...

米国内のオルタナティブメディアを巡るポリティックス ――助成金と資金

by user

on
Category: Documents
1

views

Report

Comments

Transcript

米国内のオルタナティブメディアを巡るポリティックス ――助成金と資金
米国内のオルタナティブメディアを巡るポリティックス
助成金と資金運営から見るイデオロギー闘争
学際情報学府 M1 36215
緑川徹生
米国内のオルタナティブメディアを巡るポリティックス
助成金と資金運営からみるイデオロギー闘争
序章: メディアのオルタナティブを巡る運動
本研究は、米国内のメディアのオルタナティブを巡る運動についての現状を見ながら、その可
能性と課題を見るためのものである。一般的にマスメディアの周縁に位置し、情報の回路として
社会における覇権的な言説を迂回する機能や一方向的な情報受容にとどまらず、政治領域や産業
領域に対しての市民からの意見表明を促進したり、市民領域での情報や意見の交換を行うパブリ
ックフォーラムを形成する機能を帯びたメディアをオルタナティブメディア(Alternative Media,
以下:AM)と呼ぶ。こうしたメディアは、また社会におけるマイノリティや声なき声といった少数
意見を掬い上げたり、市民運動の土壌となったり、地域コミュニティや草の根ネットワークの形
成に大きな役割を果たしたりする。AM の定義に関して、メディア論やカルチュラル・スタディー
ズの学問領域においていくつもの議論がなされているが、それらについては別の機会に触れるこ
とにしたい。この序論ではこの論文の全体像について示しておくことにする。
プロジェクト・センサード(Project Censored)が発行した、米国内の AM 団体のパンフレット「オ
ルタナティブメディアへの進歩的ガイド(未邦訳)」 The Progressive Guide to Alternative
Media(Project Censored, 1999)においては、800 以上の団体が登録されており、それらは基本的
に反マスメディアもしくはマスメディアの代替となる役割を自らに位置づけて活動を行っている。
このパンフレット自体が、このメディア運動を促進する目的をもとに発行されており、そのネッ
トワーキングや周縁的領域にあるメディアのプレゼンスを強固なものにしようとするものである
が、その序文においてピーター・フィリップスが問題にするのは現状のメディア構造が「反民主
的な」状態にあることである。彼の主張によれば、96 年の FCC(連邦通信委員会)による通信法
(Telecommunication Act)以来、一つの企業が複数のメディアを所有することが可能になったこと
で、資本主義における不平等がより決定的なものになりつつあるという。
(この観点は、後ほどふ
れるこの分野における主要な論客であるロバート・マクチェズニーも同じ立場を取っている。
)
しかし、こうした左翼的批判の観点からメディアの自由化(Freeing the Media)を求める声が高
まっている一方で、コミュニティ形成を意識したより地域的で身近な視点からも、自分たちのメ
ディアを持とうという動きが強まっていることにも着目すべきである。こうしたメディアへのア
クセス権を主張する動きは、アメリカの地域主義的な政治風土を背景としており、アメリカの FCC
による情報政策においても、長らくローカリティ原則が重視されてきた経緯がある。また、この
地域情報化の動きは、メディアへの批判的観点とあいまって、後述するパブリックアクセスの動
きへと統合されていく。そして、この議論の中から、こうした市民側のメディアの公益性に関す
る定義が生まれ出てきたのであり、ここから公共政策における AM の位置づけが見えるようになる。
こうした団体のほとんどが、非営利の公共利益団体として活動しており、その資金運営は独自
のサービスによる収益か、寄付もしくは助成金に頼ることになる。本論文では、AM の実際の予算
運営と政府や民間フィランソロピーの助成体制を見ながら、周縁的な領域にいる非商業的なメデ
ィアがどのような運営状態にあるのかを調べ、それがその目的を果たしつつあるのかどうか、そ
れとも少ない予算運営を強いられて、メディアの周縁として「飼い殺し」的な状態にあるのかを
考えたい。
具体的には以下の点について検証したい。
・AM が公共政策の中でどのような位置づけにあるのか。
・非商業的で周縁的なメディアが得る助成金の規模と経路。どのような行政部門と民間財団から
試験を得ているのか。
本論文の論理構成は次のようになる。
第1章では、アメリカのマスメディアに対するアンチテーゼもしくはそれと補完関係にあるも
のとして自らを位置づけるメディア運動の系譜やその理論についてを俯瞰したい。また、アメリ
カにおいては、プレスの自由を巡る法的な議論が歴史的に繰り広げてきたが、メディアの産業化
とともにその公益性についてどのような概念が形成されてきたのかを追いたい。
第 2 章では、左翼系の非営利メディアの経営について、その実践の形態と予算運営について調
査しながら、どのような課題を抱えているのかを整理したい。ラディカルで非商業的なコンテン
ツを制作する団体は、基本的にコンテンツによる資金の回収を行うことが難しくなるということ
を念頭において、その中でどのような資金運営を行っているかを論じる。
第 3 章では、上に関連する形で、AM に対する公共助成と民間助成について、それらがどの程度
の規模でどのように行なわれているかを整理したい。ここでは、これまでの芸術助成政策の変遷
やシンクタンクによる保守系の AM への助成の問題にも触れて、そのイデオロギー的な非中立性に
ついても論じたい。
終章においては、これまでの議論で明らかになった AM を巡る政治・経済の状況を整理したうえ
で、今後の可能性について考察してみたい。AM はあくまで周縁的なものとしてあり続け、貧しい
資金運営を強いられたまま、ゲットー的な存在として存在し続けるのであろうか?それともより
活発な言論空間として、人々の社会意識に絶え間なく新しい風を吹き込んでいくことになるのだ
ろうか?
第1章:アメリカにおけるオルタナティブメディア運動の系譜
1-1 米国内のAMの歴史的オーバービュー
そもそもはマスメディアが 19 世紀後半から 20 世紀を通じて形成されてきたのであり、それ以
前のメディアは乱立状態にあり、新聞などに関して言えばすべてが AM と言えなくもない状況で
あった。とりわけ、仏革命以降に見られる新聞文化は、その政治的なメッセージを広く訴えかけ
るために多くの無数の新聞がすられていた。共産主義が 19 世紀において盛んになるにつれ、そう
した政治メディアの運動はより党派性を帯びるようになったが、20 世紀初頭からの大衆消費社会
の登場や娯楽メディアの隆盛により、人々にとってのメディアは教養や政治を目的するものから
離れていった。そうした政治的にラディカルなメディアが「オルタナティブメディア」化してい
くプロセスは、現代社会の形成のプロセスそのものと表裏をなすものである。ラジオや映像メデ
ィアの動態がどのように現代を形成してきたかということに関するレビューはここでは行わない
が、メディアや言説空間においてオルタナティブな領域が形成されるようになることこそが、近
代化の一つの側面であるということは心にとどめておきたい。
AM という語が積極的に使われるようになったのは、新左翼社会運動の流れであると考えられ
る。オルタナティブメディアインデックス(Alternative Media Index)というカタログ型の季刊
誌(年 4 回発行)は全米 250 以上の独立系メディアの記事内容を分類・目次化し、30 年以上出版
し続けてきた。これによって現在にいたる AM の実態をある程度把握することができるが、この
雑誌が最初に発刊されたのは 1969 年であり、新左翼社会運動の流れに沿ったものであったと、
そのホームページ上で語っている。iデイビッド・アームストロングによる A Trumpet to Arms:
Alternative Media in America は、1981 年に出版された AM に関する研究書であるが、そこに紹
介される多くのメディア(活字メディアとラジオ、当時のニューメディア)がカバーする問題の
ほとんどは、反戦平和運動や公民権運動、アイデンティティ・ポリティックスに関するものであ
る。ヒッピー的な文化の流れも受けて、ポップで芸術的なものも多く、対抗文化としてのオルタ
ナティブメディアという側面を見ることができるうえ、68 年以降の社会運動において叫ばれるよ
うになった「オルタナティブ」という言葉を受けて、それがメディアにおいても適用されるよう
になるプロセスが克明に描かれている。(Armstrong, 1981)
こうした 60 年代からの動きは、ニューメディアの誕生と巨大メディアに対するリベラリズムや
レフトからの批判が高まった 80 年代前半において、新しい段階を迎えることになった。この時期
のアメリカにおける左翼の抱えるテーマとして新しく登場したものは、冷戦構造化における、ラ
テンアメリカをはじめとする第三世界各国に対する米国 CIA による代理戦争の援助・指導とそれ
に対するマスメディアの”Uncoverage”であり、ここからマスメディアに対する不信感と情報検閲
に対する監視のめをひからせるメディアウォッチドッグが誕生し、Fairness & Accuracy in
Reporting と い っ た 現 在 も こ の 領 域 で イ ニ シ ア チ ブ を 取 る 有 名 な 団 体 が 旗 揚 げ さ れ た 。
(McChesney & Nichols, 2002, p137)
また 90 年代に入り、湾岸戦争が勃発すると、反戦運動の文脈から政府による情報統制と大手メ
ディアの発表報道に対する強いメディア批判の動きが起こり、Paper Tiger TV を中心とする反戦
運動ネットワークが全米 900 の団体と 6000 人のジャーナリストやメディアアクティビストを動
員して、全国の CATV と海外において独自に制作した 10 本の番組を放送し、戦争報道に対する
