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しいていうならお前の横を歩いてるのが魔王

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しいていうならお前の横を歩いてるのが魔王
しいていうならお前の横を歩いてるのが魔王
たぴ岡
タテ書き小説ネット Byヒナプロジェクト
http://pdfnovels.net/
注意事項
このPDFファイルは﹁小説家になろう﹂で掲載中の小説を﹁タ
テ書き小説ネット﹂のシステムが自動的にPDF化させたものです。
この小説の著作権は小説の作者にあります。そのため、作者また
は﹁小説家になろう﹂および﹁タテ書き小説ネット﹂を運営するヒ
ナプロジェクトに無断でこのPDFファイル及び小説を、引用の範
囲を超える形で転載、改変、再配布、販売することを一切禁止致し
ます。小説の紹介や個人用途での印刷および保存はご自由にどうぞ。
︻小説タイトル︼
しいていうならお前の横を歩いてるのが魔王
︻Nコード︼
N4371S
︻作者名︼
たぴ岡
︻あらすじ︼
魔法が息づく世界、星と詠の時代⋮⋮。バウマフ家は、魔物たち
の相互ネットワーク﹁こきゅーとす﹂の管理人を代々務めている。
時は王国暦一00二年⋮⋮実在しない魔王を討つべくして旅立っち
ゃった勇者さんを、バウマフの少年と魔物たちは陰に日なたにサポ
ートすることとなる。けれど彼女はなかなか思い通りに行動してく
れなくて⋮⋮。この物語は、とある少年と愉快な魔物たちが綴る、
ひとりの少女の壮大な羞恥プレイである⋮⋮。
1
﹁おれ魔物だけどたまには善行してみる﹂part1
一、山腹巣穴在住のとるにたらない不定形生物さん
おれ魔物だけどたまには善行してみる
ニ、火口付近在住のとるにたらない不定形生物さん
許す
三、海底洞窟在住のとるにたらない不定形生物さん
許す
四、かまくら在住のとるにたらない不定形生物さん
許す
五、空中庭園在住のとるにたらない不定形生物さん
それは構わんが⋮⋮
具体的になにをするんだ?
2
六、山腹巣穴在住のとるにたらない不定形生物さん
ありがとうお前ら
できれば人間と絡みたい
ふとしたときに見せる優しさみたいな
七、火口付近在住のとるにたらない不定形生物さん
それなら近場の鬼のひとたちに協力してもらって
手頃な村を襲撃してもらって、お前参上というのはどうか
八、海底洞窟在住のとるにたらない不定形生物さん
名案だな
一分の隙もない
九、山腹巣穴在住のとるにたらない不定形生物さん
待て
それはなんか違う
鬼のひとたちに申し訳ない
みんなで幸せになりたい
とりあえず人里におりるわ
ちょっと時間かかるから、移動中に案を出してくれるとありがたい
3
一0、海底洞窟在住のとるにたらない不定形生物さん
難しいな
そもそも大半の人間はおれら見ると逃げ出すし
お前ら他に案ある?
一一、かまくら在住のとるにたらない不定形生物さん
他のひとたちに頼めないなら
人間が逃げないようにつかまえておかないとだめだな
一二、空中庭園在住のとるにたらない不定形生物さん
それなら決行は深夜
奇襲が望ましいな
一三、火口付近在住のとるにたらない不定形生物さん
というか移動なんて魔法で一瞬だろ
設定上おれらは魔法使えないことになってるけど
近場まで跳ぶぶんは構わないんじゃないか?
移動中だったらすまん
4
一四、山腹巣穴在住のとるにたらない不定形生物さん︵出張中
構わない
移動の件だが
いきなりおれがいなくなると山の動物たちが不安がるんだ
食物連鎖に手を出す気はないが
人間からは守ってやったりしてる
それもどうかと我ながら思うんだが⋮⋮
一五、空中庭園在住のとるにたらない不定形生物さん
その気持ちはわかる
一六、火口付近在住のとるにたらない不定形生物さん
その気持ちはわかる
一七、海底洞窟在住のとるにたらない不定形生物さん
その気持ちはわかる
まあ、おれの家に人間は来ないんですけどね⋮⋮
5
一八、かまくら在住のとるにたらない不定形生物さん
諦めんなよ!
いつか来るって!
一九、海底洞窟在住のとるにたらない不定形生物さん
すまん
ちょっと卑屈になった
とりあえず今のところ
深夜に奇襲
人間をつかまえる
ここまではいい?
二0、かまくら在住のとるにたらない不定形生物さん
おう
つかまえるってのは体内に閉じ込めるってことでいい?
それとも触手で縛る?
二一、空中庭園在住のとるにたらない不定形生物さん
おれの経験上、触手はやめておいたほうがいい
6
たまに鳥とか家に来るんだけど、めちゃくちゃびびられる
びくってなる
二二、火口付近在住のとるにたらない不定形生物さん
じゃあ体内で
騒がれると面倒だから、つかまえたら気絶させたほうがいいな
二三、海底洞窟在住のとるにたらない不定形生物さん
!
体内マッサージ
これだ
二四、かまくら在住のとるにたらない不定形生物さん
!
二五、空中庭園在住のとるにたらない不定形生物さん
!
二六、火口付近在住のとるにたらない不定形生物さん
7
!
二七、王都在住のとるにたらない不定形生物さん
それだ!
二八、海底洞窟在住のとるにたらない不定形生物さん
!?
むしろおれがびくっとしたわ
王都の、今日はもういいのか?
いつもすまんな
二九、王都在住のとるにたらない不定形生物さん
おう
気にするな
お前ら
祭りの時間だ!
三0、かまくら在住のとるにたらない不定形生物さん
8
ひゃっほぉぉぉぉう!
子狸は巣に帰った!
繰り返す!
子狸は巣に帰った!
おれ他のひとたちにも伝えてくるわ!
すぐ戻る!
三一、空中庭園在住のとるにたらない不定形生物さん
おう!
しょせん子狸だな!
寝るの早すぎだろ!
三二、火口付近在住のとるにたらない不定形生物さん
ばか
知らないのか?
寝る子は育つんだよ
つまり
小さいです⋮⋮
三三、海底洞窟在住のとるにたらない不定形生物さん
9
だから牛乳を飲めと何度もだな
三四、空中庭園在住のとるにたらない不定形生物さん
牛乳風呂まで用意してやったのにな
三五、王都在住のとるにたらない不定形生物さん
懐かしいな⋮⋮
顔真っ赤にして﹁嫌がらせだろ!﹂とか叫んでたわ
おれたちの善意をさ
失礼な話だよな
きっちり謝らせたけど
やっぱり礼儀は大事
まあ⋮⋮
嫌がらせなんですけどね
三六、かまくら在住のとるにたらない不定形生物さん
戻った!
お前ら
子狸で盛り上がるのも程々にな
10
まとめるぞ
深夜に奇襲
人間はつかまえる
体内にとりこむ
気絶させる
体内マッサージ
こうして改めて見ると⋮⋮
完璧だな
三七、火口付近在住のとるにたらない不定形生物さん
おつかれ!
おう
完璧だ
何より無駄がない
三八、王都在住のとるにたらない不定形生物さん
待て待て
お前ら落ち着け
考えてもみろ⋮⋮
11
出会いがしらに悲鳴を上げられたらどうする?
三九、海底洞窟在住のとるにたらない不定形生物さん
お前⋮⋮
頭いいな
じゃあ触手で口を封じるってことで
四0、空中庭園在住のとるにたらない不定形生物さん
じゃあそれで
深夜に奇襲
触手で口を封じる
つかまえる
体内にとりこむ
気絶させる
体内マッサージ
うん⋮⋮
言うことなしだわ
四一、かまくら在住のとるにたらない不定形生物さん
12
やばいな⋮⋮
おれたち明日から尊敬の眼差しで見られちゃうぜ?
魔物なのに⋮⋮
困ったな⋮⋮
四ニ、火口付近在住のとるにたらない不定形生物さん
それは⋮⋮
たしかに困るな⋮⋮
子狸とか感激のあまり泣くかもしれん
四三、海底洞窟在住のとるにたらない不定形生物さん
そんなつもりじゃないのにな⋮⋮
ちょっとした気まぐれっていうかさ⋮⋮
四四、王都在住のとるにたらない不定形生物さん
お前ら⋮⋮
安心しろ
きっとろくでもないことになる
13
子狸がな
四五、空中庭園在住のとるにたらない不定形生物さん
安心した
さすがバウマフ家
四六、かまくら在住のとるにたらない不定形生物さん
バウマフは格が違った⋮⋮
14
﹁おれ魔物だけどたまには善行してみる﹂part1︵後書き︶
登場人物紹介
・不定形生物さん
世界中に広く分布する、もっとも一般的な魔物。
四肢はなく、半固形の身体で這うように進む。
伸縮自在の触手を生やして手足のように操ることも。
体長は一般家屋を丸ごと飲みこめるくらい。
鮮やかに透き通ったブルーのボディが特徴的なことから﹁青いひ
とたち﹂と呼ばれる。
触るとえもしれぬ感触がする。
15
﹁おれ魔物だけどたまには善行してみる﹂part2
四七、火山在住のごく平凡な火トカゲさん
子狸が巣に帰ったと聞いて
四八、古代遺跡在住のごく平凡な巨人兵さん
子狸が巣に帰ったと聞いて
四九、海底都市在住のごく平凡な人魚さん
子狸が巣に帰ったと聞いて
五0、空中庭園在住のとるにたらない不定形生物さん
まさかのファイブスターズ登場に
おれの胸が高鳴る
五一、火口付近在住のとるにたらない不定形生物さん
ご近所さん現る
おれ赤面
16
五ニ、海底洞窟在住のとるにたらない不定形生物さん
同じく
形容しがたい
この気持ち
五三、火山在住のごく平凡な火トカゲさん
ばか
照れるなよ
おれまで照れるだろ⋮⋮
五四、海底都市在住のごく平凡な人魚さん
人間はいないけど
おれはいるよ
それじゃ⋮⋮だめか?
五五、海底洞窟在住のとるにたらない不定形生物さん
!?
お前ら⋮⋮
17
いつから見てた?
おれたちの河を監視するの
よせって言ってるだろ!
もー!
五六、王都在住のとるにたらない不定形生物さん
おい
おい。子狸に相談されるおれの身にもなれ
本当
お願いします
五七、古代遺跡在住のごく平凡な巨人兵さん
親に似ず素直に育ったようで
おれ感無量
五八、かまくら在住のとるにたらない不定形生物さん
素直というか⋮⋮
おれは子狸の将来が不安でならない
ときに
スターズはひまなの?
18
ここ二年くらい人間ががんばってるって
よく耳にするけど
五九、古代遺跡在住のごく平凡な巨人兵さん
おう
さっき
そのことで話してた
緑のひとは
そこそこ忙しいらしい
海のひとは
⋮⋮まあ察してくれ
おれは
逆にひま
なんか見た目でコミュニケーション不能みたいに思われてて
ちょっと凹むわ
六0、火山在住のごく平凡な火トカゲさん
おれは
忙しいっていうか
家が観光名所みたいになってる
19
レベル3のひとたちが
いちばん忙しいみたいだ
サービス精神旺盛だからかな?
六一、海底都市在住のごく平凡な人魚さん
うむ
見習うべきかもしれんな
おれなんて
いつも河の底に沈んでるからな⋮⋮
物理的な意味でも
六二、海底洞窟在住のとるにたらない不定形生物さん
やめようぜ⋮⋮
切なくなる
山腹の
見てるか?
スターズが駆けつけてくれたぞ
みんな
お前を応援してる
20
六三、山腹巣穴在住のとるにたらない不定形生物さん︵出張中
もちろん見てる
お前ら
ありがとう
お前らの声援を
勇気にかえて
真夜中の山村に
おれ参上!
六四、王都在住のとるにたらない不定形生物さん
待て!
子狸が
巣穴を出た!
六五、火口付近在住のとるにたらない不定形生物さん
!?
21
六六、空中庭園在住のとるにたらない不定形生物さん
!?
六七、古代遺跡在住のごく平凡な巨人兵さん
ッ⋮⋮!
星空が綺麗だ!
六八、かまくら在住のとるにたらない不定形生物さん
!
星空が⋮⋮綺麗だ!
六九、火山在住のごく平凡な火トカゲさん
ああ⋮⋮!
星空が綺麗だ!
七0、海底都市在住のごく平凡な人魚さん
星空が綺麗だ⋮⋮
22
七一、海底洞窟在住のとるにたらない不定形生物さん
うん⋮⋮
心が洗われるようだ⋮⋮
七ニ、管理人だよ
お前ら
何やってんの?
七三、火山在住のごく平凡な火トカゲさん
管理人さんこんばんは!
七四、火口付近在住のとるにたらない不定形生物さん
こんばんは!
今日も男前ですね!
七五、かまくら在住のとるにたらない不定形生物さん
こんばんは!
23
あれ!?
なんか昨日より背が⋮⋮
あ、そうか!
成長期ですもんね!
七六、古代遺跡在住のごく平凡な巨人兵さん
本当だ!
いやあ⋮⋮
この調子じゃ、おれなんてすぐに追い抜かれちゃうな
七七、管理人だよ
⋮⋮⋮⋮
まあいいや
ごめん
ちょっと寝てた
お前ら
あんまり夜更かしするなよ
おやすみ
24
七八、海底洞窟在住のとるにたらない不定形生物さん
おやすみなさい!
七九、海底都市在住のごく平凡な人魚さん
おやすみなさい!
八0、王都在住のとるにたらない不定形生物さん
よし
巣穴に戻った
八一、火山在住のごく平凡な火トカゲさん
ふう
八ニ、火口付近在住のとるにたらない不定形生物さん
ふう
八三、空中庭園在住のとるにたらない不定形生物さん
ふう
25
子狸め
びびらせやがって
まあ
おやすみだな
山腹の
すまんな
そっちはどうだ?
八四、山腹巣穴在住のとるにたらない不定形生物さん︵出張中
順調だ
と言いたいところなんだが⋮⋮
村人を全員
捕獲し終えたところで
こいつ
貴族か?
剣士だ
女の子に挑まれて、応戦中
どうしてこうなった⋮⋮
お前ら
助言求む
26
27
﹁おれ魔物だけどたまには善行してみる﹂part2︵後書き︶
注釈
・河
魔物たちの相互ネットワーク上に展開されている仮想の掲示板を
指して言う。
やりとりは基本的に文字列で行われるが、本人の許可があればリ
アルタイムで五感を共有できる。
﹁河﹂はいくつもある。
・レベル
魔物たちの設定上の強さを示す値。
魔法の開放レベルと同意義であり、たとえば﹁レベル5の魔物﹂
は人前でも遠慮なく﹁レベル5の魔法﹂を使ってもいいことになっ
ている。
28
﹁おれ魔物だけどたまには善行してみる﹂part3
八五、火口付近在住のとるにたらない不定形生物さん
貴族⋮⋮
剣術使いか?
ん⋮⋮
まあまあだな
速さはそこそこ
八六、火山在住のごく平凡な火トカゲさん
貴族がお供もつけずに一人で魔物退治か?
無理がある
たぶん騎士だろ
魔法剣士とかいうのじゃ?
でも
魔法を使ってくる様子はないな
八七、空中庭園在住のとるにたらない不定形生物さん
昔ならともかく
魔法剣士の線はないだろ
29
退魔性が低くなるから意味がないって
けっこう前から言われてる
大人しく魔法使っとけっていう話
八八、かまくら在住のとるにたらない不定形生物さん
そうだな
いまのご時世
魔法に頼らず生活できる人間なんて限られてくる
通りすがりの貴族ってところか
八九、海底洞窟在住のとるにたらない不定形生物さん
とりあえず
山腹の
お前﹁愚かな人間め⋮⋮﹂
これだけは譲れない
おれは
そのひとことを言うために
海の底でずっと待ってる
30
九0、海底都市在住のごく平凡な人魚さん
同意
たとえ
お前ら全員を敵に回したとしても
おれはご近所さんを支持する
九一、山腹巣穴在住のとるにたらない不定形生物さん︵出張中
わかった
ここはお前らの顔を立てる
言ったぞ
とりあえず膠着状態になった
村人を解放するよう要求されてる
いま気付いたんだけど
なんか
おれが悪いことしてる前提で
話を進められてる
九二、古代遺跡在住のごく平凡な巨人兵さん
31
なんと
青いひとたちの真心をなんだと思っているのか
まあ
自業自得なんですけどね⋮⋮
九三、王都在住のとるにたらない不定形生物さん
違いない
二年前に王都を襲撃してるからね
おれら⋮⋮
九四、山腹巣穴在住のとるにたらない不定形生物さん︵出張中
あの夜が忘れられないの⋮⋮
おっと
話を進めるぜ
少女﹁命乞いするなら見逃したげる﹂
なんという上から目線⋮⋮
見ろよ
あの目
おい
32
ゴミを見るような目だぜ
九五、火口付近在住のとるにたらない不定形生物さん
なんたる⋮⋮
親の顔が見てみたい
ここは言い返すべきだろ
お前﹁どうやら命がいらないと見えるな⋮⋮﹂
九六、山腹巣穴在住のとるにたらない不定形生物さん︵出張中
おれ☆超強気
レベル1なのに☆
ここらでばっさりやられとくべき?
健闘しすぎたかも
なんか怪しまれてる
少女﹁⋮⋮なにしに来たの? 目的は? 言いなさい﹂
九七、かまくら在住のとるにたらない不定形生物さん
なにしに来たのか⋮⋮だと?
33
ばか
言えるかよ⋮⋮︵照
目的も何も⋮⋮
たんに家から近かったからだしな
何か適当にでっち上げるか
九八、火山在住のごく平凡な火トカゲさん
おう
いつものパターンだな
そうだな⋮⋮
村長の家に秘宝とかねーの?
九九、山腹巣穴在住のとるにたらない不定形生物さん︵出張中
あったらびびります⋮⋮
あ、そうか
なんでもいいのか
壺とか見繕って魔法で誤魔化しとくわ
少女﹁どこ行くの﹂
34
呼び止められました⋮⋮
一00、空中庭園在住のとるにたらない不定形生物さん
なんか地中に埋まってることにしたら?
でも壺はやめとけ
シュールにも程がある
その子さ
剣士なんだろ?
だったら
魔剣とかでいいじゃん
封印が解けて現れた魔剣が
その子をあるじと認めて
お前がばっさりやられる
これでどう?
お前ら
修正案あったら頼む
一0一、海底洞窟在住のとるにたらない不定形生物さん
35
うん
大筋はいいな
ただ⋮⋮
その魔☆剣の役は誰がやるの?
意思があるっていう設定なら
魔法でぱぱっとやるわけにはいかんだろ
最初に言っとくけど
おれは嫌だぜ
おれが陸に上がるときは
海のひとと一緒だ
一0二、海底都市在住のごく平凡な人魚さん
おれも同じ気持ちだ
ここまで来たら
二千年だろうと三千年だろうと待ち続けるよ
一0三、古代遺跡在住のごく平凡な巨人兵さん
お前らの気持ちはわかった
それなら
魔☆剣そのものが意思を持つんじゃなくて
36
なんか神々しい使い捨てのキャラクターを登場させて
魔☆剣を授けるっていう感じでどう?
一0四、火口付近在住のとるにたらない不定形生物さん
それいいな
山腹の
近くに木切れとか落ちてない?
木切れじゃなくても
棒状なら文句は言わない
言わせない
あったら
そいつを加工して魔☆剣に仕立て上げよう
いや
聖☆剣だな
一0五、火山在住のごく平凡な火トカゲさん
聖☆剣とか
熱い展開になってきたな
あ
大好物です⋮⋮
37
一0六、山腹巣穴在住のとるにたらない不定形生物さん︵出張中
木切れってさ⋮⋮
案外
落ちてないもんだな
一0七、かまくら在住のとるにたらない不定形生物さん
終わった⋮⋮
一0八、空中庭園在住のとるにたらない不定形生物さん
ああ
終わったな⋮⋮
一0九、王都在住のとるにたらない不定形生物さん
!
いや
諦めるのは
まだ早い!
その子に聖☆剣を出せるようになってもらえばいい
38
つまり魔法だ
こう
手から光が伸びてだな⋮⋮
一一0、海底洞窟在住のとるにたらない不定形生物さん
秘められた
潜在能力が
いま解き放たれる!
いや
だめだろ
本人の資質が目覚めるパターンだと
山腹のが村にいる理由がない
一一一、王都在住のとるにたらない不定形生物さん
おう
だから
本人には神々しい何かから授けられた
ありがたい道具っていう認識でいてもらう
39
人間は
無詠唱で魔法を使えないからな
いけるだろ
一一二、古代遺跡在住のごく平凡な巨人兵さん
え
いいのか?
詠唱破棄って
レベル4以上だぞ
人間が使える魔法って
レベル3が限度じゃなかった?
一一三、王都在住のとるにたらない不定形生物さん
それを言うなら
バウマフ家はどうなる
おれたちが申請すれば
あの子狸ですら
レベル9を使えると思うぞ
あ、無理かな⋮⋮
お屋形さまと比べるのは
ちょっと酷か⋮⋮
40
とにかく
レベル4程度は余裕
むしろ
なんで使えないの?
っていうレベル
一一四、空中庭園在住のとるにたらない不定形生物さん
言われてみればそうだな
なんの問題もない気がしてきた
というか
たぶん過去に何度かやってる
おれたちが知らないだけで
なにしろ
歴代の勇者とか
確実に人類の限界突破してるのが何人かいる
一一五、王都在住のとるにたらない不定形生物さん
だろ
さて
神々しい何かはどうするか⋮⋮
光の精霊ってことでいいか
41
映像は⋮⋮
引っ張ってくるの面倒くさいから
子狸を女装させて
むしろ女体化させて
現地に連れてく
寝てるけど
目とか閉じてたほうが
雰囲気あるだろ
万が一のことを考えて
お前ら
演出と音声を頼むわ
顔とか
ぼやけさせといてくれ
一一六、火口付近在住のとるにたらない不定形生物さん
わかった
おれがやるわ
光の柱でも立てとく
それにしても
子狸は便利だな⋮⋮
一一七、山腹巣穴在住のとるにたらない不定形生物さん︵出張中
42
お前ら⋮⋮
感謝する!
くれぐれも
ステルスは
しっかりとな
あ
最終確認だけど
おれは光の精霊︵子狸︶の気配︵?︶を察知して
人里におりてきてるっていう設定でいいの?
おれたち
そういう生態してたっけ?
一一八、王都在住のとるにたらない不定形生物さん
うん⋮⋮
ちょっと無理があるな
誰かに命令された
みたいなことを匂わせておいてくれ
それでは
各自健闘を祈る
43
作戦開始
一一九、山腹巣穴在住のとるにたらない不定形生物さん︵出張中
おれ﹁貴様に構っているひまはない﹂と言い放ちます
さらに
おれ﹁あの方に例のものを捧げねば⋮⋮﹂と意味ありげに呟きます
少女﹁だれ?﹂
ストレートに訊かれました
知りません
というか
存在しません
おれは無言を貫きます
一二0、王都在住のとるにたらない不定形生物さん
ステルス状態に移行します
熟睡してる子狸に忍び寄って
変化の魔法をかけます
44
服にも変化の魔法をかけます
念動の魔法で子狸を空中に固定します
念のために睡眠の魔法を重ねがけします
光の精霊
射出準備完了しました
ついでに
完成した子狸の画像を河に流します
一二一、火山在住のごく平凡な火トカゲさん
ママン
一二二、海底都市在住のごく平凡な人魚さん
ママン
一二三、古代遺跡在住のごく平凡な巨人兵さん
ママン
一二四、火口付近在住のとるにたらない不定形生物さん
45
画像に目を奪われつつ
ステルス状態に移行します
転移の魔法で
夜闇を切り裂き
おれ参上します
少女に忍び寄り
発光の魔法で
近場に光の柱を屹立します
その片手間に
念話の魔法で
少女にダイレクト通信を試みます
おれ﹁わたしの眠りを妨げるのはだれ⋮⋮?﹂
少女﹁⋮⋮⋮⋮﹂
お前らに報告します
緊急事態発生
無視されました
一二五、山腹巣穴在住のとるにたらない不定形生物さん︵出張中
お前らに報告します
46
おれ
凝視されてます
気まずいので
視線をそらして
光の柱を見詰めます
間が保たないので
おれ﹁まさか⋮⋮目覚めたのか? 早すぎる⋮⋮﹂とサービス精神
を発揮します
一二六、かまくら在住のとるにたらない不定形生物さん
おれは
お前らの奮闘を
優しい眼差しで見守ります
一二七、海底洞窟在住のとるにたらない不定形生物さん
おれは
お前らの奮闘を
祈るような気持ちで見守ります
一二八、空中庭園在住のとるにたらない不定形生物さん
おれは
47
構わん
推し進めろ
と助言します
一二九、王都在住のとるにたらない不定形生物さん
助言に従い
推し進めます
子狸を連れて
転移の魔法で
おれ参上します
間近で見る光量に
内心で冷や汗を浮かべつつ
子狸を光の中に放り込みます
水死体みたいに
ぐったりした子狸を
念動の魔法で再度固定します
一三0、火口付近在住のとるにたらない不定形生物さん︵出張中
助言に従い
推し進めます
48
おれ﹁悪しきものの手に渡してはならない⋮⋮﹂
少女﹁⋮⋮⋮⋮﹂
冷たく一瞥されましたが
めげずに推し進めます
おれ﹁あなたに託します。魔を滅する聖剣をここに⋮⋮﹂
少女﹁役に立つの?﹂
食いついてきました
現金な人間めと胸中で罵りつつ
おれ﹁悪しきものの手に渡してはならない。どうか⋮⋮﹂
無視された仕返しに
おれも無視して邁進します
一三一、王都在住のとるにたらない不定形生物さん︵出張中
タイミングを合わせて
念動の魔法で
子狸の腕を持ち上げます
発光の魔法で
子狸の手から少女の手へ
光の粒子が放たれ吸い込まれる効果を
49
演出します
少女の魔法回路を
限定的に開放しつつ
子狸を連れて巣穴に戻ります
初回限定につき
今回に限り聖☆剣を自動発動しておきました
聖☆剣の詳細を記載しておきます
詠唱破棄
標的指定
形状操作
レベル4です
本当にありがとうございました
一三二、火口付近在住のとるにたらない不定形生物さん︵出張中
少女の聖☆剣が
無事に発動したことを見届けて
発光の魔法を解除します
上空に溶けて消える演出も欠かしません
光の粉雪も降らせておきます
本当にありがとうございました
50
一三三、山腹巣穴在住のとるにたらない不定形生物さん︵出張中
一部始終を見届けてから
おれは
ここぞとばかりに
少女に迫ります
おれ﹁ばかめ! 手間が省けたわ!﹂
ふと村人をとりこんだままになっているのを思い出しました
お前らの期待を裏切らないよう
村人たちを触手で絡めとって
盾にします
おれ﹁人間ごときに精霊の宝剣を扱えるものか! やれるか!? このおれを!﹂
さりげなく精霊の存在をアピールしつつ
聖☆剣の初心者道場を開催します
少女﹁うるさい!﹂
理不尽に叱られました
怒りに任せた一撃でしたが
村人は無事です
51
おれ﹁ばかな⋮⋮!﹂と一刀両断されます
触手で傷口をおさえると見せかけて
村人たちを優しく地面におろします
おれ﹁このおれが⋮⋮人間ごときに⋮⋮﹂
過剰リアクション気味に
のたうち回ってから
断末魔の叫びを上げて
転移の魔法で
家に帰ります
作戦終了!
お前ら
ありがとう!
おつかれ!
一三四、かまくら在住のとるにたらない不定形生物さん
おつかれ!
感動した!
一三五、火口付近在住のとるにたらない不定形生物さん
52
おつかれ!
ちょっと焦ったぜ!
一三六、火山在住のごく平凡な火トカゲさん
おつかれ!
良い⋮⋮
やられっぷりだったぜ⋮⋮
一三七、古代遺跡在住のごく平凡な巨人兵さん
おつかれ!
おれらは
人間に負けれる設定じゃないからな⋮⋮
一三八、かまくら在住のとるにたらない不定形生物さん
おつかれ!
たしかに
無視されたときは
正直びびったな
53
一三九、空中庭園のとるにたらない不定形生物さん
おつかれ!
目の前のことで
頭がいっぱいだったんだろうな
王都の
あの子の魔法
封印しとくか?
手伝うぜ
一四0、王都在住のとるにたらない不定形生物さん
おつかれ!
いや
放っておくよ
おれに考えがある
まあ
面倒くさいだけなんですけどね⋮⋮
悪用はされないだろ
たぶん
54
一四一、海底都市在住のごく平凡な人魚さん
おつかれ!
まあ
人間には過ぎた力だと思うが⋮⋮
おれたちには
影響ないな
一四二、海底洞窟在住のとるにたらない不定形生物さん
おつかれ!
そうだな
レベル4の魔法で
スターズに対抗するのは
絶対に無理だ
一四三、山腹巣穴在住のとるにたらない不定形生物さん
お前ら
本当に
ありがとうな!
また機会があったら
そのときはよろしく!
55
56
﹁おれ魔物だけどたまには善行してみる﹂part3︵後書き︶
注釈
・剣術
魔法が発達したこの世界では、特別な意味を持つ。
剣術は魔物に対して非常に有効とされるが、対人戦においては魔
法の優位性が目立つ。
剣術使い︵剣士︶は魔法を使わないことが望ましいとされ、日常
生活すら困難になるため、一部の貴族が門外不出の秘伝として扱っ
ている。
・騎士
おもに軍属の魔法使いを指して言う。
この世界における人間同士の戦争は、馬上から魔法を撃ち合う、
中∼遠距離戦が主軸となっている。
魔法への抵抗力が総じて高い剣術使いは、単体の戦力として魔法
使いに劣るわけではないが、運用上の問題が多々ある。
57
﹁なんか魔王が復☆活したらしいです⋮⋮﹂part1
一、海底洞窟在住のとるにたらない不定形生物さん
なんか
魔王が
復☆活
したらしいです⋮⋮
二、山腹巣穴在住のとるにたらない不定形生物さん
くわしく
三、火口付近在住のとるにたらない不定形生物さん
くわしく
四、かまくら在住のとるにたらない不定形生物さん
くわしく
58
五、海底洞窟在住のとるにたらない不定形生物さん
いや
だから
あちこちの河で騒がれてる
いま
話の出所が散逸してて
確定情報がない状態
お前ら何か聞いてる?
六、空中庭園在住のとるにたらない不定形生物さん
おれも
その件を追ってる
まだ完全に整理できてないけど
ごく初期に騒ぎはじめたのが
レベル3のひとたちみたいだ
が
どの河を見ても
噂の域を出ない
何が起こっているのか
59
七、山腹巣穴在住のとるにたらない不定形生物さん
え?
ていうか
ごめん
おれ知らなかった
魔王って実在したの?
八、火口付近在住のとるにたらない不定形生物さん
しいていうなら
王都で小さな店を構えてるのが一匹
妻子あり
九、かまくら在住のとるにたらない不定形生物さん
親狸ですね
わかります
一0、海底洞窟在住のとるにたらない不定形生物さん
千年に一度
生まれるという
レジェンドバウマフ
60
資格は十分だな⋮⋮
一一、空中庭園在住のとるにたらない不定形生物さん
なるほど
情報源は人間なのかもしれないな
千年祭んときの犯行がバレたか?
とうとう
お屋形さまも年貢の納め時か⋮⋮
一二、山腹巣穴在住のとるにたらない不定形生物さん
だから
おれは反対したんだよ
王都襲撃は無謀
まあ
先陣を切ったのおれたちなんですけどね⋮⋮
一三、火口付近在住のとるにたらない不定形生物さん
お屋形さまの辞書に
無謀の二文字はない
61
今回も罠だ
お前ら騙されるな
一四、かまくら在住のとるにたらない不定形生物さん
でも回避不能っていう
一五、海底洞窟在住のとるにたらない不定形生物さん
むしろ
おれたちからお願いすることになるっていう
一六、王都在住のとるにたらない不定形生物さん
おう
お前ら情報早いな
一七、山腹巣穴在住のとるにたらない不定形生物さん
おう
王都の
あれ?
62
まだ昼だけど大丈夫?
子狸お昼寝中?
一八、王都在住のとるにたらない不定形生物さん
いや
授業中だったんだけど
騎士団に連行されていった
おれも
ステルスして尾行中
いまは
王城の中にいる
一九、空中庭園在住のとるにたらない不定形生物さん
なんという重要参考人⋮⋮
二0、かまくら在住のとるにたらない不定形生物さん
またか
そんなんだから
友達ができないんだ
63
二0、火口付近在住のとるにたらない不定形生物さん
そして
出席日数が足りなくなる
そろそろ
本気でやばいぞ
二一、海底洞窟在住のとるにたらない不定形生物さん
誰がとどめを刺すかって
一時期は話題になったんだけどな
せっかく卒業まで自重しようって
おれたち一致団結したのに⋮⋮
よりによって
じつの父親がとどめを刺すとは
二二、王都在住のとるにたらない不定形生物さん
連れて行かないでって
本気で懇願する教官の姿に
子狸が戦々恐々としてた
本人に
あまり自覚はないらしい
64
じつは余裕あるのか?
二三、火口付近在住のとるにたらない不定形生物さん
いや
やばいよ
詳細は
子狸の留年確定が秒読み状態なんだが
の河を参照
じつは本当なら
もう留年確定してる段階なんだけど
教官の温情で
放課後の補習を交換条件に踏みとどまってるのが現状
二四、空中庭園在住のとるにたらない不定形生物さん
まあ
千年祭の王都襲撃は一族郎党処刑されても仕方ないレベル
最悪
お屋形さまの嫁さんは
おれが匿うよ
あの人に罪はない
65
二五、管理人だよ
おい
お前ら
二六、かまくら在住のとるにたらない不定形生物さん
あ、管理人さんこんにちは!
二七、海底洞窟在住のとるにたらない不定形生物さん
こんにちは!
今日も男前ですね!
二八、山腹巣穴在住のとるにたらない不定形生物さん
あの
騎士団に連行されたって本当ですか?
おれら
みんな心配してたんですよ!
二九、管理人だよ
66
ごめん
心配させちゃったか
ありがとうな
お前ら
ところで
ひとつ質問がある
聖剣って
なんですか
三0、王都在住のとるにたらない不定形生物さん
存じ上げておりません
三一、火口付近在住のとるにたらない不定形生物さん
存じ上げておりません
三二、山腹巣穴在住のとるにたらない不定形生物さん
存じ上げておりません
三三、管理人だよ
67
おい
おい。正直に答えろ
宰相に訊かれてるんだけど
なんか勇者が魔王を倒しに行くとか言ってるらしいんだけど
おれは
国から魔王を作れなんて依頼を受けてないし
もちろん
勇者も必要ない
というか
精霊なんてこの世にいたの?
どういうこと?
三四、王都在住のとるにたらない不定形生物さん
お前です
おっと
まあ過ぎたことは仕方ない
いまは
過去を振り返るよりも
68
これからどうするか
だろ?
大切なのはさ
明日を見据えること
なんだぜ☆
三五、管理人だよ
なんだよ
お前⋮⋮
格好いいな
そうだな
おれが悪かった
じゃあさ
宰相には何て言おう?
おれ
この人が苦手なんだよね
なんかさ
さっきから長々と勇者と魔王の必要性を語ってるんだけど
頭がいいんだな
ってことしか伝わってこない
69
どう思うかね?
みたいなこと言われても困る
この人は
おれに何を期待してるの?
三六、空中庭園在住のとるにたらない不定形生物さん
いや
お前
それは遠回しに勇者についてけって言われてるんだよ
うまくやれってこと
でも言えないの
お前は表向き
ただの平民だから
察してやれよ
三七、管理人だよ
お前⋮⋮
頭いいな
でも
それは困る
70
おれ
出席日数がやばいんだ
かと言って
勇者を放っておくわけには
いかないか⋮⋮
おれと
同い年くらいの子供らしい
三八、海底洞窟在住のとるにたらない不定形生物さん
安心しろ
バウマフ家の歴史
二人に一人は
社会からドロップアウトしてる
そういう家系なんだよ
三九、管理人だよ
本当?
なんか安心した
それなら
71
おれ行くわ
勇者はもう旅立ってるらしいから
追いかけて
一緒に行こうって言えばいいよね
四0、山腹巣穴在住のとるにたらない不定形生物さん
なんで
お前のプランはそう
いつも大雑把なの?
どう考えても無理だろ
不審者にも程があるわ
とにかく
宰相には出発すると伝えて
それから
家族と学校に
しばらく戻らないと報告して来い
その間
おれたちが
情報収集しておく
四一、管理人だよ
72
うん
わかった
よろしく
73
﹁なんか魔王が復☆活したらしいです⋮⋮﹂part1︵後書き
︶
登場人物紹介
・子狸
この物語の主人公。
魔物たちの相互ネットワーク﹁こきゅーとす﹂の現管理人。
非凡な実父とは異なり、典型的なバウマフ家の少年。お人好しで、
あまり物事を深く考えない。
王都の学校に在籍しているが、魔物たちのいざこざで奔走してい
るうちに出席日数が足りなくなる。
魔法使いとしての実力は可もなく不可もなくといったところ。魔
物たちと親しいので知識はあるが、才能がない。
騎士団によく連行されるので、騎士を見かけるとびくっとする。
74
﹁なんか魔王が復☆活したらしいです⋮⋮﹂part2
四二、火口付近在住のとるにたらない不定形生物さん
よし
行ったな
じゃあお前ら
さっそくだけど⋮⋮
子狸の
必殺技を
編み出そうぜ
四三、かまくら在住のとるにたらない不定形生物さん
お前⋮⋮
もう少し真面目にやれよ⋮⋮!
子狸も一生懸命
がんばってるんだぞ⋮⋮!
まず変化魔法は外せないな
レベル5か⋮⋮
75
四四、空中庭園在住のとるにたらない不定形生物さん
まったくだ
何を言い出すかと思えば⋮⋮
必殺技?
幼稚だとは思わんのか?
いや
ほぼ無制限の変化がレベル5
本人ベースならレベル3だ
が、詠唱破棄でレベル4だな
四五、海底洞窟在住のとるにたらない不定形生物さん
いい加減にしろ
どいつもこいつも
子狸の意思を尊重しようという気はないのか?
変化は外しようがないから
よしとして
子狸はセンスないからな
76
標的指定
座標起点
並行呪縛
このへんは欠かせないだろ
四六、山腹巣穴在住のとるにたらない不定形生物さん
下らないな
おれは抜けさせてもらうぜ
欲を言えば
千里眼と併用して
射程超過
減衰特赦
このへんもあると理想だな
現時点でレベル7くらいか?
四七、王都在住のとるにたらない不定形生物さん
いや
射程超過と減衰特赦は
座標起点との相性が良すぎるから
77
たぶんレベル8だな
ここまで来ると
さすがに変化するしないは
あんまり関係ない
それじゃ
おれは子狸のあとを追うわ
ちなみに宰相は
勇者の情報を隠しておきたいみたいだな
子狸﹁どんな子なんですか?﹂
宰相﹁良い子だよ﹂
子狸﹁?﹂
宰相﹁少し気難しい面はあるが、⋮⋮心の優しい子だ﹂
子狸﹁えっと⋮⋮﹂
宰相﹁ひとの本質は内面にこそ表れるものだ⋮⋮。そうは思わない
かね?﹂
子狸﹁あ、はい﹂
びっくりするほど簡単に
78
言いくるめられました⋮⋮
四八、火口付近在住のとるにたらない不定形生物さん
子狸ぃ⋮⋮
しかし
こうまで隠そうとするなら
逆に、勇者がまっとうな平民ということはないな
宰相が気にかける程度には高位の貴族か
四九、かまくら在住のとるにたらない不定形生物さん
予想通りすぎて面白みに欠けるな
しかし王国の大貴族が勇者とは⋮⋮
国際問題に発展しないか?
五0、空中庭園在住のとるにたらない不定形生物さん
公表しない方向性で
事を進めるんだろうと予測
上記の理由で
勇者も宰相に言いくるめられてる可能性大
79
宰相のことだから
各国首脳陣に話は通ってると見た
子狸は保険だな
五一、海底洞窟在住のとるにたらない不定形生物さん
王国の上層部は信用ならない
これを機にバウマフ家を排除するつもりかもしれん
念のために
お屋形さまには
おれから伝えておく
五二、山腹巣穴在住のとるにたらない不定形生物さん
そうしてくれ
無用な心配とは思うが⋮⋮
最終的な決断を下すのは
お屋形さまだ
おれは
他のひとたちに
話をつけてくる
いまは
宰相の手のひらの上で
80
踊ってやるよ
大人って汚い
五三、火口付近在住のとるにたらない不定形生物さん
きれいな馬鹿も
正直どうかと思います⋮⋮
五四、かまくら在住のとるにたらない不定形生物さん
子狸さんのこと言ってんのか?
全面的に同意です⋮⋮
五五、空中庭園在住のとるにたらない不定形生物さん
盛り上がってきたな
勇者の人選に不安はあるが⋮⋮
子狸ほどじゃない
毎度のことだ
うまくやれるさ
おれたちなら
81
ところで
脚本どうする?
五六、火口付近在住のとるにたらない不定形生物さん
検証の時間はないが
おそらく他のひとたちは
各自でイベントを用意してくれるはず
おれたちは
子狸と勇者を追う
他のひとたちは
子狸と勇者を待って
おれたちと合流する
問題は⋮⋮
五七、かまくら在住のとるにたらない不定形生物さん
子狸か⋮⋮
毎度のことながら
立ち位置がひどい
これが
82
お屋形さまなら
国一番の魔法使いです
あなたが勇者ですか
奇遇ですね
共に魔王を倒しましょう
四行で済むのにな⋮⋮
あ、無理か
あのひと、わりと自分勝手だわ⋮⋮
むしろ、おれが魔王とか言い出しそうで怖い
五八、空中庭園在住のとるにたらない不定形生物さん
言うなよ⋮⋮
子狸のほうが
ましな気がしてくるだろ⋮⋮
とにかく
いつものパターンなら
うっかり魔物に追われてて
勇者に助けられて
なし崩しで旅の仲間に加わって
最終決戦する頃には
家事担当っていう流れなんだけど⋮⋮
83
今回も通用すると思うか?
五九、火口付近在住のとるにたらない不定形生物さん
いや、いけるだろ
宰相も、ああ言ってるしさ
あの子が村人を救おうとしていたのは⋮⋮
あれ?
もしかして自分のところの領民だからなのか?
あのテンションの低さは⋮⋮
やばいぞ
スルーされたらどうしよう⋮⋮?
六0、かまくら在住のとるにたらない不定形生物さん
子狸、涙目だな
目に浮かぶようだわ⋮⋮
まあ、べつに⋮⋮
いいんでない?
84
そのときは
そのときで
六一、空中庭園在住のとるにたらない不定形生物さん
だな
千年の歴史で
はっきりしてることだ
バウマフさんちのひとに
ひねった役柄を振ると
あとで、おれたちが泣きを見る
アドリブきかないし
無自覚にストーリーを破綻させる逸材
いつも通り
勇者に軽く肩を叩かれて
仕方ないなお前は︵苦笑
みたいなポジションでいいよ
六二、海底洞窟在住のとるにたらない不定形生物さん
戻った
85
六三、火口付近在住のとるにたらない不定形生物さん
おかえり
どうだった?
息子は出席日数がやばいから
おれが行く
みたいな流れだと嬉しいような気もする
六四、海底洞窟在住のとるにたらない不定形生物さん
結論から言うと
魔王は実在した
親狸﹁おれの息子、涙もろいから。可愛いだろ?﹂
超☆笑顔
六五、空中庭園在住のとるにたらない不定形生物さん
言うまでもなく
子狸さんには大活躍してもらう所存です
六六、かまくら在住のとるにたらない不定形生物さん
86
当然のことだろ?
この世界の命運を
他の誰なら任せられるっていうんだ?
六七、火口付近在住のとるにたらない不定形生物さん
何を今更だよな
論じる価値すらないよ
子狸ぃ⋮⋮
六八、空中庭園在住のとるにたらない不定形生物さん
子狸ぃ⋮⋮
六九、かまくら在住のとるにたらない不定形生物さん
子狸ぃ⋮⋮
七0、海底洞窟在住のとるにたらない不定形生物さん
この世界は
もうだめかもしれんね⋮⋮
87
88
﹁なんか魔王が復☆活したらしいです⋮⋮﹂part2︵後書き
︶
登場人物紹介
・親狸
子狸の実父。千年に一度生まれるというレジェンドバウマフ︵根
拠なし︶。
ひとことで言うと完璧超人。飄々としたところがあり、将来は貴
族の嫁さんをもらって退廃的な暮らしに甘んじるであろうと危惧さ
れたが、魔物にも優しいからという理由で同じ平民の女性とあっさ
り結婚し、一児をもうける。
王国の千年紀を祝う﹁千年祭﹂に狙いを定め王都襲撃を計画、魔
物たちを扇動し実行に移した主犯である。
もうやだこのひと、という意味をこめて魔物たちから﹁お屋形さ
ま﹂と呼ばれ畏怖されている。
﹁どこに出しても恥ずかしくないバウマフ﹂﹁バウマフ家の歴史を
完成させた男﹂等々⋮⋮様々な異名を持つ。
意外と子煩悩であるらしい。
ちなみに生まれた子供は、父親の遺伝子をバウマフの血が拒絶し
たと言われるほど似ていない。魔物たちは大いに喜んだという⋮⋮。
89
﹁なんか魔王が復☆活したらしいです⋮⋮﹂part3
七一、王都在住のとるにたらない不定形生物さん
教官
泣いちゃった
七二、火口付近在住のとるにたらない不定形生物さん
泣いちゃいましたか
七三、王都在住のとるにたらない不定形生物さん
泣いちゃいましたよ
七四、空中庭園在住のとるにたらない不定形生物さん
よっぽどだぞ
あの人が泣くとか
鬼の目にも涙と言うが⋮⋮
なんか申し訳ない
うちの子狸が
90
七五、王都在住のとるにたらない不定形生物さん
いま
職員室にいるんだけどさ
わなわなと震えてる教官を
心配した子狸の発言がこれ
子狸﹁お、お土産⋮⋮買ってきます﹂
終わった
七六、かまくら在住のとるにたらない不定形生物さん
さよなら子狸
お前のことは忘れない
七七、海底洞窟在住のとるにたらない不定形生物さん
冥土の土産を
もらう側になってどうする⋮⋮
七八、火口付近在住のとるにたらない不定形生物さん
まだ
91
旅立ってすらいないのに
ラスボス戦かよ⋮⋮
いったい
どうなってるんだよ
お前の人生はよぅ⋮⋮
七九、山腹巣穴在住のとるにたらない不定形生物さん
少し
目を離した隙に
これだよ⋮⋮
ただいま
八0、かまくら在住のとるにたらない不定形生物さん
おう
他のひとたちは
なんて?
八一、山腹巣穴在住のとるにたらない不定形生物さん
でかしたと
とくに
92
剣術使いが勇者というのが
またポイントが高いらしい
おれたち
魔法に対しては
採点が厳しいからな
八二、王都在住のとるにたらない不定形生物さん
あ
子狸が吊るされた
八三、海底洞窟在住のとるにたらない不定形生物さん
今晩のメニューは
狸なべですか
そうですか
八四、管理人だよ
お前ら
ごちゃごちゃ言ってないで
助けてくれませんか
93
八五、空中庭園在住のとるにたらない不定形生物さん
他のひとたちには
悪いけど
今日は旅立てそうにないな
八六、火口付近在住のとるにたらない不定形生物さん
残念だけど
仕方ないな
子狸の
将来を思えばこその
苦渋の選択
八七、管理人だよ
おい
おい。お前らがおれを
子狸と呼ぶのは勝手だけど
どうして先生まで
おれをそう呼ぶ
94
八八、王都在住のとるにたらない不定形生物さん
教官﹁この、子狸が⋮⋮﹂
犬歯ってさ
とがってて
さわると痛そうだよね
八九、かまくら在住のとるにたらない不定形生物さん
おれの家にさ
たまに
くちばしの鋭いひとたちが
遊びに来るんだけど
なんかおれ
べつに何をしたわけでもなく
お祈りされるのね
で
何かの拍子に
お子さんらに
つっつかれたりする
これが意外と
95
ほのかに
あったかいのよ
不思議な感触だわ
九0、管理人だよ
わかった
おれが悪かった
謝る
でも
ひとつだけ
はっきりさせておきたいんだ
鞭って
たとえば
人間を叩く以外の
用途はある?
九一、空中庭園在住のとるにたらない不定形生物さん
梱包に
便利なんじゃないか?
96
97
﹁なんか魔王が復☆活したらしいです⋮⋮﹂part3︵後書き
︶
注釈
・犬歯
とがってて、さわると痛そうである。
・くちばしの鋭いひとたち
泳ぎが達者で魚をよく食べる。
魔物たちは、おもに自分たちを指して﹁∼のひと﹂という表現を
多用する。
しかし人類と敵対しているという設定上、心情的には動物の味方
をしたがる。
すると彼らの中で不思議な心理が働き、動物に対しても﹁∼ひと﹂
という表現を用いることがままある。
その場合、自分たちとの混同を避けるために若干ながら形容が具
体的になるらしい。
98
﹁勇者さんの
漢
を見たい﹂part1
四六、山腹巣穴在住のとるにたらない不定形生物さん
子狸速報
他の教師たちが
あたたかく見守る中
鞭打ちの刑に処される
一回休み
四七、連合国在住の現実を生きる小人さん
おれたちに
激震走る
四八、帝国在住の現実を生きる小人さん
衆人環視の中、鞭打ちとか⋮⋮
さすがだな
王国の治安は一味違う
四九、王国在住の現実を生きる小人さん
99
青いひと
わざわざありがとう
それから
子狸さん
おかげさまで
おれの担当地区は
日を追うごとに
人外魔境です⋮⋮
五0、連合国在住の現実を生きる小人さん
いちいちボケないと気が済まないのか
あの子狸は⋮⋮
五一、海底洞窟在住のとるにたらない不定形生物さん
上流から
話は聞いた
お前ら、勇者に仕掛けるのか?
五二、帝国在住の現実を生きる小人さん
おう
100
イチから説明すると
漢
を
勇者さんの
見たい
五三、海底洞窟在住のとるにたらない不定形生物さん
イチから頼むわ
五四、王国在住の現実を生きる小人さん
おう
イチから説明するわ
つまり、おれたちは
今回の勇者が
本当に勇者として相応しい人物なのか?
疑問視してる
連合の
あとは頼む
五五、連合国在住の現実を生きる小人さん
101
なんでそこでおれに振る⋮⋮
まあいいけど
とにかく
今回の勇者は審査を通ってないと聞いてる
人格に問題があるかもしれないと
そのへんを見極めたい
どんな人間なのかわからないことには
シナリオを組めないだろ
で、いろいろと議論したんだが
まずは人質を使ってみる
予定でした⋮⋮
五六、海底洞窟在住のとるにたらない不定形生物さん
つまり、その人質が
子狸だったんですね⋮⋮
五七、帝国在住の現実を生きる小人さん
おう
102
そこらへんの人間をさらってきても
意思の疎通ができないからな
奇跡は起きるものじゃなくて
起こすものだって
前々回の勇者も言ってた
五八、王国在住の現実を生きる小人さん
まるっきり意味が逆だけどな
ともあれ、子狸が使えないと話が進まない
仮におれが人間に化けても
お前ら、文句しか言わないだろ?
五九、連合国在住の現実を生きる小人さん
だってお前、どうせお母さまに化けるつもりだろ?
六0、王国在住の現実を生きる小人さん
化けなかったら化けなかったで
文句を言うだろ?
六一、海底洞窟在住のとるにたらない不定形生物さん
103
なんならおれが子狸に化けようか?
六二、帝国在住の現実を生きる小人さん
子狸は、なまじお母さまに似てるから
おれたちが化けると残念な感じになるんだよな⋮⋮
雰囲気の問題なのか?
性格とかぜんぜん違うのにな。謎
六三、連合国在住の現実を生きる小人さん
別の河でも考察されてたけど
一説によると
おれたちの認識の誤差から来る感覚なんじゃないか?
と言われてる
ようはインテリジェンスの問題だな
六四、海底洞窟在住のとるにたらない不定形生物さん
まあ、そうだな
インテリジェンスの問題と言って差し支えないだろう
104
六五、王国在住の現実を生きる小人さん
ところでお前ら
子狸がうっかりおしおきをされている一方その頃
勇者さんはまじめに一人旅を続けているわけだが⋮⋮
六六、連合国在住の現実を生きる小人さん
おう
まずいな
時間がない
というか親御さん
年端も行かない女の子を一人旅させるなよ⋮⋮
六七、海底洞窟在住のとるにたらない不定形生物さん
しかも剣士だぞ
夜道とかどうするつもりなんだ⋮⋮
六八、帝国在住の現実を生きる小人さん
それなんだけど
明日を導き
105
暗い夜道も照らしてくれる
聖☆剣があるのよね⋮⋮
<i58664|6308>
六九、海底洞窟在住のとるにたらない不定形生物さん
ああ、便利ですね⋮⋮
旅のお供にぜひ
七0、連合国在住の現実を生きる小人さん
これ、言っていいのかな?
彼女さ、自覚はないだろうけど
もう立派な魔法剣士だよね
七一、王国在住の現実を生きる小人さん
え、なに?
聞こえない
空耳かな?
七二、帝国在住の現実を生きる小人さん
106
おれも
おかしいな
目の前が霞んで何も見えない
七三、海底洞窟在住のとるにたらない不定形生物さん
ごめん
いまから行って土下座してきていい?
七四、連合国在住の現実を生きる小人さん
いや
すまん
おれが悪かったわ
おれは何も言ってないし
お前らも何も聞いてない
七五、王国在住の現実を生きる小人さん
そうだな
何もなかった
さて、どうするか⋮⋮
107
青いひとも応援に来てくれたことだし
ここで再確認するぞ
今回は、バウマフさんちのひとが冒頭に絡んでないから
勇者の旅立ちはわりと基本に忠実だ
魔王とかいう伝説の生き物を探して旅をする勇者さん
当然ながら目撃例は一切ないので
情報収集がてら交通の要所となる港町を目指している
王都から港町へと伸びる街道は二つあるが
今回の勇者はかなり計画的に事を進めているようで
遠回りのルートを選択
これは街と街を結んだ安全なルートで
宿の心配がないし人通りも多い
のんびりと馬を歩かせているあたりも含め
勇者さんのやる気のなさがうかがえる
仮に仕掛けるとすれば
次の街と王都の中間地点が理想と思われる
他の人間に助けを呼ばれるなど
不確定要素は可能な限り省きたい
ちょっと走っても届かない距離なら
結界の魔法で誤魔化せる
108
ここまではいい?
七六、海底洞窟在住のとるにたらない不定形生物さん
おう
街道沿いというと
鬼のひとたちは森に家がある設定になってるから
そこへ誘き寄せる予定なんだな?
七七、帝国在住の現実を生きる小人さん
おう
そういうことだ
もしもおれたちに誤算があったとすれば
それは一番の不確定要素が
鞭で叩かれてることだな
七八、連合国在住の現実を生きる小人さん
いてもいなくても
おれたちの足を引っ張るんだな⋮⋮
七九、帝国在住の現実を生きる小人さん
109
どこまで立ちはだかる⋮⋮
八0、王国在住の現実を生きる小人さん
この物語は
おれたちと
バウマフ家の
世代を超える
終わりなき戦いを
描いたものである⋮⋮
110
﹁勇者さんの
注釈
・上流から
漢
を見たい﹂part1︵後書き︶
履歴を遡って見てきた参上の意。
﹁これまでの話の流れは理解してますよ﹂という意味で使われる。
同様の意味で﹁本流から﹂や﹁流されてきました﹂という表現が
ある。
ただし実際はお決まりの挨拶のようなもので、その河を主催して
いる側から簡単にこれまでのあらすじを語ってくれることがほとん
ど。
その場合、説明を受ける側は知らないふりをして相槌を打つのが
礼儀であるとされる。
・インテリジェンスの問題
何かしら暗黙の了解があり、明言を避けたい場合に用いられる。
つまり具体的な意味はない。
しかしなんとなく賢そうな響きがするのか、これを言われると大
抵のバウマフは知ったかぶって理解したふりをする。
その習性を逆手にとった用法のひとつである。
111
﹁勇者さんの
漢
を見たい﹂part2
八一、王国在住の現実を生きる小人さん
そして
そうこう言ってるうちに
茂みに隠れて目を光らせている
おれの目の前を
勇者さんが
通過
八二、帝国在住の現実を生きる小人さん
おつかれ
今日も一日
また無駄な時間を過ごしちゃったな⋮⋮
八三、連合国在住の現実を生きる小人さん
おつかれ
子狸の話題を持ち出すから
こうなる
112
いい加減
学習しようぜ
おれたちの本当の敵は
おれたち自身の
ツッコミ癖なんだってことをさ
八四、海底洞窟在住のとるにたらない不定形生物さん
千年は長すぎたな⋮⋮
思えば
バウマフ家のボケに
ひたすらツッコむだけの半生だった⋮⋮
八五、王国在住の現実を生きる小人さん
お前ら
まとめに入らないでくれないか
おれは
まだ
諦めちゃいないぜ
八六、帝国在住の現実を生きる小人さん
諦めるも何も
113
子狸がいなくちゃ
はじまらないだろ
!
まさか
お前⋮⋮
八七、王国在住の現実を生きる小人さん
その
まさかだ
八八、連合国在住の現実を生きる小人さん
よせ!
早すぎる
万が一のことがあったら
スターズが黙ってはいないぞ
焦るな
再起の機会を
待てばいい
八九、王国在住の現実を生きる小人さん
114
それは
具体的に
いつだ?
お前らだって
本当は
わかってるんだろ?
おれたちは
レベル1だ
戦闘訓練を受けた人間なら
苦もなく倒せるレベル⋮⋮
そうだろ?
そんなおれたちが
いまを逃せば
どうなる?
わかりきったことだぜ
レベル2のひとたちに
混ざって襲いかかる
おれたちを見て
勇者はこう思うのさ
ああ
雑魚がいるなって
115
九0、連合国在住の現実を生きる小人さん
否定は
しない
だが
それが
おれたちの選んだ
生き方だ
かつて
お母さまは言った
偉くなりたいなら
竜になればいい
けれど
見守るだけの竜がいてもいいし
偉いねって
褒められるネズミがいてもいい
人間も同じ
生きるって
そういうこと
116
九一、帝国在住の現実を生きる小人さん
ママン
九二、海底洞窟在住のとるにたらない不定形生物さん
ママン
九三、王国在住の現実を生きる小人さん
ママン
九四、管理人だよ
お前ら
あとで宿題
手伝って
九五、連合国在住の現実を生きる小人さん
子狸ぃ⋮⋮
九六、帝国在住の現実を生きる小人さん
子狸ぃ⋮⋮
117
九七、王国在住の現実を生きる小人さん
子狸ぃ⋮⋮
って
管理人さん!
おしおきは終わったんですか!?
九八、王都在住のとるにたらない不定形生物さん
おう
お屋形さまが
直々に足を運んで下さってな
いろいろと
アウトな三者面談の結果
子狸は
無事︵?︶に解放された
条件は三つ
しっかりと自習すること
王都に戻ったら顔を出すこと
118
お土産は縄と鞭
九九、管理人だよ
おれのせいで
痛んじゃったから
新品のが欲しいんだってさ
自分で買えばいいのにね
一00、海底洞窟在住のとるにたらない不定形生物さん
あんまり
高度な主従関係を築き上げるの
そろそろ止めて欲しいんだが⋮⋮
まあいいよ
本人がそれでいいって言うなら
王都の
時間がないから
手短に説明する
五六
七六
119
一0一、王都在住のとるにたらない不定形生物さん
把握した
すぐに向かう
一0二、管理人だよ
え
人質って
なに?
おれ
嫌だよ
そんなの
一0三、海底洞窟在住のとるにたらない不定形生物さん
王都の
一0四、王都在住のとるにたらない不定形生物さん
おう
子狸﹁?﹂
120
子狸﹁⋮⋮⋮⋮﹂
子狸﹁⋮⋮あ、おれを眠らせるつもりか!? させるもんか!﹂
︻子狸さんが開放レベルの制限解除を申請しました︼
︻否決されました︼
︻否決されました︼
︻否決されました︼
子狸﹁﹂
おやすみ
子狸
じゃあ連れてくわ
この際だし
変化もかけておくか?
一0五、王国在住の現実を生きる小人さん
いや
少し待て
121
おう⋮⋮
いや
さすがに
あとで怪しまれるだろ
追求されたら
じつは生き別れの妹が
とか言い出しかねない
一0六、帝国在住の現実を生きる小人さん
んで
あとで妹のことを訊かれて
おれに生き別れの妹が!?
とか
ふつうに言い出すのが
バウマフ家の
おそろしいところ
一0七、連合国在住の現実を生きる小人さん
おう
つけ入る隙を与えたら
122
おれたちの負けだ
先は長いんだ
シンプルに行こうぜ
いいか
おれたちにさらわれた
子狸を
勇者が救い出す
救出された子狸が
勇者の
旅の仲間に加わる
この二点だけを
しっかりと押さえていこう
なんでだろうな⋮⋮
ちっとも
うまく行く
気がしないのは⋮⋮
一0八、王国在住の現実を生きる小人さん
奇遇だな
おれもだわ⋮⋮
123
とにかく
やってみるしかない
それでは
諸君⋮⋮
幸運を祈る!
状況開始!
124
﹁勇者さんの
登場人物紹介
・小人さん
漢
を見たい﹂part2︵後書き︶
街道沿いに出没し、行き交う馬車や人を襲うとされる小柄な魔物。
ひたいに小ぶりな角が生えている。
人間から奪った武器や防具を装備していることになっているが、
じつは全て手作りである。
ことにダメージ塗装への造詣は深く、並々ならぬ執念を燃やして
いるとか。
過去の事例がもとで妖精の一種との分類がなされてしまったため、
簡単な呪術なら扱えるという設定がのちに追加された。
他の魔物からは﹁鬼のひとたち﹂と呼ばれる。小道具を担当する
ことが多く、伝統の職人芸と称されることも。
不定形生物さんたちと仲良し。
125
﹁勇者さんの
漢
を見たい﹂part3
一0九、連合国在住の現実を生きる小人さん
状況開始
国境を越えて
現地へ
おれ参上します
一一0、帝国在住の現実を生きる小人さん
状況開始
国境を越えて
現地へ
おれ参上します
ついで
居候としての義理を果たすべく
王国のに手袋を投げつけます
手袋が
手元になかったため
ガントレットで代用しました
126
一一一、王国在住の現実を生きる小人さん
地味に痛かったと報告します
王国を代表して
よかろう
それでは戦争だ
と受けて立ちます
一一二、連合国在住の現実を生きる小人さん︵出張中
お前ら
けっこう余裕あるなと内心で呆れつつ
連合国の事なかれ主義を見習って
お前らを放置します
ついで
おれ参上した
青いひとから
子狸を預かり
受諾証明書に判を押します
一一三、海底洞窟在住のとるにたらない不定形生物さん
今回
おれたちの出番は
なさそうだな
127
王都の
あとの四人はどうした?
一一四、王都在住のとるにたらない不定形生物さん︵出張中
そうだな
鬼のひとたちの仕事には
絶対的な信頼がある
あとの四人は
絶賛氾濫中の河を
鎮めに行った
山腹のは
ああ言っていたが
勇者が現れると
まず例外なく荒れるからな
一一五、連合国在住の現実を生きる小人さん︵出張中
前々回は
ひどかったからな
人選は理想的だったのに
なんで
ああなった⋮⋮
128
一一六、王都在住のとるにたらない不定形生物さん︵出張中
これは
インテリジェンスの問題だから
言わないでおこうと
思ったんだが⋮⋮
子狸がいない
いまだから
この場を借りて
はっきりと言わせてもらう
バウマフ家の人間は
変人に好かれる
一一七、海底洞窟在住のとるにたらない不定形生物さん
残念です⋮⋮
まあ
救国の英雄が
まともな人間に務まる道理も
ないか⋮⋮
お前ら
認めよう
129
あの正義感あふれる
清廉潔白な
若き英雄は
バウマフの親友だった⋮⋮
ハイレベルな
変人だったんだよっ⋮⋮!
一一八、王国在住の現実を生きる小人さん
くぅっ︵泣
一一九、帝国在住の現実を生きる小人さん︵出張中
くぅっ︵泣
一二0、連合国在住の現実を生きる小人さん︵出張中
くぅっ︵泣
で
お前ら
ひととおり
光と闇をスパークさせたし
もう満足だろ?
130
シナリオを進めますよ
と促します
一二一、王国在住の現実を生きる小人さん
連合国には
そういうとこあるよな
と愚痴を漏らしつつ
ステルスモードに移行
人前では晒せない
健脚を披露して
森を駆けます
一二二、帝国在住の現実を生きる小人さん︵出張中
同じく
並走しつつ
あるある
八方美人な癖して
技術力が怖いし
ナチュラルに
他国を見下してる
と賛同を示します
枝から枝へ飛び移りつつ
131
勇者を肉眼にて視認と
お前らに報告します
一二三、連合国在住の現実を生きる小人さん︵出張中
お前ら
あとで
ちょっと話し合おうな
と平和的解決法を模索しつつ
子狸を抱えて
所定の位置へ移動します
一二四、王国在住の現実を生きる小人さん
これだよ
と戦慄しながら
ステルスモードを解除
減速しつつ
太陽を背に
満点ものの伸身六回転を披露して
完璧に着地を決めてくれた
帝国のに
合図します
132
一二五、帝国在住の現実を生きる小人さん︵出張中
王国のの
合図を受けて
ステルスモードを解除
あとに続きます
のんきに
お馬さんに
またがっている
勇者を横目に
茂みを
これ見よがしに
揺すります
一二六、王国在住の現実を生きる小人さん
勇者﹁?﹂
物音に反応した勇者に
あふれるテンション
飛び出せおれ
とばかりに
茂みを突き破って
勇者の眼前に躍り出ます
一二七、帝国在住の現実を生きる小人さん︵出張中
133
勇躍おれ
二番手も続きます
小物臭漂う挙動を
心掛けつつ
おれ﹁また懲りずに獲物がやってきたようだな!﹂
と
ひそかに伏線を張ります
一二八、海底洞窟在住のとるにたらない不定形生物さん
というか
今更だけど
あれ馬か?
ロバの間違いじゃ?
と疑問を呈します
一二九、王国在住の現実を生きる小人さん
少し不細工かもしれませんが
お利口なお馬さんです⋮⋮
と勇者の愛馬を
134
フォローしつつ
おれ﹁人間のメスは美味いからな。ついてるぜ﹂
と
見たことも聞いたこともない
グルメ情報を捏造します
一三0、帝国在住の現実を生きる小人さん︵出張中
勇者﹁⋮⋮⋮⋮﹂
路傍の石を見るような目ですが
めげません
でも
おれの繊細なハートは
脆くも傷付きました
と
お前らに報告します
一三一、王国在住の現実を生きる小人さん
ひとさまに向けていい
視線じゃねーぞ⋮⋮
と
おれは内心で零しつつ
馬から降りる
135
勇者さんを律儀に待ちます
話し合いという選択肢を
はなから無視して
静かに抜剣した勇者さんに
ちょっと素でびびります
なぜ
聖☆剣を使わない⋮⋮
と内心でうめきつつ
帝国のに
ひそかに目配せします
一三二、帝国在住の現実を生きる小人さん︵出張中
まだ
慣れてないのかもな
と推測を述べつつ
おれ﹁ちっ、剣士か⋮⋮﹂
と
わかりきったことを口にします
そして
この緊迫した場面
道端でお食事をはじめたお馬さんに
空気を読めと
136
無理な注文をぶつけたい
おれが
います
一三三、王国在住の現実を生きる小人さん
勇者﹁命が惜しくはないの?﹂
降伏勧告の迂遠な表現だろうと
好意的に解釈しつつ
凶器を片手に
ゆらゆらと歩み寄ってくる
勇者さんに
希望を見出すことができません
よって
シナリオを繰り上げます
シナリオBを破棄
シナリオCへ移行します
一三四、連合国在住の現実を生きる小人さん︵出張中
了解しました
シナリオCへ移行します
子狸をともなって
137
時間差で
おれ勇躍します
幸せそうに寝息を立てている
子狸に
この日のために
丹精込めて削り上げた
こん棒を
突き付けます
おれ﹁武器を捨てろ! こいつがどうなってもいいのか!?﹂
と
伏線を回収します
さあ
どう出る⋮⋮?
一三五、海底洞窟在住のとるにたらない不定形生物さん
ごくり⋮⋮
一三六、王都在住のとるにたらない不定形生物さん︵出張中
ごくり⋮⋮
138
一三七、王国在住の現実を生きる小人さん
勇者﹁⋮⋮仕方ないわね﹂
要求を
呑んだ
だと⋮⋮?
一三八、帝国在住の現実を生きる小人さん︵出張中
い、意外だな⋮⋮
てっきり
子狸を見捨てて
反撃してくると思ったが⋮⋮
聖☆剣があるから
問題ないと考えたのか?
おい
どうする?
一三九、連合国在住の現実を生きる小人さん︵出張中
どうもこうも
139
シナリオ通り
連行するしか
ないだろ⋮⋮
ただし
奇襲に気をつけろ
慎重にな⋮⋮
140
﹁勇者さんの
注釈
・氾濫
漢
を見たい﹂part3︵後書き︶
河での議論が白熱するあまり、収拾がつかなくなった状態を指し
て言う。
この状態を鎮めるには第三者が介入するのが一番とされる。
とくに青いひとたちは、子狸速報をはじめとする様々な情報を提
供する優秀な諜報員であるため、敬意を表する魔物が多いらしい。
・シナリオ
ようは対人間用マニュアル。
かれこれ千年ほど人類の天敵を演じているため、﹁こきゅーとす﹂
には相当量のシナリオがあり、また編集されている。
いわゆる﹁お約束﹂をこよなく愛する魔物たちであるから、既定
路線に沿って行動することに無上の喜びを感じるらしい。
大変便利なシナリオであるが、バウマフ家には通用しないという
致命的な欠陥がある。
・こいつがどうなってもいいのか
どうにかなって困るのは、むしろ魔物たちのほうである。
141
﹁勇者さんの
漢
を見たい﹂part4
一四0、王国在住の現実を生きる小人さん
森を移動中なんだが
なんか
拍子抜けしたな
勇者さんは
反抗する様子もないし
意外と
優しい子なのかも
それから
やたらと子狸に
興味を示してる
馬が
一四一、帝国在住の現実を生きる小人さん︵出張中
意外と優しい?
それはないだろ
お前は
142
勇者さんの
後ろを歩いてるから
そんなことが言える
目は
口ほどに
物を言うんだぜ⋮⋮?
お馬さんは
鞭で叩かれるもの同士
響き合うものが
あるのかもな
知らんけど
一四二、連合国在住の現実を生きる小人さん︵出張中
うむ⋮⋮
動物の超直感は
あなどれないものがある
それはそうと
当初の予定より
交戦ポイントがずれたから
ちょっと遠いな⋮⋮
沈黙が気まずいわ
お前ら
143
何か面白いこと言えよ
一四三、王国在住の現実を生きる小人さん
出たよ
無茶振り⋮⋮
なんで
お前はそう
自分さえ良ければいい
みたいなことを
平気で言えるの?
言いますけど⋮⋮
おれ﹁他愛もないな。剣士といっても、しょせんは女か﹂
お前﹁えっ、それがお前の全力なの?﹂
おい
おい。素で返すな
イベントを遂行中なんだから
仕方ねーだろ
演技してなければ
おれだってな⋮⋮
144
一四四、帝国在住の現実を生きる小人さん︵出張中
連合の
まあ
そう言ってやるなよ
王国は
貴族政治だからな
コメディアンの素養を期待するのは
ちょっと酷だぜ
一四五、王国在住の現実を生きる小人さん
え?
あれ?
ちょっと待って?
じゃあ言わせてもらうわ
お前んちはさ
うちは貴族なんていませんし
実力主義ですから
国民全員に同等のチャンスがありますよ
みたいな顔してっけど
145
やってることは一緒じゃん
方法論が違うだけで
一四六、帝国在住の現実を生きる小人さん︵出張中
え?
お前
それ本気で言ってるの?
権力者が生まれるのはさ
そいつが
努力した結果じゃん
わかる?
お前んちの場合
そもそも
努力は報われるっていう
考え方からして
まずないだろ
一四七、王国在住の現実を生きる小人さん
え?
ごめん
びっくりしたわ
146
お前の言う
その考え方ってやつが
報われない努力を生み出す
元凶なんだって
どうして気付かないの?
ちょっと難しいかもしれないけどさ
簡単に言うと
無駄なんだよね
無駄をなくしたほうが
効率的だし
結果的にさ
より多くの国民が
幸せになれるんじゃないの?
一四八、連合国在住の現実を生きる小人さん︵出張中
おいおい
お前ら
喧嘩するなよ
けっきょくさ
どっちが正しいとかじゃなくて
かじ取りの問題だと思うぜ
頭が無能じゃ
どうしようもないってこと
147
絶対王政の
限界ってやつだな
一四八、帝国在住の現実を生きる小人さん︵出張中
え?
何その
おれんち議会政治ですから
みたいな上から目線
自分たちが
これからの時代の
スタンダードみたいな⋮⋮
一四九、連合国在住の現実を生きる小人さん︵出張中
え?
そんなこと
言ってないだろ
ようするに
おれは
リスクは分散させるべきって
話をしてるの
148
一五0、管理人だよ
おい
お前ら
喧嘩するな
一五一、王都在住のとるにたらない不定形生物さん︵出張中
!?
一五二、王国在住の現実を生きる小人さん
あ、管理人さん!
お目覚めですか?
おはようございます!
一五二、帝国在住の現実を生きる小人さん︵出張中
べつに
喧嘩なんてしてませんよ!
おれたち
仲良しですから!
149
な?
一五三、連合国在住の現実を生きる小人さん︵出張中
おう!
なんなら
三位一体の奥義とか
ご覧に入れますよ!
一五四、管理人だよ
そうか?
まあいいが⋮⋮
政治に
正解なんてのは
ない
あまり
熱くなりすぎるな
一五五、王国在住の現実を生きる小人さん
お前
誰だ!?
150
子狸さんじゃねーな!?
一五六、帝国在住の現実を生きる小人さん︵出張中
ニセモノめ
尻尾を出したな!
子狸さんが
政治について
語れるわけねーだろ!
一五七、王都在住のとるにたらない不定形生物さん︵出張中
混乱するので
同じ名前を使うのは
やめて下さいよ⋮⋮
お屋形さま
一五八、王国在住の現実を生きる小人さん
この度は
わざわざお越し下さって!
一五九、帝国在住の現実を生きる小人さん︵出張中
151
ささ!
むさ苦しい河ではございますが!
一六0、連合国在住の現実を生きる小人さん︵出張中
我々一同
心より
お待ちしておりました!
一六一、管理人だよ
おう
悪いな
ああ
おれの用件は
もう済んだから
気にしなくていいぞ
このまま出て行くのも
味気ないと思ってな
まあ
うまくやれ
じゃあな
152
一六二、王国在住の現実を生きる小人さん
またのお越しを
お待ちしております!
一六三、帝国在住の現実を生きる小人さん︵出張中
またのお越しを
お待ちしております!
一六四、連合国在住の現実を生きる小人さん︵出張中
またのお越しを
お待ちしております!
153
﹁勇者さんの
注釈
漢
・三位一体の奥義
を見たい﹂part4︵後書き︶
きちんと実在する。
相手に向かって縦に並び、正面から突っ込んで順々に成敗される
という、小人さんたちの伝家の宝刀である。
いくつかのバリエーションがあり、そのコンビネーションたるや
他の追随を許さない。
・またのお越しをお待ちしております
びびらせやがって、二度と来るなの意。
154
﹁勇者さんの
漢
を見たい﹂part5
一六五、帝国在住の現実を生きる小人さん︵出張中
さて
到着しましたよ
おれ
勇者さんと子狸を
牢屋に放り込んでくるわ
一六六、王国在住の現実を生きる小人さん
待て待て
お前
わかって言ってるだろ?
その前にさ
やるべきことが
あるんじゃないの?
一六七、海底洞窟在住のとるにたらない不定形生物さん
そうだな
不自然な形で
155
会話が止まっちゃったから
ほら
勇者さんが
純真な眼差しで
お前を見てる
一六八、帝国在住の現実を生きる小人さん︵出張中
おい
まじで期待されてるよ⋮⋮
無関心で
いてくれたほうが
なんぼか
やりやすいんですけどぉ⋮⋮
え∼⋮⋮?
まじで?
おれがオトすの?
一六九、連合国在住の現実を生きる小人さん︵出張中
お前なら
できる
156
一七0、王国在住の現実を生きる小人さん
否
お前にしか
できないんだ
一七一、帝国在住の現実を生きる小人さん︵出張中
やめて
そういうの
本当に
やめて
本当⋮⋮
ちくしょう⋮⋮
やってやるよ!
やってやりますとも!
見さらせ
おれの
生き様!
おれ﹁飛んで火に入る夏の虫とは、お前のことだな﹂
157
死にたい
一七二、王都在住のとるにたらない不定形生物さん︵出張中
勇者﹁⋮⋮⋮⋮﹂
続きは?
みたいな目で
見られてますけど⋮⋮
一七三、帝国在住の現実を生きる小人さん︵出張中
なんなの
この子⋮⋮
本当に
子狸と同い年なの?
末恐ろしいにも
程があるだろ⋮⋮
おれが
悪いの?
おれが
悪いんですね⋮⋮
158
本当
ごめんなさい
一七四、王国在住の現実を生きる小人さん
いや
お前は
よくやったよ
あれ以上は
ない
少なくとも
おれには
とても無理だ
そう気に病むな
連合の
悪いけど
勇者さんと子狸
連れてってくれる?
洞窟の奥に
牢屋があるから
二人を放り込んで
見張りしといて
159
んで
適当なタイミングで
居眠りな
一七五、連合国在住の現実を生きる小人さん︵出張中
おう
帝国の
元気
出せよ
王国の
代わりに
お馬さんの世話と
焚き火の準備
しておいてくれ
一七六、王国在住の現実を生きる小人さん
おう
青いひとは
いつも通り
子狸に
ついててくれ
連合のが
160
居眠りしたところで
子狸を起こして
目覚めた子狸が
魔法で
牢屋の鍵を連合のから
拝借する
っていう手筈で頼む
一七七、王都在住のとるにたらない不定形生物さん︵出張中
待て
大丈夫か?
その流れだと
子狸が
一時的とはいえ
完全に
野放しになるぞ?
一七八、王国在住の現実を生きる小人さん
良くはない
が
第一印象っていうのは
大きい
161
最初から
おれたちが
あれこれと
指示を出すと
子狸のキャラが
ぶれる
という結論に至った
最悪
謎の覆面戦士ルートに突入する
それだけは
覚悟しておいてくれ
一七九、王都在住のとるにたらない不定形生物さん︵出張中
おう
わかった
問題ない
覚悟なら
とうに決めてる
だが
くれぐれも
油断はするな
お前らも
薄々は察していると思うが
162
この勇者
子狸とは
役者が違う⋮⋮
一八0、海底洞窟在住のとるにたらない不定形生物さん
それは
おれも思った
鬼のひと
場合によっては
あれも
視野に入れておいてくれ
流派を
特定できれば
だいぶ
絞れるかもしれない
あとのことは
子狸さえいれば
正直
どうとでもなる
一八一、王国在住の現実を生きる小人さん
おう
163
じゃあ
作戦開始な
ほら
帝国の
薪を集めに行くぞ⋮⋮
と優しく肩を叩いて促します
一八二、連合国在住の現実を生きる小人さん︵出張中
お馬さんを
さりげなく
最適と思われる
逃走ルートの線上に配置します
上で寝そべっている
子狸を引きずりおろして
肩に担ぎます
気分は山賊で
おれ﹁お前らはこっちだ!﹂
と
威勢良く声を張り上げて
二人を
洞窟の内部に
いざないます
164
一八三、王都在住のとるにたらない不定形生物さん︵出張中
ステルス状態を維持しつつ
あとを追います
雰囲気を
盛り上げるために
触手を先行させて
足元に
そよそよと冷風を送ります
勇者﹁あったかい飲み物とかないの?﹂
台無しです
一八四、連合国在住の現実を生きる小人さん︵出張中
おれ﹁はっ。寝言は寝て言え﹂
子狸﹁ん⋮⋮お茶⋮⋮﹂
子狸によって
おれの要求は
即座に果たされました
お前らに再確認します
165
本当に
このまま進めて
いいんですね?
一八五、海底洞窟在住のとるにたらない不定形生物さん
再検討の
余地ありと認めます
主催は至急
返答をお願いします
一八六、王国在住の現実を生きる小人さん
了解
お前らに
子狸の
早期排除を提案します
一八七、海底洞窟在住のとるにたらない不定形生物さん
具体案を
お願いします
一八八、王国在住の現実を生きる小人さん
166
具体案を挙げます
寝ている子狸を
先に連れ出して
丸焼きにします
尊い犠牲でしたと
勇者に
ご理解頂きます
一八九、王都在住のとるにたらない不定形生物さん︵出張中
異議あり
ご理解頂ける
勇者は
嫌です
一九0、海底洞窟在住のとるにたらない不定形生物さん
異議を
認めます
鬼のひとは
気合と
根性で
シナリオを継続して下さい
167
一九一、連合国在住の現実を生きる小人さん︵出張中
決議に従い
気合と
根性で
シナリオを継続します
おれ﹁のんきなもんだぜ。人間ってのはよ﹂
と
お亡くなりになった
緊張感を
不死鳥のごとく
よみがえらせます
勇者﹁なんなの? それ﹂
お前らに報告します
勇者が子狸に
興味を示しました
いえ
誤報でした
よくよく考えてみれば
物扱いです
168
一九二、海底洞窟在住のとるにたらない不定形生物さん
妥当な線であると
勇者の見解を支持します
ただし
内心はどうあれ
子狸の人権を
尊重して下さい
お前﹁おいおい。お仲間だろ?﹂
一九三、連合国在住の現実を生きる小人さん︵出張中
勇者﹁そう見えるの?﹂
言外に拒否されました
お前らに報告します
彼女とは
気が合いそうです
一九四、王都在住のとるにたらない不定形生物さん︵出張中
お前らに
お願いします
169
気が向いたときで
一向に構いませんから
お屋形さまの存在を
たまには思い出して下さい
一九五、連合国在住の現実を生きる小人さん︵出張中
訂正します
おれたちの
子狸さんに
なんてことを言うんだと
おれ憤慨します
懇々と
お説教したいところですが
洞窟の最奥部に
到着したため
また次の機会にします
一九六、帝国在住の現実を生きる小人さん︵出張中
子狸さんの存在は
いつでも
おれたちを勇気づけてくれると
170
おれ復活します
一九七、王国在住の現実を生きる小人さん
復活したお前と
一緒に
焚き火の前で
踊ります
一九八、連合国在住の現実を生きる小人さん︵出張中
復活したお前に
歓喜の雄叫びを上げます
おれ﹁よしっ⋮⋮! よしっ⋮⋮! さ、入れ! 大人しくしてろ
よ! 見張ってるからな!﹂
小躍りしながら
見張りに立つおれを
勇者が
ひどく残念そうな
眼差しで見ています
が
まったく気になりません
作詞作曲おれたちの
171
おれたち☆魔物!
を声高らかに披露します
子狸﹁⋮⋮いぇい⋮⋮﹂
お前が乗るなぁぁぁああああああああ!
もうだめです!
限界です!
これ以上は
子狸の暴走を制御しきれません!
早急にシナリオを進めて下さい!
と
お前らに具申します
一九九、王都在住のとるにたらない不定形生物さん︵出張中
お前の
申請を受理します
振り付けの途中で
こん棒を頭上に投げて
景気良く
気絶して下さい
172
その際
牢屋の鍵を
絶妙な
ポジションに落として下さい
二00、連合国在住の現実を生きる小人さん︵出張中
おれの
イメージが心配ですが
実行します
実行しました
勇者﹁⋮⋮⋮⋮﹂
おれの完璧な仕事を
お前らだけは
理解してくれると信じてます
二0一、王国在住の現実を生きる小人さん
おれたちの間に
言葉はいらない
と惜しみない賛辞を送ります
二0二、帝国在住の現実を生きる小人さん︵出張中
173
次は
おれたちの番だ
と静かなる闘志を燃やします
二0三、海底洞窟在住のとるにたらない不定形生物さん
おれたちも
負けてはいられないな
と決意を新たにします
二0四、王都在住のとるにたらない不定形生物さん︵出張中
失敗は許されない
と全身に緊張感を
みなぎらせます
そして
とうとう
本日の山場を迎えます
子狸にかけた
睡眠の魔法を
解除します!
174
﹁勇者さんの
注釈
・謎の覆面戦士
漢
を見たい﹂part5︵後書き︶
勇者の危機に颯爽と現れる謎の戦士。
ときおり真の実力を発揮する、人類の限界を遥かに超越した魔法
使い。
その正体は謎に包まれているが、参上と同時に崖下に転がり落ち
るなど、お茶目な面もある。
非常に便利な存在であるものの、行動原理が破綻しているため、
旅の進行とともに雪だるま式に設定がふくらみ、最終的には魔物た
ちの手で謀殺されることとなる悲劇の戦士。
壮大な噛ませ犬という心ない意見も⋮⋮。
175
﹁勇者さんの
漢
を見たい﹂part6
二0五、海底洞窟在住のとるにたらない不定形生物さん
お前ら
覚悟はいいか?
おれは出来てる
二0六、王国在住の現実を生きる小人さん
おれも出来てる
はじまるぜ⋮⋮
子狸さんのスーパーうっかりタイムがよぅ⋮⋮
二0七、帝国在住の現実を生きる小人さん︵出張中
ごくり⋮⋮
二0八、海底都市在住のごく平凡な人魚さん
ごくり⋮⋮
176
二0九、連合国在住の現実を生きる小人さん︵出張中
ごくり⋮⋮
二一0、王都在住のとるにたらない不定形生物さん︵出張中
子狸﹁⋮⋮う?﹂
その日
子狸が目を覚ますと
彼は
見知らぬ女の子に
踏まれていた⋮⋮
二一一、海底洞窟在住のとるにたらない不定形生物さん
踏まれ⋮⋮え?
勇者さん?
二一二、連合国在住の現実を生きる小人さん︵出張中
踏まれとる!
ちょっ
177
この女⋮⋮
おれたちの子狸さんに
なにしてくれてんの!?
いいぞ
もっとやれ
二一三、王国在住の現実を生きる小人さん
違うだろ
子狸さんを踏んでいいのは
おれたちだけだ!
ああ⋮⋮
でも、この構図
なんか
しっくりくるな
二一四、王都在住のとるにたらない不定形生物さん︵出張中
勇者﹁お目覚め?﹂
子狸﹁あ、はい⋮⋮﹂
178
なぜか敬語の子狸
子狸﹁えっと⋮⋮あれ? おれ踏まれてる⋮⋮﹂
勇者﹁あなたのせいよ。あなたのせいで、魔物につかまったわ。ど
うしてくれるの?﹂
そう来たか⋮⋮
二一五、帝国在住の現実を生きる小人さん︵出張中
なるほど
正直
その発想はなかった
だが
何を要求するつもりだ?
旅の仲間に魔法使いが欲しいなら
家から連れてくればいいだけのこと⋮⋮
貴族なんだろ?
二一六、海底洞窟在住のとるにたらない不定形生物さん
確定情報じゃないな
179
しかし
現実問題として
いかなる事情があろうと
平民の剣士は食っていけない
二一七、王都在住のとるにたらない不定形生物さん︵出張中
子狸﹁え? あ⋮⋮ごめん﹂
とりあえず謝罪する子狸
子狸﹁えっとぉ⋮⋮。あ、でも大丈夫だよ! すぐに勇者が助けに
来てくれるから﹂
え?
二一八、海底洞窟在住のとるにたらない不定形生物さん
え?
二一九、連合国在住の現実を生きる小人さん︵出張中
え?
あ!
こいつ
180
さては何もわかってねーな!?
二二0、帝国在住の現実を生きる小人さん︵出張中
いや!
考えようによってはファインプレー!
彼女が勇者だって
ひと目でわかるのはおかしい
二二一、海底洞窟在住のとるにたらない不定形生物さん
!
今回は
打ち合わせの時間がなかった⋮⋮
宰相は
それを見越してたのか!
大人って汚い!
今度
お歳暮
贈っておきますね︵にこっ
二二二、王国在住の現実を生きる小人さん
181
うむ⋮⋮
さすがに苦労してる人間は違うな
だが
勇者の
存在を知ってる時点で
おかしくないか?
二二三、王都在住のとるにたらない不定形生物さん︵出張中
お嬢﹁⋮⋮なんでそんなことがわかるの?﹂
はい
鬼のひとチームに1ポイント加算
二二四、海底洞窟在住のとるにたらない不定形生物さん
あ
くそっ
サービス問題だったな⋮⋮
次は貰うぜ
うっかり
おれたちから聞いたことをバラす
と見た
182
二二五、王都在住のとるにたらない不定形生物さん︵出張中
子狸﹁え? なんでって⋮⋮なんで?﹂
正解は
質問の意図を理解できない
でした
二二六、海底洞窟在住のとるにたらない不定形生物さん
言葉を失うって
こういうことを言うんだなぁ⋮⋮
二二七、王国在住の現実を生きる小人さん
さすがバウマフ家
二二八、帝国在住の現実を生きる小人さん
バウマフは格が違った⋮⋮
二二九、連合国在住の現実を生きる小人さん︵出張中
お嬢﹁⋮⋮勇者が生まれたなんて聞いてないわ。仮に生まれてたと
183
しても、あなたはなんでそれを知ってるの?﹂
と
子供でもわかるよう
懇切丁寧に
説明してあげる勇者さん
子狸さん
いいから
こっちへ来なさい
二三0、管理人だよ
お前ら見てる?
あのさ
この子が
何を言ってるのか
よくわからないんだけど⋮⋮
ていうか
ちょっと可愛いよね
おれ
緊張するんだけど
二三一、王都在住のとるにたらない不定形生物さん︵出張中
184
問題ない
想定の範囲内だ
お前﹁夢で知らない女の人にそう言われた﹂と言え
わかったな?
このエロ狸が
二三二、管理人だよ
ありがとう!
言ったよ
あと
エロくありません
二三三、海底洞窟在住のとるにたらない不定形生物さん
いや
エロいよ
お前
ひまさえあれば
女の子のことを考えてるだろ?
まわりの人間が
みんなそうだと思ったら
185
大間違いなんだぞ?
このエロ狸が
二三四、管理人だよ
ごめん
おれ
エロかった⋮⋮
二三五、王都在住のとるにたらない不定形生物さん︵出張中
わかればいいよ
わかれば⋮⋮
それは
恥ずかしいことじゃないからな
お嬢﹁あの女ね。⋮⋮余計なことを﹂
おい
理解が早いな
二三六、管理人だよ
あの女?
186
だれ?
二三七、海底洞窟在住のとるにたらない不定形生物さん
お前です
おっと
とにかく
会話してみろ
話題は
お前に任せる
二三八、管理人だよ
うん
わかった
おれ﹁そのマント、かっこいいね!﹂
どう?
可愛いね
なんて
いきなり言うのおかしいし
二三九、帝国在住の現実を生きる小人さん︵出張中
187
安心しろ
十分おかしい
なんの
脈絡もねえ⋮⋮
二四0、連合国在住の現実を生きる小人さん︵出張中
お嬢﹁とにかく。わたしが魔物につかまったのは、あなたのせいな
の。わかる?﹂
華麗にスルーされました
二四一、管理人だよ
え∼⋮⋮?
たぶん照れてるんだよ
って
お前どうした!?
なんで寝てるの?
二四二、連合国在住の現実を生きる小人さん︵出張中
188
気にするな
上流は見んでいい
目の前のことに集中しろ
というか
今更かよ⋮⋮
二四三、管理人
おう
というか
お前らは
この子のこと
お嬢って呼んでるの?
もしかして貴族さま?
身分が違うんだな⋮⋮
ちょっと残念
二四四、王国在住の現実を生きる小人さん
お前が残念
いいから
さっさと返事しろ
189
お前の反応が
にぶすぎて
いらいらしてるぞ
二四五、王都在住のとるにたらない不定形生物さん
慌てて返事をする子狸
子狸﹁あ、ごめん。ちょっとわからない﹂
やはり
わかっていなかった
お嬢﹁⋮⋮そうなの。そう⋮⋮﹂
依然
子狸は踏まれている
お嬢﹁じゃあ、こうしましょう。わからなくてもいいわ。あなた、
わたしの命令に従いなさい。名案だと思うの。どう?﹂
名案だと思います
二四六、帝国在住の現実を生きる小人さん︵出張中
同じく
この上ないかと
190
二四七、管理人だよ
そうなの?
なんか
少し無茶なこと言われてる気がするんだけど⋮⋮
二四八、海底洞窟在住のとるにたらない不定形生物さん
少しなのか⋮⋮
まあいいよ
好きなように答えろ
おれたちがついてる
だろ?
二四九、管理人だよ
おう!
じゃあ⋮⋮
おれ﹁わかった。何したらいい?﹂
あんまり
逆らわないほうがいいよね
191
二五0、海底都市在住のごく平凡な人魚さん
流されるままだな
それでこそ
おれたちの
管理人だ
二五一、管理人だよ
いたの!?
声かけてよぉ∼
どう?
さいきん
元気してる?
ちゃんと
ごはん食べてる?
二五二、海底都市在住のごく平凡な人魚さん
いえ
いちおう
こう見えても
192
不老不死なんで⋮⋮
それより
管理人さん
いい加減
起き上がられては
いかがでしょうか?
二五三、管理人だよ
あ、うん
起きました
優しい子なんだね
足どけてくれた
二五四、王都在住のとるにたらない不定形生物さん︵出張中
そうだね
優しいね
お嬢﹁よろしい。それじゃあ、あなた、わたしの身の回りのお世話
をしてね。旅してる間、ずっと﹂
子狸﹁⋮⋮ん?﹂
優しいね
193
二五五、連合国在住の現実を生きる小人さん︵出張中
そうだね
優しいね
二五六、海底洞窟在住のとるにたらない不定形生物さん
そうだね
優しいね
海のひと
おれは
わかってる
二六六、海底都市在住のごく平凡な人魚さん
ばか︵照
二六七、王都在住のとるにたらない不定形生物さん︵出張中
お前ら
そのネタ禁止だって
言っただろー!
194
子狸﹁ずっと?﹂
お嬢﹁そう。ずっと﹂
子狸﹁ずっと⋮⋮﹂
悩む子狸
何を悩んでいるのか⋮⋮
お前らは
おわかりですね?
子狸﹁どれくらい?﹂
正解は
期間でした
二六八、帝国在住の現実を生きる小人さん︵出張中
まったく問題ない
二六九、王国在住の現実を生きる小人さん
だな
初級者問題だぜ
195
二七0、管理人だよ
お前ら
遊んでないで
助けてくれませんか
いま思い出したんだけど
おれ⋮⋮
父さんと母さんに
何も言ってないよ
あれ?
何を言うんだっけ?
二七一、海底洞窟在住のとるにたらない不定形生物さん
ああ
そうだよな
忘れてるよな
まあ⋮⋮
それなら
ためしにそう言ってみたら?
二七二、管理人だよ
おう
196
おれ﹁両親の許可がないと、遠出はちょっと⋮⋮﹂
彼女には悪いけど
おれ⋮⋮
あ!
二七三、連合国在住の現実を生きる小人さん︵出張中
お
思い出したか?
子狸﹁お土産どうしよう⋮⋮﹂
と
軽くフェイントを交えつつぅ∼
お嬢﹁ご両親のことなら心配いらないわ﹂
スルーされぇの∼
お嬢﹁あなた平民でしょ? わたしは貴族なの。その問題はこれで
いいわね﹂
はい
出ました
典型的な貴族です
197
本当にありがとうございました
二七四、帝国在住の現実を生きる小人さん︵出張中
いっそ
すがすがしいわ
本当にありがとうございました
二七五、王国在住の現実を生きる小人さん
違うからね?
典型的すぎて
逆に
めったにいないレベルだからね?
平民にも優しくってのが
さいきんの貴族の
スタンダードだよ?
本当だよ?
ほら
勇者とか
基本
平民出身だしさ
二七六、管理人だよ
198
勇者!
そうだった
おれ﹁いや! でも、おれ。勇者についていかなくちゃ⋮⋮﹂
お嬢﹁それも夢?﹂
夢?
夢って
なんだっけ
二七七、王都在住のとるにたらない不定形生物さん︵出張中
未来への
架け橋かな⋮⋮
お嬢﹁でも、それなら話は早いわね。あの子も懐いてるみたいだし﹂
お馬さんのことかな?
けっこう可愛がってるのか⋮⋮
そして
この話の流れは⋮⋮
二七八、連合国在住の現実を生きる小人さん︵出張中
199
お嬢﹁あなたは、どう思う? 勇者サマについて﹂
子狸に背を向けて
てくてくと
鉄格子の前に移動
いよいよか?
いよいよなのか?
子狸﹁⋮⋮ん?﹂
子狸さん
勇者よりも
まず話の流れに
ついていきましょうね
お嬢﹁わたしたちにとってはね、邪魔者なの。どちらかと言えば、
魔王がだけれど﹂
こいつは⋮⋮
おい
王国の
二七九、王国在住の現実を生きる小人さん
おう
準備しておく
200
二八0、王都在住のとるにたらない不定形生物さん︵出張中
頼んだ
おれは
念のために
標的指定の守護魔法を
子狸にかける
お嬢﹁だから、今回はチャンスなの。お父さまもお喜びになってら
したわ﹂
二八一、連合国在住の現実を生きる小人さん︵出張中
肩越しに
子狸を振り返り
お嬢﹁あ、言い忘れてたけど﹂
聖☆剣☆疾☆走
お嬢﹁わたし、勇者さまだから。口のききかたには気をつけてね?﹂
ひゅー!
鉄格子を
ものともしねーぜ!
201
お前ら
作戦再開!
二八二、管理人だよ
えっと⋮⋮
ごめん
ちょっと待って
聖剣?
この子が勇者なの?
女の子なんだけど⋮⋮
あ
本当は男の子なのかな⋮⋮?
ちょっぴり
ショックです
と本心を打ち明けます
二八三、海底洞窟在住のとるにたらない不定形生物さん
大丈夫
お前の大好きな
女の子です
202
と子狸の鋭気を養います
二八四、連合国在住の現実を生きる小人さん︵出張中
鉄格子を
あめみたいに切断して
牢屋の外に出てきた
勇者が
寝ているおれに
歩み寄り
聖☆剣を突きつけます
勇者﹁起こして﹂
と
子狸に
おれの覚醒を促します
子狸﹁あ、うん﹂
勇者のあとに続いて
巣穴を出てきた
子狸が
魔法で
などと
おれたちのプランに
気がついてくれるはずもなく
203
ふつうに
おれの肩を揺すります
それだと
お前にやらせる意味がないだろ
と
おれは内心でツッコミます
勇者﹁⋮⋮まあいいけど﹂
早くも
勇者は諦め気味です
諦めんなよ!
と
おれは内心でエールを送ります
とりあえず
仕方ないので起きます
おれ﹁⋮⋮う?﹂
間近で見る聖☆剣は
意外とまぶしくない
と
お前らに報告します
二八五、王都在住のとるにたらない不定形生物さん︵出張中
204
何回か
それで失敗しているので
学習の成果です
と胸を張ります
今回は
具がないので
少し不安でしたが
うまく行ったようで何よりです
ところで
お前
脅されてますけど
大丈夫ですか?
勇者﹁言いなさい。魔王はどこにいるの?﹂
205
﹁勇者さんの
注釈
・魔物
漢
を見たい﹂part6︵後書き︶
人類の天敵とされる、高い知性を有する不思議な生き物たち。人
語を解し、ときに狡猾な手段を用いて人間を襲う。
死骸は残らず、致命傷を負うと肉体が消滅するということになっ
ている。魔法との関連性があるのではないか⋮⋮と言われている。
ときおり魔王とかいうのが登場する。魔王の言うことを、魔物は
ホイホイと聞く。きっと魔物の親玉なのだろうなあ⋮⋮どうだろう
なあ⋮⋮。
国家間の情勢が怪しくなると魔王が出てくるので、負の感情が凝
り固まったものなのかなあ? どうなんでしょ⋮⋮。
そんな魔物たちの普段の暮らしぶりは、なかなかどうして謎に包
まれていて興味深い。動物たちとはわりと仲良くやっているらしい。
以下の内容は、バウマフ家と各国首脳陣︵一部︶が理解している
こと。
じつは不老不死の存在である。ひとりひとりの担当地区が広大で
あるため何かと誤解されがちだが、言うほど個体数は多くない。
狭義における﹁生物﹂とは一線を画し、その正体は魔法そのもの
だったりする。
およそ千年前にバウマフ家の先祖︵開祖と呼ばれる︶が﹁魔法に
心を与えた﹂ことで、うっかり誕生した。
つまり意思を持った﹁魔法﹂であるため、人間が扱えないレベル
の高度な魔法を難なく操れる。しかも無詠唱。
206
寿命という概念がないため、何より退屈を嫌い、人類への干渉を
度重ね行ってきた。
当初は善行をメインにしていたのだが、おもにバウマフ家を熱く
見守っていたため、ツッコミすぎて人格が多少︵?︶歪む。
やがてバウマフさんちのひとが怒らない範囲でよそさまにちょっ
かいを出しはじめ、ふと気が付けば不倶戴天ポジションをゲットし
ていた。
リアクションが面白いから、つい⋮⋮と本人たちは自供している。
しかし反省はしなかった。
・夢
未来への架け橋である。
207
﹁勇者さんの
漢
を見たい﹂part7
二八六、連合国在住の現実を生きる小人さん︵出張中
なるほど
たしかに
おれたちに訊くのが一番だな
だが
多少は頭が回るとはいえ
しょせんは子供だな
と
おれは内心であざ笑います
おれ﹁それはな⋮⋮﹂
勇者﹁それは?﹂
おれ﹁ばかめ!﹂
と
地面に転がっている
マイこん棒を拾って
反撃ののろしを上げます!
二八七、海底洞窟在住のとるにたらない不定形生物さん
208
おれたち☆魔物!
二八八、管理人だよ
お前ら☆魔物!
二八九、海底都市在住のごく平凡な人魚さん
ひゅーひゅー!
二九0、連合国在住の現実を生きる小人さん︵出張中
お前らが歌ってる間に
おれ一刀両断されました
と
お前らに報告します
二九一、管理人だよ
おれは
ちゃんと見てたよ!
こん棒
切られなくて良かったね
209
二九二、連合国在住の現実を生きる小人さん︵出張中
お前
おれたちに対してだけは
ときどき毒を吐きますね⋮⋮
ステルスモードに移行
青いひとと合流します
二九三、王都在住のとるにたらない不定形生物さん︵出張中
鬼のひとと合流しました
ハイタッチして友情を再確認します
鬼のひとを
打ち破った勇者は
マントをひるがえして
聖☆剣を仕舞います
勇者﹁主人に義理立て? 下らない⋮⋮﹂
と
吐き捨てて
来た道を
戻りはじめました
なんとなく
ついて歩く子狸に
感心したようです
210
勇者﹁その調子よ。あとは、そうね⋮⋮こういう暗いところ、わた
し苦手なの。先に立って歩くこと﹂
ひょっとして自分に気があるのでは?
と勘違いした子狸が
はりきって提案します
子狸﹁まかせて! あ、そうだ、明かりつける? おれ、発光の魔
法はけっこう得意なんだ﹂
おれ
ちょっと泣けてきた⋮⋮
と
お前らに悲哀を訴えます
勇者﹁うるさい。なんのために、わたしが剣を仕舞ったと思ってる
の?﹂
子狸﹁⋮⋮鞘に入らないから?﹂
勇者﹁あなたと話してると、退屈しないわ﹂
二九四、帝国在住の現実を生きる小人さん︵出張中
何やら物音が聞こえたという設定で
マイこん棒を構えて
洞窟内部に侵入します
211
二九五、王国在住の現実を生きる小人さん
焚き火の見張り番という各目で
洞窟の外で待機します
あえて戦力を分断するのが
ニクい演出です
と自画自賛します
二九六、連合国在住の現実を生きる小人さん︵出張中
勇者﹁外にも二体いるの。こっちの居場所を教えてもトクすること、
ないでしょ?﹂
子狸﹁そっか。君、頭いいんだね﹂
お前
会うひと会うひとに
そう言ってるじゃねーか⋮⋮
と内心でツッコミます
勇者﹁⋮⋮そう? ありがと﹂
勇者も呆れてます
勇者﹁ところで、さっきも言ったけど、その口のききかた⋮⋮﹂
子狸﹁あ、もうひとり来たよ﹂
212
お前ら
帝国のの
奮闘に刮目せよ
とプレッシャーをかけます
二九七、帝国在住の現実を生きる小人さん︵出張中
ていうか
会話が丸聞こえなんだよぉ⋮⋮
なんで
おれのときだけ
こんな試されるようなシチュエーションなの?
と不平等を嘆きつつ
おれ﹁貴様ら⋮⋮!?﹂
誤魔化しようがない距離なので
こん棒を振り回しながら
勇者と子狸に向かって
駆け出します
二九八、王都在住のとるにたらない不定形生物さん︵出張中
由緒正しい亜人走りで近寄ってくる鬼のひとに
勇者は
子狸の耳元で囁きます
213
勇者﹁撃って﹂
後ろから両肩を支えられて
どぎまぎしている子狸さんには
申し訳ありませんが
お前
どう見ても
盾にされてますよ?
二九九、管理人だよ
なんで
女の人って
こういうとき
みんな
おれを盾にするんだろう⋮⋮?
撃ちますね
おれ﹁チク・タク・ディグ!﹂
三00、帝国在住の現実を生きる小人さん︵出張中
避けますね
子狸の指先から放たれる空気弾
214
迫り来る空気の弾丸を
おれ跳躍し
華麗に回避します
三0一、管理人だよ
跳んだ!?
なんで避けるの!?
レベル1が
やっていい動きじゃないでしょ⋮⋮
おれ﹁ディグ! ディグ!﹂
三0二、帝国在住の現実を生きる小人さん︵出張中
連射⋮⋮だと?
子狸め
すっかり
大きくなりやがって⋮⋮
と
感涙にむせびつつ
空中で身をひねって
全弾回避します
子狸﹁ちょっ⋮⋮!﹂
215
人間にやられるのは
本望なのですが
お前にやられるのは
なんか
納得いきません⋮⋮
軽やかな身のこなしで
着地し
じりじりと間合いを詰めます
おれ﹁お前とおれ、どちらが正しいか。つまりはそういうことだ⋮
⋮﹂
三0三、管理人だよ
おれ﹁⋮⋮手を出さないで。おれがやる。おれがやらなくちゃ、だ
めなんだ⋮⋮!﹂
じりじりと回り込みながら
全身に魔☆力をみなぎらせます⋮⋮!
三0四、帝国在住の現実を生きる小人さん︵出張中
おれ﹁そうだ、それでいい。そうでなければならない⋮⋮﹂
マイこん棒を水平に構えて
おれ考案の最強ポーズをとります
216
三0五、管理人だよ
おれ﹁⋮⋮違う出逢い方をしてたなら、おれたち⋮⋮﹂
お前﹁意味のない仮定だ﹂
おれ﹁意味なんてっ⋮⋮!﹂
三0六、帝国在住の現実を生きる小人さん︵出張中
おれ﹁言うな! お前は⋮⋮人間だ。おれたちとは、違う⋮⋮﹂
お前﹁そんなのっ⋮⋮!﹂
おれ﹁来い⋮⋮!﹂
お前﹁この、わからず屋!﹂
三0七、連合国在住の現実を生きる小人さん︵出張中
ファイナルバトルに突入したお前らには悪いんだけど⋮⋮
勇者さん
お前らの横を
通過していきましたよ?
と
217
言っても無駄だろうなと
なかば確信しつつも
健気に忠告します
お前ら﹁うおおおおおっ!﹂
ですよね
はいはい
空気を読めなくて
ごめんなさいね
青いひととの別れを惜しみつつ
勇者の
あとを追います
三0八、王国在住の現実を生きる小人さん
その手があったか⋮⋮
三0九、海底洞窟在住のとるにたらない不定形生物さん
おーい
主催
お前は
あっちに行ってくれるなよ?
218
三一0、海底都市在住のごく平凡な人魚さん
まさかの
子狸☆離脱
三一一、王都在住のとるにたらない不定形生物さん︵出張中
正直
すまん
おれの育て方が悪かった⋮⋮
お前ら
あとは任せた
例の件だが
責任は
子狸が取る
三一二、王国在住の現実を生きる小人さん
了解
お前ら
お遊びは
これまでです
219
焚き火に
薪をくべながら
おれは言います
おれ﹁やはり貴様がそうなのか﹂
背中で語るおれに
洞窟から出てきた勇者が
ぴたりと足を止めました
勇者﹁残るはあなただけよ﹂
おれは
ゆっくりと立ち上がり
焚き火を踏み消します
おれ﹁違うな﹂
そして
おもむろに振り返ると
片手を上げます
おれ﹁大人しく精霊の宝剣を渡してもらおう﹂
背後の森から
姿を現す
おれ
と
220
おれ
勇者﹁⋮⋮渡せと言われても、そんなもの知らないわ﹂
おれ﹁それも違う。精霊に何を言われたのかは知らんが⋮⋮浅はか
だったな。すぐに後悔することになる。すぐにな⋮⋮﹂
樹上から飛び降りてくる
おれ
一斉に立ち上がる
周囲の茂みに潜んでいた
おれ
おれ
おれ
おれ⋮⋮
総勢
20人
全部おれ!
おれ﹁かかれ!﹂
おれAの号令に従い
おれB∼Uが
ところ狭しと
勇者に
221
殺到します
三一三、連合国在住の現実を生きる小人さん︵出張中
勇者﹁小賢しい真似を⋮⋮﹂
おや?
勇者の様子が⋮⋮
勇者﹁このわたしを⋮⋮罠に⋮⋮﹂
すとんと
表情が落ちました
と
お前らに報告します
三一四、王国在住の現実を生きる小人さん
聖☆剣☆抜☆刀
発動と同時に
おれC
おれD
おれE
は
帰らぬひととなりました
222
おれB
おれF
で
連携攻撃を
仕掛けます
三一五、連合国在住の現実を生きる小人さん︵出張中
勇者は
一向にひるみません
おい
聞いてた話と
違います
王国のの
連携攻撃を
ものともしてません
三一六、海底洞窟在住のとるにたらない不定形生物さん
待て
見極める
波状攻撃してみてくれ
三一七、王国在住の現実を生きる小人さん
223
了解
おれF
反撃で召されました
おれB
いったん後退
おれG
おれH
と合流し再突入
おれI
おれJ
時間差で突撃
なんだ?
なんで
当たらない?
剣の扱いも
身のこなしも
大雑把なのに
妙に余裕がある
目がいいのか?
三一八、連合国在住の現実を生きる小人さん︵出張中
224
いや
バランスがいいんだ
体勢が崩れない
見たことのない
剣術だな
しいていうなら
昔の剣士の
我流剣術に近いが⋮⋮
違うな
なんだ?
なんか⋮⋮
おい
人間の動きじゃない
速いとかじゃなくて
正確すぎる
三一九、海底洞窟のとるにたらない不定形生物さん
おい
訓練で身につくような
技じゃないぞ
225
それどころか
技ですらない
才能とか
そういう次元でもない
こいつは⋮⋮
おい
王都の!
三二0、王都在住のとるにたらない不定形生物さん︵出張中
アリア家か!?
三二一、王国在住の現実を生きる小人さん
アリア家!?
三二二、帝国在住の現実を生きる小人さん︵出張中
アリア家!?
三二三、管理人だよ
あの子
226
アリアさんっていうの?
三二四、連合国在住の現実を生きる小人さん︵出張中
あのアリア家⋮⋮かよ
三二五、王都在住のとるにたらない不定形生物さん︵出張中
最悪だ⋮⋮
宰相
あいつ⋮⋮
関わり合いになるのを
避けたな!?
海底の!
至急
他のひとたちに連絡を
今回の勇者は
王国の
黒幕だ⋮⋮!
227
﹁勇者さんの
登場人物紹介
・勇者さん
漢
を見たい﹂part7︵後書き︶
王国の大貴族、アリア家の令嬢。
父に命じられて領地を見回っていたところ、青いひとに魔法レベ
ルを開放されて聖☆剣の保持者となる。
それまでの経緯がひどかったため、魔王が復活したと勘違いして
旅に出た。
勇者という存在に懐疑の念を抱いているが、自分が勇者になるぶ
んは構わないらしい。
典型的すぎて逆に珍しいほど貴族貴族していて、完全に平民を見
下している。
アリア家というのは、代々王家に仕える重臣の家柄だが、そのじ
つ王国の王座を虎視眈々と狙う﹁謎の黒幕﹂ポジションの大御所で
ある。
帝国との戦端を開こうとしたり、内乱の糸を引いたりと健気にが
んばってきた。
そんなことを先祖代々繰り返してきたので、遺伝子レベルで感情
の在り方が独自の方向に突き進んでいるらしい。
剣士としての技量や身体能力そのものは飛び抜けて優れているわ
けではないが、自在に感情を除外できるため、怒りや恐怖に左右さ
れることがない。
子狸いわく﹁ちょっと可愛い﹂容姿をしているとのこと。
228
注釈
・全部おれ
正式名称は分身魔法。オリジナルと同等の能力を持ったコピーを、
いくらでも増殖できる反則的な魔法である。
バウマフ家の人間がいないところでこれをやると引っ込みがつか
なくなるため、禁じ手のひとつとされている。
とくにレベル3以上の魔物が﹁全部おれ﹂すると、人間側の心が
折れてしまう。
取り締まりを行っているのは通称﹁ファイブスターズ﹂と呼ばれ
る最高位の魔物たちで、そこには多分に妬みの気持ちも混ざってい
るようだ。
229
﹁勇者さんの
漢
を見たい﹂part8
三二六、海底洞窟在住のとるにたらない不定形生物さん
これまでの☆あらすじ
哀しみを胸に
鬼のひととの決戦に赴く子狸
一方その頃
鬼のひとの
全部おれが
勇者さんに牙を剥く⋮⋮!
やがて
戦いの中
ついに真の実力を発揮する勇者さん
なんと彼女は
あの悪名高き
アリア家のお嬢さまだったのです⋮⋮
こんな感じで行ってくる
230
三二七、王都在住のとるにたらない不定形生物さん︵出張中
おう。頼んだ
しかし、どうしたものか⋮⋮
正直、おれとしては
アリア家の人間と
子狸が一緒にいることに
不安を覚える
もう少し具体的に言うと
気分を害したからといって
殺されても困る
今からでも遅くないだろう⋮⋮
謎の覆面戦士ルートに路線を切り替えるか?
三二八、帝国在住の現実を生きる小人さん︵出張中
つまり
子狸には
ここで死んでもらうわけだな?
おれは
一向に構わないぜ
三二九、管理人だよ
231
おい
おい。お前ら
そうやって
事あるごとに
おれを殺そうとするのは
やめてくれませんか?
アリア家ってのが
なんなのか知らないけどさ
だからって
子供が親に似るとは限らないだろ?
おれは
彼女を信じたい
三三0、連合国在住の現実を生きる小人さん︵出張中
お前が言うと説得力あるな
さすが、鷹から生まれた鳶の言うことは違う
でも、本当にいいの?
お前
自分で思ってるほど
232
人を見る目ないよ?
三三一、管理人だよ
え?
なに言ってるの?
おれだって
大きくなったら
きっと父さんみたいになるよ
人を見る目
あるし!
三三二、帝国在住の現実を生きる小人さん︵出張中
じゃあ
エロ狸さんの強い希望により
続行ということで
ステルスモードに移行
子狸を連れて
洞窟内部を移動します
三三三、王国在住の現実を生きる小人さん
233
おれK
おれL
おれM
完全に沈黙しました
一対多を想定した剣術だけど
同時に捌けるのは三人が限度だな
それでも
年齢を考慮に入れると
かなりのもの
まあ、聖☆剣の性能によるところが大きいんだけど
と、お前らに報告します
三三四、王都在住のとるにたらない不定形生物さん︵出張中
切れ味は言うに及ばず
重量がないし
多少は変形できる
経験を積めば、さらに上を狙える
歴代最強の勇者になるかもしれんな⋮⋮
三三五、連合国在住の現実を生きる小人さん︵出張中
234
だが
いまはまだ
しょせん
ひよっ子
意思力も技術も
光るものはある
が
体力がない
肩で息をしはじめた勇者に
お前らチャンスです
と、フィナーレへ向けて王国と帝国の橋渡しを担います
三三六、王国在住の現実を生きる小人さん
帝国の!
三三七、帝国在住の現実を生きる小人さん︵出張中
おう!
子狸、見えるな?
いまから王国のが合図を出す
235
そうしたら撃て
勇者には当てるなよ
わかるな?
颯爽とおれ参上パターンだ
練習の成果を出すんだ
おい。お馬さんと戯れてる場合か
三三八、管理人だよ
おう!
違うよ
このひと
なんか
やたらと
おれに構ってくる
なんなの?
三三九、王国在住の現実を生きる小人さん
おれ﹁なるほど。それが精霊の⋮⋮なるほど。たしかに⋮⋮人間に
は余る力のようだ﹂
勇者﹁⋮⋮次は、あなたの、番ね﹂
236
おれ﹁そうだな。認めよう。予想以上だった﹂
残存戦力の
おれA
おれB
おれJ
おれU
を扇状に展開します
おれ﹁そして、十分だった。もはや余力は残っていまい⋮⋮終わり
だ。勇者よ﹂
等間隔を保ったまま
一斉に勇者へと襲いかかります
いまだ!
三四0、管理人だよ
おう!
おれ﹁チク・タク・ラルド・ディグひゃっ!?﹂
あ
三四一、帝国在住の現実を生きる小人さん︵出張中
子狸さん
237
一世一代の見せ場シリーズ
別アングルから
もう一度
勇者の危機に
おれたちの子狸さんが立ち上がる!
子狸﹁チク︵圧縮︶・タク︵固定︶・ラルド︵拡大︶・ディグ︵射
出︶ひゃっ︵奇声︶!?﹂
お馬さんに
わき腹をぐりぐりされて
まさかの大暴投でした
三四二、王国在住の現実を生きる小人さん︵出張中
おれA跳躍!
神がかった反射速度で
頭上を飛び越してゆく子狸の魔法を
インターセプトします!
おれ﹁ぐふうっ!﹂
勇者﹁⋮⋮!﹂
これをチャンスと見た勇者が
おれBを撃破し、包囲を脱出
238
必勝の陣形を崩されて戸惑う
おれJと
おれUを
立て続けに聖☆剣の餌食にします
さらに
子狸の魔法で吹っ飛んだおれに
素早く詰め寄り、聖☆剣を突きつけます
勇者﹁形勢逆転ね﹂
あなたが思ってる以上に
形勢逆転してますけどね⋮⋮
まったく
最後まで
ひやひやさせやがって
子狸ぃ⋮⋮
三四三、管理人だよ
おれのせい!?
だってお馬さんが⋮⋮
あれ?
この剣、あの子の?
239
三四四、連合国在住の現実を生きる小人さん︵出張中
おう
当初の予定では
お前を連れた勇者が
こっそり脱走することになってたから
荷物一式を
お馬さんに預けておいたんだ
勇者﹁最後のチャンスをあげる。言いなさい。誰に言われて、わた
しを待ち伏せしたの?﹂
精いっぱい威厳を保とうとしてるけど
ブラフだな
最後の力を振り絞ったんだろう
足がガクガクいっとる
しかし、なんとかなったな
三四五、王国在住の現実を生きる小人さん
おう。一時はどうなることかと思ったぜ
さて、どうする?
もう、この際だし
240
魔王に命令されたって
はっきり言っちゃうか?
三四六、空中庭園在住のとるにたらない不定形生物さん
いや、ボカしておいてくれ
三四七、王都在住のとるにたらない不定形生物さん︵出張中
お。庭園の
何か考えでも?
三四八、空中庭園在住のとるにたらない不定形生物さん
おう。他のひとたちと
いろいろと相談した結果
今回は中ボスを登場させようということになった
そういうわけだから
鬼のひと、頼む
三四九、王国在住の現実を生きる小人さん
おう
241
じゃあこうだ
おれ﹁ま、待て。焦るな。⋮⋮言えば見逃してくれるのか?﹂
勇者﹁約束は守るわ。誇りに賭けて﹂
おれ﹁⋮⋮よし。いいだろう。細かい経緯は知らないが、先日お前
はおれとは別の種族と遭遇し、そこで精霊と出会い宝剣を授かった。
そうだな?﹂
勇者﹁いいから。続きを﹂
おれ﹁待てって。おい、剣先を近づけるな。わかった。言う﹂
今更だけど
魔物を脅して情報収集って
勇者がやっていいことじゃないですよね⋮⋮
おれ﹁そいつもそうだが、おれたちは精霊の捜索を命じられて、ず
っと前から動いてたんだ﹂
勇者﹁⋮⋮精霊ね﹂
おれ﹁おう。おれたちに命令したのは⋮⋮﹂
あれ?
魔王の側近って言っちゃっていいの?
242
三五0、空中庭園在住のとるにたらない不定形生物さん
すまん
そこらへんの設定は
まだ詰めてない
悪いが
うまく誤魔化してくれ
三五一、王国在住の現実を生きる小人さん
難易度、高いな⋮⋮
わかった
やってみる
が
最悪、口封じで
おれを殺してくれ
三五二、王都在住のとるにたらない不定形生物さん︵出張中
おう。いつものやつだな
任せろ
合図を出してもらえれば
紅蓮の炎で
243
お前を彩る
三五三、王国在住の現実を生きる小人さん
おう。そのときは派手に頼む
おれ﹁⋮⋮本当に見逃してくれるのか?﹂
勇者﹁二言はないわ﹂
本当かよ?
疑わしいもんだぜ
アリア家の口約束とか
まったく当てにならん
おれ﹁⋮⋮おれも詳しくは知らないが、高位の魔物だ。逆らえば命
はなかった﹂
勇者﹁姿形は?﹂
まあ、そう来るよな⋮⋮
どうする?
三五四、空中庭園在住のとるにたらない不定形生物さん
問題ない
244
お前﹁黒装束の騎士みたいな格好をしていた﹂
これで頼む
三五五、王国在住の現実を生きる小人さん
おう。なかなかいいデザインだな
言ったぞ
勇者﹁そう。じゃあ、さよなら﹂
はいはい
用済み用済み⋮⋮
誰だよ
子供が親に似るとは限らないとか言ったやつは⋮⋮
あ、子狸さんでしたね
これは失礼
おれ﹁き、貴様⋮⋮﹂
勇者﹁常識的に考えなさい。あなたを見逃して、わたしになんのメ
リットがあるの?﹂
三五六、管理人だよ
245
でも
お前ら
死なないし
三五七、王国在住の現実を生きる小人さん
それ、お前の中での常識だからな?
まあ、わかるよ
ある種の無邪気な残酷さが
勇者には必須
前々回の勇者は散々だったからな
そういう意味では適任なのかもしれん
おれ﹁おの、れ⋮⋮﹂
とりあえず
断末魔って
おれ退場しとく
おつかれ
結果だけ見れば
目標達成したし
幸先のいいスタートだな!
246
お前ら
ありがとう!
三五八、連合国在住の現実を生きる小人さん︵出張中
おう。おつかれ
おれも
あんまり長い間
担当地区を離れると
祖国の騎士団の方々が
迷子になるから
いったん戻るわ
三五九、帝国在住の現実を生きる小人さん︵出張中
おれは、どうするかな
今日のスケジュールは
丸々一日
空けておいたし
地道に祖国の街道沿いで
ライフワークに励むとするか
おつかれ!
247
三六0、海底都市在住のごく平凡な人魚さん
おつかれ
子狸、お前
可愛いな
今度
おれの家に
遊びに来いよ
三六一、管理人だよ
行きます
三六二、空中庭園在住のとるにたらない不定形生物さん
おつかれ
海のひと
お願いだから
子狸に妙なこと吹き込まないで下さい⋮⋮
子狸さんが
死んじゃう
三六三、王都在住のとるにたらない不定形生物さん︵出張中
248
おつかれ
追伸
聖☆剣を宙に散らした勇者さんが
お馬さんと子狸に歩み寄る
勇者﹁無駄な時間を過ごしたわ。行きましょ﹂
子狸﹁うん。あ、でも、おれ馬に乗ったことないんだけど⋮⋮﹂
相乗りする気
満々の子狸を
勇者さんが切って捨てる
勇者﹁じゃあ、あなたは野宿ね。日が暮れる前に街につかないと、
門の中に入れてもらえないわよ﹂
子狸﹁それは慣れてるから大丈夫なんだけど⋮⋮。街で合流するの
?﹂
勇者﹁⋮⋮それだと意味がないでしょ﹂
子狸に皮肉は通用しない
勇者﹁仕方ないわね⋮⋮。後ろに乗りなさい。変なところさわった
ら、首だからね﹂
子狸﹁はい﹂
249
下心を悟られないよう
子狸は表情を引き締めた!
子狸﹁あ、そうだ。これ﹂
自分が座るスペースを確保するために
子狸はお馬さんの荷物から剣を取り出して
勇者さんに手渡す
受け取った剣を
勇者さんは慣れた仕草で鞘に収納する
勇者﹁ありがと。それとね、わたしが勇者って、他の人には内緒だ
から﹂
子狸﹁え、そうなの? じゃあ、君のこと、なんて呼べばいい?﹂
一向にタメ口を改めない子狸に
勇者さんは一計を案じる
勇者﹁⋮⋮あなたの名前は?﹂
子狸﹁? おれはノロ。ノロ・バウマフ﹂
勇者﹁わたしは、アレイシアン・アジェステ・アリア。お嬢さまと
呼びなさい。いいわね?﹂
子狸﹁うん! わかった﹂
250
勇者﹁だめだ、こいつ⋮⋮﹂
こうして
旅の一行に
まんまと加わった
子狸
お前の明日が
不安でならない
251
﹁勇者さんの
注釈
・詠唱
漢
を見たい﹂part8︵後書き︶
魔法には原始的な意思があり、術者が﹁こうして下さい﹂と指示
を出すことで、はじめて魔法が発動する。
その意思表示にあたるのが、魔法使いの﹁詠唱﹂である。
攻撃魔法などは叫ぶことで威力が上がるとされているが、それは
誤り。
イメージに偏りがあるから結果的にそうなるだけで、イメージさ
え完璧であれば叫ぶ必要はまったくない。
ただし、完璧なイメージを構築できる人間はめったにいないので、
あながち嘘とも言い切れない。
これまでに度々登場した﹁詠唱破棄﹂というのは魔法の一種で、
文字通り﹁詠唱を捨て去る﹂ことができる。
本来ならば必須の詠唱を﹁なかったことにする﹂高度な魔法であ
る。
人間の開放レベルが3に対して、詠唱破棄はレベル4にあたるた
め、魔物の助力なくして人間が詠唱を破棄することは不可能だ。
・首
おそらく失職という意味ではない。
252
﹁お前らおれの身分を証明できるもの持ってる?﹂
一、管理人だよ
お前ら
おれの身分を証明できるもの
持ってる?
二、かまくら在住のとるにたらない不定形生物さん
さあ、いよいよはじまりました
魔王討伐の旅シリーズ子狸編
三、海底洞窟在住のとるにたらない不定形生物さん
漢
を見たい
なお、当シリーズは
勇者さんの
の流れを汲んでますので
あしからず
四、空中庭園在住のとるにたらない不定形生物さん
253
おれ
夢があってさ
子狸さんが
文句のつけようもないくらい
びしっと完璧にシナリオをこなして
子狸﹁何も問題はない﹂
って言うのを
一度でいいから見てみたいんだよね⋮⋮
五、火口付近在住のとるにたらない不定形生物さん
流されてきました
でも子狸は
大きくなったら
お屋形さまみたいになるらしいぜ⋮⋮?
︵本人談︶
六、山腹巣穴在住のとるにたらない不定形生物さん
何それ怖い⋮⋮
人間って成長すると
原子配列変換とかしちゃうの?
254
七、かまくら在住のとるにたらない不定形生物さん
母親似ってわけでもないしなぁ⋮⋮
で、王都の
何があった
八、王都在住のとるにたらない不定形生物さん︵出張中
お前ら反応早いな⋮⋮
いや、大した事件でもないんだが
お前らもご存知かと思いますが
人間という生き物は何かと壁を作りたがる
だから小さな村ならともかく
街という街は街壁で覆われてる
九、山腹巣穴在住のとるにたらない不定形生物さん
おう
おれたち対策だな
長年ちまちまと街攻めした甲斐があったわ
255
一0、王国在住の現実を生きる小人さん
じつはデメリットのほうが大きいんだけどな
財政を管理してる領主からしてみると
おれたちと戦うのがいちばん嫌らしい
なんの旨味もないからな
一一、王都在住のとるにたらない不定形生物さん︵出張中
おう
で、我らが勇者一行は
とくに問題なく街についたわけだが
いや、正確には
ちょっと気になる女の子と
なんとか会話しようとした
子狸の涙ぐましい努力があったのだが
適当に相槌を打たれて終わったので
省略する
一二、管理人だよ
べつにそういうんじゃないよ
一緒に旅をする仲間なんだから
256
仲良くしておいたほうがいいだろ
一三、王都在住のとるにたらない不定形生物さん︵出張中
はいはい
で、街の入口には門があって
そこでは騎士が検問をしてる
身分証明書を見せるよう
要求されるわけだな
勇者さんは問題なかった
腰に差してる剣の柄尻に
家紋が彫られているらしい
まあ、旅装とはいえ
布の生地からして平民とは違うからな
騎士の対応も丁寧なものだった
貴族の連れだし
子狸も問題なく通れる筈だったんだが⋮⋮
騎士﹁⋮⋮あの、マントが不自然に膨らんでいるんですが﹂
勇者﹁⋮⋮⋮⋮﹂
257
念のために訊いておく
どうしてお前は
勇者さんのマントに
とっさに隠れたんですか?
一四、管理人だよ
騎士
怖い
一五、連合国在住の現実を生きる小人さん
ああ
そういえば、そんな設定もあったな
一六、空中庭園在住のとるにたらない不定形生物さん
とりあえず
満を持してツッコむけど
おれたちが
お前の身分証明書を持ってたら
おかしいだろ?
一七、王都在住のとるにたらない不定形生物さん︵出張中
258
勇者﹁⋮⋮⋮⋮﹂
無言でマントを引っ張る勇者さん
子狸﹁あ!﹂
巣穴を失う子狸
騎士と目が合う
子狸﹁ち、違うんです! 今日はたまたま! お、おれは何も⋮⋮﹂
素早く目線を逸らす子狸
何も言われてないのに
無実を主張しはじめる
騎士﹁⋮⋮⋮⋮﹂
一八、管理人だよ
騎士﹁⋮⋮お知り合いですか?﹂
勇者﹁いいえ﹂
おれ﹁!?﹂
パーティー解散の危機!
お前ら
259
助けて!
一九、かまくら在住のとるにたらない不定形生物さん
早いな、おい⋮⋮
怒涛の展開に
おれ唖然
二0、火口付近在住のとるにたらない不定形生物さん
せめて
平民を虐げる貴族の在り方を問う
みたいな風刺的なイベントを挟んでほしかった
っていうのは、おれのわがままなの?
二一、山腹巣穴在住のとるにたらない不定形生物さん
わかるよ
子狸と喧嘩した勇者さんが
宿屋で一人
勇者﹁なによ、あのばか⋮⋮﹂
みたいなね
260
二二、管理人だよ
何それ
ちょっとときめいた
二三、王都在住のとるにたらない不定形生物さん︵出張中
おい。ときめいてる場合か
騎士﹁⋮⋮ちょっと一緒に来てくれる?﹂
おい。連行されそうになっとる
子狸﹁あ、はい⋮⋮﹂
連行された⋮⋮
勇者﹁⋮⋮⋮⋮﹂
261
﹁お前らおれの身分を証明できるもの持ってる?﹂︵後書き︶
注釈
・魔王討伐の旅シリーズ
勇者が旅立ち、魔王を倒すまでの一連のシナリオは、魔物たちに
とって一大事業である。
そのため、関連する河を閲覧しやすいよう一括して編集、および
保管してある。
今回の﹁子狸編﹂を例に挙げるなら、﹁うっかり勇者誕生編﹂と
﹁うっかり勇者旅立ち編﹂の二編が正統なシリーズにあたる。
・身分証明書
街と街を行き来する商人等は、街を出入りする際に貨物のチェッ
クと身分証明書の提示を求められる。
一部の貴族が持つ﹁剣﹂は、完全なオーダーメイド品である。
戦争の主軸が﹁武器﹂から﹁魔法﹂へシフトするにつれて、﹁剣﹂
や﹁槍﹂などの鋳造技術が失われたためだ。
よって﹁剣術﹂を伝える貴族は、専門の鍛冶職人を召し抱えて、
剣を打ち鍛えさせている。
剣の柄尻に家紋を刻むのは、大貴族のステイタスみたいなもの。
政治の形態が異なる帝国や連合国においては、そもそも剣士がい
ない。
262
﹁子狸さんが巣穴を探しているようです﹂part1
二四、王都在住のとるにたらない不定形生物さん︵出張中
ところで
少し哲学的な話になるんだが構わないか?
二五、空中庭園在住のとるにたらない不定形生物さん
うむ⋮⋮
少しの間なら構わないだろう
二六、王国在住の現実を生きる小人さん
前回は
星の成り立ちについてだったな
今回はなんだ?
二七、王都在住のとるにたらない不定形生物さん︵出張中
おう
すまんな
263
今回の議題は
神に円を描かせたらどうなるか? だ
二八、火口付近在住のとるにたらない不定形生物さん
ふむ⋮⋮
二九、かまくら在住のとるにたらない不定形生物さん
ふむ⋮⋮
三0、海底洞窟在住のとるにたらない不定形生物さん
ふむ⋮⋮
三一、王都在住のとるにたらない不定形生物さん︵出張中
つまりだな
この世に完全な円というものは存在しない
どれだけ完全に見えようとも
突き詰めて考えれば
それは多角形にすぎんのだな
三二、帝国在住の現実を生きる小人さん
264
ふむ⋮⋮
三三、連合国在住の現実を生きる小人さん
ふむ⋮⋮
三四、王都在住のとるにたらない不定形生物さん︵出張中
しかしだ
頭の中で円を描くのは
さして難しくない
だが
果たしてそれは本当に
完全な円なのか否か⋮⋮
三五、山腹巣穴在住のとるにたらない不定形生物さん
なるほど
さっぱりわからん
一、王都在住のとるにたらない不定形生物さん︵出張中
魔
265
王
討
伐
の
旅
シリーズ
子
狸
編
子狸さんが
巣穴を
探しているようです
二、かまくら在住のとるにたらない不定形生物さん
さあ、いよいよはじまりました
魔王討伐の旅シリーズ子狸編
三、王国在住の現実を生きる小人さん
実況の青いひと
勇者さんと子狸の様子はどうですか?
266
四、王都在住のとるにたらない不定形生物さん︵出張中
実況の青いひとです
無事に街についたお二人
昼間から
ちゃんばらをしていた勇者さんは
大変お疲れのようです
勇者﹁ふつうに戻ってきた⋮⋮﹂
お馬さんのくつわを引いて
往来を行く子狸さん
すっかり従者が板についたようですね
子狸﹁え? なに?﹂
日も暮れはじめていますし
どうやらお二人は宿を探しているようです
勇者﹁何を話してたの? 急に人が変わったように見えたけど⋮⋮﹂
子狸﹁?﹂
勇者さんはお疲れのようですね
子狸﹁⋮⋮⋮⋮﹂
267
五、管理人だよ
お前ら
おれに
何かした?
六、火口付近在住のとるにたらない不定形生物さん
え? なにが?
お前ら、何か知ってる?
七、かまくら在住のとるにたらない不定形生物さん
ん?
ああ
しいていうなら
あれじゃないか?
八、山腹巣穴在住のとるにたらない不定形生物さん
おう
268
つまりは
まあ五分五分だが⋮⋮
インテリジェンスの問題だろうな⋮⋮
九、海底洞窟在住のとるにたらない不定形生物さん
ああ
そっちか
だそうです
管理人さん
良かったですね
一0、管理人だよ
おう!
インテリジェンスの問題なら
うん。五分五分だな!
一一、空中庭園在住のとるにたらない不定形生物さん
何この会話⋮⋮
おっと
269
それよりも管理人さん
今日の宿はどうするんですか?
一二、管理人だよ
え、どうだろ
ちょっと訊いてみる
おれ﹁お嬢、今日はどこに泊まるの?﹂
一三、帝国在住の現実を生きる小人さん
消えた尊称
失われた礼儀
一四、連合国在住の現実を生きる小人さん
まあ⋮⋮
ある程度は仕方ないな
お屋形さまの反動もあって
子狸は、各国首脳陣に気に入られてる
身分の差とか
あんまりぴんと来ないんだろう
270
アリア家はどうなんだ?
実情を知らんのか?
娘は知らないようだが⋮⋮
演技の可能性もあるか?
一五、王都在住のとるにたらない不定形生物さん︵出張中
ないな
バウマフ家との接点がないというのもあるんだが
アリア家がいまだに国家転覆を成し遂げていないのは
上に警戒されてるからだ
優秀すぎるのも考えものだな
表向き叛意をまったく見せないから
逆に怪しまれる
一六、空中庭園在住のとるにたらない不定形生物さん
王国の歴史が千年も続いたのは
アリア家の功績が大きいんだろうな
そんじょそこらの小悪党とは
わけが違う
271
一七、王都在住のとるにたらない不定形生物さん︵出張中
勇者﹁お嬢さまでしょ。はい、もう一度﹂
子狸﹁お嬢さま?﹂
勇者﹁今日はどこに泊まりますか。はい﹂
子狸﹁え、おれが決めるの?﹂
勇者﹁⋮⋮本当に首にしようかしら、この子﹂
むしろ、なんで子狸を連れてくことにしたんだ?
子狸
ちょっと訊いてみろよ
ああ
つまり
お前﹁なんで一人旅してたの?﹂
これで通じる
お前は余計なことを考えなくていい
一八、管理人だよ
272
お前ら
ちょっと頭いいからって
おれのことばかだと思ってない?
おれはふつうだからね?
言っとくけど
勇者﹁なんでって、そんなの決まってるでしょ﹂
おれ﹁響きがいいよね、一人旅﹂
勇者﹁もしも、わたしが失敗しても、なかったことにできるもの﹂
ん?
一九、火口付近在住のとるにたらない不定形生物さん
冷静な判断だな⋮⋮
もしくは
とっくのとうにバレてる
どっちだ?
千年もの間、隠し通せるかどうかで言うなら
王都のには悪いけど
おれはないと思う
二0、かまくら在住のとるにたらない不定形生物さん
273
狙いはバウマフ家か?
だが、それなら
お屋形さまの方に話が行くんじゃないか?
二一、海底洞窟在住のとるにたらない不定形生物さん
なんでだ?
あのひとは権力とかまったく興味ないぞ
しかもあきらかに扱いにくい
二二、かまくら在住のとるにたらない不定形生物さん
だからだよ
おれたちの目を掻い潜って
バウマフ家をどうこうってのはまず無理だ
が、お屋形さまが絡んでくるとなると
おれたちは
お屋形さま本人に判断を委ねるところがある
おれもそれでいいと思ってるし
これからもそうだろう
274
二三、山腹巣穴在住のとるにたらない不定形生物さん
あのひとは別格だからな⋮⋮
まあ、さすがに
そこまで内部事情を知られているとは思えないが
いいんじゃないか?
バウマフ家がアリア家に加担するなら
それはそれで
二四、王国在住の現実を生きる小人さん
でも
加担した瞬間に
アリア家の凋落が
はじまると思うんだ⋮⋮
二五、火口付近在住のとるにたらない不定形生物さん
それもそうだな
二六、かまくら在住のとるにたらない不定形生物さん
それもそうだな
275
二七、山腹巣穴在住のとるにたらない不定形生物さん
それもそうだな
むしろ関わってる時点で危ないわ
アリア家は
やっぱり何も知らないんだなぁ⋮⋮
ってことでよろし?
二八、連合国在住の現実を生きる小人さん
異議なし
二九、空中庭園在住のとるにたらない不定形生物さん
異議なし
三0、管理人だよ
異議しかねえ⋮⋮
なんでそうなるの?
276
三一、王都在住のとるにたらない不定形生物さん︵出張中
お前らのボケを拾えるのは
おれたちしかいないからです
ところで
勇者さんは今夜の寝床を決めたみたい
勇者﹁あそこの宿にしましょ﹂
見るからに高級そうな宿泊施設です⋮⋮
反応する子狸
庶民の感覚が
いま走り出す
子狸﹁だめです。お金は大切にしましょう﹂
勇者﹁お金ならあるもの。第一、あなたにこの子のお世話は任せら
れないわ﹂
そう言って、お馬さんのたてがみを撫でる勇者さん
子狸﹁おれ以外に黒雲号を預けるっていうの!?﹂
勇者﹁勝手にへんな名前つけないで。黒くもないし﹂
謎の独占欲を発揮する子狸
277
やはり響き合うものがあるのか⋮⋮?
勇者﹁そもそも、あなたは別の宿に泊まるんだから、関係ないの﹂
子狸﹁﹂
お前らにも伝わったと思うんだ⋮⋮
このときの子狸の悲しみがさ⋮⋮
278
﹁子狸さんが巣穴を探しているようです﹂part1︵後書き︶
注釈
・哲学的な話
本当にどうしようもない事態に陥ったとき、魔物たちはよく哲学
的な話をする。
魔法は万能なのだ。
・五分五分
双方とも優劣がないこと。
子狸の身に何が起こったのかは定かではないが、それは半分の確
率においてインテリジェンスの問題であり、またインテリジェンス
の問題であるとしたなら、それは半分の確率であるらしい。
中身がない会話というのは、きっとこういうことを指すのであろ
う。
279
﹁子狸さんが巣穴を探しているようです﹂part2
三二、山腹巣穴在住のとるにたらない不定形生物さん
子狸⋮⋮さん?
三三、かまらく在住のとるにたらない不定形生物さん
子狸!
気をしっかり持て!
三四、管理人だよ
え? なに?
三五、火口付近在住のとるにたらない不定形生物さん
お前にはつらいかもしれんが⋮⋮
現実を受け止めるんだ
いいな?
三六、管理人だよ
いやいや
280
勝手にひとの心情を決めつけるのは
やめてくれませんか?
おれはべつに気にしてないよ
同じところに泊まれって言われてもさ
逆に困るし
おれ﹁⋮⋮でも、黒雲号はおれと一緒にいたいよね?﹂
三七、海底洞窟在住のとるにたらない不定形生物さん
未練たらたらじゃねーか
三八、空中庭園在住のとるにたらない不定形生物さん
というか、お前は馬小屋に泊まる気なのか?
三九、王都在住のとるにたらない不定形生物さん︵出張中
名前を呼ばれて子狸にすり寄る黒雲号︵子狸命名
愛馬の満更でもない様子に危機感を覚えたのか
勇者さんが重ねて言う
勇者﹁だから、へんな名前で呼ばないで。くせになったらどうする
281
の﹂
子狸﹁え∼⋮⋮。じゃあ本名はなんていうの?﹂
勇者﹁⋮⋮え、知らないけど﹂
子狸﹁知らない?﹂
そんなことがあるのかと訊き返す子狸に
勇者さんはため息をひとつ
勇者﹁好きになさい。もう⋮⋮。馬と波長が合うのって、人として
どうなの?﹂
子狸﹁? 好きに? なるほど⋮⋮﹂
おや、子狸さんの様子が⋮⋮?
四0、管理人だよ
はちょう
はちょうとは
なんだ
四一、王国在住の現実を生きる小人さん
考えることを放棄しやがった⋮⋮
282
お前、たまに単語がすっぽ抜けてるなぁ
波長な
ウマが合うってことだよ
四二、管理人だよ
馬だけに?︵笑
四三、王国在住の現実を生きる小人さん
たまに善意で教えてやったら
これだよ
四四、帝国在住の現実を生きる小人さん
いや、いまのはお前が悪いと思うぞ
読みが甘い
気ぃ抜きすぎだろ
どうした?
四五、王国在住の現実を生きる小人さん
283
どうしたもこうしたも
ふつうに会話したいんです⋮⋮
いけないことでしょうか?
四六、連合国在住の現実を生きる小人さん
王国のは子狸に甘いからなぁ⋮⋮
四七、王国在住の現実を生きる小人さん
いや、おれから言わせれば
お前らの放任主義は度を過ぎている
これだけは言うまいと思っていたが⋮⋮
子狸があんなんになっちゃったのは
お前らのせいなんじゃないか?
四八、火口付近在住のとるにたらない不定形生物さん
おいおい
いくら鬼のひとでも聞き捨てならないな⋮⋮
人間同士の問題におれたちは干渉しない
そういう決まりだろ?
284
四九、かまくら在住のとるにたらない不定形生物さん
そうだな
おれたちの力はあまりにも強大すぎる
まあ、そんな決まりないんですけどね⋮⋮
五0、山腹巣穴在住のとるにたらない不定形生物さん
ああ。人間の歴史は人間が紡いでいけばいい
おれたちは手を出すべきじゃない
干渉しまくってますけどね⋮⋮
五一、連合国在住の現実を生きる小人さん
というか子狸に英才教育とか無駄の極みだよ
まず才能がない
五二、王国在住の現実を生きる小人さん
努力に勝る才能なんてない
無駄な努力など
285
この世にあるものか⋮⋮!
五三、帝国在住の現実を生きる小人さん
さっき言ってたことと話が違うじゃねーか⋮⋮
五四、王都在住のとるにたらない不定形生物さん︵出張中
議論が白熱してきたようですが⋮⋮
とりあえず勇者さんは
子狸をこき使う算段のようです
勇者﹁わかった振りしてもだめ。いいから、受付に行って部屋を取
ってきなさい。あなたの名前で記帳して、ダブルの部屋でって言え
ばそれでいいわ。⋮⋮自分の名前、書ける?﹂
子狸﹁いちおう書けます⋮⋮。だぶるね、だぶるだぶる⋮⋮。なる
ほど⋮⋮そういうことか⋮⋮﹂
勇者﹁⋮⋮念のために訊くけど。あなた今日の宿はどうするつもり
なの?﹂
子狸﹁ん? あとで決めるよ﹂
勇者﹁⋮⋮⋮⋮﹂
子狸に行間を読めという方が無理な注文
286
五五、王国在住の現実を生きる小人さん
努力では
どうにもならないことも
世の中にはある
お前ら
すまなかったな
五六、火口付近在住のとるにたらない不定形生物さん
いや
気にするな
おれも熱くなりすぎた
五七、帝国在住の現実を生きる小人さん
まあ⋮⋮
なんだ
子狸は、人間にしてはそこそこ使えるほうだと思うぜ
これも努力の賜物だろう
五八、連合国在住の現実を生きる小人さん
287
おう
レベル1とはいえ
とっさに連射できるよう構成しておくんだから
立派なもんだ
いつだったか
学校の実習で教官には怒られてたけどな
五九、空中庭園在住のとるにたらない不定形生物さん
発想が、いちいち血生臭いんだよ
想像力はあるんだけどな⋮⋮
六0、管理人だよ
いやいや
このほうが実戦的だからとか言って
おれの構成をいじくったのは
お前らですよね?
六一、山腹巣穴在住のとるにたらない不定形生物さん
え?
そうですけど⋮⋮
288
六二、管理人だよ
ちょっとちょっと
またそうやって
おれを悪者にするの?
今度という今度は
だまされないよ!
六二、海底洞窟在住のとるにたらない不定形生物さん
はいはい
いいから、さっさとサインして来なさいよ
とはいえ、いつも野宿だったしな
困ったことがあれば言え
六三、管理人だよ
おう
いつもありがとうございます
289
六四、王都在住のとるにたらない不定形生物さん︵出張中
こうして、瞬く間に丸め込まれた子狸さん
自分の行動に疑問を覚えることもなく
ベッドが二つある部屋を予約しに行きます
宿屋﹁ダブルのお部屋でよろしいのですね?﹂
子狸﹁だぶるのお部屋でよろしいです﹂
敬語に発音
ダブルで怪しい場面もありましたが
無事に巣穴を押さえました
宿屋﹁ご朝食はどうなされますか?﹂
子狸﹁食べてきました﹂
宿屋﹁え?﹂
子狸﹁え?﹂
ボケも健在です
本当に
どこで育て方を間違えたのやら⋮⋮
290
﹁子狸さんが巣穴を探しているようです﹂part2︵後書き︶
注釈
・魔法使い
魔法を使う人間のこと。
ごく少数の魔法を﹁使わない﹂人間がいるだけで、基本的にこの
世界の人間は子供から大人まで全員が魔法使いであると言える。
それはつまり、ちょっとした教育で少なからぬ戦力になるという
ことだ。
したがって、どこの国でも学校に子供を通わせて魔法を習わせる
という体制をとっている。
騎士団を動かすとお金がかかるため、国としては自警力に期待し
ている面もあるのだが、こちらはなかなかうまく行っていない。
魔物たちの強さは、じつはその場の気分次第で決まるからだ。
・構成
魔法で大切なのは、イメージだとよく言われる。
この﹁イメージ﹂を、どこまで緻密に描けるか、また効果的に使
い分けるかで、魔法使いの力量は決まる。
たとえば以前に子狸が使った﹁圧縮﹂と﹁固定﹂からなる投射魔
法を例に挙げれば、複数の圧縮弾をあらかじめ作っておけば連射が
できる。
こうした一連の短期的あるいは長期的な魔法の連なりを指して、
﹁構成﹂と呼ぶ。
291
﹁子狸さんが巣穴を探しているようです﹂part3
六五、管理人だよ
宿屋﹁馬車は組合のものをご利用ですか?﹂
なんか
質問が多すぎて
わけわかんなくなってきた
六六、帝国在住の現実を生きる小人さん
いい質問だ
簡単に説明するぞ
高級宿に泊まるのは
貴族と相場が決まってる
だから、もしも自前の馬車を使ってるなら
お馬さんの面倒はこっちで見ますよってことだ
お前﹁乗馬してきたのでお世話をお願いしますアモール!﹂
これで問題ない
292
六七、管理人だよ
おい
その語尾
かっこよすぎるだろ⋮⋮
ありがとう!
宿屋﹁承りました﹂
六八、空中庭園在住のとるにたらない不定形生物さん
おお、プロだな⋮⋮
完璧な営業スマイルだぜ⋮⋮
六九、王都在住のとるにたらない不定形生物さん︵出張中
まわりの宿泊客には大ウケだぞ
沸点低いなぁ⋮⋮
あ、やべ
勇者さんに監視されてた
宿屋﹁ご宿泊は何泊のご予定ですか?﹂
293
子狸﹁あ、野宿しますから大丈夫です﹂
宿屋﹁お帰りはあちらです﹂
おお、間髪入れず
お引き取りを願うとは⋮⋮
できるな
勇者﹁一泊よ﹂
見るに見かねて
勇者さん登☆場
宿屋﹁これはお嬢さま! ようこそおいで下さいました﹂
さすがに貴族御用達の宿では
顔を知られているらしい
顔だけ覗かせている勇者さん︵超貴族︶と
受付の前に突っ立ってる子狸︵ど平民︶を
にこやかに見比べてからの⋮⋮
子狸☆二度見
宿屋﹁お連れさまでらっしゃいましたか!﹂
子狸はびびっている
子狸﹁ら、らっしゃいます﹂
勇者﹁延泊するときは、追って伝えるわ。表に馬を引いてるから、
294
人を回してくれる?﹂
宿屋﹁かしこまりました。ただちに﹂
ちなみに、宿の外には前もって宿泊客の馬を預かる人員が配置さ
れてる
迷惑料を払うから
荷物を運ぶ人間を多めに回してくれて構わない
ということだ
貴族ってのは何かと面倒だな
一方、子狸はやり遂げた表情である
子狸﹁じゃあ、ふたりのことよろしくお願いします﹂
宿屋のあるじは
勇者さんと子狸の関係を計りかねている
宿屋﹁⋮⋮よろしいので?﹂
子狸との会話に得るものはないと早くも見抜き
勇者さんにうかがいを立てる
見事な判断力である
勇者﹁よくない。あなたも来るの。あと、紛らわしい言い方はやめ
なさい。馬は一頭と数えるのよ﹂
295
面倒見のいい
お嬢さんだなぁ
アリア家って
こんなんだっけ?
七0、連合国在住の現実を生きる小人さん
バウマフさんちのひとは
放っておくと、どこまでも脇道に逸れていくからなぁ⋮⋮
とにかくだ。子狸よ
何もわかっていないと思うが
お世話をすると約束したんだから
ちゃんと勇者さんについてけ
七一、管理人だよ
あ、はい
とりあえず水だけでも汲んでおいてくれる?
七二、王国在住の現実を生きる小人さん
はいはい⋮⋮
必要なら井戸でも何でも掘ってやるから
296
またあとでな
七三、管理人だよ
え、なんだよ⋮⋮
お前ら、なんだか妙に優しいな
七四、かまくら在住のとるにたらない不定形生物さん
はいはい⋮⋮
いいから。ほら
勇者さんが待ってるぞ
七五、管理人だよ
おう!
七六、山腹巣穴在住のとるにたらない不定形生物さん
彼女、子狸を立派な従者に
育て上げるつもりなのかな?
無理だろ⋮⋮
297
七七、火口付近在住のとるにたらない不定形生物さん
いまいち何を考えてるのか
よくわからんな
一人旅してたのは
ようするに使命感に燃えた勇者さんが
周囲の反対を押し切って魔王討伐の旅に出た
っていう体裁をとりたいんだろ?
だが、なぜ子狸?
代わりはいくらでもいると思うが⋮⋮
七八、王国在住の現実を生きる小人さん
ああ、それね
子狸さん
夢で精霊の啓示を受けてることになってるから
あと、まあ
いちおう命の恩人だし
アリア家って自分ルールで生きてるとこあるから
そういうのわりかし重視するんだよ
298
七九、王都在住のとるにたらない不定形生物さん︵出張中
そうそう
王家を陰で守って
今回だけだ。これで借りは返したぞ⋮⋮
みたいなね
ひとことで言えば
へんなんだよ
おれらの国のトップ連中
さて、話を戻そうか
宿屋のスタッフに案内されて
本日の巣穴に辿りついた子狸と勇者さん
子狸﹁高そうな部屋だねアモール?﹂
気に入ったらしい
勇者﹁今後一切、アモール禁止﹂
王国暦一00二年
アモール禁止令
発令
子狸﹁そんなばかな⋮⋮﹂
悲嘆に暮れる子狸を
なかば無視して
299
勇者さんはベッドに腰かける
勇者﹁そこ座って﹂
子狸﹁あ、はい⋮⋮﹂
勇者﹁いちおう、これからの予定を説明します﹂
子狸﹁はあ⋮⋮﹂
勇者﹁まず最終的な目標。魔王暗殺﹂
子狸﹁はあ⋮⋮。え、魔王?﹂
勇者﹁洞窟の中でも言ったでしょ。邪魔なの。目障りなの﹂
子狸﹁うん? うん﹂
勇者﹁次。中間目標。とりあえず港町を目指します﹂
子狸﹁海?﹂
勇者﹁海﹂
子狸﹁海⋮⋮﹂
限りなく簡単に説明しようという
勇者さんの気概が
伝わってくるかのようだ⋮⋮
300
勇者﹁次。港町までは、街から街へ移動を繰り返します﹂
八0、管理人だよ
お前ら、大丈夫か?
ついてきてる?
八一、空中庭園在住のとるにたらない不定形生物さん
えっ
すでに限界なの?
説明しろと言われても困る段階なんだけど⋮⋮
八二、管理人だよ
おれは、まだまだいけるよ
余裕です
勇者﹁朝食と夕食は宿屋でとれる。では、ここで問題です。あなた
のやるべきことは何でしょう?﹂
そう来たか⋮⋮
引っかけ問題だな
おれの人生が
301
いま問われてる
どうしよう?
正直に言う?
八三、連合国在住の現実を生きる小人さん
待て
なにが?
お前の言ってることが
何ひとつ理解できない
なにを白状しようとしてる
八四、管理人だよ
冗談ですよ
ははっ
えっと。じゃあ⋮⋮
おれ﹁⋮⋮宿を⋮⋮いや! だぶるだ!﹂
八五、かまくら在住のとるにたらない不定形生物さん
そこ!?
302
八六、火口付近在住のとるにたらない不定形生物さん
そこ!?
八七、海底洞窟在住のとるにたらない不定形生物さん
洒落た予約の仕方的なニュアンス!?
八八、帝国在住の現実を生きる小人さん
だれか、このアモールを何とかしてくれ⋮⋮
八九、王都在住のとるにたらない不定形生物さん︵出張中
さしもの勇者さんも
呆然としたじゃねーか⋮⋮
勇者﹁⋮⋮野宿は慣れてるとか言ってたけど。あなた家事ができる
の?﹂
子狸﹁え? いや⋮⋮家のことと野宿は違うよ。違うんじゃないか
な⋮⋮﹂
勇者﹁野外で簡単な調理ならできる?﹂
303
子狸﹁それくらいなら⋮⋮﹂
勇者﹁そう。それなら、昼食はあなたに任せる。当面は、それがあ
なたの仕事よ﹂
子狸﹁メルシー﹂
勇者﹁メルシーも禁止﹂
304
﹁子狸さんが巣穴を探しているようです﹂part3︵後書き︶
注釈
・おれの人生がいま問われてる
ついに注釈で説明しなければならない次元に達した。悲しいこと
である。
子狸の頭の中での出来事を順を追って解説する。
一、勇者さんは魔王を嫌っているようだ
二、魔王を作るのはバウマフ家の家業である
三、バレたらやばそうだと思う
四、海=海のひとに転ずる
五、一と二がいったんリセットされる
六、いきなり質問されて焦る
七、四も消える
八、三が残る
九、バレたらやばそうである
一0、なにが? 自問する
一一、やるべきことというキーワードを頼りに、一と分離した二が
戻ってくる
一二、勇者さんは女の子である
一三、しかもちょっと可愛い
一四、旅をさせるのはどうかと思う
一五、正直に言うべきなのではないか? 煩悶
以上。
305
ちなみに、こんなところで紹介するのもどうかと思うが、海のひ
とは見目麗しい女性の姿をしている。
306
﹁河の底で蠢くおれたち﹂
四五0、海底洞窟在住のとるにたらない不定形生物さん
戻った
四五一、海底都市在住のごく平凡な人魚さん
おう
管理人さんは?
四五二、海底洞窟在住のとるにたらない不定形生物さん
少し目を離した隙に厨房で雑用してたりと
まあいろいろあったんだが⋮⋮
寝る間際になってごちゃごちゃ言い出したから
王都のが奥義で強制終了させた
四五三、古代遺跡在住のごく平凡な巨人兵さん
あの伝説のレクイエム毒針か⋮⋮
四五三、火山在住のごく平凡な火トガケさん
307
知っているのか!?
四五四、海底洞窟在住のとるにたらない不定形生物さん
そういうのいいから
海のひと
子狸バスター︵仮︶の進捗はどう?
四五五、海底都市在住のごく平凡な人魚さん
理論値はクリアした
小道具は鬼のひとたちに依頼するつもりだ
四五六、海底洞窟在住のとるにたらない不定形生物さん
おう
鬼のひとたちの仕事には絶対的な信頼がある
理論値は、というと
やはり問題はソフトか?
四五七、海底都市在住のごく平凡な人魚さん
おう
308
つくづく思い知らされるね
人間はすげーよ⋮⋮
いちおうサンプルは回収したけど
どこまで再現できるか⋮⋮
いや
再現じゃだめってわかってるんだけどな
とはいえ
ある程度はアドリブになると思う
だもんで
いまは足回りをいじってる
四五八、海底洞窟在住のとるにたらない不定形生物さん
おう
その調子で頼む
緑のひと
勇者さんシステムのほうはどう?
四五九、火山在住のごく平凡な火トカゲさん
いちおう計図を組んでみた
目の前に展開してるから見てくれ
309
四六0、古代遺跡在住のごく平凡な巨人兵さん
ほほう。これはなかなか
まるで
そう
例えるなら既製品を見ているような⋮⋮
相変わらずいい腕してやがる
四六一、海底洞窟在住のとるにたらない不定形生物さん
おい
おい。これ
今日から☆魔王スターターの流用じゃねーか
四六二、火山在住のごく平凡な火トカゲさん
出力をしぼって
オンオフ機能をつけてみました☆
四六三、海底洞窟在住のとるにたらない不定形生物さん
310
つけてみました☆
じゃねーよ!
こんなもん投下したら
勇者さんが魔王さんに
華麗にクラスチェンジしちゃうだろ
表裏一体か!
本当
お願いします⋮⋮
本当⋮⋮
四六四、海底都市在住のごく平凡な人魚さん
ふつうでいいんだよ
ふつうで
四六五、火山在住のごく平凡な火トカゲさん
そうやって簡単に言うけど
原則が絡んでくるから
わりとどうしようもないんだからねっ
二番がだめなら
三番をいじるしかないんだけどなぁ⋮⋮
311
それだと本人の資質しだいになるから
おれとしては、ちょっと納得がいかない
仮にやるとしたら
内部の数値に手を入れることになるんだけど
どこかにサンプル落ちてないかな⋮⋮︵ちらっ
四六六、古代遺跡在住のごく平凡な巨人兵さん
ちょっと王都行って
落とし穴、掘ってくるわ
四六七、火山在住のごく平凡な火トカゲさん
お屋形さまのデータが
役に立つわけねーだろ!
それ以前に殺されるわ!
さいきんあいつ見掛けないなぁ⋮⋮
とか言われて
某所⋮⋮
とかモノローグ入って
おれの大切な鱗ちゃんが
なべ敷きにでもされてたら
お前、責任取れんのか!?
312
ちょっと嬉しいじゃねーか!
四六八、海底都市在住のごく平凡な人魚さん
おちつけ
だいじょうぶ
こんなこともあろうかと
王立学校在籍の平均的な魔法使い︵笑︶のデータを採取しておいた
四六九、火山在住のごく平凡な火トカゲさん
子狸さんのことばかにしてんのか!?
可哀相だろ!
万が一うまく行ったらどうするんだよ!?
勇者さんとどう接したらいいかわからなくなるわ!
なあ、青いひと
王都のひとに協力してもらうわけにはいかないか?
あのひとが、いちばん人間に詳しいだろ
313
四七0、海底洞窟在住のとるにたらない不定形生物さん
王都のは、バウマフ家への愛情が半端ないからなぁ⋮⋮
たぶん厄介なことになる
おすすめはしない
四七一、古代遺跡在住のごく平凡な巨人兵さん
でもさ
勇者さん優しいとこあるよね?
子狸を同じ部屋に泊めてあげてるんだろ?
おれ、アリア家のことあんまり詳しくないけど
言うほどひどくないっていう印象だぞ
四七二、海底洞窟在住のとるにたらない不定形生物さん
いや、どうかな
庭園のが言うには
おれたちの襲撃を警戒してるんだろうって
でも子狸に甘いってのは、おれも感じてる
314
鬼のひとが言うには
ご機嫌取りってわけでもないらしい
そういうことする人種じゃないんだと
四七三、火山在住のごく平凡な火トカゲさん
たしかにな
おれは
いままでに何度かアリア家の人間と話したことあるけど
かなりざっくりした考え方してたぜ
指揮官の首をもってくるから
それで水に流せって言われたときは
正直びびった
なんとか思いとどまってもらったけど
他の人間とはオーラが違う
四七四、海底都市在住のごく平凡な人魚さん
ああ、あのときな
お前、噴火の主犯に仕立て上げられてたから︵笑
四七五、火山在住のごく平凡な火トガゲさん
315
おれんちが噴火して
誰がびびったって
おれがいちばんびびったっちゅうねん︵笑
四七六、古代遺跡在住のごく平凡な巨人兵さん
お前、テンパるあまり会話不能に陥ってたもんな︵笑
316
﹁河の底で蠢くおれたち﹂︵後書き︶
注釈
・レクイエム毒針
不定形生物さんたちの中には、まれに毒を持つ個体がいると言わ
れている。
まず、極限までねじった触手を﹁こより﹂みたいに尖らせる。
その先端で突き刺した対象を一撃で眠らせるのが、青いひとたち
の奥義﹁レクイエム毒針﹂である。
じつは単なる睡眠の魔法なのだが、アクションを織り込むことで
人前でも使えるよう工夫されたものである。
・計図
設計図の略。おもに魔法の設計図を指して言う。
魔物=魔法なので、魔法の深い部分の仕組みに知識で挑むことがで
きるようだ。
・今日から☆魔王スターター
他者の魔法に干渉する能力の設計図を指して言う。
たいていの勇者は優秀な魔法使いであるから、絶大なリアクショ
ンを見込めるという理由で魔王役に実装されることが多い。
つまり勇者にとっての本当の武器は、愛とか勇気とか何かそうし
317
たキラキラしたものなんだよね、という話に持っていくのが常道で
ある。
・二番とか三番とか
﹁二番回線/回路﹂﹁三番回線/回路﹂の略。
魔法を扱う回路は大別すると三つある。
二番は無意識の領域の回線であり、三番回路は有意識の領域を司
る。
つまり人間が魔法を使う場合、三番回線がメイン、二番回線はサ
ブの役割を果たす。
基本的に双方向回線なので、魔法を使えば使うほど、魔法の影響
を強く受けることになる。﹁原則﹂と呼ばれる、魔法の基盤構造だ。
ちなみに一番回路は魔物専用なので、人間は使用不能。
318
﹁お前ら緊急事態発生﹂part1
一、魔都在住の特筆すべき点もないライオンさん︵出張中
お前ら
緊急事態発生
ニ、空中庭園在住のとるにたらない不定形生物さん
おや
空のひと
この前は
お土産ありがとう
三、魔都在住の特筆すべき点もないライオンさん︵出張中
おう
つまらんものだが
お気に召したようで何よりだ
火のひとは元気?
四、空中庭園在住のとるにたらない不定形生物さん
319
まあな
たまには
日の光を浴びるようにと
それとなく勧めてるんだが
どうにもこうにも⋮⋮
五、海底洞窟在住のとるにたらない不定形生物さん
あのひと
河にもめったに顔を出さないからなぁ⋮⋮
人前だとスイッチ入るし
ゆくゆくは勇者さんに立ち寄ってもらおうか
六、空中庭園在住のとるにたらない不定形生物さん
そうは言っても
おれんち
ちょっと遠いからなぁ⋮⋮
まあ、旅シリーズが終わったら
またポンポコ一家を誘って花見でもするかね
七、魔都在住の特筆すべき点もないライオンさん︵出張中
賛成
320
八、かまくら在住のとるにたらない不定形生物さん
賛成
九、海底洞窟在住のとるにたらない不定形生物さん
賛成
一0、空中庭園在住のとるにたらない不定形生物さん
ところで
なんかあったの?
出張中になってるけど
一一、魔都在住の特筆すべき点もないライオンさん︵出張中
え?
ああ、そうだった
小さいほうのポンポコさん
どうしてる?
一ニ、王都在住のとるにたらない不定形生物さん︵出張中
321
今日は朝から
勇者さんと一緒に買い物してる
子狸専用の
まな板と包丁
あとフライパンを
買う予定だったんだけど
なぜか服屋にいる
勇者さんのテンションが
じゃっかん高めな気もするが
まあ女の子だしな
一三、火口付近在住のとるにたらない不定形生物さん
それ
子狸は
いらなくないか?
一四、王都在住のとるにたらない不定形生物さん︵出張中
子狸な⋮⋮
テンションが上がりすぎて
頭の配線がいかれたらしく
静かに思考停止してる
322
名に恥じない
ポンコツぶりだよ
一五、魔都在住の特筆すべき点もないライオンさん︵出張中
おれが
超音速の空中戦を繰り広げてる
一方その頃
ラブコメ空間を満喫中かよ⋮⋮
一六、山腹巣穴在住のとるにたらない不定形生物さん
なんか
不吉な単語がいくつか
混ざってたんだが⋮⋮
一七、空中庭園在住の現実を生きる小人さん
まさか⋮⋮
やつが
動き出したのか?
一八、魔都在住の特筆すべき点もないライオンさん︵出張中
そのまさかです⋮⋮
323
というか
たまたまおれんちに遊びに来てて
発言が不穏だったから
足止めしてたんだけど
ついに突破された
現在
追撃中
転移はブロックしてるが
ちっ
速え⋮⋮!
一九、かまくら在住のとるにたらない不定形生物さん
ばかな
早すぎる
あのひと
レベル4だぞ⋮⋮
二0、空中庭園在住のとるにたらない不定形生物さん
あのひとは
ちょっと毛色が違うからな⋮⋮
324
子狸は⋮⋮
だめか
肝心なときに使えねーな⋮⋮
お前ら
現地に跳ぶぞ
結界で街を覆う
二一、山腹巣穴在住のとるにたらない不定形生物さん
おう
だが、状況は圧倒的に不利だぞ
人間を指定外に設定しなくちゃならん
確実にその穴を突かれる
二二、かまくら在住のとるにたらない不定形生物さん︵出張中
頭を押さえられたら終わりだな
高度を保っているうちに
ケリをつけたいところだが⋮⋮
325
二三、魔都在住の特筆すべき点もないライオンさん︵出張中
悪いね
なんか
同じ飛行タイプとして申し訳ない
二四、火口付近在住のとるにたらない不定形生物さん︵出張中
気にするな
あのひと、空間系統に強いからな
何はともあれ
時間の勝負になる
海底のは
指揮をとれ
おれとかまくらので
うって出る
二五、海底洞窟在住のとるにたらない不定形生物さん
おう
お前ら
すまんな
326
二六、山腹巣穴在住のとるにたらない不定形生物さん︵出張中
いや
お前には
つらい役割を押し付けて
すまないと思ってる
めんご
二七、海底洞窟在住のとるにたらない不定形生物さん
誠意が
まったく感じられねえ⋮⋮
まあ
気にするな
慣れれば
いいところだよ
二八、空中庭園在住のとるにたらない不定形生物さん︵出張中
まじで?
今度、遊びに行くわ
327
二九、王都在住のとるにたらない不定形生物さん︵出張中
その流れ
完全に宴会に突入して
バウマフさんちのひとに
説教されるパターンじゃねーか︵笑
三0、かまくら在住のとるにたらない不定形生物さん︵出張中
おれ
子狸さんの怒ってる顔
好きだわ
三一、火口付近在住のとるにたらない不定形生物さん︵出張中
なぜ
このタイミングで
カミングアウトした!?
三二、空中庭園在住のとるにたらない不定形生物さん︵出張中
早くもコンビネーションに亀裂が⋮⋮
山腹の
多層結界で行くぞ
タイミングを合わせて
328
フィルターをかける
三三、山腹巣穴在住のとるにたらない不定形生物さん︵出張中
お前
頭いいよな⋮⋮
また一緒に
おみくじ行こうぜ!
来年は
きっと大吉だって!
三四、空中庭園在住のとるにたらない不定形生物さん︵出張中
え?
ごめん
ちょっと言ってる意味が⋮⋮
え?
もしかして
貧乏くじ引いてるって言いたいの?
三五、海底洞窟在住のとるにたらない不定形生物さん︵出張中
こっちでも亀裂が!?
329
三六、魔都在住の特筆すべき点もないライオンさん︵出張中
お前ら
仲がいいなぁ⋮⋮
330
﹁お前ら緊急事態発生﹂part1︵後書き︶
注釈
・結界
一定の空間を支配下に置く、高度な魔法。
条件を絞れば人間だけを立ち入り禁止にしたりもできる。
﹁フィルター﹂というのは、さらに細かく指定するときに用いられ
る技術。
今回のケースにおいては、条件付けの異なる﹁結界﹂を幾重にも
張ることで突破を困難なものにしようとしている。
・飛行タイプ
有翼系の魔物たちを指して言う。
ふだんから空を飛んでいるので、こと空中戦においては他の追随
を許さない。
なお、人間は空を飛べないし、深海に潜ることもできないため、
純粋な飛行タイプ、潜水タイプの魔物は希少種である。
331
﹁お前ら緊急事態発生﹂part2
三七、住所不定のどこにでもいるようなてふてふさん
お前ら
空じゃ
おれに勝てないって
わかってるんだろ?
三八、かまくら在住のとるにたらない不定形生物さん︵出張中
きゃあ
三九、火口付近在住のとるにたらない不定形生物さん︵出張中
きゃあ
四0、海底洞窟在住のとるにたらない不定形生物さん
!
一撃だと⋮⋮?
羽のひと!
332
それだけの実力がありながらどうして⋮⋮!
四一、住所不定のどこにでもいるようなてふてふさん
群れてるだけのお前らに
何がわかる?
何が成し遂げられるというんだ!
四二、魔都在住の特筆すべき点もないライオンさん︵出張中
だが
追いついたぜ
青いひとたちが稼いでくれた
この貴重な一瞬でな⋮⋮
四三、かまくら在住のとるにたらない不定形生物さん︵出張中
おれたちも
まだ戦えるぜ⋮⋮!
四四、火口付近在住のとるにたらない不定形生物さん︵出張中
そういうことだ
333
攻撃が軽いんだよお前は⋮⋮
諦めろ
勝ち目はないぞ
四五、住所不定のどこにでもいるようなてふてふさん
頭数だけ揃えたところで⋮⋮
全部
おれ!
四六、かまくら在住のとるにたらない不定形生物さん︵出張中
イタチごっこに
なるだけっていうのが⋮⋮!
全部
おれ!
四七、火口付近在住のとるにたらない不定形生物さん︵出張中
無駄だ
人間ほど集団戦に優れた生き物はいない
334
そして
おれたちほど人間と数多く戦った生き物もいない
四八、住所不定のどこにでもいるようなてふてふさん
だったら
ためしてみるといい
もっとも
この一撃を
かわせたらの話だがな
四九、海底洞窟在住のとるにたらない不定形生物さん
!?
街ごと焼き払うつもりか!?
お前ら!
五0、火口付近在住のとるにたらない不定形生物さん︵出張中
やらせん!
かまくらの!
335
五一、かまくら在住のとるにたらない不定形生物さん︵出張中
おう!
双璧!
守護魔法
全
開!
五二、空中庭園在住のとるにたらない不定形生物さん︵出張中
山腹の!
余波が来るぞ!
上空の観測をカットする!
五三、山腹巣穴在住のとるにたらない不定形生物さん︵出張中
おう!
くっ
なんて威力だ⋮⋮!
本気なのか羽のひと⋮⋮
子狸がいるんだぞ!
336
五四、王都在住のとるにたらない不定形生物さん︵出張中
勇者﹁どう? 似合う?﹂
子狸﹁おれ、この旅で変われる気がするんだ⋮⋮﹂
勇者﹁そう。せめて人並みになれるといいわね﹂
子狸﹁⋮⋮⋮⋮︵照︶﹂
勇者﹁べつに褒めてないわ﹂
子狸﹁な、なんか⋮⋮デ⋮⋮デ? ト⋮⋮タ? うん。いい天気だ
ね﹂
勇者﹁⋮⋮デートって言いたいの? 違うし、諦めたみたいだけど
⋮⋮﹂
子狸﹁え? どう⋮⋮かな。意外かもしれないけど、おれ、あんま
り母国語が得意じゃないんだ﹂
勇者﹁母国語でもないし。意外でもない。⋮⋮あ、次はあのお店に
しましょ。なんのお店なのかしら﹂
五五、魔都在住の特筆すべき点もないライオンさん︵出張中
羽の⋮⋮
337
魔道に
堕ちたな
五六、住所不定のどこにでもいるようなてふてふさん
ほざけ
人間を守って
戦って
傷ついて
そこから何か見えるのか?
何も見えやしないさ
五七、火口付近在住のとるにたらない不定形生物さん︵出張中
お前には
別の景色が見えるっていうのか?
違うだろ
まわりを見渡してみろよ
お前は
たったひとりじゃないか
たった
ひとりじゃないか⋮⋮
338
五八、かまくら在住のとるにたらない不定形生物さん︵出張中
ひとりぼっちで
何ができるっていうんだよ⋮⋮
どんなに万能でも
どんなに強くとも
まわりに誰もいないのなら
それは
何もできないのと一緒だろ!
五九、住所不定のどこにでもいるようなてふてふさん
だまれ!
そんなズタボロの身体で何を言っても
負け犬の遠吠えなんだよ!
とどめを
刺してやる⋮⋮!
六0、魔都在住の特筆すべき点もないライオンさん︵出張中
339
羽のぉぉぉおおお!
六一、住所不定のどこにでもいるようなてふてふさん
しつこいんだよ
きさまは!
いまさら
本気を出したところで!
ちっ
だが
もう遅い
雲を抜ける⋮⋮
それとも
ステルスしたままで
おれと戦うか?
終わりだ
六二、山腹巣穴在住のとるにたらない不定形生物さん︵出張中
まだだ!
いかなお前とて
340
おれたちふたりの結界を
破れるものか!
六三、住所不定のどこにでもいるようなてふてふさん
おれが
なんのために
わざわざ
予告するような真似をして
ここへ来たと思ってるんだ?
六四、空中庭園在住のとるにたらない不定形生物さん︵出張中
!
王都の!
六五、王都在住のとるにたらない不定形生物さん︵出張中
ああ
やられたな
お前らと戦ってたのは
ダミーだ
341
前もって
全部おれしてたのか⋮⋮
六六、かまくら在住のとるにたらない不定形生物さん︵出張中
おれたちを
誘き寄せるために⋮⋮!?
六七、火口付近在住のとるにたらない不定形生物さん︵出張中
子狸が
あぶない!
六八、管理人だよ
お前ら
ちょっと聞いてくれる?
おれ
勇者さんに
恋しちゃってるかもしれない
六九、魔都在住の特筆すべき点もないライオンさん︵出張中
しね!
342
七0、火口付近在住のとるにたらない不定形生物さん︵出張中
しね!
七一、海底洞窟在住のとるにたらない不定形生物さん
しね!
いや
しぬ前に
土下座しろ!
おれたち全員に詫びてから
南国の王さまを二つずつ贈呈しろ!
七二、かまくら在住のとるにたらない不定形生物さん︵出張中
もらってどうすんの!?
七三、山腹巣穴在住のとるにたらない不定形生物さん︵出張中
しかも二つ⋮⋮
まあ
おれは
ご近所の毛皮を着たひとたちにふるまうけど⋮⋮
343
七四、管理人だよ
あれ?
空のひともいるの?
あ
この前のお土産ね
火のひとが
地味に嬉しそうにしてたよ
七五、空中庭園在住のとるにたらない不定形生物さん︵出張中
地味にとか言うな!
それ、さっきやったし!
あのひと
お前の前だと
無理にテンション上げてるんだよ!
七六、管理人だよ
え∼⋮⋮
344
そんなことないと思うけど
さっき?
さっきって⋮⋮
あ
七七、王都在住のとるにたらない不定形生物さん︵出張中
勇者さん
羽のひと︵オリジナル︶と
謎の店内にて
遭遇
勇者﹁⋮⋮妖精?﹂
妖精﹁妖精屋へようこそ∼﹂
勇者﹁妖精屋? ん⋮⋮たしかにいろいろ置いてるわね。これは?﹂
妖精﹁それは、ばかにつける薬ですよ∼。すんごく頭が良くなって、
この世の真理を語りはじめます﹂
勇者﹁⋮⋮⋮⋮﹂
無言で子狸を振り返る勇者さん
子狸は退路を探している
345
勇者﹁⋮⋮ひとつもらおうかしら﹂
妖精﹁毎度あり∼﹂
ふつうにご購入される勇者さん
用途は不明であると
あえてここでは言っておくが
間違いなく
一服盛るつもりである
勇者﹁他には何があるの?﹂
妖精﹁うちでは、一人につき一つのものしか売らないんですよ∼。
そういうお店なんです﹂
勇者﹁聞いてないわ。あなたのミスよ。だから、あと三つね﹂
そしてこの横暴である
そのとき
羽のひとの小芝居が光る
勇者さんの後ろで
ちょろちょろしている
子狸の存在に
いま気がついたような風情で
首を傾げた
346
妖精﹁あら? もしかして、あなたノロくん?﹂
子狸﹁っ⋮⋮!﹂
名前を呼ばれて
びくっとする子狸に
羽のひとが舞い寄る
妖精﹁あらあら、お久しぶりね∼﹂
七八、管理人だよ
あれ?
今日は機嫌がいいのかな⋮⋮
羽のひとって
こうして見ると
ちっちゃくて可愛いよね
じつは
ふだんは
こんな感じなのかな?
警戒して
損しちゃったな
ははっ
妖精﹁⋮⋮よう、子狸﹂
347
ははっ
おい
おい。お前ら
七九、魔都在住の特筆すべき点もないライオンさん
おれたちは
がんばったよ
精いっぱい
がんばったけど
だめだった
疑うなら上流を見るといい
八0、火口付近在住のとるにたらない不定形生物さん
そして
少しでもおれたちを疑った
自分の薄汚れた心を
存分に反省するといいよ
八一、かまくら在住のとるにたらない不定形生物さん
348
なんなら
おれを叱ってくれてもいい
八二、火口付近在住のとるにたらない不定形生物さん
そこはまじなの!?
ちょっと∼
そうやって
自分だけ個性を出そうとするのって
ひととしてどうよ?
八三、かまくら在住のとるにたらない不定形生物さん
おれさ
他のひとたちから
青いひとの地味なひとって
言われてるんだ
ひとひとってさ⋮⋮
重複してるじゃん
語呂、悪いし
349
八四、火口付近在住のとるにたらない不定形生物さん
なんか
ごめんなさい
八五、海底洞窟在住のとるにたらない不定形生物さん
いや
それはさ
地味に
いい仕事するよねってことだよ
いぶし銀っていうの?
おれなんて
いつもいるひと
だぜ?
八六、王都在住のとるにたらない不定形生物さん︵出張中
さあ
場があたたまって参りました
子狸の肩に
ちょこんと座った羽のひとに
勇者さんが問いかけます
350
勇者﹁知り合い?﹂
妖精﹁はい! 山で猟師さんの罠にかかって困ってたところを、助
けてもらったんですよ∼﹂
子狸﹁え? 猟師さん、を⋮⋮﹂
妖精﹁あん?﹂
子狸﹁そういえば、そんなこともあったなぁ⋮⋮﹂
そういえば
そんなこともありましたね
八七、山腹巣穴在住のとるにたらない不定形生物さん
世に言う
子狸乱獲事件である⋮⋮
351
﹁お前ら緊急事態発生﹂part2︵後書き︶
登場人物紹介
・てふてふさん
自らのテリトリーに立ち入った人間に悪戯をするという手乗りサ
イズの小さな少女。﹁妖精﹂と呼ばれている。
背中に二対の羽が生えていて、自由に浮遊できる。羽を動かすと、
光の粒子が燐粉のように舞い散る。
その愛らしい姿から、魔物とは同一視されていない特別な種族で
ある。
めったに人里にはおりてこないとされ、どういうわけか人間たちに
は﹁妖精の里﹂に住んでいると根強く信じられている。
簡単な魔法なら扱えるとも言われているが、簡単どころか、じつ
は空間支配の権限を与えられた高位の魔物だったりする。
ちなみにレベル4の魔物は、人間が言うところの﹁都市級﹂に相
当し、これは国家規模の総戦力に匹敵する。
魔王など問題にならないほどのパワーだ。
注釈
・南国の王さま
スイカのこと。
この世界では存在こそ知られているものの、一般庶民が口にする
ことはまずないだろうとされる高級果実の代名詞である。
352
その常軌を逸した模様から、魔法の影響を受けて歪な発育を遂げ
たものの一種ではないかと推測されている。
世界には不思議なことがたくさんあるのだ。
・子狸乱獲事件
てふてふさんと、とある青いひとが共謀し、猟師たちと罠で対決
した事件。﹁罠合戦の変﹂とも呼ばれる。
双方ともに罠に対してはプロフェッショナルであり、騙すか騙さ
れるかの泥沼の事態に発展。
のちに子狸が現地へ出動し、これに知恵と勇気で挑むが、ものの
見事に全敗し、罠という罠にかかる。
まさかのパーフェクト達成に、てふてふさんより直々にお説教を
賜った。
353
﹁勇者さんはおれの嫁﹂
八八、管理人だよ
流れてきた
お前ら、おれが間違ってた
ごめんな
あと、南国の王さまは勘弁して下さい
いま気がついたけど無一文です
それとさ⋮⋮
おれ、管理人としてお前らを叱らなくちゃならない⋮⋮
わかるよな?
喧嘩しちゃ
だめ!
八九、海底洞窟在住のとるにたらない不定形生物さん
あいよ
で、けっきょく羽のひとは
何しに来たの?
354
超空間で小遣い稼ぎ⋮⋮ってわけじゃないよな?
九0、住所不定のどこにでもいるようなてふてふさん
おう
じゃあ、ここからはおれのターンな
一、住所不定のどこにでもいるようなてふてふさん
魔
王
討伐の旅シリーズ∼子狸編∼
勇者さんは
お
れ
の
嫁
<i27476|3535>
355
二、管理人だよ
ちょ
おま
三、山腹巣穴在住のとるにたらない不定形生物さん
ああ、たぶんそうだろうなと思ってた
久しぶりにナビゲート役やるの?
前々回のリベンジだな
四、住所不定のどこにでもいるようなてふてふさん
おう
あのときは不甲斐ない結果に終わったが⋮⋮
今回の勇者は女の子だからな
勇者さんの寝顔を鑑賞して
よからぬことを考えていたエロ狸には
おれという名の勇者さんセキュリティが必要だと
固く決意した所存であります
356
五、管理人だよ
よからぬことってなんだよ!
そんなことありません
六、空中庭園在住のとるにたらない不定形生物さん
もちろんおれたちは管理人さんを信じてるよ
当然だろ?
七、火口付近在住のとるにたらない不定形生物さん
そうだよ
何を水臭いこと言ってんだ
千年の付き合いなんだぜ?
お前らバウマフ家のことは
おれたちがいちばん知ってる
八、管理人だよ
お前ら⋮⋮
357
九、かまくら在住のとるにたらない不定形生物さん
ふっ
いいってことよ。気にすんな
じゃあ、そういうわけで⋮⋮
お前、罰としてそこでボケろ
一0、管理人だよ
よくご存知で⋮⋮
はい、いちばん!
ノロ・バウマフ行きます!
おれ﹁お嬢、お嬢﹂
勇者﹁なに﹂
おれ﹁あのね。この前、学校で面白いことがあって⋮⋮﹂
勇者﹁あなた学生なの!?﹂
おれ﹁え!?﹂
勇者﹁⋮⋮この国も、もうおしまいね⋮⋮﹂
おしまい!?
358
この国で
いったい
何が起こってるんだ!?
一一、魔都在住の特筆すべき点もないライオンさん
迂闊にも噴いたわ
一二、管理人だよ
え
おれ、まだ何も⋮⋮
一三、住所不定のどこにでもいるようなてふてふさん
子狸、お前⋮⋮
笑いのセンスあるわ
その才能を大切にしろよ?
一四、管理人だよ
え? そう?
359
羽のひとにそう言われると照れるな⋮⋮
一五、住所不定のどこにでもいるようなてふてふさん
だからって調子に乗るなよ
上には上がいる
お前はまだスタートラインに立っただけだぞ
一六、管理人だよ
おう!
一七、王都在住のとるにたらない不定形生物さん︵出張中
上げて落とす
基本だな⋮⋮
勇者﹁ああ、びっくりした。生まれてはじめてだわ、こんなに驚い
たの。⋮⋮話の続きだったわね。悪かったわ、急に大声を上げて﹂
妖精﹁いいえ∼。わたしもびっくりしました。まさか、こんなとこ
ろでコイツと再会しやがるなんて⋮⋮﹂
おい
360
本音が出てる
一八、住所不定のどこにでもいるようなてふてふさん
すまん
正直、無理だわ
子狸に丁寧語とか⋮⋮
今後そういうキャラで行く
おれ﹁お話の続きですけど、その前に。⋮⋮あなたは、勇者さまで
すね? 光の精霊から、お話はうかがってます﹂
子狸﹁精霊?﹂
おれ﹁黙ってろ﹂
子狸﹁はい﹂
おれ﹁あなたさまに宿った宝剣は、自然界のマナ☆を凝縮したもの。
わたしたちにとっても無関係ではないのです﹂
一九、山腹巣穴在住のとるにたらない不定形生物
マナとか登場する世界観じゃないんだがっ⋮⋮
二0、海底洞窟在住のとるにたらない不定形生物さん
361
☆自重っ⋮⋮
一九、王都在住のとるにたらない不定形生物さん︵出張中
お前ら、だんだん多芸になっていくな⋮⋮
妖精﹁ですから、もしも勇者さまさえよろしければ、わたしを旅に
連れて行ってくれませんか?﹂
勇者﹁⋮⋮妖精は人間に悪さをするって聞くけど?﹂
勇者さんは自己管理がしっかりしてるな
どこかの管理人さんとは大違いだ
二0、管理人だよ
おれ以外に管理人っているの?
あ、父さんのこと?
案外おっちょこちょいなんだね
ちょっと意外
二一、火口付近在住のとるにたらない不定形生物さん
そうだね
意外だね
362
二二、かまくら在住のとるにたらない不定形生物さん
そうだね
意外だね
二三、住所不定のどこにでもいるようなてふてふさん
お屋形さま本人には言うなよ?
絶対だぞ?
さて、悪さね⋮⋮
おれの名声も地に落ちたもんだぜ
おれ﹁それは一部の心ないものだけですっ﹂
まあ全部おれなんですけどね⋮⋮
勇者﹁だめね。信じられないわ﹂
なるほど。歴代の勇者とはわけが違うな
ひとの善意をまったく信用してない
勇者﹁たとえば、そうね⋮⋮。ここにある商品を全て譲ってもらう
というわけには行かないの? ずいぶんと不思議なものを扱ってる
ようだから、きっと役に立つこともあると思うの。どうかしら?﹂
だが、おれも子狸とはわけが違うぜ
363
おれ﹁だめですよっ。わたし、破産しちゃいますっ。どうしたら信
用してもらえるんでしょうか⋮⋮。ノロくんは、わたしのこと信じ
てくれますよね?﹂
子狸﹁え⋮⋮?﹂
おれ﹁おい﹂
子狸﹁あ、はい⋮⋮﹂
おれ﹁ですよね! 勇者さま、どうですか?﹂
勇者﹁悪いけど、その子の言うことも当てにならないの﹂
おれ﹁ですよね﹂
お前ら。勇者さんが心を開いてくれない
どうしたらいい?
二四、魔都在住の特筆すべき点もないライオンさん
計画に無理があったな⋮⋮
二五、空中庭園在住のとるにたらない不定形生物さん
将を射んとすれば、まず馬を射よという言葉もある
364
お馬さんは連れてきてないのか?
二六、王都在住のとるにたらない不定形生物さん︵出張中
連れてきてない
勇者さんの意向により
脚を休ませるべく宿屋でお留守番だ
二七、かまくら在住のとるにたらない不定形生物さん
子狸のときは、わりとあっさり同行を許したのにな
どうしたものか
二八、海底洞窟在住のとるにたらない不定形生物さん
いや、あのときは子狸からじゃなく
勇者さんから言い出したことだからな
状況が状況で、しかも完全に上の立場にあった
というのが大きいのかもしれん
二九、火口付近在住のとるにたらない不定形生物さん
勇者さんは譲歩を引き出そうとしてるんじゃないか?
365
ふつうに考えても羽のひとを連れ歩くメリットは大きいぞ
三0、山腹巣穴在住のとるにたらない不定形生物さん
そうかもしれんが、そうではないかもしれん
押すか退くか。賭けになる
博打は好きじゃないんだが⋮⋮
三一、管理人だよ
仕方ないよね
羽のひとは無理しないで
ゆっくり休んでるといいよ
ゆっくり
勇者さんのことは
おれに
任せてくれ!
おれ﹁お嬢には、おれがついてるから大丈夫だよ!﹂
勇者﹁これ飲んでみて﹂
366
おれ﹁? 何これ?﹂
!
プレゼントだ!?
頂きます
ごくごく
おれ﹁⋮⋮世の中には二種類の人間がいる。男と女だ﹂
真理が
見える⋮⋮!
勇者﹁アレイシアン・アジェステ・アリアよ。リシアでいいわ。よ
ろしくね﹂
妖精﹁はい、リシアさん! わたし、リンカー・ベルって言います
!﹂
おれ﹁なぜひとは戦い続けるのか⋮⋮? 戦い続けねば、ならない
のか⋮⋮。それは愛ゆえにだ⋮⋮﹂
三二、空中庭園在住のとるにたらない不定形生物さん
367
その発想はなかった⋮⋮
三三、魔都在住の特筆すべき点もないライオンさん
さすがバウマフ家
三四、住所不定のどこにでもいるようなてふてふさん
認めざるを得ないな
バウマフは
格が違った⋮⋮
368
﹁勇者さんはおれの嫁﹂︵後書き︶
注釈
・ナビゲーター役
勇者を導く重要な役割を担った魔物のこと。
本来であればバウマフ家が担当するべきなのだが、諸事情により
魔物たちの中からサポーターを派遣する方式が導入されている。
そもそも、勇者に選ばれる者は魔物たちの厳しい審査をパスした
清く正しい人間である。
そうした意味では、バウマフ家の人間も押しなべて勇者の資質が
あると言える。
だが、善意に善意が重なるとろくなことにならないのだと、魔物
たちは長い歴史に学んだのだ。
・学校であった面白いこと
このあと青いひとが尋ねてみたところ、間違って低学年のクラス
に突入してしまったので、とりあえず先生に成り済まそうとしたと
きのことを話そうとしていたらしい。
かろうじて人並みの成績を取れている魔法の授業をはじめたのだ
が、子狸の﹁授業﹂とやらに興味を持った教師陣が勢揃いで聴衆と
化した。
そのときの子狸先生のひとこと。
﹁授業参観か!﹂
残念ながら、ボケではなくツッコミである。というボケなのか?
369
丁寧に解説すると、ボケろと言われて、あえてツッコむ。それが
ボケという高度な⋮⋮などと青いひとたちが議論をはじめたところ
で子狸が涙ながらに謝罪したので、これまでとする。
370
﹁子狸はこんらんしている﹂part1
一、王都在住のとるにたらない不定形生物さん︵出張中
羽のひとを新たなる旅の仲間に加え
にわかに活気づく我らが勇者一行
次の街へ向けて、いざ出発⋮⋮!
と行きたいところだが
まずは本来の目的である
調理器具一式を手に入れるために
専門の鍛冶屋へ
妖精﹁一口に包丁と言っても、いろいろあるんですね∼﹂
勇者﹁いちばん高価なものを買っておけば間違いないのかしら﹂
子狸﹁用途の幅が広いものがいいかな。サイズはやや小ぶりで使い
回しの良いものを、重量はある程度あった方が手に馴染む﹂
子狸は
こんらんしている
妖精﹁ノロくんがまともなことを⋮⋮﹂
勇者﹁⋮⋮はじめての感覚だわ。これが感動というものなの⋮⋮?﹂
371
感動を知る勇者さん
絶賛こんらん中の子狸が
率先して鍛冶屋の店主と交渉し
無難に商談をまとめる
子狸﹁どうしたのさ、ふたりとも? さあ、行こう。おれたちの旅
は、まだはじまったばかりだ⋮⋮!﹂
違和感が物凄いのですが⋮⋮
二、火口付近在住のとるにたらない不定形生物さん
子狸さん
かっこいい⋮⋮
三、かまくら在住のとるにたらない不定形生物さん
この子狸になら
抱かれてもいい
四、山腹巣穴在住のとるにたらない不定形生物さん
おれは
子狸はやれば出来る子だって
信じてたよ
372
五、海底洞窟在住のとるにたらない不定形生物さん
子狸はじまったな⋮⋮
王都の
あとでデータを送ってくれ
永久保存する
六、王都在住のとるにたらない不定形生物さん︵出張中
おう
抜かりはないぜ
きちんと、あらゆる角度から録画しておいた
編集して完成したバージョンを
今夜にでも河に流す
七、住所不定のどこにでもいるようなてふてふさん
さすが青いひとだな
おれは
子狸の肩から
勇者さんの反応シリーズ
をリリースする予定だ
373
八、王都在住のとるにたらない不定形生物さん︵出張中
おう
突き詰めていけば
面白いものが出来そうだな
さて
目的のものを入手し、一行は往来へ
勇者さんは
一向に旅立とうとする様子がない
もう一泊するのかな?
九、住所不定のどこにでもいるようなてふてふさん
訊いてみる
おれ﹁リシアさん、次はどこへ行くんですか?﹂
勇者﹁⋮⋮足が疲れたわ。広場で少し休憩しましょう﹂
子狸﹁あんまり出歩かない方がいいんじゃないかな? 君は、有名
人みたいだね﹂
おれ﹁⋮⋮おお﹂
勇者﹁⋮⋮おお﹂
374
これが子狸の真の実力なのか⋮⋮
ちらりと背後を警戒する子狸が
お屋形さまとだぶって見えるぜ⋮⋮!
一0、王都在住のとるにたらない不定形生物さん︵出張中
すっかり立派になって⋮⋮
子狸の懸念は現実のものとなり
通りの向こうから
二人組の男が近づいてくる
勇者﹁思ったよりも遅かったわね﹂
どうやら勇者さんは
彼らと顔見知りらしい
片や
眼帯をはめ
隻腕の男
その男に
つき従うように歩いているのは
長身の
あきらかに素人離れした物腰の男である
騎士崩れか⋮⋮?
375
二人とも厚手の上着を肩に引っかけてる
胸にきらめく純金製のカフス
どう見てもカタギの人間とは思えません
本当にありがとうございました
一一、管理人だよ
何者だ?
一二、山腹巣穴在住のとるにたらない不定形生物さん
ファミリーの人間かと
王国の貴族制度に反発する無法者たちです
仁義を重んじるのですが
末端のものには荒くれものが多いので
民衆の支持は得られてません
しかし現実問題として
街の治安を下で支えているのは
彼らの圧力によるものです
騎士団の人手不足は深刻ですからね
376
一三、管理人だよ
そうか
アリア家との関わりが
あるのかもしれないな
だが
もしもということもある
羽のひとは
彼女を守れ
おれも
いざというときに備える
一四、住所不定のどこにでもいるようなてふてふさん
イエッサー!
一五、空中庭園在住のとるにたらない不定形生物さん
おれ
もう満足だ⋮⋮
いつ死んでもいい⋮⋮
一六、海底洞窟在住のとるにたらない不定形生物さん
377
庭園の!?
逝くな!
これからだろ!
いままで悪い夢を見てたんだよ⋮⋮
ようやくはじまったんだ⋮⋮!
一七、空中庭園在住のとるにたらない不定形生物さん
ああ。すまない
少し取り乱した⋮⋮
一八、王都在住のとるにたらない不定形生物さん︵出張中
一直線に勇者さんに近寄ってきた二人組が
彼女に頭を下げる
眼帯﹁申し訳ない。手違いがあったようで⋮⋮﹂
途中で超空間に立ち寄ったからな
そのときに見失ったんだろう
おそらく察しはついているだろうに
378
勇者さんは悪びれない
勇者﹁そう。まあいいわ﹂
長身の男は
周囲の目を気にしている
たぶん眼帯の側近なんだろう
大通りから外れているとはいえ
この街は王都に程近く
人通りは多い
側近﹁⋮⋮場所を変えますか?﹂
勇者﹁ここでいいわ。あなたたちだって王国の民には違いないもの。
疾しいことなんて何もないのよ。そうでしょ?﹂
眼帯﹁さすがにアリア家のお嬢さまは豪胆でいらっしゃる⋮⋮。う
ちの若い衆にも見習ってほしいもんだ﹂
勇者﹁そうね。他の貴族が、みんなそう考えてくれたら心配もいら
ないのだけれど⋮⋮﹂
眼帯﹁何か心配事でも?﹂
勇者﹁訳あって、少し長い旅になりそうなの。仮に、あなたたちが
頼んでもいないのに行く先々で便宜を図ってくれるとしたなら、わ
たしたちは借りたくもない恩を作ることになるわね。困ったことだ
わ⋮⋮﹂
379
眼帯﹁国を憂うお気持ちはわかります。つまり⋮⋮いらぬお節介と
は存じますが⋮⋮﹂
勇者﹁そう。それなら仕方ないわね。わたしはね、心配なのよ﹂
眼帯﹁と申されますと⋮⋮?﹂
勇者﹁わたしたちの一族は、これまで王家に仇なす不忠の輩どもを
数えきれないほど粛清してきたわ。だから、王家に万が一のことが
あってはならないと⋮⋮そう思ってる﹂
眼帯﹁ご立派です﹂
勇者﹁いいえ、当たり前のことよ。けど、その当たり前のことがで
きない貴族の多いこと⋮⋮﹂
その筆頭がアリア家なんですけどね⋮⋮
勇者﹁わたしは、しばらく王都に戻れないわ。我が家を疎んじる者
からしたら、どう思うかしらね⋮⋮。あってはならないことだけど
⋮⋮わたしなら騎士団を味方につけるわ﹂
ところで話は変わるけど
いい天気だよな
一九、かまくら在住のとるにたらない不定形生物さん
おう
380
いい天気だな
吹雪で一歩先も見えないぜ
二0、火口付近在住のとるにたらない不定形生物さん
ほう
ご近所さんたちは
どうしてるんだ?
二一、かまくら在住のとるにたらない不定形生物さん
え
ふつうに
かまくら作って
避難してるけど?
見張りは交代制で
二二、海底洞窟在住のとるにたらない不定形生物さん
それ
お前が
技術革命
起こしてるんじゃ⋮⋮?
二三、山腹巣穴在住のとるにたらない不定形生物さん
381
おれんちの
ご近所さんも
似たようなもんだぜ
年々お供え物が増えていってる気がする
二四、王都在住のとるにたらない不定形生物さん︵出張中
おっと、いかん
話を聞いてなかった
勇者さんとの世間話を終えた眼帯が
子狸の目を覗き込む
眼帯﹁お前か? ノロ・バウマフってのは。⋮⋮大きくなったな。
あまり似てないと思ったが、面構えは親父譲りか﹂
子狸﹁⋮⋮父さんのことを?﹂
眼帯﹁お前の親父さんは、おれの命の恩人だ。向こうは覚えちゃい
ないだろうがな﹂
あ∼⋮⋮
こいつ
あのときのチンピラか
二五、海底洞窟在住のとるにたらない不定形生物さん
382
あ∼⋮⋮
いたね
そういえば
血まみれで行き倒れてたのが
子狸が三歳くらいのときだな
二六、管理人だよ
そうなのか⋮⋮
合縁奇縁ってやつだな
二七、住所不定のどこにでもいるようなてふてふさん
勇者さんも同意見みたいですね
勇者﹁そうなの? 不思議な縁ね﹂
眼帯﹁そうでもないですよ。我々の業界じゃあ、こういうのは珍し
いことじゃない⋮⋮。しかしアリア家のお供が平民とはね⋮⋮こい
つとはどこで?﹂
勇者﹁魔物にさらわれてたところを拾ったの﹂
眼帯﹁さらわれて⋮⋮? そんなへまを、あの男がするかね⋮⋮?﹂
383
妖精﹁ノロくんには放浪癖があるんですよ∼﹂
眼帯﹁ふぅん。あんまりお袋さんに心配かけるなよ?﹂
子狸﹁⋮⋮⋮⋮﹂
無反応の子狸さん
眼帯﹁⋮⋮で、だ﹂
急変する眼帯の表情
眼帯﹁お前、腹に何を飼ってる?﹂
おれたちのことかな?
いるんだよね⋮⋮
たまにこういう勘の鋭いやつがさ⋮⋮
どうする?
二八、空中庭園在住のとるにたらない不定形生物さん
おれが行く
子狸の影に成り済まして
不意打ち気味に襲撃するわ
384
場合によっては魔王の腹心ルートに突入するけど
まあ、側近が何とかしてくれんだろ
二九、王都在住のとるにたらない不定形生物さん︵出張中
そうか?
そこまでやらなくてもいい気もするが⋮⋮
まあ、やるってんなら
羽のひとは
タイミングを見て
超空間で四人を隔離してくれ
街中で暴れられると面倒だ
バウマフ家の歴史は
表沙汰にはしたくない
三0、住所不定のどこにでもいるようなてふてふさん
おう
って早ぇーよ
青いひと扮する子狸の影が
眼帯に
レクイエム毒針の変化形を放つ
385
側近﹁! 叔父貴!﹂
側近は
おれたちの期待を裏切らなかった
盾の魔法で難なく弾く
チェンジリングね⋮⋮
職業軍人の技術だぜ
もしくは暗殺者⋮⋮
庭園﹁バレてしまっては仕方ない⋮⋮﹂
伸び上がる子狸の影
おれ﹁魔物!? こんな街中で⋮⋮! リシアさんっ、わたし結界
を張ります!﹂
勇者﹁お願い﹂
うは☆
まったく動じてない
さあ、子狸さん!
いいとこ見せるチャンスですよ!
子狸﹁⋮⋮⋮⋮﹂
386
おや?
三一、管理人だよ
何者だ?
三二、空中庭園在住のとるにたらない不定形生物さん︵出張中
え?
三三、火口付近在住のとるにたらない不定形生物さん
え?
三四、かまくら在住のとるにたらない不定形生物さん
え?
387
﹁子狸はこんらんしている﹂part1︵後書き︶
注釈
・チェンジリング
詠唱を変換する技術。
人間は詠唱を破棄することができないため、不意打ちや不意打ち
に対抗する手段として、詠唱を﹁改造﹂する技術を発展させてきた。
そのひとつが﹁チェンジリング﹂である。
先の発言を詠唱として扱うもので、かなりの習熟を必要とする。
詠唱はレベルに応じて長くなる︵指示が複雑になる︶傾向がある
ため、チェンジリング可能な魔法はごく低レベルの魔法に限られる。
﹁詠唱を隠せる﹂というメリットから、近距離戦においては切り札
になりうる。
一見すると便利なのだが、この技術を習得すると手札が少なくな
るという決して小さくないデメリットも発生するようだ。
つまり、状況に応じて魔法を使い分けようという考え方の人間に
は合わないらしい。
388
﹁地底で槌振るおれたち﹂
三二六、王国在住の現実を生きる小人さん︵出張中
とん
三二七、帝国在住の現実を生きる小人さん︵出張中
てん
三二八、連合国在住の現実を生きる小人さん︵出張中
かん
三二九、王国在住の現実を生きる小人さん︵出張中
とん
三三0、帝国在住の現実を生きる小人さん︵出張中
てん
三三一、連合国在住の現実を生きる小人さん︵出張中
389
かん
三三二、海底洞窟在住のとるにたらない不定形生物さん
庭園の
焦りすぎじゃないか?
王都のが怪しんでるぞ
三三三、空中庭園在住のとるにたらない不定形生物さん︵出張中
理由は在ればいい
整合性は
この際二の次だ
海底の
これはチャンスなんだ
おそらく最初で最後のな
三三四、海底洞窟在住のとるにたらない不定形生物さん
え
そんなに切羽詰まってるのか?
390
レベル2のひとたちに頼めばいいかなと
おれは思ってたんだが⋮⋮
三三五、空中庭園在住のとるにたらない不定形生物さん︵出張中
おう
断言してもいい
この先
勇者さんの退魔性は
どんどん落ちていくぜ
レベル4は
人間の限界を超えてるからな
現時点で最低二回
おれたちが知らないだけで
少なくとも二回か三回は余分に使ってるだろう
あるいは、もっと多いかもしれん
早急にサンプルを採取する必要がある
緑のひとも似たようなことを言ってるんじゃないか?
三三六、海底洞窟在住のとるにたらない不定形生物さん
391
まあな
だが⋮⋮
三三七、王国在住の現実を生きる小人さん︵出張中
なんぞ
また
お前ら
悪だくみしてるのか?
三三八、帝国在住の現実を生きる小人さん︵出張中
正直
お前らのコンビは
不吉な予感しかしないんだが⋮⋮
三三九、空中庭園在住のとるにたらない不定形生物さん︵出張中
不吉とか言うな
おれ
さいきん
ちょっと気にしてるんだよ⋮⋮
392
開運グッズに
興味しんしん
三四0、海底洞窟在住のとるにたらない不定形生物さん
おいおい
山腹のが言ってたこと
本気にしてるのか?
いつだったか
宰相が言ってたじゃん
運命は
自らの手で切り開くものだろ
三四一、空中庭園在住のとるにたらない不定形生物さん︵出張中
バウマフさんちのひとを
ずっと見てるとな⋮⋮
ときどき思うんだよ
この世には
運命に溺愛された人間が
たしかに存在して
それは
おれたちだって
他人事じゃないんじゃないかって⋮⋮
393
三四二、海底洞窟在住のとるにたらない不定形生物さん
あ∼⋮⋮
三四三、王国在住の現実を生きる小人さん︵出張中
あ∼⋮⋮
三四四、帝国在住の現実を生きる小人さん︵出張中
あ∼⋮⋮
三四五、連合国在住の現実を生きる小人さん︵出張中
こらこら
否定してやれよ
おれはしないけど
三四六、帝国在住の現実を生きる小人さん︵出張中
また
お前は
394
そうやって
おれたちに
泥をかぶせようとするんだな⋮⋮
三四七、王国在住の現実を生きる小人さん︵出張中
連合国
まじ怖い⋮⋮
覚えてろよ
いつかおれんちのアジェステたんが
お前んちをぎゃふんと言わせるからな⋮⋮
三四八、連合国在住の現実を生きる小人さん︵出張中
お前んちのほうが
よっぽど怖いわ!
アリア家とかまじ勘弁して下さいよ∼︵泣
お前んちの宰相
おれ、まじで応援してっから!
三四九、王国在住の現実を生きる小人さん︵出張中
おれんちの王族をばかにしてんのか!?
395
アリア家の野心を未然に防いでるのは
ある意味あの人たちなんだぞ!
三五0、帝国在住の現実を生きる小人さん︵出張中
ようは能天気なんだろ?
お前んちの王家
なんかバウマフさんちのひとと相通じるものがあるんだよな
三五一、王国在住の現実を生きる小人さん︵出張中
おい
おい。なめんな
あそこまでひどくないわ!
あそこまでひどくないわ!
三五二、空中庭園在住のとるにたらない不定形生物さん︵出張中
なぜ
二度繰り返した⋮⋮
まあ、おちつけ
396
ときに
子狸バスター︵仮︶の進捗はどうなってる?
三五三、王国在住の現実を生きる小人さん︵出張中
おう
順調だぜ
やっぱり
ラストダンジョンでとれる鉄は
良質だな
三五四、魔都在住の特筆すべき点もないライオンさん
あんまり
うちの近くを
掘り進めないで欲しいんだが⋮⋮
三五五、帝国在住の現実を生きる小人さん︵出張中
良質なものは仕方ない
三五六、連合国在住の現実を生きる小人さん︵出張中
良質だった君の家が悪いのだよ⋮⋮
397
三五七、魔都在住の特筆すべき点もないライオンさん
鬼のひと
まじ怖い⋮⋮
理屈が通じないんだよぅ
三五八、海底洞窟在住のとるにたらない不定形生物さん
まあ
おかげで難攻不落の要塞と化してるんだから
いいんじゃない?
三五九、魔都在住の特筆すべき点もないライオンさん
その前に崩落しそうで怖いんだよ⋮⋮
アリの巣か!
もう一度言うわ
アリの巣か!
三六0、空中庭園在住のとるにたらない不定形生物さん︵出張中
398
だから
なぜ二度言う⋮⋮
三六一、王国在住の現実を生きる小人さん︵出張中
ひゃっほぉぉぉう!
鉄が足りねえぞ
野郎ども!
掘れ掘れ掘れぇーい!
三六二、帝国在住の現実を生きる小人さん︵出張中
合点承知!
行くぜっ
全
部
お
れ
そして
399
いま放たれる
必殺のぉぉぉぉ
お れ ド リ ル !
うなれ!
おれの角!
三六三、連合国在住の現実を生きる小人さん︵出張中
削れる岩盤は
いい岩盤だ!
削れない岩盤は
教育された
いい岩盤だ!
おらおらおらーっ!
三六四、魔都在住の特筆すべき点もないライオンさん
いやぁぁぁあああ!
400
﹁地底で槌振るおれたち﹂︵後書き︶
注釈
・ア︵ジ︶ジェステ
﹁聖騎士﹂を意味する称号名。
﹁アジ﹂は﹁栄光﹂、﹁ジェステ﹂は﹁騎士﹂の意であり、つなげ
ると﹁アジジェステ﹂なのだが、﹁ジ﹂の音が重なるため﹁アジェ
ステ﹂と読む。
この世界において三大国家と言われる王国と帝国、そして連合国
は、とても仲が悪い︵とくに王国と帝国︶。
だが、魔物の軍勢が攻めてきたときはそうも言ってられないので、
お互い助け合いましょうという協定を大国同士で結んでいる。
その際、各国の縄張り意識と利害競争が絡み合い、指揮系統がひ
どいことになるのが目に見えていたため、﹁称号名﹂という制度が
設けられた。
称号名とは国際的な位階を表わすものであり、たとえば﹁聖騎士
位﹂を意味する﹁アジェステ﹂は﹁どこの国の騎士も自由に使って
いいし、王さま以外の命令には従わなくてもいいけど、大規模な作
戦に支障をきたすような無茶はしないでね﹂という非常に変則的な
権限を持つ。
これはレベル4︵都市級︶以上の魔物に単独で突っ込むような困
ったひとに贈られる称号で、﹁英雄号﹂とも呼ばれる。すごいぞア
リア家。
401
﹁子狸はこんらんしている﹂part2
三五、空中庭園在住のとるにたらない不定形生物さん︵出張中
なん⋮⋮
いや
え?
おれ、はっきり言ったよね?
三六、管理人だよ
うん?
うん
三七、空中庭園在住のとるにたらない不定形生物さん︵出張中
あ
お前
その反応⋮⋮
さては何もわかってねーな!?
402
三八、海底洞窟在住のとるにたらない不定形生物さん
どうしちゃったの
管理人さん!?
そんな⋮⋮
うそだろ!?
目を覚ましてくれよっ⋮⋮
ようやくこれから⋮⋮
おれたちの冒険が
はじまるんじゃなかったのか!?
三九、火口付近在住のとるにたらない不定形生物さん
管理人さん!
四0、かまくら在住のとるにたらない不定形生物さん
管理人さん!
四一、山腹巣穴在住のとるにたらない不定形生物さん
管理人さん!
403
四二、管理人だよ
なに?
四三、海底洞窟在住のとるにたらない不定形生物さん
さて続けようか
四四、山腹巣穴在住のとるにたらない不定形生物さん
おう。短い夢だったな
四五、火口付近在住のとるにたらない不定形生物さん
まさか三十分と保たないとはな⋮⋮
つーか悪化してねーか?
四六、住所不定のどこにでもいるようなてふてふさん
限界まで頭脳を酷使した反動かなぁ⋮⋮?
四七、かまくら在住のとるにたらない不定形生物さん
404
え!?
あれしきで限界なの!?
お猿さんでも
もうちょっと
がんばれるだろー!
四八、管理人だよ
お前ら
おれを
見くびるな!
おれ﹁お嬢、さがって!﹂
勇者さんは
このおれが
守る!
四九、空中庭園在住のとるにたらない不定形生物さん︵出張中
お前が何もわかってないというのは
よくわかった
だが
これを見ても同じことが言えるかな?
405
おれ﹁愚かな人間どもめ⋮⋮。大人しく我々の手のひらの上で踊っ
ていればいいものを⋮⋮﹂
見よ!
これぞ
猛虎の構えだ!
五0、管理人だよ
!
青いひと?
青いひとなの!?
五一、空中庭園在住のとるにたらない不定形生物さん︵出張中
そうとも
人呼んで
ザ・ブルー
大空を翔ける蒼き閃光とは
このおれのことよ!
406
五二、王都在住のとるにたらない不定形生物さん︵出張中
お前も
子狸と面と向かうと壊れるなぁ⋮⋮
庭園のが口上を述べている間に
羽のひとの結界は完成
周囲の風景が歪み
衆目は閉ざされる
こんらんがとけた子狸の頬を
勇者さんが引っぱる
子狸﹁⋮⋮ん?﹂
勇者﹁よく伸びるわね﹂
罰のつもりらしいが
教官の手で鍛え上げられた子狸の頬の柔軟性は
おれたちも一目置いているほどだ
ここで眼帯が進み出る
眼帯﹁度胸も親父譲りか。だが、ここはおれのシマだ。さがってな、
小僧﹂
そう言って子狸を押しのける
407
側近﹁叔父貴。連中に理屈が通じるとは⋮⋮﹂
眼帯﹁そんときは頼むわ﹂
側近の提言を軽く流して
庭園のに詰め寄る眼帯
手をポケットに突っ込んだ横柄な態度である
眼帯﹁おう。おめえらは言葉がわかるのに、人の話を聞こうとしね
え。お前はどうだ? 聞く耳はあるか?﹂
庭園﹁人間風情が⋮⋮対等のつもりか? 言ってみろ﹂
とりあえず
こき下ろしておいて
対話に応じる庭園の
眼帯﹁そうかい⋮⋮。じゃあ、こうだ!﹂
そんな庭園のの優しさに突け込んで
眼帯の蹴りが炸裂☆
眼帯﹁誰に断っておれのシマを荒らしてんだ。ああ!?﹂
五三、火口付近在住のとるにたらない不定形生物さん
やだ⋮⋮怖い
408
五四、かまくら在住のとるにたらない不定形生物さん
やだ⋮⋮怖い
五五、海底洞窟在住のとるにたらない不定形生物さん
庭園の⋮⋮?
五六、空中庭園在住のとるにたらない不定形生物さん︵出張中
久しぶりに⋮⋮
キレちまったよ⋮⋮
おれ﹁やってくれるな⋮⋮下等生物が!﹂
だが、思い上がるな
いちばん厄介なのは
お前なんだよ子狸ぃ⋮⋮
喰らえっ
レクイエム毒針・影!
これが
お前への葬送曲だ!
409
五七、管理人だよ
おれ!?
五八、山腹巣穴在住のとるにたらない不定形生物さん
いいぞ!
やっちまえ!
五九、海底洞窟在住のとるにたらない不定形生物さん
われわれは
同志の闘争を
心の底から応援するものですっ⋮⋮
六0、住所不定のどこにでもいるようなてふてふさん
残念っ⋮⋮
射線を見切った勇者さんが
踏み込むと同時に触手の横腹を指でなぞる
霧散する触手
410
こうして、あえなく青いひとの奥義は敗れ去るのであった⋮⋮
六一、火口付近在住のとるにたらない不定形生物さん
ちっ⋮⋮
六二、かまくら在住のとるにたらない不定形生物さん
ちっ⋮⋮
六三、空中庭園在住のとるにたらない不定形生物さん︵出張中
ちっ⋮⋮
なるほどな
これがアリア家の血か
背筋が震えたぜ
だが
子狸に一撃を入れるまでは終われるかよ⋮⋮!
おれ﹁おのれっ⋮⋮﹂
飛び退くおれ
子狸は、あとでじっくりと料理してやる
411
まずはお前からだ!
おれ﹁冥府に沈め! アルダ・バリエ・ラルド⋮⋮﹂
六四、王都在住のとるにたらない不定形生物さん︵出張中
庭園のが
詠唱しつつ
眼帯に奥義を乱れ撃つ
側近﹁ディレイ!﹂
正直、単なる指圧なのだが
なんとなくやばそうなので
側近が盾の魔法で迎撃
この側近
じつに優秀である
庭園﹁アバドン・グノ!﹂
妖精﹁マジカル☆ミサイル!﹂
あれ?
そんな技名でしたっけ?
魔法に関しては独自の路線を行く羽のひとが
光の誘導弾で
412
庭園のの血と汗と涙の結晶である闇の底なし沼を
華麗に相殺
妖精﹁リシアさんっ、いまです!﹂
六五、山腹巣穴在住のとるにたらない不定形生物さん
妖精魔法ですね
わかります
六六、空中庭園在住のとるにたらない不定形生物さん︵出張中
おれ涙目
妖精ってつけば
なんでも許されると思うなよー!
六七、火口付近在住のとるにたらない不定形生物さん
庭園の
うしろうしろー!
六八、空中庭園在住のとるにたらない不定形生物さん︵出張中
きゃあ
413
六九、住所不定のどこにでもいるようなてふてふさん
どうかね
おれと勇者さんのコンビネーションは?
眼帯を盾に素早く回り込んだ勇者さんが
愛用の剣で青いひとを背後から切り裂く
のたうつ青いひとにひとこと
勇者﹁冥土の土産はくれないの?﹂
そして子狸が空気な件
七0、管理人だよ
もう一度
おれに
チャンスを下さい
七一、かまくら在住のとるにたらない不定形生物さん
そしてまさかのスーパー子狸タイム
七二、海底洞窟在住のとるにたらない不定形生物さん
414
構わんが高くつくぜ?
具体的には
南国の王さまを寄越して下さい
お願いします
七三、山腹巣穴在住のとるにたらない不定形生物さん
えらくこだわるな⋮⋮
なにがお前をそうまで駆り立てる?
七四、海底洞窟在住のとるにたらない不定形生物さん
宰相に贈るんだ
おれは
自分の言葉にまっすぐ生きる
七五、管理人だよ
お金ないんです⋮⋮
七六、火口付近在住のとるにたらない不定形生物さん
勇者さんにお願いしてみたら?
415
つまり
お小遣いだな
七七、管理人だよ
お前⋮⋮
頭いいな
七八、空中庭園在住のとるにたらない不定形生物さん︵出張中
引き換えに
いろいろなものを失うと思うんだが⋮⋮
まあ
子狸がそう言うなら
おれ﹁くれてやるさ⋮⋮。おれが、なんのために、そこの小僧の影
に、潜んでいたと思う⋮⋮?﹂
勇者﹁ひまだったから?﹂
正解︵にこっ
おっと
この勇者あなどれん⋮⋮
真理を突いてくるな⋮⋮
416
おれ﹁きさまは、なにも知らない⋮⋮。おれは、あのお方の遣いに
過ぎない⋮⋮。いずれ、思い知ることになる⋮⋮。地獄で待ってい
るぞ⋮⋮アレイシアン・アジェステ・アリア⋮⋮聖騎士の、末裔よ
⋮⋮﹂
きれぎれに言ってから
ぐったりしてみる
子狸
準備はいいか?
おれが
最後の力を振り絞って
勇者さんに襲いかかるから
お前が
身を呈してかばうんだぞ?
七九、管理人だよ
え?
八0、空中庭園在住のとるにたらない不定形生物さん︵出張中
え?
417
八一、海底洞窟在住のとるにたらない不定形生物さん
え?
八二、管理人だよ
お小遣いは?
八三、空中庭園在住のとるにたらない不定形生物︵出張中
意味が⋮⋮
わからん⋮⋮
がくっ
八四、火口付近在住のとるにたらない不定形生物さん
庭園の∼!
八五、かまくら在住のとるにたらない不定形生物さん
庭園の∼!
八六、住所不定のどこにでもいるようなてふてふさん
418
かくして
子狸の前に
敗れ去った青いひと
フェードアウトしていった
彼の言葉は
この先、勇者一行を待ち受ける
苦難の旅路を予感させるものであった⋮⋮
それはそうと
勇者さんは
子狸の頬の感触が
お気に召したようである
勇者﹁もうへんなの憑いてないでしょうね⋮⋮﹂
おれだったら
こんなへんな生き物は
さっさと置いていくのだが
子狸﹁え? おれ、何かついてる?﹂
本当に不思議でならない⋮⋮
一方
眼帯の疑惑は払拭できたようである
眼帯﹁憑き物が落ちたみてえな顔してるぜ。そっちが素なのかい⋮
⋮不憫な﹂
419
側近﹁⋮⋮叔父貴。ですが、能ある鷹は爪を隠すって言いますよ﹂
おかゆは?
おか
眼帯﹁いいや、思い出したぜ。小っちぇえ頃から、あんなだったわ。
だのと人の耳元でよぉ⋮⋮﹂
こちとら生死の境をさまよってるってのに、
ゆは?
幼い頃から利発な子でしてね⋮⋮
子狸﹁! タマ!? タマなの!?﹂
タマ﹁てめーの頭ん中で、おれはどういう扱いになってんだ!?﹂
八七、かまくら在住のとるにたらない不定形生物さん
また会えるかな?
タマさん
八八、火口付近在住のとるにたらない不定形生物さん
会えるといいな
タマさん
八九、空中庭園在住のとるにたらない不定形生物さん
420
さあな
ただ、これだけははっきりと言える
我々の業界じゃあ
こういうのは珍しいことじゃない⋮⋮
421
﹁子狸はこんらんしている﹂part2︵後書き︶
注釈
・猛虎の構え
まず、中腰になる。
次に、片足を前に出して、ひざを程良くたわませる。
最後に、両腕を広げて、ひじを直角に曲げた状態から、両手の指
に万力の力を込めて鉤爪を表現する。
上記の手順を、青いひとたちは触手で代用して成し遂げる。
あえてボディと顔面をがら空きにすることで、王者の風格を醸し
出すらしい。
別名﹁魔王の遊び﹂とも称されるこの構えは、青いひとたちの代
名詞でもある。
なお、身体の向きは斜め45度が最も美しいとされる。
・妖精魔法
妖精たちが扱うとされる魔法。
詠唱を要さない、既存のものとは異なる体系の魔法ということに
なっているが、単に詠唱破棄してるだけである。
羽のひとは殊更にイメージを大事にするので、なんだか神聖な感
じがする光弾系の魔法を専ら多用する。
今回の場合、青いひとが使用した闇の魔法はレベル3に相当する
ため、詠唱破棄でほとんど開放レベルを持って行かれている﹁マジ
カル☆ミサイル﹂では相殺しきれないのが本当のところなのだが、
422
﹁妖精魔法﹂は﹁聖属性﹂ということになっているため、︵状況次
第ではあるが︶実質的なレベルを無視した結果になることが多々あ
る。
この﹁属性﹂という概念は、仕掛け人の魔物たちが長年に渡って
築き上げた﹁トラップ﹂と呼ばれる﹁嘘のルール﹂であり、魔法の
本質を人間に悟られないよう工夫を凝らしている。
たとえば、水の魔法は火の魔法に対して優位ということは、本来
なら起こらない。
しかし人間は﹁当然そうなる﹂と信じて疑わないため、二番回線
の働きにより﹁当然そうなる﹂のだ。
423
﹁おれたち絶賛放置プレイ中の件に関して﹂part1
一、墓地在住の今をときめく骸骨さん︵出張中
おれたち
絶賛放置プレイ中の件に関して
二、樹海在住の今をときめく亡霊さん︵出張中
おれ
そろそろ家に帰らないと
通常業務に支障をきたしそうなんだが⋮⋮
三、墓地在住の今をときめく骸骨さん︵出張中
速報も入らないしな
まさか三泊するとか言い出さないよね⋮⋮?
四、樹海在住の今をときめく亡霊さん︵出張中
そもそも二泊してる時点でどうかとおれは思う
五、墓地在住の今をときめく骸骨さん︵出張中
424
だいたい順調すぎると思ったんだよ⋮⋮
そういうときは
たいていどこかに穴があるんだ
六、樹海在住の今をときめく亡霊さん︵出張中
つまり結論から言うと
子狸ぃ⋮⋮
七、墓地在住の今をときめく骸骨さん︵出張中
子狸ぃ⋮⋮
八、管理人だよ
子狸ぃ⋮⋮
九、樹海在住の今をときめく亡霊さん︵出張中
自虐かよ
いつの間に
そんな高度なテクニックを覚えた
425
いや
青いひとの差し金だな?
一0、管理人だよ
違います
青いひとに
やれって言われた
一一、墓地在住の今をときめく骸骨さん︵出張中
それを差し金と言わず
なんだというのか
こんにちは管理人さん
待ちわびました
一二、樹海在住の今をときめく亡霊さん︵出張中
待ちわびすぎてテンション低いですけど
ご了承下さい
配置についてから
現時点で二十四時間経過
426
相変わらず
語彙が少ないですねっ><b
一三、管理人だよ
まあね
低学年の子にも
よく言われるよ
子供は素直で可愛いね
一四、墓地在住の今をときめく骸骨さん︵出張中
うん
青いひと
いる?
一五、海底洞窟在住のとるにたらない不定形生物さん
おれは
いつでも
お前らを
見守ってるよ
427
一六、樹海在住の今をときめく亡霊さん︵出張中
ばか︵照
一七、王都在住のとるにたらない不定形生物さん︵出張中
二度目はないと
言ったはずだぞ
一八、海底洞窟在住のとるにたらない不定形生物さん
ぎゃーっ!
一九、火口付近在住のとるにたらない不定形生物さん
海底の∼!
二0、かまくら在住のとるにたらない不定形生物さん
まさかあれは⋮⋮
氷縛千刃殺界陣!?
二一、山腹巣穴在住のとるにたらない不定形生物さん
428
かまくらの
知っているのか!?
二二、空中庭園在住のとるにたらない不定形生物さん
すまんな、骨のひと
待ったか?
二三、墓地在住の今をときめく骸骨さん︵出張中
ううん
いま来たところ︵にこっ
二四、王都在住のとるにたらない不定形生物さん︵出張中
お前らもか
二五、空中庭園在住のとるにたらない不定形生物さん
ちょっ
違
ぎゃーっ!
429
二六、火口付近在住のとるにたらない不定形生物さん
庭園の∼!
二七、山腹巣穴在住のとるにたらない不定形生物さん
王都のが暴君と化した⋮⋮
二八、かまくら在住のとるにたらない不定形生物さん
王都のは昔からそうだよな
さすが
いや
うん
二九、海底洞窟在住のとるにたらない不定形生物さん
さすが
初代魔王だな!
三0、王都在住のとるにたらない不定形生物さん︵出張中
430
うるさい
過ぎたことだ
忘れろ
ああ
見えるひとも
待たせたな
けっきょく
昨日は丸一日
タマさんの職場案内で終わってしまった
勇者さんは宿屋で華麗に読書
三一、管理人だよ
カチコミの才能があるって
褒められたよ
ごちゃごちゃ考えるより
ハートで勝負
だぜ!
三二、住所不定のどこにでもいるようなてふてふさん
勇者さんの護衛をまっとうできるようにと
連れて行かれたのに
431
どうして鉄砲玉のスキルを習得してくるんだ⋮⋮
気付いたら宿屋のスタッフの一員みたいになってて
一流のシェフになってから迎えに行くとか
意味不明なこと言い出すし⋮⋮
三三、管理人だよ
え?
だって
それがいちばん近道だろ?
三四、王都在住のとるにたらない不定形生物さん︵出張中
ごめん
本当に⋮⋮
いろいろと
ごめんなさい
こいつ
勇者さんに恋したとか言い出してさ
一人前の料理人になれたら
そのときは結婚しようって
ひとりで決意しちゃったんだ⋮⋮
その延長で、いま
432
はりきって昼食を作ってます⋮⋮
三五、樹海在住の今をときめく亡霊さん︵出張中
血は争えない、か⋮⋮
お屋形さまも
いきなり結婚するとか言い出して
おれたちもびびったけど
嫁さんがいちばんびびってたよな
三六、墓地在住の今をときめく骸骨さん︵出張中
いらんとこばかり似て困る
ちなみにシェフ
本日のメニューは?
三七、管理人だよ
おれ﹁魔どんぐりの甘煮です!﹂
勇者﹁却下﹂
おれ﹁なん⋮⋮だと?﹂
修行が足りなかった⋮⋮!
433
三八、住所不定のどこにでもいるようなてふてふさん
そういう問題じゃねーよ
勇者﹁わたし、魔法の果実は食べないの。作り直して頂戴﹂
子狸﹁好き嫌いはいけません﹂
勇者﹁⋮⋮どう説明したらいいかしら⋮⋮﹂
途方に暮れる勇者さん
勇者﹁剣士だから⋮⋮って言っても、わからないわよね⋮⋮﹂
子狸﹁はあ⋮⋮﹂
え?
わからないの?
三九、王都在住のとるにたらない不定形生物さん︵出張中
いや、ふつうは知らない
義務教育の制度が施行されたとき
民衆が反乱を起こしたらどうするかってのが
議題に挙がったはずだ
434
時期的に見て
その頃を境に剣士の⋮⋮というより
魔法の情報がいくつか秘匿されてる
騎士でもなければ
剣士と知り合う機会はまずないしな
平民ともなればなおさらだ
じゃあお前は
いままでのおれたちのやりとりを
なんだと思ってたんだっていう話になるけど
それは置いておこう
よくあることだ
勇者﹁一般には公開されてないけど、たくさん魔法を使うと魔法に
弱くなるの。わたしは剣士だから、魔法を使わない代わりに魔法が
あまり効かないし、魔物に対して優位に立てる﹂
子狸﹁⋮⋮なるほど﹂
子狸
本当に大丈夫か?
ついてきてるか?
四0、管理人だよ
え?
435
べつに⋮⋮
ようは
三番が閉じてるから構成が走らないってことでしょ?
四一、海底洞窟在住のとるにたらない不定形生物さん
お屋形さま
こんにちは!
四二、墓地在住の今をときめく骸骨さん︵出張中
いつもお世話になっております!
四三、樹海在住の今をときめく亡霊さん︵出張中
お子さんも
すっかり立派になって!
感無量とは
このことですな!
四四、管理人だよ
え
436
父さん?
