Comments
Description
Transcript
2016年11月じゃおサロン 2016年12月じゃおサロン(予告) 2016
発 行 じゃおクラブ 責任者 村尾 篤彦 編 300号 集 事務局 URL 2016年11月 http://www.ne.jp/asahi/jao/club ▌2016年11月じゃおサロン 日時 11月27日(日)13:30∼15:30 自 衛 隊 の い ろ い ろ 講師 一瀬 幸一氏 略歴:一瀬さんは元じゃおクラブ会員で、海上自衛隊の将校さんでした。今でも関内のカラオケ同好会 には参加されています。 内容:熊本地震の救助のこと、沖縄のこと、文人コントロールなどお話していただけます。 普段なかなか聞けない内容のお話になると思います。一瀬さんは元会員で忌憚なく質問できます。 奮ってご参加ください。 (県央 宮松 順憲 記) ▌2016年12月じゃおサロン(予告) 日時 12月18日(日)13:30∼15:30 仮題「地震国日本の地盤と地質について」 講師 略歴:昭和 28 年 2 月生まれ 埼玉県出身 陽一氏 63 歳 昭和 50 年 3 月 日本大学生産工学部土木工学科 昭和 60 年 6 月 (株)横浜ソイルリサーチ 平成 19 年 3 月 神奈川県地質調査業協会 平成 19 年 4 月 一般社団法人 卒 設立 会長 関東地質調査業協会 理事 公益社団法人 和田 地盤工学会 関東支部 神奈川支部長 評議員 内容:此度じゃおサロンでは地質調査の専門家を講師としてお招きし、地震国日本の地質の性状と対応 についてお話を伺います。人口が斜面に多く集中する横浜市では、最近、土砂災害警戒区域にあ る、がけ地の調査を行いました。その調査結果と横浜市の対応についても、総括責任者の立場か ら、公表できる範囲内でお話を頂きます。 ▌2016年10月じゃおサロン報告 い ま ど き 結 婚 ・ 離 婚 事 情 あなたは、「幸せな結婚生活」を」送っていますか? 講師 渡辺 里佳 さん 鶴賀 菜穂乃 さん 渡辺講師は「夫婦問題カウンセラー」。自らも離婚を経験し、フリーランスのライターから、養成ス クールを経てカウンセラーの資格を取得。モットーは「相談者さんが幸せになること。」 鶴賀講師はご主人・お子様同伴で来場。ロンドン大学修士取得、エグゼクティブ・ウェルネス・コンサ -1- ルタントとして、心身のバランスの取れた輝く女性や企業人を応援。一般社団法人認活(=認知症予防 活動)アドバイザー協会代表理事として、アドバイザーの育成にも努めている。 初めは渡辺講師のお話。 「時代とともに変遷する結婚の常識、離婚の事情。 相談事例にみるいまどきの結婚・離婚事情。」という ことで、あまり結婚・離婚に縁がない(一部、婚活 中がいるが) 、おやじたちも神妙に拝聴した。 ・離婚相談で、弁護士とカウンセラーの違いは、弁 護士はメンタル面のサポートがなく、法律一辺倒 なのに対し、カウンセラーは訴訟などになる前に メンタル面で心の整理をし幸せに、できれば修復 をする。修復の事例の方が多い。 ・どんな相談が多いか。価値観の相違、性格の不一致、配偶者の浮気、嫁姑問題、セクハラ、家庭内暴 力、酒乱、育児・教育方針、金銭感覚相違等々。 ・結婚 5 年以内と 40 代夫婦が多いが、高齢者も増えている。 ・いまどき結婚 word 授かり婚、別居婚、震災婚、年の差婚、ネット婚、卒婚、共生婚(一緒にいる だけ) ・いまどき離婚 word 成田離婚、格差離婚(女が上)、熟年離婚、ペット離婚、産後クライシス離婚 ・日本では 3 組に 1 組が離婚している。(3 分に 1 組) ・離婚の多い都道府県 沖縄、宮城、大阪、北海道。少ないのは 富山、新潟・秋田・島根。 ・裁判所が定める離婚理由、熟年離婚の原因トップ 5、回避例、男女の脳の作りや考え方の違い、妻か らのサイン、夫婦の会話の仕方、円満の秘訣等々 内容が多すぎて省略。 ・熟年離婚危険度チェックリスト 該当 6 項目以下なら心配なし。