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熊本大学学術リポジトリ Kumamoto University Repository System
熊本大学学術リポジトリ Kumamoto University Repository System Title 腹部大動脈瘤におけるアンジオポエチン様因子2の機能 解明 Author(s) 田爪, 宏和 Citation Issue date 2012-09-25 Type Thesis or Dissertation URL http://hdl.handle.net/2298/26702 Right 学位論文 学位論文 Doctoral Thesis Doctoral Thesis 腹部大動脈瘤における アンジオポエチン様因子2の機能解明 腹部大動脈瘤における アンジオポエチン様因子2の機能解明 (Roles of Angiopoietin-like protein 2 in pathogenesis of abdominal aortic aneurysm) Roles of angiopoietinlike protein 2 in pathogenesisi of abdominal aortic aneurysm 田爪 宏和 Hirokazu Tazume 田爪 宏和 Hirokazu Tazume 熊本大学大学院医学教育部博士課程医学専攻心臓血管外科学 指導教員 川筋 道雄 教授 熊本大学大学院医学教育部博士課程医学専攻心臓血管外科学 尾池 雄一 教授 熊本大学大学院医学教育部博士課程医学専攻分子遺伝学 2012年9月 学 位 論 文 Doctoral Thesis 腹部大動脈瘤における アンジオポエチン様因子2の機能解明 (Roles of Angiopoietin-like protein 2 in pathogenesis of abdominal aortic aneurysm) 田爪 宏和 Hirokazu Tazume 指導教員: 熊本大学大学院医学教育部博士課程医学専攻 心臓血管外科学 川筋 道雄 教授 分子遺伝学 尾池 雄一 教授 審査委員: 機能病理学分野担当教授 伊藤 隆明 呼吸器外科学分野担当教授 鈴木 分子生理学分野担当教授 富澤 一仁 病態生化学分野担当教授 山縣 和也 2012年 9月 実 目次 1. 要旨 p1 2. 参考論文 2-1. 2 関連論文 2 3. 謝辞 2 4. 略語一覧 3 5. 研究の背景と目的 4 5-1. 腹部大動脈瘤 4 5-1-1. 定義 4 5-1-2. 疫学 5 5-1-3. 分類 5 5-1-4. 病態 7 5-1-5. 診断 8 5-1-6. 病理所見 9 5-1-7. 治療 10 5-2. 慢性炎症と心血管病・代謝疾患 13 5-3. Angiopoietin-like protein2 15 5-4. 5-3-1. Angptl ファミリー 15 5-3-2. Angptl2 16 研究目的 6. 実験方法 17 18 6-1. 対象患者 18 6-2. マウス 19 6-3. マウス大動脈瘤モデル 20 6-4. マウス骨髄移植モデル 6-5. マウス腹腔マクロファージ初代培養 21 6-6. 組織学的解析 21 6-7. 定量 RT-PCR 法 23 6-8. zymography 24 6-9. 統計学的解析 24 7. 実験結果 p20 25 7-1. ヒト腹部大動脈瘤における Angptl2 の発現解析 25 7-2. ヒト腹部大動脈瘤における Angptl2 発現細胞の同定 28 7-3. CaCl2 法によるマウス AAA モデルにおける Angptl2 の発現解析 30 7-4. CaCl2 法によるマウス AAA モデルでの早期の変化 32 7-5. Angptl2-/-マウスでは CaCl2 法による AAA 形成が抑制される 33 7-6. Angptl2-/-マウスでは AAA 形成過程において炎症が抑制される 35 7-7. Angptl2-/-マウスの骨髄移植により 野生型マウスでの AAA 形成が抑制される 7-8. チオグリコレート(TGC)刺激により回収される 腹腔マクロファージは Angptl2 を強く発現している 7-9. 38 Angptl2-/-マウス腹腔マクロファージでは炎症性サイトカインの 発現および MMP の発現・活性が抑制される 7-10. 36 39 Angptl2 蛋白添加により Angptl2-/-マウス腹腔マクロファージにおける 炎症性サイトカイン・MMP-9 の発現が上昇する 40 8. 考察 42 9. 結論 45 10. 参考文献 45 1.要旨 [ 目的 ] 腹部大動脈瘤(abdominal aortic aneurysm;AAA)は、その組織学的所見から血管壁に おける慢性炎症の関与が指摘されているが、詳細な瘤形成の機序については未解明な部分が多い。 アンジオポエチン様因子 2 (Angiopoietin-like protein 2;Angptl2) は、肥満、関節リウマチ、癌な どの慢性炎症を基盤とした病態の発症・進展に強く関与することが近年明らかになっている。本 研究は AAA における Angptl2 の機能を解明し、 瘤形成の機序を明らかにすることが目的である。 [ 方法 ] AAA 患者切除組織を免疫組織染色および定量 RT-PCR 法を用いて、Angptl2 の発現と 局在および炎症性サイトカインの遺伝子発現について検討した。また野生型および Angptl2-/-マ ウスを用いて、塩化カルシウム塗布による AAA モデルを作製し、瘤のサイズや組織像・炎症性 サイトカインの遺伝子発現および matrix metalloproteinase(MMP) -9, 2 の活性について検討した。 さらに、野生型および Angptl2-/-マウスの骨髄移植後、AAA モデルを作製し解析した。最後に Angptl2-/-マウスの腹腔マクロファージ(MΦ)における炎症性サイトカインおよび MMP-9 の発 現・活性を検討した。 [ 結果 ] AAA 患者の血管拡張部(瘤部)の血管壁に浸潤した MΦ に一致して Angptl2 の発現を 認めた。拡張部においては非拡張部位に比べ MΦ の浸潤が有意に増加し、Angptl2 および炎症性 サイトカインの発現、MMP-9, 2 活性において有意な上昇を認めた。Angptl2-/-マウスでは、野生 型マウスと比べ瘤形成が抑制されるとともに、炎症性サイトカインおよび MMP の発現・活性が 有意に低下していた。さらに野生型マウスに Angptl2-/-マウスの骨髄移植を行った群では瘤形成 が抑制されたが、Angptl2-/-マウスに野生型マウスの骨髄移植を行った群では瘤形成が抑制されな かった。Angptl2-/-マウスの腹腔 MΦ は、炎症性サイトカインおよび MMP-9 活性の抑制を認め、 これらの発現・活性は Angptl2 蛋白の添加により有意に上昇した。 [ 考察 ] AAA における病態形成には、浸潤した MΦ が分泌する Angptl2 が、autocrine/paracrine に より MΦ に作用することで、炎症性サイトカインの発現上昇および MMP-9 の活性化を引き起 こし、血管壁での慢性炎症および壁構造の分解が持続する機序が重要であることを明らかにした。 一般的に大動脈瘤部においては、活性酸素の産生や慢性的な低酸素状態が認められる。Angptl2 はこれらの状態において発現誘導されることがすでに明らかにされており、AAA においても同 様の機序で発現誘導されることにより、慢性炎症の状態が持続するものと考えられた。 [ 結論 ] Angptl2 は、慢性炎症の誘導を介して腹部大動脈瘤病態形成に寄与しており、その発現 制御は新たな治療標的となり得る。 1 2.参考論文 2-1.関連論文 本論文は学術雑誌に掲載された次の論文を基礎とするものである。 Macrophage-derived Angiopoietin-like protein 2 accelerates development of abdominal aortic aneurysm Hirokazu Tazume, Keishi Miyata, Zhe Tian, Motoyoshi Endo, Haruki Horiguchi, Otowa Takahashi, Eiji Horio, Hiroto Tsukano, Tsuyoshi Kadomatsu, Yukiko Nakashima, Ryuji Kunitomo, Yasushi Kaneko, Shuji Moriyama, Hisashi Sakaguchi, Ken Okamoto, Masahiko Hara, Takashi Yoshinaga, Koichi Yoshimura, Hiroki Aoki, Kimi Araki, Hiroyuki Hao, Michio Kawasuji, and Yuichi Oike (Arteriosclerosis, Thrombosis, and Vascular Biology 32:1400–1409, 2012) 3.謝辞 本研究を遂行するにあたり、数多くの御指導、御鞭撻を賜りました熊本大学大学院心臓 血管外科学 川筋道雄教授、分子遺伝学分野 尾池雄一教授、免疫・アレルギー・血管病 態学寄附講座 宮田敬士特任准教授に深く感謝申し上げます。 腹部大動脈瘤患者様への説明および標本採取などにおいては、熊本大学大学院 心臓血管 外科学および、熊本労災病院 心臓血管外科の諸先生方に御協力頂きました。 また研究遂行および論文執筆にあたっては、遠藤元誉助教、門松毅助教をはじめ熊本大 学大学院 分子遺伝学教室の皆様に数多くの御助言を頂きました。 標本や試料の作製などについては、心臓血管外科学:谷口裕子さん、分子遺伝学分野: 中田三千代さん、進藤利恵子さん、岩木サユミさん、犬童康子さん、熊本労災病院スタッ フの皆様に御協力頂きました。 皆様方に心より感謝申し上げます。 2 4.略語一覧 本論文において、以下の略語を用いた。 