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サンティアゴ・デ・コンポステーラへの巡礼記 PDFファイル - J

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サンティアゴ・デ・コンポステーラへの巡礼記 PDFファイル - J
El Camino de Santiago 2009 by H. Yamaguchi
El Camino de Santiago 2009
<巡礼記>
9月1日(火)
東京⇒成田⇒London⇒Madrid
朝の 5 時半に自宅を出て妻に駅まで送ってもらい、いよいよリフレッシュ休暇(この夏、5 週
間の休暇を取得し、群馬・アメリカ・スペインに滞在)のハイライトであるスペインの「サンテ
ィアゴ・デ・コンポステーラの巡礼路(世界遺産)」を歩く旅に出発した。8 時過ぎに成田空港に
到着し、日本航空のカウンターでチェックインをすると、ロンドン行きがオーバーブッキングで
アムステルダム行きに変更しませんかと言われたので、OK ですと答えた。これに乗れば、ビジネ
スクラスかつ 3 万円のクーポン付でかつマドリッド到着が早くなるという超おいしいオファーで、
これは幸先よい旅だなと思っていたら、他のお客さんが一足先に変更に応じたため、この超おい
しい話は幻に終わった。でも、JAL の職員がプレミアムエコノミーという座席がゆったりしてい
る席を用意してくれたので、それでもラッキーと思うことにした。ヨーロッパへのフライトは長
いので、機内で 4 本も映画を見た。ロンドンにて英国航空に乗り換えるのだが 5 時間も待ち時間
がある。カウンターでもっと早い時間の便に変更してくださいと頼んだら、空席はあるけど預け
た荷物まで早めることはできないよと言われ、諦めることに。今回の旅のモットーは節約なので、
不要なものは買わず、宿も食事も格安なもので過ごすことに決めている。そんなわけで、ロンド
ンではインターネットのメールチェックのみにお金を使い、あまりお腹も減ってないので、何も
食べずにひたすら待つ。成田でアムステルダム経由に乗れればこんな耐乏生活はしなくて済んだ
のだろうなあと思うと、逃がした魚は大きいという気持ちがマドリッドに着くまで消えなかった
のである。定刻通り 23 時にマドリッドに着いたものの荷物が出てきたのは 23 時 45 分になってし
まった。メトロ(2€)に乗ってホテルへ向かう。空港から 15 分くらいで Nuevos Ministerios と
いう駅に着くが、そこで下車したら深夜だし方角がわからなくなってしまい、近くの工事のおじ
さんに道を聞いたら親切に教えてくれて 0 時 15 分くらいにホテルにたどりつく。長ーい一日の終
わりにシャワーを浴び、洗濯して深夜1時に就寝。スペインに行くだけで一苦労だ。
9月2日(水)Madrid⇒Astorga→Rabanal del Camino
いよいよ El Camino を歩く日となり、朝7時に起き、チェックアウトを済ませてメトロで南バ
スターミナルへ向かう。ところが乗るはずの 6 号線が工事か何かで運休しているそうで、代わり
に市内バスに乗れという看板が出ている。地下鉄なら一本で簡単にバスターミナルに着くはずが、
一転、難しい市内バスに乗る羽目に。神様はすんなりと El Camino へは導いてくれないのである。
バス停でスペイン人に英語で尋ねるもののわっかりませーんって両手を広げるジェスチャーで返
され、やっぱりスペインでは英語が通じないという当たり前の現実に直面する。いかにも英語が
できそうな若い男性に英語で話しかけたら、このバスに乗ればいいよと教えてくれたので飛び乗
った。本当はバス料金 1€を払わないといけないのだが、よくわからなくて結局支払わずに目的地
に着いてしまった。Mendez Alvaro というバス停に降り立ったものの、バスターミナルがどっち
にあるかがわからなくて、また道を尋ねた。今度はスペイン語で。ドンデエスタオートブスエス
タシオン?そしたら通じたわけ。そこの地下道を進めって指差され、無事にバスターミナルに到
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El Camino de Santiago 2009 by H. Yamaguchi
着。地図だと地下鉄の駅から少し離れていたはずが、実際には駅と直結していた。ブースで Astorga
行きはどのカウンターですかって英語で聞いたら、ALSA というバス会社だよって教えてもらって
指定のブースでチケットを購入。21.73€でクレジットカード払い可。朝食をとり、バス乗り場に
向かうものの、どの番号の乗車口が自分の乗るバスかがわからない。バスナンバーがチケットに
書いてあるのでそこで待っていたけど、出発 5 分前になってもバスが来ないので、こりゃあまず
いと近くの運転手に聞いたら、あっちって言うだけで、乗車口がわからない。勘でこのバスは
Astorga へ行くかって聞いたらビンゴで発車1分前にぎりぎり乗車。危なく乗り損なうところだ
った。El Camino への道はまたしても険しいのである。しかし、よくよくチケットを見ると、小
さな字で DARSENAS と書いてあり、それが乗車口の番号らしいということが後でわかった。9 時半
にバスが発車し、高速をひた走り、峠を越え、乾燥した大地を抜けて 13 時 15 分に Astorga に到
着。ようやく El Camino のスタート地点に立つものの、さて肝心の Credencial(El Camino を歩
くための巡礼手帳)をどこで入手できるのかがわからない。バスターミナル近くに大聖堂があり、
そっちへ歩いていくと、ちょうど観光案内所があったので、そこで尋ねてみたら、大聖堂の博物
館で入手できるとのこと。14 時になると閉まってしまう(スペインでは 14∼16 時はシエスタで
事務所が閉まる)ので急げと言われてダッシュ。1€で無事に
クレデンシャルをゲットするも、これが後々トラブルの元にな
るとはこの時点では気がつかない。そして町をぶらつき、El
Camino のもうひとつの不可欠なグッズであるホタテ貝(El
Camino 巡礼者の証でもある)を購入。2€。これをザックに付
け、El Camino を歩く準備完了。ガウディの建築で有名な司教
館(写真左)を見学し、昼食をとって 14 時半に歩き出す。い
よいよ 254km の巡礼の旅のはじまりだ。初日はどこまで歩けるか計画などないが、なるべく遠く
まで歩こう。歩き始めてしばらくは国道沿いの歩道を歩いた
が、途中から未舗装の道(写真右)に入り、旧道に沿って El
Camino らしい道を進む。初日から巡礼の道を実感できてやや
興奮気味。前後に人が誰もいないので、唄を歌いながら歩き
続ける。9 月はシーズンオフなのか、午後だからなのか、あ
まり巡礼者に会わない。Albergue(巡礼者用宿舎)の混雑具
合もわからないまま、初日は結局 21km 歩いて、19 時過ぎに
Rabanal del Camino という村のアルベルゲに泊まることにした。小さな宿で1人分のベッドが丁
度空いていたようでラッキー。5€。昨日は日本人がグループで滞在したよと宿のおばさんが言っ
ていた。この日は時差ボケもあるし、疲れてしまって、コーラを飲んだだけですぐに爆睡してし
まった。久しぶりに長距離を歩いたせいか、はじめて荷物を背負いながら歩いたせいか、両足の
ふくらはぎがぱんぱんに腫れてしまい、明日からがちょっと心配。それでも初日としてはまずま
ずの距離を稼げたと思う。ちなみにアルベルゲは二段ベッドで毛布付きだが枕なし、トイレ・シ
ャワー・キッチン共同というユースホステル式の宿。巡礼者向けに宿泊料金を安くしてくれてい
るのである。ここの宿は、食堂が併設されていた。Santiago まで残り 233km。
