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11 - 日本ネパール女性教育協会

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11 - 日本ネパール女性教育協会
認定NPO法 人 酵 ネパール女性教育協会
2011.5.15
No.11
このたびの東 日本大震災によ り被災されま した方々に、心よ りお見舞 い申 し上げます。
一 日も早い復興をお祈 り申 し上げます。
さくら寮の学長、寮母マ ンジュさんそ して生徒たち も心配 しています。
バ リジ ュウ学長 か らもお見舞 のメールが寄せ られま した
この度 の 大地震 と津波 に よる未 曾有 の 災害 を心か らお見舞 い 申 し上げます 。
私 は 、 と りわ け認 定 NPO法 人 日本 ネ パ ール 女性教育協会 の皆 さま の ご無事 を うかがい 、大変 うれ しく
思 い ます 。 しか し、 日本 の 損 害 は 、甚大 な もの と存 じます。 この 予期せ ぬ 災難 に対 し、 日本ネ パ ール 女
性教育協会 の皆 さまに心 よ りご同情 を申 し上 げます。
カ ニ ヤ 。キャンパ ス・ ポカ ラ学長
ス レン ドラ
B.バ リジ ュー
一 日次一
バ リジュー KCP学 長
.第 4期 卒業生 に贈 る言葉 :山 下理 事長
他 ……………………………………… 2
出身地地図 卒業生 の抱負 ……………・………………・……・…………… … ……… 5
。さくら寮訪 問記録 :今 村務 。今村 美知子 鈴木真読 卒業生 が勤務す る学校 を訪 問 :袖 山正彦 ……… 10
。助成金 、支援金 の記録 ク リシュナ 日記 ………………………………………………………… … ………… 14
・ 第 4期 卒業 生赴 任校
・…
・…
・…
・…
・…
・…
・…
・…
・…
・…
・…
・…
・…
・…
・…
・…
・…
・…
・…
・…・…
・………
・…
・…
・…
・…1… ・…
・…
・…
・…Ⅲ
・…
・…
・…17
・…
…
・Topics & News ―
。お知 らせ ― さくら寮開設 5周 年記念 の予告他 ……・…… :… ………………………………・…………………・
・18
。さくら寮通信 。JNFEA活 動報告
さくら寮 の 歌 ………………………………………………………… 18
・ 編集 後記 ……… … ……………………………………………… … ………………………………………………20
第
修学旅行 :5月 22日 ∼ 25日
4期 卒 業 生 の 巣 立 ち
卒業式 5月 30日 (土 )午 前
H時 か らさくら寮にて
①
第 4期 生の 卒業 に寄せて
理事長
山下泰子
ご卒 業 ま こ とにお めで と うござい ます 。 私 は 、「さ く ら寮」 第 4
期 生の皆 さん に、 つ ぎ の こ とば を贈 ります。
「ここ ろ」 はだれ に も見 えない けれ ど、
「こ ころづ か い 」 は見 え る。
「思 い 」 は見 えな い けれ ど、
「思 い や り」 は だれ にで も見 え る。 (宮 澤 章 二 )
2011年 3月 11日 午後 2時 46分 、 日本 は、 マ グニ チ ュー ド9.0と い う大震 災 とそれ に
続 く大津 波 に襲 われ ま した。 死者 ・ 行方不 明者 あわせ て 3万 人近 くの犠牲者 がでま した。
津波 は町全体 を破壊 しつ く しま したか ら、家 を失 い避難所暮 ら しを してい る人が、一 時は
40万 人 に ものぼ りま した。さらに人知 を超 えた震 災は、原子力発電所 の事故 を引 き起 こ し、
野菜や水道水 にまで、不安 が広 が ってい ます 。
最初 の文章 は、そ の よ うな 日本 で 、 テ レビが繰 り返 え し放映 してい ることばです。 この
こ とばは、世界 中 どこで も誰 にで も通用す る大切 な内容 を含 んでい ます 。 人 の 「こころ」
は誰 に も見 えませ ん。 で も、それ が 、 ひ とたび 「こころづ かい 」 とい う形 で表 されれ ば、
それ は見 えるのです。「思 い 」はそ の人 の 中にあるか ぎ り、
他 の人 か らは見 えませ ん。 で も、
それ が 、「思 いや り」 とい う行 為 にな る と、誰 にで も見 えるよ うにな るのです。
今 回 の大変 な災害 の 中で 、日本人 が外 国 の メデ ィアか らほめ られ てい るこ とが あ ります 。
それ は 、パ ニ ックが起 こつていない こ とです 。物 資 も少 な く寒 い避難所 で も、われ先 に場
所 を取 り合 つた り、食 べ 物 を奪 い合 つた りせず 、順序 よく並び 、譲 り合 い 、 乏 しきを分 か
ち合 つ て暮 ら してい る とい うのです。 これ は 、 日本人 が誇 つていい ことだ と思 い ます 。私
は、そ の基本 にあ るのが 、教育 の力だ と思 っ て い ます 。
皆 さん の帰 る村 は、まだまだ貧 しさの 中にある ことで しょ う。毎 日、家 の 手伝 い を しな
けれ ばな らず 、学校 に行 けな い 女 の子 がい る ことと思 い ます 。村 に帰 つた ら、 あなた の村
の女 の子 が全 員 毎 日学校 に行 け るよ うに して くだ さい。皆 さんは、「さくら寮」 で受 けた
教育 を こころの支 えに して 、 どんな とき も、他人 へ の 「こころづ かい」や 「思 いや り」 を
もつ て 、人 生 を歩 んで くだ さい。 あなた の人生 を力強 く切 り拓 いて くだ さい。 それ が 、村
の女 の子 た ちを勇気 づ け、村 の発展 につ なが るのです か ら。
私 た ち JNFEAの メンバ ー は 、皆 さん の前途 に幸 あれ と祈 っ て い ます 。
②
スレン ドラ・ バハ ドール・ バ リジュー (Srendra Bahadur BhariioO)
ポカ ラ・ カ ニ ヤ 。キャンパ ス学長 /ポ カ ラプ ロジェク ト理事 /
さくら寮運営委員会委員長
JNFEAと KCPが 一緒 になって行なっているこのプ ロジェク
トはt今 年 で 3年 目です。今 まで、30人 は卒業後 自分 の村 で先生に
な って頑張 つています。20人 は今 さくら寮にいます。さくら寮の色 々
それぞれ 自分 の村 に帰 つ
な Trainingも 受けてい ます。4期 生 10人 が、
て学校で教え始めます。私 たちのプ ロジェク トは 100人 の女子先生
を育てることです。
ここで学 んだ子は立派 な先生になれ るよ うに努力 してい ます。2
年 間 ここに滞在す る間は、我 々 は皆 さんが村 に帰 って立派 な先生 になれ るよ うに教育 して
い ます。 田舎 に帰 って 、先 生 にな つてか ら 3年 間は、私 た ちが色 々 な方法で協力 します 。
3年 間皆 さん が 教 えてい る間 は、 」NFEAの メ ンバ ーや KCPの 先生 も見学 に行 って 、
皆 さんが思 つた 以 上 に頑 張 つてい る との報告 を聞 いて感動 しています。 プ ロジェク トの期
間 は 10年 間 で 、 まだ まだ長 い 期 間 が あ ります。 この 間 には色 々 な問題 も出て くるで しょ
うが 、それ な りに解決 しなが ら乗 り越 え られ る と思 い ます。
そ の ためには私 た ちの努力 が大 切 です 。 ネ パ ール の遅れ てい る地方 の教育 の レベ ル を上
げ るの に、 このプ ロジェク トが モ デ ル プ ロ ジェク トにな る こ とを期待 しています。教育者
や政策 を考 える人た ちに も参考 にな る と思 い ます 。皆 の美 しい将来、健康 、独 立 をお祈 り
い た します 。最後 にな ります が 、 さくら寮 プ ロ ジェク トのた めに協力 して くだ さる皆様 に
お礼 と感謝 を申 し上 げます。
ケシ ャブ
シ ャラ ン
バ ラ ジ ュ リ Keshab Sharan Paraluli
教育学部長 /さ くら寮運営委員会委員
人間は コ ミュニテ ィで生きるものです。 コ ミュニテ ィで生きるも ::華
のなので心の 中には人間性が隠れています。お互 いに言葉 で交流 し
::華
ます。意見は言葉で表せ ます。 そのためには教育は大切。人間が立
::肇
派に生きるために教育が場 を作 って くれます。内側 の力を外に出す
::肇
のに教育が大切 です。これは一生継続 します。 しか し人によります。::華
教育はいろいろな方 法で受 けられます。 コ ミュニテ ィや国 を良くす ::肇
Ⅲ
Ⅲ‐
るのには教育 が必 要 です。女子教育 が遅れてい るネパ ールの村 で、
女 の子 を教育す る計画が 」NFEAと
KCPで 一 緒 にな って行 われ ています。 さくら寮 は
そ のために大変役 にた つてい ます。今 まで ここを卒業 した子達 は、 自分 の村 に帰 つてモデ
ル 先 生 にな って 頑 張 つてい る こ とを聞 いて感動 してい ます 。皆 さんは 」NFEAや
KCP
の期待 に答 えて くれ て い ます 。先輩 が頑張 つて くれ てい るよ うに今 回 の皆 さん もき つ と努
力 して くれ る と思 い ます 。皆 さん の成功 をお祈 りします。
③
ドルガ
ラジ ュ
レグ ミ Durga Rai Regmi
教育学部助教授
西ネパ ールの フィダーホステルで SLCを 受 かった子達 をさくら