AAA : abdominal aortic aneurysm Angptl : angiopoietin-like protein BMI : body mass index BMT : bone marrow transplantation CaCl2 : calcium chloride EVG : Elastica van Gieson H&E : hematoxylin and eosin HbA1c : hemoglobin A1c HDL : high density lipoprotein IHC : immunohistochemical staining KO : knock out LDL : low density lipoprotein MMP : matrix metalloproteinase NF-B : nuclear factor B n.s. : not significant difference PBS : phosphate buffered saline PBS-T : PBS containing 0.05% Tween-20 RCT : randomized controlled trial RT-PCR : reverse transcription polymerase chain reaction S.E.M. : standard error of the mean thioglycollate TGC : thioglycollate 3 5.研究の背景と目的 5-1. 腹部大動脈瘤 5-1-1.定義 大動脈瘤は「大動脈壁一部の全周,又は局所が拡張した状態」と定義されている 1, 2 。大 動脈の正常径としては一般に胸部で 3cm、腹部で 2cm とされており、壁の一部が局所的に 拡張して瘤を形成する場合、または直径が正常径の 1.5 倍(胸部で 4.5cm、腹部で 3cm)を 越えた場合に「瘤(aneurysm)」と称している。それ以下では瘤状拡張(aneurysmal dilatation) と称する事もできる 3, 4。 大動脈瘤は限局的な大動脈壁の拡張であり、その形状が紡錘状であれば紡錘状大動脈瘤 (fusiform type aortic aneurysm)、嚢状であれば嚢状大動脈瘤(saccular type aortic aneurysm) と称される。また瘤の発生部位により、胸部大動脈では胸部大動脈瘤(thoracic aortic aneurysm: TAA)、胸部と腹部に連続する胸腹部大動脈瘤(thoraco-abdominal aortic aneurysm)、 腹部では腹部大動脈瘤(abdominal aortic aneurysm: AAA)と称している。胸部大動脈瘤は嚢 状のものが多く、胸腹部と腹部大動脈瘤は紡錘状のものが多い。非拡張部の大動脈壁から 瘤部の壁へは滑らかな移行を示し、また病理組織学的にはその壁に本来の大動脈壁の構造、 特に中膜の弾性線維が残っていることが多い。しかし、瘤壁の破壊が進むと中膜が破壊・ 消失し線維性構造物しか残らない部分が出現してくる。ただし、このような場合にも非拡 張部からの移行は滑らかであり、また詳しく瘤壁を観察することにより他の部位に中膜の 弾性線維の一部を確認できることが多い。このような点が仮性大動脈瘤と異なる点であり、 明確に区別をするために真性大動脈瘤(true aneurysm of the aorta)と称する場合もある。 大動脈瘤の発生には大動脈壁の脆弱化が大きく関与しており、その脆弱化は炎症(ベー チェット病 5、高安動脈炎 6 など)、先天性結合織異常(マルファン症候群 7 など)、粥状 硬化 8 などによる壁の構造異常や破壊によってもたらされる。腹部大動脈瘤の場合、通常内 腔側には強い動脈硬化性変化があり、瘤の発生に動脈硬化が関連していることが強く疑わ 4 れる。しかし、閉塞性動脈硬化症との関連は乏しいこと 9、家族内発生があること 10、糖尿 病が危険因子でないという報告や逆相関を示す報告もあること 11 など動脈硬化のみでは説 明できない点もあり、他の要因、特に遺伝的要因や高血圧の関与も考えられている 4, 12。分 子レベルでは interleukin などの炎症性サイトカイン や、matrix metalloproteinase(MMP)な どの細胞外マトリックスの分解に関与する酵素の関与が強く示唆されている 4, 12。 5-1-2.疫学 米国では年間約 15,000 人、 英国では 8,000 人が腹部大動脈瘤の破裂により死亡しており、 65 歳以上の男性の主要な死因の一つとされている。米国での統計では、50 歳以上の男性の 3~10%に腹部大動脈瘤を認める一方、女性では 1~2%程度であり男女比は 5:1 とされてい る 13。 わが国における大動脈瘤の関する全国統計は存在しないため、正確な発症頻度は不明で ある。しかしながら日本血管外科学会の集計(http://jsvs.jp/enquete/result/index.html)によると、 腹部大動脈瘤に対してわが国で施行された手術症例数は、2004 年に 6129 例であったものが 2010 年には 8610 例(男性:6750、女性:1499)と増加傾向を示しており、男女比も欧米の 統計と同じ傾向を示している。食生活の西洋化に加え高齢化が進んでいるわが国において は、今後もさらに増加するものと考えられている。 5-1-3. 分類 瘤(aneurysm)の分類は、1)瘤壁の形態、2)存在部位、3)原因、4)瘤の形により分類 されている。 1)瘤壁の形態 瘤壁の形態によって、①真性、②仮性、③解離性に分類される。 ①真性(true aneurysm of the aorta) 5 大動脈の瘤壁が動脈壁成分(内膜・中膜・外膜の三層構造)から成るもの。但し、瘤 壁の一部で三層構造の全てがみられない部分があってもよい。 ②仮性(pseudo aneurysm of the aorta) 瘤の壁には動脈壁成分が無く(外膜の一部が含まれることがあっても、中膜は見られ ない)、本来の動脈腔外にできた「新たな腔」を仮性瘤と呼ぶ。大動脈内腔とは交通 (瘤孔を介して)しており、血流がある状態である。血流が無くなって、大動脈腔外 に血液がたまった場合(状態)は、「血腫(hematoma)」と称される。 ③解離性(dissecting aneurysm of the aorta) 大動脈壁が中膜のレベルで二層に剥離して、本来の大動脈腔(真腔:true lumen)以外 に、壁内に生じた新たな腔=“偽腔:false lumen”を持つものを、「大動脈解離:aortic dissection」と称している。その状態で径が拡張して突出(嚢状拡張=限局型解離)や 全周の拡張(紡錘状拡張=広汎型解離)を来した場合、「解離性大動脈瘤」と呼んで いる。多くは、新たに壁内に生じた偽腔が拡張する。 2)瘤の存在部位 瘤がある部位により、胸部(thoracic)、胸腹部(thoraco-abdominal)、腹部(abdominal) に分類される。腹部は腎動脈より上部(supra-renal)、下部(infra-renal)に分けられるが、 多くは腎下部腹部大動脈に生じる。 3)原因 瘤ができた原因によって、動脈硬化性(atherosclerotic)、外傷性(traumatic)、炎症性 (inflammatory)、感染性(infected),先天性(congenital)などがある。現在は、動脈硬 化性大動脈瘤(atherosclerotic aneurysm of the aorta)が最も多い。 4)瘤の形 6 瘤の形は、その形状から「紡錘状(fusiform type)」、「嚢状(saccular type)」に分類 する。紡錘状は大動脈全周での拡張であり、嚢状は局所(偏側性に一部)が拡張して嚢 (ふくろ)状または球状をしているものとする(球状を示すものも嚢状に含める)。 5-1-4.病態 大動脈瘤による症候は、1)解離発症や瘤破裂によって生じる「疼痛」、2)瘤が周囲臓 器へ及ぼす「圧迫症状」、3)分枝血管の循環障害による「臓器虚血症状」に分けられる。 1)疼痛 最も注意すべき症候である。解離では急性期は疼痛が主症状であり殆どの例で発症時 に胸部・背部の激痛を訴える。一方、真性瘤の殆どは無症候であり胸部瘤(64%が無症候) では胸部 X 線写真で、腹部瘤(60 %が無症候)では腹部触診で偶然に発見される。真性 瘤でみられる臨床症状としては、腹部では腹痛が 10%程度に認められている。 2)瘤周囲の圧迫症状 一般的に、腹部では周囲臓器への影響は殆どなく無症状のことが多い。しかし特殊型 の ‘inflammatory’ abdominal aortic aneurysm(IAAA)では瘤周囲の尿管や消化管を巻き込 んで通過障害を来す事があり、稀に腹部瘤でも下大静脈(下肢腫脹など)や消化管(下 血など)との瘻孔形成などをみる。 3)臓器虚血症状 臓器虚血が起こる原因として「分枝血管が瘤や解離に巻き込まれた場合」と「動脈壁 在の血栓が末梢へ流れた場合」がある。関連した動脈分枝の末梢領域の臓器によって起 こる症状は異なるが、腹部での虚血症状としては、四肢疼痛(四肢動脈)及び腹痛(上 腸間膜動脈)等が起こりうる。 7 5-1-5.診断 腹部大動脈瘤では、腹満感、便秘、非特異的な腰痛などの症状がみられる。他覚所見と しては腹部の拍動性腫瘤で気づかれることもある。初回診断法として腹部の超音波検査が 最も簡便かつ非侵襲的に評価することができる検査法である。腹部超音波検査は内部の壁 在血栓の状態、潰瘍、可動性プラークなどの観察も可能である。CT スキャンも必須の検査 法である。特に 3D-CT では立体的な動脈瘤の全体像を把握することができ、手術術式を検 討するうえで非常に有用である。 The Multicentre Aneurysm Screening Study (MASS)によれば、腹部大動脈瘤は通常女性に比 べて男性においてその頻度が高い 14。