Comments
Description
Transcript
Lecture - 日本地すべり学会
講 座 Lecture すべりに伴う物質の移動と変形 第1回 Displacement and deformation of the sliding materials No.1 講座を始めるにあたって Introduction 阿部真郎/編集部・本講座担当 ・講座の目的と概要 う物質の移動と変形」としました。惑星や海底の地すべ 現在,我々は経済性を無視できるとすれば,多くの場 り,氷河,雪崩,大規模な地すべり(ここでは火山体崩 合地すべりを抑止もしくは抑制することができるように 壊以外のもの) ,そして摩擦などを扱ったミクロのすべ なっています。しかし,地すべりが被害の大きい自然災 りに関して,その概要や最新の研究方法および研究成果, 害であるという性格上迅速な対応が必要とされ,そのた さらに今後の課題などが主な掲載内容となります。 執筆は各分野の最先端を担う研究者にお願いしました。 めにこれまで常に駆け足で地すべりと対峙してきたよう な気もします。経済や社会が大きく変化している現在, 執筆者からはいずれも無報酬の依頼であるにもかかわら 我々はさまざまな視点から地すべりを再度注意深く観察 ず快諾をいただきました。深く感謝しております。また, することも必要ではないかと考えられます。 我々の範疇にある課題「大規模地すべり」以外の執筆者 本講座では,これまで我々が取り扱ってきた地球の陸 は地すべり学会員ではありませんが,少なからず地すべ 域における土砂移動を対象とした地すべりの世界から外 りに興味を持たれているようで,この点,新鮮な驚きを に出て,地すべりと類似する点が気になっているものの, 感じました。 なかなか触れる機会がなかった分野に焦点をあててみま 本講座は1年余の連続講座(7回)となります。今後 した。ここでは,地すべりと共通するキーワードを「物 の地すべり研究への新たな指標が得られることを,また 質の移動・変形・すべり」とし,講座名を「すべりに伴 若い技術者への刺激剤となることを希望します。 「すべりに伴う物質の移動と変形」 掲載予定表 回数 巻号 (予定) −発刊年月− 第1回 4 1 (1) H1 6. 5 タイトル 執筆者 (敬称略) −講座をはじめるにあたって− 阿部 真郎 編集部・本講座担当 白岩 孝行 北海道大学 低温科学研究所 寒冷陸域科学部門 防災科学研究所 氷河の流動 −塑性変形− 所 属 先 第2回 4 1 (2) H1 6. 7 氷河の流動 −底面すべり− 第3回 4 1 (3) H1 6. 9 雪崩 納口 恭明 第4回 4 1 (4) H1 6. 1 1 惑星の地すべり 小松 吾郎 第5回 4 1 (5) H1 7. 1 海底地すべり 池原 研 産業技術総合研究所 第6回 4 1 (6) H1 7. 3 ミクロのすべり 松川 宏 青山学院大学理工学部 物理学科 第7回 4 2 (1) H1 7. 5 大規模地すべり 千木良雅弘 7 8 雪氷防災研究部門 International Research School of Planetary Sciences, Pescara, Italy (IRSPS) (国際惑星大学院) 海洋資源環境研究部門 京都大学防災研究所 地盤災害研究部門 J. of the Jpn. Landslide Soc., Vol.41, No.1 78 (2004) 講 座 Lecture すべりに伴う物質の移動と変形 第1回 氷河の流動 Displacement and deformation of the sliding materials No.1 −塑性変形− Flow of glaciers −Plastic deformation− 白岩孝行/北海道大学低温科学研究所 Takayuki SHIRAIWA/Institute of Low Temperature Science, Hokkaido University キーワード:氷河,質量収支,流動,塑性変形,層流モデル Key words:glacier, mass balance, flow, plastic deformation, lamina flow 1.氷河とは何か 流動にかかわらず,一定の形態を保つ。これは氷河の質 氷河は「重力によって長期間にわたり連続して流動す 量収支が気候によって維持されているためである。 る雪氷体」と定義される。降り積もる積雪量に対し融雪 氷河を観察すると,氷河が流動していることを示す特 量が少ない状態が長年続くと,融け残った積雪は毎年蓄 徴を随所に見出すことができる。氷河が谷に沿って蛇行 積されることになる。堆積してゆく積雪は上載荷重に しながら流下する様子(図−2)や,氷河の流動方向に −3 よって圧密が進み,その密度が8 3 0kgm を越える付近 沿って下流に弧を向けた蛇腹状の表面模様(オージャイ で通気性を失って氷となる。厚みを増した雪氷体は,重 ブogiveと呼ぶ:図−3)は,氷河の粘性的な性格を表 力によって変形し,斜面下方へと流動する。低地は高地 す。一方,クレバス(crevasse)と呼ばれている氷河表 よりも気温が高いため,融雪量は増加する。このため, 面の裂け目は,氷河に加えられた応力に対し,氷河が変 流動した雪氷体はいずれ融け去る高度に達することにな る。この過程がほぼ毎年同じ状態で続くとすると,この 地域には通年にわたって一定の高度帯に氷河が存在し, 高所から低所に向かって連続的に流動することになる。 氷河上において,涵養が消耗を上回る領域を涵養域 (accumulation area) ,消耗が涵養を上回る領域を消耗 域(ablation area)と呼ぶ。両者の境は,高度に沿って 線状に分布し,これを平衡線(equilibrium line)と呼 ぶ。氷河上の各地点における1年間の涵養と消耗の和は 質量収支 (mass balance)と呼ばれ,涵養域では正, 消耗域では負となり,平衡線上では0となる。氷河が平 衡状態にあれば,氷河全域の質量収支の総和 は0とな る(図−1) 。地すべりが流動と共にその形態を変化さ せるのに対し,一定の気候条件下にある氷河は,年々の 図−2 スイス・アルプスのアレッチ氷河(撮影:白岩) 図−1 氷河の形態(上)と質量収支(下) 氷河中の矢印はおおよその流線を示す。 Hooke(1 9 9 8)を改変 図−3 フランス・アルプスのメール・ド・グラース氷河の オージャイブ(氷河表面の蛇腹模様) 写真右手が下流(撮影:白岩) J. of the Jpn. Landslide Soc., Vol.41, No.1 79 (2004) 7 9 講 座 とることが知られている。 =1の場合は粘性であるの で,この実験値から氷河は粘性体ではなく塑性体である ことがわかる。この関係は,たとえ大気圧であろうと, 数百気圧がかかった氷床深部であろうと基本的に成り立 つことが三軸圧縮試験によって確認され,氷河学の世界 ではグレンの流動則(Glen’s flow law)と呼ばれ,広く 利用されてきた。 では次にグレンの流動則を用いて,氷河の深さ方向の 流動速度の分布を求めてみよう。今,簡単のため,氷河 を図−5に示すように表面と底面が平行な板状の形とす る。基盤地形に垂直で上向きに をとり,氷河の厚さを とする。氷河の流動方向が である。氷河は傾斜の基 盤上に滑らないでのっており,氷河の長さと幅はに比 べて十分長いものとする。このような時,氷河の各深度 では以下の力の釣り合いが成り立つ; ………………………………… は氷河内部の深度におけるせん断応力(), ここで :氷の密度(∼916kgm ),:重力加速度(9.81ms ) −3 図−4 カナダ・ローガン山オギルビー氷河のクレバス (撮影:白岩) −2 である。氷河の流動がz軸に対するx方向へのせん断歪 だけで生じると仮定し(層流モデル) ,x方向への流動 速度を とする。この場合,z方向への流動速度 は0で 形できず破断した結果であり,氷河の弾性的な性格を示 している(図−4) 。このように,粘性と弾性という異 なる二つの性質を示す氷河の流動機構に関する興味は, 氷河が科学の対象として認識され始めた1 8 3 0年代より あるので,単純ずり (simple shear) となり,次式を得る; …………………………………………… 式と式より,以下の関係が得られる; 1 7 0年間の長きにわたって物理学者を惹きつけてきた。 その本質が理解され始めたのは,2 0世紀の半ば,氷結晶 の物質としての性質が明らかにされてからである。また これ以降,氷の変形に加えて,氷河底面におけるすべり 表−1 n=3とした時の様々な温度における流動変数Aの値 (Paterson,1 9 9 4) や未固結堆積物の変形が氷河流動に大きく寄与している ことがわかってきた。本講座では,氷河流動の機構を2 回に分けて説明する。本稿では氷の塑性変形による氷河 流動とこれに関連する現象について説明する。次稿では 底面すべりによる流動と,氷河底に存在するティルと呼 ばれる未固結堆積物の変形による流動を扱う。 2.塑性変形による氷河の流動の基礎 Glen(1 9 5 5)は円柱状の多結晶氷に一定の荷重をのせ た一軸圧縮試験を行い,定常クリープ時の歪速度 と加 えた軸応力 との間に以下の関係があることを見出し た; ……………………………………………… ここで,は氷温,氷結晶のc軸方位分布,および不純 物含有量などに起因する変数である。表−1に氷温毎の の代表的な値を示す(Paterson,1994)。表から明ら かなように,0℃,−1 0℃,−2 5℃と温度が下がるにつ いて,氷は1 0倍, 1 0 0倍固くなる。一方, は定数で,多 くの室内実験や氷河における野外観測からおおよそ3を 8 0 図−5 層流モデルにおける座標系(Paterson,1 9 9 4) J. of the Jpn. Landslide Soc., Vol.41, No.1 80 (2004) ……………………………………… 式に式を代入し,氷河底面(=0)から氷河表 面(=)まで積分すると,氷河の表面流速と氷河 の底面流速(底面すべり速度:次稿で詳述)について 以下の2式を得る; ……………… ……………………… また,式を更に積分し,深さ方向の平均流速につ いて解くと, ……………………… 扱うため,z方向への流動速度 は0となる。しかし, 氷河表面では,質量収支によって涵養域の表面高度は上 昇し,消耗域の高度は減少する。このため, が0では 氷河は涵養域で厚くなり,消耗域で薄くなり続ける。 従っ て,氷河が一定の縦断面形状を保つためには, ( :ある断面の平均流動速度; :氷厚; :当該断面 より上流側の質量収支; :当該断面のx軸上の位置)が 成り立たねばならない。すなわち,氷河の流動方向に直 交する断面を通過する氷量フラックスが断面より上流の 質量収支 と釣り合う必要があるのである。このため, ## は涵養域においては正(伸張流),消耗域におい て負(圧縮流)とならねばならず,これによって質量収 支の項は補正され,氷河の縦断面形状は維持される。 これらの式は層流モデルという最も単純な氷河流動に ついて得られたものであるが,氷河の流動についてのい くつかの重要な点を示している。すなわち,式 より, 底面すべり速度 が0であるとすると,氷河の表面流動 速度 は傾斜の3乗,氷厚の4乗に比例する点。また, とから,底面すべり速度が0で=3の場合, !と計算される点。これは観測 式 の容易な表面流動速度を求めることによって,氷河の深 さ方向の平均流動速度を計算できることを示す。 ところで,これまでの議論は氷厚 に比べて長さと幅 が十分に長い氷河についてのものであった。一般に山岳 地域に発達する氷河は,急峻な谷に発達するため,幅は 厚さに比べ十分大きくない場合が多い。このような場合, 側壁との摩擦により氷河の流動速度が低下するため,以 " 下のような形態係数(Shape factor) を駆動力の式 に導入することによって氷河の流動速度を求める(Nye, 1 9 6 5) ; " ………………………………… ただし,"は氷河の断面形状によって表−2のような値 をとる。実際に測定された氷河内部の流動速度の分布 (Raymond,1 9 7 1)と,上述した方法によって計算され る速度分布(Nye,1 9 6 5)とはおおよそ一致した(図− 6) 。 図−6 カナダ,アサバスカ氷河における流動方向に直交す の分布 る氷河断面における流動速度u(単位はma−1) (Raymond,1 9 7 1) 実測値; Nye(1 9 6 5)による放物線の断面を用 い, =2の場合の計算値。Nye(1 9 6 5)を用いた 計算では計算値が実測値に合うように一定の底面す べり速度を仮定している。 3.氷河表面の地形から推定する氷河内の応力場 氷河の流動が氷の塑性変形によることは前章で記した が,氷は早い歪速度で引張ったり圧縮したりすると弾性 ここまでは,氷河の流動速度 の鉛直分布についてみ ## について考え る。層流モデルでは氷河表面に平行な流動速度のみを てきた。次に流動方向への速度変化 的な性格を示し,破断する。多結晶氷の実験によれば, おおよそ1 0−5s−1より大きな歪速度で引張り変形すると, 氷はぜい性的に破断する(前野,1 9 8 6) 。実際の氷河で は,クレバスが生じる地点の歪速度は大きくばらつくよ 表−2 様々な氷河断面形態における形態係数F の値 (Nye,1 9 6 5) は氷河の半幅を中央部の氷厚で除した値 うである。クレバスは引張の主応力に直交するように発 達するので,クレバスの分布形態を調べることにより, 氷河に働く応力場を推測することが可能になる。なお, 氷河学では慣例として引張を正,圧縮を負とする。 今,幅が一定の氷河を想定し,氷河の流動方向をx, これに直交する横断方向をyととる。x方向の垂直応力 $ $ を ,せん断応力を %とする。今, は氷河の横断方向 のどこでも等しく, %は氷河の中央部で0で側岸に近づ J. of the Jpn. Landslide Soc., Vol.41, No.1 81 (2004) 8 1 講 座 央部では %が0であるため,クレバスは中央部付近では は伸張流の領域で,氷河の涵養域に相当 %が0であるので,主応力は引張応力 する。中央部では $ である。このため,中央部では氷河の流動方向に直交 発達しない。 するようなクレバスが分布する。側岸に近づくにつれ, %の効果が加わりクレバスはx軸に対し45°より大きな 角度で傾いて発達する。は圧縮流の領域で,氷河の消 %が0な 耗域に相当する。氷河の中央部では$ が圧縮で %の ので,クレバスは生じない。側岸に向かうにつれ, 効果が現れるが,圧縮の主応力もあるため,クレバスは x軸に対し4 5° より小さな角度で発達する。 しばしば「底なしのクレバス」と表現されるが,氷河 のような塑性体では,「底なしのクレバス」はあり得な い。氷は降伏応力1 0 0kPaの完全塑性体と近似できるの で,深さ2 2mのクレバスの底では,氷にかかる垂直応力 は2 0 0kPaであり,これは4 5° 斜交する面内のせん断応力 1 0 0kPaに相当する。このため,氷は塑性変形によって 流動し,クレバスは閉じることになる。もちろん,氷の 塑性変形は温度に大きく影響されるので,実際は冷たい 氷河ほどクレバスが深くなる。また,氷河表面まで水に 満たされたクレバスは,隣接する氷よりも大きな垂直応 力を受けているため,塑性変形によって閉じることはな く,しばしば氷河底までクレバスが到達する。 参考文献 図−7 谷氷河におけるクレバスのパターン(Nye,1 9 5 2) ∼ の各図中,左上は応力場,右上は主応力,下 はクレバスのパターンを示す。 側壁によるせん断 応力のみ働く場合; せん断応力と引張応力が働く 場合; せん断応力と圧縮応力が働く場合。 くほど大きくなるとする。 図−7は氷河で生じる典型的な応力場とクレバスパ ターンを3つに分けて示した図である(Nye,1 9 5 2) 。 は %のみが働く領域で,氷河の平衡線付近に相当する。 %の大きさをもつ引張応力 このような領域では主応力は とそれに直交する同じ大きさの圧縮応力となる。両者は Glen, J. W.(1955): The creep of polycrystalline ice, Proc. R. Soc. London, Ser. A, 228, pp. 519−538. Hooke, R. L.(1998): Principles of Glacier Mechanics, Prentice Hall. 前野紀一(1 98 6) :4章氷の物性,前野紀一・福田正己編,雪氷の 物性と構造,古今書院. Nye, J. F.(1952): The mechanics of glacier flow. J. Glaciol., 2, pp. 82−93. Nye, J. F.(1965): The flow of a glacier in a channel of rectangular, elliptic or parabolic cross-section, J. Glaciol., 5, pp. 661− 690. Paterson, W. S. B.(1994): The Physics of Glaciers, 3rd Edition, Pergamon. Raymond, C. F.(1971): Flow in a transverse section of Athabasca Glacier, Alberta, Canada, J. Glaciol., 10, pp. 55−84. (原稿受理2 0 04年2月2 5日,原稿受理2 00 4年3月26日) x軸に対し4 5° 傾いており,その結果,クレバスの向き $ は引張の主応力 に直交するように発達する。また,中 8 2 J. of the Jpn. Landslide Soc., Vol.41, No.1 82 (2004) 講 座 Lecture すべりに伴う物質の移動と変形 第2回 氷河の流動 Displacement and deformation of the sliding materials No.2 −底面すべり− Flow of glaciers −Basal sliding− 白岩孝行/北海道大学低温科学研究所 Takayuki SHIRAIWA/Institute of Low Temperature Science, Hokkaido University キーワード:氷河,流動,底面すべり,ティルの変形 Key words:glacier, flow, basal sliding, till deformation 1.氷河の底面流動 ら底面に至る掘削孔の傾斜の時間変化が測定できるよう 氷河が底部で滑動しているであろうことは,氷河研究 になると,氷河表面で観察される流動が氷河の塑性変形 の初期段階から想定されていたが,観測が困難なために だけでは説明できないほど大きな値をとることがわかっ 長い間実証することができなかった。しかし,氷河にト てきた(表−1:Paterson,19 9 4) 。このため,氷河流 ンネルを掘って直接観察したり(図−1) ,氷河表面か 動を扱う際には,氷河底面における流動を考慮する必要 がある。 氷河の温度が全層にわたって圧力融解点(ほぼ0℃) にある「温暖氷河」と呼ばれる氷河では,氷河流動に占 める底面すべりの割合は8 0%を越えることも多く,氷河 流動の主たる要因となっている。