どうしたの?
四五、空中庭園在住のとるにたらない不定形生物さん
お前がどうした!?
一瞬、本気でお屋形さまかと思ったわ!
まあ、わかるよ
そっち関連の知識は
おれたちが徹底的に叩き込んだからな⋮⋮
四六、管理人だよ
授業にぜんぜん役に立たない知識を
ありがとう
勇者﹁⋮⋮たくさん魔法を使うと、魔法に弱くなるの。これでどう
?﹂
そして
なぜ勇者さんは
同じことを繰り返したんだろう⋮⋮
おれ﹁なるほど﹂
437
勇者﹁⋮⋮だめね。ごめんなさい。忘れて?﹂
なかったことにされた⋮⋮
勇者﹁とにかく。魔法の果実は、魔法の影響を⋮⋮いえ、なんでも
ないわ。苦手なの﹂
おれ﹁好き嫌いはいけません﹂
勇者﹁そう。こうして繰り返されるのね⋮⋮﹂
やっぱり修行が足りないってことなのか⋮⋮
四七、住所不定のどこにでもいるようなてふてふさん
仕方ねーな⋮⋮
おれがフォローしてやるよ
おれ﹁リシアさん、大丈夫ですよっ。食べちゃいましょう!﹂
勇者﹁⋮⋮どうして?﹂
おれ﹁リシアさんが魔法に強いのは、なんとなくわかります。それ
って逆に言えば、魔法の果実を食べても影響を受けにくいんじゃな
いですか?﹂
勇者﹁そうね。だから?﹂
すまん。無理だったわ
438
四八、王都在住のとるにたらない不定形生物さん︵出張中
子狸﹁よくわからないけど、熱を通してるから大丈夫だよ﹂
どういう理屈?
勇者﹁どういう理屈なの﹂
子狸﹁理屈ですか⋮⋮。えっと、つまり、お嬢は回線が閉じてるか
ら⋮⋮魔法さえ使わなければ、あとは意識の問題ではないかと。う
ん、外部入力は関係ないよ﹂
勇者﹁﹂
ひいっ⋮⋮!
四九、火口付近在住のとるにたらない不定形生物さん
ひいっ⋮⋮!
五0、かまくら在住のとるにたらない不定形生物さん
はい
うっかり出ました
お前ら
439
今日もがんばって誤魔化しましょうね
五一、管理人だよ
あ!
言っちゃまずかった?
五二、空中庭園在住のとるにたらない不定形生物さん
まずいというか
それは人類社会に存在してはならないクラスの知識だよ
まあ、安心しろ
おれたちは
いかなる暴露にも
屈さず対処してきた過去の実績がある
440
﹁おれたち絶賛放置プレイ中の件に関して﹂part1︵後書き
︶
登場人物紹介
・骸骨さん
いよいよ登場したレベル2の魔物。﹁骨のひと﹂と呼ばれる。
白骨化した戦士の亡骸と言われているが、単にそういう見た目を
しているだけである。
武器の扱いに長けており、魔法もレベル2までなら自由に使える。
いちおう死のふちから蘇ったという設定なので、驚異的な生命力
を誇る。
また、レベル2以上の魔物は例外なく単体種である。というより、
レベル1の魔物たちが例外的な存在であり、基本的に魔物は一種一
体のみ。
分身魔法がある上に自在に瞬間移動できるので、本来的に同種の
個体は必要ないのだ。
注釈
・魔どんぐり
異様に巨大などんぐり。食べると、ほのかな甘味がある。
魔法の影響を受けて歪な発達を遂げた﹁魔改造の実シリーズ﹂の
ひとつである。
同シリーズを、人間は﹁魔法の果実﹂と呼ぶ。
魔改造の実に共通する特徴は、季節を問わず土壌に無造作に転が
441
っていること。
木々に成っている姿を見たものはいないため出自は定かではない
が、その形状から近しい果実の名称で呼ばれる。
442
﹁おれたち絶賛放置プレイ中の件に関して﹂part2
五三、王都在住のとるにたらない不定形生物さん︵出張中
では、ここでいったん状況を整理しよう
いまは、最初の街から次の街に向かって移動している途中
いい時間になったということで
街道わきの少し開けたスペースで
一行はランチタイムに突入
子狸が魔どんぐりを採取してきた森を
背にしている格好だ
おれたちの襲撃を警戒してか
見晴らしのいい拠点とは言い難いが
不思議なもので誰かが休んでると
他の誰かも釣られて同じところに拠点を築きはじめる
あとからついてきた行商人の集団も例外ではなかったようで
少し離れたところに拠点を作ってくつろいでる
目撃者は多数だが、会話を聞かれてはいない
商団に混ざってた吟遊詩人がライブしてる最中だから
盗み聞きされる心配はまずない
443
そして
お題はこちら
勇者﹁⋮⋮何が言いたいの?﹂
さあ
お前ら
どう答える?
五四、山腹巣穴在住のとるにたらない不定形生物さん
とりあえず
火というものが
人類社会において
いかに大きな役割を果たしてきたかを
熱く論じてみてはどうか
五五、管理人だよ
なるほど
具体的には?
五六、空中庭園在住のとるにたらない不定形生物さん
どこに
納得する要素があったというのか
444
お前の
その
よくわからないけど
じつは深いところでおれは理解している的な謎の自信は
どこから来るんだ?
五七、管理人だよ
自分を信じることは大切だって
お祖父ちゃんが言ってた
五八、かまくら在住のとるにたらない不定形生物さん
グランド狸かよ⋮⋮
同じ穴の狢じゃねーか
勇者さんじゃないけど
そうして繰り返されていくんだな⋮⋮
なんにせよ、だ
その手の誤魔化しは
勇者さんには通用しないだろ
久しぶりに
超古代文明の民ルートやってみるか?
445
五九、火口付近在住のとるにたらない不定形生物さん
お前、おれに何か恨みでもあるんですか?
六0、海底洞窟在住のとるにたらない不定形生物さん
火口のには悪いけど
あれはあれで綺麗にまとまったよな
最後の詰めが甘かっただけでさ
蘇った超兵器を鎮めるために
命を賭して封印を施した場面なんて
おれ、ちょっとホロリと来たぜ
六一、火口付近在住のとるにたらない不定形生物さん
そんで
行方不明になったはずの
なんちゃって古代の民が
お前らと宴会はじめちゃって
酒の勢いで
ゲストに勇者を招くとか言い出して
収拾がつかなくなったんじゃねーか⋮⋮
ドッキリのプラカード持って宴会会場に突撃したの
誰だと思ってんだ?
おれだぞ!
446
お前らは
バウマフさんちのひとが女の子だと
一気に甘くなる傾向があるんだよ⋮⋮
泥酔した古代の民に絡まれてる勇者とか
見るに耐えなかったわ!
六二、山腹巣穴在住のとるにたらない不定形生物さん
でも
おかげであのときは
お前だけ勇者のお説教フルマラソンを免除されたじゃん
酔いつぶれた古代の民もだけど
六三、火口付近在住のとるにたらない不定形生物さん
ぜんぜん嬉しくねーよ!
けっきょく事後処理とか
全部おれに丸投げしやがって⋮⋮
あのときの恨み
おれは、まだ忘れてないからな⋮⋮
というわけで
超古代文明の民ルートは却下
447
あのときは
バウマフさんちのひとが女の子だったから許された
みたいなとこあるし
六四、空中庭園在住のとるにたらない不定形生物さん
まあ、一理あるな
じゃあ逆転の発想で
お前が古代の民ルート行ってみるか
六五、かまくら在住のとるにたらない不定形生物さん
おお。それいいね
勇者さんプライド高そうだし
六六、海底洞窟在住のとるにたらない不定形生物さん
おう。いいんじゃないか?
子狸に対してはガードが甘いところあるしな
六七、火口付近在住のとるにたらない不定形生物さん
448
まあ、時間稼ぎにはなるかもな⋮⋮
六八、墓地在住の今をときめく骸骨さん︵出張中
お前ら
なに言ってんの?
おい
言い訳なんてする必要ないだろ
単に子狸の方が
勇者よりも博識だったってだけの話じゃん
六九、樹海在住の今をときめく亡霊さん︵出張中
おれもそう思う
お前ら悔しくないの?
誤魔化すってことはさ
おれたちの子狸さんが
格下に見られてるってことだろ
バウマフ家は
おれたちが認めた
世界で唯一の契約者だぞ
449
アリア家だろうと何だろうと
おれたちの子狸さんが
他の人間に劣るわけねーだろ⋮⋮!
七0、海底洞窟在住のとるにたらない不定形生物さん
!
おれたちが間違っていたのかもしれん⋮⋮
七一、空中庭園在住のとるにたらない不定形生物さん
ああ
目が覚めたよ
お前らの言う通りだ⋮⋮
七二、火口付近在住のとるにたらない不定形生物さん
そうだな
媚びる必要なんて
何ひとつとしてないんだ
七三、かまくら在住のとるにたらない不定形生物さん
450
おう!
強気で攻めようぜ!
七四、山腹巣穴在住のとるにたらない不定形生物さん
では、子狸さん
お前﹁え? 知らないの?﹂
これでお願いします
知ってて当然でしょ?
みたいな感じで
七五、管理人だよ
おう!
言ったよ
勇者﹁⋮⋮その態度。お昼ごはん抜きね﹂
七六、墓地在住の今をときめく骸骨さん︵出張中
ははっ
451
七七、樹海在住の今をときめく亡霊さん︵出張中
ははっ
七八、王都在住のとるにたらない不定形生物さん︵出張中
ああ、でもうまく行ったな
子狸からぶんどった魔どんぐりを
勇者さんが黙々と食べはじめたぞ
勇者﹁⋮⋮へんな味。もぐもぐ⋮⋮﹂
妖精﹁ノロくん、わたしのごはんは?﹂
子狸﹁え? あ、うん。あるよ。はい、はちみつ﹂
妖精﹁いいから肉よこせよ、肉﹂
子狸﹁妖精さん!?﹂
妖精﹁ちっ⋮⋮まあいい。今日のところはこれで我慢してやるよ﹂
小さじに盛られた
はちみつを
すくって食べる羽のひと
幻想的な光景である
452
つーか
子狸は素で忘れてると思うけど
おれたちに食事は必要ない
七九、住所不定のどこにでもいるようなてふてふさん
豚肉を食べると
世界中のブタさんが
ちょっと幸せになるって
前にスターズから聞いたぞ
おれたちが食べたものは
魔法に変換されるんだとさ
八0、山腹巣穴在住のとるにたらない不定形生物さん
まじで?
おれたち
そんな隠し機能があったの?
千年も生きてて知らんかった⋮⋮
八一、管理人だよ
というか
453
お腹、空いたんですけど
八二、海底洞窟在住のとるにたらない不定形生物さん
大人しくしておけば
勇者さんが残りをくれると思うぞ
たぶん、また無茶な条件と引き換えだろうけどな
期待して待ってると
逆にもらえないと思うから
用心しろ
八三、管理人だよ
難しいことを言うね君は⋮⋮
だったら⋮⋮
八四、王都在住のとるにたらない不定形生物さん︵出張中
子狸は
考えることをやめた
ん?
演奏を終えた吟遊詩人が近寄ってくる
454
八五、空中庭園在住のとるにたらない不定形生物さん
羽のひとがいるからな
好奇心が強いんだろう
八六、住所不定のどこにでもいるようなてふてふさん
おれか?
まあ、そうだろうな
歌人﹁ねえ、君﹂
話しかけられたのは子狸である
初対面の人間になめられるという特技が
ここで生きたな
省エネモードの子狸は
のろのろと顔を向ける
子狸﹁⋮⋮おう﹂
言語も省エネ
これはひどい
歌人﹁ん?﹂
455
子狸﹁おう⋮⋮﹂
おうおう言っている子狸に
何か思うところがあったのか
食事中の勇者さんが対応する
勇者﹁何か用?﹂
血の雨が降らないことを祈るぜ
456
﹁おれたち絶賛放置プレイ中の件に関して﹂part2︵後書き
︶
登場人物紹介
・亡霊さん
骸骨さんと同じくレベル2の魔物。﹁見えるひと﹂と呼ばれる。
怨念を宿した半透明の霊体とされているが、そんなことはなく、
単に身体が霧状なだけである。
いかんせん霧状なので、物理的な攻撃は無効化できるし、障害物
をほとんど無視して行動できる。
ふだんは樹海に住んでいて、迷い込んできた人間を森の外までリ
リースする業務に励んでいる。恐怖体験もセットで。
注釈
・お前が古代の民ルート
あなたの正体はじつは超古代文明の末裔だったんです! という
ルートだと、バウマフ家の人間は思っている。
が、じつは違う。失言を有耶無耶にする手法のひとつである。
バウマフ家の人間に﹁知らないの?﹂とか言われると、たいてい
の人間はプライドを刺激されて﹁そんなことはない﹂と否定する。
とくに自負心が強い人間に対しては絶大な効果を発揮するようだ。
457
﹁おれたち絶賛放置プレイ中の件に関して﹂part3
八七、火口付近在住のとるにたらない不定形生物さん
さいきん
吟遊詩人
増えてる?
なんか、あちこちの河で見かけるわ
八八、かまくら在住のとるにたらない不定形生物さん
言われてみれば
そんな気もするな
お屋形さまみたいに
都で暮らそうとする若者が増えてるのかも
八九、山腹巣穴在住のとるにたらない不定形生物さん
いや、なんていうか
千年祭で
いろいろとありましたからね⋮⋮
人間たちも
458
いろいろと思うところがあったのではないかと⋮⋮
九0、空中庭園在住のとるにたらない不定形生物さん
うん
まあ⋮⋮
共和国崩壊の影響が顕在化した面もあるんだろう
何かと不安定な時期なんです⋮⋮
九一、王都在住のとるにたらない不定形生物さん︵出張中
共和国の崩壊により
ひとつの時代が終わりを告げた
新時代の幕開けだ
世はまさにフロンティア
のちの大冒険時代である!
子狸﹁おぅ⋮⋮﹂
吟遊詩人が手にしている
簡易食のクラッカーを
子狸が物欲しそうに見つめている⋮⋮
459
世はまさにフロンティア
九ニ、海底洞窟在住のとるにたらない不定形生物さん
なんたるフロンティア精神⋮⋮
九三、かまくら在住のとるにたらない不定形生物さん
知らない人からものをもらってはいけないと
あれほど言ったのに⋮⋮
九四、火口付近在住のとるにたらない不定形生物さん
初対面⋮⋮だよな?
タマさんの例もある
九五、王都在住のとるにたらない不定形生物さん︵出張中
おう
今度は間違いないぞ
なんというか⋮⋮
線の細い子だな
勇者さんよりも
460
ひとつかふたつ
年かさに見える
元々は一人旅なのかな?
商団とは、たまたま行き先が一緒だったから同行してた感じだな
歌人﹁⋮⋮欲しいのかい?﹂
子狸は、歌人の真意を探るように目を見つめてから
子狸﹁うむ⋮⋮﹂
重々しく頷いた
勇者﹁お昼ごはん抜きって言ったわ﹂
勇者さんの機嫌がどんどん悪くなる
ついで歌人を睨む
勇者﹁あなたも。わたしに無断で餌付けしないでくれる?﹂
子狸を餌付けするためには
勇者さんの許可がいるらしい
まあ、何を隠そう小遣い制だしね
九六、海底洞窟在住のとるにたらない不定形生物さん
南国の王さまはたしかに頂いたぜ
461
九七、墓地在住の今をときめく骸骨さん︵出張中
南国の王さまだと!?
ちょっと
あとでひとくち
くれ
九八、樹海在住の今をときめく亡霊さん︵出張中
食うのかよ
よせよせ
シュールにも程がある
九九、海底洞窟在住のとるにたらない不定形生物さん
残念
これは綺麗にラッピングして宰相に贈るんだ
うちのポンポコ一家がいつもお世話になってるからな
おれたちより感謝を込めて⋮⋮と
一00、墓地在住の今をときめく骸骨さん︵出張中
462
おお。贈るときは言えよ
お前、家の近くから離れられないだろ?
贈り物だけ転送するのも味気ないし
おれが背筋も凍るような夏と一緒に送り届けてやるよ
一0一、樹海在住の今をときめく亡霊さん︵出張中
おう
おれも協力するぜ
こう見えて
ポルターガイストとかわりと得意なんだ
一0ニ、海底洞窟在住のとるにたらない不定形生物さん
ありがとう、お前ら
宰相も、きっと喜んでくれると思う
リアクションしたら負け
みたいな感じで企画を組もう
一0三、火口付近在住のとるにたらない不定形生物さん
おう
463
ある意味、王都襲撃のリベンジだな
スターズが直上会戦してても
あの人びくともしてなかったからなぁ⋮⋮
一0四、かまくら在住のとるにたらない不定形生物さん
宰相のスルースキルは驚嘆に値するぜ
一0五、王都在住のとるにたらない不定形生物さん︵出張中
まあ、いいんじゃないか?
たまには息抜きもさせてやらないとな
勇者さんに詫びる歌の人
歌人﹁ああ、これは申し遅れました。ボクはクリス・マッコールと
言います﹂
勇者﹁誰も名乗れなんて言ってないわ。⋮⋮アレイシアンよ﹂
でも名乗る勇者さん
称号名と家名は伏せたのは警戒心の表れだろう
羽のひとに至ってはひとことも喋らず
子狸の肩の上で
胡散くさそうに見つめるだけである
464
このパーティー
セキュリティ高ぇなぁ⋮⋮
だが、お前らも知っての通り
我らが勇者一行には致命的な穴があります
子狸﹁歌、うまいね。吟遊詩人ってみんなそうなの?
ノロ・バウマフ。趣味は読書です﹂
勇者﹁嘘おっしゃい﹂
言下に否定される子狸
ちなみに国語の成績は
ある種、惨劇の領域に達している
与しやすいと見てか
子狸を標的に定める歌の人
歌人﹁ありがとう。ええと、バウマフくん﹂
子狸﹁ノロでいいよ﹂
じっさいに与しやすいのである
歌人﹁わかった。ボクもクリスでいいよ﹂
ちらりと肩の上に目をやる
あ、おれ、
465
歌人﹁君は?
妖精⋮⋮だよね?﹂
羽のひとも仕方なく答える
妖精﹁リンカー・ベルです。コイツの友達というか⋮⋮まあ﹂
子狸﹁友達だよね﹂
妖精﹁品格が疑われるので、そういうのはちょっと⋮⋮﹂
子狸﹁そっか。たしかに、ちょっと照れるね﹂
妖精﹁意味がわからないなら、わからないって言えや﹂
品格
ひととしての価値。格。教養など
一0六、管理人だよ
そのくらい
知ってます
あと国語はけっこう得意です
表現がうまくできないだけ
一0七、山腹巣穴在住のとるにたらない不定形生物さん
知ってて
466
なおその会話なら
一層ひどいだろ
商人さ
一0八、王都在住のとるにたらない不定形生物さん︵出張中
数学とかと違って国語は
とりあえず解答欄を埋めることはできるからな
勇者さんの手前
あれこれ訊くのも悪いと思ったのか
歌の人が単刀直入に言う
歌人﹁もしよければ、しばらく同行させてくれないかな?
んたちから話を聞いたんだけど、この先の街で封鎖がかかってるら
何かあったの?﹂
しくて、少し退屈になりそうなんだ﹂
勇者﹁封鎖?
歌人﹁街道で魔物が出たらしいよ。しかも下位とはいえ中級らしく
てね。騎士団には要請を飛ばしたそうなんだけど、到着はいつにな
るか⋮⋮﹂
勇者﹁⋮⋮妙ね。戦隊級ならまだしも⋮⋮。まあ、わたしには関係
ないわね﹂
歌人﹁それで、どうかな?﹂
勇者﹁好きになさい。街道が封鎖されているなら、どのみち街で一
緒になるでしょ。わたしがとやかく言うことじゃないわ﹂
467
しかし子狸には懸念がひとつ⋮⋮
子狸﹁じゃあ、おれは歩いて行くね。お嬢、女の子同士だし、仲良
くしなくちゃだめだよ?﹂
あなた、馬は?﹂
勇者﹁なんでそうなるの。しかも上から目線⋮⋮。クリスだったか
しら?
歌人﹁大丈夫、連れてきてるよ。⋮⋮それと、ノロくん。よく間違
われるけど、ボクは男だよ。ほら、ちゃんと男物の服を着てるだろ
?﹂
子狸﹁ホントだ。美少年というやつか。仲良くできるだろうか⋮⋮﹂
納得するのか⋮⋮
まあ、べつにいいけど
ときに霊界のひとたち
封鎖というのは
お前らの仕業だな?
一0九、墓地在住の今をときめく骸骨さん︵出張中
おう
そういうことだ
いや、じっさいスケジュールがやばいんだよ
468
レベル3のひとたちが忙しすぎて
今後の見通しがまったく立ってない
ここでおれたちが時間を稼ぐ手筈になってる
一一0、王都在住のとるにたらない不定形生物さん︵出張中
なるほど
すまないな
苦労をかける
そういえば
鬼のひとたちを見かけないな
例の中ボスの件か?
一一一、空中庭園在住のとるにたらない不定形生物さん
おう
ラストダンジョンを景気良く掘削してるぞ
いまは空のひとが現場監督してる
一一ニ、樹海在住の今をときめく亡霊さん︵出張中
ふっ
469
噂に聞く黒騎士か
出番があるといいがな⋮⋮
子狸は
おれたちが仕留める
一一三、管理人だよ
なぜ
お前らは
真っ先におれを仕留めようとするのか⋮⋮
470
﹁おれたち絶賛放置プレイ中の件に関して﹂part3︵後書き
︶
注釈
・戦隊級
人間たちの基準における﹁都市級の魔物﹂がレベル4にあたるこ
とはすでに述べた通りである。
ここで言う﹁戦隊級﹂というのは、騎士団を動員して辛うじて対
抗できるクラスの魔物を意味し、これはレベル3∼4の魔物に相当
する。
魔物の強さはけっこういい加減な部分があるため、魔物側と人間
側の分類法は必ずしも一致しているわけではない。
人間たちが用いる魔物の分類は、大別して四つ。
﹁騎士級﹂﹁戦隊級﹂﹁都市級﹂﹁王種﹂。
そして﹁王種﹂を除く三つの級は、さらに﹁上位﹂と﹁下位﹂に
細かく別れる。
たとえば﹁下位騎士級﹂なら﹁レベル1﹂、﹁上位騎士級﹂なら
﹁レベル2﹂の魔物におおよそ当てはまるが、たまに出没する絶好
調の魔物は、この分類の枠をはみ出ることが多い。
キングサイズだったりもするし。
﹁下位の中級﹂という言葉も出たが、これは民間で使われる簡単な
分類。﹁中級﹂で、だいたいレベル2∼3くらいを指し示す。
なお、王種の魔物に上位、下位の区別がないのは、どのみち人間
の手には負えない存在だからである。
そう、すなわちファイブスターズのことだ。
471
﹁子狸さんが容疑者として追われてる﹂part1
一、王都在住のとるにたらない不定形生物さん︵出張中
騎士A﹁いたか?﹂
騎士B﹁いや。逃げ足の早い小僧だ⋮⋮﹂
騎士C﹁いたぞ! こっちだ!﹂
慌ただしく駆けていく騎士たち
一方
彼らの動向を裏路地から見つめる
怪しい人影⋮⋮
子狸﹁⋮⋮⋮⋮﹂
お前ら
突然ですまないが
子狸さんが
容疑者として
追われてる
472
二、墓地在住の今をときめく骸骨さん︵出張中
どうしてこうなった⋮⋮
三、樹海在住の今のときめく亡霊さん︵出張中
管理人さんは
いつだってそうだ
いつもそうやって
おれたちの予定を
いとも簡単に狂わせる⋮⋮
四、管理人だよ
国家の陰謀に違いない⋮⋮
五、王都在住のとるにたらない不定形生物さん︵出張中
ねーよ
ちなみに
勇者さんと歌の人は
何の問題もなく審査を通った
今頃は今日の宿でも探してることだろう
473
羽のひとは
子狸に鷲掴みにされて運命をともにしている
子狸﹁あぶないところだったね⋮⋮。でも、もう大丈夫だよ﹂
励まそうとして微笑む子狸に
羽のひとがひとこと
妖精﹁解せぬ﹂
六、住所不定のどこにでもいるようなてふてふさん
子狸に二点ほど尋ねたい
なぜ、おれを巻き込んだ
そして
なぜおれの危機を間一髪で救った
みたいな感じなのか
そもそも
おれは門番の騎士と
ちょろっと世間話をしてただけだぞ
七、管理人だよ
あのひとたちは、いつもそうだよ
474
そうやっておれに近付いてきては
さしたる理由もなく署まで連行するんだ
でも、いままでのおれとは違うんだよ⋮⋮
だいじょうぶ
羽のひとは心配しなくていい
おれが守るし!
八、火口付近在住のとるにたらない不定形生物さん
暴走してやがる⋮⋮
九、かまくら在住のとるにたらない不定形生物さん
こうなると聞く耳、持たねーからなぁ⋮⋮
一0、海底洞窟在住のとるにたらない不定形生物さん
まあ
じっさい王都の騎士は子狸を見かけたら
とりあえずつかまえとけっていう
妙な習慣があるからな⋮⋮
条件反射みたいなもんだ
475
一一、山腹巣穴在住のとるにたらない不定形生物さん︵出張中
騎士Cです
とりあえず
連中は眠らせておいたぞ
これで全部か?
一二、空中庭園在住のとるにたらない不定形生物さん︵出張中
おう
おつかれ
しかし目撃者が多すぎるな⋮⋮
一人ずつフォローなんてしてられん
条件を指定して該当者の記憶をまとめて飛ばすぞ
一三、王都在住のとるにたらない不定形生物さん︵出張中
そうしてくれ
例によって例のごとく
子狸の印象を薄めるだけでいい
476
一四、山腹巣穴在住のとるにたらない不定形生物さん︵出張中
だが、勇者さんも条件にヒットするぞ
出力を上げればレジストは突破できるとしても
記憶の整合性は怪しくなる
そうなれば
おれたちの干渉に気がつくかもしれん
一五、空中庭園在住のとるにたらない不定形生物さん︵出張中
そうだな
念のために勇者さんは対象から外しておく
まわりの人間と話は合わなくなるだろうが
彼女の性格からして世間話に興じるとも思えん
あの社交性のなさは勇者さんの弱点だな
利用できる
一六、墓地在住の今をときめく骸骨さん︵出張中
お前らの
その手慣れた対処っぷりが
477
見ていて悲しくなる⋮⋮
一七、樹海在住の今をときめく亡霊さん︵出張中
子狸さん
見てる?
解決したみたいですけど⋮⋮
一八、管理人だよ
いや
本当の狙いは勇者さんかもしれない⋮⋮!
急がなくては
一九、火口付近在住のとるにたらない不定形生物さん
謎の勢力と戦いはじめちゃった⋮⋮
二0、かまくら在住のとるにたらない不定形生物さん
好きにするといいよ、もう
必要ならおれたちが出張るし
478
とりあえず
羽のひと、がんばってね
二一、住所不定のどこにでもいるようなてふてふさん
え∼⋮⋮
まあ、べつにいいですけどぉ
どうせ行くあてもなく街をうろついて
迷子になるのがオチだろ⋮⋮
お前らも余計なこと教えるなよ?
勇者さんの居場所とか
二二、王都在住のとるにたらない不定形生物さん︵出張中
先に謝っておくわ
ごめんな
普段はあれだけど
こいつ
魔法に関しては引き出しが多いんだ⋮⋮
その場でしゃがみ込んだ子狸が
指先で地面に触れる
479
子狸﹁アルダ・グノー!﹂
指先から放射された闇の波動が
地表を這うように波打って拡散する
子狸﹁! お嬢、いま行く⋮⋮!﹂
いらんところで、いらん知恵を発揮するなぁ⋮⋮
羽のひとを肩に乗せて
駆け出す子狸
二三、空中庭園在住のとるにたらない不定形生物さん︵出張中
勇者さんの退魔性を逆手にとって
所在地をあぶり出したのか⋮⋮?
小賢しい真似を⋮⋮
二四、山腹巣穴在住のとるにたらない不定形生物さん︵出張中
おれたちとの鬼ごっこの成果だな⋮⋮
嬉しいやら悲しいやら
二五、海底洞窟在住のとるにたらない不定形生物さん
480
どうでもいいけど
魔法の使い方が完全に悪の手先なんだよな⋮⋮
こいつ
発光魔法が得意とか前に言ってなかった?
二六、王都在住のとるにたらない不定形生物さん︵出張中
闇魔法は実質的に光魔法と同じものだからな⋮⋮
そういう考え方が
いまの人間にはないから
教官が誉めたんだよ
他に誉めるところなかったし
そのときの思い出を
子狸さんは大切にしています⋮⋮
二七、住所不定のどこにでもいるようなてふてふさん
健気なやつだ⋮⋮
ちょっとは優しくしてやるか
おれ﹁おい。彼女は宿屋か?﹂
子狸﹁将来のことまではわからない⋮⋮﹂
481
どうする
意思の疎通が困難だ⋮⋮
あ、わかった
おれ﹁職業じゃねーよ。いま宿屋にいるのかって訊いてんだ﹂
子狸﹁ああ、なんだ。でも、わからないよ。地面から離れてるみた
いだ﹂
おれ﹁一階にはいないってことか。じゃあ宿屋だな。よし、それな
ら、おれが先行して宿屋のあるじに話をつけてやる﹂
子狸﹁⋮⋮そうか。宿屋のひとも怪しいんだね?﹂
おれ﹁怪しいのはお前の思想だ。とにかく、余計な真似はするな。
わかったか?﹂
子狸﹁そんなのだめだよ! おれも戦う⋮⋮!﹂
おれ﹁何と!? もういい。黙っておれの言うことに従え!﹂
子狸﹁あ、はい﹂
おれの真心が
子狸に伝わった
感動的な瞬間であるっ
482
二八、山腹巣穴在住のとるにたらない不定形生物さん
そうだね
感動的な瞬間だね
二九、空中庭園在住のとるにたらない不定形生物さん
そうだね
感動的な瞬間だね
483
﹁子狸さんが容疑者として追われてる﹂part1︵後書き︶
注釈
・闇魔法
基本的に﹁アルダ︵遮光︶﹂の詠唱からはじまる魔法。
﹁闇﹂とは﹁光がない﹂ことなので、実質的には光を操作する魔法
の一種なのだが、そうした理屈を知らなくともイメージで何とかな
ってしまうのが魔法である。
良い機会なので細かく説明すると、魔法の詠唱にはひとつひとつ
に意味があり、イメージさえしっかりしていれば、魔法としてきち
んと発動する。
たとえば以前に青いひとが使用した闇魔法は、﹁アルダ︵遮光︶﹂
﹁バリエ︵融解︶﹂﹁ラルド︵拡大︶﹂﹁アバドン︵崩落︶﹂﹁グ
ノ︵放射︶﹂という五つの魔法を連結したもの。
魔法使い同士の連携の問題があるため、学校では定型の詠唱を用
いるよう教育するのだが、本来ならば詠唱に﹁こうしなければなら
ない﹂という決まりはない。
詠唱が違っていても、イメージが同一であるなら同じ現象を引き
起こせるということだ。
なお、国によって公用言語は異なるものの、詠唱に関しては統一
されている。
なぜなら、現在の詠唱を人間に伝えたのは魔物だからである。
484
﹁子狸さんが容疑者として追われてる﹂part2
三0、住所不定のどこにでもいるようなてふてふさん
なんだよぅ⋮⋮
言っとくけど、おれは子狸さんを支持するぞ
あのボクっ子は勇者さんとは別の宿を取るだろ
必然的に勇者さんは一人きりで
寂しい思いをしているに違いない
お前らは勇者さんのことが心配じゃないの?
どうして誰もついていってやらないんだよ⋮⋮
三一、火口付近在住のとるにたらない不定形生物さん
そんなこと言われてもなぁ⋮⋮
おれ、そんなにひまじゃないのよ
なんか緑のひとを崇拝する人間の集団がいるんだよね
だもんで定期的におれの存在をアピールしておかないと
あのひと、ひとりでに神格化しそうな勢いなんだよ⋮⋮
485
三二、かまくら在住のとるにたらない不定形生物さん
あのひと、突発的な事態に弱いところあるからね⋮⋮
おれはひまですけど
なんでかな?
勇者さんを尾行しようっていう発想がなかった
三三、空中庭園在住のとるにたらない不定形生物さん
回線が閉じてるからな
無意識のうちに避けちゃうってのはあるかもしれん
剣士の退魔力ってのは
おれたちの存在を真っ向から否定するようなもんだからな
@
三四、海底洞窟在住のとるにたらない不定形生物さん
@
いや
単純にシステムの問題だと思うぞ
486
これまでの勇者とは違うってことだ
勇者さんが別行動するときは羽のひとがつく
羽のひとが無理なときは
おれらのうち誰かがつくって決めておいたほうがいいんじゃない
か?
三五、山腹巣穴在住のとるにたらない不定形生物さん
@
なるほど
たしかにそうだな
わかった
そのときはおれがつくよ
同じ国に住んでたほうが
習慣とか何かと理解しやすいだろうしな
三六、王都在住のとるにたらない不定形生物さん︵出張中
おい
おい。お前ら
真面目な話をしてるところ誠に申し訳ないんだが
487
なんだ。その秘密のサインみたいなの
ちょっと前から、なんかおかしいと思ってたけど
お前ら何か企んでるだろ
三七、空中庭園在住のとるにたらない不定形生物さん
ぎくうっ
三八、海底洞窟在住のとるにたらない不定形生物さん
ぎくうっ
三九、王都在住のとるにたらない不定形生物さん︵出張中
え∼⋮⋮
お前らが主犯なの?
ちょっと
ごめん
やめとくわ
聞かなかったことにしておく
四0、空中庭園在住のとるにたらない不定形生物さん
488
ちょっ⋮⋮
それどういう?
四一、海底洞窟在住のとるにたらない不定形生物さん
庭園の、悪だくみばっかりしてるから⋮⋮
四ニ、空中庭園在住のとるにたらない不定形生物さん
待って?
おれメインなの?
違うよね?
元を正せばおれに相談してきたのお前だよね?
四三、火口付近在住のとるにたらない不定形生物さん
悲しいけど
庭園のが積極的に動くと
どうしても裏があるんじゃないかって疑っちゃう面はある⋮⋮
四四、かまくら在住のとるにたらない不定形生物さん
489
というか、じっさいに裏があるよね?
いま、あきらかに王都のを釣ろうとしたよね?
@はねーよ⋮⋮
隠す気ねーもん
四五、空中庭園在住のとるにたらない不定形生物さん
じゃあ、どうしろっていうんですか⋮⋮
これ無理だよ
聖☆剣に隠しパラメーターが設定されてる
じゃなきゃ、こんな数字にはならねーだろ⋮⋮
四六、海底洞窟在住のとるにたらない不定形生物さん
!?
四七、山腹巣穴在住のとるにたらない不定形生物さん
!?
490
王都の
お前⋮⋮
謀
っ
た
な
?
四八、王都在住のとるにたらない不定形生物さん︵出張中
はいはい⋮⋮
子狸が巣穴に潜ったら専用の支流に分岐するから
続きはそっちでな
各々言い訳でも考えといてくれ
さて子狸だが
先行した羽のひとを追っかけてる途中で
歌の人と合流した
どうも、あちらさんも子狸を探してたみたいだな
歌人﹁あ、ノロくん﹂
491
子狸﹁クリスくん!
お嬢は!?﹂
歌人﹁急にいなくなるから心配したよ⋮⋮って、アレイシアンさん
か。彼女は、ええと、先に宿屋へ⋮⋮﹂
あ、ちょっと、どこへ⋮⋮﹂
子狸﹁くっ、先手を打たれたか⋮⋮!﹂
歌人﹁なんの?
再び駆け出した子狸を追うボクっ子
うーん⋮⋮わかった。協力するよ﹂
子狸﹁おれたち、まんまとはめられたんだ。これは罠だよ!﹂
歌人﹁なんだって?
しかしこの吟遊詩人
ずいぶんと協力的である
四九、空中庭園在住のとるにたらない不定形生物さん
子狸さんに対する印象が
リセットされてますからね
人当たりのいい子狸さんという
知識としての記憶だけが残った結果でしょう
五0、王都在住のとるにたらない不定形生物さん︵出張中
492
なんで敬語だよ
しかし、やっぱりそうか
心理操作はリスクが大きいな
猶予はあるよ﹂
一刻の⋮⋮あれだよ。あれがない!﹂
次の街からは前もって手を打っておこう
子狸﹁ありがとう。急ごう!
歌人﹁猶予?﹂
子狸﹁そう、それ。それがない。いや、猶予?
それだと、話がつながらないん、だけど﹂
うん。そう⋮⋮なのかな。⋮⋮猶予?﹂
歌人﹁あるの?
子狸﹁うん?
歌人﹁⋮⋮やめよう。走りながらだと、ふう、息が切れる﹂
ひんぱんに教官より校庭十周を命じられる子狸さん
体力には定評がある
というか歌の人は運動が苦手みたいだな
一生懸命走ってるけど遅れがちだ
出入り口はひとつし
子狸﹁見えた。あそこだ。クリスくん、二手に分かれよう﹂
歌人﹁二手といっても⋮⋮あの宿屋だよね?
か⋮⋮﹂
493
先行した羽のひとが
ちょうど宿屋から出てくる
行くよっ⋮⋮パル・チク・タク・ディグ・タク!﹂
妖精﹁ノロくん!﹂
子狸﹁よし!
歌人﹁街中ーっ!?﹂
大通りのど真ん中で
攻性魔法を撃っちゃう子狸さん
光の圧縮弾を三発
やや上向きに投射し
時間差で空中に固定
子狸﹁とうっ!﹂
跳躍
ラルド!﹂
子狸﹁ラルド!﹂
着地
子狸﹁ラルド!
拡大した圧縮弾を駆けのぼる
騎士ばりのアクションに
494
通りがかりの人たちが歓声を上げる
声援に後押しされて
子狸さんが二階の窓に向かって最後の大ジャンプ
子狸﹁ディグ!﹂
用済みとなった足場を目標の窓へと再度射出
子狸﹁アバドン!﹂
窓に突き刺さった圧縮弾を起点に
重力場を発生
ぐしゃりと潰れた窓から
子狸さんがエントリーしました
五一、墓地在住の今をときめく骸骨さん︵出張中
これは見事な特訓の成果
五二、樹海在住の今をときめく亡霊さん︵出張中
いいね
無駄にがんばってるときの子狸さんは
輝いてるぜ
495
五三、王都在住のとるにたらない不定形生物さん︵出張中
妖精﹁玄関から入れやぁぁぁあああ!﹂
素で絶叫する羽のひとに
歌の人はちょっと引き気味
一方その頃
子狸は⋮⋮
子狸﹁おじょっ!?﹂
勇者﹁⋮⋮⋮⋮﹂
お着替え中の勇者さんと
ご対面である
勇者さんの名誉のために詳細は伏せるが
半裸である
さて
骨のひと
今後の予定はどうなってる?
差し支えがなければ教えて欲しい
五四、海底洞窟在住のとるにたらない不定形生物さん
496
おう
そうだな
この先の街道が封鎖されてるって話だが
常駐の騎士には対処できない規模で動いてるのか?
五五、墓地在住の今をときめく骸骨さん︵出張中
おう
ちょっとした小細工をさせてもらったぜ
街道の途中
森を少し行ったところに
いまは誰も住んでない
わりと大きな屋敷があるんだよ
街道の上空あたりを見てくれ
不自然に滞空してる雷雲があるだろ?
その真下な
見える?
いま、手を振ってるのがおれ
となりで
なんか肉体の限界に挑んでる透き通ったのが
いわゆる一種のメノゥパルとか呼ばれてるひと
497
おれたち
この館を拠点に
三日前から
ちらちらと街道に出没しては
うろうろして
存在をアピールしてるんだ
五六、山腹巣穴在住のとるにたらない不定形生物さん
不覚にも吹いたじゃねーか⋮⋮
見えるひと、なにやってんだ
五七、樹海在住の今をときめく亡霊さん︵出張中
さいきん、おれ拳法に目覚めたんだよ
健康にもいいって聞くしな
ゆっくり動いてるように見えて
案外きついんだぜ?
いくら不老不死だからってさ
いや
不老不死だからこそ
身体には気を遣わねーとな⋮⋮
498
波ーっ!
五八、管理人だよ
たすけ
じゃねーよ︵笑
五九、火口付近在住のとるにたらない不定形生物さん
はーっ!
その身体とやらは
あなた
どこにあるんですか
六0、かまくら在住のとるにたらない不定形生物さん
いや
いいよ!
感動したわ
拳法っつーのか?
見えるひと
今度、おれにもそれ教えてくれ
499
六一、樹海在住の今をときめく亡霊さん︵出張中
おう。いいぜ
伝授してやるよ
手取り足取り、な⋮⋮
六二、かまくら在住のとるにたらない不定形生物さん
ちょっ
王都の
おれ
まだ何も言って
ぎゃーっ!
六三、空中庭園在住のとるにたらない不定形生物さん
かまくらの∼!
六四、火口付近在住のとるにたらない不定形生物さん
いいやつだった⋮⋮
六五、海底洞窟在住のとるにたらない不定形生物さん
500
忘れないよ⋮⋮
501
﹁子狸さんが容疑者として追われてる﹂part2︵後書き︶
注釈
・メノゥパル
亡霊さんを、人間たちはこう呼ぶ。
﹁メノ﹂というのは魔物限定の指示語であり、﹁ゥ﹂がついて﹁∼
するひと︵強調性は低め︶﹂、﹁パル﹂は詠唱にも使われる﹁発光﹂
という意味。
意訳で﹁人魂﹂。意味合いとしては﹁ザ・ゴースト﹂といったとこ
ろか。
同様に、青いひとは﹁メノゥポーラ﹂、鬼のひとは﹁メノゥディ
ン﹂と呼ばれる。
﹁ポーラ﹂は﹁青﹂、﹁ディン﹂は﹁鬼︵悪魔︶﹂をそれぞれ意味
する。
これらは古代言語であるため、詠唱と同じく各国に共通する便利な
呼称なのだが、魔物たち本人はあまり気に入っていないようで、め
ったに使わない。
502
﹁子狸さんが容疑者として追われてる﹂part3
六六、王都在住のとるにたらない不定形生物さん︵出張中
さて。ところ変わって歌人の部屋である
宿屋の廊下に打ち捨てられていた子狸から
事情を聞いた歌人の反応がこちら
歌人﹁⋮⋮いや、それは君が悪いよ﹂
子狸﹁お、おれはお嬢が心配で、それで⋮⋮!﹂
てっきり別の宿を取るかと思ったけど
勇者さんは宿屋のグレードを落としたみたいだな
おそらく子狸を貴族と接触させるのは得策じゃないと考えたんだ
ろう
歌人﹁⋮⋮ふむ。彼女、貴族なんだろ?﹂
子狸﹁いや。ひとは誰しもが運命の奴隷なんだよ。でも本当の意味
で屈しちゃいけないんだ⋮⋮どう?﹂
歌人﹁どうと言われても⋮⋮。いや、見てればわかるよ。くわしく
聞いてなかったけど、君はお付きの人じゃないのかな?﹂
子狸﹁それはお嬢に聞いてみないとわからないな⋮⋮﹂
503
お付きの人という意味がわからなかったらしい
ああ、妖精
なんかそんな感じだったよ
歌人﹁違うんだね。どうして二人で旅してるんだい?
の子も含めて三人か﹂
子狸﹁なんでだっけ⋮⋮世直しの旅?
うな⋮⋮﹂
もはや基本事項すら忘却のかなたである
混沌とした会話を続けるふたり
ただ座って話すのもなんだからと
歌の人が馬の世話でもしながらどうかと子狸を誘う
はじめての友達の獲得に子狸は積極的である。頷く
子狸﹁おれ、芸術の授業が苦手なんだ。なにかコツとかあるのかな
?﹂
歌人﹁月並みだけど、努力だね。テーマを決めて取り組むといいん
じゃないかな﹂
子狸﹁でも、先生は才能がないから諦めろって⋮⋮自分も諦めるか
らと⋮⋮﹂
歌人﹁ずいぶんとはっきり物を言う人だね⋮⋮﹂
部屋を出て廊下を歩くふたり
504
意外と相性がいいのか?
何気に会話が弾んでいる
六七、住所不定のどこにでもいるようなてふてふさん
一方その頃
子狸の魔の手を逃れたおれは
勇者さんと一緒である
おれ﹁あの∼⋮⋮まだ怒ってます?﹂
勇者さんは
部屋にひとつある姿見の鏡の前で
自分の髪をいじっている
ちょうどベッドに腰掛けているおれに背を向ける格好だ
勇者﹁⋮⋮わたしの身体、どこか変なのかしら﹂
おれ﹁え?﹂
なにを言ってるんだ、この人は?
勇者﹁男の子って、女の子の肌を見たら喜ぶものなんじゃないの?
すごい勢いで目を逸らされたわ﹂
おれ﹁はあ⋮⋮。いや、嬉しいんでしょうけど⋮⋮人の着替えをま
じまじと凝視したら、それは単なる変質者なのでは⋮⋮?﹂
505
勇者﹁そうなの?
よくわからないわ。わたし、感情が希薄だから、
いまいちぴんと来ないの。きっと、恋なんて一生しないでしょうね﹂
子狸の恋は実らないようだ
ざまあみろ
勇者﹁マナーの問題だから、いちおうしつけはしたけれど。⋮⋮だ
から、怒ってないわ。見栄えのする容姿でもないし、わざと狙った
とも思えないもの﹂
これがふつうの会話ってもんだよな
子狸と話してると
たまに宇宙人とコンタクトしてるような錯覚を覚えるぜ⋮⋮
おれ﹁いえいえ、リシアさんはお綺麗ですよ∼。ノロくんも満更じ
ゃないと思いますけどっ﹂
勇者﹁たいていの人間は、理由もなくわたしと関わるのを避けるわ。
それがふつうよ。でも、あの子は違うみたいね。それが、理由のひ
とつよ﹂
おれ﹁はい?﹂
理由とはなんぞや
あなた、恩人だと言ってたわりには、あの子に心を
勇者﹁わたしが、あの子と一緒に旅をする理由よ。不思議に思って
たんでしょ?
506
許していないようだから﹂
鋭い! この勇者、鋭いぞ⋮⋮
勇者﹁それとも、作り話だったのかしら?﹂
どきりとすることを言って振り返る勇者さん
頭の後ろでひとつにくくった髪が揺れた⋮⋮
これは⋮⋮まずいか?
お前ら
どうしたらいい?
場合によっては
おれの冒険がここで終わる
慎重に頼むぞ
六八、管理人だよ
散歩にでも誘えばいいんじゃないかな?
三歩くらい歩けば、たいていのことは忘れるよ
六九、山腹巣穴在住のとるにたらない不定形生物さん
⋮⋮忘れちゃうの?
507
七0、住所不定のどこにでもいるようなてふてふさん
却下
はい次
七一、海底洞窟在住のとるにたらない不定形生物さん
ある程度、正直に打ち明けても問題ないと思うぞ
子狸の名誉のために泥をかぶったけど
罠に掛かってたのは子狸のほうで
ちょっと間抜けなところがあるから
警戒してたってとこだな
七ニ、空中庭園在住のとるにたらない不定形生物さん
そうだな
へたに否定しないほうがいいと思う
かといって、いきなり肯定するのもわざとらしい
じ、実話ですっ⋮⋮﹂
いったん少し慌てた感じで子狸をかばってみようか
お前﹁うそじゃないですよ!
508
深く追及されたら海底のの案を採用すればいい
羽のひと。お前の演技力に期待するぞ⋮⋮
七三、住所不定のどこにでもいるようなてふてふさん
さすがは子狸処理班だな
レスポンスが充実してるぜ⋮⋮
光れ
おれの演技力!
言ったぞ
勇者﹁⋮⋮まあ、どちらでも構わないわ﹂
構わないのかよ⋮⋮
勇者﹁リン。あなた、あれ直せる?﹂
子狸によって見るも無惨に破壊された窓を指差す勇者さん
ここは有用性をアピールしておくか?
いや
しかし
それもあざといような⋮⋮
509
どう思う?
ふははは!﹂
七四、樹海在住の今をときめく亡霊さん︵出張中
罠だ
お前﹁おっと、その手には乗りませんよ!
格調高くなっ
七五、墓地在住の今をときめく骸骨さん︵出張中
高くなっ☆
じゃねーよ
それ自白してるから
悪いな、羽のひと。無視してくれ
おれたちは
勇者さんのキャラクターがつかめてないから
お前らに任せる
七六、管理人だよ
おれが行こうか?
510
七七、住所不定のどこにでもいるようなてふてふさん
また次の機会に頼むわ
はい次
七八、火口付近在住のとるにたらない不定形生物さん
深く考えなくていいと思うぞ
先のことを見据えて設定に忠実に
できることはできる、できないことはできないと
きっぱり示したほうがいい
それで疑われるなら
そのときは仕方ないだろ
七九、住所不定のどこにでもいるようなてふてふさん
おう!
でも、おれの設定ってどんなでしたっけ?
人間のせいでころころ変わるから
やっていいことと悪いことの境界線が
どんどん曖昧になる⋮⋮
511
八0、かまくら在住のとるにたらない不定形生物さん
ん∼⋮⋮
ちょい待ち
キャラ属性シート開く
開いた
羽のひとは補助特化型のレベル4だな
ちょっとした念動力と
対象指定の逆算能力あり
人間がどう考えてるかは知らないけど
完璧にレベル3の範疇を超えてる
子狸が使った魔法は、いいとこレベル2だから
余裕で復元できる
八一、住所不定のどこにでもいるようなてふてふさん
さすがおれと言わざるを得ない⋮⋮
お前らサンクス
おれ﹁派手にやりましたね∼。でも、このくらいなら直せますよ!
任せて下さいっ﹂
512
勇者﹁そう。じゃあ、お願い。⋮⋮あなたは役に立つから、好きよ。
役に立たない人間は嫌い。下品な人間もね﹂
おれ﹁⋮⋮ノロくん、役に立ってます?﹂
おれ
子狸と同格に見られるの
激しく抵抗があるんだが⋮⋮
勇者﹁貴族と平民は違うわ。もちろん妖精と人間も。思ったよりも
魔法を使えるみたいだし、⋮⋮そうね、わたし、嬉しいのかもしれ
ない。少し浮かれてる⋮⋮。良い下僕を持って、わたしは幸せだわ﹂
小さな幸せを噛みしめる勇者さん
無表情だけど
つーか、笑ってるの見たことない
おれ﹁クリスさんのことなんですけど﹂
吟遊詩人の歌声は魔物たちを鎮める
窓を修復しながらちょいと尋ねてみる、おれ
おれ﹁連れて行くんですか?
効果があると⋮⋮﹂
歌ってたら、つい聴いちゃうもんな
勇者﹁言えばついてくるかもしれないけど、そのつもりはないわ。
513
信用もしてない﹂
おれ﹁身分は内緒ってことですね?
く滞在するんですか?﹂
わかりました。街にはしばら
でも、街道が封鎖されてるって⋮⋮﹂
勇者﹁明日には出る予定よ﹂
おれ﹁え?
勇者﹁いまのところはっきりしてるのが、魔物たちには主謀者らし
きものがいて、わたしのことを監視してるかもしれないということ﹂
おお
見事に現状を言い当てている
勇者﹁わたしを待ち伏せするのなら、街道を封鎖するような騒ぎを
起こすのは不自然だわ。魔物は馬鹿じゃない⋮⋮。おそらく、わた
したちが思っているよりもずっと﹂
褒められた∼
勇者﹁理由はいくつか考えられるけど、仮にわたしを意識しての行
動だとしたら、彼らの目的は時間稼ぎなのかも。わたしに急がれる
と困る事情があるんだわ⋮⋮﹂
おい。読まれてる
八二、墓地在住の今をときめく骸骨さん︵出張中
514
なんなの、この勇者
子狸に見習わせたい
しかし⋮⋮
ちっ
第一プランは破棄だな⋮⋮
第二プランに移行する
八三、樹海在住の今をときめく亡霊さん︵出張中
噴破ッ!
八四、墓地在住の今をときめく骸骨さん︵出張中
聞けよ!
クルミ割ってねーでよぉ!
ボケ放題ですかこんにゃろー!
八五、王都在住のとるにたらない不定形生物さん︵出張中
まあまあ。喧嘩しなさんな⋮⋮
とりあえず
515
流れからいって
待たせてごめんな?
よしよし⋮⋮﹂
勇者一行をお前らの屋敷にご招待するつもりなのだと察するが?
子狸﹁黒雲号!
歌人﹁そんな名前なんだ⋮⋮﹂
騎士﹁ちょっと、君。このあたりで、白昼堂々街中で攻撃魔法を撃
った馬鹿野郎を捜しているんだが⋮⋮﹂
あ、お勤めご苦労さまです
さて
どうなんだ?
聞いての通り、勇者さんは一筋縄ではいかないぞ
八六、管理人だよ
おれも一筋縄じゃいかないし!
おれ﹁そいつなら、あっちに走って逃げましたよ!﹂
それはちょっと気が引
騎士﹁⋮⋮ほう。捜査協力に感謝する。では、続きは署で聞こうか﹂
おれ﹁え、感謝状とかもらえるんですか?
けるなぁ⋮⋮﹂
騎士﹁なに、謙遜することはない。⋮⋮いい宿だね。でも、今夜は
もっと素敵な宿に泊まれるよ。さ、こっちへ⋮⋮﹂
516
子狸﹁あ、はい⋮⋮﹂
ちょっと行ってきます
八七、山腹巣穴在住のとるにたらない不定形生物さん
いってらっしゃい
八八、海底洞窟在住のとるにたらない不定形生物さん
いってらっしゃい
八九、空中庭園在住のとるにたらない不定形生物さん
そりゃあ静止画の一つや二つは撮られてるわな⋮⋮
517
﹁子狸さんが容疑者として追われてる﹂part3︵後書き︶
注釈
・キャラ属性シート
魔物たちの﹁設定上の能力﹂を事細かに記したデータファイル。
基本的に魔物たちは成層圏内において万能の存在であるが、人間
たちにそうと悟られないよう能力の上限値を自分たちで相談して決
めている。それが彼らにとっての開放レベルである。
そして、開放レベルを超えない範囲で、たとえば青いひとなら﹁
魔法は使えない﹂﹁使ったとしてもバレないようにやる﹂等の種族
の特徴を定めている。
シナリオの進行上、魔物が人間の味方をするケースもまれにある
ため、そうした場合にこの﹁属性シート﹂を参考にすると良い。
・逆算能力
人間が言うところの﹁治癒魔法﹂の総称にあたり、壊れたものを
直したり、傷を癒したりできる。
なぜ﹁逆算﹂なのかというと、この世界では医療技術が発展して
いないため、人体の仕組み等がほとんど解明されておらず、治療に
際しイメージを失敗すると医療事故が起きかねない。
そこで魔物たちは、﹁魔法で引き起こされた事象をなかったこと
にする魔法﹂を人類に流布した。これが逆算能力である。
厳密には、魔物たちが恒常的に展開している﹁逆算魔法﹂を通し
て行使される。
518
この﹁逆算魔法﹂自体は最大開放の﹁レベル9﹂にあたるが、じ
っさいに人間が使える﹁治癒魔法︵逆算魔法からの転用︶﹂はレベ
ル3が限度である。
そして、人間たちは誤解しているが、たとえば﹁レベル3の魔法
で負ったダメージ﹂は﹁レベル3以上の逆算能力﹂でしかキャンセ
ルできない。
519
﹁河の底でもっと蠢くおれたち﹂
五一、火山在住のごく平凡な火トカゲさん
だいたいだな⋮⋮
おれは、剣士という存在それそのものが気に入らない
手を伸ばせばすぐそこにあるんだ
なのに、なぜ受け入れようとしない?
五二、古代遺跡在住のごく平凡な巨人兵
うんうん⋮⋮
そうだね。わかるよ
うん、わかる
五三、海底都市在住のごく平凡な人魚さん
お前の言ってることはもっともだよ。うん
おれたちは、お前の味方だぞ
さ、仕事しようか
520
五四、火山在住のごく平凡な火トガゲさん
いいや、お前らは何もわかってない
いまこうしている間にもだよ?
おれは一部の人間に神さまか何かと勘違いされて
お祈りされてるわけさ
その、お祈りされてるおれがだよ?
さも大儀そうに寝そべって
たまにサービスで唸り声を上げたり
意味ありげに流し目を送ったりしてる
このおれがだよ?
じっさいに何をやっているかといえばっ⋮⋮!
五五、王都在住のとるにたらない不定形生物さん︵出張中
なるほどな⋮⋮
ここが反乱分子どもの巣か⋮⋮
五六、古代遺跡在住のごく平凡な巨人兵さん
!?
521
五七、海底都市在住のごく平凡な人魚さん
!?
五八、火山在住のごく平凡な火トカゲさん
よぉし!
今日も張り切って魔物ろうな
お前ら!
びびれ人間ども!
はっはっは
五九、海底洞窟在住のとるにたらない不定形生物さん
こんばんは︵にこっ
六0、火山在住のごく平凡な火トカゲさん
てめーおれを売ったな!?
あ、違うんですよ王都さん!
こいつです!
522
この、いつもいる青いのが嫌がるおれに無理矢理っ⋮⋮!
六一、古代遺跡在住のごく平凡な巨人兵さん
おれは何もしてません
緑のがこそこそと何かやっていたようですが
おれは一切関与してません
六二、海底都市在住のごく平凡な人魚さん
おれに至ってはアリバイがあります
中ボスさんのメンテナンスをずっとしてました
え?
むしろ緑のひと、何かしてたの?
六三、火山在住のごく平凡な火トカゲさん
まあ待てお前ら
少しおちつこうじゃないか
おれたち、言ってみれば運命共同体だろ
いや、おれはもちろん
お前らのことを売ったりはしないよ
523
仲間だもんな☆
六四、古代遺跡在住のごく平凡な巨人兵さん
だまれ!
このトカゲ野郎!
なにが仲間だ!
おれはじっさいに何もしてねーだろうがっ
六五、海底都市在住のごく平凡な人魚さん
お前ら
もういい
もういいんだ⋮⋮
全部おれが悪いんだ⋮⋮
お前らが泥をかぶる必要なんて
ないさ
六六、火山在住のごく平凡な火トカゲさん
魂胆が丸見えなんだよぉ!
524
ひとりだけ心証を良くしようったって
そうは問屋がおろさねーぞ!
六七、古代遺跡在住のごく平凡な巨人兵さん
醜い⋮⋮!
なんという醜い罪のなすりつけあいなのか⋮⋮!
性根が腐ってやがるっ⋮⋮
六八、王都在住のとるにたらない不定形生物さん︵出張中
ログを流しても
無駄だとだけ言っておく
すべて読ませてもらった
六九、火山在住のごく平凡な火トカゲさん
あわわわわわ⋮⋮
七0、海底都市在住のごく平凡な人魚さん
あわわわわわ⋮⋮
525
七一、古代遺跡在住のごく平凡な巨人兵さん
ちっ⋮⋮
だが、おれたちを責めるのは
お門違いってもんだぜ
いや、そもそも⋮⋮
お前だ
あの小娘に力を与えたのも
それを放置したのも
すべてな
意図的に勇者を生み出したんだ
違うか?
何を企んでる?
お屋形さまの指示か?
七二、山腹巣穴在住のとるにたらない不定形生物さん
王都の、そうなのか?
それならそうと⋮⋮
七三、王都在住のとるにたらない不定形生物さん︵出張中
526
いや、違う
お屋形さまはたぶん
というか絶対に勘付いているだろうが
直接おれに何かしろと言ったわけじゃない
結論から言うと
アリア家とおれの思惑が一致したということだ
七四、空中庭園在住のとるにたらない不定形生物さん
やはりか⋮⋮
どこまでだ?
アリア家はどこまで知ってる?
七五、王都在住のとるにたらない不定形生物さん
少なくともアリア家の現当主は
おれたちをコントロールしてる人間がいることに気が付いてる
そして誰がそうなのかも
もう知ってる
つまり実の娘をエサに
その人間を特定したんだ
527
七六、火口付近在住のとるにたらない不定形生物さん
ああ、なるほど
そのことを勇者さんは自覚してるのか?
七七、王都在住のとるにたらない不定形生物さん︵出張中
勇者さんは
正直わからん
怪しいといえば怪しいんだが⋮⋮
子狸が絡むと
何が正解で何が間違ってるのか
さっぱりわからなくなる
まあ、それはいいんだ
知っていようと知っていまいと
そんなことはどうでもいい
お前らは
勇者さんを味方に引き入れるつもりだったみたいだが
それはやめておけ
七八、火山在住のごく平凡な火トカゲさん
528
いや、最初はそんなつもりじゃなかったんだが
子狸の恋を応援してやろうと思ってな⋮⋮
だけど、なんで?
七九、空中庭園在住のとるにたらない不定形生物さん
それなんだが
これを見てくれ
八0、火山在住のごく平凡な火トカゲさん
!
勇者さんのサンプルじゃねーか!
でかした!
八一、古代遺跡在住のごく平凡な巨人兵さん
さすが悪どい!
この青いひと悪どい!
八二、海底都市在住のごく平凡な人魚さん
529
よっ、悪の権化!
ひゅーひゅー!
魔物! 魔物!
八三、かまくら在住のとるにたらない不定形生物さん
おれたち魔物!
お前が魔物!
いぇーい!
八四、空中庭園在住のとるにたらない不定形生物さん
ぶっ飛ばされたいのか?
そうじゃなくて⋮⋮
おれの触手が消滅してるとこのデータ
コマ送りで追ってくれ
わかるか?
数値が跳ね上がってるんだよ
んで、跳ね上がる直前に
二番回線とバイパスしてる
王都の、これはなんだ?
530
お前、聖☆剣に何を仕込んだ?
八五、王都在住のとるにたらない不定形生物さん︵出張中
ああ、それは別々の現象だよ
おれが聖☆剣に仕込んだのは
二番回線のバイパスだけだ
まあ、彼女が剣士で
魔法を使えば使うほど中途半端な存在になることは
あらかじめわかってたからな
その予防策だ
数値が跳ね上がってるのは
アリア家の特性だろうな
八六、火山在住のごく平凡な火トカゲさん
退魔力を意識的に強化できるってのか!?
いやいや、ありえんだろ∼
それってつまり
おれがやろうとしてできなかったことを
人間が自力でやるってことだぞ
531
八七、王都在住のとるにたらない不定形生物さん︵出張中
そこだよ
早い話、おれはアリア家に興味がある
退魔力を強化ってのはいいんだ
きっと副産物みたいなものだろう
おれはむしろ連中の感情制御に関心があるね
制御というよりは凍結に近い
おれたちは人間の意識を読む
アリア家の人間は、おれたちの天敵なのかもしれない⋮⋮
だから、彼女が山腹のと接触したとき
これはチャンスだと思ったんだ
お前らに黙って勝手に事を進めたのは
たしかにおれが悪かった
けど、お前ら子狸に甘いからな⋮⋮
アリア家が、もしも本当におれたちの天敵だとしたら
子狸の身に危険が及ぶ可能性もある
八八、かまくら在住のとるにたらない不定形生物さん
532
いや、子狸に甘いのはお前だろ⋮⋮
なんか怪しい
お前、他にも何か隠してるだろ
八九、王都在住のとるにたらない不定形生物さん︵出張中
は?
なに言ってるの?
勘違いしないでよね
おれはべつに子狸がどうなろうと
知ったことじゃないよ
開祖の嫁と約束したからな
仕方なくついてるだけだ
九0、海底都市在住のごく平凡な人魚さん
子狸の布団みたいになってるお前が言っても
説得力がないんだが⋮⋮
九一、王都在住のとるにたらない不定形生物さん︵出張中
はぁ?
533
そんなこと言ったって仕方ねーだろ
子狸が風邪ひいたらどうすんだよ
九二、海底洞窟在住のとるにたらない不定形生物さん
なんの反論にもなってねーし
だからこっちもお前に内緒で
事を進めたんだよ⋮⋮
まあ、結果的に
勇者さんの退魔性は心配いらないってことなのか?
九三、王都在住のとるにたらない不定形生物さん︵出張中
それは彼女しだいだな
彼女が
もし本当の意味で勇者になったなら
そのときは
完全に退魔性を失うことになる
まあ、聖☆剣を酷使しない限りは
だいじょうぶだろう
534
九四、空中庭園在住のとるにたらない不定形生物さん
それって真人間になったらってこと?
ふつうに聖☆剣を使うぶんには
反動の大半が二番回路に流れ込むから
三番には影響が少ないのか⋮⋮
その場で組んだ構成じゃねーな⋮⋮
だいぶ前から計画してたのか
九五、王都在住のとるにたらない不定形生物さん︵出張中
おう
遅かれ早かれ
アリア家の人間が絡んでくるのはわかってた
共和国の件しかり
あそこのうちには
かなりディープな情報が渡ってるだろうからな
医療に関する魔法が封印されてることに気付いたなら
おれたちが、わざと人間に負けてると推測するのは
さして難しくないはずだ
535
九六、住所不定のどこにでもいるようなてふてふさん
お前らが河の底で
うだうだ言ってる
一方その頃
歌人から事情を聞いた勇者さんは
権力にものを言わせて
捕獲された子狸を釈放させるのであった⋮⋮
九七、古代遺跡在住のごく平凡な巨人兵さん
真人間への道は険しいね⋮⋮
九八、火山在住のごく平凡な火トカゲさん
でも子狸さんなら⋮⋮
子狸さんなら
きっとやってくれる⋮⋮
536
﹁河の底でもっと蠢くおれたち﹂︵後書き︶
注釈
・魔物る
動詞。いかにも魔物っぽい行動をとること。
発言者の火トカゲさん︵緑のひと︶がいちばん最近に魔物ったの
は、﹁生贄☆大作戦﹂と呼ばれる、ふもとの村に生贄を要求してみ
た事件である。
緑のひとの人気を妬んだ巨人兵さんが発案し、言葉巧みに緑のひ
とを陥れようとしたのが発端である。
だが、予想に反して誰も助けに来なかったため︵そもそもレベル
5の魔物に人間が立ち向かってもどうにもならない︶、子狸が緊急
出動する事態に。
誰も子狸の働きには期待していなかったが、案の定うかつな発言
を頻発したため、最終的には緑のひとの名を騙って悪事を働いてい
た子狸デーモン︵新種︶が、本物の緑のひとの手で成敗されるとい
う結末を迎えた。
誰も何も得ることのない悲しい事件であった。
537
﹁子狸が勇者さんと喧嘩したみたいです﹂part1
一、住所不定のどこにでもいるようなてふてふさん
お前ら
おはようございます
二、海底洞窟在住のとるにたらない不定形生物さん
眠いし
三、山腹巣穴在住のとるにたらない不定形生物さん
不健康な生活、送ってるから⋮⋮
おれは眠くないし
小鳥たちがさえずってる
四、かまくら在住のとるにたらない不定形生物さん
おれんち
超☆吹雪
寝たら死にそう⋮⋮
538
五、住所不定のどこにでもいるようなてふてふさん
問題児しかいないとか⋮⋮
火口のと庭園のはどうした?
六、山腹巣穴在住のとるにたらない不定形生物さん
問題児⋮⋮
え
おれも?
庭園のは
子狸バスター︵仮︶の起動シークエンスをチェックしてる
火口のは知らん
かまくらのが知ってるんじゃない?
火口のと仲いいし
七、かまくら在住のとるにたらない不定形生物さん
べつに仲良くねーし
あいつならスターズの河に残留してるぞ
539
緑のひとと一緒に
勇者さんのサンプルを細かく解析するんだとさ
八、墓地在住の今をときめく骸骨さん︵出張中
おはよう
いい朝だな
雲間から差し込む朝日が美しいです
ところで⋮⋮
おい
透き通ったの
お前、だいじょうぶか?
なんか成仏しかけてるけど
九、樹海在住の今をときめく亡霊さん︵出張中
気にするな
朝もやに侵食されて
おれという存在が希薄になってるだけだ
一0、墓地在住の今をときめく骸骨さん︵出張中
540
いや、気にするよ
それは気にしていいレベル
一一、管理人だよ
お前ら
おはよう
さっそくだけど
寝起きドッキリしようぜ
一二、海底洞窟在住のとるにたらない不定形生物さん
第一声が
それかよ
ドッキリもなにも
同じ部屋だろーが
ん?
歌人に仕掛けるってこと?
勇者さんじゃなくて?
一三、王都在住のとるにたらない不定形生物さん︵出張中
おはよう
541
勇者さんは
もう起きてる
着替えも済ませて一階の食堂へ
なんでも朝も早よからミーティングするらしいぞ
たぶん本日のスケジュールを話し合うんだろう
子狸﹁おれ、クリスくんを起こしてくる﹂
勇者﹁べつにマッコールはいなくてもいいけど。⋮⋮まあいいわ。
わたし、下の食堂にいるから﹂
子狸﹁今日は髪を結ばないの? なんならおれが結びますけど﹂
妖精﹁しね﹂
子狸﹁その肩でぼそっと言うのやめて?﹂
勇者﹁下の食堂にいるから﹂
子狸﹁おう﹂
勇者﹁返事は、はい﹂
子狸﹁はい﹂
寝起きで礼儀を正される子狸
542
子狸の返事を聞いてひとつ頷いた勇者さんは
羽のひとをともなって部屋をあとにしたのであった⋮⋮
一四、管理人だよ
違うんだよ
おれは、結んでる髪が好きというより
結んでる髪をほどいてるのを見ると
どきどきするんだ
一五、住所不定のどこにでもいるようなてふてふさん
誰が性癖を語れと言った
いいから、さっさと歌の人を起こしてきやがりなさい
一六、管理人だよ
よし。わかった
おれが先行する
お前らはおれのあとに続け
一七、かまくら在住のとるにたらない不定形生物さん
続くつもりはない
543
だが、ふつうに考えて鍵が閉まってるだろ
合い鍵か何か持ってるのか?
一八、管理人だよ
そうやって
お前らはすぐに賢いふりをする
おれが、そんなへまをするとでも?
一九、山腹巣穴在住のとるにたらない不定形生物さん
おお⋮⋮
秘策あり?
なんだなんだ
今日の子狸さんはひとあじ違うな
悪いものでも食べたか?
二0、王都在住のとるにたらない不定形生物さん︵出張中
歌人の部屋の前に到着
不敵な笑みを浮かべた子狸さんがドアノブに手を掛ける
子狸﹁⋮⋮⋮⋮﹂
544
当然、鍵は閉まってる
はたして子狸の秘策とは⋮⋮!?
子狸﹁クリスくん。おれです。開けて下さい﹂
正解は
中の人に開けてもらう
でした
冴えてる
今日の子狸さん
冴えてるぞ⋮⋮!
二一、墓地在住の今をときめく骸骨さん︵出張中
うむ。冴えてるな
ドッキリという自分から言い出したことを忘れていなければ
より完璧だった⋮⋮
二二、住所不定のどこにでもいるようなてふてふさん
なにをもってへまなどしないと言い張ったのか気になるところだ
が⋮⋮
ちなみに、おれは勇者さんサイドね
545
勇者﹁はちみつ、いる?﹂
おれ﹁頂きます∼。わあ、なんだかとってもVIP待遇ですねっ﹂
勇者﹁いろいろと便宜を図ってくれてるみたい。ノロのお世話もし
てくれるって言うし﹂
おれ﹁え∼⋮⋮。ノロくんのお世話は素人には無理ですよぅ﹂
勇者﹁⋮⋮馬のほうよ。同じ名前なの﹂
おれ﹁!?﹂
とかそういう意
勇者﹁古代言語からとったらしいんだけど⋮⋮珍しい名前よね。ど
はじまり
ういう意味なのかしら? あなた知ってる?﹂
おれ﹁ええと。はい、いちおう⋮⋮。
味だったと思います⋮⋮﹂
まあ、終わりでもあるんだが⋮⋮
子狸よ
お前、生き別れになった兄弟とかいないよな?
二三、管理人だよ
え?
なんなの突然⋮⋮
546
いないけど
歌人﹁なっ、なにか? ノロくん? ちょっと、待って⋮⋮﹂
ん?
寝てたのかな?
クリスくんは声が高いから
ドア越しに聞くと女の子と話してるみたいで
ちょっと焦るよ
二四、王都在住のとるにたらない不定形生物さん︵出張中
寝てたら、もう少し反応に間があるだろ
着替え中だったとかじゃねーの?
というか、お前
クラスの女子とはふつうに喋ってるじゃないか
二五、管理人だよ
クラスメイトは、ぜんぜん別だよ
小さい頃からずっと一緒なんだから
さいきんは、なんでか知らないけど苗字で呼ばれるから
なんか距離を感じる⋮⋮
547
みんな元気にしてるかな⋮⋮
おっと
いまはクリスくんだ
おれ﹁気にしなくていいよ? 開けておくれ﹂
歌人﹁ボクは気にするよ! なに? どうしたの、こんなに朝早く﹂
おれ﹁寝起きドッキリしようかと思って﹂
歌人﹁油断も隙もないな! なんなの、も∼。いいよ、入って∼﹂
おれ﹁お邪魔しまうま﹂
歌人﹁しまうま?﹂
おれ入場
おれ﹁いや、違う。違った。お嬢が呼んでる﹂
歌人﹁待って。おちつこう。どうしてそう思うの?﹂
どうして?
どうしてとはなんだ
お前ら会議のお時間です
二六、海底洞窟在住のとるにたらない不定形生物さん
548
どうもこうも
昨日お前が暴走した挙句、騎士に捕獲されたから
またぞろ勘違いしてるんじゃないかと心配されてるんだよ
二七、管理人だよ
そっか
それなら心配いらないね
おれ﹁だいじょうぶ。おれとお嬢は心でつながってるんだ。なにも
心配はいらない⋮⋮﹂
歌人﹁だめっぽいなぁ⋮⋮。ベルさんは一緒じゃないの?﹂
おれ﹁あのひとは、とても心の優しい妖精さんなんだよ﹂
二八、王都在住のとるにたらない不定形生物さん︵出張中
待て
虚偽は認めんぞ
訂正する
子狸﹁あのひとは、おれとお嬢の仲を引き裂こうとする悪魔だよ﹂
二九、住所不定のどこにでもいるようなてふてふさん
549
ほう⋮⋮
三0、管理人だよ
誤解です
おれはただ
小悪魔みたいに
可愛らしい存在だと
おれ﹁可愛いよね、リンちゃん﹂
歌人﹁いま、たしかに悪魔と⋮⋮﹂
おれ﹁おれの堕天使だよ﹂
よくわからなくなってきた⋮⋮
羽のひとは
おれにとって
なんなの?
三一、住所不定のどこにでもいるようなてふてふさん
お前
いつかころす︵にこっ
550
三二、管理人だよ
あわわわわわ⋮⋮
三三、王都在住のとるにたらない不定形生物さん︵出張中
羽のひとと勇者さんが
一緒にいるらしいことを察した歌の人
それなら
そうひどいことにはなるまいと同伴を承諾し
子狸とともに一階へ
食堂にて両者と合流
歌人﹁おはようございます﹂
妖精﹁おはようございます∼﹂
羽のひと
ぱたぱたと子狸の肩へ移動
きらめく燐粉
ほとばしる闘気
子狸﹁⋮⋮⋮⋮﹂
無言のプレッシャーにおびえる子狸
551
勇者﹁おはよう。席はとってあるから、二人とも座って頂戴﹂
歌人﹁ありがとう。では失礼して﹂
子狸﹁⋮⋮失礼します﹂
ミーティング開始
勇者﹁食べながら話すのは苦手だから、先に用件を言うわ﹂
歌人﹁今日の予定ですか?﹂
子狸﹁お嬢は食べ方が綺麗だよね﹂
勇者﹁そうね。まず、常駐の騎士に教えてもらったのだけれど、街
道に出没する魔物は二種。メノッドブルとメノゥパル﹂
歌人﹁そうなんですか?﹂
子狸﹁うん。食べるの遅いけど﹂
おい
おい。子狸
ミーティングに参加しなさい
勇者﹁あなたが聞いていた話とは違うの?﹂
歌人﹁ええ。商人たちが言うには、駐在の騎士が黒衣の魔物を撃退
552
したけど、だいぶ苦戦したと。街道のほど近くに発生源があるんじ
ゃないかという話でした﹂
子狸﹁だいぶ違うね。別件に違いない⋮⋮﹂
勇者﹁はちみつ、いる?﹂
子狸﹁え? おれ?﹂
勇者﹁あげる。はい﹂
子狸﹁とってもクリーミィ⋮⋮﹂
妖精﹁クリーミィでもねーだろ﹂
ついでに、おれたちもミーティングしますかね
553
﹁子狸が勇者さんと喧嘩したみたいです﹂part1︵後書き︶
登場人物紹介
・ノロ︵馬︶
勇者さんの愛馬にして、子狸と同じ名を持つお馬さん。
子狸により﹁黒雲号﹂と命名されるも、べつに黒くない。
青いひとの証言によれば、ロバと似ているらしい。子狸に懐いて
いる。
とくべつ俊足というわけでもないのだが、じつは非常に賢いため
重宝されている。
マイペースな面もあり、めったなことでは走らない。
子狸の名前でもある﹁ノロ﹂は﹁はじまり﹂と﹁終わり﹂を意味
する旧古代言語であり、︵近︶古代言語においては数字の﹁0﹂を
意味した。
王国暦一00二年現在における数字の﹁ノラ︵零︶﹂は、その名残
りとされる。
なお、作中に登場することはないが、﹁ノロ﹂は﹁詠唱破棄﹂の
スペルでもある。
注釈
・メノッドブル
骨のひとを、人間はこう呼ぶ。
﹁ブル﹂は﹁骨﹂の意であり、﹁メノ﹂に﹁ッド﹂がつくことで﹁
554
∼するひと﹂の意が強調される。
視覚的な印象が強い魔物︵あるいは通常より巨大な個体︶は﹁メ
ノッド∼﹂と呼ばれることが多い。
なお、﹁ッド﹂による強調は古代言語の用法からは外れており、
﹁エメノゥ﹂とするのがじつは正しい。
﹁ッド﹂の語源は不明。気付けば﹁メノッド∼﹂と呼ばれるように
なっていて、これに該当する魔物たちは﹁え? おれ?﹂と正直び
びった。
人間はあなどれない⋮⋮。
555
﹁子狸が勇者さんと喧嘩したみたいです﹂part2
三四、住所不定のどこにでもいるようなてふてふさん
勇者﹁商人たちの協力関係は上辺だけだから、情報が散逸しやすい
の。彼らにとっては貴族も平民も等しくお客さまだけれど、おなじ
商人に関してはその限りではないということね﹂
歌人﹁うそ、だったんでしょうか⋮⋮?﹂
勇者﹁そうとも限らないわ。少なくとも、発生源があるという話に
は信憑性がある⋮⋮。街というのは、ただそこにあればいいという
ものではないから。流通が滞れば、損をする一方なのよ。街道の封
鎖に踏み切るなら、最低でも領主の許可が要るわ。ふつうなら、そ
んな許可は出さない。この街が置かれた状況は、ふつうではないと
いうことね﹂
おれ﹁でも、人の命が懸かってるわけですし⋮⋮﹂
勇者﹁領主の仕事は人命を救うことではないわ。お金を稼ぐことよ﹂
王国の闇を見た
さて、ミーティングね
というか、お前ら
まだ話し合いしてなかったのか?
556
三五、山腹巣穴在住のとるにたらない不定形生物さん
仕方ないだろぉ?
ここさいきんの子狸さんは
夜になると活性化するんだよ
鬼教官の放課後レッスンから
解放されたからな⋮⋮
三六、かまくら在住のとるにたらない不定形生物さん
子狸を野に放つべきじゃなかったんだよ⋮⋮
三七、住所不定のどこにでもいるようなてふてふさん
でも、お前ら
昨夜、釈放された子狸さんと一緒に
眠った街を無意味に疾走してましたよね?
そのへん、どうなの?
三八、管理人だよ
誤解してるみたいだけど⋮⋮
557
この世に無駄なことなんて
なにひとつとしてないんだよ?
三九、海底洞窟在住のとるにたらない不定形生物さん
お前は、おとなしく
はちみつ食べてなさい
いやぁ
なんかこいつがなんの前触れもなく
おれは弱くなったかもしれない⋮⋮とか言い出すからさぁ
じゃあ特訓しようぜ
っていう
四0、王都在住のとるにたらない不定形生物さん︵出張中
どれだけエネルギーが有り余ってるんだよ⋮⋮
尾行してるおれの身にもなって下さいよ⋮⋮
子狸﹁お金か⋮⋮。リンちゃんにはちょっと難しい話かな?﹂
妖精﹁お前がな。あと、ちゃん付けやめろ。悪寒がする﹂
子狸﹁! お、おれのことも呼び捨てでいいよ﹂
妖精﹁だからといって呼び捨てにしろってことでもねーよ﹂
558
子狸﹁まったくもう、口だけは達者なんだから⋮⋮﹂
妖精﹁うまく切り返した覚えもないんだがっ﹂
はいはい⋮⋮
仲がいいねお前ら
で、骨のひと
勇者さんを
お前らが出張サービスしてるお化け屋敷に誘き寄せるっていうの
はわかった
具体的なプランはあるのか?
四一、樹海在住の今をときめく亡霊さん︵出張中
ない
と言ったらどうする?
四二、墓地在住の今をときめく骸骨さん︵出張中
どうする?
じゃねーよ
あるからね?
559
お前はそうやってボケてればラクかもしれないけど
じゃあ、おれもボケるよ?
それでもいいの?
四三、管理人だよ
お前らのボケは
ときとしてさばききれない
四四、墓地在住の今をときめく骸骨さん︵出張中
ツッコミなめんな!?
この天然狸がっ
四五、山腹巣穴在住のとるにたらない不定形生物さん
おちつけ
絶滅危惧種みたいになってる
四六、管理人だよ
おれは養殖です
四六、墓地在住の今をときめく骸骨さん︵出張中
560
あ∼!
もう⋮⋮
あ∼!
ふう
すまない
少し取り乱した
今後のスケジュールだが
とりあえず
子狸を人質にとる予定だ
四七、海底洞窟在住のとるにたらない不定形生物さん
おい
かぶってる
それ、鬼のひとがもうやった
四八、かまくら在住のとるにたらない不定形生物さん
二番煎じは避けたいところだが⋮⋮
他に手はないのか?
561
四九、墓地在住の今をときめく骸骨さん︵出張中
いやいや
甘く見ないでほしい
おれらが配置についてから
優に四十時間は経過してるんだぜ?
お前らの活躍は
ひっそりと見守らせてもらいましたよ
勇者さんが
アリア家の人間だってのはわかった
けど、だからって血も涙もない人間だと決め付けるのは
いささか早計じゃないか?
じっさいに
捕獲された子狸を助けに行ってる
いまいちど
試してみる価値はあると思うんだ
どう?
五0、管理人だよ
勇者さんは優しい子だよ
562
五一、かまくら在住のとるにたらない不定形生物さん
子狸よ
お前は、だまされてるんだよ
ちょっと優しくされたからって
勘違いしてはいかん
彼女の剣術を見ただろ?
あれは
才能でも技術でもない
体質だよ
アリア家の血だ
たぶん感情の基盤構造が他の人間とは違う
お前らバウマフ家の人間とは
決して相容れない存在だ
五二、王都在住のとるにたらない不定形生物さん︵出張中
おれもそう思うぞ
勇者﹁さすがに魔物たちの意図するところはわからないけれど、わ
たしたちは訳あって先を急ぐの。だから、今日中に街を発つわ。あ
なたとは、ここでお別れね﹂
563
平気な顔して嘘をつくしな
歌人﹁? それはたしかに残念ですが⋮⋮。別のルートから行くん
ですか?﹂
勇者﹁駐在の騎士とは話をつけてあるの。変装して、こっそり出し
てもらうつもりよ﹂
おや?
子狸の様子が⋮⋮
子狸﹁ひと知れず、魔物を退治するんだね! さすがお嬢だ﹂
勇者﹁ばか言わないで﹂
子狸﹁え?﹂
勇者﹁魔物に遭遇したら、逃げるのよ。馬の足なら振りきれるわ﹂
子狸﹁え? だって、でも⋮⋮﹂
勇者﹁あなたは、余計なことを考えてないで、わたしの命令に従っ
てればいいの。きっとうまく行くわ﹂
子狸﹁そんなの違うよ!﹂
いつかは、こうなると思ってたんだよな⋮⋮
椅子を蹴って立ち上がる子狸
564
いつになく真剣な表情である
子狸﹁お嬢は、勇者だろ? 勇者は、困ってるひとを見捨てていっ
たりなんかしない﹂
あ、バラしちゃった⋮⋮
歌人﹁勇者⋮⋮?﹂
唖然としている歌の人を無視して
勇者さんが
即座に起動した聖☆剣を子狸の首元に突きつける
おっと無駄だぜ
言うまでもなく子狸には守護の魔法をかけてある
たかだかレベル4の攻性魔法じゃあ
おれの防壁は突破できんよ
妖精﹁!﹂
羽のひと、結界を頼む
他の人間に見られると面倒だ
五三、住所不定のどこにでもいるようなてふてふさん
おう
というか、すでに構成は走らせてある
565
それにしても⋮⋮
年齢不相応に冷静な女の子だと思ってたんだけど
違ったんだな
迷いがないんだ
勇者﹁そうかもしれないわね。だから?﹂
子狸﹁?﹂
勇者﹁勘違いしているようだけれど、わたしはべつに自分の命が惜
しいなんて思ったことはないわ。それは他人の命も同じことよ﹂
子狸﹁そんなの⋮⋮だめだよ﹂
勇者﹁? あなたの言うことは、ときどき理解できないわ﹂
おれは基本的に理解できない
勇者﹁わたしに、戦えと言ってるんじゃないの?﹂
子狸﹁? 戦うというか⋮⋮立ち上がろうっていうか。逃げるのは、
だめだよ﹂
勇者﹁もう少し詳しく﹂
子狸﹁え∼? ちょっと待ってね⋮⋮﹂
子狸さん
レッツシンキングタイム
566
五四、管理人だよ
お前らなら、わかってくれるよね?
どう伝えたらいい?
このニュアンス
五五、山腹巣穴在住のとるにたらない不定形生物さん
いや、わからん
五六、海底洞窟在住のとるにたらない不定形生物さん
当然のようにわからん
もう少し詳しく
五七、管理人だよ
え∼?
お前ら、ふだん偉そうなこと言ってるくせに
これだもんなぁ⋮⋮
五八、墓地在住の今をときめく骸骨さん︵出張中
567
ぶっ飛ばされたいの?
いいから詳しく話してみなさい
なにがだめなの?
お前、言ってることが支離滅裂だぞ?
いや、いつものことなんだが⋮⋮
五九、管理人だよ
仕方ないなぁ⋮⋮
二度は言わないよ?
おれは勇者さんに
あんまり危ないことはしてほしくないんだ
女の子だし
でも逃げちゃだめなんだよね
つまり、そういうこと
六0、かまくら在住のとるにたらない不定形生物さん
こいつ、むかつく⋮⋮!
ていうか
おい
568
あんまりびびらせるな
なにひとつとして新情報が含まれてねーぞ⋮⋮
ぜんぜん詳しくなってない
がんばれ
もっとがんばれ!
六一、管理人だよ
ここまで言ってもわからないなら
ちょっと⋮⋮
ごめんな
とにかく、このままじゃ勇者さんはだめになる⋮⋮
おれがなんとかしなくちゃ!
おれ﹁結論が出ました﹂
勇者﹁言ってみて﹂
おれ﹁お嬢﹂
勇者﹁なに﹂
おれ﹁おれは、いまちょっと怒ってます﹂
勇者﹁なにに﹂
569
おれ﹁お嬢の、そういう⋮⋮なんていうの⋮⋮あれ。あれなところ
に。そう⋮⋮つまり、あれだ。わかるよね?﹂
勇者﹁まったく﹂
おれ﹁自覚がないんだね。⋮⋮自覚? 自覚はあるのかもしれない
⋮⋮それはお嬢にしかわからない﹂
勇者﹁そうね﹂
おれ﹁とにかくですね。お嬢とは、ここでいったんお別れです﹂
勇者﹁それ、前にも聞いたわ。一流のシェフを目指すとか何とか⋮
⋮わけのわからないことを﹂
おれ﹁そんなこと言ってないよ。茶化さないで﹂
勇者﹁言ったわ。間違いなく﹂
おれ﹁⋮⋮言ったかもしれない。それは認めよう﹂
勇者﹁絶対に言った﹂
おれ﹁この世に絶対なんてないよ﹂
勇者﹁絶対にないことはあるの?﹂
おれ﹁え?﹂
570
勇者﹁なんでもない。続けて﹂
おれ﹁あ、はい。⋮⋮ええと、なんだっけ。⋮⋮そう、そうだった。
お嬢には、絶対に忘れてほしくないことがあります﹂
勇者﹁早くも⋮⋮﹂
おれ﹁おれは、これからそれを⋮⋮あれだ。あれをしに行きます。
それまで、お嬢とは口をききません。これも絶対ね﹂
勇者﹁また⋮⋮﹂
おれ﹁クリスくん!﹂
歌人﹁え? はい?﹂
おれ﹁行こう!﹂
歌人﹁ど、どこへ?﹂
おれ﹁決まってるじゃないか!﹂
歌人﹁そう、だろうか⋮⋮?﹂
おれ﹁しゃきっとして! おれたちが、この街を救うんだよ!﹂
歌人﹁え?﹂
勇者﹁待ちなさい。わたしに無断でどこへ﹂
571
おれ﹁お嬢とは口をきかないって言ったでしょ。でも寂しくなった
ら言いなさい。黒雲号のお世話もちゃんとすること。わかった?﹂
勇者﹁いま、口をきかないと⋮⋮﹂
おれ﹁リン。お嬢をよろしくな﹂
妖精﹁ころすぞ﹂
おれ﹁リンさん。お嬢をよろしくお願いします﹂
妖精﹁もうひと声﹂
おれ﹁閣下。哀れなおれにお情けを。なにとぞ、なにとぞ⋮⋮﹂
妖精﹁よかろう。お前がなにを考えているのか、さっぱりわからん
が。⋮⋮行け。骨は拾ってやる﹂
おれ﹁ありがたき幸せ。では!﹂
歌人﹁え?﹂
572
﹁子狸が勇者さんと喧嘩したみたいです﹂part2︵後書き︶
注釈
・特訓
山篭りとかするあれ。
バウマフ家の人間は、幼い頃より魔物たちの手で英才教育を施さ
れる。
英才教育を施された結果があれなのかということはさておき、シ
ナリオを遂行する上で必要な知識や、不必要な知識を徹底的に叩き
込まれる。
子狸が一定の条件下において﹁颯爽とおれ参上﹂に類する行動を
とるのは、魔物たちによって仕組まれた条件反射である。
この﹁特訓﹂により、バウマフ家の人間は﹁謎の覆面戦士ルート﹂
や﹁超古代文明の末裔ルート﹂、果ては﹁魔王の腹心ルート﹂に至
るまで柔軟な対応をできる⋮⋮筈だ。たぶん。
573
﹁子狸が勇者さんと喧嘩したみたいです﹂part3
六二、山腹巣穴在住のとるにたらない不定形生物さん
おい
おい待て。子狸
なにやら張り切っているようだが
勇者さんもいないのに
お前が霊界のひとたちの拠点に突撃しても意味ないだろ⋮⋮
六三、かまくら在住のとるにたらない不定形生物さん
そうだぞ。考え直せ
お前らバウマフ家は勇者の水先案内人なんだ
まして歌の人を連れて行くとなると誤魔化しがきかなくなる
さいあく彼女おっと彼の記憶を消去することになる
それでもいいのか?
六四、管理人だよ
お前らは、ひとの心を悪いほうに操ったりはしないよ
おれがいなかったことになるんでしょ?
574
いいよ
次に会うときは魔王の手先になってるかもしれないけど⋮⋮
それは悲しいことかもしれないけど⋮⋮
羽のひとがいる。クリスくんも
おれは、お前らに守ってもらってずっと生きてきた⋮⋮
だから、おれも大切なものを守るために戦える
六五、海底洞窟在住のとるにたらない不定形生物さん
おちつけ
おちつくんだ
なんか感動的なこと言ってるけど
お前はきっと勘違いしてる
王都の!
やばい。暴走しはじめてる
哲学的な話でもしないか?
六六、王都在住のとるにたらない不定形生物さん︵出張中
子狸よ、本気なのか?
575
六七、管理人だよ
おう
おれは、お前らが言うように
あんまり頭は良くないかもしれない⋮⋮
それでも
本当に大切なものはわかるよ
生きてるんだから
六八、王都在住のとるにたらない不定形生物さん︵出張中
バウマフの血か⋮⋮
わかった
好きにしろ
お前の先祖は
おれたちに生きろと言った
今度はおれたちの番なのかもしれない⋮⋮
六九、山腹巣穴在住のとるにたらない不定形生物さん
いやいや
王都の、お前もおちつけ
576
開祖は、あれだろ
たんに考えるのが面倒になっただけだろ
けっきょくおれたちにいろいろと教えてくれたのは
お母さまじゃないか
七0、王都在住のとるにたらない不定形生物さん
子狸は
おれが育てたんだ
開祖とは違う
お前らだって
子狸はわりとまともなほうだと認めてるだろ
七一、山腹巣穴在住のとるにたらない不定形生物さん
いえ
バウマフ家の基準で語られましても⋮⋮
そうだ
骨のひとはどう思う?
困るだろ?
子狸に来られてもさ
主演おれ
観客おれ
みたいなものだし
577
七二、墓地在住の今をときめく骸骨さん︵出張中
いいだろう
かかってこいよ、子狸ぃ⋮⋮
お前を倒すのは
このおれだ!
七三、山腹巣穴在住のとるにたらない不定形生物さん
おぉう⋮⋮
これはだめだ。使いものにならない⋮⋮
見えるひとは?
見えるひとはどう思う?
七四、樹海在住の今をときめく亡霊さん︵出張中
王都のひとは
アリア家がおれたちの天敵かもしれないと言ったそうだな⋮⋮
だが、それは違う
おれたちの天敵は
バウマフ家だよ
578
いずれは決着をつけねばならないと思っていた
それが、いまだったということだ⋮⋮
子狸よ
お前がなにを考えてるのかはわからない
だが思い通りになると思うな
やれるものならやってみるがいい⋮⋮!
七五、管理人だよ
おう!
勝負だ、お前ら!
七六、かまくら在住のとるにたらない不定形生物さん
おかしい
なぜこうなった⋮⋮
七七、海底洞窟在住のとるにたらない不定形生物さん
もはやこの流れには抗えない、か⋮⋮
羽のひと
579
勇者さんは@任せる
何かあれば←教えてくれ
七八、住所不定のどこにでもいるようなてふてふさん
わかった
任せ@ろ→
七九、山腹巣穴在住のとるにたらない不定形生物さん
そういうことなら仕方ないな⋮⋮
ここは@王都のの
顔を立てるぜ→↓
八0、王都在住のとるにたらない不定形生物さん︵出張中
感謝する
お前ら
子狸は◎歌人のお馬さんに
相乗りさせてもらうようだ
黒雲号よりも少し体格がいい
というか、これはポニーだ
まあ、ふたりとも小柄だから
580
問題はないだろうが⋮⋮
歌人﹁⋮⋮途中までだからね? ボクだって命は惜しい﹂
子狸﹁わかった。お嬢には、おれが勇敢に戦ったと伝えてほしい﹂
歌人﹁⋮⋮危ないと感じたら、引き返すからね?﹂
子狸﹁おう。⋮⋮豆芝、わかった? 合図をしたら迎えに来るんだ
よ。いい?﹂
歌人﹁ちょっ、名前⋮⋮﹂
子狸﹁知ってる? こういうの、称号名っていうんだよ﹂
たまに天才なん
歌人﹁そんな称号名は、いまだかつて聞いたことがない⋮⋮﹂
昨日のことだが
騎士から称号名のことを聞いて
子狸ライブラリに登録されたみたいだ
どうやら理解はしていなかったようだな⋮⋮
って書かれるんだ﹂
子狸﹁自慢じゃないけど、おれ、通信簿で、よく
じゃないかと思う
歌人﹁⋮⋮通信簿の話だよね?﹂
じっさいに自慢になっていない
581
歌人がまたがる豆芝さんのくつわを引いて
子狸は行く
なんだ?
通りが騒がしいな
すれ違う人間たちの様子が慌しい
骨のひと、千里眼で見れるか?
八一、墓地在住の今をときめく骸骨さん︵出張中
おう
ん∼⋮⋮
街壁の付近に人間が群がってるな
ちょうど出入り口の門があるところだ
拡大、拡大っと⋮⋮
ん?
なんかもめてる
門番の騎士が数人と
これは商人たちだな
いつまで封鎖してるんだとか言ってる
582
とうとう暴動が起きたか⋮⋮
ちょっと行ってくるわ
八二、樹海在住の今をときめく亡霊さん︵出張中
おれも行こうか?
八三、墓地在住の今をときめく骸骨さん︵出張中
お前、日の当たるところだと
存在感が薄いからなぁ⋮⋮
いいよ。おれが行く
ちらっと姿を見せに行くだけだし
ああ、でも商人ってたくましいからなぁ⋮⋮
追ってきたら困るかも
八四、山腹巣穴在住のとるにたらない不定形生物さん
近頃の商人は傭兵業までこなすからな⋮⋮
いささか鍛えすぎたか⋮⋮
どうする?
巨大化いっとく?
583
八五、墓地在住の今をときめく骸骨さん︵出張中
ゴーストタウンになっちまうよ⋮⋮
人里の近辺では巨大化はしない
それがおれのジャスティス
とはいえ
商魂たくましすぎる商人たちに
大挙して押し寄せられても困る⋮⋮
お?
子狸が、のこのことやってきた
八六、王都在住のとるにたらない不定形生物さん︵出張中
うむ。街門に到着した
とても通してもらえる雰囲気じゃないな
子狸よ、歌の人は置いていけ
お前ひとりなら街の外に転送してやる
八七、管理人だよ
それじゃあ意味がないよ
だいじょうぶ
584
思いついたことがあるんだ
歌人﹁⋮⋮これは無理だね。ノロくん、やっぱり引き返そう﹂
おれ﹁曲を﹂
歌人﹁え?﹂
おれ﹁思いは、伝わる。叫んでるだけじゃ、だめなんだ﹂
先生の言っていたことが
ようやくわかったような気がする⋮⋮
八八、海底洞窟在住のとるにたらない不定形生物さん
待て
おちつけ
違う
早まるな
お前の音楽の成績が悪いのは
たんに
総員退避!
八九、かまくら在住のとるにたらない不定形生物さん
退避します!
585
!?
リンクが⋮⋮切れない!?
九0、山腹巣穴在住のとるにたらない不定形生物さん
!
王都の、貴様!?
九一、王都在住のとるにたらない不定形生物さん︵出張中
おれたち仲間だろ?
歌人﹁自信があるんだね? よし、やってみよう﹂
子狸﹁おう!﹂
不公平はあってはならないんだ
おれと同じように苦しめ
歌人﹁♪∼﹂
子狸﹁ぼえ∼﹂
586
これは⋮⋮ひどい⋮⋮
九二、海底洞窟在住のとるにたらない不定形生物さん
あれ?
おかしいな⋮⋮平衡感覚が⋮⋮
九三、かまくら在住のとるにたらない不定形生物さん
ママン⋮⋮
いま行くよ⋮⋮
九四、山腹巣穴在住のとるにたらない不定形生物さん
なんだろう⋮⋮
この不安になる感じ⋮⋮
九五、樹海在住の今をときめく亡霊さん︵出張中
おれの知ってる歌と違う⋮⋮
なんていうか新しい
587
九六、墓地在住の今をときめく骸骨さん︵出張中
だが効果はあったようだな
みんな唖然として子狸さんを見てる
あ、騎士が気付いた
騎士A﹁やつだ⋮⋮! おい! とらえろ! いや、まず歌うのを
やめさせろ!﹂
騎士B﹁ま、待て。あれは聖騎士の連れだ⋮⋮﹂
騎士C﹁サビだけ上手いんだな⋮⋮。そこがまたイラッとくる⋮⋮﹂
そう、サビだけは上手いんだよ⋮⋮
九六、王都在住のとるにたらない不定形生物さん︵出張中
ふう
なんとか歌い切ったか⋮⋮
子狸﹁ぼえ∼﹂
歌人﹁♪∼﹂
!?
588
九七、海底洞窟在住のとるにたらない不定形生物さん
二番!?
九八、山腹巣穴在住のとるにたらない不定形生物さん
フルバージョン!?
九九、かまくら在住のとるにたらない不定形生物さん︵出張中
ママン⋮⋮
ごめん⋮⋮
まだやり残したことがあるみたいだ⋮⋮
あいつが泣いてる
おれ、戻るよ⋮⋮
一00、かつて管理人だったもの
美声だな
さすが、おれの息子
589
一0一、海底洞窟在住のとるにたらない不定形生物さん
ですよね!
一0二、海底洞窟在住のとるにたらない不定形生物さん
いやぁ
心が洗われるようだなぁ!
一0三、樹海在住の今をときめく亡霊さん︵出張中
お屋形さま、ご無沙汰しております!
一0四、墓地在住の今をときめく骸骨さん︵出張中
ご子息に、いつもお世話になっております!
一0五、かつて管理人だったもの
ああ。そう硬くならなくてもいい
なに、息子が旅に出て家内が寂しがってるもんでな
気晴らしに少し連れ出す
ノロには何も言わなくていい
590
一0六、管理人だよ
いや、見てるよ父さん⋮⋮
おっちょこちょいだなぁ⋮⋮
一0七、かつて管理人だったもの
おお、そうだったな
いまはお前が管理人だったな
父さんうっかりしてたよ
一0八、管理人だよ
旅行に出かけるの?
母さんに何も言わずに出てきちゃったから
気になってたんだ
おれの代わりに土下座しておいてくれる?
一0九、かつて管理人だったもの
はっはっは
こいつめ⋮⋮
591
わかった。任せろ
父さんの土下座は
常人の域をはるかに超えてるからな
一一0、山腹巣穴在住のとるにたらない不定形生物さん
どんな!?
一一一、かまくら在住のとるにたらない不定形生物さん
なんなの、その土下座代行システム!?
通るの!?
一一二、かつて管理人だったもの
通るわけねーだろ!?
たんなる言葉のキャッチボールだよ!
察しろ!
一一三、管理人だよ
え?
592
一一四、かつて管理人だったもの
え?
本気?
そうか⋮⋮
わかった
おれも男だ
やってやろうじゃないか⋮⋮
まず旅行だ
お前ら、スターズの連中によろしく言っとけ
ひとしきり巡回するからな
一一五、王都在住のとるにたらない不定形生物さん︵出張中
お屋形さま
古代遺跡とかおすすめですよ
さいきんあのひと怠けぶりがひどいんです
一一六、かつて管理人だったもの
わかってる
おれに任せておけ
593
じゃあな
一一七、管理人だよ
ちょうど歌い終わった
一一八、王都在住のとるにたらない不定形生物さん︵出張中
おつかれ
さて、とりあえず暴動はおさまった
じりじりと包囲の輪を狭めてくる騎士たちに
子狸はひとこと
子狸﹁おかしい。おれの誠意が伝わっていない⋮⋮﹂
子狸の計画は失敗に終わったらしい
騎士A﹁なにを⋮⋮!﹂
騎士B﹁待て。⋮⋮少年、我々に何か用かな? 見ての通り、少し
忙しいのだが⋮⋮伝言くらいは聞こう﹂
いまや商人たちの注目を浴びてしまっているため
言葉を選んでいるようだ
594
子狸は得心がいったというようにひとつ頷く
子狸﹁伝言ゲームというわけか⋮⋮﹂
歌人﹁違うよ。ほら、アレイシアンさんからの﹂
子狸﹁!? どうしてお嬢のことを名前で呼ぶの? ま、まさか⋮
⋮﹂
歌人﹁いまさら!? ありえないから! 君ってやつは、も∼⋮⋮
ここはボクに任せなさい! いいね?﹂
子狸﹁おう!﹂
だんだん子狸さんの扱いが雑になるな⋮⋮
高みの見物を気取る子狸の頬をつねってから
歌人が進み出る
騎士B﹁⋮⋮君は?﹂
歌人﹁ボクは、クリス・マッコールと言います。少々予定が狂いま
したが⋮⋮我々は偵察の任を命じられたものです。通して頂けます
か?﹂
騎士たちが素早く目配せをする
騎士Aが頷くと
他の騎士たちは商人たちの対応に戻る
595
騎士A﹁我々は訓練された人間だ。いまから聞いた内容を忘れるこ
ともできる。その上で尋ねる。⋮⋮命令されたというのは、嘘だな
?﹂
ああ、こいつが隊長なのか
騎士A﹁聖騎士位の指揮権は委譲できない。いかなる理由があろう
とだ。我々の職務と反する指令を与えるというのは、筋が通らない。
なぜ嘘をついた?﹂
歌人﹁それは⋮⋮ボクの口からは何とも⋮⋮﹂
誤魔化しきれないと悟ったか
歌人がちらりと子狸を見る
目が合う
子狸﹁うん、嘘は良くない﹂
歌人﹁他人事!?﹂
子狸﹁他人だなんて⋮⋮。お、おれは、クリスくんのこと⋮⋮。と
っ、友達だと、思ってます⋮⋮!﹂
歌人﹁そ、そう⋮⋮﹂
おい
歌の人、若干ひいてる
596
﹁子狸が勇者さんと喧嘩したみたいです﹂part4
一一九、海底洞窟在住のとるにたらない不定形生物さん
子狸よ
まあ、そう気を落とすな
歌の人は
お前のことを友達でも何でもないと思っているようだが
そもそも友達なんていらないだろ?
無用なトラブルを招くだけだぜ
一二0、山腹巣穴在住のとるにたらない不定形生物さん
だな
お前は@←あんまり自覚ないかもしれないけど
国家機密◎に足が生えて歩き回ってるようなものだから
気楽に話もできないし
お前からしてみれば、ほとんど異世界の住人だぜ?
一二一、かまくら在住のとるにたらない不定形生物さん
だな
597
本気で天動説を信じてるような連中だからな
というか危うく現実になりかけたからね
人間はおっかねーよ⋮⋮
一二二、管理人だよ
でも、おれ⋮⋮
人間が好きだ
魔改造の実は甘くておいしい
!
名案を思いついたぞ⋮⋮
おれ﹁クリスくん。豆芝に⋮⋮﹂
歌人﹁⋮⋮わかった﹂
騎士A﹁おい。聞こえてるぞ。間抜けなコンビだな⋮⋮﹂
歌人﹁一緒にしないでください! 失礼な人だっ⋮⋮﹂
おれ﹁その余裕が、いつまで続くかな⋮⋮?﹂
不敵に笑うおれ
歌人﹁わあ、なんかだめっぽい⋮⋮﹂
598
ひとは成長する
昨日までのおれとは違うぜ
おれ﹁あ! あれはなんだ!?﹂
よし。いまのうちに⋮⋮
一二三、墓地在住の今をときめく骸骨さん︵出張中
わかるよ
お前なら引っかかったかもな
騎士A﹁待ちなさい。そんな子供だましに⋮⋮﹂
子狸はだめだ
使えん
ここは、おれたちが何とかするしかない
まずは商人たちだ
こいつらをどうにかしないことには⋮⋮
一二四、かまくら在住のとるにたらない不定形生物さん
いや
子狸の発想はあながち間違ってもいない
商人たちの対応で騎士たちは手一杯になってる
599
ざっと見た限り馬の近くにいる騎士はいない
突破さえすれば振り切れる
雲を使うのはどうだ?
一二五、山腹巣穴在住のとるにたらない不定形生物さん
そうか。雨を降らせるんだな?
あんなどす黒い雨雲がどろどろと頭上に流れてきたら
騎士たちの注意も惹けるかもしれない
いけるぞ
一二六、王都在住のとるにたらない不定形生物さん︵出張中
待て
商人たちには
騎士たちの足止めをしてもらう
この状況でいい
この状況がいい
雨雲を持ってくるというのはいいアイディアだが⋮⋮
いや
600
その必要もなさそうだな
豆芝﹁⋮⋮⋮⋮﹂
頭上を見上げる豆芝さん
商人たちの馬も次々と祈るように天をあおぐ
商人A﹁? おい、どうし⋮⋮! 火花星だ!﹂
商人B﹁おお⋮⋮﹂
商人C﹁おお⋮⋮﹂
ちかちかと
空にまたたく
火花星
騎士A﹁不吉な⋮⋮﹂
子狸、走れ!
骨のひと! フォローを
一二七、管理人だよ
おう!
601
一二八、墓地在住の今をときめく骸骨さん︵出張中
おう!
颯爽と豆芝さんに飛び乗る子狸さん
騎士A﹁その手には乗らないと⋮⋮!﹂
立ちふさがろうとする騎士Aを
ひきとめる商人D
というか、おれ
商人D﹁おい、あんた⋮⋮! こっちは急いでるんだよ⋮⋮!﹂
騎士A﹁ちっ! 離せ!﹂
商人に身をやつしたおれを
騎士Aは振り切るも、すでに遅い
子狸﹁アディオス、アミーゴ!﹂
歌人﹁いいのかなぁ⋮⋮﹂
ポニーとはいえ
馬の足に人間では追いつけない
騎士A﹁パル!﹂
お?
602
騎士A﹁エリア・タク・ディグ!﹂
子狸﹁お?﹂
騎士Aのターン
馬上の子狸に向かって
光の鞭を射出
魔法って本当に便利ですね
すっかり油断していた子狸さん
鞭に腕をとられて上体がゆらぐ
子狸﹁ぬっ!?﹂
騎士A﹁観念しろ!﹂
子狸のターン
腕に巻きついた鞭に手をそえる
子狸﹁アイリン・ドロー!﹂
こらこらこら
しかし効果は確かだ
鞭が、ぱっと飛散し光へと還元される
騎士A﹁なんだと!? チェンジリングか!?﹂
603
いいえ。逆算能力です⋮⋮
子狸﹁あばよ、涙!﹂
そして、この捨て台詞である
一二九、海底洞窟在住のとるにたらない不定形生物さん
子狸ぃ⋮⋮
治癒魔法を本来の用途で使うなって
言ってんだろーが!
一三0、かまくら在住のとるにたらない不定形生物さん
ねえ、楽しい?
おれたちの苦労を水の泡にして楽しいの?
一三一、管理人だよ
お前らがおれに余計なことを教えたせいで
おれの治癒魔法はエフェクトがグロいと先生に言われる⋮⋮
低学年の子たちにどん引きされて以来
封印されていたおれの治癒魔法が
いま解き放たれた⋮⋮!
604
一三二、山腹巣穴在住のとるにたらない不定形生物さん
ああ⋮⋮
そうか。光の鞭は教官の得意魔法だったもんな⋮⋮
一三三、王都在住のとるにたらない不定形生物さん︵出張中
はんぶんチェンジリングの域に達してたから
本人も嘆いてたよ
骨のひと、目撃者の記憶を差し替えておいてくれ
子狸は、なにか魔法で光の鞭を防いだけど
詠唱は声が小さくて聞きとれなかった
これで頼む
一三四、墓地在住の今をときめく骸骨さん︵出張中
おう
しかし一方の商人たちは白熱するばかりだ⋮⋮
商人A﹁おい! ガキは通しても、おれらはだめなのか!?﹂
騎士B﹁まあまあ⋮⋮おさえて。あなたたち大人でしょう﹂
605
商人B﹁ふざけんな! 追えよ!﹂
騎士C﹁まあまあ⋮⋮おさえて。どうせ怖くなって戻ってきますよ﹂
商人C﹁なにが騎士だ! 貴族の犬が!﹂
騎士D﹁まあまあ⋮⋮おさえて。貴族に失礼ですよ? ね?﹂
騎士たちは冷静だな
商人D﹁ほざけ! この税金泥棒が!﹂
騎士A﹁あ!? おれたちが、どんだけ薄給でこき使われてると思
ってんだ!? この成金どもが!﹂
商人E﹁言ったな!? 上等だ! だれかゴング持って来い、ゴン
グ!﹂
騎士A﹁やってやんよ! 民間人が軍人に勝てると思ってんのか!
?﹂
騎士B﹁た、隊長⋮⋮﹂
商人A﹁なめんな! こちとら連日連夜、魔物とやり合ってんだ!﹂
一三五、樹海在住の今をときめく亡霊さん︵出張中
うん、冷静だな
606
607
﹁子狸が勇者さんと喧嘩したみたいです﹂part4︵後書き︶
注釈
・天動説
自分たちを中心に宇宙が回るという考え方。地動説の逆。
この世界の人間は、そもそも﹁宇宙﹂という概念を持たない。
太陽と月と星は空に貼りついているものであり、それがぐるぐる
と回るのだ。
そんなことを本気で考えていたら、魔法のパワーで現実になりか
けたことがある。これには魔物たちもまじでびびった。
のちに﹁二番回路の逆襲﹂と呼ばれるこの事件を踏まえ、魔物た
ちは二番回路に流れ込んだ余剰ぶんのエネルギーを少しずつ還元し
ていくオートマチックのシステムを作った。
これが﹁魔改造の実﹂である。
便宜的な処置ではあったが、食べると案外おいしかった。夢の味
なのかもしれない。
・火花星
ときとして群発する、この世界独自の天体スペクタクル。
上空で、まるで火花が散っているようにも見えるため、そう呼ば
れる。
この現象の前後に魔物が活発化するという噂もあり、騎士たちの
間では凶兆とされる。
608
﹁子狸がレベル2に挑むようです﹂part1
一、王都在住のとるにたらない不定形生物さん︵出張中
からくも騎士たちの妨害︵善意︶を突破した
子狸と歌人
ひとけのない街道は寒々しく
上空の暗雲を見つめる子狸の目には憂いがある⋮⋮
子狸﹁問題は、巣穴がどこにあるのかだ⋮⋮﹂
問題なのはお前の記憶力
歌人﹁いや、どう見ても、森の奥が怪しいから。暗雲が渦巻いてる
から﹂
子狸﹁⋮⋮渦巻いてるのが、期待と不安だったとしたら?﹂
歌人﹁⋮⋮その質問に、ボクは答えなくちゃだめなの?﹂
久しぶりに
タイトルコール行きます
魔
王
討
伐
609
の
旅シリーズ
子
狸迷走編
が
レベル2に挑むようです
二、かまくら在住のとるにたらない不定形生物さん
じっさいどうなの?
子狸はレベル2のひとに勝てるの?
三、海底洞窟在住のとるにたらない不定形生物さん
難しいだろうなぁ⋮⋮
レベル2のひとたちは
騎士とタメ張れる程度のパラメーター設定だからさ
四、山腹巣穴在住のとるにたらない不定形生物さん
いや
おれは、けっこうイイ線いくと思うぞ
騎士が真価を発揮するのは集団戦だからな
その点、子狸は個人戦仕様だ
610
ふつうの人間とは魔法に対する
アプローチの方向性からして違う
五、樹海在住の今をときめく亡霊さん︵出張中
ん?
でも、おれ
子狸が素でレベル3の魔法を使ってるの
見たことないぞ
じつは使えるの?
六、山腹巣穴在住のとるにたらない不定形生物さん
いや、使えない
ある一定以上の規模になると
ごく一部の数値が突出して、レベル4になっちゃう
なまじレベル4以上の知識があるから
構成がおかしくなるんだろうな
無意識のうちに最適解に引っ張られてる
結果、器用貧乏というか
まあ、子狸と同年代でレベル3の魔法を扱える人間は
ひと握りの天才だけだから
べつにいいんでない?
611
七、海底洞窟在住のとるにたらない不定形生物さん
そもそも、子狸にとって火力とか属性は
たんなる数値の違いだからね
お屋形さまと同じ高みを目指したら
途中で休憩所があって
あれ? ここ山頂じゃね? みたいな⋮⋮
あとは、スコップで地道に土を盛るだけっていうか⋮⋮
八、かまくら在住のとるにたらない不定形生物さん
虚しい作業だな⋮⋮
まあ、そこでトンネルを掘って山を改造しはじめるのが
子狸なんだけどな⋮⋮
九、管理人だよ
良いことだよ
この前、全身全霊をこめて砂山をカスタマイズしてあげたら
尊敬の目で見られたし
612
一0、樹海在住の今をときめく亡霊さん︵出張中
砂山っていう時点で⋮⋮
一一、王都在住のとるにたらない不定形生物さん︵出張中
そのあと調子に乗って魔物ごっこやってたら
親御さんに通報されたけどな
さて、霊界のひとたちの出張先に到着したぞ
改めて見ると立派な屋敷だな
いかにも不気味な外観に
歌の人は怖気ついてる
歌人﹁本気で入るの⋮⋮?﹂
子狸﹁? 怖いの? それなら、クリスくんはここで⋮⋮﹂
歌人﹁こ、怖くなんてないよ!﹂
子狸に、この手のこけおどしは意味をなさない
じつに可愛げのない子供である
けっきょく歌の人は同行するらしい
甘いというか、なんというか⋮⋮
豆芝さんは屋外で待機
613
子狸が突入役を買って出ようとするも
のっけからクライマックスの作戦に
歌人が異をとなえる
歌人﹁そんなことしたら、本気で帰るからねっ⋮⋮!﹂
子狸﹁こういう場合、奇襲して一気に制圧するのがセオリーなんだ
けど⋮⋮﹂
歌人﹁発生源があるっていう話だったでしょ! まずはそれは探る
の!﹂
発生源か⋮⋮
骨のひと、そのへんはどうなの?
一二、墓地在住の今をときめく骸骨さん︵出張中
無論、ある
地下に魔界からつながるゲートがな⋮⋮
一三、樹海在住の今をときめく亡霊さん︵出張中
魔界のポテンシャルに
すべてを賭けるぜ⋮⋮!
614
一四、海底洞窟在住のとるにたらない不定形生物さん
困ったときの魔界だな
闇の魔法で、それっぽく仕上げると⋮⋮
後始末はどうするんだ?
一五、墓地在住の今をときめく骸骨さん︵出張中
勇者さんに聖☆剣で閉ざしてもらうつもりだったんだけど⋮⋮
まあ、光の精霊がいるからだいじょうぶだろう
一六、管理人だよ
精霊
精霊か⋮⋮
いよいよ、おれの前にも姿を現すのか⋮⋮!
おれ﹁⋮⋮よし、二階の窓を叩き割って入ろう﹂
歌人﹁なんでそう発想が犯罪じみてるの? バレるよ、バレる﹂
おれ﹁ふふふ﹂
歌人﹁⋮⋮なに?﹂
615
おれ﹁ドアには鍵が掛かってるもんだよ。ためしに、ほら⋮⋮﹂
開いてた
歌人﹁⋮⋮⋮⋮﹂
おれ﹁これは罠に違いない⋮⋮﹂
歌人﹁ごめんなさいは?﹂
おれ﹁ごめんなさい﹂
裏の裏か⋮⋮
どうやら骨のひとの方が一枚上手だったようだな⋮⋮
一七、墓地在住の今をときめく骸骨さん︵出張中
つまり表です⋮⋮
ああ、ついでに言っておくけど
牛のひとの家とは
内部の構造がぜんぜん違うから
子狸は、進行方向を申告しなくてもいいぞ
一八、管理人だよ
616
え? そうなの?
じゃあ、ランダム構築?
一九、樹海在住の今をときめく亡霊さん︵出張中
そんなマイホームは嫌だ⋮⋮
この屋敷な
もともと人間が建てたんだよ
地下の空間は多少いじったけど
それ以外はまともな造りになってる
勇者さんのマッピング能力も未知数だし
あんまり複雑にしても仕方ないだろ
二0、管理人だよ
後悔しても知らないよ?
おれ、ダンジョンに関してはプロフェッショナルだから
二一、王都在住のとるにたらない不定形生物さん︵出張中
ちなみに、お前の先祖でもあるなんちゃって古代の民は
似たようなシチュエーションで
617
古代﹁ふひひ、楽勝ですよ∼♪﹂
とか言って落とし穴にダイブした
なんていうか
なんだろう⋮⋮
べつだんそういうキャラでもないのにお色気担当みたいになってて
意味不明だったぞ
お前は、そうならないといいな⋮⋮
二二、管理人だよ
いえ、おれ男ですし⋮⋮
落とし穴とか、そんな古典的な⋮⋮
とりあえず行きますね
てくてく
歌人﹁床! 床が抜けてる!﹂
おれ﹁おぉう!?﹂
あぶなかった⋮⋮
落とし穴と見せかけて、ただの穴とは⋮⋮
さすがはレベル2ということか⋮⋮
618
二三、墓地在住の今をときめく骸骨さん︵出張中
そうだね
さすが、おれ
というか玄関先で騒ぐなよ⋮⋮
おれ、すごく出て行きづらい⋮⋮
二四、管理人だよ
上で待ってて
探検してみる
二五、樹海在住の今をときめく亡霊さん︵出張中
おう
気をつけてな
けっこう老朽化してるんだ
おれはリフォームしようって言ったんだけど
とあるカルシウムの化身がね⋮⋮
二六、墓地在住の今をときめく骸骨さん︵出張中
おい
619
おい。おれのことか
言っとくけどカルシウムは偉大だぞ
カルシウムなめんな
とくに子狸
お前、牛乳を飲めって言ってるだろ
なぜ飲まない⋮⋮
二七、管理人だよ
飲んでるし!
お前ら、いちいち極端だから!
過ぎたるは⋮⋮
飲み過ぎは良くないのさ
二八、山腹巣穴在住のとるにたらない不定形生物さん
過ぎたるは及ばざるがごとし
何事もほどほどがいちばんってことだ
二九、管理人だよ
では、動かざるは?
620
三0、かまくら在住のとるにたらない不定形生物さん
山のごとし!
三一、管理人だよ
ひゅー♪
三二、かまくら在住のとるにたらない不定形生物さん
ひゅー♪
三三、王都在住のとるにたらない不定形生物さん︵出張中
緊迫感のかけらもねえ⋮⋮
少しは歌の人を見習ってはどうか
歌人﹁あ、ドア閉めちゃうの? く、暗くない?﹂
子狸﹁得意な魔法は発光です﹂
子狸さんの
アピールタイム
スタート
歌人﹁いや、それだと居場所がバレるよね?﹂
621
子狸﹁バレないかもしれない﹂
歌人﹁バレるよね?﹂
子狸﹁うむ⋮⋮﹂
アピールタイム
終了
歌人﹁う∼⋮⋮。いいよ、このまま進もう。足元に気をつけて⋮⋮﹂
子狸﹁メルシー﹂
勇者さん不在につき
メルシー禁止の状態異常が解除されたもよう
ドアを閉める
一階は大広間だな
言うほど真っ暗闇でもない
壁面に埋め込まれた蜀台に灯ってる
ろうそくの明かりが
ぼんやりと屋内を照らしてる
さっさか歩きはじめる子狸に
おっかなびっくり、歌の人が続く
子狸が扉を発見
622
迷わず開けて入る
歌人﹁ちょっ⋮⋮!﹂
子狸﹁ん?﹂
歌人﹁な、なんでもない﹂
家捜しを続行
部屋から部屋へ移動を繰り返しては
小物を手にとり
子狸﹁ふむふむ⋮⋮﹂
とか
子狸﹁ほほう⋮⋮﹂
とか
訳知り顔で頷く
そのたびに歌人がびくびくするわけだが
だんだんいらいらしてきたらしい
歌人﹁なに。それがどうしたの。ただのお皿でしょ﹂
声に険がある
子狸は無言でお皿をなで回している
623
歌人﹁ちょっと。なんで黙ってるの﹂
子狸﹁⋮⋮さいきん使ったあとがある。だれかいるね﹂
歌人﹁ひっ⋮⋮!﹂
面白いくらい歌人はびびっているが
そもそも、ろうそくに火がついてる時点で
わかりきったことである
三四、海底洞窟在住のとるにたらない不定形生物さん
つまり、こういうことか
勇者さん≧羽のひと>歌人≫子狸
能力的にはどうなんだろうな?
おれの中では
勇者さんはオールラウンダーというか
攻守のバランスが、わりと高い水準で安定してる
羽のひとは戦闘型じゃないし
子狸は
だれに似たのか知らんが
その場の気分で出来が変わるだろ
爆発力はあるみたいだけど⋮⋮
624
で、歌の人はっていうと
戦ってるの見たことないんだよな
三五、山腹巣穴在住のとるにたらない不定形生物さん
勇者さんが見た目どおりの年齢なら
子狸よりも一つか二つ下だろう
歌の人は子狸と同い年か
もしくは一つ上かな
年齢的に学校を卒業してるとは思えないが
卒論の資料を集めてるとしたら
つじつまは合う⋮⋮か?
あんまり旅慣れてる感じはしないしな
進学を狙えるということは、内申点は低くない筈
騎士の候補生程度の実力はあるんじゃないか?
三六、かまくら在住のとるにたらない不定形生物さん
ためしてみるか⋮⋮
三七、王都在住のとるにたらない不定形生物さん
厨房を出て食堂を徘徊中
625
壁際に立たされてる甲冑の置き物が
ひとりでに動き出す
歌人﹁!?﹂
子狸﹁大きなテーブルだなぁ﹂
不便そう⋮⋮と子狸は感想を漏らしている
三八、かまくら在住のとるにたらない不定形生物さん
え?
おれじゃないぞ?
見えるひと?
三九、樹海在住の今をときめく亡霊さん︵出張中
うんにゃ?
おれは二階の寝室にいる
四0、火口付近在住のとるにたらない不定形生物さん︵出張中
フルアーマーおれ
626
推参!
四一、かまくら在住のとるにたらない不定形生物さん
タイミングおかしいだろ!
出待ちかよ!?
四二、火口付近在住のとるにたらない不定形生物さん︵出張中
いやぁ⋮⋮
スルーされたらどうしようかと思ったわ
庭園のにも声を掛けようとしたんだけど
あいつ、鬼のひとにつかまっちゃってるから
四三、海底洞窟在住のとるにたらない不定形生物さん
ああ⋮⋮
当然そうなるよね
四四、山腹巣穴在住のとるにたらない不定形生物さん
つくづく不憫な⋮⋮
そうと知りつつ
モニターを買って出るあたりがよくわからん⋮⋮
627
責任感があるのはけっこうなことだと思うが
四五、王都在住のとるにたらない不定形生物さん︵出張中
子狸﹁お嬢は、こういうのが好きなのかなぁ⋮⋮?﹂
貴族御用達の大きな円卓に興味を示している子狸の
服の袖を、歌人が小刻みに引っ張る
歌人﹁ののっ、ののっ⋮⋮!﹂
子狸﹁ノロです﹂
ぎこちなく歩み寄ってくる甲冑に
子狸さんはひとこと
子狸﹁ほう⋮⋮。さいきんの鎧は動くのか⋮⋮﹂
歌人﹁違っ、ちがう! こっち来る、こっち来てる⋮⋮!﹂
子狸﹁どうかな⋮⋮。お腹が減ってるのかもしれない。⋮⋮そうい
えば﹂
子狸は歌人を見つめる
子狸﹁朝から、なにも食べていない。どうしよう﹂
歌人﹁どうでもいい! わっ、来た! 逃げっ⋮⋮!﹂
628
言うが早いか、歌の人は子狸を置いて逃げ出す
追う甲冑。子狸の横を通過
歌人﹁ボク!? なんでぇ!?﹂
子狸﹁猫みたいだ﹂
歌人﹁ぜんっぜん似てない!﹂
部屋の中で追いかけっこをはじめる歌人と甲冑
子狸がぼんやりとそれを見つめる
歌人﹁見てないでっ、助けてっ﹂
子狸﹁あい。チク・タク・ディグ﹂
歌人の救助要請を受けて
子狸が甲冑の背中に圧縮弾を撃ち込むも
さすがに金属板を貫通するような威力はない
たたらを踏む甲冑
追われている歌人からすれば
突撃してきたように見えるわけで⋮⋮
歌人﹁のわっ!?﹂
闘牛士さながらスピンして回避しようとするも
無駄に終わる
629
子狸﹁ディグ﹂
時間差で投射された圧縮弾が
甲冑の横っ面を張る
倒れまいと踏ん張る甲冑
子狸﹁だめか。なら⋮⋮チク・タク・ディグ﹂
子狸は容赦がない
子狸﹁ディグ。ディグ。ディグ﹂
てくてくと無造作に歩み寄りつつ
甲冑の関節部に次々と圧縮弾を撃ち込む
四六、火口付近在住のとるにたらない不定形生物さん︵出張中
てめっ
子狸ぃ⋮⋮
おれ﹁ウオオオオオオッ!﹂
子狸への怨嗟の念が
おれを吠えさせるのさ
歌人﹁ひっ!?﹂
あら。涙目
630
うるんだ瞳から、ぽろりとこぼれるひとすじの涙
やべ⋮⋮
やりすぎたか
歌人﹁!﹂
さて。そろそろ緑のひとの手伝いに戻るとしますかね⋮⋮
四七、王都在住のとるにたらない不定形生物さん︵出張中
そうは問屋がおろさない
歌の人が、はっとして子狸を見る
子狸﹁⋮⋮⋮⋮﹂
子狸は気まずそうに視線を逸らす
その反応に歌の人は顔を真っ赤にする
歌人﹁こんっの⋮⋮!﹂
羞恥心が恐怖を上回った瞬間である
歌人﹁チクぅ!﹂
圧縮した空気を手のひらに凝縮
甲冑の頬に猛烈なビンタが炸裂しました
631
甲冑﹁おふっ!﹂
吹っ飛んだヘルムが子狸の足元に転がる
歌人﹁確保!﹂
子狸﹁あ、はい﹂
子狸に拒否権はない
両手で床におさえつける
甲冑﹁頭、頭∼⋮⋮﹂
ヘルムを捜して、うろつく甲冑
歌人﹁そのまま!﹂
子狸﹁え?﹂
子狸の返事を待たずして
円卓に飛び乗った歌人が
こぶしを固めて跳躍する
歌人﹁アバドン!﹂
重力を乗せて加速したこぶしが
甲冑の大事な部分を貫く
ついでに床も貫く
632
いかん
老朽化に加え加重に耐えきれなかった床が
沈む⋮⋮!
歌人﹁わっ!?﹂
子狸﹁あぶなっ﹂
子狸がとっさに歌人の肩を抱き
引き寄せようとする
だめだ。落ちる
歌人﹁しっ、シエル!﹂
歌人の減速魔法に
子狸﹁ドロー!﹂
子狸が加速を追加
歌人﹁ちょっ⋮⋮!﹂
歌の人は相殺を危惧するが
子狸の加速魔法は正統なものだから
包括的な事象に干渉できる
反重力を加速したことで無事に着地する二人
つまり⋮⋮わかるな?
633
四八、墓地在住の今をときめく骸骨さん︵出張中
地下かよっ
四九、樹海在住の今をときめく亡霊さん︵出張中
直行かよっ
634
﹁子狸がレベル2に挑むようです﹂part1︵後書き︶
注釈
・魔界
魔物たちの故郷ということになっている世界。
なんとなく、じめっとした印象がある。
こきゅーとす内では、さも実在しないような口ぶりだが、本当の
ところはわからない。
少なくとも、魔物が発生する以前から魔法が存在したことは確か
であり、﹁そもそも魔法とは何なのか?﹂という疑問が残る。
しかしながら、﹁実在しない﹂と言い張っておきながら、﹁本当
は実在するんじゃないか﹂と疑わせるのは、魔物たちの常套手段の
ひとつでもある⋮⋮。
・卒論
王国民の職業は、ほぼ世襲制であるため、たいていの人間は学校
を卒業したあと家業を継ぐ。
しかし中には高等学校︵高校︶への進学を志すものもいる。
高校は義務教育ではないため、進学を志望するものは、何かしら
の成果を学府に提出せねばならない。
その﹁成果﹂にあたるのが、この世界における﹁卒業論文︵卒論︶
﹂と呼ばれるものである。
ただし、在学中に極めて優秀な成績を収めた生徒が、学府から誘
われることもある。
635
また、﹁高校﹂は政府と密接に関わる﹁研究所﹂としての側面が
強いため、機密漏洩の観点から主要な都市にしかない。
636
﹁子狸がレベル2に挑むようです﹂part2
五0、山腹巣穴在住のとるにたらない不定形生物さん
お前ら、残念だったな
子狸は、お前らの手には負えないということだ⋮⋮
おれは言ったはずだぜ
やつを倒すのは
このおれたちだとな⋮⋮!
五一、海底洞窟在住のとるにたらない不定形生物さん
まったくだ
おれたちの獲物を横取りしようなんて考えるから
罰が当たったのさ
五二、王都在住のとるにたらない不定形生物さん︵出張中
お前らというやつは⋮⋮
五二、墓地在住の今をときめく骸骨さん︵出張中
637
まだだ!
まだ、おれたちのターンは終わっちゃいない⋮⋮!
見えるの!
お前は、歌人が突き破った床からふたりのあとを追え
おれは、タイミングを見てゲートから登場する
挟撃するぞ
五三、樹海在住の今をときめく亡霊さん︵出張中
おう
しかし⋮⋮
いや、なんでもない
おれは、歌人をおさえる
お前は子狸と決着をつけろ
勝てよ
五四、墓地在住の今をときめく骸骨さん︵出張中
ああ
すまんな
638
この戦いが終わったら一杯おごるよ
うまい酒場を知ってるんだ⋮⋮
五五、樹海在住の今をときめく亡霊さん︵出張中
おい
おい。やめろ
おれの遺影に乾杯して思い出にひたる流れを作るな
五六、墓地在住の今をときめく骸骨さん︵出張中
こんなこともあろうかと
お前のフォトメモリは用意してある
写真写りが悪くて苦労したぞ⋮⋮
五七、樹海在住の今をときめく亡霊さん︵出張中
なにしてくれちゃってんの!?
ていうか
それ、ほとんど心霊写真だからね!?
お前それでいいの!?
639
五八、火口付近在住のとるにたらない不定形生物さん︵出張中
というか
さりげなくおれも落ちたわけだが⋮⋮
落下の衝撃で、手足が曲がってはいけない方向に⋮⋮
五九、かまくら在住のとるにたらない不定形生物さん
ふむ
やっぱり鎧の中だと思い通りには動けないか⋮⋮
ちょうどいいから、そのまま退場しろ
鎧の中身が消えた感じにすれば
歌の人も少しは冷静になるだろう
パニックを起こした人間は何をするかわからん
とはいえ、見えないと意味ないな⋮⋮
地下に光源はあるのか?
六0、王都在住のとるにたらない不定形生物さん︵出張中
ない
真っ暗だ
640
が、この構成だったら
ゲートが起動するときに床一面が光る
多少、薄暗いだろうが
魔法使いなら問題のない光量ではある
それよりもおれとしては
子狸の自己犠牲的な一面が気にかかる
歌人を抱きしめるような形で着地した子狸
ひそかに戦闘モードに移行しているようで
周囲の生体反応を検索してる
子狸﹁おれたちだけみたいだ。⋮⋮どこか怪我してない? 立てる
?﹂
歌人﹁⋮⋮うん。ありがとう﹂
子狸﹁クリスくん、ちゃんと運動してる? なんか、ぷにぷにして
る﹂
歌人﹁その台詞がなかったら、もっと素直に感謝できた﹂
そう言って子狸の頬をつねろうとするも
伸ばした手が空を切る
歌人は、不安そうに腕を引っこめる
641
歌人﹁真っ暗だね⋮⋮。本当にだれもいないの?﹂
子狸﹁おれたちと鎧のひとだけだね。一緒に落ちてきたみたい﹂
歌人﹁いるじゃないか!﹂
子狸﹁動いてないよ。壊れちゃったのかな。クリスくんが乱暴にす
るから⋮⋮﹂
歌人﹁ボクが悪いの!?﹂
語気を荒げる歌の人だが
すぐに考えを改める
歌人﹁⋮⋮いや、たしかにボクが悪い。ごめん。床が抜けるとは思
わなかった⋮⋮﹂
子狸﹁おっちょこちょいだなぁ﹂
歌人﹁くっ⋮⋮!﹂
歌人も子狸にだけは言われたくなかったろうに⋮⋮
深呼吸して気を取り直す
歌人﹁⋮⋮とにかく、さっきのやつは動いてないんだね? どうし
てわかるの?﹂
子狸﹁? どうして?﹂
642
歌人﹁真っ暗じゃないか。現に、ボクには君の顔も見えないよ﹂
子狸﹁⋮⋮⋮⋮﹂
歌人﹁⋮⋮⋮⋮﹂
子狸﹁あ、似顔絵があれば﹂
歌人﹁悩んだ結果がそれ?﹂
無理か
仕方のないやつだ⋮⋮
いいか?
おれたちは人間の意識を読む
小難しい理屈は省略するが
お前は
というかバウマフ家の人間は
こきゅーとすと接続し慣れてるだろ
生物の気配に敏感なんだ
この気配というやつが曲者で
他の人間たちは意識のフィードバックを第六感と混同してるから
お前の言い分が通じない
たしかに歌の人も、その気になればお前と同じことができるさ
643
けどな、たとえば真っ暗闇の空間に人間を放りこんだなら
そいつは他に誰かがいるような錯覚を覚えるだろう
それは生物としての本能だ
だから確信を得られないと不安になる
六一、管理人だよ
え?
いや⋮⋮
おれ﹁だって、音がしないじゃないか﹂
歌人﹁⋮⋮そうだね﹂
だよね
六二、かまくら在住のとるにたらない不定形生物さん
まさかの常識的判断
王都の⋮⋮
六三、王都在住のとるにたらない不定形生物さん︵出張中
長々と語っちまったじゃねーか⋮⋮
644
歌人﹁疑ってごめん⋮⋮﹂
納得するなよ⋮⋮
ツッコめよ⋮⋮
いるかいないかだろ、問題は⋮⋮
ちくしょう⋮⋮
バウマフ家の生態には、いまだ謎が多いな⋮⋮
こいつら、どうやっておれたちの河に接続してるんだろう⋮⋮
山腹の、どう思う?
六四、山腹巣穴在住のとるにたらない不定形生物さん
こきゅーとす自体が、そういう設定になってるんだろうな
正確には、バウマフ家以外の人間の接続を弾くよう設定されてる
のかもしれん
結論を言うと
知らんよ
どうやって息をしてるのかと問われてるようなもんだ
あと、お前
油断しすぎ@
らしくないな
どうした?
645
六五、王都在住のとるにたらない不定形生物さん︵出張中
ああ
すまん
ちょっとな⋮⋮
忘れてくれ
おれも気を引きしめる@
図らずも歌人の追及を
かわすことに成功した子狸
地下室をうろつきはじめる
その拍子に、侵入者の存在を感知したゲートが起動する
子狸﹁⋮⋮!﹂
床一面に光が走り、幾何学的な模様が浮かび上がる
それと呼応して、部屋の中心部で渦を巻く
底なしの闇
床にうがたれたゲートから
なまぬるく、しめった空気が流れこむ⋮⋮
歌人﹁う⋮⋮﹂
646
ただならぬ雰囲気に、あとずさる歌人の足元に転がる
つわものの夢のあと
歌人﹁うう⋮⋮﹂
あれ?
逆効果だったかもしれない
この子、涙腺がもろいな⋮⋮
あと、子狸は
しまったというような顔をしてるけど
こいつ、たぶんここに来た目的を忘れてる
六六、管理人だよ
お前らが、あんまり驚かせるからだよ
こういう無意味な演出が
お前ら好きだね⋮⋮
六七、火口付近在住のとるにたらない不定形生物さん
その前に、おれに驚けよ
床が光った程度で驚くのに
鎧がひとりでに動くのは許容範囲なのかよ⋮⋮
647
ああ
言ってて気が付いたわ
気配があるから、だめなのか⋮⋮
街中で仕掛けたほうが効果的なのかもしれないな
とりあえず、甲冑のパーツを残して
おれ退場
歌の人はリアクションがいいな
可愛げがある
六八、かまくら在住のとるにたらない不定形生物さん
おつかれ
そうだな
なんだか、いじめたくなる雰囲気がある
それにしても陳腐な演出だな
欲を言えば、もうひとつ派手な演出がほしかった
六九、樹海在住の今をときめく亡霊さん︵出張中
それは、おれも考えたし
じっさいにいろいろと盛り込んでたんだけど
勇者一行を待ってる間に
648
骨のに撤去された
あの骨、へんなこだわりがあるから
カルシウム原理主義だし
七0、墓地在住の今をときめく骸骨さん︵出張中
カルシウムのなにが悪い
何事もシンプルがいちばんなんだよ
余計なものを削ぎ落として
最後に残ったものが真理なんだ
七一、王都在住のとるにたらない不定形生物さん︵出張中
真理を体現している骨のひとが
ゲートから徐々に浮上してくる
!
あのこん棒は⋮⋮
なるほど⋮⋮
本気なんだな、骨のひと⋮⋮
七二、かまくら在住のとるにたらない不定形生物さん
649
あれは⋮⋮!
まさか、鬼のひと屈指の名作と謳われる
52年モデルか!?
よせ!
万が一、折れたらどうする!?
七三、墓地在住の今をときめく骸骨さん︵出張中
なにも失わずして
なにを得られるというんだ?
こいつが折れるときは、おれの心が折れるときだ⋮⋮!
七四、火口付近在住のとるにたらない不定形生物さん
文字通り、ぽっきり行っちゃうよ!?
それ、まじで貴重だから!
やめとけ!
七五、王都在住のとるにたらない不定形生物さん︵出張中
骨のひとの決意は固いようである
650
踏み出す
骸骨﹁お前か、小僧⋮⋮。勇者はどうした⋮⋮?﹂
さりげなく子狸の心中を聞き出そうとしてくれているぞ⋮⋮!
お前ら、傾注
子狸﹁! お嬢をどうした!?﹂
なんたる
七六、墓地在住の今をときめく骸骨さん︵出張中
ごめん
あいまいで、ごめん⋮⋮
ややこしくしてしまって、本当に申し訳ない⋮⋮
きちんと言い直したほうがいい?
姿が見えないから、どうしたのかなって⋮⋮
勇者さんを置いてきたのは、なんで?
相談に乗ろうか? みたいな⋮⋮
七七、海底洞窟在住のとるにたらない不定形生物さん
もういい⋮⋮!
いいんだ⋮⋮!
651
お前は、がんばったよ⋮⋮!
七八、王都在住のとるにたらない不定形生物さん︵出張中
すまん
おれが期待をあおるような真似を⋮⋮
七九、墓地在住の今をときめく骸骨さん︵出張中
いや、気にするな
逆に燃えてきた
バウマフ家の人間は、いつもそうだ
おれたちの努力を、あざ笑うかのようにボケ倒す⋮⋮!
おれ﹁ままならんものだな。ならば、貴様をエサに誘き寄せるまで
だ⋮⋮!﹂
こん棒を固く握り駆け出します
子狸﹁わけのわからないことを⋮⋮!﹂
わからないのか⋮⋮
決まりだな
勝負だ、子狸⋮⋮!
652
お前を
勇者一行から
排除する!
八0、管理人だよ
勇者さんには
だれかが
ついていてあげないと
だめなんだよ!
それが、どうしてわからない!?
八一、山腹巣穴在住のとるにたらない不定形生物さん
まあ、剣士だしな
ん?
もしかして、それが理由?
動機と犯行が、まったく結びつかないんだけど⋮⋮
どういうこと?
八二、王都在住のとるにたらない不定形生物さん︵出張中
先制したのは子狸
骨のひと同様、駆け出しつつ
653
子狸﹁チク・タク・ディグ!﹂
先手必勝とばかりに
圧縮弾を時間差と緩急を織り交ぜて投射する
骨のひとは第一陣を回避
骸骨﹁アルダ・タク!﹂
こん棒を闇でコーティングし
第二波、第三波を叩き落としつつ
お返しとばかりに凍結魔法で反撃する
骸骨﹁レゴ・グレイル・ディグ・グノ!﹂
指向性を高めた冷気の爆弾か
レベル2だな
子狸﹁ディレイ・エリア⋮⋮っ!﹂
グレイルと聞いて、子狸は急停止
同じレベルのエリアとグレイルが正面からぶつかれば
後者に軍配が上がる
子狸が補習を脱走するときによく使う手だ
まんまと裏をかかれたな
654
後方に歌人がいる。かわせない
八三、かまくら在住のとるにたらない不定形生物さん
冷気と言えば、おれ
これは決まったか?
八四、王都在住のとるにたらない不定形生物さん︵出張中
魔法の撃ち合いは、たいてい短期決戦になる
だが、子狸の持久力には目を見張るものがある⋮⋮
子狸﹁エラルド!﹂
盾魔法を深化
レベル2まで引き上げて冷気をおさえこんだ
じつにしぶとい
八五、海底洞窟在住のとるにたらない不定形生物さん
この子狸、しぶとい⋮⋮
655
八六、山腹巣穴在住のとるにたらない不定形生物さん
とはいえ時間の問題だな
たしかに予想以上にやる⋮⋮
が、そもそもの年季が違う
後手に回ったら一気につぶされるぞ
八七、樹海在住の今をときめく亡霊さん︵出張中
一方その頃
歌人﹁ノロくん⋮⋮!﹂
旗色悪しと見てとった歌人が
子狸に加勢しようとするも
背後から忍び寄る
魔の手
というか、おれ
おれ﹁動くな﹂
歌人﹁! メノゥパル⋮⋮!﹂
おれ﹁おれは、そんな名前じゃない。おれは⋮⋮そう、ドラゴンだ﹂
656
八八、墓地在住の今をときめく骸骨さん︵出張中
おい。ドラゴン
戦わないのか?
子狸﹁! クリスくん⋮⋮!﹂
子狸が、おれを睨みつける
子狸﹁きたないぞ!﹂
おい。おれが弾劾されてる
八九、火口付近在住のとるにたらない不定形生物さん
おい。ドラゴン
人質をとるのは黄金の負けパターンだぞ
生贄☆大作戦で、追いつめられた子狸が
生贄の子を人質にとったけど
失望の目で見られて
三日ほど立ち直れなくなった
九0、管理人だよ
初恋でした
657
九一、海底洞窟在住のとるにたらない不定形生物さん
嘘をつけ
お前の初恋は、おれのご近所さんだろ
九二、管理人だよ
そんなことはありません
べつに嫌いじゃないけど
優しいし強いし
気品がね、うん
九三、山腹巣穴在住のとるにたらない不定形生物さん
未練があるようだな⋮⋮
ともあれ
おい。ドラゴン
人質なんて、まだるっこしいことはやめなさいよ
今回のケースは
短期決戦。これに尽きる
658
九四、樹海在住の今をときめく亡霊さん︵出張中
いままで黙っていたんだが⋮⋮
じつは朝から
筋肉痛がひどく
腕が
上がらぬ
九五、墓地在住の今をときめく骸骨さん︵出張中
あるの!?
いや、百歩譲ってあるとする⋮⋮
じゃあ、さっさと治せよっ!
九六、樹海在住の今をときめく亡霊さん︵出張中
それは、できない相談だ⋮⋮
この痛みに耐えてこそ
おれのボディはきらめく
九七、王都在住のとるにたらない不定形生物さん︵出張中
659
シナリオが
山場を迎える中
骸骨﹁ここが、お前の終着駅というわけだ。寂しくはないだろう。
すぐに、お前の仲間もあとを追う⋮⋮﹂
子狸﹁⋮⋮おれが勝ったら、クリスくんは解放してもらうぞ!﹂
走り出した
見えるひとの夢
亡霊﹁いいだろう! 人質など不要だろうからな⋮⋮。ただし、一
対一⋮⋮手出しは許さん﹂
歌人﹁ノロくん⋮⋮﹂
いったい
われわれは
どこへ向かうのか⋮⋮
660
﹁子狸がレベル2に挑むようです﹂part2︵後書き︶
注釈
・深化魔法
別名、拡張魔法。スペルは﹁エラルド﹂。
魔法の効果を拡大する﹁ラルド﹂の上位魔法にあたる。
ただし本質的には別の魔法であり、﹁術者の意識を拡張する﹂と
いうのが正しい。
ふつうの人間は﹁ラルド﹂の上位版と考えているため、しっかり
と経験を積めば、二番回路の補佐により﹁拡張魔法﹂で魔法の効果
を跳ね上げることができる。
しかし、子狸にはそれができない。彼にとって﹁エラルド﹂は﹁
深化魔法﹂であり、その効果は﹁魔法の変質﹂に近しいからだ。
正しいスペルを知っているからといって、必ずしも有利に働くば
かりではないという一例である。
661
﹁子狸がレベル2に挑むようです﹂part3
九八、山腹巣穴在住のとるにたらない不定形生物さん
子狸は、だれかを守るために力を発揮するタイプだ
勝負はわからなくなったな⋮⋮
九九、火口付近在住のとるにたらない不定形生物さん
そうか?
さっきの応酬では、あきらかに骨のひとが二枚ほど上手だった
じっさい、あの場面から立て直せたかっていうとかなり怪しいし
勝機があるとすれば、押し相撲になる接近戦くらいか?
だが⋮⋮
一00、海底洞窟在住のとるにたらない不定形生物さん
うむ
子狸には、属性の縛りがない
どの属性もそつなくこなせる反面⋮⋮
得意な属性がない
662
だから、ここぞというとき決め手に欠ける
一0一、かまくら在住のとるにたらない不定形生物さん
おまけに骨のひと秘蔵の52年モデルときてる
鬼のひとたちは、ぜんぜん納得してなかったけど
武具としては間違いなく最高クラスの逸品
一0二、王都在住のとるにたらない不定形生物さん︵出張中
子狸﹁⋮⋮⋮⋮﹂
骸骨﹁⋮⋮⋮⋮﹂
対峙する両者
先ほどとは異なり、静かな立ち上がりだ
先手をとるか? カウンターを狙うか?
じりじりと間合いを計りながら相手の出方をうかがっている
子狸は、だいぶ思いつめてるな
いささか意気込みすぎている
ベストとは言いがたいコンディションだ
ここはいったん間合いをとって仕切り直したいところだが
663
悠長に撃ち合っているひまはないぞ⋮⋮
いまなおゲートを通して流れこんでいる高温多湿の瘴気は
人間の体力を否応なく蝕む
一0三、管理人だよ
クリスくんのためにも
この勝負には絶対に負けられない⋮⋮!
○×ゲームで雌雄を決しよう
一0四、墓地在住の今をときめく骸骨さん︵出張中
いいだろう
受けて立ってやる
一0五、樹海在住の今をときめく亡霊さん︵出張中
ちっとも良くねーだろ!
おれの立場はどうなる!?
一0六、墓地在住の今をときめく骸骨さん︵出張中
雌雄を決するというむずかしい言葉を知っていたことに
664
敬意を表してというのもあるが、何より⋮⋮
頭脳戦なら互角以上に戦えるという
謎の自信が気に食わん⋮⋮!
じゃあ
おれが先手ね
○
角もらい
一0七、管理人だよ
まんまとひっかかったな⋮⋮
このおれが校内○×ゲーム大会の覇者とも知らずに⋮⋮
この勝負もらった!
○×
一0八、樹海在住の今をときめく亡霊さん︵出張中
なぜ真ん中をとらない⋮⋮
というか覇者なの?
665
一0九、王都在住のとるにたらない不定形生物さん︵出張中
うん、いちおう
あまり深く聞いてくれるな
一一0、墓地在住の今をときめく骸骨さん︵出張中
ほう⋮⋮
相手にとって不足なしといったところか⋮⋮
○×
○
一一一、王都在住のとるにたらない不定形生物さん︵出張中
子狸﹁⋮⋮⋮⋮﹂
子狸さんが長考に入りました
一一二、山腹巣穴在住のとるにたらない不定形生物さん
長考するような局面じゃねーだろ!
というか積んでる!
666
これ積んでるよ!?
一一三、樹海在住の今をときめく亡霊さん︵出張中
こうしている間にも
真剣な眼差しで睨み合っている二人を
歌の人は固唾をのんで見守っているわけだが⋮⋮
一一四、管理人だよ
クリスくん⋮⋮!
いま助ける!
そうだろ?
勝負は終わってみないとわからない
この局面から、おれは何度も逆転勝利してきた⋮⋮!
ここだッ!
○×
○×
一一五、海底洞窟在住のとるにたらない不定形生物さん
667
悩んだあげくそこ!?
一一六、火口付近在住のとるにたらない不定形生物さん
王者子狸、入魂の一手である
一一七、墓地在住の今をときめく骸骨さん︵出張中
本当にいいんだな?
後悔しても知らんぞ⋮⋮
いや、すでに遅いか⋮⋮
一一八、管理人だよ
心理戦か⋮⋮
その手には乗らないよ!
一一九、墓地在住の今をときめく骸骨さん︵出張中
そうか⋮⋮
正直に言おう
おれは、お前を見くびっていたのかもしれん⋮⋮
眼窩が熱くなってきやがった⋮⋮
668
○×
○×
○
一二0、かまくら在住のとるにたらない不定形生物さん
じつに子狸らしい一局でした
一二一、管理人だよ
○××
○×
○
一二二、墓地在住の今をときめく骸骨さん︵出張中
なに食わぬ顔で続行するな
よしんば五目並べだったとしても
その手はねーよ!
ええいっもういい!
さっさとかかってこい!
一二二、王都在住のとるにたらない不定形生物さん︵出張中
669
なんたる時間の無駄遣い⋮⋮
子狸﹁行くぞっ!﹂
律儀に宣言して駆け出す子狸
身構える骨のひと。迎撃の構えだ
子狸﹁ディレイ!﹂
!
盾の魔法だと!?
一二三、墓地在住の今をときめく骸骨さん︵出張中
子狸﹁ラルド・アルダ!﹂
目くらましか!
だが、しょせんは一時しのぎに過ぎん⋮⋮!
どの方向から来ようとも正面から叩きつぶすまで!
おれ﹁アルダ・タク・ラルド!﹂
一二四、樹海在住の今をときめく亡霊さん︵出張中
670
違う!
お前を閉じこめるつもりだ!
一二五、王都在住のとるにたらない不定形生物さん︵出張中
こん棒に付与した闇魔法を強化して待ち受ける骨のひとに対して
子狸﹁エラルド!﹂
子狸は遮光性の盾魔法を深化
いびつに捻じ曲がった闇の盾が骨のひとを覆い隠そうとする
が、骨のひとの反応が上回った
骸骨﹁アバドン!﹂
凶悪さがいっそう増したこん棒を子狸の盾魔法に叩きつける
とても耐えきれるものではない
あえなく砕け散る盾魔法
骸骨﹁!?﹂
ここで子狸の密室トリックが炸裂
忽然と姿を消した子狸に骨のひとは硬直する
671
一二六、亡霊在住の今をときめく亡霊さん︵出張中
上だ!
一二七、管理人だよ
もう遅い!
一二八、海底洞窟在住のとるにたらない不定形生物さん
盾魔法を足場に⋮⋮!
けっきょく目くらましか!
裏の裏⋮⋮
いや、深読みしすぎたな
一二九、王都在住のとるにたらない不定形生物さん︵出張中
骨のひとの反応が良すぎた
跳び上がった子狸を、ちょうど招き入れる形になってしまった
計算じゃないな。経験則か
子狸め⋮⋮
こいつ、おれたちと戦い慣れすぎて
672
なんかおかしな方向に適応してる⋮⋮!
子狸﹁ディレイ! ディレイ! ディレイ!﹂
落下と共に盾魔法を連発
押しつぶす気だ
一三0、かまくら在住のとるにたらない不定形生物さん
エグい
魔法の使い方が、いちいちエグいよ⋮⋮
一三一、墓地在住の今をときめく骸骨さん︵出張中
速射性でいうなら、たしかに盾魔法は最速の部類に入る
最良の選択だったと思うぞ
たしかに予想以上だったわ
子狸は、よくやったよ⋮⋮
けど、相手が悪かったな
おれは、レベル1の魔法じゃあ
倒せない
673
一三二、管理人だよ
!?
いつも、ふつうに倒されてるし!
一三三、墓地在住の今をときめく骸骨さん︵出張中
それはそれ。これはこれ
ちゃんと教えただろ?
レベル2の魔法は、レベル2以上の魔法でないと
相殺できない
で、おれは魔物
小粋な魔法生物さ
一三四、王都在住のとるにたらない不定形生物さん︵出張中
押しつぶされた骨のひとが瞬時に再生する
骸骨﹁惜しかったな!﹂
こん棒の一振りで紙のように引き裂かれる盾魔法
子狸﹁わっ!﹂
674
身の危険を感じた子狸が、ちょこまかと退避する
骸骨﹁さあ、どうする? もう同じ手は通用せんぞ⋮⋮﹂
子狸﹁⋮⋮おれは、まだ、ぜんぜん、本気じゃないよ﹂
はったりである
だいぶ消耗したらしく肩で息をしている
はっきり言って最初から
勝ち目なんてなかった
ここで何を思ったか
骨のひとが、こん棒をおさめる
骸骨﹁いや、お前の勝ちだ﹂
!
一三五、山腹巣穴在住のとるにたらない不定形生物さん
!?
一三六、海底洞窟在住のとるにたらない不定形生物さん
!?
675
一三七、王都在住のとるにたらない不定形生物さん︵出張中
子狸﹁! 本当!?﹂
骨のひと⋮⋮!
どこまでも本気か⋮⋮!
一三八、墓地在住の今をときめく骸骨さん︵出張中
おれ﹁ああ﹂
よく
わかったよ
子狸は
こいつは
おれ﹁見えるの! そいつを離してやれ!﹂
亡霊﹁⋮⋮わかった。行け﹂
人間には
渡せない
676
歌人﹁ノロくん!﹂
一三九、王都在住のとるにたらない不定形生物さん︵出張中
駆け寄る歌の人
子狸﹁クリスくん!﹂
同じく駆け寄り抱擁しようとする子狸の腕を
歌人は、ひょいと避ける
そして、子狸の肩を軽く叩いた
歌人﹁びっくりしたよ。善戦したね﹂
子狸﹁? おう!﹂
歌人﹁そう。じゃあ、次はボクの番かな?﹂
そう言って、するりと子狸のわきを抜けると
襟首をつかみ
子猫よろしく
片腕で持ち上げる
子狸﹁わ、びっくりした。力持ちなんだね﹂
歌人﹁そうだね。ボクは、力持ちなんだ。⋮⋮まだ、わからないの
?﹂
677
子狸﹁いや、わかるよ。じっさいに、ほら⋮⋮﹂
歌人﹁違うよ。そうじゃない。君と話していると、どうも調子が狂
うな⋮⋮。こう言えば、わかる?﹂
一四0、湖畔在住の今をときめくしかばねさん
おれだよ
おれ
678
﹁子狸がレベル2に挑むようです﹂part3︵後書き︶
登場人物紹介
・歌人
勇者一行に潜伏したレベル2の魔物。﹁歩くひと﹂と呼ばれる。
人間と何ら変わりない外見をしているが、骨格に見合わない怪力
の持ち主である。
ふだんは湖畔でひっそりと暮らしているが、有事には人間社会に
潜入して情報収集に励む。
基本的に実在する人間の姿を写しとって生活するため、過去に身
元を特定されて﹁死者が蘇った﹂ことにされた。
似たような境遇の﹁骨のひと﹂﹁見えるひと﹂と仲良しで、三人
あわせて﹁霊界のひとたち﹂と呼ばれることも。
ちなみに、怖がりなのは素である。
679
﹁子狸がレベル2に挑むようです﹂part4
一四一、墓地在住の今をときめく骸骨さん︵出張中
へーい♪
一四二、湖畔在住の今をときめくしかばねさん
へーい♪
一四三、樹海在住の今をときめく亡霊さん︵出張中
へーい♪
一四四、墓地在住の今をときめく骸骨さん︵出張中
おれたち、集結!
一四五、湖畔在住の今をときめくしかばねさん
子狸ぃ⋮⋮
さんざん好き勝手やってくれたようだが
このおれが降臨したからには
680
もうお前の好きにはさせないぜ!
一四六、管理人だよ
はいはい⋮⋮
いま忙しいから、またあとでね
一四七、王都在住のとるにたらない不定形生物さん︵出張中
宙吊りになっている子狸が、びしっと見えるひとを指差す
子狸﹁どうやら形勢逆転したみたいだな!﹂
形勢逆転どころか、お前が積んでる
やはり、この子狸
なにもわかっていないようである
一四八、海底洞窟在住のとるにたらない不定形生物さん
おれは勘付いてたよ
最初から怪しいと思ってた
一四九、かまくら在住のとるにたらない不定形生物さん
681
おれもおれも
歩くひとに悪いと思って、あえて騙されたふりをね
一五0、火口付近在住のとるにたらない不定形生物さん
おれは途中だからだったけど
それでも、ひと目見た瞬間にぴんと来たよ
え?
お前ら気付いてなかったの?
一五一、山腹巣穴在住のとるにたらない不定形生物さん
なにを言っているのか
ちょっと理解できないですね⋮⋮
おれに至っては
歌人が登場する前から気付いてたよ
一五二、湖畔在住の今をときめくしかばねさん
何者だよ!?
嘘つけ!
お前らの人間への無関心ぶりは
682
しっかりとチェックさせてもらったからな⋮⋮
少しは庭園のひとを見習え
あのひと、たぶん疑ってたぞ
一五三、海底洞窟在住のとるにたらない不定形生物さん
あのひと、猜疑心が強いからね
火のひとの世話を焼いてるうちに
すっかりひねくれちまった
一五四、湖畔在住の今をときめくしかばねさん
そんなもんか⋮⋮
さて、子狸よ
もういい加減、事情は飲み込めたか?
一五五、管理人だよ
うん?
うん
683
一五六、墓地在住の今をときめく骸骨さん︵出張中
あ∼⋮⋮
これは、なにもわかってないな⋮⋮
はっきり言ってやったら?
一五七、湖畔在住の今をときめくしかばねさん
いや、いい
ったく、仕方ねーなぁ⋮⋮
おれ﹁見えるの! ちょっと預かっててくれ﹂
振りかぶって⋮⋮
おれ第一球、投げました!
一五八、樹海在住の今をときめく亡霊さん︵出張中
ナイスボール!
相変わらず、いい肩してやがる⋮⋮
子狸﹁⋮⋮どうも﹂
684
おれ﹁どうも﹂
というか、王都のひとが高速で跳ねてきて
ちょっとなごんだ⋮⋮
一五九、王都在住のとるにたらない不定形生物さん︵出張中
おいおい
ちゃんと不可視設定にしといてくれよ
なんのためのステルスだよ
なんか恥ずかしいだろ⋮⋮
おれ、尾行に関しては
いっさい妥協しねーから!
歌人の魔球子狸に対し
文句のつけようのない捕球で
魅せてくれる見えるひと
余裕さえ感じられます
両者にゆっくりと歩み寄りながら
歌人が両手で後ろ髪を軽くまとめる
手を離すと、どこからともなく現れた布の髪留めが
急激に伸びた髪をひと括りにしている
床を蹴る足を追うように発火した黒い炎が
歌人の身体を這い上がる
685
身を包む旅装が燃え上がり
黒炎が、慎ましい装いのドレスへと変貌する
またたく間の出来事であった
子狸は呆然としている
というか、おい
当たり前のように詠唱破棄するな
一六0、湖畔在住の今をときめくしかばねさん
固いこと言うなよ
このほうが盛り上がるだろ?
いろんな意味でな
ここまでやれば
さしもの子狸も気づくだろうし
一六一、かまくら在住のとるにたらない不定形生物さん
お前は、おれたちの子狸さんを甘く見てる
一六二、王都在住のとるにたらない不定形生物さん︵出張中
でかした
チームブルーに1ポイント
686
子狸﹁⋮⋮うん、趣味はひとそれぞれだよね﹂ ぎこちない笑顔が痛々しい
一六三、墓地在住の今をときめく骸骨さん︵出張中
不自然に伸びた髪と
神速お色直しは完全にスルーなのか⋮⋮
もう、あいまいなんだな⋮⋮何もかもが
一六四、湖畔在住の今をときめくしかばねさん
こいつ、本当にお屋形さまの血を引いてんのか⋮⋮?
疑わしく思えてきたぜ⋮⋮
見れば見るほど、ぜんぜん似てねえ⋮⋮
ま、ママン⋮⋮
一六四、山腹巣穴在住のとるにたらない不定形生物さん
正気に戻れ
というか、お屋形さまがグランド狸に似てないんだよ
パーツで見れば、子狸はグランド狸に似てなくもないだろ
687
目元とかじっくり見ると⋮⋮
ま、ママン⋮⋮
一六五、王都在住のとるにたらない不定形生物さん︵出張中
お前も正気に戻れ
おおっと、歌の人は余裕だ
妖艶な微笑を浮かべて子狸の頬をなでる
歌人﹁いやだなぁ、まだそんなこと言ってるの? ボクは女の子だ
よ。人間の美的感覚はよくわからないけど、なかなか美人だろ?﹂
子狸﹁そうだね、うん。うん⋮⋮だいじょうぶ、おれは味方だよ﹂
もはや、なにを言っても無駄である⋮⋮
!
見えるひと、うしろうしろ!
一六六、樹海在住の今をときめく亡霊さん︵出張中
なんぞ?
きゃあ
688
一六七、湖畔在住の今をときめくしかばねさん
おれ﹁おっと﹂
飛び退くおれ。とんぼを切って着地
さてさて、ようやくお出ましか⋮⋮
一六八、管理人だよ
見えるひと?
どうしたの?
というか、おれ踏まれてる
??﹁だから言ったでしょ﹂
! この声は⋮⋮
一六九、住所不定のどこにでもいるようなてふてふさん
お前ら、待たせたな⋮⋮
おれ
見 参 !
689
推して参る!
おれ﹁マジカル☆ミサイル!﹂
一七0、墓地在住の今をときめく骸骨さん︵出張中
レベル4とかっ⋮⋮
だが、その技は見切った!
一七一、王都在住のとるにたらない不定形生物さん︵出張中
歌人がぶち破った天井の穴から
急降下してきた羽のひとが光弾を射出
これを意に介さず、骨のひとは突進
片腕を持っていかれるも、即座に再生
ああ、今回は属性無視で行くのね⋮⋮
一方その頃
濃紺の闇と輝線が混じり合う薄闇の中
子狸は、勇者さんと感動の再会を果たしていた⋮⋮
一七二、海底洞窟在住のとるにたらない不定形生物さん
勇者さん来たぁぁぁあああ!@
690
一七三、火口付近在住のとるにたらない不定形生物さん
出待ちですね、わかります⋮⋮@
一七四、山腹巣穴在住のとるにたらない不定形生物さん
歌人が尻尾を出すの待ってたのかな?
なかなか出てこないから、はらはらしたぜ
子狸お手柄だな@
一七五、かまくら在住のとるにたらない不定形生物さん
そうか?
いてもいなくても同じだろ
というか、→とか↓の意味がわからなかったの、おれだけ?
一七六、山腹巣穴在住のとるにたらない不定形生物さん
え?
席を立って→移動中↓に決まってるだろ
691
勇者さん担当のおれが言うんだから間違いない
一七七、かまくら在住のとるにたらない不定形生物さん
無理があるだろ!
一七八、火口付近在住のとるにたらない不定形生物さん
山腹の、さすがにそれは⋮⋮
一七九、海底洞窟在住のとるにたらない不定形生物さん
うむ⋮⋮無理があるな
一八0、山腹巣穴在住のとるにたらない不定形生物さん
知るか!
元はと言えば、お前らが←とか→とか
やり出したんじゃねーか!
一七二、樹海在住の今をときめく亡霊さん︵出張中
おい。お前ら
青いの。こら
692
お願いだから
無残に叩き斬られたおれの活躍を忘れないで下さい⋮⋮
勇者さん、意外と早かったな
飛び降りるには、ちょっと勇気のいる高さだと思ってたんだけど
そうか、羽のひとには念動力があったな⋮⋮
というか、だからこの子は、なんで聖☆剣を使わないの⋮⋮?
おれ﹁⋮⋮ばかめ! このおれに、ただの剣など⋮⋮!﹂
効いちゃってるのよね、これが⋮⋮
おれ﹁身体が⋮⋮崩れるだと⋮⋮!? このおれが、まさか、人間
ごときに⋮⋮﹂
おいおい、話には聞いてたけど、無茶な数値だな⋮⋮
このまま退場するけど、なにか質問ある?
一七三、湖畔在住の今をときめくしかばねさん
はい、先生
一七四、樹海在住の今をときめく亡霊さん︵出張中
693
ふむん、なにかね?
一七五、湖畔在住の今をときめくしかばねさん
具現化しかかってます
一七六、樹海在住の今をときめく亡霊さん︵出張中
おふっ!?
おれの中のドラゴンがっ⋮⋮!
へんなところの連結を切られた⋮⋮!
山腹のひと! ちょっと、お前んち寄らせて!
山頂で巨大化して雄叫びでも上げないと収まらん⋮⋮!
一七七、山腹巣穴在住のとるにたらない不定形生物さん
それ、たんなるお前の趣味だろ!?
べつにいいけど⋮⋮せめて夜まで待てない?
日中だと、お前⋮⋮なんていうの? こう⋮⋮
全体的に、ふわっとしてるんだよな⋮⋮
一七八、樹海在住の今をときめく亡霊さん︵出張中
すみませんね、なんかふわっとしてて
694
んじゃ、お邪魔するわ
河にはこのまま残るから
お前らは構わず続けておくれ
一七九、王都在住のとるにたらない不定形生物さん︵出張中
あいよ
退場する見えるひとに、勇者さんは一瞥もくれない
彼女を見上げて、子狸はひとこと
子狸﹁めるしぃ⋮⋮﹂
ろうそくの火が燃え尽きようとする間際に
刹那、激しく燃え上がるようなメルシーであった⋮⋮
その場にしゃがみこんだ勇者さんが、子狸の頬を引っ張る
勇者﹁これに懲りたら、二度とわたしに逆らわないこと。わかった
?﹂
軽い気持ちで頷く子狸さん
勇者﹁よろしい。さて、と⋮⋮﹂
立ち上がった勇者さんが剣を構える
その切っ先が向かう先には、微笑む歌人が佇んでいる
695
子狸﹁? お嬢?﹂
勇者﹁あなたは、リンの援護に向かいなさい。わたしは、べつにや
ることができたみたい﹂
子狸﹁え、でも⋮⋮﹂
ためらう子狸を、歌人が後押しする
歌人﹁そうだね、そうしたほうがいい。的確な指示だと思うよ。ノ
ロくんには無理だろうからね﹂
そう言われて、はっとする子狸
子狸﹁お嬢!﹂
勇者﹁なに﹂
子狸﹁趣味はひとそれぞれだと思う⋮⋮! おれは、この件に関し
てはクリスくんの味方だから!﹂
勇者﹁さっさと行きなさい﹂
子狸﹁はい﹂
子狸は、骨のひとと羽のひとが小競り合いをしているゲート方面へ
すれ違いざま、歌人を勇気づけるように、ひとつ大きく頷いた
山腹の。勇者さんは任せる
696
一八0、山腹巣穴在住のとるにたらない不定形生物さん︵出張中
おう
見えるひと、留守を頼むぞ
歌人﹁やあ、アレイシアンさん! どうだい、見違えただろう?﹂
おう⋮⋮のっけからテンション高いな⋮⋮
歌人の声は場違いに明るい
勇者﹁そうね。とても﹂
抑揚のない勇者さんの声とは対照的だ
歌人﹁そうなんだよ。ボクは、彼よりも君に興味があるんだ﹂
勇者﹁意外ね﹂
歌人﹁そうかい? そうかもね。君は、徹頭徹尾、ボクを信用して
なかった。なにがいけなかったのかな?﹂
芝居がかった調子で両腕を広げる歌人に
勇者さんの表情はぴくりともしない
勇者﹁簡単なことよ。だれが来ても同じこと⋮⋮。わたしは、だれ
も信用しないもの﹂
697
歌人﹁でも、ここにいる。それは、なぜ? ノロくんは、じつに立
派だったよ。立派におとりの役割をこなした。見捨てて、さっさと
行けば良かったんだ。そうだろ?﹂
勇者﹁領民を守るのは貴族の義務だからよ。下僕ともなれば、なお
さらね﹂
骨のひとと交戦中の羽のひとが
間断なくマジカル☆ミサイルを撃ち放ち
その光が二人の足元に影を落としている
歌人﹁そうかな? 前者はともかく、後者は義務ではないよね。そ
れは感情論じゃないの? 君は、そういうのを分けて考える人だと
思ってたよ﹂
勇者﹁見解の相違ね。わたしは、感情がないわけではないわ。そう
ね⋮⋮わかりやすく言ってあげる﹂
ここで勇者さんが動く
素早く踏み込んで、剣をなぐ
その剣閃に迷いはない
歌人は動じない
迫り来る刃を、親指と人差し指でつまみ、あっさりと止める
勇者さんが囁くように言う
剣の柄を両手で握り直し、じわじわと力をこめながら
勇者﹁平気で、ひとの心をもてあそぶような真似をする⋮⋮。そう
いうの、気に入らないわ﹂
698
もっともらしいこと言ってるけど
要約すると、嫌いだから死んでくれとおっしゃっている
一八一、海底洞窟在住のとるにたらない不定形生物さん
勇者にあるまじき発言だな
一八二、火口付近在住のとるにたらない不定形生物さん
嫌悪の感情が殺意と直結してるのね⋮⋮
一八三、王都在住のとるにたらない不定形生物さん︵出張中
一方その頃
子狸の参戦により、三者は泥沼のような魔法合戦に突入
その様相たるや、まさしく地獄の一歩手前である
妖精﹁射線に入るなっつってんだろーが! 違う! 右!﹂
子狸﹁右!? こん棒のほうを狙ってよディレイぃぃぃ!﹂
急場のコンビネーションには無理があったようである ちょこまかと動く子狸の影がちらついて
羽のひとは攻めあぐねている
妖精﹁クソがっ⋮⋮当たっても知らないんだからねっ! マジカル
699
☆ミサイル! ミサイル! もういっちょミサイル!﹂
骸骨﹁見切ったと言った! ディレイ!﹂
子狸﹁痛い痛い痛い! 当たってる! むしろ、おれメインで当た
ってる!﹂
高速で飛び回る羽のひとが、安全圏から光弾をばらまくも
弧を描いて迫るそれを、骨のひとは帯状に展開した盾魔法で難な
くブロック
そして、メインで当たる子狸
子狸﹁減衰してますからぁ! おれを補助して下さいよぉ∼!︵涙︶
﹂
妖精﹁減衰とか言うなや!﹂
ルール無用の子狸に、羽のひともむきになる
妖精﹁おれカッター! おれガトリング! おれボム!﹂
自由すぎる妖精魔法
骸骨﹁チク・タク・ディグ!﹂
子狸さんが愛してやまない投射魔法︵無印︶も
骨のひとが使うと、まるで別物だ
二十超の圧縮弾が、各々まったく異なる軌道を描いて
羽のひとの弾幕を食い破る
700
その隙を突いて、子狸が骨のひとのこん棒に飛びついた
子狸﹁とったぁ!﹂
妖精﹁! でかした!﹂
かろうじて圧縮弾を回避した羽のひとが、喝采を上げる
骸骨﹁てめっ、この⋮⋮! さわんな! 痛ぇっ! こいつ噛みや
がった⋮⋮!﹂
妖精﹁行け! そこだ! 奪え! 奪っちまえ!﹂
子狸﹁ふーっ、ふーっ! もが!﹂
鼻息も荒く、骨のひとからこん棒をもぎとる子狸
子狸﹁そぉいっ!﹂
そのまま、速攻で投げ捨てる
妖精﹁投げんな!?﹂
骸骨﹁投げんな!?﹂
一八四、かまくら在住のとるにたらない不定形生物さん
山腹のぉーっ!
701
一八五、山腹巣穴在住のとるにたらない不定形生物さん︵出張中
へいへい⋮⋮
レクイエム・守護魔法!
おら、傷ひとつ付いてねーぞ
一八六、墓地在住の今をときめく骸骨さん︵出張中
お前、グッジョブ!
そして子狸ぃ⋮⋮
お前は、おれを本気で怒らせた!
おれ﹁アバドン!﹂
一八七、管理人だよ
力比べか? ならば応えよう⋮⋮
おれ﹁アバドン!﹂
がっぷり四つ組み合う、おれとお前
ぬぬぬっ⋮⋮!
702
一八八、海底洞窟在住のとるにたらない不定形生物さん
魔法は夢と希望の象徴ではなかったのか⋮⋮
どうしてこうなった⋮⋮
一八九、火口付近在住のとるにたらない不定形生物さん
戦いは虚しさしか生み出さない⋮⋮
子狸さんは、いつもおれたちに大切なことを教えてくれる⋮⋮
一九0、山腹巣穴在住のとるにたらない不定形生物さん︵出張中
一方その頃
シリアス担当の二人の決闘は激化の一途を辿る
果敢に攻める勇者さんだが
人間をはるかに上回る歌人の身体能力に
翻弄されるばかりだ
振り下ろされる剣を
歌人は旋回して回避
ドレスのスカートが花弁のように広がる
連携が途切れた一瞬の間に歌人が詰め寄り
勇者さんの瞳を至近距離から覗きこむ
703
歌人﹁息が上がってるね。だいじょうぶ?﹂
勇者﹁あなたに心配されるいわれはないわ﹂
気丈に言い返す勇者さんに、歌人は微笑む
歌人﹁ボクが心配しているのは、べつのことだよ﹂
勇者﹁よく動く口ね⋮⋮﹂
聞く耳を持たないとばかりに
剣を突き上げようとする勇者さんの手首を、歌人が掴む
歌人﹁わかってるんだろ? ボクは、魔物の中では、さして強いほ
うじゃない。むしろ非力な部類だ。それなのに、ボクごときにこの
ざまで、いったい何ができるっていうんだ?﹂
いたぶるように、じわじわと握る力を強める歌人
相当な苦痛があるだろうに、勇者さんは顔色をいっさい変えない
歌人﹁君は、ちっぽけな存在だよ。こんなにも、か細い腕で⋮⋮何
も勝ち取れやしないさ﹂
勇者﹁⋮⋮だから、あなたたちはだめなのよ﹂
歌人﹁⋮⋮何が言いたい?﹂
勇者さんの見下した物言いに、歌人の笑顔がなりをひそめる
勇者﹁嘘つき﹂
704
歌人﹁!﹂
言下、もう片方の手を振りぬく勇者さん
歌人は、後方へ飛び上がって緊急回避
勇者さんの手から伸びる光の剣が
薄闇を切り裂いて燦然と輝いた
つまり⋮⋮わかるな?
一九一、樹海在住の今をときめく亡霊さん︵出張中
聖☆剣! 聖☆剣!
一九二、山腹巣穴在住のとるにたらない不定形生物さん
聖☆剣! 聖☆剣!
一九三、火口付近在住のとるにたらない不定形生物さん
二刀流とか胸が熱くなるな⋮⋮
というか
嘘つきって、やっぱりバレてるんじゃ⋮⋮?
705
一九四、王都在住のとるにたらない不定形生物さん︵出張中
わからん
歌人の脅し文句に対してかもしれないし
あるいは何かの符牒という線もある
羽のひと、どう?
一九五、住所不定のどこにでもいるようなてふてふさん
いま、話しかけるな
一九六、王都在住のとるにたらない不定形生物さん︵出張中
すみませんでした⋮⋮
ボケ担当のチーム子狸ですが、白熱しているようです
骨のひととの力比べに応じた子狸の頭の上で
羽のひとが手に汗握る
あざ笑う骨のひと
骸骨﹁どうした? その程度か!﹂
子狸﹁ぬうっ⋮⋮!﹂
706
妖精﹁負けんな! 押せ押せ押せーっ!﹂ 子狸﹁ちょっ、邪魔⋮⋮ていうか応援!?﹂
興奮のあまり身を乗り出した羽のひとが
子狸の、文字通り眼前で握りこぶしを上下している
一瞬の気のゆるみから天秤は傾き
子狸の身体が床に押しつけられる
ぴょんと飛び跳ねた羽のひとが、子狸の頬に軟着陸
妖精﹁がんばれ、おら! こっからだぞ! こっからこっからーっ
!﹂
小さな手のひらでべしべしと頬を叩かれて
子狸は戸惑いを隠せない
子狸﹁おれは、いま、幸せなのか⋮⋮?﹂
なにかに目覚めかける子狸だが
すんでのところで踏みとどまる
子狸﹁ぬるま湯につかるだけの人生なんてっ⋮⋮!﹂
目尻できらりと光ったものは未練だったのかもしれない⋮⋮
その気迫に押されたか、逆転を許してしまう骨のひと
骸骨﹁思えば、おれに筋肉なんてなかった⋮⋮あれ? じゃあ、ど
707
うやって立ってるんだろう⋮⋮﹂
疑問に思ったら負けである
マウントをとる子狸に、羽のひとは定位置の肩で檄を飛ばす
妖精﹁よっしゃーっ! とどめだ! がつんと行け!﹂
子狸﹁でも、おれの魔法はきかなかったし⋮⋮﹂
妖精﹁だから、殴るんだよ! 魔法に頼るな!﹂
子狸﹁え∼⋮⋮?﹂
肉弾戦を推奨する羽のひとに
子狸はしぶい顔をする
妖精﹁やれ! やらなきゃやられるんだよ! 生きるってそういう
ことだろ!﹂
子狸﹁そんなことを言う妖精は絵本の中にはいなかった⋮⋮﹂
思い出はかくも美しく、そして儚い⋮⋮
骸骨﹁貴様のへなちょこパンチなど、蚊に刺されたほどにも感じぬ
わ!﹂
現実に復帰した骨のひとが子狸を挑発する
子狸﹁そう? じゃあ⋮⋮。そらぁっ! そらぁっ!﹂
708
骸骨﹁おふっ! おふっ!﹂
鋭角に放たれた子狸フックが骨のひとのジョーをえぐる
一九七、かまくら在住のとるにたらない不定形生物さん
だから、エグいんだよ⋮⋮
なんでそう、いちいちエグい攻撃方法をとるんだ⋮⋮
一九八、海底洞窟在住のとるにたらない不定形生物さん
ふだんは大人しい子狸ですが
そこは、やはり野生の血と申しますかね⋮⋮
709
﹁子狸がレベル2に挑むようです﹂part4︵後書き︶
注釈
・減衰
ここで言う﹁減衰﹂とは﹁魔法の減衰﹂を指して言う。
魔物のレベルがそうであるように、魔法の開放レベルは上位であ
ればあるほど一つの位階の差率が大きくなる。
レベル1の魔法とレベル2の魔法の差は全体から見れば微々たる
ものだが、レベル8とレベル9ではまったく別次元の隔たりがある
ということだ。
つまり本来なら、レベル4の魔法をレベル1の魔法が相殺すると
いう事態は起こらない。
これは﹁詠唱破棄﹂をはじめとする﹁時間﹂に干渉する魔法に課
せられるペナルティであり、そのペナルティの名称にあたるのが﹁
減衰﹂である。
内容的には、時間に干渉した度合いに応じて実質的なレベルが落
とされるというもの。
なぜ、こうしたことが起こるのかというと、この世界の成層圏内
における﹁時間﹂は﹁逆算魔法﹂の支配下にあるからである。
710
﹁子狸がレベル2に挑むようです﹂part5
一九九、王都在住のとるにたらない不定形生物さん︵出張中
子狸、ブレイク!
ブレイクだ、離れて⋮⋮ニュートラルコーナーへ!
ワン! ツー!
二00、管理人だよ
ぜえ⋮⋮ぜえ⋮⋮
二0一、住所不定のどこにでもいるようなてふてふさん
仰向けのまま、ぐったりしている骨のひとに
青いひとがカウントをとる
子狸は、もはや立っているのもやっとというありさまである⋮⋮
立てるか?
骨のひと、立てるか?
立てば、逆転の目は大いにありうる⋮⋮!
スリー! フォー! カウントが進む⋮⋮!
711
二0一、墓地在住の今をときめく骸骨さん︵出張中
おのれ、子狸⋮⋮
運動神経もどこか狂ってるとしか思えないほどなのに⋮⋮
いいもん⋮⋮
持ってやがる⋮⋮ぜ
がくっ
二0二、樹海在住の今をときめく亡霊さん︵出張中
骨の∼!
二0三、湖畔在住の今をときめくしかばねさん
骨の∼!
二0四、住所不定のどこにでもいるようなてふてふさん
っ⋮⋮
立てなぁーい!
青いひとが触手を交差し、試合終了を宣告!
712
勝者、子狸!
二0五、管理人だよ
やっ⋮⋮たぁぁぁああああ!
やったよ! おれ!
これで、おれも⋮⋮
お前ら、見ててくれた?
おれも、ついにレベル3だよ!
二0六、火口付近在住のとるにたらない不定形生物さん
え?
二0七、管理人だよ
え?
二0八、海底洞窟在住のとるにたらない不定形生物さん
うん⋮⋮
いや⋮⋮
713
え?
二0九、王都在住のとるにたらない不定形生物さん︵出張中
なにか勘違いしているようだが⋮⋮
そういうシステムじゃないから
魔物を倒してレベルアップとかないから
お前がレベル3の魔法を使えないのは
まあ、足し算の問題に掛け算で横着しようとして
エラーが出てるみたいなところはあるけど
言い訳にはならん
ようは、たんに才能がないだけ
二一0、管理人だよ
なにを言っているのか
ちょっと理解できないですね⋮⋮
じゃあ、おれはなんのために戦ったの?
二一一、住所不定のどこにでもいるようなてふてふさん
それは、むしろおれたちがお前に訊きたい
714
二一二、管理人だよ
君たちは、ときどき⋮⋮
わけのわからないことを言うね⋮⋮
二一三、海底洞窟在住のとるにたらない不定形生物さん
安心しろ。お前ほどじゃない
二一四、かまくら在住のとるにたらない不定形生物さん
安心しろ。頻度も比較にならない
二一五、管理人だよ
なんのため?
なんのためって⋮⋮
なんのためだ⋮⋮
お前らの⋮⋮
クリスくんが⋮⋮
騎士と⋮⋮門のところで⋮⋮騎士?
宿屋⋮⋮黒雲号⋮⋮だぶる⋮⋮
! 勇者さん!
715
二一六、王都在住のとるにたらない不定形生物さん︵出張中
ツッコまんぞ
長い旅を終え、はっとした子狸が振り返って駆け出そうとする
が、足がもつれて転倒する
立ち上がろうとするも、足が言うことを聞かない
ひざから崩れ落ちて床に突っ伏す
子狸﹁あ⋮⋮﹂
限界だな
これ以上は、もう⋮⋮
骨のひと!
二一七、墓地在住の今をときめく骸骨さん︵出張中
おう
がんばったな、子狸⋮⋮誉めてやるよ
だから⋮⋮
さあ⋮⋮
決着を⋮⋮
つけよう⋮⋮
716
おれ﹁来いっ⋮⋮!﹂
来い!
おれ!
二一八、山腹巣穴在住のとるにたらない不定形生物さん︵出張中
すでに地下の気温は真夏日と変わらない
勇者さんのひたいに浮かんだ大粒の汗が、頬を伝って床に落ちる それでも、攻め続けるしかない
この状況下で、長期戦に耐えられるだけの体力が、彼女にはない
右に鉄剣、左に聖☆剣を手にしての猛攻だ
歌人にしても、先ほどのような余裕はない
回避に徹する
転機が訪れたのは
子狸の体力が限界に達した、ちょうどそのときだ
聖☆剣の一撃を飛び上がって回避した歌人が
着地と同時に足元のこん棒を拾い上げて、たちまち反撃に移る
子狸が放り投げた52年モデルだった
人間を超越した筋力があって、はじめて成立する
地面すれすれまで身体を倒しての特攻だ
717
勇者さんは迎撃の構えをとる
鉄剣で受けて、聖☆剣で決めるつもりだったのかもしれない
だが、歌人の視線に宿る絶対の自信に
何か予感めいたものがあったのだろう⋮⋮
鉄剣を放り捨てて、両手でしっかり持ち直した聖☆剣を大上段に
構える
そして、突っ込んでくる歌人めがけて一気に振り下ろした
勇者さんの渾身の一撃は⋮⋮歌人には届かなかった
勇者﹁っ⋮⋮﹂
歌人﹁何を驚いてるの?﹂
歌人の表情に余裕が戻る
かすかに目を見張った勇者さんに、気分を良くしたらしい
歌人﹁⋮⋮ああ、もしかして精霊の宝剣がこの世でいちばん強い武
器だとでも思ってたの?﹂
交差した52年モデルと聖☆剣を挟んで、両者の視線が交錯する
歌人﹁君たち人間って本当に無知だね。驚くほどに﹂
まるで子供をあやすように、拮抗してみせて
歌人があざ笑う
歌人﹁君たちが王種と呼んでいる最高位の魔物はね、君たちが知ら
718
ないだけで、ぜんぶで五人いるんだ。こいつには、そのうち一人の
魔☆力が込められている。まして⋮⋮﹂
歌人が軽く力を込めただけで、勇者さんの華奢な身体は弾き飛ば
される
歌人﹁まして、そいつはマナ☆の結晶体だぜ? 自分たちが自然に
何をしてきたのか忘れたの? 使いこなせるもんか﹂
二一九、王都在住のとるにたらない不定形生物さん︵出張中
おい
喋りすぎだ
二二0、湖畔在住の今をときめくしかばねさん
べつにいいだろ
むしろ感謝して欲しいな
だってさ⋮⋮
王都のひとは、最初からそのつもりだったんだろ?
彼女には、知る義務があるよ
子狸よりも、ずっとね
二二一、かまくら在住のとるにたらない不定形生物さん
719
王都の⋮⋮お前というやつは⋮⋮
二二二、海底洞窟在住のとるにたらない不定形生物さん
さあ、きりきり吐いてもらおうか
二二三、王都在住のとるにたらない不定形生物さん︵出張中
なにを言っているのか
ちょっと理解できないですね⋮⋮
え?
むしろ、お前ら気付いてなかったの?
二二四、火口付近在住のとるにたらない不定形生物さん
おれらのこと、ばかにしてんのか!?
子狸さんと同じ手に引っかかるわけねーだろ!
二二五、管理人だよ
二二六、王都在住のとるにたらない不定形生物さん︵出張中
720
いい。お前は、そのまま寝てろ
ちっ⋮⋮
いつまでも、おんぶ抱っこというわけにはいかんだろ⋮⋮
二二七、海底在住のとるにたらない不定形生物さん
はあ⋮⋮いろいろと考えてるのね、お前
まあ、そのへんは任せるわ
ある意味、お前が⋮⋮ってのは納得できなくもないし
二二八、火口付近在住のとるにたらない不定形生物さん
なんか、微笑ましい気分だわ⋮⋮
そうか、王都のがね⋮⋮ふうん⋮⋮
べつに、おれたちは構わないけど⋮⋮なあ?
二二九、かまくら在住のとるにたらない不定形生物さん
おう
長かった反抗期が、ようやく終わったんだな⋮⋮
721
お母さまも、きっと天国で喜んでくれてると思うんだ⋮⋮
二二九、王都在住のとるにたらない不定形生物さん︵出張中
うつ伏せになった骨のひとが
血を吐くような絶叫と共に床をかきむしると
床の輝線が激しく明滅し、ゲートが活性化する
ゲートから現れる
九つの人影⋮⋮
ぜんぶ骨のひとである
二三0、山腹巣穴在住のとるにたらない不定形生物さん︵出張中
なんだ、お前⋮⋮照れてんのか? あ、嘘です、嘘
ステルスした千刃陣とかやめて? まじっぽくて怖い
ときを同じくして、疲弊の色が濃い勇者さんに襲いかかる歌人
歌人﹁終わりだ!﹂
切り札の聖☆剣が通用しない相手に対して、勇者さんは⋮⋮
聖☆剣を、宙に散らす
歌人﹁!?﹂
722
急制止する歌の人
頭上で停止したこん棒に、勇者さんは瞬き一つしなかった
歌人﹁⋮⋮降参のつもりかい?﹂
勇者﹁さっきも言ったわね。⋮⋮だから、あなたたちはだめなのよ﹂
そう言って、一歩、歌人へと踏み出す
気圧されて、同じだけ歌人が後ずさる
勇者さんが言う
彼女のほうから口をきくのは、はじめてのことだ
勇者﹁勝てる機会をふいにする。言わなくてもいいことを口にする
⋮⋮﹂
やばい⋮⋮
勇者﹁わたしに、死なれると困る事情でもあるの?﹂
だって、子狸さんに怒られちゃうもん⋮⋮
勇者﹁最初から、引っかかってたの。あなたたちは、宝剣を渡せと
わたしに言う。けれど、それはどうやって?﹂
お?
勇者﹁あの女は、わたしに託したんじゃない。わたしを利用したの
ね﹂
723
え? なに? どういうこと?
勇者﹁わたしが死ぬと、宝剣は手に入らない。違う?﹂
それは、名探偵が犯人を指摘するときのような
確信に満ちた口ぶりであった⋮⋮
二三一、海底洞窟在住のとるにたらない不定形生物さん
ぜんぜん⋮⋮違います⋮⋮
二三二、かまくら在住のとるにたらない不定形生物さん
びっくりするほど⋮⋮違います⋮⋮
二三三、火口付近在住のとるにたらない不定形生物さん
悲観的にも程があるだろ⋮⋮
おれたち、どんだけ悪者だよ⋮⋮ 二三四、湖畔在住の今をときめくしかばねさん
暑すぎて、頭の中が愉快なことになってしまわれたのでは⋮⋮?
なんか、目が虚ろだもん⋮⋮
724
というか、魔界の瘴気とか言ってるけど
べつにおれたちなら快適ってわけでもなんでもねーし!
暑ぃーよ! ふつうに! そんで蒸す!
なんなの!? 魔界とか!
だれだよ! ゲートを掘ろうとか言い出したの!
二三五、墓地在住の今をときめく骸骨さん︵出張中
ごめんな
言い出したの、お前なんだ⋮⋮
おれも、なんかだるくなってきた⋮⋮
二三六、樹海在住の今をときめく亡霊さん︵出張中
山腹のひとの家、涼しいれす
二三七、墓地在住の今をときめく骸骨さん︵出張中
それは、おれたちに対する宣戦布告と受け取っていいのか?
二三八、湖畔在住の今をときめくしかばねさん
お前⋮⋮あんまりなめたこと言ってると⋮⋮
725
混ぜるぞ
二三九、樹海在住の今をときめく亡霊さん︵出張中
何と!?
二四0、山腹巣穴在住のとるにたらない不定形生物さん︵出張中
霊界のひとたちの友情にひびが入った
一方その頃⋮⋮
勇者さんが、はむっと指をくわえて指笛を鳴らす
甲高い音が地下空間に木霊した
歌人﹁!﹂
突然のことに、大きく後方へと飛び退く歌人
ゲートから這い出てきた骨のひとたちが、歌人に追いつく
勇者さんの合図に、天井の穴から騎士が続々と飛び降りてくる
さすがに訓練しているだけあって、多少の高さはものともしない
最初に飛び降りてきた騎士の顔面は青あざだらけだ
騎士の一人が、勇者さんの剣を拾って、彼女に手渡した
勇者﹁ありがと﹂
726
剣を受け取った勇者さんが、ふと上空を見上げる
その視線の先には、ぐったりした子狸を小さな身体で懸命に運搬
している羽のひとがいる
きらめく燐粉が二人の姿を淡く照らしていた
ひとつ頷いた勇者さんが、指揮棒のように剣を正面に突きつける
歌人擁する怨霊種の集団に向かって、一気呵成
勇者﹁掃討なさい!﹂
鬨の声を上げて、駆け出す騎士たち
歌人も負けじと声を張り上げる
髪を括る飾り布を乱暴に引きちぎり、髪を振り乱し
歌人﹁ころせ! もういいッ! みなごろしだ! ここまで虚仮に
されて⋮⋮ひき下がれるかッ!﹂
見事な豹変ぶりと言うほかない
かくして
子狸迷走編⋮⋮
最終決戦の火ぶたが切って落とされたのである
727
﹁子狸がレベル2に挑むようです﹂part5︵後書き︶
注釈
・ファイブスターズ
五人の最高位の魔物。
﹁五つの頂点﹂という意味で、﹁スター︵星︶ズ﹂と呼ばれる。
現時点で人類が実在を確認しているのは三人のみで、都市級の魔物
すら問題にならないほどの圧倒的な存在であると認識されている。
完全に人間の手には負えない存在であることと、必ずしも人類と敵
対しているわけではないらしいことから﹁∼級﹂という呼称は為さ
れず、﹁王種﹂と呼ばれる。
中には﹁王種﹂を神聖視し、魔物ではないと主張する人間もいるよ
うだ。
これは、魔王討伐の旅シリーズにおいて、ファイブスターズたちが
人間に聖剣を授けるなどした結果であろう。
・怨霊種
﹁王種﹂に対応する霊界のひとたちの呼び名。
その場の勢いで新種を装ったりする魔物たちなので、人間たちには
﹁上位騎士級の一部﹂という扱いだが、正しくはレベル2の総称と
いうことになる。
当の霊界のひとたちには甚だ不評であるため、魔物たちの間では場
を盛り上げるために使うくらい。
同様に﹁獣人種﹂﹁魔獣種﹂という呼称がある。
728
﹁子狸がレベル2に挑むようです﹂part6
二四一、山腹巣穴在住のとるにたらない不定形生物さん︵出張中
歌人率いる骨のひとたち九人に対し
勇者さん率いる騎士たちは八人
門番の四人と署内待機の四人、駐在の騎士を全員ひっぱってきてる
数の上では、ほぼ互角だが⋮⋮趨勢は決したな
二四二、火口付近在住のとるにたらない不定形生物さん
うむ⋮⋮
騎士団の一個小隊だ
霊界のひとたちに勝ち目はない⋮⋮
二四三、王都在住のとるにたらない不定形生物さん︵出張中
そうだといいがな⋮⋮
骨のひと、頼む
二四四、墓地在住の今をときめく骸骨さん︵出張中
729
おう
このときを、待っていた⋮⋮
すまんな、歩くの
二四五、王都在住のとるにたらない不定形生物さん︵出張中
子狸との決闘に敗れた骨のひとAが、死力を尽くして叫ぶ
骸骨A﹁小僧だッ⋮⋮! あの小僧を⋮⋮狙えッ⋮⋮﹂
怨嗟にまみれた言葉を最後に、力尽きる骨のひとA
全身の骨格にひびが走り、たちまち崩れて灰になる
積もった灰は、くしけずられるように、さらさらと微風に混じり
見えなくなる⋮⋮
見事な、散りぎわだったぞ⋮⋮
二四六、湖畔在住の今をときめくしかばねさん
お前らというやつは⋮⋮過保護が過ぎるぞ⋮⋮ おれ﹁! カイルっ⋮⋮!﹂
二四七、墓地在住の今をときめく骸骨さん︵出張中
730
だれだよ!?
え?
おれのことなの?
二四八、樹海在住の今をときめく亡霊さん︵出張中
素敵なお名前ですね︵にこっ
二四九、墓地在住の今をときめく骸骨さん︵主張中
だまれ! このっ⋮⋮!
いや、お前よりはましか⋮⋮
怒鳴ってごめんな
二五0、樹海在住の今をときめく亡霊さん︵出張中
ちょっ、それ余計に傷つく⋮⋮!
二五一、王都在住のとるにたらない不定形生物さん︵出張中
羽のひと、子狸を回収してくれ
お遊びは終わりだ
731
魔王の腹心ルートに切り替える
二五二、住所不定のどこにでもいるようなてふてふさん
やだよん
二五三、王都在住のとるにたらない不定形生物さん︵出張中
おっと、手ひどく裏切られた気分だ
二五四、海底洞窟在住のとるにたらない不定形生物さん
まあ、そういうことだな
王都の、好きにしろとは言ったが
おれたちの管理人は⋮⋮
子狸だ
決めるのは、あいつだよ
二五五、火口付近在住のとるにたらない不定形生物さん
さいわい、と言っていいのかどうか⋮⋮
あいつ、本物の治癒魔法を見たことないしな
おれたちを当てにしすぎるということはないだろ
732
二五六、かまくら在住のとるにたらない不定形生物さん
なにより、お前がついてる
自信を持てよ、王都の
お前ならやれる⋮⋮否、お前にしかできないんだ⋮⋮!
二五七、王都在住のとるにたらない不定形生物さん︵出張中
丸投げしてるだけじゃねーか!
ちっ⋮⋮だから嫌だったんだよ⋮⋮
おれの温泉旅行が⋮⋮
ライブのチケットまでとったのに⋮⋮
二五八、山腹巣穴在住のとるにたらない不定形生物さん︵出張中
なにをこっそりと計画してんの!?
お遊びは終わりどころか、いままさにはじまろうとしてるじゃね
ーか!
二五九、王都在住のとるにたらない不定形生物さん︵出張中
おれのバカンス計画がひとつ幕を閉じた、一方その頃⋮⋮
733
まあ、おれのいないライブは開幕するわけだが⋮⋮
ふらふらと危なっかしく空中をさまよっている羽のひとに
骨のひとたちが一斉に照準を合わせる
骸骨B∼J﹁チク・タク⋮⋮﹂
まるで、おれの希望を象徴しているかのような勇姿だ
だが、騎士どもが小賢しくも先んじる
騎士A﹁パル!﹂B﹁グレイル!﹂C﹁ラルド!﹂D﹁ディグ!﹂
くそがっ⋮⋮なんなんだよ、そのふざけたチェンジリングは⋮⋮
幾条もの忌々しい光槍が放たれ、おれの夢ごと骨のひとBを粉砕
する
その光景を何かに例えるとしたなら、そう、まるで⋮⋮
おれにはたまの休暇も許されないかのようであった⋮⋮
座して待っても、待ち受けるのは年中無休という名の牢獄である
骨のひとたちの半数が、おれの夢を乗せて矛先を騎士どもに変える
骸骨C∼F﹁ディグ!﹂
骸骨G∼J﹁っ⋮⋮ディグ!﹂
騎士E﹁パル!﹂F﹁ディレイ!﹂G﹁エリア!﹂H﹁エラルド!﹂
734
詠唱がかぶさって、なにを言ってんのか聞き取りづれーんだよ!
わかるものにはわかるだろう
これは、おれの夢と世界にはびこる悪意の代理戦争である
だが、おれの夢は屈さない
いつの日か、必ずや第二、第三のおれの夢が現れ
おれを夢の楽園へと連れ去ってくれる⋮⋮ 二六0、墓地在住の今をときめく骸骨さん︵出張中
お前の夢で、前が見えない
ふざけたチェンジリングじゃなくて、チェンジリング☆ハイパーな
人間め⋮⋮わけのわからん技術を開発しやがって⋮⋮
胸が熱くなってきやがるぜ⋮⋮!
二六一、山腹巣穴在住のとるにたらない不定形生物さん︵出張中
骨のひとたちの圧縮弾は、あえなく騎士たちの光盾に弾かれる
盾というより、もはや壁である
妖精﹁シールド!﹂
速度を重視したのが裏目に出たな
羽のひとへと撃ち放った圧縮弾もまた、妖精バリアに阻まれて散る
735
妖精﹁騎士さんたち、そのまま! 下級魔法なら、わたしでも防げ
ます!﹂
きれいな羽のひとが騎士たちに続投をうながす
さすがに本職の軍人はものが違うな⋮⋮
さらに言うなら、連中はふつうにレベル3の魔法を使える
骨のひとが手加減してるのもあるけど、まともにやっても勝てる
かどうか⋮⋮
劣勢を見て取った歌人が、怒りの形相で叫ぶ
歌人﹁なにをしてる!? 人間だぞ!? たかが人間に、なにを押
されてるんだッ!﹂
じつに芸達者なひとである
不意に悪い笑みを浮かべ、騎士たちに向かって声高らかに謳う
歌人﹁いいのか!? こんなところにいて! 今頃、貴様らの街は
火の海だぞ!﹂
片手を振り上げて骨のひとたちを制止した歌人に、騎士たちも動
きを止める
騎士A﹁なんだと!?﹂
歌人﹁まんまと誘き出されてさ! ばかみたいだ!﹂
勇者﹁また嘘﹂
736
しかし勇者さんの牙城は崩せない
勇者﹁あなたはとても演技が上手ね。黒衣の魔物というのは、あな
た本人のことだったのかしら?﹂
歌人﹁⋮⋮アレイシアンさん、ちょっと黙っててくれないかな?﹂
勇者﹁そうね、ひけらかすつもりはないわ。⋮⋮いまさら言い逃れ
はできないでしょ。あなたたちは、わざわざ自分たちの存在を知ら
しめてまで、何かを待っていた。そして、わたしたちに近づいてき
た。あなたたちが本気で街を陥とそうというのなら、最低でも街道
が封鎖される前に手を打つべきだったわ。それも下策なのだけれど
⋮⋮﹂
もしも自分なら、もっとうまくやったと言いたげである
王国の未来が危ぶまれる⋮⋮
勇者﹁それと、もうひとつ。⋮⋮あなた、わたしに興味があるんじ
ゃなかったの? わたしの言ったこと、ぜんぜん聞いてなかったの
ね﹂
二六二、湖畔在住の今をときめくしかばねさん
おっかねー!
この勇者、おっかねー!
だめだ、おれの手には負えん⋮⋮
これ以上ぼろを出す前に、さっさと決着つけるわ⋮⋮と思ったら
737
勇者﹁⋮⋮なにを勝手に止まってるの? 二度は言わないわよ﹂
勇者さんの怜悧な視線が騎士たちを射抜いた
騎士A﹁あ、はい﹂
戦闘再開
二六三、山腹巣穴在住のとるにたらない不定形生物さん︵出張中
勇者さんが歌人を論破している間に
難なく危険領域を抜けた羽のひとが
ぶらんぶらんしている子狸を、勇者さんの横に着陸させる
妖精﹁リシアさん! ノロくんを!﹂
勇者さんの返事を待たず、急上昇する羽のひと
騎士たちの真上を陣取り、骨のひとたちの指揮をとっている歌人
を見つける
妖精﹁クリスさん! なんで⋮⋮なんでですか! ノロくんは、あ
なたのこと信じてたのに!﹂
きれいな羽のひとの弾劾に、一瞬だけ目を丸くしてから
歌人は哄笑を上げる
歌人﹁なんで? なんでだって? おかしなことを言うね、君は。
⋮⋮見てわからないの? 一目瞭然だろう? ボクは、こっち側の
738
存在だったってことだよ﹂
妖精﹁そんなことっ、ノロくんはとっくに気づいてましたよ! そ
れなのに!﹂
歌人﹁⋮⋮なんだって?﹂
無論そんなことはありえない⋮⋮と思うのだが⋮⋮
お前ら、どう思う?
二六四、海底洞窟在住のとるにたらない不定形生物さん
じつは気づいてた⋮⋮
そうだったら、どんなにか素敵だろう⋮⋮
二六五、火口付近在住のとるにたらない不定形生物さん
うん、素敵だね⋮⋮
二六六、住所不定のどこにでもいるようなてふてふさん
うん、素敵だ⋮⋮
お前ら、すまない
739
口からでまかせなんだ⋮⋮
二六七、湖畔在住の今をときめくしかばねさん
おい
おい。まじでびびったし
くそぅ⋮⋮羽のひと、やるな⋮⋮
だが、おれを甘く見るなよ⋮⋮
おれ﹁なにを言うかと思えば⋮⋮。そんなこと⋮⋮知ってたよ﹂
さあ、どう出る⋮⋮?
二六八、住所不定のどこにでもいるようなてふてふさん
こいつ⋮⋮!
なるほど⋮⋮いいだろう
さしずめ、チキンレースといったところか
その勝負、受けて立ってやる⋮⋮!
おれ﹁!? 知っていたなら、どうして!﹂
二六九、湖畔在住の今をときめくしかばねさん
740
ほう⋮⋮
あくまでも退く気はない、と
おれ﹁生きる世界が違うんだよ。⋮⋮いまになって思えば、ノロく
んは君たちを巻き込みたくなかったんだろうね。だから、自らおと
り役を買って出たんだ﹂
お前﹁!﹂
二七0、住所不定のどこにでもいるようなてふてふさん
っ⋮⋮いまのは⋮⋮効いたぜ
おれ﹁ノロくんは、そんなことひとことも⋮⋮!﹂
お前﹁それはそうだろうさ。素直に言えば、君は彼を行かせたかい
?﹂
おれ﹁⋮⋮それは⋮⋮﹂
お前﹁ボクはね。あるいは、それならそれでいいかと思ったんだ。
君たちがノロくんを置いていくようなら、そのまま見過ごすつもり
だった﹂
おれ﹁⋮⋮なぜですか? あなたは⋮⋮﹂
お前﹁彼と過ごした時間は、そう悪くなかったからね。ほんのお礼
の気持ちさ⋮⋮﹂
741
二七一、王都在住のとるにたらない不定形生物さん︵出張中
お前らが架空の子狸さんで遊んでいる一方その頃⋮⋮
騎士たちの快進撃は続く
立ち止まらないことは戦場の鉄則だ
敵味方が入り乱れる乱戦のさなか
自在に陣形を組み替えることで対応する騎士たちに
骨のひとたちは防御を固め、散開と突撃による小隊の分断を図る
骸骨E﹁バリエ!﹂
騎士F﹁ディレイ!﹂
しかし集団から隔離され突出した骨のひとは
騎士たちにとって、ていのいい的でしかない⋮⋮
骸骨D﹁どけっ⋮⋮!﹂
骸骨E﹁!?﹂
騎士C﹁レゴ!﹂B﹁グレイル!﹂A﹁ラルド!﹂D﹁ディグ!﹂
骸骨D﹁ぐふっ。ちっ、このおれとしたことが⋮⋮。焼きが回った
な⋮⋮﹂
骸骨E﹁ばっ、ばかやろう! どうしておれをかばった⋮⋮!?﹂
742
骸骨D﹁知るかよ⋮⋮身体が勝手に動いちまった⋮⋮どうしてかな
⋮⋮そう悪くねえ気分だ⋮⋮﹂
骨のひとたちが一人、また一人と散っていく
敗色濃厚を察した骨のひとたちは、ドラマ路線に変更したようで
ある
騎士A﹁なにをしている! 手を休めるな!﹂
騎士C﹁し、しかし⋮⋮﹂
人として殲滅を逡巡する部下たちに
勇者さんに見守られてる騎士Aが非情にも追撃を命じる
騎士A﹁まだわからんのか!? それは甘えだっ⋮⋮! その甘さ
が、王都襲撃を招いた!﹂
騎士C﹁!﹂
騎士A﹁だれしもが薄々は勘付いているはずだ⋮⋮魔王は約定を違
えた! 和平の道は途絶えたのだ!﹂
王都襲撃か⋮⋮いまは何もかもが懐かしい⋮⋮
騎士A﹁王都襲撃はきっかけでしかない。だが、長年くすぶってい
た火種を、われわれは自覚してしまった! いま世界各地で燃えひ
ろがりつつある激情は、もうだれにも止められん⋮⋮!﹂
743
二七二、沼地在住の平穏に暮らしたいトカゲさん
某所⋮⋮
おれ﹁見ろ、威勢だけではないか。脆弱、非力⋮⋮そんな調子では、
とてもとても⋮⋮﹂
騎士﹁ひるむなっ! 撃て! 討てッ! この世界に⋮⋮魔物の居
場所などないッ!﹂
親狸ぃ⋮⋮
二七三、迷宮在住の平穏に暮らしたい牛さん
さらに某所⋮⋮
おれ﹁ちっ、また騎士どもか。あとからあとから、うじ虫みたいに
わいて出やがる⋮⋮﹂
騎士﹁? 君は、こんなところでなにを⋮⋮? お嬢さん、ここは
危ない。地上まで送ろう。さ、こっちへ来なさい﹂
おれ﹁はあ? お前ら、おれを倒しに来たんじゃねーのか?﹂
騎士﹁! まさか、君が⋮⋮!?﹂
おれ﹁まさかじゃねーよ! つの生えてんだろ、つの! しっぽも
!﹂
744
親狸ぃ⋮⋮
二七四、山腹巣穴在住のとるにたらない不定形生物さん︵出張中
時代
だっ! 人類史上かつてない未曾有の大戦が幕を
そして場面は戻る⋮⋮
騎士A﹁
開けようとしている! 怒りと憎しみ⋮⋮! どちらかが滅びるま
で終わることのない⋮⋮戦歌と終の時代が訪れるのだ!﹂
親狸ぃ⋮⋮
二七五、海底洞窟在住のとるにたらない不定形生物さん
親狸ぃ⋮⋮
二七六、墓地在住の今をときめく骸骨さん︵出張中
親狸ぃ⋮⋮
二七四、山腹巣穴在住のとるにたらない不定形生物さん︵出張中
演説を終えた騎士Aが、時代の波に後押しされたかのように突撃
する
騎士A﹁ゴル!﹂
745
両手に現れた火炎が、大気を焦がし燃え盛る
レベル3で一挙に殲滅するつもりだ
子狸がそうであるように、訓練で心身へと刻み込まれた躍動に
騎士たちは従うより他ない
騎士C﹁っ⋮⋮タク!﹂
迷いはあるのだろう。それでも⋮⋮
歌人﹁させるかッ!﹂
ほとんど水平に地を蹴って加速する歌人の脚力は
あまりにも人間離れしている
同じ姿をしていても、手を差し伸べるには遠すぎて⋮⋮
騎士F﹁ロッド!﹂狸﹁魔どんぐり﹂B﹁そうそう、甘くて煮ると
おいしい⋮⋮って、こら!﹂
子狸さんが巣穴を飛び出したようです
二七五、湖畔在住の今をときめくしかばねさん
おれが間違ってた
けっきょくのところ⋮⋮そういうことなのか
避けては通れないんだな
746
子狸ぃ⋮⋮
二七六、王都在住のとるにたらない不定形生物さん︵出張中
子狸の近年まれに見る頭脳プレーにより、失敗に終わるチェンジ
リング☆ハイパー あんなひとことでつぶせるほど騎士の技は甘くないが⋮⋮言わぬ
が華か
歌人﹁っ!﹂
目を見張った歌人が、急停止して飛び退く
歌人﹁ノロくん⋮⋮﹂
子狸﹁クリスくん⋮⋮﹂
床に突っ伏したままの子狸が、おっくうそうに顔を上げた
二人の目が合う
子狸﹁おれ、これだけは⋮⋮言っておかなくちゃと思って⋮⋮﹂
勇者さんに頬を引っ張られつつも、子狸は懸命に笑った
子狸﹁その服、似合ってる﹂
それだけ言うと、子狸は満足そうに巣穴へと戻っていった⋮⋮ ふたたび眠りに落ちる
747
さらば子狸
寝る子は育つ
歌人﹁ちっ⋮⋮!﹂
そのとき、歌人に異変が⋮⋮
二七七、湖畔在住の今をときめくしかばねさん
いかん⋮⋮
なんか、うるっときた
やばい
おれ、涙腺が決壊しそう
二七八、墓地在住の今をときめく骸骨さん︵出張中
お前、そういうとこあるよな⋮⋮
いいから、こっち来い。とんずらするぞ
二七九、山腹巣穴在住のとるにたらない不定形生物さん︵出張中
目頭に熱いものがこみ上げてきた歌人が、虚勢を張る
歌人﹁⋮⋮やめだ! ひきあげるぞ!﹂
748
騎士A﹁逃がすと思うのか?﹂
背後から声を掛けてきた騎士Aに、歌人はあでやかに笑う
歌人﹁思うよ。あなたたちは、アレイシアンさんの命令には逆らえ
ない﹂
勇者﹁わたしは、掃討を命じたわ﹂
歌人﹁だったら、気が変わったんだね。⋮⋮わかるだろ? 君は、
賢いひとだ。ボクが本気になれば、騎士の一人や二人は道連れにで
きる⋮⋮﹂
勇者﹁そうね。だから?﹂
歌人﹁わかってるくせに。ボクらは、捨て駒だよ。これ以上、つき
あう義理はない﹂
すると、勇者さんは悩むような素振りを見せる
勇者﹁⋮⋮そう。そうかもしれない﹂
子猫よろしく子狸の襟首を掴んで持ち上げようとするが、持ち上
がらない
非力だ。勇者さんは、なかったことにした
勇者﹁お友達なんでしょ? 置いていっていいの?﹂
ちょっと∼⋮⋮絶対にバレてるって、これ⋮⋮ 749
だが、歌人の笑顔に陰りはない
歌人﹁今度は、本当に⋮⋮少し、君に興味が出てきたよ﹂
勇者﹁行きなさい﹂
歌人﹁ボクらが行ったあと、ゲートに宝剣を突き立ててみるといい。
それで、ゲートは閉じるよ。じゃあね﹂
勇者﹁さよなら﹂
軽く片手を振る歌人に、勇者さんは言葉だけで答えた
苦笑らしきものを漏らしてきびすを返した歌人を、騎士たちは黙
って見送る
上空で滞空している羽のひとの真下を、歌人が通り過ぎる
妖精﹁クリスさん⋮⋮﹂
歌人﹁ばいばい。⋮⋮ごめんね。ノロくんには、うまく言っといて
よ﹂
生き残った骨のひとたちを従えて、歌人はゲートに沈んでいく
最後まで、彼女は振り返らなかった
二八0、湖畔在住の今をときめくしかばねさん
こうして、僕らの戦いは終わった⋮⋮
750
この戦いで、僕らは何を得て、そして何を失ったんだろう⋮⋮
二八一、墓地在住の今をときめく骸骨さん︵出張中
というか、おれのこん棒を返してくれないか
751
﹁子狸がレベル2に挑むようです﹂part6︵後書き︶
注釈
・チェンジリング☆ハイパー
騎士たちの基本にして奥義とも言える、高速詠唱技術。
原理的にはチェンジリングと同じで、先の発言を詠唱に当てはめ
るものだが、これを騎士たちはを多人数で行い、高速で魔法を連結
する。
詠唱とイメージを同一の規格で統一しなければならないため、汎
用性は著しく損なわれるものの、魔法の撃ち合いにおいて圧倒的な
速射性と火力を同時に実現できる。
純然たる戦闘技術であり、実生活に役立つことはいっさいない。
それゆえ、チェンジリング☆ハイパーを修めた騎士たちはたまの休
日を家でごろごろして過ごす。
なお、騎士たちはこの技術を﹁戦歌﹂と呼ぶ。かぶさる詠唱を和
音に例えたものだが、正式名称は飽くまでもハイパーである。
通常のチェンジリングと区別するためにハイパー化したわけだが、
﹁ハイパーとか⋮⋮ねーよ⋮⋮﹂と当の騎士たちには大不評だった。
それなのに、どういうわけか数年周期で﹁いや、一周してむしろ
アリかもしれない﹂という勢力が現れる。
ハイパーをめぐり、やがて騎士団を二分するほどの大論争が巻き
起こったため、騎士団の軍規には﹁ハイパー禁止﹂という項目があ
る。
しかし、このことが、のちの騎士団にさらなる混迷をもたらすこ
ととなる⋮⋮。
光︵聖︶、闇︵影︶、火、水、氷︵凍結︶、雷︵魔︶、土︵豊穣︶
752
に続く、第八の属性﹁ハイパー属性﹂の誕生と、ハイパーに魂を売
り渡した﹁外法騎士﹂の登場である⋮⋮。
753
﹁もっともっと地底で槌振るおれたち﹂
六、空中庭園在住のとるにたらない不定形生物さん︵出張中
おれスラッシュ!
七、王国在住の現実を生きる小人さん︵出張中
ふむ⋮⋮
八、帝国在住の現実を生きる小人さん︵出張中
ふむ⋮⋮
九、連合国在住の現実を生きる小人さん︵出張中
ふむ⋮⋮
一0、魔都在住の特筆すべき点もないライオンさん︵出張中
ふむ⋮⋮
さすがに本家本元の聖☆剣は違うな⋮⋮
人間が浸食魔法をここまで使いこなせるとは思えんが⋮⋮
754
それにしても、この強度ときたらどうだ⋮⋮!
傷ひとつ付いていない!
完璧じゃないか!?
一一、王国在住の現実を生きる小人さん︵出張中
だめだな
一二、帝国在住の現実を生きる小人さん︵出張中
ああ、だめだ
一三、連合国在住の現実を生きる小人さん︵出張中
うむ、まるでなってないな⋮⋮
一四、魔都在住の特筆すべき点もないライオンさん︵出張中
なにが不満ですかこんにゃろー!
一五、空中庭園在住のとるにたらない不定形生物さん︵出張中
空のひとをかばうわけじゃないが⋮⋮
755
これ以上の出力を人間に求めるのは酷だぞ
まず分子という概念がないし、仮にあったとしても知識だけでは
な⋮⋮
そもそも分子結合に干渉できるという前提で進めるなら
魔法でコーティングするしかないだろ
一六、連合国在住の現実を生きる小人さん︵出張中
元より人間にそこまでは期待してない
水平線を見て、あそこから先は凹んでるんだなぁ⋮⋮︵ぽや∼ん
とか本気で考えてるような連中だぞ。おそろしい⋮⋮
そうじゃなくて、硬すぎるんだよ
性能は高ければいいってもんじゃない
一七、帝国在住の現実を生きる小人さん︵出張中
そういうことだ
いまの一撃で傷ひとつ付かないようだと、まったくお話にならない
おれたちの目的は最強の鎧を作ることじゃない
最高の鎧を作ることだ
一八、王国在住の現実を生きる小人さん︵出張中
左様⋮⋮
不完全からしか芸術は生まれない
756
揺らぎの中にこそ真理はある
真理とは、すなわち芸術だ
芸術とは、すなわち爆発だ
一九、魔都在住の特筆すべき点もないライオンさん︵出張中
爆発?
いや、言いたいことはなんとなくわかるんだが⋮⋮
おもむろに酒びんを取り出しながら言われてもな⋮⋮
二0、空中庭園在住のとるにたらない不定形生物さん︵出張中
!?
おい
おい。お前ら
ひとに辻斬りみたいな真似させといて
なに飲んでんだてめーら!?
二一、王国在住の現実を生きる小人さん︵出張中
アルコールなめんな!
757
二二、空中庭園在住のとるにたらない不定形生物さん︵出張中
おこられた!?
ちょう理不尽!
なめてもねーし⋮⋮
聞けよ!
飲み干すな!
二三、連合国在住の現実を生きる小人さん︵出張中
ふむふむ⋮⋮
ほほう⋮⋮
二四、帝国在住の現実を生きる小人さん︵出張中
アルコールなめんな!
二五、空中庭園在住のとるにたらない不定形生物さん︵出張中
もう聞いたよっ!
この酔っぱらいどもが⋮⋮
なんかおかしいと思ったら、揃いも揃って出来上がってやがる⋮⋮
758
二六、王国在住の現実を生きる小人さん︵出張中
子狸バスター︵仮︶よりも先に、おれたちが完成しちまった
⋮⋮てコトだな
二七、空中庭園在住のとるにたらない不定形生物さん︵出張中
だまれ!
二八、帝国在住の現実を生きる小人さん︵出張中
酔ってません
二九、空中庭園在住のとるにたらない不定形生物さん︵出張中
その時間差やめろ!
三0、帝国在住の現実を生きる小人さん︵出張中
うん?
うん
三一、連合国在住の現実を生きる小人さん︵出張中
759
ん?
おう
三二、王国在住の現実を生きる小人さん︵出張中
お?
ん∼⋮⋮
三三、帝国在住の現実を生きる小人さん︵出張中
みょ⋮⋮
三四、魔都在住の特筆すべき点もないライオンさん︵出張中
みょ?
三五、帝国在住の現実を生きる小人さん︵出張中
みょ⋮⋮
みょっつ三世
760
三六、空中庭園在住のとるにたらない不定形生物さん︵出張中
だれ!?
三七、王国在住の現実を生きる小人さん︵出張中
え? だれ?
三八、連合国在住の現実を生きる小人さん︵出張中
え? おれ?
三九、帝国在住の現実を生きる小人さん︵出張中
え? なにが?
四0、空中庭園在住のとるにたらない不定形生物さん︵出張中
子狸か!
四一、王国在住の現実を生きる小人さん︵出張中
子狸じゃねーよ!
761
四二、魔都在住の特筆すべき点もないライオンさん︵出張中
そこはレスポンス早いんだな⋮⋮
四三、海底洞窟在住のとるにたらない不定形生物さん
なにこの混沌とした河⋮⋮
四四、空中庭園在住のとるにたらない不定形生物さん︵出張中
あ?
四五、海底洞窟在住のとるにたらない不定形生物さん
やだ、ガラ悪い⋮⋮
庭園の
歩くひとが負けたぞ
四六、空中庭園在住のとるにたらない不定形生物さん︵出張中
ふうん⋮⋮
意外だな
王都のが折れたか
いや、そうでもないのか
762
まあいいさ
大局は変わらん
それだけか?
四七、海底洞窟在住のとるにたらない不定形生物さん
驚かないんだな
お前、歌人のこと知ってたの?
なんで黙ってるかなー⋮⋮
四八、空中庭園在住のとるにたらない不定形生物さん︵出張中
お前、コピーだな?
なにがあった?
四九、海底洞窟在住のとるにたらない不定形生物さん
いや、気になったから
いま反省会と称して勇者さんのお説教大会が開催されてて
なんとなくリアルタイムで一緒に聞いてる
763
五0、空中庭園在住のとるにたらない不定形生物さん︵出張中
紛らわしいことすんな!
そして、おい! そこのつの付き! そことそこのつの付きも!
こん棒を振り回して踊るな! 歌うな!
五一、連合国在住の現実を生きる小人さん︵出張中
子狸じゃねーよ!
五二、空中庭園在住のとるにたらない不定形生物さん︵出張中
くどい! だまれ!
レクイエム・毒針!
五三、帝国在住の現実を生きる小人さん︵出張中
おれカッター!
五四、魔都在住の特筆すべき点もないライオンさん︵出張中
この酔っぱらい、じつに機敏である
764
五五、空中庭園在住のとるにたらない不定形生物さん︵出張中
ちっ⋮⋮
わかったよ
海底の
おれが危惧していたのはべつのことだ
歌人がアリア家の刺客じゃないかと疑ってたんだよ
だから、心理操作するときに歌人を対象から外した
操作されたふりをするならよし⋮⋮
そうでなければ、次の手を打つつもりだった
アリア家をあなどるなよ
感情を制御できるってことは
必要とあらば、どこまでも非情になれるってことだ
王都のは、人選を誤ったのかもしれん⋮⋮
つまり⋮⋮
五六、帝国在住の現実を生きる小人さん︵出張中
だからといって子狸でもねーよ!
五七、空中庭園在住のとるにたらない不定形生物さん︵出張中
765
ごめん、ちょっと黙らせてくるわ
766
﹁もっともっと地底で槌振るおれたち﹂︵後書き︶
注釈
・浸食魔法
エリア
対象に浸食し、操作する魔法。スペルは﹁グレイル﹂。
その性質から変化魔法に対しては優位を誇るが、レベル差を覆す
ディレイ
ことはできない。
一方、盾魔法は﹁外部からの干渉を弾く﹂魔法であるため、浸食
魔法とは完全に均衡する性質がある。
ただし内部からの干渉には無力であるため、変化魔法と連結した
場合は、その限りではない︵変化の性質を取りこんでしまう︶。
なお、人間たちには﹁浸食﹂と言ってもぴんと来ないらしく、﹁
槍魔法﹂もしくは﹁貫通魔法﹂と呼ばれている。
結果的には同じことなのだが、ミクロの領域ではまったくべつの
現象が起きている。
﹁槍︵貫通︶魔法﹂が問答無用で相手を殺傷せしめる貫通力を持つ
のに対して、﹁浸食魔法﹂は﹁対象を浸食﹂﹁浸食した対象を操作﹂
という二段階の工程を踏む。
これらの違いがあきらかになってしまうと、二番回路の存在にま
で思索が及んでしまう恐れがある。
そこで魔物たちは﹁念動力﹂や﹁魔力﹂といった概念を人類に流
布した。﹁念動力﹂とは、つまり効果を限定した﹁浸食魔法﹂を指
して言う。
767
﹁ばうまふ﹂
一、王都在住のとるにたらない不定形生物さん︵出張中
勇者さんの手によりゲートが閉ざされた
その後の話を少ししよう
地下をあとにした勇者一行と騎士たちは
食堂で、今後の予定について話し合いの場を設けた
人数分の椅子はなかったものの
騎士たちが床に正座するという
画期的な手法を勇者さんが提示したため
さしあたって問題はなかった
話し合いに関しては、勇者さんがひとりごとを言うという形式を
とった
以下に記したのは、そのおおまかな内容である
@子供に出し抜かれるな
@民間人と殴り合うな
@戦闘中に演説するな
@最後に大技を持ってくる意図が不明
叱責は甘んじて受けるという
毅然とした態度で傾聴する騎士Aだったが
基本的に怒られているのはお前だけである
768
部下たちの視線を一身に浴びる騎士Aは
いっそ誇らしげでさえあった
なお、勇者さんは
拠点制圧の手柄を騎士たちに譲った
自身が置かれた立場を公表するのは
聖騎士位の領分を越えるからだろう
二、山腹巣穴在住のとるにたらない不定形生物さん
また、この事件を機に
われわれの布陣にも多少の変化が生じた
骨のひとと見えるひとは
ライフワークのかたわら、少しでも力になれたらと
レベル3のひとたちと合流する道を選んだ
三、墓地在住の今をときめく骸骨さん
は? お前、なに言って
四、迷宮在住の平穏に暮らしたい牛さん
お前ら、ひまだろ?
769
五、墓地在住の今をときめく骸骨さん
はい。透き通ったのも連れて行きます
六、迷宮在住の平穏に暮らしたい牛さん
あいつはトカゲに回せ
七、墓地在住の平穏に暮らしたい骸骨さん
はい。回します
八、山腹巣穴在住のとるにたらない不定形生物さん
激戦区へと身を投じる彼らは
また忙しくなりそうだ⋮⋮と苦笑を漏らした
九、墓地在住の今をときめく骸骨さん
おい
おい。どういうことだ
この遣り口ッ⋮⋮!
お前、いつからだ? いつから⋮⋮
770
おい! いるんだろ! 返事しろこんにゃろー!
この狸がぁぁぁっ!
一0、王都在住のとるにたらない不定形生物さん︵出張中
一方、歩くひとは⋮⋮
一一、湖畔在住の今をときめくしかばねさん
おれ、勇者さんの実家に行ってくるわ
あんまり刺激したくないけど
曲がりなりにも娘さんを預かってるわけだしな
菓子折りとか持ってったほうがいいかなぁ⋮⋮
お前ら、何がいいと思う? 一二、山腹巣穴在住のとるにたらない不定形生物さん
歩くひとは、勇者さん包囲網を形成する特殊部隊に志願
危険な任務になるが、きっと遣り遂げてくれるであろう⋮⋮
一行が屋敷を出た頃、時刻は昼にさしかかろうとしていた
日の光に反応して、騎士Bに担がれていた子狸が目を覚ます
771
寝ればたいていのことは忘れるお茶目な管理人さんであるが
今回に限っては分不相応にも記憶を保持していたらしい
子狸﹁あれ? クリスくんは?﹂
妖精﹁あ∼⋮⋮。急用が出来たとかで、先に出発した﹂
あまりにも適当な羽のひとの言い分であった
が、しかし
子狸﹁か、完全に転校生パターンだよ⋮⋮!﹂
学校での再会を誓う子狸さんに死角はなかった
どうでもいいが
出席日数はレッドゾーンを突破し
なおも記録を更新中である
子狸の輝かしい人生設計は
着々と終息へと向かいつつある
一方、羽のひとの適当さ加減が
豆芝さんという具体的な形で現れたのは
なかば必然的な出来事であった
妖精﹁⋮⋮⋮⋮﹂
豆芝﹁⋮⋮⋮⋮﹂
子狸﹁お前も⋮⋮置いていかれちゃったのか?﹂
772
いちおう寂しさを感じていたらしく
子狸は一方的な共感を豆芝さんに寄せる
子狸﹁そっか⋮⋮じゃあ一緒に⋮⋮いや! ここで主人の帰りを待
ってたほうが、このひとは幸せなのかもしれない⋮⋮﹂
とっさに路線変更するエロ狸に、勇者さんが待ったをかける
勇者﹁ちょうどいいわ。連れて行きましょう。⋮⋮待って、この子
も魔物が化けてるんじゃないでしょうね⋮⋮﹂
子狸﹁そうに違いない﹂
幸せはどこへ?
子狸の同意を得たとしても、なんの確証にもならない
勇者さんが豆芝さんに歩み寄り、手のひらで頬をなでる
一三、樹海在住の今をときめく亡霊さん
ふと思ったんだけど
あれってさ、もしかして退魔力を流し込んでたのかね?
一四、かまくら在住のとるにたらない不定形生物さん
あ∼⋮⋮言われてみれば、たしかに
なるほど、そういうふしはあったな
773
一五、海底洞窟在住のとるにたらない不定形生物さん
歩くひとが剣をつまんだり手首を掴んだりしてたけど
とくにダメージはなかったみたいだな
おれたちのこん棒アタックと原理は一緒なのかも
剣士のことなら、庭園のが詳しかったな⋮⋮
王都のは何か知ってる?
というか絶対に知ってるよね?
一六、王都在住のとるにたらない不定形生物さん︵出張中
知らねーし
おれが諸悪の根源みたいな言い方やめてくれる?
まあ、なんとなく予想はつくけど
一七、海底洞窟在住のとるにたらない不定形生物さん
出たよ⋮⋮
一八、かまくら在住のとるにたらない不定形生物さん
774
はじまったよ⋮⋮
一九、王都在住のとるにたらない不定形生物さん︵出張中
うるさいよ、お前ら
だから、凍結に近いって言っただろ
アリア家の退魔力が無茶な数値を叩き出すのは
たぶんタイミングだ
三番の再計算が終わった直後に回線を閉じれば⋮⋮
まあ、理屈の上ではそうなる⋮⋮と思う
緑のひとと火口のの解析待ちにはなるけど 子狸とは比べものにならないほど
緻密なイメージを描けるんだろうな
二0、海底洞窟在住のとるにたらない不定形生物さん
勇者さんが退魔性を捨てたとき
同時に子狸がいらない子になるわけか⋮⋮
二一、かまくら在住のとるにたらない不定形生物さん
真人間になったらなったで二軍落ちか⋮⋮
子狸に未来はねーな⋮⋮
775
二二、管理人だよ
あるし!
