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ス コッ ト ラ ン ド綿工業成立史
43 ス コ ッ ト ラ ン ド綿 工 業 成 立 史 産業 資本家 の出 自を中心 として AHistoryofScottishCottonlndustry whobecamecaptainsoftheindustry 北 政 巳 MasamiKita I H 序 D)関 連 諸 分 野(化 ス コ ッ ト ラ ン ド綿 工 業 の 成 立 E)原 料 ・製 品 の 市 場 A)概 観 】 皿19世 B)綿 紡績業 の発展 IV結 C)力 織 機 の導 入 学 工 業)の 興隆 紀 中 葉 の ス コ ッ トラ ン ド綿 工 業 び 企 業 者 出 自 を 中心 と して一 立 」(河野 健 二 ・飯 沼 次 郎 編 『世 界 資 本 主 義 の 1序 形 成 』岩 波 書 店,1967年)と 吉 岡 昭 彦 「綿 業 」 (吉 岡 昭 彦 編 『イ ギ リス資 本 主 義 の 確 立 』 御 我 国 の イ ギ リス 経 済 史 研 究 で は,近 年,イ 茶 の水 書 房,1968年)の 方 法 論 争 が あ る.ま ギ リス 産 業 資 本 主 義 が 世 界 市 場 で 再 生 産 軌 道 た 工 場 制 へ の 移 行 と技 術 史 の観 点 か らは,堀 を 確 立 し,さ らに 重 層 的 展 開 を遂 げ る諸 局 面 江 英 一 『イ ギ リス工 場 制 度 の成 立 』(ミネ ル ヴ の研 究 を め ぐ り,種 々 の論 争 が な され て い る. ァ書 房,1971年),茂 そ の対 象 と され る年 代 は,ま た,フ ー ル 型 紡 績工 場 の破 行 的 技 術 発 展 と職 場 労 働 ラ ンス, ドイ ツ,ア メ リカ そ の他 の 後 進 資 本 主 義 国 が 力構 成 木 一 之 「イ ギ リス ・ミュ 生 産 技 術 の 変革 と 『熟 練 』 一 」 産 業 革 命 を 遂 行 し,急 速 に イ ギ リス 資 本 主 義 (高 崎 経 済 大 学 『産 業 研 究所 紀 要 』 第13号, に 肉 迫 し,世 界 市 場 で の 「争 奪 戦 」 を演 ず る 1973年),琴 時 代 で もあ る.そ こに 国 際比 較 研 究 の 関 心 と 工 場 制 へ の 移 行 過 程 」(『社 会 経 済 史 学 』 第38 必 要 性 が あ る. 巻 第4号 所 収1972年),会 勿 論,体 系 上 の 「主 役 」 は,世 界 資 本 主 義 野 孝 「イ ギ リス綿 織 業 に お け る 社 組 織 の 形成 面 か らの 研 究 に,鈴 木 良 隆 「ア ー ク ライ ト型 工 の 確 立 と発 展 を 導 い た イ ギ リス綿 工 業 で あ る. 場 我 国 の 研 究 学 界 で は,先 駆 的 業 績 と して 脇 村 済 学 』 第36巻 第3号 所 収1974年),同 i義太 郎 「二 個 の 伝 統 世 紀 東 部 ミ ドラ ンズ に お け る繊 維 産 業 の発 展 紡 績 業 と銀 行 」 そ の存 在 形 態 と経 営 的 停 滞 要 因 」(『経 「18 (山 崎 覚 次 郎 先 生 還 歴 記 念 論 丈 集 『経 済 学 研 一 究 』1939年)が (『経 済 学 』 第37巻 第3号 所 収1975年).野 あ る.さ らに イ ギ リス 資 本 主 ア ー ク ライ ト型 工 場 成 立 の 一 背 景 」 義 研 究 と綿 工 業 の関 連 に つ い て は,角 山栄 田 正 穂 「労 働 者 株 式 会 社 小 論 」(『経 済 志 林 』 「イ ギ リス綿 工 業 の 発 展 と 世 界 資 本 主 義 の 成 第2巻 第3号 所 収1934年),同 「ラ ンカ シ 44季 刊 ア綿 工 業 に お け る株 式 会 社 の 形 成 一 るOldhamLimitedsの て 創 価 い わゆ 構 造的特 質 につい 経 済 論 集Vo1.9No.1 第35巻 第5・6号1969年)の 川雪 彦 「イ ン ド綿 工 業 に お け る 技 術 と市 場 に つ い て (上),(下)」(『 」(『 経 済 志 林 』 第3巻 第3号 所 収X935 他,清 経 済 研 究 』 第27巻 第3・ 年),米 川 伸 一 「オ ル ダ ム綿 紡 績 会 社 設 立 ブ 号 所 収1976年)が ー ム」(『一 橋 論 叢 』 第77巻 第6号 所 収1974 業 の 資 本 投 資 と恐 慌 の 関 連 は,毛 利 健 三 …三「1825 年),同 年 恐 慌 と イ ギ リス 綿 工 業 一 一 イ ギ リ ス 産 業 資 「オ ル ダ ム有 限 株 式 会 社(Oldham Lirniteds)成 立 前 史」(『ビ ジ ネ ス ・レ ビ ュ ー』 第24巻 第3号 所 収1976年)が あ る.ま 第4 た イ ギ リス 綿 工 本 確 立 過 程 の構 造 分 析 序 論 一 」(『 社 会 科 学 研 究 』 第17巻 第6号1960年)以 あ る. ま た販 路 市 場 の 面 か ら は,中 川 敬 一一 郎 「イ ギ リス綿 業 に お け る綿 糸 ・織 布 市 場 組 織 の 発 降,幾 多の 労 作 が 発 表 さ れ て い る. ま た 経 営 史 学 会 第12回 大 会 の 共 通 論 題 「企 達 」(「経 済 学 論 集 』 第23巻 第4号 所 収1958 業 金 融 の 比 較 史 的 研 究 」 で は,紡 績企 業金融 年),鈴 の 国 際 比 較 経 営 が 討 議 さ れ た.荒 井 政 治 「第 木 良 隆 「産 業 革 命 期 イ ギ リス に お け る市 場 活 動 の構 想 過 程 一 一マ コ ンネ ル=ケ デ ィの場 合 」(『経 済 学 』 第38巻 第2号 所 収1976年),北 川 勝 彦 「産 業 革 命 期 イ ギ リ ス 綿 業 に お け る市 場 組 織 に つ い て 一 ネルeケ ネ マコン ネ デ ィ細 糸 紡 績 会 社 の 場 合 (『千 里経 済 学 』 第8号1974年)が 」 あ る.さ 一 次 大 戦 前 に お け る ラ ンカ シ ァー 紡 績 業 の資 金 調 達 」(同 報 告 掲 載 号 所 収1972年),同 『経 営 史 学 』 第7巻 第1 「ラ ン カ シ ァ ー・ 綿業 に お け る株 式 会 社 企 業 の 成 立 に 関 す る 一 研 究 」 (『関 西 大 学 経 済 論 集 』 第15巻,第4・5・6合 併 号 所 収1966年)が あ る,付 記 して 我 国 の らに 企 業 者 活 動 の側 面 か らは,米 川 伸 一・rフ 紡 績 企 業 研 究 を の べ る と,遡 ォ ー ル ・ リヴ ァ紡 織 企 業 の 形 成 と展 開 」(増田 第5回 四 郎 教 授 古 稀 記 念 論 丈 集 『ヨー ロ ッパ経 済 ・ 管 理 の 特 質 一 一 そ の歴 史 的 考 察 一 社 会 ・文 化 』1979年 創 文 社),鈴 史 学 』 第5巻 第1号1970年)と 業 革 命 期 イ ギ リス 綿 業 に お け る 企 業 者 活 動 た 際 に も,我 国 の代 表 的 な紡 績 業 の 事 例 研 究 一 を 通 じ て 論 じ られ た こ と も,こ 戦 略 決 定 過 程 と戦 略 類 型 一 叢 』 第77巻 第6号 木 良隆r産 」(『一 橋 論 の研 究 ノ ー ト1977年)が あ る.そ の他 労 務 管 理 の 面 か ら は,茂 木 一 之 「産 業 資 本 主 義 期 の イ ギ リス 綿 工 業 ミュー ル 大 会 の 共 通 論 題 で 「日 本 に お け る経 営 最 近 の 秀 作 は,米 開 究 』 第29巻 第4号 『 排 他 的 』 慣 行 一一 」(『 高 崎経済大学論 集』 第 19巻 第4号 所 収1977年)が あ る. イ ギ リス綿 工 業 の世 界 史 的 意 義 は,社 会 経 の国際比較 研 う。 国 際 比 較 の 川 伸 一・「紡 績 業 に お け る 企 業 成 長 の 国 際 比 較 一一…イ ギ リ ス,ア イ ン ド,日 」(』 経 営 し て扱 わ れ 究 へ の 拍 車 を 与 え た と 云}よ 型 紡 績 工 場 に お け る 『労 務 管 理 』 の生 成 ・展 生 産技術 の破行 的発展 と 労働 組 合 の っ て経 営 史 学 会 本,1870∼1930年 メ リ カ, 一一 一 」(『 経 済 研 所 収1978年)が あ る. こ の よ うに イ ギ リ ス 綿 工 業 研 究 は,前 よ う な 諸 局 面 か ら 究 明 さ れ,展 述の 開 さ れ て きた. し か し イ ギ リス 綿 工 業 研 究 と い っ て も,そ の 済 史 学 会 第34回 大 会 の 共 通 論 題 「世 界 経 済 の ほ と ん ど 全 て が イ ソ グ ラ ソ ド綿 工 業 史 を 対 象 形 成 過 程 」で 論 じ られ,同 報 告 の 西 村 孝 夫 「イ と した も の で,北 ン ド綿 業 とイ ギ リス 綿 工 業 」(『 社会 経済 史学』 工 業 史 は そ の 重 要 性 を 認 め られ な が ら も,資 部 地 域 ス コ ッ トラ ン ドの 綿 June1979北 政 巳:ス 45 コ ッ ト ラ ン 吋綿 工 業 成 立 史 料,研 究 視 角 等 の 問題 か ら,未 開 拓 の ま ま に 立 ・発 展 ・衰 退 の諸 局 面 と,紡 績 ・織 布 業 者 放 置 され て きた とい っ て も過 言 で は な い. の企 業 者 活 動 を 中 心 に ま とめ てみ た い. そ れ 故 に ス コ ッル ラ ン ド経 済 史 研 究 を 主 領 域 とす る私 は,何 らか の 形 で 「イ ギ リス 綿 丁. IIス コ ッ トラン ド綿 工業 の 成 立 業 史 」 研 究 論 争 に 貢 献 した い 意 図が あ る.ま た 私 個 人 の問 題 意 識 の 中 で,ス コ ッ トラ ン ド 経 済 史 に お け る毛 織 物 工 業(拙 稿 「ス コ ッ ト ラ ン ド毛 織 物 工 業 史 て A)概 観 ス コ ヅ トラ ン ド綿 工 業 は,1780年 代 か ら19 ッ ィー ド織 を め ぐっ 世 紀 に か け て,著 し い 興 隆 を み た.そ の 諸 要 因 に は,先 づ 第1に の発 展 」(『創 価 経 済 論 集 』 第8巻 第1号 所 収 1978年),亜 技術 発 明の時代 と 麻 工 業(拙 稿 『18世紀 ス コ ッ トラ 符 合 し て い た 点 が 挙 げ ら れ る1).第2に は, ン ド亜 麻 工 業 史 」(『創 価 経 済 論 集 』 第8巻 第 18世 紀 後 半 に ス コ ッ トラ ン ド経 済 に 繁 栄 を も 3号 所 収1978年)等 を 通 じて 伝 統 的 問 屋 制 家 た ら し て い た タ バ コ 貿 易 が,ア 内 工 業 か ら本 格 的 な資 本 主 義 株 式 企 業 と して 成 立 す る綿 工 業 へ の 移 行 期 過 程,そ 短 命 的 繁 栄 は,さ の興 隆 と らに 次 の19世 紀 の鉄 工 業 ブ ー ム(拙 稿 「産 業 革 命 期 ス コ ッ トラ ン ド製 鉄 争 を 機 に 激 減 し,産 メ リカ独 立 戦 業 構 造 の 転 換 と して木 綿 工 業 へ 資 本 投 下 が な さ れ た2).そ の 際,1783 年 に 設 立 さ れ た そ の 種 で は イ ギ リス 最 初 の グ ラ ス ゴ ウ商 工 会 議 所(GlasgowChamber 業 と企 業 家 」(『大 阪 大 学 経 済 学 』 第19巻 第4 号 所 収1970年),同 「19世紀 ス コ ッ トラ ソ ド 銑 鉄 企 業 の 一 研 究 一DalmellingtonIron Companyの 事例 極 的 に 投 資 転 換 を指 導 し た こ と に 注 目 さ れ る3). 第3に 」(『大 阪 大 学 経 済 学 』 第20巻 第2号 所 収1971年),同 ofCommerce)が,積 技 術 面 か ら観 る と,独 よ りもむ しろ マ ンチ ェ ス タ ー 製 機 械 を 移 植 し 「19世 紀 ス コ ッ トラ ソ ドの鉄 工 業 一 グ ラス ゴ ラ の 銑 鉄 輸 出市 場 を 中 心 と して 」(『 創 価経済論 集』 1)ス コ ッ ト ラ ソ ド人 は,当 に 著 し く 貢 献 し た.拙 と至 る ス コ ッ トラ ン ド社 会 経 済 構 造 の変 革 過 程 の ドラマ を 2)ア メ リ カ 独 立 戦 争 と ス コ ッ トラ ソ ド経 済 の 関 解 明 す る 「鍵 」 と思 え るか らで あ る.と 同 時 ス コ ッ トラ ン ドとイ ソ グ ラ ン ドの銀 行 制 度 の相 違 を 中 心 と して 」(『大 阪 大 学 経 済 稿 「18世 紀 の ス コ ッ ト ラ ソ ド の 経 済 発 展 に 関 す る 一 考 察 」(『創 価 大 学 関 学 記 念 論 文 集 』1971年)23-24頁 コ ッ トラ ン ド綿 工 業 と銀 行 ・金 融(拙 稿 「19世紀 に お け るス コ ッ トラ ン ドの銀 行 業 第1号1974年)62-69頁 を 参 照 さ れ た い. 連 に つ い て,拙 に,ス 時 の技 術 革 新 ブ ー ム 稿 「産 業 革 命 期 ス コ ッ トラ ン ドの 教 育 組 織 に 関 す る 一 考 察 」(『 創 価 経 済 論 集 』 第4巻 第2巻 第1号 所 収,1972年)へ 自な 技 術 開 発 を 参 照 され た い. 3)グ ラ ス ゴ ウ商 人 や商 工 会 議 所 の 活 動 に つ い て は,拙 稿 「ス コ ッ ト ラ ソ ド の 経 済 発 展 と 商 人 活動 グ ラ ス ゴ ウ 市 の 形 成 ・発 展 を 中 心 と して一 」(『 近 代 経 済 の 歴 史 的 基 盤 』 ミネ ル ヴ ァ書 房1977年)501-515頁 学 』 第21巻 第3号 所 収1972年),同 「産 業 革 命 期 ス コ ッ トラ ン ド諸 銀 行 に み る企 業 者 活 動 」(『創 価 経 済 論 集 』 第4巻 第3号 所 収1974 い.