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聖文の研究 - LDS.org - The Church of Jesus Christ of Latter

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聖文の研究 - LDS.org - The Church of Jesus Christ of Latter
聖文の研究――御言葉の力
教師用資料
宗教 115
制作:教会教育システム
発行
末日聖徒イエス・キリスト教会
ユタ州ソルトレーク・シティー
改訂版
© 2003 Intellectual Reserve, Inc.
版権所有
印刷:日本
英語版承認:2000年 5 月
翻訳承認:2000年 5 月
原題:Scripture Study ―― The Power of the Word: Teacher Manual
Japanese
目 次
序 文
………………………………………………………………………………………………………… v
第1課
聖文とは何か ………………………………………………………………………………………… 1
第2課
標準聖典 ……………………………………………………………………………………………… 3
第3課
なぜ聖文を研究するのか …………………………………………………………………………… 7
第4課
聖文研究の基本的な要素…………………………………………………………………………… 10
第5課
聖文研究の効果的な技術…………………………………………………………………………… 14
第6課
聖文に印を付ける…………………………………………………………………………………… 18
第7課
末日聖典には研究に役立つ資料が充実している………………………………………………… 21
第8課
預言者は聖文を解き明かす………………………………………………………………………… 24
第9課
聖文を使って聖文を理解する……………………………………………………………………… 26
第10課
文脈を考慮して聖文を学ぶ………………………………………………………………………… 29
第11課
文化の違いを克服する……………………………………………………………………………… 32
第12課
聖文に見られる文学表現…………………………………………………………………………… 36
第13課
聖文に見られる象徴表現…………………………………………………………………………… 39
第14課
聖文を応用して個人の必要を満たす……………………………………………………………… 43
第15課
イエス・キリスト―― あらゆる聖文の核心 ……………………………………………………… 47
付 録
聖文で用いられている象徴の例…………………………………………………………………… 52
参考文献一覧表 ………………………………………………………………………………………………… 56
iii
序 文
この本は「宗教115コース」のための教師用資料です。 テーマ
このコースの生徒用資料としては末日聖徒イエス・キ
課の中心概念を記しています。
リスト教会の標準聖典が使われます。
このコースの目的は聖文を読んで理解するための方
法を教えることです。このコースを通して,聖文を学 教えるためのアイデア
ぶ意欲が増し,聖文中の真理を学び応用する能力が高
準備やレッスンの際に役立つ提案を記しています。
まったと実感する生徒が一人でも増えることを願って
います。
ゴードン・B・ヒンクレー大管長は次のように述べ その他の学習資料
ています。
テーマごとに,教師が理解を深めるのに役立つ資料
「聖文を読むことが強調されたことに感謝していま
のリストです。
す。聖文を読むことが義務ではなく楽しみとなり,神
み こ と ば
の御言葉を夢中になって読むようになることを望んで
います。聖文を読むにつれて,心が開かれ,霊性が高 生徒の学習のための提案
まることをお約束いたします。最初は退屈かもしれま
生徒の予習復習に役立つ提案です。
みこころ
せんが,神の御心 を知り,御言葉を味わうにつれて,
聖文を読むことはすばらしい経験となることでしょ
う。」(「内なる光」『聖徒の道』1995年 7 月号,107参照)
15課から成るこの教師用資料は,1 セメスターまた
は1クォーターで教えることになっています。教師は
全体に目を通し,各課に何時間かけるか事前に決めて
おく必要があります。
この教師用資料は以下の項目で構成されています。
目 的
めいりょう
課のねらいと生徒が学ぶべき内容を簡潔 明瞭 に記し
ています。
v
聖文とは何か
第1課
目 的
正式に承認された聖文は,人を教化する目的で主が
預言者に授けられた神聖な啓示をまとめたものである。
テーマ
1.主は聖文を定義された。
2.生ける預言者は新たな聖文を付け加えることができる。
3.標準聖典は神の言葉を記録した書物として教会が正
式に認めた書物である。
4.聖文は教会の権威者たちに承認されることにより標
準聖典の一部となる。
5.預言者は既存の聖文を改めることができる。
教えるためのアイデア
1.主は聖文を定義された
■ 教義と聖約68:3−4 と 2 ペテロ 1:21について生徒と
話し合う。ハロルド・B・リー大管長が述べた以下の
教義上の説明に注目する。
「主は別の偉大な啓示の中でもう一つのことについ
きょう
て説明されました。今日聖徒の皆さんにそのことを思
い起こしていただかなければなりません。主が今日皆
さんに望んでおられることについて,どこで聞き,見
つけることができるでしょうか。主はこの問いに対し
てこう宣言しておられます。
『また,聖霊に感じるままに語ることは,彼らにと
っての範例である。〔主はここで教会の指導者に向けて
語っておられます。〕
そして,何であろうと聖霊に感じて語ることは,聖
文となり,主の心となり,主の思いとなり,主の言葉
となり,主の声となり,救いを得させる神の力となる。』
(教義と聖約68:3−4 )
」(Conference Report, 1973年10
月,167;または Ensign,1974年 1 月号,126)
2.生ける預言者は新たな聖文を付け加えること
ができる
みこころ
主はもはや御自分の思いや御心を示さないと決意さ
れたとは聖書のどこにも記されていないことを理解さ
せる。この原則に関する問いに答えた預言者ジョセ
フ・スミスの言葉に注目する。
「『現代も啓示が存在するという証拠が聖書のどこに
あるのですか。』
しかし,現代にも啓示が存在すると考えるのは不適
切なことだと,どこかに書いてあるのでしょうか。そ
のような記述があるのだとしたら,なぜだれもその一
■
節を示すことができないのでしょうか。
……『聖書だけで十分ではないのでしょうか。』
もし十分であるならば,聖書には重大な欠陥が残る
ことになります。たとえもしほんとうに十分であった
としても,それなら聖書自身に啓示はもう十分である
と い う 記 述 が あ る は ず で す 。」( Teachings of the
Prophet Joseph Smith,121)
理解を深めるために以下の聖句を調べる。黙示22:
18−19;ヘブル1:1−2;2 テモテ 3:16;ジョセフ・
スミス訳ルカ16:16;アモス 3:7 。
■ 信仰箇条第 9 条について話し合い,生ける預言者の
重要性について理解させる。預言者の重要性を示す証
拠として,教義と聖約137−138章と公式の宣言 2 を参
照する。
■ 以下の記述について話し合ってもよい。
J・ルーベン・クラーク・ジュニア副管長はかつて次
のように語った。「教会全体のために啓示を受ける権利
を有するのは大管長だけです。新しい啓示を受けるこ
とも,過去の啓示を変更することも,ある聖文に対し
て教会全体に影響を与えるような公式見解を表明する
ことも,現行の教義を変更することも,すべて同じで
す。大管長は,この地上において神に代わって語る唯
一の人なのです。
」(“When Are the Writings,”12)
■ 教義と聖約 1:14,24,38;21:15を読み,印を付け,
話し合う。
3.標準聖典は神の言葉を記録した書物として教
会が正式に認めた書物である
教会の標準聖典が,聖書,モルモン書,教義と聖約,
高価な真珠から成ることを説明する。ここではそれぞ
れについての詳しい説明は省く。
■ 生活のあらゆる場面で標準(基準)があって活用で
きることはなぜ重要なのか説明する。スポーツ,科学,
産業などの分野から分かりやすい例を使うとよい。
■ ハロルド・B・リー長老が十二使徒定員会会員だった
ころに語った以下の二つの教えから一方,または両方
を引用し,聖書,モルモン書,教義と聖約,高価な真
珠が,なぜ標準聖典と呼ばれているか話し合う。
「ある教えが真実なのか誤りなのか,どのように判
断したらよいのでしょう。聖文の教えを逸脱した内容
であれば,個人の考えと見なすことができます。例外
かぎ
はただ一人,新たな教義を示す権能を持つ人,鍵を保
有している人,預言者,聖見者,啓示者であり,高い
所から管理する人だけです。そのほかにはだれもいま
せん。新しい教義なるものをだれかが提唱したとして
も,その人が教会内でどの地位にいるかにかかわらず,
個人の意見だと認識して真理と区別しなければなりま
■
1
せん。もし聖文の内容と相反しているなら,即座に誤
りと見なしてよいでしょう。これこそ聖文が四大標準
聖典と呼ばれている理由です。これらの聖文はわたし
たちがあらゆる教義を真理であるかどうか判断するた
めの基準なのです。もしもこれらの聖文と相反するこ
とを教えるなら,その教えは誤っています。きわめて
単純明快なことです」。(“Viewpoint of a Giant,
”6)
「この教会で教えることはすべて,聖文の教えに則
したものでなければなりません。聖文の中にある教え
でなければならないのです。テーマは,聖文の中から
選んだものでなければなりません。だれが書いたもの
でも,真理かどうか判断したければ,教会の四大標準
もとい
聖典を基 に判断するのです。標準聖典に示されていな
すいそく
いものは,推測 にすぎないと考えてよいでしょう。言
い方を変えれば,そのような教えは個人的な見解でし
かないのです。また,聖文に書かれている内容に反し
ているなら,真理ではありません。この基準に従えば,
何を教えられようとも真理であるかどうか判断できる
のです。」(“Using the Scriptures in Our Church
Assignment,” Improvement Era,1969年 1 月号,13)
れば同様にその意を表してください。」(『聖徒の道』
1976年 8 月号,441参照)これら二つの啓示は1979年に
教義と聖約の一部,すなわち137章と138章になった。
5.預言者は既存の聖文を改めることができる
次の記述について話し合う。
十二使徒定員会のボイド・K・パッカー長老は次の
ように説明している。
「もちろん変更や訂正はありました。少しでも調べ
たことがある人ならお分かりでしょう。適切に調査す
れば,そのような訂正がなされたことは,この書物が
真実であることをさらに証明するものであり,その真
実性に疑問を投げかけるようなものでないということ
が分かります。
預言者ジョセフ・スミスは学校教育をほとんど受け
たことのない農家の少年でした。ジョセフが書いた初
期の手紙を幾つか読めば,つづりや文法や表現技法に
おいてまだ洗練されていなかったことが分かります。
しかしどんな文体であれ,文学的に洗練された啓示
がジョセフを通して与えられたということは,まった
すいこう
く驚くべきことなのです。幾らかの推敲 が継続してい
たという事実により,ジョセフの啓示に対してわたし
4.聖文は教会の権威者たちに承認されることに はいっそう敬意を抱くようになりました。
より標準聖典の一部となる
加えて強調したいことは,これまでに推敲された部
■ 「正典」という言葉の意味を説明し,聖文が権威者
分は,基本的に文法,表現技法,句読法を改善するこ
の承認を受けることにより正典となることを説明する。 とや,さらに理解しやすい文に書き改めることなど,
「英語の“正典(canon)”という言葉の起源はギリ ささいなものだったということなのです。本質にかか
シャ語で,もとは『まっすぐであるかどうか測る棒』 わる重要な変更はいっさいありませんでした。」(『聖徒
という意味であった。現在この言葉は,『キリストを真 の道』1974年12月号,563参照)
に信じる者のための,典拠が確かな数冊の神聖な書物』
十二使徒定員会会員であったブルース・R・マッコン
と い う 意 味 で 使 わ れ て い る 。」( Bible Dictionary, キー長老は次のように教えた。「最初の神権時代から,
“canon”
,630−631)
教会を導くように召された人が霊感に感じて語る言葉
教会では,正典とは「典拠の確かな聖文をまとめた
は書き取られ,その言葉の幾つかが後に選ばれて正式
数冊の神聖な書物」を指す。正典は標準正典として認
の聖典として発表されるのが常でした。霊感された言
められ,教会によって正式に承認され受け入れられて
葉や著述は皆真実であって,聖徒と称するすべての人
いる。正典はまた,信仰と教義の面で教会員にとって
に受け入れられ,信じられています。しかし,選ばれ,
拘束力のあるものと見なされている。
出版されて,公的な場で用いられるようになった啓示,
聖文が正典になる過程は1976年 4 月の総大会に良い
示現,預言,物語は,ある意味で主の民を拘束する力
例がある。N・エルドン・タナー副管長の提議に基づ
いて二つの啓示が高価な真珠に付け加えられた。その を持つものとなります。すなわち,教会の標準聖典の
一部となり,教義や教会運営手続きを定めるときの標
とき,タナー副管長は次のように述べた。
「キンボール大管長の指示で,皆さんの支持をいた 準となり,測りとなるのです。」(“A New Commandment: Save Thyself and Thy Kindred,” Ensign,1976
だくため,非常に重要な決定を読み上げます。
年
8 月号,7 )
『1976年 3 月25日,ソルトレーク神殿において開か
れた大管長会と十二使徒定員会の集会で,次の二つの
啓示が高価な真珠に付け加えられることが承認されま その他の学習資料
した。
提案なし。
第 1 は,……ジョセフ・スミスに与えられた日の栄え
の王国に関する示現……,第 2 は,……ジョセフ・F・
スミス大管長に与えられた……主イエス・キリストが霊
生徒の学習のための提案
界へ訪れられた次第を明らかにする示現……〔です。
〕
』
この決定を支持し,また承認し,これらの啓示を末 ■ 次の課の予習として,各標準聖典が他の聖典からは
日聖徒イエス・キリスト教会の標準聖典に付け加える 得られない独特の教えとして,何を教えているか,そ
ことを提議いたします。
れぞれにつき一つか二つずつ書き留めて来させる。
賛成の方はその意を表してください。反対の方がい
2
■
標準聖典
第2課
情報が載っている(「聖書」の項,147−148)。『聖句ガ
イド』を参照しながら以下の質問に答えさせる。
一つ一つの標準聖典は,正典として承認された書物 1.聖書が完成するまでに何年の歳月が必要だったか。
として,独自の貢献をしている。
2.旧約聖書と新約聖書にはどのような違いがあるか。
3.旧約の「約」
(Testament)とはどういう意味か。
4.旧約聖書の各書を大きく分類するとどうなるか。
テーマ
■ クラスを幾つかのグループに分けて,聖書が貢献し
1.聖書は,古代中東社会に生きたイスラエルの家の神
ている点を列挙させる。
聖な記録をまとめたものである。
■ エズラ・タフト・ベンソン大管長の次の言葉を読ん
2.モルモン書は,神が古代アメリカに住むイスラエル
で話し合う。
の家の残りの者をどのように扱われたかに関する記
「わたしは,旧約聖書も新約聖書も愛しています。
録である。
聖書は偉大な真理の源です。聖書は主の生涯とこの世
3.教義と聖約は,現代の聖文をまとめたものである。
における主の業について教えてくれます。また,聖書
4.高価な真珠は,様々な神権時代に関する預言者たち
の言葉を通して,地球の初めから神が人々に手を差し
の記述をまとめたものである。
伸べてこられたことを学ぶことができます。聖書が世
界の歴史に与えた影響は計り知れません。1 ページ 1ペ
教えるためのアイデア
ージが,幾世代もの人々に恵みを与えてきたのです。
……
1.聖書は,古代中東社会に生きたイスラエルの
……神聖で重要な聖書は,人の子らに計り知れない
家の神聖な記録をまとめたものである
価値を与えてきました。事実,預言者ジョセフ・スミ
スが霊感を受けて,家の近くの森に入って祈ったのは,
■ 「聖書」という言葉の起源(訳注――ここでは特に英
語の Bible という言葉の起源)を知ることは,聖書が 聖書があったからこそです。そして,森の中で受けた
どのようにしてできたか理解させるのに役立つ。聖書 栄光に満ちた示現によって,地上にイエス・キリスト
(Bible)という言葉が何を意味するか質問した後,十 の完全な福音を回復するというすばらしい業が始まっ
二使徒定員会会員であったジェームズ・E・タルメー たのです。ジョセフのこの示現が,さらに新しい聖典
を世に出すきっかけともなったのです。この新しい聖
ジ長老の見解を紹介する。
「現代の用法では,『聖書(Holy Bible)』という言 典は,聖書とともに,イエスが救い主であられること,
葉は,ヘブライ人の聖典として知られている数冊の神 神が生きておられること,神が子らを愛しておられる
聖な書物を指しています。ヘブライ人の聖典には,神 こと,神が今もなお子らの救いや昇栄のために手ずか
あかし
が人類をどのように扱われたかが記録されています。 ら働いておられることなどを証しているのです。」(『聖
大洪水以前の事柄を例外とするなら,この書物はもっ 徒の道』1987年 1 月号,85参照)
ぱら東半球の出来事を記録していると言えます。『聖書
(Bible)』という言葉は文法的には単数形に見えますが, 2.モルモン書は,神が古代アメリカに住むイス
ラエルの家の残りの者をどのように扱われた
実はギリシャ語で『書物(Books)』を表す複数形の語
かに関する記録である
『ビブリア(Biblia)』を英語にしたものなのです。この
言葉(Bible)の初期の用例がすべて書物の集まりを意 ■ モルモン書のはしがきについて説明する。モルモン
味していることは注目に値します。現代においてもそ 書の最初の部分にあるはしがきには,タイトルページ,
うですが,いにしえの時代にあっても,聖典は様々な モルモン書の起源について記した序文,証人たちの証
時代に生きた多くの著者が記した複数の特別な書物を などがある。また,モルモン書の基となった複数の版
まとめたものだったのです。聖書中の書物同士を比べ についての説明もある。
てみると,それぞれ異なる時代に異なる著者によって ■ モルモン書についてゴードン・B・ヒンクレー大管長
書かれたにもかかわらず,調和と一貫性があることに の次の言葉を紹介する。
気づきます。そのようなことからも,聖書中の各書の
「モルモン書は,永遠の真理であり,全人類のため
信頼性が高められているのです。」(Articles of Faith, の書物です。また,その言葉が真実であるかどうかが
237)
神の力によって示されると約束されている唯一の書物
■ 『聖句ガイド』には聖書の成り立ちに関する多くの
です。
目 的
3
モルモン書の起源は非常に神聖であり,初めての人
にいきなり話してみても,信じられない場合が多いか
もしれません。しかし,モルモン書は確かに実在し,
自分の手で触れ,ページをめくり,読むことができる
のです。その点については議論の余地はありません。
モルモン書の起源について説明しようとした人は大
勢います。しかし,ジョセフ・スミス自身の言葉以上
に確かな説明はありませんでした。モルモン書は,古
代アメリカ大陸の記録です。聖書が旧世界の聖典であ
るように,モルモン書は新世界の聖典なのです。……
モルモン書には,すでに地上から姿を消した国家の
歴史が記されています。その中には現代の新聞紙上を
にぎわす様々な社会問題と相通ずるものも採り上げら
れていますが,問題だけでなく,問題に対する最も信
頼の置ける解決策,いにしえの時代に書いた者も霊感
を受けて書き,この時代に読む読者にも霊感をもたら
す解決策が与えられているのです。
神の戒めに背いた社会がたどる悲劇の道をこれほど
明確に書き記した書物を,ほかに知りません。……
おそ
……神を畏 れ,神の戒めに従う民や国家は栄え,発
展します。しかし,神を無視し神の言葉をないがしろ
にする人々は堕落し,義に立ち返らないかぎり,破壊
と死へと向かうのです。この事実をかくも明確に説い
た書物は,モルモン書をおいてほかにありません。モ
ルモン書は,旧約聖書の箴言にある次の聖句の正当性
を,はっきりと裏づけています。「正義は国を高くし,
罪は民をはずかしめる。」(箴言14:34)
モルモン書は,現代社会にかかわる様々な事柄につ
いて力強く語っています。しかし,この書物が偉大で
あり,人を高める書物であるゆえんは,イエスがキリ
ストであり,約束されたメシヤであられるという,栄
えある真実の証にあります。モルモン書は,土煙の舞
いや
うパレスチナの道を歩き,病人を癒 し,救いの教義を
説かれた御方について証しています。モルモン書はま
た,カルバリの十字架の上で死に,3 日後に墓からよみ
がえり,多くの人々の前に姿を現され,その後西半球
に住む民を訪れられた,あの御方について証している
のです。」(「モルモン経」『聖徒の道』1988年10月号,
5−6 参照)
■ 末日聖徒イエス・キリスト教会の会員にとってモル
モン書はとりわけ価値ある書物である。エズラ・タフ
ト・ベンソン大管長はモルモン書を聖文研究の中心に
置くよう教会員に勧告した。末日聖徒がモルモン書を
生涯研究し続けるべき 3 つの理由について指摘してい
るベンソン大管長の次の言葉を紹介する。
「第 1 の理由は,モルモン書がわたしたちの宗教の
かなめ石だからです。それは預言者ジョセフ・スミス
の言葉にあります。ジョセフ・スミスは『モルモン書
はこの世で最も正確な書物であり,わたしたちの宗教
のかなめ石である』と証しています( History of the
Church,第 4 巻,461)。かなめ石とはアーチの中央に
4
置かれる石のことです。ほかの石を支える働きをして
いるこのかなめ石を取ると,アーチは崩れ落ちます。
モルモン書は 3 つの点でわたしたちの宗教のかなめ
石です。イエス・キリストの証のかなめ石であり,教
義のかなめ石であり,証のかなめ石なのです。
イエスはすべてのことのかしら石であられますが,
モルモン書はイエス・キリストに対する証のかなめ石
です。モルモン書は力強く,しかも明快にイエスが実
在の御方であられることを証しています。数多くの写
本家や翻訳家,さらには内容を変更したよこしまな宗
教家の手を経た聖書とは異なり,モルモン書(英文)
は執筆者から読者に渡るまでわずか 1 度の翻訳を経た
にすぎません。したがって,モルモン書にある主の証
は明快で,原文そのままで,力があります。そればか
りではありません。現代ではキリスト教の多くは救い
主の神性を否定しています。主の奇跡的な生誕や,完
全な生涯,栄光にあふれる復活の真実性について疑い
を抱いているのです。モルモン書は今述べたことが真
実であることについて分かりやすく,誤解のない言葉
あがな
で教えています。モルモン書はまた,贖 いの教義につ
いてこれまでになく完全な説明を与えています。確か
に,神から与えられたこの霊感あふれるモルモン書は,
イエスが救い主であられることを世に証するうえでか
なめ石となるのです(モルモン書のタイトルページ参
照)。
モルモン書は,また復活の教義のかなめ石でもあり
ます。……モルモン書に「イエス・キリストの完全な
福音」(教義と聖約20:9)が載っていると言われたの
は主御自身でした。それはすべての教え,つまりこれ
までに啓示されたすべての教義が載っているというこ
とではありません。むしろ,モルモン書には救いに必
要な教義が完全な形で収められているということなの
です。しかも,分かりやすく簡単に教えられているの
で,子供でさえも救いと昇栄の道について学べるよう
になっています。救いの教義に関する理解を広げてく
れる内容が多く盛られているので,もしもモルモン書
がなかったならば,ほかの聖典の教えを『分かりやす
くて貴い』こととして理解できていなかったことでし
ょう。
最後に,モルモン書は証のかなめ石です。かなめ石
が取り除かれたらアーチが崩れ落ちるように,この教
会のすべての教えはモルモン書の真実性に依存してい
るのです。……
さて,モルモン書を研究の中心としなければならな
い第 2 の理由は,モルモン書がこの時代ために書かれ
たものであるからです。古代のニーファイ人もレーマ
ン人もモルモン書を持っていませんでした。まさにわ
たしたちのためのものなのです。モルモンはニーファ
イ人の文明の末期にモルモン書を書き記しました。す
べてを初めから見ておられる神の霊感の下に,モルモ
ンはわたしたちのためになる物語,話,出来事に関す
る記録を選んで短くまとめたのです。
モルモン書の執筆者たちは口をそろえて,後世の
人々のために記録すると証しています。……
モルモン書の執筆者たちがこの時代を見,この時代
のためになることを選んでくれたとしたら,なおさら
モルモン書を研究する必要があるのではないでしょう
か。わたしたちは,絶えずこう自問する必要がありま
す。『この記録をモルモン(モロナイあるいはアルマ)
に書くよう主が霊感を与えられたのはなぜだろうか,
現代生活への教訓として何が学べるだろうか。』
モルモン書がそのような質問に答えている例は数限
りなくあります。例えば,主の再臨に備える方法が書
かれています。キリストがアメリカ大陸に来られる前
の数十年間について,多くのページが割かれています
が,この時期について慎重に研究するなら,なぜある
人々は主の来臨に先立つ恐ろしい裁きにおいて滅んだ
のか,一方でなぜある人々はバウンティフルの神殿で
主にお会いし,主の手や足にある傷に触れることがで
きたのか,などについて答えを得ることができます。
またモルモン書を読むことにより,キリストの弟子
たちが戦争の時代をどのように生きたかを知ることが
できます。背筋が寒くなるような生々しい描写を通し
て,秘密結社の悪事についても多くのことを学ぶこと
ができます。迫害や背教に対処する方法,伝道をどう
進めたらよいかについても多くのことが学べます。さ
らにモルモン書は,ほかのどの書物よりも,物質主義
の危険性,この世に心を奪われることの危険性を教え
てくれます。モルモン書がこの時代に向けて書かれた
ものであり,この書物の中に偉大な力と慰めと守りが
あることを,だれが否定できるでしょうか。
モルモン書が末日聖徒にとって価値のあるものであ
る第 3 の理由は,先ほど引用した預言者ジョセフ・ス
ミスの言葉にあります。彼は言いました。『わたしは兄
弟たちに言った。モルモン書はこの世で最も正確な書
物であり,わたしたちの宗教のかなめ石である。そし
て,人はその教えを守ることにより,ほかのどの書物
にも増して神に近づくことができる。』(History of the
Church,第 4 巻,461)これがモルモン書を研究する
第 3 の理由です。つまり,わたしたちを神に近づけて
くれるものだからです。神に近づきたい,日々の行い
の中で神のようになりたい,絶えず神の存在を感じた
いと願う気持ちが,どこかわたしたちの心の奥深くに
あるのではないでしょうか。そうだとするならば,モ
ルモン書はほかのどの書物よりもその願いをかなえて
くれる書物です。
モルモン書は確かに真理を教えていますが,それだ
けではありません。モルモン書は確かにキリストを証
していますが,それだけでもありません。それ以上の
ものがあるのです。モルモン書には力があって,真剣
に読み始めるやいなやその力は読む人の人生に流れ込
み,誘惑に打ち勝つ力となります。またモルモン書は
欺きを避ける力となり,細くて狭い道にとどまる力と
なります。聖文は『命の言葉』(教義と聖約84:85)と
呼ばれていますが,モルモン書ほど,その言葉にふさ
わしい聖文はありません。神の言葉に飢え乾く人は,
み こ と ば
モルモン書を通して豊かに御言葉を得ることができる
のです。」(「モルモン経――私たちの宗教のかなめ石」
『聖徒の道』1987年1月号,5−7 参照)
■ ベンソン大管長は,モルモン書の主要な執筆者たち
はモルモン書をこの時代のために書き残したと指摘し
ている。理解を深めるために以下の聖句を参照する。
2 ニーファイ25:21;モルモン書ヤコブ 1:3;エノス
1:15−16;ジェロム 1:2;モルモン 7:1;8:34−
35。
3.教義と聖約は,現代の聖文をまとめたもので
ある
教義と聖約の冒頭にある序文を読ませ,以下の質問
について話し合う。
1.教義と聖約とは何か。
2.教義と聖約はだれのために与えられた聖文か。
3.教義と聖約はどのような点で他の聖文と異なるか。
4.教義と聖約の啓示全般を通して語っているのはだれ
か。
5.教義と聖約が与えられた前提条件は何か。
6.教義と聖約の主要な教えにはどのようなものがある
か。
7.教義と聖約の序文に記されているのはだれの証か。
■ ゴードン・B・ヒンクレー大管長の言葉について話し
合う。
「教義と聖約は現在与えられている聖典の中でもひ
ときわ異彩を放っています。教義と聖約は教会の憲章
です。……
みこころ
……教義と聖約は主が主の民に御心をお知らせにな
るための一つの経路なのです。
教義と聖約に扱われている事柄の多様さは,驚きに
値するものです。教会統治の原則や手続きがあるかと
思えば,ほかに類を見ないすばらしい健康の律法も含