人々の意識を刺激した。60 年代からのパブリックアクセスの動きがここにおいて、全国的な運動
に用いられるようになったということもいえる。ii(スコット, 1996)
90 年代を通じては、前半期にアファーマティブアクションと PC 論争が非常に強く沸き起こっ
たが、
「左からのマッカーシズム」とも形容されるほどのこの文化戦争において、新左翼運動は逆
差別の問題や多元主義的政治の実現の困難に直面し、新自由主義的な経済の空気の中で政治の周
縁へと追いやられていった感がある。(ギトリン、1999)一方、こうした社会運動のテーマは
NPO/NGO の隆盛によって多岐に渡ってカバーされ、グローバリゼーションを巡る議論の中で世
界的なネットワークを見せるようになった。アメリカの AM は、この流れの中で 1999 年シアト
ルでの WTO 会議阻止によってさらに別の段階へと発展し、Independent Media Center という世
界ネットワークの形成に象徴される文字、音声、映像を含むサイバーアクティビズムの側面を強
めながら進化している。ここには、インターネットの発展による情報発信とネットワーク形成の
利便性の向上、映像機器などの機材のハンディ化による「ユビキタス的な」メディア環境への社
会変化が土壌として存在する。iii
そして、2001 年 9 月 11 日以降、メディアへの批判が高まる中でこうした動きはよりいっそう
注目を集めながら、様々なレベルとサイズ、形態をとりながら発展し続けている。
以上のように、反体制的もしくは革新主義的なアプローチの AM の流れをまとめてみたが、こ
の他にも地域主義からの要請や技術発展から生まれる新しいコミュニティが作るより身体感覚に
即したオルタナティブも考慮に入れていかなくてはなるまい。上に述べた流れは、現在という場
所から点を結んで一つの単純なストーリーを見たに過ぎない。
1-2 プレスの自由概念とパブリックアクセスの変遷
1-2-1 現代以前のプレス概念
ここでさらに少し掘り下げて、情報を蒐集し、伝えるユニットである「プレス」が自由である
べきだという、表現の自由とも関連した議論の系譜を辿りながら、戦後の公共政策の情報分野に
おいてマスメディア規制やパブリックアクセスといった、AM の成立に欠かすことのできない制度
的領域がいかに形成されたかを見てみたい。
プレスの自由の概念は、古く 16 世紀のヨーロッパ宗教改革の際に叫ばれ、清教徒革命の後に認
められた、信仰の自由から始まっているとされる。ジョン・ミルトンによる「言論の自由-アレ
オパジティカ」(1644)においては、言論の自由市場においては真理は必ず勝つとされ、この表現・
言論の自由の概念は、古典的自由主義の根拠とされてきた。そして、この革命後のライセンス・
アクトの撤廃(1695)を経て、出版の自由が認められ、初めて表現と言論の自由が大きく保障され
ることになったという。
アメリカ独立革命以降においては、ヴァージニア州憲法(権利章典)において「出版の自由は、
自由にとっての最大の砦のひとつ」という言葉が明文化されており、続くペンシルヴァニア州の
言論の自由憲法や大陸を隔てたフランス革命の際の人権宣言においても、こうした出版の自由が
主張されている。
この時代の出版・新聞の状況というものは、先にも述べたが、印刷機を持つものが自由に言論
活動を行うという素朴なメディアの風景が展開されていたのであり、多くの新聞が乱立していた。
こうした言論の担い手は、ユルゲン・ハーバーマスが「公共性の構造転換」
(1990)で指摘したと
おり、ブルジョア的な市民たちによるものであり、
「言論の公共圏」としてのパブリックフォーラ
ムにおける討議民主主義の担い手もそうしたエリートたちであった。
この安定した構造が崩れるのが、19C 後半からである。国際的に労働運動が組織されるよう
になり、言論の舞台において下層階級の存在感が高まったということも考慮にいれたいが、それ
に相反する形でメディアがより産業化し、影響力を強めてきたことで、ビジネス化と国家運営と
の関係の深化が起こったのである。これは、この時期において定期刊行物としての新聞が大きく
力を持つようになってきたからであり、ジャーナリストと呼ばれる言論のプロフェッショナルが
登場するのもこの頃である。つまり、メディア領域は産業として分業化されたことにより、市民
の中での自主的な流通の空間から遊離してしまったとも言える。
1-2-2 マスメディアの巨大産業化とメディア研究による提言
そして、20 世紀に入り、映画、電話、ラジオとテレビが普及すると、それらは大衆社会におけ
る見世物としての機能を非常に強く帯びるようになる。とりわけ、二つの世界大戦と反共産主義
の空気の中で、アメリカのマスメディアは社会批判の要素を脱色化させたショービジネスの路線
へと傾倒していくことになった。ウォルター・リップマンの「世論」(1922)では、こうしたメデ
ィアが扇動的に生み出すステレオタイプによって社会意識が形成され、政治が行なわれることが
指摘され「擬似環境」として論じられている。また、ダニエル・ブーアスティンもその著書「幻影
の時代」において、それが容易に操作可能なものであり、ニュースやメディアイベントがしばしば
意図的に生産されることを指摘している。
また、これに関連する領域では E・カッツと P・F・ラザースフェルドによる「パーソナル・イ
ンフルエンス」がオピニオン・リーダーを介した 2 段階効果理論のモデルを提示し、マスメディ
アからの情報を人々がいかに受容するかという研究が進められた。また、政策科学の始祖でもあ
るハロルド・ラスウェルは、戦時における人々の情報への向き合い方やプロパガンダのプロセス
を解き明かし、政治における体制のあり方を論じた。
しかしながら、こうした議論においては、基本的にマスメディアから情報を受容する市民像と
いうものが前提とされており、マスコミュニケーションの領域の存在そのものへの構造変化や市
民側からの情報発信という観点は忘れ去れていたことも確かである。
その中で、ロバート・M.ハッチンスを中心としてまとめられた「プレスの自由委員会一般報告書」
(1947)やウィルバー・シュラムによる「マス・コミュニケーションと社会的責任」(1957)におい
て、マスメディアの巨大産業化により市民の少数意見が社会に反映される機会が失われつつある
という指摘や、情報や意見の偏向に対する修正機能が不足している点が指摘され、大きく議論さ
れ始めた。メディア産業側からは、社会的責任をもとに規制や圧力が加わることが、表現の自由
への抵触だとして、強い反対意見が打ち出された。
1-2-3 メディア規制とパブリックアクセスの始まり
連邦通信委員会は、こうした議論の高まりを受けて「公正の原則(Fairness Doctorin)」を 1949
年に制定する。これは、
「公共の利益は、放送免許保有者が社会のすべての責任ある構成員の対立
する意見表明のために放送施設を開放し、総合的なフェアネスに基づいて放送業務を行うことを
要求する」というものであり、60 年代に入ってからは、これを背景に個人攻撃が放送で行なわれ
た場合に、同等の時間を反論にあてる義務や、政治的論説において反対意見にも同じ時間を与え
るなどの、コンテンツへの公的規制が行なわれるようになった。
また、こうしたマスメディアへの牽制的なアプローチと並行する形で、60 年代からメディア・
アクセス権を主張する運動が繰り広げられるようになる。これは人種的・社会的マイノリティに
よる働きかけが強く、この運動に展望を与えたのはジェローム・A・バロンが 67 年に発表した「プ
レスへのアクセス権」である。ここでは、「言論の自由市場」がマスメディアの発展した 20 世紀
においては単なるロマンティシズムに過ぎないということを強調しており、アクセス権を確保す
るための具体的な方策を、 (1)批判・抗議・要求・苦情、(2)意見広告、(3)反論、(4)紙面・番組参
加、(5)運営参加と分類している。
しかしながら、マスメディア界は、市民団体による「公正の原則」要求が乱発されるようにな
ると、争点となるような番組を作ること事態を避けるようになり、またアクセス権の保障を強め
ることは FCC によるメディア検閲に繋がると、反対の姿勢を貫いた。
しかし、その一方で FCC はケーブルテレビ(以下 CATV)事業の拡大を規制により抑えることで、
テレビネットワークの権益を保護してきた経緯があった。
(この過程については、次項でさらに触
れる。
)しかしながら、アクセス権を巡る運動が展開されてきたことと、多チャンネル化による放
送のスペースの拡大が決して大ネットワークの利益と齟齬しないということが調査によって明ら
かになったことをうけて、72 年にオープンスカイ政策を取る。これにより、CATV 事業者は各地域
においてパブリック・アクセス・チャンネル(市民による番組制作・運営)
、エデュケーショナル・
チャンネル(教育機関の制作する番組)
、ガバメンタル・チャンネル(自治体の番組)の3つを設
けることを義務付けられるようになった。しかしながら、80 年代に入りレーガン政権下で規制緩
和の路線へと政策全体が向かうようになると、「公正の原則」は 87 年ついに廃止されることにな
った。
1-2-4 80 年代以降のメディア批判
これまでに述べたことからも明らかなように、メディア産業の大規模化や中央集権化が現代社
会の負の側面を増徴させているという指摘は、比較的古くから行われている。リップマンが擬似
環境やステレオタイプの概念を打ち出し、ブーアスティンが擬似イベントに関する議論などで指
摘したように、コミュニケーション技術の発展とともに社会が効率性だけでなく非合理性をも増
大させていくという警告はこれまでに長くあった。しかしながら、マスメディア批判が急速に力
を持つようになるのは、80 年代に入ってからであり、それまではメディアに対する不信感という
ものは大きくは公衆に取り上げられてこなかった。これは、マスメディアにおけるリベラルな気
風が 60 年代以降伝統的に確保されていたことと、マスメディアの役割というものについて社会が
ある程度のその有効性を信じていたからであろう。
資本主義の権力構造の批判とまではいかなくとも、報道被害の問題であったり、マスメディア
