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英国内務省報告(2003.04)Part1(p1-26)

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英国内務省報告(2003.04)Part1(p1-26)
﹁
移民国籍局
トル コ 』
2003年4月
国別情 報 及 び政策 部 』
1本
文 書 の 目的
H地
理
皿
.
経済
w'歴
史
V国
家機 関
.VIA人
権事項
VIB人
権 一特 定 の 集 団
VIC人
権 一他 の 問 題
!●
付 録A:年
代記
付 録B:議
会 選 挙 に 参 加 す る政 党
付 録C:』 最 新 の か つ/又
付 録D:統
・
付 録E:司
は主 要 な非 合法 政 治的 組織
計:庇 護 希 望 者 の送 還
法行 政
付 録F:政
治的犯 罪 法
付 録G:著
名人
付 録H:情
報 源 につ いて の言 及
'トル コヘ の英 国 移 民 及 び 国 籍 局 事 実 調 査 団 の.リポ ー ト
●
一1一
臼ぎ織
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囚.こ
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・
』
・
、 劃'い 、"認 げ
凋砺 嶋 梁帥
映
一rひ・帰 一
1文
1.1こ
書 の 目的
の 評 価 は,内 務 省 移 民 ・国 籍 局 国 別 情 報 及 び 政 策 部 に よ り,各 種 の 情 報 源 か ら得
られ た 情 報 か ら作 成 され た 。1この 文 書 は,内
12こ
の 評 価 は,庇 護/人
務 省 の 意 見 又 は 政 策 を含 む も の で は な い 。
権 決 定 手 続 に 巻 き 込 ま れ た 者 の た め,背
景 と す る 目的 の た め
に 準 備 さ れ た 。 これ に 含 ま れ る 情 報 は 完 壁 な も の で は な い 。 こ れ は 薯 イ ギ リス で な され た
庇 護 申 請 に お い て 最 も一 般 的 に 取 り上 げ られ た 事 項 に 集 中 して い る。
1.3こ
の 評 価 は 全 全 般 的 な 情 報 源 に よ っ て い る。 これ は,ケ
ー ス ワ ー カ ー に よ り,彼
ら
に利 用 可 能 に され た 資 料 へ の 道 標 と して 使 用 され る こ と を意 図 して い る 。 資 料 の 大 部 分 は
パ ブ リ ッ ク ドメ イ ン で す ぐ に入 手 可 能 で あ る。
114こ
り 評 価 は,当 該 国 が 連 合 王 国 内 で の 庇 護 の 数 に つ い て,上 位 か ら35番
る 間,6月
ご とに 改 訂 す る こ とが 意 図 され て い る。
一1一
以 内 に留 ま
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歴 史
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ド 人 の 歴 史 に っ い て は 、 『ク ル
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参 照
され た い 。
ゴ・.、!'・.ン1!鋒
,
4.1ト
ド 人 」(第6章)も
黛,』
ル 耳 は か つ て 、 ス ル タ シ の 治 め る帝 国 の 一 部 で あ ち た.こ
の 帝 国 あ蓄 都 は イ ス タ ン
ブ ー ル に み り、 そ の 領 土 は ペ ル シ ャ 湾 か らモ ロ ッ コ に 裏 で 及 び 、 ア ラ ブ 地 城 の 大 部 分 と ヨ
`Pッ
パ 南 東 部 の 多 く の部 分 が 含 ま れ て い た。 しか し第 懸 次 大 戦 後 に オ 艶 トマ シ 帝 国 が 崩
しき じ一
壌 した後・国民齢1誘
ト瞬
を共和国である1と
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(後に・rトル ヲの交』アタチュルクと呼ば煉)を
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幸 せ で あ る)」 は トル コ 内 外 φ い た る と こ ろ1こ刻 ま れ て お り 、 デ イヤ 厭
ノ
●
ル ド人 居 住 地 域 の 主 要 都 市)で
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レ ド人 民 族 主 義 者 を 廟 い 、 ぎ プ ロス で は ギ リ シ ャ 系 島
民 に 見 え る よ う に 、 キ プ ロ ス 申脈 に 大 き な 文 字 で 率 み 込 ま れ て い る。 【1a1・
『
雌'F
に 協 商 国 の 占領 軍 が 敗 退 した こ とで 、 トル コ 軍 は 国 の 防 衛 者 と して 英 雄 的 な
威 信 を 得 た が 、 ひ とた び 勝 利 が 確 定 す る と、 軍 隊 は 曖 昧 な 立 場 に 置 か れ た。一ア タ チ ュ ル ク
は 一 方 で は 、 軍 串体 が 政 治 に よ っ て 割 れ な い よ うに し、 野 心 を も つ 将 官 が 彼 の 統 率 に 異 議
を 唱 え な い こ と を 確 か な も の に す る た め に 、 軍 を 政 治 制 度 の 枠 外 に 置 き続 け る こ と を 決 意
して い た 。'・
そ の 一 方 で 、 ア タ チ ュル ク は 自 らの 偉 業 の 最 終 的 な 守 護 者 と し て 軍 を頼 み に し
続 け た 。 ア タ チ ュ ル ク主 義 の6大
政 教 分 離 、 革 命 主 義)眞
理 念(共
和主義 、 国家 主義 、大衆 主義 、国 家社 会 主 義 、
依 然 と して 、 軍 人 の 間 に ま る で 宗 教 の よ うに 染 み 渡 づ て い る 。 だ
が 、ア タ チュ ル ク主 義 ㊨正確 な意味合 い
た とえば い守護 者 で あ るこ とが政 治 へ の 不 関
1
、 、
で あ ㍍,.き わ めて 有名 な彼 の発 言 、.r(撒 不 鮎)・(我 は トル 訳
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一
与 に 優 先 す る か 否 か 一 一 は 、 現 在 の 軍 人 に と っ て も答 え難 い 疑 問 と な っ て い る 。[57】
'
4.4ア
タチ ュ ル ク は1938年
は第;次 大聯
に 亡 くな り、 イ ス メ ヅ ト ・イ ノニ ュ が 大 統 領 を 引 き継 い だ。 彼
アタチユルクの独裁体制を解 くための撫
をと塵195幌
新たに設
立 され た ア ドナ ン ・メ ン デ レ ス 率 い る 民 主 党 が トル コで 初 め て の 自由 選 挙 に 勝 利 した 。 だ
が メンデ をス政権 は196q午5月
、政権歩アタチュル クの政教分離の理念 を裏切 った と申 し
立て う重のクーデターに零つて崩塵 し・メヒデ レスはその後処刑 さ拠牟6-1961年10月
セ
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蓼
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『
声
撃 奪 与 之 た 石 油危 機 と時 期 を 同 じ く した
。1974年7月
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よ範クーデターが起きた後で"ト ノ
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い う認識で)
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⊇1鼎鷺
活 動 に よって、
一
・
多 数 派 で あ る 正 統 派 の ス ン ニ 派 と少 数 派 で あ る ア レ ヴ ィ 派 の 間 の 歴 史 的 な
ち
敵 対 関 係 が 悪 化 し、3日 間 に わ た る暴 動 と 暴 力 事 件 で ・100人 が 死 亡 、1,000人 が 負 傷 した 。
政 府 は13り
●
県 で 戒 厳 令 を敷 い て こ の 事 態 に 対 応 した 。[1a1
●
4.51980年9月12日
、 参 謀 長 で あ る ケ ナ ン ・エ ヴ レ ン将 軍 率 い る 軍 隊 が 無 血 ク ー デ ター
で 政 権 を 掌握 した 。 ク ー デ ター の 指 導 者 た ち は5名
か ら成 る 国 家 保 安 評 議 会 を設 立 し、 全 一
土 に 戒 厳 令 が 敷 か れ て 、 新 政 権 は 政 治 的 暴 力 の 程 度 を抑 え る こ と、 法 と秩 序 を 回 復 す る こ
と に 成 功 した が 、 そ れ は 、 妥 協 や 、 民 主 主 義 的 自 由 の 多 くを 一 時 的 に 停 止 す る こ とに よ っ
て 購 わ れ た もの で あ っ た 。1982年
(ANAP〉
に は 新 憲 法 が 採 択 され た51983年
の 総選 挙 で は祖 国党
が 勝 利 を 収 め た た め 、 そ の 党 首 で あ る ト ゥル グ ト ・オ ザ ル が 首 相 に 任 命 され た 。
【lal
4,6都
市 部 り 反 政 府 運 動 家 と原 理 主 義 者 の 行 動 を挫 折 させ た1980年9月12日
の クー デ タ
ー の ,4年 後 に 、'トル コは 同 じよ うな 原 因 か ら生 じる 別 の 脅 威 に 直 面 し た。 そ れ は 地 方 の 暴
2
動 で 、 当 初 は イ ラ ン 、 イ ラ クお よ び シ リア と 国 境 を 接 す る南 東 部 地 域 に 集 中 して い た 。 地
方 の 反 政 府 グ ル ー プ の ほ ぼ す べ て が 、 都 市 に 本 拠 を も っ 学 生 団 体 に 起 源 を もつ が 、 そ の 代
表 例 が ア ブ ドゥ ラ ・オ ジ ャ ラ ン の 率 い るPKK(ク
ル ド労 働 者 党!で
あ る。 分 離 主 義 者 の 活
動 は 、 や が て 都 市 に ま で 広 が っ た 己[1a]
4.71985年12月
、 トル コが 欧 州 人 権 ・基 本 的 自由 保 護 条 約(欧
して い る と申 し立 て て 、 欧 州 の5ヵ
和 解 で 解 決 され た。 トル コ は18ヶ
州 人 権 保 護 条 約)に
違反
国 溝 欧 州 評 議 会 の 人 権 委 員 会 に 対 して 行 っ た 提 訴 は 、
眉 以 内 に戒 厳 令 をす べ て 解 除 し、 政 治 犯 に 特 赦 を行 い 、
欧 州 評 議 会 か ら派 遣 され る 独 立 の 監 視 員 が そ の 進 捗 状 況 を監 視 す る こ と に 合 意 した 。1987
年 に は 、 トル コ に お け る戒 厳 令 が す べ て 解 かれ た 。 【1a】
4.81987年7月
そ の10県
、闘 争 が 午 ス カ レ ー ト し た た め 、南 東 部 の10県
が非 常 統 治 下 に 置 か れ た 。
と は 、 ヴ ァ ン 、 ビ ト リ ス 、 ト ゥ ン ジ ェ リ 、 デ ィ ヤ ル バ ク ル 、 シ 門 ル ト、 ビ ン ギ ョ
ル く バ トマ ン 、 ハ ッ カ リ 、(判 読 不 能)、 マ ル デ ィ ン で あ る 。 【%】 ・
マ ルデ ィンで は、非 常 事
態 は1996年11月
で は1999年11月
ま で 、バ トマ ン 、 ビ ン ギ ョル と ビ ト リ ス で は1997年iO月
、 ヴ ァ ン で は2000年7月
ま で、シール ト
ま で 、 ハ ッ カ リ と トゥ ン ジ ェ リで は2002年6
月 ま で 続 い た 。[5b1[30m】[30ql[63b】[63clデ
ィヤ ル バ クル と(判 読 不 能)に お け る 非 常 事 態
は2002年11月30日
は 、 トル コで 最 後 ま で 非 常 統 治 下 に あ っ た 県 で
あ っ た 。 この2県
っ た)は1979年
に終 息 した 。 この2県
に お け る非 常 事 態 期 間((判 読 不 能)は1990年
以 来 続 い て お り(1979-87年
ま で シ ー ル ト県 の 一 部 で あ 、
は 戒 厳 令 、1987年 以 降 は 非 常 統 治)。[6301非
常 統 治 下 で は 、 非 常 事 態 地 域 の総 督(govem6r)は
治 安 事 項 に 関 して 、非 常 統 治 下 に あ る 県
と ヴ ァ ン を含 め た そ の 他 の 近 隣 県 の 知 事(gOV㎝or)に
ま さ る権 限 を も っ て い た 。 非 常 事 態
の も とで は 、 こ の 地 域 総 督 は 擬 似 戒 厳 令 的 な 権 限 を 行 使 す る こ とが で き 、 そ の 権 限 の 中 に
は 報 道 機 関 に 対 す る 制 限 、 公 共 の 秩 序 を 損 な う と見 な され る活 動 を 行 う者 を 地 域 か ら退 去
させ る こ と 、 村 の 疎 開 を命 じる こ とな どが 含 ま れ て い る。 非 常 事 態 地 域 の 総 督 の 行 政 決 定
に つ い て は 、 ご く 限 られ た 司 法 審 査 しか 認 め られ て い な か っ た 。15d】 』
県名
戒厳令施行期間.