まれています。この健康の律法には物心両面に対する
約束が与えられています。永遠の神権の聖約について
も,ほかの聖典には例のないすばらしい記述がありま
す。パウロは,栄光の 3 つの階級すなわち日,月,星
の栄光について,簡単に述べましたが,教義と聖約に
はその 3 つの階級に伴う特権と祝福,さらにそれぞれ
の限界あるいは機会についても書かれています。悔い
めいりょう
改めについても,明瞭に力強く宣言されています。バ
プテスマの正しい執行法も明らかにされています。何
世紀にもわたって神学者たちを悩ませてきた神会の本
質についても,万人に理解できる言葉で説明されてい
ます。教会運営に必要な基金の集め方や運用方法など
に関して,主から頂いた財政の律法も書いてあります。
死者のために行う事柄についても明らかにされていま
■
5
すが,それは,時代を問わずすべての神の息子や娘を
祝福するものです。……
わたしは教義と聖約に書かれている言葉を愛してい
ます。その語調を愛しています。教義と聖約の言葉,
教え,将来についての約束は,分かりやすく,力にあ
ふれ,ただただ驚くばかりです。……
わたしたちに深いかかわりのある数多くの事柄を載
せたこの偉大な書物は,『神の方式と御心』を今の時代
の人々に示しています。わたしはこの証を厳粛に,ま
た感謝の思いを込めて書き記しています。わたしたち
は,この神聖な書物を読み,内容について深く考え,
勧告と約束の御言葉を味わうすばらしい機会を与えら
みむね
れているのです。」(「神の方式と御旨 」『聖徒の道』
1989年 8 月号,2−6 参照)
■ 教義と聖約に対する主のはしがきとして知られる第 1
章と,付録と呼ばれる第133章について話し合う。この
二つの章から教義と聖約の主要なテーマを幾つか見つ
ける。
■ エズラ・タフト・ベンソン大管長の言葉を紹介する。
「モルモン書の証人を別にすれば,教義と聖約はモ
ルモン書が真実であることを述べるために主が与えて
くださった最もすばらしい証であり証拠です。……
教義と聖約は,二つのものを結びつけています。モ
ルモン書と回復の業を結びつけています。つまり預言
者ジョセフ・スミスから始まり現在も後継者に引き継
がれている回復の業は,教義と聖約によってモルモン
書に結びつけられているのです。
教義と聖約から学べることは,神殿の業,永遠の家
族,栄光の階級,教会の組織,回復に関する数多くの
偉大な真理など,多岐に渡ります。……
……教義と聖約は人々をキリストの王国に導きます。
すなわち『全地の面に唯一まことの生ける教会』であ
る末日聖徒イエス・キリスト教会に人々を導くのです
〔教義と聖約 1:30〕。わたしはそのように理解していま
す。
モルモン書はこの宗教の『かなめ石』です。そして教
義と聖約は,末日に引き続き与えられる啓示とともに,
『かさ石』と言うことができます。」(「モルモン経と教
義と聖約」『聖徒の道』1987年 7 月号,94−95参照)
■ 教義と聖約がどのような意味でこの宗教のかさ石と
言えるのか話し合う。
4.高価な真珠は,様々な神権時代に関する預言
者たちの記述をまとめたものである
■ 高価な真珠の冒頭にある序文を参照しながら以下の
質問に答えさせる。
1.高価な真珠という標準聖典の出版にあって,フラン
クリン・D・リチャーズ長老は,どのような役割を
果たしたか。
2.高価な真珠が標準聖典に付け加えられたのはいつか。
3.高価な真珠としてまとめられている書物や抜粋には
6
どのようなものがあるか。
福音を理解するうえで高価な真珠が貢献している事
柄を列挙し,話し合う。以下の例に注目する。
1.悪魔の存在と性質に関する知識
2.アダムに啓示された救いの計画
3.宇宙の性質と秩序
4.預言者ジョセフ・スミスに与えられた最初の示現
5.救い主の再臨
■
その他の学習資料
レネット・H・リード,“How the Bible Came to Be,”
Ensign,1982年 1 月号,36−42;1982年 2 月号,32−
37;1982年 3 月号,14−18;1982年 4 月号,42−48。
旧約聖書の歴史と成り立ち
■ 『教義と聖約生徒用資料』
(宗教コース324−325),
1−3
■ ジェームズ・R・クラーク,
“Our Pearl of Great
Price: From Mission Pamphlet to Standard Work, ”
Ensign,1976年 8 月号,12−17。高価な真珠の出版に
関する簡単な歴史
■ ボイド・K・パッカー『聖徒の道』1990年 7 月号,
41−43 。標準聖典の重要性と標準聖典から学べること
■ ボイド・K・パッカー『聖徒の道』1986年 7 月号,
58−61。モルモン書の重要性とモルモン書の真実性を
確かめる方法
■
生徒の学習のための提案
この課には標準聖典の起源と重要性に関する多くの
質問が含まれている。その質問を復習用に使うとよい
だろう。
■ 次回の予習として,標準聖典を毎日勉強するように
言う。十二使徒定員会の会員であったブルース・R・マ
ッコンキー長老の次の言葉を引用して励ますとよいだ
ろう。
「現在教会には標準聖典が与えられています。聖書,
モルモン書,教義と聖約,そして高価な真珠です。こ
の 4 つの聖典には,合わせて1,579の章が含まれていま
す。これらの標準聖典の中から毎日着実に 3 章ずつ読
むことは決して難しいことではないでしょう。そのよ
うにしていけば,1 か月足らずで福音書を全部読み通す
ことができます。新約聖書が 3 か月,旧約聖書が10か
月かかるので,13か月あれば聖書全体を読み通すこと
ができます。モルモン書は 2 か月と20日,教義と聖約
は 1 か月半,高価な真珠は 5 日かかります。全部合わ
せても,18か月あれば標準聖典をすべて読み終えて,
再び読み返す準備ができるのです。」(Conference
Report,1959年10月,51)
■
なぜ聖文を研究するのか
第3課
エズラ・タフト・ベンソン大管長は次のように語っ
ている。「兄弟姉妹の皆さん,わたしたちにはこれまで
定期的な聖文研究は多くの祝福をもたらす。
にない,さらに大いなる霊性が求められています。さ
らに大いなる霊性をはぐくむには,聖文に示されてい
るように,キリストの言葉をよく味わう必要がありま
テーマ
す。」(『聖徒の道』1984年 7 月号,11参照)
1.聖文は多くの点で役立つ。
スペンサー・W・キンボール大管長は次のように教
2.聖文の教えに従う人は偉大な祝福を受けると約束さ
えている。「長い年月がわたしにこう教えてくれました。
れている。
〔聖文研究という〕価値ある個人目標を継続するために,
3.この神権時代の預言者は,聖文を研究し尊ぶ人が享
精力的に,固い決意をもって,誠実にこの目標を追求
受する豊かな恵みについて述べている。
するならば,各自が直面している問題に対する正しい
4.聖文研究を通して主の声を聞くことができるように
答えが見つかり,心に平安を得ることができるでしょ
なる。
う。聖霊が理解力を増してくださるのを実感し,新し
い見識を得,聖文の奥深い意味を知ることができるで
教えるためのアイデア
しょう。そして,かつて思いも及ばなかったほど,主
の教えが深い意味を持つものとなってくるのです。そ
1.聖文は多くの点で役立つ
の結果,さらに大いなる知恵をもって自分と家族を導
■ 『聖句ガイド』
「聖文」の項,下位項目「聖文の価値」 くことができるようになり,福音を分かち合わなけれ
(151−152)に目を通す。なぜ教会員は聖文を研究する ばならない教会外の友に対して,光となり,力の源と
なるのです。」(「改宗者の教会」『聖徒の道』1976年 6
べきなのか理由を列挙させる。
月号,249参照)
2.聖文の教えに従う人は偉大な祝福を受けると
キンボール大管長はまた次のように教えている。「神
約束されている
と密接な関係になくなったと感じるとき,また祈りが
■ 以下の参照聖句を記したワークシートを作成してお
神の耳に達せず,神の声が聞こえないように思われる
く。各聖句を調べ,聖文研究によって得られる祝福に とき,神からはるか遠く離れていると感じます。その
ついてワークシートに列挙させる。生徒が希望するな ようなとき,一生懸命に聖文を読むと神との距離は縮
ら,聖典に印を付け,注釈を書き加えさせてもよいだ まり,霊性が回復してきます。そうすると,心と思い
ろう。約束どおりに主が祝福してくださることを強調 と力を尽くして愛さなければならない御方に対する愛
する(教義と聖約 1:37−38;82:10参照)。
がさらに強まるのを感じるのです。その御方への愛が
1. ヨシュア 1:8
深まれば深まるほど,その御方から与えられる勧告に
2. 詩篇119:105
従うことがさらに易しくなるのです。」(Teachings of
3. ルカ24:27−32
Spencer W. Kimball,135)
4. 1 ニーファイ1:12
十二使徒定員会の会員であったブルース・R・マッ
5. 1 ニーファイ15:24
コンキー長老は次のように述べている。
6. 2 ニーファイ32:3
「聖文を研究する人はある特質を持っていると思い
7. モルモン書ヤコブ 2:8
ます。その特質は,研究しない人にはないものです。
8. アルマ17:2
それは,聖文を研究するという方法によらなければ絶
9. ヒラマン15:7−8
対に得られないものです。
10. 教義と聖約11:21−22
その特質とは,信仰が高まること,義を行いたいと
望むこと,霊感を受けること,理解力を得ることです。
3.この神権時代の預言者は,聖文を研究し尊ぶ このような特質は,福音すなわち標準聖典を研究し,
人が享受する豊かな恵みについて述べている
学んだ原則について深く考える人にしか与えられない
み こ と ば
■ 御言葉 を熱心に研究することによって得られる祝福
のです。」(デビッド・クロフト“Spare Time’s Rare
にはどのようなものがあるか,預言者の教えから調べ to Apostle,”Church News,1976年 1 月24日付,4 で
る。話し合いのために,以下の引用の幾つかを配布資 引用)
預言者ジョセフ・スミスは次のように述べている。
料としてもよい。
目 的
7
「わたしは兄弟たちに言った。モルモン書はこの世で最
も正確な書物であり,わたしたちの宗教のかなめ石で
ある。そして,人はその教えを守ることにより,ほか
の ど の 書 物 に も 増 し て 神 に 近 づ く こ と が で き る 。」
(History of the Church,第 4 巻,461)
副管長の任にあったマリオン・G・ロムニー長老は次
のように証している。「家庭にあって両親が,夫婦とし
て,また子供を交えて家族として,ともに祈りをもっ
て定期的にモルモン書を読むようにするならば,家庭
の中はこの偉大な書物からわき出る特別な力で包まれ,
家族一人一人がその力強い影響を受けることでしょう。
けいけん
家庭の中はこれまで以上に敬虔 な雰囲気に包まれ,一
人一人が互いに尊敬し合い,関心を持つようになると
思います。そして,いがみ合うようなことがまったく
なくなります。また両親は愛と知恵の中で子供たちを
諭すようになり,子供たちは以前にも増して両親の勧
めに快く従うようになります。義は増し加えられ,信
仰と希望,キリストの純粋な愛が家庭や日常生活に満
ちて,平和と喜びと幸福がもたらされることでしょう。」
(「モルモン経」『聖徒の道』1980年 9 月号,102)
ジョセフ・フィールディング・スミス大管長は十二
使徒定員会の会員であったころ次のように述べている。
「兄弟姉妹の皆さん,このことを忘れないでください。
主の言葉を心に留め,教義と聖約だけでなく教会の標
準聖典すべてに収められている啓示を研究し,聖文で
教えられている戒めに従うならば,この危険な時代に
あっても欺かれることはないでしょう。それどころか
識別の霊を授けられて,真理と偽りとを見分けること
みこころ
ができるようになるでしょう。人の思いと主の御心 と
を知る力を持つようになるからです。」(Conference
Report, 1931年10月, 17−18)
ジョセフ・F・スミス大管長は次のように教えている。
「聖文は霊感の源となる神聖な書物です。なぜそのよう
な特色を持っているのでしょう。いろいろ理由がある
でしょうが,とりわけ大切なのは,聖文が記されたと
きに霊感があったということ,そして,誠実に真心か
ら聖文を読む人は霊的に豊かになるということが挙げ
られます。したがってわたしたちは,自分の聖文に対
する姿勢を,聖文が書かれた目的と調和させる必要が
たまもの
あります。聖文は霊的な賜物 を広げるために書かれま
した。人と神のきずなを知らせ,人が神とのきずなを
強めることができるように書かれたのです。聖書であ
れ,ほかの聖典であれ,聖文の価値を知るには,霊性
を求め,研究し,霊的な真理を探求するつもりで研究
しなければなりません。」(“Reason and the Scriptures,”Juvenile Instructor,1912年 4 月号, 204)
4.聖文研究を通して主の声を聞くことができる
ようになる
■
8
教義と聖約18:34−36を読んで話し合う。この聖句
について七十人定員会会員であったS・デルワース・ヤ
ング長老は次のように説明している。「……聖文を読み
みたま
ながら御霊 に耳を傾けるならば,御言葉を読むと同時
みこえ
に御声 をも聞いていることになるのです。」(Conference Report,1963年 4 月,74)
この原則を生活に応用するために,七十定員会会員
であったカーロス・E・エイシー長老の次の言葉が役に
立つだろう。
「数年前,教会の召しと意義をなかなか理解しない
若者を指導しました。召しの大切さを熱心に説き,自
尊心にも働きかけてみたのですが,のれんに腕押しと
いう感じでした。考えあぐねた末に,こう尋ねてみま
した。『一体どうすれば,召しを立派に果たそうという
気になるのですか。』答えはありませんでした。そこで
こう言ってみました。『燃えるしばでも見る必要がある
のですか。それとも天使の訪れですか。天の声を直接
聞くことですか。』
すると,すぐに答えが返ってきました。『そうなんで
す。神の声が必要なんです。』
正気なのだろうか,と思いましたが,若者の表情と
声の調子は正気そのものでした。そこで,一緒に次の
聖句を読みました。『わたし,すなわち,あなたがたの
主でありあなたがたの神である,イエス・キリストが
これを語った。
これらの言葉は人々から,人間から出ているのでは
なく,わたしから出ているのである。それゆえ,あな
たがたは,これらの言葉がわたしから出ているもので
あって,人間から出ているものではないことを証しな
ければならない。
これらの言葉をあなたがたに語っているのは,わた
しの声である。これらの言葉は,わたしの御霊によっ
てあなたがたに与えられているからである。そして,
わたしの力によって,あなたがたはこれらの言葉を互
いに読み合うことができる。わたしの力によらなけれ
ば,あなたがたはこれらの言葉を得ることはできない。
そのために,あなたがたは,わたしの声を聞いたこと,
そしてわたしの言葉を知っていることを証できるので
ある。』(教義と聖約18:33−36)
やがて若者は,聖文が主の心であり,主の思いであ
り,主の言葉であり,主の声であることを理解し始め
ました(教義と聖約68:4 参照)。
そこで,神の声を聞くつもりで聖文を読むように勧
めました。さらに毎日研究するための時間を主と一対
一で話し合う時間だと考えるように勧めました。最後
に,若者にこう約束しました。『自分の召しの目的を知
り,熱心に果たしたいという気持ちにきっとなれます
よ。――もしも,忠実に聖文を読み,深く考え続けるな
らばね。』」(「神を仰ぎ見て生きよ」『聖徒の道』1979年
2 月号,79参照)
“Hold to the Rod,”ビデオ・プレゼンテーション 6,
“All That Will Hear”
(34分24秒)。個人的な啓示を受け
■ ハワード・W・ハンター「聖典を読む」
『聖徒の道』 るために聖文研究が果たす役割――主の声を聞く方法
1980年 3 月号,87−89。日々の聖文研究から得られる ■ “Hold to the Rod,
”ビデオ・プレゼンテーション11,
祝福
“A Lamp unto My Feet”(32分20秒)。人生の指針を
■ エズラ・タフト・ベンソン「み言葉の力」
『聖徒の道』 定めるために聖文がどう役立つか
1986年 7 月号,79−82。熱心に聖文を研究する人々に ■ “Hold to the Rod,”ビデオ・プレゼンテーション12,
与えられる祝福
“Look to God and Live”(40分30秒)。聖文は生徒が神
■ スペンサー・W・キンボール「貴重な財産――聖典」
を知るのを助けるために役立つ
『聖徒の道』1985年12月号,2−5。末日聖徒が聖文を研
究する理由
生徒の学習のための提案
■ ロバート・J・マシューズ,
“What Do the Scriptures Say about the Scriptures?”Ensign,1973年 5 ■ 聖文を研究する人々に対する主の約束に基づいて,
月号,22−24。聖文の記録者たちが述べた聖文の価値 聖文研究の個人的な目標を立てるよう生徒たちに勧め
と目的と祝福
る。その目標は公表しない。
その他の学習資料
■
9
聖文研究の基本的な要素
目 的
聖文を理解するには,祈りと研究と聖霊の力が必要
である。
テーマ
第4課
み こ と ば
御言葉 を味わうのが好きなのです。聖文は神の子供た
ちに知識と祝福と喜びをもたらすために,神から与え
られたものです。」(「聖典を味わう」『聖徒の道』1986
年 6 月号,2−4 参照)
2.御霊を求めながら聖文を研究する
御霊を通して神の助けを受けなければ,聖文は理解
できない。この原則をはっきり理解していたパウロは,
コリントの聖徒たちにそう教えている。1 コリント 2:
9−16の分析(本書の11ページ参照)をともに読み,聖
文を正しく理解するために御霊がなぜ不可欠であるか
生徒に理解させる。
みこころ
みむね
■ 聖文を学んで,主の御心 と御旨 を悟る必要があるこ
とを理解させる。主の御心と御旨を悟るにはどうすれ
ばよいかについて,十二使徒定員会会員であったブル
教えるためのアイデア
ース・R・マッコンキー長老が次のように教えている。
「聖文は聖霊の力によって神から与えられます。聖
1.聖文そのものが研究のための根本的な情報源 文は人から出たものではありません。聖文が伝えよう
である
としているのは,聖霊が伝えようとされていることだ
■ 次の言葉を読んで話し合う。
けです。ですから聖文を解釈するには,聖なる御霊の
エズラ・タフト・ベンソン大管長は次のように教え 力によって教えを受けなければなりません( 2 ペテロ
ている。「聖文と生ける預言者の言葉の代わりを十分果 1:
たせるようなものなどないことを,常に覚えておいて 20−21 )
。預言者の言葉を理解するには預言者に教え
ください。聖文と生ける預言者の言葉を直接研究して てもらう必要があるのと同じです。だからこそ,すべ
ください。主の言葉をもっとよく読み,もっと深く考 ての忠実な教会員は聖文を理解するために『イエスの
えてください。ほかの人が主の言葉を解説していても, あかし』すなわち『預言の霊』を持つ必要があるので
あ ま り 重 視 し な い で く だ さ い 。」( The Gospel す(黙示19:10)。ニーファイが語ったように『イザヤ
Teacher,5 )
の言葉は……預言の霊に満たされている人々には分か
副管長の任にあった当時,マリオン・G・ロムニー長 りやすい』のです( 2 ニーファイ25:4 )。これがこの
老は次のように語った。「福音について知っていること 問題の要点であり本質であり,主の御心と御旨を悟る
はほとんどすべて標準聖典から学びました。泉の水を こ と に か か わ る す べ て の 論 争 に 対 す る 結 論 で す 。」
飲むとしたら,地面からわき出ている所へ行って直接 (“Ten Keys to Understanding Isaiah,”Ensign,1973年
飲みたいと思います。牛が歩いて渡るような下流の水 10月号,83)
は嫌です。……ほかの人の解釈を聞いてすばらしいと ■ 聖文研究の際に主の御霊を受けるには,まず自分自
思うことも確かにありますが,こと福音に関するかぎ 身がふさわしくなければならないことを理解させる。
り,主が何をどうおっしゃったかに精通し,常日ごろ ヒラマン 4:24を参照する。
から主の言葉を読むべきなのです。」(教会教育システ ■ 主の御霊が聖文研究にどう影響するか注意しながら,
ムコーディネーター大会での説教〔説教の表題はない〕, ジョセフ・スミス−歴史 1:72−74をともに読み,ジョ
1973年 4 月13日,4 )
セフ・スミスとオリバー・カウドリの経験から学ぶ。
ゴードン・B・ヒンクレー大管長は次のように語っ
た。「わたしが聖文を読むのは,学問の追究のためでは 3.理解できるように祈り求め,主の答えを聴く
習慣を身に付ける
なく,主と預言者の言葉を愛しているからです。……
聖文の内容について説明した注釈書を読むことには, ■ 神にかかわる事柄について理解しようとするなら,
あまり関心はありません。それよりも聖文そのものを 聖文研究の際に必ず祈らなければならない。ハワー
読んで,真理の泉からわき出る純粋な水,すなわち神 ド・W・ハンター大管長が十二使徒定員会の会員であ
から与えられたままの,標準聖典に記録されたままの ったときに語った次の言葉について話し合う。
1.聖文そのものが研究のための根本的な情報源である。
みたま
2.御霊を求めながら聖文を研究する。
3.理解できるように祈り求め,主の答えを聴く習慣を
身に付ける。
4.聖文を理解するには,熱心に調べることが必要であ
る。
めいそう
5.実りある聖文研究には熟考と瞑想が不可欠である。
10
■
1 コリント 2 章
生まれながらの人は御霊に関することを愚かだ
「生まれながら」の人,
と考える。御霊に関することを理解し感じる目
を持っていないのである(モーサヤ 3:19参照)。 つまりこの世的で悔い
改めていない人
神に関することを教
えるのはだれか。
「わたしたち」という言葉はだれを指して
いるか(1コリント1:1−2 参照)。
ジョセフ・スミス訳の 1 コリント2:11〔英文〕
では,ここの「神の御霊以外には」という言葉
は,「神の御霊を受けている者以外には」とい
う言葉に改められている。
イザヤ40:13−14;
55:8−9 を参照す
る。
キリストの思いを持
つとはどういうこと
か(教義と聖約11:
13−14; 68:3−4
参照)。
神に関することを判断でき
るのは,神の御霊から教え
られた人だけである。御霊
を受けていない人が受けて
いる人を裁くことはできな
い。
神を愛する人に約束された
栄光と祝福の大きさは,現
時点では完全に理解されて
いない。
霊的なことを評価す
るには霊的な方法を
使う必要がある。
神の言葉は聖霊の 神が人に啓示を与えたいと強く
力によって教えな 望んでおられることに注目する
ければならない。 (教義と聖約76:5−10も参照)。
「聖文の理解を深めるのに,祈りほど役立つものは
ありません。祈りによって,心の波長を調節し,答え
を求めるのです。主は,『求めよ,そうすれば,与えら
れるであろう。捜せ,そうすれば見いだすであろう。
門をたたけ,そうすれば,あけてもらえるであろう』
と言っておられます(ルカ11:9 )。主は御自分の言葉
で約束しておられます。ですから,求め,捜し,たた
き,喜んで受け入れるならば,聖霊によって理解の目
が開かれるのです。」(「聖典を読む」『聖徒の道』1980
年 3 月号,87参照)
■ 十二使徒定員会会員のボイド・K・パッカー長老が
語った「耳を傾けて聴く」ことに関する説明を読む。
「昔,ある夏の夜に,動物学者のジョン・バローズ
けんそう
が混雑する公園を歩いていると,都会の喧噪を超えて
鳥の声が聞こえてきました。
バローズは立ち止まってじっと耳を傾けましたが,
周囲の人には聞こえていないようです。見回してみま
したが,鳥の声などしていないという様子です。
バローズは,これほど美しい鳴き声がなぜ聞こえな
いのか不思議でなりません。
そこでポケットから硬貨を 1 枚取り出して空中に放
り投げてみました。硬貨はチャリンと音を立てて舗道
に落ちました。小鳥の声よりも小さな音だったのに,
周囲の人は硬貨が落ちた方向に目を向けました。ちゃ
んと聞こえていたのです。
神に関することはどのよ
うな方法で明らかにされ
るのか(教義と聖約76:
10も参照)。
都会の雑踏の中,小鳥の歌声を聴き分けるのは容易
ではありません。しかし,聴く能力がないわけではな
いのです。日ごろから鳥の声を聴こうと注意していれ
ば,はっきり聞こえるはずなのです。……
この騒々しい世の中で霊感の静かな声を聴き取るの
は非常に難しいことです。よく波長を合わせていない
と,聞き逃してしまいます。……
……訓練さえすれば聞きたい声を聴き,見たり感じ
たりしたいものを見たり感じたりできるようになりま
す。ただしある程度の訓練が必要なのです。……
わたしの経験から言えば,霊感の声は音声よりも感
情として来る方が多いのです。
若い皆さん,霊感を受けたときにいつでも応じられ
るように備えてください。……
主は人の思いに清い知識を吹き込む方法をお持ちで
す。その方法で御霊を与え,導き,教え,警告なさい
ます。ですから,皆さんが知っておくべきことがあれ
......
ば今すぐにでも知らせていただくことができるのです。
霊感を受ける方法を身に付けてください。……
霊的な事柄を力でコントロールすることはできない
ということを,若いときから知っておくとよいでしょ
う。……
聖文を読んでいるときや,説教を聴いているときに
答えを得ることもあります。……
まだ若い今のうちに,聖霊から導きを受ける習慣を
11
身に付けてください。
使徒として現在聴いている霊感は,少年のときに受
けた霊感と同じ方法で聴いています。つまり同じ御方
から来る霊感を,同じ方法で聴いているのです。しか
し,今の方がもっとはっきりと聴き取れます。……
若い皆さん,心の中でいつも祈ってください。祈っ
たことについてよく考えながら眠りに就いてください。
知恵の言葉を守ってください。
聖文を読んでください。
両親や教会の指導者に聞き従ってください。
良識で考えて御霊を受ける妨げとなるような場所や
物に近づかないようにしてください。
霊感を受ける能力を伸ばしてください。
雑音や妨害電波にじゃまされないように波長を合わ
せる方法を身に付けてください。
見せかけだけの偽りの答えは無視してください。
聖霊から霊感と導きを受ける人になってください。」
(「祈りと答え」『聖徒の道』1980年 3 月号,27−30参照)
■ 祈り,聖文を研究し,戒めを守ることによって,人
は主の声を識別できるようになることを理解させる。
列王上19:11−12を読み,この聖句が現代に生きる自
分たちとどのような関係があるか,生徒に説明させる。
4.聖文を理解するには,熱心に調べることが必
要である
います。主はほんとうに調べてほしいと望んでおられ
るのであって,単に読んで終わりにしないでほしいと
.....
お思いなのです。〕『これらの戒めを調べなさい 。これ
らは真実であり,確かであって,これらの中にある預
言と約束はすべて成就するからである。』聖文を調べよ
という,主の命令が出ているのです。」(Teaching the
Word,9 )
■ エズラ 7:10をともに読んで話し合う。
5.実りある聖文研究には熟考と瞑想が不可欠で
ある
■ 聖文の中にある主のメッセージをほんとうに理解し
たいなら,努力を重ねることが大切であると強調する。
預言者ジョセフ・スミスは次のように教えている。「神
に関する事柄はこの上なく大切です。時間,経験,注
意深い考察,熟慮,厳粛な思いがあって初めて,神に
関する事柄を見いだすことができます。ああ,もし一
人の人でも救いに導こうと思うのであれば,自分の思
いを天の高みにまで引き上げる必要がありますし,最
ふち
も深い暗黒の淵 と,広大な永遠を探らなければなりま
せん。つまり,神と親しく語り合わなければならない
の
です。」(Teachings of the Prophet Joseph Smith,137)
■ 聖文を熟考することについて,ボイド・K・パッカー
長老の経験を紹介する。パッカー長老は,そのとき 2
テモテ 3:1−7 を学んでいた。そこでは,パウロが末
の日に現れる悪について預言している。パッカー長老
は次のように語った。
「ある日聖書を研究しているうちに,そこ〔 2 テモ
テ 3:1−7 〕に差しかかりました。いすにかけたまま,
そこに書いてある預言の一つ一つが成就しているとい
うことを,実際の出来事と照らしながら深く考えてい
いんうつ
るうちに,とても陰鬱 な気分になり,悪い予感がして
ざせつ
きました。すべてが挫折 するのではないか,何をやっ
ても無駄なのではないかという,非常に不吉な予感で
す。聖書に目を戻し,同じページの下の方にちらりと
目をやると,ある言葉が飛び込んで来ました。その言
葉が際立って見えたのは偶然ではなかったと思います。
そこをむさぼるように読みました。そして分かったの
です。この時代の多くの問題を預言した使徒パウロは,
その預言のすぐそばに,すべての悪に効く予防薬を示
していたのです〔 2 テモテ 3:13−17参照〕。……
際立って見えたというその言葉は,『聖文』という言
葉でした(訳注――日本聖書協会発行の聖書では,この
単語は『聖文』ではなく『聖書』と訳されている)。」
(Teaching the Scriptures,5 )
次の引用を使って,聖文を単に読む以上のことを主
から求められていることを指摘する。
「主は聖文を『調べ〔る〕』ように命じられました
.