寮に滞在 させ、 KCPで 勉強できるよ うなプ ロジェク トを考えて く
れた ことに感謝 します。
今まで もここで卒業 した子達が、今 は田合に帰 って、それぞれ 自
分 の ところで頑張 つて くれてい るとい う報告 があ ります。
そ の 中の一人 Ramila Budhaを 日本 へ留学 生 として行 くチャ ンス
を与えて もらつて嬉 しく思 つてお ります。今回の卒業生 も頑張 つて
勉強 して くれ ま した。
皆 さんが 自分 の 田舎 に帰 つて 、 いい 先生 にな つて くれ る事 を祈 っ て い ます 。 皆 さんは、
自分 の 田舎 で 、学校 へ 行 つていない子達 を学校 に来 させ るよ う努力 して くれ る と思 い ます 。
学校 へ 行 くチ ャ ンス は誰 に も失 って も らい た くな いです。子供 た ち の 問題 をよ く考 え、
学校 の環境 を よ く し、 しつか り教 え られ る先生 にな る こ とをお祈 りします。
ここにい る間 も皆 さんが一生 懸命 に頑 張 つ て くれ て い ます 。 これ か らは い ろい ろな問題
に出会 うこ とが あ りますが頑張 つて乗 り越 えて欲 しい です 。
最後 にな ります が 、 日本 で 3月 に起 きた地震や津波 の こ とを聞 いてび つ く りしま した。
本 当に大変 で したね。 これ か らは こんな 災害 がない よ うにお祈 りいた します。 あ りが と う
ございます。
Maniu Dhoiu
寮母
JNFEAと KCPが 一 緒 にな つて行 な ってい る、奥地 の女 の子 を先
生 として育て るこのプ ロジェク トの も とに 2年 間勉強 して 、故郷 に帰 る
皆 さんは、 き つ といい 先生 になれ る と思 います。
2年 間ま じめに ここで頑 張 つて、学 んだ事 は先生 にな って役 にたてて
くれ るで しょ う。皆 さんが 目的 に向か つて歩 んで くれ る と思 い ます。村
の発展 のための力 にな り、 」NFEAの 期待 に答 えて くれ るよ うな先 生
になれ るよ うにお祈 りします。
④
Oの 中の数字は 2011年 度までの在籍者数
この地図はカ トマンズ を中心に西部 エ リアです。
Satyュ
Kulnan Budha
Phul… S・ 呻 己
Padama Kum
Budha
Mana■ utnatl Gurung
Slta Kuman Bhul
KbⅢpallla Saud
Date of Birth Distrlct
Name
School
Bina Kumari Rokaya
1993/3/19 Btthallg
Shrce lゞ alnuna Lo、 vcr
Kalpana lく umari
1994/1/25 Achanl
Shrcc lDaspallcpani Sccondary School,
NIIε
Saud
ttkumari Gurung
Padama Kumarl Budha
Pabati Gharti
lagar
Chainpur
Secondaw School,
__
Sokat
1989/5/20
Gorkha
1993/2/24 Dolpa
1988/4/29 Rolpa
Phulmaya Sauwal
1993/2/18 Jumla
Rttukumari Rawat
1992/8/4 Bttura
Sttya Kulnari Budha
1992/3/2 Julnla
Sita Kumari Bhul
1991/6/3 Doti
Shrce Buddha Sccondary School.Phililn
Shrec
lalllma Prilnaw School,KuFnli
Shce Balkalyan Highcr Sccondary School,
Thalibang
_
Shree Kamali SccondaQ√ School,Anamna…
gar
Sllree
lastcsh、vori
School,Dogadi
Highcr Sccondav
___
Shrcc Annapuma Prilnary School,
〔
asta‐
mandu
Shrce Bhagwati Lo、 ver Sccondary Scho01,
la1losaat
S
ataAcharya
1992/11/25 Kapilbastu
Shrce Janachetana Lower Secondary
School,
lotipur
⑤
第 4期 卒業 生の抱負
Bina Kumari Rokaya
出身地 Bajhang
命 は一つの旅 だ と言 われ ています。考 えてみ た らこれ は確 か と
思 い ます。旅 の 間 に私 も 2009年 7月 の ラ ッキー な 日に この さく
ら寮 に入 りま した。
ここに滞在 しなが ら良 い 先生 は どの よ うな先 生 な のか 、 どの よ
うにすれ ば コ ミュニ テ ィを考 えて くれ る良い 人材 を育 て られ るの
か 、 い ろい ろ学び ま した。
この寮 に入 る前 には私 は何 をすれ ばいいのか全 くわか りませ ん
で した。 ここに入 るこ とがで きてか ら、 また 、 日本 か らもい ろい
ろな方 が 来て くだ さ りい ろい ろ教 えて も らい ま した。 皆 さん一生懸命 で した。 この よ うな
チ ャ ンス に め ぐ り合 っ てか ら、私 は先生 とい う意 味が分 か りま した。先 生の仕事 が尊敬 で
きる よ うにな りま した。 この 2年 間は いい 思 い 出 でい つ ぱ い です 。
最後 にな ります が 」NFEAの 理事 長 の 山下泰子先生 をは じめ、 メンバ ーの皆様 にお礼
を申 し上げます。 JNFEAの
期待 に答 えるよ うに、 自分 の 目的 に向か つて努力 し、良 い
先生 にな るよ うに頑 張 ります 。
Kalpana Kumari Saud
出身 ltL Acham
先ず Achamの よ うな遅れ て い る村 に生 まれ た に もかかわ らず 、
さくら寮 に入れ た事 を嬉 しく思 って お ります 。
私 は ここに入 らなか っ た らど うな っ て い た のか 分 か りませ ん。
この さくら寮 に入 つて 、 2年 間 KCPで 勉 強で きるよ うに して く
だ さつた JNFEAの 理事 長 と皆様 に心か らお礼 を申 し上 げます。
景色 の美 しい このポカ ラ の さくら寮 にい て t私 は色 々考 えて い
ます 。遠 い 国 日本 か ら ここまで足 を運び 、私 た ちに教 えて くれ る
岩谷 さん、今村 さんに感謝 しています。子供 か ら大人 まで 、 どの
よ うに数学や音楽 を教 えれ ば いいのか教 わ りま した。親代 わ りの寮母 さんや親 しい後輩や
先生方 か らもい ろい ろ学び ま した。村 に帰 つ た ら教育 のチ ャ ンス を失 ってい る人 々 に教 育
の大切 さを教 えます 。 」NFEAの 期待 に答 えます。
最後 です が この よ うなチ ャ ンス を与 えて 下 さつ て い る JNFEA、 学長、先生方寮母 さ
ん本 当にあ りが と うご ざい ま した。
⑥
Mankumarl Gurung
也 Gorkha
日
詔劇
日多
命 は短 いです が 、 生 き るの は難 しい と言 われ ます 。 チ ャ ンスが
あ って この美 しい町― ポカ ラの さくら寮 に入 り、 KCPで 学 べ る
よ うにな つ て本 当に よかったです。
JNFEAの
皆 さんに心か らお礼 を申 し上 げます。先 生 にな る
た めの教育 を して も らい ま した。 JNFEAは
私 た ちのために大
切 な時 間を くだ さい ま した。
数学 、 ス ポー ツ、音楽、お絵描 きも教 えて も らい ま した。先 生
と して子 どもた ちに どの よ うに教 え るべ きな のか 教 わ りま した。
KCPの 先 生か ら教 えて頂 い た教 育 で 、生 き方が変わ りま した。
さくら寮 は本 当に いい環境 です 。寮母 さんか らも親代 わ りや友人 の よ うに大事 に して も
らい ま した。嬉 しい こ とだ けではな く、悲 しい こ ともあ り、そんな時 も笑顔 で生 きるべ き
と彼 女 か ら学び ま した。 ここで 学 んだ ことを 田舎 に帰 って実 現 して 、子 どもたちへ 暗 い と
ころか ら明 るい道 へ 歩 かせ たいです。全 ての事 一生 忘れ られ ませ ん。
Padama Kumari Budha 出身地 Dolpa
地理的 に遠 い 、文化的 に ものす ご く遅れ てい る ところか らこん
なす ば らしい ところに来 て 、勉 強す るこ とがで きま した。
先ず 」NFEAの 皆様 に心 か らお 礼 を 申 し上 げ ます 。 2年 間、
ここにいて 、 いい先 生か ら教 育 を受 け、皆 さんに優 しく して もら
い本 当に驚 いてい ます 。
自分 の村 に帰 つた ら、教育 の チ ャ ンス を失 って 暗 い 中にい る小
さい苗 の よ うな子 どもた ちへ 、太陽 の よ うな光ではな くて も、蛍
の よ うな光で も与 えてあ げ られ るよ う努力 します。
私 をいい先生 にな るために協力 して くだ さった方 々 、嬉 しい時 も悲 しい時 に も優 しくし
て くれ た さくら寮 の皆 さん 、本 当にあ りが と うございます。
Parbatl Ghartl Magar