非常事態宣言期簡
ア ダ ナ(A(㎞a)
78年1226。85年11.19
85年111月19-87年3.19
3
ア デ イ ヤ マ ン(Adiyaman)
79年426-85年11.19
85年11.19-86年3.19
ア フ イオ ン
80年9.12-84年7.19
一
アー リ
80年4.20.85年11.19
85年11.19-87年3.19-
ア ク サ ライ
69年6.15に
設 立gそ
れ
以前 は二 一デ の一 部
ア マ スヤ
80年9。1年84年7.19
84年7.19-85年3-19
アンカラ
78年12β6・85年7。19
85年7.19-86年11.19
ア ン タ リャ
80年9.12-85年3.19
85年3。19-87年7.19
ア ル ダハ ン
92年5,2ケ
に 設 立 。そ れ
r
以前 は カル 界 の一部
ア ル トビ ン ・
80年9.12・85年7.19
85年7.19-86年3.19
ア イ ドウ ン
80年9.12-84年7.19
84年7.19-84年11.19.
バ リケ シ ー ル
80年9.12-84年7.19
84年7.19-84年11.19
バ ル ト ウン
91年828に
設 立 。そ れ
以 前 は ゾ ングル ダ クの
一部
バ トマ ン
。
90年5.16に
設 立 。そ れ
90年5。16-97年10.2
曽
以 前 は シー ル
トの 一
部。
バ イ ブ ル ト(Bayburt)
89年6.15に
以 前 は(判
一部
設 立 。そ れ
読 不 能)の
。
ビ レジ ッキ
80年9.12-84年3.19
ビ ン ギ ョル
78年12.26・86年3.19
86年3.19。97年10.2
ビ ト リス
80年9.12-84年3.19
84年3.19-84年7。19
一
「
93年3.19に
10.2
ボル
80年9.12-84年7。19
一
ブ ル ド ウル
80年912。8毎
晦
4
年3.19
再 宣 言 一97年
ブルサ
86年9.12・85年3.19
85年3.19・86年3.19
チ ャ ナ ッカ レ
80年9.12。84年3.19
84年3・
チ ャ ンクル
80年
84年3.19-84年11.19
チ ョル ム
80年9.12・84年7.19
84年7.19r85年7.19
デニズ リ
80年9.12・84年11,19
84年11.19曹85年3.19
デ イヤル バ クル
79年426・37年719
87年7.19・02年11.30
デ ュズ ジ ェ
1999年 に 設 立 。そ れ 以
動12・84年3.19
享9・84年719
前 はボル の一部 。
エ デ ィル ネ
80年9.12・85年7.19
85年7.19-85年1L19
エ リャズー
78年12。26-86年3.19
86年3.19・93年3.19
ヱ ル ジ ンジ ヤ ン
78年12,26-80年4。20
85年7.19・85年11.19
お よ び80年9.12・85年
7.19
エ ル ズル ム
78年12.26-85年11.19
85年11.19-86年3.19
エ スキセ ヒ」ル
80年9・12-84年11.19
84年11.19-85年3.19
ガ シ ア ン テ ツプ
78年12.26-85年11.19
85年1L19・86年3.19
80年9.12・84年11.19
84年i1.19.85年3.19
80年9.12-84年3.19
84年3。19・84年11.19
ハ ッカ リ
79年4.26・87年7.19
87年719・02年730
ハ タイ
80年2.20・85年1L19
85年11,19・87年3.19
80年9.12・85年3.19
85年3.19。86年7.19
!ギ レ ス ン
(判読不能)
(判読不能)
ウ ー ド ウル
92年5.27に
設 立 。そ れ
以 前 はカル ス の一部 。
イ スパ ル タ
イ ス タンブー ル
78年1226-85年1U9
85年11.19・88年11.19
イ ズ ミー ル
80年2.20・85年719
85年7.19-86年1L19
カ ラ ビュ ク
95年6.6・
に設 立 。 そ れ
以 前 は ゾ ン グル ダ ク の
一部
5
。
K.マ
ラ シ ュ
カ ラマ ン
78年12.26-85年3.19
89年6.15に
85年3.19.35年11.19
設 立 。そ れ
以 前 は コニ ャの一 部。
カル ス
78年1226-85年11.19
85年1L19-86年11.19
カ ス タモ ヌ
80年9.12-84年3.19
84年3.19-84年7,19
カ イ セ リ 』辱
80年9.12-84年11.19
一
キ リ ス(Kms)
95年6.6に
設 立。 そ れ
以 前 ば ガ シ ア ン テ ップ
の一部。
ク ノレッ カ レ
89年6.15
.に 設 立 。そ れ
以前 はア ンカ ラの一 部
キル ケ ラ レ リ
80年9.12・84年3.19
一
ク ノレシ ェ ヒ ル
80年9.12-84年3.19
84年3.19-84年11.19
コジャエ リ
80年9.12-85年3.19
85年3.19-85年11.19・
σ
コニ ヤ
80年9.12.84年11.19
『
キ ュ タフヤ
80年9.12-84年3.19
一
マ ラ トヤ
78年12。26-85年3.19
85年3.19・86年3。19
マ ニサ
80年9.12-84年1L19
84年1L19-85年3.19
マ ラ シュ
Kマ
マル デ ィ ン
79年4.26-87年7.19
87年7。19-96年1129
ムーラ
80年9.12-84年7.19
印
ムシ ュ
80年9.12-84年3.19
一
ネ ブ シ ェ ヒル
80年9.12-84年7。19P
『
一
二 一 ア
ラシ ュを参照
「
30年9.12・84年7.19
84年7.19・84年11.19
オ ル ドウ
80年9.12-85年7.19
85年7.19-86年7.19
オ スマ ニイエ
1997年 に設 立 。 そ れ 以
前 はア ダナ の一部 。
リゼ
S.ウ
ノレ フ ア(S.U血)
80年9.12』84年7.19
84年7.19-85年3.19
78年12.26-86年3.19
86年3.19-87年3.19
6
'
サ カ リャ
80年9.12・84年7.19
34年7.19-85年3.19
サムスン
80年9.12-85年3.19
85年3.19・85年7.19
シール ト
ラ9年4.2(ト87年7.19
87年7.19。99年1130
シ ノープ
80年9。12-84年3.19
84年3.19-84年7.19
シル ナ ク
90年5.16に
シール ト
90年5.16-02年1130
か ら分 離 して 設 立 。
シバス
78年1226-80年226
85年3.19-86年
τ19
お よ び80年9.12-85年
3.19
テ キル ダー
80年
男2・84年7.19
}
トカ ッ ト
80年9.12・85年3.19
85年3.19-85年7.19
トラ ブ ゾ ン
80年9。12-85年'3.19
85年3.19-85年7.19
ト ゥン ジ ェ リ
79年4.26-86年3.19
86年3.19-02年730
ウシ ヤ ク
80年9.12-84年11.19
84年11.19-85年3.19
ヴァ ン
80年9.12-87年3.19
87年3.19-00年7.30
ヤ ロバ
95年6.6に
設 立。 それ
以 前 はイ ス タ ンブ ール
の一部。
ヨズガ ッ ト
80年
ゾ ングル ダ ク
80年9.12-85年3.19
或12-84年7.19
葡
85年3.19-85年7。19
口02】
4.91987年11月
に は 議 会 に穏 健 左 翼 の 社 会 民 主 党(SHP)と
相 の 率 い る保 守 の 正 道 党(bYP)が
再 び 姿 を現 した 。 オ ザ ル が1989年10月31日
に な り、 後 継 者 の イ ル デ ィ リ ム(Yildωm)・
ノ
.4.10,ANAP(祖
1991年10月20日
、 ス レイ マ ン ・デ ミ レル 元 首
に大 統領
ア クブル ・
トを 首 相 に任 命 し た。[1a】
コ
国 党)は1990年
か ら1991年
に か け て 人 気 が 衰 え 、閣 僚 が 数 多 く辞 任 した 。
の 総 選 挙 で は 、 老 練 な 政 治 家 で 南 る元 首 相 ス レイ マ ン ・デ ミ レル とDYP
(正道 党)が 勝 利 した 。 絶 対 多 数 を勝 ち 取 れ な か っ た デ ミ レル は 、SHP(社
7
会 民 主 党)一
.