男性だけのスクリーニング検査において、径 3 cm 以 上の腹部大動脈瘤の頻度は 4.9%であったが、女性の場合は年齢を 65 歳以上に限っても、そ の頻度は 1.6%でしかない。スクリーニングを行うことで、瘤関連死亡についてはコントロ ールに比し 42 %のリスクの低減が可能となった。以上より、リスクファクターのある高齢 の男性、冠動脈疾患を有する例などについては、積極的にスクリーニングを施行するべき であると考えられる。 腹部大動脈瘤は診断時の瘤径により、年間破裂率は 4cm 未満で 0.3%、4.0~4.9cm で 1.5 %、 5.0~5.9cm で 6.5%、6.0cm 以上では急激にリスクが増大する。腹部大動脈瘤の増大スピー ドは約 0.3~0.5 cm/年と言われているが、始めは遅く瘤径の拡大とともに速くなるため 15、 観察期間は瘤のサイズにより判断する(図.1)。初回 CT における瘤径のサイズが 5.0cm を 越えていれば手術治療について検討する。4.0cm 未満の大きさであれば、まず半年後に CT を行い増大スピードを評価する。4.0~5.0cm の場合は年齢、体重、合併症などを考慮し、早 めの手術治療を選ぶかまたは半年後の CT 再検とする。最近では 80 歳以上の高齢者におい ても腹部大動脈瘤がみつかることがあり、耐術性について検討の上治療法を選択する。腹 部大動脈瘤では冠状動脈病変を有する例が多く、術前に心筋シンチグラムにて虚血の評価 を行い、有意狭窄が疑われる場合は冠状動脈造影検査を行う。 8 図.1 (非破裂性)腹部大動脈瘤の診断 Guidelines for diagnosis and treatment of aortic aneurysm and aortic dissection (JCS 2006) Circulation Journal :70, Suppl. IV, 2006 より引用 5-1-6.病理所見 動脈硬化性の瘤壁もしくは近傍の大動脈壁は著明な粥状動脈硬化を示す。瘤壁は粥腫が 内膜のみならず中膜内もしくは中膜を超えて存在する。中膜の弾性線維および線維性コラ ーゲンは動脈壁の構造を維持するための主たる成分であるが、それらの分解が促進され高 度に破壊されており、また平滑筋細胞は萎縮し中膜の菲薄化をきたしている。これら中膜 の破壊・菲薄化は動脈瘤の特徴的な所見である。粥状動脈硬化の強い症例では、脂質の沈 着が外膜にまで及ぶこともある。中膜は瘤壁の立ち上がりの部分では周囲の非拡張病変か ら連続性に認められることが多いが、拡張が強い部位では中膜が完全に消失している場合 もある。拡張部位の外膜には炎症細胞浸潤を伴っていることが多い。 9 5-1-7.治療 非破裂性腹部大動脈瘤は原則として無症状であるので、検診などで偶然指摘されること が多い。一方、破裂すると救命できるのは僅かに 10~15%でしかないため 16 、無症状の状 態での診断・治療が重要な疾患のひとつである。 腹部大動脈瘤の治療目的は①動脈瘤の破裂、②動脈瘤由来の末梢塞栓、③動脈瘤による 凝固障害といった 3 つのリスクを予防することである。なかでも破裂を予防し生命予後を 伸ばすことは最も重要である。腹部大動脈瘤の破裂がさし迫っていない場合は破裂リスク を回避するための内科治療を行い、破裂の可能性が増大した瘤では外科治療を優先するこ とが原則となる。腹部大動脈瘤の破裂リスクの評価は、1)動脈瘤径・拡張速度、2)動脈 瘤形状、3)疫学的因子で評価する。 1)動脈瘤径・拡張速度 動脈瘤の最大横径が大きくなるほど壁張力が増加し、5.017-19 あるいは 5.5cm を超えると 破裂する可能性が増大する 16, 20。拡張速度も動脈瘤径に影響され、著しく速く拡張する瘤 は破裂の危険が高い。 2)動脈瘤形状 大動脈瘤の形状では紡錘形の動脈瘤よりも嚢状の動脈瘤の方が破裂の危険が高い。ま た、瘤の一部が突出している形状も破裂し易い 21。最近は、局所の壁張力の計算値で瘤破 裂の危険をさらに詳細に予測する研究が行われている 22。 3)疫学的因子 欧米で行われている疫学調査では、女性が男性より 3 倍動脈瘤破裂頻度が高く 17, 23、高 血圧、喫煙、慢性閉塞性肺疾患合併が破裂を助長するとされている 24。特に喫煙に関して は、タバコで 6.5 倍、葉巻で 6.7 倍、手巻きタバコでは 25.0 倍も大動脈瘤破裂による死亡 の危険が増加する 25。腹部大動脈瘤の家族歴がある場合は破裂の危険が増加する 12。 10 内科治療 動脈瘤はひとたび発生すると拡張を続ける傾向がある 23, 26。しかし動脈瘤が存在しても、 破裂の危険があるサイズにまで拡張しなければ症状もなく、患者の QOL に与える影響は 少ない。5cm 以上のサイズになった動脈瘤は破裂の危険があり、手術リスクが高い患者以 外は外科的治療が優先する。内科的治療では径が 3~5cm の大動脈瘤の拡張をいかに抑え るかという点で治療効果を評価することになるが、明らかに有効な治療薬はまだ開発さ れていない。そのなかで、禁煙によって動脈瘤拡大のリスクが低下することは多くの研 究によって確認されている。喫煙は瘤の拡張速度を 20~25 %増加させるとも言われてお り、禁煙で動脈瘤拡大のリスクは低下する 19, 27。喫煙者の腹部大動脈瘤破裂あるいは破裂 による死亡は、非喫煙者や禁煙者より高いことが確認されている 17, 25。高血圧については、 腹部大動脈瘤と関連あるとの報告がある一方、関連ないとの報告も見られる 28。降圧剤や 抗高脂血症薬が動脈瘤の拡大を抑えたという RCT (randomized controlled trial) の報告は現 在のところない。内科的治療について推奨される治療法とそのエビデンスレベルについ てまとめたものを表.1 に示す。 表.1 腹部大動脈瘤に対する内科的治療 Class II a 1. 禁煙 (Level B) Class II b 1. Deoxycyclin (Level C) 2. Roxithromycin (Level C) 3. 降圧治療 (Level C) Class III 1. Propranorol (Level B) 表注)診断・治療法の推奨基準とエビデンスレベルは ACC/AHA ガイドラインに準じて 以下の分類を用いた。 11 < Classification of Recommendations > ClassⅠ:Conditions for which there is evidence and/or general agreement that a given procedure or treatment is useful and effective. ClassⅡ:Conditions for which there is conflicting evidence and/or a divergence of opinion about the usefulness/efficacy of a procedure or treatment. Ⅱa. :Weight of evidence/opinion is in favor of usefulness/efficacy Ⅱb. :Usefulness/efficacy is less well established by evidence/opinion. ClassⅢ:Conditions for which there is evidence and/or general agreement that the procedure/treatment is not useful/effective, and in some cases may be harmful. < Level of Evidence > Level of Evidence A:Data derived from multiple randomized clinical trials Level of Evidence B:Data derived from a single randomized trial, or nonrandomized studies Level of Evidence C:Consensus opinion of experts 外科治療 腹部大動脈瘤の外科治療は、下記に示す手術適応に加えて患者の手術リスクや生命予 後を考慮して決定する。現段階では、従来から行われている外科手術(人工血管置換術) の適応を基本とし、これにステントグラフト治療が可能な解剖学的条件が付加される。 以下、一般的な手術適応を示す。 1)最大横径 5.5cm 以下の動脈瘤に対する治療方針を決定するための RCT が 2 つ報告されたが 23, 26、 いずれも経過観察群と早期手術群との間に遠隔期生存率の差はなかった。一方、経過 12 観察群の 60%以上が試験期間中に手術となり、多くの動脈瘤は拡大することも確認で きた 29。このため、手術リスクの少ない患者あるいは、十分な経過観察を行うことが不 可能な患者では、4~5 cm のサイズでも手術適応とする場合がある。また、女性の破裂 率が男性の 3 倍もあったことより、女性の場合は手術適応となる瘤径を男性より小さ く設定する。 2)拡張速度,症状 拡張速度は瘤径により異なる。RCT はないが拡張率 5mm/6 ヶ月以上で手術とする意 見が多い 30。有症状の動脈瘤は破裂の危険があり手術適応と考えられる 31。 3)特殊 末梢への塞栓源となっている瘤は横径が小さい瘤に多く見られる。頻回に塞栓症が認 められる場合は手術を考える。感染性瘤は破裂の可能性が高いため、手術治療を行う。 凝固異常の原因となっている瘤は手術適応となる。 5-2. 慢性炎症と心血管病・代謝疾患 先進国において、脳卒中を含む心血管疾患は全死亡の約半数を占め、その最大の原因は 粥状動脈硬化である。動脈硬化性疾患発症のリスクとなる病態として、肥満、インスリン 抵抗性、糖代謝異常、脂質代謝異常、高血圧などが一個体に集積するメタボリックシンド ロームをはじめとする全身的な代謝異常が注目されている 32。これらの全身性の代謝異常状 態では複数臓器が連関しながら病態が進行・悪化することが知られており、共通した病態 メカニズムや病因の存在が示唆される。