(ヨハネ
.. 5:39)。マリオン・G・ロムニー副管長は,調
べる とは,ほんとうの意味を見いだすために探求し,
研究し,分析することであると教えました。調べるこ
とは,単に読んだり暗記したりする以上のことなので
す。」(“Search the Scriptures,” Improvement Era,
1958年 1 月号,26)
教義と聖約 1:37で,主は,「これらの戒めを調べな
さい」と命じられた。調べることの大切さを強調され
たのだ。七十人定員会会員であったA・セオドア・タ
トル長老は次のように説明している。「教義と聖約第 1
章の中にある,ある言葉が大好きです。この偉大な書
物の,この偉大な章に,わたしの大好きな言葉がある
あかし
のです。第 1 章では,この業が神の業であるという 証
と,この業に関する指示が与えられていますが,その
第 1 章の中にわたしにとって大切な言葉があるのです。
それは37節です。そこで主はこうおっしゃっています。
『これらの戒めを調べなさい。』〔スペイン語を少し学ん
だおかげで,この節について新たに分かったことがあ
ります。この『調べる』という単語は,単に『調べる』
という意味ではないのです。スペイン語では,『調べよ』 その他の学習資料
という命令の言葉で書かれています。つまり読者に
『調べよ』と命じているのです。読者には選択の余地が ■ マリオン・G・ロムニー「神権の召しを全力を尽くし
ないのです。実際主はそのつもりで言われたのだと思 て遂行すること」『聖徒の道』1973年12月号,568−571。
■
12
神権の召しを尊んで大いなるものとするために従うべ
き原則と,聖文を理解するために必要な幾つかの条件
■ “Hold to the Rod,
”ビデオ・プレゼンテーション3,
“Search the Scriptures: RSVP”(16分30秒)
。聖文を読
んで理解するために役に立つ実用的な助け
生徒の学習のための提案
この課で学んだことの中から,自分自身の聖文研究
に役立つと思うことを幾つか挙げる。
■ この課の理解度を評価するために,以下のクイズを
■
行う。正しければ「正」,誤っていれば「誤」と記入す
る。
1.誤 聖文研究の最も有益な方法は,注釈書を使って
研究者の分析と解釈を学ぶことであると言えるだろう。
2.正 聖文研究は,論理的に考えるだけよりも,霊的
な見方をし,霊的な方法で取り組んだ方がよい。
3.正 聖文研究に関して使われる「熟考する」という
言葉は,真剣に注意深く考えることを意味する。熟考
することは,祈ることや瞑想することと類似している。
4.誤 聖文を読むことと調べることには大差はない。
13
聖文研究の効果的な技術
目 的
第5課
2.聖文をよりよく理解し,教えを応用するため
に様々な方法を用いる
様々な学習方法を使って,聖文研究を効果的に行う。
a.先行詞と同義語を置き換える
■ 代名詞を先行詞と置き換えるか,同義語を元来の語
に置き換える。先行詞とは代名詞が指し示す語である。
テーマ
「ジョンがボールを打った。それはフェンスを越えてい
1. 聖文研究のために一定の時間を定期的に割く。
った」と言うとき,「ボール」は「それ」の先行詞である。
2. 聖文をよりよく理解し,教えを応用するために様々
教義と聖約 1:37において,「これらの戒め(these
な方法を用いる。
commandments)」は「これら(they,them)」の先行
a.先行詞と同義語を置き換える。
詞である。多くの聖句では代名詞を先行詞と置き換え
b.定義に注目する。
るか,著者が用いた同義語を元来の語に置き換えるこ
c.自問する。
とによって意味を明らかにすることができる。生徒に 1
d.自分の名前に置き換える。
ニーファイ 2:21−23を読みながら,先行詞で置き換え
e.節を暗記する。
させる。生徒はどのような語を挿入しただろうか。以
f.修飾語と接続語に注目する。
下の聖句を読んで聞かせる。
g.規範(パターン)を探す。
「あなた〔ニーファイ〕の兄たち〔レーマンとレム
h.著者の注釈に注目する。
エル〕は,あなた〔ニーファイ〕に背くかぎり主の前
から絶たれるであろう。
またあなた〔ニーファイ〕は,わたし〔主〕の命令
教えるためのアイデア
を守るかぎり, 兄たち〔レーマンとレムエル〕を治め
る者,教える者とされるであろう。
1.聖文研究のために一定の時間を定期的に割く
見よ,彼ら〔レーマンとレムエル,さらにその子孫
■ いつ聖文を研究し,どれほどの時間を聖文の研究に
であるレーマン人〕がわたし〔主〕に背くその日に,
充てるべきかについて,ハワード・W・ハンター長老 まことにわたし〔主〕はひどいのろいをもって彼ら
が十二使徒定員会会員の任にあったときに語った次の 〔レーマンとレムエルとその子孫〕をのろうであろう。
勧告を読む。
また,あなた〔ニーファイ〕の子孫〔ニーファイ人〕
「大勢の人々は,朝勉強するのがいちばんよいと考 がわたし〔主〕に背いた場合を除いて,彼ら〔レーマ
えています。眠りから覚めたばかりの時間は,雑多な ンとレムエルとレーマン人〕があなた〔ニーファイ〕
煩いを忘れており,思考を遮られずに勉強できるとい の子孫〔ニーファイ人〕を支配する権力を得ることは
うのです。また,仕事や心配事が一段落した静かな夜 決してないであろう。」
のひとときに勉強し,聖文を味わいながら平安な気持 ■ 同義語とは,ある語に類似した意味を持つ語のこと
ちで一日を閉じる方がよいという人もいます。
である。2 ニーファイ 3:12を調べさせる。注意してい
大切なのは,いつ勉強するかということよりも,い ないと,理解しにくい語句が幾つかある。しかし,注
つも決まった時間を勉強のために確保しておくという 意して読むならば,なじみのない語を,もっと身近な
ことでしょう。毎日 1 時間聖文を勉強できれば理想的 語に置き換えることができるはずである。同義語を使
ですが,それほど時間が取れなくても30分きちんと勉 って12節を読むと以下のようになる(先行詞はそのま
強すれば,相当な結果を得ることができるのです。ま まにしておく)。
た15分といえばほんのわずかな時間ですが,それでも
「そのために,あなたの腰から出た者〔ニーファイ
非常に意義ある事柄について啓発され知識を得られる 人〕は書き記す。またユダの腰から出た者〔ユダヤ人〕
のですから驚きです。大切なのは,中断されずに勉強 も書き記す。そして,あなたの腰から出た者〔ニーフ
ができる環境を整えることでしょう。……
ァイ人〕が書き記すものと,ユダの腰から出た者〔ユ
……聖文は,毎日何章読むかより,何分読むか決め ダヤ人〕が書き記すものは一つに合わされて,……。」
る方がよいでしょう。時には,わずか 1 節に全部の時
ニーファイ人の書き記したものとユダヤ人の書き記
間を使ってしまうこともあるからです。」(「聖典を読む」 したものがいつの日か一つに合わされることが容易に
『聖徒の道』1980年 3 月号,87−88参照)
理解できる。換言すれば,モルモン書と聖書は一つに
14
ならないことを指摘する。そのためには,聖文を読み
ながら自問するとよい。例えば,「なぜこの単語が使わ
れているのだろうか」あるいは「なぜこの語句が使わ
れているのだろうか」と自問するのである。教義と聖
約76:25−29をともに読み,以下の質問をする。
1. この天使はどのような地位にあったのでしょうか。
2. なぜこの天使は落とされたのでしょうか。
「落とされ
b.定義に注目する
〔る〕」とはどのようなことを指しているでしょうか。
■ 以下のアイデアを検討し,定義に注目する必要があ
3. この天使は「滅び」と呼ばれる以前は何という名前
ることを理解させる。
だったでしょうか。
主も預言者も単語や語句を様々な意味で用いること
4. ルシフェルが落とされたとき,もろもろの天はどの
がある。しかし読者が,どの語句も一つの意味で使わ
ように反応したでしょうか。
れていると思い込むことが多い。ある語句に特別な定
5. サタンはどのような地位を求めたでしょうか。なぜ
義が与えられている場合,文中に等号を挿入して考え
その地位を求めたのでしょう。
るとよい。例えば,教義と聖約97:21を読むと,(〔シ
6. サタンは自分の目的を成し遂げるために,どのよう
オン〕=〔心の清い者〕)という定義に気づくはずであ
な計画をもくろんだのでしょうか。
る。このような定義は,ほかの聖句を理解するのに役
7. 預言者ジョセフ・スミスとシドニー・リグドンは,
立てることもできる。例えば,「心の清い人たち〔シオ
どのような経緯でサタンに関するこの示現を受けた
ン〕は,さいわいである,彼らは神を見るであろう」
のでしょうか。
(マタイ 5:8 )など。
■ 聖文を調べるときに,何を理解するべきなのか( 3
もう一つ例を挙げよう。ニーファイの言葉の中に,
ニーファイ10:14参照),また何を自分に当てはめるべ
イスラエルの神を「足の下に踏みつける」というのが
きなのか( 1 ニーファイ19:23参照)を見つけるよう
ある。1 ニーファイ19:7 を読んで次のように質問する
に努めるとよい。聖文研究をするときには,以下のよ
と生徒はどのように反応するだろう。「あなたは神を足
うなことを自問できるはずである。質問そのものにつ
の下に踏みつけているでしょうか。」恐らく生徒はこの
いて生徒とともに検討する。
質問を,神に対してひどく反抗するという意味にとら
1. だれが話しているのだろうか。
えて,「いいえ」と答えるであろう。しかしニーファイ
2. だれに向けられたメッセージだろうか。
は同じ節の中で,「足の下に踏みつける」の意味を定義
3. メッセージの内容は何だろうか。
している。ニーファイは「〔足の下に踏みつける〕=
4. この出来事はいつどこで起きたのだろうか。
かぎ
〔神を取るに足りない者とし,その勧めの声に聞き従わ
5. どの単語や語句が鍵となるだろうか。
ない〕」と定義している。この定義が理解できれば,節
6. 鍵となる単語や語句には,どのような意味があるの
の印象も変わってくる。
だろうか。
最後に,文脈に則した定義に気づくことの大切さを
7. キリストや救いの計画について何が教えられている
示そう。教義と聖約10:55をともに読む。この節の主
だろうか。
の言葉は,一瞬読者を驚かせてしまうかもしれない。
ヒラマン11:1−18を読み,上の 1−7 のうちできる
「それゆえ,だれでもわたしの教会に属する者は,恐れ
だけ多くの質問に対する答えを探させる。自問するこ
る必要がない。このような者は天の王国を受け継ぐか
とによって理解がどれだけ増したか振り返らせる。
らである。」当然のことながら,多くの教会員はまだ救
いを受けられる状態に達していない。にもかかわらず, d.自分の名前に置き換える
この聖句には会員記録さえあれば,全員救われるよう ■ 聖文を自分に当てはめるために,自分の名前に置き
な印象がある。問題は,「教会」という単語を一般的な 換える方法がある。教義と聖約30:1 の人名を自分の
定義で解釈しようとしているところにある。しかし主 名前に置き換えて読ませると次のようになる。
は,少し後の節で,「教会」という語を次のように定義
「見よ,わたしはあなた,〔自分の名前〕に言う。あ
しておられる。「だれでも悔い改めてわたしのもとに来 なたは人を恐れ,当然なすべきであるのにわたしに頼
る者は,わたしの教会である。」(67節)この定義で解 って強さを得ようとしなかった。」
釈するならば,「教会」とは「悔い改めて神のもとに来 ■ 「わたし」という語で置き換えてもよい。教義と聖
せいさん
る者」であって,55節は道理にかなっているというこ 約 20:77,79 の聖餐の祈り を「わたし」という語で置
とが理解できる。もちろん,聖文中のすべての「教会」 き換えて読ませる。
という語をこの定義で解釈するべきではない。
合わされるのである。先行詞と同義語を置き換えるな
らば,この節は以下のようになる。
「そのために,ニーファイ人は書き記す。またユダ
ヤ人も書き記す。そして,ニーファイ人が書き記すモ
ルモン書と,ユダヤ人が書き記す聖書は一つに合わさ
れて,……。」
e.節を暗記する
c.自問する
■
聖文について洞察を得るよう絶えず努力しなければ
聖文を暗記する価値について話し合いを進める際に,
エズラ・タフト・ベンソン大管長の洞察に満ちた以下
■
15
の言葉を紹介する。
「高潔な思いを蓄える能力,貴い思いを意のままに
心の舞台に立たせる能力,それはすばらしい特権です。
主も荒れ野で 3 つの大きな誘惑をお受けになったとき,
即座に,記憶に蓄えてあった聖句を引用し,サタンの
主張が偽りであることをお示しになりました。」(「キリ
ストを思う」『聖徒の道』1989年 6 月号,3 参照)
■ 聖文を暗記していると霊的な力が得られる。十二使
徒定員会会員であるリチャード・G・スコット長老は次
のように教えている。
「標準聖典に記されている言葉の中には,生活を変
える力を持つ言葉があります。言葉遣いを言い換えた
り,変更したりすると,その力は弱められてしまいま
す。したがって,皆さんの生徒が聖句を正確に引用で
きるよう助けていただければと思います。聖句を選ん
で正確に暗記させようと教師が懸命に取り組むならば,
生徒の生活に聖句の力が必ず現れてくるでしょう。」
(“Four Fundamentals for Those Who Teach and
Inspire Youth,”Old Testament Symposium Speeches,
1987年,5 )
■ スコット長老は次のようにも語っている。
「聖句を暗
記するようにお勧めします。心に触れた聖句,理解で
満たしてくれた聖句を暗記してください。主が人に記
録させたままの聖文を用いると,聖文に本来備わって
いる力が現れます。しかし,たとえ同じ内容であって
も別の言葉で言い換えられたものでは,そのような力
は伝わりません。わたしは,特別な助けが必要だと感
じるときには,これまで力を与え続けてくれた聖句を
心の中で繰り返すようにしています。聖文,特に主の
言葉を心で繰り返していると,すばらしい慰めを感じ,
指針が与えられ,力が注がれるのです。」(「主は生きて
おられる」『リアホナ』2000年 1 月号,105参照)
■ スペンサー・W・キンボール大管長は神権者に対し
て信仰箇条を暗記するようチャレンジした。大管長は
また,少年時代に自分がどのように暗記したか述べて
いる。
「皆さんのうち,信仰箇条を覚えていらっしゃる方
は何人いますか。若い人たちだけでなく,大人の方に
も尋ねたいと思います。信仰箇条を覚えていますか。
今の話を聞きながら,一緒に暗唱できましたか。信仰
箇条を覚えていれば,いつでも説教をする準備ができ
ていることになります。しかも,信仰箇条は,いちば
んの基礎ではないでしょうか。子供たちが皆信仰箇条
を学び,それを完全に覚えたら,どれほどすばらしい
ことでしょう。一語一句間違わずに言えたら,ほんと
うにすばらしいと思います。
わたしがどのようにして信仰箇条を覚えたか,お話
ししましょう。……わたしは乳搾りを日課としていま
した。そのころのわたしは指 2 本でしかタイプライタ
ーを打てませんでしたが,そんな手つきで,小さなカ
さく
ードに信仰箇条を全部タイプしたのです。そして,柵
16
の中で腰かけに座って乳搾りをしている間中,そのカ
ードを傍らに置いて,何度も何度も復唱したのです。
2,000万回も繰り返したでしょうか。回数はよく分かり
ませんが,ともかくわたしは,そのようなことを何度
も繰り返して,ついに信仰箇条を全部言えるようにな
りました。しかも一語一句間違わずに言えるようにな
ったのです。これは大変価値があることだったと思い
ます。教会のすばらしい若人の皆さん,皆さんも同じ
ように覚えていただけないでしょうか。」(「神権者の特
権」『聖徒の道』1976年 2 月号,111−112参照)
f.修飾語と接続語に注目する
修飾語は語句に彩りや感情を付け加えるために用い
られる。聖文では修飾語が見落とされることが多い。
教義と聖約121:39の聖句は有名であるが,修飾語を取
るとどうなるか,生徒とともに調べる。「わたしたちは
……経験によって学んだ。すなわち,……人は,……
権能を得たと思うや,すぐに……支配を……する性質
と傾向がある。」
これと対照的に,以下の聖句では修飾語を強調する
ことによって,どのように意味が明らかになったかを
確かめる。
「こころの 貧しい 人たちは,さいわいである,天国
は彼らのものである。」(マタイ 5:3,強調付加)
「また,祈る場合,異邦人のように, くどくどと 祈
るな。」(マタイ 6:7,強調付加)
聖句の中の概念と概念を結びつける言葉を見逃すこ
とがある。以下の語が聖文を読む際に重要な働きをす
ることを理解させる。「そして」「しかし」「再び」「そ
れゆえ」「さて」「見よ」「まことに」「なぜなら」「もし」
「∼かぎり」「このようにして」「さえも」「すると」。こ
れらの言葉に着目し,概念と概念がどのように結びつ
いているのかに注意すると,新たな理解を得ることが
できる。
生徒ともにイザヤ58:13−14を注意して読む。ここ
では「もし」,次に「その時」で文章を始めることによ
って,因果関係を明らかにしていることに注目する。
生徒に,教義と聖約46:7−8 を参照させる。8 節の
始めの「それゆえ」という接続語が,7 節のメッセージ
と,8 節の警告を結びつけていることに注目する。
■
g.規範(パターン)を探す
日々の生活の中に正しい規範を持っていることは大
切である。正しい規範に従わないと,人生の方向性を
失い,結果として悲しみを味わうことが多くなる。聖
文には,規範についてのすばらしい約束がある。「あな
たがたが欺かれないために,わたしはすべてのことに
関して規範を与えよう。サタンは地の方々におり,出
て行ってもろもろの国民を惑わすからである。」(教義
と聖約52:14)
十二使徒定員会会員を務めたマービン・J・アシュト
ン長老は規範(パターン)を定義している。「規範とは,
■
従うべき規範です。デザイン,計画,設計図や模型は
規範です。各個人の特徴を形作っている様々な性質も
規範です 。」(「あらゆるものに与えられた規範」『聖
徒の道』1991年 1 月号,21参照)
イエス・キリストの福音は,義にかなった生活と永
遠の命について神が定められた規範である。聖文には
数多くの規範が記されている。すなわち,祈ること,
悔い改めること,証を得ること,信仰を築くこと,判
断すること,神殿を建設すること,啓示を受けること,
預言者の権威,それ以外にもまだ多くの規範がある。
サタンでさえも自分の規範を持っている。聖文からサ
ふち
タンの規範を知っていれば罪の淵を避けることができ
る。
聖文を注意深く研究している人は,主が預言者をど
のように訓練なさるか,民をどのように懲らしめられ
るか,悪人をどのように扱われるかに注意を払ってい
る。注意深く研究していれば,そのような規範が見え
てくるものである。これらの規範は現代生活にも重要
な意味を持っている。聖文中の規範は,聖文が書かれ
た時代の民にも,現代のわたしたちにとっても自分に
当てはめるべき重要なものである。
ここで,聖文から規範を探させる。見つけたものを
黒板に書き出す。規範を探すという聖文研究法から,
何が学べるか尋ねる。
次の表の各聖句ブロックには,一つの規範が示して
ある。「規範を探す」という聖文研究法の例としてふさ
わしいもの,また生徒にとって意義深いものを選んで
紹介する。
聖句
規範(パターン)
1. アルマ32:28−43
信仰と証を築く
2. モロナイ 7:16−17
判断の方法
3. アルマ30章
反キリストの行動
4. サムエル上17章
信仰の特質
5. 教義と聖約 9 章
啓示
(モルモンなど)によって,話の途中で注釈が挿入され
ることがよくある。話の終わりに添えられている場合
もある。このような注釈は,聖文の意味を明確にし,
理解しやすいものにしてくれる。預言者が読者に次の
ように語りかけていると考えてもよいだろう。「要点は
つかめましたか。念のために,もう一度説明しましょ
う。」
この種の注釈には,目印となる表現が使われている
ことが多い。
「このようにして,……が分かるのである。
あるいは「……も同様である」などがそうである。
■ 以下の聖句は,聖文の筆記者が注釈を加えた例であ
る。サムエル上12:14−15;アルマ30:60;ヒラマン
12:1 。ここで聖典を開き,特にモルモン書の中に,
筆記者による注釈の例を探させる。
その他の学習資料
■ “Hold to the Rod,”ビデオ・プレゼンテーション3,
“Search the Scriptures: RSVP”(16分30秒)
■ “Hold to the Rod,”ビデオ・プレゼンテーション4,
“Feast upon the Word”(21分50秒)
生徒の学習のための提案
■ 次の表を配布資料として作り,この課で学んだ技術
を使って研究させる。研究結果を次回のレッスンで報
告させる。
方法
参照聖句
先行詞を置き換える。
モルモン 7:9
修飾語に注目する。
教義と聖約121:46
定義に注目する。
モーサヤ 3:19
接続語に注目する。
3 ニーファイ12:3−11
自問する。
モロナイ10:4−5
自分の名前に置き換える。 教義と聖約93:41−43
規範を探す(啓示)。
教義と聖約 9 章
著者の注釈に注目する
ヒラマン12:1
h.著者の注釈に注目する
■
標準聖典は,預言者,翻訳者,版を短くまとめる人
17
聖文に印を付ける
目 的
第6課
っと速く探せます。」(Teach Ye Diligently, 166)
傍線を引くことがなぜ大切か生徒に考えさせる。以
下のリストを黒板に書き写すとよい。さらに生徒から
出た意見を書き加える。
■
聖文に意味のある印を付けることによって,さらに
福音を理解するようになる。
聖文に傍線を引く目的
テーマ
1. なぜ聖文に印を付けるのか。
2. 聖文に印を付けるために幾つかの方法がある。
a.意味のある印を付ける。
b.聖文に注釈を記入する。
c.相互参照。
d.聖文中の言葉のリスト。
教えるためのアイデア
1.なぜ聖文に印を付けるのか
聖文は永遠の命を得るよう助けてくれる道具である。
ほかの道具と同じように,聖文も使わなければ意味が
ない。仕事で使う道具を熟知し正しく使う人は,やが
て熟練工になるだろう。聖文を熟知し正しく使う人も,
やがて福音を理解するようになるだろう。聖文に印を
付ける人は,神から与えられた聖文という道具を使い
こなすために,最も効果的な方法を用いているのであ
る。
聖文に傍線を引くことについて,十二使徒定員会会
員のボイド・K・パッカー長老の助言を紹介する。
「聖文に傍線を引く方法は幾つかあります。それぞ
れ多少異なっていて,自分に合った方法を用いるべき
です。大切なのは,再びその聖文を見つけられるよう
に傍線を引いて,余白に何か注釈を書き入れることで
す。
わたしは書物をだれかから借りて読むことをめった
にしません。他人の書物を借りて読むのを嫌うのは,
記憶しておきたい事柄に傍線を引きながら読めないか
らです。他人の書物に傍線を引いたりする人はいませ
ん。もし読む価値のある書物であれば,自分のものと
して手に入れる価値があるはずです。もちろん例外は
図書館の蔵書で,その場合,時間をかけてノートを取
ることが必要となります。
ですから,書物を読んで,考えて,傍線を引き,注
釈を書き入れてください。前に読んだ言葉をもう一度
見つけようとして,ページをめくり返しても,なかな
か見つりません。そのために一体何時間費やしたこと
でしょう。傍線を引き注釈を書いておけばすぐに探せ
たはずなのに。今では,見つけたい所は以前よりもず
■
18
1.
2.
3.
4.
強調するため
すばやく見つけるため
聖文を自分のものにするため
聖文から教えるときに役立つようにするため
以下の文章について話し合う。
「 聖 文 に 印 を 付 け る と い う 場 合 ,『 印 を 付 け る
(mark)』とは,『指定する,分ける,認識する,区別
する』という意味を持つ。さらに,『印やシンボルを使
って,指摘する,表現する,示す』という意味も持つ。
一般的な意味において,印刷された聖文に付け加えら
れたものはいかなるものも印と見なされる。線,円,
文字,数字,シンボルはすべて印である。そのほか,
指定したり,区別したりするために書き込まれるもの
は 何 で も 印 で あ る 。」( ダ ニ エ ル ・ H ・ ラ ド ロ ー ,
Marking the Scriptures,15)
■
2.聖文に印を付けるために幾つかの方法がある
a.意味のある印を付ける
教義と聖約76:50−70に印を付けたトランスペアレ
ンシーを作成して(次ページ参照),生徒に見せる。
教義と聖約76:50−70は日の栄えの王国において昇
栄を得る教会員に関して述べたものである(かぎ括弧)。
救い主はここで,昇栄するために必要な条件(傍線)
と約束(番号)を説明しておられる。57節は神権の名
称を強調するために四角で囲んでいる。
教義と聖約76章に付けられた印は,付け方の例を示
すものである。実際には,聖文を理解するために自分
に適した印の付け方を自分で工夫しなければならない
ことを指摘しておく。
■
b.聖文に注釈を記入する
聖文に注釈を記入するとは,解説を聖典に書き込む
ということである。次ページの例を使って,聖文に注
釈を入れることの大切さを理解させる。
注釈として書くべきことは,どこで見つけることが
できるか理解させる。この時代の預言者の教えを研究
することを通して(イザヤ18:1−2 参照),また自分で
研究しているときに霊感を受けることによって,ある
いは,ほかの人が得た洞察を聞くことによって( 2 ニ
ーファイ 5:5−7,11参照),注釈に書くべきことが見
■
イ
ザ
ヤ
一
八
章
一
∼
二
節
教
義
と
聖
約
76
章
この国はアメ
リカを指して
いる
宣教師
4
5
6
1
ニ
ー
フ
ァ
イ
第
二
書
5
章
5
∼
7
節
3
2
主は彼らの間から預言者を
取り去られる。そして,彼
らは以下を失う。
1. 神権
2. 記録
3. 啓示
4. 救いの儀式を受ける権利
5. イエス・キリストの教会
員としての資格
10
9
8
7
11
つかるのである。
c.相互参照
聖句を相互に参照するという方法は,二つ以上の聖
句を関連づけたいときに用いられる。互いに何らかの
関係のある聖句や,共通の概念を持つ聖句同士を相互
に参照するのが普通である。
以下の聖句を相互に参照すれば,それぞれの意味を
はっきり理解することができる。
■
つニ
いー
てフ
説ァ
明イ
しは
て自
い分
るの
。社
会
に
ニ
ー
フ
ァ
イ
第
二
書
5
章
11
節
1. マタイ21:22 ―― 3 ニーファイ18:20
2. マタイ16:27 ―― 教義と聖約88:96−98
3. イザヤ61:1 ―― 教義と聖約138:18
以下の聖句を相互に参照すれば,物語がより深く理
解できる。
1. マタイ17:1−3 ―― 教義と聖約63:20−21
2. マタイ13:18−2 ―― 教義と聖約86章
3. 1 コリント15:38−42 ―― 教義と聖約76章
19
相互に参照したい聖句を集めて,聖句の鎖を作る。
例えば以下のようにすることができる。教義と聖約は
「警告の声」と呼ばれることがあるが,それは,この聖
典全体に「警告の声」というテーマが繰り返されてい
るからである。そのことをはっきり示すために,幾つ
かの聖句を「鎖でつなぐ」ことができる。まず,教義
と聖約 1:4 の余白に,次の参照聖句を記入する。また,
次の聖句の余白には,その次の聖句を記入するという
具合に続けていき,最後の聖句まで来たら,余白に教
義と聖約 1:4 と記入する。これで鎖の完成である。こ
の方法を使って,以下の聖句を鎖でつなぐとよい。教
義と聖約 1:4;38:41;63:37,58;84:114−115;
88:81;109:38−46。教義と聖約109:38−46の余白
に教義と聖約 1:4 と記入すれば,鎖の完成である。
以下の聖句を使って,旧約聖書の失われた書に関す
る聖句の鎖を作ってもよいだろう。ヨシュア10:13;
列王上11:41;歴代上29:29;歴代下 9:29;12:15;
20:34(ここで,ヨシュア10:13に戻る)。
d.聖文中の言葉のリスト
もう一つは,行間を読みながらリストを作成する方
法である。例えば,使徒パウロがエペソ 5:23−28で与
えた感動的な勧告に着目する。夫婦の関係は,キリス
なら
トと教会の関係に倣 うべきであるという勧告である。
パウロはその意味するところを詳しく述べていないが,
両者の関係に必要とされる特性や義務があることが読
み取れる。パウロが言いたかったことを挙げると以下
のようなリストになるのではないだろうか。
キリストが教会のためにされたこと
1.