出身地 Rolpa
先ず 」NFEAの 皆様 にお礼 を申 し上 げます。 JNFEAの
お
かげで この寮 に入 つて勉強で き るよ うにな りま した。 以前、私 は
何 になれ ばいいの か分 か らなか った と言 つ て も うそ ではあ りませ
ん。
さくら寮 に入 つてい ろ い ろ学 び 、 いい先生 になれ る と自信 がわ
い て きま した。 これ か らは いい先生 になれ る と思 つてい ます 。
2年 間、 も う終 わ りま したので、今 か ら村 に帰 って、 ここで学
ん だ事 を村 の 子 どもに教 えて 学校 に行 けな い 大人 に も ここで 教
わ つた こ とを教 えます 。
最後 に JNFEAの 皆様 、良 い道 を教 えて くれ た寮母 さん、学長 をは じめ他 の先生方 と、
私 た ちを Trainingし て くだ さった 日本人 の皆様本 当にあ りが と うご ざい ます 。
⑦
Phulmaya Sejuwal
」umla
出身地
先ず 」NFEAの 皆様 、 KCPの 先生方 、寮母 さん本 当にあ り
が と うございます。 皆 さんか らい ろい ろ良 い教育 を して も らつ た
IIの で、先 生 になれ る ことがで きます。
li
地方 のジュム ラか らポカ ラに来て、寮 に入 つて 、 KCPで 2年
:::間 学 び 、 日本 の方 か らもい ろい ろ と教 わ りま した。
,
いい先 生 にな って 、地方 の遅れ てい る 自分 の村 に帰 つて先生 に
な ります 。 」NFEAか らい ただ い た教育 を もつ て 、責任 を感 じ
なが ら田舎 に帰 ります。
Rajukumari Rawat 出身 地 Bajura
美 しくてすば らしい町ポカラで勉強をできるようにチャンス を
与えて くだ さつた 」NFEAの 皆 さまに心か らお礼を申 し上げま
す。
まず 自分をとてもラッキーだ と思います。 ここに入る前に自分
は どうすればいいのか全 く分 かっていませんで した。
さくら寮に滞在 しなが らKCPで 勉強できたおかげで 自分 の道
が開けま した。 いい先生になれ る道が開けま した。
KCPの 先生か らは現実的に生か され る教育を教わ りま した。
」NFEAの 皆様 や寮母や先輩や友達 と一 緒 にいた この期 間は一生 忘れ られ な い 思 い 出に
な りま した。
ここで 学 んだ大 切 な教育 は現地 に帰 つてか ら実行 します。小 さい苗 の よ うな子 どもた ち
に太 陽 の 光 の よ うに教 育 を与 えてや りた いで す。
」NFEAの 期待 に答 えるよ うにな りた い です 。 自分 の 日目的 に向か つて頑 張 りた いで
す。
Satya Kumari Budha
出身地 Jumla
先ず 自分 は運 が 良 かつた と思 い ます。ネ パ ール の 奥地 の 県 の奥
地 の郡 で生 まれ育 った に も関わ らず 、 いい教育 を受 ける こ とがで
きま した。
こん なす ば らしいチ ャ ンス を与 えて くだ さつた JNFEAの 皆
様 、寮母 さん KCPの 先生方 にお 礼 を申 し上 げた い です 。
2009年 7月 に この美 しい町 ポ カ ラに あ る さく ら寮 に入 る事 が
で きて、高度 な内容 の勉 強 がで きま した。 ここではい ろ い ろな実
習 もで きま した。
学 んだ こ とを実現 で きるよ うに努力 し、村 に帰 つた ら皆 に伝 えたいです。 学校 へ 行 けな
い子 どもに もそ の親 に もい ろい ろ と教 えた い です 。教育 の 大切 さを分か らな い親 に もそ の
大切 さを教 えます 。 学校 に行 つてい な い 子 を学校 に行 かせ た い です 。 JNFEA、
ん 、 KCPの 皆様 、有難 うございま した。 も う一 度お礼 を申 し上げます。
③
寮母 さ
Sita Kumari Bhul
出 身 地 Doti
人 間 は一 生 の 中に色 々 な経験 を します。嬉 しい 事 、悲 しい事 、
笑 い 、涙 、出会 い 、別れ 、美 味 しい 、 まず い な どが命 です。
教育 の 明 る さがな い 、発展 もな い 、極西部 の九つ の郡 の 中で も
も つ とも遅れ て い る Doti郡 で生 まれ て も、 こんな す ば ら しい と
ころで 、良 い教 育 を受 け る事 ができた事 は、 自分 は運 が 良 か っ た
のだ と言 えます。 さくら寮 に入 る前 には 、 自分 の将来 は ど うす る
べ きな のか は全 く分 かっていませ んで した。
さくら寮 に入 つ た ときか ら自分 の道 を見 つ けま した。私 を生 ん
で くれ た親 よ りも将来 の道 を教 えて くれ た 」NFEAの 皆様 が 凄 い と思 い ま した。
」NFEAの 皆様 が ご 自分 の こ とを忘れ て 、 ご 自分 の 時間 を私 た ちのた めに考 えて くだ
さっ た事 に感謝 します 。皆様 の期待 に絶対 に答 えるよ うに します。
この 2年 間 に先生や先輩 か ら教 わ つた こ とを活 かす よ うに します 。遅れ てい る村 の私 た
ちを ここで 教育 して くだ さった JNFEAの 皆様 、学長 、先 生方 と寮母 さんに心 か らお礼
を申 し上 げます。
Sujata Acharya
也 Kapilvastu
と
孝引
日多
高学年進 学 の 目的 で 2009年 7月 に この寮 に入 りま した。 ここ
では コ ミュ ニテ ィで どの よ うに仲 良 く暮 らす こ とがで きるのか と
か 、 日上 の人や 目下 の人 とどの よ うに仲 良 くで き るか とか 、 い ろ
い ろ学び ま した。 日本 か らもい ろい ろな方 が 来 て音楽、お絵描 き、
子 どもの 歌 な ど教 えて も らい ま した。子 どもに楽 しく教 える方法
も教 えて も らい ま した。
教科書 だ けではな く、それ以外 に も教 えるべ き ことがた くさん
あ る とい うが分 か りま した。寮母 さんか らも沢 山学び ま した。
村 に帰 つた ら、 ここで 教 わ った こ とを活 か します 。学校 に行 けて い な い子 どもた ちを学
校 へ 来 させ ます 。 いい 先 生 にな つて頑 張 りた いです。
最後 に、 いつで もや さ しく して くだ さる寮母 さん、学長先生、 山下泰子様 と 」NFEA
の 皆様本 当にあ りが と うご ざい ま した。
⑨
さくら寮 を訪 問 しま した !!
02月 20日 ∼3月 10日
今村務 。今村美 知子 、鈴 木真読夫 妻
・ ム
♪♪歌 の 指 導一 (今 村 務 )と “レス トラ ン ラ
ロ"の シ エフ美知 子 に よる料 理教室
今村 務 。今村美 知子
の
昨年 2月 に引 き続 き、 15時 間 の 音 楽 授 業。 今
がで き、童
回 は、ネ パ ール の童 歌 か ら授業 をす る事
め
歌 で の遊び か ら楽譜 まで、大変効 率 よく内容 を進
があ
る事 がで きま した。 あ とは、 ドリル をす る必 琴
つた 曲を、
ります。最終 日にな か な か うま く歌 えな か
美 しく歌 うこ とがで きま した。
きちん とした音程 で 、
今回 の大 きな成果 だ と思 い ます。
ついて学習
家 庭科 として 、 ダル バ ー トの 栄養 素 に
つて も
し、バ ラ ンスの よい食事 の一 つ であ る事 を知
いだ ろ
らいま した。他 に もバ ラ ンスの よい食事 はな
ニ ユーの提案 を して、調
うか。 そ こで 、私 か ら 1メ
お母 さんにも食べ させたい
l
鈴木真読 さんの「考 える授業」
チ ッカ"
“ダヤルウ モン バエゴ シ
チ ッカ"
サ クテ ィサ リ モン バエゴ シ
“
ご と、
理実習 を しま した。ター メ リックの炊 き込み 飯
べ
ピ リ辛 ホ ワイ トシチ ユー と漬 け物。食 られ るか大
に作 つ
変 心配 だ つた ので す が 、 大反響。 “お母 さん
てあげた い "“ 作 り方 を教 えて "等 々。 また少 しず
つ メニ ユー を広 げ て い きた い と思 つています。
「メ ロ ナ ー ム
「ナ マ ステ」
マ ヨ ミ スズキ
ホ」
か ら始 ま つた 5日 間。
4時 半 か らの 1時 間。 そ して、2日
5
目か らは、朝食 前 の 8時 か ら 9時 まで の 1時 FHl。
1日 目は、午後
☆まず、講義 か ら
次は・・ 実習 ・・
栄養 素 とは
日間、計 5時 間 が私 に与 え られ た時間。 (実 際 には、
5日 目の午後 5時 か らのボール 大会 と最後 の挨拶 が
加 わ つた。)
ム
私 が取 り組 んだ のは 、体育 (ボ ール ゲ ー )2.5
時間 と、算数 215時 間。
つて簡
私 が選 んだ ボール ゲー ムのル ール は、 いた
に
単。 パ ス をつ なぎなが ら、 円内 に走 り込 んだ味方
シ ュー トす る とい うもの。 チ ー ムの人数 は 3人 か ら
4人 、そ して最後 の大会 は、5人 に変化 させ て いつた。
ではな
私 のね らいは 、体育 は、単 に身体 の成長 だけ
こ
く、 心の成長 に も大 きな役割 を果 た して い る とを
が
最後 はい つ ものダル バ ー トを盛 る皿 です 、
そ して、
今 日のメニ ュー はま つた く違 う味 !!