9月3日(木) Rabanal del Camino→Molinaska→Ponferrada
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El Camino de Santiago 2009 by H. Yamaguchi
この日から毎日 30km 以上の道を歩くことになるので、朝早く出発するべく 5 時半に起床。まだ
外は闇の中だが、他の巡礼者も早々に出発しているので、私も 6 時半に出発。星の原野(Compostela
の訳)を実感しつつ、懐中電灯をつけながら歩く。今日は、はじめに峠越えがあり、山道を心細
い心境のまま登って行く。7 時半くらいになってようやく夜が明けてくる。日中の暑さを想定し
て、昨日と同じ半袖半ズボンスタイルで出発したが直に後悔することになる。Rabanal から 6km
先の Foncebadon という山の村に着いた頃には気温が 7℃まで下がり、
半袖では耐えられなくなり、
防寒具を着用することに。そこからさらに山道を進むと、鉄の十字架(写真左)が聳える Irago
峠(1504m)に到着。これを見たくて Astorga をスタート地点に選んだわけであり、感激。そうし
たら、そこで日本人男性巡礼者 2 名に会った。うち 1 人は、去
年も巡礼の道を歩いたそうで、2 年続けて歩いている人だった。
すごい。ついで El Camino を逆に歩いてくるおじさんに遭遇。
忘れ物でも取りに帰るのかと思って何でこっち向きに歩いてい
るのかと尋ねると、Santiago に到着して戻るところだよって。
その後、数は少ないけど、逆向きに歩いてくる巡礼者にときど
きすれ違ったので、El Camino 往復という歩き方があることに驚いた。Irago 峠を過ぎても、山道
(写真右:遠くに Ponferrada の町が見える)はずっと続き、体
力が消耗していく。昨晩、何も食べてないし、朝食を食べる機
会もなくて、途中の Bar で食事をとる計画だったが、峠道では
そんな店はなく、結局、空腹のまま山道を降りたため、血糖値
も下がり、ふらふらになって非常に危険な体調だったと思う。
日本から持ってきたラムネ菓子を一袋食べて飢えをしのぎ、下
山してやっと現れた Acebo という村でようやくボカディーリョを食べることができたのである。
皆さん、山登りの常識どおり、峠超えのときは非常食は不可欠なのです。そこからさらに山を下
り続け、Molinaseka の古い石の橋の下で休憩し、目的地の Ponferrada を目指すが、ここから足
が急に痛くなり、時速 2km くらいのペースに落ち込む。Ponferrada の手前で分岐があり、よくわ
からないまま Largo と書いてある El Camino らしい砂利道を選択したのだが、これが近道ルート
に比べて 3km くらい遠回りであり、そんなわけで最後は足をひきずりながら、17 時過ぎに
Ponferrada のアルベルゲに到着。宿に着いたら問題発覚。受付でクレデンシャルを見せたら、お
前のクレデンシャルは問題だって言われた。何って聞いたら、所定の位置に捺印がないからお前
は巡礼を開始していることになってないって。そんな馬鹿な。つまり、こういうことである。El
Camino スタートの手続きは、どこからいつ歩き出したかがわかるようにクレデンシャルの所定の
位置にスタンプが捺され、名前や日付が記載される。ところが Astorga の大聖堂の博物館の兄ち
ゃんがその手続きをちゃんとやってくれなかったのである。そういえば昨晩、Rabanal でもスタ
ンプがないし、名前も書いてないねえっておばさんに言われたことを思い出した。ということで、
私の公式の歩き出し地点は残念ながら Astorga ではなく Ponferrada からということになってしま
ったのである。あの苦しかった峠越えが記録には残らないなんて!滅茶苦茶悔しいが仕方がない
と諦める。この日の歩行距離は公証 31km だが遠回りルートを選んだので実際には 34km 歩いたら
しい。右足にまめができ、やはり El Camino で荷物を背負っての歩行は非常に辛いことを実感す
る。ここのアルベルゲは寄付金制なので、ちょっと節約するため 2€だけ収めてきた。インターネ
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El Camino de Santiago 2009 by H. Yamaguchi
ットも無料で使えるのだが日本語表示がされない PC でメールチェックもできなかった。近くのス
ーパーマーケットに出かけ、今朝の二の舞にならぬよう非常食(チョコ、ナッツ、グミ)と夕飯・
朝食の食材、サンダル(これも必需品です)を購入。節約するにはやっぱりスーパーで買った食
材で自炊するのが一番。ちなみに夕食はインスタントラーメン。この日、右足裏と右足親指にま
めができてしまい、宿のおじさんに注射針をもらって水を抜く。今日はふくらはぎの痛みはなく
なったが、足のまめとの戦いが新たに始まってしまった。Santiago まで残り 199km。
9月4日(金) Ponferrada→Viafranca del Bierzo→Vega de Varcarse
この日は、ちゃんと朝食も食べて 7 時過ぎに出発。今日は 33km 歩くのだが、それほどアップダ
ウンはないはずなので、昨日よりも余裕だろうと思っていたら、
結果は惨憺たるものに。歩き始めたら、左膝が痛み出して、以
後、下り坂になると、膝が痛む状態が続くようになってしまっ
た。また、昨晩の宿で古い氷を砕いて使ったせいか、下痢にな
ってしまい、途中、カフェに寄ったり、市場のトイレに駆け込
むなどして大変な目に。それを除けば、ルート的にはワインの
産地らしくぶどう畑(写真右)を通り抜けるなど、なかなか風
情のある道だったが、中間地点の Vilafranca del Bierzo の手前にあるアップダウンで体力を消
耗してしまった。後でガイドブックを見たら、その町の教会にたどりつけば Santiago にたどり着
かなくても El Camino を歩いたことになるという由緒ある教
会があるのだが、余裕がなくて寄らずに通り過ぎてしまった
のは残念だった。古い石橋(写真左)を渡り、そこからさら
に 14km 程歩かねばならないが、国道沿いの歩道をずっと歩く
ルートで、アスファルトは足にくることを実感。さらに陽射
しが強く、常に体の左側から太陽が照り続ける故、左脚の外
側と右脚の内側、そして左腕がやけどのような状態になり、
肌が焼けるように熱く、真っ黒に日焼けしてしまった。陽射しとの戦い体力を消耗し、最後はま
た時速 2km くらいのスローペースになり、戦意喪失状態なときに、国道を走るトラックが頑張れ
ってクラクションを鳴らしてくれる。これがレッドブルを飲んだように効き、一時的にではある
が元気をもらえる。疲労困憊しながら 18 時半にようやく Vega de Varcarse に到着。この日は
Refugio(これも巡礼者用宿舎)に泊まった(5€)が、レフーヒオとアルベルゲとの違いがわから
ない。この日も近くのスーパーマーケットで買い物をし、夕飯を済ませた。同じ宿の巡礼者にマ
ルタ人とイタリアからの自転車野郎達がいて、少し会話を楽しむ。この日は日本人とは誰とも会
わなかった。Santiago まで残り 165km。
9月5日(土)
Vega de Varcarse→O Cebreiro→Triacastela
巡礼中、最長距離(34km)を歩く日がやってきた。朝、時計のアラームに気づかず寝過ごした
ため、出発は 7 時半になってしまった。昨日までの日焼けで肌が熱を持っているので、今日はゴ
アテックスの長ズボンを履いて歩くことにした。巡礼者は少なく、誰とも会わないまま山道を登
り始めた。これが El Camino 最後の難所と言われる Cebreiro 峠越えである。今日は神様の試練が
