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在日朝鮮人女性の主体構築 「従軍慰安婦」問題をめぐる運動から

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在日朝鮮人女性の主体構築 「従軍慰安婦」問題をめぐる運動から
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在日朝鮮人女性の主体構築 : 「従軍慰安婦」問題をめぐ
る運動から
徐, 阿貴
F-GENSジャーナル
2005-09-01
http://hdl.handle.net/10083/50921
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Departmental Bulletin Paper
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在日朝鮮人女性の主体構築
―「従軍慰安婦」問題をめぐる運動から―
The emergence of a new subject for Korean women in Japan:
A case study of “comfort women” redress movement in 1990s
徐 阿貴
In this paper, I will explore the process of gendered identity formation by Korean women in Japan, by focusing on the movement to redress
the sufferings of Korean“comfort women”during World War II. Initially spurred by women's activism on the“comfort women”issue in South
Korea, second generation Korean women in Japan established their own distinct movement that took cognizance of the intersection of gender
and racial/ethnic discriminations, an issue ignored by both the Korean human rights movement and women's liberation movement in post-war
Japan. By using narratives collected from 11 activists, I will analyze the mobilization of resources by the Korean women's movement in Japan,
as well as the way in which this movement created a new consciousness for these women as“Korean women in Japan.”
Key words : “comfort women” Korean women in Japan subjectivity
「従軍慰安婦」の真相解明と問題解決を目的とする在日朝鮮人女性を担い手とする運動について、女性
本稿では、1990 年代に展開された、
の主体形成という局面から考察する。当初、韓国における「従軍慰安婦」をめぐる女性運動に触発された形で始まったこの運動は、
「従軍慰安
婦」という植民地支配に起因する性暴力の問題を扱いながら、現在も継続している、在日朝鮮人女性が直面する民族とジェンダーの交差に
おける抑圧の問題を提起した。その意味で、この運動は、従来の男性中心的な在日朝鮮人の民族運動や、一国主義的な日本の女性運動の限
界を可視化するものであった。本稿では、
「従軍慰安婦」を焦点とした在日朝鮮人女性による自律的な運動体が生成した前提条件を探るため
に、まず、この運動における人的資源動員について分析する。さらに、運動の生成・展開・終結の局面を通じて形成された集合的アイデン
ティティを析出し、在日朝鮮人女性の新しい主体について考察する。
キーワード: 「従軍慰安婦」 在日朝鮮人女性 主体
「朝鮮人従軍慰安婦問題は私たち在日同胞女性にとっ
からの問題提起は、同年 5 月のノ・テウ大統領訪日の際、韓国の女
て
“アイデンティティの原点を探る問題”であるといえま
性団体が真相究明と補償を求めたことで、政治問題化された。同年
す。彼女たちは植民地下の朝鮮に女性として生まれたた
6 月、日本政府が国会で「従軍慰安婦」について国や旧日本軍による
めに筆舌に尽くしがたい辛酸をなめなければなりません
関与を否定したことで、同年 10 月に韓国の 37 女性団体が日韓両政
1
でした」
府に対して公開書簡を出した。また、
「韓国挺身隊問題対策協議会」
が尹貞玉と他 2 名を共同代表として結成された。韓国の女性運動は
日本にも波及し、同年 12 月には「売買春問題ととりくむ会」が尹を
はじめに
招き、
「人権と戦争を考えるつどい 朝鮮人強制連行・
『従軍慰安婦』
」
を開催、翌年 1 月には「『従軍慰安婦』問題を考える会」によるシンポ
本稿は、90 年代に展開された、
「従軍慰安婦」の問題解決を掲げた
在日朝鮮人女性 の運動に焦点をあてながら、在日朝鮮人女性の主
ジウムが開催された3。
2
体形成について考察するものである。
そのような中、
「加害国家」日本でも、在日朝鮮人女性や日本女性
「従軍慰安婦」
問題とは、旧日本軍が軍事的占領または戦争を行っ
が「慰安婦」
問題の真相究明と問題解決を求める運動を起こし、いく
た地域で、女性を強制管理の元におき、組織的に行われた性暴力の
つかの運動体が形成された。日本における
「慰安婦問題」
に関する運
ことである。
「従軍慰安婦」問題は、90 年代初頭に韓国の女性運動が
動では、韓国で社会問題化された 1991 年の年末に、在日朝鮮人女
提起し、日韓の外交問題を超えて、アジア地域、そして国際社会を
性が運動体を結成している。
「従軍慰安婦問題ウリヨソンネットワー
揺るがせるフェミニズム運動を生んだ。
「従軍慰安婦」という問題そ
ク」
(略称:ヨソンネット)である。ヨソンネットは、数十名の在日
のものに関しては、1970 年代に日本で金一勉や千田夏光らの著作
朝鮮人女性が集まる運動体であり、
「慰安婦」問題の真相究明と問題
によって公共空間にもたらされていたが、当時は朝鮮女性の貞節ま
解決を目標として結成された。ヨソンネットの特色は、それが直接
たは純潔が侵されたという見方であった。この問題がジェンダーの
的には
「従軍慰安婦」
問題への取り組みを課題としつつも、それと同
視点から論議されるようになったきっかけは、1990 年 1 月に韓国
時に、従来在日朝鮮人社会においてあまり取り上げられることのな
のハンギョレ新聞に
「挺身隊取材記」が連載されたことであった。著
かった、ジェンダー秩序の問題に正面から取り組もうとしていたと
者である尹貞玉は、
「従軍慰安婦」が受けた深刻な被害に加えて、戦
いう点にある。いいかえるなら、ヨソンネットは明示的には「従軍
後半世紀の間この問題が社会的に隠蔽されてきたことを問題視し、
慰安婦」問題という植民地支配の歴史に埋め込まれた朝鮮人女性に
女性の人権を軽視する男性中心社会を批判した。ジェンダーの視点
対する差別と補償の問題に取り組むことを運動目標とし、この問題
93
No.4
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をきっかけとして発足したが、運動の実践を通じて、在日朝鮮人女
政治化された当初の段階において、韓国における情勢を日本社会に
性を自律的な運動主体として立ち上がらせ、自身が置かれた民族
紹介しつつ、両者をつなげるという役割を果たした。日本と韓国・
とジェンダーという輻輳的な差別に取り組むという意味を備えてい
