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第4回 日本の医療の現実と今後

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第4回 日本の医療の現実と今後
世界銀行情報センター・シェア合同連続セミナー
第4回 日本の医療の現実と今後
よりよき日本の医療のために、市民として考え、できることは何か?
2008年4月15日
シェア=国際保健協力市民の会
本田 徹
はじめて国民健康保険ができたころ
昭和32年(1957年)、国保の窓口半額徴収ということが始められることに
なったのです。これでは、ふだんでさえあまりお医者にかかれないような
困った人たちがさらに困ることになるので、私たちは村をあげて、最後ま
で反対を続けました。このとき、佐久病院の若月院長先生から、いっその
こと、全村の健康管理をやったらどうだろうという話がありました。
「なるほどそれはよい。私どもは今までは病気になった人を何とかしようと
して、窓口現金徴収の反対運動をしてきたが、それよりも、病人をつくら
ないように佐久病院の援助を受けて、村をあげて、この健康を守る運動
をやろうじゃないか」ということになり、村民に呼びかけて、この健康管理
を始めたのであります。
八千穂村村長・ 井出幸吉氏の発言(当時)
昭和33年国民健康保険法制定、翌年実施。
昭和34年八千穂村全村民健康管理運動開始。
若月俊一「村で病気とたたかう」
八千穂村
全村民
健康管理
運動
八千穂村全村健診の成果
「村で病気とたたかう」
社会的共通資本とは?
社会的共通資本とは、一つの国ないし特定
の地域に住むすべての人々が、ゆたかな経
済生活を営み、すぐれた文化を展開し、人間
的に魅力ある社会を持続的安定的に維持す
ることを可能にするような社会的装置。
1)自然環境:大気、森林、水資源、土壌。
2)社会的インフラ:道路、交通機関、
上下水道、電力。
3)制度的資本:教育、医療、司法、金融。
宇沢弘文:「社会的共通資本」(岩波新書)
社会的共通資本としての医療
社会的共通資本は、一人一人の人間的尊厳を守り、
魂の自立を支え、市民の基本的権利を最大限に維
持するために最大限の役割を果たす。
医療を社会的共通資本と考えるとき、政府はすべ
ての市民が保健・医療に関わる基本的サービスの
供与を享受できるような制度を用意する責務を負う
ことになる。
社会的共通資本は、①官僚的に支配・管理されて
はならない。②利潤追求の対象として市場的条件に
左右されてはならない。
(宇沢弘文:同掲書)
後期高齢者医療制度の背景
小泉内閣時代の医療制度改革大綱(H17年12月)
がもとになっている。
最大の眼目は、超高齢社会における医療費適正化
政策の総合的推進。
1)後期高齢者(75歳超)を対象とする独立の医療保険
制度を創出し、老人保健制度を廃止、市町村国民
保険から後期高齢者を切り離し、個人ベースで被保
険者とする。
2)働き盛りの人々(40-74歳)を、いわゆる生活習慣
病のリスクから守り、医療費の削減につなげる。
出典:厚生労働省
後期高齢者医療制度の問題点整理
1.後期高齢者の「囲い込み」とコスト削減医療を目指している。
2.保険料負担が、増えるケースがかなり多い。(夫婦・親子で
扶養関係のケース、自治体の補填が打ち切られるケース、
国保の世帯別平等割から後期高齢者医療制度の被保険者
均等割へ)
3.65-74歳の障害を持つ人びとへの周知・説明も不徹底で不
親切。
4.多数の新保険証の未着
5.1年以上の保険料滞納⇒保険証喪失、資格証明書の発行、
窓口10割負担。(後日償還)
6.検査・健診での差別。(包括化)
特定健診・保健指導
- いわゆるメタボ健診
職場や自治体で、40-74歳の勤労者・住民を対
象に行う。(後期高齢者は対象外)
「内臓脂肪症候群」を、糖尿病、心筋梗塞、脳梗塞
などのリスクと捕らえ、その予防、早期発見、治療を
目的とする。
従来の総合的な疾病健診とことなり、「特定疾患」
に絞った、費用効果比の上がる健診を目指す。
しかし、メタボリック症候群が、ほんとうに駆逐さ
れるべき、優先順位の高い「未病」であるのかどうか、
その定義も含め、専門家・臨床医・疫学者の間でも
疑問の声が上がっている。
「メタボ健診」の健診項目
男85cm以上、女90cm以上
内臓脂肪面積>100平方cm
受診者の階層化
メタボ健診の問題点ー 健康の物差し
は国の独占物か?