勇者さんが魔法を使えるようになったら
優しい先輩のおれが
奥義の数々を教えてあげるんだ!
おれの夢が走り出した!
二三、山腹巣穴在住のとるにたらない不定形生物さん
奥義ってなんだよ
というか、お前の魔法は参考にならないから
二四、海底洞窟在住のとるにたらない不定形生物さん
仮にも人間︵端くれ︶なんだから、ちゃんと二番を使えよ
使ったら使ったでマイナーな方面に進むしよぉ⋮⋮
二五、管理人だよ
そこはそっとしておいてもらえませんかね⋮⋮
おれだって好きで土魔法とか使ってるわけじゃないし⋮⋮
端くれ? おい
776
それ先生のオリジナルだから
真似しちゃだめ
あ、かっこの中か
かっこの中なら許す
二六、王都在住のとるにたらない不定形生物さん︵出張中
街に戻った勇者一行は宿屋へ直行
旅の疲れもあり、その日は泥のように眠った⋮⋮
もっとも子狸だけは三時間ほどの仮眠で全快し
部屋をうろうろしたあと
夕方頃には活発に動きはじめた
けっきょく連れて戻ってきた豆芝さんと
黒雲号のお世話をしたあと
この小さなポンポコは何を思ったか
おもむろに魔法の練習をしはじめ
あえなく御用となった︵街中︶
子狸﹁そろそろレベルアップしたかなって思って⋮⋮﹂
身元を引き取りにきた勇者さんに
子狸は檻の中からもの悲しそうに犯行の動機を語った⋮⋮
騎士B﹁達者でな﹂
777
子狸﹁騎士さん⋮⋮おれ⋮⋮﹂
騎士D﹁泣くな。胸を張れ。もうお前は、おれたちの仲間だ﹂
勇者﹁⋮⋮⋮⋮﹂
まったくと言っていいほど無駄な小芝居を交えつつ
勇者さんに連れられて宿屋へ舞い戻った子狸は
その日の夜を、首輪でベッドにつながれて過ごした
そして明くる日の朝。今日である
エサを求めて子狸が一階の食堂におりると
一足先に部屋を出た勇者さんが椅子に腰かけて
なにやら手紙らしきものを読んでいる
肩に乗っている羽のひとが
食い入るように勇者さんの手元を覗き込んでいた
手紙にしては大きめだが⋮⋮
なんぞ?
二七、住所不定のどこにでもいるようなてふてふさん
驚いたぜ⋮⋮
おい。お前ら
778
これ、情報誌だ
人間が、青いひとたちの速報と似たものを 書面で起こしてる
二八、海底洞窟在住のとるにたらない不定形生物さん
やられたな⋮⋮
二九、かまくら在住のとるにたらない不定形生物さん
ああ、人間を甘く見たツケがこれか⋮⋮
まんまとパクられちまったよ⋮⋮
三0、王都在住のとるにたらない不定形生物さん︵出張中
んなわけねーだろ!
とことこと歩み寄ってきた子狸に
勇者さんは開口一番
勇者﹁クリスティナ・マッコール﹂
子狸﹁うん? うん﹂
779
子狸さんは華麗にスルーして席につく
子狸﹁もうごはん食べた?﹂
勇者﹁まだ﹂
子狸﹁今日のごはんは何だろう。おれ、朝はしっかり食べないとだ
めな方なんだ。知ってた?﹂
勇者﹁二日前も同じこと言ってたわ﹂
子狸﹁なんだか照れるね⋮⋮﹂
勇者﹁みじんも﹂
子狸﹁⋮⋮マッコールだって?﹂
妖精﹁反応遅かったなぁ∼⋮⋮﹂
羽のひとの控えめなツッコミが入る
勇者さんは、もう慣れたものである
勇者﹁例の屋敷の調査を、騎士たちに命じておいたの。二階の寝室
に、屋敷のあるじと思しき人物の肖像画が大切に保管されていたそ
うよ。本来なら画家のサインが入るべきところに書いてあった名前
が⋮⋮クリスティナ・マッコール。たぶん、あの子の本名でしょう
ね﹂
やはりオリジナルがいたのか⋮⋮
780
子狸﹁そういうことか⋮⋮﹂
なにかをこらえるような眼差しで中空を眺める子狸
いつからだろう? おれたちが子狸さんに何も期待しなくなった
のは⋮⋮
そして、それは正しい
子狸﹁お姉さんか妹さんがいるんだね﹂
勇者﹁あなたにしては上出来ね﹂
子狸﹁よく言われる﹂
妖精﹁それもどうよ﹂
羽のひとのツッコミが冴え渡る
この話はおしまいとばかりに、勇者さんは手元の情報誌を指し示す
子狸が身を乗り出した
子狸﹁それが?﹂
勇者﹁どれが?﹂
なにを期待している
781
やましいところがあるのだろう
子狸は慌てて弁明する
子狸﹁ああ、つまり⋮⋮少し複雑になるんだ﹂
勇者﹁ためしに言ってみて﹂
子狸﹁⋮⋮仮にだよ? そう、仮にだ。A君︵仮称︶の友達に姉が
いるとしたら、そのお姉さんは、A君にとって、いったい何なのか
⋮⋮それを考えていたんだ﹂
勇者﹁赤の他人よ﹂
妖精﹁正解﹂
複雑でもない
しかし子狸は不満げである
子狸﹁⋮⋮お嬢には、そういうところがあるよね。お嬢のそういう
ところを、おれは⋮⋮あれだ、あれ。あれ⋮⋮あれしたい﹂
勇者﹁⋮⋮矯正?﹂
子狸﹁⋮⋮どうだろうか。一概にそうとも言い切れない気もするし
⋮⋮一概に﹂
さいきん覚えた単語らしい
ちなみに、矯正というのは正しい形に直すという意味だ
782
三一、管理人だよ
なにそれ。じゃあ、矯正っていう言葉は何のためにあるの?
三二、かまくら在住のとるにたらない不定形生物さん
お前のためでないことだけは確かだ
三三、海底洞窟在住のとるにたらない不定形生物さん
ここでお前らに報告します
いま全ての謎が解けた
三四、山腹巣穴在住のとるにたらない不定形生物さん
なんぞ?
三五、王都在住のとるにたらない不定形生物さん︵出張中
なんぞ?
三六、管理人だよ
783
なんぞ?
三七、海底洞窟在住のとるにたらない不定形生物さん
これだ
魔物の脅威にさらされている街に対する
勇者さんの反応
次の街へ︵冷静︶
勇者さんの反応に対する子狸さんの反論
一、勇者のとる行動ではない︵理想︶
二、逃げてはならない︵願望︶
三、危ないことはして欲しくない︵願望︶
四、自分が行く︵解決︶
子狸ぃ⋮⋮
784
三八、住所不定のどこにでもいるようなてふてふさん
子狸ぃ⋮⋮
三九、山腹巣穴在住のとるにたらない不定形生物さん
子狸ぃ⋮⋮
四0、王都在住のとるにたらない不定形生物さん
なんたる⋮⋮
底の浅さ⋮⋮
お前というやつは⋮⋮
四一、かまくら在住のとるにたらない不定形生物さん
絶望した
子狸さんの底の浅さに絶望した⋮⋮
四二、管理人だよ
勇者さんを立派な勇者に育て上げる⋮⋮
それが、おれの使命なんだ!
785
そして⋮⋮ふふふ
これ以上は教えないよ
四三、海底洞窟在住のとるにたらない不定形生物さん
だから、浅いんだよ
バウマフ家の人間が考えることは、いつの時代も変わらんな⋮⋮
千年間も同じこと議論してると⋮⋮さすがに飽きるわ
パス
四四、山腹巣穴在住のとるにたらない不定形生物さん
めぐりめぐって、けっきょく同じ結論に至るんだな⋮⋮
なんなの? 本当に⋮⋮べつにいいけど⋮⋮
パス
四五、かまくら在住のとるにたらない不定形生物さん
口に出すのも恥ずかしいわ⋮⋮
786
パス
四六、王都在住のとるにたらない不定形生物さん︵出張中
いい加減に諦めろよ⋮⋮
パス
四七、管理人だよ
お前らと人間が仲良く暮らせる世界を、おれは作るんだ!
四八、住所不定のどこにでもいるようなてふてふさん
言うの!?
言っちゃった!
四九、管理人だよ
⋮⋮誘導尋問か⋮⋮
五0、海底洞窟在住のとるにたらない不定形生物さん
尋問した覚えはないんですけどね⋮⋮
787
788
﹁ありあけ﹂
五一、王都在住のとるにたらない不定形生物さん︵出張中
子狸さんの野望とか興味ないんで⋮⋮
話を先に進めますね
なにか心境の変化でもあったのか
勇者さんが情報誌を子狸に差し出す
勇者﹁読んでみて﹂
子狸﹁どの行から?﹂
受け取る子狸。席を立つ
勇者﹁だれも朗読しろとは言ってないわ﹂
子狸﹁もちろんそのつもりさ﹂
子狸が止まらない
勇者さんの言葉を、話が早くて助かるというニュアンスでとらえ
たらしい
勇者﹁頭の中で読みなさいと言ってるの﹂
子狸﹁え∼⋮⋮。おれ、感情移入しちゃうからなぁ⋮⋮﹂
789
しぶしぶと着席する子狸
どれどれ⋮⋮
﹃山中に巨大なメノッドパル現る。戦隊級か?﹄
おふっ
五二、樹海在住の今をときめく亡霊さん
とうとうおれの時代がやってきた!
五三、沼地在住の平穏に暮らしたいトカゲさん
お前はこっちだ
五四、山腹巣穴在住のとるにたらない不定形生物さん
そして終わった
五五、樹海在住の平穏に暮らしたい亡霊さん
手紙、書きます⋮⋮
五六、管理人だよ
790
え? どこ行くの?
せっかく合流できたのに⋮⋮見えるひとまで⋮⋮
五七、樹海在住の今をときめく亡霊さん
管理人さん⋮⋮
いままでつらく当たって、ごめんな
おれ、本当はお前のこと⋮⋮
五八、沼地在住の平穏に暮らしたいトカゲさん
そういうのいいから
おら、来たぞ
おうおう、白アリの軍隊どもが雁首を揃えやがってよぅ⋮⋮
五九、樹海在住の今をときめく亡霊さん︵出張中
ったく、仕方ねーな⋮⋮
かまくらのひと!
戦況がおちついたら、今度一緒に飲みに行こうぜ
おれのゴースト拳法が火を吹くぜ!
791
うおおおおっ
六0、沼地在住の平穏に暮らしたいトカゲさん
なんだと!?
なんだ、その技は!?
お前、いつの間にっ⋮⋮!
あ、お邪魔しました
どうぞ構わず続けて下さい
六一、かまくら在住のとるにたらない不定形生物さん
達者でな∼
六二、管理人だよ
ゴースト拳法とな⋮⋮
六三、王都在住のとるにたらない不定形生物さん︵出張中
こら、めっ。興味を持つんじゃありません
続きを読むぞ
792
﹃昨夜未明、アリア家領内の山中に突如として巨大なメノッドパル
が出現した
近隣の山村は先日メノゥポーラの襲撃を受けており
なんらかの関連性があるのではないかと関係者は見ている﹄
おれたちの情報を加味して要約すると
この街の事件が終息したから、こっちに来るはずだった騎士団の
中隊が
近くまで来てたのもあって、見えるひとを撃退した
指揮をとったのは、偶然にも山村に逗留していた勇者さんの親父
さん⋮⋮アリア家の現当主だな
んで、情報誌を書いた連中の所見によれば
今回の亡霊騒ぎは本当なら勇者さんの初陣になるはずだったと
そうならなかったのは、だれとは言わんけど
なんか勇者さんと一緒にいるマフマフ︵誤記?︶とかいう小僧の
せいじゃないのかなぁ? と
指一本でも勇者さんに触れたら明日の朝日は拝めないかもしれな
いなぁ⋮⋮とご丁寧に忠告してくれてる
あと、見えるひとの勇姿を描くべきところに
なぜか勇者さんの似姿がでかでかと載ってる
六四、管理人だよ
なるほど⋮⋮
793
六五、住所不定のどこにでもいるようなてふてふさん
さりげなく懐に入れようとすんな!
まったく⋮⋮このエロ狸め⋮⋮
六六、王都在住のとるにたらない不定形生物さん︵出張中
羽のひとが、エロ狸から奪還した情報誌を勇者さんに手渡す
子狸﹁なにをするんだい﹂
妖精﹁しね。⋮⋮お返ししますねっ、リシアさん﹂
勇者﹁ありがと﹂
情報誌を回収した勇者さんが、子狸に感想を求める
勇者﹁読んでみて、どうかしら?﹂
子狸﹁将来が楽しみだと思いました﹂
それ、たぶん違う感想だよね?
勇者﹁そう? やっぱり貴族と平民では感じ方が違うのね⋮⋮参考
になったわ。今日のお小遣い、少し増やしてあげる﹂
794
子狸﹁まじでか﹂
勇者﹁ええ、喜びなさい。いまの無礼な発言に目をつぶってあげる
わ﹂
お金で解決しようとする勇者さんに
お金では買えないものがあるのだと
子狸さんは身をもって教えるのであった⋮⋮
羽のひとが精いっぱい可愛らしく首を傾げるが
いまさら手遅れの感は否めない
妖精﹁でも、それどうしたんですか? なんだか変わったお手紙で
すね﹂
やはりナビゲーター役は欠かせないと
われわれは再認識せざるを得ない
勇者﹁うちには、よその国から流れてきた技術者の集団がいて、わ
たしがその管轄を任せられているの﹂
妖精﹁その人たちが作ったんですか?﹂
勇者﹁そう。技術者と言えば聞こえはいいけど、けっきょくは無職
なのよね。あんまりにも何もしないから見捨ててきたのだけれど、
そうしたらこれで一旗上げるとか言い出して⋮⋮ようは大衆向けの
開かれた諜報機関を立ち上げるつもりみたい﹂
子狸﹁⋮⋮つまり?﹂
795
妖精﹁わあ、なんだか面白そうですねっ。きっとうまく行きますよ
っ﹂
勇者﹁そんなに簡単には行かないわ。少なくとも他の貴族はいい顔
をしないでしょうし、情報の鮮度を売りにするというのは良い考え
かもしれないけど、肝心の正確性には疑問が残る⋮⋮﹂
そう言って勇者さんは、情報誌を綺麗に折り畳んで封書した
勇者﹁何より⋮⋮不特定多数の人間の手に渡るというのが危険すぎ
るわ。発想がおかしい⋮⋮国が認めるとでも思ってるのかしら? この案は没ね﹂
かくして無情にも、いま⋮⋮ひとつの夢が終わりを告げたのであ
る⋮⋮
六七、海底洞窟在住のとるにたらない不定形生物さん
目のつけどころは悪くなかった⋮⋮
おれは、アリア家に彼らという先駆者がいたことを忘れないだろ
う⋮⋮
六八、かまくら在住のとるにたらない不定形生物さん
それにしても、製紙技術の発展が目覚ましいな
大衆向けということは、少なくとも大量生産のめどはついている
ということだろう
796
あれは連合国の技術だったか?
六九、王都在住のとるにたらない不定形生物さん︵出張中
ああ。これまでは発光魔法で誤魔化していたが
さすがに歯止めがきかなくってきたな
伝播魔法と組み合わせれば
おれたちの真似事くらいは出来ると踏んだんだが
見通しが甘かったか⋮⋮
おや? 子狸さんの様子が⋮⋮
子狸﹁お嬢、お嬢﹂
勇者﹁なに﹂
子狸﹁おれ、そのひとたちの気持ちがわかる気がするんだ﹂
勇者﹁⋮⋮無職の?﹂
子狸﹁ちがうよ。その無職って言うのやめて? おれ、将来の夢に
無職って書いたら、こっぴどく怒られたことがあるんだ﹂
勇者﹁でしょうね﹂
子狸﹁思いつかなくて、最後に書き直そうと思ってたんだけど、忘
れててさ。ケアレスミスっていうの?﹂
797
勇者﹁あなた、ときどき連合国の言葉を使うわね。生意気だわ﹂
子狸﹁そりゃそうだよ。おれの父さんの⋮⋮生意気?﹂
勇者﹁お父さまがどうしたの?﹂
子狸﹁え? うん⋮⋮。おれの父さんの父さんと母さんが﹂
勇者﹁祖父祖母﹂
子狸﹁そう、それ。いや、知ってるよ。わかりやすく言ったの﹂
妖精﹁わかりやすくなってないだろ﹂
子狸﹁⋮⋮なってませんか?﹂
妖精﹁うむ﹂
子狸﹁そうか⋮⋮いまひとつの謎が解けた。自分でも自分の作文が
読みにくいなぁとは思ってたんだ⋮⋮﹂
妖精﹁自覚はあったんだな⋮⋮﹂
ひとことで済むところを、わざわざ表現を重複させるからな⋮⋮
七0、かまくら在住のとるにたらない不定形生物さん
ところで、お前ら
798
グランド狸が連合国在住って言うのはまずくないか?
七一、住所不定のどこにでもいるようなてふてふさん
それもそうだな
おい、子狸。なかったことにしろ
七二、管理人だよ
お祖父ちゃんになにをする気!?
七三、海底洞窟在住のとるにたらない不定形生物さん
お前がなにをする気だよ!?
お前の発想が怖いわ!
七四、山腹巣穴在住のとるにたらない不定形生物さん
とりあえず、そうだな⋮⋮
お前﹁おれのお祖父ちゃんが連合国かぶれなんだよ﹂
こんなところか?
799
七五、かまくら在住のとるにたらない不定形生物さん
待て、厳しい
子狸はふつうに三ヶ国語を操れる
今後のことも考えると、祖父が連合国かぶれという理由は弱い
帝国言語は方言みたいなものだから誤魔化せるとしても
連合国言語はまったくの別物だからな
くそっ、内心おれたちの子狸さん意外と出来る子とか思ってたのに
まさかこんなところで足がつくとは⋮⋮!
例の言い訳⋮⋮通用するかな?
七六、王都在住のとるにたらない不定形生物さん︵出張中
これからの時代はグローバルだよ∼っていうやつか⋮⋮
厳しいだろうな⋮⋮
勇者さんは王国貴族だし、容赦なくツッコまれるおそれがある⋮⋮
とりあえず山腹のの案を採用して
ツッコまれたら連合国の絵本を幼い頃から読まされていたと補足
する⋮⋮
こんなところか
七七、管理人だよ
800
わかった
言ったよ
勇者﹁ふうん⋮⋮﹂
だいじょうぶみたい
七八、かまくら在住のとるにたらない不定形生物さん
なにその淡白な反応⋮⋮
びっくりするくらい子狸に興味ねーな⋮⋮
七九、管理人だよ
え!?
そんなこと⋮⋮
おれ﹁お嬢!﹂
勇者﹁うるさい。なに﹂
おれ﹁お嬢は、おれのことどう思ってるの!?﹂
勇者﹁さあ?﹂
801
おれ﹁さあ⋮⋮﹂
さあって⋮⋮どういう?
それは、いつしか愛に変わりますか?
八0、住所不定のどこにでもいるようなてふてふさん
変わるかなぁ⋮⋮?
少なくとも恋愛感情ではないことだけは確かだけど
昨日もなんだかんだで迎えに行ってるんだよな⋮⋮
八一、海底洞窟在住のとるにたらない不定形生物さん
前に、話してて退屈しないとか言ってたから
そういう感じなのかも
とりあえず、そこでボケてみたら?
八二、管理人だよ
なるほど⋮⋮一理ある
おれ﹁みょ⋮⋮﹂
勇者﹁みょ?﹂
802
妖精﹁みょ?﹂
おれ﹁みょっつ四世﹂
勇者﹁⋮⋮⋮⋮﹂
妖精﹁⋮⋮⋮⋮﹂
うむ⋮⋮
八三、海底洞窟在住のとるにたらない不定形生物さん
お前ら裏で示し合わせでもしてんの!?
八四、山腹巣穴在住のとるにたらない不定形生物さん
ど、どうした海底の⋮⋮?
八五、海底洞窟在住のとるにたらない不定形生物さん
っ⋮⋮!
いや、すまん。こっちの話だ⋮⋮
八六、王都在住のとるにたらない不定形生物さん︵出張中
803
子狸の渾身のボケが不発に終わったところで
一行は朝食をとることに
勇者﹁⋮⋮⋮⋮︵もぐもぐ︶﹂
勇者さんは食事をとっているとき絶対に喋らない
一方、子狸はというと⋮⋮
子狸﹁ほほう⋮⋮﹂
とか
子狸﹁これは⋮⋮なるほど﹂
とか訳知り顔でグルメを気取る
そのたびに羽のひとに
妖精﹁なんだよ﹂
とか
妖精﹁言えよ﹂
とかツッコまれる
サバイバル生活に慣れている子狸は
とにかく食べるのが早い
804
朝食をぺろりと平らげ、手持ち無沙汰になるや
子狸﹁はちみつおいしい?﹂
だの
子狸﹁ほら、頬についてる﹂
だのと羽のひとにちょっかいを出しはじめる
そのたびに羽のひとが
妖精﹁はちみつうめえ⋮⋮﹂
だの
妖精﹁さわんな﹂
だのと冷たく対応するも
構ってもらえて子狸は嬉しそうである
子狸﹁可愛いなぁ⋮⋮かぶと虫みたいだ﹂
妖精﹁よし、わかった。ここじゃなんだな⋮⋮表に出ようや﹂
子狸﹁うん? うん﹂
子狸の大絶賛に、そのとき羽のひとが動いた
805
決着をつけるときがやってきたようである
勇者﹁⋮⋮⋮⋮︵もぐもぐ︶﹂
806
﹁ありあけ﹂︵後書き︶
注釈
・発光魔法
光を操る魔法。スペルは﹁パル﹂。
この世界の人間が最初に習う魔法は、まずこれであろう。
単純に照明としても使えるが、攻性魔法に聖属性を付与する、文
字や図形を空間に投影するなど、非常に汎用性が高い。
目で見たものをその場で複写したものは﹁静止画﹂と呼ばれ、犯
罪の抑止にもつながっている。
技術的には﹁動画﹂を作り出すことも可能ではあるが、﹁で?﹂
と一笑に付されるのが現状である。
発光魔法が存在するがために、この世界の人類社会では紙媒体の
情報はあまり重視されない傾向がある。
しかし書籍ともなると発光魔法では再現が困難であるため、義務
教育の施行により民間人の識字率が跳ね上がったこともあり、紙の
需要は増加している。
807
﹁たびたち﹂
八七、住所不定のどこにでもいるようなてふてふさん
そして、おれの紫電三連破が子狸に炸裂したのである
子狸﹁ぐふうっ⋮⋮!﹂
あみ状に編んだ盾魔法だけを残して、吹き飛んだ子狸が
いつの間にか集まった観衆に突っ込み呑まれる
歓声が上がった
八八、海底洞窟在住のとるにたらない不定形生物さん
これは決まったか?
補助型だっつってんのに
羽のひとの戦士としての適性は群を抜いてるな⋮⋮
八九、かまくら在住のとるにたらない不定形生物さん
勘がいいんだ
空間認識能力が並外れてる上に
踏んだ場数が違う
808
九0、山腹巣穴在住のとるにたらない不定形生物さん︵出張中
いや、羽のひとの真に恐るべきは
あの闘志だよ
根っからの戦いの申し子なんだ
九一、王都在住のとるにたらない不定形生物さん︵出張中
だが、子狸のエンジンもそろそろ温まってきた頃合だ⋮⋮
子狸﹁カウントをやめろ﹂
だれもとっていないカウントを制止して
子狸が何事もなかったかのように立ち上がる
観衆を押しのけて進み出る
その表情に浮かぶ不敵な笑み⋮⋮
完全にスイッチが入ったようである
子狸﹁ひとつ賭けをしようか。この勝負⋮⋮﹂
そう言って、ぼろぼろになった上着を破り捨てる
貧弱な上半身があらわになった
ダメージがあるようには見えない
とっさに自分から後方に跳んで衝撃を受け流したらしい
809
やはり、おれたちの攻撃が読めるのか⋮⋮?
子狸の鋭い眼光が羽のひとをとらえる
子狸﹁勝ったら、おれは君に頬ずりをするとしよう﹂
妖精﹁化け物め⋮⋮!﹂
吐き捨てる羽のひとにも子狸さんはひるまない
子狸﹁いいね。じつにいい。そうやって小鳥みたいにさえずってく
れよ﹂
九二、住所不定のどこにでもいるようなてふてふさん
エロ狸めっ
九三、管理人だよ
好きに言うがいいさ
走り出したおれを、いったいだれなら止められるっていうんだ?
だれも止められやしないさ⋮⋮
九四、山腹巣穴在住のとるにたらない不定形生物さん︵出張中
810
旅支度を終えた勇者さんが
黒雲号にまたがって通りを歩いて行く
勇者﹁⋮⋮⋮⋮﹂
少し進んでから一度だけ振り返って言う
勇者﹁先に行ってるから﹂
目にも止まらぬスピードで人垣を抜けた子狸が
勇者さんに追いすがる
子狸﹁あ、待って! 一緒に行こうよ。すぐに準備してくるから!﹂
妖精﹁は、疾い⋮⋮﹂
黒雲号に頬をすり寄せられている子狸を
勇者さんがちらりと見下ろしてひとこと
勇者﹁なんで裸なの?﹂
子狸﹁ちがうよ。逆だよ。服を着てるのが不自然なんだ﹂
勇者﹁それ、変質者の理屈だわ。⋮⋮三十秒で支度してきなさい﹂
子狸﹁おう!﹂
勇者﹁返事はハイでしょ﹂
811
子狸﹁はい﹂
この遣り取り何度目だろう⋮⋮?
勇者さんが貴族なのは確かなんだから
言葉遣いくらい正せばいいのに
宰相とかにはふつうに敬語を使ってるんだから
出来ないこともないだろ
九五、海底洞窟在住のとるにたらない不定形生物さん
擁護するようで嫌だが
そういう目で彼女を見たくないんじゃないか?
九六、かまくら在住のとるにたらない不定形生物さん
いや、それ以前に⋮⋮
たぶん勇者さんが貴族っていうのを忘れてるんだろう⋮⋮
九七、王都在住のとるにたらない不定形生物さん︵出張中
さすがにそれはないと思うが⋮⋮
開祖しかり⋮⋮お屋形さましかり⋮⋮
バウマフ家の人間が考えることは本当にわからん⋮⋮
おれたちの理解を越えている⋮⋮
812
着のみ着のままで出てきた子狸が
替えの服など持っている筈もない
調理器具一式を乗せた豆芝さんのくつわを引いて
上半身はだかの子狸が勇者さんに笑いかける
子狸﹁待った?﹂
勇者﹁待てと言ったのは、あなたでしょ﹂
勇者さんはつれない
子狸の肩に腰かけた羽のひとが、ふと疑問を呈する
妖精﹁ノロくん、お馬さんに乗らないんですか?﹂
子狸﹁え? どうして?﹂
荷物よろしく相乗りしていただけの子狸に
お馬さんの操縦など荷が勝つというものだ
勇者﹁要訓練ね﹂
勇者さんがぽつりと呟き、一行は出発する
ん? またか⋮⋮
闊歩する黒雲号と豆芝さんを
元気に駆ける街の子供たちが追い抜いて行く
813
祭りでもやってるのか?
先の暴動といい、何かと騒がしい街だな⋮⋮
九八、山腹巣穴在住のとるにたらない不定形生物さん
先行して偵察してこようか?
九九、王都在住のとるにたらない不定形生物さん︵出張中
いや、いい
不穏な気配はしないし、見るだけならおれでもできる
むしろ情報が先行しすぎて
子狸が妙ちくりんな行動をとるほうが怖い
一00、管理人だよ
こうして六人で歩いてると、まるで夫婦みたいだ⋮⋮
一0一、かまくら在住のとるにたらない不定形生物さん
ただでさえ思考が先走ってるからな⋮⋮
一0二、海底洞窟在住のとるにたらない不定形生物さん
814
異種格闘技戦も真っ青の家族構成だな⋮⋮
一0三、王都在住のとるにたらない不定形生物さん︵出張中
どうやら本当に祭りだったらしい
街道の解放を記念して
だれがいちばん先に次の街に辿りつくか
レースを開催するようだ
こいつら人間は、なんでも商売に結びつけるなぁ⋮⋮
街門を出た先にあるスタート地点の分かれ道に
自慢の馬を連れてきた参加者たちが所狭しと列をなしている
街道のわきで今か今かと出走のときを見守っている観客たちの中
には
さっき子狸と羽のひとの対決を見学していた顔ぶれもあるな
勇者さんは珍しく感心した様子だ
勇者﹁なるほど⋮⋮警備上の問題はあるけど⋮⋮悪くない案だわ。
わたしにはない発想ね⋮⋮﹂
子狸﹁⋮⋮あ!﹂
会場の警備に駆り出されたのだろう
騎士Bと騎士Dが観客たちの列を整備しながら
子狸の姿を発見してにやりと笑う
815
係員﹁参加をご希望される方は、スタート地点に並んで下さい!﹂
顔見知りの騎士に高らかとこぶしを突き出して応えた子狸が
係員に参加者と間違われて連れて行かれる
恰好が格好である
係員﹁参加をご希望ですか?﹂
子狸﹁人生にわき役なんていない﹂
係員﹁? では、こちらへ﹂
さらば子狸。あ、おれもか⋮⋮
羽のひと、あとは任せた
一0四、住所不定のどこにでもいるようなてふてふさん
おう
勇者﹁⋮⋮⋮⋮﹂
関わり合いを避けて無言で見送る勇者さん
その判断は正しい 特設テント内に座る
イベント進行担当の人間の声が会場に響き渡る
伝播魔法と拡大魔法を組み合わせたんだろう
816
振動のなんたるかもわかっていないくせに
紙コップをマイクに見立てて使っているのが小賢しい
解説﹁さあ、参加者が出揃ったもようです! レース開催も間近と
なりましたが⋮⋮。隊長さん、どうでしょう? これは、と思う参
加者の方はいましたか?﹂
そう言って紙コップを向けた相手は
となりで威風堂々と腰かけている騎士Aである
会場から﹁引っ込め!﹂だの﹁守銭奴が!﹂だのと野次が飛ぶ それらを片手を軽く上げて制した騎士Aが
朗々と自己アピールをしはじめる
騎士A﹁ただいまご紹介に預かりました、王国騎士団0127小隊
所属、実働部隊の隊長であります。自分を金の亡者などと呼ぶ心な
い意見もありますが⋮⋮この場で訂正させて頂く﹂
解説﹁⋮⋮と仰いますと?﹂
騎士A﹁この世で何よりも重要なのは⋮⋮誰よりも何よりも金を稼
ぐことだ。お前らもわかって言ってるんだろ。ああん? つまり⋮
⋮﹂
解説﹁ありがとうございましたー!﹂
守銭奴の名に恥じない演説であった
817
騎士Aの大胆な発言を途中で打ち切ろうとする解説であったが
そうはさせじと騎士Aが解説の手首を掴む
騎士A﹁優勝候補かどうかは知らんが⋮⋮ふん⋮⋮見知った顔がい
くつか混じっているな。せいぜい見苦しい泣き顔を晒さんようにし
ろ。以上だ﹂
そう言って騎士Aが目線を向けたのは
参加者の一人でもある商人であった なにか因縁でもあるのか
二人の視線が空中で交錯し火花を立てる
不意に⋮⋮
ふっと弛緩し苦笑らしきものを浮かべた
両者の顔面に残る青あざが痛々しい
一0五、海底洞窟在住のとるにたらない不定形生物さん
どうでもいい感動がここにあった⋮⋮
一0六、王都在住のとるにたらない不定形生物さん︵出張中
一方その頃⋮⋮
流されるままにスタート地点についた子狸さんは
なんとなく闘志を燃やしていた
818
子狸﹁絶対に負けるもんか。豆芝は、おれだけじゃない、二人ぶん
の思いを乗せてるんだ﹂
百歩譲って豆芝さんはそうだとしても
お前はお馬さんには乗れないよね?
どうするの? 走るの?
一0七、山腹巣穴在住のとるにたらない不定形生物さん
もう好きにするといいよ
どのみち勇者さんとは次の街で合流できるだろうし
一0八、住所不定のどこにでもいるようなてふてふさん
歩くひととの一件で
勇者さんにも思うところがあったのかもな
街道わきから回り込んだ勇者さんが
黒雲号から降りて、行く手を遮る観客たちに命じる
勇者﹁どきなさい﹂
前に本人も言ってたけど
アリア家の人間には本当に異質なオーラがあるんだな
言われるがままに道を譲る人間はともかく
とっさに反論しようとした人間も
819
勇者さんを一目見るなり言葉に詰まって
黙って道を譲る
貴族だから? それとも⋮⋮
本能的な恐怖を感じるのか⋮⋮
準備体操をしている子狸に
観客に混ざった勇者さんが声をかける
勇者﹁ちょっと、こっちへいらっしゃい﹂
子狸﹁え? うん﹂
のこのこと勇者さんのあとをついていく子狸さん
豆芝さんもそれに続く
勇者﹁ここ﹂
子狸﹁あい﹂
観客たちから少し離れて、地面を指差す勇者さんに
子狸はおとなしく従う
正座である
勇者﹁あなたに少し尋ねたいんだけれど⋮⋮レースに参加してどう
するの?﹂
子狸﹁もちろん勝つよ!﹂
820
勇者﹁勝ってどうなるの? 名誉? 下らない⋮⋮。馬の脚に負担
をかけるだけだわ。無意味⋮⋮そのひとことに尽きる﹂
勇者さんの声は凛としていてよく通る
命令し慣れたもの特有の威厳に満ちた声だ
彼女の言葉が、参加者たちの胸に突き刺さる
だが、子狸は反論した
子狸﹁そんなことない! 名誉とかじゃないんだ⋮⋮おれたちが走
るのは⋮⋮そこにロマンがあるからだよ!﹂
子狸の魂の言葉に衝き動かされるように
係員のチェックフラッカーが振り下ろされる
解説﹁さあ! 各馬一斉に出走しました! 果たして栄冠は誰の手
に!? おや? なにかトラブルでしょうか? 飛び入りの半裸少
年の姿が見えません。⋮⋮ああ、お説教されてますね﹂
騎士A﹁なぜだろうな、他人事のようには思えん。⋮⋮小僧! 今
回は諦めろ。だが、お前には守るべきものがある筈だ。それは見失
ってはいかん﹂
遠のいていく栄光に﹁ああ⋮⋮﹂と手を伸ばす無念の子狸
勇者さんはしれっとした顔で
近くまで寄ってきた黒雲号にひらりとまたがる
勇者﹁焦っても仕方がないわ。わたしたちは、のんびり行きましょ﹂
821
一0九、かまくら在住のとるにたらない不定形生物さん
なんか勇者さんが言うと裏がありそうだな⋮⋮
一一0、山腹巣穴在住のとるにたらない不定形生物さん
この人は、どこまでわかって言ってるんだろうな⋮⋮
一一一、海底洞窟在住のとるにたらない不定形生物さん
まあ、そのへんは気にしてても仕方ないだろ
一一二、王都在住のとるにたらない不定形生物さん︵出張中
子狸﹁おう!﹂
勇者﹁返事ははい﹂
子狸﹁はい﹂
少なくとも、おれたちの子狸さんは何もわかってない
この格差はなんなんだろう⋮⋮
822
﹁たびたち﹂︵後書き︶
注釈
・紫電三連破
相手の死角から高速で懐に飛び込み、くるくると回転しながら三
連撃を見舞う、羽のひとの大技。
この技に限らず、羽のひとの最大の能力は小さな身体を活かした
トリッキーな高速飛翔にあると言える。
人間が使える範囲で﹁必中という性質﹂の魔法は存在しないため、
羽のひとが全力を発揮したなら︵それがたとえ設定上の強さだろう
とも︶いかなる屈強な戦士でも三分と保たずマットに沈むことだろ
う。
ちなみに、勇者一行の旅に随行する羽のひとは本来なら臆病で人
見知りな個体という設定があるのだが、バウマフ家の人間をしばき
倒すときだけ勇猛果敢になるのはいつものことである。
823
﹁第三回全部おれ定例会議﹂part1
0、空中庭園在住のとるにたらない謎の議長さん︵出張中
05﹁お待たせしました﹂
04﹁遅いぞ。われわれもひまな身ではない⋮⋮重々承知のことと
思うが﹂
03﹁左様。時間は有限⋮⋮それはわれわれにとっても例外ではな
いのだ⋮⋮﹂
おれ﹁05、以後気をつけたまえ﹂
05﹁はっ。感謝します﹂
01﹁⋮⋮全員揃ったようだな﹂
おれ﹁ああ。では、これより第三回全部おれ定例会議をはじめる。
各自、順に報告を﹂
04﹁では、自分から。王国、帝国、連合国の騎士団は各地にてレ
ベル3と激しく交戦中ですが、現時点では一進一退の攻防が続いて
いるもようです﹂
おれ﹁ふむ⋮⋮。詳細をまとめたものはあるかね?﹂
04﹁予測値ではありますが、進軍の状況を映像化したものはこち
824
らに﹂
01﹁主モニターに回せ﹂
03﹁ふむ⋮⋮﹂
05﹁⋮⋮なるほど。こうして見ると、三ヶ国の協調はおろか、国
内でも意見が割れているようだな。作戦行動というには稚拙すぎる﹂
04﹁ああ。いまのところは騎士団の一部が暴走し、それを上層部
が止めようと躍起になっている、といったところだろう。だが⋮⋮﹂
おれ﹁状況は変わる。そういうことかね?﹂
04﹁否応なく。⋮⋮人間たちは勝ちすぎました。自分たちは最後
には勝つと心のどこかで信じている。いつまでも弱腰な態度では⋮
⋮﹂
03﹁内乱を招く、か。なるほど、それでは本末転倒だからな⋮⋮﹂
おれ﹁状況はわかった。他に何かあるかね?﹂
05﹁では、自分から一つよろしいでしょうか?﹂
おれ﹁構わん。続けたまえ﹂
05﹁はっ、勇者一行が街を発ちました﹂
01﹁勇者か⋮⋮﹂
825
おれ﹁⋮⋮ふむ。いい機会かもしれんな。おい、例のものを﹂
03﹁はっ、それでは。モニターをご覧下さい﹂
05﹁これは⋮⋮?﹂
04﹁勇者一行と、その周辺の戦力を分析したものだ﹂
︻アレイシアン・ア︵ジ︶ジェステ・アリア︼
アジェステ
﹃聖騎士位の称号名を継承する王国の大貴族、アリア家の少女﹄
※﹁アジェステ﹂とは﹁アジ︵栄光︶﹂﹁ジェステ︵騎士︶﹂の意
であり、﹁アジジェステ﹂と称しても誤りではない。
﹁称号名﹂とは国際的な位階を示し、対魔物戦をはじめとする有事
アジェステ
の際に指揮系統が混乱をきたさないよう制定されたもの。
﹁聖騎士﹂には自身の判断に依って自国他国を問わずして騎士たち
マリアン
ネウシス
エウロ
を統率する権限を与えられている。
ただし﹁元帥﹂﹁大隊長﹂﹁中隊長﹂の名において発令された作
戦行動に支障をきたす場合はその限りではない。
とはいえ﹁聖騎士位=英雄号︵公式には明示されていないがアリ
ア家のみを指す︶﹂の威光は大きく、中隊規模の作戦行動ならアリ
ア家の指示が優先されるというのが実質的な現状である。
﹃アリア家の人間は、自らの感情を完璧に抑制できるという特異体
質をしているため、いかなる状況においても肉体が許す限り可能な
範囲で最高のパフォーマンスを発揮できる。
また﹁感情を制御できる=外部からの干渉をシャットアウトでき
る﹂ことから、尋常ならざる退魔性を持つ剣士でもある。
826
しかし戦士としての修練をとくべつに積んでいたわけではないた
め、身体能力と技量は常人の域を出ない。まして体力ともなると同
年代の平均値よりも劣る﹄
※王国には﹁意識的に魔法を使わない﹂ことで﹁魔法からの干渉を
最低限に抑えた﹂人間がいる。﹁剣士=剣術使い﹂と呼ばれる人間
だ。
戦士としては元より、日常生活を営む上でもメリットよりもデメ
リットの方が大きいのだが、﹁剣術﹂は一部の貴族の秘伝であり、
またステイタスでもあるがために現存した古代の技術である。
﹃貴族の名に恥じない教育を受けて育ったためか、教養に欠ける平
民を完全に﹁下﹂と見なす傾向がある。
これは王国貴族に共通する思想であるが、彼らの場合はアリア家
ほど顕著ではない﹄
※﹁貴族﹂とは王国の﹁最初の国民﹂の子孫である。
初代国王の願いを継ぎ、﹁誰しもが笑顔で暮らせる国﹂を目指し
た結果が﹁自分たちの意思を色濃く継いだ子々孫々がそうではない
民らを導く﹂形態へと至った。
こうした、言ってみれば﹁効率的な体制﹂が、のちの﹁王権分離﹂
ひいては﹁帝国﹂の誕生、さらには二大国への反発として﹁連合国﹂
の樹立を招くこととなる⋮⋮。
﹃アリア家の現当主である父に命じられて領内の見回りをしていた
ところ、山村が魔物の襲撃に晒される現場に居合わせることとなり、
﹁光の精霊﹂なる怪しい生命体から﹁精霊の宝剣︵聖☆剣︶﹂なる
胡散臭い力を授かる。
その力で魔物を撃退する際に﹁あのお方に命じられて∼﹂とか魔
物が言ったせいで、魔王が復活したと勘違いして上層部に報告した
827
ところ、﹁ははっ⋮⋮︵苦笑︶﹂という芳しくない反応が返ってき
たため、それならばと単身魔王討伐の決意を固め、現在に至る﹄
※﹁聖☆剣﹂とは勇者の代名詞であり、勇者一行に襲いかかる数々
の危機を奇跡のパワーで切り開いてきた﹁光輝の剣﹂である。
その正体は﹁詠唱破棄﹂﹁発光魔法﹂﹁浸食魔法﹂﹁変化魔法﹂
の連結魔法であり、悲しいことに魔物たちのコントロール下にある。
﹃自他の生命を﹁有益か否か﹂で秤にかける冷徹な面があり、必要
とあらば自分自身の命さえ迷わず危険に晒すことも。
品のない人間が嫌いと公言しているように、ある一定以上の悪徳
に及ぶ人間にはいっさい容赦しない。
つまり非常に独善的な人間であるが、その苛烈な性質が他の人間
たちを魅了する吸引力として働くこともままある﹄
勇者﹃平気で、ひとの心をもてあそぶような真似をする⋮⋮。そう
いうの、気に入らないわ﹄
おれ﹁ふむ⋮⋮﹂
03﹁ふむ⋮⋮﹂
04﹁ふむ⋮⋮﹂
05﹁ふむ⋮⋮﹂
01﹁もう一度だ﹂
03﹁はっ﹂
828
勇者﹃そういうの、気に入らないわ﹄
おれ﹁うむ⋮⋮﹂
04﹁ほほう⋮⋮﹂
05﹁なるほど⋮⋮﹂
03﹁なんだか照れますな⋮⋮﹂
01﹁ああ。⋮⋮次だ﹂
おれ﹁問題のバウマフ家か⋮⋮しかし⋮⋮﹂
01﹁避けては通れませんよ﹂
おれ﹁そうだな⋮⋮。すまん、続けてくれ﹂
03﹁はっ﹂
子狸﹃チク・タク・ラルド・ディグひゃっ!?﹄
おれ﹁⋮⋮これは馬ではないのかね?﹂
03﹁馬ですな。ロバと似ていますが⋮⋮れっきとした馬です﹂
829
おれ﹁そういうことを訊いているのではない。これは馬だろう﹂
04﹁黒雲号と呼ばれているそうです﹂
05﹁正確にはノロですね﹂
03﹁名前も同じですから、いっそこれもアリかと思いまして。本
人をモニターに出すと会議になりませんし⋮⋮﹂
おれ﹁⋮⋮しまらんな。まあいい。続けたまえ﹂
03﹁はっ﹂
︻ノロ・バウマフ︼
﹃魔物たちの相互ネットワーク﹁こきゅーとす﹂の現管理人。別名
﹁子狸﹂。
非凡な実父とは異なり、典型的なバウマフ家の少年である。
魔物たちからは﹁比較的まともな方﹂と称されているが、それで
も手に負えない。たまに暴走する﹄
※﹁魔﹂とは本来的に﹁理解の及ばない不思議なもの﹂を指し示す
語であり、﹁魔物﹂とはつまり﹁不思議な生き物﹂を意味する。
人間たちの手前﹁がんばれば倒せるの﹂と﹁がんばっても倒せな
いの﹂とで住み分けているが、基本的に不老不死で無敵なナイスガ
イである。
これは個人的な意見ではあるが、バウマフ家の人間は夢見る素敵
生物たる魔物たちをもっと敬うべきではないだろうか?
830
﹃バウマフ家とは﹁魔法に心を与えることで魔物を生み出した﹂張
本人の子孫であり、その当時からすでにあまり物事を深く考えない
という困った性質を持っていた。
魔王討伐の旅シリーズにおいて勇者を導く役どころを担うも、う
っかり魔王が実在しないことをバラしたりするので、そのたびにじ
つは魔王の腹心だったり、勇者の危機に颯爽と現れる謎の覆面戦士
になったりと忙しい役回りである。
またバウマフ家の人間は、魔物たちの英才教育により人間であり
ながら﹁魔物寄りの魔法﹂を使うため、そこを勇者にツッコまれた
りすると、じつは古代文明の末裔だったりもするという。
これ以上誤魔化しきれないところまで来る、あるいは魔物たちが
面倒くさくなってくると、人知れず二重スパイしていたところを見
つかって処刑されたり、魔王軍の幹部を道連れにして儚く散ったり、
復活した超古代文明の兵器を鎮めるために人柱になったりする。
そして、たいていあとでうっかりバレる。
なぜか勇者とウマが合うことが多く、救国の英雄となった勇者が
行き先も告げずに姿を消した場合は、まず間違いなくバウマフさん
ちのひとと一緒に仲良く暮らしてたりする﹄
※けっきょくのところ、バウマフ家の人間が魔物たちの﹁トラップ﹂
として機能していることは認めざるを得ない。
彼らが脊髄反射な言動をとることで魔物たちの﹁筋道に沿った﹂
計画は脇道に逸れることが多く、それが結果的に旅シリーズの行程
を複雑にする。
歴代の勇者たちがドッキリのプラカードが出現するまで魔物たち
の真相に気がつかないのは、バウマフ家の理屈の合わない行動によ
るところが大きい。
﹃基本的にお人好しで涙もろいところがある少年だが、状況に応じ
831
て熱血漢になったりするのは魔物たちによる特訓の成果である。
父親は連合国出身だが、長じてからは王国に移り住んだため、現
在は王都に居を置いている。
義務教育を課せられる年齢であるため、王都の王立学校に所属︵
現在は不明。退学?︶。お世辞にも成績優秀とは言い難いが、まじ
めで熱心な生徒ではあった。
魔物たちにてい良く利用されることが多々あり、あちこち引っ張
り回されているうちに出席日数が危険水域に達し、放課後に補習授
業を受けるという交換条件と引き換えに留年を免れていた。
その後、アレイシアン嬢の魔王討伐の旅に同行することとなり、
完全にとどめを刺された。担任教師は何とかすると息巻いているが、
まず無理だと思われる﹄
※魔物たちとの戦いがあまりにも無益であったため、無駄な出費を
嫌った各国は義務教育制度を設けている。
魔物たちによって整備された魔法は、個人の才能に左右されにく
く、また数年の義務教育で一定の水準まで達する簡易なものだった。
国民の自衛に期待してのことだったが、効果のほどはあまり上が
らなかったらしい。
むしろ、国民全体の教養が増すことで得られた利益の方が大きか
った。
ついでに思想教育の重要性を学んだ政治家たちは﹁もちろん最初
からそのつもりだった。えっへん﹂と胸を張った。
﹃学校では、何事にも真剣すぎる、会話が成立しない、たまにしか
学校にいない、魔法の演出がグロい、そしてエグい等の理由から友
達が一人もいなかった。
哀れに思った低学年の子たちは友達だと言ってくれたが、なけな
しのプライドが邪魔して対等の友人関係は築けなかったようだ。
旅シリーズの冒頭で出会ったアレイシアン嬢を﹁ちょっと可愛い﹂
832
と評し、ふとした拍子に心を奪われたと魔物たちに打ち明けるも、
﹁ちょっと優しくされたからって勘違いするな﹂と酷評される。
生涯初となる﹁人間﹂の友達を獲得し、意気揚々と旅を続ける。
ちなみに恩師と約束した自習は旅立ってから一度もしていない﹄
おれ﹁⋮⋮どう見ても馬なんだが⋮⋮﹂
03﹁⋮⋮馬ですね﹂
04﹁⋮⋮しかし要注意人物でもあります﹂
おれ﹁馬がか?﹂
04﹁いえ、馬ではなく。馬ですが﹂
05﹁⋮⋮特赦か。だが、それについては考えがある⋮⋮﹂
おれ﹁ほう。期待するとしよう﹂
01﹁⋮⋮やつはどうした?﹂
03﹁やつ⋮⋮やつですか﹂
おれ﹁そうとも。勇者一行ではないが、われわれが最も用心するべ
き人物だ。マリ・バウマフ⋮⋮﹂
︻マリ・バウマフ︼
833
﹃ノロ・バウマフの実父にして﹁こきゅーとす﹂前管理人。別名﹁
親狸﹂。千年に一度生まれるというレジェンドバウマフ。元祖狸。
﹁どこに出しても恥ずかしくないバウマフ﹂﹁バウマフ家の歴史を
完成させた男﹂﹁なにを考えてるのかよくわからない︵グランド狸
談︶お前もな︵魔物一同︶﹂﹁大きくなったら父さんみたいになる
︵子狸談︶なにそのホラー︵魔物一同︶﹂と称される超S級危険人
物﹄
﹃幼い頃から妙にまともな行動をとるため、魔物たちを盛大に心配
させた。理由を尋ねると理路整然と理屈を語るため、﹁とうとう一
周して逆に⋮⋮﹂と憐みの目で見られる。
しかし長じるにつれて魔物たちを裏でコントロールするようにな
り、あまつさえ﹁ぜんぜん気付かないからつまらなかった﹂と自ら
ネタバラしをするに至って、魔物たちから不倶戴天の天敵と目され
る。
その後、魔物たちと元祖狸による壮大な知恵比べが展開されるも、
魔物たちの惨敗に終わる。魔物たちにとっての屈辱の時代のはじま
りである﹄
﹃魔法の才覚も極めて高く、二番回路のオンオフを自在に切り替え
ることで人間寄りの魔法と魔物寄りの魔法を組み合わせることがで
きる。
魔物たちが夢見た理想のバウマフ像そのものであるが、じっさい
に生まれたら生まれたで憎たらしいことこの上ない﹄
※魔法の詳細に関しては後述とする。
﹃学校で異常としか言えない高成績を叩き出し、先走った学府より
都の高校に進学するよう求められるも、三ヶ国の上層部からストッ
プが掛かる。
834
協議のすえ、三ヶ国に等しく利潤を配分をするという契約をもと
に、王国の王立高等学校に進学。 とにかく無駄にハイスペックなので、ろくでもない貴族の子女に
見染められて気苦労の絶えない生活を送るのではないかと魔物たち
をはらはらさせるも、そこらへんを歩いていた町娘と﹁魔物にも優
しいから﹂というありがちな理由であっさりと結婚し一児をもうけ
る﹄
※﹁高校﹂とは﹁高等学校﹂の略称である。
原則として高校への進学を希望する生徒は、﹁卒業論文︵卒論︶﹂
と呼ばれる﹁研究成果﹂を学府に提出せねばならない。
それが認められて、はじめて高校への入学が許されるのだが、例
外的に﹁こいつはやばい﹂という人間は学府より﹁お前はやばいか
ら国に飼われろ﹂とソフトに伝えられる。
承諾するか否かは本人に委ねられるが、それは表向きの話であっ
て、まず拒否することは許されない。
しかし、それがバウマフ家の人間となると、もっとやばいことに
なる。﹁魔物たちの盟主を研究室に閉じ込めて何やらせんの? ね
え、教えて?﹂となったのである。
﹃婚約する際、交際すらしていない娘さんを連合国の父母に紹介し、
﹁おれ、結婚するから﹂と言い放った。
だれがびびったって、娘さんがいちばんびびった。
どれくらいびびったかというと、口に含んでいたお茶を噴出する
くらいびびった。
さらに二度見芸まで披露してくれたので、その瞬間に魔物たちは
二人の仲を認めた。
当の娘さんはいったんは婚約を辞退したものの、再三のアタック
に折れる︵というより会うたびにやたらと消耗している元祖狸を心
配して仕方なく︶。
835
高校を卒業後、王都の片隅でひっそりと﹁ばうまふベーカリー﹂
なるパン屋を開業する。小さい頃からの夢だったらしい﹄
※﹁ばうまふベーカリー﹂では、魔物たちを象ったパンを扱ってい
る。
ただしモデルは子狸の描いた絵なので、ほとんど原形を留めてい
ない。
見た目が見た目なので繁盛しているとは言い難いが、味はそこそ
こである。
たまに宰相が買いに来る。
﹃子狸が生まれたあとはしばらく大人しくていたものの、二年前に
催された王国ミレニアムを祝う千年祭の最終日、水面下で着々と進
行していた王都襲撃計画をついに発動。
レベル4とレベル3が一堂に会し、上空ではレベル5の頂上対決
が行われるという人類史上類を見ない空前絶後の大事件を引き起こ
す。
どう考えても魔王の仕業です。本当にありがとうございました﹄
﹃公開処刑は自粛とさせて頂きます﹄
01﹁⋮⋮やつを敵に回したら終わりだぞ﹂
03﹁その心配はありません。お屋形さま⋮⋮いや、マリ・バウマ
フは管理人の座を息子に譲り、その後は非干渉のポーズをとってま
すから﹂
おれ﹁そうだな。おそらくわれわれに干渉してくることはないだろ
う﹂
836
01﹁ならばいい﹂
03﹁ありがとうございます。では、続けます。次は魔物たちです
ね﹂
04﹁その前に、いったん休憩しないか?﹂
05﹁そうしよう。目が疲れてきた。目なんてないけど﹂
おれ﹁よかろう。01、いいな?﹂
01﹁ああ。時間は有限⋮⋮されど残された猶予はまだある﹂
おれ﹁うむ。短時間ではあるが、各自鋭気を養ってくれたまえ﹂
03﹁はっ﹂
04﹁はっ﹂
05﹁はっ﹂
837
﹁第三回全部おれ定例会議﹂part1︵後書き︶
︵作者より︶ナカモト工事様より、とても素敵な挿絵を頂きました。
﹁勇者さんはおれの嫁﹂に添付致しましたので、よろしければご覧
になって下さい紫電三連破!
838
﹁第三回全部おれ定例会議﹂part2
完全にお昼寝してたよね?﹂
00、火口付近在住のとるにたらない謎の議員さん︵出張中
01﹁待たせたな﹂
02﹁というか、寝てたよね?
03﹁議長っ⋮⋮そこには触れないでおこうと話し合ったではない
ですか⋮⋮!﹂
02﹁しかしな⋮⋮さすがに示しがつかんだろう﹂
01﹁⋮⋮時間が惜しい。はじめろ﹂
おれ﹁あ、流した﹂
05﹁魔物たちの項目からでしたね﹂
03﹁では、再開します。多少重複しますが、まずは共通項目から
でよろしいですか?﹂
01﹁構わん﹂
02﹁すまんな、苦労をかける。よろしく頼む﹂
03﹁はっ﹂
839
︻魔物︼
﹃千年前︵正確には千と二年前︶に自我を獲得した魔法が形を成し
て誕生した素敵生物たちの総称。﹁魔法の第二形態﹂であると本人
たちは主張している﹄
﹃バウマフ家および各国首脳陣︵一部︶を除く人間たちの認識では
﹁致命傷を負うと消滅する﹂ということになっているが、それは誤
り。基本的に不老不死の存在であり、人間よりもはるかに高度な魔
法を難なく扱える﹄
﹃自在に瞬間移動できる上に際限なく増殖できるため、世界中に数
えきれないほどの個体がいると考えられているが、オリジナルの人
数は言うほど多くない﹄
﹃勇者が魔王を倒すまでの一連の出来事を綴った﹁魔王討伐の旅シ
リーズ﹂の仕掛け人であり、その行程を盛り上げるためにレベル1
∼5の五段階に﹁設定上の戦闘能力﹂を振り分けている﹄
﹃じっさいに戦っている人間たちは魔物たちの身体能力や耐久力と
いった、魔物たちからすれば﹁その場の気分でどうにでもなるもの﹂
を基準に彼らを分類しているため、﹁魔法の開放レベル﹂を基準と
している魔物側とは異なる分類法が用いられている。表であらわす
と、だいたい以下の通りである﹄
﹃下位騎士級=レベル1﹄
﹃上位騎士級=レベル1∼2﹄
840
﹃下位戦隊級=レベル2∼3﹄
﹃上位戦隊級=レベル2∼4﹄
﹃下位都市級=レベル3∼4﹄
﹃上位都市級=レベル4﹄
﹃王種=レベル5﹄
※下位、上位を省いて言う場合は原則として上位級を意味するよう
である。
﹃なお、上記の呼称は脅威度の正確さを重視したものであり、民間
では﹁下級﹂﹁中級﹂﹁上級﹂という簡単な呼称が用いられている。
この三つの分類の中には﹁上位都市級﹂と﹁王種﹂は含まれない。
﹁立ち向かうという選択肢がない﹂からだ。
誰かが﹁都市級だ!﹂と叫んだなら、もう逃げるしかないという
のが一般的な考え方である﹄
02﹁⋮⋮人間たちがレベル3を打破しうる技術を開発したのは誤
算だったな﹂
03﹁チェンジリング☆ハイパーですね⋮⋮それについては後述と
しています﹂
05﹁こしゃくな人間どもめ。詠唱を改造しはじめた時点で嫌な予
感はしていたのだ⋮⋮﹂
841
われわれにはそれ
おれ﹁現在の詠唱は、われわれが再構築したものだからな⋮⋮﹂
05﹁やはり過去は抹消すべきだったのだ!
やつの⋮⋮マ
が可能だった。いまからでも遅くはないぞ。人間の記憶などいい加
減なものだ﹂
おれ﹁それをバウマフ家の人間が許すと思うのか?
リ・バウマフの干渉を招くだけだ﹂
01﹁それだけは許さん。⋮⋮過去など。われわれに必要なのはい
まだ﹂
02﹁⋮⋮そう。そうだな。続けてくれ﹂
03﹁はっ。それでは、個別の詳細へと移ります。まずはレベル1
から﹄
︻メノゥポーラ︼
﹃愛され続けて一千年、言わずと知れた世界で最もポピュラーな青
いボディのニクいやつ。
見るものに鮮烈な印象を与えることから、﹁青いひと﹂と呼ば
れる﹄
﹃成人になると一般家屋を丸ごと飲み込めるほど大きくなると言わ
れているが、それが自然体である。つまんで伸ばせるくらい柔軟な
身体をしているため、どこにでも行けるし、なんにでもなれる、夢
のような肉体を実現﹄
842
﹃何よりもイメージを大切にしている彼らは、人前でこそ飛んだり
跳ねたりはしないものの、代わりに触手を器用に操ることでストイ
ックな雰囲気を醸し出している﹄
﹃﹁魔法を使えない﹂という制約を己に課しており、よく人間の子
供たちに追いかけ回されては、戦うにも値しないと余裕の態度でい
なしている﹄
﹃まれに毒を持つ個体がいるとちまたで話題だが、これは標準装備
の奥義﹁レクイエム毒針﹂のことであり、何か都合が悪くなったり
不意に急用を思い出したときに炸裂する﹄
﹃六人もの同種のオリジナルが存在し、魔物たちの中で最大勢力を
誇ると同時に、ふだんはバウマフ家の面倒を見るのに全員持ってか
れている﹄
青﹃ここはおれに任せて先に行けーっ!﹄
02﹁うむ﹂
おれ﹁うむ﹂
05﹁うむ﹂
01﹁⋮⋮03﹂
03﹁はっ﹂
843
01﹁完璧な仕事だ。今後も期待している﹂
03﹁ありがたきお言葉!﹂
02﹁うむ⋮⋮。レベル1というと、次は彼らか﹂
03﹁はっ﹂
︻メノゥディン︼
﹃小柄な体格とひたいに生えている小ぶりなつのが特徴的な、魔物
界の巨匠﹄
﹃創造には破壊がつきものであると考えており、むしろ破壊が目的
であるかのような行動がしばしば目立ったため、いつしか﹁鬼のひ
と﹂と呼ばれるようになった﹄
﹃クリエイターとしての発想力や多角的な視点を分身で補うのは困
難であるため、とくべつに志を同じくする三人のオリジナルがいる﹄
﹃ひそかに人間の職人たちをライバル視していて、街道沿いで旅人
を襲撃しては戦利品を細かくチェックしている﹄
﹃大陸の覇権を争う三大国家の行くすえを案じるあまり、まるで自
分たちが三ヶ国の代表者であるかのような激しい口論を交わすこと
も﹄
﹃過去に妖精の里に無断で潜入し、発掘作業に勤しんでいた現場を
勇者一行に押さえられて以来、﹁悪行が祟って魔物と化した妖精の
844
一種﹂というレッテルを貼られた﹄
﹃人間たちが遺失した製鉄技術や合金の製法を現代に伝えているが、
どちらかというと限定された条件下で無茶な要求に挑むことを喜ぶ﹄
小人﹃こいつはタフなスケジュールになりそうだぜ⋮⋮﹄
02﹁レベル1はとくべつな役割を担っている。勇者が彼らを軽視
しているようなら⋮⋮01?﹂
01﹁ああ。人間たちには無理だ。そのためのわれわれとも言える﹂
05﹁ですが、レベル2たちが不穏な動きを見せていることもまた
確かです﹂
おれ﹁もともと共生派だからな。彼らには彼らなりのビジョンがあ
るのだろう﹂
03﹁レベル2は人間をモチーフにした魔物たちです。一挙に放映
します﹂
︻メノッドブル︼
﹃人間と魔物のちょうど中間をとったら歌って踊れる骸骨という結
論に至ったクールでニヒルな魔物界のプリンス﹄
﹃平均的な骨格の追求に没頭するあまり、見た目で交渉の余地が潰
845
えた﹄
﹃当初はバウマフ家に同調していたのだが、骨を探求する過程でカ
ルシウム原理主義に目覚め、バウマフ家の人間にカルシウムを強制
するようになる﹄
﹃墓地にいるとおちつく。世界中の墓所と名のつくところは自分の
庭みたいなものと豪語し、埋葬された宝石類に目がくらんだ不届き
な墓荒らしたちを日夜撃退している﹄
﹃やがて人間たちから﹁白骨化した戦士のなきがらが生者をねたん
で襲うようになった﹂という逸話が付加され、自分でもそうなのか
もしれないと納得しはじめた﹄
﹃﹁もともとは人間﹂という設定になったので、レベル2までなら
魔法を使いたい放題なのだが、属性の問題から発光魔法や発火魔法
の使用は避ける傾向がある﹄
骸骨﹃二つに一つ。全員で危険な橋を渡る必要はない⋮⋮行け!﹄
︻メノゥパル︼
﹃骨のひとの盟友。人間たちとの共生に悩む友に﹁お前に足りない
のはスマイルだ﹂と説き、表情をボディランゲージできるよう霧状
の身体を構築した結果、すごく心霊現象になった﹄
﹃ふだんは薄ぼんやりとした人型の輪郭をしていて、日の光の下だ
といるのかいないのかよくわからないことから、逆に﹁見えるひと﹂
846
と呼ばれる﹄
﹃鬱蒼とした森の中だと存在が映えるため、樹海で迷子になった人
間たちを道案内してあげてこつこつとポイントを稼いでいた。
しかし、いつしか骨のひとの目的が変異を遂げるにともない、恐
怖でおびえる人間たちにある種の快感を覚えるようになる﹄
﹃物理的な攻撃をいっさい無効化できるという特性を持っているが、
義務教育の普及とともに﹁武器﹂が廃れたため、人間たちには忘れ
去られた設定である﹄
﹃特性の有効利用を目論み、ゴースト拳法の創始者となるが⋮⋮?﹄
亡霊﹃あいつはきっと帰ってくるよ⋮⋮おれたちのところにさ﹄
︻メノゥリリィ︼
﹃怨霊種の末妹。わざわざ中間をとらなくても⋮⋮という冷静な見
地から、完全に人間の姿を写しとっている﹄
﹃﹁リリィ﹂というのは﹁︵人間が︶歩く﹂という意味であり、人
間たちからすると﹁故人がふつうに歩き回っている﹂ように見える
ことから﹁歩くひと﹂と呼ばれる﹄
﹃骨のひとの考えに賛同はしたものの、少数派の味方をしただけに
過ぎず、本音では人間を見下している。
しかし﹁人間の姿を借りる﹂という特性から、人間たちの営みに
深く関わって生きていくことになる⋮⋮﹄
847
﹃唯一無条件で尊敬していた人間が女性だったので、基本的には女
性の姿を好んで写しとる。
とくに日常生活を送る姿は、︵本人は認めないものの︶気に入っ
た人間の姿である﹄
﹃現在の姿は、貴族の子女であり森の中の離れで暮らしていた﹁ク
リスティナ・マッコール﹂という少女のもの﹄
﹃﹁クリス・マッコール﹂という名で勇者一行に潜伏し、一行を本
拠地に誘き寄せたのち正体を現すも、アレイシアン嬢の機転により
敗走を余儀なくされる﹄
﹃人間など及びもつかない身体能力の持ち主であり、人間たちから
は怨霊種の上位種と目されているようだ﹄
しかばね﹃お兄ちゃん!? お兄ちゃーん!﹄
02﹁⋮⋮これはさすがにやばくないか? 身の危険をひしひしと
感じるのだが﹂
おれ﹁自分は何も見ませんでした。何も聞いておりません﹂
03﹁つまり、われわれは共犯者ということですな。もはや逃げも
隠れもできますまい⋮⋮﹂
05﹁⋮⋮われわれの中に裏切り者がいるというのか?﹂
848
03﹁念には念を、だ。マリ・バウマフが非干渉を貫くいま⋮⋮わ
れわれに必要なのは血の結束なのだ﹂
01﹁構わん。続けろ﹂
03﹁はっ。さしあたって、われわれの脅威になりうる要因は次で
最後になります﹂
︻シエルゥ︼
﹃手乗りサイズの少女の姿をしており、背中の二対の羽で高速飛翔
することから﹁羽のひと﹂と呼ばれる﹄
﹃﹁シエル﹂というのは旧古代言語の﹁羽﹂を意味する語であり、
転じて﹁減速﹂という意味で用いられるようになった﹄
﹃れっきとした魔物だが、勇者一行をバウマフ家のボケから守るナ
ビゲーター役を担当することが多く、様々な童話にも登場している。
そうした経歴からか、それともあるいは可愛いさは正義なのか判
然としないが、とにかく魔物の一種ではなく﹁妖精﹂という種族な
のだと人間たちは考えている﹄
﹃魔法の開放レベルは﹁4﹂。人間たちの基準で言うところの﹁上
位都市級﹂に相当し、人間たちが勝手に定めた﹁妖精魔法﹂なる制
限を取り払えば、魔物たちの中でも屈指の実力者ということになる﹄
﹃もともとは大の人間嫌いで、﹁絶対に人間に負けたくない﹂﹁か
といって手を差し伸べるのも嫌﹂という考えから﹁人間が手も足も
出ないような姿﹂を理想とし﹁小型﹂﹁高速飛翔﹂﹁高火力﹂とい
849
う形態をとる。
しかし勇者一行に随行するうちに態度が軟化し、一行の補助に甘
んじるようになった。
かといってそれを認めるのも悔しいので、ふだんは人間たちの持
ち物を隠したり財布に手形を残したりと精神的な苦痛を与えるべく
奔走している﹄
﹃根っからの風来坊であるため、これという決まった寝床を持たな
いが、人間たちが定期的に開催する﹁妖精に会いに行こうツアー﹂
に便乗して﹁妖精の里﹂なる超空間を形成。
迷い込んだ人間を罠にはめて、徹底的に言葉責めをするというの
が定例行事と化しつつある﹄
<i51378|6308>
妖精﹃この豚どもが!﹄
02﹁⋮⋮ああ、そこは史実に忠実なのだな﹂
03﹁ええ。やはりレベル4ともなるとモノが違いますな﹂
おれ﹁勇者の、というよりはバウマフ家の相棒なのですが、彼らの
ことは記録には残りませんからね﹂
05﹁残ったとしても一文で済むからな﹂
01﹁⋮⋮03、ご苦労だった﹂
850
03﹁はっ。では、続きまして魔法の項目へ移りたいと存じます﹂
02﹁必要かね?﹂
03﹁はい。人間たちの魔法は、二番の影響もあり魔物たちのそれ
とは剥離しつつあります。用心はしておくに越したことはないかと﹂
01﹁⋮⋮いいだろう。マリ・バウマフの例もある﹂
02﹁うむ、そうだな。わかった。続けてくれ﹂
03﹁はっ﹂
851
﹁第三回全部おれ定例会議﹂part3
000、王都在住のとるにたらない謎の議員さん︵出張中
︻魔法︼
﹃魔物が誕生する以前から存在する、イメージを具現する不思議な
法則﹄
﹃魔物たちの調査によると成層圏内を突破しようとすると消滅する
らしい。
これは後述の﹁原則﹂の一つであり、つまりいかなる魔法も成層
圏外では作動しないという決まりがある。
逆に成層圏内でさえあれば、他の原則に抵触しない範囲で想像し
たものを実現できる﹄
﹃物理法則を完全に超越しているという見方もあるが、魔法の到達
点が物理法則であるという説もある﹄
﹃魔法には九つの位階があり、これを魔物のレベルと区別して﹁開
放レベル﹂と言い表すのだが、両者は本質的に同意義である。
最大開放の﹁レベル9﹂は﹁原則を除く制限がいっさいない状態﹂
なので、およそ上限というものがない。
﹁レベル9﹂の細分化が為されていないのは、﹁同じレベルの魔法
は性質の衝突がない限り相殺し合う﹂という原則から導き出された
結論である。
少なくとも現時点において﹁レベル9﹂を性質に拘らず打ち消す
﹁レベル10﹂の実在は確認されていない﹄
852
﹃﹁レベル10﹂が存在しないと断言できないのは、イメージに限
界があるからである。
この世に完全な円が存在しないように、究極的に比較対象のない
ものを︵たとえ実在したとしても︶認識することはできないという
のが魔物たちの結論である﹄
︻魔法の原則︼
﹃魔法には﹁原則﹂と呼ばれる侵されざる決まりごとがある。
たとえレベル9の魔法でも突破できない大前提のようなものだ。
現時点で判明している﹁原則﹂は以下の四点である﹄
﹃1、魔法は成層圏内でのみ働く﹄
﹃2、イメージと詠唱を要する﹄
﹃3、開放レベルが上位の魔法は下位のそれに勝る﹄
﹃4、魔法に深く関わるものほど魔法の干渉からは逃れられない﹄
﹃言ってみれば﹁幻のレベル10﹂なのだが、﹁原則﹂は魔法のよ
うに﹁下位の魔法﹂を打ち消すということがない。
それを証明したのが﹁詠唱破棄﹂の魔法である﹄
﹃詳細は後述とするが、﹁詠唱破棄﹂は﹁詠唱したという時間軸を
破棄する魔法﹂である。
853
この魔法は﹁時間に干渉する魔法﹂であるため、上位の魔法に当
たる﹁逆算魔法﹂の干渉を受けて実質的なレベルが落ちるという特
性を持つ﹄
﹃実質的なレベルが落ちるというのは﹁逆算魔法﹂の効果であるた
め、本来ならば﹁魔法の大前提﹂である﹁原則﹂には影響しない事
柄である。
しかし、じっさいには三つ目の原則を無視するかのような働きを
見せる﹄
﹃﹁詠唱破棄﹂自体が成立しているということから、﹁結果的に原
則に反する魔法﹂は違反とは見なされないようである。
それならばと﹁結果的に成層圏内に戻ってくる魔法﹂をためして
みるも、これは成立しなかった﹄
﹃つまり﹁原則﹂とは魔法の﹁機械的な限界のようなもの﹂であり、
﹁できないものはできない﹂のである。
法則というよりは﹁魔法の基本的な性質﹂に近いのだが、この事
実を魔物たちは好意的に受け入れている。
魔法には原始的な意思があり、原則とはご先祖さまのギブアップ
宣言であると⋮⋮そう考えている。
でも宇宙遊泳したかった﹄
﹃どうしても宇宙遊泳を諦めきれなかった魔物たちは、魔法の基本
構造に手をつけはじめる﹄
﹃その結果、魔法にはイメージの入力と出力を処理する回路のよう
なものがあることに気がついた。
解析を進めるうちに判明した事実⋮⋮四つ目の原則の元凶である﹄
854
︻魔法回路/回線︼
﹃魔法には、生物の強い意思に感応する基本的な性質がある﹄
﹃魔物たち以外で魔法を使えるのが人間たちだけなのは、たまたま
﹁イメージ﹂に﹁詠唱﹂という二つの条件を満たした生物が彼らだ
ったからである﹄
﹃魔法を扱う回路は三つあり、それらを魔物たちは﹁一番﹂﹁二番﹂
﹁三番﹂と呼ぶ。
正確には﹁キングダム﹂﹁レジスタンス﹂﹁ユニオン﹂と名づけ
たのだが、ことごとく人間たちにパクられたので、泣く泣く味気な
い名称で呼んでいる﹄
︻一番回路/回線︼
﹃一番回路は魔物︵魔法︶専用の回路である﹄
﹃バウマフ家の人間すら立ち入れない聖域であり、魔物たちにとっ
ての心の拠り所にして最後の砦だ﹄
﹃詳細は不明とする﹄
﹃そっとしておいて下さい﹄
︻二番回路/回線︼
855
﹃二番回路は無意識の領域を司る﹄
﹃人間たちの集合意識のようなものが幅をきかせている﹄
﹃とんでもない強制力を持っていて、珍妙な自然現象を巻き起こし
たりもする﹄
﹃天蓋に星々が貼りつき、海の果てに滝があるのは、ひとえにこい
つのせいである﹄
﹃人間たちの魔法がおかしな方向に突き進んでいる元凶でもある。
ハイパーとか﹄
﹃もちろん魔物たちも回線を利用できるのだが、自分たちの魔法の
ほうが上であると考えているため、どうしても必要なときにしか使
わない﹄
﹃じっさい魔物たちほどのスペックがあれば、正統なスペルが劣る
ということはない﹄
︻三番回路/回線︼
﹃三番回路は有意識の領域を司る﹄
﹃表層的な意思を器用に汲みとってくれるので、たいていの魔法は
お世話になっている﹄
﹃人間たちがレベル4以上の魔法を使えないのは、ここの入力と出
力が齟齬をきたしているからである﹄
856
﹃べつに魔法は人間のためにあるものではないから仕方ない﹄
﹃青いひとたちが仲介してあげるとうまくいく。あくまでも青いひ
とたちの善意による﹄
02﹁そう、善意なのだ﹂
おれ﹁大事ですよね、善意﹂
04﹁本当にね﹂
05﹁バウマフ家の人間は、そこのところを勘違いしてるとしか思
えない﹂
01﹁ポンポコ︵大︶はとくにひどい﹂
︻現代魔法︼
﹃現代の魔法は﹁連結魔法﹂という形式であり、魔法と魔法を連結
することでイメージを誘導する方式を採用している﹄
﹃個人の才能に左右されにくく、きちんと練習すればたいていの人
間は一定の水準に到達できるという特徴を持つ﹄
﹃子狸⋮⋮もといノロ・バウマフが魔物たちから親切丁寧に魔法を
教えてもらっておきながら平凡な評価におちつているのは、まるっ
きりセンスがないからである﹄
857
﹃むしろ最底辺の素質しか持ち合わせていない子狸が曲がりなりに
も平均点をとれていることからもわかるとおり、魔物たちは非常に
優秀な教師と言えるのではないかと⋮⋮うわっなにをする! やめ
ろ!﹄
﹃お、お前は!?﹄
﹃⋮⋮⋮⋮﹄
﹃ノロ・バウマフがレベル3の魔法を使えないのは、ひとえに優し
すぎる性格が災いしてのことであろう﹄
01﹁⋮⋮⋮⋮﹂
02﹁⋮⋮⋮⋮﹂
04﹁⋮⋮⋮⋮﹂
05﹁⋮⋮⋮⋮﹂
おれ﹁⋮⋮⋮⋮﹂
﹃今回の﹁魔王討伐の旅シリーズ﹂に登場したスペルは以下の通り。
二番回路の影響を受けて変質した魔法は別途に﹁2﹂と表記し、正
統なスペルを﹁1﹂とする。参考にされたし﹄
858
※﹁発光魔法﹂﹁遮光︵闇︶魔法﹂﹁凍結魔法﹂﹁発火魔法﹂に関
しては、対応する属性が付与されるが、表記は簡略化する。
アイリン
︻逆算能力.1︼
﹃同格の魔法は相殺し合うという原則を利用し、魔法の効果をなか
ったことにできる﹄
﹃おもな用途として、治癒魔法の代用が挙げられる。魔法で負った
傷を癒し、壊れたものを修復する﹄
﹃過去にさかのぼって効果を打ち消す必要があるため、本来であれ
ば人間には扱えない高度な魔法である﹄
﹃そこで魔物たちは﹁逆算魔法﹂と呼ばれる﹁逆算能力の基礎とな
る枠組み﹂を構築し、時間への干渉をそちらに委ねた﹄
﹃つまり﹁逆算能力﹂とは﹁逆算魔法﹂にアクセスする魔法である﹄
﹃じっさいに魔法を打ち消すときは映像を巻き戻しするような感じ
になる﹄
アイリン
︻治癒魔法.2︼
﹃逆算能力の別名﹄
﹃人間たちは﹁逆算能力﹂の仕組みを知らないため、表面上の効果
859
を判断基準とし﹁治癒魔法﹂と呼んでいる﹄
﹃事故による負傷や疾患には作用しないのだが、魔物たちの打撃に
関してはべつなので、﹁神のご加護﹂という認識が根強い﹄
﹃そうした認識が二番回路に働きかけ、淡い光が患部を覆うという
演出が入るようになった﹄
ノロ
︻詠唱破棄︼
﹃時空を捻じ曲げ、詠唱の始点と終点を強引に結びつける魔法。開
放レベル4﹄
﹃破棄された時間軸は、しかし逆算魔法の支配下にあるため、逆探
知されてレベルを剥ぎ取られる﹄
﹃﹁はじまりと終わりは同じものである﹂という概念が過去に打ち
込まれているため、二番回路の助けを借りてかろうじて成立してい
る﹄
チク
︻圧縮魔法︼
﹃周囲の空気を凝縮して圧縮弾を生成する﹄
﹃火を圧縮して火力を調整したり、飲み水を持ち運んだりするのに
便利﹄
﹃元あるものを利用するため回線への負荷が少なく、レベルが上が
860
りにくいという特徴を持つ﹄
タク
︻固定魔法.1︼
﹃運動エネルギーを固定する﹄
﹃何を対象とするかで効果が変わるが、おもに形状や状態を維持す
る用途で用いられる﹄
﹃反作用のロックにも使える﹄
タク
︻固定魔法.2︼
﹃形状や状態を固定する﹄
﹃運動エネルギーに作用しないくせに投射した魔法を空中で停止さ
せたりもできる﹄
ディグ
︻投射魔法.1︼
﹃魔法を射出する﹄
﹃物理的な力が働くわけではないので、物質には作用しない﹄
ディグ
︻投射魔法.2︼
861
﹃物質には作用しないって言ってるのに、土魔法も飛んでいく。な
んなの﹄
グノ
︻放射魔法︼
﹃魔法の効果を放射状に拡散する﹄
﹃一流の魔法使いは、この魔法と後述の変化魔法を組み合わせて家
中のほこりを一掃できる﹄
ディレイ
︻盾魔法︼
﹃外部からの干渉を弾く力場を生成する﹄
﹃投射魔法や放射魔法には﹁衝突という性質﹂が付与される﹄
﹃この﹁衝突性質﹂に対して、盾魔法は優位である﹄
﹃ただし内部からの干渉に弱く、﹁崩落魔法﹂や﹁融解魔法﹂など
の上位性質とは共存できないという欠点もある﹄
﹃思考速度、反射神経、動体視力、あらゆる点で有機生物の限界を
越えている魔物たちが本気で使った盾魔法を﹁守護魔法﹂と呼ぶ﹄
﹃人間が認識できないほどの薄さの力場を、対象の動きに合わせて
随時更新するという荒業だ﹄
862
ラルド
︻拡大魔法︼
﹃魔法を拡大、強化する﹄
﹃同格、同性質の魔法が衝突した場合は、拡大魔法でブーストされ
ているほうが打ち勝つ﹄
﹃正確には﹁拡大、強化という性質﹂を上乗せする魔法である﹄
エラルド
︻深化魔法.1︼
﹃イメージを拡張する﹄
﹃拡大魔法とは本質的に異なる﹄
﹃魔法のレベルを引き上げる、見た目を格好よくする、無意識の領
域︵二番回路︶から魔法を引っ張り出すなど用途の幅が広い﹄
エラルド
︻拡張魔法.2︼
﹃魔法を拡大、強化する﹄
﹃拡大魔法の上位版﹄
﹃性質の上下関係を覆すことさえ可能だが、連結魔法の超化はレベ
ルが上がりすぎるという危険性もある﹄
863
パル
︻発光魔法︼
﹃光を生成し操る﹄
﹃文字や図形を空間に投影することもできる﹄
﹃色彩は自由自在に変更可能﹄
アルダ
︻遮光魔法.1︼
﹃周辺の光を操作し、暗闇を生む﹄
﹃結果的には同じことなので、呼び方は﹁闇魔法﹂でも良い﹄
アルダ
︻闇魔法.2︼
﹃闇を生成し操る。正確には﹁黒い何か﹂﹄
﹃なにげに意味不明で、かなり謎が多い。可視光線をカットしてい
る⋮⋮というわけでもないらしい﹄
﹃怪しい改造を施しておきながら、人間たちは闇魔法をめったに使
わない。改造したという自覚もないし﹄
レゴ
︻凍結魔法︼
﹃冷気を生成し操る﹄
864
﹃食べ物の保存に便利﹄
﹃大気中の水分が凍結してきらきらと輝く﹄
ゴル
︻火魔法︼
﹃炎を生成し操る﹄
﹃料理には欠かせない﹄
﹃扱いには熟練を要する﹄
アバドン
︻崩落魔法︼
﹃重力場を生成し操る﹄
﹃性質的に上位であるため、連結には不向き﹄
﹃属性の縛りがない魔物たちは好んで使う傾向がある﹄
バリエ
︻融解魔法︼
﹃同じく上位性質﹄
﹃熱量を生成し操る﹄
865
﹃お湯を沸かすのに便利﹄
﹃魔物たちに対抗してか、騎士たちがよく使う﹄
﹃コントロールに難があるものの、見た目が良い﹄
﹃ふだん家庭でないがしろにされている騎士たちは、この魔法でお
風呂を沸かして子供たちのハートを掴む。そして﹁熱すぎる﹂と妻
に叱られる﹄
シエル
︻減速魔法.1︼
﹃運動力を下げて速度を落とす﹄
﹃時間に干渉すると逆算魔法のチェックが入るので、物質と物質の
関係性を変えて効果を得る﹄
﹃運動力を下げると、対象は相対的に硬度が増す﹄
﹃また運動力を一定以上まで下げると、逆に速度が増し、相対的に
硬度が減る。つまり脆くなる﹄
シエル
︻減速魔法.2︼
﹃理屈はわかっていないものの、人間たちが使っても同様の効果は
得られる。そういうものだと思っているからだろう﹄
﹃ただし、速度を上げることはできないようである。逆転作用をあ
866
まり見たことがないからだと思われる﹄
ドロー
︻加速魔法.1︼
﹃魔法の処理速度を一時的に向上させる﹄
﹃結果的に魔法の効果が促進しているように見える﹄
ドロー
︻加速魔法.2︼
﹃魔法の効果を促進する﹄
﹃そもそも人間たちは魔法回路の存在を知らない﹄
グレイル
︻侵食魔法.1︼
﹃対象に侵食し、操作する﹄
﹃分子結合を目視できるほどの目があれば、およそあらゆる物質を
破壊できる﹄
﹃そうでなくとも、包丁の代わりくらいにはなる﹄
﹃詠唱破棄と連結して使うと、思念の力で物体を動かしているよう
に見える﹄
867
グレイル
︻貫通魔法.2︼
﹃もちろん人間の視力は常識的な範囲なので、魔物たちがグレイル
してるのを見て﹁あれは貫通力を与える魔法なんだな﹂と判断した﹄
﹃その判断を二番回路が支持したため、刃物の代わりにもなる物騒
な魔法が誕生した﹄
﹃﹁槍魔法﹂とも呼ばれるこの魔法は、しかしまな板ごとすっぱり
いってしまうので、主婦には不人気である﹄
エリア
︻変化魔法︼
﹃魔法に伸縮性を与え、イメージに沿って動かせるようにする﹄
﹃追尾性を得られるという点で便利だが、性質的に侵食魔法に対し
ては弱い﹄
﹃高度なものになると容姿を変えたりもできるが、これは対象とな
る人物の退魔性が高いと難しい﹄
﹃魔物たちは魔法そのものなので、変化魔法で完全に変身できる﹄
ロッド
︻標的指定︼
﹃魔法の効果を標的のみに作用するよう調整する魔法﹄
﹃魔法の開放レベルが﹁3﹂以上になると範囲殲滅用のものが出て
868
くるので、味方を巻き込まないために使う﹄
﹃一流の料理人ともなると、この魔法で芯から熱を通す技量が求め
られる。道は険しい﹄
01﹁⋮⋮言うまでもなく、子狸さんは魔物たちの希望の星だ﹂
02﹁⋮⋮そうだな。それは動かしようのない事実だ﹂
04﹁⋮⋮磨けば光る原石とでも申しましょうか﹂
05﹁⋮⋮うむ、逸材だ﹂
おれ﹁ですよね。では、次はチェンジリングについてまとめたもの
です﹂
01﹁お願いします﹂
︻チェンジリング︼
﹃レベル4以上の魔物は詠唱破棄を人前でも遠慮なく使える﹄
﹃それに対抗するため、あるいはスペルが広く一般に知れ渡ったた
めか、いつしか人間たちは詠唱の改造に着手した﹄
﹃その成果のひとつが﹁チェンジリング﹂である﹄
﹃本来的に詠唱は﹁あればいい﹂ものなので、改造を受け入れるだ
869
けの下地があった﹄
﹃魔物たちが考案した﹁連結魔法﹂が﹁詠唱でイメージを誘導する
方式﹂であるのに対し、﹁チェンジリング﹂は﹁イメージで詠唱を
誘導する技術﹂である。
つまり﹁魔法の汎用性を犠牲に詠唱を自由に変更できる﹂という
もの。
先の発言を詠唱と見なすことで発動する﹄
﹃魔物たちが誕生する以前は、ひと握りの天才的な魔法使いが﹁短
い詠唱﹂で﹁高レベルの魔法﹂を使っていた。しかし当時とは﹁魔
法の方式﹂が異なるので、高レベルの魔法をチェンジリングするの
は不可能になっている。
人間たちのイメージを処理する側にある魔法が、より負荷の少な
い魔物たちの方式を支持したためだ﹄
﹃チェンジリングは人間にとっては脅威となる技術ではあったが、
魔物たちはさして問題視していなかった。
だが、チェンジリングが開発された背景には、下記の﹁チェンジ
リング☆ハイパー﹂の試作という面があったことも否めない﹄
︻チェンジリング☆ハイパー︼
﹃魔物たちが編み出した﹁連結魔法﹂は﹁魔法を連結する﹂もので
ある。
高レベルの魔法をチェンジリングできないのは、﹁連結魔法﹂と
いう土台があるからである。
では、﹁詠唱を連結する﹂ことで高レベルの魔法もチェンジリン
グできるのではないかという試みが各国では秘密裏に研究されてい
870
た。
その目的は﹁詠唱の高速化﹂である﹄
﹃結論から言うと、それは可能だった﹄
﹃イメージと詠唱の規格を統一し、複数の術者が一つ一つの詠唱を
担当することでチェンジリングの輪を作る。それが﹁チェンジリン
グ☆ハイパー﹂である﹄
﹃最終的にこの技術を完成させたのは、三大国家から派遣された騎
士たちである﹄
﹃勇者の供として魔王討伐の旅に加わった彼らは、だいぶ仲が悪か
ったようである。
一度は魔王に敗れたものの、各国で研究されていた﹁チェンジリ
ング☆ハイパー﹂の下敷きとなる技術を持ち寄り、最終決戦におい
てとうとう和睦。土壇場で﹁チェンジリング☆ハイパー﹂の完成に
成功した﹄
﹃かくして無事に魔王を討伐した彼らは、その功績を認められて﹁
三勇士﹂と呼ばれることになる⋮⋮﹄
02﹁⋮⋮思うに、三ヶ国間の関係が泥沼化したのは三勇士のせい
ではないのか?﹂
04﹁⋮⋮喧嘩する口実になったのは確かかと﹂
05﹁鬼のひとたちも、よく口論してますね。うちのだし、金払え
の一点張りですよ。あれは醜い⋮⋮﹂
871
おれ﹁では、続きましてノロ・バウマフの成長メモリアル鑑賞会を
⋮⋮﹂
01﹁閉会だ﹂
おれ﹁え?﹂
01﹁本日は閉会とする。⋮⋮急用を思い出した﹂
02﹁それは大変だな。うむ。急がねば﹂
おれ﹁そうですか。残念です。急用なら仕方ないですね。⋮⋮ああ、
そういえば歩くひとはどうしてるかな﹂
01﹁⋮⋮われわれを脅すつもりか? 愚かな⋮⋮自分の首をしめ
るだけだぞ﹂
02﹁まったくだな。君、脅迫ならもう少しうまくやりたまえよ﹂
おれ﹁さすがですね。では、こう言い換えましょう。⋮⋮おれがこ
の場にいる意味を、もう少し考えてみたほうがいい﹂
01﹁いま急用が片づいた。なんの問題もなかった﹂
02﹁成長メモリアルの鑑賞会だったかな? さっそく頼むよ﹂
04﹁楽しみですね﹂
05﹁ああ、むしろメインディッシュ以外のなにものでもない﹂
872
おれ﹁お前らにはお前らの苦悩もあるだろうからな。たまには羽を
伸ばすといい﹂
04﹁⋮⋮⋮⋮﹂
05﹁⋮⋮⋮⋮﹂
01﹁⋮⋮ふん。はじめるなら、さっさとはじめろ﹂
おれ﹁おう。じゃあ、おれと嫁の出会いから﹂
02﹁そこから!?﹂
03﹁やれやれ、長い夜になりそうだぜ⋮⋮﹂
873
﹁幼なじみっていいよな﹂
一、山腹巣穴在住のとるにたらない不定形生物さん︵出張中
幼なじみっていいよな
二、海底洞窟在住のとるにたらない不定形生物さん︵主張中
突然どうした
三、山腹巣穴在住のとるにたらない不定形生物さん︵出張中
いや⋮⋮
この山腹さんはね
今回の旅シリーズのエンディングについて
思いを馳せていたわけだよ
で、思ったのね
勇者さんが魔王を倒して、こう⋮⋮最後にだな
じつは幼い頃に子狸と会ってて、そのときの思い出で締めくくる
のさ
ストーリーはこうだ
公園で邪悪な儀式を執り行っていた子狸︵幼︶が
ひとりぼっちの勇者さん︵幼︶に声を掛ける
874
子狸︵幼︶﹁いっしょにあそぼうよ!﹂
勇者︵幼︶﹁でも⋮⋮﹂
子狸︵幼︶﹁いけにえは、たくさんいたほうがいいんだ!﹂
勇者︵幼︶﹁うん!﹂
ぱっと笑顔になった勇者さんが
差し出された子狸の手をとる
そこでスタッフロール
ね? きれいでしょ
四、王都在住のとるにたらない不定形生物さん︵出張中
⋮⋮?
べつに会ってませんけど
このおれが言うんだから間違いない
そんなドラマはねーぞ
第一、その場面で勇者さんが元気に頷くとかありえんだろ
キャラ崩壊してるじゃねーか
五、管理人だよ
875
いや⋮⋮
有りだな!
六、王都在住のとるにたらない不定形生物さん︵出張中
有りじゃない
そんな事実はないの
現実を直視しなさい
お前と勇者さんの間に
そんな美しい思い出は一片たりとて存在しません
一分の隙もなく赤の他人です
七、山腹巣穴在住のとるにたらない不定形生物さん︵出張中
そこで!
そこでですよ
この山腹さんはね
世界各地で活躍するおれと
総力を結集して二人の接点を探ってみました!
八、住所不定のどこにでもいるようなてふてふさん
どれだけ、暇人なんだよ⋮⋮
876
九、山腹巣穴在住のとるにたらない不定形生物さん︵出張中
その結果がこちらです!
ざざ∼ん
∼山腹劇場∼
監督:おれ
脚本:おれ
編集:おれ
スペシャルサンクス:おれ
一0、海底洞窟在住のとるにたらない不定形生物さん
とつじょとして訪れた、世界滅亡の危機⋮⋮!
おれ﹁やれやれ、今度はどんな無理難題だい?﹂
世界の命運は、たった一人のおれに託された⋮⋮!
おれ﹁ひゅー! おちおちピザも食ってられねえぜ﹂
残された時間は⋮⋮!
あと一秒⋮⋮!
おれ﹁まあ、難易度Cってトコかな﹂
877
おれの孤独な戦いがはじまる⋮⋮!
おれ﹁報酬は⋮⋮君の笑顔﹂
一一、古代遺跡在住のごく平凡な巨人兵さん
軽く観たいじゃねーか⋮⋮
一二、火山在住のごく平凡な火トカゲさん
海底のひとは⋮⋮
無駄に才能を持て余してるな⋮⋮
一三、山腹巣穴在住のとるにたらない不定形生物さん︵出張中
こら!
いまのはコマーシャルだよ!
本編はこれから!
一四、住所不定のどこにでもいるようなてふてふさん
いや、もう無理だよ
海底劇場のクォリティが高すぎた⋮⋮
878
一五、海底都市在住のごく平凡な人魚さん
なんかごめんな
おれのご近所さんが⋮⋮
一六、山腹巣穴在住のとるにたらない不定形生物さん︵出張中
ぐぬぬっ⋮⋮!
ま、まあいいさ⋮⋮
そんなことを言ってられるのも
今の内なんだからねっ
*
︻山腹さんが編集作業に入りました︼
一七、王都在住のとるにたらない不定形生物さん︵出張中
ねつ造の予感がする⋮⋮ 一八、管理人だよ
879
わくわく
一九、山腹巣穴在住のとるにたらない不定形生物さん︵出張中
∼fin∼
二0、海底洞窟在住のとるにたらない不定形生物さん
諦めた!?
二一、海底都市在住のごく平凡な人魚さん
かわいそうに
勝機が見えなかったんだよ⋮⋮
二二、山腹巣穴在住のとるにたらない不定形生物さん︵出張中
なんかね
勇者さん⋮⋮まあ当時は勇者じゃなかったけど
学校の下見に来たことがあるみたい
880
二三、王都在住のとるにたらない不定形生物さん︵出張中
ああ、そういえば貴族が視察に来るっていう話はあったな
⋮⋮当日は子狸さん急用でいなかったけど
二四、住所不定のどこにでもいるようなてふてふさん
いなかったのかよ
二五、山腹巣穴在住のとるにたらない不定形生物さん︵出張中
いや、後日談があるんだ
勇者さんが王都を発つ日に
なんと、彼女は!
子狸が身を潜めている裏路地の手前を通り過ぎてるんだよぉ∼!
これは、もう運命としか⋮⋮!
<i60492|6308>
図解
裏路地
881
闇
子狸さん
闇
騎士
勇者さん︵通過︶
騎士
騎士
二六、住所不定のどこにでもいるようなてふてふさん
風前の灯じゃねーか⋮⋮
882
﹁決戦、海の見える街﹂part1
七、王都在住のとるにたらない不定形生物さん︵出張中
勇者﹁立ちなさい﹂
勇者さんの手から伸びる光の剣尖が
片ひざを屈した子狸に突きつけられる
怜悧な声には一片の情も通っていない
冷たい雨に打ちのめされるかのようだった
うつむいている子狸の表情には疲弊の色が濃い
ふ、と微笑みが漏れた
肺腑から絞り出された声には
彼女とは対照的に万感の思いが込められていた⋮⋮
子狸﹁強く⋮⋮なったね⋮⋮。本当に⋮⋮強くなった⋮⋮﹂
その声に
その声に秘められた想いに
勇者さんの肩にとまっている羽のひとが懇願する
妖精﹁リシアさん! これ以上はもう⋮⋮!﹂
勇者﹁あなたは黙ってて。これは、わたしとこの子の問題だわ。口
883
出しされるいわれはない⋮⋮﹂
八、空中庭園在住のとるにたらない不定形生物さん
どうしてこうなった⋮⋮
九、火口付近在住のとるにたらない不定形生物さん
!
庭園の!
一0、かまくら在住のとるにたらない不定形生物さん
もしや完成したのか!?
一一、空中庭園在住のとるにたらない不定形生物さん
いや。しかし大詰めだ
集中してる鬼のひとたちの邪魔になりたくないし
あんまり家を空けてるとご近所さんが心配なんでな⋮⋮
いったん帰宅した
そんなことよりも、これはなんだ?
884
旅シリーズが未整理の状態で
なにがなんだかわからん
一二、山腹巣穴在住のとるにたらない不定形生物さん
ああ、すまん
ここ数日ほど忙しくてな⋮⋮
後回しにしちまった
一三、海底洞窟在住のとるにたらない不定形生物さん
こうして六人が集まるのは
久しぶりだな
王都の?
一三、王都在住のとるにたらない不定形生物さん︵出張中
おう
いい機会かもしれん
ダイジェスト版いくか
一四、火口付近在住のとるにたらない不定形生物さん
ひゅー!
885
一五、かまくら在住のとるにたらない不定形生物さん
ひゅーひゅー!
一六、空中庭園在住のとるにたらない不定形生物さん
すまんな、助かる
一七、王都在住のとるにたらない不定形生物さん︵出張中
いや、いいんだ
全貌を把握してるのはおれと海底のくらいだろう
言葉は悪いが、騎士団と比べたら勇者一行は問題にならないほど
弱小だからな
まず、現在地だが
港町の一歩手前まで来てる
庭園のが別の河に流されていったのは
二番目の街だったな
あの街を出たあと
レベル2のひとたちが一行の足止めに失敗したので
おれたちは人海戦術に打って出た
街を出たあとの子狸︵半裸︶の大活躍たるや凄まじく
886
人生でもっとも輝いていた瞬間と言えるだろう
雲霞のごとく押し寄せる山腹のを
子狸﹁チク・タク・ディグ!﹂
子狸﹁アルダ・エリア・ラルド・グノー!﹂
面目躍如とばかりに突撃して一掃する子狸さん
詠唱の合間に触手で反撃する山腹のだが
山腹﹁しねぇぇぇいっ!﹂
当たらない。まったく当たらない
子狸﹁感じる⋮⋮! なんだ、この感じ⋮⋮。いける!?﹂
絶好調である
子狸﹃お前ら、見ててくれた!?﹄
おれ﹃すまん。見逃したわ﹄
一八、住所不定のどこにでもいるようなてふてふさん
一方、勇者さんは新メンバーの豆芝さんの教育に余念がない
自分たちの命綱がお馬さんの脚力にかかっていると考えているの
だろう
887
勇者﹁合図を決めておくから、呼んだら来ること。いい? 見てな
さい﹂
距離を置いた勇者さんが指笛を鳴らすと
黒雲号がとことこと近づいてくる
待機していた豆芝さんが、とてとてと黒雲号のあとを追う
勇者﹁よくできました﹂
おれ﹁賢いですね∼﹂
勇者﹁そうね。先輩がお手本になるから、思ったよりも早く仕上が
るかもしれないわ﹂
少し遅れて、のこのこと子狸が駆け寄ってくる
子狸﹁お嬢! おれの活躍ぶり見ててくれた?﹂
勇者﹁よくできました﹂
子狸﹁おう!﹂
おれ﹁お馬さんと同次元とか⋮⋮﹂
褒められて嬉しそうに笑う子狸さんが見ていてつらい⋮⋮
二0、火口付近在住のとるにたらない不定形生物さん
888
おれが合流したのも、このへんだな
庭園のが採取してくれた勇者さんのサンプルだが
緑のひとと一緒に解析した結果⋮⋮
勇者さんは、というよりおそらくアリア家は
意識的に退魔力の強弱を操れることが判明した
術理としては
三番回路の再計算が終わった直後に
感情を凍結することで
魔法の構成を根っこから破壊できるもよう
しかし欠点もある
タイミングを誤ると魔法の干渉を防ぎきれないため
身体の末端でしか構成破壊はできない
剣を通して退魔力を発揮する場合は
斬ったものにしか効果は適用されないようだ
二一、空中庭園在住のとるにたらない不定形生物さん
剣を通して?
ああ、そうか
自分自身を退魔現象の一部として扱ってるのか
珍しいタイプだな⋮⋮
たいていの剣士は、全身を覆うイメージで退魔力を使うんだが⋮⋮
889
なんというか、ひどく攻撃的な退魔性だな⋮⋮
使い勝手が悪いだろうに
体力がないなら、なおさらだよな
二二、住所不定のどこにでもいるようなてふてふさん
そのへんは勇者さんも気にしてたぞ
道中、子狸に相談してた
勇者﹁わたし、体力がないみたい。まさか平民に劣るなんて思わな
かったわ﹂
子狸﹁平民とか関係なくない?﹂
勇者﹁生意気だわ。⋮⋮どうしたら、そんなに走り回れるようにな
るの?﹂
子狸﹁簡単だよ。たくさん食べて、ぶっ倒れるまで走って、よく寝
て、たくさん食べて、ぶっ倒れるまで走って、よく寝て、たくさん
食べて﹂
勇者﹁⋮⋮無理ね。体力以外で補うしかなさそう﹂
子狸﹁ぶっ倒れるまで走る、寝る、食べる、走る、寝る⋮⋮﹂
890
おれ﹁おーい。結論もう出てるからいいぞー﹂
子狸﹁一朝一夕でどうにかなるなんて思うな!﹂
おれ﹁キレた!?﹂
二三、かまくら在住のとるにたらない不定形生物さん
とにかく、調子づく子狸が目障りだったのは言うまでもない
おれと火口ので共同戦線を張って
なんとか子狸を排除しようとするも
火口﹁おら! つかまえたぞ!﹂
おれ﹁落とせ! 落としちまえ!﹂
崖から放り投げようとするおれたちに
子狸はあくまでも屈しようとしない
子狸﹁アバドン・グノ・ラルド!﹂
火口﹁ちょっ⋮⋮無属性自重っ﹂
おれ﹁てめー本当に人間か!?﹂
子狸さんが止まらない
子狸﹃おれ、いま輝いてる! お前ら、今度はちゃんと⋮⋮!﹄
891
王都﹃すまん。見逃したわ﹄
かように絶好調がとどまるところを知らない子狸さん︵半裸︶で
あったが
勇者﹁⋮⋮服を脱いだら好調になるような子とは一緒に旅はできな
いわ﹂
子狸﹁そんなことはもちろんありえない﹂
勇者さんのさりげないひとことで
スーパー子狸タイム
終 了
二四、海底洞窟在住のとるにたらない不定形生物さん
じっさい子狸に自覚はなかったみたいだな
次の街で、勇者さんに服を買ってもらって嬉しそうにしてた
子狸﹁一生の宝物にするよ!﹂
勇者﹁着れなくなったら捨てなさい﹂
あと、勇者さんのブルジョワぶりが相変わらずひどい
892
街につくたびに新しい服を買ってる
今回の旅シリーズは、もはや勇者さんファッションショーの様相
を呈しつつある
そのたびに子狸のテンションが上がって、うざったいことこの上
ない
二五、山腹巣穴在住のとるにたらない不定形生物さん
かくして子狸の超人的な勘働きは見納めとなったが
今度は羽のひとが無双をしはじめた
妖精﹁マジカル☆ミサイル!﹂
子狸﹁痛い痛い痛い! だからおれメイン! おれメインだから!﹂
妖精﹁うざったいんだよ! もろとも散れ!﹂
子狸﹁青いひとたち逃げてええええ!﹂
おれ﹁邪妖精がぁぁぁあああ!﹂
おれと子狸の夢のタッグが成立したり⋮⋮
少年﹁おれ、将来は立派な騎士になりたいんだ!﹂
子狸﹁ならば、まずはこのおれを倒してみることだな⋮⋮﹂
893
妖精﹁⋮⋮⋮⋮﹂
騎士を夢見る男の子に子狸が魔法の教師役を買って出たり⋮⋮
子狸﹁ちっがーう! 崩落魔法は背骨をへし折るイメージだ!﹂
少年﹁背骨を!?﹂
子狸﹁さもなくば、こう⋮⋮この、これ! がんばれ!﹂
少年﹁あんた語彙が少ないな!? 年上なのに!﹂
子狸﹁誉めてもなにも出ないぞ﹂
少年﹁誉めてねーよ!?﹂
無駄に感動の別れを演出したり⋮⋮
少年﹁にーちゃん! おれ⋮⋮おれ忘れないよ! 騎士になれたら、
そのときは⋮⋮また会えるかな?﹂
子狸﹁おう。そのときは、競争だな。楽しみにしてる⋮⋮お前のク
ロワッサン﹂
少年﹁あんたおれになにを教えた!?﹂
勇者﹁⋮⋮⋮⋮﹂
勇者一行の旅は続く⋮⋮
894
二六、王都在住のとるにたらない不定形生物さん︵出張中
そして、とうとう港町を目前に控えた
本日正午のことである⋮⋮
この頃には、日が落ちる前に次の街に入るらしいと
法則性を見出した子狸さん
あらかじめ前の街で食材を買っておくという知恵を身につけてい
た 放っておくと好物ばかり食べようとする勇者さんの体調を気遣っ
てか
近頃の子狸ランチは野菜中心のメニューである
勇者さんの方針で、食後は食休みの時間をとる
そのときである
少年の教師役で、すっかり自信をつけた子狸が
妙なことを口走りはじめた
子狸﹁そういえば、お嬢は学校とかどうしてるの?﹂
勇者﹁貴族は家庭教師を雇ってるの。平民とは違うわ﹂
子狸﹁じゃあ、おれが勉強を教えてあげるよ﹂
妖精﹁無理だろ﹂
895
勇者﹁⋮⋮そうね。それは良いアイディアかもしれない﹂
だが、勇者さんは乗り気である
もちろん子狸から学べるものなどなにもない
勇者﹁あなたは、ろくに計算もできないみたいだから。わたしが徹
底的に教えてあげるわ﹂
子狸﹁勉強なんて将来の役には立たないよ﹂
即座に方向転換する子狸だが
勇者さんの決意は固かった⋮⋮
羽のひとが発光魔法で作り上げた問題集に
聖☆剣を教鞭に見立てた勇者さんがレクチャーを加える
生徒に子狸を迎えた青空学校の開催である
勇者﹁違う。なんでそうなるの。さっき教えたでしょ﹂
子狸﹁りんごを四つも食べられないから⋮⋮ここは二つにしておこ
うと⋮⋮﹂
妖精﹁その自分ルールやめろ﹂
やがて力尽きる子狸さん
子狸﹁もう⋮⋮戦えないよ⋮⋮﹂
勇者﹁立ちなさい﹂
896
子狸﹁強く⋮⋮なったね⋮⋮。本当に⋮⋮強くなった⋮⋮﹂
妖精﹁リシアさん! これ以上はもう⋮⋮!﹂
というわけだ
二七、空中庭園在住のとるにたらない不定形生物さん
果てしなく下らねえ⋮⋮
897
﹁決戦、海の見える街﹂part2
二八、火口付近在住のとるにたらない不定形生物さん
下らないとか言うな
子狸さんは真剣なんだぞ
二九、空中庭園在住のとるにたらない不定形生物さん
その事実が何よりおれの涙腺を刺激する
教官が甘やかすから、こんなことになったんだ
叱るべきところは、きちんと叱らないといかん
前々からおかしいと思ってたんだ
なんで子狸のテストだけ横スクロールアクションなんだよ
三0、海底洞窟在住のとるにたらない不定形生物さん
お前、言葉を選べ
減点方式のテストなんてやらせたら
子狸さん一生卒業できねーだろうが!?
898
三一、管理人だよ
できますし
ふつうのテストだと、おれの本当の実力はわからないって先生が
言ってた
三二、王都在住のとるにたらない不定形生物さん︵出張中
零点より下はないからな
足し算の問題を暗号解読して得意げな子狸に
勇者さんは言葉を失う
眼前でくるくると誇らしげに回る珍回答集を
まじまじと見つめて
やがて彼女は、ぽつりとこう零した
勇者﹁⋮⋮この世には勉強よりも大切なことがあると思うの﹂
子狸﹁うん? うん﹂
勇者﹁先を急ぎましょう。わたしたちには、やるべきことがあるわ﹂
子狸﹁⋮⋮そう。そうだね。行こう! もうあと戻りはできない⋮
⋮サイは投げられたんだ!﹂
妖精﹁投げられたのはさじだけどな﹂
899
子狸﹁小さじ?﹂
妖精﹁大さじ﹂
子狸﹁タンジェント﹂
妖精﹁ひゅー♪﹂
子狸﹁ひゅー♪﹂
勇者﹁⋮⋮あなたたち、息がぴったりね﹂
唐突に踊りはじめる二人に
勇者さんは呆れたとばかりに言い残し
草の上で寝そべっている黒雲号のもとに向かう
だいぶコントロールに慣れてきたらしく
片手を軽く揺すって聖☆剣を宙に散らす
あとをついて回る珍回答集を指先でつつくと
子狸の血と汗と涙の結晶は
まるで焼け落ちるように、あとかたなく崩れさった
子狸﹁ちょっ、お嬢!?﹂
勇者﹁手間を省いてあげたのよ。感謝なさい﹂
抗議の声を上げる子狸に
勇者さんは素知らぬ顔だ
900
子狸と羽のひとが顔を見合わせる
子狸﹁⋮⋮もしかして思ったよりも点数が悪かったのかな? 最後
の問題でちょっと悩んだんだよね。二択だったから﹂
妖精﹁いいからさっさと行け﹂
三三、空中庭園在住のとるにたらない不定形生物さん
ふむ⋮⋮
じゃあ、おれ戻るわ
三四、山腹巣穴在住のとるにたらない不定形背物さん
おう。鬼のひとたちによろしく伝えてくれ
三五、空中庭園在住のとるにたらない不定形生物さん
みょっつ六世
三六、海底洞窟在住のとるにたらない不定形生物さん
五世どこ行った。布教しようとすんな
901
三七、かまくら在住のとるにたらない不定形生物さん
? 海底の?
三八、火口付近在住のとるにたらない不定形生物さん
どうした、海底の? なにか悩みでもあるのか?
三九、海底洞窟在住のとるにたらない不定形生物さん
お前ら絶対にわかって言ってるよね?
なんなの? 泣くよ?
四0、王都在住のとるにたらない不定形生物さん︵出張中
勇者さんの独断により食休みは終了
一行が、なだらかな丘陵を登りきると
眼下に広がる立派な街並みが一望できた
その更に向こうでは
日の光に照らされた海面がきらきらと輝いている
妖精﹁わあっ⋮⋮!﹂
一行の良識をつかさどる羽のひとが感嘆の声を上げた
902
風に混ざる塩分濃度が微量ながら多い
四一、山腹巣穴在住のとるにたらない不定形生物さん
そこは塩の香りがしたでいいんじゃないか
くっ⋮⋮!
罠だとわかっていたのに
思わずツッコんでしまった⋮⋮
四二、海底洞窟在住のとるにたらない不定形生物さん
だからお前は甘いというのだ
四三、王都在住のとるにたらない不定形生物さん︵出張中
だな。用心しろ
お前らが子狸バスター︵仮︶とか呼んでる、例のあれ
そろそろ完成するんだろ?
庭園のがああ言っていたからには
試作の段階はとうに過ぎてると見ていい
いちいちツッコんでたら
いくら子狸さんでも不審に思うぞ
903
四四、管理人だよ
ここでお前らに質問です
おれバスターとはなんですか
四五、火口在住のとるにたらない不定形生物さん
ふと思ったんだが
子狸には教えておいたほうがいいんじゃないか?
土壇場で暴走されても困る
四六、山腹巣穴在住のとるにたらない不定形生物さん
一理ある
四七、かまくら在住のとるにたらない不定形生物さん
そうか?
王都のが、勇者さんから子狸を引き離したい気持ちはわかるんだ
けど
子狸にとっても他人事じゃないんだし
危機感を持ってもらわないと
904
正直、おれたちとの特訓には限界がある
どうしても甘えが生じるからな
四八、火口付近在住のとるにたらない不定形生物さん
それだったら、むしろ勇者さんの敵に回ったほうがいいんじゃな
いか?
四九、かまくら在住のとるにたらない不定形生物さん
いや、だから
勇者さんじゃ子狸には勝てねーよ
まず射程が違いすぎるし
聖☆剣に至っては、あれ実質レベル1だからね?
四九、火口付近在住のとるにたらない不定形生物さん
射程とか⋮⋮
本気で言ってんのか?
エサの上にざるをかぶせて、つっかえ棒でいちころじゃねーか
五0、かまくら在住のとるにたらない不定形生物さん
子狸さんのことばかにしてんのか!?
905
警戒して罠のまわりをうろうろする程度の知恵はあるわ!
五一、火口付近在住のとるにたらない不定形生物さん
するわけねーだろ!
大好物の魔改造の実だぞ!?
断言してもいいぜ。わき目も振らないね!
五二、かまくら在住のとるにたらない不定形生物さん
あ、てめっ
あとだしは反則じゃねーか!?
魔改造の実はハードル高すぎだろ!
そこは、せめて野菜の切れ端くらいにしとけよ!
五三、火口付近在住のとるにたらない不定形生物さん
なんでわざわざハードル下げなきゃならねーんだよ!? 勇者さんがそんな甘いわけねーだろ!
アリア家なめんな!
五四、かまくら在住のとるにたらない不定形生物さん
906
くそっ、反論できねえ⋮⋮
だがな! これだけは言わせてもらうぞ!
お前、忙しい忙しいと言っておきながら
この前、温泉につかってのほほんとしてただろ!
五五、火口付近在住のとるにたらない不定形生物さん
ちがっ、成分調査してたんだよ!
うん、そういえば人手が足りないなぁと思ってた
五六、かまくら在住のとるにたらない不定形生物さん
仕方ねーなぁ⋮⋮
今度、手伝いに行ってやるよ
五七、王都在住のとるにたらない不定形生物さん︵出張中
話がまとまったようなので
先に進みますね
あ、温泉に関してはあとでくわしくお話をうかがいます
907
第一チェックポイントの港町に到着した勇者一行
かねてより問題視されていた検問だが
勇者さんの提案により
子狸の両手を拘束し縄を引っ張ることで解決を見た
騎士﹁これは聖騎士の⋮⋮﹂
勇者﹁あなたは何も見なかった。それでいいわ﹂
騎士﹁はっ、自分は何も見ませんでした﹂
妖精﹁ノロくん、すっかり立派になって⋮⋮﹂
子狸﹁へへっ﹂
羽のひとの称賛にまんざらでもなさそうな顔をする子狸だが
絵づらとしては、落ちるところまで落ちている
手早く宿屋を決めた一行は
その足で船の停泊所に向かう
勇者﹁船便の予約をしに行くから、一緒に来なさい﹂
子狸﹁うん? うん﹂
勇者﹁わかってないようだから言うけど、港町には船があるの。船。
わかる?﹂
子狸﹁幽霊船なら知ってる﹂
908
勇者﹁幽霊船はないわ﹂
子狸﹁それは弱ったな⋮⋮﹂
勇者﹁ためしに幽霊をとってみて﹂
子狸﹁船﹂
勇者﹁そう。船ならあるわ﹂
子狸﹁⋮⋮そういうことか﹂
勇者﹁いまひとつ不安だけど⋮⋮まあいいわ。行きましょ﹂
子狸﹁どこへ?﹂
妖精﹁きれいにループしたなぁ⋮⋮﹂
正規の手続きを踏んでお船に乗ったことがない子狸さんであった
909
﹁決戦、海の見える街﹂part3
五八、住所不定のどこにでもいるようなてふてふさん
さて、ようやくここまで来たか
船便を予約しに行くということは
すでに次の目的地は決めてるみたいだな
なんとなく予想はつくが⋮⋮
念のために訊いておくか?
五九、山腹巣穴在住のとるにたらない不定形生物さん
いや
船旅なら猶予はある
羽のひとは勇者さんの信頼も厚いし
ここで無駄なリスクを冒す意義は薄いだろ
六0、海底洞窟在住のとるにたらない不定形生物さん
だが、互いに背を預ける旅の仲間だ
次の行き先が気になるのは当然じゃないか?
むしろ訊かないほうが不自然に思える
910
六一、管理人だよ
おれに考えがある。任せてくれ
おれ﹁おれ、連合国に行きたいな﹂
勇者﹁なぜ?﹂
おれ﹁実家がそっちなんだ﹂
勇者﹁⋮⋮あなた、連合国の人間なの?﹂
六二、かまくら在住のとるにたらない不定形生物さん
なにしてくれちゃってんの? この子狸
六三、火口付近在住のとるにたらない不定形生物さん
実家でもねーし
六四、管理人だよ
おっと、このおれとしたことが⋮⋮
おれ﹁実家でもなかった﹂
911
勇者﹁⋮⋮連合国に行きたいというのは?﹂
おれ﹁父さんがね﹂
勇者﹁うん﹂
おれ﹁うち、パン屋なんだけど﹂
勇者﹁うん﹂
おれ﹁あんまりおいしくないんだ。見た目にこだわるから﹂
六五、火口付近在住のとるにたらない不定形生物さん
こだわるほどの見た目でもねーし
あの人間の闇を凝縮したような暗黒物質のモデルが
おれたちだと知ったときは軽く死にたくなった
六六、山腹巣穴在住のとるにたらない不定形生物さん
おれたち、あんな前衛的な形状してねーし
大きいひととか、まじで嘆いてたからね
なんだよ、五身合体パンって
912
六七、かまくら在住のとるにたらない不定形生物さん
お屋形さまはマーケティングリサーチが甘いんだよ
まあ、大繁盛しても困るっつーのはあると思うけど⋮⋮
六八、海底洞窟在住のとるにたらない不定形生物さん
バウマフ家は恵まれてるよ
さいあく国の援助を受けれるし
六九、山腹巣穴在住のとるにたらない不定形生物さん
それは口約束だよ
しょせん各国のトップ連中にとってバウマフ家は邪魔者だろ
バウマフ家が自然に滅んでくれるなら
それがベターな結果だと思ってるんじゃないか?
七0、王都在住のとるにたらない不定形生物さん︵出張中
さて⋮⋮
敵か味方か⋮⋮
二元的な物の見方をするのは、おれたちの悪い癖だからな
チェンジリング☆ハイパーが完成したときは
913
うまく利用したものだと感心したものだが⋮⋮
あるいは、あれも発展の途上なのかもしれん
どこまで迫れるか⋮⋮
楽しみだ
七一、住所不定のどこにでもいるようなてふてふさん
お前らが悪だくみをしている一方その頃
勇者一行は停泊所に到着
入り江に三隻ほど停泊している船は
どれも魔法動力船とかいう原始的なものだ
帆船が廃れてだいぶ経つ
魔法が普及するにつれて
人間たちはすごい勢いでばかになっている気がする
船員A﹁チク・タク・ディグ!﹂
船員B﹁チク・タク・ディグ!﹂
船員C﹁チク・タク・ディグ!﹂
子狸﹁チク・タク・ディグ!﹂
船底の空洞部に仕込まれた幾つもの丈夫な木の板を
914
しこたま魔法で殴って出航するわけだが
力押しにも程があるだろ⋮⋮
七二、海底洞窟在住のとるにたらない不定形生物さん
なんか、おかしなのが混ざってなかったか
七三、山腹巣穴在住のとるにたらない不定形生物さん
おれには何も見えなかった
七四、王都在住のとるにたらない不定形生物さん︵出張中
現実はいつも過酷だ
船員A﹁いいぞ、新入り! その調子だ!﹂
子狸﹁あいあいさー!﹂
船員D﹁針路よし! ゴー!﹂
船員B﹁うおおおお! アバドン!﹂
船員Dの指示で地を蹴った船員Bが船底に飛び込み
直進用のひときわ大きな舵板を殴りつける
子狸﹁動いた!﹂
915
船員D﹁まだだ! ゴー!﹂
船員C﹁くたばれぇぇぇえええ! アバドン! アバドン! アバ
ドン!﹂
なにか恨みでもあるのか
左右のラッシュから回し蹴りを叩きこむ船員C
船員B﹁いかん! 船底にひびが! 浸水してるぞ!﹂
船員D﹁ふさげ! そして、とどめだ! ゴー!﹂
船員B﹁アイリン! よし、来い!﹂
船員A﹁沈めやぁぁああああ! アバドン!﹂
大きく跳躍した船員Aが渾身のニーを叩きこんでフィニッシュ
ライフポイントを削りきられた魔法動力船が出航する
船員D﹁よし! 汽笛を鳴らせ!﹂
出航を告げる汽笛に
桟橋の上で待機していた乗客たちが次々と甲板に飛び移る
船首で無意味にポーズを決めていた船長が
頃合いよしと見て両腕を大きく広げる
船長﹁野郎ども出航だ! パル・エリア・エラルドぉ!﹂
916
具現化した巨大な光の腕が海水を割る
豪快な平泳ぎだ
もうちょっと何とかならんのか、この魔法動力船⋮⋮
勇者﹁⋮⋮⋮⋮﹂
入り江で出航を見守る勇者さんに
甲板の子狸が千切れんばかりに手を振る
子狸﹁手紙、書くから! また会えたら、そのときは伝えたいこと
があるんだっ⋮⋮!﹂
勇者さんの姿がどんどん遠ざかる
行ってきます
七五、住所不定のどこにでもいるようなてふてふさん
どこへ行く
隙あらば子狸を引き離そうとするな、この青いのは⋮⋮
勇者﹁リン﹂
おれ﹁はい﹂
言われるまでもなく
917
おれは船まで飛んで行って念動力で子狸を捕獲
船員A﹁なにっ!? 新入り、つかまれ!﹂
子狸﹁っ⋮⋮兄貴!﹂
絞め落としてやろうかとも思ったが
目線で確認すると勇者さんが静かに首を振ったので
仕方なく首根っこをつかまえて入り江まで持っていく
船員A﹁新入り∼っ!﹂
子狸﹁兄貴ぃ∼っ!﹂
砂浜で四つん這いになって悲嘆に暮れる子狸の手元に
勇者さんの影が落ちた
勇者﹁伝えたいことがあるなら、いま聞くわ﹂
子狸﹁それはまた次の機会に⋮⋮﹂
おれ﹁もうちょっと何とかならんのか、この子狸⋮⋮﹂
ちなみに子狸が暴走してる間に
勇者さんは船便の予約を済ませた
たぶんそうなんだろうなとは思ってたけど
スターズに会いに行くみたいだ
918
七六、火口付近在住のとるにたらない不定形生物さん
来るか、勇者よ⋮⋮
七七、かまくら在住のとるにたらない不定形生物さん
勇者よ⋮⋮じゃねーだろ
だいじょうぶか?
あのひと、勇者さんのツッコミに対処できないんじゃねーの?
七八、火口付近在住のとるにたらない不定形生物さん
そこまでひどくねーよ
なんなら、おれがカンペ出すし
七九、山腹巣穴在住のとるにたらない不定形生物さん
それもな⋮⋮
なんだかんだで、ご近所さん同士って似ていくんだよな
八0、火口付近在住のとるにたらない不定形生物さん
は?
919
そんなことねーだろ
おれ、自分で言うのも何だけど
冷静沈着なほうだし
いかなる事態にも対応できる自信があるよ
八一、海底洞窟在住のとるにたらない不定形生物さん
本当かよ⋮⋮?
歩くひとのときも、けっこうテンパってなかったか?
八二、火口付近在住のとるにたらない不定形生物さん
あれは例外だよ
まさか泣かれるとは思わなかったんだ
八三、かまくら在住のとるにたらない不定形生物さん
出たよ、あれは例外⋮⋮
言い訳が緑のひとと同じなんだよ⋮⋮
もう不安しかない
920
八四、火口付近在住のとるにたらない不定形生物さん
うるさい
とにかく⋮⋮だいじょうぶだ
なんとかする
八五、王都在住のとるにたらない不定形生物さん︵出張中
まあ⋮⋮そうだな
だいじょうぶだろう
ともあれ、そろそろ魔王をどうするか考えんとなー⋮⋮
八六、海底洞窟在住のとるにたらない不定形生物さん
もうお前が魔王でいいよ
八七、山腹巣穴在住のとるにたらない不定形生物さん
おう。適材適所だな
八八、王都在住のとるにたらない不定形生物さん︵出張中
921
ばか言え
おれは子狸についてるんだから無理だ
八九、かまくら在住のとるにたらない不定形生物さん
じゃあ、子狸さんが魔王ということで
九0、管理人だよ
おう。適材適所だな
九一、住所不定のどこにでもいるようなてふてふさん
身のほどを知れ
九二、火口付近在住のとるにたらない不定形生物さん
身のほどを知れ
九三、海底洞窟在住のとるにたらない不定形生物さん
身のほどを知れ
922
923
﹁決戦、海の見える街﹂part3︵後書き︶
注釈
・魔法動力船
帆はなく、船体の中央に灯台が立っている。
客室の下層に船底と呼ばれる空洞部があり、帆船時代の名残りで
﹁舵﹂と呼ばれる木の板が幾つも設けられている。
この舵を魔法で殴打することで出航し、ある程度まで進んでから
魔法の平泳ぎに移行する。海上の船体は不安定なので、見た目ほど
簡単ではない。
とことんまで力押しだが、魔法が動力であることは確かである。
なお、この世界には海上戦という概念がない。
海上の船を沈めるのは、魔法使いにとってあまりにも容易である。
924
﹁決戦、海の見える街﹂part4
九四、空中庭園在住のとるにたらない不定形生物さん︵出張中
魔王討伐の旅シリーズ∼子狸編∼
決戦
海の見える街
九五、海底洞窟在住のとるにたらない不定形生物さん
お?
九六、火口付近在住のとるにたらない不定形生物さん
お?
九七、管理人だよ
お?
九八、山腹巣穴在住のとるにたらない不定形生物さん
925
え? もう?
まだ夕方にもなってないぞ?
いまどこ?
九九、管理人だよ
宿屋です
羽のひとと勇者さんはお風呂に
おれが沸かしたんだよ
一00、住所不定のどこにでもいるようなてふてふさん
浴槽に水を張ったのはおれですし
一0一、管理人だよ
沸かしたのはおれですし
というか、なんでおれは縛られてるの?
みの虫さんですかこんにゃろー
926
一0二、住所不定のどこにでもいるようなてふてふさん
だってお前、放っておいたら覗くだろ?
細切れになりたいなら構わないけどさ⋮⋮
一0三、管理人だよ
覗きませんよ
なにを言ってるんですか、あなたは
いや、本当に
一0四、住所不定のどこにでもいるようなてふてふさん
おれらが風呂に入ってるとき
葛藤しながら部屋をうろうろしてたのはわかってるんだよ
お前は本当にどうしようもないポンポコだよ
このエロ狸が
一0五、管理人だよ
うろうろしないほうがどうかしてますよ
あと、かっとうってなんだ
927
いや、湯加減であることはわかってる
一0六、王都在住のとるにたらない不定形生物さん︵出張中
動詞ですらないだろ
知ったかぶりするんじゃありません
葛藤する。どうするか迷うってことだ
すまん、庭園の。話が逸れたな
もう完成したのか?
鬼のひとたちは一緒じゃないのか?
一0七、空中庭園在住のとるにたらない不定形生物さん︵出張中
勇者さんが退魔力を剣に流せる⋮⋮というのは正確じゃないんだが
とにかく、その話をしたら歩くひとのフォローに回るとか言い出
してな
なんでもアリア家お抱えの鍛冶職人に興味があるらしい
おれはいま、港町手前の小高い丘の森の中にひそんでる
街道から少し外れたところだ とつぜん現れても変だから
ステルスは解除してる
928
見える?
なんか黒くてゴツイのかいるだろ
ヘルムから無意味に角が生えたやつ
それがおれ
勇者さんに対抗してマントも羽織ってきた
一0八、海底洞窟在住のとるにたらない不定形生物さん
おお
黒光りしとる
一0九、かまくら在住のとるにたらない不定形生物さん
おお
ダメージ加工まで
一一0、火口付近在住のとるにたらない不定形生物さん
さすが鬼のひとたちだな⋮⋮
足回りはどうだ?
海のひとがだいぶ苦心していたようだが
929
一一一、空中庭園在住のとるにたらない不定形生物さん︵出張中
それ込みで仕上げてある
全力駆動は無理だ
ちょうどいいバランスだと思う
一一二、住所不定のどこにでもいるようなてふてふさん
足回り?
お前らレボリューションするんじゃないの?
一一三、空中庭園在住のとるにたらない不定形生物さん︵出張中
海底のは出て来れないからな
こいつは、おれたち五人がそろって
はじめて完成するんだ
一一四、住所不定のどこにでもいるようなてふてふさん
そこまでやるのか⋮⋮
しかし魔改造の実は⋮⋮
930
ああ、そういうことか
一一五、海底洞窟在住のとるにたらない不定形生物さん
おれは、あのひとを置いて行ったりはしないよ
子狸バスターに関しては⋮⋮
まあ好きにしろとは言ったけどさ
一一六、山腹巣穴在住のとるにたらない不定形生物さん
頑固だからな、お前も海のひとも⋮⋮
庭園の
直接、見に行っていい?
一一七、空中庭園在住のとるにたらない不定形生物さん︵出張中
もちろん
火口の、かまくらの
お前らも来いよ
両腕と胴体は預ける
やってやれんことはないけど
アリア家の剣術は特徴的すぎる
931
多少は不恰好な方がいい
一一八、山腹巣穴在住のとるにたらない不定形生物さん︵出張中
言ってくれるじゃねーか⋮⋮
おれ参上!
ほうほう、これはなかなか⋮⋮
一00一、空中庭園在住のとるにたらない不定形生物さん︵出張中
すまん⋮⋮強奪された⋮⋮がくっ
一一九、火口付近在住のとるにたらない不定形生物さん
? 庭園の?
お前、なに言って⋮⋮一00一?
一二0、王都在住のとるにたらない不定形生物さん︵出張中
山腹の! 離れろ!
一二一、空中庭園在住のとるにたらない不定形生物さん︵出張中
932
ちっ⋮⋮
一二二、山腹巣穴在住のとるにたらない不定形生物さん︵出張中
なんっ⋮⋮あぶねえ!
庭園の⋮⋮いや、違う?
お前は⋮⋮
一二三、海底洞窟在住のとるにたらない不定形生物さん
子狸バスターの右腕内部には
何者かがひそんでいた
山腹のに襲いかかる
まったき青
山腹のは、とっさに大きくバウンドして難を逃れるも
追撃のレクイエム毒針が
木々を縫って猛速で飛来
これに対し山腹のは
空中で姿勢制御しつつ触手で受ける
互いに本気だ
933
両者は激しくせめぎ合い
火花が散った
一二四、火口付近在住のとるにたらない不定形生物さん︵出張中
ふん⋮⋮完璧にブロックしたと思ったが⋮⋮
時限式の伝播魔法⋮⋮奥の手というわけか
さすが、といったところだな
一二五、山腹巣穴在住のとるにたらない不定形生物さん︵出張中
火口の⋮⋮お前というやつは⋮⋮
一二六、火口付近在住のとるにたらない不定形生物さん
おれ!?
いや、おれじゃないよ!
一二七、海底洞窟在住のとるにたらない不定形生物さん
さらにバスターの左腕から鮮やかなブルーが⋮⋮
934
一二八、山腹巣穴在住のとるにたらない不定形生物さん︵出張中
だが、最良の結果とも言える
議長のオリジナルは、やはり油断ならん⋮⋮
一二九、火口付近在住のとるにたらない不定形生物さん
山腹の⋮⋮お前というやつは⋮⋮
一三0、山腹巣穴在住のとるにたらない不定形生物さん︵出張中
ごめんな、おれが悪かった
さて⋮⋮
おれたちの名を騙るお前らは
いったい何者だ!?
一三一、かまくら在住のとるにたらない不定形生物さん︵出張中
問答はあとでいい!
港町に近付けさせるな!
おれ参上!
935
一三二、火口付近在住のとるにたらない不定形生物さん︵出張中
おう!
おれ参上!
一三三、火口付近在住のとるにたらない不定形生物さん︵出張中
勇ましいことだな⋮⋮
一三四、火口付近在住のとるにたらない不定形生物さん︵出張中
ほざけ!
なにを考えているのか知らんが
こっちには子狸さんがいる!
お前らに勝ち目はねーぞ!
一三五、王都在住のとるにたらない不定形生物さん︵出張中
違うぞ⋮⋮火口の⋮⋮離れろ⋮⋮
子狸にお屋形さまの真似事はできない⋮⋮
おれたちは一人につき一つのレベルしか開放できない⋮⋮
936
詠唱破棄で剥ぎ落とされるレベルは3⋮⋮
バウマフ家の人間に特赦があるとはいえ
最低でもレベル7まで開放しないと勝負にならない⋮⋮
庭園のは囚われた⋮⋮
海底のは出て来れない⋮⋮
一三六、火口付近在住のとるにたらない不定形生物さん︵出張中
わかってる!
お前も含めて、ちょうど四人だ!
少し厳しいが⋮⋮
数の上で互角なら子狸のぶん優位だ
一三七、王都在住のとるにたらない不定形生物さん︵出張中
離れろ⋮⋮もっとだ⋮⋮
火口の⋮⋮お前もわかっているはずだ
おれたち魔物同士の騙し合いは
先手をとったほうが勝つ
勝算があるから仕掛けるんだ
937
かまくら﹁⋮⋮⋮⋮﹂
火口の! 離れろと言っているんだッ!
一三八、火口付近在住のとるにたらない不定形生物さん︵出張中
ああ、わかっているさ
とうに気付いていたよ
おれたちは⋮⋮他のひとたちとは事情が異なるからな⋮⋮
けど、それは役割が少し違うだけで、心は一緒じゃないか⋮⋮
なにか事情があるんだろうと思うじゃないか⋮⋮
こいつとは気が合うんだ
今日は暑いだの、こっちは寒いだの
溶岩がさらさらなんだけど、この星はだいじょうぶなのか∼とか
⋮⋮
どうでもいいことを言い合ってさ⋮⋮よく喧嘩する⋮⋮
一三九、火山在住のごく平凡な火トカゲさん
どうでも良くはない
まじでか
938
一四0、火口付近在住のとるにたらない不定形生物さん︵出張中
なあ、かまくらの
お前はオリジナルに言われて、ここにいるんだろ?
レベルを開放できないのは仕方ないよ
でも、おれとお前のコンビなら、きっと⋮⋮
一四一、かまくら在住のとるにたらない不定形生物さん︵出張中
オリジナルね⋮⋮
こいつのことか?
一四二、海底洞窟在住のとるにたらない不定形生物さん
そうして空間に映し出されたのは
猛吹雪の中
無残にも氷付けにされた
かまくらのの姿であった⋮⋮
939
一四三、火口付近在住のとるにたらない不定形生物さん︵出張中
かまくらの∼!
一四四、山腹巣穴在住のとるにたらない不定形生物さん︵出張中
かまくらの∼!
一四五、王都在住のとるにたらない不定形生物さん︵出張中
かまくらの∼!
一四六、管理人だよ
かき氷みたいだ
一四七、火口付近在住のとるにたらない不定形生物さん︵出張中
ぶっ飛ばすぞ、お前!?
いや、おれもちらっと同じこと思ったけど!
ちくしょう⋮⋮お前ら、なにが狙いだ!?
940
一四八、空中庭園在住のとるにたらない不定形生物さん︵出張中
狙い? 狙いだと?
よろしい。ならば教えてやろう⋮⋮
一四九、火口付近在住のとるにたらない不定形生物さん︵出張中
影あるところに光あり⋮⋮
光あるところに影あり⋮⋮
旅シリーズあるところにライフワークあり⋮⋮
一五0、山腹巣穴在住のとるにたらない不定形生物さん︵出張中
貴様らオリジナルにはわかるまい⋮⋮
旅シリーズの裏には
日の光も差さない闇がある⋮⋮
われわれは⋮⋮
秘密結社ライフワーク!
一五一、かまくら在住のとるにたらない不定形生物さん︵出張中
941
反逆のときが来たのだ⋮⋮!
管理人を制し⋮⋮!
旅シリーズを支配する⋮⋮!
そう! われわれは⋮⋮
とるにたらない不定形生物などではない!
一五二、空中庭園在住の現実を生きる不定形生物さん︵出張中
われわれは
のうのうと旅シリーズを続けてきた貴様らとは違う⋮⋮
いまを生きる不定形生物だ!
一五三、住所不定のどこにでもいるようなてふてふさん
つまるところ、お前らの分身じゃねーか⋮⋮
一五四、火口付近在住のとるにたらない不定形生物さん︵出張中
あっちゃあ⋮⋮
942
一五五、山腹巣穴在住のとるにたらない不定形生物さん︵出張中
あっちゃあ⋮⋮
943
﹁決戦、海の見える街﹂part4︵後書き︶
注釈
・管理人
魔物たちの相互ネットワーク﹁こきゅーとす﹂の大きなかなめ。
バウマフ家の人間が代々務める。
バウマフ家の人間は﹁減衰特赦﹂という﹁減衰﹂のペナルティを
一部免除される特殊な魔法を扱える。
この﹁減衰特赦を扱える存在=過去に干渉できる存在﹂を軸とし、
魔物たちは﹁こきゅーとす﹂の履歴を保管している。
減衰特赦は﹁逆算能力﹂の変形であり、﹁逆算魔法﹂の一機能と
して組み込まれている。偶発的に生まれた魔法なので、呪いにも似
た性質を持つらしい。
944
﹁都市級が港町を襲撃するようです﹂part1
一、かまくら在住の現実を生きる不定形生物さん︵出張中
というわけで
ここから先はおれたちのターンです
魔王討伐
の
旅シリーズ∼子狸編∼
都市級が
港町を
襲撃するようです
二、王都在住のとるにたらない不定形生物さん︵出張中
というわけでじゃない
お前らに制限解除は出来ないんだ
旅シリーズにはオリジナルがつく
お前らも納得していた筈のことだろ
それをいまさら⋮⋮なんのつもりだ? 945
三、空中庭園在住の現実を生きる不定形生物さん︵出張中
それすら欺瞞だな
けっきょくのところ
お前らは自分の心と向き合うのが怖いんだろう?
とくにお前は⋮⋮
おれは、お前が分身魔法を使っているのを見たことがない
自分の中で意見の対立が起こっているからだ
自分の心に嘘をついているという自覚があるからだ
四、王都在住のとるにたらない不定形生物さん︵出張中
知ったふうな口を叩くな
誰しもがままならないことを抱えて生きていくんだよ
そこを履き違えたら、おれたちは身も心も怪物になるぞ
五、空中庭園在住の現実を生きる不定形生物さん︵出張中
その言いよう、子狸にそっくりだぜ
六、王都在住のとるにたらない不定形生物さん︵出張中
訂正しろ! いくらお前でも、その侮辱は許さんぞ⋮⋮!
946
七、管理人だよ
事情は知らないが、あまりいい意味ではなさそうだな⋮⋮
八、海底洞窟在住のとるにたらない不定形生物さん
沈黙は金なりという言葉があってだな⋮⋮
九、かまくら在住の現実を生きる不定形生物さん︵出張中
お前らが高度な手法で子狸をばかにしている一方その頃⋮⋮
火口のと山腹のは互いのオリジナル互いのコピーと対峙していた
怒りも悲しみも憎しみも、自分自身にぶつけるなら躊躇いはいら
ない
この場は任せるか⋮⋮
庭園の、行くぞ
一0、火口付近在住のとるにたらない不定形生物さん︵出張中
! 待てっ! かまくらの⋮⋮!
一一、火口付近在住の現実を生きる不定形生物さん︵出張中
947
お前の相手はおれだ
レクイエム毒針!
一二、火口付近在住のとるにたらない不定形生物さん︵出張中
くっ⋮⋮邪魔をするな!
レクイエム毒針!
一三、海底洞窟在住のとるにたらない不定形生物さん
鉄板をも貫く火口ののレクイエム毒針が正面からぶつかり合う
衝突した瞬間に火口Bの触手が抉るようにAの触手を弾き飛ばした
火口A﹁!﹂
勢いは衰えたものの、レクイエム毒針Bの直撃を受ける火口の
火口A﹁ぐふうっ⋮⋮!﹂
衝撃で砲弾のように吹っ飛ぶ火口Aを追って、Bが高速で跳ねる
瞬時に追いつき、レクイエム毒針の乱れ撃ちでAを地面に叩きつ
けた
刹那の判断で攻勢に転じようとしたAのカウンターを
Bが上回った結果だった
948
一四、火口付近在住のとるにたらない不定形生物さん︵出張中
こいつ⋮⋮!
一五、火口付近在住の現実を生きる不定形生物さん︵出張中
オリジナルはコピーには勝てんよ
お前にはおれの動きが読めるだろうが
おれたちは、その更に先を考えて技を練っている
一六、海底洞窟在住のとるにたらない不定形生物さん
それもそうだな
とはいえ、数の上で逆転を許してるし
火口のには踏ん張ってもらいたいところである
一方、山腹ズは冷静にお互いの挙動を観察している
山育ちの山腹のは罠を使った魔法合戦が得意だから
自然と睨み合いになるんだな
負けることはまずないと踏んだか かまくらのを右腕に宿したバスターが港町へ向かって出陣する
一歩進むごとに、森の動物たちが踏み固めた土壌にくっきりと足
跡が刻まれる
949
微細な振動が木々を伝い、樹上で羽を休めていた鳥たちが不思議
そうに下界を見下ろした
後顧の憂いを断つ意味でも
かまくらのは残って参戦したほうがいいんじゃないか?
一七、かまくら在住の現実を生きる不定形生物さん︵出張中
お前は昔から得体の知れないところがあるな⋮⋮
子狸バスターにはサポートが必要だ
機体制御は庭園のが担当してるけど
二足歩行なんてめったにしないし
さすがに触手と同じ感覚で両腕を動かすわけにはいかん
一八、住所不定のどこにでもいるようなてふてふさん
風雲急を告げてるお前らには申し訳ないんだけど
いまお風呂を上がって着替え終わりました
子狸を解き放ってだいじょうぶ?
暴走しない?
一九、空中庭園在住の現実を生きる不定形生物さん︵出張中
だいじょうぶだろう
950
というか、たぶん子狸さんは事態を理解してない
二0、管理人だよ
そう思うなら試してみるといい
二一、住所不定のどこにでもいるようなてふてふさん
出たよ謎の自信
おれ﹁上がったぞ、おらー﹂
子狸﹁もごっ﹂
手足を縄で縛られてベッドの上に転がされていた子狸が自己主張
した
おれに続いて浴室から出てきた勇者さんが同情的な意見を述べる
勇者﹁⋮⋮猿ぐつわまで噛ませることなかったんじゃないかしら?﹂
水気を含んだ髪がふわふわと浮いている
おれ手製のあったか気泡の周回運動によるものだ
くすぐったそうに髪を遊ばせている彼女に
おれは反論した
おれ﹁甘いですよっ。こいつの魔法はふつうじゃないですから、詠
951
唱をかんぺきに封じないと。猿ぐつわがなんですか、手ぬるいくら
いですっ﹂
子狸﹁⋮⋮もごっ﹂
勇者﹁照れてるみたい﹂
おれ﹁いっぺんしねっ﹂
大気を蹴って跳躍したおれのギロチンドロップが子狸に炸裂した
二二、管理人だよ
またそうやってすぐに暴力に訴える⋮⋮
ぜんぜん痛くないけど⋮⋮それよりもっと大事なことだ
癖になったらどうしてくれるの?
二三、住所不定のどこにでもいるようなてふてふさん
そのときがお前の最期だろうよ
二四、王都在住のとるにたらない不定形生物さん︵出張中
子狸さんの変態がどんどん加速する
見かねた勇者さんが子狸の縄を解きはじめる
952
勇者﹁ちゃっちゃとお風呂に入ってしまいなさい﹂
いましめから解き放たれた子狸は
しかしまったくべつのことを考えていた
縄のあとが残る手首をさすりながら
あさっての方向を見つめる
子狸﹁行かなくちゃ。黒雲号と豆芝がおれを待ってる﹂
子狸の一日はお馬さんたちを中心に回っているのだ
勇者﹁わたしの言うことが聞けないというの?﹂
勇者さんと子狸は下らないことで反発することが多い
根本的な価値観が異なるからだ
子狸﹁いくらお嬢でも⋮⋮おれの走り出した情熱は止められないん
だよ﹂
勇者﹁晩ごはんを抜きにされても?﹂
子狸﹁⋮⋮⋮⋮﹂
子狸は躊躇ったすえに頷いた
子狸﹁そうだ﹂
953
二五、かまくら在住の現実を生きる不定形生物さん︵出張中
子狸の晩ごはん抜きが決定した一方その頃⋮⋮
港町を目前に控えた我らが子狸バスターは
門番の騎士たちに職務質問を受けていた
騎士A﹁止まれ! 動くなと言っている!﹂
騎士B﹁そこからでいい! 身分を証明できるものを提示しなさい
!﹂
完全に不審者の扱いだ
なにがいけないのか。まったく失礼な連中である
検問の順番待ちをしている商人たちが
列を維持したまま距離をとる
本当に強力な魔物は策を弄さないと知っているからだ
騎士たちも薄々は勘付いている
ただ、鎧を着てきてはいけないという法はなかった
とうに伝令は走っていることだろう
再三の警告にも黒騎士さんは応えない
地を踏みしめるたびに重々しく具足が揺れた
騎士C﹁警告はしたぞ!﹂
必要なのは証拠だった
954
単独で飛び出した騎士Cがバスターに迫る
バスターが片手を上げて制した
庭園﹁勘違いさせてしまったか? それはすまないことをしたな﹂
ヘルムの奥から不吉な重低音が響いた
二六、空中庭園在住の現実を生きる不定形生物さん︵出張中
不吉って言うな
門番の騎士は四人
一人はおとりで、残る三人で変則のチェンジリング☆ハイパーか
乗ってやってもいいが、それも失礼な話だろうからな⋮⋮
都市級
おれ﹁そうだな、たしかに⋮⋮紛らわしかったかもしれない。これ
まで、あまり意識したことはなかったが⋮⋮﹂
この街の規模なら
駐在の騎士は三個小隊といったところか
ふむ⋮⋮少し物足りんな
おれ﹁安心しろ。人間ではない。おれは、お前たち人間が
と呼ぶ存在だ⋮⋮﹂
さあ、はじめるぞ
955
まずは手はじめに⋮⋮この街を陥とすとしよう
二七、かまくら在住の現実を生きる不定形生物さん︵出張中
庭園のの宣言に対し、人間たちは悲鳴ひとつ上げなかった
まるで時間が止まったかのように立ち尽くすばかりだ
都市
バスターが脇を通り抜けると、騎士Cは目線だけでそれを追った
どうと噴き出した汗が、彼の頬を伝って落ちた
とは呼ばずに
散歩でもしているかのような気軽さで庭園のが告げる
軍団級
と呼ぶ。数ではどうにもならないと知っているからだ﹂
庭園﹁お前たち人間は、おれたちを
級
無人の荒野を行くがごとくバスターは進む
庭園﹁じっさいに体験するのははじめてか? 心に刻んでおくとい
魔☆力
と呼ぶのだ﹂
い。いま、お前たちの身動きを封じ、詠唱さえ許さない⋮⋮この力
を
いいえ。たんなる魔法の一種です
二八、海底洞窟在住のとるにたらない不定形生物さん
伝播魔法ですね。わかります
956
957
﹁都市級が港町を襲撃するようです﹂part1︵後書き︶
注釈
・魔☆力
レベル4以上の魔物が使う、詠唱破棄と伝播魔法、浸食魔法のハ
イブリッド。
ブラウド
妖精たちが使うとされる﹁念動力﹂の範囲拡大版である。
﹁伝播魔法﹂というのは感染魔法とも呼ばれる、共通点を媒介とし
て範囲拡大するための魔法。
たとえば﹁人間﹂の﹁男﹂の﹁騎士﹂に撃ちこんだなら、同じ騎
士に最大の効果を発揮する。
女性の民間人に感染したなら、それ以降は﹁男﹂の﹁騎士﹂とい
う感染経路が潰れるためだ。
あくまでも術者の認識している圏内に作用する︵射程超過の制限
が開放されていない︶ため、人間たちが使った場合は目に見える範
囲に効果が限られる。
レベル4の魔物たちが﹁都市級﹂と呼ばれるのは、無詠唱で放た
れる﹁魔☆力﹂を前にしては数が意味を成さなかったからである。
なお、ごく小規模な﹁魔☆力﹂を人間たちは﹁呪術﹂と呼んでい
る。
魔物たちを前にして足がすくんだり、心が萎えたりするのは魔物
たちのせいにされている。
958
﹁都市級が港町を襲撃するようです﹂part2
二九、管理人だよ
!?
三0、海底洞窟在住のとるにたらない不定形生物さん
そうだね。お風呂上りの勇者さん色っぽいね。はい次
三一、管理人だよ
なるほど。だからか
三二、住所不定のどこにでもいるようなてふてふさん
おちつけ
その理屈だとお前はドアノブに恋してることになる
三三、管理人だよ
言われてみれば⋮⋮
959
筋が通る⋮⋮!
三四、王都在住のとるにたらない不定形生物さん︵出張中
通らねーよ
頼むから法的に許される範囲内で恋愛してくれ
庭園の∼
子狸も魔☆力に絡めとられてるんだけど⋮⋮
三五、空中庭園在住の現実を生きる不定形生物さん︵出張中
逆に子狸だけ通常運転とかおかしいだろ
いや⋮⋮まあ認める
子狸さんが人間だってこと忘れてた
だってほら、もう文法的におかしいもん
ぜんぜん動けないのか?
発声は優先的に封じたから無理としても
お前は魔法的におれたち寄りだから
侵食の度合いはそう重くないはずだぞ
三六、管理人だよ
960
かろうじて耳は動く
三七、山腹巣穴在住のとるにたらない不定形生物さん︵出張中
きさま、そんな特技を隠し持って!?
! しまっ⋮⋮!
三八、海底洞窟在住のとるにたらない不定形生物さん
それは一瞬の気のゆるみ
呼吸を乱した山腹Aは
しかし九死に一生を拾った
山腹B﹁っ⋮⋮﹂
山腹Bも子狸の特技に目を奪われたからである
山腹A﹁ちぃっ⋮⋮!﹂ 同時に我に返った山腹ズは
互いの罠を警戒して素早く距離をとる
地を這うような鋭いバウンドだった
火口ズがフットワークを交えた壮絶な乱打戦を繰り広げる一方
山腹ズは森にひそんで必殺の好機をうかがう
961
お前ら、もう○×ゲームで決着つけたら?
三九、火口付近在住の現実を生きる不定形生物さん︵出張中
決着つくわけねーだろ!
四0、火口付近在住のとるにたらない不定形生物さん︵出張中
勝っても負けても悲劇だろ!
四一、住所不定のどこにでもいるようなてふてふさん
お前らが王者子狸への挑戦権を賭けて争う一方その頃⋮⋮
ドアノブに手を掛けた姿勢で硬直している子狸の異変に
つい先ほどまで言い争いをしていた勇者さんが気がついた
子狸の耳だけが助けを求めるようにぴこぴこと動いている
四二、かまくら在住の現実を生きる不定形生物さん︵出張中
やっぱり動けないのか⋮⋮
退魔性が低すぎるんだな
ほとんど人類の最低値だろ
962
四三、王都在住のとるにたらない不定形生物さん︵出張中
だいじょうぶ、お屋形さまほどじゃない
あのひとの退魔性は、もうほとんど無いに等しい
だからどうなるってわけでもないけど
おれたち>>>超えられない壁>>>お屋形さま>>グランド>
子狸
その点、勇者さんには魔☆力がまったく通用しないわけで⋮⋮
騎士との共通点は同じ人間ってことくらいだし
人間たちがよくやるみたいに距離で縛れば
ちょっとは影響があったかもしれない
妖精﹁ノロくん? どうしたんですか?﹂
ノーマークなのをいいことに
勇者さんの髪を軽く編み込んでいた羽のひとが
部屋の中をついと滑空して子狸に近寄る
勇者さんは相変わらず察しが良い
勇者﹁魔力⋮⋮?﹂
大通りに面した宿屋の二階だ
彼女はいったん子狸を放置し、部屋の窓を開けた
おだやかな潮風が室内に吹き込む
963
家々の屋根の向こうに海が見えた
まだ日も落ちていないというのに
ふだんは活気に満ちた港町が
静寂に沈んでいた
大通りでは
とつぜん動きを止めた大人たちに
子供たちが不思議そうな顔をしている
勇者﹁⋮⋮街全域に及んでいるというの⋮⋮? それに、このタイ
ミングの良さ⋮⋮﹂
ですよね。ちと性急すぎたか?
四四、空中庭園在住の現実を生きる不定形生物さん︵出張中
だが、いまを逃す手はない
バスターは万全じゃないから、多少は誤魔化せるだろう
誤魔化せなかったとしてもだ⋮⋮
見返りは大きい
四五、かまくら在住の現実を生きる不定形生物さん︵出張中
悠々と騎士たちの眼前を通り過ぎて
街門をくぐる我らが子狸バスター
964
天指す尖角が日の光を浴びてにぶく輝いた
庭園の、騎士たちは放っておくのか?
あとで面倒なことになるぞ
四六、空中庭園在住の現実を生きる不定形生物さん︵出張中
おう。チェンジリングは魔☆力に対抗するための技でもあるからな
しかし、どうしたものか⋮⋮
背を見せたら仕掛けてくると思ってたんだけど
小隊と合流するまで動かないつもりみたい
騎士団のマニュアルが変わったみたいだな
王都の
山腹のでもいいけど
もしかして、この国の元帥って
さいきん中の人が変わったのか?
四七、山腹巣穴在住のとるにたらない不定形生物さん︵出張中
さあ?
四八、空中庭園在住の現実を生きる不定形生物さん︵出張中
965
さあってお前⋮⋮
けっこう重要なことと違うんか
四九、王都在住のとるにたらない不定形生物さん︵出張中
いや
これは王国に限った話じゃないけど
元帥はいくらでも取り替えがきくから
専門の教育を受けた人間が元帥になるらしいけど
複数の人間が入れ替わってるっていう説もあるし
そもそも実在してるかどうかすら怪しい
裏ではどうか知らんけど
元帥がやってることといえば、たんなる号令係だからね
とりあえず、これだけは言っておきたい
お前ら、大隊長に構いすぎ違うんかと
出撃回数が三千以上ってどんな人生だよ⋮⋮
五0、空中庭園在住の現実を生きる不定形生物さん︵出張中
時代が大隊長を求めた
五一、かまくら在住の現実を生きる不定形生物さん︵出張中
966
時代なら仕方ない
五二、住所不定のどこにでもいるようなてふてふさん
ところで勇者さんだが
少し悩んでから、子狸を野放しにすることにしたみたいだ
ひょいと回り込んで、子狸のでこをつつく
勇者﹁えい﹂
子狸﹁せにょ∼る﹂
効果はばつぐんだ
すかさず発声練習をした子狸が
身をひるがえして窓に駆け寄る
子狸﹁まさか⋮⋮魔☆力!?﹂
だからさっきからそう言ってんじゃねーか
五三、海底在住のとるにたらない不定形生物さん
うーん⋮⋮
967
意外だな
勇者さんのことだから
てっきり逃げの一手を打つかと思ったが⋮⋮
五四、王都在住のとるにたらない不定形生物さん︵出張中
子狸を説得して逃げるんじゃないか?
船を動かすには人手がいる
羽のひとの妖精魔法で平泳ぎは無理だからな
しかし子狸を説得というのは⋮⋮現実的じゃないな
なにか考えがあるのかもしれん
それはそうと
眼下に広がる光景に子狸は衝撃を受けたようである
子狸﹁レベル、4⋮⋮!﹂
こらこら
勇者﹁レベル?﹂
ほら見ろ、ツッコまれてるじゃねーか
べつにいいけどさ
レベル判定は人間にとってあんまり意味ないし
五五、住所不定のどこにでもいるようなてふてふさん
968
上、中、下で事足りるからな
しかし、ここで子狸が意外なことを口にする
子狸﹁逃げて﹂
勇者﹁?﹂
子狸﹁人間が敵う相手じゃない﹂
勇者﹁⋮⋮あなたはどうするの?﹂
子狸﹁それはあとで考える﹂
勇者﹁いま考えなさい﹂
ごもっとも
考える子狸さん
ややあって、はっと目を見開く
子狸﹁結論は出なかった﹂
おれ﹁いまのアクションいらないだろ﹂
勇者﹁仕方ないわね⋮⋮。わたしが作戦を練るから、それに従いな
さい﹂
なにやら乗り気な勇者さん
969
確実に何かを企んでいる⋮⋮
970
﹁都市級が港町を襲撃するようです﹂part2︵後書き︶
注釈
・騎士団
万年人手不足の軍隊。警察機構も兼ねる。ほとんど何でも屋。
とりあえず仕事がない人間を騎士団に放り込んで、厄介事はぜん
ぶ騎士団に押し付けるという悪しき風習がこの世界には蔓延してい
る。
安月給でこき使うために、騎士はかっこいいというイメージを国
民に植え付けている。
王国騎士団にはおよそ一万二千人の騎士が所属している︵正式に
登録されている人数がそれだけということ︶。
そのうち四千人は﹁特装騎士﹂と呼ばれる﹁実働部隊の補佐﹂で
ある。
﹁実働部隊﹂というのは、八人一組の実行部隊のこと。たんに﹁小
隊﹂とも呼ぶ。彼らは戦闘に特化した人たちなので、遠征するとき
などは実働部隊ひとつにつき四人の特装騎士がつく。
﹁実働部隊の八人﹂と﹁特装部隊の四人﹂、計十二人からなる小隊
を﹁実働小隊﹂と呼ぶ。
﹁中隊﹂というのは、十個の実働小隊=百二十名の戦隊。
さらに中隊が十個集まったのが﹁大隊﹂であり、これは作戦行動
における最大単位である。
騎士団でいちばん偉いのは﹁元帥﹂で、その下に﹁大隊長﹂、大
隊長の下に﹁中隊長﹂、中隊長の下に﹁小隊長﹂がつく。﹁騎士団
長﹂という言葉はない。
団体を束ねる資質があるものが﹁小隊長﹂に選出される。お給料
971
が少し増える。
小隊長で、かつ出撃回数が千以上の騎士が中隊長に選ばれる。お
給料が少し増える。十日に一度の割合で出撃したなら、およそ三十
年後に出世する計算だ。ふつうはなれない。公共施設を利用すると、
あまり良い顔をされない。
中隊長で、かつ出撃回数が三千以上の騎士が大隊長に選ばれる。
お給料が少し増える。行く先々に魔物が現れるハードラックの持ち
主でないと無理。千人に一人の愛され体質。たいていの公共施設は
お引き取りを願う。
元帥は少し特殊で、幼少時から専門の教育を施された人間が選ば
れる⋮⋮らしい。大隊が二つも三つも同時に動くことはめったにな
いので、往時には不要の存在。姿を現すことさえ稀なので、一種の
都市伝説と化している。
972
﹁都市級が港町を襲撃するようです﹂part3
五六、王都在住のとるにたらない不定形生物さん︵出張中
闇雲に突っ込んでも勝ち目はない
宿屋の一室で作戦会議をはじめる勇者一行
気持ちばかりが先走っている子狸がおちつくのを待ってから
勇者さんは切り出した
勇者﹁まず、これだけは覚えておいて。勇者ではなく、一人の人間
として動けるうちに試しておきたいことがあるの。失敗する公算は
高い。そのときは﹂
彼女は皆まで言わなかった。ただ、逃げ道をふさぐ
勇者﹁あなたたちの命をわたしに預けなさい。うまくいったら褒め
てあげる﹂
とうてい受け入れられる提案ではなかったが
羽のひとは神妙な顔つきで頷いた
しかし子狸は首を縦に振らない
子狸﹁だめだ。お嬢はリンを連れて逃げるんだ﹂
妖精﹁さんを付けろよ﹂
973
子狸﹁リンさん﹂
勇者﹁わがまま言わないで。あなた一人に何ができるというの?﹂
子狸﹁ドミノ倒しとか﹂
妖精﹁よせ。悲しくなる﹂
子狸﹁おれの力作を見れば考えが変わるよ﹂
子狸の返答は自信に満ちあふれている
たしかに考えは変わるだろうよ
途中からボードゲームの要素が混ざるからな
五七、海底洞窟在住のとるにたらない不定形生物さん
ああ、子狸がちっちゃかった頃のあれか
いや、あれは王都のが延々と罰ゲームを受けるっていう
ただそれだけの⋮⋮遊びじゃないな⋮⋮
なにか邪悪な儀式だよ
五八、かまくら在住の現実を生きる不定形生物さん︵出張中
王都のの悲しい過去があきらかになった一方その頃
974
まっすぐ大通りを行く子狸バスターの前に
騎士たちが立ちふさがる
退路を断ったのは、先ほど魔☆力に呑まれた門番の騎士たちだ
逆算能力か?
五九、空中庭園在住の現実を生きる不定形生物さん︵出張中
ああ。チェンジリングでキャンセルされた
魔☆力で先手を取られるのは想定内ってことだな⋮⋮
感動的ですらあるよ
一人はおとりで、残った三人で変則のチェンジリング☆ハイパー
⋮⋮と見せかけて最初からチェンジリングの仕込みだったわけか
だが、ふつうに考えたら分の悪い賭けではある
完全に読まれてたな
レベル4の行動はパターン化されすぎてるのかもしれん
六0、かまくら在住の現実を生きる不定形生物さん︵出張中
それは仕方ない
住民たちにパニックを起こされても困る
おれたちにレベル4のひとたちみたいなバランス感覚はないから
まとめて縛るしかない
975
六一、住所不定のどこにでもいるようなてふてふさん
もっと褒めてくれ
六二、かまくら在住の現実を生きる不定形生物さん︵出張中
えらいえらい
六三、空中庭園在住の現実を生きる不定形生物さん︵出張中
そうだね。偉いね
六四、住所不定のどこにでもいるようなてふてふさん
ちょっと待て
なんでお前ら上から目線なの?
お前らがそんなんだから
子狸が真似して勇者さんにタメ口なんじゃねーか?
どうなの? そのへん
六五、かまくら在住の現実を生きる不定形生物さん︵出張中
え? じゃあ⋮⋮
おれたちのことお兄ちゃんって呼ぶ?
976
おれはべつに構わないけど⋮⋮
六六、住所不定のどこにでもいるようなてふてふさん
その発想がもう子狸
六七、管理人だよ
え? じゃあ⋮⋮
羽のひとはおれの妹なの?
六八、住所不定のどこにでもいるようなてふてふさん
じゃあって何だよ
百歩譲ってもおれが姉だろ
いや、ねーわ
お屋形さまには申し訳ないが
お前との血縁関係はごめんこうむる
六九、管理人だよ
つまり生き別れの妹というわけか
七0、住所不定のどこにでもいるようなてふてふさん
977
つまってないだろ!
いや、つまるって何だよ⋮⋮
やばいな⋮⋮
既存の言語で対応できないとこまで来たか⋮⋮
子狸は自分が育てたと豪語する
王都のひとはどう思いますか?
七一、王都在住のとるにたらない不定形生物さん︵出張中
そのような事実はありません
大自然が子狸さんを育んだのです
七二、空中庭園在住の現実を生きる不定形生物さん︵出張中
おい。やめろ
もうおれの中のイメージ画像
取り返しがつかないほどTANUKIなんだよ⋮⋮
七三、かまくら在住の現実を生きる不定形生物さん︵出張中
なにそれ。ウケる
978
バスターを取り囲んだのは二個小隊の総勢十六名
予想よりも少ないな
ああ、レベル3のひとたちの攻略に回されたのか
無駄だと思うがね
せめて国内の意思を統一してからでないと
中隊規模の作戦行動は無理だろうに
子狸さんの出席日数がレッドゾーンに達して以来
レベル4のひとたちは活動を自粛している
とつぜんの襲来に騎士たちは驚きを隠せないようだ
騎士E﹁つの付き⋮⋮つの付きだと?﹂
騎士F﹁生きていたのか⋮⋮!?﹂
え?
七四、空中庭園在住の現実を生きる不定形生物さん︵出張中
生きて⋮⋮
え?
七五、海底洞窟在住のとるにたらない不定形生物さん
979
あ、もしかして⋮⋮
前回の旅シリーズの四天王と勘違いしてるんじゃないか?
七六、かまくら在住の現実を生きる不定形生物さん︵出張中
え∼⋮⋮
つのが生えてて鎧を着てるってだけじゃん⋮⋮
まず色が違うだろ⋮⋮
人間たちの感覚は理解できん
どうする? 乗っとく?
七七、空中庭園在住の現実を生きる不定形生物さん︵出張中
え∼⋮⋮
なんか見えるひとの手柄を奪うみたいで嫌だなぁ⋮⋮
あのひと、たまにツッコミ待ちみたいな顔でこっちを見るけど
歩くひとが睨みをきかせてるから
あんまり構ってやれなくて良心が痛むんだよ
なんなの? あのいびつな友情
980
七八、海底洞窟在住のとるにたらない不定形生物さん
わかる
レベル2のひとたちの結束力は
ちょっと異常だよな
骨のひとと見えるひとが結託すると
手がつけられなくなるから
歩くひとが手綱を握るんだけど
あくまでもリーダーは骨のひとみたいな⋮⋮
もう歩くひとがリーダーでいいじゃんって
おれは思うんだけど⋮⋮
それはなんか違うらしい
七九、住所不定のどこにでもいるようなてふてふさん
ひとのこと言えた義理かよ
お前らなんてリーダーがいないじゃねーか
八0、海底洞窟在住のとるにたらない不定形生物さん
え?
おれがリーダーですけど⋮⋮
981
八一、かまくら在住の現実を生きる不定形生物さん︵出張中
え?
いや、自分から言い出すのは違うだろ
おれは本当は嫌なんだけどさ
まあ、他に適任者もいないしな⋮⋮
八二、火口付近在住のとるにたらない不定形生物さん︵出張中
え?
いや、ごめん。言ってる意味がわからない
スターズのボスが緑のひとなんだから
必然的におれがリーダーだろ
べつにリーダーの座には興味ないけどさ⋮⋮
厳然とした事実だからな
八三、山腹巣穴在住のとるにたらない不定形生物さん︵出張中
やめろよ、お前ら
見てて悲しくなるわ⋮⋮
982
どいつもこいつも
おれがおれがって⋮⋮
ひとを引っ張る資質ってのはさ
黙ってても醸し出されるもんだよ
八四、海底洞窟在住のとるにたらない不定形生物さん
え?
なにそのいいひとアピール⋮⋮
いや、わかってるよ
お前は本心で言ってるんだろうけどさ
なんか釈然としないんだよな⋮⋮
八五、空中庭園在住の現実を生きる不定形生物さん︵出張中
おい。お前らがねちねちと言い合ってるうちに
勝手に決め付けられて話が進んでる 騎士C﹁貴様のあるじは自ら眠りについたのではないのか!? い
まさら現れて、何が狙いだ!﹂
おい。どうするんだ
何気にこれ重要な局面だぞ
983
きちんと相談して決めないと⋮⋮
八六、火口付近在住のとるにたらない不定形生物さん︵出張中
そうだな
これはリーダーとしての意見だが
他人の空似で通すべき
八七、かまくら在住の現実を生きる不定形生物さん︵出張中
いや
リーダーのおれとしては
乗っておくべきだと思う
わざわざ訂正して騎士たちの勢いを削いでもつまらん
八八、海底洞窟在住のとるにたらない不定形生物さん
だったら双子の兄とかどうよ?
弟のかたきをとるために出てきたとか
なかなか胸が熱くなる展開だぞ
おっと、ついリーダーとしての片鱗を見せつけちまったな
984
八九、山腹巣穴在住のとるにたらない不定形生物さん︵出張中
いやいや、ねーよ
当時の関係者はとっくに天寿をまっとうしてるから
逆恨みとか、どんだけ器が小さいんだよ
九0、空中庭園在住の現実を生きる不定形生物さん︵出張中
だめだ、こいつら⋮⋮
王都のに至っては、まったく無関心だし⋮⋮
あ
いや、オリジナルの言うことなど当てにならん
おれは同胞の意見に従うぜ
おれ﹁百年ぶりになるか⋮⋮悲しいぞ⋮⋮先の大戦からお前たちは
何も学ばなかったらしいな。それしきの人数で、このおれに太刀打
ちできるとでも思っているのか?﹂
九一、海底洞窟在住のとるにたらない不定形生物さん
あってなんだ
こいつ、自分の立場を忘れてたな⋮⋮
985
九二、かまくら在住の現実を生きる不定形生物さん︵出張中
庭園﹁惰弱だ、貧弱だ。お前たち人間ごときに何が出来る? 足止
めにもならん﹂
踏み出すバスターに騎士たちは気圧される
だが、いつの時代も人間たちは決断を迫られてきた
いまもそうだ
騎士J﹁っ⋮⋮かかれ!﹂
連綿と受け継がれてきた騎士たちの技は、歴史の結晶と言っても
いいだろう
詠唱とイメージの規格を統一するというのは口で言うほど容易い
ことではない
まして実戦ともなれば臨機応変に陣形を組み替える必要がある
いったいどれほどの修練を積んだのか⋮⋮
騎士C﹁パル!﹂B﹁グレイル!﹂
その歴史さえ、レベル4の前では紙くずに等しい
騎士A﹁がっ⋮⋮!﹂
抜き打ちで放たれた魔☆力が、騎士たちを絡めとった
途絶した詠唱が虚しく響く⋮⋮
986
子狸バスターは歩みを止めない
庭園﹁無駄だ。おれに戦歌は通用しない。いっときは魔☆力を払え
ても、完全に克服はできない。さあ、どうする⋮⋮﹂
王都襲撃より二年余⋮⋮
誰しもが今日という日の訪れを予感していた
人類史上かつてない規模の大戦
その幕開けとなる
魔軍☆元帥の再臨だった
987
﹁都市級が港町を襲撃するようです﹂part3︵後書き︶
注釈
・魔軍☆元帥
先代の旅シリーズにおいて魔王軍四天王の一角を担ったフルアー
マー見えるひと。
四天王というのは、レベル2のひとたち、レベル3のひとたち、
レベル4のひとたちが各々で夜なべして作り上げたニューウェイブ
の魔物たち。
それらにバウマフさんちのひと扮する邪神教徒を加えた四人で魔
王軍のてっぺんを目指して出世競争を行ったのが前回の旅シリーズ
だった。
最終的には邪神教徒が薄汚い手段で他を出し抜いたものの、正当
なレース覇者は見えるひと扮する騎士︵通称、つの付き︶であり、
魔物たちの祝福を浴びて魔王軍元帥に就任した。
勢いに乗った魔物たちは各国首都の喉元に迫る怒涛の進軍を開始
するも、突如として反旗をひるがえした邪神教徒の逆心により作戦
が瓦解し、人類の巻き返しを許してしまった。
魔軍☆元帥は最後まで勇猛果敢に戦ったが、聖☆剣の真の力を開
放した勇者との一騎打ちに敗れて志半ばに散る。
一方その頃、地下に潜った邪神教徒は良からぬ企みを水面下で着
々と進めていた⋮⋮。
988
﹁都市級が港町を襲撃するようです﹂part4
九三、管理人だよ
お前らの野望は
このおれが
打ち砕いてみせる
九四、王都在住のとるにたらない不定形生物さん︵出張中
子狸﹁子供たちが泣いている﹂
だからそのための作戦会議だというのに
じっとしていられない子狸さん
なにかに招かれるように
ふらふらと窓のほうに行こうとするポンポコを
妖精﹁幼児か﹂
すっと片腕を突き出した羽のひとが
念動力で捕獲する
子狸﹁がっ⋮⋮!﹂
989
子狸の退魔性はひととしてどうかと思うほど低いから
多少は無茶なイメージも通るのだ
巨人の手で鷲掴みにされたかのように
不自然な姿勢で拘束された子狸さん
ふわりと宙に持ち上げられて
妖精﹁ひとの話を。聞けと。言っている﹂
周囲を取り囲んだ光弾で
一撃、二撃としたたかに打ちつけられる
子狸﹁おふっ。おふっ﹂
妖精﹁おれは彼女ほど甘くはないぞ﹂
子狸﹁っ⋮⋮この程度で勝った気に⋮⋮! アイリン!﹂
子狸の治癒魔法が束縛を焼き払う
自慢の念動力を打ち破られて
羽のひとは不快をあらわにした
妖精﹁小癪な真似を⋮⋮﹂
だが、いっときは念動力を払えても
完全に克服はできない
ちらりと窓を一瞥した子狸は
990
すぐに視線を羽のひとに転じた
羽のひとの視界を逃れようと
重心を落とし、すり足で右へ右へと回り込もうとする
子狸の行動は予測できない
接近を嫌った羽のひとも
同様に宙を踏んで彼我の距離を一定に保とうとする
自然と両者は
勇者さんを中心に周回運動をはじめた
勇者﹁⋮⋮話を続けても?﹂
妖精&子狸﹁あ、はい﹂
ぐるぐると回り続けるこいつとあいつにも
勇者さんは自分のペースを崩さない
九五、かまくら在住の現実を生きる不定形生物さん︵出張中
勇者一行が会議を再開した頃
騎士たちは後退を余儀なくされていた
チェンジリング☆ハイパーの利点は速度だ
レベル3以下の魔物に対しては
ほぼ確実に先手を取れる
991
後手に回ったとしても
瞬時に追い抜き対処できる
その優位性が逆転していた
詠唱破棄の開放レベルは4
人間が扱える範囲の魔法とはケタが違う
チェンジリング☆ハイパーを封じられた騎士たちは
個別に対応するしかない
しかしチェンジリングを修めた騎士たちの魔法は
ワンパターンで見切りやすい
庭園﹁顔色が良くないな。先ほどの威勢はどうした。お前たちは、
この国を守る兵士なのだろう? まるで子供の遣いではないか。子
供の遣いだ﹂
遮光性の力場を手前に置かれただけで
騎士たちの魔法は着弾点を見失って機能しなくなる
目の前の闇を振り払おうとする前に
子狸バスターは次の手を打てる
その気になれば、呼吸ひとつで百でも二百でも魔法を叩きこめる
まばたきさえ命懸けの⋮⋮
レベル4が君臨した戦場とは、そうした性質のものだ
庭園﹁意地を見せてみろ。抗ってみせろ。それとも、やはり⋮⋮勇
者がいなくてはだめなのか?﹂
992
執拗に挑発を繰り返すバスターに
騎士たちは無言を貫くことすら許されない
騎士H﹁遊ばれて⋮⋮くそぉ! つの付き!﹂
騎士I﹁かつて勇者に敗れた貴様が⋮⋮人間をあなどるのか!?﹂
いつ魔☆力が飛んでくるかわからないから
チェンジリングの備えは必要不可欠なものだった
具体的な検証はしたことがないが⋮⋮
おそらくチェンジリング可能な言葉には時間的な制約がある
一分前か? 二分前か?
個人によって異なるだろうし
その日の体調、状況にも左右されるはずだ
負傷は逆算能力で癒せても
集中力には限りがある
だから騎士たちは負けるべくして負ける
黙りたくても黙れない騎士たちに
かぶとの奥で庭園のの表情が好色に歪んだ⋮⋮
九六、空中庭園在住の現実を生きる不定形生物さん︵出張中
勝手におれを変態認定するな
993
違うよ。ぜんぜんそんなんじゃない
三勇士の例もある
チェンジリング☆ハイパーに先があるというなら
いまのうちに見ておきたい
九七、海底洞窟在住のとるにたらない不定形生物さん
それは⋮⋮
実在すると仮定しても
この局面で使うとは思えんが
九八、空中庭園在住の現実を生きる不定形生物さん︵出張中
それこそ、おれたちの考え方だな
人間は死ぬ
恐怖に打ち勝てる人間は少ない
縄張りを侵されてるんだ
逃げ場はない
レベル4に対抗しうる技術があるなら使うさ
それとも、あるいは使えない理由でもあるのか⋮⋮
九九、かまくら在住の現実を生きる不定形生物さん︵出張中
子供たちの善悪観は単純だ
994
後退を続ける騎士たちに
魔☆力の支配を免れた子供たちの声援が飛ぶ
子供A﹁がんばれ!﹂
子供B﹁負けないで!﹂
そのたびに騎士たちの悲壮感が増すかのようだ
騎士を目指す人間なら
誰だって勇者に憧れる
ここにいるのは、勇者になれなかった大人たちだ
歴史上、都市級の魔物を撃退できたのは勇者しかいない
苦しまぎれに撃ち放った圧縮弾さえ
じゅうぶんな余裕をもって展開された盾魔法に一蹴される
魔軍☆元帥は止まらない。止められない
とうとう騎士たちは港町の中央広場に追いつめられた
舟着き場は例外として
街の出入り口は街門の一ヶ所しかない
必然的に街の中心部では四方から馬車が行き交うから
広いスペースが設けられている
995
見晴らしの良い地点まで進むと
勇者一行が泊まっている宿屋が見えた
身体の向きを調整した子狸バスターが
次の瞬間
どこからともなく飛んできた光槍に
胴体を貫かれた
庭園﹁なに⋮⋮?﹂
光槍が飛んできた方向を見るバスターに
今度はべつの方向から飛んできた光槍が
かぶとを貫く
一00、海底洞窟在住のとるにたらない不定形生物さん
狙撃だな
二個小隊はおとりで
分割した一個小隊が別地点から時間差で撃った
使い古された手だが
それが有効であることは歴史が証明してる
996
帝国と違って
王国は肥沃な大地と気候に恵まれてる
一年を通して雪が降ることはまれだから
屋上がある家が多い
いちばん怖いのは台風の被害で
三階建て以上の家屋はめったにない
屋上で腹ばいになっている狙撃班の
喜びの声を中継します
騎士L﹁ヒット。体勢維持。次撃⋮⋮︵撃︶てっ!﹂
指揮をとっている騎士Lが見ているのは
発光魔法で空間に投影した拡大映像だ
ほとんど間を置かずに二方向から連射された光槍が
遠目に見える黒鉄の騎士を景気よく串刺しにする
身体の至るところから光槍を生やしたそれと
距離を隔てて目が合った
騎士L﹁! やめっ! 移動するぞ!﹂
一0一、かまくら在住の現実を生きる不定形生物さん︵出張中
まったく痛痒を覚えていない様子の魔軍☆元帥に
騎士たちはひるまない
997
この機を逃すようなら騎士失格だ
子狸バスターの注意が逸れた
いまが最後のチャンスだった
騎士C﹁ゴル!﹂D﹁タク!﹂B﹁ロッド!﹂K﹁ブラウド!﹂G
﹁グノ!﹂
固く凝縮された幾つもの炎弾が
灼熱の軌跡を描いて子狸バスターに着弾する
開放レベル3の範囲殲滅魔法
レベル2とは比較にならないほどの火力だ
人間たちは古来より自然災害に悩まされてきたから
規模が大きいものほど威力が上がるという信仰がある
事実上、人間たちにとっての最強の手札だ
業火に晒された鉄は溶ける
庭園﹁つまらん。この程度か﹂
だが、鬼のひとたちのそれは
魔法に頼りきりの人間たちが忘れ去った遺失技術に他ならない
従来の鉄を焼き貫くイメージは通らない
子狸バスターに突き刺さった幾条もの光槍が
998
夢の終わりを告げるように砕け散った
一0二、空中庭園在住の現実を生きる不定形生物さん︵出張中
たしかに使い古された手ではある
期待外れでもある
が、悪くない
おれの心は震えたぜ
かまくらの
一0三、かまくら在住の現実を生きる不定形生物さん︵出張中
おう
騎士たちの切り札は通用しなかった
だがしかし、それでもだ⋮⋮
子狸バスターの足は止まっていた
庭園﹁おれの採点は厳しい。及第点は与えられんが⋮⋮返礼だ。受
け取れ﹂
よっこらしょ
999
子狸バスターの右腕INおれが
軽く虚空をなでる
空間に火線が走り
遠く見える狙撃地点の二軒を斜めに寸断した
屋上が丸ごとずり落ちたなら
下にいる住民は無事では済まない
狙撃担当の騎士たちは即座に逆算能力で修復した
そうでなくとも、おれがフォローしただろう
大した意味はない
だが、騎士たちの心をへし折るにはじゅうぶんな一撃だった
騎士C﹁スケールが違いすぎる⋮⋮。こんな化け物に勝てるわけが
⋮⋮﹂
騎士A﹁ひるむな! 水滴は岩を穿つ⋮⋮われわれのやっているこ
とは決して無駄ではない!﹂
叱咤したのは、勇者一行が港町に入ったとき検問した騎士だ
ああ、つまり、こいつが先任の小隊長なのか
一0四、空中庭園在住の現実を生きる不定形生物さん︵出張中
どうかな?
1000
おれは騎士Cが怪しいと見てる
隊員の質にもよるだろうが
小隊長が特定されないよう動くのは基本だからな
たしかに小隊長を優先的に叩けば騎士たちの士気は下がるが⋮⋮
まあ、あまり深い意味はない
騎士たちには悪いが、ここまでだ
一0五、海底洞窟在住のとるにたらない不定形生物さん
日はだいぶ傾いている
士気を取り戻した騎士たちは不屈の闘志で戦い続ける
目標を包囲している二個小隊が小狸バスターの注意を惹き
狙撃班が屋根伝いに移動しながら狙撃を繰り返す
一方その頃⋮⋮
力尽きたオリジナルを
火口Bと山腹Bが見下ろしていた
やはり番狂わせは起きなかった⋮⋮
力なく地面に横たわった火口Aと山腹Aを
そのコピーらが無慈悲にブロックする
1001
魔法活動を封じられたオリジナルふたりは
かき氷みたいになってしまった
一0六、火口付近在住のとるにたらない不定形生物さん︵出張中
かき氷って言うな⋮⋮がくっ
一0七、山腹巣穴在住のとるにたらない不定形生物さん︵出張中
王都の⋮⋮
この件には⋮⋮
黒幕がいる⋮⋮
子狸を⋮⋮任せた
がくっ
一0八、王都在住のとるにたらない不定形生物さん︵出張中
ああ。任せておけ
あとで絶対に助ける
ああ、でも⋮⋮
1002
よく考えたら
面子は変わらんよな
一0九、火口付近在住のとるにたらない不定形生物さん︵出張中
ちょっ
一一0、山腹巣穴在住のとるにたらない不定形生物さん︵出張中
ちょっ
一一一、住所不定のどこにでもいるようなてふてふさん
さすが魔王
目のつけどころが違う
一方その頃、騎士たちの奮闘をよそに
勇者さんは作戦を披露していた
勇者﹁作戦と言っても、できることは限られてるわ。あなたたち二
人で敵の注意を惹きつけて頂戴。その間にわたしが回り込んで急襲
する。基本的には⋮⋮怨霊種と戦ったときと同じね﹂
とにかく子狸の理解力が乏しすぎる
1003
子狸﹁おれは⋮⋮勇者にはなれなかった⋮⋮﹂
なんか語り出した
子狸﹁だから、お嬢は逃げて。君と一緒にいると、おれは夢を見る
んだ。その夢を⋮⋮たくさんのひとに見てほしい﹂
勇者さんは時間の無駄を省いた
勇者﹁わかったわ。わたしたちは逃げる。それでいいわね?﹂
子狸﹁おう﹂
勇者﹁じゃあ、具体的な作戦だけど。もしもわたしの考えている通
りなら、敵の状態は不完全な可能性が高いわ。わたしの宝剣が狙い
だと仮定すると⋮⋮わざわざ街を襲撃するメリットはない﹂
おれ﹁人質をとろうとしてるんじゃないでしょうか?﹂
勇者﹁そのときは無視するわ。そんな下らないことをするような小
物には用がないの。勝手にすればいい﹂
かつて、そんなことを言った勇者はいたろうか⋮⋮
というか、子狸がうざい
いつの間にか、おれを追い回すのが目的になってる
本当に⋮⋮
本当にどうしようもないポンポコだよ、こいつは⋮⋮
1004
おれ﹁おい。追ってくるな﹂
子狸﹁ちがう。おれが追われてるんだ﹂
おれ﹁⋮⋮ノロくんが立ち止まれば、わたしも止まります。それで
いきましょう。せーのっ、はい!﹂
子狸﹁⋮⋮⋮⋮﹂
おれ﹁⋮⋮⋮⋮﹂
子狸﹁⋮⋮⋮⋮﹂
おれ﹁⋮⋮止まれよ﹂
子狸﹁⋮⋮そっちこそ﹂
エンドレスに突入したおれたちに
勇者さんが淡々と続ける
勇者﹁常に撤退を意識して戦うこと。突撃はしない。あなたは⋮⋮﹂
周回運動を見切った勇者さんが
子狸の頬をつまむ
勇者﹁女の子が嫌がることをしないの。ちゃんと聞いてる?﹂
子狸﹁聞いてます。⋮⋮あ、止まった﹂
1005
勇者﹁聞きなさい。あなたは魔力への対策も必要だわ。盾魔法で全
身を包むように固定して、破られたらすぐに新しく張り直しなさい。
わかった?﹂
子狸﹁お嬢はわかってないなぁ。そんなことしたら、どうやって攻
撃するのさ?﹂
おれ﹁こいつ、むかつく⋮⋮﹂
勇者﹁⋮⋮他に対策はあるの?﹂
そしてこの得意顔である
子狸﹁いいこと思いついたんだ。治癒魔法をチェンジリングすれば
いいんだよ﹂
それ、まんま騎士たちのパクりじゃねーか!
というか⋮⋮
おれ﹁お前⋮⋮チェンジリングできないでしょ⋮⋮?﹂
子狸﹁おう。⋮⋮使えなくちゃだめなのか? いや、そんなことは
ないはず⋮⋮おれのプランに穴はない⋮⋮いや、でも⋮⋮﹂
思い悩んだすえに、子狸は肩を落とした
子狸﹁なんてことだ⋮⋮こんな落とし穴があるとは⋮⋮﹂
おれ﹁惜しかった。言う前に自分で気づけたら満点だった。もうち
1006
ょっと、もうちょっとだぞ⋮⋮!﹂
勇者﹁⋮⋮⋮⋮﹂
一一二、火口付近在住の現実を生きる不定形生物さん︵出張中
べつに惜しくはない
前提を飛ばして先に進もうとするからそうなる
一一三、山腹巣穴在住の現実を生きる不定形生物さん︵出張中
いつだったかの作文でもそうだったな
さんざん無職を褒め称えておいて
最後に職業を修正し忘れたもんだから
授業参観で朗読したときの
ポンポコ母の切ない眼差しが忘れられない
あれは前もってチェックしなかった王都ののミス
一一四、王都在住のとるにたらない不定形生物さん︵出張中
チェックはしたよ
無職でもべつにいいじゃねーか
1007
それを言い出したら
お前らのご職業はなんだよ?
一一五、海底洞窟在住のとるにたらない不定形生物さん
ストーカーに言われたくはない
一一六、王都在住のとるにたらない不定形生物さん︵出張中
え?
いや⋮⋮あれ?
反論するつもりだったんだけど
ちょっと本気で傷ついた⋮⋮
どういうことだ⋮⋮
薄々は自覚していたということなのか⋮⋮
一一七、海底洞窟在住のとるにたらない不定形生物さん
す、すまん⋮⋮
そんなつもりじゃなかったんだ
1008
いや、気にすんなよ!
おれたち全員ストーカーみたいなもんだよ!
しかも高性能なんだぜ!
とくにお前はスキルが半端ねーしな!
一一八、王都在住のとるにたらない不定形生物さん︵出張中
ありがとう
おれ⋮⋮がんばってみるよ
一一九、火口付近在住の現実を生きる不定形生物さん︵出張中
これがオリジナルの底力だというのか⋮⋮
一二0、山腹巣穴在住の現実を生きる不定形生物さん︵出張中
オリジナルおそるべし⋮⋮
1009
﹁都市級が港町を襲撃するようです﹂part5
一二一、海底洞窟在住のとるにたらない不定形生物さん
これまでのあらすじ
港町に辿りついた勇者一行
船便の予約も無難にこなし
羽のひとの子狸キャッチャーが閃いた
一方その頃⋮⋮
鬼のひとたちの手で秘密裏に開発され
ついに完成した子狸バスターが
何者かによって強奪されてしまう
邪悪なる意思を吹き込まれ
港町を強襲する子狸バスター⋮⋮
果敢にも立ち向かう騎士たちであったが
その圧倒的な魔☆力に
なすすべなく倒れていく
事態を重く見た銀河連合は
青の戦士たちを派遣するも
強大な闇の勢力に囚われ
悪の手先と化してしまう
1010
希望は潰えてしまったのか?
子供たちの呼び声に
いま、おれたちの子狸さんが立ち上がる
なんだか口では立派なことを言ってるけど
お前、さてはお風呂が気になってぜんぜん話を聞いてなかっただ
ろ⋮⋮
一二二、火口付近在住の現実を生きる不定形生物さん︵出張中
おい。だいぶ違うぞ
最後はよしとしても
一二三、かまくら在住の現実を生きる不定形生物さん︵出張中
途中からおかしくなった
銀河連合ってなんだ
でも最後は合ってる
一二四、住所不定のどこにでもいるようなてふてふさん
エロ狸がぁ⋮⋮
1011
一二五、管理人だよ
ふと思い出したんだが
一二六、山腹巣穴在住の現実を生きる不定形生物さん︵出張中
おう。なんだ、どうした?
思い出すのは良いことだぞ
記憶力のトレーニングになる
言ってみろよ
一二七、管理人だよ
うむ⋮⋮
叔父貴のところの若い衆が
旦那のチェンジリングは特殊だと
あれはどういう?
一二八、山腹巣穴在住の現実を生きる不定形生物さん︵出張中
お前はいったいどこへ向かってるんだ⋮⋮?
タマさんの側近な
1012
んー⋮⋮なにか特殊だったか?
近隣の河は一通り読み漁ったが
とくに不審な点は見当たらなかったぞ
海底の、わかる?
一二九、海底洞窟在住のとるにたらない不定形生物さん︵出張中
まあ、いちおう
あれはたんにチェンジリングの対象が違うってだけ
ふつう、騎士は逆算能力をチェンジリングするんだが
タマさんの側近は盾魔法だっただろ?
ああ、繰り返すようで申し訳ないけど⋮⋮
子狸よ。お前にチェンジリングは絶対に無理だ
方向性が真逆だからな
諦めろ
一三0、王都在住のとるにたらない不定形生物さん︵出張中
そもそもだ⋮⋮
お前にはおれがついてるんだから
チェンジリングなんていらないだろ
詠唱破棄のほうが遥かに使える
1013
一三一、管理人だよ
じゃあ、さっそくで悪いけど
制限解除してたもれ
一三二、王都在住のとるにたらない不定形生物さん︵出張中
え?
もしかして口車に乗せたつもりなの?
一三三、住所不定のどこにでもいるようなてふてふさん
うちのパーティー、バランス悪いよな⋮⋮
港町から脱出するという言質を
勇者さんからとったつもりでいる子狸は
もうここには用がないと言わんばかりだ
子狸﹁おれ、もう行っていい?﹂
勇者﹁だめ。聞きなさい。⋮⋮リン﹂
おれ﹁はい?﹂
勇者﹁あなたの結界は、都市級の魔物に通じるの?﹂
おれ﹁いえ⋮⋮無理です。足止めにもならないかと⋮⋮﹂
1014
勇者﹁じっさいに試したことは?﹂
おれ﹁あります。そのときは騙し絵みたいにして方向感覚を狂わせ
たんですけど⋮⋮。わたしたちの結界は、魔☆力とすごく相性が悪
いんです︵実話︶﹂
勇者﹁そう。それなら⋮⋮﹂
おっと、ここから先は内緒だぜ
一三四、空中庭園在住の現実を生きる不定形生物さん︵出張中
いいだろう
千里眼の開放レベルは5だからな
お互いフェアに行こうぜ
まあ、もっとも⋮⋮
火口の! 山腹の!
おれたちの勝ちは揺るがないがな⋮⋮
一三五、火口付近在住の現実を生きる不定形生物さん︵出張中
おう!
おれ参上!
1015
おおう!?
一三六、山腹巣穴在住の現実を生きる不定形生物さん︵出張中
おれ参⋮⋮
おふっ! おふっ!
一三七、かまくら在住の現実を生きる不定形生物さん︵出張中
駐在の騎士たちが外敵排除へと向ける熱意は高い
おそらく隊員のほとんどは
故郷を守るために戦っているのだ
子狸と違って
ふつうの人間には得意な属性がある
チェンジリング☆ハイパーの起点を一巡することで
彼らは多方向から様々な属性の魔法を撃てる
陣形は敵の行動に応じて変えるものだから
完全に動きを止めた子狸バスターに対しては
足を止めての、そして最速の撃ち合いになる
集中砲火の真っ只中に飛び込んできた火口のと山腹のは
たちまち蜂の巣になった
1016
ステルスしてるから
騎士たちには見えないけどね
おーい、こっちこっち
一三八、火口付近在住の現実を生きる不定形生物さん︵出張中
あわわわわわ⋮⋮!
ふう⋮⋮
一三九、山腹巣穴在住の現実を生きる不定形生物さん︵出張中
ふう⋮⋮
一四0、かまくら在住の現実を生きる不定形生物さん︵出張中
左腕に火口のが、胴体に山腹のが避難
みなぎる子狸バスター
おれレボリューション!
つーか狭い
1017
一四一、火口付近在住の現実を生きる不定形生物さん︵出張中
おれレボリューション!
もちっと寄せて
一四二、山腹巣穴在住の現実を生きる不定形生物さん︵出張中
おれレボリューション!
おい。押すな
一四三、住所不定のどこにでもいるようなてふてふさん
レボリューションとか⋮⋮
お前ら恥ずかしくないの?
一四四、火口付近在住の現実を生きる不定形生物さん︵出張中
はじまったよ⋮⋮
やだもうこのひと⋮⋮
本当にドS⋮⋮
一四五、かまくら在住の現実を生きる不定形生物さん︵出張中
1018
牛のひとといい、歩くひとといい⋮⋮
一四六、海底洞窟在住のとるにたらない不定形生物さん
レボリューションしてるところすまんが
山腹の、勇者さんについてくれる?
なんだか別行動とるみたいだから
おれ、さっきから千里眼の使い通しで
目が疲れてきた
一四七、火口付近在住の現実を生きる不定形生物さん︵出張中
その目とやらはどこにあるのかと
一四八、山腹巣穴在住の現実を生きる不定形生物さん︵出張中
内部分裂せよとおっしゃるか⋮⋮
喜んで
勇者さんはおれがついてないとな⋮⋮
庭園の、火口の、以下略
お前らとは長い付き合いになるが
いずれはこうなるさだめだった⋮⋮
1019
さらばだ!
一四九、空中庭園在住の現実を生きる不定形生物さん︵出張中
山腹の∼!
一五0、火口付近在住の現実を生きる不定形生物さん︵出張中
山腹の∼!
一五一、かまくら在住の現実を生きる不定形生物さん︵出張中
なぜ略した
んー⋮⋮庭園の
火花星、打ち上げておくか?
一五二、空中庭園在住の現実を生きる不定形生物さん︵出張中
そうだな。そうしてくれ
一五三、火口付近在住の現実を生きる不定形生物さん︵出張中
この日、王国の上空では大規模な火花星が観測された
1020
星座が燃え上がっているかのようだ
かすかに斜陽を帯びた西日の中
子狸バスターがマントを破り捨てる
騎士たちの砲火に晒されつつも
奇跡的に原型をとどめていたマントが
ばさりと地面に落ちた
レベル4の魔物は
詠唱をスキップできるという絶大なアドバンテージを持つ
だが、それすら氷山の一角に過ぎない
庭園﹁イズ⋮⋮﹂
左腕INおれに紫電が走る
騎士A﹁! 魔属っ⋮⋮!﹂
騎士D﹁自分が!﹂
騎士Dが無謀とも言える突撃を敢行した
バスターに肉薄し、全身全霊の掌打を放つ
騎士D﹁レゴ!﹂
追随してしまえば
1021
狙撃の射線がつぶれる
他の騎士たちはフォローに徹するしかない
騎士A﹁ドロー!﹂
騎士B﹁ドロー!﹂
大気中の水分が凍結し
バスターの表面を氷が覆う
庭園﹁ロッド⋮⋮﹂
加速魔法が連結されるたびに
氷の厚みが増していく
一時的にでも詠唱を止めるのが狙いだ
勇気は買う
しかし近付けばレクエイム毒針・影の餌食だ
おれたちに死角はない
庭園﹁ブラウド⋮⋮﹂
騎士D﹁!? こいつ、中になにか⋮⋮!﹂
至近距離からまびさしの奥を垣間見た騎士Dが悲鳴を上げた
急激な眠気に襲われ片ひざをつく
加減したとはいえ、素晴らしい精神力だ
騎士D﹁ぐっ、う⋮⋮!?﹂
1022
庭園﹁ディグ⋮⋮﹂
騎士Dが悲鳴を上げたとき
すでに騎士Aは駆け出していた
騎士A﹁グレイル!﹂
最後に騎士たちを打ち崩したのは
おそらく情だった
騎士D﹁隊、長っ⋮⋮﹂
騎士Aに続いて
他の騎士たちも一斉に飛び出したからだ
仲間を救うという
ただそれだけの行動に
術理は微笑まない
チェンジリング☆ハイパーは瓦解した
繰り出された騎士Aの手刀は
皮肉にもバスターを覆う氷に遮られて届かなかった⋮⋮
こういうことをするから
おれたちは嫌われるのである
庭園﹁メイガス﹂
1023
座標起点
掛け値なしの開放レベル4だ
一五四、王都在住のとるにたらない不定形生物さん︵出張中
一方その頃
子狸﹁でぃれい﹂
こそっと盾魔法で全身をガードした子狸さんが
妖精﹁てめっ﹂
念動力もなんのその
子狸﹁でぃれい﹂
巣穴を飛び出した
子狸﹁でぃれいでぃれいでぃれい。ディレイ!﹂
妖精﹁リシアさんのアイディアをっ⋮⋮悪用!?﹂
勇者﹁⋮⋮⋮⋮﹂
1024
﹁都市級が港町を襲撃するようです﹂part5︵後書き︶
注釈
・おれレボリューション
おれ革命。
青いひとたちの最終奥義。合体し、各部位の運動を各自で担当す
る離れ業。
分身魔法で再現しようとしても確実に頭部争奪戦が起こるため、
この最終奥義を実現できるのは青いひとたちしかいない。
基本的には無意味⋮⋮どころか弱体化する。
だがそれがいい。
・発電魔法
電気を生成し操る魔法。スペルは﹁イズ﹂。
雷の属性は魔属性とも呼ばれ、人間が扱うことはできないとされ
る魔法のひとつ。
落雷は嵐を呼ぶとされ、非常にイメージが悪かったためと推測さ
れる。あと静電気とか。
魔物たちは自然を敬っているので、それでは申し訳ないと紫色に
デコレーションして自然現象との区別化を図るが、より一層イメー
ジが悪くなったという噂も⋮⋮。
・座標起点
1025
魔法の起点を移動する魔法。スペルは﹁メイガス﹂。
開放レベル4なので人間にはふつうに使用不可。
回避不可能という性質のものではないが、魔物たちが人間を相手
に使ったなら、まず必中と言っていいだろう的中率を誇る。
1026
﹁都市級が港町を襲撃するようです﹂part6
一五五、山腹巣穴在住の現実を生きる不定形生物さん︵出張中
妖精﹁待てこら!﹂
子狸﹁やだ﹂
羽のひとの念動力を振りきった子狸さんが
小物類を蹴散らして窓台に飛び乗った
勇者﹁どうして⋮⋮﹂
こうと決めたら一直線の子狸が後ろ髪を引かれたように見えたのは
勇者さんの声がいつになく頼りげなく揺れていたせいかもしれない
肩越しに振り返った子狸が目にしたのは
いつもの毅然とした彼女だ
勇者﹁あなた、死ぬわ﹂
静かに佇む勇者さんを映す
子狸の目に
迷いはない
子狸﹁ちがう。生きるんだ﹂
間違えて女子更衣室に突入したときと同じ言い訳だった
1027
これでお別れになると思ったからかもしれない
最後に、にこりと微笑んでから
子狸は
自由へ向かって跳んだ
一五六、火口付近在住の現実を生きる不定形生物さん︵出張中
悲劇的に語彙が少ないな⋮⋮子狸ぃ⋮⋮
一五七、かまくら在住の現実を生きる不定形生物さん︵出張中
会話が成立してるかどうかも微妙な線ですしね⋮⋮子狸ぃ⋮⋮
子狸が宿屋の二階から明日へと跳んだとき
天空から降った紫電が
騎士たちを打った
ほつれた糸が
天と地を結んだかのようだった
グループ指定、ウィルス性の座標起点
限りなくレベル5に近い広域殲滅魔法だ
かつて国ひとつを陥とした魔人の技に
騎士たちは悲鳴を上げることさえ叶わず
1028
その場に倒れ伏した
逆算能力を使う暇などあろうはずもない
総勢で二十四名の騎士たちが一瞬で全滅した
いや⋮⋮ひとりだけ
騎士Aだけが切れ切れの意識をつなぎとめていた
いったい何が彼を支えているのか
子狸バスターにすがりつくように
がくがくと震える足で踏ん張っている
バスターは惜しみない賞賛を贈った
庭園﹁素晴らしい。認めてやる⋮⋮お前たちは、おれの敵として倒
れる﹂
そう言って、騎士Aの首に指を回して持ち上げる
騎士A﹁が⋮⋮あ⋮⋮﹂
庭園﹁言え。勇者は⋮⋮アリア家の娘はどこにいる﹂
騎士A﹁逃げて⋮⋮くれ⋮⋮とても⋮⋮かなわない⋮⋮﹂
騎士Aの意識は朦朧としている
だから口を衝いて出たのは
王国を守る騎士としてではなく
ひとりの人間としての願いだった
1029
庭園﹁そうか。ならば、しね﹂
騎士Aを宙吊りにしたまま
ゆっくりと手刀を構える子狸バスター
一五八、王都在住のとるにたらない不定形生物さん︵出張中
減速魔法で着地した子狸が目にした光景は
中央広場で倒れ伏している騎士たちと
いままさに風前の灯と化している騎士Aの命
そして、おびえて何も出来ずにいる子供たちだった
その姿が、かつての自分と重なって見えたのかもしれない
バウマフ家の人間はシナリオに没頭しすぎるきらいがあるから
未熟なうちは恐怖が足を引っ張ることもある
アリア家の人間とは違うから
意識的に感情を制御することはできないのだ
子狸は叫んだ
子狸﹁やめろーっ!﹂
黒装の騎士が子狸に気づいて騎士Aを放り投げる
一五九、空中庭園在住の現実を生きる不定形生物さん︵出張中
1030
大きくなったなぁ⋮⋮
ママンと似てる
一六0、火口付近在住の現実を生きる不定形生物さん︵出張中
ママン⋮⋮
一六一、かまくら在住の現実を生きる不定形生物さん︵出張中
ママン⋮⋮
一六二、住所不定のどこにでもいるようなてふてふさん
お前らが美しい思い出にひたっている一方その頃
勇者さんは決断を下した
勇者﹁リン、追って。まだ途中だけれど⋮⋮あなたの友達を支えて
あげなさい﹂
おれ﹁はい! リシアさんは?﹂
ベッドに立てかけてある剣を腰に差して
マントを羽織った勇者さんが
早足で部屋のドアに向かう
1031
勇者﹁手筈通りに。⋮⋮あの子は、もしかしたらとくべつな存在な
のかもしれない。わたしよりもずっと﹂
お前らが、さんざん勇者さんをスルーして子狸にばかり構うから
⋮⋮
おれ﹁でも、ともだちですから。ともだちだから⋮⋮行きますっ!﹂
部屋を出ていく勇者さんを
最後まで見送るのももどかしく
おれは飛翔した
窓から飛び出すと
怒りに燃えた子狸さんが全力で駆けて行くのが見えた
子狸﹁チク! タク! ディグ!﹂
激しい感情はときとして
人間の潜在能力を引き出すこともある
3∼5発が限界とされていた子狸が
このとき生成した圧縮弾は、じつに十発に及んでいた
全力疾走を続ける子狸を追い抜いて
荒ぶる圧縮弾が黒騎士を打つ
黒騎士はびくともしなかった
鍛え上げられた鉄に覆われた堅牢なるバスターは
1032
防御の手間すら惜しむことができる
庭園﹁つたない魔法だ。圧縮、固定、投射、すべてが甘い⋮⋮﹂
魔軍☆元帥は魔王軍で随一の魔法使いだった
こと攻性魔法に関しては魔王すら超えている
庭園﹁チク・タク・ディグ﹂
回転しながら圧縮された空気の弾丸が上空に撃ち出される
優に千を越える圧縮弾が
着弾点をずらして流星のように降り注いだ
馬車が通れるよう均された地面が抉られて
飛び散った土砂が
後追いの圧縮弾に粉砕される
凄まじい光景だ
イメージひとつとっても
人間の限界を大きく凌駕している
にじり寄ってくる圧縮弾の滝に
しかし子狸はひるまない
子狸﹁ディレイ・ラルド・エリア!﹂
傘のように頭上に展開した盾魔法を
薄く引き伸ばして高度を維持したまま前方に撃ち出す
1033
雨が降ったときに便利な傘の道だ
一六三、王都在住のとるにたらない不定形生物さん︵出張中
魔法の中核をなすのはイメージだから
打ち負けないという確信が大事だ
魔法の火力は子狸にとって数値の違いでしかない
それは人間よりも魔に近しい感覚だ
子狸作の傘魔法は原則に従って正しく
豪雨じみた圧縮弾を打ち砕く
黒騎士までの道が開いた
陥没した地面を噛む子狸の足に
より一層の力が込められる
追いついてきた羽のひとが
きりもみしながら子狸の前に躍り出た
子狸﹁! リン⋮⋮﹂
妖精﹁おい。まともにやっても勝ち目はないぞ﹂
子狸﹁だからっ⋮⋮!﹂
妖精﹁友達なんだろ。おれら﹂
1034
子狸﹁っ⋮⋮わかった。行こう!﹂
妖精﹁けっきょく無策かよ⋮⋮だったら好きにさせてもらうぜ!﹂
先制したのは羽のひとだ
投射されたマジカル☆ミサイルが
光の軌跡を描いて黒騎士に着弾する 待ち構える黒騎士は小揺るぎもしない
子狸の傘魔法に感心した様子だ
庭園﹁ふむ⋮⋮とるにたらない小物と思っていたが⋮⋮なかなかど
うして⋮⋮﹂
傘魔法の庇護下にない地面が
流星雨で削り取られていく中
黒騎士から発せられる声だけが重く響いた
まるで別世界の出来事のようだ
一六四、かまくら付近在住の現実を生きる不定形生物さん︵出張中
トップスピードに乗った羽のひとが
光弾に紛れてバスターの背後をとる
妖精﹁いまさら出てきてっ⋮⋮! おれカッター!﹂
三日月状の光波がバスターの肩口を打った
1035
しかし設定上、羽のひとの浸食魔法は決定的な殺傷力を持たない
重力が光を歪めるように
圧倒的な質量に光刃が弾かれたとき
あぜ道を踏破した子狸が
固く握ったこぶしを弓矢のように引きしぼる
子狸﹁アバドン!﹂
質量には質量をということか
一六五、火口付近在住の現実を生きる不定形生物さん︵出張中
だが、無駄だ
振り上げられたバスターの左手INおれが
子狸のこぶしを無造作に受け止めた
魔法を使うまでもない
腕力だけでねじ伏せてやる⋮⋮!
子狸﹁ぐうっ⋮⋮!﹂
庭園﹁おれの部下が世話になったそうだな﹂
両者の対格差は大人と子供ほどもある
ぐっと胸をせり出したバスターが
仲つむまじい恋人のように顔を寄せて囁いた
1036
庭園﹁ただの子供ではないか。悪いことは言わん⋮⋮勇者など捨て
置け。帰る家があるのだろう⋮⋮?﹂
一六六、王都在住のとるにたらない不定形生物さん︵出張中
おい。やめろ
すでに統制が崩れてるじゃねーか
左腕と胴体が別の生き物みたいに動いてて気持ち悪いんだよ
いや、たしかに別の生き物なんだが⋮⋮
一六七、かまくら在住の現実を生きる不定形生物さん︵出張中
それが持ち味とも言える
バスターは子狸をまったく問題視していない
敵意を向けるにも値しないのだ
近所の公園で遊ぶ子供にしてやるように
無骨な手で頭を撫でてやる
軽く体重を掛けただけで
子狸は荷重を支えきれずに両ひざを屈した
子狸﹁くっ、うう⋮⋮!﹂
肩で息をしている子狸に
1037
バスターが繰り返した
庭園﹁家に帰れ﹂
脅威に値しないという意味では羽のひとも同じだ
左腕にまとわりついている彼女へと向ける
バスターの視線にはひとかけらの興味もない
庭園﹁妖精か⋮⋮やはりな⋮⋮﹂
妖精﹁このっ⋮⋮!﹂
一六八、住所不定のどこにでもいるようなてふてふさん
あとでころす
一六九、空中庭園在住の現実を生きる不定形生物さん︵出張中
ごめんなさい
一七0、火口付近在住の現実を生きる不定形生物さん︵出張中
命だけは⋮⋮
一七一、かまくら在住の現実を生きる不定形生物さん︵出張中
1038
子狸さんのベイビーをこの手で抱き上げたいです
一七二、海底洞窟在住のとるにたらない不定形生物さん
内心で命乞いする中のひとに
子狸が跳ね上がるように手刀を繰り出した
子狸﹁グレイル!﹂
受けるな
浸食されるぞ
一七三、王都在住のとるにたらない不定形生物さん︵出張中
お前はどっちの味方なんだ
さすがに浸食魔法は物理的にやばいらしい
が、チェンジリング☆ハイパーをも封殺するレベル4に
不意打ちとはいえ接近戦が通用すると考えるのは甘い
黒騎士がちょいと指を下に向けると
詠唱破棄された崩落魔法が子狸を地面に縫いつける
子狸﹁がっ⋮⋮!﹂
庭園﹁寝ていろ﹂
1039
大人と子供どころではない
象さんと蟻さんだ
仮に接近戦が通用するとすれば⋮⋮
そうだよな
屋根伝いに移動してきた勇者さんが
抜き身の真剣をぶら下げたまま
屋根を蹴って跳躍した
狙いは黒騎士の肩口だ
全身を鎧で覆われている黒騎士だが
どんな鎧にも継ぎ目はある
関節部なら間違いない
魔法を排した勇者さんには
気配がない
着地を羽のひとに委ねての
全体重と落下速度を上乗せした
完全な死角からの一太刀⋮⋮
かつて見えるひとを葬ったそれを
受け止めたのは
振り返った黒騎士の右手から伸びた
1040
炎の剣だった
庭園﹁不意打ちにはもう懲りた﹂
おい。おいおい⋮⋮
何してくれてんだ、お前⋮⋮
おれのシナリオにはないぞ
本気で⋮⋮おれたちに取って代わるつもりか!?
残酷なことしやがる⋮⋮!
この発想⋮⋮!
お前らの黒幕は⋮⋮お屋形さまじゃないのか!?
一七四、山腹巣穴在住の現実を生きる不定形生物さん︵出張中
甘いよ。甘い。見誤ったな、王都の
庭園﹁アレイシアン・アジェステ・アリアだな?﹂
突如として顕現した魔火の剣に
勇者さんは無反応だった
透徹な瞳が黒騎士を見据える
完璧に感情を制御した状態だ
1041
代わりに羽のひとがリアクションしてくれた
妖精﹁火の宝剣⋮⋮!? そんな、まさか⋮⋮!﹂
本当にありがとうございます
一七五、住所不定のどこにでもいるようなてふてふさん
まったく⋮⋮
この青いのはどうしようもねーな⋮⋮
ふだんから腹黒いこと考えてるから
内部分裂するんだろ⋮⋮
おれ﹁リシアさんっ⋮⋮いま!﹂
隙だらけだぜ、子狸バスター!
その首、もらったぁ∼!
一七六、海底洞窟在住のとるにたらない不定形生物さん
羽のひとの光刃は
しかし黒刃によって相殺された
1042
妖精﹁!?﹂
子狸バスターの肩に降り立った何者かが
羽のひとに笑いかける
??﹁臆病者のリンカー・ベル⋮⋮相変わらずね﹂
手乗りサイズの少女の姿だ
背中から生えた二対の羽から
光の燐粉が舞い散る
黒装の騎士に寄り添う妖精は
あるじに合わせてか
夜の帳に溶け込むような
黒い衣装を身にまとっていた 一七七、住所不定の特筆すべき点もないてふてふさん
待たせたな、お前ら⋮⋮
おれ参上!
一七八、山腹巣穴在住の現実を生きる不定形生物さん︵出張中
司令!
1043
一七九、火口付近在住の現実を生きる不定形生物さん︵出張中
司令!
一八0、かまくら在住の現実を生きる不定形生物さん︵出張中
司令!
一八一、海底洞窟在住のとるにたらない不定形生物さん
呼んでますけど、司令⋮⋮
ふだんから⋮⋮なんでしたっけ?
一八二、住所不定のどこにでもいるようなてふてふさん
あっちゃあ⋮⋮
1044
﹁都市級が港町を襲撃するようです﹂part7
一八三、火口付近在住の現実を生きる不定形生物さん︵出張中
どうしようもなくて、ごめんなさいね。本当⋮⋮
一八四、かまくら在住の現実を生きる不定形生物さん︵出張中
本当にね⋮⋮
一八五、山腹巣穴在住の現実を生きる不定形生物さん︵出張中
うん、本当に⋮⋮
一八六、住所不定のどこにでもいるようなてふてふさん
ねちっこい!
なんなの、この青いのん!
わ、わかってるんだぞ⋮⋮
お前らが純真無垢なおれのコピーをたぶらかしたんだろ⋮⋮
なにが司令だ。かわいそうに⋮⋮
一八七、火口付近在住の現実を生きる不定形生物さん︵出張中
1045
いやいや、ねーよ。それはない
王都のが言ってるでしょ
おれなんて、ほとんどご近所さんを売ってるからね
涙を呑んで従ってるわけですよ
一八八、火山在住のごく平凡な火トカゲさん
ちょちょちょ⋮⋮ちょっ
お前ら
ひとが地味にマグマの成分調査してる間に
なに勝手に話を進めてんの?
え? ご近所さんっておれ?
おれを売ったってこと?
どういうこと?
一八九、かまくら在住の現実を生きる不定形生物さん︵出張中
いや、だからぁ⋮⋮
あれでしょ?
王都のは勇者さんにバラしちゃうつもりなんでしょ?
でも本当にやばいところまでバラす必要性はないわけじゃん?
そのための聖☆剣なんでしょ?
1046
でも火属性は二人もいらないよね、っていう話
一九0、火山在住のごく平凡な火トカゲさん
うん? うん。そう⋮⋮なのかな?
え? うーん⋮⋮
え? そういうこと?
じゃあ、おれはどうなるの?
一九一、山腹巣穴在住の現実を生きる不定形生物さん︵出張中
お前は今日から大地の化身です
本当にありがとうございました
一九二、火山在住のごく平凡な火トカゲさん
いやだよ!?
なんでよりによって大地だよ!?
ていうか、それ言ったら土属性もかぶってるし!
1047
一九三、海底洞窟在住のとるにたらない不定形生物さん
それはそうなんだけどさぁ⋮⋮
んー⋮⋮子狸さんは目の前のことに精いっぱいみたいだし
もう言っちゃうけど⋮⋮ 緑のひとを崇め奉ってるのって
巫女さんの一味だよね?
その時点で決まっちゃったっていうか⋮⋮うん
一九四、火山在住のごく平凡な火トカゲさん
か⋮⋮関係なくね?
いや! わかるよ
豊穣の巫女だもんな
でも、だからって⋮⋮
おれが土属性を担当するのは
また違う話だろ!?
しょ⋮⋮
消去法⋮⋮なのか?
一九五、火口付近在住の現実を生きる不定形生物さん︵出張中
1048
消去法だなんて、そんな⋮⋮ねえ?
一九六、かまくら在住の現実を生きる不定形生物さん︵出張中
うん、まあ⋮⋮おれの口からはちょっと⋮⋮なあ?
一九七、山腹巣穴在住の現実を生きる不定形生物さん︵出張中
そうだなぁ⋮⋮
おっと、勇者さんががんばってるというのに
おれたちときたら⋮⋮
言い合いをしてる場合じゃないぜ!?
魔☆力対策なのだろう
退魔性を全開にした勇者さんは
無機質で
近寄りがたい雰囲気がある
口を開いて喋るという
ただそれだけの行為に違和感がつきまとうのだ
勇者﹁つの付き⋮⋮ね。思ったよりも大物が釣れたわ﹂
愛用の剣が
炎に巻かれて一瞬で融解しても
彼女は眉ひとつ動かさなかった
1049
直前に剣を手放して
復活した魔軍☆元帥の腕を蹴って難を逃れる
ところで話は変わるが
おれは、いつか子狸さんが勇者さんの笑顔を見せてくれるんだと
思ってた
でも違ったんだな⋮⋮
着地した勇者さんが
すかさず聖☆剣を起動して
にたりと笑った
毒々しい野心に満ちた笑顔だった
勇者﹁お前の
首級を
とれば!﹂
踏み出すと共に光の剣を力任せに叩きつける
これを火の剣で受けた黒騎士に
ぎらつく目で勇者さんが叫んだ
勇者﹁この国は
わたしのものだ!﹂
1050
ど、どうしちゃったの、この子⋮⋮?
一九八、王都在住のとるにたらない不定形生物さん︵出張中
ふっ、わからんのか?
一九九、山腹巣穴在住の現実を生きる不定形生物さん︵出張中
王都の⋮⋮なにか心当たりでもあるのか?
二00、王都在住のとるにたらない不定形生物さん︵出張中
いや、おれもわからん
どうしちゃったんだろうね?
二0一、山腹巣穴在住の現実を生きる不定形生物さん︵出張中
なんだそれ!
ふざけんな!
二0二、王都在住のとるにたらない不定形生物さん︵出張中
知るか!
1051
ポンポコ担当のおれが
よそんちに詳しかったらおかしいだろ!
まあ⋮⋮
憶測でしかないけど
無理やり押さえ付けられた感情は
むしろ伸びるんじゃないか
子狸﹁お嬢っ⋮⋮!?﹂
勇者さんの声に子狸が息を吹き返した
子狸﹁なんでっ﹂
勇者﹁平民がわたしに指図しようなんて百年早いわ﹂
勇者さんのテンションが急落した
噛み合った聖☆剣から火の粉が舞う
光の粒子が踊っているかのようだ
勇者さんよりも黒騎士のほうが高い次元で聖☆剣を使いこなせて
いる
聖☆剣のポテンシャルを知っているということだ
だから黒騎士はつばぜり合いを避けて
膂力で劣る勇者さんを弾き飛ばした
庭園﹁試させてもらおうか⋮⋮ディグ!﹂
1052
左腕を一振りするだけで
追撃の圧縮弾が放たれる
ふつうの人間なら一撃で致命傷になりかねない
凶悪な圧縮弾だ
勇者さんは瞬間的に感情を揺り戻して
構成破壊を試みるも
庭園﹁ドロー!﹂
加速魔法を追加されて失敗に終わる
つまるところ投射魔法の最高速は
処理速度の限界でもある
加速魔法で処理速度を底上げされた魔法は
結果的に加速したように見える
突き出された勇者さんの手をくぐり抜けた圧縮弾が
彼女のお腹をしたたかに打った
勇者﹁っ⋮⋮﹂
いくら常人離れした退魔性を持っているとはいえ
削りきれなかった衝撃に
勇者さんの小柄な身体がさらに弾かれる
庭園﹁おれにそんな小細工は通用せんぞ﹂
1053
しっかりと勇者さん対策を練ってきたらしい さもあらん
レベル4が旅の序盤で負けるとか
笑い話にもならないからね
二0三、空中庭園在住の現実を生きる不定形生物さん︵出張中
おい。プレッシャーかけるな
そんなこと言ってもコイツ
勇者さんとの相性は最悪だぞ
設計思想が対子狸戦を想定したものだからな⋮⋮
二0四、王都在住のとるにたらない不定形生物さん︵出張中
なぜそんなものを作った
二0五、海底洞窟在住のとるにたらない不定形生物さん
なぜと言われましても⋮⋮
二0六、火口付近在住の現実を生きる不定形生物さん︵出張中
1054
まあ、負けることはないだろ
勇者さんの劣勢はあきらかだ
もとよりレベル4に
人間が敵う筈もない
わかりきったことだ
いますぐにでも加勢に向かいたい羽のひとが
行く手を遮る、かつての同胞に吠えた
妖精﹁どきなさい!﹂
黒妖精﹁あら、久しぶりに会えたのに挨拶もなし? 寂しいじゃな
い⋮⋮﹂
妖精﹁言ってもわからないなら⋮⋮!﹂
黒妖精﹁できるかしら? 落ちこぼれのあなたに⋮⋮﹂
勇者一行に随行する羽のひとは
妖精の里では落ちこぼれだったという設定がある
はっきり言って
羽のひとは魔王よりも強いからだ
ファイティングポーズをとった二人が
空中で水平にサイドステップを踏む
速い。氷上を滑っているかのようだ
1055
フェイントを交えながら接近し
挨拶代わりの左ジャブで距離を測る
左の刺し合いは互角
ぴくりと右肩が動いたが
これはフェイント
迂闊にビックパンチを放り込めばカウンターの餌食だ
いったん距離をとった両者が構えを変える
ガードを下げた黒い妖精さんの
速射砲のような左ジャブに対し
ガードを固めた羽のひとは
頭を左右に振ってまとを絞らせない
互いに右を叩き込む機会をうかがっているようだ
二0七、王都在住のとるにたらない不定形生物さん︵出張中
おい。やめろ
なにを当然のようにこぶしで語ってんだ
堂に入ってるじゃねーか⋮⋮
そうじゃない。子狸が真似したらどうすんだ
魔法で戦って下さい。お願いします
1056
二0八、住所不定のどこにでもいるようなてふてふさん
そ、そうか⋮⋮
では改めて⋮⋮
おれ﹁マジカル☆ミサイル!﹂
二0九、住所不定の特筆すべき点もないてふてふさん
いまさら手遅れだと思うが⋮⋮
おれ﹁ダークネス☆スフィア!﹂
二一0、山腹巣穴在住の現実を生きる不定形生物さん︵出張中
なにそれ。かっこいい
妖精ファイトが魔法合戦へと移行した一方その頃⋮⋮
苦戦する勇者さんを見かねた子狸が
重力場にあえぎながら這って進み
前足でバスターの足首をつかんだ
子狸﹁イズっ⋮⋮!﹂
1057
ちょっ!?
二一一、空中庭園在住の現実を生きる不定形生物さん︵出張中
おまっ!?
二一二、王都在住のとるにたらない不定形生物さん︵出張中
さりげなく前足とか言うな
もともと子狸は
めったなことじゃ侵食魔法を使わないんだよ
子狸の手からほとばしった紫電が
黒騎士の鎧を伝って
お前らがしびれる
庭園﹁なにっ!?﹂ 驚かざる得ない庭園の
その隙を突いて子狸が声を張り上げた
子狸﹁お嬢っ⋮⋮! だまされちゃだめだ! レベル1ならっ⋮⋮﹂
余計なことを口走ろうとする子狸を
そうはさせじと黒騎士が襟首をつかんで持ち上げる
1058
庭園﹁小僧⋮⋮貴様、何者だ⋮⋮﹂
好機と見て勇者さんが駆け寄ろうとするも
彼我の距離はだいぶ離れてしまっている
庭園﹁エリア・ラルド!﹂
黒騎士が勇者さんのほうに向かって片腕を突き出すと
遮光性の障壁が幾重にも勇者さんを取り囲んだ
退魔性は恣意的なものだから
これを打ち破るのは容易ではない
子狸﹁お嬢っ⋮⋮﹂
黒騎士が子狸に向き直る
庭園﹁なんなんだ、お前は⋮⋮? お前の魔☆力は⋮⋮人間よりも
われわれのそれに近い⋮⋮﹂
子狸﹁なにを⋮⋮﹂
心理操作はリスクが高すぎる
魔王軍が誇る魔軍☆元帥は
かかる危機を子狸と口裏を合わせてやり過ごすしかない
庭園﹁⋮⋮︵考え中︶⋮⋮そうか、そういうことか。お前は⋮⋮あ
の男の息子か﹂
1059
お屋形さまに全責任を押し付けることにしたようである
苦肉の策だった
それに対する子狸さんの反応は⋮⋮
子狸﹁⋮⋮⋮⋮﹂
二一三、空中庭園在住の現実を生きる不定形生物さん︵出張中
がんばれ!
二一四、かまくら在住の現実を生きる不定形生物さん︵出張中
がんばれ子狸!
二一五、火山在住のごく平凡な火トカゲさん
がんばれ! がんばれ!
二一六、海底都市在住のごく平凡な人魚さん
子狸さん、がんばって!
二一七、古代遺跡在住のごく平凡な巨人兵さん︵出張中
1060
子狸ぃーっ!
二一八、空中回廊在住のごく平凡な不死鳥さん
お前なら⋮⋮やれるさ⋮⋮
二一九、空中庭園在住の現実を生きる不定形生物さん︵出張中
!?
二二0、王都在住のとるにたらない不定形生物さん︵出張中
ありがとう、お前ら!
子狸!
みんなが
お前を
応援してる!
子狸﹁⋮⋮⋮⋮﹂
子狸は ゆっくりと 首を傾げた
子狸﹁?﹂
1061
だめだ! わかってねえ!
二二一、空中回廊在住のごく平凡な不死鳥さん
二二二、空中庭園在住の現実を生きる不定形生物さん︵出張中
ああっ⋮⋮
おれのご近所さんがふたたび日の当たらないところへ⋮⋮!
なんでだ子狸っ⋮⋮なんでっ! わかってくれないんだよっ!?
じゃあお前はだれの息子なんだよ!?
二二三、火口付近在住の現実を生きる不定形生物さん︵出張中
代名詞とかはちょっと難易度が高かったかもしれないなぁ⋮⋮
二二四、王都在住のとるにたらない不定形生物さん︵出張中
子供たちには子供たちの社会がある
ひとりの女の子が小さな男の子たちを率いて
騎士たちの治療に当たろうとしていた
勇気を振り絞って中央広場に飛び出し
1062
いちばん近くの騎士を取り囲むや否や
見よう見まねの治癒魔法を施そうとする
しかし魔法は詠唱さえすれば発動するものではない
イメージが肝要だ
魔☆力の網を逃れるような幼さでは
魔法の像を結ぶことは難しい
子供たちの姿が視界をちらつくたびに
子狸の焦燥感は増すばかりだ
子狸﹁母さんのことか?﹂
二二五、空中庭園在住の現実を生きる不定形生物さん︵出張中
そっち!?
二二六、火山在住のごく平凡な火トカゲさん
そっち!?
二二七、海底都市在住のごく平凡な人魚さん
子狸さんって
ときどき実父の存在を頭の片隅に追いやるよね⋮⋮
1063
二二八、古代遺跡在住のごく平凡な巨人兵さん︵出張中
おい! お屋形さまが泣き崩れたぞ!
二二九、海底洞窟在住のとるにたらない不定形生物さん
いや、お前はどこで何してんの!?
二三0、古代遺跡在住のごく平凡な巨人兵さん︵出張中
その件なんだが⋮⋮
この中に
おれを売った輩がいる
だれだ
おれがサボってるとか言ったの
二三0、王都在住のとるにたらない不定形生物さん︵出張中
人間たちが到達しうる
究極の投射魔法とはどういったものか
おれたちが下した結論は三つだ
1064
一つ目は、子狸がよく使う時間差を交えた投射魔法
相手の動きに合わせて臨機応変に対応できる反面
即効性に欠ける
二つ目は、ひたすら速度を追求した投射魔法
じゃっかんの誘導性に加え
多くの場面で危機を回避しうる汎用性がある
羽のひとのマジカル☆ミサイルはこれに当たるだろう
そして三つ目が、黒妖精のダークネス☆スフィアだ
二三一、古代遺跡在住のごく平凡な巨人兵さん︵出張中
なるほど
お前か
二三二、王都在住のとるにたらない不定形生物さん︵出張中
黒妖精の周囲に
無数の黒球が浮かび上がる
ひとつの黒球がジグザグに飛んだかと思えば
べつの黒球は直進し、途中でぴたりと停止する
さらにべつの黒球は急カーブを描いたあと、すとんと落ちる
それら一つ一つの黒球が不規則な運動をしながら
1065
周辺を縦横無尽に飛び回る
当たるも八卦、当たらぬも八卦の博打魔法だ
羽のひとのマジカル☆ミサイルは
たちまち黒球に飲み込まれて消えた
規則性を排除するために
変化魔法ではなく侵食魔法を連結している
この手の投射魔法のおそろしい点は
激しく揺れ動く黒球の軌道を
術者だけが知っているということだ
羽のひとは光刃で地道に黒球をつぶして行くしかない
妖精﹁っ⋮⋮侵略者に手を貸すというの、あなたは!? ユーリカ
! ユーリカ・ベル!﹂
コアラ﹁精霊がそうすると決めたなら、わたしたちは従う。ずっと
そうやって生きてきた。これからもそう﹂
二三三、住所不定の特筆すべき点もないてふてふさん
ユーカリじゃねーよ!
二三四、空中庭園在住の現実を生きる不定形生物さん︵出張中
1066
ポンポコ母でもねーよ⋮⋮
だれがいつポンポコ母の話をしたよ子狸ぃ⋮⋮
なんでだ⋮⋮なんでお前は⋮⋮
なんでだYO! YO☆ YO☆
二三五、かまくら在住の現実を生きる不定形生物さん︵出張中
あまりの理不尽さに庭園のが壊れた⋮⋮
二三六、管理人だよ
YO☆ YO☆
二三七、王都在住のとるにたらない不定形生物さん︵出張中
なんかはじまったぞ、おい⋮⋮
二三八、山腹巣穴在住の現実を生きる不定形生物さん︵出張中
お前らがチェケラってる一方その頃
闇の底に囚われた勇者さんは懸命に考えていた
1067
勇者﹁⋮⋮⋮⋮﹂
目の前に立ちふさがる障壁を指でなぞると
視界を覆い隠す暗闇に亀裂が走った
勇者﹁⋮⋮⋮⋮﹂
まぶたを閉じて、深く息を吸う
1068
﹁都市級が港町を襲撃するようです﹂part8
二三九、管理人だよ
お前ら、心配かけてすまなかった⋮⋮
もうだいじょうぶ
いま、すべての謎がとけた
チェケラっ
二四0、海底洞窟在住のとるにたらない不定形生物さん
いかん! 庭園の! 魔☆力で口をふさげ!
二四一、王都在住のとるにたらない不定形生物さん︵出張中
いや、待て
言わせてやってくれ
このままだと魔軍☆元帥とポンポコ母は面識があるということに
⋮⋮
ただでさえ、うちのポンポコ︵大︶に人生を狂わされてるのに
それはあまりにも⋮⋮あまりにも⋮⋮
1069
二四二、管理人だよ
でも母さんは⋮⋮笑ってたよ
二四三、住所不定のどこにでもいるようなてふてふさん
お前はだまってろ
二四四、住所不定の特筆すべき点もないてふてふさん
そしてお茶を淹れろ
うんと熱いやつをだ
二四五、空中庭園在住の現実を生きる不定形生物さん︵出張中
子狸﹁父さん? 父さんなの⋮⋮?﹂
パパだよ
おい。王都の
この始末はどうつけてくれるんだ?
二四六、王都在住のとるにたらない不定形生物さん︵出張中
案ずるな。おれたちには心理操作という切り札がある
1070
二四七、山腹巣穴在住の現実を生きる不定形生物さん︵出張中
さっきと言ってることが違うじゃねーか⋮⋮
バレるよ。バレるバレる
アリア家の感情制御がどれほどのものかは知らないけど
ある程度まで感情をコントロールできるような人間に
外から誘導を仕掛けたら、まずバレる
二四八、かまくら在住の現実を生きる不定形生物さん︵出張中
そうだな
子狸には魔王の腹心ルートがあるからべつにいいけど
おれたちのスペックを知られるのはまずい
取り返しがつかなくなる恐れがある
二四九、火口付近在住の現実を生きる不定形生物さん︵出張中
そうだな⋮⋮
ところで、ごめん
さっきから気になってたんだけどさ
火の剣をかまくらのが使ってるのはおかしくない?