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El Camino de Santiago 2009 by H. Yamaguchi
二つあった。一つは、途中、無人の出店に木の十字架が並べてあって、もらっていいのかなあと
思いつつ、いやいやこれは売り物だよって木の十字架を戻したら、神様は見ているのか、売主が
家から顔を出して、5€でどうかって聞いてきたので、今日は遠慮しておくと言って立ち去った。
もしも、私が十字架を泥棒してしまったらとんだ巡礼になってしまったことだろう。正直な行い
をして試練の一つ目をクリア。ところで、この峠越えで私を追い越していった 4 人の地元女性が
いる。朝も早く、軽装で、山道を登っていく。途中、杖を調達したらしく、険しい山道をあっと
いう間に見えなくなるスピードで登って立ち去ってしまった。あれは間違いなく魔女だな。あの
杖は魔法使いの箒の柄だったのだろう。スペイン恐るべしである。さて、神様の第二の試練がや
ってくる。坂がきつく、今回、はじめて家に帰りたいと思うようになり、何で俺はこんな辛いこ
とをしているのだろうと悪魔の囁きが何度も訪れ、精神的に
ダメージを負った時間帯があった。しかし、
「六根清浄、御山
は快晴」と口ずさみながら坂道を登りきり、悪魔との戦いに
打ち勝つことができたのである。ヒースの花が咲き乱れる峠
の手前で Galicia 地方の境界碑(写真右)を過ぎ、10 時 50
分にようやく Cebreiro 峠(1300m)に到着。峠に教会があり、
そこでスタンプを捺してもらった。眺めは最高で、さすが有
名な峠だけのことはある。この地域特有の藁葺き丸屋根の家があるの
で要チェック。峠から下りながらもまた別の Alto do San Roque 峠
(1270m)が現れ、そこにガイドブックに掲載されている巡礼者の大き
な像(写真左)があった。逆光だったので真っ黒になってしまったけ
ど。そこからまた心臓破りの坂を登ったところで昼食。トマトのサン
ドイッチは安くて体にいい。そこから今日の目的地までさらに 14km
もあるのだが、今日は比較的元気で、途中、キロメートルポストがあ
ったので 1km 歩く時間をはかったら 13 分 15 秒で歩けた。毎日、歩い
ていると、だんだん脚が鍛えられていることを感じる。しかし、そこ
から下り坂がずっと続いたせいで、膝と足のまめの痛みに加え、両足首にも痛みが出てきて、速
度はがくんと落ちてしまった。Galicia 地方に入ると、村の表示がなくなってしまい、今、自分
がどこを歩いているのかがわからなくなってしまった。もうこれ以上は無理だなあと思った町が
今日の目的地の Triacastela だったので、今日も無事に完歩できたことを知る。ところが一つ目
のアルベルゲは満員で入れず、別の宿に泊まることに。施設がきれいなせいもあるが、料金は7€
でちょっと高いがまあ仕方がない。そしたら同じ宿に日本人の女性の二人組が滞在していて、聞
けばフランスから歩いて来たとのこと。彼女たちは一日 20km くらいを目処に歩いているそうで、
私が毎日 30km 超平均で歩いていると言ったら逆に驚かれた。確かに 20km ならば体の消耗も少な
くそれが理想的だなあと思いつつも、私は明日もまた 30km 超で進まなければ予定の期日までにゴ
ールできない。頑張るしかない。この日も夕食は自炊で済ませた。Tinto という赤ワインのソー
ダ割りをはじめて飲んだ。おいしい。でもお酒だし、疲れていたせいか、ちょっと酔いが回って
しまった。Santiago まで残り 131km。
9月6日(日)
Triacastela→Sarria→Ferreiros
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El Camino de Santiago 2009 by H. Yamaguchi
今日は予定では 30km 歩行なので楽勝だし、昨晩、宿で会った日本人と途中まで一緒に歩こうと
思っていたのだが、私の気づかないうちに彼女たちは先に出発したらしい。まあ途中で追いつけ
ばいいかと思って今日も 7 時半に出発。そうしたら町外れで分岐があり、右と左のどちらが正し
いルートか確認する術がなく、Samos という大きな町を通るルートが正しいのだろうと判断した
のが運の尽き(後に調べたら Samos ルートが正当な道と判明)。昼食を食べた店で道を尋ねたら
Samos ルートはもう一つのルートと比べて凡そ 4km くらい遠回りだということがわかり、これが
最後に疲労を招く結果となる。途中、アイルランドから来た女性巡礼者と話しながら歩いた。昨
日、Triacastela に着いて今日が初日だって言っていたが、足が思うように動かないって言うの
で、私も 2 日目くらいまでそうだったよと教えたら安心したような顔になった。少しは励ませた
かな。昼食を食べ終わって店を出たら日本人の中高年巡礼者 4 人組とすれ違った。前夜、日本人
グループが歩いているよと教えてもらった人たちらしい。先を急ぐので、会話もせず私は出発し
てしまった。中間地点の Sarria に着いたのは結局 14 時半 になってしまった。Sarria まで歩くと
言っていたあの日本人 2 人組には再会しなかったので、彼女たちは近道ルートを選んだのだろう。
ルートマップがないことの恐さを痛感し、Sarria という中規模の町で 3€の El Camino ガイドを購
入した。ここまで 18km の行程のはずが、このガイドを見た
ら結局、24km も歩いてしまった計算になる。Sarria からは
ほとんど巡礼者を見かけなくなって、またいつものように孤
独な一人旅となる。炎天下ときどき日陰の道(写真右)を残
り 13km をひたすら歩くが、最後の最後でまた神様の試練が
あり、今日の目的地の Ferreiros のアルベルゲに着いたら満
室ですと断られ、もうこれ以上歩く余力は残っていなくてへ
たり込んでしまった。そうしたら宿のおばさんが 100m 先にベッドはないけど泊まらせてくれると
ころがあると教えてくれたので、そこを目指す。そこは Bar なのだが、泊まれますかと尋ねたら
大丈夫とのことで命拾いをする。3€で泊まれたので、神様は試練のようなでも幸運な宿を与えて
くれたのだと感じる。そこでガリシア風スープパスタ(3.5€)を食べて元気が出てくる。それに
しても今日の行程は結局 37km 程歩いた計算になり、昨日の最長記録をあっさり塗り替えてしまっ
たことになる。さすがに 40km はきついだろうなあと思うが、毎日毎日歩いていることで確実に足
が鍛えられているのは確かなようだ。足のまめもつぶれてしまい、今日は昨日ほどには痛くなか
った。相変わらず下りでは左膝が痛むのは変わらない。今なら早大の 100km ハイクも比較的余裕
で完歩できそうな気がする。今日で El Camino5 日目が終わり、Santiago まで残り 100km を切っ
た。あと 4 日で 100km なので何とか予定の日にゴールできそうな気がしてきた。Santiago まで残
り 98km。
9月7日(月)
Ferreiros→Portmarin→Palas de Rei
今日で El Camino も 6 日目の終盤戦に突入。今日こそは神様の試練がないことを願いつつ出発
した。私の腕時計はカシオの PRO TREK で、毎日、電波時計で時刻合わせをしてくれる機能がつい
ているのだが、どうもこの地域の電波時計のシグナルがおかしいせいか、時間が 1 時間進んでし
まったらしい。本当の時間よりも 1 時間早くアラームが鳴り、出発してしまった。いつもならこ
の時間で夜が明けて、懐中電灯も不要なはずなのに、歩けども夜は明けない。でも、星の原野を
