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英国内務省報告(2003.04)Part1(p1-26)
﹁ 移民国籍局 トル コ 』 2003年4月 国別情 報 及 び政策 部 』 1本 文 書 の 目的 H地 理 皿 . 経済 w'歴 史 V国 家機 関 .VIA人 権事項 VIB人 権 一特 定 の 集 団 VIC人 権 一他 の 問 題 !● 付 録A:年 代記 付 録B:議 会 選 挙 に 参 加 す る政 党 付 録C:』 最 新 の か つ/又 付 録D:統 ・ 付 録E:司 は主 要 な非 合法 政 治的 組織 計:庇 護 希 望 者 の送 還 法行 政 付 録F:政 治的犯 罪 法 付 録G:著 名人 付 録H:情 報 源 につ いて の言 及 'トル コヘ の英 国 移 民 及 び 国 籍 局 事 実 調 査 団 の.リポ ー ト ● 一1一 臼ぎ織 r塙一 階。儲 囚.こ 妨1∼ ・ 』 ・ 、 劃'い 、"認 げ 凋砺 嶋 梁帥 映 一rひ・帰 一 1文 1.1こ 書 の 目的 の 評 価 は,内 務 省 移 民 ・国 籍 局 国 別 情 報 及 び 政 策 部 に よ り,各 種 の 情 報 源 か ら得 られ た 情 報 か ら作 成 され た 。1この 文 書 は,内 12こ の 評 価 は,庇 護/人 務 省 の 意 見 又 は 政 策 を含 む も の で は な い 。 権 決 定 手 続 に 巻 き 込 ま れ た 者 の た め,背 景 と す る 目的 の た め に 準 備 さ れ た 。 これ に 含 ま れ る 情 報 は 完 壁 な も の で は な い 。 こ れ は 薯 イ ギ リス で な され た 庇 護 申 請 に お い て 最 も一 般 的 に 取 り上 げ られ た 事 項 に 集 中 して い る。 1.3こ の 評 価 は 全 全 般 的 な 情 報 源 に よ っ て い る。 これ は,ケ ー ス ワ ー カ ー に よ り,彼 ら に利 用 可 能 に され た 資 料 へ の 道 標 と して 使 用 され る こ と を意 図 して い る 。 資 料 の 大 部 分 は パ ブ リ ッ ク ドメ イ ン で す ぐ に入 手 可 能 で あ る。 114こ り 評 価 は,当 該 国 が 連 合 王 国 内 で の 庇 護 の 数 に つ い て,上 位 か ら35番 る 間,6月 ご とに 改 訂 す る こ とが 意 図 され て い る。 一1一 以 内 に留 ま し 1 } ・1 ヒ じ 一{'",' 4亀 1・ 歴 史 ク ル … ..'"塾 ・ ド 人 の 歴 史 に っ い て は 、 『ク ル k︾ ・;・ ・ .1、'ム 参 照 され た い 。 ゴ・.、!'・.ン1!鋒 , 4.1ト ド 人 」(第6章)も 黛,』 ル 耳 は か つ て 、 ス ル タ シ の 治 め る帝 国 の 一 部 で あ ち た.こ の 帝 国 あ蓄 都 は イ ス タ ン ブ ー ル に み り、 そ の 領 土 は ペ ル シ ャ 湾 か らモ ロ ッ コ に 裏 で 及 び 、 ア ラ ブ 地 城 の 大 部 分 と ヨ `Pッ パ 南 東 部 の 多 く の部 分 が 含 ま れ て い た。 しか し第 懸 次 大 戦 後 に オ 艶 トマ シ 帝 国 が 崩 しき じ一 壌 した後・国民齢1誘 ト瞬 を共和国である1と 館 し・棚 (後に・rトル ヲの交』アタチュルクと呼ば煉)を 大纐 ㍉ノ 6 1キ ・'.』 噸 那 ム紗 に選晃だ乙個 『1ζ 亭 ブァニ ぎケマル じ翻 声Z 、 ン ロ 42近 代 ト脚 はほとんどその一人の男・アタチュルクによって鋤 欝 じ 臨 ・一 ・ , 馳 た識 夢 の偉 数 翻 灘 裟纏 禦 袈交1畿 誘 鷺 罐驚 篇、 は 彼 をめ ぐ弧 勲 れた個人辮 幽 キャンペー 評 ルコ人の強烈なナショナ ウ〆 ムケプライ 鵬7タ 幸 せ で あ る)」 は トル コ 内 外 φ い た る と こ ろ1こ刻 ま れ て お り 、 デ イヤ 厭 ノ ● ル ド人 居 住 地 域 の 主 要 都 市)で ㍗ 灘 レクの 、, と醤 う 額 勿 レ尊楠 繭 のグ は クィ レ ド人 民 族 主 義 者 を 廟 い 、 ぎ プ ロス で は ギ リ シ ャ 系 島 民 に 見 え る よ う に 、 キ プ ロ ス 申脈 に 大 き な 文 字 で 率 み 込 ま れ て い る。 【1a1・ 『 雌'F に 協 商 国 の 占領 軍 が 敗 退 した こ とで 、 トル コ 軍 は 国 の 防 衛 者 と して 英 雄 的 な 威 信 を 得 た が 、 ひ とた び 勝 利 が 確 定 す る と、 軍 隊 は 曖 昧 な 立 場 に 置 か れ た。一ア タ チ ュ ル ク は 一 方 で は 、 軍 串体 が 政 治 に よ っ て 割 れ な い よ うに し、 野 心 を も つ 将 官 が 彼 の 統 率 に 異 議 を 唱 え な い こ と を 確 か な も の に す る た め に 、 軍 を 政 治 制 度 の 枠 外 に 置 き続 け る こ と を 決 意 して い た 。'・ そ の 一 方 で 、 ア タ チ ュル ク は 自 らの 偉 業 の 最 終 的 な 守 護 者 と し て 軍 を頼 み に し 続 け た 。 ア タ チ ュ ル ク主 義 の6大 政 教 分 離 、 革 命 主 義)眞 理 念(共 和主義 、 国家 主義 、大衆 主義 、国 家社 会 主 義 、 依 然 と して 、 軍 人 の 間 に ま る で 宗 教 の よ うに 染 み 渡 づ て い る 。 だ が 、ア タ チュ ル ク主 義 ㊨正確 な意味合 い た とえば い守護 者 で あ るこ とが政 治 へ の 不 関 1 、 、 で あ ㍍,.き わ めて 有名 な彼 の発 言 、.r(撒 不 鮎)・(我 は トル 訳 織 〆 騨 拗 、 ♂ 識 ' 鰍 蜘 ㌻. ㌢. レ クは国家嚇 分駄 イス擁 瞬 的に実行 しい 4.31920・2年 、 ㍉ 遺 産 の部 ザ● け遠 ば現在バ しなかったであろ うとレ、う、ビ広 く行 き渡づてレ、る信馨 をも映 し離! 用・欧州の文化や技術娠 興を含めて・大規模な改革と融 化 締 ≧を渤 彼 が趨 臥v てい㍍ ア胸 る翠けで嫌 \ 形 の トノレコは全 磁 リシンボノ 嚇 ,.∼ 一 与 に 優 先 す る か 否 か 一 一 は 、 現 在 の 軍 人 に と っ て も答 え難 い 疑 問 と な っ て い る 。[57】 ' 4.4ア タチ ュ ル ク は1938年 は第;次 大聯 に 亡 くな り、 イ ス メ ヅ ト ・イ ノニ ュ が 大 統 領 を 引 き継 い だ。 彼 アタチユルクの独裁体制を解 くための撫 をと塵195幌 新たに設 立 され た ア ドナ ン ・メ ン デ レ ス 率 い る 民 主 党 が トル コで 初 め て の 自由 選 挙 に 勝 利 した 。 だ が メンデ をス政権 は196q午5月 、政権歩アタチュル クの政教分離の理念 を裏切 った と申 し 立て う重のクーデターに零つて崩塵 し・メヒデ レスはその後処刑 さ拠牟6-1961年10月 セ には 蓼 講 嶽 黎 糊灘 灘 繍 肇 鴛整 鷺身' 『 声 撃 奪 与 之 た 石 油危 機 と時 期 を 同 じ く した 。1974年7月 激畔 一 一一 一!ブ 〆.ヂ 解 鱒 蜘 よ範クーデターが起きた後で"ト ノ レコ系キカ ロス璽 塗蘇 麺 ・ トル コ は ギ リ『 シ ャ系キ プ ロス人過 ス人 を守るた興(と ● 〉 い う認識で) し・ トル コ軍は同島め⇒ ヒ3分 の1を 占領 鵬 ト加 燃1970年 代に決 な麟 が数度行 嫌 後 、鞍 定嬉 立攻捨 脚 噸 生 したが・これ 権`まぎ し迫 った不汎 な ら呑`こ右翼 と左 翼の間ヤ の贈 勘 の高ま りとい う状況 ヲr無 灘 灘 鷲蘇 試碧芸 ⊇1鼎鷺 活 動 に よって、 一 ・ 多 数 派 で あ る 正 統 派 の ス ン ニ 派 と少 数 派 で あ る ア レ ヴ ィ 派 の 間 の 歴 史 的 な ち 敵 対 関 係 が 悪 化 し、3日 間 に わ た る暴 動 と 暴 力 事 件 で ・100人 が 死 亡 、1,000人 が 負 傷 した 。 政 府 は13り ● 県 で 戒 厳 令 を敷 い て こ の 事 態 に 対 応 した 。[1a1 ● 4.51980年9月12日 、 参 謀 長 で あ る ケ ナ ン ・エ ヴ レ ン将 軍 率 い る 軍 隊 が 無 血 ク ー デ ター で 政 権 を 掌握 した 。 ク ー デ ター の 指 導 者 た ち は5名 か ら成 る 国 家 保 安 評 議 会 を設 立 し、 全 一 土 に 戒 厳 令 が 敷 か れ て 、 新 政 権 は 政 治 的 暴 力 の 程 度 を抑 え る こ と、 法 と秩 序 を 回 復 す る こ と に 成 功 した が 、 そ れ は 、 妥 協 や 、 民 主 主 義 的 自 由 の 多 くを 一 時 的 に 停 止 す る こ とに よ っ て 購 わ れ た もの で あ っ た 。1982年 (ANAP〉 に は 新 憲 法 が 採 択 され た51983年 の 総選 挙 で は祖 国党 が 勝 利 を 収 め た た め 、 そ の 党 首 で あ る ト ゥル グ ト ・オ ザ ル が 首 相 に 任 命 され た 。 【lal 4,6都 市 部 り 反 政 府 運 動 家 と原 理 主 義 者 の 行 動 を挫 折 させ た1980年9月12日 の クー デ タ ー の ,4年 後 に 、'トル コは 同 じよ うな 原 因 か ら生 じる 別 の 脅 威 に 直 面 し た。 そ れ は 地 方 の 暴 2 動 で 、 当 初 は イ ラ ン 、 イ ラ クお よ び シ リア と 国 境 を 接 す る南 東 部 地 域 に 集 中 して い た 。 地 方 の 反 政 府 グ ル ー プ の ほ ぼ す べ て が 、 都 市 に 本 拠 を も っ 学 生 団 体 に 起 源 を もつ が 、 そ の 代 表 例 が ア ブ ドゥ ラ ・オ ジ ャ ラ ン の 率 い るPKK(ク ル ド労 働 者 党!で あ る。 分 離 主 義 者 の 活 動 は 、 や が て 都 市 に ま で 広 が っ た 己[1a] 4.71985年12月 、 トル コが 欧 州 人 権 ・基 本 的 自由 保 護 条 約(欧 して い る と申 し立 て て 、 欧 州 の5ヵ 和 解 で 解 決 され た。 トル コ は18ヶ 州 人 権 保 護 条 約)に 違反 国 溝 欧 州 評 議 会 の 人 権 委 員 会 に 対 して 行 っ た 提 訴 は 、 眉 以 内 に戒 厳 令 をす べ て 解 除 し、 政 治 犯 に 特 赦 を行 い 、 欧 州 評 議 会 か ら派 遣 され る 独 立 の 監 視 員 が そ の 進 捗 状 況 を監 視 す る こ と に 合 意 した 。1987 年 に は 、 トル コ に お け る戒 厳 令 が す べ て 解 かれ た 。 【1a】 4.81987年7月 そ の10県 、闘 争 が 午 ス カ レ ー ト し た た め 、南 東 部 の10県 が非 常 統 治 下 に 置 か れ た 。 と は 、 ヴ ァ ン 、 ビ ト リ ス 、 ト ゥ ン ジ ェ リ 、 デ ィ ヤ ル バ ク ル 、 シ 門 ル ト、 ビ ン ギ ョ ル く バ トマ ン 、 ハ ッ カ リ 、(判 読 不 能)、 マ ル デ ィ ン で あ る 。 【%】 ・ マ ルデ ィンで は、非 常 事 態 は1996年11月 で は1999年11月 ま で 、バ トマ ン 、 ビ ン ギ ョル と ビ ト リ ス で は1997年iO月 、 ヴ ァ ン で は2000年7月 ま で、シール ト ま で 、 ハ ッ カ リ と トゥ ン ジ ェ リで は2002年6 月 ま で 続 い た 。