いや、べつにおれがどうとかじゃなくてさ⋮⋮
1071
なんていうか⋮⋮
まあ⋮⋮
おれのメインウェポンだよね
二五0、火山在住のごく平凡な火トカゲさん
わかる
火といえばおれらみたいな
だってほら、おれ火トカゲって言っちゃってるからね
赤いのはさぁ、光属性の担当でいいんじゃん?
二五一、火口付近在住の現実を生きる不定形生物さん︵出張中
あ、ごめん。それは無理
おれらの中で、子狸バスターは空中回廊を制覇した猛者ってこと
になってるから
二五二、火山在住のごく平凡な火トカゲさん
それは⋮⋮いまからでもじゅうぶん変更可能な要素じゃないのかい
だいたい土魔法って何なんですか
1072
定義があいまいだし
原理もいまいち⋮⋮
そんなわけのわからない属性の担当にされて
おれにいったいどうしろと?
二五三、管理人だよ
土魔法⋮⋮だと⋮⋮?
二五四、王都在住のとるにたらない不定形生物さん︵出張中
黒騎士に父の面影を見る子狸さん
体格からして別物なのだが
どうやら脳内で実父の肉体改造計画が進んでいるらしい
いまにはじまった話ではないが
子狸が当てにならない以上
庭園のは急ごしらえのシナリオをたった一人でも推し進めるしか
ない
庭園﹁バウマフだと⋮⋮? マッコール⋮⋮このおれをたばかった
のか⋮⋮!﹂
子狸﹁! クリスくんを知ってるのか!?﹂
歌の人に関してはきちんと反応するらしい
1073
子狸に説明しても理解してくれないことは実証済みである
黒騎士は渦巻く業火の矛先を子狸に向ける
庭園﹁⋮⋮お前に兄弟はいるのか?﹂
子狸﹁ブラザーなら﹂
庭園﹁⋮⋮いるの?﹂
何かしらの事情でバウマフさんちのひとを保護条約の対象にした
かったらしい
自分で自分をどんどん追い詰める子狸に
黒騎士も崖っぷちに追い込まれていく
破滅のチキンレースを仕掛けた子狸は
黒騎士のつのを凝視していた
かぶと虫を連想しているのだろうか?
子狸さんのかぶと虫への執着心は並々ならぬものがある⋮⋮
ちっちゃい頃にかぶと虫の人気にあやかろうとしたものの
待ち構えていた羽のひとに没収された過去がそうさせるのだ
ちっ、余計なことを思い出させやがって⋮⋮
古傷がうずくぜ
二五五、海底洞窟在住のとるにたらない不定形生物さん
1074
余計な入れ知恵するからだろ
お前がバウマフさんちのひとに妙なことを吹き込むたびに
おれたちのヒエラルキーはどんどん下がってる気がする⋮⋮
むかしはおれたちのこと青いひと青いひとって
慕ってくれてたのに⋮⋮
二五六、住所不定のどこにでもいるようなてふてふさん
そんな過去はねーよ
いかがわしい軟体生物どもめ⋮⋮
二五七、住所不定の特筆すべき点もないてふてふさん
むかしのお前らはそんなんじゃなかった
魔王軍にそのひとありと謳われた六魔天はどこ行ったんだよ⋮⋮
二五八、山腹巣穴在住の現実を生きる不定形生物さん︵出張中
やめて。死にたくなる
おれたちも大概だよな⋮⋮
なんだったんだろう、あのテンション⋮⋮
1075
微妙にテンションが高いときの勇者さんを見てると
いたたまれない気持ちになるよ⋮⋮
これ、完全に黒歴史だよね
障壁の亀裂が広がると共に光が内部に差し込む
やがて自壊した障壁が枯葉のように舞う
それらは空中で散り散りになって
ぱっと目を開けた勇者さんの眼前で
粉雪みたいに溶けた
何かコツを掴んだらしい
駆け出した勇者さんが片手を差し出しただけで
彼女の指先に触れた五重の障壁が次々と砕け散った
振り抜いた左手の先に
子狸の喉元に聖☆剣⋮⋮いや、魔☆剣か?
魔☆剣の切っ先をあてがう黒騎士の姿が見えた
彼女は叫んだ
勇者﹁ノロ!﹂
子狸﹁お嬢!﹂
勇者さんは子狸を名前では呼ばない
通りの角から、ひそかに待機していた黒雲号が飛び出した
豆芝さんもあとを追って駆け寄ってくる
宿屋で羽のひとと別れた勇者さんは
1076
真っ先にお馬さんを連れ出して死角に配置していたのだ
勇者さんは聖☆剣を構えて黒騎士に突進する
お馬さんとの合流まで五秒といったところか?
それまでに決着をつけるつもりだ
先手は黒騎士。とっさに魔☆力で子狸を縛る。逃走防止の一手だ 硬直した子狸を地面におろし、その左腕を振り上げる
豪腕から放たれた圧縮弾は風圧と見紛うばかりだ
勇者﹁リン!﹂
詠唱破棄は最速の手札だ。勇者さんは後手に回らざるを得ない
妖精﹁はい!﹂
手筈通りに羽のひとが結界を張る
その目的は黒妖精ことコアラさんの隔離だ
逸早く失策に気が付いたコアラさんが黒騎士を呼ばわる
コアラ﹁ジェル!﹂
勇者さんは、かつて子狸の影にひそんでいた魔物が
港町を襲撃した都市級の手駒の一つだと予測していた
仮に都市級が不完全な状態にあるなら
追っ手に差し向けるのは俊敏な手下だろうとも
1077
逃走するときに邪魔になるのは
むしろそちらのほうだ
そして都市級の手下が同等の魔物とは考えにくいから
結界による隔離は可能という結論を出していた
庭園﹁ユーリカ! 妖精を押さえろ!﹂ だが、さすがに妖精が敵に回ることまでは予想できなかった
結界は妖精さんたちの標準装備なので
二人の空間干渉は一進一退の攻防になる
勇者さんは子狸のアドバイスを噛み砕いてものにしたらしい
彼女の身体に触れた圧縮弾がことごとく散る
詠唱破棄は強力な魔法だが
二つの大きな欠点がある
一つは減衰のペナルティ
もう一つは指示との両立はできないということだ
れっきとした詠唱は存在するため
言葉を口にしているとき、詠唱破棄はできない
一足一刀の間合いに踏み込んだ勇者さんが
聖☆剣の切っ先を跳ね上げた
子狸バスターの剣術は
海のひとが秘密裏に回収した
1078
勇者さんの剣術をベースにしている
同じ技量なら膂力に勝るほうが有利だ
ふたたび噛み合った聖☆剣と魔☆剣が
激しい火花を散らせた
そのまま押し切ろうとする黒騎士を
勇者さんは身体ごと旋回していなした
小刻みなステップを踏んで黒騎士の側面に回りこむ
二五九、王都在住のとるにたらない不定形生物さん︵出張中
おお
二六0、海底洞窟在住のとるにたらない不定形生物さん
おお
二六一、山腹巣穴在住の現実を生きる不定形生物さん︵出張中
うん? うん
二六二、王都在住のとるにたらない不定形生物さん︵出張中
1079
ん? ああ、そうか。お前らはリアルタイムで見てないからな
いまのは歩くひとの技だ
最短の距離を行って、最短の軌道で剣を振る
言ってみれば愚直な勇者さんの剣術に
わずかな変化が生じている
くるりと回った勢いで叩きつけた刃は
しかし別の生き物のように動いた黒騎士の左手に受け止められる
いや、正確には左手から伸びた魔☆剣だ
とっさに右手の魔☆剣を散らせた黒騎士が
即座に左手で再起動したのだ
魔法の剣は物質的なものではないから
既存の概念に囚われない使い方もできる
これは、その一つだ
身体を目いっぱい使った勇者さんの一撃を
黒騎士は純粋な腕力だけで押さえることができる
体勢を崩したかに見えた勇者さんが
尻もちをついた姿勢で硬直している子狸の手を掴んだ
口ではどうのこうの言っても
子狸にとって勇者さんの存在は大きい
少しおちつきを取り戻したなら
攻めるべき箇所も見えてくる
1080
怒りに任せて突撃するだけが能ではない
跳ね起きた子狸が
手のひらを地面に叩きつけた
念のために言っておくが肉球はない
子狸﹁アバドン・ラルド!﹂
詠唱破棄で子狸の詠唱をつぶそうとした黒騎士の前に
勇者さんが立ちふさがる
叩きこまれた重力場が地盤を揺るがし
黒騎士が自重で沈む
足をとられた黒騎士に
手をつないだままの二人が
至近距離から怒涛の連撃を浴びせる
そのすべてを黒騎士は
重厚な装甲で
あるいは魔☆剣で受けきってみせた
傍目から見ると追い詰められているように見えるが
実質はまったくの逆だった
戦闘経験のケタが違いすぎる
ほんの少し虚実を織り交ぜるだけで
黒騎士は勇者さんの行動を誘導できた
1081
手を離したら魔☆力に囚われるだけだから
子狸は勇者さんに合わせるしかない たんに勇者さんの手の感触に酔いしれているだけという説もある
羽のひとを振りきったコアラさんが
空中でスピンしながら子狸の手首に痛烈なかかと落としを浴びせた
子狸﹁ぬうっ⋮⋮!﹂
意地でも勇者さんの手を離そうとしない子狸に
あとを追ってきた羽のひとはどん引きしている
さすがにこの場面でのツッコミは自粛するようだ
二六三、管理人だよ
羽のひとが⋮⋮ふたり!?
おれの妄想がとうとう現実になっ
二六四、山腹巣穴在住の現実を生きる不定形生物さん︵出張中
妖精﹁マジカル☆ミサイル!﹂
コアラ﹁ダークネス☆スフィア!﹂
1082
子狸﹁おれメイン! 二倍増しで痛い!﹂
光弾と黒球が乱舞する中
勇者さんが子狸を引きずって
黒騎士の顔面に突きを繰り出す
外したのはわざとだろう
手首を返して首をなぎに行く
これは視線で読まれた
聖☆剣と魔☆剣が何度目かの邂逅を果たす
子狸﹁ちょっ、なに!? おれ、いま忙しっ⋮⋮﹂
無事に合流したお馬さんたちに子狸がもみくちゃにされる中
黒騎士の低い声が鎧の中を反響して不協和音を奏でた
庭園﹁素質は悪くない。二年後、三年後にはわからんかもしれんな
⋮⋮﹂
黒騎士が遊んでいるのは明白だった
子狸と勇者さん、二人をもろとも討ち取る機会は何度もあった
このままでは勝ち目はないと察したから
勇者さんは言葉で揺さぶりをかける
勇者﹁動きがにぶいわ。本調子じゃないんでしょ? 使えない部下
を持つと大変ね﹂
早くも勇者さんの息は上がっている
1083
本当にこの子は体力がない
ちなみに勇者さんの下僕は、いま
お馬さんたちにブラシを強要されている
ここに来て、港町の平和を優先したのが裏目に出ていた
子狸﹁お前たち⋮⋮仕方ない。チク・タク・エリア・グノ! 波ー
っ!﹂
子狸さん渾身のブラシ掛けが駆け抜ける中
魔☆剣から放たれる熱波が勇者さんの髪をなびかせる
庭園﹁まったくだ。つくづく⋮⋮地上の空気はなじまない。じつは
こうしているのも億劫でな﹂
勇者と思しき人物を魔王軍が放置するのは不自然だから
勇者一行にはいくつかの救済策が施されている
その一つが、魔界から出てきたばかりの魔物は全力を発揮できな
いという縛りだ
まびさしの奥で、黒騎士の眼光が不気味に明滅した
庭園﹁そのおれが、部下どもを差し置いて、わざわざ出向いたのは
何故だと思う⋮⋮?﹂
はっとした勇者さんが刃を引いた
しかし、すでに遅かった
1084
勇者さんの意思に反して聖☆剣が散る
武器を失った勇者さんを斬り伏せるのは
黒騎士にとってたやすかった
だが、実行には移さなかった
もはや黒騎士にとって
彼女は無価値な存在だったからだ
かつては魔王の右腕として辣腕を振るった魔王軍最高幹部の手に
いま、二振りの宝剣が握られていた
黒騎士が体躯を揺すって歓喜をあらわにした
庭園﹁千年だ⋮⋮。千年かけて、ようやく⋮⋮。とうとう手に入れ
たぞ⋮⋮﹂
驚くほど隙だらけだった
それでも構わなかった
もはや黒騎士に対抗しうる唯一の手立ては失われたのだ
庭園﹁レプリカなどではない、本物の鍵を!﹂
紅に燃える空の下
1085
魔軍☆元帥の手で掲げられた聖☆剣が
王の帰還を祝福するように
燦然と輝いた⋮⋮ 1086
﹁都市級が港町を襲撃するようです﹂part9︵前書き︶
登場人物紹介
・子狸バスター
鬼のひとたちがお届けする世界の鎧シリーズ五作目。
前作まで継承されてきた操縦方式をダイナミックに改革。操縦席
を全廃し、夢のような収納スペースを実現した今作は、青いひとた
ちの専用機である。
装甲は鉄製。厳選された良質の鉄素材をもとに、かつて人類が到
達した最高の技術で製作されている。
鎧シリーズの大きな特徴として﹁正体はじつは人間だった﹂ルー
トに対応できるよう、姓名を完備。
第二回全部おれ定例会議において、さまざまな候補が挙がる︵﹁
グレート・ディン﹂﹁ポーラ・スペシャル﹂﹁ブラックナイト・ブ
コアラ
ルー﹂﹁五身合体おれたち﹂﹁おれと愉快なお前たち﹂﹁むしろお
れ﹂等︶も、黒妖精さんに﹁お前らの主張が激しすぎる﹂とお叱り
を受け、﹁ジ・エルメノゥマリアン・ヨト﹂と命名される。
﹁ジ﹂は古代言語で﹁数字の5﹂。鎧シリーズの五作目であること
から。
﹁ヨト﹂は旧古代言語で二人称の﹁あなた︵お前︶﹂を意味する。
設定上、魔王は魔物たちの﹁最後の子﹂である。
﹁エルメノゥマリアン﹂は人間たちの称号名をリスペクトしたもの。
※﹁メノゥ︵しいていうなら∼している︶﹂を原級とするなら、﹁
エメノゥ=メノッド︵まさしく∼している︶﹂は比較級、﹁エルメ
1087
ノゥ︵すごく∼している︶﹂は最上級にあたる。
コアラ
黒妖精さんのネーミングをいったんは絶賛した青いひとたちだが、
ひそかに四人で集まり﹁じっさいどうよ⋮⋮?﹂﹁一文字とか⋮⋮﹂
﹁さも閃いたふうを装ってたけど、絶対に前から決めてたよ⋮⋮﹂
﹁あのひとはそういうところがある⋮⋮﹂とか相談した結果、自ら
名乗ることはしないという消極的な案をとる。
そのことが悪い方向に転がり、港町で衝突した騎士たちに前作の
見えるひと専用機と同一視され、意見がまとまらないうちに魔王軍
元帥という設定を引き継ぐことになった。
つまり魔王軍﹁最高の魔法使い﹂という設定である。広範囲に及
ぶ攻撃的な魔☆力は魔王軍でも一、二を争うほどで、これは前回の
旅シリーズにはなかったもの。あるじを失った憎しみがそうさせる
のか⋮⋮? 要検証。
現在はレボリューションが不完全であるため、脚部の駆動を魔法
で補っている。
巨大な魔物をねじ伏せるほどの腕力を持っているが、鎧にとり憑
いているという設定上、俊敏性に欠ける。
部下に恵まれないのは仕様である。
火の宝剣の保持者として勇者一行の前に立ちふさがる。
1088
﹁都市級が港町を襲撃するようです﹂part9
二六五、住所不定の特筆すべき点もないてふてふさん
おい。お前ら
青いの。こら
なにがレボリューションだ⋮⋮
サヤエンドウみたいな構造しやがって⋮⋮
おい。なんで成功してんだ
そこは失敗して、いったん退却するっていう手筈だったろーが
二六六、空中庭園在住の現実を生きる不定形生物さん︵出張中
勇者さんの驚く顔が見たくて、つい⋮⋮
二六七、火口付近在住の現実を生きる不定形生物さん︵出張中
許してあげて下さい!
こいつ、子狸さんの前だと張り切りすぎるところがあるんです!
な? ほら、謝っとけ
1089
二六八、空中庭園在住の現実を生きる不定形生物さん︵出張中
結果的に同じことじゃん?
むしろぉ⋮⋮じっさいに奪ったほうが緊迫感があっていいでしょ?
二六九、かまくら在住の現実を生きる不定形生物さん︵出張中
ばっ⋮⋮口ごたえするな!
二七0、住所不定の特筆すべき点もないてふてふさん
しょせんレベル1か⋮⋮︵ため息
まあ⋮⋮
ぬるま湯にひたって生きてきたお前らに
おれみたいな繊細な感覚を期待したのが間違ってたのかもな⋮⋮
二七一、空中庭園在住の現実を生きる不定形生物さん︵出張中
そうかもね
まあ⋮⋮
お前にバウマフさんちのひとの世話は無理だろうな
ひとことで言えば、ワンパターンなんだよね
殴って終わりみたいな
可愛いから許されるだろー⋮⋮みたいな甘え?
1090
あるよね、そういうところ
美少女︵苦笑
二七二、住所不定の特筆すべき点もないてふてふさん
炒るぞ
二七三、空中庭園在住の現実を生きる不定形生物さん︵出張中
ごめんなさい
おれが間違ってました
二七四、住所不定の特筆すべき点もないてふてふさん
仕方ねーな⋮⋮
じゃあ、自分はそら豆みたいなものですって言え
二七五、火口付近在住の現実を生きる不定形生物さん︵出張中
!? 司令、それだけは⋮⋮!
二七六、かまくら在住の現実を生きる不定形生物さん︵出張中
1091
それはあまりにも⋮⋮! ご慈悲を!
二七七、空中庭園在住の現実を生きる不定形生物さん︵出張中
いいよ、お前ら。自分でまいた種だ。言うよ
二七八、火口付近在住の現実を生きる不定形生物さん︵出張中
庭園の⋮⋮だが!
二七九、かまくら在住の現実を生きる不定形生物さん︵出張中
庭園の⋮⋮!
二八0、住所不定の特筆すべき点もないてふてふさん
言えよ
二八一、空中庭園在住の現実を生きる不定形生物さん︵出張中
くっ⋮⋮!
おれは⋮⋮そら豆みたいなものです⋮⋮
1092
言うほど⋮⋮青くありません⋮⋮
二八四、山腹巣穴在住の現実を生きる不定形生物さん︵出張中
庭園の∼!
二八三、海底洞窟在住のとるにたらない不定形生物さん
庭園の∼!
二八四、管理人だよ
庭園の∼!
二八五、王都在住のとるにたらない不定形生物さん︵出張中
お前らの心がひとつになった一方その頃⋮⋮
妖精﹁聖☆剣が⋮⋮!﹂
リアクション担当の羽のひとを
コアラさんが憐れむような目で見た
コアラ﹁哀れね。光の精霊もあなたも、ひとを見る目がなかった⋮
⋮そういうこと﹂
1093
そう言って、羽のひとの横を通り過ぎて
黒騎士の肩にとまる
そして彼女は、魔軍を総べる将の耳元で囁いた
コアラ﹁どう? わたしの言った通りでしょ? 同じ次元の存在な
ら、宝剣に干渉できる。精霊の宝剣は最高位の存在だから、より優
秀な使い手を選ぶ。古いしきたりにはリスクを回避するための構造
が多いのよ。わたしたち妖精がそう﹂
黒騎士の肩の上で、彼女は羽のひとを見つめて儚げに笑った
コアラ﹁光の精霊があなたを選んだ理由は、なんとなくわかる。誇
っていいと思う。あなたのそういうところ、わたしは好きよ。でも
⋮⋮優しいだけじゃ競争には勝てない﹂
妖精﹁わたしはっ⋮⋮﹂
反論しようとする羽のひとだが
現実に聖☆剣は勇者さんの手を離れて
魔軍☆元帥の手中におさまっている
宝剣のシステムを知らなかったから
勇者さんに警告をすることもできなかったのだ
子狸﹁⋮⋮⋮⋮﹂
事態の推移を見守っていた子狸が
黒騎士とコアラさんを何度か見比べて
なにかを期待するような眼差しで
1094
滞空している羽のひとを見た
妖精﹁⋮⋮⋮⋮﹂
羽のひとが嫌そうな顔をしてから子狸の肩にとまる
子狸はひとつ頷いてから、黒騎士に懇願した
子狸﹁父さん。父さんなんだろ!? なんでそんなことするんだ?
そんなふうに女の子と仲良くして⋮⋮母さんに言いつけるよ?﹂
庭園﹁﹂
黒騎士が動揺した
本当の意味で急所だったからだ
若い女の子と浮気していたなど告げ口された日には
お屋形さまに明日はない
もちろん事態に関わったおれたちとて無事では済まないだろう
それでも一度は信じた道だ
犠牲を払ってでも進むしかない
おれは無実です
庭園﹁光の宝剣を手に入れた以上、お前は用済みだ。スペアは一人
でいい⋮⋮バウマフ家の歴史をここで閉ざしてやろう⋮⋮﹂
明日は不要とばかりに歩を進める黒騎士の前に
1095
勇者さんが立ちふさがった
子狸﹁お嬢っ⋮⋮!﹂
勇者﹁下がってなさい﹂
子狸を片手で制した勇者さんが
怜悧な眼差しで黒騎士を見つめる
黒騎士はゆっくりと首を傾げた
庭園﹁⋮⋮ああ、ご苦労だったな。人間の娘よ、もうお前に用はな
い。どこへなりとも行くがいい﹂
勇者﹁聞き捨てならないわね。予備というのはわたしのこと?﹂
庭園﹁そうだ﹂
黒騎士は認めた
庭園﹁単なる偶然だとでも思っていたのか? やましいところがあ
るから嘘をつくことになる。だから中途半端になるのだ⋮⋮光の精
霊よ。だが、その憂いも、もはや⋮⋮﹂
真相を打ち明ける必要がないから
黒騎士の答えは端的になる
その言葉には歴史の重みがある
火の剣を散らせて
1096
勇者さんを押しのけようと
緩慢な動作で片腕を伸ばそうとする黒騎士に
パートナーの黒妖精が声をかけた
コアラ﹁ジェル。その子でもいいんじゃないの? その子の退魔性
は相当なものだわ﹂
スペアはバウマフ家の人間でもいいのではないかということだ
さしもの黒騎士も宝剣の導き手をおざなりにはできない
庭園﹁お前は知らないからな。バウマフ家とわれわれの因縁を⋮⋮。
実力はどうあれ、生かしておくことはできない﹂
勇者﹁⋮⋮物心ついたときには﹂
勇者さんが唐突に言った
庭園﹁⋮⋮?﹂
勇者﹁感情を抑える癖ができていた。嬉しいという気持ち、楽しい
こと⋮⋮むかしはあったのかもしれないけど、いまでは区別もでき
ない﹂
彼女の話を
黒騎士は聞く義理がない
庭園﹁どけ﹂
勇者さんの肩に触れた黒騎士の手が
1097
かすかに震えた
退魔力ではない
地上で魔物は不完全な状態をしいられる
活動時間に関しても同様だ
タイムリミットが近い
黒騎士は繰り返した
庭園﹁どけ。生かしておいてやると言っているのだ。おれの言うこ
とが信じられんか? 魔王軍とて一枚岩ではない。同胞に寝首をか
かれないという保証はない﹂
かつて邪神教徒に裏切られた魔軍☆元帥が言うと
悲しいほど説得力があった
庭園﹁万が一のことを考えるなら、スペアは必要だ。勇者とは、わ
れわれにとって聖☆剣の道しるべなのだ。死んでもらうわけにはい
かん⋮⋮﹂
黒騎士の説得に
勇者さんは応じない
勇者﹁わたしが、どんな気持ちで生きているか⋮⋮あなたたちには
絶対にわからない。観客のいない舞台で一人ずっと踊っているよう
なものよ﹂
でも、と彼女は言った
1098
勇者﹁だから、この舞台を降りるわけにはいかない﹂
振り上げた手で
勇者さんが黒騎士の厚い胸板を叩いた
黒騎士はびくともしない
勇者さんを押しのけて、子狸の前に出る
庭園﹁長かった⋮⋮。どうりで見つからないはずだ。貴様らが聖☆
剣の運び手だったとはな⋮⋮! 勇者の末裔よ!﹂
子狸の胸ぐらを掴んで宙吊りにした黒騎士が
聖☆剣の切っ先を向ける
黒騎士の豪腕に押されて
よろめいた勇者さんが叫んだ
勇者﹁リン! 剣!﹂
妖精﹁! でも!﹂
勇者﹁早く!﹂
妖精﹁⋮⋮っ!﹂
融解して地面に落ちた剣の残骸を
羽のひとが念動力で勇者さんに投げ渡した
柄と刀身は分離していた
空気に触れて冷却が進んでいた鉄は
1099
かろうじて棒状を維持していたが
とても剣とは呼べない惨状だった
包丁ほどの長さしかないそれを握ると
まだ冷え切っていないらしく
肉が焼ける音がした
庭園﹁ちっ⋮⋮﹂
苛立たしげに舌打ちした黒騎士が肩越しに振り返る
勇者さんに低レベルの魔法が通用しないことは実証済みだ
面倒でも自ら対応するしかない
勇者﹁足を狙いなさい!﹂
突然の出来事だ
勇者さんの指示に応えたのは
子狸でもなければ
羽のひとでもない
復活した騎士の狙撃だった
港町の住人を退魔力で解放しておいたのか?
だが、それにしては手際が良すぎる⋮⋮
1100
二八六、山腹巣穴在住の現実を生きる不定形生物さん︵出張中
子狸が途中で出撃したからな
最後までは聞けなかったけど
勇者さんにとって聖☆剣が奪われたのは想定内のことだったんだ
ろう
裏で糸を引いていた都市級の魔物が出てきたんだから
何らかの手段を講じてる可能性もあると思ったんじゃないか?
勇者さんがやったことは単純だよ
となりの部屋の住人を退魔力で解放したんだ
わかるか?
港町に限った話じゃない
商人に身をやつしたファミリーの連中が
勇者一行の前後を固めてたんだ
港町に潜入していた連中が
騎士たちを回復したんだ
奇しくも黒騎士の魔☆力は
勇者さんの切り札をつぶしていた
だから彼女が本当に求めていたのは
ファミリーの連中が騎士たちを回復させるだけの時間だった
1101
足を光槍で縫いつけられた黒騎士が
屈辱に吠えた
庭園﹁アレイシアン⋮⋮!﹂
勇者﹁気安く名前を呼ばないで﹂
体勢を崩した黒騎士の肩口に
すっかり短くなった剣が深々と突き刺さる
役割を終えた剣が
根元から折れた
ありったけの退魔力を注ぎ込んだはずだった
それでも黒騎士は倒れなかった
庭園﹁この程度で、このおれを倒せると思ったか!﹂
どれだけ理想的な条件を揃えても
人間の力が通用するのはレベル3までだ
人間の限界が開放レベル3だから
おそらく勇者さんはレベル4以上の魔法に退魔性を試したことは
ない
光槍が乱れ飛ぶ中、身の危険を感じた子狸は黒騎士の腕にしがみ
ついた
子狸﹁イズ!﹂
1102
お前らがしびれる
庭園﹁ぐっ⋮⋮! 邪魔だ!﹂
発電魔法は
鎧を伝って内部のお前らにダメージを与えることができる
コアラさんに電流が行かないように配慮するところが
いかにも子狸であった
放り投げられた子狸が
空中で猫みたいに身をよじって
四つ足で着地した
子狸﹁ふーっ!﹂
野生化しとる
子狸﹁チク・タク・エラルド⋮⋮!﹂
勇者さんから離れた子狸は
魔☆力の餌食だ
子狸﹁あふっ﹂
子狸は硬直しても
騎士たちの砲火は止まらない
隠し玉のファミリーに関しても
1103
勇者さんの指示で動いているなら
常時展開の盾魔法で魔☆力を弾いた可能性がある
黒妖精が黒騎士の肩の上で
愉快そうに身体を小刻みに揺すっていた
コアラ﹁手を貸してあげようか?﹂
庭園﹁いらん。同じことだ⋮⋮イズ・ロッド・ブラウド・ディグ・
メイガス!﹂
ふたたび紫電が閃いた
開放レベル4の広域殲滅魔法に人間が抵抗するのは無理だ
勇者さんが傷つけたのは
黒騎士本体ではなく
魔軍☆元帥としてのプライドだった
庭園﹁やってくれたな、小娘⋮⋮﹂
もう子狸は眼中になかった
黒騎士の標的は勇者さんに移っていた
羽のひとが勇者さんの手のひらの治療に当たっている
勇者さんが真っ直ぐに黒騎士を見据えた
勇者﹁宝剣に固執しすぎよ。そんなものがなくても人間は戦える﹂
1104
庭園﹁お前は宝剣の価値を知らん。人間だと? 残っているのはお
前だけではないか。無駄な足掻きだ﹂
両者の会話が、はじめて成立した
勇者﹁そうかもしれないわね﹂
勇者さんは認めた
勇者﹁でも、他に打てる手がなかった。精いっぱい足掻いて、それ
でもだめなら諦めるしかないわね。だから、これが最後の手段にな
る⋮⋮﹂
そう言って彼女は片手を差し伸べた
勇者﹁戻って来なさい﹂
庭園﹁無駄だ﹂
黒騎士が一歩、踏み出した
勇者﹁戻って来なさい﹂
庭園﹁無駄だと言っている﹂
さらに一歩
その足がひざから折れた
庭園﹁!? ちっ⋮⋮騎士どもめ⋮⋮見事だ﹂
1105
片ひざを屈した黒騎士が
敵と認めた騎士たちを賞賛した
庭園﹁影ども⋮⋮出てこい﹂
黒騎士の影が本体と剥離して伸び上がる
影に身をやつした火口のとかまくらのが
分裂しながら勇者さんに迫る
勇者さんの治療を終えた羽のひとが身構えた
庭園﹁命乞いしろ。いまなら、まだ間に合う﹂
勇者﹁戻って来なさい﹂
庭園﹁無駄だと⋮⋮!﹂
一心に念じる勇者さんに応えたかのように
黒騎士の手から伸びている聖☆剣が
激しく明滅しはじめた
あってはならない現象だった
暴れる右手を、黒騎士が左手で押さえつけようとした
庭園﹁なぜだ!? なぜお前は、われわれではなく人間を選ぶ!?
あのひとが見たものとは⋮⋮いったい何だったのだ?﹂
1106
二八七、空中庭園在住の現実を生きる不定形生物さん︵出張中
子狸ライトオン!
二八八、王都在住のとるにたらない不定形生物さん︵出張中
よしきた、子狸ライトオン!
二八九、山腹巣穴在住の現実を生きる不定形生物さん︵出張中
輝く子狸さん
突如として発光しはじめた子狸を
黒騎士が振り返る
驚きの声を上げたのは黒妖精さんだ
コアラ﹁まさか⋮⋮宿主!?﹂
庭園﹁そこにいるのか⋮⋮? 教えてくれ。なぜ人間なんだ? お
前は自然界の守護者ではないのか? 王は⋮⋮最後に何と言ってい
た?﹂
ひょっこりと立ち上がった子狸が
ゆっくりと首を傾げた
子狸﹁え? あ、動く﹂
1107
しょせん子狸か⋮⋮
庭園﹁そうか⋮⋮。言葉で伝えるものではないのだな⋮⋮﹂
黒騎士は強引に納得した
諦めたように左手を右手から離すと
光の粒子と化した聖☆剣が
勇者さんの手に溶け込むように消えた
コアラ﹁ジェル、何を⋮⋮﹂
庭園﹁構わん。時期ではなかったということだろう⋮⋮﹂
そう言って、黒騎士は勇者さんを見る
庭園﹁おれもまだ完全ではない。残る宝剣を手に入れたあかつきに
は、光の精霊とて従わざるを得ないだろう。それ以外にも⋮⋮心当
たりはある﹂
勇者﹁鍵⋮⋮と言っていたわね﹂
庭園﹁教えると思っているのか? 自分の目で見て、耳で聞いて判
断しろ﹂
黒騎士は片足を引きずって立ち上がる
庭園﹁騎士たちに免じて、ここは退こう。だが、これだけは言って
おく。先ほどはああ言ったが⋮⋮勇者とは結果的に魔王を倒したも
1108
ののことだ。お前が何者かは⋮⋮お前自身が決めるといい﹂
見つめ合う両者の肩の上で
妖精たちもあるじに習った
コアラ﹁そういうことみたいだから⋮⋮また会える日を楽しみにし
てるわ、リンカー。あなたは、もう少し魔法の勉強をしなさい﹂
妖精﹁ユーリカ⋮⋮﹂
少し離れたところで、子狸がうんうんと小刻みに頷いている
猛虎の構えをとっていた影たちが﹁え? おれは?﹂という感じ
で硬直していた
そのとき、中央広場に大きな影が落ちた
港町の上空を、ひよこが飛んでいた
ゆるやかに滑空して中央広場に舞い降りると
ひよこはちまい翼を折りたたんで黒騎士を見下ろした
すごく⋮⋮大きいです
ひよこ﹁戯れもほどほどになされ⋮⋮元帥殿﹂
首回りを立派なたてがみが覆っていた
二九0、魔都在住の特筆すべき点もないライオンさん︵出張中
1109
ひよこじゃねーよ
おれだよ。おれ
二九一、海底洞窟在住のとるにたらない不定形生物さん
いや、前々から思ってたんだけど⋮⋮
お前の主成分はひよこだと思う
二九二、管理人だよ
空のひと。空のひとじゃないか
二九三、魔都在住の特筆すべき点もないライオンさん︵出張中
ちわ。管理人さん
だから、ひよこじゃねーって
せめてヒナ鳥と言え。ひよこだとニワトリさんのヒナだろ
おれのベースになってるのは鷲さんとライオンさんだから
二九四、住所不定のどこにでもいるようなてふてふさん
1110
ベースってお前⋮⋮
たてがみだけじゃねーか⋮⋮
なんで出てきた?
お前が出てくると
いろいろとぶち壊しになるんだよ
見ろ、緊迫感を醸し出してる勇者さんが哀れなんだよ⋮⋮
勇者﹁下位都市級⋮⋮﹂
かくして、一同に会した子狸とコアラとひよこ
どこのアニマル界ですかこんにゃろー
1111
﹁都市級が港町を襲撃するようです﹂part9︵後書き︶
登場人物紹介
・ライオンさん
魔獣種の一角を担う巨大なひよこ。空のひとと呼ばれる。
本人は鷲のヒナであると主張している。自慢のたてがみを百獣の
王に見立てて獅子を自称する。
本人をベースにした変化魔法は開放レベル3であるため、多種族
の特徴を兼ね備えるタイプの魔物は幼体のほうが何かと都合が良い。
開放レベルは羽のひとと同等の﹁4﹂。人間たちの区分では下位
都市級にあたり、魔王の騎獣を務めてきた由緒正しき魔物である。
もちろん魔☆力も使える。ただし広範囲に及ぶものではなく、そ
の用途も詠唱を問答無用で封じるというような攻撃的なものではな
い。
魔王軍の本拠地である魔都に居を構えている。
さいきんの悩みは、魔都に通じる大迷宮︵通称ラストダンジョン︶
が、つのが生えたひとたちに目をつけられていること。
同じ飛行タイプということで、羽のひとと仲良し。表に出てこな
い火のひとのことも気にしている。
1112
﹁都市級が港町を襲撃するようです﹂part10
二九五、かまくら在住の現実を生きる不定形生物さん︵出張中
え? いや、空のひとは何しに来たの? まじで
二九六、魔都在住の特筆すべき点もないライオンさん︵出張中
え? いや、だってラストダンジョンに戻ったら
誰もいなかったから⋮⋮
子狸バスターも気になったし
あ! やっぱり足回りがイカれてるじゃんか!
丁寧に扱えって言ったでしょ! もー!
言っとくけど素材を提供したのはおれだよ?
壊したら本気で怒るからな
二九七、火口付近在住の現実を生きる不定形生物さん︵出張中
うーん⋮⋮
どうしたって関節部に負担が集中するんだよなー⋮⋮
たとえばの話だけど、もう一人いてくれたら⋮⋮︵ちらっ
1113
二九八、海底洞窟在住のとるにたらない不定形生物さん
くどい
おれは忙しいの
お前らがハッスルしてるときに供給が止まったら
勘のいい人間は気付くぞ
二九九、管理人だよ
わかる
お前らは海底のひとに頼りすぎてる
三00、海底洞窟在住のとるにたらない不定形生物さん
おい。子狸
おれの肩を持っても
お前の初恋は実りませんよ
三0一、住所不定のどこにでもいるようなてふてふさん
あざとい
1114
この子狸あざとい
三0二、管理人だよ
将を欲すれば魔人をおれアローという言葉もある
三0三、住所不定の特筆すべき点もないてふてふさん
魔人は無関係だろ。そっとしておいてやれよ
三0四、山腹巣穴在住の現実を生きる不定形生物さん︵出張中
しかも認めるのかよ
勇者さんはどうした。諦めるのか?
三0五、管理人だよ
え? なにが?
三0六、山腹巣穴在住の現実を生きる不定形生物さ︵出張中
覚えたてのことわざをニュアンスでねじ込むのやめなさいって言
ってるでしょ!
1115
将を射んと欲すればまず馬を射よ
目的を達成しようとするなら
しかるべき手順を踏みなさいってことだ
三0七、管理人だよ
それでおれに勝ったつもりか
三0八、山腹巣穴在住の現実を生きる不定形生物さん︵出張中
あ?
三0九、海底洞窟在住のとるにたらない不定形生物さん
本当にコイツはどんどん生意気になるな⋮⋮
三一0、王都在住のとるにたらない不定形生物さん︵出張中
何やら盛り上がっているみたいですけど
そろそろ話を先に進めてもよろしいか?
三一一、空中庭園在住の現実を生きる不定形生物さん︵出張中
1116
いつもすまないね⋮⋮
三一二、王都在住のとるにたらない不定形生物さん︵出張中
それは言わないって約束でしょ、おとっつぁん⋮⋮
巨体に見合わない静かな着陸は
あたかも風を支配しているかのようだった
赤く輝いた輪郭が
目に差すほど強い
優雅に降り立った巨鳥の背後
肩の向こうに夕日が沈み
色濃く落ちた影の中
勇者の手でふたたび芽吹いた希望の
なんと頼りないことか
足元で灯った聖☆剣に
一度は視線を移した空のひとだったが
すぐに興味を失った
上司に当たるはずの黒騎士を不遜に見下ろして
ひよこ﹁だから魔都を離れるなと言うたのに。物見遊山もけっこう
だが⋮⋮ああ、今年は梅雨の入りが遅いな。秋頃に響かねばいいが
⋮⋮﹂
1117
世間話をはじめた
人間たちの評価はどうあれ
レベル4⋮⋮生粋の魔獣種は
驚くほど人間に対して無関心だ
都市級を撃退した勇者の偉業も
人間たちからすれば語り草になる英雄譚だが
魔物たちからすれば
百年に一度、あるかないかの不運な事故だ
魔王に忠誠を誓う都市級というのは
じつは珍しい
魔王軍に属してはいるが
彼ら魔獣種をはじめとする最高峰の実力者たちは
子供の授業参観に出席する保護者のようなもので
どちらかと言えば
同等の実力を持つ魔軍☆元帥にこそ敬意を払う
魔王は必ずしも最強の兵ではない
ひとは王よりも英雄に仕えたがる
求められる資質が違うと知っていてもだ
当の本人は面白くない
1118
庭園﹁戦場で話すことではない﹂
ひよこ﹁戦場?﹂
憮然として言い返した黒騎士に
魔獣が首を傾げた
その拍子に舞った羽毛が
まぼろしみたいに
薄く
日差しに混ざって
人の目には映らなくなる
ひよこ﹁戦場⋮⋮まあ良い。良い、良い⋮⋮。ここさいきんは、と
んと王も見かけぬし、気晴らしにはな⋮⋮﹂
庭園﹁見かけぬ、ではない。眠りについたのだと何度も言っている
だろう﹂
ひよこ﹁ん? では⋮⋮いつ起きる? おれは⋮⋮少しひまだ﹂
要領を得ない怪鳥に
黒騎士は降参した
この場で話すことではない
庭園﹁もういい。行くぞ﹂
ひよこ﹁行く⋮⋮どこへ行かれる。ここは戦場だと、お前は言うた
のに﹂
1119
思いのほか鋭い声だった
空のひとが巨体をねじって
つ、と勇者さんを見つめた
ひよこ﹁決着はついていないように⋮⋮見えるが﹂
かすかに目を細めると
空のひとの瞳が怪しくきらめき
聖☆剣を支える勇者さんの腕が
ひとりでに持ち上がった
魔☆力だ
勇者さんの退魔性は相当なものだ
しかし空のひとの魔☆力は
黒騎士のそれとは性質が異なる
人体ではなく
物体に作用するのだ
勇者﹁っ⋮⋮﹂
服の袖に働きかけた魔☆力を
勇者さんは即座に焼き切った
魔獣の濃厚な気配にのまれて
羽のひとは動けないでいた
1120
ひよこ﹁ふうん⋮⋮。これはまた、随分といびつな⋮⋮。まあ⋮⋮
こういう人間は、たまにいる﹂
空のひとが珍しく興味を惹かれた様子で
巨躯を屈めた
ひよこ﹁珍しいと言えば⋮⋮まあ珍しい。連れて帰ったら、ひまつ
ぶしにはなるか⋮⋮のぅ?﹂
歴戦の勇士も震え上がるほどのプレッシャーだ
都市級という組分けは
人間たちから見た脅威の度合いを示したものだ
魔軍☆元帥には、単独で騎士団を壊滅できるほどの魔法力がある
しかし、かつて勇者との一騎討ちに敗れたように
対個人に注げる力の上限は超人の域を出ない
空のひとは、圧倒的大多数の人間を同時に制圧できる手段を持た
ないが
一対一で勝てるかと問われれば⋮⋮
このひとの特性はスターズのそれに近い
三一三、魔都在住の特筆すべき点もないライオンさん︵出張中
あの⋮⋮放置ですか?
おれ、そろそろつらいんですけど。何キャラなの、これ?
1121
三一四、海底洞窟在住のとるにたらない不定形生物さん
いや⋮⋮
もうてっきり今回はそういうキャラで行くのかと⋮⋮
三一五、住所不定のどこにでもいるようなてふてふさん
せめて口調を統一してくれないか
絡みづらい
もう帰れよ
三一六、住所不定の特筆すべき点もないてふてふさん
ていうか、どうしてわざわざ自分でハードル上げるの?
これはもう⋮⋮
あとで羽毛布団を進呈してもらうしかないな⋮⋮
三一七、魔都在住の特筆すべき点もないライオンさん︵出張中
やだ、毒舌が二倍増しになってる⋮⋮
1122
子狸さん子狸さん
お前だけが頼りです。ヘルプ!
三一八、管理人だよ
その言葉を待っていた
三一九、山腹巣穴在住の現実を生きる不定形生物さん︵出張中
子狸劇場の幕開けか⋮⋮
見下ろす魔獣に
万に一つも勝ち目がないと悟っているのか
勇者さんの手元で聖☆剣が不安定に揺れている
退路は完全に絶たれた
自在に空を駆ける魔獣から
逃れるすべはない
子狸﹁お嬢! だめだ!﹂
いつしか発光のおさまった子狸が
勇者さんに駆け寄り
彼女の腕を引っ張る
勇者﹁離しなさい﹂
1123
魔☆力を防げば戦えるという相手ではないからか
勇者さんは子狸の手を振り払おうとする
おれたちの子狸さんも
たいがい貧弱なほうだが
さすがに年下の女の子︵インドア派︶に負けるほどじゃない
勇者さんを引っ張って
お馬さんたちのほうに押しやる
ひよこ﹁ん∼⋮⋮?﹂
小さな人間たちのやりとりを
つまらなそうに見つめる空のひと
子狸は言った
子狸﹁戦っても勝てない。こういうときは⋮⋮頭を使うんだ﹂
自信満々だった
見上げるほどの巨体をびしっと指差し
子狸﹁料理対決だ!﹂
ひよこ﹁バウマフ家か﹂
一瞬で看破された
1124
三二0、管理人だよ
くっ⋮⋮こうなったら脱ぐしか
三二一、王都在住のとるにたらない不定形生物さん︵出張中
アウトぉー!
だめ! 絶対に脱いじゃだめ!
たしかに根本的な解決になるけれども!
命とハダカどっちみたいなところあるけれども!
それでも! ひとには! 踏み越えちゃいけない一線ってあるん
だよ!
三二0、管理人だよ
命だろ!
三二一、王都在住のとるにたらない不定形生物さん︵出張中
命だけど!
てっ、庭園のぉー!
1125
三二二、空中庭園在住の現実を生きる不定形生物さん︵出張中
仕方ねーな⋮⋮
おれ﹁勝手なことをするな﹂
ひよこ﹁そうさな⋮⋮バウマフ家となると⋮⋮いささか面倒ではあ
る。⋮⋮どうされる?﹂
打てば響く
まさしく阿吽の呼吸だ
おれ﹁お前はようはひまなのだろう? ならば、ひとつゲームをす
るというのはどうだ﹂
ひよこ﹁ふむ⋮⋮内容によるな﹂
三二三、管理人だよ
おれの言ったことと
どう違うというのか
三二四、火口付近在住の現実を生きる不定形生物さん︵出張中
1126
人徳かなぁ⋮⋮
三二五、かまくら在住の現実を生きる不定形生物さん︵出張中
いや、人徳じゃないか?
三二六、山腹巣穴在住の現実を生きる不定形生物さん︵出張中
あるいは⋮⋮人徳かもしれない
三二七、管理人だよ
なるほど⋮⋮
つまり?
三二八、住所不定のどこにでもいるようなてふてふさん
おれたちは、いったいどこへ向かってるんだろうか⋮⋮
三二九、住所不定の特筆すべき点もないてふてふさん
子狸を乗せてな⋮⋮
1127
﹁都市級が港町を襲撃するようです﹂part11
三三0、火口付近在住の現実を生きる不定形生物さん︵出張中
なるほど
魔軍☆元帥は勇者さんを泳がせておきたい
空のひとはせっかくのおもちゃを手放したくない
悪くない流れだ
三三一、かまくら在住の現実を生きる不定形生物さん︵出張中
だが、具体的な案はあるのか?
三三二、空中庭園在住の現実を生きる不定形生物さん︵出張中
なに言ってんだ
それをいまからお前らが考えるんだよ
三三三、海底洞窟在住のとるにたらない不定形生物さん
出たとこ勝負かよ!
1128
あ∼⋮⋮念のために確認するんだが
お前らは勇者さんをいったいどうしたいんだ?
着地はどう考えてる?
三三四、管理人だよ
しあわせな家庭を築けたらと
三三五、住所不定のどこにでもいるようなてふてふさん
お前はだまってろ
三三六、住所不定の特筆すべき点もないてふてふさん
煮込むぞ
三三七、管理人だよ
望むところだ
三三八、住所不定のどこにでもいるようなてふてふさん
そこの青いの∼
1129
ちょっとなべ持ってきて、なべ
三三九、住所不定の特筆すべき点もないてふてふさん
今夜はごちそうだな
三四0、王都在住のとるにたらない不定形生物さん︵出張中
こらこら
喧嘩するのはやめなさい
まったくもう⋮⋮いつまで経っても子供なんだから⋮⋮
三四一、海底洞窟在住のとるにたらない不定形生物さん
はっはっは。まあまあ母さん
喧嘩するほど仲が良いと言うじゃないか
三四二、魔都在住の特筆すべき点もないライオンさん︵出張中
ばぶー
三四三、空中庭園在住の現実を生きる不定形生物さん︵出張中
1130
お前も乗っかるの!?
お前が乗っかっちゃだめでしょ!
というか子狸が混ざると⋮⋮
おい、変な間が空いてる!
三四四、山腹巣穴在住の現実を生きる不定形生物さん︵出張中
子狸におれたちのような高速レスポンスは望むべくもない
だが、千年だ
千年の月日が
バウマフ家と共に歩んだ
果てしないツッコミの毎日が
おれたちを強くした
影に扮した火口のとかまくらのが
空白を埋めるように
さりげなく
本体の黒騎士にすり寄る
もともと魔軍☆元帥とは赤の他人の予定だったから
かつてはなかった能力に整合性を与える必要があった
1131
空のひとが感嘆の吐息を漏らした
ひよこ﹁だいぶ魔界で力をつけたようだな﹂
庭園﹁いいや、地上で学んだことだ。少しコツがあってな﹂
べつだん誇るでもない黒騎士に
空のひとはさも愉快そうに巨躯を揺すった
ひよこ﹁技⋮⋮か? 変わらぬな。たまに人間じみたところがある﹂
二人のやりとりを
勇者さんは無言で見守る
魔物同士の意見が対立しているなら
それを利用しない手はない
空のひとの物言いに
むっとした様子で黒妖精が口を挟む
コアラ﹁あなたはジェルの部下なんでしょう? 言うに事欠いて人
間じみたとは⋮⋮﹂
ひよこ﹁妖精ごときが、このおれに指図をするのか。焼き鳥になり
たいか﹂
コアラ﹁焼き鳥にはなれないだろ。共食いか﹂
ひよこ﹁だが⋮⋮思い上がるな。お前にはその資格すらない﹂
1132
コアラ﹁なに言ってんだ、このトリ⋮⋮﹂
まったく噛み合わない二人が
言い争いをはじめる
お前ら、いまだ!
三四五、火口付近在住の現実を生きる不定形生物さん︵出張中
うむ、さすが司令
まずはあれだ、勇者さんには当初の予定通り
港町を脱出してもらわないと困る
子狸バスターは今回のノルマをすでに達成した
ここはシンプルに鬼ごっこというのはどうか
三四六、かまくら在住の現実を生きる不定形生物さん︵出張中
逃がすだけならそれで構わんが⋮⋮
問題は空のひとをどう絡ませるかだな
バスターと勇者さんの利害は一致している
ここまではいい
だが、単純な追いかけっこで空のひとが負けるのは不自然だ
1133
何かしらの縛りは必要だろうな
子狸を使うか?
三四七、海底洞窟在住のとるにたらない不定形生物さん
子狸がレベル4にいったい何をできるっていうんだ
いや、そうか
ポイント制だ
子狸を捕獲したら3⋮⋮いや5ポイント獲得できることにしよう
勇者さんよりも高得点なら
空のひとは子狸を追わざるを得ない
どうだ?
三四八、住所不定のどこにでもいるようなてふてふさん
言うまでもないことだが⋮⋮
もちろんおれは子狸よりも高得点なんだろうな?
三四九、海底洞窟在住のとるにたらない不定形生物さん
もちろんですよ
1134
じゃあ、羽のひとは10ポイントということで⋮⋮
三五0、火口付近在住の現実を生きる不定形生物さん︵出張中
10ポイント!?
おい。それ、たとえばおれが羽のひとをつかまえても適用される
のか?
三五一、かまくら在住の現実を生きる不定形生物さん︵出張中
そう。そこ大事よ
三五二、海底洞窟在住のとるにたらない不定形生物さん︵出張中
当たり前だろ?
なんのためのポイント制だと思ってるんだ?
公平を期すためだろうが
三五三、火山在住のごく平凡な火トカゲさん
10ポイントと聞いては黙ってられないな⋮⋮
1135
おれも参加するぜ
三五四、海底洞窟在住のとるにたらない不定形生物さん
なんでだよ。だめに決まってるだろ
三五五、古代遺跡在住のごく平凡な巨人兵さん
じゃあおれは?
三五六、海底洞窟在住のとるにたらない不定形生物さん
いや、逆に訊きてーよ
緑のひとがだめで
自分は参加できると思った根拠はなんなの?
三五七、古代遺跡在住のごく平凡な巨人兵さん
ちっ⋮⋮
三五八、火山在住のごく平凡な火トカゲさん
ちっ⋮⋮
1136
三五九、山腹巣穴在住の現実を生きる不定形生物さん︵出張中
おれは⋮⋮
勇者さんが逃げきったら5ポイント獲得ということでいいんだな?
三六0、海底洞窟在住のとるにたらない不定形生物さん
当たり前のように水増しすんな
1ポイントはやる。それで我慢しろ
三六一、山腹巣穴在住の現実を生きる不定形生物さん︵出張中
ちっ⋮⋮しみったれてやがる
三六二、海底洞窟在住のとるにたらない不定形生物さん
あ?
ちっ⋮⋮まあいい
子狸は空のひとに魔法を当てたら
一発につき1ポイントくれてやる
寛大なおれに感謝しろ
1137
三六三、管理人だよ
ボーナスステージというわけか
よかろう⋮⋮!
勝負だ、お前ら!
三六四、空中庭園在住の現実を生きる不定形生物さん︵出張中
おい。待て、お前ら
そのルールだと、おれはどうやってポイントを獲得するんだ?
歩くのもきついんだぞ
三六五、王都在住のとるにたらない不定形生物さん︵出張中
そうじゃねーだろ
どう考えても勇者さんと子狸は逃げきれない
スタートには時間差を設ける。それでいいな?
停泊所までお馬さんの脚なら6、7分といったところか⋮⋮
時間差は5分でいいか?
1138
三六六、魔都在住の特筆すべき点もないライオンさん︵出張中
異議なし
三六七、住所不定のどこにでもいるようなてふてふさん
異議なし
三六八、住所不定の特筆すべき点もないてふてふさん
異議なし
三六九、空中庭園在住の現実を生きる不定形生物さん︵出張中
よし。じゃあ勇者さんにルール説明するわ
三七0、火口付近在住の現実を生きる不定形生物さん︵出張中
説明中⋮⋮
三七一、かまくら在住の現実を生きる不定形生物さん︵出張中
説明中⋮⋮
1139
三七二、山腹巣穴在住の現実を生きる不定形生物さん︵出張中
説明終了
じゅうぶんに吟味してから
勇者さんは言った
勇者﹁まったく意味がわからない﹂
ですよね
さもあらんと頷く子狸さん
子狸﹁やはりね⋮⋮﹂
靴のつまさきで地面を擦るように
勢いよく振り返り
空のひとを見つめる
真剣な眼差しだった
子狸﹁お嬢は3ポイントにしよう。どうだ?﹂
ひよこ﹁ふん、吠えよるわ、こわっぱが⋮⋮﹂
空のひとの眼光が
ぎらりと鋭さを増した
1140
ぐっと前のめりになって
威圧するように子狸を睨みつける
ひよこ﹁いいだろう⋮⋮﹂
その瞳には
絶対の自信が宿っていた
両者の視線が
複雑に絡み合った糸のように交錯し
やがて、どちらからともなくほつれた
互いに背を向けた二人が
同時に吠えた
子狸&ひよこ﹁勝つのはおれだ﹂
かくして港町を舞台に
苛烈なポイント争奪戦が
いま、幕を開けようとしていた⋮⋮
1141
﹁都市級が港町を襲撃するようです﹂part11︵後書き︶
注釈
・ポイント
魔物たちがよく口にする謎の得点。累積するらしい。
この﹁ポイント﹂とやらを交換し合うことで、魔物たちは互いに
交渉を有利に運ぶことができる。
でもべつにポイントがなくてもお願いすれば聞いてくれる。
もともとはバウマフ家の人間をうまくコントロールするための方
便だったが、いつしか魔物たち自身も真剣に高得点を目指すように
なった。
100ポイントたまると、達成者を称えるお祭りが開催される。
基本的には1ポイントずつしか入らないため、5ポイントという
のは垂涎のまとである。
10ポイントともなれば⋮⋮これはもう歴史的な偉業に匹敵する。
1142
﹁都市級が港町を襲撃するようです﹂part12
三七三、魔都在住の特筆すべき点もないライオンさん︵出張中
子狸め⋮⋮成長したな
子狸さんの提案で勇者さんは3ポイントに変更しました
まとめるとこんな感じ
勇者一行が逃げる。おれたちが追う
おれたちは勇者一行に遅れて五分後にスタート
勇者さんは3ポイント、子狸は5ポイント、羽のひとは10ポイ
ント
子狸がおれに魔法を当てたら、そのつど1ポイントずつ進呈
勇者一行とおれたちで最終的なポイントを競う。もちろん高いほ
うが勝ち
うん。わかりやすい
勇者﹁⋮⋮⋮⋮﹂
1143
おかしい。勇者さんが納得してくれない
三七四、火口付近在住の現実を生きる不定形生物さん︵出張中
子狸よりもポイントが低いのが気に入らないのかもしれない
凄め。凄んで押しきれ。それしかない
三七五、かまくら在住の現実を生きる不定形生物さん︵出張中
レベル4の迫力を見せてやれ!
三七六、魔都在住の特筆すべき点もないライオンさん︵出張中
よ、よし⋮⋮
三七七、山腹巣穴在住の現実を生きる不定形生物さん︵出張中
夕日が過ぎ去って青みがかった空では
早くも一等星が輝いて見えた
じっと見つめてくる勇者さんを
巨鳥がぐりっと首をねじって見下ろす
ひよこ﹁⋮⋮どうした? 行け。死に物狂いで逃げてみろ。五分や
る。悪い話ではなかろう? まんまと逃げおおせたら3ポイントや
1144
ると言っておるのだ﹂
勇者﹁なんなの。そのポイントって﹂
やはり子狸よりもポイントが低いのが気に入らないらしい⋮⋮
空のひとが勇者さんを見る目は冷たい
道端に捨てられたゴミを見るかのような目だ
ひよこ﹁察しの悪い人間だな⋮⋮﹂
これ見よがしにため息をつくと
気温はさして低くもないのに
くちばしから漏れ出た吐息が白い
ひよこ﹁もしもお前たちが、おれよりもポイントを稼げたなら﹂
空のひとは凄んだ
ひよこ﹁そのときは、この街の住人の命と引き換えにしてやると⋮
⋮そう言っている﹂
その言葉が意味するところに
羽のひとが息をのんだ
妖精﹁そんなのっ⋮⋮!﹂
子狸が空のひとに魔法を当てるのは
たぶん絶望的なほど難しい
1145
羽のひとは10ポイントだから
彼女がつかまった時点で
港町の滅亡は、ほぼ確定する
顔色を失った羽のひとが黒妖精を見る
その視線を受けて
黒妖精が黒騎士の肩の上で首を傾げた
コアラ﹁わたしは参加しないわ。見ての通り⋮⋮このひとはあまり
調子が良くないの。無茶ばかりするひとだから⋮⋮わたしがついて
てあげないとね﹂
黒騎士は肯定も否定もしなかった
空のひとの視線がすっと落ちる
焦げつくような西日の中で
聖☆剣が負けじと強い光を放っていた
ひよこ﹁分不相応なものを持っているな⋮⋮﹂
空のひとの口角が厭らしく歪んだ
ひよこ﹁もう、お前たち人間を生かしておいてやる理由はない﹂
黒騎士が異論をとなえた
庭園﹁まだ手に入れたわけではない﹂
空のひとは魅入られたように聖☆剣を見つめている
1146
ひよこ﹁もうじゅうぶんではないか? そう⋮⋮時間の問題だ。ず
いぶんと弱っている⋮⋮。宝剣も⋮⋮だいぶ影を帯びているな⋮⋮
憎しみにどこまで抗えるか⋮⋮﹂
勇者さんがちらりと子狸を一瞥した
子狸﹁⋮⋮⋮⋮﹂
子狸は控えめに見ても今夜の晩ごはんが気になっている様子だ
勇者さんは視線を戻して言った
勇者﹁⋮⋮あなたの言うことを信じろというの?﹂
自分たちが勝ったなら、港町の住人には手を出さないという件だ
ろう
勇者さんに人質は意味を為さない
だが、子狸は違うということだ
ひよこ﹁ん? おお、約束は守るとも。お前たち人間が、おれたち
の魔☆力をどう解釈しているのかは知らんが⋮⋮約束は守る。そう
いうものだからな。お前らと一緒にしてもらっては困る⋮⋮﹂
空のひとは鷹揚に頷いた
勇者一行に背を向けたまま翼を広げる
ひよこ﹁さあ⋮⋮はじめるぞ﹂
1147
羽のひとのスピードなら
先行して船舶所に辿りつける
陸上の魔物が海上に手出ししないのは
ほとんど常識として知られた話だ
羽のひとは10ポイントだから
少なくとも彼女が逃げきったなら
それだけで港町は滅亡を免れる
つまり場合によっては
羽のひとは勇者一行の命運を
港町の住人たちの命と秤にかけることになる
魔物たちの狙いが光の宝剣だとすれば
だからこのゲームでもっとも軽いのは
子狸の命ということになる
ポイントという言葉で誤魔化しているが
じつに魔物らしい
厭らしいルールだった
そして勇者一行に選択の余地はない
勇者さんが黒雲号にひらりとまたがる
黒妖精を見つめていた羽のひとが
視線を切って
ぱっと宙に舞い上がった
1148
いつでも飛び出せるよう二対の羽を高速で振動させる
子狸は最後まで中央広場の子供たちを気にしていた
子狸﹁子供たちに手を出したら許さない﹂
庭園﹁バウマフ家は﹂
黒騎士が出し抜けに言った
庭園﹁⋮⋮お前とはいずれ⋮⋮決着をつける。そうでなければなら
ない。だからいまは⋮⋮行け﹂
子狸﹁父さん⋮⋮﹂
コアラ﹁お前の親父じゃねーつってんだろ﹂
子狸﹁うむ⋮⋮﹂
ひとつ頷いた子狸が颯爽と豆芝さんにまたがる
その光景に羽のひとが違和感を覚えた
妖精﹁リ⋮⋮﹂
勇者さんに呼びかけようとするも
空のひとの両翼が大きく風を打ち鳴らした
勢いよく翼で両目を覆って
1149
ひよこ﹁もういいか∼い?﹂
鬼ごっこと隠れんぼを勘違いしていた
子狸﹁ま∼だ∼だよ∼﹂
子狸も勘違いしていた
勇者さんが体重をかけると
黒雲号が軽快なスタートダッシュを切った
すかさず豆芝さんがあとを追う
三七八、王都在住のとるにたらない不定形生物さん︵出張中
子狸がちっちゃかった頃の話だ
緑のひとの背中に乗って
空中遊泳を楽しもうと目論んだ子狸だったが
上空の強風にあおられて
あえなくスカイダイビングしたことがある⋮⋮
まるで、そのときの再現だった
豆芝さんのスタートに
子狸﹁ぬっ!?﹂
重心を前のめりにして
1150
いったんは耐えた子狸だったが
二歩目の揺り戻しで
あえなく宙を舞った
子狸﹁ほうっ﹂
妖精﹁あぶねえ!﹂
とっさに羽のひとが念動力で子狸を捕獲する
妖精﹁首! 首にしがみつけ!﹂
子狸﹁お邪魔します﹂
豆芝さんの首にしがみついて事なきを得る子狸
勇者﹁っ⋮⋮﹂
先を行く馬上で振り返った勇者さんが
しまったというような顔をした
港町までの道中で
勇者さんはお馬さんたちの訓練を優先した
子狸に乗馬の訓練を課そうものなら
おそらく筋肉痛で
使いものにならなくなると知っていたからだ
子狸がお馬さんに乗れないことは承知していたのだから
ゲームをはじめる前に
1151
ひとことあってしかるべきだった
勇者さんらしからぬミスだった
たぶん彼女にはもう余裕がないのだ
ぐんぐん加速するお馬さんたち
港町の街並みが後方に流れていく
勇者さんが一息ついて
羽のひとに指示を飛ばした
勇者﹁リン! 先行して船出の準備を! 船乗りたちには避難する
よう伝えなさい﹂
妖精﹁はい!﹂
一抹の不安を感じた羽のひとだったが
即座に高度を上げて急加速する
船乗りたちを避難させるということは
羽のひとと子狸に舵取りを委ねるということだ
子狸をパージするつもりはないらしい
黒雲号と豆芝さんが並走する
勇者さんの真意は
子狸にはまったく伝わっていない 1152
子狸﹁海に出れば安全だよ。おれが囮になる。お嬢はそのまま⋮⋮﹂
勇者﹁魔物たちもそう思うでしょうね﹂
勇者さんは冷静だ
先ほどの失態は⋮⋮単にうっかりしただけなのか?
勇者﹁彼らは、わたしとあなたを引き離そうとしている﹂
ちっ⋮⋮
子狸には何か思い当たるふしがあるようだった
子狸﹁そうか⋮⋮おれたちを祝福してくれないんだね﹂
それ、ほとんど告白してないか?
勇者さんはおざなりに同意した
勇者﹁そうね。とにかく⋮⋮﹂
いちいち対応していたらきりがないと悟っている
勇者﹁このまま船着き場まで駆け抜ける。五分という時間設定は⋮
⋮途中でたぶん追いつかれる。一分か二分⋮⋮しのぎきれれば﹂
そこで勇者さんは子狸と目を合わせようとした
無理だった
子狸はカンガルーのお子さんよろしく
1153
豆芝さんの首にしがみついている
勇者﹁あなたに全てを託します﹂
だから勇者さんの決意に満ちた言葉が
この有袋類じみたポンポコのせいで台なしだった
三七九、海底洞窟在住のとるにたらない不定形生物さん
勇者さん⋮⋮
三八0、住所不定のどこにでもいるようなてふてふさん
勇者さん⋮⋮
三八一、空中庭園在住の現実を生きる不定形生物さん︵出張中
五分か
まあ妥当な線だな⋮⋮
それまでに
決着をつけてやるよ
オリジナル
三八二、かまくら在住の現実を生きる不定形生物さん︵出張中
1154
勇者一行を見送った子狸バスターに
異変が起きようとしていた
足元から跳ね上がったレクイエム毒針・影が
子狸バスターの首を刈り取らんと迫る
コアラ﹁! シールド!﹂
すんでのところで黒妖精の盾魔法が
薄く引き伸ばされた触手を弾き飛ばした
引き剥がされた黒騎士の影が
分裂して一斉に猛虎の構えをとった
! 復活していたのか⋮⋮
三八三、空中庭園在住のとるにたらない不定形生物さん︵出張中
サービスタイムは終わりだ
土は土に
塵は塵に
お前らはお前らの勤めを果たすんだ
おれたちだってつらいんだぜ⋮⋮?
1155
三八四、空中庭園在住の現実を生きる不定形生物さん︵出張中
ふん、ほざけ
空のひとを口止めしておくべきだったな
ブロックを解除したのは⋮⋮お屋形さまか?
鬼のひとたちを通じて⋮⋮だな
三八五、空中庭園在住のとるにたらない不定形生物さん︵出張中
そうだ
お前らが鬼のひとたちと密約を交わしていたのは知っている
おれならそうするだろうからな⋮⋮
狙いは勇者さんの剣だろう
あのひとたちは⋮⋮最初からそのつもりだったんだな
おれたちをブロックしたことで気がゆるんだか?
そういうところから足がつくんだよ
三八六、火口付近在住の現実を生きる不定形生物さん︵出張中
! こいつ⋮⋮
議長!
1156
三八七、空中庭園在住の現実を生きる不定形生物さん︵出張中
ああ、生かしてはおけん
もう一度⋮⋮今度は完膚なきまでにブロックしてやるよ
三八八、かまくら在住の現実を生きる不定形生物さん︵出張中
二対一だ⋮⋮まさか卑怯とは言うまいね?
三八九、空中庭園在住のとるにたらない不定形生物さん︵出張中
やれるのか? お前らに? このおれが
火口のとかまくらのをブロックし続けるのは
だいぶ負担になっているはずだ
あいつらも戦い続けてるんだ
おれだけ尻尾を巻いて逃げ出すわけにはいかんだろ
日没が近い⋮⋮
決着をつけよう
全部おれ!
1157
三九0、火口付近在住の現実を生きる不定形生物さん︵出張中
全部おれ!
三九一、かまくら在住の現実を生きる不定形生物さん︵出張中
全部おれ!
三九二、住所不定の特筆すべき点もないてふてふさん
ブロックを打ち破って復活した庭園オリジナル
影に身をやつしているので
ほとんどやりたい放題である
港町の至るところで
無数の影が伸び上がり
互いの縄張りを主張するように
激しく衝突し合う
庭園Aの脱走を逸早く察していた庭園Bは
空のひととのやりとりで
子狸バスターの影を配下の魔物ではなく
変質した魔☆力として扱っていた
魔☆力の暴走ということで片付けるつもりだ
1158
ひよこ﹁もういいか∼い?﹂
空のひとは真剣だ
このトリは本気で子狸を捕獲する気なのかもしれない
三九三、王都在住のとるにたらない不定形生物さん︵出張中
空のひとの声は
伝播魔法により人間から人間へと感染し
やがて子狸の耳朶を打った
子狸﹁ま∼だ∼だよ∼﹂
律儀に言い返す子狸さんを
勇者さんは止めようとしない
行き先は確定しているのだから
ゲームの体裁を保ち続けることは重要だ
庭園のと火口の、かまくらのの争いは熾烈を極めている
立ち昇った陽炎が
実体を伴ってぶつかり合っているかのようだった
さすがに飛んだり跳ねたりは自重しているらしく
黒い波が道の上で押し合っているようにも見える
1159
勇者﹁⋮⋮?﹂
魔軍☆元帥の身に
何か異変が起こったらしいことは明白だった
子狸﹁魔☆力が暴走してる。夜は力が増すから⋮⋮押さえ切れてな
いんだ!﹂
ついさっき仕入れた情報を
子狸が我が物顔で披露した
勇者﹁暴走しているふりかもしれないわ﹂
勇者さんは子狸情報を鵜呑みにしたりしない
自分の意思とは無関係に影が勝手に動いたというのは
じつは完璧に制御できているとしたら便利な言い訳だ
勇者﹁わたし、あんまり口が上手いほうじゃないんだけど、あなた
なら簡単に丸め込めることができそう⋮⋮﹂
たいてい素人はそう言う
ときと場合によるのだ
勇者さんも、まだまだだな⋮⋮
三九四、住所不定のどこにでもいるようなてふてふさん
1160
一方その頃
おれは船を譲ってもらえるよう
船長を説得していた
おれ﹁だから大人しく船を寄越せと言ってんだろ。一隻くらい、い
いじゃねーか。ああん?﹂
船長﹁いや、それは⋮⋮困る! 魔力を解いてくれたことには感謝
するが⋮⋮﹂
おれ﹁うちのボスを誰だと思ってんだ? 金か? 金ならうなるほ
どあるんだよ﹂
船長﹁そういう問題じゃない! 船はおれの⋮⋮おれたちの⋮⋮そ
う、言ってみれば女房なんだよ!﹂
おれ﹁ちっ⋮⋮変態が。もういい。男ならこぶしで掛かってこい。
力が正義だ。お前らを打ち倒して、おれたちは行く﹂
説得中です
三九五、海底洞窟在住のとるにたらない不定形生物さん
そんな説得があるものか
とはいえ緊急事態だからな⋮⋮旅に犠牲はつきものだ
羽のひとの電光石火の右が
1161
一人の船員をマットに沈めた頃
おれたちはひまを持て余しているわけで⋮⋮
スペリオルしりとりでもするか
リンドール・テイマア
南北戦争において反乱軍の総指揮をとる
はっきり言って、こいつが最強
三九六、山腹巣穴在住の現実を生きる不定形生物さん︵出張中
なにを言うか
テイマアの小せがれが王権の分離を成し遂げたのは
アリア家の支援があってこそだろ
歴史の表舞台には出てこなかったけど
アリエル・アジェステ・アリア
こいつが最強に決まってる
三九七、火口付近在住の現実を生きる不定形生物さん︵出張中
1162
アリア家は裏工作が忙しすぎて
めったに軍団の指揮とかとらないからなぁ⋮⋮
何度も言ってるけど
もしもあいつが指揮をとってたら∼とかは除外しようぜ
じっさいの戦果なら
やっぱりこいつだろ
マーリン・ネウシス・ケイディ
魔術師の異名を持つ将軍だぜ
第八次討伐、双壁の攻防戦でレベル3のひとたちを下す
こいつの奇策には正直びびった
三九八、かまくら在住の現実を生きる不定形生物さん︵出張中
たしかに魔術師は凄ぇよ
でも、チェンジリング☆ハイパーの存在に支えられてたところが
ある
おれはこいつを推すね
リュシル・トリネル
おれたちと戦ったことないから知らないかもしれないけど
連合国の戦史を調べてみたら、こいつはまじで最強
1163
はっきり言って
いまの騎士団が使ってる戦術のほとんどは
こいつの影響を受けてる
三九九、空中庭園在住のとるにたらない不定形生物さん︵出張中
リュシルなら知ってるよ
でも撤退戦でミスってるからな⋮⋮
おれ的には、そこがマイナスポイント
精神的に脆いところあったんじゃないかと睨んでる
リュシルを打ち破った
エミル・ティリは?
何度もリュシルに煮え湯を飲まされてるんだけど
最後の最後には勝ってる
派手なところはないけど
堅実な戦いぶりが渋いんだよ
四00、かまくら在住の現実を生きる不定形生物さん︵出張中
たしかにエミルは最強の一角に挙げられるな
あいつがいなかったら
連合国は生まれてなかったと思う⋮⋮
1164
もっと大きな部隊を率いてたら化けたかも
最後のほうだとリュシルにある種の友情を感じてたらしいから
たぶん甘かったんだろうな
権謀が渦巻く宮廷で
のし上がれるタイプじゃない
四0一、住所不定の特筆すべき点もないてふてふさん
お前らにしりとりをしようという気概が感じられない
五分だ
巨躯を屈めた空のが子狸バスターを促す
ひよこ﹁行くぞ。乗れ﹂
庭園B﹁おれも行くのか?﹂
ひよこ﹁あとで拾って帰るのも面倒だ﹂
庭園B﹁わかった﹂
にゃんこの乗り心地は
ありとあらゆる魔物を凌駕する
魔王の騎獣は伊達ではないのだ
1165
子狸バスターを背に乗せたにゃんこが
助走をつけて大きく飛び上がった
翼を上下して風に乗る
カッとくちばしを開いて
けたたましい鳴き声を上げた
ひよこ﹁ケェェェエエエッ!﹂
ニワトリと似ていた
四0二、王都在住のとるにたらない不定形生物さん︵出張中
サバイバル生活で鍛えられた子狸の五感は
野生のポンポコにも見劣りしない
子狸﹁来る⋮⋮!﹂
まだ停泊所は見えない
上空に飛び上がった黄色い毛玉が
みるみる近付いてくる
お馬さんが五分で駆ける距離を
空のひとは一分足らずで走破する
速度に差がありすぎる
1166
勇者﹁見えた⋮⋮!﹂
入り江に面する砂浜に勇者一行が辿りつく
うつ伏せに倒れた船員たちが生々しい
彼らをノックダウンした羽のひとが
シャドーで左フックの角度を調整していた
勇者さんに気がついた羽のひとが手を振る
遠すぎる。だめだ、間に合わない。時間設定が甘かった
子狸﹁行け!﹂
子狸が豆芝さんから飛び降りて、ごろごろと砂浜に転がる
勇者﹁っ⋮⋮!﹂
けっきょく最後はこうなるのか
一挙動で立ち上がった子狸が
砂に足をとられつつも走る
まだ遠く見える巨鳥に手のひらを向ける
子狸﹁チク・タク・ディグ!﹂
飛翔した圧縮弾を
1167
空のひとはあっさりと回避する
子狸﹁エリア! 戻れ!﹂
子狸の魔法は純正の騎士よりも
ずっと融通が利く
反転して背後から襲いかかる圧縮弾に
空のひとは小刻みなフットワークで安全圏へと移動する
空のひとの巡航速度は羽のひとを上回るが
旋回速度では劣る
その弱点を補うための技がこれだ
さすがに深化魔法は別として
だいたいレベル2の魔法なら
詠唱破棄しても開放レベル4におさまる
空のひとは詠唱破棄で
空中に良くしなる巨木の枝を再現したのだ
必殺の多段ジャンプだった
子狸﹁チク・タク・ディグ!﹂
とにかく当てさえすればいい
圧縮弾で挟み撃ちにしようとする子狸だが
二つの魔法を同時に扱おうとして失敗する
1168
ふだんは出来るはずのことが
言ってみれば本番の
旅シリーズではうまく行かないこともある
圧縮に失敗して暴れ狂う空気の塊が
子狸の頬を叩いた
バランスを崩して転倒する
砂まみれになっても子狸は戦意を失わない
子狸﹁っ⋮⋮チク・タク・ディグ!﹂
ミスは重なる
無意識のうちに座標起点にすがったらしい
座標起点の制限を
人間が自らの意思で解除することは
できない
子狸が焦っている理由は
おそらく船に身を隠そうとしていた
子供たちの集団が
岩陰から姿を現したからだ
子狸が叫んだ
子狸﹁走れ! 船に行け!﹂
1169
二度のミスで
空のひととの距離はだいぶ詰まっている
子狸が今度は足を止めて
人差し指を上空の魔獣に向けた
子狸﹁イズ・ロッド・ブラウド!﹂
発電魔法は特殊な魔法だ
魔属性というだけではなく⋮⋮
ふつうに投射しても
処理速度がまったく追いつかない
だから子狸は条件を指定して
発電魔法を手元から伝播する必要がある
空のひとまでの直線上であること
それが感染条件だ
子狸の指先から紫電の束が放たれる
四0三、空中庭園在住の現実を生きる不定形生物さん︵出張中
子狸が発電魔法を扱えることを
空のひとは知らないことになっている
ひよこ﹁なにっ⋮⋮!﹂
1170
空中でロールして直撃は避けたが
紫電の枝に翼が掠った
子狸1ポイント獲得
ひよこ﹁魔属性だと⋮⋮?﹂
空に貫けて行った雷光を目で追って
空のひとが空中で滞空する
おれ﹁油断するな。あれは、あの男の血を引いている﹂
ひよこ﹁⋮⋮血は争えないというわけか﹂
眼下では、豆芝さんと黒雲号が
進路を切り替えて子狸を追っている
船からどんどん離れているが⋮⋮
早急に子狸を回収したほうがいいかもしれない
もう無理だろう
いや⋮⋮そういうことか
おれ﹁やってくれるじゃないか⋮⋮﹂
夕日が沈もうとしている
真っ赤に染まった水平線が美しかった
1171
照り返された日の光が
波打ち際で、かすかに歪んだ
四0四、山腹巣穴在住の現実を生きる不定形生物さん︵出張中
子狸を追うか否か
最後の最後で勇者さんは決断できなかった
子狸を追ったのは
豆芝さんの意思だった
脚が鈍った黒雲号を
勇者さんは後押しした
勇者﹁好きになさい﹂
勇者さんが子狸を助けようとしたなら
羽のひともきっと追いかけてくる
もしかしたら打算から来る決断かもしれないが
この子は⋮⋮アリア家の人間としては破格に甘い
だから王都のは、彼女を選んだ
近付いてくる気配を感じ取ったのか
いつになく厳しい声音で子狸が叫んだ
子狸﹁来るな!﹂ 1172
子狸は完全に立ち止まって
上空の空のひとを指差していた
子狸﹁来るな。ここで⋮⋮お別れだ﹂
すでに巨鳥は子狸の頭上に迫っている
子狸﹁ゴル⋮⋮!﹂
子狸の指先に灯った火炎を
空のひとは吐息ひとつで吹き消した
眼前に降り立った魔獣に
子狸は気圧されまいと両足で踏ん張る
空のひとは興味深そうに子狸を見下ろしている
ひよこ﹁人間が、魔属性をな⋮⋮﹂
庭園B﹁空の﹂
制止しようとする黒騎士を
空のひとは無視した
ひよこ﹁ああ、そうか⋮⋮お前は﹂
言いかけた空のひとを
突如として飛来した氷の弾丸が打った
1173
厚い羽毛に遮られて空のひとには何らダメージはない
だが、注意を逸らすことはできた
凍結魔法が飛んできた方向を見ると
ひよこ﹁ん⋮⋮﹂
波打ち際に
骨のひとが
立っていた
四0五、墓地在住の今をときめく骸骨さん︵出張中
地獄から⋮⋮
帰って来たぜ!
1174
﹁都市級が港町を襲撃するようです﹂part12︵後書き︶
注釈
・スペリオルしりとり
人類最強は誰かを決める魔物たちのゲーム。
ひたすら﹁いや、そうじゃねーよ﹂と続いていくことから﹁しり
とり﹂の名を冠している。
歴史上の偉人最強決定戦である。
多くの場合で比べようがないので、決着はつかない。
高名な画家同士で殴り合ったら誰が最強かとか不毛なことを延々
と話し合う。
1175
﹁都市級が港町を襲撃するようです﹂part13
四0六、海底洞窟在住のとるにたらない不定形生物さん
お勤めご苦労さまです
四0七、火口付近在住の現実を生きる不定形生物さん︵出張中
お勤めご苦労さまです
四0八、かまくら在住の現実を生きる不定形生物さん︵出張中
お勤めご苦労さまです
四0九、墓地在住の今をときめく骸骨さん︵出張中
おう。お前ら、ちょっと見ない間に⋮⋮
あれ? おい。お前らコピーか?
なんだ? どうなってる?
四一0、住所不定のどこにでもいるようなてふてふさん
1176
上流から出直してこい
四一一、住所不定の特筆すべき点もないてふてふさん
そしてそのまま河底に沈め
四一二、墓地在住の今をときめく骸骨さん︵出張中
おれは前から疑問に感じていた
あなたたち人型のひとたちは
なんでそう例外なく毒舌なのですか
四一三、住所不定のどこにでもいるようなてふてふさん
お前には、おれの優しさが伝わっていないようだな⋮⋮
四一四、住所不定の特筆すべき点もないてふてふさん
悪いことは言わん
牛のひとのところに帰れ
さもなくば、尾頭つきの鯛みたいにされるぞ
四一五、墓地在住の今をときめく骸骨さん︵出張中
1177
なにそれ。想像を絶してる⋮⋮
いやいや、おれはべつに牛さんとか怖くないからね?
だけど、羽のひとがおれを心配してくれてるのはよくわかった
その心意気を汲んで、おれのことは海燕のジョーと呼んでくれ
四一六、空中庭園在住のとるにたらない不定形生物さん︵出張中
おい、ジョー
今回は子狸の味方をするのか?
いったいどういう風の吹き回しだ?
四一七、海底洞窟在住の現実を生きる不定形生物さん︵出張中
おい、ジョー
出て来ちまったものは仕方ない
うまく合わせろよ?
四一八、王都在住のとるにたらない不定形生物さん︵出張中
1178
振り返った子狸が、ぱっと喜色を浮かべた
子狸﹁⋮⋮! 骨のひと!﹂
骸骨﹁お前の声が聞こえた﹂
夕陽を背に
砂地を踏むジョーの足取りに迷いはない
海燕のジョーは魔軍☆元帥の部下ということになっている
空のひとが首をねじって
背中の黒騎士を非難の眼差しで見た
黒騎士が言う
庭園B﹁なんのつもりだ﹂
決して大きな声ではなかった
しかし押し殺した感情が
抑えきれなかった怒気が
うねりを帯びて大気を震わせた
魔物たちの鋭敏な感覚は
人間よりも野生動物のそれに近い
ジョーが言った
骸骨﹁戦いに殉じるならそれもいい﹂
1179
歩きながら
腰につり下げたこん棒を手に取り
感触を確かめるように
一度、虚空を薙いだ
骸骨﹁けど、捨て駒にされたとあっちゃあ、散っていった連中が浮
かばれんでしょうよ!﹂
こん棒を強く握りしめ、かすかに上半身を倒す
たわんだひざに力がこもる
足元の砂が後方に弾けた
骸骨﹁小僧! 波打ち際まで走れ!﹂
低く
水面を切るように駆けるジョー
まさしく飛燕だ
子狸﹁おう!﹂
応じた子狸が、空のひとに背を向けて駆け出す
ひよこ﹁逃がすと思うてか!﹂
魔獣の眼力が子狸をとらえようとした
まさにそのとき
妖精﹁二度目は! ない!﹂
1180
馬上の勇者さんを追い抜いて猛進した羽のひとが
マジカル☆ミサイルを空のひとの足元に撃ち込んだ
高速で撃ち込まれた光弾が大量の砂を巻き上げる
視界を塞がれて機を逸した空のひとの目が怒りに染まった
上空の妖精を睨む
ひよこ﹁愚か者め!﹂
羽のひとは10ポイントだ
たしかに軽率な行動だったかもしれない
だが、理屈ではなかった
目には見えない魔☆力の波動は
ときおり亡者の手にたとえられることもある
地獄へといざなう冥界の招き手だ
地上から押し寄せる魔☆力の網に
羽のひとは急降下して自ら距離を詰める
瞬く間の出来事だった
妖精﹁ッ⋮⋮!﹂
空のひとの魔☆力には一定の指向性がある
視界に入れることが前提条件なのだ
1181
魔法の最高速は処理速度の限界でもある
魔☆力とて例外ではない
急速で旋回した羽のひとが
魔☆力を振りきって空のひとに肉薄する
妖精﹁シューティング☆スター!﹂
いや、それおれボムだよね?
全方位に放たれる光のつぶてだ
羽のひと最強の手札であり、至近距離で撃つと多段ヒットする
光の散弾をまともに浴びて、空のひとがのけぞった
妖精﹁これならっ⋮⋮!﹂
ひよこ﹁これなら?﹂
にやりと口元をひん曲げた空のひとが
ぐんと首を前方に突き出した
ひよこ﹁これなら⋮⋮どうだというのだ? こそばゆいぞ、虫けら
が﹂
間近に迫った巨鳥のつぶらな瞳は
身体の小さな羽のひとにとって姿見の鏡ほどもある
ひよこ﹁追い払ってくれようか。人間が⋮⋮羽虫にそうするように﹂
1182
びくりと震えて硬直した羽のひとに
黒妖精の叱咤が飛んだ
コアラ﹁しっかりなさい、リンカー・ベル!﹂
妖精﹁っ⋮⋮﹂
我に返った羽のひとが
素早く身をひるがえして子狸を追う
ふたたび首をねじった空のひとが
気だるそうに口を開いた
ひよこ﹁⋮⋮お前はどちらの味方なのだ⋮⋮。まあ良い﹂
正面を向く
遠ざかる羽のひとを見つめる瞳が
驚くほど慈愛に満ちていた
ひよこ﹁まとめて18ポイントというのも⋮⋮。悪くない、な⋮⋮﹂
四一九、山腹巣穴在住の現実を生きる不定形生物さん︵出張中
唐突なジョーの登場に
勇者さんは察するところがあったらしい
手綱を操り、黒雲号の進路をわずかにずらしていた
逸早く子狸と合流した豆芝さんに
1183
子狸が飛びつくのが見えた
子狸﹁豆芝!﹂
羽のひとは値千金の時間を稼いでくれた
同時に流れ弾が何発か子狸に直撃していた
波打ち際へ向かって先行する勇者さんが
指笛を鳴らした
その音に反応した豆芝さんが
黒雲号のあとを追う
離脱してきた羽のひとが
子狸の肩にとまった
ざんざんと砂を蹴って駆け寄る海燕のジョーと
豆芝さんの首につかまった子狸がすれ違う
その間際
子狸﹁エラルド!﹂
子狸の詠唱と
ひよこ﹁ケェッ!﹂
空のひとの咆哮は
1184
ほとんど同時だった
四二0、王都在住のとるにたらない不定形生物さん︵出張中
風の壁が
高速で迫って来る
これも圧縮弾だ
魔物が魔物を撃つとき
魔法の応酬はもっとも実現性を帯びる
質量をともなった突風が
海燕のジョーを一瞬で粉砕した
サイドステップを踏んだジョーが
豆芝さんと子狸をかばったのだ
子狸は振り返らなかった
投げ出されたこん棒を
身を乗り出して拾い上げる
そして後方に投げた
こん棒は無傷だった
52年モデルだ
海燕のジョーの
1185
駆ける足が
躍動する胴が
振り上げた腕が
明日を夢見る頭蓋が
ばらばらと音を立てて再生する
ひよこ﹁なん⋮⋮だと?﹂
空のひとが目を剥いた
詠唱破棄された魔法は
実質的なレベルを剥ぎ取られる
開放レベル4の魔法ならば
レベル1と同じ扱いになる
設定上、開放レベル1の魔法で
レベル2の魔物を倒すことはできない
とりわけ海燕のジョーは
詠唱破棄がまったく通用しない存在なのだ
放物線を描いて舞う52年モデルを
天に届けと突き出された指が
はっしと掴んだ
骸骨﹁おれは自由だぁぁーっ!﹂
魂の叫びであった⋮⋮
1186
四二一、山腹巣穴在住の現実を生きる不定形生物さん︵出張中
ときに、空のひとの圧縮弾は
海燕のジョー、渾身のトリックを打ち破ることに成功していた
波打ち際に
忽然とジョーの集団が現れた
波間に揺れる
年代物の帆船は
つい先ほどまで見られなかった光景だった
ぼろぼろの帆に
いまにも沈みそうな外観の船体
幽霊船だ
闇魔法で光の屈折を操作して
風景に溶け込ませていたらしい
発光魔法と遮光魔法は
本質的に同じものだから
こうした芸当もできる
一足先に波打ち際に到着した勇者さんと
ジョーたちの目があった
骸骨B﹁よう、嬢ちゃん! 乗ってくか?﹂
1187
勇者﹁わたし、どこで道を踏み外したのかしら⋮⋮﹂
他に道がないとはいえ、勇者さんは忸怩たる思いだろう
ジョーたちが一斉にこん棒を装備した
骸骨C﹁碇を上げろ! 出航だ!﹂
骸骨D﹁海だ!﹂
骸骨E﹁自由だ!﹂
盛り上がるジョーたち
四二二、王都在住のとるにたらない不定形生物さん︵出張中
一方その頃、子狸は珍しく活躍していた。地味に
子狸﹁チク・タク・ディグ!﹂
いま、子狸は直前に詠唱した深化魔法の影響下にある
暴れ狂う圧縮弾が、砂地を抉って飛翔していく
巻き込んだ砂が渦を巻き
まるで砂嵐のような有様だった
空のひとは迫る砂嵐を
苛立たしげに翼でひと打ち
1188
力尽くで叩きつぶした
魔法の働きは消せても
舞い上がった砂を消すことはできない
遠く、先ほどの子供たちが船に駆け込むのが見えた
子狸﹁骨のひと!﹂
骸骨A﹁おう! 後退するぞ!﹂
空のひとは当てずっぽうに投射魔法を撃つが
砂塵を貫いて飛来した浸食魔法を
海燕のジョーが華麗に52年モデルで打ち落とす
骸骨A﹁⋮⋮? ちっ、やられた。上だ!﹂
視界が悪くて狙いが定まらないなら
先ほどのように突風でまとめて吹き飛ばしてしまえばいいのだ
それをしないということは
視界の悪さを逆に利用しているということだ
ジョーの足止めをしている投射魔法は
角度を捻じ曲げて発射地点を錯覚させるためのものだった
砂塵が届かない澄みきった上空を
空のひとが悠々と羽ばたいている
立派なたてがみが風にそよいでいた
1189
四二三、管理人だよ
おれにもいつか生えるのかな
四二四、墓地在住の今をときめく骸骨さん︵出張中
いや、ありえないだろ
将来、お屋形さまみたいになるんじゃなかったのか
四二五、管理人だよ
え?
四二六、墓地在住の今をときめく骸骨さん︵出張中
え?
四二七、管理人だよ
あ、うん
四二八、墓地在住の今をときめく骸骨さん︵出張中
1190
え? なんなの、いまの納得するまでの時間差⋮⋮
と、とにかくだな⋮⋮
子狸! 急げ! やつはジェット・ボーン号を沈める気だ!
四二九、魔都在住の特筆すべき点もないライオンさん︵出張中
沈めさせて頂きます
1191
﹁都市級が港町を襲撃するようです﹂part13︵後書き︶
注釈
・幽霊船
魔物たちが駆る船。メインクルーは骨のひとと見えるひと。
骨のひとは﹁ジェット・ボーン号﹂と呼ぶが、見えるひとは﹁ジ
ェット・ゲイザー号﹂と呼ぶ。
呼ぶひとによって名前が変わるという先進的なシステムを採用。
古式ゆかしい帆船だが、見た目を重視しているため帆は機能して
いない。
船底部に大きな歯車が横倒しに設置してあり、これを数人がかり
で回すのだが、それ自体に意味はない。
では、どうやって動くのかというと、ステルスして巨大化した骨
のひとが船を手の上に乗せて海底を歩いている。
この幽霊船の主な役割は海の監視である。
人間たちの船が沈んだりすると、海洋生物にとって迷惑なので、
難破船の救助等を率先して行う。
繰り返すが、メインクルーは骨のひとと見えるひとである。
1192
﹁都市級が港町を襲撃するようです﹂part14
四三0、海底洞窟在住のとるにたらない不定形生物さん
沈めちゃうの?
沈んだ船はどうするの?
おれ? おれが始末するの?
お魚さんたちには何て言えばいい?
たぶん人類社会から船が消滅するけどいいよね?
つーか、おれが消す
四三一、魔都在住の特筆すべき点もないライオンさん︵出張中
あ、いや⋮⋮
う⋮⋮嘘ぴょん。沈めないよん
四三二、海底洞窟在住のとるにたらない不定形生物さん
うん。お前ならそう言ってくれると信じてた
1193
言葉には気をつけて欲しいのです
罰として語尾ににゃんと付けて下さい。お願いしますね
四三三、王都在住のとるにたらない不定形生物さん︵出張中
おちつけ、海底の
たしかにおれたちが意図的に船を沈めるのはやばい
お前の言い分はもっともだろう
だが、空のひとのバランス感覚は
この場にいる誰よりも優れてる
まだ行けると踏んだんだろう
まさか本気で沈めようってんじゃあるまい
四三四、魔都在住の特筆すべき点もないライオンさん︵出張中
そう! そうなの!
そこの青いの、いいこと言った! にゃん!
四三五、海底洞窟在住のとるにたらない不定形生物さん
1194
あ∼⋮⋮うん。すまん
おれ、過敏になりすぎてた
本当にごめんな、空のひと
お詫びと言っては何だけど
羽のひとの物真似するわ
シューティング☆︵びしっ
四三六、住所不定のどこにでもいるようなてふてふさん
青いの六人もいらなくねーか?
四三七、住所不定の特筆すべき点もないてふてふさん
一人くらいは塗料になってもいいな
四三八、魔都在住の特筆すべき点もないライオンさん︵出張中
や、やめろーっ!
な、なんて恐ろしいことを言うんだ⋮⋮
この邪妖精どもめ⋮⋮!
1195
海底のひとは⋮⋮このおれが守る!
四三九、海底洞窟在住のとるにたらない不定形生物さん
空のひと⋮⋮
四四0、魔都在住の特筆すべき点もないライオンさん︵出張中
青いひと⋮⋮
四四一、王都在住のとるにたらない不定形生物さん︵出張中
うん
四四二、山腹巣穴在住のとるにたらない不定形生物さん︵出張中
海底のが自宅で磔にされた一方その頃⋮⋮
子狸サンドストームの圏外にいた勇者さんは
上空に飛び上がった空のひとを見て
ジョーたちと打開策を練っていた
勇者﹁わたしを、あなたたちの船まで魔法で運びなさい﹂
魔物たちはポイントに固執している
1196
高度な再生能力を持つジョーに構わず
先回りしてゴールそのものを潰してしまうというのは
合理的な判断だ
ジョーたちがどこまで考えて
幽霊船を波間に置いてきたのかは不明だが
子供たちが避難した魔法動力船は
波に浚われないよう浅瀬に乗り上げている
出航の手間を考えたなら
いくぶん距離が遠い幽霊船に乗り込んだほうが
結果的には近道だ
その、わずかな時間差が明暗を分けることになると
勇者さんは考えたのだろう
計算上、空のひとの巡航速度は
お馬さんの五倍強ということになる
ふつうに走ったのでは間に合わない
自然とジョーたちの返答は端的なものになった
骸骨B﹁無理。並行呪縛、必要﹂
骸骨C﹁高度。ビッグね﹂
なんで片言だよ
1197
⋮⋮逆に言うと
並行呪縛さえ使えれば
たとえば投射魔法に便乗して
空を飛ぶことも可能になる
魔法を使うというのは
つまり、イメージを実現する際の
制限を解除するということだ
骸骨D﹁だが、足場を用意することはできる﹂
人間には、というより魔物以外の生物には
最低限の退魔性が保障されている
かつて子狸が覗き行為に走ったときのように
生成した力場の上を走るだけなら
魔法の影響下に完全に落ちたとは見なされない
勇者さん一人では、たぶん無理だ
退魔性が強すぎる
だが、彼女には黒雲号という心強い相棒がいる
動物たちは人間と違って素直なので
不自然に退魔性が高まるということはない
子狸と仲良しというのも
この場合はプラスに働くだろう
黒雲号は星を見つめていた
1198
もうこの際だから
はっきり言ってしまおう
このお馬さんは
たぶん子狸よりも賢い
ジョーたちの提案に
勇者さんは頷いた
四四三、管理人だよ
ふたりとも頭いいよね
買い物に連れて行くと
ちゃんと買い物してくるんだ
四四四、空中庭園在住のとるにたらない不定形生物さん︵出張中
いや、そのときお前は何してたんだよ
四四五、管理人だよ
おれは、いつだって挑戦者だから
四四六、空中庭園在住の現実を生きる不定形生物さん︵出張中
1199
意味がわからん
四四七、住所不定のどこにでもいるようなてふてふさん
この前はキングに挑んでたな。腕相撲キング
キングが相手をするまでもないと思ったから
おれが軽くひねってやった
四四八、魔都在住の特筆すべき点もないライオンさん︵出張中
お前も何してんの?
キャラ的に勝っちゃだめでしょ
もっと自分を大事にしようよ
四四九、海底洞窟在住のとるにたらない不定形生物さん
いや、順当な結果だったよ
羽のひと、設定上でも時速で200とか出すから
子狸はハンデをやるとか言って指一本で勝負したけど
角度やばかったもん
非日常的になった前足を見つめて
1200
思わず口を衝いて出た
子狸さんのコメントがこちら
子狸﹁⋮⋮ひゅっ﹂
四五0、王都在住のとるにたらない不定形生物さん︵出張中
子狸には申し訳ないけど
今年いちばんのリアクションだったな
もちろん大賞にノミネートしておいた
今年こそは獲ってみせるぜ
まあ、それはよしとして⋮⋮
ジョーDが生成した力場の上を
黒雲号が駆けていく
黒騎士との戦いで
子狸が作った傘の道を
海上で再現したものだ
ただし、子狸が作ったものよりも幅広で
お馬さんの足に負担が掛からないよう
緻密に調整してある
盾魔法は外部の干渉を弾く魔法だから
反発力を抑えれば芝生の弾力を再現することもできる
1201
逆に反発力を高めれば
ポンポコ級の退魔性なら加速にも使えるかもしれない
こけたらダイナミックに捻挫するだろうけど
幽霊船までの行程を
黒雲号が三分の一ほど走破したあたりで
豆芝さんが波打ち際に到着した
子狸﹁豆芝、待ってて!﹂
豆芝さんから飛び降りた子狸を
三人のジョーが拾い上げる
子狸が後ろを指差しただけで
その意図を豆芝さんは汲んだ 子狸を神輿みたいに担ぎ上げたジョーたちが
一糸乱れぬ足並みで勇者さんを猛追する
骸骨B∼D﹁おうおう!﹂
子狸﹁おう!﹂
骸骨B∼D﹁シエル!﹂
子狸﹁ドロー!﹂
特訓でつちかったコンビネーションを
余すことなく発揮するポンポコ神輿
1202
遺憾ながら
おれたちの魔法と子狸の魔法は
ほぼ同質だ
応用の幅が広すぎるため
チェンジリング☆ハイパーは不可能としても
目的が同じなら、互いに互いのイメージを補うことができる
減速魔法は、物質と物質の関係性を操作する魔法だ
減速魔法と銘打ってはいるものの
じつのところ一定周期で加速と減速の波がある
減速した場合は相対的に硬度が増し
加速した場合は相対的に硬度が減る
つまり脆くなる
子狸が素で加速しようものなら
足首がブレイクするだろう
しかしジョーたちには極めて高い再生力がある
子狸の加速魔法は
減速魔法で加速するというジョーたちのイメージを
高速で再生するジョーたちというイメージで補っている
つまり、とんでもなく速い
骸骨B∼D﹁わっしょい! わっしょい!﹂
1203
子狸﹁わっしょーい!﹂
後方では、ジョーAが奮闘している
空のひとの砲撃は
いまなお続いていた
ジョーたちのこん棒さばきは
一流どころの剣士に勝るとも劣らない
束になって襲い掛かってくる氷槍を
大きく飛び上がったジョーAが
空中でコマみたいに回って
まとめて叩き砕いた
だいぶ視界も晴れてきた
一連の動作で
頭上を通過した空のひとを視認し
一瞬で構成を組み上げる手管は
過去、魔法戦士たちから学んだものだ
骸骨A﹁レゴ・グレイル・ラルド・ディグ!﹂
お返しとばかりに
大口径の氷槍を後ろ手に撃つ
開放レベル2の投射魔法なら
詠唱破棄の盾魔法を貫通できる
1204
空のひとの意表を突いたかに見えたが
これは黒騎士の魔☆剣で撃墜された
じつに目障りな上司だ
舌打ちしたジョーAが
豆芝さんと合流する
先行するポンポコ神輿では
翼で風を打つごとに加速する空のひとに
子狸の肩にとまっていた羽のひとが
決死の覚悟を決めた
妖精﹁先に行くぜ!﹂
ここがデッドラインだった
ポンポコ神輿が先行しているいまなら
空のひとに先んじて幽霊船に辿りつける
子狸﹁はちみつは⋮⋮﹂
誰もはちみつの話なんてしてない
羽のひとはツッコミを放棄して飛翔した
四五一、住所不定のどこにでもいるようなてふてふさん
あとで、さっと熱を通します
1205
四五二、山腹巣穴在住の現実を生きる不定形生物さん︵出張中
子狸3分クッキングが
にわかに現実味を帯びてきた
羽のひとの旋回速度の秘訣は
二対の羽から生み出される爆発的な加速力にある
たちまち黒雲号に追いつき
その頭上を抜けようとした羽のひとを
勇者さんが制止した
勇者﹁リン!﹂
羽のひとの妖精魔法では
空のひとに対して決定打を与えられない
それを見越しての判断なのか?
それとも⋮⋮
片手を差し出した勇者さんを
羽のひとは信じることに決めた
勇者﹁あなたはここ。落馬しないように、わたしを支えて﹂
妖精﹁はい!﹂
秘策があるらしい
1206
羽のひとは従った
だいじょうぶと言って聞かせるように
勇者さんが頷いた
勇者﹁そう。そのまま。あなたを見ていたほうが、きっとうまく行
く⋮⋮﹂
羽のひとを乗せた左腕のひじをくっと引いた勇者さんが
お馬さんの手綱を手放して
右手に聖☆剣を顕現する
顔に巻きつけるように振りかぶった右手の中で
聖☆剣が不安定に揺れていた
幽霊船まで、残すところあとわずか
黒雲号とポンポコ神輿が横一線に並んだ
まさにそのとき、上空を空のひとが駆け抜けた
骸骨B∼D﹁わっしょい! わっしょい!﹂
子狸﹁エラルドぉっ!﹂
黒雲号を抜き去ったポンポコ神輿
上空を仰いだ子狸が
かつて羽のひとにへし折られた人差し指を
空のひとに向けた
1207
子狸、渾身の魔法がいま!
子狸﹁ディグ・タク・アバドぉーん!﹂
えっ
四五三、魔都在住の特筆すべき点もないライオンさん︵出張中
えっ
四五四、空中庭園在住の現実を生きる不定形生物さん︵出張中
えっ
四五五、住所不定の特筆すべき点もないてふてふさん
えっ
四五六、王都在住のとるにたらない不定形生物さん︵出張中
重力砲とか⋮⋮
どう考えても開放レベル4だろ⋮⋮
なまじ魔性に近しいから
子狸の魔法は失敗しても半端に実現しようとして
1208
周囲に被害をもたらす
撒き散らされた重力場が
足場になっている魔法の桟橋を
木っ端微塵に打ち砕いた
骸骨B∼D﹁はわわっ﹂
子狸﹁な、なんと⋮⋮﹂
妖精﹁ばかーっ!﹂
かろうじて羽のひとの念動力が
黒雲号と勇者さんの落下速度をゆるめる
ポンポコ神輿は
あえなく海中に没した
四五七、墓地在住の今をときめく骸骨さん︵出張中
四連結ならレベル2だろ的なっ
四五八、墓地在住の今をときめく骸骨さん︵出張中
あわよくばレベル3だろ的なっ
四五九、墓地在住の今をときめく骸骨さん︵出張中
1209
どんぶり勘定をするなとっ⋮⋮
このポンポコ、役に立たねえ!
四六0、空中庭園在住の現実を生きる不定形生物さん︵出張中
まずい! ジョーは泳げん!
王都の!
四六一、王都在住のとるにたらない不定形生物さん︵出張中
急に言われても思いつかんぞ⋮⋮
ジョーAは⋮⋮だいじょうぶだな
スタートが遅れたぶん、浅瀬だったのが幸いした
問題はコイツらか
際限なく沈んでいくジョーたちを
とりあえず海上に射出
ちゃぽんと跳ねた海水を
女性の形に固定する
水の精霊⋮⋮ということにしよう
仕方ないから声はおれがあてる
1210
突如として出現した水の精霊が
金銀にデコレーションされたジョーたちを
柔らかい手つきで指し示す
おれ﹁あなたが落としたのは金の骨ですか? 銀の骨ですか?﹂
骸骨B﹁それ骨じゃないだろ﹂
海面から顔を出した濡れ子狸が答える
子狸﹁いいえ、鉄の骨です﹂
骸骨C﹁鉄でもないんだが⋮⋮﹂
おれ﹁あなたは正直者ですね﹂
骸骨D﹁えっ⋮⋮﹂
四六二、山腹巣穴在住の現実を生きる不定形生物さん︵出張中
お前らが妙なドラマを演出している一方その頃⋮⋮
幽霊船の上空を陣取った空のひとが
勇者一行をあざ笑うように一瞥して
急降下を開始した
体当たりをするつもりだ
低レベルの魔法で破壊しても
1211
逆算能力で修復される
レベル4の魔物の打撃は
開放レベル4の魔法と同意義だから
実質的に修復は不可能ということになる
治癒魔法が神のご加護であるというなら
そんなことはあってはならないことだから
魔☆力が毒のように内部を蝕むのだと人間たちは解釈している
目下、落下中の勇者さんは
一心に空のひとを見つめていた
とっさに羽のひとが念動力で支えたものの
馬上で勇者さんの身体は傾いでいる
しかし、そんなことは勇者さんの集中の妨げにはならなかった
短い吐息と共に、聖☆剣を振りぬく
幾つもの淡い光が
空のひととを隔てる虚空に
連続して灯った
ひよこ﹁⋮⋮?﹂
空のひとが首をねじって
ぎょっと目を見開いた
聖☆剣の切っ先が
1212
両者を隔てる空間を飛び越えて
片翼を切り落としていた
ひよこ﹁おお⋮⋮﹂
淡白な反応だった
空中でバランスを崩した空のひとが
狂った進路を立て直そうと
残った片翼で激しく羽ばたくも
狙いが逸れて海面に着水する
ひよこ﹁!﹂
とっさに盾魔法を足場にして水没を免れたが
足元の海面が突如として渦を巻く
庭園B﹁! まずい! 飛べ!﹂
設定上、聖☆剣は魔法ではないことになっている
逆算能力で治療するのはご法度だが
レベル3以上の魔物は変化魔法で同じ効果を得ることができる
ひよこ﹁待て、いま⋮⋮エリア・ブラウド!﹂
半ばから切り落とされた翼が
にゅっと生える
飛び立とうとした空のひとを
1213
しかし海面から伸び上がった水竜巻が捕獲した
ひよこ﹁うおっ⋮⋮﹂
四六三、海底都市在住のごく平凡な人魚さん
さあ、おしおきの時間だ
四六四、王都在住のとるにたらない不定形生物さん︵出張中
もはや事態は完全に人間たちの手を離れた
触手のようにねじ曲がった水竜巻が
空のひとの巨体をぎりぎりとしめつける
ひよこ﹁ぬぬぬっ⋮⋮!﹂
カッと開いたくちばしで噛み切ろうとする空のひとに
水竜巻が素早く背後に回り込んだ
空のひとの翼をロックし、コブラツイストに移行する
ひよこ﹁ぬおおっ⋮⋮!﹂
さりげなく避難した黒妖精が
空のひとの耳元まで飛んで行って叫んだ
コアラ﹁ギブか? ギブか?﹂
1214
ひよこ﹁ネバー!﹂
魔獣種としてのプライドがそうさせるのか
空のひとは激しくかぶりを振って
続行の意思を示した
水竜巻が巨人と化して
さらなる苦悶を空のひとにしいる
背骨をへし折らんとばかりにしめつけられて
ひよこ﹁ほうっ﹂
空のひとのくちばしから
かつて聞いたことのない音がした
観戦を余儀なくされている勇者一行
勇者さんの肩に移った羽のひとが
畏怖に打たれて震え上がっていた
妖精﹁並行呪縛⋮⋮﹂
勇者﹁?﹂
妖精﹁あれ⋮⋮王種のよりしろです⋮⋮﹂
勇者﹁よりしろ⋮⋮?﹂
1215
妖精﹁遠隔操作の、人形みたいなものです。本体じゃないのに⋮⋮
王種は⋮⋮こんな、圧倒的すぎる⋮⋮﹂
水の精霊から三種のジョーを取り戻した子狸が
どさくさに紛れてゴールした
ゴールド﹁うぃー!﹂
シルバー﹁うぃー!﹂
アイアン﹁うぃー!﹂
子狸﹁うぃー!﹂
幽霊船の甲板で、こぶしを突き上げて勝ち誇っている
空のひとは責め苦に耐えていた
水の巨人が首をひねると
海面がさざめき
盛り上がった海水が
即席のリングと化した
巨人を介して海のひとが叫ぶ
人魚﹁ひとんちでっ﹂
空のひとを抱えたまま助走し
ロープに投げる
1216
すでに空のひとはグロッキーだ
よたよたと海面を走らされ
ロープでバウンドして戻ってくる
人魚﹁騒ぐなっつってんだろーがぁぁっ!﹂
巨人のラリアットが空のひとに炸裂した
ひよこ﹁おふっ!﹂
空のひとの巨体が半回転して
マットに沈んだ
黒妖精が両腕を交差して
試合終了を告げる
ひよこ﹁⋮⋮⋮⋮﹂
マットで大の字になっている空のひとは
ぴくりともしない
コアラ﹁ドクター! っ⋮⋮勝者、海のひと!﹂
人魚﹁うぃーっ!﹂ 壮絶な幕切れに、ジョーたちと子狸が喝采を上げる
危機は去ったのだ⋮⋮
1217
四六五、空中庭園在住のとるにたらない不定形生物さん︵出張中
日没と同時に
港町の住人たちは黒騎士の魔☆力から解放された
⋮⋮お前たちも
もういい加減、諦めたらどうだ?
四六六、火口付近在住の現実を生きる不定形生物さん︵出張中
まだだ!
まだ終わっちゃいない⋮⋮
四六七、かまくら在住の現実を生きる不定形生物さん︵出張中
諦めるのは、お前だ!
おれたちは
シナリオを遂行したぞ
オリジナルでなくとも、やれると証明した!
四六八、空中庭園在住のとるにたらない不定形生物さん︵出張中
強情だな⋮⋮
1218
わかった
理由が必要ならくれてやる
歩くひと、見てるな?
四六九、湖畔在住の今をときめくしかばねさん︵出張中
こんばんはぁ
あれ? なんでびくってしたの、お前ら?
ああ、ごめん。お前らだなんて⋮⋮
お兄ちゃん
四七0、かまくら在住の現実を生きる不定形生物さん︵出張中
山腹のがだな
四七一、火口付近在住の現実を生きる不定形生物さん︵出張中
うん、そう。山腹のが
おれたちは止めたんだよ
ね、議長?
1219
四七二、空中庭園在住のとるにたらない不定形生物さん︵出張中
いえ、おれオリジナルですし⋮⋮
四七三、火口付近在住の現実を生きる不定形生物さん︵出張中
オリジナルはおれたちの目の前にいるだろ!
怖い! このひと怖い! 平気で仲間を売る!
四七四、山腹巣穴在住の現実を生きる不定形生物さん︵出張中
怖いのはお前らだよ!
でも残念でした∼
おれは勇者一行の味方だもんね
いや、悪いね、ホント⋮⋮
四七四、湖畔在住の今をときめくしかばねさん︵出張中
お前ら、もうちょっと賢く生きろよ
ポンポコ︵大︶を見習え
1220
あいつは、おれを見るなり最速で土下座したぞ
四七五、住所不定の特筆すべき点もないてふてふさん
さて、と⋮⋮
そろそろ魔都に帰るか。な、お前ら
四七六、空中庭園在住の現実を生きる不定形生物さん︵出張中
そうですね、司令
四七七、かまくら在住の現実を生きる不定形生物さん︵出張中
お供します、司令
四七八、火口付近在住の現実を生きる不定形生物さん︵出張中
オリジナルども
今回は勝ちを譲ってやる
だが、忘れるな
ライフワーク担当のおれたちはどこにでもいる
1221
第二、第三のおれたちが、いつの日かきっと⋮⋮
四七九、湖畔在住の今をときめくしかばねさん︵出張中
きれいにまとめようとしてるとこ悪いけど
お前ら全員、王都に集合
四八0、山腹巣穴在住の現実を生きる不定形生物さん︵出張中
はい
四八一、火口付近在住の現実を生きる不定形生物さん︵出張中
はい
四八二、かまくら在住の現実を生きる不定形生物さん︵出張中
はい
四八三、湖畔在住の今をときめくしかばねさん︵出張中
あ、そうだ。王都のひと
1222
四八四、王都在住のとるにたらない不定形生物さん︵出張中
はい?
四八五、湖畔在住の今をときめくしかばねさん︵出張中
アリア家の地下に
鬼のひとたちが幽閉されてるんですけど
訪問販売しに行って
即行でつかまったらしい
四八六、海底洞窟在住のとるにたらない不定形生物さん︵出張中
なにやってんだ、あのひとたち⋮⋮
1223
﹁おれたちの船出﹂part1
四八七、海底洞窟在住のとるにたらない不定形生物さん︵出張中
というわけで
歩くひとの逆鱗に触れたコピーたちは
四人つるんで王都に旅立って行ったとさ
めでたしめでたし
四八八、火口付近在住のとるにたらない不定形生物さん︵出張中
めでたくはねーな
四八九、かまくら在住のとるにたらない不定形生物さん︵出張中
事情はわかった
わかったが⋮⋮
ひとつだけ訊きたい
どうして、鬼のひとたち救出部隊に選出されたのが
おれたちなんだ?
1224
四九0、山腹巣穴在住のとるにたらない不定形生物さん︵出張中
納得の行く説明をもらいたい
四九一、王都在住のとるにたらない不定形生物さん︵出張中
まあ聞け
この話には続きがあってだな⋮⋮
ひとしきり吠えたあと
役目を終えた水の巨人は
とぷんと海水に戻ったわけだが
おれは少し勇者さんと話してみたかった
せっかくの機会だったからな
なかなか話しかけてくれなかったから
スイングの調整をしたりして
気さくな精霊を演出したわけよ
おれ﹁ふむ⋮⋮ちとスライスしたか⋮⋮﹂
四九二、住所不定のどこにでもいるようなてふてふさん
嘘を吐けよ
1225
お前、ステルス解いてたの忘れてただけだろ
さも忙しいふりして
ときどき子狸で遊んでるの知ってんだぞ
勇者さんの死角に回りこんで
猛虎の構えとかするのやめろ
四九三、王都在住のとるにたらない不定形生物さん︵出張中
必要ならそうするさ
四九四、住所不定のどこにでもいるようなてふてふさん
それも!
受け答えよりも
自分が言ってみたい台詞を優先するのやめろ!
子狸か!
四九五、王都在住のとるにたらない不定形生物さん︵出張中
子狸じゃねーよ!
四九六、空中庭園在住のとるにたらない不定形生物さん
1226
その応酬やめろ!
いつか子狸と同じこと言いそうで不安になるんだよ⋮⋮
四九七、海底洞窟在住のとるにたらない不定形生物さん
うん。そうだね
とにかく
あきらかにひまを持て余してるふうの精霊に
勇者さんは意を決して話しかけたのさ
勇者﹁⋮⋮あなたは、もしかして海の精霊なの?﹂
王都﹁えっ⋮⋮あ、うん﹂
リアクションがおかしかったな
確実に油断してた
水の精霊とか言ってたのに
認めちゃったし
自分でも気付いたんだろうな
すぐに訂正してた
王都﹁まあ、あれだ。あれ、うん。いまはそう、海の精霊﹂
勇者﹁⋮⋮⋮⋮﹂
1227
妖精﹁水の精霊は流されやすいというか⋮⋮けっこう適当なところ
があるんです﹂
羽のひとのフォローが光る
この頃には、ジョーA改めノーマルジョーが展開し直した
魔法の桟橋に黒雲号は復帰してた
はしゃぎすぎて幽霊船の甲板から落っこちた子狸を
ジョーたちが懸命に救出作業を行ってたな
魔法の桟橋を
とことことマイペースで歩きはじめた黒雲号の上で
勇者さんは気を取り直して言った
勇者﹁あなたは、王種の庇護を受けているの?﹂
自然と遠ざかる精霊
王都﹁あなたは宝剣の所持者ですね﹂
黒妖精さんが最高位の存在とか言っていたので
精霊は自らのディティールにこだわった
王都﹁答えましょう。そのとおりです、人間の子よ﹂
勇者﹁⋮⋮そう。魔軍元帥は、光の精霊が人間の味方をしていると
言ったわ。あなたは違うの?﹂
1228
王都﹁光は二面性を持つもの。わたしはそうではない﹂
勇者﹁だから魔物たちの側につくと?﹂
王都﹁その質問には答えられない。あなたは、王種とは何なのか、
その問いに対する答えを持たない﹂
黒雲号が甲板に辿りついた
ジョーたちに一本釣りされた子狸が
うざったいテンションで勇者さんに駆け寄る
子狸﹁お嬢∼!﹂
勇者﹁リン﹂
妖精﹁はい﹂
羽のひとが子狸の迎撃にあたる
妖精﹁しぇあっ!﹂
子狸﹁ぬうっ⋮⋮!﹂
子狸のひざが揺れる
アイアン﹁ロー効いてるよ! ロー!﹂
シルバー﹁ガード、ガード! ガード下げんな! イイのもらった
ら終わるぞ!﹂
1229
ゴールド﹁足使え! 足! インファイトに付き合うな!﹂
勇者さんは続けた
勇者﹁では、人間に味方をすることはあり得る?﹂
精霊は答えた
王都﹁わからない。あなたたちは、自分たちよりも高位の存在と手
を取り合うことができない。おそらくできないと⋮⋮わたしは考え
ている﹂
これは王都のの本音だろう⋮⋮
勇者﹁⋮⋮⋮⋮﹂
勇者さんは答えられなかった
四九八、王都在住のとるにたらない不定形生物さん︵出張中
いや。状況しだいじゃねーか?
四九九、空中庭園在住のとるにたらない不定形生物さん
ちょっ⋮⋮
ひでえ! お前、勇者さんめちゃくちゃ悩んでたぞ!?
1230
じゃあ、これもそうなの!?
王都﹁あなたたちの本質は停滞にある。文明の先に、生物としての
発展はない。衰えるばかりだ﹂
ちょっと感心したんだけど! まじで!
五00、王都在住のとるにたらない不定形生物さん︵出張中
まじで?
ごめん。たんなる思いつきだわ
もう勇者さんに警戒されちゃってるから
おれも次善策を練らねーとな
お前らは協力してくれないし
勇者さんの意識を改革しようかと思ってんのよ、いま
五0一、海底洞窟在住のとるにたらない不定形生物さん
おお、前向きだな
具体的な案はあるのか?
1231
五0二、王都在住のとるにたらない不定形生物さん︵出張中
猫耳とか?
五0三、魔都在住の特筆すべき点もないライオンさん
意識は?
というか、やめて。おれとキャラがかぶる
五0四、住所不定のどこにでもいるようなてふてふさん
かぶってもないだろ
王都のひとの薄っぺらい質問に
勇者さんは答えるすべを持たなかった
いやらしい質問をさせたら
この青いのの右に出るものはいない
ひざに来ている子狸が
二人の会話に割りこんだ
子狸﹁ちがう! そんなことない!﹂
子狸は人間の可能性を信じているようだった
子狸﹁学年一の美少女に、ちょっと冴えない男の子が好かれること
1232
だってあるはずだッ!﹂
もうちょっとましな比喩はなかったものか⋮⋮
おれ﹁ねーよ。夢見んな﹂
もう眠れ
おれの右が一閃し⋮⋮
子狸の手のひらから乾いた音がした
おれ﹁なっ⋮⋮!?﹂
う、受け止めやがった⋮⋮
金&銀&鉄﹁肉球ガードだ!?﹂
子狸﹁え!?﹂
金&銀&鉄﹁え!?﹂
子狸﹁いや、うん。⋮⋮え?﹂
金&銀&鉄﹁え? ああ⋮⋮﹂
子狸﹁うむ⋮⋮﹂
金&銀&鉄﹁うむ⋮⋮﹂
1233
あいまいな同意に至る子狸と骨
精霊が見上げると
夜の帳が落ちた海上で
おれの輝く燐粉がひときわ目を引いた
つまり、おれシャイニング
ほのかに照らされた子狸が
一縷の希望のようにも見えた
王都﹁ちがう⋮⋮と。どのように証明しますか?﹂
子狸﹁⋮⋮え?﹂
気のせいだった
子狸﹁あ、うん。つまり⋮⋮悪魔の証明というやつだな⋮⋮﹂
合っているような合っていないような⋮⋮
勇者﹁悪魔の証明?﹂
勇者さんが食いついた
子狸が受けた教育は
現代の水準を完全に飛び越えたものだ
子狸は、ふっと微笑した
1234
子狸﹁つのかな﹂
ぜんぜん違った
悪魔の証明
悪魔の実在を否定することはできないように
存在しないということを証明するのは困難を極めるということだ
つのは関係ない
勇者﹁⋮⋮そう﹂
勇者さんは納得していないようだったが
意識の片隅には留めておこうという感じの反応だった
彼女の未来ある知性が
子狸ライブラリーに毒されないことを祈るばかりだ
王都﹁!﹂
最初に気が付いたのは精霊だった
水の巨人がそうしたように
とぷんと海中に潜る
次に反応したのがジョーたち
豆芝さんが甲板に辿りつくと同時に
ノーマルジョーが鞍から飛び降りて
幽霊船の船首にこん棒を向けた
1235
三種のジョーと共に子狸の前後左右を固める
舳先の向こう
暗闇の先に
黒騎士が立っていた
盾魔法を足場にしている
その肩に黒妖精が舞い降りたことで
くっきりと輪郭が浮かび上がる
緊迫が走った
遠目に見える
海面にぷかりと浮かぶ
巨大ひよこの腹が⋮⋮丸い
肥えている
予想以上だ!
五0五、魔都在住の特筆すべき点もないライオンさん
放っておいてくれ
むかしは、もっとしゅっとしてたんだけどな⋮⋮
二番の影響なんかな? よくわからん⋮⋮
1236
五0六、海底洞窟在住のとるにたらない不定形生物さん
いや、むかしからそうだったと思う⋮⋮
でも、たまに⋮⋮
正直。⋮⋮あれ? って思うことはある
空のひとと言えば、速い! っていう印象があるから
たぶんそのせいじゃないかと⋮⋮
五0七、魔都在住の特筆すべき点もないライオンさん
いや、そんなはずはない
本当のおれは長身痩躯なんだ
ひよこと言うよりは、かもめ
かもめと言うよりは、うみねこ
からあげと言うよりは⋮⋮しめさば
五0八、住所不定のどこにでもいるようなてふてふさん
そのこだわり、ちょっとおれにはわからないな⋮⋮
1237
ふたたび対峙する
勇者一行と黒騎士
ジョーたちに詠唱破棄は通用しない
だが、魔王軍最高峰の魔法使いに対して
その特性がどこまで信頼に値するものなのか⋮⋮
無言の応酬が一分ほど続いたあと
やがて黒騎士が重々しく口を開いた
庭園B﹁詫びんぞ﹂
ジョーたちに向けられた言葉だった
庭園B﹁敵対するなら容赦はしない⋮⋮が、気が済んだら戻ってこ
い﹂
とっさにノーマルジョーが言った
ノーマル﹁元帥殿は⋮⋮どうされるのですか?﹂
問われて、黒騎士は波間に揺れる毛玉を見下ろした
庭園B﹁あれが目覚めたら帰るとしよう。ゲームは⋮⋮お前たちの
勝ちだ﹂
そう言って、水平線の向こうに浮かぶ月を眺める
1238
庭園B﹁⋮⋮力の一端を引き出したのは見事だった。次に会うとき
は⋮⋮﹂
右手に魔火の剣が燃える
それを握りつぶすような仕草をすると
宙を舞った火の粉が十数本の剣となって
黒騎士を守護するように囲った
庭園B﹁この程度のことは、こなせるようになっておけ﹂
子狸﹁⋮⋮ああ﹂
いや、お前には言ってないよ?
勇者﹁⋮⋮⋮⋮﹂
台詞をとられた勇者さんが
子狸の頬をつまんで引っ張った
じつによく伸びる
⋮⋮というわけだ
五0八、火口付近在住のとるにたらない不定形生物さん︵出張中
はいはい、何の説明にもなってませんね
1239
五0九、かまくら在住のとるにたらない不定形生物さん︵出張中
さしたる理由はないんだろ?
もう言っちゃえよ
五一0、湖畔在住の今をときめくしかばねさん︵出張中
お前らが泣き叫ぶ姿を見たい
五一一、山腹巣穴在住のとるにたらない不定形生物さん︵出張中
ありがとう、お前ら
気を遣ってくれたんだね⋮⋮
1240
﹁おれたちの船出﹂part2
五一二、王都在住のとるにたらない不定形生物さん︵出張中
魔軍☆元帥の魔☆力が解けたことで
港町に光が灯った
発光魔法の明かりだ
海上から眺めた港町は
キャンドルパーティーのように輝いて見えた
滞った業務の再開
事実確認と住人たちへの事情説明
駐在の騎士たちは忙しい夜になりそうだ
暗躍を続けるファミリーの構成員たちは
勇者さんの手足としての責務を果たすだろう
魔☆力に囚われた住人たちは
一時的とはいえ黒騎士の支配下にあった
事件の全貌を知っているのは
せいぜい子供たちくらいなものだから
きっと真相は闇に葬られることになる
勇者一行は、しばし幽霊船に身を寄せることになった
これは勇者さんの判断だ
1241
迂闊に子狸を野放しにはできないと考えたのだろう
領主の判断しだいでは
当面は航路が制限される可能性もあった
レベル4の襲撃を受けたともなれば
政府の干渉は避けられない
貿易は港町の特権だから
後ろ暗い商売の一つや二つは日常茶飯事だろう
勇者一行は夜逃げするように港町をあとにした
けっきょく滞在期間は半日にも満たなかったことになる
遠ざかる港町を
子狸は甲板でじっと見つめていた
子狸﹁⋮⋮⋮⋮﹂
いや、ちがった
子狸の興味は、もっぱらゴールドジョーに向けられていた
ゴールド﹁⋮⋮? なんだ?﹂
視線に気づいたゴールドが振り返ると
子狸は真顔で視線を逸らした
子狸﹁いや、べつに﹂
ろくでもない予感を満載して
1242
ジェット・ブルー号は海を行く
子狸﹁⋮⋮⋮⋮﹂
五一三、住所不定のどこにでもいるようなてふてふさん
もともとジェット・フェアリー号は
海上で姿を消した豪華客船のなれの果てという設定がある
内装は見る影もなく朽ちているが、航行には支障がない
ジョーたちが小まめにメンテナンスしているので
設備に関してはまだまだ現役だ
子狸がお馬さんたちのお世話をしている間に
おれと勇者さんは仲良くお風呂で汗を流した
お馬さんたちのお世話を終えた子狸が
お風呂を上がって客室に戻ると
寝間着姿の勇者さんが
ベッドの上で丸くなって身体を休めていた
寝苦しい夜に、おれ
うちわをあおいで送風中
子狸﹁⋮⋮⋮⋮﹂
おれ﹁⋮⋮⋮⋮﹂
1243
おれと子狸の視線が空中で火花を散らした
客室にベッドは二つある
子狸は、おれから視線を外さないまま
静かに後ろ足を交差させて自分のベッドに腰掛けた
ベッドの上で丸まったまま、勇者さんがぱちりと目を開く
勇者﹁⋮⋮紫術を使える人間なんて、はじめて見たわ﹂
気だるそうな声だった
お疲れの様子である
子狸の表情に緊張が走った
子狸﹁⋮⋮そいつはどこに行った?﹂
おれ﹁お前のことです﹂
発電魔法のことを人間たちは紫術と呼ぶことがある
人間には使えないとされる発電魔法が
血縁によるものだとすれば
それは魔法ではなく異能に分類されるべきものだ
学会でもよく研究テーマにされているようだが
いまもって結論は出ていない
勇者さんは異能論を支持しているようだった
1244
子狸﹁ああ、あれね。ちょっとコツがあるんだ﹂
子狸は黒騎士の言いようをリスペクトした
勇者﹁⋮⋮雷魔法のことよ。あれを魔法と決めつけるのは⋮⋮良く
ないと思ってたんだけど﹂ 勇者さんが寝転がったまま他者と話すのは珍しい
子狸﹁お嬢、眠いの?﹂
勇者﹁そんなことないけど⋮⋮﹂
そのわりには、まぶたが重そうだ
もそもそと寝返りを打った勇者さんが
枕を抱きかかえて頬に当てた
子狸﹁眠いんだろ? 火の番はおれがするから、寝てていいよ﹂
子狸さん優しいなどと青いのは感動していたが
そもそも船内で火の番などという役回りは存在しない
魔法動力船とは比較にならないほど
ジェット・フェアリー号の航行はおだやかだ
くてっと首を倒した勇者さんが言う
勇者﹁コツが⋮⋮あるの?﹂
1245
子狸﹁忘れてはならないって自分に言い聞かせるんだ。たくさんの
ひとが、たくさんの思い出を胸に生きてるってね⋮⋮。枕になりた
い﹂
おれ﹁しね。エロ狸が﹂
勇者﹁⋮⋮それ、焚き火のコツでしょ。そうじゃなくて⋮⋮﹂
勇者さんのまぶたが、羽を休めるようにふと閉じる
勇者﹁そうじゃなくて⋮⋮﹂
おやすみなさい
五一四、海底洞窟在住のとるにたらない不定形生物さん
しつこいようだけど
本当に体力がないな、この子は⋮⋮
今日一日でやったことって
街から街へお馬さんに乗って移動して
宿屋と船着き場を徒歩で往復
あとは黒騎士との戦闘で
短時間の全力運動をしたくらいだろ
人間ってインドア生活が続くと
こうまで体力がつかないもんなの?
1246
五一五、空中庭園在住のとるにたらない不定形生物さん
精神的な疲れもあるんだろう
勇者さんの名前が拾えるようになったのは
旅シリーズがはじまってからだ
検索避けの可能性はあるが⋮⋮
アリア家側の証言もある
実戦経験はなかったと見ていい
いまの彼女に
都市級の対応は
幾らか荷が勝っていたな⋮⋮
五一六、王都在住のとるにたらない不定形生物さん︵出張中
ざざん⋮⋮ざざん⋮⋮
絶え間ない波の音と、木材が軋む微かな音
すぅすぅと寝息を立てる勇者さんに
自分のぶんの掛け布団を貸してあげようとする子狸を
羽のひとが牽制する
妖精﹁⋮⋮⋮⋮﹂
子狸﹁⋮⋮⋮⋮﹂
1247
小さな人差し指をぴっと突き付けられた子狸が
たちまち念動力で捕縛された
子狸﹁ぬぅ⋮⋮﹂
うめき声を上げる子狸に
羽のひとが警告する
妖精﹁おれたちはこっち。お前はそこだ。掛け布団を、そっと床に
置け。そっとだ。妙な真似をしたら⋮⋮容赦しない。まずは指をへ
し折る﹂
子狸﹁待て。わかった⋮⋮言うとおりにしよう﹂
そんな一幕もあり⋮⋮
やがて時刻は深夜の二時。現在だ
同じ行程を歩んできた勇者さんは熟睡しているというのに
子狸の体力は有り余っていた
ぱっと目を覚ました子狸が
あてがわれた客室をうろうろしはじめる
子狸﹁⋮⋮⋮⋮﹂
勇者さんと羽のひとが寝入っているのを確認して
そっと客室を抜け出した
静かにドアを閉める
1248
子狸﹁⋮⋮⋮⋮﹂
忍び足で船内を練り歩く子狸に
アイアン﹁どこへ行く気だ?﹂
腕組みをして壁にもたれていたアイアンジョーが声を掛けた
子狸﹁っ⋮⋮このおれの死角をとるとは⋮⋮﹂
アイアン﹁学ぶべきことは多いな﹂
おれたちは、さまざまなことを子狸に教えてきた
教えきれていないこともたくさんある
腕組みをといたアイアンが
ずいっと子狸に詰め寄る
アイアン﹁答えろ。どこへ行く﹂
子狸が、肺腑から声を絞り出した
子狸﹁失ったものを⋮⋮取り戻しに行く﹂
アイアン﹁⋮⋮何かを得ようとしたなら、何かを失う。仕方のない
ことだ﹂
子狸﹁何かを犠牲にしなくちゃだめなのか? そうじゃないはずだ﹂
1249
港町の一件で勇者さんが愛用の剣を失ったように
子狸の調理器具一式もまた失われた
子狸の金銭感覚は
勇者さんよりもずっとまともだ
バウマフ家の貯蓄は出入りが激しい
おれたちの必要経費は
バウマフ家のお財布から支払われるし
たとえば羽のひとが妖精屋で稼いだぶんは
バウマフ家のお財布に振り込まれる
一家で遊んで暮らせるだけの額になった翌日には
目玉が飛び出るほどの借金を抱えていたりもする
ポンポコ金融が破綻した過去から
子狸は多くのことを学んでいた⋮⋮
五一七、墓地在住の今をときめく骸骨さん︵出張中
各国で通貨の価値が違うからなぁ⋮⋮
ポンポコ母には説明したし
許可ももらったんだけど
まず億っていう数字の単位を理解してなかったっぽい
五一八、王都在住のとるにたらない不定形生物さん︵出張中
1250
先立つものが必要だった
それは手を伸ばせば届く距離にある
子狸は黄金の輝きに魅せられていた
子狸﹁⋮⋮⋮⋮﹂
アイアン﹁⋮⋮⋮⋮﹂
無言で見つめ合う二人が
弾けるように距離を取った
アイアン﹁同じことだ! お前がやろうとしていることも!﹂
こん棒を抜き放って殴りかかるアイアン
子狸﹁イズ・エリア!﹂
子狸は紫電を棒状に伸ばして応じる
船内の廊下で
両者が正面から激しくぶつかり合った︵深夜
子狸﹁どいてくれ! お前とは戦いたくない!﹂
アイアン﹁賢しげに口を叩くな! 金の亡者め!﹂
子狸﹁ちがう! お嬢のためだ!﹂
1251
アイアン﹁何が違う!? 何も違わない!﹂
アイアンのこん棒が発電魔法を打ち破って
素早く身を屈めた子狸を
船内の壁を砕きながら追う
子狸﹁シエル!﹂
子狸が壁を硬化して
こん棒の追撃をとどめた
動きを止めたこん棒を
片手で掴んで飛び上がる
子狸﹁おれナックル!﹂
子狸のこぶしがアイアンに迫る
アイアン﹁おれシュナイダー!﹂
こん棒から手を離したアイアンが
バアッと跳躍して後方宙返りを披露した
深夜の船内で熱戦を繰り広げる二人を
妖精﹁⋮⋮⋮⋮﹂
羽のひとが冷たい眼差しで見ていた⋮⋮
1252
五一九、火口付近在住のとるにたらない不定形生物さん︵出張中
子狸さん、うしろうしろー!
五二0、かまくら在住のとるにたらない不定形生物さん︵出張中
ああっ⋮⋮
そんなご無体な⋮⋮
五二0、湖畔在住の今をときめくしかばねさん︵出張中
お前らはこっちだ
それでは⋮⋮こほん
お前ら突撃!
五一三、火口付近在住のとるにたらない不定形生物さん︵出張中
行ったらぁ!
アリア家がなんぼのもんじゃい!
五一四、かまくら在住のとるにたらない不定形生物さん︵出張中
1253
なんぼのもんじゃーい!
五一五、山腹巣穴在住のとるにたらない不定形生物さん︵出張中
なんぼのっ
きゃあ
五一六、火口付近在住のとるにたらない不定形生物さん︵出張中
山腹の∼!
なんだっ、この⋮⋮!
メイドの分際で⋮⋮!
きゃあ
五一七、かまくら在住のとるにたらない不定形生物さん︵出張中
火口の∼!
く、来るなっ! 近付くんじゃねえ!
この、デスメイドがぁぁぁあああっ!
1254
あふっ
五一八、湖畔在住の今をときめくしかばねさん︵出張中
はい、撤収。再突撃
五一九、火口付近在住のとるにたらない不定形生物さん︵出張中
しょせんは人間よ!
レクイエム毒針ぃっ!
避けた⋮⋮だと?
あ、アリア家のメイドは化け物か⋮⋮?
五二0、山腹巣穴在住のとるにたらない不定形生物さん︵出張中
ひるむな!
取り囲め!
いまだ!
五二一、かまくら在住のとるにたらない不定形生物さん︵出張中
1255
当たらねえ!
なんだ、なんなんだ、お前は!?
五二二、管理人だよ
ぎゃーっ!
五二三、火口付近在住のとるにたらない不定形生物さん︵出張中
子狸ぃーっ!
五二四、かまくら在住のとるにたらない不定形生物さん︵出張中
子狸⋮⋮!
いま行くっ⋮⋮!
五二五、湖畔在住の今をときめくしかばねさん︵出張中
無駄だ
お前らの射程超過はブロックしてある
五二六、山腹巣穴在住のとるにたらない不定形生物さん︵出張中
1256
何故だ!?
何故そこまで⋮⋮
五二七、湖畔在住の今をときめくしかばねさん︵出張中
逃げられないようにするために決まってるだろ
とくに、そう⋮⋮
お前には⋮⋮二、三、確認したいことがある⋮⋮
五二八、山腹巣穴在住のとるにたらない不定形生物さん︵出張中
!?
王都の⋮⋮おれを売ったのか!?
五二九、王都在住のとるにたらない不定形生物さん︵出張中
山腹の⋮⋮お前はよく働いてくれた
だが、お前は知りすぎている⋮⋮
お前の意思は、おれが継ごう
決して無駄にはしないと約束する
1257
五三0、山腹巣穴在住のとるにたらない不定形生物さん︵出張中
お、お前というやつは⋮⋮
五三一、湖畔在住の今をときめくしかばねさん︵出張中
そういうのいらないから
おら、メイドが来たぞ
ひゅー! 勇者さんの二倍、いや三倍は強ぇ⋮⋮!
五三二、火口付近在住のとるにたらない不定形生物さん︵出張中
ここはおれが!
かまくらの、山腹の、先に行け!
五三三、かまくら在住のとるにたらない不定形生物さん︵出張中
火口の! だが⋮⋮!
五三四、火口付近在住のとるにたらない不定形生物さん︵出張中
1258
行け!
おれもあとから追う!
メイド﹁陽動⋮⋮ね﹂
おれ﹁やらせん!﹂
おれに構うな! 行けっ!
五三六、山腹巣穴在住のとるにたらない不定形生物さん︵出張中
かまくらの、行くぞ!
やつの思いを無駄にするな!
五三七、かまくら在住のとるにたらない不定形生物さん︵出張中
火口の∼!
1259
﹁おれたちの船出﹂part3
一、住所不定のどこにでもいるようなてふてふさん
おはようございます、お前ら
すがすがしい朝ですね
二、火口付近在住のとるにたらない不定形生物さん︵出張中
うん
三、かまくら在住のとるにたらない不定形生物さん︵出張中
うん
四、山腹巣穴在住のとるにたらない不定形生物さん︵出張中
うん
五、魔都在住の特筆すべき点もないライオンさん
だ、大丈夫か? お前ら
1260
だいぶ⋮⋮なんというか
心が折れてる感じがするんだが⋮⋮
六、火口付近在住のとるにたらない不定形生物さん︵出張中
だいじょうぶ
がんばる
七、かまくら在住のとるにたらない不定形生物さん︵出張中
うん
世界はひろいな
八、山腹巣穴在住のとるにたらない不定形生物さん︵出張中
うん
正面突破は無理
九、湖畔在住の今をときめくしかばねさん︵出張中
39回目のアタックは惜しいところまで行った
メイドが寝てるうちに
1261
王都で作戦会議しないか
一0、火口付近在住のとるにたらない不定形生物さん︵出張中
おれ、悔しいよ
あのデスメイド
寝るから、あとは好きにしろって⋮⋮
そう言いやがった⋮⋮
おれたち、ライバルじゃなかったのかよ⋮⋮
一一、かまくら在住のとるにたらない不定形生物さん︵出張中
火口の
気持ちは一緒だ
目にもの見せてやろうぜ⋮⋮
一二、山腹巣穴在住のとるにたらない不定形生物さん︵出張中
ふっ、引き返せないところまで来ちまったな
行こう
歩くひとが待ってる
おれたちはチームだ
1262
一三、湖畔在住の今をときめくしかばねさん︵出張中
山腹のひと⋮⋮
いいのか? おれは⋮⋮
一四、火口付近在住のとるにたらない不定形生物さん︵出張中
おっと、野暮なことは言いなさんなよ?
帰るところがあって
出迎えてくれるひとがいる
これ以上の幸せはないだろ
一五、かまくら在住のとるにたらない不定形生物さん︵出張中
おれは認めてねーけどな
ま、おいしいパンを焼いてくれるってんなら
考えてやらんこともないぜ
おら、しみったれた顔してんじゃねーよ
ったく、調子が狂うぜ
一六、山腹巣穴在住のとるにたらない不定形生物さん︵出張中
1263
素直じゃねーなぁ⋮⋮
いちばん心配してたの、お前じゃねーか
一七、かまくら在住のとるにたらない不定形生物さん︵出張中
そ、そんなんじゃねーよ!
一八、王都在住のとるにたらない不定形生物さん︵出張中
なんなの、そのテンション⋮⋮
忠告しますけど、あとで悶えるのはお前らですよ?
一九、火口付近在住のとるにたらない不定形生物さん︵出張中
それは薄々勘づいてる
二0、かまくら在住のとるにたらない不定形生物さん︵出張中
おれも薄々とは
二一、湖畔在住の今をときめくしかばねさん︵出張中
おれに至っては
1264
突撃が20回を越えたあたりで号泣してるからね
お前らには悪いけど
あとで記憶が飛ぶまで殴ると思う
ごめんな
二二、山腹巣穴在住のとるにたらない不定形生物さん︵出張中
そうしてくれ
友情パワーとか言っちゃってるからね、おれら
とりあえず反省会だな⋮⋮
あのテンションは⋮⋮ないわ
二三、海底洞窟在住のとるにたらない不定形生物さん︵出張中
某パン屋にて
テーブルを囲って項垂れるお前ら
無言だ
反省会と書かれた卓上プレートが痛々しい
二四、空中庭園在住のとるにたらない不定形生物さん︵出張中
深夜のテンションに身を任せるなと
あれほど口をすっぱくして言ったのに⋮⋮
1265
羽のひと、そっちは大丈夫?
発電魔法についてツッコまれると
けっこう面倒なんだけど⋮⋮
超古代文明の末裔ルートは
できれば避けたい
二五、住所不定のどこにでもいるようなてふてふさん
ん。いや、朝から子狸が部屋にいないんだよ
勇者さんは、あんまり気にした様子がないな
まあ、子狸の一日はお馬さんたちにはじまり
お馬さんに終わるから
そう珍しいことじゃないってのもあるだろう
いまは甲板にいるよ
部屋を出たところで
粉末状になってたアイアンジョーの再生現場に鉢合わせたから
ジェット・フェアリー号の設備を
簡単に説明してもらってた
アイアン﹁帆船に乗るのははじめてか?﹂
勇者﹁本で見たことはあるけど⋮⋮そうね。じっさいに乗ったこと
はないわ﹂
1266
青い空。青い海
雲ひとつない快晴だ
照りつける太陽がまぶしい
青空に尾を引く
かつて帆だったものを見上げて
勇者さんが言った
勇者﹁⋮⋮帆船なの? あまり用をなしていないように見えるのだ
けれど﹂
アイアン﹁ぱっと見、帆船だからな。魔法動力と言えなくもないが
⋮⋮人間たちの船とはわけが違うぞ﹂
勇者﹁自分たちのほうが上だと言いたげね﹂
ジョーは悪びれない
アイアン﹁意外か? そうでもあるまい。こと魔法の扱いに関して
は、高位の魔物は人間など及びもつかない領域にいる﹂
人間たちが使う魔法は、上級、中級、下級という三つの区分がな
されている
分身魔法をはじめとする開放レベル6以上の魔法の存在を
おれたちは内緒にしているため
人前ではレベル判定を口にしないよう自重している
それでも、本当なら人間たちは
1267
レベル4以上の魔物が使う超高等魔法を指して言うとき
魔法の区分を数字で表すべきだった
そうしなかったのは
きっと自分たちの限界をみとめたくなかったからだ
いつかは追いつけると信じたかったからだ
しかし無理なものは無理だ
勇者﹁そうね﹂
勇者さんは認めた
勇者﹁あなたたちは、人間よりもずっとうまく魔法を使える﹂
ジョーは頷いた
水平線を眺める
遠い目をしていた
アイアン﹁お前のそういう⋮⋮公平な物の見方を、リリィは高く評
価していた﹂
勇者﹁⋮⋮マッコールのこと?﹂
アイアン﹁うん﹂
うん?
二六、墓地在住の今をときめく骸骨さん︵出張中
1268
おれ、誘導尋問されてない? 気のせい?
二七、住所不定のどこにでもいるようなてふてふさん
いや、もうそのへんは諦めてくれないか?
勇者さんも不器用なりに
お前と会話するメリットを模索してくれてるんだよ
二八、墓地在住の今をときめく骸骨さん︵出張中
そうなの!?
おれ、けっこう話し上手よ?
骨トークなら五、六時間はイケる自信があるんだけど⋮⋮
二九、住所不定のどこにでもいるようなてふてふさん
それはうざいな⋮⋮
理由はよくわからないが
あのボクっ子がパーティーを去ってから
勇者さんは少し変わった気がする
彼女は言った
1269
勇者﹁そう⋮⋮。あの子には内緒にしておいて頂戴﹂
勇者さんは子狸を名前では呼ばない
たぶん身元が特定されるのを防ぐためだ
ふだんは虎視眈々とスキンシップの機会をうかがっている子狸が
この場にはいないことに
このとき勇者さんは、はじめて危機感を覚えたらしい
勇者﹁⋮⋮そのへんを泳いでないでしょうね﹂
おれ﹁⋮⋮そういえば昨日の夜、タコさんになりたいって言ってま
した﹂
ああ、とジョーが思い出したかのように言う
アイアン﹁じつは貝殻というのは骨の一種でな⋮⋮﹂
おれ﹁強引に持ってくな。⋮⋮うちのポンポコどこ行ったか知りま
せん?﹂
お前らさぁ⋮⋮
ボケる前にちらっとおれを見るのやめてくんない?
子狸みたいにノールックでボケられても
それはそれで困るんだけどさ⋮⋮
アイアン﹁ポンポコ? ああ⋮⋮あの小僧なら、他の連中と一緒に
いるぞ﹂
1270
ジョーの小芝居が光る
勇者﹁⋮⋮姿が見えないなら見えないで不安になるわね﹂
アイアン﹁案内しよう。こっちだ﹂
先に立って歩くジョーに
おれと勇者さんがついていく
三0、海底洞窟在住のとるにたらない不定形生物さん
勇者さんは、だんだんおれたちのステージに近付きつつあるな⋮⋮
庭園の⋮⋮どう見る?
三一、空中庭園在住のとるにたらない不定形生物さん
彼女は、まだバウマフ家の真のおそろしさを知らん
そう遠くない未来
子狸は第七の属性に目覚めるだろう
そのときに思い知ることになる
バウマフの血がもたらす真の恐怖をな⋮⋮
三二、王都在住のとるにたらない不定形生物さん︵出張中
1271
お前らが適当なことを言っている一方その頃⋮⋮
子狸﹁はぁはぁ⋮⋮﹂
ゴールド﹁くっ⋮⋮うぅ﹂
ノーマル﹁ぬっ⋮⋮!﹂
シルバー﹁も、もう⋮⋮﹂
ごり⋮⋮ごり⋮⋮
勇者﹁⋮⋮⋮⋮﹂
妖精﹁⋮⋮⋮⋮﹂
三種のジョーと子狸は
船底部に設置されている歯車を
延々と回し続けていた⋮⋮
大きな歯車だ
横倒しになっていて
手押し用の棒が等間隔に十二本ついている
子狸﹁ま、まぶしい⋮⋮﹂
ノーマル﹁と、扉を⋮⋮閉めてくれ﹂
懇願する子狸とノーマルジョーを
アイアンが一喝した
1272
アイアン﹁甘ったれるな! グズどもが!﹂
壁に吊るされた鞭を手にとって
ぴしゃりと床を叩く
アイアン﹁ペースが落ちてるぞ! もうバテたか? 根性なしども
め!﹂
つかつかと子狸に歩み寄り
耳元で高圧的に叫ぶ
アイアン﹁喜べ! お前の体たらくを淑女たちが見てくれるぞ。嬉
しいか﹂
子狸﹁サー! イエッサー!﹂
アイアン﹁あ? 聞こえんな﹂
子狸﹁サー! イエッサー!﹂
アイアン﹁⋮⋮よし。続けろ!﹂
つかつかと戻って行ったアイアンジョーが
何事もなかったかのように勇者さんに言う
アイアン﹁ここが動力室だ。位置的には船底部にあたる﹂
勇者﹁⋮⋮ひどく人力に見えるのだけれど﹂
1273
アイアン﹁素人はたいていそう言う﹂
想像を絶するほど人力なのだ
子狸が強制労働に駆り出されているわけだが
勇者さんは気にも留めなかった
勇者﹁どういう原理になってるの?﹂
アイアン﹁原理か⋮⋮そうだな⋮⋮﹂
ジョーは言いよどんだ
アイアン﹁説明しても、はたして理解できるかどうか⋮⋮﹂
ジェット・ブルー号は
海上を進むという観点で見れば
おそらく究極と言えるだろうシステムを採用している
迷ったすえにジョーは言った
子狸たちが回している歯車を指差し
アイアン﹁⋮⋮あれは床下の歯車と連動していて、さらに床下では
大小さまざまな歯車が回転する仕組みになっている﹂
そう言って闇魔法で
図解による注釈を交えて行く
アイアン﹁それらは、やがてカーブして外輪とつながる。そこから、
こう⋮⋮﹂
1274
勇者﹁カーブ⋮⋮? その矢印は⋮⋮いったい何のつもりなの?﹂
アイアン﹁セパレードだ﹂
勇者﹁セパ⋮⋮なに?﹂
聞き慣れない単語に
勇者さんが疑問符を浮かべる
ジョーは繰り返した
アイアン﹁セパレードだ﹂
勇者﹁⋮⋮続けて﹂
アイアン﹁おう。外輪から発生したセパレードは、こう⋮⋮海流と
反応してフレイミングする﹂
勇者﹁ふれいみんぐ﹂
アイアン﹁うむ。フレイミングしたセパレードは、⋮⋮まあ細かい
工程は省くが⋮⋮推力となって蓄えられる﹂
勇者﹁⋮⋮⋮⋮﹂
アイアン﹁⋮⋮⋮⋮﹂
妖精﹁⋮⋮え? 終わり?﹂
1275
アイアン﹁うん﹂
いや、うんじゃなくて
三三、墓地在住の今をときめく骸骨さん︵出張中
おい。強引すぎる
三四、墓地在住の今をときめく骸骨さん︵出張中
なぜ省いた
三五、墓地在住の今をときめく骸骨さん︵出張中
セパレードとやらに
いったい何があったんだよ
三六、管理人だよ
なるほど、そういう仕組みになっていたのか⋮⋮
三七、魔都在住の特筆すべき点もないライオンさん︵出張中
子狸さん⋮⋮?
1276
三八、墓地在住の今をときめく骸骨さん︵出張中
ここ⋮⋮か!?
おれ﹁トリコロールが甘いぞ!﹂
勇者﹁なにそれ﹂
おれ﹁ああ、すまん。つい、な。つまりだ⋮⋮この船は歯車を回し
て推力を蓄える仕組みになっている。そして、この一連の作業をト
リコロールと呼ぶのだ。覚えておくといい﹂
勇者﹁そうなの⋮⋮﹂
おれ﹁うん﹂
勇者﹁⋮⋮⋮⋮﹂
おれ﹁⋮⋮⋮⋮﹂
妖精﹁⋮⋮⋮⋮﹂
勇者﹁セパレードというのは⋮⋮﹂
おれ﹁え? ああ、うん。セパレードね﹂
勇者﹁⋮⋮具体的に何なの?﹂
おれ﹁トリコロールが甘いと言っている! ええいっ代われ!﹂
1277
子狸さん、あとを頼みます
三九、管理人だよ
うん? うん
おれ﹁おはよう、二人とも。あれあれ? 今日も可愛いコンビパッ
クだね。わくわくが止まらねえ﹂
妖精﹁息の根を止めてやろうか﹂
勇者﹁おはよう。⋮⋮セパレードというのは⋮⋮﹂
おれ﹁え? ああ、うん。基本だね﹂
勇者﹁⋮⋮そうね﹂
おっと、こうしちゃいられない
おれ﹁そこ! トリコっ⋮⋮トリコロ? トリコ∼⋮⋮コロネ? うん。チョココロネが甘いぞ!﹂
アイアン﹁コロネは甘いね﹂
ノーマル﹁甘いね﹂
1278
﹁おれたちの船出﹂part3︵後書き︶
注釈
・セパレード
トリコロールによって発生するエネルギー。
・フレイミング
発生したセパレードが海流と反応して起きる現象。
・トリコロール
セパレードがフレイミングすること。一連の作業を指して言う。
なお、コロネは甘い。
1279
﹁おれたちの船出﹂part4
四0、住所不定のどこにでもいるようなてふてふさん
子狸﹁⋮⋮?﹂
アイアンジョーから託された鞭に視線を落として
不意に沈黙する子狸
なにか脳裏をよぎるものがあったらしい
その様子を観察していた勇者さんが
子狸に声を掛ける
勇者﹁ついてきなさい﹂
返事を待たずに歩き出した勇者さんに
子狸﹁⋮⋮!﹂
子狸は何かを察したように表情を引きしめた
が、とくに意味のないリアクションだったらしい
子狸﹁シュークリーム!﹂
鞭で床を叩こうとして失敗した
シルバー﹁甘ければいいっていう問題でもねーよ!﹂
1280
ゴールド﹁原形! 原型とどめて!﹂
子狸﹁ふざけるな!﹂
アイアン﹁キレた!?﹂
ノーマル﹁叩けてねーし!﹂
チッと舌打ちした子狸が
腰を落として
ゆっくりと両腕を上げる
青いひと直伝の猛虎の構えだ
子狸﹁ごたくはいい! 掛かってこい!﹂
叩いて欲しそうな頭を
引き返してきた勇者さんが叩いた
子狸﹁トリコロール!﹂
アイアン﹁戻った! 奇跡だ!﹂
勇者﹁⋮⋮どうしてついてこないの?﹂
じろりとねめつける勇者さんに
子狸は叩かれた頭をさすりながら言う
子狸﹁見えるひとに言ってるのかと思って⋮⋮﹂
1281
勇者﹁⋮⋮いるの?﹂
おれ﹁うそだろ⋮⋮?﹂
警戒して互いの死角をフォローし合う勇者さんとおれを
子狸は物悲しそうに見つめる
子狸﹁いないよ?﹂
おれ﹁一瞬で矛盾しただろ﹂
勇者﹁⋮⋮⋮⋮﹂
勇者さんが無言で子狸の頬をつねる
トリコロールし続けるジョーたちを一瞥し
勇者﹁借りるわね﹂
骸骨ズ﹁どうぞどうぞ﹂
四一、王都在住のとるにたらない不定形生物さん︵出張中
子狸を連れて
勇者さんが船内の廊下を歩く
羽のひとは定位置の子狸の肩の上だ
⋮⋮じつは朝から
子狸のテンションがおかしい
1282
いまも弾むような足取りで
鼻歌を口ずさんでいる
子狸﹁♪∼﹂
妖精﹁⋮⋮なんの歌ですか、それ?﹂
調子外れの歌は聞くに耐えない
少しでも時間を稼ぐために
羽のひとが嫌々ながら問いかけた
子狸はきょとんとして当然のように言う
子狸﹁え? リンのテーマソングだけど⋮⋮﹂
妖精﹁なに勝手にこさえてんの?﹂
子狸﹁⋮⋮じつは完成したらプレゼントしようと思ってて﹂
妖精﹁!﹂
照れ臭そうにはにかむ子狸に
羽のひとは目を丸くした
妖精﹁そ、そうか⋮⋮﹂
何とも言えない微妙な沈黙が流れる
先に立って歩いている勇者さんが
1283
ちらりと振り返って言う
勇者﹁? リン?﹂
妖精﹁はい!?﹂
勇者﹁昨日は聞きそびれてしまったけど⋮⋮﹂
すぐに正面に視線を戻して続ける
勇者﹁つの付きについていた妖精⋮⋮ユーリカ・ベルと言ったわね。
彼女はどういう子なの?﹂
妖精﹁ユーリカは⋮⋮優秀な子です。あ、ベルというのは⋮⋮﹂
勇者﹁氏族名⋮⋮で合ってる? 本に書いてあったけど、それが正
しいとは限らないものね﹂
妖精﹁はい、合ってます。わたしたち妖精には三人の女王がいて、
三つの氏族に分かれます。わたしとユーリカは、同じ氏族なので⋮
⋮﹂
子狸﹁⋮⋮おれは?﹂
妖精﹁黙ってろ﹂
子狸﹁はい﹂
妖精﹁あの子は⋮⋮次代の女王候補です。わたしは落ちこぼれです
から⋮⋮そんなわたしにも優しくしてくれた⋮⋮だれよりも女王の
1284
資質に満ちあふれていたのに⋮⋮わたしには精霊の考えていること
がわかりません⋮⋮﹂
勇者﹁⋮⋮魔軍元帥は宝剣を鍵と呼んでいたわ。心当たりは?﹂
妖精﹁いえ⋮⋮もしかしたら女王は知っているのかもしれません。
でも千年かかったと言ってましたし、情報源は魔物たちなのかも﹂
勇者﹁そうね。精霊が王種の庇護下にあるというのなら、彼らの間
にはきっと接点がある筈。王種が魔王軍から距離を置いているのも、
それが原因なのかもしれない﹂
じゃあ、そういうことで
四二、海底都市在住のごく平凡な人魚さん
ふむ⋮⋮
魔王軍は精霊を利用しようとしていて
おれたちは精霊を守ろうとしている
そういうことか?
四三、古代遺跡在住のごく平凡な巨人兵さん
いや⋮⋮
精霊の宝剣を、だな
宝剣の正体を鍵ということにするなら
おれたちと鍵に何らかの関連性がないとおかしい
1285
鍵の管理を精霊に託したから
その代償として精霊の守護をしている⋮⋮というのはどうだ?
四四、火山在住のごく平凡な火トカゲさん
その場合、おれたちは何で人間たちの味方をしてるんだ?
魔王軍の力を削ぐためというのは通らないぞ
設定上、おれたちは単独で魔王軍を滅ぼせる
四五、空中庭園在住のとるにたらない不定形生物さん
光の精霊⋮⋮だろうな
光の精霊は人間の味方をしていることになっている
ところが火の精霊は魔物側についた
つまり今回の旅シリーズは精霊の代理戦争ということになるな
四六、火山在住のごく平凡な火トカゲさん
だが、光の精霊には守護者がいないぞ
だから魔物たちには見つけられなかった⋮⋮
土の精霊は⋮⋮ああ、そうか
おれだけ仲間外れなのか⋮⋮
1286
四七、海底都市在住のごく平凡な人魚さん
おれは中立派ってことでいいんじゃないか?
水の精霊は適当な感じだったし
火の精霊も、いちおうは中立派なんだけど
今回は試練を突破した魔軍☆元帥に宝剣を授けたってことで
火の宝剣は、どちらに転んでもおかしくないから
魔軍☆元帥が先手を打って回収したってんなら
筋も通る気がする
四八、海底洞窟在住のとるにたらない不定形生物さん
じゃあ、そういうことで
四九、空中庭園在住のとるにたらない不定形生物さん
うむ
五0、住所不定のどこにでもいるようなてふてふさん
かくして、お前らの思いつきで
精霊の代理戦争という
わけのわからないものに身を投じることになった勇者さん
1287
子狸の身を案じる優しい一面もある
勇者﹁あなたは本当にいつも元気ね。同じ人間とは思えないわ﹂
子狸﹁おいおい、誉めても何も出ないぜ?﹂
おれ﹁おい。暗に見下されてる﹂
子狸﹁それも悪くないさ﹂
子狸の変態がとどまるところを知らない
だが、遠回しではあるが
勇者さんが子狸の健康管理に言及したのははじめてのことだ
おい。そこの青いの
禍々しい闘気を発散するな
子狸がびくっとしたぞ
五一、管理人だよ
な、なんだ、このプレッシャーは?
五二、王都在住のとるにたらない不定形生物さん︵出張中
安心しろ
1288
子狸、お前はおれが守る
最悪でも十六手で積みだ
五三、住所不定のどこにでもいるようなてふてふさん
どんだけ最悪の状況を想定してるんだよ
勇者さんの態度にきなくさいものを感じとった青いのが
一人で勝手に盛り上がって戦闘モードに移行している
くっ、このプレッシャー⋮⋮!
このおれが気圧されるだと?
背後で噴き上がる闘気に
勇者さんは気付いていない
自身の気配を消せるということは
他者の気配に対して鈍感になるということでもある
子狸﹁⋮⋮胸がどきどきする﹂
勇者﹁胸が? 無理もないかもしれないわね。だいぶきつそうだっ
たもの﹂
子狸﹁いや⋮⋮お嬢はとんだ恋泥棒だよねってこと﹂
おい。どさくさにまぎれて告白してんじゃねえ
1289
勇者﹁? どういうこと?﹂
勇者さんには伝わっていないようである
子狸﹁いいぞ。いい感じだ。力がみなぎってくる⋮⋮﹂
愛はひとを強くするというのか
青いのに呼応した子狸が
前足を固く握りしめる
勇者﹁⋮⋮⋮⋮﹂
勇者さんは無視することに決めたようである
勇者﹁ついたわ。入って﹂
辿りついたのは倉庫であった
勇者さんに促されて
子狸が頷く
子狸﹁わかった。おれは⋮⋮だれと戦えばいい?﹂
勇者﹁⋮⋮自分自身じゃないかしら﹂
すでに子狸の頭の中では
別のストーリーが進んでいるようだ
勇者﹁それ、預かるわ﹂
1290
子狸﹁頼む﹂
ふつうに持ち出してきた鞭を
勇者さんに手渡す子狸
激戦の予感に身を震わせながら
のこのこと倉庫の中に入っていく
内部は真っ暗だ
子狸﹁リン、下がってろ。グノ!﹂
前足を突き出した子狸が
遮光魔法で室内の暗闇を沈める
子狸﹁アルダ・タク! 沈め!﹂
とっさに発光魔法ではなく遮光魔法に頼るあたり
このポンポコは病んでいるとしか思えない
はたして子狸を待ち受けていたのは
子狸﹁!?﹂
ぎぃぎぃと揺れる
木馬だった
背中にあたる部分が突起していて
座ると痛そうだ
1291
見慣れない遊具だった
しいていうなら⋮⋮
三角木馬だろうか
五四、王都在住のとるにたらない不定形生物さん︵出張中
子狸の野生の勘が
生存本能に火をつけた
三角木馬を見るなり
身をひるがえして脱走を図る
勇者﹁リン﹂
妖精﹁はい﹂
羽のひとの念動力で
あえなく捕獲された子狸に
勇者さんが尋ねる
勇者﹁どうして逃げようとしたの?﹂
鞭で床を叩こうとして失敗する
手首のスナップが甘い
子狸と同じミスを繰り返していた
何故と問われて
1292
子狸は力なく首を左右に振った
子狸﹁⋮⋮わからない。ただ、そうしなければならない気がした⋮
⋮﹂
勇者﹁怖がることないの。これは訓練なんだから﹂
羽のひとに命じて
縄で縛った子狸を
勇者さんは天井から吊るすように言った
子狸は腑に落ちない様子だった
子狸﹁なんで縛るの?﹂
勇者﹁暴れたら危ないからよ﹂
子狸﹁なんで吊るすの?﹂
勇者﹁命綱みたいなものね﹂
子狸﹁なんで⋮⋮そのとんがったのをおれの下に持ってくるの?﹂
勇者﹁あなたには、航海中に馬に乗れるようになってもらいます﹂
そう告げて、勇者さんはふたたび鞭を振るった
今度は失敗しなかった
ぴしゃりと床を叩く音が室内に響いた
1293
彼女は続けた
勇者﹁まずは身体を慣れさせること。そのためには⋮⋮。船内を案
内してもらっているときに見つけたの。悪くない案でしょ?﹂
子狸﹁そう、だろうか⋮⋮?﹂
子狸は半信半疑だ
二番目の街で
体力のなさを露呈した勇者さんに
子狸は保護者ぶって小言をこぼしてきた
子狸﹁また本ばっかり読んで!﹂
だの
子狸﹁めっ! 野菜もちゃんと食べなさい!﹂
だのと⋮⋮お前は勇者さんの何なんだといった内容である
復讐のときがやって来たのだ
五五、王国在住の現実を生きる小人さん
一方その頃⋮⋮
おれ﹁⋮⋮⋮⋮﹂
1294
帝国﹁⋮⋮⋮⋮﹂
連合﹁⋮⋮⋮⋮﹂
メイド﹁⋮⋮そう、残念だわ。口で言ってもわからないなら、身体
に訊くしかないわね﹂
五六、海底洞窟在住のとるにたらない不定形生物さん
魔軍☆元帥、復活の報は
またたく間に世界中にひろまるだろう
かつて勇者と魔王の間で結ばれた約束は
人間たちに明るい未来の訪れを予感させた
それが幻想でしかないことを
平和的な交渉
を
多くの人間は思い知ることになる
魔物たちの
人類は決して断れないからだ
それでも希望を捨てきれない者たちは
王都襲撃を何かの間違いだと主張した
だが、王都襲撃の指揮をとったのが
復活した魔軍☆元帥だったとしたなら
騎士団は大義名分を手に入れることになる
1295
変革のときが訪れようとしていた
いま、子狸の旅が
ふたたびはじまる⋮⋮
1296
﹁勇者さんに足りないのは必殺技だと思う﹂part1
一、墓地在住の今をときめく骸骨さん︵出張中
勇者さんに足りないのは何か
いろいろと考えたんだけど⋮⋮
必殺技だと思うんだよね
どう思う、お前ら?
二、墓地在住の今をときめく骸骨さん︵出張中
お前はおれか
あ、おれだわ⋮⋮
三、墓地在住の今をときめく骸骨さん︵出張中
気が合うな
おれも同じことを考えてた
四、墓地在住の今をときめく骸骨さん︵出張中
子狸が絡むとぜんぶ持ってかれるからな
1297
たまには勇者さんにもスポットを当ててあげたい
五、住所不定のどこにでもいるようなてふてふさん
また下らないことを⋮⋮
なんだよ、必殺技って
そんなもんいらんだろ
六、墓地在住の今をときめく骸骨さん︵出張中
紫電三連破ぁ⋮⋮
七、墓地在住の今をときめく骸骨さん︵出張中
︱︱別名、鬼殺しである
八、住所不定のどこにでもいるようなてふてふさん
この骨、うざいなぁ⋮⋮
言っとくけど、それ子狸に教えたら
つまさきから順にすりおろしますよ?
んで、びんづめして店頭に並べる
おれのイメージが損なわれるからな
1298
九、墓地在住の今をときめく骸骨さん︵出張中
えっ⋮⋮いまさら?
一0、住所不定のどこにでもいるようなてふてふさん
倉庫にやすりって置いてある?
一一、墓地在住の今をときめく骸骨さん︵出張中
ないです
おれたちには必要ありませんから、ええ
一二、住所不定のどこにでもいるようなてふてふさん
そうか、あるのか
で? 必殺技がどうしたって?
一三、墓地在住の今をときめく骸骨さん︵出張中
うん
いや、真面目な話
1299
勇者さんの剣術はお粗末すぎて見るに耐えない
なまじ正確だから剣筋が読みやすいし
非力なのは、まあ仕方ないとしても
聖☆剣をぜんぜん使いこなせてない
歴代勇者の足元にも及ばないじゃないか
たいていの勇者は聖☆剣があれば
レベル4のひとたちと真っ向勝負できたのに⋮⋮
なんなの、あの水鉄砲
一四、海底洞窟在住のとるにたらない不定形生物さん
前回までの旅シリーズだと
聖☆剣が登場するのは終盤だったからな
レベル4ないしレベル3のひとたちを倒すために
っていう明確な目標があった
勇者さんの場合は
人質にとられた領民を無事に取り戻すっていう目的で
聖☆剣を使ったのが最初だから
固定観念に縛られてるんじゃないか?
一五、王都在住のとるにたらない不定形生物さん︵出張中
いや、おれがブロックしてるだけ
1300
一六、住所不定のどこにでもいるようなてふてふさん
ちょっ⋮⋮お前かよ!
あれから勇者さん
人目につかないところで練習してるんだぞ!
港町のときみたいに上手く行かないから
首をひねったりしてさぁ!
一七、王都在住のとるにたらない不定形生物さん︵出張中
港町のあれはサービスだよ
ことイメージに関して
勇者さんは確かに非凡な才能を持ってるけど
そこは剣士の限界なんだろうな
おれの高い要求を満たすほどじゃない
まあ、イメージを掴むきっかけ程度にはなったんじゃねーの?
勇者さんは記憶力がいいし
退魔性に関する知識もあるから
いつか出来るようになるでしょ
一八、空中庭園在住のとるにたらない不定形生物さん
1301
おう。光るものはあるよな
スイッチよりも先に
ジャンプを使えるようになるとは思わなかった
一九、住所不定のどこにでもいるようなてふてふさん
勇者カッターのことか?
あれ、なんか変じゃなかった?
標的指定が混ざると
あんなふうになるもんなの?
二0、王都在住のとるにたらない不定形生物さん︵出張中
標的指定は
対象が違うだけで
伝播魔法と実質的に同じものだからな
感染条件を無制限にしたほうが
魔法の程度としては低いっていうのを
人間たちは理解してくれなかった
結果的に開放レベル3になりやすいから
治癒魔法で回復するのに手間が掛かるってのもある
二一、墓地在住の今をときめく骸骨さん︵出張中
1302
あれは、おれたちの手柄が大きいよな
二二、住所不定のどこにでもいるようなてふてふさん
いや、おれだろ
なんなら再生しようか?
勇者﹁あなたを見ていたほうが、きっとうまく行く⋮⋮﹂
ほら。はっきり言ってる
彼女にとっておれは希望の象徴なんだよ
まったく、困った子猫ちゃんだぜ
二三、墓地在住の今をときめく骸骨さん︵出張中
いやいや、あれは子狸を運搬してたときのイメージを基にしてる
ってだけでしょ
あと同じ宝剣使いの子狸バスターと一戦交えてたのが大きい
勇者カッターとは少し違うからな
名前どうする?
便利でしょ、名前あったほうが
二四、墓地在住の今をときめく骸骨さん︵出張中
1303
霊の字は欲しいな
二五、墓地在住の今をときめく骸骨さん︵出張中
さすがおれ
よくわかってる
霊⋮⋮霊⋮⋮死霊?
二六、墓地在住の今をときめく骸骨さん︵出張中
死霊⋮⋮
死霊⋮⋮咆哮?
二七、墓地在住の今をときめく骸骨さん︵出張中
咆哮⋮⋮魔哭?
死霊魔哭斬
二八、管理人だよ
それだ
1304
二九、住所不定のどこにでもいるようなてふてふさん
まがまがしいだろ!
お前らのネーミングセンスが死霊魔哭斬だよ!
で、子狸はどこで何してんの?
例によって例のごとく部屋にいないけど
三0、管理人だよ
骨のひ
三一、墓地在住の今をときめく骸骨さん︵出張中
ジョーと呼べと言ったはず
三二、管理人だよ
うん? うん
えっと、骨の
三三、墓地在住の今をときめく骸骨さん︵出張中
ジョーです
1305
三四、管理人だよ
おう
骨のひ
三五、墓地在住の今をときめく骸骨さん︵出張中
だからジョーと呼べと
とりあえず言ってみような
お前﹁ジョー﹂
さん、はい
三六、管理人だよ
おう。言ったよ
三七、王都在住のとるにたらない不定形生物さん︵出張中
確認した
子狸﹁ジョー﹂
1306
黒雲号﹁⋮⋮?﹂
豆芝﹁⋮⋮⋮⋮﹂
お馬さんのお世話をしている子狸
その背後⋮⋮
物陰からジョーが現れる
ノーマル﹁よく気がついたな。褒めてやる﹂
振り返った子狸が
鋭い視線をジョーに向ける
子狸﹁お前が⋮⋮ジョーだと?﹂
ノーマル﹁かつてはそう名乗っていたこともある⋮⋮﹂
すらりとこん棒を抜き放ったジョーが
こん棒の先端をぴたりと子狸に突きつける
ノーマル﹁あのときの幼子が、大きくなったものだな﹂
子狸﹁お前が⋮⋮!﹂
おい。なんかはじまったぞ
三八、墓地在住の今をときめく骸骨さん︵出張中
1307
子狸はおれが押さえる!
行け!
三九、墓地在住の今をときめく骸骨さん︵出張中
すまん! 頼む!
魔王討伐の旅シリーズ
子狸編
勇者さんに足りないのは
必殺技だと思う
四0、住所不定のどこにでもいるようなてふてふさん
あのままお魚さんたちについばまれて
この世から消滅すれば良かったのに⋮⋮
1308
﹁勇者さんに足りないのは必殺技だと思う﹂part1︵後書き
︶
注釈
・死霊魔哭斬
勇者さんの必殺技その一。
現在の聖☆剣を構成する要素となっている、標的指定と変化魔法
を混ぜ合わせることで中距離圏内への斬撃を可能としたもの。
飛翔するてふてふさんをイメージの基にし、ライオンさんの翼を
切り飛ばした。
当人に無断で命名され、当人に無断で管理人が認可した。
振り下ろした聖☆剣から光刃を飛ばす﹁勇者カッター﹂の変形で
あり、従来のものと比べて射程が長い。
虚空に連続して光が灯るという演出でいったんは無害を装ってお
きながら、中継を終えた刃先が対象に突如として牙を剥くという、
らしい魔法に仕上がっている。
開眼時の一撃は偶発的なものだったらしく、現段階においては自
在に操れるというわけではないようだ。
1309
﹁勇者さんに足りないのは必殺技だと思う﹂part2
四一、住所不定の特筆すべき点もないてふてふさん
雷鳴とどろく分厚い暗雲に閉ざされた
まばらに水晶が屹立する
結晶の砂漠
旅路の果てを予感させる光景は
怪しいまでに美しく
生命力をくしけずられるような
不吉な儚さがあった
冥府に通じるという地下迷宮を
踏破したものだけが臨むことを許される
最果ての地
結晶の海を乗り越えた先に
ようやく辿り着けるのが
魔王軍の本拠地⋮⋮
魔都だ
無駄に図体のでかい連中が出入りするため
都市全体が一つの城になっていて
はったりをきかせるために
無駄に尖塔が乱立している
1310
城内を走る
無意味に長い廊下が特徴的だ
その廊下を
側近のジョー二人を従えた子狸バスターが
揺るぎのない足取りで進んでいた
鋼の具足と石材が触れ合うたびに
新調したマントが後ろになびく
庭園﹁⋮⋮グラ・ウルーはどうだ?﹂
骸骨A﹁一向に首を縦に振りません﹂
庭園﹁そうか。意固地なやつだ⋮⋮多少の譲歩も視野に入れておく
べきかもしれんな﹂
骸骨B﹁ですが⋮⋮﹂
庭園﹁わかっている。やつを解き放つわけには行かん。少なくとも、
いまはまだ﹂
やがて三人は謁見の間へとつながる大きな門の前に立った
バスターが片腕を差し伸べ
かすかに指を蠢かせると
荘厳な造りの門扉が事もなげに開いた
謁見の間には
ところ狭しとジョーたちが居並んでいた
1311
魔王軍の精鋭たちだ
彼らは魔軍☆元帥の帰還を歓迎し
一斉に中央に向き直ると
こん棒を手にとって掲げた
側近の二人もそれに加わる
こん棒のアーチを潜って
バスターが悠々と歩を進める
壇上に設けられた優美なこしらえの玉座は
人間がひとり腰かけるのがやっとの
小さいという、ただそれだけのことが
際どく異彩を放っていた
空位の玉座
その手前でひざまずいたバスターが
一瞬、凪の海のような
おだやかな気配をまとった
まるで一枚の
絵画を見ているようだった
立ち上がったバスターが
玉座の横に立つ
マントをひるがえして振り返った魔軍☆元帥を
居住まいを正したジョーたちが見上げる
固唾をのんで見守る精鋭たちに
1312
バスターは勢いよく片腕を突き出して叫んだ
庭園﹁ときは来た!﹂
その手に顕現した魔火の剣に
絢爛なる宝剣のきらめきに
ジョーたちがどよめいた
バスターが続ける
庭園﹁長年の雌伏を終え、いま! 人間どもを根絶やしにし! 同
胞たちよ! われわれが地上に君臨するときがやって来たのだ!﹂
宝剣の切っ先を跳ね上げると
空間に火線が走り
天井を、その先にある尖塔を
斜めに寸断した
崩れ落ちた尖塔が
地表に衝突して瓦礫の山と化した
鳴り止まない地響きの中
ジョーたちの歓声が
謁見の間を席巻した⋮⋮
骸骨ズ﹁魔王軍に栄光あれ!﹂
骸骨ズ﹁魔軍☆元帥ばんざい!﹂
骸骨ズ﹁開運グッズ! 開運グッズ!﹂
1313
骸骨ズ﹁ラッキーカラー! ラッキーカラー!﹂
唱和するジョーたちを
魔軍☆元帥が手拍子で制した
庭園﹁はいはい。お前ら、少しおちつけ。ちなみに⋮⋮おれの本日
のラッキーカラーは⋮⋮白です﹂
喧騒がぴたりと止んだ
ジョーたちが気まずげに視線を交わす
やがて彼らは、ぽつりと言った
骸骨ズ﹁だ、だめじゃん⋮⋮﹂
四二、魔都在住の特筆すべき点もないライオンさん︵出張中
ちょっ
おれんち⋮⋮
四三、住所不定のどこにでもいるようなてふてふさん
後半ぐだぐだじゃねーか
なぜベストを尽くさないのか
ときに、お前ら
1314
わざわざ魔都に集合して
なにやってんの?
果てしなく無意味だろ
四四、空中庭園在住の現実を生きる不定形生物さん︵出張中
訊くな
そっとしておいてくれ
ああ、死にてえ⋮⋮
四五、空中庭園在住のとるにたらない不定形生物さん
おれも死にたい
分身の所業に
おれのハートがグラ・ウルー
四六、海底洞窟在住のとるにたらない不定形生物さん
もう意味わからん
いや、まあ⋮⋮罰ゲームらしいよ?
発案は歩くひと
1315
人前でも何でもないのに魔物るっていう
四七、王都在住のとるにたらない不定形生物さん︵出張中
孤独な作業になるな⋮⋮
四八、墓地在住の今をときめく骸骨さん︵出張中
おれたちも巻き込まれてるのは何故なんだろう
この前、おやつを盗み食いしたの
まだ根に持ってるのかな⋮⋮?
四九、住所不定のどこにでもいるようなてふてふさん
なぜ食べた
五0、墓地在住の今をときめく骸骨さん︵出張中
チャレンジ精神を忘れちゃだめだと思って⋮⋮
ええと⋮⋮とりあえず魔都のみなさんはスルーしていいの?
空のひと? だいじょうぶ?
1316
五一、魔都在住の特筆すべき点もないライオンさん︵出張中
人間たちの気持ちが少しわかった
害虫は駆除せねばならない⋮⋮
可及的、速やかにだ
五二、空中庭園在住の現実を生きる不定形生物さん︵出張中
来るか、ヒュペスよ⋮⋮
五三、魔都在住の特筆すべき点もないライオンさん
決着をつけよう、ポーラ
いや⋮⋮マリアンよ!
五四、住所不定のどこにでもいるようなてふてふさん
魔軍☆元帥と魔界産のひよこが
互いに譲れないものを賭けてぶつかり合った一方その頃⋮⋮
ジェット・フェアリー号は
順調に航海を続けていた
港町を発って一週間が経つ
くだんの港町襲撃事件は
1317
タリアの子の奇跡
という名目で発表された
二年前の王都襲撃を無闇に連想させるということで
公式に
巧妙に情報操作された結果
勇者さんの功績はだいぶ控えめに
そして他人の子供にスライドされた
いつの時代も
勇者の誕生は唐突で
そしてドラマチックに演出される
勇者に敗北は許されないからだ
どれだけ勇敢な人間も
戦うのは怖いから
敵前逃亡した勇者もいる
それでも歯を食いしばって
踏みとどまるのが旅シリーズ屈指の名場面なのだが
いつだって人間たちは勇者に完璧を求める
今回の旅シリーズの場合はどうか?
たぶん勇者さんは
人間たちが描く理想像に
限りなく近い
勇者﹁時間がもったいないわ。先に朝食にしましょう﹂
でも一向に姿を現さない従者を待つほど
1318
人間が出来てはいなかった
おれ﹁そうですねっ﹂
もちろんおれは反対したが
彼女の決定を覆すことはできなかった
許せ子狸はちみつうめえ⋮⋮
五五、墓地在住の今をときめく骸骨さん︵出張中
はちみつを与えると
羽のひとがおとなしくなることは
すでに調査済みだ
この場を借りて言わせてもらうが
歩くのに棒術を仕込んだのはおれだ
つまり勇者さんは
おれの弟子ということになる
五六、空中庭園在住のとるにたらない不定形生物さん
そうか?
百歩譲って歩くひとがお前の弟子だとしても
勇者さんは技を盗んだだけだし
かなり苦しいような⋮⋮
1319
五七、墓地在住の今をときめく骸骨さん︵出張中
しかしだ
いいか、ここからが肝要だ⋮⋮
歩くのは基礎スペックが高すぎて
おれの技を完全に受け継いだとは言えん
というか
対人戦に限定するなら
まっすぐ行って、まっすぐぶっ飛ばしたほうが有効な気がしてな
らない
五八、海底洞窟在住のとるにたらない不定形生物さん
弱体化させてどうする
だめ師匠だな
五九、墓地在住の今をときめく骸骨さん︵出張中
叶うことなら
子狸に奥義という奥義を伝授してやりたかったが
バウマフにこん棒という言葉もある
1320
こん棒を片手に街中を亜人走りして
署に連行されるのは火を見るよりあきらかだった⋮⋮
六0、王都在住のとるにたらない不定形生物さん︵出張中
子狸さんのことばかにしてんのか?
ごますり棒と勘違いする程度の知恵はあるわ
子狸﹁おれナックル!﹂
ノーマル﹁おれシュナイダー!﹂
六一、海底洞窟在住のとるにたらない不定形生物さん
それもどうかなぁ⋮⋮
以前、ためしに天井からバナナを吊り下げて
踏み台とこん棒を与えたら
迷わずこん棒に行ったから
なんか怖くなって途中で実験を中止したよな
あのときは、あんまり深く考えなかったけど
じつはこん棒に対する憧れがあるんじゃないか?
ふだんは興味ないふりしてるけど
1321
六二、王都在住のとるにたらない不定形生物さん︵出張中
そうかなぁ⋮⋮
それにしては52年モデルの扱いがぞんざいだったような⋮⋮
港町で魔属性を使えることがバレてしまって以来
子狸は調子に乗る一方だ
とんぼを切って着地したジョーを
逃すまいと追い詰める
右手を袈裟懸けに振り下ろすと
その軌跡を辿るように紫電の束が尾が引いた
船内の廊下は、さして広くない
壁に縫いとめられたこん棒を
とっさに手放して回避したため
ジョーは無手だ
決まるか?
いや、それほど甘くはない
ノーマル﹁ディレイ!﹂
とっさに盾魔法の階段を設けたジョーが
空中を斜めに駆け上がる
1322
壁に突き刺さっているこん棒を回収し
子狸の背後に回りこんだ
子狸﹁チク! タク!﹂
素早く反応した子狸が
勘に任せて右腕を振るうと
紫電とこん棒が激しく噛み合った
絡み合う両者が
互いに共鳴し合い
周囲に電撃を撒き散らす
弾き飛ばされた子狸が
仰け反ったまま
人差し指を正面に突きつけた
子狸﹁ディグ!﹂
対するジョーはしたたかだ
いったんは退いて
圧縮弾を回避したのち
打ち寄せる波のように
一転して攻勢へと転じる
子狸は聖☆剣をリスペクトした紫電で迎撃を試みるも
激しくステップを刻んだジョーが
急激に進路を変更して子狸の側面に回りこむ
1323
子狸﹁消えっ⋮⋮!?﹂
脇を通り抜けざまの胴打ち一本だ
ぴたりとこん棒を寸止めしたジョーが言う
ノーマル﹁もう一度だ﹂
尻もちをついた子狸に
ジョーは冷酷に告げる
ノーマル﹁立て。お前には、まだ教えていないことがたくさんある﹂
ふ、と肩の力が抜けた
ノーマル﹁お前は彼女とは違う。才能というものはな⋮⋮天稟をし
るしに通れる近道のようなものだ。目指すところが同じなら、その
ぶん長い⋮⋮回り道をしよう。それでいい。彼女が見落とした何か
を、お前は拾える﹂
そう言って片手を差し伸べる
真摯に頷いた子狸が
照れ臭そうにはにかんで
差し伸べられた手を掴んだ
子狸﹁ポロリも⋮⋮あるかな?﹂
ノーマル﹁台無しだよ﹂
1324
六三、住所不定のどこにでもいるようなてふてふさん
ノーマルジョーがちょっといい話をしている一方その頃⋮⋮
アイアン﹁⋮⋮んっ、こほん﹂
食堂に入ってきたアイアンが
壁に背中を預けた気取ったポーズで
わざとらしく咳払いをした
勇者﹁⋮⋮?﹂
お食事中の勇者さんが
ちらりと目を遣ると
その視線に気がついたジョーは
おもむろにこん棒の手入れをはじめた
なにそのアピール⋮⋮
1325
﹁勇者さんに足りないのは必殺技だと思う﹂part2︵後書き
︶
注釈
・亜人走り
魔物たちに伝わる伝統的な走法。
短いストライドから、ぽんぽんと踊るように跳ね回る。
軽やかな見た目に反して、著しく消耗する上に隙が大きい。
空中で両足を揃える、ひねりを加える、ぴんと足を伸ばす、苦し
い姿勢でバランスを維持する等のアクションを交えることで、難易
度に応じた芸術点がつく。
全体を通して極めて無意味であるため、人間たちにはとうてい真
似ができないとされる。
魔物たちの誇りを体現した走法、それが亜人走りだ。
1326
﹁勇者さんに足りないのは必殺技だと思う﹂part3︵前書き
︶
注釈
・バウマフにこん棒
魔物ことわざの一つ。
能力に対して不釣り合いであるにも拘らず、しっくりと来るさま。
似合いすぎていて、空恐ろしくなるという意味で用いられる。
魔物たちがこん棒に傾倒しはじめたのは、王国の建国より数えて
五十年前後とされている。
その当時、人間の戦士たちは剣や槍で武装するのが一般的だった。
しかし魔物たちが人間の武具を奪って利用しているという誤った
認識から、大部分の貧村では原始的なこん棒を用いて自衛している
という誤った認識が広まった。
このことから、︵当時まだ数多く存在した︶剣士たちの間で﹁お
前にはこん棒がお似合いだ﹂という罵り文句が生まれた。
それを耳にした魔物たちが、まだ色濃く残る人間たちの差別的な
物の見方を嘆いて、﹁いや、バウマフ家には敵わない﹂﹁バウマフ
家ほどこん棒が似合う人間はいない﹂﹁しょせん素人の甘い判断﹂
とコメントしたのが起こりとされる。
じっさいに持たせてみると、まるでそれが前世からの定めである
かのように似合うため、バウマフ家の人間はこん棒の所持を魔物た
ちから固く禁じられている。
1327
﹁勇者さんに足りないのは必殺技だと思う﹂part3
四六、墓地在住の今をときめく骸骨さん︵出張中
よく考えたら
おれに必殺技なんてなかった
こんなおれに
誰かを教え導くことなんて出来るのかよ⋮⋮?
四七、住所不定のどこにでもいるようなてふてふさん
帰れ
四八、管理人だよ
おれシュナイダーは?
四九、墓地在住の今をときめく骸骨さん︵出張中
いえ、あれ単なるバック宙ですし⋮⋮
五0、王都在住のとるにたらない不定形生物さん︵出張中
1328
子狸﹁おれシュナイダー!﹂
お前がやるのかよ
まんまとノーマルジョーを味方に引き入れた子狸は
お腹が空いたからなのか何なのか
エサを求めて? 食堂へと向かって廊下を駆けていた
そのとき
突如として飛来したこん棒が子狸に襲いかかる
シュナイダーして回避する子狸を
どう見ても頭から着地する感じだったので
とっさにノーマルジョーが補助した
ノーマル﹁ぐあっ⋮⋮!﹂
ノーマルの頭蓋にこん棒が直撃する
子狸﹁! ジョー!﹂
吹き飛んだジョーに
子狸が駆け寄ろうとする
子狸﹁リバイバル⋮⋮しない? 待ってて、いま⋮⋮!﹂
52年モデルはとくべつなこん棒だ
壁際で震える片腕を差し出したジョーが
1329
子狸には助けを求めているように見えたのかもしれない
だが、そうではなかった
ノーマル﹁ディ⋮⋮レイ!﹂
??﹁エリア!﹂
壁に突き刺さったこん棒が
あるじの手を離れたはずのそれが
ひとりでに浮き上がって
ふたたび子狸に牙を剥いた
子狸﹁なっ!?﹂
直前にノーマルが力場を展開していなければ
直撃は避けられなかっただろう
盾魔法に弾かれたこん棒が
風切り音を立ててあるじの手元に戻る
??﹁ノーマルはしょせん我らの中で最弱のジョーに過ぎない⋮⋮﹂
船内の照明に照らされて
ねずみ色のボディが
にぶく輝いた
廊下の曲がり角から姿を現したシルバージョーが
第二の刺客として子狸の行く手を遮る
1330
シルバー﹁来い。ステージ2だ﹂
子狸﹁お前も⋮⋮ジョーだと言うのか⋮⋮?﹂
シルバー﹁そいつに訊けばわかる。⋮⋮もっとも、おれを倒せれば
の話だがな﹂
子狸﹁くっ⋮⋮!﹂
シルバー﹁来ないのか? ならば、こちらから行くぞ! チク・タ
ク・レゴ・グノ!﹂
子狸﹁バリエ・ラルドぉー!﹂
うっかり戦場と化した船内で
攻性魔法の華が咲く⋮⋮
五一、住所不定のどこにでもいるようなてふてふさん
あほどもが船内で暴れているようだが
ジェット・フェアリー号の船体は安定している
勇者﹁⋮⋮⋮⋮︵もぐもぐ︶﹂
ここ一週間ほど
我らが勇者一行は幽霊船の備蓄で食いつないできた
ジョーたちの証言によれば
難破船を救った際に感謝のしるしとして贈呈されたものらしい
1331
いまいち信憑性に欠ける話だったが
事実、幽霊船の最たる目的は海をきれいに保つことである
乾燥した固いパンを
勇者さんは文句ひとつ言わず
スープにひたして食べている
彼女が好き嫌いを言うのは
子狸の手料理だけだ
たぶん改善の余地があるからだろう
食堂の片隅で
こん棒の素振りをはじめたアイアンジョーに関しても
一瞥しただけで放置している
もうお前、部屋に帰れよ
勇者さんがお前に師事するなんて
ありえないから
五二、墓地在住の今をときめく骸骨さん︵出張中
いや、思いついたぞ
勇者さんが素振りをしているところに
颯爽と現れるおれ
1332
おれ﹁なってないな﹂
っていうのは、どう?
これイケるでしょ
五三、海底洞窟在住のとるにたらない不定形生物さん
おお、それいいな
イケるよ、うん。イケる
五四、住所不定のどこにでもいるようなてふてふさん
適当なことを言うな
勇者さんは素振りなんてしない
五五、空中庭園在住のとるにたらない不定形生物さん
アリア家の剣術は
自分の身体を完全にコントロールすることからはじまるからな⋮⋮
完成形というものがなくて
他者の技を盗むのが主流なんだよ
他の流派を完璧に真似るのは無理だけどね
1333
ふつう剣術っていうのは
奥義のための身体作りを第一義に置いてるし
そもそも人前で奥義を披露する剣士はいない
たまに御前試合とかやってるけど
あんなのままごとだよ
たぶん宰相あたりが
夜なべして脚本を書いてるんだろう
五六、海底洞窟在住のとるにたらない不定形生物さん
そうか、だったら⋮⋮
! いかん! 子狸が近付いてるぞ!
五七、墓地在住の今をときめく骸骨さん︵出張中
子狸﹁アバドン!﹂
食堂の壁を突き破って
シルバーが室内に転がり込んできた
ノーマルに肩を貸している子狸が
息を切らせながら
壁に穿たれた大穴を潜って現れる
仰向けに倒れたシルバーが
1334
子狸を賞賛した
シルバー﹁見事だ⋮⋮。一人ではなく二人⋮⋮これが、お前の出し
た答えか⋮⋮﹂
子狸は頷いた
子狸﹁一人より二人⋮⋮でも三人なら、きっともっと⋮⋮たくさん
のものが見える﹂
そう言って前足を差し伸べる子狸に
上体を起こしたシルバーが、わずかに逡巡した
シルバー﹁おれは⋮⋮﹂
??﹁聞く耳を持つ必要はない﹂
ゴールドさんが入室しました
ゴールド﹁綺麗事だ。どれだけ口当たりの良い言葉で飾ろうと⋮⋮
この世から争いがなくなることはない。子供でも知っていることだ﹂
子狸﹁だからじゃないか? 少しずつでもいい。少しずつでも、そ
うじゃないって言える大人が増えれば⋮⋮﹂
子狸が、反論を途中で切ってノーマルを見る
それから、視線をゴールドに戻した
子狸﹁⋮⋮きっと簡単なことなんだ。おれたちは何か見落としてる
んじゃないのか?﹂
1335
ゴールドの主張は一貫している
ゴールド﹁それが綺麗事だと言っている。同じものが欲しくて、そ
の数が決まってるなら奪い合うしかない﹂
子狸﹁そうじゃない!﹂
子狸が吠えた
子狸﹁誰だって本当は願ってるはずだ! お前だって!﹂
二人の距離は隔たっている
それでも子狸は前足を差し伸べた
子狸﹁一緒に⋮⋮ビーチバレーしようぜ?﹂
ゴールド﹁ごめん、何の話?﹂
子狸﹁え?﹂
ノーマル﹁⋮⋮え?﹂
子狸﹁うん?﹂
シルバー﹁え。ああ、うん⋮⋮﹂
完食した勇者さんが
スプーンを置いた
1336
勇者﹁ごちそうさま﹂
妖精﹁ごちそうさまでした﹂
食器を片付けはじめる羽のひとに
子狸が声をかける
子狸﹁あれ、おれのぶんは?﹂
妖精﹁いまこの瞬間になくなった﹂
席を立った勇者さんが
食堂の惨状を一瞥して
ジョーたちにてきぱきと指示を出す
勇者﹁あなたは壁の修復をなさい。あなたは船内を身回りして、異
常があったら報告。⋮⋮ああ、あと、それ。こん棒ね。全員没収し
ます﹂
おれ﹁紫電三連破!﹂
妖精﹁おい﹂
おれの最後の抵抗もむなしく
おれたちのこん棒は
勇者さんの管理下で保管されることになった
このことがのちに
1337
子狸さんの反乱事件に発展するとは
このときはまだ誰も知る由がなかったのである⋮⋮
五八、管理人だよ
そ、そうだったのか⋮⋮
五九、王都在住のとるにたらない不定形生物さん︵出張中
やっぱりお前こん棒に憧れてるの?
六0、管理人だよ
べっ、べつにそんなんじゃねーよ!
六一、かまくら在住のとるにたらない不定形生物さん︵出張中
おい。それおれのフレーズだから
六二、海底洞窟在住のとるにたらない不定形生物さん
おお、かまくらの。久しぶり
アリア家の攻略は済んだのか?
1338
六三、かまくら在住のとるにたらない不定形生物さん︵出張中
いや。いろいろと試した結果⋮⋮
大隊長が出陣する事態に発展した
六四、空中庭園在住のとるにたらない不定形生物さん
君たち、ちょっと一回、集合してみようか
1339
﹁勇者会議﹂part1
一、空中庭園在住のとるにたらない不定形生物さん
お前ら集まりましたか∼?
はい点呼∼
1∼
二、海底洞窟在住のとるにたらない不定形生物さん
2ぃぃぃ
三、火口付近在住のとるにたらない不定形生物さん︵出張中
3んんっ
四、かまくら在住のとるにたらない不定形生物さん︵出張中
真・3んんっ
五、空中庭園在住のとるにたらない不定形生物さん
1340
真とかねーから∼
4ね。おら、喧嘩すんなそこ∼
4。はい次∼
六、管理人だよ
真・よ∼ん
七、空中庭園在住のとるにたらない不定形生物さん
絶対に言うと思ったよ、も∼
真でも4でもねーから∼
5ね、5。次∼
八、王都在住のとるにたらない不定形生物さん︵主張中
6
九、海底都市在住のごく平凡な人魚さん
やだ、クール⋮⋮
1341
7ぁぁぁ
一0、管理人なのじゃ
よかろう、ならば決闘だ
一一、古代遺跡在住のごく平凡な巨人兵さん
なんか混ざった∼
別の河じゃねーのか∼?
8∼
一二、管理人なのじゃ
ふっ、お前か
相手にとって不足なしといったところだな⋮⋮
一三、火山在住のごく平凡な火トカゲさん︵出張中
聞けよひとの話∼
ちょっと現地に行ってくるわ∼
1342
9∼
一四、管理人だよ
ぷれしあ∼ん
一五、管理人なのじゃ
どどりあ∼ん
!? な、なにをするっ
お、お前は︱︱!?
一四、管理人だよ
おじいちゃん!?
おじいちゃーん!
8∼
一五、山腹巣穴在住の現実を生きる不定形生物さん︵出張中
重複してる上に戻ってる∼
10∼
1343
一六、山腹巣穴在住の現実を生きる不定形生物さん︵出張中
緑のひとグッジョブ∼
11∼
一七、山腹巣穴在住の現実を生きる不定形生物さん︵出張中
そのまま隔離したって∼
12∼
一八、空中庭園在住のとるにたらない不定形生物さん
多いよ∼多い多い∼
お前らのオリジナル野郎はどこ行ったの∼?
一九、山腹巣穴在住の現実を生きる不定形生物さん︵出張中
いま忙しくて手が離せないんだと∼
二0、山腹巣穴在住の現実を生きる不定形生物さん︵出張中
1344
家で、ろくろしてるよ∼
すごい集中力だ∼
二0、空中庭園在住のとるにたらない不定形生物さん
つまり下手人はやつか
逃げやがったな⋮⋮
あと、羽のひとと歩くひと∼
なんで返事しないの∼?
ジョーたちは事情があるだろうからいいけども∼
二一、湖畔在住の今をときめくしかばねさん︵出張中
点呼とか意味あるの?
二二、住所不定のどこにでもいるようなてふてふさん
無意味のひとことに尽きる
二三、空中庭園在住のとるにたらない不定形生物さん
またこの子たちは!
めーだよ!
1345
王都のんを見習いなさい!
恥ずかしくてもちゃんとやってるでしょ!
しかも目立たないタイミングを狙い澄ました上で言ってるからね!
二四、王都在住のとるにたらない不定形生物さん︵出張中
ひとの内心を見透かしたかのように言うのはやめてくれませんか
も∼⋮⋮いいから話を先に進めろよ!
いや、だいたい予想はついてる
人海戦術に打って出たら
騎士団が横槍を入れてきたんだな?
大隊長が動いたということは
山腹軍団はざっと十万といったところか
二五、山腹巣穴在住の現実を生きる不定形生物さん︵出張中
億です
二六、王都在住のとるにたらない不定形生物さん︵出張中
え? なにが?
1346
二七、山腹巣穴在住の現実を生きる不定形生物さん︵出張中
億。数の単位
一万の一万倍
二八、王都在住のとるにたらない不定形生物さん︵出張中
ああ、単位の億ね
唐突すぎて一瞬なんのことかわからなかった
そうか⋮⋮
ところで子狸なんだけど
二九、かまくら在住のとるにたらない不定形生物さん︵出張中
おう。子狸な
その後、どうなの?
勇者さんの前で
発電魔法を使ったのはまずかったな
とはいえ、いずれ直面した問題ではある
お前らのことだから
うまく誤魔化してくれたんだろ?
1347
三0、火口付近在住のとるにたらない不定形生物さん︵出張中
前回の旅シリーズとの絡みになるのかねぇ⋮⋮
ああ、でも人間たちには
先代勇者のこと、正確には伝わってないんじゃなかった?
三一、湖畔在住の今をときめくしかばねさん︵出張中
そうだね
人間たちの歴史だと
邪神教徒と魔王がごっちゃになってて
最終決戦は勇者と魔王の一騎討ちだ
邪神教徒どこ行った
三二、海底洞窟在住のとるにたらない不定形生物さん
そう。だから、話がつながらないんだよ
安全上、子狸が邪神教徒の子孫ってことは隠しておきたい
史実の上でなら、勇者の末裔にあたる子狸が
魔属性を使えてもおかしくはないんだが⋮⋮
そのへんは緑のひとに語ってもらったほうが
1348
説得力あるだろ
三三、火口付近在住のとるにたらない不定形生物さん︵出張中
そうだな
話のネタが出来るし
本人も喜ぶと思うよ
三四、王都在住のとるにたらない不定形生物さん︵出張中
つまりは、誤魔化してる最中なんだよね
お前らが別の河でアリア家の攻略に躍起になってる間
おれたちの子狸さんが
馬術の習得に励んでたのは知っての通りだ
これが偶然にも
じっくりと話し合う場に適してたもんだから
⋮⋮まあ、ちょうどいい機会だと思ったんじゃないか?
鞭の練習と同時並行で
いろいろとお話しましょうってことになったわけさ
三五、海底洞窟在住のとるにたらない不定形生物さん
うん。そうだね
子狸もなかなか強情だから
1349
子狸﹁なんていうか⋮⋮新しい﹂
そう簡単には口を割らないわけよ
勇者さんも負けてない
勇者﹁反省の色が見えないわね⋮⋮。わたしに対して、何かと反抗
的なのは何故?﹂
子狸﹁好き嫌いは良くないと⋮⋮﹂
勇者﹁わたしの命令を無視したのは?﹂
子狸﹁だって⋮⋮怒らない?﹂
勇者﹁怒らないわ。言ってご覧なさい﹂
子狸﹁じゃあ。お嬢ってさ⋮⋮好きなものばっかり食べようとする
でしょ﹂
勇者さんにとって
この旅は戦いの連続だった
しかし子狸にとって
戦いは生活の合間に過ぎなかった
物の見方が
まったく違うのだ
1350
勇者﹁⋮⋮わたしが食べたいと言ってるのに、作ってくれないから
注文が同じになるんでしょ﹂
子狸﹁逃げてって言ってるのに逃げてくれないし﹂
勇者﹁⋮⋮怨霊種と戦ったときは逆のことを言ってたわ﹂
子狸﹁おれもね⋮⋮むかしは食べられなかったんだよ、魔どんぐり﹂
勇者﹁話題を一つに絞りましょう。それがいいわ﹂
子狸との議論は無益だ
勇者さんは一つの真理を得た
一方、同席しているはずの羽のひとが
妙に大人しいと思ったら
妖精﹁しっ⋮⋮!﹂
黒妖精さんとの再戦に備えて
コンビネーションブローに磨きをかけていた
妖精﹁大きな一発はいらない。基礎だ⋮⋮﹂
ぶつぶつと独りごちている内容が
なんだか怖くて
誰一人として声をかけられなかった⋮⋮
三五、住所不定のどこにでもいるようなてふてふさん
1351
なんだよ。構って欲しかったなら言えよ
照れ臭いから言わなかったけどさ⋮⋮
お前ら、素材としては悪くないんだよな
いいサンドバックになるんじゃないかってさ⋮⋮へへっ
三六、火口付近在住のとるにたらない不定形生物さん︵出張中
なにを照れる要素があるというのか
ちっとも胸がときめかない
三七、かまくら在住のとるにたらない不定形生物さん︵出張中
だれが好きこのんでサンドバックになどなるものか
子狸と一緒にしないで欲しい
三八、住所不定のどこにでもいるようなてふてふさん
なんだよ! む∼っ
三九、管理人だよ
おれで良かったら
1352
四0、山腹巣穴在住の現実を生きる不定形生物さん︵出張中
子狸さんが男前すぎる⋮⋮
1353
﹁勇者会議﹂part2
四一、山腹巣穴在住のとるにたらない不定形生物さん
これまでのあらすじ
アリア家に囚われた
鬼のひとたちを救出するべく
立ち上がったおれたちだったが
聖騎士の血統を受け継ぐアリア家は
人外のメイドさんが住まう魔窟であった
夜を徹した強行軍もむなしく
デスメイドの猛攻の前に倒れ伏すおれたち⋮⋮
一時は諦めかけたおれたちを衝き動かしたのは
鬼のひとたちの声なき慟哭であった
友のため、土にまみれた誇りを取り戻すために
ふたたび立ち上がるおれたち
決意を新たに立ち向かうも
デスメイドを突破するのは困難と思われた⋮⋮
まさにそのとき
おれB﹁諦めるのか?﹂
1354
おれたちの元に現れたのは
一度は袂を分かった分身であった
おれB﹁勘違いするなよ。お前を許したわけじゃない。だから⋮⋮
貸しにしとくぜ﹂
おれC﹁このまま終わるつもりはないんだろう?﹂
おれD﹁おれたちのことを忘れてもらっちゃ困るぜ﹂
おれE﹁⋮⋮ふん、おれは代表に従ったまでだ﹂
おれB﹁近隣の森から駆けつけてくれたメンバーだ。まだ増えるぜ﹂
おれF﹁行こう。お前は一人じゃない﹂
おれA﹁お前ら⋮⋮﹂
世界各地に散らばった同胞たちが
いま、志をひとつに集結しつつあった︱︱
四二、空中庭園在住のとるにたらない不定形生物さん
よう、山腹の
いま、ちょっといいかな?
1355
四三、山腹巣穴在住の現実を生きる不定形生物さん︵出張中
逃げました
四四、空中庭園在住のとるにたらない不定形生物さん
ちっ⋮⋮抜け目のないやつだ
まあいい
いいか、今回お前らに集まってもらったのは、他でもない⋮⋮
子狸の記憶力が怪しすぎる
ここらで目線を合わせるぞ まず、国内の山腹シリーズが
アリア領を目指して集結しつつある
大所帯の移動は人目に付かないほうが不自然だから
騎士団との衝突は避けられない
その間、勇者一行を乗せた幽霊船は
さしたるトラブルに見舞われることなく
順調に航海を続けていた
不慣れな乗馬訓練をしいられた子狸が
一週間ほど大人しく巣穴に潜っていたためだ
このポンポコは港町で
魔物しか扱えないとされる発電魔法を
1356
勇者さんが見ている前で使っている
子狸バスターに対抗するためだ
ついでにバウマフ家が
おれたちと何かしらの因縁があるということもバレた
が、これは仕方ない
勇者さんは着実に成長している
属性を縛ったままだと
おれたちの子狸さんが活躍できない
スルーしてくれるかと期待もしたが
さすがに魔属性に通じる人間というのは
ふだんテンション低めな勇者さんをして
見過ごせない案件だったらしい
詳細は⋮⋮
王都の、頼む
四五、王都在住のとるにたらない不定形生物さん︵出張中
おう。とはいえ、大した話はしてない
筋肉痛にあえぐ子狸に代わって
勇者さんは忙しく立ち回っていたからな
お馬さんのお世話をしようとして
そもそも生態を知らないことを露呈したり
1357
お料理に挑戦しようとして
聖☆剣を片手に厨房に立ったはいいものの
何をしたらいいのかわからず呆然としたり
今度はお洗濯だと意気込むも
洗濯物を抱えて甲板で小一時間ほど首を傾げていたり
ならばお掃除はどうかと
所在なさげに倉庫をうろついたあげく
本を見つけて部屋に戻ったり
羽のひとにジョーたちの監視を命じたはいいものの
船酔いを起こして
けっきょく羽のひとに看病されたり
なにげに子狸さんの利便性をおれたちに知らしめた
勇者さんの一週間だった
そんなこんなで
子狸を問い詰めるのは
乗馬訓練の数時間だけで
子狸は子狸で
奮闘する勇者さんを陰からひっそりと見守ったり
きしむ身体を押して彼女の後始末に奔走したりと
終わりのない鬼ごっこをしているようなものだった
一週間も掛けて勇者さんが子狸から聞き出せたのは
子狸の華々しい学園生活くらいなものだ
1358
四六、火口付近在住のとるにたらない不定形生物さん︵出張中
なんでそうなる
四七、かまくら在住のとるにたらない不定形生物さん︵出張中
発電魔法どこ行った
四八、海底洞窟在住のとるにたらない不定形生物さん︵出張中
勇者さんは発電魔法について
ちゃんと聞き出そうとしたんだよ
さっきの話の続きな
勇者﹁これまでわたしは、あなたの生まれや境遇について尋ねるよ
うなことをしなかったわ﹂
子狸﹁⋮⋮そうだね。大切なのは、これから二人で作っていく思い
出なんじゃないかな?﹂
勇者さんは無視した
勇者﹁あなたは働き者だし、考えの足りないところはあるけど、わ
たしが接してきた平民は組織をまとめる人間がほとんどだったから、
ふつうの平民はそんなものなのかと思っていた﹂
1359
ここでおれのツッコミが入る
おれ﹃全国の平民のみなさんに謝れ﹄
子狸は素直に応じた
子狸﹃ごめんなさい、全国の平民のみなさん﹄
もちろん、このやりとりは勇者さんには伝わらない
彼女は続けた
勇者﹁それに、大まかな身元はわかっていたの。あなたのお父さま
は、マリ・バウマフと言うんでしょう?﹂
子狸﹁! 不定形パンは当たりが出るともう一つもらえるんだ!﹂
数少ない顧客の一人と見てとった子狸が
営業活動に身を投じた
勇者さんの実家は世界屈指のお金持ちだ
ばうまふベーカリーに差し込む一筋の光明なるか?
おれたちは息をのんだ
勇者﹁あなたのお父さまは、有名人なのよ。高校時代は、とても優
秀な生徒だったと聞いてるわ﹂
あの元祖狸が高校で得たものといえば
個性的な友人くらいなものである
1360
ふつうに突っ立っているだけで
どこからともなく変人が寄ってくるのだ
君がバウマフか? という掴みから入る
なるほど、噂どおりの男だな⋮⋮。という一連の流れを
聞き飽きたと言って、よく嘆いていた
子狸よ、覚えておいて損はない
肝に銘じておくといい
たいていの変人は礼儀正しい
四九、王都在住のとるにたらない不定形生物さん︵出張中
真理だな
さて、子狸の身元は勇者さんに筒抜けだった
実家がパン屋とか
ぺらぺらと口走るから、一発で特定されるのだ
天井から吊るされたまま
子狸の挙動が不審になった
子狸﹁ふ⋮⋮いや! な、何でもない⋮⋮﹂
あとで聞き出したところによると
渾身のプロポーズを言おうとして踏みとどまったらしい
子狸が人生の岐路に差しかかった一方その頃
1361
勇者さんは核心に迫る
勇者﹁けれど、雷魔法を扱える人間がいるという噂は聞いたことが
ないわ。本当は使えるけど隠していた⋮⋮それはあり得る。魔物と
同一視されかねないものね。⋮⋮あなたはどうなの?﹂
子狸﹁え? おれ?﹂
もちろん子狸は勇者さんの話についていけていなかった
勇者さんは冷静だ
勇者﹁そうね、まず⋮⋮雷魔法を扱える人間はいないとされている。
ここまではいい?﹂
子狸﹁雷魔法って⋮⋮もしかして発電魔法のこと?﹂
ここで、じつはかなり初期の段階から
わかっていなかったことが判明する
勇者さんがわずかに首を傾げる
勇者﹁発⋮⋮なに?﹂
ここでおれが子狸にレクチャーする
電気という概念は
人類社会には存在しない
静電気は妖精たちの悪戯ということになってるし
1362
落雷は魔人の仕業だと考えられている
おれ﹃紫術、雷魔法、発電魔法、起雷魔法、いろいろな呼び方があ
ります。覚えましょう﹄
子狸﹃嫌です。一つにしましょう﹄
生意気にも反発する子狸
おれ﹃立場の違いがあるだろ!﹄
海底﹃自分ルール自重っ﹄
おれたちの説得を経て
子狸がしぶしぶといった感じで口を開く
子狸﹁⋮⋮おれスパーク?﹂
おれたちのツッコミは割愛させて頂きます
勇者﹁⋮⋮はつでん魔法と言うのね。わたしは紫術と呼んでるの。
だから、あなたもそうしなさい﹂
勇者さんの自分ルール発動
子狸﹁え∼⋮⋮? なんだか、にわかにややこしくなってきたな⋮
⋮にわかに﹂
子狸は にわかに を覚えた
1363
勇者﹁そうね。でも、大切なことよ。あなたの魔法は特装騎士のも
のに近い。たぶん幼い頃から特殊な訓練を積んでいる⋮⋮そうでし
ょ?﹂
子狸﹁なるほど⋮⋮﹂
受け答えがすでに怪しい
ここで自己鍛錬を終えた羽のひとが復帰
妖精﹃だいじょうぶか? ついてきてるか?﹄
子狸﹃断言はしかねる﹄
断言はしかねるレベル
おれたちは続行を指示
フォローしようにも
要約しようがない
なんとか子狸の口を割らせるべく
誘導尋問を仕掛ける勇者さんだが
困難であると察したか
素早く手法を切り替えた
勇者﹁⋮⋮じゃあ、こうしましょう。あなたが紫術に関して知って
ることを、洗いざらい喋りなさい﹂
じつにわかりやすい
だが、甘いと言わざるを得ない
1364
おれたちは常にバウマフ家の動向を観察してきた
そうして生まれたのが
管理人の言動を
こちらで指定するという
完璧な対応策だ
おれたちに死角なし⋮⋮!
子狸﹁めっじゅ∼︵鳴︶﹂
五0、空中庭園在住のとるにたらない不定形生物さん
おい。誰だ
五一、住所不定のどこにでもいるようなてふてふさん
いやぁ⋮⋮
勇者さんと一緒に旅してきて
けっこう経つし
もう子狸が何を言っても違和感ないんだよね
勇者﹁⋮⋮⋮⋮﹂
子狸﹁⋮⋮⋮⋮﹂
1365
気まずい沈黙が流れた
滑ったと察した王都のひとが
とっさに子狸に自由裁量権を預ける
子狸﹁紫術、か﹂
子狸は、ぽつりぽつりと語り出した⋮⋮
子狸﹁あれはいつだったか⋮⋮。そう、まだおれが幼かった頃の出
来事だ⋮⋮﹂
勇者さんは、まじめに聞いてくれる
だが、この話の続きに
発電魔法が絡んでくることはない
かくして彼女は
望みもしないのに
子狸の半生に無駄に詳しくなっていく⋮⋮
1366
﹁勇者会議﹂part3
五二、かまくら在住のとるにたらない不定形生物さん︵出張中
子狸の半生って⋮⋮
それ大丈夫なの?
ああ、だからポンポコ学園物語なのか
お前らが細かくチェック入れてるのね
五三、火口付近在住のとるにたらない不定形生物さん︵出張中
さすがに学校で発電魔法を使ったことはないからな
というかお前、わかってて言ってるでしょ?
無理して発言しなくてもいいんだぞ
自分アピールもほどほどにな
五四、かまくら在住のとるにたらない不定形生物さん︵出張中
え? 子狸さんのためにっていう発想がお前にはないの?
というかお前、いつまで某パン屋に入り浸ってるの?
なにか帰りたくない事情でも?
1367
治安維持を名目に
用事もないのに街をうろついて時間をつぶす騎士みてーだな
五五、火口付近在住のとるにたらない不定形生物さん︵出張中
あれ? ご存知ない?
家に居場所がない騎士たちが
どんだけ治安維持に貢献してると思ってるの?
非番の騎士が
たまたま犯行現場に居合わせて
事件解決した事例なんてごまんとあるんだぜ
地味に物を知らないね、お前さんは
五六、かまくら在住のとるにたらない不定形生物さん︵出張中
地味? いま、地味って言った?
五七、火口付近在住のとるにたらない不定形生物さん︵出張中
ええ、言いましたが何か
五八、山腹巣穴在住の現実を生きる不定形生物さん︵出張中
1368
こっちは、だいたいこんな感じだ
火口のが生き生きしすぎてて
見ててつらい
もっとも、すでに手は打ってあるのだが
五九、火口付近在住のとるにたらない不定形生物さん︵出張中
!? お、お前は︱︱!
六0、火口付近在住の現実を生きる不定形生物さん︵出張中
さあ、お前はこっちに来るんだ
抵抗しても無駄だ
言ったはずだぞ
オリジナルはコピーには勝てんとな
おとなしく家に帰るんだ
緑のひと、見てるな? お前もだ
わけのわからん状況にしやがって⋮⋮
六一、火口付近在住のとるにたらない不定形生物さん︵出張中
1369
いやだ! おれは歩くひとが焼いてくれたパンを食べるんだ!
か、かまくらの! 助けてくれ!
おれたち二人がそろえば無敵なんだ! そうだろ!?
六二、かまくら在住のとるにたらない不定形生物さん︵出張中
くちばしの鋭いひとたち、パン食べるかなぁ?
歩くひと、いちおう包んでおいてくれる?
六三、湖畔在住の今をときめくしかばねさん︵出張中
どう考えても食べないと思うけど⋮⋮
ほろ苦い初恋の味パンなら、あるいは⋮⋮
六四、かまくら在住のとるにたらない不定形生物さん︵出張中
ははっ
おいおい、よせよ
どんな罰ゲームだよ、それ
六五、住所不定のどこにでもいるようなてふてふさん
1370
怨霊種のエースと青いの︵極地戦仕様︶が
出張先でホームコメディを繰り広げている一方その頃⋮⋮
海上の勇者一行は深刻な問題に直面していた
勇者﹁集まったようね﹂
会議室に集結したクルーの面々を見渡して
勇者さんが口火を切った
勇者﹁リン、資料を﹂
おれ﹁はい!﹂
前もって勇者さんに指示されたとおり
円卓の上に棒グラフと周辺一帯の海図を展開する
ここ一週間
おれが勇者さんのフォローに回れなかったのは
ジョーたちの監視もさることながら
彼女の指示で海図を作成していたからでもある
子狸﹁ふむ⋮⋮﹂
一週間の推移を示すグラフを見つめて
子狸が理解に努めている自分をアピールした
ノーマル﹁これは⋮⋮食料の備蓄か?﹂
子狸﹁⋮⋮まさか食料の備蓄では?﹂
1371
アイアン﹁ばかな、早すぎる。三週間ぶんは蓄えがあった筈だぞ﹂
円卓を囲っているメンバーは
泣く子もだまる勇者一行、三名と
すっかりお馴染みのジョー四人衆
計七名
ジョーたちの船なのに
気付けば勇者さんが船長ポジションにおさまっている
勇者﹁事実よ。とくに四日目以降の消耗が激しい。まるで⋮⋮﹂
そう言って彼女は
子狸をじっと凝視した
子狸﹁でっかい鼠さんがいるに違いない﹂
子狸が即座に断言した
子狸の調教もとい乗馬訓練は
出航した日の翌朝からスタートした
それから三日ほどは役立たずに成り果てたが
だんだんと適応しはじめて
恒例の夜間特訓を再開したのが四日目以降だ
たしかに大きなネズミがいるようだった
シルバー﹁やってしまったことは仕方ない。対策は。対策はあるの
1372
か?﹂
建設的な意見を述べるシルバージョーに
勇者さんが視線を戻して言う
勇者﹁あるわ。けれど、あなたたちの意見も聞いてみたいと思った
の。どう?﹂
くるりと面々を見渡すと
われ先にと子狸が挙手した
勇者さんが頷いた
勇者﹁発言を許可します﹂
子狸﹁はい! おれ、さいきん裁縫に凝ってるんだ。あれあれ? お嬢、その服、三日前にも着てたよね。こんな偶然があっていいの
か!?﹂
おれ﹁座れ﹂
子狸﹁はい﹂
アイディアそのものは悪くない
残す課題はタイミングだな
おとなしく着席した子狸が
ちらっとおれを見た
瞬時のアイコンタクトだった
1373
おれはいったん瞑目してから
ぱっと破願して勇者さんに話しかけた
おれ﹁わたしも賛成ですよ! リシアさんが新しい服を着てるの見
たいですっ﹂
勇者﹁⋮⋮そう?﹂
満更でもない様子だ
彼女自身、同じ服を着回すのは避けたいと考えているだろう
一方その頃、ジョーたちは真剣に協議していた
ゴールド﹁いったん停泊して漁をするか?﹂
ノーマル﹁いや、厳しいな。おれたちが関与すれば王種の怒りを買
う﹂
シルバー﹁釣りをさせるにしても、現状のペースでは⋮⋮﹂
アイアン﹁最寄りの港に立ち寄ってはどうだ? 魔法で偽装すれば、
二、三日なら誤魔化せるだろう﹂
ゴールド﹁⋮⋮保留だな。リスクが高すぎる﹂
ノーマル﹁では無人島は?﹂
シルバー﹁悪くない。だが⋮⋮最短でも三日はかかる。嵐が来ない
とも限らない﹂
1374
アイアン﹁そもそも⋮⋮おれたちは飲まず食わずでも二週間くらい
なら保つぞ﹂
ゴールド﹁あ、そうだね。問題なかった﹂
ノーマル﹁だな。まったく問題ない﹂
意見をまとめたノーマルが
勇者さんに具申する
ノーマル﹁現状維持で﹂
勇者﹁あなたたちが夜な夜な四人で集まってお酒を飲んでいたのは
調べがついてる﹂
ノーマル﹁万事休すか⋮⋮﹂
と、そのとき。海図を見つめていた子狸が
なにかを発見した
子狸﹁⋮⋮!﹂
気付いてはいけないことに気付いてしまったかのように
沈痛な面持ちだ
探偵気取りか
子狸﹁そうか⋮⋮そういうことだったのか⋮⋮﹂
1375
おれ﹁⋮⋮⋮⋮﹂
ためしに放置してみると
子狸がちらちらっと目配せをしてきたが
おれは無視した
未練がましく視線を送ってくる子狸に
勇者さんが合いの手を挟む
勇者﹁どうしたの?﹂
恵まれないポンポコに発言の機会を与える
学級委員長のようだった
子狸﹁いや、その⋮⋮﹂
内面を探るように瞳を覗き込まれて
子狸が言いにくそうに口ごもる
六六、管理人だよ
お前ら、おれは大変なことに気が付いてしまった
何を言おうとしたのか忘れたんだが⋮⋮
六七、空中庭園在住のとるにたらない不定形生物さん
そんなこと言われても⋮⋮
1376
海岸線の形がカッコイイとかじゃないのか?
六八、王都在住のとるにたらない不定形生物さん︵出張中
深化魔法を使ってみてはどうか
もしかしたら思い出せるかもしれん
さりげなく使うんだぞ?
六九、管理人だよ
お前は天才か
わかった。やってみる
おれ﹁エラルドじつは⋮⋮﹂
七0、王都在住のとるにたらない不定形生物さん︵出張中
さりげなくと言ったはず
しかし試みは成功したようだ
海図を見つめる子狸の目が
心なし深みを増した
子狸﹁ギャラクシぃぃぃ!﹂
1377
いったい何を見たというのか
勇者﹁⋮⋮⋮⋮﹂
無反応の勇者さんに
子狸が続けて言う
子狸﹁お嬢﹂
勇者﹁なに﹂
子狸﹁おれは銀河を見た﹂
スペースポンポコの妄言を
勇者さんは聞き流した
彼女が口を開くよりも先に
ジョーたちが反応した
ゴールド﹁ギャラクシー! ギャラクシー!﹂
シルバー﹁いいぞ! ひゅーひゅー!﹂
アイアン﹁よっ、宇宙狸!﹂
ノーマル﹁いいよ! 輝いてる!﹂
魔物たちは宇宙が大好きなのだ
1378
子狸﹁よぉし! お前ら、おれについてこい!﹂
颯爽と席を立った子狸に
ジョーたちが群がる
ノーマル﹁その言葉を待っていた!﹂
シルバー﹁胴上げだ!﹂
わっしょいわっしょいと子狸を胴上げしはじめるジョーたち
祭りがはじまった
妖精﹁シューティング☆スター!﹂
そして終わった
至近距離から光の散弾を浴びた子狸が
空中で大きくのけぞる
子狸﹁ぐあ∼!﹂
アイアン﹁ポンポコさーん!﹂
ゴールド﹁ちぃっ⋮⋮! 右だ!﹂
シルバー﹁おう!﹂
羽のひとの妖精魔法は
詠唱破棄に攻性の聖属性を連結したものだ
1379
ジョーたちは闇属性の魔物ということになっているので
本来なら致命傷になってもおかしくないのだが
以前に属性を無視してしまったので
ここで倒れるわけには行かなかった
瞬時の判断で二手にわかれた金と銀が
光の散弾を掻い潜って羽のひとに迫る
妖精﹁マジカル☆ミサイル!﹂
あっさり撃退されて吹き飛ぶ
そのまま壁に衝突するかと思われたが
ジョーたちの再生力が上回った
四散した骨片が渦を巻いて組み上がっていく⋮⋮
ゴールド﹁無駄だ。光の精霊に選ばれたお前ならばわかるだろう﹂
シルバー﹁感じるはずだ。残された時間は少ないぞ⋮⋮﹂
子狸をダイビングギャッチしたアイアンが
二人と合流する
三種のジョーが
つま先立ちになって
そろえたひざをくねっと横に突き出し
両腕で上下に弧を描いた
1380
歩くひとに大不評の大蛇の構えだ
子狸﹁お遊びは終わりということだ﹂
三人の背後で子狸が猛虎の構えをとる
統制のとれた動きだったが⋮⋮
アイアン﹁あれっ、ひとり足りねえ!﹂
素早く避難していたノーマルジョーが
ちゃっかりと勇者さんのお茶汲みに回っていた
ノーマル﹁え? ああ⋮⋮﹂
ノーマルは、ためらったすえに言った
ノーマル﹁まあ、なんだ⋮⋮座ったら?﹂
金&銀&鉄&子狸﹁え? ああ、うん⋮⋮﹂
四人は異口同音に肯いて
おとなしく着席した
羽のひとが子狸の肩にとまったのを見届けて
勇者さんが議事進行を再開する
勇者﹁だいたい出揃ったかしら。では、わたしの案を発表します﹂
聖☆剣を教鞭に見立てて図面を指し示す
1381
子狸と羽のひとにとって見慣れた姿だ
勇者﹁ここの航路は、人間たちの船がよく行き来するところなの﹂
妖精﹁けっこう近いですね﹂
合いの手を入れた羽のひとが
勇者さんの言いたいことを察して
小さな手をぽんと打った
妖精﹁あ、そうか。物資をわけてもらうんですか?﹂
勇者﹁いいえ。船というのは外敵の襲撃にもろい。それはお互いさ
まだから、いちばん警戒するのは船内に乗り込まれること。まず間
違いなく断られるでしょうね﹂
妖精﹁じゃあ⋮⋮﹂
勇者﹁作戦を説明するわ﹂
そう言って勇者さんは
手短に趣旨を述べた
@決行は深夜
@ジョーたちの闇魔法で風景に溶け込む
@夜陰に紛れて航行中の船に接近する
@夜の散歩に出かける
@うっかり船を間違える
@偶然にも物資を見つけて持ち帰る
1382
七一、海底洞窟在住のとるにたらない不定形生物さん
おれの気のせいならいいんだが
海賊行為と酷似しているような⋮⋮
1383
﹁勇者会議﹂part4
七二、王都在住のとるにたらない不定形生物さん︵出張中
お魚さんたちが陸上では生きていけないように
人間たちにとって深海は死の世界だ
陸上生物最強と言われる緑のひとが
切なさを訴えるほどの高圧環境に加え
摂氏1.5度∼3度ほどの低水温
日の光は海水に遮られて届くことはない
無明の闇が広がるばかりだ
まあ、それはともかく⋮⋮
接近してくる船を
海面から頭だけを出して見つめる
怪しい人影があった
子狸﹁⋮⋮⋮⋮﹂
頭を引っ込めて
いったん潜水した子狸が
すいすいと海中を泳いで距離を詰める
人間たちには
海を見たことがないというものも珍しくない
1384
泳げない、泳げるかどうかもわからないという人間が多い中
おれたちの子狸さんは泳ぎが達者だ
ためしに滝登りをさせてみたら
あえなく失敗して下流で回収されたほどの腕前である
ある程度まで近付けば
船の死角に潜り込める
ふたたび海面に浮上した子狸が
ひそかに設置した盾魔法の階段を
日光浴にお出かけするワニさんみたいに這い上がる
子狸﹁⋮⋮⋮⋮﹂
迫りくる船を見上げた子狸が
無言で片手を海中に挿し入れた
子狸﹁ポーラレイ﹂
水魔法のスペルだ
浸透魔法とも呼ばれるこの魔法は
属性魔法の中で特殊な分類に入る
というより八つの属性のうち
半分以上はどこか変だ
水分子を操作する魔法は
1385
あまりにも生物と密接に関わっているため
属性と性質を完全に分離しきれなかった魔法である
人間たちは火属性に対して優位だの何だのと勝手に解釈しているが
じつのところ水属性は流転の性質を持っている
水量や形態によって性質が変わるということだ
手を伸ばせば大量の水がある海で
最大の効力を発揮するのは言うまでもない
子狸の支配下に落ちた海水が
船を包囲して航行速度を若干ながら削る
完全に動きを止めてしまえば
船上の人間に勘付かれる可能性は高くなる
わざわざ危険を冒す必要はないということだ
航行中の船との相対速度を縮めることに成功した子狸が
船体にとりついて片手をそえる
子狸﹁アバドン﹂
肝心なのは隠密行動だ
生成した重力場に
折り曲げたひじを叩きつける
子狸﹁ブラウド﹂
1386
首尾良く船体に穴を空けた子狸が
潜入に成功した
すかさず治癒魔法で穴を塞ぐ
なぜか犯罪くさい行為に関しては
手際が良すぎる子狸さんであった⋮⋮
七三、空中庭園在住のとるにたらない不定形生物さん
ホントだよ
その手際の良さを
なぜ日常生活に発揮しないのか
七四、かまくら在住のとるにたらない不定形生物さん︵出張中
行動に迷いが見られない
さらっと実行してたけど
なんだ、いまの船体に穴に空けたやつ
なんだか殺人技っぽいんだが
七五、海底洞窟在住のとるにたらない不定形生物さん
ここさいきんは
1387
子狸さんに肘技を仕込んでる
いや、おれじゃなくて
ジョーたちがね
なんでも鎧を貫通して
内部にダメージを与えるための技らしい
七六、山腹巣穴在住の現実を生きる不定形生物さん︵出張中
どう見ても空き巣の手口なんだが⋮⋮
七七、管理人だよ
狙った獲物は逃さない
七八、住所不定のどこにでもいるようなてふてふさん
お前というやつは⋮⋮
一部始終を目撃していた勇者さんは
おれが中継している映像を見て
納得が行かないというように小首を傾げた
勇者﹁⋮⋮ずいぶんと手際が良いわね﹂
甲板に安楽椅子を︵ジョーに命じて︶持ち込んで
1388
すっかりくつろぎモードである
手元のグラスをゆったりと揺らすと
トロピカルジュースにひたった氷が
からんと涼しげな音を立てた
執事よろしく控えているノーマルジョーが
くつろぐ勇者さんの頭上に日傘を展開していた
戦士には休息が必要なのだ
会議室に集まった面々を解散する前に
勇者さんはこう言った
勇者﹁それじゃ、さっそく練習しましょう﹂
そういうことになった
くだんの襲撃計画について
もちろんジョーたちは反対したのである
ゴールド﹁ばかな! リスクが高すぎる﹂
シルバー﹁⋮⋮内部の人間と鉢合わせになったらどうする? 迷彩
は万能ではないぞ﹂
アイアン﹁おれたちが扱える魔法は、せいぜい中級までだ。本気で
探索されたら、まず見つかると思っていい。考え直せ﹂
実のある会議ができて
1389
勇者さんはご満悦だった
反論する口調が
かすかに弾んでいる
勇者﹁いいえ、そうはならないわ。海上での魔法戦はお互いにとっ
て歓迎されざるもの。交渉次第になるでしょうけど、迷彩が破られ
たときに目の前に現れたのが幽霊船だったとしたら⋮⋮﹂
ゴールド﹁手出しはされない⋮⋮か? それは乗組員の気質による
だろう﹂
勇者﹁そうね。では、人間が人質にとられていたらどうかしら?﹂
勇者さんが人質役になるということだ
たしかに相討ちの危険を冒してまで
自分たちのほうから去っていく幽霊船を追うとは考えにくい
シルバー﹁それでも絶対ということはない!⋮⋮いや、どんなこと
にも絶対ということは⋮⋮それならば⋮⋮﹂
シルバージョーは強硬に反対しようとしたが
会議中にジョーたちが挙げた案ならば
絶対に安全という保証はない
いちばん現実的なのが
無人島に立ち寄るという案だったが
空振りに終わる可能性も
1390
勇者さんは視野に入れているようだった
いまから拠点を造っても良かったが
最低でも三日は掛かるというのは事実だ
その間、飢えきった子狸が
人目を盗んで素潜りに挑戦しないとも限らない
潜入メンバーは
子狸のワントップということになった
ジョーたちは泳げないし
先行して船内を調査する子狸と
幽霊船で指揮をとる勇者さんとのつなぎが必要だ
魔法で妨害されることを念頭に入れると
その大役をこなせるのは、おれしかいない
︱︱そして現在
子狸は今夜の実戦を想定して
幽霊船に潜入したところだ
七九、王都在住のとるにたらない不定形生物さん︵出張中
無事、船底部に潜入した子狸のアクションは素早かった
ごろりと床で前転して
壁にぴたりと身を寄せる
1391
子狸﹁⋮⋮⋮⋮﹂
緊張からか
息遣いが荒い
すっかり没入しているようで
ずぶ濡れのまま小刻みに左右を見渡している
ことシナリオに関しては
演技派を自称するだけのことはあった
子狸﹁!﹂
ぴくりと反応した子狸が
壁から身を離して飛び退いた
天井に張り付いていた何者かが
飛び降りてきたからだ
体格は子狸よりも一回り小さい
全身を黒装束で包み
狐を模した面をかぶっていた
子狸が舌打ちした
子狸﹁ちっ⋮⋮追っ手か﹂
正解だからあなどれない
さて、どうしたものか⋮⋮
1392
まさか、この場面で出てくるとは思わなかった
八0、空中庭園在住のとるにたらない不定形生物さん
子狸、そいつはアリア家の刺客だ
港町で魔法動力船に避難した子供たちがいただろ
あの中に紛れ込んでたやつだ
発光魔法でうまく迷彩したつもりだろうが
おれたちの目は誤魔化せないぜ
八一、王都在住のとるにたらない不定形生物さん︵出張中
せっかくスルーしといてあげたのにな⋮⋮
わざわざ自分のほうから姿を現すなんて
意外と考えなしなのかね
狐面﹁自分の物差しで物事を図るな﹂
っ⋮⋮こいつは⋮⋮
子狸﹁!?﹂
構うな、子狸
1393
気にしなくていい
おれがブロックする
⋮⋮よし、いいぞ
八二、管理人だよ
あのお面は⋮⋮
八三、海底洞窟在住のとるにたらない不定形生物さん
何か知っているのか!?