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El Camino de Santiago 2009 by H. Yamaguchi
月明かりに照らされて歩けることは幸せでもある。魔法にでもかかったかなあと思っていたら、
闇の中からおじさんが逆方向に歩いてきて、Santiago はこっちかって私に道を尋ねるので、いい
え、あっちですよって進行方向を指すけど、なかなか信じない。キロメートルポストの数字が減
るのを見ながら来たので間違いないと説明してようやく納得してくれた。おじさんはアイルラン
ド人で、Ferreiros のアルベルゲを出発したけど道がわからなくなってしまったらしい。確かに
夜だと、方向を指し示す黄色の矢印がよく見えないので私も分岐の度に迷いながら進んできたわ
けで、おじさんは懐中電灯を持ってないし、迷うのも無理から
ぬこと。おじさんに今何時ですかって聞いたら、7 時半だという
ので、そこで自分の腕時計が 1 時間進んでいることに気づく。
おかげで早く目的地に着くことだろうと時計には腹を立てずに、
夜明けの景色(写真左)を味
わいながら、
快調に Portmarin
を過ぎる。このあたりに来る
と、この地方特有のオレオという高床式倉庫(写真右)をよく
家々で見かけるようになる。この日は 34km の歩程で、朝 6 時半
に出たこともあり、昨日よりは疲れを感じずに目的地の Palas
de Rei に 16 時 15 分頃に到着。この時間ならばアルベルゲに泊
まれるだろうと思って入ったら、無常にも Completo(満室)。近くに別のアルベルゲがあるから
行ってみろと言われたが、そこも満室で、とうとう Pension に泊まることになってしまった。こ
れが 1 泊 20€もするので急にお金の余裕がなくなってしまった。Santiago を含めてあと 3 泊は現
金払いで滞在しないといけないため、食費を含めて本当に 1 日 20€で仕上げないと所持金が足り
なくなってしまう。つまり、3 日間ともアルベルゲに泊まらないといけない。そのためには早く
出発して早くアルベルゲに到着して首尾よくベッドをゲットするか、目的地を変えてマイナーな
町のアルベルゲに泊まるかということ。Santiago に近づく程に、アルベルゲに泊まることが難し
くなってきて、毎日、宿の確保がギャンブル状態になり、神様の試練は最後まで続くのである。
ちなみに夕食はバナナ、ヨーグルト、飲み物で 5.5€で仕上げた。Santiago まで残り 66km。
9月8日(火)
Palas de Rei→Melide→Arzua
今日は宿の位置の関係で Arzua という町までの 28km 歩行なので、かなり楽なはず。ただし、ア
ルベルゲに無事に泊まれるかどうかが鍵となる。宿舎争奪戦
で連敗中なのでいつもより 30 分早い 7 時に宿を出発。いつも
思うことだが、ほとんどの巡礼者(写真右)は私よりも早い
スピードで歩いている。私が巡礼者を追い越すことは稀だ。
つまり、抜かれた分だけ宿のベッドが埋まっていくことにな
るわけだが、これを考え始めるとストレスがたまるので、足
の長さが違うのは生来のせいで、ここで競っても意味がない
と自分に言い聞かせる。El Camino は他人との競争の場ではなく、自分との戦いの場なのだと。
それにしても西洋人は体が強いように思う。20km 過ぎても下り坂を走って降りていくおじさんや、
若い女性もおばさんも余裕で私を追い抜いていくわけで、やっぱりオリンピックで日本が苦戦す
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El Camino de Santiago 2009 by H. Yamaguchi
るのは体格の違いによるところが大きいと思う。とはいえ、うまくトレッキングポールを使うと、
上りや下りで少しは挽回できることもわかってきた。ここまで書かなかったが、巡礼者の多くは、
木の杖かトレッキングポール(片手か両手)を持っている。El Camino ではこれがあるのとない
のとでは特に坂道での威力が異なる。私は LEKI のアンチショックポールを使っているが、これが
優れもので手首に衝撃をほとんど受けないので、長時間使用しても疲れない。El Camino では平
地は少なくて、丘の上り下りがずっと続くので、ポールは不可欠な備品と心得るべし。特に私の
ようなオーバーウエイトの人は必需品。さて、El Camino も 7 日目に入り、今日、得心したこと
がある。神様との対話というか試練を毎日受け続けてきたが、実は、私を護ってくれているのは
守護霊なわけで、その実態を感じないまま 47 年間も感謝しないままに生きてきたことに思い当た
り、これから毎日、自分の守護霊と会話をしようと思うようになったのである。今回の El Camino
の目的は、自分の人生を振り返り、そして今後の人生でなすべきことを発見することだ。これに
ついては El Camino を歩き終えた後に書こうと思う。今日は順調に進み、14 時半に目的地 Arzua
の町に着く。この時間ならば宿は大丈夫だろう。通りに幾つものアルベルゲがあるのだが、まず
は公営の宿を目指すもののやっぱり Completo と言われショック。でも、すぐ先に 7€の民間のア
ルベルゲがあり、そこはがらがらだった。無事にベッドをゲットしたせいか気が緩み、夕食には
Galicia 名物の Pulpo(蛸料理)を食べた。8€。勢いで目玉焼きとフレンチフライも頼んでしまっ
たがこれは余計だった。Pulpo だけでお腹がいっぱいになったからだ。最終日にはどうしてもパ
エリアを食べたいけど、今は財政難なので、明日は 15€くらいで切り上げたい。Santiago まで残
り 38km。
9月9日(水)
Arzua→Monte do Gozo
今日が最後の El Camino の長距離区間で、予定では Monte do Gozo まで 33km の道のりを歩く。
昨日は 20km 台だったのできつく感じることだろうが、これまで何回も 30km 超歩行をしてきたの
で大丈夫だろう。今日はスペインに来てはじめて曇った天気なので、ある意味、日焼けを気にし
なくて済む絶好の天気である。久しぶりに半袖短パンで歩くことにし、雨だけ降らないことを願
いつつ歩き続ける。昨日の余分な出費を挽回するために今日
も昼食は飲み物一杯とバナナだけで済ませた。午後から天気
が回復し、暑くなったのでコーラを一本。飛行場を迂回した
あたりから足が痛くなってきた。二つのテレビ局を過ぎた丘
(Monte 写真右)が今日の目的地で、16 時半に到着。かな
り疲れたけれど、順調に到着。ここのアルベルゲは今まで見
たこともない巨大な施設で、宿が 30 棟もある。しかも新し
くて一泊 3€だった。とはいえ、毛布なしの宿なので、持参した寝袋をはじめて使うことになる。
夕飯はカフェテリアのハンバーガーで済ませたので昨日の出費は解消した。カフェテリアに集ま
る人々が皆、笑顔なのは明日がいよいよゴールインできる安堵感からだろうか。偶然にも相部屋
になったアイルランド人の John おじさん(Ferreiros で遭遇した John とは、その後、何度も遭
遇していた)と一緒に記念写真を撮り、連絡先を交換した。丘から Santiago の大聖堂の尖塔が見
えるはずだが見えなかった。明日の歩き出しのどこかで見えることだろう。Santiago まで残り 5km。
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El Camino de Santiago 2009 by H. Yamaguchi
9月10日(木)
Monte do Gozo→Santiago de Compostela⇒Vigo⇒
John と一緒に宿を出るつもりだったが朝起きれず、結局一人
で 8 時 15 分に出発。ここから Santiago までは 5km なので、余