ところが,氷河の温度 が圧力融解点よりも低い「寒冷氷河」では,氷河底面が 基盤に凍結していることも多く,このような場合は底面 すべりを無視できる。 一方,氷河底には,氷河自身が浸食・堆積したティル (till)と呼ばれる未固結の堆積物がしばしば存在する。 氷河地質学の分野では,更新世に堆積したティルの露頭 図−1 氷河の底面。氷河は写真奥から手前に流動している。 写真下方の凸部は基盤岩の出っ張り。氷河底面には 基盤上を滑って形成されたとみられる線条の模様が できている。ネパール・ヒマラヤ,ヤラ氷河の事例 (撮影:白岩) 表−1 様々な氷河における氷厚ならびに底面すべり速度の 表面流動に対する割合 (Paterson,1 9 9 4) 。 に変形構造が見られることから(図−2) ,ティルの変 形による氷河流動を古くから認識していたが,氷河学者 がこの問題に取り組み始めたのは比較的最近である。 Boulton and Jones(1 9 7 9)は,アイスランドの氷河底 のティルの変形を実測することによって,氷河によって は流動の9 0%がティルの変形で生じていることを明らか 図−2 最終氷期のローレンタイド氷床の下で変形したと考 えられるティルの露頭。カナダ,ウィニペグ州の事 例 (撮影:白岩) 1 1 0 J. of the Jpn. Landslide Soc., Vol.41, No.2 198 (2004) 図−4 Weertman (1 9 5 7) による氷河底面の起伏モデル melting point)にあり,岩と氷の境界面には厚さ1 図−3 ある氷床の流動速度の鉛直プロファイルから見た氷 河の3つの流動機構 (Hooke,1 9 9 8を改変) 。表面流 速 に対して底面すべり速度は と記され,その内 訳はティルの変形によるすべり ",復氷によるす べり #,塑性変形によるすべり $からなる。氷河 内部の氷の塑性変形による流動速度は − で表さ れる ! ! ! 程度の水膜が存在するものとする。このため,凸部の上 面では流動によるせん断応力をささえられず,基盤岩に 働く応力は,凸部の流動方向に垂直な面における垂直応 力のみである。氷河底の平均的なせん断応力を とする と,底面の面積 にかかるせん断応力は となる。 よって, にした。このような発見により,現在では,氷河の流動 …………………………… ここでとは凸部の上流側と下流側の面に働く垂直応 は1)塑性変形,2)底面すべり,3)ティルの変形, 力である。クラペイロン−クラウジウスの式に基づけば, の3つの機構によって生じると説明されている(図− 凸部の上流側と下流側の温度差 3:Hooke,1 9 9 8) 。このうち,底面すべりとティルの る; 変形は,共に氷河底で生じる流動なので,最近では二つ を併せて「底面流動(basal motion) 」と呼ぶことも多 い。しかし,本稿では,氷河底面での流動機構に関する 理論的な研究の歴史に敬意を表し,彼らが用いてきた「底 面すべり(basal sliding) 」という用語を底面における流 動全般を表す言葉として用いる。 は以下のように表せ ……………………………………… ここでは定数で,純水に対して0. 0 7 4KMPa の値をと る。凸部の上流と下流側の温度勾配は であるので, 凸部を通過する熱量(Js ) は; …………………………… である。今,氷の融解 ここでは熱伝導率(Jm s K ) 潜熱を (=3. 3×1 0JKg ) ,氷の密度を (=9 0 0kgm ) で融解することにな とすると,上流側の氷は速度 −1 −1 −1 −1 2.復氷と塑性変形による底面すべり 氷河の底面すべりに関する限り,現地での実測が困難 であったため,理論的な研究が先行せざるを得なかった。 5 −1 −1 −3 ここでは,Weertman(1 9 5 7,1 9 6 4)による最も基本的 る。この速度を凸部の断面積 で除すことにより,凸部 な理論を紹介する。彼は単純な起伏をもつ硬い岩盤上の を復氷によって通過する氷の底面すべり速度 を得る; 氷河の底面すべりを以下に述べるように理論化した。ま ず,底面すべりは「復氷(regelation) 」と「塑性変形」 の二つの機構によって起こると考える。復氷とは,圧力 の上昇によって融解した氷が,圧力の低下によって再度 ……………………………… ここで,,,,は定数である。基盤岩の粗度に ついては,凸部の大きさ が大きければその間隔 も大 凍結する現象である。氷河と接する基盤岩の凸部では, きいと考えても良いので も定数と扱える。これより, 氷河の流動により上流に向いた側でより圧力が高く,下 復氷による底面すべり速度 は に逆比例することにな 流に向いた側で低くなる。このため,上流側で氷が融解 る。 し,下流側で凍結することになる。 図−4のような基盤岩では,凸部の上流面では静水圧 今,図−4(Weertman,1 9 5 7)に示すような1辺 の長さの立方体が間隔 で規則的に並んでいる基盤岩の と 形状を考える。これより,基盤岩の粗度 は 定義できる。氷河の底面の温度は圧力融解点(pressure J. of the Jpn. Landslide Soc., Vol.41, No.2 199 (2004) の圧縮応力,下流側では同じ絶対値の引 張応力が働いている。 とみなすと, な は第1回講座「氷河の流 ので,凸部のまわりの歪速度 動I−塑性変形−」の式より; に加えて 1 1 1 講 座 表−2 様々なティルの物性値 (Paterson,1 9 9 4) 表−3 いくつかの氷河における底面すべり速度,ティル層 厚,およびこれらの二つの値から計算される歪速度 の事例 (Hooke,1 9 9 8) < 図−5 基盤岩の凸部の大きさ に対する復氷による底面す べり速度 #と塑性変形による底面すべり速度 $の 関係。式 と を用いて計算した。計算にあたって 0 0 用 い た 条 件 は, :0. 0 9 8 (K MPa−1); :1 −1 −1 −1 2 ( Jm s K ); :3. 3×1 05 ( kPa ); # :2. ( JKg−1 ); :9 0 0kgm−3 ); :6. 8×1 0−15( s−1 −3 (kPa) ) ; :0. 2 5およびn:3 ! = > # ! @ ? ' ( % && )………………………………………… と表すことができる。ここで%,)は共にGlenの流動則 の流動変数である(第1回講座を参照) 。今,この歪が 凸部の周囲で凸部の体積 *に等しい氷に生じていると 仮定すると,塑性変形による底面すべり +は, , + % )) ……………………………………… % ) に比例する。 以上をまとめると復氷と塑性変形による底面すべり り以下のように表すことができる; /./012345……………………………………… 345は内部摩擦係数である。1は /は粘着力,2 ここで,. 有効圧力と呼ばれ,静水圧6から水圧+を引いた値とし /はティルを構成する物質によって て定義されている。. 異なり,粘土に比べ砂は小さい値をとる。様々な地点で . 5 / / 得られた (kPa) , (kPa) , (deg)の値を表−2に示 と表すことができる。 , , は定数とみなせるので, +は ティルの降伏応力 /は,Mohr-Coulombの破壊条件よ と +は,基盤岩の凸部の大きさ に対し,図−5のよう な関係をもち,凸部の大きさ .を境にして,凸部が大き くても小さくても底面すべり速度( + +)は増大する。 す(Paterson,19 9 4) 。 水で飽和したティルの変形に関する構成方程式は,次 のような形をとることが様々な氷河における観測から提 唱されている(Paterson,19 9 4) ; 8 9: / / 7 ……………………………… 1 ; / / ここではせん断応力,7,8,は定数である。8は多 くの場合1をとり,ティルがニュートン粘性体として振 この底面すべり速度を最小にする凸部の大きさ .は,支 る舞うことを示唆している。 は1< <2となり,ティ 配的障害物(controlling obstacle)と呼ばれており,定 ルの変形に水圧が大きく関与していることを示している。 数の与えかたにもよるが,おおよそ0. 5から1cm程度で 表−3にいくつかの氷河で求められた底面すべり速度 ある。すなわち,この支配的障害物の大きさの凸部をも (m/a) ,ティルの層厚(m) ,ティルの歪速度(a−1)につ つ基盤岩で氷河の底面すべりは最も遅くなる。 いてのデータを示した(Hooke,1 9 9 8) 。 3.ティルの変形による底面すべり 4.簡易的な底面すべりの計算方法 氷の降伏応力は歪速度によって異なるが氷河学ではし 上述したような物理機構を追求するアプローチとは独 ばしば1 0 0kPaと近似される。これに対し,水で飽和し 立し,簡単な経験式に基づいてより簡便に氷河の底面す たティルの降伏応力は3―8kPaしかないという例が報 べりを計算する試みも行われている。現実問題として, 告されている(Boulton and Dent,1 9 7 4) 。このため, 基盤岩の粗度 やティルの物性 /, /, など,測定の難 せん断応力が大きな氷河底ではティルの変形による流動 1に影響を与える氷河底の水圧+は掘削孔の水位測定な が生じる。 1 1 2 .5 しいパラメータは式に取り入れがたい。また,有効圧力 J. of the Jpn. Landslide Soc., Vol.41, No.2 200 (2004) どで測定可能であるが,その変動は一日の間でも大きく, ばれる周囲の氷床とは桁違いに流動速度の速い部分の流 長期的な氷河の変動モデリングには取り込みがたい。こ 動機構として重要視されており,これからもしばらくは れより,平均的な氷河の底面すべり速度を以下の簡単な 多くの研究者が関わっていくものと予想される。 式で表すことがこれまでおこなわれてきた。この簡単化 の背景としては,同じ氷河であれば底面の水圧の長期的 参考文献 な平均値は氷厚に比例するという半経験的な事実に基づ Boulton, G. S. and Dent, D. L.(1974): The nature and rates of post-depositional changes in recently deposited till from southeast Iceland. Geogr. Ann., 56A, pp. 121−134. Boulton, G. S. and Jones, A. S.(1979): Stability of temperate ice caps and ice sheets resting on beds of deformable sediment. J. Glaciol., 24, pp. 29−42. Budd, W. F. and Jenssen, D.(1975): Numerical modeling of glacier systems. IAHS-AISH Publ., 104, pp. 257−291. Budd, W. F., Keage, P. L. and Blundy, N. A. (1979): Empirical studies of ice sliding. J. Glaciol., 23, pp. 157−170. Hooke, R. L. (1998): Principles of Glacier Mechanics, Prentice Hall. Paterson, W. S. B. (1994): The Physics of Glaciers, 3rd Edition, Pergamon. Weertman, J.(1957): On the sliding of glaciers. J. Glaciol., 3, pp. 33−38. Weerman, J.(1964): The theory of glacier sliding. J. Glaciol., 5, pp. 287−303. (原稿受付2 00 4年4月1 5日,原稿受理2 00 4年4月24日) く(Budd and Jenssen,19 7 5;Budd et al .,1 9 7 9) ; AB)C ………………………………………… ここでAは底面すべり速度,)は定数として3をとる。 は氷厚である。定数Bは底面すべりパラメータと呼ば れるもので,Budd et al( .1 9 7 9) らは5. 7×1 0−20Pa−3m2s−1 を提唱している。 以上,氷河の底面すべりを復氷,塑性変形,ティルの 変形の3つの機構から概観した。これらは未だ研究途上 の課題であり,これらのテーマを扱う多くの論文が観測・ 実験・理論の分野から次々に出版されているのが現状で ある。底面すべりの問題は,小さな氷河の流動だけでな く,南極氷床の一部を構成する氷流(Ice stream)と呼 J. of the Jpn. Landslide Soc., Vol.41, No.2 201 (2004) 1 1 3 講 座 Lecture すべりに伴う物質の移動と変形 第3回 雪 Displacement and deformation of the sliding materials No.3 崩 Snow avalanches 納口恭明/独立行政法人 防災科学技術研究所 Yasuaki NOHGUCHI/National Research Institute for Earth Science and Disaster Prevention キーワード:雪崩,雪 Key words:snow avalanche, snow 1.「雪崩」とは? 雪崩は,科学的には「いったん斜面上に積もった雪が 重力の作用で,肉眼で識別できる速さで移動する自然現 象」と定義される。材料は雪だけという点で,一見単純 そうである。しかし,地球上の積雪は融点近傍にあり, 降り積もったあとも,時間の経過とともに,その間の気 象環境に依存し,物性は大きく変わる。たとえば密度は, 降り積もったばかりの新雪では1 0 0kg/m3以下で,まさ に綿菓子のようであったものが,圧密や融解凍結を経る と融雪期にはまるで岩盤のように強固になる。また,多 量に水を含んでシャーベット状になることもある。究極 的には氷河の氷も,積雪の一種である。 したがって,斜面積雪の物性の違いにより,発生・す べり・移動・変形も大きくその様相を変える。ある場合 は,山体崩壊にともなう岩屑流や火山における火砕流の ように煙を巻き上げて流れるものや,地すべりのように 地面をゆっくりと這うように移動し徐々に移動速度を増 して肉眼で識別できる速さで動き出すもの,土石流や泥 流のように完全に水で飽和した泥状になるもの,落石の ように比較的大きく,強固なままのブロック状で回転・ 跳躍を伴うものなど,すべて雪崩と呼ばれる。また発生 量にして1m3以下のものから1 07m3のものまで,移動距 離にして数mから1 0km以上のものまである。 このため,それぞれに応じて,発生・運動を支配する 物理はまったく異なることになる。ここでは,材料が 写真−1 点発生湿雪表層雪崩 H2Oということで一見単純に見える雪崩現象の発生・運 表−1 日本雪氷学会による雪崩の分類1) 動の多様性を紹介する。 1 面発生 乾雪 表層 雪崩 2 面発生 乾雪 全層 雪崩 対応した層構造を形成し,雪崩は積雪の底面を含めた積 3 面発生 湿雪 表層 雪崩 雪層のどこかがせん断破壊されて発生する。このとき, 4 面発生 湿雪 全層 雪崩 発生領域が面的な広がりを持って動き出すか,一点から 5 点発生 乾雪 表層 雪崩 楔状に動き出すかによって,面発生と点発生に区分され 6 点発生 乾雪 全層 雪崩 7 点発生 湿雪 表層 雪崩 8 点発生 湿雪 全層 雪崩 2.雪崩の基本的な分類 積雪はそれをつくりだすそれまでの降雪や気象履歴に る(写真−1) 。また,積雪層の破断面が底面か積雪層 内部かによって,全層と表層に区別される。さらに発生 域において動き始める積雪に液体としての水分が含まれ J. of the Jpn. Landslide Soc., Vol.41, No.3 313 (2004) 9 7 講 座 るか否かによって,湿雪と乾雪に区分される。これらの て,水分を含む湿雪雪崩では,水分をバインダーとして 組み合わせで,表−1のように発生に関して8通りの雪 大きな雪玉に転道造粒されることにより,流動性をもつ 1) 崩に分類される 。 雪崩へと成長する。これは,ご飯粒には流動性はないが, これらに属さない特殊な雪崩として,多量の水を含む おむすびにすると流動性が生まれて転がりだすようなも ことで,積雪が水に飽和された状態で移動を始める「ス のである。その意味で雪崩は,自然に起こる雪の重力輸 ラッシュ雪崩」,氷河が崩れて流れ落ちる「氷河雪崩(あ 送であり,雪質に応じて自発的に最も流動に適した形態 るいは氷雪崩) 」 ,雪渓などの雪塊がブロック状に落下す に高速造粒されたものとみなすことができる。逆にいう る「ブロック雪崩」 ,人工斜面上の「法面雪崩」 ,屋根雪 と,そのようなものだけが十分に発達した雪崩になりう による「屋根雪崩」がある1)。 ると考えることができる。 運動に関しては雪煙を上げず,流れるように移動する 雪崩の内部で起こる造粒現象を手軽に再現することが 「流れ型雪崩」 ,空中に舞い上がる雪煙自体を雪崩本体と できる。バケツの中に雪を入れ,回転,及び前後運動を して運動する「煙型雪崩」 ,その中間で,下層に流れ型, すれば密度,温度,粒径など雪質に応じて付着造粒され 上層に煙型となる「混合型雪崩」がある。湿雪雪崩はほ て雪玉になる場合や,粉砕されてバラバラの氷粒子にな とんど流れ型となり,氷点下の乾雪雪崩は雪煙を伴う形 る場合がわかる(写真−3) 。 態をとる。 雪崩発生後に堆積域の雪を調べると,しばしば丸みを 3.煙を巻き上げる雪崩 帯び,比較的粒径のそろった雪玉からなる巨大集団を目 降雪中,あるいは降雪直後に発生する大規模な面発生 にすることがある(写真−2) 。自然積雪が,雪崩となっ 乾雪表層雪崩は雪煙を巻き上げる煙型か混合型になる場 て激しい運動の後,このような雪玉となったのである。 合が多く,岩屑流や火砕流と同様,雪煙は浮遊する固体 水分を含まない乾雪雪崩では粒子間の付着性は少なく, としての微小雪粒子と空気が一体となった固気混相流で 粉砕作用によりより細かな雪塊に分裂し,ときには氷粒 ある。密度は空気の1 0倍程度の1 0kg/m3である2)。 子を最小単位とするような微小粒子からなる雪煙になる 2 0 0 0年3月2 7日に発生し,2名の犠牲者を出した岐阜 ことにより雪崩としての流動性が生まれる。これに対し 県上宝村左俣谷の雪崩は,典型的な面発生乾雪表層雪崩 で,発生量1 6 6万m3,流下距離4. 6km,推定速度5 0m/s で,日本で記録された雪崩としては発生量,流下距離と も最大規模ある3)。 一般に表層雪崩は積雪内の弱い層(弱層)の強度をそ の上に積もった積雪荷重による駆動力が勝った場合に弱 層が破壊して表層雪崩になる。降り続く降雪による駆動 力の増加が引き起こすような自然発生の場合と,微妙に 釣り合っているところにスキーヤーが入り込むことに よって引き起こされる誘発の場合,人工雪崩のように人 為手的な爆発によって引き起こされる場合がある(写真 −4,写真−5) 。 