005 年7 ⽉ 16 ⽇ にはトリニティ実験 60 周年を祝う特別ツアー が企画され、数百⼈(報道によっては数千⼈)の 訪問者がこの記念⽇を祝うために集まった。 [9] [10] Richard Feynman (2000), The Pleasure of Finding Things Out p. 53-96 ISBN 0-7382-0349-1 [11] この引⽤句についてはオッペンハイマー⾃⾝によ るものや他の⼈々によるものを含めていくつかの 異なる訳が存在する。この⼀節に関する最もよく 知られた英訳はアーサー・ライダー による以下の ものである(オッペンハイマーは 1930 年代にカ リフォルニア⼤学バークレイ校 で彼からサンスク リット語 を学んでいる)。 Death am I, and my present task Destruction. (11:32) 5 実験場付近住民への調査 トリニティ実験場付近の住⺠は⻑年に亘り、判然 としないがん の発症例がニューメキシコ州 南中 部⼀帯で繰り返し発⽣し、それにより多くの住⺠ が死亡していると主張した* [13]。また、政府に対 して核実験の放射線量の影響を判断するよう求め た* [13]。これに対して2008 年 に未公表の報告草 案がまとめられたが、推計が含まれており住⺠が 納得できるものではなかった* [13]。こうした中、 2014 年9 ⽉、実験当時にニューメキシコ州に居住 していた住⺠を訪ね、実験によって汚染された⾷ 物の摂取による内部被曝 の影響をアメリカ国⽴ がん研究所 で調査することとなった* [13]。 6 脚注 [1] Richard Greenwood (January 14, 1975) (PDF), National Register of Historic Places Inventory-Nomination: Trinity Site, National Park Service 2009 年 6 ⽉ 21 ⽇閲覧。and Accompanying 10 photos, from 1974. (PDF, 3.37 MB) [2]“National Register Information System”. National Register of Historic Places. National Park Service (2007 年 1 ⽉ 23 ⽇). 2009 年 9 ⽉ 30 ⽇閲覧。 ギーターが1785 年 に初めて英訳されて以来、多く の翻訳者は“Death”ではなく“Time”という訳語 を充てている。オッペンハイマーの引⽤句に関す るより詳しい記述は1958 年 のロベルト・ユンク に よる Brighter than a Thousand Suns(『千の太陽よりも 明るく』)からしばしば取られている。 If the radiance of a thousand suns were to burst into the sky, that would be like the splendor of the Mighty One̶ I am become Death, the shatterer of Worlds. この引⽤句やその翻訳のバリエーション、 報告され ている詩句の形についての詳しい議論は、James A. Hijiya, “The Gita of Robert Oppenheimer”Proceedings of the American Philosophical Society, 144:2 (June 2000). を参照のこと。 [12] Brian Greene (2003), NOVA: The Elegant Universe: Einstein's Dream. Regarding residual radiation. [13] Dan Frosch (2014 年 9 ⽉ 16 ⽇). “初の⽶核実験から 約 70 年、現地でがん発症の影響調査へ”(Japanese). The Wall Street Journal. オリジナル の 2014 年 9 ⽉ 17 ⽇時点によるアーカイブ。2014 年 9 ⽉ 18 ⽇閲覧。 7 7 関連項目 • 広島市への原⼦爆弾投下 • ⻑崎市への原⼦爆弾投下 • RDS-1 - ソビエト連邦初の原爆実験 • ハーマン・J・マラー • ジョセフ・ロートブラット 8 外部リンク • Trinity Remembered: 60th Anniversary • トリニティ実験 60 周年に関する BBC の記事 • Atomic tourism: Information for visitors • The Trinity test(ロスアラモス国⽴研究所) • Carey Sublette's Nuclear Weapon Archive Trinity page • The Trinity test(サンディア国⽴研究所) • リチャード・P・ファインマン, “Los Alamos from Below”; Surely, You're Joking, Mr. Feynman. • Trinity Test Fallout Pattern • Trinity Test Photographs • Trinity test site, Google Maps satellite photo • Trinity: First Test of the Atomic Bomb • “My Radioactive Vacation”, report of a visit to the Trinity site, with pictures comparing its past with its present state. • Visiting Trinity Short article by Ker Than at 3 Quarks Daily • “War Department release on New Mexico test, July 16, 1945”, from the Smyth Report, with eyewitness reports from Gen. Groves and Gen. Thomas Farrell (1945) • Trinity Site National Historic Landmark • SimNuke, A large-scale fire artist's 60th anniversary trinity memorial • Annotated bibliography for the Trinity Test from the Alsos Digital Library for Nuclear Issues •「Trinity Site, New Mexico」- Encyclopedia of Earth にある「トリニティ実験場」についての項⽬ (英語)。 • トリニティ実験で⽣じたキノコ雲の写真(英 語) 9 ⽂ 8 9 および画 の出 、投稿者、ライセンス 文章および画像の出典、投稿者、ライセンス 9.1 文章 • ト リ ニ ティ 実 験 出 : https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%88%E3%83%AA%E3%83%8B%E3%83%86%E3%82%A3%E5% AE%9F%E9%A8%93?oldid=57658938 投稿者: 0null0、Hina、78、Nazki rhetorica、Los688、Chlewbot、Libertas、下総⼤納⾔、Was a bee、Musashino、Fryed-peach、JAnDbot、Masabb、CommonsDelinker、⻄⽅、Hrdyjfuu、Amikake3、Rei-bot、Balmung0731、竃 ⾺、キリエ、VolkovBot、TXiKiBoT、AlleborgoBot、YonaBot、SieBot、Loveless、ベネット、JonathanSheffield、STBot~jawiki、し まあじ、Alexbot、あやみ、Nife、Kounosu1、Tribot、Zorrobot、LaaknorBot、Luckas-bot、Ptbotgourou、Nallimbot、Caffeeman、 Togyer、Xqbot、TobeBot、MastiBot、JuTa、WikitanvirBot、Alonso de Mendoza、YasuakiH、るっか、Palpatineisasithlord、Kirikaxfan、 McZusatz、Trueom、Test20120313、JYBot、Dexbot、YFdyh-bot、Addbot、Y.haruo、K-iczn、ウミショー、Vaamwater と匿名: 13 9.2 画像 • ファイル:Commons-logo.svg 出 : https://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/4/4a/Commons-logo.svg ライセンス: Public domain 投稿者: This version created by Pumbaa, using a proper partial circle and SVG geometry features. (Former versions used to be slightly warped.) 