健康の定義は一義的か? 太っていることはほ
んとうに悪いことなのか?
特定健診・保健指導は各医療保険者に実施が義
務付けられる。(全国で5500万人以上が対象) 2012
年までにメタボ該当者・予備軍を10%削減すること
が求められる。達成できない保険者は、後期高齢者
保険制度への拠出金が最大10%加算。
保険者に対しても、メタボの被保険者(潜在疾病
者)にも懲罰的なメッセージやバッシングを与えるこ
とが、本当に「国民」の健康増進に長い目でつなが
るのか?
日本の病院とベッド数(2008年1月末現在)
一般病院
数
ベッド数
7764
911 949 +
1 811
(一般病床+感染症
病床)
精神病院
1077
350771
1
結核療養所
10 216
(結核病床として)
療養病床を有す
る病院
(再掲)
4123
342 823
総計
8 842
1 617 570
このほか、一般診療所
99 493箇所 (有床12 149 、
無床87 344 )
ベッド数 153 241
(うち療養病床18 693 )
(厚生労働省資料)
療養病床の苦境ーいのちの値段の差別?
入院基本料(平成20年度改訂)
医療区分1
医療区分2
医療区分3
ADL(日常生活 8850円
動作)区分3
13200円
17090円
ADL区分2
7500円
13200円
17090円
ADL区分1
7500円
11980円
17090円
ADL3、医療区分1 ⇒ コスト割れ -3534円
ADL3、医療区分3 ⇒ 5397円の収益 (労住医連08年1-2月号特集)
矛盾としての療養病床における医療区分
医療区分3: ①医師および看護職員により常時、監
視・管理を実施している。②中心静脈を実施。③人
工呼吸器を使用している。③酸素療法を実施。
医療区分2:①種々の神経疾患(脊髄損傷、パーキン
ソン病、ALS)、②がん(緩和ケアが必要)、③肺炎な
どの感染症、③頻回の血糖検査を要す。
医療区分1:上記などに該当しない、医療ケアの不要
または低い患者=社会的入院という烙印。
医療区分1だが、ADL区分3の、重い脳梗塞患者、がん末期で痛みが
主訴でない患者さんなども、社会的入院の範疇に入ってしまい、手がか
かるのに診療報酬が少ないため、医療機関は入院継続をしてあげたくて
もできなくなっている。この方たちを受け止める介護施設は非常に少なく、
行き場のない看護・介護難民になりつつある。
療養病床の再編計画(厚生労働省)
2008年
2012年
11万
医療保険療養病床
15万床
医療保険療養病床
25万床
4万
14万
老人保健施設15-17万床
特養・ケアハウス・在宅
6-8万床
9万
介護保険療養病床
13万床
介護保険ベッド全廃
東京都の二次医療圏 -
救急医療と総ベッド規制
新臨床研修の基本理念
(厚生労働省H14 年12月 医師法に基づく省令)
臨床研修は、医師が、医師としての人格を
かん養し、将来専門とする分野にかかわらず、
医学及び医療の果たすべき社会的役割を認
識しつつ、一般的な診療において頻繁に関わ
る負傷又は疾病に適切に対応できるよう、プ
ライマリ・ケアの基本的な診療能力(態度・技
能・知識)を身に付けることのできるものでな
ければならない。
臨床研修必須化の法的裏づけ
厚生労働大臣は、第一六条の二第一項の規
定による臨床研修を修了した者について、そ
の申請により臨床研修を修了した旨を医籍に
登録する。
病院又は診療所の開設者は、その病院又は
診療所が医業をなすものである場合は臨床
研修修了医師に、これを管理させなければな
らない。(改正医療法第10条)
スーパーローテート方式