の商業主義化によるセンセーショナリズムの問題であったりという、ジャーナリズムを巡る構造
的な問題についても、80 年代から広く論じられるようになったようである。チョムスキーを主人
公として、マスメディア批判を繰り広げた映画「マニュファクチュアリング・コンセント」
(1989
年)の中で、サウンド・バイトへの批判やアジェンダ・セッティングへの懐疑が大きく取りざたさ
れる部分があるが、ニュースソースがいかにして絞り込まれていくかを決定付けるゲート・キーパ
ーの存在への疑惑などの、マスメディアの構造(利害構造、情報収集配信システム、組織構造な
どの制約)がもたらす偏向に対しての批判が紛糾したのがこの頃である。
(Achbar, 1994)この経
緯については先ほども触れたが、ノーム・チョムスキーやハワード・ジンをはじめとする反戦の
メディア批判家たちは、露骨な情報操作から人々の日常を支配するヘゲモニックな言説状況にい
たるまでを執拗に攻撃しつづけている。
それまでは、マスメディアにはリベラリズムが確保されているというのが、ある種の共通感覚
として人々の間にあったと考えられる。70 年代においては、新左翼運動の隆盛に伴って、リベラ
ルが分裂した時代でもあった。行政におけるリベラルなエリートたちは、保守・左翼の両者から
その政策を批判され、FAIR(Fairness and Accuracy in Reporting)の創設もその中で行われている。
新左翼の影響を受けた学問を大学で修めた者達は、文学部からマスコミへと流れ込み、それに対
して保守的な学問を修めた学生たちは、行政部門へ流れ、このことが現在にいたるアメリカの知
性の体制化の一因ともなっているという指摘もある。(ギトリン、1999)
ベトナム戦争においては、マスメディアのジャーナリズムがその批判において大きな役割を果
たしてきたとされるが、CIA が密かに行ってきた代理戦争の数々に関しては、マスメディアは対
処できなかった。チョムスキーのプロパガンダ理論がはっきりとした形で適応可能になった 80
年代に至るまでのこの経緯が、左翼系のオルタナティブメディアの 90 年代に繋がるマスメディア
への批判意識の基盤である。(McChesney & Nichols, 2002, McChesney, 1997, 1999)また、取
り扱うべき問題は、アイデンティティポリティックスからエコロジー問題まで様々に増殖し、問
題の多様化と問題と権力構造との関連性が顕著になってくるにつれ、マスメディアはこうした問
題においても対処しきれず、公共利益団体やオルタナティブメディアのラディカルな指摘が必要
とされた。
(しかし、レーガン政権時代にオルタナティブメディアへの政府助成金は大幅にカット
され、経営できなくなる団体が多数出現したことからも、その道のりは決して楽ではないという
ことができる。
)
これに反して、
「メディアの正確性」Accuracy in Media という保守系のメディア批評団体の登
場が 1961 年であることから考えても、彼らの言うリベラルバイアスというものの系譜は古くか
らあるようである。
(インタビューによると設立当初の仮想敵は、共産主義プロパガンダであった
ようだが、国内の言論状況におけるリベラルへとそれが移り変わっていく)iv
1991 年の湾岸戦争とメディア・アクティビズムの隆盛は、AM にとっては、一つの契機であっ
た。湾岸戦争自体が、
『ニンテンドーウォー』とさえよばれ、ボードリヤールが「湾岸戦争はなか
った」と看破したように、人々のマスメディア報道に対する疑念が強まり、またそのメディア構
造が戦争を後押ししている事実も、ここでより明らかになった。また、PC 論争や文化戦争が絶頂
期に入る頃でもあり、様々な批判が展開される時期でもあり、批判精神がキャンパスや職場を飛
び回っていた。
だが、トッド・ギトリンが言うようにこの批判の応酬の世界は、一般的な人々の心から乖離し
だした。文化相対主義の吹き荒れは、人々の心のよりどころとしての文化を認めなかった上、新
自由主義的な政治経済が強く進行する中で、彼らは次のガバナンスの具体的イメージを描くこと
に失敗したからである。知識人や活動家の声が、90 年代を通じてより周縁化していったのではな
いかという仮説がここに立てられる。(ギトリン、1999)
しかしながら、メディアに関する議論が取り扱う視点は、こうした多用に分散した論点を拾い
上げ一つにまとめようとする力を持っていることも見逃せないだろう。それは、90 年代に入って
からの反グローバリゼーション運動などと結びつきながら、様々な社会問題を連結させる一つの
重要なカテゴリーとなった。運動のパッチワークを行ううえでの重要な糸の役割を担っているの
である。多くの社会活動家や団体が、メディアを通じたアドボカシーに関心を抱いており、また
中央集権的なメディアの構造が、人々を直視するべき問題や議論から遠ざけていると考えている。
しばしば議論されるのが、マスメディアが社会運動のデモンストレーションをカバーせず、また
カバーしても奇異な集団として取り扱うことであり、AMが盛んになった経緯も、このデモンス
トレーションの記録とその映像の配信を独自に行おうという動きが活発化したということがある。
1-3 メディアオーナーシップと行政政策の問題
メディアの権力構造を刷新しようと働きかける動きとして、メディアのオーナーシップを批判
して、その独占的な構造を変化させようという動きがある。これは、数多くのメディアをめぐる
議論の中でも重要な論点であり、AMの活動家の多くが共通に抱く批判的な観点である。マスメ
ディアが不要であるという話までは結びつかないにしても、その独占的な状況が政治の言説空間
を狂わせており、また政府による情報統制を容易にしているという指摘は常に行なわれる。管理
社会に対する危機意識の一つの重要な視座であるとも言える。
現在のメディアオーナーシップの問題を巡る議論を以下のように整理してみる。
-
商業メディアの集中合併
-
一社が複数のメディア形態を占有している
-
メディアネットワークの独占
-
著作権問題やライセンスビジネスにおける、メディア産業の政治的介入
-
FCC が推進する規制緩和による、オーナーシップ・セーフガードの弱体化
-
地域メディアの弱体化と情報ネットワークの画一化
-
報道姿勢やコンテンツへの影響(体制批判の姿勢の弱体化)
しかしながら、メディアの合併の容認や市場競争の積極的な導入は、米国内では 80 年代以降か
ら見られる動きであり、それまではメディア産業に関する規制が存在していたため、市場の失敗
の可能性について行政側は慎重な姿勢を貫いていた。この方針転換が起きた背景については 1970
年代後半からの公益事業を中心とする非規制産業の規制に対し、それを緩和する動きが高まった
ことが大きな原因としてある。レーガン政権以降、この動きはさらに顕著化するが、技術の革新
により、規制を緩和しても代替可能なネットワーク設備により電波の希少性が保たれるという、
技術的な要因が議論を後押ししたとされる。そして 1996 年においては、遠隔通信法によって一つ
の企業が複数のメディアの所有を許されることになり、現在のメディアコングロマリットが誕生
することになった。これが、現在にいたる制度的な問題として連邦通信委員会(FCC)のメディア
オーナーシップに関する政策や、地域主義原則の弱体化などに対する批判を呼び起こすことにな
っている。それまで FCC は、ローカリズム原則(Localism Principal)を長く保持してきており、
これは放送においては以下の 3 点が包含されていた。
1、放送設備の地域所有
2、各放送局の広範囲なサービス地域に対峙する狭い範囲のサービス地域の選択
3、放送局レベルにおける実際の番組選択、編集
1と2が放送設備に関するものであるのに対して、3は情報内容に関連するものであり、行政
がこれに介入することは、表現の自由を認める修正 1 条になじまない可能性があるが、コミュニ
ティの要望を調査した上で、それをチャンネル上に反映させることで、公共の利益を達成しよう
としたものである。
オルタナティブメディアの重要な基盤となっている、CATV を基盤としたパブリックアクセスチ
ャンネルを実現させた、パブリックアクセス法についてももともとはこの地域主義によるコミュ
ニティチャンネルの設置義務が 72 年に制定されて以来普及したものであり、その後連邦レベルで
のこの義務化は違憲であるとして改廃されることになるが、その動きは定着して多くの地域に残
っている。現在は、多くの自治体が CATV の 15 年ごとのフランチャイズ契約の際に、コミュニテ
ィチャンネルの設営を取引内容に含めるようになっており、その数は増えている。
先にも述べたように、FCC の政策転換は、そもそもは規制緩和をしても、多メディア化などに
よる情報チャンネルとスペースの拡大とともに、市場競争による効率的な再配分が行なわれると
している。(ここには規制手続きの膨大化と煩雑化もあるようだが。)技術発展により電波配分の
希少性は残されるのであり、ローカリズム原則が失われないというビジョンのもとで行なわれて
いるのである。コミュニティチャンネルの数は現在も増え続け、CATV はローカルな情報通信の重
要な回路として機能し続けている。
しかしながら、複数の形態のメディアの集中合併により、現在のメディア産業が寡占状態に近
いのも事実であり、その公益性についての議論が行なわれる余地はまだ残されているように思わ
れる。FCC のメディア産業政策は、メディア団体から常に監視されており、昨今の市場競争の導
入の路線に対しては、常に懐疑の目が向けられている。
1-4 メディアの再構成を目指す運動理論の統合:メディアの民主化
うえの議論に関連して、ロバート・マクチェズニーは、グローバリゼーション経済とメディア
を結びつけた批判を行ったり、メディアの商業主義が民主主義を損なうとして、コーポレート・
メディア・オーナーシップを問題とした批判を繰り広げている。このメディア批判の観点は、特
に 90 年代後半からのグローバリゼーションに関する指摘の中で強調されるようになり、メディア
批判に関する老舗的な立場にあるノーム・チョムスキーを始めとして、産業と権力構造のバイア