グ の 技 術 革 新 を 奨 励 し た 他,市 い.需 を 参 照 され た ラ ス ゴ ウ 商 工 会 議 所 は,特 に仕上工程 場 調査 を 行 な 要 に 応 じた 流 行 製 品 の 製 造 ・販 売 を 積 極 的Y'支 援 し た.こ の 点 は,グ ラ ス ゴ ウ ウ市 ミ ッチ ェ ル 図 書 館 所 蔵 のGlasgowChamber 年)と の 関 連 を 把 握 し てみ た い. こ こで は先 ず ス コ ッ トラ ン ド綿 工 業 の 成 ofCommerceCorrespondence1783-1808 に 詳 し い. 6 4 季刊 て 創 業 さ れ た こ と で あ る.勿 論,そ 創 価 の背 景に は 新 技 術 ・機 械 を 受 容 で き え た 熟 練 技 術 の 伝 こ の 綿 紡 ・織 技 術 に は,定 業 が1759年 着 に 至 る二 つ の ず 「絹 薄 織 」(silkgauge) に ペ イ ズ リ(Paisley)に さ れ,ロ 導入 の 市 に 五 千 人 の 織 工,糸 (winder),一 雇 用 さ れ た.取 X701.9No.1 集 業 とす る に 至 る 理 由 を 作 っ た. 第4の 要 因 は 需 要 の 変 化,流 巻工 行 の変化で あ ャ ラ コ や フ ァ ス テ ィ ア ン織 が,中 流階 級 さ ら に 一 部 労 働 者 階 級 に も需 要 を 増 し,服 らに 綿 製 の 靴 下 ・ ハ ン ケ チ ・ シ ャ ツ ・装 身 織 物 等 の 市 場 が 著 し く拡 大 しつ つ あ っ た.他 方 で は,絹 織物のコ ス ト高 や 亜 麻 織 物 の 輸 入 原 亜 麻(flax)の 高騰 に 直 面 し て い た こ と も 逆 作 用 し て い た7). 万 人 の 経 糸 仕i掛 工(warper), 刈 毛 工(clipper)が 論 装 織 物 と し て 流 行 した.さ ン ド ン 商 人 が 通 商 拡 大 を 計 っ た. 1784年 に は,そ 済 る.キ 統 を 無 視 で き え な い4). 流 れ が あ っ た.ま 経 引価 格 は 第5の 要 因 は,供 給 の 観 点 で あ る.先 ず西 £35万 に 達 し こ の 絹 織 物 業 は 短 命 に 終 っ た が, イ ン ド諸 島 へ 移 住 し た 王 党 主 義 者 の ス コ ッ ト 織 工 は 極 細 織 物 製 造 の 熟 練 度 を 増 し,の ラ ン ド人 プ ラ ン タ ー や 武 装 中 立 の 北 ア メ リ カ モ ス リ ン(muslin)織 ちの 製 造 へ の 途 を 拓 い た5). さ ら に も う一 つ の 流 れ は,1760年 代 に著 しく 需 要 を 増 した 高 級 亜 麻 織 物 で あ る.そ のた め 商 人 か ら一 層 の 原 棉 輸 入 が 可 能 で あ っ た.事 実,プ ラ ン タ ー 達 は,グ 貿 易 商 人 に 対 し,砂 ラス ゴ ウの 西 イ ン ド 糖 ・ラ ム 酒 の 販 売 条 件 に ス コ ッ ト ラ ン ド固 有 の 亜 麻 織 物 業 に 加 え,フ 大 量 の 原 棉 引 受 を 要 求 し た8).ま ラ ン ス,オ ラ ン ダ か ら輸 入 した 寒 冷 紗(lawn), ス コ ッ ト ラ ン ドの 銀 行 か ら 現 金 信 用(cash 上 質 か な き ん(cambric)製 credit)や た が,そ 造 技術を輸 入 し れ が 綿 織 物 業 技 術 を 受 容 す る土 壌 を 形 成 したs).と 景 が,ス 同 時 に,こ の よ うな 歴 史 的 背 コ ッ ト ラ ン ド綿 工 業 が イ ン グ ラ ン ド の そ れ に 比 し て,細 紡 績 ・高 級 装 飾 織 物 を 専 た 商 人 に は, 融 通 手 形(billofexchange)の 利 用 が バ ッ ク ・ ア ッ プ に あ っ た9). こ の よ うな 諸 要 因 が ス コ ッ トラ ン ド綿 エ 業 の 創 業 に 働 い て い た が,過 渡 的 な 形 態 と し て, 1769年 頃 ペ イ ズ リの 綿 織 親 方 が 緯 糸 に 木 綿 糸, 7)J.Butt,`TheScottishCottonIndustry 4)熟 練 技 術 の 毛織 物 ・ リ ン ネ ル 工 業 に つ い て は, duringtheIndustrialRevolution1780- 拙 稿 「ス コ ッ ト ラ ソ ド毛 織 物 工 業 史 ツ ィ ー ド織 を め ぐ っ て 」(『 創 価 経 済 論 集 』 第 1840'.L.M.Cullen&T.C.Smouted., 8巻 IrishEconomicandSocialHistor二v1600 -1900∫ .D.PublishersLtd.1976Edinb- 第1号 所 収1978年),同 「18世 紀 ス コ ツ ト ラ ソ ド亜 麻 工 業 史 中 心 と して 3号 イ ギ リス亜 麻 会 社 を 」(『 創 価 経 済 論 集 』 第8巻 所 収1978年)を 毛 織,綿 参 照 さ れ た い.亜 第 麻, ComparativeAspectsofScottishand urghp.116な お,原 亜 麻 価 格 の 高 騰 は,当 時 のTheScotsMagazineに の 共 存 期 の ス コ ッ ト ラ ソ ド工 業 に つ 詳 し い. 8)M.M.Edwards,TheGrowthoftheBri- い て は,R.MacIntyre`TheTextileIn- tishCottonTrade1780-1815Manchester dustries'LocalIndustriesofGlasgow 1967pp.34-37;Senex,GlasgowPastand andtheWestofScotland.AMacleaned PresentGlasgow188411工.374ff.ま Glasgow1901に イ ソ ド 貿 易 商 人 に つ い て は,T.M.Devine, `TransportProblemsofGlasgowWest 詳 し い. 5)D.MacPherson,AnnalsofCommerce IndiaMerchantsduringtheAmerican 1805.Vo1.3pp.336-7;H.且amiltonThe IndustrialRevolartioninScotland.(以 1.R.Sと 略 す)FrankCass.1966P.119 6)Sir.J.Sinclair,GeneralReportofthe AgriculturalStateofScotland1845 Vo1.2App.p.319 た 西 下 WarofIndependence,1775-83'inTransportHistory.IV.1971PP.266-304に い 。 9)S.G.Checkland,ScottishBankiyag,aHistory,1695-1973,1975,p.230 詳 し dune1979北 政巳 ス コ ッ ト ラ ン ド綿 工 業 成 立 史 47 経 糸 に 亜 麻 糸 を用 い た 混 織 物 を 製 造 した 記 録 代 の 創 出 物 で あ る15)」 と の べ ら れ て い る.レ が あ る.そ ン ブ リユ シ ァ の 記 録 で は,「 木 綿 工 業 に 大 き の 理 由 は,ジ ェ ニ ー紡 績 機 で は 充 分 な 強 度 の 経 糸 を 製 造 で き な か っ た か らで あ な 投 機 が 生 じ て い る16)」 と あ る.こ る10).こ 北 上 し,ス の 技 術 的 課 題 は,1779年 に発 明 され た ミ ュ ー ル 紡 績 機 に よ っ て 克 服 さ れ た11). 鐘 の2階 ス ゴ ウ か ら3社 設 立 さ れ た1,000 と レ ン ブ リ ュ シ ァ の ネ ィ ル ソ ン(Neilson),ジ い で1783年 こ の 綿 工 業 ブ ー ム の 模 様 は,1788年 ウ ィ ダ(Balwidder)牧 に ラ 新 企 業 に 熱 中 し て い る.旧 Kilbride),翌 っ た た か の 観 が あ り,海 年 グ ラ ス ゴ ウ市 初 の ノ ース ・ 績 工場 丈 字 ど お りの 綿 紡 績 ブ ・ 一 ム は,工785∼95年 年 間,多 る で 新 天 才 が 地 上 に 降 り立 外 まで も著 しい精 神 種 多 様 な 木 綿 織 物 が 登 場 した.そ の ル ロ ー ズ(Melrose) の 教 区 牧 師 は 「木 綿 は,羊 に 比 し て も清 潔 で,ま 毛 ・亜 麻 織 物 双 方 た 有 用 で あ る18)」 と支 た め に 市 近 隣 の ほ と ん ど 全 て の 河 川 流 域 に, 持 し,一 マ ク フ ァ ー ソ ソ(Macpherson)は1785 紡 績 ・漂 白 ・捺 染 等 の 諸 工 場 が 設 立 さ れ た 」14). 年 の 商 業 年 鑑(AnnalsofCommerce)セ ま た 「カ ト リ ヌ(Catrine)村 は 全 く新 し い 時 こ 「今 や 木 棉 糸 は 亜 麻 糸 よ り も廉 価 で あ り,高 級 亜 麻 織 物 ・絹 織 物 に 代 用 し,か 10)Sir.」.Sinclair,opcit.,p.308 11)ミ のブ 綿 製 品 は 旧 来 繊 維 製 品 を市 場 に お い て も凌 駕 した.メ の 間 グ ラ ス ゴ ウで は,「 こ の 数 来 の企 業 戦 術 で は の 高 揚 に み な ぎ っ て い る 」 と 評 し た.こ ー ム の 中 で ,木 が 設 立 さ れ た13). にバル 師 が 「良 識 あ る 人 々 は あ き た りな く,ま に 生 じた.そ ラ が 綿 糸 を も ち こ ん で い る17)」 ナ ー ク シ ァ の イ ー ス ト ・キ ル ブ ラ イ ド(East ウ ッ ドサ イ ド(NorthWoodside)紡 に も拡 と 記 述 さ れ て い る. 建 工 場 に 始 ま る1z).翌 年,翌k年 ョ ンス ト ン(Johnstone),つ タ ー リ ン グ(Stirling)市 張 し,「 こ こ で も 綿 紡 織 業 が 始 ま っ た.グ ス コ ッ トラ ン ド綿 工 業 の 草 創 期 は,1779年 に ロゼ セ イ(Rothesay)に の動 きは つ 凌 駕 しつ つ あ る19)」 と記 録 した. ュ ー ル の 発 明 に つ い て,ダ ニ エ ル 教 授 は, 「遙 か 昔 か ら 東 洋 に 中 心 が あ っ た 産 業 を 西 洋 へ と転 移 す る諸 原 因 の 一 つ で あ っ た」 と評 し B)綿 紡 績 業 の 発 展(織 糸過 程) て い る.W.Daniels,TheEarlyEnglish CottonIndustry,1920,pp.80-2,92seq. 具 体 的 に は,1786年 サ ミ ュ エ ル ・オ ル ド ノ ウ(SamuelOldknow) は,1783年 に,そ の発 明機 械 を 用 い て ス トッ ク ・ポ ー ト で モ ス リ ソ 織 に 成 功 し た 。 し か し ス コ ッ ト ラ ン ド へ は,1785年 に デ ィル(DavidDale) に よ っ て 設 立 さ れ た ニ ュ ー ラ ナ ー ク工 場 創 業 に 始 ま る20).完 成 図 で は,水 16)Ibid.,VoI.2,p.154 WestofScotlandCoalTrade',TheEco- 17)Ibid nomicHistoryReview,iiNo.2,p.294 18)'JohnGalt.AnnalsoftheParish(New 13)Sir.J.Sinclair,ThyOldStatisticalAc・ Vo1。3p.424;Vo1.12p.116 14)Sir.J.Sinclair,opcit.,Vol.5pp.501-2; 場, 15)乃d.,Vo1.20.p.176 れ た.TheScotsMagazineVo1.1.p.158 12)且.Hamilton,`TheCombinationinthe countOfScotland(以 力 紡 績$2工 に な っ て導 入 さ Vol.$,p.24 UniversaiLibraryedition)1944p.150 下0.S.A.と 略 す) 19)O.S.A.Vol.4p.80 20)デ ィ ル は,ペ イ ズ リ 織 工 出 身 で,1770年 代 に は グ ラ ス ゴ ウに 出 て フ ラ ンス や オ ラ ン ダか ら W.N.Fraser,`TheGlasgowCotitonSpin- の 亜 麻 糸 仲 買 業 老 と な り,自 ners,1837'inJ.ButtetJ.TWardeds, 貸 業 を 営 み,数 ScottishThemes,EssaysinHonourof O.Mitchell,OldGlasgowEssays.1905 S.G.ELythe,1976pp.35-47 P.41seqに つ か ら問 屋 別 前 多 く の 織 工 を 雇 用 し た.(」. 詳 し い)そ し て1783年 に,R・ ア 60 4 季刊 ジz-一 紡 績 機 ・ ミ ュ ー ル 紡 績 機 各1工 創 な っ て い た が,後 者2工 こ とで あ っ た,デ 価 場 と 場 の 完 成 は1793年 済 論 col.9Na.1. 集 ン テ ェ イ ス(工Monteith)と の を 組 ん で,1787年 ラ ス ゴ ウ市 さ ら に 数 年 後,ト ィル 自身 は,グ で の ビ ジ ネ ス に 傾 注 し,実 際 の工 場 経 営 は ケ リー(williamKelly)の 経 手 に 委 ね ら れ た.そ dyeing)エ に 綿 紡 績 工 場 を 設 立 した. ル コ 赤 染 色(Turkey-red 場 が 付 加 さ れ た23). そ の 後 エ ア シ ァ の 地 主 ア レ ク サ ン ダ ー(A・ の 後 マ ンチ ェス タ ー の綿 紡 績 業 者 で あ った オ Lexander)と ウ エ ン(RobertOwen)が カ ト リ ヌ(Catrine)に パ ・ 一 トナ ー に 入 り, 1797年 に は 単 独 所 有 経 営 者 と な っ た21). パ ー トナ ー シ ッ プ を 組 ん で, 北 方 の ドル ノ ッ ホ デ ィル 以 外 に モ ン テ ェ イ ス 家(Monteiths), th)に,デ フ ィ ン レ イ 家(Finlays),ブ cintosh)24)に キ ャ ナ ソ家(Bu- が あ っ た.