写真−2 湿雪の雪崩で形成された雪玉 写真−3 バケツを揺り動かして自然にできた雪玉 9 8 写真−4 面発生乾雪表層雪崩発生前の斜面 J. of the Jpn. Landslide Soc., Vol.41, No.3 314 (2004) 5.雪の泥流,スラッシュ雪崩 積雪が多量の水を含み,雪泥(スラッシュ)と呼ばれ る雪が水で飽和した状態で流下するスラッシュ雪崩は不 透水層上の積雪が融雪や降雨によって多量の水を含むこ とで発生するもので,氷河地帯や永久凍土地帯で見られ る4)。スラッシュ雪崩は固体としての雪と液体としての 水が一体となって流れる固液混相流である。日本では, 富士山に発生する雪代(ゆきしろ)と呼ばれる現象がこ れに当たり,冬期に土壌が凍結して不透水層を形成する 森林限界より上では,融雪や降雨などにより, スラッシュ 雪崩が発生する。春先の鉄砲水として知られ,雪でせき 止められた河川が雪を一気に押し流しながら流れ下る現 象も移動形態はスラッシュ雪崩と同じものであり,雪泥 流と呼ばれている。 スラッシュ雪崩は土石流・泥流と運動形態は類似して いる。時には運動中に土砂を巻き込み,実際に土石流化 することもある。固体部分が氷なので水に浮くため流動 性はよく他の雪崩と比べてかなりの緩斜面でも流れる。 6.雪の落石,ブロック雪崩 ほとんどの積雪が解けた後にも沢筋などに局所的に残 されたかなり高密度の積雪がブロック状のまま崩れて落 写真−5 人工的に起こした面発生乾雪表層雪崩発生後の斜面 ちてくる現象も雪崩として定義される。これはブロック 雪崩と呼ばれるもので,回転や跳躍を伴って落下し,災 害をもたらすこともあり,その挙動は「落石」と類似し ている。 2 0 0 0年6月1 8日新潟県浅草岳で発生したブロック雪崩 では急斜面上の雪渓から総量にして約2 0トンの雪が大小 さまざまのブロック状の雪塊として落下し,遭難者の救 助を行っていた捜索隊員に襲い掛かり,9人の死傷者を 出した。 7.日本にない氷(河)雪崩 氷河もまたいったん積もった積雪の一形態である。し たがって氷河が崩壊して流れ下る現象も,雪崩の一種で 写真−6 面発生湿雪全層雪崩 あり,氷雪崩あるいは氷河雪崩(ice avalanche)と呼 ばれる。とくに懸垂氷河と呼ばれる急峻な山腹に垂れ下 4.雪の地すべり,グライドと全層雪崩 がるように張りついている氷河は,上流からの氷の流入 雪崩になる前の斜面積雪でも底面では静的なすべりを とバランスするように崖下へと末端の氷が押し出され, 起こしておりグライドと呼ばれている。地面と積雪底面 準周期的に崩落することでその形が定常的に保たれる。 の温度が0℃で凍結していない限り,斜面積雪は安定な したがって,上流からの氷の流入がある限り,氷河雪崩 場合で1日に数cm程度の速さでゆっくりと下方へ移動 は起こり続けることになる。その意味では和風の庭につ している。この現象は肉眼では識別できないので雪崩で きものの竹筒に水が流れ込み,水が一定量を超えると竹 はない。 筒が傾いて水を排出する「しし脅し」と同じ種類の振動 グライド現象を実際に長期に測定してみると移動速度 現象である。 は必ずしも常に一定ではなく,減速・加速・静止などが 氷河のない日本では氷河雪崩は起こらないが,1 9 9 7年 見られる。とくに全層雪崩の発生直前には必ずグライド 8月にカラコルム山脈スキルブルム峰で発生し,下山途 の加速が観測され,その極限として全層雪崩(写真−6) 中の「神奈川ヒマラヤ登山隊1 9 9 7」の日本人6名が犠牲 へと連続的に移行する。その意味で,前兆現象を伴う地 になった雪崩はまさに氷塊の崩落による爆風を伴う氷河 すべりに近い。 雪崩である。 J. of the Jpn. Landslide Soc., Vol.41, No.3 315 (2004) 9 9 講 座 写真−7 3 0万個のピンポン球雪崩に巻き込まれる直前 写真−8 ピンポン球雪崩に巻き込まれた直後。1名が流さ れてしまった 氷河雪崩で大規模なものとして,1 9 7 0年5月3 1日にペ ルー沖で発生したマグニチュード7. 6の大地震によって り,直径2mm程度の発泡スチロール粒子やガラスビー 引き起こされた南米ペルー,ワスカラン山の氷河雪崩が ズ粒子,ピンポン球,ゴルフボールを使った実験で確か 7 3 挙げられる。その発生量1 0m で,雪崩と定義される現 象のうち,確認されているものでは最大規模である。 められている(写真−7,写真−8) 。 軽い新雪を模擬した発砲スチロールやピンポン球を用 氷河雪崩は長い移動中にさまざまな形態を取ることが いた実験から終端速度は雪崩の規模をあらわす粒子数の あり,氷塊の落下によって細かく粉砕し爆風を伴う煙型 6分の1乗に比例して増加することが確認されている。 の運動形態になったり,移動中に水をともなってスラッ 空から舞い落ちるひとひらの雪片のように,たった1個 シュ雪崩状になったり,また,土砂を巻き込んで土石流 では怖がる必要のないピンポン球も東京ドームいっぱい 化することもある。 では新幹線の速度に匹敵する雪崩となり,十分危険な存 在となる。 8.雪崩の形と模擬物質による再現 運動中の雪崩の形態的特長は,先端部分に頭が形成さ れ,後端は尻尾のように細長く伸びる点にある。このよ うなおたまじゃくし形の形成は雪崩の終端速度 を速度 で判断でき, スケール,斜面長 を長さスケールとする無次元数(フ ルード数) / 1 …………………………………………… / のとき,すなわち,終端速度に応じて斜面が十分に長け れば,頭と尻尾が形成される5)。これは,終端速度は雪 崩が大きくなればなるほど大きくなることと関係してお 1 0 0 引用文献・参考文献 1)日本雪氷学会(1 99 8) :日本雪氷学会雪崩分類,雪氷,6 0, pp. 43 7−4 4 4. 2)Mclang, D. and Schaerer, P. (1 99 3) :The Avalanche Handbook, The Mountaineers/Seattle,2 71p. 3)日本雪氷学会(200 1) :日本最大の雪崩はいかにして起こった か,3. 27左俣谷雪崩災害調査報告書,6 8p. 4)小林俊一,和泉薫(199 8) :雪泥流,気象研究ノート,1 90, pp. 8 3−90. 5)納口恭明,西村浩一(199 8) :模擬雪崩の相似について,気象 研究ノート,19 0,pp. 10 3−1 1 2. (原稿受付2004年7月8日,原稿受理2004年8月3 0日) J. of the Jpn. Landslide Soc., Vol.41, No.3 316 (2004) 講 座 Lecture すべりに伴う物質の移動と変形 第4回 Displacement and deformation of the sliding materials No.4 惑星の地すべり Planetary landslides 小松吾郎/国際惑星大学院,ペスカーラ,イタリア Goro KOMATSU/International Research School of Planetary Sciences, Pescara, Italy キーワード:惑星,地すべり,金星,火星 Key words:planets, landslides, Mars, Venus 1.惑星の比較地すべり学 この角度 は崩壊の限界角度(angle of repose)と呼 地すべり現象は太陽系の固体地表のある天体ではどこ ばれる。つまり乾いた砂など粒子の結合力がほとんどな でも起こり得る。しかしながら水星と外惑星の衛星,そ い物質がつくる小山では,崩れる斜面の角度はどの惑星 れに小惑星や彗星の核では今まで収得されている探査機 や月でも同じである。ただし,現実には物質は粒子の結 の画像の解像度が低いためもあり,地すべり現象として 合力を持ち,次の式で表される関係を持つ。 研究できるはっきりした地形が見つかっていないか,存 ……………………………………… この式ではは最大せん断応力(critical sheer stress) , C は粘着力(cohesion), はすべり面上の垂直応力(normal stress),は内部摩擦力(apparent angle of internal 在していてもあまり研究対象として取り上げられていな い。もちろん例外もあり,木星の衛星のイオには長さ7 0 km,幅2 0 0kmの巨大地すべり地形が見つか っ て い る (Schenk and Bulmer,1 9 9 8) 。地球の月は高解像度の画 像も存在するが,重力が小さいため地すべりが起きにく friction)である。この関係式に地すべりブロックが動 いことと,たえず降り注ぐ微隕石の侵食作用で地形が均 き出す時の力のバランスを考慮すると, の講座では火星と金星を主な対象とする。しかしながら ………………………… という基本式(:斜面角度,:地すべりブロックの その他の天体の地すべりは,比較惑星学の観点から非常 密度,g:重力,y:地面に垂直方向に測った地すべりブ に面白い可能性を持っていることを指摘しておく。これ ロックの厚さ,Allen,1 9 9 7)になり,Cと の大きさに は重力,温度,大気条件,そして地形を形成する物質の もよるが,実際には重力の大きさが崩壊する時の斜面角 成分が非常に広範囲に渡るためである。例えば,月や水 度の大きさに効いてくる。月の重力は地球の約6分の1, 星のように乾いてしかもほとんど真空の世界では地球の 火星は地球の3分の1強であり,その影響は大きい。金 ように大気や水が大きな影響を及ぼす地すべりとは必然 星は地球とほとんど同じ重力を持つ。小惑星や彗星の核 的に違った作用になることが予想される。また,外惑星 のように重力が極端に小さい場合,地すべりの起きる可 の衛星群の表面は一部の例外を除いてそのほとんどが水 能性自体がほとんど無いであろう。また崩壊した後の現 の氷でできていて,しかも極低温で真空に近い環境であ 象,例えば土石流(debris flow)の移動速度にも重力が る。このような条件下では氷は岩石のような性質を示す 影響を持つ。土石流がビンガム塑性変形すると仮定した と考えられる。しかも,それらの衛星群の氷成分にはメ モデル(Bingham plastic model)では,速度は重力に タンやアンモニアが含まれているのもあり,そのため水 比例する。よって月や火星では流れ速度が地球に比べて の氷とは違った粘性率や降伏値を持つ可能性があり,崩 遅い。 され古い地すべり地形が判別しにくい。そのため,月面 上の地すべりの研究もそれほど進んでいない。よってこ 壊したり流れる条件が違ってくると考えられる。 金星,地球,及び火星の地すべりを比較するのに便利 これらの様々な条件の影響について分析する紙面はな なのが,地すべりの起きた崖の高さ(H)に対する地す いので,ここでは重力の影響のみ少し考察する。地すべ べりの移動距離(L)の相関図(図−1)である。地す りの条件を決めるファクターでまず重要なのは摩擦係数 べりの動く距離はその落下高度と密接な関係があること ( f friction coefficient)と粘着力(cohesion)である。粘 が知られているが,惑星によってある程度のばらつきが 着力が無い条件では摩擦係数と斜面の最大角度の関係は ある。重力の違いが原因の一つであるが,それ以外の要 次の式で示される。 素も影響を及ぼしている。例えば,地球上の水中で起き ……………………………………………… 1 0 8 る地すべりはその崖の高さに対して長大な距離を動き, その理由としては土石中の水が潤滑油の約割をしている J. of the Jpn. Landslide Soc., Vol.41, No.4 430 (2004) 図−1 金星,地球,火星の地すべりの比較。ここでは,地 すべりの起きた崖の高さと地すべりの移動距離の関 係を示す。基本的には崖の高さ(ポテンシャルエネ ルギー)と地すべりの動く距離は対数グラフで正の 関係を持つが,これらのファクターの範囲は惑星に よって変わる。Malin(1 9 9 2)より。 図−2 火星のヴァリスマリネリス峡谷内には巨大地すべり が起きた証拠が存在する。ガンジス峡谷。崖の高さ は約5 0 0 0m。マースオデッセイ(Mars Odyssey)搭 載のTHEMIS(Thermal Emission Imaging System) 画像とマースグローバルサーベイヤー(Mars Global Surveyor)搭載のMOLA(Mars Orbiter Laser Altimeter) 地形図の3次元合成画像。高度誇張度は1. 5 倍。 図−3 ヴァリスマリネリス峡谷の内壁に発達するクリープ 地形。マースグローバルサーベイヤー(Mars Global Surveyor)搭載のMOC(Mars Orbiter Camera)狭 角カメラ画像。 も1 0 0kmに及ぶものが見つかっている。これらの地すべ りの中には放射線状の溝が表面に存在するのがあり(図 −2) ,その形成要因が議論になってきた。地球の地す べりでこのような溝を示すのは,氷河や雪の上を移動し た場合や,水をはじめとする流体に富む火山性の地すべ ためと考えられている。 りなどである。これらの地すべりの場合,氷や液体の水 2.火星の地すべり が摩擦を下げ,地すべり体の各部分が相互にずれ易く 重力の観点から言えば火星は,地球に比べて地すべり なって溝を形成したものと考えられている。もし,そう が起きにくいと言える。実際,赤道域に存在する巨大な なら火星の放射状の溝を持つ地すべりも何らかの原因で ヴァリスマリネリス峡谷(Valles Marineris)の斜面が 摩擦が下がった可能性が高い。火星の大気は非常に薄く, 2 5度以上の角度で最大8−9キロの高さまで聳え立って これが摩擦を下げる役割をしたかどうかは疑問が残る。 いられるのも,小さい重力の影響であろう。しかし,過 水や氷も現在の火星条件では非常に少なく,過去に地表 去の探査機の調べで火星に様々な地すべり地形が見つ 水が豊かだった時期がなければならないか,あるいは地 かっている(e.g., Shaller and Komatsu,19 9 4) 。それも 中にかなりの量が存在していた必要がある。 長さ数百キロに及ぶものから,最高解像度約1. 5mの画 ヴァリスマリネリスの内壁には斜面堆積物がゆっくり 像によって見つかった小地すべりまで多い。巨大な地す 流れたような地形が見られる(図−3)。これらの堆積 べり(図−2)はやはり大きな斜面のあるヴァリスマリ 物は交互に繰り返す明暗色の細長いバンド群からなり, ネリスに多く分布している(Lucchitta,1 9 7 9) 。最大の 中には流れ方向(斜面の下方向)に沿って変形している 地すべり群の体積はそれぞれ1 0 0 0km3を越え,移動距離 衝突クレーターが載っていたり,堆積物が鋭い尾根で二 J. of the Jpn. Landslide Soc., Vol.41, No.4 431 (2004) 1 0 9 講 座 つに別れている場合もある。後者は氷河地形の痩せ尾根 堆積物の体積(V)の関係がハワイ島の周囲に発達する に酷似している。また堆積物の源に氷河地形のカールに 巨大海底地すべりによく似ていることに気づき,オリ 似た地形が存在しているケースも見つかっている。最近 オールも古代の火星に存在した可能性のある海洋の底で の研究によってこのような斜面堆積物は,ヴァリスマリ 起きた地すべりの堆積物であるという仮説を発表した。 ネリスのみならず火星の中緯度帯にも類似した地形が多 数存在することが分ってきた。地球上で岩屑堆積物がこ 3.金星の地すべり のような特徴を示す現象はクリープ(creep)と呼ばれ 金星では,9 0年代初頭にマゼラン探査機搭載の最高解 変形速度が非常に遅い。クリープ堆積物の中には内部で 像度約1 0 0mの合成開口レーダーによるほぼ全球の調査 氷が固体変形しているケースがあるが,そのような流れ が行なわれて多数の地すべり地形が見つかった。特に, 地形は岩屑氷河(rock glacier)と呼ばれ,火星にも存 Malin(1 9 9 2)は地すべり(rock slump, rock/block slide) , 在している可能性がある(Rossi et al., 2 0 0 0) 。また,氷 地崩れ(rock/debris avalanche),そして土石流(debris が霜として形成と消滅を繰り返すことによって岩屑が下 flow)と解釈できる地形を同定した。金星の地すべりは 方に動き,流れ地形が発達する霜クリープ(frost creep) 高度と長さの(H/L)比において地球と火星の中間に位 という現象も知られているが,これまた火星の流れ地形 置する(図−1) 。金星の地すべりは地球の地すべりよ の説明として提唱されている(Perron et al., 2 0 0 3) 。 りやや大きいが,火星のよりは小さい。断層形成や地震 オリンパス山の周囲に発達する最長で約1 0 0 0kmにも が構造性のトラフ内に多く存在する非火山性の地すべり 及ぶオリオール(aureole−後光や光輪と訳される)と (図−5)の形成理由と考えられ,また火山体の形成に 呼ばれる堆積物の地形は興味深い(図−4)。背後にそ よる山体の急傾斜化が火山性の地すべり(図−6)の原 びえるオリンポス山の崖の高さは6kmにも及ぶ。高解 因と考えられている。金星の環境(温度は摂氏50 0度近 像度画像でみると多数の峰が発達しているオリオールは, く,大気圧は約9 0気圧にもなる)がどのように地すべり 火砕流だとか氷床下で固まった溶岩流だとか過去にいろ に影響を与えるかはよく分っていない。一般には高温度 いろ仮説が提唱されてきたが,大規模な地すべり地形で は物質の塑性変形を促すので速度の非常に遅い流れ現象 あ る と い う 立 場 を と る 研 究 者 が 多 い。Hayashi and (creep)が増える可能性がある。しかし金星はまた極度 Mouginis-Mark(1 9 9 2)はオリオールが由来したと考え に乾燥しているのが特徴である。このため,物質の強度 られる背後の崖の高さと移動距離の比(H/L)に対する が逆に高い可能性もある。金星の地すべりが高い崖から 起きるという特徴はこのためかもしれない。 4.将来の研究課題 惑星表面で起きる地すべりの研究の歴史は浅いが,そ れでも多様な形態の地すべりが実に広範囲の環境・条件 図−4 太陽系最大の火山オリンポス山とその周囲に発達す るオリオール(aureole) 。マースグローバルサーベ イヤー(Mars Global Surveyor)搭載のMOC(Mars Orbiter Camera)広角カメラモザイク画像。 1 1 0 図−5 金星の非火山性地すべり堆積物。マゼラン(Magellan)探査機の合成開口レーダー(SAR : Synthetic Aperture Radar)画像。 J. of the Jpn. Landslide Soc., Vol.41, No.4 432 (2004) りは起きた時代の気候や水などの古環境を知る手がかり を与えることができるので,惑星の地表条件の変遷を考 えるのに将来大事な研究対象となるに違いない。惑星の 地すべりを研究する科学者は非常に少ない。地球の研究 者たちがもっと関わることを期待している。 謝 辞 国際惑星大学院のアンジェロ・ロッシとステファノ・ ディ ロレンツォには図−2, 3, 4の準備を手伝って頂 いた。 参考文献 図−6 金星の火山性地すべり堆積物。