2.
3.
4.
教会を救うために命をささげられた。
教会が従うべき完全な模範を示された。
救いの原則を教会に教えられた。
教会を祝福するために御自身の力を用いられ
た。
キリストに対して教会が行うこと
1.
2.
3.
4.
指導者,管理者として頼る。
模範に従う。
教えに従って喜びを見いだす。
導きや祝福を授ける力と権能を持つ者として
頼る。
聖文中の言葉のリストを作成することによって研究
の効果を上げることができる。以下の例から幾つか聖
句を選んで全員で検討し,それぞれについて言葉のリ
ストを作る。
このように,夫をキリストに,妻を教会にたとえる
1. 選ばれた婦人の特質(教義と聖約25章参照)
みたま
と,夫婦関係はどうあるべきかについて,深い理解が
2. 御霊の実(ガラテヤ 5:22−26参照)
得られる。
3. 慈愛の特質(モロナイ 7:45−48参照)
4. 神の武具の各部(エペソ 6:13−18;教義と聖約
その他の学習資料
27:15−18参照)
たまもの
5. 御霊の賜物(教義と聖約46章参照)
特になし。
6. 正しい断食の基本要素(イザヤ58:3−12参照)
上記の例の場合,リストに挙げる言葉は,すべて1か
生徒の学習のための提案
所に記されている。このほかにも,あと2種類のリスト
がある。一つは分散型のリストである。分散型の場合, ■ 『聖句ガイド』がどのようなものか生徒に調べるよ
リストに挙げる言葉は,1か所にまとまってはいない。 うに言う。
例えば,時のしるしや真の教会のしるしを表す言葉な
どがそうである。
■
20
末日聖典には研究に役立つ
資料が充実している
第7課
目 的
末日聖典に収められている研究補助資料は,聖文を
理解するうえでかけがえのないものである。
ニ
ー
フ
ァ
イ
第
一
書
テーマ
1. 末日聖典には,研究のための貴重な資料が収められ
ている。
a. 章の前書き
b. 脚注
c.『聖句ガイド』
2.研究補助資料は,聖文をさらに理解するうえで役立
つ。
教えるためのアイデア
教義と聖約
1.末日聖典には,研究のための貴重な資料が収
められている。
■ 1993年に出版された新しい研究補助資料について生
徒に説明する。この資料は合本(モルモン書,教義と
聖約,高価な真珠)に収められている(訳注――日本
語版は,1995年発行の合本に収められている)。この資
料によって,いっそう意義深く,充実した聖文研究を
行うことが可能となった。十二使徒定員会会員である
あかし
ボイド・K・パッカー長老の証を紹介する。「……この
資料が出版されたことは, つまりこの時代に起きた霊
感あふれる出来事として,大いなる出来事の契機とし
て将来理解されることでしょう。なぜなら,この資料
によって,福音を知り,主を知る末日聖徒を何世代に
もわたって輩出することになるからです。」(Bruce R.
McConkie, Apostle〔ブルース・R・マッコンキー長老
の葬儀における話,1985年 4 月23日〕,4)
以下の章の前書きを調べて質問に答えさせる。
1. ユダヤ人はどこに集合するでしょうか( 2 ニーファ
イ 9 章参照)。
2. ヤレド人が書き記したものはいつ明らかにされるで
しょうか(エテル 4 章参照)。
3. ジェシー・ガウスとはどのような人物だったでしょ
うか(教義と聖約81章参照)。
4. 教義と聖約135章を記したのは,ジョセフ・スミスの
殉教を目撃した人物の一人です。だれでしょうか。
5. アダムの子孫はどのような記録を記したでしょうか
(モーセ 6 章参照)。
6. アブラハムはどのようにして太陽,月,星について
学んだのでしょうか(アブラハム 3 章参照)。
■
a.章の前書き
章の前書きについて説明する。前書きはその章の要
点を強調している。前書きは豊富な情報を紹介し,し
ばしば教義の理解を深めるのに役立つ。一つの例とし
て, 1 ニーファイ14章の前書きを開かせる。
■ 教義と聖約の章の前書きを調べさせる。最初に背景
的情報があり,次に章の概略が記されていることを説
明する。以下のような例がある。
■
21
b.脚 注
■ 合本からあなたが選んだページを生徒に開かせる。
末日聖典の脚注には多くの利点があることを説明する。
節ごとに脚注があり,脚注に番号が付されていること
を指摘する。節ごとに①,②という具合に脚注番号が
付いている。
■ 『聖句ガイド』を参照せよという印(GS)を示す。
また,ジョセフ・スミス訳聖書を参照せよという印
(JS)も示す。
■ 以下の例を使って,研究補助資料を活用する練習を
させる。
1. アルマ36:18の,「苦汁の中におり」という言葉は,
どのような意味でしょうか(「ひどい悔恨の念に駆ら
れ」の意)。
2. アルマ45:10で息子アルマが預言したことによると,
救い主がアメリカを訪れられてから400年後に,ニー
ファイ人が「不信仰に陥る」ということです。この
節の脚注は『聖句ガイド』の二つの項目を示してい
ます(「背教;背信」と「不信仰」)。この二つの項目
は,アルマの預言を理解するうえで,どのように役
立つでしょうか。
3. 「供え物」とは何でしょうか(教義と聖約59:12参
はらから
照。「神と同胞のためにささげる時間や才能,財産」)。
4. 「楽園の栄光」とは何でしょうか(信仰箇条 1:10参
照。「エデンの園のような状態」)。
c.『聖句ガイド』
■ 合本の巻末には『聖句ガイド』と題した幾つかの研
究補助資料が収められている。『聖句ガイド』の中身は,
五十音順に並べられている項目リスト,ジョセフ・ス
ミス訳聖書からの抜粋,地図と地名索引,史跡写真で
ある。以下にそれぞれについて説明する。(詳しくは
『聖句ガイド』の始めの部分を参照する。)
■ 項目リスト。
『聖句ガイド』の 6 ページから始まる項
目リストは,聖文の中にある数百もの項目を説明する
辞書である。幾つかの言葉を採り上げて生徒とともに
調べる。以下の項目を含めるとよい。
1. 年表(「年表」193−197)
2. 福音書対観表(
「福音書」221−227)
3. パウロの手紙(
「パウロの手紙」201−203)
項目リストは標準聖典の索引としても使うことがで
きる(聖書の索引としても使える)。索引としての利用
法を理解させる。見つけたい聖句に含まれているキー
ワードを項目リストから探し,その聖句の場所を簡単
に調べることができるのである。項目リストは,福音
のトピックリストと考えることもできる。項目リスト
を利用すれば,福音に関する何百ものトピックについ
て,深く掘り下げて研究することができる。項目リス
トの使い方に慣れるために,以下の練習が役立つだろ
う。
1. 教会の集会で話を頼まれたと仮定する。採り上げた
22
いテーマを一つ選び,項目リストを調べて,話の準
備に役立てたい聖句を幾つか探させる。
2. 項目リストを開いて,イエス・キリストに関する
様々な項目に目を通す。
■ 聖書のジョセフ・スミス訳(抜粋)
。項目リストから
ジョセフ・スミス訳に関する情報を紹介する(「ジョセ
フ・スミス訳」133)。預言者ジョセフ・スミスが聖書
に加えた変更の多くが『聖句ガイド』の294ページ以降
に載っていることを説明する。ジョセフ・スミス訳創
世15:9−12;ジョセフ・スミス訳マタイ 4:1,5−6,
8−9;ジョセフ・スミス訳使徒 9:7 を参照し,預言者
ジョセフ・スミスがどこを変更したか調べさせる。
合本の脚注にもジョセフ・スミス訳を参照せよとい
う指示がある。教義と聖約93:1 を読んでから,脚注④
を見る。それから,『聖句ガイド』の「聖書のジョセ
フ・スミス訳(抜粋)」の中にあるジョセフ・スミス訳
1ヨハネ 4:12を読む。次のように質問する。「聖書のこ
の節について,ジョセフ・スミス訳から何が理解でき
るでしょうか。」(神を信じる者だけが神を見ることが
できる。)
■ 地図と地名索引。地図のセクションは『聖句ガイド』
の330ページから始まる。地図と地名索引の使い方を簡
単に説明するため,セクションの最初のページを参照
する。索引には地図上の地名が五十音順に並んでいる
ことを確かめる。地図上の都市や地方を見つけさせる
とよい。また,地図10を見て,ニューヨーク州マンチ
ェスターのスミス家の農場からオハイオ州カートラン
ドまでの距離を調べさせる。
■ 史跡写真。
『聖句ガイド』の350ページから始まるこ
のセクションには,古代と現代の教会歴史にちなんだ
場所を写した写真が掲載されている。セクションの前
半には,史跡の説明と参照聖句が記されている。なじ
みの薄そうな写真を何枚か見せて,どこの写真か調べ
させるとよい。どれがヘロデの神殿か探させる(写真
4 )。さらに,ヘロデの神殿に関する説明(351)を読ん
で,その神殿で起きた出来事を 3 つ挙げさせる。
2.研究補助資料は,聖文をさらに理解するうえ
で役立つ。
十二使徒定員会会員であるリチャード・G・スコット
長老が語った以下の物語を紹介する。スコット長老は
新く出版された標準聖典に収められている研究補助資
料の価値について述べている。
「中央幹部の兄弟たちに新しい合本が紹介されたと
きのことを覚えています。マッコンキー長老が紹介し
てくれました。マッコンキー長老は 1 冊の書物を手に
取って,巻頭か巻末の白紙に書いてある文字を読みま
した。『ブルース・R・マッコンキーへ』
。そこには『ア
メリア』と署名されていました。署名した日付は,マ
ッコンキー長老が伝道本部へ入った日でした。マッコ
ンキー長老はこう言いました。『わたしはこの聖典を持
■
a.「バプテスマ」という単語にはどのような意味が
あるでしょうか。
b.キリストの時代以前にバプテスマが執行されてい
たことを示す証拠には,何があるでしょうか。
2.以下に挙げた言葉を定義しなさい。これらの言葉に
対する理解を深めることによって,それぞれの聖句
にどれだけ新たな意味が加わったと思うか,短く述
べなさい。
a.インマヌエル( 2 ニーファイ17:14参照)
b.マハン(モーセ 5:31参照)
c.グノーラーム(アブラハム 3:18参照)
3.以下のトピックについて聖文から情報を得たい場合,
どの聖句を参照したらよいだろうか。参照箇所を幾
つか挙げなさい。
a.終わりの時
b.預言
c.啓示
d.失われた聖文
4.1 ニーファイ 8 章を読んでから,脚注を使って,リ
ーハイが示現で見た木についてなるべく詳しく調べ
その他の学習資料
なさい。水の流れている川,鉄の棒,暗黒の霧,大
■ ボイド・K・パッカー「聖典」
『聖徒の道』1983年 1
きく広々とした建物の意味を明らかにしなさい。
月号,90−94。末日聖典の新しい版の開発について
5.聖徒たちはニューヨークからグレートソルトレーク
■ ボイド・K・パッカー“Using the New Scriptures,”
まで,西へ西へと移住したが,その旅でどの州を通
Ensign,1985年12月号,49−53。末日聖典の新しい版
過したか挙げなさい。
の活用法
■ ブルース・T・ハーパー“The Church Publishes a
New Triple Combination,” Ensign ,1981年10月号,
8−19。各種の研究補助資料の使い方
って全世界を巡ってきました。この聖典を徹底的に使
い込みました。3 度もばらばらになり,その度に装丁
し直しました。この聖典には,ページのどの辺りに載
っていたか覚えている聖句がたくさんあります。』そし
て,こう付け加えました。『けれども,これからはこの
聖典を使いません。わたしの古い聖典には,研究をは
かどらせてくれる貴重な資料と理解をを深めるのに有
効な様々な道具が付いていないからです。それが全部,
この新しい聖典に付いているのです。』わたしはその言
葉に深い感銘を受けました。翌日,マッコンキー長老
の執務室を訪れる機会がありました。彼の机は大きい
机です。彼はその机に着いて,新しい聖典を目の前に
置き,定規と赤鉛筆で印を付けていました。それを見
て,こう決意したのです。『マッコンキー長老ほど聖文
に通じている人が,新しい聖典を使うことに価値を見
いだしているなら,わたしも同じようにしよう。』」
(“Spiritual Communication,”Principles of the Gospel
in Practice, Sperry Symposium,1985年,18−19)
生徒の学習のための提案
本課の締めくくりとして,以下の小テストを行う。
個々に解答させてもよいし,グループで,あるいは全
員で協力して解答させてもよい。解答するには,聖文
研究補助資料を使う必要がある。
1. バプテスマに関して以下の質問に答えなさい。
■
23
預言者は聖文を解き明かす
目 的
預言者は標準聖典を解説する。預言者は,聖文に対
する理解を広げ,明確にし,聖文の解釈に手がかりを
与えてくれる。
テーマ
1.聖文に関する預言者の解説には大きな価値がある。
2.預言者が聖文を解説した例は多数ある。
教えるためのアイデア
1.聖文に関する預言者の解説には大きな価値が
ある
生ける預言者の役割の一つは,過去の預言者が語っ
たことの意味を説明することである。2 ペテロ 1:20−
21について生徒と話し合う。
■ 十二使徒定員会補助を務めていたときにマリオン・
G・ロムニー長老が語った以下の言葉について話し合
う。ロムニー長老はここで預言者が語る聖文の解釈の
大切さを強調している。
「福音を調べる際に忘れてはならないことがもう一
みこころ
つあります。御父は,この時代の人々に御心 を知らせ
ようとして啓示を与えてくださいましたが,それは,
教義と聖約に記されたことをもって終わったのではあ
りません。御父は導くことをおやめになることはあり
ません。啓示の解釈について言い争うのを放ってはお
かれないのです。その時々の問題について御心を知ら
せずに放っておかれることもありません。御父は生け
る預言者を与えてくださいました。この預言者が,啓
示を解釈し,主が個々の問題についてどのように考え
ておられるかを宣言してくれるのです。」(Conference
Report, 1945年 4 月,89)
■ 以下の言葉について話し合う。話し合いの中で,預
言者が常に聖文と一致していることを明らかにする。
十二使徒定員会会員を務めたマリナー・W・メリル
長老は語っている。「聖書はすばらしい書物であり,モ
ルモン書もすばらしい書物であり,教義と聖約もすば
らしい書物です。これらは主の言葉です。しかし,教
会の生ける預言者たちはこれらすべてよりもさらに価
値があると申し上げます。もし,これらの中から一つ
しか頂けないとしたら,自分の導きとして,神権の預
言者たち,生ける預言者たちを頂きたいと思います。
もちろん,標準聖典と生ける預言者たちをすべて頂く
ことは適切であり,すばらしいことです。なぜなら,
■
24
第8課
教会の生ける預言者たちは標準聖典に記されている事
柄に一致して務めを果たしていますし,彼らの勧告が,
主が過去に語られた言葉と矛盾することはないからで
す。しかし人類の置かれている状況は常に変化します。
40年前の聖徒たちにとって適切だった勧告は,現在そ
れほど適切ではないかもしれません。したがって,わ
たしたちのなすべき業について日々導きを与えてくれ
る神の生ける預言者が存在することが大切なのです。」
(Conference Report,1897年10月,6 )
アンソニー・W・アイビンズ長老は十二使徒定員会
会員を務めていたときに次のように教えている。「福音
の基本原則に多少通じているだけでは不十分です。わ
たしたちが生きている神権時代だけについて理解して
いても十分ではありません。時の初めまでさかのぼっ
て,これらの聖なる書物に記されている時の初めから
現在までの主の言葉を,理解しなければなりません。
福音が地上にあったすべての神権時代が互いに調和し
ていることを理解しなければなりません。そうして初
めて,わたしたちが行っていることがまさしくこの時
代に行うべき業だということが理解できるのです。そ
うして初めて,この業が,主が定められたとおりの時
代に,宣言されたとおりの場所で,宣言されたとおり
の方法で行われているということが分かるでしょう。
主が定められた業,主が成し遂げてこられた業は,す
べて,時の初めから預言者が語ってきた言葉と一致し
ているのです。」(Conference Report,1908年10月,15)
2.預言者が聖文を解説した例は多数ある
■ 以下は,預言者が聖文を解き明かすことをはっきり
示すために使うことのできる,幾つかの例である。
クラスを幾つかのグループに分けて,聖文に関して
預言者が解説していることを示す資料を各グループに
配る。各グループは,資料から新たに分かったことを
書き出しておき,後でクラス全体に発表する。ここに
掲載した資料以外にも,大会の説教, Church News ,
『リアホナ』の大管長会メッセージを使用してもよい。
マタイ13:24−30 。預言者ジョセフ・スミスはこの
ように教えている。「さて,わたしたちは,この〔毒麦
の〕たとえから,救い主の時代に王国が設立されたこ
とを知ることができます。それは実を結ぶ良い種とし
て示されています。しかしそれだけでなく,教会の堕
落についても知ることができます。敵がまいた毒麦は
それを示しています。もしも弟子たちの願いが救い主
の目にかなっていたら,弟子たちは毒麦を抜き取り,
教会を清めていたことでしょう。しかし,すべてのこ
とを御存じである救い主は,毒麦を抜き取らないよう
にと言われました。すなわち,こうおっしゃったので
す。『あなたがたの見方は正しくない。教会はまだ幼年
期にあるのだ。もし慌ててそのようなことをするなら,
毒麦とともに麦(すなわち教会)をも損なってしまう
であろう。したがって,収穫(すなわち世の終わり)
が来るまで,麦も毒麦もそのまま生長させておく方が
よいのだ。世の終わりとは悪人の滅びの時であり,そ
の 時 は ま だ 来 て い な い 。』」( Teachings of the
Prophet Joseph Smith, 97−98)
アブラハム 3:22−23 。「神はアブラハムに『世界が
存在する前に組織された英知たち』を見せられました。
この『英知たち』とは,この場合人格を持った『霊』
のことであると理解すべきです(アブラハム 3:22−
23)。」(“The Father and the Son: A Doctrinal Exposition by the First Presidency and the Twelve,
”ジェー
ムズ・R・クラーク,Messages of the First Presidency,第 5 巻, 26。ジェームズ・E・タルメージ,Articles of Faith,466も参照)
使徒10:34−35 。ジョセフ・フィールディング・ス
ミス大管長はこのように教えている。「ペテロは『神は
人をかたよりみないかたで,神を敬い義を行う者はど
の国民でも受けいれて下さる……』と語りました(使
徒10:34−35)。ペテロの言葉が意味するところは,主
みたま
は忠実な者たちに御霊を注いでくださり,この教えの
中にある数々の真理を自分で知ることができるように
してくださっている,ということです。」(Conference
Report, 1971年 4 月,5。またはEnsign, 1971年 6 月号,
4)
教義と聖約29:17 。スペンサー・W・キンボール大
管長はこのように語っている。「主は,罪にあるままの
ゆる
人を赦すことはできないと教えておられます。主がお
できになるのは,人が罪を捨てたときにその罪から人
を救うことです。主はこう明言しておられます。『彼ら
がわたしの言うことを聞かなければ,わたしの血は彼
らを清めない。』(教義と聖約29:17)ここで『聞く』
とは,主の教えを受け入れ,守るという意味です。」
(「悔い改めの福音」『聖徒の道』1983年 3 月号,6 参照)
モーセ 7:62 。エズラ・タフト・ベンソン大管長は
このように教えている。「モルモン書は神が備えてくだ
さった道具です。『洪水のごとくに地を満たすようにし
〔て,主の〕選民を集め』るために用意された道具なの
です(モーセ 7:62)。」(「モルモン経で地を洪水のご
とく満たす」『聖徒の道』1989年 2 月号,4 参照)
その他の学習資料
エズラ・タフト・ベンソン,“Fourteen Fundamentals in Following the Prophet,”Speeches of the Year,
1980,26−30
■
生徒の学習のための提案
今後,権威ある教義の解釈を聖典に書き込んでいく
ように奨励する。
■
25
聖文を使って聖文を理解する
第9課
念が聖文の様々な書の中で繰り返し説かれていること
です(そしてしばしば,それらがまったく同じ語句で
あかし
四大標準聖典は互いを証 し,一体となって,イエ 表されているのです)。これは主要な教義だけでなく,
ス・キリストの福音が救いをもたらす真理であること 非常にささいな事柄にも言えます。このことから証拠
を宣言する。
が得られるように,同じ教義や真理が繰り返し説かれ
ているということは,それらが実際に,同じ起源を持
っているということなのです。したがって,当然のこ
テーマ
とながら,預言者たちの言葉の間に矛盾がないのです。
1. 聖文が互いに矛盾することはない。
預言者たちの言葉が随所で一致しているという事実
2. 聖文の理解を深めるにはほかの聖文を一緒に使うこ
は,各書が神から与えられたことを証明するうえで大
とが大切である。
切なことです。同じ主題を論じているそれぞれの預言
3. 聖文は聖文を解釈する。
者の言葉は,互いに一致しています。……
4. 聖文には同じような言い回しが用いられている。
真理が与えられた場所や神権時代は様々であるにも
かかわらず,各聖文は何の矛盾もなく真理を説明して
教えるためのアイデア
います。」(Things As They Really Are,84−85)
■ 聖文の中には,その聖文独特のものと思われても,
実際には以前に与えられた聖文の引用である場合も多
1. 聖文が互いに矛盾することはない
くある。そのような聖句の例を幾つか挙げる。すべて
■ 複数の聖典の中で繰り返し述べられている聖句を幾
みたま
たまもの
つか挙げさせる。(例えば,御霊の賜物については 1 コ の聖文を書くように命じられたのは神であること,神
リント12章;モロナイ10章;教義と聖約46章で採り上 の預言者たちは全員で一つのメッセージの証人となっ
げられている。また,イザヤはモルモン書の中で広く ていることを理解させる。以下に幾つかの例を示す。
引用されている。)どの時代の預言者もほかの預言者の 1. 教義と聖約133:48――イザヤ63:2
言葉を引用し,例として用いている。実際にどのよう 2. 教義と聖約89:20――イザヤ40:31
3. ヘブル 1:5――詩篇 2:7
なケースがあるか,例を挙げながら話し合う。
4. ヘブル 1:7――詩篇104:4
■ 十二使徒定員会会員のニール・A・マックスウェル長
5. ヘブル 1:8−9――詩篇45:6―7
老の以下の言葉から,要点を話す。
「エノク,モーセ,ニーファイ,アルマ,パウロ, 6. 教義と聖約58:45――申命33:17
モロナイ,ジョセフ。これらの預言者のうち,だれと ■ 一人の預言者がほかの預言者の預言が成就したこと
だれを比べても,共通点があることは明らかです。そ を指摘している例が数多く見られることを明らかにす
れぞれの預言者が別個に語った言葉は,神の計画とい る。
うデザインを形作るために編み込まれた一本一本の糸
預 言
預言が成就したことについての記録
ですが,もとをたどれば一つの起源にたどり着きます。
イザヤ
7:14
マタイ 1:22−23
その起源とは愛にあふれる御父のことです。御自身が
ホセア11:1
マタイ 2:14−15
はっきりと宣言されたように,御父の最も偉大な目的
イザヤ
9:1−2
マタイ 4:13−16
は,人の不死不滅と永遠の命をもたらすことです(モ
イザヤ53:12
マルコ15:28
ーセ 1:39)。実のところ,神の行われるすべてのこと
イザヤ61:1
ルカ 4:16−21
は『世のためになる』( 2 ニーファイ26:24)ことだけ
詩篇41:9
ヨハネ13:18−30
です。詩篇の作者は『われらはその牧の民,そのみ手
詩篇22:18
ヨハネ19:24
の羊である』と述べたのではなかったでしょうか(詩
目 的
篇95:7 )。神は御自分の目的から外れるようなことを
なさいません。神の栄光をひたすら仰ぎ見るのであれ 2.聖文の理解を深めるにはほかの聖文を一緒に
使うことが大切である
ば,神の栄光が人の不死不滅と永遠の命をもたらすこ
と で あ る の を 忘 れ て は な り ま せ ん 。」( Plain and ■ 聖文を一緒に使うとはどのような意味かを説明する
Precious Things,27)
ために,ニール・A・マックスウェル長老の以下の言
「聖文を研究していると大切なことに気づきます。 葉を活用する。
