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第7章「教育評価」

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第7章「教育評価」
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080測定・評定・評価
相手に対して人間形成的意図をもってかかわることを「教育」的な営みだと
考えると,そうしたかかわりをした結果,あるいはその過程で相手がどのよう
に変わっていったのかを査定することはきわめて重要な営糸である。こうした
査定とその後のさらなるかかわりを前提とした,かかわる側,かかわりを受け
る側双方の諸活動を,ここでは教育評価活動とよぶことにする。したがって,
教育評価には,かかわる側のかかわり方についての評価(たとえば教授法につ
いての反省,相手理解のためにとった方略の妥当性の吟味など)も含まれる。
評価に類似した概念として,測定,評定ということばがある。
測定は,文字どおり,すでに存在している「ものさし」を対象にあてはめて,
その「目盛り」を読糸取る作業である。体重や身長の測定,ポール投げなど体
力の測定,少し複雑なプロセスを含むが血圧の測定などもこれにあたる。一般
に,物理的世界を「はかる」時に用いられる。
評定は,はかろうとする対象に対しての適切な「ものさし」がない時に,そ
のものざしをまず作り,それを対象にあてはめて「目盛り」を読む行為である。
たとえば,心理学的な諸概念(知能,感情等)は,そのままでは「はかる」こ
とはできない。そこで,それらをはかるにふさわしい「ものさし」を作り,そ
れをあてはめる。このとき,その「ものさし」が信頼性(安定して対象をはか
っている保証)と妥当性(はかろうとしているものを本当にはかっている保
証)を得ることが非常に重要となる。
118第7章教育評価
評価は,実は,そうした,対・象にあのさしをあてはめて読み取られた値につ
いて,その値をとりまくある種社会的な価値判断を意味する。血圧の上が160,
下が95以上を「高血圧症」と評価するのは,その値が医学的・社会的な一定
の「意味」をもっていることを示している。知能指数が120であることは,そ
れなりの「知能」についての意味をもつこととなる。
こうした3つの概念は,実際にはそれほど厳密に区分して用いられないこと
も多い。特に評定と評価は,実際には独立したものではなく,どういう評価を
する予定か,ということが「ものさし」を決め,したがって,評定の中にもと
もと評価が含まれていることは多い(田中,1996)。
080評価の分類
ノルムとスタンダードの対決図式から
ノルムとスタンダードノルムとは,評価対象のもつ現在の姿で,通常,
成績とか特性とかという形で表現される。あたかも,評価対象がそうした
「値」をもっているかのどとく扱う。
たとえば,「数学の成績」の評価,という場合,それをはかるにふさわしい
「ものさし」が存在し,生徒にはそうした「能力」が存在し,その表われとし
て「ものさし」に値が乗ってくる,と考える。ノルムは評価対象に内在すると
仮定する属性の一部,と考えられる。
一方,スタンダードは,現在の姿ではなく「あるべき」姿を示す。評価対象
の評価に先立つ,あるいは,さらに教育的なかかわりに先立つ,かかわりの結
果予想ざれ期待される効果を意味する。教育目標・教育目的といいかえること
もできる。
ここでは評価とは,ノルムとスタンダードを対決させ,その落差を見積もり,
それに質的なコメントを加えることとなる。あくまでも,スタンダードから見
たとき,ノルムがどこまで近づいたか,という観点でものをみる。
この場合,スタンダードの位置づけによって以下の3種類の評価の形式があ
る。
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評llliの分類111
1)相対評価
個々人のノルムから集団のノルムを抽出し,それを「スタンダード」と置き換
えてもとの個々人のノルムと対決ざせその落差を見積もることを相対・評価とよ