朝鮮の間にある在日朝鮮人女性という立場ならではの貢献といえよ
た。このように、ヨソンネットの活動は少なくとも二つの水準での
う。また、
「従軍慰安婦」問題を課題とする他の女性団体と連携しつ
「読み」
を私たちに要請しているのであり、この二重性に運動のすぐ
つ、日本政府に対する要請行動、署名集め、被害者による補償請求
れてポストコロニアルな性格を認めることができよう。
裁判の支援を行っている。運動声明に関しては、たとえば、宮沢首
90 年代に「従軍慰安婦」問題を焦点としたヨソンネットは、既存
相訪韓の際の問題解決に向けた表明(1992 年)、元「従軍慰安婦」に
の民族組織傘下で大衆動員的な運動を展開してきた女性団体と異な
関する日本政府による聞き取り調査や調査結果発表に関する疑問表
り、在日朝鮮人女性のみによる相対的に自律性の高い運動体であっ
明(1993 年)、
「女性のためのアジア平和国民基金」設立(1995 年)に
た。本稿では、ヨソンネットの運動がなぜ可能になったのかという
対する抗議の表明などがある。
ことについて、人的資源に注目して検討を行う。その上で、ヨソン
ヨソンネットの運動は、日本や韓国という国家社会的な枠を超え
ネットを通じて形成された在日朝鮮人女性の主体について考察す
て展開されたことも、重要な特徴であった。国際社会に向けた行動
る。筆者によるヨソンネットの元メンバーに対するインタビュー調
として、
「従軍慰安婦問題アジア連帯会議」
(1992 年ソウル)における
査を分析しつつ、この考察を行いたい。分析枠組みとして、社会運
報告や、北京世界女性会議への参加やワークショップ報告
(1995 年)
動理論における集合的アイデンティティの概念を使用することとす
などのほか、国連・女子差別撤廃委員会に対して日本政府の対応に
る。以下では、まずヨソンネット運動の概要、次いで今回の調査に
関するカウンター・レポート提出
(1994 年)
を行っている。
ついて述べ、調査対象者の属性を分析する。次に、集合的アイデン
「従軍慰安婦」問題をめぐる状況はめまぐるしく
90 年代を通じて、
ティティの諸相に関する分析枠組みに依拠しつつ、
「従軍慰安婦」問
変化し、韓国や日本、その他のアジアを中心とする国や地域、およ
題を介在させた
「在日朝鮮人女性」という主体の構築プロセスについ
び国連などの国際的な水準においても、政府機関や市民を主体とす
て、調査で得られた主観的な語りを元に検討する。
るさまざまな反応や運動が引き起こされた。そうした流れの中で、
ヨソンネットのメンバーの中からも、
「従軍慰安婦」を支援するほか
の運動体に参加する者や、独自に運動を始める者が出ている。
「従軍
1.ヨソンネットの概要
慰安婦」問題に関するさまざまな運動視角が生まれ、個別に活動す
最初に、
「従軍慰安婦問題ウリヨソンネットワーク」について概略
る運動体が作られる中で、ヨソンネットは、「 在日朝鮮人女性 」 の
を述べる。
「従軍慰安婦問題ウリヨソンネットワーク」は、在日朝鮮
みの運動体として存続することに意義を見出しにくくなっていっ
人女性を担い手とする
「従軍慰安婦」問題の真相究明と解決をめざす
た。1993 年度のヨソンネット年次報告書には、
「 いま一度、原点に
運動体であり、1991 年 11 月に東京で設立された4。会の名称に含ま
戻ってヨソンネットの独自性や存在意義を見直す時期」16 という一
れる
「ウリヨソン」
という言葉は、朝鮮語で
「私たち女性」を意味して
文が見える。そうして、1998 年にヨソンネットは「発展的解消」17を
おり、留学生を含む日本に在住する朝鮮人女性の集まりであること
遂げた。
を示している。
以上、ヨソンネットの活動について概略を述べたが、個々の活動
結成の直接的な契機は、1990 年 12 月に尹貞玉・韓国挺身隊問題
を貫いているのは、結成の準備過程において合意された次の 4 つの
対策協議会会長(当時)が来日した折、在日朝鮮人女性たち 10 数人
運動方針である。①
「従軍慰安婦」
問題の日本の中での世論化、②在
で「囲む会」がもたれたことであった。その後、
「囲む会」に参加した
日朝鮮人女性の情報交換・ネットワーク、③本国
(韓国・朝鮮)
女性
メンバーや、その他の
「従軍慰安婦」問題に関心を寄せる在日朝鮮人
との連携、④日本および海外女性との連携、の 4 点である(従軍慰
女性たちが集まり、運動体結成のため数ヶ月かけて準備会合を重ね
安婦問題ウリヨソンネットワーク、1992:36)。第一にあげられて
た。その過程で、準備会に集まった女性たちは、尹貞玉の「挺身隊
いるように、ヨソンネットは
「従軍慰安婦」
問題の解決をシングルイ
取材記」を日本語に翻訳し、在日朝鮮人女性 7 名による座談会の記
シューとして掲げた運動体である。それと同時に、第 2 から第 4 の
録とともに1冊のパンフレットを編んだ5。さらに、1991 年 8 月には、
運動目標に示されているように、在日朝鮮人女性のネットワークを
尹貞玉をゲストに招いて合宿を国立婦人教育会館で開催し、10 代
構築し、日本や本国、海外女性などのその他の民族・国籍や文化的
から 70 代まで 50 名の在日朝鮮人女性が参加した。こうした経緯を
背景を持つ人々とジェンダー差別に関する問題意識を基にした連携
経て、1991 年 11 月にヨソンネットが正式に発足した。発足式では、
を結ぼうとした。
運営に関してヨソンネットは、
「民主主義」的であることに一定の
同年 10 月に亡くなった、
「従軍慰安婦」であった沖縄の在日朝鮮人女
こだわりを見せている。すなわち、
「個人」と「個人」の水平的なつな
性ペ・ポンギさんが追悼された6。
がりを大事にし、
「代表」を置かず、活動はメンバーの自発性にもと
ヨソンネットの活動は非常に多岐にわたっている。
「従軍慰安婦」
問題の真相究明のため、公文書などの資料収集やフィールドワー
づいて行うこととした。個人個人を尊重しつつ、共通の目標にむ
ク、聞きとり調査を精力的に行っており、調査の範囲も日本だけで
かってつながる運動体のイメージを、会の名称にある「ネットワー
はなく中国、その他のアジア諸国・地域に及んでいる。なお 1992
ク」
によって表現している。
年には、他 3 団体 と共同で「従軍慰安婦 110 番」を開設、3 日間で元
7
軍人を中心として 235 件の証言を集めた8。また、日本において「従
2.調査の概要
軍慰安婦」問題を世論化するための活動として、資料集9 や書籍10、
副読本11 の編著作や刊行、ニュース・レター12 の発行、集会や学習
面接調査は、ヨソンネットの活動に設立から解散まで、運営活動
会13の開催、講演会への講師派遣14を行った。発足直後の 1991 年 12
に深く関わっていた人を中心に、2004 年に 11 名に対して行った。
月には、韓国人元「従軍慰安婦」である金学順さんを招いた証言集会15
ヨソンネットの運動を資源動員論的に検討するために、
「活動によく
を開催している。このようにヨソンネットは、
「従軍慰安婦」問題が
参加していた人」を中心にスノーボール式で紹介をしていただき、
94
在日朝鮮人女性の主体構築
属性に関してたずねた。なお、ヨソンネットの運営に常態的に関
めに、文字によるコミュニケーションが困難であったことを考える
わっていた在日朝鮮人女性の数は 10 名ほどであり、短期間関わっ
と、在日朝鮮人女性の世代交代とその変化の意味を如実に伝えてい
た人を加えても 20 名ぐらいであったことが判明している。集会や
る。
学習会などイベントが開かれた際には、ヨソンネット運営に普段は
メンバーらの学歴の高さは、職業の局面、すなわち会社勤務や専
直接関わっていない在日朝鮮人女性が多く参加し、人数が数十人に
門職が多いということにも反映されている。在日朝鮮人家庭および
なっていた。ちなみに、ヨソンネット結成の数ヶ月前に国立婦人教
社会では、女性は早く「嫁」に行くべき存在とみなされ、女性の経
育会館で行われた合宿では、10 代から 80 代まで約 50 名の在日朝鮮
済的自立やキャリア形成の重要性が軽視される傾向にあるが、ヨソ
人女性が集まっている18。