その一つは,同じ真理,同じ考え,同じ洞察,同じ概
「聖文を一緒に使ってください。そうして,旧約聖
26
書に書いてある事柄を,モルモン書,教義と聖約,高
モーセの律法とキリスト
価な真珠,生ける預言者の言葉と関連づけてください。
教会員が互いを必要とするように,教会の聖文同士も
ガラテヤ 3:24
律法は,わたしたちをキ
リストのもとへ連れて行
互いを必要としています。そして教会員が助け合うの
く養育係であった。
と同じように,聖文も互いに支持し合うのです。
時々,教会では,聖文が互いに切り離して教えられ
2 ニーファイ11:4
モーセの律法は,キリス
トの来臨が真実であるこ
ているのではないかと心配になることがあります。聖
とを立証するために与え
文同士が互いに支持し合えるように,複数の聖典を一
られた。
緒に使うならば,優れた学習の機会を与えることがで
きます。それだけでなく,すべての聖文が一致し,関
2 ニーファイ25:24−26 モーセの律法は,人々が
キリストを信じるのを助
連していることを実証することもできるのです。そう
けるために与えられた。
すれば,だれもが想像しているとおり,聖文全体を通
じて内容が非常に一致していることがよく分かります。
モルモン書ヤコブ 4:4−5 モーセの律法は,わたし
たちの心をキリストへ向
時には一語一語が一致していることさえあるのです。
けるものである。
なぜなら,聖文がすべて,同じ源から与えられている
か ら で す 。」(“The Old Testament: Relevancy Within
アルマ25:16
モーセの律法は,キリス
トを信じる信仰を強める
Antiquity,”A Symposium on the Old Testament, 8−9)
のに役立った。
■ 以下の表は聖文を一緒に使う方法を示したものであ
る。この表がすべてを網羅しているわけではない。教
アルマ34:14
律法のすべての部分は神
の御子の犠牲を指し示し
義上のあるテーマを探求する際に,標準聖典をすべて
ている。
活用することができるということを示しているだけで
ある。これらの参照聖句を生徒とともに読んで,相互
参照させる。
3.聖文は聖文を解釈する
キリストは贖罪を成し遂げるために苦しみ
を受けられた
ルカ22:44
キリストは汗がしたたる
ように多くの血を流され
た。
教義と聖約19:16−19
イエス・キリストはすべ
ての人のためにこれらの
苦しみを受けられた。こ
の痛みを伴う苦しみに,
キリストは震え上がり,
あらゆる毛穴から血を流
し,肉体と霊に苦しみを
受けられた。
教義と聖約18:11
モーサヤ 3:7
イザヤ53:5
聖文のある部分の解釈が,ほかの箇所で与えられて
いることがしばしばある。例として,マタイ13:3−9
を生徒とともに読む。ここでイエスは種まきのたとえ
を話された。同じ章の後半に記されているたとえの解
釈に目を通す(19−23節参照)。同じたとえがマルコ 4
章とルカ 8:1−18に記されているので,参照させると
よい。これら 3 つの記録には微妙な違いがあることに
注目させる。
かぎ
■ 聖書の難解な節の意味を明らかにする鍵 が近代の聖
文に記されていることがしばしばある。以下の表に列
挙されている聖句を調べさせる。これらの聖句は,末
日の聖文が聖書の様々な聖句の理解を広げるものとな
っている例を示している。
■
しょくざい
聖書を解読する
キリストは肉体の死を受
けられ,すべての人の苦
を引き受けられた。
創世 2:7
教義と聖約88:15
人の定義
イザヤ11:
1−5,10
教義と聖約113:
1−6
株,芽,根が明
確にされる
キリストは人が耐えよう
のない苦しみを受けられ
た。あらゆる毛穴から血
が流れ出た。
イザヤ52:
7−10
モーサヤ15:13−
18
平和を告げる者
が明確にされ
る
マタイ13:
24−30
教義と聖約86:
1−7
麦と毒麦のたと
えの意味がさ
らに明確にさ
れる
黙示録
教義と聖約77章
黙示録に関する
質問の回答
キリストはわたしたちの
背きのために傷つけられ,
わたしたちの不義のため
に打たれた。
27
4.聖文には同じような言い回しが用いられてい
る
聖文の言い回しに精通することが,聖句を理解する
うえでどのように助けになるかを生徒に尋ねる。聖句
の中には,ほかの聖句の語句を用いているものが数限
りなくあることを理解させる。それらの多くは脚注に
よって相互の関連性が説明されているが,そうでない
語句も多い。ある語句の理解を試みる場合,『聖句ガイ
ド』を使って同じ語句または類似した語句をほかの箇
所から探すことが助けになる。それぞれの文脈の中で
比較してみると,聖句の理解を深める助けになる。聖
書の節の意味を明らかにする際に,末日聖徒版の聖典
は特に有用であることが多い。例として,生徒にイザ
ヤ24:5 を読ませてから,次に教義と聖約 1:12−15を
読ませる。さらにイザヤ24:20と教義と聖約88:87−
96も参照させる。
■ 以下の表を参考にして,新約聖書の語句がモルモン
書の中でも使われている例を調べさせる。モルモン書
は新約聖書のこれらの節を理解するための扉を大きく
開いていることに注目する。
その他の学習資料
特になし。
■
モルモン書に見られる新約聖書の言葉
ヨハネ10:
14−16
ほかの羊
3 ニーファイ15:
16−24
ローマ11:
16−24
オリーブの木
モルモン書
ヤコブ 5 章
黙示 3:12
新エルサレム
エテル13章
ヨハネ 1:29
神の小羊
1 ニーファイ
13:40
マタイ 5 章
八福の教え
3 ニーファイ12章
28
生徒の学習のための提案
2ニーファイ29:6−14とモルモン 7:8−9 は,聖文が
互いに矛盾することはないということをどのように説
明しているだろうか。
■ 『聖句ガイド』から項目を一つ選び,次にその項目
を理解するために役立つ幾つかの聖句を採り上げなさ
い。四大標準聖典のすべてを使うように心がける。
■
文脈を考慮して聖文を学ぶ
第10課
に留めること)
3. ルカ 6:38(与えること)
目 的
文脈を考えながら研究することによって聖文をより
よく理解することができる。
2.文脈には段階がある
■ 文脈には段階があることを考慮に入れなければなら
ない。聖文を研究する際に大切な 3 つの段階は,当面
の状況,章または書の文脈,福音という文脈である。
テーマ
1. 正しい文脈の中で聖句を理解することが大切である。
2. 文脈には段階がある。
3. 聖文を曲解してはならない。
教えるためのアイデア
1.正しい文脈の中で聖句を理解することが大切
である
単語,句,文,段落,さらに大きな章や書は,一本
一本の糸をより合わせて作る 1 枚の布のように,全体
の一部を構成している。したがって,文章の中の単語,
段落の中の文章など,本文中の各部分が何を意味して
いるかは,全体との関連において理解しなければなら
ない。このため,文脈を考慮する第一の目的は,本文
の意味と著者の意図を正確に受け止めることである。
文脈を考慮せずに節を全体から分離してとらえると,
誤解してしまうことがある。宗教において,特定の考
えや解釈を導き出すために文脈を無視して聖文の節を
使うことを,典拠証明法と言う。
聖文の文脈に関して簡単な例を用いて実際に示す。
文脈が聖文の意味に影響を与える一つの例として,イ
エスがある格言を幾つかの異なった状況で使われたこ
とを用いる。その格言とは,「あなたがたの量るそのは
かりで,自分にも量り与えられる」である。以下の 3
つの参照箇所を黒板に書き出して,節の前後関係から
何がテーマとなっているか,生徒に判断させる。
1. マタイ 7:2(裁くこと)
2. マルコ 4:24(21−25節参照。キリストの教えを心
■
当面の状況。単語,句,文章,節が置かれている目
前の状況を考慮する。聖文を研究する者はメッセージ
がだれに向けられたものかを理解していることが大切
である。一人の人やグループに向けられた言葉が,同
じようにほかの人にも当てはまるとは限らない。以下
の表に挙げられている聖句はこの概念を説明するもの
である。各聖句が普遍的に当てはまるものだとすべて
の人が理解したら,誤解が生じる可能性のあることに
注意する。
章または書の文脈。書の中で各章の持つ,より広範
囲な文脈を考慮する。
聖文を研究する者は,聖霊によって霊感を受けた著
者が記した個々の聖文の書は,目的があると同時に,
論理的で首尾一貫していると考えるべきである。した
がって,書の中の節は書全体の文脈に基づいて研究し,
理解すべきである。例えば,ローマ 3:28とガラテヤ
2:16の中でパウロは,人は「律法」の「行い」によっ
てではなく,信仰によって義とされると述べている。
しかしながら,同じ著者による両書を注意深く研究し
てみると,パウロは,多くの場合,「律法」という語を,
モーセの律法の意味で使っていたことが分かる。そう
することによって,「律法」をイエス・キリストの福音
と対比させたのである。パウロは福音の原則と儀式に
従うことを非難したのではない。パウロが長々と説明
したのは,モーセの律法や福音全般の字義に従順であ
っても,イエス・キリストの執り成しと力なしに救い
は得られないということであった。ほかの概念につい
ても,特定の著者が記した書全体の文脈を考慮して初
参照箇所
対象
誤ったメッセージ
意図されたメッセージ
3 ニーファイ13:25
ニーファイ人の12人の
弟子たち
彼らは生活の糧を得るこ
とについて思い煩うべき
ではない。
彼らは全時間を主にささ
げるべきである。
1 コリント 7:25−38;
ジョセフ・スミス訳
1 コリント 7:29
務めに召されている者
たち
結婚するよりも結婚しな
い方がよい。
宣教師は独身である方が
容易であるか,またはよ
い。
マタイ28:19
11人の使徒たち
キリストに従う者はだれ
でもバプテスマを施すこ
とができる。
権能を持つ者だけがバプ
テスマを施すことができ
る。
29
めて正しく理解できる例を挙げるとよい。
福音という文脈。福音全体の中で文脈を考慮する。
教会指導者は四大標準聖典すべてを研究するよう繰
り返し会員に勧告してきた。指導者はこれらの聖典を 4
年間で学ぶ教科課程を実施している。このプログラム
の目的の一つは,聖徒たちがすべての標準聖典に親し
むことである。会員はまた,一定のテーマについて関
連する聖句をすべて深く研究し,主が各テーマについ
て啓示してこられた事柄すべてを学ぶよう奨励されて
いるのである。ジグソーパズルの 1 ピースが全体像の
中に収められて初めて意味を持つと同じように,聖文
の教義と節には福音の全体像の文脈においてのみ理解
すべきものが多くある。十二使徒定員会会員であるダ
リン・H・オークス長老はセミナリーの生徒に対して,
次のように勧告を与えている。
「聖文はこうした教義上のテーマについて包括的に,
系統立てて説明しているわけではありません。……で
すから,たいていは,様々な教義に関する多くの聖句
から情報を収集しなければなりません。必ずしもある
テーマに対して完全な説明を与えているわけではない
一つ一つの聖句から,情報を集めるのです。……
単一の記録(例えば,旧約聖書)の中で説明されて
いる事柄から福音の原則を完全に理解しなければなら
ないとしたら,わたしたちも一部について誤解し,つ
まずくことでしょう。大背教と呼ばれる時代にキリス
トに誠実に従おうとした人々がつまずいてしまったの
と同じことです。このため,わたしたちの神権時代に
は,福音が回復する必要がありました。そのように福
あかし
音が回復したので,キリストのもう一つの証 であるモ
ルモン書が出現し,この時代の必要を満たす啓示が豊
かに授けられたのです。……
イエス・キリストの福音を正確かつ完全に理解する
には,わたしたちの手もとにあるすべての聖文を使う
.....
必要があります。主が『聖文を調べなさい 』と命じら
れた理由はここにあります(欽定訳ヨハネ 5:39)。教
義に関して聖文の一節だけを読んで結論を出し,それ
に固執することがなぜ危険であるかもよく分かりま
す。」(“Studying the Scriptures,”5−6)
■ 聖句の鎖を作ることによって,以下の難解な聖句を
福音全体の文脈に照らして正しく理解できることを実
際に示す。
難解な聖句
エペソ 2:8−9
ヨハネ 1:18
マタイ21:22
30
福音全体の文脈の中で特定の原則をとらえるための
最も優れた方法の一つは,聖句を相互に参照する方法
である(脚注や『聖句ガイド』に示されている相互参
照聖句を使う)。大管長会のトーマス・S・モンソン第
一副管長は1985年に行われた衛星中継による教会ファ
イヤサイドにおいて,新しくできたばかりの聖文の研
究補助資料が持つ価値について次のように強調してい
る。
「新しい『トピカルガイド』(Topical Guide)〔およ
び『聖句ガイド』〕が福音を研究する末日聖徒一人一人
にとってどのように祝福となるかを説明したいと思い
ます。何年か前に,ハロルド・B・リー大管長はある補
助組織の教師用手引きを開いて,ある参照資料を読み
聞かせてくれました。その資料の著者は,新約聖書か
ら聖句を引用していましたが,その意味については,
著者自身の憶測でした。リー大管長はわたしにこう言
いました。『もしこの著者が教義と聖約をよく読んでい
たら,主が聖書のこの出来事を明確にするために後に
何と語られたか気づいていたことでしょう。』これから
はこのような混乱は起きなくなります。『トピカルガイ
ド』(Topical Guide)
〔および『聖句ガイド』〕に記され
ている相互参照聖句はそのような問題を解決するこ
とを目的としているからです。確実が不確実に取っ
て代わったのです。知識が憶測に打ち勝ったのです。」
(“
‘Come, Learn of Me’
”Ensign, 1985年12月号,47−48)
3.聖文を曲解してはならない
辞書によれば普通,「曲解する」という語は,不自然
なまたは正しくない用法にねじ曲げる,こじつける,
そらすことと定義されている。聖文を曲解するとは,
聖文をねじ曲げたり,間違った解釈にこじつけたりす
ることである。十二使徒定員会会員を務めていた時代
に,マリオン・G・ロムニー長老は曲解することと聖文
を調べることの間にある明確な違いを次のように指摘
している。
...
「〔聖文の中の〕調べるという言葉は,ほんとうの意
味を見いだすために探求し,研究し,分析するという
意味です。調べるという言葉が暗に示していることは,
単なる読書以上のことです。たとえ暗記したとしても
調べたことにはならないのです。
イエスはユダヤ人に『聖文を調べなさい』と言われ
ましたが,そのときイエスは聖文をよく知っ
聖句の鎖
ているということで高慢になっている人々に
2 ニーファイ25:23;教義と聖約59:2;
語っておられました。この人たちは自分の時
93:11−14;2 ニーファイ10:24−25;モー
間をすべて,聖文を読み,覚えることに注い
サヤ4:8−10;ヨハネ15:1−11;エペソ
でいました。ですから,偽りの規則や儀式が
2:8−9。
正当であると主張するために非常に多くの聖
ジョセフ・スミス訳ヨハネ 1:18−19;ジョ
文を用いることができたのです。しかし彼ら
セフ・スミス訳 1 ヨハネ 4:12;教義と聖約
67:11−12;ダニエル10:5−10;モーセ
は,聖文のほんとうのメッセージを理解する
1:11;教義と聖約84:21−22;ヨハネ 1:18。
という点においては,何も成し遂げていませ
3 ニーファイ18:20;モルモン 9:21;教義
んでした。……
と聖約88:64;マタイ21:21−22。
■
イエスの生涯と教えの中から紹介されているこの出
来事〔欽定訳ヨハネ 5:39〕は聖文を調べることと,
曲解することの明確な違いを教え,聖文を曲解するこ
とによってもたらされる恐ろしい結果を明らかにして
います。イエスが戒めとして教えられた事柄を見いだ
そうとして聖文を調べることと,前もって出した結論
を裏づけるために役に立つ言葉を探すことを比較する
と,雲泥の差があります。アルマは『見よ,聖文はあ
なたがたの前にある。もし聖文を曲げて解釈するなら
ば,あなたがた自身の滅びを招くであろう』と語りま
した(アルマ13:20)
。
」
(
“Search the Scriptures,
”Improvement Era,1958年 1 月号,26)
偽りの教え(「パン種」と呼ばれることがある)に対
する警告は,聖文の中に無数に見いだすことができる。
主のまっすぐな道を曲げること,人間の言い伝え,人
の訓戒,人間の戒めを教えとして教えること,自分勝
手な解釈,聖文を軽んじること,聖文を曲げて解釈す
ることも,同様である。このテーマに関して以下の聖
句を挙げることができる。幾つかの聖句を選んで,読
み,話し合い,印を付けるとよい。
聖文を曲解する
2 ペテロ 3:16
アルマ13:20−23
アルマ41:1,9
教義と聖約10:63
主のまっすぐな道を曲げる
2 ニーファイ28:15
アルマ30:22,60
モロナイ 8:16
人間の戒めを教えとして教える
マタイ15:9
コロサイ 2:22
テトス 1:14
聖文の中には聖文を曲解したり歪曲したりする例が
数多く見られる。聖文がどのように曲解され,それが
どのような結果をもたらしたかを説明するために以下
の聖句を活用するとよい。
1. モルモン書ヤコブ 2:22−3:5 。人々は旧約聖書の
時代に実施されていたことを根拠にして,不道徳な
行為を正当化していた。ヤコブがヤコブ 2:34;3:
1−5 の中で,一夫一妻制を実施する戒めが父リーハ
イに与えられたことを明確にしていることに注目す
る。民が生ける預言者の教えを無視して,過去の預
言者の教えを支持していたことが分かる。
2. モーサヤ12:20−21。ノアの祭司たちはアビナダイ
を排斥する理由として,イザヤ52:7−10を引用した。
その聖句を基に,アビナダイはイザヤが述べた主の
使者の条件を備えていない,と主張したのである。
アビナダイは「主の道を曲げている」祭司たちを非
難した(モーサヤ12:25−27参照)
。
3. アルマ12:20−21。アンテオナはケルビムと燃える
剣に関して述べている創世 3:22−24を使って,復
活について疑問を投げかけた。
4. マタイ 4:6 。サタンは詩篇91:11−12を使って,イ
エスを誘惑した。
5. マタイ15:5;マルコ 7:11。パリサイ人は神殿に金
銭を差し出し,それを「供え物」とするならば,両
親を敬うべきことが命じられている第 5 の戒めを守
らなくてもよいと言った。
■ 十二使徒定員会会員であるボイド・K・パッカー長
老は以下のたとえを用いて,福音全体を眺めるように
奨励している。
「福音はピアノの鍵盤になぞらえることができるで
しょう。よく訓練を積んだ者が全部の鍵盤を使って演
奏すれば,際限なく曲を奏でることができます。バラ
ードは愛を表現し,マーチは活気を呼び,快い調べは
心を和ませ,賛美歌は霊感を与える,というように,
それぞれの雰囲気や必要に合わせて,数限りない曲を
弾くことができます。
それに比べ,1 つかせいぜい 2,3 の鍵盤だけを選ん
でいつまでもその音ばかりを単調に弾いたとしたら,
まったく全体を見渡していないということになるでし
ょう。鍵盤を全部使えば際限のないハーモニーが生ま
れるというのに。」(「唯一の真実の生ける教会」『聖徒
の道』1972年 5 月号,233)
その他の学習資料
ブルース・R・マッコンキー“Ten Keys to Understand Isaiah,”Ensign, 1973年10月号,78−83。文脈に
基づいて聖文を研究するための一般的な方法
■
生徒の学習のための提案
特になし。
31
文化の違いを克服する
目 的
文化の違いを克服するために標準聖典が書かれた当
時の文化的背景を調べる。
テーマ
1. 聖文が記された時代と場所を理解するように努めな
ければならない。
2. 文化を理解することは聖文を理解する助けとなる。
3. 聖文に対する文化的な影響についての理解を深める
方法が幾つかある。
教えるためのアイデア
1.聖文が記された時代と場所を理解するように
努めなければならない
■ 聖文を研究する際にそれが記された時代と場所へ
「行ってみる」ための努力をしなければならないことを
説明する。標準聖典に収められている記録は,数千年
の期間に様々な文化の下に生きた多くの預言者が記し
たものである。それぞれの聖文は聖霊によって導かれ
るままに記されたものであるが,著者の意識の中にど
のように映ったか,また,著者がどのような文化的背
景を持っていたかということも,聖文に影響を与えて
いる。聖文の著者らの記したものを理解するには,彼
らが見たままに見ることができるように,できるかぎ
り「彼らの世界に入り込む」必要がある。
預言者ニーファイは次のように記している。「ユダヤ
人に話された事柄をユダヤ人ほどよく理解できる者は,
ユダヤ人の風習を教わっていないかぎり,ほかにいな
い。」( 2 ニーファイ25:5 )この原則は異文化の人々が
記したものに対しても当てはまるが,特に大切なのは,
古代ユダヤ人の文化を理解することである。わたした
ちの聖文の多くは古代ユダヤ人の文化に由来している
からである。近代の聖文でさえもユダヤ人文化に由来
する語句を引用し,使っている例がしばしば見られる。
ある著者は聖書が東洋的文化背景を持っていること
を説明して次のように述べている。「西洋の人々は,聖
書の起源が東洋にあり,それぞれの著者は実際に東洋
人であったという事実を見逃す傾向がある。東洋人に
よって書かれたものであるので,聖書は実際には東洋
の書物であると言うことができる。しかし,多くの人
は聖書を東洋的な見地から解釈しようとするのでなく,
西洋の生活様式と習慣に基づいて読み取ろうとする傾
向が強い。……
32
第11課
……聖書の中で,西洋人にとって理解が難解となっ
ている多くの節は,聖書の書かれた土地の習慣と生活
様式の知識があれば,容易に説明がつくものである。」
(フレッド・H・ワイト,Manners and Customs of Bible Lands,7)
■ 聖書が書かれた地域で生活したことのある人が述べ
た以下の言葉を読む。
「流儀,習慣,習わしなど,さらに民族や社会,慣
習に影響を与えるすべてのことは,東と西が違うよう
に,明確に異なっている。こちらが立つときには,あ
ちらは座り,こちらが座るときにあちらは横になり,
こちらが足にすることをあちらは頭にする。こちらが
水を使うときにあちらは火を使い,こちらがひげをそ
るときにあちらは頭をそり,こちらが帽子に手を触れ
るときにあちらは胸に触れ,こちらが唇を使ってあい
ほお
さつするときにあちらは額と頬 に触れ,こちらの家は
外側に面しているが,あちらの家は内側(中庭)に面
している。こちらが散歩するために外へ出るときにあ
ちらは屋根に上って新鮮な空気を吸い,こちらが敷地
から排水するときにあちらは敷地に水がなく,こちら
が娘を社交界に出すのに対してあちらは妻や娘を外へ
出さず,こちらの婦人が顔を出して通りを歩くのに対
してあちらの婦人は常に顔を隠すのだ。」
(W・グラハム,
The Jordan and the Rhine。ジェームズ・M・フリーマ
ン,Manners and Customs of the Bible,5 で引用)
2.文化を理解することは聖文を理解する助けと
なる
■ 以下の例を使って,聖文の背景となる文化を多少な
りとも理解することの大切さを示す。
......
「屋上にいる者 は,家からものを取り出そうとして
下におりるな。」(マタイ24:17,強調付加)
「さて,ある日の夕暮,ダビデは床から起き出て,
........
王の家の屋上を歩いていた……。」(サムエル下11:2,
強調付加)
西洋の家は,普通,人が屋根を歩くようには作られ
ていない。しかしながら,聖書が書かれた地域に立つ
家の屋上では,様々な活動ができるようになっている。
聖地の家の屋根は一般に平坦である。用途としては,
睡眠を取るため(サムエル上 9:25−26参照),貯蔵す
るため(ヨシュア 2:6 参照),騒ぎが起きたときに
人々が集まるため(イザヤ22:1 参照),人々に宣言す
るため(マタイ10:27;ルカ12:3 参照),礼拝と祈り
をささげるため(ゼパニヤ 1:5;使徒10:9 参照)と,
様々であった。一般に,屋上に通じる階段は二つあり,
家の中からも通りからも行くことができた。ダビデの
ように夕方に屋上を歩いたり,重大な出来事が起きた
ときにだれかが屋上に出ていたりすることは珍しいこ
とではなかった。
.....
「ペテロは外で中庭にすわっていた。するとひとり
の女中が彼のところにきて,『あなたもあのガリラヤ人
イエスと一緒だった』と言った。
するとペテロは,みんなの前でそれを打ち消して言
った,『あなたが何を言っているのか,わからない。
』
.......