彼 織 工 か ら 身 を 立 て,勤 綿 紡 績 工 場 を 設 立 し, 数 年 後 に は ジ ェ ニ ー工 場 を 追 加 し た.そ ス コ ッ トラ ン ド綿 工 業 ブ ー ム の 立 役 者 は, chanans)等 パ ー トナ シ ヅ プ ら全 てが 零 細 な手 勉 と倹 約 に よ る 自 己 蓄 ・ フ ァ ー ス(DornochFir- ィ ル は マ ッ キ ン ト ッ シ ュ(G.Ma協 力 し て ス タ ン レイ 紡 績 工 場 (StanleyMills)を ま た,南 設 立 し た. 部 の 積 を 経 て工 企 業 家 に な った 共 通 点 を もつ.そ (NewtonStewart)の の場 合,亜 麻 工 業 の 問 屋 制 前 貸 制 度 を有 効 に W.Douglas)に 利 用 した 特 徴 が み られ た.こ の 点 は 後 に 検 討 の 他, ニ ュ ー ト ン ・ス チ ュ ア ー ト 地 に,ダ グ ラ ス 卿(Sir し た.デ 協 力 して 綿 紡 績 工 場 を 創 始 ィル は,多 種 多 様 な 事 業 を 展 開 し, イ ン ク工 場 の 他 に 石 炭 採 鉱 に も着 手 し た.ま し た い22). デ ィ ル は,ス コ ッ トラ ン ド各 地 の 綿 紡 績 企 業 の 創 出 に 寄 与 し た.先 ず ラナ ー ク シ ァの ブ ラ ン タ イ ア(Blantyre)の 地 に,輸 入糸商 モ た 王 立 ス コ ッ ト ラ ソ ド銀 行(RoyalBankof Scotland)の グ ラ ス ゴ ウ 代 理 人 を 努 め,市 工 会 議 所 会 頭 も二 期,市 商 助 役 氏 に も二 期 選 ば れ た 実 力 者 で あ っ た25). 一 ク ラ イ ト が ス コ ッ ト ラ ン ド を 訪 問 し,ラ ナ ー ク シ ァ や ペ ル シ ァ の 豊 か な 水 源 を み て,デ 23)R.H.Campbell,Scotlandsince1707,The RiseofanindustrialSociety.BasilBlac- ィ ル と の パ ー トナ ー シ ッ プ を 決 意 し た 。 し か し ア ー ク ライ kwell.Orford1965,p.91 ト 自 身 の 企 業 業 才 能 の 欠 如,ス コ ッ ト ラ ソ ド 伝 統 技 術 へ の 無 理 解,ま 訴 訟 問 題 等 か ら,彼 た 特 許 は 事 業 か ら 撤 退 し,デ 24)マ 25)デ ィ ル 氏 つ い て は,G.Stewartoカ.C'lt.,PP. 79-82に EighteenthCentury.Clarendon.1963.p. 詳 し い.当 時,グ ラ ス ゴ ウや ペ イ ズ リ で の 織 布 業 の 需 要 を 目 当 て に,マ 171) タ ー 商 人 が 往 来 し て い た.オ 21)J.Butted,RobertOwen,PrinceofCot- そ の 帰 結 が デ ィル 氏 の 娘 との 結 婚 と ニ ュ ー ・ 詳…し い. の 工 場 は1792年 (∫.MonteithJr)に ンチ ェ ス ウエ ソが グ ラ ス ゴ ウ を 週 期 的 に 訪 れ た の も そ の た め で あ り, tonSpinners,David&Charles.1971pp. 22)こ 「イ ン バ ネ ス 」 と 呼 る.A.McLeanopcit.,P.143 ル の 手 に よ っ て 開 業 に 至 る.(H.Hamilton, AnEconomicHistoryofScotlandinthe 168-201に ツ キ ン トッ シ ュ は 俗 に ば れ る レ イ ン コ ー トの 発 明 者 と し て 著 名 で あ ィ ラ ナ ー ク工 場 の に 息 子 モ ソ テ ェ イ スII世 売 却 さ れ,さ 死 後 弟 の 手 に 渡 りHenryMonteith&Co. の 名 で 経 営 さ れ た.(0.s.A.Vol,2pp.216, 17;Sir.JoinSinclair,Analysisofthe らに 彼 の 購 入 に あ っ た.R.Owen, TheLifeofRohertOwenbyHimself. Bell'sedition1920PP.34.45.47.64ま ド プ ラ イ ト(kirkcudbright)か ろ も 大 で あ っ た.W.H.Marwick,`The (以 下N.S.A.と CottonIndustryandtheIndustrial G.Stewart,CuriositiesofGlasgowCiti- RevolutioninScotland,ScottishHistori- zenship..P.93以 calReviewVo1.211924p.211 降 ー クカ らそ の 地 へ 移 住 し た ス コ ッ ト ラ ン ド人 の 尽 力 に よ る と こ NewStatisticalAccountofScotland].825 略 す)Vo1.6PP.322-5; た ラ ソ カ シ ァ 綿 業 の 成 功 の 背 景 に は,カ ∫une1979北 政 巳:ス コ ッ トラ ン ド綿 工 業 成 立 史 デ ィル と 肩 を 並 べ る 人 物 は ブ キ ャ ナ ン家 49 (LordProrost),大 学 長(Rectorofthe と フ ィ ン レ イ 家 で あ る.ジ ョ ン ・ブ キ ャナ ン Univ)の (JohnBuchanan)は,ス コ ッ ト ラ ソ ド最 初 た ・ 彼 は 国 会 議 員(M.P)と の ア ー ク ラ イ ト代 理 人 と な り,息 ル ド(Archibald)も 彼 の工 場 で の徒 弟 奉 公 を 努 め て 帰 国 し,カ た.彼 子 ア ー チ ボ ト リヌ工 場 の 経 営 者 とな っ の 兄 弟 ジ ェ イ ム ズ(James)と (George)は,「 ジ ョ ゥジ イ ン グ ラ ン ド綿 糸 御 売 商 人 」 と 名 の っ て 活 躍 し,賃 貸 して織 布 さ せ て 利 益 他,市 商 工 会 議 所 会 頭 を8期 な っ た が,彼 選 挙 ス ロ ー ガ ン 「信 仰,名 一 フ ィ ン レイ ,1812年 つ とめ 誉,勤 勉,独 立一 」 は不 滅 の名 言 と し て 残 さ れ た. さ らに マ ン チ ェ ス タ ー で 綿 紡 績 業 と 紡 績 機 械 製 造 ビ ジ ネ ス で成 功 して い た ボ ウル ズ ワ ー ス(H.Houldsworth)が ス コ ッ ト ラ ン ドへ 進 を あ げ た ・ 次 第 に 自 つ か ら織 糸 を 営 む こ と に 出 し,ノ ー ス ・ ウ ッ ドサ イ ド(NorthWood. 関 心 を も ち,紡 side)綿 紡 績 工 場 を 購 入 した. 績 業 に 参 画 し た.彼 ク ラ イ ト特 許 が 失 効 後 の1785年 ァ に,さ ら に4年 に,パ ー ル ス シ 後 ス タ ー リン グ シ ァに 紡 績 会 社 を 設 立 し た.そ シア テ ィブが は,ア の 創 業 に は地 主 の イ ニ ィ 働 い て お り,「 地 域 郷 士 と 商 人 の 協 力 に よ る26)」 と 記 録 さ れ た. ン レ イ は 利 害 協 定 を 結 ん だ.ブ か く て1787年 頃 に は,ス 水 力 紡 績 工 場(ラ シ ァ4,パ ナ ー ク シ ァ4,レ ル ス シ ァ3,エ の 他 の 地 域6),さ コ ッ トラ ン ドに19 ンブ リ ユ デ ィ ン ィミラ2 ,そ らに 数 年 内 に グ ラ ス ゴ ウや ペ イ ズ リ近 隣 に 数 多 く の 水 力 紡 績 機 ,手 ま も な く ブ キ ャ ナ ン家 と ジ ェ イ ム ズ ・ フ ィ キ ャナ ンは ス さ ら に ブ ー ム は 拡 大 し,東 の ア ラ ン(Arran) 島 か ら西 北 の シ ェ ト ラ ン ド(Shetland)島 110ch)エ 至 る ま で 全 土 に 拡 大 し た28).こ ト ン(Deanston)工 ル ス シ ァの デ ィ ンス 場 に 専 念 し た.会 社 は ジ ェ イ ム ズ ・ フ ィ ン レ イ 社(JamesFinlay& Co)と 改 名 し た.こ の 会 社 は,息 ン ・ フ ィ ン レ イ(KirkmanFinlay)の に は 最 盛 期 を 迎 え,ア 高 級 亜 麻 織 物 時 代 メ リカ や ヨ ー ロ ッ パ へ ・綿 織 物 を 輸 出 し て 成 功 し た. 彼 は さ ら に,1802年 に カ ト リ ヌ 工 場,1808年 に は バ リ ン ダ ロ ッ ホ 工 場 も 購 入 し て,ス コ ッ ト ラ ン ド綿 工 業 で 最 も 注 目 さ れ る べ き 地 位 に つ い た27)・ 彼 は,フ オ ー ス ・ク ライ ド 運 河 (ForthandClyde)会 ウ市 の ギル 社 理 事 長,グ ラス ゴ ド長(DeanofGuild),市 27)O.S.A.Vol.20pp N.S.A.Vol.8pp.292-3;Vo1 9 の ス コ ッ トラ 織 工 出 身 型(グ ラ ス ゴ ウ 商 人),商 人 転 化 型(移 住 マ ン チ ェ ス タ ー 商 人),地 の 特 徴 が あ っ た.そ る ま で は,綿 主型 の 世 紀 の 最 後 の10年 に 至 工 業 の 中 で 前 貸 問 屋 制 と近 代 的 な 工 場 制 は 並 存 的 に 繁 栄 し て い た.ま たあ る 意 味 で は,水 ュール 力 紡 績 機 と ジ ェ ニ ー,ミ 紡 績 機 ・ 力 織 機 と手 織 機 は補 完 的 な 関 係 に あ っ た.つ ま り水 力 紡 績 機 は,経 糸 に 適 す る強 紐 な 糸 ・ ジ ェ ニ ー と ミュー ル 紡 績 機 は 緯 糸 を 紡 い だ 。 前 者 は 一 般 商 品 向,後 者 は極細用 で 長 28)こ 26)H.Hamilton.1.R.S.p に ン ド綿 工 業 ブ ー ム の 主 人 公 と な っ た 産 業 資 本 家 に は,手 子 カ ー ク マ 動 ジ ェ ニ ー や ミ ュ ー ル 精 紡 機 工 場 が 設 立 さ れ た. タ ー リ ン グ シ ァ の バ リ ン ダ ロ ッ ホ(Ballinda場 を 売 却 し,パ の .127 の 時 フ ァ イ フ4工 場,ダ ン デ ィ7工 場 の 他 北 部 の ア バ デ ィー ン に も 多 数 の 冒 険 的 企 業 が .87-$,;Vo1.17p.531; .10pp.123- 設 立 さ れ た が,中 小 企 業 は 短 命 に 終 っ た .0. S.A(op.cit.,)Vol.5p.476;Vol.8p Vo1.11p.475 .21.7; 季刊 50 創 価 ス コ ッ トラ ン ドの 綿 工 業 の 本 格 的 な ブ ー ム は,ナ た.1796年 錘,ジ ポ レ オ ン 戦 争 後,急 に は,水 速 に興隆 し 力 紡 績23工 場 で124,800 ェ ニ ー と ミ ュ ー ル 紡 績187,200錘 っ た の が,1812年 に は120工 112工 場 が 稼 動 中)で 場(少 機 は 消 滅 し て い た.そ れ と 同 時 に,綿 Vol.9No.1 集 工業 の 人 の労働 が 婦 女 子 労 働 とな っ た30). ま た ス コ ヅ トラ ン ド綿 紡 績 業 で は,1800年 の 蒸 気 機 関 が あ っ た が,1831年 ナ ー ク シ ァ と レ ン ブ リ ュ シ ァ で115工 ラ ス ゴ ウ 周 辺 の み で107基 らに1833年 に イ ギ リス 綿 工 業 は ヨ ー ロ ッパ 大 陸 と ア メ リ カ ア メ リカ と西 イ ン ド 市 場 へ の 投 機 に 狂 奔 し,1810年 工 場 閉 鎖,織 対 抗 し て 外 部 に 商 品 集 積 地(depot),内 部に 代 理 店(Agents)を 組 織 し,突 また ア メ リカ の 制 定 した 商 船 入 港 禁 止 令 メ リカ船 舶 が 外 国 港 れ は イ ギ リス船 舶 業 者 に は 有 利 な 筈 で あ っ た が,ア 的 で,1812年 業 の 増 大,エ に増大 し た. 封 鎖 」 に よ る 影 響,そ ポ レオ ン の 「大 陸 の 間 ア メ リカ合 衆 国 が 中 立 国 で あ っ た こ と も ス コ ッ ト ラ ン ド綿 工 業 術 的 に は,1782年 dells)の 発 明 し た``SlubbingBilly"に ミ ゴ ー ル 紡 績 機 の 時 代V'移 に 行 す る.か ニ ュ ー ラ ナ ー ク工 場 の くて 前 1812年 宣 戦 布 告,1814年 用 い る こ と を 始 め,1792年 た が,彼 ケ リ ィ(W. の通 商 協 定 締 結 に よ っ て 政 治 的 平 和 と貿 易 再 開 の時 代 を 待 た ね ば な ら な か っ た。 織 機 の 導 入(織 布 過 程) 力 織 機 は,1787年 Cartwright)が に カ ー ト ラ イ ト(Rev.E. 発 明 特 許 を 得 た も の のT商 業 的 実 用 化 が 果 され た の は プ レス トンの ホ ロ ク ス(Horrocks)や メ ロ ル の ラ ド ク リ フ(Rad- に 「自 動 ミ ュ ー ル 」 終 的 な成 功 に は 至 の 試 み は2点,ミ 力 拡 大 と 普 及,工 の 終 戦 を 経 て1815年 い で ミュ ール 紡 績 機 の 動 力 源 に 水 力 を の 特 許 を 得 た.最 勢 は さ ら に 悪 化 し, よ っ 貸 問 屋 制 度 の 最 終 的 な 除 去 が 始 ま る.つ Kelley)が こよ っ て の ス ィ ソ デ ル ズ(J.Swin- て ジ ェ ニ ー 紡 績 機 に 固 執 す る 理 由 は 消 滅 し. 1790年 の後 翌年 の 非 通 商 法(Non-IntercourseAct)ク C)力 29)技 価 の 高 騰,失 場 倒 産 が 続 い た.