裕で着くはず。すぐに街中に入り、ホタテ貝の目印をたどりな
がら教会の尖塔が見えたらゴールは近い。ゆっくり歩いて 9 時
40 分に大聖堂(写真右)に到着。無事に 250km あまりの道のり
を歩き切って自分との戦いに勝利したことに安堵する。感動で
涙が出るかなと思いきや、意外と冷静だったな。朝の陽射しが教会を逆光にし、うまく写真が撮
れない。最重要な証明書(Compostelano:昔はこれが免罪符だった)をゲットしなくてはいけな
いが、それがどこで発行してもらえるのかがわからない。他の巡礼者に付いていくと、教会の裏
手の別の建物の 2 階に発行所があることがわかった。そこで順番を待ちながら、ようやく自分の
番が来て、クレデンシャルを提示しつつ、念願のコンポステラーノを受け取る。寄付金を 1 か 2€
をとあるので、1€だけ置いてきた。証書が折れないように筒もくれる。2009 年 9 月 10 日、これ
が私の El Camino 記念日となった。大聖堂はセキュリティの関係で 11 時半にならないと入れない
ので旧市街を散策。大聖堂のすぐ近くに Universidad de Santiago de Compostela(早稲田大学
の協定校であり、地元じゃ USC と言う)があったので、そこでお土産を買った。そして大聖堂の
巡礼者のためのミサに出席。スペイン語なので、何を言っているのかわからないが、巡礼者への
祝福を述べていることだけはわかる。私の聞き間違えでなければ、Ponferrada から出発した日本
人もいるみたいなことを言っていたので、それは自分のことかなとも思い、少し嬉しくなった。
ミサは 12 時から 13 時まで行われ、終盤にボタフメイロという大香炉が教会内をぶーんと振り子
のように飛び交う様が見られ、圧巻であった。ちなみにミサの最中、献金を集めに来るので、少
しばかり寄付金を納めるべし。ミサが終了した後、聖ヤコブの棺、そして教会中央の聖ヤコブ像
を見学。実は、一番触れたかった、巡礼者の祈りによって磨り減
った柱が閉鎖されて、触ることができなくなっていたことは残念
だった。それでも柱にはしっかりと 5 本の指の窪みが残っている。
大聖堂の外に出ると、たくさんの巡礼者が広場に寝転んで教会を
見上げたり(写真右)、抱き合っている巡礼者(写真左)がたく
さんいた。私には抱き合ってゴールを祝い会う仲間がいないこと
の寂しさをちらり感じつつ、Santiago は観光地化しているので、
あまり長居はしたくないなと思って、足早に駅へ向かう。その
後、Vigo という港町を目指すことにしたのだが、これはリアス
式海岸の本家と言われる海岸線を見たかったのと、シーフード
がおいしいってガイドブックに書いてあったので、El Camino
達成記念にパエリアを食べたかったからである。Vigo までは電
車(8.40€)で行くことにした。駅で電車を待っていると、El Camino で何度もすれ違った中年の
女性にばったり会い、向こうから声をかけてくれた。Vigo まで行き、さらにバスを乗り継いで家
に帰るところだというので一緒に行くことにした。彼女は Teresa と言う。英語が少しできるスペ
イン人だったので、いろんなことを教えてもらいながら、1 時間半ほどの電車旅を過ごした。ス
ペインのリアス式海岸の入り江は日本のものよりも大きくて、Vigo は牡蠣の養殖で有名だから食
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El Camino de Santiago 2009 by H. Yamaguchi
べてごらんと勧められた。到着した時間が 16 時を過ぎていたせ
いか、ちょうど、開催中のシーフードフェスタの会場にも行っ
たが、すでに今日のサービスは終わってしまい、仕方なく、海
岸線(写真右)のレストランに行く。牡蠣殻は日本のものと違
って、小さな帆立貝みたいな形をしている。レストランのおじ
さんは大きな身だって自慢していたので期待していたら小さく
てがっかり。1個 2.5€は正直、ぼったくり。でも、おじさんが
サービスで 2 個注文したところを 3 個くれたので良しとするか。物足りないので隣のレストラン
でガリシア風の帆立貝を注文したが、中くらいのサイズのが 2 個で 10€ちょっと。値段の割りに
量が少なくて、がっかり。シーフードはやっぱり日本の方がいいなと思って、これ以上浪費する
ことは止めにした。Vigo に泊まることを考えていたが、あまりよい印象がなくなったので、夜行
電車で Madrid に戻ることにした。Turista クラスで 47.3€でクレジットカード払い可。これは寝
台車ではなく、普通の座席の料金で、ホテル代を節約するつもりだったが、寝台車の席にすれば
良かったと後悔する。電車の中は窮屈だし、寒いし、El Camino を歩き終えて、生きるというこ
とは辛いこともあるなあと現実に引き戻されてしまった。
9月11日(金)
⇒Madrid
朝の 8 時過ぎに電車が Madrid の Chamartin 駅に到着。まず、今日の宿を探さないといけない。
「地球の歩き方」を参考に、Puerta del Sol まで地下鉄(1€)で行き、周辺の Hostal を訪ね歩
く。何軒も予約でいっぱいと断られ(もしかしたらずっと髭を剃らずにいて汚い身なりだったせ
いかもしれない)、ようやく 7 件目で Hostal の空室(28€)を発見。早くシャワーを浴びたかった
が、12 時にならないと部屋が空かないというので、街中で朝食をとりつつこの巡礼記を書く。こ
れまで巡礼者用の宿舎、カフェ、バルを利用してきたので、Madrid の物価の高さに驚く。飲み物、
食べ物ともに高いのである。今日一日、Madrid で過ごして、明日はいよいよ日本への帰国だ。こ
の間、ずっとインターネットが使えず、メールをチェックするのが恐ろしい。日本のニュースも
まったく入らないので、この間、何が起きているのか時の流れに着いていけない浦島太郎状態。
日本の雑事を一切忘れて、ある意味、完全なリフレッシュができたわけだが…。今回の El Camino
を歩き通せたことに感謝し、Santiago を離れた時点で、現世に戻ってしまったが、これが現実と
いうもの。昨晩、車中でほとんど眠れなかったので、少し昼寝をした後、
15 時過ぎから最後の休暇を楽しむべく、マヨルカ広場や王宮、プラド美
術館(18 時以降は無料で入場できる)を訪問してきた。世界の有名な美
術館はどこもそうだが、名画がこれでもかってくらいに展示してあり、
事前の学習なしに見ても、どれがどうとかこうとか批評なんかできない。
ただただ溜息が出る作品の数々を前に、きっと名画なのに感覚が麻痺し
て一瞬しか視界に入らず通過していった作品もあったことだろう。それ
でも絵葉書などになっている作品のいくつかはしっかり見てきた。ちな
みにプラド美術館(写真右)の正面に鎮座しているのはベラスケスであ
る。道に迷ったのとお土産を買うのに時間がかかり、プラド美術館に 1 時間しかいられなかった
のは勿体ないことだが、美術音痴の自分ではこれ以上滞在していたらもっと胸が一杯になってい
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El Camino de Santiago 2009 by H. Yamaguchi
たことだろう。最後の夜なので、ようやく 1 人前からでもパエリアを食べさせてくれる店を見つ
け、そこでガスパチョとともに夕食をとった。パエリアってのは、2 人前からでないと注文を受
け付けてくれない食べ物で、Vigo では食べられなかったのである。安い店のせいか、味はまあこ
んなものでしょう。結果的に昨日と今日とで結構お金を使ってしまい、1 日 20€以内に抑える目標
は達成できなかったが、これは仕方がない。さよならスペイン、また来る日まで。
9月12日(土)
