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第 36 号
立教社会福祉ニュース第 36 号 Contents 巻頭言 p.1 2012 年度前期 活動紹介 p.3 2012 年度新任研究員紹介 p.7 2012 年度前期 活動報告 p.8 ≪巻 頭 言≫ 小 国型 福 祉 国家 論 と 雇 用 戦略 菅沼 隆 ( 立 教大 学 経 済 学部 教 授 ・社 会 福 祉 研 究所 所 員 ) は じめ に グ ロ ー バ ル 競 争 時 代 に 対 応 で き る 福 祉 国 家 を こ こ で は “グ ロ ー バ ル 福 祉 国 家 ”と 呼 ん で お こ う。 グ ロー バ ル 福祉 国 家 の モ デル は ま だ見 い だ さ れ てい な い 。グ ロ ー バ ル 福祉 国 家 に向 け て 各国が 国 家戦 略 を 模索 し、試 行 錯 誤を 重 ね てい る の が 1990 年 代 以 降の 福 祉 国 家 の動 向 で ある と 考 えら れ る。 そ の 際参 照 す べ き はヨ ー ロ ッパ の 諸 福 祉 国家 の 取 り組 み で あ り 、特 に 北 欧・ 西 欧 の小国 の 福祉 国 家 を重 視 す る べ きで あ る よう に 思 わ れ る。 日 本 も小 国 型 の 福 祉国 家 経 営を め ざ し、そ の ため に は 雇用 戦 略 を 明 確に 持 つ べき で は な い だろ う か 。 小 国と な っ た日 本 2010 年に GDP 規 模 で 日本 は 中 国に 抜 か れ 、 世界 第 3 位に 下 が っ た 。人 口 規 模で は 日 本は世 界 第 10 位 程 度 であ る か ら、第 3位 と い う こと は まだ「豊 か な」国 と い う こと が で きよ う 。だ が 、 グ ロー バ ル 化が 進 展 し 、BRICS を はじ め 巨 大 な 人口 を 抱 える 新 興 経 済 国の 台 頭 が著 し い 。1980 年 代ま で は 、冷戦 体 制 の もと 、西 側 資本 主 義 国 の中 で 人 口規 模 も 経 済 規模 も ア メリ カ に 次 ぐ “2 番 手”の大 国 を 確立 し て き た日 本 で ある が、現 在 は その よ う な大 国 と し て の存 在 感 は失 わ れ つつ あ る 。 日 本 は “普 通 の”経 済 大 国 の 一 つ と な り つ つ あ る 。 ま た 、 日 本 は 人 口 減 少 期 に 入 り 、 し ば ら くの 間 人 口減 少 傾 向 が 続く こ と は明 ら か で あ る。 巨 大 新興 経 済 国 と 比較 す れ ば日 本 は 既に小 国 であ る し 、今 後 い っ そ う小 国 化 して い く 。 こ のこ と は 今後 の 日 本 の 国家 運 営 は大 国 型 を目指 す ので は な く、 小 国 型 の 国家 運 営 を目 指 す べ き こと を 示 唆し て い る 。 新 しい 福 祉 国家 戦 略 と し ての 雇 用 戦略 20 世 紀 後 半の 先 進 資 本 主義 諸 国 は多 か れ 少 な かれ 福 祉 国家 を 形 成 し てき た 。特 に 、西欧・北 欧 の国 の 多 くは 福 祉 国 家 を建 設 し 、日 本 も 存 在 感が 小 さ いな が ら も そ の一 角 を 占め て き た。そ の 西欧 ・ 北 欧諸 国 も ま た グロ ー バ ル化 の も と 福 祉国 家 の 再編 成 に 直 面 して い る 。 2000 年 の EU リ スボ ン 戦 略は そ の 姿 勢 が明 確 に 示さ れ た も の であ っ た 。そ の 要 諦 は 来る べ き 社会 を 「 知識社 会」と 見な し 、そ こ に 到 達 する た め に各 国 が 雇 用 戦略 を 採 用す る べ き で ある こ と が確 認 さ れた。 そ して 、2005 年 の リ ス ボ ン戦 略 の 中間 評 価 と 、翌 年 の 見直 し の 際に は、雇 用 戦略 の 共 通指 導 概 念 と し て フ レ ク シ キ ュ リ テ ィ が 掲 げ ら れ た 。 リ ー マ ン シ ョ ッ ク と ギ リ シ ア 危 機 を 経 て 、 EU 経 済 は危 機 か ら脱 却 で き て いな い が 、こ の 雇 用 戦 略は 維 持 され て い る 。 モ デル と し ての 小 国 重要 な こ とは 、 こ の 雇 用戦 略 は ヨー ロ ッ パ の 小国 の 経 験を モ デ ル と して 立 案 され た こ とであ る 。