そ 若 干 緩 和 さ れ た が,情 少 し補 足 し て お く と,ナ メ リカ と の 通 商 が 主 で あ っ た ス コ ッ ト ラ ン ド綿 工 業 は 直 接 的 な 壊 滅 的 打 撃 を 受 け た.物 増 加 で あ る が 紡 績 能 力 で は ほ ぼ2倍 破 を 試 みた が 企 業 的 成 功 に は 至 ら な か っ た. に 入 る の を 禁 じた た め,そ 場 ラス 鎖に 場,グ で は 僅 か14工 の 際,グ ゴ ウ商 人 フ ィ ン レ イ(KFinlay)は,封 そ の 間 は 工 場 数 よ りも工 場 規 模 の 拡 大 が 特 徴 に 比 し て,数 末 に は多 数 の 工 の 半 数 以 上 の 解 雇 と い う厳 し (EmbargoAct)は,ア 場 と な っ た. ず前者 に 一・ 層 厳 し い 封 鎖 策 を 施 行 した た め, にはラ が 稼 動 す るに 至 っ に は,134工 は1810年 い 状 況 を 余 儀 な く さ れ た31).そ ェ ニ ー紡 績 成 年 男 子 労 働 者 は 急 激 に 減 り,2万 者 の うち,約9割 であ 水 力 紡 績100,000錘,ミ と な り,ジ た.さ 論 市 場 か ら締 め 出 さ れ,南 な くとも ュ ー ル 紡 績800,000錘 は8基 済 の 原 綿 供 給 に 大 き な 影 響 を 与 え た.先 あ っ た29). 第2の 経 らな か っ cliff)に よ る技 術 的 完 成(1806-1807年)を み ュ ー ル紡 績 機 の能 場 規 模 の 拡 張 に お い て 一 大 た 後 の こ と で あ る32). 変 革 を な し た と い え る.G.W.Daniels,The EarlyEnglishCottonIndustryX920pp. 31)ReportonStateofCommercialCredit 162-3 1811;ReportonPetitionofSeveral Weavers.1811 30)Sir.J.Sinclair,GeneralReportofthe AgricultureStateofScotland(以 ralReportと 略 す)1815Vol.3PP.317-20 下Gene- 32)C。R.Fay,GreatB7∫ SmithtothePresentDay.Longmans 劾 初 ノBYO〃¢ ノ14α 〃z June1979北 政 巳 ス コ ッ トラ ソ ド綿 工 業 成 立 史 そ れ 以 前 に も ス コ ッ トラ ン ドで 早 期 実 験 例 は あ っ た.最 古 の 記 録 で は,1793年 ゴ ウ市 民 が ロ ン ド ンか ら2台 入 し,大 に グラス の中古織機 を購 き な ニ ュ ー フ ァ ウ ン ド ラ ン ド犬 を 用 い て 運 転 し た 記 録 が あ る.そ 播 し,1794年 こ か ら知 識 は 伝 に ミル ト ン 公 所 有 の 亜 麻 工 業 の 5t は,捺 染 用 の 無 地 織 布 製 造 に 限 ら れ て い た. さ ら に1820年 代 に は2,000台,1829年 ラ ス ゴ ウ 市 で キ ャ ラ コ ・ フ ァ ス テ ィ ア ン織 目 的 で1万 台 が 稼 動 し た.さ 年 に は,グ ラ ス ゴ ウ の モ ン テ ェ イ ス(John 粗 か ら,装 Monteith)が そ の 織 機 の 模 倣 を 作 り,ポ 200台 を 設 置 し た.こ 紡 績会社 に れ ら は いず れ も 結 果 的 に は 挫 折 し た 実 験 例 で あ っ た. 1807年 に,ブ nan)が に は17 ,620台 と 増 大 した 。 そ の 数 値 は 全 ス コ ッ トラ ソ ドの 約 3割 に 該 当 し た35).そ ッ ク シ ョ ウ ズ(Pollockshaws)の らに そ の 年 で, 1831年 に は15,127台,1845年 漂 白 ・キ ャ ラ コ 捺 染 工 場 で 試 験 さ れ た.1801 ロ には グ して 次 第 に綿 衣 類 の 織 身 織 物 の 極 細 織 へ と進 出 し て ゆ く. 力 織 機 の 導 入 は,手 り,次 織工 の眼 には驚異 に映 第 に 恐 怖 へ と 変 っ て ゆ く.1812年 のブ キ ャ ナ ン の 通 信 人 報 告 に は 「力 織 機 の 機 械 音 は 真 に 織 工 達 の 泣 き叫 ぶ 声 で あ る」 と報 告 し キ ャ ナ ン(ArchibaldBucha- て い る.ス ホ ロ ヅ クス と ラ ドク リフの 考 察 した 改 良 力 織 機 を カ ト リ ヌ 工 場 へ 導 入 した.そ コ ッ トラ ン ド織 布 業 に あ っ て も , イ ン グ ラ ン ドの よ うな 「力 織 機 打 ち 壊 し運 動 の の 気 配 もあ っ た が36),さ ほ どで は な か っ た . 年 の 記 録 に は 「イ ギ リ ス 初 と も 云 え る 程 の ま た 現 実 問 題 と し て,力 織機 は極 細織物 には 完 壁 な 作 業 が,経 不 適 で あ り,そ 糸 仕 掛(warping),仕 (dressing),織 布(weaving)等 な さ れ る.こ 上 が総合的 に の工 場 か ら力織 機 を用 い る織 布 の 導 入 ・普 及 も イ ン グ ラ ン ド の 工 場 に 比 す れ ば 遙 か に 遅 鈍 で あ っ た.事 1833年 に フ ィ ン レ イ(KFinlay)は 業 が 全 イ ギ リス に 放 散 され て ゆ く と 確 信 す 工 はs非 る33)」 と あ る.急 様 の 極 細 織 物 を 作 っ た が,そ 速 に 普 及 し,1813年 ト リ ヌ 工 場 に324台,ス は15工 には カ 場 で1,500台 コ ッ トラ ン ド全 域 で と な っ た34).し か し用 途 1928repin1964(5thed)P295ま た ス コ ッ ト ラ ン ドへ の 力 織 機 の 導 入 実, 「手 織 常 に 広 汎 な 仕 事 を 必 要 とす る多 種 多 れ は力織 機業者 が 関 心 を も つ 分 野 で は な か っ た37)」 と証 言 し て い る. しか し力織 機 の使 用 範 囲 の 拡 大 は,手 織 工 に2つ の 結 果 を 生 じ させ た.即 ち一 方 で は不 は,J.Camp- bell,HistoryoftheRiseandProgress ofPowerLoomWeaving,Rutherglen 1878に 詳 し い. 312-3,317-8 33)Sir.J.SinclairN.S.11.Vol.6p.153;ミ チ ェル 嬢 は 場 は,ス ッ 「ジ ェ イ ム ズ ・ フ ィ ン レ イ の 諸 工 コ ッ トラ ソ ドの技 術 熟 練 セ ソタ ーで あ っ た 」 と 定 義 づ け て い る.G.M.Mitchell, `TheEnglish andScottishCottonIndu- の 好 況 期 に,綿 の 平 均 賃 銀 は1日6sで 染 は2s),織 布 ブ ー ム 期 は,週 ャ ラ コ捺 £3∼5に Cass1966pp.235-239.426 達 し 詳 し い .当 時 の ス コ ッ トラ ン ドの 綿 工 業 の 労 使 関 係 の 紛 争 に つ い て は,E.Esilman,ComprehensiveView oftheRiseandProgressoftheCotton WorkingClassesinScotlandJ.D.Pub- TradeofScotland.Glasgow1823に lishingLtd197.p,303 い. . , EconomicsDec.1928に て い た.T.Johnston,TheHistoryofthe 34)Sir・J・Sinclair,GeneralReportVol.3PP ,Historyof TradeUnionism1920pp.58-9;J.L.Gray `TheLawofCombin ationinScotland' 工 業 労 働 者 あ っ た が(キ factureinGreatBritain2ndedFrank 36)SydneyandBeatriceWebb stries'inScottishHistoricalReview Vo1.22p.112.こ 35)E.Baines,HistoryoftheCottonManu- 37)ReportfromComittees,1833vol 詳 し .8p.73 季刊 52 表1ス 創 価 績 の 分布(1850年) ー 1 り 、 157,997 Fife 43 52,344 Perth 19 14,656 Kincardine 7 2,784 Aberdeen 4 32,049 14 43,295 188 303,125 他 地 域 合 計 論 Vol.9No.1 集 た る 分 野 は 漂 白(bleaching), 染 色(dyeing),捺 紡 錘 数 101 Forfar 済 与 え た が,主 コ ッ トラ ン ドに お け る機 械 紡 矧 工雛 経 染(printing)で あ っ た. ス コ ッ トラ ン ドの 化 学 工 業 は 技 術 的 に も 水 準 は 高 く,漂 白工 程 の 技 術 革 新 は テ ナ ソ ト (CharlesTenant)の 実 験 や 彼 の パ ー トナ ー, マ ッ キ ン ト ヅ シ ュ(Maclntosh)の よ る1800年 協 業 に の ロ ロ ヅ ク ス 工 場(St.Rullox Works)の 創 始 に よ っ て 頂 点 に 達 した40)・ 綿 工 業 の 染 色 工 程 は,1777年 の マ ヅキ ン ト 出 典)Accountsandpapers,1850xlii ヅ シ ュ(G.Maclntosh)の p.14 熟 練 労 働 者 を さ ら に 低 廉 な 賃 労 働 に 追 い や り, 他 方 で は 有 能 な 熟 練 労 働 者 を 力織 機 が 未 到 の 繊 細 な 手 仕 事 に 向 か わ し め た38).ス コ ッ トラ の 中 心 地 は ペ イ ズ リ市 で あ っ た39). そ し て1840年 ドに は23,564台 代 の 後 半 に は,ス (factorysystem)が 立 した.当 コ ッ1・ ラ ン の 力 織 機 が 普 及 し,工 場 制度 綿 工 業 の典 型 と して確 初 は紡 績 工 場 の付 加 と し て始 ま っ た 織 布 業 も,そ れ 自 体 と し て 独 立 会 社49社 を 数 え る に 至 っ た.ま た 綿 紡 績 ・織 布 両 営 の 会 社 が26社,う ア 染 料(Cudbear)製 ち17社 が ラ ナ ー ク シ ァ に 集 中 した ・ Papillon)を 迎}「 連 諸 分 野(化 学 工業)の 興隆 トル コ赤 染 料 」(Turkey 場 を 設 立,さ 協 力 し て ダル マ ー ノ ッ ク (Dalmarnock)近 くに 大 規 模 な 染 色 工 場 を 設 立 した 。 そ し て,こ の 工 場 か ら 技 術 伝 播 し19 世 紀 初 め に は 数 多 くの 染 色 工 場 が 輩 出 され る に 至 る41). キ ャ ラ コ 捺 染 の 歴 史 は 古 く,ス ドへ は,1738年 頃,対 数 多 くの関 連 ・補 助 的 諸 部 門 の 発 展 に 拍 車 を コ ッ トラ ン ア メ リ カ ・タ バ コ貿 易 に 従 事 し て い た グ ラ ス ゴ ウ商 人 に よ っ て 導 入 タ ー リ ン グ 家(Stirlings)や ム 家(Crums)の ス コ ッ トラ ン ド綿 工 業 の 繁 栄 は,必 然 的 に ら に デ ィル (DavidDale)と さ れ た.ス D)関 造 業 に 始 ま る ・彼 は1785 年 に ル ー ア ン か ら 著 名 な 染 色 家 パ ピ ロ ン(M. reddyeing)工 ン ド綿 織 物 自 体 が 後 者 に 近 い 性 格 を も ち,そ 開 始 し た 「カ ドベ っ た.ス よ うな 名 門 商 人 が 中 心 で あ タ ー リ ソ グ(WilliarnStirling)1ま, グ ラ ス ゴ ウ 近 郊 の ダ ル ス ホ ル ム(Dalsholm) に 図 模 様 捺 染 工 場 を 設 立 した の ち,1770年 38)ReportonHand-LoomWeaversX834.pp. レ・ミン渓 谷(ValeofLeven)に 14.75.103.147 39)手 織 工 は 全 く 消 滅 し た 訳 で は な く ・1872年 に な っ て も ラ ナ ー ク シ ァ,レ エ ア シ ァ に1万 頃 クラ 化 し た.ま 頃 移 し大 規 模 た ク ラ ム 家 は,元 来 リン ネル 捺 染 ソ フ リュ シ ァ・ 人 の 手 織 工 が お り・ 主 と し て ペ イ ズ リ ・ シ ョ ウ ル(Paisleyshawls)の う な 高 級 織 物 に 従 事 し て い た.し 代 に 危 機 が 訪 れ,そ よ か し1870年 の 時 彼 らは 熟 練 経 験 を 持 っ て 海 外 へ 移 住 す る か,ペ イ ズ リ市 の 繕 糸 業 へ 流 入 す る か で あ っ た.ペ イ ズ リ市 の 織 物 工 業 に つ い て は 。M.Blair,ThePaisleySha- ofScotland1750-1960.RoutledgeEt KegalPaw1,1975P.82ま ト ラ ン ドの 化 学 た 当 時 の ス コ ッ 工 業 は,A&N.LCIow, TheChemicalRevolution,Edinburgh, 1952(一 橋 大 図 書 館 所 蔵)に 41)J.Cleland,AnnalsofGlasgow1816.Vol. zvl,Paisley1904,;ThePaisleyThread Industry.Paisley.1907の 40)A.Slaven,TheDevelopmentoftheWest 二 冊 が あ る. 2p.373;O.S.A.Vo1.12pp.173-15 詳 し い. June1979北 政 巳:ス 53 コ ッ トラ ン ド綿 工 業 成 立 史 業 で あ っ た が モ ス リ ン織 に 転 向 し,1779年 ク ラ イ ド地 域 へ の 原 棉 輸 表IIA) に 入 の 増 大(1775∼1812年) ギ ャ ロ ゥ ゲ イ ト(Gallowgate),つ い で10年 1775年 後 ソ・ 一 ン リ ィ ・バ ン ク(Thornliebank)に 場 を 移 した.