ぶ。
たとえば,先の「数学の成績の評価」を考えてふよう。
クラス40名の個との成績がある(個々のノルム)。この個々のノルムから集
団のノルムを抽出する。これは,「この集団の特徴は一言でいえばこういうこ
とです」という,集団の特徴の表現を目指している。多くの場合「代表値」が
とられる。
代表値代表値には平均値,最頻値(モード),中央値(メジアン)など
が用いられるが,その代表は平均値である。
しかしながら,平均値でその集団の特徴を示すのはきわめて不十分である。
たとえば,2歳と40歳と78歳の3名(集団A)の平均は40歳であり,39歳
と40歳,41歳の3名(集団B)の平均も40歳である。この2つのグループ
を「平均が同じだから等質なグループ」とは誰も言わないであろう。
散布度平均値だけでは何が欠けているか。それは,各値の散らばり具合
についての情報である。これを「散布度」という。散布度にもいくつかの種類
がある。もっともわかりやすいのが最小値・最大値での記述であろう。上記の
例の場合,集団Aは,最小2歳,最大78歳であり,集団Bは最小39歳,最大
41歳である。これはたいへんわかりやすいが,たった1つの値で決まるので,
集団全体のデータの散らばりを示すには不十分である。
それに代わって,各データと先に出した平均値の差(偏差)の,その平均
(平均偏差)を使えば,全部のデータを使って集団の散布度を示すことになり,
たいへん説得力がある。ただし,このやり方では「差の平均」を出す必要があ
り,絶対値をその都度計算していかねばならないので,数学的にはやっかいな
仕事となる。
そこで,偏差を自乗してすべて「正」の値として,その後同じようなことを
すればいいことに気づく。すなわち,偏差を自乗して(偏差平方),それをす
べて足し(偏差平方和),それをデータの個数で割り(平均偏差平方和),便宜
Cl
的に自乗したので最後にルートで開く(平均偏差平方和の開平)という作業を
120第7章教育評価
すれば,当初考えた「平均偏差」に近い値が得られることに気づく。この,平
均偏差平方和を分散とよび,その開平値を標準偏差とよぶ。
このようにして,ある集団の特徴を,平均値と標準偏差,データの個数で示
すと,かなり具体的で一律・公平な特徴記述となる。
相対評価では,実はここで,こうして計算された平均値・標準偏差を,あた
かもそれがその集団のスタンダードであるかのどとき扱いに切り替える。ここ
に注意が必要である。
すなわち,ここでの評価とは,個々人のノルムが,こうして抽出された集団
のノルム(すなわち集団の特徴を記述したものに過ぎないもの)と対決させら
れ,その落差を見積もることとなる。
偏差値その最も典型的な方法が,「個々のノルム(成績)と集団のノル
ム(置き換えられたスタンダード)の落差を承る」という方法である。ここで
は単に個々の成績と平均との落差を染るだけではなく,それが集団全体の得点
の散らばり具合(標準偏差)の何倍にあたるかをゑる。こうして出された値を
標準得点(z得点)という。すなわち,標準得点は,(個々のデーター平均)÷
標準偏差,という式で表される。
ここでは,偏差を標準偏差という集団全体のデータの散らばり具合で割って
いるので,出てきた値はきわめて限られた範囲内に収まる。たとえば,平均
60,標準偏差10の時に自分のデータ(成績)が75点であったら,標準得点は
(75-60)÷10で,1.5となる。同様に平均600点,標準偏差も当然大きくな
ってたとえば100,自分の得点が400点であったら,(400-600)÷100で,-2
となる。このように,標準得点は,もとの得点がどんなに大きな値でも,また,
小さな値でも,だいたい±5点の範囲内に収まる。また,この得点の分布は,
分布の曲線を描いて内部の面積を1と想定できるので,いろいろな応用が可能
となる。
最も有効な応用としては,集団内での相対的な位置を把握することができる
点である。同様にこのことを利用して,「入学試験」などでの合格の可能性を
見積もることしできる。
ただし,この標準得点はおおよそ±5点の範囲にあるので,個々人の相対的