おやじたちはほぼ全員 3 以下だった。 (本当かな?) (1) 照れくさいので、妻には「ありがとう」と言ったことがない (2) 現在も、妻を「ママ」「お母さん」などと呼んでいる (3) 何も言わなくても、妻は自分の気持ちをわかってくれている (4) 家事は、全て妻まかせだ (5) 妻とは、ほとんど会話がない (6) 家族のイベントなどは、すべて自分一人で決めてきた (7) 近所付き合いは、ほとんどしていない (8) 趣味といった趣味はない (9) どちらかというと、会社人間だった (10) 妻には、できるだけ家にいてもらいたい (11) 自宅関係の大事な書類や印鑑の置き場所を知らない (12) 一人で食事するのは、いやだ (13) やはり、男は女を守ってやらなければいけないと思う (14) 結婚記念日は覚えていない (15) 妻とは、朝晩の挨拶は交わさない ・これからどう過ごすか? 好奇心・感謝・感動で、心も身体も元気でいること。 -2- 鶴賀講師の話、実技とも ・認知症は 85%が生活習慣病が原因。 ・実際は 25 年前に始まっていて、10 年前に発症し、0 年で寝たきり、5 年後亡くなるというパターン。 ・認知症予防には、ストレス軽減が有効。そのためには、運動、笑い、社会的サポート。 NHK で繰り返し放映され話題に。 ・マインドフルネス瞑想法 禅と西洋科学を融合させたもの。目の前のことにどれだけ集中できるか? 集中できる時間は 2012 年 12 秒だったが、2013 年には 8 秒になった。スマートフォンの悪影響。 瞑想を全員で実践。(大多和さんの健康体操に似ている。) ・認知症の不安を感じたら、すぐにかかりつけ医に相談→物忘れ外来/認知病外来へ。 ・なぜ、現代は認知症が増えているのか? 環境、食べ物(肉食)、ストレス、睡眠不足、平均寿命の延び・・・ 2 時間にわたり、皆さん他人事と思えず傾聴しました。 (ベイサイド 大澤 輝之 記・南多摩 玉木 徹 写真) ▌事務局だより 10 月運営委員会 会員動向(10 月 1 日現在) 「入会」「再入会」 なし [退会]千葉 繁氏(湘南) [湘南] [県央] 41 [田園] 42 17 [ベイサイド] [南多摩] 24 28 [東京] 1 計 153 名 じゃおサロン次回以降予告 ・11 月 27 日(日)「自衛隊いろいろ」 講師:一瀬幸一氏(元自衛官、元じゃお会員) ・12 月 18 日(日)「地震国日本の地盤と地質について(仮題)」 講師:和田陽一氏 討議事項報告 ① じゃおクラブ商標登録の件 ・事の起こりは、南多摩地区に「じゃおクラブ」という 20 名くらいの団体があるそうで、「じゃ おクラブ」という名称の争奪戦になったらどうしよう、会の名称を商標登録した方がよくはない かという提起が話の発端です。 ・調査の結果、商標登録には結構なお金がかかるようです。 ・そもそも商標登録はいらないのではないかという意見もありました。 ・じゃおクラブを名乗る団体は、いくつかあるようで、この一つが商標登録し、我々に向かって 「じゃおクラブ」の名称は使うなと言ってきたらどうする、というのが議論の焦点です。その場 合に備えて、我々は 30 年活動を続けている団体であるという古い資料を集めておきましょう、と いうのが結論です。 ② 次年度役員の選出方法について 次年度の役員(代表、副代表、事務局長、会計)をどう選出するかです。 ・そもそも役員は必要か?が第 1 の論点 -3- ・次に役員の職務はなんだ?が第 2 の論点 ・でも、やっぱり「組織の顔」を置く必要はあるだろ、等々・・・・・ 今日の結論は、 (1) 代表をおく。 (2) 役割を整理し、運営委員全員に役割を割り振り、それぞれに主担当と副担当をおく。 (3) 副代表・事務局長・会計は(2)が機能すれば不要。 ▌会員だより うなさかはん わが故郷 海坂藩 を想う ベイサイド 真島 俊介 羽田空港から 1 時間ほどの空の旅で出羽三山(羽黒山、月山、湯殿山)、鳥海山と日本海に囲まれた 庄内平野に到着します。