[5b1[30m】[30ql[63b】[63clデ ィヤ ル バ クル と(判 読 不 能)に お け る 非 常 事 態 は2002年11月30日 は 、 トル コで 最 後 ま で 非 常 統 治 下 に あ っ た 県 で あ っ た 。 この2県 っ た)は1979年 に終 息 した 。 この2県 に お け る非 常 事 態 期 間((判 読 不 能)は1990年 以 来 続 い て お り(1979-87年 ま で シ ー ル ト県 の 一 部 で あ 、 は 戒 厳 令 、1987年 以 降 は 非 常 統 治)。[6301非 常 統 治 下 で は 、 非 常 事 態 地 域 の総 督(govem6r)は 治 安 事 項 に 関 して 、非 常 統 治 下 に あ る 県 と ヴ ァ ン を含 め た そ の 他 の 近 隣 県 の 知 事(gOV㎝or)に ま さ る権 限 を も っ て い た 。 非 常 事 態 の も とで は 、 こ の 地 域 総 督 は 擬 似 戒 厳 令 的 な 権 限 を 行 使 す る こ とが で き 、 そ の 権 限 の 中 に は 報 道 機 関 に 対 す る 制 限 、 公 共 の 秩 序 を 損 な う と見 な され る活 動 を 行 う者 を 地 域 か ら退 去 させ る こ と 、 村 の 疎 開 を命 じる こ とな どが 含 ま れ て い る。 非 常 事 態 地 域 の 総 督 の 行 政 決 定 に つ い て は 、 ご く 限 られ た 司 法 審 査 しか 認 め られ て い な か っ た 。15d】 』 県名 戒厳令施行期間. 非常事態宣言期簡 ア ダ ナ(A(㎞a) 78年1226。85年11.19 85年111月19-87年3.19 3 ア デ イ ヤ マ ン(Adiyaman) 79年426-85年11.19 85年11.19-86年3.19 ア フ イオ ン 80年9.12-84年7.19 一 アー リ 80年4.20.85年11.19 85年11.19-87年3.19- ア ク サ ライ 69年6.15に 設 立gそ れ 以前 は二 一デ の一 部 ア マ スヤ 80年9。1年84年7.19 84年7.19-85年3-19 アンカラ 78年12β6・85年7。19 85年7.19-86年11.19 ア ン タ リャ 80年9.12-85年3.19 85年3。19-87年7.19 ア ル ダハ ン 92年5,2ケ に 設 立 。そ れ r 以前 は カル 界 の一部 ア ル トビ ン ・ 80年9.12・85年7.19 85年7.19-86年3.19 ア イ ドウ ン 80年9.12-84年7.19 84年7.19-84年11.19. バ リケ シ ー ル 80年9.12-84年7.19 84年7.19-84年11.19 バ ル ト ウン 91年828に 設 立 。そ れ 以 前 は ゾ ングル ダ クの 一部 バ トマ ン 。 90年5.16に 設 立 。そ れ 90年5。16-97年10.2 曽 以 前 は シー ル トの 一 部。 バ イ ブ ル ト(Bayburt) 89年6.15に 以 前 は(判 一部 設 立 。そ れ 読 不 能)の 。 ビ レジ ッキ 80年9.12-84年3.19 ビ ン ギ ョル 78年12.26・86年3.19 86年3.19。97年10.2 ビ ト リス 80年9.12-84年3.19 84年3.19-84年7。19 一 「 93年3.19に 10.2 ボル 80年9.12-84年7。19 一 ブ ル ド ウル 80年912。8毎 晦 4 年3.19 再 宣 言 一97年 ブルサ 86年9.12・85年3.19 85年3.19・86年3.19 チ ャ ナ ッカ レ 80年9.12。84年3.19 84年3・ チ ャ ンクル 80年 84年3.19-84年11.19 チ ョル ム 80年9.12・84年7.19 84年7.19r85年7.19 デニズ リ 80年9.12・84年11,19 84年11.19曹85年3.19 デ イヤル バ クル 79年426・37年719 87年7.19・02年11.30 デ ュズ ジ ェ 1999年 に 設 立 。そ れ 以 動12・84年3.19 享9・84年719 前 はボル の一部 。 エ デ ィル ネ 80年9.12・85年7.19 85年7.19-85年1L19 エ リャズー 78年12。26-86年3.19 86年3.19・93年3.19 ヱ ル ジ ンジ ヤ ン 78年12,26-80年4。20 85年7.19・85年11.19 お よ び80年9.12・85年 7.19 エ ル ズル ム 78年12.26-85年11.19 85年11.19-86年3.19 エ スキセ ヒ」ル 80年9・12-84年11.19 84年11.19-85年3.19 ガ シ ア ン テ ツプ 78年12.26-85年11.19 85年1L19・86年3.19 80年9.12・84年11.19 84年i1.19.85年3.19 80年9.12-84年3.19 84年3。19・84年11.19 ハ ッカ リ 79年4.26・87年7.19 87年719・02年730 ハ タイ 80年2.20・85年1L19 85年11,19・87年3.19 80年9.12・85年3.19 85年3.19。86年7.19 !ギ レ ス ン (判読不能) (判読不能) ウ ー ド ウル 92年5.27に 設 立 。そ れ 以 前 はカル ス の一部 。 イ スパ ル タ イ ス タンブー ル 78年1226-85年1U9 85年11.19・88年11.19 イ ズ ミー ル 80年2.20・85年719 85年7.19-86年1L19 カ ラ ビュ ク 95年6.6・ に設 立 。 そ れ 以 前 は ゾ ン グル ダ ク の 一部 5 。 K.マ ラ シ ュ カ ラマ ン 78年12.26-85年3.19 89年6.15に 85年3.19.35年11.19 設 立 。そ れ 以 前 は コニ ャの一 部。 カル ス 78年1226-85年11.19 85年1L19-86年11.19 カ ス タモ ヌ 80年9.12-84年3.19 84年3.19-84年7,19 カ イ セ リ 』辱 80年9.12-84年11.19 一 キ リ ス(Kms) 95年6.6に 設 立。 そ れ 以 前 ば ガ シ ア ン テ ップ の一部。 ク ノレッ カ レ 89年6.15 .に 設 立 。そ れ 以前 はア ンカ ラの一 部 キル ケ ラ レ リ 80年9.12・84年3.19 一 ク ノレシ ェ ヒ ル 80年9.12-84年3.19 84年3.19-84年11.19 コジャエ リ 80年9.12-85年3.19 85年3.19-85年11.19・ σ コニ ヤ 80年9.12.84年11.19 『 キ ュ タフヤ 80年9.12-84年3.19 一 マ ラ トヤ 78年12。26-85年3.19 85年3.19・86年3。19 マ ニサ 80年9.12-84年1L19 84年1L19-85年3.19 マ ラ シュ Kマ マル デ ィ ン 79年4.26-87年7.19 87年7。19-96年1129 ムーラ 80年9.12-84年7.19 印 ムシ ュ 80年9.12-84年3.19 一 ネ ブ シ ェ ヒル 80年9.12-84年7。19P 『 一 二 一 ア ラシ ュを参照 「 30年9.12・84年7.19 84年7.19・84年11.19 オ ル ドウ 80年9.12-85年7.19 85年7.19-86年7.19 オ スマ ニイエ 1997年 に設 立 。 そ れ 以 前 はア ダナ の一部 。 リゼ S.ウ ノレ フ ア(S.U血) 80年9.12』84年7.19 84年7.19-85年3.19 78年12.26-86年3.19 86年3.19-87年3.19 6 ' サ カ リャ 80年9.12・84年7.19 34年7.19-85年3.19 サムスン 80年9.12-85年3.19 85年3.19・85年7.19 シール ト ラ9年4.2(ト87年7.19 87年7.19。99年1130 シ ノープ 80年9。12-84年3.19 84年3.19-84年7.19 シル ナ ク 90年5.16に シール ト 90年5.16-02年1130 か ら分 離 して 設 立 。 シバス 78年1226-80年226 85年3.19-86年 τ19 お よ び80年9.12-85年 3.19 テ キル ダー 80年 男2・84年7.19 } トカ ッ ト 80年9.12・85年3.19 85年3.19-85年7.19 トラ ブ ゾ ン 80年9。12-85年'3.19 85年3.19-85年7.19 ト ゥン ジ ェ リ 79年4.26-86年3.19 86年3.19-02年730 ウシ ヤ ク 80年9.12-84年11.19 84年11.19-85年3.19 ヴァ ン 80年9.12-87年3.19 87年3.19-00年7.30 ヤ ロバ 95年6.6に 設 立。 それ 以 前 はイ ス タ ンブ ール の一部。 ヨズガ ッ ト 80年 ゾ ングル ダ ク 80年9.12-85年3.19 或12-84年7.19 葡 85年3.19-85年7。19 口02】 4.91987年11月 に は 議 会 に穏 健 左 翼 の 社 会 民 主 党(SHP)と 相 の 率 い る保 守 の 正 道 党(bYP)が 再 び 姿 を現 した 。 オ ザ ル が1989年10月31日 に な り、 後 継 者 の イ ル デ ィ リ ム(Yildωm)・ ノ .4.10,ANAP(祖 1991年10月20日 、 ス レイ マ ン ・デ ミ レル 元 首 に大 統領 ア クブル ・ トを 首 相 に任 命 し た。[1a】 コ 国 党)は1990年 か ら1991年 に か け て 人 気 が 衰 え 、閣 僚 が 数 多 く辞 任 した 。 の 総 選 挙 で は 、 老 練 な 政 治 家 で 南 る元 首 相 ス レイ マ ン ・デ ミ レル とDYP (正道 党)が 勝 利 した 。 絶 対 多 数 を勝 ち 取 れ な か っ た デ ミ レル は 、SHP(社 7 会 民 主 党)一 . SHP自 体 も選 挙 で はANAPに 続 い て 第3党 に 浮 上 した幽 との 連 立 を求 め ざ る を 得 な か っ た 。 口a] 4.11物 議 を か もす よ うな積 極 的 な発 言 を す るオ ザ ル は 、 トル コ 経 済 を 近 代 化 し 、 トル コ の 国 際 的 地 位 を 高 め た 。1993年4月 に オ ザ ル が 心 臓 発 作 で 亡 くな っ た 後 に は 、 デ ミ レル が 大 統 領 に 選 ば れ た 。 元 経 済 相 の タ ン ス ・チ ル レル 女 史 が デ ミ レル に 代 わ っ て6月 初 旬 にDYP の 党 首 に 選 ば れ 、 トル コ初 の 女 性 首 相 と な っ た 。[1a】 4.12チ ユ`ゴ ル レル は 外 交 問 題 で は 、 ア ゼ ル バ イ ジ ャ ン に 国 連 平 和 維 持 部 隊 を創 設 す る こ と、 旧 ス ラ ビ ア に お け る 国連 の 努 力 に トル コ が 参 加 す る こ と を求 め た 。1994年7月 、約1,455 名 の トル コ 軍 部 隊 が ボ ス ニ ア とヘ ル ツ ェ ゴ ビ ナ に配 備 され た が 、 そ れ は セ ル ビ ア との 境 界 線 か らか な り離 れ た と こ ろ で あ っ た 。1993年10月 、 トル コ は イ ラ ク に 対 す る 国 連 の 制 裁 延 長 に しぶ しぶ 合 意 した が 、 禁 輸 措 置 の 解 除 を主 張 し続 け た 。[1a] 4.131995年9月 (CHP)の に 、SHPと 合 併 して か ら初 の 党 大 会 で 、 デ ニ ズ ・バ イ カ ル が 共 和 人 民 党 党 首 に選 ばれ た 。 