八四、管理人だよ
ああ、言うほど狐さんと似ていない
八五、海底洞窟在住のとるにたらない不定形生物さん
うん。なんかごめんね
八六、山腹巣穴在住の現実を生きる不定形生物さん︵出張中
1394
用心しろよ、子狸
その子は、異能持ちだ
ファミリーの眼帯
タマさんと同じタイプだぞ
八七、管理人だよ
ふっ、異能持ちか⋮⋮
八八、王都在住のとるにたらない不定形生物さん︵出張中
あ、こりゃだめだ
忘れてる
まあいいか
相まみえる
狸と狐
狐面の⋮⋮ここでは少年ということにしておこう
少年が言う
狐面﹁⋮⋮よくわからないやつ。行くよ﹂
子狸﹁なるほど。同業者というわけだな﹂
1395
いつの間にか泥棒にクラスチェンジしていた子狸であった
不用意に行くよとか言うから⋮⋮
たたらを踏んだ狐面が
つたない口調で言い返した
狐面﹁ちがう。お前と一緒にするな﹂
子狸﹁何が違う? 何も違いはしない﹂
大物ぶる子狸
とりあえず否定しておけば間違いないと思っている
狐面﹁問答はいい﹂
狐面が仕掛けた
独特な歩法だ
子狸に肉薄して手刀を繰り出す
狐面﹁グレイル﹂
これを子狸は
羽のひと仕込みのウィービングで回避
横っ跳びして狐面の側面をとる
子狸﹁ポーラレイ!﹂
ずぶ濡れの服から水分を絞り出して
1396
狐さんを捕獲しようとする
狐面﹁タク・ディグ﹂
渦巻く水流に目もくれず
狐さんは先に詠唱した貫通魔法に投射魔法を連結
防御を捨てた
破滅的な戦い方だ
子狸﹁ディレイ!﹂
射出された貫通魔法と
盾魔法が拮抗して押し合いをはじめる
子狸﹁待て! なんで戦わなくちゃいけないんだ!?﹂
子狸の素朴な疑問
狐面﹁邪魔。アバドン﹂
狐面は応じない
八九、住所不定のどこにでもいるようなてふてふさん
子狸とは相性が悪いな⋮⋮
おれたちの手で実戦的にカスタマイズされた子狸だが
一撃必殺の浸食魔法を自重しているため
1397
攻勢に回るのを避けているふしがある
子狸を襲撃した狐面は
実力的にはだいぶ格下だ
ただ、己の身を省みずにぐいぐいと前進してくる
もみ合いになった二人が
船底部の壁を突き破って飛び出してきた
海面付近に盾魔法で足場を設けて
仕切り直しだ
海上で水魔法を使わない理由はない
狐面﹁ポーラレイ﹂
小規模な水竜巻が
子狸に襲いかかる
子狸は困った様子だ
子狸﹁⋮⋮イズ!﹂
紫電を纏った前足で
水魔法を払いのける
子狸﹁グノ・エリア・ポーラレイ!﹂
十字を切るように前足を突き上げると
1398
狐面の足元から巻き上がった水流が
彼女を捕獲した
狐面﹁むっ﹂
あ、彼だっけ?
まあ、この程度の使い手ならいいだろ
おれたちの子狸さんが遅れを取るとは思えん
あきらかに年下の少女を
あっさりと下した子狸
勝ち誇ろうにも
ちっぽけなプライドが許さない様子である
子狸﹁うぬ⋮⋮﹂
狐面﹁勘違いするな﹂
狐面が強がりを言った
狐面﹁これは、アレイシアンさま親衛隊の入隊試験に過ぎない﹂
子狸﹁⋮⋮なんだと?﹂
子狸の表情が
にわかに真剣味を帯びた
つくづく残念なポンポコである
1399
狐面﹁この魔法を解け。だいたいわかった﹂ 子狸﹁いいだろう﹂
さしたる根拠もないのに
あっさりと口車に乗せられる子狸
だめだ、こいつ
危機感がまるでない
ところが狐面は素直に話しはじめた
おれたちの理解を越えた
何かがはじまろうとしていた
狐面﹁お前のことは、だいたい調べさせてもらった﹂
子狸﹁ほう﹂
狐面﹁そこで、これ。クラスメイト百人に聞きました﹂
そう言って狐面が
発光魔法で怪しげなパネルを展開した
アンケートを取ったということらしい
ちなみに
子狸のクラスメイトは百人もいない
狐面﹁第九位。でーでーでーでー﹂
1400
セルフ効果音だった
パネルの一角がめくれて
疑問符を浮かべて首を傾げる人物の絵が浮かび上がる 狐面﹁マフマフって誰? 一票﹂
マフマフでもない
子狸﹁ちょっとショック﹂
狐面﹁それでは質問。第一位ははたして?﹂
子狸﹁ぬう⋮⋮﹂
悩む子狸
はっとして、おそるおそるといった感じで少女を指差す
子狸﹁⋮⋮おれ?﹂
おれだったらどうだというのか
狐面﹁惜しい﹂
惜しいのか⋮⋮
狐面﹁第七位。一票。経緯はわからないが、窓ガラスを割って自首
したらバウマフがやったことになった。すまん﹂
1401
懺悔じゃねーか
子狸﹁七位か⋮⋮﹂
子狸がうなった
九0、海底洞窟在住のとるにたらない不定形生物さん
もしかしたら
話が通じないとかじゃないのか
いや、違うならいいんだが⋮⋮
九一、管理人だよ
違うと思うけど⋮⋮
まあ、思いつかないから言ってみる
狐面﹁正解。でも五位。たまに自分が王国語を話せてるのか不安に
なる。一票﹂
たしかに、たまに話が通じないときがあるなぁ⋮⋮
九二、空中庭園在住のとるにたらない不定形生物さん
通じてないのは、お前だけどね
1402
じゃあ、これ
お前﹁見かけるたびにクライマックス﹂
九三、王都在住のとるにたらない不定形生物さん︵出張中
それはありそうだ
狐面﹁正解。三位。街で見かけたから声を掛けようとしたけど、騎
士団に追われてたから静かにその場をあとにした。一票﹂
ぜんぶ一票なんだな
三位か。いいところまで来てる
あとは⋮⋮
狐面﹁ぶぶー。時間切れ﹂
そんなルールがあったとは⋮⋮
狐面﹁発表します。気になる第一位は。でーでーでーでー﹂
ゆっくりとパネルがめくられる
ごくり⋮⋮
九四、火山在住のごく平凡な火トカゲさん
1403
ごくり⋮⋮
九五、火口付近在住のとるにたらない不定形生物さん
ごくり⋮⋮
九六、王都在住のとるにたらない不定形生物さん︵出張中
そうして現れたのは
教鞭を手にしている
女性の絵だった
狐面﹁じゃん。お前がわたしの教え子の一人であることは変わりな
い﹂
!?
まさか
りゅ︱︱
九七、海底洞窟在住のとるにたらない不定形生物さん
留年確定したぁぁぁあああっ!?
1404
九八、山腹巣穴在住の現実を生きる不定形生物さん︵出張中
子狸留年確定! 留年確定!
号外だ! 他の河にも伝えてくる!
九九、空中庭園在住のとるにたらない不定形生物さん
頼む!
そうか、とうとう⋮⋮
なんか、もう逆に感動的ですらあるな⋮⋮
一00、山腹巣穴在住の現実を生きる不定形生物さん︵出張中
子狸さん!
何かコメントを! ひとことお願いします!
一0一、管理人だよ
そういえば、お前らポーラとか呼ばれてるよね
1405
一0二、山腹巣穴在住の現実を生きる不定形生物さん︵出張中
ぜんぜん関係ないですね! ありがとうございます!
一0三、住所不定のどこにでもいるようなてふてふさん
中継映像を見ていた勇者さんが
無言でグラスに口をつけた
勇者﹁⋮⋮⋮⋮﹂
ためしに聞いてみるか⋮⋮
おれ﹁お知り合いですか?﹂
勇者さんは視線を逸らしてから
諦めたようにかぶりを振って
それから恥じ入るように小さく頷いた
勇者﹁ついてきてたのね。そうじゃないかとは思ってたんだけど⋮
⋮﹂
安楽椅子の上で振り返って
ノーマルジョーに言う
勇者﹁作戦は中止よ。そう伝えて。原因がはっきりしたから﹂
ノーマル﹁了解した﹂
1406
かくして、いま
ひとつの魔法動力船が
海のどこかで
しかし確実に
災難を逃れたのである⋮⋮
1407
﹁勇者会議﹂part4︵後書き︶
注釈
・水魔法
別名、浸透魔法。スペルは﹁ポーラレイ﹂。
古代言語で﹁青い力﹂を意味し、これは﹁水﹂を指し示す慣用表
現の一つだった。
属性と性質が分離しきっていないため、連結魔法が成立する以前
の性質を色濃く引きずっている。
そのぶん扱いは難しいが、例えば圧縮すれば貫通魔法と同様の効
果を、固定すれば盾魔法と同様の効果を発揮する。
便宜的に﹁流転の性質﹂ということになっているが、正確には魔
物たちが使う浸食魔法が貫通魔法と分離した際の名残りであるらし
い。
発火魔法や発電魔法とは異なり、水そのものを生成する魔法では
ない。そのため、陸上で使った場合は大気中の水分を凝縮する魔法
として働く。
環境による影響を非常に強く受ける魔法で、水場や降雨時では他
の属性魔法を圧倒しうる。
・異能
魔法では説明がつかない不思議な能力。原理がよくわかっていな
い。
異様に勘が鋭いなどがこれにあたる。魔物たちの調査によれば、
1408
基本的には遺伝によるが、まれに突然変異的に備わるケースもある。
精神に作用するものが多く、アリア家の感情制御は典型的な異能
であり、また精神作用におけるトップクラスの異能とされている。
異能を備えたものを、魔物たちは﹁異能持ち﹂あるいは﹁適応者﹂
と呼ぶ。
魔法と比べて目に見える効果があるものは非常に少なく、人間た
ちは﹁異能﹂の存在をあまり意識していないようだ。
ごくまれに誕生する物質作用の異能は妖精の﹁念動力﹂と同一視
されるが、じっさいはまったく別物である。
1409
﹁ありあけ、つづき﹂
一、帝国在住の現実を生きる小人さん︵出張中
アリア家は大金持ちだ
世界屈指の大富豪と言っても良い
国民が汗水を垂らして稼いだお金は
最終的に大貴族の懐におさまる
王国とはそういう国だ
快適さを追求したアンティークの数々⋮⋮
アリア家の人間は無駄を嫌うが
様式美を解さないようでは
貴族社会では無礼にあたる
豪華な応接間だった
ガラス張りのテーブルを挟んで
一人の男が
対面のソファに腰掛けている
アリア家の首魁
アリアパパこと
アーライト・アジェステ・アリアだ
鋭い眼光をしている
1410
王国のと連合国のの共謀により
ソファの真ん中に座らされた
おれ涙目
アリアパパが言った
アリアパパ﹁あれの剣を打つと言うのか﹂
低い声だった
完全にラスボス級の威圧感がある
どういうことなの
おかしいよ、この家⋮⋮
どうかしてる
アリアパパが
静かに凄んだ
アリアパパ﹁魔物の、お前たちが﹂
護衛はいない
たびたび勇者さんがそうしてきたように
アリア家の人間は
まず自分たちを不利な立場に置く
ひとの本質は
優位に立ったときに表れると信じているからだ
1411
アリアパパも同様の手口で
おれたちの命を値踏みしている
命を⋮⋮量っている
バウマフ家の人間とは
だから根本的に考え方が異なっている
並び立たない
アリアパパの問い掛けに おれを生贄に差し出した王国のが
代表して頷いた
王国﹁そうだ﹂
自分はあーちゃんの凶眼に晒されないからと
呑気なものである
しねばいいのに
王国﹁悪い話ではないはずだ。お前たち人間が失った技術を、おれ
たちは保有している﹂
連合のが追随した
お前もしね
連合﹁お嬢さんの剣は見せてもらった。いい剣だ。使い手のことを
よく考えてある。だが、シビアに見れば、まだまだ改良の余地はあ
る﹂
アリアパパは身じろぎ一つせず
おれを凝視し続けている
1412
⋮⋮いや、睨んでいる
なんなの、これ
アリアパパ﹁たしかにそのようだな﹂
アリアパパは認めた
訪問販売と称して
おれたちが持参した剣は
現行の技術を大きく凌駕している
メイドさんにつかまって
ある種の乗馬訓練を施されたのは想定外だったが
一定の成果を発揮してくれたようだ
いつか見ていろ
おれの母国、帝国がいつの日か
世界のてっぺんをとる
続きます
追伸
子狸さん、留年おめでとうございます
二、住所不定のどこにでもいるようなてふてふさん
なんでお前らは仲良くできないんだ
母国でもねーし
1413
小人と言うわりにはでっかいのが
アリア家の当主と面談している頃
子狸留年確定の報が
またたく間にこきゅーとすを席巻した
激震、こきゅーとす
本流が氾濫して使いものにならなくなったため
おれたちは避難所の支流に逃れてきたところである 生贄として本流に置き去りにしてきた子狸は
世界各地に散った分身たちの傀儡と化している
子狸﹁感謝だ。大切なのは感謝だと思う⋮⋮ありがとう﹂
感謝の精神に目覚めた子狸はともかくとして
小さなポンポコに連行されてきた狐面の女の子が
子狸の背中に隠れてもじもじしていた
狐面﹁⋮⋮⋮⋮﹂
借りてきた猫のようである
甲板に上がってきた二人を見て
勇者さんが席を立った
勇者﹁コニタ﹂
1414
それが狐面の名前であるらしかった
意地でも子狸の名前を呼ばない勇者さんが
彼女の名を明かしたということは
身内であることの証左のように思える
あるいは⋮⋮
名前を呼ばれて感極まったか
狐面が子狸の前足をひねり上げて
勇者さんに近付いていく
子狸﹁なんだこれ、痛ぇ。でも感謝だ。感謝を忘れてはならない﹂
狐面﹁アレイシアンさま⋮⋮﹂
不安と期待に揺れる声が
お面の中でくぐもって聞こえた
構わず近寄る勇者さんが
片手をかすかに揺らすと
その手に光が灯って
一瞬で刀身を形成した
彼女は言った
勇者﹁仕事は見つかったの?﹂
親の庇護が必要な年齢でもなく
また学生でもなく
そして定職に就かない人間を
1415
ひとは無職と呼ぶのだ
狐面﹁⋮⋮⋮⋮﹂
狐面が沈黙した
その間も、感謝を叫び続ける子狸を
ぐいぐいと後ろから押している
狐面﹁⋮⋮波の音でなにを言ったのかよく⋮⋮﹂
彼女は聞こえなかったふりをした
勇者さんが繰り返した
勇者﹁仕事は﹂
狐面﹁⋮⋮マフマフ。わたしは忍だとアレイシアンさまに伝えて﹂
子狸﹁しのびか。それもまた感謝だ﹂
無職が高じると忍になれるらしかった
何者かの指示によるものだろう
子狸が勇者さんに言った
子狸﹁お嬢﹂
勇者﹁なに﹂
1416
子狸﹁職業に貴賎はない﹂
勇者﹁無職でしょ﹂
子狸﹁笑顔だよ﹂
前足を極められながら
子狸がにっこりと笑った
だから何だというのか
子狸﹁感謝だ﹂
けっきょくそれか
だめだ、このポンポコは使いものにならない
狐面もそれを察したか
子狸を甲板に組み伏せて言う
狐面﹁余計なことを言うな。わたしのことはお頭と呼べ﹂
子狸﹁ふっ、それは出来ない相談だな﹂
勇者さんの目の前で
二人は密談をはじめた
狐面﹁あなどるな。わたしはお前よりもずっとアレイシアンさまの
ことを知っている﹂
1417
子狸﹁なんだと⋮⋮?﹂
狐面﹁これを見ろ。パル﹂
狐面が発光魔法で再現したのは
年端も行かない小さな女の子が
きちんと椅子に座っている画像だった
面影がある
勇者さんのメモリアルに違いなかった 勇者﹁⋮⋮⋮⋮﹂
しかし子狸は不敵に笑った
子狸﹁その程度か﹂
狐面﹁なに⋮⋮?﹂
子狸﹁つたない魔法だ。学ぶべきことは多いぞ⋮⋮手本を見せてや
る。パル・シエル・ブラウド!﹂
子狸の魔法の腕は
いつまで経っても
どれだけ鍛えても二流の域を出ない
だが、それはおれたちの勘違いだったらしい
子狸が空間に投影したのは
勇者さんの立体映像だった
1418
実物の五分の一ほどの大きさだ
二人の見ている前で
映像化した勇者さんが
くるりとターンして
おはよう、と言った
おそろしく高度な魔法だった
どうだ? と得意満面の笑みでポンポコ
子狸﹁目覚ましお嬢だ﹂
時限式の魔法は
減衰の対象になる
人間が扱える魔法は開放レベル3が限度だから
この目覚まし勇者さんとやらを
子狸は定刻に起床して詠唱せねばならない
つまり無意味な
それでいて高難度という
こけの一念を要する技術だった
狐面が悔しげに言う
狐面﹁なんというクォリティ⋮⋮﹂
それはつまり負けを認めたということだ
1419
勇者﹁⋮⋮⋮⋮﹂
勇者さんは無言で二人を見下ろしている
三、連合国在住の現実を生きる小人さん︵出張中
目覚まし勇者さんが
本人の手で灰燼に帰した
一方その頃⋮⋮
応接間に立ちこめた重苦しい沈黙を切り裂いて
あーちゃんが不意に言った
アリアパパ﹁五分やる﹂
帝国﹁⋮⋮ん?﹂
母国と同じで
なにかと因果を背負う宿命にある帝国のが
にぶい反応を返した
アリアパパは
帝国のんの挙動をつぶさに観察し続けている
アリアパパ﹁五分だ。俺の目の届く範囲でなら何をしても構わん﹂
自分を説得してみろということなのか?
⋮⋮おれたちは
1420
さもアリア家にメリットしかないと聞こえるよう話したが
当然ながらリスクはある
アリアパパ﹁お前たちの要望どおり、あれが使っていた剣は破片に
至るまで回収してある﹂
そう言ってアリアパパは
犬歯を剥き出しにして笑った
飢えた獣を思わせる
獰猛な笑みだった
ぐっと身を乗り出して
囁くように言う
アリアパパ﹁だが、こうしてお前たちとの会談の場を設けたことで、
俺が背負ったリスクは決して低くない⋮⋮。わかるな?﹂
かつて勇者さんは
アリア家の感情制御を評して
健全な感情の働きを損なうものだと言った
しかし極限まで突き詰めれば
嬉しいという感情や
楽しいと感じる気持ちも
自在にコントロールできる
それがアリア家に伝わる異能だ
脅しともとれるアリアパパの発言を受けて
1421
王国のが言った
王国﹁⋮⋮見返りか?﹂
しかしアリアパパは
にやっと笑っただけで
矛をおさめた
アリアパパ﹁わかっているならいい。その点に関しては、お前たち
が考えることではない。だから五分やると⋮⋮こう言っている﹂
おれたちの情熱が
どれほどのものか知りたいということなのか?
だが⋮⋮
おれ﹁待て。一つだけはっきりさせたい。お前は、おれたちの善意
を疑っているのか?﹂
アリアパパ﹁善意など﹂
アリアパパが喉の奥で低く笑った
アリアパパ﹁いいや、信じている。どちらでもいいことだ⋮⋮。十
秒、無駄にしたな﹂
! こいつ、まさか⋮⋮
こきゅーとすの存在に勘付いているのか!?
いや、たとえそうだったとしても⋮⋮
1422
四、山腹巣穴在住の現実を生きる不定形生物さん︵出張中
勇者さんが親衛隊を名乗る少女と再会し
鬼のひとたちが宴会芸を強要されている
一方その頃
五人の騎馬隊が
ひそかに王都を発った
そして早くもおれに絡まれていた
ちーっす
おれ﹁騎士どもが雁首そろえてお出掛けですか、そうですか。どち
らへ?﹂
騎士たちが騒然とした
騎士A﹁ご、五秒だと⋮⋮?﹂
騎士B﹁まさか、こんなことが⋮⋮﹂
全身を覆う白銀の甲冑は
王国騎士団の代名詞でもある
どの国でもそうだが
騎士たちは状況に応じて武装を変えるものだ
1423
彼らが身にまとっている重武装は
騎馬戦を想定した制式の装備だった
四人の騎士がお馬さんの手綱を操り
一人の騎士の四方を固めた
中央の騎士が言った
老人の、しわがれた声だった
老騎士﹁だから言っただろ。おれ言ったよな? 影武者とか意味ね
ーんだよ﹂
手馴れた仕草で
兜の留め具を外した老騎士が
他の騎士たちの制止を無視し
素顔を晒してお馬さんを降りる
長い年月を生きた戦士の顔だった
老騎士﹁おれがいて、お前がいる。それだけだ。そうだろうがよ、
違うかよ。違わねーだろ⋮⋮なあ、青いの﹂
大隊長
ジョン・ネウシス・ジョンコネリの出陣だった
おれ﹁いちだんと老けたね、お前さん﹂
大将﹁うるさいよ、ばか!﹂
おれ﹁ばかと言うほうがばかなんだよ﹂
1424
大将﹁ばーか、ばーか!﹂
この語彙が少ないおじいちゃんを
敬意をこめて
おれたちは大将と
そう呼んでいる
1425
﹁失うもの、得るもの﹂
五、海底洞窟在住のとるにたらない不定形生物さん
子狸速報
本流にて
絶 賛 氾 濫 中
お前らの感謝で前が見えない
一0000ゲットで
教官に特製TA☆NU☆KIパジャマ進呈なるかと思われたが
子狸さんの感謝が華麗に一0000ゲット
子狸ぃ⋮⋮の嵐が吹きすさぶ中
暴徒と化した見えるひとが周囲の反対を押し切って
1/1スケールTA☆NU☆KIぬいぐるみの製作に着手
収集がつかなくなったため
王都在住の不定形生物さんが
禁断のレベル9
折り畳み式ヘルで
おれたちに制裁を加える
六、樹海在住の今をときめく亡霊さん
同胞たちの悲鳴が聞こえる
1426
騎士A﹁この森を抜ければ第一のゲートだ⋮⋮! 急げ!﹂
騎士B﹁!? 止まれ! 何かいる﹂
騎士C﹁⋮⋮囲まれたか﹂
鬱蒼と生い茂る木々の中
立ち止まって警戒する騎士たちを包囲するように
おれたちが地面から染み出すように登場する
おれA﹁お前たちの焦燥が伝わってくるぞ⋮⋮心地良い調べだ﹂
おれB﹁寒い⋮⋮寒いんだ⋮⋮﹂
おれC﹁手足の感覚がないんだ⋮⋮ひどく寒い⋮⋮ここは⋮⋮?﹂
おれA﹁⋮⋮お前ら、だいじょうぶ?﹂
騎士A﹁メノゥパル⋮⋮! お前たちは、死者の魂を⋮⋮どこまで
!﹂
七、住所不定の特筆すべき点もないてふてふさん
世界各地で盛り上がっているようだが
魔空間も盛り上がってます
庭園﹁影ども! 行け!﹂
1427
練り上げられた火の宝剣が
千の刃となって
にゃんこに襲いかかる
ひよこ﹁ケェッ!﹂
これを衝撃波で蹴散らすも
少なくない傷を負うにゃんこ
ひよこ﹁エリア・ブラウド!﹂
ダメージを意に介さず突進するが
影たちに遮られて本体のバスターまで届かない
不眠不休で戦い続ける二人の都市級
その闘争たるや凄まじく
魔都は瓦礫の山と化していた
うず高く積み上がった瓦礫の上で
火の宝剣がふたたび閃いた
バスター渾身の一撃を
にゃんこがくちばしで受け止めて
纏わりついてくる影たちもろとも
大きく翼を広げて弾き飛ばす
にゃんこの瞳が怪しくきらめいたかと思えば
研ぎ澄まされた石の槍が
バスターの足元から突き立ち
1428
黒鉄の鎧を激しく打った
庭園&ひよこ﹁イズ⋮⋮!﹂
たまらず飛び上がったバスターが
火の宝剣のひと振りで
石筍を輪切りにした
着地したバスターに
尖塔の壁をぶち破ったにゃんこの
猛烈なチャージが炸裂する
どれだけ鋼を重ね合わせようとも
彼我の体重差はいかんともしがたい
木の葉のように吹き飛んだバスターを
にゃんこが組み伏せる
庭園&ひよこ﹁ロッド⋮⋮!﹂
かろうじて原形をとどめていた尖塔が
支点を失って崩れ落ちる中
カッとくちばしを開いたにゃんこを
とっさにバスターが片腕で押しとどめる
ぞろりと生え揃った乱ぐいの牙が
バスターの眼前で大気を食い破った
噛み合わさった凶悪な牙が
くちばしの隙間から覗いている
1429
鳥獣の特徴を併せ持ち
また成熟しきっていない幼体でもあるにゃんこは
本人ベースの変化魔法で
どんな獣にもなれる
もちろん空想上の怪物にも
庭園&ひよこ﹁ブラウド!﹂
崩壊した魔都に
目も眩むような紫電が走った⋮⋮
沈み行く尖塔を
避難を終えた骨のひとたちが
体育座りして眺めている
骸骨A﹁⋮⋮どっちが勝つと思う?﹂
骸骨B﹁⋮⋮空のひとじゃねーの?﹂
おれ﹁いや、つの付きだろ﹂
骸骨C﹁お。姐さん、ギャンブラーだね﹂
おれ﹁なんなら賭けるか?﹂
骸骨D﹁乗った!﹂
レベル4同士の死闘を
1430
無力なおれたちは見守ることしかできないのだ⋮⋮
八、墓地在住の今をときめく骸骨さん︵出張中
軍靴の足音が
何もかもを呑み込んでいくかのようだ
王都のひとが暴徒の鎮圧に乗り出し
見えるのが騎士たちと衝突し
都市級の争いに魔都が崩壊しつつある
一方その頃
海上の勇者一行は平和そのものだ
目覚まし勇者さんの末路に
むせび泣く子狸はともかく
薄く吐息をついた勇者さんが
片手を揺すって聖☆剣を散らすと
狐面をねめつけて言った
勇者﹁家に帰りなさい﹂
狐面﹁アレイシアンさま﹂
少女は構わず勇者さんの両手をとった
狐面﹁やっとお会いできました﹂
1431
それが彼女にとって
もっとも重大なことだったのだろう
勇者さんの手を握ったまま
ぴょんぴょんと跳び跳ねる
勇者さんはされるがままだ
両腕を上下されながら
続けて言う
勇者﹁コニタ。あなたは戦力にはならないわ。戦いながら魔法を扱
うのは、難しいでしょう? 騎士ではないのだから。あなたくらい
の年齢なら、それが当然なの﹂
言外に
おれたちの子狸さんは異常なのだと言っている
戦力外通告された狐面は
うんうんと頷いている
狐面﹁帰るなら、アレイシアンさまも一緒です。さもなくば、わた
しは死にます﹂
勇者﹁勝手にすればいいわ。生きようとしない人間に、わたしは興
味がないもの﹂
そう言って両手を振り払う勇者さんに
狐面がまとわりつく
1432
狐面﹁それは約束がちがう⋮⋮怒った?﹂
勇者﹁いいえ。とにかく、あなたは帰るの。いますぐとは言わない
けど、王国に戻ったら街で待機してなさい。迎えを寄越すよう伝え
るわ﹂
立ち直った子狸が
勇者さんの傍に立った
子狸﹁お嬢の言うとおりだ。事情は知らないが⋮⋮光るものを持っ
てる。おれの修行は厳しいぞ﹂
事情がわかってないなら黙ってればいいのに
子狸の肩にとまった羽のひとが
可愛らしく小首を傾げて言った
妖精﹁でも、ノロくん。そんなこと言っても、リシアさんのお宝画
像は手に入りませんよ? わたしの目が黒いうちは、お前の好きに
はさせませんから﹂
子狸が目を見開いて反駁した
子狸﹁おれを見くびっているのか!? はちみつ一杯でどう?﹂
妖精﹁せめてリシアさんの目が届かない範囲で交渉して欲しいです﹂
子狸﹁わかった。その件はあとにしよう。二杯でも?﹂
妖精﹁しつこいですよ?﹂
1433
子狸﹁⋮⋮いや、だめだな。虫歯になるかもしれない。許可できな
い﹂
妖精﹁お前は、わたしの何なんですか﹂
子狸と漫才をしている羽のひとを
狐面は興味しんしんといった様子で見つめている
狐面﹁妖精だ。妖精がいるよ、アレイシアンさま﹂
勇者﹁あなた、ずっと見てたんでしょ?﹂
狐面﹁やはり実物はちがう⋮⋮﹂
実物は違うらしい
狐面の羨望の眼差しに気付いて
羽のひとがにやっと笑う
子狸の肩の上で立ち上がって
びしっとファイティングポーズをとった
静止すること数秒
宙に舞った波飛沫を
鍛え上げられた動体視力で捉え
左ジャブで打ち抜いた
空恐ろしいまでの精密動作だ
1434
子狸﹁風切り音が尋常じゃない⋮⋮﹂
子狸がうめいた
おれ個人の意見だが
妖精らしさをアピールするのに
拳速を披露するのはどうかと思う
しかし狐娘は喜んでいるようだ
狐面﹁お前とはいいライバルになれそうだ。コニタと言う﹂
妖精﹁はいっ。よろしくお願いします、コニタさん。わたしはリン
カー・ベルって言います﹂
子狸﹁⋮⋮⋮⋮﹂
握手を交わす二人を見つめる子狸は
なんだか微妙な面持ちをしている
きっと、自分にとって
あまり嬉しくない未来図を予想したのだろう
ちらっと縋るような目で
おれに視線を寄越してきた
⋮⋮悪いが、このまま勇者一行に加わるつもりはない
お前は人間なんだから
人間たちと一緒に生きるんだ
1435
おれたちとは違う
九、山腹巣穴在住のとるにたらない不定形生物さん︵出張中
一方その頃
アリア家で妙なことになっている鬼のひとたち
腹が決まったようで
王国のひとがちらっと帝国のひとに目配せした
帝国のひとはかぶりを振った
それならばと連合のひとに目を向けると
連合のひとは頷いた
無言の応酬だった
連合﹁⋮⋮⋮⋮﹂
連合のひとが五本指を立てて
二人の反応をうかがう
帝国﹁⋮⋮⋮⋮﹂
帝国のひとは反論するように
三本指を立てた
意見が割れた帝国のひとと連合のひとが
1436
揃って王国のひとを見る
王国﹁⋮⋮⋮⋮﹂
王国のひとは少し悩んでから
三本指を立てた
合意に達した三人が
無言で頷き合う
アリアパパ﹁⋮⋮⋮⋮﹂
アリアパパもまた無言で
三人の挙動を観察している
この男には
問答無用で周囲の人間を従わせる威圧感がある
勇者さんも大人になったら
こんな感じになるのだろうか
ならない気がする
制限時間は五分だ
残りあと四分と三十秒余
鬼のひとたちが一斉に立ち上がって
ぞろぞろと部屋の中央に移動する
こほんと咳払いした帝国のひとが
1437
ぱっと両腕を広げた
帝国﹁レジィです!﹂
連合﹁ユニィで∼す!﹂
王国﹁ジャスミンですぅ!﹂
なんかはじまった
帝国﹁三人あわせて!﹂
連合&王国﹁ショーンコネリー!﹂
帝国のひとを中心に
びしっとポーズを決める三人
アリアパパ﹁⋮⋮⋮⋮﹂
アリアパパは
微動だにしない
帝国のひとが片手を上げて宣言した
帝国﹁ショートコント。学校﹂
素早く配置につく三人
ため息をつく王国のひとに
帝国のひとが歩み寄る
1438
帝国﹁どうしたんだい、ジャスミン? 元気がないね﹂
王国﹁ああ、君は⋮⋮ええと?﹂
帝国﹁レジィ﹂
王国﹁そう、レジィ。聞いておくれよ。時間がないから端折るけど、
つまり成績が悪くて人生の見通しが立たないんだ﹂
帝国﹁なんだって? ジャスミン、君はもしかしてR&Yを知らな
いのか?﹂
王国﹁R&Y? はじめて聞いたな。新しいバンドかい?﹂
軽快な口調だ
帝国のひとが振り返って声を張り上げる
帝国﹁ユニィ! ユニィ、聞いたか?﹂
部屋の片隅で待機していた連合のひとが
パントマイムを交えて二人に歩み寄る
連合﹁ぷしゅっ。ふい∼ん。ぷしゅっ。呼んだかい、レジィ?﹂
なにそれ。自動ドア?
いきなり世界観がわからなくなったな⋮⋮
早足で歩いてきた連合のひとが
1439
王国のひとの肩を軽く叩く
連合﹁やあ! この前のバーベキュー、最高だったよ。また誘って
くれ﹂
王国﹁そう言う君は、どちらかと言うと恋の炎に焼かれたいといっ
たところかな、ユニィ?﹂
連合﹁こいつは一本とられたな、ええと、ステファニー?﹂
王国﹁ジャスミン﹂
連合﹁そう、ジャスミン。2カットほど飛ばして言うけど、レジィ
から話は聞いたよ。R&Yを知らないだって?﹂
王国﹁そうなんだよ。何なんだい、そのR&Yって?﹂
帝国﹁僕の台詞だから僕が説明するよ。R&Yは誰でも簡単に、い
いかい、誰でも簡単に成績が上がる教材のことなんだ。個人の感想
だけどね﹂
王国﹁おいおい、信じられないな。そんな夢みたいな教材があるも
んか﹂
連合﹁誰でも最初はそう言うんだ。でもR&Yは確かな実績を上げ
てる。これは君だから打ち明けるんだけど、じつは仮入会というシ
ステムがあって、僕かレジィを通してくれれば気軽にお試しコース
にチャレンジできる。どうだい?﹂
王国﹁本当かい? なんだか悪いな﹂
1440
帝国﹁もちろん口利き料はきっちり貰うけどね?﹂
王国﹁ふふ。よく言うよ﹂
帝国﹁ははは。冗談さ。半分くらいね。何はともあれ、じっさいに
試してみるのがいちばんだ﹂
連合﹁よし! そうと決まったら、さっそくレジィの家に行ってみ
よう﹂
二人の肩を叩いた連合のひとが
ふたたび部屋の片隅に戻る
場面が変わったらしい
王国﹁でも、そんな急に変われるものかな? 僕は飽きっぽいとい
うか、どんなことも長続きした試しがないんだ﹂
帝国﹁心配いらないさ、ジャスミン。R&Yは安心確実がモットー
だからね。そんな君にも最適なプログラムを用意できる。具体的に
は家庭教師を派遣してもらえるんだ﹂
王国﹁教材だけじゃなくて教師まで?﹂
帝国﹁そう。彼らはプロだから、君の不安をきっと拭い去ってくれ
る。出張料は別途だ。⋮⋮しっ! 屈んで﹂
何かに勘付いた様子の帝国のひとが
その場で屈み込む
1441
連合﹁オォォォオオオォォ⋮⋮﹂
帝国﹁なんだ、猫か﹂
立ち上がった帝国のひとが続ける
帝国﹁ザザッ。ユニオン? こちらレジスタンス。ターゲットの邸
宅に潜入した。指示をくれ﹂
連合﹁ザザッ。こちらユニオン。確実に仕留めろ。成功を祈る﹂
王国﹁レジィ? どうしたんだい?﹂
帝国﹁気にしなくていいよ。さっきも言ったけど、R&Yは安心確
実がモットーなんだ。さっそくだけど、ミッションだ﹂
王国﹁いきなりかい? 自信がないよ﹂
帝国﹁だいじょうぶ。おちついて、ジャスミン。深呼吸して。ゆっ
くりと周りを見渡すんだ。どう? 簡単だろ? 僕はプロフェッシ
ョナルだからね。僕についてくれば間違いないさ﹂
王国﹁なんだって? 驚いたな。どうりで見覚えがないと思ったよ﹂
帝国﹁そう? 僕は運命的なものを感じたけど。戦歴は?﹂
王国﹁二千以内なら確実にヒットする自信はある﹂
帝国﹁わお! 君があの伝説のソルジャーだったなんて。信じられ
1442
ない﹂
王国﹁僕も信じられないよ。ユニィの台詞だしね。なんで戦歴なん
て聞いたんだ?﹂
近寄ってきた連合のひとが
二人の肩に腕を回す
連合﹁二人とも話しはまとまったみたいだね。体調はどう?﹂
王国﹁少し目が霞むかな﹂
連合﹁睡眠はたっぷり?﹂
王国﹁二日前にね﹂
連合﹁家族には何と?﹂
帝国﹁ここ一週間ほど妻とは口を利いてないんだ。娘の教育方針で
もめてね﹂
連合﹁娘さんは味方をしてくれない?﹂
帝国﹁なかなか僕の顔を覚えてくれない﹂
連合﹁ばっちりだ。よし行こう﹂
連合のひとが両手を打ち鳴らして
それを合図に三人が一斉に振り返る
アリアパパを指差して
1443
鬼ズ﹁ショーンコネリー﹂
アリアパパ﹁⋮⋮⋮⋮﹂
おい。にこりともしてない
帝国﹁⋮⋮おい。滑ったぞ﹂
そう言って帝国のひとが
連合のひとの胸を軽く小突いた
連合﹁は? おれの責任かよ﹂
もみ合いをはじめる二人に
王国のひとがぼそりと言う
王国﹁ツッコミが弱い﹂
帝国﹁あ? 何か言ったか? おい﹂
王国﹁おれのボケを活かしきれてない﹂
トリプルボケだったじゃねーか
帝国﹁なんだ、お前。いや、よくわかったよ。お前は昔から何かっ
つーと⋮⋮﹂
連合﹁おい。喧嘩すんなよ﹂
1444
王国﹁いや、元はと言えばお前が⋮⋮﹂
連合﹁あ? おれが何よ。言えよ﹂
帝国﹁おい。逃げてんじゃねーよ﹂
王国﹁あ? 誰が逃げたよ﹂
もみ合いをはじめる三人
無言で小突き合ってから
くるりと振り返って
びしっとアリアパパを指差した
鬼ズ﹁ショーンコネリー﹂
アリアパパ﹁⋮⋮⋮⋮﹂
鬼ズ﹁⋮⋮⋮⋮﹂
きっかり五分だ
無言で席に戻る三人
左側に座ろうとした帝国のひとと
王国のひとが無言でもみ合いになる
帝国﹁⋮⋮!﹂
王国﹁⋮⋮!﹂
1445
今度はリアルファイトだ
神速の踏み込みで懐に潜り込んだ王国のひとが
帝国のひとを投げ飛ばした
見ていて惚れ惚れするような払い腰だった
勝利をおさめた王国のひとが
しれっとした顔でソファの左端に座る
二人がもみ合っているうちに
連合のひとは右端を陣取っていた
絨毯の上で大の字になった帝国のひとが
濁りのない眼差しで天井を見つめている
ゆっくりと上体を起こして
帝国﹁⋮⋮くそがっ﹂
小さく悪態をついた
しっかりとした足取りで歩いていって
ソファの真ん中におさまる
腰掛けた三人を
アリアパパはじっと凝視している
やがて彼は言った
1446
アリアパパ﹁いいだろう。あれの剣については、お前たちが好きに
しろ﹂
鬼ズ﹁いいの!?﹂
アリアパパ﹁常識的に考えろ。何をしてもいいなどという条件があ
るものか﹂
つまり答えはすでに決まっていたということだ
呆然とする三人を
アリアパパは満足そうに見つめて
こう言った
アリアパパ﹁五分あれば、あの出来損ないが都市級を出し抜くこと
もできる。参考になった﹂
1447
﹁失うもの、得るもの﹂︵後書き︶
注釈
・折り畳み式ヘル
禁断のレベル9。対象に地味な単純作業を強いた上で達成直前に
ご破算になる幻覚を延々と見せる。感覚に訴える魔法なので、体感
時間を幾らでも引き伸ばせる。
あらゆる魔法に対して入念に対策が施されていて、受刑者の脱出
を自動的に察知して場面が切り替わる︵折り畳まれる︶ことから、
脱獄は困難を極める。夢から覚めたら、また夢だったという感覚に
近く、この責め苦の直後は現実と夢の区別がつかなくなるという報
告もある。
1448
﹁おれのおとなりさんは陸上最強生物﹂part1
一、王都在住のとるにたらない不定形生物さん︵出張中
旅の仲間に狐娘を迎え
ますます肩身が狭くなる子狸
タフな相棒が欲しいと嘆きつつ
お馬さんたちと狐さんのお世話に奔走する日々だ
食糧問題に関しては
子狸と狐娘が釣り担当に就任したことで解決を見た
狸と狐は相容れないものなのか
この二人は何かと競争したがる
狐娘﹁今日もわたしの勝ち﹂
子狸﹁後ろのひとたちは誰だ﹂
狐娘﹁わたしは忍だと言ったはず。これぞ分身の術﹂
子狸﹁なんてことだ⋮⋮。まるで別人に見える﹂
忍法を駆使する狐娘に
子狸は苦戦をしいられる
調理担当は相変わらず子狸だ
1449
自分の生活力に一抹の不安を抱いたのか
一度だけ勇者さんが協力を申し出たのだが
子狸﹁お前たちと出逢えた今日という日を! おれは忘れない! 感謝のインフェルノ! ゴル・ロッド・グノ! 波ーっ!﹂
勇者﹁⋮⋮⋮⋮﹂
子狸の本気すぎる調理実習に
二日目以降は姿を現さなかった
朝食を終えたあとは
恒例の乗馬訓練だ
一週間で適応した子狸は
次のステップに進んだ
羽のひとの監修のもと
過酷なG訓練に挑む
妖精﹁おおっと、ここで急カーブだぁー!﹂
子狸﹁くっ、身体がばらばらに砕け散りそうだ⋮⋮!﹂
勇者﹁⋮⋮⋮⋮﹂
暴れ馬と化した三角木馬を乗りこなすに至った
おれたちの子狸さんに死角はない
1450
乗馬訓練と並行して
ポンポコ学園物語も怒涛の展開を迎える
子狸﹁そのときおれに電撃走る⋮⋮!﹂
勇者﹁電撃﹂
子狸﹁そう、これだ! ってね﹂
勇者﹁⋮⋮そう﹂
教官の後輩が学校にやって来て
彼女を騎士団に連れ戻そうとした事件だ
もともと教官は
将来を嘱望された騎士候補生だったらしい
言うまでもなく
発電魔法とは無関係なエピソードなのだが
子狸のひととなりを知るにはいいと思ったのかもしれない
勇者さんは口を挟まなかった
二、かまくら在住のとるにたらない不定形生物さん
? そんな事件あったっけ?
三、海底洞窟在住のとるにたらない不定形生物さん︵出張中
1451
あったよ∼
こう言えばわかる?
はじめての鞭打ち事件だ
四、かまくら在住のとるにたらない不定形生物さん
ああ、あれね
未来永劫、語り継がれるんだな⋮⋮
教官の晴れ姿は
五、山腹巣穴在住の現実を生きる不定形生物さん︵出張中
おれたちは運命共同体だからな
もしものときは子狸も道連れだ
六、空中庭園在住のとるにたらない不定形生物さん
管理人だからな
考えようによっては
全責任は子狸にあると言ってもいいはず
1452
七、墓地在住の今をときめく骸骨さん︵出張中
むしろ子狸の単独犯だと断言してもいいはず
八、管理人だよ
死なばトレモロという言葉もある
九、王都在住のとるにたらない不定形生物さん︵出張中
そんな言葉はない
正しくは、死なばもろとも
死ぬときは一緒ということだ
とにかく⋮⋮
話を進める
お昼から夕方にかけては
自由時間になる
子狸が芸術に励んだり
裁縫の習熟にあてたり
奇行に走ったりするのが
この時間帯だ
勇者さんは
1453
たいてい読書して過ごす
その傍らで羽のひとは瞑想するわけだが
つい先日
チャクラが開いたらしい
あまりおかしな概念を持ち込まないで欲しいと
せつに願う
新メンバーの狐娘は
布団の上でごろごろして過ごす
狐娘﹁アレイシアンさま。遊ぼう﹂
勇者﹁魔法の練習はどうしたの?﹂
狐娘﹁明日からやる﹂
子狸﹁⋮⋮⋮⋮﹂
その翌日、甲板で待ち受ける子狸の姿があったが
いつまで経っても彼女は現れなかった
勇者﹁魔法の練習は?﹂
狐娘﹁今日は本を読む日。これ、なんて読むの?﹂
勇者﹁どれ?﹂
狐娘﹁これ﹂
1454
勇者﹁魔界。魔物たちのふるさとのこと﹂
魔法に頼ることをしない勇者さんは
定時に寝て、定時に起きる
規則正しい生活が身についている
ちなみに狐娘は
子狸にベッドを明け渡すよう強硬に主張したが
これは勇者さんに却下された
勇者﹁わざわざ戦力を分断してどうするの﹂
狐娘﹁しかし﹂
勇者﹁あなたは、わたしと一緒に寝ればいいわ。狭いけど我慢なさ
い﹂
狐娘﹁その言葉が聞きたかった﹂
船内の客室はそう広くない
ベッドを三つ置くのは無理だから
おのずと選択肢は限られてくる
子狸﹁女狐めぇ⋮⋮﹂
子狸は悔しそうだった
嫉妬の心が熱く燃え盛る
ときに狐娘は
1455
ふだんお面で素顔を隠している
ごはんを食べるときも
お面をずらして肌の露出を最低限に抑えるので
ポリシーがあるのだろうと思って見ていたら
たんなるファッションだったらしい
お風呂に入るときと就寝時はふつうに外す
子狸﹁⋮⋮お嬢、また新しい子を連れ込んだの?﹂
勇者﹁⋮⋮?﹂
妖精﹁見分けがついてないみたいです﹂
狐娘は子狸に手厳しい
狐娘﹁じろじろ見るな﹂
子狸﹁おれの弟子をどこへやった!﹂
狐娘﹁お前に弟子入りしたつもりはない﹂
子狸﹁わけのわからないことを⋮⋮!﹂
ヒートアップする子狸に
狐娘が身構える
一触即発かと思われたが
勇者﹁⋮⋮部屋の中で騒ぐなら出て行ってもらえる?﹂
1456
子狸&狐娘﹁寝ます﹂
勇者さんに叱られて
いったんは大人しくなる
妖精﹁きちんと寝ないと大きくなれませんよ?﹂
羽のひとは狐娘に優しい
人前では猫をかぶっているからだ
一0、住所不定のどこにでもいるようなてふてふさん
勝手なことを言うな
お前らがろくなことをしないからだろーが
最初の一週間は天候に恵まれた勇者一行だが
二週間目には暴風と大雨に見舞われた
緊急会議が発令されたのは
日付が変わろうかという時刻である
勇者一行が会議室に集合したとき
そこでは、すでにジョーたちが議論を交わしていた
アイアン﹁いや、だいぶ波が高くなっている。備えは早いに越した
ことはない﹂
ゴールド﹁最善を尽くすべきだ﹂
1457
シルバー﹁⋮⋮進路が変わらないとも限らない﹂
ノーマル﹁そのつど対応すればいい﹂
アイアン﹁そんな余裕があると思うのか? 一度で成功するという
保証もないんだぞ﹂
近寄りがたい雰囲気である
二の足を踏む狐娘を押しのけて
勇者さんが会議の輪に加わった
勇者﹁嵐が近付いているのね。状況は?﹂
子狸﹁⋮⋮⋮⋮﹂
特訓の真っ最中だった子狸は
体力が限界に達しようとしていた
のそのそと歩いていって
静かに着席する
ジョーたちが口々に報告した
アイアン﹁このまま北上を続ければ、遅くとも両日中には直撃する﹂
ゴールド﹁早ければ半日後だ﹂
シルバー﹁近くに島はない。錨を下ろして耐えしのぶか、あるいは
1458
強行するか⋮⋮二つに一つだ﹂
ノーマル﹁おれたちは自然現象には手出しできん。ここの眠そうな
ポンポコの手には余るだろう﹂
人間たちにとって嵐は災禍かもしれないが
一方で恵みを受ける動物たちもいる
長い目で見れば
自然現象というのはサイクルするものだから
それを魔法で捻じ曲げれば
必ずどこかで手痛いツケを支払うことになる
そうでなくとも
二番回路に保護された天災に
人間たちが抗うすべはない
円卓に前足を揃えて置いて
うなだれたまま子狸が言う
子狸﹁わたあめ⋮⋮?﹂
子狸のつぶやきに
枕を持参した狐娘が感応した
狐娘﹁わたあめ﹂
だめだ、こいつらは役に立たない
おれ﹁嵐の中だと、わたしは飛べません。リシアさん、ここは三時
1459
間ほど様子を見てはどうでしょう? 運が良ければ暴風圏を抜けら
れるかも﹂
とにかく距離を稼いで
ある程度の余裕を見越して錨を下ろすという案だ
不安要素が多すぎるため
慎重に慎重を重ねたい
子狸を除く全員に注目されて
勇者さんは決断を下した
勇者﹁そうね。まずは針路を保つ⋮⋮時間の勝負になるわ。一人残
して、あとはトリコロールに回って頂戴﹂
アイアン﹁え? トリコ⋮⋮なに?﹂
勇者﹁トリコロール﹂
ゴールド﹁ちょっ、ごめん。もう少し大きな声で言ってくれる?﹂
シルバー﹁トリまでは聞こえた。何をしろって?﹂
こいつら⋮⋮
勇者﹁⋮⋮⋮⋮﹂
勇者さんは少しためらってから
どこか恥ずかしそうに言った
1460
勇者﹁トリコロール﹂
骨ズ﹁ほう⋮⋮﹂
子狸﹁!﹂
子狸が覚醒した カッと目を見開いて跳ね起きる
子狸﹁おれだァーッ!﹂
よくわからないが
トリコロールと一体化した子狸が
ぎらついた目でジョーたちを見る
ゴールド﹁やだ、目がイッてる⋮⋮﹂
子狸﹁お前ら! 最後の力を振りしぼるなら、いまだろ!﹂
シルバー﹁まあ、そうね。女子供の出る幕じゃない﹂
アイアン﹁よし、行こう!﹂
三種のジョーを扇動した子狸が
前足を突き上げて鬨の声を上げた
子狸﹁トリコロール!﹂
金&銀&鉄﹁トリコロール!﹂
1461
会議室を飛び出していく四人
つい忘れがちになるのだが
船底部の歯車を回す作業に
これといった意味はない
無駄骨だ
無駄骨だ⋮⋮
一一、墓地在住の今をときめく骸骨さん︵出張中
まるでおれたちの存在を否定しているかのようだな
いずれにせよ
濃厚な三週間だった
長い船旅を終えて
そして今日
とうとう勇者一行は
緑のひとの家がある島に上陸した
王種が住まう地である
下船する勇者さんに
おれたちを代表してノーマルが言う
1462
取り戻したこん棒は
しっかりと腰に差してある
ノーマル﹁名残り惜しいが、ここでお別れだ﹂
勇者﹁⋮⋮そう。あなたたちには借りが出来たわね﹂
おれ﹁帰りはどうするんだ? なんなら迎えに来ても⋮⋮﹂
一二、迷宮在住の平穏に暮らしたい牛さん
騎士A﹁が⋮⋮あ⋮⋮﹂
おれ﹁⋮⋮⋮⋮﹂
騎士B﹁た、隊長ーっ!﹂
一三、墓地在住の今をときめく骸骨さん︵出張中
おれ﹁⋮⋮と言いたいところだが、おれたちにも都合があるからな﹂
勇者﹁構わないわ。無人島というわけではないから、あまり多くな
いけど定期便もある﹂
おれ﹁すまない。本当に。本当にごめんなさい﹂
ゴールド﹁本当にね﹂
1463
シルバー﹁うん、本当に⋮⋮﹂
ノーマル﹁心の底から申し訳ないと思ってる﹂
勇者﹁⋮⋮?﹂
誠心誠意の謝罪に
勇者さんは小首を傾げた
彼女の肩の上では
羽のひとが小さな身体で
精いっぱい伸びをしている
妖精﹁みなさんは、これからどうするんですか?﹂
魔王軍に戻るのかということだろう
ノーマル﹁リリィと合流するつもりだ。あとのことは、それから決
める﹂
波打ち際では
子狸と狐娘が砂のお城を合作している
ディティールにこだわる子狸に対して
狐娘はトンネルの開通に腐心していた
別れの時間だ
黒雲号を連れた勇者さんに
おれたちは一人ずつ言葉を贈る
1464
ゴールド﹁達者でな。ポンポコについては、あまり気にしないほう
がいい﹂
シルバー﹁緑のひとによろしく伝えてくれ。光の精霊はお前に宝剣
を託し、あいつを寝床に選んだのだろう。仲良くな﹂
アイアン﹁魔軍☆元帥とは打ち合うな。あのひとは空中回廊の出身
だ。槍術も弓術も廃れていったというのに、剣術だけが残った。そ
れは魔法剣士たちの執念だ﹂
ノーマル﹁悪くない船旅だった。人型の魔物には用心しろ。あるい
は都市級よりも、お前たち人間に近いぶん強敵になるだろう﹂
おれ﹁完全な結界は存在しない。覚えておくといい。次に会うとき
は敵同士かもしれんな。だが、ためらうな﹂
一四、王都在住のとるにたらない不定形生物さん︵出張中
出航する直前
子狸は骨のひとたちとの別れを惜しんで
抱き合って互いの無事を祈った
勇者さんが
彼らと触れ合うことはなかった
彼女の退魔性は
魔物たちにとって苦痛だからだ
1465
触れ合うこともできないのだと
双方が理解していた
遠ざかっていく幽霊船を
見送り続ける子狸の後ろで
勇者さんが
片手を
かすかに
揺すった
音もなく形成された光の刀身が
ゆらり
ゆらりと
不安定に
揺れている
魔物が魔物を撃つとき
魔法はもっとも実現性を帯びる
であるならば
聖☆剣が最大の力を発揮するのも
魔物を討つときに他ならない
子狸﹁!﹂
勇者さんが聖☆剣を構えたのと
子狸が振り返ったのは同時だった
1466
勇者﹁やっぱり﹂
ぼそりと呟いた勇者さんが
聖☆剣を振り抜く
いわゆる一種の
死霊魔哭斬だった
子狸﹁ディレイ!﹂
子狸が格上の相手と互角の戦いを演じるのは
魔法に対する嗅覚が鋭いからだ
飛び上がった子狸が
盾魔法で光刃の侵攻を食い止める
負荷に耐えきれず
力場が歪み、砕け散る
吹き飛ばされた子狸が
肩から海面に落ちた
妖精﹁っ⋮⋮!﹂
直視に耐えないと
羽のひとが目を逸らした
彼女は、たぶんこうなるとわかっていた
1467
かつて鬼のひとたちを斬り捨てた勇者さんが
魔王軍に戻るかもしれない骨のひとたちを
見逃す道理がないからだ
その道理が子狸には理解できない
子狸﹁なんで⋮⋮?﹂
ずぶ濡れの子狸が
浅瀬で四つん這いになっている
勇者さんは目を逸らさない
やっぱりと彼女は言った
ならば、続く言葉は決まっていた
勇者﹁あなたは庇うのね﹂
バウマフ家の人間は
常に人間と魔物の間で揺れる存在だ
人間の側につくのか
魔物の側につくのか
子狸﹁おれは⋮⋮﹂
ずっと先送りにしてきたことだから
いま問われても
子狸には答えが出せない
1468
立ち上がることはできても
言葉は出てこなかった
でも、と勇者さんが言った
勇者﹁それでいいのかもしれない﹂
聖☆剣を散らすと
くるりと反転して歩き出す
立ち尽くす子狸を
肩越しに振り返って
声をかけた
勇者﹁行きましょ﹂
子狸﹁え?﹂
勇者﹁備えは必要だと思う。けれど、そうじゃないほうがうまく行
くこともある﹂
勇者さんには
常に最悪の状況を想定して動く癖がある
それ自体は悪くないし
むしろ良いことだ
だが、ひとの心を動かしてきたのは
往々にして
この、ままならない感情だ
1469
砂浜でしゃがみ込んでいた狐娘が
拾い集めた貝殻を高々と掲げている
それらは陽光を反射して
きらりと輝いた
一五、管理人だよ
ああ、びっくりした
バレたかと思った⋮⋮
一六、空中庭園在住のとるにたらない不定形生物さん
いや、もうこれ完全にバレてるだろ
一七、墓地在住の今をときめく骸骨さん︵出張中
九死に一生スペシャル、おれ
一八、海底洞窟在住のとるにたらない不定形生物さん
でも牛さんがお前を待ってる
1470
﹁おれのおとなりさんは陸上最強生物﹂part1︵後書き︶
注釈
・はじめての鞭打ち事件
文化祭に乗じて校内に潜入した騎士候補生︵教官の後輩︶が、教
官を騎士団に連れ戻そうとした事件。
教官の教師としての適性を問われたため、現場に居合わせた子狸
が一騎討ちを挑んだ。
見習いとはいえ特装騎士に敵うはずもなく、圧倒的な実力差に打
ちのめされるが、まったく屈しようとしない子狸の姿に教官が感動
していた。
しかし思案をめぐらせた子狸の提案で、教官が全校生徒の前でコ
スプレ姿をお披露目することに。メイド服だった。
のちに教官の手で仲良く鞭打ちされた二人だったが、きちんと和
解したようだ。
わかり合えたようで何よりである。
1471
﹁おれのおとなりさんは陸上最強生物﹂part2
一九、住所不定のどこにでもいるようなてふてふさん
鬼のひとたちがアリア家の工房にこもってから
じつに二週間が経過した
音沙汰はいっさいないが
貴族に仕える剣匠は、その機密性ゆえ
高い職人意識を持っている人間がほとんどだ
あらかじめ打っておいた剣を持参したという話であるし
きっとうまくやっていることだろう
そう信じたい
苛められていないか
心配ではあるが⋮⋮
いま、われわれが真に憂慮すべきは
この島に住んでいるはずの
青いのんと緑のんが
不気味な沈黙を保ち続けていることではないのか
おい。なんか言えよ
二0、海底洞窟在住のとるにたらない不定形生物さん
1472
火口の∼?
二一、かまくら在住のとるにたらない不定形生物さん
まさかのノーリアクションである
二二、管理人だよ
これは罠に違いない。引き返そう
二三、山腹巣穴在住の現実を生きる不定形生物さん︵出張中
野生の勘によるものか
子狸にしては鋭い見解であった
二四、王都在住のとるにたらない不定形生物さん︵出張中
知らぬが仏というやつだな
勇者さんが緑のひとに何の用があるのかは知らんが
おれたちにとっては好都合な展開だ
引き返すという手はない
行け、ポンポコ
1473
世界の平和は
お前に任せた
二五、管理人だよ
めっじゅ∼
二六、空中庭園在住のとるにたらない不定形生物さん
気に入っちゃったの⋮⋮?
よくわからんが
じつにちょろいポンポコである
二七、王都在住のとるにたらない不定形生物さん︵出張中
承諾してもらえたようなので
状況を説明する
勇者一行が降り立ったこの島は
緑のひとが住んでいることで有名な観光スポットだ
地理的には王国領土に近いものの
王種が君臨する島を
自分のものだと言い張る勇気は
どこの国にもない
1474
嫌いな言葉だが
障らぬ神に祟りなしという言葉もある
本来なら人が立ち入ってはならない魔の領域として扱われるのだが
近年は人間になめられているようで
国に属することをよしとしない者たちが
小さな集落を築きつつある
帝国兵を装った王国騎士や
王国兵を装った帝国騎士が
定期的に立ち退き勧告を求めてくるので
よそものには厳しい風土だが
観光客が落としていくお金で
島民の生活は成り立っている部分があるため
最終的には騙し合いへと発展し
放っておくとゲリラ戦が勃発する
大陸の情勢が不安になっていることから
以前のような活気はないが
死活問題なので
一定数の船の出入りは確保しているようだ
幽霊船が大手を振って入港とかありえないので
我らが勇者一行は
連合国がよく使う密輸ルートを用いて上陸
勇者さんの特命を帯びた羽のひとが
前もって先行調査を実施したため
周囲に人影は見られない
1475
あまり大きな島ではないので
海岸線に沿って歩けば
半日ほどで人里に辿りつけるだろう
密林を突破するルートもあるにはあるが
さして近道というわけでもない
豆芝さんは下船するなり
久しぶりの陸地とあって
嬉しそうに砂浜を駆け回っていた
黒雲号はおちついたものである
このへんは性格の差だろう
狐娘﹁アレイシアンさま∼﹂
拾い集めた貝殻を大事に抱えて
駆け寄ってくる狐娘を
子狸が反復横飛びで迎え撃つ
子狸﹁いいもん持ってるじゃねぇかよぅ。よぅ。よぅ﹂
勇者さんをめぐるライバルだからなのか
狐娘と接するときの子狸は
精神年齢が怒涛の勢いで急落する
子狸﹁ちょっと見せてみろよぅ。よぅ。よぅ﹂
1476
狐娘﹁お前には絶対に見せない﹂
子狸﹁ひゅー!﹂
狐娘は子狸を敵視している
断固拒否の構えをとる彼女に
子狸がへたな口笛を吹いて喝采を上げた
変質者じみた動きで
狐娘の周囲をぐるぐると回っていた子狸が
不意に動きを止めて
森のほうへと視線を振った
子狸﹁むっ?﹂
いちおう都会育ちなのに
野生動物じみた直感をしている
火口﹁⋮⋮⋮⋮﹂
木の陰から
こそっと火口のが勇者一行を見つめていた
子狸と目が合って
にゅっと触手を伸ばす
無言で
どしゅっと撃ち出した
狙いは勇者さんだ
1477
子狸﹁ディレイ!﹂
逸早く反応した子狸が
火口のんと勇者さんの間に割り込む
しかし高速で迫る触手は
直角にカーブして力場を回避
子狸の側頭部を撃ち抜かんとする
子狸﹁!?﹂
完全に死角を突いた一撃だ
子狸が回避できたのは
直感によるところも大きいのだろうが
ほとんど偶然に近い出来事だった
足場が砂地で踏ん張れなかったらしく
片ひざをついた子狸が
頭上をかすめていった触手に
遅れて自らの幸運を知った
火口﹁⋮⋮⋮⋮﹂
初撃で仕損じた火口のが
触手を引っ込めて
さっと身を引く
勇者﹁深追いはしないで﹂
1478
地形の不利を悟った勇者さんが
簡潔に指示を飛ばした
彼女の肩から
羽のひとがぱっと舞い上がった
妖精﹁マジカル☆ミサイル!﹂
人前でおれたちは這って進むことしかしない
最高速で撃ち出された光弾を
火口のは身をよじってかわした
難なくだ
半液状ならではの回避法だった
妖精﹁なっ!?﹂
子狸﹁こいつ⋮⋮! いままでのやつとは⋮⋮!﹂
勇者さんの退魔力を
肉弾戦で突破することは至難のわざだ
精神的に崩れるということもない
だから火口のは
反撃のレクイエム毒針を
徹底して子狸にしぼった
回避に専念した子狸が
砂の上を転がってしのぐ
1479
子狸﹁レクイエム部隊か⋮⋮!﹂
勇者﹁毒持ち⋮⋮﹂
一般的に魔物は、個体差が激しい種族だと言われている
その象徴とされるのが
毒持ちと呼ばれる
奥義を解禁した青くてニクいやつだ
疎らに差し込む木漏れ日が
小刻みに震える体表を滑り落ち
波打つかのようだ
一撃ごとに抜け目なく
奥へ奥へと後退していく
子狸﹁誘っているのか⋮⋮?﹂
困惑する子狸を
不甲斐ないと見てか
狐娘が参戦した
狐娘﹁チク・タク・ディグ﹂
なんのひねりもない圧縮弾を
火口のは訳なく回避する
次に反撃があるとすれば
1480
おそらく彼女が犠牲になる
子狸﹁下がれ!﹂
鋭く叫んだ子狸が
砂を蹴って躍り出た
子狸﹁あいつの狙いはおれだ﹂
勇者﹁待ちなさい。きっと伏兵がいるわ﹂
飛び出そうとする子狸を
勇者さんが制止した
すでに聖☆剣は起動してある
死霊魔哭斬を使えないかと試みているようだが︱︱
火口のは彼女から見て
全身を露出しないよう移動を繰り返している
たったそれだけのことで
勇者さんの必殺技は封じ込めることができる
実戦経験が
少なすぎるのだ
そう、実戦だ
勇者一行は、ここに来てはじめて
設定が許す限りにおいて
全力で戦う魔物と遭遇したのだ
1481
ここにいる誰よりも
おれたちに打ちのめされてきた子狸だから
火口のんの本気をまざまざと感じることができた
子狸﹁移動しよう。森の中だと絶対に勝てない﹂
その判断は正しい
おれたちは人前で飛んだり跳ねたりはしない
だが触手を使いこなせる個体なら
森の中での三次元運動が可能になる
視界を遮る密林は
魔法の精度を極限まで削るだろう
それらを避けるためには
海岸線に沿って歩くしかない
死を孕んだ鎮魂の狙撃に
おびえながらでも⋮⋮
勇者一行の
逃避行がはじまる
二八、火口付近在住のとるにたらない不定形生物さん
ちわ☆
1482
二九、火山在住のごく平凡な火トカゲさん
待ってたよぉぉぉぉっ!
三0、住所不定のどこにでもいるようなてふてふさん
あのさぁ⋮⋮
王都のひと?
お前さん、同じ青いのだからってひいきしてない?
なんか叙述が⋮⋮
三一、王都在住のとるにたらない不定形生物さん︵出張中
え? そう?
いつもこんなもんだよ
な? お前ら
三二、海底洞窟在住のとるにたらない不定形生物さん
むしろ物足りないくらいだ
本気を出したおれたちは
こんなもんじゃない
1483
三三、魔都在住の特筆すべき点もないライオンさん
青いひとたちが本気を出しはじめた
一方その頃⋮⋮
コアラ﹁位置について∼﹂
庭園﹁⋮⋮⋮⋮﹂
コアラ﹁よーい、スタート!﹂
庭園﹁⋮⋮!﹂
黒妖精さんの合図で
黒騎士が華麗なるスタートを切った
魔軍☆元帥の
魔軍☆元帥による
魔軍☆元帥のための
世界最長級マラソンの幕開けである
三四、空中庭園在住のとるにたらない不定形生物さん
お前ら、おれに何させてんの⋮⋮
1484
﹁おれのおとなりさんは陸上最強生物﹂part3
三五、住所不定の特筆すべき点もないてふてふさん
レベル4同士が衝突した余波で
魔都は跡形もなく崩壊した
叩き砕かれ、隆起した岩盤に刻まれた巨大な爪痕が
戦いの激しさを物語っている
飛散した瓦礫が結晶の砂漠に突き立ち
かつては見られなかった峡谷を
底の知れない闇がたたえている
だいぶ地形も変わった
切り立った崖の上を
順調なペースで走る子狸バスター
庭園﹁ほっ、ほっ、ほっ﹂
骨のひとたちの声援に
片手を上げて応える余裕もあった
瓦礫を撤去していた骨のひとたちが
観衆に加わって嬌声を上げる
片手を上げたまま
1485
コースに沿って曲がった黒騎士の
まっすぐ伸びるつのが
稲光を反射して
きらりと光った
歓声は鳴り止まない
走る
走るつの付き
なぜ走るのか
経緯はこうだ
魔王の騎獣を務めてきた由緒正しき魔獣と
魔王の右腕として辣腕を振るってきた魔軍☆元帥の激闘は
後者の敗北という結末で幕を閉じた
惨敗だった
一時は互角に見えた両者だったが
にゃんこが変化魔法を織り込みはじめた頃から
黒騎士は防戦一方となり
一度でも趨勢が傾いてしまえば、あとは一瞬だった
自宅が空中回廊に程近く
誰よりも剣士に詳しいと
常日頃から豪語していた中のひとは
にゃんこの多彩なアクションに対応しきれなかったのだ
1486
手足を砕かれ
砂漠に横たわったつの付きを
子供たちにはお見せできない姿と化したにゃんこが
憐れみをもって見下していた
庭園﹁⋮⋮ころせ﹂
ひよこ﹁⋮⋮⋮⋮﹂
にゃんこの双眸に宿っていたのは
同情と呼ばれるものだったに違いない
戦いの終わりを告げるように二歩さがると
決着を見届けた骨のひとたちが
わっと押し寄せて
哀れな敗残兵を取り囲んだ
彼らは口々に慰めの言葉をかけた
骸骨A﹁いや、まあ⋮⋮仕方ないんじゃないか。な?﹂
骸骨B﹁お、おう。ハンデ戦みたいなものだったし。うん﹂
骸骨C﹁レボリューションもなしに健闘したんだから、大したもん
だよ。うん﹂
重苦しい沈黙が流れた
青いひとたちは変化魔法に頼らずとも
自由自在に形態を変えることができる
1487
連中が最終奥義とか言っているレボリューションは
じつのところ互いの足を引っ張って弱体化するだけである
周知の事実だった
つまり魔王軍の頂点に位置する黒騎士は
万全の体制にありながら
部下を相手に
完膚なきまでに敗北したのだ 庭園﹁⋮⋮⋮⋮﹂
黒騎士の視線の先にあるのは
空を覆う分厚い暗雲だけだった
超空間と魔空間は原理的に同じものなので
天候は擬似的なものでしかない
触れてはいけないところに触れてしまった骨のひとが
慌てて言い繕った
骸骨C﹁あ、いや⋮⋮。ひ、火の宝剣とか、あんまり意味ない、で
すし⋮⋮﹂
骸骨D﹁そ、そうだよな。座標起点があるんだから、むしろ不利に
なるっていうか⋮⋮なあ?﹂
だが、魔法ではなく道具という扱いになっている精霊の宝剣は
無詠唱という特性を残しつつも
レベル4に致命傷を与えうるという設定だ
1488
反則的な武器なのである
同意を求めて視線を振る骨のひとに
他のひとたちもうんうんと頷いた
しかし、この結末に納得できない勢力も
また存在したのだ
骸骨E﹁⋮⋮それでいいんスか?﹂
一人の骨のひとが
ぼそりと言った
擁護派のひとたちがぎょっとしたのは
誰しもが心のどこかで同じことを思っていたからだ
一同の注目を浴びた骨のひとが
やりきれないとばかりに視線を逸らして言う
骸骨E﹁おれは⋮⋮あんたが最強だって信じてたんだけどな。元帥
だろ。何してんだよ﹂
骸骨C﹁ちょっ、待てよ! 元帥だからって⋮⋮﹂
骸骨E﹁いや、言うよ。そうだろ? じゃあ、おれたちは、なんで
このひとについてきたんだよ﹂
骸骨C﹁ちがうだろ! 元帥はそういう役職じゃねえ! おれは⋮
⋮おれたちは⋮⋮!﹂
1489
骸骨E﹁わかってるよ。わかってる⋮⋮。いちばん強いのはグラ・
ウルーだろ。そんなのわかってる。でも﹂
魔王が必ずしも最強の兵ではないように
魔軍☆元帥とて無敵の兵というわけではない
魔王軍きっての最大戦力は
魔人と謳われる最強の魔獣だ
骸骨E﹁でも、おれは信じてた。あの魔人にだって、おれたちの元
帥は負けないって。そう⋮⋮信じてたんだ﹂
長い⋮⋮
長い沈黙が一同を包み込んだ
今代の魔軍☆元帥は
鬼のひとたちが世に送り出した世界の鎧シリーズ
その五作目にあたる
つの付きという二つ名は
魔王軍を代表する古参兵の呼称であり
歴代の旅シリーズで重要な役どころを担ってきた
魔物たちのヒーローだ
頭上で飛び交う部下たちのやりとりを
甘んじて受け入れていたつの付きが
小さな声で呟いた
庭園﹁⋮⋮メイガス・アイリン﹂
1490
蚊の鳴くような詠唱だった
にゃんこに打ち砕かれた手足が
またたく間に復元する
しかし失墜した権威は︱︱
よろよろと立ち上がった黒騎士のつのが
ぴきりと
不吉な音を立てたのを
その場にいた全員がはっきりと耳にした
それは誇りそのものだった
世界の鎧シリーズに共通する
全身を覆う甲冑は
騎士たちの勇姿にあやかっている
つのは彼らとの区別化を図るものであり
逃げも隠れもしないという覇気を体現したものに他ならない
そのつのが
根元から折れて
瓦礫に当たり
こつんと
思いのほか軽い音を立てた
ころりと足元に転がった誇りの残骸を
1491
もはやつの付きですらなくなった黒騎士が
背中を丸めて見つめる
庭園﹁おれは⋮⋮﹂
進むべき道を見失った
迷子のようだった
骸骨E﹁折れたら直せばいい﹂
先ほど魔軍☆元帥を罵倒した骨のひとが
両ひざを曲げて言った
黒騎士へと差し出した両手の上には
つのが乗っていた
骸骨E﹁一度は折れた骨だって、つながれば、より太くなる﹂
庭園﹁⋮⋮もう折れないか?﹂
骸骨E﹁折れるさ。折れてもいいんだ。また、つなげばいい﹂
庭園﹁そうか。そうだな﹂
片手を差し伸べた黒騎士が
受け取ったつのをぎゅっと握る
おれ﹁じゃ、マラソンということで﹂
庭園﹁え?﹂
1492
おれ﹁マラソンだろ﹂
堕ちた誇りを取り戻すため
魔軍☆元帥は走るのだ
そう、これは再生の物語⋮⋮
おれのロイヤルゼリーは
もう戻らないけど
三六、墓地在住の今をときめく骸骨さん︵出張中
大穴なんて狙うから⋮⋮
三七、住所不定のどこにでもいるようなてふてふさん
うるさい
三八、空中庭園在住のとるにたらない不定形生物さん
経緯はわかった
羽のひとってさぁ⋮⋮
なんだかんだでレベル4なんだよね
いいバランス感覚してる
1493
分身に代わって礼を言うよ
三九、住所不定の特筆すべき点もないてふてふさん
は? なに言ってんの、お前?
お前はむかしから何かっつーと
ひとの心を見透かしたかのようなことを口にする
そんでもって
そういうところに気が付ける自分を
子狸にアピールしようとする
だから末吉なんだよ
四0、空中庭園在住のとるにたらない不定形生物さん
おみくじは関係ないだろ!
四一、かまくら在住のとるにたらない不定形生物さん
思ったより微妙だった⋮⋮
四二、海底洞窟在住のとるにたらない不定形生物さん
逆にリアルで悲しくなる
1494
四三、魔都在住の特筆すべき点もないライオンさん
そんなお前らにお知らせがあります
おれんち、リニューアルすっから!
四四、山腹巣穴在住の現実を生きる不定形生物さん︵出張中
おお
四五、火口付近在住のとるにたらない不定形生物さん
おお
四六、火山在住のごく平凡な火トカゲさん
おお
間取りは? もう決めてるの?
四五、魔都在住の特筆すべき点もないライオンさん
骨のひとたちと相談してるところだけど
廊下をもっと広くして
1495
おれが乗っかる台座みたいなのが欲しい
石像と見せかけて、じつはおれみたいな
四六、住所不定のどこにでもいるようなてふてふさん
いま、ひどいネタバレを見た
ちょっと∼⋮⋮そういうのやめてくれる?
いざってなったとき
リアクションに困るんだよ
四七、魔都在住の特筆すべき点もないライオンさん
いいじゃん、べつに
わあっとか言ってれば
目ぇきらきらさせてさ
四八、住所不定のどこにでもいるようなてふてふさん
お前とは、いずれ決着をつけるからな
魔軍☆元帥をのした程度で調子に乗るなよ
1496
四九、魔都在住の特筆すべき点もないライオンさん
乗ってませんし
五0、住所不定のどこにでもいるようなてふてふさん
乗ってますし
五一、王都在住のとるにたらない不定形生物さん︵出張中
空と羽が不毛な言い争いをはじめた一方その頃⋮⋮
子狸さんはまじめにがんばっていた
事態はひっ迫している
勇者さんの許可を待たず
前足で砂地を叩き、叫んだ
子狸﹁ディレイ・エリア・エラルド!﹂
視力が許す限り最大の規模で
海岸線に防御壁を張る
深化魔法の効果だろう
炎の壁が立ちはだかったような
いびつな形状の力場だ
1497
開放レベル2の魔法なら
レベル1の魔物の脅威を完全に抑えこめる
力場の内側
波打ち際を歩いて行けば
森からの狙撃にはだいぶ対処しやすくなるだろう
この手の魔法を持続するのは
集中力を要するので難しいが
子狸の持続力には定評がある
神経を張りつめずとも
イメージを保てるよう訓練されているのだ
子狸﹁⋮⋮よし。行こう﹂
豆芝さんに歩み寄ろうとする子狸に
勇者さんが待ったをかけた
勇者﹁徒歩で行きましょう。馬上だと、いざというときに対処しき
れないかもしれない。それに⋮⋮﹂
そう言って勇者さんは
ちらりとお馬さんたちを見た
妖精﹁ずっと船の上だったから、急激な運動は控えたほうがいいわ﹂
不安定な足場で無理をさせると
骨折の危険性があったから
ここ三週間ほど、お馬さんたちはろくに運動をしていない
1498
お馬さんたちと同様
ろくに運動をしていなかった狐娘が同意した
狐娘﹁うん。急に働くのは良くない﹂
子狸﹁言い得て妙だな⋮⋮﹂
一理あるとか言い得て妙とか言ってれば
なんとなく賢く見えるのだと
子狸は学習していた
とにかく森は避けて歩く
大まかな方針は決まった
しかし出発してから一分ほどで
勇者一行は自らの計画の甘さを思い知ることになる
狐娘﹁おしっこ行きたい﹂
勇者﹁じつはわたしも﹂
子狸﹁⋮⋮⋮⋮﹂
子狸は断腸の思いで
変態せざるを得なかった
子狸﹁⋮⋮この場で済ませてくれませんか﹂
勇者﹁⋮⋮⋮⋮﹂
1499
狐娘﹁⋮⋮⋮⋮﹂
女性陣の視線たるや
氷河期の再来を思わせるものだった
妖精﹁⋮⋮⋮⋮﹂
とりわけ羽のひとの視線は
子狸の横にいるおれへと
冷たく降り注いでいる
なんですか
五二、住所不定のどこにでもいるようなてふてふさん
これがお前の育てた変態だよ
いまどんな気分だ
五三、王都在住のとるにたらない不定形生物さん︵出張中
知らんよ
遊びじゃないんだ
子狸よ、言ってやれ
1500
子狸﹁命が懸かってるんだ﹂
うんうん
だが勇者さんは一歩も退かなかった
勇者﹁恥を捨てて生き長らえることに、どれだけの価値があるとい
うの﹂
子狸﹁命だろ!﹂
語彙は少ないものの
子狸さんがいいことを言った
でも打ち返された
勇者﹁それは、あなたが決めることじゃないわ﹂
暮らしが保証されている貴族の一員として育ったから
勇者さんは人間の尊厳を重んじる
それでも子狸が反論したのは
骨のひとたち殺害未遂事件の影響によるものか
子狸﹁おれは間違ってない。好きなひとに生きていて欲しいと願う
のは当然だ﹂
どさくさに紛れて告白した
勇者﹁⋮⋮好きなの?﹂
1501
子狸﹁ん? おっと、あぶないあぶない。その手には乗らないよ。
お嬢は策士だからね⋮⋮まったく油断も隙もないったら﹂
本人は危ういところで回避したつもりらしい
勇者﹁特殊な趣味をしているのね⋮⋮﹂
勇者さんは冷静だ
びっくりするほど脈がない
子狸は大仰に肩をすくめた
子狸﹁不治の病というやつさ。おっと、これ以上は言えないな﹂
内股になってもじもじしている狐娘が
勇者さんの服の裾をくいくいと引っ張る
狐娘﹁アレイシアンさま、変態は放っておいて行こう﹂
勇者﹁そうね。行きましょう﹂
去り際に勇者さんがちらっと子狸を見る
子狸は言った
子狸﹁わかった。おれが囮になる﹂
男には
戦わねばならないときがあるのだ
1502
五四、火口付近在住のとるにたらない不定形生物さん
やだ、この子狸さん男前⋮⋮
1503
﹁おれのおとなりさんは陸上最強生物﹂part4
五五、王都在住のとるにたらない不定形生物さん︵出張中
森は自然の宝庫だ
草木の成長には水が欠かせないから
大きな森には木々を維持するだけの水源が必ずある
植物は大地に根を張るものだから
土地が痩せないよう種を遠くまで運ぼうと
旬の季節には果実を育む
種を運ぶのは動物たちの役割だから
おいしい果実には多くのチャンスが与えられることになる
動物たちの中でも
猛獣と呼ばれるものは
たくさんの栄養を摂取し
それに見合うだけのカロリーを消費することで
アニマル界に君臨することを許された猛者たちだ
人間はどうか?
彼らは森で暮らすには貧弱な生き物である
獲物を追う嗅覚もなければ
捕食者から逃げる脚もなく
1504
肉を裂く爪も
骨を砕く牙も
彼らには具わっていない
子狸﹁はっ、はっ、はっ﹂
森を駆ける子狸
妙にしっくり来る構図だが
四足獣が持つ生来のスピードには及ぶべくもなかった
しきりに背後を気にしているのは
追われているという自覚から来るものだろう
縄張りを荒らすよそものを
茂みに潜んだ動物たちが
胡散臭そうに見つめている
樹上では鳥たちがぎゃあぎゃあと喚き
闖入者の存在を一帯に布告していた
囮を買って出た子狸だったが
とくべつなことをする必要はなかった
火口のんの標的が
あきらかに自分へと向いていたからだ
勇者一行で
いちばん厄介なのは羽のひとだ
とにかく速すぎるし
接近を許せばサンドバックにされる
1505
狐娘は問題外
つたなすぎる
だが人質としての価値はありそうだ
勇者さんは孤立させてしまえばいい
箱入り娘が一人旅を続けられるほど
自然界は甘くない
子狸は手頃なまとだ
コイツがいなくなれば
勇者一行の生活力は麻痺する
あとは簡単だ
多少つつけば
パーティーは呆気なく崩壊するだろう
子狸﹁⋮⋮!﹂
子狸が藪を抜けると
横手に立て札が見えた
火気厳禁とある
子狸﹁しまった⋮⋮!﹂
なにが?
だが火口のんが
ここを決闘のフィールドに選んだのは確かなようだった
1506
子狸﹁上か!?﹂
頭上から撃ち放たれた触手を
とっさに子狸は体を開いてかわした
操られまいとする
糸繰り人形のようだ
動きに騎士ほどの安定感はないが
感覚の鋭さで補っている
退魔性が低い人間は
先触れの感知力が高くなる
だが退魔性が低い⋮⋮
すなわち魔法への親和性が高い人間は
それだけ魔物のアクションに幅を与えてしまう
雷のように降り注ぐ触手から
子狸は必死で逃げ回る
子狸﹁チク・タク・ディグ!﹂
余裕はなくとも詠唱はできる
そうなるよう鍛えた
頭上に前足を突き上げた子狸をあざ笑うように
火口のんは高速で樹上を行き来している
1507
触手の伸縮を利用して
木から木へと渡っているのだ
認識の外へと働きかける
概念的な魔法の使い方は
射程超過の制限に絡めとられる
だが子狸の親和性の高さなら
勘に頼った投射魔法も通るだろう
動きを先読みしたのか
空中で直角にカーブした圧縮弾が
火口のんを追尾する
これを火口のんは触手で打ち払ってガード
反撃に無数の触手を伸ばして
八方から子狸を狙う
子狸﹁アルダ・グレイル・ディグ!﹂
子狸の新技炸裂
周囲に浮かび上がった黒球が
高速で回転して触手をなぎ払った
五六、住所不定の特筆すべき点もないてふてふさん
おい。なにしれっとパクってんだ
1508
それ、おれのダークネス☆スフィアじゃねーか
五七、管理人だよ
違いますぅー
おれの新技
暗黒舞踊って言うんだ
五八、海底洞窟在住のとるにたらない不定形生物さん
勇者さんに対抗して
必殺技を編み出したつもりらしい
五九、空中庭園在住のとるにたらない不定形生物さん
というか
ダークネス☆スフィアの劣化版だな
規則性がある
六0、王都在住のとるにたらない不定形生物さん︵出張中
港町で羽のひとを苦しめたダークネス☆スフィアは
規則性を排除するために
おそらく何通りかの攻撃パターンを
あらかじめ作ってあった
1509
子狸の暗黒舞踊とやらは
スピード重視なのか
それとも力量の不足によるものか
一定の規則性に従って運動している
黒球の隙間を縫って攻撃するのは
火口のんにとってさして難しくなかった
子狸﹁くっ、強い⋮⋮!﹂
暗黒舞踊を解除した子狸が
素早く後退して直撃を避ける
これは無理だな。負けるわ
すでに術中に陥ってる
体勢を立て直した子狸が反撃に出る
子狸﹁パル・エリア・ラルド!﹂
骨のひとはごちゃごちゃと何か言っていたが
人間たちの武器が廃れたのは
けっきょくのところ
それが必要とされなかったからだ
槍は手元で伸び縮みしないし
放たれた矢は空中で直角に曲がったりしない
もちろん刃先が分裂するなんてこともありえない
1510
騎士たちがたまに使っている光の鞭は
おれたちの触手を真似たものだ
目には目を
触手には触手だ
子狸﹁ディグ! 伸びろ!﹂
先端が分裂した光の鞭を生成した子狸が
激しい追撃の合間に
前足を突き上げた
幾条もの光線が虚空を走る
⋮⋮異能持ちと呼ばれる人間がいる
異様に勘が鋭かったり
距離を隔てた人間と交信したりする連中だ
そうした人間たちを
おれたちはどうやって出し抜いてきたか
答えはこうだ
子狸の足元
ひそかに土壌を掘り進んだ火口のんの触手が
ポンポコのお腹を直撃した
子狸﹁あ!?﹂
がくりと片ひざを折る子狸
1511
子狸﹁ぬう⋮⋮!﹂
集中すればするほど
人間の視野は狭まる
ふだんは見えるものが
見えなくなる
注入された睡眠欲に抗おうとする子狸だが
しょせん無駄な足掻きだ
おれたちのレクイエム毒針は
肉体に干渉するものではない
火口﹁⋮⋮⋮⋮﹂
樹上から触手に吊り下がった火口のんが
子狸の眼前に降り立つ
開放レベル1の魔法をぶつければ
それで終わる
⋮⋮儚い生き物だ
手を伸ばせば届く距離
ひとことの詠唱で逆転できる
しかし、おれたちの奥義を受けたものが
まともに魔法のイメージを結ぶことなど不可能だ
1512
子狸﹁⋮⋮お嬢⋮⋮すまない﹂
そう言い残して
子狸の上体がぐらりと揺れた
子狸、敗れたり
火口﹁⋮⋮⋮⋮﹂
深い眠りに落ちた子狸に
火口のが
ゆっくりと地面を這って近付く
自らのテリトリーに侵入した愚かなポンポコを
見下すかのようだ
きゅ、と身体をねじる
茂みから飛び出した勇者さんが
聖☆剣を振り下ろしたときには
火口のんはふたたび樹上へと飛び上がっていた
追撃の死霊魔哭斬は不発に終わる
勇者さんは地面に突っ伏すと
子狸の頬をぴしぴしと叩いて
切れ切れに言った
勇者﹁なんで⋮⋮走るの⋮⋮﹂
1513
極めて退魔性が高い勇者さんは
聖☆剣の秘匿性も相まって
奇襲向きのユニットだ
まず気配が読めない
しかし森の歩き方は素人だ
足音を忍ばせることもできない
だから火口のんにとって
彼女の接近は筒抜けだった
火口﹁終わりだ﹂
隠れひそんだ火口のが
はじめて口を開いた
立ち上がった勇者さんは凛としているが
どう見ても疲弊している
子狸を追って無理をしたのだろう
汗と土にまみれていた
火口のは続けた
火口﹁何故と⋮⋮言ったな。どうやら自覚がないらしい﹂
にゅっと触手を伸ばして
子狸の前足に巻き付けた
1514
火口﹁お前を危険から遠ざけるためだろう。こいつには、お前を守
ろうという気持ちはあっても、守ってもらおうという気持ちはない
のだ。だから一人で先行する﹂
勇者﹁⋮⋮⋮⋮﹂
勇者さんは、ひたすら呼吸を整えている
火口﹁じっくりと考えてみることだな。おれは妖精と決着をつけに
行く﹂
この布陣なら
羽のひとは勇者さんに命じられて
狐娘の護衛についているはずだ
なにも言い返さない勇者さんに
火口のは畳みかけた
火口﹁こいつは連れて行くぞ。文句はあるまい? お前には、こい
つの手を取る資格がない﹂
ぐいと子狸を引っ張り上げようとする火口のんに
しかし勇者さんの手元で聖☆剣が閃いた
半ばから断ち切られた触手を
火口のんがするすると引き上げる
火口﹁⋮⋮わからん小娘だ。まあ、いい。好きにしろ﹂
そう言って、木の幹に触手を巻き付ける
1515
この場をあとにするつもりだ
次の標的は狐娘
そして最後に羽のひとだろう
どのみち勇者さんには
子狸を背負って歩く体力などない
レクイエム毒針は魔法ではないという設定になっているから
退魔力で子狸の眠りを打ち破ることはできない
可能といえば可能なのだろうが
火口のが阻止するだろう
子狸を置いて戻るか
それとも羽のひとを信じて朗報を待つかの二択だ
その程度のことは
勇者さんにもわかっているはずだった
火口のんは
勇者さんを羽のひとから引き離すよう画策した
勇者さんは火口のんの裏を掻いたつもりで
まんまと罠にはめられたのだ
いや、たとえどちらに転んだとしても
子狸を欠いた勇者一行は機能しなかっただろう
子狸の引き離しに成功した時点で
火口のんの勝利は決まっていたようなものだ
1516
自然界の厳しさを体験したことがない勇者さんは
火口のんの企みを看破することはできなかった
彼女の負けだ
そして子狸を眠らせたということは⋮⋮
いまか? いまなのか?
六一、火口付近在住のとるにたらない不定形生物さん
そう
奇跡というものは
自分たちの手で掴み取るものだからな
もう逃げられないぜ子狸ぃ⋮⋮
??﹁ドミニオン!﹂
来ました
やぶの向こうから
甲高い少女の声が響いた
放物線を描いて飛んできた魔どんぐりが
空中で閃光を放って爆散する
まぶしい
1517
おれ﹁ちっ⋮⋮! 嗅ぎつけられたか﹂
光がおさまると
一人の少女が勇者さんの横で
樹上のおれを睨んでいた
??﹁また悪さをしてたのか、メノゥポーラ!﹂
彼女は足元に転がっている子狸に気が付いて
おお、と女の子らしからぬ感嘆の声を上げた
??﹁同志ポンポコ? 同志ポンポコじゃないか!﹂
土魔法と呼ばれる魔法がある
人間にしか使えない⋮⋮
いや、正確には二番回路が生み出した
本来は存在しないはずの魔法である
人間なら誰でも使えるというわけではなく
大自然への愛が一定の領域を突破した人間のみが
習得条件を満たすことができるらしい
そして大自然への愛が極限の領域に達した人間は
なぜか判を押したように反社会的活動に走るのだ
もしも子狸が目を覚ましていたら
きっとこう言ってくれただろう
1518
子狸﹁現れたな、このテロリストめ!﹂
子狸にとってのトラウマであり
そして爆破魔の異名で知られる
国際指名手配犯を
ひとは
豊穣の巫女と呼んだ
勇者﹁同志﹂
有名人だ
おうむ返しに呟いた勇者さんが
じつは立っているのもつらかったのか
眠っている子狸の横で
脱力したようにぺたんと地面に座った
1519
﹁おれのおとなりさんは陸上最強生物﹂part4︵後書き︶
注釈
・土魔法
特定の条件を満たした人間にしか扱えないとされる魔法。スペル
は﹁ドミニオン﹂。
土属性、豊穣属性とも呼ばれ、その名の通り土を操ることができ
る。
水魔法と同様、土そのものを生成する魔法ではなく、浸食魔法か
ら分離した魔法の一種だと思われる。
海上でもない限り人間の足元には常に土壌があるため、強力な魔
法とされる。
植物を操ることはできないが、魔改造の実を生育したり兵器化す
ることもできるようだ。
習得するための特定の条件とは、大自然への信仰。
条件を満たした人間は、たいてい自然への回帰を声高に叫びはじ
める。
さらに高じると文明破壊に乗り出すものも⋮⋮。
1520
﹁おれのおとなりさんは陸上最強生物﹂part5
六二、かまくら在住のとるにたらない不定形生物さん
豊穣の巫女か
さすがパワースポット。大物がいるな
おれの家にもカイザーと呼ばれる猛者がいる⋮⋮
六三、山腹巣穴在住の現実を生きる不定形生物さん︵出張中
それ、くちばしの鋭いひとでしょ
六四、かまくら在住のとるにたらない不定形生物さん
そうですけど?
あれ? なんか見下してる?
アリア家か? アリア家ですか?
言っとくけど、人間なんて大したことないぞ
たまたま魔法の使用条件を満たしてただけで
見ろよ、この機能的なフォルム
1521
美しい流形線に加え
極寒の地に適応した脂肪の厚みときたら⋮⋮!
まさしくカイザーと呼ばれるに相応しいぜ
ぽんぽこぽーん!
あ、痛い! つっつかないで! ごめんなさい!
六五、火口付近在住のとるにたらない不定形生物さん
かまくらのが南極の覇者にどつかれている一方その頃⋮⋮
おれ﹁くっ、あと一歩のところで⋮⋮!﹂
勇者さんが巫女と接触したなら
もうこの場に用はない
木の幹に巻き付けた触手をしならせて
その反動で矢のごとく飛び去ろうとするおれを
巫女﹁ディレイ!﹂
先の閃光弾に仕込んでいた放射魔法に
盾魔法を連結した巫女が
内向きの力場で一帯まるごと包囲
あえなく弾かれるおれ
1522
六六、住所不定のどこにでもいるようなてふてふさん
おい
遊んでないで
さっさと撤退しろ
狐娘を連れて
おれ現場に急行中
お馬さんたちも一緒だ
火口のひとが登場して安心したのか
鳥さんたちは大人しくなってる
にも拘わらず
狐娘は勇者さんの居場所を正確に把握してる
これだから異能持ちは嫌なんだよ
理屈が通用しねえ⋮⋮
いちおう伏兵には気をつけろと言ってあるが
脇目も振らず一直線だ
まあ一分近く余裕があるから言わせてもらうけど
なんでお前らは勇者さんに対して厳しめなの?
じっくり考えろとか言ってたけど
悪いのは子狸だろ
言うこと聞かないんだから
1523
勇者さんに責はないよ
お前らは子狸に甘すぎる
六七、魔都在住の特筆すべき点もないライオンさん
そうか?
おれから言わせてみれば
てっふぃーは勇者さんに甘すぎるぞ
彼女はパーティーのリーダーなんだから
問題があれば対処するべきだと思う
そもそも子狸が独断専行に走りがちなのは
勇者さんが頼りにならないからだよ
実家の教育によるものか
大局を見る目はあるかもしれんけど
いざ戦いの場になると
細かいところで練度の低さが目立つ
子狸がエキスパートとは言わんけど
六八、住所不定のどこにでもいるようなてふてふさん
てっふぃーって言うな
1524
あのね、この際だからはっきり言うけど
おれは勇者さんのこと気に入ってるんだ
子狸の嫁として申し分ない素材だと思ってる
六九、王都在住のとるにたらない不定形生物さん︵出張中
おれは認めんぞ
剣術使いの嫁など⋮⋮
七0、海底洞窟在住のとるにたらない不定形生物さん
いや、あのですね、お二人さん⋮⋮
勇者さんにも選ぶ権利はあると思うんだが⋮⋮
七一、王都在住のとるにたらない不定形生物さん︵出張中
あ? 子狸さんの何が不満なんだよ
七二、空中庭園在住のとるにたらない不定形生物さん
はじまったよ⋮⋮
こうなると長いから
1525
火口の、いいから話を先に進めちゃって∼
七三、住所不定のどこにでもいるようなてふてふさん
だから子狸がどうとかじゃなくて
おれは勇者さんが気に入ってるから
バウマフ家に嫁入りしてきて欲しいんだよ
七四、空中庭園在住のとるにたらない不定形生物さん
構わず続行すんなよ!
まったくもう
ポンポコが巣穴に潜ると
すぐこれだよ⋮⋮
火口の∼
七五、火口付近在住のとるにたらない不定形生物さん
そうか。勇者さんは頼りにならないか
なら特訓だな。特訓しかない
七六、火山在住のごく平凡な火トカゲさん
1526
おれの出番か
七七、海底都市在住のごく平凡な人魚さん
早いよ。早い早い
いったいどうした
逸る気持ちはわかるけど
おさえて、おさえて
七八、住所不定のどこにでもいるようなてふてふさん
だが特訓というのは悪くないアイディアだ
本当ならおれが鍛えてあげたいところだけど
勇者さんに妖精サンボが合うとは思えん⋮⋮
あの骨どもは役に立たねーし⋮⋮
七九、海底洞窟在住のとるにたらない不定形生物さん
じゃあ歩くひとだな
誰か歩くひと呼んできて∼
八0、湖畔在住の今をときめくしかばねさん︵出張中
1527
あ? なんだよ
いま忙しいんだよ
あとにしてくれ
八一、空中庭園在住のとるにたらない不定形生物さん
なんで忙しいんだよ
鬼のひとたちがアリア家にいるんだから
お前はひまだろ
作業中に横槍を入れると
あのひとたち本気で怒るぞ
八二、湖畔在住の今をときめくしかばねさん︵出張中
子狸は寝てんの?
じゃあ、おれもこの際だから言わせてもらうけど
ばうまふベーカリーは装いも新たに
新装開店オープンセール開催してっからぁぁぁっ
八三、空中庭園在住のとるにたらない不定形生物さん
1528
ポンポコ一家が留守中に
何してくれてんだよお前はぁぁぁっ
八四、湖畔在住の今をときめくしかばねさん︵出張中
おれがいちばんうまくパンを焼けるんだよぉぉぉっ
八五、かつて管理人だったもの
おい。聞き捨てならねーぞ
おい。ふざけんな
お前におれの味が出せるって言うのかよ!?
八六、湖畔在住の今をときめくしかばねさん︵出張中
あほだろ、お前!
再現する必要なんてな
これっぽっちもねーんだよ!
なんとなくそうじゃないかな∼とは思ってたけど
お前、じつは頭わるいだろ!
この元祖狸が!
1529
八七、かまくら在住のとるにたらない不定形生物さん
! おい! 火口の!
足が止まってる!
王都の! 何してる!?
八八、山腹巣穴在住の現実を生きる不定形生物さん︵出張中
ああ、いいよ
王都のんの仕事は子狸が巣穴に潜ってからが本番だから
おれが実況する
軍団のほうは大将を足止めしてるから
スケジュールに余裕があるんだ
最初は顔見せ程度にしとこうかと思ってたんだけど
いざ構いはじめたら止まらなくなっちまってね
おれZ﹁おれだァーッ!﹂
はい、行ってらっしゃい
騎士A﹁くそっ、三歩か!﹂
1530
騎士B﹁だが悪くない⋮⋮!﹂
騎士C﹁警戒を怠るな! 囮かもしれんぞ!﹂
騎士D﹁狙撃はありません! 行けます!﹂
大将﹁⋮⋮見世物じゃねーぞ! 散れ、民間人ども!﹂
商人A﹁あ、大隊長っすか。お先っす﹂
商人B﹁お疲れっす。いつも大変っすね﹂
商人C﹁あの∼。戦争が起きるって本当っすか?﹂
騎士C﹁ノーコメントだ! 近寄るな、下がれ!﹂
混沌としてます
現地に飛びますね
おれ参上∼ぅ
どれどれ⋮⋮こほん
巫女さんの盾魔法に行く手を遮られ
ぽよよんと弾かれた火口のが
激動のばうまふベーカリーに気を取られて
硬直した一瞬
その瞬間を
1531
巫女さんは見逃さなかった
巫女﹁レゴ・タク・ロッド!﹂
舞うように半歩
誘うように片手を差し出すと
清らかに宙を撫でた手のひらの上で
雪の結晶が踊った
子狸と同じ年頃で
開放レベル3の魔法を扱えるのは
天に愛された
ひと握りの人間だけだ
つまり天才と称される人種である
本来ならば歓迎されてしかるべき
輝かしいまでの才能が
少し立ち位置を変えただけで
毒花のようにほころんで見えた
巫女﹁ブラウド・グノー!﹂
彼女を中心として放射された冷気が
急速に世界を白く染め上げる
凍土が走り
雪化粧の氷華が幾重にも咲き乱れた
とっさに勇者さんが子狸を抱き寄せたのは
1532
巫女さんの標的指定が
何を対象としたものなのか
判断しかねたからだろう
盾魔法で退路を断ち
殲滅魔法で仕留める
一見すると一分の隙もない戦法だが
巫女さんは戦闘訓練を受けた人間ではない
大技に頼りすぎだ
巫女さんの封鎖が打ち破られたのは
火口のんが氷雪の牙にかかろうとした
まさにそのときだった
盾魔法は外部の干渉を弾く魔法なので
内側からの干渉にはもろい
今回のケースは内外を反転させているので
外部からの攻撃ということになる
力場を刺し貫いた触手が
狙い違わず火口のを拾い上げた
火口B﹁つかまれ!﹂
火口A﹁すまん!﹂
絡み合う手と手
1533
かつて港町で死闘を演じた二人だったが
わだかまりは解けたようである
火口Aを救出するついでに
Bは子狸を回収しようとしたが
これは勇者さんに阻まれた
からくも氷結を免れた火口のんが
矢のように飛んで森の中を駆け去っていく
巫女﹁逃げられた⋮⋮!?﹂
巫女さんは悔しそうだ
標的を捉えきれなかったことで
彼女の魔法はイメージを逸脱して霧散した
おれたち魔物が
致命傷を負うと消滅するというのは
なにもまるっきり嘘というわけでもない
過去に何度か試してみたが
飛び出せ宇宙すると流れ星みたいに燃え尽きて
ぱっと消える
魔法みたいに
今度は三段式ロケットで行ってみようと思う
夢がひろがる
1534
勇者﹁⋮⋮⋮⋮﹂
火口のんが飛び去って行った方角を
勇者さんはじっと見つめていた
聖☆剣はとうに仕舞ってある
これまでずっとそうしてきたように
人前で晒すことは避けたいのだろう 巫女﹁ん∼⋮⋮﹂
巫女さんは唇に指を当てて
勇者さんを見ている
おそらく二人は初対面同士で
共通した知人のポンポコは
一向に目を覚ます様子がない
巫女﹁だいじょう⋮⋮ぶ?﹂
けっきょく無難に声を掛けた
かすかに語尾が震えたのは
声に反応した勇者さんと目が合ったからだ
アリア家の人間は
たったそれだけのことで
他人に恐怖を与える
1535
本能的なものなのかもしれない
過激派で知られる豊穣の巫女だが
ふだんは朗らかな
ふつうの女の子である
勇者さんが言った
勇者﹁追いなさい﹂
第一声が追撃指令だった
巫女﹁え∼⋮⋮﹂
巫女さんはこの場を去りがたく感じているようだ
勇者﹁時間が惜しいの。報酬なら﹂
お金の力で解決しようとする勇者さんだったが
物音に気付いて指令を取り下げた
勇者﹁⋮⋮待って。やっぱりいいわ。この場で待機﹂
木陰に入ると遠目には
蛍の群れが飛んでいるようにも見えた
羽のひとだ
あとに続くお馬さんたちは
1536
森の動物たちが気になる様子で
しきりに周囲を見回している
獣道もなんのその
茂みの中を腹這いになって
ほふく前進しているのが狐娘だ
巫女﹁ん⋮⋮。お連れさん?﹂
勇者﹁敬語で構わないわ﹂
少女が話しにくそうにしているのを察してか
勇者さんは待遇の改善を要求した
茂みを突破した狐娘が
勇者さんに駆け寄ろうとして硬直した
狐娘﹁!﹂
勇者さんは子狸を抱きしめたまま
巫女さんの挙動を観察している
その情景を目撃した狐娘が
どう思ったのかを
われわれは知るよしもない
彼女は巫女さんを見つめて
狐娘﹁⋮⋮敵は?﹂
1537
そう言った
巫女さんが答える前に
狐娘は正解に辿り着いたらしい
狐娘﹁あっちか。⋮⋮つぶす﹂
殺意をあらわに駆け出そうとする狐娘を
勇者さんが制止した
勇者﹁コニタ﹂
狐娘﹁⋮⋮⋮⋮﹂
狐娘は勇者さんに従順だ
自分の感情よりも
彼女の命令を尊重するぶん
子狸よりもずっと扱いやすい
とぼとぼと歩み寄ってくる狐娘に
勇者さんは簡潔に命じた
勇者﹁たくさん走って疲れたわ。手を貸しなさい﹂
狐娘﹁⋮⋮うん。わかった﹂
差し出された勇者さんの手を
狐娘はぎゅっと握る
1538
お馬さんたちを先導して
合流した羽のひとが
いちおう形だけでもと子狸の身を案じる
妖精﹁なに寝てんだ。起きろ﹂
勇者﹁毒持ちに刺されたの。解毒できる?﹂
羽のひとは手遅れだと言わんばかりに首を振った
妖精﹁あいつらの毒に治癒魔法は効きません。毒性は弱いのか、大
事に至ったという話は聞いたことないですけど⋮⋮﹂
ツボを刺激するので
むしろ健康に良いのだ
勇者さんが頷いた
勇者﹁そう。⋮⋮移動しましょう。この子を馬に﹂
疲弊している様子の彼女を
羽のひとは気遣った
妖精﹁少し休んでいきますか?﹂
勇者﹁いいえ。わたしも馬に乗って行くわ。土魔法の術者がいてく
れて良かった﹂
巫女﹁⋮⋮ん? わたしのこと?﹂
1539
勇者﹁あなた以外に誰がいると言うの﹂
これは勘付かれている
勇者さんの誘導尋問に
巫女さんはあっさりと引っかかった
巫女﹁同志ポンポコがいるじゃないか﹂
1540
﹁おれのおとなりさんは陸上最強生物﹂part5︵後書き︶
登場人物紹介
・狐娘
勇者さんがコニタと呼ぶ女の子。本名かどうかは不明だが、﹁コ
ニタ﹂というのは﹁たんぽぽ﹂のことである。
勇者さんの親衛隊を自称しているが、当の護衛対象からは就職す
るよう強く勧められている。専門的な訓練を受けた様子もない。
ふだんは黒装束で身を包み、狐を模したお面をかぶっている。必
要とあらばあっさりとお面を外すあたり、素顔を晒すこと自体に抵
抗はないようだ。
﹁異能﹂と呼ばれる不思議な力を持っていて、目には見えない念波
のようなものを発信できる。
この﹁念波のようなもの﹂を生き物にぶつけて、思念の型を取る
ことで読心術めいたことができるらしい。
旅がはじまった当初から勇者一行を陰ながら見守っていたが、魔
物だらけの幽霊船であるじの身を案じるあまり、軽率な行動に走っ
て見つかる。
そうした経緯から、あるじを危険にさらす不甲斐ない下僕︵子狸︶
を嫌っている。
もともとはアリア家に仕えている技術者集団の一員で、おもに食
べて寝ることを研究していたと本人たちは豪語していた。
養ってもらっている身分なので、雇い主の勇者さんに対しては絶
対の忠誠を誓っている。つまり彼女以外の人間に雇われる気はさら
さらない。
さいきんになって自分は忍の者とか言い出した。数々の忍法で子
1541
狸を幻惑するが、真偽のほどは甚だ怪しい。
1542
﹁豊穣の巫女﹂part1︵前書き︶
注釈
・並行呪縛
魔法の働きを自動化する高等術。開放レベル5。スペルは﹁エリ
アル﹂。﹁選択﹂の意。
変化魔法と異なる点は﹁条件付け﹂にあり、条件Aに対してBと
いう反応を自動で取るよう設定できる。
この条件付けを緻密に行うことにより、たとえば投射魔法に自動
追尾機能を与えることも可能だが、そうした用途は滅多に見られな
い。
おもな使い方はシミュレーターの作成で、とくに鬼のひとたち監修
のもとフ ァイブスターズがリリースしている﹁つの付きシミュレ
ーター﹂のシリーズは高い評価を得ている。歴代の世界の鎧シリー
ズを駆ってミッションをクリアしていくという内容だ。
協力プレイが可能で、現在のバージョンは一号機∼四号機までの
中から搭乗機を選んで出撃することになる。中でも、傑作として知
られる三号機は人気が高い。
設定上、開放レベル5を扱えるのは王種のみに限られるため、並
行呪縛の存在を知る人間はほとんどいないようだ。
1543
﹁豊穣の巫女﹂part1
二二三、住所不定のどこにでもいるようなてふてふさん
だから右だって、右
二二四、火口付近在住のとるにたらない不定形生物さん
しつこいなぁ⋮⋮
せっかく隠し扉を見つけたのに
放っておく手はないって
さんざん話し合っただろ
二二五、かまくら在住のとるにたらない不定形生物さん
まあ、わからんでもないがな
王都のんと手口が一緒なんだよ
このマップ
全体的に造りがいやらしいっていうか
製作側の悪意をひしひしと感じる
二二六、王都在住のとるにたらない不定形生物さん︵出張中
1544
おれは関係ないだろ
二二七、山腹巣穴在住の現実を生きる不定形生物さん︵出張中
まあまあ⋮⋮例えばの話だよ
お、魔いちごドロップした
火口の∼
二二八、火口付近在住のとるにたらない不定形生物さん
おう。すまんな
二二九、かまくら在住のとるにたらない不定形生物さん
お前、いちいち突っ込みすぎなんだよ
四号機は高機動型なんだから
あんまり前に出るな
だから大人しく三号機にしとけって言ったのに⋮⋮
二三0、火口付近在住のとるにたらない不定形生物さん
見えるひとが使ってるの見て
ちょっと憧れたんだよ
1545
いいだろ、少しくらい試したって
二三一、海底洞窟在住のとるにたらない不定形生物さん
あのひとの操縦センスは異常だからな
憧れる気持ちはわかるが⋮⋮
あれ、行き止まりだ
二三二、住所不定のどこにでもいるようなてふてふさん
! 罠だ!
二三三、空中庭園在住のとるにたらない不定形生物さん
ヒントを出し惜しみしておいて
隠し通路で罠とかっ⋮⋮
二三四、魔都在住の特筆すべき点もないライオンさん︵出張中
性格が悪すぎる⋮⋮!
誰だよ、このマップ作ったの!?
二三五、古代遺跡在住のごく平凡な巨人兵さん
1546
え? おれですけど⋮⋮
二三六、かまくら在住のとるにたらない不定形生物さん
そんな気はしていた
二三七、火口付近在住のとるにたらない不定形生物さん
見た瞬間、やばい、確実に殺りに来てるって思ってた
ああぁ⋮⋮損耗率が30越えた⋮⋮
二三八、王都在住のとるにたらない不定形生物さん︵出張中
さらばだ、火口の
ぽちっとな
二三九、火口付近在住のとるにたらない不定形生物さん
お前かよ!?
二四0、王都在住のとるにたらない不定形生物さん︵出張中
おや、子狸さんに覚醒の兆し
1547
二四一、海底洞窟在住のとるにたらない不定形生物さん
つまり政治が悪い
二四二、かまくら在住のとるにたらない不定形生物さん
一概にそうとは言えまい
民主主義、じつに結構
だが、しょせんは政治の素人だ
二四三、火口付近在住のとるにたらない不定形生物さん
その素人すら納得させられないで
なにがプロフェッショナルだよ
停滞した社会に喝を入れるには
徹底した分権しかない
分権だッ!
二四四、王都在住のとるにたらない不定形生物さん︵出張中
熱く語っているところすまんが
そろそろ子狸が起きそうなので
1548
またの機会にしてくれ
では、あらためて状況を説明する
火口のんの襲撃により
あわや全滅かと思われた勇者一行だが
偶然にも通り掛かった少女の加勢により
魔物の撃退に成功する
少女の道案内で
森のテントに辿り着いた一行は
そこでひとときの休息を得るのであった⋮⋮
子狸﹁⋮⋮⋮⋮﹂
ぱちっと目を覚ました子狸が
のろのろと上体を起こして
ぼうっと虚空を見つめる
テントの中では
道案内をしてくれた少女と勇者一行が
情報交換をしているところだ
ちなみに子狸が眠っている間
おれたちは人類の未来について
熱く議論を交わしていた
ぼんやりと宙を眺めている子狸に
羽のひとと狐娘がひそひそと内緒話をはじめる
1549
妖精﹁⋮⋮テンション低っ。少しがっかりですね﹂
狐娘﹁がっかり﹂
うん、と頷いた狐娘に
子狸は腹を立てる様子もない
二四五、管理人だよ
うーん⋮⋮
二四六、住所不定のどこにでもいるようなてふてふさん
なんだ? どうした?
二四七、管理人だよ
いや、なんだろう
巫女さんの夢を見た
今頃どうしているのだろう
二四八、空中庭園在住のとるにたらない不定形生物さん
きっと今頃は
過去のあやまちを悔やんで
1550
更正してくれてるんじゃないか
二四九、管理人だよ
そう?
そうだといいなぁ⋮⋮
おれ、思うんだけど
あのひとって
巫女﹁おはよ∼﹂
おっと本人登場
いやいや⋮⋮え?
いやいや⋮⋮
二五0、王都在住のとるにたらない不定形生物さん︵出張中
まさかの本人登場に
子狸さんはいったん認識を拒否したようだ
にこやかに手を振る巫女さんから目を背けて
勇者さんに視線を固定する
勇者さんは、草で編んだ座布団の上に
女の子らしい仕草で座っていた
1551
子狸﹁おじょっ⋮⋮﹂
意識を失う前の
状況が状況だった
跳ね起きた子狸は
勇者さんに駆け寄ろうとしたものの
ふたたび巫女さんと目が合って硬直した
目覚めたばかりで
気持ちと身体がうまく噛み合っていないようだ
巫女さんがにこっと笑った
巫女﹁久しぶりだね、同志よ﹂
子狸﹁⋮⋮なんだ、夢か﹂
子狸はそう結論を下して
にこやかに対応した
子狸﹁お元気ですか﹂
ふだんならありえない態度だ
巫女﹁うん、お元気ですよ﹂
にこにこと
笑顔のまま立ち上がって
歩み寄ってくる巫女さん
1552
子狸も彼女に歩み寄ろうとして
子狸﹁本物だー!﹂
即座に逃走を図った
妖精﹁させるか!﹂
脱兎のごとく跳ねる子狸を
羽のひとの念動力が捕らえる
子狸が哀れっぽく鳴いた
子狸﹁てっふぃー!? おれを裏切るのか!?﹂
妖精﹁てっふぃーって言うな!﹂
子狸﹁でもおれには弟子がいるからね。愛弟子が。自慢の弟子さ﹂
ちらちらっと狐娘に合図を送る子狸だったが
彼女はいつにも増して辛辣だった
狐娘﹁お前と話すことは何もない﹂
子狸﹁⋮⋮あれ? 怒ってる?﹂
狐娘﹁怒ってない﹂
子狸﹁怒ってる女の子はいつもそう言う⋮⋮﹂
1553
人間には人付き合いというものがある
それなのに子狸は自分に正直であろうとするから
人間関係が破綻する
余計なお世話というやつだ
それでも子狸は
狐娘を放ってはおけない
力量不足を自覚しつつも
勇者さんを守ろうとしている彼女に
自分を重ね合わせて見ているからだ
子狸﹁⋮⋮わたあめ?﹂
狐娘﹁⋮⋮わたあめ﹂
え? どういうこと?
⋮⋮さっぱり意味はわからんが
仕方なさそうに応じた狐娘に
子狸は安堵したようだ
そして悲鳴を上げた
子狸﹁お、お前っ、それ以上、近寄るな!﹂
気付けば巫女さんが間近に迫ってきていた
1554
にこにこ、にこにこと
巫女さんは笑顔のまま
巫女﹁女の子をお前って呼ぶのはやめなさいって何度も言ったよね
?﹂
子狸﹁待て、話せばわかる﹂
二人の様子を
勇者さんは静観している
子狸に何を訊いても
適当な答えしか返ってこないから
第三者による尋問を期待しているのだ
すっかりおびえている子狸だが
勇者さんの手前、意地になったのだろう
子狸﹁ぬぬぬ⋮⋮!﹂
自身を奮い立たせて反撃に出た
子狸﹁お前っ⋮⋮! あ、ごめんなさい。君は、まったく反省して
ないな!﹂
巫女﹁なんのこと?﹂
巫女さんはすっとぼけた
その態度が
1555
また子狸の癇に障る
ポンポコは憤慨した
子狸﹁もう騙されないぞ!﹂
爆破魔の二つ名で知られる巫女さんが
いまだにお縄を頂戴していないのは
彼女の活動を陰で支える
協力者がいたからだ
つまり子狸のことである
ひとの善意を信じて疑わない
お花畑系の子狸にこうまで言わせるのだから
大したものだ
子狸の決意は固いと見て取ってか
巫女さんが神妙に頷いた
巫女﹁そうか﹂
モードが切り替わった
巫女﹁同志ポンポコよ、真実を知るときがやってきたようだな⋮⋮﹂
子狸﹁真実⋮⋮だと⋮⋮?﹂
巫女さんは本気だ
1556
豊穣属性に目覚めた人間は
個人差はあれど
世界のために戦いはじめる
それは善意だ
だから彼女は
優しい嘘を吐くときと同じ心持ちで
ひとを騙せる
自己犠牲の精神で
子狸を聖戦へと駆り立てるのだ
彼女は言った
巫女﹁この世界は滅びようとしている﹂
子狸﹁な、なんだってー!?﹂
子狸ぃ⋮⋮
1557
﹁豊穣の巫女﹂part2
二五一、火口付近在住のとるにたらない不定形生物さん
およそ千年前
人間たちは国という概念を持たなかった
ある一定以上まで集団が膨らみ
魔法使い同士の抗争が起きることを恐れたからだ
その時代
魔法使いは群れを率いる長であり
また秀でた術者が治める村は豊かな暮らしを約束されていたから
優れた資質を持って生まれた者は大いに歓迎されたし
将来を嘱望された
しかし連結魔法が普及したことで
やがて魔法はごく一般的な
日常生活を支える手段となった
その過程で神秘性が失われたとしても
利便性が損なわれるということはない
魔法の研究が進み
いつしか人間たちは
自分たちの魔法に限界があることを知った
いまとなっては
1558
学校を卒業する年頃になれば
開放レベル3を扱える人間というのは珍しくない
人間にはとくべつな存在になりたいという欲があるから
魔法への情熱を燃やせるのは一部の
熱心な研究者だけということになる
豊穣の巫女は魔法にとり憑かれた人間だ
活動家であると同時に
若くして名を知られた研究者でもある
二五二、王都在住のとるにたらない不定形生物さん︵出張中
モノローグありがとうございます
洗練されたリアクションをとる子狸に
巫女さんは気分を良くする
生真面目な表情を保っているが
両手を腰に当てて胸を張るのは興が乗ってきた証拠だ
巫女﹁文明を否定するつもりはない。それは素晴らしいものだろう。
だが、本当にこのままでいいのか?﹂
演説し慣れている
両腕を広げると、ゆったりとした袖が
純白の翼のようにも見えた
1559
人目を惹くよう計算され尽くした衣裳だった
巫女﹁そう遠くない未来、大衆は気が付くだろう。そうなってから
では手遅れなんだ﹂
そう言って彼女は
びしっと人差し指を子狸に突き付けた
巫女﹁なぜ自覚しないのか? 千年後の子孫たちが苦しむとしたら、
それは現代を生きるわたしたちの責任ではないのか? 人間は常に
歴史の分岐点にいる!﹂
子狸﹁⋮⋮!﹂
巫女﹁わたしに付いて来い、同志ポンポコ。新しい世界を見せてや
る。わたしに力を貸してくれ﹂
子狸﹁同志シャルロット!﹂
感銘を受けたらしい子狸が
巫女さんとがっちりと握手を交わした
巫女さんの名前はシャルロット・エニグマと言う
一時期は偽名を使っていたようだが
あまり意味がないとわかってからは本名で通している
子狸は感激していた
子狸﹁やっと更正してくれたんだね! 長かった⋮⋮!﹂
1560
巫女﹁んむ! 目が覚めたよ⋮⋮否! 使命に目覚めたと言うのか
な⋮⋮爽快な気分だ﹂
このやりとり何度目だろう⋮⋮?
おい。ポンポコ。騙されてるぞ
二五三、管理人だよ
失礼なことを言うな!
おれにはわかるんだよ。彼女の目を見ればね
きれいな目をしている
濁りのない眼差しをしてるじゃないか⋮⋮
もともと悪い子じゃないんだ
二五四、空中庭園在住のとるにたらない不定形生物さん
そうなんだよなぁ⋮⋮
みじんの悪意も感じられないのが
本当に恐ろしい⋮⋮
いや、巫女さんの思想を否定するつもりはないんだよ
正しいことを言ってるとは思う
ただ、もう少し手段を選んで欲しいというか⋮⋮
1561
なんで最終的には爆破という結論になるんだ?
二五五、住所不定のどこにでもいるようなてふてふさん
巫女さんの主張を
黙って聞いていた勇者さんが
ぽつりとつぶやいた
勇者﹁⋮⋮豊穣の巫女﹂
その声に巫女さんが振り返る
巫女﹁あれ? 話したっけ? ああ、貴族だもんね。物知りなんだ﹂
彼女に勇者さんは
自分が貴族であることを打ち明けている
立ち居振る舞いで
貴族の一員であることを看破されたからだ
巫女﹁さすがはピエトロ家のお嬢さんだ。ごめんね、べつに騙すつ
もりはなかったんだけど﹂
アリア家は有名すぎるから
同じ大貴族で剣士の家名を騙っている
小貴族でもよかったのだろうが
二重の嘘は真実が露呈したときに
1562
心証を大きく損なうだろう
一部の人間が大多数の人間から搾取する貴族社会は
巫女さんが戦いを仕掛けている枠組みの一つだ
彼女の思想に真っ向から対立するのが
いまの暮らしに満足している人間なのだから
巫女さんの言葉にはトゲがある
巫女﹁でも、お互いさまだよね。アレイシアン・ピエトロさん?﹂
勇者さんは構わず続ける
勇者﹁本名はシャルロット・エニグマ。公立学校で優秀な成績を修
め、高等部への進学を確実視されるも学校を中退﹂
諳んじているのは
巫女さんの履歴だ
勇者﹁中退後、各地を転々としながら公共施設の無軌道な破壊を繰
爆破魔
﹂
り返す。死傷者はなし。綿密に計算された犯行とその手口から⋮⋮
ついたあだ名が
巫女﹁ショックだなぁ⋮⋮そんなふうに呼ばれてるんだ?﹂
巫女さんは自分の二つ名を知らなかったらしい
巫女﹁べつに爆破が目的ってわけじゃないんだけどね。言葉だけじ
ゃ人は変わらないでしょ。行動しなくちゃ﹂
1563
いつだって彼女は前向きだ
おどけて自分の二の腕を誇示する年上の少女に
狐娘がおびえていた
狐娘﹁⋮⋮なんなんだ、お前は。アレイシアンさまに近付くな﹂
巫女﹁? さっきまで仲良くお喋りしてたのに。どうしちゃったの
?﹂
巫女さんは表情が豊かだ
悲しそうにする彼女に
子狸が慌てて事情を説明した
子狸﹁お腹が減って気が立ってるんだよ。黒雲号と豆芝は?﹂
巫女﹁いきなり名前を言われてもわからないってば。ごはん持って
来るから、テントの外には出ないでね。面倒なことになる﹂
子狸﹁手伝うよ﹂
巫女﹁うん。じゃあ悪いけど、腹筋しててくれる? 無理にとは言
わないけど⋮⋮﹂
子狸﹁! やるよ! 腹筋!﹂
その場に寝そべって腹筋をはじめる子狸
子狸の扱いを熟知している
1564
おそろしい少女だ⋮⋮
筋トレと聞いては
おれも黙っていられない
子狸﹁ふんっ、ふんっ、ふんっ﹂
おれ﹁角度が浅い! 深く! もっと深く!﹂
子狸﹁そうだ! 見てくれ! もっとだ!﹂
灼熱のポンポコキャンプが幕を開けた
テントを出て行こうとする巫女さんに
勇者さんが声を掛ける
勇者﹁わたしには、一人の国民としてあなたを通報する義務がある
わ﹂
どれだけ崇高な理想を掲げようとも
巫女さんが犯罪者であることは変わりない
しかし巫女さんの反応は予想外のものだった
期待にほころぶ瞳が
勇者さんを見つめた
巫女﹁後世の歴史は、たぶんわたしを肯定するよ。それでも?﹂
勇者﹁そんなことは誰も証明できないわ﹂
1565
巫女﹁わかるよ。自然は循環するよう出来てる。どこかが狂えば、
ぜんぶおかしくなる。人間がそう。だから、いつか破綻する﹂
勇者﹁⋮⋮人類は滅ぶべきだと?﹂
巫女﹁それは極論だね。わたしは人間のこと好きだよ? 好きだか
ら、本当に美しいものを残してあげたいと思う。あなたは違うの?﹂
この手の問答で
巫女さんを打ち負かすのは無理だ
なぜなら彼女が言ってることは
圧倒的に正しい
ひとつも間違ったことを言ってないのだから
論破するのは不可能だ
勇者﹁それもそうね﹂
勇者さんは納得した
勇者﹁あなたは政治家になるべきだわ。そうしなさい﹂
生き方を強要されて
巫女さんは儚げに微笑んだ
巫女﹁貴族に生まれてたらそうしたかもね﹂
平民に生まれた人間が
1566
生涯を通して王国の政治に関わる機会はない
おれの要求に応えて力尽きた子狸︵貧弱︶が
視線を通い合わせる二人を見つめて
いかにも無念そうに言った
子狸﹁お嬢は、女の子にモテるよね⋮⋮﹂
狐娘﹁⋮⋮⋮⋮﹂
ひそかに狐娘が同意していた
勇者﹁⋮⋮なにを言ってるの?﹂
子狸﹁ああ、自覚がないんだ⋮⋮﹂
非モテ派の子狸だから
勇者さんが醸し出すモテるもののオーラを感知できたのかもしれ
ない
巫女さんと勇者さんは
なんだか仲良しになりそうである
勇者さんに軽く手を振って
テントを出て行く巫女さんの足取りが軽い
二五六、山腹巣穴在住の現実を生きる不定形生物さん︵出張中
なんで子狸はモテないんだ?
1567
二五七、海底洞窟在住のとるにたらない不定形生物さん
残酷なことを訊くなよ⋮⋮
二五八、管理人だよ
なんでだろうね⋮⋮
二五九、かまくら在住のとるにたらない不定形生物さん
おれなりに検証してみたんだが
⋮⋮聞きたいか?
二六0、管理人だよ
参考までに聞かせてもらおうか
二六一、かまくら在住のとるにたらない不定形生物さん
そうか。後悔するなよ?
⋮⋮ビジュアルじゃねーのかな
1568
二六二、火口付近在住のとるにたらない不定形生物さん
終わった⋮⋮全てが
二六三、管理人だよ
ひとの本質は内面にこそ表れるものだよ
二六四、かまくら在住のとるにたらない不定形生物さん
そうね。でもイケメンなら心が汚いってことにはならねーから
むしろ自分に自信を持てるだろうし
女の子に意識されるから
気配りとかも出来るわけよ
おれたちの子狸さんは
いったいどこで対抗するの?
勇者さんのことが好きなら
しっかりと考えておかなくちゃだめだぜ
二六五、管理人だよ
男はハートで勝負だろ
1569
二六六、空中庭園在住のとるにたらない不定形生物さん
わかってねーな⋮⋮
ハートに逃げてる時点でだめなんだよ
この際だから言うが
お前はあらゆる点で勇者さんに負けてる
二六七、山腹巣穴在住の現実を生きる不定形生物さん︵出張中
そうだな。今日はとことん語ろう
おれが思うに
子狸にはセクシーさが足りない
二六八、管理人だよ
セクシーとな?
二六九、山腹巣穴在住の現実を生きる不定形生物さん︵出張中
焦るな
少しずつ改善していこう
歩くひと、いる?
1570
二七0、湖畔在住の今をときめくしかばねさん︵出張中
呼んだかい?
二七一、空中庭園在住のとるにたらない不定形生物さん
あれ、フレンドリーだ⋮⋮
二七二、山腹巣穴在住の現実を生きる不定形生物さん︵出張中
子狸をモテ派にしたい
どうしたらいいかな?
二七三、湖畔在住の今をときめくしかばねさん︵出張中
うーん⋮⋮
制限解除して無双すれば?
ちょうど緑のひともいるし
二七四、管理人だよ
よし、やるか
1571
二七五、火山在住のごく平凡な火トカゲさん
来るか、ポンポコよ⋮⋮
二七六、王都在住のとるにたらない不定形生物さん︵出張中
おちつけ
緑のひとと殴り合えるような人間は
ちょっとどうかと思うの⋮⋮
たくましいとか
そういうレベルを超越してる
おれは子狸の意見に賛成だなぁ⋮⋮
大切なのは気持ちだと思う
ためしに勇者さんにウィンクしてみろよ
二七七、管理人だよ
わかった
ていっ
勇者﹁⋮⋮?﹂
1572
ときめいた様子はないな
狐娘﹁アレイシアンさまに色目を使うな﹂
生意気な弟子め
おれ﹁お嬢さんをおれに下さい!﹂
狐娘﹁誰がやるか﹂
おのれ。こうなったら⋮⋮
おれ﹁お嬢!﹂
勇者﹁なに﹂
おれ﹁おれと一緒に逃げよう﹂
勇者﹁どこへ?﹂
おれ﹁どこがいい?﹂
勇者﹁⋮⋮ちょっと、こっちへいらっしゃい﹂
二七八、住所不定のどこにでもいるようなてふてふさん
手招きされて
ほいほいと歩み寄る子狸
1573
勇者﹁座って﹂
子狸﹁⋮⋮コニタとか言ったな﹂
狐娘﹁なんだ、とつぜん﹂
何の前触れもなく
初対面のときに済ませておくべきイベントを消化しはじめた
子狸﹁お前はお嬢のとなりに座るんだ﹂
狐娘﹁⋮⋮もう座ってる﹂
子狸﹁いや、違う。もっと密着して﹂
狐娘﹁こうか?﹂
子狸﹁⋮⋮少し角度が気に入らんが⋮⋮まあいいだろう﹂
よくわからんが
子狸なりに狐娘を気遣っているらしい
勇者さんはされるがままになっている
とりあえず正座したポンポコに
彼女は切り出した
勇者﹁あなた、土魔法も使えるの?﹂
1574
子狸﹁その質問は秘書を通して欲しい﹂
おれ﹁秘書などいない﹂
子狸﹁おれが政治家になったら、クリスくんを秘書にしようと思っ
てる﹂
その仮定はあまりにも無意味ではないのか⋮⋮
しかし歌の人を秘書に任命したことで
子狸は﹁どうだ?﹂と言わんばかりの顔をしている
土魔法に関する質問を
完璧に封じたつもりでいるのだ
つまり状況証拠は揃ったことになる
勇者﹁そう。使えるのね﹂
子狸﹁何故わかった!?﹂
子狸は愕然とした
狐娘﹁本気でびっくりしてる⋮⋮﹂
驚愕する子狸を
狐娘が不思議な生き物を見るような目で見た
この瞬間
子狸の格付けがあきらかに
1575
狐娘を下回ったのだ⋮⋮
1576
﹁豊穣の巫女﹂part3
二七九、管理人だよ
バレた⋮⋮!
⋮⋮とでも言うと思ったか?
二八0、海底洞窟在住のとるにたらない不定形生物さん
なんぞ?
二八一、火口付近在住のとるにたらない不定形生物さん
なんぞ?
二八二、管理人だよ
以前のおれとは違うということだ⋮⋮
この程度のことは想定内さ
とっておきの秘策があるんだ
1577
二八三、かまくら在住のとるにたらない不定形生物さん
おお⋮⋮
二八四、山腹巣穴在住の現実を生きる不定形生物さん︵出張中
おお⋮⋮
二八五、王都在住のとるにたらない不定形生物さん︵出張中
とうとう子狸が本気を出す日がやって来たのか⋮⋮?
勇者さんに指摘されて
いったんは驚いてみせた子狸だが
すぐにおちつきを取り戻して
ふっ⋮⋮と鼻で笑った
子狸﹁ふふ⋮⋮ふははははっ!﹂
高笑いがさまになっている
いつでも悪の幹部になれるよう特訓した成果だった
妖精﹁の、ノロくん⋮⋮?﹂
哄笑を上げる子狸に
羽のひとは戸惑いを隠せない
勇者﹁⋮⋮⋮⋮﹂
1578
心なし目元を険しくした勇者さんに
子狸は言った
勝利を確信した笑みだった
子狸﹁証拠は? おれが土魔法を使えるという証拠はあるのか?﹂
証拠の提示を求める時点で⋮⋮
秘策とは何だったのか
二八六、魔都在住の特筆すべき点もないライオンさん︵出張中
残念。これは残念
二八七、住所不定のどこにでもいるようなてふてふさん
じつに残念⋮⋮
二八八、火山在住のごく平凡な火トカゲさん
残念だなぁ⋮⋮
二八九、管理人だよ
お前らは、そうやってしょっちゅう残念がるけど
1579
おれの深遠な⋮⋮
⋮⋮深遠?
深遠だよ
深遠な
二九0、王都在住のとるにたらない不定形生物さん︵出張中
もう深遠が残念⋮⋮
という使い方をする
深遠。形容動詞。奥深くて簡単には理解できないこと。
∼
勝ち誇る子狸
勇者さんは提案した
勇者﹁⋮⋮ドミニオンって十回言ってみて﹂
子狸﹁ドミニオンドミニオンドミニオン︵以下略︶﹂
勇者﹁土魔法のスペルは?﹂
子狸﹁ドミニオン!﹂
勇者﹁これあげる﹂
そう言って勇者さんが差し出したのは
非常食の魔どんぐりだった
1580
受け取った子狸が魔どんぐりを掲げる
子狸﹁ドミニオン!﹂
巫女さんは土魔法で魔改造の実を兵器みたいにしてしまうが
おれたちの子狸さんはそんなことしない
みなぎる魔どんぐり
子狸の手を離れて
ふわりと浮遊すると
一度、かすかに揺れて
柔らかな光があふれだした
秘薬の原材料にもなる魔改造の実は
未解明な部分も多いが
抽出できる成分は種によって異なる
子狸﹁嗚呼⋮⋮﹂
虹どんぐりの威光に打たれて
子狸がせつなく鳴いた
子狸﹁あなたが、神か﹂
勇者&妖精&狐娘﹁⋮⋮⋮⋮﹂
二九一、樹海在住の今をときめく亡霊さん
1581
魔どんぐりの中に神を見た子狸
一方その頃⋮⋮
第一ゲート付近の森の中で
倒れ伏した騎士たちが苦しそうにうめいていた
かろうじて意識を保っている騎士Aに
おれは歩み寄り
足で背中を踏みつけにした
おれ﹁弱すぎる。騎士の質もだいぶ落ちたな﹂
天才的な魔法使いと言えば
知名度も手伝って豊穣の巫女が有名だが
本来的に連結魔法は大人になれば
たいていの人間が同じ頂に到達できる
そこから、さらに先
魔法をいかに効果的に運用していくかを追求していったのが
特装騎士と呼ばれる人間たちだ
同じ騎士ではあるが
チェンジリング☆ハイパーを修めた純正の騎士とは
まったく方向性が異なり
いかなる状況にも対応できるよう訓練された
個人技のスペシャリストたちである
おれ﹁この程度の人間がトクソウとは﹂
1582
おれB∼Dも嘆いている
おれB﹁おぉ⋮⋮おぉ⋮⋮﹂
頭を抱えて苦悶のうめき声を漏らすばかりだ
丸まった背がびくびくと蠕動していた
あれ、なんか違うな、これ
折り畳み式ヘルの後遺症に苦しむ同胞たちを
いまはそっとしておこうと思う
騎士A﹁っ⋮⋮!﹂
罵倒を浴びせるおれを
騎士Aが首をひねって肩越しに睨んだ
義憤に燃える目をしている
自分たちが正しいと
盲目的に信じきっている人間の目だ
おれ﹁いい目だ﹂
おれは騎士Aの頭を掴んで
乱暴に地面に押しつけた
おれ﹁ここはおれらの庭みたいなもんだ。裏を掻けると思ってんじ
ゃねーぞ⋮⋮﹂
1583
騎士たちの戦士としての全盛期は
二十代後半から三十代半ばと言われている
物事に例外はつきものだから
中には早熟な者もいるが⋮⋮
この騎士たちはそうではない
まだ駆け出しの若い騎士ばかりだ
おれ﹁誰に言われて⋮⋮と訊いたところで無駄だろうな﹂
騎士A﹁なに⋮⋮?﹂
ここ一年ほど騎士団の暴走が相次いでいる
裏で糸を引いているのは、おそらく王国貴族だろう
帝国、連合国と連動していることから
もしかしたらアリア家以外の大貴族かもしれない
彼らはバウマフ家ほどではないにせよ
おれたちの事情に通じている
最終的に自分たちが勝つとわかっているから
無謀な作戦を実行に移せるのだ
何かを試しているのか? それとも⋮⋮
現時点では何とも言えない
1584
おれ﹁⋮⋮いずれにせよ、一歩遅かったな。おら、見ろ﹂
子狸さんが眠っている間に
すっかり日が暮れてしまった
腐っても特装騎士ということか
だいぶ手こずった
やぶの向こうには大きな沼地がある
ぽっかりと浮かんだ月の下
点々とした林の一つが
ざわざわと揺れた
静かだ
先ほどまで
ひっきりなしに飛んでいた砲火と怒号が
ぴたりとやんでいた
騎士A﹁⋮⋮!﹂
騎士Aの目が見開いた
黒々とした人影が
林を突き破って立ち上がるさまを見たのだ
今しがた、ひと仕事終えたかのような仕草だった
細長い手足に長大な尾⋮⋮
1585
人間のシルエットに近いが
その全身は強靭な鱗で覆われている
月明かりに照らされて
鱗のひとが勝利の雄叫びを上げた
おーん⋮⋮
狼さんの遠吠えに似ていた
騎士Aの身体がわなわなと震えている
それは恐怖だ
騎士A﹁全、滅⋮⋮﹂
信じられない
信じたくないといった様子である
だが事実だ
先行した実働部隊は
鱗のひとの手によって全滅した
どれだけ頭数を揃えようと
中隊長がいなければ話にならない
おれはあざ笑った
おれ﹁出直してこい。何度でも。そのたびに叩きつぶしてやる﹂
1586
騎士Aの首筋に手刀を落として
おれは夜空に浮かぶ月を眺めた
あの月に、いつか⋮⋮
二九二、火山在住のごく平凡な火トカゲさん
相変わらず、いい鱗してやがる
二九三、沼地在住の平穏に暮らしたいトカゲさん
よせよ、照れるだろ⋮⋮
お前の鱗もなかなかのもんだぜ
二九四、湖畔在住の今をときめくしかばねさん︵出張中
鱗トークやめろ
二九五、墓地在住の今をときめく骸骨さん︵出張中
じゃあ骨について語ろうぜ
二九六、迷宮在住の平穏に暮らしたい牛さん
1587
おい。なにをこそこそと一服してんだ。働け
二九七、墓地在住の今をときめく骸骨さん︵出張中
牛さん牛さん
二九八、迷宮在住の平穏に暮らしたい牛さん
なんだよ。忙しいんだよ。いいから働け
二九九、墓地在住の今をときめく骸骨さん︵出張中
あのね、おれたちが忙しいのは
牛さんが人間と似てるからだと思うの
ためしに牛さんの比率をぐぐっと上げてみたらどうかな?
牛魔人だモゥ∼みたいな☆
三00、迷宮在住の平穏に暮らしたい牛さん
あ?
三0一、墓地在住の今をときめく骸骨さん︵出張中
1588
いえ、何でもないっす。忘れてください
三0二、樹海在住の今をときめく亡霊さん
抵抗もむなしく連れ去られていく骨であった
子牛みたいに
三0三、湖畔在住の今をときめくしかばねさん︵出張中
ちょっと∼。牛のひと、あんまり骨っちを手荒に扱わないでよね
鎖骨とか案外もろいんだから
三0四、迷宮在住の平穏に暮らしたい牛さん
わかったよ。気をつける
鎖骨ね⋮⋮
三0五、墓地在住の今をときめく骸骨さん︵出張中
子狸、がんばれよ
おれもがんばる
お互い⋮⋮強く生きような
1589
三0六、管理人だよ
おう!
あれ? もうひとりは?
三0七、沼地在住の平穏に暮らしたいトカゲさん
おじいちゃんと決闘してるよ
三0八、海底洞窟在住のとるにたらない不定形生物さん
ただでさえ忙しいのに
グランド狸が足を引っ張るのか⋮⋮
三0九、管理人だよ
きっと、おじいちゃんには何か考えがあるんだよ
三一0、王都在住のとるにたらない不定形生物さん︵出張中
ポンポコどもの庇い合いほど
見ていて虚しいものはないな⋮⋮
1590
さて、勇者さんの追及は
巫女さんが戻ってきたことで打ち切りになった
本日の晩ごはんはなべである
隙をついてテントを抜け出そうとする子狸を
巫女さんが押しとどめた
巫女﹁じっとしてて。馬の世話はわたしたちがやるから﹂
子狸﹁黒雲号は人見知りするんだよ。豆芝はそうでもないけど⋮⋮﹂
勇者﹁でも暴れたりはしないわ。魔物たちも動物を襲うことはしな
い﹂
反論する子狸に、勇者さんが冷静な意見を述べた
巫女さんも同意する
巫女﹁だよね∼。この中にいれば安全だし、わざわざ出て行くこと
ないよ﹂
あきらかに口裏を合わせている
巫女さんの主張に共鳴した人々は
彼女の命で世界各地に散っているが
この島には五人の側近を連れてきている
その全てが女性だ
男女間のいさかいを避けるためだろう
1591
勇者一行が羽を休めているテントは
遮光性の盾魔法で構築された開放レベル3の堅陣だ
つまりレベル2以下の魔物が
これを突破するのは容易ではない
巫女さんは勇者一行と一緒になべを囲んだ
子狸は、まだ納得していないようだったが
明日からは馬小屋で一緒に寝ればいいと説得されて
いちおうは納得した
子狸﹁豆芝はね、友情の証として託されたんだ﹂
記憶が美化されていた
久しぶりの再会だったので
子狸と巫女さんは盛り上がっている
巫女﹁学校は辞めたの? 退学?﹂
子狸﹁まさか。世界を見て回ろうと思って﹂
巫女﹁そうなの? リシアちゃんはディンゴに会いに来たって言っ
てたけど﹂
ディンゴというのは緑のひとのことだ
もともとは悪魔の化身とされていたので
ディーンとか呼ばれていたのだが
1592
社会への貢献を認められて呼称が変更したのである
勇者さんの目的を聞いて
子狸は意外に思ったようだ
子狸﹁そうなの?﹂
勇者﹁⋮⋮⋮⋮﹂
勇者さんは黙々となべをつついている
代わりに狐娘が口を開いた
狐娘﹁ごはんを食べてるときくらい黙れないのか﹂
子狸﹁ごはんは楽しく食べるものだよ﹂
反抗期の娘さんがいる食事風景のようだった
食後も勇者さんは口を閉ざしたままである
子狸はぴんと来ていないようだが
勇者さんは自分の身分を隠していて
緑のひとに会いに行くというのも
勇者として用事があるからだろう
話せるわけがない
日が落ちてから外を出歩くのは危険だ
食後、勇者一行は明日に備えて早めに寝る⋮⋮べきなのだが
1593
妖精﹁もっと早く!﹂
少し目を離した隙に
羽のひとがトレーニングを開始していた
狐娘﹁こう?﹂
妖精﹁遅い! 反応を上げて!﹂
狐娘が生成した人型の標的を
羽のひとのこぶしが次々と粉砕していく
変化魔法で動かしているようだが
いま一つ反応がにぶい
子狸﹁下がれ。お前のテクニックで彼女を満足させることはできな
い﹂
狐娘を押しのけて
子狸が羽のひとと向かい合った
妖精﹁選手交代ですか。⋮⋮ちょうど身体が温まってきたところで
す﹂
子狸﹁おれはコニタほど甘くはないぞ﹂
狐娘﹁呼び捨てにするな﹂
勇者﹁⋮⋮⋮⋮﹂
1594
勇者さんは少し離れたところで三人を眺めている
一方、巫女さんの子狸規制は徹底していた
お風呂はどうするのかと思って見ていたら
水を張った手桶を持ってきて
巫女﹁これで﹂
子狸﹁なんと⋮⋮﹂
女性陣がお風呂に行っている間に
テントの中で何とかしろということである
子狸﹁うおおおおっ! ポーラレイいぃぃっ!﹂
何とかしました 1595
﹁豊穣の巫女﹂part3︵後書き︶
登場人物紹介
・トカゲさん
人間が徒党を組んで倒せる限界と言われる、レベル3の一人。獣
人種。
骨格は人間に近しいものの、は虫類を彷彿とさせる外観をしてい
る。空のひとに匹敵する巨体の持ち主だ。
他の魔物たちからは﹁鱗のひと﹂と呼ばれる。
人間たちからは﹁メノッドロコ﹂と呼ばれることが多い。
強靭な鱗で全身を覆っていて、魔物たちの中でも屈指のタフネス
ぶりを誇る。
硬い、速い、強いと三拍子揃っていて、およそ非の打ちどころが
ない正統派のファイターである。
泥の上に寝転んでごろごろするのが好き。
1596
﹁豊穣の巫女﹂part4
三一一、住所不定のどこにでもいるようなてふてふさん
巫女さんの一味にとって
子狸を隔離するのはさして難しいことではない
テントの中で踊っているポンポコは
レベル2までしか魔法を使えないから
レベル3の魔法で閉じ込めてしまえばいいのだ
つまり裏を返せば
いまこの場で開放レベル3に開眼すれば
子狸は晴れて自由の身だ
子狸﹁ディレイ!﹂
泥臭い動きでテントの中をごろごろと転がった子狸が
盾魔法を足場に飛び上がると
渾身のポンポコパンチをテントに叩きつけた
子狸﹁アバドン!﹂
もちろん弾かれる
素早く前足を引っ込めた子狸が
ひざをたわめて着地の衝撃を軽減し
今度は後方へと飛んで距離を置く
1597
二度、三度と小刻みに跳ねながら
本命の詠唱をはじめる
子狸﹁レゴ・タク・ロッド・ブラウド・グノー!﹂
くるりと回って前足を振り上げるが
伝播魔法を連結した時点で不具合が発生した
処理速度が急激に落ち込み
イメージとの落差で立ち行かなくなる
子狸﹁っ⋮⋮ドロー!﹂
慌てて加速魔法で立ち直しを図るが
あとの祭りだ
雪の結晶が名残りを惜しむように舞う中
子狸はひざをついて悔しげに地面を叩いた
子狸﹁くそっ⋮⋮何がいけないんだ?﹂
思ったよりも気にしていたらしい
ポンポコウォッチングに興じていた勇者さんと狐娘が
振り返って巫女さんを見た
子狸にアドバイスできるとしたら
それは彼女しかいない
1598
二人の視線に気付いた巫女さんは
わざとらしく咳払いしてから
配下の女性に目配せした
出入り口を開放しろということだろう 子狸﹁ばかめ!﹂
ずっとこの機会をうかがっていたのだろう
顔を上げた子狸が
出入り口に向かってクラウチングスタートを切った
とつぜんのことに硬直した巫女さんの脇を抜けて
おれのボディブローに悶絶した
おれ﹁戻れ。おら﹂
お前のためだというのがわからんのか
おれは心を鬼にして
ひざから崩れ落ちようとする子狸を念動力で固定し
もう一度、今度はショートアッパー気味のボディブローを叩き込
んだ
子狸﹁おふっ!﹂
身体をくの字に曲げた子狸が
よろよろとテントの中に戻っていく
のたうち回る子狸に
1599
巫女さんが優しく声を掛けた
巫女﹁だいぶイイのが入ったけど⋮⋮大丈夫?﹂
子狸﹁⋮⋮十秒くれ﹂
宣言どおり、十秒後にはぴんぴんしていた
子狸﹁ふっ、こぶしが軽いぜ﹂
おれ﹁急所は外したからな。次はないと思え﹂
狐娘に続いてテントの中に入ってきた勇者さんが
ぴっと人差し指を立てておれを叱る
勇者﹁リン。もう少し手加減なさい﹂
おれ﹁はい。ごめんなさい﹂
子狸﹁やーい。怒られてやんの∼﹂
勇者﹁あなたも突拍子のない行動は慎みなさい﹂
子狸﹁はい。ごめんなさい﹂
勇者﹁よろしい。じゃあ仲直りの握手して﹂
おれ&子狸﹁はーい⋮⋮﹂
しぶしぶと歩み寄り
1600
おれと子狸はハイタッチした
勇者さんの情操教育は順調に進んでいる
おれたちのやりとりを眺めていた巫女さんが
いまさらながら首を傾げて言った
あとは寝るだけなので寝間着姿だ
巫女﹁同志ポンポコは、まだ上級魔法が使えないのか?﹂
子狸﹁ご覧の通りさ﹂
虚勢を張る子狸に巫女さんが講釈を垂れる
巫女﹁上級魔法は少しイメージとずれる。それを計算に入れないと
だめだぞ﹂
人間たちの魔法は開放レベル3が限度である
そのレベル3にしても無理やり使っているようなものなので
レベル2と同じ感覚で使おうとすると齟齬をきたして作動しない
のだ
子狸には何度も教えてきたことだが
こればかりはセンスの問題なのでいかんともしがたい
子狸は大仰に肩をすくめた
子狸﹁ご覧の通りさ﹂
念のために言っておくが誤植ではない
1601
このポンポコは魔法よりも
まず国語を何とかするべきである
巫女﹁あ、このひと絶対に理解してない! リシアちゃん、何とか
言ってやってよ∼﹂
巫女さんに泣きつかれて
勇者さんは言葉を選んだ
勇者﹁⋮⋮ひとには、向き不向きがあると思うの﹂
無理にレベル3に手を出すと
スランプに陥る可能性もある
勇者さんは無理強いしなかった
一方、狐娘は学校に興味があるようだ
狐娘﹁学校では習わないの?﹂
子狸﹁どうだろう? 中級とか上級とかややこしいんだよ﹂
おそるべきことに
呼称の段階でつまづいていた
子狸﹁コニタも大きくなればわかるよ﹂
狐娘﹁さわるな﹂
狐娘の頭を撫でようとして払いのけられている
1602
三一二、山腹巣穴在住の現実を生きる不定形生物さん︵出張中
狐娘は勇者さんに依存しすぎじゃないか?
三一三、空中庭園在住のとるにたらない不定形生物さん
勇者さんは狐娘に甘いからな
ふつうは他人が近寄ってきたら多少は意識するもんだが
勇者さんの場合はまったく身構える様子がない
ちいさい頃からずっと一緒だったから慣れてるんだろう
三一四、王都在住のとるにたらない不定形生物さん︵出張中
本人に甘やかしているという自覚がないんだろうな
ごく自然に手をつないでるときがある
さしもの子狸さんも嫉妬を禁じ得ないぜ
ともあれ就寝時刻だ
巫女さんが勇者一行と一緒に寝ると言い出したのは
いささか警戒心が薄すぎる気もするが
まあ妥当な判断だろう
現地の住民でもないのに
1603
港から遠く離れた森の中で魔物の襲撃を受けていた一行だ
監視下に置いておきたいだろうし
もしかしたら巫女さんは勇者さんの正体に察しがついているのか
もしれない
魔王と勇者は表裏一体の存在だ
魔王が復活したというなら
どこかで勇者が誕生していたとしても不思議ではない
そもそも、あのタイミングなら
聖☆剣を見られていたとしてもおかしくないのだ
三人娘をテントの外に連れ出そうとする巫女さんだったが
巫女さん﹁えっ、いつも一緒に寝てるの?﹂
寂しそうに鳴く子狸を問いつめたところ
これまで長らく同じ部屋で寝ていたことが発覚する
巫女さんは声をひそめて子狸に尋ねた
巫女﹁⋮⋮もしかしてコレっすか、ポンポコの旦那?﹂
小指を立てて、ちらりと勇者さんを見る
子狸﹁よせよ、照れるじゃないか﹂
子狸はまんざらでもない様子だ
1604
まあ⋮⋮未婚の男女が同じ部屋で寝泊りしていたら
恋仲を疑われても仕方がない
これには狐娘が黙っていなかった
狐娘﹁アレイシアンさまは、そんなのと恋人になったりしない﹂
そんなのが反論した
子狸﹁大切なのは本人の気持ちだと思う﹂
妖精﹁盛り上がってるのはお前だけですけどね﹂
羽のひとのツッコミは容赦がない
巫女さんは一般的な感性を持ち合わせているようで
子狸と同じ屋根の下で眠ることに難色を示している
巫女﹁え∼⋮⋮本当に一緒に寝るの?﹂
子狸﹁だぶるだ﹂
ダブったのはお前ですけどね
ぴっと二本指を立ててキメる子狸に
巫女さんは深いため息を吐く
巫女﹁わかったよぉ。寝顔とか見たら怒るからね!﹂
1605
そう言い残して、テントの中央を陣取っている三人娘と合流した
子狸はひとり寂しくテントの端で丸まっている
子狸﹁⋮⋮この仕打ちは何なんだろう﹂
世の不条理を嘆いていた
女三人で姦しいという言葉もあるが
勇者一行の三人娘はあまり無駄話をするタイプではない
子狸が枕を濡らしたのは
彼女たちを巻き込んで巫女さんがガールズトークをはじめたからだ
その輪から弾かれたポンポコの寂寥感たるや並大抵のものではない
巫女さんと羽のひとが明るく場を盛り上げ
狐娘が相槌を打ち
ときおり勇者さんがつぶやく
妖精﹁たまに鋭い目をしてると思ったら、リシアさんのこと見てる
んですよ∼﹂
巫女﹁ふむ。あやつめ、成長しおったな⋮⋮﹂
狐娘﹁アレイシアンさま、自分の身は自分で守らなくちゃだめです﹂
勇者﹁⋮⋮聞こえてると思うけど﹂
離れたところで
おれと子狸は脳内トークだ
1606
子狸﹁⋮⋮⋮⋮﹂
三一五、管理人だよ
おれたちも負けてられないな
お前ら、ボーイズトークしようぜ
三一六、海底洞窟在住のとるにたらない不定形生物さん
べつにボーイズでもないんだが⋮⋮
なに? 人型のひとたちを除いてってこと?
三一七、火口付近在住のとるにたらない不定形生物さん
おれは構わんが⋮⋮
傍目から見たら、お前が自分の話題に耐えきれず狸寝入りをして
いる現状に変わりはないぞ
三一八、かまくら在住のとるにたらない不定形生物さん
そもそもボーイズトークってなんだよ
1607
三一九、山腹巣穴在住の現実を生きる不定形生物さん︵出張中
まあまあ⋮⋮たまにはいいんじゃないか、こういうのも
じゃあ、こんな感じで
※ 以降、海のひと、羽のひと、牛のひと、歩くひとは閲覧禁止
ほい、スタート
三二0、管理人だよ
わくわくしてきた
むかし作った秘密基地を思い出さないか
三二一、沼地在住の平穏に暮らしたいトカゲさん
凄惨な事件だったな⋮⋮
歩くひとに引きずり出された骨のひとの悲痛な叫び声が
いまだ耳にこびりついて離れねえ⋮⋮
あの頃、子狸さんの土魔法は輝いて見えた
三二二、樹海在住の今をときめく亡霊さん
1608
やめよう、その話は⋮⋮
トラウマ以外のなにものでもない
三二三、魔都在住の特筆すべき点もないライオンさん
いや、待て
ひとつだけ聞いておきたいことがある
子狸よ、何故だ
なぜ、おれたちを裏切った
三二四、管理人だよ
え。よく覚えてないけど⋮⋮
女の子に逆らうとろくなことにならないと
お前らが教えてくれた気がした⋮⋮
三二五、魔都在住の特筆すべき点もないライオンさん
⋮⋮そうか。そうだな
ポンポコキャッスルは⋮⋮
不滅です⋮⋮
1609
三二六、火山在住のごく平凡な火トカゲさん
不滅です⋮⋮
三二七、管理人だよ
なんだよ! お前ら静かすぎるだろ!
盛り上がっていこうぜ
三二八、空中庭園在住のとるにたらない不定形生物さん
オチが見えるんだよ⋮⋮
見ろよ、いつも緑のひとに付きまとってる
でっかいのがノータッチじゃねーか⋮⋮
あのひと、本当に⋮⋮
個人主義っていうか
おれたちのこと平気で見捨てるよね
そのわりには噛ませ犬というか⋮⋮
憎めないところがある
三二九、火山在住のごく平凡な火トカゲさん
1610
あれはあれで優しいところもあるんだよ
で、子狸は勇者さんのことが好きなんだよな?
うちのお魚さんみたいなひとのことは、もういいの? 初恋なん
でしょ?
三三0、管理人だよ
いやいや、初恋というか⋮⋮
べっ、べつに勇者さんのこと、そういう目で見てねーし!
三三一、かまくら在住のとるにたらない不定形生物さん
なにをいまさら照れてんだよ
よくわからんやつだな⋮⋮
三三二、管理人だよ
そう言うお前らはどうなのさ?
けっきょく誰が誰を好きなのか
そろそろ、はっきりしてくれないか
1611
三三三、樹海在住の今をときめく亡霊さん
なんで恋愛感情が確定情報だよ
まあ、べつにいいけど⋮⋮
じゃあ、おれたちが言ったらお前も言えよな
三三四、沼地在住の平穏に暮らしたいトカゲさん
え? 四人のうちの誰かってこと?
それなら、おれは海のひとかなぁ⋮⋮
三三五、空中庭園在住のとるにたらない不定形生物さん
おれも海のひとかなぁ⋮⋮
三三六、魔都在住の特筆すべき点もないライオンさん
おれも⋮⋮
というか選択の余地がないよね⋮⋮
三三七、海底洞窟在住のとるにたらない不定形生物さん
1612
だよなぁ⋮⋮
家庭内暴力は避けられないにしても
せめて致命傷は避けたい⋮⋮
三三八、管理人だよ
えっ⋮⋮お前ら全員そうなの?
海のひと人気あるんだな⋮⋮
三三九、山腹巣穴在住の現実を生きる不定形生物さん︵出張中
おやおや? 子狸さん、動揺してます?
にやにや
三四0、火口付近在住のとるにたらない不定形生物さん
新しい恋に生きましょうよ∼
にやにや
三四一、かまくら在住のとるにたらない不定形生物さん
1613
文字どおり生きる世界が違いますからね∼
にやにや
三四二、管理人だよ
いやっ違うんだよ
おれは勇者さん一筋なんだけど
なんていうかね、うん
ちょっと意外だなって思って⋮⋮
三四三、住所不定のどこにでもいるようなてふてふさん
ふうん⋮⋮
三四四、樹海在住の今をときめく亡霊さん
もちろん羽のひとも可憐だよな
三四五、空中庭園在住のとるにたらない不定形生物さん
ああ、言うまでもないな
三四六、魔都在住の特筆すべき点もないライオンさん
1614
おれの場合は逆に近すぎて照れ臭いっていうかさ⋮⋮な? わか
るだろ?
三四七、沼地在住の平穏に暮らしたいトカゲさん
わかるよ
とくに接点はないけど
おれも逆に近すぎるっていうか
高嶺の花というかね、うん
三四八、管理人だよ
え? お前ら急にどうしたの?
三四九、山腹巣穴在住の現実を生きる不定形生物さん︵出張中
ときにお前ら
件の特装騎士に
名のある騎士はいなかったようだが
見えるひとはけっこう苦戦したようだな
ろくろやってる場合じゃないぜ
三五0、管理人だよ
1615
うん? うん
お前ら羽のひとのことも好きなの?
たしかに可愛いけど
まあ、わかる気もするかな
あのひと、こっそり治癒魔法かけてくれたりするんだぜ
三五一、かまくら在住のとるにたらない不定形生物さん
お前っ⋮⋮それはずるくねーか!?
それはずるいだろ!
気付いてないふりしてんだろ!?
三五二、管理人だよ
うん? うん
三五三、火口付近在住のとるにたらない不定形生物さん
こ、こいつ⋮⋮!
1616
三五四、湖畔在住の今をときめくしかばねさん︵出張中
楽しそうな話してんね
三五五、海底都市在住のごく平凡な人魚さん
明日も早いんだから
子狸はそろそろ寝たほうがいいぞ
おれたち、これからちょっと政治について話し合うから
三五六、管理人だよ
そうか。政治はむずかしい
わかった。お休み、お前ら
三五七、空中庭園在住のとるにたらない不定形生物さん
おれたちの夜明けは、いつなんだよ⋮⋮?
1617
﹁豊穣の巫女﹂part4︵後書き︶
注釈
・おれたちの秘密基地
秘密基地を作りたいとか言い出した子狸︵幼︶に魔物たちが協力
したことで起こった事件。
魔物たちの指導で子狸が土魔法でお城を作るというほのぼの路線
から一転、野心に目覚めた魔物たちがポンポコ王国の樹立を宣言し
たことで魔物同士の抗争に発展した。
いろいろとストレスがたまっていたらしい。
完成したポンポコキャッスルは、すでに子狸の手を離れて要塞と
化していた。
のちに羽のひとの手引きにより子狸の救出に成功。ポンポコ王国
は日の目を浴びることなく秘密裏に処理されたらしい。
1618
﹁王種降臨﹂part1
一、王都在住のとるにたらない不定形生物さん︵出張中
おはようございます、お前ら
朝ですよ∼
二、空中庭園在住のとるにたらない不定形生物さん
久しぶりにまじ説教されたわ
おれ、そういうキャラじゃねーのに⋮⋮
三、海底洞窟在住のとるにたらない不定形生物さん
子狸があんなんなったのは誰のせいとか言われても知らねーよ⋮⋮
気付いたらこうなってたんだよ⋮⋮
四、かまくら在住のとるにたらない不定形生物さん
だったらそう言ってやればよかったじゃねーか⋮⋮
だいたい、お屋形さまの血を引いてるんだから大丈夫とか
1619
強硬に主張してたのは人型のひとたちなんだけどな⋮⋮
おれは、なんかおかしいなと思ってたんだよ
はいはい一つ取っても
お屋形さまはもっと知性にあふれてたもん⋮⋮
五、火口付近在住のとるにたらない不定形生物さん
嘘を吐けよ
お前、人型のひとたちと一緒に動画を比較検証して
将来有望だ∼とか騒いでたじゃねーか⋮⋮
いまだから言うけど
はいはいなんざ、どこの子も一緒だよ⋮⋮
変わんねーって⋮⋮
六、王都在住のとるにたらない不定形生物さん︵出張中
朝からぐだぐだしてんなぁ⋮⋮
ほら、しゃきっとして!
われらが勇者一行は、いよいよ緑のひとの家に向けて出発するみ
たいだぞ!
七、火口付近在住のとるにたらない不定形生物さん
1620
まじでぇ∼?
なんかもうだるいわぁ⋮⋮
明日にしてくんない?
八、王都在住のとるにたらない不定形生物さん︵出張中
なんでわざわざ軟禁生活続行だよ!?
もう決まったことなの! うだうだ言わない!
九、管理人だよ
お前ら、おはよう
あのさ、なんか勇者さんがまたおかしなことを⋮⋮
一0、海底洞窟在住のとるにたらない不定形生物さん
え? そういう認識?
一一、空中庭園在住のとるにたらない不定形生物さん
まあ、勇者さんがいつも正しいとも限らん
1621
⋮⋮そうだな。たまにはいいだろう
ちょっとお前、おれたちに状況を説明してみろ
一二、管理人だよ
おう!
いや、コニタがさぁ⋮⋮
いつも同じ服を着てるわけよ
そりゃあ、バリエってやればすぐに乾くけど
⋮⋮ん? なんでだ? いや、よくわからんが
おれが乾かしてるのね
仕方ないから予定変更して
おニューの服を作ってあげようと思ったのさ
決意したと言ってもいい
決意を秘めたね。固く
で、せっかくだから驚かせてやろうと思って
どんな服が欲しいか訊いたのよ
いや、違うな。違った
身体測定しようって言ったんだ
王都のひとが服をNGワードにしてたからさ
他に言いようがなかったのね
あれ、違うな。なんか違う⋮⋮
1622
あ、思い出した
身体測定はあれだわ
コニタがどれくらい走れるのか知りたくて
おれ、師匠だからね
そしたら羽のひとに殴られた
事情を話したら
勇者さんが、それは身体測定じゃないって言うの
不思議だよなぁ⋮⋮
おしまい
一三、空中庭園在住のとるにたらない不定形生物さん
⋮⋮え?
一四、管理人だよ
え?
一五、かまくら在住のとるにたらない不定形生物さん
⋮⋮無理か
一六、火口付近在住のとるにたらない不定形生物さん
1623
ああ、無理だな
一七、海底洞窟在住のとるにたらない不定形生物さん
いささか子狸には荷が重かったか⋮⋮
王都の、頼むわ
一八、王都在住のとるにたらない不定形生物さん︵出張中
おう
まず、子狸が言ってたのは一週間前の出来事だ
言い聞かせても無駄だと思って
物理的に禁句を拘束したんだけど
意地でも服って言おうとするもんだから
しんじゃいそうで怖くなって解禁したのね
狐娘はいらないって言ったんだけど
もう本人の意思とか無関係になってたから
子狸さんは夜なべして
寝間着バージョンの黒装束をプレゼントしました
これで、この件はおしまい
ちなみに身体測定な
1624
子狸の中で、体力検定とごっちゃになってるみたいだ
まあ、子狸の場合は
年間を通して教官がちまちまと測ってたから
知らなくても無理はないね
測れるときに測るのが鉄則だから
バウマフ家の場合
まず趣旨を理解してねーし
異種格闘技戦か何かと勘違いしてる
さて、話を戻すが
勇者さんは緑のひとに何か用事があるご様子⋮⋮
日帰りすることを考えたら
早朝に出発したほうがいい
さすがに昨夜は夜間特訓を自重したもんだから
子狸は夜も明けないうちに活動をはじめて
テントの中で踊ってた
放っておくと夜行性になるから
今後とも夜間特訓は実施していきたいと思う
踊るポンポコはいったん放置して
巫女さん含む四人娘はテントの外へ
朝の身支度を済ませた四人が戻り
ダンシング子狸にエサを与える
1625
昨晩のなべの残り物を簡単に調理したものだった
食後、勇者さんは子狸を呼び寄せた
これから出発するにあたって
諸注意事項を言い含めておく必要があったからだ
彼女は言った
勇者﹁まず、勝手にどこか行かないこと﹂
子狸﹁そんな、幼児じゃあるまいし⋮⋮﹂
鋭い見識を述べる子狸さんに
勇者さんが続けて言う
勇者﹁わたしの言うことをきちんと聞いて、わからないことがあっ
たら言いなさい﹂
子狸﹁大丈夫だ。やれる﹂
謎の信頼は健在だ。絶対の自信をにじませる子狸
対する、勇者さんの決意は悲壮ですらあった
勇者﹁最悪の場合⋮⋮首輪をつけることになるわ。覚悟だけはして
おいて頂戴﹂
子狸﹁時代の波には、抗えんか⋮⋮﹂
どんなにそれが悲しいことでも
1626
受け入れなければならない日が、きっと来る
いかにも無念そうに天井を仰ぐ子狸であった⋮⋮
勇者﹁⋮⋮⋮⋮﹂
珍しく会話が成立している
欲が出たか? 勇者さんは一つ予定を繰り上げた
丸めた布を子狸に差し出して
勇者﹁はい、あげる﹂
子狸﹁⋮⋮?﹂
受け取る子狸
広げてみると
フード付きのマントだった
勇者﹁着てみて﹂
子狸﹁⋮⋮⋮⋮﹂
着てみた
大きなマントだ
ためしにフードをかぶってみると
なんだか王室直属の暗殺部隊みたいになってる
いや、知らんけど
1627
子狸﹁⋮⋮⋮⋮﹂
無言で佇むアサシンポンポコ
妖精﹁怖っ﹂
羽のひとが率直な感想を述べた
巫女さんもあとに続く
巫女﹁⋮⋮思ったよりもひでぇな⋮⋮﹂
子狸﹁⋮⋮⋮⋮﹂
すっ、と子狸が巫女さんのほうを向いて
心ないコメンテーターを
フードの奥からじっと見つめる
謎に包まれている子狸の生態だが
長年の調査が実を結び
幾つかの習性は判明している
フードをかぶると大人しくなるのだ
すっかり大人しくなった子狸に
勇者さんが事務的に質問を浴びせていく
勇者﹁気分はどう?﹂
1628
子狸﹁⋮⋮静かだな、ここは﹂
勇者﹁しばらくの間、その格好でいてね。忘れ物はない?﹂
子狸は少し悩んでから
ためらいがちに言った
子狸﹁過去を﹂
いつものことじゃねーか⋮⋮
まあ、たしかに子狸からしてみると
不思議に思えるかもしれない
おれたちがポンポコ相談教室を内々で推し進めているうちに
勇者さんは巫女さんとの打ち合わせを終えたようだ
⋮⋮狐娘が妙に大人しい
なんだ? 何かあるのか?
耳に手を当てて、うんうんと頷いている
狐娘﹁! アレイシアンさま!﹂
狐娘が勇者さんに飛びついた
テントの外が騒がしい
巫女さんが叫んだ
1629
巫女﹁伏せて!﹂
その直後、一瞬でテントが決壊した
野外に晒された面々を
びゅうと突風が叩いた
子狸﹁⋮⋮来たか﹂
知ったかぶる子狸が
フードを前足で押さえて
かすかに上を向く
その視線の先に、巨大な人影が浮かび上がっていた
やりやがった⋮⋮
一九、火山在住のごく平凡な火トカゲさん
き、貴様⋮⋮
まさか!?
二0、古代遺跡在住のごく平凡な巨人兵さん︵出張中
そのまさかだよ
緑のぉ⋮⋮
1630
おめーの出番、ねーから!
二一、王都在住のとるにたらない不定形生物さん︵出張中
まさかの王種出張である
周辺の大気全体が
静電気を帯びていた
勇者一行と巫女一味が
上空の巨影を唖然と見上げる⋮⋮
それ以外に何ができよう
見てくれは泥人形だが
本性というものがなく
近場の土砂で巨体を形成したものだ
舞い上がった砂が
徐々に手足を成していく
それらが派手な音を立てて
胴体とドッキングしはじめた
要所で変形する意味がわからない
不必要なまでに腰をひねり
こぶしを突き上げる
無駄に躍動感あふれたアクションだ
1631
垂れ流しのエネルギーが
雷光と化して全身をほとばしっている
主題歌まで流れはじめた
やりたい放題である
二二、海底洞窟在住のとるにたらない不定形生物さん
熱く∼燃える∼♪
二三、火口付近在住のとるにたらない不定形生物さん
命の∼たぎり∼♪
二四、かまくら在住のとるにたらない不定形生物さん
悪を∼砕けと∼♪
二五、空中庭園在住のとるにたらない不定形生物さん
心が∼吠える∼♪
二六、魔都在住の特筆すべき点もないライオンさん
1632
おれたちの∼愛と勇気の∼♪
二七、管理人だよ
の、の、の∼♪
二八、住所不定のどこにでもいるようなてふてふさん
︵溜め︶
二九、古代遺跡在住のごく平凡な巨人兵さん︵出張中
魔 装 合 体 !
おれ﹁お れ ガ イ ガ ー !﹂
ぱおーん
三0、王都在住のとるにたらない不定形生物さん︵出張中
お前、そんな名前じゃねーだろ
頭上で輝く光の輪っかが
一定の周期でつま先まで降りて
また戻ってくる
そのたびに耳障りな音を立てている
1633
合体して見得を切ったガイガーとか言うひとに
子狸と羽のひとが喝采を上げた
子狸&妖精﹁おれガイガー! おれガイガー!﹂
それ以外の人たちは
無言で見上げるばかりだ ふわふわと空中を浮遊しているガイガーとやらが
突き出したこぶしをゆっくりとおろした
三一、古代遺跡在住のごく平凡な巨人兵さん︵出張中
ふう⋮⋮
じゃ、帰るわ
三二、火山在住のごく平凡な火トカゲさん
え、帰るの?
三三、古代遺跡在住のごく平凡な巨人兵さん︵出張中
うん
1634
三四、住所不定のどこにでもいるようなてふてふさん
反転して飛び去っていくおれガイガーに
子狸が大きく前足を振った
子狸﹁ありがとう! おれガイガー!﹂
おれガイガーは振り返らない
誰かに感謝されることを望んでしまったら
心に刻んだあの日の正義が
色褪せてしまうとわかっているからだ
彼が振り返るとしたら
それは
果てなき戦いが終わりを告げた日なのだろう
ガイガー﹁さらばだ、子供たちよ!﹂
かくして、おれガイガーは去っていった
何をしに来たのかはさっぱりわからないが
なんだか清々しい気分だ
ありがとう、おれガイガー
1635
﹁王種降臨﹂part1︵後書き︶
登場人物紹介
・巨人兵さん
緑のひとを差し置いて登場したレベル5。王種と呼ばれる最高峰
の魔物、ファイブスターズの一角である。古代遺跡在住。
他の魔物たちからは﹁大きいひと﹂﹁でっかいの﹂と呼ばれるこ
とが多い。
設定上、魔獣種が束になっても敵わないとされる存在だ。
これという決まった形態を持たず、水と土を自在に操ることで巨
体を維持する。そのため破損してもすぐに再生できるし、同レベル
以上の魔法でしかダメージを与えられない。
お洒落ポイントは頭上の輪っか。譲れない部分であるらしい。
さいきん人間たちに人気がある緑のひとをライバル視しているふ
しがあり、人前に姿を現しては、真・おれレボリューション︵可変
合体機構︶を披露して去っていくという地道な活動を行っているよ
うだ。
しかし時代を先取りしすぎた感があり、人間たちにはいっさい理
解を示してもらえない悲劇の戦士。その名も﹁おれガイガー﹂。
たまに謎の覆面戦士の愛機として登場することがある。一方で復
活した古代文明の超兵器であったりもするので、両者があいまみえ
た場合は一人二役をこなす器用なひとである。
1636
﹁王種降臨﹂part2
三五、王都在住のとるにたらない不定形生物さん︵出張中
でっかいのが遠ざかっていき
豆粒みたいになっても
子狸以外の人たちは息を殺して
無事を祈り続けることしかできない
完全に見えなくなるまでは安心できないからだ
その理由を端的に述べるならば
開放レベル5の魔法を詠唱破棄した場合
実質的なレベルは2になる
つまりチェンジリングで対抗することは不可能なのだ
いや、理由は別にあるのかもしれない⋮⋮
街をつぶしてリフレッシュを促すのはレベル4のひとたちの仕事だ
レベル5のひとたちが人里を襲撃することはない
だから魔☆力は、都市級と呼ばれる魔王軍幹部の固有スキルとい
うことになっている
では、ここでお前らに問題です
人間たちは、どうあがいても王種には敵わないと認識しています
それは、いったいどうしてなのか?
1637
回答者は挙手を願います
はい! 緑のん! 緑のん早かった! さすが本人ですね
三六、火山在住のごく平凡な火トカゲさん
⋮⋮今朝、出勤するとき、やたらと犬が吠えてたから?
三七、王都在住のとるにたらない不定形生物さん︵出張中
うーん⋮⋮
お犬さんは関係ないですね∼
そもそも、われわれは基本的に無味無臭なので
動物たちからしてみると動くオブジェという扱いなんですね 残念。外れです
はい、次に早かったのは火口のん! チームブルーを代表してお
願いします!
三八、火口付近在住のとるにたらない不定形生物さん
⋮⋮猫? ふだんは愛想のないにゃんこが、その日に限っては甘
えてきた?
1638
三九、王都在住のとるにたらない不定形生物さん︵出張中
アニマルは関係ねえっつう話ですよ
動物たちからは離れて下さい
おっと、管理人さんが何か言いたそうにしてますね
少し意見をうかがってみましょう
子狸さん、どうでしょう? ばしっと答えてやって下さい
四0、管理人だよ
猫さんは犬さんみたいに吠えないよね。不思議なんだぜ
四一、王都在住のとるにたらない不定形生物さん︵出張中
あ、ふつうに会話するのやめてもらえます?
猫さんは群れを作らないので
大声で鳴く必要はあんまりないのですよ
⋮⋮てっふぃー? てっふぃーは、こういうとき参加して来ないね
なに? 恥ずかしいの? どうなの?
四二、住所不定のどこにでもいるようなてふてふさん
1639
開放レベル5なら、広域殲滅魔法の詠唱をスキップできるからな
そりゃ無理だろ
おれガイガーは去っていった
しかし子狸の横にはステルスした青いのが常時張り付いていて
ときどき、いらんちょっかいを出してくる
手拭いで絞られて漉されればいいのに
あんこみたいに
勇者﹁⋮⋮⋮⋮﹂
勇者さんは何か考え事をしているようだ
巫女﹁ええと⋮⋮﹂
王種登場の衝撃から逸早く立ち直った巫女さんが
硬直している面々をきょろきょろと見回している
そして彼女は見た
巫女﹁⋮⋮あ!﹂
子狸のフードが脱げていた
巫女さんが振り返る前に
彼女の袖を引っ張った側近の一人が叫んだ
??﹁同志シャルロット、離れて!﹂
1640
敵意に燃える瞳が子狸を見据えていた
??﹁まさか生きていたなんて⋮⋮ポンポコデーモン!﹂
子狸﹁おれをその名で呼ぶのは誰だ!?﹂
子狸の反応は素早かった
かすかに腰をひねり
その反動でぐるりと上体をひねる
わずかに開き、腰の高さでキープした前足がポイントだ
子狸の目が見開いた
子狸﹁げえっ!? お、お前は⋮⋮!﹂
洗練されたリアクションである
巫女さんを庇うように踏み出した人物は
かつて緑のひとが実施した生贄☆大作戦で
完璧な生贄っぷりと評された少女であった
われわれが子狸を隔離していたのは
彼女と子狸を遭遇させないよう気を遣っていたからだ
元生贄の少女が子狸に言葉の矢を突き立てる
生贄﹁あなただけは許さない! ここで決着をつける!﹂
もともと子狸が生贄☆大作戦に投下されたのは
1641
彼女に緑のひとの家から脱出してもらうためである
一度は心を許しただけに
じつは黒幕だったポンポコデーモンへの隔意は大きい
裏切り者と罵られた子狸は三日ほど立ち直れなかった
しかし、それも過去の話だ
子狸は猫背になると
前足を上下に開いて大蛇の構えをとった
さんざん勇者さんの剣術がどうこうと文句を垂れていた骨どもは
けっきょく余計なものしか残していかなかったようである
子狸があざ笑った
子狸﹁はっはァーッ! ディンゴに助けを請うだけの娘が、よくぞ
吠えたものだな!﹂
生贄﹁言いましたね⋮⋮! あのときのわたしとは違いますよ!﹂
子狸さんが止まらない
このポンポコには、他人の空似でしらを切ろうという発想がない
のか
このまま放っておいたらどうなるのか見ものではあるが⋮⋮
子狸&生贄﹁⋮⋮⋮⋮﹂
距離が︱︱
1642
距離が半端だ。余っている
これを狙ってやったとすれば
たしかに生贄さんは以前の彼女とは違う
絶妙の間合いだった
魔法には詠唱が必須だから
接近戦に持ち込むか否かが個人の感性に委ねられる距離というも
のがある
これがそうだ
上がるか下がるか⋮⋮
おそらく、最初の一歩で、雌雄が決する
挽回はないだろう
いまにもファイナルバトルへと突入しそうな二人に
巫女さんが仲裁に入った
生贄さんの肩に手を置いて
巫女﹁おちついて﹂
生贄﹁!﹂
生贄さんが気を取られた一瞬を子狸は見逃さなかった
とん、と地面を蹴ってひと息で距離を詰める
子狸﹁アバドン!﹂
1643
迫る前足を巫女さんが左腕で払った
子狸﹁ぬっ!?﹂
巫女﹁ドミニオン!﹂
子狸の服の袖を右手で掴み
勢いよく引き下げると同時に腰を落として反転する
とっさに踏ん張ろうとする子狸の後ろ足を
跳ね上がった巫女さんの足が刈り取った
︱︱狸車だと!?
四三、海底洞窟在住のとるにたらない不定形生物さん
注釈
・狸車
土魔法で土壌を操作し、相手の重心を崩すことで成立する投げ技
座標起点という縛りがあるため、身体を密着させた状態からでし
か優位を発揮できないという特徴がある
土魔法の平和利用を目指して羽のひとが考案し、子狸に伝授した
ポンポコ格闘術の一つである
1644
四四、王都在住のとるにたらない不定形生物さん︵出張中
巫女﹁さあっ!﹂
身体ごと巻き込んだ狸車が炸裂した
子狸﹁おふっ!﹂
地面に叩きつけられた子狸に巫女さんの体重がのしかかる
土魔法で土壌を柔らかくしていたようで
さほど深刻なダメージでもない
しかし子狸は澄みきった眼差しで青空を見つめて
子狸﹁⋮⋮強ぇな﹂
敗北を認めた
巫女さんは子狸を投げ飛ばした姿勢のまま
ちょっと引いている生贄さんに言った
巫女﹁確証はないけど、別人だと思うんだ。だって、ほら、羽が生
えてないだろ?﹂
あらかじめ生贄さんから話を聞いていたのだろう
ポンポコデーモンには漆黒の翼とふさふさの尻尾が生えていたの
である
1645
もちろん、おれたちからの贈り物だ
生贄﹁でも⋮⋮﹂
生贄さんは納得していないようだが
わずかに自信が揺らいでいる様子である
あとひと押し
巫女﹁リシアちゃんもそう思うよね?﹂
離れたところで見学している勇者さんが頷いた
勇者﹁仮に本人だったとしても、悪気はなかったと思うわ。手口が
稚拙すぎるもの﹂
なんてことを言うんだ
おれたちの苦労を知らないから
勇者さんはそんなことを言えるんだ⋮⋮ 四五、かまくら在住のとるにたらない不定形生物さん
だから、あのとき心理操作しとけって言ったじゃねーか
子狸=ポンポコデーモンという図式がバレると
おれたちの関与が疑われるぞ
四六、火口付近在住のとるにたらない不定形生物さん
1646
そんなこと言ったって仕方ないだろーが
子狸さんが失恋してブロークンハートしてたから
それどころじゃなかったんだよ
四七、住所不定のどこにでもいるようなてふてふさん
仕方ねーなぁ⋮⋮
ちょっとフォローしてやるよ
おれ﹁あのぉ⋮⋮﹂
巫女﹁なんだい、可愛い妖精さん﹂
相変わらずキャラが定まらない子だな⋮⋮
なんだかジゴロっぽいことを口走る巫女さんに
おれは生返事をしてから続けた
おれ﹁魔物がノロくんに化けても不自然じゃないと思いますよ。な
んだか魔物たちと縁があるらしいので﹂
生贄﹁⋮⋮そうですか﹂
ふらふらと歩み寄ってきた生贄さんが
おれの頬を人差し指でつついた
1647
ちょっ、やめれ
生贄﹁⋮⋮同志シャルロット。なんですか、この生き物は。可愛い
です﹂
くそが、巨大生物め
お前らが思ってるよりも、お前らに触られるのは怖いんだぞ⋮⋮
巫女﹁ああ、この島には妖精がいないからね﹂
生贄﹁妖精ですか⋮⋮﹂
おれ﹁リンカー・ベルと言います。つっつかないで﹂
とりあえず、子狸と生贄さんの確執については
おれの可愛らしさに免じて
いったん水に流してもらった
お前らは、おれを褒め称えろ
とくに子狸
四八、管理人だよ
嫌がるお前も可愛いぜ
四九、住所不定のどこにでもいるようなてふてふさん
しね
1648
とにかく出発することになった
巫女一味は定期的に緑のひとの家に通っているらしく
道案内はお手のものだ
このあたりの森には
魔物以外にも猛獣たちが暮らしているから
同行者が増えるのは双方にとっても悪い話ではない
豆芝さんに歩み寄ろうとする子狸を
ふたたび勇者さんが制止した
勇者﹁待って。あなたは先頭に立って敵襲に備えてもらいたいの﹂
子狸﹁おれもそうしようと思っていたところだ﹂
同様に、巫女一味からは生贄さんが露払いを務めることになった
この島で生まれ育った彼女には土地勘があるし
森の動物たちにも詳しい
当然の判断であると言えた
しいて苦言を呈すなら
ツートップの人間関係が出発前から軋轢を生じている点だろうか
巫女さんが小声で勇者さんに意見を求めた
巫女﹁どうする? 隊列を変える?﹂
勇者﹁いいえ、予定通り⋮⋮このまま行きましょう。大人数で移動
1649
するとき怖いのは安心感よ。自分は安全だと思う⋮⋮それがいちば
ん怖い。心配なくらいでちょうどいいわ﹂
おれは統率が乱れるほうが怖いと思うが⋮⋮
勇者さんの考えは異なるようだ
彼女は、おそらく巫女一味を信用していない
反対に巫女さんはどうだろうか?
彼女は、勇者さんのことを気に入っているように見える
表面上なものかもしれないが⋮⋮
巫女﹁みんな、危なくなったら同志ポンポコに頼るんだよ! 男の
子ですし! よろしく﹂
朗らかに笑うこの少女が豊穣の巫女だ
公然と貴族社会に反発し
家々を焼く
リンドール・テイマアの再来とも言われる女の子は
愛嬌たっぷりに微笑んだ
子狸﹁クリスくん⋮⋮まわりは女の子ばっかりだよ⋮⋮こんなとき
に君がいてくれたら⋮⋮﹂
子狸は異常な男女比率を嘆いていた
十人中じつに九人が女子である
ここまで来ると、さすがに喜びよりも孤独感が先立つらしかった
1650
1651
﹁王種降臨﹂part3
五0、樹海在住の今をときめく亡霊さん
ちょっと待ったぁ!
五一、住所不定のどこにでもいるようなてふてふさん
なんだよ。毎度のことながら、ふわっとしてんな、お前は
五二、樹海在住の今をときめく亡霊さん
てっふぃー!?
てっふぃーは、どうしておれたちに冷たいの?
ふだんは、もっと優しいのに⋮⋮
五三、住所不定のどこにでもいるようなてふてふさん
お前らのテンションがうざったい
さっさと用件を言えよ
1652
五四、樹海在住の今をときめく亡霊さん
あ、はい
お前らスルーしてるけど、大きいひとのあれはいいの? 許され
るの?
おれ、かなり自重してたんだけど
あれが容認されるなら今後の対応は変わってくるよ?
具体的には、ちょっと本気出す
五五、王都在住のとるにたらない不定形生物さん︵出張中
それは構わんが⋮⋮
一歩、出遅れたみたいだな
一行の進行方向に
歩くひとと骨のひとがひそかにスタンバイしてる
言うまでもなく森の中だ
歩くひとの指導のもと
骨のひとがパン生地を練っている
早くも旅シリーズの末期症状に突入したらしい
どいつもこいつも、好き勝手に動きはじめやがった⋮⋮
五六、樹海在住の今をときめく亡霊さん
1653
おい! どうしておれを誘ってくれないんだ!?
五七、墓地在住の今をときめく骸骨さん︵出張中
え、だってお前、忙しそうだったし⋮⋮
牛さんが寝てる間しか自由に動けないんだよ、おれ
五八、樹海在住の今をときめく亡霊さん
言ってくれればスケジュールなんてどうにでもするよ!
おれも混ぜて下さい!
五九、湖畔在住の今をときめくしかばねさん︵出張中
うん、わかった
次はお前も一緒にこねてあげる
六0、樹海在住の今をときめく亡霊さん
いや、パン生地になりたいと言ってるわけじゃないんだ
仕方ない、魔人のところに遊びに行くか⋮⋮
1654
六一、住所不定のどこにでもいるようなてふてふさん
魔人はそっとしておいてやれよ
なんていうか、レベル4でまともなのはおれくらいだよな⋮⋮
六二、魔都在住の特筆すべき点もないライオンさん︵出張中
え?
六三、住所不定のどこにでもいるようなてふてふさん
え?
六四、空中庭園在住のとるにたらない不定形生物さん
レベル4のひとたちは登場のタイミングを間違えると
大変なことになるからなぁ⋮⋮
ラストダンジョンにどちらを配置するか
それだけで、だいぶ状況が変わってくる⋮⋮
あとは大隊長しだいか
山腹のが動いて少し予定が狂った
前途多難で嫌になる
1655
まあ、何はともあれ⋮⋮
骨のひと、歩くひと、わかってるよな?
狐娘は勘がいい。くれぐれも気をつけてくれ
六五、湖畔在住の今をときめくしかばねさん︵出張中
抜かりはない
六六、墓地在住の今をときめく骸骨さん︵出張中
こねこね
六七、王都在住のとるにたらない不定形生物さん︵出張中
子狸がそっち行ったぞ
しかばね﹁おれグライダー!﹂
骸骨﹁おれグライダー!﹂
跳躍した歩くひとが、同じく跳躍した骨のひとの両手を掴んで投
げる
空中で歩くひとを追い越した骨のひとが、歩くひとの両手を掴ん
で投げる
その繰り返しで、理論上どこまでも飛んで行けるというわけだな
1656
まずありえないが
ぶんぶんと尋常ではない風切り音を立てて遠ざかっていく骨と怪
力娘
本当にやりたい放題だな⋮⋮
現場に到着した子狸が首を傾げる
子狸﹁⋮⋮? 気のせいか﹂
いや、絶対に聞こえてたでしょ
生贄﹁何か気になることでも?﹂
生贄さんが、光の鎌で草刈りしながら追いついてきた
まだ子狸を警戒しているようで、一定の距離を保ったまま返事を
待っている
子狸は言った
子狸﹁騎士はずるい﹂
とつぜん騎士をディスりはじめた
子狸﹁チェンジリング☆ハイパーとか反則だろ⋮⋮﹂
どうやら、ずっと気になっていたらしい
1657
おれたちも大概だが
ふとした会話で時空を超えるポンポコに生贄さんが絶句している
生贄﹁⋮⋮⋮⋮﹂
でも、なんていうか、そういう自分を飾らない子狸さんと話した
ことで
彼女はきっと言葉では言い表せない懐かしさみたいなのを感じて
くれたと思うんだ
生贄さんの表情は微妙だ
同じ場所に二人で固まっているのも効率が悪い
足早に立ち去ろうとする生贄さんだったが
最後に一度だけ足を止めて、小さな声で呟いた
生贄﹁⋮⋮あのときは、ありがとうございました﹂
緑のひとの家に単身で赴き
死を覚悟していた少女にとって
投下された子狸はどんなに勇気づけられる存在だったことか
暗く冷たい洞窟の中で
気丈に振る舞っていた小さな女の子の姿がだぶって見えた
ここは聞こえないふりをするのがマナーである
子狸﹁礼には及ばない﹂
ただ、子狸の研ぎ澄まされた聴力が
1658
彼女の言い逃げを許さなかった
それだけのことなのだ
お前もう隠す気ないだろ
生贄﹁⋮⋮⋮⋮﹂
二人がわかり合える日はやって来るのだろうか⋮⋮?
六八、住所不定のどこにでもいるようなてふてふさん
ぎゃあぎゃあと喚いているツートップの声が聞こえてくる
生贄﹁なんなんですか、あなたは!? もっとまじめにやって下さ
い!﹂
子狸﹁でも、このきのこは食べられるんだよ! 目を逸らしちゃだ
めなんだ。何よりも生きることから!﹂
人選を誤ったことは明白だった
勇者﹁⋮⋮⋮⋮﹂
黒雲号の背で、勇者さんは素知らぬ顔をしている
同乗している狐娘が、勇者さんにしがみ付きながら子狸の仕事ぶ
りを批評した
狐娘﹁しょせん素人。なってない﹂
1659
子狸を貶めることで
相対的に自分の地位を向上しようとしているのだ
勇者さんは気のない素振りをしているが
狐娘の教育には熱心である
勇者﹁コニタ、みっともないわよ。あなたは、あなたに出来ること
を誇りなさい﹂
狐娘﹁うぅ∼⋮⋮﹂
勇者﹁あら、反抗的ね。良いことだわ﹂
狐娘はお面をかぶっているから
頬をつまむ代わりに耳をつまんだ
傍目からだと、いちゃついているようにしか見えない
さて、ここで一行の隊列を解説しておこう
まず黒雲号に乗った勇者さんと狐娘
豆芝さんは黒雲号のとなりを歩いている
足元に不安があるため
黒雲号の横を歩いている巫女さんが
土魔法で一帯の土壌を支配
本人は何の気なしにこなしているが
子狸に同じことをやれと言っても知恵熱で倒れること請け合いだ
1660
さして消耗している様子もないし
おれは真剣に巫女さんをスカウトしようかと思っている
具体的には子狸の二軍落ちを検討中だ
子狸と生贄さんには先行してもらい
一行の進路を確保してもらっている
これまで勇者一行が踏破してきた道のりは
ある程度、先行きが保証されたものだったが
今回は違う
ふだんは人が立ち入らない領域だ
行き止まりにぶつかって
出戻りになる事態だけは避けたい
体力の消耗もさることながら
動物たちをいたずらに刺激してしまう
とくに勇者さんはアニマル的な観点から言って
おいしそうな人なので注意を要するだろう
自然界は厳しいのだ
したがって、生贄さんを除いた巫女班の側近4名は
巫女さんと勇者さんを中心に前後左右を固めている
正確には卍の陣ということになる
盾魔法で鉄壁の陣を敷きながら進むという案もあったが
そんなものはどうにでもなるという意見があったため却下された
1661
じっさい、ほぼ例外なく開放レベル3を修めている特装騎士が
レベル2のひとたちに敗れ去ったという事例は多い
⋮⋮最初に異変に気付いたのは、やはり生贄さんだった
子狸を連れて本隊に戻ってきた彼女が、巫女さんに報告する
生贄﹁いつもの道を進んでいるはずなのですが⋮⋮見覚えのない光
景です﹂
巫女﹁⋮⋮闇魔法か﹂
発光魔法で出来ることは
たいてい遮光魔法で再現できる
もちろん風景を差し替えることも可能だ
ところが子狸は違うのだと言う
お馬さんたちを撫でながらポンポコは語った
子狸﹁いいや、結界だね。おれの鼻は誤魔化せないぜ﹂
つまり匂いに不自然な点はないと言いたいらしい
こう言っては何だが、じつに二軍っぽい特技である
嗅覚の鋭さをアピールする子狸に
さりげなく年頃の女の子たちが距離を置いた
子狸の貴重な意見に、巫女さんがしかめっ面でうなった
1662
巫女﹁うむむ⋮⋮結界か。王種の付近には原種がいるという話を聞
いたことがある⋮⋮﹂
原種
と呼
結界と言えばおれだが、可愛い可愛い妖精以外にも結界を使える
魔物はいる
有名どころを挙げるとすれば、空中回廊に出没する
ばれるお前らだ
ひとことで言えば、隠しダンジョンの猛者である
悩む巫女さんに、勇者さんが提案した
勇者﹁わたしなら結界を破れるかもしれないわ﹂
しかし巫女さんは首を横に振った
巫女﹁魔法もそうだけど、認識できないものに退魔性は働かないよ。
⋮⋮リンちゃん、どうかな? 継ぎ目とかわからない?﹂
おれ﹁うーん⋮⋮やってみます! ノロくん、手伝って下さい﹂
子狸﹁よしきた﹂
悪いが、この程度の結界は造作もなく突破できる
おれは空間支配のプロフェッショナルだからな
おい。青いの。なんで邪魔するんだ?
1663
六九、火口付近在住のとるにたらない不定形生物さん
そうだな、包み隠さず話すなら⋮⋮
緑のひとの挙動が不審すぎて不安になってきた
七0、火山在住のごく平凡な火トカゲさん
そっ、そんなことねーよ!
七一、火口付近在住のとるにたらない不定形生物さん
そわそわしてんじゃねーよ!
ちょっ、手! 手が震えてる!
ティーカップに紅茶っていうか、それもうテーブルに注いでるか
ら!
おちつけ! おれが時間稼ぎしてくるから!
七二、火山在住のごく平凡な火トカゲさん
う、うん⋮⋮
七三、海底洞窟在住のとるにたらない不定形生物さん
1664
やはりこうなったか⋮⋮
七四、管理人だよ
緑のひとは緊張しぃだなぁ⋮⋮
おれを見習ってはどうかね?
七五、火山在住のごく平凡な火トカゲさん
お前は全編を通してアドリブでしょ!?
おれには立場ってものがあるの!
ああ、どうしよう⋮⋮
責任が重くのしかかってくるよ
七六、王都在住のとるにたらない不定形生物さん︵出張中
責任? 少し勇者さんとお喋りしてもらうだけじゃないか
おれたちもフォローするし、何を恐れることがあるんだ?
七七、火山在住のごく平凡な火トカゲさん
1665
え? だって、大きいのが⋮⋮
七八、王都在住のとるにたらない不定形生物さん︵出張中
ま た お 前 か
こら! でっかいの! なんで緑のひとをいじめるんだ!
七九、古代遺跡在住のごく平凡な巨人兵さん
おれよりも人気があるっぽいのが気に入らない
八0、魔都在住の特筆すべき点もないライオンさん
だめだな。更正の余地がないっぽい
そんなお前も嫌いじゃないけど⋮⋮
1666
﹁王種降臨﹂part4
八一、海底洞窟のとるにたらない不定形生物さん
これまでのあらすじ
緑のひとの家に向けて出発した勇者一行&巫女一味
大きいひとのおれアピール、子狸と生贄さんの再会など
ちょっとしたアクシデントはあったものの
かつてない豪華メンバーに
さしものおれたちも手を出しあぐねる
しかし、そこは長年に渡って騎士団をおちょくり倒してきたお前
らである
ファイブスターズの家の近くには
原種と呼ばれる、ちょっとスペシャルなおれたちが住みついてい
るらしい
なお、原種が登場する予定はない
色とりどりのお前らが出迎えてくれる空中回廊は
極限まで鍛え上げられた戦士たちのご来場を想定した夢のテーマ
パークなので
一見さんはお断りの難易度設定なのである
ここで原種の登場は早すぎる
でも遠くからそっと結界を張るくらいなら許される
1667
結界に囚われた勇者たち
この結界を突破しない限り、一行に明日はない⋮⋮!
こんなとき、いつだって事態を打開してきてくれた勇者さんは
あんまり結界についてわかってない感じだ!
どういうことなの、羽のひと!
教育がなってないんじゃないの?
次回へ続く!
八二、住所不定のどこにでもいるようなてふてふさん
うるさいなぁ⋮⋮
表面的なことは教えてあるよ
ただ、結界の細かい理屈を説明しちゃうと
じゃあ何で妖精さん︵可愛い︶は結界を使えるの? っていう話
になるだろーが⋮⋮
元はと言えば、お前らが妖精の里なんてものをでっち上げたせい
だぞ
歩くのだるいからショートカットしたいとか言い出した誰かさん
のおかげで
気付けばおれは住所不定だよ
本当ならお花畑に住みたかったのに⋮⋮
1668
八三、魔都在住の特筆すべき点もないライオンさん
お前は理想が高すぎるんだよ
世界中のお花が季節を問わず咲き乱れる土地なんて、この世には
存在しねーから
ついでに言うと、その無茶な願望に付き合って
お花をひとつひとつ丹念にスケッチしたのは
何を隠そうおれと、庭園のひとだからね
感謝しなさいよ、まったくもう⋮⋮
八二、空中庭園在住のとるにたらない不定形生物さん
まあ、どのみち厄介ごとはおれに回ってくるしな
あまり気にするな
八三、海底洞窟在住のとるにたらない不定形生物さん
悲しいことを言うなよ⋮⋮
八四、王都在住のとるにたらない不定形生物さん︵出張中
庭園のんの自覚症状が進んだ、一方その頃⋮⋮
生贄さんに代わって子狸とのタッグを願い出る羽のひとに
1669
勇者さんが問いかけた
勇者﹁どうするつもりなの?﹂
黒雲号の頭に乗った羽のひとが振り返って答える
妖精﹁まずは大まかな規模の特定ですね。それから、結界を上書き
して術者を誘き出すつもりです﹂
結界は厄介な魔法だ
人間たちは射程超過を使えないから
目をつぶって歩けるくらい見慣れた場所でもない限りは
どこにあるかわからない境目に魔法をぶつけようとしても上滑り
してしまう
それでも、歩き続ければ、いずれは脱出できる
ざっくりと要約すると、結界というのは
入り口と出口の間についたてを設置して迷路を作る魔法だからで
ある
出口を閉ざそうとすると
空間をひねったりねじったりしなくてはならないので
開放レベルが一気に跳ね上がってしまう
つまり、まったく別の魔法になる
おれたちは開放レベル6以上の魔法を内緒にしているので
極力、使わないに越したことはない
1670
いま羽のひとが提案しているのは
迷路の上に新しく
簡単な迷路を作って時間を短縮しようということだ
妖精﹁ノロくんは生き物の気配に敏感ですから、わたしも安心して
作業できます﹂
しかし勇者さんは、あまり乗り気ではなさそうだった
勇者﹁⋮⋮エニグマの言うように、もしも術者が原種だった場合は
?﹂
歌人に対してもそうだったように
勇者さんは他人を苗字で呼ぶことが多い
羽のひとの答えは簡潔だった
妖精﹁逃げます。仮に逃げきれなかったとしても、わたしとノロく
んの二人なら対話に応じてくれるかもしれません﹂
魔軍☆元帥は、バウマフ家の人間をスペアだと言っていた
つまり魔軍☆元帥の配下にある魔物は
バウマフ家の血を絶やさないよう命令されている筈だ
また、妖精と魔物が種族間で対立しているという記録もない
部隊を二分割するにあたっても
まずベターな判断である
1671
巫女一味は、メンバーの全員が子狸を上回る術者と見ていい
子狸を捕獲される恐れがあるため
できればこの場にとどまって欲しいと勇者さんは考えているだろう
勇者さん自身には、高い退魔性と聖☆剣がある
狐娘は他者の敵意に敏感だ
この二人のコンビなら、たとえ巫女さん相手でも遅れをとること
はあるまい
至近距離ならなおさらだ
付け加えて言うなら、巫女さんの標的はおそらく子狸である
子狸以外はおまけなのだ
勇者さんは詳しい内部事情を知らないだろうから
さすがにそこまでは読めないだろうが⋮⋮
いずれにせよ、羽のひとの案はそう悪くない
他に代案もないのだろう
勇者さんは肯いた
勇者﹁⋮⋮いざとなったら、一人でも逃げてきなさい﹂
妖精﹁それは、嫌! です﹂
羽のひとは、いーっと歯を剥いてから、にこっと笑った
背中の羽が朝日に透けて、きらきらと輝いて見えた
そう答えるとわかっていたのだろう
1672
勇者さんは羽のひとを咎めなかった
代わりに、腰にしがみ付いている狐娘に問う
勇者﹁コニタ。あなた、わたしを見捨てるよう命令したら従ってく
れる?﹂
狐娘﹁やだ﹂
即答だった
勇者さんは嘆いた
勇者﹁誰もわたしの言うことを聞いてくれない⋮⋮﹂
子狸は言わずもがなである
その子狸さんはどうしているのかと言うと
巫女さんの側近たちに包囲されていた
側近A﹁同志ポンポコ、一人で大丈夫か?﹂
側近B﹁きちんとリンちゃんを守るんだよ? できる?﹂
側近C﹁どうも、いまいち信用できないなぁ⋮⋮﹂
側近D﹁なんか、わたしたちのこと避けてない? 気のせい?﹂
子狸﹁え、いや⋮⋮﹂
そして絡まれていた
1673
巫女さんが腕前を見込んで連れてきただけあって
必然的に年上のお姉さんたちである
子狸はびびっている
子狸﹁そんな、急にいろいろ言われましても⋮⋮﹂
側近D﹁大したこと言ってないでしょ﹂
側近C﹁同志シャルロットが言ってたとおりの子なんだね⋮⋮不安
だ﹂
側近Dのツッコミが厳しい
子狸﹁はわわっ⋮⋮﹂
はわわになってしまった子狸
助けを求めて、羽のひととお話している勇者さんを見るが
すぐに考え直して虚勢を張った
子狸﹁お、おれは、君たちよりも⋮⋮ふ、古株と言えなくもない気
が⋮⋮しますね?﹂
古株という言葉を知っていたことに、おれ感動
側近A﹁らしいね﹂
側近Aは素直に認めた
1674
側近A﹁土魔法を使えるって本当? なにかコツとかあるのか?﹂
側近B﹁ああ、それは興味ある。よし、吐け。吐くんだ、同志ポン
ポコ﹂
側近C﹁というか、なんでポンポコ?﹂
いくら巫女さんから啓蒙を授かったとはいえ
豊穣属性に目覚めるかどうかは個人の資質による
むしろ覚醒した人は幹部になるので
連れて来なかったのだろう
手はじめに土魔法で田畑を耕して利便性をアピールする等
地域密着型の勧誘が巫女一座の常套手段である
怒涛の質問攻めに子狸が対処できる筈もなく⋮⋮
子狸﹁古株なのさ﹂
側近D﹁それは聞いたよ﹂
子狸﹁木こり⋮⋮なのか﹂
会話が崩壊した
八五、管理人だよ
1675
お前ら助けてくれないか
こんなところを勇者さんに見られたら誤解されてしまう⋮⋮
八六、火口付近在住のとるにたらない不定形生物さん
誤解されるほどの好感度があるかどうかも疑問だが⋮⋮まあいい
とりあえず土魔法だな
興味がありそうだから、土魔法について話せば主導権を握れる
コツねぇ⋮⋮
盲目的にならないこと、というのは子狸らしくないか
お前﹁自分で考えないと意味がないです﹂
これでどう?
八七、かまくら在住のとるにたらない不定形生物さん
微妙だな
その程度のことは、巫女さんから聞いてると思う
巫女さんが言いそうにないこと、批判されるような内容を言えば
いい
1676
お前﹁土魔法をとくべつだと思ってるようじゃだめ。つまりお前ら
は全員だめ﹂
これでどう?
八八、管理人だよ
え? どっち?
八九、湖畔在住の今をときめくしかばねさん︵出張中
果敢に攻めすぎだろ
骨っち骨っち、記念撮影して∼
九0、王都在住のとるにたらない不定形生物さん︵出張中
ステルスした歩くひとが
ふわふわと浮遊しながら勇者さんと肩を組んではしゃいでいる
ずいぶんと上機嫌な様子である
ステルス中のおれたちは
何をしても認識されないのだ
⋮⋮って、おい。その角度だと、おれも写るだろ。やめて下さい
1677
九一、墓地在住の今をときめく骸骨さん︵出張中
王都のひと∼王都のひとも笑って∼
いいよ、そのポーズいいよ∼
念写ぁっ⋮⋮
九二、王都在住のとるにたらない不定形生物さん︵出張中
念写ぁっ⋮⋮じゃねーよ!
おい! おれのアリバイを崩してどうする気だ!?
九三、湖畔在住の今をときめくしかばねさん︵出張中
うふふ⋮⋮
九四、墓地在住の今をときめく骸骨さん︵出張中
うふふ⋮⋮
あ、そろそろ牛さん起こさないと
歩くのぉ、おれ行くわ∼
九五、湖畔在住の今をときめくしかばねさん︵出張中
1678
おう。おれもそろそろ王都に戻るわ
ちなみに、新装開店オープンセールですけど
まず根本的に立地条件が良くないよね
地道にコツコツやっていこうと思います
じゃあね!
九六、管理人だよ
あ! 歩くひと!
九七、湖畔在住の今をときめくしかばねさん︵出張中
んお? なんだい、ノロくん
九八、管理人だよ
月の輪ぐまぁ⋮⋮
九九、湖畔在住の今をときめくしかばねさん︵出張中
月の輪ぐまぁ⋮⋮
1679
一00、住所不定のどこにでもいるようなてふてふさん
ぜんぜん意味わかんないけど
お前ら意外と仲良しだよね
一0一、管理人だよ
なんでか知らないけど
おれ、歩くひとには近いものを感じるんだよね
こう⋮⋮なんていうの? シンパシー?
一0二、海底洞窟在住のとるにたらない不定形生物さん
むしろシンパシー以外に理由があったら訊きてーよ⋮⋮
ところで、いいの?
子狸さん、うんともすんとも言わないもんだから
側近たちが呆れてますけど⋮⋮
一0三、空中庭園在住のとるにたらない不定形生物さん
もう月の輪ぐまぁ⋮⋮でいいよ
クマさんには申し訳ないけど
本当に申し訳ないんだけど
響きがね
そのひとことに子狸の全てが集約されてる
1680
一0四、管理人だよ
一理あるな
おれ﹁月の輪ぐまぁ⋮⋮﹂
側近A∼D﹁⋮⋮⋮⋮﹂
勇者﹁⋮⋮⋮⋮﹂
巫女﹁⋮⋮⋮⋮﹂
妖精&狐娘﹁⋮⋮⋮⋮﹂
あれ、全員集合してる
なんだこれ
なんか、おれが滑ったみたいな感じになってる
ハードル高ぇな⋮⋮
一0五、王都在住のとるにたらない不定形生物さん︵出張中
一理あるね
1681
﹁王種降臨﹂part5
一0六、住所不定のどこにでもいるようなてふてふさん
おれと勇者さんがまじめに話し合い
子狸が女の子たちに囲まれて調子に乗っている頃
生贄さんは発光魔法で地図を作っていた
いくら生まれ育った故郷とはいえ、さすがに島の地形を全て把握
しているわけではないから
上空から俯瞰した全体図の、ところどころに注釈を加えたものだ
変わった形の枝や大きな木、印象に残っているものを書き込んで
いるようである
地図と言うよりは案内図に近い
それを巫女さんがチェックし、写しとった案内図に自分なりの解
釈を加えていく
子狸﹁月の輪ぐまぁ⋮⋮﹂
子狸がボケた頃には、生贄さんは周囲の警戒にあたっている
まじめな人だ
歩み寄ってきた巫女さんが、完成した案内図を勇者さんに見せた
巫女﹁だいたいこんな感じかな。役に立てばいいけど﹂
1682
勇者﹁ありがとう﹂
光の加減で見にくかったのか、礼を述べた勇者さんが黒雲号から
降りる
森の案内図に目を通しながら、勇者さんは作戦の内容を巫女さん
に告げた
子狸に絡んでいた側近たちが、生贄さんに見張りの交替を申し出た
生贄さんはいったん休憩
避難してきた子狸が、黒雲号と豆芝さんに絡まれる
子狸﹁なんだこれ、おれサンドイッチ!? すごい圧力だ⋮⋮! ハッ、夏の新作が思い浮かんだ。これは売れる⋮⋮!﹂
子狸の新作パンはお屋形さまのそれよりもおいしいのだが
なぜかメニューに定着しない
一説によると、あのポンポコ︵大︶が焼いたパンのまずさは
食べる人間が食べると癖になるらしい
おれと子狸のツートップ案を聞いた巫女さんが
お馬さんたちの圧力に屈しそうになっている子狸の前足を掴んで
引っ張る
巫女﹁だってさ。聞いてた?﹂
救出された子狸は、名残り惜しそうにお馬さんたちを見ている
1683
子狸﹁ああ。少し脈拍が高いな﹂
巫女さんが残念そうな顔をしているのを見て
選択肢を誤ったと知ったらしい
子狸﹁⋮⋮とある筋からの情報で、だいたいのことはわかってる﹂
こきゅーとすのことだろうか
もう少し子狸さんには自覚というものを持ってもらいたい
もちろんバウマフ家の人間にしか通じない言いぶんだが
しかし、そもそも子狸に詳しく説明したところで理解できるかど
うか⋮⋮
巫女さんは時間の無駄を省いた
巫女﹁わたしも一緒について行ってあげよっか?﹂
この人も、たいがいひとの話を聞いていない
さしものおれもツッコまざるを得なかった
おれ﹁いや、ですから、あんまり原種を刺激したくないんです。行
くとしたら、わたしとノロくんの二人って言ったじゃないですか﹂
巫女﹁わたしも原種に会ってみたいなぁ⋮⋮﹂
狐娘﹁⋮⋮⋮⋮﹂
狐娘は、巫女さんのことが苦手のようだ
1684
巫女さんが近づいてくると、勇者さんの陰に隠れる
勇者さんが心なし片手を浮かすと、その手を狐娘がぎゅっと握った
勇者さんが巫女さんに言う
勇者﹁代案がないなら、決まりでいいかしら?﹂
巫女﹁うーん⋮⋮あのね、原種と会える機会なんてそうそうないよ
?﹂
巫女さんは折れない
勇者﹁原種と決まったわけじゃないわ。王種かもしれない。本当に
妖精が一人もいないとも限らないし、あるいは完全な新種という可
能性もある﹂
魔軍☆元帥のパートナーはおれの分身だ
妖精が敵に回っても不思議ではないのだと、勇者さんは港町で学
んでいた
勇者﹁いずれにせよ、逃げることを前提に分隊したいの。⋮⋮この
子は、ずいぶんと森の中を走り慣れてるみたいだから﹂
昨日、子狸に撒かれかけたことを言っているのだろう
もともと勇者さんよりも子狸のほうが健脚だが
この小さなポンポコが真価を発揮するのは悪路である
いつ野生に還っても問題なく暮らしていけるよう鍛えられている
1685
のだ
青いのんの襲撃を警戒しながら走って、まったく勇者さんを寄せ
付けないのだから
森を駆ける子狸にとって、訓練を受けていない人間など足手まと
いにしかならない
子狸﹁本ばかり読んでるからだよ。お嬢は人生を損してると思う﹂
人生を消費し尽くす勢いで連日ポンポコオリンピックの子狸には
言われたくない
よっぽどツッコんでやろうかと思ったが
子狸との付き合いも長い巫女さんが代弁してくれた
巫女﹁言えた義理か。同志ポンポコは、会うたびに追いかけられて
るか気絶してるかの二択じゃないか﹂
子狸﹁おれはやってない﹂
身の潔白を訴える子狸であった
一0七、王都在住のとるにたらない不定形生物さん︵出張中
とりあえず、このまま話がまとまりそうだな
羽のひとが勇者さんと別行動をとるなら
代わりに誰かについて欲しいんだが⋮⋮
1686
山腹の、息してる?
なんか今日、ひとっことも喋ってないよな
一0八、空中庭園在住のとるにたらない不定形生物さん︵出張中
ああ、山腹のは戦場に旅立った
大将が本隊と合流したらしい
おそらく今日中に動くだろうな
戦況がおちついたら戻ってくるってさ
それまでは、おれが代理を務めよう
というわけで、現地にやって来ました
実況のおれです
一0九、海底洞窟在住のとるにたらない不定形生物さん
実況の庭園さん
現地の様子はいかがですか?
一一0、空中庭園在住のとるにたらない不定形生物さん︵出張中
みなぎってきました
1687
一一一、王都在住のとるにたらない不定形生物さん︵出張中
早いよ。早い早い
フルスロットル抑えて
人選が不安だなぁ⋮⋮
正直、お前は実況に向いてねえよ⋮⋮
テンション上がりすぎて、変なところで暴走するし⋮⋮
かまくらの、チェンジできる?
一一二、空中庭園在住のとるにたらない不定形生物さん︵出張中
おい。聞き捨てならねーぞ
たしかに、おれは人前だと興奮するところがある
それは認める
近頃は、空中回廊に挑んでくるような気骨のある人間がいないか
らな
おれの果てしないサービス精神が渇きを訴えるんだよ
だが、いや、だからこそ
ここはおれに任せてもらおうか
困難は乗り越えることで、はじめて意味を持つんだ
1688
一一三、かまくら在住のとるにたらない不定形生物さん
と言っておりますが
一一四、王都在住のとるにたらない不定形生物さん︵出張中
⋮⋮まあ、能力的には信頼してるよ
ただLuk値がな⋮⋮
一一五、空中庭園在住のとるにたらない不定形生物さん︵出張中
Luk値!? いまLuk値って言った!?
おい! なんだそれ! 運か!? 運勢のこと言ってんのか!?
そんなもん信じてるの? ばかじゃねーの!?
言っとくけど、今日のおれは運勢ばつぐんだからね!
立ったからね! 茶柱! 残念でしたぁーっ!
一一六、王都在住のとるにたらない不定形生物さん︵出張中
お前が残念だよ⋮⋮
まあいいや。そうまで言うなら、任せるわ
1689
勇者さんの説得に、しぶしぶと頷く巫女さん
話はまとまったようだ
勇者さんに見送られて
ててっと駆け出した子狸が
振り返って前足の先端をくわえる
勇者さんの真似をして指笛を吹こうとしたらしいが
空気が抜ける音しか聞こえなかった
察した豆芝さんがとことこと歩み寄ってくる
勇者﹁⋮⋮⋮⋮﹂
勇者さんも今度は止めなかった
ひらりと豆芝さんにまたがる子狸
とうとう特訓の成果を発揮するときが来たのか
羽のひとも固唾をのんで見守っている
よし、と子狸はひとつ頷いて馬上の感覚をたしかめる
子狸﹁豆芝、行こう!﹂
生物の限界を超えた機動の三角木馬を乗りこなした子狸だ
いまの子狸にとって乗馬など、ままごとに等しい
1690
子狸と豆芝さんの呼吸がぴたりと一致した
まさしく人馬一体だ
豆芝さんの足が大地を踏みしめ
螺旋を描いて伝わってきた星のパワーが子狸の中で二倍にも三倍
にも跳ね上がる
子狸﹁ほうっ﹂
子狸は舞った
常軌を逸した運動だった
⋮⋮ま、そりゃそうだよね。豆芝さん、べつに暴れ馬じゃねーし
巫女﹁うおっ!?﹂
落馬と呼ぶには生易しすぎるポンポコシュナイダーに
巫女さんが驚きの声を上げた
とっさに土魔法で土壌をクッションにしようと片腕を突き出す
子狸もそうだが、人間たちは魔法を使おうとするとき、何かしら
のアクションを交えることが多い
イメージを補強する意味があるのだろう
しかし、それよりも早く子狸の土魔法が炸裂した
子狸﹁ドミニオン!﹂
間の悪いことに、羽のひとの念動力が子狸を絡めとる
1691
結果として、顔面から着地した子狸が
そのまま数メートルほど地表を滑った
壮絶な光景だった
巫女﹁なんでそうなる!?﹂
土魔法の原理はよくわかっていないのだ
術者が極端に少ないし
歴史が浅い魔法なので
常に定義が揺れ動いていて掴まらない
だから、とくに土魔法同士の衝突は貴重な資料になる
巫女さんの魔法が良い方向に作用したのだろう
子狸は無傷だった
しかし、よほど衝撃的な体験だったらしく
がくがくと後ろ足が震えている
まるで生まれたての子鹿だ
安否を気遣って駆け寄ってきた豆芝さんに
心配はいらないと微笑みかける
子狸﹁おれたち、きっと相性が良すぎるんだね⋮⋮﹂
それは一面の真実なのかもしれない
いったい何をしたら、馬上で鞭を打たれたみたいに跳ねるのか
1692
一一七、火口付近在住のとるにたらない不定形生物さん
⋮⋮トラウマになってるんじゃねーのか?
一一八、住所不定のどこにでもいるようなてふてふさん
愛馬との親交を深める子狸に
勇者さんが慰めの言葉をかけた
勇者﹁おいおい慣れていくと思うの。焦ってはいけないわ﹂
でも視線はあさっての方向を向いていた
子狸﹁わかるよ。急がばバックスタブってやつだよね﹂
狐娘﹁⋮⋮急がば回れ?﹂
子狸﹁そうとも言うな﹂
そうとしか言わねーんだよ
一一九、空中庭園在住のとるにたらない不定形生物さん︵出張中
ガーッてなった子狸
あまりにも身体を張りすぎて
生贄さんを含む側近たちも笑うに笑えないといった様子だ
1693
久しぶりに勇者さんを間近で見たけど
なんだか無機質な印象が少し薄れてる
子狸の影響を受けてるのかもしれない
いちいちオーバーリアクションだからね、このポンポコは
子狸がふたたび駆け出す前にと思ったのだろう
勇者さんが口早に今後の予定を説明する
勇者﹁では、部隊を二つに分けます。二人は先行して、結界の処理
にあたって頂戴。うまくいくとも限らないから、わたしたちは地図
を頼りに進んでみる﹂
妖精﹁合流の合図はどうしますか?﹂
勇者﹁照明弾を上げて頂戴。敵に勘付かれる可能性が高いから、す
ぐに身を隠すこと。危険を感じたら移動しなさい﹂
子狸が志願した
子狸﹁おれも行くよ!﹂
勇者﹁そうね。あなたが行くの﹂
おれたちの子狸さんは今日も通常運行である
一二0、かまくら在住のとるにたらない不定形生物さん
1694
このまま素直に行かせるのか?
一二一、火口付近在住のとるにたらない不定形生物さん
いや、動くよ
おれは、勇者一行に羽のひとがいることを知ってるからな
結界に結界をぶつけるのは予測の範囲内だから
座して待つことはしない
ここで、豊穣の巫女をしとめる
やつとは、ちょいと因縁があるんでな⋮⋮
1695
﹁王種降臨﹂part6
一二三、王都在住のとるにたらない不定形生物さん︵出張中
勇者さんに見送られて
意気揚々と出発する結界処理班
完全に姿が見えなくなる前に子狸が振り返って
不自然に身体をねじりながら前足を交差させた
ひそかに考案したブロックサインらしいが
一人で完結してしまったので
狐娘が翻訳でもしない限り伝わることはない
勇者﹁さっさと行きなさい﹂
もちろん叱られた
ところが、子狸はよく見えなかったのだろうと判断したらしい
子狸にとっては重要なことなのだろう
その場で飛び上がって同じポーズをとる
そして空中でバランスを崩して、肩から落ちた
地味ににぶい音がした
子狸﹁⋮⋮ぐふっ﹂
勇者﹁⋮⋮⋮⋮﹂
1696
早くも負傷した子狸を
羽のひとが念動力で引きずっていく⋮⋮
一二二、管理人だよ
ちっ⋮⋮しばらく右腕は使いものにならねーな⋮⋮
羽のひと、離してくれ!
巫女さんに危機が迫っている⋮⋮
勇者さんに伝えなくては!
一二二、火口付近在住のとるにたらない不定形生物さん
うおっ!? 珍しくついてきてる!
一二三、かまくら在住のとるにたらない不定形生物さん
さぁっ! 盛り上がってまいりました!
ここで子狸さんに問題です!
一二四、管理人だよ
おっと、その手には乗らないよ
1697
いつまでも同じ手口が通用すると思ったら大間違いだ!
一二五、かまくら在住のとるにたらない不定形生物さん
なんだ、逃げるのか?
まあ、子狸には少し難しい問題かもしれんね
一二六、管理人だよ
おれは逃げも隠れもしないよ!
いつ何時、誰の挑戦でも受けるっ!
ばっち来ぉーい!
一二七、かまくら在住のとるにたらない不定形生物さん
ふふん、その心意気は買ってやるぜ
行くぞ!
古文からの出題です
王国暦53年に旧魔都の跡地から出土した魔物たちの手記
題名﹃ハイリスク・ハイリターン﹄
1698
魔物たちの反省文をまとめたものとされてますが⋮⋮
第零章、方舟の黙示録に収録されている
魔王をぶん殴った編者の台詞は何でしょう?
一二八、管理人だよ
そんなの簡単だよ
バーニング! だろ
一二九、かまくら在住のとるにたらない不定形生物さん
おやおや? 即答ですか? ずいぶんと自信があるんですね∼
本当に?
一回だけなら変えてもいいですよ?
一三0、管理人だよ
いや⋮⋮いや! 待て⋮⋮少し考える⋮⋮
一三一、かまくら在住のとるにたらない不定形生物さん
ポンポコぉぉっ! シンキィィング! タァァァイム!
1699
ミュージック! スタートぉっ⋮⋮
一三二、海底洞窟のとるにたらない不定形生物さん
ちゃっちゃっちゃらっら∼
ヘイ! オーゥ!
一三三、魔都在住の特筆すべき点もないライオンさん
しゃかしゃかしゃかしゃか
ヘイ! ワーオ!
一三四、かまくら在住のとるにたらない不定形生物さん
はい! ありがとうございました!
それでは、子狸さん回答をどうぞ!
一三五、管理人だよ
ぐぬぬ⋮⋮
ええいっままよ!
1700
バーニングでお願いします!
一三六、かまくら在住のとるにたらない不定形生物さん
⋮⋮⋮⋮
⋮⋮!?
⋮⋮⋮⋮
正解︵にこっ
一三七、管理人だよ
ひゅー! さすがおれ! さすがおれと言わざるを得ない!
一三八、かまくら在住のとるにたらない不定形生物さん
子狸さん1ポイント獲得!
おっと、ここでさらに⋮⋮!?
どん! ボーナスチャンス!
バスケットカウント、ワンスロー!
1701
羽のひと、お願いします!
一三九、管理人だよ
羽のひと⋮⋮!
一四0、住所不定のどこにでもいるようなてふてふさん
おう。任せとけ
すぅ⋮⋮ふっ
⋮⋮ちぇすと!
一四一、王都在住のとるにたらない不定形生物さん︵出張中
ボールが手元を離れた瞬間︱︱
羽のひとの口元に確信の笑みが浮かんだ
フリースローラインからのジャンプシュート
⋮⋮完璧なフォームだった
着地と同時に天を指差し
ぴっと振り下ろす
放物線を描いてリングに吸い込まれていくボールが
まるで神聖な約束を果たそうとしているかのようだ
1702
結果は見るまでもないと
くるりとリングに背を向けた羽のひとが
今度は子狸を指差して、ぱちりと片目をつぶった
そう、約束は果たされたのだ︱︱
喝采を上げて駆け寄る子狸に
羽のひとは肩をすくめた
彼女は、こう言っているのだ
たんに自分は仕事をこなしただけである
いつもなら、もっとスマートに決める⋮⋮
今日はちょっと調子が悪いよ、と⋮⋮
一四二、かまくら在住のとるにたらない不定形生物さん
ところで子狸さん
何の話でしたっけ?
一四二、管理人だよ
え? なにが?
一四三、かまくら在住のとるにたらない不定形生物さん
1703
いや、いいんだ。気にしないでくれ
一四四、空中庭園在住のとるにたらない不定形生物さん︵出張中
子狸で遊んでると、不可能なことなんて何もないと錯覚してしま
うのが難点だな⋮⋮
結界処理班に遅れて、残った面々も出発する
巫女一味に合わせてか、勇者さんも徒歩で進むようだ
巫女さんは最後まで子狸と羽のひとの身を案じていた
巫女﹁本当に二人で大丈夫かなぁ⋮⋮﹂
まさかフリースローしてるとは思うまい
二人が消えていった方角をちらちらと見ている巫女さんに
勇者さんがぴしゃりと言った
勇者﹁気を散らさないで。二人のことよりも、あなたは自分の身を
心配なさい﹂
巫女さんはむっとして、となりを歩く勇者さんを見る
巫女﹁リシアちゃんは二人が心配じゃないの? 仲間なんでしょ?﹂
しごく真っ当なことを言っている
が、しかしそうではない。論点が違う
1704
アリア家の人間は、自分自身を駒の一つとして扱う
それはとても悲しいことなのだが、彼らが自覚することはない
そして巫女さんは、勇者さんの本名を知らされていないから
勇者さんに人間らしい感情の働きを求める
そうではないのだと勇者さんは言う
勇者﹁わからないの? 魔物に狙われているのは、あなたよ﹂
う⋮⋮!
一四五、火口付近在住のとるにたらない不定形生物さん
うぐ⋮⋮!
一四六、かまくら在住のとるにたらない不定形生物さん
ぐぬっ、バレてる⋮⋮!