SHP自
体 も選 挙 で はANAPに
続 い て 第3党
に 浮 上 した幽
との 連 立 を求 め ざ る を 得 な か っ
た 。 口a]
4.11物
議 を か もす よ うな積 極 的 な発 言 を す るオ ザ ル は 、 トル コ 経 済 を 近 代 化 し 、 トル コ の
国 際 的 地 位 を 高 め た 。1993年4月
に オ ザ ル が 心 臓 発 作 で 亡 くな っ た 後 に は 、 デ ミ レル が 大
統 領 に 選 ば れ た 。 元 経 済 相 の タ ン ス ・チ ル レル 女 史 が デ ミ レル に 代 わ っ て6月
初 旬 にDYP
の 党 首 に 選 ば れ 、 トル コ初 の 女 性 首 相 と な っ た 。[1a】
4.12チ
ユ`ゴ
ル レル は 外 交 問 題 で は 、 ア ゼ ル バ イ ジ ャ ン に 国 連 平 和 維 持 部 隊 を創 設 す る こ と、 旧
ス ラ ビ ア に お け る 国連 の 努 力 に トル コ が 参 加 す る こ と を求 め た 。1994年7月
、約1,455
名 の トル コ 軍 部 隊 が ボ ス ニ ア とヘ ル ツ ェ ゴ ビ ナ に配 備 され た が 、 そ れ は セ ル ビ ア との 境 界
線 か らか な り離 れ た と こ ろ で あ っ た 。1993年10月
、 トル コ は イ ラ ク に 対 す る 国 連 の 制 裁 延
長 に しぶ しぶ 合 意 した が 、 禁 輸 措 置 の 解 除 を主 張 し続 け た 。[1a]
4.131995年9月
(CHP)の
に 、SHPと
合 併 して か ら初 の 党 大 会 で 、 デ ニ ズ ・バ イ カ ル が 共 和 人 民 党
党 首 に選 ばれ た 。 ごの 連 立 は 、チ ル レル 女 史 が 深 刻 な 不 況 の 余 波 で 辞 任 して か ら
2週 間 以 内 に崩 壊 した 。[1a][4b]
4.141995年12月24・
Rc飴h(イ
日に総 選 挙 が 行 わ れ 、 そ の 結 果 、 投 票 率 は20%程
ス ラ ム 寄 りの 福 祉 党)、bYP(正
道 党)、ANAP(祖
国 党)一
度 で3つ
の党一
が 残 っ た 。 こ れ ら3
党 の 指 導 者 が 、連 立 政 府 を組 む た め の 条 件 に 関 し て合 意 を 得 よ う と次 々 に 乗 り出 して 、2ヶ
月 を 超 え る 話 し合 い が 続 い た 。1996年3月6日
を 発 表 した が 、 中 道 一 右 派 の こ の2つ
、ANAPとDYPが
少 数 連 立 与 党 を組 む こ と
の 連 立 党 派 に お け る そ れ ぞ れ の 指 導 者 問 の 強 烈 な反
目に よっ て 、互 い の 間 に か ね て か ら あ っ た 緊 張 が 高 ま り、4月 下 旬 に は 政 権 運 営 が 実 質 上 麻
痺 す る結 果 と な っ た 。 連 立 は6月6日
4.151デ
に終 結 した 。[1a】[4b】
ミ レル 大 統 領 は 政 権 を組 織 す る た め に 、 最 大 政 党(Re鋤
る ネ ク メ ッテ ィ ン ・エ ル バ カ ン を招 い た 。DYPと
とDYPの
一
福 祉 党)の
の 話 し合 い に よ り、1996年7月
党首であ
にRef紬
過 半 数 連 立 政 権 が 作 られ た 。 エ ル バ カ ン教 授 は トル コ で初 め て の イ ス ラ ム 教 徒 の
首 相 で あ り、 チル レル 女 史 が 副 首 相 と外 務 相 を 兼 任 し、1998年
8
中旬 に首 相 を引 き継 ぐこ と
-
に な っ て い た 。RefahとDYPは
4.16軍
、 閣 僚 ポ ス トを 分 け 合 っ た 。[1a】[4bl
事 ク ー デ タ ー が 迫 っ て い る と い う噂 が 尾 を 引 く 中 で 、国 家 保 安 評 議 会(NSC)は1997
ρr
年2月28旧
、 行 動 事 項 リス トを 作 成 し、 エ ル バ カ ン は き わ め て 強 い 圧 力 を 受 け て 、 仕 方 な
く こ れ に 合 意 し た。 こ の 対 策 は トル コ国 家 が 政 教 分 離 主 義 と西 欧 指 向 を 保 つ た め の も の で
あ っ た 。1997年4月26日
、NSCは
そ の メ ッセ ー ジ を さ らに 強 め た 。実 に 熾 烈 な議 論 の 焦 点
と な っ た の は 、義 務 教 育 を3年 間 延 長 し、 そ の 結 果 と して 、多 数 の 「h由mHatip」 宗 教 訓 練
学 校 を 閉 鎖 す る とい うNSCの
決 定 で あ っ た。 一 方 、
、連 立 政 権 は 、1996年11月
にDYP
,と暗
殺 団 、 組 織 犯 罪 と の 絆 を曝 露 した ス 不 ル ル ッ ク で の 自動 車 事 故 後 に 起 き た 一 連 の ス キ ャ ン
ダ ル に よ っ て も ダ メ ー ジ を 受 け た。[1a][4b]
4.17や
が て 、 チ ル レル 女 史 のDYPか
ら立 て 続 け に 背 信 を 受 け 、NSCか
受 け た エ ル バ カ ン は 、辞 職 を発 表 した。1997年6月20日
主 要 野 党ANAP(祖
4.18ユ
ら再 度 突 き 上 げ を
、大 統 領 は攻 権 を 組 織 す る た め に 、
国 党)の 党 首 メ ス ー ト ・ユ ル マ ズ を招 い た 。
ル マ ズ とDSP(民
主 左 派 党)と の 連 立 は 、決 して しっ か り と した 土 台 の 上 に は 立 っ
て い な か っ た 。 ユ ル マ ズ 政 権 は 、 国 有 の チ ュ ル ク 銀 行 の 売 却 に お け る腐 敗 の 申 し立 て を め
ぐ っ て1998年11月25日
に行 わ れ た 国 会 の 信 任 投 票 で 敗 北 して 、 辞 職 を 余 儀 な く され た 。
[4bl【23e1【43al1998年12月2日
、デ ミ レル 大 統 領 はDSP(民
主 左 派 党)の
ビュ レン ト ・
エ ジ ェ ビ ッ ト党 首 を 首 相 候 補 に 指 名 し、 同 党 首 に組 閣 を 求 め た。 エ ジ ェ ビ ッ トは 組 閣 に 失
敗 し、数 週 間 後 に こ の 使 命 を 返 上 した 。[31alデ
Erez)貿
易 大 臣 を選 ん で組 閣 させ よ う と した が 、 エ レ ズ も組 閣 に は い た らず 、1月 初 旬 に こ
の 使 命 を 返 上 した 。[40e]今
を 得 て 、DSPの
1999年4月
4.19バ
ミ レル 大 統 領 は 次 に ヤ リム ・エ レズ(Y鋤m
度 は ビュ レ ン ト ・エ ジ ェ ビ ッ トが 戻 り、DYPとANAPの
少 数 政 権 を組 織 した 。 政 府 は1999年1月17日
支持
に信 任 投 票 で 信 任 を 得 て 、
の 選 挙 ま で 国 を統 治 した。[63q[63g]
トマ ン 、 ビ ン ギ ョル{ビ
トリス の 各 県 で10年
主 導 の連 立 政 権 案 を 国 会 が 承 認 した1997年10月2日
間 に 及 ん で い た非 常 事 態 は 、ANAP
に 解 除 され た。 治 安 状 況 の 改 善 が 、
非 常 事 態 宣 言 の 解 除 の 理 由 に 挙 げ られ た 。 そ れ よ り先 の1997年9月
、 当 時 の メ ス ー ト ・ユ
ル マ ズ 首 相 と ビ ュ レ ン ト ・エ ジ ェ ビ ッ ・
ト副 首 相 が 南 東 地 域 を 訪 れ 、 同 地 域 の 開 発 を 約 束 し
9
た 。 首 相 が 議 長 とな っ て シ ー ル トで16年
ぶ りに 開 か れ たGAP(南
東 ア ナ ト リア ・プ ロ ジ ェ 、
ク ト)の 高 等 評 議 会 は 、1東部 お よ び 南 東 部 の 諸 県 で 景 気 を 回 復 させ 、 強 化 す る た め の 誘 引
と な る よ うな 様 々 な 対 策 を 承 認 した 。 こ の 対 策 に は 、 シ ー ル トに お け る 大 学 の 建 設 が 含 ま
れ て い た 。[60a][6b】[63c]
420イ
ス ラ ム 教 政 党 で 先 の 連 立 政 府 に 参 加 したRefah(福
祉 党)が
、1998年1月16日
の
違 憲 審 査 裁 判 所 の 裁 定 に よ っ て 鯉 党 され た 。Refahを 相 手 取 っ た 裁 判 で の 申 し立 て は 、Refah
が 反 政 教 分 離 活 勤 の 中 心 とな っ て い る とい うも の で あ っ た。以 前 のRe蝕
会 の 議 員 を 務 め て い た 約100名
を含 め て 、 か つ て のRe鋤
に 所 属 して 国 民 議
の メ ン バ ー の 大 部 分 は 」997年
12月 に イ ス マ イ ル ・ア ル プ テ キ ン に よ っ て 結 成 され 、 国 会 最 大 の 党 とな っ た 新 た な イ ス ラ
ム 教 団 体 、FaZilet(美 徳 党)に 参 加 した 。 【1a]1998年10月
に 集 会 で 宗 教 的 な 詩 を 朗 読 した か ど でRe勧
ル ドガ ン に10ヶ
に 控 訴 裁 判 所 は 、1997年12月
党 所 属 の イ ス タ ン ブ ー ル 市 長 、タ イ イ ップ ・エ
月 間 の 懲 役 刑 を 宣 告 した 国 家 保 安 裁 判 所 の 判 決 を 支 持 した 。 こ の 判 決 は 、
エ ル ドガ ン が 最 低2年
間 は公 選 職 に 就 く こ と を も阻 む も の で あ っ た 。 エ ル ドガ ン は 、 トル
コ の イ ス ラ ム 教 運 動 にお け る将 来 の指 導 者 と 目 され て い た 。[5a][27][28b][56】
421美
徳 党 は1999年4月
して も、 投 票 の15%を
に 行 わ れ た 国 と地 方 の選 挙 に候 補 を 立 て 、 期 待 ほ どで は な い に
獲 得 した(以 下 を 参 照 の こ と)。 しか し国 会 の 開会 時 に 、美 徳 党 所 属
の 議 員 、 メ ル ヴ ェ ・カ ヴ ァ ク ジ(MerveKavakci)は
公 務 員 服 務 規 程 に 反 し て ヘ ッ ドス カ ー
フ を 着 用 し よ う と した 。 一
一部 の 美 徳 党 所 属 議 員 で さ え 、 これ は愚 か で 不 必 要 に 対 立 を煽 る
行 為 で あ る と見 な した 。 カ ヴ ァ ク ジ は そ の 後 、 トル コ 政 府 力、ら許 可 を得 ず に 米 国 市 民 権 を
申請 した か どで 、 トル コ の 市 民 権 を 剥 奪 され 、 国 会 でg議
席 に就 く こ と は な か っ た 。 カ ヴ
ァ ク ジ の 行 為 は 、美 徳 党 は政 教 分 離 に 反 して お り、禁 止 され たRe蝕
い とい う論 拠 に 立 っ て検 事 総 長(C虹 玉efStateProsecutor)が
党 を継 ぐ も の で しか な
同 党 の 活 動 禁 止 を違 憲 審 査 裁 判
所 に 申請 した 際 に 提 示 した 証 拠 の 一 部 と な っ た。2001年6月22日
に発 表 され た 違 憲 審 査 裁
判 所 の 判 決 は 、 美 徳 党 の活 動 を禁 止 す る もの で あ っ た 。 【30h][32il(美 徳 党 とヘ ッ ドス カ ー
フ の 問 題 に 関 す る 詳 細 につ い て は 、r宗 教 の 自 由 」 とr集 会 お よび 結 社 の 自 由 」(第6章a)
を参 照 の こ と。)
4221998年5月12日
に トル コ 人 権 協 会(IHD)の
10
ア ク ン ・ビ ル ダ ル 会 長 に 対 す る 暗 殺 未
遂 が 起 き た 。ゼ ル ダ ル は腹 部 と脚 部 に6発
られ て い るpkK(ク
ル ド労 働 者 党)の
の 弾 を受 け た が 命 を と り とめ た 。 狙 撃 は 、 捕 え
指 揮 官 が 、 ビル ダ ル と非 合 法 の テ ロ リス ト組 織 と の