ごの 連 立 は 、チ ル レル 女 史 が 深 刻 な 不 況 の 余 波 で 辞 任 して か ら 2週 間 以 内 に崩 壊 した 。[1a][4b] 4.141995年12月24・ Rc飴h(イ 日に総 選 挙 が 行 わ れ 、 そ の 結 果 、 投 票 率 は20%程 ス ラ ム 寄 りの 福 祉 党)、bYP(正 道 党)、ANAP(祖 国 党)一 度 で3つ の党一 が 残 っ た 。 こ れ ら3 党 の 指 導 者 が 、連 立 政 府 を組 む た め の 条 件 に 関 し て合 意 を 得 よ う と次 々 に 乗 り出 して 、2ヶ 月 を 超 え る 話 し合 い が 続 い た 。1996年3月6日 を 発 表 した が 、 中 道 一 右 派 の こ の2つ 、ANAPとDYPが 少 数 連 立 与 党 を組 む こ と の 連 立 党 派 に お け る そ れ ぞ れ の 指 導 者 問 の 強 烈 な反 目に よっ て 、互 い の 間 に か ね て か ら あ っ た 緊 張 が 高 ま り、4月 下 旬 に は 政 権 運 営 が 実 質 上 麻 痺 す る結 果 と な っ た 。 連 立 は6月6日 4.151デ に終 結 した 。[1a】[4b】 ミ レル 大 統 領 は 政 権 を組 織 す る た め に 、 最 大 政 党(Re鋤 る ネ ク メ ッテ ィ ン ・エ ル バ カ ン を招 い た 。DYPと とDYPの 一 福 祉 党)の の 話 し合 い に よ り、1996年7月 党首であ にRef紬 過 半 数 連 立 政 権 が 作 られ た 。 エ ル バ カ ン教 授 は トル コ で初 め て の イ ス ラ ム 教 徒 の 首 相 で あ り、 チル レル 女 史 が 副 首 相 と外 務 相 を 兼 任 し、1998年 8 中旬 に首 相 を引 き継 ぐこ と - に な っ て い た 。RefahとDYPは 4.16軍 、 閣 僚 ポ ス トを 分 け 合 っ た 。[1a】[4bl 事 ク ー デ タ ー が 迫 っ て い る と い う噂 が 尾 を 引 く 中 で 、国 家 保 安 評 議 会(NSC)は1997 ρr 年2月28旧 、 行 動 事 項 リス トを 作 成 し、 エ ル バ カ ン は き わ め て 強 い 圧 力 を 受 け て 、 仕 方 な く こ れ に 合 意 し た。 こ の 対 策 は トル コ国 家 が 政 教 分 離 主 義 と西 欧 指 向 を 保 つ た め の も の で あ っ た 。1997年4月26日 、NSCは そ の メ ッセ ー ジ を さ らに 強 め た 。実 に 熾 烈 な議 論 の 焦 点 と な っ た の は 、義 務 教 育 を3年 間 延 長 し、 そ の 結 果 と して 、多 数 の 「h由mHatip」 宗 教 訓 練 学 校 を 閉 鎖 す る とい うNSCの 決 定 で あ っ た。 一 方 、 、連 立 政 権 は 、1996年11月 にDYP ,と暗 殺 団 、 組 織 犯 罪 と の 絆 を曝 露 した ス 不 ル ル ッ ク で の 自動 車 事 故 後 に 起 き た 一 連 の ス キ ャ ン ダ ル に よ っ て も ダ メ ー ジ を 受 け た。[1a][4b] 4.17や が て 、 チ ル レル 女 史 のDYPか ら立 て 続 け に 背 信 を 受 け 、NSCか 受 け た エ ル バ カ ン は 、辞 職 を発 表 した。1997年6月20日 主 要 野 党ANAP(祖 4.18ユ ら再 度 突 き 上 げ を 、大 統 領 は攻 権 を 組 織 す る た め に 、 国 党)の 党 首 メ ス ー ト ・ユ ル マ ズ を招 い た 。 ル マ ズ とDSP(民 主 左 派 党)と の 連 立 は 、決 して しっ か り と した 土 台 の 上 に は 立 っ て い な か っ た 。 ユ ル マ ズ 政 権 は 、 国 有 の チ ュ ル ク 銀 行 の 売 却 に お け る腐 敗 の 申 し立 て を め ぐ っ て1998年11月25日 に行 わ れ た 国 会 の 信 任 投 票 で 敗 北 して 、 辞 職 を 余 儀 な く され た 。 [4bl【23e1【43al1998年12月2日 、デ ミ レル 大 統 領 はDSP(民 主 左 派 党)の ビュ レン ト ・ エ ジ ェ ビ ッ ト党 首 を 首 相 候 補 に 指 名 し、 同 党 首 に組 閣 を 求 め た。 エ ジ ェ ビ ッ トは 組 閣 に 失 敗 し、数 週 間 後 に こ の 使 命 を 返 上 した 。[31alデ Erez)貿 易 大 臣 を選 ん で組 閣 させ よ う と した が 、 エ レ ズ も組 閣 に は い た らず 、1月 初 旬 に こ の 使 命 を 返 上 した 。[40e]今 を 得 て 、DSPの 1999年4月 4.19バ ミ レル 大 統 領 は 次 に ヤ リム ・エ レズ(Y鋤m 度 は ビュ レ ン ト ・エ ジ ェ ビ ッ トが 戻 り、DYPとANAPの 少 数 政 権 を組 織 した 。 政 府 は1999年1月17日 支持 に信 任 投 票 で 信 任 を 得 て 、 の 選 挙 ま で 国 を統 治 した。[63q[63g] トマ ン 、 ビ ン ギ ョル{ビ トリス の 各 県 で10年 主 導 の連 立 政 権 案 を 国 会 が 承 認 した1997年10月2日 間 に 及 ん で い た非 常 事 態 は 、ANAP に 解 除 され た。 治 安 状 況 の 改 善 が 、 非 常 事 態 宣 言 の 解 除 の 理 由 に 挙 げ られ た 。 そ れ よ り先 の1997年9月 、 当 時 の メ ス ー ト ・ユ ル マ ズ 首 相 と ビ ュ レ ン ト ・エ ジ ェ ビ ッ ・ ト副 首 相 が 南 東 地 域 を 訪 れ 、 同 地 域 の 開 発 を 約 束 し 9 た 。 首 相 が 議 長 とな っ て シ ー ル トで16年 ぶ りに 開 か れ たGAP(南 東 ア ナ ト リア ・プ ロ ジ ェ 、 ク ト)の 高 等 評 議 会 は 、1東部 お よ び 南 東 部 の 諸 県 で 景 気 を 回 復 させ 、 強 化 す る た め の 誘 引 と な る よ うな 様 々 な 対 策 を 承 認 した 。 こ の 対 策 に は 、 シ ー ル トに お け る 大 学 の 建 設 が 含 ま れ て い た 。[60a][6b】[63c] 420イ ス ラ ム 教 政 党 で 先 の 連 立 政 府 に 参 加 したRefah(福 祉 党)が 、1998年1月16日 の 違 憲 審 査 裁 判 所 の 裁 定 に よ っ て 鯉 党 され た 。Refahを 相 手 取 っ た 裁 判 で の 申 し立 て は 、Refah が 反 政 教 分 離 活 勤 の 中 心 とな っ て い る とい うも の で あ っ た。以 前 のRe蝕 会 の 議 員 を 務 め て い た 約100名 を含 め て 、 か つ て のRe鋤 に 所 属 して 国 民 議 の メ ン バ ー の 大 部 分 は 」997年 12月 に イ ス マ イ ル ・ア ル プ テ キ ン に よ っ て 結 成 され 、 国 会 最 大 の 党 とな っ た 新 た な イ ス ラ ム 教 団 体 、FaZilet(美 徳 党)に 参 加 した 。 【1a]1998年10月 に 集 会 で 宗 教 的 な 詩 を 朗 読 した か ど でRe勧 ル ドガ ン に10ヶ に 控 訴 裁 判 所 は 、1997年12月 党 所 属 の イ ス タ ン ブ ー ル 市 長 、タ イ イ ップ ・エ 月 間 の 懲 役 刑 を 宣 告 した 国 家 保 安 裁 判 所 の 判 決 を 支 持 した 。 こ の 判 決 は 、 エ ル ドガ ン が 最 低2年 間 は公 選 職 に 就 く こ と を も阻 む も の で あ っ た 。 エ ル ドガ ン は 、 トル コ の イ ス ラ ム 教 運 動 にお け る将 来 の指 導 者 と 目 され て い た 。[5a][27][28b][56】 421美 徳 党 は1999年4月 して も、 投 票 の15%を に 行 わ れ た 国 と地 方 の選 挙 に候 補 を 立 て 、 期 待 ほ どで は な い に 獲 得 した(以 下 を 参 照 の こ と)。 しか し国 会 の 開会 時 に 、美 徳 党 所 属 の 議 員 、 メ ル ヴ ェ ・カ ヴ ァ ク ジ(MerveKavakci)は 公 務 員 服 務 規 程 に 反 し て ヘ ッ ドス カ ー フ を 着 用 し よ う と した 。 一 一部 の 美 徳 党 所 属 議 員 で さ え 、 これ は愚 か で 不 必 要 に 対 立 を煽 る 行 為 で あ る と見 な した 。 カ ヴ ァ ク ジ は そ の 後 、 トル コ 政 府 力、ら許 可 を得 ず に 米 国 市 民 権 を 申請 した か どで 、 トル コ の 市 民 権 を 剥 奪 され 、 国 会 でg議 席 に就 く こ と は な か っ た 。 カ ヴ ァ ク ジ の 行 為 は 、美 徳 党 は政 教 分 離 に 反 して お り、禁 止 され たRe蝕 い とい う論 拠 に 立 っ て検 事 総 長(C虹 玉efStateProsecutor)が 党 を継 ぐ も の で しか な 同 党 の 活 動 禁 止 を違 憲 審 査 裁 判 所 に 申請 した 際 に 提 示 した 証 拠 の 一 部 と な っ た。2001年6月22日 に発 表 され た 違 憲 審 査 裁 判 所 の 判 決 は 、 美 徳 党 の活 動 を禁 止 す る もの で あ っ た 。 【30h][32il(美 徳 党 とヘ ッ ドス カ ー フ の 問 題 に 関 す る 詳 細 につ い て は 、r宗 教 の 自 由 」 とr集 会 お よび 結 社 の 自 由 」(第6章a) を参 照 の こ と。) 4221998年5月12日 に トル コ 人 権 協 会(IHD)の 10 ア ク ン ・ビ ル ダ ル 会 長 に 対 す る 暗 殺 未 遂 が 起 き た 。ゼ ル ダ ル は腹 部 と脚 部 に6発 られ て い るpkK(ク ル ド労 働 者 党)の の 弾 を受 け た が 命 を と り とめ た 。 狙 撃 は 、 捕 え 指 揮 官 が 、 ビル ダ ル と非 合 法 の テ ロ リス ト組 織 と の 間 に 関係 が あ る と告 発 した こ と を メ デ ィ ア が報 道 した後 に 行 わ れ た 。[12e1【28c】[40dl'1999 年12月 、ア ン カ ラ の 国 家 保 安 裁 判 所 は ビル ダ ル の 暗 殺 未 遂 に っ い て10人 そ の 他 の6人 部 長1名 に無 罪 を宣 告 した 。 首 謀 者 と推 定 され る元 ジ ャ ン ダ ル マ(武 装 警 察)の 巡査 と、 狙 撃 を 命 令 し、組 織 した と して 告 発 され た そ の 他 ・1名は 、 そ れ ぞ れ19年 間の 懲役刑を宣告 された。 ビルダルを狙撃 した2名 はそれぞれ19年 受 け 、 そ の 他2名 問 と10年 に 有 罪 を 宣 告 し、 間 と12年 間の実景 宣告を は 犯 罪 の 実 行 集 団(「 トル コ報 復 部 隊 」)を 作 っ た か どで 、 そ れ ぞ れ19年 間 の 懲 役 刑 を 宣 告 され た 。15bl【29】1998年10月 に控 訴 裁 判 所 は ・'1996年 の あ る 演 説 で トル コ 人 とク ル ド人 を 区別 して 「 公 に 公 衆 の 敵 意 と憎 悪 を 煽 っ た 」 か どで 告 発 され で い た ビル ダ ル に 対 して 言 い 渡 され て い た1年 間 の 実 刑 判 決 を支 持 した。 