そう言って入口の方に出て行くと,ほかの女中が彼を
見て,そこにいる人々にむかって,『この人はナザレ人
イエスと一緒だった』と言った。」(マタイ26:69−71,
強調付加)
東洋では,一つの家に二つ以上の部屋がある場合,
中庭によって部屋が分けられている。建て増しする場
合は,中庭を中心にして建てる。東洋の家の玄関は,
外側の通りではなく内側の中庭に面している。中庭に
いる人は,実際に家の中にいるのである。しかし家の
中とはいえ,部屋の中にいるわけではない。
中庭に井戸が設けられていることが少なくない(サ
ムエル下17:18−19参照),また火をたくときは中庭で
するのが普通である(ヨハネ18:15−18参照)。
3.聖文に対する文化的な影響についての理解を
深める方法が幾つかある
特に聖書の研究において,聖文と文化との関連を理
解するためにできることがたくさんある。以下の提案
を生徒に示し,それぞれに記されている様々な聖句に
ついて話し合う。
■
文化について聖文に記されている解説や洞察を研究
する
聖文の中には,言葉や出来事についての説明がある。
そこから,聖文に登場する人々の考え方や習慣を推察
できることがある。一例として,ボアズがナオミの土
地を買った物語がある。ルツ 4:8 には,ボアズが「く
つを脱いだ」とあり,その説明が 7 節に記されている。
そこには,当時イスラエルでは,土地の所有権の譲渡
を確認するために靴を交換する方法が取られていたと
ある。土地の所有者は,靴を履いて自分の土地に足を
踏み入れる権利を有しているため,靴を交換するとい
う行為はふさわしい象徴だったのである。
1. 『聖句ガイド』にはモーセの律法の詳細や,サマリ
ヤ人,パリサイ人,サドカイ人など,民族の背景と
なる情報が含まれている。
2. 『聖句ガイド』の「年表」の項には大切な情報が含
まれている。 そこに載せてある表から,旧新約聖
書の歴史とモルモン書の歴史をまとめている年表に
目を通してみる。
聖文の各節の歴史的経緯と背景を研究する
聖文に記録されている出来事が起きた歴史的背景と
状況を知っておくと,聖句を理解するのに大いに役立
つ。その一例がユダヤ人のバビロニア捕囚からの帰還
に関する聖句である。エレミヤは捕囚を預言した(エ
レミヤ25:11;29:10参照)。また,イザヤはユダヤ人
の帰還においてクロスの果たす役割を預言した(イザ
ヤ44:24−28参照)。さらに,エズラ記と歴代志の中に
は,イザヤの預言が記してある。また,エズラ記と歴
代志は,ユダヤ人が故郷へ帰還するときにクロスがど
のような行動を取ったかについても記してある(歴代
下36:22−23;エズラ 1:1−2:1 参照)。また,ネヘ
ミヤ,ハガイ,ゼカリヤは,ユダヤ人が帰還した後に
神殿とエルサレムの城壁を建設することについて述べ
ている。
これらの聖文の著者が伝えるメッセージを理解する
には,バビロン人によるエルサレムの征服とペルシャ
帝国からバビロン王国への変遷に関してある程度の歴
史的事実を把握しておく必要がある(『聖句ガイド』
「アッスリヤ」の項,13;「エルサレム」の項,56−
57;「ネブカデネザル」の項,192;「バビロン,バベ
ル」の項,206−207 ,192参照)
。
モルモン書の初めの数章を正しく理解するには,バ
ビロン人がユダ王国を征服するまでの出来事について
も幾らか知っておく必要がある( 1 ニーファイ 1:4;
列王下24−25章参照)。
聖文中の人々に影響を与えた文化を研究する
アブラハムはエジプトに入るに先立って主から教え
を受けた(アブラハム 3:15参照)。エジプトにおける
アブラハムの生活と経験を理解するために,エジプト
文化について知ることは有益である。
ヨセフ,モーセ,その他の人々についても同様であ
る。聖書の人々は周囲の巨大帝国や文化と絶えず交わ
『聖句ガイド』を活用する
り,そこから影響を受けていた。イスラエルの子らは
項目が五十音順に列挙されている項目リストは,聖 カナン人,エジプト人,モアブ人,スリヤ人,アンモ
書における文化の多くの側面について理解するうえで ン人,その他の民から大きな影響を受けた。イスラエ
非常に役立つ。なじみの薄い言葉に重大な意味が含ま ル王国はアッスリヤに捕囚され,ユダ王国はバビロン
れていることがある。そのようなときに『聖句ガイド』 の捕虜になり,そこで預言者エゼキエルとダニエルが
を使って言葉の意味を見つけることができる。聖書に 教えを説いた。イエスがお生まれになった当時は,ロ
登場する人々や場所,物事について多くの情報が,項 ーマ帝国に完全に支配されていて,ギリシャ人とロー
目リストに載っている。また,『聖句ガイド』の中には マ人の影響を強く受けていた。
幾つかの表もあり,情報を分析したり,統合したりす
ジョセフ・スミスは19世紀のアメリカ文化の中で務
るために役立つ。
めを果たした。そのため,教義と聖約には当時の文化
33
の様々な側面が数多く残っている。神の民と預言者と
交流のあった当時の人々の生活様式と習慣を知ること
は,聖文に対して深い洞察を得るうえで助けとなる
(例として,『聖句ガイド』「エジプト」の項,49;「ノ
ーブー(イリノイ州)」の項,198;「モアブ」の項,
257;「ローマ帝国」の項,291参照)
。
聖文に出てくる土地の地勢,気候,季節を研究する
聖文の言葉遣いはその土地の環境に影響されている
ことが多い。以下の例はこの事実を証明するとともに,
聖文に影響を与えている環境要因についての知識が有
益であることを強調している。
1. 「あなたがたは,世の光である。山の上にある町は
隠れることができない。」(マタイ 5:14)
パレスチナは丘陵地帯が多く,聖書の時代の都市
は盆地よりも丘の上に建設されるのが普通だった。
盆地に開拓していた大切な農地をつぶすようなこと
をしなかったのだ。このような都市は夜,明かりが
ともると遠方からも見ることができた。
2.「イエスは彼らに言われた,『あなたがたは夕方にな
ると,「空がまっかだから,晴だ」と言い……。』
(マタイ16:2 )
「空を赤く染める日没は……東からの風が吹いて
いることを示しており,温暖な季節の到来を告げる
兆候である。」(G・M・マッキー, Bible Manners
and Customs,26)
たとえ
3.「いちじくの木からこの譬 を学びなさい。その枝が
柔らかになり,葉が出るようになると,夏の近いこ
とがわかる。」(マタイ24:32)
「いちじくの木はアーモンド,あんず,桃の木よ
りも遅く枝葉が生い茂る。新しい葉が生長し,広が
って,緑を増すとき,それは夏の到来が近いことの
兆候である。」(マッキー, Bible Manners and
Customs,51)
4.「彼らはみな暴虐のために来る。彼らの顔は東風の
ようにすする。彼らは砂を集めるようにとりこを集
める。」(欽定訳ハバクク 1:9 )
「東風は普通夜になると吹く乾燥した涼風である。
しかし日中に吹くこともあり,数日間吹き続けるこ
ともある。その場合は厳しい熱風となる。」(マッキ
ー,Bible Manners and Customs,25)
東風は大きな影響をもたらしたので,圧制と破壊
の象徴となった。
末日聖典の脚注を活用する
第 7 課で学んだように,末日聖典の脚注は,意味を
明確にし,言葉,熟語などを理解するのに役立つ。以
下の参照箇所は,文化その他を明確にしている例であ
る。それぞれの参照箇所を開いて,脚注が明らかにし
ている事柄に注目する。
1.3 ニーファイ17:1 ① ―― 時は近づいた
2.教義と聖約25:7 ① ―― 聖任
34
3.教義と聖約106:1 ① ―― フリーダム
4.アブラハム 1:6 ① ―― エルケナの神
聖文に登場する事物を自分自身の文化と関連づける
しもべ
例としてマタイ18:23−35から無慈悲な僕のたとえ
を読む。タラントとデナリの関係を知っていれば,こ
のたとえはさらに大きな意味を持つことになる。聖書
の時代にタラントの価値は変化し,タラントにも様々
な種類が存在したが(アッティカ銀貨,ヘブル銀貨,
金貨など),負債について比較することは可能である。
ローマのアッティカタラントは6,000デナリに相当した。
「タラント」という語は,その金額が明示されていなく
ても大きな金額を指すことがある。
ひ ゆ
比喩的に解釈すれば,1 万タラントとは,実際にはあ
り得ないほどの金額の負債という意味である。たとえ
を文字どおりに解釈するとしたら,無慈悲な僕には
6,000万デナリの負債があったことになる。これに対し
て同僚の僕が借りていたのは100デナリであった。とす
ると,無慈悲な僕は,同僚の僕に貸していた60万倍の
金額を借りていたことになる。もし 1 デナリが 1 日の
賃金に相当するとすれば,同僚の僕の負債は 3 か月強
の賃金に相当するのに対して,無慈悲な僕の負債は16
万5,000年分近くの賃金となる。
その他の学習資料
スティーブン・リックスとシャーリー・スミス・リ
ックス,“Jewish Religious Education in the Meridian
of Times,”Ensign,1987年10月号,60−62。ユダヤ人
家族と社会に存在した教育制度の考察
■ リチャード・D・ドレーパー,
“Home Life at the
Time of Christ,” Ensign,1987年 9 月号,56−59。キ
リストの時代における古代中近東の家庭に関連する社
会慣習,習慣,生活環境
■
生徒の学習のための提案
■ イザヤ 1:1 では,このメッセージは「ユダとエルサ
レム」に向けたものであると述べているが,10節では
「あなたがたソドムのつかさたちよ,主の言葉を聞け。
あなたがたゴモラの民よ,……」と述べている。ソド
ムとゴモラの町はイザヤの時代のはるか前に神によっ
て滅ぼされていた。以下の聖句を参照し,滅ぼされる
前にソドムとゴモラに住んでいた人々とイザヤの時代
に生きていたユダの人々の状態に関して調べ,イザヤ
1:10を説明しなさい。
同じように,黙示11:8 の「彼らの主も,この都で十
字架につけられた」という部分で,なぜ「この都〔エ
ルサレム〕」が,ソドムとエジプトにたとえられている
のか説明しなさい(創世13:13;18:20;イザヤ 3:
8−9;エレミヤ23:14も参照)。
■ エゼキエル37:15−20ではユダとヨセフの記録につ
いて述べられており,それらを「木」(sticks)と呼ん
でいるが,イザヤとエレミヤは記録を表す際に「札」
または「巻物」(roll)という語を使っている(イザヤ
8:1;エレミヤ36章参照)。エゼキエルがこの章を記し
たときに置かれていた状況を踏まえて,なぜ「札」で
はなく「木」という語を使ったかを説明しなさい(エ
ゼキエル 1:1;37:16参照)。エゼキエルの時代にバ
ビロンでは木の板に筆記することが一般的な習慣だっ
た。
■ イエスはベツレヘムでお生まれになったにもかかわ
らず(ルカ 2:4,11参照),アルマ 7:10でなぜ「わた
したちの先祖の地であるエルサレムで,マリヤからお
生まれになる」と述べられているのだろうか(『聖句ガ
イド』「ベツレヘム」の項,234参照)。
35
聖文に見られる文学表現
目 的
聖文の著者はメッセージに美と力と命を付け加える
ために様々な語法を用いた。
テーマ
1. 聖文に見られる文学表現には価値と目的がある。
2. 聖文では様々な文学表現が用いられている。
教えるためのアイデア
1.聖文に見られる文学表現には価値と目的があ
る
第12課
概念がどんどん積み重なるようにしている。
■ 詩歌。詩歌は語句を韻律によって表現する方法であ
る。様々な形式があり,標準聖典全体に見られる。し
かしながら,聖文における詩歌は詩的形式にとらわれ
ていない。したがって,確認することが必ずしも容易
こたえ
でない。読者は「柔らかい答 は憤りをとどめ,激しい
言葉は怒りをひきおこす」(箴言15:1 )を詩ではない
と思うかもしれないが,対句法という詩の形式を取っ
ている。聖文には様々な形式の詩があるが,最も一般
的な形式は対句法である。
対句法は韻律の押韻または抑揚を取らない詩の形式
である。対句法は音や語のリズムよりも概念のリズム
を重視する。対句法には様々な形式があるが,最も一
般的に用いられているのは様々な語を使って同じ概念
を反復する形式,対照を示す形式,最初の概念を発展
させる形式である。
1. 反復
聖文の著者は聖文の言葉を組み立てるときに多くの
ひ ゆ
文学表現を用いた。比喩 的表現は頻繁に用いられた文
学表現である。比喩的表現は特殊な効果をねらったり
a.「 酔える者 よ,目をさまして 泣け 。すべて酒を 飲
特別な意味を持たせたりするために言葉を操ることで
む者 よ,うまい酒のゆえに 泣き叫べ 。」(ヨエル
ある。聖文を理解するためには比喩的表現を見分ける
1:5,強調付加)
ことが大切である。
b.
「
主の行われること を はねつける 者は,災いであ
聖文の著者はメッセージに美と力と命を吹き込むた
る。まことに,キリストとキリストの業を否定す
めに比喩的表現を頻繁に用いた。一部の著者は読者か
る 者は,災いである。」( 3 ニーファイ29:5,強
ら意味を隠すためにこれらの手段を使った。またほか
調付加)
の著者は誇張や比較の手段として比喩的表現を使った。
c.
「そのとき,彼らは自分たちの犯した
罪悪 のゆえ
なぜ比喩的表現が用いられたかを説明する。
に涙を流す。そのとき,彼らは自分たちの王を迫
■ 聖文において多くの文学表現が用いられている理由
害したので,嘆き悲しむであろう。」(教義と聖約
を説明する。聖文の著者は自分の受けた霊感や啓示を
45:53,強調付加)
表現するために,どのような表現方法を使うかについ
2.対照
ては,本人に任されていたことを説明する。著者らは,
a.「 柔らかい答 は 憤り をとどめ, 激しい言葉 は 怒り
自分の知識の中で最良の言葉と最適の技法を使って表
をひきおこす。」(箴言15:1,強調付加)
現した。このため,聖文では様々な文学表現が用いら
うま
b.
「
生 るる に時があり, 死ぬる に時があり, 植える
れているのである。
に時があり,植えたものを抜くに時があり,」(伝
2.聖文では様々な文学表現が用いられている
道 3:2,強調付加)
■ 以下に列挙されているように,聖文では様々な文学
3.強調
表現,語法が用いられていることを説明し,例示する。
a.「見よ,主は この地をむなしく し, これを荒れす
■ 散文体。標準聖典のほとんどは散文体で書かれてい
たれさせ,これをくつがえして,その民を散らさ
る。定型的な韻を含んでいない筆記または会話による
れる。」(イザヤ24:1,強調付加)
すべての表現は最も広い意味で解釈すれば散文体とな
b.「彼はこのように述べた。
『わたしは自分の罪を悔
あがな
る。散文体には論理構成が存在し,概念を単に羅列す
い改め
,
主に贖
われ
ました。まことに,わたしは
みたま
るのでなく,関連性のある順序に配列する。散文体の
御霊によって生まれました。』」(モーサヤ27:24,
形式は著者によって様々であり,言葉遣いや文章構造
強調付加)
の違いから様々な表現方法が生まれる。
c.
「地は産みの苦しみをなし,その力を産み出した。
散文体を例示するために創世 1:1−5 を読む。概念
真理は地の中に打ち立てられている。天は地にほ
が筋道の通った順序に配置されていることと,また互
ほえみかけた。地はその神の栄光をまとってい
いにどのように関連しているかに注目する。ここでは,
る,神がその民の中に立っておられるので。」(教
■
36
は混乱をもたらすことがある。「顔から火が出る」「手
義と聖約84:101,強調付加)
一つの聖句の中で扱っている概念と概念の間に関連 も足も出ない」「 2 階から目薬」「猫をかぶる」などは
(反復,対照,強調)があることを理解すれば,その聖 日本で使われている慣用句である。日本文化になじみ
句が一つの概念を伝えようとしていると考えることが のない人にとってこれらの表現がどれほど意味をなさ
できる。このため,聖句の意図していることがとらえ ないかを想像してみる。
やすくなる。
著者が意図したことを理解するために慣用句を研究
■ 直喩。直喩法では,通常「のように」などの言葉に
するのは価値がある。研究に当たって利用できる最も
よって二つの物事を比較する。例えば,「見よ,炉のよ 優れた資料は脚注である。聖典の末日聖徒版にはほと
うに燃える日が来る。」(マラキ 4:1 )直喩表現の目的 んどの慣用句について非常に役立つ解説が記されてい
は,二つの異なった物事の間に見られる性質を関連づ る。また,章や書の前後関係から慣用句の意味を探る
けることである。直喩法の価値の一つに,言葉が節約 ことによっても理解を深めることができる。このほか
できるということがある。わずかな言葉で多くの事柄 に,著者の文化的背景を調べることも役立つ。
以下の慣用句をクラスで読み,話し合うとよい。理
を伝えることができるのである。(直喩については本課
解を明確にするためにこれらの慣用句を書き直す演習
または13課で詳しく教えるとよい。)
直喩表現は聖文全般を通じて頻繁に見られる。詩篇 を行うとよい。
1:3;1 ペテロ 2:25;ルカ13:21などがその例であ 1. 「わたしの骨は皮と肉につき,わたしはわずかに歯
る。生徒に,直喩に印を付けさせる。また,何と何を
の皮をもってのがれた。」(ヨブ19:20,強調付加)
比較しているかを見つけさせる。このように比較する
現在,一般的に使われている慣用句の例を生徒に尋
ことによって何が学べるか生徒に尋ねる。
ねる。
■ 隠喩。隠喩とは二つのものが類似していると暗示す
■ 擬人法。擬人法とは概念,動物,あるいは物に人間
ることである。例えば,
「あなたがたは,地の塩である。」 性を持たせることである。例えば,「シオンは美しさと
きよ
(マタイ 5:13)隠喩の目的は強調し,簡潔に表現し, 聖さを増し,その境は広げられ,そのステークは強く
興味を持たせることにある。(隠喩については本課また されなければならない。」(教義と聖約82:14,強調付
は13課で詳しく教えるとよい。
)
加)この場合,シオンは女性として扱われている(訳
聖文中の隠喩の例として,申命32:4;ヨハネ10: 注――英文では,「彼女の境」「彼女のステーク」とな
11;15:1;2 ニーファイ 9:41;教義と聖約76:85を っている)。
以下の聖句を使って,何が擬人化され,擬人化によ
挙げることができる。生徒に隠喩を見つけさせる。そ
れぞれの隠喩はどのような意味のことを暗示している ってどのように理解しやすくなっているかを見つけさ
せる。
か尋ねる。
■ 誇張法。誇張法とは強調するために意図的に大げさ
1. 「主は言われた,『あなたは何をしたのです。あなた
の弟の血の声が土の中からわたしに叫んでいま
に表現することである。つまり誇張して話すことであ
す。』」(創世 4:10,強調付加)
る。例えば,「富んでいる者が神の国にはいるよりは,
らくだが針の穴を通る方が,もっとやさしい」などが 2. 「もろもろの星は天より戦い,その軌道をはなれて
そうである(マタイ19:24)。
シセラと戦った。」(士師 5:20,強調付加)
誇張法が採用されている以下の例を生徒とともに読 3. 「しかし,主はその聖なる宮にいます,全地はその
む。大げさな表現と,意図された意味について話し合
み前に沈黙せよ。」(ハバクク 2:20,強調付加)
■ たとえ。たとえは質問に答えたり,道徳や教訓を指
う。
1. 「もしあなたの右の目が罪を犯させるなら,それを 摘したりするために例を用いて説明する物語である。
抜き出して捨てなさい。五体の一部を失っても,全 「たとえ」(parable)という語はギリシャ語に由来し,
身が地獄に投げ入れられない方が,あなたにとって 比較するために二つのものを並べることを意味する。
たとえは,教えている事柄を隠すために用いることも
益である。」( マタイ 5:29,強調付加)
2. 「われわれはどこへ上って行くのか。兄弟たちは, しばしばある。そのために,原則に従う備えのできて
『 そ の 民 は わ れ わ れ よ り も 大 き く て , 背 も 高 い 。 いない者や,理解する準備のできていない者にとって,
町々は大きく,その石がきは天に届いている。われ たとえは単なる愉快な物語にしかすぎないということ
われは,またアナクびとの子孫をその所で見た』と になる。
イエスはなぜたとえを使って話すのかと尋ねられた
言って,われわれの心をくじいた。」(申命 1:28,
ときに,「神の国の奥義」を知る準備ができて,進んで
強調付加)
■ 慣用句。慣用句とは特定の文化の中で意味を持つ語
聞こうとする人もいるが,ほかの人たちはそうではな
や句を言う。文字どおりに受け取っても何の意味もな いからだと答えられた(ルカ 8:10参照)。十二使徒定
員会会員を務めたブルース・R・マッコンキー長老の
さない。
対象となる文化や言語を知らない人にとって慣用句 以下の言葉は,たとえを使う目的を理解するうえで助
37
けになる。たとえは「福音の原則を解説するために使
われる。また福音が教える幾つかの真理をいきいきと
説得力豊かに引き立たせる。しかし,たとえを聞きさ
えすれば教義が明らかになり,永遠の命に通じる道へ
人々が導かれるというわけではない。たとえが説明し
ようとしている教義そのものを知って初めて,その教
義 の 完 全 な 意 味 を 理 解 で き る の で あ る 。」( M o r t a l
Messiah,第 2 巻,241)
マッコンキー長老の言葉によれば,たとえをよく理
解するためにどのような指針を設けることができるだ
ろうか。
その他の学習資料
「ヘブライ文学の表現形式」『旧約聖書:創世記−サ
ムエル記下』(宗教コース301,生徒用資料)
,335−339。
ヘブライ文学における様々な種類の対句法(並行法),
比喩的な言葉遣いが表している心象,両義性の使用
■
生徒の学習のための提案
箴言には対句法の例が数多く見られる。箴言 3 章を
読んで,対句法を用いている節を幾つか見つけさせる。
■ 以下のリストを配布して,それぞれの聖句で使われ
ている比喩的表現を記入させるとよい。
■
38
比喩的表現と定義
A.直喩――類似しているものを使って比較するこ
と。「A は B のようである」と宣言すること。
B.隠喩――類似していると暗示すること。AとB
の類似点に注目して,「A は B である」と宣言
すること。
C.誇張法――強調するために意図的に大げさに表
現すること。
D.擬人法――人間以外のものに人間性を持たせる
こと。無生物が人の英知を持っているかのよう
に述べること。
参照聖句
1.__
2.__
3.__
4.__
5.__
6.__
7.__
8.__
申命 1:28
マタイ26:26
マタイ 9:36
イザヤ14:8
サムエル下 1:23
ジョセフ・スミス−歴史 1:32
マタイ 5:13
詩篇 1:4
(正解)
1. C
2. B
3. A
4. D
5. C
6. A
7. B
8. A
聖文に見られる象徴表現
目 的
聖文の中で使われている象徴を理解することによっ
て,主が聖文の中で与えておられるメッセージをより
完全に理解し,メッセージの真の価値を知ることがで
きる。
テーマ
1. 象徴によって教えることにはどのような価値がある
か。
2. どれを象徴表現と考えたらよいのか。
かぎ
3. 聖文の象徴表現を理解するための鍵がある。
教えるためのアイデア
1.象徴によって教えることにはどのような価値
があるか
聖文で用いている象徴と心象を理解することによっ
て,主が与えておられるメッセージをより完全に理解
し,メッセージの真の価値を知ることができる。以下
の文を参照しながら,聖文の中で象徴表現が広く用い
られている理由について話し合う。
抽象的な概念を教えるには象徴が最良の方法とな
る。抽象的な概念はほとんどの場合,連想という手段
■
を用いなければ理解し難い。(その意味では,連想は研
究補助資料のような働きをする。)例えば,定義だけを
基にして信仰という原則を理解するのは困難である。
しかし,わたしたちの経験領域にある何かと関連づけ
て信仰という原則を考えるならば,理解しやすくなる。
例えば,アルマはゾーラム人を教えたときに,神の言
葉に対して信仰を働かせることを,種を植えることに
たとえた(アルマ32:28−43参照)。同じように主は世
の罪を御自身に受けられることを,酒ぶねの中でぶど
うを踏んだときに果汁が衣を染めることと関連づけら
れた(教義と聖約133:48参照)。
象徴は時代を特定せず,文化に左右されず,言語の
壁を超越する。原則を教えるために植物,動物,自然
第13課
の岩 の上に基を築かなければならないことを覚えてお
きなさい。」(ヒラマン 5:12,強調付加)この象徴は
どのような時代に生き,どのような文化的背景を持っ
ているかにかかわりなく,確固として動かないように
するためには何が必要かを明らかにしている。
象徴表現は視覚にも訴えるので,同じ概念でも,象
徴を用いないよりは,一般的に記憶に残りやすい。モ
ロナイは自分の衣を裂き,その一片に「我々の神と宗
教,自由,平和,妻子のために」と書いた(アルマ
46:12。11−13,21,36節も参照)。モロナイはこれを
旗として使った。そしてこの旗はニーファイ人にとっ
て自由の象徴となった。これを複製したものが全地の
塔の上に掲げられた。
個人の霊的成熟度に応じて霊的な真理を明らかにす
るためあるいは隠すために,象徴を用いることができ
る。一例を挙げると,救い主がたとえで語られたのは,
聞いている人々の中に主の教えを受け入れる気持ちが
なく,準備もできていない者たちがいたためであった。
象徴が用いられていると,聖文を学ぶ者は探求する
姿勢を養うことができる。聖句の中には明白な事柄だ
けでなく,明白にされていない事柄も含まれている。
そのことを理解している人は,預言を含むメッセージ
をより完全に理解し,メッセージの真の価値を見いだ
そうとして,聖句について調べ,考え,探求し,祈る
傾向がある。
2.どれを象徴表現と考えたらよいのか
次のように質問する。「象徴的に書かれていると考え
るべきなのか,文字どおりに受け取るべきなのか,ど
のように区別したらよいのでしょうか。」
聖句が象徴的に書かれているととらえるか,文字ど
おりに理解すべきと受け取るべきか,その区別は必ず
しも易しくないことを理解させる。事実,多くの聖句
は文字どおりの意味と象徴的な意味の両方を含んでい
る。しかし,それを見分けるための手がかりもある。
象徴表現を暗示する語句,すなわち「のような」な
ちょくゆ
どの語句に注目する。これらは直喩 と呼ばれており,
聖文の中で一般的に使われている。マタイ13:31,33,
44を読んで,たとえとして挙がっている語句に印を付
界の現象などを採り上げることにより,言葉や時代,
けさせる。
民族にかかわらず,普遍的に教えることができる。異
説かれていることが不自然であったり,現実にそぐ
なる時代や文化の間に生じる壁を取り払うこともでき
わない場合,象徴表現と考える。
る。信仰の定まっていない人を表すために海の波を用
ヨエル 2:8。「彼らは武器の中にとびこんでも,身
いるならば(例えば,ヤコブの手紙 1:6 参照),時代
をそこなわない。」
や民族の違いを超越して同じメッセージを伝えること
黙示 1:16。「口からは,鋭いもろ刃のつるぎがつき
ができる。ヒラマンは息子たちに次のように語った。
あがな
出ており……。」
「あなたたちは,神の御子でありキリストである贖い主
■
39
黙示12:3。「見よ,大きな,赤い龍がいた。それに 7 (ヨブ19:24;エレミヤ17:1 参照),高慢や頑固さを表
すため(イザヤ48:4;1 ニーファイ20:4 参照),かす
つの頭と10の角とがあり……。」
自然な表現でありながら,象徴が隠されている場合 や価値のないものを表すため(イザヤ60:17;エゼキ
も数多くある。非常に具体的に述べたり,描写したり エル22:18参照)など,様々な場面で鉄が象徴として
している聖句は,文字どおりのことを意味しているか 使われている。
類似する概念を表すために同じ象徴が時代を超えて
もしれないが,その中に象徴表現が隠れているかもし
用いられることもある。例えば,血は,命の象徴とし
れない。
しょくざい
これを説明するために,幕屋の設営計画を扱ってい て(創世 9:4 参照),また贖罪 の象徴として(教義と
る出エジプト25−30章から幾つかの節を選ぶ。ほかの 聖約27:2;モーセ 6:60参照),さらに罪の象徴として
例としては,福音の儀式について非常に具体的な説明 ( 2 ニーファイ 9:44参照),また,死すべき世または地
がなされている箇所である。それは儀式の様式につい にかかわるものの象徴として( 1 コリント15:50参照)
て説明する聖句であるが,同時に福音の大切な教えと 用いられている。それぞれの言葉が何を象徴している
か判断するには前後関係に注意することが大切である。
概念を表してもいる。
現代の預言者の教えに目を向ける。預言者たちが聖文
3.聖文の象徴表現を理解するための鍵がある
に解説を加えるとき,聖典に記されていない洞察を与
■ 聖文に登場する象徴をよく理解するために,以下の
えることがある。例えば,ジョセフ・スミスは預言者
指針を紹介する。参照聖句を読んで話し合うとよい。
ダニエルの記録(ダニエル 7 章参照)とヨハネの記録
聖文の中に象徴の解釈があるかどうか確認する 。黙 (黙示 4−5 章参照)を比較して,このように述べた。
示 1:12,16はヨハネが見た示現に現れた 7 つの燭台と 「ダニエルが見たのは,実際の熊やライオンではなく,
7 つの星について述べている。20節でその象徴が説明し それらの獣の印象すなわち象徴でした。〔旧約の〕預言
てある。燭台は,ヨハネが啓示を受けた当時,その地 者たちが獣について語っている箇所はすべて,『獣』で