⑩
感 じとつて も らうこと。
この ゲ ー ム を通 して の 具体 的 な学 習 内容 は、①
ルー
ゲー ム後 の話 し合 いが とて も大切 で ある事。②
ル は、児 童 の能力 に応 じ、修 正 した り、追加 し、 よ
そ して 、私 が用 意 して い ったプ レゼ ン ト。 日本 の
り楽 しい ものに してい くこと。③審判 を置 く意味。
④安全確保 のための コー トの点検。⑤衛生面での手
洗 い 。うがいの習慣化 が必要である事。⑥バ ランス
小学校算数 の教科書 (1∼ 6年 全巻 )。 ボール 2個 、
笛 2個 (現 地 で 買 つ た もの )。 折 り紙 (知 人 の義母
よい身体 の成長 のための体操 が大切 であること、な
どな ど 。・・
が 折 つて くれ た もの )。 一つ ひ とつ に拍 手 で喜 び を
表現 して くれ た。折 り方 を聞かれ たが、私 にそ の能
力無 し。 ナサ ケナイ。
い よい よお男可
れ。
“ダヤ ル ゥ モ ン
い心 を持 つた先生 )
バエ ゴ
“サ クテ ィサ リ モ ン
シー チ ッカ "(優 し
バエ ゴ
シーチ ッカ "(強
い心 を持 つた先生 )
これ が 、私 の しめ くく りの言葉。
“ダヤル ゥ モ ン"“ サ クテ ィサ リ モ ン"
この 言葉 は、 ボール ゲ ー ム 大会 の 表 彰 式 の メダ
後 半 2.5時 間 の算数 は、まず 、 ゲ ー ムの チ ー ム毎
の合計得点 を求 め る こ とか ら始 め るこ とに した。そ
こか ら発展 させ てい つ た学習 内容 は 、① 立式 の 大切
さ (ネ パ ール 語 には、「式 」 に 当た る言葉 が な い こ
ル
(メ
ロ
ス リマ テ ィ作 のか えるの折 り紙 )の 表 と
裏 に、 マ ンジュ さんに記 して もらい (マ ンジュ さん
か ら寮生全員 に手渡 しま した。
マ ヨミ
“ナ マ ステ "
スズキ
とにア然。 ク リシュナ氏 、寮母 の マ ンジュ さん に聞
いて も、首 をか しげ るだ けだ つた。)② 十、 一、 ×、
÷ を使 って よい 場面 と使 う事 が許 され な い場面 の理
解。③割 り算 の 商 の意 味 (日 本 で言 う等分 除、包含
除 の商 の意 味 の ちが いの こと)④ 筆算 の意味 (答 え
が速 く、 正 しけれ ば どの よ うに して も良 い こと)⑤
計浜1の 必要性 (普 遍 単位 、メー トル や グラ ムの 導入。
そ して 、 キ ロ、 セ ンチ 、 ミ リな どの 意 味。 lgは 、
日本 の 1円 の重 さで あ り、それ を寮生 に持 たせ 体感
も させ た。)な どな ど・・・
そ の 間、
授業 が成 立す るた めの重要 な要因 と して 、
す なわち、間違 つた友 を笑 つ
伸 び伸 び と した雰囲気 、
た り、 ばかに した りせず 、そ の誤 りを皆 の役 に立てる
ようにす ることが大切 であることを強調 していつた。
5日 間、忘 れ られな いた くさん の エ ピソー ド。
村 に帰 る の に 、 バ ス 2日 間、歩 き 3日 。 しか も、
美知子 )が 、20代 の若 き教師時代 に、
大変お世話 にな った鈴木 員読 さんに、今回ネ パ ール
私 (今 村
まで ご同行願 い 、授 業 を していただ きま した。鈴木
さん の授 業 は、 いつ も子 ども達 に考 え させ、話 し合
う形式 で行 われて い ま した。 その 「考 える授業 」を さ
くら寮 の学 生達に体験 させ た くて、お願 い し、今回実
荷物 をかか え、 山の道 、険 しい滝 の道 、早朝 か ら夜
道 まで・・ ・ 。話 しか けて くる寮生 に、大変、否や
現 い た しました。
過酷 、否や私 に は言葉 が 見 つ か らなか つた。
○将来、「赴任地 で 、 このボール ゲ ー ム をす る。」 の
03月 11日 、 12日 金 さんの絵画教室第 3回
寮 生 の発言 に、全員 が大拍 手。
○カ ニ ヤ キ ャ ンパ スの先生 か ら、 このボール ゲー ム
について尋ね られた こと。
な どな ど、す べ てを記す こ とがで きな いのが残念。
i
「 ネ パ ール 子 ども絵 画教育 プ ロジ ェ ク ト」 (代 表
金
斗 鉱一 グラフ ィ ックデザイ ナ ー )の 一 行 は 、絵画教
育 と ピア ニ カの演奏 の指導 を実施 しま した。情操教
育 につ い て遅れ が 見 られ るネ パ ール で 、3回 も訪 問
○
して 学 生 た ち に絵 画 へ の 関 心 を掘 り起 こ して くだ
の尾根 にある 山岳都 市 です。水汲み は女性 と子供 の
さつて い ます 。 金 先 生 に よる と、 も う少 し指導すれ
ば 、芽 が 出 る子 もい るのだが・・ 。とい う話 し。 な
仕事。 山坂 の多 い所 では大 変 な重労働 です。
小学校 は山 の 中腹 にあ り、先生 8人 、生 徒 H5人 の
ん とな く期待 して しまいますね。
小 さな小学校 です 。朝礼 で私 た ちが紹介 され 、私は
3月 に 日本 で発 生 した 、東北・ 関東大震 災 の様子 を
5枚 の写真 のパ ネル を使 って説 明 しま した。海 を知
らな い生 徒 で も、津波 の写真 を見て 、そ の被 害 の大
き さに驚 い て い ま した。 ビン ドゥ先 生の英語 の授 業
を見学 。 先 生 の 指 示 に した が っ て全 員 で 、大 きな
声 ではつ き り答 えて い ま した。授 業終了後、DVDプ
レー ヤで英語 の歌 を聞かせ た ら、他 の クラスの生 徒
も入 つてきて食 い入 るように見ていま した。彼女 には
Rajukumari Rawat
Kalpana Kumari Saud
卒業生が勤務する学校を訪問
2歳 のかわいい男 の子がいま した。
ビン ドゥさんのメッセージ
「 」NFEAの 皆様 お
理事 袖山正彦
4月 1日 か ら 15日 までネパ ールの極西部、中西
げんきです か。私 も元
部 の 4つ の小学校 の卒業生を通訳 のク リシュナ さん
と尋ねてきま した。
気 です。今 回、 JNF
EAの メンバー に私 の
4/1弐 本一ネパール②カ トマンズ)ネ パー
学校 を案 内 し、先 生 と
ルガンジ
(バ ス)″ 誓
パ ール ガ ン t
岬 騨 情■
ネパールガン
ジ (フ ムラ行なり飛行機を待つ)⑦ ダン③l撃
締
1郵
生 徒 を紹介 しま した。
:螺華③カイラリ④ネ
Э:球無餞盤熱整議:謹 ⑪ルクラ⑫サルヤ
ジ⑬ポカ″ ⑭矛 ■ ンズ⑬ 日本
私 は学校 で楽 しく教 え
ています。教 えるこ とは本 当に楽 しい ことと感 じて
い ます 。 バ イ タデか ら生徒 が さくら寮 に申 し込 みま
した ら、 よろ しくお願 いい た します。」
4月 5日
カ リカ・ カ ー トリさん
経験 1年
スル ケ ッ ト郡
(3期 生 )教 師
フ ム ラ郡 に行 く飛
行機 待 ちの時 間 を利
用 して 、急 速 、 カ リ
カ さん の 学 校 を訪 ね
る こ とに しま した。
ネ パ ール ガ ンジーか
らバ ス で 4時 間 半、
スル ケ ッ トの 町 は標
局 670メ ー トル の 大
(2期 生 )教 師
きな盆地で、北か ら南 に緩や かな坂 の街 で 、 オ ー ト
バ イが タクシー 替 わ りです。 学校 は小 学校 か ら大学
前 日の 午 後 1時 、 カ トマ ン ドゥか ら飛 行機 で ネ
パ ール ガ ンジー に行 き、翌 日ジープ を乗 り継 ぎ、夜
までの大 規模校 です 。 カ リカ先生 の担 当は英語 で し
4月 3日
経験 2年
ビン ドゥ・ チ ャ ン ドさん
バ イ タデ ィ郡
業を して くれ ま した。優秀な カ リカ さんの授業は発音
がイ ン ド、 ぽつ んぽつん と見 えるのが ネパ ール の村
も綺麗 で、生徒 をあきさせ ない工夫 をしてい ました。
だ と説 明 して くれ た。街 は標 高 1500メ ー トル の 山
⑫
た。最初小学 生 に 、現在 は中学生 に英語 を教 えて い
9時 30分 に、イ ン ドとの 国境 の街 バ イ タデ に到 着。
ドライ バ ーが 、闇 の 中 に沢 山の電灯 のついてい る村
ま した。今 回は急 な訪 間で したが 、小学 生の公 開授
生 徒 を指名 して 、 2人 で英 会話 の挨拶 の練習や、
英 語 の 歌 を 皆 で 大 きな声 で 歌 い ま した。現在、朝、
授業前 に 自分 の学校 の大学 に学 んで い ます。大変充
自分 の村 に帰 っ て先生
にな るチ ャ ンス与 えて
実 した毎 日であると話 していま した。
くれ る団体 は少 な いで
す。は じめ、
先 生 にな っ
‐
カ リカ さんの メ ッセー ジ
「山下先 生 、 JNFEAの 皆様 、支援 に感謝 申 し
て ど う教 えた らよいか
上 げます。 いい先 生 を育て る 」NFEAの 日標 に応
えるため頑 張 つてい ます。 よい 先 生 にな って よい 生
不 安 もあ りま した が 、
生徒 と向 き合 い一つ 1
徒 を育てた い と思 つてい ます。 教 えるこ とが こん な
ことか と分 か つて きま した。分 か らな い 時 は他 の 先
つ 問題 を解決 して きま した。3年 生で も 1年 生 の 内