今はあっと云う間です。昔は夜行列車です。新潟から続く海岸線を、ひたすら 抜けては又入り、出てはすぐ入るトンネルの連続。その繰り返しに疲れたころ、ふと気がつくと、窓の 外は一面の稲穂の群れ。庄内平野です。 うなさか 藤沢周平の数々の小説の舞台である 海坂 藩はこの庄内地方が舞台です。そしてその中心都市が鶴岡 市です。徳川の御三家のひとつの酒井家が信州松代からここ庄内に移封された元和八年(1622 年)以 来一藩支配の土地柄です。秋田の佐竹家、米沢の上杉家、仙台の伊達家の外様の抑えの役割を担ってい ました。そのため、幕末の際、会津藩の様に薩長に滅ぼされる運命でしたが、西郷隆盛の尽力もあり、 無血開城となり、戦火を逃れました。 その故事もあり、鶴岡市と鹿児島市は姉妹都市です。また太平洋戦争でも戦火に遭わなかったせいか、 今でもそこここに昔の気風が残っています。勿論今では、中心街は人通りも少なく、ひっそりとしてい ますが、街を歩くと、小路も多く、ところどころに芭蕉の旧跡があったり、武家屋敷の面影が発見でき たりと迷う楽しみがあります。城下町のため、街中を内川(最上川の支流)が流れ、鶴ケ岡城址の周り には、春になると、お堀端の、それは見事な桜並木が、訪れる人の目を楽しませてくれます。近くには 庄内藩の子弟が学んだ藩校の致道館がどっしりと佇んでいます。 さて、次に鶴岡の味です。海が近いので、魚がメインです。クチボソガレイの塩焼き、ハタハタの湯 揚げ・味噌田楽・塩焼き、これから寒くなってくると、沖獲りのオスの鮭の粕漬け。そうそう、これを 忘れたらご先祖様に怒られます。 何といっても 13 万 8 千石庄内藩のお米です。ご飯と小茄子の漬物があれば、何杯でもお代わりでき ます。あと寒い季節の鱈のドンガラ汁です。獲れたての鱈の頭も骨も肝も白子も一匹丸ごと鍋にぶち込 み、味噌で味付けをする。新鮮な鱈があれば出せる美味しさです。他に春の月山筍。いわゆるネマガリ ダケです。これをそのまま炭火で焼き、皮をむいて塩かみそを付け、そのままいただく。又、旧盆の頃 が最盛期の甘みと香りが身上の枝豆界の高級ブランドだだちゃ豆(庄内では親父のことをダダチャと言 います)も忘れられません。しかもこれらの美味しい味の引き立て役の日本酒があります。それもお燗 酒、しぼりたて、秋あがり、ひやおろし、寒おろし、生酒。 全てよし!良いコメと良い水があれば良い酒が出来る。あぁー今日にでも戻りたい! -4- 「日常と非日常を生きる」 湘南 増田 勝男 私は、現役サラリーマンの 50 歳の頃から、 「仕事を辞めたその後はどのような生き方をしていくのだ ろうか」と考えていました。家族や友人、地域などそれまでの繋がりとの関わり、一度の人生、それま でとは違う世界への興味や自分でやっていきたいことへの焦燥、食べていく術は?などと、やや「遅れ てきた青年」風の悩み?であったのかも知れません。 実はこの頃、両親が亡くなり、その親を追うかのように長女姉は 70 歳を待たずに、また妹は60歳 を迎えることなく、早くに先立ってしまいました。 私もその 50 歳を過ぎた頃に腎臓癌が見つかり、生まれて初めての入院と手術を経験した頃でもあり ました。癌や脳溢血は我が家系の病気のようで、最近では兄二人もそれぞれ 70 歳を迎えてすぐに癌で 亡くなり、今では私と弟の二人となった現在は、もうすぐ私の番という勘定?となります。親のように 80・90 歳と生きていけるであろうと考えていた言わばトレンドの「日常」という生活態度が崩れてい くような時期でした。 姉妹や兄の死は、今や私の現実になるような恐怖や無念すら感じられます。 このようなことから定年を迎える数年前、過去は振り向かない、仕事は続けない、再就職もしない、 これまでとは違う生活を立てていくということを決めました。