慢性炎症は、このような共通した基盤病態である 可能性が高いと考えられており注目されている 33。 13 しかしながら現在の知見で「慢性炎症」を明確に定義づけることは困難である。急性炎 症は、本質的に保護的・適応的な応答であり、そのプロセスには原因や組織を超えて共通 性が認められる一方、生活習慣病にみられる非感染性の慢性炎症は、自空間的な多様性(時 期と組織による違い)が大きい。また必ずしも明確な指標がないまま炎症性サイトカイン の発現上昇や免疫細胞の浸潤などによって炎症と捉えられていることが多い。他方、組織 学的な変化を伴う疾患の進展過程を検討すると慢性炎症の概念を捉えることは難しくない。 以下、慢性炎症性疾患の具体例として動脈硬化の過程を示し説明する。 動脈硬化では、血管壁に対して物理化学的、あるいは増殖因子などの外的刺激が与えら れると内皮細胞や平滑筋細胞の機能が変化する 34。内皮細胞の機能障害は、脂質などの血管 壁への蓄積、微小血栓の形成、内皮細胞-白血球相互作用を介した血管壁内への白血球の侵 入を引き起こす。酸化 LDL の蓄積、血小板からの増殖因子の放出、マクロファージや T 細 胞からの炎症性サイトカインの分泌は、さらに多様な細胞応答を引き起こす。平滑筋細胞 もその性質を大きく変え、病変形成に働く 35。マクロファージは泡沫化し進行病変ではその 細胞死により壊死性コアを形成する。血管壁ではこのような細胞死、組織破壊が起こる一 方で、血管新生や平滑筋の増殖、細胞外基質の産生等によって破壊された組織を修復しよ うというプロセスが同時進行することになり、血管壁の組織構築が改変(組織リモデリン グ)される 36。 このように動脈硬化の進展過程でみられる、内皮細胞との相互作用を介したマクロファ ージやリンパ球主体の細胞浸潤と、免疫細胞間および組織の実質細胞との相互作用、細胞 死や基質分解酵素による組織の破壊、血管新生、線維化などのプロセスをたどるものを、 非感染性慢性炎症疾患として捉える。このようなプロセスは、慢性腎臓病や非アルコール 性脂肪肝炎(non-alcoholic steatohepatitis: NASH)においても生じており、慢性炎症という共通 の概念で捉える事ができる。 14 5-3. Angiopoietin-like protein2 5-3-1. Angptl ファミリー アンジポエチン(Angiopoietin:Ang)は、造血幹細胞や血管内皮細胞に豊富に発現する受容 体型チロシンキナーゼ Tie2 のリガンドとして 1996 年に Regeneron 社の Yancopoulos によっ て同定された。その後、遺伝子改変マウスを用いた解析などから、Tie2 受容体を介する Ang シグナルは、血管系では血管壁細胞と血管内皮細胞の相互作用、血管内皮細胞同士の細胞 間接着相互作用、血管の成熟化、安定化、血管ネットワークのリモデリング、血管内皮細 胞の生存に、重要であることが明らかとなっている。また造血系では、造血幹細胞などの 幹細胞にも Tie2 が豊富に発現しており、Ang/Tie2 シグナルが幹細胞の維持にも重要な役割 を果たしていることが近年明らかにされている。Ang は N 末端に coiled-coil ドメインを、C 末端に fibrinogen-like ドメインを有する分泌タンパク質で、哺乳類において 4 種類の Ang1 ~Ang4 が同定されている 37。 1990 年代後半から 2000 年代前半に、Oike らを含む独立した複数の研究グループから、 Ang の構造上の特徴である coiled-coil ドメインと fibrinogen-like ドメインを有し、Ang の特 異的受容体である Tie2 と結合しない 7 分子のアンジオポエチン様因子(Angiopoietin-like protein ; Angptl) が報告された(図.2)。Angptl はアンジオポエチンの受容体である Tie2 の ほか、そのファミリーメンバーである Tie1 にも結合能を示さないことから、既存の Ang フ ァミリーとは別の機能を有する分子群と予想されている 38。現在のところ、Angptl ファミリ ーの各分子の特異的受容体については同定されていないが、Angptl2、Angptl3、Angptl4、 Angptl6 に関しては、インテグリンを介して作用していることが報告されている 39。 最近の研究により Angptl ファミリーは、血管新生への関与(Angptl1、Angptl2、Angptl3、 Angptl4、Angptl6)のみならず、慢性炎症を基盤としたさまざまな疾患の発症・進展への関与 (Angptl2) 39、糖・脂質・エネルギー代謝への関与(Angptl3、Angptl4、Angptl6) 40 が、明らか になってきている(表.2)。また ex vivo における造血幹細胞培養では、Angptl2、Angptl3、 15 Angptl5、Angptl7 のいずれの Angptl 蛋白を添加しても増殖促進作用があることが報告され ており、その生物学的多面性が注目されている 41。 図.2 アンジオポエチンとアンジオポエチン様因子の系統図 表.2 Angptl ファミリーの血管新生および代謝における生物学的作用 5-3-2. Angptl2 1999 年に Koh らによって Angptl1、Angptl2 が血管新生因子として報告された 42。Oike ら もほぼ同時期に独立してヒト胎盤から Angptl1 を、ヒト卵巣癌細胞株から Angptl2 を同定し た。マウスを用いた実験において、Angptl2 タンパク質により血管新生を誘導できること、 しかし Angptl2 遺伝子欠損(Angptl2-/-)マウスでは血管系の発生に異常を認めないことを見 出した。その後のゼブラフィッシュを用いた解析で、発生期では Angptl2 は Angptl1 と協調 して血管新生に重要な役割を果たしていることを見出した 43。さらに最近の研究で、各組織 16 における Angptl2 の発現上昇が慢性炎症を惹起することにより、様々な異なる疾患・病態の 発症進展に関与していることが明らかになってきている。以下に、これまでに明らかにな った Angptl2 と各種疾患との関連について説明する。 肥満病態では、脂肪組織内に慢性炎症が惹起される機構の一つとして、低酸素や小胞体 ストレスによって Angptl2 の発現が誘導されることにより、脂肪組織の血管内皮細胞の炎症 経路活性化や血管透過性の亢進、マクロファージの脂肪組織への浸潤促進を認め、その結 果として全身のインスリン抵抗性を引き起こすことが明らかになった 39。 また代表的な慢性炎症疾患である慢性関節リウマチ(rheumatoid arthritis: RA)では、RA 患者の血清 Angptl2 値が、RA の活動性(disease activity score 28: DAS28)と正の相関を示す こと、滑膜細胞やマクロファージから産生された Angptl2 が、炎症細胞浸潤や血管新生とい った関節リウマチの病態形成に関与することが明らかになっている 44。 さらに化学物質誘発皮膚癌(squamous cell carcinoma: SCC)モデルにおける解析では、 Angptl2 を皮膚に過剰発現させたトランスジェニックマウスでは SCC の発症頻度が上昇し、 肺転移やリンパ節転移が増加し生存率が低下する一方、Angptl2-/-マウスにおいては、SCC の発症頻度は低下し肺転移やリンパ節転移も抑制された。Angptl2 は発癌および癌の進展・ 転移においても深く関与していると考えられている 45。 この他にも現在、メタボリックシンドロームに関連した動脈硬化性疾患、肺がんや乳が んなどの悪性腫瘍 46 など、多種の疾患における Angptl2 の役割についての研究も行われてお り、Angptl2 が様々な疾患において重要な役割を果たしている可能性が示唆されている。 5-4. 研究目的 腹部大動脈瘤は、これまでの知見やその組織学的検討から非感染性慢性炎症疾患である ことは明らかであるが、病因および進展過程における炎症のメカニズムについては依然と して不明であり、結果として外科的治療以外に有効な薬物治療は存在しない。 17 従って、血管壁における慢性炎症のメカニズムを解明し、血管壁の脆弱化・瘤化の進展 を防ぐことが可能となれば、外科的治療の必要のない小径の腹部大動脈瘤の増大を防ぐこ とができ、大動脈瘤の薬物治療につなげることが可能となる。 本研究では、腹部大動脈瘤におけるAngptl2の機能を解明することで、大動脈瘤血管壁に おける慢性炎症進展のメカニズムを解明することを目的とした。 腹部大動脈瘤患者検体、Angptl2-/-マウスを用いた実験にて、腹部大動脈瘤におけるAngptl2 の役割について詳細に検討した。 6.実験方法 6-1. 対象患者 本研究は、2010 年 1 月から 2010 年 12 月に熊本大学病院および熊本労災病院の心臓血管 外科において、腹部大動脈人工血管置換術が必要と診断された患者のなかで、本研究に対 する説明を文書で行い同意の得られた患者を対象とした。 腹部大動脈瘤の診断は CT にておこない、最大径が 50mm 以上または 6 か月で 5mm 以上 の急速な増大傾向を示したいわゆる真性瘤を研究対象とし、解離性動脈瘤の患者や緊急手 術の患者については研究対象から除外した。患者群の臨床背景を表 3.に示す。 組織サンプルは、切除する動脈瘤のうち拡張途中の瘤部と、対照としてほぼ正常径に近 い非拡張部位の計 2 か所から採取した。両部位の組織について、Angptl2 、炎症性サイトカ イン、MMP-9、MMP-2 の遺伝子およびタンパク発現、活性を、それぞれ定量 RT-PCR 法、 免疫組織染色(IHC)、zymography にて評価した。本研究は熊本大学および熊本労災病院の倫 理委員会の承認のもとにおこなった。また、すべての患者に文書による説明と同意を得た。 