彼 に 対 す る判 決 は 、控 訴 裁 判 所 総 協 議 会(GenemlCounciloftheAppealsCo面)に ビ ル ダ ル は1999年6月3日 的 な 理 由 か ら1999年3月 に10ヶ よ っ て正 式 に 認 め られ た 。 月 と3日 間 の 刑 に服 す る た め に 収 監 され た 。 彼 は 医 学 に 釈 放 され た が 、 ビル ダ ル は これ 以 上 刑 務 所 で 生 活 す る こ とに耐 え られ な い とす る報 告 書 を 国 の 医 療 機 関 が 退 けた 後 の2000年3月28日 、 残 り の刑 期6ヶ 月 間 を 務 め る た め に ア ン カ ラ の 刑 務 所 に送 り返 され た 。・ビル ダ ∼ レは 法 律 上 、 収 監 さ れ た 結 果 と して 田Dの 指 導 者 と会 員 の 双 方 を 辞 した 。【5al[5bl【62司1995年 に ビル ダ ル が 行 っ た 演 説をめ ぐって彼 を相手取 った別の裁判で、控訴裁判所は1年 が ア ダ ナ の 国 家 保 安 裁 判 所 は1998年12.月 4。23シ 間の実刑判決を破棄 しち。 だ に 、1年 間 の 実刑 判 決 を 再 度 出 した 。[12el リア と トル コ の 間 に 軍 事 的 緊 張 が 高 ま っ た の を 受 け て 、1998年10 高 官 が 会 合 を 行 い 、 シ リア が 同 国 の領 土 内 に お け るPKKの 印 され た 。PKKの .月下 旬 に 両 国 の 活 動 を 認 め な い とす る 協 定 が 調 ア ブ ド ゥラ ・オ ジ ャ ラ ン 党 首 は 、シ リア を 強 制 出 国 させ られ た。追 放 後 、 オ ジ ャ ラ ン は 欧 州 の 数 力 国 に 亡命 を 求 め よ う と した が 果 た さ ず 、 ケ ニ ヤ で 捕 え られ て 、 空 路 トル コ に 戻 され た 。 オ ジ ャ ラ ン は 追 放 後 の 当初 はPKKの 権 力 闘 争 に よ り、PKKの 4.241999年2月 活 動 と距 離 を 置 こ う と した が 、 党 首 と して の 地 位 に 復 位 した と伝 え られ て い る。[1a][21al[24a】[55a] 中旬 にお け るア ブ ド ゥデ ・オ ジ ャ ラ ンの トル コヘ の 強 制 送 還 に は 、 欧 州 全 土 に お け る彼 の 支 持 者 に よ る 公 的 な抗 議 行 動 と トル コ に お け る 散 発 的 な抗 議 行 動 が 伴 っ た が 、そ の 多 くが 暴 力 化 した 。騒 乱 は 最 初 、HADEP(人 民 民 主 党)党 員 が さ ら に逮 捕 され 、 11 戸印 PKKが トル コ 全 ‡ で 一 連 の 爆 破 事 件 を 起 こす こ と に つ な が っ た 。 イ ス タ ン ブ ー ル の ガ ジ 地 区 に お け る ク ル ドの新 年 の 祝 い は 、 大 き な グ ル ー プ が 横 断 幕 を掲 げ て ス ロー ガ セ を 叫 び 始 め た た め に 暴 力 に 終 わ っ た 。警 察 が 介 入 し よ うと して 、警 官4名 とデ モ 隊 員1名 が 撃 た れ 、・ 725名 が 拘 留 され た 。 【30a][40q 424オ ジ ャ ラ ン が 逮 捕 され た の を受 け て 、 議 長 の 取 り仕 切 る 小 規 模 な 評 議 会 がPKKを 運 営 し始 め た が 、 オ ジ ャ ラ ン は 拘 留 され て い る に もか か わ らず 、 党 首 と して の 地 位 に あ る こ ≧が 確 認 され た 。124司[46d]1999年3月 の 初 頭 、PKKの 政治 部 が行 動 は 民主 主義 の枠 内で 行 う と発 表 す る 一 方 で 、 軍 事 部 は 「 全 面 戦 争 」 と軍 事 行 動 の 拡 大 を 呼 び か け て 、 相 反 す る 見 解 を表 明 した 。[46b][46cl[65a】 だ がPKKは1999年 め6月 中 に 、1999年4月30目 ま っ た公 判 の 間 に オ ジ ャ ラ ン が 行 っ た 和 平 の 呼 び か け に 同調 し始 め た 。[63h]以 に始 後 、PKK の マ ニ フ ェ ス トは 「クル ド人 問 題 」 に 対 す る平 和 的 で 民 主 主 義 的 な 解 決 を 目指 し て 努 力 す る が 、r積 極 的 な 防 衛 の 立 場 」 は 堅 持 す る こ と とな ρ た。1999年7月 軍 事 部)は 4・26オ 年8月2日 中 旬 、ARGK(PKKの 、 以 後 は命 令 を受 け る ま で ゲ リラ行 動 を 停 止 す る と発 表 した 。[62c1[62d1 ジ ャ ラ ン は 反 逆 罪 で 有 罪 と され ・1999年6月29印 こ死 刑 宣 告 き 受 け た 。[63」11999 、 オ ジ ャ ラ ン は弁 護 士 を 通 じてlPKKにr1999年9月1日 を もって 武装 闘争 に 終 止 符 を 打 ち 、平 和 の た め に 国 境 外 の 勢 力 を撤 退 させ る」よ う呼 び か け る 声 明 を 出 した 。【301] 2日 後 、PKKの 統 轄 評 議 会 は オ ジ ャ ラ ン の 呼 び か け に 応 じ、 戦 闘 員 が 実 際 に 一 トル コ に対 す る 軍 事 行 動 を 停 止 す る こ とを 確 詔 した 。 こ の 声 明 は 翌 日、PKKの 民 解 放 軍(ARGK)に よ っ て 支 持 され 、ARGKは 武 装 部 門 で あ る クル ド人 オ ジ ャ ラ ン の 決 定 に 従 うこ と を 確 認 した も の の 、攻 撃 され た 場 合 に は 自衛 の 戦 い を 行 う権 利 を 主 張 しだ 。,【32bl政 府 とPKKの 力 闘 争 は1999年 に 事 実 上 終 結 し、 トル コ軍 とPKKの 告 され て い る だ け で あ る。2000年10月 間 の武 「 反 乱 分 子 の 間 に ご く少 数 の 衝 突 が 報 、トル コ軍 はPKKに 対 す る戦 い を成 功 裡 に 完 了 し、 戦 い は 、警 察 とジ ャ ン ダル マ が 引 き継 げ る 程 度 に ま で 縮 小 した と発 表 した 。PKKは2QOO年 中 に は ほ ぼ 完 全 に 活 動 せ ず 、2001年 に は 軍 に よれ ば 、武 力 鋳 突 は わ ず か45件 年 に はPKKに で あ っ た 。2002 ょ る 暴 力 は ほ とん どゼ ロ に 近 か っ た が 、 国 は 南 東 部 で 重 装 備 の 治 安 部 隊(道 路 上 の 無 数 の 検 問 所 を含 め て)を 維 持 した,[5d】[591[12m】【19】[21a】[24a】[4鯛 【46d][55a】[63d] 4272000年1月12日 に トル コ政 府 は 、 欧 州 人 権 裁 判 所 に 対 して オ ジ ャ ラ ン が 行 っ た 控 訴 』 12 の 結 果 が 出 る ま で オ ジ ャ ラ ン の 死刑 郵 行 を 停 止 す る こ とを 求 め る 、 同 裁 判 所 か ら の 差 止 め 命 令 を 尊 重 す る こ とに 合 意 した。識 者 は 、 こ の 決 定 はEU参 加 計 画 を前 に進 め て 、経 済 と政 治 上 の 目標 を 追 求 し よ う とす る政 府 の 決 意 、Pならび に そ の 目標 を 達 成 す る た め に は 国 民 の 感 情 を 無 視 す る 用 意 が 政 府 に あ る こ と を 明 らか に示 す も の だ と論 じた 。 オ ジ ャ ラ ン は 獄 中 か らの 声 明 書 で 、 この 決 定 は 民 主 主 義 を 目指 す 一 歩 で あ る と述 べ た 。 彼 は 、かKKが き を利 用 しな い こ と を約 束 し、『 クル ド人 国 家 を 求 め るPKKの っ た と述 べ た 。PKKの こ の動 戦闘は 「 歴 史 的 な 誤 り」 で あ 統 轄 評 議 会 は 、 同 党 が 政 治 目標 を前 進 させ る た め に 民 主 的 手 段 の み を 実 行 す る こ と を確 認 した 。 【32el2002年8月 」 トル コ は 戦 時 お よ び 戦 争 の 差 し迫 っ て い る 時 を 除 い て 死 刑 を廃 止 し、 オ ジ ャ ラ ン の 有 罪 判 決 は2002年10月3日 、仮釈 放 を認 めな い 終 身 刑 に 変 更 され た 。 彼 ほ 死 ぬ ま で刑 務 所 に と ど ま る こ と に な る 。 【30呵 4。281999年4月23日 、 英 国 の 独 立 テ レ ビ委 員 会(ITC)はPKKの い る衛 星 チ ャ ンネ ル のMed-TVに 代 弁 者 と広 く 目 され て 対 して 、 営 業 免 許 を 取 り消 す 通 知 を送 達 した 。 こ の 免 許 取 り消 し は 、 トル コ お よ び 他 の 場 所 で 暴 力 行 為 を奨 励 す る 扇 動 的 な 声 明 を 含 ん だ 内 容 が 放 送 され た 後 に 行 わ れ た 。[30dlMed-TVの 禁 止 の機 先 を 制 して 」Med・TVは 放 送 は 、ITCの 裁 定 が 出 る ま で 一 時 中止 され た 。 も う一 つ 別 の チ ャ ンネ ル と して 衛 星 ア ク セ ス を 確 保 した よ うで 、 現 在 は そ の名 義 で 放 送 を行 っ て い る。[30b] 4。291998年12月 に トル コ の 内務 相 は 、'アナ トリア 東 部 と南 東 部 に お け る テ ロ事 件 が ご く 少 数 に 減 っ た とす る 見 解 を発 表 し た。[63dl1998年11月 ラ ン が 拘 留 され て か ら とい う も の 、一 部 のHADEP(ク にイ タ リア で ア ブ ドゥ ラ ・オ ジ ャ ル ド寄 りの 人 民 民 主 党)党 員 はPKK 党 首 を宰 持 して ハ ン ガ ー ス トライ キ に入 っ た 、 当 局 か ら事 前 に 承 認 を 受 け ず に デ モ を 行 っ た 者 も あ っ た 。 こ の こ とが11月 され る こ と に つ な が り、HADEPに 末 か ら12月 い る が 、18歳 の 党 員1名 て られ て い る 。HADEPの 員 が 逮捕 対 す る 警 察 の 措 置 に反 対 す る抗 議 行 動 の た め に さ らに 逮 捕 が 行 わ れ う こ と に な っ た 。HADEPは ボ ズ ラ ク を 含 め て3,064名 に か け て 、 あ ち ら こ ち らでHADEP党 、11月 末 現 在 にお け る拘 留 者 の 数 を 、 党 首 ム ラ ト ・ と した 。そ の 大 部 分 は 短 期 問 の 拘 留 後 に解 放 され た と伝 え られ て が 警 察 で の拘 留 中 に 死 亡 し、 そ の 原 因 は尋 問 中 の 殴 打 だ と 申 し立 指 導 者 は 、党 員 の 多 くが 取 り締 り中 に 殴 打 と拷 商 を受 け た と述 べ て い る。[5a】 オ ジ ャ ラ ン を支 持 して のハ ン ガ ー ス トライ キ,と、 オ ジ ャ ラ ン の 引 渡 し要 請 に 抗 議 す る新 聞 発 表 を受 け て 、ア ン カ ラ の 国 家 保 安 裁 判 所 の検 事 局(ChiefPmsecutor'sO伍ce) 13 は1999年1月28日 に 、 ボ ズ ラ ク を含 め たHADEPの 役 員47名 年 半 か ら7年 半 の 懲 役 刑 が 求 刑 され た 。[63el1999年1月29日 察 官(ChiefProsec伽r)はHADEPを し、HADEPとPKKの を 起 訴 した 。 