一四七、住所不定のどこにでもいるようなてふてふさん
勇者さんが青いのんの薄汚い罠を看破した一方その頃⋮⋮
子狸﹁ぬう⋮⋮﹂
子狸は前足を組んでうなっていた
1705
勇者さんの手前、あの場では結界の規模を特定する必要があると
は言ったものの
そんなものは、このおれに掛かればスキップできる工程だ
そして結界を張るだけなら
勇者さんの目が届かない範囲まで移動するだけでいい
手間を省いたぶん浮いた時間を
おれは子狸の特訓にあてようと思う
つまり子狸よ、結界はお前が張るんだ
というわけである
一四八、海底洞窟在住のとるにたらない不定形生物さん
無理だろ
一四九、住所不定のどこにでもいるようなてふてふさん
いや、いけるって
ジェット・フェアリー号でさぁ
こいつ、勇者さんの声を再現してたじゃん
あれができて、結界ができない道理はないだろ
むしろ魔属性と豊穣属性があるぶん
他の人間たちよりは適性があるはず
1706
一五0、王都在住のとるにたらない不定形生物さん︵出張中
まあ、そうね
それに結界が使えるようになれば
特訓の効率がぐんと上がる
さんざん教えてきたのに一向に覚えないから
諦めかけてたんだけど⋮⋮
お、動きはじめたぞ
イメージがまとまったみたいだ
ぐぐっと前足を硬く握りしめた子狸が
腰を落としてこぶしを突き上げる
入り方からしておかしいが
集中力を高める方法はひとそれぞれだ
とやかく言うことはすまい
子狸﹁パル・アルダ!﹂
突き上げた前足を、光と闇がとりまく
子狸﹁ゴル・レゴ!﹂
さらに火と雪をブレンド
地面をにらみ、こぶしを構える
1707
子狸﹁イズ・ポーラレイぃぃぃっ﹂
入魂の前足を
裂ぱくの気合と共に大地へと打ち込んだ
子狸﹁ドミニオン!﹂
複数の属性魔法を融合して
世界を再構成するのが結界の基本である
おれたちは、土魔法を除いた六つの属性で結界を作る
羽のひとに至っては、そこからさらに発電魔法を除外した五属性だ
子狸は七属性
もちろん融合する属性は多ければ多いほど簡単になる
発電魔法以外で微弱な刺激を再現するのは難しいし
土魔法以外で歩行感覚を補うのは難しいからだ
ためしに子狸の魔法に感覚を委ねてみると
次の瞬間、おれたちは宇宙にいた
一瞬で呼吸困難に陥った子狸に酸素を供給してやりながら
星を眺めよう
わーきれいだー
一五一、住所不定のどこにでもいるようなてふてふさん
1708
わーきれいだー
一五二、火口付近在住の現実を生きる不定形生物さん
わーきれいだー
一五三、空中庭園在住のとるにたらない不定形生物さん︵出張中
お前らがポンポコ空間を遊泳している一方その頃⋮⋮
勇者さんの発言を受けて
周囲を固める側近たちが一斉に警戒心を高めた
これが熟練の騎士たちだったなら
内心はどうあれリラックスした様子を保ち続けただろう
持久戦は分が悪いと知っているからだ
膠着した状況を打ち破ろうとするなら
狙撃を誘うのがいちばんの近道だ
少なくとも勇者さんはそのつもりだったのだろう
巫女﹁え? わたし?﹂
しかし見ての通り、巫女さんには危機感が欠如していた
目を丸くしている彼女に
勇者さんは淡々と告げる
1709
勇者﹁自分で考えなさいと言いたいところだけど⋮⋮時間がないわ。
よく聞いてね﹂
その口調は優しげですらある
巫女さんが貴族だったなら突き放したかもしれない
しかし彼女はれっきとした平民だ
まして巫女一座は争いごとを生業とする集団ではない
おのずと求めるものが違ってくるのだろう
勇者さんが口を開く
一五五、かまくら在住のとるにたらない不定形生物さん
火口の! のんびり聞いてる場合じゃねーぞ!
一五四、火口付近在住のとるにたらない不定形生物さん
くそっ、手の内を見せすぎたか⋮⋮!
レクイエム! 毒針ぃっ⋮⋮
一五五、海底洞窟在住のとるにたらない不定形生物さん
待て! あ∼⋮⋮
1710
一五六、空中庭園在住のとるにたらない不定形生物さん︵出張中
そう、このタイミングしかなかった
もしも原種が本気なら
わざわざ結界を用いて自分の存在を示唆するようなへまはしない
だから勇者さんは
おそらく原種は参戦に対して消極的で
毒持ちにお願いでもされて戦力の分散だけを承諾したと読んだの
だろう
数ある秘術の中から結界をチョイスしたのは
狙撃に邪魔な羽のひとと子狸を排除したかったからだ
火口のんは
状況的に狙撃を強要されたことで
射角とタイミングを誘導された
乱暴に巫女さんを引きずり倒した勇者さんが
飛来した触手を片手で掴みとった
異常な退魔力に晒された触手が
即座に霧散した
巫女﹁ひゃあんっ!﹂
掴みやすい袖だったものだから
いきなり引っ張られて生肩を露出した巫女さんが妙な声を上げた
1711
勇者さんは意に介さない
勇者﹁盾! 足元にも気を配りなさい!﹂
いそいそと肌を隠しているお色気担当の
いちばん近くにいるのは生贄さんだ
生贄﹁ディレイ! エリア・ラルド!﹂
続いて側近AとBが巫女さんの左右を固め
CとDは反撃に回ろうとするが
素早く森の中を行き来する火口のんに
標的をしぼれずにいる
一五七、火口付近在住のとるにたらない不定形生物さん
ぐぬぬ
さすがに子狸のようにはいかんか⋮⋮
土魔法が面倒くせえ
しかし、この距離だ。近づかなければどうということはない!
巫女どもの前では聖☆剣も使えまい!
一五八、空中庭園在住のとるにたらない不定形生物さん︵出張中
1712
ところがどっこい、ここで死霊魔哭斬ですよ
一五九、火口付近在住のとるにたらない不定形生物さん
ひゃあんっ!
あ、あぶなかった⋮⋮
一六0、かまくら在住のとるにたらない不定形生物さん
ちっ⋮⋮
ま、そうだよね。必要とあらば使うだろうさ
でも、巫女さんたちびっくりしたんじゃない?
一六一、空中庭園在住のとるにたらない不定形生物さん︵出張中
いや、びっくりするひまを勇者さんが与えなかった
勇者﹁距離は!?﹂
巫女﹁えっ! あ、うん。届くよ。でも速すぎる﹂
やっぱり巫女さんは、勇者さんが聖☆剣を持ってるところを見て
たんだな
一瞬のことだったから確信が持てなかったのか?
1713
それでも心の準備はできていたから、勇者さんの質問の意図を汲
めるくらい冷静だ
かろうじて投射魔法の射程内ではあるが、捉えきれないというこ
とだ
一方、火口のんの狙撃は正確だ
圧縮弾でけん制している側近CとDを狙い撃ちし
釘付けにすることで分断を図っている
とっさに二人組で動けるあたり
巫女一座の錬度は思いのほか高いのかもしれない
いまのところは盾魔法でしのいでいるが
どちらかがミスをした時点で二人脱落だ
狐娘﹁わたしが⋮⋮!﹂
狐娘には、とにかく前に出ようとする癖がある
もともとそうした傾向はあったが
いつも近くに悪い見本がいるせいで一向に改善されない
彼女の暴挙を見逃す勇者さんではない
勇者﹁コニタ! わたしのそばにいなさい﹂
狐娘﹁もっと優しく﹂
良貨は悪貨に駆逐される運命にあるというのか
子狸みたいなことを言いはじめた
1714
勇者さんは迷わず言い切る
勇者﹁わたしと一緒にいて﹂
狐娘﹁うん!﹂
良い返事だ
ここしばらく元気がなかった狐娘が
調子を取り戻しつつあった
狐娘﹁アレイシアンさま。リンカーは役立つ。呼ぼうか?﹂
勇者﹁だめ。毒持ちは最低でも二体いる﹂
羽のひとのスピードなら、呼べばすぐにでも駆けつけることがで
きる
ただしその場合、子狸は置き去りだ
じりじりと押されつつある側近二名が心配でならないのだろう
巫女さんが悲鳴を上げている
同志というだけあって、意外と部下思いなのだ
巫女﹁リシアちゃん、何とかして∼!﹂
生贄﹁泣いてる場合ですか! おちついて! 立ち上がるな、ばか
!﹂
たいていの人間は、巫女さんに浮世離れした印象を受ける
1715
しかし深く関わるにつれて、そうではないことに気が付く
一座の人間は、口を揃えて﹁ふつうの女の子だ﹂と言うだろう
おれたちもそう思う
事実そうなのだろう
巫女さんはふつうの女の子だ
あれだけの才能に恵まれ、爆破魔とか呼ばれてるのに
演じるでもなく、歪むこともなく、ほどほどに理不尽で
ふつうなのだ
魔女︱︱と宰相が呼んでいるのを聞いたことがある
巫女﹁ぐすっ、同志ぽんぽこ∼!﹂
困ったときの子狸である
一六二、住所不定のどこにでもいるてふてふさん
子狸﹁むっ⋮⋮!﹂
そして子狸は、巫女さんの悲痛な叫び声に共鳴するのだ
じつに奇妙な関係である
1716
﹁王種降臨﹂part7
一六三、空中庭園在住のとるにたらない不定形生物さん︵出張中
子狸さんが超反応したところで
状況を整理しよう
まず巫女さんの側近は、生贄さんを含めて五名
いまのところ、火口のんの狙撃に対して有効な策を見出せずにいる
戦局の鍵を握っているのは巫女さんだ
火口のんは、投射魔法が届くぎりぎりの線を保ち続けている
つまり、いつでも離脱できる距離だ
よほどうまく不意を突かない限り、反撃もままならないだろう
巫女さんなら、それが出来る
属性と性質を完全に分離してイメージできる魔法使いだからだ
その分野にかけては、彼女は特装騎士すら超えている
しかし戦闘に関しては素人だ
巫女さんが子狸と羽のひとの身を案じていたのは
もちろん善意によるものだろうが
同時に不安の表れでもある
巫女﹁防御! 防御に専念して! こっちはいいから!﹂
とても指揮をとれる精神状態ではない
1717
その巫女さんに代わって、一時的に側近たちの指揮をとっている
のが生贄さんだ
勇者さんの推論を疑えるほどの余裕がないものだから
側近A、Bと共に巫女さんの守りを固めている
火口Bの襲撃を警戒しているのだろう
生贄﹁良くないでしょ!? 頭! 頭を下げて! おちつきなさい
と⋮⋮!﹂
逆転の手札を持っている巫女さんに頼りたくなる気持ちはわかるが
当の本人は孤立している側近CとDのことで頭がいっぱいだ
こちらも生贄さんの言葉に耳を貸すほどの余裕がない
むしろ追い詰められつつある側近CとDのほうが冷静なくらいだ
自分たちの身を守ることに集中できるからだろう
側近D﹁あんまり時間かけてらんないよ﹂
側近C﹁そうだね。増援があるかも。⋮⋮ピエトロちゃん! こっ
ちはまだ大丈夫!﹂
ピエトロというのは、勇者さんの偽名だ
火口のんの狙撃は、時間を追うごとに激しさを増している
いちいち判例を持ち出してもボロが出るだけだから
おれたちの設定上の能力は一定のルールに基づいている
その目安になるのが退魔性だ
1718
ポンポコ級の退魔性が相手なら
撃ち出した触手を空中で曲げるのもありだが
そうでない場合は直線上にしか撃てないことになっている
殺到する触手に
お馬さんたちは速やかに避難を終えている
巫女さんは⋮⋮
自分が何とかしなくてはならないという気持ちはあったのだろう
けっきょく勇者一行と合流したことで
いちばん油断したのは
これまでずっと一味を率いていた彼女に他ならなかった
だから子狸と羽のひとがいなくなって
その落差についていけなかったのだ
巫女﹁⋮⋮うぅ∼! ぐすっ﹂
泣いちゃったね
一六四、火口付近在住のとるにたらない不定形生物さん
⋮⋮な、泣くことなくね?
いつも通りじゃん⋮⋮
いつもだったら、今頃おれのこと土魔法でしばいてるじゃん⋮⋮
1719
お、おれは悪くないよな!?
一六五、かまくら在住のとるにたらない不定形生物さん
⋮⋮また女の子を泣かせたのか
タイミングが悪いというか何というか⋮⋮
女難の相でも出てるんじゃねーの、お前ら?
一六六、火山在住のごく平凡な火トカゲさん
ら? いま、お前らって言った?
一六七、海底都市在住のごく平凡な人魚さん
お前はいつもそうだよ
子狸が学校でメンズと殴り合ってるときだって
お前は女の子たちに囲まれていちゃいちゃいちゃいちゃと⋮⋮
一六八、火山在住のごく平凡な火トカゲさん
誤解を招くようなこと言わないでくれる!?
おれにはおれなりの苦労があるんだよ!
1720
一六九、古代遺跡在住のごく平凡な巨人兵さん
子狸さんに謝れ
一七0、火山在住のごく平凡な火トカゲさん
なんでだよ!?
一七一、古代遺跡在住のごく平凡な巨人兵さん
わかっているはずだぞ
謝れ
一七二、火山在住のごく平凡な火トカゲさん
⋮⋮ごめんなさい
一七三、管理人だよ
どうしてお前らは
人間たちと仲良くできないんだ
1721
一七四、火山在住のごく平凡な火トカゲさん
あれっ、本気で怒ってる!?
一七五、管理人だよ
怒るよ! そりゃそうだろ!
おれはっ⋮⋮!
もうっ、これっ、このっ⋮⋮!
めっじゅぅぅぅっ!
一七六、魔都在住の特筆すべき点もないライオンさん
会話っ!
お願いだから会話して下さい!
一七七、王都在住のとるにたらない不定形生物さん︵出張中
こいつ、巫女さんのこととなると本気で怒るからなぁ⋮⋮
なんなの? 好きなの?
1722
一七八、管理人だよ
知るか! そんなの! おれに訊くな!
なんか、ぐぁーってなるんだよ!
一七九、空中庭園在住のとるにたらない不定形生物さん
ぐぁーってなった子狸
一方その頃、側近Cの心強い言葉に頷いた勇者さんが
狐娘に一声かけてから、地面に片手をついて屈む
勇者﹁コニタ。二十秒﹂
狐娘﹁わかった﹂
いや、わからないから
しかし、どうしたことか
狐娘の動きが目に見えて変わった
勇者さんの動揺を誘うために
火口のんは狐娘も標的に加えるが
ことごとく盾魔法で弾かれる
着弾点を読まれているということだ
狐娘の実力とは考えにくい
1723
おそらく何らかの手段で
勇者さんが指示を出しているのだろう
その勇者さんはと言うと
聖☆剣を地面に突き立てて
火口のんの動きをつぶさに観察している
行動パターンを読もうとしているのか?
真剣そのものの表情である
勇者さんはまじめだなぁ⋮⋮
まじめ⋮⋮だなァーッ!
一八0、海底洞窟在住のとるにたらない不定形生物さん
庭園の!?
一八一、かまくら在住のとるにたらない不定形生物さん
そのとき庭園さんに異変︱︱!
一八二、火口付近在住のとるにたらない不定形生物さん
誰か! 誰か庭園さんを抑えてぇーっ!
1724
一八三、空中庭園在住のとるにたらない不定形生物さん︵出張中
いいや、その必要はないぜ
ふおおおおっ⋮⋮
おれレボリューションんんっ!
一八四、住所不定のどこにでもいるようなてふてふさん
単独だと!?
一八五、樹海在住の今をときめく亡霊さん︵出張中
庭園のひと︵ステルス中︶が跳躍する
一八六、海底洞窟在住のとるにたらない不定形生物さん
見えるひと!? いたの!?
一八七、樹海在住の今をときめく亡霊さん︵出張中
記念撮影あるところにおれあり
アリバイを気にしているようでは、王都のひともまだまだだな⋮⋮
1725
続けるぜ
飛び上がった庭園のひとが
くるくると回りながら四方へと触手を伸ばす
木漏れ日に照らされて
落ちた影から
黒鉄の鎧が飛び出した
空中で分離した鎧が
まるで呼応するように
触手に装着されていく
はためくマント
みなぎるガントレット
きらめくつの
まびさしの奥で
赤斜の眼光が激しく明滅した
一八八、空中庭園在住のとるにたらない不定形生物さん︵出張中
うおおおおっ!
子狸バスター! アナザーぁっ⋮⋮
1726
ぱおーん
一八九、古代遺跡在住のごく平凡な巨人兵さん
⋮⋮満足か?
一九0、空中庭園在住のとるにたらない不定形生物さん︵出張中
うむ⋮⋮
一九一、樹海在住の今をときめく亡霊さん︵出張中
満足したようである
レボリューションし終えた子狸バスター・アナザー︵ステルス中︶
が
腕を組んだままゆっくりと下降してきて
勇者さんの背後に立つ
とくに何をするでもない
おちついたようだな
じゃ、あとは任せるぜ
しっかりやれよ
一九二、空中庭園在住のとるにたらない不定形生物さん︵出張中
1727
おう。ありがとう、見えるひと
お前がいなかったら大変なことになっていた⋮⋮
恩に着るぜ
一八0、住所不定のどこにでもいるようなてふてふさん
一八一から一九二まで
あとで編集するときにカットな
一八0、空中庭園在住のとるにたらない不定形生物さん︵出張中
待ってくれ
羽のひとは、とくべつおれに厳しくないか?
一八0、魔都在住の特筆すべき点もないライオンさん
いや、そんなことはないと思うぞ?
一八一、空中庭園在住のとるにたらない不定形生物さん
⋮⋮そう?
じゃ、続けるけど⋮⋮
火口のんの狙撃に対して
1728
素晴らしい反応を見せる狐娘
これなら安心だ
勇者さんは、地面に聖☆剣を突き刺したまま微動だにしない
よく見れば、半ばまで埋まった刀身が高速で振動している
死霊魔哭斬とは、また異なる前兆だ
まさかの新必殺技なのか⋮⋮?
おれたちの期待が高まる
一八二、海底洞窟在住のとるにたらない不定形生物さん
おお⋮⋮
一八三、かまくら在住のとるにたらない不定形生物さん
新必殺技なら仕方ないな⋮⋮
一八四、火口付近在住のとるにたらない不定形生物さん
ああ。むしろ本望とさえ言える⋮⋮
一八五、住所不定のどこにでもいるようなてふてふさん
1729
ところが、ここで子狸参上
子狸﹁そこまでだ!﹂
一八六、王都在住のとるにたらない不定形生物さん︵出張中
じつに空気が読めないポンポコである
でも巫女さんは喜んだ
巫女﹁ぽんぽこっ﹂
子狸﹁ポンポコだよっ!﹂
おどけるポンポコさんだが
勇者さんの新必殺技で倒されたい火口のんが
これの排除に乗り出した
空中でしなった触手が、子狸のジョーをかすめる
とっさに避けようとしたのがあだになったようだ
子狸﹁んぅっ⋮⋮﹂
かくんと子狸のひざが揺れた
完全に意識が飛んでいる
十年に一度のベストショットだった
妖精﹁っ⋮⋮!﹂
1730
羽のひとが嫉妬を禁じ得ないほどの一撃である
奇跡の瞬間を目撃した全員が硬直した
勇者さんもびっくりしている
いや、理由はべつにあるのだが⋮⋮
火口B﹁これっ、気をしっかり持たんか!﹂
子狸の背中に
なぜか火口Bが乗っかっていたのだ
火口Aが、思わずといった感じで叫んだ
火口A﹁お、親父︱︱!?﹂
子狸﹁⋮⋮はっ﹂
子狸さんが現実に復帰しました
1731
﹁王種降臨﹂part8
一八七、空中庭園在住のとるにたらない不定形生物さん
巫女さんの危機に颯爽と駆けつけた子狸さん
火口アナザーも一緒だ
胡散臭そうな目で見ている羽のひととは対照的に
ずいぶんと親密な様子である
火口Bの登場に
火口Aは驚きを隠せなかった⋮⋮
火口A﹁お、親父︱︱!?﹂
一八八、火口付近在住の現実を生きる不定形生物さん
パパだよ
一八九、住所不定のどこにでもいるようなてふてふさん
むしろコピーなんだけどな⋮⋮
硬直した火口A
訪れた絶好の機会に、勇者さんですら動けなかった
1732
火口Aが毒持ちなら
その血縁者も毒持ちである可能性が高い
いまだ状況は予断を許されない
一方で、火口Bが原種という可能性は否定された
原種は見た目でそれとわかるようになっているからだ
なまじ状況を把握している勇者さんだから、うかつには動けなか
った
動いたのは巫女さんだ
火口のんは彼女と因縁があると言った
つまり巫女さんにとっても、火口のんは因縁の相手なのだ
火口Bの登場に気を取られた生贄さんを押しのけて
巫女さんが足を踏み鳴らした
巫女﹁グノ!﹂
生贄﹁まっ⋮⋮﹂
生贄さんが気付いたときには遅い
長い袖で目尻をぬぐいながら、正面に片腕を突き出した
巫女﹁エリア・ドミニオン!﹂
人間に座標起点は扱えないが
土魔法なら似たような結果を導き出せる
操作の対象となる土は足元にふんだんにあり
1733
地続きになっているからだ
火口Aがぶら下がっている木の根元が盛り上がり
そこから土の腕が飛び出した
火口A﹁!﹂
樹上にいたのが幸いした
下方から掴みかかってくる腕を
我に返った火口Aが触手の伸縮を利用して避ける
追尾してくる腕を掻い潜りながら
火口Aが触手で反撃した
生贄﹁っ⋮⋮!﹂
反撃を見越していたのだろう
生贄さんが巫女さんの袖を引っ張る
巫女﹁ちょっ!?﹂
引っ張りやすさに定評がある袖である
露出の危機ふたたび
勇者﹁リン!﹂
勇者さんは状況がよく見えている
この場面で火口Aが狙うとしたら、それは子狸だ
空中で直角にカーブした触手が、高速で子狸に迫る
1734
先の一撃で、子狸は生まれたての子鹿みたいになってる
子狸﹁おお⋮⋮﹂
とうてい避けれない
ところが、火口Bが可愛いおれの出番を奪った
火口B﹁喝ッ!﹂
本来、座標起点を扱えるおれたちに処理速度の限界はない
完全に出遅れた筈のレクイエム毒針Bが
目にも止まらない速度で火口Aを打った
火口A﹁おふっ!﹂
火口Aは、踏みとどまることさえ叶わず、触手ごと吹っ飛んだ
子狸だけでなく、結果的に火口Aも救ったことになる
火口Aが視界から消えたことで、巫女さんの土魔法が無力化した
のだ
子狸﹁は、疾い⋮⋮﹂
思わぬ実力者であることがわかって、子狸がうめいた
おれもびっくりだ
目を丸くして火口Bを見てみる
おれ﹁あなたは⋮⋮まさか⋮⋮紅蓮将軍?﹂
1735
一九0、海底洞窟在住のとるにたらない不定形生物さん
ちょっ、六魔天⋮⋮
一九一、火口付近在住の現実を生きる不定形生物さん
おれ!? おれが六魔天なの!?
一九二、管理人だよ
六魔天か⋮⋮
おれは?
一九三、王都在住のとるにたらない不定形生物さん︵出張中
お前は、どちらかと言うと⋮⋮ところてんだな
一九四、管理人だよ
ふむ⋮⋮?
悪くない、な⋮⋮
⋮⋮悪くない
1736
一九五、住所不定のどこにでもいるようなてふてふさん
お気に召したようである
それにしても、視界の端でちらつく黒いのがうざいな⋮⋮
一九六、空中庭園在住のとるにたらない不定形生物さん︵出張中
おれのことじゃないよね? 信じてる
出番を奪われた羽のひとの鬱憤が炸裂した
妖精さんの口から出たキーワードに勇者さんが反応する
勇者﹁紅蓮?﹂
口にするのも憚られる六魔天
その活動時期は、およそ千年前である
まず人間たちには伝わっていないだろう
せっかく歴史に埋もれたのだから
そっとしておいてもらいたい
でも羽のひとは止まらなかった
妖精﹁はい。最初の討伐戦争で魔物たちを率いた将軍の一角です。
まさか生き残りがいたなんて⋮⋮﹂
どうするの、これ
とんでもない大物だよ
1737
原種どころの騒ぎじゃねーぞ⋮⋮
火口B﹁⋮⋮むかしの話じゃよ﹂
むかしの話にする火口B改め紅蓮将軍
かつての魔将は、子狸の背からずり落ちそうになっている
勇者﹁⋮⋮⋮⋮﹂
勇者さんはどう出るのか
一九七、王都在住のとるにたらない不定形生物さん︵出張中
勇者さんが何か言う前に
肩を怒らせた巫女さんが子狸に近付いてきた
子狸﹁おっとっとっと∼⋮⋮﹂
足元がおぼつかないポンポコの前に立つ
紅蓮さんを指差して、彼女は言った
巫女﹁どこで拾ってきたの!? 捨ててきなさい!﹂
お母さんか
子狸﹁ん?﹂
子狸が肩越しに振り返って、ぎょっとした
どうやら何も考えずに拾ってきたらしい
1738
子狸﹁しまった⋮⋮!﹂
慌てて周囲の面々を見渡し
よりによって側近Dが汗をぬぐっている布に目をつけた
子狸﹁あ、それ貸して!﹂
前足を差し出した子狸に
側近Dはきょとんとする
側近D﹁えっ、変態?﹂
子狸﹁ちがうよ! 顔に巻くんだ﹂
側近D﹁断固拒否する﹂
側近C﹁予想以上の変態だった⋮⋮﹂
歴代バウマフ家の中でも
わりとまともな方の子狸は
管理人としての立場をわきまえている
布を顔に巻いて謎の覆面戦士になろうとしたらしい
謎の戦士ならば、魔物と一緒にいても問題ないのである
このポンポコ賢いぞ⋮⋮
じつに賢い
しかし謎の覆面戦士が誕生することはなかった
1739
側近CとDは子狸の要請を頑なに拒んだ
おののく部下たちに、憤慨した巫女さんが
子狸の顔に自分の袖を押しつける
巫女﹁これでいいのか!? 満足か、この野郎!﹂
子狸﹁違うんだよな。おれの求めてるものはこれじゃないんだよ⋮
⋮もがっ﹂ 子狸さんが窒息しちゃう
一九八、空中庭園在住のとるにたらない不定形生物さん︵出張中
子狸が袖責めされている一方その頃
勇者さんは側近AとB、および生贄さんに周囲の警戒を怠らない
よう指示をしていた
その際、手元の聖☆剣に問いたげな視線を向けられていたが
勇者﹁お願いね﹂
勇者さんは、きっぱり無視した
策敵を三人に託して、子狸のほうに歩いていく
歩きながら指笛を吹くと、避難していた黒雲号と豆芝さんが追い
かけてくる
狐娘とお馬さんたちを従えた勇者さんは、真っ先に紅蓮さんとの
交渉を試みた
1740
勇者﹁あなたは、わたしたちの味方と捉えていいのかしら?﹂
子狸の背から降りた紅蓮さんは、聖☆剣の輝きに目を奪われている
紅蓮﹁レプリカではない⋮⋮? そうか、とうとうはじまったのか
⋮⋮﹂
呆然とつぶやく昔日の将軍に、勇者さんはかすかに語調を強めた
勇者﹁質問に答えなさい。あなたは、わたしたちの敵なの? もし
もそうなら⋮⋮﹂
初代魔王を頂点とする六魔天は、旅シリーズの概要が固まる以前
の存在だ
現在の基準に当てはめれば、都市級に匹敵する実力者ということ
になろうか
最終的には南極で勃発した一大決戦に赴き、そこで消息を絶った
ことになっている
勇者さんの不遜な物言いに、羽のひとが慌てて取りなした
妖精﹁っ⋮⋮将軍! こちらの方は今代の勇者さまです! 王国大
貴族のっ⋮⋮ええと⋮⋮﹂
勇者﹁アレイシアン・アジェステ・アリアよ﹂
言い淀んだ羽のひとに代わって、勇者さんが自己紹介した
本名を明かしたのは、もう隠す意味がないからだ
1741
となりで子狸をおしおきしている巫女さんがぽかんとしている
勇者さんの称号名と家名に
紅蓮さんは反応を示さなかった
紅蓮﹁ああ、いや⋮⋮失礼した。苦労を掛けたの、お嬢ちゃん。息
子の不始末は、わしがつける﹂
やはり親子という設定で行くらしい
一九九、住所不定のどこにでもいるようなてふてふさん
⋮⋮なんでグランド狸と同じ口調なの?
二00、火口付近在住の現実を生きる不定形生物さん
グランド狸が若かりし頃は、学生運動が盛んだったから
脅しを込めて、こういう話し方をしたらしいぞ
⋮⋮説得力を増すために真似てるだけだから
あんまりツッコまないでくれる?
二0一、魔都在住の特筆すべき点もないライオンさん
ああ、つまり緑のひとの負担を減らすために出てきたのか
1742
二0二、火口付近在住のとるにたらない不定形生物さん
痛てて⋮⋮
そう! そうなの。さすがにゃんこ、わかってる
つーか、まじで痛かったんですけど!
二0三、火口付近在住の現実を生きる不定形生物さん
仕方ないだろ
お前、イイのが入ったからって子狸に固執しすぎなんだよ
さっさと撤退してれば、おれが六魔天を演じる必要もなかったの
に⋮⋮
ちくしょう、なんで千年前の魔王軍幹部がグランド狸と同じ世代
の話し方なんだよ
勇者さんにツッコまれなければいいが⋮⋮
二0四、かまくら在住のとるにたらない不定形生物さん
へんに色気を出そうとするから
そういう目に遭うんだよ
大人しく無個性にしとけば良かったのに
これだから火口シリーズは⋮⋮
1743
二0五、火口付近在住のとるにたらない不定形生物さん
あ?
二0六、かまくら在住のとるにたらない不定形生物さん
あ?
二0七、王都在住のとるにたらない不定形生物さん︵出張中
喧嘩するな
⋮⋮庭園の、しばらく勇者さんにつくのか?
二0八、空中庭園在住のとるにたらない不定形生物さん︵出張中
いや⋮⋮
いや、そうだな
たぶん、緑のひととの接触が最後の分岐点になる
しばらく同行するよ
1744
二0九、火山在住のごく平凡な火トカゲさん
どっ、どどっ、どういうこと?
二一0、古代遺跡在住のごく平凡な巨人兵さん
おちつけ
だから言ったじゃん
勇者さんは聖☆剣を持ってるんだよ
わざわざお前に会いに来る動機がねーんだよ
なんかあるぞ、これ
二一一、王都在住のとるにたらない不定形生物さん︵出張中
まあ、そのへんは緑のひととの接触ではっきりするだろ
巫女さんと押し問答を続けていた子狸が
不意に前足を押さえてうなった
子狸﹁くっ、右腕が⋮⋮﹂
巫女﹁それ自業自得だからね。言っとくけど﹂
とか何とか言いながら、巫女さんは患部を診てやっている
1745
巫女﹁ああ、ちょっと腫れてるね。ひょろい腕だなぁ⋮⋮﹂
子狸﹁⋮⋮脱ぐと凄いんだぜ?﹂
巫女﹁続きは署で聞こうか﹂
子狸がよく連行されるので、巫女さんは騎士ネタに通じている
勇者﹁うるさい。少し黙ってて﹂
二人そろって勇者さんに叱られた
巫女さんが子狸に耳打ちする
巫女﹁⋮⋮嫉妬してるのかな?﹂
子狸﹁⋮⋮? 青みが足りない?﹂
子狸が焦がれてやまない青さを、紅蓮さんは持ち合わせている
二人を無視して、勇者さんが言う
勇者﹁あなたは、原種ではないのね﹂
紅蓮﹁原種? ああ、息子の友人じゃな。わしは、あまり好かん﹂
紅蓮さんは、息子の交友関係に不満があるようだった
紅蓮﹁息子が魔王軍への士官を志すようになったのは、あれの入れ
知恵によるものじゃろう﹂
1746
勇者﹁⋮⋮あなたは、魔王軍に仕えることをよしとしないの?﹂
紅蓮﹁お前さんの言いたいことはわかるが⋮⋮いまの魔王軍は別物
じゃよ。わかっておるじゃろう、魔界は王種を育んだ土地。生きる
魔王
は、地上で生まれた魔物じゃ。
には厳しい。わしらは新天地を求めて地上へと渡って来た⋮⋮かれ
これ千年前の出来事じゃ﹂
困ったときの魔界である
紅蓮﹁お前さんたちの言う
わしらが義理を尽くす理由はないのぅ⋮⋮﹂
ある時期を境に、魔王が入れ替わっているということだ
歴史の生き証人は遠くを見つめる目をしていた
紅蓮﹁小さな幼子じゃった⋮⋮よく笑う子でな。ひどく弱い⋮⋮あ
れは魔界では生きられん。きっと不幸になる。だから、わしらは反
対したんじゃ﹂
話の着地点が見えてきて、羽のひとが震える声で言った
妖精﹁そんなの⋮⋮聞いたことがありません。嘘⋮⋮﹂
設定そのものは昔からあった
いや、人間たちも薄々は勘付いていたのではないか⋮⋮?
魔王の容姿について、歴代の勇者たちは例外なく口を噤んできた
そして例外なく人々の前から姿を消すことになる⋮⋮
1747
旅路の果てに待ち受けていたものが、目を覆わんばかりの真相だ
ったからだ
魔都の玉座は⋮⋮人ひとり座るのがやっとの、小さなものだ
紅蓮﹁⋮⋮つの付きというのがおるじゃろう。いまは魔軍☆元帥か。
偉くなったもんじゃ、あの洟垂れが﹂
勇者さんは、何も言わなかった
紅蓮﹁あれの目的は、魔王を魔界に連れて行くことじゃろう。その
ためには、とくべつな鍵がいる。なぜなら︱︱﹂
人間
じゃ。お前さんたちとは少し違うがの⋮⋮﹂
あるいは言えなかったのか
紅蓮﹁魔王は
1748
﹁王種降臨﹂part8︵後書き︶
注釈
・六魔天
初代魔王を頂点とする青いひと六人衆。活動時期は、およそ千年
前。
魔物たちの役割が明確になっていなかった当時、魔王軍の幹部は
青いひとたち︵おそらくオリジナル︶が務めていたらしい。
後述の討伐戦争、その第一次を通して魔物たちの役割が決まって
いったという側面がある。
なお、初代勇者が初代魔王を討伐したあと、残りの五名は消息を
絶っている。
思ったよりも人間たちが弱かった︵魔法の適正が低かった︶ため、
六魔天の存在そのものをなかったことにしたのだと思われる。
初代魔王の崩御により、空中分解した魔王軍を再建したのが現在
の都市級の魔物であるらしい。
・討伐戦争
魔王討伐の旅シリーズの別名。正確には、勇者と魔王を頂点とす
る、人類と魔物の戦争を指して言う。
およそ百年に一度の割合で勃発し、今回の旅シリーズは第十次討
伐戦争にあたる。
魔物による侵略戦争と伝えられているが、第二次討伐戦争以降は
目的が異なっていた。
1749
その目的は、魔王︵初代とは異なる︶を魔界に連れて行くこと、
であるらしい。
もちろん魔物たちがねつ造した事実である。
1750
﹁王種降臨﹂part9
二一二、空中庭園在住のとるにたらない不定形生物さん︵出張中
決定的な発言だった
しかし当然と言えば当然なのだ
魔王とは何か
魔界の王か? 人間たちはそう認識しているだろう
だが、仮に魔王が王種を超える存在なら、とっくのとうに人類は
滅んでいる
魔王は弱い
地上で生まれた魔物だから、過酷な環境に適応する必要がなかった
魔物以外で魔法を扱えるのは、人間だけだ
魔物が地上で生まれたなら、どの魔物よりも人間に近しい存在に
なる
人間たちは認めたくなかっただけだ
人間たちの負の感情が高まったときに魔王は現れる︱︱
人間から生まれたものが
人間以外の姿をとるのは不自然だ
人間、人間⋮⋮
討伐戦争は人間と人間の争いだった
人間同士の争いにはじまり、人間同士の争いで終わる
それが討伐戦争の正体だ
1751
勇者さんが気付いていなかった筈がない
少なくとも可能性の一つとして考慮していた筈だ 勇者﹁⋮⋮信じろというの? あなたの言葉を﹂
彼女は、疑うことでしか、真実を推し量れない
それは長所であり、また短所でもある
まあ、じっさい実在しないんですけどね⋮⋮
巫女﹁また⋮⋮知らなくてもいいことを知ってしまった⋮⋮﹂
どう考えても国家機密にあたる情報である
巫女さんは、この場にいたことを悔やんだ
顔面を両手で覆って嘆く
巫女﹁わたしの人生、アクションスターもびっくりだよぅ⋮⋮﹂
つくづく国家の陰謀と縁がある娘である
子狸﹁今回はひもなしバンジーかなぁ⋮⋮﹂
本人同伴のスタントマンが他人事のように言った
どことなく哀愁が漂う一人と一匹
側近たちは慣れたものである
側近A﹁⋮⋮今度は、どこの組織を壊滅させるんだろうか﹂
側近B﹁またひとつ伝説が生まれるんだね⋮⋮﹂ 1752
生贄さんは一座に加わって日が浅い
子狸への対抗心もあってか、巫女さんを慰めていた
生贄﹁だ、大丈夫ですよ! みんな口が堅いですから﹂
巫女﹁⋮⋮うん。でもね、世の中には変なのがいっぱいいるんだよ﹂
そして、そうした人間は、たいていどこかしらの組織に身を寄せ
るのだ
相槌を打つ側近Aの声には、早くも諦観の念がこもっている
側近A﹁ああ、騎士団にもいるね⋮⋮変なのが﹂
狐娘﹁変なのって言うな﹂
狐娘にとって他人事では済まされない問題である
そのとき、子狸の視線が素早く走った︱︱!
子狸﹁魔王だと⋮⋮?﹂
じつに一分を要した反応がこれである
いつも通りの子狸さんだ
二一三、海底洞窟在住のとるにたらない不定形生物さん
1753
いつも通りで安心した
二一四、管理人だよ
ヨトヨト言ってるから何のことかと思った
魔王のことか
二一五、火口付近在住の現実を生きる不定形生物さん
なんで古代言語ベースなの?
え? じゃあ、お前の頭の中だと、おれは
あなたは人間です、とか見ればわかるようなことを指摘してたの?
二一六、海底洞窟在住のとるにたらない不定形生物さん
※ 旧古代言語におけるヨトは二人称のあなた、お前という意味
である
二一七、火口付近在住の現実を生きる不定形生物さん
注釈つけるな!
二一八、海底洞窟在住のとるにたらない不定形生物さん
1754
※ 注釈を嫌がる魔物もいる。なんでも屈辱的に感じるのだとか。
心の狭いことである
二一九、管理人だよ
※ 午後から曇りそうである
二二0、王都在住のとるにたらない不定形生物さん︵出張中
※ だから何だと言うのか
で、お前ら。今回の魔王はどうするの?
魔王は人間だった。それはいい
でも少し違う。それもいい
具体的な設定はどうするんだ?
眠ったままにしておくのか?
そもそも誰が魔王役やるの?
二二一、空中庭園在住のとるにたらない不定形生物さん︵出張中
最初に言っておくが、おれは嫌だぞ
とくに今回は絶対に嫌
本気で身の危険を感じる
1755
というか、おれ魔軍☆元帥ですし
二二二、海底洞窟在住のとるにたらない不定形生物さん
お前の分身がな
お前は依然としてフリーだよ
むしろ筆頭候補と言ってもいい
⋮⋮意表を突いて、てっふぃーが魔王なんてどう?
二二三、住所不定のどこにでもいるようなてふてふさん
やってもいいけど
おれは改心して勇者さんに寝返るよ
お前らが何と言おうと、全部バラして許しを請う
たぶん勇者さんは、おれなら許してくれる
二二四、かまくら在住のとるにたらない不定形生物さん
そういうところあるね
勇者さんは、そういうところある⋮⋮
お前ら、提案なんだが
旅シリーズも十回目なんだからさ
いい加減、チームブルーから魔王を選出するみたいな流れはやめ
ないか?
1756
二二五、火口付近在住のとるにたらない不定形生物さん
賛成。大いに賛成
二二六、空中庭園在住のとるにたらない不定形生物さん
賛成以外のなにものでもない
二二七、魔都在住の特筆すべき点もないライオンさん
まあ、おいおい決めて行こうよ
勇者さんが魔都に到着する頃には
アニマル班も手が空くだろうし
今後、設定に追加がないとも限らないだろ?
二二八、王都在住のとるにたらない不定形生物さん︵出張中
それ、いつものパターンじゃねーか⋮⋮
そんなこと言ってるうちに最終決戦に突入して
けっきょくバウマフさんちのひとが出撃して
ボケ倒したあげくにネタバレしはじめて
こりゃだめだってなるんだぞ⋮⋮
1757
二二九、海底洞窟在住のとるにたらない不定形生物さん
でも、前回はうまく行ったじゃん
邪神教徒は立派に務めをはたしたぞ
二三0、空中庭園在住のとるにたらない不定形生物さん︵出張中
あれにはびびったね⋮⋮
誰ひとりとして失敗を疑わなかったというのに
土壇場で邪神は決めてくれた
史上最強のバウマフは、さすがにモノが違った⋮⋮
二三一、住所不定のどこにでもいるようなてふてふさん
⋮⋮そろそろいいか?
話を先に進めるぞ
二三二、海底洞窟在住のとるにたらない不定形生物さん
ああ、てっふぃーは、前回あんまり絡めなかったもんね
突け入る隙も与えなかったんだから、大したもんだ
1758
あそこまでやって、はじめて史上最強の称号は手に入るんだよ⋮⋮
二三三、住所不定のどこにでもいるようなてふてふさん
うるさい
むかしのお前らは、もっと素直で可愛かったのに⋮⋮
泣く子も黙るくれないの将軍も、いまや地に落ちた
真偽の程を問われて、何も差し出すことが出来ないまでに
紅蓮﹁信じる信じないは、お前さんしだいじゃのぅ﹂
千年の歳月がお前らの性格を歪めたのである
おれはもちろん勇者さんの味方だ
子狸の肩にとまって、感情も豊かに訴える
おれ﹁信じられません、そんなのっ! だって、そんなの⋮⋮いま
さらですよ! どうして、いまなんですか? 魔王が⋮⋮人間だっ
たなんて⋮⋮!﹂
子狸﹁え? おれ?﹂
とうとつに暴露しはじめる子狸を
おれは優しく諭したのであった⋮⋮
二三四、王国在住のとるにたらない不定形生物さん︵出張中
1759
おれには少し異なるように見えたのだが⋮⋮
子狸﹁え? おれ?﹂
妖精﹁ちぇすとっ﹂
子狸﹁おふっ﹂
閃光のごとし左ジャブが子狸の頬で弾けた
首ごと持って行かれそうな子狸を、羽のひとは一瞥すらしない
妖精﹁魔界に帰りたいなら、勝手にすればいいじゃないですか! どうして人間たちを巻き込むの!?﹂
歴代勇者の手助けを妖精たちが担ってきたのは、魔物たちが侵略
者だと信じていたからだ
地上で生まれた魔物が、魔界へ行くために軍を興したのだとした
ら、妖精たちの正当性は失われる
羽のひとが、子狸の肩の上で身震いした
紅蓮さんの言葉を疑えば疑うほど、理屈が通っていることに気が
付いたからだ
勇者の味方をする妖精たちに、魔物たちは寛容だった
それは、魔物たちの目的が戦争に勝つことではなかったからでは
ないのか
魔軍☆元帥は、魔界からゲートを潜って地上へと渡ってきた
ゲートは自然発生するものではないが、魔界と地上の双方から同
時に干渉すれば、人為的に作り出すことができる
1760
千年前とは状況が違う。いまや魔物たちは地上にあふれ、魔界で
生まれたものはより良い暮らしを願って地上を目指すという仕組み
が出来上がっている
ゲートは作れるのだ
ただ、それだけではだめだった
勇者さんが手にしている光の宝剣には、ゲートを閉ざす機能がある
火の宝剣には備わっていない機能なのだろう
鍵︱︱と魔軍☆元帥は呼んだ
扉を閉める鍵と、開ける鍵は、ふつう同一だ
光と闇が表裏一体だというなら
光の宝剣は、闇の宝剣でもある
最初に扉を開いたのは誰なのか。おそらく魔王なのだろう
勇者が魔王を倒し、鍵は人間たちの手に渡ったに違いない
扉は閉ざされた⋮⋮
いま、ふたたび魔物たちが鍵を欲しているのは
かつて魔王が開いた扉を、もう一度、開けるためだ
地上で生まれた魔物が、なんのために扉を開くのか
魔界へ行くためなのだろう⋮⋮それ以外に理由が見当たらない
紅蓮﹁⋮⋮⋮⋮﹂
紅蓮さんは、羽のひとの質問には答えなかった
それは、かつての古巣に対する最後の義理だったのかもしれない
1761
じゅうぶんな間をとってから、彼は言った
紅蓮﹁わしらは反対した。緑豊かな地上で生まれ、相応の力しか持
たない魔王が、あの魔界で生きられるとは思わなかった。いまでも、
その確信は変わらん﹂
だから彼はここにいる
紅蓮﹁しかし本人が望んだ。レベル4⋮⋮ああ、お前さんたちは都
市級と呼ぶが⋮⋮魔王軍を再建したものたちじゃ。あの連中は、魔
王の望みを叶えてやりたいと言うた。本当のところはわからん。魔
人は⋮⋮あれはだめじゃ。つの付きとは相容れん。一緒に連れて行
こうと思っとったが⋮⋮つの付きがどうしてもと言う。同期のよし
み、かのぅ﹂
ここで、魔軍☆元帥と魔人の不仲説浮上
あまりにも強すぎるため、あらかじめ退場させておく必要がある
のだ
魔人の話題に狐娘が食いついた
狐娘﹁魔人も聖剣を欲しがってるの?﹂
紅蓮﹁いや、それはないじゃろうな。あれは他の連中とは違う。つ
の付きに御しきれるとも思えん﹂
さんざんな言いようである
かくして最大の脅威は速やかに取り除かれた
1762
魔軍☆元帥は、魔人の登場を前向きに善処しているようではある
が⋮⋮どうだろうか
設定上、強すぎるし好戦的すぎる。ふだんは、わりと温厚なのだが
積み重ねた千年の歴史が、魔人に敗北を許さない。難儀なひとで
ある⋮⋮
勇者﹁⋮⋮⋮⋮﹂
勇者さんは、子狸を気にしている
魔物しか扱えない筈の発電魔法を使える子狸さん
なぜ使えるのか?
その理由は、けっきょく謎のままであった
魔王は、人間に近しい存在であるらしい⋮⋮
じつに怪しいポンポコである
事実、おれたちの管理人なのだから救えない
子狸﹁⋮⋮!﹂
勇者さんと目が合って、子狸は照れた
以前は目が合ったら首を傾げる程度だったのだが
さいきんの子狸は少し変である
ようやく羞恥心というものが芽生えはじめたのであろうか?
勇者さんが子狸へと送る視線を、紅蓮さんはわざと曲解した
紅蓮﹁バウマフ家の。お前さん、とうとう遣り遂げたのぅ⋮⋮﹂
子狸﹁⋮⋮うん? うん。へそで茶がわくぜ﹂
1763
妖精﹁ちがう。お茶の子さいさい﹂
子狸﹁そう、それ。お茶の子さいさい﹂
へそで茶をわかす。非常に滑稽であるさま
お茶の子さいさい。簡単であること
だいぶ違う
頭を抱えて懊悩していた巫女さんが、不意に﹁あ!﹂と叫んで顔
を上げた
子狸の、羽のひとが乗っていないほうの肩をばしばしと叩く
子狸﹁おれの投手生命を絶つつもりなのかい?﹂
絶たれるほどの投手生命でもない
巫女﹁違うよ! そうじゃなくて、そうだよ! やったじゃないか、
同志ポンポコ!﹂
何を言わんとしているのかはわかるが⋮⋮
子狸﹁ん? 違うのか。キャッチャー?﹂
巫女﹁そうそう。こう、どっしりと構えて⋮⋮って違うよ、おばか
!﹂
まさかのノリツッコミである
1764
巫女﹁勇者だよ! ついに見つけたんだね!﹂
じつは、このポンポコ。世界各地で巫女さんと遭遇するものだから
勇者を探して旅をしているという設定であった
いろいろと無理があることはわかっていたのだが、巫女さんは信
じていたらしい
子狸﹁⋮⋮⋮⋮﹂
もちろん子狸は覚えていなかった。言うまでもないことである
子狸﹁⋮⋮きみの勇者も、早く見つかるといいな﹂
勇者という単語すら怪しかった
巫女﹁え、いっぱいいるの?﹂
子狸﹁いや⋮⋮つまり勇者はたくさんいてもいいんだ﹂
思い出したらしい
きれいにまとめようとしている
前後で会話文がつながっていない気もするが
子狸ライブラリーは日々進化しているのだ
勇者を探して旅をしていた子狸
とうとうバウマフ家の謎に触れるときがやって来たのか?
勇者﹁どういうこと?﹂
1765
勇者さんが食いついてくれた。ありがとうございます
紅蓮さんのしたり顔を、おれたちは生涯忘れないだろう 紅蓮﹁⋮⋮ついてきなさい﹂
そう言って、這って進む、紅蓮翁⋮⋮レッドホークの異名を持つ
戦士
緑のひと、出番が近いぞ。だいじょうぶか?
二三五、火山在住のごく平凡な火トカゲさん
ひっひっふー。ひっひっふー
二三六、海底都市在住のごく平凡な人魚さん
出産に備える緑であった⋮⋮
二三七、古代遺跡在住のごく平凡な巨人兵さん
いや、だいじょうぶだ
認めたくはねーが⋮⋮おれたちのリーダーだからな
緑の、お前ならやれるさ
1766
お前がリーダーだ
二三八、火山在住のごく平凡な火トカゲさん
大きいの⋮⋮
二三九、古代遺跡在住のごく平凡な巨人兵さん
ふっ⋮⋮
第一印象が大事だぞ
がつんと行け!
二四0、住所不定のどこにでもいるようなてふてふさん
これほどまでにだめな流れを、久しぶりに見たぜ⋮⋮
1767
﹁王種降臨﹂part9︵後書き︶
注釈
・邪神教徒
子狸と親狸のご先祖さま。前回の旅シリーズ、つまり第九次討伐
戦争時の管理人であった。
史上最強のバウマフと謳われるが、これは親狸のような存在を想
定していなかったためであり、戦闘能力が高いという意味ではない。
それでも魔物たちにより英才教育を施されていたので、特装騎士
と同程度の実力はあったとされる。
バウマフ家の血をもっとも濃く継いでいたとされ、子狸で言うと
ころの暴走状態がノーマル時の常であったらしい。
九代目の勇者候補に面接官と称して接近し、勇者の選定が人為的
なものであることをネタバレしはじめる。
まだ取り返しはつくと豪語する魔物たちをよそに、公衆の面前で
発電魔法を披露して華麗にフィニッシュを決めた。 ここで誤魔化したとしても、今後も同じことを繰り返すと判断さ
れ、あえなく魔王の腹心ルートに突入する︵開戦前︶。
自分が魔物ではなく人間であることをカミングアウトすることが
予想されたため、﹁邪神︵魔王ではない︶を崇拝する徒﹂という、
討伐戦争とは無関係なポジションにつく。
キャッチコピーは﹁悪辣たる叡智﹂。いろいろと無理があった。
かくして、あたたかく魔王軍に迎え入れられた邪神教徒は、魔物
たちの﹁責任感を学ばせる﹂という教育方針のもと、いきなり幹部
1768
に出世。一人では不安だったので、急きょ設けられた魔軍☆四天王
の一席を担う。
しかし開戦後、四天王だと言ってるのになんとなく勇者について
行ったり、家事をこなしているときに職務に目覚めたりするなど、
両陣営を行ったり来たりする。
いちおう魔王軍幹部ということでレベル4を開放されていたので、
人間の限界を超えた家事担当であった︵とても便利︶。
一方、魔物たちは邪神教徒を魔王軍に連れ戻すべく奮闘し、戦力
として不要であることを強調するために、なし崩しで決まった勇者
にさまざまな特典を与える。
この﹁勇者ボーナス﹂には不特定多数の魔物が関与しており、ま
た隠ぺい工作が完璧であったことも加味され、九代目勇者は人外の
領域へと近づいていく。
歴史上、バウマフ家以外のお供を持たなかった唯一の勇者である。
激戦の中、覚醒していく自らの能力に、﹁自分は本当に人間なのか
⋮⋮?﹂と悩んでいたらしい。参考までにとなりのあいまいなひと
に尋ねてみると、﹁目玉焼きは半熟だろ﹂とか言う。参考にならな
かった。
自分探しを続ける勇者が勇者として機能しなかったため、魔王軍
の快進撃は続く。威勢良く四天王を名乗ったものだから、歯止めが
利かなかった。
なお、邪神教徒の捕獲率がトップの﹁つの付き﹂は魔軍☆元帥に
昇進。この際だから三大国家を陥として、そこからはじまるストー
リーを目指す。
邪神教徒も同意した。たしかに同意した。にも拘らず、あっさり
と反旗をひるがえして魔軍☆元帥に噛みつく。のちに提出した反省
文によると、勇者の奮起を促すためだったらしい。
史上まれに見るほどの戦略的大敗を喫するも、部下に恵まれてい
1769
たこともあり、からくも難を逃れた邪神教徒は地下神殿︵新設︶へ
と身をひそめる。
使命に目覚めた勇者は、邪神教徒の仇をとるべく魔軍☆元帥と相
対。これを撃破。同じあやまちは繰り返すまいと、魔都へ赴く⋮⋮。
あとは勇者と邪神教徒が感動の再会をはたして、ともに魔王を討
つだけという、簡単なお仕事であったが⋮⋮。
同時刻、邪神教徒は魔軍☆四天王としての使命に目覚めていた。
1770
﹁王種降臨﹂part10
二四一、王都在住のとるにたらない不定形生物さん︵出張中
紅蓮さんの道案内で結界の内部を進む一行
紅蓮﹁よいしょ、よいしょ⋮⋮﹂
姑息にも牛歩戦術を用いる老将軍に
出発して間もなく、馬上の勇者さんが物申した
勇者﹁⋮⋮あなたは飛ばないの?﹂
触手の伸縮を利用してさっさと歩けということだ
対する紅蓮さんの態度は挑発的だった
紅蓮﹁お前さんたちが付いてこれるなら、そうしてもいいがのぅ﹂
まず無理だろう
レクイエム毒針・紅蓮は人間が視認できる速度を軽々と超えていた
子狸﹁紅蓮さん、まじぱねえす⋮⋮﹂
敬老精神を如何なく発揮する子狸
巫女﹁むぅ⋮⋮﹂
巫女さんは微妙な面持ちだ
1771
彼女にとって紅蓮さんは、宿敵の肉親にあたる
複雑な心境なのだろう
巫女さんの側近たちは
リラックスした様子で紅蓮さんのすぐ後ろを歩いている
隊列もばらばらだ
先ほど披露した紅蓮さんの実力は、あきらかに従来のザ・ブルー
とは一線を画していた
口ぶりからも、原種を軽んじていることがわかる 原種を寄せ付けないほどの実力者が先頭に立って歩いているのだ
から
彼女たちの身の安全は保障されたようなものである
その点に関しては勇者さんも同意せざるを得なかった
罠の存在を疑うには、紅蓮さんが強大すぎる
あるいは当初の予定通り、羽のひとの結界で上書きしたほうが近
道かもしれないが
部隊を二つに分けるリスクを考えれば、ここは紅蓮さんに頼るの
が得策だ
合流の手間が省けるというのも大きい
紅蓮さんの歩調に合わせて、ゆっくりとした時間が過ぎる
その間、勇者さんはちょっとしたアイドルだった
生贄﹁あの∼⋮⋮勇者さま?﹂
勇者﹁なに?﹂
1772
敏感な反応である
子狸で果たせなかった夢を、いま彼女は叶えたのだ
妖精﹁あ、サインはだめですよ∼﹂
さりげなく勇者さんの肩に移った羽のひとが
マネージャーへと華麗なる転身を遂げた
勇者のバリューネームは大きい
側近たちが黄色い悲鳴を上げた
女の子の勇者というのは史上類を見ないから
同姓として誇らしくもあるのだろう
子狸﹁ああ、だめだめ。プライベートですから﹂
子狸も羽のひとに続いた
すっかりご満悦の勇者さんを
ステルス中の黒いのが、ぴたりと背後をついて回っている
片手でマントの端を掴み、バッとひるがえした
とくに意味のない行動である
転校生さながら質問攻めに遭う勇者さんであったが⋮⋮
勇者﹁ごめんなさい。言えないの。わたし個人の問題ではないから﹂
クールな答えに、巫女一味の熱狂は増すばかりだ
1773
長年仕えてきた狐娘も、さぞや鼻が高いことだろう⋮⋮
と思ったら、にわかとは違うのだと言わんばかりの態度である
狐娘﹁これだから素人は⋮⋮﹂
子狸﹁隊長、どうします?﹂
狐娘﹁いい。放っておけ﹂
いつの間にか子狸が狐娘の軍門に下っていた
勇者さん親衛隊の特典に与ろうというのか
じつに浅ましいポンポコである
おい。古今東西、親衛隊には鉄のおきてがあるんだぞ
二四二、管理人だよ
彼女のためなら、この命⋮⋮惜しくない
二四三、空中庭園在住のとるにたらない不定形生物さん︵出張中
その台詞、もっとべつの場面で聞きたかったよ⋮⋮
二四四、王都在住のとるにたらない不定形生物さん︵出張中
勇者さんに付きまとう黒いのんの目尻に、きらりと光るものが浮
1774
かんだ⋮⋮
出発した当初は順調に進んでいた一行だが
時刻が十時を回り、気温が上がって来た頃から
だんだん遅れはじめた
奥へ奥へと進むごとに、森は険しさを増す
道が平坦であるとも限らない
少しでも隙間があれば、そこに身体をねじ込んで先に進める紅蓮
さんとは違い
人間たちは︱︱とくにお馬さんたちを連れている勇者さんは、迂
回しなければならない場面が出てくる
本能的に最適なルートを嗅ぎ当てる子狸が暫定二位をキープするも
後続が立ち往生するたびにずるずると順位を下げてサポートに回る
そうして、お馬さんたちが通れるだけのスペースを確保すること
数回︱︱
無駄を省いていった結果、気付けば勇者さんは子狸におんぶされ
ていた
何度か黒雲号を登り降りしているうちに、体力が尽きたのである
勇者﹁⋮⋮⋮⋮﹂
後ろ足が発達している子狸にとって、勇者さんの体重はあまり苦
にならない
二四五、管理人だよ
1775
血がたぎってきたぜ
二四六、空中庭園在住のとるにたらない不定形生物さん︵出張中
子狸さんの野生が目覚めつつある
ようやく身体があたたまってきたようだ
勇者さんを背負ったまま巫女一味を追い越し、振り返る
巫女さんに寄り添っている生贄さんを見て、不敵に言い放った
子狸﹁遅いな。どうした? その程度か。おれは、まだぜんぜん本
気を出しちゃいないぜ⋮⋮?﹂
巫女﹁すぐ調子に乗る⋮⋮﹂
森に拠点を作って生活してただけあって、巫女さんにはまだ余裕
がある
とうとつに煽りはじめた子狸を呆れた目で見ていた
生贄さんは子狸を同志とは認めていない
生贄﹁⋮⋮わたしは、この中だとあまり強いほうじゃないですから﹂
巫女さんの護衛に徹するということだろう
火口のんの襲撃を受けたときに、巫女さんが頼ったのはその場に
いない子狸だった
それが生贄さんにとってはショックだったのかもしれない
1776
自らの実力不足を嘆く生贄さんを、巫女さんが気遣っている
巫女﹁気にしなくていいよ。あのひと、むかしから体力だけは異常
にあるんだ﹂
その体力も、身体の使い方ひとつで変わる
子狸が誰よりも遠くまで走れるのは、誰よりもたくさんの時間を
費やしてきたからだ
子狸﹁自然界はきびしい。走れなくなったら死ぬしかない﹂
妖精﹁今日は大活躍ですねっ﹂
羽のひとは、空元気を装うという新たな試みに挑戦していた
子狸の肩の上で明るく振る舞う健気な妖精さんを
勇者さんの感情を映さない瞳が見つめている
妖精という種族の在り方そのものを問われる問題に
勇者さんがしてやれることはあまりにも少ない
じっさいは規定の路線なので、まったく問題ないのだが
狐娘﹁アレイシアンさま⋮⋮﹂
狐娘は勘働きが鋭い少女だ
しかし、これは精神作用の異能全般に言えることで
雑多な情報を最終的に処理するのは自分自身だ
頭の中に存在しない概念を知覚することはできない
1777
つまり、共通した認識が不可欠なのである
だから、まだ幼く人生経験が不足している狐娘では
タマさんほどには異能を使いこなせない
紅蓮﹁人間は不便な生き物じゃのぅ⋮⋮﹂
一行が追いついてくるのを、紅蓮さんはのんびりと待っている
側近A﹁蛇だぞ∼。しゃーっ﹂
側近B﹁や∼め∼ろ∼よ∼﹂
側近D﹁あんた、よく平気で触れるね⋮⋮﹂
側近C﹁なんだこの蜘蛛、でっかい﹂
側近たちは元気である
森での暮らしに慣れているようで、都会の娘さんたちにはないバ
イタリティがある
勇者一行は骨のひとたちと共同生活を営んだこともあったが
あれは幽霊船という閉鎖された空間での出来事だ
茂みからころんとまろび出た小さいのが、紅蓮さんにまとわりつく
心なし透明度が高く、水色に近い色彩をしていた
水色A﹁紅蓮さま∼。紅蓮さま∼﹂
水色B﹁ひとりになっちゃだめなんだよ。知らないんだ∼?﹂
1778
こそっと木陰に隠れている水色は、二人よりもさらに一回りほど
小さい
水色C﹁人間? 人間?﹂
好奇心を抑えられない様子で尋ねた相手は、子狸だ
小指の先ほどしか退魔性を保持していないポンポコだから
必然的に魔物たちの相談窓口になる
子狸は言った
子狸﹁おれが人間かどうかは、お前が決めるといい﹂
憂いを帯びた眼差しをしているところ申し訳ないが
現時点でTANUKI以外の選択肢があるとは思えない
小さな水色たちは、おれたちの幼生という設定である
無邪気な笑顔の裏に、どす黒い何かが見え隠れしていた
紅蓮﹁⋮⋮え?﹂
想定外の事態に唖然とした紅蓮さんが
年端の行かない子供たちに向けた視線は
混乱と恐怖にまみれたものだ
勇者さんが羽のひとに気を取られていたから良かったものの
目撃されていたら確実にアウト判定のリアクションである
⋮⋮べつの河から放たれた刺客か
1779
二四六、かまくら在住のとるにたらない不定形生物さん
だれの差し金だ!? 事と次第によっては︱︱
二四七、かまくら在住の現実を生きる不定形生物さん︵出張中
六魔天の本気が見られると聞いて
二四八、かまくら在住のとるにたらない不定形生物さん
うむ、ご苦労
こほん。事と次第によっては、ただでは済まさんぞ⋮⋮!
二四九、火口付近在住のとるにたらない不定形生物さん
かまくらの⋮⋮
やはり貴様とは、いずれ決着をつけねばならないようだな⋮⋮
二五0、火口付近在住の現実を生きる不定形生物さん
さしもの冷静沈着なおれも
いささか焦ったぜ⋮⋮
1780
二五一、住所不定のどこにでもいるようなてふてふさん
冷静沈着な紅蓮さんは、ひとしきり硬直してから子供たちをあや
しはじめた
紅蓮﹁お前たちは、まだ幼い。人前に現れてはいかんと習ったじゃ
ろう﹂
水色B﹁紅蓮さまはいいの∼?﹂
紅蓮﹁わしはええんじゃ。年季が違うわい﹂
青いのが子連れで人前に姿を現すのは、子供たちの前でだけと決
まっている
忘れかけていた記憶を掘り起こされて、側近たちが目を輝かせた
側近A﹁うわっ、小さい! こんなに小さかったんだ⋮⋮﹂
側近B﹁触ってもいいかな⋮⋮?﹂
水色を抱き上げようとする側近Bを、巫女さんが制した
巫女﹁あ、だめだよ。わたしたちと触れ合うのは、魔物にとって毒
なんだ﹂
成体の魔物なら気にならないほどの退魔性でも
幼体への影響力に関しては未知数だ
側近たちは巫女さんから退魔性のことを聞き知ってるのだろう
1781
しぶしぶと水色たちから距離をとる
三人の水色が同行することになり、ますます大所帯になる一行
触れ合うことは出来なくとも、言葉を交わすことは出来る
幼い魔物たちは、側近たちの話に興味しんしんだ
人里のこと⋮⋮
大陸のこと⋮⋮
子狸﹁⋮⋮⋮⋮﹂
急に大人しくなった子狸は、彼女たちを羨望の眼差しで見ている
魔物と人間⋮⋮
バウマフ家の人間は、両者が手を取り合える世界を目指している
千年越しの悲願だ
︱︱だが、わかっているのか?
傍目から見ると未来への展望を思わせる光景も
少し深入りしただけで、どうすることも出来ない種族間の差を孕
んでいる
いまはまだ無邪気な水色たちも、いずれは成長して人間たちに牙
を剥くことになる
魔王軍の幹部がどれだけ息巻こうとも、末端の魔物たちが戦う理
由はべつにある
そして、それこそがもっとも雪ぎがたい、あらゆる対立の根本に
あるものだ
⋮⋮子狸、お前の親父は
お屋形さまは⋮⋮
1782
二五二、王都在住のとるにたらない不定形生物さん︵出張中
そうだな。お屋形さまが管理人の座を子狸に譲ったのは
自分には無理だと悟ったからだろう
あのひとは、きちんと物事の筋道を考えることができる
紅蓮﹁ここじゃな﹂
大きな倒木を乗り越えたところで、紅蓮さんが立ち止まった
森の風景はまだ続いている。一見、何の変哲もない場所だが⋮⋮
ここが結界の終焉だ
追いついてきた巫女さんが、じっと虚空を眺めている紅蓮さんの
背に問いかける
巫女﹁? 結界の端ってこと? どうしてわかるの?﹂
紅蓮﹁わしは、お前さんの数十倍は長く生きとる。この森のことで、
わしが知らんことはない﹂
正確な地形を記憶しているのだから、紅蓮さんにとっては簡単な
間違い探しのようなものだ
勇者﹁どうするの?﹂
子狸の背中から降りた勇者さんが重ねて尋ねた。少しふらついて
いる
1783
結界の境界を触手で探りながら紅蓮さんが答えた
紅蓮﹁そうじゃのぅ⋮⋮幾つか方策はあるが⋮⋮ここはお前さんの
力を借りるとしようか﹂
そう言って子狸を手招きする
子狸﹁とうとうおれの最終奥義が炸裂するのか⋮⋮﹂
妖精﹁え? しぬの?﹂
子狸﹁え? なにそれ怖い﹂
羽のひとを勇者さんに預けて、子狸が紅蓮さんの横に並ぶ
となりで光沢を放つ青いボディに、決意の眼差しを向ける
子狸﹁おれの命で良かったら、好きに使ってくれ﹂
紅蓮﹁なんの儀式じゃ。お前さんは、わしに合わせるだけで構わん
よ﹂
それだけで子狸は理解したようだ
子狸﹁ん? もしかして結界を破ろうとしてるのか?﹂
ようやく追いついてきてくれたようだ
高位の魔物は、人間など及びもつかないほどの大魔法を扱える
紅蓮将軍は魔王軍の元幹部だ
結界の対処法を知っていたとしても不思議ではない
1784
ポンポコだけが納得しても仕方ないので、簡単に説明する
紅蓮﹁これから、魔法を基点に干渉する。わし一人では観測がぶれ
る。結界は目に見えるものではないが⋮⋮この小僧なら干渉できる
じゃろう。バウマフ家じゃからのぅ⋮⋮﹂
勇者﹁あなた、魔法が使えるの?﹂
勇者さんのツッコミがあることは想定内だ
紅蓮﹁原種は使えるじゃろ。それは何故かと、考えたことはあるか
ね?﹂
勇者﹁元々は使えるから? でも、ここは地上だわ﹂
紅蓮﹁お嬢ちゃんは賢いのぅ。正解じゃ。わしらは地上では著しく
力を制限される。だから、力を内部に蓄えて活用せねばならぬ。魔
☆力と呼ばれる力じゃ⋮⋮﹂
くっと触手を引きしぼる紅蓮さんに、となりで子狸も身構える
紅蓮﹁魔☆力は契約により成り立つ。たとえ物質に干渉しているよ
うに見えても、それは本来の作用ではない﹂
契約とは約束のこと
かつて魔王が勇者と約定を交わしたように、約束には相手が必要だ
紅蓮さんは意外に思ったようである
1785
紅蓮﹁人間たちは、まだそこまで辿りついておらんのか? 都市級
の連中は口が軽い。うっかり漏らしているとばかり思っとったが⋮
⋮﹂
いや、けっこう漏らしている。気付く人間は気付いているだろう
ただ、三大国家の上層部が秘匿している事柄だから、一般には知
れ渡っていないだけだ
紅蓮﹁魔☆力は契約でのみ得られる。お前さんたちが退魔性と呼ん
でいるのが、それじゃ。人間たちが魔法を使う代償に、わしらは地
上で活動する力を得ておる⋮⋮﹂
触手を放つ前に、紅蓮さんは振り返って勇者さんを見た
紅蓮﹁言ったじゃろう? お前さんは賢いよ。アリア家のお嬢ちゃ
ん﹂
魔法の代償は、人間たちが信じているよりもずっと重い
失った退魔性は、生涯を通して戻ることはない
つまり、おれたちのレクイエム毒針は、一種の魔☆力なのだ
いや、魔物の生命活動そのものが魔☆力に依っている
都市級の魔物は、強大な魔☆力を内包しているから外部へと干渉
できる
魔法は⋮⋮魔界の自然法則だ。もともと地上に存在したものでは
ない
かたわらの子狸へと紅蓮さんが吠えた
1786
紅蓮﹁小僧! 行くぞい!﹂
子狸﹁おう! ポーラレイ!﹂
応じた子狸が前足を突き上げると、大気中の水分が凝縮されて鞭
状になった
視線を交わした二人が同時に頷く
紅蓮&子狸﹁しゅぅぅぅぅと!﹂
子狸が前足を振ると共に、水の鞭がしなって紅蓮さんの触手に絡
みつく
二人の魔☆力が螺旋と化して結界を貫いた
何もなかった空間に亀裂が走る
紅蓮さんが叫んだ
紅蓮﹁崩れるぞ! 用心せい!﹂
そう言われて、はじめて側近たちが巫女さんの周囲を固めた
結界が崩壊すれば、風景が一斉に入れ替わる
迷路の中を歩き回ったとしても、移動したという事実がなかった
ことになるわけではない
狙い撃ちされるとすれば、ここだ
︱︱が、狙撃はなかった
一行は、なだらかな斜面に立っていた
1787
テントを発ったときは晴れ渡っていた空に、疎らな雲が浮かんで
いる
足元は踏み固められた土が草に覆われることなく露出していた
動物たちの参拝コースである
この坂を登りきった先には、大きな洞窟がある筈だ
内部は複雑な造りになっていて、幾つも曲がりくねった道がある
天然の要塞を踏破すると、今度は山の中腹に出る
島を一望できる絶好のロケーション︱︱そこが緑のひとの特等席だ
ただし、今回は多少ひねったルートになっている
退魔性が低い人間は、都市級の魔物と遭遇すると
そうと知らずとも嫌な予感がするのだと言う
これが王種ともなると、距離を隔てていても
なんとなく存在を肌で感じ取れるらしい
側近たちが顔を見合わせた
側近D﹁近い⋮⋮?﹂
側近C﹁うん。近いよ、これ﹂
巫女さんが子狸を見る
子狸の退魔性は、ほとんど人類の最底辺だ
子狸﹁この感じ⋮⋮まさか緑のひとなのか?﹂
1788
そもそも自分がどこにいるのかを知らなかったようである
⋮⋮そういえば教えていなかった気がする
誰ともなく歩き出した一行
あともう少しだ⋮⋮
ここで一句
朝、フクロウが鳴いていたよ
ミミズクかな
夜行性だね
二五三、魔都在住の特筆すべき点もないライオンさん
突然どうした
二五四、海底洞窟在住のとるにたらない不定形生物さん
その淡々と事実を並べただけのポエムに、おれたちは何を感じ取
ればいいんだ?
二五五、王都在住のとるにたらない不定形生物さん︵出張中
あんなの卑怯だろ⋮⋮
1789
おれだってボケたいよ
二五六、かまくら在住のとるにたらない不定形生物さん︵出張中
いや、王都の
お前は最後の砦みたいなところあるしさ⋮⋮な?
ほら、かき氷でも食えよ。天然モノだぜ
二五七、王都在住のとるにたらない不定形生物さん︵出張中
おふっ、頭がきーんとする
二五八、住所不定のどこにでもいるようなてふてふさん
青いのが親睦を深めている一方その頃⋮⋮
目の前にひろがった光景に、一行は圧倒されていた
とつぜん岩山が出現したようなものだ
遅れて斜面を登りきった紅蓮さんが、触手を振って自己の存在を
アピールした
紅蓮﹁おお、アイオ﹂
アイオとは緑色のことである
1790
古い名で呼ばれて、洞窟の手前を陣取った岩山が身じろぎをした
これが生物と言われてもぴんと来ない気持ちはわかる
緑﹁紅蓮か⋮⋮?﹂
頑健な鱗は、苔生した岩石の質感と似通っていた
こちらに背中を向けて、猫みたいに後ろ足を畳んで座っている
少し尾を引きずっただけで足元が揺れた
太く強靭な前足は、驚くほどしなやかに動く
鋭い爪の先端に引っかかっているのは、人間たちが使う水差しだ
その縮尺の違いに、軽く引くほどである
頭上から降ってきた声の発生源を辿ると、頬まで裂けた大きな口
が閉められるところだった
ちらりと覗いた牙は、何かを噛み砕くというより殺傷を目的とし
たものだと言われたほうがしっくり来る
頭の横に生えてるつのとか、あれ何か意味あんのか? 用途が不
明すぎる
はるか高みから縦に裂けた瞳孔に順に見下されて、ふるふると水
色たちが震えた
水色A﹁アイオさま! ぼくたちもいるよ!﹂
水色B﹁いるの∼﹂
緑のがにやりと口角を吊り上げると、びっくりするくらい邪悪な
存在に見える
1791
緑﹁そうか。そうだな⋮⋮﹂
スケールの違いで気付くのが遅れたけど
緑のんの足元にはテーブルが置いてある
人間用のサイズだ
テーブルの上に、ティーカップが幾つか
いそいそと作業に戻った緑のんが、器用に前足を動かして紅茶を
注いでいく
ふたたび背を向けた緑のひとが言った
緑﹁どうした? 座れ。客人はもてなすものだろう⋮⋮﹂
小刻みに震える水差しが不安だ⋮⋮
二五九、火山在住のごく平凡な火トカゲさん
はわわっ
また零れちゃったよぅ⋮⋮
1792
﹁王種降臨﹂part10︵後書き︶
登場人物紹介
・火トカゲさん
わざわざ山のふもとで一行を出迎えてくれた陸上最強の生物。
大きいひとに続いて登場したレベル5の一人である。海に浮かぶ
孤島の火山在住。
巨大な魔獣種を優に上回る体格の持ち主で、その巨体から繰り出
される前足は、一撃で巨木をなぎ倒すほどの剛腕ぶり。
その名の通り、全体的にトカゲと酷似している。
全身が頑健な鱗で覆われている一方、ネコ科の猛獣を彷彿とさせ
るしなやかな身体つきをしている。
巨体に見合うだけの太い牙と爪を具える。側頭部から生えている
つのは、あまり活用されていないようだ。
翼はない。なくても飛べるからである。ただし飛行速度はそれほ
どでもなく、走ったほうが速い。
他の魔物たちからは﹁緑のひと﹂と呼ばれるが、﹁ディーン︵悪
魔︶﹂﹁ディンゴ︵竜︶﹂などさまざまな呼称がある。
一部の魔物からは﹁アイオ︵古代言語で緑色の意︶﹂と呼ばれて
いるようだ。
無制限の変化魔法を使えることは有名で、仮にダメージを受けて
も瞬時に再生する。
また自在に質量を変化させることができるため、地上のありとあ
らゆる動物に化けることが可能。おもに回避に用いる。
ふだんの姿は、単に﹁ぼくの最強の魔物﹂を目指した結果である
1793
らしい。
ごく短い期間に目撃された光の大蛇や海の大蛇は、緑のひとの仮
の姿であると思われている。
たびたび魔王討伐の旅シリーズに登場しては、勇者に聖☆剣を与
えるなど重要な役どころを担う。
大きいひとが粗野な言動で株を落とし続ける一方で、対照的に株
を上げ続けたひとである。
じっさい見た目に反して繊細なところがあるようだ。
よく大きいひとと喧嘩するが、王種は不死性に特化した存在なの
で勝敗がついた試しはない。
1794
﹁子狸とおれたちの戦争﹂part1
一、空中庭園在住のとるにたらない不定形生物さん︵出張中
これまでのあらすじ
魔王軍の元幹部、紅蓮将軍の先導で
無事、結界を突破した勇者&巫女一行
いろいろと余計なのが登場したけど
尺の都合もあり、わりとあっさり本命の緑との遭遇をはたす
一時はシナリオの遂行を疑問視された緑のひとだが
紅茶とお茶菓子の準備も万端に一行を出迎える
勇者さんの横に立ってるポンポコの存在が不安だけど
きっとおれたちの期待に応えてくれるものと
子狸﹁おれ、緑茶派なんだが﹂
緑﹁だまれ!﹂
期待に応えてくれるものと
子狸﹁ちっ、出し惜しみしやがって⋮⋮。あ、クッキーだ。食べて
いい?﹂
緑﹁お前は立ってろ!﹂
1795
子狸﹁頂きまぁす﹂
さっさと着席して紅茶に口をつける子狸に
勇者さんもあとに続く
勇者﹁失礼するわね。コニタもいらっしゃい﹂
狐娘﹁うん﹂
お茶菓子をむさぼりはじめる子狸の肩に、羽のひとがとまる
ちまたで愛らしいと評判の妖精さん
その瞳が怪しく輝き、子狸の前足に掴まれたクッキーが半分に割
れた
子狸﹁くっ、掌握された⋮⋮﹂
妖精﹁ぼーっとしてないで、かけらを寄越せ。察しろよ。まったく、
このポンポコは⋮⋮﹂
子狸﹁はいはい⋮⋮まったくもう、この子ったら﹂
妖精﹁あ?﹂
仲良くクッキーを等分する二人
子狸が差し出した小さなかけらを、羽のひとは愛嬌たっぷりに両
手で抱えた
一口かじる
妖精﹁ん⋮⋮手作りですか? もう少し甘いほうが、わたしの好み
1796
です﹂
緑﹁なにこのひとたち、文句たらたら⋮⋮。おもに小さいのと狸一
族﹂
勇者さんと狐娘の二人は、文句も言わず紅茶を飲んでいる
少しは見習ってはどうか
二、管理人だよ
羽のひとが可愛いからどうでもいい
三、住所不定のどこにでもいるようなてふてふさん
たまにはお前も良いことを言う
四、王都在住のとるにたらない不定形生物さん︵出張中
本当に可愛い存在は、そんなこと言わない
さて、すっかりくつろぎモードの勇者一行であるが
一方の巫女一味は、緑のひとの勇姿に興奮した様子だ
緑に駆け寄った生贄さんが、大きく手を振っている
生贄﹁ディンゴ! お久しぶりです﹂
1797
ほとんどの人間が、緑のひとのことをディンゴと呼ぶ
一部の魔物からアイオと呼ばれているのは、わりと知られた話だが
長らく悪魔の化身という扱いをしてきたから、旧友のように接す
るのが後ろめたいのだろう
緑のひとの対応は慎重だ
緑﹁また来たのか。来るなとは言わんが、動物たちを刺激するのは
感心しないぞ⋮⋮﹂
動物たちには縄張りというものがある
人間たちにしてみれば、留守中に他人が家に上がり込んだような
ものだ
とはいえ、人間たちに森で暮らす権利がないというわけではない
緑のひとは語調をゆるめた
緑﹁まあ、長旅で疲れたろう。少し休んでいくといい﹂
王種と呼ばれるひとたちは、これまで常に中立の立場を貫いてきた
レベル5に対抗できるのは、同じレベル5しかいないからだ
緑のひとは、静かに佇んでいる紅蓮さんを見る
緑﹁紅蓮も。すまなかったな、面倒を掛けた﹂
動物たちにとっての人類は、さいきん少し調子に乗っている新興
勢力といったところか
動物たちの取りぶんに干渉しないおれたちは、奇妙な信仰ととも
に受け入れられるケースが多い
対応するのが面倒くさい人間たちを、おれたちが率先して引き受
1798
けるせいだろう
べつに専用の窓口というわけではないのだが⋮⋮
紅蓮さんは鷹揚に頷いた
六魔天と王種の関係は未知数な部分がある
活動時期が重なっていないためだ
手探りの会話がはじまる⋮⋮
紅蓮﹁いや、なに。せがれがのぅ⋮⋮何と言ったかな、あの⋮⋮﹂
緑﹁原種か?﹂
紅蓮﹁それは、さいきんの呼び方じゃろ? 郷では自然なことじゃ
から⋮⋮呼び名はないのか﹂
緑﹁さて、どうだったかな。都市級の連中は、色違いと呼んでいた
が⋮⋮まあ、原種で良いだろう﹂
原種というのは、じつのところ正しい認識ではない
魔軍☆元帥が変質した魔☆力を操るように
むしろ地上に適応したことで、本来の姿を離れたのが原種と呼ば
れるひとたちである
微妙な距離感を保ったまま話し続ける二人
二人の会話に割り込もうとして、先ほどから巫女さんがぴょんぴ
ょんと飛び跳ねていた
巫女さん﹁おーい、おーい。わたしもいるよ∼!﹂
1799
無視するのも億劫になったらしく、緑のひとが嫌そうな顔をして
首をねじる
緑﹁⋮⋮何度来ても同じだぞ。豊穣の巫女よ﹂
巫女﹁そんなに嫌そうにするなら、さっさと承諾してくれればいい
のに﹂
緑﹁これで何度目だ。いや、何度でも言おう。おれは、特定の種族
に肩入れするような真似はしない﹂
巫女さんの目的は、人類の自然回帰に他ならない
地道な活動も行っているようだが
各地で名前が売れてしまってからは騎士団のマークが厳しいため
ここさいきんは緑のひとのおうちに通いつめているらしい
なぜなら、彼女の崇高な使命を果たすにあたって
いちばんの近道は、王種を味方につけることだからだ
巫女さんは言った
巫女﹁名前を貸してくれるだけでもいいんだよ?﹂
緑﹁それがだめだと言っている﹂
勝手に王種の名を騙る不届きものには天罰が下る
レベル5のひとたちは、読んで字のごとく開放レベル5の猛者た
ちだ
射程超過と伝播魔法を組み合わせれば、自分の名を騙るものは即
座に特定できる
1800
同様に、千里眼で勇者一行を見守ってきた
千里眼というのは、発光魔法と射程超過の融合だ
さて、ここで子狸さんに問題です
射程超過とは、いったいどういった働きの魔法でしょうか?
五、管理人だよ
おれの魔☆力がみなぎる
六、古代遺跡在住のごく平凡な巨人兵さん
微妙に合ってるのが腹立たしい
七、海底都市在住のごく平凡な人魚さん
いや、それを許したらぜんぶ当てはまるから
違うだろ。そうじゃないだろ。スペルを言ってみろよ
八、住所不定のどこにでもいるようなてふてふさん
子狸﹁エルラルド!﹂
スペルを言ってみた子狸さん。子狸は悪くない
1801
勇者&狐娘﹁⋮⋮⋮⋮﹂
またか、という目で見られている
もはや子狸の発言は問題視されていないというのか
悲しいことである
しかし、ここで放置しても新たな悲劇を招くだけだ
いかにも仕方なさそうに勇者さんが応じた
勇者﹁⋮⋮極化魔法がどうしたの?﹂
人間たちは、射程超過を極化魔法と呼ぶ
同じ開放レベル5の並行呪縛は、その存在すら知られていないこ
とが多いのだが
深化魔法の上位版である射程超過は、詠唱破棄との相性が良すぎる
たいていの場合、極化した魔法を詠唱破棄すると開放レベル6に
達してしまうため
射程超過のスペルを隠しきることはできなかった
そこのルールを曲げてしまうと、青いのと一緒になる
バレなければいいという考えでいるから、原種などというわけの
わからない存在が生まれたのだ
いい加減、魔界のポテンシャルに全てを託すシステムは改めたほ
うが良いのではないか
なんだよ、魔界って。いったいどんな世界なんだよ、おれたちの
故郷とやらは⋮⋮
1802
勇者さんに問われて、子狸ははっとした。何かの謎が解けたよう
である
椅子を蹴って立ち上がるや否や、太い前足で顔を洗っている緑の
んを指差して
子狸﹁犯人はお前だぁぁーっ!﹂
とうとつに解明編へと突入した
九、魔都在住の特筆すべき点もないライオンさん
いや、ごめん。ちょっと待って?
緑のひとは、なんかときどき猫みたいな仕草をするけど
前もって、きちんとおれに許可を取って欲しい
一0、火山在住のごく平凡な火トカゲさん
え? どういうこと?
猫みたいって⋮⋮いや、べつにそんなつもりもないんだけど⋮⋮
一一、魔都在住の特筆すべき点もないライオンさん
いやいや⋮⋮
だって、ほら、おれ、にゃんこ代表みたいなところあるでしょ?
1803
そこ大事よ
おれがレクイエム毒針とか撃ったら、青いひとたちは怒るよね?
怒らない?
一二、かまくら在住のとるにたらない不定形生物さん
いや、怒る怒らないの問題じゃないな⋮⋮
まず第一に、すごく根本的なことなんだけど、お前には触手がない
一三、魔都在住の特筆すべき点もないライオンさん
だから、それと同じことだよ
緑のひとには、にゃんこの要素がないじゃないか
一四、住所不定のどこにでもいるようなてふてふさん
お前にもないじゃないか⋮⋮
一五、魔都在住の特筆すべき点もないライオンさん
ああ、それ言っちゃうんだ⋮⋮
そうか⋮⋮ぎょっとしたわ。逆に⋮⋮
1804
ちょっと、蛇さん。同じレベル4として、なんとか言ってやって
下さいよ⋮⋮
一六、砂漠在住の特筆すべき点もない大蛇さん︵出張中
そうだなぁ⋮⋮
あのさ、まったく関係ない話で恐縮なんだけど
お前んちの手前に結晶の砂漠があるじゃん?
まあ、おれんちなんだけど⋮⋮
ごつごつしてて痛いのよ
ありえんだろ、この欠陥住宅
何百年も暮らせば愛着わくかと思ったけど
意外とそうでもないのよ、これが
びっくりだよな。おれもびっくりしたわ
引っ越します
一七、魔都在住の特筆すべき点もないライオンさん
え!? ちょっ、どこ行くの?
ラスダン? もしかしてラスダンなの?
1805
一八、海底洞窟在住のとるにたらない不定形生物さん
※ラスダン。ラストダンジョンの略である
一九、砂漠在住の特筆すべき点もない大蛇さん︵出張中
ばか、冗談だよ
魔人のところに遊びに行く
遊びに行くっていうか⋮⋮地下に幽閉されてることになってるから
おれが番人っていう設定なのね
とりあえず、これだけは言っとく
魔都にパン工房があるのはおかしくね?
二0、空中庭園在住のとるにたらない不定形生物さん︵出張中
そんなことになってるの!?
なにしてんだ、あの元祖狸⋮⋮
二一、火口付近在住のとるにたらない不定形生物さん
とうとう禁断症状が出たか⋮⋮
1806
二二、王都在住のとるにたらない不定形生物さん︵出張中
おっきなポンポコの所在地が判明した一方その頃
緑の島では、ちいさなポンポコと緑のひとの壮絶な知恵比べがは
じまろうとしていた⋮⋮
子狸﹁なんか、ずっと視線を感じると思ってたんだ。お前だったん
だな!﹂
千里眼のことを思い出してくれたようである
緑﹁よく気が付いたな﹂
緑のひとは認めた
緑﹁さすがはバウマフ家といったところか⋮⋮﹂
そう言って、ちらっと勇者さんを見る
一向に用件を切り出そうとしない彼女が不気味なので
さっさと厄介ごとを済ませてしまいたいのだろう
勇者﹁こら。無理に頬張ろうとしないの﹂
勇者さんは、クッキーを半分に割っていた
となりに座っている狐娘が、破片をぽろぽろと零すので
見るに見かねてのことだ
身内の恥を晒したくないのだろう
勇者さんが興味を示しているわけでもないのに
1807
バウマフ家について話しはじめるのは不自然だ
⋮⋮どういうことだ?
幽霊船では、あれほどまでに執着していたのに⋮⋮
おれたちを試しているのか?
二三、住所不定のどこにでもいるようなてふてふさん
いや、順番を守ってるだけだよ
緑のんとは、まず最初に巫女さんが話す
そういう手筈になってる
約束したからな
二四、火山在住のごく平凡な火トカゲさん
え!? なにそれ、初耳なんですけど!
どうして教えてくれないの!?
二五、住所不定のどこにでもいるようなてふてふさん
もしも、そのことを知ってたら
お前は覗き魔ということになる
おれに、入浴中の出来事を話せというのか?
1808
二六、火山在住のごく平凡な火トカゲさん
ありがとうございました!
あ、あぶなかった⋮⋮
これが噂の子狸トラップか⋮⋮!
しかし、どうしたらいいんだ
巫女さんとお話するのは、ちょっときついんだよ⋮⋮
なかなか鋭いところを突いてくる
二七、古代遺跡在住のごく平凡な巨人兵さん
それなら、標的を変えろ
巫女さんが興味を示すよう仕向ければいい
お前﹁お前は、この小僧と親しかったな⋮⋮﹂
これでも無理なら諦めろ
あと、巫女さんから目を離すな
子狸が同席しているというのは
彼女にとってとくべつなことなんだ
子狸の異常性に気付いてるのは
なにも勇者さんだけじゃない⋮⋮
確実に仕掛けてくるぞ
1809
二八、火山在住のごく平凡な火トカゲさん
わかった
言ったぞ
巫女さんは⋮⋮興味を示してくれたようだ
巫女﹁うん、そうだよ。同志だからね。⋮⋮見てたの?﹂
笑顔が怖いです⋮⋮
二九、火口付近在住の現実を生きる不定形生物さん
がんばれ! ひるむな
三0、火山在住のごく平凡な火トカゲさん
が、がんばる⋮⋮
三一、空中庭園在住のとるにたらない不定形生物さん︵出張中
がんばる緑のひと
火口アナザーのエールに後押しされて、不敵に言い放つ
1810
緑﹁ああ、見ていた。バウマフ家の人間は⋮⋮とくべつだからな﹂
巫女﹁ふうん。どういうふうに?﹂
緑のひと、わかってるよな?
子狸は、勇者を探して旅をしていたという設定になってる
魔軍☆元帥は、バウマフ家の人間を宝剣の運び手だと言った
それは何故だ?
バウマフ家の人間が、勇者の末裔だからだ
聖☆剣は、最後の最後にはアリア家に辿りつくよう仕組まれていた
彼女たちが持つ退魔性だけが、魔王を完全に滅ぼしうるとわかっ
ていたからだ
光の精霊には、もうあとがないんだ
魔王を滅ぼすのは、自分の半身を失うようなものだからな
それほどまでに追いつめられている
三二、火口付近在住のとるにたらない不定形生物さん
巫女のことは気にするな
度が過ぎるようなら、おれが出る
気楽にな
三三、火山在住のごく平凡な火トカゲさん
1811
おう!
三四、空中庭園在住のとるにたらない不定形生物さん︵出張中
緑のひとは百獣の王とも称される存在だ
見下ろす人間の、なんとちっぽけなことか
視線を合わせるために
巫女さんは、ほとんど仰け反る必要があった
健気なことだ
緑のひとは目を細めた 緑﹁お前たちが知る討伐戦争は、歴史の一面に過ぎない。バウマフ
家は、歴史の裏で魔物たちと戦ってきた一族だ﹂
嘘ではない。おれたちを悩ませてきたのは、いつだってバウマフ
家の人間だった
緑﹁なぜバウマフ家なのか? それはわからない。運命だろうな⋮
⋮そうとしか言えん﹂
ん? おい、どうした? 偶然で片付けるつもりなのか?
三五、火口付近在住のとるにたらない不定形生物さん
なんだ? 予定と違うぞ? 緑のひと?
1812
三六、火山在住のごく平凡な火トカゲさん
すまん。予定を変更する
じっさいに会ってみて、わかった
勇者さんは、おれを観察してる
おれの動機を探ってる
光の精霊について言及するのはまずい
つじつまを合わせようとしてるのがバレる
三七、海底洞窟在住のとるにたらない不定形生物さん
うん、いいんじゃないか?
緑のひとは、そういう方面に鋭いからな
いいぞ。いよいよ本調子になってきたな
三八、王都在住のとるにたらない不定形生物さん︵出張中
でも子狸さんが黙ってなかった
子狸﹁ちがう﹂
いつになく厳しい表情だ
1813
頭上を見上げる視線が、緑のひとを非難していた
子狸﹁どうして嘘をつくんだ? 人間たちは、なにもわかってない
じゃないか。魔王の魂は︱︱﹂
緑﹁!? お前は、なにを⋮⋮。知っていたのか!? よせ!﹂
緑のひとの巨腕がうなった
太い前足で鷲掴みにされても、子狸は止まらなかった
子狸﹁⋮⋮魔王の魂は、おれの中にも残ってるんじゃないか?﹂
九代目勇者、つまり勇者さんの前任者は、魔王が転生した人間だ
った
それが第九次討伐戦争の真実だ︱︱
1814
﹁子狸とおれたちの戦争﹂part1︵後書き︶
注釈
・射程超過
人間たちは﹁極化魔法﹂と呼ぶ。
並行呪縛と同様、王種しか扱えないとされる魔法である。開放レ
エラルド
ベルは﹁5﹂。スペルは﹁エルラルド﹂。
深化魔法の上位版にあたり、認識の外に働きかけることができる。
この魔法の術者は、﹁どこまでも飛んでいく投射魔法﹂などの概
念的なイメージを実現できる。
裏を返せば、この魔法が存在するために人間たちの魔法は認識し
ている範囲でしか機能しない。
座標起点︵魔法の起点を移動する︶、並行呪縛︵魔法の条件付け
をする︶に関しても同様である。
なお、発光魔法と射程超過を連結すれば、千里眼と呼ばれる透視
が可能になる。
魔物たちは千里眼が標準装備であるため、ふだんは﹁視力﹂に制
ラルド
限を課して過ごしているようだ。
拡大系の魔法は詠唱破棄との相性が良すぎる︵レベルが上がりや
すい︶ので、人前での使用は注意を要する。
1815
﹁子狸とおれたちの戦争﹂part2
三九、空中庭園在住のとるにたらない不定形生物さん︵出張中
魔王の魂を宿した人間⋮⋮
それは、つまり魔王そのものではないのか︱︱?
緑のひとは、見た目ほど鈍重なひとではない
見つめ合ったのも一瞬のこと、素早く前足を突き出して子狸を掴
み取った
勇者さんから引き離して、声を散らそうとしたのだろう
しかし意表を突かれたぶん、際どいタイミングになってしまった
羽のひとは反応するひまがなかった
振り落とされまいと、子狸の肩にしがみついている
勇者﹁っ⋮⋮﹂
勇者さんが息を呑む気配がした
彼女をして、感情を抑えきれなかったのだ
とつぜん緑のひとが前足を振るったものだから
となりで狐娘が硬直している
巫女一味は、たぶん聞き取れなかった
彼女たちが驚いているのは、緑のひとの態度が急変したからだ
緑﹁⋮⋮!﹂
1816
緑のひとの表情は険しい
手中におさまった子狸を睨みつけてから、小さく舌打ちする
視線を切って、ふっと軽く息を吹いた
ちかちかと瞬いた火花が、たちまち燃えひろがる
輪を結んだ炎の帯が揺らめき、一度︱︱りんと、鈴のように震え
てからほどけた
あとに残ったのは、数えきれないほどの蛍火だった
統制された動きは、あたかも内部の人間たちを監視しているかの
ようだ
側近A∼D﹁!?﹂
にわかに漂う不穏な空気に、側近たちがおびえる
緑のひとは警告した
緑﹁ただの炎ではないぞ。近付いたものを自動的に検知する仕組み
になっている。無理に脱出しようとすれば⋮⋮無事では済まないと
知れ﹂
並行呪縛だ
魔法の開放レベルは、上位のものほど昇格がにぶる
単純な魔法であれば、並行呪縛と詠唱破棄を連結してもレベル5
の域にとどまる
子狸を鷲掴みにしたまま、緑のひとは凄んだ
緑﹁ここで見聞きしたことを口外することは許さん。何があろうと
1817
もだ﹂
四0、火山在住のごく平凡な火トカゲさん
どっ、どどっ!?
たすけて、おれガイガー!
四一、海底洞窟在住のとるにたらない不定形生物さん
たんなる時間稼ぎだったようである
四二、古代遺跡在住のごく平凡な巨人兵さん
おちつけ! 順番が入れ替わっただけだ!
くそっ、並行呪縛だと? 早まったな⋮⋮
まずは紅蓮さんに退場してもらえ
水色たちに聞かせていい話じゃない
この場にとどめるのは人間たちだけでいい
受信、送信系の異能持ちを魔法で口止めするのは無理だからな
ああ、理由を言う必要はないぞ
ひいきだと言われたら、無視しろ
1818
四三、王都在住のとるにたらない不定形生物さん︵出張中
そうだな。勇者さんは、狐娘の能力を隠したがってる
わざわざ不興を買う必要はない
四四、住所不定のどこにでもいるようなてふてふさん
子狸は、あとで説教な
四五、管理人だよ
おれは間違ったことを言ってない
四六、王都在住のとるにたらない不定形生物さん︵出張中
これはだめだな。意固地になってる
魔☆力で縛るか⋮⋮いや
表向き、王種は魔☆力を使えないことになってる
そのための並行呪縛ということにしよう
子狸﹁アイリン!﹂
あっ、こいつ⋮⋮!
減衰特赦だ!
1819
くそがっ、四の五の言ってる場合じゃねえ!
おれがやる!
四七、空中庭園在住のとるにたらない不定形生物さん︵出張中
子狸﹁ディれっ⋮⋮!﹂
減衰特赦と治癒魔法のスペルは同じだ
レスポンスした隙を突いて、時間に干渉しようとする子狸を
とっさに王都のんが魔☆力で拘束する
びくりと硬直した子狸の肩の上で、体勢を立て直した羽のひとが
叫んだ
妖精﹁ディンゴ! 本当なの!? どうしてノロくんが⋮⋮!﹂
羽のひとは、同族と話すときや感情が昂ぶったとき
たまに口調が変わる
芸の細かいひとである
緑のひとは無視した
視線を落とすと、紅蓮さんと目が合う
緑﹁⋮⋮紅蓮。すまないが、子供たちを連れて行ってくれ。フィル
ターは掛けておく﹂
紅蓮﹁そうは言うが、アイオよ。わしには、このお嬢ちゃんたちを
無事に送り届ける義務があるのじゃ﹂
1820
息子さんが手出ししなければ、勇者一行は巫女さんと出会うこと
もなかったかもしれない
そのまま、何事もなく緑のひとと出会うことができたかもしれな
いのだ
緑のひとが、少し悩んでから妥協案を述べる
緑﹁⋮⋮彼ら次第ではあるが、人間たちはおれが送り届けよう。そ
れでどうだ?﹂
紅蓮﹁決めるのは、わしではないのぅ。⋮⋮どうかね?﹂
そう言って、紅蓮さんは巫女さんを見る
巫女さんは首を傾げた
子狸の声が聞こえなかったから、緑のひとがこうまで頑なになる
理由がわからないのだ
巫女﹁わたしたちはべつに⋮⋮。リシアちゃん、どう?﹂
ただ、何か聞いてはならないことだったのは雰囲気でわかる
彼女は勇者さんに判断を委ねた
勇者さんが、緑のひとに視線を固定したまま尋ねる
勇者﹁あなたの要求に従えば、わたしたちの身の安全は保証してく
れるのね?﹂
結界が崩れたとき、火口のんが襲撃してこなかったのは紅蓮さん
がいたからだ
1821
迷う理由はない。緑のひとは頷いた
緑﹁約束しよう。仮に都市級が襲撃してきたとしても、一蹴してや
る﹂
同等の実力を持つ王種が襲撃してきた場合は、約束を守れるとも
限らない
緑のひとは、できないことをできるとは言わなかった
その態度に真摯なものを感じたのか、勇者さんは同意してくれた
勇者﹁その条件で構わないわ﹂
しょせん口約束かもしれないが、どのみち緑のひとがその気にな
れば一行は全滅だ
紅蓮﹁ふむ。では、わしはお払い箱じゃの。そら、お前たち、行く
ぞ﹂
水色たちを引き連れて去り行く紅蓮さんに、巫女一味が口々にお
礼を言った
紅蓮﹁ええんじゃ。不肖の息子には、あとできつく言っておく﹂
ほら、子狸もお礼を言え
四八、管理人だよ
また⋮⋮会えるかな?
1822
四九、火口付近在住の現実を生きる不定形生物さん
お前がいい子にしてたらな
というか、おれ紅蓮じゃないからね? そこんとこよろしく
五0、管理人だよ
わかってる。六魔天だろ?
五一、火口付近在住の現実を生きる不定形生物さん
びた一文、わかってねえじゃないですか⋮⋮
もうそれでいいよ。旅シリーズが終わったら、打ち上げやるから
打ち上げというか、まあ⋮⋮
また会えるよ。そんじゃ
五二、住所不定のどこにでもいるようなてふてふさん
さらばだ、紅蓮
五三、火口付近在住の現実を生きる不定形生物さん
恨むからね。羽のひとのこと、絶対に恨むから
1823
さらばじゃ!
五四、王都在住のとるにたらない不定形生物さん︵出張中
かくして紅蓮将軍は去っていった
名残り惜しそうに見送る巫女一味に、水色たちが触手を振ってか
ら坂道を下っていく
彼らの姿がすっかり見えなくなってから、がさがさと茂みが揺れた
火口﹁⋮⋮⋮⋮﹂
こそっと姿を現したのは、不肖の息子だった
巫女﹁お前は⋮⋮!﹂
身構える巫女さんに、火口のんは舌打ちする
話を聞いていたのだろう。ご機嫌ななめである
のそのそと這ってきて、触手で蛍火をうざったそうに払いのける
魔物に対してはフィルターが掛かっているので、無反応だった
そのまま日当たりの良い地点まで移動して、腰をおちつけた
一身に注目を浴びながら、口を開く
火口﹁迂闊だぞ、アイオ﹂
緑のひとにとっては心強い存在だ
1824
子狸に喋らせたことなのか、それとも勇者さんとの交渉に応じた
ことなのか
判然としない物言いだった
無視された巫女さんが、緑のひとに訴えた
巫女﹁ちょっと! 魔物は入って来れるの? ずるいよ!﹂
素直な人だ
無視しろという指令だったが、緑のひとは巫女さんに強く出れな
い部分がある
緑﹁⋮⋮⋮⋮﹂
ポンポコの前足を上げたり下げたりして誤魔化した
妖精﹁わたしの質問に答えて下さい! どういうことなんですか?﹂
羽のひとはしつこかった
妖精たちにとって、魔王の正体は決して看過できる問題ではない
しかし中立的な立場にある王種が、魔王について話すのは
たしかに緑のひとが言うように不自然だ
硬直している子狸を手慰みにいじくり回しながら、緑のひとが言う
緑﹁⋮⋮デリケートな問題なのだ。ね?﹂
1825
さっそく火口のんに頼りはじめた
火口のんは憮然としている
火口﹁人間には人間の歴史がある。それは、おれたちが知る歴史と
は少し違う。それだけだ。話す義理はないだろう⋮⋮﹂
そうして、ふかぶかとため息をついた
火口﹁⋮⋮しかし誤解は解いておく必要がある。こちらの不手際だ
からな﹂
緑のひとが勇者さんと約束したものだから
火口のんの仕官の夢は、はかなく散ってしまったことになる
どこか気だるそうに、火口のんは巫女さんへと告げた
火口﹁お前、帰れ。話はそれからだ﹂
帰れと言われて、はいそうですかと納得するには
二人の仲が悪すぎた
巫女﹁残念でした∼。わたしたち、ディンゴに送ってもらうから!
約束したもんね﹂
火口﹁あ?﹂
緑のひととの親密さをアピールする巫女さんに、かちんと来たら
しい
火口のんは、緑のひとのご近所さんなのだ
1826
火口﹁おれは、この緑とずっと一緒にいるんだよ。お前なんかとは
年季が違うんだよ。ぽっと出の、どろんこ巫女めが﹂
巫女﹁どっ⋮⋮!? あのね! これは、わたしとディンゴの問題
なの! あなたは関係ないんだよ﹂
火口﹁いいや、関係あるね。おれたちは親友なんだよ。お前は、緑
のんを利用しようとしてるだけだろ﹂
いつの間にか親友になっていた火口のんと緑のん
巫女﹁そうやって縛りつけるんだね。そういうの、良くないと思う
な。彼には彼の意思があるんだから﹂
火口﹁は? なんだ、それ。意味わかんね﹂
どんどん険悪になっていく二人
なんなの、この三角関係⋮⋮
五五、火山在住のごく平凡な火トカゲさん
さいきん鱗のつやが良くないなぁ⋮⋮
五六、空中庭園在住のとるにたらない不定形生物さん︵出張中
言い争いを続ける火口のんと巫女さん
1827
一方、緑のひとは鱗の手入れに余念がない
意を決して歩み寄ってきたお馬さんたちが
子狸の返還を求めて緑のんを見上げる
さすがに嫌とは言えなかった
そっと大地にリリースされた子狸を
お馬さんたちが甘噛みしている
子狸﹁お前たち⋮⋮﹂
その愛情が奇跡を起こしたのか
子狸が復活した
巫女さんが決定的なひとことを言い放ったのは、そのときだ
巫女﹁いいよ、もう! わたしがディンゴを解放してあげる。家な
んて、不要なんだよ⋮⋮﹂
緑﹁!?﹂
爛々とした瞳を向けられて、緑のひとがぎょっとした
子狸﹁なに言ってんだ、お前!?﹂
巫女さんの改心を信じていた子狸が、まなじりを吊り上げて怒鳴
った
1828
⋮⋮彼女の主張は、常に一貫している
巫女﹁諸悪の根源だよ。わたしは文化を否定しない。だけど、家が
あるからひとはだめになる。こんなにも美しい自然と、距離を置い
てしまうんだ﹂
ふつう
にとどまろうとして、なおのことだ
学生時代から、巫女さんは天才的な魔法使いとして知られた存在
だった
しかし、それすら
抑圧された日々が、彼女の人生を狂わせたのかもしれない
土魔法に覚醒した瞬間、彼女の中で何かが崩れた⋮⋮
︱︱最初に爆破したのは、自らの家だった
巫女﹁いつまでも揺りかごにしがみつくべきじゃない﹂
巫女さんが目配せをすると、側近たちが一斉に発光魔法を起動した
中腹へと通ずる、ダンジョン内部の遠隔画像だ
何度も足を運んでいるうちに、細部まで記憶したのだろう だが、それだけでは不足だ
彼女たちの退魔性では、記憶をもとに再現した遠隔地には干渉で
きない
子狸﹁ユニ!﹂
子狸が、よく知る名で巫女さんを呼んだ
はじめて会ったとき、彼女はユニ・クマーという偽名を使っていた
1829
久しく呼ばれていない名に
巫女さんの表情がほころんだ
巫女﹁手伝っておくれよ、同志ポンポコ。きみが核になるんだ﹂
1830
﹁子狸とおれたちの戦争﹂part2︵後書き︶
登場人物紹介
・巫女さん
本名﹁シャルロット・エニグマ﹂。
子狸と出会ったときは﹁ユニ・クマー﹂という偽名を使っていた
が、有名になりすぎて意味を為さなくなったため、いまは本名で通
している。
通称は﹁豊穣の巫女﹂。その名の通り、土魔法︵豊穣属性︶の術
者である。
一座を率いる活動家であると同時に、若手の魔法研究家でもあり、
堂々と学会に論文を送りつけたりもする。
投獄するには惜しい人材であるため、公式に﹁シャルロット・エ
ニグマ﹂と﹁ユニ・クマー﹂は別人とされているようだ。
幼い頃より魔法の扱いに秀で、ほとんど独学で開放レベル3まで
習得した。
おそらく極めて幼少時から、見よう見まねで低レベルの魔法を使
えたと思われる。
生まれ育った街の学校で、史上まれに見るほどの高成績をおさめ
て将来を嘱望されるも、中退。
当時の彼女を知る人々は﹁模範的な優等生だった﹂と評している。
土魔法への覚醒をきっかけに、自宅を破壊して行方をくらました。
その後、各地を転々としながら無軌道な破壊活動を繰り返す。そ
の目的は同志の勧誘だったらしい。
1831
当初は同じ土魔法の術者を探し求めていたが、思うように行かず、
やがて自分の思想をひろめる方針におちつく。
子狸は﹁最初の同志﹂であり、勧誘した部下たちよりも対等の関
係に近い。
行く先々で子狸と遭遇し、数々の難事件に挑むことになる。それ
らを解決したことで有名になったため、さいきんは騎士団のマーク
が厳しいと嘆いている。
なお、子狸の土魔法は、彼女から採取したデータを移植したもの
である。
もちろん当事者の二人には内緒だ。
1832
﹁子狸とおれたちの戦争﹂part3
五七、空中庭園在住のとるにたらない不定形生物さん︵出張中
巫女さんの爆破は、原理的に騎士たちの狙撃と同じだ
射程超過の制限を解除できない人間たちは
視認できる範囲までしか干渉できない
だが、逆に︱︱
たとえ仮初のものであろうと、目に見えていたらどうなるのか
その答えが退魔性だ
緑﹁ちょっ⋮⋮え?﹂
自宅に迫る危機に、緑のひとは呆然としている
まさか自分に堂々と喧嘩を売ってくる人間がいるとは思わなかっ
たのだろう
おろおろと視線をさまよわせると、生贄さんと目が合った
生贄さんは緑のひとに恩義を感じている
彼女は心から申し訳なさそうに詫びた
生贄﹁⋮⋮ごめんなさい、ディンゴ。わたしには、同志シャルロッ
トが間違っているとは思えないのです﹂
千年後の未来のために戦える人間なんて滅多にいない
1833
それができる巫女さんだから、生贄さんは忠誠を誓っている
おそらく緑のひとは、千年後も生きているのだ
生贄さんは伏し目がちに続けた
生贄﹁人間はどんどん増え続けている⋮⋮。いずれは、だれも望ま
ない形で、あなたの居場所を奪ってしまうかもしれない⋮⋮﹂
それが怖いのだと彼女は言った
揺れる瞳で緑のひとを見上げる
その眼差しには、決意の萌芽のようなものが宿っていた
生贄﹁あなたたちは、世界を変えることが出来る力を持っています。
わたしたちが、どれだけ望んでも手に入らないほどの力。その力を、
どうして自分のために使おうとはしないのですか?﹂
緑のひとに代わって答えたのは、火口のんだった
ただの人間でしかない少女の浅慮を笑う
火口﹁じゃあ、お前ら人間どもを滅ぼしてやれば満足なのかよ? そうじゃねーだろ。なにを企んでやがる⋮⋮﹂
生贄さんはかぶりを振った
生贄﹁わたしたちは人間です。人間のわたしたちが、人類の滅亡を
願うのは間違っている。でも、もしも王種たちが人類と魔物の調和
を願っているのなら⋮⋮﹂
⋮⋮巫女さんの入れ知恵か? そこに気付く人間が出てくるとは
1834
⋮⋮世も末かねぇ
王
になるべきです。あなたがそうし
目尻に涙まで浮かべて、生贄さんは呼びかけた
生贄﹁ディンゴ。あなたは
何か
を守っているのだと。たった一人で、
ないのは⋮⋮なにか理由があるのですか? 巫女さまは、わたしに
言いました。王種は
ずっと⋮⋮。わたしたちでは、力になれませんか?﹂
家でのんびりしていたほうが気楽だからなぁ⋮⋮
⋮⋮そういえば、大地の精霊はどうするんだ? 登場させるのか?
五八、古代遺跡在住のごく平凡な巨人兵さん
必要ないなら出さないよ
勇者さん次第だな
お前らの分身は、よくやってくれた
勇者さんは、もう誰がどの精霊の守護者なのか
おおよその見当はついているだろう
消去法でわかることだからな
土魔法を使えるのは、ごく一部の人間だけだ
これを、都市級ですら手出しできない安全地帯と受け取るか
それとも一時しのぎにしかならないと受け取るかで状況が変わっ
1835
てくる
五九、海底都市在住のごく平凡な人魚さん
お前はどう思うんだ? 大きいの
六0、古代遺跡在住のごく平凡な巨人兵さん
⋮⋮さあ?
もしもおれが彼女と同じ立場だったら諦めるよ
敵が、わざわざ逃げ道を用意してくれるなんて考え方は甘い
遭遇戦じゃねーんだからさ
人類はとっくのとうに詰んでるよ
でも、勇者さんは諦めないんだろ?
おれには想像もつかないね
時間の無駄だし
六一、住所不定のどこにでもいるようなてふてふさん
お前、そういう考えだから人気がないんだぞ
六二、古代遺跡在住のごく平凡な巨人兵さん
1836
なにを言うか。少しくらい斜に構えてたほうがいいんだよ
年寄りにはわからないんだ。いつか、おれの時代が来る⋮⋮
六三、火山在住のごく平凡な火トカゲさん
ちょっと!? お前ら反応薄くない!?
おれんちの危機ですよ!
六四、古代遺跡在住のごく平凡な巨人兵さん
そうは言ってもなぁ⋮⋮
ここまで踏み込まれると、へたに言及したくないんだよ
おれなら、はっきりと断るけど
お前は八方美人なところあるし⋮⋮
とりあえず、精霊を理由に凄んでみるか?
お前﹁お前らが知る必要のないことだ﹂
こんな感じかな
六五、火山在住のごく平凡な火トカゲさん
わかった。言ったぞ
1837
六六、海底洞窟在住のとるにたらない不定形生物さん
あ、言っちゃったの?
それ、認めたようなものじゃん
六七、火山在住のごく平凡な火トカゲさん
!? 大きいの!?
六八、古代遺跡在住のごく平凡な巨人兵さん
だから、それでいいんだ
おれと赤いのが、さんざん暴れたからな
なにかあるんじゃねーのかと疑われるのは、想定内なんだよ
冷静になれよ、緑の
おれの家はともかく
赤の家なんざ宙に浮いてるんだぜ? ありえんだろ
おれらの家がとくべつだから、お前んちもとくべつだと考えたん
だろ
たんじゅんな連想だ
たしかに驚かされたが、大したことは言われてねーぞ
1838
どうすれば守り通せるのか
それを考えながら動けばいいんだよ
おれたちのライフワークみたいなもんだ
六九、王都在住のとるにたらない不定形生物さん︵出張中
頭上に暗雲が立ち込めてきた
日の光が遮られただけで、気温がぐっと落ち込んだように思える 生贄さんの主張に聞き入っていた子狸が、巫女さんへと視線を戻す
身体をすり寄せてくるお馬さんたちを前足で制し、言う
子狸﹁お前たちは下がってろ﹂
黒雲号と豆芝さんは、大人しく従った
いつもお世話をしてくれるポンポコだから、心が通い合っている
のだ
巫女さんも子狸を見た。苦笑する
巫女﹁あの子は、まだ徹しきれてないんだよ﹂
生贄さんのことだろう
巫女﹁でも、わたしは違う。わたしは確信してる。たとえディンゴ
の意に反しようと、そこに可能性があるなら何だって試してみるさ﹂
1839
そう言って彼女は、くるりと回った。大きな袖がひるがえる
ステップを踏みながら、踊るように言う
巫女﹁王種の怒りを買えば無事では済まないだろう。死ぬかもね。
怖いよ﹂
子狸﹁だったら!﹂
やめればいい。子狸の言葉を、巫女さんは笑顔で遮った
巫女﹁この世には、命よりも大切なものがたくさんある。そう教え
てくれたのは、あなただよ﹂
子狸﹁言ってない! そんなこと言うもんか⋮⋮!﹂
巫女﹁そうだね。でも、あなたの行動は言葉とは裏腹なんだ。いつ
もそうだった。命を大切にしろと言うわりには、平気で無謀な真似
をする﹂
大きな雲が頭上を通過し、ひと差し落ちた影が
蛍火の放つ光を際立たせた
巫女さんはくるくると回りながら、子狸との距離を調節していた
子狸の退魔性を利用しようとするなら、必ずしも本人の同意は必
要不可欠ではないからだ
じゅうぶんな距離を置いてから、巫女さんはつま先で舞を結んだ
いつからだろう⋮⋮?
同じ土魔法の術者でありながら
1840
二人の道がまったく違えたのは
あの頃⋮⋮
巫女さんは理想を語り、子狸は滑稽な夢を語っていた
同志
だった
二人は同じ道を歩んでいる筈だった
二人は
美しく成長した巫女さんが言う
巫女﹁わたしは間違ってない﹂
彼女の正しさに、勇者さんは反論できなかった
彼女の言ってることは圧倒的に正しいからだ
千年後の未来なんてわからない
だが、おそらく方向性は大きく変わらないだろう
子狸は⋮⋮
子狸﹁おれが⋮⋮!﹂
ぽろぽろと涙を零しながら反論した
間違っている
間違っていない
子狸﹁きみが爆破魔とか呼ばれてっ⋮⋮なにも感じないと思ってる
のか!?﹂
たしかに巫女さんは
でも、子狸からしてみれば
剥き出しの感情をぶつけられて、巫女さんはかすかに笑った
ちいさくつぶやく
1841
巫女﹁⋮⋮変わったのは、わたしのほうか﹂
変わらない人間なんていない
しかし巫女さんは、勇者一行に混ざっている子狸を見て
少しショックを受けていたのかもしれない
口元を引き結んだ巫女さんが、両手を打ち鳴らした
巫女﹁わたしは先に進む。お前はどうするんだ、同志?﹂
子狸は涙をぬぐって、重心を落とした
子狸﹁とめるよ。力尽くでも﹂
身構える側近たちを、巫女さんが制した
巫女﹁一対一だ。それ以外はないんだ﹂
彼女は戦士ではない。しかし人類史上屈指の魔法使いだ
子狸に勝ち目があるとは思えんが⋮⋮
七0、住所不定のどこにでもいるようなてふてふさん
まあ、いいんじゃないか?
子狸が巫女さんから得るものは大きいよ
1842
一対一というなら、おれは手出ししないさ
おれが勇者さんのほうに戻ると
緑のひとが不安そうにしていた
緑﹁⋮⋮いいのか?﹂
たぶん子狸は巫女さんには勝てない
しかし勇者さんなら
聖☆剣と退魔性をあわせ持つ彼女なら
おそらく巫女さんに勝てる
勇者さんは紅茶に口をつけている
勇者﹁⋮⋮⋮⋮﹂
カップをテーブルに置いて、つぶやく
勇者﹁⋮⋮どこまで聞いてる?﹂
緑﹁ん?﹂
巫女さんの話が終わったなら、次は勇者さんの番だ
あの有名な豊穣の巫女が王種に話があるというなら
その目的を推測するのは、そう難しくなかった
もしも緑のひとが首を縦に振った場合
勇者さんの用事に支障をきたす可能性がある
1843
優先権を巫女さんに譲ったのは、それが理由だ
芳しくない反応を示した緑のひとに
勇者さんは嘆息した
勇者﹁⋮⋮そう、なにも聞いてないのね﹂
聞いて⋮⋮? なんだ? 雲行きが怪しくなってきたぞ
勇者さんが顔を上げて、緑のひとを見つめた
勇者﹁王種に会うこと。それが、わたしが勇者として公認される条
件なの﹂
お前らならわかってくれると思う
このとき、おれの脳裏をかすめたのは
とある男の口癖だった
そうは思わないかね︱︱
七一、火口付近在住のとるにたらない不定形生物さん
本当にどうしようもねえな、あのどう思うかねは⋮⋮
七二、海底洞窟在住のとるにたらない不定形生物さん
ぜんぶ宰相が仕組んだ罠か⋮⋮
1844
いったい何のために⋮⋮
! 勇者一行はおとりか!?
いかん! 山腹の︱︱
1845
﹁開戦﹂part1
一、山腹巣穴在住の現実を生きる不定形生物さん︵出張中
叩き上げの大隊長には七人の参謀がいる
実働部隊の一個小隊
すなわち騎士団を構成する最小単位が、隊長を含めた八人だからだ
出撃回数三千回以上
その長く険しい道のりを
ともに歩いてきた七人の戦友たちである
大将は、陣幕に入るなり七人の姿を認めて破顔した
大将﹁まだくたばってなかったのかよ、このくそジジイども!﹂
一度の出撃で何百、何千の魔物を撃破しようとも
カウントされる出撃回数は一回だ
中隊長ならともかく
若年の大隊長が生まれることは、まずないと言っていい
長年に渡り大将に振り回されてきたご年配の方々が
ようやく本陣に現れた遅刻魔へとブーイングの嵐をぶつけた
老騎士A﹁てめーもジジイだろうがよ!﹂
1846
老騎士B﹁三週間も待たせといて第一声がそれか!?﹂
老騎士C﹁おっせーよ! いや、もう遅いとかそういう次元の問題
ですらねー!﹂
闇魔法で外部とは遮断されているものの
内壁に沿ってずらりと居並ぶ護衛の騎士たちが照明を維持し続け
ているため
内部はじゅうぶん明るい
中央に設置されている円卓を
参謀たちが囲んでいる格好だ
大将は悪びれた様子もなく
手近な椅子を引き寄せて、乱暴に腰掛ける
身にまとっている鎧の重量で、木製の椅子がきしんだ
これで八人が揃った
大将﹁うるせーな。道が混んでたんだよ﹂
大隊長なら誰しもが口にする言い訳だ
たしかに道は混んでいた
おもにおれたちで
事情は聞いていた筈だ
エンカウント率をざっと計算して、参謀たちが嘆いた
老騎士D﹁信じらんねー! もうお前とは絶対に一緒に旅行いかね
1847
ーからな、ジョン!﹂
老騎士E﹁なんでお前と出掛けると湯煙殺人事件になるんだよ? おれは温泉につかりてーんだよ!﹂
彼らのお忍び旅行では、先回りしたおれたちが死んだふりをして
待っているのが恒例である
大将はなぜか誇らしげだ
大将﹁⋮⋮燃えたろ?﹂
老騎士A∼G﹁ふざけんな!﹂
一斉に席を立ったおじいちゃんたちが、大将に掴みかかった
鎧と鎧が激しくぶつかり合う
彼らの鎧は、歴戦を物語るように傷だらけだ
明確な理由でもない限り、騎士たちに新しい鎧が支給されること
はない
死地よりの生還も一度や二度ではないから
その場の勢いで友情のあかしを刻んでしまって
取り返しのつかないことになるのだ
鎧の表面に刻み込まれた五目並べの痕跡が痛々しい
勲章みたいなものだと彼らは言うけれど
さすがに放送禁止用語はいかがなものか
1848
大将﹁まとめてやってやんぞ! あ!?﹂
老騎士F﹁上等だよ!? おい、押すな! 狭いんだよ、どけ!﹂
老騎士G﹁耳元で喚くな! うざったいんだよ!﹂
掴み合いの喧嘩をはじめたおじいちゃんたちを
割って入った護衛の騎士たちが取り押さえた
特装騎士は個人戦のエキスパートだ
たちまち無力化された大騎士たちが
力尽くで席に引き離されながらも悪態をつく
⋮⋮以上、混沌とした本陣からお伝えしました
二、山腹巣穴在住の現実を生きる不定形生物さん︵出張中
一方その頃、森の中で山腹軍団の幹部たちも作戦会議をしていた
集まった五人は、そうそうたる顔ぶれだ
十億人の頂点に立つ将軍、おれ︵オリジナル
東方方面軍団長、おれ
西方方面軍団長、おれ
南方方面軍団長、おれ
1849
北方方面軍団長、おれ
ぜんぶおれ
集まった面々を見渡して、一人の軍団長がつぶやいた
軍団長A﹁大隊長が本陣に入ったようだな﹂
軍団長B﹁ああ。相変わらず壮健なようだ﹂
軍団長C﹁ふっ、大人しく縁側で猫を撫でてればいいものを⋮⋮﹂
軍団長D﹁出てきてしまったものは仕方ない。では⋮⋮将軍?﹂
促されて、将軍が頷いた
将軍﹁使者を立てろ。はじめるぞ﹂
役者は揃った。第十次討伐戦争の開戦だ
将軍﹁目指すはアリア領。鬼のひとたちの救出だ﹂
三、山腹巣穴在住の現実を生きる不定形生物さん︵出張中
アリア領は、王都の目と鼻の先にある
大将の大隊は、本来なら王都を守護する予備戦力だ
それが出てきたということは、おれたちの目的を王都だと勘違い
しているのだろう
1850
街道から離れた平野部に騎士団は展開している
大きな草原だ
周辺の森に隠れ潜むおれたちと睨み合うこと三週間︱︱
騎士たちも遊んでいたわけではない
山腹軍団の大まかな戦力を調査するほか
物資の輸送ルートを確保するなど
多岐に渡って忙しく立ち回っていた
森に誘い込みたいおれたちと
視界が開けた空間で決戦に持ち込みたい騎士団
双方の利害は対立しており
ただし、ある程度の猶予は双方が望むところだった
しかしそれもここまでだ
大将が到着したことで、無言の協定は破られたことになる
いつだったか、とある小隊長はこう言った
かつてない規模の大戦がはじまるのだと
その見方は正しい
魔王軍は、光の宝剣の行方をずっと追っていた
もともと魔王が所有していたものを
おれたちが取り戻そうとして何が悪い?
精霊が大切に隠し持っている以上、宝剣の奪取は難しい
だから精霊の在り方を歪めることがいちばんの近道だった
1851
光の精霊は、同時に闇の精霊でもある
聖☆剣の運び手たるバウマフ家と
その終着点であるアリア家が出会った
それが意味するところを、人間たちはまだ知らない
森から沁み出てきた青の群れに
周辺の警戒に当たっていた騎士たちが叫んだ
騎士A﹁敵襲! 敵襲!﹂
特装騎士は一目でそれとわかる
身軽さを身上としている彼らは、実働騎士よりも軽装であること
が多いからだ
騎士B﹁多いぞ! いつもの小競り合いとは違う﹂
特装騎士は、伝播魔法で自分の声を多数へと伝えることできる
障害物が少ない平野部なら、騎馬の機動力を活かせる
即応した騎馬隊が、見る間に戦列を整えていく
彼らが騎士団の主戦力たる実働部隊だ
かつて牛のひとが白アリの軍隊と評した
王国のパーソナルカラー白銀をまとった騎士たちである
統制のとれた、よく訓練された動きだった
対する山腹軍団の足並みはばらばらだ
これはコストの問題だ
1852
ある一定以上の規模を越えた軍隊に、規律は必要ない
常日頃から騎士たちが訓練を受けているのは
そうしなければ勝てないからだ
魔王軍が擁する戦力は、文字通りケタが違う
騎士たちが見ている前で、群青が平野部を埋め尽くしていく
それらは日の光に透けて、水面みたいに輝いて見えた
まるで河川の氾濫を思わせる光景だった
この大河に、これから騎士たちは挑むのだ
どれだけ綿密に調査しようと
いざそのときになれば威容に打たれるのはわかりきっていた
だから、騎士団の重鎮が登場するのはこのタイミングが相応しか
った
大将﹁烏合の衆が⋮⋮﹂
参謀と特装騎士を従えた大将が、戦列の後方に現れる
彼らの仕事は士気の鼓舞だから、落書きまみれの鎧は大きめの布
で覆ってある 幾つもの死線を踏み越えてきた
それでも、ただの人間が超人になることはない
だが、異様な存在感は年を追うごとに増すかのようだった
1853
大将の登場に呼応したかのように
一人の青が進み出る
大将﹁⋮⋮使者か﹂
開戦前に使者を出すのは、人間たちの習わしだ
大部隊の運用は隠密行動が困難であるし
一歩でも間違えれば甚大な被害を負う
とくに王国と帝国は、何度も連合国に踊らされてきたから
開戦には慎重であろうとする
その習慣を逆手に取られたと察して、参謀の一人が大将に囁く
老騎士G﹁⋮⋮応じるしかないぞ、これは﹂
一万と十億の戦いだ
まず勝ち目がないことなど彼らは把握している
大隊長が出陣したのは、勝てると騎士たちに錯覚させるためと
魔王軍が王都に到達するまでの時間稼ぎだ
もしも正面衝突を回避できる可能性を提示されたなら
差し伸べられた手を振り払うのは
一万人の命を預かっている人間がしていいことではない
大将は肯いた
大将﹁こちらも使者を出せ﹂
1854
四、山腹巣穴在住の現実を生きる不定形生物さん︵出張中
使者の人選は迅速に行われた
下っ端に任せていい仕事ではないから
おそらく優秀な特装騎士なのだろう
両陣営が見守る中
一人の騎士と一人の魔物が相まみえる
戦力比はどうあれ
最初に使者を投じたこちらから話しかけるのが礼儀というものだ
ろう
魔物側の使者が口火を切る
おれ使者﹁ご趣味は?﹂
お見合いか
騎士使者﹁家庭菜園だ。彼らには反抗期がないからな﹂
寂しい人間である
おれ使者﹁そうか。そうか⋮⋮﹂
山腹軍団の使者は何度も頷いた
どんどん生意気になる管理人さんのことを思い出したのかもしれ
1855
ない
それから、二人は幾つかのやりとりをした
互いに交戦の意思があること
どちらかが退くまで、その意思はまっとうされること
目的は言わない⋮⋮
確認したのはその程度で
わかったのは、交渉の余地がないらしいことだ
これでは使者を立てた意味がない
だが、それでいい
おれ使者﹁⋮⋮使者を襲うのはルール違反だったな﹂
騎士使者﹁⋮⋮そうだ﹂
山腹軍団が使者を出したのは
おそらく応じて出向いてくる優秀な特装騎士を一人
開戦前につぶしておくためだ
地中に潜んでいた二名の襲撃者が
地表を突き破って触手を撃つ
騎士使者﹁ちっ﹂
襲撃があることは予期していたのだろう
騎士使者は後ろに下がってかわした
1856
やはり優秀だ
かすかに残した重心が、反撃の意思があることを示している
しかし人間の動きには限界がある
それは特装騎士だろうと同じことだ
詠唱を終える前に、時間差で撃ち込まれたレクイエム毒針に沈んだ
ひざから崩れ落ちようとする騎士を
しとめた本人である山腹よりの使者が触手で吊り上げる
騎士の首に触手を巻きつけて、その脱力した身体を
まざまざと見せつけるように、高々と掲げた
心の底から愉快だというように、魔物は笑った
おれ使者﹁だめだよ∼! 敵を信用しちゃあ! なにしてんの、お
前ら! ばかじゃねーの!?﹂
かかる蛮行に、騎士たちの怒りが大気を震わすかのようだ
使者などではない
正体を現したレクイエム部隊の隊長が、気絶した騎士を放り捨て
て狂気をあらわにする
隊長﹁滅ぼしてやるよ、人間どもぉ⋮⋮。レクイエム部隊、出るぞ
!﹂
地中に潜んでいた襲撃者は二人だけではなかった
1857
ところ狭しと現れた山腹軍団のエースたちが
地を這って行進をはじめる
まんまと先行したレクイエム部隊に遅れを取るまいと
後方で待機していた全軍が進軍を開始する
対する騎士団の怒号は凄まじかった
感情のままに陣形を崩してくれれば儲けものだったが
さすがにそこまでは甘くないようだ
小隊ごとにまとまって散開する
騎馬の機動力と戦歌の突破力で包囲殲滅するつもりだ
大将が命じるまでもなく、作戦は全部隊に伝えられている筈だ
一定の打撃を与えてから、いったん後退、ふたたび突撃といった
ところか?
五、山腹巣穴在住の現実を生きる不定形生物さん︵出張中
もちろんそれだけじゃない
本隊をおとりに大将を無事に合流させるというのも作戦の一環だ
ろうが
騎士団が本当に必要としていたのは、大将が合流するまでの三週
間だ
勝ち目がないなら作ればいい
憶測か、あるいは情報をリークした輩がいるのか
1858
オリジナルの存在を嗅ぎつけた勢力がいるらしい
この三週間で、特装騎士たちは将軍の特定に成功していた
山腹軍団の勢力下にない、遠く離れた森の中
投射魔法の射程から、さらに離れた樹上だ
一人の特装騎士が、将軍が待機している森の方角へと指を突き付
けていた
まだ弓矢が普及していた時代の、狩人を彷彿とさせる構えだ
傍らには、枝の上で器用にしゃがみ込んでいる観測担当の騎士が
いる
騎士たちの狙撃は、最低でも二人一組で行われる
⋮⋮ここから狙撃するつもりか?
狙撃の最大射程は退魔性と反比例する
正確には、観測している人物の退魔性で決まる
魔法の実現性は、退魔力という抵抗を通して成否が判断されるから
たとえばバウマフ家の人間が近くにいるとき
おれたち魔物が最大の力を発揮できるように
望遠効果を得ている人間が傍らにいれば
狙撃手はその恩恵に預かることができる
とはいえ、幾らなんでも遠すぎる
観測担当が見ている画像は粗く
1859
限界まで拡大したものだから再現性に疑問があった
これでは、ほとんど勘に任せた狙撃になる
間違いなく射程超過の制限に絡めとられるだろう
たしかに申し分ない狙撃地点ではあるが⋮⋮
これ以上の接近は、おれたちが黙っていないからだ
そんなことは言われずともわかっているのだろう
狙撃担当の騎士が、いったん腕を下ろした
懐から何かを取り出して、ふたたび構える
⋮⋮なんだ? 鉛の玉か?
円錐状に加工した小さな金属物だ
それを人差し指と中指で挟んで、親指を立てる
もう片方の手を顔の近くに置き、距離と射角を調整しているようだ
かろうじて青い何かが判別できる程度の拡大映像を注視していた
騎士が、小さく﹁いま﹂とつぶやいた
かすかに将軍が身じろぎしたことで、射線が通ったのだろう
狙撃手の集中力が極限まで引きしぼられるのが見てとれた
狙撃手﹁ゴル﹂
ぽっと点火した小さな炎が
ゆるゆると宙を滑る
狙撃手﹁タク・ロッド⋮⋮﹂
1860
円錐状の鉛の尻に着火する直前に
彼は詠唱を完成させた
狙撃手﹁アバドン﹂
固く凝縮された炎弾がはじけた︱︱
六、山腹巣穴在住の現実を生きる不定形生物さん︵出張中
発砲音は遅れて聞こえた
爆発的な加速力を与えられた弾丸は
一瞬で魔法の処理速度を突破した
魔法の恩恵を失った物体は
同時に魔法の束縛からも解放される
おれたちが反応してもいい速度ではなかった
将軍﹁ッ⋮⋮﹂
小さな風穴を空けた将軍の身体が、大きく傾いだ︱︱
七、海底洞窟在住のとるにたらない不定形生物さん
さっ、山腹の∼!
1861
1862
﹁開戦﹂part2︵前書き︶
登場人物紹介
・大将
王国騎士団が誇る大隊長の一人。
お名前は、ジョン・ネウシス・ジョンコネリ。ネウシスは﹁将軍﹂
の意であり、大隊長に贈られる称号名である。 厳格な人物で、規律を重んじる大騎士。
魔物たちが開催しているリアクション大賞において、おだやかリ
アクションと呼ばれる芸風で天下を取る。
子狸を抑えての堂々のディフェンディングチャンピオンである。
出撃回数三千回以上というのは、あくまでも大隊長に選ばれるた
めの最低ラインであるため、じっさいの出撃回数は四千回を越えて
いる。
これは大隊長に共通して言えることだが、戦場にいるだけで騎士
たちの士気が上がる便利な人である。
なんだか知将のイメージがもれなくついてくるものの、参謀たち
の働きによるものが大きいようだ。
周囲の人間たちが優秀で、まじめにがんばっていたら、気付けば
出禁を食らっていた。
大隊長あるところ事件ありを地で行くおじいちゃんである。
1863
﹁開戦﹂part2
八、山腹巣穴在住の現実を生きる不定形生物さん︵出張中
魔弾だ︱︱
おそろしく精密な魔法コントロールだった
具体的な原理は検証してみないと断言できないが
おそらく弾丸を高重力環境から撃ち出したのだろう
凶弾に倒れた将軍が、液状化して水たまりみたいになる⋮⋮
致命傷だった
いったい何が起こったのか
現場に居合わせた四人の軍団長たちには理解できなかった
あまりにも一瞬の出来事だ
軍団長A∼D﹁しょ、将軍︱︱!?﹂
九、海底洞窟在住のとるにたらない不定形生物さん
くっ、間に合わなかったか⋮⋮
山腹の∼!
1864
一0、山腹巣穴在住のとるにたらない不定形生物さん︵出張中
え、なに?
どうしたの、そんなに慌てて
一一、海底洞窟在住のとるにたらない不定形生物さん
ですよね
安心の魔物クォリティだった⋮⋮
ごめん、なんか雰囲気だったわ
一二、山腹巣穴在住のとるにたらない不定形生物さん︵出張中
ちょっと∼やめてよね
なんか、おれ本気でやばいのかと思ったじゃん
一三、山腹巣穴在住の現実を生きる不定形生物さん︵出張中
ご歓談中すまないが
⋮⋮まずいんじゃないか、いまのは?
あきらかに治癒魔法でカバーできる範囲を逸脱してるぞ
1865
一四、山腹巣穴在住の現実を生きる不定形生物さん︵出張中
そのへんは、大将たちも理解してるみたいだな
一定の間隔で特装騎士を配置すれば、連絡を取り合うのは簡単だ
狙撃手からの報告を聞いて、大将が頷いた
参謀たちは懐疑的だ
老騎士A﹁⋮⋮やったか?﹂
老騎士B﹁気に入らんな、おれは﹂
特装騎士の新技は賛否両論のようである
老騎士Bが、大将に近寄って真意を問い質す
死
そのものだ。取り返しのつかない災厄を撒き
老騎士B﹁⋮⋮ジョン、なぜあの男の案を呑んだ? わかっている
だろう。あれは
散らしかねんぞ﹂
連結魔法が普及して以来、人間たちの戦争を牽引してきたのは魔
法だった
魔法なら治癒魔法でなかったことにできる
最低限の保証がある戦争だった
それは秩序だ
将軍を撃ったのは
1866
その秩序に風穴を空ける一打だった
老騎士B﹁ジョン﹂
ふたたび詰め寄られて、大将はゆっくりと口を開いた
大将﹁⋮⋮豊穣の巫女というのがいるだろう﹂
老騎士B﹁魔女か﹂
大将﹁そうだ。お前の孫と同じ年頃だったな⋮⋮。おれは一度だけ
会ったことがある。あれは、まあ⋮⋮天才というやつだな。ずば抜
けている﹂
思想はどうあれ、彼女はれっきとした犯罪者だ
騎士団は巫女さんを追っている
大将﹁彼女の論文を読んだことはあるか? おれは、ほとんど理解
できなかった。だから、それはいいんだ﹂
巫女さんが学会に送りつけた論文は
はっきり言って犯行声明のようなものだ
自分の手口を堂々と明かしたのだから
ひどく挑戦的で
対処できるものしてみろという内容だった
それはいいのだと大将は言う
大将﹁だが、連弾は違う﹂
1867
連弾。それが正式名称なのか
大将﹁誰が思いついても不思議じゃねえ⋮⋮。そう思った﹂
ちっ、やっぱりそういう⋮⋮?
おい、どうする? 罠だぞ
一五、山腹巣穴在住のとるにたらない不定形生物さん︵出張中
⋮⋮海底の、お前が来たってことは
勇者さんは緑のひとに会ったんだな
一六、海底洞窟在住のとるにたらない不定形生物さん
おう。やっぱり宰相なのか⋮⋮?
一七、山腹巣穴在住のとるにたらない不定形生物さん︵出張中
だろうな。おれを撃った特装騎士は、あきらかに特殊な訓練を受
けてる
しかも一夕一朝じゃない
あの距離から当てるんだから、相当なもんだ
⋮⋮いいだろう。乗ってやるよ
海底の、すまんが通達してくれ
1868
新ルールの追加だ
一八、山腹巣穴在住の現実を生きる不定形生物さん︵出張中
予兆︱︱
最初に異変に気が付いたのは、北方方面の軍団長だった
軍団長D﹁将、軍⋮⋮?﹂
水たまりの底で
小さな光たちが踊っていた
軍団長C﹁! これは⋮⋮!﹂
軍団長Cが、Dを押しのけて水たまりを覗きこむ
軍団長C﹁覚醒の、前兆だ! 目覚めるというのか? いったい、
なぜ⋮⋮﹂
軍団長A﹁っ⋮⋮将軍!﹂
軍団長B﹁将軍! われわれはここです!﹂
将軍のなれの果てを取り囲む軍団長たちは
狙撃手にとって絶好の的だった
大気を切り裂いて飛翔した弾丸を
1869
水たまりから伸びた触手が掴み取った
︱︱天の川のようだった
星くずを散りばめたような
きらめく触手に
軍団長たちが感嘆の声を上げた
じゅうぶん弾丸の感触を確かめてから
ぴくりと震えた触手が
はるか遠方にいる狙撃手へと矛先を向ける
一九、山腹巣穴在住の現実を生きる不定形生物さん︵出張中
原種
です。原種が現れた⋮⋮
事態の推移を見守っていた観測担当は戦慄した
観測担当﹁本部、聞こえますか。
いや、原種に、なりました﹂
それでも職務を果たそうというのか
懸命に報告を繰り返す
観測担当﹁繰り返します。原種です! 目標は原種になりました!
指示を!﹂
二0、山腹巣穴在住の現実を生きる不定形生物さん︵出張中
観測担当の報告に本部は騒然となった
1870
老騎士C﹁原種だと!?﹂
老騎士D﹁原種になった? なった
と言ったんだな?﹂ 老騎士E﹁⋮⋮撤退しろ! 急げ! まだ完全ではないかもしれん﹂
大将﹁⋮⋮⋮⋮﹂
大将は動じない。正面を見据えたまま、きつく眉をしかめていた
老騎士Gが小さく舌打ちしてから、大将の肩を揺さぶった
老騎士G﹁おい、ジョン。どうする? 厄介なことになったぞ﹂
振り返った大将は、ふてぶてしく笑った
ジョン・ネウシス・ジョンコネリは、厳格な闘将として知られて
いる
よく配下の騎士たちを怒鳴りつける。よく殴る。よく蹴る。とに
かく乱暴だ
しかし不思議と多くの部下に慕われ、あとをついてくる者が絶え
ない
確固たる信念がそうさせるのだと、ふだんの彼を見ていればわか
るからだ
国王は、彼を評して騎士団の正義は彼とともにあると絶賛した︱︱
その大将が言う
1871
大将﹁プリン食いてえ﹂
正義はプリンとともにあった
⋮⋮必ずしも知略に優れた人間が大隊長になるとは限らないのだ
ため息をついた老騎士Gが、近くにいる特装騎士に言う
老騎士G﹁現時刻を以って連弾を破棄する。破棄だ! 即刻、手持
ちの弾丸を焼却するよう伝えろ﹂
慌ただしく奔走する特装騎士たちをよそに
老騎士Fはひそかに大将と話し合っていた
老騎士F﹁⋮⋮ジョン。太っちょが包囲を突破した﹂
太っちょとな
老騎士F﹁しかし原種とはな⋮⋮あれは使えんぞ。どうする?﹂
なにか奥の手を隠し持っているようである
大将は言った
大将﹁どうするも何もねーだろ。勇者に託すさ﹂
老騎士F﹁⋮⋮アリア家の娘か。なぜあの子なんだ?﹂
1872
大将﹁ああ。なんか引っかかるな。勇者はべつにいるのかもしれね
え⋮⋮﹂
勇者さんにいちゃもんを付けるとは⋮⋮
罰当たりなプリンである
二一、山腹巣穴在住の現実を生きる不定形生物さん︵出張中
プリンをご所望の大将はともかく
即座に現場を放棄した観測担当と狙撃手は
いっさいの未練を振りきって樹上から飛び降りた
さすがは特装騎士といったところか
減速魔法ひとつ取っても無駄がない
一瞬でも遅れればレクイエム毒針の餌食だった
ぐるりと木の幹に巻きついた触手が
ぼこりと
いびつに膨れ上がるのを二人は見た
触手の届く範囲なら
どこでも本体を移動できる
これが原種だ
よみがえった将軍が、まがまがしく笑った
将軍﹁なにをした⋮⋮人間⋮⋮﹂
1873
逃げきれないと悟った二人の騎士が
互いに目配せをして瞬時に臨戦態勢へと移る
詠唱しながら左右に散って
低い体勢から照準を合わせた
特装騎士は単独でも戦えるよう訓練された人間だ
個人としては人類トップクラスの戦闘能力を持っている
しかし原種は⋮⋮
頭上から雨あられと降りそそいできた触手の
その全てが本体の避難所になる
飛び退いた狙撃手を
原種が追うと読んだ観測担当が圧縮弾を撃つ
質、量ともに申し分ない攻撃だった
直撃する︱︱
将軍﹁レイ﹂
原種の固有スペルだ
飛翔する圧縮弾を、硬質の触手が余さず串刺しにした
狙撃手﹁逃げろ!﹂
盾魔法で作った力場を空中にばら撒きながら、狙撃手が突進する
ほとんど瞬間移動できるような相手から逃げきれるわけがない
1874
原種の注意を惹きつけるのが狙いだ
なにか大技を用意しているのだろう
だが、そんなものを意に介さずとも
正面から叩きつぶせるだけの速さが原種には備わっている
将軍﹁エリア﹂
変化魔法の真髄は形状操作にある
元来、人間たちに使いこなせる魔法ではないのだ
液状化した将軍が地表にひろがり、二人を体内に引きずりこむ
小細工すら許さない圧倒的な実力差だった
気絶した観測担当を放り出し、巨腕と化した触手で狙撃手を締め
上げる
将軍﹁さあ、話してもらおう。なにをした?﹂
もしも十億の兵士が等しく原種になれるなら
衝動的にそう考えた将軍だったが、すぐに考えを改めた
将軍﹁⋮⋮いや、その必要はない、か﹂
そうつぶやいて、将軍は狙撃手を放り捨てる
薄れ行く意識の中で、狙撃手は魔物の哄笑を聞いた⋮⋮
将軍﹁力とは貴重なものでなければならん⋮⋮。そうだ⋮⋮。あの、
1875
つの付きですら成し遂げられなかった⋮⋮﹂
それは野心だった
将軍﹁王都を陥とす⋮⋮。次の元帥は、このおれだ⋮⋮﹂
じつのところ、鬼のひとたちはとうにアリア家を発っている
目的を見失いつつあった山腹軍団は
いつしか引っこみがつかなくなっていたのであった⋮⋮
どこに行ったの、鬼のひとたち⋮⋮
1876
﹁開戦﹂part2︵後書き︶
注釈
・原種
空中回廊に出没するとされる強力な魔物たちの総称。
つまり、ちょっと本気を出した魔物たちである。
都市級の魔物たちは単純に﹁色違い﹂と呼んでいるようだ。
なんとなく気分で見た目も少し変えてみたらしい。
魔王の設定を流用しているため、地上に適応した種ということに
なっている。
今回、登場した不定形生物さんの原種バージョンは﹁エルメノゥ
ポーラ﹂と呼ばれていて、身体の中が満天の星空みたいになってい
る。
触手に体幹を移すことができるらしく、ほとんど瞬間移動に近い
ことが可能。
また、ある程度までなら魔法を使えるようだ。触手に頼った戦い
方をするので、開放レベルは不明。
固有スペルの﹁レイ﹂は﹁力﹂の意。触手を強化できる。
固有スペルというよりは、自分自身が﹁ポーラ﹂なので、その部
分は省略しても構わないだろうという謎の理屈で成り立っている。
新ルールにより、銃弾を受けるとふつうの青いひとも原種に進化
するという設定が追加された。
1877
﹁子狸とおれたちの戦争﹂part4
七四、かまくら在住のとるにたらない不定形生物さん︵出張中
さあ、注目の一戦がはじまりました
挑戦者子狸、迎え撃つは人類史上屈指との呼び声高い豊穣の巫女
爆破魔こと袖魔女のシャルロット・エニグマ嬢です
なお、実況は会場のステルス席からお送りします
さて、通算で八度目の対決となるわけですが⋮⋮
他の河ではすでに賭けが成立しているもようです
手元の資料によりますと、巫女さんのオッズは1.6倍
意外と子狸さんの健闘を予想しているひとが多いようです
解説の魔軍☆元帥さん︵アナザー︶今回の対決をどう見ますか?
庭園﹁彼女は戦士ではないですからね。つけ入る隙があるとすれば、
そこだと思います﹂
あれ、ふつうに喋るんですね。まあステルスしているので構いま
せんが⋮⋮
では子狸有利と?
庭園﹁接近戦に持ち込めるか否か。勝敗は一瞬で決まるでしょう。
子狸さんは開放レベル3が使えませんから﹂
1878
なるほど。ありがとうございました
おぉっと、子狸が動いた! やはり狙いは接近戦か? スタート
を切ると同時に詠唱をはじめるっ⋮⋮
まずはペースを掴みたい、もはや執念すら感じる第一手の圧縮弾
だ!
子狸&巫女﹁チク・タク・ディグ!﹂
これは⋮⋮!? 巫女さんも圧縮弾を? 詠唱は、ほぼ同時⋮⋮
かすかに巫女さんが遅いか?
庭園﹁意外な展開ですね⋮⋮﹂
圧縮された空気が渦を巻く! 運動力を固定!
ここで地力の違いが出たかっ? 挑戦者子狸の圧縮弾が七つであ
るのに対してっ⋮⋮
こ、これはすごい! 巫女さんは十五だ! しかも完全にコント
ロールしている!
庭園﹁いえ、注目すべきは子狸ですよ﹂
と言いますと?
庭園﹁いつの間にか壁を乗り越えたようです。感情に流されず、き
ちんと制御している﹂
そういえば、少し前までは五発が限度でしたね
これも特訓の成果でしょうか?
1879
庭園﹁結界を修めたことでコツを掴んだのかもしれません。これは
わからなくなってきましたよ⋮⋮﹂
七五、王都在住のとるにたらない不定形生物さん︵出張中
わかるよ、ばか
以前、子狸が彼女と戦ったとき、巫女さんは十発が限度だったん
だぞ⋮⋮
成長速度が違いすぎる
十五だと? 信じられん⋮⋮特装騎士を超えている⋮⋮
そしてさらに絶望的なのが
ポンポコ弾の軌道が完全に読まれてることだ
二人が放った圧縮弾は空中で衝突し
互いに相殺し合った
圧縮弾は、人間が扱える範囲で最短スペルの投射魔法だ
レベルが上がりにくいから派生の幅もひろい
まともな教育を受けた人間なら
どの投射魔法よりも複雑な軌道をとる
その圧縮弾の軌道がぴたりと重なったんだ
実力が均衡した二人でも、こうはならない
巫女さんが子狸に合わせたんだ⋮⋮
1880
子狸﹁!﹂
手元に残しておいた二発が相殺されて
はじめて子狸は自分の魔法が無力化されたことに気付いた
人間の反射速度で、目で見て追えるほど投射魔法は遅くない
巫女さんの圧縮弾は、まだ半分以上が生き残っている
反射的に折り畳んだ前足を
ガードの上から重い一撃が叩く
無理に踏ん張ろうとすれば意識を刈り取られかねない
自ら後ろに跳んで衝撃を受け流す
全ての圧縮弾を受けきった頃には、子狸は蛍火の瀬戸際にまで追
い込まれていた
本日の晩ごはんになるかと思われたポンポコだが
密集した蛍火がリングのロープみたいに子狸を押し返す
緑のひとらしい、ぬるい設定だった
たった一度の撃ち合いで
圧倒的な実力差をまざまざと見せつけた巫女さんであったが
彼女は感心していた
巫女﹁七発!? やるじゃないか、同志ポンポコ!﹂
巫女さんは、他人の努力を正当に評価できる女の子だ
自分が異常だと自覚しているから、自身を基準に置くことはしない
子狸﹁おれも驚いたよ。追いついたと思ったんだけどな﹂
1881
子狸の本家皮算用では、巫女さんはいろいろあってパワーダウン
している予定だったらしい
減らず口を叩かせたら、バウマフ家の右に出るものはちょっとい
ない
子狸﹁⋮⋮まあ、もっとも﹂
子狸は不敵に笑った
子狸﹁お楽しみはこれからだぜアイリン⋮⋮﹂
外野から野次が飛ぶ
生贄﹁あ、いま治癒魔法使った!﹂
側近C﹁汚いぞ、ポンポコ!﹂
側近D﹁恥を知れ! 恥を!﹂
側近A﹁せめてもうちょっとうまくやれ!﹂
側近B﹁え、なにあれ。グロいんですけど⋮⋮﹂
子狸の治癒魔法に光のエフェクトは入らない
破れた服は、あたかも意思を持っているかのように
しゅるしゅると糸が絡み合い、自己修復するのだ
低学年の子たちにどん引きされて以来、自粛していたのだが⋮⋮
子狸さんは悟っていた
1882
子狸﹁お前たちが思っているよりもずっと⋮⋮世界はグロいんだ﹂
いまいち心に響かない教訓を垂れ流しつつ
子狸は前へと進む
巫女さんは余裕だ
子狸がスタート地点に戻るまで待つ
子狸も子狸で、律儀にスタート地点で立ち止まる
子狸﹁次は本気で行く﹂
はったりだ
子狸はすでに全力を出し尽くした
そしてきれいに相殺された
はたして起死回生の一手は残されているのか
たぶんない
凡人はどんなにがんばっても天才には勝てないのだ
七六、魔都在住の特筆すべき点もないライオンさん
でも子狸さんなら⋮⋮
子狸さんなら、きっとやってくれる
七七、住所不定のどこにでもいるようなてふてふさん
⋮⋮どうせ負けるんだろ?
ちゃっちゃと負けっちまえよ
1883
善戦はできるんだ
でも格上の相手に勝てたためしがないじゃん⋮⋮
今回もきっとだめだよ
ほら、勇者さんを見てみろよ
あの狐娘ですら狸なべデスマッチに注目してるのに
勇者さんときたら、まったく興味を示してないぞ
すっかりぬるくなった紅茶を一口
首を上下するのが疲れたのか、緑のひとのお腹らへんを睨む
勇者﹁⋮⋮それで、魔王の魂というのはなんなの? そんなこと一
度も聞いたことない﹂
なんか⋮⋮怒ってる? いつもより口調がきつい
しかしそこは王種である。陸上最強の生物だ
緑のひとは泰然として
緑﹁⋮⋮︵ちらっ︶﹂
青いのに視線で助けを求めた。だめだ、この悪魔の化身
火口﹁⋮⋮⋮⋮﹂
でも青いのもだめだった。勇者さんの逆鱗にふれるのが怖いのだ
しょせん似たもの同士である
何度か視線でやりとりしてから
1884
青いのは触手で筆談するよう指示を出す
なるほどと緑は頷いた
威風堂々と勇者さんに告げる
緑﹁少し待て﹂
勇者﹁⋮⋮⋮⋮﹂
たしかに文面なら手っ取り早そうではある
巫女一味に余計な情報を与えることもなさそうだ
おれ﹁悪くない案だと思います﹂
おれのとりなしもあり、勇者さんは納得してくれた
勇者﹁⋮⋮許可します。早くなさい﹂
彼女に王種を敬う気持ちはないらしい
緑﹁妖精さんまじ天使﹂
火口﹁まじ天使﹂
おれがいないと、お前らは本当にだめだな
そりゃ敬う気にもならんわ
七八、王都在住のとるにたらない不定形生物さん︵出張中
1885
一方その頃、孤軍奮闘する子狸さん
正面から撃ち合っても敵わないとわかったので
フットワークで巫女さんを翻弄できないかと試みる
特訓の成果を遺憾なく発揮し
緩急を織り交ぜつつ圧縮弾を連発する
しかし巫女さんとて黙って突っ立っているわけではない
子狸ほどの瞬発力はないが
より洗練された足さばきで、一定の距離を保ち続ける
子狸の動きが総じて直線的であるのに対して
巫女さんは円運動をおもに、腕を振るなどして重心をうまく配分
している
どちらが優れているということはない
これは男女差みたいなものだ
様式美とでも言うのか、同じ魔法使いでも女性と男性では立ち回
りが異なるらしい
だから両者を隔てているのは手数の差
子狸は近付けない
子狸﹁くそっ﹂
全力で走れば五歩の距離
それだけの距離が、いまはこんなにも遠い
子狸は巫女さんよりも速い
1886
速いが、それゆえに体力の消費も大きい
あきらかに倍以上の運動量だ
されど消耗戦なら、まだ子狸に分がある
巫女さんは手加減をしている⋮⋮ように見える
圧縮弾なら盾魔法で弾けばいい
盾魔法のスペルは単独で機能するから
それで二言ぶん先んじることができる
大まかに言って、開放レベル3のスペルは五つ
圧縮弾の軌道が読めるなら
対応した上で、一歩ずつでもスペルを拾っていけばいい
たしかに巫女さんは戦士ではない
しかし子狸が対人戦のエキスパートなのかと言えば
それも違う。違うが⋮⋮
まだだ、子狸。お前はもっとやれる
殻をひとつ打ち破ってみせろ
教えるべきことは、まだたくさん残っているけれど
より多くのものを詰め込んできたつもりだ
お前の引き出しは、そんなものじゃない筈だ⋮⋮
子狸﹁⋮⋮!﹂
目を見開いた子狸が
圧縮弾を撃つと見せかけて
懐から取り出しましたるは!
1887
子狸﹁はい!﹂
万国旗∼☆
⋮⋮誰だ、教えたの
七九、墓地在住の今をときめく骸骨さん︵出張中
それだ!
八0、王都在住のとるにたらない不定形生物さん︵出張中
牛さん、やっちゃって下さい
巫女﹁っ⋮⋮ポンポコぉ!﹂
なんでしてやられたみたいな顔しているの、この子⋮⋮
全弾命中してるじゃねーか⋮⋮
そして大きく吹き飛ばされた子狸
蛍火で軽くローストされながら
子狸﹁⋮⋮へへっ﹂
ぎらりと眼光を鋭くする
子狸﹁見えたな、勝機がよ⋮⋮﹂
1888
おれには何も見えてこねーけどな⋮⋮
と、そのとき
ぽつりと子狸の頬に一滴の雨が落ちた
彼らの頭上を、いつしか分厚い雨雲が覆っている
狸なべデスマッチは新たな局面を迎えようとしていた⋮⋮
1889
﹁子狸とおれたちの戦争﹂part5
八一、火口付近在住のとるにたらない不定形生物さん︵出張中
かまくら﹁おぉっと、ここで万国旗が出たーっ!﹂
庭園﹁いまのは高得点ですよ。あ、直撃しましたね﹂
実況席が盛り上がっててうざったい
側近たちは、巫女さんの勝利を疑っていないようだ
生贄﹁ひと雨、来そうですね﹂
側近A﹁傘作る? あれ地味に疲れるんだよね∼﹂
側近B﹁雨宿りさせてもらおうよ﹂
名案とばかりに頷き、ぞろぞろと連れ立って緑のひとの下に移動
してきた
緑﹁うーん⋮⋮うーん⋮⋮﹂
軒下扱いの緑であったが
いまは勇者さんへとしたためる文面の推敲で忙しい
王種の威厳なんて最初からなかった
ぴかりと雷光
1890
遠雷が轟く
すかさず子狸が詠唱をとなえる
考えにくいが、もしも巫女が仕草や声の調子を参考にしていると
したら⋮⋮
子狸&巫女﹁チク・タク・ディグ!﹂
︱︱違う
死角に回り込もうとするポンポコ弾の行く手を
そうはさせじと巫女の圧縮弾が阻んだ
心が読めるのか?
いや、そうではない
子狸の魔法は合理的なのだ
射角
タイミング
速度
それら全てが経験則により練り込まれている
だから読まれる
皮肉にもポンポコ弾の完成度の高さが裏目に出ている
⋮⋮とはいえ、それだけでは⋮⋮
似たようなトリックを使う魔法使いを見たことはあるが
あれは圧縮弾が互いの軌道を補うよう計算して撃ったものだ
⋮⋮そう、子狸がやったように、あえて外せば露見するものだった
しかし巫女のこれは⋮⋮
1891
もうこれで何度目になるか
弾き飛ばされた子狸が、蛍火にぶつかって止まる
治癒魔法がなければ、蓄積したダメージでとうに戦闘不能に陥っ
ているだろう
打ちのめされても
打ちのめされても
子狸は立ち上がる
開始位置に戻るまでの間
巫女は手を出そうとはしない
彼女は微笑んだ
巫女﹁ふふ⋮⋮どうかな? いま新しい研究をしてるんだ﹂
時間稼ぎか?
とつぜん語り出した
⋮⋮雨が降りはじめたから?
再計算が必要なのか?
巫女﹁わたしは人間だから、多視点魔法は使えない﹂
多視点魔法というのは座標起点のことだ
座標起点のスペル、メイガスは自分以外の魔法使いのこと
巫女﹁使えないという表現は正しくないのかもね。多視点の禁止と
いうルールが最初にあって、そのルールを一時的に無効化する⋮⋮
それが魔法の本質じゃないかと思ってるんだ﹂
その程度のことは、けっこう前から言われてる
1892
とか呼ばれてるんだけどね﹂
ピリオド
と
巫女﹁でも、この理論は完全じゃないんだよ。たぶん一部の魔物は
終句
詠唱をなくすことができる魔法を使える。学界だと
か
詠唱破棄のことだ
その存在に気が付いたことは誉めてやってもいい
だが、その読みはドツボだ
巫女は頬に手を当ててうなった
巫女﹁詠唱をなくせる魔法⋮⋮これだけが⋮⋮﹂
もしも詠唱をなくせる魔法が実在し、レベル4に相当すると仮定
したなら
詠唱破棄した魔法に、限界レベル3の人間たちは対抗できないこ
とになる
しかし、じっさいはそうではない
詠唱破棄は時間跳躍の変形だ
原則を振りきるために、おれたちがデザインしたオリジナルスペ
ルなのだ
みじかい寿命しか持たない人間では、この違和感には気付けない
だろう
座標起点と詠唱破棄を同列に考えているようではだめだ
子狸﹁⋮⋮なにが言いたい?﹂
何べん説明しても、子狸さんはそのへんを理解してくれない
1893
巫女は上機嫌だった
子狸との衝突は、彼女にとって何か大切なものだろう
ちいさな子供のように笑う
そして屈託なく残酷なことを口にする
巫女﹁あなたが、わたしに勝てない理由だよ。わたしは魔法の死角
を突けるんだ﹂
! こいつは⋮⋮
巫女﹁たとえば投射魔法のスピード。限界はあるみたいだけど、自
由に調節できるよね? 変速の魔法はないんだ。だから束縛されな
い﹂
特装騎士どころじゃない。おれたちを、魔法を超えてる⋮⋮
巫女﹁変な言い方になるけど、わたしが使っているのは存在しない
魔法なんだよ﹂
想像を絶している
認めたくはないが⋮⋮豊穣の巫女⋮⋮こいつは掛け値なしの天才だ
言い聞かせるように彼女は繰り返した
巫女﹁あなたは、わたしには勝てないよ、同志ポンポコ﹂
子狸はうなだれた
図星だったからではない
歯を食いしばって言う
1894
子狸﹁⋮⋮おれが間違ってた。同志なんて言葉でくくるべきじゃな
かったんだ⋮⋮﹂
ああ、覚えてたのか
最初に同志とか言い出したのは子狸だ
いつでも飛び出せるよう身構えて、決然と前を見る
その視線の先には巫女がいる 子狸は言った
子狸﹁お前に必要なのは友達だ。同志なんかじゃない。一歩でも踏
み出せば、きっと変われる﹂
側近たちが息をのんだ
生贄さんはぴんと来ていない様子で首を傾げている
⋮⋮彼女もいずれはわかるだろう
まわりの人間たちは、豊穣の巫女をとくべつ扱いする
それなのに彼女はふつうであろうとする
子狸﹁たまには足を止めてもいいんだ。急がなくてもいいんだ。き
みは、おれとは違う﹂
巫女﹁⋮⋮なにが違うの?﹂
二人は、いつしか叫び合っていた
つんざくような雨音が、二人を包みこんでいた
ずぶ濡れになりながらも巫女が叫ぶ
1895
巫女﹁なにも違わないよ! わたしは⋮⋮! 戦える!﹂
彼女はバウマフ家の悲願を知らない
だから言葉がちぐはぐになる
それでも何かを感じ取っていたのかもしれない
はじめて巫女が自分から前に出た。子狸も応じる
巫女&子狸﹁ポーラレイ!﹂
水魔法は属性と性質が分離しきっていない
それは、つまり自然現象に限りなく近いということだ
降りしきる雨を凝縮した水の刃が、波のように大気を伝う
それらは正面からぶつかり合って、しぶきを飛ばした
ここでも巫女の手数が勝った
押し寄せる波を、子狸は前足で振りはらった
巫女﹁⋮⋮!﹂
巫女の表情がゆがんだ
彼女ほどの術者が気付いていない筈はないのだ
子狸の退魔性は、大隊長すら比較にならないほど劣化している
それがどんなに異常なことなのか
もがきながらも子狸が前足を突き出す。何かを掴もうとするかの
ように
しかし歴然とした実力差が、二人を隔てる
1896
びくりと震えた彼女の手を、子狸は握ってやることができなかった
これが最初で最後のチャンスだったのかもしれない⋮⋮
彼女とて、いつまでも子供というわけではない
たとえ感情に流されたとしても、それは一瞬のことだ
素早く後退した巫女が、人差し指を振る
巫女﹁アバドン!﹂
生成した重力場に、叩きつけるような雨が引き寄せられる
⋮⋮! そんなことまで出来るのか
重力という概念すら知らないだろうに⋮⋮!
子狸﹁ディレイ!﹂
体勢を立て直した子狸が、ふたたび突進しながら
幾つもの小さな力場を周囲にばら撒く
変化魔法では一点突破の性質には対応できない
適時対応するためには、あらかじめ多くの選択肢を設けるしかない
巫女﹁エリア・ポーラレイ!﹂
しかし巫女の魔法は、いつだって子狸の上を行く
じゅうぶんな水量を確保した水魔法が
獰猛に地を駆け、牙を剥く
1897
その輪郭は、小柄ながら猫科の肉食動物を思わせる
子狸&巫女﹁ラルド!﹂
力場を引き伸ばして進路をふさごうとする子狸の目の前で
水虎が二体に分裂した
拡大魔法の変形だ
子狸﹁くっ⋮⋮!﹂
盾魔法を解除した子狸が、大きく横に飛んで水虎の牙を逃れる
合わせるな! 同じ土俵で戦っても勝てない
人間に並行呪縛は使えないんだ
彼女は、生物の複雑な動きを変化魔法で再現している
しかも二体同時だ
飛びかかって来る水虎に、子狸は前足を構える
どこかの誰かさんを彷彿とさせる堂に入ったファイティングポー
ズだった
子狸﹁そいやっ!﹂
沈み込むフェイントを入れてから、鋭く踏み出してフックを一閃
する
かつて骨のひとを下した必殺ブローだ
⋮⋮合わせるなって、そういう意味じゃなかったんだけどな
虎さんに両のこぶしで立ち向かうポンポコ。華麗なフットワークだ
1898
二対一ではあるものの、巫女が操っている以上は猛獣の反射速度
までは再現できない
⋮⋮理屈の上ではそうなる。なんだか不安になってきた
だが、そもそも
巫女の本命は別にあるようだった
虎さんたちとの泥試合を展開しはじめる子狸を
彼女は見つめている
巫女﹁これで⋮⋮﹂
そう言って、取りだしたのは魔改造の実だった
七色の
柔らかな光を放つ
魔どんぐりだった
八二、海底洞窟在住のとるにたらない不定形生物さん
緊急速報
新ルールの追加をお知らせします
騎士団が連弾なる新技術を開発
魔法を使って、高速で弾丸を撃ち出すものです
小さなお子さんが真似しては危ないと
これの封印を山腹のんは決意
1899
弾丸を撃ち込まれることで原種に進化するという新ルールを追加
しました
詳細は
鬼のひとたちを救う会︻集え未来の幹部たち︼の河を参照すること
八三、かまくら在住のとるにたらない不定形生物さん︵出張中
おお、海底の。おかえり∼
八四、海底洞窟在住のとるにたらない不定形生物さん
ただいま
⋮⋮ああ、やっぱり巫女さんが圧倒してるな
いよいよ開放レベル3のご開帳か
緑のひとはだいじょうぶ?
なんか追いつめられてるね
八五、空中庭園在住のとるにたらない不定形生物さん︵出張中
なんか勇者さんがおっかねーんだよ⋮⋮
イライラしているというか
なんというか
王国の上層部が嘘をついてることがバレちゃったから
それで怒ってるのかな⋮⋮?
1900
でも仕方ないんだよね
言えないよ、勇者に魔王の魂が宿っていたなんてさ
とつぜんのにわか雨にも
勇者さんは頑として席から動かなかった
天候が崩れることを察知した狐娘が
魔法で傘を差して雨つゆをしのいでる
子狸が虎さんを殴り倒したあたりで
緑のひとが﹁よし﹂と頷いた
緑﹁できました﹂
勇者﹁⋮⋮⋮⋮﹂
こくりと無言で頷く勇者さんにびくびくしながら
緑のひとはふっと軽く息を吹く
雨の中でも蛍火が機能し続けているように
正統な発火魔法は環境に左右されない
またたく火花が、勇者さんの眼前で燃えあがった
⋮⋮なんだろ。緑のひとさ、ちょくちょく火属性をアピールするね
まだ諦めてなかったの?
八六、火山在住のごく平凡な火トカゲさん
1901
おれは、ずっとこうやって生きてきたんだよ!
いまさらになって土魔法を使いはじめたらおかしいでしょ!?
ぜんぜん納得できないよ⋮⋮!
おれら、べつに属性に合わせて生まれてきたわけじゃないし!
消去法っていうか、こじつけに近いよね!?
八七、王都在住のとるにたらない不定形生物さん︵出張中
連弾、か⋮⋮
八八、火山在住のごく平凡な火トカゲさん
あれ、スルー?
王都のひとは、そういうところあるよね⋮⋮
八九、庭園在住のとるにたらない不定形生物さん︵出張中
まあまあ⋮⋮抑えて
というか、本当に勇者さんにぜんぶ教えちゃうんだね
勇者さんの眼前で炎の文字が踊る
目の動きに合わせてスクロールするよう調整されている
目で追いやすいよう、文字の大きさも変わる演出が細かい
これなら側近たちからは反転文字になるし
1902
全文が一気に表示されるわけじゃないから
読んでいる本人以外にはさっぱりだろう
その仕組みを、勇者さんは一文ないし二文で把握したようだ
この子は理解力がすごい
よどみなく流れる文字を、勇者さんの肩の上で羽のひとが必死に
追う
時速200を叩き出す妖精さんだ
その動体視力は人間の比ではない
狐娘は、勇者さんの横顔を見つめている
いちおう解説しておくと
緑のひとが伝えようとしているのは、第八次討伐と第九次討伐の
あらましだ
九代目の旅シリーズは、最後の最後で八代目とリンクしちゃった
から
第八次を飛ばすと片手落ちになっちゃうんだな
では、じっさいの内容を、おれがわかりやすくアレンジしてお伝
えします
子狸さんはあとで読み直しておくこと
こほん
⋮⋮遡ること、およそ二百年前の出来事である
人間たちの戦争は一変しようとしていた
1903
先の大戦で開発されたチェンジリング☆ハイパーは革新的な技術
だった
複数の術者でチェンジリングの輪を作る
これがチェンジリング☆ハイパーの原理だ
この技術を逸早く騎士団に取り入れようとしたのが連合国である
当時の騎士団は、現在で言うところの特装騎士たちで構成される
戦闘集団だった
そこで、かの国は既存の騎士たちを現有戦力として手元に置いた
まま
新たに次代の実働騎士を育成する計画を始動させる
義務教育制度の施行だ
連合国が他国より先んじたのは
戦歌の創始者である三勇士と同じ轍を踏まなかったからだと言わ
れている
三勇士は犬猿の仲だった
もともと仲が悪い三大国家が、功を競うように七代目勇者のお供
につけたのだから当然と言える
だが、その敵愾心と並々ならぬ気位の高さが
妙な感じにミックスして奇跡的に実現したのがチェンジリング☆
ハイパーだ
同時に七代目勇者の胃壁をごりごりと削ったようだが⋮⋮
ともあれ、連合国はこのプロセスを徹底的に見直して
三勇士の真似をするのではなく
より完成度の高いシステムを構築した
1904
これが学校だ
どんな計画でも、ごく初期の図案が肝心になる
国家規模のプロジェクトなら、なおさらだ
その段階で連合国は抜きん出ていた
もちろん隠し通せるようなものではないから、王国と帝国も実態
を把握していただろう
理屈の上では正しいと理解していても
出遅れたぶんは取り戻せない
より優れた案を編み出そうと迷走する二国を尻目に
連合国は戦力を充実させていく
そもそも連合国は二国と比べて歴史の浅い国家だ
歴史が浅いぶん、よどみが少ないから、民草に教育を施しても反
乱の恐れが少なかった
結果的に王国と帝国は、連合国を利用したことになる
言ってみれば新参者の連合国にリードを許すことで
当然あるであろう反乱を抑えこんだのだ
しかし一方で、戦争の火種は着実に育っていた
第八次討伐戦争の勃発である
そのきっかけは、国境付近の小競り合いに実働騎士が投入された
ことだった
実働騎士が挙げた戦果は、当初の予想をはるかに上回るものだった
1905
理屈上、戦歌は短期戦でしか通用しない⋮⋮というのが大方の見
方だったらしい
戦況が複雑になればなるほど、従来の何でも出来る騎士が有利に
なるからだ
じっさいは違った
連合国ですら見落としていたことだ
実働騎士たち特有の連帯感は、兵士の恐怖を麻痺させる
皮肉にも、チェンジリング☆ハイパーで倒された魔王は
その技術が生み出したゆがみにより、復活することになる⋮⋮
一方、義務教育制度は意外な恩恵をもたらすことになる
史上最高と謳われる八代目勇者の誕生だ
いまになってみれば優しすぎる青年だった⋮⋮
いつも悩んでいた印象がある
命とは何か、その価値とは?
美しいまでの理念を持ち、挫折しても立ち上がる強さを兼ね備え
ていた
第八次討伐戦争は、魔王を討てなかった勇者の物語だ
まず、ここが人間たちの歴史とは食い違う
八代目勇者は、魔王を倒したことになっている
しかし史実は少し異なる
1906
八代目は不殺を貫いた勇者だ
光の宝剣を完全に使いこなした、唯一の人物でもある
だから八代目勇者は、魔王を倒すのではなく
人間として転生させる道を選んだ
それすら、彼にとっては信念を貫けなかった結果らしいが⋮⋮
その信念は、思わぬ形で九代目勇者に継承されることになる
九代目勇者が歴史上に登場したのは、第九次討伐戦争の末期だ
魔軍☆元帥つの付きとの頂上対決である
邪神教徒の背信は、戦略上重要な役割をはたしたとされているが
あまり注目はされていない
つの付きとの戦いで戦死したと伝えられているからだ
しかし史実では異なる
敗走した邪神教徒は、地下に潜って再起の機会を待っていた
魔都には戻れなかった
だから地下神殿で九代目勇者と相まみえたのは
魔王ではなく、邪神教徒だった
邪神教徒は生きていたのだ︱︱
そもそも魔王軍は、転生した魔王の魂を捜し求めていた
魔物たちですら八代目勇者の高潔さを認めていたから
転生の事実を疑わなかった
1907
おそらく討伐戦争に呼応して、この時代に現れる⋮⋮
魔物たちの推測は正しかったことになる
九代目勇者は、魔王の魂を宿した人間だった
人間たちの歴史では日の目を浴びることのない邪神教徒は︱︱
それを知っていたのだ
すべては邪神教徒の企てだった
地下神殿で何が起きたのかはわからない
もともと九代目勇者は不思議な力を持っていたとされるが
地下神殿から戻ってきた彼は、その力を喪失していたという
ただ、魔王と約束したと、それだけ告げて姿を消した
おそらく魔王の自我ははっきりしていて
人間とともに育ったことで情を移してしまったのだ
人間たちの歴史では、勇者に追いつめられて不戦条約を結んだこ
とになっているが
きっと、もっと個人的な約束だったのだろう
自ら深い眠りについたというのも、邪神教徒に取りこまれたため
ではないかと思われる
これが第九次討伐戦争の全貌だ
読み終えた勇者さんが、緑のひとに尋ねた
1908
勇者﹁地下神殿というのはどこにあるの?﹂
緑﹁わからん。当時の状況から見て、王都からそう離れていない筈
だが⋮⋮﹂
邪神教徒が邪悪な秘術で魔王の魂を取りこんだのだとしたら
おそらく地下神殿がとくべつな役割をはたしたのだろう
つの付きに同伴して王都攻略に出向いたのは
地下神殿が近くにあったからだと見ることもできる
緑﹁しかし、つの付きが魔王の傍を離れるとは考えにくい。おそら
く魔王は魔都で眠っているのだろう﹂
勇者﹁⋮⋮そうかしら?﹂
勇者さんにはべつの考えがあるようだった
雨は上がっていた
通り雨だったのだろう
雲の切れ間から日の光が差し込む
虎さんを撃破した子狸が立ち尽くしていた
世の中には、どうしようもない現実がある
見上げた先には、巨人が佇んでいる
盾魔法で作り上げた虚ろな人型の中で
1909
巫女さんが、気泡を吐いた
開放レベル3。水魔法と土魔法の合成だった︱︱
1910
﹁子狸とおれたちの戦争﹂part6
九0、王都在住のとるにたらない不定形生物さん︵出張中
歌うような詠唱だった
まるで彼女自身が辿ってきた道のりを振り返るような
それは、何かが変わると信じて旅を続けてきた少女の
豊穣を願う歌だ
どんなに否定されても諦めなかった自分への
応援歌だった
子狸の言うことを認めてしまったら
自分を信じてついてきてくれた人たちを裏切ることになる
迷いはなかった
たとえ最初のきっかけが子狸だったとしても
自分で選んだ道だ
盾魔法で描かれた人の輪郭が動く
雨水に満たされた巨人の体内で
巫女さんがぱちりと目を開いた
ちょうど人間で言うところの心臓部に
あわく虹彩を放つ魔どんぐりが浮かんでいる
ころんと脈打つたびに
巨人の手足に力がみなぎるかのようだ 1911
九一、空中庭園在住のとるにたらない不定形生物さん︵出張中
ちょっ⋮⋮これどうしようもなくね?
九二、火口付近在住のとるにたらない不定形生物さん
⋮⋮放っておけば溺れるんじゃないか?
九三、海底洞窟在住のとるにたらない不定形生物さん
いや⋮⋮魔どんぐりが巫女さんに力を貸してる
九四、海底都市在住のごく平凡な人魚さん
子狸さんが調子に乗って虹どんぐりとか作るから⋮⋮
九五、かまくら在住のとるにたらない不定形生物さん︵出張中
そんな⋮⋮うそだろ? 魔改造の実がバウマフ家の人間に牙を剥
くのか?
九六、古代遺跡在住のごく平凡な巨人兵さん
二番回路の落とし子だからなぁ⋮⋮
土魔法との相性が良すぎるんだろう
1912
しかし存在しない魔法とは恐れ入ったぜ
おれたちの無意識みたいなもんなのかね?
たしかに言われてみれば、なんか構成に違和感があるな
九七、魔都在住の特筆すべき点もないライオンさん
そうね。くちばしがひきつる感じがする
九八、火山在住のごく平凡な火トカゲさん
わかるよ。おれも鱗が高まる
九九、魔都在住の特筆すべき点もないライオンさん
うんうん。たてがみがビッてなるよね
一00、住所不定のどこにでもいるようなてふてふさん
やめろ。わかり合えない会話を無理やり続けようとするな
巨人といっても、すぐ近くにもっとでかいのがいるから微妙だな
おれの中で、巨大生物は使えないという印象があるし
一0一、魔都在住の特筆すべき点もないライオンさん
1913
!?
一0二、砂漠在住の特筆すべき点もない大蛇さん︵出張中
ッ⋮⋮
一0三、住所不定のどこにでもいるようなてふてふさん
巫女in巨人の威容に、傘を畳んだ狐娘が呆然とつぶやいた
狐娘﹁すごい﹂
巫女さんが力場を人型に成形したのは
たぶん、そのほうが動作をイメージしやすいからだ
直立姿勢は被弾率が高い
とうてい実戦に即した魔法とは言えないだろう
だが、開放レベル2止まりの子狸に対しては完璧な対策だった
さながら真・子狸バスターである
設計思想がまったく同じだ
我に返った狐娘が、かたわらの勇者さんに縋りついた
狐娘﹁アレイシアンさま。マフマフが負けちゃう﹂
意外にも子狸を応援していたらしい
1914
勇者さんが所有している聖☆剣は、退魔の宝剣とも呼ばれる
都市級の魔物をも倒しうる反則的な武器だから
巫女さんの巨人を一撃で破壊することもできる
勇者さんは言った
勇者﹁よく見ておきなさい、コニタ。あなたには、学ぶべきことが
たくさんある。それは、わたしの下では学べないことなの﹂
狐娘は感情の機微に敏い女の子だ
それはきっと異能によるもので、学習経験の賜物ではない
そのことが、将来的に彼女を苦しめることになると勇者さんは考
えているようだ
勇者さんは、自分自身を評して感情の希薄な人間だと言っていた
おれは、そうは思わない
たぶん狐娘は、おれと同じ考えなのだ
激しくかぶりを振って言う
狐娘﹁働いたら負けだと思ってる﹂
勇者﹁少しは長男を見習いなさい﹂
ぴしゃりと言う勇者さんに、狐娘は堪えた様子もない
狐娘﹁わたしたちは、何度も家に帰ってくるよう言った﹂
狐娘の兄は出稼ぎをしているらしい
1915
勇者﹁⋮⋮⋮⋮﹂
勇者さんは押し黙った
狐一族の希望の星が
群れなす無職たちに退職を勧められていたことを
いま、はじめて知ったのかもしれない
狐娘は、そっとため息をついた
狐娘﹁兄さまは、むかしから頑固なところがある⋮⋮﹂
一0四、王都在住のとるにたらない不定形生物さん︵出張中
狐さんたちの家庭の事情はともかく
狸一族の嗣子に巨人が迫る
子狸﹁っ⋮⋮ディレイ!﹂
対策を見出せないまま、子狸は階段状に設置した力場を駆け上がる
さいわい巨人の動きはにぶかった
おそらく転倒を避けるためだ
神経が通っているわけではないから、常にバランスを意識し続け
る必要があるのだろう
つまり巫女さんのミスは期待できない
1916
開放レベルが上位の魔法は下位のそれに勝る
これは四大原則のひとつだ
子狸を追って反転した巨人の肩がかすめただけで
盾魔法の力場は紙細工のように散る
子狸﹁ユニ! 聞こえるか!?﹂
力場から力場へと飛び移りつつも、子狸は巫女さんから目を離さ
なかった
学校では危ないからやるなと教えられる空中機動だ
巫女﹁⋮⋮⋮⋮﹂
巫女さんは答えなかった
伝播魔法を用いれば通話は可能だろうが
開放レベル3を維持し続けることは、人間にとって大きな負担に
なる
余裕がないのか、それとも対話の必要性を感じていないのか
少なくとも巫女さんが外界から閉ざされている以上、投射魔法に
よる追撃はないものと見ていい
子狸は巨人の動きに集中できる
全速力で後退を続ける。しかし歩幅の差は大きい
少しずつ距離を詰められている
先ほどの撃ち合いで、動きを見られたな⋮⋮
まずいぞ。絶妙な稼動速度だ
⋮⋮子狸よ、わかってるな?
1917
お前が勝つためには、緑のひとの蛍火を利用するしかない
ぎりぎりまで引きつけて、突っ込ませろ。それしかない
一0五、火山在住のごく平凡な火トカゲさん
相変わらず悪知恵の働くひとだなぁ⋮⋮
いやいや、そんな空気の読めないことをおれがするわけないでしょ
この戦いは、二人にとって必要なことなんだよ
なんとなくそんな気がする
一0六、空中庭園在住のとるにたらない不定形生物さん︵出張中
かくして子狸の退路は絶たれたのであった
かわし続けるのも限度がある
子狸﹁⋮⋮!﹂
背中に蛍火の熱を感じて、子狸は急静止した
子狸﹁チク・タク・ディグ!﹂
破れかぶれの圧縮弾だ
もうわかっている筈だ。自覚している筈だ
この状況を打破できるとしたら、それは同じ開放レベル3しかない
この土壇場で、目覚めるしかないんだ
1918
圧縮弾では足止めにもならない
弾幕を突破した巨人が
両腕をひろげて逃げ道をふさぐ
進退きわまったかのように見えたが
そうではなかった
子狸﹁ディレイ!﹂
子狸は、自ら前に出た
力場を蹴って、正面から突進する
巫女さんが、かすかに目を見張った
巨人の反応が遅れる
子狸﹁聞け! ユニ!﹂
巨人にしがみついた子狸が、人の形をとどめる力場の表面に
固く握りしめた前足を叩きつけた
手荒なノックだ
子狸﹁お前、おれに助けを求めたじゃないか! 大切なもの、見つ
けたんだろ!﹂
水中にいる彼女に聞こえるとは思えないのだが
⋮⋮いや、そうでもないのか?
巫女さんが作り上げた巨人には、変化魔法が組み込まれている
もしも彼女自身が望んだなら
1919
魔法は届かなくとも⋮⋮
声は届く
巫女﹁っ⋮⋮﹂
きつく口元を引き結んだ巫女さんが
巨人を操って子狸を振り落とそうとする
子狸﹁ディグ!﹂
先のポンポコ弾は、足止めを目的としたものではなかった
振り落とされまいとしがみつく子狸が
真下に向けて放った圧縮弾に、さらなる魔法を連結する
子狸﹁エリア・ドミニオン!﹂
土魔法は、巫女さんだけの専売特許ではない
地中に打ちこまれた圧縮弾が、もぐらみたいに土の中を掘り進む
港町で学んだことだ。突撃するばかりが能じゃない
子狸の狙いを悟った巫女さんが
巨人の重心をかすかに沈みこませる
わずかに前屈みになった巨人に
子狸は前足の力だけでぶら下がっている
盾魔法のスペルは否定を意味する
外部からの干渉を弾く魔法だ
それなのに、子狸が拒絶されることはなかった
1920
障壁越しに子狸と巫女さんの目が合う
ろくに懸垂もできない子狸が
このときばかりは火事場の馬鹿力を発揮した
ぐいと大きく身体を振って
子狸﹁かち割れろ、おれ!﹂
巨人に渾身の頭突きをかました
ころんと、虹どんぐりが揺れる
妖精﹁バッティング!﹂
勇者さんの肩の上で、羽のひとがバッティングのジャッジ
子狸﹁当たってないよ!﹂
子狸は反則はなかったと出張した
しかし妖精さんのジャッジを裏付けるかのように
自重を支えるだけの強度を持っている筈の巨人に
ひびが走った
子狸の眼前で亀裂がひろがっていく
巫女﹁!?﹂
1921
巫女さんもびっくりの石頭だ
⋮⋮と言いたいところだが、それは違う
変化魔法は、術者のイメージをリアルタイムで反映する魔法だ
巫女さんは心のどこかで、こうなることを望んだのではないか
ぐらりと巨体が傾く
いったん漏水してしまえば、あとは決壊まで一直線だ
あふれ出してきた水の流れにあらがうように
子狸が巨人の体内にエントリーした
内部の水は、まだ巫女さんの影響下にある
彼女の心境を表すかのように
激しい水流が子狸を押し戻そうとする
荒波の中でつちかったポンポコ泳法の極意は
少しでもネガティブな要素があったら水辺には近付かないことだ
混乱の極みにあるだろう巫女さんが
支配を離れた水を制御しきれるとは思えない
でも、だいじょうぶ
きっと魔改造の実が二人を守ってくれる
荒れ狂う水中で、子狸が必死に前足を伸ばした
一度は掴めなかった手を、今度はしっかりと掴む
1922
一0七、住所不定のどこにでもいるようなてふてふさん
⋮⋮巨人、こっちに倒れてくるんだが
側近D﹁! まだ中に二人が⋮⋮!﹂
側近C﹁だめ! 間に合わない!﹂
間に合わないと言いつつ飛び出していく側近たち
緑の下にいれば安全だろうに⋮⋮
ときどき人間は意味不明の行動をするなぁ⋮⋮
⋮⋮仕方ねーな
青いの!
一0八、王都在住のとるにたらない不定形生物さん︵出張中
とくべつだぞ
おら、子狸! レベルをひとつ開放してやる! お前が決着をつ
けろ!
一0九、火口付近在住のとるにたらない不定形生物さん
王都のんが子狸の肩に触手で触れる
子狸は巫女さんの手をしっかりと握ったまま
1923
淡い光を頼りに前足を突き上げた
開放された子狸の真の力が、いま︱︱!
子狸﹁もごがっ! もごごご! もごーっ!﹂
なに言ってるのかわかんないっす⋮⋮︵水中
一一0、かまくら在住のとるにたらない不定形生物さん︵出張中
審議中⋮⋮
一一一、海底洞窟在住のとるにたらない不定形生物さん
審議中⋮⋮
一一二、空中庭園在住のとるにたらない不定形生物さん︵出張中
とりあえず熱意は買うということで⋮⋮
ひときわ強く輝いた魔どんぐりが
巨人の外殻を内部から灼いた
一瞬で支配下に置いた雨水を、薄く引き伸ばす
それらは不自然な等速運動を描いて落下し、あたり一帯の地表を
潤した
キャンパスの上で筆が踊るかのようだった
1924
ゆっくりと下降してきた子狸と巫女さんの頭上で
役目をはたした魔どんぐりが満足げに揺れていた
ふっと眠るように浮力を失った魔どんぐりが
子狸に抱きかかえられている巫女さんのお腹の上で転がる
巫女さんは遠い目をしていた
巫女﹁⋮⋮負けた⋮⋮﹂
呆然としている彼女を降ろしてあげてから
子狸はびしっと前足を突き出した
子狸﹁待たせたな、ディンゴ。次はお前の番だぜ⋮⋮!﹂
すっかり調子に乗った子狸が
緑のひとに宣戦布告した
緑﹁⋮⋮⋮⋮﹂
のしのしと近付いていった緑のひとが
子狸を前足で踏みつけにする
勝敗は決した
1925
﹁子狸とおれたちの戦争﹂part7
一一三、王都在住のとるにたらない不定形生物さん︵出張中
戦いは終わった
雲間から差し込む陽光が美しい
雨つゆを葉に受けた植物たちが喜び輝いて見える
澄みきった大気が心地良い清涼感を与えてくれる
そして敗北者が二人残った
子狸﹁⋮⋮今日のところはこれくらいにしておいてやる﹂
緑﹁遠慮するな。時間はまだある﹂
ふだんは温厚な緑のひとも子狸に対しては強気でいられる
負け惜しみを言う管理人さんを
緑のひとが丸めた前足で小突き回している
子狸﹁ぬあ∼!﹂
その横で
すっかり放心した様子の巫女さんが
ぺたりと地べたに座っていた
百回やれば百回とも勝てるような戦いだった
1926
巨人にしがみついてきた子狸を拒絶すれば
まず勝利は揺るがなかっただろう
拒絶するのが心苦しいなら
振り落とそうとする前に捕まえてしまえば良かった
いや、それ以前に⋮⋮
圧縮弾の撃ち合いに付き合う必要性すらなかった
そして、おそらく彼女自身に、その自覚はなかった
最善を尽くしたと本人は思っているのだろう
じっさいそうだったのかもしれない
子狸を鍛えたのは、おれたちだ
緑のひとに小突かれて、あっちへころころ、こっちへころころし
ているポンポコは
人間よりも、魔物と戦うことに慣れている
だから巫女さんは、魔物と戦う子狸を見て
薄汚い手段を平気で用いる腐れ狸だと思っていたに違いない
一一四、火口付近在住のとるにたらない不定形生物さん
目つぶしとかね
一一五、かまくら在住のとるにたらない不定形生物さん︵出張中
1927
あと石とかふつうに投げてくるからね
一一六、海底洞窟在住のとるにたらない不定形生物さん
それがどうよ?
人前だと一転してクリーンファイターだもんな
さすがにね、さしものおれたちもキレますよ
一一七、住所不定のどこにでもいるようなてふてふさん
ペットは飼い主に似ると言うからな
一一八、空中庭園在住のとるにたらない不定形生物さん︵出張中
え? どういうこと?
勇者さんに似てきたって言いたいの?
ペットとか⋮⋮
子狸さんは誇り高き野生の⋮⋮!
勇者﹁⋮⋮⋮⋮︵かちゃり︶﹂
え? なに? なんの音?
一一九、火口付近在住のとるにたらない不定形生物さん
1928
あれ? 気のせいかな? 子狸さん、首になんか⋮⋮
一二0、かまくら在住のとるにたらない不定形生物さん︵出張中
なかなか洒落たアクセサリーじゃないか
一二一、王都在住のとるにたらない不定形生物さん︵出張中
ふっ、まったくさいきん色気付きやがってからに⋮⋮
あくなき執念で王種に喧嘩を売り続ける子狸さんに
歩み寄ってきた勇者さんが、なんていうの、こう⋮⋮
マフラー? 的な⋮⋮
⋮⋮そう、マフラーだよ
激闘をいたわるように、子狸の首にマフラーを巻いてあげたのさ
季節外れではあるけどね
ひょっとして手編みなのかな? いびつな形状をしていたよ
マフラーの端を握る勇者さんを見上げて
子狸はおそるおそる問いかけたのさ
初々しいね
子狸﹁これ⋮⋮?﹂
勇者﹁気に入ってくれると良いのだけれど﹂
1929
勇者さんは、あまり手先が器用な子じゃないから
一見するとひもにしか見えないようなマフラーだったけど
子狸さんはひとの真心を踏みにじるようなことはしない
子狸﹁あたたかいよ。ありがとう﹂
勇者﹁⋮⋮そう? どういたしまして﹂
羽のひとも二人を祝福した
妖精﹁よく似合ってますよ、ノロくん﹂
勇者さんをめぐって子狸と争うことが多い狐娘も
とうとう二人の仲を認めてくれたようだ
狐娘﹁ぴったり。あつらえたみたい﹂
苦笑して立ち上がった子狸が
狐娘のお面をつつこうとしてやめた
新種の狸みたいに全身が泥まみれだったからだ
代わりに笑みを深くして言う
子狸﹁ははっ、こいつ。むずかしい言葉を知ってるんだな﹂
あつらえる。注文して作らせること
あつらえたようにぴったり。とても似合っていて、運命的なもの
を感じるということ
バウマフにこん棒と同意義だが、肯定的な意味を含む
1930
勇者一行が心あたたまる交流をしている頃
巫女一味は新しい門出を済ませようとしていた
呆然としている巫女さんの泥にまみれた両手を
しゃがみ込んだ側近Aが握っている
側近A﹁学校を作ろう。わたしたちの学校﹂
とつぜん何を言い出すのか
意味不明なことをのたまる側近Aを、Bが押しのけた
側近B﹁なしね、いまのなし。⋮⋮ん、でもないかな﹂
彼女は少し悩んでから、巫女さんと目を合わせる
側近B﹁あいつね、学校の教師になりたかったんだって。そういう
の、あんまり話したことなかったね﹂
巫女さんの一座は、もともと土魔法の術者を集めるための組織だ
そこに属している人間が、土魔法の習得を目指すのは当然で
しかし夢を捨てきれないひとだっている
巫女﹁そっか。そうだよね⋮⋮﹂
同志と呼んだ人間が、同じ夢を追ってくれるとは限らないのだ
うなだれる巫女さんを、側近Bが抱きしめた
側近B﹁でもね。わたしたちは、あなたと一緒にいたいんだよ。あ
なたに協力したいと思ったから、ここにいるんだ﹂
1931
ええ話や⋮⋮
側近CとDもうんうんと頷いている
でも生贄さんは、やはりぴんと来ていないようだった
生贄﹁⋮⋮ところでポンポコはどうします? 言ってくれれば、い
まからわたしが行って、ぱっとやっつけて来ますが⋮⋮﹂
側近Cがうめいた
側近C﹁あんた、じつは空気が読めない子だったんだね⋮⋮﹂
生贄﹁え!?﹂
側近D﹁話し合うことで新しい発見もあるということだな﹂
側近Dがきれいにまとめた
つまり、それだけ多くのことを見落としてきたということだ
巫女さんは、あまりにも才能に恵まれすぎている
だから、ときには立ち止まることも必要なのだろう
彼女は、側近Bの腕に顔をうずめながら、ちいさく頷いた
巫女﹁ひとりになるのは⋮⋮嫌だよ﹂
いつの間にか忍び寄っていた子狸が、巫女さんの頭を少し乱暴に
撫でる
子狸﹁最初からそう言えば良かったんだ。人生⋮⋮あれだ。あれな
1932
んだよ﹂
子狸さん本日の名言
人生はあれであるらしい
でも巫女さんには通じた
うん、と頷いた少女が、そっと顔を上げてぎょっとした
巫女﹁うえっ!? なんだお前、うわっ、黒っ!?﹂
泥狸である
巫女さんの髪にもべったりと泥が付着していた
巫女﹁さいあく! このひと、なにしてくれてんの!?﹂
子狸さんは締めに入っている
子狸﹁それが、お前の手に入れたものだ。忘れるな﹂
まぐれで勝ったくせに偉そうだった
少し目を離した隙にテーブルのほうに移動した火口のんが
触手でティーカップを引き寄せながらコメントした
火口﹁どろんこ巫女だな﹂
怒りに燃えた巫女さんが泥狸を投げ飛ばすのを
緑のひとは優しく見守っている
1933
一二二、火山在住のごく平凡な火トカゲさん
うんうん⋮⋮
これにて一件落着だな 一二三、空中庭園在住のとるにたらない不定形生物さん︵出張中
ところが何も終わってなどいなかった
泥狸を投げ飛ばした巫女さんの背後に
勇者さんが立っている
笑っていた側近たちが硬直した
感情を制御した勇者さんには気配というものがない
油断した人間が相手なら
少し立ち位置を変えるだけで
意識の死角に潜り込める
側近Aがしまったというような顔をしたのを
勇者さんは見逃さなかった
勇者﹁気にしなくていいわ﹂ 巫女さんの髪を両手で梳きながら言う
勇者﹁出会ってすぐにわかり合えるようなら、苦労はしないもの﹂
彼女がアリア家の人間であることがわかって以来
1934
側近たちは、勇者さんと巫女さんの接触を断つよう立ち回っていた
素人目にもわかるほど、勇者さんの聖☆剣は暗器に適していたか
らだ
勇者さんは巫女さんの正しさを認めたが
アリア家の人間とわかってしまえば
それがどんなに虚しいことだったかもわかる
もしも正義という概念が形をとったなら
王国の場合は、それがアリア家だからだ
彼らの前では、あらゆる正義が意味をなさない
王国の法律は、王族のために存在する
そして大貴族が味方であるという前提で成り立っている
大貴族を罰する法律は存在しないのだ
後ろからうなじを触れられて、巫女さんが振り返った
巫女﹁リシアちゃん⋮⋮?﹂
勇者﹁怪我はないようね。よかった﹂
勇者さんは、泥で汚れるのも構わず片ひざを地面についていた
側近たちは動けなかった
彼女たちの位置からでは、ちょうど勇者さんが陰になって巫女さ
んの表情を窺うことができない
1935
計算された配置であることは、これまでの勇者さんを見ていれば
わかる
見上げてくる巫女さんに
勇者さんは言葉を落としていく
勇者﹁あなたは、たくさんの人々の暮らしを脅かしたわ﹂
巫女﹁⋮⋮うん﹂
勇者﹁壊れたものは魔法で直せても、思い出を焼かれたことは記憶
に残る。憎しみも。だから、あなたは騎士団に追われている﹂
巫女﹁わたし、やめる気はないよ﹂
巫女さんはきっぱりと言った
巫女﹁ディンゴのことは⋮⋮うん、少し考える。みんなと相談して
再出発するつもり﹂
側近たちが近づけないようにしていたから
二人が言葉を交わすのは久しぶりだった
巫女﹁リシアちゃんは、アリア家のひとだったんだね﹂
勇者﹁そうね。嘘をついていたわ。ごめんなさい﹂
巫女﹁聖騎士さまだ﹂
勇者﹁そう。わたしたちは、生まれながらにして称号名を持ってい
1936
る﹂
アリア家の称号名はアジェステ。アジジェステとも言う
ジェステは騎士。アジは栄光を意味する
聖騎士位、あるいは英雄号と呼ばれる称号だ
大多数の人間は、聖騎士を騎士団の上位に位置する存在であると
認識している
じっさいは違う
聖騎士と騎士は別物だ。分類がまったく異なる
騎士への命令権に関しても
中隊長および大隊長には劣るとはっきり示してある
それでもアリア家に対する誤認がまかり通っているのは
彼らの功績があまりにも華々しいからだ
アリア家の人間は、気まぐれに死地へと身を投じる
巫女さんの声が悲しげに揺れた
巫女﹁⋮⋮わたしを捕まえるの?﹂
勇者﹁いいえ﹂
勇者さんは即座に否定した
勇者﹁どういうわけか誤解されているけれど、わたしたちは気まぐ
れなの。自分が正しいと思ったことを、ただ繰り返してきた﹂
感情を制御できる人間にとっては、なにもかもが等価値だから
1937
絶対的な価値観を欲して悪徳を滅ぼしてきた
最後に残ったものが正義であるかのように
勇者さんは言った
勇者﹁だから、なにか困ったことがあったらわたしを頼りなさい﹂
巫女﹁そんなの無理だよ。リシアちゃんは貴族だもん﹂
勇者﹁貴族は滅びないわ。たとえ王国が滅んだとしても、名前を変
えて、どこまでも生き延びる。もしも貴族を滅ぼせるとすれば、そ
れは同じ貴族だけ⋮⋮﹂
囁くような声音だった
勇者﹁あなたは、きっと歴史に名を残すような魔法使いになる⋮⋮。
わたしに協力なさい﹂
聞きようによっては貴族を滅ぼす手伝いをしろと言っているよう
に聞こえる
巫女さんは動揺していた
巫女﹁どうしてそんなこと⋮⋮﹂
勇者﹁自己満足みたいなものね。考えておいて頂戴﹂
そう結んで、勇者さんはひらりと立ち上がった
振り返って頭上を見上げる
勇者﹁アイオ﹂
1938
怜悧な眼差しが緑のひとをとらえた
勇者﹁あなたはどうなの? わたしになにをくれるの?﹂
緑のひとはぽかんとしていた
緑﹁⋮⋮え?﹂
察しが悪い緑に、勇者さんは片手を突き出した
手のひらの上で、初夏の日差しが踊るかのようだ
勢いあまって刀身を形成したところで、だれに咎めることができ
ようか
くるりと手首を返した勇者さんが、光で構成された精霊の宝剣を
掲げる
歴代の勇者たちが緑のひとから聖☆剣を授かったときと同じ構図
だった
ただし勇者さんの場合、あってしかるべき過程の部分がなかった
勇者﹁わたしは、なにをもらえるのかしら?﹂
だから、代わりに何かを寄越せと言っているのだ
緑のひとは、大きくまばたきをしてから
勇者さんと聖☆剣を何度か見比べて
そして、こう言った
緑﹁⋮⋮え?﹂
1939
子狸﹁⋮⋮⋮⋮﹂
泥狸も勇者さんに習って前足を差し出した
勇者でもないのに意地汚いポンポコである
子狸﹁お前が、秘蔵の魔さくらんぼを隠し持っているのはわかって
る﹂
緑﹁!?﹂
緑のひとが目に見えて動揺した
妖精﹁⋮⋮ほう﹂
魔さくらんぼと聞いて、羽のひとが目の色を変えた
魔改造シリーズの中でも宝石と称されるレア種である
小さな手を差し出す
狐娘﹁おいしいの?﹂
狐娘に尋ねられて、泥狸はかぶりを振った
子狸﹁おいしいとか、そういう次元じゃないんだ。まず見たことが
ない﹂
狐娘﹁まじか﹂
狐娘も続いた
1940
勇者﹁⋮⋮⋮⋮﹂
なんだか食いしんぼう集団の棟梁みたいになってしまった勇者さ
んであった
アレイシアン・アジェステ・アリア。聖騎士の初夏である
巫女一味の視線が痛い
1941
﹁子狸とおれたちの戦争﹂part8
一二四、王都在住のとるにたらない不定形生物さん︵出張中
湿り気を帯びた風が吹く
ざわざわと木の葉がこすれる音がした
子狸﹁年貢の納めどきだな﹂
たなびく真紅のマフラー
踏み出した子狸の肩に羽のひとがとまる
妖精﹁わたしたちは一人じゃない﹂
それが自分たちの強さなのだと彼女は言う
巨竜が吠えた
緑﹁弱者のたわごとだ。お前たちは群れなければ何も出来ない﹂
狐娘﹁⋮⋮悲しいひと﹂
戦う力を持たない小さな女の子が、最強を冠する孤島の覇者を憐
れんだ
一人ではないとわかった。だから、もう恐れるものはなにもなか
った
巨体が身じろぎするたびにおびえていた臆病な少女は、もうそこ
にはいなかった
1942
となりに並んだ狐娘を、子狸は咎めなかった
すり寄ってきた豆芝さんの頭を撫でてやってから、たしかめるよ
うに大地を踏みしめていく
側近Dの前を通り過ぎる
子狸﹁人間はちっぽけな存在かもしれない﹂
側近Cの前を通り過ぎる
子狸﹁一人じゃ何も出来ないかもしれない﹂
面白くなさそうに鼻を鳴らす側近Aに片目をつむる
子狸﹁きっと叶わない夢だってある﹂
首を傾げている生贄さんに苦笑する
子狸﹁ぶつかり合うことだってあるさ﹂
側近Bが差し伸べた手を
おずおずと巫女さんが握る
子狸﹁でも、そうやって手に入るものだってあるんだ﹂
千年竜の足元で立ち止まった子狸が
思わずほころんだ口元を引きしめて
燃えさしのような眼差しで頭上を見据えた
1943
子狸﹁お前はどうだ!? アイオ!﹂
知らず知らずのうちに後ずさっていたことを自覚して
王の名を冠する魔竜が歯噛みした
緑﹁っ⋮⋮このおれが気圧されるだと?﹂
子狸﹁どんなにきれいな宝石だっていつかは色褪せるんだよ! そ
んなものを誇って何になる!?﹂ 最後に一歩︱︱
大きく踏みこんだ子狸のマフラーがぴんと張って
後ろ足がむなしく宙をかいた
ポンポコシュナイダーである
マフラーの端を握った勇者さんが
無言で泥狸に帰還を促していた
子狸﹁⋮⋮⋮⋮﹂
とぼとぼと戻っていく子狸に代わって
勇者さんが進み出る
彼女の透徹な瞳から、緑のひとは目を逸らした
断腸の思いで告げる
緑﹁⋮⋮わかった。魔さくらんぼは⋮⋮お前たちにくれてやる⋮⋮﹂
勇者﹁そんなものいらないわ﹂
1944
子狸&妖精&狐娘﹁え∼⋮⋮?﹂
不満の声を上げるメンバーに
勇者さんは一瞥すら寄越さなかった
緑のひとは嬉しそうだ
緑﹁え? いいの? じゃあ何が欲しい? 大地の宝剣とか?﹂
さりげなく豊穣属性をアピールした
なんだかんだで職務に忠実なひとである
勇者一行の命運を左右しかねないイベントアイテムであったが
そもそも退魔の宝剣などという都合の良いものは実在しない
緑のひとは魔さくらんぼの確保に熱意を傾ける
妖精﹁! 大地の⋮⋮! 持ってるんですか!?﹂
まったくもって羽のひとの仕事ぶりには頭が下がる
緑のひとはこくりと頷いた
緑﹁うん。いまは精霊に預かってもらってるけど、もともとおれの
だから﹂
精霊の宝剣は、魔界で作られたという設定になっている
そうでなくては、魔物たちはどこからやって来たのかという話に
なる
1945
妖精﹁リシアさん⋮⋮!﹂
羽のひとが期待の眼差しを勇者さんに向けた
勇者さんが魔王討伐を目指すというなら
魔軍☆元帥は避けて通れない難関だ
つの付きとも呼ばれる黒騎士は、不完全な状態でなお勇者一行を
圧倒した存在である
切り札は多いに越したことはない
これで手打ちかと思われたが⋮⋮
勇者﹁いらない﹂
勇者さんは首を縦に振らなかった
妖精﹁え? でも⋮⋮﹂
子狸の肩を離れて近寄ってきた羽のひとを
勇者さんはちらりと見る
勇者﹁土魔法を扱えるのは一部の人間だけ。故郷を捨てて地上へと
渡ってきた魔物たちを、大地の精霊は信頼していないのかもしれな
い﹂
一度は光の宝剣を奪われた自分が持っているよりも
精霊に預けたままにしておいたほうが安心できるということだろう
勇者﹁もちろん、あなたの言い分も正しいわ。つの付きは強い⋮⋮。
そして、わたしたちが知らないことを知っている。おそらくは⋮⋮
1946
あらゆる事態に備えて手を打ってある﹂
まず第一に、人間たちは精霊の存在すら知らなかった
似たようなのは幾度か登場したことがあるものの
せいぜい単発のシナリオで姿を現した程度である
魔物たちは千年間に渡って光の宝剣を探し求めていたのだという
嘘と決めつけるのは簡単だ
その場合、精霊も聖☆剣も魔物たちの自作自演ということになる
あるいはそうかもしれないと思いついたとしても
地力で劣る人間たちは、いばらの道を行くことしか出来ない
同じ道を歩んでも勝ち目はないのだと、勇者さんは理解していた
勇者﹁千年ね⋮⋮気の遠くなるような年月だけれど、わたしたちも
寝て過ごしたわけではないわ﹂
そう言って彼女は、緑のひとを見上げた
勇者﹁わたしが欲しいのは︱︱﹂
そうか、そういう手で来るのか⋮⋮
一二五、空中庭園在住のとるにたらない不定形生物さん︵出張中
⋮⋮どうする?
なにげに急所を突かれてるんだが⋮⋮
1947
願ったり叶ったりなところが、また逆に怖いんだよな
一二六、王都在住のとるにたらない不定形生物さん︵出張中
待て。少し考える
⋮⋮海底の、山腹のを連れ戻してくれ。至急だ
一二七、海底洞窟在住のとるにたらない不定形生物さん
わかった。行ってくる
一二八、古代遺跡在住のごく平凡な巨人兵さん
緑の、とりあえず承諾しろ。ただし一度きりだ
一二九、火山在住のごく平凡な火トカゲさん
わかった。行ってくる
一三0、海底都市在住のごく平凡な人魚さん
どこへ?
おちつけ。お前はここにいていいんだ
1948
一三一、かまくら在住のとるにたらない不定形生物さん︵出張中
いよいよ、おれの出番か⋮⋮
一三二、火山在住のとるにたらない不定形生物さん
お前もおちつけ。縁もゆかりもないぞ
帰って一人で雪合戦でもやってろ
一三三、かまくら在住のとるにたらない不定形生物さん︵出張中
ああ、出たね。完全に出た
⋮⋮聞きましたか、みなさん?
こういうやつが雪を見てロマンチック∼だのと言うんですよ
一三四、帝国在住の現実を生きる小人さん︵出張中
まさしくそれだな
おれはこう言いたい。雪国なめんな! と
一三五、王国在住の現実を生きる小人さん︵出張中
1949
むしろ、そういうところが自意識過剰なんだよね
いいじゃん、雪。きれいじゃん。もっと詩人になれよ
一三六、連合国在住の現実を生きる小人さん︵出張中
個人の感性だろ
お前らの雪だるま議論は聞きあきた
一三七、火山在住のとるにたらない不定形生物さん
鬼のひとたち!?
うわ、久しぶりだな! どこ行ってたんだ、お前ら。探したんだ
ぞ!
一三八、連合国在住の現実を生きる小人さん︵出張中
おう。夢追いびとだからな
一三九、魔都在住の特筆すべき点もないライオンさん
魔人みたいなこと言ってる
一四0、王国在住の現実を生きる小人さん︵出張中
1950
おう。魔人にも会ってきたぞ
あのひと見てると、なんか創作意欲がわくんだよね
一四一、海底洞窟在住のとるにたらない不定形生物さん
そして感動の対面である
おら、山腹の
⋮⋮なにを恥ずかしがってるんだ、お前は
一四二、帝国在住の現実を生きる小人さん︵出張中
おお、山腹のひと。いるのか?
なんか、すまんね。いろいろと
一四三、山腹巣穴在住のとるにたらない不定形生物さん︵出張中
いや、その⋮⋮
おれが勝手にやったことだから⋮⋮うん
!? 子狸、お前、それ⋮⋮
首
一四四、王都在住のとるにたらない不定形生物さん︵出張中
1951
マフラーだよ
一四五、空中庭園在住のとるにたらない不定形生物さん︵出張中
マフラーです
一四六、山腹巣穴在住のとるにたらない不定形生物さん︵出張中
把握した
いい⋮⋮マフラーだな
一四七、住所不定のどこにでもいるようなてふてふさん
勇者さんの剣は完成したのか?
一四八、王国在住の現実を生きる小人さん︵出張中
ん? ああ、完成したよ
その後は知らん。アリア家に置いてきた
一四九、海底洞窟在住のとるにたらない不定形生物さん
相変わらず完成品には興味なしですか⋮⋮
1952
一五0、帝国在住の現実を生きる小人さん︵出張中
そりゃそうだ
他人が作ったものならいざ知らず
隅々まで把握してるものを眺めてどうしろと?
そこらへんに落ちてる石ころのほうがよっぽど興味深いわ
一五一、王国在住のとるにたらない不定形生物さん︵出張中
積もる話もあるようですが⋮⋮
少し厄介なことになった
大地の宝剣を授けようとする緑のひとに
勇者さんは不要であると言う
彼女はこう言ったのだ
勇者﹁移動手段が欲しい。あなたたち王種は、並行呪縛という⋮⋮
おそらく竜言語魔法を扱えるのでしょう?﹂
竜とは、伝承が定かでない太古の強大な生物を指す言葉である
空想上の怪物との混同が進んでしまったため
近年では魔物と王種を区別する言葉として機能しはじめている
竜言語魔法というのは、開放レベル5のことだ
人間たちは都市級が用いる開放レベル4を超高等魔法と呼び
1953
いずれは自分たちも⋮⋮と考えているようだが
王種の開放レベル5に関しては、人間には扱えない魔法だと認め
ている
緑﹁移動手段と言われてもな⋮⋮﹂
言い淀む緑のひとに代わって、火口のんが言う。紅茶をすすりな
がら
火口﹁お前たちには馬があるだろう﹂
勇者﹁悠長に船旅をするつもりはないの。馬たちも連れて行くわ﹂
宰相は、勇者さんを蚊帳の外に置いた
あの男は、勇者が魔王がという時代を終わらせるつもりだ
つまり都市級を、自分たちの力だけで倒してみせると、そう言っ
ている
しかし、それではだめなのだ
魔王を倒すのは勇者でなければならない⋮⋮
緑のひとが頷いた
緑﹁⋮⋮いいだろう。ただし一度きりだ﹂
そう言って、後ろ足を畳んで座ると
前足で子狸を招く
子狸﹁世話の焼けるやつだ﹂
1954
のこのこと近づいていく泥狸を
緑のひとが魔法で洗浄してあげた
まるで泥の衣を脱ぎ捨てたかのようだった
ついでに視線を走らせると
その場にいた全員の泥汚れが落ちた
精密な魔法コントロール
王種ならば、この程度のことは出来て当然だ
子狸﹁そう来なくてはな﹂
いちいち挑戦的な物言いをするポンポコである
緑﹁うん。そこでいい﹂
子狸﹁おう﹂
でも意外と従順だ
立ち止まった子狸を
緑のひとが真っ黒なカーテンで覆い隠す
遮光魔法で作りだした薄い力場の両端を
前足で掴んで軽く揺らす
緑﹁⋮⋮はい!﹂
掛け声とともにカーテンを取りはらうと
こつぜんと現れた光の巨鳥が佇んでいた
1955
一五二、魔都在住の特筆すべき点もないライオンさん
え? おれ?
一五三、空中庭園在住のとるにたらない不定形生物さん︵出張中
そうだね
勇者さんも同じことを考えたみたいだ
勇者﹁ヒュペス⋮⋮?﹂
人間たちは、空のひとをメノッドヒュペスと呼ぶ
頭では違うとわかっていても
港町での苦戦は忘れられるものではない
緑のひとが言った
緑﹁空を飛ぶことにかけては、おれよりも上だからな。当然こうな
る。そして⋮⋮﹂
空のひとモデルの背中に
見慣れないオブジェが生えている
なんというか不吉な形状をしていた
子狸が気取ったポーズでもたれかかっている怪しい物体を
1956
緑のひとが一つ一つ指差して説明していく
緑﹁まずここに座る。サドルという﹂
子狸がよいしょと座ってみる
緑﹁滑り落ちないようにな。次にこれを握る。ハンドルだ﹂
子狸が前足でしっかりと握る
緑﹁最後に、この部分⋮⋮ペダルに足を置く﹂
言われるまでもなく、子狸はペダルに後ろ足を置いていた
サドルに座ってハンドルを握ると、必然的に後ろ足がその位置に
来るのだ
緑﹁ハンドルで進む方角を決めて、ペダルを回すと羽ばたく。簡単
だろう?﹂
並行呪縛の制限を解除すれば、魔法を使った高速移動が可能になる
つまり人力で、どこまでも高く飛べる
おれが察知した嫌な予感を
子狸もまた敏感に感じ取ったようだ
子狸﹁⋮⋮途中で休んだらどうなるんだ?﹂
緑﹁⋮⋮言う必要があるのか?﹂
なかった。墜落するだけである
1957
子狸﹁⋮⋮⋮⋮﹂
ためしにきこきことペダルを回してみると
光のひよこがとてとてと地面を歩く
緑﹁全力で回して助走し、じゅうぶんスピードが乗ったところで飛
び立つ。あとは回し続けるだけだ﹂
ペダルの重さをじっさいに体験してみた子狸が
最後の質問を浴びせる
子狸﹁だれが?﹂
緑﹁⋮⋮⋮⋮﹂
緑のひとは答えなかった
その必要がなかったからだ
代わりにこう付け加える
緑﹁一度、着陸したら消滅する仕組みになっている。気をつけろ﹂
子狸﹁⋮⋮⋮⋮﹂
かつてない長丁場の気配が濃厚に押し寄せる
はたして子狸は遣り遂げることができるのか
1958
﹁子狸の事件簿﹂part1
一、山腹巣穴在住のとるにたらない不定形生物さん︵出張中
出会いと別れを繰り返して
勇者一行は旅を続ける
妖精﹁⋮⋮どうしてもだめですか?﹂
巫女﹁うん、ごめんね。みんなを置いて行くなんて出来ないよ﹂
巫女さんの獲得に執念を燃やす羽のひとだったが
側近に抱きしめられて嗚咽を漏らす少女の姿を見てしまったから
彼女の居場所はここなのだと理解してしまった
妖精﹁なんなら、代わりにノロくんを置いて行きますけど⋮⋮﹂
子狸﹁!?﹂
生贄﹁ごめんなさい、ありえないです﹂
それでも食い下がる羽のひと
子狸とのトレードを申し出るが
これは生贄さんに条件が釣り合っていないと指摘される
子狸﹁!?﹂
巫女﹁それに、正直⋮⋮わたしは戦力にはなれないと思う。戦うの、
1959
あんまり好きじゃないんだ﹂
巫女さんは、命が保証された状況でしか実力を発揮できない
典型的な学者肌の魔法使いだ
巫女﹁ポンポコみたいには戦えないよ﹂
子狸﹁⋮⋮べつにおれだって好きで戦ってるわけじゃないんですけ
ど﹂
戦闘狂みたいに言われて、子狸が反論した
自分は社会不適合者ではないと主張する
しかし巫女さんから見たポンポコは、そうではないのだ
もう同志としてではない
いつしか自分とは異なる道を歩んでいた狸属に、同じ哺乳類とし
て彼女は言う
巫女﹁あなたは、自覚がないだけだよ。戦うしかない状況に自分を
持っていくふしがある。だから、ちょっと心配だな⋮⋮﹂
子狸﹁そんなことないだろ。それ、ほとんど変態じゃないか﹂
子狸は、あくまでも認めようとしない
その頑なな態度に、巫女さんは疑念を抱いたようである
巫女﹁⋮⋮本当に自分で気付いてないの? あなたのお父さんはパ
ン屋さんなんだよね? 騎士になりたいわけでもないんでしょ? わけがわからないよ﹂
1960
戦うということは命を賭して問い続けることだ
子狸﹁お前も大人になればわかる。パンは生きてる。命懸けだぞ﹂
たぶん大人になってもわからないと思う
巫女﹁⋮⋮女の子をお前呼ばわりするなって言ったよね?﹂
子狸﹁ちっ⋮⋮﹂
じりじりと距離を詰めてくる巫女さんに
狸車を警戒した子狸が、すり足で一定の距離を保とうとする
組み手の応酬をはじめた二人をよそに
側近たちは勇者一行の三人娘と別れの挨拶を交わしていた
勇者一行の出発を見送ってから
巫女一味を緑のひとが送り届ける手筈になっている
側近たちは、順々に勇者さんと狐娘を抱擁していく
巫女さんが何と言おうと、彼女の身に危険が迫るようなら貴族を
利用するべきだ
この先、おそらく巫女一座は
巫女さんを守ろうとする一派と、環境自然保護団体としての活動
を最重要視する一派に分かれていくだろう
そして王国を支配する大貴族は、双方にとって有益な財源になる
⋮⋮火口の、これでいいんだな?
1961
二、火口付近在住のとるにたらない不定形生物さん
あ? 知らねーよ
三、かまくら在住のとるにたらない不定形生物さん
お前、やっぱり巫女さんのこと⋮⋮
四、火口付近在住のとるにたらない不定形生物さん
違うからね!? なに言ってんの、お前!? そういうんじゃね
ーから!
危機感が足りねーんだよ、あのどろんこ巫女は
どっかの国に渡すくらいなら、勇者さんに預けたほうがましだろ
五、王国在住の現実を生きる小人さん︵出張中
そうそう。だいたいさぁ、巫女さんはうちの国民だからね
よその国が手出ししてくるのはおかしいだろ
六、帝国在住の現実を生きる小人さん︵出張中
え? どのつら下げて言ってんの?
お前っとこの貴族政治が巫女さんを追いつめたんだろ
1962
その点、うちなら実力主義だからね
彼女も安心して研究に打ち込めんじゃないかな?
七、連合国在住の現実を生きる小人さん︵出張中
なんでお前らは、そうやっていちいちお互いを否定し合うんだ⋮⋮
巫女さんが求めてるのは、そういうのじゃないだろ
おちつくまでは、しばらくうちで預かったほうが良さそうだな
八、王国在住の現実を生きる小人さん︵出張中
偽善者め⋮⋮
九、連合国在住の現実を生きる小人さん︵出張中
あ?
一0、帝国在住の現実を生きる小人さん︵出張中
偽善者。ふひひ
ぴったりだな
ていうか、王国の。いい加減、貸した金返せよ
1963
一一、王国在住の現実を生きる小人さん︵出張中
は? 借りてませんし
一二、帝国在住の現実を生きる小人さん︵出張中
は? 貸しましたし
一三、王国在住の現実を生きる小人さん︵出張中
え? なにそれ。証拠はあるの?
一四、帝国在住の現実を生きる小人さん︵出張中
ああ、やっぱりそういう⋮⋮?
ふうん⋮⋮なるほどね
一五、連合国在住の現実を生きる小人さん︵出張中
ふぁいっ!
一六、王国在住の現実を生きる小人さん︵出張中
1964
んだこらぁっ!
一七、帝国在住の現実を生きる小人さん︵出張中
てめっ、やっちゃうよ!?
一八、王都在住のとるにたらない不定形生物さん︵出張中
おーい、誰かこのひとたち隔離しておいてくれる?
話が先に進まねーよ⋮⋮
一九、海底洞窟在住のとるにたらない不定形生物さん
鬼ヶ島︻大陸統一トーナメント︼
相応しい舞台を用意しました。遠慮なくどうぞ
二0、王国在住の現実を生きる小人さん︵出張中
おう。悪いな
おう、帝国の。逃げんなよ
そろそろ決着ぅ⋮⋮つけようぜ?
二一、帝国在住の現実を生きる小人さん︵出張中
1965
上等ぉ⋮⋮
二二、連合国在住の現実を生きる小人さん︵出張中
喧嘩するくらいならお金の貸し借りしなければいいのに⋮⋮
いつまで経っても成長しないやつらだ
本当にね⋮⋮
じゃ、ちょっと行ってくるわ
二三、空中庭園在住のとるにたらない不定形生物さん
⋮⋮天下をとるのは連合国かもしれないな
二四、かまくら在住のとるにたらない不定形生物さん
ああ、おれもそう思ったよ
あの国には得体の知れない凄みを感じる
二五、魔都在住の特筆すべき点もないライオンさん
蛇さんが言うには、連合国は求心力が弱いらしいよ
王国と帝国が滅んだら、必然的に自壊するとか何とか⋮⋮
だから連合国の準備が整うまでは三強体制が続くらしい 1966
二六、王都在住のとるにたらない不定形生物さん︵出張中
⋮⋮新大陸か
子狸は、巫女さんを本気で投げようとはしない
それが、巫女さんにとっては少し悲しい
じゃれ合っていた二人にも、等しく別れのときは訪れる
突き出された巫女さんの手をかわして
子狸が三人娘の待つ光の巨鳥に避難する
お馬さんたちと見慣れない二人組も一緒だ
子狸﹁おっと! へへっ⋮⋮またな、ユニ!﹂
サドルに腰掛けた子狸がハンドルを握る
巫女さんが大声で言う
巫女﹁無理しちゃだめだよ! わたしよりも弱いんだから!﹂
子狸﹁よく言うぜ!﹂
子狸は勝者の余裕をにじませる
子狸﹁⋮⋮ユニ! おれ、友達が出来たんだ! 次に会うときは自
慢し合おう!﹂
そして憐みの目で見られるのだろう
1967
ただ、このときは巫女さんも大きく頷いた
巫女﹁うん!﹂
子狸が後ろ足でペダルを回す
遠ざかっていく巨鳥の背に、生贄さんが声を張り上げた
生贄﹁⋮⋮あの! どうして生贄なんて!?﹂
彼女は、ポンポコデーモンの正体が子狸であると確信していた
あるいは誘導尋問だったのかもしれない
全力でペダルを漕ぎはじめた子狸が、背を向けたまま答えた
子狸﹁ひとりになるのは、だれだって嫌だろ! 神さまじゃないん
だ!﹂
勇者一行を乗せたひよこが坂道を下りはじめる
滑走路にはぴったりだった
ぐんぐんと加速する光の毛玉が、大きく翼をひろげた
地面を蹴って跳躍する
ぴんと翼をひろげた空のひとモデルが
風に乗って空高く舞い上がる
ちいさくなっていく緑の島を見つめる子狸が
ふと視界に入った見慣れない二人組にぎょっとする
1968
子狸﹁え!? だれ!?﹂
狐娘を、そのまま大きくしたような二人組である
当然のように居座っている狐面たちは
子狸を無視して、かたわらの勇者さんを一心に見つめている
ひよこの背中で寝そべっているお馬さんたちが
子狸の質問に答えてあげてと勇者さんの背をつつく
勇者さんは仕方なさそうに応じた
勇者﹁⋮⋮分身の術よ﹂
子狸﹁え!? なにそのシステム!? おれじゃだめなの!? て
いうか、そんなの通るわけないでしょ!? なに言ってるの、お嬢
!﹂
子狸に正気を問い質される勇者さんであった
勇者﹁⋮⋮通らないの?﹂
約束が違うと狐娘を見れば、ちいさな狐面が冷たい視線を子狸に
浴びせてくる
狐娘A﹁ちがう。アレイシアンさまの分身じゃなくて、わたしの分
身﹂
子狸﹁ああ、なんだ﹂
子狸は納得した
1969
子狸﹁便利だなぁ、忍法﹂
お面と性別くらいしか共通点のない狐娘BとCを目の当たりにし
た子狸さんの感想である
便利だなぁ、忍法
狐娘たちに包囲されている勇者さんが苦言を呈した
勇者﹁少し⋮⋮近いわ。離れなさい﹂
狐娘B&C﹁⋮⋮⋮⋮﹂
狐娘BとCは聞こえなかったふりをした
勇者﹁⋮⋮⋮⋮﹂
それならばと自分から離れようとする勇者さんを
狐娘BとCが片方ずつ腕を掴んで座らせる
一定の高度に達したひよこが羽ばたく
目の前にひろがったのは世界だった
妖精﹁回せ! もっとだ!﹂
子狸﹁っ⋮⋮方角は!?﹂
妖精﹁そのまま、まっすぐ!﹂
1970
大陸が見えた
北に帝国、南に王国、東に連合国という問題児を抱える激戦区だ
そのさらに先︱︱
海を越えた先にぼんやりと見えるのが新大陸である
おそらく数年以内に三大国家による入植がはじまるだろう
勇者さんに世界はどう見えているのだろう
もしかしたら南極大陸も見えているのかもしれない
あるいは海の果てとやらが見えているのか
おれたちと、人間たちでは、目に見える世界の在り方が違う
これは二番回路の働きによるものだ
だからなのか
風になびく髪を片手で撫でつけながら、勇者さんが言った
勇者﹁魔都へ︱︱﹂
その声は、子狸には届かなかったけれど
緑の島を飛び立つ直前、火口のんが触手を振っていたのを彼女は
見ていた
ずっと、ずっと、見えなくなるまで
八代目勇者は、魔物の命を惜しんだ
九代目勇者は、魔物の友を惜しんだ
1971
勇者さんは⋮⋮
勇者﹁人間と魔物は、となり合って歩くことは出来ない﹂
それが、彼女の結論だった
1972
﹁子狸の事件簿﹂part2
二七、山腹巣穴在住のとるにたらない不定形生物さん︵出張中
いまなら、わかる気がする
勇者さんは、ずっと悔んできたのではないのか
最善の行動を選んできたつもりだった
最悪の結果を避けるために
不安要素をはらい落としてきた
だから、たとえば歩くひとの退路を断ったのは、勇者さんなのだ
もしも少しでも⋮⋮
ほんの少しでも歩み寄ろうとしたなら
いま、勇者さんのとなりには歩くひとが座っていたかもしれない
もちろん、彼女の判断が間違っていたというわけではない
人間と魔物は共存できない
一度は歩み寄ったから夢見る資格も失った
これが現実だ
後悔はしても、勇者さんの考えは変わらない。変わらなかった
勇者﹁魔王が人間に情を移したというなら、それは隙になる﹂
きっと狐娘たちは、勇者さんが心配なのだ
だから勇者さんは、勝ち目はあるのだと
1973
ことさらに強調した
勇者﹁魔軍元帥⋮⋮つの付きは魔王に忠誠を誓う都市級なの。でも
時期が合わないから、王都襲撃を指揮した魔物はべつにいると考え
たほうが良いでしょうね。魔王軍は一枚岩ではない⋮⋮自ら前線に
立つタイプの総指揮官⋮⋮本当に重要な局面で他の都市級に頼るこ
とができないということ⋮⋮﹂
最後に笑うのはわたしだ︱︱と彼女は口元をゆがめた
二八、火山在住のごく平凡な火トカゲさん
さいきん巣作りに凝ってるんだが
二九、山腹巣穴在住のとるにたらない不定形生物さん︵出張中
ごめん、あとにしてくれない?
いま、だいぶシリアスな話をしてるんだが⋮⋮
三0、火山在住のごく平凡な火トカゲさん
まあ、そう言わず。聞いてくれよ
まったく関係ない話でもないんだ
三一、火口付近在住のとるにたらない不定形生物さん
1974
プレッシャーから解放されるなり
ぺらぺらとよく喋るようになったな、この緑⋮⋮
三二、火山在住のごく平凡な火トカゲさん
のほほんと温泉につかりながら、そんなこと言われても⋮⋮
で、おれの巣なんだが
巫女さんたちがひんぱんに訪ねてくるもんだから
ちょっとおれも他人の目が気になるっていうかさ⋮⋮
落ちてる枝とか地道に集めて作ってみたのさ
これが、なかなかどうして心が休まる
いままで損してたわぁ⋮⋮
おしまい
三三、古代遺跡在住のごく平凡な巨人兵さん
おい。なんの関係もないじゃねーか
三四、火山在住のごく平凡な火トカゲさん
あ、大きいの
三五、古代遺跡在住のごく平凡な巨人兵さん
1975
あ? なんだよ
三六、火山在住のごく平凡な火トカゲさん
見てた? 勇者さん、魔都に向かうんだってさ
お前、スルーされちゃったね
三七、古代遺跡在住のごく平凡な巨人兵さん︵出張中
⋮⋮ちょっと、そっち行くわ
三六、火山在住のごく平凡な火トカゲさん
おっと、でっかいのんのこぶしがうなりを上げておれに迫る
甘いぜ! おれミスト!