位置を示す値としてはたいへん使い勝手が悪い。「私の今度の英語の成績は
評価の分類121
1.8点だった」などという会話は耳にすることがない。
この不便さを解決するのはきわめて容易である。すなわち,標準得点を10
倍すれば,範囲が±50となるので,あと,それを全体に50右側に動かせばい
い(+5Oする)。そうすると値はO<z<100となり,「テスト得点」という感
覚に近くなる。ただしこれはもとのz得点とは異なり,改めてこれを偏差値と
名づける。
以上でわかるとおり,相対評価は,スタンダードを集団の内部から抽出する
という意味では本来の意味での「評価」の体をなしていない。偏差値による
「評価」とは,単に個々の生徒を想定される集団の中に位置づけるだけの機能
しかない。しかしその機能による恩恵があまりに大きかったため,偏差値が教
育界を席巻するという病理現象がはびこった。
この病理現象は,それがおかしいと気づく生徒をさらに「校内暴力」「不登
校」「いじめ」といった学校病理現象に追いやることなり,1993年2月にやっ
と偏差値を学校から追放することが文部大臣により宣言された(詳しい経緯は
田中,1996参照)。
2)絶対評価
相対評価に替わるものとしては,本来の「評価」の意味をそのままもつ絶対
評価という方法がある。
絶対評価では,スタンダードは個々のノルムとは無関係にあらかじめ設定さ
れている。そのスタンダードから個々のノルムを比較してその落差を検討する
ことになる。この場合,集団に対して1つのスタンダードが設定される。すな
わち,個々のノルムのもっている個人差はまったく考慮されず,複数のノルム
と1つのスタンダードの対決,という図式になる。
2002年度からの新しいカリキュラムでは,これまでの相対評価に替わって,
ますます絶対評価を増やすよう,教育課程審議会では答申している。
「新しい学習指導要領においては,自ら学び自ら考える力などの「生きる力」
をはぐくむことを目指し,学習指導要領に示された基礎的・基本的な内容の確
実な習得を図ることを重視していることから,学習指導要領に示す目標に照ら
してその実現状況を見る評価(いわゆる絶対評価)を一層重視し,観点別学習
122第7章教育評価
状況の評価を基本として,児童生徒の学習の到達度を適切に評価していくこと
が重要となる。
現行の学習指導要領及び指導要録の下での評価の一つの特徴は,集団に準拠
した評価(いわゆる相対評価)ではなく,_目標に準拠した評価である観点別学
習状況の評価を基本に据えていることであるが,新しい学習指導要領の下では,
この考え方を一層発展させていくことが重要である。」(教育課程審議会「児童
生徒の学習と教育課程の実施状況の評価の在り方について(中間まとめ)①平
成12年10月6日」:日本教育新聞社「週間教育資料jNo.688,p25より。下
線部筆者)
3)個人内評価
絶対評価のもつ,個人差無視の評価方法を改めたものが個人内評価である。
ここでは個人個人に対して,その個人差を考慮してスタンダードが個別に立て
られる。
これは障害児クラスなどでの教育評価に多く用いられるが,普通学級におい
ても,今後,個性の伸張を目指す際には最も重要な評価法の1つとなる。
すなわち,結果の一律平等性をめざす(単一スタンダードの設定)のではな
く,一人ひとりの努力とその成果がそれぞれに名誉・賞賛に値するということ
を確認し,それぞれの努力とその成果を賞賛しあえるような,「名誉の公平
(parityofesteem)」(藤田,2000)を重んじる文化においては,こうした評
価の視点が最も重要なものとなる。
評価主体と評価対象の図式から
1)三人称的評価(他者評価)
従来の「評価」の概念では,かかわる側が「評価者」,かかわりを受ける側
が「被評価者」という形で,あたかも「あれ」「それ」の世界を語るかのよう
に評価者は対象を評価してきた。これは「もの」の諸属性の「測定」に他なら
ない。
子どもの能力や性格等,いわゆる社会的な構成概念の評定においても,その
評価の分類123
評定の道具を既存のものとして,確定した「ものさし」として使い,そのマニ