スの中で「語られない(Silencing)」事実や視点が生じ、権力構造の再生産に現在の商業主義的な
メディアが深く関係しており、社会全体が欺瞞に満ちた知に溢れながら成立することを危惧して
いる。(これは序章においても、触れた論点である。)現在のマクチェズニーの関心は、このメデ
ィアの民主化の運動の推進に関心の重心があると思われる。(McChesney & Nichols, 2002,
McChesney, 1997, 1999)
マクチェズニーが提唱する「メディアの民主主義」の運動の具体的な目標は以下のようにまと
められている。
“FREE THE MEDIA”
-非営利のコミュニティラジオ(弱出力)とテレビ局を全国に作る。
-独占禁止法の適応をメディア企業にも当てはめる。
-複数のメディアを同時に所有することを規制する。
-公正なメディアのオーナーシップを決定するための、公的な研究とヒアリングを設立する。
-公的放送を改良し増加させ、商業的、政治的圧力を排除する。
-納税者が自分で選んだ非営利団体へ適用する、200ドルのタックスクレジットというシステムを実現させ
る。
-放送ライセンスの常見としての候補者の政治広告を排除する。
-12 歳未満へのテレビ広告を減らすか、無くすかする。
-地域のテレビニュースの非商業化。
-創造的なプロデューサーが生活費を稼げるように、また健全で実行可能なパブリックドメインへの市民の権
利を保護するために、著作権法を改善させる。
(McChesney & Nichols, 2002, pp134-135)
これまでに繰り広げられてきたメディアへのアクセス権の議論からさらに広さと深さを増して、
非営利団体へのタックス・クレジットシステムといった NPO 助成の仕組みづくりや、著作権問
題、コミュニティ・ラジオといったテレビ以外のメディア以外の重要性に着目している点が、議
論としては新しいといえるだろう。ここで、ラジオの重要性が指摘されるのは、映像メディアの
持つセンセーショナリズムへの危険性を警戒してのことであり、ラジオのようなイメージのコン
トロールが比較的弱いメディアによる地域内のパブリックフォーラムの形成が対抗策として考え
られているのである。
さらに、こうした運動の展開の戦略に関して、例えば、マクチェズニーは環境保護運動がこれ
までに一定の成果を収めてきたことに着目し、メディアに関する社会運動もまた同様の展開を期
待することができるとしている。しかしながら、これらの具体的なビジョンに関する政策的な議
論は別にしても、メディアという様々な社会問題のメタな作用領域に着目する運動の展開には、
環境保護とは異なる難しさがあるように思われる。
筆者が考えるにこの期待には以下のように整理される障害がある。
1、問題の可視化が行われづらい:メディアそのものが問題であるということを知るために
は、それにより具体的な 2 次的問題が生じていることを知る必要があるが、多くの問題
はその原因をメディア構造そのものに還元することが難しい。
2、現実的な問題の共有の難しさ:また、多くの社会問題についての見解が、見る側の立場
によって大きく異なるということも、この国における一つの特徴である。環境保護問題
にせよ、アイデンティティ・ポリティクスにせよ、それらは例えば否定的な立場から見
れば、メディアによって誇張し捻じ曲げられた問題群であり、当然メディアに対する問
題的関心も、問題に取り組む人々とは反対になる。
つまり、直接的な問題が発生しづらいため、社会問題としてのプライオリティが低くなってい
く可能性があるということである。現に、昨今のブッシュ政権はデジタル・ディバイドに関する
予算を大幅に削減しており、AMへの予算も主に芸術系の部門でカバーされているのが現状であ
る。vメディアの先に存在する問題が、実に多様であり、それ故にAMのシーンは、メタ社会運動
的な要素も見せながら様々なシーンを取り込み、90 年代に入り大きなネットワークをいくつも生
み出してきたことも確かだが、マクチェズニーが行おうとしているのは、広く可能な包括的なオ
ルタナティブなメディア状況を描き訴えることで、多くの人をここに巻き込もうとすることに他
ならないだろう。
第2章:非営利メディアの実践と経営
2-1 実戦形式についてのオーバービュー
AMの実践は、80 年代のニューメディアブーム、90 年代の IT 革命→ユビキタスという神話的
な言葉とともに、様々な形態を持つようになってきた。過去においては、社会主義活動家が発行
する新聞やパンフレットが中心であったが、やがてラジオや映像、またポップアートの手法を取
り入れるものが 70 年代において盛んになった。80 年代においては、印刷技術の簡素化によりジ
ーンと呼ばれる同人誌が急速に成長し、そこに受けてと送り手がフラットに交流する空間が生ま
れた。このジーンのもう一つの特徴としては、その多くが趣味的な内容のものであり、それほど
強く政治的なメディアではなかったということである。また、ビデオアクティビズムが盛んにな
り、衛星放送を使った独自コンテンツの配信が盛んになったのも、70 年代からである。
先ほども触れたパブリックアクセスチャンネルは、CATV 局の資金によって運営されているが、
コンテンツはすべて市民によるものであり、ここによって市民側からの多くの映像コンテンツが
配信されている。また、映像製作の教育プログラムも、パブリックアクセス局やメディア団体に
よって行なわれている。
インターネットは、こうした情報の生産・流通に大きな変化を与えた。ネットワークが容易に
形成できるようになった他、コンテンツの配信においてもより多くのオーディエンスを獲得し、
またそのための大幅なコストカットを実現することができた。このインターネットの言論空間は、
これまでにないタイプの運動の展開を可能にすることができており、その最先端の動きとして
blog というインターネットの個人ジャーナルを中心とした動きが次回の大統領選挙に大きな影響
を与えているという例を後ほど紹介したい。
2-2 不純性、ハイブリッド性、脱政治性を利用するアプローチについて
AMの領域は技術の進化とともに、その形態を変えてきた。現在、メディアアクティビストた
ちが直面している問題としては、ラディカルな政治問題を扱うコンテンツが時として人々の耳に
届かないということであり、その結果としてそのラディカルさと非商業性ゆえにますますメディ
アの周縁にと追いやられているという現実である。
(ここには、もちろん周縁にいることの重要性
とアドボカシーを拡大することのジレンマが常に存在する。
)
だが、ここで指摘しておきたいのは、そうした政治的ラディカルさを直接的に打ち出していな
いメディアの可能性である。つまり、脱政治的なコミュニティにおいてからも、政治参加への可
能性が開けるのではないかということである。イギリスのAMの研究者である、クリス・アトン
の示した論点を筆者なりに以下のように整理した。
1、政治的なものにかぎらず、ポップカルチャーや芸術的なものや日常生活をあつかうものに宿
る政治性を、AMにおける政治的有効性として考慮に入れていくべきである。その意義は、人の
行動領域である文化、社会、経済に向かう実践からも政治的領域に繋がる。
2、雑多なイデオロギーや情報の生産・流通方法が内包されるメディアをも考慮に入れるべきで
ある。
(不純性、ハイブリッド性)
3、受け手が送り手となる契機を提供する場としてのAM像
4、生産/流通のシステムそのものが、反コーポラティズムなどの契機となっており、対抗的な文
化圏を形成する可能性を強く持っている。
メディアを通じて、人々が様々な現実について語り合いながら、その中で問題に気がつき、政
治的な問題関心を深めていくことができるという素朴なビジョンとともに、そうした単純なメデ
ィアの利用方法が、今までの一方向的で生産と流通、需要が分化したメディア形態では歴史的に
難しかったのではないか、という前提がこの議論にはある。能動的なオーディエンスを生み出す
ことが、市民の政治参加をより一層盛んなものとしていくことができるというのが、AMの活動
家達によって共有されている理念の一つである。これは、メディアリテラシー教育にも繋がる理
論であり、メディアのより自由な利用こそが民主的な社会を実現させるというユートピア的なビ
ジョンが一つのイデオロギーとしてある。
(それに対するペシミスティックな議論ももちろん存在
する。
)
2-2-1 ハワード・ディーン候補の選挙戦略とインターネット
ミートアップ・コム(www.meetup.com)は、単なるコミュニティ・エンジンの一つに過ぎず、も
ともと政治的な利用に特化されてデザインされたサイトではない。その仕組みは、共通の話題や
趣味を持つ人々同士が出会いをアレンジするためのサイトであった。しかしながら、ハワード・
ディーンが民主党からの大統領候補として注目されだした頃に、ディーン支持者たちがこのサイ
トを通じて集会を開くようになった。ディーンの選挙参謀であるジョー・トリッピはこれに気づ
くと、ディーンのサイトにリンクを張った。結果として、ディーンのミートアップには、毎回数
百人の人々が集まるようになり、全国キャンペーンを展開することも可能になった。また、支持
者からの声もディーン候補のサイトからリンクを張られている blog を通じて選挙対策本部が知
るようになり、双方向型のコミュニケーションが取られるようになった。
2004 年 1 月 14 日現在、このミートアップに登録している支持者は 176,806 人。571,466 人が
ディーンのウェブサイトに登録している。彼らは平均して 77 ドルをディーンに寄付しており、9
月末の時点では総額 2500 万ドルの資金を集め、民主党の指名候補者ではトップに躍り出た。こ
れは、保守派が繰り広げてきた資金戦略とはまったく異なるタイプの資金源であり、企業献金な
どではない草の根からの援助である。これがある種の衆愚政治を増長させているのか、それとも
討議民主主義を促進させているのかは、結論を下すことはできないが、より多くの「普通の人々」
を政治活動に呼び戻すことになったのは確かである。
このメディアは、活動家によるメディアでもなければ、また見捨てられた社会問題を扱うため
のメディアでもない、ただ嗜好を同じくする人が集まるためだけのメディアであったが、ここに