そ 工 こ で 綿 紡 績 ・織 布 工 場 と と も コ ッ ト ラ ン ド人 ベ ル(Bell)が ン ド 1,757,504 9,962,359 1810 に キ ャ ラ コ 捺 染 や 染 色 を 行 な っ た42).工783年 に,ス 137,160ポ i790 ×811 11,002,723 1812 11,114,640 水筒式 出 典)Sinclair,GeneralReport, 捺 染(cylinder-printing)を の 間,力 発 明 した ・ 当 分 Appii327 織 機 が 導 入 され こ の 発 明 が 生 か さ れ る ま で は ス コ ッ ト ラ ン ドで は 広 く普 及 は し な か っ た か43),そ 輸 入 の 推 計(1820∼1844年) 料,製 品 の市 場 こ の 綿 工 業 は,ス コ ッ トラ ン ドで 最 初 の 広 1820∼1824年 14,385,172ポ 1824--1829 19,900,336 1829-1834 27,478,522 1834-1839 34,478,」.52 1839-一 一1844 41,169,437 の ラ ン カ シ ァ綿 工 業 と 同 様 に,ス BritishEmpire,4thed.,1854 p.693 コ ッ トラ ン ド綿 工 業 も原 綿 供 給 を 西 イ ン ド諸 島 か ら 得 て 表IIIス コ ッ トラ ン ド綿 工 業 の 輸 出 ・入 (1781∼1869年) メ リ カ の ホ ィ ッ ト ニ ー(Whitney) の 鋸 歯 状 綿 繰 機(saw-gin.1793年)の 普 及 に よ り,ア 聯 発明 ・ メ リカが 原 棉 主 要 供 給 源 とな っ た.イ ギ リス へ の 原 棉 輸 入 量 の 増 大 は,1793 1781年 の £2,000万,1810年 の £600万,1801年 に は £o,000万 1820年 に は £12,000万 と激 増 し, を 越 え る に 至 っ た44). こ の 膨 大 な 貿 易 量 は,ス に 大 き な 拍 車 を 与 え,グ コ ッ トラ ン ド通 商 ラ ス ゴ ウ諸 会 社 は ア 1790 出 代 理 店 を 設 立 し た45).1820年 原 棉輸 頃に は グラス 6;Mitchellopcit.,p.110 ン ク レア は 56,010,732 4,416,610 1810 132,488,935 8,787,iO9 1sza 151,672,655 6,024,038 1830 263,961,452 1s5a 694,996,000 :・1 ンド 8,534,976 108,294,800 1,345,597,600 243,600,000 1,400,308,400 406,016,000 1867 出 96,788ボ ゴ ウ の 全 原 棉 供 給 の 約8割 り,そ が ア メ リカ 産 と な の 年 の 総 輸 入36,636袋 袋 が 輸 入 され,約5万 に は,グ の うち24,182袋 ラ ス ゴ ウ へ 約7万 袋 が ア メ リカ,約1万 「労 働 力 不 足 の 解 決 の た め,労 働 を 機 械 で 代 置 す る 必 要 が あ り,そ の必 要 性 が こ の 発 明 の 普 及 を 促 進 し た 」 と の べ る. 45)N.S.Buck,TheDevelopmentoftheOr- Sinclair,GeperalReportVol.2Appp. ganizationげ 321 1800-1850.ArchonBooks.1969pp.33.66 44)E.Bainesop.cit.,p.302 品 輸 844,154 31,447,605 に 当 っ た.1836年 42)O.S.A.Vo1.17pp.214-15,Vol.3pp.445- 43)シ ンド 製 出 典)D.Bremner,obi.C2t.,P・272 メ リカ の チ ャ ー ル ス ト ン(Charleston),ニ ュ ー ・オ ル リ ン ズ(NewOrleans)に 輸 入1 5,198,778ポ :11 年 の £50万 弱 か ら1795年 ソ ド 出 典)J.R.McCulloch,AccountOfthe 範 な 東 洋 と の 通 商 を 生 み 出 した.当 初,先 輩 格 い た が,ア ト ラ ン ド原 綿 の 後 は モ ス リ ン織 と競 合 で き る キ ャ ラ コ 捺 染 業 が 確 立 し た. E)原 マ ク ロ ウ の スaッ 表IIB) -97 ノ1%910一 ノ1勉 〃icanTrade. 54 季刊 工 1850年 1856年 集 Vol.9No.1 力 織 機 数 1861年 1850年 ∩n U 0﹂ 875,3101,111,3521,138,602 1856年 労 働 者 数 1861年 1850年 1856年 1861年 24,14922,759 2!,650 18,811 16,774 408,742 1,977 2,274 2,9687,884 7,580 8,749 298,855373,354 368,054 2,776 2,580 2,9935,682 5,468 5,423 1631,683,0932,041,129 x,915,398 23,564 21,624 34,698 41,237 4 ﹂望 00 0乙 OO ユ52 数 508,928556,423 り6 168 錘 1850年1856年 ρhU 凹 三ロ 十 合 論 紡 4 域 済 数 00 0﹁ U nγ﹂ 地 経 紀 後半 の ス コ ッ トラ ン ド綿 工 業 8 ー r﹁り Renfrewshire 価 表IV19世 1861年 湖4ム OJ Lanarkshire 他 場 創 30,110 36,325 27,065 出典)D.Bremner,oか6菰,p.287 7千 袋 が 東 イ ン ド諸 島 と な り,か 源 西 イ ン ド諸 島 は 僅 か1万6千 つ て の供 給 化 の 徹 底 ・技 巧 の 細 分 化 は,一 袋 にす ぎなか っ た46). リ ・ シ ョ ウル の よ うな 優 雅 な 高 級 商 品 を 生 ん だ が,他 販 売 市 場 を み る と,ス の 生 産 物 は,一 コ ッ ト ラ ン ド綿 工 業 方 で は か な り国 内 市 場 に 存 し 方 では ペイズ 方 で は趣 向や 流 行 の 変 化 が 工 業 全 体 の 浮 沈 を 決 定 す る こ とを 余 儀 な く した か らで あ る.そ の 点 で は,ラ ン カ シ ア 綿 工 業 が,「 強 た が,他 方 で は そ の大 半 が 輸 出に 向 うこ とに 紐 ・素 朴 あ ま り需 要 変 化 の な い 無 地 の 漂 白 綿 な る.当 時18世 布(cambric),捺 染 用 の 衣 地 や フ ァ ス テ ィア ン 織(fustian)」 を主 た る 製 造 と して い た の 紀 末 で は,通 常 の衣 服 地 も亜 麻 織 か ら綿 織 へ の 好 み の 変 化 が あ っ た.特 グ ラ ス ゴ ウ で は,亜 た た め,流 に 麻織 物輸 出の中心で あ っ 行 の 変 化 に 対 応 し て綿 織 物 輸 出 に も 巧 み に 適 合 し た.例 nlay)は,1800年 え ば フ ィ ン レ イ(K.Fi- 以 前 に,高 に 綿 織 物 を ドイ ツ,イ 世 紀 後 半 に な っ て,ス ァ)綿 ラス ン グ ラ ン ド(ラ ン カ シ 工 業 の 繁 栄 の 継 続 の 分 岐 点 で も あ っ た. ラ ン ス,ス イ ス へ 輸 出 し た 記 録 が あ る47).ま た1816年 に, IIIl9世 彼 は72万 ヤ ー ドの 織 布 を 船 積 み し て,グ ゴ ウ=イ 同 時 に そ れ は19 コ ッ ト ラ ソ ド(グ ゴ ウ)綿 工 業 の 没 落,イ 級 亜 麻 織 物 と共 タ リ ア,フ を 好 対 照 を な し て い た49).と 紀 中 葉 の ス コ ッ トラ ン ド ラス ン ド間 の 直 接 航 海 に 成 功 した.恒 綿工業 常 的 に は,ペ イ ズ リの 高 級 綿 織 物 を ヨ ー ロ ッ パ 大 陸 へ,廉 価 な 綿 織 物 を ア メ リ カ,ま 1833年 の 「製 造 工 業 ・商 業 ・海 運 に 関 す たRン る 委 員 会 」(CommitteeonManufactures, ド ン市 場 へ 販 売 し た48). し か し ス コ ッ トラ ン ド綿 工 業 に は,そ 盤 に 不 安 定 な 要 素 を も っ て い た.つ CommerceandShipping)で の基 は,イ ギ リス 綿 工 業 諸 会 社 が 大 資 本 家 の 掌 中 に 入 り,か ま り専 業 つ 大 規 模 化 の 進 展 が 指 摘 さ れ た1). 46)ReportfromCornmitees,1821.Vol.9 そ の 間,工9世 StateofAgriculturep349 紀 に 入 っ て 素 晴 ら しい 技 術 革 47)CommitteeonManufacturersx.833Vo1.2 P.38 48)収 JohnLean&Sons,MuslinWeavers. 益 の 上 っ た の は,ヨ B%ε 初6∬ ー ロ ッパ 市 場 向 の 高 級 綿 織 物 販 売 で あ っ た.ReportsonHandLoo〃2Weavers1834.PP.103.262.イ 市 場 で は 当 初 は,成 功 し て い た.A.Slaven, 'AGIasgowFirmintheIndiaMarket 」 伍5げ07夕Review,Vol.431969 pp.496-503 ン ド 49)1∂ ゴ鳳,p.16 1)Sir.J.Sinclair,GeneralReport.Vol,3p. , 317 June1979 北 政 巳:ス 表Vi9世 55 コ ッ トラ ン ド綿 工 業 成 立 史 紀 ス コ ッ トラ ン ドの お け る 綿 工 業 の 推 移(1812∼1871年) 工場 数 紡 錘 数 紡錘 数 工場 織 機 数 労 働 者 1,560 20,000 7,500 1812年 120 900,000 1833 134 1,728,628 14,970 30,000 12,900 1850 168 1,683,043 23,574 36,325 10,0ao 1$56 152 2,041,129 21,624 36,698 13,400 1861 163 1,951,398 30,110 41,237 12,000 131 1,588,674 31,864 39,809 12,000 98 1,487,871 25,903 30,960 15,000 :・: 1871 出 典)FactoryInspectors'Reports,1850-71;D.Bremner,Industries ofScotland1812;Sir工Sinclair,GeneralReport1833;E Baines,Historツ げtheCottonManufactureofGreatBritain よ り作 成 新 が あ っ た.1825年 に マ ンチ ェス タ ーの 機 械 製 作 者 ロ バ ー ツ(RichardRoberts)が ミ ュ ー ル を 実 用 化 で き る 特 許 を 得 た.そ 1830年 通 じ て,完 イ(K.Finlay)は,1833年 で 年 に は 全 紡 績 工 場 は192と して 175が して フ ィン レ の先 述 の委 員 会 「ス コ ッ ト ラ ン ドで も 自 動 ミ ュ ー ル 紡 績 機 が 目 下,普 及 し つ つ あ る3)」 集 中 し た.そ 市 に 集 ま っ た.そ 全 自 動 化 さ れ た ミ ゴ ール 紡 績 機 が 市 場 に 登 場 し た2).そ そ の 地 で 消 費 し た.1839 自動 に 彼 の 会 社(Messrs,Sharp,Roberts &Co)を 全 輸 入 原 棉 の78%を の うち98社 し て1840年 地域 に が グラス ゴウ 頃 に は,綿 会 社 は 若 干 の 例 外 を 除 い て は,そ 紡績 の大半 が グ ラ ス ゴ ウ と そ の 周 辺25マ イ ル 内 に 集 中 し た. 大 工 場 と し て は,カ ト リ ヌ(Catrine),デ ン ス ト ン(Deanston),バ lindalloch),ス と 証 言 し た.そ な り,両 ィ リ ン ダ ロ ッ ホ(Ba1・ タ ン レイ(Stanley)諸 工 場, の 後 は 蒸 気 機 関 を 用 い た 自 動 ミ ュ ー ル と,改 ア バ デ ィ ー ン に は バ ロ ン社(Gordon,Barron 良 水 力 紡 績 機 &Co.)等 「つ ぐ み 」(throstle)一 は リ ン グ(ring)紡 現 在 で 績 機 一 の ライ バ ル の流 れ が あ っ た が,他 は 小 企 業 で あ っ た. ま た 織 布 業 で も 著 し い 発 展 を み る.グ ラス ゴ ウ や ペ イ ズ リに い た 亜 麻 織 物 の 熟 練 工 が, を 形 成 す る. ス コ ッ ト ラ ン ド綿 工 業 は,19世 紀 に 入 る と 蒸 気 機 関 の 導 入 と 工 場 大 規 模 化 の 結 果,タ ケ 新 原 材 質 に 適 応 し て モ ス リ ン 織 で 成 功 し た. 織 工 は さ らに 昇 進 し 自 つ か ら 工 場 主 と な っ た ノ コ の よ う に 群 生 し て い た 諸 工 場 は 整 理 さ れ, が,1834年 紡 績 業 も グ ラス ゴ ウや ペ イ ズ リイ近 郊 に 集 中 rnitteeonHand-loomWeavers)の す る に 至 っ た.1833年 の 紡 績 工 場135の 「手 織 工 か ら立 身 出 世 し て 富 と栄 誉 あ る 地 位 ラ ナ ー ク シ ァ に74,レ ン ブ リユ ・ 一 シ ァ に41が 集 中 化 し,紡 錘 数 で も 全 体 の1,728,628錘 ち 両 地 域 で1,353,860錘 を 占 め て い た.