18 表.3 対象患者背景 診断 腹部大動脈瘤 患者数 20 年齢 (歳) 73.9 ± 7.4 男性 : 女性 17 : 3 瘤径 (mm) 52.8 ± 7.5 Body mass index (kg/m2) 22.6 ± 3.2 喫煙 14 (70%) 高血圧 17 (85%) 糖尿病 2 (10%) 脂質異常症 12 (60%) 表注) 喫煙:初診時に喫煙中または過去に喫煙歴があるもの。 高血圧:収縮期血圧>140 mmHg または拡張期血圧>90mmHg。 糖尿病:空腹時血糖≥ 126mg/dl または HbA1c(JDS) ≥ 6.5%または現在薬物治療中。 脂質異常症:総コレステロール> 220mg/dl または LDL コレステロール> 140 mg/dl または中性脂肪> 150 mg/dl または HDL コレステロール<40 mg/dl (いずれも空腹時)または現在薬物治療中。 6-2. マウス 本研究には C57/BL/6N をバックグラウンドとして 10 回以上のバッククロスを行ったオス の Angptl2 遺伝子欠損(Angptl2-/-)マウスと同腹の野生型のマウスを用いた。マウスはすべて 熊本大学生命資源研究・支援センター 動物資源開発研究施設(Center for Animal Resources and Development:CARD)にて通常食(CE-2, CLEA)で飼育され、すべての実験は熊本大 学動物実験委員会が定める実験動物と動物実験に関連する規則に準拠して行った。 19 6-3. マウス大動脈瘤モデル マウス大動脈瘤モデルとしてすでに確立されている、塩化カルシウム(CaCl2)塗布によ る大動脈瘤モデルを使用した 47 。10~12 週齢のオスのマウスをネンブタールにて麻酔後開 腹し、腎動脈下から両総腸骨動脈分岐部までの腹部大動脈を周囲組織から剥離。0.75M CaCl2 または塩化ナトリウム(NaCl)を浸した綿花を周囲に敷き詰め、15 分間放置したのち綿花 を除去し閉腹する。大動脈瘤のサイズ、組織学的解析および遺伝子発現は手術後 7 日目、 28 日目におこなった。大動脈径の測定については、Image-J(National Institutes of Health freeware)を用い、対象群の背景を知らされていない研究者が測定を行った。 6-4. マウス骨髄移植モデル 12 週齢のオスの Angptl2-/-マウスと同腹の野生型マウスをレシピエントとして用いた。 9Gy の放射線照射を行った後、ドナーとなる Angptl2-/-マウスと野生型マウスの骨髄をそれぞれ 尾静脈より静脈内投与した。ドナーとレシピエントの組み合わせは 4 パターンを作製した (図.3)。骨髄移植後 1 週間、通常通り飼育したのち動脈瘤モデルの実験に用いた 48。 図.3 マウス骨髄移植(BMT)モデルにおける、ドナーとレシピエントの関係 20 6-5. マウス腹腔マクロファージ初代培養 10 週齢のメスの Angptl2-/-マウスと同腹の野生型マウスを用いた。4%チオグリコレート (thioglycollate: TGC)(Difco, NJ, USA)もしくは PBS を腹腔内に 4mL 投与し、3 日後に腹腔 内のマクロファージを回収した。これらは 10%ウシ胎仔血清(FCS)入りの RPMI1640 培地 (Wako, Osaka, Japan) を用いて培養した 48。3 日間の培養後、24 時間の serum starvation をお こなったのち、炎症性サイトカインおよび MMP の遺伝子発現・活性について定量 RT-PCR 法および zymography を用いて解析をおこなった。 また、Angptl2-/-マウスから TGC 刺激後採取したマクロファージを serum starvation 後、精 製した Angptl2 蛋白 5μg/mL を添加し 12 時間後の炎症性サイトカインおよび MMP の遺伝 子発現について定量 RT-PCR 法を用いて解析をおこなった。 6-6. 組織学的解析 ヒト腹部大動脈組織は 10%パラホルムアルデヒド・リン酸緩衝液 (pH7.4) を用いて固定 し、アルコールにて脱水しパラフィンに包埋した。パラフィン包埋した組織は 5μm で薄切 し風乾後脱パラフィンを行った。マウス腹部大動脈組織は、OCT コンパウンド(Sakura Finetechnical, Tokyo, Japan)内に包埋し、液体窒素内で凍結した。凍結切片は 6μm で薄切した。 すべての切片は、ヘマトキシリン・エオジン(H.E.)染色および、エラスチカワンギーソン (EVG)染色をおこなった 48。 免疫組織化学染色のため、切片を Target Retrieval Solution (Dako Inc, Carpinteria, CA, USA) 溶液に入れ、オートクレーブ処理し抗原の賦活化を行った。次に 0.3%過酸化水素水 (Nichirei, Tokyo, Japan) で 30 分間処理し、内因性ペルオキシダーゼ反応阻害を行ったのち、非特異的 結合阻害のため、10% 正常ヤギ血清 (Nitchirei Bioscience, Tokyo, Japan)を用いて ブロッキ ング処理を施した。 21 ヒトの組織切片は、1 次抗体として 100 倍希釈したウサギポリクローナル抗 Angptl2 抗体 (ヒト/マウス Angptl2 の 383 から 400 アミノ酸配列のうち SFRLEPESEYYKLRLGRY の配 列を認識するポリクローナル抗体)44、100 倍希釈したマウスモノクローナル抗 CD68 抗体 および抗 HHF35 抗体(いずれも Dako Inc., Carpinteria, CA)を用いて 4℃で一晩反応させ、 PBST で洗浄した。次に切片を 500 倍希釈した 2 次抗体;抗ウサギまたは抗マウス IgG 抗体 (Amersham Pharmatech Biotech, Piscataway, NJ)を用いて反応させ、DAB(3,3’-diaminobenzidine) 溶液にて発色させ、ヘマトキシリンにて核染色を行ったのち、光学顕微鏡にて解析を行っ た。 ヒト組織切片は蛍光二重免疫染色も施行した。100 倍希釈した上記のウサギポリクローナ ル抗 Angptl2 抗体と、50 倍希釈したマウスモノクローナル抗ヒト CD3 抗体、または 50 倍希 釈したマウスモノクローナル抗ヒト CD15 抗体、または 100 倍希釈したマウスモノクローナ ル抗ヒト CD20 抗体、または 100 倍希釈したマウスモノクローナル抗 CD68 抗体 (いずれも Dako Inc., Carpinteria, CA)を用いて 4℃で一晩反応させ、PBST で洗浄した。次に切片を Alexa Fluor 488 でラベルした抗マウス IgG 抗体および Alexa Fluor 647 でラベルした抗ウサギ IgG 抗体(いずれも Invitrogen, Life Technologies, Carlsbad, CA)を 2 次抗体として遮光下に室温で 1 時間反応させた。PBST にて洗浄後、共焦点レーザー顕微鏡(Laser Optic Leica TCS SP2 AOBS; Leica Microsystems, Wetzlar, Germany)にて観察を行った 44。 マウスの組織切片は、100 倍希釈した上記のウサギポリクローナル抗 Angptl2 抗体および ウサギモノクローナル抗 Mac2 抗体(Abcam Inc, Cambridge, MA) を 1 次抗体として用い、500 倍希釈した抗ウサギ IgG 抗体を 2 次抗体として、ヒト組織と同様に発色させ解析した 49。 22 6-7. 定量 RT- PCR 法 組織および細胞の total RNA は、TRIzol reagent (Invitrogen, Carlsbad, USA)を用いて抽出し た。DNase 処理した RNA を PrimeScript RT reagent Kit (Takara Bio, Otsu, Japan)を用いて逆転 写した。PCR 産物の発現レベルは Thermal Cycler Dice Real Time system (Takara Bio, Otsu, Japan)を用いて解析した 39。-actin mRNA を内因性コントロールとし発現量を補正した。 各プライマーの配列を表 4、5 に示す。 表 4. 本研究に用いた各プライマーの配列(ヒト) Gene -ACTIN TNF- IL-1 IL-6 ANGPTL2 MMP-9 MMP-2 Sequences Forward TGGCACCCAGCACAATGAA Reverse CTAAGTCATAGTCCGCCTAGAAGCA Forward GACAAGCCTGTAGCCCATGTTGTA Reverse CAGCCTTGGCCCTTGAAGA Forward GCTGATGGCCCTAAACAGATGAA Reverse TGAAGCCCTTGCTGTAGTGGTG Forward AAGCCAGAGCTGTGCAGATGAGTA Reverse TGTCCTGCAGCCACTGGTTC Forward GCCACCAAGTGTCAGCCTCA Reverse TGGACAGTACCAAACATCCAACATC Forward ACCTCGAACTTTGACAGCGACA Reverse GATGCCATTCACGTCGTCCTTA Forward GATAACCTGGATGCCGTCGTG Reverse CAGCCTAGCCAGTCGGATTTG 表 5. 