ンネットのメンバーは平均的な在日朝鮮人女性よりも職業階級が高
く、収入および世帯内での自立度も高い傾向にあると考えられる。
属性に関する項目に加えて、インタビューでは、ヨソンネット運
動の設立と展開、解散に至る過程について一次資料には表れていな
とはいえ、ここで確認すべき点は、ヨソンネットのメンバーの教
い点や、ヨソンネットおよび「従軍慰安婦」問題に関する個人的な
育程度や経済的自立度の高さが、在日朝鮮人女性を母集団として考
思いを語ってもらった。ひとりあたりのインタビューに要した時間
えた場合に言えることにすぎないという点である。日本国民女性と
は、1 時間から 3 時間半程度であり、2 名を除きテープレコーダー
比較した場合、ジェンダーに加えて民族的抑圧を受ける在日朝鮮人
を使用して記録をとった。
女性たちは、依然として不利な立場にある。
3-2. 民族組織への参加経験
3.人的資源に関する分析
ヨソンネット参加以前の運動経験についてはどうだろうか。個人
ヨソンネットの運動を実際に担ったのは、どのような在日朝鮮人
により関与のレベルに違いはあるにせよ、全員がなんらかの民族的
女性だったのだろうか。このことは、90 年代に在日朝鮮人女性に
組織に正式なメンバーや職員として所属し活動していた経験があっ
よる自律的な運動が、どのような条件のもとに、可能となったのか
た。以前所属していた民族組織の内訳は、在日本韓国青年同盟が 6
を把握することにつながる。このため面接調査では属性に関する項
名、総連系の学生組織が 5 名であり、組織の専従職員であった女性
目を設け、国籍、年齢、出身地、世代、家族構成、学歴、職業、運
も含んでいた21。また配偶者についても、民族組織での活動を通じ
動経験などについてたずねた。その結果、高学歴傾向、2 世で、民
て知り合ったという人がほとんであった。また調査協力者の全員
族運動の経験という特徴が浮かび上がった。
が、ヨソンネット以前より、日本名ではなく民族名を自分の名前と
して認識していたり、日常的に使用していた。このことは、彼女た
3-1. 高学歴傾向、第 2 世代、30 代
ちは、在日朝鮮人として日本社会で主体的に生きることを選択して
ヨソンネットの活動をその中核的な部分で担った在日朝鮮人女性
いたことを意味する。
以上のことから言えるのは、第一に、ヨソンネットに参加する以
の属性に関する調査の結果は以下の通りである。
前より、社会変革につながる運動に強い関心があり、積極的に活動
国籍は、韓国 10 名、朝鮮 1 名である。韓国籍保持者の中には、
1990 年以降に朝鮮から韓国に国籍変更した者、3 名を含んでいる。
に参加する女性たちであったということである。在日朝鮮人の人
ヨソンネットが設立された1991年当時の年齢は、30代5名、
40代2名、
権向上という課題そのものに関心を寄せる人は多いとしても、実際
50 代 4 名である。世代は、全員 2 世であった。家族構成は、1 名を
に運動団体に所属したり、活動に関わる人はその中の一部にすぎな
除き全員が既婚であった。配偶者は全員在日朝鮮人男性であり、配
い。このことを考えると、ヨソンネットのメンバーのほとんどが民
偶者が民族系の団体組織に勤めている人も数名いた。ところで在日
族運動経験者であることはかなり特徴的である。
朝鮮人の婚姻に関しては、1973 年を境に、配偶者が両方とも韓国
第 2 に、民族運動に参加していたことにより、日本における在日
あるいは朝鮮籍である婚姻件数より、片方が日本国籍である婚姻件
朝鮮人の共同体に深く関わり、絆を結んできているという点であ
数のほうが多くなっている。また近年は民族組織の会員数や諸活動
る。民族組織という場がメンバーたちの人間関係や生活基盤の形成
への動員数が低下する傾向にあるとも言われている。このような傾
と重なっていることは、彼女たちの配偶者の選択
(在日朝鮮男性)に
向とは対照的に、調査協力者の家族生活は、民族的共同体との結び
も表れているといえよう。ちなみに今日では、とりわけ 2 世以降の
つきが相対的に強いと思われる。
世代は、民族組織に全く関与しないという人がほとんどである。
教育歴に関しては、日本教育機関出身者が 8 名(大学は朝鮮大学
第 3 に、民族運動の経験によって、ヨソンネットに関わった女性
校を選択した者 1 名を含む)
、民族学校 出身者が 3 名である(大学
たちは、運動体を形成し展開していくために必要な知識や技術を習
は日本の教育機関を選択した者 1 名を含む)
。最終学歴は、高校 2
得していたり、他の運動団体と連帯するネットワークにも通じてい
名、短大 2 名、大学 7 名である。運動当時の職業は、会社勤務(常
たということである。彼女たちはヨソンネットの運動で必要となる
勤・非常勤は問わない)4 名、自営業 1 名、医療・技術系の専門職 3 名、
資源を、過去に身を置いていた民族運動や組織を通じて得ていたと
家事・育児専従 3 名である。日本の教育機関出身者が多いというこ
考えられる。以下、この点を具体的にみよう。
19
言語について言うと、調査協力者たちは、民族学校や民族組織内
とは、1 世や民族学校出身者と比較して、日本の公的領域への参加
の青年・学生団体などで朝鮮語を習得していた。もちろん習得レベ
の度合いが一般的に高いということになる。
調査対象者 11 名中大卒者が 7 名という数字は、在日朝鮮人 2 世女
ルには、通訳ができるレベルから少し聞き取れるレベルまで、メン
性の中では高い割合と思われる20。高学歴傾向は、文字を通じたコ
バー間で大きな開きがあった。2 世女性たちが主であったため、ヨ
ミュニケーション能力の高さにもつながるであろう。社会運動に必
ソンネットの中でのコミュニケーションは日本語で行われていた。
要な言語資源、すなわち運動理念の構築や宣伝文、資料集などの作
しかし、日本で
「従軍慰安婦」
問題に関する啓発活動として、ヨソン
成が容易に行える条件が整っているということである。以上のこと
ネットは、朝鮮語で書かれた文章を日本語に翻訳して刊行したり、
は、従来の 1 世女性の大半が、就学経験をもたず、非識字であるた
機関紙「アルリム」に掲載している。
「従軍慰安婦」に関する運動を行
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う際は、韓国の女性団体や被害者と直接コミュニケーションを行
なければね。日本名を消す、民族名を名乗る限り、自分の国
い、韓国の政治動向について正確かつリアルタイムで把握し分析す
の言葉ができなければと考えた。それで(日本の高校卒業後
る必要があった。このように、朝鮮語は、ヨソンネットの運動を発
に)朝鮮大学に入学。私の名前を名乗るために必要な言葉を
展させる際のツールとして重要な役割を果たしている。
学べるのはここだ! って」
ヨソンネットに集まった女性たちは、民族組織を通じて言語や文
化、韓国・朝鮮および在日朝鮮人の歴史的背景についての知識を平
調査協力者たちは、自分たちが育った家庭での不平等なジェン
均的な在日朝鮮人よりも獲得していたと考えられる。個人によって
ダー関係―家事育児の負担、家庭内暴力、教育機会の抑制、結婚の
程度の差はあれ、エスニックな資源に富み、エスニックな資源と社
強制など―に不満を感じとっていた。たとえば、日本の高校に在学
会運動の実践に必要な資源も、民族運動に関わる中で獲得されてい
中、日本女性のウーマンリブ運動に影響を受けたり、ボーヴォワー
た。ヨソンネットの運動では、それらの資源が有効に活用されたと
ルの
『第二の性』
を読んだり、女性問題に強い関心を持っていた人は
考えるのが妥当であろう。
何人かいた。しかし、個人的関心に留まっており、女性運動に本格
的に参加してはいなかった。女性運動ではなく民族運動に参加した
ことの理由として、民族組織がメンバー獲得のために在日朝鮮人
4.運動参加への前提条件―「民族」から「ジェン
ダー」
への運動カテゴリーの変容
の子どもや青年、その親に対して積極的に働きかけてきたことがあ
る。しかしながら、調査協力者の語りには、彼女たちが日本社会に
この節では、上に示した調査協力者の属性の特徴分析を踏まえ