ILO が 1990 年 代の 雇 用政 策 の 成功 事 例 と し て、オ ー スト リ ア 、デ ン マー ク 、アイ ル ラ ン ド、 オ ラン ダ を 挙げ た ( Auer, P.(2000), Auer, P.(2006))。 こ れ らは い ず れも ヨ ーロ ッ パ の小 国 で あ る 1 立教社会福祉ニュース第 36 号 こ とに 共 通 性が あ る 。 小 国は グ ロ ーバ ル 競 争 の 荒波 の 影 響を 強 く 受 け やす い 。 これ ら の 国では 1990 年 代 の 早い 時 期 に 雇 用政 策 戦 略を 模 索 し た。雇 用 戦略 の 基 軸に あ るも の は フレ ク シ キ ュリ テ ィで あ る。フ レ クシ キ ュリ テ ィ はオ ラ ン ダ に おい て「目 指 す べき 戦 略目 標 」と し て 誕生 し た。 こ こで フ レ クシ キ ュ リ テ ィは 戦 略 から 実 態 へ 、 また 、 目 指す べ き も の から 実 証 的分 析 対 象へと 「 守備 範 囲 」が 拡 張 さ れ た。 特 に デン マ ー ク が フレ ク シ キュ リ テ ィ の 典型 国 = モデ ル 国 と見な さ れた 。フ レ ク シキ ュ リ ティ は 目 指す べ き「 戦 略」であ る と 同時 に “分 析概 念”と さ れ、ま た “実 態(= デ ン マー ク )”と も され た 。グロ ー バ ル 福 祉国 家 を 構想 す る 際 、福祉 国 家 の質 と 量 の 維持 と 国民 経 済 の競 争 力 を 両 立す る 戦 略と し て フ レ クシ キ ュ リテ ィ は 考 慮 に値 す る 。特 に 、 デンマ ー クか ら 学 ぶべ き は「 誰 でも・いつ で も・ど こ で も職 業 訓 練・職 業教 育 を受 け る こと が で き る 」 機 会を 作 っ てい く こ と が 重要 で あ ろう ※ 。 「 戦略 」 と して の フ レ ク シキ ュ リ ティ フレ ク シ キュ リ テ ィ が 「戦 略 」 なの か 「 分 析 概念 」 な のか 「 実 態 」 なの か 、 は重 要 な 問題で あ る(Bredgaar, T. & Larsen, F.(2010))。日本 で は デ ンマ ー ク の「 実 態 」に 近づ け る べく 日 本 の「戦 略 」と し て フレ ク シ キ ュ リテ ィ が 使用 さ れ る こ とが 多 か った 。 そ の 最 も単 純 で 軽薄 な 例 が「日 本 も可 及 的 速や か に デ ン マー ク 型 のフ レ ク シ キ ュリ テ ィ を導 入 す る べ きで あ る 」と い う 主張で あ った 。 こ のよ う な 主 張 はあ ま り にも 短 絡 的 で あり 、 実 現不 可 能 で あ る。 デ ン マー ク と 日本で は 資 本 主 義 の 様 式 が 異 な る た め―例 え ば 外 部 労 働 市 場 型 と 内 部 労 働 市 場 型―デ ン マ ー ク 型 の フ レ クシ キ ュ リテ ィ を 日 本 が導 入 す るこ と は 極 め て難 し い ので あ る 。 基 軸と し て の雇 用 保 険 ~ 労働 者 の 「公 的 な つ な がり 」 日本 で グ ロー バ ル 福 祉 国家 を 構 想す る に は 、 しば ら く 時間 を 要 す る 。何 を す るに し て もグロ ー バル 福 祉 国家 も 公 的 な 財源 を 十 分に 確 保 し な けれ ば な らな い か ら で ある 。 し かし 、 当 面「誰 で も・ い つ でも ・ ど こ で も」 を 達 成す る た め に 必要 な こ とは 、 非 正 規 労働 者 、 失業 者 が 常に公 的 な訓 練 ・ 教育 シ ス テ ム とつ な が って い る 仕 組 みを つ く るこ と で あ る 。求 職 者 支援 制 度 はその 一 歩と し て 評価 に 値 す る 。だ が 、 大多 数 の 労 働 者を 公 的 につ な げ る に は雇 用 保 険の 適 用 拡大が 重 要で あ ろ う。 筆 者 が “参 加保 障 型 雇用 保 険 ”( 菅 沼(2010)) を 提 唱す る ゆえ ん で ある 。 ※ 2012 年 11 月 20 日 モ ビ ケ ー シ ョ ン mobication を 提 唱 し た Ove Kaj Pedersen 氏 の 国 際 セ ミ ナ ー「 フ レ ク シ キ ュ リ テ ィ の 後 に 」( 主 催 :宮 本 太 郎 北 海 道 大 学 教 授 )を う か が っ た 。 