本研究に用いた各プライマーの配列(マウス) Gene -actin Tnf- Il-1 Sequences Forward CATCCGTAAAGACCTCTATGCCAAC Reverse ATGGAGCCACCGATCCACA Forward AAGCCTGTAGCCCACGTCGTA Reverse GGCACCACTAGTTGGTTGTCTTTG Forward TCCAGGATGAGGACATGAGCAC Reverse GAACGTCACACCAGCAGGTTA 23 Il-6 Angptl2 Mmp-9 Mmp-2 F4/80 Cd68 Mcp-1 Forward AAGTCGGAGGCTTAATTACACATGT Reverse CCATTGCACAACTCTTTTCTCATTC Forward GGAGGTTGGACTGTCATCCAGAG Reverse GCCTTGGTTCGTCAGCCAGTA Forward GCCCTGGAACTCACACGACA Reverse TTGGAAACTCACACGCCAGAAG Forward GATAACCTGGATGCCGTCGTG Reverse CTTCACGCTCTTGAGACTTTGGTTC Forward GAGATTGTGGAAGCATCCGAGAC Reverse GATGACTGTACCCACATGGCTGA Forward CATCAGAGCCCGAGTACAGTCTACC Reverse AATTCTGCGCCATGAATGTCC Forward GCATCCACGTGTTGGCTCA Reverse CTCCAGCCTACTCATTGGGATCA 6-8. zymography ヒト動脈瘤患者の血管壁または野生型マウスおよび同腹の Angptl2-/-において作成した動 脈瘤組織を、それぞれ細胞溶解緩衝液 (1% Triton X-100, 10 mM Tris, 50 mM NaCl, 30 mM sodium pyrophosphate, 50 mM NaF, 5 mM EDTA, 0.1 mM Na3VO4) にて溶解した。マウス腹腔 マクロファージの初代培養については、培養上清を Amicon Ultra-15 filter (Millipore, Billerica, MA)を用いて濃縮した。それぞれ等量の蛋白を 0.1%ゼラチン加 10%SDS-PAGE にて展開し た。泳動したゲルは 2.5% Triton X-100 にて洗浄後、developing buffer で 37℃48 時間反応さ せたのち、Quick CBB (Wako Pure Chemicals, Osaka, Japan)を用いて染色を行った 47。バンド は Image-J(National Institutes of Health freeware)を用いて解析し、pro-MMP-9 と MMP-9 の 合計を MMP-9 の活性とし、pro-MMP-2 と MMP-2 の合計を MMP-2 の活性として評価した。 6-9. 統計学的解析 結果は平均値±標準誤差(mean±SEM)で表記した。Student の t 検定にて p<0.05 を統 計学的に有意と判定した(Excel, Microsoft, Redmond, WA, USA)。 24 7.実験結果 7-1. ヒト腹部大動脈瘤における Angptl2 の発現解析 腹部大動脈瘤形成における Angptl2 の役割を調べるために、定量 RT-PCR 法および免疫組 織化学染色法を用いて、ヒト腹部大動脈瘤における Angptl2 mRNA および蛋白発現の有無と その局在について検討した。 まず、腹部大動脈瘤の拡張部位(瘤部:Aneurysmal lesion)とその周囲の非拡張部位 (Non-dilating lesion)において、Angptl2 mRNA の発現を定量 RT-PCR 法を用いて解析した。 Angptl2 mRNA の発現は、非拡張部位と比較し瘤部において有意に上昇していた。また、炎 症性サイトカインである、TNF-α、IL-1β、IL-6 についても非拡張部位と比較し、瘤部におい て有意に発現が上昇していた(図 4.A)。また、MMP-9、MMP-2 についても拡張部位にお いて mRNA 発現が上昇しており(図 4.B 左)、zymography によって、MMP-9、MMP-2 の 活性も上昇していることが明らかになった(図 4.B 右)。 図 4.ヒト腹部大動脈瘤(AAA)における Angptl2 および炎症性サイトカインの遺伝子発現と MMP 活性 A 25 B A:瘤部および非拡張部位における Angptl2 および炎症性サイトカインの mRNA 発現 (n=11) 。 β-actin にて補正後、非拡張部位での発現を 1 として表記。 B:MMP-9 および MMP-2 の mRNA 発現(左)と、zymography によるその活性(右)。*p < 0.05、**p < 0.01。 次に、Angptl2 蛋白発現およびその局在を免疫組織化学染色法にて解析した。まず H.E.染 色および EVG 染色をおこない、非拡張部位においては中膜の弾性線維が豊富に存在し壁構 造が保たれているのに対し(矢頭、図.5A)、瘤部においては弾性線維がほぼ消失し(矢頭、 図.5B)中膜内に炎症細胞の浸潤を認めることを確認した(これらは、一般的な動脈瘤の組 織所見と一致する)。Angptl2 陽性細胞は瘤部の中膜において多数認め(図.5D)、非拡張 部位の中膜にはほとんど認めなかった(図.5C)。さらに CD68 陽性マクロファージと HHF35 陽性血管平滑筋細胞について検討した。CD68 陽性マクロファージが、Angptl2 陽性細胞と 同様に瘤部の中膜において高度に存在し(図.5F)、非拡張部位の中膜にはほとんど認めな いのに対し(図.5E)、HHF35 陽性血管平滑筋細胞は、非拡張部位の中膜において高度に存 在しており(図.5G)瘤部の中膜の中膜にはほとんど発現を認めなかった(図.5H)。強拡大 においても、Angptl2 陽性細胞と CD68 陽性マクロファージの局在が同じ部位に観察された 26 ため(図 5.D、F 内の破線の強拡大を I に示す)、蛍光二重免染法により Angptl2 を発現し ている細胞種についてさらに詳しい検討を行うこととした。 図 5.ヒト AAA 組織における中膜の破壊像とマクロファージ・Angptl2 陽性細胞の局在 A、C、E、G:非拡張部位における、組織像および Angptl2、CD68(マクロファージ)、HHF35 (血管平滑筋)による IHC。B、D、F、H:瘤部における組織像および IHC の結果。 A、B の矢頭は中膜の弾性線維を示す。A~H の scale bar はいずれも 500μm。 I:B および D の破線内の強拡像。scale bar は 100μm。 27 7-2. ヒト腹部大動脈瘤における Angptl2 発現細胞の同定 7-1 の結果から、 ヒト腹部大動脈瘤の中膜において浸潤しているマクロファージが Angptl2 を発現している可能性が考えられた。中膜の破壊とともに、各種炎症細胞の浸潤がみられる ことはよく知られている。Angptl2 を発現している細胞種を同定するため、Angptl2 と各細胞 特異的マーカーとで蛍光二重免染を行い、共焦点レーザー顕微鏡を用いて解析を行った。 3 名の異なる患者の瘤部の組織において、Angptl2 陽性細胞は CD68 陽性マクロファージ と一致した(図 6.A)。一方、CD3 陽性 T リンパ球、CD15 陽性顆粒球、CD20 陽性 B リン パ球では、Angptl2 陽性細胞と一致しなかった(図 6.B)。これらの結果から、ヒト腹部大 動脈瘤の血管壁においては、炎症細胞の中でも中膜に浸潤したマクロファージのみが Angptl2 を発現していることが示された。 図 6.ヒト AAA 組織における Angptl2 発現細胞の同定 28 A:瘤部における、Angptl2 陽性細胞(赤)、CD68 陽性マクロファージ(緑)との蛍光二重 免疫染色(N=3)。 B:瘤部の同一切片における Angptl2 陽性細胞(赤)と CD20 陽性 B リンパ球(緑)または CD3 陽性 T リンパ球(緑)または CD15 陽性顆粒球(緑)または CD68 陽性マクロファー ジ(緑)との蛍光二重免疫染色。 A、B の scale bar はいずれも 25μm。 29 7-3. CaCl2 法によるマウス AAA モデルにおける Angptl2 の発現解析 ヒト大動脈瘤での解析結果から、大動脈瘤血管壁に浸潤したマクロファージが Angptl2 を 発現していることが明らかになった。次にその役割を解明するため、モデルマウスを作製 し解析を行うこととした。マウスにおける腹部大動脈瘤モデルの作製方法には、CaCl2 法の ほか、アンジオテンシンⅡ投与法やエラスターゼ投与による方法があるが、動脈壁の構造 の変化が緩やかで慢性炎症の経過をたどるとされている CaCl2 法による AAA モデルを用い た(図 7.)。 図 7.CaCl2 法によるマウス AAA モデルのタイムコース まず、本モデルにおいて Angptl2 の遺伝子および蛋白の発現とその局在について解析した。 手術から 28 日目(late stage)に解析を行ったところ、0.9%NaCl(saline)塗布群では大動脈 径に変化を認めないのに比べ、CaCl2 を塗布した群では 2 倍近く増大し大動脈瘤を形成して いた(図 8.A)。それぞれを塗布した部位において、Angptl2 および炎症性サイトカイン、 Mmp-9、Mmp-2 の mRNA 発現を定量 RT-PCR 法で解析したところ、CaCl2 塗布群において各 遺伝子の発現が有意に上昇していた(図 8.B)。さらに組織学的解析を行うと、saline 塗布 群では Angptl2 陽性細胞を認めず、血管壁へのマクロファージの浸潤も認めず、弾性線維の 破壊も起こっていないのに対し(図 8.C~E)、CaCl2 塗布群では血管壁にマクロファージが 浸潤し、同部位に Angptl2 の発現を認めた。また弾性線維の破壊も顕著であった(図 8.F~ H)。これらの結果から、CaCl2 によるマウス大動脈瘤モデルでは、ヒトの AAA と同様に拡 張部位において炎症が起こっており、炎症性サイトカインや MMP の発現上昇とともに 30 Angptl2 が発現していること、また Angptl2 はヒトと同様に大動脈瘤血管壁に浸潤したマク ロファージに発現していることが示された。 