生きる上でより切実であったのは、女性問題ではなく、民族的差別
て、どのようにして彼女たちがヨソンネットの運動に参加するよう
を克服し
「在日朝鮮人」
として主体的に生きることであったことが表
になったのか、その過程について考察する。
れている。なぜなら、在日朝鮮人は、教育機関や職業を通じて日本
社会に統合されつつも、国籍や民族的な差異によっていわば「二級
4-1. 民族組織への参加過程と民族的主体の形成
市民」として扱われるという、矛盾した立場に置かれているからで
在日朝鮮人としての主体形成については、すでに在日朝鮮人青年
ある。他方、民族組織という空間は、在日朝鮮人にとって差別から
における民族的主体確立の困難さやプロセスに関するいくつかの先
の避難所であり、そこでは自らが主体となることが可能となる。し
行研究 がある。だが、こうした既存の研究は必ずしも
「女性である
かしながら在日朝鮮人女性たちは民族組織の内部で、ジェンダーと
こと」との関わりで民族的主体確立の問題を検討してこなかった。
いうもうひとつの差別に直面することになる。
22
ヨソンネットの事例は、これまで顧みられてこなかった在日朝鮮人
4-2. 民族組織内の女性差別―ジェンダー不平等への不満
女性における民族的主体の構築過程を考察上で、重要な意味を持
つ。
第 3 節で見たように、調査協力者の多くは、ヨソンネット以前に
第 3 節で検討したように、ヨソンネットに関わった女性たちの運
民族組織傘下にある青年組織での活動経験を持っていた。青年組織
動経歴を見ると、まず際立ったのは、彼女たちが民族組織に参加
は、親組織が支持する「祖国」国家・社会の発展と在日朝鮮人の生
し、そこでの経験を通じてジェンダー差別に対する批判的視点を培
活レベルの向上を目標としてさまざまな運動を行っている。それら
うようになり、異議申し立てを行うようになったというプロセスで
の活動内容は、朝鮮語講習、韓国や朝鮮および在日朝鮮人に関する
ある。以下は調査協力者による、民族的主体に関する部分の語りで
知識の学習、文化サークル活動、レクリエーションやセミナー、各
ある。
種イベントの開催、他の同胞組織や日本人団体などとの交流、メン
バーや資金獲得など、多岐にわたっている。青年団体は他の同胞青
「私は縦横に亀裂が走っている。縦の亀裂は日本人と朝鮮
年との出会いの場を提供し、メンバー同士の日常的な相互作用を通
人。横の亀裂は北と南23。そういうやっぱり半分っていう、
じて民族的な主体を形成する装置となっている。民族学校などに
若い頃はそういうのをひとつにしたい、私は一体なにもんな
通っていない在日朝鮮人は、日本社会の中で孤立して生活している
んだ。国がひとつになれば韓国人朝鮮人って悩むこともない
ことが多いが、こうした青年団体は、彼・彼女たちによりどころを
し。
(略)
その中に
“女性”っていうことは全くなかった」
提供し、日本社会の中で
「日本人」
に同化するのではなく、民族的主
体として生きることをサポートしている。
「在留権のことや朴チョンヒ大統領暗殺もあった。やっぱ
ところが、調査協力者たちの多くは、こうした青年組織における
りそのときは(女性問題よりも)民族意識。自分の国の言葉
女性差別的な体質を指摘していた。このことに関する語りを見てみ
や歴史を勉強するということがかなり優先的なものだった。
よう。
(略)日韓連帯という形で日本人と一緒に運動する形がとられ
「第 1 優先順位が民族運動。女性はずっと後ろに置かれて。
ていて、そこにはリブの人たちも来ていた。結構おもしろ
かったし、そういう人たちに影響を受けた。でも日韓連帯を
所属する人たちの意識の問題ではなくて、民族を掲げる以
一緒にやったということで、女性運動を一緒にやったという
上、民族の運動の宿命なのかな、と。フェミニズムは女性を
ことではない」
第一に掲げるから、その他の問題は後ろに行くわけです」
「日本人のふりして生きるエネルギーと朝鮮人として堂々
「家族や学校で、
“女のくせに”という社会の空気があった。
と生きるエネルギーと、もしかしたら同じエネルギー。堂々
“朝鮮人のくせに”というのと同じだった。
(略)XX(運動団体
として生きるのはプラスのエネルギー、隠すために使うエネ
の名前)の中でも女は付録。男は、かわいくて運動をしない
ルギーは消耗するエネルギーでしかないのね。私は朝鮮人と
“嫁”
を探して結婚する」
して生きるほうが絶対生産的なのね。とすれば自己確立をし
96
在日朝鮮人女性の主体構築
「結婚したら、女は内助の功につとめなければならない。
り、総連系の学生組織に所属していた 2 世女性たちの集まりであっ
全エネルギーを民族運動に注いでいる(在日朝鮮人の)夫を支
た。活動内容は、韓国の女性史の文献購読を柱にしつつ、女性たち
えるために」
の思いを載せたニュースレターを発行していたが、運動志向ではな
かった。また、韓民統系の在日韓国民主女性会は、女性問題に関心
調査協力者の多くは、民族組織は、日本人と在日朝鮮人の間の対
を持つ女性が設立した団体だが、親組織との従属関係に疑問をもっ
等な関係構築を志向しているにも関わらず、内部での女性差別とい
た女性たち数名が脱退して、独自に学習会を行っていた。女性会脱
う人権侵害には無関心であることに大きな矛盾を感じていた。そこ
退メンバーらは、女性が主体となる運動を展開することをはっきり
で支配的であったのは、日本国内の民族差別や朝鮮半島の分断政治
と志向していた26。両者とも数名程度の規模であるが、定期的にイ
が解消されれば、女性差別も解消されるという論理であった。組織
ンフォーマルな会合を持っており、在日朝鮮人女性が直面している
形態の問題もあった。既存の民族運動組織はピラミッド型に構成さ
差別の問題について認識を深めていた。80 年代は、女性たちによ
れ、重要なポジションほど男性が登用される傾向があった。その結
る従来の民族的共同体における男性中心性への批判が、在日朝鮮人
果、意思決定システムから女性が排除されることになる 。
のメディアを通して流通しはじめた時期でもある27。
24
日本社会からの避難場所とされた民族組織でさらに抑圧される女
ここで重要なことは、この段階の在日朝鮮人女性たちのネット
性は、他に行き場がないため、そこに留まらざるをえない。ある民
ワークが、出身民族組織を単位として形成されていたという点であ
族組織で仕事をしていた 60 代の女性は、
「専門的な技術を持ってい
る。また、運動主体として活動するには至っていなかった。こうし
ても、日本の会社が朝鮮人の、しかも女を雇うわけがなかった」た
た状況に変化をもたらしたのが、
「従軍慰安婦」問題であった。いず
め、しかたなく不当な差別に忍従していたという。女性差別に限ら
れにしても、調査協力者たちの多くが、ヨソンネット以前に民族組
ず、組織内部の問題を「抑圧主体」である日本の公的機関に訴えた
織内でジェンダー差別を体験していたという共通点があった。この
り調整を求めることは、考えられない行為なのである。また、ごく
ような共通の体験が、ジェンダー差別を課題とするヨソンネット運
近年まで、日本の公的機関ではマイノリティが完全に無視されてい
動における、連帯アイデンティティを形作る重要な条件となってい
た。しかも、在日朝鮮人社会の中でジェンダー差別について提起す
たと考えられる。
ること自体が、日本において抑圧されている民族的共同体を分断さ
せ弱体化させる行為として、タブー視されていた。
5.在日朝鮮人女性の主体形成―運動の緒局面に
おける集合的アイデンティティの分析
一方、既存の民族組織は傘下に女性団体を擁しており、それらは
親組織が主導する運動に常に協力してきた。在日朝鮮人総連合会傘
下には在日本朝鮮民主女性同盟、在日本大韓民国民団傘下には在
次に、川北(2004)が提示した社会運動における集合的アイデン
日大韓民国婦人会、在日韓国民主統一連合には会員団体である在日
ティティの分析枠組みを参照しつつ、ヨソンネットで形成された
韓国民主女性会がある。これらの女性団体は既婚の在日朝鮮人女性
「在日朝鮮人女性」
の新しい主体の構築について検討したい。