Madrid⇒London⇒
支度を済ませ、宿を 9 時半に出る。Puerta del Sol 駅からメトロを乗り継いで空港へ行く。2€。
30 分ほどで空港に到着。Madrid 空港のチェックインカウンターは、航空会社ごとに決まっている
わけではなく、凡そ出発の 2 時間前になるとモニターに表示が出て、そこでチェックインをする
ことになる。空港に少し早く着いてしまったので、待つこと 30 分。英国航空の指定カウンターで
JAL の分までチェックインを済ませたら、今日は満席とのこと。Madrid の荷物検査は結構厳しく
て時間もかかるため、早めに搭乗ゲートに向かうとよい。BA457 便で London へ飛行中、窓の外に
目をやると、フランスのブルターニュ半島が見える。London Heathlow 空港に定刻通り到着し、
JL404 便に乗り換える際、窓側の座席を通路寄りに変更してもらった。ジャンボだったが、案の
定満席で、窮屈な思いをしながらも 10 時間ほど我慢すれば日本に戻れる安堵感もあり、苦にはな
らなかった。ただジャンボ機の場合、楽しみにしていた機内映画がオンデマンド方式ではないの
で映画のはじまりのタイミングがわからないのと、チャンネル数が行きと違って少なくて、ちょ
っと残念だったなあ。
9月13日(日)
⇒成田⇒東京
目をつぶると El Camino の光景が浮かんでくる。体にはまだ El Camino での激闘の傷跡があち
こちに残っている。五感が研ぎ澄まされ、体がシェイプアップされたまま、飛行機は成田に到着。
日本に帰ってきた安堵感と、休暇が終わる寂しさを感じながら、帰宅。これから現実社会への復
帰を果たさないといけない。
<総括>
巡礼の道(El Camino)のことは数年前から知っていた。機
会をみつけて歩いてみたいと思ってはいたが、運動不足で体
が重くなってしまった自分には無理といつしかその選択肢は
消えていた。ところが、今年度中に研修休暇が取得できるこ
とがわかり、また群馬県の武尊山の登山道修復プロジェクト
を開始することが重なって、体を動かさざるを得なくなった
ときに、たまたま書店で立ち読みしたスペインのガイドブッ
クを見て、巡礼の道への思いが再燃した。自分に果たして何百キロもの道のりを歩き通すことが
できるのか迷いを抱きながら、6 月に武尊山に行ったとき、思い立ったら吉日で、今回のチャン
スを逃したら、もう巡礼の道を歩くことはできなくなると挑戦を決断し、すぐに飛行機の予約を
入れた。ちなみに今回のリフレッシュ休暇で訪れたアメリカ往復もスペイン往復もマイレージの
特典を使っての渡航だったので、お金は税金しかかかっていない。飛行機を予約した時点で後戻
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El Camino de Santiago 2009 by H. Yamaguchi
りができない状況に自分を追い込み、そこから 6 月、7 月と毎日、意識して歩くトレーニングを
重ねた。職場のある 7 階まで階段で上り下りをし、帰宅時にいつもより数駅先まで歩いたり、休
日には家の近所の自転車道路を 20km から 30km くらい歩いた。7 月に再度、武尊山を訪れたとき
には 1 ヶ月前と違って、余裕で登頂できてしまい、確実にトレーニングの成果が上がっているこ
とを実感した。8 月の武尊山プロジェクト本番のときも、キャンプ場から避難小屋までを 1 日 2
往復してもへばらない脚力がついてきて、これならば巡礼の道を歩くこともできそうだと自信を
深めた。とはいえ、8 月中旬からアメリカの国立公園に行ってボランティア活動に従事した 2 週
間は、歩く距離ががくんと減ってしまい、少し、心配の種も出てしまった。アメリカから帰国し、
1 日だけ日本にいて仕事を片付け、スペインへと旅立ったのであった。
毎日、自分のすべての荷物を背負って歩くわけで、荷物は最小
限に留めないといけない。この荷物の選択がはじめての場合は難
しいので、以下のアドバイスも参考にしながら、不要かもしれな
いなと思うものは持っていかず、必要になったら現地で調達する
作戦がよいと思う。空港で荷物を預けるときに重さを量ったら、
私の装備は 12kg だった。トレーニングのときはこんな荷物を背
負って歩いたことは一度もないので、このザックの重さが実際にどのくらい影響するのかが未知
数であった。初日、Astorga から Rabanal まで 21km を歩いて、はじめて経験するふくらはぎの腫
れはあったものの 20km の壁を無事にクリアできて、少し見通しがたってきた。初日が終わるまで、
私の中では行程プランが立っていなくて、入手したクレデンシャルに書かれた距離表示を見て、
そこではじめて Santiago までのプランを立てたという有様であった。書かれた主な町の区間距離
を足し上げて、残りの日数で割ってみたら、ほとんどの日が 30km 以上歩かないと予定の日数内に
ゴールできないことが明らかとなった。疲れたら、予定よりも短い距離で宿に泊まればいいやと
思いつつも、実際に歩いていると、宿はそんな都合よく存在しないわけで、次の宿が何 km 先にあ
るのかを把握していないと非常にリスキーなこともわかってきた。トレーニングでも 2 回しか
30km 超を歩いたことがなく、30km 超を毎日続けることの体への負担と回復力が未知数で、今にし
て思えば、本当に無謀な計画であったと言わざるを得ない。荷
物を背負って初の 30km 超でかつ峠越え、かつ空腹という最初
の試練を 2 日目に経験したが、まさに限界一歩手前といった状
況で、2 日目が終わった時点であらためて巡礼の道を歩き通す
ことの難しさを痛感した。いかに体に負荷をかけずに歩くかが
重要であるが、2 日目にして足にまめが出来、以後、最後まで
まめの痛みと戦い続けなければならなくなった。それ以外にも
筋肉痛、関節痛、日焼け、下痢など、肉体疲労は日に日に蓄積されていく。疲労の回復力も勝負
の分かれ道である。それでも徐々に余計な脂肪がとれていき、脚の筋肉の割れ目がくっきりして
くるのは嬉しいものである。いつしか体も 30km 歩行に慣れてくるから人体とは不思議なものだ。
ただ、30km を過ぎてからの残り数 km 分がいつも苦しかったのも事実である。多くの巡礼者は 1
日あたりの歩行距離を 20 数 km に留めていることを知った。これから El Camino を歩く方には、
私のような 30km 超プランは勧めない。結果的に Rabanal で立てたプランどおりに歩きとおし、予
定どおり Santiago に到着できたわけであるが、自分との戦いに勝利するのは本当に大変だった。
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El Camino de Santiago 2009 by H. Yamaguchi
毎日、スペインの田舎の景色や古い町並みを眺める楽しさもあるが、とにかく歩くことの辛さを
感じない日はなかった。自分の中の悪魔がこう囁くのである。こんな苦しいことはやめてしまえ
と。アルベルゲに泊まれないときは、自分との戦いに加えて他人との戦い(他人より早くアルベ
ルゲに着いてベッドを確保すること)に勝利しなければならな
いのかと思ったときは、さすがに辛かった。自分の歩くスピー
ドは脚の長さが違う分、どうしたって欧米人にはかなわなくて、
速く歩くにはもっと無理をしないといけなくなり、それでは巡
礼の道を歩く趣旨からはずれることを自分に言い聞かせた。走
ることはスピードを競うことを意識した行為であるが、歩くこ
とは競うことではないということを日本でトレーニングをし
ながら感じていた。だからフルマラソンとかではなく、巡礼の道を歩くことを選んだわけである。
巡礼の道は他人との戦いの場ではなく、自分との戦いの場なのだから、他の巡礼者に追い越され