それまでチャレンジしてきた農業を生活 の基本リズムとして自分の「日常」に定め、好きな陶芸はさらに充実するべく地域サークルに入会し、 また旅行や山登りは女房や友人とともに丈夫なうちに疲れるまで歩き回りと、…やっていきたいと思っ ていたことを本格的な「非日常」に据えることにして、仕事仕舞いを段取りし、定年 2 年前に、やっと 「おやじ」ではなく「じゃお人間になるべく」じゃおクラブの門を叩くことになったのです。 じゃおクラブの存在は、これも 50 歳の頃、現在じ ゃお湘南の活動拠点となっている藤沢打戻の「永田 農園」に、藤沢市の事業だった農業講座を受けてい た折、じゃおの先輩方が催していた収穫祭に、永田 社長が一緒に参加してはと誘われたことがキッカケ でしたが、当時もじゃおの親爺さん達が農業を楽し んでいる姿が印象に残っていたのだと思います。 じゃおクラブでの活動も 10 年を過ぎ、じゃお湘南 での俳句や料理などのサークル活動をはじめ、他の 地域じゃおの活動にも顔を出させてもらいながら、 新しい仲間に入れてもらって楽しんでいますが、これらの活動も今や「日常」となってきているかも知 れません。これからも自分だけの日常生活では体験できないような活動や経験を求めて、取り巻く周囲 の「非日常」こそ新鮮な生き方に繋がっていくものではないかと考えていきたいのです。 自分としては、残す物ではないとは思いますが、これが自分のアイデンティーであり、私の由来とし て私の周りの状況に発信できれば良いと考えています。 そして、その基本は、できる限り健康で家族に大事にされる親爺であることと、じゃお人間であり続 ける方々とつきあってもらえることなのかも知れません。 -5- ▌じゃお県央 江戸歴史探訪-その六 〝江戸捕り物帖ゆかりの地を巡る〟 ・2016 年 10 月 15 日(土) ・参加メンバー原さん、早川さん、大場さん、小瀬さん、倉島さん、鈴木さん、新保さん、前田(文責) 今年は 8 月の連続した台風や 9 月の記録的な日照不足で、巷では野菜の値上がりが激しいなどの声も 喧しい折、当日は雲ひとつ無い快晴で、参加したみんなの一年間の善行がもたらしたものと全員に感謝 しつつ、実に快適に都心を歩くことができました。集合場所は地下鉄銀座線虎ノ門駅 11 番出口、霞ヶ 関ビルの前、文部科学省の目の前でもあります。ここに保存された江戸城外堀の石垣からスタートして、 官庁街を抜けて有楽町駅。昨年も来ましたが、大岡越前の南町奉行所跡。昨年は見過ごしたのですが、 この地下に奉行所で使われていた木製の上水道管があります。その後東京駅へ。きれいに修復された外 観もそうですが、特に地下街が随分変わりました。いろんな店が揃っていて選択肢も多く食事どころと しては結構お勧め。ということで、ここで昼食。鳥元さんです。英気を養ったところで八重洲北口へ。 ここにあるのが遠山金四郎の北町奉行所跡。そこか ら八重洲通りを少し行くと、中央分離帯にヤン・ヨ ーステンの記念碑。徳川家康の政治顧問だったオラ ンダ人です。八重洲という地名は彼の名に拠るとか。 しかしそれにしても中央分離帯ですよ、横断歩道の 中ほどにあるわけで、よほど注意して探さないとま ずわかりません。さらに少し行くと歌川広重の生家 跡。これまた工事現場の囲い塀に記念碑の写真が貼 ってあるだけでわかりづらい。その後、与力、同心 が多く住んだという八丁堀界隈。今の八丁堀 1-2 丁 目から茅場町にかけてだそうです。与力が偉い人で、 その下が同心。目明しは同心の子飼いの手下で、悪人を捕まえるとかいった役柄ではなく、情報収集役 だったそうですが、その情報を元にたかりゆすりなどをやらかす輩も結構いて嫌われ者も多かったらし い。岡っ引きというのはそういった連中に対する蔑称だったのだそうです。銭形平次とか人形佐七みた いな目明しが本当にいたんでしょうかねえ。茅場町のはずれの橋のたもとに堀部安兵衛の碑が。ここら 辺に住んでいたとか。堀部安兵衛って岩手の人だったんですね。ここからはちょっと寄り道。東京証券 取引所へ向かう途中に日本における銀行発祥の地があり、さらにすぐそばの建物の壁には第一銀行の建 物の設計者が写真入で紹介されてます。そこに東京駅を設計した辰野金吾氏の写真が。