を成員とし、相互扶助の促進や文化サークル、学習会などの運営を
川北は、社会運動理論における集合的アイデンティティの概念を
行っている。また親組織の推進する民族運動を、署名・寄付集めや
概観した上で、社会運動における動員の各局面に応じて、集合的ア
集会やデモへの参加からイベント時の料理に至るまで、さまざまな
イデンティティが持つ意義をそれぞれ区別して論じる必要がある
形で支援している。
と主張する。このことには、運動の
「新しさ」
を集合的アイデンティ
複数の調査協力者によれば、在日朝鮮人の青年団体で活動してい
ティの性質によって判断することに留まらず、集合的アイデンティ
た女性は結婚すると、在日朝鮮人「男性」組織 である親組織に入る
ティを複数の文脈に分けた上で、それらを動員過程の分析概念とし
ことはなく、民族運動の主流からはずされることが普通であった。
て利用できることを意味する。
25
活動功績が認められた場合でも、就けるのは地方などの、中央より
具体的に川北が提示するのは、運動過程の 3 つの局面(発生・展
下位に位置づけられる役職が多かった。このため、女性の運動家
開・帰結)の区分と、それに関連づけた集合的アイデンティティの
が、民族運動を継続する場合は傘下の女性団体に所属することにな
諸分析レベル(連帯・運動・個人)である。まず「運動の発生」の局
る。もっとも、既婚女性は夫やその家族につくし、活動の中心を
面では、動員において
「連帯アイデンティティ」
が醸成される。連帯
「家庭」
に置くものとされている。女性たちは、外出さえ困難な場合
アイデンティティとは、特定の集団のもつ特徴や境界、利害の意識
が多く、女性団体での活動は家族の承認を受けた息抜き的な意味も
などから成り立ち、たとえば人種、ジェンダー、階級などが相当
あった。このことは、
「女たちが(家の)外に出るとき、
(女性)組織の
する。運動を促進する誘因となる既にある不満などをフレームする
仕事だと言うと男は賛成する」
という語りにも表れている。
ことで、連帯アイデンティティが活性化され、運動が発生する。次
このように、民族組織傘下の女性団体は、在日朝鮮人女性が主体
に「運動の展開」の局面では、
「運動」アイデンティティが動員の対象
として活動する場として一定の役割を負ってきた。しかし、傘下団
として重要になる。これは、参加者の共鳴を呼ぶような運動独自の
体という位置づけにより、女性団体は親組織の運動への協力や貢献
組織や戦略などに関し形成されるアイデンティティである。最後に
によって評価され、その存在意義を認められるものであり、そこに
「運動の帰結」
の局面では、アイデンティティそのものが集合財にな
は上下関係が発生する。このように在日朝鮮人の民族組織そのもの
る。この局面では、
「個人」のアイデンティティ(の追求)が動員の対
が、ジェンダーを軸として構造化されている(徐、2001)
。ある調
象として重要となる。
以下、川北の概念枠組みを踏まえながら、ヨソンネットの展開と
査協力者は、民族組織における「家族」のメタファーを、
「○○(女性
運動の担い手に見られる主体構築を、インタビューで得られた語り
団体)
はおかあさん、XX(親組織)はおとうさん」と表現している。
に即して考察する。
80 年代後半ごろより、既存の民族運動組織から距離を置いたと
ころで、2 世以降の女性たちがゆるやかなネットワークを形成して
いた。そのひとつである
「朝鮮女性史読書会」は、民族学校で学んだ
97
September 2005
No.4
5-1. 発生の局面における連帯アイデンティティ
うな運動アイデンティティの形成を支えた。
民族組織から距離を置いて活動していた在日朝鮮人女性たちが
「女性」というカテゴリーを通じた、組織や国籍の違いを
第 1 に、
出会ったのは、1990 年 12 月に東京で開かれた尹貞玉挺身隊協議会
超越した在日朝鮮人のアイデンティティの形成である。移民共同
共同会長(当時)による「従軍慰安婦」問題の集会であった。そして
体の多くは内部に出身地域や階層等による差異が存在するが、在
1991 年 11 月にヨソンネットが発足している。
日朝鮮社会では、朝鮮半島の分断政治によって国籍や民族組織の対
立・競合的関係や、それにともなう個人の間の亀裂が生み出されて
いた。このような状況であるからこそ、
「女性」の力による亀裂の克
「朝鮮人の女として「日本」を生きぬいてきた私たちは、そ
服は重要な意味を帯びるのである。
「在日朝鮮人女性」
という主体は、
れぞれが感じてきた「生き難さ」の中に同質性を見出し、互い
の問題意識を共有するようになった。そういう中で出会っ
「在日朝鮮人」
に加えて
「女性」
というカテゴリーを示すと同時に、在
たのが
「慰安婦問題」だったのである。現代社会が抱える様々
日朝鮮人の共同体をジェンダーの視点から再編する意図も込められ
な問題の中で、私たちはこの「慰安婦問題」の解決に、自らの
ていた。その基盤とされたのは、女性としての共通の体験である。
活路を見出した。在日朝鮮人女性である私たち自身が抱える
「北系だろうが、南系だろうが、チェサ30 の準備しても
様々な問題の縮図を、
「慰安婦問題」の中に発見したと言い換
えてもいいだろう」
チェサにも参加できないのが女なんですよ。そこにはもう
28
38 度線関係ないですよ、民族的な慣習のもとでは。そこは
「従軍慰安婦」
という問題が、在日朝鮮人女性たちにとって個人的
女同士で共感できたところがあって。そんな男たちがやって
な関心対象にとどまらず、ひとつの社会運動を生み出すインパクト
いるようなばかばかしいことは乗り越えてやりましょうよと
を持ちえたのはなぜなのだろうか。ここでは、「 従軍慰安婦 」 が民
いうところがあったと思う。」
族と女性差別の被害者として象徴化され、そのことに関連して在日
朝鮮人女性が連帯するアイデンティティが形成されるプロセスにつ
「「従軍慰安婦」は、キーワード。集まれる。他の問題では
立ち上がれない。
「慰安婦」の問題があったから在日女性が集
いて検討したい。
調査協力者たちの多くは、1990 年に韓国で「従軍慰安婦」が社会
まれた。決して日本人には理解できない問題。女性センター
問題化される以前より、人から聞いていたり、本や映画を通して
でも、在日女性の問題は出てこないし。
(略)
女でも「総連にい
「従軍慰安婦」の存在は知っていたが29、自分の問題として考えた
た」
「民団にいた」っていうレッテルが貼られることがあるけ
ど、男尊女卑の体験が共通している。」
り、運動をすることはなかった。
「従軍慰安婦」を在日朝鮮人女性と
しての
「自分」と重ね合わせるようになるのは、尹貞玉による家父長
制という視角からの問題提起によってである。そのことをきっかけ
またヨソンネットは、代表を置かないネットワーク型であるこ
に、
「従軍慰安婦」問題が調査協力者たちの過去の経験や家族などと
と、個の多様性の尊重31を強調している。水平的な関係構築やメン
つながり、
「自分」
に直接関係あることとして認識されるようになる。
バーの自発性に根ざした活動を通して、中央集権的で上意下達的な
ヨソンネット参加当初は民族問題として見ていたが、学習会や被害
運営方式をとる既存の民族組織との違いを打ち出そうとした。
者の証言集会などを通じて女性問題としての認識が深まったという
第 2 に、日本社会の構成員としての運動主体の形成である。ヨソ
ケースが複数あった。
ンネットの女性たちは、
「従軍慰安婦」問題に関する加害国である日
本に生きる在日朝鮮人として、この問題解決の責任を果たそうとし
「慰安婦については母から聞いていたり、在日朝鮮人の小
た。日本と韓国・朝鮮のはざまにある立場は、従来ネガティブに語
説を読んで、ばくぜんと知っていた。
(略)尹先生の話で、親
られやすかった。しかしヨソンネットの運動では、在日朝鮮人の立
孝行な娘ならありそうな話だと思った。
(実家の)アパートに
場が
「責任」
によって再解釈され、社会変革を担う女性主体を作り出
朝鮮人の中卒の女の子がいて、親のために売春をしていた。
している。
女は悲しいな、と思っていた。先生の話を聞いて、同じ女と
してなにかしたい。私も皆と一緒ならなにかできるのではな