告 発 状 で は4 、高 等 控 訴 裁 判 所 の 主 任 検 相 手 取 っ て 違 憲 審 査 裁 判 所 に対 し、 同 党 の 解 党 を 要 求 間に 「 有 機 的 関 係 」 が あ るrと申 し立 て る 起 訴 手 続 き を と っ た 。 法 的 な 異 議 申 し立 て が2件 あ っ た も の の 、HADEPは1999年4月 【41a][46司1999年7月 の 選 挙 へ の 参 加 を認 あ られ た 。 中旬 に ム ラ ト ・ボ ズ ラ ク とHADEPの そ の他 の役 員16名 が 釈 放 され た 。[64a] 4,30HADEPは ・1999年4,月 の 選 挙 で 国 会 に代 表 を返 り咲 かせ る に 足 る投 票(全 が 基 準 値)を 国 の10% 得 る こ と が で き な か っ た が 、 デ ィ ヤ ル バ ク ル を含 め た 南 東 部 の 数 ヵ 所 の 市 長 選 を 制 した 。』[32a]【88b】選 挙 で リジ ェ(Lice)市 長 に選 ば れ たHADEP党 員 は 、 彼 が1989 年 に 傷 害 を 伴 っ た 事 件 に 関 与 した た .めに公 職 に 就 く こ と を 禁 じ られ た こ とに 基 づ く 高 等 選 挙 委 員 会 の 決 定 を 受 け て 、 解 任 され た 。 同 市 長 は 、 す で に 検 察 に 申 請 を 済 ま せ て い て 犯 罪 記 録 が 抹 消 され て い る以 上 、 この 決 定 は不 法 で あ る と述 べ た 。[62b1 4.311999年4月18同 立 て た 。[30cl民 に 実 施 され た 国 政 選 挙 と地 方 自治 体 選 挙 に は 、様 々 な 党 が 候 補 者 を 主 左 派 党(DSP)が り、国 民 行 動 党(MHP)(得 議 席 数 が110議 議 席 数 が85議 で あ っ た 。[60c]5月 とMHPの 票 率 が18%、 席)、 祖 国 党(ANAP)(得 (得票 率 が12%、 最 大 得 票 率(22%)を 議 席 数 が130議 得 て 国 会 で136の 票 率 が13%、 席)、 美 徳 党(FP)(得 議 席 数 が86議 席 〉 が それ に続 い た 。132a1有 下 旬 に は 、DSPの 議 席 を勝 ち 取 票 率 が15%、 席)、 正 道 党(DYP) 効 得 票 総 数 は31,184,496票 ビ ュ レン ト・エ ジ ェ ビ ッ トを 首 班 とす るDSP、ANAP 連 立 政 府 が デ ミ レル 大 統 領 に よ っ て 承 認 され た 。 閣 僚 ポ ス トは 、3党 で 分 け られ た 。ANAPは た 。2000年7月 政 権 に 参 加 した が 、党 首 の メ ス ー ト ・ユ ル マ ズ は 当 初 閣僚 ポ ス トに 就 か な か っ 、 ユ ル マ ズ は 副 首 相 と して 入 閣 し、EU問 4。32ト ル コ は1999年 の8月 題 を 担 当 した。 【32q と11月 に2度 の 大 地 震 に 見 舞 わ れ ∼少 な く と も18,577名 の死 者 が 出 た 。 広 が っ た 木 衆 の 怒 りは 、 災 害 に 対 す る 国 家 機 関 、 特 に軍 隊 の 対 応 の 遅 さ と 、 地 震 に 弱 い ご とが わ か っ て い る 地 域 に規 格 に満 た な い 多 く の 団 地 の建 設 を許 した 、 トル コ特 有 の 汚 職 に 向 け られ た。 【1a1あ る若 手 閣 僚 は 、 「瓦 礫 の お お も と に は 、 トル コ の 政 治 と行1 政 の 制 度 が あ る 」 こ とを 率 直 に 認 め た 。[861地 14 震 後 の 国 際 援 助 に は ギ リシ ャ か ら の 大 規 模 な 援 助 が 含 ま れ て い た た め 、 トル コ と ギ リセ ヤ の 関 係 は顕 著 に 改 善 し た。[1a] 4.332000年5月 、 国 会 は尊 敬 を 得 て い る違 憲 審 査 裁 判 所 長 官 、 ア フ メ ッ ト ・ネ ジ デ ッ ・ ト (Necdet)・ セ ゼ ル を 新 大 統 領 に 選 ん だ づ 彼 は トル コで は 、 活 発 な 政 治 家 で も軍 の 高 官 で も' な い 初 の 大 統 領 で あ るる 多 くの トル コ人 は 、 高 潔 な 人 柄 に つ い て の 評 判 、 トル コ で は 大 い に 嫌 われ て い る政 党 と の 距 離 、 法 の 支 配 に 対 す る根 っ か らの 敬 意 を 新 風 と して 受 け 取 っ た 。 あ る識者 は 「 法 律 違 反 を 許 さず 、 腐 敗 を 大 目に 見 な い 法 律 木 」 で あ る と評 し た 。1999年 、 セ ゼ ル 氏 は 民 主 的 自 由 を制 限 して い る と して トル コ憲 法 を 批 判 した 。 ま た 、 い ま だ 非 常 統 治 下 に 置 か れ て い る 南 東 地 域 の 諸 県 にお け る法 的 決 定 に対 す る抗 議 を認 め る べ き で あ る と も 主 張 した。 【1a][41b1大 統 領 に 選 ば れ た 時 の 声 明 で 、 セ ゼ ル 氏 は 「 私 は 、 大 統 領 職 とい う こ の 至 高 の任 務 は 、 法 律 の優 越 と独 立 をす べ て の 面 に お い て 保 証 し維 持 す るべ く、 トル コ 国 会 が 私 に 与 え た 責 任 だ と考 え ます 。.,.,.民 主 主義 に対す る正 当 な理解 が社 会 生 活や 政 治 生 活 に お い て発 展 して お らず 、 民 主 主 義 の伝 統 が ま だ 具 体 化 して い ませ ん_...法 治 国 家 の 原 則 に 従 っ て 、 民 主 主 義 と民 主 的 価 値 観 を わ が 国 の 法 律 制 度 に 取 り込 ま ね ば な りま せ ん 。」 と 述 べ た。 セゼ ル 氏 は続 けて 、民主 主 義 の基 本 で あ る と自 らが考 え る政教 分 離 の原 則 を守 る こ とに 加 え て 、 イ ン フ レ率 を 下 げ 、 所 得 の 不 公 平 を な くす た め に は 、公 共 支 出 に 大 い に 配 慮 す る こ と も必 要 で あ る と述 べ た 。 【63al 4.34セ ゼ ル 大 統 領 とエ ジ ェ ビ ッ ト首 相 と の 間 の 緊 張 が 、2001年2月19日 の 国家保 安評 議 会 の 月 例 会 合 で 頂 点 に 達 し た 。 エ ジ ェ ビ ッ ト氏 は 、 腐 敗 が 申 し立 て られ て い る 閣 僚 を保 護 した と大 統 領 か ら非 難 され て 、 会 合 を退 席 した 。 そ の 結 果 、 多 額 の 資 本 が 逃 避 し、 株 式 市 場 で 株 価 が 暴 落 した た め 、 トル コ政 府 は トル コ ・リ ラ の 変 動 相 場 制 移 行 を余 儀 な く され 、 トル コ ・リラ は 実 質 上3分 の1値 下 が り した 。 結 果 的 に物 価 が3分 の1以 上 値 上 が り した こ とが 、 ア ン カ ラ そ の 他 の 都 市 にお け る 、 特 に 公 務 員 に よ る 抗 議 デ モ の 引 き 金 とな っ た 。 【32h3あ る観 測 筋 は 、 「 首 相 の 行 動 は許 しが た い も の だ と思 い ま す 。 首 相 は 、 市 場 が 神 経 質 に な っ て い る こ と を 知 っ て い た はず で す 」 と述 べ た 。 別 の 識 者 は 「 冗 談 じゃ な い 。 い っ た い 、 こ れ で トル コ を 治 め られ る もの か 」 と怒 りの 声 を あ げ た 。[44b1 4352001年6月 に違 憲 審 査 裁 判 所 は 、1999年5月 に 始 ま っ た裁 判 に つ い て の 判 決 に 達 し、 トル コ の 政 教 分 離 の 秩 序 を 損 な っ た か どで 美 徳 党(Fazilet)の 15 活 動 を禁 止 した 。 こ の 判 決 が 出 て も 、 期 待 され た よ うに 大 量 の 党 員 が 国 会 か ら追 放 され る に は 至 らな か っ た 。 判 事 の 投 票 の 結 果 、 美 徳 党 の 議 員2名 だ け が 追 放 され る こ と と な り、 残 る100名 は 、美 徳 党 の 後 継 党 で あ る 至 福 党(SaadetP漉si)と の代 議員 の大 部分 正 義 発 展 党(A戯etveK紐 ㎞maP面si) に 参 加 した 。 美 徳 党 の 活 動 停 止 は エ ジ ェ ビ ッ ト首 相 を 含 む 大 部 分 の議 員 の 反 対 を 受 け 、 エ ジ ェ ビ ッ ト首 相 は 、 美 徳 党 の 解 散 は経 済 が 危 機 的 で あ る時 節 柄 、 政 治 不 安 の 増 大 を 招 く と 主 張 した 。 【32i】 レジ ャ イ ・ク タ ン は 、 至 福 党 は 宗 教 的 権 利 を保 護 しよ う と努 め る が 、 トル コ 国家 の 政 教 分 離 とい う基 本 に 対 して 異 議 申 し立 て は しな い と述 べ た 。[31 4.36ト ル コ は 、 欧 州 に お け る 戦 略 的 位 置 づ け 、NAro第 ス ラ ム諸 国 会 議 機 構 に所 属 して い る こ と か ら、NATOの 二 の 軍 隊 の 所 有 、NAroで 唯一 イ 主 要 メ ンバ ー と して認 め られ て い る。 [1a】 4.371987年4月 12月 、 トル コ は 欧 州 共 同 体 の正 式 メ ンバ ー と して の 参 加 を 申 請 し[1a】 、1999年 に欧 州 連 合 の 正 式 な メ ンバ ー 候 補 と して の 資 格 を 与 え られ た 。 こ の こ と は 歴 史 的 な 一 歩 と して トル コ国 内 の メ デ ィ ア に 好 意 的 に 迎 え られ 、 ギ リ シ ャ の 首 相 は 「 我 が地 域 にお け る 平 和 、 安 全 保 障 と発 展 へ と 向 け た 歴 史 的 な 転 換 点 とな っ た 」 と述 べ た 。 メ ンバ ー 候 補 と な っ た こ と は 、 他 の 参 加 申請 国 と平 等 な 条 件 で の 処 遇 を 求 め る トル コの 要 求 が 満 た され る 上 で 大 い に 役 立 っ た が 、 ヘ ル シ ン キ 会 議 の 結 論 に は 、 こ の 申 し出 を ギ リシ ャ に容 認 可 能 な も の にす べ く 、 慎 重 な 語 句 が あ っ た 。 ヘ ル シ ン キ会 議 の 結 論 は 、 分 割 され て い る キ プ ロ ス 島 に つ い て の 解 決 を 要 求 して い た が 、 キ プ ロ ス 島 が トル コ 人 社 会 とギ リシ ャ 人 社 会 の 間 で 分 裂 した ま ま で あ れ ば 、 トル コ が キ プ ロ ス のEU参 加 を 阻 止 で き な い こ とを 明 確 に 打 ち 出 し て い た 。EUの メ ン バ ー 候 補 と して トル コ が 採 択 しな け れ ば な らな い 政 治 ・経 済 プ ロ グ ラ ム に 関 してEU指 導 者 は 、 トル コ が 人 権 保 護 の 実 態 記 録 を改 善 す る必 要 が あ る こ と に 具 体 的 に 言 及 した 。[32d1 4.382001年3月 に トル コ 政 府 は 、 トル コ がEUへ 計 画 され て い る道 第 を 示 す の 参 加 基 準 を満 た せ る よ うに す る た め に 「Acquis採 択 の た め の 国 家 プ ロ グ ラ ム 」 を 発 表 した 。 