図 8.CaCl2 法によるマウス AAA モデルにおける 28 日目(late stage)の変化 31 A:CaCl2 または saline 塗布による手術後 28 日目の腹部大動脈、および瘤径(mm)(n=5)。 B:saline 塗布群および CaCl2 塗布群の腹部大動脈における各遺伝子の発現比(n=4)。β-actin にて補正後、saline 塗布群での発現を 1 として表記。*p < 0.05、**p < 0.01。 C~E:saline 塗布群の腹部大動脈における組織像(EVG 染色)および、Angptl2、Mac2 によ る IHC。 F~H:CaCl2 塗布群の腹部大動脈における組織像(EVG 染色)および、Angptl2、Mac2 によ る IHC。 C~H の scale bar はいずれも 100μm。 7-4. CaCl2 法によるマウス AAA モデルでの早期の変化 7-3.での結果から、CaCl2 法によるマウス AAA モデルはヒト腹部大動脈瘤の病態を反映し ていることが明らかになった。これまでの研究からマウスモデルにおける血管壁の炎症は、 手術後早期からすでに起こっていることが指摘されているため 50、次に手術後 1 週間目の早 期の段階(early stage)での変化について検討した。手術後 1 週間目において CaCl2 塗布群 では血管の拡張傾向を認めた(図 9.A)。また Angptl2 mRNA の発現は CaCl2 塗布群で有意 に上昇しており、炎症性サイトカインの発現および Mmp-9、2 の発現も同様に上昇していた (図 9.B)。 図 9.CaCl2 法によるマウス AAA モデルにおける 7 日目(early stage)の変化 32 A:CaCl2 または Saline 塗布による手術後 7 日目の腹部大動脈、および瘤径(mm)(n=5)。 B:saline 塗布群および CaCl2 群の腹部大動脈における各遺伝子の発現比(n=4)。β-actin に て補正後、saline 塗布群での発現を 1 として表記。*p < 0.05、**p < 0.01。 7-5. Angptl2-/-マウスでは CaCl2 法による AAA 形成が抑制される 腹部大動脈瘤形成における Angptl2 の役割をさらに検討するため、Angptl2-/-マウスを用い て CaCl2 法による AAA モデルを作製した。対照群には同腹の野生型マウスを用い、大動脈 瘤のサイズ、炎症性サイトカイン遺伝子発現、Mmp-9、Mmp-2 遺伝子発現およびその活性に ついて検討した。まず、手術後 28 日目における大動脈瘤のサイズおよび組織像について解 析を行った。野生型マウスでは、CaCl2 法による手術後 28 日目に手術前の 0.97±0.01mm か ら 1.52±0.06mm に拡張するのに対し、Angptl2-/-マウスでは手術前は 1.01±0.01mm と野生型マ ウスと変わらないものの、手術後 28 日目では 1.23±0.05mm と野生型マウスと比べて有意に 拡張が抑制された(図 10.A)。また組織像においては、野生型マウスにおいては弾性線維 の破壊が進んでいるのに対し(図 10.B 上段)、Angptl2-/-マウスでは弾性線維の構造が維持 されていた(図 10.B 下段)。 33 図 10.野生型マウスおよび Angptl2-/-マウスの CaCl2 法による AAA モデル 28 日目(late stage)の変化 A:野生型マウスおよび Angptl2-/-マウスの CaCl2 法による手術後 28 日目の腹部大動脈、お よび瘤径(mm)(n=6)。**p < 0.01。 B:腹部大動脈部における組織像(H.E.および EVG 染色)。上段は野生型マウス、下段は Angptl2-/-マウス。矢頭は破壊された弾性線維を示す。 scale bar はいずれも 100μm。 34 7-6. Angptl2-/-マウスでは AAA 形成過程において炎症が抑制される 腹部大動脈瘤形成が抑制される機序を明らかにするため、早期(early stage)の炎症につ いて検討を行った。手術後 7 日目において、Angptl2-/-マウスでは炎症性サイトカインの発現 および Mmp-9、2 の mRNA 発現が有意に抑制されていた(図 11.A)。また MMP-9、2 の活 性についても有意に抑制されていた(図 11.B)。しかしながら、IHC における Mac2 陽性マ クロファージ数には両群間で差がなく(図 11.C)、Cd68、F4/80、Mcp-1 といったマクロフ ァージ関連遺伝子の発現についても有意差を認めなかった(図 11.D)。 これらの結果から、Angptl2-/-マウスでは、野生型マウスと比べマクロファージの浸潤につ いては差がないものの、炎症反応が抑制されている可能性が示唆された。 図 11.野生型マウスおよび Angptl2-/-マウスの CaCl2 法による AAA モデル 7 日目(early stage)の変化 35 A:野生型マウスおよび Angptl2-/-マウスの CaCl2 法による手術後 7 日目の腹部大動脈におけ る各遺伝子の発現比。β-actin にて補正後、野生型マウスでの発現を 1 として表記(n=5)。 B:手術後 7 日目の腹部大動脈における MMP-9 および MMP-2 の活性(n=4)。 C:手術後 28 日目の腹部大動脈における Mac2(マクロファージ)免疫染色。左のパネルは 野生型マウス、右は Angptl2-/-マウス。矢頭は血管壁に浸潤した Mac2 陽性細胞を示す。scale bar はいずれも 100μm。 D:手術後 28 日目の腹部大動脈におけるマクロファージ関連遺伝子の発現比。β-actin にて 補正後、野生型マウスでの発現を 1 として表記(n=5)。*p < 0.05、**p < 0.01、n.s.: not significant difference。 7-7. Angptl2-/-マウスの骨髄移植により野生型マウスでの AAA 形成が抑制される CaCl2 法による AAA モデルの解析により、腹部大動脈瘤形成において浸潤したマクロフ ァージが分泌する Angptl2 が炎症の進展に影響している可能性が示唆された。さらにマクロ ファージの関与を明らかにするため、野生型マウスおよび Angptl2-/-マウスの骨髄移植を行 ったのち CaCl2 法により AAA を作成し手術後 28 日目に解析を行った。 36 その結果、野生型マウスの骨髄を移植された野生型マウスでは動脈瘤を形成したが、 Angptl2-/-マウスの骨髄を移植された野生型マウスでは、瘤形成が抑制された。一方、Angptl2-/マウスの骨髄を移植された Angptl2-/-マウスでは瘤形成が抑制されたが、野生型マウスの骨 髄を移植された Angptl2-/-マウスでは動脈瘤を形成した(図 12.A、B)。これらの結果より、 大動脈瘤形成においては、骨髄由来の細胞が分泌する Angptl2 が重要な役割を果たしている ことが明らかとなった。また大動脈瘤部に浸潤する骨髄由来細胞の多くがマクロファージ であることが知られており 50, 51、大動脈瘤の病態形成において、浸潤したマクロファージに よる Angptl2 分泌が重要であることが示唆された。 図 12.野生型マウスまたは Angptl2-/-マウスの骨髄移植を施行した 野生型マウスおよび Angptl2-/-マウスでの CaCl2 法による AAA モデル 28 日目の変化 37 A、B:野生型マウスまたは Angptl2-/-マウスの骨髄移植を施行した、野生型マウスおよび Angptl2-/-マウスにおいて CaCl2 法による手術後 28 日目の腹部大動脈、および瘤径(mm) (n=6) 。 骨髄移植の組み合わせについては、図 4 を参照。**p < 0.01、n.s.: not significant difference。 7-8. チオグリコレート(TGC)刺激により回収される腹腔マクロファージは Angptl2 を強く発現している 大動脈瘤部の血管壁に浸潤するマクロファージは、骨髄由来の炎症性マクロファージであ ることが知られている 47。また、炎症性マクロファージの実験系として、チオグリコレート (thioglycollate:TGC)刺激によって無菌性腹膜炎を誘発し、骨髄由来の炎症性・腹腔マク ロファージを回収し初代培養をおこなう方法は、一般的によく知られた方法である 48。野生 型マウスと Angptl2-/-マウスの炎症性マクロファージの機能解析のため、TGC 刺激により腹 腔マクロファージを回収し検討することとした。 初めに TGC 刺激によってマウス腹腔から回収される細胞の遺伝子発現について、PBS 投 与群を対照とし検討した。TGC 刺激群では PBS 群と比べ、TNF-α、IL-1β、MMP-9 などの 炎症性サイトカイン・MMP に加え CD68 を強く発現しており、既存の報告通り炎症性マク ロファージと考えられた(図 13.A)。また、TGC 刺激群では Angptl2 mRNA の発現が有意 に上昇していた(図 13.B)。これらの結果から、TGC 刺激によって腹腔より回収された細 胞は、炎症性マクロファージであり、その炎症性マクロファージは Angptl2 を強く発現して いることが示された。 38 図 13.チオグリコレート(TGC)または PBS の刺激によって 腹腔内から回収された細胞の遺伝子発現 A、B:野生型マウスに TGC または PBS を腹腔内投与 3 日後、回収された細胞における各 遺伝子の発現比。β-actin にて補正後、PBS 刺激での発現を 1 として表記(n=4)。**p < 0.01。 7-9. Angptl2-/-マウス腹腔マクロファージでは 炎症性サイトカインの発現および MMP の発現・活性が抑制される 次に、野生型マウスと Angptl2-/-マウスに TGC 刺激を行い腹腔マクロファージ初代培養を 行った。