モ ビ ケ ー シ ョ ン 概 念 が 周 到 に 考 え ら れ た 新 し い「 戦 略 」で あ る こ と を 知 り 、今 後 検 討 に 値 す る も の で あることを認識した。 参考文献 Auer,P.(2000)"Employment revival in Europe : labour market success in Austria, Denmark, Ireland and the Netherlands", International Labour Office,2000. Auer,P.(2006) 'In Search of Optimal Labour Market Institutions', in Jørgensen,H.& Madsen,P.K.ed."Flexicurity and Beyond : Finding a new agenda for the European Social Model",DJØF Publishing. Bredgaard,T.&Larsen,F.(2010),'External and Internal Flexicurity:C omparing Denmark and Japan, in "Comparative Labor Law & Policy Journal",vol.31, number4, Summer 2010. 菅 沼 隆( 2010) 「 参 加 保 障 型 雇 用 保 険 の 構 想 」、埋 橋 孝 文・連 合 総 研 編『 参 加 と 連 帯 の セ ー フ テ ィ ネ ット』ミネルヴァ書房。 2 立教社会福祉ニュース第 36 号 ≪ 2012 年 度 前 期 ① 公開講演会 活動紹介≫ 第 35回 社 会 福 祉 の フ ロ ン テ ィ ア 報 告 松原玲子(立教大学コミュニティ福祉学研究科博士課程後期課程・ 社会福祉研究所研究員) 第 35 回 の 社 会 福 祉 の フ ロ ン テ ィ ア は 聖 学 院 大 学 の 相 川 章 子 先 生 の ご 講 演 「 精 神 保 健 福 祉領域におけるプロシューマーの可能性」であった。講演ではアメリカと日本でのプロシ ューマーの実践を写真を交えながら、それぞれの活動実践の場がどのように構成されてい るのかの丁寧な紹介があった。その上で、両国におけるインタビュー調査の中から見えて きたプロシューマーのポジションの意味や構造がどのように生成されているのか、プロシ ューマーの可能性についての話があった。 以下、精神保健福祉領域で実践に携わり、プロシューマーを雇用する側の立場の経験を ふまえて勝手ながら感想を述べさせていただきたいと思う。 プロシューマーとは保健医療福祉サービスおよび支援の受け手(コンシューマー)であ り、かつ報酬給与を得て同サービスや支援の送り手(プロバイダー/プロデューサー)と な っ て い る 人 た ち の こ と を 指 し て い る 。あ ま り 聞 き 慣 れ な い 言 葉 で あ る が 、ピ ア ス タ ッ フ 、 当事者スタッフと言われるとイメージをしやすいかもしれない。ただプロシューマーとい う言葉はサービスの受け手と送り手という二つの役割を意識しやすいものとする。二つの 役割を意識することはプロシューマー自身にとっても、プロシューマーのパートナーとな る専門家にとっても、またプロシューマーのサービスや支援を受ける者にとっても大切な 意味がそれぞれにあることだと考えられる。どのような言葉で表現するのかの違いや大切 さを改めて感じたことだった。 プロシューマーについては、精神保健福祉領域の実践現場では、その存在が良いことで あると感覚的に理解し、実践に取り入れていれているところもある。そこでは良いという ことが前提としてあるがゆえに、改めてプロシューマーのどこが良いのか、なぜその良さ が生まれるのかということも、反対に実践において何かがおかしいと感じることも言葉に されることはあまりない。実際、私自身はプロシューマーを雇用したものの、経験をして いることだけを理由に雇用することに説明がつかないことや、何があれば安心してパート ナーとして共に働くことができるのかがわからないと感じていた。プロシューマーの持つ 良さを引き出すことができなかった。プロシューマーのやりがいや葛藤に注目したり、プ ロシューマーがプロシューマーとしての自分らしさを生かして仕事をしていくために、自 らの経験の語りが存在するという今回の話は、こうした私自身のわからなさや少しほろ苦 い経験を整理してくれるものであった。 