一般の人々が集まり政治参加を積極的に行なうようになったのは、そのメディアそのものがイデ
オロギー性を帯びていない自由度の高い空間であったからである。
2-3 オルタナティブ・メディアの予算運営
2-3-1 ペーパータイガー・テレビジョンにおける予算運営
パブリックアクセスのための市民ビデオプロダクションの老舗として有名な Paper Tiger TV(以
下 PPT)の 2003 年度の予算(資料1)を見ながら、その歳入について見てみたい。この団体は 1971
年に設立されて以来、ゲリラ的にビデオを回して社会批判を行なう作品を制作し続けてきた。先
ほど第 1 章で紹介したように、湾岸戦争の際の報道体制に痛烈な批判を加えた団体として有名で
あり、2001 年の 9 月 11 日以降においても素早く作品を制作し、Free Speech TV や Independent
Media Center のニューヨーク支部と連携して、インターネット上でのストリーミングを実現させ
た。現在までに 6000 人を超える人々がこの団体に関わっており、現在もメーリングリストなどに
よってネットワークが形成されている。これまでに制作したビデオは 500 本ほどで、すべてカタ
ログ化されており貸し出しと販売が行なわれている。収入源は、この他にワークショップの開催
などがあるが、ほとんどがビデオの配布によるものであると推測される。
それでは、資料からその予算について見てみたい。まず、州レベルの機関である NYSCA(New York
State Council on the Art)から3つの助成を受けており、市の文化事業課である DCA(Department
of Cultural Affairs)からも 1 つの助成を受けている。他は、民間の財団からの助成であるが、
その中で MNN というものがある。これは、マンハッタン・ネイバーフッド・ネットワーク Manhattan
Neighborhood Network の略称であり、パブリックアクセス局が出す助成金を受けていることを示
している。最後に、コンテンツの売り上げがあるが、このコンテンツの売り上げで活動に必要な
予算をどの程度賄うことができるかということが、PPT の独立性と経済的な持続性を図る上で大
変重要になってくる。
予算は、当初提案されたものよりも、補助金や売り上げの見込みが減ったために縮小されてお
り、結果として赤字を出すことになってしまっている。筆者は、この団体のビジネスミーティン
グと呼ばれる、予算運営の会合に出席したが、毎月どの助成金に申請するか、どのようなものを
買うかが話し合いで決められており、比較的事態が流動的に変化しているといえる。ファンドレ
イザーと呼ばれる資金運営専門のスタッフがおり、申し込みや報告書の作成、資金の管理を行な
っている。インタビューによると、助成金の獲得には年によって波があり、申し込みをしても補
助金が獲得できないこともしばしばであるという。
PPT のコンテンツは、基本的に反マスメディア色が濃厚であり、またその内容も政治的にラデ
ィカルなものがおおい。ビデオ作品は基本的に販売もしくは貸し出しが行なわれており、教育機
関や NPO などのイベントでのスクリーニングに使われることが多い。先に触れた 9.11 後にニュー
ヨークにおける反戦デモの様子を収めた作品は、インディペンデントメディアセンターのサーバ
ーを通じて、インターネット公開されて話題を集めたが、基本的にビデオ作品は販売やリースを
通じて資金源となる。ビジネスとして確実に収支のバランスを取るには、ビデオプロダクション
と販売という方法だけでは、限界があるようである。
2-3-2 ダウンタウン・コミュニティ・テレビジョンにおける予算運営
もう一つの事例として、Downtown Community Television(DCTV)を比較検討してみたい。DCTV
の代表であるジョン・アルパート氏は、これまでにエミー賞を 13 回も受賞するほどジャーナリス
トとして、全国的に高く評価されており、このプロダクションで製作されるビデオ作品もすべて
が公共放送やネットワークにおいて放映されてきた。1971 年に非営利団体として出発して以来、
地域の人々を対象にワークショップを行い、ビデオ作品を作り続けてきたが、国際的な取材も数
多く行なっており、またスクリーンや撮影機材を搭載したサイバーカーと呼ばれる、路上上映用
のバスを持っている。ラファイエット通りの古い消防署の建物を再利用した建物の最上階は、イ
ンターネット配信やラジオ放送に対応したサイバースタジオとなっている。
このように、独立系の非営利メディアとして輝かしい成果を残してきた DCTV であるが、その予
算について見てみると、収入の 8 割を自身のサービスから回収していることが分かる。
(資料2よ
り)この団体が助成金に頼らない路線を選び、コンテンツをブロードキャストに流すレベルにま
で高め続けてきた背景には、レーガン政権期の芸術分野への助成金の大幅カット以降、助成に頼
らずに自らの収入を中心として運営することにした経緯があるという。
政府助成関連では、高校生へのビデオ制作教育や障害者のビデオ制作講座のプロジェクトに対
する助成が行なわれており、これは後ほど触れるマッチングファンドのシステムによるものであ
る。こうして作られたビデオ作品も、多くがビデオ・ドキュメンタリーの賞に輝き、映画祭など
に招待されている。
また、有料でのワークショップや機材の貸し出しも行っており、こうしたサービスも収入源と
なっている。DCTV には常に最新の機材が揃えられているため、ビデオ制作を行いたいと考える市
民からの需要が高いのだという。
第3章: フィランソロピーと公的助成
3-1オルタナティブメディアと助成のポリティックス
DCTV のような特異ともいえる成功例は別として、非営利のメディアのコンテンツはそもそも非
商業的なものが多く、また配信や拡大のビジョンに関しても、市場競争の側面は非常に薄いため、
助成金に頼る傾向が目立つ。この問題を克服するためのAMの経済戦略については、後ほど触れ
ることにして、ここではその現状について実際のAMの予算や行政側の助成プログラムの内容を
見ながら考えてみたい。
3-1-1 公的助成金
AMに対する公的助成は、コンテンツ面及び組織の活動に関しては基本的に芸術部門から助成
を受けている。米国における公的な芸術文化支援は、連邦政府、州政府、地方政府、そして複数
の州政府のコンソーシアムである「地域」を含むの4つのレベルで行われている。まず、それぞ
れについて簡潔にその性質をまとめたい。
(1) 連邦政府:National Endowment for the Arts (NEA)
1965 年に NEA が設立されて以降、米国の芸術文化の支援政策は本格化する。NEA の主要な二つ
の目標は、①米国の芸術における excellence(芸術性)、diversity(多様性)、および vitality(活
力)を振興させることと、②その excellence, diversity, 及び vitality の availability(アクセ
スしやすさ)と appreciation(鑑賞能力)を普及させることである。また、NEA においては、プロジ
ェクトへの支援が中心であり、団体への経常的助成は行っておらず、またマッチンググラント(マ
ッチングファンド)の基本原則として、他の助成金や寄付金を集めることを補助金付与の条件と
している。
(2) 地域機関:Regional Arts Organizations (RAOs)
1970 年に連邦政府のイニシアチブによって設立された機関で、地理的な区分によって 7 機関が
設置されている。法的な位置づけとしては、隔週をメンバーとして設置されている独立非営利の
組織であるが、財源の多くを政府に依存している。RAOs は、州の機関では効果的に行えないよう
な、複数の州にまたがるプロジェクトなどのコーディネートが中心的な機能である。規模的には、
連邦や州政府よりもかなり小さい規模である。
(3)州政府:State Arts Agencies (SAAs)
芸術文化政策における政治的独立性を確保するという視点から、独立機関として設置されてい
る州などが半数の 28 あるが、残りの 28 州などでは、知事部局、教育部局、経済開発部局などの
一部として設置されている。民間組織として位置づけられている州もある。財源は、州の財政支
出が再々のシェアを占めており、1993 年度では全収入の 83.4%となっている。だが、現在は財政
悪化が目立ち、新たな財源探しが大きな関心事となっているようだ。
(4)地方政府:Local Arts Agency, Community Arts Agency (LAAs)
LAA は、市町村やカウンティ(郡)を単位として全米に 3800 以上ある言われている。設置形態は
様々で、大都市では行政府の一部局として設置されることが多いが、町村レベルでは民間団体の
場合も多い。他の機関と異なり、フェスティバルを自ら企画主催するなど、直接活動も行う。
AM は、これらの4つの公的財源を持つことになるが、その助成プログラムには公共政策としての
目的があり、それと符合しないメディアは当然資金援助の対象からは外されることになる。筆者
のフィールドワークは、ニューヨークとワシントンを中心に行われたが、例えばニューヨークの
メディア団体は New York City Department of Cultural Affairs(ニューヨーク市:以下 DCA)、
New York State Council on the Art(ニューヨーク州:以下 NYSCA)、National Endowment for the
Art (国:以下 NEA)および Mid Atlantic Arts Foundation(地域:以下 MAAF)の4つの団体か
ら、公的な助成を受ける可能性があることになる。
(最後の NEA については未調査である。
)この
助成(grant)を受けるためには、申し込みをしてそのプログラムや自らの団体について書類でアピ
ールをした上で、行政職員や専門家による選考が行われることになる。そして、このプロセスに