これらのマクロファージおいて、炎症性サイトカインの遺伝子発現および MMP-9 の遺伝子発現および活性について定量 RT-PCR 法および上清の zymography によって解析を 行った。その結果、腹腔から回収されるマクロファージ数には差を認めないものの(図 14.A)、 Angptl2-/-マウスの腹腔マクロファージでは、炎症性サイトカインおよび MMP-9 の遺伝子発 現が野生型マウスに比べ有意に抑制されていた(図 14.B)。また培養上清の zymography に おいても、MMP-9 の活性は Angptl2-/-マウスの腹腔マクロファージおいて有意に抑制されて いた(図 14.C)。 以上より、Angptl2-/-マウスの腹腔マクロファージでは、炎症性サイトカインの発現および MMP の発現・活性が抑制されることが明らかになった。 39 図 14.野生型マウスおよび Angptl2-/-マウスから TGC 刺激によって回収された 腹腔マクロファージ初代培養における遺伝子発現 A:野生型マウスおよび Angptl2-/-マウスに TGC 刺激を行った後、回収された細胞数(n=6)。 B:野生型マウスおよび Angptl2-/-マウス腹腔マクロファージ初代培養細胞における各遺伝子 の発現比。β-actin にて補正後、野生型マウスでの発現を 1 として表記(n=6)。 C:野生型マウスおよび Angptl2-/-マウスの腹腔マクロファージ初代培養上清における MMP-9 の活性。野生型マウスでの発現を 1 として表記(n=5)。*p < 0.05、**p < 0.01。 7-10. Angptl2 蛋白添加により Angptl2-/-マウスの腹腔マクロファージにおける 炎症性サイトカイン・MMP-9 の発現が上昇する これまでの研究により、Angptl2 は様々な細胞において、autocrine/paracrine に作用するこ とが明らかになっている。マクロファージにおいても同様の機序があるか確認するため、 腹腔マクロファージに精製した Angptl2 蛋白を添加し、炎症性サイトカインおよび MMP-9 40 の遺伝子発現を定量 RT-PCR 法にて解析した。野生型マウスの腹腔マクロファージは Angptl2 を分泌するため、Angptl2-/-マウス腹腔マクロファージを用いることで、exogenous な Angptl2 の作用を検討することとした。 その結果 Angptl2-/-マウスの腹腔マクロファージでは、炎症性サイトカインおよび MMP-9 の遺伝子発現が、対照群と比べ有意に上昇した(図 15.)。 これにより、マクロファージが分泌する Angptl2 が autocrine/paracrine に作用し、マクロフ ァージにおける炎症性サイトカイン分泌や MMP-9 の発現上昇および活性化に寄与している ことが明らかとなった。 図 15.Angptl2 蛋白添加による Angptl2-/-マウス腹腔マクロファージの遺伝子発現変化 Angptl2 蛋白(5μg/mL)添加 12 時間後の Angptl2-/-マウスの腹腔マクロファージ初代培養 細胞における各遺伝子の発現比。β-actin にて補正後、無添加での発現を 1 として表記 (n=3) 。 *p < 0.05、**p < 0.01。 41 8.考察 本研究は、腹部大動脈血管壁内に浸潤したマクロファージが分泌する Angptl2 が、炎症性 サイトカインの発現や MMP-9 の発現および活性化を通して、炎症を促進し腹部大動脈瘤の 病態形成に重要な役割を果たしていることを、最初に示したものである。 熊本大学大学院 分子遺伝学分野におけるこれまでの研究により、肥満病態や慢性関節リ ウマチ、皮膚筋炎、癌などの慢性炎症を基盤とする疾患の病態形成において、Angptl2 が重 要な役割を果たしていることが明らかになっている 39, 44-46, 49。そこで、腹部大動脈瘤におけ る血管壁の慢性炎症の病態に Angptl2 が関与しているのではないかと考え検討をおこなった。 ヒト腹部大動脈瘤患者の組織の解析により、炎症の主体である瘤部において Angptl2 が強 く発現していることを明らかにした。次に Angptl2-/-マウスを用いて、CaCl2 による AAA モ デルを作成したところ、血管壁に浸潤するマクロファージ数には差がないものの、炎症性サ イトカインの発現が抑制されており、大動脈瘤形成が抑制されることを明らかにした。 さらに興味深いことに、大動脈瘤形成における血管壁の脆弱化に直接寄与する細胞外基質 の分解につながる MMP-9 の活性化においても、野生型マウスに比し Angptl2-/-マウスにおい て有意に抑制されおり、組織学的検討において弾性線維の破壊が抑制されていた。 MMP の活性化が大動脈瘤形成に重要な役割を果たしていることは、これまで数多くの研 究によって証明されており、なかでも MMP-9 は特に注目されている分解酵素である 52, 53。 MMP-9 を欠損したマウスにおいて大動脈瘤は形成されず、野生型マウスに Mmp-9-/-マウス の骨髄を移植すると瘤形成を抑制することができることから、骨髄由来の炎症細胞であるマ クロファージおける MMP-9 の活性化が、大動脈瘤形成に重要であることが指摘されている 50, 51 。 本研究においても、Angptl2-/-マウスの骨髄を野生型マウスに移植すると、大動脈瘤形成が 抑制される一方、野生型マウスの骨髄を Angptl2-/-マウスに移植したものでは、瘤形成が抑制 されないことから、 骨髄由来の炎症細胞における Angptl2 の発現が重要であると考えられた。 42 MMP-9 の活性化の機序については、 NF-B を介した活性化の経路が指摘されている 54, 55。 特に大動脈瘤においては、NF-B の inhibitor を投与したマウス大動脈瘤モデルで、MMP-9 の活性化が抑制され大動脈瘤形成が抑制されることが報告されており 56、瘤形成過程におい て NF-B を介した MMP-9 活性化の経路が重要な役割を果たしていることが示唆されている。 これまでの Angptl2 に関する研究の中で、Angptl2 がインテグリンからのシグナルを介し IB の分解を促進することで、NF-B の活性化をきたすことが明らかになっている 39 49。マ クロファージが α5β1、β2 などのインテグリンを発現していることはよく知られており、 Angptl2 がそれらのインテグリンを介し単球/マクロファージに作用することは、すでに報告 されている 39, 44。本研究において、Angptl2-/-マウス腹腔マクロファージに Angptl2 蛋白を添 加することにより、炎症性サイトカインの発現上昇および MMP-9 の発現上昇を認めた。こ のことは、Angptl2 がインテグリンを介しマクロファージを刺激し NF-B の活性化をきたす ことで、炎症性サイトカインや MMP-9 の発現上昇につながったものと考えられる。 MMP は生理的および病的リモデリングおいて重要な役割を果たしている。RA やがんの 転移など病的環境において、Angptl2 が MMP の活性化を介して組織リモデリングに関与し ている可能性が指摘されている 44, 46。またゼブラフィッシュの成体において尾ヒレの再生の 場において zebrafish Angptl2(zAngptl2) が誘導されることが過去に報告されており 43 、 Angptl2 が病的な破壊のみならず正常な組織再生においても MMP の活性化を通じてリモデ リングに関与している可能性を示唆している。 しかしながら、これまで Angptl2 が MMP を介して組織再構築に関わっていることを直接 証明した報告はなく、今回初めて、マクロファージにおける Angptl2 の持続的な発現が、大 動脈血管壁における組織の炎症や MMP-9 の持続的な活性化を促し、病的な再構築すなわち 組織破壊につながることを証明したものである。 また、これまでの臨床研究において、タバコが大動脈瘤の危険因子であり喫煙歴と大動脈 瘤患者の間には強い相関があることが報告されている 27, 57 58。また、小径の動脈瘤患者にお 43 いて、禁煙によって瘤の増大を抑制できることも知られている 59。興味深いことに、喫煙患 者の内胸動脈から採取された血管内皮細胞と、非喫煙患者のものとを比べると、喫煙患者の 血管内皮細胞において Angptl2 の発現が有意に上昇していることが報告されている 60。これ らのことから、喫煙が Angptl2 の発現を上昇させることで大動脈瘤形成・促進に関与してい る可能性が示唆され、今後さらなる検討が必要である。 タバコ以外に Angptl2 の発現を誘導するものとして、低酸素・低栄養、小胞体ストレスな どが、脂肪細胞 39 や、がん細胞 46 において明らかになっている。これらの微小環境の変化 は、動脈瘤の血管壁でも認めており、血管壁に浸潤したマクロファージにおいて Angptl2 の 発現を誘導している可能性が考えられる。炎症性マクロファージおける Angptl2 発現誘導の 詳細な機序については、さらなる研究が必要である。 44 9.結論 本研究において、腹部大動脈瘤血管壁内に浸潤したマクロファージが Angptl2 を豊富に発 現・分泌していることが示された。分泌された Angptl2 は、autocrine/paracrine によりマクロ ファージに作用することで、 炎症性サイトカインの発現や MMP-9 の発現・活性化を通じて、 慢性炎症や細胞外基質の分解を促進し、壁の脆弱化、大動脈瘤の病態形成を促進することが 明らかになった。 今後、Angptl2 を標的とした新しい治療戦略の研究により大動脈瘤の形成を抑制させうる ことが示唆され、本研究結果は、大動脈瘤の初めての薬物治療につながるものと考えられる。 10.参考文献 1. 2004-2005 年度合同研究班:大動脈瘤・大動脈解離診療ガイドライン(2006 年改訂版) Circulation Journal 2006;70,(Suppl. 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