一方で現実的にはプロシューマーの役割を生かしていくには、制度化をはじめとして大 きな課題があると言わざるをえない。その中でも、周囲のもの(支援者)ではなく当事者 自身がプロシューマーの制度をつくっていくことは大きなものの一つであろう。また、プ ロシューマーポジションを生成していくための語りがどのようなタイミングで誰との間で なされるのかということも難しさもある。いずれにしても当事者を中心とした議論が必要 になり、その中で専門家はどのようにかかわるのか、その専門性のあり方も含めて問われ てくるのではないかと思う。それが相川先生の言うパラダイム変 革のはじまりなのかもし れない。 3 立教社会福祉ニュース第 36 号 ② ジ ェ ン ダ ー ・ フ ァ ミ リ ー 研 究 会 ( GF 研 ) 報 告 ジ ェ ン ダ ー ・ フ ァ ミ リ ー 研 究 会 ( GF 研 ) 活 動 報 告 太田差惠子 ジ ェ ン ダ ー ・ フ ァ ミ リ ー 研 究 会( 以 下 GF 研 )は 2012 年 春 に 誕 生 し ま し た 。参 加 メ ン バ ー の 多 く は 立 教 大 学 院 21 世 紀 社 会 デ ザ イ ン 研 究 科 の 前 期 課 程 に 在 籍 し た 者 。 私 も 同 年 3 月 に 修 了 し ま し た 。大 学 院 で 学 ん だ 2 年 間 、庄 司 洋 子 先 生 の 講 義 を 受 講 し 、 「 家 族 」に つ い て、さまざまな視点で考えるきっかけをいただきました。 大学院を修了しても勉強を続けたいという思いから、有志数人で同時期にご退官を迎え られた庄司先生に頼み込み、研究会を立ちあげていただきました。庄司先生フアンの他学 年 、 他 学 部 の 学 生 も 参 加 し 、 5 月 の 第 1 回 研 究 会 は 30 人 近 い メ ン バ ー が 集 ま り ま し た 。 主 に 月 に 1 回 、 第 3 水 曜 の 午 後 6 時 30 分 に 立 教 大 学 の 5202 教 室 に 集 ま り ま す 。 各 自 仕 事 を 終 え 、 教 室 に 駆 け つ け ま す 。 年 齢 層 が 広 く 、 職 種 も 経 歴 も 異 な る 仲 間 な の で 、「 家 族 」 についての考え方や価値観が異なり、毎回、活発な意見交換がなされます。 初 回 は 、映 画『 隣 る 人 』 ( ア ジ ア プ レ ス ・ イ ン タ ー ナ シ ョ ナ ル )の 合 評 会 で し た 。刀 川 和 也監督、野中章弘先生をお迎えし、制作に至った過程などの話を伺うことができました。 監 督 の「 児 童 養 護 施 設 の 問 題 と い う よ り 、 『 家 族 』に つ い て 、自 分 自 身 整 理 し た い 思 い が あ った」との言葉は印象深いものでした。 第 2 回のテーマは「葬送を担うのは誰なのか?~葬送の社会化についての考察/生前契 約 の 可 能 性 と 限 界 」。 第 3 回 は 「 日 本 に お け る 非 嫡 出 子 を め ぐ る 諸 問 題 」 に つ い て 。 第 4 回 は 『 父 子 家 庭 が 男 を 救 う 』 論 創 社 ( 2012.05 刊 ) の 著 者 で あ る 重 川 治 樹 氏 を 招 い て 。 そ し て 直 近 の 第 5 回 は GF 研 の 事 務 局 の 深 田 耕 一 郎 さ ん か ら 「 介 護 の 社 会 化 と 家 族 の か た ち ――障 害 者 の 自 立 生 活 へ の フ ィ ー ル ド ワ ー ク を 通 し て 」。各 回 、庄 司 先 生 よ り な さ れ る 社 会 学の観点からのコメントも、とても勉強になります。大学院で学んだといっても、日常生 活 で は「 研 究 」と は 違 っ た 世 界 に い る 私 に は 、新 た な 発 見 の 連 続 で す 。 「 家 族 」の こ と は 日 常生活で考えさせられる場面が度々ありますし、学ぶことで、納得感が生まれることもあ ります。とりわけ差別については「マジョリティー」か「マイノリティー」かが深く影響 していることを庄司先生の言葉の端々に感じるようになり、普段の生活において疑問を持 ったときに、まずそこから考える習慣がついてきたように思います。 毎回のテーマそのものが興味深いことはもちろん、報告者の視点や、その視点がどこか ら生まれてきたのかというバックグラウンドにも注目しています。そのテーマの研究に至 っ た の に は 、何 ら か の き っ か け が あ る か ら で す 。90 分 と い う 限 ら れ た 講 義 中 に は そ こ ま で は聞けないこともありますが、終了後の懇親会ではアルコールを飲みながら、教室での議 論をもう一歩深めています。 