「日本社会の中で慰安婦問題というのはあまりに知らされ
いか、と。戦争のときは、国籍関係なく自国の女は売られる
ていなかった。私たちも、学生時代にちょっと本を読んだり
ということがストンとわかった。他人の問題ではなく、自分
して知ってはいたのに、黙っているのがやさしさみたいな。
の問題として捉えられた」
その問題意識は尹さんの当時の問題意識とぴったり一致して
いて、韓国の女性たちも隠蔽に加担してきた。
(自分が)責任
「(従軍慰安婦問題の)合宿も、はじめは嫌だわと思ってい
を感じつつ責任を負うということは、こういう問題をきちん
たけど、行った。慰安婦の問題を言葉にしていく必要がある
と日本社会に知らしめることだ、だから世論化だ、と」
と感じたから。ペ・ポンギさんの本を読んだりして、知らな
いでいることが加害者なのではないか、と思った。もしかし
個々の在日朝鮮人女性がヨソンネットの運動に参加したのは、
「従
たら自分の母や親戚が慰安婦にされていたかもしれない、と
軍慰安婦」問題の解決に向けた強い使命感があったからに他ならな
いう思いもあった。
」
いが、まさに
「従軍慰安婦」
問題を解決する運動を通じて、男性が主
導する運動の追随という形ではなく、在日朝鮮人女性の視点に立っ
5-2. 展開の局面における運動アイデンティティ
て日本社会を変革しようとする女性主体が立ち現れることになっ
「従軍慰安婦」
問題は、社会運動を展開する在日朝鮮人女性の運動
た。90 年代に問題化された「従軍慰安婦」問題は、既存の組織から
アイデンティティの発生を促した。この問題の解決は、次のような
離れたところで活動していた在日朝鮮人女性のネットワークを媒介
意義をもつ変革をもたらすと考えられ、運動の展開の中で以下のよ
し、運動をおこす糸口になった。このことは、ある調査協力者によ
98
在日朝鮮人女性の主体構築
る「天からの授かり物の気がする。この問題を逃しては、在日女性
たという点である。一方は、
「従軍慰安婦」の問題解決に重点を置く
が結集していくことはない」
という声に表れているであろう。
立場であり、もう一方は、
「在日朝鮮人女性」自身の問題に軸足を置
こうとする立場であった。
第 3 に、在日朝鮮人家族という私的空間におけるインパクトであ
ヨソンネットの運動の存在意義が問われはじめたのは、1993 年
る。まず、以下の語りを見てみよう。
に在日朝鮮人の元従軍慰安婦による補償請求裁判を支援する「在日
「民族運動で朝鮮人としてのアイデンティティ、ヨソン
の慰安婦裁判を支える会」
の結成がきっかけであった。支える会は、
ネットで女性としてのアイデンティティ。慰安婦問題は人間
日本人女性や男性も参加する、メンバーの属性を問わない運動体と
の問題であり、男と女の問題である。運動によって夫を取り
して出発し、ヨソンネットのメンバーが中核的に関わっている。
「支
込み、自分の家庭の中の問題を解決できるようになった。文
える会」の運動では、被害女性である宋神道さんを支え裁判に勝つ
章を書いたり、行動したりする自分というのができた。。。ヨ
ためにメンバーが、
「在日も日本人も関係なく」協力するプロセスの
ソンネットの活動をする前は、100 歩譲って女としての役割
中で、属性が持っていた重みが弱まっていったと思われる。ある調
をこなしてきた。でも、女が変わらなければ、男も変わらな
査協力者は、在日朝鮮人の中から生身の被害者が現れたことで、在
い。自分が変わったら夫も代わった。男女の対等性を説得す
日朝鮮人女性である
「わたし」
と被害を受けた
「従軍慰安婦」
との連続
るのに、慰安婦問題があった。やっぱり自分は正しかったん
性を自明視することに疑問を持つようになったという。このように
だ、と。自分になりたかった。母、妻、嫁である前に、自分
して、在日朝鮮人女性の主体確立の問題と「従軍慰安婦」の問題は、
を見つめたかった」
別々の運動対象として認識されるようになっていった。また、女性
の地位向上の重要性に関して全体的な合意はあったものの、ヨソン
民族差別の要素を持つ
「従軍慰安婦」問題は、在日朝鮮人男性に対
ネット内部には、女性解放やジェンダーなどの理論への関心や、ヨ
して女性問題を提起する糸口になる。このため家族の中で自分を押
ソンネットが柱とした翻訳や調査、出版活動への関与の度合いの点
し殺して生きてきた在日朝鮮人女性が、
「従軍慰安婦」をキーワード
で、個人間に隔たりがあった。このようなことから、裁判というよ
にして、日本社会だけでなく、家族の中のジェンダー規範について
り具体的な目標を持つ支える会の運動に移ったというケースもあっ
直接間接に異議申し立てを行うための環境をも醸成した。こうして
た。
「従軍慰安婦」問題は、ジェンダー規範にとらわれずに主体的に生き
「支える会」のほか、女性国際戦犯法廷を 2000 年 12 月に開催した
たり、夫婦の関係性を変えるといった、女性のエージェンシーを高
「VAWW-NET・ジャパン」や、戦後補償を実現するための国境を越
める機会を提供したのである。
えた連絡網である
「リドレス国際キャンペーン」
など、韓国・朝鮮出
また別の女性は、ヨソンネットに集まっていた母親たちがいきい
身の
「従軍慰安婦」
だけではなく、その他の地域を含む被害者救済を
きと運動を行っていたことから影響を受けたという。
めざす運動体に活動拠点を移すメンバーも出てきた。朝鮮民族や韓
国・朝鮮国家の枠を超えたこれらの活動には、在日朝鮮人女性の主
「ヨソンネットでは、
(母親による社会運動的な)
活動は、子
体におけるトランスナショナルな性格を見出すことができる。ある
育て放棄ではないという後ろ盾があった。運動をすること
調査協力者は、このことについて次のように表現していた。
が、精神的自信のもとになった。見本になれる、理想のモデ
ルとなるような同胞女性との出会いがあった」
「この運動は、日本と韓国の外交問題だけではないんです。
韓国の金学順さんが名乗ることで、中国、オランダ、イン
このように、ヨソンネットは、在日朝鮮人女性たちが閉じ込めら
ドネシア、台湾、フィリピンなど各国の人たちがカムアウト
れた私的領域と、公共空間を媒介する機能も果たしていた。
してくるんです。その人たちは金学順さんがカムアウトした
ことに感動して、名乗りをあげるわけです。勇気の連鎖とい
5-3. 運動の帰結―個人的アイデンティティのゆくえ
うか。そういうものがあって、日本政府に歴史的にもおか
「従軍慰安婦」
の問題は、多様な背景を持つ在日朝鮮人女性をつな
しい、女性に対する冒涜を許していていいのかという訴えに
げる集合的アイデンティティを可能とし、ひとつの社会運動を生み
なったんですよ。それを見たときに、単に韓国と日本の外交
出した。ところで、ヨソンネットはなぜ、1998 年に「発展的解消」
問題としてみるのではなくて、この問題は国境を越えて人権
を遂げたのか。その外的要因として、在日朝鮮人女性の被害者によ
を守る大きなネットワークが日本政府を追い詰めていく運動
る裁判提訴や「女性のためのアジア平和国民基金」の発足のような、
だなと思ったんです。
(略)単独では無理だと思うのね。いか
「従軍慰安婦」
問題をめぐる状況の変化に呼応した運動体の生成が考
に私たちが国境を越えて大きな広がりを作ってやっていかれ
えられる。しかしその一方で、運動内部の要因にも目を向ける必要
るかっていう。わたしたちの運動はそれこそ草の根で武器も
がある。ここで特に注目したい点は、在日朝鮮人女性たちが運動を
なにもない運動かもしれないけれど、人々を大きく心を動か
通じて、それぞれの個人的アイデンティティを追及していったとい
すような、共感させるような下地があるし、広がりがある
う点である。個人的アイデンティティは、メンバーらが次第に異な
と思ったんですね。だから朝鮮人だけの問題に限定しないで
る方向に活動の場を見出していくという形で具体化されている。
やっていきたいな、と」
調査では、ヨソンネット内部における差異の要素として、
「従軍慰
「従軍慰安婦」
問題を扱う運動が日本の中で拡大していく中で、
「従
安婦」問題をつきつめる中での「民族」と「ジェンダー」の視点の違い