平成16年(2004年)度から必修化した研修方式。医
師国家試験合格後2年間に、内科、外科、麻酔・救
急、小児科、産婦人科、精神科、地域医療(診療所、
老人介譲施設、保健所)など、プライマリ・ケアに必
要な科を、3ヶ月ごとに幅広くローテート すること。内
科、外科・救急は各6ヶ月以上が原則。
この方式は功罪半ばする。ジェネラリスト=プライ
マリ・ケア医を養成する意味では大きな効果がある
のかもしれない。一方で、眼科、耳鼻科などを専門
にしたいと思っていた医師、基礎医学に志望してい
た医師らには、無駄な寄り道をさせられている感じ
がするだろう。
新医師研修制度の皮肉な副産物
多くの地方大学病院では、指導医を集め、
魅力あるスーパーローテート体制を作り上げ
るために、地方の病院に派遣していた医師を
引き剥がし、大学病院に呼び戻すことを余儀
なくされた。そのことが、結果として、地方の、
とくに自治体病院医療の崩壊を早めるという
一種のドミノ現象を生んだ。皮肉なことに、
1960年末の大学紛争時代に、当時の医学生
たちが叫んだ、医局講座制の打倒は、40年以
上も経て、厚生官僚の手によって実現した。
臨床研修を行う病院に求められる条件と類型
*常勤の指導医が、原則として、内科、外科、小児科、産婦人科及び精神科の各診療科に
配置されていること。指導医は、原則として、7年以上の臨床経験を有する医師であって、
プライマリ・ケアを中心とした指導を行う十分な能力を有していること。
*受け入れる研修医の数は、原則として、病床数を10で除した数又は年間入院患者を100で
除した数を超えないこと。
さかさま医療ケアの法則
(Dr. Tudor Hart 1971)
「よい医療ケアの確保は、そのサービスが提供され
るグループの医療ニーズが高いほど、反対に難しく
なる傾向がある」
“The Inverse Care Law -The availability of good medical care tends to vary inversely with
the need for it in the population served.”
「どんな(に良心的な)市場経済も、企業投資を、一番もうかる
ところから、一番必要とされるところに移すということは決して
行わない。」
“No market will ever shift corporate investment from where it is most profitable to where it is
most needed”
リタ・ボルジーさんの生き方
山谷の人々は私を「外人」としてでは
なく、お姉さん、リタさん、シスター、先生
(teacher)などと呼び、一人の同胞、兄弟
姉妹として遇してくれました。
山谷の野宿者は、文字通り、全ての持ち物
をひとつの紙袋に収め、孤独と疎外と、飢え
とアルコール中毒の生を、生きるということの
コアで生きているのです。
彼らはそのような生き方によって、人種や
皮膚の色や信条を越えて、私たちに限りなく
呼びかけるのです。
(1985年 Bon Partageより)
病院をベースに、単身生活患者のための
「在宅」医療を目指すことの強みと限界
<強み>
1.ベッドがあれば、病状に応じて、病院から在宅へ、そして在宅から病院へ
柔軟な対応ができる。
2.ある程度技術的に高度な対応も可能。
3.訪問看護の力が連携によって生きる。
<限界と弱み>
1.病院自体のキャパシティの低下・制度的限界
(ヒト、施設-特に医療療養病床)
2.受け入れ側のキャパシティの限界 (とくに福祉施設、緩和ケア施設)
3.介護保険の柔軟性の喪失・区によるカバー範囲の違い