間 に 関係 が あ る と告 発 した こ と を メ デ ィ ア が報 道 した後 に 行 わ れ た 。[12e1【28c】[40dl'1999
年12月
、ア ン カ ラ の 国 家 保 安 裁 判 所 は ビル ダ ル の 暗 殺 未 遂 に っ い て10人
そ の 他 の6人
部 長1名
に無 罪 を宣 告 した 。 首 謀 者 と推 定 され る元 ジ ャ ン ダ ル マ(武
装 警 察)の
巡査
と、 狙 撃 を 命 令 し、組 織 した と して 告 発 され た そ の 他 ・1名は 、 そ れ ぞ れ19年
間の
懲役刑を宣告 された。 ビルダルを狙撃 した2名 はそれぞれ19年
受 け 、 そ の 他2名
問 と10年
に 有 罪 を 宣 告 し、
間 と12年 間の実景 宣告を
は 犯 罪 の 実 行 集 団(「 トル コ報 復 部 隊 」)を 作 っ た か どで 、 そ れ ぞ れ19年
間 の 懲 役 刑 を 宣 告 され た 。15bl【29】1998年10月
に控 訴 裁 判 所 は ・'1996年 の あ る
演 説 で トル コ 人 とク ル ド人 を 区別 して 「
公 に 公 衆 の 敵 意 と憎 悪 を 煽 っ た 」 か どで 告 発 され
で い た ビル ダ ル に 対 して 言 い 渡 され て い た1年
間 の 実 刑 判 決 を支 持 した。 彼 に 対 す る判 決
は 、控 訴 裁 判 所 総 協 議 会(GenemlCounciloftheAppealsCo面)に
ビ ル ダ ル は1999年6月3日
的 な 理 由 か ら1999年3月
に10ヶ
よ っ て正 式 に 認 め られ た 。
月 と3日 間 の 刑 に服 す る た め に 収 監 され た 。 彼 は 医 学
に 釈 放 され た が 、 ビル ダ ル は これ 以 上 刑 務 所 で 生 活 す る こ とに耐
え られ な い とす る報 告 書 を 国 の 医 療 機 関 が 退 けた 後 の2000年3月28日
、 残 り の刑 期6ヶ
月 間 を 務 め る た め に ア ン カ ラ の 刑 務 所 に送 り返 され た 。・ビル ダ ∼
レは 法 律 上 、 収 監 さ れ た 結
果 と して 田Dの
指 導 者 と会 員 の 双 方 を 辞 した 。【5al[5bl【62司1995年 に ビル ダ ル が 行 っ た 演
説をめ ぐって彼 を相手取 った別の裁判で、控訴裁判所は1年
が ア ダ ナ の 国 家 保 安 裁 判 所 は1998年12.月
4。23シ
間の実刑判決を破棄 しち。 だ
に 、1年 間 の 実刑 判 決 を 再 度 出 した 。[12el
リア と トル コ の 間 に 軍 事 的 緊 張 が 高 ま っ た の を 受 け て 、1998年10
高 官 が 会 合 を 行 い 、 シ リア が 同 国 の領 土 内 に お け るPKKの
印 され た 。PKKの
.月下 旬 に 両 国 の
活 動 を 認 め な い とす る 協 定 が 調
ア ブ ド ゥラ ・オ ジ ャ ラ ン 党 首 は 、シ リア を 強 制 出 国 させ られ た。追 放 後 、
オ ジ ャ ラ ン は 欧 州 の 数 力 国 に 亡命 を 求 め よ う と した が 果 た さ ず 、 ケ ニ ヤ で 捕 え られ て 、 空
路 トル コ に 戻 され た 。 オ ジ ャ ラ ン は 追 放 後 の 当初 はPKKの
権 力 闘 争 に よ り、PKKの
4.241999年2月
活 動 と距 離 を 置 こ う と した が 、
党 首 と して の 地 位 に 復 位 した と伝 え られ て い る。[1a][21al[24a】[55a]
中旬 にお け るア ブ ド ゥデ ・オ ジ ャ ラ ンの トル コヘ の 強 制 送 還 に は 、 欧 州
全 土 に お け る彼 の 支 持 者 に よ る 公 的 な抗 議 行 動 と トル コ に お け る 散 発 的 な抗 議 行 動 が 伴 っ
た が 、そ の 多 くが 暴 力 化 した 。騒 乱 は 最 初 、HADEP(人
民 民 主 党)党 員 が さ ら に逮 捕 され 、
11
戸印
PKKが
トル コ 全 ‡ で 一 連 の 爆 破 事 件 を 起 こす こ と に つ な が っ た 。 イ ス タ ン ブ ー ル の ガ ジ 地
区 に お け る ク ル ドの新 年 の 祝 い は 、 大 き な グ ル ー プ が 横 断 幕 を掲 げ て ス ロー ガ セ を 叫 び 始
め た た め に 暴 力 に 終 わ っ た 。警 察 が 介 入 し よ うと して 、警 官4名
とデ モ 隊 員1名
が 撃 た れ 、・
725名 が 拘 留 され た 。 【30a][40q
424オ
ジ ャ ラ ン が 逮 捕 され た の を受 け て 、 議 長 の 取 り仕 切 る 小 規 模 な 評 議 会 がPKKを
運
営 し始 め た が 、 オ ジ ャ ラ ン は 拘 留 され て い る に もか か わ らず 、 党 首 と して の 地 位 に あ る こ
≧が 確 認 され た 。124司[46d]1999年3月
の 初 頭 、PKKの
政治 部 が行 動 は 民主 主義 の枠 内で
行 う と発 表 す る 一 方 で 、 軍 事 部 は 「
全 面 戦 争 」 と軍 事 行 動 の 拡 大 を 呼 び か け て 、 相 反 す る
見 解 を表 明 した 。[46b][46cl[65a】 だ がPKKは1999年
め6月
中 に 、1999年4月30目
ま っ た公 判 の 間 に オ ジ ャ ラ ン が 行 っ た 和 平 の 呼 び か け に 同調 し始 め た 。[63h]以
に始
後 、PKK
の マ ニ フ ェ ス トは 「クル ド人 問 題 」 に 対 す る平 和 的 で 民 主 主 義 的 な 解 決 を 目指 し て 努 力 す
る が 、r積 極 的 な 防 衛 の 立 場 」 は 堅 持 す る こ と とな ρ た。1999年7月
軍 事 部)は
4・26オ
年8月2日
中 旬 、ARGK(PKKの
、 以 後 は命 令 を受 け る ま で ゲ リラ行 動 を 停 止 す る と発 表 した 。[62c1[62d1
ジ ャ ラ ン は 反 逆 罪 で 有 罪 と され ・1999年6月29印
こ死 刑 宣 告 き 受 け た 。[63」11999
、 オ ジ ャ ラ ン は弁 護 士 を 通 じてlPKKにr1999年9月1日
を もって 武装 闘争 に
終 止 符 を 打 ち 、平 和 の た め に 国 境 外 の 勢 力 を撤 退 させ る」よ う呼 び か け る 声 明 を 出 した 。【301]
2日 後 、PKKの
統 轄 評 議 会 は オ ジ ャ ラ ン の 呼 び か け に 応 じ、 戦 闘 員 が 実 際 に 一
トル コ に対 す
る 軍 事 行 動 を 停 止 す る こ とを 確 詔 した 。 こ の 声 明 は 翌 日、PKKの
民 解 放 軍(ARGK)に
よ っ て 支 持 され 、ARGKは
武 装 部 門 で あ る クル ド人
オ ジ ャ ラ ン の 決 定 に 従 うこ と を 確 認 した も
の の 、攻 撃 され た 場 合 に は 自衛 の 戦 い を 行 う権 利 を 主 張 しだ 。,【32bl政 府 とPKKの
力 闘 争 は1999年
に 事 実 上 終 結 し、 トル コ軍 とPKKの
告 され て い る だ け で あ る。2000年10月
間 の武 「
反 乱 分 子 の 間 に ご く少 数 の 衝 突 が 報
、トル コ軍 はPKKに
対 す る戦 い を成 功 裡 に 完 了 し、
戦 い は 、警 察 とジ ャ ン ダル マ が 引 き継 げ る 程 度 に ま で 縮 小 した と発 表 した 。PKKは2QOO年
中 に は ほ ぼ 完 全 に 活 動 せ ず 、2001年 に は 軍 に よれ ば 、武 力 鋳 突 は わ ず か45件
年 に はPKKに
で あ っ た 。2002
ょ る 暴 力 は ほ とん どゼ ロ に 近 か っ た が 、 国 は 南 東 部 で 重 装 備 の 治 安 部 隊(道
路 上 の 無 数 の 検 問 所 を含 め て)を 維 持 した,[5d】[591[12m】【19】[21a】[24a】[4鯛
【46d][55a】[63d]
4272000年1月12日
に トル コ政 府 は 、 欧 州 人 権 裁 判 所 に 対 して オ ジ ャ ラ ン が 行 っ た 控 訴 』
12
の 結 果 が 出 る ま で オ ジ ャ ラ ン の 死刑 郵 行 を 停 止 す る こ とを 求 め る 、 同 裁 判 所 か ら の 差 止 め
命 令 を 尊 重 す る こ とに 合 意 した。識 者 は 、 こ の 決 定 はEU参
加 計 画 を前 に進 め て 、経 済 と政
治 上 の 目標 を 追 求 し よ う とす る政 府 の 決 意 、Pならび に そ の 目標 を 達 成 す る た め に は 国 民 の
感 情 を 無 視 す る 用 意 が 政 府 に あ る こ と を 明 らか に示 す も の だ と論 じた 。 オ ジ ャ ラ ン は 獄 中
か らの 声 明 書 で 、 この 決 定 は 民 主 主 義 を 目指 す 一 歩 で あ る と述 べ た 。 彼 は 、かKKが
き を利 用 しな い こ と を約 束 し、『
クル ド人 国 家 を 求 め るPKKの
っ た と述 べ た 。PKKの
こ の動
戦闘は 「
歴 史 的 な 誤 り」 で あ
統 轄 評 議 会 は 、 同 党 が 政 治 目標 を前 進 させ る た め に 民 主 的 手 段 の み
を 実 行 す る こ と を確 認 した 。 【32el2002年8月
」 トル コ は 戦 時 お よ び 戦 争 の 差 し迫 っ て い
る 時 を 除 い て 死 刑 を廃 止 し、 オ ジ ャ ラ ン の 有 罪 判 決 は2002年10月3日
、仮釈 放 を認 めな
い 終 身 刑 に 変 更 され た 。 彼 ほ 死 ぬ ま で刑 務 所 に と ど ま る こ と に な る 。 【30呵
4。281999年4月23日
、 英 国 の 独 立 テ レ ビ委 員 会(ITC)はPKKの
い る衛 星 チ ャ ンネ ル のMed-TVに
代 弁 者 と広 く 目 され て
対 して 、 営 業 免 許 を 取 り消 す 通 知 を送 達 した 。 こ の 免 許
取 り消 し は 、 トル コ お よ び 他 の 場 所 で 暴 力 行 為 を奨 励 す る 扇 動 的 な 声 明 を 含 ん だ 内 容 が 放
送 され た 後 に 行 わ れ た 。[30dlMed-TVの
禁 止 の機 先 を 制 して 」Med・TVは
放 送 は 、ITCの
裁 定 が 出 る ま で 一 時 中止 され た 。
も う一 つ 別 の チ ャ ンネ ル と して 衛 星 ア ク セ ス を 確 保 した よ
うで 、 現 在 は そ の名 義 で 放 送 を行 っ て い る。[30b]
4。291998年12月
に トル コ の 内務 相 は 、'アナ トリア 東 部 と南 東 部 に お け る テ ロ事 件 が ご く
少 数 に 減 っ た とす る 見 解 を発 表 し た。[63dl1998年11月
ラ ン が 拘 留 され て か ら とい う も の 、一 部 のHADEP(ク
にイ タ リア で ア ブ ドゥ ラ ・オ ジ ャ
ル ド寄 りの 人 民 民 主 党)党 員 はPKK
党 首 を宰 持 して ハ ン ガ ー ス トライ キ に入 っ た 、 当 局 か ら事 前 に 承 認 を 受 け ず に デ モ を 行 っ
た 者 も あ っ た 。 こ の こ とが11月
され る こ と に つ な が り、HADEPに
末 か ら12月
い る が 、18歳
の 党 員1名
て られ て い る 。HADEPの
員 が 逮捕
対 す る 警 察 の 措 置 に反 対 す る抗 議 行 動 の た め に さ らに 逮
捕 が 行 わ れ う こ と に な っ た 。HADEPは
ボ ズ ラ ク を 含 め て3,064名
に か け て 、 あ ち ら こ ち らでHADEP党