出欠はメーリングリストで確認しあっていますが、ゆるやかな体制なので、無理なく継 続していけそうです。興味をお持ちになった方は、ぜひご参加ください。 4 立教社会福祉ニュース第 36 号 ジェンダーと家族から社会を見る―ジェンダー・ファミリー研究会を通して― 酒本知美(白梅学園短期大学助教・社会福祉研究所研究員) この研究会では、ジェンダーと家族という共通点から、それぞれの領域について毎回議 論を交わしている。私たちにとって、あまりに身近なジェンダーや家族という問題は、こ れまでの生活における経験値から自分の置かれている立場が「当たり前のこと」になって しまい、逆に問題意識を持ちにくいという側面もあるのではないだろうか。つまり、私た ちが意図的に問題意識を持つか、実際に生活が破たんするような問題に直面しなければ、 ジェンダーや家族という視点から事象として掘り下げて考える必要があるということにさ え気づくことはないのかもしれない。 重川治樹氏の「父子家庭とジェンダー」では、現在の家族のあり方とジェンダーについ て 改 め て 多 く の 学 び を 得 る 機 会 に な っ た 。2005 年 度 の 国 勢 調 査 に よ る と 、父 子 家 庭 は 全 国 で 約 9 万 世 帯 1 、そ の 割 合 は 一 般 世 帯 の 0.2% と な っ て お り 、母 子 家 庭 の 1.5%( 75 万 世 帯 ) 2 となっていた。父子家庭はマイノリティな家族形態であり、そのため、ほとんど私たち の目に触れることはない。さらには、父子家庭の父親のうち相談相手がない人たちが全体 の 41%を 占 め て お り 3、 問 題 を 個 々 に 抱 え 込 む 状 況 が あ る と 推 測 さ れ る 。 こ の よ う に 父 子 家庭のニーズが社会化されることが無いことも、父子家庭の認知度が低くなったり、支援 が決定的に不足してしまったりする原因になるのではないだろうか。 重川氏は父子家庭の実態を通し、現在の社会のありかたについての問題提起をされたの である。その中でも、広く私たちが考えていくべき課題として提示されたものは、日本の 社会に深く根付いた男性問題であった。先にも述べたように、父子家庭の父親が相談相手 を持たないといったように男性同士が自分の弱さをさらけ出すことをせず、問 題を抱えな がらも分断された状況にあることを問題の一つとされていた。さらに、男性問題に女性が 無関心であることも問題である。男性側が変わるのを待つのではなく、まずは女性側も男 性問題にしっかりと目を向けていかなければならない。 「あなたの連れ合いを子どもを付け て捨ててやって父子家庭体験を三年させる。いい男になったら再び出会ってよりを戻せば よい」4 という言葉は大胆ではあるが、この問題を解決する一つの提案である。 先 に も 述 べ た よ う に 、ジ ェ ン ダ ー と 家 族 と い う 問 題 は そ れ ぞ れ と て も 身 近 な も の で あ る 。 「父子家庭の問題」として問題提起されるとそれはどこかで自分とは距離のある問題のよ うに捉えてしまうのではないだろうか。このような時、自分のより身近な問題であるジェ ンダーや家族のあり方として改めて問題提起をすることで、関心を持つ人たちの幅がぐっ と広がっていくと考えられる。生活のしづらさという一部の人に向けた社会福祉の視点か らアプローチをするのではなく、ごく身近な社会問題として意識をしていくような啓発の あり方がこの「ジェンダー・ファミリー研究会」のもつ大きな意義なのではないかと考え る。 1 2005 年 度 2 同上 国勢調査 http://www.stat.go.jp/data/kokusei/2005/kihon3/00/04.htm 3 「 ひ と り 親 世 帯 の 悩 み 等 」 『 平 成 18 年 度 全 国 母 子 世 帯 な ど 調 査 結 果 報 告 』 よ り 。 母 子 家 庭 の 場 合 、 23%が 相 談 相 手 な し と 答 え て い る 。 