(訪問看護特別指示書など)
病院から単身者が地域に帰る場合の道筋
(生活保護などのセーフティ・ネットがあるとして)
1)ADL自立:
退院→アパート・ドヤ居住→病院通院
2)ADL半介助:
退院→第二種福祉施設またはドヤなどへ訪看・
介護支援、往診
3)重症・ターミナル患者の場合:
退院→看取り・緩和ケアの施設(例:きぼうのいえ)
への往診・訪看
忘れがたい患者さんたち #1
葛飾区の病院で在宅ケアをさせていただいた
胃がん患者Hさんのこと
82歳男性。昭和17年応召。中国戦線へ。敗戦後、ソ連軍
に捕らえられ4年間、シベリア抑留。過酷な強制労働に就く。
昭和23年復員。タクシーの運転手をしながら組合運動の
リーダーを務める。H10年進行胃がん発症。告知を受けた
上で、入院するも2-3日目に「入院生活がどういうものかよ
く分かったから、もうこれ以上長居は無用」と言って、点滴を
引きちぎって自己退院。以後、在宅で、経腸栄養剤とモルヒ
ネ剤のみで10ヶ月、悠々自適の余生を奥様と送られ翌年春
に大往生された。
木村利人さんの「自分のいのちは自分できめる」を文字通り実践された。
ホンダという医者の「隠れたパターナリズム」を根本から覆し、気づかせ
て下さった方だった。
忘れがたい患者さん #2
俳人・小野瀬訓央さんという生き方
たび
老いの手に地下足袋のコハゼや霜真近
くの字にて腹で荷を引く梅雨はしり
露ふくむ故紙の計量わずか増え
献体をきめて湯島の梅を観る
葛藤しつつ山谷を愛したHKさん
- 元アルコール中毒者・筋萎縮性側索硬化症患者
「ヤマの幽霊」 (露宿・掲載)
「城北福祉センター前で火が
たかれ、そこにアオカンをしている
アルチューが集まる。その中に
いつも俺の姿が、あった。
一日一杯か二杯の焼酎を飲む
のに、一日一杯歩き続ける。
俺の姿は、髪は伸び、顔は
真っ黒、たばこをくわえなきゃ、
前か後かわからないぐらい、ひどい
姿になって行った。幻覚・幻聴が出る
ようになって、「気違い羽」なんて
呼ばれるようになった。
一人で生きる患者さんをどこまで在宅で支えられるか?
訪問看護ステーションコスモスによる
路上生活者のための健康相談会
正岡子規(1867-1902・明治35年):
近代日本最初の在宅療養患者
律という妹の献身的家庭介護のおかげで、
カリエスの苦しみと格闘しながら、いのち
を燃やしつづけ、健筆を振るった。
「しばらくして妹は箱の上に薬、膿盤など
を載せ、張子の浅き籠に包帯木綿、油紙、
綿などをいっしょに載せて持ち来る。・・・
妹は余の後にありて、先ず尻の包帯を解き、
膿を拭う。臀部ことに痛み烈しく、綿をもて
やはらかに拭うすらほとんど堪えがたし。もし
すこしにても強くあたる時は、覚えず死声を
出して叫ぶなり。・・・
余は強いて鏡を持ち来たらしめ写し見るに、
発泡の跡、膿口などの白く赤くして、すさまじさ
いわんようもなく、二目とは見られぬように、
顔色を変えて驚きしかば・・・」(明治33年10月)
自己病状観察の徹底の結果、<楽天>に届いている。
出典:「飯待つ間」(岩波文庫)
都立病院の患者権利章典 2001年
1.だれでも、どのような病気にかかった場合でも、良質な医療を
公平に受ける権利があります。
2.だれもが、一人の人間として、その人格、価値観などを尊重され、
医療提供者との相互の協力関係のもとで医療を受ける
権利があります。
3.病気、検査、治療、見通しなどについて、理解しやすい言葉や
方法で、納得できるまで十分な説明と情報を受ける権利があります。
4.十分な説明と情報提供を受けたうえで、治療方法などを自らの
意思で選択する権利があります。
5.自分の診療記録の開示を求める権利があります。