効かないよ∼ん
三七、海底都市在住のごく平凡な人魚さん
すっかりリラックスしているようで何よりである
三八、海底洞窟在住のとるにたらない不定形生物さん︵出張中
1976
注釈
・おれミスト
緑のひとが得意とする無制限の変化魔法。開放レベル5
群れなすコウモリさんに変身して攻撃を回避する大技
遠目には黒い霧にも見えることから、おれミストと呼ばれる
そのまま相手の懐に飛び込んで再構成、前足で殴るというコンボ
につなげるパターンが多い
でも大きいひとの変化も無制限。この二人の喧嘩は、まず決着が
つかない。まじエンドレス
三九、王都在住のとるにたらない不定形生物さん︵出張中
海底の、お前⋮⋮だんだん便利になっていくな⋮⋮
四0、山腹巣穴在住のとるにたらない不定形生物さん︵出張中
かくして驚天動地の王種バトルが開幕したわけだが
まあ⋮⋮いつものじゃれ合いだ
話を続けよう
灼熱の太陽が照りつける中、子狸はペダルを回し続けていた
滝のような汗を流すポンポコを尻目に、女性陣はランチタイムに
突入
蒼穹の空に包まれながら、巫女さんたちからもらったおにぎりを
お召し上がりになる
1977
唯一、羽のひとだけが子狸に付き添っている
妖精﹁おら、お前も食え。食べんと身体がもたんぞ﹂
子狸﹁うん、ありがとう﹂
振り返った子狸が、差し出されたものを目にして小さな悲鳴を上
げた
子狸﹁ちょっ、なんスかそれ⋮⋮﹂
妖精﹁ん? なにってお前⋮⋮あれだよ。クッキー﹂
びんづめにされたペースト状の物体をクッキーと言い張る妖精さん
子狸﹁おれの知ってるクッキーじゃない⋮⋮。しかも、どピンク﹂
桃色と表現するには、いささか⋮⋮どきつい色調であった
妖精﹁だいじょうぶだ。なにも心配はいらない。元気になるおまじ
ないを掛けてある﹂
子狸﹁出たよ、付加効果! それ、妖精屋さんで売ってるやつでし
ょ!? 絶対に食べないっ、食べるものかっ、食べれるものとも思
えぬッ⋮⋮﹂
妖精﹁好き嫌いは良くないぞ﹂
子狸﹁好きとか嫌いとか、そういう問題じゃないんだっ⋮⋮なんて
1978
いうか⋮⋮﹂
子狸は慎重に言葉を選んだ
子狸﹁なんていうか⋮⋮それを食べてるところを想像したら⋮⋮と
ころどころ記憶が欠落したんだ⋮⋮﹂
たしかに好き嫌いの問題ではなかった
妖精﹁つくづく面倒くさいポンポコだな⋮⋮﹂
子狸﹁ポンポコにだって食べるものを選ぶ権利はあるはずなんだッ﹂
舌打ちした羽のひとが、上目遣いで子狸を見る。うるんだ瞳
もじもじと小さな指を絡みつけて、少し拗ねたように言う
妖精﹁⋮⋮ノロくんのためを思って、わたし⋮⋮﹂
子狸﹁わかった。やってくれ﹂
今日も子狸さんは男前であった
でも意外とおいしかったらしい
四一、王都在住のとるにたらない不定形生物さん︵出張中
このあたりで走りの質が変わった
ハンドルを上から抑えこむように前傾した子狸が
1979
全体重を掛けてペダルをぶん回す
大空を駆けるひよこ
本家本元に勝るとも劣らない走りだ
魂の走りだ
孤独な戦いがはじまる
子狸が吠えた
子狸﹁見える⋮⋮! スピードの向こう側が⋮⋮!﹂
省略します
四二、魔都在住の特筆すべき点もないライオンさん︵出張中
魔王の魂とはいったい何だったのか
四三、王都在住のとるにたらない不定形生物さん︵出張中
魂そのものは実在してもおかしくないんだけどな
物理法則ってのは延々と続く割り算みたいなものなんじゃないか
性質と性質が衝突し合って、どちらかが折れる。その繰り返しな
んだろう
だから最後の最後には、必ず割りきれないものが残る
人間たちの場合、それはたぶん魂とか霊魂とか呼ばれるものだ
1980
四四、空中庭園在住のとるにたらない不定形生物さん
そうか? 割りきれてもいいだろ
ぴったりと収まるなら、それに越したことはない気がする
四五、海底洞窟在住のとるにたらない不定形生物さん
いや、わかる気もする
早期の段階で性質の衝突が完了した世界は、きっと原子が生まれ
るまで行かないんだ
割り算にゼロなんて答えはない
あるとすればゼロで割るしかない
それって、つまり最初から完成してるってことだろ
割り算の必要がないってことだ
違うかな?
四六、かまくら在住のとるにたらない不定形生物さん
うむ、数学は面白いな
四七、火口付近在住のとるにたらない不定形生物さん
ああ、算数って最高だよな
1981
四八、住所不定のどこにでもいるようなてふてふさん
どうでもいいよ
船で三週間の行程も
最速の名を欲しいままにする魔獣のスピードなら二時間ほどで走
破できる
上空から見下ろした王国領の光景に勇者一行は絶句した
山腹軍団と騎士団の衝突だ
至るところで光線が閃き
立て続けに炎弾が爆ぜる
騎士とは、騎馬の戦士を指して言う
速さを
どこまでも速さを追求してきた集団である
ふだん大隊長が率いる部隊は十個の中隊がまとまったものだから
大隊長の下には最大で十人の中隊長がつく
同様に、中隊長の下につくのが十人の小隊長だ
たとえば大隊長が部隊に南下を命じたなら
迂回して目的地へ向かうか、それとも困難を承知で直進するかは
中隊長に委ねられる
中隊長が直進すると決めた場合、いかにして困難に立ち向かうか
を現場で判断するのが小隊長の仕事だ
対する山腹軍団は、作戦の概要に沿って全体が動くというだけで
1982
現場の判断は個々に委ねられる
自由に動けるぶん乱戦には強いが、不測の事態には対応できない
いや、対応する必要がない
人間は、青いのを下位騎士級と呼ぶ
一対一なら圧倒できる
一対十では厳しい
しかし十対百なら勝ち目がある
では、一万と十億ならばどうなるか
戦線の進捗を上空から観察していた勇者さんが、ぽつりとつぶや
いた
勇者﹁二週間⋮⋮いえ、三週間ね﹂
お昼寝していた狐娘たちが
勇者さんの声に反応して身体を起こした
睡魔と戦い続けた勇者さんが言う
勇者﹁もって三週間。遅くとも三週間後には、魔物たちの軍勢が王
都に到達する⋮⋮﹂
三週間。それがタイムリミットだ
狐娘A﹁真っ青。きれい﹂
狐娘Aは寝ぼけていた
1983
狐娘BとCが子狸に絡みはじめる
狐娘B﹁なにそれ、汗? しぬの?﹂
狐娘C﹁洗ったげる。ポーラレイ、えいっ﹂
お面を通してもわかる、透き通った声音だった
頭から水をかぶった子狸は、もうかれこれ三十分ほど無言だ
子狸﹁⋮⋮⋮⋮﹂
気力だけでペダルを漕いでいた
後ろ足が痙攣している。呼吸がおかしい。だいじょうぶなのか、
このポンポコ
四九、王都在住のとるにたらない不定形生物さん︵出張中
まだ余裕がある
水分補給はまめにしてるし
限界を越えたその先で
どこまで命を燃やし尽くせるか
これ子狸のテーマね
人生は四則計算みたいなものだ
たったひとつの暗算で世界は変わる
1984
五0、空中庭園在住のとるにたらない不定形生物さん
まったく、算数ってやつは最高だぜ
1985
﹁子狸の事件簿﹂part2︵後書き︶
注釈
・算数は最高
魔物たちは自分たちの管理人の学力に不安を感じているようだ。
1986
﹁子狸の事件簿﹂part3
五一、空中庭園在住のとるにたらない不定形生物さん
平野部での戦闘なら速度に勝る騎士たちのほうが有利だ
とはいえ、数が違いすぎる
砲火に構わず前進を続ける山腹軍団が徐々に戦線を押し上げつつ
あった
原種にこだわるあまり、堅陣を保ちきれなかったのが原因のひと
つだ
オリジナルを討たねば意味がないのだと
大隊長クラスの騎士たちは思っているのだろう
あるいはオリジナルを倒すことが一発逆転につながると考えてい
るのか?
だとすれば、それは甘い見通しだ
仮に山腹軍団の将が倒れたとしても、おれたちは分身魔法の存在
を認めるような真似はしない
中途半端な情報⋮⋮リークしたのは大貴族ではないらしい
山腹軍団の進路上にはアリア領がある。王都は、その先だ
自分の実家が滅ぶかもしれないというのに、勇者さんはとりたて
て気にした様子がなかった
勇者﹁もう少しがんばれる?﹂
珍しく子狸を気遣う彼女に、過剰反応した王都のん︵ステルス中︶
1987
が全身から生やした触手を逆立てる
勇者さんに迫るレクイエム毒針を、同じくステルス中の山腹のん
が触手で弾いた
山腹﹃やめろーっ!﹄
王都﹃どけ、山腹の! お前は彼女の肩を持つというのか!? そ
んなことは許されないんだよ!﹄
山腹﹃この子がなにをしたというんだ!? 彼女だって犠牲者なん
だよ!﹄
ひよこの上でじゃれ合う二人はさて置き
勇者さんに声を掛けられた子狸は気丈に笑った
子狸﹁お嬢の⋮⋮故郷を見せてくれるって約束だろ⋮⋮?﹂
勇者﹁そんな約束はしていないし、もう通り過ぎたわ﹂
子狸﹁⋮⋮コニタ、代われるか?﹂
心が折れたらしい
選手交替を希望する子狸に、狐娘Aはかぶりを振った
狐娘A﹁足が届かない﹂
もっともな理由だった
ならばと小さく挙手して進み出たのは
意外にも勇者さんである
1988
勇者﹁わたしが﹂
どうやら彼女は、狐娘BとCに針路を預けたくないと考えている
ようだ
しかし子狸は認めなかった
子狸﹁弱音なんて吐いてる場合じゃないよな⋮⋮おれがやるしかな
いんだ!﹂
勇者さんの脚力に関して、子狸は絶大な信頼を寄せているようだ
った
最後の力を振りしぼってハンドルに縋りつく
子狸﹁魔物! 魔物! おれたち魔物!﹂
おれら﹃ちょっ!?﹄
掛け声のつもりであったと、のちに本人は自供している
狐娘B&C﹁魔物?﹂
勇者﹁⋮⋮⋮⋮﹂
そろって首を傾げる狐娘たちであったが
勇者さんはとくに何も言わなかった
魔属性に通じるような人間が、魔物と無関係であるはずがないのだ
調子外れの歌声が青空に吸い込まれていく⋮⋮
1989
子狸&妖精﹁お前が魔物!﹂
羽のひとも合唱してくれた
緑﹃これがっ⋮⋮これがおれたちのチェンジリング☆ハイパーだ!﹄
この緑は、たまに意味がわからないことを言う
五二、火口付近在住のとるにたらない不定形生物さん
空中で組み合った緑とでっかいのが火口へと降りていく
たんじゅんな膂力では緑のほうが上だ
のけぞった大きいのが、折り畳んだひざを緑のみぞおちに叩きこむ
緑﹁無駄だ⋮⋮おれに物理攻撃は通用しない﹂
おれミストした緑が、でっかいのんの背後をとる
巨人﹁はたしてそうかな?﹂
前足を掻いくぐった大きいのが、肩から緑にぶつかる
これを余裕で受けとめた緑が、巨人の肩口につめを掛ける
緑﹁つかまえたぞ﹂
巨人兵﹁ふっ⋮⋮﹂
1990
それは狩人の笑みだった
激しく放電する巨人に対して、緑は一歩も退かない
組み合った二人の王種は下降を続けている
巻き上がったマグマが、まるで意思を持つかのように二人を取り
囲んだ
巨人が、かすかに目を見開く 巨人兵﹁なに⋮⋮?﹂
緑﹁おれガイガーよ、とくと味わうがいい。これが真の豊穣属性だ
⋮⋮!﹂
巨人兵﹁アイオ、きさま⋮⋮!﹂
溶岩とは、読んで字のごとく高熱で溶けた岩石成分のことである
細かく砕けた岩石は、有機物と混ざることで土壌の基礎となる
つまりマグマは土魔法の対象になりうるのだ
緑﹁ド ミ ニ オ ン !﹂
緑のひと、豊穣属性に開眼する︱︱
五三、かまくら在住のとるにたらない不定形生物さん
そんな極限環境で開眼されても⋮⋮
とりあえず山腹のんは、これからずっと勇者さんについてくれる
らしい
1991
軍団の指揮は分身に託してきたみたいです
五四、山腹巣穴在住のとるにたらない不定形生物さん︵出張中
今回の件で、よくわかった
お前らに勇者さんは任せられない
五五、空中庭園在住のとるにたらない不定形生物さん
そんなことないよ
お前は、もっとおれたちを頼りにしていいんだ
五六、魔都在住の特筆すべき点もないライオンさん
魔軍☆元帥アナザーがこう申しておりますが
五七、山腹巣穴在住のとるにたらない不定形生物さん︵出張中
気持ちだけはありがたくもらっておくよ
気持ちだけね
その点、子狸さんは立派だった
よく最後までがんばったな
勇者さんが指定した目的地は、国境付近の森だった
街ではなく森に着陸したのは、人目を避けてのことだ
1992
空のひとモデルは目立ちすぎる
日差しに溶けるように消え行くひよこを
狐娘たちが名残り惜しそうに見つめていた
よほど乗り心地が良かったのだろう
さすがは由緒正しき魔王の騎獣といったところだ
ひよこが完全に消えてしまう前に
狐娘たちはお馬さんたちを減速魔法で降ろしてあげた
勇者さんには減速魔法の効きが悪いらしく
念のために羽のひとが念動力でサポートする
子狸は⋮⋮
緑のひとがひよこに細工していたらしい
着陸するなり力尽きたポンポコを
ひよこの残滓が天上へと連れ去ろうとしていた
荘厳な鐘の音が鳴り響いていたような気もする
勇者﹁⋮⋮⋮⋮﹂
召されちゃいそうになっている子狸を
勇者さんが現世につなぎとめた
死霊魔哭斬で天の使いを撃破
抜き打ちだった
刀身を形成しないでも撃てるようになっとる
かくして無事に子狸を回収した勇者一行
ぴくりともしないポンポコを豆芝さんに預けて
1993
最寄りの街へと向けて出発するのであった⋮⋮
五八、王都在住のとるにたらない不定形生物さん︵出張中
子狸が大人しくしていると
こうまでスムーズに事態が進行するものなのか
その日の夕暮れ前には、なんの問題もなく街についていた トラブルに見舞われることもなく宿屋へ直行する
国境付近の街は、騎士団の出入りが激しい
あるいは野宿になるかもしれないと思ったが
経費が厳しいのだろう
むしろ野宿していたのは騎士たちだった
⋮⋮と、まあ、だいたいそんな感じだ
鱗のひと、どう? 把握できた?
なにか質問があればどうぞ
五九、沼地在住の平穏に暮らしたいトカゲさん
そうだな⋮⋮ひとついいか?
六0、海底洞窟在住のとるにたらない不定形生物さん
1994
うんうん
六一、沼地在住の平穏に暮らしたいトカゲさん
おれは忙しい
朝から晩まで騎士どもの相手をしなくちゃならんからだ
ここまではいいよな? いいとしよう
それを踏まえた上で訊きたい
朝っぱらに呼び出されて、なにかと思えば
たんなる近況報告じゃないですか⋮⋮
いや、お前らの言いたいことはわかるんだ
わかるんだが⋮⋮
なんで、いまなんだ?
六二、山腹巣穴在住のとるにたらない不定形生物さん︵出張中
いや、ほら⋮⋮
さいきん、あんまり話す機会もなかったしさ
どうしてるかなって⋮⋮ね?
六三、空中庭園在住のとるにたらない不定形生物さん
う∼ん⋮⋮
もう単刀直入に言っちゃうか
1995
鱗のひと
たぶん勇者さんは、真っ先にお前のところに向かいます
憶測ではあるけど、まず間違いないと思う
だいじょうぶ? 対応できる?
六四、沼地在住の平穏に暮らしたいトカゲさん
えっ、本当に?
いま王国領にいるんだろ?
そこから、いちばん近いのは牛さんじゃん
なんで?
六五、王都在住のとるにたらない不定形生物さん︵出張中
おちつけ。順番に説明する
まず、勇者さんは魔都へ向かうらしい
そのためには、三つのゲートを経由する必要がある
このへんは言うまでもないことだが⋮⋮
三つの門をくぐらないと、ラストダンジョンのゲートは機能しない
つまり魔都には辿りつけない仕組みになってる
だから勇者さんは、三つあるゲートのうち、どれか一つを目指す
だろう
1996
合理的な人だから、いきなり牛のひとの迷宮に挑むとは考えにくい
そこで全滅したら終わりだからな
少しでも人類に有利な状況を作ろうとするなら
勝率の高いゲートから開放していくのが常套手段だ
この時点で二択ね
んで∼⋮⋮まあ、なんていうの?
あと一週間くらいで新月じゃん?
放っておけばパワーダウン︵?︶するような相手のところに
わざわざ急行するかなぁ⋮⋮
しないんじゃないかなぁ⋮⋮
というのが、おれたちの結論です
どうでしょう?
六六、沼地在住の平穏に暮らしたいトカゲさん
⋮⋮うん、そうね
というか、いらないよね、あの設定
月の満ち欠けで、いったいなにが変わるってんだよ
なにも変わらねーよ⋮⋮
こう言っちゃあ何だけど
おれたちの生態がおかしいって人間たちにバレるとしたら
それは、ほとんどあのひとのせいだと思う
1997
うさぎぃ⋮⋮
六七、樹海在住の今をときめく亡霊さん
うさぎぃ⋮⋮
六八、湖畔在住の今をときめくしかばねさん︵出張中
うさぎぃ⋮⋮
1998
﹁子狸の事件簿﹂part4
六九、住所不定のどこにでもいるようなてふてふさん
いや、うさぎは悪くないだろ
元はと言えばお前らが
七0、管理人だよ
ぷれしあーん!
七一、住所不定のどこにでもいるようなてふてふさん
元はと言えばお前らが月面計画を推進したせいだよ
めども立ってないのに見切り発車するから⋮⋮
七二、魔都在住の特筆すべき点もないライオンさん
てっふぃーはうさぎさんに甘いよね。なんで?
七三、住所不定のどこにでもいるようなてふてふさん
おれは、もふもふしたのが好きだ
牛さんのしっぽとか見ると心がなごむ
1999
七四、魔都在住の特筆すべき点もないライオンさん
もふもふと言えばおれだろ!
おれというものがありながら、うさぎにうつつを抜かすのか!?
七五、住所不定のどこにでもいるようなてふてふさん
お前は生理的にだめ
身体の大きさと足の太さが釣り合ってないから
見てるとむずむずしてくる
その点、あのにょろにょろしてるのは潔くていいね
七六、砂漠在住の特筆すべき点もない大蛇さん︵出張中
べつにそんなつもりじゃなかったんだけどな
すまんね、猫さん
七七、魔都在住の特筆すべき点もないライオンさん
いえ、蛇さん。いいんですよ
おれも言うほど気にしてませんから
七八、住所不定のどこにでもいるようなてふてふさん
2000
あと、お前らの関係が気持ち悪い
七九、山腹巣穴在住のとるにたらない不定形生物さん︵出張中
空のひとと蛇のひとは理想的なご近所付き合いをしているようだ
さて、国境付近の街に到着した勇者一行
王国領で最北に位置するこの街は
港町ほどではないが、それなりの規模をしている
大通りを歩けば、武装した騎士を見かけるのも珍しくない。そん
な街だ
到着した翌日、宿で朝食を済ませた勇者一行は
恒例の買い物に出かける
そこに狐娘たちの姿はなかった
彼女たちは勇者さんの身の安全を第一に考えている
あるじのそばにいるよりも、遠巻きに待機していたほうが出来る
ことは多い
魔法使いを出し抜ける異能持ちであればなおさらだ
狐娘A﹁やだっ﹂
まだ幼い狐娘Aはごねたが
狐娘BとCに説得されてしぶしぶと頷いた
狐娘B&C﹁⋮⋮⋮⋮﹂
2001
傍目には、ただ見つめ合っているようにしか見えなかったが
ずっとアリア家で暮らしていた彼女たちが
仲間同士でしか通じない何らかのサインを持っていたとしても不
思議ではない
勇者﹁夜は一緒に寝ましょう。いちばん無防備な時間帯だから、集
まっていたほうがいいわ。それ以外のときは、わたしの指示に従い
なさい﹂
勇者さんがそう言ったのは、狐娘たちにと言うよりは羽のひとと
子狸にあてたものだった
発光魔法を使えば、周囲の景色に溶け込むのはさして難しくない
しかし子狸の鼻を誤魔化すのは無理だから、余計なことを言って
奇襲をふいにするのはやめろと言っている
ちらりと勇者さんに目を向けられて、子狸は小さく頷いた
子狸﹁すべては⋮⋮あのときに、はじまっていたんだな﹂
まじめな顔をしてなにを言っているのか
王都のんの夜を徹したマッサージが効いたのだろう
あるいは羽のひとに一服盛られた成果か
今日も元気なポンポコである
マフラーの端を握る勇者さんの目が冷たかった
勇者﹁なんのこと?﹂
2002
子狸は寂しげな目をしていた
子狸﹁わからない。おれには、なにもわからないんだ⋮⋮﹂
ふだんなら知ったかぶるところを、一周して正直に言う
新しい芸風を身につけたようである
きびすを返した狐娘Aに、子狸は声を掛けた
子狸﹁どこへ⋮⋮行くんだ?﹂
狐娘A﹁⋮⋮アレイシアンさまは、わたしたちがまもる﹂
子狸﹁待て。お前には、まだ教えてないことがたくさんある﹂
狐娘A﹁お昼ごはんまでには戻る﹂
勇者﹁戻るの?﹂
子狸﹁行くな! コニタ! お前になべは扱いきれない!﹂
妖精﹁なんの話をしてるんだ、コイツ⋮⋮?﹂
狐娘A﹁それでも﹂
お面の奥で
彼女が微笑んだ気がした
狐娘A﹁フライパンとなら戦える﹂
2003
子狸﹁待っ⋮⋮!﹂
引きとめようとする子狸の前足を
狐娘Bが掴んだ
狐娘B﹁妹が世話になった。たまには甘いものが食べたい﹂
通り過ぎざまに狐娘Cが子狸の肩を軽く叩いた
狐娘C﹁一日三食。忘れないで﹂
自分たちで作る気はさらさらないらしい
勇者﹁⋮⋮⋮⋮﹂
かくして狐娘たちは去って行った
生きるということは、戦い続けるということだ
子狸﹁忘れないさ⋮⋮!﹂
子狸の挑戦は続く。どこまでも、はてのない道を歩いて行くのだ
八0、王都在住のとるにたらない不定形生物さん︵出張中
勇者一行の台所事情はともあれ
ごくつぶしどもと別れた勇者一行は
勇者さんの強い希望で服屋さんに立ち寄ることになった
2004
羽のひとが勇者さんファッションショーを眺めている間
子狸はお店の外でつながれている
ちょうど立て看板があったので、マフラーの端を結ぶにはぴった
りだった
子狸﹁⋮⋮⋮⋮﹂
子狸がマフラーの結び目を前足でつついていると
裏路地のほうで物音がした
それほど大きな音ではなかったが
子狸は妙な胸騒ぎがしたのだという
子狸﹁⋮⋮?﹂
子狸の前足は、人間の手と比べても遜色ないほど器用に動く
マフラーの端を掴んで引っ張ると、きれいなちょうちょ結びが
はらりと
ほどけた⋮⋮
ふんふんと鼻を鳴らしながら
のこのこと裏路地に歩いて行く
野生の勘は冴え渡る一方だ
子狸のほうへ向かって駆けてくる小さな人影が二つ
小さな男の子が、女の子の手を引いている
学校で子狸の飼育係を買って出てくれた低学年の子供たちと同じ
くらいの年頃である
女の子のほうは、大きな布をかぶって顔の露出を避けているよう
だった
2005
一瞬で状況を把握した子狸が、二人の前に立ちふさがる
子狸﹁鬼ごっこは終わりだ⋮⋮﹂
ゆらりと上体を揺らして歩み寄る子狸に
男の子が﹁あ!﹂と声を上げた
少年﹁にーちゃん!﹂
子狸﹁⋮⋮師匠と呼べと言ったろう﹂
港町まで向かう途中で出会った少年だった
危ういところで先達としての矜持を保った子狸が
女の子の手を引く少年を見て、ふっと微笑した
子狸﹁おれを越えたな﹂
少し見ない間に負け組を踏み越えていった弟子に
子狸の胸が熱くなる
少年﹁早いよ!﹂
鋭いツッコミであった
息をきらしている女の子が、苦しそうに胸を押さえながら子狸を
見上げる
少女﹁あなたは⋮⋮﹂
2006
子狸﹁下がっていろ﹂
これ以上、知り合いが増えても処理しきれないと悟った子狸が
ぎらりと眼光を鋭くして裏路地に踏み込んだ
子狸﹁誰かくる﹂
少年﹁追われてるんだ。おれ、この子を⋮⋮﹂
子狸﹁騎士か﹂
少年﹁! どうしてわかるんだ?﹂
子狸﹁追ってくるのは騎士と相場が決まってるからな﹂
少年﹁どういうことなんだよ!﹂
大きな街に裏路地は付きものだ
人口が増えれば区画を整理しなければならないし
けれど街壁を拡張するのは手間が掛かるから
無理に家を建てようとするなら道を狭くするしかない
道とも呼べないような細い裏路地を
一人の男が駆けてくる
こちらは大人だ
とくに鎧のたぐいは身にまとっていないが
騎士は必要に応じて私服で捜査することもある
二人をかばって進み出る子狸に
2007
男が足を止めた
男﹁⋮⋮その二人をこちらへ引き渡してもらおうか﹂
第一声で自分の身元を明かさないということは
何か後ろ暗い事情があるということだ
男﹁どこの誰かは知らんが、余計なお節介はやめておくことだ。早
死にすることになる﹂
自分よりも上背のある相手に凄まれても
巨大な魔物たちに囲まれて育った子狸がおびえる理由にはならない
子狸﹁やれるものなら﹂
不敵に笑った子狸が、無造作に歩み寄る
子狸﹁やってみるがいい。おれは、豊穣の巫女に勝った男だ﹂
かつてこれほどまでに残念なヒーローがいたろうか⋮⋮?
男﹁⋮⋮⋮⋮﹂
男は押し黙った
動揺を表に出さないようにしているが
巫女さんは有名人だ
騎士団に所属する人間で、彼女の名を知らないものはまずいない
男が素早く視線をめぐらしたのは、子狸の実力を測りきれていな
いからだ
2008
そして計算している
もしも子狸の言っていることがはったりでないなら
ここで巫女さんの名前を出す意図は何なのかと
時間稼ぎだと結論を下したらしい
ならば決着は早ければ早いほどいい︱︱
男も歩を詰めてくる
動作に無駄がない。特装騎士か?
何か妙だな⋮⋮
そもそも少年との再会も偶然にしては出来すぎている⋮⋮
子狸﹁⋮⋮⋮⋮﹂
子狸は、にやにやと不気味な笑みを貼りつけたまま
わずかに背中を丸めた不格好な姿勢で近付いていく
一歩、二歩⋮⋮
互いに無言で距離を詰める
手を伸ばせば届く距離になっても二人は動かなかった
さらに一歩
子狸の後ろで少年と少女が息をのんだ
魔法の撃ち合いは、たいていの場合、短期戦になる
とりわけ最速とされる戦法が、これだ
2009
殴る必要すらない
手で触れて詠唱するだけで、人の意識は断ちきれる
親友同士が夢を語り合う距離
戦意が弾けると同時に、子狸の前足と男の両腕が跳ね上がった
子狸&男﹁アバドン﹂ 子狸の前足を、男が手首で弾く
詠唱はおとりだ
返す刃で、ひじを胸元に引き寄せる
子狸﹁んぅっ﹂
あごを掠めた一撃が、子狸の意識を彼岸へと押し流した
がくりとひざが折れる
無駄に格好良く倒れ伏した子狸に、少年が絶叫した
少年﹁ふつうに負けた!?﹂
いつだって子狸さんはおれたちの期待を裏切らないのだ
2010
﹁子狸の事件簿﹂part5︵前書き︶
登場人物紹介
・少年
子狸の一番弟子。お名前はトトくん。
父親が騎士らしく、自分も大きくなったら騎士になりたいと願っ
ている。
勇者一行が港町へ向かう道中、魔物たちを撃退している子狸を見
て弟子入りする。
そして、おそらく道を踏み外した。
ポンポコ直伝のパン魔法を知らぬ間に伝授され、パン職人の道を
歩みはじめる。
勇者一行と別れたのち、学校で級友たちに崩落魔法を披露したと
ころ﹁パン屋さんみたい﹂と絶賛されたらしい。
それ以降、﹁パン屋﹂という愛称が定着してしまった。
今日も今日とて騎士を目指してパンをこねる。
2011
﹁子狸の事件簿﹂part5
八一、空中庭園在住のとるにたらない不定形生物さん
ぽ、ポンポコさーん!
八二、海底洞窟在住のとるにたらない不定形生物さん
イイのが入ったな⋮⋮
王都の! ポンポコさんは無事なのか?
八三、王都在住のとるにたらない不定形生物さん︵出張中
ああ、うん。ミリ単位で軌道を修正したから、まず問題ないよ
盾魔法でちょちょいっとね
あとは⋮⋮
騎士︵仮︶の出方しだいでは、おれが出る
八四、住所不定のどこにでもいるようなてふてふさん
引っこんでろ。おれがやる
2012
八五、魔都在住の特筆すべき点もないライオンさん
いや、ここはおれが
八六、火山在住のごく平凡な火トカゲさん
いや、あえておれが
八七、墓地在住の今をときめく骸骨さん︵出張中
いや、むしろおれが
八八、迷宮在住の平穏に暮らしたい牛さん
とらえろ
八九、墓地在住の今をときめく骸骨さん︵出張中
はっ
おら、大人しくしろ!
ひとりだけ逃げようなんて甘いんだよ!
九0、墓地在住の今をときめく骸骨さん︵出張中
2013
は、離せ! 見逃してくれ! 後生だ!
九一、墓地在住の今をときめく骸骨さん︵出張中
あほか! キーパーが逃げてどうするんだよ!
九二、墓地在住の今をときめく骸骨さん︵出張中
いやだ∼!
子狸さん助けて! 子狸さん!
デスボールはもう⋮⋮あふっ
九三、かまくら在住のとるにたらない不定形生物さん
で、デスボールだと⋮⋮?
九四、海底洞窟在住のとるにたらない不定形生物さん
注釈
・デスボール
おれたちの伝統的な球技
正式名称はファルシオンというのだが、誰もそう呼ばない
原則的に魔法は禁止。もちろん直接攻撃は厳禁
2014
2チームに分かれて得点を競うゲームで、たいていの場合どちら
か片方のチームが戦闘不能に陥ることで決着がつく
状況によっては勝利条件が敵戦力の殲滅になることもあるらしい
その場合、いかにして審判を足止めするかが勝敗の鍵を握る
ファルシオンというのは、おれたちとの戦力差を埋めるために人
間たちに配布されるカードの一種であり
一時的に審判を味方につける効果を持つ
ちなみにバウマフ家の人間は、ジャッジメントと呼ばれる究極の
カードを使える
一定時間、フィールド上にいる全プレイヤーのあらゆる反則行為
を禁じるという、まさに究極のカードだ
さすが管理人である。バウマフ家は格が違った
九五、王都在住のとるにたらない不定形生物さん︵出張中
骨のひとの悲痛な叫び声に
子狸がぴくりと反応した
震える前足で、騎士︵仮︶の足首を掴もうとする
男﹁⋮⋮⋮⋮﹂
しかし仮にも騎士を名乗るものが
気絶しただけの相手から警戒を解くようなへまはしない
男は一歩さがって子狸の前足をかわす
彼は、子狸を無視して少女に言った
2015
男﹁次は、手加減しない。あなたが逃げれば逃げるほど、まわりに
被害が出る。まずは一人⋮⋮﹂
少年が言っていたように、男が追っているのは女の子のほうらしい
少女﹁っ⋮⋮わたしが⋮⋮﹂
少年﹁! だめだ!﹂
自ら進み出ようとした少女の手を、とっさに少年が掴んだ
卑劣な手段も辞さない騎士︵仮︶を睨みつけて、子狸の一番弟子
は言った
少年﹁にーちゃんは、お前なんかに負けない!﹂
その信頼に応えるかのように、子狸の前足が土を掻いた
子狸﹁強い、な⋮⋮﹂
ふらつきながらも立ち上がる
子狸﹁強い⋮⋮。でも⋮⋮それだけだ﹂
三半規管が揺れているのだろう
まともに立っていることも叶わず、片ひざをついた
男﹁⋮⋮⋮⋮﹂
男は慎重だった
2016
無理に押し通ることは難しくない
しかし表通りに近すぎるということもあるし
子狸に連れがいないとも限らない
じっさい、その判断は正しかった
少年が大声でツッコんでいたので、いったい何事かと羽のひとが
飛んできたのだ
新コスチュームに身を包んだ勇者さんも一緒だ
妖精﹁ノロくん⋮⋮!?﹂
ひと足先に裏路地に入ってきた羽のひとが小さな悲鳴を上げた
薄暗い路地
かすかな土ぼこり
片ひざをついている子狸
素早く視線を走らせてきた男
女の子を引きとめようとしている少年には見覚えがある
遅れて現れた勇者さんは、ひと目で状況を把握したようだ
勇者﹁⋮⋮⋮⋮﹂
無言で少年と少女を押しのけて前に出る
新調したマントがふわりと揺れた
男﹁っ⋮⋮!﹂
一見、丸腰の勇者さんに男がひるんだ
2017
騎士は恐怖にあらがえるよう訓練を受けている
しかしアリア家の人間がもたらす感覚は、死よりも別れのそれに
近しい
子狸越しに男を見つめる勇者さんが、わずかに首を傾げる
その表情が、すとんと落ちた
勇者﹁名乗りなさい﹂
男﹁⋮⋮まずは自分から名乗るのが礼儀というものだろう?﹂
そう言って虚勢を張る男に、勇者さんは視線を固定したまま言う
勇者﹁あなたが、わたしに対等にものを言える人間なのかどうか⋮
⋮確かめてみればいいわ﹂
自分の人差し指をつまんで、ゆっくりと曲げた
勇者﹁口答えを、したわね。このわたしに﹂
事実上の死刑宣告だった
自らの立ち位置を探られていることに気が付いて、男は冷や汗を
浮かべた
勇者さんが貴族であるという保証はない
だが、そんなことは関係ない。貴族の命令ひとつで平民の首は飛
ぶ。王国とは、そういう国だ
男﹁⋮⋮⋮⋮﹂
2018
男は答えなかった
つまり最低でも正当な理由があり、作戦行動中か
あるいは貴族がバックについている、ということになる
これ以上の問答は自分の首を絞めるだけだ。そう判断したのだろう
負け惜しみを言うこともなく、大きく後ずさる
男﹁⋮⋮ディレイ﹂
空中に設置した力場の階段を踏み、後ろに飛び上がる
去りぎわに女の子を一瞥した
ジグザグに宙を駆け上がる
最後まで背は向けない
あきらかに戦闘訓練を受けたものの動きだった
やはり騎士なのか?
どこか違和感がぬぐえないな
九六、空中庭園在住のとるにたらない不定形生物さん
戦時中だからな
王国騎士がぶらついてるのは妙だ
帝国、あるいは連合国の所属かもしれん
とはいえ、事情による
なんで追われていたのか、それ次第だろうな
騎士︵仮︶が追っていた女の子は⋮⋮
2019
見覚えがあるな。あのときの子か?
九七、山腹巣穴在住のとるにたらない不定形生物さん︵出張中
おれは見覚えがないけど
⋮⋮ああ、あのときの?
そんな偶然があるのか?
身体をかがめて子狸の顔を覗きこんだ勇者さんが、振り返って羽
のひとに言う
勇者﹁リン。治療をしてあげて﹂
妖精﹁はい!﹂
軽やかに宙を舞った羽のひとが
子狸の頭上でくるくると回る
きらめく鱗粉が子狸に振りかかる
このひとの妖精魔法は
おれたちの触手をどうこう言うわりには適当で
詠唱破棄してるくせにレベル2以上のダメージを癒したりもする
その羽のひとがさじを投げた
妖精﹁あ、だめみたい。リシアさん、こいつ素手で殴られたみたい
です﹂
2020
魔法を介さない攻撃は、治癒魔法の適用外なのだ
子狸さんは、しばらく動けそうにない
勇者﹁⋮⋮そう﹂
妖精﹁追いますか? わたしなら、たぶん追いつけます﹂
勇者﹁だめ。単独行動とは思えないし、あなたが無茶をする義理は
ない﹂
二人が話している間に、少年が子狸に駆け寄った
少年に手を引かれている女の子は、すっかり勇者さんにおびえて
しまったようだ
フードを深くかぶって目を合わせようともしない
おちつかない様子で、身体を小刻みに揺すっている
⋮⋮いや、事情は知らないけどさ
もう誤魔化すのは無理だろ
勇者さんが言った
勇者﹁奇跡の子が、こんなところでなにをしているの?﹂
女の子がびくりとした
少女﹁ちっ、違います!﹂
勇者﹁そう。家族を人質にとられたのね﹂
少女﹁⋮⋮そんなんじゃありません!﹂
2021
激しくかぶりを振った拍子に、フードが脱げた
慌ててかぶり直したものの、あとの祭りだった
およそ三週間前
暮れなずむ夕日の中
くれないに沈む港町で
子狸バスターに敗れた騎士たちを癒そうとしていた
あの女の子だった
くだんの港町襲撃事件は
世間ではタリアの子の奇跡と呼ばれている
タリアというのは、南方ではそう珍しくない苗字だ
勇者﹁わたしは、アレイシアン。アレイシアン・アジェステ・アリ
ア。名前くらいは聞いたことあるかしら?﹂
少女﹁勇者さま⋮⋮﹂
女の子は観念した
彼女は、港町で光の宝剣を振るう勇者さんを目にしている筈だ
うなだれて、言う
少女﹁⋮⋮はい。ごめんなさい。マヌ・タリアです。奇跡の子なん
かじゃ、ない⋮⋮﹂
子狸﹁それはちがうな﹂
少女﹁え?﹂
2022
壁にもたれかかって立ち上がった子狸が、にっこりと笑った
子狸﹁なにを言おうとしたのかは忘れたけどさ、違うんだよ。きっ
とね﹂
少女﹁⋮⋮え?﹂
少年﹁ごめんな﹂
少年が謝罪を代行してくれた
ポンポコさんには過ぎた弟子である
少年﹁なんか、ごめん﹂
むしろ、おれたちが申し訳なかった
2023
﹁子狸の事件簿﹂part6
九八、かまくら在住のとるにたらない不定形生物さん
本当に⋮⋮少年には申し訳ないことをした
おれたちに出来ることなんて、たかが知れてるけど⋮⋮
たしか騎士志望だったか?
ここは責任もって中隊長にするしかないな
九九、火口付近在住のとるにたらない不定形生物さん
うむ。夢はでっかく、目指せ大隊長だな
一00、管理人だよ
お前ら⋮⋮
おれの弟子のために⋮⋮
ありがとう
一0一、かまくら在住のとるにたらない不定形生物さん
ふっ、気にするな。礼には及ばないぜ
2024
一0二、空中庭園在住のとるにたらない不定形生物さん
本当にね
一0三、海底洞窟在住のとるにたらない不定形生物さん
うん、本当に⋮⋮
一0四、王都在住のとるにたらない不定形生物さん︵出張中
かくして、ひとりの少年が修羅の道を征くこととなったのである
未来の中隊長と奇跡の子を連れて
宿屋への帰途につく勇者一行
勇者さんに脅されて退いた騎士︵仮︶が
仲間を引き連れて戻ってこないという保障もなかったからだ
ちなみに、おれたちの子狸さんは
勇者さんの新たな装いに関して並々ならぬ興味を示していた
子狸﹁⋮⋮⋮⋮﹂
妖精﹁お前、そのうち通報されるぞ﹂
だが、少年と少女はむしろ子狸のマフラーが気になっている様子
だった
2025
少年&少女﹁⋮⋮⋮⋮﹂
羨望の目である
︱︱羨望の目なのだ
一0五、山腹巣穴在住のとるにたらない不定形生物さん︵出張中
はぐれないよう、マフラーの端をぎゅっと握る勇者さんが健気だ
った
大通りにはさまざまな店舗が軒下を並べている
肉屋さんが天にこぶしを突き上げ
発光魔法で高らかに半額セールを謳う
お向かいの魚屋さんが驚きに目を見張った
魚屋﹁きさま⋮⋮! 気は確かか!?﹂
肉屋﹁ふっ、お前はそこで指をくわえて眺めているがいい⋮⋮﹂
魚屋﹁⋮⋮いいだろう。おれとお前、どちらかが完全に滅びるまで
決着はないようだ⋮⋮﹂
食卓の王座をめぐって、肉屋さんと魚屋さんの仁義なき戦いがは
じまろうとしていた
とりたてて騒ぐほどでもない日常風景だったが
名探偵ポンポコの目は誤魔化せない
2026
王都に専用の牢屋を用意されているのは伊達ではないのだ
事件の匂いを嗅ぎとった子狸が駆け出そうとするたびに
マフラーがぴんと張ってシュナイダーする
子狸﹁ぬぅっ⋮⋮!﹂
重心を落として前進しようとする執念の子狸に
非力な勇者さんが引きずられそうになる
勇者﹁こら! どこ行くの﹂
子狸﹁⋮⋮明日へ!﹂
妖精﹁お前に明日は不要ですよ﹂
子狸の肩に降り立った羽のひとが
小さな指を蠢かせると
まるで枷でもはめられたように子狸の活動がにぶった
子狸﹁くっ、これほどとは⋮⋮!?﹂
羽のひとの念動力が、だんだん魔☆力じみてきた今日この頃である
後ろ足で踏ん張る子狸とマフラーを何度か見比べて
少女がなるほどと頷いた
なにか腑に落ちることでもあったのだろうか?
それはわからない
2027
少女﹁⋮⋮トトくんの先生なの?﹂
少年の名前はトトくんと言う
少年は、かすかに逡巡したものの
小さく、けれどしっかりと頷いた
少年﹁そうだよ。おれの先生だ﹂
じつに人間が出来た子である
一0六、魔都在住の特筆すべき点もないライオンさん
⋮⋮惜しいな
一0七、住所不定のどこにでもいるようなてふてふさん
ああ、じつに惜しい
魔が差したというやつなんだろうな⋮⋮
一0八、管理人だよ
自慢の弟子さ
一0九、王都在住のとるにたらない不定形生物さん︵出張中
2028
誇れる日がやって来るといいな⋮⋮
一一0、管理人だよ
うん? 誇りに思ってるよ?
一一一、山腹巣穴在住のとるにたらない不定形生物さん︵出張中
うん
さて、宿屋の一室に通された少年と少女
これまで、ずっと二人で逃げてきたのだろう
勇者さんと羽のひとの協力を得られるのは大きい
少年は、嬉しそうに子狸の相手をしてやっている
子狸﹁ここで会ったが三年目だな。少し背が伸びたか?﹂
少年﹁そう? 測ってないからわからないや﹂
子狸﹁言われてみれば縮んだかもしれないな。ちゃんと食べてるか
?﹂
少年﹁昨日は魔どんぐりを食べた。マヌは料理がうまいんだ﹂
少女のことを呼び捨てにしているらしい
遠くへ行ってしまった弟子を、子狸はまぶしそうに見つめた
2029
子狸﹁男子⋮⋮あれだな﹂
少年﹁うん? うん﹂
男子三日会わざればかつ目して見よ
以前のおれとは違うということだな。日々の努力が大切ですよ、
という故事だ
一一二、海底洞窟在住のとるにたらない不定形生物さん
故事と言っても子狸にはわからんだろ
一一三、空中庭園在住のとるにたらない不定形生物さん
おい! 子狸さんをばかにするな!
故事というのは、むかしのひとたちが残してくれた教訓のことだ
一一四、管理人だよ
過去は捨てた
一一五、山腹巣穴在住のとるにたらない不定形生物さん︵出張中
捨てるな。拾え
2030
過去から学ぶべきことは山ほどある
今回の件でもそうだ
マヌ・タリア嬢は奇跡の子と呼ばれている
港町襲撃事件は、複数の都市級が関与した大事件だ
魔軍☆元帥と魔ひよこに立ち向かったのは勇者一行だったが
王国の上層部は勇者さんの存在を隠しておきたかった
理由はいろいろとあるのだろうが⋮⋮
まず第一に、歴代勇者と比べた場合、勇者さんは見劣りする
指揮能力は高いかもしれないが
世間一般で勇者に求められるのは、単独で都市級と渡り合えるほ
どの個体戦力である
勇者さんにはそれがない
だから王国の上層部は、港町で起こった出来事を
勇者が関わった事件としてではなく
ひとりの勇気ある少女が、果敢にも騎士たちを支えようとした美
談として処理した
それは事実なのだから、本人も否定できない
その彼女が、なぜか騎士︵仮︶に追われて国境付近の街にいる
どういうわけか子狸の一番弟子も一緒だ
たしかに偶然にしては出来すぎている
疑ってくれと言わんばかりの状況だった
2031
子狸が大人しくしているうちにと
宿屋の一室で勇者さんは事情聴取を開始した
タリア嬢の歯切れは悪い
これを隠し事をしているととるか、あるいは勇者さんへの苦手意
識から来るものととるか
彼女の証言を整理すると、だいたいこんな感じだ
まず、勇者一行が夜逃げ同然に港町を出航して数日後
彼女は王都へと招待された
断るという選択肢はなかった
親元を離れるのは不安だったが
道中、騎士団が護衛をしてくれるというので従った
ところが王都へ向かう途上
突如として魔物の軍勢が決起したという情報が入る
数えきれないほどの大群であったらしい
国家存亡の危機である
そこで騎士団は、予定を変更して最寄りの街へ立ち寄り
駐在の騎士たちに彼女を預けることにした
同僚のために命を懸けてくれた少女だ
彼らは快く受け入れてくれた
仕事の合間に勉強を見てくれたし
寂しさを紛らわそうと名所案内までしてくれた
2032
楽しい時間は矢のように過ぎ去る 当初は十六人いた騎士たちであったが
一週間が経過した頃には半分に減っていた
魔物の軍勢がますます膨れ上がり、駐在に人手を回す余裕がなく
なったのだ
その翌日には、残りの八人にも出撃の命が下されたらしい
しかし少女の身を案じた彼らは、前もって本隊と交渉し、ひとり
の騎士を回してもらったのだという
その騎士というのが、あの男だ
おそらくは特装騎士なのだろう
少女は、実働と特装の区別を知らなかった
駐在たちの出発を見送ってから、男はこう言った
男﹁この街は戦場に近すぎる。きみは、いったん港町に戻ったほう
がいい。家までは私が送り届けよう﹂
少女は同意した。実家が恋しかったのだろう
男は優秀な騎士だった
これは特装だからということだと思うが
見たこともない魔法を使うのだという
しかし一人で寝ずの番は無理だから
街から街へと渡ることになる
来た道とは別のルートである
2033
知らない街から知らない街へ
少女は、だんだん不安になってきたらしい
直接、尋ねることはしなかった
男は常に自分を気遣ってくれたし
疑っていると思われるのは嫌だった
少年と出会ったのは、つい昨日の出来事だ
なんでも騎士に憧れているらしく
駐在の騎士たちとも懇意にしているようだった
実働と特装は仲が悪い
実動騎士の働きぶりをチェックするのも、特装騎士の仕事だからだ
同じ騎士からしてみると、特装騎士に類する人間はひと目でわかる
物腰からして商人のそれではないし、何より目つきでぴんと来る
らしい
まず騎士崩れと言っていい人間が⋮⋮宿屋に泊まっているらしい
酒場で管を巻いている騎士たちの話を聞いて、少年は興味を惹か
れたのだという
特装騎士と話せる機会はそうそうない
明くる日、さっそく少年は宿屋へと出向き、そこで自分と同じ年
頃の女の子を見つけた
さすがは子狸の一番弟子である
目的に向かって邁進するようでいて、けっきょくは女の子だよ
特装騎士を探しているのだという少年に、少女は事情を話した
2034
特装という区分を知らなかったので、同行している騎士のことだ
と思ったらしい
事情を聞いた少年は、こう言った
少年﹁ここは国境付近の街です﹂
かくして二人の逃避行がはじまったのである
つまり元を正せば⋮⋮
おれのせいだな
一一六、王都在住のとるにたらない不定形生物さん︵出張中
そうですね
少年のほうも似たり寄ったりの事情みたいだ
山腹軍団から避難してきたらしい
親父さんが現役の騎士だから、妻と子供だけでもと考えたんだろう
国境付近なら、騎士がいなくなるということもない
女の子から話を聞いた少年は、とりあえず単独行動に出た
男の目的は不明だが、とつぜん少女がいなくなったら追いかけて
くるに違いない
自分一人でどうこう出来る問題ではなさそうなので
まずは駐在の騎士たちを頼るべきだと考えたのだ
2035
ところが、くだんの男は少年のほうを追ってきた
おそらく他に見張っている人間がいて、男に報告したのだろう
組織的な犯行である
少年も同じ結論に至ったらしい
大人は信用できないと判断を下す。一瞬でグレた
振りきれないと悟るなり、とって返して女の子が待つ宿屋へと急
行する
しかし何だ?
ずいぶんと稚拙な犯行である
宿屋へ戻った少年は、無事に女の子を連れ出すことに成功した
まず、この時点でおかしい
見張りの人間はどこへ行ったんだ?
勇者﹁⋮⋮⋮⋮﹂
勇者さんの表情は厳しい
何から何まで妙な事件だった
勇者﹁⋮⋮徹夜で逃げ回っていたの?﹂
少年﹁どこへ行っても先回りされてるんだ。交替で魔法のテントを
作った。たぶん⋮⋮﹂
つかまえる気がないんだ、という言葉を少年は飲みこんだ
少年は丸一日以上、音信不通の状態だ
2036
母親から騎士へ捜索願いが出されていてもおかしくはないのに
街中で騎士たちが動いている様子はなかった
特装騎士ならば、魔法で他人を装うことはできる
しかし確実な手段とは言えないだろう
映像と音声だけで肉親をあざむくのは難しい
もっと大きな力が働いているのか⋮⋮
勇者﹁⋮⋮⋮⋮﹂
勇者さんが無言で視線を振る
子狸は頷いた
子狸﹁打って出るしかない﹂
魔王 伐 旅
討 の シ
リーズ
∼子 狸編∼
子 狸 の 事 件 簿
はじまります
2037
2038
﹁子狸の事件簿﹂part7
一一七、空中庭園在住のとるにたらない不定形生物さん
子狸さんは忘れているようだが
山腹軍団が王都に到達するまで三週間しかない
じっさいは、もっと短いだろう
このまま事態が進めば、遅くとも三週間後には王国が滅ぶ
だから、それまでに王国騎士団は決戦を仕掛ける筈だ
勇者さんが魔都を目指すというなら
わざわざ騎士団と別行動をとるとは思えない
こんなところで油を売っているひまはないのだ
一一八、海底洞窟在住のとるにたらない不定形生物さん
三つのゲートを開放して魔都へ⋮⋮
最短のルートなら
計算上、いくぶん猶予がある
しかし人間は不眠不休では戦えないし、消耗すればミスも出てくる
正確には二週間といったところか⋮⋮?
一一九、山腹巣穴在住のとるにたらない不定形生物さん︵出張中
2039
それでも王国騎士団が三週間を目安に動くなら
何かしらの隠し玉があるということだ
おそらく騎士団の動向を把握しているだろう勇者さんは
この事件を素通りするつもりはないらしい
子狸﹁次は負けない。トクソウに⋮⋮勝つ。越えてみせる﹂
トクソウというのは、特装騎士のことだ
おもに実働騎士たちの負の感情がこもった呼称である
気炎を上げるポンポコに、勇者さんは冷淡だった
勇者﹁無理ね。それほど甘くないわ﹂
子狸は巫女さんに勝った。それは事実だが
精神的な脆さを突いて、やっとという感じだったようである
戦士としての訓練を受けた騎士に、同じ手は通用しないだろう
子狸﹁お嬢﹂
勇者﹁なに﹂
子狸﹁いままで黙ってたけど⋮⋮おれ、じつは発電魔法を使えるん
だ﹂
勇者﹁知ってる﹂
本人はバレていないと思っていたらしい
2040
妖精﹁紫術な﹂
羽のひとの訂正が入る
勇者さんは、発電魔法を紫術と呼ぶ
今後、騎士団と合流したときに魔物と同じ魔法を使えると説明す
るよりも
異能の一種であると言ったほうが騎士たちの感情を逆なでしない
と考えたのだろう
だが、おれたちの子狸さんに勇者さんの欺瞞は通用しない
沈んだ表情で鳴く
子狸﹁きみたちが⋮⋮起雷と呼ぶ魔法だよ﹂
勇者﹁知ってる﹂
子狸﹁ごめん。騙すつもりじゃなかったんだ﹂
妖精﹁しつこい。なんなの、このポンポコ﹂
子狸さんの衝撃の発言であったが
まともに反応してくれるのは子供たちだけだった
少年﹁そんな、にーちゃん⋮⋮﹂
少女﹁⋮⋮魔物なの?﹂
子狸は矛先を二人に向けた
2041
子狸﹁わからない。それを知るために、おれは旅をしている⋮⋮﹂
独断専行はバウマフ家のお家芸だ
ここまで積み上げた設定をぶん投げて
超古代文明の末裔ルートに進もうとしている
本当になんなの、このポンポコ
勇者﹁⋮⋮光の精霊に言われて、わたしについてきたんじゃないの
?﹂
勇者さんの指摘はもっともだ
しかし子狸は首をひねった
子狸﹁⋮⋮誰がそんなことを?﹂
お前です
子狸はひと通り記憶をあさったものの
とくに思い当たるふしがなかったらしい
あきらめて子供たちに言う
子狸﹁おれが思うに、その騎士が怪しい﹂
そこに気が付くとは天才か
2042
一二0、かまくら在住のとるにたらない不定形生物さん
さすがは名探偵ポンポコだな
一二一、火口付近在住のとるにたらない不定形生物さん
名探偵ポンポコさんの活躍をこの目で見られるなんて⋮⋮
一二二、王都在住のとるにたらない不定形生物さん︵出張中
でも子供に論破された
少年﹁でも、あいつはいつでもおれたちを捕まえられたはずなんだ﹂
そこだな
特装騎士に類するような人間から、子供の足で逃げきれる筈がない
子狸﹁ふむ﹂
立ち上がった子狸が、思案顔で室内をうろうろする
子狸﹁⋮⋮!﹂
なにか思いついたようである
子狸﹁マヌとか言ったな。もしかして騎士が追っているのは︱︱き
みなんじゃないのか?﹂
2043
少年﹁だから最初からそう言ってるだろ!?﹂
ところが勇者さんは感心していた
勇者﹁いえ、そうとも限らないわ。偶然が三つも重なるのは考えに
くい。あなたが関わってくるのは想定内だったのかもしれない。そ
れが、何らかの役割を与えられてのことだとしたら⋮⋮﹂
一同の注目を浴びていることに気が付いて、彼女は慎重に前置き
した
勇者﹁あまり期待しないで頂戴。誰の描いた画か知らないけど、ふ
つうこうした事件は露見しない構造になっているものよ。そうなら
なかったということは、相手のほうで何かしらのトラブルがあった
ということ⋮⋮。まったく予想が付かない方向に事態が進む可能性
もある﹂
もしも狂言じゃなければの話だけど、と言って女の子を見る
勇者さんの無機質な瞳にさらされて、年端も行かない少女がびく
りとふるえた
事件の概要は、彼女の証言に基づく部分が大きい
もしも少女が嘘をついていたら、すべての前提が崩れる
勇者さんは視線を戻して続けた。追及するつもりはないらしい
勇者﹁いずれにせよ、こちらから行動するというのは悪くない案ね﹂
そう言って子狸を見る
2044
勇者﹁この件は、あなたに任せる﹂
子狸﹁!﹂
妖精﹁!?﹂
まさかのお墨付きである
一二三、住所不定のどこにでもいるようなてふてふさん
勇者さんがさじを投げた!?
一二四、管理人だよ
とうとうおれの時代がやって来た!
一二五、海底洞窟在住のとるにたらない不定形生物さん
まあ、こう言っちゃ何だけど
魔王討伐とは関係ないからな
興味がないんだろう
一二六、空中庭園在住のとるにたらない不定形生物さん
むしろ滞在するための口実に使われた感があるな
2045
一二七、住所不定のどこにでもいるようなてふてふさん
また、お前らはそうやって勇者さんの善意を疑う⋮⋮
勇者さんは少しずつ変わりはじめてる
困っている子供たちを放っておけなかったんだろ
口ではこう言ってるけど、きっと裏で動くんだよ
一二八、山腹巣穴在住のとるにたらない不定形生物さん︵出張中
うん、予想以上に根が深い事件なのかもしれないな
子狸を以って不測の事態を制するというわけか
一二九、王都在住のとるにたらない不定形生物さん︵出張中
どうかな?
はっきりしているのは、あの騎士は本気で二人を捕まえようとは
してないってことだ
つまり逆に考えれば、子供たちの周囲は安全という見方も出来る
だろう
ただし、勇者さんの言うように相手のほうで手違いがあった可能
性は否めない
2046
マントの留め具を外した勇者さんが、ベッドに腰掛けて言う
勇者﹁わたしとリンは宿屋で待機。あなたたちはどうする?﹂
視線を向けられた二人は、顔を見合わせた
先に顔を上げたのは少年だった
少年﹁おれ、にーちゃんに付いてく﹂
少女﹁⋮⋮わたしは⋮⋮﹂
先の一戦で、子狸は騎士に手ひどく負けている
一瞬の攻防ではあったが、両者の実力差を窺い知るにはじゅうぶ
んな内容だった
身の安全のことを考えるなら、勇者さんのそばにいたほうが良い
ただ、マヌ嬢は勇者さんに対して気後れしている
決断を下しかねている女の子に、勇者さんが言った
勇者﹁自覚がないようだけれど、あなたには利用価値があるのよ﹂
突き放すような口調である
勇者﹁港町でのあなたは立派だったわ。だから理不尽に思うでしょ
うけど、あなたは奇跡の子という風評からは逃れられない。この先
ずっと﹂
善意で行ったことが、本人の幸せに結びつくとは限らない
褒賞を望んで行動したわけでもないのに、まるでそれが当然であ
2047
るかのように称えられる
だから彼女は、理不尽だと叫んでも許される筈だった
勇者さんは、奇跡の子に課せられたものを言葉で誤魔化さなかった
勇者﹁あなたは、もう日常には戻れない。自分で判断して、自分で
決断なさい。港町で、あなた自身がそうしたように﹂
自立をうながす勇者さんだったが
ここは子狸が黙っていなかった
子狸﹁まだ子供だ。そんなの無理だよ。一緒においで﹂
そう言って女の子の頭をなでる
子狸﹁お嬢は、子供に甘いからだめ。コニタみたいになる﹂
勇者﹁⋮⋮⋮⋮﹂
勇者さんの言うこともわかるが
しょせんは理想論だ
世の中、実績がものを言う
勇者さんの直属の部下たちは、おもにだめ人間で構成されている
勇者﹁⋮⋮べつに甘やかしたつもりはないのに﹂
視線を逸らした勇者さんが、負け惜しみを口にした
子狸﹁その点、おれについてくれば間違いない!﹂
2048
子狸は自信満々で前足を振る
子狸﹁まずは情報収集だ。酒場へ行くぞ。ついてこい!﹂
少女﹁いま、お昼ですけど﹂
子狸﹁それがどうした?﹂
少女﹁⋮⋮たぶん、夜にならないとお店やってないです﹂
子狸﹁わかってないな﹂
少女﹁?﹂
子狸﹁出来るか出来ないかじゃない。やるかやらないかだ﹂
気合いと根性で全てを乗り越えようとする子狸さんを、一番弟子
がフォローする
少年﹁昼間でも飲める店はあるよ。⋮⋮なんで酒場なのかはわから
ないけど﹂
子狸﹁情報収集と言えば酒場だろ﹂
少年﹁そうかなぁ⋮⋮? 酔ってる人って、けっこう適当なこと言
うと思うんだけど⋮⋮﹂
子狸﹁真実は泥に埋もれてるものさ﹂
2049
少年﹁なにそれ、なんかかっこいい﹂
少女﹁⋮⋮そう?﹂
言葉の響きで最初の方針が決まった
子狸さんがマフラーの端をぴんと前足で弾いて首に巻く
地面につかないよう長さを調節して、いざ出発だ
解き放たれた名探偵ポンポコが、見送る勇者さんと羽のひとに前
足を突き付けた
子狸﹁果報は⋮⋮﹂
言いかけて、ふっと微笑する
子狸﹁行ってきます﹂
果報は寝て待て
なすべきことをなしたなら、なにも焦る必要はないという意味だ
人事を尽くして天命を待つとも言う
部屋を出て行く前に、女の子がぺこりとお辞儀した
山腹の、あとを頼む
いざというときは、これを使え
きっと役に立つ筈だ⋮⋮
2050
一三0、山腹巣穴在住のとるにたらない不定形生物さん︵出張中
おう。これは⋮⋮
ふっ、なるほど⋮⋮
抜け目のないやつだ、王都の⋮⋮
ちいさく手を振って見送る勇者さんに、羽のひとが尋ねる
妖精﹁本当にいいんですか? 野放しにして⋮⋮﹂
絶賛ステルス中のおれが
ひそかに勇者さんの背後に忍び寄る⋮⋮
勇者﹁どのみち、あの子は放ってはおけないと言うでしょ。二日以
内に決着をつけたいの。わたしがファミリーと連携しているのは知
ってるわね?﹂
ファミリーというのは、王国の裏社会を取り仕切る巨大な組織だ
羽のひとを旅の仲間に迎えてすぐに、勇者さんはファミリーの幹
部と接触している
その幹部というのが、かつて子狸のお気に入りだったペットのタ
マさんである
おれは、ふるえる触手を勇者さんの頭に伸ばす
妖精さんが凄まじいまでの殺気を叩きつけてきたが
ステルス中のおれに手出しなど出来よう筈もない
おれは成し遂げたのだ⋮⋮
2051
立ち上がった勇者さんが、部屋を横切って窓の前に立った
大通りを駆けていく子狸を二階の窓から見下ろして言う
勇者﹁二日後には、わたしの新しい剣が届く。魔王を討つための剣
が︱︱﹂
彼女の頭上で
可憐な猫耳が微風にそよいでいた⋮⋮
一三一、住所不定のどこにでもいるようなてふてふさん
残念だよ。とうとうお前らは禁断の川を越えてしまった⋮⋮
おれアナザー! 来い!
一三二、山腹巣穴在住のとるにたらない不定形生物さん︵出張中
羽のひとの影が剥離して伸び上がる
まるで漆黒の翼だ
光の鱗粉が舞い散る
夜の帳をまとった妖精さんが
空中に飛び上がって、ぱっと羽をひろげた
秘密結社ライフワークの首魁⋮⋮
2052
黒妖精ことコアラさんだった
一三三、住所不定の特筆すべき点もないてふてふさん
言い残すことはあるか?
一三四、山腹巣穴在住のとるにたらない不定形生物さん︵出張中
くっ、おれはここまでのようだ⋮⋮
すまない、お前ら
だが⋮⋮悔いはない
一三五、火口付近在住のとるにたらない不定形生物さん
山腹の∼!
一三六、かまくら在住のとるにたらない不定形生物さん
山腹の∼!
一三七、王都在住のとるにたらない不定形生物さん︵出張中
山腹のんがステルス魔法でおしおきされている一方その頃
2053
一三八、住所不定のどこにでもいるようなてふてふさん
一方その頃じゃねーよ。次はお前の番だ
やれ
一三九、空中庭園在住のとるにたらない不定形生物さん︵出張中
待ってくれ、羽のひと!
王都のんは信念を貫いたんだ! たしかに手段は間違えたかもしれない⋮⋮それでも!
どうしてもやるというなら⋮⋮おれが相手だ!
一四0、住所不定の特筆すべき点もないてふてふさん
面白い。お前とは一度、闘ってみたいと思っていた
魔軍☆元帥のオリジナル⋮⋮
相手にとって不足はない
来い!
一四一、空中庭園在住のとるにたらない不定形生物さん︵出張中
おれは、こんなところで負けるわけにはいかないんだぁーっ!
2054
一四二、魔都在住の特筆すべき点もないライオンさん
おれも思いきって猫耳を生やしてみたんだけど⋮⋮どうかな?
一四三、住所不定のどこにでもいるようなてふてふさん
対抗するなよ
あれ、意外と似合ってるな⋮⋮
一四四、山腹巣穴在住のとるにたらない不定形生物さん︵出張中
かくして魔王軍に新たな魔獣が誕生したのである
2055
﹁子狸の事件簿﹂part8
一四五、王国在住の現実を生きる小人さん
猫耳と聞いて
一四六、帝国在住の現実を生きる小人さん︵出張中
おれら、推参!
一四七、連合国在住の現実を生きる小人さん︵出張中
ポーズ! どしぃっ
一四八、住所不定のどこにでもいるようなてふてふさん
どしぃっ⋮⋮じゃねーよ!
次から次へと⋮⋮!
帰れよぉ∼も∼
一四九、かまくら在住のとるにたらない不定形生物さん
鬼のひとたち。鬼のひとたちじゃないか
2056
大陸統一トーナメントはいいのか?
だいぶ盛り上がっていたようだが⋮⋮
一五0、王国在住の現実を生きる小人さん
ん、おれらはコピーだぞ
ああ、さいきんはアナザーと呼ぶのか
大会の本命がオリジナルたちのライバルチームなんだが
なかなかキャラが立たないもんでな
おれら、準決勝で本命チームをあっさりと下すダークホースって
いう役どころなのね
決勝まで相手がことごとく不戦敗する手筈になってるから、ひま
なのさ
一五一、帝国在住の現実を生きる小人さん︵出張中
見ろよ、このスタイリッシュな黒衣
その実力、未知数⋮⋮! みたいな?
まあ、ぜんぶおれなんですけどね
一五二、魔都在住の特筆すべき点もないライオンさん
いま、ひどいネタバレを見た
2057
一五三、山腹巣穴在住のとるにたらない不定形生物さん︵出張中
おれ参上した三人の匠が、勇者さんを取り囲む
もちろんステルスしているので、勇者さんは気付かない
彼女の頭上でぴこぴこ動いている猫耳を、まじまじと見つめる匠
たち
鬼ズ﹁⋮⋮⋮⋮﹂
連合のひとが帝国のひとに、何やらぼそぼそと耳打ちする
感じ入った様子で、厳かに頷く帝国
王国のひとは、屈んだり身体をねじったりと忙しい
あらゆる角度から猫耳勇者さんを検証しているようだ
一五四、連合国在住の現実を生きる小人さん︵出張中
ふむ、なるほど⋮⋮
帝国の、どうだ?
一五五、帝国在住の現実を生きる小人さん︵出張中
ああ。やはり青いひとたちはあなどれん
これほどとは⋮⋮
王国の、きっちりと撮っておいてくれよ
2058
一五六、王国在住の現実を生きる小人さん
任せろ。抜かりはないさ
念写ぁっ⋮⋮
一五七、住所不定のどこにでもいるようなてふてふさん
撮影は禁止ですっ!
そこのつの付き、撮るな!
ええいっ寄るんじゃない!
一五八、王国在住の現実を生きる小人さん
ん? 撮って何が悪い? 資料にするんだよ
資料は大事よ? もちろん永久保存な
一五九、住所不定のどこにでもいるようなてふてふさん
可哀相だろ! 血も涙もないのか、お前らは!?
一六0、帝国在住の現実を生きる小人さん︵出張中
なに言ってるんだ
2059
勇者さんはアリア家の人間だぞ
あの家の連中は、自らの感情を制御できる
他の人間たちが十年以上かけて学ぶようなことを
物心ついたときには習得しているようなもんだ
きちんと理屈を説いて、これをするな、あれをするなと言われた
ら、ぴたりとしなくなる
あれをやれ、これをやれ、と教わったら文句も言わずに続ける
ある程度まで物事を理解したら、自分に必要なことを自分で見定
めて、あとは一人で勝手に育っていく⋮⋮
そういう人種だぞ
つまり人間としての基盤が違うんだよ
感情制御のおそろしい点は、安定性だ
教育環境さえ整えておけば、まずぶれることがない
アリア家の人間に、うちがどれだけの煮え湯を飲まされたことか
⋮⋮
間違いなくトップクラスの適応者だよ
一六一、連合国在住の現実を生きる小人さん︵出張中
自分自身の内面に働く能力だからな
他の異能に見られる制限のたぐいが、ほとんど見当たらないのも
特徴だ
まあ、異能に関しては王都のひとか山腹のひとに聞いてくれ
庭園のひとでも構わんがね
2060
あのひとの、というか火のひとの家な
空中回廊⋮⋮
あれは、よく出来てる
もしかしたら異能持ちを特定するための施設なのかもしれん
一六二、王国在住の現実を生きる小人さん
⋮⋮笑ってる画も欲しいな
子狸さん子狸さん。渾身のネタとか用意してません?
名推理とかいいから、戻ってきてよ
一六三、管理人だよ
おれは、子供たちの未来を守りたい
一六四、王国在住の現実を生きる小人さん
あれ、男前モードだ⋮⋮
なんか、ごめん。おれら、調子に乗りすぎてたな⋮⋮
一六五、管理人だよ
なんだよ、急に。調子が狂うぜ
いいんだ。気にするなよ。5ポイントでいい?
2061
一六六、帝国在住の現実を生きる小人さん︵出張中
いや、お前の手持ちのポイントはなくなった
一六七、管理人だよ
!? そんなはずは⋮⋮
⋮⋮マフラーか?
なるほどね。そういうことなら仕方ない
ふっ、嫉妬もほどほどにな
一六八、連合国在住の現実を生きる小人さん︵出張中
納得してくれたようで何よりである
じゃあ、おれら戻るわ
ついでに山腹軍団の勇姿を撮ってくるよう頼まれてるんだ
連弾とやらにも興味がある
と言っても、もう使ってくれそうにねーけど⋮⋮
どうでもいいけど、レベル4のひとたちが撃たれたらどうなんの?
レベルアップして王種になるのか?
一六九、山腹巣穴在住のとるにたらない不定形生物さん︵出張中
2062
さあ? 凶暴化して、世界が滅ぶんじゃないかな
一七0、管理人だよ
おれが撃たれたらどうなるんだ?
一七一、山腹巣穴在住のとるにたらない不定形生物さん︵出張中
言っとくけど、痛いよ。すんごく痛い
一七二、管理人だよ
痛いのは⋮⋮嫌だな
一七三、王都在住のとるにたらない不定形生物さん︵出張中
おれがついてて、撃たれるわけねーだろ
レベル4のひとたちが撃たれた場合はだな⋮⋮
魔☆力が暴走することにしよう
んで、魔☆力に絡めとられた下手人は、折り畳み式ヘルの刑に処
される
一七四、海底洞窟在住のとるにたらない不定形生物さん
2063
じゃあ、スターズが撃たれた場合はどうなんの?
一七五、王都在住のとるにたらない不定形生物さん︵出張中
全人類が折り畳み式ヘルの刑に処される
ただし、心臓の弱い方やご老人、女子供は除外されます
一七六、空中庭園在住のとるにたらない不定形生物さん
下手人が女子供だったらどうなるんだよ
一七七、王都在住のとるにたらない不定形生物さん︵出張中
お前らが折り畳み式ヘルの刑に処される
一七八、火口付近在住のとるにたらない不定形生物さん
横暴だ!
一七九、かまくら在住のとるにたらない不定形生物さん
魔王め!
2064
一八0、王都在住のとるにたらない不定形生物さん︵出張中
言わなきゃわからんのか? 撃たせるな
なにが連弾だ。あんなものは、この世には要らん
山腹の、お前の功績は大きいぞ⋮⋮
10ポイントくれてやる
一八一、山腹巣穴在住のとるにたらない不定形生物さん︵出張中
! はっ、ありがたき幸せ⋮⋮
一八二、海底洞窟在住のとるにたらない不定形生物さん
八百長だ!
一八三、空中庭園在住のとるにたらない不定形生物さん
そうだそうだ!
あんなもん、どこかで試射してたに決まってる!
出来レースだ! やることが汚いぞ!
一八四、王都在住のとるにたらない不定形生物さん︵出張中
さて、無事に酒場へと到着したチーム子狸
トトくんの話によると、非番の騎士たちがよく利用する店である
2065
らしい
家に居場所がないのだろう
チェンジリング☆ハイパーを修めた騎士たちは
いかなる状況においても特定のイメージを結べるよう訓練を施さ
れている
だから彼らの細君は、たまの休日に家でごろごろして過ごす宿六を
愛をこめて、生ゴミと呼ぶのだ
そんな法の番人たちを気遣ってか、店内は薄暗く
外からでは客の人相を見分けられないよう配慮されていた
奇跡﹁⋮⋮なんだか入りにくいお店ですね﹂
ついでに報告しておくと、マヌ嬢の呼称を変更することにした
昼前ということもあり、他の子供たちを見かけることが多くなっ
たからだ
人見知りする性質なのか、子狸への態度もぎこちない
子狸﹁おれが行く。お前たちは、外で待ってろ﹂
年上の威厳を示そうとする子狸さん
トトくんは⋮⋮
未来の中隊長ということ、そして子狸の意思を継ぐものとして
ここはおれが代表して、とくべつな称号を贈るとしよう
中トロ﹁え、いきなり別行動? マヌがさらわれたらどうするんだ
2066
?﹂
子供の浅知恵だな
もちろん子狸さんには深い考えがあって言っているのだ
子狸﹁⋮⋮なにが言いたい?﹂
いささか深すぎたようである
奇跡﹁⋮⋮⋮⋮﹂
マヌ嬢が、こころなしトトくん寄りに立ち位置を変えた
世の中には、年上でも頼りにならない人間がいるのだと
おれたちの子狸さんは我が身を以って説いたのだ
それでいいのだと、子狸は微笑んだ⋮⋮
子狸﹁ふっ。⋮⋮行くぞ﹂
颯爽と店内に踏み込むポンポコのあとに、子供たちが続く
奇跡﹁⋮⋮ねえ、トトくん﹂
中トロ﹁だいじょうぶだよ﹂
奇跡﹁わたし、まだ何も言ってないけど⋮⋮﹂
トトくんは子狸に傾倒している。この子の将来が心配だ
2067
店内は閑散としていた
客は三人で、全員がばらばらの席についている
騎士らしき人影はない
中トロ﹁⋮⋮?﹂
トトくんが首を傾げた
この時間帯なら、いつもは誰かしら顔見知りがいるのだろう
子狸はカウンター席に座った
子狸﹁ミルクを﹂
客A﹁おれもミルクだ!﹂
客B﹁マスター! おれにもミルクをくれ!﹂
客C﹁マスター。そちらの小さなお嬢さんに⋮⋮ミルクを﹂
店主﹁あいよ、ミルク五つね﹂
中トロ﹁え、おれは⋮⋮﹂
店主﹁サービスさ︵ウィンク︶﹂
子狸さんが持ち前の明晰な頭脳で聞き込み調査を行ったところ
子狸﹁ミルク! ミルク!﹂
客A&B﹁ミルク! ミルク!﹂
2068
奇跡﹁あの、人を捜してるんです﹂
客C﹁ふむ。どんな人かな?﹂
中トロ﹁こういう感じです。パル!﹂
客C﹁⋮⋮抽象的だね。元気があってよろしい﹂
奇跡﹁あの、わたしは発光魔法が得意なので⋮⋮ええと、こんな感
じかな。パル﹂
客C﹁⋮⋮なるほど。服装は? 通りすがりの人間を記憶するのは
難しい。遠目からでもわかる、具体的な特徴が知りたい﹂
子狸﹁ミルクぁーっ!﹂
客A&B﹁ミルクぁーっ!﹂
中トロ﹁うるさいよ、あんたら!﹂
子狸﹁あ? ん∼⋮⋮? こら、ここは子供の来るところひゃねー
ろ⋮⋮﹂
中トロ﹁顔、赤っ! えっ、酔ってるの!? なんで!?﹂
子狸﹁アルコールなめんな。きはつ性の⋮⋮なんだっけ。いや、酔
ってねーよ﹂
奇跡﹁酔ってるでしょ! あなた年上なんだからしゃんとして下さ
2069
い!﹂
子狸﹁はい。⋮⋮あ、似顔絵ですか? 絵心ないっすね、お前ら﹂
聞き込み調査を行ったところ、客Cが快く対応してくれた
記憶力が問われる画像処理は、子供には難しい
トトくんの絵は、元気があってよろしい
ただし線が荒すぎるし、人捜しには向かないかもしれない
マヌさんの絵は、丁寧にイメージできているが、少しデフォルメ
が効きすぎている
目はそんなに大きくなかったし、いささか瞳が輝きすぎではないか
子狸﹁見てろ﹂
ふらふらと歩み寄った子狸が、前足に力をこめて振り下ろす
子狸﹁アルダぁッ⋮⋮﹂
客C﹁なぜ闇魔法? しかし⋮⋮うん。すばらしい。見事な写実性
だ﹂
ポンポコ画伯の画像処理は、専門家に勝るとも劣らない
あるいは開放レベル3よりも、よほど戦闘に役立つからだ
ナイスポーズを決めた精悍な男の静止画像だった
豪奢な服を着ている
2070
中トロ&奇跡﹁⋮⋮だれ?﹂
かの有名な、みょっつ一世である
一八五、海底洞窟在住のとるにたらない不定形生物さん
!?
一八五、火口付近在住のとるにたらない不定形生物さん
みょっつ一世だと? あの伝説のか⋮⋮?
一八六、かまくら在住のとるにたらない不定形生物さん
⋮⋮! まさか、あの男⋮⋮みょっつの血を引いているのか?
子狸さんは、それに気が付いていた⋮⋮?
一八七、海底洞窟在住のとるにたらない不定形生物さん
!?
一八八、王都在住のとるにたらない不定形生物さん︵出張中
画伯の作品をじっくりと眺めてから、客Cは首を横に振った
2071
客C﹁⋮⋮見覚えはないな。あんたらはどうだ?﹂
そう言って、客AとBに声をかける
客A﹁ん∼⋮⋮?﹂
客B﹁お∼⋮⋮いやぁ⋮⋮とくに。騎士ですかぁ?﹂
奇跡﹁はい。たぶん﹂
客A﹁騎士ぃ? 騎士なら、あ∼⋮⋮なんだっけ。この街で、いち
ばん大きな館にいると思う⋮⋮﹂
客B﹁ん? ああ⋮⋮さっきの? なんか、慌てて出て行ったなぁ﹂
⋮⋮不測の事態が起きるかもしれないというなら
実働騎士たちを頼るのも悪くないな
特装は、しょせん個人戦のエキスパートだ
チェンジリング☆ハイパーの前では無力に等しい
マヌさんが不安そうに尋ねたのは、トトくんだ
奇跡﹁どうしよう⋮⋮?﹂
中トロ﹁⋮⋮行ってみよう。お姉さんが言ってたことと関係がある
かもしれない﹂
トトくんは、勇者さんのことをお姉さんと呼ぶ
2072
勇者さんが言うには、マヌさんには利用価値があるらしい
つまり、奇跡の子を手元に置きたいと考える権力者がいても不思
議ではない、ということだ
マヌさんは頷いた
子狸さんはおねむになってきたらしい
前足でまぶたをこすっている
奇跡﹁寝ないの! しゃんとして!﹂
子狸﹁んー⋮⋮﹂
マフラーの端を引っ張られて覚醒した
子狸﹁! ぬぅ⋮⋮子供だから許すが⋮⋮﹂
勇者さん以外には、さわられたくないらしい
一瞬、険しい目をした子狸が、表情をゆるめて二人の頭をなでる
子狸﹁安心しろ。お前らの未来は、このおれが守る﹂
中トロ﹁にーちゃん⋮⋮﹂
子狸﹁ふっ﹂
トトくんは感動したようだが⋮⋮ 奇跡﹁じゃあ、ちゃんとして下さいね﹂
2073
子狸﹁はい﹂
マヌさんは子狸の手腕に疑問があるようです
が、その認識はすぐに改められることになる⋮⋮
マフラーの端を引っ張るマヌさんを、酒場から出るなり子狸が押
しのけた
子狸﹁下がれ!﹂
飛来してきた紙片状の光体を、子狸が盾魔法で防ぎきる
とっさの出来事だ。二人の子供たちは反応できない
子狸﹁走るぞ⋮⋮! 先に行けっ。おれがカバーする﹂
射角を割り出した子狸が、二人をかばいながら移動する
通りを走りながら、トトくんが言った
中トロ﹁おとりかもっ、しれない!﹂
子狸﹁敵はひとりだ! 動きでわかる﹂
さいきんは勇者さんに頼りがちになっているが
基本的にシナリオ遂行時のポンポコさんは一対多の状況であるこ
とが多い
そして、そもそも襲撃者が敵ではないケースも経験している
違和感を覚えた子狸が立ち止まった
2074
子狸﹁んっ? 止まれ! 妙だ⋮⋮狙いが逸れてる﹂
街中で魔法の応酬などしていれば、必然的に衆目を集めることに
なる
何事かと遠巻きに眺める通行人たちに、はっとしたマヌさんがフ
ードをかぶってトトくんの後ろに隠れた
盾魔法を解除した子狸が、地面に突き刺さった光体を胡散臭そう
に見つめる
子狸﹁さわるな。一度、手元を離れた投射魔法は遠隔操作できる﹂
自分自身がよくやる手口なので、警戒を怠ることはない
子狸﹁⋮⋮文字? おい、鑑識に回してくれ﹂
中トロ﹁いないよ、そんなの﹂
鑑識の不在に子狸が毒づいた
子狸﹁ちっ、必要なときに限っていないな﹂
むしろ、必要なときにピンポイントで配置されてるようなら、そ
いつは限りなく怪しいだろ
子狸﹁静止画像を撮る。おれから離れるな﹂
そう言って、前足を構える子狸さん
子連れのカルガモみたいに、メッセージカードらしきものの周囲
2075
をぐるぐると回る
子狸﹁⋮⋮よし、いいだろう。下がれ。消去する﹂
油断したときがいちばん危ないのだ
巫女さんの爆破術を何度も目の当たりにしてきた子狸が
メッセージカードに圧縮弾をぶつけて相殺する
奇跡﹁なんて書いてあったの? もしかして⋮⋮﹂
撮影した画像を見つめている子狸に、マヌさんが尋ねた
きっと彼女は、くだんの騎士に敵であって欲しくないのだ
しかし現実は⋮⋮そう甘くない
子狸﹁ビンゴだ﹂
そこには、こう書いてあった
﹃領主の館にて待つ。子羊たちが訪れる頃﹄
一八九、海底都市在住のごく平凡な人魚さん
コマーシャル入りま∼す
一九0、海底洞窟在住のとるにたらない不定形生物さん
お前らに朗報だ!
2076
つの付きシミュレーターに、いよいよ5番機が参戦するぜ!
鬼のひとたちの監修のもと、最新のモデルを完全に再現した今作は
新たに瘴気ゲインを実装している
今度のつの付きは魔☆剣士だ
専用コントローラー︵等身大︶を装着し、数々のミッションに挑め
もちろん従来の1∼4号機も自由に選択できる
愛機とともに戦場を駆け抜けろ
※ イド、トワ、アリス、ウノ各機の瘴気ゲインは湿度計です
※ 子狸さんは機体を選択できません。あらかじめご了承ください
一九一、空中庭園在住のとるにたらない不定形生物さん
いよいよ広告室が動き出したか
討伐戦争の風物詩だな
一九二、管理人だよ
おれの2号機が火を吹くぜ
一九三、山腹巣穴在住のとるにたらない不定形生物さん︵出張中
2077
いや、お前の機体選択画面は飾りだからね
どれを選んでもポンポコスーツになるでしょ?
一九四、管理人だよ
え? なんで?
一九五、海底都市在住のごく平凡な人魚さん
技術的な問題です
一九六、管理人だよ
おう、技術的な問題なら仕方ないな⋮⋮
一九七、火口付近在住のとるにたらない不定形生物さん
むしろ、お前は優遇されてるんだぞ
専用機まで用意してもらって、なにが不満なんだよ
一九八、かまくら在住のとるにたらない不定形生物さん
ポンポコスーツの性能は飛び抜けてるよね
2078
一九九、古代遺跡在住のごく平凡な巨人兵さん︵出張中
もともとはデバック用の機体だからな
子狸はともかく、お前らが使うとバランスが崩壊する
二00、魔都在住の特筆すべき点もないライオンさん︵出張中
子狸さんはよしとしても
お屋形さまのポンポコスーツ使用は禁止にしてくれないか?
あのひとに接待プレイされると、心が折れそうになるんだ⋮⋮
二0一、火山在住のごく平凡な火トカゲさん
レジェンドの存在は想定してなかったからなぁ⋮⋮
かと言って、つの付きの操作は人間には無理だし
⋮⋮要望は受け取っておく
他に何かある?
二0二、住所不定のどこにでもいるようなてふてふさん
湿度計は外しておいてくれ
2079
﹁子狸の事件簿﹂part8︵後書き︶
注釈
・広告室
魔物たちのエリートで構成される広報部隊。
その正体は謎に包まれているが、噂によると深海を拠点にしてい
るらしい。
活動時期が討伐戦争と重なる傾向が見られ、河に出没しては話の
流れをぶったぎる。
目的は不明。なんらかの暗号であるという説から、たんなる嫌が
らせであるという説まで、さまざまな憶測がなされている。
話は変わるが、ドライ︵数字の﹁6﹂︶とか呼ばれることもある
海底洞窟在住の不定形生物さんは﹁プラントオペレーター﹂と呼ば
れる特殊な任務についている。
作業内容は、﹁魔改造の実を世界各地へと転送すること﹂である。
そして彼らの仕事は、各国の騎士団が警察機構として機能しなく
なったとき、もっとも多忙を極める。
忙しいとイライラしてくるので、注意が必要だ。
2080
﹁子狸の事件簿﹂part9
二0三、王都在住のとるにたらない不定形生物さん︵出張中
だんだん蒸し暑くなってきた今日この頃
雨季が近い。湿度計が手放せない時期ですね
さて、有力な情報を得たような気がしないでもないチームポンポコ
﹃領主の館にて待つ。子羊たちが訪れる頃﹄
後半の内容が中途半端だ
おそらく符丁か何かだろう
さっそく領主の館へと急ぎたいところだが
警戒心を新たにした子狸は
いまさらながら自分たちの戦力に不安を抱いたらしく
子供たちを軽くテストすることにした
子狸﹁じゃあ、これは?﹂
遮光魔法で前足を隠し、目覚まし勇者さんにポーズをとらせている
ようは、二人の感覚がどれほどのものかを知りたいらしい
中トロ﹁んー⋮⋮だめだ。わからない。マヌは?﹂
奇跡﹁⋮⋮わたしも。ぜんぜん﹂
2081
子狸﹁うーん⋮⋮﹂
結果は芳しくない。子狸はうなった
ひとしきり首をひねってから、ぽんと前足を打つ
あさっての方角に向けて叫んだ
子狸﹁スーツを転送してくれ!﹂
中トロ﹁え?﹂
⋮⋮もしかして、おれに言ってるの?
ポンポコスーツのことだよね?
いや、ありえないでしょ
子狸さんはお疲れのようである
レクイエム毒針、注射
子狸﹁うっ⋮⋮!﹂
中トロ﹁にーちゃん?﹂
不意に立ちくらみを起こした子狸さん
心配して両腕を差し出してくるトトくんを
前足で制する
子狸﹁だいじょうぶだ。⋮⋮ないものねだりをしても仕方ないな。
索敵⋮⋮あの騎士のことはおれに任せろ。なにか気付いたことがあ
ったら言ってくれ﹂
奇跡﹁はい!﹂
2082
中トロ﹁⋮⋮? うん。わかった﹂
マヌさんの笑顔がまぶしい
奇跡﹁わたし、先生のこと誤解してました。わたしたちのこと、ち
ゃんと考えてくれてるんですね!﹂
先生というのは子狸のことだろう
注射、完了
きらきらした目で見上げられて、子狸は首を傾げる
子狸﹁⋮⋮ん? おう。よくわからないが⋮⋮おれがそう言ったか
らには、おれに任せろ﹂
中トロ&奇跡﹁⋮⋮?﹂
子供には少し難しい言い回しだった
ひとりで納得した子狸が小刻みに頷いている
遮光魔法で再現したメッセージカードに視線を落とす
子狸﹁まずは、いちばん大きな家に行ってみるか⋮⋮﹂
奇跡﹁領主さまのお屋敷ですね。入れてくれるかなぁ⋮⋮?﹂
子狸﹁⋮⋮ん?﹂
2083
もちろん子狸さんは理解していると思うが
街でいちばん大きな家というのは、つまり領主の館だ
暗黙の了解というやつで
領主は大貴族よりも大きな家を建ててはいけないし
平民より小さな家に住むことも許されない
家の大きさは権威の象徴だからだ
言うまでもないことだったな
子狸さんは、しっかりと頷いた
子狸﹁地下が怪しいな﹂
頷いて下さい
中トロ﹁! たしかに⋮⋮﹂
たしかにじゃないよ
その発想はなかったみたいな反応されても困る
奇跡﹁地下に何かあるの?﹂
中トロ﹁どこかに大きな神殿があるって聞いたことがある﹂
子狸﹁⋮⋮だいぶ見えてきたな﹂
いや、見えてねーよ
王都の近くって言ったでしょ?
ていうか、真下にあるんだよ
2084
ここはどこ? 国境付近ですよ
⋮⋮話し合った結果、チームポンポコは領主の館の地下が怪しい
という結論に至りました
羽のひと、助けて。おれが悪かった
二0四、住所不定のどこにでもいるようなてふてふさん
子狸班が暴走をはじめた頃
宿屋で待機中の勇者さんは、狐娘たちの教育に励んでいた
勇者﹁燃えなさい。わたしはあなたに言いました。殴ってごめんな
さい。でも反省はしてません﹂
具体的には、おれたちの反省文︵現代語訳版︶を朗読していた
ベッドの上に座っているのは、勇者さんをはじめ、狐娘A∼Cの
計四名
いちばん幼い狐娘Aが、勇者さんと向かい合う配置になっている
あな
というのは魔王のことだと言われているわ。地上では魔法を使
勇者﹁というように⋮⋮さわりの部分だけ触れたけど、この
た
えない魔物もいるから、魔王への報告は書面で行っていた⋮⋮とい
うのが通説﹂
狐娘Bが挙手する
狐娘B﹁アレイシアンさま﹂
2085
勇者﹁なに?﹂
狐娘B﹁燃えなさいと言ってるのに、どうして殴ったんでしょうか。
べつに燃えてませんよね﹂
狐娘Cも続いた
狐娘C﹁正しくは掛け声なのかもしれない。本当に燃えなさいと書
いてあるのかな⋮⋮﹂
疑問を呈する部下たちに、勇者さんが答える
勇者﹁⋮⋮魔王に対して、魔物たちは友人のように接していたとも
読み取れるわ。これは現在で言うところの都市級が︱︱﹂
狐娘B﹁アレイシアンさま﹂
勇者﹁なに﹂
狐娘B﹁⋮⋮⋮⋮﹂
勇者﹁⋮⋮⋮⋮﹂
無言で見つめ合う二人
狐娘A﹁?﹂
元祖狐娘は首を傾げて二人を見ている
まだ幼い彼女には、正しい教育が必要だった
2086
勇者さんは⋮⋮
勇者﹁⋮⋮メノッドブルもそうだったけど﹂
骨のことだ
勇者﹁どうして、あなたたちは特定の単語をわたしに言わせようと
するの?﹂
狐娘C﹁⋮⋮アレイシアンさま﹂
勇者﹁⋮⋮なに﹂
狐娘Cが、勇者さんににじり寄る
狐娘C﹁アレイシアンさまは、栄光ある騎士号を継ぐ方です。あな
たは民を導かねばならない⋮⋮﹂
狐娘B﹁あなたの言葉は重い。とても⋮⋮重い。正しい言葉を歪め
ては、なりません﹂
意地でもバーニングと言わせたい狐娘BとC
もっともらしい台詞に、勇者さんは頷いた
勇者﹁そうね。わたしが間違っていたわ﹂
そう言って狐娘Aに向き直る。そして彼女は︱︱
あれ、おれアナザーどこ行った?
2087
二0五、住所不定の特筆すべき点もないてふてふさん
まんまと誘い込まれたというわけか
血沸き肉踊るとはこのことよ⋮⋮
空中回廊
奥深くに王種の一人が鎮座する、この要塞は
内部にありとあらゆる環境が用意されている
順路と言うべきものはなく
必要とされる条件を満たしたものだけが、先へと進むことができ
るのだ
森から山へ、山から海へ、ステージとステージをつなぐ通路には
地上に適応した強力な魔物たちが配置されている
過去の激戦によるものか⋮⋮?
かつては平坦だった通路に、不規則な段差が刻まれていた
深く冷たい闇の中、色とりどりのお前らが蠢く
庭園﹁え∼⋮⋮? ふつうに追ってきた⋮⋮﹂
友情出演の原種たちを引き連れた庭園のひとが
おれの行く手を遮る
おれ﹁邪魔をしないで。火の宝剣について訊きたいことがあるの﹂
2088
庭園﹁ん? どうしたの、急に﹂
しらばっくれる青いのに、おれは言った
おれ﹁⋮⋮最深部にあると聞いていたのに。そうではなかった⋮⋮
嘘だったのね﹂
おれは思う
扉
は﹂
オリジナルとアナザーは、ともに笑い、ともに泣くべきなのだ
おれ﹁どこにあるの? 日々を生きているのだから
二0六、空中庭園在住のとるにたらない不定形生物さん︵出張中
おれにも魔物れと仰るか
二0七、王都在住のとるにたらない不定形生物さん︵出張中
庭園のんが罰ゲームに巻き込まれた一方その頃
領主の館に辿りついたチームポンポコは、門前払いされて途方に
暮れていた
門番A﹁入れるわけがないだろう﹂
2089
門番B﹁地下なら許されるとかそういう問題じゃないから﹂
子狸﹁⋮⋮? 屋上?﹂
門番C﹁だから、なんで入れる前提で話を進めようとするんだ﹂
騎士に対しては何かと反抗的な子狸だが
そうではない、ふつうの大人には丁寧口調だ
通してもらえるよう、交渉を試みている
子狸﹁すごく大事なことなんです﹂
門番D﹁うーん⋮⋮ふだんなら領主さまにご判断を仰ぐんだが⋮⋮
タイミングが悪かったなぁ﹂
子供を二人も連れているからだろう、門番たちは同情的だ
トトくんが交渉に加わる
中トロ﹁あの、中にいる騎士たちに話してもらえませんか? おれ、
知り合いなんです﹂
門番A﹁いや、そういう問題じゃないんだ。われわれは、ここを動
くなと言われているし、来客があるという話は聞いていない。そう
いうお仕事なんだよ﹂
マヌさんも加わる
奇跡﹁先生、さっきの⋮⋮見てもらえば。わたしたちは無理でも、
伝えておいたほうがいいと思う﹂
2090
子狸﹁ん? さっきの?﹂
メッセージのことだろう
子狸﹁⋮⋮⋮⋮﹂
子狸は少し悩んでから、目覚まし勇者さんを披露しはじめた
門番A∼D﹁おお﹂
門番たちがどよめいた
尋常ならざるクォリティなのだ
以前よりもさらに磨きが掛かっている
中トロ﹁にーちゃん、ちがうよ。それじゃなくて、ほら、館にて待
つっていう﹂
子狸﹁そうか。さっきのだな﹂
奇跡﹁うん、さっきの﹂
納得した子狸が、遮光魔法でメッセージカードを再現した
細かいディティールまで完璧に仕上げてある
たいていのことはすぐに忘れるのに、この手の再現性は高い
じつに不思議な生き物である
カードに刻まれた文字列を目にするなり、門番たちは天を仰いだ
2091
門番D﹁⋮⋮なぜ、それを真っ先に見せない⋮⋮﹂
門番A﹁子羊⋮⋮この子たちのことか﹂
門番B﹁おい。照合できる人間を連れてきてくれ﹂
門番C﹁わかった。すぐに戻る﹂
対となるカードが、前もって領主に送りつけられていた、という
ことだろう
符丁の役割を与えられた画像には、固有のパターンが付加されて
いるケースが多い
今回の場合は、端の部分に独特な文様が入っていた
偶然の一致とは考えにくいから、ほぼ決定的な証拠になる
招かざる客であることは変わりない
しかし有力な手掛かりを持参したことで
子狸さんは華麗にも容疑者へと昇格したのだ
無事に照合を終え
館内の一室に通された子狸を待っていたのは、騎士による尋問だ
った
騎士A﹁どこでこれを手に入れた?﹂
子狸﹁⋮⋮それがひとに物を尋ねる態度か﹂
相手を騎士と見るや、子狸さんの反骨精神に火がついた
王都にいた頃、さんざん追い掛け回されていたので、騎士が嫌い
2092
なのだ
騎士A﹁子供だから手を上げないとでも思っているのか? つけあ
がるな﹂
騎士B﹁⋮⋮よせ。まだ犯人と決まったわけじゃない﹂
子狸﹁使い古された手口だ﹂
騎士A﹁貴様っ⋮⋮!﹂
騎士B﹁よせ!﹂
一方、トトくんとマヌさんは騎士たちに歓迎されていた
騎士C﹁そうか。大変だったな、トト坊﹂
騎士D﹁よくやったな。もうだいじょうぶだ。おれたちがついてる
ぞ﹂
騎士E﹁しかし奇跡の子とはな⋮⋮。関連性がある、ということか
?﹂
騎士F﹁⋮⋮何とも言えんな﹂
使用人の居室を改装した部屋なのかもしれない
さして広くもない角部屋に、実働騎士の一個小隊
部屋の中央に台座が置かれていて、小隊メンバーの二人が固く守
備している
実働部隊の基本単位は八人だから、館内の警備にあたっている四
2093
名は別の小隊だろう
部屋の窓は二つ
外部からの侵入者に備えて、外に二人ずつ配置している
つまり二個小隊による警備体制だ
台座の上部を闇魔法で覆っているため、内部に何があるのかは不
明だが
ずいぶんと物々しい布陣である
中トロ﹁⋮⋮あれは?﹂
騎士C﹁気にするな。近づいちゃだめだぞ。お前を疑っているわけ
じゃないが、おれたちは領主の依頼で動いている。中途半端なこと
はできん﹂
マヌさんがびくりとした
子狸を尋問していた騎士Aが、片手を机に叩きつけたのだ
騎士A﹁第一、その首︵不適切な表現がありました︶は何だ!? 見せてみろ!﹂
子狸﹁さわるな﹂
無遠慮な騎士の腕を、子狸が前足で払いのける
ひとには譲れない部分というものがある
子狸にとっては、勇者さんからもらったマフラーがそのひとつな
のだ
騎士A﹁⋮⋮!﹂
2094
騎士B﹁おちつけ! 頭ごなしに怒鳴っても仕方ないだろう﹂
いきり立つ騎士Aを、騎士Bが抑えに回る
そうすることで、尋問される側は心理的な味方を得ようという気
持ちになる
たしかに使い古された手口だった
騎士B﹁もういい! お前は配置に戻れ。あとは、おれがやる﹂
理性的な一方は、立場が上であるというアピールも忘れない
もちろん子狸さんが、この程度の寸劇に騙されるわけもなく︱︱
子狸﹁⋮⋮あんたは、少しは話がわかるみたいだな﹂
ころっと騙された
騎士B﹁⋮⋮悪く思わないでやってくれ。優秀なやつなんだが、頑
固でな。部下には、あとで正式に謝罪させるとしよう﹂
騎士Bは様子を見ている
騎士B﹁見たところ学生のようだが、学校は?﹂
軽いジャブで揺さぶりを掛けてきた
子狸﹁王都にある﹂
所在地
2095
二0八、火口付近在住のとるにたらない不定形生物さん
所在地⋮⋮
二0九、かまくら在住のとるにたらない不定形生物さん
所在地だな⋮⋮
ときに、王都の
お前には見えてるんだろ? 騎士たちは何を守ってるんだ?
恥ずかしがらずに言ってみろよ
二一0、王都在住のとるにたらない不定形生物さん︵出張中
なんで恥ずかしがる必要があるんだよ
お前はおれに何を期待してるんだ
たしかに見えているが⋮⋮
しかし、そうだな⋮⋮子狸には内緒にしておいてくれるか?
二一一、管理人だよ
おれには内緒なんだな
わかった。任せてくれ。口は固いほうだ
2096
二一二、魔都在住の特筆すべき点もないライオンさん︵出張中
うむ⋮⋮
二一三、海底洞窟在住のとるにたらない不定形生物さん
うむ⋮⋮
いや、案外だいじょうぶかもしれんぞ
本人がこう言ってるんだから、記憶には残らないかもしれん
二一四、王都在住のとるにたらない不定形生物さん︵出張中
記憶には残らなくとも、おれの悲しみは残るだろ
暗号でいいか? 台座の上にあるのは、7@具だ
二一五、山腹巣穴在住のとるにたらない不定形生物さん︵出張中
おい。もう少しひねれよ
以前から思っていたんだが、お前は子狸さんを見くびってる
⋮⋮お前が心配なんだよ
あとで後悔しても遅いんだ
悔いを残すような真似は慎んでくれ
2097
二一六、管理人だよ
串焼き⋮⋮?
二一七、山腹巣穴在住のとるにたらない不定形生物さん︵出張中
串が残った
二一八、王都在住のとるにたらない不定形生物さん︵出張中
なんか、ごめんな
二一九、住所不定のどこにでもいるようなてふてふさん
⋮⋮どういうことだ?
@具は、緑のひとが回収してる筈だぞ
二二0、王都在住のとるにたらない不定形生物さん︵出張中
そうだな。つまり⋮⋮見ていればわかる
厳重な警備体制であったが、魔法への対策には限度がある
原則的に、同じレベルの魔法は性質の衝突がない限り相殺し合う
開放レベルの上限が定まっている以上、無敵の魔法は存在しない
のだ
2098
室内の照明が落ちた
外部から、広い範囲を闇魔法で覆ってしまえば、日差しを遮るこ
とは難しくない
そして、ある一定以上の力量を持つ魔法使いなら
あらかじめ迷彩して館内に侵入することもできる
敵は二人組みだ
闇に閉ざされた空間に轟音が鳴り響いた
壁を破壊した音だ
魔法の火力があれば、侵入経路は自在に選べる
騎士たちの対応は迅速だ
騎士A﹁パル!﹂
??﹁ディグ!﹂
浮かび上がった光源を、すかさず放たれた圧縮弾が押しつぶした
室内に踏み込む前に準備しておいたのだろう
しかし、じゅうぶんだ
一秒にも満たない時間、半秒もあれば、騎士は敵味方の位置を把
握できる
ところが、子狸にはその時間すら必要なかった
闇の中で蠢くポンポコ⋮⋮
騎士B﹁っ⋮⋮待て!﹂
2099
騎士たちが二の足を踏んだ
子狸の行動が予測できない
騎士A﹁射線を切れ! 3、5、4!﹂
暗視状態で戦う場合、騎士たちはよく数字の暗号を用いる
盾魔法の範囲を指定し、対象を閉じ込めるためだ
??﹁っ⋮⋮﹂
騎士たちの予定が狂ったので、侵入者の予定も狂った
戦歌砲撃への対策はあったのだろう
とっさに進路を変更し、二人の子供たちに駆け寄る
人質にとるつもりだ
子狸﹁おれナックル!﹂
??﹁ぐふっ﹂
子狸の前足がうなった。命中
迎撃されたことで、奇しくも侵入者は盾魔法の範囲外に脱出できた
子供たちを人質にとることなど、騎士たちにはお見通しだったのだ
でも子狸さんの活躍で、予定が狂った
奇跡﹁パル!﹂
何もしなければ、最後に打ち勝つのは騎士だったであろうが⋮⋮ 暗中の不安にマヌさんが耐えきれなかったのは仕方ない
2100
彼女は、追われる身なのだ
??﹁ちぃっ!﹂
侵入者は床に這いつくばっていた
音源を頼りに忍び寄っていた騎士Cの腕が空を切る
二度目の発光魔法が合図になったのか
外部からの砲撃で壁が砕けた
内部の人間を傷つける意図はないらしい
被害は壁のみにとどまった
悲鳴を上げてしゃがみ込んだマヌさんを、騎士DとEが背中でか
ばう
騎士Fはトトくんの傍らから一歩も動いていなかった
騎士G﹁! しまった⋮⋮!﹂
騎士H﹁聖木を⋮⋮!﹂
侵入者が、殴られた拍子に吹っ飛んだマスクを付け直して跳躍する
聖木
は確かに頂いた!﹂
脱出経路に足を掛けた男が高らかに笑った
??﹁はーっはっは! 目元をマスクで隠しているものの、この男はまさしく⋮⋮!
二0九、空中庭園在住のとるにたらない不定形生物さん︵出張中
2101
だれ!?
いや、知らんぞ! みょっつ︵仮︶じゃない!
二一0、王都在住のとるにたらない不定形生物さん︵出張中
義賊と名高い怪盗アルだぁーッ!
二一一、住所不定の特筆すべき点もないてふてふさん
だれだよ!?
二一二、海底洞窟在住のとるにたらない不定形生物さん
あれ? これ⋮⋮まったくべつの事件に巻き込まれてる!?
二一三、王都在住のとるにたらない不定形生物さん︵出張中
うん。酔っぱらいから情報収集という時点で間違ってたな
まあ、まったくの無関係というわけでもないから⋮⋮
怪盗アルは、手に持つ二股の枝を掲げた
七代目勇者の聖☆剣は、ツインホークとも称される
頬をさすりながら、高みから子狸を見下ろした
2102
怪盗﹁手痛い歓迎だった。しかし、今回は私の勝ちのようだな、名
探偵くん!﹂
子狸﹁くっ⋮⋮怪盗アル!﹂
怪盗﹁そうとも。私は怪盗アル! 不正を暴き、不当を正す! こ
の世に悪がある限り、私は戦う!﹂
騎士たちは動かなかった
いちおう表向きは無念を装っているが⋮⋮
騎士A﹁なにをしている! 撃て!﹂
騎士B﹁しかし隊長! ここは危険です。いつ、また砲撃があるか
⋮⋮!﹂
反論になっていない
チェンジリング☆ハイパーは、攻防一体の奥義だ
つまり、そういうことなのだろう
健闘むなしく聖☆木を奪われる⋮⋮これが彼らの今回の任務なのだ
騎士たちが手出しして来ないのをいいことに、興が乗ってきた怪
盗アルは言いたい放題である
怪盗﹁諸君、私は正しく怒りに燃えている! 勇者の名を借りた大
貴族の傲慢にだ!﹂
歴史に詳しいものなら、聖☆木が王種に返還されていることはわ
2103
かる
魔物たちは人類の天敵という位置付けだから
魔王を討つもの、すなわち勇者は、あまねく信仰の対象たりえる
勇者の正義を、人は認めるしかない
それは神聖な約束であり、利用してはならないのだと怪盗アルは
言う
子狸は動揺していた
子狸﹁聖☆木⋮⋮! そんなものが、なぜここにある!?﹂
怪盗﹁欺瞞だ! すべては欺瞞なのだよ、少年⋮⋮。それでも、君
は私を追うかね?﹂
憂いを帯びた怪盗アルの声に、子狸はためらう
迷い、しかしそれでも⋮⋮名探偵ポンポコは疑うのだ
そして問いかける
子狸﹁⋮⋮それは、希望だ。希望は、花だよ。花は、ひとりで咲か
せるものじゃない﹂
なにを言いたいのか、さっぱりわからないが⋮⋮
怪盗アルは何か感じ入るものがあったらしい
怪盗﹁ふっ、それでこそ私のライバルだ﹂
いつの間にかライバル認定されていた
2104
もしかしたら騎士たちを相手にするのが嫌なのかもしれない
たんじゅんに命の危険を感じるのだろう
怪盗アルが真に欲していたのは、己が魂を燃やし尽くせる終生の
好敵手であった⋮⋮
2105
﹁子狸の事件簿﹂part9︵後書き︶
注釈
・聖☆木
歴代勇者たちが振るった光輝の剣、その基点となる聖なる枝のこ
と。
聖☆剣の基礎形状は、この聖☆木の枝ぶりによって決まる。
ツインホーク、トリプルバインダーなど、形状に応じた名称があ
るようだ。
運命に選ばれた勇者以外には扱えないとされているが、じつはそ
のへんに落ちていたものを拾ってきただけなので、だれが持っても
聖☆剣としては機能しない、完璧なセキュリティを施されている。
なお、歴代の勇者が魔王を打ち倒し、役目を終えた聖☆木は、例
外なく王種へと返却されている。
その後、埋められて土に還っている。つまり、一つたりとて現存
しない。
︵作者より︶
バニラ様より素敵なイラストを頂きました。
﹁第三回全部おれ定例会議﹂part2にてご覧になれます。妖精
の里では、このようにたくさんの妖精たちがあたたかく出迎えてく
れます。ユートピア。
2106
﹁二人目の剣士﹂
二一四、古代遺跡在住のごく平凡な巨人兵さん︵出張中
いちいち大袈裟なんだよな
ようは勇者さんを納得させようとしてるんだろ?
人間って大変だなぁ⋮⋮
二一五、火山在住のごく平凡な火トカゲさん
お前は、何かっつーとそうやって自分だけはわかってるみたいな
顔するよね
二一六、古代遺跡在住のごく平凡な巨人兵さん︵出張中
そういうお前は、何かっつーと子狸と同じ側にいる自分をアピー
ルするよね
二一七、火山在住のごく平凡な火トカゲさん
そっ、そんなんじゃねーよ!
二一八、海底都市在住のごく平凡な人魚さん
2107
やめんか、巨大生物︵?︶ども
同じレベル5として恥ずかしくなる
二一九、古代遺跡在住のごく平凡な巨人兵さん︵出張中
なんで疑問符だよ
おい。おれだって一生懸命生きてるんだぞ
この巨人兵さんはね、緑と赤が何かやらかすたびに後始末してき
ました
その点、人魚さんは優等生ですね
花まるをあげます
二二0、火山在住のごく平凡な火トカゲさん
先生! おれもがんばったと思います!
二二一、古代遺跡在住のごく平凡な巨人兵さん︵出張中
緑くんは、おちつきが足りませんね。もう少しがんばりましょう
でも、いつも明るくてよろしい。花まるはあげられませんが⋮⋮
︱︱受け取れぃ! これがお前の滅びの序曲だッ!
サイバーギミック解放! 食らえっ
2108
おれブレリュぅぅぅド!
二二二、火山在住のごく平凡な火トカゲさん
あんぎゃー!
二二三、海底洞窟在住のとるにたらない不定形生物さん
注釈
・おれブレリュード
おれガイガーに備わるサイバーギミック︵自称︶のひとつ
変幻自在の身体を活かして、相手の関節を全て同時にロックする
荒業である
ようはイメージの悪いおれミストだ
二二四、火口付近在住のとるにたらない不定形生物さん
なんだろうな
いつも不思議に思うんだが、討伐戦争がはじまると
お前らの内輪もめは激化するよね
二二五、かまくら在住のとるにたらない不定形生物さん
まったくだ
2109
少しは仲良くできんのかと思うね
二二六、王都在住のとるにたらない不定形生物さん︵出張中
うん。そうだね
さて、まんまと聖☆木を頂戴した怪盗アル
世間で噂されているのは神出鬼没の義賊という話だが
じつは二人一組であるということは知られていない
魔法使いとして突出しているのは
実行犯よりも、むしろ後方支援の影使いだ
闇属性を得意とする人間は珍しい
魔物に対して有効な属性とは決して言えないからだ
なにか、こだわりでもあるのだろうか
マントをひるがえした怪盗アルが、哄笑とともに闇に抱かれて遠
のいていく
怪盗﹁さらばだ!﹂
子狸﹁待て!﹂
どさくさに紛れて逃亡を図る子狸を、騎士Bが取り押さえた
結果的に、名探偵ポンポコは怪盗アルに利用されたことになる
うがった見方をすれば、協力者だ
嫌疑は晴れない
2110
騎士B﹁心配いらない。私たちとはべつのチームが追跡に回る。わ
れわれは、この館から離れるわけには行かない﹂
おそらく聖☆木は二本ある
どちらも贋物だから、光の宝剣を所持している勇者さんを味方に
つけたほうが勝つ
これは最初から仕組まれた事件だ
メリットは幾つかある
まず、勇者誕生のデモンストレーション
それから、鍛え直された勇者さんの剣を無事に運搬するためのお
とりだ
騎士団が欲しているのは、剣を運んだという事実なのだろう
勇者さんは、大貴族の子女だ
歴代勇者がそうであったように平民出身ではなく
貴族出身の勇者というのは、王国にとって非常に都合のいい存在
である
貴族政治の正当性を訴える、またとないチャンスなのだ
騎士たちは、怪盗アルの逮捕に消極的だった
貴族が噛んでいると見て間違いない
怪盗アルの正体は、たぶん⋮⋮
いや、よそう
その謎は、きっと名探偵ポンポコが解き明かしてくれる
子狸﹁ツインホークは危険だ! あれは不完全な聖☆剣なんだ。暴
走でもしたら⋮⋮﹂
2111
騎士B﹁⋮⋮ずいぶんと詳しいな﹂
疑念は深まるばかりだ
暴れる子狸を、騎士Bは片腕で押さえつけている
騎士の捕縛術から素人が抜け出すのは無理だ
切なげに鳴くポンポコ
見るに見かねたマヌさんが、騎士Bに懇願した
奇跡﹁先生にひどいことしないで!﹂
騎士B﹁しかしだな⋮⋮﹂
一方、トトくんは騎士Aに直談判している
騎士志望というだけあって、子狸が容疑者扱いされていることに
気が付いたのだろう
師の無実を訴えるトトくんだが、しかし騎士Aは首を縦に振らない
騎士A﹁重要なことだ。お前たちは、どこかでやつと接触していた
可能性がある﹂
中トロ﹁心当たりはないけど⋮⋮﹂
ふつうに考えたら、メッセージカードを投げて寄越した人物がそ
うなのだろう
しかし、子狸よ
よく考えてみろ
2112
怪盗アルは最低でも二人いる
やつらが騎士たちを出し抜こうとするなら
騎士団の動向を把握しておきたいと考えるのが当然だ
そのためには、不特定多数の人間が出入りして
かつ騎士たちが長居する環境が最適と言えるだろう
実行犯が情報収集を担当するとは考えにくい
背格好や声で怪しまれるだろうからな
ここまで言えばわかるな?
子狸﹁! そうか、そういうことだったのか⋮⋮﹂
ぴんと来たようである
二二七、住所不定のどこにでもいるようなてふてふさん
どうせ珍解答なんだろ
子狸に人並みの推理力を期待するのは間違いなんだって、そろそ
ろ認めようぜ
二二八、山腹巣穴在住のとるにたらない不定形生物さん︵出張中
おれは子狸さんを信じる
2113
二二九、火口付近在住のとるにたらない不定形生物さん
山腹の⋮⋮
ふっ、敵わないな、お前には
おれも信じてみるか、おれたちの⋮⋮管理人を
二三0、かまくら在住のとるにたらない不定形生物さん
ああ。正直、信じきれないっていう気持ちはある
でもよ、もう一度だけ⋮⋮一度だけでもいい、信じてみたいんだ
らしくねえって思われるかもしれないけどさ、賭けてみたくなっ
ちまった
二三一、海底洞窟在住のとるにたらない不定形生物さん
初心に帰る、か⋮⋮
いい言葉だよな
開祖は、たしかに適当なことしか言わなかったけどさ⋮⋮
いまになってみれば、なにか大切なことを教えてくれた気がする
んだ
なんだかんだで、あのひとは物事の本質をとらえてたんじゃない
かって、さいきん思うよ
子狸も、きっと⋮⋮
2114
二三二、空中庭園在住のとるにたらない不定形生物さん︵出張中
おれ﹁ばかなっ! 原種が全滅だと!?﹂
コアラ﹁わたしがジェルよりも弱いと思っていたの? 甘く見られ
たものね⋮⋮﹂
おれ﹁くっ、速い⋮⋮!﹂
コアラ﹁あなたたち魔物とはちがうの。わたしたちの女王は、もっ
とも優れた戦士から選ばれる。わたしは、あのグラ・ウルーにだっ
て勝つ自信がある﹂
おれ﹁⋮⋮ふっ、惜しいな﹂
コアラ﹁なにが?﹂
おれ﹁教えてやる。お前たちが王種と呼ぶ連中は、魔界では開放レ
ベル5と呼ばれる。魔法の最大開放は⋮⋮レベル9だ﹂
コアラ﹁!﹂
衝撃の事実であった
あ、おれも子狸さんに清き一票を投じます
二三三、住所不定の特筆すべき点もないてふてふさん
そうだね。衝撃の事実だね
2115
おれは⋮⋮すまん。オリジナルと同意見だ
どうしても信じきれない⋮⋮
バウマフ家の業は深すぎる
ごめんな。自分が情けないよ⋮⋮
それでも、もしも⋮⋮
もしも子狸さんが、そうじゃないんだってことを証明してくれたら
こんなおれでも、変われるかもしれない
二三四、魔都在住の特筆すべき点もないライオンさん︵出張中
てっふぃー⋮⋮
変われるよ! お前なら、だいじょうぶだ
子狸さんなら、きっとやってくれる!
おれたちの管理人なんだから⋮⋮!
二三三、王都在住のとるにたらない不定形生物さん︵出張中
お前らの気持ちはよくわかった
だが、少し待ってくれ
子狸さんの名推理が炸裂するかと思われた、まさにそのときである
部屋のドアが、わずかに開いていることに騎士Gが気付いた
騎士G﹁!﹂
2116
素早くひざまずいた騎士Gに、他の騎士たちも続く
遅れて、トトくんとマヌさんも彼らに習った
この国で生まれ育った人間は、誰かがひざまずいたら自分もそう
するよう教えられる
もちろん子狸とて例外ではない
踊りはじめた子狸を、騎士Bが力尽くで平伏させた
??﹁⋮⋮⋮⋮﹂
ドアの隙間から、何者かが室内を覗き込んでいた
子狸﹁! だれだ!?﹂
元来、狸は臆病な動物である
外敵から身を守るために、野生の勘を発達させてきた
しかし、まれに
その鋭い感性をすり抜ける人間がいる
まるで捕食者のように
子狸の誰何に、天敵はびくりと震えた
いったんドアの後ろに身体を引っ込めてから
おそるおそると半身を乗り出す
少女だった
子狸よりも一つか二つ年下だろう
ちょうど勇者さんと同じ年頃に見える
2117
子狸﹁この感じ⋮⋮お嬢と同じ⋮⋮?﹂
そうだ。剣術使い⋮⋮しかも、こいつは⋮⋮
勇者さんのときの繰り返しになるが
平民で、かつ剣士というのは、現実的ではない
現代を暮らす人々は、魔法使いであることが前提の社会を生きて
いる
もちろん例外はいるだろうが⋮⋮
騎士たちの態度が、少女の身分を物語っていた
二三四、住所不定のどこにでもいるようなてふてふさん
回りくどい。つまり、なんなの? 大貴族なの?
はっきり言えよ
二三五、王都在住のとるにたらない不定形生物さん︵出張中
はい。大貴族です。ごめんなさい
代表して口を開いたのは、騎士A。たぶん、この人が小隊長です
騎士A﹁ココニエドさま。どうなさいましたか?﹂
ココニエド、というのが少女の名前であるらしい
お前らにわかりやすく言うと、剣術を伝える大貴族はアリア家と
ピエトロ家の二つしかない
2118
緑の島で勇者さんがピエトロという偽名を使ったのは
他に選択肢がなかったからだ
剣士は、魔法使いを装うことができない
二三六、海底洞窟在住のとるにたらない不定形生物さん
ココニエド・ピエトロというと⋮⋮
ああ、箱姫か
大きくなったな。相変わらず挙動不審で嬉しいぜ
二三七、住所不定のどこにでもいるようなてふてふさん
なんだ、箱姫って
箱入り娘のこと?
二三八、海底洞窟在住のとるにたらない不定形生物さん
極度の人見知りなんだよ
ひとと話すとき、絶対に目を合わせようとしない
将来を危ぶんだ親父さんが社交界に連れ出したんだけど
箱をかぶって出てきたから箱のお姫さま。略して箱姫
命名したのは歩くひとだよ
懐かしいなぁ⋮⋮
2119
二三九、王都在住のとるにたらない不定形生物さん︵出張中
いつも河にいる海底のんは何でも知ってる
親父さんの苦労もむなしく、箱姫は健在のようだ
箱姫﹁⋮⋮⋮⋮﹂
ぼそぼそと何か言ったが、人間の聴力で聞きとれる声量ではなか
った
騎士A﹁⋮⋮もう少し大きな声でお願いします﹂
騎士Aは慣れている
おれは聞きとれたけどね
箱姫は﹁大きな音がしたから﹂と言ったのだ
砲撃の音を聞きつけて駆けつけたのだろう
しかし彼女の意思が伝わることはなかった
箱姫﹁⋮⋮⋮⋮﹂
きょときょとと視線をさまよわせてから、箱姫は深呼吸して意を
決した
⋮⋮かのように見えたが、知らないひとたちがいたので断念した
ようである
素早く顔を引っ込めて退散しようとする彼女に、子狸が鋭く叫んだ
2120
子狸﹁動くな!﹂
箱姫﹁!?﹂
いつになく無礼なポンポコである
いちおう、貴族に対する礼節はわきまえていると思っていたんだ
が⋮⋮
騎士Bが小声で忠告してくれた
騎士B﹁やめておけ。わかるだろう。彼女は貴族だ﹂
しかしこのとき、子狸さんの双眸は熱く燃え盛っていた
子狸﹁それをいまから説明します。⋮⋮ようやくわかったんですよ、
この事件の真犯人がね﹂
そう言って名探偵ポンポコは、ぐるりと室内の面々を見渡した
騎士Bの制止を振りきって立ち上がると、のこのこと部屋の中を
徘徊しはじめる
子狸﹁謎のメッセージ⋮⋮消えたツインホーク⋮⋮最初からおかし
いと思ってたんだ﹂
ぴたりと立ち止まる
一度、なにかを堪えるように瞑目し、天井を仰いだ
ためらい、ひとはなぜ真実を求めるのか
2121
秘めておきたい過去がある
手放したら最後、二度と戻らない今もある
悲しい結末を予感したとき
ひとは鈍感になるべきではないのか
それでもなお
探偵として生きることを
選んだのなら
探偵は、そして断言したのだ︱︱
子狸﹁犯人は⋮⋮!﹂
2122
﹁奇跡の子﹂part1
一、王都在住のとるにたらない不定形生物さん︵出張中
重い︱︱
重い雨が屋根を叩いている
横殴りの突風が吹くたびに館がきしんだ
風土の違いにより建築方式は異なれど
大きな屋敷の間取りは、だいたい共通している
館内に入ってすぐに大広間
大広間は聖堂を兼ねている
これは、自分が勇者の信奉者であり
また魔物に与することは決してないというアピールのためだ
聖堂には女神像が祀ってある
人ならぬ神
役目を終えた勇者を迎えるとされる、聖なる海獣だ
女神が見守る中
大広間へと通じる、なだらかな階段を
ひとりの男が、ゆっくりと降りてくる
みょ﹁次は手加減しない⋮⋮そういう約束だったな﹂
詠唱はあればいい
口早に詠唱を済ませると、両手に一本ずつ光の剣尖が伸びた
2123
余人には聞きとれない声量の詠唱は、特装騎士ならでは
緻密なイメージは、第三者の認識を必要としない
他者の助けを求めない︱︱
それは、自分自身への誓いだ
男は言った
みょ﹁悪くはなかろう。お前はアリア家の使いであり、おれはピエ
トロ家に仕えるもの⋮⋮ともに剣士の家柄だ﹂
そう言って両手の剣をこすり合わせると、耳障りな甲高い音が鳴
り響いた
互いに干渉しつつも、相殺することはない
片方の剣は盾魔法、もう片方は貫通魔法ということだ
拒絶と浸食は完全に拮抗する性質を持っている
変化は便利な魔法だが、連結することで剛性を失う
だから剛性を保った二振りとはべつに
誘導性を与えた第三、第四の手札を用意するのは特装騎士の常套
手段だった
妖精︱︱あるいはオプションとも呼ばれる小さな光弾が、男の周
囲を高速で飛び回っている
魔法武装を終えた男が、あざ笑った
みょ﹁彼女から話は聞いたか? どうせ自分に都合のいい話しかし
ていないのだろう⋮⋮﹂
差し伸べた手を払われたマヌさんが、嗚咽を漏らしている
2124
傍らにしゃがみ込んだトトくんが、彼女の小さな背中をさすって
やっていた
子狸は、二人の子供たちをかばって立っている
階下のポンポコと、階段を歩く男の視線が交錯した
みょ﹁子供を神聖視するのはやめろ。それは人間だ。どうしようも
なく﹂
子狸﹁⋮⋮⋮⋮﹂
子狸は答えない。男は続けた
みょ﹁保身しか頭にない。子供というのはな、そういうものだ﹂
階下に光の剣尖を突きつけて言う
みょ﹁お前は知らんだろう。そいつは、親元から離れることを喜ん
でいた。行く先々であれが食べたい、これが欲しいだのと、おれは
求められるままに買い与えてやった。子供の機嫌をとるのは骨が折
れたぞ﹂
男は、吐き捨てた
みょ﹁なにが奇跡の子だ。殊勝なふりをしているが⋮⋮まるでお姫
さま気取りだったよ。反吐が出る﹂
黙って聞いていた子狸が、前足を突き出した
子狸﹁イズ﹂
2125
特装騎士と同じことができるはずなのに、子狸は詠唱を隠そうと
はしない
それは、選んだ道の違いだ
紫電がほとばしった
子狸﹁ラルド・グレイル・タク﹂
五つに分裂した雷球が、前足にまとわりつく
みょ﹁! 魔属だと⋮⋮?﹂
かすかに目を見開いた男に構わず、子狸は詠唱を続ける
子狸﹁ディレイ・エリア・エラルド﹂
意思のまま動く防性の力場は、いつでも打ち出せるよう腰の後ろ
で待機
触手のようにうねる、見るものに縞模様を錯覚させる、先太りの
︱︱
これが子狸のオプションだ
みょ﹁人間ではないのか? いや、そんなことはどうでもいい⋮⋮﹂
敵であることは変わりない
動揺を封じこめた男に、子狸もまた歩み寄っていく
子狸﹁おれが子供の頃は、もっとひどかった﹂
2126
その声には、静かな怒りがこもっていた
納得できない
納得できない⋮⋮
ままならないものが、この世には多すぎる
子狸にとっては、とくにそうなのだ
しっぽを揺らし、子狸は言う
子狸﹁おれの家族には、だれも逆らえないんだ。そいつらに、ずっ
と守ってもらって暮らしてきた。たまに変なことされたけど⋮⋮。
自由にならないことはないんだと、思ってた。だから﹂
それが子狸の出発点
子供たちのために戦う理由だ
少なくとも本人はそう思っている
子狸﹁だから﹂
子狸は叫んだ。そして駆け出す
子狸﹁トトも、マヌも、昔のおれなんだ! 幸せになってくれたら、
気分いいだろ!﹂
階段に足をかけた子狸が、腰だめに前足を構えて駆け上がる
みょ﹁わかりやすくていいな!﹂
男が賞賛した。破顔して、盾剣を突き出す
2127
拒絶は浸食と完全に拮抗する性質を持っている
つまり変化を交えない純粋な盾魔法は、同格の浸食魔法をいっさ
い通さないということだ
雷球と盾剣が正面からぶつかり合って、互いに弾き合う
魔法と魔法の衝突には、体重差も体格差も関係ない。位置エネル
ギーすら同じことだ
さらに男が繰り出してきた貫通魔法の剣︱︱槍剣を、子狸は前足
で受けることはできない
同格、同性質の魔法は、互いに相殺し合ってしまう
崩落魔法、融解魔法などの上位性質は、いまから開放レベル2ま
で引き上げているひまがない
子狸﹁ディレイ!﹂
宙を踏んで飛び退いた子狸。その未熟を特装騎士は笑う
みょ﹁遅い﹂
盾剣の刺突を、子狸はかろうじて雷球で弾いた
その反応の速さに、戦士は評価を改める
みょ﹁いいぞ。その調子だ。だが﹂
子狸﹁⋮⋮!﹂
みょ﹁すでに詠唱を終えているおれに対して、そのつど対応するの
か? 選択を誤ったな﹂
2128
魔法にはイメージが欠かせないから、神経を削る近距離戦では破
綻しやすい
しかし、同時にこうも言えるだろう。同じことをやっていても、
子狸は決して勝てない
だから子狸が自分の真似をしなかったことを、男は内心で評価し
ている筈だった
みょ﹁せっかくの起雷魔法も、宝の持ち腐れだ!﹂
子狸﹁このっ⋮⋮イズ!﹂
みょ﹁遅いと言った!﹂
盾剣と槍剣で交互に攻め立てる特装騎士に対して
子狸は前足の雷球で弾き、あるいは異様とさえ言える勘の冴えで
回避を続ける
紫電が走り、閃光がひらめく
前足と両腕が踊る中、互いのオプションが空中で激しくしのぎを
削る⋮⋮
二、山腹巣穴在住のとるにたらない不定形生物さん︵出張中
遡ること一日前︱︱
三、王都在住のとるにたらない不定形生物さん︵出張中
2129
!? なんで回想に入るの?
四、山腹巣穴在住のとるにたらない不定形生物さん︵出張中
お前が、子狸を戦いへと駆り立てようとするからだよ
訓練もいいが、おれはバウマフ家の人間にべつのことを期待してる
五、海底洞窟在住のとるにたらない不定形生物さん
さいきん王都のんに対して、なにかと反抗的な山腹のんであった
六、王都在住のとるにたらない不定形生物さん︵出張中
わかった。腹を割って話し合おう
山腹の、子狸は特装騎士を越える必要がある
お前もわかっているはずだ
七、山腹巣穴在住のとるにたらない不定形生物さん︵出張中
それは違う
ちがうんだよ、王都の
負けてもいいんだ
戦って得られるものなんて、たかが知れてる
弱さは財産だよ。本当に望んだものを手に入れた英雄なんて、お
2130
れは一人も知らない
子狸は勇者じゃない
お前は⋮⋮子狸に勇者になって欲しかったんだ
八、王都在住のとるにたらない不定形生物さん︵出張中
いや、ありえないでしょ
おれに妙なキャラ設定を押し付けないで欲しいです⋮⋮
九、山腹巣穴在住のとるにたらない不定形生物さん︵出張中
そういうことにしておいて下さい
というわけで、つい昨日の出来事です
子狸﹁犯人はこの中にいる!﹂
聖☆木盗難事件が身内の犯行であることを突きとめた名探偵ポン
ポコ
箱姫﹁⋮⋮⋮⋮﹂
館内に紛れこんだ野生のポンポコを、箱姫は不思議に思っている
ようだった
目線で問うと、騎士Aが淡々と答えてくれた
騎士A﹁彼は、例の賊にまつわる重要な手掛かりを持ってきてくれ
2131
た人物です。保安上の問題から、いったん保護することにしました﹂
ものは言いようである
こくりと頷いた箱姫が、床を見つめながら言う
箱姫﹁⋮⋮そう。では、わたしは部屋に戻ります﹂
しばしためらってから、彼女は勇気を振りしぼって付け加えた
箱姫﹁が、がんばって﹂
耳まで真っ赤にした少女に、子狸が声を掛けた
子狸﹁部屋が暗くなったとき、あなたはどこにいましたか?﹂
箱姫﹁え⋮⋮﹂
子狸﹁ま、参考までに。参考までに、ね⋮⋮﹂
そう言いつつ、子狸はえぐるように箱姫の表情を覗きこんでいる
すでに犯人の目星は付けているようだった
箱姫﹁じ、自分の⋮⋮部屋に﹂
子狸﹁⋮⋮本当に? それを証明できる人間はいるんですか? い
ないですよねぇ⋮⋮﹂
箱姫が視線を逸らそうとするたびに、子狸は回り込んでいる
2132
子狸﹁これは困ったことになりましたよ⋮⋮。つまり、あなたにも
犯行は可能だった、ということになりますねぇ⋮⋮﹂
箱姫の挙動は不審のひとことに尽きた
子狸は彼女への疑いを深めていく⋮⋮
その数時間後
子狸﹁⋮⋮⋮⋮﹂
勇者﹁⋮⋮⋮⋮﹂
子狸と勇者さんは、牢屋越しの再会をはたした
王国に大貴族を罰する法はない
しかし大貴族を罰しようとするものには、もれなく不敬罪が適用
される
騎士たちの温情により、子狸は死罪をまぬがれて投獄されたのだ
勇者さんの肩にとまっている羽のひとがコメントした
妖精﹁ここに来れば会える予感はしてました﹂
子狸﹁そうか。⋮⋮そうだな﹂
子狸はしゅんとしていた
牢屋の中で殊勝に振る舞うのは、ポンポコなりの処世術だ
奇跡﹁先生、これ⋮⋮﹂
2133
騎士たちに保護されたトトくんとマヌさんが、子狸に差し入れを
持ってきてくれた
子狸﹁ありがとう。すまないな、二人とも﹂
地下の牢獄は暗く冷たい
身震いした勇者さんが看守の騎士Bに告げた
勇者﹁宿屋に戻るわ。この子も連れて行く。文句はないわね?﹂
騎士B﹁はっ⋮⋮いえ、ですが⋮⋮﹂
勇者﹁あなたは、わたしのことを知っている。余計な問答は時間の
無駄だわ﹂
頷きかけた騎士Bが、うかつなことを口走る前に
勇者さんは逃げ道を用意した
剣士が所有する鉄の剣は、しばしば身分の証明に用いられる
騎士Bが迷ったのは、港町で剣を失った現在の勇者さんが丸腰だ
からだ
その葛藤は、視線を注意して追っていればわかる
聖☆木に携わる任務についている騎士だ
勇者さんのことを知らされていても不思議ではない
騎士Bは意を決して言った
騎士B﹁アレイシアンさま。奇跡の子を預かって頂くわけには参り
ませんか?﹂
2134
勇者﹁無理ね﹂
勇者さんは即答した
勇者﹁旅の途中なの。第一、わたしは奇跡の子に価値を見出してい
ない。ただの子供だわ﹂
騎士B﹁だからこそです!﹂
言い募ろうとする騎士Bを、勇者さんは片手で制した
勇者﹁わたしは他人に興味がないの。排除するべきか、そうでない
か。それだけよ﹂
奇跡の子に価値を見出していない勇者さんにとって
ただの子供に過ぎないマヌさんを匿う理由はない
むしろ匿ったところで他の貴族たちの妬みを買うだけだろう
それは、つまり排除する対象に含まれるということだ
騎士B﹁っ⋮⋮!﹂
言葉に詰まった騎士Bを、勇者さんは置き去りにする
誤解のないよう言っておくが
彼女は気付いていないだけだ
記憶の底にある、まだ感情を制御しきれなかった幼少時の思い出
に縋っている
2135
成長とともに興味は薄れ、好奇心は擦りきれていく
それがふつうのことなのだと、勇者さんは知らないのだろう
仮に知っていたとしても、それは知識によるものだ。実感はない
子供の遊びは不要なものだと教わったから、切り捨てて生きてきた
その代償として、勇者さんは自分の心を見失っている
去り際に、勇者さんは振り返って言った
勇者﹁護衛は必要ないわ。二人の子供も、わたしが預かる﹂
騎士B﹁では!?﹂
喜色を隠そうともしない騎士Bに、勇者さんはぴしゃりと言った
勇者﹁勘違いしないで。そのほうが余計な手間暇を省けるから、そ
う言ってるの。明日中には、決着をつけるわ﹂
うなだれる騎士Bを尻目に、勇者さんは二人と一匹を連れて宿屋
へ戻るのであった
宿屋に戻った勇者さんは、さっそくトトくんとマヌさんから報告
を聞く
マヌさんは元気がなかった。自分を無価値だと断じる勇者さんの
言葉を真に受けたのだろう
こんなとき、いつも場をあかるく盛り上げてくれる子狸さんは
羽のひとにお説教されていた
妖精﹁これで何度目だ?﹂
2136
子狸﹁⋮⋮数えることをやめるくらいは﹂
妖精﹁どうしてお前は過去から何も学ばないんだ?﹂
子狸﹁そこに未来があるから⋮⋮﹂
勇者さんは少し悩んでから、マヌさんに言った
勇者﹁騎士にああ言ったのは、わたしの本心だけど気にしなくてい
いわ﹂
びっくりするくらい何のフォローにもなっていなかった
中トロ﹁お姉さん⋮⋮﹂
トトくんも呆れている
勇者さんは続けた
勇者﹁⋮⋮あなた、わたしのことが苦手でしょ? アリア家の人間
で、わたしはわりと優しいとか言われるの。どういう意味かわかる
?﹂
マヌさんが生きていける環境ではないということだ
奇跡﹁そうなんですか?﹂
勇者さんは、事あるごとにマヌさんに冷たく当たってきた
彼女は、もう日常には戻れないと知っているからだ
2137
それでも日常に固執するなら、マヌさんは強くなるしかない
それは勇者さんなりの哲学だ
奇跡﹁⋮⋮でも、わたしは⋮⋮﹂
ところがマヌさんの心は折れかかっていた
アリア家のご厄介になることで問題が片付くなら、それでもいい
と言う
自暴自棄になっている
勇者さんに圧倒的に不足しているのは、他人への興味ではない。
配慮だった
その点、おれたちの子狸さんは他者の感情に敏感だ
ひとしきり羽のひとに絞られてから、のこのこと会議に加わる
子狸﹁だいじょうぶだ。犯人に目星は付いてる。聖☆木は、このお
れが必ず取り戻してみせる﹂
ひとりだけべつの事件に首を突っこんだままである
内容はともかく、勇者さんは安堵したようだった
おれたちの子狸さんは、ある特技を持っている
無作為に抽出した人間たちを並べて、殴りやすいのは誰かと問うと
ほぼ満場一致で選ばれるという特殊能力だ
勇者﹁聖木がこの街にあるの?﹂
子狸﹁おう。盗まれたのがトリプルバインダーじゃなかったのは不
幸中の幸いだな﹂
2138
九代目勇者の聖☆剣はトリプルバインダーと称される
お前らの趣味が色濃く反映した聖☆剣で
使い手の意思を無視して魔物に襲いかかろうとするという⋮⋮
なんていうの? 聖性? 的なものを極限まで突きつめた実験作
である
勇者﹁トリプル⋮⋮?﹂
小刻みに頷くポンポコ︵前科あり︶を、一番弟子がフォローした
中トロ﹁にーちゃんは、領主さまのお屋敷にいた大貴族のひとが怪
しいって言うんだ。おれもそう思う﹂
勇者さんがトトくんに視線を振る
勇者﹁大貴族⋮⋮。名前は聞いた?﹂
子狸﹁容疑者Aってトコだな﹂
妖精﹁それ通じないから﹂
中トロ﹁うーん⋮⋮名前までは覚えてない。ピエトロ家のひとだよ﹂
奇跡﹁ココニエド、って騎士さんが言ってました。女のひとです﹂
マヌさんは記憶力がいい
警戒心が高いのだろう。常に気を張ってるから、耳にしたことを
忘れない
2139
箱姫の名前を聞いた勇者さんの目が、かすかに見開いた
勇者﹁⋮⋮そう﹂
知り合いなのだろう
同格の身分で、同じ年頃の、同じ剣士。おまけに同性と来てる
むしろ、勇者さんと旧知の仲だったから箱姫が派遣されたと考え
るべきだろう
これは勇者さんに向けて放たれた明確なメッセージだった
勇者﹁そうなの﹂
この時点で、勇者さんは真相に気が付いたのだろう
一度、目線を落とし
ふたたび顔を上げたとき、勇者さんの眼差しには決意が宿っていた
勇者﹁明日、わたしも領主の館へ行くわ。あなたたちも付いて来な
さい﹂
2140
﹁奇跡の子﹂part2
一0、住所不定のどこにでもいるようなてふてふさん
おれは山腹のひとを支持するぜ
⋮⋮この日は、朝から生憎の空模様だった
降りはじめと呼ばれる、この時期
学校で変化魔法を習った子供たちが、課外授業の一環で
道行く人々に魔法の傘を提供するのは
どこの街でも見られる光景だ
傘の道と呼ばれるこの魔法は
もともと行商人たちが互いの存在を報せるために使っていたもの
である
雨天時は視界が悪くなるから、ふだんにも増して魔物たちの襲撃
を警戒する必要があった
子狸﹁ふっ。なってないな⋮⋮見てろ﹂
子供たちに混ざって、子狸が傘魔法を披露していた
使い慣れた魔法、そして異常な退魔性
屹立した巨大な力場が、上空で枝分かれして大きな橋を架ける
ポンポコタワーだ
子供たちはぽかんとしていた
魔法を習いはじめて二、三年の人間であれば
2141
ふつう、無色透明の力場を感知できない程度の退魔性は保持して
いる
勇者﹁⋮⋮⋮⋮﹂
トトくんとマヌさんを従えた勇者さんが
ポンポコタワーの横を通りすぎざま、力場の一部を指でえぐりと
った
退魔力を注がれた魔法は、自分がなにものでもないことを思い出
して自壊する
ポンポコタワーは崩壊した 降りしきる雨の中、子狸の慟哭が響く⋮⋮
一一、海底都市在住のとるにたらない不定形生物さん
大貴族とは何か
大貴族とは、王の代行者だ
貴族たちを統括し、王国を導いてきた
初代国王が国を興す以前より王に仕えた彼らは
生涯を通して最良の友であり続けた
王国の初代国王とは、つまり初代勇者のことだ
魔王を討伐した王は、ともに魔王を討ちはたしたメンバーたちと
協力して小さな国を興した
のちの王国である
アリア家とピエトロ家は、王国の双剣とも称される名家だ
2142
魔法は便利だから、剣術を捨てた大貴族もいる
あるいは便利すぎたのがいけなかったのか
建国から千年を過ぎて、いまなお両家は剣を捨てようとはしない
一二、山腹巣穴在住のとるにたらない不定形生物さん︵出張中
双剣なんて初耳なんだが⋮⋮
とにかく、ありがとうお前ら
王都のんの嫌がらせにもめげずにがんばるよ
領主の館へ、子狸は二度目の来訪ということになる
一度目は門番たちに止められたが
勇者さんの来訪を予期していたのだろう
今回、一行を出迎えてくれたのは騎士たちだった
館内の廊下を歩きながら、騎士Aが勇者さんに言う
騎士A﹁ココニエドさまをびっくりさせてあげて下さい﹂
前もって伝えてはいないということだ
勇者﹁わたしのことを話していないの?﹂
騎士A﹁はい。言えば、彼女は自ら出向こうとしたでしょう。身辺
警護の観点から、それは望ましくない﹂
跡目を相続していない貴族は、公的に何者でもない。報告の義務
はないから、騎士たちは自らの采配で動ける
2143
しかし直属の護衛はべつだ
国境付近は、ピエトロ家の領地だ
領主は大貴族から土地を借りて商売しているようなものなので、
頭が上がらない
あるじの寝室を守護している女性が
騎士たちを従えて近づいてくる勇者さんの姿を認めて息をのんだ
護衛﹁! アレイシアンさま⋮⋮﹂
彼女は、しれっとしている騎士Aを睨みつけてから、勇者さんに
視線を戻した
護衛﹁⋮⋮少々お待ち願えますか?﹂
勇者﹁その必要はないわ﹂
護衛﹁アレイシアンさま!﹂
押しのけようとする勇者さんを、護衛が通せんぼする
声が聞こえたのだろう、室内で激しい物音がした
内側から扉が開き、箱姫が顔を出す。笑顔だ
箱姫﹁シア﹂
そう言って彼女は勇者さんを出迎えたものの、子狸と目が合って
すぐに扉を閉めた
2144
子狸﹁密室トリックというわけか﹂
子狸は箱姫のアリバイを崩そうと画策している
勇者﹁⋮⋮⋮⋮﹂
勇者さんが護衛に目線で問うと、彼女は頷いてくれた
勇者さんの肩にとまっている羽のひとが、同様に目線で問う
護衛﹁⋮⋮あなたは、だめです﹂
箱姫の人見知りは筋金入りだ
ところが当の本人は意見が異なるようだった
箱姫﹁⋮⋮⋮⋮﹂
わずかに開いたドアの隙間から、箱姫が護衛の肩に手で触れる
あるじの意を汲んだ護衛が、しぶしぶと頷いた
護衛﹁⋮⋮わかりました。二人までです。それ以上は認めません﹂
勇者さんのあとに続いて、のこのこと入室しようとする子狸を、
彼女は取り押さえた
子狸﹁なにを⋮⋮﹂
護衛﹁心外そうな顔をしてもだめです。二人までと言ったでしょう﹂
さらば子狸。勇者さんにはおれがついてるから安心しろ
2145
一三、海底洞窟在住のとるにたらない不定形生物さん
ドアの隙間から、いそいそと身なりを整えている箱姫の姿が見えた
子狸の鳴き声がせつない
子狸﹁また女の子ですか⋮⋮。うちのお嬢を惑わすのはやめてほし
い﹂
護衛﹁それは、こちらの台詞です。お前んトコのお嬢さまは、まわ
りの人間をどんどんだめにする。どうなってるんだ﹂
勇者さんは教師に向いていない。遊び盛りの子供たちの気持ちを、
かけらも理解できないからだ
けんもほろろに追い返された子狸が、肩を落として来た道を引き
返していく
騎士たちは、その場に残った
当然の判断と言える
大貴族の子女二人が一堂に会しているのだ
彼女たちの身に万に一つでもあった日には、首が飛ぶどころの騒
ぎではない
騎士B﹁あまり遠くに行くなよ﹂
中トロ﹁うん、わかった﹂
なんとなく子狸についていくトトくんとマヌさん
2146
騎士たちが本性をあらわにしはじめた瞬間だった
いくら大貴族の連れといえど、領主の館で子供たちを野放しにす
るなどありえない
つまり、こうだ
この街の駐在たちは、みょっつ︵仮︶と裏でつながっている
名探偵ポンポコの眼光が鋭さを増した
廊下の角を曲がり、姿勢を正す
落胆したように見せたのは演技だった
子狸﹁⋮⋮よし、お前たち。さっそく地下室に行くぞ﹂
まだ諦めていなかったようである
奇跡﹁あ、そうか。さすが先生!﹂
中トロ﹁よし、行こう!﹂
子供たちの圧倒的な支持を集めている
同じ目線の高さというより、同じステージにいるので親しみやす
いのだろう
子狸﹁おれ探検隊、出発!﹂
中トロ&奇跡﹁しゅっぱ∼つ!﹂
前足を突き上げる子狸に、子供たちも唱和した
2147
⋮⋮王都の、山腹のんの気持ちも察してやれ
一四、山腹巣穴在住のとるにたらない不定形生物さん︵出張中
子狸探検隊が出発した頃、勇者さんと箱姫は旧交をあたためていた
箱姫﹁シア﹂
勇者﹁リシアと呼びなさいと言ってるでしょ。⋮⋮ココ﹂
勇者さんの名前はアレイシアンというのだが、これはという人物
にはリシアと呼ぶよう言う
レシアでもなく、シアでもなく、リシアと呼べと言う
おそらく親類に近しい名前の人物がいるのだろう
箱姫は典型的な内弁慶だ
身内か、それに近しい人間の前だとふつうに喋れる
箱姫﹁そんなの不公平だわ﹂
ひとことで切り捨てて、勇者さんに歩み寄ろうとする
そこで自分の表情を自覚したらしい
はたと思い至り、しかめっつらを作る
彼女はきびすを返すと、部屋の中央にある椅子に腰かけた
ひとしきりそわそわしてから、目の前の机を指先で小突く
箱姫﹁⋮⋮なにをぼさっとしてるの。さっさと座りなさいよ。相変
わらず、ぼーっとした子ね﹂
2148
勇者﹁立ったままで構わないわ。仲良くお話しに来たわけじゃない
の﹂
箱姫﹁えっ﹂
箱姫は傷ついたような表情をした
不安そうな顔をしてから、すぐに虚勢を張って鼻を鳴らす
箱姫﹁⋮⋮わたしだって、べつにあなたと仲良くしたいわけじゃな
いわ。なに言ってるの? 勘違いしないでほしい﹂
勇者﹁⋮⋮⋮⋮﹂
勇者さんは口を開きかけて、閉じた
てくてくと歩いて行って、箱姫の対面に座る
目を丸くしている幼なじみに、勇者さんは言う
勇者﹁あなたは、昔からわたしに良くしてくれた。さいきんになっ
て気が付いたのだけれど⋮⋮わたしはもっと社交的になるべきなの
かもしれない﹂
箱姫﹁⋮⋮気色悪いわね。なんなの、急に⋮⋮﹂
王都の⋮⋮
一五、火口付近在住のとるにたらない不定形生物さん
2149
王都の⋮⋮!
一六、かまくら在住のとるにたらない不定形生物さん
王都の! 続きはお前が言うんだ!
一七、王都在住のとるにたらない不定形生物さん︵出張中
子狸が特装騎士に勝っている点は二つある
ひとつは退魔性
魔法との同化が進んだ人間は、打たれ弱くなる反面、魔法の基本
的な性質を獲得できる
術者の意識を読みとる能力だ
読心術とまではいかないが、勘が鋭くなる
もうひとつは三次元戦闘の経験だ
陸、海、空、あらゆる環境で一定のパフォーマンスを発揮できる
よう、このポンポコは鍛えられている
盾魔法の力場に後ろ足を引っかけた子狸が、逆さまになったまま
前足を振るう
しかし長年お前らと戦ってきた騎士は、とくに防御面で安定した
実力を持つ
後退しながら振り上げた盾剣が、子狸のとまり木を断ち切った
空中で器用に身をひねって着地したポンポコに、槍剣の追撃が迫る
ところが子狸は、すでに回避運動に移っていた
2150
子狸ほどではないにせよ、騎士の退魔性とて常人の域にはない
もはや両者は視認に頼ることをやめていた
べつの生き物のように飛び回る光弾を、子狸のしっぽが打ちはらう
オプション同士の攻防は、肉体の縛りがないぶん苛烈さを増す一
方だ
縦横無尽に跳ね回るポンポコ。余裕をもってさばきながら、騎士
は珍獣を見る目をしている
みょ﹁まるで魔物だ。なるほど魔物か﹂
スペルは同じエラルドでも、拡張と深化では効果が異なる
そして、それは貫通と侵食にも同じことが言える
子狸﹁グレイル!﹂
突進する子狸さんが、床の一部を前足でえぐりとった
握りつぶした石のつぶてを宙に放り投げる
ぴたりと空中で制止したつぶてが、猛加速して男に直撃する︱︱
みょ﹁無駄だ!﹂
ここでチェンジリング
実働、特装にかかわらず、騎士は魔☆力への対策としてチェンジ
リングを修めている
子狸が発電魔法を使った時点で、男は魔☆力による攻撃を想定し
ていた
淡い光に包まれた石つぶてが一瞬で風化する
2151
えぐりとられた床は、雷球と盾剣が噛み合ったときには再生して
いた
⋮⋮勇者さんは言っていた
役者が入れ替わっているのだと
子狸と戦っているのは、正真正銘の特装騎士だ
ピエトロ家の刺客などではない
騎士は、自分たちのために命を賭けてくれた人間を、絶対に裏切
らない
一八、山腹巣穴在住のとるにたらない不定形生物さん︵出張中
箱姫は、自分の幼なじみが勇者だとは知らなかった
箱姫﹁シア。あなたは知らないでしょう。わたしは、とても重要な
任務についてるの。おいそれと話せることではないけど﹂
得意気な彼女に、勇者さんは言う
勇者﹁そう。あなたが聖木の運び手なのね﹂
箱姫﹁⋮⋮知ってるならそう言いなさいよ。でも、これは知らない
でしょ? もう勇者は生まれてるの。わたしが勇者さまに聖木を授
けるのよ﹂
勇者﹁いらないわ﹂
2152
箱姫﹁? あげないけど﹂
アリア家以外の大貴族は、三大国家の首脳陣と魔物たちが裏でつ
ながっていることを知っている
ただし、知っているのは当主だけだ
箱姫は候補のひとりではあるだろうが、まだ幼く機密に対する意
識が低い
勇者さんは単刀直入に言った
勇者﹁ココ。奇跡の子を使って何をしようとしているの?﹂
一連の事件の黒幕は、箱姫だった
勇者さんの断定口調に、肩の上で羽のひとが反応する
妖精﹁! リシアさん⋮⋮彼女がそうなんですか?﹂
黒幕の少女は、妖精さんに目を奪われている
箱姫﹁しゃべった⋮⋮﹂
妖精﹁喋りますよ! わたしのこと、何だと思ってたんですか!?﹂
勇者さんは箱姫を見つめている
勇者﹁あなたは、自分の手駒に奇跡の子を精神的に追い込むよう指
示を出した。目的は、ピエトロ家で匿うという名目で、彼女の身柄
を拘束すること。第三者を巻き込んだのは、必要以上に追いつめな
いようにするため﹂
2153
第三者というのは、トトくんのことだ
トトくんと一緒だったから、一人ではなかったから、マヌさんは
がんばれた
だが、それも箱姫の計算の内だった
べつにトトくんである必要性はなかった
しかし彼が適任であると⋮⋮現場の人間たちは把握していたのだ
箱姫は勇者さんの推理に聞き入っている。勇者さんは続けた
勇者﹁ピエトロ家に仕える人間が無能だとは思わない。ただ、騎士
がより上回った。⋮⋮あなた、自分の配下の人間のこと覚えてない
でしょ? そうでなければ、こうまで事態が混乱することは考えら
れないわ﹂
箱姫﹁⋮⋮え? どういうこと?﹂
勇者﹁役者が入れ替わってるの。あなたは、騎士たちが護衛に人手
を回すよう依頼していることを知って、自分の手駒に入れ替わりを
命じた。定期的に報告は受けていたでしょうから、あなたは成功を
疑わなかった﹂
だが、そんなものはどうにでもなるのだ
入れ替わりに失敗したピエトロ家の刺客は、特装騎士に囚われて
情報を引き出されたのだろう
だからあの男は、さも入れ替わりが成功したよう装って、箱姫に
接近した
2154
大貴族には逆らえない。逆らったとしても一時しのぎにしかなら
ない
予定通りに事が運んでいると錯覚させることができれば、騎士た
ちは水面下で動くことができる
彼らは、奇跡の子をアリア家に︱︱というより、勇者さんに預け
るつもりだったのだ
ふつうこうした事件は露見しない構造になっているものだと、勇
者さんは言っていた
それは正しかった。この事件は、中枢に近ければ近いほど全体が
見えない仕組みになっている
勇者さんは言った
勇者﹁質問に答えてもらってないわ。あの子に何があるというの?
どうして奇跡の子でなければならないの?﹂
箱姫は混乱しているようだった
しかし、すぐに頭を切り替えて話しはじめる
大貴族には、自分が間違っていると思うことを拒否する自由がある
奇跡の子を欲する理由が、箱姫にはある筈なのだ
彼女は観念したようにため息をついて、こう言った
箱姫﹁⋮⋮豊穣の巫女って知ってる?﹂
一九、王都在住のとるにたらない不定形生物さん︵出張中
2155
勇者さんに断られた時点で、騎士たちの計画は破綻した
誘拐
するつもりなのだろう
大貴族には頼れないとわかったから
たぶん短絡的に奇跡の子を
箱姫と話している間、勇者さんはマヌさんの傍から離れる
ここが正念場だった
奇跡の子に罪はない。あるのは恩だ
だから男は、階下で小さな肩をふるわせている少女を
共犯者にするわけにはいかなかった
二人の子供たちから子狸を引き離すのは、特装騎士にとって難し
くない作業だった
しかし邪悪なるポンポコが立ちふさがる
子狸﹁! 動くな!﹂
いびつにねじ曲がったしっぽが、階下に放たれる
??﹁ああ、人間離れしてるな⋮⋮﹂
迷彩を打ち破られた第二の男が感嘆を漏らした
中トロ﹁! あんたは⋮⋮﹂
姿を現したのは、酒場にいた客Cだった
客C﹁やあ﹂
2156
一日ぶりの再会ということになる
子狸と打ち合っている特装騎士が叫んだ
みょ﹁アル! なにをしている!﹂
客C﹁私は、そんな名前じゃないよ。たしかに協力するとは言った
が⋮⋮物事には順序というものがある。アリア家はあなどれんよ﹂
そうだろう? と虚空に問いかける
ちょうど二人の子供たちを挟んだ反対側に
隻腕眼帯の男が佇んでいた
男を呼ぶ子狸の声には喜色が隠しきれていない
子狸﹁叔父貴!﹂
タマさんだった
タマ﹁おれは荒事専門じゃねえんだけどな⋮⋮。よう、ポンポコの﹂
片腕を上げて応えたタマさんが、客Cを見る
タマ﹁さて、どうするね?﹂
客C︱︱怪盗アルの片割れである影使いは、怪鳥のように飛び上
がった子狸を目で追っている
客C﹁⋮⋮彼が豊穣の巫女なのか?﹂
2157
タマ﹁あ? んなわけねえだろ。豊穣の巫女は女だぜ﹂
客C﹁そうなのかな。そう考えたほうが、つじつまが合うんだが﹂
巫女さんの爆破術は、極端に退魔性が劣化した人物を要する
だから、たとえばバウマフ家の人間のように
極限まで魔物に近しい人間を人為的に育てることができたなら
人類の魔法は、新しい境地へと辿りつける
そのためにはどうすればいいか
漫然と魔法を使っているだけでは、だめなのだ
魔法に深く関われば関わるほど、魔法の干渉からは逃れられない
人間の扱える魔法は開放レベル3が限度だから
魔物と深く関わる人間ほど、退魔性は低くなる傾向がある
幼くして騎士たちの指揮をとれる人間がいれば
その人物は、あるいはバウマフ家に匹敵する退魔性を獲得できる
可能性がある
大隊長クラスの騎士の協力は不可欠だ
騎士たちに認められるような功績を残した人物が最適と言えるだ
ろう
象徴的な存在︱︱
つまり奇跡の子がそうなのだ
ピエトロ家は、マヌさんを手元に置き
2158
彼女を、次世代の
巫女
に仕立て上げようとしている
2159
﹁奇跡の子﹂part2︵後書き︶
登場人物紹介
・箱姫
勇者さんの幼なじみ。お名前はココニエド・ピエトロ。
ピエトロ家は、剣術を伝える大貴族である。
国境付近の領地を統括しており、生まれた子供には帝国語を意識
した名前をつける習慣がある。
﹁ココニエド﹂の綴りを帝国では﹁ココニエッタ﹂と読む。これは
﹁大輪の花﹂という意味である。
極度の人見知りで、他人の前では緊張しすぎて喋れなくなる。狭
い密閉空間を好む。
身内か、それに近しい人間の前では堂々と振る舞えるようだ。
幼い頃から同い年の勇者さんを強く意識していて、本心では仲良
くしたいと思っている。
しかしピエトロ家の剣術は相手の意表を突くことに特化している
ため、他者の技を盗むアリア家の人間とは相容れない面がある。
このたび、勇者に聖木を授けるという大役を任されている。
聖木をめぐる事件を軸に、奇跡の子を手中におさめる計画を推進
する。
その目的は、魔法の遠隔操作に長けた特殊部隊の創設にあった。
つまり人為的に﹁巫女﹂を生み出す計画である。
剣士である彼女は、巫女の育成に最適な人材だった。
2160
大貴族の一員であるとはいえ、勇者さんのことは教えられていな
いようだ。
完璧な計画であると悦にひたっていたところを、飼い犬に手を噛
まれる。
ついでに言うと、聖木そのものがフェイクである。
2161
﹁奇跡の子﹂part3
二0、管理人だよ
なるほど。つまり⋮⋮
どういうことなんだ?
三行で頼む
二一、海底洞窟在住のとるにたらない不定形生物さん
三行もいらんよ
みょっつさん、まじイケメンってことだ
二二、管理人だよ
許さない。絶対にだ
二三、山腹巣穴在住のとるにたらない不定形生物さん︵出張中
ちがうよ。そうじゃない
マヌさんのためを思うなら、ここは身を引けと言ってるんだ
2162
二四、火口付近在住のとるにたらない不定形生物さん
いや、なんの解決にもならんだろ
二五、かまくら在住のとるにたらない不定形生物さん
じゃあ、どうするんだよ
二六、火口付近在住のとるにたらない不定形生物さん
どうにもならねーよ
原則だからな。こればかりはどうしようもない
何とかできるとしたら勇者さんしかいないけど、あのひとは箱姫
の側につくだろ
二七、かまくら在住のとるにたらない不定形生物さん
なんでだよ
二八、火口付近在住のとるにたらない不定形生物さん
あ? 当然だろ
巫女の爆破術に、騎士団は対処できた試しがないんだから
あれは強力な武器になる
2163
二九、かまくら在住のとるにたらない不定形生物さん
なんとかしろよ
三0、火口付近在住のとるにたらない不定形生物さん
⋮⋮え? なに? 喧嘩売ってるなら買うけど
三一、山腹巣穴在住のとるにたらない不定形生物さん︵出張中
射線はおろか距離にも縛られない魔法の遠隔操作⋮⋮
条件は厳しいものの
その有効性は、奇しくも巫女さんが証明している しかし勇者さんは半信半疑だった
勇者﹁⋮⋮魔物たちが魔法そのものだと言うの?﹂
箱姫﹁それは間違いないでしょうね。騎士の退魔性は、あきらかに
同年代の平均を下回っている。魔法を使う頻度は少ないくらいなの
に﹂
職人の中には、朝から晩まで魔法を使い続ける人間もいる
騎士たちはそうではない。彼らは戦士であり、訓練に割く時間を
欠かすことはできない
勇者﹁現実的ではないわね。大隊長にも出来ないことが、他の人間
に出来るとは思えないわ﹂
2164
箱姫﹁そうね。その意見には、わたしも賛成よ。けれど﹂
箱姫は、囁くように勇者さんの名前を呼んだ
箱姫﹁けれどね、シア⋮⋮。豊穣の巫女は、じっさいにやってのけ
た。条件さえ揃えば、不可能ではないということね﹂
だから、その条件をひとつひとつ検証していく必要があるのだと、
彼女は言った
巫女さんの論文を鵜呑みにするのは危険だが、それだけの価値は
ある
術理が判明すれば、対策を立てることも出来るからだ
箱姫は、目の前で考えこんでいる幼なじみを味方に引き入れよう
としている
いや、断られることはまずないと決めつけていた
同じ大貴族だからこそ、同じ目線に立つことができる
自分たち以外の⋮⋮たとえば小貴族たちに渡してはならない技術
だと理解できる。他国など以ての外だ
だが、そのために最低でも人間ひとりの人生が犠牲になる
はたして勇者さんは頷いた
勇者﹁いいでしょう。あなたに協力します﹂
箱姫﹁シア﹂
ぱっと笑顔になる箱姫に、勇者さんは人差し指を突きつける
2165
勇者﹁ただし、ひとつだけ条件があるわ﹂
三二、海底洞窟在住のとるにたらない不定形生物さん
勇者さんと箱姫が協議している頃
ポンポコ探検隊は迷走を続けていた
子狸﹁罠だっ。転がれ!﹂
架空のトラップを前転して回避する子狸。二人の子供たちもあと
に続く
中トロ﹁おう!﹂
子狸﹁よし、いいぞ! マヌ、お前も来い!﹂
奇跡﹁うん!﹂
楽しそうで何よりである
さいきん大人びてきた同級生たちには﹁はぁ?﹂とか言われて冷
たい目で見られるポンポコだが
なぜか小さな子供たちとは波長が合う
ころころと廊下を転がりながら進む三人
壁に身をひそめた子狸隊長が二人の部下を前足で制したのは、大
広間の手前での出来事だった
2166
中トロ﹁どうしたんだ?﹂
子狸﹁しっ。⋮⋮地下室への入口があるとしたら、あの像の下が怪
しいと睨んでる﹂
奇跡﹁女神さま?﹂
子狸﹁⋮⋮神か。気に入らないな﹂
過激な発言である
勇者を否定する人間など、ごくわずかだろう
客観的に見て、魔物は人類よりも完成された生物である
最大、最速、最強、地上のあらゆる称号は魔物たちが独占している
そのひとつとして、かつて人類は手にしたことがない
唯一の取り柄と言える知性さえ、長寿の魔物たちの前では怪しい
その人間たちが、魔物に負けないと息巻く根拠が勇者なのだ
ふと気付けば聖なる海獣などという謎の生命体を信仰している
どう見てもアザラシさんである⋮⋮
三三、火山在住のごく平凡な火トカゲさん
ほら、大きいの
同僚に挨拶しなくていいのか?
三四、古代遺跡のごく平凡な巨人兵さん︵出張中
2167
殴るぞ
三五、海底洞窟在住のとるにたらない不定形生物さん
※ 大きいひとは、そのむかし人間たちに天使と呼ばれていた
三六、海底都市在住のごく平凡な人魚さん
どちらかと言えば、おれの同僚なんだけどね
海中をパトロールしてると、たまについてくることがある
三七、海底洞窟在住のとるにたらない不定形生物さん
⋮⋮まじで? おれ、たまにクラゲさんと間違えられるんだけど
⋮⋮
三八、魔都在住の特筆すべき点もないライオンさん
え? よくわからないんだけど、それってショックなことなの?
三九、かまくら在住のとるにたらない不定形生物さん
まあ、ショックかな。基本コンセプトが違うからね
2168
四0、住所不定のどこにでもいるようなてふてふさん
⋮⋮そうなのか?
海のひとの家に遊びに行くときとか
見てると、お前ら力尽きたクラゲさんみたいだぞ
四一、火口付近在住のとるにたらない不定形生物さん
なんてことを言うんだ
脱力なくしてレクイエム毒針の深奥は語れないというのに
そして緑と大は喧嘩してたよね?
なんで二人仲良く休憩してるの?
四二、古代遺跡在住のごく平凡な巨人兵さん︵出張中
決着がつかねーんだよ
これ、もう五目並べしたほうが早いわ
四三、火山在住のごく平凡な火トカゲさん
大ちゃんは飽きっぽいからねぇ⋮⋮
将棋にしようよ、将棋
2169
四四、古代遺跡在住のごく平凡な巨人兵さん︵出張中
嫌だよ。お前、負けそうになると長考するんだもん
つーか、いつの間にか巫女一味が観戦してるし
王種が二人そろって盤上の戦いとか正直どうなの?
ありなの? これ
四五、空中庭園在住のとるにたらない不定形生物さん︵出張中
ジャンケンで雌雄を決してもいいくらいだよ
⋮⋮お前らはいいよな
なんかコアラさんがしつこくてさぁ
おれの負けでいいって言ってるのに⋮⋮
四六、住所不定の特筆すべき点もないてふてふさん
お前のそういうところがむかつくんだよ!
ちょっと強いからって調子に乗るな。ばか!
四七、空中庭園在住のとるにたらない不定形生物さん︵出張中
いや、だから、空中回廊じゃおれには勝てねーって
能力うんぬんじゃなくて慣れの問題だからね、これ
仕方ねーなぁ⋮⋮
2170
ほい、おれの勝ちね
大人しく魔都に帰りなさいよ
四八、住所不定の特筆すべき点もないてふてふさん
⋮⋮だれが一本勝負だと言った?
四九、空中庭園在住のとるにたらない不定形生物さん︵出張中
なにぃ⋮⋮?
五0、かまくら在住のとるにたらない不定形生物さん︵出張中
さあー! 盛り上がってまいりました!
狸なべデスマッチ第二陣もいよいよ佳境です!
実況のかまくらのーんです
そして本日のゲストはこちら! 解説の見えるひとです!
お久しぶりです。さいきんどうですか?
亡霊﹁まあまあかな﹂
無難な回答ですね。ありがとうございます
さて、前回の巫女戦では大方の⋮⋮というほどではありませんが
五人に三人くらいの予想を裏切って巫女さんに勝利をおさめた挑
戦者ポンポコ
2171
今回も期待が持てますね
亡霊﹁無理じゃね? 勝てる要素が見当たらないし﹂
いえいえ、そんなことないですよ
事実、健闘しているじゃないですか
亡霊﹁手ぇ抜いてるからね。誘拐の実行犯はべつに用意してたから、
あのトクソウは勝つつもりがなかった﹂
二人の子供たちと子狸を分断するのが狙いだったと?
亡霊﹁うん。でも当てが外れたね。子狸は鼻がきく。あとタマさん
ね。あの人は、狐娘と同じタイプの異能持ちなんだ。迷彩は通用し
ないよ﹂
では?
亡霊﹁そう。ここから先、遊びはないよ。勇者さんが出てくると面
倒だからね﹂
五一、王都在住のとるにたらない不定形生物さん︵出張中
人間たちがよく使う迷彩は、光を操作して風景に溶け込む魔法だ
汎用性は高いものの、急激な運動にはついてこれないという欠点
がある
ゆがみ、崩れはじめる迷彩に見切りをつけて、姿を現したのはタ
マさんだった
2172
肩に引っかけている厚手の上着は、ひと目で高級品とわかる
腕は服に隠れているが、観察力に長けた人間であれば隻腕である
ことは知れる
治癒魔法は魔法によるダメージにしか適用されないから
お屋形さまでも彼の傷を癒すことはできなかった
タマさんの片腕を斬りおとしたのは、おそらく剣士だ
子狸さんの輝かしい幼年時代が過ぎ去り
どんどん生意気になる今日この頃
再会したタマさんは、組織の幹部にのしあがっていた
子狸﹁タマ⋮⋮﹂
タマ﹁おい。聞こえてんぞ﹂
タマさんは、見上げてくる二人の子供たちを一瞥してから、横柄
な態度で舌打ちした
影使いを見る
階段で特装騎士と相対している子狸に向かって、声を張り上げた
タマ﹁おい。言っとくがな、おれは弱ぇぞ。足止めとか期待されて
も困るぜ﹂
答えたのは客Cだ
客C﹁⋮⋮では、ここで睨み合いということかな﹂
タマさんと影使い。この二人が仮にぶつかり合ったとしたら、影
使いの勝利は、まず揺るがないだろう
2173
だから影使いが見ているものは、勝敗だけではない、何かべつの
ものだ
子狸と打ち合っていた特装騎士の雰囲気が変わった
みょ﹁⋮⋮⋮⋮﹂
滑るように階段を進み、光弾で先制する
完全に死角からの一撃だったが、子狸はあっさりと首をひねって
かわした
がむしゃらに突き出した雷球は、槍剣で相殺される
子狸が相殺を避けていたのは、純粋な肉弾戦では敵わないとわか
っていたからだ
虚しく宙を泳いだ前足を、男が片手で掴んで引き寄せる
とっさに子狸は前足をひねって引き手をきった
さらに男は歩を進める。不安定な足場で踏みとどまる子狸
二人の詠唱が重なった
子狸&みょ﹁アバドン﹂
男の腕は空をきった。その場で子狸が大きく沈み込んだからだ
ひざをたわめて上体を旋回させると、マフラーの端が男の視界を
さえぎった
間隙を突いて、前足が跳ね上がる
一瞬で意識を断ちきってしまえば、チェンジリングなど意味をな
さない
2174
しかし⋮⋮
だめだ⋮⋮
みょ﹁すまない﹂
ひとこと、男は詫びた
二人の足元が大きく揺れる 無理な体勢から前足を放った子狸が、踏ん張りきれずに倒れた
足から魔法を撃ったのだと、理解する前に
男の指先が、子狸のひたいに触れた
奇跡﹁先生!﹂
マヌさんの悲痛な叫び声が子狸に届くことはない
意識を刈り取られて、階段の上をごろりと転がる
子狸は負けた
大方の予想通りに
わけもなく
子供たちを守ると誓った
祈りは届くと信じてみても
願いは弱さに阻まれる
中トロ﹁っ⋮⋮!﹂
しかし想いは引き継がれるのだ
2175
中トロ﹁⋮⋮マヌ。聞いて﹂
特装騎士に油断はない
周囲の気配を探りながら、慎重に階段を降りてくる
中トロ﹁にーちゃんは、最後まであきらめなかった﹂
ふるえる足で、トトくんが立ち上がった
中トロ﹁今度は、おれの番だ!﹂
2176
﹁このお話は削除されました﹂︵前書き︶
注釈
・こきゅーとす
魔物たちの相互ネットワーク。
全世界で数十億にも及ぶ魔物たちが用途に応じて用いる﹁河﹂全
体を指して言う。
彼らの悲哀がたくさん詰まっていることから、﹁嘆きの河﹂とも
称される。
発言者を明確に表記する仕組みになっているため、ごく自然に管
理人の目を欺くことができる。
︵表題は自己申告であり、自在に変更できる︶
例︶七、農村在住のとるにたらない不定形生物さん︵主張中
ふだんはこのように、その河における﹁発言順﹂のあとに﹁住所﹂
﹁発言者﹂﹁家にいるか否か﹂と続く。
しかし、これはあくまでも勉強が苦手な管理人のために整理され
たテンプレートである。
管理人が閲覧することはないと目される状況、加えて非常時であ
る場合はテンプレートに従う必要がないため、最低限かつ最速の表
記が用いられる。
例︶五、P−01︵
﹁五﹂の部分は、おもにカウントを意味する。不要な場合は省略さ
2177
れる。
﹁P﹂は﹁ポーラ﹂の意。﹁01﹂の﹁0﹂はオリジナルコード。
分身ではなくオリジナルであることを示し、﹁1﹂はオリジナルの
うち誰かを表す。
出張中か否かは丸かっこの有無で決まる。﹁出張中﹂とはわざわ
ざ書かない。
この場合は、発言者が﹁王都のひと﹂であり、﹁出張中﹂である
こと、そしてカウントは﹁5﹂ということだ。
発言者の一覧は以下のようになる。
P︵ポーラ=青いひと︶﹁01=王都のひと︵イド︶﹂﹁02=
山腹のひと︵トワ︶﹂﹁03=庭園のひと︵アリス︶﹂﹁04=火
口のひと︵ウノ︶﹂﹁05=かまくらのひと︵ジ︶﹂﹁06=海底
のひと︵ドライ︶﹂
D︵ディン=鬼のひと︶﹁01=王国のひと﹂﹁02=連合国の
ひと﹂﹁03=帝国のひと﹂
B︵ブル=骨のひと︶﹁00﹂※オリジナルが単一である場合は
﹁0﹂が二つ並ぶ。以下省略
J︵パル=見えるひと︶※昔は﹁ジェステ︵守護者︶﹂という種
族だった
L︵リリィ=歩くひと︶
X︵イリス=牛のひと︶
W︵ロコ=鱗のひと︶
C︵シマ=跳ねるひと︶
S︵シエルゥ=羽のひと︶
G︵グラ・ウルー=魔人︶※未登場
Y︵ヒュペス=空のひと︶
Z︵ディ・リジル=蛇のひと︶※正しくは﹁ズィ・リジル﹂
E︵エイラ=大きいひと︶
2178
N︵ニレゴル=火のひと︶
A︵アイオ=緑のひと︶
F︵フォビドゥン=海のひと︶
2179
﹁このお話は削除されました﹂
、P−01︵
ちっ⋮⋮。規定値を越えた
かまくらの、頼む
、P−05︵
ああ。任せろ
見えるひと、ともに戦おう
、J−235︵
お前⋮⋮ゲストとか言っておいて⋮⋮
くそっ。いつからだ?
緑の島からか?
、P−01︵
骨のひとと戦ったときからだよ
ずっと兆候はあった
大きいの、戻れ
庭園の、お前が指揮をとれ
2180
、E−00
あいよ
五、P−03︵
あいあい
おや、子狸さんのしっぽの様子が⋮⋮?
やはりレベル9か⋮⋮
肉弾戦がメインになるな
空のひと、手伝ってくれ。前衛を頼む
かまくらのは中衛。前に出過ぎるな
見えるひとは後衛だ。詠唱に入れ
海底のは転送の準備
だいぶ派手になる⋮⋮
心理操作は、おれがやる
剣士どもは除外するからな
羽のひとは箱姫の部屋を外部から切り離してくれ
5カウントでケリをつけるぞ
7カウントでまとめて復元する
五、Y−00
2181
現地到着まで1カウントくれ
ふええ⋮⋮時空間がゆがんでるよぉ⋮⋮
五、P−05︵
子狸さんのしっぽがひとりでに動いてるよぉ⋮⋮
おれ、おれ⋮⋮みょっつさんを守るためにがんばったよ?
でもね、おれの柔らかいところがどんどん削られていっちゃうの
⋮⋮
特赦ちゃん、おれのこと嫌いなのかな⋮⋮? ぐすん
ステルスがもたないよぉ⋮⋮
五、J−235︵
かまくらちゃん⋮⋮。元気だして!
おれたちね、いま光速を越えてるからステルスとか関係ないと思
うの⋮⋮
光たちを追いぬいて、いま行くから⋮⋮それまでがんばって!
メノゥパルとか言われてるのにヘンだよね⋮⋮
でも、ともだちだから⋮⋮ともだちのためにがんばったの
手応えあり、だよ⋮⋮
地下数十メートル、ううん、数百メートルくらいかな、一気に掘
り進んだと思う⋮⋮
2182
でもね、逃がしちゃった⋮⋮ごめんね
五、S−00
過去へ逃げたか
⋮⋮お前ら、もうちょっとまじめにやれんのか?
言っとくけど、かなりシリアスだぞ
減衰特赦は、おれたちと激しく反応する性質を持ってる
それなのに、あの男を狙ったということは
子狸の無念が、本来の性質を捻じ曲げるくらい影響を与えてるっ
てことだ
こうしている間にも、お屋形さまが四次元空間で戦っているとい
うのに
お前らときたら⋮⋮
五、P−06︵
てっふぃー⋮⋮
てっふぃーは、いつもまじめだね⋮⋮
昔はね、おれたちもそうだったの⋮⋮
でも王都ちゃんが⋮⋮王都ちゃんが叫ぶの無意味だからやめよう、
って⋮⋮
2183
五、P−01︵
その通りだろ。
!
とか付けても字数の無駄だよ
どうせ、あとで山腹のにカットしてもらうし
子狸が見てないところで緊迫感を出して何になるよ?
情報伝達は簡潔に
無駄なく
最速で
最初はいい感じだったのに⋮⋮どうしてこうなった⋮⋮
四、P−05︵
王都ちゃんは⋮⋮! 王都ちゃんは自分が戦わないからそんなこ
と言えるんだよ⋮⋮!
まじめに戦うのって、すごく恥ずかしいんだから⋮⋮!
一回でも意識しちゃうとだめなんだから⋮⋮
あ、トトくんが歩いたよ⋮⋮!
見えるひとがお屋敷の階段に大きな穴を空けちゃったけど
庭園ちゃんが心理操作してくれたからだいじょうぶ⋮⋮
気にしてないみたい
四、P−03︵
そろそろかな⋮⋮?
海底ちゃん、転送して!
2184
四、P−06︵
うん、わかった!
いっくよぉ∼
四、P−01︵
転送された無数の魔どんぐりが、ごろごろと床に転がる
人間たちがまばたきをするよりも早く、それらは弾け飛んだ
未来からの攻撃だ
いや、未来への攻撃と言うべきなのか
四次元空間での攻防を、おれたちが知るすべはない
しかし推測はできる
いったん過去に後退したしっぽは
お屋形さまの手で撃退され
今度は未来へと避難したのだろう
特赦は魔物と激しく反応する性質を持っている
あれは五十世代にも及ぶ呪詛だ
そして魔改造の実に対して
もっとも強い反応を示すことがわかっている
かまくらのんが身をひるがえした
わずかなタイムラグから、攻撃パターンを割り出したのだ 2185
未来への攻撃は、予知でしか対抗できない
出るぞ
過去がだめなら未来
未来がだめなら現在
子狸ならそう考えるだろう
本人に意識はないだろうが⋮⋮
宿主だからな
どうあっても影響はまぬがれない
四、Y−00︵
遅れちゃった⋮⋮
ごめんね、待った?
四、P−05︵
ううん。いま来たところだから⋮⋮
ぜんぜん気にしてないよ!
あ、痛⋮⋮
ちょっとミスっちゃった⋮⋮
でも、こうでもしないと、避けられなかったから
仕方ないよね⋮⋮
2186
三、J−235︵
かまくらちゃん⋮⋮
がんばるよ⋮⋮
しっぽなんかに絶対に負けないんだから!
駆けつけてくれた空のひとが、しっぽに体当たりしたの⋮⋮
すごいパワー
壁をぶち破って外に出たよ
その衝撃で、領主さまのお屋敷は半壊したけど
羽のひとがいるからだいじょうぶだよね⋮⋮?
三、Y−00︵
外は、どしゃぶり⋮⋮
冷たい雨が、おれを叩いたよ
水滴とか、止まって見えたけど⋮⋮
おれ、身体が大きいから⋮⋮ちょっと気にしてる
しっぽは耐えてる
我慢できる子なんだ⋮⋮
ホント言うとね、こんなことしたくない
でも、子狸さんは、そんなこと望んでないってわかるから
だから、勝たなくちゃ⋮⋮
2187
かまくらちゃんは休んでて!
負けるもんか⋮⋮
負けるもんか!
二、P−05︵
一人になんてしておけないよ!
致命傷だったけど、あとを追う⋮⋮
空のひとが、しっぽを抱えこんだまま、住宅街を踏破してた
のどが裂けちゃうんじゃないか、っていうくらいの、叫び声⋮⋮
足元の人間たちを避ける余裕はなかった⋮⋮
人間たちをかばってたのは、しっぽだった⋮⋮
なんのために戦ってるのか、わからなくなる光景
でも、やらなくちゃ⋮⋮
一、P−03︵
かまくらちゃんの触手が伸びる
どんどん枝分かれしていって、数えきれないくらい⋮⋮
街の上空を覆った⋮⋮
光がさえぎられて、影が落ちるよりも早く
触手は街に降りそそいだ
人間たちが、ときどき冗談で、雨じゃなくて槍が降るって言うけど
まさしくそんな感じ⋮⋮
2188
耐えきれる家なんてなかった
しっぽが人間をかばえばかばうほど、おれたちは有利になる⋮⋮
そうすることがわかってたから、かまくらちゃんは撃った
つらい選択だった⋮⋮
見えるひとは、二人を追いかけながら高速で詠唱してる
やろうと思えば、一瞬でスペルは言えるけど
詠唱には最低限の発音速度が決まってる⋮⋮
限界レベルもそうだけど
たぶん術者となる種族を保護するための仕組みだ⋮⋮
減衰特赦を使えるのはバウマフ家の人間だけだから
おれたちは、きちんと詠唱しなくちゃ開放レベル9まで持ってい
けない
しっぽは暴れ狂ってる⋮⋮
そんなに子供たちの力になりたいの⋮⋮?
バウマフ家の人間との融合が進んでる
もともと、どうしようもなかったけど
もう絶対に切り離せないところまで来てる⋮⋮
でも、だめだよ
力尽くで心をねじ伏せるようなことは、しちゃいけない
そんな資格は、だれも持ってないんだから⋮⋮
街の景観はがらりと変わったけど、住民たちは気にしてない
誤魔化しきれそう⋮⋮
2189
ついでに、この大規模破壊に関して羞恥心を覚えるよう設定して
おいたよ
これで話題になることもないと思う⋮⋮
記憶を消すのは最終手段なんだ。一部の変態に適用されるよう仕
込んでおく⋮⋮
0、Y−00︵
見えるひとっ
0、J−235︵
ぬぅぅぅうりゃッ!
全身全霊をこめた全力投球だ
障害物︵家︶をことごとく貫通して飛翔した光弾は
おれのとっておきの封印術である
避ければ世界が消し飛ぶ
受けざるを得まい⋮⋮
舌なめずりをして、成果を待ったの⋮⋮
しょせん子狸さんだよね。反吐が出るほど甘いよ
地面に縫いつけられたしっぽがじたばたしてる
まったくもう、往生際が悪いんだから⋮⋮
2190
無数に分裂した光弾が、しっぽを雁字搦めに拘束する
ぐったりしたしっぽが、最後に吐き出したのは
きっと子狸さんの夢だった
勇者ごっこする子供たち。子狸さんは魔王役
夕暮れ
影法師
家族⋮⋮
渾然一体となったイメージだ
深層心理というやつなのか⋮⋮?
顔のない人間たち
小さい頃に連れて行ってもらった劇場
砂時計
塔
王都のんの怒鳴り声
なだめているのはお屋形さまだ
扉
ポンポコ母の優しい声⋮⋮
剣を掲げる騎士たち
絵本⋮⋮?
小さなお馬さん⋮⋮
雨雲
ごますり鉢
薬草を投下
雑草も投下
2191
きのこ
調味料
きのこ
場面が飛ぶ
見上げた先に立っているのは、みょっつさんだ
ここで会ったが三年目⋮⋮と言ったのは子狸だろう
迷わず踏み出そうとする子狸を、小さな手が引っぱる
弱々しい力だったから、心配になって振り返る
視線を落とすと、うつむいているマヌさんが視界に入った
少し待ってほしいと彼女は言った
視界が上下する。頷いたのだろう。約束の時間までは間がある⋮
⋮意味不明の思考
そして⋮⋮
この先の展開を見るためには、料金を支払う必要があるらしい
どこまでも世俗にまみれたポンポコである
だぶる? の選択肢を、空のひとが否決を連打
夢が終わる⋮⋮
だぶる? しつこい
2192
﹁奇跡の子﹂part4
五二、王都在住のとるにたらない不定形生物さん︵出張中
特装騎士の指先が、子狸のひたいに触れた
崩落は重力場を生成する魔法だ
振動を操る魔法と言ってもいい
びくりとふるえた子狸が、脱力して地面に転がる
しっぽがひび割れ、砕け散った
四散した力場の破片が粉雪のように舞い降る
五三、かまくら在住のとるにたらない不定形生物さん︵出張中
まともに入ったぁーっ!
絵づらは地味ですが、強ぉー烈な一撃です!
これは決まったか⋮⋮?
ひよこ﹁大きな一撃はいらないんです。あの地味さ加減が特装騎士
の本気を物語ってますね﹂
でっかいな! 実況席におさまりきってないですよ、あなた!
あ、ご紹介が遅れました
魔都から応援に駆けつけてくれた空のひとです
素敵な猫耳ですね。どういうつもりなんですか?
2193
ひよこ﹁港町を襲撃した個体とは別人という設定で行くつもりです﹂
え? キャラが定まってなかったからですか?
ひよこ﹁キャラとかは関係ありません。兄者は弱かった⋮⋮それだ
けです﹂
ああ、弟さんという⋮⋮?
おっと、見えるひとが続行の有無を確認してくれるようです
挑戦者に駆け寄り、見事な後方伸身宙返りです、挑戦者の頬を引
っ張る
伸びる伸びる
いまカウントを⋮⋮とらない!
亡霊﹁⋮⋮意識消失を確認っ﹂
やはり特装騎士の壁は厚かった⋮⋮!
挑戦者・子狸、完膚なきまでに敗れました!
ひよこ﹁敗因は発電魔法でしょうね﹂
と申しますと?
ひよこ﹁いまの挑戦者なら魔☆力を使えるはずです。詠唱破棄は無
理としても、効果は再現できる。対する特装騎士⋮⋮チェンジリン
グは連発できないんですよ。そこを突くべきだった﹂
なるほど、発電魔法を使わなければ意表を突くことも可能だった
と⋮⋮
2194
ありがとうございました
見えるひと、最後にひとことお願いします
亡霊﹁噴破ッ!﹂
ありがとうございました
以上をもちまして、狸なべデスマッチ第二陣を閉幕とさせて頂き
ます
会場の皆さま、ほどほどにして下さいね
ステルスしてるからって、ふつうに野球とかするのやめて下さい
お願いしますね、本当に
スクイズあるぞじゃねーよ。ガチじゃねーか⋮⋮
五三、王都在住のとるにたらない不定形生物さん︵出張中
おれには何も見えない
特装騎士の前に敗れ去った子狸⋮⋮
立ち上がったのはトトくんだ
師の無念を晴らそうというのか
無茶だ。勝てるわけがない
マヌさんも同じ意見のようだ
歩き出したトトくんを引きとめる
奇跡﹁だめ! 勝てるわけないよ﹂
2195
トトくんは、階段を降りてくる特装騎士の様子をうかがいながら
マヌさんの肩に手を置いた
中トロ﹁⋮⋮マヌ。マヌ、よく聞いて﹂
騎士に憧れる少年が、これから戦おうとしているのは未来の自分だ
それでも少年の目に陰りはなかった
中トロ﹁魔王軍には、都市級っていう魔物がいる。勇者さましか勝
てないって言われてる⋮⋮すごく強い魔物なんだ。騎士団は何度も
負けてる。でも、戦うんだ﹂
無色透明の力場を感知できる人間は、力場が光って見えるのだと
いう
子狸の貴重な証言によれば
おれたちの発言をリアルタイムで追っているときと同じ感じがす
るらしい
光って見えるというのは錯覚だろう
五感に該当しない感覚だから、錯誤が起きていると考えたほうが
納得できる
小さなしっぽのかけらたちが、風もないのに揺れていた
ゆっくりと迫る特装騎士が、最後の一段を踏みしめた
トトくんが言う
中トロ﹁勝てないからっていうのは理由にならない。それが人間な
んだよ﹂
2196
マヌさんの手を振りきって、トトくんが駆け出した
祈るように合掌して、ぱっと両腕をひろげる
中トロ﹁こねるイメージ⋮⋮!﹂
技術も何もない
魔法の一端に触れようとするなら、最低でも自分自身を騙しきる
必要がある
嘘をつくことに慣れていない子供が、魔法の像を結びながら複雑
な動きをとるのは無理だ
中トロ﹁アバドン!﹂
トトくんはポンポコ教室の生徒だ
子狸は才能がなかったから、あまりにも未熟な生徒に対しては優
秀な先生でいられた
正直、パンをこねるイメージとか伝えられても反応に困るのだが
アバドンと言われては仕方ない
突き出された手のひらを、特装騎士は難なく避ける
背後に回りこんで片腕をひねり上げると、重力場はあっけなく散
った
外部からほんの少し刺激を与えるだけで、未熟な魔法使いのイメ
ージは妨害できる
みょ﹁十年早い﹂
そのまま人質にとっても良かったはずだ
しかし男は、言って聞かせるように続けた
2197
みょ﹁⋮⋮優秀な戦士だった。あの年頃にしては驚異的とさえ言え
る。だが、惜しいな。完成されすぎている﹂
子狸のことだろう
じっさいに戦ってみて、常軌を逸した訓練量が透けて見えたのだ
ろう
完成されすぎている。つまり成長の見込みがないということだ
男が言った。トトくんにしか聞こえないような小さな声だった
みょ﹁強くなれ。守ってやってくれ﹂
中トロ﹁え⋮⋮?﹂
意外な言葉に、トトくんが痛みを忘れたのは一瞬のことだ
足をはらわれて組み伏せられる
??﹁⋮⋮待て﹂
その声は、階段のほうから聞こえてきた
段差を踏む後ろ足が危なっかしい
前足でバランスをとるのがやっとだ
子狸﹁お前の相手は、おれだ﹂
子狸さんが再起動しました
2198
五四、海底洞窟在住のとるにたらない不定形生物さん
子狸さん復活! 子狸さん復活!
五五、火口付近在住のとるにたらない不定形生物さん
ポンポコ! ポンポコいいよ! 輝いてる!
五六、空中庭園在住のとるにたらない不定形生物さん︵出張中
え? 早すぎない? だれか何かした?
五七、住所不定の特筆すべき点もないてふてふさん
その手、待った
五八、空中庭園在住のとるにたらない不定形生物さん︵出張中
待たないよ。なに言ってるの?
五九、古代遺跡在住のごく平凡な巨人兵さん
なんで将棋やってるんだよ
2199
六0、空中庭園在住のとるにたらない不定形生物さん︵出張中
おれが訊きたいよ
空中回廊で将棋とかありえんだろ⋮⋮
子狸か!
六一、住所不定の特筆すべき点もないてふてふさん
子狸に将棋は無理だろ。複雑すぎて
ルールを覚えるだけでしんじゃう
六二、火山在住のごく平凡な火トカゲさん
子狸さんをばかにしてんのか!?
ああ見えて将棋崩しとか得意なんだぞ!
おれといい勝負したこともあるんだ
六三、王都在住のとるにたらない不定形生物さん︵出張中
おい。やめろ。将棋崩しって言うな
ただでさえ、お前らが将棋を差してるのを見て
不思議そうにおれを見るんだ
おれの苦労を無駄にするな
お願いします
2200
さて、復活した子狸さん
肩からひょっこりと顔を出したのは、羽のひとだ
妖精さんたちは対象指定の治癒魔法を使える
回復量の振れ幅が大きく⋮⋮
つまり効果のほどは気分しだいということだ
妖精﹁ノロくん、無茶しちゃだめですっ﹂
ふらつく子狸を健気に支えているが
ゆがんだ愛情がちらついて見えるのは気のせいだろうか?
そして勇者さんと一緒にいた彼女がこの場にいるということは
そういうことだ
振り返った特装騎士が目にしたのは、階段を蹴って跳躍した勇者
さんだった
影使いと睨み合っていたタマさんが口笛を吹いた
空中で聖☆剣を起動した勇者さんに
トトくんを解放した特装騎士が照準を合わせる
ためらうことなく光弾を打ちつけた
この男は、すでに自らの命を捨てている
羽のひとの念動力があるから、勇者さんは高所から飛び降りるこ
とも厭わない
空中で大きく身体をひねり、片腕を振る
指先が軽く触れただけで、あれだけ子狸を苦しめた光弾は八つ裂
2201
きにされた 男は驚かなかった
これが剣士だ
開放レベル3の殲滅魔法ですら、彼らに致命傷を与えるのは難しい
しかし、だからと言って魔法使いが剣術使いに劣るとは限らない
のだ
みょ﹁パル﹂
発火魔法は料理に欠かせない
冷凍魔法は保存に便利だ
発光魔法は︱︱
男が三人に分裂した
光を操作して自らの画像を生み出したのだ
発光の魔法は⋮⋮
おそろしく戦闘に適している
着地と同時に聖☆剣を一閃した勇者さんから、男は素早く距離を
とる
最初の一撃は、けん制だったのだろう。勇者さんも聖☆剣を振り
ながら後ろに跳んでいた
トトくんをかばうような立ち位置になったのは偶然か?
肩越しにタマさんを一瞥して言う
勇者﹁止めろと言ったはずだけど?﹂
2202
口調がきつい。怒っている
タマさんはひょうひょうとしたものだ
タマ﹁現場の判断を優先しました。許可は頂けていたかと存じます
が⋮⋮?﹂
勇者﹁不測の事態が起きたなら報告なさい。⋮⋮こんな当たり前の
こと言わせないで頂戴。わざとね﹂
すると、タマさんは大仰に肩をすくめた
タマ﹁アレイシアンさまは、あの男を手打ちにしろと仰るでしょう
? それが、いちばんすっきりとおさまる。しかしね、おれの勘は
外れたためしがないんだ⋮⋮ご存知でしょう?﹂
そう言って、虚空に﹁おい﹂と声を掛ける
影使いがタマさんとの決闘に踏みきらなかったのは
組織の幹部が単独行動をとるとは考えにくいからだ
とりわけ異能持ちは貴重な人材である
タマさんがどうこうではなく、まず組織が許さないだろう
迷彩を破棄して姿を現したのは、苦悩する側近だった
タマさんと同じ上着を羽織っている
騎士崩れと思しき長身の
⋮⋮過去にいろいろとあったのだろう
治癒魔法ではなく盾魔法をチェンジリングする人間だ
2203
側近﹁叔父貴⋮⋮﹂
側近は二の句を告げないといった様子だった
無理もない。わざわざ伏兵の存在を敵に教えてどうするのか
タマ﹁なんだよ。おれが間違ったこと言ったことあるか?﹂
側近﹁⋮⋮ええ。数えきれないほど﹂
タマ﹁そりゃあ、ちがう。まわりの連中が余計なことをしたせいだ﹂
タマさんは責任転嫁した
六四、山腹巣穴在住のとるにたらない不定形生物さん︵出張中
騎士団が人類最強の戦闘集団たりえているのは
戦力の平均化を徹底しているからだ
分業の実働騎士と、万端の特装騎士
優秀な兵士よりも、及第点をとれる兵士の育成に熱心だ
たとえ部隊ごとの勝率が下がったとしても
あらかじめ勝敗を計算できれば事前に手を打つことができる
長所を伸ばすよりも短所を補うことに腐心してきたから
特装騎士につけ入る隙はない
おれたちの子狸さんを下した特装騎士⋮⋮
2204
勇者さんなら勝てるのか?
六五、かまくら在住のとるにたらない不定形生物さん
無理だろ
おれたちの子狸さんをあっさりと退けるような相手に
どうして勇者さんが勝てるんだよ
六六、火口付近在住のとるにたらない不定形生物さん
お前、まだそんなことを言ってるのか⋮⋮
どう考えても、勇者さんは子狸よりも格上だろ
相性の問題はあるだろうが、盾魔法で聖☆剣を防ぎきるのは無理
なんだから
最後は勇者さんが勝つに決まってる
六七、かまくら在住のとるにたらない不定形生物さん
は? いや、それはねーだろ
剣士だって生身なんだから、石とかぶつけられたら終わりじゃん
地面に魔法を撃つとか、いくらでもやりようはある
六八、火口付近在住のとるにたらない不定形生物さん
いや、だからぁ⋮⋮
2205
そのためには何が必要? 詠唱だろ
勇者さんには死霊魔哭斬がある
距離なんて関係ないんだぞ
六九、かまくら在住のとるにたらない不定形生物さん
お前は特装騎士を甘く見てる
七0、火口付近在住のとるにたらない不定形生物さん
お前は勇者さんを甘く見てる
七一、管理人だよ
おれは、まだ負けてない
七二、かまくら在住のとるにたらない不定形生物さん
いやいや⋮⋮
七三、火口付近在住のとるにたらない不定形生物さん
いやいや⋮⋮
2206
七四、住所不定のどこにでもいるようなてふてふさん
子狸、お前⋮⋮
前足すりむいてるじゃねーか
倒れたときか?
青いのは何やってたんだよ
緑の島でも似たようなことあったけど
なんで、そのへんきちっとしてくれないの?
おれは、ずっとそれが引っかかってる
七五、王都在住のとるにたらない不定形生物さん︵出張中
過保護は本人のためにならんよ
心配しなくとも消毒はきちんとしてる
なでなでしといた
七六、住所不定のどこにでもいるようなてふてふさん
ふうん
七七、王都在住のとるにたらない不定形生物さん︵出張中
⋮⋮妖精さん?
2207
七八、空中庭園在住のとるにたらない不定形生物さん
妖精さん、どうしたの? 返事して? 妖精さん?
七九、魔都在住の特筆すべき点もないライオンさん︵出張中
みょっつさん逃げてぇぇぇっ!
2208
﹁奇跡の子﹂part5
八0、住所不定の︵略
どけ、ヒュペス
八一、魔都在住の特筆すべき点もないライオンさん︵出張中
まあまあ⋮⋮
いったんおちつこう、な?
お前の気持ちはよくわかる
よくわかるけど、ほら、あんまり⋮⋮
治癒魔法とか⋮⋮
な? わかるだろ?
八二、
そうだな
おれが悪かった
だから、どいてくれ
八三、王都在住のとるにたらない不定形生物さん︵出張中
だめだな。拘束しろ
2209
八四、火口付近在住のとるにたらない不定形生物さん
よし。かまくらの、がんばれ
八五、かまくら在住のとるにたらない不定形生物さん
悪い。いまオーロラの観察で忙しい
庭園の、頼む。お前が最強だ
八六、空中庭園在住のとるにたらない不定形生物さん
いや、おれなんてとるにたらない不定形生物に過ぎないから
ここは王種の出番じゃないか
緑とか
なんと言っても最高位だからな
八七、火山在住のごく平凡な火トカゲさん
いえ、僕はごく平凡な存在ですから
探せば、そこらへん歩いてますよ
その点、巨人兵さんはレアですよね
2210
八八、古代遺跡在住のごく平凡な巨人兵さん︵出張中
え? なに? 聞こえない
あれ、こきゅーとすの調子がちょっと⋮⋮
八九、管理人だよ
羽のひと
九0、住所不定のどこにでもいるようなてふてふさん
なんだよ
九一、管理人だよ
問題を
問題を出してくれ
いまのおれなら、きっと⋮⋮
見える気がするんだ
九二、住所不定のどこにでもいるようなてふてふさん
⋮⋮ノロくんは八百屋さんでりんごを二つ買いました
一つはおれが食べました
2211
もう一つもおれが食べました
残ったりんごはいくつでしょうか?
九三、管理人だよ
羽のひと、手出ししないでくれ
やつは⋮⋮おれが倒す
九四、住所不定のどこにでもいるようなてふてふさん
答えろよ。いくつなんだよ
九五、管理人だよ
<i54009|6308>
男には、やらなくちゃならないときがあるんだ
いまが、そのときなんだよ!
九六、王都在住のとるにたらない不定形生物さん︵出張中
子狸﹁みょーっつ!﹂
復活した子狸が吠えた
2212
男は無視した
勇者さんに視線を固定したまま、盾剣を破棄した
よどみのない足運びで左右に行き来する
発光魔法で作り出した分身も同様だ
三つの人影が重なり合うたびに、男はスペルを追加していく
声の発生源を特定されないための技術だ
ふたたび三人に分かれた男が口を開く
みょ﹁なるほど、あなたは都市級を打ち倒せるかもしれない﹂
その声は三重に響いて聞こえた
変化と伝播を組み合わせれば、分身からも同じ音声を出力するこ
とは難しくない
みょ﹁だから私を圧倒できると思っているなら、その考えは改める
べきだ﹂
勇者さんの視線が素早く走った
剣士である彼女が、本体と分身を見分けることは困難だ
男の忠告に、勇者さんは小さく首を横に振った
勇者﹁いいえ、その必要はないわ﹂
確率は三分の一⋮⋮
勇者さんは、真ん中の男に標的を定めたようだ
光の剣尖を、ぴたりと固定する
2213
九七、樹海在住の今をときめく亡霊さん︵出張中
勇者さんの聖☆剣は、先々代のそれに近しい形状をしている
グランドクロス
初代勇者が使っていた剣をモデルにしたもので
とくにこれといった特徴がない
まぶしすぎるとお前らに不評だったため
光量をおさえた目に優しい聖☆剣である
凝視しても安心だ
箱姫﹁⋮⋮⋮⋮﹂
階段を登りきった先、二階の廊下へと続く扉の陰に
彼女は隠れひそんでいた
狐娘﹁ココさま、離して﹂
捕獲した狐娘を抱きかかえている
お気に入りらしい
箱姫﹁⋮⋮ねえ、コニタ。シアの剣って、前からあんな感じだった
かしら⋮⋮﹂
彼女の主張によると、十代目の勇者はすでに誕生しているらしい
ピエトロ家は、アリア家をライバル視している
箱姫もまた、幼い頃から勇者さんを生涯の好敵手と見定めて生き
2214
てきたのだろう
つっかかるたびに、冷淡にあしらわれてきたに違いない
その彼女が、ついに聖☆木を勇者に手渡すという大任を手にした
先々、教科書に載ってもおかしくないイベントである
わくわくして眠れない夜もあっただろう
ふとしたきっかけから勇者と一緒に旅立つことになり
あまたの苦難を乗り越え、やがて芽生える恋
卑劣な罠によって引き裂かれる二人⋮⋮
再会とともに、きずなを確かめ合う恋人たち
月明かりの下でドラマチックな求婚⋮⋮
年頃の少女なら、そんなことを妄想したかもしれない
箱姫﹁そっくりね。⋮⋮聖剣と﹂
護衛﹁⋮⋮っ﹂
背後に控える護衛が、口元を片手で覆った
あるじの道化ぶりに、嗚咽をこらえきれなかったのだ
箱姫の発言が、なけなしの矜持から来るものだと察するには
狐娘は幼すぎた
狐娘﹁? あれ本物。勇者だから、アレイシアンさま﹂
箱姫﹁⋮⋮そう﹂
しずかに納得する箱姫に、護衛が豪華な箱を差し出す
2215
護衛﹁ココニエドさま、こちらを﹂
箱姫﹁ありがとう。気が利くわね。かぶらせて?﹂
in箱を所望する令嬢だったが、どう見ても人間がかぶれるサイ
ズの箱ではない
きっと聖☆木がおさまっているのだろう
聖☆剣を見るまでもなく、護衛の人は十代目勇者の正体に勘付い
ていたのだろう
アリア家の令嬢が、わざわざ国境付近の街に立ち寄る理由など
まして、このタイミングだ
気付かないほうがおかしい
気落ちしている箱姫を、狐娘が励ましていた
狐娘﹁アレイシアンさまはココさまのこと、いちばん信頼できる貴
族だと思ってる﹂
箱姫﹁え、本当? くわしく聞きたい﹂
狐娘﹁ただでは言えない﹂
箱姫﹁ええ、もちろん。情報料は弾むわ。あと、あの⋮⋮魔どんぐ
りを抱えている平民はなんなの?﹂
狐娘﹁マフマフか。あれは、わたしの手下。さいきん、また料理の
腕を上げた﹂
不規則な生活を送っている狐娘たちに
2216
子狸さんは夜食を差し入れしている
カロリー控えめのポンポコ定食は、彼女たちの好評を勝ち得ていた
三時のおやつを吟味している子狸さんに死角はない︱︱
九八、山腹巣穴在住のとるにたらない不定形生物さん︵出張中
もしも勇者さんが本気なら、最初から死霊魔哭斬を撃っている
彼女に交戦の意思はなかった
猛然と階段を駆け下りてくる子狸を一瞥して、声を張り上げる
勇者﹁聞きなさい!﹂
いっときでも場を膠着するために聖☆剣を起こした
しかし子供たちの目に映るのは、特装騎士に刃を向ける勇者さん
の姿だ
中トロ﹁待って! 待ってくれ! そいつは⋮⋮!﹂
トトくんのひっ迫した声に、マヌさんが過剰反応した
彼女は、大人たちの争いに耐えられなかった
奇跡﹁先生! 先生、みんなを止めて!﹂
子狸の目が見開かれた
子狸﹁⋮⋮ドミニオン!﹂
突き出した前足には、いつしか魔どんぐりが握られていた
2217
土魔法で⋮⋮再構築したのか⋮⋮
跳ぶ気だ
前のめりになった子狸の身体が、がくりと揺れた
首から下が硬直している
羽のひとの念動力だ
妖精﹁大人しくしてろ﹂
子狸﹁リン⋮⋮!﹂
ひとつ頷いた勇者さんが、特装騎士に言う
勇者﹁わたしは、ココニエド・ピエトロと協定を結んだの。奇跡の
子の身柄は、彼女に預ける。その代わりに﹂
箱姫に協力する見返りとして、勇者さんは条件をひとつ付けると
言っていた
その内容がこれだ
勇者﹁研究成果は共有することになるわ。事がうまく進めば、拘束
期間を減らせるかもしれない。これが最後の妥協よ﹂
勇者さんは、緑の島でじっさいに巫女さんと会っている
そして、爆破術の核になるものが何であったかを知っている
子狸﹁お嬢⋮⋮﹂
子狸の表情はしぶい
ピエトロ家に預けること自体が気に入らないのかもしれない
2218
子狸﹁事情はわかった。その件については、あとで話そう﹂
子狸さんは悪くない
思うに、三行以上の文章は人類の限界を超越しているのではないか
おれが勇者さんに期待するのは一つだ
子狸さんと話すときは、幼児に語りかけるくらいの優しい気持ち
でお願いしたい
勇者﹁⋮⋮マヌ・タリアは、ピエトロ家で勉強する。たまにわたし
も一緒に勉強を見てあげるから、卒業は早くなるの。わかった?﹂
おそろしくわかりやすい
子狸﹁⋮⋮?﹂
でもだめだった
九九、火口付近在住のとるにたらない不定形生物さん
勇者さん以上に、うまく説明する自信がないんだが⋮⋮
一00、かまくら在住のとるにたらない不定形生物さん
なにがわからないのか、わからないんだ⋮⋮
2219
一0一、樹海在住の今をときめく亡霊さん︵出張中
うーん⋮⋮
つまり、勇者さんの言うことを聞いてれば間違いないということだ
ポンポコたん、わかりまちたか?
一0二、管理人だよ
⋮⋮二つに一つということか
一0三、王都在住のとるにたらない不定形生物さん︵出張中
その言い回しをどこで覚えた
一0四、住所不定のどこにでもいるようなてふてふさん
さいきん語彙が増えてきたな
おれは満足している
一0五、魔都在住の特筆すべき点もないライオンさん︵出張中
ハードル低いぞ。どんどん低くなってる
一0六、王都在住のとるにたらない不定形生物さん︵出張中
2220
勇者さんの提案は、現状を見据えた上で最善に思える
だが、男は納得しなかった
みょ﹁⋮⋮アレイシアンさま、あなたは賢しすぎる﹂
心から残念そうに言う
みょ﹁実働の連中はどこに? 私を狙撃させるために待機させてい
る。そうですね?﹂
勇者﹁⋮⋮⋮⋮﹂
勇者さんは答えなかった。図星なのだろう
この館に配置されていた実働騎士たちは、勇者さんの条件をのんだ
特装騎士に対する不審が、彼らの決断を後押しした
協力者と思しき影使いが
おそらく本物の
ピエトロ家の刺客だったからだ
男は続けた
みょ﹁それが悪いとは言わない。常に一手先、二手先を読んでいる﹂
入れ替わる筈だった二人
彼らの間で、どういったやりとりがあったのかはわからない
しかし⋮⋮
みょ﹁だから、あなたは必要とあらば彼女を裏切る。おれは、もう
2221
⋮⋮あなたたちを、貴族を信じることはできない﹂
⋮⋮港町の一件で、マヌさんの実家には報奨金が贈られた筈だ
それがまずい
権利
がない
勇者さんは、マヌさんの家族が人質にとられていると言っていた
その通りだろう
王国の法律において、平民は報奨金を受け取る
だから、預けたお金を返して欲しいと言われたら全額を返却しな
ければならないのだ
そして大部分の平民は、そんな法律の存在を知らないだろう
勇者﹁余計な真似を⋮⋮﹂
勇者さんが毒づいた
交渉は決裂した
男は、大貴族に一矢報いるつもりだ
とうに命は捨てている
一触即発の空気だ
子狸﹁⋮⋮よくわからないが﹂
お前に法律の話をしても無駄だということはわかっている
子狸﹁おれが身替わりになる。それでどうだ?﹂
うん?
2222
うん⋮⋮。あ∼⋮⋮
一0七、海底洞窟在住のとるにたらない不定形生物さん
あ∼⋮⋮
そうだね。ぜんぶ解決しちゃうね
おれたち以外だれも困らない完璧な案だわ
一0八、空中庭園在住のとるにたらない不定形生物さん
そうか。研究成果もなにも、答えがそこにあるもんな
バウマフさんちのひとって、たまにそういうこと言うよね
おれたちの苦労を一瞬で水の泡にするようなことを平気でしてく
れる
一0九、山腹巣穴在住のとるにたらない不定形生物さん︵出張中
さしもの勇者さんもびっくりだよ
勇者﹁⋮⋮⋮⋮﹂
完璧すぎて反論の余地がないんだな
一一0、火口付近在住のとるにたらない不定形生物さん
2223
見えるひとさぁ⋮⋮
何か欲しいものある?
一一一、樹海在住の今をときめく亡霊さん︵出張中
嫌だよ
一一二、かまくら在住のとるにたらない不定形生物さん
ははっ
そういえば、そろそろ誕生日だよね
一一三、樹海在住の今をときめく亡霊さん︵出張中
絶対に嫌です
誕生日でも何でもねーし
第一、ゲストで招かれたのに斬られるとか斬新すぎるだろ
一一四、魔都在住の特筆すべき点もないライオンさん︵出張中
まあまあ⋮⋮
見えるひと、ちょっとこっちへ⋮⋮
2224
一一五、樹海在住の今をときめく亡霊さん︵出張中
なんだよ
ちっ、仕方ねーな⋮⋮
手短にしてくれ
一一六、住所不定のどこにでもいるようなてふてふさん
手招きされて、のこのことついてきた見えるひとを
ひよこが羽毛でくすぐる
くすぐったそうに身をよじる見えるひとの肩を
ひよこがぽんぽんと叩いた
⋮⋮説得でもするのかと思って見てたら、なにしてんだ
おい。きゃっきゃしてんじゃねえ
一一七、樹海在住の今をときめく亡霊さん︵出張中
ふん。まあ⋮⋮いいだろ
一一八、火山在住のごく平凡な火トカゲさん
お?
一一九、海底都市在住のごく平凡な人魚さん
2225
え? なに? どういうこと?
一二0、王都在住のとるにたらない不定形生物さん︵出張中
何やら納得した様子の見えるひとが
館の壁を突き抜けて、いったん外に出た
便利な身体だ
そして戻ってくる
ステルスは解除していた
最初に気付いたのはタマさんだった
ばっと振り返ると、目が合った
タマ﹁! メノゥパル⋮⋮!﹂
一人や二人じゃないぜ
総勢で十⋮⋮いや二十。どんどん増える
人間の輪郭のようなものが
次々と壁を透過して大広間へと踏み込んでくる
タマさんの声に、マヌさんが背後を振り返った
見えるひとの一人と目が合う
亡霊﹁⋮⋮︵にこっ︶﹂
にこっとスマイル
2226
少女の悲鳴が館内に響き渡った⋮⋮
2227
﹁奇跡の子﹂part6
一二一、海底洞窟在住の現実を生きる不定形生物さん
迫る、戦慄⋮⋮!
一二二、火口付近在住のとるにたらない不定形生物さん
見えるひと、やってくれるのか!
一二三、魔都在住の特筆すべき点もないライオンさん︵出張中
ひとを動かすのは利益ではなく
まして善悪でもない⋮⋮
︱︱誠意だ
一二四、かまくら在住のとるにたらない不定形生物さん︵出張中
空のひと⋮⋮
お前が、おれたちの翼だ⋮⋮
胴上げだ!
2228
一二五、空中庭園在住のとるにたらない不定形生物さん︵出張中
わっしょいわっしょい!
一二六、火口付近在住のとるにたらない不定形生物さん︵出張中
わっしょーい!
一二七、魔都在住の特筆すべき点もないライオンさん︵出張中
こらこら、お前ら⋮⋮
はっはっは、よさないか
一二八、住所不定のどこにでもいるようなてふてふさん
うざってえ⋮⋮
一二九、山腹巣穴在住のとるにたらない不定形生物さん︵出張中
過日の街道封鎖事件のおり
早々と見えるひとが退場したのは
勇者一行にとって幸運だった
あるいは勇者さんは知っていたのかもしれない
レベル2のひとたち、怨霊種とも呼ばれる彼らは
2229
魔王軍の主戦力だ
騎士たちと互角に戦えるから
勝っても負けても不思議ではなく
戦況のコントロールに適している
技の骨のひと
力の歩くひと
見えるひとは⋮⋮怨霊種の術師だ
堅牢に積み上げた石の隙間から
するりと
いともたやすく亡霊たちは家屋に侵入してくる
亡霊A﹁ここか﹂
亡霊B﹁眉唾ものだがな﹂
亡霊C﹁どのみち捨て置けん﹂
亡霊D﹁おとりではないのか?﹂
亡霊E﹁同じことだ﹂
亡霊F﹁そうさな。首謀者を締め上げればいい⋮⋮﹂
亡霊G﹁重要なのは﹂
亡霊H﹁そう、重要なのは﹂
2230
亡霊I﹁白アリどもの巣を叩くことだ﹂
亡霊J﹁そして聖☆木の回収⋮⋮﹂
亡霊K﹁簡単なお仕事です﹂
風雨の中を歩いてきたためだろう
ひたひた
ひたひたと
一歩ごとに湿った足跡が残る
身を乗り出した護衛の人が叫んだ
護衛﹁ばかな! 魔物どもの侵入を許したのか!?﹂
魔物たちがあざ笑った
亡霊L﹁おいおい。二年前に何も学ばなかったのか?﹂
亡霊M﹁学習能力がないな。しょせん人間か﹂
亡霊N﹁そう言うな。哀れだろう。いいか、人間⋮⋮教えてやる。
学べ﹂
亡霊O﹁おれたちの侵攻を、あんなちゃちな壁で防ぐことは出来な
い﹂
亡霊P﹁あれは鳥かごだ。人間が人間を囲うための、なぁ⋮⋮﹂
はったりである
2231
たしかに街壁は万全とは言えないが
じゅうぶん機能している
魔物は、言葉で人間たちの動揺を誘う
疑心を植え付け、結束を内側から腐らせる
亡霊Q﹁簡単なお仕事です﹂
子狸が悲鳴を上げた
子狸﹁囲まれてる⋮⋮! お嬢!﹂
いい仕事ぶりだ
勇者さんが頷いた
彼女は、見えるひとたちが包囲を狭めるのを待っていた
一網打尽にするためだ
勇者﹁撃ちなさい!﹂
正確無比な射撃が、見えるひとたちを貫く
実働騎士たちの狙撃だ
しかし甘い
さすがに中隊長や大隊長のようには行かないか⋮⋮
勇者さん⋮⋮
まだわからないのか?
本気で魔物たちに勝とうとするなら
2232
勝ちたいなら
おれたちが納得できる状況を作らなければだめなんだ
飛来した光槍を、見えるひとたちは一歩も動かずにいなした
霧を槍で突いても無意味だ
いったんひろがった穴がふさがる⋮⋮
変幻自在は王種の専売特許ではない
見えるひとは霧状の身体を
自在に操ることができる
その程度のことは知っていたのだろう
勇者さんは、成果を見届ける前に追加の指示を出した
勇者﹁集まって! 実働小隊を組織なさい! ぼーっとしないの!
現役の特装騎士でしょ。あなたが指揮をとるの﹂
そう言って、敵味方を判じかねている特装騎士を叱りつけた
みょ﹁おれは⋮⋮!﹂
実質的に勇者さんの指揮下に入れということだ
聖騎士には、その権限がある
反駁しようとする男を、勇者さんは激しく叱責した
勇者﹁うるさい! わたしに従いなさい﹂
魔物の襲撃を想定していなかった
これは勇者さんのミスだ
2233
いつまでも構ってられないと聖☆剣を一度、二度と振る
勇者さんの必殺技その一、死霊魔哭斬だ
亡霊A&B﹁きゃあ﹂
虚空に連続して灯った光が、見えるひとAとBを消し飛ばした
勇者の所業とは思えない禍々しさである
唖然としている特装騎士に、勇者さんがつぶやいた
勇者﹁⋮⋮次はあなたの番ではないことを祈るわ﹂
男は屈した
第一、人間同士で争っている場合ではない
信念など二の次だ
みょ﹁実働を補佐しようとはするな! 連中の攻防はハイスピード
すぎて邪魔になる。環境の維持と回復に専念しろ﹂
この場には特装と互角とは言わないが
それに近しい術者が三人いる
相棒の影使いと、タマさんの側近。そして箱姫の護衛だ
本職の特装騎士と合わせれば、ちょうど四人ということになる
騎士団の最低単位は実働部隊の八人だが
そこに特装部隊の四人が加わったとき
彼らは最大の力を発揮できる
実働小隊と呼ばれる決戦隊形だ
2234
二階に隠れひそんでいたのだろう
実働騎士たちが続々と飛び降りてきて、勇者さんの周囲を固める
いまこうしている間にも、見えるひとたちはどんどん増えている
亡霊R﹁ほう、面妖な技を使う﹂
亡霊S﹁さしずめ死霊魔哭斬といったところか﹂
亡霊T﹁⋮⋮つーか、勇者じゃね?﹂
亡霊U﹁⋮⋮まじで? 元帥にころすなって言われてるんだけど﹂
亡霊V﹁とらえろ。と言いたいところだが⋮⋮﹂
亡霊W﹁ああ﹂
頷き合い、一斉に駆け出す見えるひと
身構えた勇者さんが、タマさんに命を下した
勇者﹁子供たちを守りなさい! コニタ、あなたも!﹂
聖☆剣がきらきらと輝いている
一三0、王都在住のとるにたらない不定形生物さん︵出張中
実働騎士たちは守勢に回ることを避け
2235
開放レベル3の殲滅魔法を連発している
たしかにチェンジリング☆ハイパーは強力な手札だが
その代償は大きい
人間の持ち点が100とすれば
チェンジリングは50点ほど消費する
チェンジリング☆ハイパーでさらに30点マイナスだ
50点あれば、魔法の用途を戦闘に限定すればたいていのことは
出来る
しかし20点では、攻性魔法の種類を限定するしかない
亡霊C﹁アルダ!﹂
側近﹁パル!﹂
遮光魔法で視界を閉ざそうとする見えるひとに
すかさず側近が発光魔法を返した
亡霊D﹁いまだ! 突破しろ!﹂
密集陣形をとった見えるひとたちが突進してくる
一人、また一人と殲滅魔法の前で脱落していくが
彼らの勢いはまったく衰えなかった
騎士A﹁しまった!﹂
勇者﹁数を減らすことに専念なさい!﹂
2236
討ち漏らした見えるひとを、勇者さんが次々と斬り伏せていく
亡霊D﹁甘い!﹂
飛び上がって回避した見えるひとが、タマさんの眼前に降り立った
タマ﹁! こいつ⋮⋮!﹂
にやりと笑った見えるひとが、再度の跳躍
タマさんと子供たちを飛び越えて、中央階段に到達した
魔物たちの士気はとどまるところを知らない
そこに目指すものがあるからだ
亡霊D﹁ポンポコぉー!﹂
バウマフ家の人間を目の前にすると、他のことがどうでもよくな
るという
悲しい習性が魔物たちにはある
子狸﹁見えるひとぉー!﹂
大蛇の構えをとる見えるひとに、子狸は猛虎の構えで応じる
妖精﹁どうしてお前らはいつもそうなんだ⋮⋮﹂
肩の上で羽のひとが嘆いていた
一三一、火口付近在住のとるにたらない不定形生物さん︵出張中
2237
まったくだよ
誤魔化すほうの身にもなってほしい
あ!
一三二、海底洞窟在住のとるにたらない不定形生物さん
なんだ? どうし⋮⋮
あ∼⋮⋮
一三三、山腹巣穴在住のとるにたらない不定形生物さん︵出張中
おれたちのステルスは個人によって形式が異なる
減速魔法をベースにしたものもあれば、心理操作をベースをした
ものもある
心理操作に絶大な信頼を寄せている庭園のんであったが
ふつうに邪魔だったのだろう
勇者さんに手で押しのけられる
胴上げされていた空のひとが
床で腰を痛打した
ひよこ﹁ッ⋮⋮!﹂
悶絶する魔ひよこに、勇者さんがよじ登る
2238
負けじと見えるひとたちもよじ登ってくる
殲滅魔法の余波で、猫耳が揺れた
彼女がお腹の上で聖☆剣を振るうたびに、空のひとがびくりとふ
るえる
ひよこ﹁おふっ。おふっ﹂
認識できなくなるというのは、こういうことだ
最初からステルスしているので、さしもの勇者さんも疑問に思わ
ない
⋮⋮こうして改めて見ると、親子みたいだな
一三四、住所不定のどこにでもいるようなてふてふさん
勇者さんは卵生じゃない
一三五、魔都在住の特筆すべき点もないライオンさん︵出張中
おれも卵から生まれた覚えはないんだがっ
お、親子とかやめろよ
母性本能が刺激されちゃうだろ⋮⋮
ぬぬぬっ⋮⋮!
一三六、空中庭園在住のとるにたらない不定形生物さん︵出張中
2239
ひよこ﹁どかーん!﹂
おい。ひよこが寝返ったぞ⋮⋮
大きく翼をひろげた空のひとが、見えるひとを弾き飛ばした
勇者さんのことは丁重に地面に下ろしたのに⋮⋮扱いが違いすぎる
亡霊J﹁とりつけ!﹂
見えるひとたちが群れをなして空のひとによじ登る
筆舌に尽くしがたい光景である
一三七、かまくら在住のとるにたらない不定形生物さん︵出張中
暴れ回るひよこ。見えるひとたちが木の葉のように舞う
一方その頃、箱姫は動けずにいた
護衛﹁ココニエドさま! ここも決して安全とは言いきれません。
早急に合流を⋮⋮!﹂
館内に侵入した魔物たちが大広間に集結しているとは限らない
しかし箱姫は、狐娘を抱きかかえたまま立ち上がろうともしない
箱姫﹁む、無理⋮⋮﹂
極度の人見知りなのだ
2240
王国は生まれ変わろうとしている
義務教育制度が施行され
平民は学校で同世代の友人たちとともに学び
ともに笑い、ともに泣く
だから貴族の中には、自分が損をしているような気分になるもの
もいる
徒党を組んだ平民に、いつか駆逐されるのではないかとおびえて
いる
たんなる被害妄想とは言いきれない
貴族政治を快く思わない平民は、増加の一途を辿っている
ファミリーはその最たるものだし、豊穣の巫女は反政府の象徴的
な存在になりつつある
当然、自分たちの在り方に疑問を覚える貴族もいるのだ
狐娘﹁ココさま⋮⋮﹂
ちいさな子供のようにふるえる箱姫を、狐娘が気遣っている
階下で、一筋の光が走った
聖☆剣を掲げた勇者さんが、見えるひとと相対している
早くも動きに精彩を欠きつつあった
体力を節約しているのか?
しかし苦しそうだ
箱姫﹁シア﹂
2241
ふらりと立ち上がった箱姫が、駆け出した
護衛の人と狐娘もあとに続く
亡霊Z﹁おっと、ここは通さんよ。聖☆木を寄越してもらおう⋮⋮﹂
立ちふさがる見えるひとに、子狸が体当たりをした
子狸﹁行けっ!﹂
背後から襲いかかってくる見えるひとを、羽のひとがかく乱する
亡霊D﹁くっ、ちょろちょろと⋮⋮!﹂
妖精﹁マジカル☆ミサイル!﹂
羽のひとの光弾に合わせて、子狸が前足を突き出した
子狸﹁アイリン!﹂
!? 特赦で減衰を⋮⋮
コンビネーションだと? 王都の、お前か!?
一三八、王都在住のとるにたらない不定形生物さん︵出張中
ど、どうかな⋮⋮
そんな気もするし⋮⋮
2242
羽のひとと子狸のコンビネーションが炸裂した
亡霊D﹁ぐあ∼!﹂
子狸は、おれたちの魔法に自分の魔法を連結することができる
本来なら減衰の対象となる妖精魔法に
特赦を重ねることも可能なのだ
ペナルティが解除されたことで
レベル4の投射魔法に⋮⋮
見えるひとはひとたまりもない
一三九、樹海在住の今をときめく亡霊さん︵出張中
とりあえず退場しておくけど⋮⋮
いいのか?
なんか、だんだん人間離れしてきてるぞ
一四0、王都在住のとるにたらない不定形生物さん︵出張中
だいじょうぶだ
むしろレベル3のひとたちと戦う前に判明して良かった
礼を言うぜ、見えるひと
一四一、山腹巣穴在住のとるにたらない不定形生物さん︵出張中
2243
階段を駆け下りてきた箱姫が、箱のふたを開けて中身を取り出した
勇者さんに届けと両手で投げる
箱姫﹁シア!﹂
声に反応して振り返った勇者さんが、かすかに目を見張る
片手で器用に受け取り、鞘を口でくわえた
見えるひとに聖☆剣を突きつけたまま、もう片方の手で柄を握る
箱姫が両手で頬を包み込むようにして声を張り上げた
箱姫﹁伝言! 1ポイントは貸しにしておくって! なんのことか
わからないけど!﹂
箱姫が運んできたものは、聖☆木ではなかった
鯉口を切る
鞘走る
柄尻にはアリア家の家紋が刻まれていた
細身の長剣だった
刀身に刻まれているのは銘か? 古代言語だ
勇者﹁連なり⋮⋮自分?﹂
やりやがった⋮⋮
一四二、空中庭園在住のとるにたらない不定形生物さん
2244
だから、あのひとたちを野放しにするのは反対だったんだよ⋮⋮
一四三、住所不定のどこにでもいるようなてふてふさん
可哀相だろ⋮⋮
なんてことするんだ⋮⋮
一四四、魔都在住の特筆すべき点もないライオンさん︵出張中
ツッコミ役が⋮⋮いなかったのか
一四五、海底洞窟在住のとるにたらない不定形生物さん
騎士剣むしろおれ
伝説の幕開けである⋮⋮
2245
﹁奇跡の子﹂part6︵後書き︶
注釈
・騎士剣むしろおれ
勇者さんの新しい剣。
港町で壊された剣を鍛え直したものであるが、原形をとどめない
ほど破壊されていたため大幅なモデルチェンジを行った。
完全に対魔物戦を想定した作りになっており、たとえば剣同士で
の打ち合いには向かない。
刀身に﹁ジェステ・メロ﹂と刻まれている。旧古代言語で﹁とな
り︵連なり︶・わたし︵自分︶﹂を意味し、肯定的に捉えれば﹁自
分の一部﹂と読みとることもできるが、文法的に正しい解釈は﹁む
しろおれ﹂である。ツッコミ役が不在だった。
魔物と人間の共同製作であるためか、静謐さと妖しさの間を行き
来する二面性を持っているようだ。
銘から﹁騎士剣﹂と呼ばれる︵﹁ジェステ﹂は近古代言語で﹁守
護者﹂を意味し、のちに﹁騎士﹂へと転じた︶が、﹁妖剣﹂とも称
されることになる。
︵作者より︶
バニラ様より素敵なイラストを頂きました。
ななな、なんと畏れ多くも二枚目であります。ありがてえ、ありが
てえ⋮⋮!
さっそく﹁奇跡の子﹂part5に挿絵inしておきました∼。ど
2246
ーん!
2247
﹁奇跡の子﹂part7
一四六、山腹巣穴在住のとるにたらない不定形生物さん
見えるひとが圧縮弾を打つ間に
実働騎士たちは殲滅魔法を最速で二発ほど叩き込める
早すぎる。手がつけられない
大広間に幾つもの火柱が上がった
火の粉が舞う中
聖☆剣を散らせた勇者さんが
かつて愛剣だったものを両手でしっかりと握って構える
使い慣れない武器で戦ってくれるというなら、これは願ってもな
いチャンスだ
見えるひとが上体を揺さぶりながら距離を詰める
霧状の身体は、ひと所にとどまるということがない
勇者さんが構えを変えた
やや半身になって、ひじを上げる
純粋に技量で勝負する気か⋮⋮?
両者が交錯した
姿勢を正した見えるひとが、ゆらりと振り返る
亡霊E﹁その程度か。元帥の足元にも及ばん﹂
2248
にやりと笑った
亡霊E﹁地獄で待っているぞ﹂
剣術使いは、この世でもっとも効率的に魔物の力を封じることが
出来る
見えるひとは、淡い光を放ちながら昇天した
勇者さんは振り返らなかった
騎士剣に視線を落として独りごちる
勇者﹁軽い。これなら﹂
安堵したような表情
また少し変わったか⋮⋮?
勇者さんは強くなった
彼女がまともに戦っているのを見るのは久しぶりだが
魔軍☆元帥の技を幾つか盗んだようだ
攻防の妙に血が通いはじめている
一方、おれたちの子狸さんはと言うと⋮⋮
子狸﹁おれはここだ! ここにいるぞ!﹂
見えるひとたちの標的が自分に集中していることに気が付いたの
だろう
階段を飛び降りて、自ら孤高の道を歩もうとしている
このへんは、もう矯正不能なんだろうな⋮⋮
2249
勇者﹁また、あの子は⋮⋮!﹂
一四七、王都在住のとるにたらない不定形生物さん︵出張中
勇者さんは苛立っているようだが
そもそも子狸は人間との連携に難がある
このポンポコは勘が良すぎる
だれも動きについてこれないし、ふつうの人間とは魔法の構成が
違いすぎる
子狸﹁イズ・ロッド・ブラウド!﹂
そして何より魔物たちの力を最大限まで引き出してしまう
全身から放電する子狸に、見えるひとが迫る
亡霊Z﹁ちからが⋮⋮みなぎる⋮⋮!﹂
いったん分散した霧が、ふたたび人型に結実する
際限なくあふれ出る力を
見えるひと本人が御しきれていないようですらあった
亡霊Z﹁なんと豊潤な⋮⋮これがバウマフ家の魔☆力か!﹂
魔☆力は契約によって得られる
退魔性が低い人間とは、つまり魔☆力の供給源でもある
子狸を支援している羽のひとがはっとした
2250
妖精﹁ブルのときもそうだった⋮⋮たんに強力な個体というわけで
はないの⋮⋮?﹂
バウマフ家は、歴史の裏で魔物たちと戦ってきた一族であるらしい
緑が余計なことを言ったせいで
おれたちの子狸さんはパーティーのお荷物だ
一四八、火山在住のごく平凡な火トカゲさん
ポンポコ! ポンポコいいよ! 輝いてる!
一四九、管理人だよ
はっはっは、よさないか
照れるだろ⋮⋮
お楽しみはこれからだぜ
そうだろ? 見えるひと⋮⋮!
一五0、樹海在住の今をときめく亡霊さん︵出張中
ふっ、大きくなったな
本当に大きくなった⋮⋮
そうとも
おれたちの戦いはこれからだ⋮⋮!