こ の プ ロ グ ラ ム で は 、 トル コ国 会 が2004年 ま で に89の 新 法 を 制 定 す る こ と と、94の 現 行 法 へ の 変 1 更 に 合 意 す る こ とが 必 要 に な る。 これ らの 変 更 は 、 思 想 と表 現 の 自 由 、 結 社 と平 和 的 集 会 の 自 由 、 拷 問 に 対 す る戦 い 、 公 判 前 拘 留 、 人 権 侵 害 に対 す る補 償 を 求 め る機 会 の 強 化 、 法 16' 律 執 行 職 員 と傘 務 員 に 対 す る 人 権 関 連 の研 修 、 司 法 の機 能 と有 効 性 の 改 善 、 死 刑 廃 止 、 拘 留 条 件 、 文 化 、 生 命 と個 人 の 自由 、 市 民 の 経 済 ・社 会 ・文 化 能 力 を 高 め る た め の 地 域 格 差 の 軽 減 、思 想 ・宗 教 ポ良 心 の 自 由 、憲 法 お よび そ の 他 の 該 当 法 とEUの 政 治 的 基 準 との 調 和 、 非 常 事 態 の 解 除 な ど、 様 々 塗 分 野 に わ た っ て い る,【82b】 4.392001年10月3日 、EU加 盟 の た め の 地 な ら し をす る こ とを 目的 と した34件 憲 法 の修 正 パ ッ ケ ー ジ を 国 会 が 承 認 して 、 トル コ は過 去20年 た 。 法 律 第4709号 は2001年10月17日 か ら成 る 間 で最 大 の法律 改 正 を完 了 し に施 行 され た 。 クル ド語 の使 用 に 対 す る制 限 の 緩 和 や 、 容 疑 者 が 告 発 され る ま で の 最 長 拘 留 期 間 の 短 縮 化 、 政 党 の 活 動 禁 止 手 続 き の 厳 格 化 か ら 、 強 力 な 国 家 保 安 評 議 会 を 作 り直 して 文 民 政 治 家 の割 合 を 増 や す こ と に い た る 修 正 事 項 は 、1980年 の軍 事 ク ー デ タ ー 後 に 憲 法 が 起 草 され て 以 来 初 の 大 型 改 革 で あ っ た 。 多 くの 場 合 、 実 施 に は す で に 進 行 中 の 刑 法 の 変 更 や 、 そ の 他 の 権 限 付 与 立 法(そ の緊 要性 は まち ま ち で あ っ た)が 必 要 と され た 。 改 革 は トル コ国 内 にお け る 興 奮 に 火 を つ け 、 「ヒ ュ リエ ッ ト」 紙 はr新 トル コ は 捜 索 を受 け ず 、 盗 聴 され ず 、 失 踪 も な く 、 自 由 に 話 し、 批 判 す る'こ と が で き る よ うに な る」 と熱 狂 的 な 記 事 を掲 載 した 。 あ るEU高 の 間 にお い て 報 告 で き た 事 件 の 中 で 最 も重 要 な 展 開 で あ り、EU全 官 はrこ れ は 、 こ こ何 年 も 体 、特 に欧州 議 会 に よ っ て そ の こ とが 記 録 され な けれ ば 悲 しい こ とで あ る 」 と述 べ た 。r121」[41c][44c] 4.402001年10月 第4744号 、4748号 の 憲 法 修 正 が 、2002年 に お け る3組 の施 行 法 の採 択 に つ な が っ た 。法 律 、4774号 と して そ れ ぞ れ2002年2月 、3月 、8月 に採 択 され た3組 の 「 改 革 パ ッケ ー ジ 」 に よ り、 トル コ の 主 要 法 の 様 々 な 条 項 が 修 正 され 、 死 刑 、 基 本 的 権 利 と 自 由 の 行 使 、 公 判 前 拘 留 と法 的 補 償 な どを 含 め て 、 多 岐 に わ た る人 権 問 題 に 対 す る対 処 、 が な され た 。[761 4。412002年2月6日 法 律 第4744号(い 、 トル コ 国 会 は 国 内 法 の 一 部 を憲 法 修 正 に 合 わ せ て 調 整 す る た め に む ゆ る 「ミニ 民 主 主 義 パ ッケ ー ジ」)を 採 択 した 。 ア ム ネ ス テ ィ ・イ ン タ ー ナ シ ョナ ル は この 法 律 の い くつ か の 要 素 を徽 迎 しな が ら も、 トル コ政 府 湖 表 現 の 自 由 に 対 す る十 分 な 保 護 策 や 、 拘 留 中 の 拷 問 が根 強 く残 っ て い る こ と に 対 す る 有 効 な 対 策 を 導 入 して い な い こ とに懸 念 を表 明 し た。1101[121】 17 44277歳 に な っ て い た エ ジ ェ ビ ッ ト首 相 の 健 康 が 、2002年 衰 え た 。 首 相 は 勇 退 を 拒 否 し、7月31日 と を圧 倒 的 多 数 で 議 決 した 。144dlそ 非 常 事 態 は2002年7月30日 に 国 会 は2002年11月3日 に選 挙 を 前 倒 しす る こ の 一 方 で 、 ハ ッ カ リ と トゥン ジ ェ リの 両 県 に お け る に解 除 され た が 、デ ィ ヤ ル ∼》 ル と(判 読 不 能)の2県 け る非 常 事 態 は 、2002年11月36日 4432002年8月3日 の 晩 春 か ら夏 に か け て 大 き く にお まで の 予 定 で 最 後 の4ヶ 月 間 、 と して 更 新 され た 。[30ql 、 トル コ 国 会 はEUに 加 盟 で き るチ ャ ン ス を 高 め る た め の 、大 型 の 民 主 改 革 パ ッケ ー .ジを正 式 に承 認 した 。 こ の パ ッ ケ ー ジ は 、 下 記 の 措 置 か ら成 る も の で あ っ た= i。 平 時 に お い て 死 刑 を 廃 止 し、 仮 釈 放 の 可 能 性 の 塗 い 終 身 刑 を これ に 代 え る こ と。 た だ し死 刑 は 、 戦 時 の 法 令 全 書 に は残 す 。 焦 トル コ語 以 外 の 言 語 に よ るテ レ ビ ・ラ ジ オ 放 送 を 認 め る が 、 憲 法 で 定 め られ て い る 国 家 主 権 の原 則 に反 しな い こ と。 この 変 更 に よ り、 ク ル ド語 で の 放 送 が 認 め られ る。 トル コ ・ ラ ジ オ ・テ レ ビ最 高 評 議 会(TurkishRadioandTelevisionSupremeCounci1)が 監 督機 関 の役 割 を 果 たす 。 血.教 育 省 の 監 督 下 にお い て 、 私 立 学 校 の 特 別 講 座 で クル ド方 言 を教 え る。 iv。 軍 隊 を含 め た 国 家 機 関 に対 す る 書 面 、口頭 、図 画 に よ る批 判 に対す る処 罰 を廃 止 す る 。 v.公 衆 デ モ と結 社 に対 す る制 限 を 緩 和 し、当 局 に 対 して48時 間前 まで にデ モ を通 知 す る こ と を認 め る。 vLト ル 旨 で 運 営 され る 外 国 と国 内 の 非 政 府 組 織 に 対 す る制 限 を緩 和 す る。 癒 。 人 身 と臓 器 ・ の密 輸 業 者 、 お よび そ の 常 助 者 に対 す る罰 則 を 、 移 民 の 生 命 が 脅 か され る 場 合 に は特 に 強 化 す る。 、 証 ix.報 イ ス ラ ム 教 以 外 の 少 数 派 宗 教 に とっで の 自 由 を拡 大 す る。 道 関 連 の 法 規 を改 正 す る。 x。 警 察 の 義 務 に つ い て 定 め る法 規 を 変 更 す る。P xr強 制 労働 か ら利 益 を得 て い る こ とが 判 明 した 者 に対 して 、最 高 で10年 間 の懲 役 刑 を科 す 。[66a】 4・44欧 州 委 員 会 は 、 トル コ の 政 治 指 導 者 の 大 多 数 が トル コ を欧 州 連 合 の 価 値 観 と基 準 に も っ と合 う よ う に し よ う と決 意 して い る こ との 重 要 な 兆 候 だ と して 、 この 改 革 パ ッケ ー ジ を 18 歓 迎 した 。ECは 声 明 で 、 こ.の改 革 は トル コ に お け る人 権 と少 数 派 に お け る権 利 の 保 護 の 拡 大 へ と向 か う大 き な 前 進 で あ る と述 べ た 。ECは 、総合 的 改革 パ ッケー ジの影響 を十 分 に評 価 す る に は 慎 重 な 分 析 が 必 要 で あ る こ と を 強 調 しな が ら も 、 こ の 作 業 は 秋 に 提 出 され る定 期 報 告 書 で な され る で あ ろ う と述 べ た 。 ま た 、 影 響 の 多 くは パ ッケ ー ジ の 実 際 の 実 施 状 況 に左 右 され る も の で あ り、 今 後 の 数 ヶ月 問 で そ の 影 響 を 厳 格 に 監 視 す る と も付 け加 え た 。 EU拡 大 を担 当 して い る ギ ュ ン タ ー ・フ ェル ホ ィ ゲ ン委 員 は 、 「 勇 気 あ る トル コ国 会 の 決 定 を歓 迎 す る。 ζ の 決 定 は1999年 の ヘ ル シ ン キ にお け る欧 州 評 議 会 以 来 、 耳Uが トル コ の た め に 展 開 して き た 明 確 に 欧 州 的 な 視 座 な く して は 不 可 能 だ っ た で あ ろ う。.トル コ の 決 定 は 、 人 権 と少 数 派 保 護 に 関 してEUが 確 固 た る姿 勢 を と っ て い る こ との 正 し さ を も示 し て い る … ・..こ れ らの 問 題 に つ い て 譲 歩 しな い こ と に よ り、我 々 の パ ー トナ ー は 我 々EUが 価値観 を 堅 固 に 守 り、 これ らの 価 値 観 が 我 々 に と っ て か け が え の 塗 い も の で あ る こ と を よ り良 く理 解 す る の で あ る 」 と 語 っ た 。[30r] 4.45ト ル コ の あ る人 権 活 動 家 は こ の 改 革 に つ い て 、 「トル コ 共 和 国 の 歴 史 上 、 最 も前 向 き な 変 革 」 で あ る と述 べ た 。 池 に も、 人 権 活 動 家 で トル コ 人 権 協 会 の デ ィ ヤ ル バ ク ル 支 部 の 責 任 者 で あ る オ ス マ ン ・バ イ デ ミル(OsmanBaydemir)は に 言 及 して 、 「 初 め 七 、 相 違 が 受 け入 れ られ 一 トル コ に お け る クル ド人 の 役 割 拒 否 に終 止 符 が 打 た れ 一 存 在 す る こ とが 実 際 に 認 あ られ た 」 と語 っ た 。[37a](下 監 視 団(HRW)は 、r昨 年 は 、1980年 記 の6.124を 文 化的 な相違 が 参 照 の こ と。)人 権 の ク ー デ タr以 降 の どの 年 に お け る よ りも 実 質 的 な 人 権 の 改 善 が 見 られ た 。 か つ て に お け る嫌 々 な が ら の 小 さな 前 進 で は な く・2っ の 大 き な 進 展 が あ り、今 後 の 改 善 が 約 束 され た 』 と コ メ ン トして い る 。 た だ しHRWは ・ トル コ が 人 権 無 視 の 歴 史 と決 別 した こ と を証 明 す る た め に特 に成 果 を 出 さ な けれ ば な らな い 領 域 が2つ あ り、 そ れ は 拷 問 と表 現 の 自 由 で あ る と付 け加 え た 。 【9e】 4。46欧 州 委 員 会 が2002年10月 に 出 した 「EU加 盟 に 向 け て の トル コ の進 展 に 関 す る定 期 報 告 書 」 は 、 欧 州 連 盟 へ の 加 盟 候 補 者 資 格 が1999年 に決 定 して 以 来'トル コが 導 入 した 基 本 的 改 革 を歓 迎 した 。