、11月 末 現 在 にお け る拘 留 者 の 数 を 、 党 首 ム ラ ト ・
と した 。そ の 大 部 分 は 短 期 問 の 拘 留 後 に解 放 され た と伝 え られ て
が 警 察 で の拘 留 中 に 死 亡 し、 そ の 原 因 は尋 問 中 の 殴 打 だ と 申 し立
指 導 者 は 、党 員 の 多 くが 取 り締 り中 に 殴 打 と拷 商 を受 け た と述 べ
て い る。[5a】 オ ジ ャ ラ ン を支 持 して のハ ン ガ ー ス トライ キ,と、 オ ジ ャ ラ ン の 引 渡 し要 請 に
抗 議 す る新 聞 発 表 を受 け て 、ア ン カ ラ の 国 家 保 安 裁 判 所 の検 事 局(ChiefPmsecutor'sO伍ce)
13
は1999年1月28日
に 、 ボ ズ ラ ク を含 め たHADEPの
役 員47名
年 半 か ら7年 半 の 懲 役 刑 が 求 刑 され た 。[63el1999年1月29日
察 官(ChiefProsec伽r)はHADEPを
し、HADEPとPKKの
を 起 訴 した 。 告 発 状 で は4
、高 等 控 訴 裁 判 所 の 主 任 検
相 手 取 っ て 違 憲 審 査 裁 判 所 に対 し、 同 党 の 解 党 を 要 求
間に 「
有 機 的 関 係 」 が あ るrと申 し立 て る 起 訴 手 続 き を と っ た 。 法 的
な 異 議 申 し立 て が2件
あ っ た も の の 、HADEPは1999年4月
【41a][46司1999年7月
の 選 挙 へ の 参 加 を認 あ られ た 。
中旬 に ム ラ ト ・ボ ズ ラ ク とHADEPの
そ の他 の役 員16名
が 釈 放 され
た 。[64a]
4,30HADEPは
・1999年4,月 の 選 挙 で 国 会 に代 表 を返 り咲 かせ る に 足 る投 票(全
が 基 準 値)を
国 の10%
得 る こ と が で き な か っ た が 、 デ ィ ヤ ル バ ク ル を含 め た 南 東 部 の 数 ヵ 所 の 市 長
選 を 制 した 。』[32a]【88b】選 挙 で リジ ェ(Lice)市
長 に選 ば れ たHADEP党
員 は 、 彼 が1989
年 に 傷 害 を 伴 っ た 事 件 に 関 与 した た .めに公 職 に 就 く こ と を 禁 じ られ た こ とに 基 づ く 高 等 選
挙 委 員 会 の 決 定 を 受 け て 、 解 任 され た 。 同 市 長 は 、 す で に 検 察 に 申 請 を 済 ま せ て い て 犯 罪
記 録 が 抹 消 され て い る以 上 、 この 決 定 は不 法 で あ る と述 べ た 。[62b1
4.311999年4月18同
立 て た 。[30cl民
に 実 施 され た 国 政 選 挙 と地 方 自治 体 選 挙 に は 、様 々 な 党 が 候 補 者 を
主 左 派 党(DSP)が
り、国 民 行 動 党(MHP)(得
議 席 数 が110議
議 席 数 が85議
で あ っ た 。[60c]5月
とMHPの
票 率 が18%、
席)、 祖 国 党(ANAP)(得
(得票 率 が12%、
最 大 得 票 率(22%)を
議 席 数 が130議
得 て 国 会 で136の
票 率 が13%、
席)、 美 徳 党(FP)(得
議 席 数 が86議
席 〉 が それ に続 い た 。132a1有
下 旬 に は 、DSPの
議 席 を勝 ち 取
票 率 が15%、
席)、 正 道 党(DYP)
効 得 票 総 数 は31,184,496票
ビ ュ レン ト・エ ジ ェ ビ ッ トを 首 班 とす るDSP、ANAP
連 立 政 府 が デ ミ レル 大 統 領 に よ っ て 承 認 され た 。 閣 僚 ポ ス トは 、3党 で 分 け られ
た 。ANAPは
た 。2000年7月
政 権 に 参 加 した が 、党 首 の メ ス ー ト ・ユ ル マ ズ は 当 初 閣僚 ポ ス トに 就 か な か っ
、 ユ ル マ ズ は 副 首 相 と して 入 閣 し、EU問
4。32ト ル コ は1999年
の8月
題 を 担 当 した。 【32q
と11月 に2度 の 大 地 震 に 見 舞 わ れ ∼少 な く と も18,577名
の死
者 が 出 た 。 広 が っ た 木 衆 の 怒 りは 、 災 害 に 対 す る 国 家 機 関 、 特 に軍 隊 の 対 応 の 遅 さ と 、 地
震 に 弱 い ご とが わ か っ て い る 地 域 に規 格 に満 た な い 多 く の 団 地 の建 設 を許 した 、 トル コ特
有 の 汚 職 に 向 け られ た。 【1a1あ る若 手 閣 僚 は 、 「瓦 礫 の お お も と に は 、 トル コ の 政 治 と行1
政 の 制 度 が あ る 」 こ とを 率 直 に 認 め た 。[861地
14
震 後 の 国 際 援 助 に は ギ リシ ャ か ら の 大 規 模
な 援 助 が 含 ま れ て い た た め 、 トル コ と ギ リセ ヤ の 関 係 は顕 著 に 改 善 し た。[1a]
4.332000年5月
、 国 会 は尊 敬 を 得 て い る違 憲 審 査 裁 判 所 長 官 、 ア フ メ ッ ト ・ネ ジ デ ッ ・
ト
(Necdet)・ セ ゼ ル を 新 大 統 領 に 選 ん だ づ 彼 は トル コで は 、 活 発 な 政 治 家 で も軍 の 高 官 で も'
な い 初 の 大 統 領 で あ るる 多 くの トル コ人 は 、 高 潔 な 人 柄 に つ い て の 評 判 、 トル コ で は 大 い
に 嫌 われ て い る政 党 と の 距 離 、 法 の 支 配 に 対 す る根 っ か らの 敬 意 を 新 風 と して 受 け 取 っ た 。
あ る識者 は 「
法 律 違 反 を 許 さず 、 腐 敗 を 大 目に 見 な い 法 律 木 」 で あ る と評 し た 。1999年
、
セ ゼ ル 氏 は 民 主 的 自 由 を制 限 して い る と して トル コ憲 法 を 批 判 した 。 ま た 、 い ま だ 非 常 統
治 下 に 置 か れ て い る 南 東 地 域 の 諸 県 にお け る法 的 決 定 に対 す る抗 議 を認 め る べ き で あ る と
も 主 張 した。 【1a][41b1大 統 領 に 選 ば れ た 時 の 声 明 で 、 セ ゼ ル 氏 は 「
私 は 、 大 統 領 職 とい う
こ の 至 高 の任 務 は 、 法 律 の優 越 と独 立 をす べ て の 面 に お い て 保 証 し維 持 す るべ く、 トル コ
国 会 が 私 に 与 え た 責 任 だ と考 え ます 。.,.,.民
主 主義 に対す る正 当 な理解 が社 会 生 活や 政 治 生
活 に お い て発 展 して お らず 、 民 主 主 義 の伝 統 が ま だ 具 体 化 して い ませ ん_...法 治 国 家 の 原
則 に 従 っ て 、 民 主 主 義 と民 主 的 価 値 観 を わ が 国 の 法 律 制 度 に 取 り込 ま ね ば な りま せ ん 。」 と
述 べ た。 セゼ ル 氏 は続 けて 、民主 主 義 の基 本 で あ る と自 らが考 え る政教 分 離 の原 則 を守 る
こ とに 加 え て 、 イ ン フ レ率 を 下 げ 、 所 得 の 不 公 平 を な くす た め に は 、公 共 支 出 に 大 い に 配
慮 す る こ と も必 要 で あ る と述 べ た 。 【63al
4.34セ
ゼ ル 大 統 領 とエ ジ ェ ビ ッ ト首 相 と の 間 の 緊 張 が 、2001年2月19日
の 国家保 安評 議
会 の 月 例 会 合 で 頂 点 に 達 し た 。 エ ジ ェ ビ ッ ト氏 は 、 腐 敗 が 申 し立 て られ て い る 閣 僚 を保 護
した と大 統 領 か ら非 難 され て 、 会 合 を退 席 した 。 そ の 結 果 、 多 額 の 資 本 が 逃 避 し、 株 式 市
場 で 株 価 が 暴 落 した た め 、 トル コ政 府 は トル コ ・リ ラ の 変 動 相 場 制 移 行 を余 儀 な く され 、
トル コ ・リラ は 実 質 上3分
の1値
下 が り した 。 結 果 的 に物 価 が3分
の1以
上 値 上 が り した
こ とが 、 ア ン カ ラ そ の 他 の 都 市 にお け る 、 特 に 公 務 員 に よ る 抗 議 デ モ の 引 き 金 とな っ た 。
【32h3あ
る観 測 筋 は 、 「
首 相 の 行 動 は許 しが た い も の だ と思 い ま す 。 首 相 は 、 市 場 が 神 経 質
に な っ て い る こ と を 知 っ て い た はず で す 」 と述 べ た 。 別 の 識 者 は 「
冗 談 じゃ な い 。 い っ た
い 、 こ れ で トル コ を 治 め られ る もの か 」 と怒 りの 声 を あ げ た 。[44b1
4352001年6月
に違 憲 審 査 裁 判 所 は 、1999年5月
に 始 ま っ た裁 判 に つ い て の 判 決 に 達 し、
トル コ の 政 教 分 離 の 秩 序 を 損 な っ た か どで 美 徳 党(Fazilet)の
15
活 動 を禁 止 した 。 こ の 判 決 が
出 て も 、 期 待 され た よ うに 大 量 の 党 員 が 国 会 か ら追 放 され る に は 至 らな か っ た 。 判 事 の 投
票 の 結 果 、 美 徳 党 の 議 員2名
だ け が 追 放 され る こ と と な り、 残 る100名
は 、美 徳 党 の 後 継 党 で あ る 至 福 党(SaadetP漉si)と
の代 議員 の大 部分
正 義 発 展 党(A戯etveK紐
㎞maP面si)
に 参 加 した 。 美 徳 党 の 活 動 停 止 は エ ジ ェ ビ ッ ト首 相 を 含 む 大 部 分 の議 員 の 反 対 を 受 け 、 エ
ジ ェ ビ ッ ト首 相 は 、 美 徳 党 の 解 散 は経 済 が 危 機 的 で あ る時 節 柄 、 政 治 不 安 の 増 大 を 招 く と
主 張 した 。 【32i】 レジ ャ イ ・ク タ ン は 、 至 福 党 は 宗 教 的 権 利 を保 護 しよ う と努 め る が 、 トル
コ 国家 の 政 教 分 離 とい う基 本 に 対 して 異 議 申 し立 て は しな い と述 べ た 。[31
4.36ト
ル コ は 、 欧 州 に お け る 戦 略 的 位 置 づ け 、NAro第
ス ラ ム諸 国 会 議 機 構 に所 属 して い る こ と か ら、NATOの
二 の 軍 隊 の 所 有 、NAroで
唯一 イ
主 要 メ ンバ ー と して認 め られ て い る。
[1a】
4.371987年4月
12月
、 トル コ は 欧 州 共 同 体 の正 式 メ ンバ ー と して の 参 加 を 申 請 し[1a】
、1999年
に欧 州 連 合 の 正 式 な メ ンバ ー 候 補 と して の 資 格 を 与 え られ た 。 こ の こ と は 歴 史 的 な 一
歩 と して トル コ国 内 の メ デ ィ ア に 好 意 的 に 迎 え られ 、 ギ リ シ ャ の 首 相 は 「
我 が地 域 にお け
る 平 和 、 安 全 保 障 と発 展 へ と 向 け た 歴 史 的 な 転 換 点 とな っ た 」 と述 べ た 。 メ ンバ ー 候 補 と
な っ た こ と は 、 他 の 参 加 申請 国 と平 等 な 条 件 で の 処 遇 を 求 め る トル コの 要 求 が 満 た され る
上 で 大 い に 役 立 っ た が 、 ヘ ル シ ン キ 会 議 の 結 論 に は 、 こ の 申 し出 を ギ リシ ャ に容 認 可 能 な
も の にす べ く 、 慎 重 な 語 句 が あ っ た 。 ヘ ル シ ン キ会 議 の 結 論 は 、 分 割 され て い る キ プ ロ ス
島 に つ い て の 解 決 を 要 求 して い た が 、 キ プ ロ ス 島 が トル コ 人 社 会 とギ リシ ャ 人 社 会 の 間 で