域にあった 7 つの教会の支部を表しており,7 つの星は はなく,『印象』と翻訳すべきでした。しかし,ヨハネ
みつかい
しもべ
「御使」(ジョセフ・スミス訳では「僕」)すなわちこれ が天で見た動物は,実際の獣でした。それは獣が実際
ら 7 つの支部の神権指導者を表している(黙示 2:1,8, に天に存在していることをヨハネに示すものであって,
12,18;3:1,7,14も参照)。教義と聖約77章は,黙 地上に存在するものの象徴として示されたものではあ
示録の教えと象徴を理解するための鍵を多く与えてい りません。」
(Teachings of the Prophet Joseph Smith,
る。
291)
象徴として用いられている事物の性質を,聖文の意味
聖文では時々,天使が預言者に象徴を説明する場面
みたま
が描かれている。あるいは預言者が主の御霊 の助けに を理解するために役立てる 。ヨハネが記した天の示現
より象徴を理解したと述べられている場合もある。例 の中には,4 つの生き物が出てくるが,それぞれ「 6つ
えばニーファイである。ニーファイ自身も父親も命の の翼」があり,「目で満ちていた」と描写されている
木の示現を見たが,ニーファイはその示現で見た象徴 (黙示 4:8 )。教義と聖約はこれが比喩であることを次
について教えを受けている。リーハイの示現を理解す のように説明している。「それらの目は,光と知識の表
るために 1 ニーファイ 8:2−35を読む。ニーファイは れである。すなわち,それらは知識に満ちている。ま
父親と同じ示現を求めて,それを受けた( 1 ニーファ た,それらの翼は力の表れであり,動く力や,行動す
イ11:3−9 参照)。後に一人の天使がその示現が何を象 る力などを表す。」(教義と聖約77:4 )この説明は象徴
徴しているか説明した。天使が説明している箇所( 1 として用いられている事物の性質と一致している。わ
ニーファイ11:21−25,36;12:16−18)を読む。さ たしたちは目で光を受け,光のおかげで物が見えて,
らに,ニーファイが兄弟に夢の内容を説明している箇 知識が得られる。鳥の翼は地上の人間が持つ限界を超
所( 1 ニーファイ15:21−30)を読む。
えて動く力を意味している。
前後関係から象徴を眺める 。一つの象徴が,異なっ
この二つの例は聖文で用いられている象徴の典型で
た概念を表すために用いられることがある。その一例 ある。つまり象徴は預言者たちが勝手に選んだもので
が鉄である。鉄は,堅固なもの,曲がらないもの,あ はなかったということである。物事の自然の特徴と利
るいは硬くて何も突き通さないものを表すために用い 用法を考慮したうえで,どの象徴を用いて教えるかを
られる(レビ26:19;申命28:23;エゼキエル 4:3; 決めていたのである。
聖文の研究補助資料を活用する 。末日聖徒版の聖典
黙示 9:9 参照)。そうかと思えば,鉄は,過酷な苦難
や迫害を表すためにも使われる(申命 4:20;28:48; に挿入されている研究補助資料は十二使徒定員会の指
列王上 8:51;詩篇107:10;エレミヤ11:4;28:14; 示の下に作成された。この資料には有益な概要と説明,
1 ニーファイ13:5 参照)。さらには,強さを表すため さらに解釈の助けとなる情報が含まれている。例えば,
(申命33:25;ダニエル 2:40−42;7:7;ミカ 4: 2 ニーファイ15章の前書きでは主のぶどう園がイスラエ
13;教義と聖約123:8 参照),永続性と忍耐を表すため ルの家であることが明らかにされている。さらに,2 ニ
40
ーファイ23章の前書きには「バビロンの滅亡は,主の
再臨の時に悪人が滅びることの予型である」という説
明がある。
福音の中で視野を広げて考える。そして,福音全体
に照らして矛盾のない解釈を検討する。ある真理に関
連する象徴を理解するには,まず根底に流れている霊
的な真理を理解しなければならない。キリストの贖罪
あわ
と,正義と憐れみの律法との関連を理解していなけれ
ば,モーセの律法における犠牲とささげ物に関する律
法に付随する様々な意味を理解することはできない。
聖文は相互に関連している。そのため,ある節の単
語,句,概念が,類似した節にも使われていることが
しばしばある。したがって,聖文と預言者の言葉を絶
えず研究して,聖文と預言者の教え同士が頭の中で常
に「互いに影響し合っている」ことが大切である。例
えば,黙示 2:27の「鉄のつえ」は,リーハイとニー
ファイが受けた命の木の示現を理解していると,いっ
そう理解しやすくなる。ニーファイは「鉄の棒が……
神の言葉である」と説明した( 1 ニーファイ11:25)
。
福音は首尾一貫している。一つの真理は別の真理と
相矛盾しない。聖文に登場する象徴に関する正しい解
釈は,すべて真実の福音の教えと調和する。この原則
は象徴を解釈する際の物差しとなる。一つの例がヨハ
ネの黙示録の中にある。ヨハネは,子供を生もうとし
ていた女性と,生まれるのを待ち構えてその子を飲み
込もうとしていた龍について述べた。「女は男の子を産
んだが,彼は鉄のつえをもってすべての国民を治める
べき者である。」(黙示12:5 )女性は神の教会を象徴
している。これは,聖文に度々登場する花嫁(聖約の
民)と花婿(キリスト)というテーマと一致している。
男の子は福千年における神の王国の象徴である。
十二使徒定員会会員を務めたブルース・R・マッコ
ンキー長老はこのように記している。「世の聖書学者の
間では,この男の子がキリストであると主張されてい
る。しかしこの憶測は,説得力があるように見えるも
のの,教会はキリストを産まなかったという事実と,
キリストは教会の創始者であられるという明白な事実
によって退けられる。末日聖徒の聖典学者の中には,
男の子が神権であると解釈する人がいる。この憶測も,
説得力があるように見えるものの,同じ理屈から否定
されなければならない。教会は神権を産まなかった。
神権は教会をもたらした力である。」( Doctrinal New
Testament Commentary,第 3 巻,516)
聖文や象徴について熟慮し,祈る 。ブルース・R・
マッコンキー長老はこのように教えている。「すべての
聖文は聖霊の力によって与えられ,……同じ力によっ
て解釈すべきである。そして,それは可能なことなの
である。……最初に啓示を明らかにした啓示者によら
なければだれも聖文の真の意味を理解することはでき
ない。すなわち聖霊からの啓示が必要なのである。」
(Doctrinal New Testament Commentary,第 3 巻,356)
聖文をほんとうに理解したいと思うなら,聖文の中で
主が使われた象徴をほんとうに理解したいと思うなら,
主の御霊を通じて主からもたらされる導きを求める努
力をしなければならない(教義と聖約136:32−33参
照)。そうすれば,救い主は快くわたしたちの思いを啓
発してくださり,また主に仕える者に奥義を示してく
ださる(教義と聖約76:5−10参照)。
預言者ジョセフ・スミスが語った以下の言葉につい
て話し合うとよい。
「神は心象,獣,あるいは様々な象徴を示現として
お授けになります。しかし,神は常にその示現の意味
を教えるために,啓示や解釈を与えてくださるのです。
それは,神が負っておられる責任なのです。神が象徴
の意味を示してくださらない場合,わたしたちはその
象徴をどう考えるかについて責任を問われることはあ
りません。ですからそのような場合,示現や象徴の意
味を知らないからといって,罰の定めを受けることを
恐れる必要はまったくないのです。」(Teachings,291)
聖文の象徴の中にキリストを見つける。この大切な
テーマについては15課で詳しく採り上げるので,本課
では手短に述べるにとどめておくとよい。
その他の学習資料
ジェラルド・N・ランド,“Understanding Scriptural Symbols,”Ensign,1986年10月号,22−27。聖文で
用いられている比喩的な言葉を扱うための 6 つの指針
■ 付録「聖文で用いられている象徴の例」
(本書の52ペ
ージ参照)。
■
生徒の学習のための提案
様々な語句を象徴として用いている例を以下に示す。
生徒は,それぞれの語句が与えられた意味で用いられ
ている聖句を少なくとも一つ挙げる。『聖句ガイド』や
その他の資料を参照させるとよい。
1.色
紫または緋色――忠誠
黒――災い,苦難
2.体の部分
肩――運ぶ,忍耐する
心臓――人の内面,感情
腰――子供,子孫の源
3.創造物
蛇――悪魔,欺く者
ライオン――力,忠誠
バッタ――破滅,破壊
4.衣服
衣をまとうとは,性質を持っていること,ある種
の状態にあることを意味する。
義をまとう――ふさわしい
■
41
恥を着る――罪深い
けんそん
荒布を着る――謙遜,悲しみ
5.食物
ミルク――繁栄
果実――結果,結末
6.鉱物
泥――もろい(弱いまたは壊れやすい)
銀――大きな価値を持つが,金ほどではない
7.自然の力
だらく
火――聖霊による清め,堕落した者の壊滅
風――試練,敵対
8.物体
くびき――束縛,重荷
鍵――権能
9.場所
シオン――義人
ソドムとゴモラ――罪深い人
42
10.儀式
バプテスマ――清め
結婚――神との聖約関係にあること
11.行為
あんしゅ
按手――力や権能を授ける
けんそん
洗足――謙遜,世の影響から清める
12.数字
1 ―― 一致――最も大切な事柄
3 ――神会,会長会
13.自然
草――弱さ
砂――広大さ,大きな数字
聖文を応用して個人の必要を満たす
目 的
聖文は個人のチャレンジや必要に対する答えを与え
る。
テーマ
1. 神の言葉には力がある。
2. 聖文は質問や疑問に答えを与えている。
3. 聖文は日常生活の指針となる行動規範と模範を与え
てくれる。
4. 聖文から,試練,試し,誘惑に耐えるための慰めを
得ることができる。
教えるためのアイデア
1.神の言葉には力がある
エズラ・タフト・ベンソン大管長が語った以下の勧
告を紹介する。
「現代は大きなチャレンジの時代です。この時代につ
いて主は『平和が地から取り去られ,悪魔が自分の領
域を支配する力を持つ時』と語られました(教義と聖
あかし
約 1:35)。…… 証 を持ち,戒めを守ろうとしている教
会員に対して,サタンは戦いを挑んでいます。そして
多くの教会員は忠実で堅固な信仰を持っていますが,
揺らいでいる者もあり,倒れようとしている者もあり
ます。……
……これは現代のチャレンジへの答えです。聖文,
生ける預言者の言葉,そして個人の啓示の中に見いだ
みたま
される神の言葉には,聖徒を強め,御霊で守る力があ
ります。その結果,聖徒たちは悪に立ち向かい,善を
固く守って,人生に喜びを見いだすことができるので
す。……
……ハロルド・B・リー大管長は地区代表の集まり
でこのように述べました。
『わたしたちの会員は,純粋で真理と英知に満ちた
福音を渇望しているに違いない。……ところがすべて
の悪に対抗するよう主がわたしたちに与えられた最も
力強い武器は,主御自身の言葉であり,聖文の中に見
いだされる救いに関する単純明快な教義であることを
忘れているかのように思える人がいる。』……
……皆さんにできる最も大切な事柄は,聖文を熱心
に読むことです。一生懸命に研究し,キリストの言葉
を味わってください。教義を学び,聖文の中に見いだ
される原則を自分のものにしてください。あなたが召
しを果たすうえで聖文以上に大きな利益をもたらすも
■
第14課
のはほかにありません。あなたが奉仕するとき,聖文
以上に大きな霊感を得る方法はほかにありません。
……もし各個人や家族が定期的に続けて熱心に聖文
を読むならば,これらの様々な領域〔伝道,神殿結婚,
せいさん
聖餐会の出席〕で,当然の結果として成果が上がるこ
とでしょう。もっと証が深まり,人々はさらに熱心に
参加するようになるでしょう。家族が強められ,個人
に啓示が注がれることでしょう。……
正義にかなった成功,まやかしを避け誘惑に打ち勝
いや
つ力,日々の生活における導き,心の癒 し――これら
は主の言葉を守る者に与えられた約束のほんの一部に
しかすぎません。……
……是非とも熱心に聖文を勉強してください。毎日
聖文に親しみ,御霊の力を受けて召しを果たすように
してください。」(「み言葉の力」『聖徒の道』1986年 7
月号,79−82参照)
■ 十二使徒定員会会員であるL・トム・ペリー長老はこ
のように述べている。「わたしたちは聖文に感謝してい
ます。聖文には,子供たちに対する主の教えが収めら
れています。聖文は主が計画された道を深く理解する
のに役立ち,この試しの時期に確かな案内役としてわ
たしたちを導いてくれます。」(「福音の基本に立ち返る」
『聖徒の道』1993年 7 月号,93参照)
■ 神の言葉には「民に正しいことを行わせるのに大き
な効果があ〔る〕」ことをモルモン書の預言者たちは知
っていたと説明する(アルマ31:5 )。モルモン書の預
み こ と ば
言者たちはまた,御言葉は「剣やそのほか,……どの
ようなことよりも民の心に力強い影響を及ぼす」こと
を知っていた。このため,預言者たちは万人に御言葉
の
を宣べ伝えるために力を尽くしたのである。耳を傾け
た者たちは生活の中に永続する変化を経験した。わた
したちも生活の中で神の言葉の力を経験しなければな
らない。
■ 十二使徒定員会会員であるボイド・K・パッカー長
老の以下の言葉について話し合う。「啓示を知っている
ならば,予防できないほどの大きな問題に出遭うこと
はありません。」(Teach the Scriptures,7)
2.聖文は質問や疑問に答えを与えている
■ ハロルド・B・リー大管長が語った以下の言葉の大切
さについて話し合う。
「様々な問題に対する答えを,聖文の中に求めるよ
うに,教会員に教えなければなりません。聖文の中に
教義的な答えを見いださないかぎり,どのような疑問
にも答えることはできないと言えるほど賢明であった
ら,どんなにすばらしいことでしょう。……しかし残
43
念なことに,非常に多くの会員が聖文を読んでいない
のです。そのような会員は聖文の中に何が書かれてい
るかを理解していません。そして,聖文の中に見いだ
すべき事柄について,あれこれと憶測をしているので
す。」(「聖典の中から答えを見つけなさい」『聖徒の道』
1973年12月号,529参照)
■ 疑問の答えを見いだす際に,聖文はどのように助け
となるかについて説明した十二使徒定員会会員のダリ
ン・H・オークス長老の以下の話を紹介する。
「聖文を通して,非常に具体的な個人の質問や疑問
に対して答えが得られます。もちろん,特定のテーマ
に関するあらゆる疑問に対して具体的に答える完全な
リストが聖文の中にあるわけではありません。聖文は
電話帳や百科事典のようなものとは違います。
聖文にはあらゆる疑問に対する答えが記されている
という言葉を聞くことがあります。それはどういう意
味でしょうか。教義上の疑問を含めたあらゆる疑問に
対して,聖文に具体的な答えが記されているわけでは
ありません。考えられるあらゆる疑問に対する具体的
な答えが聖文に記されていないからこそ,教会には絶
えざる啓示があるのです。聖文にあらゆる疑問の答え
が記されていると明言する理由は,聖文にはどのよう
な疑問を持つ人も答えに導く力があることを意味して
います。
……聖文を読むと,イエス・キリストの福音に対す
る証を得やすくなります。また,聖文を読んでいれば,
教義上の疑問であろうと個人的な疑問であろうと,答
えとなる霊感を受けやすくなります。疑問に思ってい
ることと読んでいる箇所が,直接関係していなくても,
同じことです。このことは偉大な真理であるにもかか
わらず多くの人が理解していません。もう一度申し上
げます。聖文の中に,具体的な個人の疑問に答える言
葉がまったく含まれていなくても,聖文を祈りの気持
ちで読むならば,答えを受けやすくなります。聖文を
研究すると聖霊の導きを受けやすくなるからです。
『〔聖霊は〕あなたがたをあらゆる真理に導いて〔くだ
さる〕であろう』と聖文に記されているとおりです
(ヨハネ16:13)。また,聖霊の力によって『すべての
ことの真理を知る』とも書かれています(モロナイ
10:5 )。
たとえ聖文中の言葉は,まったく異なる時代に,ま
ったく別の目的で語られたものであっても,聖霊の影
響力によって解き明かされ,現在の個人の必要に合っ
た個人的なメッセージとして読む人の心に理解される
こともあるのです。」(“Studying the Scriptures,”19−
21)
オークス長老の教えを踏まえたうえで,聖文から得
られる導きについてのもう一つの原則に思いをはせる
必要がある。それは命の言葉を心の中に大切に蓄える
ことである。そうすることによって,必要なときに神
の御霊が命の言葉を思い起こさせてくれるのである。
■
44
主は教会の長老たちに対して,世の人々に福音を教
える義務について次のように語られた。「あなたがたは
何を言おうかと,前もって思い煩ってはならない。た
だ絶えず命の言葉をあなたがたの心の中に大切に蓄え
るようにしなさい。そうすれば,それぞれの者に必要
な部分が,必要なそのときに授けられるであろう。」
(教義と聖約84:85)この勧告は日常生活の中で様々に
応用することができる。聖文の言葉を絶えず心に思い
起こすと,聖句が心と思いに「語りかけてくる」よう
になり,その聖句に対して愛着がわき,やがて自分の
ものとすることができるのである。これらの言葉は予
期しないときに意識に訴えかけ,指示や慰め,理解,
警告を与えてくれる。
■ 現在,人類が直面している問題を幾つか挙げさせ,
黒板に列挙する。一つの問題を選んで,生徒に時間を
与えて,その問題を解決するために役立つ教えを聖文
の中から見つけさせる。本課題はクラスで行ってもよ
いし,宿題として与えてもよい。見つけた答えを発表
させ,それを皆で話し合う。
3.聖文は日常生活の指針となる行動規範と模範
を与えてくれる
ヨセフ,モーセ,ダニエル,ルツ,ヨブ,ニーファ
イ,アルマ,司令官モロナイ,ジョセフ・スミスのよ
うに立派な男女は,どのような生きるべきかの模範を
示している。以下の聖徒たちが示した強さを挙げさせ
る。その強さはどのような点でわたしたちの行動規範
となるだろうか。
1.ヨセフ(道徳的な清さ)
けんそん
2.モーセ(謙遜,柔和)
3.ダニエル(勇気)
4.ルツ(誠実)
5.ヨブ(忍耐)
6.ニーファイ(従順)
7.アルマ(悔い改め)
8.司令官モロナイ(自由)
9.ジョセフ・スミス(堪え忍ぶ)
■ 聖文に登場する聖徒たちの人生から彼らの強さを見
つけ出して,自分自身の生活に役立てることができる
ことを理解させる。『聖句ガイド』からダニエル,ダビ
デ,エステル,エレミヤ,ヨブ,ヨセフ(ヤコブの息
子),パウロ,ペテロに関する項目を読んで,話し合う。
■ 優れた模範者について説明するために,この神権時
代の預言者や中央幹部の経験談を紹介する。
■
4.聖文から,試練,試し,誘惑に耐えるための
慰めを得ることができる。
パウロは獄に捕らえられ,自分の生涯が終わりに近
づいていることを知っていた。そのような孤独な状態
に置かれたパウロが,どのように過ごしたかについて
話し合う( 2 テモテ 4:6 参照)。そのような試練を受け
たらあきらめてしまう人もいるかもしれないが,パウ
■
ロはそうではなかった。パウロは自分が立派な生涯を
送ってきたことを確信し,次の世で輝かしい報いを受
けると確信していた( 7−8 節参照)。そのようなチャ
レンジの時期を堪え忍ぶために,パウロはテモテに手
紙を書き送り,自分のもとへ来るように伝えた。パウ
ロは手紙の中で,上着と書物を持って来てくれるよう
に頼んでいる。「特に,羊皮紙を持ってきてもらいたい」
と書いている(13節)。羊皮紙とは恐らく聖文の写しを
指していたと思われる。
■ 七十人会員だったマリオン・D・ハンクス長老が語
った以下の話を読むか,話す。
「ある日一人の男性がテンプルスクウェアにやって
来て,事務所のドアの前に立ち,中に入れてほしいと
言っていました。わたしがその人を見たとき,切羽詰
まっていることが分かりました。悲しいことですが正
直に申し上げると,わたしはとっさに,お金を必要と
しているのではないかと考えました。テンプルスクウ
ェアにいると,そのような恵まれない人を助ける機会
がよくあるからです。さて,わたしは少し懐疑的な思
いを抱きつつ男性に目を向けてから,ドアに近づき,
部屋に招き入れました。その顔を見た途端,この男性
が必要としているのはお金ではないことが分かりまし
た。大きな精神的ショックを受けた様子で,うつろな
目をしていました。
この男性は教会員ではありませんでしたが,妻は初
等協会の会長を務める立派な教会員でした。二人の間
には11歳になるかわいい娘がいました。男性の両親は
東部に住んでいました。家族会議を開いて,東部に住
んでいる両親のためにいちばんのクリスマスプレゼン
トは何だろうかと楽しく語り合いました。そして考え
た挙げ句,お父さん(つまりこの男性)を派遣するこ
とにしました。長い間会っていないうえに,クリスマ
スシーズンです。家族が贈ることのできるいちばんの
プレゼントは一人息子の里帰りしかないということに
なりました。男性はあまり気が進みませんでしたが,
大切な使命を帯びて,両親に会いに行きました。男性
が両親のもとにいる間に,近所の人から妻が交通事故
に遭ったという連絡が入りました。幼い娘は事故で死
んでしまい,その後の車の炎上で,娘の遺体は灰にな
ってしまいました。
この知らせに男性は大きなショックを受けました。
自宅に戻る途中,ソルトレークで数時間の待ち時間が
あったので,男性は平安を求めてテンプルスクウェア
に来たのでした。机を挟んでお互いの顔を見ながら話
をしました。わたしは男性に教えようとしました。そ
のときほどのもどかしさをかつて感じたことはありま
せんでした。わたし自身もショックから立ち直れなか
ったからです。永遠について,復活について話しまし
た。信仰が必要であること,主の力と支えが必要であ
ることを話しましたが,まったく何の助けにもなりま
せんでした。わたしは絶望感に襲われ始めました。男
性はいらいらしながら座っていましたが,やがて帰り
支度を始めました。わたしは祈り始めました。そのよ
うな状況の下で何度も繰り返してきた祈りでした。『主
よ,今,助けてください。』『主よ,今,助けてくださ
い。』皆さんも理解してくださると思いますが,わたし
みたま
はある確信をもって,この書物を開きました。御霊の
導きを受けるまでもなく,もっと早くこの本を開けば
よかったのですが……。それはアルマ書第11章からの
一節でした。
『霊と体は再び結合して完全な形になり,手足も関
節も,……その本来の造りに回復される。』(アルマ
11:43)
次にアルマ書第40章を開いて,復活についてもう少
し読みました。『……髪の毛一筋さえも失われることな
く……。』(アルマ40:23参照)そのとき初めて,問題
解決の糸口が見えてきました。それまでの話を通じて
分かったことは,この男性がいちばん苦しんでいるの
は,幼くかわいらしい娘のことであるということでし
た。わたしにも幼い娘がいます。ですから,父親なら
どのような思いになるか分かるのです。少なくとも想
像はできると思います。「娘の姿をもう二度と目にする
ことができない。美しい娘の姿が消えてなくなってし
まった。それ以上の望みは何もないのに。」そのことが
男性を最も苦しめていたのでした。けれども,男性は
座って,じっと耳を傾けていました。そしてこの単純
な「治療」が繰り返されました。わたしたちは主の言
葉を読みました。男性はそれが主の言葉であると受け
入れて聞いていました。男性はドアの近くのくぼんだ
壁の所に座り,長い間,繰り返しその聖句を読みまし
た。空港まで送って行くころには,うつろだった目は
光を取り戻していました。男性は泣きました。恐らく
初めて見せた涙だったと思います。そして男性は少し
話しました。何とか話しができそうでした。それで,
先ほど話そうとした原則について話し合いました。
数か月後,カウンター越しにこの男性の声が聞こえ
ました。最初に会ったとき以来何の連絡もありません
でした。男性はあまり身なりのきちんとしていない二
人の男性とともにロビーに立っていました。二人は教
会員の家庭で生まれた妻の兄と弟であることが分かり
ました。男性はモルモン書のアルマ書第11章を開いて,
そのすばらしい言葉を二人に何度も読んで聞かせてい
たのです。その教義が真実であることを証していまし
た。また,男性はモルモン書を調べてみた結果,それ
が神の言葉であると分かったと証していたのです。こ
の男性は教会員の家庭に生まれた二人のためにモルモ
ン書を 1 冊買い求めて,自分でも読むようにと二人の
家に送っていたのでした。
わたしはそのときに,『読もうとしない人は読むこと
のできない人と同じように不幸である』という言葉に
ついて考えました。その後何度となく,この言葉につ
いて考えています。」(Seeking“Thick”Things,5−6)
45
■ イエスは聖文から力を得られた。イエスはバプテス
マを受けた後,間もなくして,御霊に導かれて荒れ野
へ行き,そこで神とともにおられた(ジョセフ・スミ
ス−マタイ 4:1 参照)。イエスが40日40夜断食された
後,サタンはイエスを誘惑し,神の力を不正に用いさ
せようとし,また自分を拝ませようとした。マタイ 4:
1−10を生徒と一緒に読んで,イエスが聖文を使ってど
のように誘惑を退けられたのか,調べさせる。
■ ニーファイも聖文から力を得た。主は 1 ニーファイ
17章の中で,船を造るよう命じられた。次のように記
してある。「兄たちは,わたしが船を造ろうとするのを
見ると,わたしのことをつぶやいて言った。『弟は愚か
者だ。』」(17節)ニーファイが悲しんだため,兄たちは
強気になり,エルサレムへ戻るように説得し始めた。
しかしニーファイは聖文を引用して対抗した。ニーフ
ァイは兄たちの妨害に立ち向かう力と強さを聖文から
得たのである。
人を守り,日々の生活に御霊の力をもたらすことがで
きるか。
■ ハロルド・B・リー「聖典の中から答えを見つけなさ
い」『聖徒の道』1973年12月号,527−529。聖文と大管
長の言葉は,疑問に対する答えを求めるときによりど
ころとなる。
生徒の学習のための提案
■ 聖文は人をキリストのもとへ導く。もし人がキリス
トのもとに来れば,その人はキリストから,またキリ
ストの言葉から,問題の解決策を見いだすことができ
る。アルマ 7:11−12を深く考える。なぜキリストは問
題の解決策を示すことがおできになるのだろうか。
■ 本課ではイエスが誘惑を退けるために聖文をどのよ
うに使われたかについて研究した。イエスは,死すべ
き世にあって務めを果たされたが,その業の中で,聖
こんにち
文は大切な役割を果たした。今日 の人にとっても聖文
は同じように大切な役割を果たす。イエスが聖文を使
その他の学習資料
われたほかの例として,ルカ 4:16−21;24:13−32;
■ “Hold to the Rod,
3 ニーファイ23:7−14を読む。
”ビデオ・プレゼンテーション7,
■ ニーファイはこのように宣言した。
“The Power of the Word”(38分10秒)。
「この預言者の言
■ “Hold to the Rod,
葉を聞いてください。……その言葉を自分自身に当て
”ビデオ・プレゼンテーション1,
はめてください。」( 1 ニーファイ19:24)今日,どう
“Hold to the Rod”(20分00秒)。新約聖書は実際に役に
すれば聖文を自分自身に当てはめることができるだろ
立つ。
■ エズラ・タフト・ベンソン「み言葉の力」
『聖徒の道』 うか。
1986年 7 月号,79−82。聖文はどのように悪の力から
46
イエス・キリスト――
あらゆる聖文の核心
目 的
あかし
すべての聖文はキリストを証するため,主の業と使
命にわたしたちの心を向けるために与えられている。
テーマ
1.聖文研究はキリストを中心としなければならない。
2.聖文はキリストの使命を証している。
3.すべての預言者はキリストを証している。
4.神が与えられたすべてのものはキリストを象徴して
いる。
教えるためのアイデア
1.聖文研究はキリストを中心としなければなら
ない
イエス・キリストを中心において聖文を研究するこ
との大切さについて話し合う。聖文の研究対象として
興味深いテーマはたくさんあるが,救い主と,救い主
が人類のために行われることを学ぶ以上に大切なこと
はない。救い主に焦点を合わせて学びたいと思うなら
ば,聖文から学ぶのが最も優れた方法であることを強
調する。
ハワード・W・ハンター大管長が十二使徒定員会会
員を務めていたときに語った以下の言葉は,生徒にこ
の点を理解させるために有益である。「わたしは聖文に
感謝しています。聖文を熱心に学べば,イエス・キリ
ストについてさらに深い知識が得られるからです。主
は旧約聖書,新約聖書のほかに,末日聖徒イエス・キ
リスト教会の預言者を通してキリストの新たな証とし
てモルモン書,教義と聖約,高価な真珠という聖典を
与えてくださいました。そのいずれも確かに神の言葉
です。これらの聖典は,イエスが生ける神の子,キリ
ストであられることを証しています。」(「聖典を読む」
『聖徒の道』1980年 3 月号,89参照)
■ ヨハネ17:3 を読む。人が永遠の命を得るためには御
父と御子を知らなければならないことを指摘する。ヨ
ハネ 5:39では,御父と御子を知る方法が説明されて
いる。すなわち聖文を調べなければならないとある
(ジョセフ・スミス訳ルカ11:53も参照)。
■
第15課
1.キリストは地上に神の王国を建てられた(エペソ
4:11−16;3 ニーファイ12:1;マルコ 3:13−19
参照)
。
2.キリストは救いの計画を教えられた( 3 ニーファイ