(加 盟 の た め の 政 治 的 基 準 は 、各 輿 が 「 民主 主義 、法 の支配 、 人権 、少 数 派 に 対 す る 尊 重 と保 護 を 保 証 す 首 制 度 の安 定 」 を 達 成 し て い な け れ ば な ら な い 、 とい も の で あ る。)こ の 報 告 書 は 、 人 権 と基 本 的 自由 の領 域 に お け る保 証 を 強 め 、死 刑 宣 告 の理 由 を制 限 した2001年10月 に お け る 大 型 の 憲 法 改 革 に に つ い て記 した 。2001年11月 19 に は 、新 た な 民 法 が採 択 され た 。2002年2月 、3月 、8月 に1ま3緯 の 改 革 パ ッ ケ ー ジ が採 択 され たg 平 時 の 死 刑 は 廃 止 され た 。 南 東 部 の2県 の適 用 を受 け て い る2県 に お け る 非 常 事 態 が解 除 され 、 い ま だ に 非 常 事 態 に お い て も2002年 末 ま で に解 除 を 行 う決 定 が な され た 。 こ うい っ し た(困 難 な政治経済状況の もとで採択 された)大 規模 な変革をめぐる政治的 コンセ ンサス の 構 築 は 、EUへ の加 盟 につ い て の 集 中 的 な 公 開 討 論 に よ っ て 準 備 され た 。こ の 公 嗣 討 論1言、 政 党 、 市 民 団 体 、 実 業 界 の み 参 らず 学 界 も 参 加 して 行 わ れ た 。 報 告 書 は 、 トル コ は 総 じて 1998年 以 降 、ま た 特 に2002年10月 ま で の1年 間 で 、EUに 加 盟 す る た め の 政 治 的 基 準 を 満 た す こ とに 向 け て 顕 著 な 進 展 を 遂 げ た と結 論 して い る。2002年8月 の 改革 は 、特 に広 い影 響 の 及 ぶ も の で あ っ た 。 総 合 して み る と、 こ の 改 革 に よ り トル コ で 民 主 主 義 を 強 化 し、 人 権 を保 護 す る た め の 基 盤 の 多 く が得 られ た 。改 革 は 、 トル コ国 民 がEUに 行 き渡 って い るの と 同 等 の 権 利 や 自 由 を前 向 き に 享 受 で き る よ うに す るた め の 、 さ ら な る 変 革 へ の 道 を 開 い た 。[76】 4.47し か し なが ら欧 州 委 員 会 は 、 トル コ は 以 下 の 理 由 か ら、EUに 加盟 す るた めの政 治 的 基 準 を 十 分 に は 満 た して い な い と結 論 づ け た: (i)改 革 に は 、基 本 的 権 利 と 自由 の 十 全 な 享 受 に 対 す る 重 大 な 制 限 が い くつ も あ る 。特 に 、 、 文 宇 報 道 や 放 送 を含 め た 表 現 の 自 由 、 平 和 的 集 会 の 自由 、 結 社 の 自 由 、 宗 教 の 自 由 と法 的 補 償 を受 け る 権 利 に 対 す る 重 要 存制 降 が 残 っ て ヤ・る。 (五)改 革 の 多 く が 、欧 州 の 基 準 に 合 致 す る 規 則 や そ の他 の 行 政 措 置 の 採 択 を必 要 と して い る。 これ ら の 措 置 の 一 部 は す で に 実 施 され 、 そ の他 は 起 草 中 で あ る 。 改 革 が 効 果 を 上 げ る た め に は 、 全 国 の 様 々 な レベ ル の 行 政 機 関 と 司 法 機 関 に よ っ て 実 際 に 実 施 され る こ とが 必 要 で あ る。・ 欧 州 委 員 会 は 、 主 要 政 党 の 党 首 で あ るエ ル ドガ ン 氏 が11月3日 の総 選 挙 に出馬 す る こ と を禁 じ る 高 等 選 挙 委 員 会 の決 室 に は 、 改 革 の 精 神 が 反 映 され て い な い と考 え る。 (血)政 治 的 基 準 の も とで 生 じ る 数 々 の 重 要 問 題 に 対 す る対 処 が ま だ 十 分 に な され て い な い 。 そ の 中 に は 、 拷 問 や 虐 待 に 対 す る 闘 い 、 軍 の 文 民 統 制 、、 非 暴 力 的 な 意 見 を表 明 し た こ と で懲 役 を科 せ られ て い る人 々 の 状 況 、 欧 州 人 権 裁 判 所 の 判 決 の 遵 守 な どが 含 まれ る 。[76] 4.48近 年 の 顕 著 な進 歩 と、 さ らな る配 慮 を 必 要 とす る残 りの 領 域 に鑑 み 、欧 州 委 員 会 は ト ル コが 法 律 に お い て も実 際 に お い て も 民 主 主 義 を 強 化 し、 人 権 を保 護 す る た め に 改 革 プ ロ セ ス を 進 め る こ と を促 した 。 こ の こ と に よ り トル コは 、 政 治 的 基 準 を 全 面 的 に満 た す 上 で 20 残 る障 害 を克 服 す る こ とが で き よ う。 【76】 4492002年10月 下 旬 、 欧 州 の 指 導 者 が 同 年12月 に コペ ン ハ ー ゲ ンで 開 か れ る欧 州 サ § ッ トで 、 トル コ と の 加 盟 交 渉 に 関 す る確 約 を 行 う可 能性 が 浮 上 した 。EU加 盟 国 の 多 くは、 トル コ に 関 し て 妥 協 を 行 うよ う米 国 か ら圧 力 を 受 け る に 至 っ て い た 。 米 国 は トル コ を 信 頼 の お け るNATO同 盟 国 で あ り、 反 テ ロ作 戦 に お け る 友 好 国 と見 な して い た た め で あ る。 ギ リ シ ャ と英 国 は 、 トル コ に 対 す る新 た な 奨 励 計 画 を要 請 し、英 国 の 外 務 大 臣 は、 同 国 は 「き わ め て積 極 的 に トル コのEU加 4502002年11月3日 盟 を 支 援 す る 」 と述 べ た 。[44e] の 総 選 挙 で 連 立 政 権 は 大 敗 し、1年 前 にで き た ば か りで ま だ 中 央 の 政 権 で試 され た こ と も汚 点 を つ け られ た こ.とも な い イ ス ラ ム 教 寄 りのAKP(正 義 発 展 党) が 圧 勝 した 。 政党名 暫定得票率 議席獲得数 AKP(正 義 発 展 党) 343 363 CHP(共 和 人 民 党) 19.4 178 DYP(正 道 党) 9.51 一 MHP(国 民 行 動 党) 8.3 一 7.3 一 62 一 5.1 一 1.2 一 1.2 一 12 一 1.0 一 8.6 9 GP(青 年 党) DEHAP(人 ANAP(祖 民 民 主 党) 国 党) SP DSP(民 YTP(新 BBP(大 主 左 派 党) トル コ 党?) 統 一 党) 無所属 反 逆 しな い と され て い る 国 に と っ て 、 旧 式 な 指 導 者 世 代 全 部 が 選 挙 で 葬 り去 られ た こ とは 、 トル コ に 革 命 が お き た の と ほ ぽ 同 じ こ とで あ っ た 。 あ る 新 聞 は 「ア ナ ト リア 革 命 」 を 吹 聴 21 した。全国における有効得票数 の少な くとも10%を 獲得 してか らでなけれ ば政党 は議席の 割 り当 て を 受 け られ な い こ とを 定 め て い る 議 員 選 挙 法 に よ り、 新 国 会 に は2政 党 しか 伐 表 を 送 れ ず 、 多 数 の 選 挙 民 が 代 表 され な い 結 果 に な っ た た め 、 国 会 の 正 統 性 に つ い て 疑 問 が 生 じた。敗 北 した 政 党 の 指 導 者 は選 挙 後 に ドミ ノ倒 しの よ うに 次 々 と倒 れ 、MHPか 読 不 明)氏 が 、D、φ か らは チ ル レル 女 史 が 、ANAPか らは ユ ル マ ズ 氏 が 党 首 の職 を 辞 した 。 中 で も最 も悲 劇 的 な 犠 牲 者 は お そ ら く、 病 床 に あ り、1999年 者 の 位 置 か ら2002年 の 選 挙 で は(暫 定 結 果 で)1.2%の ら は(判 の 総 選 挙 に お け る最 大 の 勝 利 支 持 率 に滑 り落 ち た エ ジ ェ ビ ッ ト首 相 で あ ろ う。[41dl 451AKPの エ ル ドガ ン 党 首 は 宗 教 的 理 由 に 基 づ く敵 意 を煽 っ た か どで す で に 有 罪 判 決 を 受 け で い た た め 、(現 行 法 に基 づ い て は)首 相 の み な らず 、 国 会 議 員 に な る こ と もで き な か っ た 。 憲 法 第109条 は 、 首 相 は 国 会 議 員 の 中 か ら大 統 領 が 選 ぶ と定 め て お り、 大 統 領 が 新 任 投 票 を勝 ち得 る こ との で き る 議 員 を任 命 す る こ と が 不 文 律 と な っ て い る。[63m】 勝 利 した 直 後 、10年 選挙で 間 に わ た っ て 何 代 も弱 体 な 連 立 政 権 が 続 い た後 で 初 の一 党 政 権 を っ く るチ ー ム を エ ル ドガ ン 氏 が 統 率 して い る こ と を 疑 う余 地 は ほ とん ど な か っ た 。 エ ル ドガ ン 氏 はEU加 盟 交 渉 を 始 め る 日程 を 固 め よ うとす る トル コ の努 力 に対 す る 支 持 を集 め る た め 、 欧 州 各 国 の 首 都 を歴 訪 す る 計 画 を 立 て た 。【41dコ 氏 は 、EUに 順 応 す る た め の 法 律 に 関 して 、 AKP政 権 が 特 に 拷 問 、 地 域 祉 会 の 基 礎 、母 国 語 で の 放 送 、 母 国 語 教 育 と い っ た 分 野 で の 不 備 を 正 し、 必 要 な措 置 を 実 施 す る こ と を 強 調 した。 ま た 、AKP政 を示 す こ と も付 け加 え た 。[61b】 権 が この点 につ い て誠 意 トル コの イ ス ラ ム 化 を図 る か 否 か を 問 わ れ た エ ル ドガ ン 氏 ほ 憤 慨 して そ れ を否 定 し、 「 そ の 質 問 に 対 す る最 善 の 答 は 、 今 後 の わ が 国 の 措 置 か ら明 ら か に な る 」 と答 え た 。[40g] 4.52新 政 権 は 、2002年11月 中 旬 に任 命 を受 け た 。 首 相 は ア ブ ド ゥラ ー ・ギ ュ ル 民 で あ っ た(簡 単 な 経 歴 につ い て は 付 属 書Gを 参 照 の こ と〉。 副 首 相 は メ フ ヘ ッ ト ・ア リ ・シ ャ ヒ ー ン 、 エ ル トゥル ル ・ヤ ル チ ュ ンバ ユ ル 、 ア ブ ドゥル ラテ ィ フ ・シ ェ ネ ル 博 士 、 大 蔵 大 臣 は ケ マ ル ・ウナ ク タ ン 、外 務 大 臣 は ヤ シ ャ ル ・ヤ ク シ ュ 、 内務 大 臣 は ア ブ ド ゥル カ ー デ ィル ・ ア ク ス で あ る。 閣 僚 の 総 数 は 首 相 を 含 め て25名 で 、 前 政 権 の36名 よ り も大 幅 に 増 え て い る 。7名 の 法 学 者 、6名 の 技 術 者 、5名 の 経 済 学 者 、4名 の 政 治 学 部 卒 業 者 、1名 の 神 学 者 、 1名 の 医 師 と1名 の 文 学 者 が 内 閣 を構 成 し、 中 に は 教 授3名 22 、 準 教 授2名 が含 まれ てい た。 ・女 性 大 臣 は1名 で あ っ た(観 4.5311月17日 光 大 臣 の ギ ュ ル ダ ル ・ア ク シ ッ ト)ら 【30X] の 「ヒ ゴ リエ ッ ト」紙 に よ る イ ン タ 甘ユ ー で 、 ギ ュル 氏 は 、rト ル コ は 欧 州 指 導 者 を 驚 嘆 させ る よ うな 措 置 を 取 る。 