生か ら助 けて も らつています。初 め生徒 は英語 が と
容 が分 か らない勉強 の弱 い子 どもがた くさんい ま し
た。分 か らな い子 どもた ちをグル ープ分 け して授 業
て も弱 か つたが 、一生 懸命 教 えた ら、今 は読み書 き
の始 ま る前 、昼休 み、放課後 に基本的な こ とを教 え
も上手 にな り努力 が報 われ た と思 い ま した。」
4月 9日 コ ウシラ・ ブッタ トッキ さん (3期 生 )
た ら、遅れ ていた生徒 も勉強 が楽 しくな り喜んで学
教 師経験 1年 サ ル ヤ ン郡
今 回、 一 番 の 思 い 出深 い 学校訪 間 で した。 まず 、
ダ ン郡 か らサ ル ヤ ン郡 まで バ ス で 11時 間 かか りま
校 に来 るよ うにな りま した。
サ ビ トリ・ BC(3期 生 )教 師経験 1年
ル コ ッ ト郡
コ ウシ ラ さん の村 の 前 の川 を渡
す。 朝 5時 30分 の バ ス に乗 らな い とそ の 日の 内 に
村 に到着 しませ ん。8日 朝 5時 にバ ス停 に いつた ら、
し舟 で 渡 り、約 2時 間 でジ ャ ジ ャ
ル コ ッ トの街 に着 きま した。 ジ ャ
ダ ン郡 は交通 ス トで 1日 一 切 の 車や バ イ クは走 らな
い との こ と。今 日中につか な い と、次 の ジ ャ ジ ャル
ジ ャ ル コ ッ トの 街 は 標 高
コ ッ トまで行 けな くな るた め、 一 綾 の 望 み に賭 け、
利 用 して建 て られ た町並みで、水
の確保 が重要 な問題 で した。頂 上
サル ヤ ン行 き のバ ス を求 めダ ン郡 の村 はずれ まで歩
き、 もぐ りの ジー プの荷台 に乗 せ て も ら うこ とが 出
来た。砂埃 と寒 さに耐 えなが ら、翌朝 の 午前 2時 に
コ ウシ ラ先生 のスル ケ ッ ト村 に到 着 、運転手 宅 に 3
時間仮眠 して 、学校 まで 1時 間 との こ とな ので 、朝
6時 に出発 。途 中 コ ウシ ラ さんが迎 えに来て くれ ま
ジ ャジ ヤ
H00
メー トル の急 な狭 い尾根 の 地形 を
に旧王官 と軍隊 の陣営 が あ りま した。 車 の通 る道以
外 は全部徒歩 です 。 4日 遅れ の新 聞 が届 いていま し
た。ジ ャ ジ ャル コ ッ トの小学校 の校長先 生宅 に伺 い 、
小学校 に案 内 して もらい ま した。
訪 間 の趣 旨を伝 え、
生徒数 120人 先 生 6人 です 。校舎 は古 く、傾斜 地 に
した。 学校 は カ リ川 沿 い の 河 岸 段 丘 の 岡 の上 に あ
り、1年 生か ら 6年 生 まで約 120人 、先 生 6人 の小
建 て られ て い るため、校庭 は 5坪 ほ どで した。 中学
か ら大学 までは別 の所 にあ りま した。 サ ビ トリさん
8年 生 の校舎 を作 る予定で建
は学校 が春休み で 、学校 か ら歩 いて 2日 間 の 自宅 に
学校 で した。今年 7、
材 が校庭 の隅 にあ りま した。 コ ウシ ラ さん の英語 の
授 業 を見学 しま した。頭 文字 が 「A」 や 「C」 で始 ま
帰 つて 留守 のた め、授業 を見 る こ とは出来 ませ んで
した。 校長 先 生 の 話 で は担 当教 科 は英語 と算数 で 、
る単語 を生徒 に質問 しなが らの授業 で した。授業終
了後 、校 庭 で 日本 か ら持 つて い つた ソフ トバ レー
昨年 は病気 で 1日 休 んだ他 は毎 日授業 を続 けたそ う
です 。現在 は毎朝大学 に通 つてか ら、小学校 で授 業
ボール でバ レーボール や ドッチボ ール を して遊び ま
を しています。 帰 りのバ ス でサ ビ トリさん の 大学 の
した。 ドッチ ボ ール 遊 び は初 めて の遊 びで 、教 えた
らす ぐに覚 えて 皆 で楽 しみ ま した。教師 が生徒 と一
同級生に会 い、印象 を尋ねた ところ、 とて もま じめな
学生だそ うです 。翌朝、校長先 生にサ ビ トリさんへ の
緒 にな つて遊 ぶ こ とはな い そ うです 。
コ ウ シラ さん の メ ッセージ
「ナ マ ステー 私 は 自分 の村 に帰 っ て先生 をや つ
手紙 を託 し、砂塵 の舞 うジャジ ャル コッ トの街 を後に
しま した。
今回 の 日本 の 地震 の ニ ュー ス はほ とん どの人 は知
りませ んで した。 日本 。」NFEAの 皆様 にポカ ラ
て い ます 。 さくら寮 で よい 教育 を して も らい本 当に
自分 の 村 で先 生 になれ た こ とを嬉 しく思 つて い ま
のバ リジ ュー 学長 、 さくら寮生 か ら災害 の お見舞 い
す。 い ろ い ろな NPOや 団 体 が あ ります が 、
と復興 の励 ま しの言 葉 をいただ きま した。
EAの
JNF
よ うな、 よい 教 育 を して 、 遠 い 所 の 生 徒 を
⑬
助成金や支援金をいただいた団体 の ご紹介
て大切 に伝 え られ て きま した。
20104F握 議
※国際 ソロプチ ミス ト大阪 ―いずみ よ り認証 20周
年 を記念 して JNFEAに 支援金 100万 円―-2
月 13日 、理事長 山下泰子 の最終講義 の席 上、同団
体 の会長 (当 時 北村純子 さん)よ り 100万 円 を、
JNFEAの
活動 の 支援金 と していただ きま した。
これ は 、 同団体 の認 証 20周 年 を記念 して 、国際奉
仕活動「発展途 上 国へ の支援」として 3団 体 に下 さつ
た ものです。
表彰式 に先立 ち、半藤 一 利選考委員長 は 「過去 の
受 賞者 は学校建設 に携 つ た個 人、団体 で あ っ たが 、
※第 14回 「 米百俵 賞」
教育 の基本 は優秀 な教師 を育成す る ことが絶対で あ
り、僻地 の少女 を教員 に して 、育 った村 で教師 とし
新 潟県長 岡市 で は、市制 90周 年 記念 の 事業 と し
て 、平成 8年 「米 百俵 賞」 を制 定 し、毎年 、教 育 。
て ス ター トす る試 み は、米 百俵 の精神 に一 致す る」
と受賞理 由を述 べ られ ま した。 山下泰子理事長 の受
人材育成 へ の貢献 の あ ら た個人、団体 を表彰 して賞
金 100万 円を贈呈 しています 。小泉元首相 の就任演
賞講演 で は 、ネ パ ール の教 育事 情、都 市 と農村部 、
男女 の教育格差 が話 され ま した。 また当協会 の女性
教員養成 プ ロジェク トの経過 を説 明 し、ネ パ ール に
説 で も紹介 され 一 躍 注 目され ま した。
平成 22年 度 の第 14回 「米 百俵 賞」 は 、 JNFE
Aが 受賞 しま した。 ネ パ ール で の女性教員養成 プ ロ
日本 の 女 子 師範 学校 の よ うな制 度 の 導入 と、映画
「二 十 四 の瞳」 の 大石先生 の よ うな 生 徒 か ら慕 われ
ジ ェ ク ト活動 が評価 され たの です 。 6月 15日 に長
る先生 を育成す る ことである と抱負 を述 べ 、会場 か
岡市 の リリックホール で開催 され た表 彰 式 には市民
700人 あま りが参加 し、 」NFEAか らも 13名 の
ら暖 かい拍手 を頂 きま した。
会員 が 出席 しま した。
「長 岡・ 米 百俵 」 とは 、明治
※全 国退職女性校長会
3年 、戊辰 の役 で敗
れ た長 岡藩 の窮状 を見かね、友藩 三根 山 (み ねや ま)
藩 か ら義援米 100俵 が届 け られ ま した。 時 の長 岡藩
の 大参事小林虎 二郎 は、米 を藩 士 に分配 して も 3日
は飢 えを しのげて も、そ の先 の飢 えは しのげな い と
考 えま した。 また 、 この度 の戦争 で長 岡を窮 地 にお
としめた のは 、藩 に将来 を見据 え る こ との 出来 る人
材 がい なか つ たか らで、「街 が 栄 え、街 が亡ぶ の も
す べ て人 である。人 づ く りの礎 は教育 にあ る」 と藩
士 を説 き伏せ 、米 を売却 して 国漢学校 を作 る資金 に
しま した。 この教 えは長 岡 の地 に米 百俵 の精神 とし
⑭
理事
袖 山正彦
(梅 の実会 )か ら支援
一女性教員 の育成 に一
本会 は今年度 当初 5,200余 名 の会員数 にな りま し
た。
長年 にわた つて公 立小 。中学校女性校長 として学校
経営 に当た り、そ の経験 を生 か して 、退職後 もさま
ざまな分野で教育支援 に携 わ つてい ます。本会 の活
動 の一つ に 「福祉 支援 活動 」 力`あ り、「日本 ネ パ ー
ル 女性教 育協会 」 には 、そ の活動 の趣 旨 に賛 同 し、
「梅 の実福祉 支援金」は、
3年 前 か ら支援 してい ます 。
全会員 の会費 か らと、全 国大会 開催 時 の参加者 か ら
の募 金 を充てて い ます。
今年 7月 には 、 そ の支援金 が 日本 に留学す る第 1回
卒業 生 (教 師 )の 研修費 に充 て られ るよ うです。
支援 の形 が 実 り始 め始 めた こ とを喜 んでい ます。
(全 国退職 女性校長会 (梅 の 実会 )本 部
大竹 久江 )
※ (財 )埼 玉 県 国際 交流協 会助 成 金 は Doti郡 の マ
ニ サの勤務す る学校 へ !!