銀行の設計者で もあったのですね。実は彼は何を隠そうわが郷土(佐賀県)の誉れであります。東京証券取引所を見た 後は人形町に入り、これまたわかりづらい谷崎潤一郎の生家跡、まるで時を合わせたかのように動き出 したからくり人形の時の音に出会えました。最後に大修理を終えた水天宮にお参りを。安産・子育ての 神様なんですね。もはや皆なんも縁が無いので取り立てて感想なし。ここで午後の 2 時半となりタイム アップ。この後、小伝馬町、神田明神と回る予定にしておりましたが、途中寄り道が多く、時間切れと 相成りました。長道中お疲れ様でした。続きはまたの機会に。 (県央 -6- 前田 康行 記・小瀬 勝 写真) スポーツ吹き矢体験しました(県央新規行事) スポーツ吹き矢をご存知でしょうか、県央で今後予 定している新規行事を 10 月 18 日(火)海老名下今泉 コミニュティセンターで開催され今回初めて体験し ましたのでご紹介します。講師はスポーツ吹き矢に 詳しい県央大森さんにお願いし、他は 5 名の会員初 心者が参加しました。ここで少しスポーツ吹き矢に ついて説明します。スポーツ吹き矢は、5∼10m離れ た円形の的をめがけて息を使って矢を放ち、その得 点を競うスポーツです。性別・年齢問わず誰でも手 軽にでき、ゲーム感覚で楽しみながら健康になれる スポーツとして現在注目されています。健康効果の秘訣は、腹式呼吸をベースにしたスポーツ吹き矢式 呼吸法です。精神集中や血行促進、細胞の活性化に役立ち、内臓の諸器官にもよい影響を与えるといわ れています。また精神力・集中力が身に付きます。いつでもどこでも手軽にできます、また様々な世代 とのふれあいや仲間づくりができます。 一般社団法人 道具 日本スポーツ吹矢協会が普及に努め、協会は 1998 年(平成 10 年)に設立しています。 筒:長さ 120cm・内径 13mm 6cm(5 点)・9cm(3 点)・12cm(1 点)の円 矢:長さ 20cm 的:大きさ 330mm 円心から 3cm(7 点)・ (カッコ内は獲得点数) スポーツ吹き矢ルール ・右手に筒を持ち的に向かい一礼する。 ・筒を水平に持ち矢を筒に入れる(常に水平に保つ) ・的に向かい 45 度に構えて筒を上下に深呼吸を一度行う。 ・次に、深呼吸をしながら的に向かい構える、いっぱいに吸った息を止めて的を狙い矢を一気に吹く。 ・1ゲーム 5 本の矢を吹く、1 ゲーム吹く毎に点数を各自記入する。 1 ゲーム終了時、的に向かい一礼してから点数確認を行う 今回は初心者なので仕切り線から的までの距離 5mで行い、1ゲーム 5 本の矢を吹きます、もし的に当 たっても刺さらず跳ね返ったときはもう 1 回だけ吹けます、これを各自 5 ゲームおこないました。最初 は的に当たらず、届かずで苦労しました何回か行うとある程度コツらしきものが掴めたのか的に当たり だしました。腹式呼吸でおこなっているせいか体がポカポカしてきました、明らかに体に良さそうだと 分かります。そうこうしてるうち、なんと的の中心 3cm 枠に「ズバット」(この音が気持ち良いです) と当たりました、これはもうコツが掴めたと思い次の矢を思いっきり吹いたが「シュパッ」と音が漏れ る音が聞こえ的には届かず 0 点、私のような凡人では邪心が入りなかなか得点できないようです。ただ 当たったときの音と爽快感は中々のもので病みつきになりました。早々にコツをつかんだ方は点数もハ イスコアで気持ちよさそうに吹いていました、さすがに講師の大森さんは安定して的に当たっておりさ すがです、これからもコツの伝授をお願いします。礼に始まり礼に終わる礼儀を大切にし、他のスポー ツにありがちな大きな負荷も無くそれでいて健康に良く爽快な気分になれるスポーツ吹き矢に参加し ませんか、お待ちしております。 (県央 -7- 小瀬 勝 記・野木 幹夫 写真) ▌じゃお田園 撮影より懇親が優先?∼秦野戸川公園撮影会・じゃおグラファーズ 私は撮影に出かけたとき、気分が乗る日と全くダメ な日がある。