原著者: SVG version was created by User:Grunt and cleaned up by 3247, based on the earlier PNG version, created by Reidab. • ファ イ ル:Fission_bomb_assembly_methods.svg 出 : https://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/c/cb/Fission_bomb_ assembly_methods.svg ライセンス: Public domain 投稿者: 投稿者⾃⾝による作品 原著者: Fastfission • ファイル:Folder_Hexagonal_Icon.svg 出 : https://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/4/48/Folder_Hexagonal_Icon.svg ラ イセンス: CC-BY-SA-3.0 投稿者: Own work based on: Folder.gif. 原著者: 原画(原紙)(原文): John Cross ベクトル化: Shazz • ファ イ ル:HD.4G.054_(10540205205).jpg 出 : https://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/3/39/HD.4G.054_ %2810540205205%29.jpg ライセンス: Public domain 投稿者: HD.4G.054 原著者: Los Alamos National Laboratory • ファ イ ル:Locator_Dot.png 出 : https://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/c/c4/Locator_Dot.png ラ イ セ ン ス: Public domain 投稿者: Transferred from en.wikipedia; transfer was stated to be made by User:putnik. Original uploader was Papayoung at en.wikipedia 原著者: en:User:Papayoung at en.wikipedia • ファイル:Nagasakibomb.jpg 出 : https://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/e/e0/Nagasakibomb.jpg ライセンス: Public domain 投稿者: http://www.archives.gov/research/military/ww2/photos/images/ww2-163.jpg National Archives image (208-N-43888) 原著者: Charles Levy from one of the B-29 Superfortresses used in the attack. • ファ イ ル:Trinity-ground-zero-men-in-crater.jpg 出 : https://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/7/71/ Trinity-ground-zero-men-in-crater.jpg ライセンス: Public domain 投稿者: ? 原著者: ? • ファイル:TrinitySiteISS008-E-5604.jpg 出 : https://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/2/26/TrinitySiteISS008-E-5604.jpg ラ イ セ ン ス: Public domain 投 稿 者: http://eol.jsc.nasa.gov/scripts/sseop/photo.pl?mission=ISS008&roll=E&frame=5604 原 著 者: Astronaut Photography of Earth • ファイル:Trinity_Jumbo.jpg 出 domain 投稿者: ? 原著者: ? : https://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/b/b9/Trinity_Jumbo.jpg ライセンス: Public • ファ イ ル:Trinity_Site_Obelisk_National_Historic_Landmark.jpg 出 : https://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/3/35/ Trinity_Site_Obelisk_National_Historic_Landmark.jpg ラ イ セ ン ス: Public domain 投 稿 者: Flickr: Trinity Site Obelisk National Historic Landmark 原著者: Samat Jain • ファ イ ル:Trinity_Test_-_Oppenheimer_and_Groves_at_Ground_Zero_001.jpg 出 : https://upload.wikimedia.org/wikipedia/ commons/6/61/Trinity_Test_-_Oppenheimer_and_Groves_at_Ground_Zero_001.jpg ライセンス: Public domain 投稿者: Image taken from http://www.gutenberg.org/etext/279 and cropped and saved to a more appropriate file format. 原著者: United States Army Signal Corps • ファ イ ル:Trinity_crater.jpg 出 : https://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/d/d1/Trinity_crater.jpg ラ イ セ ン ス: Public domain 投稿者: This image is available from the National Nuclear Security Administration Nevada Site Office Photo Library under number 99150. 原著者: Federal government of the United States • ファイル:Trinity_device_readied.jpg 出 : https://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/8/88/Trinity_device_readied.jpg ライ センス: Public domain 投稿者: http://ma.mbe.doe.gov/me70/history/photos.htm 原著者: Not identified. • ファイル:Trinity_explosion2.jpeg 出 : https://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/7/78/Trinity_Test_Fireball_16ms.jpg ラ イセンス: Public domain 投稿者: http://www.lanl.gov/orgs/pa/photos/images/PA-98-0520.jpeg 原著者: Berlyn Brixner • ファイル:Trinity_fallout.png 出 SA-3.0 投稿者: ? 原著者: ? : https://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/a/a4/Trinity_fallout.png ライセンス: CC-BY- • ファイル:Trinity_shot_color.jpg 出 : https://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/8/8d/Trinity_shot_color.jpg ライセンス: Public domain 投 稿 者: This image comes from the Google-hosted LIFE Photo Archive where it is available under the filename 96ad5a9a5c94664e. 原著者: Jack W. Aeby, July 16, 1945, Civilian worker at Los Alamos laboratory, working under the aegis of the Manhattan Project. • ファ イ ル:US_Locator_Blank.svg 出 : https://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/2/2f/US_Locator_Blank.svg ラ イ セ ン ス: CC-BY-SA-3.0 投稿者: based on Image:Map of USA without state names.svg 原著者: Originally uploaded English Wikipedia by en:User:Papayoung and en:User:Ilmari Karonen. 9.3 ライセンス • Creative Commons Attribution-Share Alike 3.0