第 2回 目にな る助成 金 は 、10月 の フ ォ ッロー ア ッ
プ 研 修 に集 ま る卒 業 生 先 生 の 旅 費 と、学校 設備 の
支援 に 充 て られ ま した。 今 回 の 机 と椅 子 は、第 2
期 生 Manishaの 勤務す る学校 」anardan secondary
schoolに 贈 る こ とにな り、現 地 代理 人 ク リシ ュナ
さん と今村夫妻 が確認 のた めに訪 ね ま した。
うな急坂 、 しか も一 人 しか通れ な い細 い道 です。 一
歩踏 み外 した ら、落 下間違 い な し。「骨折 」 こん な
言葉 が頭 に浮 かんできます。汗 をか きか き、や つ と
今村美知子 さんに よる報告
昨年 10月 の フ ォ ロニ ア ップ研 修 の 時 に マ ニ サ に
聞 い た話 に私 は とて も驚 きま した。 それ は 、「村 は
学校 に着 きま した。今 日は 、学校 がお休 み の 日で し
とて も貧 乏で 、 まだ電気 も来 ていない し、学校 は青
ま つ て い ま した。
まず 、机 ・ 椅子 は ?
空学級 もある し、雨漏 りもた くさんあるか ら、雨が
た。 それ で も集 ま って くれ た子 ども達が いた よ うで
したが 、私達 の到着 が遅れ たた め、み んな帰 って し
どこにあるのか しら ?
日
降 っ た らお休 み なんです。机 と椅子 もあ りませ ん。」
そ の学校 に、机 と椅子 のプ レゼ ン ト。本 当に うれ し
本 だ った ら、新 品 の机 ・ 椅子 が搬入 され ていて 、す
く思 い ま した。
まず 、 カ トマ ン ドゥか らダ ンガデ ィまで飛行機 で
くさん搬入 され ていま した。 これ か ら組 み 立て るの
行 き、チ ャー ター した ジー プ に乗 り、約 6時 間 で 、
デ ィパ ール とい う小 さな町 に到 着 しま した。 次 の 日
ぐにわ か るはず です。鉄 でで きた足 と、本 の板 がた
だそ うです。 これ らは、町 か ら トラクター で運 び 、
人力 で急 斜 面 を登 つて 、 この学校 まで運 んだそ うで
の朝、そ のジープでマ ニ サ の学校 に向かお うと思 つ
ていま した ら、そ のジープで は行 けな いだ ろ うと教
えて くれ ま した。 もつ とタイヤ の大 きな地元 の乗 り
合 い ジー プで も行 けるか ど うか
!??と の こ と。 そ
れで も事情 を話 して 、 地元 の ドライ バ ー にお願 い し
ま した ら、不安 そ うで なか なか OKが 出な か っ た の
です が 、机 と椅子 を寄付 して くだ さった 日本 の方 々
とい う事 で 、や っ と行 つ て くれ る事 にな りま した。
ものす ごい悪路 で 、車 の 中で体が踊 つて しまいま
す。 3時 間 くらい で ジープ の 終点 まで行 き、本来 な
らここで ジー プは帰 るのです が 、更 に奥 へ 1時 間進
す。重 い し、大変 だつただ ろ うと思 い ます が 、寄付
み ます 。 さらな る悪路 、仕方 な く、そ こか らは徒歩
り切 つ て 運 んで くれ た事 で しょ う。 それ に して も、
「もつ ときれ い にカ ンナ をか けて !」 と、言 い たい
で向か い ま した。 到着時間 が大 幅 に遅れ て しまいま
していただいた ものです か ら、子 ども達 の ために張
した。
ところで したが 、校 長 先生 は 、「こん な しつか りし
2時 間 ほ ど遅れ て、最終地点 に到 着。 そ こか ら山
の 中腹 に見 え る学校 まで、登 りま した。何 で こん な
た鉄 骨 と、 こん な に厚 い 板 で す か ら、50年 は使 え
所 に学校 を
!!
危険 じゃな いです か
!
と思 うよ
るで し ょ う。」 と、満 面 の 笑顔 を見せ て くだ さい ま
した。地元 の職 人 さん達 が 、組 み合 わせ 作業 を して
机・ 椅子 に して くれ るそ うです。
学校 の 隣 には 、宿舎 が あ りま した。遠 くて学校 に
⑮
通 えな い 子 ども達 の宿舎 です 。 ただ板 が敷 いて ある
だけ の部屋 に、何 人 の子 ども達 が生活 して い るので
しょ うか ?
この宿舎 に入れ るのは 、男 の子 だ けだ
そ うです 。 同 じ地 域 に住む女 の子 は、学校 に行 く事
もで きず にい るのだ と思 いま した。
み んなで写真 を撮 って 、帰途 につ きま した。帰 り
にそ の学校 か ら村 を見下 ろす と、景色 のなん と美 し
行 ってい る ところもあ りま した。
最近 はイ ン ドか ら帰 って くる人 たちが エ イ ズの病
気 を運 んできて村全体 がエ イ ズ にかか つてい る とこ
ろも少 な くあ りませ ん。 当然 の ことです が教育 の遅
れて い る村 が この よ うな問題 が 多 いです。
4月 1日 ∼ 15日 :袖 山 さん と一 緒 に極西部 へ。
2日 一 第 2期 生 の住む バ イ タデ ヘ。 ここは、イ ン ド
い 事。畑 が広 が り、
真 つ赤 な シ ャ クナゲが咲 き、うつ
とり見 とれ て しま い ま した。 こんな景色 の 中 で生活
に近 く、イ ン ドに出稼 ぎに行 つてい る人が多 い。 公
立 学校 には女 の子 が多 く、男 の子 は私 立 に行 かせ る
で きた ら、貧 乏は大変 だ け ど、 き つ とみんな穏や か
に仲 良 く生 きて い つてい るんだ ろ うな、 そんな気 が
らしい。
5日 一 スル ケ ッ トヘ。今 回 もフムラ と ドル パ ヘ は行
しま した。
20114「 層
菱
※公益 財 団法 人 東 芝 国際交 流 財 団 か ら助 成 金 100
万円
「日本 の優れ た教育文化 の紹介・普及」
使用 目的 は、
です 。ネ パ ール の教育特 に公 立の学校 では情操教育
の 面にお いて 遅れ がみ られ ます。情操教育 は人間形
成 に とて も重要 な役割 を持 っています。 そ こで 、教
員養成 を 目的 とす る当協会 では 、音楽 、絵画、 パ ネ
ル シア ターの課 目を、 日本 か ら講師 を派遣 して 、 さ
くら寮 の生徒 た ち、卒業 生 の教員 た ち、KCPの 先 生
た ちを対象 に指導 ・ 教授 します 。 この助成 金 は この
けなか つた。 一 機 しか な い 飛行機 に乗 るた め、 2,
3週 間 も待 ってい る人た ちがいて、 とて も乗れ ない
ので 、 スル ケ ッ トの 第 2期 生 カ リカ の 学校 へ 行 く。
彼女 はなかな か優秀 な先生だ。
8日 ― サル ヤ ンヘ 。 昨年卒業 した 3期 生 コ ウシラの
働 く学校 へ 。乗 り物 が ス トライ キで。 闇ルー トのバ
ス で行 つた。女子 の数 が圧倒 的 に多 い。 ここ も男 は
出稼 ぎに行 き、女 が働 いてい る。机 。椅子 が足 りな
くて床 に座 ってい る子 がいた。水汲み に女が 1∼ 2
時間か けて行 つてい る。 電気 がない村 で ある。
10日 一ジ ャ ジ ヤル コ ッ トヘ 。 3期 生 の サ ビ トリが
働 く学校 へ。 なんだ か先生 たちにや る気 がない。 生
徒 が私 立の学校 へ 行 く率 が 高 い。
プ ログラ ムの 実施 に充 て られ ます。
①
ク リシ ュ ナ 日記
現地代 理人 ク リシュナ ・ カデ ィ ワダ
3月 4日 :今 村夫妻 と一 緒 に第 2期 生 マニサ の住 む
Dotiへ 。埼 玉 県国際交流協会 か らの助成 金 で マ ニ
サ の働 く学校 へ机 と椅子 をプ レゼ ン トした ので 、 そ
の確認 のため。村 の学校 の 手前 に橋 を作 るのに石 を
運 んで い る女 の人た ちが 大勢 い ま した。 しば らく田
舎 にお米 が入 つていな くてや つ と入 つて きた米や化
学肥料 を運び に店 の近 くにた くさん集 ま つていま し
た。 び っ く りす るほ どの人数 で した。椅子 がな くて
床 に子 どもた ちを座 らせ て 教 える先生方 は、 」NF
EAと 埼 玉 国際 交流 協 会 か らの 支援 で机 と椅 子 を
購 入 で きた こ と事 を本 当に喜 ん で い ま した。 Tika