木村利人起草委員会委員長
1
看護職
医療職
個人からコミュニティへ
国際的には看護師は、法の定義の
範囲をはるかに超える業務を担うに
至っており、看護概念の書き換えが
進んでいる。(木村「いのちを考える」
20世紀の医療から21世紀の医療へ
木村利人「看護に生かすバイオエシックス」(学研)
痴呆性老人の世界 -
大井玄氏の説得力ある解釈
「重度痴呆はそんなみじめなのか!と震え上がりま
すが、この説明は作為的とも言えるほど間違ってお
り、その最大の誤りは、認知症の<中心症状>と<
周辺症状>を同一に扱っていることです。中心症状
とは記憶を中心とした認知能力の低下ですが、ほと
んどの周辺症状はその老人の環境への不適応症
状として現れるものです。
「痴呆は、被害妄想、夜間せん妄、幻覚、攻撃的
人格変化といった周辺症状が現れない限り、<純
粋痴呆>として平和的共存が可能であり、その現象
は地域全体で実現できる可能性がある。
大井玄:「痴呆老人は何を見ているか」(新潮新書)
看護のあるべき姿
病む人があなたに訴え
ることがあって話しかけ
てくるとき、いつでもそ
ばに座ってあげなさい。
あなたの助言が求めら
れていると思うなら、忙
しそうな素振りは見せ
ず、 充分な注意と配慮
を与えてあげることです。
そして、用が済んだとき、
静かに立ち去るように
なさい。 「看護覚え書」より
フローレンス・ナイチンゲール
(1820-1910)
人明かりとしての看護
荒金幸子さんは、余命3ヶ月と言われた末期がん
(乳がん肝転移)から快方に向かい、彼女の気管か
ら管が抜かれた夜、看護婦が患者である彼女に神
経を使わせぬような距離を取りながらも、夜を徹して
じっと見守ってくれていた気配で、心がひたひたと豊
かに満たされるのを感じたと言います。彼女は、看
護婦として在宅ケアで末期の患者にたずさわってい
た時に、「治療はすでに尽きているのに、なぜあの
ように延命できるのか」と不思議に感じていた患者
たちのことを思い返してみると、彼らはみんな、住み
慣れた家で家族に見守られ、「人明かり」に包まれ
ていたというのです。
中島みち「患者革命」(岩波アクティブ新書)
「まち」に住むひと
「まち」に住むひとは、自立していながら、そこ
に帰属していることを誇りに思っている。
「まち」に住むひとは、ケア(=関心・気遣い・
手当て)への価値観を共有している。
「まち」に住むひとは、多様であることを楽し
み、よそものを排除せず、精神の自由を求め、
外の世界に向けて心を開く。
もっともすぐれた「まち」のひとはソクラテス。
「ユトク伝」(チベット医学の開祖742-866年)
良医(癒やし手)の6つの条件
1.深い知識を得るための洞察心(智慧)を養うこと。
幅広い心、鋭敏な心、確固とした不動心
2.利他の心(菩薩心)
3.六つの誓いの遵守
「患者の膿や血を嫌悪することなく、それらの汚物を自分の飼う犬や豚のように見
なす」
4.三相の実践:身・語・意による実践
5.みずからの職務を勤勉に果たすこと
6.世間の慣習に通じること
外国人に対する寛容、学びの姿勢は現代に通じる。
中川和也訳(岩波文庫)
一人の人間として尊厳と利他の思い
を持って生きるために (武蔵 1584-1645)
獨行道 宮本武蔵 正保2年(1645)
一.よろつに依怙 (えこ)の心なし
一.身をあさく世をふかく思ふ
一.我事において後悔をせす
一.いつれの道にもわかれをかなします
一.自他共にうらみかこつ心なし
一.道においては死をいとわす思ふ
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