http:// www.mhlw.go.jp/bunya/kodo mo/boshi -setai06/dl/setai06v.pdf 4 重 川 治 樹 『 父 子 家 庭 が 男 を 救 う 』 論 創 社 、 2012、 p.218 5 立教社会福祉ニュース第 36 号 ③ 研究例会報告(第 2 回 2012 年 7 月 10 日 ) 知 的 障 害 で 性 同 一 性 障 害 (FtM)当 事 者 の セ ク シ ュ ア ル ・ ア イ デ ン テ ィ テ ィ 形 成 ― 人 び と と の <相 互 作 用 >が セ ク シ ュ ア ル ・ ア イ デ ン テ ィ テ ィ 形 成 に 与 え る 影 響 ― 杉崎 敬(立教大学コミュニティ福祉学研究科 博士課程後期課程) 本 研 究 の 目 的 は 、軽 度 知 的 障 害 で FtM 当 事 者 の A さ ん (30 代 )と 、A さ ん を 取 り 巻 く 人 び ととの対話的で相互的な関わりが、Aさんのセクシュアリル・アイデンティティ形成にど の よ う な 影 響 を 与 え 得 る の か 、A さ ん の 過 去 か ら 現 在 に 至 る 経 験 や <生 き ざ ま >か ら 紡 ぎ だ さ れ た 「 語 り 」 を 手 掛 か り と し て 、 パ ー ト ナ ー (40 代 ・ 軽 度 知 的 障 害 ・ レ ズ ビ ア ン ・ 交 際 歴 13 年 )、 家 族 、 知 的 障 害 当 事 者 た ち 、 セ ク シ ュ ア ル ・ マ イ ノ リ テ ィ 当 事 者 た ち 、 支 援 者 と の <相 互 作 用 >を 通 し て 明 ら か に す る も の で あ る 。 ここ数年、複数の生きづらさを抱えている当事者を、複数のマイノリティ要素をもって いるという意味で「ダブル・マイノリティ」あるいは「複合マイノリティ」と言うが、こ うした当事者たちは、周囲からの差別・偏見により、通常の社会生活を送ることに大きな 困 難 さ を 抱 え て い る 。 一 般 的 に 、 LGBTI と 称 さ れ る セ ク シ ュ ア ル ・ マ イ ノ リ テ ィ 当 事 者 に 対する差別・偏見が未だに根強くある中で、障害や疾病などその他のマイノリティ要素を も っ て い る 当 事 者 の 存 在 は 、な か な か 社 会 に 浮 か び 上 が ら ず に 、 「 い な い 」者 と し て 扱 わ れ ている状況は決して否めない。本当は「いる」のに「いない」とされることほど理不尽極 まりないことはないが、特に、障害当事者の中でも知的障害をもったセクシュアル・マイ ノリティ当事者の置かれている現状は、その障害特性故なのか、なかなか社会に可視化さ れない。しかし、現実問題として、知的障害当事者の中にも様々なセクシュアリティを生 きる人もいるのである。 Aさんのセクシュアル・アイデンティティのあり様は、流動的ではあるものの、周囲の 人 び と の 言 葉 (<応 答 ><共 感 >)に よ っ て 支 え ら れ て い る 。 ま た 、 そ う し た 言 葉 に 裏 付 け ら れ な が ら の A さ ん の カ ミ ン グ ア ウ ト は 、カ ミ ン グ ア ウ ト と い う メ ソ ッ ド を 通 し て 、 「 語 る 」と い う 行 為 か ら 得 ら れ た 人 び と の 言 葉 (<応 答 ><共 感 >)を 伴 っ て い る 。 A さ ん の カ ミ ン グ ア ウ トは、こうした言葉を纏いながら、自身のセクシュアル・アイデンティティを形成し、 < 再 構 築 ><強 化 >し よ う と し て い る 姿 に 他 な ら な い 。 パートナーの女性とその家族との「家族ぐるみ」の親密な関係、元障害児学級教員によ る「性の学習会」を受けたことにより性の多様性・寛容性を知ったこと、同じ知的障害を も っ た 当 事 者 た ち に 理 解 さ れ る こ と が <共 感 >へ と 変 わ っ た こ と 、 レ ズ ビ ア ン ・ ゲ イ ・ ト ラ ンスジェンダーなどのセクシュアル・マイノリティ当事者たちとの交流の場における周囲 か ら の 支 持 が 、自 ら の セ ク シ ュ ア リ テ ィ の 再 確 認 の 場 と も な っ た こ と 、A さ ん の た め に「 性 の学習会」を提案してくれた「本人活動の会」の支援者に対する感謝の思い 等、こうした 人 び と の 対 話 的 な 関 係 が 営 ま れ る こ と に よ り 、A さ ん を よ り A さ ん ら し く 変 え た の で あ る 。 こ う し た 周 囲 の 人 び と と の <相 互 作 用 >か ら 紡 ぎ だ さ れ た 言 葉 (<応 答 ><共 感 >)に よ っ て 、 支 え ら れ 、 裏 付 け ら れ 、 そ し て 、 < 再 構 築 ><強 化 > さ れ る も の 、 即 ち 、 そ れ が 知 的 障 害 で FtM 当 事 者 の A さ ん の セ ク シ ュ ア リ テ ィ そ の も の で あ る の で は な か ろ う か 。 