分 裂 した ま ま で あ れ ば 、 トル コ が キ プ ロ ス のEU参
加 を 阻 止 で き な い こ とを 明 確 に 打 ち 出 し
て い た 。EUの
メ ン バ ー 候 補 と して トル コ が 採 択 しな け れ ば な らな い 政 治 ・経 済 プ ロ グ ラ ム
に 関 してEU指
導 者 は 、 トル コ が 人 権 保 護 の 実 態 記 録 を改 善 す る必 要 が あ る こ と に 具 体 的 に
言 及 した 。[32d1
4.382001年3月
に トル コ 政 府 は 、 トル コ がEUへ
計 画 され て い る道 第 を 示 す
の 参 加 基 準 を満 た せ る よ うに す る た め に
「Acquis採 択 の た め の 国 家 プ ロ グ ラ ム 」 を 発 表 した 。 こ の プ ロ
グ ラ ム で は 、 トル コ国 会 が2004年 ま で に89の 新 法 を 制 定 す る こ と と、94の 現 行 法 へ の 変
1
更 に 合 意 す る こ とが 必 要 に な る。 これ らの 変 更 は 、 思 想 と表 現 の 自 由 、 結 社 と平 和 的 集 会
の 自 由 、 拷 問 に 対 す る戦 い 、 公 判 前 拘 留 、 人 権 侵 害 に対 す る補 償 を 求 め る機 会 の 強 化 、 法
16'
律 執 行 職 員 と傘 務 員 に 対 す る 人 権 関 連 の研 修 、 司 法 の機 能 と有 効 性 の 改 善 、 死 刑 廃 止 、 拘
留 条 件 、 文 化 、 生 命 と個 人 の 自由 、 市 民 の 経 済 ・社 会 ・文 化 能 力 を 高 め る た め の 地 域 格 差
の 軽 減 、思 想 ・宗 教 ポ良 心 の 自 由 、憲 法 お よび そ の 他 の 該 当 法 とEUの
政 治 的 基 準 との 調 和 、
非 常 事 態 の 解 除 な ど、 様 々 塗 分 野 に わ た っ て い る,【82b】
4.392001年10月3日
、EU加
盟 の た め の 地 な ら し をす る こ とを 目的 と した34件
憲 法 の修 正 パ ッ ケ ー ジ を 国 会 が 承 認 して 、 トル コ は過 去20年
た 。 法 律 第4709号
は2001年10月17日
か ら成 る
間 で最 大 の法律 改 正 を完 了 し
に施 行 され た 。 クル ド語 の使 用 に 対 す る制 限 の 緩
和 や 、 容 疑 者 が 告 発 され る ま で の 最 長 拘 留 期 間 の 短 縮 化 、 政 党 の 活 動 禁 止 手 続 き の 厳 格 化
か ら 、 強 力 な 国 家 保 安 評 議 会 を 作 り直 して 文 民 政 治 家 の割 合 を 増 や す こ と に い た る 修 正 事
項 は 、1980年
の軍 事 ク ー デ タ ー 後 に 憲 法 が 起 草 され て 以 来 初 の 大 型 改 革 で あ っ た 。 多 くの
場 合 、 実 施 に は す で に 進 行 中 の 刑 法 の 変 更 や 、 そ の 他 の 権 限 付 与 立 法(そ
の緊 要性 は まち
ま ち で あ っ た)が 必 要 と され た 。 改 革 は トル コ国 内 にお け る 興 奮 に 火 を つ け 、 「ヒ ュ リエ ッ
ト」 紙 はr新
トル コ は 捜 索 を受 け ず 、 盗 聴 され ず 、 失 踪 も な く 、 自 由 に 話 し、 批 判 す る'こ
と が で き る よ うに な る」 と熱 狂 的 な 記 事 を掲 載 した 。 あ るEU高
の 間 にお い て 報 告 で き た 事 件 の 中 で 最 も重 要 な 展 開 で あ り、EU全
官 はrこ れ は 、 こ こ何 年 も
体 、特 に欧州 議 会 に よ っ
て そ の こ とが 記 録 され な けれ ば 悲 しい こ とで あ る 」 と述 べ た 。r121」[41c][44c]
4.402001年10月
第4744号
、4748号
の 憲 法 修 正 が 、2002年 に お け る3組 の施 行 法 の採 択 に つ な が っ た 。法 律
、4774号
と して そ れ ぞ れ2002年2月
、3月 、8月 に採 択 され た3組
の
「
改 革 パ ッケ ー ジ 」 に よ り、 トル コ の 主 要 法 の 様 々 な 条 項 が 修 正 され 、 死 刑 、 基 本 的 権 利
と 自 由 の 行 使 、 公 判 前 拘 留 と法 的 補 償 な どを 含 め て 、 多 岐 に わ た る人 権 問 題 に 対 す る対 処
、
が な され た 。[761
4。412002年2月6日
法 律 第4744号(い
、 トル コ 国 会 は 国 内 法 の 一 部 を憲 法 修 正 に 合 わ せ て 調 整 す る た め に
む ゆ る 「ミニ 民 主 主 義 パ ッケ ー ジ」)を 採 択 した 。 ア ム ネ ス テ ィ ・イ ン
タ ー ナ シ ョナ ル は この 法 律 の い くつ か の 要 素 を徽 迎 しな が ら も、 トル コ政 府 湖 表 現 の 自 由
に 対 す る十 分 な 保 護 策 や 、 拘 留 中 の 拷 問 が根 強 く残 っ て い る こ と に 対 す る 有 効 な 対 策 を 導
入 して い な い こ とに懸 念 を表 明 し た。1101[121】
17
44277歳
に な っ て い た エ ジ ェ ビ ッ ト首 相 の 健 康 が 、2002年
衰 え た 。 首 相 は 勇 退 を 拒 否 し、7月31日
と を圧 倒 的 多 数 で 議 決 した 。144dlそ
非 常 事 態 は2002年7月30日
に 国 会 は2002年11月3日
に選 挙 を 前 倒 しす る こ
の 一 方 で 、 ハ ッ カ リ と トゥン ジ ェ リの 両 県 に お け る
に解 除 され た が 、デ ィ ヤ ル ∼》 ル と(判 読 不 能)の2県
け る非 常 事 態 は 、2002年11月36日
4432002年8月3日
の 晩 春 か ら夏 に か け て 大 き く
にお
まで の 予 定 で 最 後 の4ヶ 月 間 、
と して 更 新 され た 。[30ql
、 トル コ 国 会 はEUに
加 盟 で き るチ ャ ン ス を 高 め る た め の 、大 型 の 民
主 改 革 パ ッケ ー .ジを正 式 に承 認 した 。 こ の パ ッ ケ ー ジ は 、 下 記 の 措 置 か ら成 る も の で あ っ
た=
i。 平 時 に お い て 死 刑 を 廃 止 し、 仮 釈 放 の 可 能 性 の 塗 い 終 身 刑 を これ に 代 え る こ と。 た だ
し死 刑 は 、 戦 時 の 法 令 全 書 に は残 す 。
焦
トル コ語 以 外 の 言 語 に よ るテ レ ビ ・ラ ジ オ 放 送 を 認 め る が 、 憲 法 で 定 め られ て い る 国
家 主 権 の原 則 に反 しな い こ と。 この 変 更 に よ り、 ク ル ド語 で の 放 送 が 認 め られ る。 トル コ ・
ラ ジ オ ・テ レ ビ最 高 評 議 会(TurkishRadioandTelevisionSupremeCounci1)が
監 督機 関 の役
割 を 果 たす 。
血.教
育 省 の 監 督 下 にお い て 、 私 立 学 校 の 特 別 講 座 で クル ド方 言 を教 え る。
iv。 軍 隊 を含 め た 国 家 機 関 に対 す る 書 面 、口頭 、図 画 に よ る批 判 に対す る処 罰 を廃 止 す る 。
v.公
衆 デ モ と結 社 に対 す る制 限 を 緩 和 し、当 局 に 対 して48時
間前 まで にデ モ を通 知 す る
こ と を認 め る。
vLト
ル 旨 で 運 営 され る 外 国 と国 内 の 非 政 府 組 織 に 対 す る制 限 を緩 和 す る。
癒 。 人 身 と臓 器 ・
の密 輸 業 者 、 お よび そ の 常 助 者 に対 す る罰 則 を 、 移 民 の 生 命 が 脅 か され る
場 合 に は特 に 強 化 す る。
、
証
ix.報
イ ス ラ ム 教 以 外 の 少 数 派 宗 教 に とっで の 自 由 を拡 大 す る。
道 関 連 の 法 規 を改 正 す る。
x。 警 察 の 義 務 に つ い て 定 め る法 規 を 変 更 す る。P
xr強
制 労働 か ら利 益 を得 て い る こ とが 判 明 した 者 に対 して 、最 高 で10年
間 の懲 役 刑 を科
す 。[66a】
4・44欧 州 委 員 会 は 、 トル コ の 政 治 指 導 者 の 大 多 数 が トル コ を欧 州 連 合 の 価 値 観 と基 準 に も
っ と合 う よ う に し よ う と決 意 して い る こ との 重 要 な 兆 候 だ と して 、 この 改 革 パ ッケ ー ジ を
18
歓 迎 した 。ECは
声 明 で 、 こ.の改 革 は トル コ に お け る人 権 と少 数 派 に お け る権 利 の 保 護 の 拡
大 へ と向 か う大 き な 前 進 で あ る と述 べ た 。ECは
、総合 的 改革 パ ッケー ジの影響 を十 分 に評
価 す る に は 慎 重 な 分 析 が 必 要 で あ る こ と を 強 調 しな が ら も 、 こ の 作 業 は 秋 に 提 出 され る定
期 報 告 書 で な され る で あ ろ う と述 べ た 。 ま た 、 影 響 の 多 くは パ ッケ ー ジ の 実 際 の 実 施 状 況
に左 右 され る も の で あ り、 今 後 の 数 ヶ月 問 で そ の 影 響 を 厳 格 に 監 視 す る と も付 け加 え た 。
EU拡
大 を担 当 して い る ギ ュ ン タ ー ・フ ェル ホ ィ ゲ ン委 員 は 、 「
勇 気 あ る トル コ国 会 の 決 定
を歓 迎 す る。 ζ の 決 定 は1999年
の ヘ ル シ ン キ にお け る欧 州 評 議 会 以 来 、 耳Uが
トル コ の た
め に 展 開 して き た 明 確 に 欧 州 的 な 視 座 な く して は 不 可 能 だ っ た で あ ろ う。.トル コ の 決 定 は 、
人 権 と少 数 派 保 護 に 関 してEUが
確 固 た る姿 勢 を と っ て い る こ との 正 し さ を も示 し て い る
… ・..こ
れ らの 問 題 に つ い て 譲 歩 しな い こ と に よ り、我 々 の パ ー トナ ー は 我 々EUが
価値観 を
堅 固 に 守 り、 これ らの 価 値 観 が 我 々 に と っ て か け が え の 塗 い も の で あ る こ と を よ り良 く理
解 す る の で あ る 」 と 語 っ た 。[30r]
4.45ト
ル コ の あ る人 権 活 動 家 は こ の 改 革 に つ い て 、 「トル コ 共 和 国 の 歴 史 上 、 最 も前 向 き
な 変 革 」 で あ る と述 べ た 。 池 に も、 人 権 活 動 家 で トル コ 人 権 協 会 の デ ィ ヤ ル バ ク ル 支 部 の
責 任 者 で あ る オ ス マ ン ・バ イ デ ミル(OsmanBaydemir)は
に 言 及 して 、 「
初 め 七 、 相 違 が 受 け入 れ られ 一
トル コ に お け る クル ド人 の 役 割
拒 否 に終 止 符 が 打 た れ 一
存 在 す る こ とが 実 際 に 認 あ られ た 」 と語 っ た 。[37a](下
監 視 団(HRW)は
、r昨 年 は 、1980年
記 の6.124を
文 化的 な相違 が
参 照 の こ と。)人 権
の ク ー デ タr以 降 の どの 年 に お け る よ りも 実 質 的 な
人 権 の 改 善 が 見 られ た 。 か つ て に お け る嫌 々 な が ら の 小 さな 前 進 で は な く・2っ の 大 き な 進
展 が あ り、今 後 の 改 善 が 約 束 され た 』 と コ メ ン トして い る 。 た だ しHRWは
・ トル コ が 人 権
無 視 の 歴 史 と決 別 した こ と を証 明 す る た め に特 に成 果 を 出 さ な けれ ば な らな い 領 域 が2つ