や、文章力と役割分担の関係などが指摘されたが、そのような違い
軍慰安婦」問題に関する運動体としてのヨソンネットは役割を終え
が運動推進を妨げることはなかった。それは、ヨソンネットが個の
たとして 1998 年に解散している。しかし、上述したように、在日
尊重を旨としていたからという。面接調査からみえてきたのは、む
朝鮮人女性による
「従軍慰安婦」
問題解決のための運動は継続されて
しろ運動の方向性という点でしだいに二つの立場が顕在化していっ
おり、他方で、在日朝鮮人女性の主体をめぐる活動も続いている。
99
September 2005
No.4
後者の活動を形として示すのが、
「グループちゃめ」である。
「グルー
よって、フェミニスト運動家としてのアイデンティティや共同体へ
プちゃめ」は、ヨソンネットの元メンバーや、ヨソンネットに関わ
の忠誠に関する差異が存在するからである
(Roth, 2004:16)
。
らなかったが在日朝鮮人女性の問題に関心を持つ女性たちによって
このほか、ヨソンネットの事例で特徴的と思われるのは、在日朝
結成された。グループちゃめは、1997 年に横浜女性フォーラムに
鮮人女性たちが民族組織の中で困難に直面した際に、民族的共同体
おいて
「在日コリアン女性のためのエンパワーメント・ワークショッ
から距離を置き、日本の公共空間において運動を展開するという
プ」を開催し、20 代から 50 代の在日朝鮮人女性たち 30 人が集まっ
「戦略」
をとったことである。女性たちは、日本社会や在日朝鮮社会
た。また、このことに刺激を受けた関西圏の在日朝鮮人女性たちが
に統合・周辺化されるという矛盾の中で、両社会との間に微妙な
「大阪ちゃめ」
を結成し、大阪府立女性総合センターにおいて類似の
距離をとりつつ、主体としての関わり方を模索しているように見え
ワークショップや公開講座を開催した32。公的助成金を受けたこれ
る。この点は、今後の研究課題として、ここでは指摘するにとどめ
らの活動は、1980 年代以降日本における公的政策としての男女共
たい。
同参画推進の枠組みに、在日朝鮮人女性のエンパワーメントの問題
が約 10 年遅れで位置づけることでもある。
*謝辞
本研究は、第一に、インタビュー調査にご協力いただいた従軍慰安婦問題
ヨソンネット帰結の局面では、メンバーの活動がさまざまな運動
ウリヨソンネットワークの元メンバーの女性たちの貴重な証言に負っている。
体に移っている。そのことをある調査協力者は、
「ヨソンネットとい
また、ヨソンネットには参加していないが、一次資料を提供してくださった
う場で在日朝鮮人女性個人が出会って、お互いを確認した上で、そ
り、在日朝鮮人女性が抱えている問題に深い関心を寄せる複数の女性たちか
らのご協力も仰いでいる。そしてこの調査は「お茶の水女子大学 21 世紀 COE
れぞれがやりたい方向を見つけていったということ」として積極的
プログラム ジェンダー研究のフロンティア」
(平成 16 年度公募研究)より助
に評価し、ヨソンネットの在日朝鮮人女性の公共空間としての意義
成を受けている。ここに記して感謝申し上げたい。
を強調していた。とりわけ
「ちゃめ」のケースは、在日朝鮮人女性と
〈註〉
いう主体的アイデンティティが、ひとつの集合財となったことを示
1 『私たちは忘れない 朝鮮人従軍慰安婦 ―在日同胞女性からみた従軍慰安
している。
婦問題』
(従軍慰安婦問題を考える在日同胞女性の会
(仮称))
より抜粋。
本稿では「在日朝鮮人」や「在日朝鮮人女性」という言葉を、韓国や朝鮮、日
2
本などの国籍とは関係なく、日本による朝鮮植民地支配(1910 ∼ 1945 年)
おわりに
を背景として日本に渡った朝鮮人およびその後続世代や、そのうちの女性
という意味で使用している。本稿で検討する運動体の担い手となった女性
本稿では、ヨソンネットの元メンバーに対するインタビュー調
たちが使用している呼称を尊重する意味で、
「在日コリアン」や「在日コリア
ン女性」、
「在日韓国・朝鮮人」や「在日韓国・朝鮮人女性」ではなく、
「在日朝
査から、運動が生成した内的要因を人的資源の分析によって検討
鮮人」
および
「在日朝鮮人女性」
としている。
し、また動員の各局面にみる集合的アイデンティティの構築につい
韓国の女性運動が 90 年代に「従軍慰安婦」問題に取り組むまでの歴史的経緯
3
て検討した。言うまでもなく在日朝鮮人女性といってもその内実は
については金(1992)を参照のこと。日本の女性運動の対応については山口
多様である。また、ヨソンネットは在日朝鮮人女性の総体を代表す
およびゆのまえ(1991)
を参照。
(1992)
るのではなく、その中の一部が展開した運動である。しかし社会運
4
大阪でも同じ時期に、在日朝鮮人女性によって「朝鮮人従軍慰安婦問題を考
5
パンフレットの正式名称は以下の通り。
『私たちは忘れない 朝鮮人従軍慰
える会」
が作られている。
動に「先駆け」的な役割、すなわち「社会を映し出す鏡」であり「未来
の預言者」
(A. トゥーレーヌ)という意味があるとするならば、ヨソ
安婦―在日同胞女性からみた従軍慰安婦問題』、翻訳・編集・発行は従軍慰
安婦問題を考える在日同胞女性の会
(仮称)。
ンネットの運動は、在日朝鮮人女性による、現在進行中の日本社会
6
および在日朝鮮民族社会、あるいは国際社会の社会変革の先触れで
金富子「ヨソンネットの歩みーこれまで・そして・これから」
『この』
「恨」を
解くために―「元従軍慰安婦・金学順さんの話を聞く集い」』、1992 年。
あったと考えられるだろう。それは、国民国家や民族、ジェンダー
7 「在日韓国民主女性会」
「日本の戦後責任をハッキリさせる会」、
、
「従軍慰安婦
を考える会」
の 3 団体であった。
の軸による非対称な関係を再構築しようとするプロセスの一端を構
8 「慰安婦問題 110 番」に寄せられた情報がきっかけで、
「従軍慰安婦」であった
成している。
在日朝鮮人女性の存在が明らかになり、第 5 節で触れている「在日の従軍慰
本稿では、ヨソンネットがめざした社会変革の内容そのものでは
安婦を支える会」
が結成された。
9 『合宿報告集 語りあかそう!在日女性の明日に向かって―尹貞玉さんと朝
なく、運動の担い手であった在日朝鮮人女性に焦点をあて、運動の
『この「恨」を解くために 「元従軍
鮮人従軍慰安婦問題を考える』
(1991 年)、
各局面における集合的アイデンティティ形成をミクロ的に分析する
が発刊された。
慰安婦・金学順さんの話を聞く集い」
を終えて』
(1992 年)
ことで、彼女たちのエージェンシーを際立たせた。面接調査から得
10『朝鮮人女性がみた「慰安婦問題」−明日をともに創るために』三一書房、
られた運動の担い手のプロフィールには、従来、等閑に付されてき
『証言―強制連行された朝鮮人軍慰安婦たち』
明石書店、1993 年。
1992 年。
11『もっと知りたい
「慰安婦」
問題―性と民族の視点から』
明石書店、1995 年。
た在日朝鮮人女性を取り囲むマクロ構造が見える。
12
民族組織や世代などの違いを超えた在日朝鮮人女性たちの集合的
ニュース・レター
「アルリム」は年 4 回発行であり、1992 年から 1996 年の間
に第 16 号まで発行された。
『ヨソンネット年次報告
92 年 6 月から 93 年 10 月にかけて 8 回開催している。
書』1992 年度および 1993 年度。
14 91 年 9 月から 92 年 12 月の間に 42 回行っている。
『 ヨソンネット年次報告書
1992 年度)』。
アイデンティティ形成では、民族運動を通じた主体的アイデンティ
13
ティの獲得と民族運動体内のジェンダー不平等の経験が、基盤に
あった。彼女たちは、日本の女性運動に直接アクセスするのではな
く、独自の運動組織を形成しようとした。この選択は、アメリカの
15
東京韓国YMCAにて開催した
「元従軍慰安婦・金学順さんの話を聞く集い」
である。参加者数は約 450 名であった。
第 2 波フェミニズム運動における「複数のフェミニスト運動」の同時
16『ヨソンネット年次報告書
(1993 年度)』、p.