ま 2)C.R.Fay.op.ciP.,p.294;N.S.AVo1.6 う ち, の う た へ 昇 り}た の 手 織 工 に 関 す る 委 員 会(Com- 人 物 は,他 の 職 業 の 出 自の 全 て の 数 よ り も 多 か っ た4)」 に も 表 わ れ て い る.こ の 背 景 に は,18世 紀 末以来 の多数 の紡績工場 設 立 ブ ー ムが 必 然 的 に 織 布 工 へ の 需 要 を 高 め, pp.142-5 3)Sir.J.Sinclair,ReportsfyornCommittees. 1833Vo1.6p.40 証言 4)ReportonHand-LoomWeavers1834.p. 12 6 5 季刊 彼 ら の 賃 金 を 他 の 職 種 の3,4倍 た.そ 創 価 に 急 騰 させ し て 彼 ら は 自 つ か ら 「労 働 貴 族 」 と し て 振 舞 うに 至 っ た5). 経 済 論 集 Vol.9No,1 か れ る に 至 っ た. ス コ ッ トラ ン ド織 物 業 は,イ ン グ ラ ン ドの それ を 補 完 す るか た ち で 極 細 織 物 分 野 へ 傾 注 彼 らは 自 つ か ら を 「糸 商 人 で 製 造 業 者 」 し て ゆ く.ペ イ ズ リイ は 無 地 モ ス リ ン 織 か ら (yarnmerchantsandmanufacturers)と 「円 形 刺 繍 」(tambouring)と 規 定 し,ペ な デ ザ イ ン を も つ 高 級 装 飾 織 物 へ と移 行 し イ ズ リイ と グ ラ ス ゴ ウ を 中 心 に 前 貸 問 屋 制 を 用 い て,多 数 の 織 工(1838年 の た8).ペ よば れ た 巧 妙 イ ズ リ イ を ヨmッ パ社 交界 に有名 委 員 会 調 査 で は ロ ウ ラ ン ド地 域 の 綿 織 物 に さ せ た の は,「 装 身 織 物 」(fancygoods)や 51,060台 「肩 掛 け 」(shawl)等 織 機,う 台 織 機)を ち 亜 麻 織 ・毛 織 物 に2,400 雇 用 した6).彼 庫 に 投 資 し,織 ら は,原 工 に は 出 来 高 賃 銀 で 支 払 っ た. そ の ネ ヅ ト ・ ワ ー ク は,ス コ ッ ト ラ ン ド全 域, ア バ デ ィ ー ン(Aberdeen),パ ル ス(Perth), カ ー コ ル デ ィ(Kircaldy),ダ blane),オ 材 料や 在 伝 統 工 芸 の シ ョ ウ ル 模 倣 品 に 於 い て,ペ イズ リイ は 真 正 の カ シ ミー ル ・ シ ョ ウ ル に 極 似 し 品 の 生 産 額 は,1835年 ウ ク テ ラル ダ ァ(Auchterarder), に は £100万 の模 倣 以 上 に達 し た. ン ロ ス(Kinross) 等 に も 織 工 は 散 在 し て い た が,全 パ 人 の 悲 願 と もい え る イ ン ド た 高 級 熟 練 織 物 の 製 造 に 成 功 し た.こ ム ブ ラ ン(Dam・ バ ル フ ロ ソ(Balfron),キ つ ま り ヨmヅ の 精 致 な 織 物 で あ っ た. イ ギ リス 綿 工 業 に と っ て,ナ て グ ラス ゴ ポ レ オ ン戦 争 終 結 前 に は 諸 外 国 と の 競 争 は な か っ た.し か ウ 商 人 の 支 局 に よ っ て 統 御 さ れ て お り,原 し1833年 料 ・商 品 の 相 互 の 運 搬 の た め 運 送 業 者 を 雇 用 「今 や 綿 工 業 を 実 行 し て い な い 国 は な い 」 と し て い た 程 で あ る7). 証 言 す る 如 く,フ 毛 織 工 に は,そ の 全 盛 期(1785∼1806年)に は 最 も 有 望 な 職 業 で あ り,熟 ∼40Sを 稼 い だ が ,1815年 リ ア,ス 練 職 工 は 週 に30 以 降 の力織機 の普 及 に よ りそ の 有 利 な 地 位 を 失 な い,1840年 頃 に は 亜 麻 織 工 よ りも さ らに 低 落 した 立 場 に置 5)Ibid.,P.12;織 布 工 に と っ て は,当 月 ・ 火 が 休 息 日 で あ り,気 い 日kで 時,日 ・ ま ま な 労働 で 楽 し あ っ た.W.Thom,Rhymesand に は,フ ィ ン レイ(K.Finlay)が ラ ン ス,ド イ ツ,オ イス 等 の 西 ヨー ロ ッパ諸 国 さ ら に ア メ リ カ が 参 画 し て き た.今 綿 工 業 は,三 や ス コ ッ トラ ン ド 重 苦 に 直 面 す る に 至 っ た.先 喪 失,ア 8)こ メ リカ 合 衆 国 の 進 出 に よ る 南 ア メ リ の 考 案 は,フ ウ キ 嬢(SabzinaHookie)が 紡 績 仕 事 よ り も 婦 女 子 に 働 き 易 く,優 0.S.A.Vr)1.9P.76,ス 工 業 の 詳 細 は,J.Strang,`OntheRise, の軽 織 物 を ProgressandValueoftheEmbroidered 慶 縞 の MilslinManufacturesofScotlandand 中 心 に28,500人 ペ イ ズ リイ に は 装 身 用 (silkgauge)等 の 織 工 が い た.両 コ ッ ト ラ ソ ド刺 繍 ラス ゴ ウ に は 無 地 モ ス リ ン や ギ ン ガ ム(gingham弁 ル)等 リン ネ の 織 工, モ ス リ ソや 絹 ガ ーゼ の 極 細 織 物 を 中 心 に7,860人 地 域 へ の 織 工 の 集 中 度 は9 Ireland,ノbz〃%α10ftheStatisticalSociety.(27th.Aug,1857),Vo1.20pp.424428;同`Onthealteredconditionofthe embroideredmuslintradeofScotland 割 を 越 え て い た.H.Hamilton,opC2t.,PP. andIrelandsince1857'JournalofSta- 138-9. tisticalSociety.(5th.Sep.1861)Vo1.24 7)Mitchell,op.cit.,p.109 雅,収 益 の あ る 刺 繍 仕 事 を 奨 励 し た こ と に 始 ま る. 1843.p.9 の 調 査 で は,グ ず ヨ ー一ロ ッパ 諸 国 綿 工 業 の 自 立 化 に よ る市 場 の RecollectionsofA.Hand--LoomWeaver, 6)1838年 ース ト PP.515-519参 照 さ れ た い. June1979北 表VIス 政 巳 ス 認 ッ ト ラ ンF綿 ヱ業 成立史 コ ッ トラ ン ド綿 工 場 の 分 布 と構 成 57 すYLと も で き な か っ たio>. A)葦850年 そ れ で も ス 隷 ッ ト ラ ン ド綿 工 業 は,紡 州 紡 錘 数 力織機数 数 は19世 紀 後 半 を 待 た ず に 発 展 を 止 め た が,織 4 9 875,310 1$,811 22,7a9 598,928 1,377 7,884 6◎364 528 1,278 56,952 233 749 52,200 64 556 49,536 60 730 Lanaxk 布 業 は 南 ア メ リカ 南 北 戦 争 に 至 る まで は ゆ っ 1 5 Renfrew 3 Perth 績業 被雇用 者 名1工 雛 く り と 進 展 した 、 或 る 意 味 で は,1857年 の金 4 Dumbarton 融 危 機 が 歴 史 の 転 換 点 と も い え,そ 4 Stirling 9甲 0 1 Aberdeen 残 79,803 余 1一誉口 合 1,891 168].,683,09323,564 多 く の 企 業 が 倒 産 し た11).そ 2,369 北 戦 争 の 勃 発 を 契 機 に,輸 の172.055cwtか 36,325 して ア メ リカ南 入 原 棉 量 は1861年 ら1864年 の7.216cwtへ, 木 棉 製 品 輸 出 量 は15,000万 出 典)AccountsandPapers,1850voLxliip.12 の 時 に数 ヤ ー ドか ら9,400 万 ヤ ー ドへ と急 速 に 衰 退 した12).こ B)i8671 地 ッ トラ ン ド綿 織 物 工 業 が,ス 域 名 T場 数 紡錘数 力織機 被 雇 用 者数 隊 278,564 11,329 Fifeshire 51 74,658 5,038 支1,δ79 P¢rthshire 17 21,064 1,348 3,740 5 2,818 Kincardineshire Aberdeen 他 の 地 合 域 計 業 界 の 「主 役 」 を 降 り る こ と を 意 味 し て い 填6,571 ス コ ッ ト ラ ン ド綿 紡 ・織 布 工 業 の 没 落 は, 台 頭 しつ つ あ った 新 生 工 業 に よ っ て 即 座 に 120 1 16,814 428 2,175 15 93,X61 1,774 13,010 「継 承 」 さ れ る.つ ま り1828年 の 熱 風 法(hot一 19,917177,195 10)イ 1・97i48Z579 ロ ッ トラ ン ド産 た 餅. 108 Forfarsh三re れはス欝 ギ リ ス 綿 工 業 の イ ソ ド市 場 へ の 輸 出 は1815 年 に80万 出 典)D.Bremner,ap.o鉱,P,693 ヤ ー ド で あ っ た の に 対 し,183◎ は 少 な く と も4,500万 ヤ ー ド と5倍 年 に 以 上 の 急 増 を 示 し た.G.Daniel,op.C2t.,P.130,し か し,ス カや 東 イ ン ド諸 島 の遠 隔 地 市 場 で の 競 争 の 激 認 ッ ト ラ ン ド 綿 工 業 製 品 は イ ソ1 場 に は 不 向 き で あ っ た.1.F,Gram,The EconomicHistoryofScotland,Long- 化,フ ラ ンス か らの大 量 の廉 価 ガ ー ゼ ・イ ン mansfLandon.repin1976,P.24i5 11)W.H.iVlarwick.`TheCottonIndustry ド模 倣 シ ョウル の流 入 が あ っ た §). andtheindustrialRevolutioninScot- さ らに 深 刻 な 問 題 が 横 た わ っ て い た.つ ま りイ ン グ ラ ン ドの ラ ン カ シ ァ綿 業 は,無 地 織 land',inεoo漉 曲1傭 ≠07ッReviewVQ1.21. P2◎7 12)D.Bremner,TheIndustriesQfScotland, theirrise,progressan(1presentcondo・ 物 を 扱 っ て い た の で1$15年 に 開 か れ てイ ン ド tionA.M,Kd玉ey,Newyorkrepin1969, 市 場 へ 膨 大 な 輸 出 を な す こ とに よ っ て救 済 さ れ,さ らに 拡 張 す る こ とが 可 能 とな っ た の に s.. 13)ブ ァ ー ガ ソ ン は,ス 退 因 を,(1)ア 対 し,高 級 織 物 を専 業 化 し てい た ス コ ッ トラ ン ド綿工 業 に は イ ン ド市 場 は さ ほ ど魅 力 は な 棉 輸 入 の 枯 潟,② 争,(3)毛 コ ッ トラ ン ド綿 工 業 の 衰 メ リカ 南 北 戦 争 勃 発 に よ る原 料 マ ソチ ェス ター 綿 業 との 競 織 物 工 業 の ツ イ ー ド織 発 明 に よ る 再 興 を 挙 げ る.W.Ferguson,Scotland,1689 く,海 外 需 要 の 減 少 に 代 替 す る市 場 を 見 い 出 'othepresent,Oliver&BoydEdinburgh .・LQndQn.1968・':;ま た そ の頃 よ り 重 工 業 の 興 隆 と と も に,綿 工 業 労 働 者 の供 給 は 婦 女 子 弼 動 が 中 心 と な る.W.H.Marwick, 9).Reporto邦 V◎1,10P.64 盈 魏 づ一jLoo解 翅 顔 〃67s183遵 ・ E60%0癬OD卯8♂ 砂 窺8鋭5inγ Hand.A.Kelley.Cliftonrepin19?3p.224 癖0擁 僻56θ ・ 58季 干IJ倉1」 イ 面 blast)の 発 明 と 土 着 の 黒 帯 鉱 石(black-band irOllstone)の 経 済 論 実 用 的 活 用 に よ っ て,比 kに 較的 集Vo1.9No.1 は,数 種 の 企 業 者 活 動 が 見 ら れ た.先 地 主 の 諸 活 動 に 注 目 さ れ る.草 遅 れ て い た ス コ ッ トラ ン ド製 鉄 業 が 脚 光 を 浴 (1788-92年)間,地 び る に 至 っ た.さ ナ ー シ ッ プか 又 は 土 地 機 械 工 業,造 らに 続 く鉄 道 建 設 ブ ー ム, 船 業 ブ ー ム と19世 紀 イ ギ リス 資 本 主 義 の 世 界 体 制 を 支}た 産 業 の 繁 栄 を み る 。 こ れ ら の 新 企 業 は,先 (Justice-Clerk)で 述 の グ ラ ス ゴ ウ 商 工 会 議 所 の 指 導 下 に,よ ド(Baxfield)は 大 な 資 本 と 多 数 の 労 働 力 を 吸 引 し,綿 り膨 nark)工 紡 ・織 安 判 事 もあ った バ ク ス フ ィー ル ニ ュ ー ・ ラ ナ ー ク(NewLa- 場 の 地 所 を デ ィ ル(DavidDale)に ray)は,ヴ に ・ ゲイ IV結 ・建 物 の 提 供 を 通 じ て う と し た.治 永 代 借 地 さ せ た2).ま 布 企 業 を 圧 倒 し ゆ く こ と に な る. 