Datta校 長 は、 この机 と椅 子 を大切 に使 いたい と話
して い ま した。昨年 は米が うま く取れ なか つたそ の
村 は今年 も不作 の よ うで した。村 の人 た ちはまたイ
①
卒業 生 の村 をまわ る袖 山 さん (左 端 )と ク リシ ュ
ン ドに出稼 ぎに行 かない とど うに もな りませ ん。村
に よつて は男 の人た ちがだれ も残 らな いで イ ン ドヘ
②
ナ さん (右 端 )
バ スの屋根 の上 にまで乗客 を乗せ て
⑩
Topics & News
在 ネ パ ー ル 水野 大使 と Republica編 集長 が文京学
With Youさ いたまフェステ イバ ル
2月 5日 土曜 日、午後 12時 ∼ 2時 、 さい た ま副
「
都 心 にあ る埼 玉 県男女共 同参画推進 セ ンター With
パ ール 大使水野氏 とネ
Youさ い た ま」 で開かれ た 、 “第 9回 With You さ
いたま フェス
・ ィバ ル '' に2参 力日
ラ
パ ール の有名 な雑 誌
「Republica」 の 編 集
し、 ワー クシ ョ ッ
プ を 開 催 しま し
長 Ameet Dhakal 氏 が
JNFEAが 本 部 と して い
た。
る文京学院大学 を訪 問
埼 玉 県 国際交流協
しま した。 島 田学長 が応対 して くだ さい ま した。 J
NFEAか らは、 山下理事長 、伊藤 、新井場 の 3人
会 か らいただいた 「彩 の 国 さい たま国際協力基金助
30人 の卒業 生 を集 めての “研修会 "開 催 、
成金」で 、
お よび設備 の充分 でない山村 の小学校 へ の机・ 椅子
院大学 を訪問
2月 18日 、 在 ネ
今 回 は、 昨 年 、
が同席 し、文京 学院大学 と 」NFEAの コラボ レイ
シ ョンに よつて 、ネ パ ール での女性教員養成活動 が
成 り立 ってい る こ とを説 明 しま した。
の支援 とい う大 きな事業 を実行す ることが出来ま し
た ので 、そ の 報 告 を 中 心 に、実施 しま した。 20人
の こ じんま りした会合 で したが 、参 加者 は熱心 に聞
衣料 の ご寄贈
か ら多量 の
国際 ソ ロ プチ ミス ト大 阪一 い ず み
衣料 の ご寄付 があ りま し
いて くだ さいま した。
来 日中のネパ ール 人 のク リシュナ さん も出席 し、現
在 のネパール の様子 をお聞きす ることが出来ま した。
た。 ネ パ ー ル の 女 性 た
ち、特 に山村 に住 む女性
パ ソ コン プ レゼ ン ト
た ちに不足 してい るもの
2009年 4月 新潟 大 学 よ り、 10台 のパ ソ コ ン をお
で す。 昨 年 10月 に寮 母
マ ンジュ さんが訪 日した
贈 りい ただ きま した。早速 、そ の年 の 10月 、フォ ロー
ア ップ研修会 で 、 IBMの 職員 上 田雅 士 さんが現地
時 に 、同会 をお訪 ね し、ネ パ ール の女性 の現状 につ
いて お話 しす る機 会 があ りま した。 山村 の女性 た ち
に赴 き、基本 的な操作 を指導 して下 さい ま した。 そ
の様子 はホー ムペ ー ジ
の 、下着や 生理用 品 の 不足 について お話 ししま した
と ころ、「女性 の健 康 の 問題 こそ 私 た ち の活動 の 目
http://w]v¬ v.jnfea.net/sakuraryoudayori12.html
的 と一 致す る」 とい うご見解 を いただ きま した。 そ
して今 回は 2度 日の 下着 の ご寄贈 で した。
留学 生が や って き ます 。
8月
ラ ミラ 。ブ [
ダ (第 1期 生 )が
日本 に 来 ま す。 文
京 学 院 大 学 とカ ニ
ヤ 。キ ャ ン パ ス・
ポ カ ラ と の 「交 換
留 学 協 定 」 に基 づ
き、同大学 に 1年 間留学 します。極西部 バ ジ ャー ン
出身 、22歳
に紹介 させ て い ただ きま した。 ご覧 くだ さい。 ほ と
ん どの卒業 生が 、 メール 送信 に挑戦 していま した。
引き続 き 2010年 12月 に 、西南学院大学 の古賀衛
先 生 よ り 4台 のパ ソ コ ン をいただ きま した。 古賀先
生 は、2010年 10月 、 フ ォ ロー ア ップ研修会 に参加
して くだ さい ま した。様 々 な御 土産 の 中にデ ジカメ
があ り、 それ をも らつた ラル マ ヤが 「これ ど うや つ
て使 うの ?Jと 不思議 そ うで した。 そ の様子 を心に
止 めて 下 さつた古賀先 生 は、 メール で 次 の様 なメ ッ
セー ジを送 って くだ さい ま した。
「パ ソ コ ン をあげ よ うと思 つ た き つか けが、デ ジ
カ メを貰 つて もパ ソコ ンが な くて写真 を見 られな い
卒業 生が いたか らです。今後 さくら寮 で寮 生 の教育
に役 立てていただ けば と考 えて い ます。ネ パ ール で
は、農村部 までイ ンター ネ ッ ト環境 が届 いて な いの
で しょ うが 、 いずれ時代 が進 むで しょ うか ら、 さく
ら寮でパ ソ コ ン を使 うこ とに慣れ ていれ ば 、役 に立
つ 日も来 るで しよ う」 と。
ネ パ ール で は急 速 に IT環 境 が進 展 してお りま
す。 鉄道 の な い ネ パ ー ル 人 の コ ミュ ニ ケ ー シ ョン
は、 モ バ イ ル が大 きな役割 を果 た してお ります。 イ
ン ター ネ ッ トの普及 が鉄道 よ りも先 にな るだ ろ うと
多 くの人 々 が予想 して お ります。 とて も時宜 を得 た
プ レゼ ン トで した。本 当にあ りが と うございま した。
(文 責
岩谷栄子 )
ニ ュース レター No.10で 予告 いた しま したが 、 この
秋 には記念イ ヴェン トを実施 します。
1.記 念誌『 さくら寮 5年 間 の あゆみ』発行
費 を支給。
・ 26日 マ ンジュ寮母
くら寮 5年 間 の あゆみ DVD制 作 。上映
。12日
懇親 会 には、 さくら寮 で 音 楽 の指導 を して い る今村
務 さん によるオ カ リナ演 奏や、パ ネル シア ターの創
始者 古宇 田亮順 さん によるパ ネル シア ター上 演、 ア
ナ ウンサ ー 宮崎 洵 子 さん の朗読 な どを予 定 してい ま
別途 ご案内 いた します ので 、ご期待 くだ さい。
す。また、
・ 卒 業 式 は 5月 30日 。 出席 者 は KCPの 先 生 た ち、
卒業 生 、 マ テ マ 元駐 日大使 夫妻 、3回 も絵 画指導 を
して くだ さつてい る金先生た ち、そ して在 ネ パ ール
の 日本人。 協会 か らは次 の メ ンバ ーが 出席 します 。
山下泰子 理 事長 (統 括 )新 井場 貞子 理 事
修 学旅行
(さ
くら
卒業 式運 営 )今 村 美知子 理 事
調 理指 導 )今 村 務 (音 楽指 導 )渡
邊 い くよ (絵 画お よび生理 パ ッ ド製作指導 )
(卒 業式運営
訂 正 とお詫 び
2010年 11月 30日 発 行 の No.10
の 15ペ ー ジ 下 か ら 6行 日、 仙 田
理 芳様 (能 楽 師 、重 要 無 形 文 化財
総 合 指 定保 持 者 )と 訂 正 します 。
マ ンジュ寮母
日本訪 間 を終 え帰寮 、寮生 た ちが休
暇 を終 え寮 に戻 つた。
・ 15日 寮生 た ちは今 日か らKCPへ 登校。
。17日 運営委員会 開催。
。18日 奨学金 の支給。
・20日
土曜 日で休 日 裏庭 の畑作業。
・ 22日
卒業 生 7人 (研 修 会 に参加 で きなか つた 人 )へ 給料
送金。
。23日 図書 を購 入。
・ 30日 KCPで 英語 とコ ン ピュー ター の指 導 の 先 生 を決 め、
時 間害1を 相談。
12月
・ 照 明器 具数 ヶ所修繕。
・ R子 が発 熱 、そ の後尿路感 染症 を発 症 、受診 、投薬 を受 け
た。
・ K子 と S子 が頭痛 、受診 し投薬 を受 けた。
・ 7日 ∼ 8日
参加。
・ 23日 ∼28日
・ 30日
KCPで 20周 年記 念行 事 、寮 生 は唄 とダ ンスで
学 生た ちは試験。