おいては、その民主性を確保するために様々なアカウンタビリティが存在することになり、また
それを保障するための工夫がシステムに取り込まれている。
また、行政における政策の方針というものも、その出所となる政治思想によって変化を帯びる
ことになる。政策のための様々な議論が行われているとはいえ、FCC の政策方針に保守系の関わ
りが広く見られるように、こうした啓蒙的なアプローチを含む分野においては当然イデオロギー
を巡る問題が内在している。極言すれば、多くのオルタナティブメディアが、周縁的な位置にい
る左翼的言説とマスメディアとの間に横たわる溝を埋める役割を担っているとも言えるわけであ
り、芸術分野に内在する政治的なメッセージは一つのアドボカシーと考えることができる。
(特に
ジャーナリスティックなものにおいてはなおさらである。)よって、こうしたイデオロギー的問題
に対するある種のエクスキューズとともに、助成における政治的な意図が介在することも確かで
ある。
ここでは、これらの点についてより詳しく見ていきたい。
3-1-2 マッチングファンドシステム
DCA と NYSCA のメディア部門のグラント(補助金)プログラムにおいては、自治体の助成によ
く用いられる「マッチングファンド」の手法が用いられている。これは、地域で活動する NPO を
活用・育成し、コミュニティ開発の実現を図るため、連邦政府の補助金を活用して地方公共団体
が設置したファンドであり、各種公共施設の整備やイベントの開催等について、NPO が経費の一
定割合を負担するとともに事業の提案を行い、地方公共団体が残額をファンドから助成するもの
で、ほぼ同額の助成になることが多いことから「マッチングファンド」と呼ばれる。その特徴は
以下のようにまとめられる。
-行政から市民への委託事業という形で、開発投資として位置づけられる。
-テーマやプロジェクトに依拠したプログラム
-期間を決めた一回きりのものが中心である。
-成果を出すことを求められる。また、その実現可能性やプロセス、結果にも評価が下される。
-申請内容の選考や評価についての公平性や透明性を確保するため、行政スタッフのほかに専
門家を集めた委員会が評価を行ったり、公聴会を通じて市民との対話が行われる。
この助成システムは、行政による NPO 支援におけるスタンダードとなりつつあり、AM団体は、
このグラントを獲得するためにある種の競争を行うことになる。それは、よりクオリティの高い
プログラムを実現させることであり、またより具体的な社会貢献を提案することである。しかし
ながら、その評価に関しては市民団体が納得しないものもあり、NYSCA には助成を受けられなか
った活動家が怒りの抗議に来ることもあるという。
(NYU のマンコン=ラム教授へのインタビュー
より)
また、NYSCA と DCA の組織概要、助成の内容ややり方ついては、以下のように整理される。
-NYSCA/Electronic Media and Film:
組織概要:20 人ほどの機関。州知事と上院議員によって任命される。
EMF における助成プログラムの種類:プロジェクトサポート(Project Support)、団体サポート
(Institutional Support)、団体発展サポート(Institutional Development Support)、芸術家プ
ロジェクト(Artist Project)の4つに加えて、複数年のサポートをするに値する意義があれば、5
年を上限に助成を更新することができる。NYSCA でもっとも多く発行される助成は、プロジェク
トサポートであり、これは基本的に 1 年間で完結する。
評価基準:プログラムや団体への助成を行うかどうかは、NYSCA のスタッフによるレビューと
会議を経て、7 人から 13 人の相談役(advisory panels)によって審議される。また、その成果
についてはスタッフや相談役、そしてその芸術の聴取者が参加することでイベントなどを評価す
ることになる。NYSCA の助成を受けた団体は、その活動内容や予算の使用についても報告を義務
付けられる。報告義務を怠った場合のペナルティとしては、二度と NYSCA から助成を受けること
ができなくなる。
NYSCA においては助成の基準を以下のように定めている。
1、プログラムや活動の芸術そして計画の質が高いこと
2、組織のミッションと提案された活動の関連性が高いこと
3、マネージメントと財務の能力、その組織が自ら提案した活動を実行する能力を含む
4、公共へのサービス。サービスを受容する人々の人数。また、視聴者を拡大し多様化させる
努力が見られるか。
5、公共の利益のための解釈や教育、オリエンテーションの努力の本質と範囲
6、同じ地理的地域の中の比較可能な他のサービスの不足や利用可能性
7、他の歳入や公的もしくは民間からの助成の性質と程度
これは NPO を行政がどのように捉えているかということを知る上で非常に重要な指標であると
いえよう。行政は、公共政策を行ううえで NPO をパートナーとして捉えており、彼らへの助成と
評価を通じたコンサルテーションを行うことで、その力を高め活用しようとしている。また、公
共の利益そのものに関する議論も、こうした共同作業を通じてそのあり方を探ろうとしていると
もいえる。
-DCA:ニューヨーク市の文化課は国内で最大の文化助成機関であり、2004 年度には 1 億 1800
万ドルの予算歳出と 2 億 5 千万ドルの資本予算を持っている。本課では、3 つの主なやり方で文
化コミュニティへの支援を拡大している。ニューヨーク市の市民へ提供される文化サービスとの
交換という形での特定の文化組織への助成、市が所有する 34 の文化施設への直接の補助金、そし
て指定された施設での建設や修繕にかかる資金の提供。
助成プログラム:助成ユニットは3つに分けられている。一つ目が、文化施設ユニット(Cultural
Institutions Unit)であり、文化施設の運営のサポートや保護を行うもの。2 つ目が資本プロジ
ェクトユニット(Capital Projects Unit)であり、市の公共財としての文化施設に関してより長期
的な観点から法的責任を伴って維持や向上を目指すもの。そして 3 つ目が、プログラムサービス
ユニット(Program Service Unit)と呼ばれるものであり、ニューヨーク市の住人や訪問者への文
化的経験を提供する数百に及ぶ文化団体を支援している。多様な文化団体の中の一勢力としての
AMの団体は、このプログラムサービスユニットを通じて助成されることになるが、このユニッ
トの助成方法はいくつかプロジェクトと活動に対するもので以下のようなものに限って対象とし
ている。
・ パブリックアクセス
文化を享受してない人々へのプログラム
講義や実演、ワークショップ
公開リハーサル
低価格の入場料の維持やそのための補助
自由活動やイベント
・ 公共への展示の為の新しい作品の創作、既存の作品の修復
・ 公立学校や現場での教育プログラムにおける芸術
・ コミュニティに基づいた芸術活動
・ ニューヨーク市内のアーティストや芸術団体を援助するサービス
・ トレーニングプログラム
またそのプログラムの審査基準は以下のようになっている。
1、提案されたプロジェクトは、公に通じるクオリティの実現可能な文化活動を第 1 の目標
に含めなくてはいけない。
2、提案書は明確に書かれており、助成期間中とその終わりに評価できるような分かりやす
い目標が盛り込まれていなくてはならない。
3、提案はその組織の芸術的・文化的、また運営や財務における能力を超えてはいけない。
4、プロジェクトの予算は、他にも確実な財源を持っていなくてはならない。DCLA のサポー
トはプロジェクト予算の 50%以内に限られる。財団や企業によるサポート、他の行政サ
ポート、私的な援助、そして収入などを含んだ資金の混合を行うことが望ましい。芸術
家の報酬はプロフェッショナルの賃金と同様のレベルでなくてはならない。
DCLA には、様々な芸術分野における専門のスタッフが存在しており、メディア芸術部門にはチ
ーフスタッフとアシスタント 2 名の 3 人が担当している。また、助成金額は一団体につき最低 3000
ドル以上であり、1 万ドル以下となっている。毎年およそ 500 以上の助成を発行している。
また、団体が提供するプロジェクトやサービスの 50%以下に限って DCA はサポートするとして
おり、つまり全額を補助するものではない。これは、行政による特定団体へのえこひいきとも言
えるような助成を防ぐため(またより多くの団体を助成するための工夫でもあろう)と、団体の
自主性を保つ意味とインキュベーションとして NPO を育てる意図があると考えられる。
両者の違いとしては、NYSCA が一つの団体につき最大4つまでの助成を認めているのに対し、
DCLA は基本的に NYSCA のような団体に対する多様な助成プログラムを用意しておらず、基本的に
組織運営やイベントへの助成に限っての支援を行い、他のどちらかというと大掛かりな行政主導
のプログラムへの拠出を多くしているように思われる。団体やプロジェクトの評価方法について
も、明文化されているものから比較しても、
また、メディア団体の多くは両者から同時に補助金を得ており、例えば 2003 年 8 月末に行われ
た BRIDGE と呼ばれるハーレムでのイベント(複数のオルタナティブメディア団体が作品上映会や
パーティを行った)には、市と州両方からの予算が下りている。これは市民側からの提案によっ
て共同運営されたものである。このスタイルの違いがどこからくるのかについては、今後さらな
る調査を要することになるが、それには両団体の組織の歴史と助成システムの変遷を見ていく必
要があるだろう。
また、こうした助成には評価そのものを通じて、市民とコミュニケーションを取っていくこと
が求められており、それを通じて次の助成が行われていくことになる。つまり、行政スタッフた
ちはより密に市民とのコミュニケーションを取りながら、そのニーズを汲み取り、また必要とさ
れる効果的なプログラムのあり方を考えることになる。DCA や NYSCA では、助成をもその一環と
して位置づけながら、メディア団体を支援している。いずれによせ、市民とのコミュニケーショ