創 期 の ブ ー ム 主 や 富 裕 な 農 民 は パ ー ト 綿 紡 績 業 へ 参 画 し よ ス コ ッ ト ラ ン ド諸 ず た マ レ イ(JamesMur- ィ ル ツ フ ィ ツ ル(Birtwhistle)家 トハ ウ ス(GatehouseofFleet)に エ 場 を 建 て る よ う に 説 得 し た3).そ の 他 ス タ ー び 一 企業 者 出 自 を 中心 と し て一 リ ン グ(SirJohnStirling)の ロ ッ ホ(Kirkintilloch)紡 カ ー キ ンテ ィ 績 工 場,ブ ラザ ト こ こ で は ス コ ッ トラ ン ド綿 紡 ・織 布 両 分 野 ン(PeterBrotherton)の の 企 業 者 活 動 を 究 明 し て,結 (Penicuik)紡 な く と も1820年 ペ ニキ ュ イ ッ ク び と した い 。 少 頃 ま で に は,織 績 工 場 等 へ の 助 成 は,企 業 創 布 分野 では未 出 へ の 前 提 と な っ て い た. だに家族 企業 や単独所 有会社 が一 般的 であ っ さ らに 直 接 的 に 関 与 した一 群 の地 主 達 もい た が,紡 績 分 野 で は 大 半 が 株 式 会 社 と な りつ つ あ っ た.し か し1840年 頃 ま で は,そ た.カ の両分 ト リ ヌ 工 場 を デ ィル と 共 に 経 営 し た ア レ ク サ ン ダ ー(ClaudAlexander),ニ ュ ー ト ソ ・ ダ グ ラ ス(NewtonDouglas)工 場 で 野 の 一 般 的 な 企 業 形 態 は パ ー トナ ー シ ッ プ で あ っ た. の ダ グ ラ ス 卿(Sir.WilliamDouglas),ロ 例 え ぽ イ ー ス ト ・キ ル ブ ラ イ ド(EastKi1bride)の ツ ホ ウ ィ ン ノ ッ ホ(Lochwinnoch)工 ス ト ラ ン グ社(Strang,DavidSon 場 で の マ ク ド ォ ウ ォ ル(WilliamMcDowall),ま andCo.)は,1794年 に 資 産 £1,500と ブ ェ ル フ ロ ン(Belfron)で れ た が,そ の 年 の 保 険 会 社 に £2,000以 下 と 評 価 さ れ た25会 社 を 代 表 し て い た1).そ の紡 ブ キ ャ ナ ン兄 弟 と 共 に 経 営 に 参 画 し た ダ ン モ ア(RobertDunmore),ク 績 企 業 形 態 で は 約7割5分 た 評価 さ ル レ ウ ハ(Culreuch)工 場 で の カ ー トナ ー シ ッ プ,約1割 が非家族構 成 のパ が 家 族 外 か ら2名 ニ ン ガ ム(WilliamCunninghame)達 以 た4).ま た 若 干 小 地 主 に 属 す る が,イ が い ー ス ト・ 上 の パ ー トナ ー を も つ 企 業 で あ っ た. 次 い で 企 業 経 営 の主 体 者 に つ い て 考 察 して み た い. 綿 紡 績 業 の 初 期 で は,工 1)GuildhallLibrary,London,11937/4Po〃 cyforJohnBruce'sfactory.PolicyNo. 623982 場 主 に な りえ た 人 ・ 2)Sir.J.Sinclair,O.S.A.Vol.15pp.22-3. 3)J.Butt,`TheIndustrialArchaeologyof Gatehouse-of-Fleet',inIndustrialArchaeologyVo1.31966pp.127-37 4)W.H.Marwick,`TheCottonIndustry andtheIndustrialRevolutioninScotland,ScottishHistoricalRevielwXXI (1924)p,208 June1979北 政 巳:ス コ ッ トラ ソ ド綿 工 業 成 立 史 キ ル ブ ラ イ ドの ス トラ ン グ(MaxwellStrang)や 布 業 に 経 営 転 換 した 人 達 で あ る7).ま シ ェ ヘ レ ス ト ソ(SheHleston)の ッ プ(WilliamRobb),ユ 様 に,直 績 を 営 ん だ 人hも と っ て は,農 り,綿 ロ ース トン のバ クス タ(JohnBaxter)の い た.し 59 接 に少規模 紡 か し地 主 や 農 民 に 園 や 農 業 へ の関 心 が 中 心 で あ 紡 績 業 へ の参 画 は 副 次 的 で 彼 ら のイ ニ の 影 響 は,グ た若 干 ラ ス ゴ ウ や ペ イ ズ リへ 移 住 し て き た 外 国 人 商 人 の 資 本 と 技 術 も 指 摘 さ れ る8). 貿 易 商 人 以 外 に は,国 内 の 亜 麻 織 ・毛 織 ・ 絹 織 等 の 商 人 か ら の 転 身 も多 か っ た.最 も典 型 な 人 物 は 織 工 か ら立 身 出 世 を 果 し ス コ ッ ト ラ ン ド綿 業 王(cottoncaptain)ま で な った シ ァ テ ィ ブは 創 業 時 に は 必 要 で あ った もの デ ィル(DavidDale)で の他パル の,そ ス の メ リス(Mellis)社 の 後 は さ ほ どで もな か っ た と評 価 で き る. あ る9).そ の ラ イ ト(Wright) は 原 亜 麻 仲 買 か ら綿 紡 績 業 へ,グ よ り経 営 の 主 体 を 荷 っ た の は 外 国 貿 易(タ バ コ 貿 易 や 西 イ ン ド貿 易)に ラ ス ゴ ウ商 人 で あ っ た.彼 参 画 して い た グ ら は 市 場 に 明 る く, 特 徴 と し て は 前 貸 問 屋 制 を 用 い て,織 用 し て 織 布 業 で 成 功 し,つ 工 を雇 し て 成 功 を 収 め た.例 い で 紡 績業 に進 出 え ぽ 西 イ ン ド会 社 ユ ー ス ト ン社(AlexanderHouston&Co .) に 参 画 し て い た マ ク ドウ ェ ル(JamesMc- 人 で リ ン ネ ル 捺 染 業 者 の トッ ド ・ シ ヨ ウ ト リ ッ ジ(Todd,Shortridge)社 設 立 の レ ンブ リュ ー (JamesRenfrew)の 手織工 場を 含む多数 の (Dunbar),キ 西 イ ン ド貿 易 出 身 で あ っ た6).そ の 他 ロバ ー ト ・オ ウ ェ ン の ニ ュ ー ・ラ ナ ー ク 工 場 の パ ン ウ ッ ド(Linwood)工 の亜 麻 紡 績 工 場 た 絹 織 物 工 業 か ら の 転 換 は, 7)B.Lenman,AnEconomicHistoryofModeanScotland1660--1976,ArchonBooks. ラ ス ゴ ウ 在 のMitchell Library,MS79/10;S.R.O.,Particular RegisterofSasines,Renfrew,Vol.48 29に 8)例 .f. 詳 しい . え ば,ド イ ツ人 で マ ソチ ェ ス タ ー 商 人 で あ っ た ビ ッ カ ー ダ ィ ク(GideonBickerdike) や 彼 の メ イ の フ ラ ン ダ ー ス(BenjaminFIanders)が 有 名 で あ っ た, 9)W.G.Black,`DavidDale'sHousein ー トナ ー で あ っ た キ ャ ン ベ ル(Alexarlder Campbell),リ ン ン ト ロ ウ ズ(Montrose), ア バ デ ィ ー ン(Aberdeen)等 以来 のス コ ッ ト ラ ン ド最 大 の 紡 績 ・織 布 会 社 で あ る が, ンバ ア ン グ ホ ウ ン(Kinghorn),ダ デ ィ(Dundee),モ た フ ィン レ イ 社 (JamesFinlay&Co.)は,1801年 ャ ラ コ捺 麻 工 業 か ら綿 工 業 へ 転 換 し た の は,ダ 1977PP.116-118グ 企 業 設 立 に 関 連 した5).ま は,キ 染 と モ ス リ ン織 用 の 糸 製 造 に 転 換 し た10).亜 で あ っ た11).ま Dowel1)は,1789年 ラス ゴ ラ商 CharlotteStreet'inProceedingsofthe 場 RegalityClub,4thseries,partsecond, pp.93-121G.Stewart,Curiositiesof の オ ズ ワ ル ド(Oswald)家,モ (Monteith)工 un)家 ンテ ェ イス 場 の デ ニ ス タ ウ ン(Denisto- 等 も西 イ ン ド貿 易 商 人 か ら 綿 紡 績 ・織 GlasgowCitizenship.Glasgow1881pp. 45-64 10)Glasgowlo%7欄113Nov.1766;Glasgow Mercury,23March1780そ トチ ィ ア(Duntocher)の れ ゆ え,ダ ダ ー リ ソ プ ル ン 社 (Lindsay,DalrympleandCo)は,1800年 頃 に な っ て も 亜 麻 糸 と綿 糸 の 両 方 の 紡 績 を 行 5)ScottishRecord(獲6θ(S.」 配0.と 略 す) RH15/814.にSederuntBookofthe CreditorsofJohnRenfrew.1798が 6)Annon,JamesFinlayandCompany,1750 -1950 .Glasgow1951p.7 な っ て い た. 11)L.M.CullenandT.C.Smout,Compa- あ る. nativeAspectsofScottishandlrishEconomicandSocialHistory,1600-2900J. D.Publishers.1976,p.119 60 季 干u倉i」 イ 西 経 済 論 Vol.9No.1 集 ペ イ ズ リ イ の マ ク ケ レ ル(McKerrel)家,キ 大 別 し てみ られ た.企 業 経 営 に つ い て は,資 ル バ ル チ ャ ン(Kilbarchan)や 本 (Johnstone)の ジ ョ ンス トン ユ ー ス ト ン 家 で あ っ た.そ の ・金 融,経 営 技 術13),労 使 関 係14),市 等 の 面 か ら分 析 す る必 要 が あ り,次 の機 会 に 他 特 筆 す べ き こ とは,そ の 大 半 が 水 力 紡 績 機 検 討 し て み た い.こ で あ っ た が,ペ ら若 干 の 考 察 を 加 え て お きた い. イ ズ リ イや レ ソフ リュ シア で は 高 級 織 物(絹 ・ リ ン ネ ル ・毛 織)を 主 とし 場15) こ で は 資 本 ・金 融 の 面 か イ ギ リス 紡 績 工 業 に お け る資 本 形 成 に 関 し て ジ ェ ニ ー紡 績 や ミュ ール 紡 績 に よ る比 較 的 て,カ 小 規 模 な工 場 と して設 立 され,の 1787年 に 総 固 定 資 本 を 約 £100万 と 推 計 し ち綿 モス リ ン織 製 造 に 向 っ た 点 で あ る, ル ク ホ ウ ン(PatrickColquhoun)は, たi6).つ い で ワ ヅ ツ(Watts)は,1797年 に 約 国 内商 人 と同 様 に イ ン グ ラ ン ドか らの 移 住 商 人 の 役 割 も評 価 せ ね ば な らな い.1780年 代 の ス コ ッ ト ラ ン ド綿 工 業 の 草 創 期 に お い て, 資 財 や 熟 練 経 営 者 不 足 に 直 面 した 時,イ 13)家 ング ラ ン ド特 に マ ン チ ェス タ ・ 一か ら の 移 住 商 人 の 果 し た 役 割 は 大 き い.例 え ば1791年 て はJ.Butt,op.cit.,P.124を に レンフ !4)労 使 関 係 に つ い て は,全 て い た.一 社 毎 に 著 し く異 な っ 般 的 に 云 え る こ と は,ス ン ド綿 工 場 主 は1810年 ラス ゴ ウの 組 合 と 対 決 し た.紡 ジ レ ス ピ イ(WilliamGillespie)に 参 照 され た い. リ ュ シ ァ に ア ー ク ライ ト水 力 紡 績 機 を 導 入 し た パ ー ン ズ(RobertBurns),グ 族 企 業 が 出 発 点 で 多か った た め 経 営 内 紛 の 事 例 は 数 多 か っ た.ブ キ ャ ナ ン家 や ジ レス プ ー 社(Gilespie ,FreelandandCo)に っ い よ っ て 招 コ ッ トラ 頃 に は 団 結 し,紡 績 工 績 工 の 組 織 的 反 抗 が 一 般 的 に 強 調 さ れ る が,ス コ ッ トラ ン ドで は イ ン グ ラ ン ドな ど 銑 鋭 化 し た 問 題 と は な ら な か っ か れ た ホ ウ ル ズ ワ ー ス(HenryHouldswo一 rth)が た.ま い たF2). た1826∼36年 期 的 な平 和 な 時 代 の 間 の よ うに 双 方 に 長 も あ っ た.こ の 点 につ い て は,GlasgowCityArchives,Minute こ の よ うに 綿 業 で 成 功 した 資 本 家 の 出 自に BookoftheAssociationofMasterCotton Sρ 初 瑠75や,MitchellLibraryのChamber は,地 主 型,商 人 型,織 工 出世 型 の三 類 型 が ofCommerceCorrespondence1824-5に 詳 し い. 12)創 業 期 に は 北 ヨ ー ク シ ァの ク エ カ ー 教 徒 で 移 住 し て き た 人kの グ ル ー プ が い た.し 第 に ラ ン カ シ ァ の 綿 業 資 本 は,グ か し次 ラ ス ゴ ウや ペ イ ズ リイ地 域 を マ ソチ ェス タ ー産 細 綿 糸 の 15)綿 織 物 の 盛 衰 に は 市 場 が 大 き く 左 右 し た.