マゼラン探査機の合 成開口レーダー(SAR : Synthetic Aperture Radar) 画像。 下でおきることが,わかってきた。そのため多様な要素 が極端な形で地すべりの形成に与える様子を観察できる。 いわば天然の実験室の結果が手に入るわけで,地球の地 すべり研究にも大きな影響を与えるかもしれない。今ま では軌道上からの画像による研究が中心だったが,最近, 特に火星では探査機搭載のレーザー高度計によって得ら れた高精度の地形データを元に地すべりをかなり正確に 定量化できる可能性が出てきた。しかし,地すべりを起 こした物質の物理化学的な情報は現在のところほとんど 存在していない。地すべりのメカニズムを知るためにも そうした情報は必要だ。今のところ入手できるデータは リモートセンシングのみに限られているが,将来は着陸 機や自走行車による詳細な現地調査が望まれる。地すべ J. of the Jpn. Landslide Soc., Vol.41, No.4 433 (2004) Allen, P.A. (1 99 7):Earth surface processes, Blackwell Science, Oxford, 40 4p. Hayashi, J. and Mouginis-Mark, P.(1 99 2) :The mobility of the Olympus Mons aureole deposits versus Valles Marineris landslides and terrestrial subaerial and submarine landslides, EOS supp., Fall American Geophysical Union, 32 3. Lucchitta, B.K.(1 97 9) :Landslides in Valles Marineris, Mars, J. Geophys. Res.,8 4, 809 7−8 11 3. Malin, M.C. (1 99 2) :Mass movements on Venus : Preliminary results from Magellan cycle1observations, J. Geophys. Res., 9 7, 1 6, 33 7−16, 35 2. Perron, T., Dietrich, W.E., Howard, A.D., McKean, J.A., Pettinga, J. R. (2 00 3) :Ice-driven creep on Martian debris slopes, Geophys. Res. Lett., 30(14) , 174 7,doi:10. 1029/200 3GL0 17603. Rossi, A.P., Komatsu, G., and Kargel, J.S.,(2 00 0) :Rock glacier-like landforms in Valles Marineris, Mars. In Lunar and Planetary Science Conference XXXI, Abstract#1 58 7,Lunar and Planetary Institute, Houston(CD-ROM) . Schenk, P.M., and Bulmer, M.H.(1 99 8) :Origin of mountains on Io by thrust faulting and large-scale mass movements. Science, 27 9, 151 4−1 51 7. Shaller, P.J., and Komatsu, G. (1 99 4) :Landslides on Mars. Landslide News,8, 18−22. (原稿受付200 3年12月1 1日,原稿受理2004年2月2 9日) 1 1 1 講 座 Lecture すべりに伴う物質の移動と変形 第5回 Displacement and deformation of the sliding materials No.5 海底地すべり Submarine slides 池原 研/産業技術総合研究所地質情報研究部門 Ken IKEHARA/Institute of Geology and Geoinformation, AIST キーワード:海底地すべり,海底地形,音響的層相,地震,環境 Key words:submarine slide, bathymetry, acoustic facies, earthquake, environmental impact 1.海底地すべりとその調査方法 が,エネルギーロスが少ないため,海底下深部までの探 現在の海底には多数の地すべりが存在する。近年の海 査が可能となる。数kHz程度の音を用いた音波探査によ 底調査研究の進展に伴って,その存在数のみならず個々 ると,未固結堆積物の条件の良い場所では表層の10 0m の地滑りの大きさや形態などの詳細も明らかになってき 程度までの構造を高い分解能で把握できる。音響的層相 ている。しかし,広大な海底に対して,詳細に調査され (音波探査記録における海底面や反射面での反射強度や ている海域はまだ小さく,海底地すべりの全体が把握さ 透過深度,内部反射の有無,反射面の形状などの違いで れているとはいえない。本論では,国内外の報告例から 区分される層相)やその組み合わせは,堆積物の種類や 海底地すべりについてその形態学的特徴や発生メカニズ 堆積・変形構造を反映しており,そのためこれらは堆積 ムなどを概観する。 過程の推定によく利用される。海底地すべり・斜面崩壊 通常の海底調査では,専用の調査船が用いられる。調 の研究においては,このような高分解能の音波探査記録 査船と対象である海底との間には“水”が存在する。こ は必須の道具といえる。このように,さまざまな周波数 のため,陸上の調査とはかなり異なった方法が使われる。 の音を使用することによって海底表面から海底下の構造 海底は浅海域の波浪や流れの影響を受ける場を除けば, を把握できる。さらに微細な海底表面の構造を調べるに その多くは堆積域であり,風化や生物活動の影響も小さ は,深海カメラや深海曳航式テレビ,潜水調査船などが いことから,一旦形成された崩落地形は陸上よりも保存 使われる。実際に海底がどのような堆積物で構成されて されやすい。したがって調査研究においては,海底地形 いるかは,さまざまな種類の道具を用いて堆積物や岩石 の把握がもっとも基本となる。水は光を通しにくいため, を採取して調べる。海底地すべりの発生時期の特定は堆 水深を含め水底の様子を捉えるには通常音が用いられる。 積物中に挟在する斜面崩壊イベントによって形成される 水深は,以前は調査船から錘を降ろして測っていたが, 堆積物(水中土石流堆積物やタービダイトなど)から決 その後調査船から真下に向って音を発射し,発射してか めることができる場合がある。 ら海底で反射してきた音が戻ってくるまでの時間と水中 での音速から水深を測定するようになった。これにより, “点”での測深が“線”へと進化した。さらに近年では, 2.海底地すべり・斜面崩壊の特徴 海底地すべりの特徴はまず,その規模が大きいことで 多数の指向性を高めた音を角度を変えて発射し,水深の ある。陸上の地すべりでは地すべり土塊の体積は大きい 数倍の幅の水深を一度に測定するようになった。これに ものでも数十km3程度であるのに対して,海底地すべり より,“線”が“面”へと進化した。海底地すべりや崩 では数千∼数万km3のものもあり,移動距離も数十∼数 壊地形の詳細もこのような測深技術の進歩に伴って明ら 百kmに及ぶものもある。表−1にHampton et al ( . 1 9 9 6) かになってきた。海底・湖底の表面構造の詳細は,音を によってまとめられた海底地すべりの規模を示す。ただ 扇状に発射し,その反射強度の強弱を面的に捉える装置 し,同じ海底地すべりについても研究者によって異なる (サイドスキャンソナー)によっても,明らかにされて 見積もりがなされているなど,調査方法やその精度の違 いる。この装置では,海底地形のみならず,海底表層に い,規模の決定における定義付けの問題などが残されて 分布する堆積物の特徴も明らかにできる。測深では1 0 いる。次に,海底地すべりの起こる斜面は必ずしも急斜 kHz程度,サイドスキャンソナーでは数∼1 0 0kHz程度 面であるとは限らない。一般的な海底の傾斜は,堆積物 というほぼ海底面ですべてが反射してくるような周波数 の水中安息角を越えておらず,傾斜角が大きすぎること の音を使用するが,海底下の構造を明らかにするために による崩壊は起こりにくい。例えばカリフォルニア沖で は,数kHzから1 0 0Hz程度の低い音が使われる。低い音 は,0. 1° の陸棚上で地滑りが生じているほか,アラスカ は波長が長いため,把握できる構造の分解能は悪くなる 湾陸棚上の0. 5° ,カリフォルニア三角州の0. 2 5° ,メキ 1 1 2 J. of the Jpn. Landslide Soc., Vol.41, No.5 558 (2005) 表−1 海底地すべりの規模(Hampton et al .,1 9 9 6より抜粋) シコ湾ミシシッピ川三角州の0. 0 1° ,ニュージーランド 沖陸棚斜面の1∼数° 以下など,傾斜数° に満たない斜面 でも地すべりは生じている。このような崩壊規模や移動 距離の大きさや斜面傾斜角の小ささは,水に飽和した海 底という環境要素が関係していると考えられる。また, ハワイ諸島やカナリー諸島などの海洋火山島では,海面 上の火山島自体の崩壊に起因した大規模な海底地すべり が認められる。日本でも,北海道渡島大島北側斜面には 火山の山体崩壊に伴う崩壊堆積物が分布している。海底 地すべりの形態は図−1のように模式的に示される。 このような緩斜面における海底地すべり・斜面崩壊の 図−1 海 底 地 す べ り の 模 式 図(Varnes, 1 9 7 8を 改 変 し た 9 9 6による) Hampton et al .,1 発生には,堆積物中の間隙水圧の上昇が関係していると される。間隙水圧を上昇させ,堆積層を崩壊させる原因 の露出する急崖とその崩落物が構成する緩斜面の繰り返 としては,以下のものがあげられる。1)地震,2)構 しで構成されていることが多い。どのような崩壊が起き, 造運動,3)暴風時の波浪,4) 潮位変動,5) 津波,6) 結果としてどのような崩壊堆積物が形成されるかは,斜 海水準変動,7)堆積物の供給過大,8) ガスハイドレー 面の規模や傾斜・形態,斜面を構成する岩層の種類と堆 トの分解,9)火山活動,1 0)海底地盤内浸透流,など 積層の厚さ,堆積速度,海底地すべりや斜面崩壊の発生 が上げられる。しかし,ある場所で見られる海底地すべ 原因の発生間隔やこれらの組み合わせによる。 り・斜面崩壊の発生原因をその形態などのみから断定す 3.日本周辺海域における海底地すべりの例 ることは困難な場合が多い。 海底地すべり・斜面崩壊はさまざまな環境で発生して 規模の大小を別にすれば,海底斜面崩壊はどこの海底 いるが,フィヨルド,河口三角州,河川などからの堆積 斜面でも認められる。近年の高度化された海底測深技術 物供給量の多い陸棚域,陸棚斜面上部,海底谷,海底火 を用いた調査結果から多数の海底地すべり・海底斜面崩 山周辺などで多く見られる。底質としては,未固結泥質 壊を示す地形が確認されている。 斜面,未固結砂質斜面のほか,岩石斜面が崩壊する場合 図−2は北海道沖日本海に位置する海洋海山付近の海 もある。崩壊地では,音波探査記録で堆積層を切るすべ 底地形図である(池原ほか,20 0 4) 。海山の西側斜面に り面が明瞭に認められ,すべり面で区切られた堆積層中 は多数の馬蹄形の崖が認められ,斜面崩壊の存在を示し にはほとんど変形の認められないものから,大小さまざ ている。「しんかい2 0 0 0」による上部斜面の潜航調査に まな崩壊土塊の集合からなるもの,水中土石流堆積物か よれば,大規模な崩落崖は認められないものの,玄武岩 ら高密度・低密度混濁流堆積物まで,斜面上部から基部, の露出する急崖と緩斜面が繰り返す地形が観察されてい さらに海盆底に向かって異なる地形・堆積過程を持つ堆 る。この斜面の下部には崩落物,その沖合には崩壊物が 積物が分布する。測深記録では単純な一つの斜面とみら 混濁流となって堆積したことを示す音響的層相が認めら れる崩落崖も,潜水調査船で潜ってみると岩石や堆積層 れている。ここでは,崩落崖から海盆底までの水深差が J. of the Jpn. Landslide Soc., Vol.41, No.5 559 (2005) 1 1 3 講 座 図−3 山陰沖における斜面崩壊と水中土石流堆積物の分布 (池原ほか,1 9 9 0による) .三角が崩落崖の位置を示 し,三角の頂点は崖の向きをあらわす.ハッチ部は 水中土石流堆積物の分布域をあらわす 図−2 北海道沖日本海東縁海洋海山周辺の海底地形(池原 ほか,2 0 0 4を一部改変) .海山の西側斜面には多数 の馬蹄形崩壊地形が認められる.斜面の基部には海 盆底より傾斜の大きい面があり,斜面からの崩壊物 が堆積しているものと考えられる 大きいこと,海山斜面が急で通常時の泥(半遠洋性泥) が堆積しづらいことなどから,崩落物の多くは海山斜面 の基部に堆積してテラスを形成し,その一部が混濁流に よって海盆側に運ばれていると推察される。 山陰から北陸沖の陸棚斜面にも海底地形や音響的層相 から多数の斜面崩壊や海底地すべりの存在が報告されて おり(図−3;池原ほか, 1 9 9 0) ,典型的な斜面崩壊起源 の海盆埋積システム(slope and base-of-slope system : Nardin et al ., 1 9 7 9)の一例である。斜面崩壊起源のシ ステムは,点源である海底谷を通じて混濁流で斜面上部 から海盆底に土砂が供給され海盆が埋積されていく海底 図−4 山陰沖隠岐トラフ南西部における代表的な地層探査 記録(池原ほか,1 9 9 0による) .音響的層相の特徴 などから,Facies3, 4は半遠洋成泥(一部はター ビダイト) ,Facies5は海底地滑り(スライド)堆 積物,Facies6はスランプ堆積物,Facies7, 8は 水中土石流堆積物と推定される.右上は斜面中部の 海底地すべり部分の拡大図 谷−海底扇状地−海盆底のシステム(canyon-fan-basin floor system)とは異なり,斜面がある幅を持って崩壊 作る凹凸に富んだ地形が,さらに斜面基部には崩落の際 してその斜面基部から海盆底を埋積していく,線状に堆 に海水を巻き込んで生じた水中土石流からの堆積物が, 積物供給源を持つ埋積システムである。山陰から北陸沖 そしてさらに斜面から離れた海盆底には水中土石流から 海域の海底堆積物は未固結のシルト質粘土からなり,斜 派生した混濁流からの堆積物が分布する。水中土石流堆 面崩壊は海底下に存在する基盤の高まりの沖側斜面に発 積物は比較的明瞭な末端部を有しており,場所によって 達する。基盤の高まりの陸側には泥質堆積物が厚く堆積 は複数の土石流のユニットの累重が確認できる。隠岐ト し,平坦面を形成している。図−4に隠岐トラフ南西部 ラフ南西部の海底から採取されたいくつかの海底堆積物 における代表的な地層探査記録の例を示す。ここでは, 柱状試料には明瞭な水中土石流堆積物が挟在している。 平坦面の成層した泥質堆積物が斜面上部において重力的 この堆積時期はおそらくは3万年程度より前,少なくと に滑り落ち,堆積層中の反射面とすべり面とで形作るブ も完新世以前である。このような斜面崩壊に由来する堆 ロック状の構造が認められる。その下位には明瞭な崩落 積物は隠岐トラフだけでなく,対馬海盆南部や西部,大 崖が存在し,斜面中部から下部には滑り落ちた堆積層が 和海盆南西部にも認められ,日本海南部の海盆の普遍的 1 1 4 J. of the Jpn. Landslide Soc., Vol.41, No.5 560 (2005) な埋積過程であるといえる。この一連の斜面崩壊堆積物 ブロックからなる海底が発達していることが確認された のうち,北陸金沢沖の崩壊地(図−5)では,潜水調査 (図−6) 。しかし,音響的な調査手法から把握される大 船による潜航調査が行われた。この斜面崩壊地は図−1 地形から,潜水船で観察できる微細地形まで,そして構 に示した模式的な海底地すべりによく似るが,崩壊場所 成する堆積物の状況までを把握したような研究例は現在 が斜面上部であるため,押し出された堆積物が流動化し, のところ知られていない。 斜面基部の海盆底に水中土石流堆積物として堆積してい 東海沖伊良湖水道南方の第2渥美海丘の北西側斜面に る点が異なっている。この潜航調査による海底観察の結 も明瞭な斜面崩壊地形が認められる(東海沖海底活断層 果から,音響的層相から推定されたのと同様,崩落地の 研究会編,1 9 9 9) 。第2渥美海丘はフィリピンプレート 上部の崩落崖の直下では数∼数十m規模の大きな堆積物 の沈み込みによって形成された外縁隆起帯の地形的高ま 図−5 福井沖海底地すべり内の音響的層相分布(左;山本,1 9 9 1による)と地すべり上部の地層探査記録 (右;池原・片山,1 9 9 2による) 図−6 福井沖海底地すべり地の海底写真.A,B;崩壊地前面の数∼数十m規模の凹凸部,C,D;数十∼数cm規模の崩壊物と それを薄く覆う泥 J. of the Jpn. Landslide Soc., Vol.41, No.5 561 (2005) 1 1 5 講 座 りのひとつであるが,この付近の地震探査記録には,海 震源パラメータなどからの津波シミュレーションでは説 底下にメタンハイドレート(ガス分子と水分子とからな 明のできない規模の津波を“未知の”海底地すべり・斜 る固体結晶のうち,メタンガスからなるもの。温度−圧 面崩壊に求めようとする傾向すらある。これに対してメ 力条件により海底下で安定に存在するが,温度−圧力条 タンハイドレートが海底近傍まで存在するような場所で 件の変化により液体(水)と気体(メタンガス)に変化 は,温度−圧力条件の変化によるハイドレートの分解は する。結晶構造のすべてのかご状格子(ケージ)中にガ ガス排出に伴う体積膨張によって海底斜面を崩壊させる ス分子が含まれるとハイドレートの体積の2 0 0倍ものガ 可能性がある。また一方で,海底斜面崩壊による海底下 スが含有されるとされる)の存在指標のひとつである擬 の圧力の急激な減少はハイドレートを分解させる方向に 似海底反射面(Bottom Simulating Reflector ; BSR;音 働く。地震などによる斜面崩壊は,多量のメタンガスを 波探査記録で海底下の堆積層の構造に斜交し,海底面か 海底から大気中へ放出させる原因の一つとして注目され らほぼ同じ深度(=同じ圧力)に認められる反射面。メ ている。メタンガスは二酸化炭素よりも強い温室効果ガ タンハイドレートの存在やオパールの温度−圧力条件の スであるので,急激かつ大量のメタンガスの大気中への 変化に伴う結晶構造の変化などを反映する)が認められ 放出は地球温暖化に大きく貢献した可能性がある。アメ るほか,海底からの高いメタンフラックスを反映して形 リカ西岸のサンタバーバラ海盆では,このようなメタン 成されたと考えられる炭酸塩岩やシロウリ貝などの化学 ガスの放出が数千年スケールの汎世界的な地球環境変動 合成生物群集も確認されており,メタンハイドレートが に同調して起きていたことが指摘されている(Kennett 海底下に存在する可能性が高い。