あ り、 そ れ は 拷 問 と表 現 の 自 由 で あ る と付 け加 え た 。 【9e】
4。46欧 州 委 員 会 が2002年10月
に 出 した 「EU加 盟 に 向 け て の トル コ の進 展 に 関 す る定 期
報 告 書 」 は 、 欧 州 連 盟 へ の 加 盟 候 補 者 資 格 が1999年
に決 定 して 以 来'トル コが 導 入 した 基 本
的 改 革 を歓 迎 した 。(加 盟 の た め の 政 治 的 基 準 は 、各 輿 が 「
民主 主義 、法 の支配 、 人権 、少
数 派 に 対 す る 尊 重 と保 護 を 保 証 す 首 制 度 の安 定 」 を 達 成 し て い な け れ ば な ら な い 、 とい も
の で あ る。)こ の 報 告 書 は 、 人 権 と基 本 的 自由 の領 域 に お け る保 証 を 強 め 、死 刑 宣 告 の理 由
を制 限 した2001年10月
に お け る 大 型 の 憲 法 改 革 に に つ い て記 した 。2001年11月
19
に は 、新
た な 民 法 が採 択 され た 。2002年2月
、3月 、8月 に1ま3緯 の 改 革 パ ッ ケ ー ジ が採 択 され たg
平 時 の 死 刑 は 廃 止 され た 。 南 東 部 の2県
の適 用 を受 け て い る2県
に お け る 非 常 事 態 が解 除 され 、 い ま だ に 非 常 事 態
に お い て も2002年
末 ま で に解 除 を 行 う決 定 が な され た 。 こ うい っ
し
た(困 難 な政治経済状況の もとで採択 された)大 規模 な変革をめぐる政治的 コンセ ンサス
の 構 築 は 、EUへ の加 盟 につ い て の 集 中 的 な 公 開 討 論 に よ っ て 準 備 され た 。こ の 公 嗣 討 論1言、
政 党 、 市 民 団 体 、 実 業 界 の み 参 らず 学 界 も 参 加 して 行 わ れ た 。 報 告 書 は 、 トル コ は 総 じて
1998年 以 降 、ま た 特 に2002年10月
ま で の1年
間 で 、EUに 加 盟 す る た め の 政 治 的 基 準 を 満
た す こ とに 向 け て 顕 著 な 進 展 を 遂 げ た と結 論 して い る。2002年8月
の 改革 は 、特 に広 い影
響 の 及 ぶ も の で あ っ た 。 総 合 して み る と、 こ の 改 革 に よ り トル コ で 民 主 主 義 を 強 化 し、 人
権 を保 護 す る た め の 基 盤 の 多 く が得 られ た 。改 革 は 、 トル コ国 民 がEUに
行 き渡 って い るの
と 同 等 の 権 利 や 自 由 を前 向 き に 享 受 で き る よ うに す るた め の 、 さ ら な る 変 革 へ の 道 を 開 い
た 。[76】
4.47し
か し なが ら欧 州 委 員 会 は 、 トル コ は 以 下 の 理 由 か ら、EUに
加盟 す るた めの政 治 的
基 準 を 十 分 に は 満 た して い な い と結 論 づ け た:
(i)改
革 に は 、基 本 的 権 利 と 自由 の 十 全 な 享 受 に 対 す る 重 大 な 制 限 が い くつ も あ る 。特 に 、 、
文 宇 報 道 や 放 送 を含 め た 表 現 の 自 由 、 平 和 的 集 会 の 自由 、 結 社 の 自 由 、 宗 教 の 自 由 と法 的
補 償 を受 け る 権 利 に 対 す る 重 要 存制 降 が 残 っ て ヤ・る。
(五)改
革 の 多 く が 、欧 州 の 基 準 に 合 致 す る 規 則 や そ の他 の 行 政 措 置 の 採 択 を必 要 と して い
る。 これ ら の 措 置 の 一 部 は す で に 実 施 され 、 そ の他 は 起 草 中 で あ る 。 改 革 が 効 果 を 上 げ る
た め に は 、 全 国 の 様 々 な レベ ル の 行 政 機 関 と 司 法 機 関 に よ っ て 実 際 に 実 施 され る こ とが 必
要 で あ る。・
欧 州 委 員 会 は 、 主 要 政 党 の 党 首 で あ るエ ル ドガ ン 氏 が11月3日
の総 選 挙 に出馬
す る こ と を禁 じ る 高 等 選 挙 委 員 会 の決 室 に は 、 改 革 の 精 神 が 反 映 され て い な い と考 え る。
(血)政
治 的 基 準 の も とで 生 じ る 数 々 の 重 要 問 題 に 対 す る対 処 が ま だ 十 分 に な され て い な
い 。 そ の 中 に は 、 拷 問 や 虐 待 に 対 す る 闘 い 、 軍 の 文 民 統 制 、、
非 暴 力 的 な 意 見 を表 明 し た こ
と で懲 役 を科 せ られ て い る人 々 の 状 況 、 欧 州 人 権 裁 判 所 の 判 決 の 遵 守 な どが 含 まれ る 。[76]
4.48近
年 の 顕 著 な進 歩 と、 さ らな る配 慮 を 必 要 とす る残 りの 領 域 に鑑 み 、欧 州 委 員 会 は ト
ル コが 法 律 に お い て も実 際 に お い て も 民 主 主 義 を 強 化 し、 人 権 を保 護 す る た め に 改 革 プ ロ
セ ス を 進 め る こ と を促 した 。 こ の こ と に よ り トル コは 、 政 治 的 基 準 を 全 面 的 に満 た す 上 で
20
残 る障 害 を克 服 す る こ とが で き よ う。 【76】
4492002年10月
下 旬 、 欧 州 の 指 導 者 が 同 年12月
に コペ ン ハ ー ゲ ンで 開 か れ る欧 州 サ §
ッ トで 、 トル コ と の 加 盟 交 渉 に 関 す る確 約 を 行 う可 能性 が 浮 上 した 。EU加
盟 国 の 多 くは、
トル コ に 関 し て 妥 協 を 行 うよ う米 国 か ら圧 力 を 受 け る に 至 っ て い た 。 米 国 は トル コ を 信 頼
の お け るNATO同
盟 国 で あ り、 反 テ ロ作 戦 に お け る 友 好 国 と見 な して い た た め で あ る。 ギ
リ シ ャ と英 国 は 、 トル コ に 対 す る新 た な 奨 励 計 画 を要 請 し、英 国 の 外 務 大 臣 は、 同 国 は 「き
わ め て積 極 的 に トル コのEU加
4502002年11月3日
盟 を 支 援 す る 」 と述 べ た 。[44e]
の 総 選 挙 で 連 立 政 権 は 大 敗 し、1年 前 にで き た ば か りで ま だ 中 央 の
政 権 で試 され た こ と も汚 点 を つ け られ た こ.とも な い イ ス ラ ム 教 寄 りのAKP(正
義 発 展 党)
が 圧 勝 した 。
政党名
暫定得票率
議席獲得数
AKP(正
義 発 展 党)
343
363
CHP(共
和 人 民 党)
19.4
178
DYP(正
道 党)
9.51
一
MHP(国
民 行 動 党)
8.3
一
7.3
一
62
一
5.1
一
1.2
一
1.2
一
12
一
1.0
一
8.6
9
GP(青
年 党)
DEHAP(人
ANAP(祖
民 民 主 党)
国 党)
SP
DSP(民
YTP(新
BBP(大
主 左 派 党)
トル コ 党?)
統 一 党)
無所属
反 逆 しな い と され て い る 国 に と っ て 、 旧 式 な 指 導 者 世 代 全 部 が 選 挙 で 葬 り去 られ た こ とは 、
トル コ に 革 命 が お き た の と ほ ぽ 同 じ こ とで あ っ た 。 あ る 新 聞 は 「ア ナ ト リア 革 命 」 を 吹 聴
21
した。全国における有効得票数 の少な くとも10%を
獲得 してか らでなけれ ば政党 は議席の
割 り当 て を 受 け られ な い こ とを 定 め て い る 議 員 選 挙 法 に よ り、 新 国 会 に は2政
党 しか 伐 表
を 送 れ ず 、 多 数 の 選 挙 民 が 代 表 され な い 結 果 に な っ た た め 、 国 会 の 正 統 性 に つ い て 疑 問 が
生 じた。敗 北 した 政 党 の 指 導 者 は選 挙 後 に ドミ ノ倒 しの よ うに 次 々 と倒 れ 、MHPか
読 不 明)氏 が 、D、φ か らは チ ル レル 女 史 が 、ANAPか
らは ユ ル マ ズ 氏 が 党 首 の職 を 辞 した 。
中 で も最 も悲 劇 的 な 犠 牲 者 は お そ ら く、 病 床 に あ り、1999年
者 の 位 置 か ら2002年
の 選 挙 で は(暫 定 結 果 で)1.2%の
ら は(判
の 総 選 挙 に お け る最 大 の 勝 利
支 持 率 に滑 り落 ち た エ ジ ェ ビ ッ ト首
相 で あ ろ う。[41dl
451AKPの
エ ル ドガ ン 党 首 は 宗 教 的 理 由 に 基 づ く敵 意 を煽 っ た か どで す で に 有 罪 判 決 を
受 け で い た た め 、(現 行 法 に基 づ い て は)首 相 の み な らず 、 国 会 議 員 に な る こ と もで き な か
っ た 。 憲 法 第109条
は 、 首 相 は 国 会 議 員 の 中 か ら大 統 領 が 選 ぶ と定 め て お り、 大 統 領 が 新
任 投 票 を勝 ち得 る こ との で き る 議 員 を任 命 す る こ と が 不 文 律 と な っ て い る。[63m】
勝 利 した 直 後 、10年
選挙で
間 に わ た っ て 何 代 も弱 体 な 連 立 政 権 が 続 い た後 で 初 の一 党 政 権 を っ く
るチ ー ム を エ ル ドガ ン 氏 が 統 率 して い る こ と を 疑 う余 地 は ほ とん ど な か っ た 。 エ ル ドガ ン
氏 はEU加
盟 交 渉 を 始 め る 日程 を 固 め よ うとす る トル コ の努 力 に対 す る 支 持 を集 め る た め 、
欧 州 各 国 の 首 都 を歴 訪 す る 計 画 を 立 て た 。【41dコ 氏 は 、EUに 順 応 す る た め の 法 律 に 関 して 、
AKP政
権 が 特 に 拷 問 、 地 域 祉 会 の 基 礎 、母 国 語 で の 放 送 、 母 国 語 教 育 と い っ た 分 野 で の 不
備 を 正 し、 必 要 な措 置 を 実 施 す る こ と を 強 調 した。 ま た 、AKP政
を示 す こ と も付 け加 え た 。[61b】
権 が この点 につ い て誠 意
トル コの イ ス ラ ム 化 を図 る か 否 か を 問 わ れ た エ ル ドガ ン
氏 ほ 憤 慨 して そ れ を否 定 し、 「
そ の 質 問 に 対 す る最 善 の 答 は 、 今 後 の わ が 国 の 措 置 か ら明 ら
か に な る 」 と答 え た 。[40g]
4.52新
政 権 は 、2002年11月
中 旬 に任 命 を受 け た 。 首 相 は ア ブ ド ゥラ ー ・ギ ュ ル 民 で あ っ
た(簡 単 な 経 歴 につ い て は 付 属 書Gを
参 照 の こ と〉。 副 首 相 は メ フ ヘ ッ ト ・ア リ ・シ ャ ヒ ー
ン 、 エ ル トゥル ル ・ヤ ル チ ュ ンバ ユ ル 、 ア ブ ドゥル ラテ ィ フ ・シ ェ ネ ル 博 士 、 大 蔵 大 臣 は
ケ マ ル ・ウナ ク タ ン 、外 務 大 臣 は ヤ シ ャ ル ・ヤ ク シ ュ 、 内務 大 臣 は ア ブ ド ゥル カ ー デ ィル ・
ア ク ス で あ る。 閣 僚 の 総 数 は 首 相 を 含 め て25名
で 、 前 政 権 の36名
よ り も大 幅 に 増 え て い
る 。7名 の 法 学 者 、6名 の 技 術 者 、5名 の 経 済 学 者 、4名 の 政 治 学 部 卒 業 者 、1名 の 神 学 者 、
1名 の 医 師 と1名 の 文 学 者 が 内 閣 を構 成 し、 中 に は 教 授3名
22
、 準 教 授2名
が含 まれ てい た。
・女 性 大 臣 は1名
で あ っ た(観
4.5311月17日