フ ィ ソ レ イ(K.Finlay)は.,利 年 で,そ 益 の 最 高 は.].802 れ 以 降 は 低 落 と 記 し た.Evidence toSelectCommitteeonManufactures, 秀 れ た 市 場 と し て 享 受 し た.C.H.Lee,A CommerceandShipping,Parliament CottonEnterprise1795-1840;AHis- Paper1833Vol.6Qspp.648-662;R.H. CoryofMcConnell&KennedyFineCotton Campbelled,SouyceBooaofEconomic SpinnersManchester.1972pp.23-46に andSocialHistoryOxfoxd1968pp.81- 詳 し い.ホ ウ ル ズ ワ ー ス は,そ の 後 紡 績 業 と 紡 績 機 械 製 造 の 両 方 で 著 名 で あ っ た が,1824 年 の 機 械 対 し 自つ か ら を 「木 綿 紡 績 業 者 兼 機 械 製 作 者 」 と 規 定 し た. そ の 頃,グ 成 功 ラス ゴ ウの 綿 工 業 機 械 は 自立 化 に Vol.5,FifthReportp.378し か し 機 械 製 本 と技 術 に お い て も マ ソ チ ェ ス タ ー の 後 陣 を 拝 し て お り,各 (overheadcost)の た ホ ウ ル ズ ワ ー ス は,そ 工 場 の 間 節 約 は 難 し か っ た. 接 費 代,そ の 間 利 潤 の 減 少 を 同 上 の 委 員 会 で 証 言 し た.QSPP・ 5209-5230.詳 し く は,MitcheULibraryの ChamberofCommerceStatistics.JanuFeb.ユ840,ExportsofCottonYarnfrom し た.ReportfromCommittees1824 作 面 で も,資 コ ッ ト ラ ン ド綿 工 業 は,1830年 の 市 場 を 他 の ど の 大 陸 よ りも ア ジ ア に見 い 出 し て い た.ま ・技 術 委 員 会(CommitteeonAr- tisanandMachinery)に 83.ス Scotland,1835-9に あ る. 16)P.Colquhoun,AnImportantCrisisin theCalicoandMuslinManufactory. 17ss.P.4 June1979北 表VIIス 政 巳1ス コ ッ ト ラ ン ド綿 工 業 成 立 史OI コ ッ トラ ン ド綿 工 業 に み る 資 本 形 成 (1790∼1840年)(単 力 織 機 数 仕上 げ 機械数 166 390 1795 goo Sao 1803 r,000 1812 z,goo 1830 1,700 420 500 800 3,420 1840 1,900 450 'll 1,200 4,450 1790年 械 と付 属 品 で)と 推 計 され た. そ れ 故 資 本 供 給 で問 題 とな る の は,紡 績 業 '..け 手 織 機 数 合 紡 績 機 数 位:£1,000) 100 656 200 1,100 の 固 定 資 本 で あ る.こ の 紡 績 業 の 創 業 は,内 部 金 融 を 原 則 と し,一 つ の途 は 織 工 出身 者 の 節 倹 に よ る 産 業 主 へ の 成 長 に よ るか た ち と, ×11 10 他 の 織 物 工 業 か ら の 転 換 と若 干 の 設 備 付 加 に 560 出 典)L.M.CullenandT.C.Smouted.,J.Butt, "TheScottishCottonIndustryduring よ る か た ち が あ っ た.銀 行は流動資 本へ の供 与 が 一 般 的 で あ っ た が,当 初 にお いて は固定 資 本 へ の 供 与 の 例 も 少 な く は な か っ た.破 IndustrialRevolution"inComparative 記 録 を み る と,王 AspectsofScottishandIrishEconomic て も,ス 産 立 ス コ ッ ト ラ ン ド銀 行 を み タ ン レイ 紡 績 工 場 の デ ィル,ペ ニク andSocialHistory1600-1900.P.122所 ィ ッ ク工 場 で の ベ ル トラ ム ・ガ ー ドナ(Ber・ 引 tram,GurdnerandCo.,1973年 £200万 と 推 計 した17).そ ド綿 工 業 に つ い て は,チ して ス コ ヅ トラ ン ャ ッ プ マ ン博 士(Dr. StanleyChapman)は 若 干 の 修 正 を 加 え て, 1795年 に つ い て £292,280を 推 算 した18). ま た グ ラ ス ゴ ウ 史 の 著 者 ブ ラ ウ ン(AndrewBrown)は,紡 績工 場へ の投下資 本平 均 を £490,200と 推 計 し た19).水 は 平 均 £10,000で ー グ リ0ブ 計 £390,000(39工 力紡 績工場 場),ハ ス の ジ ェ ニ ー 紡 績 機 は £7 ,200, ミ ュ ー ル 紡 績 機 は £18,000,そ 家 屋 £75,000と れ らに 対 す る 考 え て い た. さ ほ ど 資 本 を 必 要 と せ ず,一 ラ ス ゴ ウ の 力 織 機 工 場 ワ ト ソ ン 家(Watsons 1832年)の 事 例 が あ る.ま 手 織 機 £10(機 た1810年 以 前 に は, ス コ ッ ト ラ ン ド独 自 の 現 金 信 用(cashcredit)や 借 款(loan)に よ っ て,若 干 の固定資 本 を 含 ん だ 営 業 資 本(workingcapital)へ の 供 与 は 一 般 的 で あ っ た と さ れ る20). し か し ス コ ッ トラ ン ド紡 績 ・織 布 業 に と っ て,共 通 す る難 題 は や は り資 金 問 題 で あ っ た. ロ ッ ホ ウ イ ン ノ ッ ホ(Lochwinnoch)の デ ル(WillianCadell)は,£200の 績 業 を 企 画 し,世 他 方 織 布 工 程 は 力 織 機 の 時 代 に 至 る ま で, 破 産),グ 資 本で紡 襲 証 書(heritablebond) で 銀 行 か ら流 動 資 金,親 を 用 い,ペ カ 類 縁 者 か ら の借 入 金 イ ズ リ業 者 へ の 手 形 発 行 に よ る 経 17)S.D.Chapman.TheCottonIndustryin theIndustrialRevolution1927pp.28-34 20)J・Butt.lhid.,P.122.な 18)S.D.Chapman,`FixedCapitalFormation intheBritishCottonManufacturing お 当 時 の ス コ ッ トラ ン ド 銀 行 業 に つ い て は,前 掲 拙 稿 ラ ン ド 初 期 銀 行 史 」,「19世 紀 ス コ ッ トラ ン ド Industry,'inS.Pollarded.,Aspectsof 銀 行 業 」 等 を 参 照 さ れ た い.注 CapitalInvestmentinGreatBritain, は,ス 1750-1850.1971pp.102-3 こ のi数 値 に つ い て,J.Buttは,か 較 的 保 守 的 な 経 営 姿 勢 を も つ 銀 行 で あ る.そ な りの数 目に 値 す る の コ ッ ト ラ ン ド 王 立 銀 行(RoyalBank ofScotland)は,比 19)A.Brown,HistoryofGlasgow1795p.241 「ス コ ッ ト れ 故 に よ り進 歩 的 な グ ラ ス ゴ ウ 諸 銀 行 の 経 営 が よ り深 く 固 定 資 本 供 の ジ ェ ニー 紡 績 機 工 場 と三 つ の 水 力 紡 績 機 工 与 に 参 入 し て い た の は 当 然 と 考 え ら れ る.こ 場 が 欠 落 し て い る と み て い る.ま の 点 は,今 マ ン は,ブ ラ ウ ンの 推 計 が 低 す ぎ る とみ て い る.J。Butt,obi.CZt.,(ComparativeAspectsof,,,)p.122 た チ ャ ップ 後 の 個 別 研 究 を 待 た ね し・.cf,AnEconoynicHistory{∼fScotland inthe18thCentury,ClarendonPress 1963p.172 ば な ら な 季刊 02 表VIIIス 創 価 コ ッ トラ ン ド綿 工 業 に み る紡 行 と れ は ス コ ッ ト ラ ン ド銀 行 業 の 独 ン グ ラ ン ド銀 行 を 中 心 と す る イ ン グ ラ ン ド銀 行 業 の 資 金 力 に は 対 抗 で き ず,そ 6 で Vol.9No.1 は り影 響 を 受 け る 立 場 に あ り,銀 自 性 が,イ 8 4 £3,000ま 集 に 至 っ た.そ で 一£2,000 論 産 業 を 分 離 す る イ ギ リス 銀 行 業 の 特 徴 を も つ 工 場 数 7 1 £1,000ま £1,001-一 済 が,や 績 工 場 の資 本 規 模(1795年) 保 険評価 価格 経 £4,000〃 5 の 傘 下 で地 方 的 特 徴 を と どめ るに す ぎ な くな £5,000〃 4 っ て ゆ く こ と を 意 味 し た. £6,000〃 4 ま た 綿 工 業 は,特 £7,000〃 5 殊 な 工 場 を 別 と して は 紡 4 績 業 で の 劣 等 性,織 4 £8,000〃 布 業 で の 流 行 的 性 格 か ら, ス コ ヅ ト ラ ン ドに 定 着 し た 工 業 と な りえ ず, £9,000〃 £10,000〃 2 £24,000以 上 出典)1配6乙,P.123所 次 の 鉄 工 業 ブ ー ム の 中 で 消 滅 し て ゆ く22).そ 引 の 間,フ ィ ン レ イ(K.Finlay)の よ うに 巧 み 営 を 展 開 し た が,期 待 した 利 潤 も な く1793年 に 鉄 工 業 者 に 転 換 し た 例 も あ る23).そ れ 故, 7月 に 破 産 し た.そ の 他,資 ス コ ッ ト ラ ン ド経 済 ・経 営 史 で は,こ の綿 工 状 況 は オ ウ エ ン,ブ キ ャ ナ ン家,ペ 業 か ら 鉄 工 業 へ の 移 行 過 程 と銀 行.金 融 の関 プ ラ ー(DavidPullar)の 金 不 足 の深 刻 な イ ズ リの 記 録 に も 明 白 で, い つ れ も 最 終 的 に 破 産 し て い る.つ 連 が 最 も 大 事 な 鍵 と な っ て く る と い}よ ま り銀 行 付 記)な を 頼 っ て み て も,諸 は,貯 銀 行 は 金 融 逼 迫 に 際 して 金 を 保 管 し 手 形 割 引 を 拒 否 す る.銀 は 救 わ れ る が,中 う24). 和52年 22)ヘ も た な い 紡 績 業 は 「生L」 的 に 破 産 さ せ ら れ る. 受付 ン ダ ー ソ ン 氏 は,ス 没 落 を,1857年 度文部省科 学研究 も と つ く も の で あ る. (昭 和54年3月20日 行 小規模 で充分 な内部金融 を お 本 研 究 は,昭 費 一 般 研 究(D)に 創 価 大 学 助 教 授) コ ッ トラ ン ド綿 工 業 の の 金 融 危 機 と4っ ① 装 飾 織 物 へ の 依 存,② の 問 題, 競 争 激 化,③ ラ ソカ シ ァ 製 機 械 へ の 依 存 に よ る 紡 績 分 野 の 弱 化, こ の よ う な 歴 史 的 経 過 が,1793年,1803, ④ 他 の 新 生 工 業 へ の 見 通 し に よ る と し,つ 1809-12,1815,1826年 に や っ て き た21). で1861-1864年 い の 危 機 が 決 定 づ け た と 観 る. W.O.Henderson,`TheCottonFamine つ ま り銀 行 業 も 試 行 錯 後 を 経 て,来 時 代 に 向 っ て 成 長 し つ つ あ っ た.そ るぺ き inScotlandandtheReliefofDistress, 1862-64'ScottishHistoricalReviewVol. して ス コ 30,1951p.164 ッ ト ラ ソ ド銀 行 業 は,イ ン グ ラ ン ドの そ れ よ 23)ボ ウル ズ ワ ー ス家 は 機 械 製 作 の 事 業 面 を 拡 大 し て,機 りは長 期 資 本 供 給 や 固 定 資 本 供 与 に 関 与 した 械 修 理 を 専 業 と し て ゆ く.そ の ち に は コル ト ネ ス(Coltness)や ソ ト ソ(Dalmellington)製 鉄 工 場 を 創 業 し た.G、M.Mitchell,`TheEnglishand 21)ReportontheHouseofLordsCommitteeonCirculationofPromissoryNote. ScottishCottonIndustries;aStudyin ParliamentPaper1826-7.Vol.6p.248; inter-relations',ScottishHistoricalReviewVo1.221925pp.113-114. S.G.Checkland.ScottishBanking,aHisCory.1695-19731975.pp.213-25;W. し て, ダ ル メ リ 24)そ の た め に は,ス コ ッ トラ ン ド綿 工 業 と鉄 工 Smart,EconomicAnnalsoftheNinete- 業,銀 enthCentury,1801-20,1910pp.263-4,19 そ の 手 が か り は,先 10ロ 家 の 移 行 か ら 始 め る 必 要 が あ る.A.J. パ ー ト ・オ ウ ェ ソ の 金 融 危 機 に つ い て は 行 業 の 相 互 連 関 の 究 明 が 必 要 と な る. ず 綿 工 業 の 没 落 と 企 業 A.J.Robertson,`RobertOwenandthe Robertson,`TheDeclineoftheScottish CampbellDebt,1810--22',BusinessHis- CottonIndustry1860-1914'BarsinessHis- toryVol.111969pp.23-30 toryVo1.121970が 参 考 と な る.