ンを中心に、市民からの自発的な動きを活用する NPM(ニューパブリックマネジメント)の流れ
は、自治体にかなり浸透しており、多くの団体がその助成を受けるために工夫し、時には競争を
していることは間違いがない。
・メディア助成に内在する政治性
先ほども触れたように、特定のメディアを支援するということにはそのコンテンツに対しても
政策的な関与をするということであり、とりわけ周縁的な市民メディアは活動家達にとってのア
ドボカシーのフロンティアでもある。ここでは、助成をする行政側がこうしたメディアに内在す
る政治性に対して、どのような議論を行っているのかについて見てみたい。
NYSCA におけるコンテンツと政策に関する議論においては、コラボレーションの対象として以
下の3つの対象が大まかに分けてある。
(この議論は、2003年8月7日に NYSCA の「電子メデ
ィアとフィルムプログラム(Electronic Media and Film Program: 以下 EMF)」のミーティングに
おけるディスカッションクエスチョンおよびその議論の記録から見たものである。EMF 担当のチ
ーフであるカレン=ヘルマーソン氏へのインタビューで資料として分けていただくことができ
た。)
・ メディアアート
・ ソーシャルイシューメディア
・ メディアアドボカシー
この分類は非常に重要な意味を持っている。というのも、この 3 つの領域が AM の機能そのもの
であり、ここから AM を定義することも可能となってくるからである。つまり、
(1) メディアアート:芸術的表現としての価値、新規性、冒険
(2) ソーシャルイシューメディア:社会の問題を取り扱うジャーナリスティックな機能
(3)メディアアドボカシー:メディア構造に対する異議申し立て
メディア団体の作るコンテンツには、当然のごとく政治的メッセージが内在する上、またその
活動そのものがメディア構造に対する異議申し立ての一環である場合も多い。芸術的な価値だけ
にその活動の評価を絞ることは実際に難しく、その公共性はどうしても政治的メッセージを持つ
NPO の支援という性質を帯びることになる。
カレン=ヘルマーソン氏は、
「例えば、ペーパータイガーテレビジョン(後出)を助成する場合、
私たちはそのメディアのコンテンツを評価するわけではなく、表現方法を評価します。彼らのビ
デオを使った表現活動や、衛星を使った配信方法そのものが非常に芸術的なのです。」と筆者に語
った。これは、ある種イデオロギー性を助成していることへの非難を回避するための、エクスキ
ューズであるように思われる。
しかしながら、NYSCA のヘルマーソン氏を始め、先の会合に集まったAMを助成する行政官た
ちは、基本的にメディアのオルタナティブを助成することの必要性を認めており、彼らはコンテ
ンツの政治性をむしろ重要視している。より政治的に討議が行なわれる場を創出することを奨励
しており、マイナーな独立系のコンテンツが発表される場の確保について意見を交わしている。
また、社会問題などのカバーや市民の政治参加に関する議論も交わされており、その可能性につ
いて大きく期待して、育成しようとしていることが伺える。
・政治状況と助成
ここで、市、州、連邦政府の政府間関係がどの程度、こうした助成に影響を及ぼすのかという
ことを検証する必要があるように思われる。三和総合研究所の片山泰輔によると、60 年代の NEA
の創設以来、連邦レベルでの芸術政策はその意義を時代によって根本から変えてきたのであり、
またそれに付随する形で、州レベルでの芸術政策も変化を見せたという。
(このレポートの全てを
ここに書くわけにはいかないので、部分要約の形で紹介したい。)
(片山、1998)
片山の調査では、政府と州レベルに絞った芸術政策の支出の比較から始まり、その両者の方針
と政策内容の変化について、詳細にレビューされている。最初に着目したいのが、93 年度におけ
る芸術の分野別補助金額の比較である。まず、全体で、州からの助成金が 106,717,036 ドル、連
邦レベルでの助成が 74,638,645 ドルのうち、
州がそのうち 4,9%
(5,229,788 ドル)、連邦が 13,6%
(10,179,500 ドル)をメディアアーツに充てていることが分かる。片山によれば、この比重の差
は「メディアの作品は放送や上映を通じて全国でその鑑賞が可能なのに対し、舞台芸術は、サー
ビス生産にも類似して生産と消費における地理的な距離が重要であるという芸術分野自体が持つ
特質と関わっている。」ということであり、数多くある SAA における NYSCA の特殊性についてはま
だ明らかでないにせよ(ひょっとしたら NYSCA だけは比重が高いということもありえる)、行政レ
ベルによって芸術支援政策の方針がこうした点においても現れている点は注目すべきである。
また、NEA が特定のプロジェクト助成に限定して補助金を出しているのに対し、州政府では芸
術団体への一般経常補助(Operating Support)が全体の金額のうち 45%を占めており、その助
成活動に大きな差があることがわかる。
さらに、連邦政府と州政府の芸術支援方針の変遷について、以下の図を見ると芸術助成は 80 年
代半ばを境に、州からの支出が連邦政府を上回っていることが分かる。連邦政府の、80 年代から
の伸び悩みについて、片山はレーガン政権下における「小さな政府回帰」への政策ビジョンの転
向を原因として指摘する。
(また、代の各州政府の財政悪化が 90 年代以降の州からの支出減の影
響である。
)以下に、これまでの芸術支援政策の変遷をレビューしたい。
1960 年代のジョンソン政権下での連邦政府による芸術文化支援の根拠は、「偉大な社会」の実
現のための「国民的威信としての芸術文化」であり、背景に冷戦下の米ソ威信競争があった。こ
の時の文化助成は、エクセレントアーツの支援に向けられ、エリート的志向に基づく特定層への
助成が行われていた。また、州政府においては、それを補う形で、マイノリティを含む一般的な
人々への芸術普及(outreach)を目指す意味で、公的助成機関が立ち上げられた。しかしながら、
当時の財源のほとんどは連邦から降りてくるものであり、その政策のイニシアチブは連邦にあっ
たというのも事実のようだ。
この NEA 創世記の政策意図は時代の変遷とともに、当然変化を余儀なくされ、根本的に方針が
変わることになる。ニクソン‐フォード政権下においては、大量消費社会の成熟という時代背景
を受けて、
「芸術消費」の拡大を目指し、また、その政策が「政治化」されメッセージとして強く
機能するようになり、助成額は年々上昇することになる。大衆消費文化が広まり、各地域にもオ
ーケストラや劇団が作られるようになるなどの芸術の一般化は、州政府によっても着目され、普
及に留まらないエクセレントアーツの創出が試みられるようになったのもこの頃である。さらに、
カーター政権下においては、都市の再開発問題やポピュリズムの加熱により、芸術支援は社会開
発の手段として考えられるようになる。マイノリティの支援や経済波及効果が意図されるように
なったという。
しかしながら、80 年代においてはレーガノミックスの流れを受けて減税とともに、政府支出が
抑えられる傾向にあった。
当初、
行政管理予算局は NEA に対し 50%の予算削減を迫ったというが、
実際にそこまでは減額されなかったにせよ、この支出減に伴い、NEA の助成方針も変化していく
ことになる。それは、
「市場の失敗」が想定される領域に対しての助成を行うという流れにあった
と、片山は解釈する。そして、それは、実験芸術などへのイノベーション支援と芸術教育に対す
る支援への重点化であるという。しかし、この二つの具体的政策方針は、保守派の文化に対する
スタンスと大きく食い違うことになり、従来の芸術支援の恩恵に預かっていたレーガン支持者か
らの不満の声もあり、地方分権の流れに合わせる形で州政府からの財政支出を求める動きが強ま
った。州レベルの芸術支援を求める圧力団体が各地に誕生し、活発したのもこの頃だといわれる。
州の助成政策においては、有力団体への経常費支援の割合が増え、現在の状況の基となる構図が
現れることになる。つまり、従来の普及・アウトリーチに加えて、エクセレンスまでもが政策の
目的となるようになり、支出が増大し続けたのである。
・90 年代以降の動向
片山は、別のレポートにおいて、90 年代以降の NEA の支出に関する分析も行っている。
(片山、
2003)90 年代の特徴としては、NEA に好意的とも言えるクリントン政権において、その財源が大
きく削られることになり、助成の方針が大きく変わったことが挙げられる。その転換点は、94 年
の中間選挙において共和党が大勝したことにあり、その後ギングリッチ下院議長らの共和党保守
からの激しい NEA 批判が展開されたことが、現在に至る NEA の予算状況と助成政策に強く影響し
ている。
この中で、NEA の助成プログラムは原則として分野ごとに設定され、それぞれに審査されてき
たものが、Heritage & Preservation(文化遺産・保存)、Education & Access(教育・アクセス)、
Creation & Presentation(創造・公開)、Planning & Stabilization(計画・安定)という、政策目
的と機能別に4プログラムに統合されることになった。これは、予算とスタッフの削減に伴う苦
肉の策であるかのようにも見えるが、片山のインタビュー調査ではそれ以上の狙いも見られると
いう。それは、
「NEA の政策の支持基盤を、これまでの芸術家から鑑賞者および芸術利用者(教育
や福祉などの社会政策的なプログラムにおいて芸術を利用しようとする人々)へシフトさせた」
ことであり、規模的に小さな芸術家という集団からより広い鑑賞者と芸術利用者へとその対象を
広げることで、NEA の存在意義はより理解を得やすくなったという。
それに反して、州の芸術支援の歳出は 2001 年まで急激に伸び続け、96 年の 262.2 百万ドルか
ら 2001 年では 447.5 百万ドルに達している。その後の景気低迷で少し落ち込むものの、州に対す