どうも出会った被写体が自分のイメー ジ通りだと気分が乗るようだ。そのため、出かける 前に現地の様子を調べ、「撮りたい写真」をイメー ジするようにしている。 この日の撮影は秦野戸川公園。7 名の仲間が参加し た。公園には丹沢の山から湧き出る水無川が流れ、 「風の吊り橋」でつながれた水無川の両岸には、 「子 供の広場」や「自然観察の森」 「多目的グラウンド」 などがある。ネットでは風に揺れるコスモスや「風 の吊り橋」とコスモスを組み合わせた写真を何枚も見かけた。ありがたいことに、当日のお天気は、時 おり青空も見える薄曇り。花の撮影には絶好だ。 しかし、現地に着いてみると、コスモスのお花畑が見当たらない。ようやく見つけたコスモスは、まば らに咲くばかりだった。どうも 9 月の天候不順や台風でやられてしまったらしい。この結果、この日の 私は「全くダメな日」に転落してしまった。 公園内をうろうろするうち、畑で収穫が行われているのを見つけた。地元の老人クラブ「秦野ゆめクラ ブ」の方々で、声をかけると気さくに応じてくださった。この日は芋ほりで、これから一週間ほど乾燥 させてから皆さんで料理するとのこと。メンバーの千葉さんも加わり、じゃお農園のことや、さつまい もの種類など話がはずむ。石焼き芋は大きめのやかんにホームセンターで買った小石を入れ、洗ったま まの芋を入れて、ふたをしてから焼くと美味しくできると教わった。こうして、コスモスに代わって世 間話に花が咲いた。 そうこうするうち、集合時間が来てしまい「あわよくば収穫の写真を撮らせてもらえるかもしれない」 との期待もしぼんでしまった。反省会の会場は、グラファーズ御用達となった「磯丸水産」町田店。お 酒が回るほどに、再び話に花が咲いた。 一週間後の品評会……。そこには、コスモスにこだわらず、公園内をこまめに歩き回り「風の吊り橋」 や公園内のモニュメントを撮った写真、 「子供の広場」で遊ぶ子供たちの表情を生き生きと捉えた写真、 アマガエルに肉薄して撮影した写真など、素晴らしい作品があった。その後の反省会では、またまたハ イボールと共に話の花が咲くのであった。 (南多摩 竹内 -8- 純一 記・写真) ▌じゃおベイサイド 特養「梅の木ホーム」で歌う会実施(本年度2回目) 本年 2 月の「けやき荘」に続いて、2 回目の施設で童謡・唱歌を歌う会を 10 月 8 日(土)に「梅の木ホ ーム」で実施しました。 「梅の木ホーム」は緑豊かな保土ヶ谷に今年4月オープンしました。 「ユニット ケア」で部屋は 1 人でのんびり過ごしたり、10 名 1 ユニットの人数で家庭的な生活を楽しんだり出来 ます。全体で特養 100 名、ショートステイ 20 名の施設です。 当日、12 時前には激しい雨降りでしたが、午後には雨も止み、明るい秋の午後と変わりました。正面 玄関には「じゃおくらぶによる合唱会」との看板が眼を引きました。 今回の出席者は、演奏担当の宇木さん、タクトを振 る山口さん、じゃおからはボーカルの中山さん、前田 さん、利用者の方々の中に入り歌う山本さん、島村さ ん、率川さん、進行係の清水でした。歌の内容は故郷、 赤い靴、里の秋、証城寺の狸ばやし、村祭り、銀色の 道、高原列車は行く・・・・等々十数曲でした。故郷 は共感を覚える歌のようです。全体的に知っている歌 が 80%∼90%と、歌を楽しんでいただけたと思いま す。音響装置も新しく音の響きもすばらしい部屋でし た。スタッフの方々(10 名位)も熱心にお手伝いいただ きました。利用者の方も 40 名あまり参加していただ きました。祭りの気分を出したくハッピを 2 枚今回 求めました。 「JAPAN」 「YOKOHAMA」の文字が入 っております。時間は過ぎ去るのが早く、又の再開を期し利用者を見送りました。「こういう機会が時 折あると良いね」との声も聞かれました。 今、「横浜音祭 2016」が行われています。“街に音楽があふれだす”そんな市に!!。施設の中でこの フレーズを共感できました。音楽は言葉を超えて人の心に訴える大きな「力」があります。