温度上昇や圧力低下に et al ., 2 0 0 3) 。最後に,海底地すべりや斜面崩壊の研究 よる固体のメタンハイドレートの分解(液体化)と分解 もこのように,地球環境問題から地震・防災問題まで幅 によるフリーガスの生成は堆積物の間隙水圧を上昇させ 広い波及分野を持っていることを指摘しておきたい。 る(Ashi,1 9 9 9) 。第2渥美海丘北西部の斜面崩壊がこ のようなメタンハイドレートの分解によるものかは不明 参考文献 であるが,その可能性は否定できない。 Ashi, J.(1 99 9) :Large submarine landslides associated with decomposition of gas hydrate, Landslide News, No. 1 2,pp. 17 以上は,深海域の例であるが,日本海粟島の沿岸部な どの浅海域や琵琶湖西岸や洞爺湖,中海などの湖沼でも 水中地すべりが発生している。粟島では冬の低気圧の大 波による浅海底の流動が沿岸陸域までおよんだもとを考 えられている。また,琵琶湖西岸では安曇川三角州の前 面が地震時に崩壊したものと解釈されている。中海では 飯梨川からの急激な堆積物供給のため,三角州前面が円 弧すべりを起こして湖底を押し上げ,底置層の泥からな る小島(マッドランプ;密度の小さい三角州の底置層の 泥層が荷重によって変形・上昇して形成する泥の塊。ダ イアピルの一種)を形成した。 4.海底地すべり・斜面崩壊研究の重要性 以上のように海底地すべりや斜面崩壊は必ずしも珍し い現象ではない。しかし,その発生原因は多岐にわたる こと,調査方法が特殊で誰でも解析に十分なデータを取 得したり,データにアクセスすることが困難なこと,海 洋地質関係の研究者が少ないことなどから,その研究が 十分に行われているとは言いがたい。一方で,海底地す べりに関係した研究に対する期待は小さくない。例えば, 地震によって海底斜面の崩壊が起きるような場所では, 斜面崩壊起源の堆積物を認定し,その堆積年代を決定す ることにより,過去の地震の発生時期と発生間隔を知る ことができる可能性がある(池原,20 0 0) 。さらに最近 では,海底斜面崩壊による津波の発生も防災上の大きな 問題とされており(Bardet et al(eds.) . , 2 0 0 3) ,地震の 1 1 6 −20. Bardet, J.−P., Synolakis, C.E., Davies, H.L., Imamura, F. and Okal, E.A. (edited) (2 003) :Landslide Tsunamis : Recent findings and research directions, Pure and Applied Geophysics, Vol. 16 0,Nos. 1 0−1 1,pp. 179 3−2 221. Hampton, M.A., Lee, H.J. and Locat, J.(1 99 6) :Submarine landslide, Rev. Geophys., Vol. 3 4,No. 1,pp. 3 3−59. 池原 研(200 0) :地震性堆積物を用いた地震発生年代と発生間隔 の解析,地質調査所月報,Vol. 5 1,Nos. 2−3,pp. 8 9−102. 池原 研・片山 肇(199 2) :日本海南部,北陸ゲンタツ瀬北方沖 の海底斜面崩壊地の潜航調査,第8回しんかいシンポジウム 報告書,pp. 47−53. 池原 研・片山 肇・辻野 匠・荒井晃作・板木拓也・保柳康一 (2 00 4) :深海底タービダイトを用いた地震発生間隔推定にお ける堆積作用理解の重要性−北海道沖日本海東縁海洋海山周 辺の例,地質学論集,No. 5 8,pp. 11 1−1 22. 池原 研・佐藤幹夫・山本博文(199 0) :高分解能音波探査記録か らみた隠岐トラフの堆積作用,地質学雑誌,Vol. 9 6,No. 1, pp. 37−49. Kennett, J.P., Cannariato, K.G., Hendy, I.L. and Behl, R.J. (2003): Methane hydrates in Quaternary climate change, The clathrate gun hypothesis, AGU,2 16p. Nardin, T.R., Hein, F.J., Gorsline, D.S. and Edwards, B.D. (1979): A review of mass movement processes, sediment and acoustic characteristics, and contrasts in slope and base-of-slope systems versus canyon-fan-basin floor systems, In Geology of Continental Slopes(Doyle, L.J. and Pilkey, O.H., eds. ), SEPM Spec. Publ., No. 2 7,pp. 6 1−73. 東海沖海底活断層研究会編(199 9) :東海沖の海底活断層,東京大 学出版会, 15 1p. 山本博文(199 1) :福井沖大陸斜面の海底地すべり,地質調査所月 報,Vol. 4 3,pp. 22 1−2 3 2. (原稿受付2004年8月16日,原稿受理200 4年1 0月8日) J. of the Jpn. Landslide Soc., Vol.41, No.5 562 (2005) 講 座 Lecture すべりに伴う物質の移動と変形 第6回 Displacement and deformation of the sliding materials No.6 ミクロのすべりと摩擦 Microscopic sliding and friction 松川 宏/青山学院大学理工学部物理数理学科 Hiroshi MATSUKAWA/Fac. of Sci. and Eng., Aoyama Gakuin University キーワード:摩擦,潤滑,真実接触点,アモントン・クーロンの法則,ナノトライボロジー,地震 Key words:friction, lubrication, actual contact point, Amoton-Coulomb's law, nanotribology,earthquake 1.はじめに 2.グラファイト基盤とグラファイトフレーク間の摩擦 固体表面間のすべり摩擦はもっとも身近な物理現象の 近年の実験技術,計算機の進歩によって制御された環 一つであり,古代から多くの研究が成されてきた。そし 境下での様々な摩擦が調べられるようになった。そのよ て,次のクーロン−アモントンの法則という高校の物理 うな研究の例として乱れの無い,あるいはその効果が弱 の教科書にも登場する経験則が広い範囲で成り立つこと い,清浄表面間の摩擦がある。これは,ある意味,もっ 1∼3) があきらかになっている 触面積によらない, 。 )摩擦力は見かけの接 )摩擦力は荷重に比例する,) とも単純な系の摩擦である。その対象として,典型的な 層状物質であり実験が比較的容易で,理論的数値的にも 動摩擦力は静摩擦力より小さく速度に依存しない。これ 扱いやすいグラファイトが用いられることが多い。グラ についてはよく知られるように,真実接触面積は見かけ ファイトはもっともよく使われる固体潤滑剤の一つでも 上の接触面積に比べ極めて小さく,そのため真実接触点 ある。固体潤滑剤としてのグラファイトはフレーク状に での圧力は降伏応力という一定値に達しているため真実 なっていると考えられる。そして,そのようなフレーク 接触面積は荷重に比例する,真実接触点では分子間力に の表面は,まずは原子的なスケールで清浄だとみなせよ よる凝着がおこりこれを切るために必要な力が摩擦力で う。清浄グラファイト間の摩擦の研究はそのような固体 ある,といういわゆる凝着説に基づく説明があるわけで 潤滑剤としてのグラファイトの基礎を明らかにするもの あるが,実は未だに諸説あり議論が続いている。この理 としても興味深い。また,グラファイトの摩擦力顕微鏡 由としては,よく言われることであるが,摩擦は物質, 実験においては,図−1 形状,表面状態,潤滑剤の有無等により,実に多様な様 イトの表面結晶構造を反映した明確な原子スケールの周 相を示す複雑な現象である事が考えられる。しかし摩擦 期的なスティックスリップ運動が観測されているが,そ 力顕微鏡など近年の様々な実験手法および計算機の発達 れにもかかわらずアモントン−クーロンの法則と同じく によって,これまで調べられなかったミクロスケールの 摩擦力は荷重に比例する19)。また,この場合の摩擦力の 摩擦など制御された環境下での摩擦の振る舞いが研究さ “地図”も図−1 のMoS と同様に,グラファ 2 と同様に得られており,そのパター れている。摩擦力顕微鏡とは十分鋭い探針の先端で試料 ン自体20)は摩擦力顕微鏡の探針を単原子としたモデルに 表面を走査し,探針の位置における探針−試料間の摩擦 基づく計算機シミュレーションで良く再現されるが,そ 力を測定するもので,原子スケールの解像度が得られて のときのシミュレーションでの荷重の大きさは実験での いる。図−1に測定例を示す。そしてこれらのミクロス それの1/1 0 0程度である21)。これらのことから,グラファ ケールの摩擦研究の成果は,マクロ系の研究にも活かさ イトの摩擦力顕微鏡実験においては,基盤のグラファイ れようとしている。 トから剥離したフレークが探針の先に張り付き,実はグ ここでは,ミクロスケールの研究の例として,乱れの ラファイトフレークとグラファイト基盤間の摩擦を測定 ない清浄なグラファイト基盤とグラファイトフレーク間 しているのではないかとの指摘がある。清浄グラファイ 3, 5) 6∼9) の摩擦を紹介する 。もう一つの話題は超潤滑 と, ト間の摩擦の研究はそのような摩擦力顕微鏡実験の解釈 それと関連する新しいマクロ摩擦発生の機構10)について についても新しい光を当てることができよう。さらに最 である。摩擦が起こっている滑り面をその場で観察でき 近では意図的にグラファイトフレークを探針とグラファ れば,それは摩擦の研究に大きな進歩をもたらすだろう。 イト基盤間に介在させた摩擦力顕微鏡実験も行われてい 1 1∼1 3) そのような試み を概観したあと,真実接触点の振る 1 4∼1 8) 舞いとそれに関連する摩擦の待機時間,速度依存性 る22)。 松下らはこれらの理由から,清浄グラファイト基盤と グラファイトフレーク間の摩擦の計算機実験を行った3,5)。 について紹介する。 フレークは1 0 0原子程度であり摩擦力顕微鏡の探針で駆 J. of the Jpn. Landslide Soc., Vol.41, No.6 661 (2005) 9 3 講 座 図−2 グラファイト基盤上のグラファイトフレークの配置 の例。破線は基盤の格子を,実線はフレークの格子 を表す 図−3 グラファイト基盤上のグラファイトフレークの摩擦 力。横軸は探針の座標 図−1 (0 0 0 1) 摩擦力顕微鏡を使って得られたMoS2の 表面とSi3N4でできた探針先端間の摩擦力。横軸は探 針の位置。 の下に示したX方向に走査している。 点線は逆方向に走査したときの摩擦力。周期的なの こぎり型の形がみえる。のこぎりの歯を上っていく 間は探針先端は試料表面のある位置にスティックし ており,そのため摩擦力は探針位置とともに増加す る。そして, “最大静摩擦力”に達したところでス リップし,摩擦力は急激に減少する。スティックス 0 0 1)表面の滑り方向の リップの周期はMoS2の(0 格子定数に一致する の走査をゆっくりy軸方向にずらして行い, 得られた摩擦力の“地図” 。摩擦力の大きさを明暗 で示す(文献4)より転載) 図−4 グラファイト基盤上のグラファイトフレークの静 (Fs )および動(Fk )摩擦力の荷重依存性。xおよび y方向に駆動した場合 プ運動における最大の摩擦力,動摩擦力は時間平均の摩 動されている。グラファイト基盤とフレークの配置の例 擦力として定義している。図に示されるように,摩擦力 を図−2に示す。図−3にはx方向に探針を走査した場 は荷重に線形に依存している。しかし,荷重0でも摩擦 合の得られた摩擦力を探針の位置の関数として示す。摩 力は0にならず,有限の凝着項が存在し,摩擦力=凝着 擦力顕微鏡実験で観測されるのと同様のグラファイトの 項+摩擦係数×荷重,という式で表される。これはクー 表面結晶構造を反映した周期的な原子スケールのス ロンの破壊基準と同じ形である。このような有限の凝着 ティックスリップ運動がみられる。最もスティック時間 項はマクロ系の摩擦でも現れることがあるが,今のよう の長い配置では,フレークは基盤と図−2に示したバル なミクロ系の摩擦では荷重自体が小さいため顕著になる クグラファイトのA B積層構造を再現している。図−4 ことが多い。しかし,今の場合はそれほど大きくはない。 にxおよびy方向に走査した場合の静および動摩擦力の 今,フレークは基盤と全面接触しており,真実接触面積 荷重依存性を示す。ここで,静摩擦力はスティクスリッ は荷重によらない。それにもかかわらず摩擦力が荷重に 9 4 J. of the Jpn. Landslide Soc., Vol.41, No.6 662 (2005) 線形に依存する理由は,系が低荷重領域にあるためと考 れるのである。その結果,フレーク全体が感じる基盤ポ えられる。摩擦力(F )の荷重(L)依存性は一般には テンシャルエネルギーは変化しなくなる。ポテンシャル できるであろう。ここでaは凝着項でありは摩擦係数, bは適当な定数である。低荷重では以降の項は十分小 エネルギー一定で動くのなら力は受けない。これはフ さく無視でき摩擦力の荷重依存性は線形になるのである。 かし,それは小さい。こうしてグラファイト間の摩擦係 そしてその摩擦係数はy方向に走査した場合,0. 0 0 5 5で 数は極めて低い値となるのである。これが,グラファイ ありx方向に走査した場合は0. 0 1 3である。これはMate トがよい固体潤滑剤となる微視的機構と考えられる。 …とLのべき関数によって表すことが レーク,基盤,カンチレバーの変形などを無視した話で, 実際にはそれらの効果により有限の摩擦力が生じる。し らがグラファイトの摩擦力顕微鏡実験によって得た摩擦 係数0. 0 1 2と極めて近い値である19)。彼らはフレークが 3.超潤滑とマクロな摩擦の機構 介在している可能性を指摘しているが,このシミュレー さて,前節で述べた清浄グラファイト表面間の摩擦で ションは実験で得られた低い摩擦係数を定量的に再現し は,フレークと基盤のグラファイトが,最もエネルギー ており,その主張を裏付けるものとなっている。 の低い状態であるバルクのAB積層構造を再現する状態 さてこれまで,グラファイトのよい潤滑特性(低い摩 から出発した。この状態は極めて安定であり,フレーク 擦係数)はグラファイトの層状構造と,弱い面間相互作 の回転に対して大きなエネルギー障壁が存在する。その 用によると考えられてきた。これは本当であろうか? ため,駆動中にもフレークは回転することなく,結晶軸 もしそうなら,フレークではなく炭素単原子を,1原子 に沿って駆動した場合,周期的に元と同じ配置にもどる。 当たりの荷重をフレークの場合と同じにしてグラファイ しかし,一般には清浄表面間の運動でも,周期的に元と ト基盤上を滑らしても,1原子当たりの摩擦力でみた場 同じ配置に戻るとは限らない。というより,戻らない場 合,フレークの場合と同じ程度の小さなものとなるはず 合のほうが圧倒的に多い。2つの清浄表面1,2の相対 はフレークと基盤間の距離と同程度であり,炭素単原子 運動を考え,その滑り方向の両者の格子定数,の比 に注目する。これが有理数で (n,mは互いに が基盤から受ける力はフレーク中の単原子が基盤から受 素な整数)と表すことができれば,1または2の結晶全 ける力と同程度になるはずだからである。しかし,そう 体を長さ はならない。単原子を滑らせた場合,摩擦係数はフレー いの関係はずらす前と同じである。したがって, 1の結 である。なぜなら,このとき単炭素原子と基盤間の距離 だけずらせば,1と2の表面のお互 グラファイトの低い摩擦係数は弱い面間相互作用による ご が無 とに周期的に元と同じ配置に戻る。しかし, ものではないのである。では何が原因なのだろうか? 理数ならどれだけずらしても最初と同じ状態に戻ること それは結晶構造なのである。図−2からわかるように, はない。このようなとき,2つの結晶格子はインコメン フレーク内の炭素原子位置にはA,Bの2種類がある。 シュレートであるという。そして,違う結晶の表面間で 図−5にフレークがx方向に駆動されて動くときの,フ はもちろんのこと,同じ結晶でもその表面の面が違えば, レークが感じる単原子当たりの基盤ポテンシャルエネル またさらにそれも同じでも結晶軸をずらしてやれば,一 ギー,およびA,Bの位置の炭素原子が感じるポテンシャ 般に滑り方向の2つの表面の格子定数の比は無理数とな ルエネルギーを示す。フレークが基盤上を動くとき,こ る。このとき,並進の移動によって最初と同じ状態に戻 の2種類の位置にある炭素原子の基盤からのポテンシャ ることはない。全体としては元に戻ることはないのであ ルエネルギーは振動するが,その振動の位相が1 8 0度ず るが,しかし部分部分をみていると,移動前のある領域 クの場合の1 0倍程度の大きさになってしまう。つまり, 晶をだんだんとずらしていくと,移動距離 の原子配置と限りなく同じに近い原子配置が移動後はど こか別の領域で必ず生じている。まず各原子に注目する。 図−6 はインコメンシュレートな2つの表面の配置の 模式図である。簡単のため結晶は1次元系とし,2つの 結晶の一方の表面は十分固いとして変形を無視し,完全 に周期的に並んでいるとする。するとこの結晶表面と他 方の結晶中の原子の相互作用エネルギーは図のような周 期ポテンシャルで表すことができる。他方の結晶はバネ でつながった原子列で表す。バネは結晶内の原子間相互 作用を表す。実線の○が並進移動前の原子配列,破線の 図−5 フレークが初期状態からx方向に駆動されて動くと きの,フレークが感じる単原子当たりの基盤ポテン シャルエネルギーVsub /Nf ,およびA,Bの位置の炭 素原子が感じるポテンシャルエネルギー,V Asub ,V Bsub を示す J. of the Jpn. Landslide Soc., Vol.41, No.6 663 (2005) ○が移動後の原子配列である。移動後の原子1の周期ポ テンシャル上の位置は移動前の原子6とほとんど同じ, 移動後の8の位置は移動前の2とほとんど同じというよ うに,移動前の各原子と限りなく同じ配置を,移動後の 9 5 講 座 基盤と先の平らなWの針の間の摩擦を超高真空中で測定 し,摩擦力が消えることを実験精度の範囲内で確認して いる8)。しかし二つの表面の原子配列がインコメンシュ レートなら常に静摩擦力が消えるとはいえない。2つの 表面の原子間相互作用が強くなれば,図−6 に示した ように,それを得するようにある種の表面再構成が起 図−6 こってしまう。