わ が 国 は 有 言 実 行 で 本 分 を果 た し...イス ラ ム 教 国 が 民 主 主 義 的 で透 明 か つ 近 代 的 な 世 界 の 一 部 に な り得 る こ と を立 証 す る...EU加 盟 国 の トル コ は 、他 の イ ス ラ ム 教 国 に とっ て 輝 か しい 見 本 と な る _ト ル コ のEU』 加 盟 は トル コの 繁 栄 を 助 け るの み な らず 、 欧 州 を も豊 か にす る 」 と述 ぺ た 。 【21b】 ノ 454AKPは イ ス ラ ム 教 とい うル ー ッ との 間 に 距 離 を置 い て 、 西 欧 や 欧 州 連 合 を 安 心 させ よ う.とした 。 選 挙 後 に 行 っ た 欧 州 数 力 国 へ の 慌 しい 訪 問 で 、 エ ル ドガ ン 氏 はAKPがEUの 求 め に 沿 っ て 次 の よ うな9か 条 の 改 革 プ ロ グ ラ ム を 導 入 す る予 定 で あ る と述 べ た 。 ・ 表 現 、 宗 教 、 良 心 、 お よぴ 結 社 の 自 由 の拡 大 ・ 欧 州 人 権 裁 判 所 の 判 決 を 遅 滞 な く実 施 す る こ と ・ 拷 問 に 対 す る情 状 酌 量 を 行 わ な い こ と ・ 前 国 会 が 残 した 改 革 法 の 不 備 な部 分 を埋 め る こ と ・ 改 革 が 認 め られ る よ うに 憲 法 を 見 直 す こ と ・ トル コの 諸 結 社 や トル コ に お け る外 国 の結 社 が 機 能 で き る よ うに調 整 を行 う こ・ と ・ 外 国 の 団 体 や 宗 教 団 体 に よ る財 産 購 入 の 問 題 に 取 り組 む こ と ・ ま だ採 択 され て い な い 国 際 協 定 の 批 准 を優 先 す る こ と ・ 国 会 内 にEU統 455ト 一 委 員 会 を 設 け る こ と。[66e1 ル コ の 東 部 と南 東 部 に 関 す るAKマ の 政 策 は ・そ の プ ロ グ ラ ム に 示 され て い る。AKP 党 は 同 地 域 の 住 民 の 幸 福 、 福 祉 、 権 利 、 お よ び 自 由 を 守 る とい う政 策 に 従 う こ と を 確 約 し た 。 同 党 は 同 地 域 の 文 化 的 多 様 性 を 豊 か さ と見 な して い る。 トル コ語 が 公 用 語 と教 育 用 言 語 に と どま る こ と を条 件 に 、党 は トル コ語 以 外 の 言 語 で 行 わ れ る放 送 を 含 め た 文 化 活 動 は 、 トル コ の 統 一 と完 全 性 を 弱 め る も の で は な く、 これ を 強 化 し支 え る 資 産 で あ る と考 え て い ・ る 。 テ ロが 抑 圧 を 、 抑 圧 が テ ロを 助 長 す る 。 テ ロ に 終 止 符 を 打 っ に は 、 国 が 基 本 的 な 権 利 と 自由 を 尊 重 す る姿 勢 と、 経 済 発 展 お よび 安 全 保 障 を 同 じ全 体 の 一 部 と見 な す 考 え 方 が 必 要 で あ る。[981 23 4.56ギ ュ ル 首 相 は2002年11月23日 に 国 会 で64ぺ 一 ジ に 及 ぶ 政 府 プ ロ グ ラ ム を 朗 読 し、 政 権 は 正 直 で 教 養 ≧経 験 を 積 ん だ 人 々・ に よ る リー ダ ー シ ップ と包 括 的 な プ ロ グ ラ ム に よ っ て 有 望 な 将 来 を創 り上 げ る こ と を 目指 して ヤ.・ る と強 調 した 。 トル コは2党 制 の 国 会 と、1党 に よ っ て結 成 され た政 府 に よ り、 安 定 状 態 に達 した 。 首 相 は 、r我 々 は 責 任 あ るや り方 で 使 命 を 果 た す 決 意 で あ る 」 と述 べ た 。 ま た 、 よ り多 元 主 義 的 で リベ ラ ル な 憲 法 を 用 意 し 、 一 定 の 基 本 諸 法 を 修 正 す る こ と を発 表 した 。 首 相 は 、 政 府 の す べ て の 政 策 は個 人 を 中 心 に 据 え る こ と を付 け 加 え 、 「 我 々 は 市 民 と して の 自 由 と政 治 的 自 由 の す べ て 、 特 に 思 想 、 信 条 、 教 育 、 組 織 と企 業 の 自 由 を 得 る権 利 を保 証 した い 」 と語 り、 続 け て 、 政 府 方 針 は あ ら ゆ る 国 際 的 な 民 主 的 基 準 を 基 本 に す る と述 べ 、1トル コが 欧 州 人 権 裁 判 所 と世 界 人 権 宣 言 の 価 値 観 奪実践す ることを強調 した。首相 は、基本的権利 と自由の領域で普遍的基準 を達成す る 決意である と述べた。国は法律 と正義に対するその理解 に従って法律を杢上 とし、社会で、 ま た 人 々 の 間 で 、 人 種 、 肌 の 色 、 性 別 、 政 治 思 想 、.哲学 的 信 条 、 宗 教 に 関 し て い っ さい 差 別 を行 わ な い 。 ギ ュル 首 相 は 新 た に 参 加 型 の 憲 法 を 準 備 す る と述 べ て 、 憲 法 は 強 力 な 社 会 的 正 統 性 を も ち 、 国 際 的 な 規 範 に 合 致 す る も の に な る と語 ρ た 。 首 相 は 、 参 加 型 民 主 主 義 に頼 る憲 法 に は 、 民 主 主 義 的 な 法 治 国 家 に つ い て の 理 解 が 述 べ られ る と付 け加 え た 。 【30y玉 4.572002年12月12目 と13日 に コペ ン ハ ー ゲ ン で 開 か れ た 欧 州 連 合 サ ミ ッ トで 、2004年 12月 ま で 待 づ て は じ め て 、 トル コ のEU加 盟 交 渉 につ な が り得 る精 査 を 行 うこ と が 決 定 さ れ た 。 こ の 精 査 で 、 トル コ が 人 権 基 準 を満 た した か ど うか が 判 定 され る。 ギ ュ ル 首 相 は 当 初 、 大 き な 失 望 を 隠 さず 、 こ の 決 定 は 「 我 々 の 努 力 が 理 解 され ず 、 わ が 国 に 対 す る偏 見 が あ る 」 こ と を 意 味 す る と述 べ た が 、 英 国 の トニ ー ・ブ レ ア 首 相 はrこ の こ と は 、 形 を 整 え つ つ あ り、や が て はEUフ ァ ミ リー に 参 加 す る新 生 トル コ に対 す る我 々 の 信 頼 の 大 き な 証 左 で あ る」 と語 っ た。 エ ル ドガ ン氏 は 、 こ の 結 果 は 欧 州 の ダ ブ ル ス タ ン ダ ー ドに もか か わ ら ず に得 た 成 功 で あ る と述 べ た 。[4鯛 4.58ト ∼ レコ 国 会 は2002年12月 ・ に 議 決 を 行 い 、エ ル ドガ ン 氏 が 来 るべ き補 欠 選 挙 に 出 馬 で き る よ 旗に す る憲 法 修 正 パ ッ ケ ー ジ を 支 持 した 。『[3刎 こ の 補 欠 選 挙 は2003年3月 に行 わ れ 、 エ ル ドガ ン氏 が 選 出 され た 。 ギ ュル 氏 は 首 相 を 辞 し、 セ ゼ ル 大 統 領 は エ ル ドガ ン 氏 に 組 閣 を要 請 した 。 24 ・ ● 4.592003年3月14日 首 相:レ に発 表 され た 新 内 閣 の 主 要 メ ンバ ー は 次 の 通 りで あ る 」 ・ ジ ェ ッ プ ・タ イ イ シ プ ・エ ル ドガ ン 副 首 相 兼 外 務 大 臣:ア ブ ド 亨 ラ 」 ・ギ ュ ル 副 首 相 兼 国 務 大 臣:ア ブ ド ゥ ル ラ テ ィ フ ・シ ェ ネ ル と メ フ メ.ッ ト ・ア リ ・シ ャ ヒ ー ン 大 蔵 大 臣:ケ マ ル ・ウ ナ ク タ ン 内 務 大 臣:ア ブ ドル カ ー デ ィ ル ・ア ク ス 。[63q】 4.60エ ル ドガ ン 氏 は2003年3月}8日 の 国 会 演 説 で 、彼 の 政 権 の プ ロ グ ラ ム は 、彼 の 保 守 民 主 党 の 政 治 的 ア イ デ ンテ ィ テ ィ を 基 本 と し て い る と述 べ た 。 政 府 は全 画 的 な 民 主 主 義 、 基 本 的 権 利 と 自 由 の 完 壁 な 秩 序 、 積 極 的 な外 交 方 針 と国 際 市 場 で 競 争 的 な 優 位 に 達 す る こ と の で き る 生 産 構 造 を 求 め る国 民 の 要 求 に 応 え る べ き で あ る 。 政 府 は 内 政 に 関 して は 、 民 主 主 義 的 で 尊 重 され る 、 国 民 の 活 力 あ る意 志 を活 気 づ か せ る こ とに 集 中 し、 経 済 の 安 定 を 提 供 し_,..経 済 的 繁 栄 の 機 会 を 公 正 に 配 分 し、 貧 困 と腐 敗 に抗 して 戦 うp人 権 を 世 界 的 レ ベ ル に 引 き 上 げ る た め に 、 こ の プ ロ グ ラ ム は 多 元 主 義 的 で りベ ラル で 、 健 全 な 社 会 的 正 統 性 を も ち 、 欧 州 連 合 の 規 範 を 含 め て あ ら ゆ る 国 際 的 規 範 に 合 致 し、 個 人 の 権 利 と 自 由 を優 先 す る新 しい 憲 法 を構 想 し た。 プ ロ グ ラ ム は 、 トル コ の 基 本 に あ る 戦 略 的 ・政 治 的 現 実 は 、 米 国 との 関係 で あ る こ と を 明 記 して い た 。 ま た 、EUに 正 式 に加 盟 す る こ とが 、 最 重 要 目標 の 一 つ で あ る こ と も明 記 して い た 。 【30aal 4.612003年 初 頭 の数 ヶ月 間に わた っ て、イ ラクで の存在 が 疑 われ る大 量破壊 兵器 を廃棄 す る た め に 予 測 され る米 国 主 導 の 戦 争 で 北 部 戦 線 が 開 か れ る 可 能 性 に備 え て 、 トル コ領 土 内 に米 国 軍 を 配 備 す る こ と に つ い て 、 トル コ と米 国 の 間 で 長 い 話 し合 い が 行 わ れ た 。 しか し 、 トル コ の 世 論 は イ ラ ク との 戦 争 に 圧 倒 的 に 反 対 で あ っ た 。 トル コ国 会 は 、 米 国 に よる 大 型 の援 助 パ ッ ケ ー ジ と引 き 換 え に 米 国 軍 の 配 備 を 許 す 交 渉 に オ ー ケ ー を 出 す こ と を拒 ん だ が 、結 果 的 に は 、 米 国 の航 空 機 が 対 イ ラ ク戦 で トル コ 領 空 を利 用 す る こ と を認 め た 。 国 際 的 に 戦 争 反 対 の 声 が 強 か っ た に も か か わ らず 、 国 会 議 員 も 、 イ ラ ク 北 部 へ の トル コ軍 の 派 遣 を承 認 す る 議 決 を 行 い 、 クル ド人 難 民 が 国 境 を ま た い で 押 し寄 せ て く る の を 防 ぐ こ と が 必 要 で あ る と述 べ て こ の 動 き を 説 明 した 。 識 者 は 、 本 当 の 理 由 は 、 イ ラ ク の クル ド人 が 独 立 の クル ド人 国 家 の 設 立 を 宣 言 す る と い う見 通 し を トル コ 人 が 恐 れ て い る こ とで あ る と 示 唆 した 。 イ ラ ク の クル ド人 を 米 国 は サ ダ ム ・フセ イ ン の カ に 対 抗 す る 同 盟 国 と見 な して 25 い る か ら で あ る 。 イ ラ ク の ク ル ド人 は 、 トル コ 軍 に よ る 一 切 の 介 入 に抗 す る こ とを 誓 っ て い る 。[66gl 26