寮生は休 日、国立 山岳博 物館 見学。
1月
・ 3日
照 明 を数 ヶ所修繕。 交換留学 生矢野可穂理 さん受 け
入 れ に備 えて部 屋 の 設備 修 繕 (ソ ー ラー ライ ト設 置 、イ
2004年 に 能 楽 で 初 の 女 性 総 合 指
定 者 とな られ ま した が 、 2010年
ンター ネ ッ ト接続 )。
。4日 寮近 くヘ ピクニ ック、野外料理 とダンスを楽 しんだ。
。7日 高等教育委員会 へ 行 き卒業生た ちの成績証 明書 を受
3月 に亡 くな られ ま した 。 理 事 長
の都 立 大泉高校 の クラ ス メー トで 、 JNFEAの 教
領。
。10日
育 里親 として ご支援 いただ きま した。 ご冥福 をお祈
りします。 写真 は仙 田理芳様 の能舞台姿 です 。
⑬
日本訪 間 に出発。
11月
)
場所 :文 京学院 大学
寮担 当
加 し熱 心 に学 んだ (講 師 はKCP学 長 以 下教 員 4人 、 山下理
事長 、今 村 夫妻 とそ の友 人 2人 、 マ テ ィマ 元駐 日大使 、岩
谷 理事 、深 田理 事 )23日 夕 には フ ェア ウ ェル パ ー テ ィー
を開催 した (寮 裏庭 で バ ー ベ キ ュー を囲んで)。
。23日
フ ォ ロー ア ップ研修 会 に参加 の卒業生 に給料 と交通
2.シ ンポ ジ ウム と懇親会 の 開催
(日
と椅 子 の数 、設備 の調査。
・ 6日 寮生 は ダサイ ン休 暇で帰省。
岩 谷 理 事 と深 田理事 が さ く ら寮 に到 着 しフ ォ ロー
ア ップ研修 会 の準備 を始 め る。
・ 21日 ∼23日
フオ ロー ア ップ研修会 開催 卒業 生22人 が参
・ さ くら寮 5周 年記念 イ ヴ ェン ト
期 日 :10月 2日
購 入。
・ 4日 寮生 に奨学金 と帰省 交通費 を支給。
・ 5日 寮生 に宿題 (休 暇 中の)を 確認 ―作 文 と赴任校 の机
・ 19日
お知 らせ
3.さ
ンス リー 報告 2010年 10月 ∼ 2011年 2月 の抜粋 )
2010年 10月
。大型圧 力鍋 、DVDプ レイ ヤ ー 、携 帯電 話 (ス タ シフ用 )を
(マ
。11日
卒業生 の ラジャニ が書 類 を受 け取 りに来寮。
交換留学生矢野 さん到 着 、皆 で歓 迎会 を開催。
・ 14日 Maghe Sankrantiの 日特別 料理 で祝 つた。
。15日
矢野 さんKCP学 長 と面接 、今後 3ヶ 月間 11年 生 として
KCPで 学 ぶ ことに意欲 を示 した。
・ 18日
休 日、 11年 生 と留学生矢野 さん遠 足 (マ ヘ ン ドラ洞
窟 へ )。
12年 生 の成績発 表 あ り、 8人 が合格 (パ ドマ が クラ
スで 1番 、 ス ジ ャー タが2番 で 良 い結 果 だ つた 2人 が不
・ 20日
JNFEA活
。14日
寮 生た ちはHSEB試 験 の最終試験 の受験用 写真 を撮 り
文京学院大学
長 岡市 立和島小学校訪 問 (山 下 (泰 ) 、伊藤 (恒 )
岩谷 、袖山、深 田)
2011年 1月
・ 15日
。25日
・ 6日 卒業生 か らの報告 書 を受 け取 つた。
。7日 KCPへ 行 きス リジ ャナ とプ スパの受験票 を用意 した。
教育 の神 Saraswati Pujaの 日、学生 た ちはKCPで
特別 なプ ログラム に参加 。
。11日 裏庭 で ジ ャガイ モ の収穫 を した。 バ リジユー氏 が さ
くら寮 の建物 の状 況 をチ ェ ック。
。13日 奨学金 と給料支払 い。
。19日 休 日、寮生 た ちは映画 を楽 しんだ後 、マ ンジュ さん
か ら英語 の指導 を受 けた。
t20日 運営委員会 開催 全委員 出席。 バ リジュー氏 が建 物
の塗装 を提案 した。
今村夫妻 と鈴木夫妻 が来訪 、寮 生 へ の授 業 の計画 を
・ 5日
大泉資料室
活動推進会議
八丁堀会議 室
With Youさ いた ま フェステ ィバル 参カロ (山 下夫妻 、
新井 場 、渡邊 夫妻 、磯 、 ク リシ ュナ )With
You
さいた ま
。14日
活動推進会議
。19日
第 8期 第 6回 理事会
大泉資料室
文京 学院大学
3月
・
6日
活動推進会議
大泉資料室
さくら寮支援物資発送 (208kg)
大泉資料室
・ 27日
活動推進会議
大泉資料室
・ 31日
活動推進会議
大泉資料室
活動推進会議
文教学院大学
。22日
4月
。 2日
相 談。
活動推進会議
2月
・ 8日
・ 22日 ∼ 27日
帰国
第 8期 第 5回 理事会
12月
に行 つた。
・ 4日 浄水器 の修繕 、給水 タ ンクの清掃 を した。
。5日
カル パ ナ は英語 のテ ス トを受験。
・ 21日
動報 告
2010年 11月
。10日 寮母 マ ンジュ
・ 20日
合格 で再試験 とな る。
。22 休 日、野菜 を植 えポテ トを収穫 した。
2月
。3日
学 の授 業 を午前 、午後 に実施 した。
・ 27日 学生 の奨学金 を支給。
今村 夫妻 と鈴木夫妻 に よる音楽 、ゲ ー ム 、数
さくら寮の歌
作詞 :ク リシ ュナ ・ カテ ィ ワダ
ポカ ラに花 が 咲 い て い る
3. 百本 の桜 を百か所 に
そ の木 を咲かせ よ ネ パ ール に
す くす く育 つ よ山 の 下
輝く
」NFEAの 夢 は
ダ ウラギ リ マ チ ャプチ ャ レ
桜 の 下には
セテ ィ川 が
2. 私 の心 に桜咲 く
庭 い つぱ い
い ろんな花 を咲かせ たい
4.
心 に力 と責任 を
そ の花 の香 りに誘 われ て
愛 を も らって帰 ります
さくら寮 で 育 って帰 ります
JNFEAの
さくらの心 を広 めます
た くさん の皆 さんあ りが と う
皆 さんあ りが と う
し ヽ
つ
皆 さん本 当にあ りが と
た
未来 を咲かせ て くれ ま
⑩
編集後記
この ニ ュー ス レター の準備 を始 めて間 もな く、あの 大惨事が起 こ りま した。 しば らく手
が つ かない状 態 で した。 計画停 電 な る語 が使 われ るよ うにな ってか ら、「ああ、ネ パー ル
で は これ を loadsheddingと 言 っ たな、そ んな こと当た り前 の 国、 だか らネ パ ール 人 か ら
見た ら 2、
3時 間 の停電 で右 往 左往 してい る私 た ちはおか しいだろ うな」 と思 つた りしま
した。 因み に現在 -4月 、 ポカ ラでは 18時 間停電 とか。
4回 目の 卒業 生 が 巣 立 ちます。電気 も通 じていない村 に帰 つて先 生 にな ります 。都会 の
便利 な生活 を 2年 間経験 した女性 たちです が 、や は り自分 の生 まれ故郷が 一番 と思 つてい
ます。 (S.Y記 )
長 い髪 はネ パ ール 女性 の命
会費・ 里親基金払 い込み及 び 寄付金受付 口座
口座 名 :NPO法 人
日本 ネ パ ール 女性教育協会
)
口座 番 号 :001304370983(郵 便振替 口座
個人会員 :3,000円 個人賛助会員 :10,000円 学 生会 員 :1,000円 法人賛助会員 :50,000
円 (共 に年会費 )
里親基金 :月 額 5,000円 、年 間60,000円 、 5年 間合計 300,000円
認定
但 し月 額 1,000円 も可
NPO法 人 日本 ネ パ ール 女性 教 育 協会 (JNFEA)
理事長 :山 下泰子
本部
〒113‐ 8668 東京都文京区向丘
1‐
19‐
1
文京学院大学
ポカラ寮 :Sakura Dormitoじ Kanya Campus Pokhara,Nadipur Pokhara‐ 3 Kaski Nepal
RO Box 192
Tel:977‐
61‐ 535342,977‐ 61‐ 541649
事 務 局 長 :岩 谷 栄 子 〒 104‐ 0032東 京 都 中央 区 八 丁 堀
編 集 委 員 :新 井 場 貞 子
E‐
⑩
吉 田俊 吾
3‐
24‐
佐伯律子
mail:iwatani@m7.郎 ″
ao.ne.ip URL:http:〃 www.jnfea.net/
1‐
1001 Fax03‐
6222・
3824
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