11:31−40;マタイ 4:23−24;モーサヤ 3:5−
6;使徒10:34−43参照)
。
しょくざい
3.キリストは人類のために贖罪を成し遂げられた(ヨ
ハネ 3:16−17;マタイ26−27章;2 ニーファイ
10:25;アルマ 7:11;信仰箇条 1:3 参照)
。
4.キリストは死者のために身代わりの業を始められた
( 1 ペテロ 3:18−19;4:6;モーセ 7:38−39;教
義と聖約76:73;138:29−35参照)。
■ イエス・キリストの使命をはっきり説明している聖
句を各標準聖典から書き出して,リストを作成させる。
クラスをグループに分けてから,『聖句ガイド』の「イ
エス・キリスト」の項から救い主の使命について研究
させてもよい。
3.すべての預言者はキリストを証している
以下の表を黒板に書き写す。表に示された参照聖句
についてクラスで話し合い,印を付けさせる。生徒は,
あらゆる時代の預言者がキリストについて証したこと
を理解しなければならない。
■
すべての預言者は
キリストについて証している
モルモン書ヤコブ 7:10−11
使徒 3:18
キリスト
使徒10:43
ヒラマン
8:13−20
モーサヤ
13:33−35
3 ニーファイ20:23−24
『聖句ガイド』から「イエス・キリスト」の項を開
かせる。救い主に関する参照聖句は非常に多いことを
指摘する。全員で一つ一つの下位項目に目を通し,キ
リストの特質と業の多くの側面が聖文中に網羅されて
いることを確認する。このことから,すべての聖文が
イエス・キリストを中心テーマとしていることが分か
る。
■
2.聖文はキリストの使命を証している。
4.神が与えられたすべてのものはキリストを象
徴している
聖文を研究するときに,人類に対するキリストの使
命に注目するように言う。救い主の使命について以下
の点を挙げておく。
■ 2 ニーファイ11:4 とモーセ 6:63を読んで,話し合
う。あらゆるものは救い主を証していることを理解さ
せる。
■
47
■ すべてのものはキリストを象徴しているという概念
をさらに発展させるため,以下の項目をそれぞれにつ
いて検討する。
1.モーセの律法はキリストを証している
モーセの律法全体の目的は,その教え,習わし,儀
式によって,イスラエルの子らの心をキリストとキリ
ストの贖罪に向けることであった。モーセの律法のい
かなる側面を研究する場合も,救い主の教えや救い主
御自身を表すものがないか探し求めなくてはならない。
救い主の生涯と働きを理解していれば,モーセの律法
をよりいっそう理解することができる。なぜなら,モ
ーセの律法はキリストについて証し,人々をキリスト
に導くものだからである。これらの概念を教えている
ガラテヤ 3:24;モルモン書ヤコブ 4:4−6;アルマ
34:13−15を読む。
2.福音の儀式はキリストを証している
動物の犠牲。アダムは主のために犠牲をささげるよ
うに命じられた。そして,その犠牲は「御父の……独
り子の犠牲のひながた」であると教えられた(モーセ
5:7 )。この慣習はキリストが務めを成し遂げられて,
せいさん
新たに聖餐 の儀式が行われるようになるまで続けられ
た。本書の49ページに記されている聖句の比較表を注
意深く調べる。この表は,犠牲をささげる儀式が神の
独り子の犠牲のひながたであったことを示している。
聖典を開いて,これらの聖句に印を付け,相互に参照
箇所を書き込んで相互参照できるようにする。
聖餐。主は最後の晩餐において聖餐の儀式を定めら
れた。この儀式によって,聖徒たちはイエス・キリス
トの贖罪を絶えず思い起こすことができる。また,こ
の儀式のおかげで,主の模範に従い,戒めを守るとい
う聖約を頻繁に更新することができる。古代に行われ
ていた犠牲をささげる儀式は,将来の出来事である贖
罪を示すものであった。同様に,現在行われている聖
餐も,過去の出来事である贖罪を示すものである。
すぎこし
過越
イエス・キリスト 聖餐
1 コリント11:23−29と 3 ニーファイ18:1−11を読
み,印を付け,相互に参照箇所を書き込んで相互参照
できるようにする。
バプテスマ。ローマ 6:3−11から,救い主の埋葬と
復活と,バプテスマを受けるときに交わす聖約の関係
について,パウロが述べた言葉を研究する。
3.人物や場所がキリストを証している
ストに従った偉大な人物である。イエス・キリストは
義と平和の偉大な王であられる(エレミヤ23:5−6;
イザヤ 9:6−7 参照)。メルキゼデクはその「予型」で
あった。
ヨセフ――エジプトに売られたが,後にイスラエルを
救った。ヨセフとキリストの間には無数の類似点があ
る。それゆえ,ヨセフの生涯は多くの点で救い主の
「予型」であり,救い主の生涯と務めを予示するもので
あった。幾つかの類似点を挙げると,以下のとおりで
ある。
a.ヨセフは「他のどの子よりも」父から愛された(創
世37:3 )。イエスは御父の「愛する子」であられる
(マタイ 3:17)
。
b.ヨセフとイエスはともに兄弟から裏切られ,売られ
た(創世37:26−27;マタイ26:14−16参照)
。
c.ヨセフはポテパルの妻から偽りの非難を受けた(創
世39:13−18参照)。イエスは会堂の前で偽りの非
難をお受けになった(マタイ26:57−66参照)。
d.二人はともにイスラエルの救い手だった。ヨセフは
き が
パン(食糧)を与えることによって父の家族を飢餓
と死から救った(創世45:4−7 参照)。「命のパン」
であるイエスはイスラエルを霊の死から救うために
御自身をささげられた(ヨハネ 6:35)。
e.ヨセフの兄弟はヨセフが夢で見た預言どおりに頭を
下げた(創世37:5−8;43:26参照)。最終的にす
べての人はキリストの前でひざをかがめ,キリスト
の主権を認める(教義と聖約76:110)。
ヨシュア――イスラエルを率いて約束の地に入った。
モーセではなくヨシュアがイスラエルを率いて約束の
地に入ったことは重要である。ヘブライ人の名である
“Yehoshua”または“Joshua”は,英語では“Jesus”
(イエス)である。ヨシュア(イエス)がイスラエルを
率いて約束の地に入ったように,イエスは忠実なイス
ラエルを,約束どおりに永遠の受け継ぎに率いて行か
れる。
ダビデ――イスラエルの王。ダビデという名は「最愛
の」という意味である。旧約時代のイスラエルはダビ
デが王であったときにその最盛期を迎えた。しかし,
ダビデの統治は御父の「愛する子」であるイエスの統
治の予型にすぎない(ジョセフ・スミス−歴史 1:17)。
イエスは再び来られ,「ダビデ」の再来としてイスラエ
ルの王座に就いて永遠に統治される(エゼキエル37:
24−25;イザヤ 9:6−7 参照)。
ベツレヘム。ベツレヘムという名は「パンの家」と
いう意味である。古代の預言の成就として,「命のパン」
(ヨハネ 6:35,48)であるイエスはベツレヘムで誕生
された(ミカ 5:2;マタイ 2:4−6;ルカ 2:15−16参
照)。
メルキゼデク――サレムの王。「メルキゼデク」とい
う名は「義の王」または「わたしの王は義にかなう」
という意味を持つ。パウロはメルキゼデクを「義の王」 4.聖文に出てくる様々な物体はキリストを証して
そして「平和の王」と呼んだ(ヘブル 7:1−2 )。メル いる
キゼデクはエホバすなわち肉体を受けられる前のキリ
リアホナ。モルモン書はリアホナがリーハイの一行
48
出
エ
ジ
プ
ト
一
二
章
レ
ビ
一
章
マ
タ
イ
二
六
章
ル
カ
二
二
章
教
義
と
聖
約
38
章
4
節
モ
ー
サ
ヤ
3
章
出
エ
ジ
プ
ト
一
二
章
モ
ー
セ
5
章
レ
ビ
一
章
ヨ
ハ
ネ
一
九
章
教
義
と
聖
約
93
章
ル
カ
一
章
犠
牲
を
さ
さ
げ
る
儀
式
イ
エ
ス
・
キ
リ
ス
ト
ヘ
ブ
ル
四
章
49
を約束の地に導いたように,キリストの言葉は主の子
らを天の王国に導くと教えている。アルマ37:38−46
を読んで,リアホナが何の象徴であると説明されてい
るか調べる。
5.自然界の現象はキリストを証している
やみ
光と闇。「世の光」(ヨハネ 8:12)であるイエスが世
に来られたとき,アメリカではイエスの誕生のしるし
として闇がなかった。その日も,夜も,次の日もずっ
と闇がなかった( 3 ニーファイ 1:15,19参照)。「世の
光」が亡くなられたとき,イスラエルとアメリカはと
もに濃い闇に包まれた(マタイ27:45;3 ニーファイ
8:19−23参照)。
主は岩から水をお出しになった。イスラエルの民は
エジプトを脱出して荒れ野を旅していたが,その間,
水不足に悩まされた。モーセが岩を打つと水が出て,
イスラエルを渇きから救った。これは物理界の出来事
であるが,目に見えない(霊的な)現実と類似する点
があり,主が人を救う力を備えておられることを証し
ている。以下の聖句に目を通す。それぞれ,物理的現
象と霊的現実を示している。
モーセの時代の
物理的現象
50
イエス・キリストが
与えてくださった救
い
1.イスラエルは罪の
荒れ野でさまよっ
た(出エジプト
17:1 参照)。
1.人類は罪の世界でさ
まよっている(教義
と聖約84:49参照)。
2.イスラエルは肉体
の命を支えるため
に水を必要として
いた(出エジプト
17:1−3 参照)
。
2.人類は,永遠の命に
至る「生ける水」を
キリストから受ける
必要がある(ヨハネ
4:14参照)。
3.モーセが岩を打つ
と,岩から水が出
て,人々の命が救
われた(出エジプ
ト17:5−6;1 ニ
ーファイ17:29参
照)。
3.主はあらゆる人が基
としなければならな
い「岩」であられる
(ヒラマン 5:12参
照)。主はわたした
ちを霊の死から救う
ためにゲツセマネと
カルバリで打たれた
(イザヤ53:4−5;
マタイ26:31参照)。
その他の学習資料
ダリン・H・オークス「あなたがたはキリストをどう
思うか」『聖徒の道』1989年 2 月号67−70。「あなたが
たはキリストをどう思うか」(マタイ22:42)という質
問に対する答え
■ エズラ・タフト・ベンソン“Think on Christ,”
Ensign,1989年 3 月号,2−4。思いが人格に与える影
響,「主はわたしに何を求めておられるのですか」と主
に尋ねることが生活にどのような影響をもたらすか。
みもと
■ エズラ・タフト・ベンソン「キリストの御許 に来て
まった
キリストによって全くなれ」『聖徒の道』1988年 6 月号,
89−90。教会は全体として「キリストのもとへ来る」
ことができる。
■ ダリン・H・オークス「世の光にしてまた世の生命」
『聖徒の道』1988年 1 月号,68−71。イエス・キリスト
は世の「光」として,また世の「命」として誕生され
た。
■ リネット・ハドリー・リード“All Things Testify of
Him: Understanding Symbolism in the Scriptures,”
Ensign,1981年 1 月号,4−7。聖文中の幾つかの象徴
はイエス・キリストを証している。
■
生徒の学習のための提案
以下の課題を宿題として与えるか,クラスで実施す
る。
■ 以下の項目はそれぞれどのように,キリストとキリ
ストの業を証しているか,あるいは,キリストを象徴
しているかを説明する。カッコ内の聖句は参照箇所の
預言を理解する助けとなる。
1.聖餐――マタイ26:26;3 ニーファイ18:1−11参照
(モロナイ 6:6 )
2.マナ――出エジプト16:4,14−15,31,35参照(ヨ
ハネ 6:30−35)
3.ぶどう――ヨハネ15:1−8 参照
4.ヨナと大いなる魚――ヨナ 1:11−17参照(マタイ
12:40;教義と聖約20:23)
5.アダム―― 1 コリント15:45参照(モーセ 1:34;1
コリント15:20,47)
6.大祭司――ヘブル 5:1−3 参照(ヘブル 4:14;9:
23−28)
7.子羊――出エジプト12:3−7 参照(イザヤ53:7;
ヨハネ 1:36;1 ペテロ 1:19−20;黙示13:8 )
■ 救い主について旧約聖書に見られる最も大切な象徴
の一つは,アブラハムが息子のイサクを犠牲としてさ
さげた物語である(モルモン書ヤコブ 4:5 参照)。創
世22:1−14 を読んでから,以下の表を見る。アブラハ
ムとイサクに関する出来事と,キリストの生涯に起き
た出来事の間にある類似点を見つける。
アブラハムとイサク
イエス・キリスト
A.イサクは血を流すことになっていた
(創世22:10参照)。
ヨハネ19:34;
ルカ22:44参照
B.イサクは犠牲に使われるたきぎを運
んだ(創世22:6 参照)。
ヨハネ19:17参照
C.犠牲はモリヤの地すなわちエルサレ
ムでささげられた(創世22:2;歴代
下3:1 参照)。
マルコ15:22参照
D.イサクはアブラハムの唯一の聖約の
息子だった(創世22:2 参照)
。
ヨハネ 3:16参照
E.アブラハムは神を愛し,進んで息子
を犠牲とした(創世22:12参照)。
ヨハネ 3:16参照
F.イサクは抵抗しなかった。イサクは
進んで犠牲になった(創世22:9 参
照)。
ルカ22:42参照
(正解)
A. イエスの血は流され
た。
B. キリストは十字架を
運ばれた。
C. キリストの犠牲はエ
ルサレムでささげら
れた。
D. イエスは神の独り子
であられる。
E. 神は世を愛して,進
んで御子を犠牲にさ
れた。
F. キリストは進んで御
みこころ
父の御心を行われた。
51
聖文で用いられている象徴の例
付 録
馬 。戦争,征服。
「わたしはエフライムから戦車を断ち,エルサレム
から軍馬を断つ。また,いくさ弓も断たれる。彼は
国々の民に平和を告げ〔る。〕」(ゼカリヤ 9:10)
「そして見ていると,見よ,白い馬が出てきた。そ
して,それに乗っている者は,弓を手に持っており,
また冠を与えられて,勝利の上にもなお勝利を得よう
として出かけた。……
すると今度は,赤い馬が出てきた。そして,それに
たがい
乗っている者は,人々が互 に殺し合うようになるため
に,地上から平和を奪い取ることを許され,また,大
きなつるぎを与えられた。……
そこで見ていると,見よ,青白い馬が出てきた。そ
行 動
して,それに乗っている者の名は『死』と言い,それ
よ み
■ 頭を下げる。へりくだる。
に黄泉 が従っていた。彼らには,地の 4 分の 1 を支配
「その人は頭を下げ,主を拝し〔た。〕」(創世24:26) する権威,および,つるぎと,ききんと,死と,地の
「彼らは答えた,『あなたのしもべ,われわれの父は 獣らとによって人を殺す権威とが,与えられた。」(黙
無事で,なお生きながらえています。』そして彼らは, 示 6:2,4,8 )
頭をさげて拝した。」(創世43:28)
「またわたしが見ていると,天が開かれ,見よ,そ
創世24:48;出エジプト 4:31;12:27;34:8;歴 こに白い馬がいた。それに乗っているかたは,『忠実で
代上29:20;歴代下20:18;29:30;ネヘミヤ 8:6 も 真実な者』と呼ばれ,義によってさばき,また,戦う
参照。
かたである。」(黙示19:11)
■ 衣を裂く。悲しみ,怒り,悔悟。
■ 牛。労働,奉仕,安定,忍耐。
「そこでヤコブは衣服を裂き,荒布を腰にまとって,
「聖書は,『穀物をこなしている牛に,くつこをかけ
長い間その子のために嘆いた。」(創世37:34)
てはならない』また『働き人がその報酬を受けるのは
「モルデカイはすべてこのなされたことを知ったと 当然である』と言っている。」( 1 テモテ 5:18)
き,その衣を裂き,荒布をまとい,灰をかぶり,町の
「また海を鋳て造った。……
中へ行って大声をあげ,激しく叫ん〔だ。〕」(エステル
その海は12の牛の上に置かれ,その 3 つは北に向か
4:1 )
い,3 つは西に向かい,3 つは南に向かい,3 つは東に
創世37:29;士師11:35;サムエル下 3:31;13:19 向かっていた。海はその上に置かれ,牛のうしろは皆
も参照。
内に向かっていた。」(列王上 7:23,25)
「牛がなければ穀物はない,牛の力によって農作物
は多くなる。
」(箴言14:4 )
動 物
聖文には多くの象徴がある。11課で述べたように,
ある事物が何を象徴するかを理解するには,その事物
の自然な作用や状態が助けとなる。同じ物事でも,あ
る文脈ではある事柄を象徴し,別の文脈では別の事柄
を象徴する場合があることを銘記しておかなければな
らない。
以下は,聖文に出てくる幾つかの象徴を項目別に分
類したものである。事物とそれが象徴する事柄の例を
列挙している。さらに,それぞれの象徴が出ている聖
句が挙げられているので,正しい文脈の中で理解する
ために参照聖句を読むこと。
子羊。従順。
「彼はしえたげられ,苦しめられたけれども,口を
ゆ
開かなかった。ほふり場にひかれて行く小羊のように,
また毛を切る者の前に黙っている羊のように,口を開
かなかった。
」
(イザヤ53:7 )
はらから
「そこで,わたしの愛する同胞 よ,神の小羊は水で
バプテスマをお受けになることによって,どのように
あらゆる義を満たされたのか,わたしはあなたがたに
尋ねたい。
……小羊は,……御父の前にへりくだ〔り〕,御父の戒
めを守ることについて御父に従順であることを,御父
に証明されるのである。」( 2 ニーファイ31:6−7 )
■
52
■
体の各部
頭。政府の権力または指揮権。
「しかし,あなたがたに知っていてもらいたい。す
べての男のかしらはキリストであり,女のかしらは男
であり,キリストのかしらは神である。」( 1 コリント
11:3 )
「そして自ら〔キリスト〕は,そのからだなる教会
のかしらである。」(コロサイ 1:18)
■ 腕。力,強さ,能力。
「ただ大きな力と伸べた腕とをもって,あなたがた
をエジプトの地から導き上った主をのみ敬〔わ〕なけ
■
ればならない。」(列王下17:36)
色
「あなたの手は強く,あなたの右の手は高〔い。〕」
■ 白 。清さ,義。
(詩篇89:13)
「多くの者は,自分を清め,自分を白く〔する〕で
「わたしは……,肉の腕には頼りません。まことに,
人に頼る者,すなわち肉を自分の腕とする者はのろわ しょう。」(ダニエル12:10)
「衣を白くされているので,とこしえに義人である。」
れます。」( 2 ニーファイ 4: 34)
けんそん
(
1
ニーファイ12:10)
■ かがんだひざ。謙遜。
黙示
3:4−5;モルモン 9:6 も参照。
「すべてのひざはわが前にかが〔む。〕」(イザヤ45:
あがな
■ 緋,赤。罪,贖い。
23)
「たといあなたがたの罪は……紅のように赤くても,
「すべてのひざは,わたしに対してかがみ,……と
羊の毛のようになるのだ。
」(イザヤ 1:18)
書いてある。」(ローマ14:11)
「主の装いは赤〔い。〕」(教義と聖約133:48;イザ
ヤ63:2 )
衣 服
■ 赤 。戦争,死,苦難。
■ 上着,衣。義。
「その勇士の盾は赤くいろどられ〔る。〕」(ナホム
2:3
)
「わたしは正義を着,正義はわたしをおおった。わ
「すると今度は,赤い馬が出てきた。そして,それ
たしの公義は上着のごとく,また冠のようであった。」
に乗っている者は,人々が互に殺し合うようになるた
(ヨブ29:14)
「主がわたしに……義の上衣をまとわせ〔られた。〕」 めに,地上から平和を奪い取ることを許され,また,
大きなつるぎを与えられた。」(黙示 6:4 )
(イザヤ61:10)
■
緑,青。命,健康。
「義人は,自分の喜びと自分の義について完全な知
「主はわたしの牧者であって,わたしには乏しいこ
識を得,潔白を,まことに義の衣をまとう。」( 2 ニー
とがない。
ファイ 9:14)
■ 帯。強さ。帯を着けるとは,実行したり,維持した
主はわたしを緑の牧場に伏させ,いこいのみぎわに
伴われる。
」(詩篇23:1−2 )
りする能力を授かることを意味する。
「おおよそ主にたより,主を頼みとする人はさいわ
「正義はその腰の帯となり,忠信はその身の帯とな
いである。
る。」(イザヤ11:5 )
彼は水のほとりに植えた木のようで,その根を川に
「あなたの衣を着せ,あなたの帯をしめさせ,あな
のばし,暑さにあっても恐れることはない。その葉は
たの権力を彼の手にゆだねる。」(イザヤ22:21)
「あなたは戦いのために,わたしに力を帯びさせ 常に青〔い。〕」(エレミヤ17:7−8 )
〔られた。
〕」(サムエル下22:40)
サムエル上 2:4;詩篇18:32,39;65:5−6;93: 食 物
1 も参照。
■ パン。
(肉体の,または霊の)命を維持する手段。
■ 裸であること。罪のあること,恥,清くないこと。
「わたしは天から下ってきた生きたパンである。そ
「それでわたしたちは,自分に罪があること,汚れ
れを食べる者は,いつまでも生きるであろう。
」(ヨハ
ていること,裸であることについて,すべて完全な知
ネ
6:51)
識を得る。また義人は,自分の喜びと自分の義につい
「まことに,主は言われる。『わたしのもとに来なさ
て完全な知識を得,潔白を,まことに義の衣をまとう。」
い。あなたがたは命の木の実を食べるであろう。あな
( 2 ニーファイ 9:14)
「その時に主はアモツの子イザヤによって語って言 たがたは価なしに命のパンを食べ,命の水を飲むであ
われた,『さあ,あなたの腰から荒布を解き,足からく ろう。』」(アルマ 5:34)
つを脱ぎなさい。』そこでイザヤはそのようにし,裸, ■ 塩。腐敗しないこと,質を維持するまたは保存する
こと。
はだしで歩いた。――
「これは主の前にあって,あなたとあなたの子孫と
主は言われた,『わがしもべイザヤは 3 年の間,裸,
に対し,永遠に変らぬ塩の契約である。
」(民数18:19)
はだしで歩き,エジプトとエチオピヤに対するしるし
「あなたの素祭の供え物は,すべて塩をもって味を
となり,前ぶれとなったが,
このようにエジプトびとのとりことエチオピヤびと つけなければならない。あなたの素祭に,あなたの神
ゆ
の捕われ人とは,アッスリヤの王に引き行かれて,そ の契約の塩を欠いてはならない。すべて,あなたの供
の若い者も老いた者もみな裸,はだしで,しりをあら え物は,塩を添えてささげなければならない。」(レビ
2:13)
わし,エジプトの恥を示す。」(イザヤ20:2−4)
「あなたがたは,地の塩である。」(マタイ 5:13)
53
兄弟が自分に対して何かうらみをいだいていることを,
そこで思い出したなら,
その供え物を祭壇の前に残しておき,まず行ってそ
鉱 物
の兄弟と和解し,それから帰ってきて,供え物をささ
■ 金,純金。栄光,大きな価値。
げることにしなさい。」(マタイ5:23−24)
ことば
「24人の長老が……頭に金の冠をかぶって……いた。」 「小羊が第5の封印を解いた時,神の言のゆえに,また,
(黙示 4:4 )
そのあかしを立てたために,殺された人々の霊魂が,
「あなたは大いなる恵みをもって彼を迎え,そのか 祭壇の下にいるのを,わたしは見た。」(黙示6:9)
しらに純金の冠をいただかせられる。」(詩篇21:3 )
アルマ17:4;詩篇118:27;イザヤ56:7;60:7;
へきぎょく
「〔聖都エルサレムの〕城壁は碧玉で築かれ,都はす 黙示8:3;教義と聖約135:7も参照。
きとおったガラスのような純金で造られていた。
■ 冠。支配,昇栄。
12の門は12の真珠であり,門はそれぞれ一つの真珠
「そこでエホヤダは王の子をつれ出して冠をいただ
で造られ,都の大通りは,すきとおったガラスのよう かせ,律法の書を渡し,彼を王と宣言して〔た。〕」(列
な純金であった。」(黙示21:10,18,21)
王下11:12)
教義と聖約110:2;137:4 も参照。
「そして,信仰をもってこれを受け入れ,義を行う
■ 青銅。強さ,永続性。
者は,永遠の命の冠を受けるであろう。
」(教義と聖約
ろっこつ
「その骨は青銅の管のようで,その肋骨 は鉄の棒の 20:14)
ようだ。」(ヨブ40:18)
「その後,キリストは栄光の冠を受け,その力の
み ざ
「シオンの娘よ,立って打ちこなせ。わたしはあな 御座 に着いてとこしえにいつまでも治められる。」(教
たの角を鉄となし,あなたのひずめを青銅としよう。」 義と聖約76:108)
(ミカ 4:13)
1 コリント 9:25;ヤコブの手紙 1:12;1 ペテロ 5:
しんちゅう
■ 磨いた青銅,精錬された真鍮。栄光。
4;黙示 2:10;4:4;教義と聖約29:12−13;66:
「その足は……みがいた青銅のように光っていた。」 12;81:6 も参照。
(エゼキエル 1:7 )
「そのからだは緑柱石のごとく,その顔は電光のご
自然界の物
とく,その目は燃えるたいまつのごとく,その腕と足
は,みがいた青銅のように輝き,その言葉の声は,群 ■ 岩。堅固,確実――そこから発展して,キリストの啓
衆の声のようであった。」(ダニエル10:6 )
示と福音。
「その足は,炉で精錬されて光り輝くしんちゅうの
「わたしはこの岩の上にわたしの教会を建てよう。
よ み
ようであ〔った。〕」(黙示 1:15)
黄泉 の力もそれに打ち勝つことはない。」(マタイ16:
18)
「わたしはメシヤであり,シオンの王であり,……
数 字
天の岩である。」(モーセ 7:53)
■ 7 。全部または完全,すべて。
「みな同じ霊の飲み物を飲んだ。すなわち,彼らに
「もしあなたがたがわたしに逆らって歩み,わたし
ついてきた霊の岩から飲んだのであるが,この岩はキ
に聞き従わないならば,わたしはあなたがたの罪に従
リストにほかならない。」( 1 コリント10:4 )
って 7 倍の災をあなたがたに下すであろう。」(レビ
「わたしの福音であるわたしの岩」(教義と聖約11:
26:21)
24)
「もしあなたに対して 1 日に 7 度罪を犯し,そして 7
サムエル上 2:2;詩篇31:2−3;マタイ 7:24−
度『悔い改めます』と言ってあなたのところへ帰って
25;ルカ 6:48;2 ニーファイ28:28;モルモン書ヤコ
くれば,ゆるしてやるがよい。」(ルカ17:4 )
ブ 7:25;ヒラマン 5:12;3 ニーファイ11:39−40;
レビ 4:17;ヨシュア 6:4;列王下 5:14;ルカ11:
18:12−13;教義と聖約 6:34;10:69も参照。
26;黙示15:1 も参照。
■ 水。清め,福音のメッセージの象徴。
「わたしは清い水をあなたがたに注いで,……あな
物 体
たがたを,……清める。」(エゼキエル36:25)
「キリストがそうなさったのは,水で洗うことによ
■ 祭壇。礼拝,犠牲,聖約,または聖約を交わす神の
り,言葉によって,教会をきよめて聖なるものとする
家。
「その日,エジプトの国の中に主をまつる一つの祭 ためであ〔る。〕」(エペソ 5:26)
「しかし,わたしが与える水を飲む者は,いつまで
壇があり,その境に主をまつる一つの柱がある。」(イ
も,かわくことがない……であろう。
」(ヨハネ 4:14)
ザヤ19:19)
ヨハネ
7:37;民数
8:7;19:19−20;レビ15:13
「だから,祭壇に供え物をささげようとする場合,
教義と聖約101:39−40;3 ニーファイ12:13も参照。
54
も参照。
仕えさせなければならない。」(出エジプト28:41)
「あなたがたの中に,病んでいる者があるか。その
み な
によって,オ
人は,教会の長老たちを招き,主の御名
儀 式
リブ油を注いで祈ってもらうがよい。
いのり
■ バプテスマ。埋葬と復活,誕生。
信仰による祈は,病んでいる人を救い,そして,主
「すなわち,わたしたちは,その死にあずかるバプ はその人を立ちあがらせて下さる。」(ヤコブの手紙
テスマによって,彼と共に葬られたのである。それは, 5:14−15)
キリストが父の栄光によって,死人の中からよみがえ
出エジプト30:30;40:9−11;サムエル上 9:16;
らされたように,わたしたちもまた,新しいいのちに 16:13;詩篇23:5 も参照。
生きるためである。
さま
もしわたしたちが,彼に結びついてその死の様にひ
場 所
としくなるなら,さらに,彼の復活の様にもひとしく
■ バビロン。罪,俗世。
なるであろう。
わたしたちは,この事を知っている。わたしたちの
「すべて高ぶる者と悪を行う者は,わらのようにな
内の古き人はキリストと共に十字架につけられた。そ る。わたしは彼らを焼き尽くそう。わたしは万軍の主
れは,この罪のからだが滅び,わたしたちがもはや, である。わたしはバビロンにとどまる者をだれも容赦
罪の奴隷となることがないためである。」(ローマ 6: しない。
」(教義と聖約64:24)
4−6 )
「彼らは主の義を打ち立てるために主を求めようと
「あなたがたはバプテスマを受けて彼と共に葬られ, せずに,すべての人が自分の道を,自分の神の像を求
同時に,彼を死人の中からよみがえらせた神の力を信 めて歩む。その像は俗世の形であり,その本質は偶像
じる信仰によって,彼と共によみがえらされたのであ のそれである。それは古びて,バビロン,まことに大
いなるバビロンにおいて滅び,バビロンは倒れる。」
る。」(コロサイ 2:12)
(教義と聖約 1:16)
教義と聖約128:12−13も参照。
きよ
みたま
■ 油を注ぐ。聖別すること,聖 めること,聖なる御霊
「あなたがたはもろもろの国民の中から,すなわち
バビロンから,霊のバビロンである悪の中から出なさ
とその力をしみ込ませること。
「そしてあなたはこれをあなたの兄弟アロンおよび い。」(教義と聖約133:14)
(イザヤ48:20;ゼカリヤ 2:7;黙示14:8;16:
彼と共にいるその子たちに着せ,彼らに油を注ぎ,彼
らを職に任じ,彼らを聖別し,祭司として,わたしに 19;17:5;18:2;教義と聖約35:11;86:3 も参照)
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