発生を論じた Roth(2004)の仮説と通じるものがある。第 2 波フェ
17
ミニズム運動では、アフリカ系アメリカ女性やラテン系アメリカ女
18
1.
複数の調査協力者による表現である。
1991 年 8 月、尹貞玉氏を囲む在日朝鮮人女性の合宿が国立婦人教育会館で
行われ、10 代から 70 代まで約 50 人が集まった。国籍や組織の違いを超え
性などが別々の運動を形成したが、人種・民族や階級を境界として
て女性問題を考えるというコンセプトが、どれほど大きなインパクトを
複数のフェミニズム運動が形成されたのは、決して「自然に」そう
持っていたか、そのことをある調査協力者は次のように表現している。
「女
なったのではない。それは、異なる人種・民族的共同体に属してい
性たちが 50 人ぐらい集まったかな。みんなエネルギーがあって。課題は重
いんだけど、そういう出会いの場というのがなかったものだから。目をみ
るフェミニストたちの間には、社会的配置や政治的状況の違いに
100
在日朝鮮人女性の主体構築
んなきらきらさせながら。それこそウーマンリブの時に田中美津さんたち
ソンネットワーク、1991 年。
が長野で合宿をして、そのときに全国からいろんな女性が集まって。熱気
従軍慰安婦ウリヨソンネットワーク『合宿報告集 語りあかそう!在日女性の
むんむんだったんですよ。そういうことを在日の女性の中で、しかも在日
明日に向かって―尹貞玉さんと朝鮮人従軍慰安婦問題を考える』、1991 年。
の 38 度線をとっぱらってやろうということだったので、インパクトはあっ
従軍慰安婦問題ウリヨソンネットワーク『この「恨」を解くために 「元従軍慰
安婦・金学順さんの話を聞く集い」
を終えて』、1992 年。
たんじゃありませんか」
19
本稿でいう「民族学校」とは、在日本朝鮮人総連合会が運営する教育機関
大阪ちゃめ『がんばっている在日コリアン女性へ―ワークショップ&公開講座
報告集』2000 年。
を指している。
(2005 年現在は幼稚園から大学まで全国に 80 校)
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面接調査では、
「男は大学まで、女は高校までと親に決められていた」という
従軍慰安婦問題ウリヨソンネットワーク
『ヨソンネット年次報告
(1993 年度)』
発言があった。いうまでもないが、息子の教育投資のほうが娘のそれより
在日朝鮮人の青年を対象とする団体としては、総連傘下に在日本朝鮮留学
Roth, Benita Separate Roads to Feminism: Black, Chikana, and White Feminist
Movements in America's Second Wave, Cambridge( UK ): Cambridge
University Press, 2004.
生同盟と在日本朝鮮青年同盟、民団傘下には在日韓国青年会と在日韓国学
徐阿貴「在日コリアン女性の政治参加―ジェンダーの視点から」
『日欧における
優先されるのは、世帯収入が十分確保できない状況である場合が多い。
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生会、在日韓国民主統一連合の会員団体として在日韓国青年同盟がある。
‘新しい市民権’と参加』
(立教大学国際シンポジウムプロシーディングス)、
「日欧における
‘新しい市民権’と参加」
組織委員会、2001 年。
また在日韓国学生同盟は、関東と関西を中心とする複数の大学に拠点を置
き、在日朝鮮人の学生をメンバーとして活動する組織である。なお韓統連
尹貞玉他『朝鮮人女性がみた「慰安婦問題」明日をともに創るために』、三一書
房、東京、1992 年。
は、1973 年に民団から朴チョンヒ政権に反対するグループが脱退して結成
した韓国民主回復統一促進国民会議(韓民統)が、1989 年に組織改変された
山口明子「「従軍慰安婦」問題をめぐる日本での対応」
『海峡』第 16 号、1992 年、
pp. 9-15。
ものである。
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福岡・辻山(1991)
、福岡(1993)
、福岡・金(1997)
、金(1999)などだが、い
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朝鮮半島における南北の国家分断を意味している。
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ヨソンネットのメンバーが経験したのは 1970 ∼ 80 年代の民族運動組織で
ゆのまえ知子「「従軍慰安婦」問題 背景と経過」、
『ああ、従軍慰安婦(現代日本
の問題 No. 17)』、日本YWCA人権を考える委員会、1991 年、pp. 27-37。
ずれも分析にはジェンダーの視点が組み込まれていない。
あり、近年では親組織の傘下にある青年組織や商工人組織などで女性が役
職に就く例が見られる。
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在日本朝鮮民主女性同盟で活動するメンバーの表現である。
在日韓国民主女性会の元メンバーであった女性たちは、脱退前に韓国の女
性運動からの影響を受けている。1970 年代、軍事政権下にあった韓国では、
女性労働者たちによる民主化運動が展開され、80 年代には暴力の告発や、
雇用における男女平等、家族法改正などのテーマを中心に女性運動や女性
学研究が高揚した。1986 年には警察による「性拷問」を告発したクォン・イ
ンスクさんを支援する女性運動が展開されたが、在日韓国民主女性会はこ
の運動に刺激を受けて同年に設立されている。
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例えば、
「特集 今日の朝鮮女性 2 世女性大いに語る」
(
『統一評論』1977 年 8
月、第 147 号)
「座談会 女性にとっての在日同胞社会」
、
(
『季刊 民涛』1988
年秋、第 4 号)
などがある。また、1991 年には、在日朝鮮人女性の同人誌
『鳳
仙花』
が創刊されている。
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金富子・金英姫・金薫子・朴和美・朴潤南・梁澄子・山下英愛「あとがき」、
尹貞玉他
『朝鮮人女性がみた 「 慰安婦問題 」 明日をともに創るために』
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千田夏光著『従軍慰安婦―声なき女八万人の告発』
(双葉社、1973 年)、およ
。山折哲夫監
び金一勉著『天皇の軍隊と朝鮮人慰安婦』
(三一書房、1976 年)
など。
督
『沖縄のハルモニ―証言・従軍慰安婦』
(1979 年)
30「チェサ(祭祀)
」とは、朝鮮由来の先祖崇拝の儀礼である。礼拝は男性親族
のみに許され、女性は祭壇や親族にふるまう食事の準備を担う。
31「多様性の尊重」
という点では、朝鮮の伝統的な色の組み合わせである「セッ
トン」
をシンボルにしていた。
32
関東の「グループちゃめ」によれば、もともとは 1993 年に在日朝鮮人女性 3
名が広島に集まり、在日朝鮮社会の状況をジェンダーの視点から変革した
「大
いと話し合ったことが活動のきっかけであった
(グループちゃめ、1997)。
を参照。
阪ちゃめ」
については、大阪ちゃめ
(2000 年)
〈参考文献〉
福岡安則・辻山ゆき子『ほんとうの私を求めて―「在日」二世三世の女性たち』
新幹社、東京、1991 年。
―『在日韓国・朝鮮人―若い世代のアイデンティティ』中公新書、東京、
1993 年。
福岡安則・金明秀『在日韓国人青年の生活と意識』東京大学出版会、東京、
1997 年。
グループちゃめ『在日コリアン女性のためのエンパワーメント・ワークショッ
プ報告書』
、1997 年。
川北稔「社会運動と集合的アイデンティティ―動員過程におけるアイデンティ
ティの諸相―」
、曽根中清司・長谷川公一・町村敬志・樋口直人編著『社会
運動という公共空間―理論と方法のフロンティア―』
、成文堂、東京、2004
年。
金富子「韓国女性運動からみた朝鮮人慰安婦問題―今なぜ朝鮮人慰安婦問題
か」尹貞五他著『朝鮮人女性がみた「慰安婦問題」―明日をともに創るため
に』
、三一書房、1992 年、pp. 168-206。
金泰泳『アイデンティティ・ポリティクスを超えて―在日朝鮮人のエスニシ
ティ』
世界思想社、東京、1999 年。
従軍慰安婦問題を考える在日同胞女性の会(仮称)
『私たちは忘れない 朝鮮人
従軍慰安婦 在日同胞女性から見た従軍慰安婦問題』従軍慰安婦問題ウリヨ
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