特養にご参 加の皆々様、じゃお関係者の皆々様、感謝を申し上げます。楽器の運搬ご苦労様でした。 (ベイサイド 10月ベイサイド料理研究会 清水 正利 記) 「秋の旬の味」 10 月 14 日(金)17 時にオルタ館の調理室には、今回も「旬の味」を探究する研究生が 7 名。ベイサイ ド 5、ベイサイドサポーターの田園1、南多摩 1 の研究生が集合した。 佐分利主任研究員による今回のメニューは、 ①鯖の味噌煮 ②カリフラワーのかき揚げ ③いわしのつみれ汁 ④きのこご飯です。 佐分利さんからのメニューのそれぞれの調理法の説明を聞いて 2 組のグループに分かれて挑戦開始。 鯖は 3 枚におろし、(既におろしてあった)熱湯で臭みを取り、小麦粉をまぶして、フライパンにサ ラダ油を中火で熱し身を皮目から炒め、焼き色ついたらひっくり返して焼き色がついたら余分な油をふ き取る。赤味噌と砂糖を水で溶いた調味料を入れて煮込む。 ここで手違い①、佐分利チーフの意図する名古屋の八丁味噌でなく仙台赤味噌だったこと(その後ス ーパーを見てもならんでなかった)。でも臭みもなく美味しゅうございました。両チームに味の違いが -9- でた。先行したチームの様子をみた後発のチームが味噌の量を控えたため、辛口と甘口にわかれた。そ れぞれの特徴がでました。 カリフラワーのかき揚げ、ここでも手違い②、間違えてブロッコリーを購入してしまいました。味わ いに違いが出ました。でも美味しかったです。 いわしのつみれ、3 枚におろした身(これもおろしてあった)を包丁でたたき、分葱、すりおろした 生姜に茹でた枝豆を入れる。切れる包丁でたたいたのと切れない包丁で差がでたかなぁ。枝豆の食感− 噛んだときときにオッと・・美味しゅうございました。 今回はお酒の出番が無かった。味見が出来なかった。 食事のときに痛飲しまよう。 きのこご飯、ここでも手違い③、予備のために1カ ップ多く用意したのを連絡がわるくお米が多くなり若 干薄味になったが美味しくできた。手違いが多くメニ ューのとおりになりませんでしたが、すべて美味しゅ うございました。勿論お酒もおいしくいただきました。 来春の研究会が楽しみです。 (ベイサイド 率川 清昭 記・諏訪 隆三・大澤 輝之 写真) ▌じゃお南多摩 NHK 放送博物館の見学 台風が駆け去った 10 月 7 日に NHK 放送博物館の見学会が 14 名の参加者で実施されました。銀座 通りに 80 万人の大観衆を集めた「リオ五輪凱旋パレード」の出発式は虎ノ門ヒルズ前で行われ、集合 場所の神谷町はその最寄駅。まず、物々しい警戒体制に吃驚しました。まとまって愛宕山へ歩き始めた 時に、「別動隊が自信に満ちた足取りで逆方向へ進行中」との目撃情報が入り慌てて追いかけました。 幹事が宣伝した(?)岡埜栄泉の豆大福を購入するため別行動の人達です。先導を失った本隊もエレベー タ利用の予定ルートとは別の階段の道をこれも自信に溢れ堂々と博物館に到着。この想定外の消耗で有 名な「出世の石段」を登る貴重な体力を失ったのではと心配しました。愛宕神社の参詣で時間を繋ぐう ちに別働隊が合流しました。最初に、長年 NHK で音声技術を担当された知人の和泉幸さんを紹介し、 流れ解散の布石として博物館の正面で集合写真の撮影を済ませました。 91 年前にラジオ放送の最初の電波が発信された「放送のふるさと」には、60 年前に博物館が開設さ れ、本年1月にリニューアルされて最新技術の展示 が加わりました。ご自慢の「愛宕山 8K シアター」 の 200 インチ大画面でスーパーハイビジョン放送が 鑑賞できます。今回も宝塚劇場の公演やチャイコフ スキーの交響曲の演奏で、迫力満点の音響と通常の 16 倍画素の映像により、言葉通りに「臨場感」を体 験しました。事前の案内依頼は期待に反して「展示 も分かりやすくして説明員は廃止しました」と丁重 に断られ、止む無く和泉氏に相談。 「もう世代が変わ り頼める人がいないので出来る範囲の説明なら ば・・・・」とご本人が出馬して下さいました。