る芸術支援のニーズは非常に高まっていることが伺える。財源においては、NEA の財政支出が落
ち込み、州への補助金が減額しているにもかかわらず、別の様々な財源(公共建築物の一定比率
を芸術に向ける Percent for Arts や、芸術支援加算金を付した自動車ライセンス・プレートなど)
を確保している。また、企業からの寄付や事業収入などの財源獲得にも取り組んでいるという。
・ベンチャー・フィランソロピーという概念による助成
ここでは、民間の助成について、最新の事情を追うことにしたい。ここでは、非営利の芸術活
動についても「投資」として位置づけることで、何らかのリターンを求める立場から、
「VP(ベン
チャー・フィランソロピー)」という動きを取り上げたい。これは、社会的投資(Social Investment)
の流れを汲む動きであり、その特徴として1、NPO の経済的な自立を目指していること。2、助
成を投資と置き換え、NPO の事業成果を評価するに当たっては客観的に測定可能な基準を設ける
ことになっている。3、また、目標達成にきちんと向かっているかどうかを、常に助成側がチェ
ックし、コンサルティングを行い続ける。とったことが挙げられる。(塩谷、2003)
文化事業研究者の塩谷陽子によると、この動きは4つの実戦形式に現在分類することが可能で
あるという。
1、ベンチャー・キャピタル型助成
フォード財団の「ワーキング・キャピタル・ファンド(Working Capital Fund)」は、95 年に 400
万ドルの資金で始まり、最初の 4 年間で9つの NPO が 35 万ドルずつを「資本準備金」として受け
取り、1 年間かけて事業プランを練ったのちに、前年度のビジネス・プランを達成できたもの
だけが助成金を得る形で、財団や外部のコンサルティングを受けながら活動することになる。
ここでは、そのビジネスとしての収益をしっかりとした形であげ、目的達成を経済的に自立し
た形で果たしていくことが目標となる。
2、エクイティ・ファイナンス型支援
エクイティ・ファイナンスとは、
「株主資本の増加を伴う資金調達のことを言うが、発行者側
から見た場合、原則として返済義務のない資金の調達であり、財務的基礎を堅固にするなどの
効果がある(野村証券用語解説集より)
」というものであり、自己資本の増加に伴う資金調達の
ことである。例えば、外部からの投資により NPO の傘下に関連した営利事業法人を設立するこ
となどがある。
3、NPO 下の「ベンチャー子会社」設立のための、資本準備ファンド
上と関連する形で、非営利法人の芸術 NPO が営利団体の子会社を設立し、その収益によって
場隊の NPO の経営を安定させるという方法。劇団がコンピューターソフト系の会社を財団の助
成金により設立し、舞台芸術全般の特殊効果や演出に関するソフトをサービスとして売るよう
になったことで、本体の NPO だけでなく、他の団体にも広く恩恵が生まれることになった。
4、投資信託基金からの低金利ローン
SRI ファンドと呼ばれるもので、一般の個人投資家が大きなリターンを期待しない代わりに、
社会貢献を行う企業や NPO への助成を行うというもの。投資信託の形をとるため、対象となる
団体の選定も含めてパッケージ化され、その際にコンサルテーションが行われる。NPO への普
及率はまだ低い。
これらの動きに共通して言えることは、これまでの資本のばら撒きに近い助成から、コンサル
テーションを含めて、事業としてアドバイスを加える形で確実に成果をあげていくことを目的化
した助成が行われるようになってきているということである。これは、マッチング・ファンドと
同類のものであり、時として民間助成においてもそう呼ばれている。
・中間考察と今回の調査から得られたリサーチクエスチョン
ここで、これまでの AM の財政的な面への調査から得られたことを整理して、次なるリサーチク
エスチョンを見てみたい。
これまで、様々な非営利コンテンツ産業としての AM に関連する助成金の仕組みをレビューして
きたが、まだいくつかの調査の穴がある。例えば、AM が実際にどれくらい、こうしたファンドを
利用することが可能なのか、またベンチャー・キャピタル型の投資などの対象となった事例があ
るのかどうか、良く分かっていない。政府助成についていえば、その中のメディア部門に関する
歴史的変遷や、理念や政策目的の変化を追うことが出来ていないように思う。これらは、2 次資
料ではなく、自分の足で掴んだ一次資料が必要になってくる領域であろう。また、それに関連し
て、こうした投資を受けることによって、コンテンツにどのような変化が起こってくるのかとい
うことも興味深い。本来、非営利コンテンツとは商業主義的な目的から離れ、一般的にニーズが
低いものを扱ってきた。それが、公共政策においては、マイノリティの文化や新しい社会問題を
取り扱うという機能において、公共財の領域で取り扱われるようになったということができる。
しかしながら、こうした領域に事業としての経営的成立を目的として持ち込んだ場合、何が起こ
っているのかは、未知数である。これは、インタビューを通じて、製作スタッフがどのような変
化を感じているかを聞いていくことが必要になってくるように思われる。
また、筆者自身のインタビューでは、レーガン政権期において、市民団体への助成金が数多く
カットされることになり、80 年代に多くの AM が閉鎖に追い込まれたという。その際、オルタナ
ティブメディアは少ないパイの奪い合いを行うことになり、そこには競争(Political in-flight)
が生じた。
(ニューヨーク大学のマンコン・ラム教授へのインタビューによる)しかしながら、80
年代において芸術への国からの助成は伸び留まったものの、全体として減少傾向にあったわけで
はない。なぜ、それでも多くの AM の活動に財源が回らなくなったのか、というのは一つの残され
た謎である。
終章: まとめ
本論文においては、AM の現状に至るまでの経緯とその公益性を明らかに、実際にどのように助
成されているのかを見ることで、AM の経済的な背景からどのように独自性や持続可能性を保って
いるのかということについて論じた。公共政策の文脈では、歴史的議論やメディア規制の政策方
針の転換によって、制度としてパブリックアクセスが整備され、また NEA をはじめとする芸術分
野の助成によって多くの AM が活動を行っているということが分かった。
ここからは、公共助成は AM にとってはインキュベーションとしての役割が強く、マッチングフ
ァンドなどは、それによってプログラム運営に実現可能性を持たせ、より多くの他の助成金の獲
得を促すような媒体としての作用や、自助の力を養わせるための機会を提供しているということ
が言える。助成金に頼り切ることは、毎年の活動に差が出る上に、実績を失わせることにもなり
かねず、次のマッチングファンドにおける計画の実現性などについても、疑わしいものとなって
しまう恐れがあるので、こうしたメディアは独自のコンテンツやサービスでの資金調達を心がけ
るべきなのかもしれない。
また、現在、依然として資料として不足しているものが、民間助成に関する AM への助成である。
有名な大型財団のフィランソロピーから、AM に多くの資金が流れていることも調査で分かってい
るのだが、その細かい状況についての報告は今後の調査の後ということになる。さらに、これに
関連して、ヘリテージ財団などの保守系シンクタンクがどのように草の根のメディア運動に介入
していったか、ということについても踏み込んで調査する必要がある。保守系の AM では、左翼系
の AM と資金運営の戦略が大きく異なる可能性があり、筆者が訪れた「メディアの正確性」
(Accuracy in Media)などでは、その予算の 60%が個人からの寄付によって賄われていたことか
ら、相当なロイヤリティを持ったネットワークの形成に成功しているのではないか、と考えられ
る。
以上のように、AM と呼ばれる領域は、多様化を見せており、ラディカルなメディアからそうし
たアプローチを取らずに政治参加を勝ち取るメディアまで、幅を広げて展開されることになるで
あろう。これまで俯瞰した限りでは、ビジネスモデルとして成功しているケースの特徴は、コミ
ュニティ創造のタイプであれば、コミュニティエンジンの開発に軸を置いて、コンテンツに自由
度をもたせていること。コンテンツの製作を行う独立系のメディア団体であれば、ワークショッ
プもしくはその作品において、高い品質を常に維持し続けていること、ということがいえる。ア
マチュアリズムに価値を見出す団体も存在するが、そうしたサービスを提供する団体は、必然的
に助成金に対する依存が高くなる傾向がある。しかしながら、アマチュアリズムがそうした経済
的な観点から否定されるべきではない、ということも確かである。こうした試みは、公共政策の
観点からも芸術の裾野を広げるものとして重要視されるべきであるし、またそうしたアマチュア
の表現そのものにもプロにはない重要な視点が内在している可能性が高いからである。
アマチュアからプロフェッショナルな言論領域にいたるまで、AM が担保し続けるメディアとし
ての役割は非常に広範で、その公益性を維持するためのアプローチも様々にならざるを得ないと
いうことがいえる。
i
Alternative Media Index, <http://www.altpress.org/api.html>, Alternative Press Center (Access, 21
December 2003)
ii
スコット,キャシー、1999 年 12 月 1 日「民衆のメディア国際交流
(1996)『市民メディア
iii
‘91」集会にて/
-あなたが発信者!』
、創風社出版、p240-245
Independent Meida Center Global Page, <http://www.indymedia.org/en/index.shtml>, Independet Media
Center (Access, 21 December 2003)
iv
v
民衆のメディア連絡会
筆者による Reed Irvine 氏へのインタビューより(2003 年 9 月 19 日)
筆者による調査から。
Fly UP