ュアルに沿って解釈していく場合は同様の「測定」的な意味をもつ。臨床場面
で用いる各種心理テスト等もこうした扱いをされうる。
このような,評価の対象をあたかも評定者の世界とは別の次元に存在する第
三者的な,他者的な扱い方をする場合,これを三人称的評価とよぶことにしよ
う。
〈三人称的評価の特徴>
このタイプの評価は,旧来の教育評価で多く行われていた,「客観性」「公共
性」を第一義とする評価方法である。通常の「教科」の指導での結果の個との
生徒の評価には,この方法が用いられることが多い。
クラスの中での成績の相対的位置づけ(相対評価)が必要な場合など,それ
をはかるテストの妥当性・信頼性を確認した上で,「テスト」という名目でさ
っと生徒に網を掛け,それに乗ったものを細かく分析していく。テストの妥当
性・信頼性の確認に加え,分析の手順に公共性をもたせるため,各種統計技法
を駆使し,「科学性」を保証する。
この評価では,働きかける側の主観を極力廃する態度をとることが大きな特
徴である。各種心理検査においては,その「道具」に対してどのくらいの確た
る信念をもっているかが重要となる。
2)二人称的評価
ここでは,評価を行う「私」と,対象である「あなた」の関係性を重視する。
すなわち,他者評価のように,評価者の営みと被評価者の営永がまったく独立
であるとは考えず,一方の働きかけが他方のパフォーマンスに影響を与え,そ
れがまた始めの人の働きかけに影響を及ぼす,と考える。
教育場面においては,教師が,生徒のノルムの変化を記述すると同時にその
変化が自分自身の働きかけ方の反映であると考える場合がこれにあたる。すな
わち,対象の評価と自己の評価を同時に行っている。
〈二人称的評価の特徴>
二人称的評価は特に臨床的場面では重要な考え方であり,クライエントの変
化は,本人のある属性の「値」の変化であると同時にセラピストのかかわりの
124第7章教育評価
成果でもあり,こうした視点を見失うと先の三人称的な評価に陥ってしまう。
通常の教室の教育活動においては,教師の反省的実践(reflectiveprao
tice)の態度があって初めてこうした評価が可能となる。すなわち,教師特有
の豊かな経験から形成された知見・見識からなる実践的知識と,それをもとに
行われる教師の,実践的状況への関与様式,問題の発見,表象,解決の思考様
式からなる実践的思考がこうした評価を自分に課すことを認める。
この評価方法は「私」「あなた」の親しい関係性の中で評価が行われる,と
いう特徴をもつ。昨今流行の「学生による授業評価」も,こうした視点を抜き
には本来語れないものである。それを理解しない教員は「無知でいいかげんな
学生に自分の授業の評価をさせるなどけしからん」と,まったく的外れな発言
をしてしまうものである。
これとは別に,教師一生徒間の評価ではなく生徒同士で評価をしあう場合も
こうした二人称的な構造をもつ。これは通常「相互評価」とよばれる。
S)一人称的評価(自己評価)
評価の主体・対象ともに同一人物である場合を一人称的評価という。通常こ
れは自己評価,自己効力感の評価などとされる。
基本的には「自己」をふりかえり,必要に応じてその知的達成の側面や情緒
的側面,社会的関係の側面や,時系列的な変化の側面を評価することとなる。
さらにはこうした個々の評価に加え,そうした評価をしている自分自身をさら
に評価するという,メタ評価の側面も重要となる。
これらは総じて,自分とは何か,どこから来てどこへ行こうとしているのか,
今何をし,何を知っていて何を知らないのか,といった,アイデンティティの
形成と強く関連することがらである。すなわち,自分を高くもなく低くもなく
公正に「評価」できる力があることが,アイデンティティ達成のひとつの姿だ
と承なすと,教育の目標のひとつは実は自己評価できる力をつけることだ,と
も言える。学びをそうした,自分自身が何者であり,いったい自分はどこに行
くのかを自己責任において決定し,そのためのあらゆる情報を公正かつ創造的
に収集・加工・発信していく能力をつけるためのものとする(田中,2000)な