一方の表面を構成する原子は他方の表面 インコメンシュレートな二つの清浄表面の模式 図。一方の結晶表面はそれが作る周期ポテンシャル で,他方の結晶はバネでつながった原子列で表して いる。並進移動前の原子配列が実線の○,移動後の それが破線の○である。移動によって全エネルギー は変わらず一定となる。従って静摩擦力は働かない 二つの表面の原子間相互作用が強く一種の表面 再構成を起こした状態。上の原子はポテンシャルの 谷に落ち込んでしまっているため,上の原子列をず らそうとすると全体のポテンシャルエネルギーが上 がってしまう。そのため有限の静摩擦力が働く 原子が作るポテンシャルの谷底に落ちてしまうのである。 そこでは,一方の物質を動かそうとする場合,必ず,ポ テンシャルの山を登らねばならず,つまり得していた原 子間相互作用を切らねばならず,有限の静摩擦力が生じ る。二つの表面の原子間相互作用を徐々に強くしていっ た場合,それがある臨界値に達したところで,静摩擦力 が0の状態から有限の状態へ一種の相転移をすることが 理論的数値的にわかっている2,3,6,23)。2つの表面の原子 間相互作用の強さは荷重とともに変わるから,この2つ の状態間は荷重を制御することにより移り変われる。た 別の原子がしめる。よって移動によって周期ポテンシャ だし,この相転移は未だ実験では確認されていない。 ルエネルギーを得する原子もあれば損する原子もあり, さて,ここで話しをマクロな系の摩擦に移す。摩擦の エネルギーの増減が打ち消しあい,系全体の表面間の原 凝着説では,真実接触点での分子間力による凝着が摩擦 子間ポテンシャルエネルギーは変わらない。ではバネで の原因と考えている。しかし,これに対して,最近,懐 表される同じ結晶内の原子間相互作用エネルギーはどう 疑が高まり,そしてその凝着を仮定しない全く新しい であろうか? で移動後の1,2,3 クーロン−アモントンの法則の説明まで現れた10)。そし の原子列の配置は移動前の6, 7, 8の原子列とほとんど のため,各真実接触点表面は原子的なレベルで平らであ 同じである。同様に移動前の1∼9の原子列配置に限り り,乱れは無いとしよう。接する2つの真実接触点表面 なく近い配置が移動後の別の領域で起こっている。この が同じ物質でできており,結晶方位もそろっていれば問 ように原子列でみても移動前と限りなく近い配置が移動 題は無い。しかし,一般にはそうはならず,2つの表面 後のどこかで起こっている。よって同じ結晶内の原子間 の原子配置はインコメンシュレートとなる。問題はその 相互作用も変わらない。周期的ポテンシャルで表される ときの二つの表面の原子間相互作用の強さである。そし 表面間の原子間相互作用と,同じ結晶内の原子間相互作 て幾つかの計算では,現実的なパラメーター領域では, 用が移動の前後で変わらないのだから,全エネルギーは 2つの表面の構造は再構成を起こさずインコメンシュ 変わらない。これは運動した距離によらない。全エネル レート構造のままであると主張されている6,10)。つまり, ギーが並進移動によって変わらないのだから,並進運動 静摩擦力は消えてしまうのである。では乱れがあるとど しても力を受けず,摩擦力は消えてしまう。これが平野 うなるのか? これをみるためには原子列に注目する必 要がある。原子列でみても, 図−6 6) てその懐疑は超潤滑に関連しているのである。まず簡単 この場合も運動に伴って2つの表面の原 らによって提案された“超潤滑”の機構である 。ここ 子間相互作用を得する原子もあれば損する原子もあるこ で重要な有理数か無理数かというのはもちろん数学的概 とに変わりはない。しかし,この場合は少しでも乱れが 念で,厳密には無限に大きな表面間でのみ意味がある。 あれば必ず有限の静摩擦力を生じることが理論的数値的 しかし,実際には2つの格子定数の比が有理数でも簡単 にわかっている24)。ただし,その大きさは揺らぎのオー なものでなければ無理数の場合とほとんど同じ振る舞い ダー,つまり相互作用する原子対の総数の平方根のオー をし,有限な大きさの表面間でもある程度大きければ無 ダーにしかならず,真実接触面積に比例した凝着力を与 限系と変わらない。ここで議論している摩擦力とは静摩 えることはできないという主張がなされている10)。では, 擦力であり,動きがある限りエネルギーの散逸は存在し, 何故この世界では,荷重に比例したマクロな摩擦力が現 動摩擦力は働く。しかし,その大きさは速度の低下とと れるのだろうか? 2 3) M. H. Musser,M. Robbinsらのグ もに十分,小さくなる 。平野らは2枚の雲母間の摩擦 ループは2つの真実接触点の間の動ける介在分子が重要 を測定し高真空環境下で結晶軸をそろえたコメンシュ な役割を果たしていると主張している10)。通常の摩擦実 レートな場合には大きな摩擦力が現れるものの,結晶軸 験では,大気中の炭化水素,超高真空中でも不純物や摩 をずらしインコメンシュレートにした場合,極めて摩擦 耗によって生じた分子クラスターがその介在分子となっ 7) 力が小さくなることを示した 。同様の結論は,最近, ていると考えられる。これらの介在分子は動けることが Niの(1 0 0)面間でも得られている9)。さらに平野らはSi 重要であり,そのため全ての介在分子はエネルギーを得 9 6 J. of the Jpn. Landslide Soc., Vol.41, No.6 664 (2005) する配置をとり,2つの真実接触点間にはこの介在分子 分子層以下で潤滑剤が層状構造を作り,さらに薄くなる を介した相互作用の利得が生じる。2つの表面間に滑り と狭い領域に閉じこめられていることによりバルクのガ を生じさせるためには,この介在分子をよりエネルギー ラス転移温度や融点より高温でも,ガラス化,固化を起 の高い状態に移さねばならず,摩擦力が生じる。この摩 こし最大静摩擦力が現れスティックし,ここに応力が加 擦力は荷重に比例することがモデル計算で示されている。 わると解けてスリップを起こすためである,と考えられ 以上はM. H. Musser,M. Robbinsらの主張である。 ている。最近このような数分子層の潤滑剤を閉じ込めた 平野らの雲母間の摩擦実験ではインコメンシュレートな 系で,潤滑剤の構造を放射光X線を用いて直接測定する 7) 条件でも大気圧で常温環境下では,摩擦力は大きくなる 。 という実験が行われた12)。そして,上記のような層状構 これは超高真空,高温環境下では雲母表面の介在分子が 造を観測した。この実験では実際に応力を加えて滑らせ 飛んでしまい,インコメンシュレートな清浄表面の条件 てはいない。一方,イスラエルアチビリらは表面力測定 が実現されていたのが,大気圧,常温環境下では介在分 装置と通常のX線散乱実験装置を組み合わせ,液晶を雲 子が存在するのだと考えれば,M. H. Musser,M. Rob- 母間にはさみ,応力を掛け滑らせることにより液晶の構 binsらの主張と矛盾しない。雲母と同様の振る舞いは最 造が変化することを観測した13)。彼らはそこで用いた装 近,Ni (1 0 0)面間の実験でも見つかっている9)。しかし, 置をX線表面力測定装置と呼んでいるが,ここではX線 彼らの議論には幾つかの問題点があり,未だに論争が続 の散乱強度を稼ぐため,液晶の層厚は8 0 0 いている。また最後に紹介する,これまで真実接触点と しており,この装置の適用はそのような厚さでも現れる の関連で議論されてきた摩擦力の待機時間依存性,速度 現象に限られるようである。これらの実験はどれも,滑 依存性をどのように説明するのかも現時点では不明であ り面間の潤滑剤の振る舞いを直接,観測することを目指 る。しかし,我々の日常生活に常に現れる摩擦の生じる すもので,興味深い。今後の発展が期待される。 程度と厚く 機構にも未だに確立した説明は無いということはいえる 5.真実接触点とマクロ系の摩擦 であろう。 前節ではミクロ系の滑り面間の直接観測の試みについ 4.滑り面,滑り面間を見る て紹介したが,マクロな系の乾燥摩擦でも,滑り面の振 摩擦の基礎的機構はまだまだ解明されていない。これ る舞いを直接見ようと言う努力がなされてきた。摩擦を についてはいろいろ理由があろうが,実験の立場から見 生じる個々の真実接触点を見る試みは,過去に,河野ら14), た場合,摩擦を起こしている正にその現場を見ることが ダイエトリッヒら15)によって行われ,真実接触面積の待 できない,ということが大きなネックの一つになってい 機時間依存性などが明かにされ,後述する静摩擦力の待 ると考えられる。通常の表面科学の問題であれば,表面 機時間依存性,動摩擦力の速度依存性の機構との関連が は真空中なり,ある雰囲気中に露出しており,様々な実 議論されてきた。しかし,そのような研究は多くはない。 験手段を用いて,その構造を調べることが可能である。 最近,このようなマクロ系の摩擦での真実接触点の振る しかし乾燥摩擦の場合,固体表面はもう一つの固体表面 舞いについて興味深い報告がバウムバーガーらによって と接しており,その正に接しているところで摩擦は起き 行われた16)。彼らはガラス上でゲルを滑らせ,その滑り ている。そして,接しているが故に,その場所の構造を 面をガラス側から光学的に同時観測するとともに,ゲル 見ることが困難である。2つの固体表面間に潤滑剤が存 に横方向から光を当て,光弾性効果を用いて,ゲル内の 在する場合,その潤滑剤の構造,振る舞いが大きな問題 応力分布までを可視化して示した。この系では,駆動速 となるが,これも直接,観測することはこれまで困難で 度が遅い場合,系全体としてスティックスリップ運動を あった。しかし最近,これらの問題にも発展が起こりつ 示す。彼らはこのスリップが滑り面全体で一様に起こる つある。イスラエルアチビリらによって開発された表面 のではなく,試料の一部の真実接触点(ゲルの場合,通 力測定装置による極めて薄い潤滑剤の実験はよく知られ 常の真実接触点とはちょっと違うが)が滑り,これがス 1 1) ている 。この装置では,2枚の半円筒上の雲母を軸を リップパルスとなって伝わることにより,系全体がス 直交させ凸面同士を近づける。雲母間には様々な“潤滑 リップする,スリップした領域はその後,近傍の応力が 剤”を配置し,この雲母を互いに滑らせることにより, 緩和し再びガラスと接触するという現象を発見している。 摩擦実験を行う。2枚の雲母間の間隔は光学的な干渉効 これは,通常の固体での塑性変形が転位線の伝搬によっ 果を利用することにより精密に測定することができる。 て起こるのと極めて似ている。この現象がゲルに特有の この装置を用いた実験により,潤滑剤が十分子層以下に ものなのか,より広い範囲で現れるものなのか,興味は なると層の厚さが“量子化”される,つまりある一定値 尽きない。 の整数倍の値だけをとるようになること,さらに薄くな さて,紙や金属,岩石やゲルなど多くの系で,静摩擦 ると低速度で駆動されたとき系はスティックスリップ運 力が荷重を加えてから駆動力を加えて摩擦力を測定する 動を示すこと,等の現象が報告されている11)。そしてこ までの時間(以降,待機時間と呼ぶ)に依存することや, れらの現象は,対応する計算機実験の結果を用いて,1 0 動摩擦力が速度に依存することが明らかにされている。 J. of the Jpn. Landslide Soc., Vol.41, No.6 665 (2005) 9 7 講 座 (速度) そして,その待機時間依存性や速度依存性が対数関数で 擦力は増大するのである。このとき摩擦力は 表される場合が多い17,18)。まず,紙の場合についてみて (待機時間)に に比例することが理論的にわかっている17)。そして,こ みよう17)。このとき,最大静摩擦力は の効果と先に述べた真実接触面積の変化の効果のどちら 比例する。一方,動摩擦力の速度依存性も低速度(0. 1 が支配的かによって,速度とともに動摩擦力は増大する mm/sec程度以下)の場合は, か,減少するかが決まり,岩石の場合は,それが温度, そして両者の振る舞いは完全にスケールされてしまうの 圧力により変わるのである。 (速度)に比例する。 である。つまり速度の関数としての動摩擦力を動摩擦力 (速度) ,待機時間の関数としての最大静摩擦力を最大静 この小論が最近の摩擦の基礎的研究にも興味を持って 頂くきっかけになれば幸いである。 摩擦力(待機時間)と表すと,最大静摩擦力(待機時間) =動摩擦力(速度=ある長さ/待機時間)という関係が成 参考文献 り立つのである。これは,動摩擦力の速度依存性と静摩 1)B. N. J. Persson(20 00):“Sliding Friction−Physical Principles and Applications−, 2nd Editon” (Springer). 2)松川宏(2 0 0 3) :日本表面科学会誌,Vol. 2 4.p. 32 8. 3)松川宏(2 0 04) :トライボロジスト,Vol. 4 9,No. 1,p. 9. 4)S. Fujisawa, E. Kishi, Y. Sugawara and S. Morita(1 9 94): Jpn. J. Appl. Phys., Vol. 3 3,p. 3 75 2. 5)松下勝義(2 0 03) :大阪大学大学院理学研究科博士論文;K. Matsushita, H. Matsukawa and N. Sasaki(2 00 3) :cond-mat/ 0 30 74 7 4. 6)M. Hirano and K. Shinjo(19 90) :Phys. Rev. B, Vol. 47 p. 1 18 3 7;平野元久:日本表面科学会誌,Vol. 24,p. 334. 7)M.Hirano, K.Shinjo, R.Kaneko and Y.Murata(1 9 92): Phys. Rev. Lett., Vol. 67,2 6 42. 8)M.Hirano, K.Shinjo, R.Kaneko and Y.Murata(1 9 97): Phys. Rev. Lett., Vol. 78,1 4 48. 9)J. S. Ko and A. J. Gellman(20 00): Langmuir, Vol. 16,8343. 10)G. He, M. H. Musser and M. O. Robbins(1999) :Science, Vol. 28 4,p. 5 0;M. H. Musser , L. Wenning and M. O. Robbins(200 1) :Phys. Rev. Lett., Vol. 86,p. 129 5. 1 1)J. N. Israelachvili(199 2) :Surf. Sci. Rpt. Vol. 1 4,p. 109;H. Yoshizawa, J. N. Israelachvili(1 99 3):J. Phys. Chem., Vol. 97, p. 1 1 30 0. 1 2)O. H. Seeck, H. Kim, D. R. Lee, D. H. Shu, I. D. Kaendler, J. K. Basu and S. K. Sinha(2 00 2) :Europhys. Lett., Vol. 6 0,p. 376. 1 3)Y. Golan, A. Martin-Herranz, Y. Li, C. R. Safinya and J. Israelachivili(20 0 1) :Phys. Rev. Lett., Vol. 8 6,p. 1 263. 14)河野彰夫(1 98 8) :日本物理学会誌,Vol. 4 3,p. 579. 1 5)J. H. Dieterich and B. D. Kilgore(1 99 4) :Pure and Applied Geophysics, Vol. 14 3,p. 2 83. 1 6)T. Baumberger, C. Caroli and O. Ronsin(200 2) :Phys. Rev. Lett., Vol. 8 8,p. 07 55 0 9. 1 7)F. Heslot, T. Baumberger, B. Perrin, B. Caroli and C. Caroli (19 94):Phys. Rev. E, Vol. 4 9,p. 497 3;T. Baumberger (1 9 9 7) ;Solid State Commun., Vol. 1 0 2,p. 17 5. 1 8)C. C. Scholz(1 99 0) :“The Mechanics of Earthquakeand Faulting”, (Cambridge Univ Press 199 0) (邦訳“地震と断層 の力学” (古今書院1 9 93) ) . 19)C. M. Mate, G. M. McClelland, R. Enlandsson and S. Chiang (1 98 7) :Phys. Rev. Lett., Vol. 59,p. 1 94 2. 2 0)S. Fujisawa, K. Yokoyama, Y. Sugawara and S.Morita (1 9 9 8) :Phys. Rev. B, Vol. 5 8,p. 4 90 9. 2 1)N. Sasaki, M. Tsukada, S. Fujisawa, Y. Sugawara, S. Morita and K. Kobayashi(19 97, 1 9 98) :J. Vac. Sci. Technol. B, Vol. 1 5,p. 14 7 9,Phys. Rev. B Vol. 57,p. 3 7 85. 2 2)K. Miura and S. Kamiya(200 2) :Europhys. Lett., Vol. 58, p. 61 0. 2 3)H. Matsukawa and H. Fukuyama(1 9 9 4):Phys.Rev. B, Vol . 4 9, p . 1 7 28 6; T . Kawaguchi and H . Matsukawa (1 9 97, 19 98) :Phys. Rev. B Vol. 5 6,p. 1 3 93 2,Vol. 5 8,p. 15866. 2 4)T. Kawaguchi and H. Matsukawa(199 7, 2 00 0, 2 00 0):Phys. Rev. B, Vol. 56,p. 4 26 1,Vol. 6 1,p.R16 36 6,Tribology Letters Vol.9,p. 1 05. (原稿受付2 0 05年1月1 3日,原稿受理2 00 5年2月26日) 擦力の待機時間依存性を決める機構は同一であることを 示している。ではその機構とは何か? 上記のようにこ れまで数は多くないものの,摩擦面の真実接触点を直接 観察した実験が幾つか行われている。それらの研究では 透明な基盤ともう一方の試料の間の摩擦面を,透明基盤 側から光をあて,摩擦面での反射光14),もう一方の試料 が透明な場合には透過光15)を用いて観測し,真実接触面 積が評価されている。その結果,静止時の真実接触面積 は待機時間の対数に比例することがわかっている。これ が最大静摩擦力の待機時間依存性の原因であると考えら れる。一方,運動状態での真実接触面積の測定は無いも のの,各真実接触点は速度に反比例した平均寿命を持ち, 運動に伴い,真実接触点の組み替えが起こり,寿命がリ セットされると考えられる。