そ れ と 共 に 、 A さ ん 自 身 が 人 び と か ら の 言 葉 (<応 答 ><共 感 >)を 纏 う こ と に よ っ て 、 A さ ん の セ ク シ ュ ア リティそのものは変容し得るものであるということも明らかになった。即ち、人びとと の 6 立教社会福祉ニュース第 36 号 関 係 性 如 何 に よ っ て 決 定 さ れ る 言 葉 (<応 答 ><共 感 >)は 、 流 動 的 で は あ る が 、 A さ ん の セ ク シ ュ ア ル ・ ア イ デ ン テ ィ テ ィ 形 成 の 要 と な っ て い る 。 そ う し た 言 葉 (<応 答 ><共 感 >)を 纏 う ということは、人びとのAさんに対する感動や支持をも身につけるということになる。そ し て 、ど れ だ け そ う し た 言 葉 (<応 答 ><共 感 >)を 纏 う こ と が で き る の か が 、A さ ん の “自 分 ら し い 生 き 方 ”を 決 定 す る 要 素 と も な る の で あ る 。 以 上 、 本 研 究 か ら 導 き 出 さ れ る 結 論 は 、 周 囲 の 人 び と と の <相 互 作 用 >そ の も の が 、 A さ んのセクシュアル・アイデンティティ形成のあり様に大きな影響を与えているということ が明らかにされた。 また当日フロアからは、知的障害と性同一性障害をもつ当事者のセクシュアリティの難 しさ、即ち、知的障害であるという事実が、どのように当事者の多様なセクシュアリティ に作用しているのかなどの議論や、そもそも性同一性障害やトランスジェンダーというも のは何かという質問があがり、何れも今後の研究に大きな示唆を与えるものとなった。 ≪ 2012年 度 新 任 研 究 員 紹 介 ≫ 鈴木隆雄(千葉大学大学院人文社会科学研究科博士後期課程・ 社会福祉研究所研究員) ある特定の文化にいると、誰もが自分たちの属する文化の日常性に埋もれて、自分たち の文化こそは自明で当たり前だと思いこみがちになる傾向があります。そこに今まで無視 さ れ た り 、否 定 さ れ た り し て い た 圧 倒 的 な 他 者 性 を 持 っ た マ イ ノ リ テ ィ ー が 、 「幻聴さん」 (浦河べてるの家)などと言うと、新鮮な感覚をもたらすこともあります。それぞれの文 化の当事者たちが、絶対だと思いこんでいたことも、違う文化の行動様式を見ると、そう でないと気づくことが多くあります。従来、文化人類学は、この差異性の発見や報告を担 っ て き ま し た 。つ ま り「 裸 の 王 様 」を 指 摘 し た 子 供 の よ う に 、他 者 の 視 点 が そ れ ぞ れ の 個 々 人が属する文化の常識について再考する機会をつくり出すといえるでしょう。 さ て 、私 は 、28 歳 の と き 、末 梢 神 経 の 疾 患 の た め 、次 第 に 自 分 自 身 の 身 体 が 麻 痺 し て い く神経難病を発症しました。歩くこと、動くことという誰でもふつうに出来ると思い込ん で い た 行 為 が 、 あ る 日 、 突 然 、 徐 々 に 出 来 な く な っ て い く …。 私 も 、 自 ら の 「 病 い 」 の 経 験から、当たり前だと思い込んでいたことは、じつは、当たり前ではないということに気 づ か さ れ ま し た 。今 日 の 私 の 研 究 は 、そ ん な 私 の 個 人 的 経 験 か ら 始 ま り ま し た 。1990 年 代 、 私 は 、 当 時 30 歳 代 で 、 少 々 、 遅 い 研 究 活 動 の ス タ ー ト で し た 。 立 教 大 学 大 学 院 を 修 了 後 、現 在 、私 は 、千 葉 大 学 大 学 院 人 文 社 会 科 学 研 究 科 に 在 籍 し て 、 文化人類学、医療人類学を専攻しています。従来の研究では、障害者という人間像≒他者 マジョリティー から見た障害者像、つまり「他画像」は、健常者中心の多数派社会のモノの見方、すなわ ち、障害や「病い」の当事者は、社会的に低い価値に置かれたり、否定的なモノの見方が 多くありましたが、アーサー・クラインマンの『病いの語り』を見るように医療人類学の 分 野 で も 、当 事 者 の narrative が 注 目 さ れ て い ま す 。 私 自 身 も 抹 消 神 経 が 侵 さ れ 、次 第 に 身 体が麻痺していく神経難病の当事者という立場から、自らの身体と周囲(社会)をライフ ス ト ー リ ー や 自 己 エ ス ノ グ ラ フ ィ ー か ら 障 害 や「 病 い 」を 持 つ と い う こ と の 意 味 は 何 か 、「生 き る 」と は 何 か 、「病 む 」と は 何 か を 、 当 事 者 の 視 点 か ら の 「 人 間 像 」 ≒ 「 自 画 像 」 を 探 求 し ています。 