ても、仮に宿が見つからなくても結果を悲観せず、なるようになるというように途中から思うよ
うになったら気が楽になった。星を眺め、教会を訪れ、美しい景色の中を自分のペースで歩ける
ことそのものが喜びに満ち溢れているのに、誰かと競うと、そうしたものが見えなくなってしま
う。忙しいという字は心が亡ぶと書く。その文字の意味がよ
くわかる。兎と亀の喩えでいくと私は亀であった。日中、多
くの巡礼者に追い越されるが、彼等が休憩したり、お昼ご飯
を食べている間に、私は彼等を追い抜かす。でも、また追い
抜かれる。その連続なので、いつしか追い抜かれるときに、
また会ったねみたいなアイコンタクトが交わされる。それで
も私の歩く距離が他の巡礼者よりも長い分、結果的には私が
先に Santiago に近づいていくのである。El Camino は人生の縮図かもしれない。決して急がなく
ても着実な歩みで進めば結果的には目的地に早く到着できるものなのである。そんなことを El
Camino を歩きながら私は実感した次第である。ちなみに El Camino を歩き続けた結果、なんと体
重を 7kg も減らすことができた。筋肉もシェイプアップされ、帰国後も体は絶好調である。El
Camino は心身ともに鍛えてくれるのである。
日本を出発する前、私は El Camino を歩きながら、これまでの 47 年間
の自分の人生を振り返り、これからの残りの人生をどう生きるかについて
考えたいという目的を持っていた。何かを見つけることができるのではな
いかとの期待があった。El Camino を歩き終えて、それはどうなったか。
結論から言うと、歩いている間は、自分の人生をじっくり振り返ることは
できなかった。体に負荷がかかる中でゆっくり考えを頭の中で巡らすこと
ができないのである。できることといえば、瞬間的に思い浮かぶことを拾
っていくことだけである。今まで生きてきて嬉しかったことや悲しかった
ことはたくさんあった。でも、それらを一つひとつ思い出したりすることはしなかった。という
か、できなかったと言った方が正確だろう。でも、今の時点で、自分の人生は何点くらいだろう
かということは考えた。具体的な点数はつけないにしても、かなり満足のいく生き方が出来てい
るなというのが自己評価結果である。決して大人物でもなければ、有名人でもないし、出世も早
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El Camino de Santiago 2009 by H. Yamaguchi
くないが、自分の好きなことを手がけてきて、結果もそれなりに出してきて、現時点では十分に
満足のいく人生だと思っている。今、死んでも大きな後悔はない。ただ、驕ってはいけないぞと
いう天の声が聞こえてくる。幸せと感じる自分は、自分だけの努力でそうなれたわけではないと
いうことを。父母が育ててくれて、神様と救世主と聖ヤコブの導きがあり、恩師が方向づけをし
てくれ、家族に支えられ、友人から励まされ、同僚の協力があって今の自分があるのである。そ
して、今回、私が El Camino を歩いて、とても大きな存在に気がつくことになる。それは、守護
霊の存在である。人間は突き詰めれば一人きりで生きねばならない孤独な存在で、常に離れず自
分を守ってくれている唯一の存在が守護霊である。私は霊感が弱いので、その存在に気づかずに
47 年間生きてきたが、子供の頃に「うしろの百太郎」という漫画を見てから、守護霊の存在を信
じてきたはずなのに、実感がわかなかった。ややもすれば自分の力で困難を克服してきたという
思い上がった態度で生きてきたのである。嬉しいときも苦しいときもいつもそばにいてくれる存
在、自分を共助し続けてくれているパワー、それが守護霊だ。あの Irago 峠で倒れそうになりな
がら何とか下山できたとき、そして Cebreiro 峠越えで悪魔の囁きに負けずに済んだ後、これは自
分だけの力で克服できたわけではなく、何かに助けられているのだという思いを感じながら歩い
ていた。El Camino を歩きはじめて丁度 7 日目に、突然、インスピレーションを感じたのである。
自分を守ってくれたのは他でもない自分の生涯の相棒である
守護霊だということを。これまでの人生の幾多の苦難の中にあ
っても不思議と助け舟が出されたのは、守護霊のなせる業だっ
たのだなということが自分の心の中に突如、イメージとして描
かれたのである。このことが El Camino を歩いて私がみつけた
最大の発見である。霊の存在を信じない人もいるだろうから、
これ以上、強調はしないが、その後、私は日々、自分の守護霊
に話しかけている。残念ながら、守護霊から言葉としての返答はないが、今日も私を護ってくれ
ているということを今まで以上に感じながら生活している。
さて、残りの人生をどう生きるかという問いに関しては、残念ながらまとまっていない。ある
考えは浮かんでいるが、まだ漠然としている。この答を見出すために、7 年後(次の研修休暇は 7
年後に取得できる)に、
もう一度、El Camino を歩けということなのかもしれない。
54 歳で El Camino
をゆっくりと歩くのもいいかもしれないなあと今、思い始めている。
ところで、疲れや眠さとの戦いに勝つには、唄を歌いながら歩くことだと、あらためて思った。
以前、カナダの大平原をひたすら運転し続けたときも今回と同じことを感じた。特に、道に関す
る歌(銀色の道/この道を行く/365 歩のマーチ/水戸黄門のテーマ)とか演歌(襟裳岬、天城
越)を山の中で熱唱しながら歩いていると、わけもなく涙が出てくるし、かつ元気が出てくる。
日本人で良かったなあとしみじみ思ったり、故郷を思い出したり。また、上り坂の度に囁かれる
悪魔の誘惑に勝つには、
「六根清浄、御山は快晴」と唱えながら、一歩一歩踏みしめて歩くことで
ある。これ、不思議と効果があり、これを口ずさむと何故か頑張れた。皆さんもお試しあれ。
<El Camino を目指す方へのアドバイス>
☞9 月の夜明けは 7 時半くらい。遠くまで歩く人は夜明け前に出発するので、ヘッドランプが必
要。あと、宿でも消灯中に支度をするためにライトが必要。
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El Camino de Santiago 2009 by H. Yamaguchi
☞9 月でも朝晩は冷え込む(峠道では 7℃まで下がった)ので、歩く際も長袖がほしい。雨具とし
て持参したゴアテックスの上下が役に立った。10 時を過ぎると暑くなってくるので半袖で OK。
☞多くの巡礼者は半袖・半ズボンで歩いているが、この巡礼記にあるとおり、左半身にひどい日
焼けをするので、日焼け止めを持参するか、ハイソックスを履くか、長袖・長ズボンを着用する
とよい。私は途中からずっとゴアテックスの長ズボンを履いて歩いた。
☞アルベルゲやレフーヒオには毛布があるので、夏場の場合、寝袋ではなく、シュラフカバーか
飛行機で配られるような薄手のブランケットが1枚あれば十分である。ちなみにキャンプ用マッ
トを持参したが 1 回も使用しなかったので混雑期以外は不要と思われる。
☞アルベルゲは公営のものと民間のものがあり、公営の方が安
いので、節約派はそちらを選ぶとよい。アルベルゲは昼の 12
時から受付を開始し、到着順でベッドが確保される。満室にな
ったならば他の宿を探すしかない。公営のアルベルゲは 3∼5€、
民間のは 5∼10€。施設が新しい宿ほど値段も高いと心得よ。ち
なみにアルベルゲが満室だと次は Pension か Hostel か Casa に
なるが、これは 1 泊 20€くらい。それも満室ならば Hotel になる。アルベルゲは、だいたい町の
入口付近にあることが多いが、町の中心部にあることもあり、看板を見ながら地元の人に場所を
尋ねるのが一番よい。ドンデエスタアルベルゲ?