ら,学びの必要不可欠な機能のひとつに自己評価能力があることがわかる。
評価の分類12ラ
同時に自己評価は,集団的な側面ももっているし,自己評価という行為その
ものの有無やその度合い.深さ・程度などが一種の人間的立派さ,国民性など
という,より一般的な,社会現象として現れるという側面もある(安彦,
1987)。
〈一人称的評価の特徴>
一人称的評価では,評価主体が同時に評価対象であり,ノルムとスタンダー
ドを明確に区別して意識することが必要となる。「評価」とは,何がどの程度
身についたかを測ることであり,評価基準も,「何が」にあたる質的な目標規
準と,「どの程度」にあたる判定基準に分ける必要がある(安彦,1987)。
判定基準はいわゆるスタンダードであり,そこに設定されたその「値」(必
ずしも数量化を必要としない。むしろ記述的な質的な値であることが多い)と
の比較で自分自身の現状(ノルム)を評価することとなる。
しかしながら一人称的評価では,そうしたスタンダードは必ずしも初めから
外的に設定される必要はなく,むしろ,活動の中で変化していくことが期待さ
れる。すなわち,その都度達成された自己の像との相対的関係でスタンダード
そのものも変化することのほうがむしろ望まれる。
たとえば,以下に述べる総合的な学習の時間などで,あらかじめ決めたテー
マ(たとえば「自分たちの身の回りの国際化を自覚する」)で半年間研究を進
めていくうちに,徐々にそのテーマの中心が変化してくる(「日常的な国際化
の事例を深く考察する」に変わる)ことは十分に考えられる。このように,当
初のテーマでの自己評価上の評価基準は最終的には使えない場合があり,こう
した場合はフレキンプノレにスタンダードを変えることのほうが望ましい。
教育的かかわりの時系列の図式から
もう一つの評価分類の視点は,かかわりのどの時点で評価を行うか,といっ
た点からの分類である。
1)診断的評価
かかわりを始める前に,あらかじめ評価対象がどのような状態であるのかを
診断的に評価する。教科の授業においては,これから進める授業内容に開運し
』
126第7章教育評価
た,学習のレディネスを診断することが多い。
臨床的場面においては,最初のインテイクの段階で,主訴を聞き,治療過程
の見通しを立てる段階をいう。多くはその後インテイク・カンファレンスが行
われ,チームでの方針を決定する。
2)形成的評価
かかわりの途上で必要に応じてそれまでのかかわりを反省し,効果を査定し,
次のかかわりの決定をする。教科の授業時には,その時間ごとの小テストを実
施したり,また,授業の途中での「挙手」による理解度の把握などもこの評価
にあたる。
形成的評価は,評価が本来次のかかわりのために行われる,という意味では
最も本質的な姿である。
3)総括的評価
一定の期間のまとまったかかわりを終えたあと,その効果についての全体的
な評価を行うことをいう。学校においては,期末の成績,学年末の成績評価が
これにあたる。これらは指導要録に記入され,保管されることとなる。ここで
は,当初立てられた目標に対してどの程度の達成がなされたか,ということが
中心に述べられることとなる。しかし,相対的評価においては,単に集団の中
における相対的な地位の表示にとどまることが多い。
各種入学試験を,それまでの学校での総括的評価と糸なすか,次の上級学校
での診断的評価と承なすかは,その問題作成者の哲学と大いに関連する。難
問・奇問の類は「選抜」機能を強くもたせただけで,総括的でも診断的でもな
い。こうした出題で「評価」の問題を語られるのはきわめて遣`憾なことである。
d8c総合的な学習と評価
臨床教育学的な観点からは,個々の生徒に十分な目配せをした評価の形態が
最も望ましいものといえる。それを最も具体化したものとして,2002年度か
ら小学校・中学校・高等学校すべてで完全実施されることとなった「総合的な
総合的な学習と評価127
学習」の授業の評価をあげることができる。
総合的な学習の背景
従来,社会の進む方向はきわめて明確に見え,方向に透明性があった。しか
しながら前世紀の終わりごろから,さまざまな価値観が並存し,「これが大切」