そうすれば,運動時の真実 接触点の“待機時間”は速度に反比例することになり, 実験で観測されている最大静摩擦力と動摩擦力の関係は 説明できる17)。岩石間の摩擦の場合には,最大静摩擦力 の待機時間依存性は紙の場合と同じであるが,動摩擦力 の速度依存性は,紙の場合と同じように速度とともに対 数関数的に減少する場合もあれば,逆に増加する場合も ある。両者の振る舞いは圧力,温度などにより変わる。 速度とともに動摩擦力が減少する場合は系は動的に不安 定になり,スティックスリップ運動を起こすことになる。 断層のスティックスリップ運動は地震に他ならない。地 震の起こる深さには通常,ある限界値があり,それより 浅い場所でしか震源となり得ないが,それはこの岩石の 摩擦の速度依存性が圧力,温度によって変化することに より説明されている18)。では,この速度とともに対数関 数的に増大する振る舞いの原因はなんであろうか? そ れは熱揺らぎであると考えられている。最大静摩擦力よ りも小さい駆動力下でも,系は熱揺らぎによりわずかず つ動いている(クリープ運動) 。この熱揺らぎの効果に より低速で駆動した場合,摩擦力は小さくてすむ。一つ 一つの真実接触点をみた場合,運動による真実接触点の 変形により生じる復元力がその真実接触点の降伏応力に 達する前に,熱揺らぎで結合が切れることが可能になる のである。しかし,そのためには熱揺らぎで結合が切れ るまで十分長い時間待たねばならない。そのため高速で 駆動したときは,熱揺らぎの効果はほとんど効かず,摩 9 8 J. of the Jpn. Landslide Soc., Vol.41, No.6 666 (2005) 講 座 Lecture すべりに伴う物質の移動と変形 第7回 Displacement and deformation of the sliding materials No.7 大規模地すべり Gigantic landslides 千木良雅弘/京都大学防災研究所 地盤災害研究部門 Masahiro CHIGIRA/Geohazards division, Disaster Prevention Research Institute, Kyoto University キーワード:地すべり,岩石なだれ,地質構造 Key words:Landslide, rockslide-avalanche, geologic structure 1.はじめに が行われてきた。Voight(1 9 7 8)は,欧米で発生した大 地すべりには,小規模なものから一山全体が崩れてし 規模な地すべりの事例をまとめた。その後,Eisbacherと まうような非常に大規模で破壊的なものまであり,また, Clague(1 9 8 4)が科学的記録のあまりないカナダの地す 発生のメカニズムにも多様なものがある。そのため,広 べりの参考にするために,ヨーロッパアルプスの1 3 7の 域的な安定性評価を行う場合には,規模とメカニズムに 事例をまとめた。しかしながら,ここで事例として集め 応じて行う必要がある。小規模なものは,道路法面や宅 られているのは,地形図と写真のみで,地質図や地質断 地に隣接する斜面のような特定場所のものを除くと,あ 面図はほとんど示されていない。その後,EvansとDeGraff る程度広域的に評価する必要がある。また,大規模なも (2 0 0 2)が1 9 7 8年以降の研究事例を特集した。火山体の のは,いったん発生すれば,それから避難することはほ 崩壊については,Siebert(20 0 2)がとりまとめている。 とんど不可能であることから,発生場所をあらかじめ特 わが国では,町田他(1 9 8 7)が大規模な崩壊の総括を 定して予測しておくことが不可欠である。さらに,大規 行った。町田他(1 9 8 7) は,わが国すべてにわたって,2. 5 模な地すべりは岩屑なだれを伴うことが多く,その場合 万分の1地形図を用いて水平面積1km2以上の巨大崩壊 には被災範囲はkmから1 0kmオーダーとなることもある。 のリストを作成した。それによれば,合計3 3 3の巨大崩 大規模な地すべりの災害を軽減するには,その発生場所 壊が認められた。北海道に1 3 2箇所,東北地方に1 2 6,関 を予測すること,発生した場合の土砂の移動範囲と災害 東・中部に4 7,中国・四国に9,九州に1 9箇所である。 を予測すること,そして,これらに基づいて対策を講じ ただし,彼らは歴史時代に発生したもの以外,体積の見 ておくことが本質的に重要である。幸い,大規模な地す 積もりを行っていない。これは,見積もり自体がかなり べりは,固有の地質と地形条件に起因して発生すること 困難なことによるのであろう。これらの内地質的に最も が多く,また,前兆的な地形を示す場合が多いことから, 多いのは,第四紀後期の安山岩(3 0%) ,次に鮮新世・ これらを鍵として,個々の発生場所を予測することがあ 更新世前期の火山岩2 3%,次に中新世前・中期火山岩地 る程度可能である。このように大規模な地すべりは発生 域(1 2%) ,同後期の火山岩地域(9%)である。そし 頻度が小さいことから,それらを理解するには過去の事 て,次に先新第三紀の堆積岩(8%)である。このよう 例を十分に吟味しておく必要がある。 に圧倒的に火山岩地域で多い。しかしながら,火山岩地 本講座では,従来知られている大規模な地すべり,中 域にある多くは火山活動に起因して発生したものと考え でも最大規模の地すべりについて概観し,特にそれらの られるが,歴史時代に発生したもの以外,火山活動との 発生場について整理する。これらは体積が0. 1km3程度 関係を厳密に明らかにすることは難しい。町田他(1 9 8 7) 以上ある巨大なものである。海底にはさらに大規模な地 は,狭義の地すべりは抽出しなかったようであるが,地 すべりがあるが,ここでは対象を陸上のものに限る。ま すべりと崩壊の中間的なもの−つまり,崩壊源にかなり た,ここで対象とする現象は,狭義の地すべりとともに の崩土が残存すると同時に数キロメートル先まで崩土が 巨大な崩壊も含むものである。陸上で発生する崩壊では 分布するといったもの−も多かったと記している。 火山体に発生するものが特に巨大であるが,そのメカニ ズムや挙動の理解のためには火山活動そのものの理解が 不可欠であることから,これらについては概観するにと 3.大規模地すべりの事例 3. 1 大規模地すべりの概観 表−1に大規模地すべりを規模順に整理した。ここに どめる。 示すように,大規模地すべりには,火山活動に起因する 2.従来のとりまとめ研究 ものと,それ以外とがあり,一般に火山活動に起因する 大規模な地すべりについては,いくつかのとりまとめ J. of the Jpn. Landslide Soc., Vol.42, No.1 89 (2005) 火山体の崩壊が圧倒的に大規模である。表−1内の順番 8 9 表−1 講 座 9 0 J. of the Jpn. Landslide Soc., Vol.42, No.1 90 (2005) 表−1 (続き) 図−2 岩屑なだれの流動性(Siebert,2 0 0 2) 図−1 火山体を不安定にする要因(Siebert,2 0 0 2) は体積によっており,その見積もりにはかなりの誤差が 表−1に挙げたのはいずれも1 0km3以上のもので,有史 ともなっているものと思われる。しかしながら,比較的 前に発生したものである。有史後に発生した も の に 誤差の少ない地すべりの面積も,発生域と堆積域との単 は,1 7 9 2年の雲仙眉山,1 8 8 8年の磐梯山,1 9 8 0年のセン 純合計では地すべりの規模を適切に表すとは言えないの トへレンズなどがあるが,それぞれ,0. 3,1. 5,3km3 で,体積の順に配置してある。体積の見積もりにあたっ であり,表−1に含まれるべくもない規模であった。歴 て,幅が示されているものについては,その中間値を記 史時代に発生した火山活動に起因する火山体の巨大崩壊 載した。また,地すべりによっては文献にすべり面の深 では発生過程を理解することが可能であるが,発生記録 さの記述のないものもあり,それらについては,筆者が がなく,単に火山体が崩壊した地形のみ認められるもの 断面図や地形図からすべり面深さを読み取ったので,多 では,その発生過程を明らかにすることは難しい。発生 少正確でないかも知れない。 の要因として考えられるものが図−1に模式的に示され 1)火山体の地すべり(崩壊,Siebert,2 0 0 2) ている。一般的に火山活動に起因する火山体の崩壊は一 カリフォルニア州Cascadesのシャスタ(Shasta)火 過性であり,繰り返し間歇的に活動する狭義の地すべり 3 山の崩壊が最大規模で,体積4 6km と推定されている。 とは異なる。 つまり,一辺3. 6kmの立方体分の体積の物質が崩れ落ち Siebert(2 0 0 2)がVoight(1 9 8 7)のデー タ も 用 い て たことになり,これは5 0km遠方まで流れくだった。こ まとめた岩屑なだれの流動性を図−2に示す。この場合 れは,有史前の発生であり,実際にこの火山体の崩壊が の流動性は,崩壊地の最上部と堆積物の末端とを結ぶ直 あったことは,1 9 8 0年のセントへレンズの崩壊を調査し 線の傾斜(比高/水平距離,H/L)で示されており,こ た研究者によって初めて認識された(Crandel, 1 9 8 9) 。 れが小さいほど流動性が高い。この図からわかるように, J. of the Jpn. Landslide Soc., Vol.42, No.1 91 (2005) 9 1 講 座 体積が大きくなるほど流動性が高くなり,また,火山の ンマルカ(Mayunmarca)地すべりが登場する。上位1 0 崩壊の方が流動性が一般に高い。その理由として,熱水 位以内で歴史時代に発生したものはこのマユンマルカ地 やマグマ流体の存在,火山岩の破片と流体との反応,熱 すべりのみである。 水変質で形成された粘土などが,火山の崩壊の流動性を 第8位は,カナダのドウニー(Downie)地すべりで, 発生は有史前であるが,現在も一部は活動しているよう 高めているものと考えられている。 2)非火山体の地すべり である(Piteau et al ., 1 9 7 8) 。これが,内部構造が明確 図−3に非火山体の主要な大規模地すべりの平面図を になっている徐動性の地すべりで最大規模のものである。 示す。非火山地域の地すべりで現在までのところ広く知 第9位がアルゼンチンのビラビル(Villavil)地すべり ら れ て い る も の で は,モ ン ゴ ル の バ ガ ボ グ ド(Baga (Fauque and Tchilinguirian, 2 0 0 2) ,第1 0位がやはりパ Bogd)地すべりが最大のものである。それを初めて報告 したPhilip and Ritz(1 9 9 9)は,ネパールにあるツェルゴ 3 キスタンのHaldi地すべりである。 上記にもパキスタンの例がいくつか含まれているが, リ(Tsergo Ri)地すべりの体積を1 0 0km として,そちら 最近になってヒマラヤなどの山奥から非常に大規模な地 が世界最大の地すべりであるとしているが,彼らがツェ すべりの報告が続いており,大規模地すべりの順位表は ルゴリ地すべりの研究として引用したIbetsberger(1 9 9 6) 書き換えられていくに違いない。 は,その体積を1 010m3としているので,これは1 0km3の わが国で最大の地すべりは,富山県の甚乃助谷地すべ 誤りである。そうすると, 今まで知られている中ではツェ りのようであるが,その体積は明確になっていない(建 ルゴリ地すべりは世界第4位の規模ということになる。 設省北陸地方建設局金沢工事事務所,2 0 0 0) ,続いて静 第2位の地すべりは,イランのサイマレ(Saidmarreh) 岡県の大谷崩れ(町田,1 9 5 9) ,長野県の池口崩れ(千 地すべりである。これは,1 9 9 9年にバガボグド地すべり 木良,2 0 0 2),富山県の内山地すべり(藤井他,1 9 8 4)と が報告されるまで長く世界最大の地すべりとして知られ 続くようである。なお,未公表で体積は未確認であるが, てきたものである。これは,Harrison and Falconによっ 石川県の湯の谷地すべり(手取層群) ,岩手県の下嵐地 て1 9 3 7年に詳細に報告されており,それ以来,Watson すべり(焼山火砕流) ,秋田県の砥沢地すべり(第三紀 and Wright(1 9 6 7)の報告があるものの,長い間世界 堆積岩の上に安山岩が載る)といった地すべりも上記に 一の座にあった割に報告されることが少なかった。 匹敵する程度に大きいようである。 第3位の地すべりは,スイスのフリムス(Flims)の 歴史時代に発生した地すべりは,マユンマルカ,イタ 地すべりであり,これはスイスのHeimが1 9 2 0年に報告 リアのバイオント(Vajont, 1 9 6 3年) ,パプアニューギニ したものである(Heim,1 9 3 2)。そして,第4位がネパー アのバイラマン(Bairaman,1 9 8 5年) ,台湾のツァオリン ルのツェルゴリ地すべりと続く。このツェルゴリ地すべ (草嶺,1 9 9 9年) ,ペルーのワスラカン(Huascaran, 1 9 7 0 りは,わが国で一般的にみられる徐動性の地すべりのよ 年)といったところがトップ5である。 うであるが,その輪郭や構造断面を明確に示した論文は 3. 3 大規模地すべりの地質構造と地すべりの原因 公開されていないようである。第5位と6位はパキスタ 表−1に示すように,大規模な地すべりは,大谷崩と ンで最近Hewitt(1 9 9 8)によって報告されたものであ 構造の不明確なパキスタンの地すべりとブラックホーク る。そして,第7位にようやく歴史時代に発生したマユ 地すべりを除いてすべて流れ盤構造をしている。大谷崩 図−3 大規模地すべりの平面図(出展は表−1参照) 9 2 J. of the Jpn. Landslide Soc., Vol.42, No.1 92 (2005) は1 7 0 7年の宝永地震の時に発生したと推定されているが, すべりである可能性があるが,その内部構造は明確には その堰止湖の堆積物から,それ以前にも発生したことが なっていない(Kojan and Hutchinson,1 9 7 8) 。 知られているので, 1 7 0 7年の崩壊物質の量はこれよりも 興味深いことは,平行盤の多くの地すべりで地層が斜 小さいものかもしれない(町田,1 9 5 9;目代・千木良, 面下部で座屈していた,あるいは層理面に平行なすべり 2 0 0 4) 。流れ盤構造には3種類,すなわち,鈴木(2 0 0 0) 面が衝上断層に移り変わって地表につきぬけていたと推 の平行盤,柾目盤,逆目盤がある(図−4) 。これらの 定されることである。 内柾目盤は流れ目とも呼ばれ,狭義の流れ盤とされるこ バガボグド地すべり(モンゴル, Philip and Ritz,1 9 9 9) ともある。大規模地すべりに最も多いのは,平行盤と柾 これはわずか3° の傾斜の地層上を厚さ1 5 0−2 0 0mの 目盤である。平行盤は,斜面と地層の層理面(あるいは 礫岩と角礫岩が数kmすべったもので,すべり面の位置 片理面や節理面などの不連続面)とが平行な構造である。 する石膏質の粘土が流動化したものと考えられている。 柾目盤は,斜面よりも層理面の方が緩傾斜で,斜面内の すべる前の地形的特徴は明らかにはなっていないが,す 地層が下方で斜面に露出する,つまり斜面下方からの支 べり面は斜面下部で逆断層となり,地層は地すべり末端 えがない構造である。逆目盤は,逆に地層の方が斜面よ で覆瓦状構造をなしている。これは現在は乾燥地域にあ りも急傾斜で,斜面内部の地層が下方で斜面に露出しな るが,発生した時にはもっと湿潤であったと推定されて い構造である。堆積岩の場合には層理面が第1級の不連 いる。これは活断層のごく近傍に位置していることから, 続面であり,それと斜面との相対関係は斜面の安定性に 対して最も重要であるといえる。主要な大規模地すべり の地質断面図を図−5,6に示す。 1)平行盤の大規模地すべり 平行盤では,特定の層順にすべり面ができたとしても, 斜面内の地層は,斜面に平行であるため,“すべり面” は 直接地表に出ることがない。したがって,地層がすべる ためにはすべり面が地層を横断して地表に露出する必要 がある。そのため,平行盤の地層は次に述べる柾目盤よ りもすべりにくく,結果的に大規模な不安定地塊を構成 図−5 大規模地すべりの地質断面図(最大規模のもの) しやすい。図−5,6に示すように,バガボグド,サイ マレともに平行盤の地すべりである。その他に, ドウニー, 甚之助,チューフンウーシャン(九 二山)の地すべり がある。上位2 0位のうち5つまでが平行盤の地すべりで ある。これらは,甚之助を除いて地質構造が良く調べら れて論文に公表されている。マユンマルカも平行盤の地 図−4 層理面などの面構造と斜面との関係を示す図 (鈴木,2 0 0 0) J. of the Jpn. Landslide Soc., Vol.42, No.1 93 (2005) 図−6 大規模地すべりの地質断面図 9 3 講 座 発生の原因はおそらく地震動であったと考えられている。 サイマレ地すべり(イラン, Harrison and Falcon,1 9 3 7) 石灰岩と泥灰質石灰岩の厚さ3 9 0mの地層が傾斜1 5か 面の下方は崖になっており,下方からの支えはなかった ことが断面図から読み取れる。 バイオント地すべり (1 9 6 3年,イタリア,Muller,1 9 6 4; ら2 5° の層理面に沿ってすべり,斜面下方の平坦地に広 Broili,1 9 6 7) く堆積した。この地すべりは古くHarrison and Falcon これは近傍の山の名前からトック山(Mt. Toc)地すべ (1 9 3 7)によって調査がなされ,急激な動きの前に地層 りともよばれる。この直接の誘因は当時世界一高かった が徐々にすべり,斜面下部で座屈して地形的膨らみを形 バイオントダムの貯水池の湛水であった。地すべりに 成していたと推定された。これを彼らはCollapse structure よって津波が発生し,ダム下流に洪水となって流下し, (崩壊構造)と呼び,ザグロス地域には一般的に見られ 甚大な災害を引き起こした。すべったのは石灰岩と泥灰 る構造であると記している。このように不安定になって 岩であり,地層の層理面は斜面上方で3 5−4 0° 傾斜し, いたところに,おそらく地震動が加わり,急激なすべり 下方でほとんど水平になる椅子形をしていた。層理面に と岩屑なだれが発生したと推定されている。 沿うすべり面が形成され,厚さ2 0 0−3 0 0mの地層がす ドウニー地すべり(カナダ,Piteau et al .,1 9 7 8) べった。1 9 6 0年にクリープ的な動きがあり,1 9 6 3年に急 斜面方向長さ約2kmの範囲の片岩および片麻岩がす 激なすべりが発生した。これらの発生前に動きがあった べり,長大な滑落崖が形成されている。すべり面の平均 か否か,あるいはそれを示す地質構造や地形があったか 深さは1 2 5m。