☞安くあげたければ夕飯は自炊がお勧めだが、それができるのは比較的大きな町でスーパーマー
ケットがある町の宿でないとできない。キッチンなしの宿もあるので要注意だが、だいたい冷蔵
庫、キッチン、レンジ、鍋、皿、コップ、フォーク等は備え付けられている。食料を持って歩く
のは無理なので、夕食と朝食分の食材と飲料、デザートなどを購入するとよい。
☞毎日の洗濯は宿で行う。宿には洗濯場があるので、そこで洗うか、シャワーを浴びる際にシャ
ワールームで下着・靴下・速乾性シャツ・手拭等を洗ってしまう。この時期、日没は 21 時過ぎな
ので、早めに宿についた日は、外のもの干し場につるしておけば夜までには乾く。乾かない場合
は、室内につるすが、それでも乾かない場合は、ザックにくくりつけたりして歩きながら乾かす。
洗剤などはないので、石鹸を1個持っていくとよい。もちろんシャンプーなどもない。ハンガー・
洗濯ばさみは必需品である。洗濯機(3€)・乾燥機(5€)が備わっている宿もあるが、1人分で
機械を使うのは勿体ないので、巡礼者はあまり使っていない。ちなみに衣類、下着、靴下はいず
れも 3 セットが適量である。これより多くても邪魔だし、少なくても足りない。
☞El Camino のガイド(地図もしくは通過する村の情報冊子)は必須。これがないと分岐に出く
わしたときや次の宿はどの村にあるのかがわからず、時間と体力を大きくロスすることがある。
☞一日 30km 超えのルートを組んだが、正直きつかった。健脚の人でなければ、一日 20km∼25km
が得策であると心得よ。その方がアルベルゲに泊まれる確率が高
まる。
☞山間の宿に泊まった場合、朝食はおろか昼食にありつくまでに
相当な距離を歩かないと食事がとれる場所にたどりつかないの
で、巡礼記にある通り、スーパーマーケットで非常食を購入して
おくとよい。
☞El Camino のルート表示はいくつかあるが、一番シンプルなものは黄色い矢印。これが地面や
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El Camino de Santiago 2009 by H. Yamaguchi
家の壁、看板などに書かれている。ホタテ貝のプレートが地面に
埋め込まれていることもある。ガリシア地方には 500m 置きにキロ
メートルポストがあるし、分岐にもポストが立っているのですぐ
にわかる。徒歩ルートと自転車ルートが異なるところがあり、そ
の場合は看板に描かれている。夜明け前に歩くとき、黄色の矢印
が見えないことがあるので、要注意。
☞El Camino はとにかく公衆トイレがないので、女性はトイレ問
題がストレスになるかもしれない。道端で済ませている形跡をよく見かける(ティッシュが散乱)
ので、外で用を済ますか、Café や Bar で飲み物を注文しつつトイレを使うのがスマートな方法。
☞大きな町では飲料水(Agua Potable と書いてある)が汲めるが、山間の村では水道があっても
飲料に適さない印が描かれているのでそれを飲むのはリスキーである。最低でも 500cc ペットボ
トル1本分の水は必要で、水がないときは店で昼食や飲み物を注文しつつ、そこで水を汲ませて
もらうとよい。とにかく、日中(特に 14 時∼16 時)は暑いので脱水症状にならないためにも水
分補給は重要である。スペイン人がその時間にシエスタを取るのは尤もだと思う。ちなみに自動
販売機で飲み物を買えればカフェで飲み物を注文するよりも安いけれど、台数が少なくて当てに
ならない。販売機があったらラッキーと思うべし。
☞El Camino 巡礼中、1日 20€以内に収めることは可能。したがって所持金の目安は 20€×日数を
用意すること。ただし、アルベルゲに泊まれない場合は一気に出費がかさむので少し大目に持っ
ていた方がよい。ちなみにスーパーマーケットや安宿ではクレジットカードは使えない。
☞店や宿等では英語がほとんど通じないので、最低限のスペイン語は必要。
☞El Camino 巡礼中、毎日、快晴で雨は一度も降らなかった。とはいえ、雨具は持参しないとリ
スクが高いので、ゴアテックスの上下を持っていくと朝の寒い時間帯や峠越えの際の防寒具にな
るので、持参すること。
☞トレッキングポールも必需品。道中、ところどころで富士山の金剛
杖のような木の一本杖をよく売っていてそれを使っている巡礼者も多
いが、あれは長すぎて日本には持ち帰れないので、伸縮可能なポール
を持っていくとよい。ポールは飛行機の手荷物として機内に持ち込め
る。
☞インターネットが備わっている宿が多いが、日本語が表示されない
のでメールや日本語のサイトが見られない。仕事の関係でメールをチ
ェックする必要があり、わざわざミニ PC を持参したが、結局、巡礼記を書くツールとなってしま
った。そもそも El Camino を歩いている間は日本との交信はできないものと考えた方がよい。PC
があるために荷物が重くなったことは言うまでもない。
☞El Camino は故意ではないと思うが、ペットボトルやレジ袋がよく散乱している。いつか El
Camino の清掃をボランティアプロジェクトとして実施できたら良いと思う。
☞巡礼者同士の挨拶は、オラ、ブエノスディアス、ブエンカミノの3種類。そのときの気分で使
い分けるとよい。
☞質問のある方は遠慮なくメールでお問い合わせください。[email protected](山口博之)
以
16
上
El Camino de Santiago 2009 by H. Yamaguchi
<Credencial>
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El Camino de Santiago 2009 by H. Yamaguchi
<Compostelano>
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