という一元的な価値観が崩壊してきた。それまでは「教室」は,過去の文化的
遺産を「学習」する場として位置づけられていたが,もはやそうした性格は過
去のものとなりつつある。
世紀末から21世紀にかけては,ますます社会は不透明になり,ますます多
様な価値観が乱立し,‘情報はますます玉石混精の相を呈してくる。そうした中
にあって個々の生徒に要求されるこれからの「能力」は,決して教師が発信す
る情報を受身でたくさん受容し,必要に応じてそれを早く正確に吐き出すよう
なスタンドアロンの能力(田中,2000)ではない。むしろ,自らが生活の主体
として,身の回りの状況にアンテナをはり,情報の取捨選択,編集・加工,発
信を自らの責任において行えるような力こそ必要とされるものとなる。しかも
それは,グローバル化したこの地球において他者とうまく共存しながら自己の
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11
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1
発達を目指す,いわばネットワーキングの力を要求するものである。そうした
力を学校教育のなかでつけさせる努力をしようとするのが「総合的な学習」の
取り組糸である。
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総合的な学習の位置づけ
したがって,総合的な学習は,既存の個別の教科の「総合」でもなければ,
」
既存の教科の横並びになる類のものでもない。いわば,これまでの授業の枠組
みをさらに発展させた,ひとつの「教え」「学び」のスタンスの実践である。
これを以下のように位置づけて象よう。
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1
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総合的学習は,教師の教えのスタンスからすれば教師も生徒とともに学ぶ
「共学」に位置づけられ,生徒の学びのスタンスからすれば,「学習」に対す
る「学び」の実践であり,それらを具体化した「創造的な学びの教室」(田中,
128第7章教育評価
形成
学び
学習
共学
図7-1総合的な学習の位霞づけ
1996)に位置づけられる。ただし,そこでの取り組象の単元は教科単元ではな
く,むしろ生活単元の実践を示したものとなる。
こうした点から,本来これは「総合的な学び」と称するべきものであって,
「総合的な学習」という名称はきわめて誤解を招きやすい。
文部省でも,これを,①教科・教科等ではない。教科,道徳,特別活動に並
ぶものであり,②地域性や学校の創意工夫を待つよう,内容については例示に
とどめる(教育内容の大綱化),③これまでの子ども観を転換すべきもの(学
びの主体としての子ども,という考え方に変える)としている。しかしながら,
学校の現場では,これまでの方針からのあまりに大きな方向転換に混乱が生じ
ている。
さらに混乱に輪をかけているのが,そうした総合的な学習に「評価」を求め
ている点である。
総合的な学習の評価
総合的な学習は,子ども観の大転換を期待していると同時に,実は,教師観
についての転換も必要とし,それがなければ決して成功しない。
総合的な学習と評価121
教師はこれまで,「知」「知識」については絶対的に生徒の先を進んでいて,
問われたことに答えが淀むようなことは断じてあってはならない,という脅迫
観念をもたされてきた。これは,倉庫にいっぱい詰まった知識にアクセスでき
るのは常に教師であり,生徒は常にその口から流れてくる知識の恩恵にあずか
る,という構図からの発想である。
現在のような情報化社会においては,教師も生徒もある領域のことがらにつ
いては互いに「学ぶ」存在であり,そうした「共に学ぶ」存在が学びの場を共
有する,というのが総合的な学習の本質的な姿である。そういう意味で,教師
観の大転換が要求される。大学の「ゼミ」などでは,大学教員はそうしたスタ
ンスをとっているものであり,小・中・高でもそうした姿勢をとることは決し