また、私は、実践活動として、地域で「障がいのある人もない人も安心して楽しく暮ら 7 立教社会福祉ニュース第 36 号 せる地域づくりを」をコンセプトに、障がい当事者団体自立生活センターの立ち上げから 参 加 し 、こ の 自 立 生 活 セ ン タ ー を 運 営 母 体 と し て 、平 成 18( 2006)年 特 定 非 営 利 活 動 法 人 を 立 ち 上 げ ま し た 。同 法 人 は 、平 成 19( 2007)年 か ら 障 害 者 自 立 支 援 法 と そ の 関 連 法 に も と づ く 指 定 介 護 事 業 所 を 発 足 し て 介 護 事 業 を 始 め て い ま す 。私 た ち の NPO 法 人 は 、障 が い 当事者団体が母体ですので、運営者たちの多くは障がい当事者です。しかし、私た ちの法 人 で は 、「 ○○が 出 来 な い 」 人 た ち の 代 わ り に ○○が 出 来 る 人 た ち が そ の 仕 事 を し ま す 。 動 く のが困難な人は、動きの少ない事務や在宅ワークをするという風にワークシェアーをして い ま す 。一 見 す る と「 ○○が で き な い 」障 が い 当 事 者 も 、違 う 視 点 か ら 見 る と「 ○○は で き な い 」け れ ど も 、 「 △△が で き る 」 「 ◇ ◇ と い う 素 晴 ら し い 面 が あ る 」と プ ラ ス に 、あ る い は ポ ジ テ ィ ブ に 捉 え て 、お 互 い 同 士 が「 出 来 な い 」こ と を 補 い 合 い 、 「 出 来 る 」こ と を〈 支 え 合 い〉ながら活動をしています。障がいのあるなしにかかわらず、人が人を支援したり、あ る い は 支 援 さ れ た り す る〈 つ な が り 〉や〈 支 え 合 い 〉の 実 践 の 中 に こ そ 、真 の 意 味 で の「 支 援」や「援助」とその根本精神があると考え、日々、活動しています。 ≪ 2012 年 度 前 期 活動報告≫ 【社会福祉のフロンティア】 第 35 回 社 会 福 祉 の フ ロ ン テ ィ ア を 2012 年 5 月 29 日 に 開 催 し ま し た 。「 精 神 保 健 福 祉 領 域におけるプロシューマーの可能性」と題して相川章子氏(聖学院大学准教授)にご講演 い た だ き ま し た 。プ ロ シ ュ ー マ ー と い う 新 し い 概 念 に つ い て 活 発 な 議 論 が か わ さ れ ま し た 。 【各種セミナー】 2012 年 6 月 30 日 に 「 家 族 コ ミ ュ ニ ケ ー シ ョ ン セ ミ ナ ー ( 第 1 回 )」、 7 月 28 日 に 「 家 族 援 助 に 関 す る 研 究 会( 第 1 回 )」を 開 催 し ま し た 。い ず れ も 河 東 田 誠 子 特 任 研 究 員 に 担 当 い ただき、日頃の家族関係を振り返り、家族援助のあり方を見つめ直す機会となりました。 ま た 、 2012 年 9 月 15 日 に は 「 第 20 回 家 族 援 助 技 術 セ ミ ナ ー 」 を 開 催 し ま し た 。 安 達 映 子特任研究員に担当いただき、援助職者を対象としたスーパービジョン・連携のための解 決構築アプローチについて、講義と演習を行ないました。 【研究例会】 第 1 回 ( 2012 年 5 月 15 日 ) で は 、 田 中 聡 一 郎 所 員 、 百 瀬 優 研 究 員 、 酒 本 知 美 研 究 員 か ら 、昨 年 度 の 科 研 費 調 査 に 基 づ く 生 活 保 護 自 立 支 援 プ ロ グ ラ ム の 実 態 報 告 が な さ れ ま し た 。 第 2 回 ( 2012 年 7 月 10 日 ) は 、 杉 崎 敬 氏 に 知 的 障 害 を 持 つ 性 同 一 性 障 害 (FtM)当 事 者 の セ クシュアル・アイデンティティ形成に関する報告を行なっていただきました。 発行:立教大学社会福祉研究所 〒 171-8501 東 京 都 豊 島 区 西 池 袋 3- 34- 1 Tel: 03- 3985- 2663 Fax: 03- 3985- 0279 e-mail: [email protected] URL: http://www.rikkyo.ac.jp/research/laboratory/ISW/ 8