マ - 10 - イクや撮影装置の展示物には、それらの発達・進化とともに人生を過ごされ同氏の思い出がぎっしりと 詰り、技術オタクの参加メンバーとのやり取りは、傍受した私には半分以上チンプンカンプンでしたが 非常に印象的で感銘を受けました。懐かしいドラマや映像の展示では苦労話や出演者やアナウンサーと の興味深いエピソードも語られ、見学時間はいくらあっても不十分でした。 「テレビドラマの世界」、 「オ リンピックの感動」、 「NHK と音楽」などのテーマ展示、放送体験スタジオは、いずれも楽しめて大満 足。また、放送開始当初から衛星放送やハイビジョンに至るまでのヒストリーゾーンでも、「そんな事 もあったのか」、 「あの時には何をしていた」等々と放送と自分の「歴史」を突き合わせで興味は尽きま せん。二・二六事件、終戦の玉音放送、等々と愛宕山は江戸時代から昭和まで何回も歴史の舞台になっ たことも再認識しました。また、私は特別にテレビ好きでもなく、強く影響を受けたつもりもあまりま せんが、自分の中に「放送」が深く入り染み込んでいることを痛感しました。 先行した本隊グループから次第に遅れ残念ながらその様子は報告不能で、それぞれが有意義に楽しま れたことをただ祈念するのみです。終了時刻に再集合したメンバー8 人は、愛宕神社の「出世の石段」 を慎重に降りて「見学後はビールで乾杯」のルーチンに依り新橋方面へ向かいました。昼休みの時間に なってお店の前の長蛇の列に解散時刻の設定ミスを悔やみつつ昔を想い出しました。やっとのことで 2 席に分かれて座ることができて乾杯・昼食になりました。自由解散の人たちも、パレード見物、じっく りと 8K シアターを堪能、寺社拝観など、それぞれに楽しまれたようです。日和にも恵まれた盛り沢山 の都心での一日でした。皆様も 23 区内最高地点の愛宕山を一度訪れてみませんか。虎ノ門ヒルズより はるかにシニア向きです! (南多摩 不破 健 記・写真) 第 4 回じゃお南多摩ゴルフコンペ 「第 4 回じゃお南多摩ゴルフコンペ」が、10 月 26 日(水)、足柄森林カントリークラブで開催され ました。この日、天気予報では「晴」という良好な情報が車同乗の南成瀬の 4 人の皆さんに共有され、 したがって、車内でも会話が弾んでいました。秦野中井を過ぎるころ、前方にくっきりと、うっすらと 雪をかぶった富士山が、前面の窓一杯に広がりました。この日の夜のニュースで知ったのですが、初冠 雪だったのでした。いい景色を見させていただいた、そう感じた往路の朝の出来事でありました。 今回は 16 名の方が参加しました。幹事の鶴島さんの話では、今迄 10∼14 名と参加者が少なかったが 初めて 4 組がフルエントリーになったとのことでした。4 組のご夫妻が参加され、女性が各組に 1 人ず つ入る華やかで和気あいあいとした雰囲気の楽しいゴルフ会でした。競技は新ペリア方式(ダブルパー 打ち切り)で行われました。私は昨年 秋の第 2 回のコンペに参加したので すが、その時は体調を崩し午前中でリ タイアしてしまいましたので、実質今 回が初めての参加でした。コースに負 け、グリーンに負け、己に負け、失敗 したホールは、これは隠しホールだ、 うまくいけば優勝だなどと、皆さん冗 談を言いつつ、失敗と成功を繰り返し ながらも、天気に恵まれた楽しいゴル フでありました。結果は、図らずも「優 - 11 - 勝」という最高の栄誉を得ることができました。準優勝の斎藤浩(湘南)さんとは 0.6 打差という大接 戦でした。3 位には早川士(県央)さんが入りました。点差の少ない、運と不運が交錯し、喜びも無念 さも何もかもが混在する楽しい結果であったと思います。 今回は、南多摩 9 名の他、湘南 1 名、県央 2 名、田園 1 名、ベイサイド 3 名の方々が参加されました。 参加者がさらに増え、この会がますます発展していくことを切に願っています。 (南多摩 - 12 - 石川 旭 記・木幡 四郎 写真)