て不可能なことではない。「学校」という権威を傘に,知らないことも知った
ふりして常に「師」をふるまうのは少なくともこの総合的な学習の時間にはや
めるべきである。先生も学んでいる,という実感を生徒がもつこと,これが学
びの共有なのである。
総合的な学習では,次々に生徒は「作品」を作り,それを積み重ねていく。
これらを集めたしのはポートフォリオとよばれ,その「作品」のなかには,本
人の興味・関心・意欲,本人のその領域での能力,指導者の指導の中身,学び
の共同体の力といったものが複合して現われているものと考えられる。そうし
た点から,総合的な学習については,次のような評価の視点を設けることがで
きる。
①興味・関心・意欲の評価
こうした目に見えない部分の評価は,自己評価で行われることが望ましい。す
なわち,テーマの設定や各種方法の選択等がいかに自己のアイデンティティ形
成にかかわったか,の自己評価をさせる。具体的には,感想文・反省文などに
よる「自我」とのかかわりの表明の評価,時間軸を経て「作品」の変化から見
る「自我」とのかかわりの強さの変化の評価などを行う。また,教師の側では
毎時,個々の生徒の活動に対する形成的評価を行うことで,指導と評価を一体
化した本来の「評価」を実践する。
②能力の評価
ここでは,思考力,判断力,表現力,想像力等の「能力」を2つに分けて考
I
l3o第7章教育評IHi
える。
まずは従来の,スタンドアロンの「能力」の評価であり,「個人」としての,
情報の収集・選択・加工・創造・発信の力の評価を行う。つまり個人内評価が
望まれる。ここではいったん「評定」値をだし,その総合としての評価という
方法もやむを得ない。
つぎに,もう一つの能力,すなわちネットワークの能力の評価を行う。ここ
では,リーダーシップや意見調整力等,協働する仲間の中での,ネットワーキ
ング,マネージメントの評価を行う。
③指導者自身の評価
総合的な学習では,基本的には学びの主体は生徒であり,教師は全体のオー
ガナイザー,舵取り役を担うことになる。それがきちんと行われたか,また,
教師自身もその「学び」に参加したかどうか,反省的実践を常に行ったかどう
かなど,教師の自己評価が要求される。
「作品」に指導者の指導の成果も含まれることを考えると,「作品」の評価は
指導についての評価ともなる。総合的な学習の評価には教師自身の反省的評価
も当然含まれるものと考えるべきである。
④共同体の力の評価
個人の諸能力と,学びの共同体での実践がどのようにかかわったのか,につ
いての評価。個の意見調整と共同体の創造的な力とがどのように絡糸合って
「作品」に結実したか,児童・生徒,教師双方にとって「豊かな学び」が実践
されたかどうかを評価する。また,複数の教師によるティーム・ティーチング
や,生徒の小集団学習がどのように行われたか,できるだけ詳細に評価する。
こうした総合的な学習の実践は,まさに教師の側の教育哲学,教育方法・技
術,教育評価の「総合」であり,そこで感じる「しんどさ」は,いかに自分自
身が「教科」の枠で「学習」を考えてきたかの反省の材料ともなるものである。
21世紀の教育を考えた時,是非こうしたしんどさを引き受けて,生き生き
とした教室,学校再生の道を探っていきたいものである。
引用・参考文献
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131
藤田英典2000情報知識社会の進展と学校教育の課題園田寿(編著)知の方舟:
デジタル社会におけるルールの継承と変革ローカスpp79-92
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田中俊也1996コンピュータがひらく豊かな教育:情報化時代の教育環境と教師
北大路書房
田中俊也2000ネットワーク社会における新しい教育一捨て去るものと引き継ぐもの
-園田寿(編著)知の方舟:デジタル社会におけるルールの継承と変革ローカ
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