光 大 臣 の ギ ュ ル ダ ル ・ア ク シ ッ ト)ら 【30X]
の 「ヒ ゴ リエ ッ ト」紙 に よ る イ ン タ 甘ユ ー で 、 ギ ュル 氏 は 、rト ル コ は 欧 州
指 導 者 を 驚 嘆 させ る よ うな 措 置 を 取 る。 わ が 国 は 有 言 実 行 で 本 分 を果 た し...イス ラ ム 教 国
が 民 主 主 義 的 で透 明 か つ 近 代 的 な 世 界 の 一 部 に な り得 る こ と を立 証 す る...EU加 盟 国 の トル
コ は 、他 の イ ス ラ ム 教 国 に とっ て 輝 か しい 見 本 と な る _ト ル コ のEU』 加 盟 は トル コの 繁 栄 を
助 け るの み な らず 、 欧 州 を も豊 か にす る 」 と述 ぺ た 。 【21b】
ノ
454AKPは
イ ス ラ ム 教 とい うル ー ッ との 間 に 距 離 を置 い て 、 西 欧 や 欧 州 連 合 を 安 心 させ
よ う.とした 。 選 挙 後 に 行 っ た 欧 州 数 力 国 へ の 慌 しい 訪 問 で 、 エ ル ドガ ン 氏 はAKPがEUの
求 め に 沿 っ て 次 の よ うな9か 条 の 改 革 プ ロ グ ラ ム を 導 入 す る予 定 で あ る と述 べ た 。
・ 表 現 、 宗 教 、 良 心 、 お よぴ 結 社 の 自 由 の拡 大
・
欧 州 人 権 裁 判 所 の 判 決 を 遅 滞 な く実 施 す る こ と
・ 拷 問 に 対 す る情 状 酌 量 を 行 わ な い こ と
・
前 国 会 が 残 した 改 革 法 の 不 備 な部 分 を埋 め る こ と
・
改 革 が 認 め られ る よ うに 憲 法 を 見 直 す こ と
・
トル コの 諸 結 社 や トル コ に お け る外 国 の結 社 が 機 能 で き る よ うに調 整 を行 う こ・
と
・
外 国 の 団 体 や 宗 教 団 体 に よ る財 産 購 入 の 問 題 に 取 り組 む こ と
・
ま だ採 択 され て い な い 国 際 協 定 の 批 准 を優 先 す る こ と
・
国 会 内 にEU統
455ト
一 委 員 会 を 設 け る こ と。[66e1
ル コ の 東 部 と南 東 部 に 関 す るAKマ
の 政 策 は ・そ の プ ロ グ ラ ム に 示 され て い る。AKP
党 は 同 地 域 の 住 民 の 幸 福 、 福 祉 、 権 利 、 お よ び 自 由 を 守 る とい う政 策 に 従 う こ と を 確 約 し
た 。 同 党 は 同 地 域 の 文 化 的 多 様 性 を 豊 か さ と見 な して い る。 トル コ語 が 公 用 語 と教 育 用 言
語 に と どま る こ と を条 件 に 、党 は トル コ語 以 外 の 言 語 で 行 わ れ る放 送 を 含 め た 文 化 活 動 は 、
トル コ の 統 一 と完 全 性 を 弱 め る も の で は な く、 これ を 強 化 し支 え る 資 産 で あ る と考 え て い
・
る
。 テ ロが 抑 圧 を 、 抑 圧 が テ ロを 助 長 す る 。 テ ロ に 終 止 符 を 打 っ に は 、 国 が 基 本 的 な 権 利
と 自由 を 尊 重 す る姿 勢 と、 経 済 発 展 お よび 安 全 保 障 を 同 じ全 体 の 一 部 と見 な す 考 え 方 が 必
要 で あ る。[981
23
4.56ギ
ュ ル 首 相 は2002年11月23日
に 国 会 で64ぺ
一 ジ に 及 ぶ 政 府 プ ロ グ ラ ム を 朗 読 し、
政 権 は 正 直 で 教 養 ≧経 験 を 積 ん だ 人 々・
に よ る リー ダ ー シ ップ と包 括 的 な プ ロ グ ラ ム に よ っ
て 有 望 な 将 来 を創 り上 げ る こ と を 目指 して ヤ.・
る と強 調 した 。 トル コは2党 制 の 国 会 と、1党
に よ っ て結 成 され た政 府 に よ り、 安 定 状 態 に達 した 。 首 相 は 、r我 々 は 責 任 あ るや り方 で 使
命 を 果 た す 決 意 で あ る 」 と述 べ た 。 ま た 、 よ り多 元 主 義 的 で リベ ラ ル な 憲 法 を 用 意 し 、 一
定 の 基 本 諸 法 を 修 正 す る こ と を発 表 した 。 首 相 は 、 政 府 の す べ て の 政 策 は個 人 を 中 心 に 据
え る こ と を付 け 加 え 、 「
我 々 は 市 民 と して の 自 由 と政 治 的 自 由 の す べ て 、 特 に 思 想 、 信 条 、
教 育 、 組 織 と企 業 の 自 由 を 得 る権 利 を保 証 した い 」 と語 り、 続 け て 、 政 府 方 針 は あ ら ゆ る
国 際 的 な 民 主 的 基 準 を 基 本 に す る と述 べ 、1トル コが 欧 州 人 権 裁 判 所 と世 界 人 権 宣 言 の 価 値
観 奪実践す ることを強調 した。首相 は、基本的権利 と自由の領域で普遍的基準 を達成す る
決意である と述べた。国は法律 と正義に対するその理解 に従って法律を杢上 とし、社会で、
ま た 人 々 の 間 で 、 人 種 、 肌 の 色 、 性 別 、 政 治 思 想 、.哲学 的 信 条 、 宗 教 に 関 し て い っ さい 差
別 を行 わ な い 。 ギ ュル 首 相 は 新 た に 参 加 型 の 憲 法 を 準 備 す る と述 べ て 、 憲 法 は 強 力 な 社 会
的 正 統 性 を も ち 、 国 際 的 な 規 範 に 合 致 す る も の に な る と語 ρ た 。 首 相 は 、 参 加 型 民 主 主 義
に頼 る憲 法 に は 、 民 主 主 義 的 な 法 治 国 家 に つ い て の 理 解 が 述 べ られ る と付 け加 え た 。 【30y玉
4.572002年12月12目
と13日
に コペ ン ハ ー ゲ ン で 開 か れ た 欧 州 連 合 サ ミ ッ トで 、2004年
12月 ま で 待 づ て は じ め て 、 トル コ のEU加
盟 交 渉 につ な が り得 る精 査 を 行 うこ と が 決 定 さ
れ た 。 こ の 精 査 で 、 トル コ が 人 権 基 準 を満 た した か ど うか が 判 定 され る。 ギ ュ ル 首 相 は 当
初 、 大 き な 失 望 を 隠 さず 、 こ の 決 定 は 「
我 々 の 努 力 が 理 解 され ず 、 わ が 国 に 対 す る偏 見 が
あ る 」 こ と を 意 味 す る と述 べ た が 、 英 国 の トニ ー ・ブ レ ア 首 相 はrこ の こ と は 、 形 を 整 え
つ つ あ り、や が て はEUフ
ァ ミ リー に 参 加 す る新 生 トル コ に対 す る我 々 の 信 頼 の 大 き な 証 左
で あ る」 と語 っ た。 エ ル ドガ ン氏 は 、 こ の 結 果 は 欧 州 の ダ ブ ル ス タ ン ダ ー ドに もか か わ ら
ず に得 た 成 功 で あ る と述 べ た 。[4鯛
4.58ト
∼
レコ 国 会 は2002年12月
・
に 議 決 を 行 い 、エ ル ドガ ン 氏 が 来 るべ き補 欠 選 挙 に 出 馬 で
き る よ 旗に す る憲 法 修 正 パ ッ ケ ー ジ を 支 持 した 。『[3刎
こ の 補 欠 選 挙 は2003年3月
に行 わ
れ 、 エ ル ドガ ン氏 が 選 出 され た 。 ギ ュル 氏 は 首 相 を 辞 し、 セ ゼ ル 大 統 領 は エ ル ドガ ン 氏 に
組 閣 を要 請 した 。
24
・
●
4.592003年3月14日
首 相:レ
に発 表 され た 新 内 閣 の 主 要 メ ンバ ー は 次 の 通 りで あ る 」 ・
ジ ェ ッ プ ・タ イ イ シ プ ・エ ル ドガ ン
副 首 相 兼 外 務 大 臣:ア
ブ ド 亨 ラ 」 ・ギ ュ ル
副 首 相 兼 国 務 大 臣:ア
ブ ド ゥ ル ラ テ ィ フ ・シ ェ ネ ル と メ フ メ.ッ ト ・ア リ ・シ ャ ヒ ー ン
大 蔵 大 臣:ケ
マ ル ・ウ ナ ク タ ン
内 務 大 臣:ア
ブ ドル カ ー デ ィ ル ・ア ク ス 。[63q】
4.60エ
ル ドガ ン 氏 は2003年3月}8日
の 国 会 演 説 で 、彼 の 政 権 の プ ロ グ ラ ム は 、彼 の 保 守
民 主 党 の 政 治 的 ア イ デ ンテ ィ テ ィ を 基 本 と し て い る と述 べ た 。 政 府 は全 画 的 な 民 主 主 義 、
基 本 的 権 利 と 自 由 の 完 壁 な 秩 序 、 積 極 的 な外 交 方 針 と国 際 市 場 で 競 争 的 な 優 位 に 達 す る こ
と の で き る 生 産 構 造 を 求 め る国 民 の 要 求 に 応 え る べ き で あ る 。 政 府 は 内 政 に 関 して は 、 民
主 主 義 的 で 尊 重 され る 、 国 民 の 活 力 あ る意 志 を活 気 づ か せ る こ とに 集 中 し、 経 済 の 安 定 を
提 供 し_,..経 済 的 繁 栄 の 機 会 を 公 正 に 配 分 し、 貧 困 と腐 敗 に抗 して 戦 うp人 権 を 世 界 的 レ
ベ ル に 引 き 上 げ る た め に 、 こ の プ ロ グ ラ ム は 多 元 主 義 的 で りベ ラル で 、 健 全 な 社 会 的 正 統
性 を も ち 、 欧 州 連 合 の 規 範 を 含 め て あ ら ゆ る 国 際 的 規 範 に 合 致 し、 個 人 の 権 利 と 自 由 を優
先 す る新 しい 憲 法 を構 想 し た。 プ ロ グ ラ ム は 、 トル コ の 基 本 に あ る 戦 略 的 ・政 治 的 現 実 は 、
米 国 との 関係 で あ る こ と を 明 記 して い た 。 ま た 、EUに
正 式 に加 盟 す る こ とが 、 最 重 要 目標
の 一 つ で あ る こ と も明 記 して い た 。 【30aal
4.612003年
初 頭 の数 ヶ月 間に わた っ て、イ ラクで の存在 が 疑 われ る大 量破壊 兵器 を廃棄
す る た め に 予 測 され る米 国 主 導 の 戦 争 で 北 部 戦 線 が 開 か れ る 可 能 性 に備 え て 、 トル コ領 土
内 に米 国 軍 を 配 備 す る こ と に つ い て 、 トル コ と米 国 の 間 で 長 い 話 し合 い が 行 わ れ た 。 しか
し 、 トル コ の 世 論 は イ ラ ク との 戦 争 に 圧 倒 的 に 反 対 で あ っ た 。 トル コ国 会 は 、 米 国 に よる
大 型 の援 助 パ ッ ケ ー ジ と引 き 換 え に 米 国 軍 の 配 備 を 許 す 交 渉 に オ ー ケ ー を 出 す こ と を拒 ん
だ が 、結 果 的 に は 、 米 国 の航 空 機 が 対 イ ラ ク戦 で トル コ 領 空 を利 用 す る こ と を認 め た 。 国
際 的 に 戦 争 反 対 の 声 が 強 か っ た に も か か わ らず 、 国 会 議 員 も 、 イ ラ ク 北 部 へ の トル コ軍 の
派 遣 を承 認 す る 議 決 を 行 い 、 クル ド人 難 民 が 国 境 を ま た い で 押 し寄 せ て く る の を 防 ぐ こ と
が 必 要 で あ る と述 べ て こ の 動 き を 説 明 した 。 識 者 は 、 本 当 の 理 由 は 、 イ ラ ク の クル ド人 が
独 立 の クル ド人 国 家 の 設 立 を 宣 言 す る と い う見 通 し を トル コ 人 が 恐 れ て い る こ とで あ る と
示 唆 した 。 イ ラ ク の クル ド人 を 米 国 は サ ダ ム ・フセ イ ン の カ に 対 抗 す る 同 盟 国 と見 な して
25
い る か ら で あ る 。 イ ラ ク の ク ル ド人 は 、 トル コ 軍 に よ る 一 切 の 介 入 に抗 す る こ とを 誓 っ て
い る 。[66gl
26
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