ここでは,片理面の傾斜は地すべり末端 どうか,については未だ議論があるが,地形図を見る限 では2 0から3 0° であるのに対して,斜面上方に向けて緩 り,1 9 6 3年の地すべりの輪郭は緩傾斜斜面として読み取 くなり,中央部で1 5から2 0° ,滑落崖付近では1 0° からほ れるので,すでに前兆的なクリープ変形があったと推定 とんど水平になっている。この傾斜の変化はテクトニッ される。すべり面の形成された層準は斜面下方の川沿い クなものと考えられているが,重力による座屈である可 に露出していたことが断面図からも読み取れる。すべり 能性も十分にある。このすべり面は,熱水変質によって 面は泥灰岩を挟む石灰岩が破砕して形成された1−2m できた弱帯に形成されている。 の層にできたと考えられている。 チュウフンウーシャン(九 二山,1999年,台湾,Wang et al .,2003) 上に凸形に褶曲した砂岩頁岩の厚さ約5 0mの層が1 9 9 9 バイラマン地すべり(1 9 8 5年,パプアニューギニア, King et al .,1 9 8 9) 斜面下方に8° と緩傾斜する石灰岩層に地震によって 年集集地震によってすべりおちた。地層は斜面下方で3 6° , 発生した。上位の厚さ3 0 0mの石灰岩(バイオスパーラ 上方で2 2° 傾斜しており,地震の前から地層が重力によっ イト)が下位の石灰岩(バイオミクライト)の上を崩壊 て座屈していたことが明らかになっている(Wang et al ., しながら移動した。バイオスパーライトはバイオミクラ 2 0 0 3) 。また,地震の後にも崩壊地内の地層が次々に座 イトに比べて弱く,その地表面にはカルストが広く形成 屈してすべり落ちてきていることが知られている されていた。両者の境界に弱層が推定されている。発生 (Wang Wen-Nen氏私信) 。この場合のすべり面は曲げ 前に,崩壊源の最上部付近にその輪郭にほぼ平行な溝が スリップ褶曲時にできた層面断層に沿っている。また, 形成されていた。これは地震前の前兆的な動きによって 地震前の座屈とクリープは,地形的な直線的遷急線とし 形成されたものと考えられる。堆積物によってせき止め て認められていた。 られたダムは決壊し,下流に洪水を及ぼしたが,人は避 2)柾目盤の大規模地すべり 柾目盤は,層理面の傾斜が斜面の傾斜よりも緩く,層 理面(すべり面)の傾斜方向端が斜面に露出する構造で 難したために人的被害はなかった。 ツァオリン地すべり(草嶺, 1 9 9 9年,台湾,Chigira et al .,2003) ある。したがって,すべり面よりも上の地層を斜面下方 極めて平面的で傾斜1 4° の層理面を持つ砂岩頁岩の互 から支えるものがないことになる。フリムス,バイオン 層中に地震(集集地震)によって発生した。厚さ1 8 0m ト,バイラマン,ツァオリン(草嶺)地すべりがこの構 の地層がすべった。すべり面は頁岩および頁岩砂岩互層 造を持ち,ツェルゴリ地すべりもそのようであるが,詳 内に形成され,頁岩が除荷および化学的風化によって劣 細は不明である。 化したことが原因と考えられている。ここは1 8 6 2年以来, フリムス地すべりとツェルゴリ地すべりは有史前の発 活動を繰り返してきているが,いわゆる再活動地すべり 生であるが,他のバイオント,バイラマン,ツァオリン ではなく,崩壊が後方に後退してきたものである。1 9 9 9 は,それぞれ1 9 6 3年,1 9 8 5年,1 9 9 9年の発生である。そ 年の地震時の崩壊の上限に沿って,地震前に溝が形成さ して,これらの有史後に発生したものには,いずれも地 れていたことが空中写真から認められ,事前にクリープ 形的な前兆が認められている。 的な動きがあったものと判断されている。 フリムス地すべり(Heim,1 9 3 2;町田, 1 9 8 4) ツェルゴリ地すべり(ネパール,Weidinger et al ., 傾 斜7−1 2° で 厚 さ6 0 0−8 0 0mの 石 灰 岩 が 層 理 面 に 1 9 9 6;Ibetsberger, 1 9 9 6;Schramm et al .,1 9 9 8) 沿ってすべり落ち,麓に流れ広がった。発生前には,斜 9 4 ツェルゴリ地すべりについては,1 9 9 6−1 9 9 8にオース J. of the Jpn. Landslide Soc., Vol.42, No.1 94 (2005) トリアのグループによって3つの論文が書かれているが, km流動し,1 8 0 0 0人の命を奪ったものである。崩壊した いずれにも明瞭に判読できる地形図は示されておらず, 体積は雪と岩石とあわせて0. 4km3と見積もられている。 その形態をはっきり識別することができない。Philip and これは花崗閃緑岩の崩壊であり,流れ盤の節理に沿って Ritz(1 9 9 9)は,Ibetsberger(1 9 9 6)を 引 用 し て ツ ェ 岩盤がすべり落ちたものと考えられている。 ルゴリ地すべりの体積を1 0 0km3として,世界最大の地 すべりとしているが,実際にはIbetsberger(1 9 9 6)は, 体積を1 010m3としている。すべり面は風化した硫化物鉱 床と関連があると考えられている。 4.おわりに 以上,地上で認められている“超”大規模地すべりに ついて,それらの形態や地質構造と地形についてとりま 3)逆目盤 とめた。紙面と私の専門上,移動様式や移動のメカニズ 逆目盤は,地層が斜面下方に傾斜するものの,斜面よ ムについては触れられなかったが,適宜引用文献などを りも急傾斜であるため,平行盤や柾目盤斜面に比べて安 参照していただきたい。また,中国やヒマラヤの山奥で 定である。しかしながら, 地質的長期間にわたってクリー さらにもっと巨大な地すべりも発見される可能性が高い プ変形が起こり,結果的に地層が座屈して大規模で急激 が,今までに広く知られている巨大な地すべりについて な地すべりが発生することもある。 身近に感じて頂けたならば幸いである。 ビラビル地すべり(アルゼンチン,Fauque and Tchilinguirian,20 0 2) 引用文献 これはホグバックをなす第三系火山砕屑岩・堆積岩山 Braddock, W.A.(19 7 8):Dakota Group rockslides , northern Front Range, Colorado, U.S.A. In B. Voight,(ed. )Rockslides and avalanches, pp.43 9−4 7 9. Broili, L.(196 7) :New knowledges on the geomorphology of the vaiont slide slip surfaces, Rock Mech. Eng. Geol., Vol. 5, pp. 3 8−8 8. 千木良雅弘(2 0 0 2) :南アルプス池口崩れの地質構造.第4 1回日本 地すべり学会研究発表会講演集(徳島) ,pp. 113−1 14. Chigira, M., Wang, W.-N., Furuya, T. and Kamai, T.(20 03):Geological causes and geomorphological precursors of theTsaoling landslide triggered by the 199 9 Chi−Chi Earthquake, Taiwan, Engineering Geology, Vol. 6 8, pp.259−2 73. Crandell, D.R.(1 9 89) :Gigantic debris avalanche of Pleistocene age from ancetral Mount Shasta volcano, California, and debris-avalanche hazard zonation, U.S. Geological Survey, Bulletin, Vol. 1 86 1, pp.0−3 2. Eisbacher, G.H. and Clague, J.J.(198 4) :Destructive mass movements in high mountains : hazard and management,230p. Evans, S.G. and DeGraff, J.V. ed.(2 0 02) :Catastrophic landslides : effects, occurrence, and mechanisms., Geological Society of America, Reviews in Engineering Geology,41 1p. Fauque, L. and Tchilinguirian, P. (20 0 2) :Villavil rockslides, Catamarva Province, Argentina, In Evans,S.G. and DeGraff, J. V.,(ed.)Catastrophic landslides : effects, occurrence, and mechanisms., Geological Society of America, Reviews in Engineering Geology, pp.30 3−3 2 4. 藤井昭二,竹村利夫,佐藤幸生(1 98 4) :富山県小矢部市内山地す べり,地すべり,Vol. 2 1,pp. 4 2−4 4. Hadley, J.B.(1 9 6 4) :Landslides and related phenomena accompanying the Hebgen Lake earthquake of August 17, 1959, U. S. Geol. Surv. Prof. Paper, Vol. 43 5, pp.10 7−1 3 8. Harrison, J.V. and Falcon, N.L.(1 93 7) :An ancient landslip at saidmarreh in southwestern Iran, Geog.Jour., Vol. pp.42−47. Heim, A. (193 2) :Bergsturz und Menschenleben, Fretz und Wasmuth, Zurich. Hewitt, K.(1 9 98) :Catastrophic landslides and their effects on the Upper Indus streams, Karakoram Himalaya, northern Pakistan, Geomorphology, Vol. 26, pp.47−8 0. Ibetsberger, H.J.(19 9 6) :The Tsergo Ri landslide : an uncommon area of high morphological activity in the Langthang valley, Nepal, Tectonophysics, Vol. 2 60, pp.85−9 3. 建設省北陸地方建設局金沢工事事務所 (2 0 0 0) :甚之助地すべり, 1 1p. King, J., Loveday, I. and Schuster, R.L.(19 8 9) :The 19 85 Bairaman landslide dam and resulting debris flow, Papua New Guinea, Quarterly Journal of Engineering Geology, Vol. 105, 地に発生したもので, 7つの類似地すべりからなる。表 −1に示したデータは,その中でもほぼ一体となってい る3つの地すべりをまとめたデータである。傾斜3 0−4 5° で厚さ8 0mの地層がすべった。すべり面は斜面上方では 層理面に沿う層面断層沿いであり,下方で地層を横断し て地表に連続している。発生前に地層や地表の変形が あったか否かは不明確である。この構造は前述の平行盤 と類似しているが,地層横断部分の比率が高いので逆目 盤に含めた。このような地すべりは,コロラド州のフロ ントレンジにも多数認められる(Braddock,1 9 7 8) 池口地すべり(長野県南信濃村,千木良,2 0 0 2) これは7 1 5年の地震の時に発生したと推定されている。 堆積物は一時池口川と遠山川をせき止め,後に決壊して 下流の静岡県磐田郡に大災害を引き起こしたと推定され ている。四万十帯の緑色岩,混在岩,塊状砂岩が斜面よ り急に5 0° から6 0° 傾斜しており,斜面下部に位置する塊 状砂岩層(厚さ1 5 0m)がバットレスのような役割をし て斜面上方の地層を支えており,それが地震時に破壊し て,急激な大崩壊が発生したものと推定されている。崩 壊が明瞭な馬蹄形の滑落崖を伴い,深層に及んでいるこ とから,地層はおそらく座屈タイプの変形をしていたも のと推定されている。ここと同じ地質地形的条件下にあ る隣接斜面に小滑落崖が認められ,上述の変形の地形的 表現と考えられている。 これと類似の地質構造の地すべりにマジソン地すべり (Madison,米国, 1 9 5 9年ヘブゲンレーク地震によって発 生)がある(Hadley,19 6 4) 。 4)その他 以上,地質構造の明確になっているものについてまと めたが,その他に特筆すべき大規模な地すべりとしてワ スカラン(Huascaran)の崩壊がある(Plafker, et al ., 1 9 7 1) 。これは,ペルーで地震によって発生したもので, 雪に覆われた山頂が崩壊し,平均時速2 8 0kmの高速で1 6 J. of the Jpn. Landslide Soc., Vol.42, No.1 95 (2005) 9 5 講 座 pp.2 57−270. Kojan, E. and Hutchinson, J.N.(19 7 8) :Mayunmarca rockslide and debris flow, Peru In B. Voight(ed)Rockslides and Avalanches, pp.315−3 6 4. 町田洋(195 9):安倍川上流部の堆積段丘−荒廃山地にみられる急 速な地形の変化の一例−,地理学評論,Vol.3 5,pp.1 5 7−1 7 4. 町田洋(198 4):巨大崩壊,地形,Vol.5,pp. 1 5 5−1 7 8. 町田洋,古谷尊彦,中村三郎,守屋以智雄(1 9 8 7) :日本の巨大山 地崩壊.新藤静夫(編)文部省科学研究費自然災害特別研究 崩災の規模,様式,発生頻度とそれに関わる山体地下水の動 態,pp. 1 65−188. 目代邦康,千木良雅弘(2 00 4) :赤石山脈南部,大谷崩から山伏に かけての山体重力変形地形, 地理学評論, Vol. 7 7−2, pp. 55−7 6. Muller, C.L.(1964):The rock slide in the Vajont valley. Rock Mechanics & Engineering Geology, Vol. 2, pp.1 4 8−21 2. Phillip, H. and Ritz, J.-F.(1 9 9 9) :Gigantic paleolandslide associated with active faulting along the Bogd fault(Gobi-Altay, Mongolia),Geology, Vol. 2 7, pp.2 1 1−21 4. Piteau, D.R., Mylrea, F.H. and Blown, I.G.(19 7 8) :Downie slide, Columbia River, British Columbia, Canada In B. Voight, ed. (ed)Rockslides and avalanches, pp.36 5−3 9 2. Plafker, G., Ericksen, G.E. and Fernandez, C.J.(1 9 7 1) :Geological aspects of the May 31, 19 70, Peru Earthquake, Bulletin of the Seismological Society of America, Vol. 6 1, pp.5 4 3−5 78. Schramm, J.M., Weidinger, J.T. and Ibetsberger, H.J.(1 9 9 8) :Petrologic and structural controls on geomorphology of prehis- 9 6 toric Tsergo Ri slope failure, Langtang Himal, Nepal, Geomorphology, Vol. 2 6, pp.10 7−1 2 1. Shreve, R.L.(196 8) :The Blackhawk landslide, Geological Society of America, Special Paper, Vol. 1 08, pp.0−4 7. Siebert, L.(2 00 2) :Landslides resulting from stuctural failure of volcanoes, In Evans,S.G. and DeGraff, J.V.,(ed. )Catastrophic landslides : effects, occurrence, and mechanisms., Geological Society of America, Reviews in Engineering Geology, pp. 2 09−2 35. 鈴木隆介(2 0 00) :建設技術者のための地形図読図入門第3巻 段 丘・丘陵・山地,古今書院,東京,9 42p. Voight, B.ed.(1 9 7 8) :Rockslides and avalanches,1, Elsevier, Amsterdam, 8 33p. Wang, W.-N., Furuya, T. and Chigira, M.(2 00 3) :Geomorphological Precursors of the Chiu-fen-erh-shan Landslide Triggered by the Chi-chi Earthquake in Central Taiwan, Engineering Geology, Vol. 69, pp. 1−1 3. Watson, R.A. and Wright, H.E.(196 7) :The saidmarreh landslide, Iran, Geological Society of America Special Paper, Vol. 123, pp.115−1 39. Weidinger, J.T., Schramm, J.M. and Surenian, R.(199 6) :On preparatory causal factors, initiating the prehistoric Tsergo Ri landslide(Langthang Himal, Nepal), Tectonophysics, Vol. 260, pp.95−1 0 7. (原稿受付2 0 05年3月4日,原稿受理2 005年3月18日) J. of the Jpn. Landslide Soc., Vol.42, No.1 96 (2005)