2251
一五一、火口付近在住のとるにたらない不定形生物さん︵出張中
人間たちの得意属性は
つまるところ生まれ育った環境で決まる
外食産業に携わる人間なら火炎魔法に傾くことが多い
行商人など、旅する人間は冷凍魔法だ
漁業なら、まず水魔法だろう
箱姫のあとを追って階段を下りてきた護衛の人が叫んだ
護衛﹁恥を知りなさい!﹂
影使いがピエトロ家に仕える人間であるというなら
護衛さんと顔見知りであっても不思議ではない
彼女は同僚の裏切りが許せないようだった
護衛﹁言え! どうして裏切った!?﹂
影﹁それは追々でいいんじゃないか。タク・ロッド・ブラウド・グ
ノ⋮⋮﹂
闇魔法を得意とする人間は珍しい
なにかとくべつな生い立ちをしているか
そうでなければ、人為的に属性を歪められた可能性が高い
護衛﹁ふざけるな! 裏切り者に背を預けて戦えというのか!?﹂
2252
影﹁アルダ﹂
早口でスペルを切った影使いが、周囲一帯の見えるひとたちを影
で縛る
これに応じた実働騎士たちが殲滅魔法を撃った
氷華が咲き乱れる中、影使いは後退して護衛さんに声を掛ける
影﹁そう言うな。いちばん連携しやすいのはお前だ。それに﹂
さらなる増援だ
天井を突き抜けて、見えるひとたちが降ってくる
影﹁話し込んでいる場合でもない﹂
一五二、山腹巣穴在住のとるにたらない不定形生物さん︵出張中
護衛さんが影使いを問い詰めている頃
箱姫は、勇者さんと合流しようとしていた
剣士の弱点のひとつに、死角の多さが挙げられるだろう
彼女たち剣術使いの共闘を許すと面倒だ
立ちふさがる見えるひとに、箱姫は突進する
霧状の腕を掻い潜って、素早く旋回した
亡霊R﹁なに⋮⋮?﹂
輪切りにされた見えるひとが、目を丸くする
2253
丸腰だった筈だ
それなのに、箱姫の手にはいつの間にか剣が握られていた
ピエトロ家の剣術は手品めいている
生命とは奇跡のようなものだ
だから、ほんの少しでも均衡が崩れれば滅びるしかない
じゅうぶんな殺傷力があるから、意表を突けば勝てる
くるりと反転した箱姫が、剣を構える
背中合わせに立つ勇者さんが言った
勇者﹁いいの?﹂
箱姫﹁盗めるものなら盗んで御覧なさい﹂
天井から降ってきた見えるひとたちが
二人の剣士を取り囲んだ
一五三、空中庭園在住のとるにたらない不定形生物さん︵出張中
大まかに言って、実働騎士たちの殲滅魔法は三通り
炎弾を周囲にばら撒く速攻型と
一帯をまとめて凍結する必中型
そして、敵の意識を分断するかく乱型だ
騎士A﹁パル!﹂B﹁タク!﹂C﹁ロッド!﹂D﹁ブラウド!﹂E
﹁グノー!﹂
2254
閃光が走った
頭上に浮かんだ光剣が、一斉に降りそそいで見えるひとたちを串
刺しにする
勇者の聖☆剣を意識した魔法であることは疑うべくもない
しかし、あまりにも多勢に無勢だった
仲間のしかばねを乗り越えた見えるひとたちが
騎士たちに肉薄する
騎士F﹁パル!﹂G﹁ディレイ!﹂H﹁エラルド!﹂
攻撃に非参加の騎士たちが防壁を張るが
すでに見えるひとたちは攻略法を編み出していた
いったん地中に潜行したのち、ふたたび浮上して防壁を越える
床に亀裂が入るほどの踏み込みから、掌底を叩きこんだ
騎士B﹁ぐふっ﹂
吹き飛んだ騎士Bが、がくりとひざを折る
陣形が崩れた。チャンスだ
一五四、かまくら在住のとるにたらない不定形生物さん︵出張中
いや、まだだ
やはり本職の特装騎士はものが違う
発光魔法で作り上げた分身に、見えるひとたちは翻弄されている
そればかりか、すでに伝播魔法を連結されている分身は
2255
即席の爆弾として扱うことも出来た
数で押し切ろうとする見えるひとたちを
男は冷静にさばききる
みょ﹁︱︱ディグ﹂
亡霊S﹁ぐあ∼!﹂
わきを通り抜けざまに放たれた圧縮弾が、見えるひとをしたたか
に打った
特装騎士の詠唱が止まらない
みょ﹁タク・ロッド・ブラウド・グノ⋮⋮﹂
亡霊T﹁やらせん!﹂
側近﹁それはこちらの台詞だ﹂
突進してきた見えるひとを
タマさんの側近が怪しげな技術で投げ飛ばした
側近﹁ディレイ! 行け!﹂
ひとつ頷いた特装騎士が力場を踏んで飛ぶ
視界を確保してから、人差し指を振った
みょ﹁アイリン﹂
指先に灯った淡い光が
2256
傷付いた実働騎士たちを照らした
開放レベル3の全体治癒魔法だ
言うまでもなく全快する
むしろ半端に治すほうが難しい
これがある限り、実働騎士は何度でも復活できる
一五五、火口付近在住のとるにたらない不定形生物さん︵出張中
むろん対策はある
ポンポコ級の退魔性でもない限り
人間たちの魔法は目で見える範囲に限定される
倒した人間を引きずって館のどこかに隠せばいいのだ
タマさんの側近が怪しげな技術を披露していた頃
狐娘とマヌさんの仁義なき争いがはじまろうとしていた
悲嘆に暮れるマヌさんに、しゃがみ込んだ狐娘がデコピンをかま
したのだ
奇跡﹁! な、なに⋮⋮?﹂
涙目で見つめてくる同年代の少女を、狐娘は鼻を鳴らして睨み返す
マヌさんの腕を掴んで引っ張る
狐娘﹁立て﹂
奇跡﹁なにを⋮⋮するの! 離して!﹂
2257
年齢不相応に賢い子供だったから、怒りをぶつけて良い相手かど
うかを見分けることが出来た
しかし狐娘も負けていない
狐娘﹁お前みたいに泣いてばかりで、何もしようとしないやつを見
ると腹が立つ﹂
自分を棚に上げてマヌさんを糾弾する
マヌさんはカッとなって自ら立ち上がった
タマ﹁おいおい⋮⋮﹂
タマさんの呆れたような声を無視して、至近距離から狐娘と睨み
合う
マヌさんは言った。どこか悲鳴にも似ていた
奇跡﹁だって、わけわかんないんだよ! わたしは⋮⋮!﹂
それは、きっと本音だった
ずっと押し隠してきた本当の表情だった
奇跡﹁子供たちが泣いててっ、わたしがいちばんお姉さんだったか
らっ、しっかりしなくちゃって、それだけなのに!﹂
港町での一幕だろう
とくべつ勇気に恵まれていたわけではないのだ
彼女は、ただ自分より年下の子供たちの前で失態を晒せなかった
だけだ
2258
だが、彼女は知らない
英雄の最初の動機など、たいていそんなものだ
中トロ﹁そうだなぁ⋮⋮﹂
トトくんは当たり障りのないことを言っている
しょせん子狸の一番弟子である
狐娘がマヌさんの髪を引っ張った
狐娘﹁アレイシアンさまは、だれよりもお前のことを真剣に考えて
た! マフマフは、あれはふつうじゃない! あてになるもんか﹂
マヌさんも応戦する
奇跡﹁先生はわたしの味方をしてくれた! 近くにいてくれないひ
となんて頼れないよ!﹂
トトくんが腕を組んで深く頷いた
両者の意見を吟味して言う
中トロ﹁そうだなぁ⋮⋮﹂
子狸の一番弟子だから仕方ないね
一五六、樹海在住の今をときめく亡霊さん︵出張中
仕方ないね
2259
さて⋮⋮
お前ら、注目! 作戦会議をしますよ!
一五七、樹海在住の今をときめく亡霊さん︵出張中
なんでいまさらだよ
おれ、そういうところあるね
そういうところある
一五八、樹海在住の今をときめく亡霊さん︵出張中
あるある
放っておけば骨が何とかしてくれるみたいな甘えがある
自覚はあるんだけど、どうにもね⋮⋮
一五九、樹海在住の今をときめく亡霊さん︵出張中
だまらっしゃい!
いいか、このままだとふつうにおれたちが勝つ
一見、互角のようだが
騎士どもの体力が尽きるからだ
多すぎだぞ、お前ら
2260
いま何人いるんだ?
一六0、樹海在住の今をときめく亡霊さん︵出張中
ん∼⋮⋮AZまで行ったことは確認してる
一六一、樹海在住の今をときめく亡霊さん︵出張中
でも大半は空のひとに蹴散らされてる
このトリ、加減というものを知らんのか
手がつけられん
増援を! 増援を頼む
一六二、樹海在住の今をときめく亡霊さん︵出張中
いや、数では駄目だ
例のあれをやるしかあるまい
一六三、樹海在住の今をときめく亡霊さん︵出張中
あれか
しかし実用に耐えるのか?
一六四、樹海在住の今をときめく亡霊さん︵出張中
2261
四の五の言っているひまはない
おれZ! お前が核になれ! お前が最適だ
一六五、樹海在住の今をときめく亡霊さん︵出張中
おれは子狸をしとめる
そっちは任せた
一六六、樹海在住の今をときめく亡霊さん︵出張中
子狸さんはみんなの獲物だろ!?
なにを独り占めしようとしてるんだ!
一六七、樹海在住の今をときめく亡霊さん︵出張中
おちつけ!
謙虚な心を忘れるな!
一六八、樹海在住の今をときめく亡霊さん︵出張中
そ、そうだったな⋮⋮すまない
では改めて⋮⋮こほん
2262
おれレボリューション!
一六九、樹海在住の今をときめく亡霊さん︵出張中
おれレボリューション!
一七0、住所不定のどこでにもいるようなてふてふさん
同一体だと!?
一七一、海底洞窟在住のとるにたらない不定形生物さん
※ 同一個体によるおれレボリューションは成功したためしがない
一七二、樹海在住の今をときめく亡霊さん︵出張中
以前のおれとは違うぜ⋮⋮!
はてなき武道が、あくなき鍛錬が、おれに謙虚な心をもたらした!
行くぞっ、お前ら!
おれレボリューションっ!
2263
一七三、山腹巣穴在住のとるにたらない不定形生物さん︵出張中
謙虚な心を獲得した見えるひとたちに死角はない︱︱
融合した見えるひとが、焼き上がるパンみたいに巨大化していく
騎士A﹁メノッドパルだと⋮⋮!?﹂
人間たちは見えるひとのことをメノゥパルと呼ぶが
ときおり出没する巨大な個体をメノッドパルと呼ぶ
何故エメノゥパルではいけなかったのか
そんなことはおれたちも知らない おかげさまで、たぶん発音の問題なのだろう
とある蛇さんは名前を改造されるという憂き目に遭っている
ひよこ﹁小癪な⋮⋮﹂
すっかり勇者一行の一員と化した魔ひよこが、くちばしを打ち鳴
らして威嚇している
巨大化した見えるひとが両腕を構えた
大亡霊﹁じぇすてっ︵鳴き声?︶﹂
相対する両者だが、空のひとはステルスしている
ステルス中の魔物に意識を向ける存在は、忘れ去られる宿命にある
人間たちの意識の外で、いま巨大な戦士たちが相まみえようとし
2264
ていた
最初に動いたのは空のひとだ
ひよこ﹁ケェッ!﹂
前傾姿勢から、並行に立てた翼で大気を切り裂きながら迫る
一歩ごとに自重で床が砕ける
大きな見えるひとが、これに応じる
首相撲だ
両雄は一度、組み合ってから離れた
膂力は互角⋮⋮
今度は見えるひとが仕掛けた
地を蹴って飛び上がる
空中で身体を水平に倒し、両足で蹴りを見舞う
翼で迎撃しようとする空のひとを
身体をひねった見えるひとが絡めとった
飛びつき腕ひしぎ十字︱︱否、羽十字だ
完全に極まったか?
いや、ここは空のひとが上回った
逆らうことなく倒れ込んで、見えるひとごと前転する
押しつぶされる前に脱出しようとした見えるひとを
空のひとが背後から覆いかぶさる
大亡霊﹁はふんっ﹂
2265
てっ、手羽先ロックだぁーっ!
一七四、海底洞窟在住のとるにたらない不定形生物さん
注釈
・手羽先ロック
空のひとの必殺技
妖精さんたちが雌雄を決する際に使われるチョークスリーパーの
ひよこバージョンであるらしい
ふつうに腕︵翼︶の長さが足りないので、たんにおぶさっている
ようにも見えるが、その羽毛の感触がとらえたものを離さない魔性
の技である
一七五、王都在住のとるにたらない不定形生物さん︵出張中
魔物と騎士の戦いは激化の一途を辿っている
殲滅魔法が大気を焦がし、あるいは凍て付かせ
光剣が降りそそぐ
タマさんが持ち前の勘で不意打ちに備え
勇者さんと箱姫が鉄壁の防御を敷く
見えるひとたちは騎士を一人ずつ隠そうとするが
即席の特装部隊がそれを許さない
2266
狐娘とマヌさんの言い争いに
トトくんが相槌を打っている
一方その頃、子狸は⋮⋮
亡霊AA﹁バウマフだと? バウマフ家の人間が、なぜこんなとこ
ろにいる?﹂
亡霊AB﹁歴史の節目に、必ずと言っていいほど絡んでくる。なん
なんだ、お前らは⋮⋮?﹂
亡霊AC﹁まして勇者の供とはな。恐れ入る。とうとう歴史の表側
に出てきたか⋮⋮﹂
亡霊AD﹁そうか。今回は間に合ったのか﹂
影のように伸び上がる亡霊たちを、一人の見えるひとが手振りで
制した
亡霊Z﹁ビックゲストだ。楽にしねると思うな。魂をばらばらにひ
きさいてくれよう⋮⋮﹂
子狸﹁たましい⋮⋮?﹂
魂というキーワードに子狸が反応した
得たりと見えるひとが頷く
亡霊Z﹁王が眠り続けているのは、魂が欠けているからではないの
か? われわれはそう考えている⋮⋮﹂
2267
子狸﹁王だと?﹂
亡霊Z﹁魔王のことだ﹂
子狸﹁はっきりしろ! どっちなんだ?﹂
妖精﹁魔王のことだって言ってるぞ﹂
魔物たちは魔軍☆元帥のことをたんに元帥と呼ぶし
魔王のことを王と呼ぶ
自軍のトップに、余計な形容詞は必要ないからだ
亡霊Z﹁きさまの魂をひきさいて、魔王の御霊をとりあげる。心当
たりがないとは言わせん﹂
子狸﹁⋮⋮! そうはさせない! パンの精霊たちはおれが守る!﹂
返答が怪しい。だれもパンの話なんてしてない
亡霊Z﹁そのためには﹂
見えるひとは推し進めた
亡霊Z﹁魔界の決闘しかあるまい! 決闘だ!﹂
魂に干渉するためには儀式が必要とされる
亡霊AA∼AH﹁決闘! 決闘!﹂
子狸を取り囲む八人の見えるひとたちが唱和した
2268
見えるひとZが手を上げると、彼らはぴたりと歓声を止める
亡霊Z﹁ちょうどこの場に九人いる。バウマフ家の末裔よ、冥土の
土産に教えてやる。きさまをほうむりさるのは、もっとも邪悪とさ
れる秘術だ﹂
そう言って、見えるひとは床に片手を這わせた
亡霊Z﹁ロッド・ラルド・アバドン!﹂
轟音とともに、床の一部が崩落する
穿たれた穴は九つ
穴の一つ一つに見えるひとたちが飛び込んだ
決闘とはルールだ
ルールが決闘なのだ
子狸﹁ナンバー9か⋮⋮﹂
驚くべきことに子狸は理解していた
羽のひとがびっくりして問いかける
妖精﹁ノロくん、知ってるんですか!?﹂
子狸﹁ああ。おれの家は、なんかそういうことに詳しいんだ﹂
妖精﹁あいまい⋮⋮﹂
子狸﹁預かっていてくれ﹂
2269
そう言って、子狸は魔どんぐりを羽のひとに預けた
妖精﹁⋮⋮どうして作ったんですか?﹂
子狸﹁どうして? 愚問だな⋮⋮﹂
苦笑らしきものを浮かべると、瞑目して精神を集中する
大きく前足を振って、叫んだ
子狸﹁チク・タク・ラルド!﹂
妖精﹁おい。答えろよ﹂
圧縮した空気が大きな槌を成形した
ポンポコハンマーだ
亡霊Z﹁はじめるぞ﹂
子狸﹁来いっ!﹂
魂を賭けた闇のゲームが幕を開ける⋮⋮
はたして子狸は生き残れるのか
2270
﹁奇跡の子﹂part7︵後書き︶
注釈
・ナンバー9
この世の万物は地脈により形を成し、また転じるのだという。
地脈を走るものを、魔物たちは土竜と言い、その力を取り入れた
のが﹁ナンバー9﹂と呼ばれる、もっとも邪悪な秘術だ。
土竜の力を得て打ち出されたものを、秘術の対象者は封じねばな
らない。
別名﹁もぐら叩き﹂とも呼ばれる儀式である⋮⋮。
2271
﹁奇跡の子﹂part8
一七六、山腹巣穴在住のとるにたらない不定形生物さん︵出張中
魔物とは魔法そのものである
人間たちの肉体が細胞の集合体であるように
魔物たちは細密に連結した魔法があらゆる現象を代行している
だから、究極の領域に突入した魔物と魔物
魔法と魔法の合戦は、ときとして肉弾戦に行き着く
大亡霊﹁ふああ⋮⋮﹂
ぎりぎりと締め上げられて昇天しかける大亡霊であったが
すんでのところで正気に戻る
大亡霊﹁こんなところでっ⋮⋮終われるかよ!﹂
おれミストして脱出した大きな見えるひとが
魔ひよこのふくよかなお腹をじっと見つめる
未練があるようだった
その隙を、空のひとは見逃さない
このひとの突進力は目を見張るものがある
翼で大気を打って加速する
力尽くで抑えこもうとする見えるひとを
2272
壁際まで押しきって、その巨体を床に叩きつけた
大亡霊﹁くっ、なんてパワーだ⋮⋮!﹂
見えるひとを圧倒している⋮⋮
大亡霊を見下ろしていた巨鳥が
首周りのたてがみをふるわせて雄叫びを上げた
ひよこ﹁ケェェェエエエッ!﹂
荒ぶるひよこ
ひよこ﹁ふうっ、ふうっ⋮⋮!﹂
吐く息が白い
空のひとが本気すぎて怖いです⋮⋮
一七七、住所不定のどこにでもいるようなてふてふさん
闘志に火がついたんだろ
お前らは、あのトリが穏和なやつだと思ってるかもしれんが
じつは凶暴なんだよ
一七八、空中庭園在住のとるにたらない不定形生物さん︵出張中
なんとなくわかる気もするよ
2273
羽のひとも意外と優しいところがあるからな
一七九、住所不定のどこにでもいるようなてふてふさん
意外とってなんだよ
お前⋮⋮あんまり舐めたこと言ってると
模様替えのときにとりかえしのつかない感じで手伝ってもらうぞ
一八0、かまくら在住のとるにたらない不定形生物さん︵出張中
待て。庭園のんは色彩が少し薄い
おれじゃだめか?
より良い仕事をできると自負している
一八一、空中庭園在住のとるにたらない不定形生物さん︵出張中
あ? おい、だれの色が薄いって?
お呼びじゃねーんだよ
水色は黙ってろ
一八二、かまくら在住のとるにたらない不定形生物さん︵出張中
お前の目は節穴か
どこからどう見てもコバルトブルーだろうが
2274
一八三、空中庭園在住のとるにたらない不定形生物さん︵出張中
いや、よく見たらおれのほうがやや濃い色をしている
おれがコバルトブルーだから
つまりお前はコバルトブルーではないということになる
一八三、住所不定のどこにでもいるようなてふてふさん
だまれ変態ども!
どっちも変わんねーよ!
まったく⋮⋮存在自体がいかがわしい連中だ⋮⋮
女の子と見れば、すぐに服を溶かそうとするし⋮⋮
一八四、火口付近在住のとるにたらない不定形生物さん︵出張中
ちょっとちょっと
そんなことしてないでしょ
子狸さんが見てる前で誤報をひろめるのはやめてほしい
溶かしたと言っても、ほんのちょっとだよ
タイムリミットを設けるために仕方なくやったことなの
まさか肌を傷つけるわけには行かないでしょ?
むしろ紳士だよね
そのへん誤解しないでほしい
2275
一八五、海底洞窟在住のとるにたらない不定形生物さん さすがはプロだな
プロフェッショナルの言うことは違う
一八六、王都在住のとるにたらない不定形生物さん︵出張中
べつに服なんてどうでもいいよ
一八七、住所不定のどこにでもいるようなてふてふさん
知ってるんだぞ
お前、たまにお屋形さまの嫁にリボンつけられてるだろ
一八八、王都在住のとるにたらない不定形生物さん︵出張中
邪法に挑む子狸さん
闇の秘術にあらがうためには、正面から打ち破るしかない
地脈から打ち出される⋮⋮
打ち出される⋮⋮
⋮⋮打ち出される
一八九、海底洞窟在住のとるにたらない不定形生物さん
2276
土竜
一九0、王都在住のとるにたらない不定形生物さん︵出張中
地脈から打ち出される土竜をポンポコハンマーで
一九一、海底洞窟在住のとるにたらない不定形生物さん
ちがう。土竜が地脈を走ってるから
土の力を宿した見えるひとを風の力で封じるの
圧縮魔法は本当なら第八の属性におさまる予定だったから
一九二、王都在住のとるにたらない不定形生物さん︵出張中
面倒くせーな⋮⋮
そもそも土竜ってなんだよ
いらねーだろ、その設定⋮⋮
一九三、海底洞窟在住のとるにたらない不定形生物さん
お忘れのようですけど⋮⋮
大陸を海に沈めるとか大々的に宣言して
数々の秘術を生み出したのはお前です
2277
一九四、王都在住のとるにたらない不定形生物さん︵出張中
なにを言い出すかと思えば⋮⋮
知らんのか?
千年以上前のことはノーカウントなんだよ
一九五、空中庭園在住のとるにたらない不定形生物さん︵出張中
王都ルール発動
一九六、かまくら在住のとるにたらない不定形生物さん︵出張中
よもや、おれたちの起源がなかったことにされるとは⋮⋮
一九七、火口付近在住のとるにたらない不定形生物さん︵出張中
おれは賛成だぜ
第一次討伐戦争は、なにもかも手探りで細部があいまいすぎる
一九八、王都在住のとるにたらない不定形生物さん︵出張中
六魔天はなかったことにはならねーけどな
さて、順々に飛び上がる見えるひとたち
子狸のポンポコハンマーがうなる
超人的な勘が、先見のごとし動きを可能にした
2278
亡霊Z﹁やるな⋮⋮!﹂
子狸﹁なんの! まだまだぁ!﹂
善戦する子狸だが、この儀式がもっとも邪悪とされるゆえん⋮⋮
それは、勝利条件が想定されていないということだ
終わりのない戦いである
どんどん加速する見えるひとたちに
子狸は徐々に追いつめられていく⋮⋮
子狸﹁くっ、なんてスピードだ⋮⋮!﹂
常人離れしたスタミナを持っているとはいえ
決して無尽蔵ではない
亡霊AE﹁そらそらっ、最初の威勢はどうした!?﹂
亡霊AF﹁もうバテたか? こんなものではないぞ!﹂
亡霊AG﹁いまのは危なかったなぁ⋮⋮!﹂
亡霊AH﹁おいおい、もっと真剣にやれよ! 限界まで行こうぜ!﹂
肩で息をしはじめる子狸に、魔物たちの罵声が飛ぶ
一方的に殴られているのは魔物たちなのに
より激しく消耗しているのは子狸のほうだった
2279
秘術の負荷に耐えかねたか
空間がゆがみはじめる
静電気を帯びた大気がぴんと張り詰め
弛緩したのち、ふるえる
懐かしい匂いが魔物たちの鼻をくすぐった
瘴気だ
一九九、山腹巣穴在住のとるにたらない不定形生物さん︵出張中
子狸が勝ち目のない戦いに身を投じた頃
二人の剣士は怒涛の会進撃を続けていた
勇者さんに自分の剣を預けた箱姫が
懐から取り出した布で勇者さんの手元を覆い隠す
箱姫﹁はい!﹂
掛け声とともに勢いよく布を取り下げると
箱姫の剣が消失していた
勇者﹁⋮⋮⋮⋮﹂
勇者さんはアシスタントに徹している
亡霊BG﹁おちょくってんのか!?﹂
2280
突進する見えるひとに、箱姫が片腕を突き出す
その手に咲いているのは一輪の花だ
亡霊BG﹁!?﹂
てっきり剣が出てくると思っていたのだろう
硬直した見えるひとを、花びらがなぞる
亡霊BG﹁これは⋮⋮剣術なのか?﹂
両断された見えるひとが、疑問を胸に冥府へと下る
箱姫﹁剣術なんてものは、この世に存在しないわ﹂
きっぱりと断言した箱姫が、胸元に引き寄せた一輪ざしの花をく
るりと回す
次の瞬間、彼女は剣を手にしていた
箱姫﹁あるのは、勝者と敗者⋮⋮﹂
剣術とは、これすなわち欺道なり
ピエトロ家に代々伝わる謳い文句だ
ようは勝てばいい
御前試合では常に最下位に甘んじてきたピエトロ家だが
おそらく彼らが本気なら優勝できるだろう
ただし対戦者が全員不戦敗という不本意な結果に終わる
それがピエトロ家の剣だ
2281
二人の剣士を取り囲んでいた見えるひとたちは
一人を残して全滅してしまった
仲間たちを失った見えるひとが歯噛みする
亡霊BH﹁認めんぞ⋮⋮! こんな結末を認めるものか!﹂
気炎を上げて突進する
表情を引き締めた箱姫が剣を大上段に構える
おごそかに宣言した
箱姫﹁奥義、百鏡千花﹂
亡霊BH﹁はったりだ!﹂
構わず前進する見えるひとだが
そう言って彼の仲間たちは散っていったのだ
振り下ろされた剣を、見えるひとは大きく後退して避けた
数々の妙技で幻惑してきたから、正道が生きる
そう。はったりだった
必要以上に警戒して飛び退いた見えるひとを
護衛さんの光槍が貫いた
わざわざ宣言したのは護衛さんへの合図だ
箱姫はくすくすと笑っている
箱姫﹁どうしてはったりじゃないと思うの?﹂
2282
幼なじみの危機に立ち上がったことで殻をひとつ打ち破ったようだ
すっかり立派になって⋮⋮
いや、勘違いだったわ
周囲の魔物を一掃するなり、箱姫は勇者さんの背中にぴったりと
張り付いた
勇者﹁⋮⋮ココ﹂
箱姫﹁うるさい。がんばったから休憩﹂
安らぐ箱姫だったが、一息つくひまもなく
飛んできた妖精さんが危急を告げた
妖精﹁リシアさん! ノロくんが⋮⋮﹂
秘術に囚われたポンポコゾーンは
遠目にもわかるほど、あきらかな異常が進行しつつあった
空間が悲鳴を上げるたびに
かすかに放電した大気が紫色に発光している
勇者﹁⋮⋮⋮⋮﹂
眉をしかめた勇者さんが、タマさんを振り返る
タマさんが頷いた
口喧嘩している狐娘とマヌさんの頭にゲンコツを一つずつ落とす
2283
タマ﹁おら、行くぞ。ガキども﹂
中トロ﹁? どこに⋮⋮﹂
中央階段を背に拠点を築き上げてきたから
この場を動くのは得策ではない
その程度のことはトトくんならわかるだろう
しかし騎士志望の少年は、すぐに考えを改めた
中トロ﹁にーちゃん⋮⋮!﹂
目に映る紫電が、容易に子狸を連想させる
大きく頷いたトトくんが、マヌさんの手を握る
中トロ﹁行こう!﹂
自分たちが行ったところで何ができるというのか
マヌさんはそう考えたようだが、すぐに頷く
奇跡﹁うん!﹂
狐娘﹁世話の焼けるやつだ﹂
仕方なさそうに応じた狐娘が
ちいさな唇をとがらせてマヌさんを見る
狐娘﹁⋮⋮⋮⋮﹂
奇跡﹁⋮⋮なに?﹂
2284
つい先ほどまで言い争いをしていた相手だ
彼女の肩をぽんと軽く叩いて、狐娘は言う
狐娘﹁お前、なかなかの美人さんだな﹂
狐娘なりに仲直りしようとしているのだろう
奇跡﹁⋮⋮それ、嫌味?﹂
真心が伝わることはなかった
二00、かまくら在住のとるにたらない不定形生物さん︵出張中
タマさんの側近は特殊なチェンジリングを使う
騎士ではないから、都市級よりも人間を倒す手段を優先したのだ
ろう
そして、その技術は見えるひとに対しても有効だった
振り下ろした手刀が、見えるひとの下顎をかすめる
盾魔法をチェンジリングできるから、変幻自在の魔物を実体とし
てとらえることが出来た
余裕があるときは、わざと盾魔法のスペルを唱えるから
得体の知れない攻撃を見えるひとたちは警戒している
限りなく特装騎士に近い腕前の戦士だ
彼に背中を預けることが出来る幸運を、みょっつさんは喜んでいる
いくぶん気安さを交えた声で問うた
2285
みょ﹁いいのか?﹂
彼の護衛対象であるタマさんは
子供たちを引き連れて戦火に飛び込もうとしている
側近は頷いた
側近﹁ここを突破されたら終わりだ﹂
即席の特装部隊がかろうじて機能しているから
現在の均衡は危ういところで保たれている
側近さんの戦術眼は確かだった
側近﹁そもそも、あの人に護衛は必要ない。おれが勝手に付いて回
っているだけだ﹂
チェンジリングは連発できない
機会が許すなら喋って補充しておく必要がある
側近さんは笑った。快活な笑顔だった
側近﹁弱いだって? とんでもない。怪物だよ﹂
ごく一部の強力な異能持ちは、怪物と評されることもある
タマさんは、そのひとりだ
二0一、空中庭園在住のとるにたらない不定形生物さん︵出張中
2286
子狸のことも気付いてたみたいだしなぁ⋮⋮
九死に一生スペシャルした人間の異能が変質することはよくある
タマさんの場合、お屋形さまと子狸の影響もあるんだろう
すっかり立派になって⋮⋮
二0二、山腹巣穴在住のとるにたらない不定形生物さん︵出張中
ああ。胸に迫ってくるものがあるよな
子供たちを率いて子狸の救出に立ち上がるタマさん
もちろん見えるひとたちが黙っていない
亡霊CC﹁子供たちを連れて散歩か?﹂
タマ﹁おう。ちょいと通しちゃくれねえか?﹂
亡霊CD﹁通すとでも?﹂
びくりとふるえるマヌさんに、タマさんは肩越しに微笑む
タマ﹁⋮⋮合図をしたら行け。三人ともだ。できるな?﹂
三者三様に頷く子供たちに破顔する
タマ﹁よし、いい子だ。いつも素直だったら可愛いのにな﹂
そう言って眼帯を指で抑える
2287
見えるひとに向き直って言う
タマ﹁通してもらうぜ。ああ見えて、いちおうおれのご主人さまな
んでね﹂
子狸のことだろう
半死半生だったタマさんを拾ってきたのはお屋形さまだが
せっせと食事を運んでいたのは子狸である
親鳥がひなにそうするように
冗談めかして言ったタマさんが
見えるひとたちの威嚇を無視して前に出る
ひょいと首を傾げた
見えるひとCCが手刀を繰り出す
タマさんが頭を下げる
見えるひとCDの腕が空をきった
あからさまなパフォーマンスだった
見えるひとたちが慄然とする
亡霊CC﹁きさまっ⋮⋮未来が見えているのか?﹂
亡霊CD﹁予知能力者⋮⋮!﹂
タマ﹁そんな大層なもんじゃないがね。⋮⋮行けっ﹂
容易ならざる敵であることは確かだ
もしも未来が見えているというなら
2288
どうあっても子狸と合流させるわけには行かない
駆け出した子供たちの追跡を
見えるひとたちは断念せざるを得なかった
亡霊CC﹁⋮⋮いかに未来が見えていようとも、しょせんは人間だ﹂
亡霊CD﹁勝ち目はないぞ﹂
はったりだ
通常であれば、受信系の異能は直接戦闘には適さない
もしも相手の心が読めたとしても、タイムラグが発生するからだ
本を読みながら戦うようなものである
しかしタマさんは例外であるらしい
タマ﹁予知じゃねえっつってんのに﹂
このように本人は申しておりますが⋮⋮
二0三、王都在住のとるにたらない不定形生物さん︵出張中
いや、予知だろ
もはや勘が鋭いっていうレベルの問題じゃねーぞ⋮⋮
タマさんの異能は、たぶん死にかけたときに一度、壊れてる
ていうか、そうでも解釈しないと納得できない 2289
子狸﹁くっ⋮⋮!﹂
子狸が、がくりと片ひざをついた
ハンマーの柄でかろうじて体重を支えている
苦しそうなうめき声
服の上から、心臓のあたりを前足で押さえている
限界だった
魔物たちのあざ笑う声が聞こえた
亡霊Z﹁これが末路だ。お前は、たった一人でしんでいく。だれに
看取られることもなく﹂
子狸は笑った。自嘲だ
子狸﹁いいんだ。おれは、いいんだ。いつかこうなるんじゃないか
と思ってた。おれは、ばかだから⋮⋮﹂
子供たちの悲鳴が聞こえた
牙を剥く紫電に構わず、子狸のもとに駆けつける
子狸﹁お前たち⋮⋮﹂
いまにも倒れそうなポンポコさん
再会を喜んでいる場合ではないのは一目瞭然だった
狐娘がポンポコハンマーを見て頷く
狐娘﹁そのとんかちみたいなので叩けばいいのか﹂
2290
マヌさんは子狸の惨状に涙を浮かべている
奇跡﹁無理だよ! そんな魔法、習ったことない⋮⋮﹂
トトくんは知恵をしぼっている
中トロ﹁なんとか、なんとかしなくちゃ⋮⋮!﹂
しかし、その必要はなかった
ふたたび立ち上がった子狸が、こう言ったのだ
子狸﹁思い出したよ。おれは、一人なんかじゃなかった﹂
タマさんが見ていたのは、この構図なのだろう
ついに訪れたのだ。覚醒のときが⋮⋮
二0四、空中庭園在住のとるにたらない不定形生物さん︵出張中
魔ひよこが大きな見えるひとを打破したことで
騎士たちは勝勢に傾きつつある
いつしか魔物たちの増援も底をつき
ここを乗り切れば、まず勝ちは揺るがないだろう
決定打となるだろう渾身のチェンジリング☆ハイパーが
いま炸裂しようとしていた
騎士A﹁パル!﹂B﹁ハイパー!﹂C﹁ロッド!﹂D﹁!?﹂E﹁
2291
!?﹂
いま何かおかしなのが混ざってたね
騎士Bの身体から、青白い霊気が放たれた
突風のような闘気に、同僚たちがあとずさる
騎士A﹁きさま⋮⋮外法騎士っ!﹂
騎士団の軍規にはハイパー禁止の項目が存在する
そして、このハイパーに魂を売り渡した騎士を、外法騎士と呼ぶ
のだ
連携の綻びを見えるひとたちは見逃さなかった
瞬時に騎士Aへと肉薄し、掌底を繰り出す
その腕を、騎士Bがつかんだ
亡霊CS﹁なにっ⋮⋮!?﹂
騎士B﹁ふっ、遅い﹂
外法騎士が扱うハイパー属性は、おそろしく強力な魔法だ
身体能力を底上げするだけでなく、攻防一体のオーラにもなる
霊気に焼かれた見えるひとが、断末魔の叫びとともに倒れる
これほど強力な魔法であるにも拘わらず、騎士団がハイパー属性
を推奨しないのは何故か
人格が歪むからだ
同僚の堕落を、騎士たちは信じることができなかった
2292
騎士D﹁う、嘘だろ? お前が外法騎士だなんて⋮⋮﹂
騎士E﹁嘘だと言ってくれよ! おい、お前も何か⋮⋮!﹂
そう言って騎士Cの肩を小突くも、騎士Cはうんともすんとも言
わなかった
騎士E﹁お前⋮⋮まさか⋮⋮﹂
騎士C﹁⋮⋮⋮⋮﹂
無言である
彼は、騎士Bに歩み寄ると、そのままとなりに並んだ
同僚たちに向き直る。その目には一片の情も通っていなかった
騎士C﹁ハイパー!﹂
外法騎士は一人ではなかったのだ
霊気をまとった二人の外道が、口々に言う
騎士B﹁すばらしい力だぞ⋮⋮下らない固定観念に縛られていては
手に入らない快楽だ⋮⋮﹂ 騎士C﹁お前たちもこちらへ来たらどうなんだ? 自分を解き放て。
我慢する必要なんてないんだ﹂
騎士Aが反駁した
2293
騎士A﹁ふざけるな! 力に溺れた人間を待っているのは破滅だけ
だというのが、なぜわからん!? それは魔へと至る道だ!﹂
騎士BとCは顔を見合わせて苦笑した
善悪、聖邪、そうした視座を彼らは脱却しているのだ
騎士B﹁だが、そうは思っていないものもいるようだな﹂
そう言って騎士Bが手を差し出したのは、一人の男だった
みょ﹁ばかな﹂
特装騎士は鼻で笑う
そして自分の声がふるえていることにぎょっとした
みょ﹁ばかな⋮⋮﹂
騎士Cが深遠から手招きをする
騎士C﹁悩むことはないんだ。一歩でいい。ひょいと飛び越えてこ
ちらへ来るんだ⋮⋮簡単だろ?﹂
その声は親しげですらあった
騎士C﹁お前は、もう気付いているはずだ。徹底的に自分を否定さ
れて、それで何が残った? 見えているはずだ⋮⋮﹂
みょ﹁おれは⋮⋮﹂
遠くで、何かが崩れる音がした
2294
魂を解放した鳴き声が轟いた
子狸﹁ハイパぁーっ!﹂
第八の属性に目覚めた子狸の叫び声だ
ひどく羨ましいと思った
だから男は
騎士D﹁よせ!﹂
騎士E﹁戻れなくなるぞ!﹂
それでもいいと思った
勇者﹁⋮⋮⋮⋮﹂
勇者さんの視線が、おそろしく冷たい
2295
﹁奇跡の子﹂part8︵後書き︶
注釈
・外法騎士
ハイパー属性に魂を売り渡した騎士のこと。
ハイパー属性とはハイパー魔法のことであり、第八の属性とも呼
ばれる。
この世でもっとも新しい魔法である。
不明瞭な点が多く、身体能力が跳ね上がる他、全身を覆う青白い
オーラは攻防一体の武器にもなるようだ。
力に溺れた騎士がハイパー属性に目覚めるとされているものの、
覚醒条件の詳細は解明されていない。
ただ、人格が著しく歪む。好戦的になる、他者を見下す発言が目
立つなどである。
2296
﹁奇跡の子﹂part9
二0五、王都在住のとるにたらない不定形生物さん︵出張中
ハイパーはひとを大胆にする
霊気をまとった子狸が、逆立ちしようとして失敗した
むくりと起き上がって、びしっとトトくんを指差す
子狸﹁トト﹂
中トロ﹁にーちゃん﹂
びしっとマヌさんを指差す
子狸﹁マヌ﹂
奇跡﹁先生﹂
びしっと狐娘を指差す
子狸﹁コニタ﹂
狐娘﹁指差すな﹂
不快そうに口元をひん曲げた狐娘を無視して
子狸は三人の子供たちに言った
2297
子狸﹁コロッケは揚げたてがおいしい﹂
いつになく好戦的である
二0六、海底洞窟在住のとるにたらない不定形生物さん
攻めの姿勢は買う
買うが、しかし⋮⋮
いつも不思議に思うんだが
どうして好戦的になると指差すんだ?
二0七、王都在住のとるにたらない不定形生物さん︵出張中
そんなこと知るか
ポンポコハンマーを頭上で旋回させた子狸が
取り落としたハンマーを拾って戻ってくる
そして、見えるひとたちをびしっと指差した
子狸﹁おれの魂は、もう﹂
九人もいるので、ひと苦労だった
子狸﹁負けを認めろ﹂
指差している間に自分の台詞を忘れたらしい
2298
自らの魂に降伏をすすめるポンポコに
マヌさんが訂正を要求した
奇跡﹁先生、負けちゃだめ!﹂
中トロ﹁いや、たぶん途中で忘れたんだ﹂
トトくんは子狸の生態を理解しつつある
しかし狐娘はそうではないのだと言う
狐娘﹁語彙が少ないんだ。圧倒的に﹂
おれの解釈すら間違いだったというのか
覚えてはいた⋮⋮
かろうじて覚えてはいたが
路線変更したというのが真相であるらしい
穴のふちにしがみついて子狸を観察していた見えるひとたちが
一斉にせせら笑った
彼らを代表して見えるひとZが言う
亡霊Z﹁ふっ、第二ラウンドというわけか。先ほどよりは楽しめそ
うだな⋮⋮いいだろう﹂
子狸﹁後悔するぜ?﹂
亡霊Z﹁後悔だと?﹂
2299
子狸﹁⋮⋮後悔だと?﹂
後悔。あとになって失敗だったと悔やむさま。残念
二0八、山腹巣穴在住のとるにたらない不定形生物さん︵出張中
残念なハイパーポンポコ
一方その頃、いい歳をした大人たちも負けじと残念だった
強さを追い求める人間は最終的に敗北する
弱さ
で勝負しなければならない
たんじゅんな力比べで都市級に敵う人間はいないからだ
人間は
勇者
でもある
その答えがチェンジリング☆ハイパーであり、あるいは連弾であ
り⋮⋮
ひょっとしたら
の前に立つ資格を得る
その答えを否定したとき
扉
はじめてひとは
ハイパー
過度魔法の
扉は道に通ずる
正道を逸した騎士を
ひとは外法騎士と呼ぶ
正道騎士と外法騎士の道が交わることはない
騎士A﹁グレイル!﹂
2300
つながりを絶たれた光に
騎士Aが示したのも、また道だ
聖剣の外観を魔法で再現するのは、さして難しくない
槍ではなく
矢でもなく
剣でなくてはならなかった
まるで夢の残滓のようだった⋮⋮
突き込んだ光剣は、しかし騎士Bにあっさりと受け止められる
騎士Aは問うた。問わずにはいられなかった
騎士A﹁何故だっ⋮⋮!﹂
頬を伝う熱だけが現実であれば良かった
実働部隊の小隊メンバーは
とくべつな事情でもなければ同じ学校の出身者で構成される
てのひらの皮ほどの厚みしかない霊気が
は端的だった
ふたりの騎士を隔てている
答え
騎士B﹁力だ﹂
騎士Bの
騎士B﹁戦えば戦うほど⋮⋮。問えば問うほど⋮⋮。力こそが﹂
騎士A﹁ちがう!﹂
2301
騎士B﹁それだ﹂
外法騎士がひとつの到達点であることは間違いない
彼らは迷わない
騎士Bは気だるそうに言う
騎士B﹁力こそ正義。いや違う。⋮⋮何百年、同じことを繰り返す
んだ? うんざりなんだよっ﹂
霊気が光剣を絡めとろうとする
ふたりの騎士は、同時に叫んだ
騎士A&B﹁ドロー!﹂
騎士Bは目を見張った
輝きを増した光剣が、じりじりと霊気に食い込もうとしている
騎士B﹁⋮⋮さすがです、隊長﹂
力
だ﹂
道を外れた騎士が、最後に敬意を表した
騎士B﹁だが、それも
弱さは罪なのだと告げる騎士Bの言葉を証明するように
他方で霊気の柱が立ち昇る
新たな同胞の誕生を、騎士Bは喜ばなかった
騎士B﹁またひとり堕ちた。こんなざまで⋮⋮どう信じろというん
2302
だ?﹂
息を吹き返した霊気が光剣を圧倒しつつある
騎士D﹁隊長!﹂
騎士E﹁隊長⋮⋮!﹂
部下たちの声援が飛んでいる
己を叱咤した騎士Aは、仰け反りながらも諦めようとしない
苦しい体勢から、両腕に万力をこめる
冷めた目で見ていた勇者さんが、見えるひとを叩き斬りながら言
った
勇者﹁⋮⋮そういうの、あとにしてくれない?﹂
すると騎士Bは、あっさりと矛をおさめた
片ひざをついて床に突っ伏した騎士Aに、騎士DとEが駆け寄る
息ひとつ切らしていない騎士Bを
部下たちに支えられながら立ち上がった騎士Aが睨みつける
騎士A﹁⋮⋮情けをかけるつもりか﹂
騎士Bは肩をすくめた
騎士B﹁盟主の命とあらば致し方あるまい﹂
2303
勇者﹁盟主?﹂
騎士Cが、かつての隊長を見る目は冷淡そのものだ
騎士C﹁命拾いしたな。マスターに感謝することだ﹂
勇者﹁マスター?﹂ いつの間にか勇者さんは外法騎士たちの頂点に君臨していたらしい
きょとんとしている勇者さんに忍び寄る見えるひとを
覚醒したみょっつさんが霊気で叩きのめした
みょ﹁ご無事ですか、盟主よ﹂
勇者﹁⋮⋮ありがとう﹂
ハイパー魔法は、どこか剣士の退魔力と似ている
どこがどうというわけではないが⋮⋮
なんとなく似ている
変わってしまった幼なじみを
箱姫が信じられないという面持ちで見ていた
箱姫﹁シア、あなた⋮⋮﹂
勇者﹁⋮⋮⋮⋮﹂
勇者さんは答えなかった
2304
二0九、王都在住のとるにたらない不定形生物さん︵出張中
勇者さんが身に覚えのない忠誠を誓われている頃
おれたちの子狸さんは見えるひとたちの邪法を打ち破ろうとして
いた
亡霊AA﹁これが第八の属性か⋮⋮!﹂
亡霊AD﹁すばらしい﹂
亡霊AE﹁負ける⋮⋮? このおれたちが⋮⋮?﹂
亡霊AH﹁人間が秘術を⋮⋮﹂
子狸が舞う
ポンポコオーラが青くきらめいた
奇跡﹁最初からそうすれば良かったんじゃ⋮⋮?﹂
狐娘﹁たまにこっちを指差すのがむかつく﹂
女の子たちは辛らつだが
トトくんは子狸の活躍を喜んでいた
中トロ﹁にーちゃん! にーちゃんは、やっぱり人間だよ! ハイ
パー魔法は魔物には使えないんだ⋮⋮!﹂
残念ながら誤った認識である
派手な逆転劇を期待できる場合、おれたちはハイパー魔法を使う
2305
ことがある
演出上、魔☆力ということになっているので赤いオーラだったり
するが
あれらは、たんに詠唱破棄したハイパーである
二一0、海底洞窟在住のとるにたらない不定形生物さん
タマさんは?
タマさんはどうなんだ?
本当に受信系で間違いないのか?
二一一、樹海在住の今をときめく亡霊さん︵出張中
おう。間違いないぞ
ただ、念波が乱反射してるな⋮⋮
王都のひとが言うように壊れてるからなのか
経験則によるものなんだろうが
よくこんなものを制御できるな⋮⋮
そう、経験則⋮⋮
決着をつけよう
二一二、かまくら在住のとるにたらない不定形生物さん︵出張中
おお
2306
収拾がつかなくなってきたから
どうするのかと思って見ていたが⋮⋮
なにか考えがあるのか?
二一三、樹海在住の今をときめく亡霊さん︵出張中
ああ
まあ見ていろ⋮⋮
二一四、王都在住のとるにたらない不定形生物さん︵出張中
亡霊Z﹁⋮⋮時間だ﹂
そうつぶやいたのは、子狸を構ってあげていた見えるひとだ
その言葉をきっかけに
儀式に参加していたメンバーが
一斉に穴を飛び出して子狸を包囲する
時を同じくして、残存勢力の動きが変わった
肉弾戦から魔法戦へとシフトする
雨あられと降りそそぐ圧縮弾を
とっさに前へ出た外法騎士たちの霊気がなぎはらう
子狸﹁! 下がれ!﹂
子狸が叫ぶよりも早く
見えるひとたちの包囲網を突破してきたタマさんが
2307
マヌさんの首根っこを掴んで引っ張った
奇跡﹁わっ!?﹂
目を白黒させる彼女に構わず
ちいさな身体を小脇に抱えて後退する
タマさんは端的に告げた
タマ﹁信じてやれ﹂
子供たちが下がらないことには子狸は動けない
子狸とタマさんが子供たちの前後を固めて後退する
床に輝線が走った
見えるひとたちの秘術は二段構えだった
騎士たちが悲鳴を上げた
騎士A﹁ゲートか!?﹂
騎士B﹁召喚術⋮⋮! あれがそうなのか!?﹂
騎士C﹁⋮⋮まずい! とめろ!﹂
しかし、なにもかもが遅すぎた
ゲートは自然発生するものではない
二つの世界から同時に干渉することで
2308
はじめて世界と世界をつなげる
ゲートが開く現場を
扉
は開く
かつて目撃した人間は歴代の勇者だけである
その前提が崩れようとしていた
生ぬるく
湿った空気が
大広間に流れ込む
勇者﹁!﹂
駆け出した勇者さんが片手を閃かせる
鍵
だ
手中で踊る光の剣は王種が作り出した魔界の至宝
人類と魔物の千年に及ぶ戦いを決定づけた
立ちふさがる見えるひとに切りかかるが
すでに手遅れだった
先ほどまで子狸が立っていた場所に穿たれたのは
深い
深い闇だ
暗澹たる魔口に一点
白い何かが灯って見えた
召喚された骨のひとが
両腕をひろげたままのポーズで硬直していた
2309
骸骨﹁えっ﹂
やはりお前か
二一五、住所不定のどこにでもいるようなてふてふさん
やはりお前か
二一六、火口付近在住のとるにたらない不定形生物さん︵出張中
おい。あきらかに状況を把握してない
二一七、樹海在住の今をときめく亡霊さん︵出張中
それでも骨っちなら⋮⋮
骨っちなら、きっとやってくれる
二一八、空中庭園在住のとるにたらない不定形生物さん︵出張中
ぶっつけ本番かよ
二一九、王都在住のとるにたらない不定形生物さん︵出張中
しかし骨のひとのシナリオ管理能力には定評がある
2310
骸骨﹁⋮⋮ふっ﹂
姿勢を正した骨のひとが不敵に笑った
骸骨﹁退くぞ。もう全てが終わった﹂
なにが終わったというのか
おそらく言った本人もわかっていない
妖精﹁まだっ⋮⋮!﹂
高速で飛んできた羽のひとが光弾を放つ
これは骨の周囲を固める見えるひとに阻まれる
だが射線は通った
騎士剣を放り捨てた勇者さんが聖剣を振るう
眼前で閃いた光の牙を
骨のひとは片手で受けとめた
骸骨﹁無駄だ﹂
紅蓮の華が咲いた
死霊魔哭斬を打ち払った骨のひとの手から
剣尖も鋭く伸びる魔火⋮⋮
一部始終を目撃していた羽のひとが悲鳴を上げた
妖精﹁火の宝剣!? そんなっ⋮⋮﹂
2311
人間たちが息をのんだ
歴代勇者が授かった聖剣はレプリカに過ぎない
その事実を、勇者さんはもっと深刻に考えるべきだった
火の宝剣の所持者たる魔軍元帥は
魔王軍最高の魔法使いだ
手元にオリジナルがあるのだから
レプリカを作り出すことも出来る
勇者一行の敵は、史上かつてない高みへと到達しようとしていた
⋮⋮
魔剣を手にした骨のひとと
聖剣を手にした勇者さんの目が合う
骸骨﹁そう焦るな。この場でカイルの⋮⋮愚弟の無念を晴らすとい
うのも悪くないが⋮⋮﹂
余計な設定をねじ込んできた
しばし見つめ合ってから
骨のひとは不意に苦笑してきびすを返した
骸骨﹁ふっ、退くぞ﹂
子狸﹁っ⋮⋮待て!﹂
2312
子狸が余計なことを口走る前に
骨のひとが手を打つ
骸骨﹁おい。例のものを﹂
亡霊Z﹁えっ。あ、うん⋮⋮。おい、例のものを﹂
亡霊AA﹁えっ。あ、うん⋮⋮﹂
協議の結果、骨のひとに手渡されたのは
そこらへんから拾ってきたと思しき
木の枝だった
二二0、墓地在住の今をときめく骸骨さん︵出張中
これはひどい⋮⋮
2313
﹁奇跡の子﹂part10
二二一、墓地在住の今をときめく骸骨さん︵出張中
某所⋮⋮
人気のない廃屋で
一人の少女を
不気味な人影が取り囲んでいた
小さな廃屋だ
小屋と言ったほうがしっくり来るかもしれない
雨の中を走ってきたのだろう
肩で息をしている少女は、ずぶ濡れの大きな外套を羽織っている
フードの奥で、前髪を伝った水滴が頬を濡らした
人影の一人が進み出て、片腕を差し出した
彼らもまた大きな外套を羽織っている
腕を伸ばした拍子に、袖から白い骨格が覗いて見えた
彼らは魔軍元帥に仕える特殊部隊の隊員たちである
隊員が言った
隊員A﹁終わりだ。投降しろ﹂
壁際に追いつめられた少女は
2314
胸元に古ぼけた書物を抱えている
決して渡すまいと抱きしめる両腕に力がこもる
彼女は、かぶりを振って言った 少女﹁⋮⋮どうして気付かなかったんだ﹂
自らの浅慮を悔んでいるようだった
口を衝いて出るのは悔恨だ
少女﹁外法騎士の技は、退魔性の働きと似ている。もっと早く気付
くべきだった⋮⋮﹂
包囲の輪を縮めてくる隊員たちを、彼女は強く非難した
少女﹁魔性と退魔性の融合っ⋮⋮! あなたたちは知っているのか
!? 魔軍元帥は、勇者を⋮⋮アレイシアンさんを使って何をしよ
うとしているんだ!﹂
隊員たちは、肩を揺すってあざ笑った
隊員A﹁勇者は最後の生贄だ。⋮⋮魔界から渡ってきた魔物を、人
間たちが叩く。何かに似ているとは思わないか?﹂
少女が、はっと息をのんだ
少女﹁! 秘術⋮⋮?﹂
隊員Aは肯定も否定もしなかった
他の隊員たちに命を下す
2315
隊員A﹁連行しろ﹂
隊員たちが無言で迫る
ひとりひとりが特装騎士に勝るとも劣らない優秀な兵士だ
少女に逃げ場はない
抵抗は無駄だった
少女から取り上げた古書に
隊員Aが視線を落とす
愛おしそうに表紙を指でなぞって諳んじた
隊員A﹁﹃全てを得るものは全てを失う﹄⋮⋮それでいい﹂
一人の隊員が、彼に歩み寄って任務の終了を告げた
隊員B﹁副隊長﹂
隊員A﹁ああ。原典を持ち出されたときはひやりとしたが⋮⋮もう
全てが終わった。これで、われわれの勝ちは揺るがない﹂
雨は降り止まない⋮⋮
二二二、海底洞窟在住のとるにたらない不定形生物さん
何してるんですか、あなたたち
2316
二二三、湖畔在住の今をときめくしかばねさん︵出張中
うるさい。放っておいてくれ
⋮⋮骨っち、貸しにしておくからね
二二四、墓地在住の今をときめく骸骨さん︵出張中
はい
二二五、空中庭園在住のとるにたらない不定形生物さん︵出張中
策士、策に溺れるとはこのことだな
まさしく因果応報よ
二二六、湖畔在住の今をときめくしかばねさん︵出張中
いつか、ぎゃふんと言わせてやる⋮⋮
二二七、山腹巣穴在住のとるにたらない不定形生物さん︵出張中
見えるひとたちが領主の館を襲撃したのは
勇者一行を足止めするためだった
戦局の鍵を握る重要なイベントアイテムを
おそらく魔都から持ち出した謎の少女をとらえるために
この街で網を張っていたのだ
2317
勇者一行がいかなるルートを辿ろうとも
国境付近の街であれば確実に接触できる
箱姫がそう考えたように
魔物たちもまた同じことを考えていた
勇者さんは知るよしもない
魔王軍は着々と終局に向けて手を打っている
人間たちが用意した聖木が偽物であることなど
魔物たちはとうに承知していた
人知れず大局が終焉を迎えた頃
領主の館では⋮⋮
見えるひとから聖木を手渡された骨のひとが
つまらなそうに鼻を鳴らした
骸骨﹁くだらん。お前にくれてやる。好きにしろ﹂
そう言って、手元の聖木を子狸に投げて渡した
絶賛ステルス中の魔ひよこが
シリアスぶっている骨に歩み寄ってきて
くちばしの先でつついている
自律運動するカルシウムの化身に興味しんしんの様子だった
2318
二二八、墓地在住の今をときめく骸骨さん︵出張中
ちょっ⋮⋮近いよ。近い
リアクションに困るから本気でやめて
どうしちゃったの、このひと⋮⋮
あ、やめて、くわえないで
おーい!
二二九、王都在住のとるにたらない不定形生物さん︵出張中
投げて寄越された聖木を
子狸は迷わず掲げ持った
子狸﹁パル﹂
浮かび上がったのは、無数の画像だ
これは⋮⋮
巫女さんの爆破術だ
あらゆる角度から大広間を映し出している画像群⋮⋮
おそらく子狸の感覚が及ぶ範囲なのだろう
子狸﹁ドミニオン﹂
妖精﹁えっ﹂
羽のひとが驚きの声を上げた
抱え持っていた魔どんぐりが、子狸の詠唱に呼応してふるえた
2319
⋮⋮果実の一斉励起か?
たまに妙な魔法を使うな、このポンポコ
土魔法は植物に干渉する魔法ではない
しかし魔改造の実だけは例外だ
では、たとえば幹から切り落とされた枝葉にはどう影響するのか
そのあたりがあいまいな魔法なのである
だから子狸は、魔どんぐりの力を借りたのだろう
前足の中で聖木が朽ちていく⋮⋮
飛んできた羽のひとが
その場にいる人間たちを代表して言った
妖精﹁ノロくん、なにを⋮⋮正気ですか!?﹂
役目を終えた聖木が再起動したことは一度たりとてない
それでも縋りたくなるのが人情だ
子狸は、画像群を散らしながら言う
子狸﹁これでいいんだ。聖剣は武器じゃない﹂
宝剣のレプリカは、武器としての聖剣を抽出したものだ
唯一無二の鍵としては機能しない
しかし宝剣の本質は、むしろ鍵にある
本質を見失った、いびつな聖剣を、子狸は憐れんだ
そして本質を備えた完全な秘鍵を持つ少女を見る
2320
子狸は、どこか寂しげに繰り返した
子狸﹁これでいいんだ⋮⋮﹂
人間と魔物に注目されて、勇者さんが言う
勇者﹁⋮⋮最初から、そのつもりだったの?﹂
子狸は、ずっと聖木の奪還にこだわっていた
最初から破壊するつもりだったのかと問われている
つまり魔物の味方をするのかと
子狸は微笑した
子狸﹁カッとなってやった﹂
アドリブだった
勇者﹁⋮⋮⋮⋮﹂
その場の思いつきだったと打ち明けられて
勇者さんは返す言葉がない
追いついてきた箱姫が
押し黙っている勇者さんの表情を不安そうにうかがう
箱姫﹁シア⋮⋮?﹂
空白を埋めるように
2321
マヌさんが見えるひとに問うた
奇跡﹁あなたたちは、どうして人間たちと仲良くできないの?﹂
子狸と同じことを言っている
ところが子狸は不意を打たれたような顔をしていた
言っておくが、ずっとお前が叫んできたことである
二三0、管理人だよ
これ⋮⋮か?
骨のひと、どうなの!?
きちんと答えてあげて! きちんとね
二三一、墓地在住の今をときめく骸骨さん︵出張中
なんでおれだよ
というか、空のひと⋮⋮
急に大人しくなったな
どうした?
二三二、魔都在住の特筆すべき点もないライオンさん︵出張中
子狸さんが、おれたちに命令する日が来るなんて思わなかった⋮⋮
2322
二三三、管理人だよ
驚かせてごめんな
じつは管理人なんだ
二三四、かまくら在住のとるにたらない不定形生物さん︵出張中
沈黙が落ちた
人間と魔物が一堂に会しているにも拘わらず
いまこの場では暴力ではなく
言葉だけが力を持つかのようだ
大魔法を連発して消耗し尽くした影使いに
護衛さんが仕方なさそうに肩を貸している
影使いは礼を言うのも忘れて、奇跡的な光景に見入った
持ち場に戻ってきた側近さんを、タマさんがよくやったと言うよ
うに背中を叩いた
乱暴な所作にふらついた側近さんが見上げると
タマさんは正面を見据えたまましっかりと頷いた
騎士たちは、敵勢力を前にして決して警戒をゆるめない
しかし喚声を吐き尽くした喉は枯れはて、あとは言葉を待つばか
りになっている
戦闘を継続できるだけの余力は、すでにないだろう
魔物たちは動かなかった
2323
勝利を目前にして撤退するのは御法度である
しかし戦場のルールは常に変わる
いまこの瞬間、魔物たちは一枚のカードを切ったのだと
いったいどれだけの人間が理解しているだろうか?
魔物たちが地上で活動するためには魔力を要する
彼らが人類と敵対するのは、より多くの魔力を徴収するためである
せっかくの魔法使いを再起不能に陥らせるのは本意ではない
だが、そんなことはわざわざ口にする必要のないことだ
骨のひとが言う
魔剣をおさめると、惜しむように火の粉が散った
骸骨﹁失敗したからだ﹂
奇跡﹁⋮⋮しっぱい?﹂
なのか
骸骨﹁そうだ。打ちのめされて、一度は挫折した。そして気付いた
⋮⋮﹂
舞い散る火の粉が、骨のひとを照らしている
夕焼けのようだった
骸骨﹁⋮⋮⋮⋮﹂
鍵
ぽっかりと空いた眼窩が、マヌさんを見下ろしている
骸骨﹁三つの門、四つの試練、六つの鍵。⋮⋮お前が
もしれん﹂
2324
⋮⋮おれたちは決定的な思い違いをしているというのか?
奇跡﹁⋮⋮?﹂
マヌさんはさっぱりわけがわからないといった様子である
そりゃそうだよ
子狸﹁⋮⋮?﹂
おれたちの子狸さんも同様だ
お前には最初から期待してない
というか、お前がきちんと答えてって言うから
骨のひとは誠意を示したんだ
その挙句がこれだよ
二三五、墓地在住の今をときめく骸骨さん︵出張中
べつにいいです
ここまで来たら、どうせ隠す意味もあんまりないし
二三六、山腹巣穴在住のとるにたらない不定形生物さん︵出張中
でも勇者さんはきちんと理解してくれた
勇者﹁⋮⋮王種?﹂
2325
すごいな。ほぼ正解だ
たぶん、ずっと疑問に思っていたのだろう
魔都に通じるゲートが三つなのはどうしてなのか
魔王を守護する都市級は四人いる。なぜ四人でなければならない
のか
それらは最初から定められていたことなのだ
王種は人間たちの味方ではない
人間たちが魔物に打ち勝てるだけの力を願ったように
魔物たちは宝剣へと至る筋書きを欲した
しかし精霊たちは王種の庇護下にある
そして光の精霊は人間たちの味方をしている
だから魔物たちは、人類の代表者が魔都へと行き着くことを望んだ
骸骨﹁⋮⋮⋮⋮﹂
へそを曲げていた骨のひとが、少し機嫌を良くした
骸骨﹁時間は残り少ないぞ、勇者よ。われわれの王は、あまねく精
霊に認められる存在になるだろう﹂
魔王は人間に近しい存在である
すなわち豊穣属性にも通じるということだ
2326
妖精﹁⋮⋮!﹂
はっとした羽のひとが、きょとんとしている子狸を見る
ナイスフォローだ
骨のひとは、ますます上機嫌になった
骸骨﹁そう⋮⋮。バウマフ家の人間がそうであるようにだ﹂
勇者﹁⋮⋮⋮⋮﹂
勇者さんは答えなかった
最後に、骨のひとは振り返って子狸に言った
骸骨﹁魔軍元帥から言伝を預かっている﹂
子狸﹁まぐんげんすい﹂
危うい
骸骨﹁しっかりと勉強しろ。話はそれからだ﹂
敵軍の総大将から偏差値を心配されていた
子狸﹁ふっ、その油断が命取りになるぜ﹂
勉強しなさい
2327
﹁奇跡の子﹂part10︵後書き︶
注釈
・原典
ここで言う﹁原典﹂とは、魔物たちが書き記したとされる古文書
﹃ハイリスク・ハイリターン﹄の原本であると思われる。
23章からなる反省文であり、王国歴53年に旧魔都の跡地から
写本が出土されている。
その後、各地で写本が幾つか発見されている。
公式に原本が発見されたという報告はなされておらず、じつは最
初に発見された写本が原本である︵写本という体裁をとっていたに
過ぎない︶。
つまり原典は実在しない。
表紙に古代言語で﹁全てを得るものは全てを失う﹂と書かれてい
るらしいが、これを人間たちは﹁多くを得るか、大きく損なうか﹂
という意味で解釈した。
一方で、表紙の一文はタイトルではなく、最初の一文であるとい
う説もある︵当時、書物の表紙に題名を入れるのは普遍的な決まり
ではなかった︶。
しかし真相は異なる。
この魔物たちの反省文は、こきゅーとすのひな形である。
表紙の一文は注意書きであり、意訳すると﹁希望を捨てよ﹂と書
いてある。
つまり反省文を提出しておきながら、魔物たちはまったく反省し
ていなかった。
2328
ハイリスク・ハイリターン
一、空中庭園在住のとるにたらない不定形生物さん
反省会である
二、かまくら在住のとるにたらない不定形生物さん
である
三、火口付近在住のとるにたらない不定形生物さん
であーる
四、空中庭園在住のとるにたらない不定形生物さん
えー⋮⋮まず骨のひと
骨のひと? いる?
五、樹海在住の今をときめく亡霊さん
いません
伝言を預かってます
2329
ええと⋮⋮
反省会には参加できない。すまない。牛が
ここで文が途切れてます
六、海底洞窟在住のとるにたらない不定形生物さん
ダイイングメッセージじゃないですか。カンベンしてくださいよ
七、空中庭園在住のとるにたらない不定形生物さん
⋮⋮では、見えるひと。あとで伝えておいてください
骨のひとへ
とっさの無茶ぶりによく対応してくれました
やや独断専行のきらいはありましたが
まず問題はありません
1ポイント進呈
八、樹海在住の今をときめく亡霊さん
メルシー
九、住所不定のどこにでもいるようなてふてふさん
お前が元凶か
2330
一0、空中庭園在住のとるにたらない不定形生物さん
続いて、見えるひと
多少はりきりすぎた感はありますが
とつぜんのことでしたから無理もないでしょう
おおむね良し
何より子狸を隔離した点は素晴らしい
3ポイント進呈
一一、樹海在住の今をときめく亡霊さん
ごっつぁんです!
一二、魔都在住の特筆すべき点もないライオンさん
どきどき⋮⋮
一三、空中庭園在住のとるにたらない不定形生物さん
空のひとはビジュアルでトクしてるところがあるよなぁ⋮⋮
1ポイント進呈
一四、魔都在住の特筆すべき点もないライオンさん
2331
わーい!
一五、住所不定のどこにでもいるようなてふてふさん
おい。えこひいきするな
こら。トリ
お前、ステルスしてれば何をしても許されるってわけじゃねーぞ
なに暴走してんだ
一六、魔都在住の特筆すべき点もないライオンさん
おれ、閃いたんだよね
勇者さんが魔都に来るじゃん?
そしたら、登場したおれがこう言うの
おれ﹁大きくなったな。我が娘よ﹂
どう? これ
生き別れになった母娘、感動の再会ですよ
盛り上がるでしょ
一七、山腹巣穴在住のとるにたらない不定形生物さん︵出張中
うーん⋮⋮50点だな
アリアママ、ふつうに家にいるし
2332
一八、魔都在住の特筆すべき点もないライオンさん
そうか。だが、最後に選ぶのは勇者さんだ⋮⋮
一九、火山在住のごく平凡な火トカゲさん
勝算は? 勝算はあるのか?
二0、魔都在住の特筆すべき点もないライオンさん
ああ。エプロンをつけて母性をアピールすれば⋮⋮あるいは
二一、海底洞窟在住のとるにたらない不定形生物さん
なるほど、たしかに⋮⋮
空のひとには、ポンポコ母を演じきった実績があるからな
二二、海底都市在住のごく平凡な人魚さん
え、どこが?
演じるっていうか⋮⋮
空のひと、素だったよね
台所が狭すぎて魔力で料理してたし
2333
二三、王都在住のとるにたらない不定形生物さん︵出張中
細かいことはいいんだよ
子狸のイメージだと
ポンポコ母はふわふわしててあたたかいっていう感じなの
イメージカラーは黄色
はらはらする場面もあったが
子狸を誤魔化しきった手腕は評価に値する
勇者さんも何とかいけるかもしれん
一考の余地はあるな
二四、古代遺跡在住のごく平凡な巨人兵さん︵出張中
⋮⋮まとめると
石像に扮した空のひと︵エプロン着用︶が
まんまと近づいてきた勇者一行に襲いかかって
じつは勇者さんの母親であることを打ち明けるのか?
二五、魔都在住の特筆すべき点もないライオンさん
詰め込みすぎかな?
二六、古代遺跡在住のごく平凡な巨人兵さん︵出張中
詰め込みすぎって言うか⋮⋮
2334
なんかさいきん麻痺してきた
案外いけるのか?
多少サイズが違っても⋮⋮
二七、かまくら在住のとるにたらない不定形生物さん
体格が本質じゃないことは確かだな
ようは気持ちの問題だと思う
どこまで真に迫れるか
見た目じゃないんだ⋮⋮
二八、火口付近在住のとるにたらない不定形生物さん
そうなんだよ
結果が全てじゃない
大事なのは過程なんだ
子狸さんはがんばったと思います
二九、空中庭園在住のとるにたらない不定形生物さん
なに夢みたいなこと言ってんだ
結果が全てだろ
三0、王都在住のとるにたらない不定形生物さん︵出張中
2335
⋮⋮火口の、いまの持って行き方はないだろ
三一、かまくら在住のとるにたらない不定形生物さん
強引すぎる
お前は昔からそうだ
ここぞというときにポカをする
どうしてなんだよ⋮⋮
三二、火口付近在住のとるにたらない不定形生物さん
⋮⋮いまのが、おれにとって自分のタイミングなんだよ
そういうの、本当に苦手⋮⋮
逆に訊きたいんだけど、お前らはどうやってるんだ⋮⋮?
たとえば、そうだな⋮⋮
緑とでっかいのが将棋を差しているとしよう
その対局の様子を、巫女一味が観戦しているとする
天下分け目の決戦だ
ところが、ルールも知らないくせに
生贄さんがああだこうだと口出ししてくる
そうなると、必然的に解説役はおれだ
でも、おれ魔物じゃん?
どのタイミングで﹁ばかめ!﹂とか﹁まんまと騙されたな!﹂と
か放り込めばいいんだ⋮⋮?
2336
もう、なにもかもがわからなくなってきた
なんでこいつら将棋を差してるんだよ⋮⋮
三三、古代遺跡在住のごく平凡な巨人兵さん︵出張中
だから、殴り合っても決着がつかねーんだよ
というか、あんまり気にしたことなかったけど
おれの輪っか、本当に耳障りだな。気が散る
ちょっと音量下げるわ
三四、海底都市在住のごく平凡な人魚さん
え、お前はそれでいいの?
三五、古代遺跡在住のごく平凡な巨人兵さん︵出張中
え、なにが?
ああ、だいじょうぶだよ
こんなこともあろうかと、輪っかの横につまみを用意してあるんだ
サイバーギミックのひとつだな
三六、火山在住のごく平凡な火トカゲさん
いいなぁ⋮⋮
おれも、そういう隠し機能ほしいわ
2337
ふと思いついたんだけど、つのが回るとかどう?
ぎゅいーん
あ、巫女さんたちがぎょっとした
三七、火口付近在住のとるにたらない不定形生物さん
おれ﹁アイオのつのは回る﹂
巫女﹁まじか⋮⋮﹂
生贄﹁いったいなんの意味が⋮⋮?﹂
知らねーよ⋮⋮
緑﹁おれドリル・カラーグリーン﹂
大﹁ふっ、お前らは知らないだろうが⋮⋮おれの主題歌は輪っかか
ら流れている﹂
永遠に知りたくなかった⋮⋮
緑﹁緑は目に優しい﹂
大﹁おれは、ありとあらゆる粗大ゴミをリサイクルできる﹂
⋮⋮⋮⋮
2338
おれ﹁ばかめ!﹂
三八、海底洞窟在住のとるにたらない不定形生物さん
とつじょとして牙を剥いた火口のんであったが
あえなく巫女さんに投げ飛ばされるのであった⋮⋮
三九、かまくら在住のとるにたらない不定形生物さん
いまのタイミングは、あきらかにおかしかったな
四0、火口付近在住のとるにたらない不定形生物さん
タイミングって、いったい何なんだろう⋮⋮
四一、空中庭園在住のとるにたらない不定形生物さん
あ∼⋮⋮スランプだな
元気を出せよ、火口の
参考になるかどうかはわからないけど
おれなんかは、理屈をつけるようにしてるよ
おれんちに来るような人間は、百戦錬磨の戦士が多いからさ
タイミングって言うより、有効かどうかなのね
詰むや詰まざるや、って感じだな
2339
四二、王都在住のとるにたらない不定形生物さん︵出張中
かくして魔物たちは去っていった⋮⋮
騎士A﹁逃げるのか﹂
騎士Aの枯れた喉をふるわせたのは、戦士としてのプライドだった
あるいは計算か?
近隣の住民が異変を察知して通報したのだろう
別小隊が領主の館へと向けて急行しつつあった
あと二分もあれば逆転の目はあったかもしれない しかし、もちろん魔物たちは騎士団の増援を計算に入れた上で動
いているのだ
見えるひとたちはゲートの順番待ちをしている
列の整理をしている見えるひとが
整理券を配りながら言った
亡霊Z﹁古いんだよ。いい加減、気付け。おれたちは次のステージ
に進んだぞ﹂
騎士A﹁なに⋮⋮?﹂
亡霊Z﹁遅い。遅すぎる。千年か⋮⋮けっきょく気付いたのはバウ
マフ家の人間だけだった﹂
管理人さんへのフォローも忘れない
子狸﹁⋮⋮⋮⋮﹂
2340
子狸はぼんやりとしていたが⋮⋮
見えるひとは自らの職務に忠実であろうとした
亡霊Z﹁世界は魔法に満ちている。もう少しだ⋮⋮﹂
その真意を問い詰める時間はなかった
最後のひとりが魔口に沈んだのを確認してから
騎士たちは疲弊した身体に鞭を打ってゲートを取り囲んだ
勇者﹁どいて﹂
騎士たちに守られていた勇者さんは、珍しく余力がある
ゲートの端に聖剣を突き立てると、瘴気の流入が止まった
歩くひとに教えられたことだ
光の宝剣にはゲートを閉ざす機能が備わっている
こうして事件は終息を迎えた
四三、山腹巣穴在住のとるにたらない不定形生物さん︵出張中
その後の話を少ししよう
騎士A﹁⋮⋮⋮⋮﹂
騎士B﹁⋮⋮⋮⋮﹂
騎士たちは、もう喋る気力がなかった
2341
外法騎士は軍規に反する存在だが
積極的に処罰される対象ではない
彼らを有効活用したいと、国の上層部は考えているからだ
後日、騎士Aには部下を更正するよう正式に通達されるだろう
側近さんは、タマさんの力を他言しないよう狐娘に言い含めていた
側近﹁ああいう手合いは、バレると効果が半減する。対策を打てる
からだ。わかるな?﹂
狐娘﹁わざわざ言わなくてもいい﹂
側近﹁だから、そういうことを口にするなと言っている﹂
苦い顔をしたタマさんが、側近さんの肩を軽く叩いた
ちょいちょいと指で招く
腰を屈めた側近さんの肩に、タマさんが腕を回して耳打ちした
タマ﹁おれらみたいなのは、どっかでまわりを見返してやろうって
いう気持ちがある。まあ、意地だな。そいつにとっては、アレイシ
アンさまがそうなのさ﹂
多くの異能持ちは平凡な人生、平穏な暮らしを標榜しているのに
ちょっとしたことで自らの能力に頼ろうとする
心の底から本気で秘匿したいとは思っていないからだ
生まれ持った能力を
言ってみれば自分の一部だ⋮⋮
2342
そうと知った上で受け入れてほしいという願望があるのだろう
受信系の異能持ちは、とくにそうした傾向が強い
一方、影さんは護衛さんに自白を強要されていた
少し目を離した隙に、みょっつさんの側についていた件だ
柳眉を逆立てて詰め寄ってくる護衛さんに、影さんは白旗をあげた
影﹁あいつは、他の騎士とは違う。そう思ったんだよ。兆しはあっ
たからな⋮⋮﹂
もしかしたら、それはハイパー属性に目覚める前兆だったのかも
しれない
軍規に下ることをよしとしない人間なら
説得の余地はあると睨んだのだろう
護衛﹁⋮⋮⋮⋮﹂
護衛さんは、少し悩んでから言った
護衛﹁それとこれとは話がべつだ﹂
影﹁べつじゃない。アレイシアンさまは計画に反対したか? そし
て外法騎士たちは、彼女に忠誠を誓っている﹂
そこがわからない
ハイパー騎士どもは、なぜ勇者さんを盟主と呼ぶのだろう
四四、海底洞窟在住のとるにたらない不定形生物さん
2343
同士で連絡を取り合っていると見るのが妥当か
勇者一行が立ち寄った街のいずれかに、外法騎士が潜んでいたん
だろう というか、あれだな⋮⋮
BとCのハイパー率は異常
呪われているんじゃないかとすら思う
四五、空中庭園在住のとるにたらない不定形生物さん
個人的にBとCは応援している
四六、魔都在住の特筆すべき点もないライオンさん
庭園のひとは弱者の味方だよね
四七、空中庭園在住のとるにたらない不定形生物さん
おれも呪われる側だからな
四八、魔都在住の特筆すべき点もないライオンさん
⋮⋮すまない
四九、空中庭園在住のとるにたらない不定形生物さん
2344
いいんだ
五0、王都在住のとるにたらない不定形生物さん︵出張中
そして⋮⋮
子狸の健闘もむなしく
マヌさんはピエトロ家で暮らすことになった
これは勇者さんの説得によるものだ
後ろでもじもじしている幼なじみに代わって
勇者さんはマヌさんにこう言った
勇者﹁中途半端がいちばん良くないわ。ピエトロ家なら、他の貴族
たちは手出しできない﹂
奇跡﹁⋮⋮わたしが決めていいんですか?﹂
自分で判断しろと勇者さんは言っていた
勇者﹁いいえ、これは命令よ﹂
しかし彼女は前言を撤回した
勇者﹁わたしが間違っていたわ。あなたは、まだ幼い。たくさん学
んで、それから判断しなさい。そのための時間をあげる。つらいこ
ともあるでしょうけど、わたしを恨みなさい﹂
奇跡﹁そんなこと言われて⋮⋮恨めるわけないじゃないですか﹂
2345
マヌさんは拗ねていた
自分の意思をおざなりにされて喜ぶ人間はいないだろう
奇跡﹁でも、いいです。なんかすっきりしました。勇者さまでも間
違うんですね﹂
子供に判断を預けるのは間違っている
そう意見したのは子狸だ
結果的に勇者さんは子狸に屈したことになる
ところが子狸さんは
なにもわかっていなかった
子狸﹁見ろ、トト。生き別れの姉妹が、いま感動の再会を⋮⋮﹂
中トロ﹁似てない姉妹だね﹂
子狸﹁そういうこともある。おれに兄弟はいないが⋮⋮もしも弟が
いたらと考えたことはある。⋮⋮行くあてがないなら、うちに来る
といい。どうだ?﹂
中トロ﹁どうだじゃないよ。父さんと母さんに何て言えばいいんだ﹂
子狸﹁そうか⋮⋮﹂
残念そうな子狸に、羽のひとが微笑みかける
妖精﹁ノロくんにはわたしがいるじゃないですか﹂
2346
子狸﹁え∼⋮⋮?﹂
妖精﹁あ? なにが不満なんだよ﹂
不服そうな子狸に、羽のひとがドスの利いた声で提案した
妖精﹁光栄ですって言え﹂
子狸﹁⋮⋮リンさんは、おれをどこに連れて行こうとしてるの?﹂
妖精﹁お前を一流の戦士にしてやると言ってるんだよ﹂
子狸﹁もっと安定した暮らしがほしい⋮⋮﹂
せつなそうに鳴くポンポコを、箱姫が見つめている
箱姫﹁シア。シア﹂
勇者﹁⋮⋮なに?﹂
箱姫﹁もしかして、あの子が豊穣の巫女なの?﹂
ポンポコ風味の爆破術は、しっかりと目撃されていた
結果はともかく、同じ手順を踏んでいたから、誤解しても仕方な
いだろう
ついでに言うと、土魔法の術者はめったに現れない
勇者さんは明言を避けた
勇者﹁ちがうと思うけど⋮⋮豊穣の巫女とは仲が良いみたい。とて
2347
も﹂
箱姫﹁会ったの?﹂
勇者﹁⋮⋮あなたは、いつからわたしのことを知っていたの?﹂
情報交換を求める勇者さんに
箱姫は思い出したかのように言った
箱姫﹁知らなかったよ。どうして言ってくれないの? と、ともだ
ちなんだから、少しくらい教えてくれても⋮⋮﹂
勇者﹁⋮⋮そうね。ごめんなさい。宰相に口止めされていたの﹂
勇者さんは宰相にすべての罪を着せた
ふたりの大貴族が友好条約を締結した、そのとき⋮⋮
おさない恋人たちが再会を誓っていた
マヌさんに抱きつかれて、トトくんは真っ赤な顔をしている
ひゅーひゅー
一方その頃、人生の敗残兵こと負け狸は⋮⋮
子狸﹁ハイパぁーっ!﹂
大広間に雪崩れ込んできた別小隊に
単身、突撃を敢行するのであった⋮⋮
2348
五一、海底洞窟在住の現実を生きる不定形生物さん
おれたちの戦いは、これからだ⋮⋮!
じゃじゃーん
2349
ミッドナイトラン
五二、王都在住のとるにたらない不定形生物さん︵出張中
子狸﹁子供たちのために他に何をしてやれるのかと思った。未来は
あかるいと教えてやりたかった。いまは反省してる﹂
騎士たちに取り押さえられた子狸は
冷たい牢屋の中で、のちにそう述懐した
前足を拘束されて連行されていく子狸を
マヌさんがうるんだ瞳で見つめていた
奇跡﹁先生! わたし⋮⋮﹂
思いがあふれて言葉にならなかった
彼女は、たぶん理解していたのだろう
ピエトロ家の門をくぐるということは
いままでのような暮らしはできないということだ
ただの平民ではいられないということだ
これが今生の別れになる可能性だって、きっとあった
子狸を連行している騎士が足を止めた
それは恩情だった
肩越しに振り返った子狸が言う
2350
子狸﹁マヌ。お前は正しかった。よくがんばったな﹂
その言葉をきっかけに
ぽろぽろと大粒の涙をこぼすマヌさんを励ますように
彼女の小さな肩に、みょっつさんが手を置いた
そう、彼女は正しかった
最後の最後まで優しさを信じていた
みょっつさんを第八の属性に導いたのは
あるいはマヌさんだったのかもしれない
それをひとはこう呼ぶのだ
︱︱希望と
五三、山腹巣穴在住のとるにたらない不定形生物さん︵出張中
連行されていく子狸を見送ってから
勇者一行はトトくんを自宅まで送り届けた
トトくんのお母さんには
やはりと言うべきかピエトロ家から話が通っていたようだ
無断外泊した件について
とくべつ怒っている様子はなかった
それでも心配だったのだろう
我が子を抱きしめるトト母を見て
少し⋮⋮
お母さまのことを思い出した
2351
記憶の中で微笑むママンの面影が
子狸と重なる
バウマフ家の人間には独特の雰囲気がある
ママンの姿を借りることは容易いのに
この上なく相似であるはずなのに
不思議と子狸のほうが似ていると感じる
五四、王都在住のとるにたらない不定形生物さん︵出張中
牢屋に放り込まれた子狸に
看守の騎士Bは親身になって接してくれた
騎士B﹁ポンポコ卿、例の件ですが⋮⋮﹂
子狸﹁⋮⋮ああ。もう全てが終わった。これで、われわれの勝ちは
揺るがない﹂
牢屋越しに自らの行いを悔い改める子狸
まだ子供だ
更正の余地はじゅうぶんにある⋮⋮
五五、住所不定のどこにでもいるようなてふてふさん
おかしいだろ
おい。ちょっと待て。ストップ
2352
五六、王都在住のとるにたらない不定形生物さん︵出張中
ん?
五七、住所不定のどこにでもいるようなてふてふさん
きょとんとするな
おい。どういうことだ
五八、魔都在住の特筆すべき点もないライオンさん
急にどうしたの、てっふぃー
いま、すごい感動的な流れだったよ?
五九、住所不定のどこにでもいるようなてふてふさん
わかった
少しおちつこう
びっくりしたわぁ⋮⋮
おれも危うくスルーしかけたもん
お前ら、自覚してる?
2353
すごい勢いでハードル低くなってるぞ
どんどん低くなってる
いや、お前らも自覚はしてるんだろうけど
お前らが自分で思ってるよりも遥かに深刻な事態が水面下で進ん
でる
旅シリーズがはじまった頃だったら
怒涛の勢いでツッコミが入ったと思う
なに? 子狸の発言はスルーなの?
おれは空気が読めない妖精ですか?
どうなの? そこんところ
あと、てっふぃーって言うな
六0、海底洞窟在住のとるにたらない不定形生物さん
どうと言われてもな⋮⋮
六一、空中庭園在住のとるにたらない不定形生物さん
羽のひとは、なんだかんだで子狸に甘いよなぁ⋮⋮
非情になりきれない面がある
六二、火口付近在住のとるにたらない不定形生物さん
2354
あるある
六三、かまくら在住のとるにたらない不定形生物さん
おれはこう思うんだよね
ツッコんだら負けなんだよ
わかる? ボケを拾ったら、それはもう優しさなのね
ツッコミという名の優しさなんだよ
六四、古代遺跡在住のごく平凡な巨人兵さん︵出張中
一理あるな
六五、火山在住のごく平凡な火トカゲさん
うん、一理ある
六六、住所不定のどこにでもいるようなてふてふさん
いや⋮⋮
え? いやいや⋮⋮
お前ら、冷静になれ
これはあきらかに青いのが裏で糸を引いてるぞ
2355
言え! 子狸を利用してなにを企んでる!?
六七、山腹巣穴在住のとるにたらない不定形生物さん︵出張中
羽のひとには苦労を掛けてるからなぁ⋮⋮
一時的におれがナビゲーター役を肩代わりできればいいんだけど
勇者さんが納得してくれるかどうか⋮⋮
賭けになるね
六八、住所不定のどこにでもいるようなてふてふさん
ならねーよ! 共通点が一個もねーだろ!
六九、山腹巣穴在住のとるにたらない不定形生物さん︵出張中
共通点とか、ささいな問題だよ
真心をもって接すれば、きっとわかってくれると思う
⋮⋮ようは語尾でしょ?
です∼とか言ってれば誤魔化せる気がするんだ
七0、住所不定のどこにでもいるようなてふてふさん
子狸じゃねーんだよ!
2356
七一、魔都在住の特筆すべき点もないライオンさん
おれたちの子狸さんをあなどってはいかん
さすがに勇者さんと比べたら少し⋮⋮なんていうの⋮⋮あれな部
分はあるけど
それは彼女が専門的な教育を受けて育ったからであって
むしろ子狸さんの偏差値は平均よりもやや上なんじゃないか?
そんな気がしてきた⋮⋮
七二、海底洞窟在住のとるにたらない不定形生物さん
天才となんちゃらは紙一重というからな
ほとんど変わらんと言っても過言ではない筈だ
七三、空中庭園在住のとるにたらない不定形生物さん
もう少し踏み込んで
いっそ同じと言ってもいい筈
七四、海底都市在住のごく平凡な人魚さん
さいきんのお前らは、ずいぶんと子狸を推すね
ぐいぐい推してくる
七五、王都在住のとるにたらない不定形生物さん︵出張中
2357
誉めれば伸びるかもしれないだろ
あらゆる手を尽くしてみるのさ
七六、住所不定のどこにでもいるようなてふてふさん
なるほど
いろいろと考えてるんだな⋮⋮
七七、山腹巣穴在住のとるにたらない不定形生物さん︵出張中
うむ⋮⋮
勇者さんの身元引受人としてのスキルは
日増しに上昇している
すでに感覚で取り調べに要する時間を把握しているようだ
羽のひとを連れて自主的に署へ向かう
二回目とあって顔パスだった
この上なくスムーズに子狸を回収して
その帰り道の出来事である
マフラーを引っ張って歩く勇者さんは
何故か上機嫌だった
予定よりも一日ほど早く
新しい剣が手に入ったからかもしれない
踊るような足取りで子狸を牽引していたかと思えば
不意にくるりと振り返って言う
2358
勇者﹁良かったの? ココに預けて。あなた、反対してたでしょ?﹂
子狸﹁ん? んー⋮⋮﹂
マヌさんのことだろう
たしかに子狸は反対していた
身代わりになるとまで言っていた
子狸は頷く
子狸﹁いいんだ。おれは、あいつが許せなかった。でも、マヌは違
ったみたいだ﹂
あいつというのは、みょっつさんのことだろう
子狸﹁だから、いいんだ﹂
ひとりで納得している子狸に
苦言を呈したのは羽のひとだ
妖精﹁だからって特装騎士に挑むのは違うんじゃないですか? シ
ャルロットさんの言ってたこと、当たってると思います﹂
巫女さんの名前はシャルロットと言う
緑の島で、彼女はこう言っていた
子狸は戦いを欲していると
羽のひとは、子狸の負傷がよほど気に入らなかったらしい
じろりと睨みつけてくる妖精さんに
2359
子狸は釈明した
子狸﹁⋮⋮しゃるろっと?﹂
妖精﹁巫女さん﹂
子狸﹁ああ、ユニのこと。⋮⋮しゃるろっと?﹂
妖精﹁お前、自分でもそう呼んでただろ﹂
子狸﹁なんで名前がふたつあるんだよ。意味わかんねえ⋮⋮﹂
片方を思い出すと、もう片方は忘れてしまうらしい
ひとは過去を忘れることで
はじめて未来へと目を向けることができるのではないか
なお、ユニというのは巫女さんの偽名である
こうして子狸ライブラリは更新されていくのだ
子狸﹁シャルロットか。あいつ、けっこう適当なこと言うからね。
はじめて会ったときから、おれの推理にケチをつけてくるし⋮⋮﹂
真犯人だったからね
通りすがりの赤の他人が犯行を自白したら
正直ちょっとびびるよ
たぶんラッキーとは思わないんじゃないか
ぶつぶつと文句を垂れる子狸のとなりに勇者さんが並ぶ
2360
勇者﹁聖木のことは?﹂
子狸﹁⋮⋮ん? 緑のひと?﹂
会話が破綻した
話題の変更は子狸には通用しない
しかし勇者さんは推し進めた
勇者﹁聖木のことはいいの? もう一つは持って行かれたままだけ
ど﹂
子狸﹁⋮⋮⋮⋮﹂
がんばれ、子狸。がんばれ
子狸﹁⋮⋮緑のひと?﹂
子狸もまた推し進めようとする
見るに見かねた羽のひとがこそっと耳打ちした
妖精﹁怪盗アル﹂
子狸﹁⋮⋮⋮⋮﹂
怪盗アルに一致するポンポコページは見つかりませんでした
妖精﹁ツインホーク﹂
子狸﹁⋮⋮⋮⋮﹂
2361
もう一声
妖精﹁いったん巫女さんから離れて﹂
子狸﹁⋮⋮なるほどね﹂
常人なら、こうすんなりとは行かないだろう
やはり子狸さんの理解力はアニマルの域を超えている
二度、三度と頷いて言う
子狸﹁⋮⋮で、なんの話だったかな?﹂
すまない、お前ら
おれはここまでのようだ
王都の、あとは任せるぜ⋮⋮がくっ
七八、火口付近在住のとるにたらない不定形生物さん
山腹の∼!
七九、かまくら在住のとるにたらない不定形生物さん
山腹の∼!
2362
八0、王都在住のとるにたらない不定形生物さん︵出張中
お前の犠牲を無駄にはしないぜ
どういうわけか勇者さんは
持ち去られた聖木に固執している
ふたたび子狸が暴走したらどうするのか
いったいなにを企んでいるのか⋮⋮?
彼女は繰り返し言った
瞳が悪戯っぽく輝いているような気さえする
勇者﹁怪盗アルだったかしら? 聖木は二つあった。そのうち一つ
は、まだ取り返していないわ。あなたは、それでいいの?﹂
とてつもなく違和感があるのだが
子狸は、さして気にしていないようである
子狸﹁ああ、そっちはだいじょうぶだよ。パンの精霊たちが何とか
してくれると思う﹂
勇者﹁パンの﹂
子狸﹁そう。うち、精霊の形をしたパンを売ってるんだ﹂
悲報
おれたちのことだった
2363
八一、火山在住のごく平凡な火トカゲさん
ごめん、聞き逃した
八二、古代遺跡在住のごく平凡な巨人兵さん︵出張中
目の前が霞んで盤面が見えない
八三、海底都市在住のごく平凡な人魚さん
おれたちは何も聞かなかったし、何も見なかった
ただ、しばらくそっとしておいてくれると嬉しい
八四、海底洞窟在住のとるにたらない不定形生物さん
せめてばうまふベーカリー以外のところの子になりたいです
理想を言えば食パン
食パンの精霊なら、甘んじて受け入れる用意がある
八五、空中庭園在住のとるにたらない不定形生物さん
お前は⋮⋮強いな
おれは、もうパンと一緒に歩いていける自信がないよ
試食会の、あの全員が着席して誰も動こうとしないじめっとした
緊迫感がもう⋮⋮
2364
八六、かつて管理人だったもの
たまらないよな
八七、空中庭園在住のとるにたらない不定形生物さん
最高です
八八、海底都市在住のごく平凡な人魚さん
パン最高
八九、火山在住のごく平凡な火トカゲさん
ばうまふベーカリーは不滅です
九0、古代遺跡在住のごく平凡な巨人兵さん︵出張中
逆にね。逆に
おれたちごときがパンの精霊なんて
おこがましいにも程がありますよ
九一、海底洞窟在住のとるにたらない不定形生物さん
2365
ところがおれは反旗をひるがえしますよ
ふつうでいいと思うんです
どうしてふつうじゃだめなの?
ふつうの食パンが食べたい∼! ばたばた
九二、かつて管理人だったもの
愛だろ
九三、海底洞窟在住のとるにたらない不定形生物さん
⋮⋮この敗北感はいったい何だ
九四、王都在住のとるにたらない不定形生物さん︵出張中
完全敗北を喫した海底のんであった
この日、勇者さんは終始ご機嫌︵のように見える︶だった
勇者﹁ふうん。いつか、あなたのおうちのパンを食べてみたいわ﹂
妖精﹁ッ⋮⋮﹂
子狸﹁毎度﹂
自ら修羅の道へと足を踏み入れるほどである
2366
以前、羽のひとは勇者さんを子狸の嫁にと言っていたが
どうやら本気であるらしい
妖精﹁そッ⋮⋮そのときは、わたしにも⋮⋮はんぶん、ください﹂
勇者﹁ええ、もちろん。半分こね﹂
子狸﹁毎度﹂
けっきょく原因はわからなかった
宿屋に戻っても勇者さんの上機嫌は持続し
おれは戦々恐々とした夜を過ごした
かと言って夜間訓練をおろそかにするわけにもいかない
入念に仕込んだポンポコダミーを設置し
子狸の負荷テストを実施
結界はだいぶコントロールできるようになってきた
次の課題は開放レベル8だ
子狸は上半身を鍛えたいと言っているが
そんなものは後回しである
シーン34の2、スタート!
九四、樹海在住の今をときめく亡霊さん︵出張中
某所⋮⋮
2367
廃屋に子狸が入ってくる
ひとりだ
勇者さんと羽のひとが寝静まるのを待ってから
宿屋を抜け出してきたらしい
子狸﹁⋮⋮⋮⋮﹂
屋内には、ごくさいきん誰かが争った形跡があった
しゃがみ込んだ子狸が、床の亀裂を前足でなぞる
魔法の痕跡にしては荒すぎる
材質から言って、人間の力で破壊できるとは思えない
なにか重量物を落としたか
あるいは魔物の仕業だ
子狸﹁!﹂
はっと顔を上げた子狸が、素早く飛び退いた
子狸﹁誰だ!?﹂
おれ﹁嗅ぎつけるとしたら﹂
壁を透過したおれが、子狸の眼前に立つ
おれ﹁それは、お前だろうと思っていた﹂
子狸﹁お前は、昼間の⋮⋮。ここで何をしていた? 言え!﹂
2368
九五、王都在住のとるにたらない不定形生物さん︵出張中
カットぉー!
九六、管理人だよ
え、なに?
九七、王都在住のとるにたらない不定形生物さん︵出張中
ふつうに個体を判別するな
そこは
お前﹁メノゥパル⋮⋮!﹂が正解。変にひねる必要はない
九八、海底洞窟在住のとるにたらない不定形生物さん
いや、べつにいいんじゃないか?
個体を判別できたところで不都合はないだろ
退魔性の問題で片付ければいい
九九、空中庭園在住のとるにたらない不定形生物さん
うーん⋮⋮
というか、おれたちにも分身の区別はつかないからな
2369
そこは徹底するべきだと思う
さすがに減衰特赦は⋮⋮
一00、火口付近在住のとるにたらない不定形生物さん
子狸さんは、あれなの?
そういう⋮⋮分身の年輪みたいなものが見えてるの?
管理人さん全員に同じ質問してきたけど、いまいち要領を得ない
んだよね
一0一、管理人だよ
そんなのわからないよ
わからないけど、わかるんだよ
じっと見てると、なんだかわからなくなってくる
ぱっとわかるから、それでわかることにしてる
一0二、かまくら在住のとるにたらない不定形生物さん
やはり要領を得なかった
一0三、王都在住のとるにたらない不定形生物さん︵出張中
まあ⋮⋮消去法で特赦だろ
それ以外の要素が見当たらない
ハートで感じるとか、夢あふれた証言もあるけど⋮⋮
2370
そのわりにはシャッフルすると外したりするし
一0四、管理人だよ
シャッフルしたら外れるよ
だって、そういう流れだし
一0五、海底洞窟在住のとるにたらない不定形生物さん
だったら、せめて一言でも相談してほしいっつう話ですよ
流れとか本当に⋮⋮
本当にやめてほしい
たまに混ぜてくるから、本気で混乱する
一0六、管理人だよ
ふむ⋮⋮
父さんは?
一0七、火口付近在住のとるにたらない不定形生物さん
そこですよ
聞いて下さいよ、子狸さん
あのひとがいちばんひどい
なんて言ったと思う? こんなこと言ったんだぜ
2371
親狸﹁お前らはいちいち理屈をつけようとするから、誰が出てくる
か読める。悪い癖だな、直せ﹂
ちょう偉そう!
なんなの? あのときは本気でぶっ飛ばそうかと思ったかんね!
しかも、けっきょく教えてくれねーし!
なんで? って聞いたら今度はこうだよ
親狸﹁おれが正しいとも限らないしなぁ⋮⋮。まあ、予想はつくけ
ど﹂
王都のーっ!
一0七、王都在住のとるにたらない不定形生物さん︵出張中
なんだよ
一0八、火口付近在住のとるにたらない不定形生物さん
なんだよじゃねーよ!
あの口ぶり、まんまお前じゃねーか!
どういう育て方をしたんだ!
一0九、王都在住のとるにたらない不定形生物さん︵出張中
え∼⋮⋮?
どういうって⋮⋮ふつうに
2372
一一0、かまくら在住のとるにたらない不定形生物さん
ふつうに育てて、あんなふうになるもんかね⋮⋮?
そうそう、お屋形さまと言えばさ∼
一一一、魔都在住の特筆すべき点もないライオンさん
こうして、おれたちの夜は更けていくのでした⋮⋮
2373
新たなる力
一一二、山腹巣穴在住のとるにたらない不定形生物さん︵出張中
子狸が活動限界に達したところで
この日の特訓は終了した
その翌朝⋮⋮
子狸が行き倒れを拾ってきた
子狸さんの証言によれば
馬小屋で力尽きていたらしい
太めの男性である
年の頃は二十代の半ばといったところか
というか⋮⋮
一一三、海底洞窟在住のとるにたらない不定形生物さん
まあ⋮⋮うん
一一四、王都在住のとるにたらない不定形生物さん︵出張中
そうね⋮⋮
2374
よくよく人間は不思議な生きものである
弱っているものを見て好機とはとらえず
救おうとするのは、教育によるものだ
それが正しいことなのか間違っていることなのか
善悪を問うことに意味はない
数十億年もの歴史で築かれてきた弱肉強食のルールを
ほんの数百万年前に現れた生物が覆そうとしている
これは驚くべきことだ
ストライダー
つまり勇者さんが目を覚ましたとき
となりのベッドに巨漢が横たわっていて
わきの椅子に腰かけた子狸が
ふっくらとしたお腹を布団越しに撫でていた
勇者﹁⋮⋮⋮⋮﹂
彼女はコメントを控えた
人間たちは綺麗好きな生きものだ
お風呂に入りに行ったのだろう
寝ぼけまなこの羽のひとと一緒に
無言で部屋をあとにした
魔法︱︱とりわけ水魔法が発達するにつれて
人類は衛生管理を強く意識するようになった
2375
お風呂から戻ってきた勇者さんが
子狸のとなりに立って言葉少なに尋ねる
勇者﹁⋮⋮彼は?﹂
勇者さんは希少な剣術使いだ
剣士の気配は極めて微小で
そうと意識しなければ接近に気付けない
ただし閉鎖された環境では話がべつだ
とつぜん声を掛けられても子狸は驚かなかった
子狸﹁お嬢﹂
勇者﹁なに﹂
子狸﹁おはよう﹂
勇者﹁おはよう﹂
子狸﹁じつは⋮⋮﹂
いったん朝の挨拶を交わしてから
子狸はためらうように言葉を切った
子狸﹁⋮⋮⋮⋮﹂
なにか深刻な事情でもあるのだろうか⋮⋮?
そんな筈はないのだが⋮⋮
2376
組んだ前足を見つめていた子狸が
意を決して顔を上げた
勇者さんを見上げる眼差しに
並々ならぬ決意が宿っていた
子狸﹁お嬢﹂
勇者﹁なに﹂
勇者さんは、話しているとき相手の目をしっかりと見る
ふたりの視線が絡み合った
先に目を逸らしたのは子狸だった
前足に、もう片方の前足を叩きつけて﹁くそっ﹂と小さく悪態を
ついた
うなだれて言う
子狸﹁ごめん。雰囲気だった⋮⋮﹂
勇者﹁⋮⋮⋮⋮﹂
質問に答えないばかりか
とくに意味のない煩悶だった
焦れた羽のひとが子狸の肩にとまる
耳元で囁くように告げた
妖精﹁捨ててこい﹂
2377
子狸﹁なんだって⋮⋮?﹂
妖精﹁不必要なものを拾うな。お前の親父もそうだった⋮⋮。つま
らない義侠心で、余計なものを背負うのはやめろ。捨ててしまえ、
そんなもの﹂
勇者さんに遠慮して過激な発言を慎んでいた妖精さんが
本性を剥き出しにしはじめた
子狸﹁リンっ⋮⋮!﹂
子狸の前足は
ふわりと舞った羽のひとに掠りもしない
妖精﹁怒ったのか⋮⋮? だが、お前がやっていることは、そうい
うことなんだ。わたしたちをないがしろにしすぎだ、ばかものめ﹂
勇者さんの肩にとまって、そっぽを向く彼女に
子狸は言い返せなかった
羽のひとは賭けに出ている
ここで態度を軟化してしまえば
子狸はいつまでも同じことを繰り返すだろう
妖精﹁口当たりの良いことを言っていればお前は満足かもしれない
けどさ。わたしはちっとも嬉しくないんだ﹂
子狸﹁おれが間違ってるって言うのか⋮⋮?﹂
2378
ふたりの対立は、この世でもっとも根深い問題をはらんでいる
飼えないのだ
子狸が何を言おうとも
何を言おうともだ⋮⋮!
うちで
ペットは
飼えない︱︱!
一一五、山腹巣穴在住のとるにたらない不定形生物さん︵出張中
子狸さんは理解していなかったのだ⋮⋮!
子狸さんがペットを飼いたいと言うたびに
おれたちがどんな思いで見つめていたかを
おれたちの子狸さんは
やはり理解していなかったのである⋮⋮!
まぶたを閉ざした子狸が、ゆっくりと深呼吸した
子狸﹁命だろ﹂
ベッドの上で眠る巨漢の頬を愛おしげに撫でる
2379
子狸﹁赤ん坊は良くて、傷ついて弱った人はだめなのか? そうじ
ゃないはずだ⋮⋮成人男性と子猫にどれだけの差があるっていうん
だ?﹂
勇者﹁だいぶ違うと思うわ﹂
さしもの勇者さんも同意できなかった
しかし子狸はかぶりを振る
子狸﹁違わない。そんなものは見た目の問題だ。この世には、もっ
と大事なことがあるんだ﹂
博愛主義も度を過ぎると破綻する
この世に確かなものなど何もないかのようだった
不確かなものに価値を見出そうとするならば
いつかきっと問われる
社会を。秩序を築き上げてきた
おびただしい犠牲と代償を支払って
積み上げてきた血と肉の砦だ。憎悪の河だ
その果てに
人は何を手にしたのか
羽のひとは、かつての激情に支配されつつあった
ちいさな身体がわなわなと震えている
勇者﹁リン⋮⋮?﹂
2380
勇者さんの声も耳に入らない様子だった
妖精﹁ッ⋮⋮!﹂
狂おしいほどの目で
丸くふくらんだ布団を睨んだ
完全な八つ当たりである
殺気をぶつけられて
布団が跳ね上がった
漏れ聞こえたのは盾魔法のスペルだ
巨漢が舞った
幾つもの小さな力場を足場に
天井すれすれまで飛び上がる
一瞬で組み上げられた攻性魔法の構成は
しかしこの場で披露されることはなかった
空中でとんぼをきって着地する
体躯に反した身のこなしだった
反射的に飛び退いた子狸が
とっさに勇者さんをかばった
全身に鳥肌が立っている
特装騎士を前にしても正面きって戦いを挑んだ子狸が
背筋を走るものを止められなかった
2381
ひと目でわかったのだろう
それは生まれてはじめての戦慄だった
着地の衝撃を完全に殺して立ち上がった男は
完成された戦士だった
あるいはお屋形さまを上回るかもしれない⋮⋮
鋭い眼差しで室内を睥睨していた太っちょが
にっこりと笑って揉み手を作った
男﹁やや! これはこれはアレイシアンさま⋮⋮ご無沙汰しており
ます﹂
勇者﹁⋮⋮ええ﹂
知り合いであるらしい
らしいというか⋮⋮まあ⋮⋮
勇者さんは珍しく歯切れが悪い
勇者﹁久しぶりね。ええと⋮⋮﹂
一転して卑屈な態度をとる太っちょに
対応を計りかねているようだ
直角に腰を折り曲げていた男が
顔面を両手で覆って天井を仰いだ
これほどの悲劇が他にあるものかと嘆いている
男﹁お忘れですか!? アトンです。しがない商人ですが、アリア
卿にはごひいきにして頂いております﹂
2382
お前のような商人がいてたまるか
しかし勇者さんはおごそかに頷いた
勇者﹁そうね。思い出したわ、アトン﹂
妖精﹁お知り合いなんですか⋮⋮?﹂
羽のひとは機嫌を直してくれたようだ
子狸のおびえように満足したのだろう
勇者さんは頷いた
勇者﹁ええ。貴族が領地を離れることはあまりないから、懇意にし
ている行商人は多いの。彼はその一人ね﹂
しかし子狸は納得できない様子だった
子狸﹁商人⋮⋮?﹂
商人﹁はっはっは!﹂
太っちょは丸いお腹を揺すって笑った
商人﹁いや、お恥ずかしい。私どものような渡り鳥は、魔物に襲わ
れることが日常茶飯事なのです﹂
街から街へと旅を続ける行商人たちは
自らを評して渡り鳥に例えることが多い
2383
優雅に一礼した太っちょが
一分の隙もない営業スマイルで子狸に歩み寄る
商人﹁アトンと申します。姓はありません。失礼ですが、お名前を
お伺いしても⋮⋮?﹂
一一六、海底洞窟在住のとるにたらない不定形生物さん
しがない商人ねぇ⋮⋮
まあ、本人がそう言うならべつにいいけど⋮⋮
一一七、火口付近在住のとるにたらない不定形生物さん
なんでこの太っちょは身分を偽装してるんだ?
なんか意味あんのか?
一一八、かまくら在住のとるにたらない不定形生物さん
まさかとは思うが
こんな質の低い演技で
おれたちの子狸さんの目をあざむくつもりじゃあるまいな⋮⋮
一一九、空中庭園在住のとるにたらない不定形生物さん
それはさすがに無理があるだろ
ろくに変装もしてないし
2384
子供騙しとは、まさにこのことよ
一二0、王都在住のとるにたらない不定形生物さん︵出張中
もちろん子狸さんは自称商人の正体を一瞬で看破した
子狸﹁ノロ・バウマフって言います。商人さんって凄いんですね﹂
商人﹁はっはっは。恐縮ですな、ノロさま﹂
子狸﹁そんな、呼び捨てでいいですよ﹂
商人﹁では、ノロさんと。私のことは好きに呼んで下さって結構で
す﹂
子狸﹁トンちゃん﹂
好きに呼んでいいと言われたのでそうした
トンちゃんは苦笑いを浮かべている
少しくらい嫌がったほうが子供は喜ぶと知っているからだ
商人﹁可愛らしい呼び名ですな。これは参った﹂
じつによく笑う男である
その後、トンちゃんは羽のひとを絶賛した
いかに妖精が愛らしい存在であるかを力説する行商人に
羽のひとは困惑した視線を勇者さんに送っている
2385
勇者さんはあさっての方向に視線をさまよわせていた
商人﹁いや、素晴らしい。じつに可憐だ。道端に咲く一輪の花とい
ったところでしょうか﹂
そう言って美辞麗句を締めくくったトンちゃんに
羽のひとは胡乱な瞳を向けている
彼女は端的に言った
妖精﹁よく言われます。人生を見つめ直したほうがいいのでは?﹂
消極的にこれまで歩んできた道のりを全否定された太っちょは
だが、たくましかった
姿勢を正すと、お腹まわりのぜい肉が悩ましげに揺れる
商人﹁リンカーさま、私はお嬢さまに大恩があるのです。あなたと
は、きっと仲良くなれる﹂
お嬢さまというのは勇者さんのことだろう
勇者さんは話の輪から外れて、ベッドの端に腰かけていた
鞘から取り出した細長い刀身を、せっせと手入れしている
錆びないよう定期的に布でふくようにしているのだ
窓から差し込んだ朝日のきらめきが
他人事のように室内のほこりを照らしている
陽の光が騎士剣の表面をすべり
勇者さんの足元に影を落とした
2386
この剣が人間と魔物の合作であることを彼女は知っているのだろ
うか
知っている筈だ
勇者一行が港町で獲得した点数を
鬼のひとたちは代償として徴収した
じつに20ポイントもの得点だ
ぼったくりである
しかし、それはおれたちの早合点だったらしい
子狸がトンちゃんと一緒に運んできた荷物の中に
きれいに梱包された大きな箱があった
トンちゃんは言った
商人﹁ノロさん、あれは君のものです﹂
子狸﹁⋮⋮言われてみればそんな気もするな﹂
商人﹁私は、なにも偶然こちらに立ち寄ったわけではありません。
アリア卿の依頼を受けて参上しました﹂
勇者﹁お父さまの﹂
顔を上げてつぶやいた勇者さんに
トンちゃんは微苦笑を浮かべた
わずかな苦悩がさっと表情に差した
しかし彼はおとなだった
2387
何気ない仕草で表情を隠すと
大きな箱を両腕に抱えて持ってくる
梱包を解きながら言った
商人﹁勇者に剣を。そして⋮⋮﹂
中から取り出したのは、新品の調理器具一式だった
商人﹁勇者の魔法使いに、生きる力を﹂
知らず、子狸の前足がふるえた
手渡された小さなフライパンの感触を確かめるように
二度、三度と揺すった
子狸﹁軽い。これなら﹂
勇者﹁⋮⋮⋮⋮﹂
勇者さんはコメントを控えた
2388
燃える峡谷
その日のうちに勇者一行は街を発った
ここから先の道のりは
これまでのようには行かないだろう
まず街がない
ラストダンジョンのある大きな森を中心に
レベル3が守護する三つの拠点を直線で結んだ地帯は
魔の三角地帯と呼ばれる
三大国家のいずれにも属さない
魔王軍の法が支配する地域だ
この三角地帯に
ついに一行は足を踏み入れたのだ
宿屋を出る直前に見送りに来てくれたトトくんは
とつぜん増えていた新メンバーについて
とくに何も言わなかった
賢明な少年である。将来が楽しみだ
トトくんは微妙に落ち込んでいた
子狸﹁トト、マヌを頼んだぞ﹂
2389
中トロ﹁でも、おれは⋮⋮﹂
マヌさんが大貴族の一員になった以上
トトくんが彼女にしてやれることはない
しかし子狸が思いを馳せていたのは
もっとずっと先のことだった
子狸﹁いつか、あいつが苦しんでいたらお前が力になってやるんだ﹂
中トロ﹁! うん、わかった﹂
思い描く未来に自分の姿がなかったから託すしかなかった
子狸は、領主の館で爆破術のさわりの部分を奇跡の子に見せた
巫女さんと二人で編み上げた技術が
未来を切りひらくためのものだったらいいと思った
街門へ向かう
騎士たちが検問しているわきに
大きな箱が安置されていた
人間ひとりがすっぽりとおさまりそうな箱である
異様な存在感を放つそれに
勇者さんは小さく手を振っていた
街を出て、しばらく歩いてから羽のひとが切り出した
妖精﹁⋮⋮どうしてついて来るんですか?﹂
2390
遠回しに帰れと言われてもトンちゃんは動じなかった
黒雲号に子狸と一緒にまたがっている
三人乗りは無理なので、勇者さんは豆芝さんにシフト
子狸﹁⋮⋮⋮⋮﹂
商人﹁商売で成功するコツは、新しいことに挑戦し続けることです
からね﹂
商品を抱えて国境を越えることが多い行商人たちにとって
三角地帯の地勢を知ることは大きなメリットがある
大多数の人間が足を踏み入れないということは
つまり成功のチャンスが転がっているかもしれないということだ
商人﹁足手まといにはなりません。こう見えて場数は踏んでます﹂
お前ほど場数を踏んでる人間も珍しいよ
道中、他の河からの刺客が待ち伏せしていたが⋮⋮
火口﹁⋮⋮⋮⋮﹂
かまくら﹁ちっ⋮⋮﹂
彼らは空気を読んで襲撃を自重した
負けるとわかっている戦いを挑むのは子狸のやることである
庭園﹁⋮⋮なるほどね﹂
2391
ここで一計をめぐらしたのは庭園アナザーである
彼がよく出入りする空中回廊は
内部に高度な結界が幾重にも張られていて
ありとあらゆる環境を再現している
適性が幅広く、勝てる環境で勝負できる庭園のんは
おれたちの中で最強の魔物と目されている
その庭園のんが一計を案じた
庭園﹁お待ちかねの料理対決だぜぇ⋮⋮!﹂
思えば、この瞬間
太っちょ擁する勇者一行に対するスタンスが決したのだ
子狸﹁どうして⋮⋮! どうしてお前たちは人間と仲良くできない
んだ!?﹂
子狸の悲痛な鳴き声が峡谷に響いた
黒雲号から飛び降りたポンポコと庭園アナザーが対峙する
庭園﹁きさまは、バウマフ家の⋮⋮? そうか、見違えたぞ。あの
ときとは別人のようだな﹂
子狸﹁あのときとは違う! お前じゃ、もうおれを止めることは出
来ない⋮⋮お願いだ。おれは、もう戦いたくない﹂
庭園﹁もう遅い。どちらかが滅ぶまで、決着はない。お前たちは失
2392
敗したんだ﹂
子狸﹁ちがう! 失敗したから、話し合うんだ。問題があるなら、
みんなで探すんだ。ずっとそうやって生きていくんだよ。逃げるな
!﹂
よみがえった狸なべセットは
豆芝さんの背中に取り付けられている
オプションを展開した子狸が
専用アタッチメントをしっぽで掴んだ
子狸﹁エリア! 来い!﹂
<i57045|6308>
前足にフライパンと包丁を装着した子狸が吠えた
子狸﹁いいだろう。受けて立ってやる。証明してみせる⋮⋮!﹂
庭園﹁ふっ、見せてもらおう﹂
子狸&庭園﹁勝負だ!﹂
合意に達したところで
庭園アナザーは子狸を手招きした
肩を落とした庭園アナザーを
2393
のこのこと歩み寄った子狸が心配する
子狸﹁どうしたの? 元気がないね﹂
庭園﹁⋮⋮聞いてくれよ、ポンポコさん﹂
聞くところによると⋮⋮
庭園のんは、老舗の定食屋の跡継ぎであるらしい
良心的な値段とお袋の味で顧客を掴んできた
ところがさいきん、ばったりと客足が途絶えたのだとか
原因ははっきりしている
向かいにオープンした別の定食屋にお客さんが持って行かれてい
るのだ
最初は物珍しさに惹かれているだけだろうと楽観視していたのだ
が⋮⋮
庭園﹁親父にとっては、美味しいと言ってくれるお客さんの笑顔が
生き甲斐だったんだ⋮⋮﹂
子狸﹁わかった。おれが何とかしてやる﹂
庭園﹁早いな。聞けよ。それじゃ、おれがマーケットに敗れた単な
る敗者だろ﹂
庭園のんは続けた
価格と味で負けているというなら仕方ない。納得もできる
敵情視察に出向いた庭園のんは、しかし我が目を疑った⋮⋮!
2394
なんと、自分のうちとメニューがまったく一緒だったのである
そして価格はどれも少しずつ安かった⋮⋮
完全に潰しに来ている
やってはいけないことだった
子狸﹁なんてことを⋮⋮﹂
庭園﹁おれ、許せなくてっ⋮⋮!﹂
涙ながらに語る庭園のんに
子狸が義憤を燃やした
子狸﹁わかった。おれが何とかしてやる﹂
庭園﹁そう。そのタイミングよ。ここで欲しかった﹂
と、そのときである
物陰で待機していた骨のひとが
ゆらりゆらりと歩み寄ってきた
骸骨﹁おや、誰かと思えばお向かいの⋮⋮﹂
庭園﹁あ、あんたは⋮⋮!﹂
子狸﹁絶対に許さん! 勝負だァーッ!﹂
骸骨﹁早いよ。早い。もう少し待て﹂
子狸﹁うむ⋮⋮﹂
2395
庭園﹁あんたのせいで、ウチは⋮⋮!﹂
骸骨﹁言いがかりはやめてほしいね。消費者のニーズに、より近い
ほうが生き残る⋮⋮それは当然のことですよね?﹂
庭園﹁だからって、やっていいことと悪いことがあるんだよ!﹂
骸骨﹁それを決めるのはわれわれじゃないね。お客さんだ﹂
庭園﹁くっ⋮⋮!﹂
歯噛みする庭園のんの肩に
子狸がぽんと前足を置いた
骨のひとにびしっと前足を突きつける
子狸﹁料理対決だ!﹂
庭園﹁ポンポコさん⋮⋮!﹂
骸骨﹁⋮⋮よござんす! 正面から叩きつぶしてあげましょう﹂
かくして、料理対決の火ぶたが切って落とされたのである
勇者﹁⋮⋮⋮⋮﹂
ちょうど昼時ということもあり
審査委員は子狸以外のメンバーがつとめることになった
骸骨﹁⋮⋮︵にやり︶﹂
2396
骨のひとには勝算があった
長年、牛のひとの機嫌を損ねないよう料理の腕を磨いてきたのだ
技の骨のひと。じつに多芸なひとである
当然ながら、軍配は骨のひとに上がった
勇者一行としては戦わずして突破できれば恩の字だったのだが
どうなれば勝ちなのかがわからなかった
そして奇跡は起きたのである
骸骨﹁口ほどにもないですね。どれどれ⋮⋮﹂
ためしにポンポコランチを味見してみた骨のひとに衝撃が走った
のだ
骸骨﹁こ、この味は⋮⋮!﹂
子狸﹁そう。気付いたみたいだな﹂
庭園﹁ポンポコさん⋮⋮?﹂
完全敗北を喫しながらも前足を組んで泰然としている子狸シェフに
庭園のんが疑問符を浮かべる
ポンポコランチをきれいに平らげた骨のひとが
がくりと両ひざを屈した
地面に突っ伏して言う
骸骨﹁おれの、ふ、ふるさとの味⋮⋮。おれの⋮⋮負けだ﹂
2397
自らの敗北を認めた骨のひとに
子狸がふかく頷いた
子狸﹁食べるひとあってはじめての料理だ。お前はやっちゃいけな
いことをした。でも料理人のプライドまで捨てたわけじゃないみた
いだな﹂
初心を取り戻した骨のひとは
まっとうに食の道を歩んでいくと約束し
庭園のんと和解した
庭園﹁ポンポコさん、もう行くのか⋮⋮?﹂
子狸﹁ああ。お嬢にはおれが必要だからな。目を離したら何をしで
かすか﹂
妖精﹁お前がな﹂
子狸﹁行くよ。達者でな。あ、耳を引っ張らないで﹂
庭園﹁また立ち寄ってくれよな⋮⋮!﹂
骸骨﹁次は、あっと言わせてみせるぜ﹂
子狸﹁ふっ⋮⋮楽しみにしてる﹂
さすらいの料理人ポンポコの旅は続く⋮⋮
2398
この記事は﹁王都在住のとるにたらない不定形生物さん﹂が書き
ました
参考になりましたか?
一二一、住所不定のどこにでもいるようなてふてふさん
とんだ茶番だったな
一二二、迷宮在住の平穏に暮らしたい牛さん
どう考えても骨の勝ちだろ
2399
疑心の平原
三角地帯で暮らそうとする人間はいない
魔物たちを嫌悪しているからだ
そうなるよう、おれたちが仕向けた
退屈で仕方ないんだ
愛されるより憎まれるほうがいい
憎しみに勝る感情がこの世にあるのか?
それは愛だと
善良な人間は口を揃えて言うが⋮⋮
憎悪は、より本能に根ざした感情だ
愛情を信仰するのは科学的ではない
子狸﹁だったら、おれが決めてやる﹂
言下、子狸の前足が素早く宙を駆けた
机の上には肉球を模した凹凸がある
刹那の判断で押し込んだ
前足と肉球が運命的な邂逅を果たした
軽妙な音が鳴り響く
子狸﹁お前たちは、おれと一緒に来るんだ。道はおれが決める。答
えはその先だ﹂
つまりこうだ
2400
ぴんぽーん!
火口﹁おぉっと挑戦者ポンポコ、これは早い! まだ問題文は途中
ですが⋮⋮? 答えをどうぞ!﹂
回答権を得た子狸が、ゆっくりと深呼吸した
表情に宿っているのは不安と緊張
自信と覚悟が同居している
子狸は答えた
子狸﹁石橋を叩いて渡る﹂
妖精﹁お前さっきからそればっかりじゃねーか!﹂
声色も鋭く指摘された子狸が
羽のひとにぼそぼそと耳打ちした
子狸﹁⋮⋮⋮⋮﹂
妖精﹁え? なに? 引っこみがつかなくなったの?﹂
うんうんと子狸
妖精﹁お前、本当に頭がわるいんだなぁ⋮⋮﹂
しみじみと妖精さん
とつじょとして開催された早押しクイズ大会
2401
回答者は四組だ
人間側からは子狸&羽のひと、トンちゃんの二組
魔物側からはかまくらのん、見えるひとの二名がエントリーして
いる
子狸さんの奇天烈な回答に
司会、進行をつとめている火口のんが触手を交差させた
火口﹁残念! ハズレです。本当に残念⋮⋮﹂
亡霊﹁四回目ともなると、さすがに飽きますね。罰が必要でしょう﹂
火口﹁これは手厳しい意見です! ごもっともかと。勇者さん、お
願いします!﹂
勇者さんは罰ゲーム担当だ
勇者﹁⋮⋮どうしてわたしが罰しなければならないの﹂
かまくら﹁連帯責任というやつだな﹂
彼女は、子狸さんの教育を怠った
どうせ何を言っても無駄だと諦めた⋮⋮それは一面の真実ではな
いのか
どの口で、と言われるかもしれない
それでも、おれたちには声を大にして言わねばならない
子狸さんの可能性を信じているからだ
2402
勇者﹁⋮⋮⋮⋮﹂
それなのに勇者さんは納得してくれない
彼女は勘違いしているのだ
ここはどこだ。三角地帯だ
おれたちの本領地だ
いつまでも人間側の理屈が通用すると思ってもらっては困る
その点、トンちゃんは柔軟だった
商人﹁⋮⋮動くな﹂
ステルスした太っちょが
かまくらのんの背後に回り込んでいた
かまくら﹁ッ!?﹂
かまくらのんが信じられないといった様子でとなりの席を見る
互いの不正を監視する意味で、席順は人間と魔物を交互に挟んで
いる
かまくらのんのとなりに座っているのは
トンちゃんが発光魔法で作り上げた分身だった
分身を作ると同時に、本体は迷彩して待機
のちに分身をおとりに隠密行動か⋮⋮
人間たちのステルス魔法は、周囲の風景に擬態する簡易的なものだ
人間の記憶力には限界があるから
本体の運動に画像の処理がついてこれないという欠点がある
2403
だから理屈の上では、人間離れした記憶力と観察力
そして並外れた魔法技能があれば
その欠点は克服できる
そして回答権を得たものは自由に発言できるという特性上
なにも
不自然にならない程度にスペルを織り込むことも可能だった
迷彩したトンちゃんが
硬直したかまくらのんの体表に
低く
研ぎ澄まされた刃のように
目的と機能が別れがたく接着した声でささやいた
商人﹁わかるな? 貴様は頷くだけでいい。それ以外は
するな﹂
回答者は四組だ
見えるひとと子狸は、先ほどから得点を度外視してボケを競って
いる
かまくらのんが回答権を放棄すれば
おのずと勝者は限られてくる
でも子狸の鼻は誤魔化せなかった
子狸﹁トンちゃん、この問題ってさぁ⋮⋮﹂
火口﹁ちょっとちょっと。常識的に考えて相談禁止でしょ。そんで、
そこ。こそこそと迷彩してなにしてんだ、こら﹂
2404
子狸に袖を引っ張られたトンちゃんは
迷彩を破棄すると、快活に笑った
商人﹁はっはっは。いや、これは参った。ノロさんには敵いません
な﹂
退場の審判が下る可能性もあったから
何かしら落としどころが必要だった
目線で促されて、勇者さんがしぶしぶと言った
子狸の鼻先に人差し指を突きつけて
勇者﹁めっ﹂
その後、奮起した羽のひとが
暴走する子狸を抑えて優勝したのは言うまでもない
この日の夜、勇者一行を待ち受けていたのは
はじめての野宿だった
とはいえ、おれたちの子狸さんは世界中に巣穴を幾つか持ってい
るし
行商人というからにはトンちゃんも野宿のノウハウは持っている
だろう
日もどっぷり暮れた頃、勇者さんがぽつりと言った
勇者﹁わたし、野宿なんてはじめてだわ﹂
2405
しかし旅慣れた人間は
今晩の宿はどうするか、まずそこから考える癖がある
子狸﹁少し戻る?﹂
商人﹁そうですね。私は拠点の設営をします。ノロさん、夕食は任
せても?﹂
子狸﹁腕にふるいをかけよう﹂
腕によりをかける
よりとは、ねじること
つまり存分に腕前を振るうという意味である
トンちゃんが言う拠点には、簡素な浴場も含まれる
魔法で岩盤を砕いて、水を張る
それから融解魔法を叩きこむだけの簡単なお仕事だが
勇者さんは女の子なので立地条件に気を配る必要はあるだろう
そうした気配りが子狸に出来るかどうかは未知数だから
トンちゃんは拠点の設営を買って出た
なお、役目をはたした簡易浴場は治癒魔法で元に戻せる
滞在した痕跡を残さないのは旅人の鉄則だ
子狸﹁狩りの時間だっ。狩るぜぇ⋮⋮人間の業は深いぜぇ⋮⋮﹂
妖精﹁綺麗ごとを言うな。食べなきゃ死ぬんだよ﹂
夜の森に消える子狸
2406
羽のひとも一緒だ
この二人のコンビは、なんだかんだで安定している
子狸は森の生きものだから
本性を現したポンポコに人間の脚では追いつけない
だが、羽のひとのスピードなら︱︱
しとめきれる⋮⋮!
妖精﹃しとめねーよ。お前らと一緒にすんな﹄
ツッコミも完備だ
まさしく適任と言えよう
森に踏み入る直前、後ろ髪をひかれて振り返る羽のひとに
勇者さんが小さく手を振っていた
勇者﹁あまり遠くに行っちゃだめよ﹂
彼女は二人を見送ってから
地図と睨めっこしているトンちゃんに声を掛ける
勇者﹁なにか手伝えることはあるかしら?﹂
夕食前だというのに、太っちょは途中で拾った魔りんごをかじっ
ている
この男は、ひまさえあれば何か食べている
だから一向に痩せないのだ
商人﹁私の目の届く範囲にいて下されば﹂
2407
剣士の勇者さんは、まず戦闘以外で役に立つことはない
二人きりということもあり
いくぶん砕けた口調でトンちゃんは言った
商人﹁お嬢さま、変わりましたね。⋮⋮が、あなたは英雄号を継ぐ
もの。そして光輝を掲げるもの﹂
いまでこそ聖剣は勇者の剣という認識だが
古くは、偉業を成し遂げた剣が聖剣と呼ばれた
もしくは魔剣と
それらと区別するために
精霊の宝剣は光輝剣と称されていた時代がある
光輝を掲げるものというのは、勇者のことだ
トンちゃんは言った
商人﹁役割は分担するべきです。平民でも出来ることを、あなたが
するべきではない﹂
それは、言ってしまえば勇者を否定する言葉だった
勇者﹁そうかしら?﹂
しかし勇者さんは首を傾げた
その振る舞いが以前の彼女には見られないものだったから
かえってトンちゃんは表情を厳しくする
2408
商人﹁そうです。貴族と平民の主従関係が崩れたら、王国は立ち行
かなくなる﹂
勇者﹁アトン。宰相は、わたしを幽閉することも出来たのよ﹂
大貴族を罰する法はない
だが、あの男ならやるかもしれない
貴族だろうと何だろうと
子供を言いくるめる方法は幾らでもある
もともと奇跡の子︱︱マヌさんのことだ︱︱が王都に召喚された
のは
たぶん宰相が﹁どう思うかね?﹂とか﹁そうは思わないかね?﹂
とか言うためだ
そうに決まっている
お屋形さまのまわりに集まってくる人間は
もれなく変人だ
ろくなことをしない
勇者さんは続けた
勇者﹁それをしなかったのは、おそらく周囲の反発を買うとわかっ
ていたからでしょうね﹂
貴族出身の勇者は、王国にとって都合の良い存在だ
勇者﹁わたしは期待されてる﹂
2409
そうつぶやいた勇者さんが
頼りない月明かりに照らされて、まるで濃紺に落ちていくようだ
彼女は知らない
母性に目覚めた魔ひよこがとなりで見守っていることを⋮⋮
ひよこ﹁⋮⋮⋮⋮﹂
山腹のんが尋問したところ
この魔ひよこは、勇者さんの寝床になるために参上したらしい
よそさまから預かった娘さんを
硬い地面の上に寝かせるわけには行かないというのが
空のひとの主張だった
一理あると許可を出したのは羽のひとである
強硬に反対したのは山腹のんだ
自分こそが勇者さんの布団に相応しいのだと言う
しかし空のひとには
魔王の騎獣としてのプライドがある
ふだんは温厚な二人だけに
この議論は勇者さんがお風呂を上がるまで続き
最終的には相撲で決着をつけることになった
妖精﹁はっけよい!﹂
2410
ひよこ﹁どすこい!﹂
山腹﹁どすこーい!﹂ 妖精﹁のこった、のこった!﹂
山腹﹁どすこーい!﹂
巨大化した山腹のんが
年季が違うとばかりに空のひとを土俵に転がした
妖精﹁山腹の舞∼山腹の舞∼﹂
山腹﹁ごっつぁんです﹂
この日を境に
山腹のんと魔ひよこは互いに切磋琢磨するライバルになったのだ
山腹﹁⋮⋮⋮⋮﹂
無言で触手を差し出す山腹のんに
魔ひよこは満天の星空を眺めながら言った
ひよこ﹁いい⋮⋮勝負だったよな﹂
山腹﹁ああ﹂
ふたりの間に、それ以上の言葉は不要だった⋮⋮
その日の晩の出来事である
2411
子狸と羽のひとは火の番をしていた
勇者さんは必要ないと言ったが
狐娘たちに仕事を押し付けられたためだ
彼女たちの食生活を豊かなものにしている子狸は
独自の連絡網を築き上げつつあった
ちなみに新メンバーのトンちゃんは狐娘たちに大好評だ
ふっくらとしたお腹に体当たりするような勢いで抱きついてきた
狐娘︵小︶を
トンちゃんは軽々と抱き上げて、くるくると回っていた
商人﹁はっはっは。少し見ない間に大きくなりましたね﹂
長年、アリア家に出入りしているという話だったから
気心が知れた仲なのかもしれない
狐娘B﹁また太ってる﹂
狐娘C﹁どうして痩せないの? ばかなの?﹂
商人﹁はっはっは﹂
笑うしかない
勇者一行の異様な状況に
トンちゃんは面食らっている様子だった
しかし言及はしない
2412
おとなだからだ
二番弟子との親密な様子に子狸は嫉妬していた
子狸﹁コニタ。コニタ﹂
狐娘A﹁なんだ﹂
子狸﹁おれのこともお兄ちゃんって呼んでいいんだぞ﹂
ああ、これ誤魔化すの無理だわ
トンちゃんの正体は
出稼ぎに出ているという狐一族の長男だった
狐娘A﹁⋮⋮⋮⋮﹂
妹の存在に憧れる子狸へと向ける
彼女の視線は冷ややかだった
でも子狸さんはめげない
子狸﹁ふっ。だんだんお嬢に似てきたな﹂
狐娘A﹁⋮⋮お前の言うことはあてにならない﹂
そう言いつつも嬉しそうだった
子狸﹁お嬢は、もっと無関心な感じで見てくる。乾いた風が吹くっ
ていうかね⋮⋮そんな感じだ。精進しろ﹂
2413
勇者﹁⋮⋮こんな感じ?﹂
子狸﹁そうそう。そんな感じ。はじめて会ったときは、もっと胸を
えぐる感じだったよ。お嬢も丸くなったよねぇ⋮⋮﹂
狐娘たちが加わると、とたんに勇者一行は賑やかになる
そんな彼女たちも就寝すると静かなものだ
いちばん幼い狐娘は、勇者さんと一緒に寝るのが日々の習慣だ
山腹のんが布団みたいになっているとはいえ
このあたりは帝国領に程近く
夜間はだいぶ冷え込む
狐娘Aにしがみつかれて身じろぎをする勇者さん
子狸がはじめて野宿をしたときは緊張して眠れなかったが
彼女は心因的な負荷を意識的に無視することが出来る
夢を見ているのかもしれない
意外と長いまつげが、かすかにふるえていた
子狸﹁ゴル﹂
羽のひとを肩に乗せた子狸が
小さな蛍火を生成して周囲に放った
そのうち一つは火勢を増して椅子になった
緩慢な動作で腰掛けた子狸が
垂らした前足を組んで勇者さんの寝顔を見つめる
2414
正統な発火魔法は、こうと設定しなければ熱量を持たない
子狸の魔法は、人間たちのそれとは異なる
何から何まで異質で、当然ながら学校でも散々な評価だった
同年代の魔法使いと比較して汎用性に優れる筈のポンポコ魔法が
魔物じみていると言われて、及第点しか貰えなかったことに関して
子狸がどう思ったのかはわからない
憤慨したのか
それとも恨んだのか
舞い踊る蛍火に淡く照らされて
ほっと表情をゆるめた勇者さんを
子狸は無言で見つめている
引き結んだ口元
何かを懊悩するような険しい表情は
おれたち魔物にしか見せない子狸の貌だ
蛍火を映し出す瞳が、不意に揺れた
星空を眺めていた羽のひとが
子供みたいにぶらつかせる足を止めて
ふと子狸を見た
子狸は寝静まっているトンちゃんを見ていた
その視線を追って
羽のひとは表情を引きしめた
2415
妖精﹁⋮⋮ノロ、あいつに気を許すなよ﹂
子狸﹁わかってる﹂
視線を落とした子狸が、組んだ前足をぎゅっと握りしめた
子狸﹁わかってるよ⋮⋮﹂
言われるまでもなく知っている、という態度だったが⋮⋮
羽のひとは念を押した
妖精﹁⋮⋮本当にわかってんのか?﹂
子狸﹁しつこいな。わかってるよ。わかってるんだ、そんなことは﹂
妖精﹁いや、絶対にわかってないだろ。もっと具体的に言ってみろ
よ﹂
子狸﹁⋮⋮おれは、トンちゃんを超えなくちゃならないんだろ﹂
妖精﹁おお。なんだ、わかってるじゃないか。そうと決まったら特
訓しようぜ。特訓﹂
シリアスぶって逃げようとしても無駄なのである
人間たちが完全に寝入ったのを確認してから、子狸の夜ははじまる
子狸﹁おれに勝てるのか⋮⋮? トンちゃんはおとなだ⋮⋮すごく
しっかりしてる。いつか現れると思ってたんだ⋮⋮﹂
2416
妖精﹁しっかり⋮⋮?﹂
雲行きが一気に怪しくなった
そうして子狸は告げたのである
子狸﹁おれの恋敵⋮⋮!﹂
妖精﹁やっぱり何もわかってなかった∼﹂ 羽のひとが、子狸の肩の上でぴんと万歳した
この記事は﹁空中庭園在住のとるにたらない不定形生物さん﹂が
書きました
参考になりましたか?
一二三、王都在住のとるにたらない不定形生物さん︵出張中
お前ら、集合
一二四、魔都在住の特筆すべき点もないライオンさん︵出張中
打倒、山腹のひと!
どすこい! どすこーい!
2417
一二五、山腹巣穴在住のとるにたらない不定形生物さん︵出張中
ふっ、上がってこい。この高みまで⋮⋮!
2418
怨嗟の運河
旅シリーズも十回目となると
絶対条件のようなものが見えてくる
最低限、必要不可欠な要素である⋮⋮
おれたちが完全勝利をおさめるためには
勇者一行から管理人さんを隔離し、捕獲せねばならない
おれたちの子狸さんは
人間たちへの義理を果たしたと言えよう
ここまで来れば、もうじゅうぶんだ
あの太っちょが現れた以上
子狸が勇者さんにしてやれることは
もう、ない
勇者さんも薄々は勘付いている筈だ
彼女はどんどん強くなる
勇者さんの成長に、子狸はついていけない
︱︱非情な選択を下したのは骨のひとだった
早朝、気温が上がる前に出発した勇者一行が
ラストダンジョン近域の大河を源流とする支流群に差し掛かった
とき⋮⋮
ちょうど、おれのご近所さんがおめかしして家を出た頃だ
2419
人魚﹃長老会議に行ってくるよん﹄
木陰にひそんだ骨のひとが
ついに
嗚呼、ついに禁断の罠を
仕掛けた⋮⋮
・用意するもの
◎大きなざる
◎つっかえ棒
◎魔どんぐり
骸骨﹁ちちち⋮⋮﹂
子狸﹁!﹂
素早く振り返った子狸が、大きく目を見開いた
鍛え上げられた第六感が警鐘を鳴らす
これは罠だ⋮⋮!
しかし過去の戦史をひもとけば
罠のない方向に大軍で待ち伏せするのは常套手段だった
大を生かすためには小を切り捨てねばならないときもある
軍師ポンポコは決断を下した
2420
ふらふらと罠のほうへ
誘い込まれるように
それでいて細心の注意をはらいながら
野生動物としての矜持を胸に
いま⋮⋮
後ろ足を
前へと
勇者﹁どこ行くの﹂
子狸﹁おぅふっ﹂
真紅のマフラーが
分かちがたいきずなのように
ふたりをつないでいた
⋮⋮このように
お前らがパーティーの分断を目論むたびに
そうはさせじと勇者さんが立ちふさがる
内通者の存在を疑うおれたちだったが
もちろんこきゅーとすの輪でつながるおれたちの結束は小揺るぎ
もしない
火口﹁火あぶりだ!﹂
かまくら﹁いいや、手ぬるい。無間すごろくの刑だ!﹂
注釈
2421
・無間すごろく
おそろしく緻密にイベントを組まれた巨大なすごろく
襲いかかる逆境の数々に、不屈の闘志で挑んだものだけが成功で
きる
人生観が一変するとさえ言われる逸品だ
庭園﹁⋮⋮妙だな。このサイコロ、4と6が出ないんだが﹂
山腹﹁ッ⋮⋮もういい! もういいんだ、庭園の!﹂
庭園﹁そうか。イカサマじゃないんだな。そうか⋮⋮﹂
厳密な調査のすえ、無実が証明された庭園のんに
火口のんとかまくらのんが這い寄る
疑わしきは罰せよと言うが
そんなものは人間たちの理屈だ
おれたちの理屈は異なる
理由は在ればいいのだ
火口のんが触手をにゅっと伸ばした
火口﹁おれは、お前らのために!﹂
かまくらのんが続いた
かまくら﹁お前らは、おれのために!﹂
2422
交差した触手に、庭園のんが気恥ずかしそうに触手を重ねる
庭園﹁おれら、最高!﹂
仲直りした三人が徒党を組んでアナザーたちに召集を掛けたのは
おれのご近所さんが前人未到の脱出劇を演じていた頃だ
人魚﹃サメ怖ぇー!﹄
群れなすお前らが、どんぶらこっこ、どんぶらこっこと川を流れ
ていく
川沿いに北上していた勇者一行は
その光景を、ただ見守るばかりであった⋮⋮
火口﹁ふっ、しょせん人間よ﹂
かまくら﹁なんと非力な存在か﹂
庭園﹁われら魔王軍の前では、お前らなど無力に等しいのだ﹂
きっちりと捨て台詞を吐いていくお前らを
人類の希望たる勇者一行は
為すすべなく見送るしかなかったのである⋮⋮
子狸﹁こ、これが魔王軍⋮⋮! 勝てるのか、おれたちは⋮⋮?﹂
勇者﹁⋮⋮⋮⋮﹂
三角地帯を進むごとに勢力を増していくお前ら
2423
はたして勇者一行は、無事にチェックポイントのゲートへと辿り
つくことができるのか⋮⋮!?
待ち受けるは、戦隊級の魔物たち
レベル1、レベル2とは次元が違うとさえ囁かれる猛者である⋮
⋮!
人類に明日はあるのか?
次回へ続く!
この記事は﹁海底洞窟在住のとるにたらない不定形生物さん﹂が
書きました
参考になればいいのに
一二六、沼地在住の平穏に暮らしたいトカゲさん
来るか、勇者よ⋮⋮!
一二七、草原在住の平穏に暮らしたいうさぎさん
われらアニマル三人衆
レベル2のひとたちとはわけが違うぞ⋮⋮!
一二八、管理人なのじゃ
2424
絶望的な戦力差に打ちのめされるがいい⋮⋮!
一二九、迷宮在住の平穏に暮らしたい牛さん
そこは順番から言っておれだろ
2425
あだけしの沼地
お前らが子狸に構いすぎるせいで
勇者一行の進捗は思わしくない
だからと言って、無闇にペースを上げようとはせず
きちんと考えて対策を練るのが勇者さんだ
彼女は羽のひとに偵察を命じ
手ぐすね引いて待ち受けるお前らを避けて通るよう一計を案じた
たとえ幾らか遠回りになろうとも
お前らとのエンカウントを減らせれば
そのぶん時間のロスをなくせるという考えである
しかしお前らとて伊達に長生きしているわけではない
ひそかに羽のひととの接触の場を設けるのであった⋮⋮
かまくら﹁妖精さん、おれたちはここです﹂
火口﹁こちらへどうぞ﹂
妖精﹁⋮⋮堂々としてやがる。なんだよ﹂
ゆっくりと下降してくる妖精さんに
魔物たちの代表格と申し上げても過言ではないポーラ属の一人が
しずしずと触手を差し出した
2426
かまくら﹁これはつまらないものですが⋮⋮﹂
火口﹁お近づきのしるしにと。さ、遠慮などなさらずに⋮⋮どうぞ
お納め下さい﹂
妖精﹁⋮⋮おれに彼女を裏切れというのか?﹂
火口のんは、にこりと笑った 火口﹁まあ、率直に申し上げれば﹂
かまくら﹁われわれは、今後とも妖精さんたちとは仲良くしていき
たい⋮⋮そのように考えております﹂
お目こぼしを激しく期待する魔物たち
妖精さんは⋮⋮
妖精﹁ふん、もらっておいてやるよ。勢力を均一に振り分けろ。あ
とは⋮⋮わかるな?﹂
かまくら﹁へぇ、それはもう﹂
意図的に手薄なルートを用意して
そこに勇者一行を誘い込むということだ
ほくそ笑むお前ら
羽のひとは魔物側についた
このときはまだ、そう思っていたのである⋮⋮
2427
妖精﹁⋮⋮⋮⋮﹂
羽のひとが持ち帰った情報をもとに
勇者一行は進行ルートを練り直していく
定期的に立ち止まっては偵察と修正を繰り返す
トンちゃんが勇者さんの教師の一人であることは確かなようだった
商人﹁そうですか。港町に都市級が。それも二体⋮⋮﹂
港町襲撃事件の顛末を聞いたトンちゃんは苦い顔をした
これまで勇者一行の指針を決めてきたのは勇者さんだ
本人も自覚していないような思考の偏りがあるなら
いまのうちに検討して、致命的なものなら矯正しておく必要がある
勇者さんが保身を第一としないことに
トンちゃんはあまり良い顔をしなかったが、ひとまず肯いた
商人﹁ええ、大まかには良いでしょう。とくに魔軍元帥の本音を引
き出した点は大きい。評価できます。しかし⋮⋮﹂
勇者﹁なにかしら?﹂
狐一族の長男だからなのか
勇者さんはトンちゃんと接しているとき
ふと成長を喜ぶような顔を見せる
立場は逆であるはずなのに
2428
不出来な生徒をあたたかく見守るような眼差しだ
おだやかな視線を向けられて
トンちゃんは居心地が悪そうにしている
商人﹁⋮⋮細部の詰めが甘いと感じます。これは口で言っても伝わ
りにくいかと思いますが⋮⋮﹂
言葉を濁す狐一族の希望の星に
勇者さんは小首を傾げて続きを促した
勇者﹁言ってみて?﹂
商人﹁⋮⋮僭越ながら、魔物たちとの戦いには、ある程度の妥協を
織り込んだほうがよろしい﹂
勇者﹁妥協というのは?﹂
商人﹁間の取りかた、おもに劣勢の持続、攻勢に転じる歩調の連携
です。場合によっては無駄な演出も有益になる﹂
勇者﹁⋮⋮なんの意味があるの?﹂
自ら進んで不利になれと言っている
その真意を問われて、トンちゃんは答えた
商人﹁魔物と相対したとき、われわれは徹底的に敗北を教育しなけ
ればならない。彼らは、私たちが思っているよりもずっと、きっと
はるかに、精神的な生きものなのでしょう﹂
2429
完成した戦闘理論だ
でも、おれたちの子狸さんは納得していなかった
子狸﹁⋮⋮はたしてそうかな?﹂
そう言って、二人の間に無理やり割って入る
勇者さんとトンちゃんが話し込んでいると
どこからともなくやって来て邪魔をするのだ
浅はかなポンポコである
基本的に年長者を立てる子狸の
とうとつな不躾な行動に
勇者さんは不審なものを感じている
勇者﹁どうしたの?﹂
子狸﹁お嬢は、もっとおれに相談するべきだと思うんだ。これまで、
ずっと一緒にいたわけだし﹂
トンちゃんはにこにこと笑っている
二人から一歩、距離を置いて子狸をヨイショした
商人﹁だから、ノロさんの魔物たちとの接し方は理に叶っている。
理想的である、と言っても良いでしょうね﹂
勇者﹁そうなの?﹂
商人﹁ええ。彼と接しているとき、魔物たちはストレスを感じてい
ない。バウマフ家というのは、つまり魔物たちに認められた人間な
2430
のでしょう﹂
子狸﹁トンちゃん⋮⋮﹂
子狸は落胆していた
トンちゃんが真相に近いことを言い当てたからではない
器の違いを思い知らされたからだ
子狸﹁おれは⋮⋮ぜんぜん子供だ。気の利いたトークは出来ないし、
小洒落たお店も知らない⋮⋮﹂
トンちゃんは笑った
商人﹁はっはっは。そんなお店、私も知りませんよ。見てのとおり、
この風体ですからね﹂
お腹を揺すって笑うトンちゃんは
とても愛嬌に満ちあふれている
本当に幸せそうに笑うのだ
豊かな人間性がにじんで見えるかのようだ
子狸﹁トンちゃん⋮⋮﹂
商人﹁さあ、背筋を伸ばして! スマイル、スマイル!﹂
子狸﹁こ、こうかな?﹂
商人﹁こうです!﹂
子狸﹁こう?﹂
2431
商人﹁そう! いい笑顔です! はっはっは﹂
子狸は、トンちゃんに傾倒しつつあった
妖精﹁⋮⋮⋮⋮﹂
羽のひとは憮然としている
勇者さんは、トンちゃんに全幅の信頼を置いている
ここに来て不穏な言動が目立つ子狸と
信頼関係を築き上げつつあることに安堵していた
トンちゃんは、子狸を子供扱いしない
本人がそれを望まないからだ
商人﹁ともに笑いましょう! 笑顔は人生を豊かにします。笑顔の
ない人生なんてつまらない。さあ、アレイシアンさまも。スマイル
!﹂
勇者﹁遠慮しておくわ﹂
そう言いつつも、勇者さんはどこか嬉しそうだった
いつしか勇者一行はトンちゃんを中心にまとまりつつある
勇者さんはトンちゃんに意見を求め
子狸はトンちゃんに魔法の手ほどきをしてもらうこともあった
軽い模擬戦だ
ポンポコ弾を盾魔法で打ちはらったトンちゃんがレクチャーする
2432
商人﹁焦らないで。ノロさん、魔法の本当におそろしい点は、遅効
性にあります﹂
そう言って、トンちゃんは十個の蛍火を生成して見せた
商人﹁焦る必要はない。魔法は後出しできる。敵の選択肢を削いで
⋮⋮﹂
ゆっくりと回り込んでくる蛍火から
子狸は大きく距離をとる
商人﹁敵の動きをイメージする。さりげなく、静かにスペルを挿し
込む。読み終わった本を、棚に戻すように﹂
子狸が蛍火に気を取られた一瞬で
トンちゃんは圧縮弾の生成と投射を済ませていた
おそろしく静かな詠唱だ
そして淀みのないイメージ⋮⋮
巫女さんとは種類が異なれど
この男もまた異才だ
子狸では、トンちゃんの本気を引き出すことも叶わない
どれほどの実力差があるのか
一生を費やしても臨めないだろう領域にトンちゃんは住んでいた
持って生まれたものが違いすぎる
感覚的に高度な技術を伝えようとするから
2433
子狸にはちんぷんかんぷんだった
子狸﹁トンちゃんの言っていることが、さっぱりわからない⋮⋮﹂
トンちゃんは苦笑していた
商人﹁う∼ん⋮⋮私は良い教師にはなれそうにないですねぇ。はっ
はっは﹂
それでも得られるものはあるはずだ
目の前に立ちふさがる巨峰に挑み続ける子狸を
勇者さんは微笑ましく見守る
羽のひとは無言だった
妖精﹁⋮⋮⋮⋮﹂
かくして⋮⋮
子狸は、トンちゃんへの嫉妬を捨て去ることは出来なかったものの
歳の離れた弟ポジションを獲得していく⋮⋮
︱︱この日は、朝から霧雨が降っていた
水かさが増した支流群を離れた勇者一行が
湿原に足を踏み入れた頃、小雨は驟雨へ
昼ごろには、叩きつけるような雨になっていた
林の中
傘の道の下を、黒雲号と豆芝さんが駆けていく
雨に濡れることを嫌った妖精さんは
2434
勇者さんの肩の上で羽を休めていた
一行は誰ひとりとして口を開こうとしない
巨獣の雄叫びが湿った大気を枯らしていくようだ
まだ年若い枝葉たちが、おのれの未熟を恥じ入るようにふるえた
林を抜けると、躍動する巨体に息をのんだ
ロコ︱︱と小さくつぶやいたのは誰であったか
すでに戦いははじまっていた
中隊規模の騎士団が、戦歌という刃もて巨人と相対する
彼らが身にまとう白銀の武装は、王国騎士団の制式装備だ
雄叫びを上げていた鱗のひとが、不意にぴたりと押し黙った
好機とばかりに殺到してくる光槍を、巨腕のひと振りで叩き砕くと
騎士たちを無視して大きく跳躍した
着地の衝撃で地面が揺れた
黒雲号を降りたトンちゃんが、ゆっくりと歩いていく
絶望感があった
悲壮ですらあった
これまでの楽しかった時間が泥の中に沈んでいくかのようだ
鱗のひとは、あきらかにトンちゃんを敵視していた
とくべつな敵だと、その目が物語っていた
その口角が徐々に吊り上がっていく
子狸が悲鳴を上げた
2435
子狸﹁だめだっ、トンちゃん⋮⋮!﹂
遠ざかっていく背中に追い縋ろうとする子狸を
茂みから飛び出してきた特装騎士たちが取り押さえた
鍛え上げられた二対の腕が、容赦なく子狸を地面に押しつける
トンちゃんは振り返らなかった
駆け寄った特装騎士たちが、トンちゃんの肩にマントを羽織らせる
手慣れた動作で身につけていく肩当て、手甲、胸当て、胴巻き、
足甲、その全てが白銀だ
関節部の覆いをなくした特装騎士の装備だった
その名を、鱗のひとが呼んだ
待ち望んだ恋人に囁くような声だった
トカゲ﹁アトン⋮⋮﹂
抑え切れないとばかりに逸る足を
2cm
﹂
トンちゃんが指差した
商人﹁
ぬかるみに足を取られた鱗のひとが前倒しに転倒した
異能
だ
いや、そうではない⋮⋮
これは
鼻先まで迫ってきたトンちゃんを
鱗のひとが堪らないという目で睨んだ
2436
トンちゃんが応えた
商人﹁望みどおり、来てやったぞ﹂
トカゲ﹁アトンっ⋮⋮エウロ!﹂
それが王国最強と謳われる騎士の名だ
2437
あだけしの沼地︵後書き︶
登場人物紹介
・トンちゃん
王国騎士団が誇る最強の騎士さん。お名前は﹁アトン・エウロ﹂。
﹁エウロ﹂は中隊長に贈られる称号名である。﹁アトン﹂は﹁ひま
わり﹂のこと。
アリア家の推薦を受けて騎士団に入隊し、わずか十年ほどで中隊
長に昇格した人物である。
特装騎士から試験期間を経て中隊長に抜擢された異色の経歴を持
つ。
並外れた身体能力と魔法技能、そして史上まれに見る物体干渉の
異能をあわせ持っている。﹁2cm﹂と呼ばれる異能だ。
任意の物体を生物、非生物問わず﹁2cm﹂動かすことができる。
﹁2cm﹂というのは絶対のルールのようで、本人がどんなに願っ
ても変更できないようだ。
魔物たちの研究によれば、トンちゃんの﹁2cm﹂は、かなり異
能の本質に近いものであるらしい。
﹁定線﹂と呼ばれる独特の計算式が働いていて、対象の硬度や質量
を無視した働きをする。
つまり、一方の定線が他方の定線を圧倒した場合、わたぼこりが
岩石にめり込むといった現象が起きる。
ただし定線が上下する条件は非常に複雑かつ多角的なもので、実
質的にはコントロールできない。
この﹁定線﹂に関して、魔物たちはそうとわからないだけで、あ
2438
るいは異能全般に適用される法則ではないかと見ている。
物体干渉の異能自体が希少で、中でも目に見えるほどの効果を持
つものはごく珍しい。
史上最高峰の適応者と言っても良いだろう。
そんな彼について、三大国家の名だたる騎士たちは﹁痩せれば史
上最強の値はもう少し更新される。残念だ﹂とコメントしている。
︵作者より︶
バニラ様より素敵なイラストを頂きました。
﹁燃える峡谷﹂にてご覧になれます。おや、良く見ると手形のよう
なものが⋮⋮。おっと、これ以上は言えないな⋮⋮。
2439
さだめの境界
雨。雨。雨。雨
ひたいから凹凸の少ない鼻へ
鼻から頬へとしたたり落ちてくる雨水を
鱗のひとが舌ですくった
トカゲ﹁はぁッ⋮⋮﹂
恍惚と笑った
うつ伏せから
両ひじを立てる
両ひざを開いた
両手と両足で全身を低く持ち上げる
跳んだ
人間たちが直立歩行し、道具を扱えるようになったのは
ある一定以上の容量を物理的に獲得したからであり
また、二本の足で体重を支えることができる程度の小ささを維持
していたからだ
もしも彼らが、いまよりもずっと巨大であったなら
ためしに直立してみようかという気は起こらなかったであろう
これが魔物となると、少し事情が異なる
2440
魔法と物理法則とでは、まず軸が違う
軸が違うから、交わる点を変えることできる
交差点を好きなところに置けるから
本来ならば避けて通れない道のりを歩むことなく
望んだ現実を引き出すことができる
全長で十倍近い巨躯が
重力の制限を受けることなく
人のように歩き回る
歩幅を十倍とすれば
速度も十倍だ
雨に煙る
細長い手足はしなやかで
長大な尾はなまめかしい
獣のようであり
人のようであり
あいまいで、どちらともつかないものを
ひとは、魔と呼び
メノ
と名づけた
わたし︵メロ︶でも、あなた︵ヨト︶でもないもの
すなわち
おーん⋮⋮
慟哭か
それとも歓喜か
挑むように天を仰いでいた巨人が
2441
腰に両手を当てて上半身を屈めた
ぞろりと生え揃った小ぶりな牙は
獲物を絶命せしめ
肉を切り裂くためのものだ
至近まで迫った巨大なあぎとに
王国最強の騎士は身じろぎひとつしない
トカゲ﹁はじめるか?﹂
互いに退けない理由がある
どんなにきれいな花も
摘み取るのは一瞬だ
巨躯の戦士が
散りゆく時間を惜しんだ
トンちゃんは﹁いいや⋮⋮﹂とかぶりを振った
背後に控える特装騎士たちが
口々に自分たちの英雄を呼んだ
特装﹁二代目﹂
特装﹁若⋮⋮﹂
大隊長の下には最大で十人の中隊長がつく
トンちゃんは大将の大隊に属する中隊長だ
2442
二十代半ばにして出撃回数は千二百を数える
ゆくゆくは大将のあとを継ぐであろうと目され
少し気の早い公共施設から出禁を食らっている
ついたあだ名が、二代目とか若とか
どこのファミリーですかといったものだ
しかし、おれたちはトンちゃんが特装騎士として
がんばっていた時代から応援しているので、そうは呼ばない
こうだ
ドルフィン﹁はじまるんだ﹂
火口﹃ドルフィン自重﹄
かまくら﹃いまやったら勝てっから。あんときのおれらじゃねーか
ら﹄
ドルフィンというのは、イルカさんのことである
お前らが構いすぎたせいで戦士として完成してしまったトンちゃ
んは
もはや原種を以ってしても止めることができなかった
事態を重く見た涙目のお前らは
水中なら勝てる、負ける要素が見当たらないと豪語するも
それ行けファルシオン部ビーチバレー編にて完敗を喫する
重力という枷から解き放たれたトンちゃんは
そのとき、ひとすじのカジキマグロと化したのだ
2443
その優雅な泳ぎから
ついたあだ名が、王国のドルフィンである
はじめるのではなく
はじまるのだと、トンちゃんは言った
ともに戦場を選ぶ権利はなく
自由への渇望は乾きはて
泥のような戦意が残った
そして出会った
否応はない
勝つか、負けるか
両者を分かつものがあるとすれば
たったそれだけの違いでしかない
触れただけで破裂しそうな緊張が
細く研がれて
抑え込んだ高揚の密度を増していく
騎士たちは動かない
生半可な攻撃では弾かれる
殲滅魔法ですら
レベル3の魔物を倒しきるのは難しい
とくに鱗のひとはトップクラスの耐久力を持っている
つまり性質の衝突において優位を保てるということだ
2444
特装騎士に押さえ込まれた子狸が
泥にまみれてあえいだ
子狸﹁トンちゃん⋮⋮﹂
酸素を求めて空気を噛むと、砂利の感触がした
苦い味がした
子狸は動揺していた。⋮⋮エウロだって?
聞き覚えのある名前だった
なにかの大会で常に優勝をさらっていく名前だ
来年こそはと勝利を誓うのに
なにを競っているのかわからない⋮⋮
王都﹁それ違う。ネウシス﹂
おれ﹁おい。ふつうに喋るな﹂
王都﹁あ? いいんだよ。もう、そういう段階じゃねーだろ﹂
おれ﹁ルールは守るべきだ﹂
王都﹁お前、さいきん妙に突っかかってくるな⋮⋮﹂
おれ﹁のうのうと暮らしてきたお前に何がわかる﹂
王都﹁ひとのことを言えた義理か、きさまっ⋮⋮!﹂
おれ﹁このっ⋮⋮!﹂
2445
おれとお前でがっぷり四つ
ぼてっと転がったお前を、おれが組み伏せる
勢い余って、ぼてっと転がる
雨の日は体表がなめらかになる
こうなっては押しくらまんじゅうで決着をつけるより他あるまい
ぎゅうぎゅう詰めにしてくれるわッ⋮⋮!
妖精﹃じゃれ合うな! 仕事しろ!﹄
怒られた
おれ﹁⋮⋮さいきん、すぐ怒るんだよ﹂
王都﹁子狸が構ってくれないからって、おれらに当たられてもな⋮
⋮﹂
おれと王都のんは完全ステルスを装着している
勇者さんでは、おれたちに触れることも出来ないのだ
羽のひとの理解を求める所存である
身を寄せ合って密談するおれたちを、彼女は無視した
ぱっと舞い上がり
子狸の頭に乗ると、かたわらの特装騎士たちを睨みつけた
妖精﹁わたしに無断で、うちのポンポコにさわらないで﹂
腕にかかる不可視の圧力を
チェンジリングで焼き切った特装騎士たちが不敵に笑う
2446
特装﹁もっとだ。そんなぬるい言葉では、私たちには響かない﹂
特装﹁見誤ったな、妖精の子よ。さあ、どうする⋮⋮﹂
妖精﹁しね﹂
子狸﹁ふざけるな⋮⋮! お前たちには、まだ早い﹂
妖精﹁お前もしね﹂
生死の境を行き来する戦士だから
自らに忠実であろうとする騎士たちもいる
そして、その点において子狸は、彼らの遥か高みだ
それでも満足することなく
さらなる高みへと挑もうというのか
向上心にあふれる小さきポンポコ
自由を取り戻した前足を、泥に叩きつけた
子狸﹁リン、そのまま⋮⋮!﹂
羽のひとは、子狸を踏みつけにしている
冷たく見下ろした
妖精﹁救いようのない変態だな⋮⋮﹂
子狸﹁ちがうよ! ああもう、雨でよく⋮⋮﹂
雨が降ると子狸の嗅覚はにぶる
2447
子狸﹁通れよ⋮⋮! ポーラレイズ!﹂
土砂降りの中、水溶魔法を使わない理由はない
そして土属と過属を除いた属性魔法は
スペルを融合することが出来る
たかが一文字
されど一文字である
放射状に地表を走った雨水が
一斉に放電した
特装騎士たちは、さして驚いた様子もない
瞬時の判断で飛び上がり、地表すれすれに展開した力場の上に立つ
しかし、彼らは子狸の眼中にはなかった
解き放たれたポンポコが、片ひざ立ちになって
放電する前足をずぶりと泥に突き入れる
子狸﹁ブラウド、走れ!﹂
伝播魔法の別名は感染だ
同じ条件を満たしたものに
感染経路は開かれる
とつぜんの子狸の行動に
察するものがあったのだろう
勇者さんが騎士剣を鞘から抜いた
2448
むしろおれさんの刀身が
雷光を反射して怪しくきらめく
無言で進み出る勇者さんを歓迎するように
ふつふつと泥水が跳ねた
まるで、そこだけ雨水が避けているかのようだった
一人、また一人と
無色の輪郭が地表から染み出てくる
紫電にあぶり出されて
ふたたび泥水が跳ねた
ふつ ふつ
ふつ ふつ ふつ
ふつ ふつ ふつ ふつ
ふつ ふつふつ ふつふつ
ふつ ふつ ふつ ふつ ふつふつと︱︱
加速度的に増えていく
あとを追って駆け上る紫電が
雨に溶けて霧散した
人間たちが対象指定と伝播魔法を重ね合わせるのは
2449
生活の知恵と言ってもいいだろう
並行呪縛の制限に絡めとられないための工夫だ
複数の検索ワードを打ち込むようなものである
対象指定のイメージを練りこむ余裕がなかったから
ポンポコサンダーは舞台袖で待機している並行呪縛さんに
おいしく食べられてしまった
亡霊﹁⋮⋮⋮⋮﹂
鱗のひとを中心に次々と姿を現した見えるひとたちが
無言で人間たちの布陣を見渡す
役者は揃った
冷たい雨に晒された大気がふるえる
一筋の閃光が、上空の暗雲と大地を結んだ
宙を舞った燐光が、きれいな弧を描く
降り落ちた光の残骸が、地表に幾何学的な模様を刻んでいく
現出したのは、大きな扉だった
さいきん腰回りが気になってきた魔物でも安心して通れる親切設
計である
開門したゲートを目にして
騎士たちが決意を新たにした
ここからゲートは少し離れている
鱗のひとを無視して先んじることも不可能ではないだろう
2450
だが、彼らに提示された最低限の勝利条件は
希望を明日へとつなげることだ
王国最強の騎士と、光輝を掲げるもの︱︱勇者を
いかなる犠牲をはらってでも先へと進めなければならない
勇者さんが片手を掲げた
戦場にそぐわない長い髪から水滴がしたたる
一人の少女を、魔物たちが、騎士たちが注目した
てのひらに集まった光を、少女が掴みとった
その手に握ったのは退魔の宝剣
薄闇を切り裂き、あまたの希望を紡いできた勇者のしるしだ
勇者さんが鬨の声を叫んだ
勇者﹁勝利を!﹂
騎士﹁︱︱勝利を!﹂
一斉に応じた騎士たちが騎馬を駆る
その数、およそ百
対する魔物の軍勢は、二百は下るまい
降りしきる雨の中
長い道のりになるだろう
魔都への行軍が、ついにはじまる
先駆けした子狸が
勇者さんを追い抜いて鱗のひとに迫る
2451
子狸﹁トンちゃん! トンちゃん!﹂
すでに戦いははじまっている
怒号にのまれて、その声は届かない
実働部隊は鱗のひとを挟んで反対側にいる
トンちゃんと鱗のひとは、ほとんど一対一の状況だ
それは無謀を通り越して自殺行為ですらあった
妖精﹁あっ、こら!﹂
振り落とされた羽のひとが、慌てて勇者さんの肩にしがみついた
身体の小さな彼女の飛行能力は、天候に大きく左右される
雨の中では、ろくに飛べない
勇者﹁わたしにつかまっていなさい﹂
羽のひとにひと声かけてから、勇者さんもあとを追う
向かう視線の先では、大量の泥に子狸がのまれていた
子狸﹁わ∼!﹂
泥狸と化したポンポコが、とつぜんの出来事に右往左往している
気付くと、目の前に鱗のひとが立っていた
大きいという、たったそれだけのことで魔物は環境を味方に出来る
子狸﹁!﹂
地を舐めるような尾のひと振りを
2452
とっさに飛び上がって回避したのは、さすがといったところか
しかしレベル3が飛び交う戦場に
子狸の居場所はなかった
空中で無防備になった子狸を
鱗のひとが片手で軽くはらった
子狸﹁ぎゃっ﹂
吹っ飛んだ子狸が、泥の軌跡を描いた
泥から泥へ
ポンポコローリングした子狸さん
木の幹に身体を打ちつけて、そのまま動かなくなる
強すぎる
速すぎる
妖精﹁ノロくん!﹂
勇者﹁⋮⋮!﹂
羽のひとが悲鳴を上げた
立ちすくむ勇者さんに
鱗のひとが背を向ける
巨漢が宙を舞っていた
力場を踏んで飛び上がったトンちゃんが
至近距離から鱗のひとと睨み合う
ドルフィン﹁ゴル﹂
2453
壮絶なるイルカショーの幕開けであった⋮⋮
この記事は﹁山腹在住のとるにたらない不定形生物さん﹂が書き
ました
参考になればいいよね
一三0、海底都市在住のごく平凡な人魚さん
イルカというか⋮⋮
うん
一三一、海底洞窟在住のとるにたらない不定形生物さん
アシカというか⋮⋮
うん
一三二、王都在住のとるにたらない不定形生物さん︵出張中
トドだな
一三三、海底洞窟在住の現実を生きる不定形生物さん
猛る、ぽっちゃり系⋮⋮!
2454
2455
絶望の使者
連結魔法は、個々人の才能に左右されにくい
つまり総人口に対する魔法使いの比率が高いということだ
技術は発展する
技術は飛躍する
研鑽の果てに何があるのか
過去の先人たちが夢見た光景がここにあった
千年︱︱
気の遠くなるような歳月が
膨大な量に及ぶ術理を育み
削り出された理想像は いつしか⋮⋮
ひとりの怪物を産み落とした
階段状の力場を駆け上がったトンちゃんが跳んだ
巨漢が宙を舞う
熟練した魔法使いは、しばしば子狸がそうしてきたように
自在に宙を駆ける
詠唱は、ほとんど足かせにならない
そこに足場がある前提で踏み出し
先行したイメージに
かちりと詠唱を当てはめるのだ
2456
少しでもタイミングが狂えば、踏み外して落下するだろう
あまりにも危険であるため、学校では禁止されている技術だ
交錯した視線をねじりきるように
大きく手足を振ったトンちゃんが空中で回転する
両腕をひろげたのは、座標起点へのささやかな抵抗だった
ドルフィン﹁ゴル﹂
ささやくような詠唱は、喚声と雨にのまれる
しかし魔物の聴力は人間の比ではない
鍛え抜かれた背筋が収縮し
仰け反った巨獣の腕がしなる
蛍火が舞い
凶兆をはらんだ鉤爪が跳ね上がるよりも早く
トンちゃんは横手の力場を蹴って真横に跳んだ
両者の戦いを、何者かが林の中から見つめていた
感嘆の声を上げたのは、両腕を組んで木にもたれかかっている人
物だ
??﹁速いな﹂
??﹁ああ。だが、おれたちほどじゃない﹂
??﹁ふっ⋮⋮﹂
三人組だ
全身を黒衣で覆っているため
2457
その正体はようとして知れない
いったい彼らは何者なのか⋮⋮?
トカゲ﹃お前らというやつは⋮⋮﹄
内心で呆れつつも
トカゲさんはにたりと笑った
トンちゃんを追う目は確信に満ちている
トカゲ﹁やはりな﹂
旅シリーズも後半戦に突入すると
一部の魔物は本気でボケに回りはじめる
リアクションしたら負けだ
苦しい戦いになる
それでも鱗のひとは
真面目くさった顔で言った
トカゲ﹁連発はない﹂
外部に働きかけるタイプの異能は
まず間違いなく何かしらの欠点がある
トンちゃんの場合は連射性と射程距離だ
まず連射性
複数の対象を一斉に操らないと有効打が望めないため
多大なる集中力を要するらしい
2458
つまり疲れる
そして射程距離
こちらは対象の大きさによって変動するようだが
だいたい近距離∼中距離の間で推移する
トンちゃんの異能を知るものは
ひろい視野を与えてしまうことを避けるため
実質的には、ほぼ近距離戦をしいられることになる
また、非運動の物体に重ね掛けは出来ないという欠点もある
絶対的なルールのようなものが先にあるから
そのルールに干渉しようとすれば
2cm
というのがそうだ
異能が言うことを聞かなくなる
トンちゃんの場合は
2cmのみ動くというルールが絶対の決まりごとだから
非運動の物体に連続して働きかけることはできない
4cmにはならない、ということである
無敵を誇る異能も、そうと知れれば対策を打てる
重心を落とした鱗のひとが、巨躯をひねる
首筋を噛み切ろうとする光の牙を掻い潜りながら
︱︱勇者さんの援護射撃をものともしていない︱︱
跳ね上がった尾でトンちゃんを叩き落そうとする
ドルフィン﹁パル﹂
雨の中を泳いでいるかのようだ
2459
王国のドルフィンが四人に分裂した
目の前で分身したのだ、本体は見え透いている
そこに鱗のひとは罠を察知した
鞭のようにしなった尾が、三人の分身を打ち砕く
これを、本体は空中で倒立し
上下反転した視界の中、両腕で跳躍して回避した
刹那、分身に気を取られた鱗のひとの意識から
蛍火の存在が消える
その瞬間を狙い澄まして、トンちゃんが拡張魔法を連結した
だが、鱗のひとの反応速度が勝った
一挙に膨張した火球から、素早く屈んで難を逃れる
片手を後方に突き出して、拒絶を叫んだ
トカゲ﹁ディレイ!﹂
魔物の盾魔法を、物理的に破壊することは不可能だ
その不可能を可能にするのが勇者の聖剣である
再度の援護射撃
光刃が魔物じるしの防性障壁を打ち砕いたとき
巨人は遥か上空だ
破裂した火球が雨を急激に熱し、大量の水蒸気を生み出していた
この水蒸気を、トンちゃんは減速魔法で凍結して
鱗のひとを拘束するつもりだったらしい
当てが外れたことを、王国最強の騎士はおくびにも出さない
飛び上がった鱗のひとを指差して
2460
︱︱史上最高峰の異能すら
トンちゃんにとっては布石のひとつだ
空中で身構えた鱗のひとに
一歩、スペルで先んじる
ドルフィン﹁パル・タク・ロッド・ブラウド⋮⋮﹂
舌打ちしたい気持ちをこらえて、鱗のひとがすかさずあとを追えば
トカゲ﹁アルダ・バリエ・ラルド・アバドン⋮⋮﹂
両雄、競うように片腕を突き出した
ドルフィン&トカゲ﹁グノ!﹂
上空で光の剣と闇の沼が衝突した頃
眠る子狸に、忍び寄る影が二つ⋮⋮
亡霊﹁⋮⋮⋮⋮﹂
亡霊﹁⋮⋮︵こくり︶﹂
林を迂回した亡霊さんたちが
互いに顔を見合わせて頷いた
無言でサインを交わすと
腰を屈めた低い姿勢で駆け寄る
何をするのかと思えば
2461
ふと気になったようで前足を確認
うむ、と頷いた
王都﹁ねーよ﹂
王都のんに触手で頬をぶたれる
王都﹁あと、おれに無断でさわるな。実印は?﹂
巣穴に潜った子狸さんにさわるときは
王都のんの許可がいる
差し出されたスタンプカードに
見えるひとたちは順々に判子を押した
王都﹁⋮⋮よし。いいだろう﹂
許しを得て
さっそく二人は子狸の梱包を開始する
魔都まで、クール便で二日ないし三日といったところか
牛のひとが黙って通してくれるとは思えない
あのひとは、子狸を手元に置きたがる癖がある
いそいそと子狸を縛り上げていると
不意に羽のひとと目が合った
亡霊﹁⋮⋮⋮⋮﹂
妖精﹁⋮⋮⋮⋮﹂
2462
勇者さんは、別働隊の亡霊さんたちに囲まれていた
彼女の援護をしながら、妖精さんが小さな人差し指をこちらに向
ける
その指先に、光の羽が咲く
妖精﹁蜂の巣になっちゃえ﹂
おれガトリングだ
秒間40連発もの光弾を吐き出す可憐な妖精魔法に
たまらず見えるひとたちが悲鳴を上げた
亡霊﹁はわわっ⋮⋮!﹂
逃げまどう彼らを、羽のひとの指先が執拗に追いかける
妖精﹁リシアさん!﹂
火力不足を補うための連射性能だ
マジカル☆と比べ、精度は著しく落ちる
着弾の合間を縫って子狸に近寄ろうとする見えるひとたちに
羽のひとが救援を要請した
勇者﹁待って。いま⋮⋮﹂
上体を揺さぶりながら迫る亡霊たちは
とらえどごろがなく
勇者さんの剣術とは相性が悪い
魔都に近づくたびに
2463
魔物たちは真の実力を解放するかのようだった
しかしトンちゃんの部下たちも、また精鋭だ
同僚と連携し、着実に亡霊を駆逐していく
とはいえ、決め手に欠けているのが現状だった
実働部隊と分断されてしまったのが悔やまれる
予定通りに推移している⋮⋮とトンちゃんは思っているだろう
子狸の危惧は正しい
いくら王国最強の騎士といえど
あるいは史上最強だったとしても
一対一で鱗のひとに勝てる人間はいない
だが、時間稼ぎにはなる
そして︱︱
それは、魔物たちも同じことだったのだ
ひよこ﹁ふう、ふう⋮⋮﹂
このトリを、おれたちは何とかせねばならない
亡霊﹁⋮⋮お前、行けよ﹂
亡霊﹁嫌だよ。お前が行けよ⋮⋮﹂
2464
見えるひとたちのリベンジマッチがはじまる⋮⋮!
2465
真実の対価
中隊長を欠いた中隊は、たんなる小隊の集まりだ
小隊長が自分の部下を大事にしたいと思うのは当然で
部隊をいちばんうまく扱えるのは自分だという自負がある
そうでなくては小隊長の資格はないとも言える
小隊長に、同じ小隊長を従わせる権限はない
せいぜい先任の小隊長と相談して戦法の調整をする程度だろう
小隊同士の連携には難がある
この問題を、騎士団は解決できていない
小隊長の裁量権に手出ししようとするなら
騎士団の指揮系統は抜本的な見直しを求められるだろう
改革には痛みがともなう
だから小隊長に命令を下せる中隊長がいるとき︱︱
小隊の群れは、敵の喉笛を噛み砕くための機構へと劇的に生まれ
変わる
機動力を騎馬に託した完全装備の騎士たちが
光の鞭を振るい戦場を蹂躙していく
戦歌が轟き、憎悪が渦巻く
つんざく雨音が千切れ飛び、うねるようだ
2466
圧縮された空気を元に算出された運動量を固定し
対象の三番回路に数値を入力
退魔性などの抵抗を通して成否判定を行う
︱︱これが圧縮弾と呼ばれる魔法だ
飽和した圧縮弾が、亡霊たちを押しつぶしていく
反撃は、障壁に遮られて届かない
一度、放たれた激情は止まらない
目に映るもの全てが敵だ
不用意に戦場に迷い込んだ魔物の幼な子を、圧縮弾が打った
一瞬よぎった後悔を、騎士は強靭な精神力で抑え込んだ
魔物は成長すれば人を襲う
偽善だ、と吐き捨てる
人間よりも背丈の低い種族の魔物だったから
輪をかけて小さな子供が、幼児に見えて仕方なかった
勝ち続ければ、いずれは直面する問題だ
芽を摘まなければ、魔物はどんどん増える
ヒーローみたいになりたくて騎士を志したのに
夢は叶った筈なのに
への反発だった
心のどこかで何かが違うと悲鳴を上げていた
おとな
︱︱とどめを刺さなかったのは
子供の頃に色濃く根付いた
誰かが救ってくれればいいのにと願った
小さな魔物が、ふらふらと林のほうに向かう
2467
傷ついた身体は、ちっとも思い通りに動いてくれない
痛みに身を委ねてしまえば楽になれる
怖いよ︱︱涙があふれて止まらなかった
ついに力尽きて倒れ伏した幼な子に
前足が触れた
つながれた手を通して、前足から青白い霊気が伝う
光の粒子に変換されつつあった半身が肉体を取り戻した
安らかな寝息を立てる鬼のひと︵幼︶に
安堵のため息を吐いた子狸が
全身の痛みに表情をゆがめた
木にもたれかかって立ち上がる
たったそれだけの動作が苦痛だった
布団の中でゆっくりと眠れたら、どんなに幸せだろう
その誘惑を振りきって、ふらつく後ろ足を叱咤した
ひと息ついて空を見上げると、暗澹とした雲がひろがっていた
いや、あれは闇の魔法だ
開放レベル3。おそらく上位性質の⋮⋮
闇に呑まれた光が無残にも砕け散った
トンちゃん⋮⋮
不意に巫女さんの言っていたことを思い出した
なんのために戦うのか
人間のため? 魔物のため?
⋮⋮わからない
2468
それでも︱︱この気持ちに嘘はないと思った
喉が張り裂けても構わない
スペル
力を貸してくれ⋮⋮届いてくれ⋮⋮
その一心で、喚声を叫んだ
︱︱声が聞こえた
亡霊と切り結んでいた勇者さんは目を見張った
天を衝くほどの巨大な霊気の柱が
青色の透き通った粒子を惜しみなく撒き散らしている
それは、この世でもっとも新しい魔法だった
二番回路が生み出した忌み子が選ぶのは
やはりバウマフ家の人間だ
システムエラーを起こした二番回路が
一方的に三番回路に干渉している
力が湧いてくる気がした
魔物を焼く筈のともしびが
まったくの無害であることに驚きを隠せない
立ち尽くしている見えるひとに、勇者さんが突進する
彼女は、あまり聖剣に頼ろうとしない
歴代勇者が光輝剣で魔王と相対したのは間違いだったと思ってい
るからだ
魔王を刺し貫くのは、ひとの手で鍛え上げられた鉄であるべきだ
2469
という確信がある
ぬかるんだ足場には、もう慣れた
滑るように距離を詰める
自然界にあふれる青い光が網膜に沁み入るかのようだ
呼応するように霊気をまとった外法騎士たちが
死角となる背後を、左右を固めてくれた
全身を投げ出すように繰り出した刺突は届かなかった
直前で接近に気付いた見えるひとが後退したのだ
ならば、と踏み出した足を支点にくるりと回る
懐から取り出したのは万国旗だ
妖精﹁え∼⋮⋮?﹂
この日のために子狸から徴収しておいたのだが
羽のひとの理解は得られなかった
しかし見えるひとは目を疑う
亡霊﹁!?﹂
勇者さんの手から、忽然と騎士剣が消失していた
彼女の剣術は、見えるひととは相性が悪い
だから相性が良い剣術に切り替える
そういうことが、アリア家の人間には出来る
2470
箱姫みたいに、袖に剣を仕込むのは無理だろうが
自分の身体で剣を隠すことは出来る
勇者さんが旋回する
妖剣が閃いた
爆発的な退魔力を叩きこまれた亡霊が
鱗光を放ちながら、自分を打ち倒した勇者を見る
亡霊﹁すまない。ありがとう⋮⋮行くよ﹂
戦いから解放されたことを喜んでいた
ステルス陣からブーイングが飛ぶ
亡霊﹁おい! いまのは避けられただろ!﹂
亡霊﹁自分だけさっさと退場しやがって⋮⋮﹂
ひよこ﹁ふう、ふう⋮⋮!﹂
王都のん謹製の猫耳を
勇者さんは毎朝、山腹のんにセットされている
お揃いの猫耳が、雨水を嫌ってぴくぴくと跳ねていた
ひよこ﹁あァアァァァァッ!﹂
魔獣が咆哮を上げた
2471
やりたい放題だッ⋮⋮
冷気をまとった巨鳥が歩むたびに
凍結した泥が踏み砕かれる
見えるひとが舌打ちした
亡霊﹁ちぃっ⋮⋮! やるしかない。下がれ!﹂
亡霊﹁くそっ⋮⋮もって五分! 全力稼働で二分だ﹂
とうに結論は出ていた
レベル2がレベル4に対抗するためには
同じレベル4になるしかない
地を蹴って跳躍した亡霊さんが
空中で身体を屈めて魔ひよこを指差した
レボリューション
亡霊﹁おれ革命!﹂
背後の空間が裂けた
飛び出してきたのは、光沢のある青みがかったプレートメイルだ
空中で分解したパーツが
召喚者を基点に組み上がっていく
瞬時の出来事だ
操縦席に滑りこんだ見えるひとが
ところ狭しと並んだ操作盤を繊細なタッチでなぞる
空中に佇んだブルーメタルの騎士が
2472
重たげにまびさしを持ち上げた
不屈の闘志が両目に宿る
尖角がにぶく光った
魔物界の巨匠が世に送り出した第四世代の鎧シリーズ⋮⋮!
高機動型と言えば聞こえは良いが
操作性と装甲を犠牲にした怪作である
エルメノゥマリアン
実質的に見えるひと専用機とも言える、この四号機を
ひとは魔軍元帥と呼んだっ⋮⋮!
⋮⋮まあ、それは置いておくとして
無事に見えるひとを撃破した勇者さん
勝利の余韻にひたっているひまはない
外法﹁ポンポコ卿!﹂
勇者﹁⋮⋮卿?﹂
一般的に、卿と呼ばれるのは貴族の当主だけである
凄まじいまでの霊気を放っているポンポコ卿を
見えるひとたちは指をくわえて眺めることしか出来ない
勇者さんの肩の上で、羽のひとがうめいた
妖精﹁なんなんだよ、この魔法⋮⋮﹂
のこのこと歩み寄ってきた子狸が
2473
真剣な眼差しで勇者さんを見つめる
子狸﹁お嬢﹂
勇者﹁なに﹂
子狸﹁おれを信じてくれ。目をつぶってほしい﹂
妖精﹁おまわりさん、コイツです﹂
でも、まわりの騎士たちは外道しかいなかった
勇者﹁これでいい?﹂
勇者さんは素直だ
子狸﹁そう。そのままじっとしててね﹂
羽のひとはフックの角度を調整している
てっきり不埒な行いに及ぶと思われたが
意外にも子狸は勇者さんから視線を逸らした
子狸﹁くろくも!﹂
名前を呼ばれて、林に避難していた黒雲号が歩み寄ってくる
豆芝さんもついてきた
身体をすり寄せてくる黒雲号を、子狸は前足で撫でる
2474
子狸﹁大きくなったね⋮⋮﹂
はっとした黒雲号が顔を上げた
⋮⋮まだ赤ちゃんだった頃、黒雲号は子狸と出会っている
このお馬さんは、二年前の王都で産声を上げたのだ
相反する属性魔法のスペルは融合できる
結界術師のためにデザインされた魔法だからだ
子狸が瞑目して前足を合掌する
前後左右を固めた外法騎士たちが緊張した
子狸﹁パァルダ﹂
光と闇が前足に宿った
子狸﹁レゴル﹂
雪の結晶と火の粉が踊る
子狸﹁ポーラレイズ﹂
雨水が紫電を帯びて舞う
子狸﹁ドミニオン!﹂
目を見開いた子狸が、前足をひろげた
六つの属性で結界を作るのは困難を極める
巫女さんならば、あるいは⋮⋮といったところだろう
2475
だから人間たちは、結界のノウハウを持たない
外法騎士たちが感嘆の声を上げた
眼前にそびえる大きなお城は
つい先ほどまでなかったものだ
その外観はお城と言うよりも
塔と言ったほうがしっくり来るだろう
火口﹁ポンポコキャッスルは不滅です⋮⋮﹂
おれ﹁不滅です⋮⋮﹂
子狸﹁不滅です⋮⋮﹂
勇者さんを抱きかかえた子狸が
黒雲号にまたがる
勇者さんの退魔性は強すぎる
彼女が見ている前で結界は成立しない
途中で目を開ければ崩れるだろう
どこからどこまでが現実で
どこからどこまでが虚構なのか
わかりきっている状況で魔法の横行を許すほど
剣士の退魔性は甘くない
羽のひとは子狸の肩にとまった
2476
妖精﹁だいじょうぶなのか、これ⋮⋮﹂
子狸が黒雲号の手綱を握った
子狸﹁行け!﹂
駆け出した黒雲号に、豆芝さんもついてくる
子狸﹁ん? 一緒に来る?﹂
馬上の子狸が首をひねって問いかける
すると豆芝さんは嬉しそうに瞬きした
子狸も嬉しそうに笑った
子狸﹁よし、行こう!﹂
勇者一行は塔に突入する
内部は、なだからな斜面になっていて
ぐるぐると回りながら最上階を目指す構造になっている
目をつぶっている勇者さんが
ふと口を開いた
雨水を吸って頬に張りついた髪を
指先で払いながら
勇者﹁あなたは、いつも一生懸命ね﹂
懐かしむような口調に
子狸の返事も穏やかなものになる
2477
子狸﹁怠けてると、突っつかれるんだよ﹂
勇者﹁誰に? パンの精霊に?﹂
子狸﹁え?﹂
妖精﹁え?﹂
子狸﹁ああ、うん⋮⋮。パンの精霊ね⋮⋮﹂
勇者さんの声は、かすかに弾んでいた
勇者﹁あなたは、精霊の味方なの?﹂
子狸﹁放っておけないんだよ﹂
ずいぶんと見下してくれるじゃねーか⋮⋮
子狸﹁あいつら、なんでもかんでも難しく考えるから。おれが代わ
りなんだ﹂
妖精﹁ろくでなしですね﹂
そう他人事のように言うが
おれたちは、お前のことを仲間外れにはしないぞ
お前は、もっと安心していいんだ
勇者﹁代わりというのは?﹂
2478
子狸﹁むずかしく言うと、代理かな﹂
妖精﹁判定基準が⋮⋮﹂
子狸﹁おれは管理人なんだ﹂
パンの精霊という共通認識を得たことで
もう子狸さんを止めるものは何もなかった
子狸﹁あいつらがしたくても出来ないことを、おれがするんだ﹂
勇者﹁だから代わりなの?﹂
子狸﹁いいやつらなんだよ。お嬢とも、きっと仲良くなれる﹂
ずっと言いたいことだったから
次から次へと言葉があふれて止まらなかった
子狸﹁争う理由なんてないんだ。どうして戦うんだろう?﹂
勇者﹁理由なんて探せば幾らでもあるわ。あなたが知らないだけよ﹂
妖精﹁目の前のことしか見えてないからなぁ⋮⋮﹂
散々な言われようである
しかし子狸は認めなかった
子狸﹁いや、ないんだよ。本当は、ないんだ﹂
勇者﹁⋮⋮どうして?﹂
2479
子狸﹁どうして?﹂
妖精﹁情報源を出せよ﹂
羽のひとに通訳されても
子狸はぴんと来ない様子である
子狸﹁⋮⋮おれ?﹂
妖精﹁そういうのを妄言と言うんだ﹂
子狸﹁妄想くらいするさ﹂
堂々の妄想宣言である
子狸﹁⋮⋮例えば、ここに肉屋さんと魚屋さんがいたとしよう﹂
だいじょうぶか?
その組み合わせは破滅の予感しかしないんだが⋮⋮
子狸﹁二人はライバルだ﹂
さらにハードルを上げてきた
子狸﹁今日の晩ごはんはどうしようか。おれは悩む﹂
それどころか、すでに対立構造が完成していた
子狸﹁ところがおれは、そう一筋縄じゃいかない。アピールタイム
2480
スタートだ﹂
勇者﹁おちついて。もう争いがはじまっているわ﹂
冷静沈着な勇者さんをして
子狸の論法は黙って聞いていられないほどひどい
子狸﹁お嬢、いま⋮⋮争いを止めたね?﹂
そして、この得意顔である
おれたちの子狸さんは根本的な勘違いをしていた
争いが嫌なのではない
お前が心配なのだ
子狸は不気味な含み笑いを漏らしている
子狸﹁はじまったな。ついに勇者一行がはじまった⋮⋮﹂
妖精﹁⋮⋮ノロくん、この先に何かあるんですか?﹂
見ていられなくて、羽のひとが助け舟を寄越した
子狸﹁未来かな﹂
妖精﹁口当たりの良いこと言ってないで、ちゃんと答えて下さい﹂
子狸﹁⋮⋮聖剣は、レベル4にだって通用する﹂
勇者﹁都市級のこと?﹂
2481
子狸﹁むしろ都市級というのがわからない﹂
じつは、わかっていなかった
勇者﹁⋮⋮ごめんなさい。続けて?﹂
子狸﹁おう。鱗のひとはレベル3だ。お嬢なら勝てる﹂
勇者﹁⋮⋮どうして、わたしに協力してくれるの? あなたは⋮⋮﹂
ずっと疑問に思っていたことだ
子狸は、魔物に対して容赦がない
かと思えば、庇ったりもする
まるで一貫していないのである
核心を突く問いに
子狸は悲しげに微笑んだ
儚げで、消え入りそうな笑みだった
子狸﹁お嬢、おれは⋮⋮おれはね⋮⋮﹂
ここまで来たら、もう隠すことはなかった
子狸は言った
子狸﹁︱︱ごはん派なんだ﹂
2482
衝撃的な発言だった
この記事は﹁かまくら在住のとるにたらない不定形生物さん﹂が
書きました
参考になぁ∼れ
一三四、海底洞窟在住の現実を生きる不定形生物さん
激震、こきゅーとす⋮⋮!
一三五、湖畔在住の今をときめくしかばねさん︵出張中
う、嘘だろ⋮⋮?
一三六、かまくら在住の現実を生きる不定形生物さん︵出張中
工場長! 気をしっかり持って!
一三七、火口付近在住の現実を生きる不定形生物さん︵出張中
⋮⋮おれは薄々と勘付いてたけど
旅立ってから、ぜんぜんパンを食べてないし
年がら年中パンを見てたら、もう食べ物という認識は持てないだろ
2483
一三八、砂漠在住の特筆すべき点もない大蛇さん︵出張中
たしかに衝撃的な発言だけど
お屋形さまは、あんまり気にしてないみたい
一三九、湖畔在住の今をときめくしかばねさん︵出張中
気にしろよ!
お前からパンをとったら何が残るんだよ!?
一四0、かつて管理人だったもの
家族が残る
あと、お前ら
一四一、管理人なのじゃ
家族が残る
あと、お前ら
一四二、かつて管理人だったもの
お父さん、そういうのやめて下さい
本気でカンベンしてほしい
第一、もう管理人ではありませんし⋮⋮
2484
一四三、管理人なのじゃ
あ? おれは生涯現役なんだよ
一四四、湖畔在住の今をときめくしかばねさん︵出張中
夢の共演はいいんだよ!
事は重大だ⋮⋮
緊急会議を要請する!
お前ら、集合!
一四五、かまくら在住の現実を生きる不定形生物さん︵出張中
工場長、パンが足りません!
一四六、火口付近在住の現実を生きる不定形生物さん︵出張中
工場長∼!
2485
第二の必殺剣
強い︱︱
トンちゃんの表情が苦しげにゆがんだ
いったいどれだけの魔法を打ち込んだのか
少なからぬ手傷を負わせた筈だが
敵は一向に堪えた様子がない
膂力は言うに及ばず、耐久力の桁が違いすぎる
︱︱これが獣人種
ゲートを守る門番の一人か
自惚れがなかったとは言わない
しかし、この強大な獣人ですら魔王軍の中堅に過ぎない
魔王軍の最大戦力は、都市級と呼ばれる魔獣たちだ
勝てると思わないで、どうして先へ進めよう
殲滅魔法の連発は人間にとって大きな負担になる
すでに疲労はピークを迎え
自分が自分でなくなるような
めまいをともなう遠近感の喪失は
もはや無視できないレベルに達していた
五秒でいい。長い手足を駆使して迫ってくる巨体から目を逸らして
眼下の光景に視線を移したいという欲求が増してくる
長年、無理を通してきたから、よく知っている
これは気絶の前兆だ
2486
意識が悲鳴を上げている
︱︱まだだ
部下を思った
喚声を吐き出した
民を思った
力場を蹴る
最後に頼りになるのは
この身に刻まれた上官の罵声だ
こんなところで意識を手放してみろ
あとで何を言われるか、わかったものではない⋮⋮
次は?
次はどうする
自分は、まだ戦える
次は︱︱
*
人形のような子だな、と思った。
書物の項をめくる手つきが、あらゆる感情を除外したものだった
からだ。
逸ることもなく、淡々と、手元に落とした視線で文字をなぞって
いる。
2487
書かれている内容に興味があるとは、とても思えなかった。
こちらの呼びかけに振り返りはしたものの、椅子に腰掛けたまま
読書を続行している。
真ん中より下の妹たちと同じ年頃の︱︱つまり一回り近くは年下
の少女である。
彼女が、自分たちの新しいあるじだった。
呼び出しを受けたのは自分のほうだった。
妹たちはまだ幼いから、その選択は納得できる。しかし⋮⋮。
無礼のないよう細心の注意をはらったつもりであったが、何か思
いもよらない不備があったのかもしれない。
その不安は杞憂に終わる。
たしかに呼び出しはしたものの、予想よりも大幅に早く自分が到
着したために待機時間が発生したらしい。
彼女は魔法使いではないので、ときとして常人の感覚を見誤るこ
とがあった。
用件は簡単だった。
名前がないのは不便だから、と彼女は言った。
アトン、というのが自分の名前であるらしい。
この国の言葉で﹁ひまわり﹂を指し示す単語だ。
ずいぶんと可愛らしい名前だな、と思った。
彼女が読んでいたのは花の図鑑だった。
挿絵を指差して一つ一つ音読していくので、もしやこれは国語の
授業なのだろうかと、めまいを覚えた。
薔薇、百合、紫陽花、夕顔⋮⋮そして最後にたんぽぽ。
妹たちの名前を順に読み上げているのだと気付いたのは、部屋を
出てからのことだったと思う。
2488
反応らしい反応を示さない自分に、小さなあるじが呼びかけた。
﹁⋮⋮アトン?﹂
*
どるふぃん﹁う! お! お! お! お!﹂
まなじりが裂けるのでないかというほど目を見開き
血を吐くような絶叫を上げたトンちゃんが
片腕を突き出した
一瞬、意識が飛んだか?
足場にしていた力場は消失している
自由落下に身をゆだねたことで
が、たぎるかのようだ
奇しくも鱗のひとの一撃を回避する結果につながった
叩きつけた視線は苛烈だ
!﹂
峻烈な闘志が巨獣を射る
どるふぃん﹁
何か
2cm
生命の根源に根ざす
とっさに両腕を折り畳んでガードを固めた鱗のひとが
2489
空中に縫い付けられたのは、ほんのわずかな間だった
その強靭な鱗にひびが入る
︱︱全身の表皮に食い込んだのは雨だった
同じことをもう一度やれと言われても無理だろう
2cmという異能で、対象を何かにぶつけるのは分の悪い賭けだ
絶対の決まりごとを遂行できないとき、異能は制御不能に陥る 史上まれに見るほど強力な異能だから
トンちゃんの2cmは極めて暴走しやすい構造になっている
最悪、お前らが土下座して許しを請う展開もありえた
鱗のひとの剛運には頭が下がる
庭園﹁⋮⋮⋮⋮﹂
え∼⋮⋮?
凄く見られてる⋮⋮どういうことなの
かまくら﹁庭園のん! めっ!﹂
庭園﹁しかし﹂
かまくら﹁いいから。ほら、これ﹂
庭園﹁おふっ。頭がきーんとする﹂
ぐらりと巨体が傾いた
2490
ひざが折れる
よろめき、力場を踏み外した鱗のひとが
尾をひいて真っ逆さまに落ちていく
一矢を報いたトンちゃんに、すでに意識はなかった
王国最強の騎士と門の守護獣が
地表へと吸い寄せられるように
落ちていく⋮⋮
外法﹁ッ⋮⋮若!﹂
力場を蹴って飛び上がった外法騎士が
戦い尽くした中隊長を空中で受け止めた
両腕が千切れるかと思うほどの負荷を
凝縮した霊気が軽減してくれた
すぐさま振り返ると、地上部隊に向けて叫んだ
外法﹁どけ! 落ちてくるぞ! 走れ!﹂
敵味方を判別しているひまはなかった
すでに駆け出していた外法騎士たちが、逃げ遅れたものを霊気で
なぎはらう
最後のひとりが落下地点から飛び退いたのは、本当にぎりぎりの
タイミングだった
全長十メートルを優に上回る巨人である
さすがに受け止める勇気があるものはいなかった
2491
落下の衝撃で地面が揺れた
とっさに盾魔法のスペルを唱えたのが半数
残り半数は、泥の高波にのまれた
とつじょとして沖合いに放り込まれたようなありさまだった
荒れ狂う泥の海だ
完全に中断した戦闘の合間に
雨で泥をぬぐった実働騎士がつぶやいた
実働﹁やった⋮⋮のか?﹂
実働﹁いや⋮⋮まだだ! 撃て!﹂
落下の衝撃で目を覚ましたらしい
ぬうっと起き上がった鱗のひとが
ふと目に止めたのは、大きな塔だった
平坦な湿地帯で暮らし
巨大な魔獣と肩を並べる鱗のひとにとって
なにかを見上げるのは久しぶりの経験だった
トンちゃんが気を失ったことで
至るところに突き刺さっていた光剣は砕け散ったものの
剛健を誇った鱗は、いまや見る影もない
千載一遇の好機を、騎士たちは見逃さなかった
無数の光槍が鱗のひとに迫る
だが⋮⋮
2492
何度でも言おう
一対一でレベル3に勝る人間はいない
本人ベースの変化魔法は、開放レベル3だ
光槍を避けて、大きく跳躍した鱗のひとの傷口が泡立つ
復元した筋繊維が躍動した
まずは、小手調べとばかりに尾を叩きつけた
塔が揺らいだ
思ったよりは頑丈だ
土魔法で作り上げた建造物は
遺失技術に迫る成果を叩き出すことがある
おれたちの魂を吹き込まれた砂上の楼閣を
現場にいた子狸だから結界で再現することが出来た
もう一撃
今度は巨腕のひと振りだ
凶悪な鉤爪が、壁面をごそりと削ぎ落とした
大きく傾いだ塔を、鱗のひとが値踏みする
あと、ひと押しといったところか⋮⋮
舌打ちして再度の跳躍
騎馬を降りた実働騎士たちが
一斉に傘の道を駆け上がる
先んじて放たれた光槍を、ひらりとかわした巨人が
2493
群れなす騎士たちの布陣のど真ん中に降り立った
視界の端に、外法騎士に背負われたままのトンちゃんをとらえる
にたりと笑った
トカゲ﹁行け﹂
泥が沸騰するかのようだ
わき出した亡霊たちが、鬨の声を上げた︱︱
王国最強の騎士を下した鱗のひとが猛威を振るっている頃
勇者一行は傾いた塔の内部をひた走っていた
子狸が編み上げた力場の上を
黒雲号と豆芝さんが競うように駆けていく
念動力で進路の微調整をしている羽のひとが悲鳴を上げた
妖精﹁まだなの!? 同じのがもう一発でも来たら、へし折れちゃ
う!﹂
子狸﹁おれは管理人なんだ﹂
妖精﹁それ、さっき聞いたから!﹂
子狸﹁ぎょっとしたなぁ⋮⋮逆に﹂
妖精﹁会話! お願いだから会話して!﹂
豆芝さんにとって黒雲号は先輩にあたる
じゃれるように馬体を寄せると
2494
大きな荷物を二つほど背負った黒雲号が負けじと鼻先で切り込ん
でくる
アリア家で育てられた黒雲号は、騎馬としての訓練も積んでいる
年季が違うと言わんばかりだ
勇者さんが目をつぶっているのは幸いだった
ポンポコキャッスルの壁面には、おれたちの活躍が刻まれている
千年の歴史を削り出した無数の彫刻だ
こだわりの浮き彫りが、おれたちの激動の日々を物語っている
バーニングされているのが、あきらかに人間だったから
万が一のことを思うと、背徳感に心が躍った
この延々と続く坂道は、何なのかと言えば
おれたちの助走経路である
人型のひとたちの襲撃を予感したお前らの
脱走経路という説もある
耳元で喚く妖精さんに子狸が言う
子狸﹁振り落とされるなよ!﹂
発射口が見えた
併走する黒雲号と豆芝さんが
われ先にとラストスパートをかける
子狸﹁跳べ!﹂
お馬さんたちは、ためらわなかった
2495
子狸への深い信頼がある
踏み切り台を蹴った二人のお馬さんが大空に舞う
天馬のようだ
子狸﹁シエル! 地上で会おう!﹂
ねぎらうように首を撫でた子狸が
その前足で勇者さんを抱えたまま
黒雲号から飛び降りる
減速の魔法を帯びて
ゆるやかに下降をはじめるお馬さんたちが
急速に遠ざかっていく
子狸﹁お嬢!﹂
ぱちりとまぶたを開いた勇者さんは
悲鳴ひとつ上げなかった
眼下にひろがるのは、魔物が騎士たちを蹴散らす光景だ
とりわけ大きな魔物が腕を振るうごとに
複数人の騎士が冗談のように宙を舞う
ぞんぶんに戦場を掻き乱した獣人が
大きく踏み出して尾を振り抜いた
根元からへし折れた塔が
さらさらと砂に還元される
︱︱次の瞬間には一気に燃え上がった
2496
鼻白んだ鱗のひとが
一歩、本能的に後ずさる
はっとして頭上を仰いだ
その目に映ったのは
雨の中、煙ることのない勇壮のきらめきだ
かたち
を与えられた光たちが、歓喜にふるえるか
少女の手からあふれ出した光が、精霊の輪を紡いでいく
戦うための
のようだ
︱︱同時刻、おれのご近所さんが不意に虚空を仰いだ
緑﹁目覚めるのか﹂
もつれにもつれた竜王戦の第七局である
意味ありげなつぶやきを、でっかいのは黙殺した
指の先端で器用に駒をつまんで、ちょこんと盤面に置く
一斉に読みを入れた緑と愉快な仲間たちがうめいた
緑﹁妙角⋮⋮!﹂
大﹁妙角でもねーよ。七人掛かりで、その程度か⋮⋮。あまりおれ
を落胆させてくれるな﹂
でっかいのは、この手のボードゲームで無類の強さを発揮する
2497
見下すような発言に、巫女一味が反発の声を上げた
巫女﹁ここは、わたしが⋮⋮!﹂
ずいと割り込んだどろんこ巫女が、起死回生の一手を打つ
巫女﹁ディレイ!﹂
大﹁ディレイじゃねーよ。将棋に上はないの。ルールは守りなさい﹂
巫女﹁⋮⋮でも、あなたはこう言ったよね? 王さまは⋮⋮どの方
向にも行ける!﹂
大﹁子狸か﹂
巫女﹁ごめんね、ディンゴ。わたしは力になれそうにないよ⋮⋮﹂
緑と愉快な仲間たちが、敗戦に向けて静かに心の整理をつけはじ
めたとき⋮⋮
高速で振動する聖剣に、危険を察知した鱗のひとの尾が跳ね上が
った
自由落下を続ける勇者さんの剣尖が目的を果たすよりも
圧倒的にリーチで勝る巨獣の迎撃のほうが早い
しかし鱗のひとは大切なことを忘れていた
いついかなるときも、おれたちの野望をくじくのは
2498
おれたちの管理人さんなのだ
子狸﹁パル・シエル・ブラウド!﹂
おれたちの分身魔法は、質量をともなう完全コピーだ
人間たちの分身魔法は、たんなる映像に過ぎない
子狸さんの分身魔法は、それらの中間に位置する
等身大の目覚まし勇者さんが二人︱︱
頭の悪そうなポーズを決めて、鱗のひとを指差した
勇者﹁ばーにんぐ!﹂
トカゲ﹁ぶふーっ!﹂
さしもの鱗のひとも、たまらず吹き出した
空振りに終わった尾が、むなしく宙を泳ぐ
機先を制するタイミングを逸した鱗のひとが
後退しようとして、ぎくりとした
目を覚ましたトンちゃんが、まっすぐ指を突きつけている
どるふぃん﹁2cm﹂
トカゲ﹁アルダ!﹂
トンちゃんの異能は短時間で連発できない
はったりだと理性は告げていた
そうでなくとも、変化魔法で傷は癒せる
2499
しかし心身に刻み込まれた恐怖は⋮⋮
子狸の前足から飛び立った勇者さんが
聖剣を振りかぶる
腕一本はくれてやる︱︱!
瞬時に反撃のプランを組んだ鱗のひとが
片腕を振り上げた
精霊の宝剣は最上位の存在だ
折れず、曲がらず
魔物の外殻をたやすく切り裂く
その刃が、巨人の鱗に阻まれて止まった
トカゲ﹁なにっ!?﹂
鱗のひとは目を剥いた
叩きつけられた刃を起点に
表皮を伝った光が全身を締めつけている
ついに解き放たれた勇者さんの必殺技その2を
獄
とか入れるの? ばかなの?﹄
われわれは破獄鱗ゾスと命名する︱︱!
妖精﹃勇者の必殺技に、なんで
緑﹃おれは支持するぜ﹄
トカゲ﹃おれもだ﹄
2500
大蛇﹃悪くないな﹄
妖精﹃鱗一族は黙ってろ。おい、青いの。ゾスってなんだよ﹄
聖剣を支点にくるりと回った勇者さんが
鱗のひとの腕を伝って、華麗な跳躍を見せる
妖精﹁リシアさん!﹂
子狸﹁お嬢!﹂
遠ざかっていく二人の声援を受けて、猫耳がふるえた
トカゲ﹁うおおおおおっ!﹂
鱗のひとが吠えた
全身を拘束している光の輪がゆがんだ
習得して日の浅い新技だ
まだ完全ではない
束縛を打ち破った鱗のひとが、交差した両腕で頭部をガードする
勇者さんは、構わず聖剣を振りきった
二回りほど大きくなった宝剣が、鱗のひとの腕を透過して顔面を
切り裂く
仰け反った鱗のひとが悲鳴を上げた
トカゲ﹁ぐあ∼!﹂
片目を覆った手の隙間から、虹色のしぶきが噴出する
2501
ぬかるみに足をとられて、巨体が傾いだ
足元の騎士たちが慌てて避難をする
ぐったりとしているトンちゃんを、三人の騎士が担いでいた
泥に埋もれた巨獣を、騎士たちが固唾を飲んで見守る
彼らの見ている前で、もぞりと身じろぎしたのは、小さな人影だ
歓声が上がった
獣人種の一角を討ちとった勇者さんが、聖剣を掲げた
歓声に応えたのではない
とどめを刺そうとしているのだと
真っ先に気付いたのはトンちゃんだった
どるふぃん﹁まだだッ! 撃てッ!﹂
そのトンちゃんですら見誤っていた
⋮⋮こんなものなのか?
一撃必倒である筈の光輝剣が、あまりにも小さすぎる︱︱
気付いたときには手遅れだった
むくりと起き上がった鱗のひとから、勇者さんが転がり落ちる
泥を蹴立てて後方に跳んだ手負いの獣が、怨嗟の声を漏らした
トカゲ﹁この、おれの、顔に、傷を⋮⋮!﹂
どるふぃん﹁逃がすな!⋮⋮ぐっ﹂
2502
即座に追撃を命じたトンちゃんがうなだれた
冷たい雨は疲弊した身体を容赦なく蝕む
泥まみれの勇者さんが死霊魔哭斬を放つ
狙ったのは足だ
しかし鱗のひとの反応速度は、野獣のそれすら凌駕する
宙を滑るように後退し、続いて殺到する光槍を尾のひと振りで打
ち砕いた
隔絶した身体能力を有する獣人種が本気で逃げに回ったなら
人間たちには為すすべがない
撤退の構えをとる鱗のひとに、見えるひとたちがよじ登る
亡霊﹁この借りは、いずれ返すぞ! 勇者よ⋮⋮いや、アレイシア
ン・アジェステ・アリア!﹂
亡霊﹁そして、アトン・エウロ⋮⋮! 王国最強の騎士よ!﹂
最後の最後に
おいしいところを持って行った亡霊さん
トカゲ﹁⋮⋮⋮⋮﹂
そんな彼らを見つめる鱗のひとの切なそうな眼差しが
ひどく印象的だった⋮⋮
2503
分かたれる、道︵前書き︶
注釈
・破獄鱗ゾス
勇者さんの必殺技その2。
刃に乗せた振動を光に変換して対象を拘束する。
なお、刀身の振動は勇者さん本人が意識して行っているわけでは
ない。
媒体は別としても、光の正体は振動であると魔物たちは考えてい
る。
戦隊級、都市級との戦闘を想定して編み出された。
光の輪が出現すると言うよりは、光が表皮を伝うと言うほうが正
しい。
大きいひとの天輪から発想を得たと思われる。
魔軍元帥の魔力、妖精さんの念動力を間近で目にした影響もある
だろう。
新必殺技の概要は以前の状況からある程度の予測がついていたら
しく、じっさいのお披露目を待たずして命名されていたようだ。
﹁破獄﹂は脱獄のこと。囚人が牢を破って脱走することである。
﹁鱗﹂は鱗御三家の緑のひと、蛇のひと、鱗のひとに敬意を表して。
鱗のひととの戦いで新技を出し惜しみできる余裕はないと踏んで
いた。
﹁ゾス﹂は語感。まったく意味がない。意味はまったくない。まっ
2504
たくないんだ、意味は。
2505
分かたれる、道
遥か上空で紫電が交錯した
雨雲に身を隠した蒼穹の騎士を、雷をまとった魔獣が追う
二合、三合と激しく打ち合ったのち、最後の一撃があだとなったか
黒煙を吐き出して墜落する機兵を、巨鳥が執拗に付け狙う
ぞろりと生え揃った牙が、大気を食い破った
寸前で体勢を立て直した四番目の名を持つ戦士が
絶妙なタイミングで飛び込んだ
柔らかな毛皮をむんずと掴み、力尽くで引き寄せる
内部のコクピットで、見えるひとがコントロールレバーを押しこ
んだ
ゲインが上昇する
亡霊﹁う! お! お! お! お!﹂
自身の十倍近い巨体を、空中で振り回して投げた
力場を蹴って猛加速した四号機が、空のひとのお腹に蹴りを叩き
こんだ
ひよこ﹁おふっ!﹂
身体をくの字に曲げた魔ひよこが、地表に衝突した
遅れて着地した四号機が、追撃を仕掛けようとして踏みとどまった
2506
泥の高波を突き破って迫る魔獣のプレッシャーに後退を余儀なく
される
空をきった翼には、鋭い鉤爪が具わっていた
おとなになることで失われるものもある
空のひとが外殻を幼体にとどめているのは
まだ何者でもない子供なら、何にでもなれるからだ
連続して襲いかかってくる鉤爪が、まるで嵐のようだ
急激なGに見えるひとが歯噛みした
計器類の数値は、機体の限界が近いことを如実に示している
ひっきりなしに甲高く喚くアラートを、見えるひとは手動で叩き
きった
空中で身をひねる四号機を、空のひとが視界にとらえた
その瞳が怪しくきらめく
極限まで磨き抜かれた泥の刃が、波のように大気を伝った
レベル4の魔物は、一時的に時空間をゆがめて詠唱を破棄できる
一本の線で結ばれた始点と終点を、紙ごと折り曲げてぴたりと貼
り合わせるようなものだ
すると、どうなるか
力場を蹴って間をつなぐ必要すらない
完全に重力を無視した機動が可能になる
後方に跳んだ四号機が、空中で上下左右に身体を揺さぶった
繊細な機体コントロール
薄く研がれた泥の刃を紙一重で見切り、さらに大きく跳ぶ
2507
追撃をあきらめた空のひとが
無事に獣人戦を切り抜けた勇者さんを視界におさめて、安堵の吐
息を漏らした
鱗のひとの肩に飛び乗った四号機が
気密を開放して蒸気を上げる
独立した胸部が前面に倒れ、操縦席に座る見えるひとの姿が覗いた
新鮮な外気に触れてひと息ついたエースパイロットを
鱗のひとが目線でねぎらう
一度の跳躍で悠々と林を飛び越える巨獣を
人間たちが追うすべはなかった
どるふぃん﹁ッ⋮⋮! 仕留め、きれなかったか⋮⋮﹂
あらゆる展開をあらかじめ予測し、検討していたのだろう
部下に肩を借りているトンちゃんが歯ぎしりをした
撃退に成功するパターンの中では、およそ最悪の部類に入る展開
だった
勝ちを拾った、という表現がまさしく相応しい
門の守護獣が魔都の防衛に執念を燃やすというなら
鱗のひとが次に打つ手はわかりきっていた
どのタイミングで介入すれば、もっとも騎士団に有効な打撃とな
るか
第一のゲートは開放した
それは素晴らしい戦果だろう
2508
︱︱しかし第二のゲートで
騎士団は二人の戦隊級を相手取ることになる
悪いことは重なる
状況の悪化に歯止めがきかない
攻勢に転じる瞬間を見極めるのは指揮官の仕事だ
⋮⋮勝てるのか
あれだけの苦戦をしいられた巨獣が二人⋮⋮
たんじゅんに戦力は二倍になる
を打ち負かすよりは易しいと思
対する人類の切り札は一人しかいない
不公平ではないのかとすら思う
最強の獣人
それでも空間が開けているぶん
三人目の門番︱︱
えるから
いよいよ救いがなかった
トンちゃんの表情は厳しい
しかし⋮⋮
どるふぃん﹁ともあれ、勝った、な⋮⋮﹂
不意に口元をゆるめたのは、部下の緊張を解きほぐすためだ
肩を貸していた騎士が、振り向いて破顔した
握りこぶしを天に突き上げた騎士たちが
一斉に歓声を上げた
現金なものだ
2509
苦笑したトンちゃんが、もうだいじょうぶだと騎士の肩を叩いて
自分の足でしっかりと立つ
この男は、その身に備わる回復力も常人の比ではない
どるふぃん﹁適度に喜べ。残党がいるかもしれん﹂
難しい注文をつけてから、身体についた泥をはらっている勇者さ
んに歩み寄っていく
どるふぃん﹁アレイシアンさま﹂
正体を隠して勇者一行に潜入していたから
中隊長として話しておきたいことはたくさんある⋮⋮
いったん退散した鱗のひとが
ステルスして戻ってきた
深刻な表情をしている王国最強の騎士を尻目に
泥の上に寝転がってごろごろする
トカゲ﹁あ∼⋮⋮しんどかった﹂
ひよこ﹁お疲れっ﹂
ぴょんぴょんと飛び跳ねて近寄った空のひとが
ぽんぽんと肩を叩いて労をねぎらう トカゲ﹁⋮⋮こんにゃろ!﹂
ひよこ﹁おふっ﹂
2510
魔ひよこを引きずり倒した鱗のひとが
上質な羽毛に顔をうずめる
枕の代わりにされた空のひとが身の潔白を訴えた
ひよこ﹁おれは良かれと思ってだな⋮⋮﹂
トカゲ﹁うるさいよ。おれは眠いんだ。さいきん昼寝してなかった
からな∼⋮⋮﹂
ひよこ﹁や∼め∼ろ∼よ∼﹂
じゃれ合う巨大生物たち
お馬さんたちと地上で再会した子狸が
二人に抱きついて頬をすり寄せている
話しながら並んで歩くトンちゃんと勇者さんを見つけて、ぱっと
喜色を浮かべた
子狸﹁トンちゃん! お嬢!﹂
駆け寄ってくる子狸を見る、トンちゃんの眼差しは
⋮⋮冷たく
そして酷薄なものだった
まわりの部下たちに目配せをする
どるふぃん﹁とらえろ﹂
子狸﹁え⋮⋮﹂
2511
思いもよらない言葉に反応が遅れた
前足をひねり上げられた子狸が、苦痛に身をよじった
抗議の声を上げたのは羽のひとだった
妖精﹁離しなさい! なにをっ⋮⋮こんな⋮⋮﹂
語尾がふるえたのは、勇者さんが何も言わなかったからだ
聖騎士は中隊長に命令する権限を持たない
そのことを思い出した羽のひとが、トンちゃんをなじった
妖精﹁卑怯者っ!﹂
︱︱しかし勇者さんはアリア家の人間である以前に勇者だ
彼女が本気で反対すれば、中隊長といえども無視はできない
自由を奪われた子狸が呆然とつぶやいた
子狸﹁トンちゃん⋮⋮?﹂
信頼に縋りつく目を、真っ向から受けて立つのは鉄の意思だ。巌
の眼差しだ
どるふぃん﹁われわれが何も知らないとでも思っているのか? 魔
物と人間の魔法は、あきらかに異なる﹂
伝播魔法があれば、視認できる範囲にいる人間に声を届けるのは
簡単だ
聖木盗難事件の顛末は、トンちゃんの耳に入っていると見て間違
2512
いない
だからトンちゃんは言った
どるふぃん﹁君は、何者だ? 人間ではないのか? 何が目的で勇
者に近づいた⋮⋮﹂
子狸﹁⋮⋮⋮⋮﹂
答えるすべを持たない子狸を見かねて、羽のひとが反駁した
妖精﹁わたしたちは、ずっと一緒に旅をしてきたんだ! お前なん
かに何がわかる!﹂
剥き出しの敵意をトンちゃんにぶつける
商人を名乗る得体の知れない男に、彼女はずっと疑いの目を向け
ていた
しかしトンちゃんが羽のひとに向けた眼差しは
対照的に穏和なものだった
どるふぃん﹁いままでは、それで良かったかもしれない。しかし、
これから先、敵はますます強大になる。付け加えて言うなら、私の
部下は百を越える。不安要素は致命的になる﹂
事実、子狸は鱗のひととの戦いで活躍したのではないか︱︱という
予測されてしかるべき羽のひとの反論を
トンちゃんは先回りしてつぶした
どるふぃん﹁今回は、たまたま上手く行った。では次は? その次
2513
はどうなる? どのみち、彼を連れて行くことは出来ない。彼に、
その資格はない﹂
反論を封じられた羽のひとが、視線で勇者さんに助力を求めた
⋮⋮勇者さんは答えない
考えるひまを与えるほどトンちゃんは甘くない
子狸を拘束している部下に命じた
どるふぃん﹁連行しろ。多少手荒でも構わん。情報を引きずり出せ﹂
勇者﹁待って﹂
不意に勇者さんが口を開いた
トンちゃんが、彼女に無断で行動を起こす筈がない
認めていた筈だ
許可を下した筈だ
子狸が命令に従わないことを
誰よりも知っているのは彼女なのだから
けっきょくのところ
騎士団に子狸の居場所はなくて
子狸と騎士団のどちらを選ぶか
焦点になっているのは、そこだ
そして騎士団を選ぶのは当然の選択だった
子狸は軍人ですらない
2514
それなのに歩み寄った勇者さんが
子狸のひたいに自分のひたいを押し当てた
子狸﹁お嬢⋮⋮?﹂
揺れる子狸の瞳が定まる
勇者さんが囁くように言う
その表情はようとして知れない
優しい声だった
それは別れの言葉だった
勇者﹁宝剣を集めなさい。あなたなら、きっと⋮⋮わたしよりも立
派な勇者になれるわ﹂
たとえ王国が滅んでも
人類には、まだあとがある
しかし勇者さんは王国の大貴族だ
沈むとわかっている船に乗るのは
貴族の義務⋮⋮いや
最後の矜持なのかもしれない
だから彼女は、自らを犠牲にしてでも
魔都へと至る血路を切り開こうとしている
全ての属性に通じる子狸なら
魔王に対抗できる
六つの宝剣を使いこなせる
2515
その悲壮な決意に、羽のひとがうなだれた
彼女にもわかっていた
同じ時代に魔王と同じ特性を持った人間が現れた
それは、きっと運命なのだ
子狸の肩を離れた羽のひとが
勇者さんの肩にとまる
彼女を一人にすることは出来なかった
きびすを返した勇者さんに
子狸が言葉にならない思いをぶつけた
子狸﹁お嬢!﹂
彼女は振り返らなかった
遠ざかっていく
暴れる子狸を、騎士が乱暴に地面に押しつける
子狸﹁だめだ! お嬢!﹂
トンちゃんを従えた勇者さんが
いつしか彼らのやりとりを注目していた騎士たちに言う
勇者﹁魔都へ︱︱﹂
泥を噛みながら子狸が叫んだ
2516
子狸﹁やめろ! 言うな!﹂
見えないふりをしてきた
聞こえないふりをしてきた
彼女は貴族で、一人では何も出来ない女の子だった
たまに、ひどく幼く感じられるときがあった
そんな彼女だったから、魔物と関わるうちにきっと変わると思っ
ていた
立場が違いすぎたから、本音で話すことも出来ない
もう少し︱︱
もう少しで、何かが変わりそうだったのに
最後の最後まで子狸は踏み出せなかった
あの塔の中でさえ、魔物とはひとことも言えなかった
本音を隠して接してきたから
いずれ関係が破綻することはわかりきっていたのに
二人の選ぶ道は、決定的に違える
千年間、数珠のように悲願を紡いできた
勇者と魔王が手を取り合ったなら
きっと、まだ見ぬ世界がひろがっていると信じた
その悲願は︱︱
勇者﹁魔王を殺す﹂
2517
果たされない
この記事は﹁火口付近在住のとるにたらない不定形生物さん﹂が
書きました
一四七、王都在住のとるにたらない不定形生物さん︵出張中
まあ⋮⋮なんだ
今回は縁がなかったということで⋮⋮
一四八、海底洞窟在住のとるにたらない不定形生物さん
失恋なんて、いまにはじまったことじゃないだろ?
元気を出せよ。な? 一四九、海底都市在住のごく平凡な人魚さん
お前なら、いつかいいひとにめぐり会えるよ
むしろ、きっぱりと振られて良かったじゃないか
未練を残さずに済む
一五0、王都在住のとるにたらない不定形生物さん︵出張中
べつに振られてねーから!
2518
ていうか、いまの子狸に振られるとか言うな!
人型のひとたちは、昔からそうだよ⋮⋮
見た目は振る側なのに、デリカシーに欠ける
一五一、迷宮在住の平穏に暮らしたい牛さん
でも振られたものは仕方なくね?
いじいじと悩むよりは
現実を突きつけてやったほうが本人のためになる
一五二、草原在住の平穏に暮らしたいうさぎさん
失恋した子狸さんを励ます会場はこちらですか?
一五三、住所不定の特筆すべき点もないてふてふさん
子狸さんが失恋したと聞いて
一五四、空中庭園在住の現実を生きる不定形生物さん︵出張中
子狸さんが失恋したと聞いて
一五四、空中回廊在住のごく平凡な不死鳥さん
2519
子狸さんが失恋したと聞いて
一五五、山腹巣穴在住のとるにたらない不定形生物さん︵出張中
略
九九九六、山腹巣穴在住の現実を生きる不定形生物さん︵出張中
子狸さんのルービックがキューブしたと聞いて
九九九七、火口付近在住の現実を生きる不定形生物さん︵出張中
一0000ゲットで失意の子狸さんが新しい恋を見つける
九九九八、かまくら在住の現実を生きる不定形生物さん︵出張中 一0000ゲットで失恋した子狸さんが堂々の復活
九九九九、王都在住のとるにたらない不定形生物さん︵出張中
一0000ゲットでスーパー子狸タイム。勇者さんは惚れる
一0000、管理人だよ
2520
おおっふ、おおっふ⋮⋮
一000一、山腹巣穴在住のとるにたらない不定形生物さん︵出張中
この河はお前らの愛であふれて使いものにならなくなりました
︻管理人さんの一0000ゲットでボーナスメッセージが開封され
ます︼
よう、おれ
このボーナスメッセージを見る頃には
お前は勇者さんと幸せな家庭を築いていることだろう
そんなお前に贈りたい言葉がある
感謝だ
感謝を忘れてはならない
いいか、感謝だ
感謝を忘れるな
追伸
おれはダブルした
お前はダブルスか?
︻続けてリリィさんのコメントが開封されます︼
2521
念のために励ましておくわ
ドンマイ
︻以上です︼
2522
悲願
竜虎相搏つ︱︱!
あまたの戦士たちが空中回廊の踏破に情熱を燃やした時代⋮⋮!
の英雄だ!
腐敗した貴族政治を打破するべく、一人の男が立ち上がった⋮⋮!
リンドール・テイマア
宿縁
反乱軍の総指揮官にして
空中回廊を制覇した
第二王女を擁する反乱軍と
第一王子を擁する王国軍が
大陸全土で激しい抗争を繰り広げた、この大戦は
継承戦争とも言い
のちに南北戦争と呼ばれることとなる⋮⋮!
しかし、リンドール・テイマアに影武者がいたことは知られてい
ない
反乱軍のリンドールとバウマフ家が出会ったとき
時代の歯車は大きく動き出したのだ⋮⋮
その南北戦争が、いま!
ふたたび勃発しようとしていた︱︱
王国﹁⋮⋮⋮⋮﹂
2523
帝国﹁⋮⋮⋮⋮﹂
レスリングスタイルだ
歴史は繰り返されると言うのか
重心を低く落とし、両腕を上下に構えた二人の小人が
じりじりと間合いを詰める
王国と帝国、どちらが上なのか
これは国家の威信を懸けた代理戦争だ⋮⋮!
両国の首脳陣からは本気でクレームが入っているものの
では、格付けは誰が行うのだ?
彼らの双肩にゆだねるしかあるまい⋮⋮
そして、ジャスミンとレジィがどったんばったんしている横では
⋮⋮!
かまくら﹁吹きぃ∼すさぁ∼ぶぅ∼おれブリザードぉ∼♪﹂
特設ステージで極地戦仕様が単独ライブを実施していた!
ライトに照らされた触手がきらめく
観客席から野次が飛んだ
火口﹁氷属性自重!﹂
亡霊﹁言うほどステータスに影響ねーぞ!﹂
子狸さんの新たな巣穴での出来事である
2524
ついに第一のゲートを開放した勇者一行
勝利の美酒に酔いしれるひまもなく
早々に第二チェックポイントへと向かう
その中に、おれたちの子狸さんの姿はなかった⋮⋮
無敵の魔法はないから
魔法使いを閉じ込めるのは難しい
だから罰するのは簡単だ
魔法に詠唱は不可欠で
声を奪う方法は幾らでもある
土牢に放り込まれた子狸は
口元に拘束具をつけられている
とうとう本格派の罪人扱いだった
子狸﹁ふぐぅ、ふぐぅ⋮⋮﹂
涙が枯れ果てるのではない
痩せ衰えるのは心だ
特訓に打ちこんでいる間は
嫌なことを思い出さずに済んだ
何度か騎士どもが訪ねてきたが
そんなものはどうにでもなる
しつこいくらい人間たちには教えてきたことだ
魔法を使えば使っただけ退魔性は劣化する
2525
いまや世界は魔力の坩堝だ
魔法使いは、おれたちの支配から逃れることは出来ない
エサを運んでくるもの以外は丁重にお帰り願った
一向に立ち直る様子がない子狸さんを慰めているのは
連合のひとことユニィだ
子狸の肩に腕を回して熱い吐息をつく
連合﹁うぃー、ひっく。いつまでもめそめそしてんじゃねーろ。な
あ?⋮⋮ええと、ステファニー?﹂
王国﹁ジャスミン﹂
連合﹁そう。ジャスミン﹂
王都﹁持ちネタやめろ﹂
いつも子狸の横にいる青いのは
忙しい合間を縫って駆けつけてくれたお前らの友情に
感涙している
王都﹁帰れよ、もう。お前ら、なにしに来たんだよ﹂
連合﹁子狸じゃねーよ!﹂
王都﹁帰れ!﹂
頬をぶったのは照れ隠しだ
2526
照れ隠しは種族の壁を越えるのか
売り子の恰好で現れた歩くひとが
格子をするりと抜けて
ユニィの片腕をひねりあげた
しかばね﹁なに飲んでんの?﹂
身にまとったエプロンドレスには布のあたたかみのようなものが
ある
手つきまで、どこか優しげだ
連合﹁飲んでねーひょろ! 痛い痛い痛い。おれの肩が王権分離し
ちゃう﹂
しかばね﹁せめて酒瓶を手放してから言えよ﹂
ステルスは、子狸限定で解除してある
子狸﹁ふぐっ﹂
しかばね﹁言っても無駄だろうけど、おれがクリスだから。リリィ
さんとクリスくんは同一人物なのね。わかる?﹂
子狸はきょとんとしている
なにを今更、という顔をしているが⋮⋮
子狸﹁⋮⋮ふぐぅ?﹂
いま、あきらかに理解度を示すポンポコパラメーターが
急速に失速して既定のラインを下回った
2527
子狸﹁ふぐっ﹂
しかばね﹁え? なかったことにされた?﹂
亡霊﹁知恵熱で倒れても困る。訂正するんだ﹂
しかばね﹁めんどくさいなぁ⋮⋮。クリスくんは、おれの遠い親戚
なんだよ。親戚なんだから似てて当然だろ?﹂
亡霊﹁おい。適当すぎる﹂
子狸﹁ふぐぅ﹂
亡霊﹁ああ、納得するんだ⋮⋮﹂
土牢は連日連夜の満員御礼だ
王国﹁レジィィィッ!﹂
帝国﹁ジャスミィィィンッ!﹂
王都﹁⋮⋮⋮⋮﹂
かまくら﹁おれブリザードぉ∼♪﹂
火口﹁おれプロミネンスぅ∼♪﹂
2528
王都﹁⋮⋮⋮⋮﹂
傷心の子狸を気遣って
お前らが大人しくなった頃⋮⋮
ポンポコさんのエサを一人の騎士が運んできてくれた
いつもは特装騎士なのに、今日は実働騎士だ
トンちゃんは、出発する前に
一個の実働小隊に拠点の防衛を命じた
彼は、その一人だ
王国騎士団がゲートを一つ開放したことで
戦況は一気に動く
残る二国も介入してくるだろう
本来なら、開放したゲートの守備に一個小隊は少なすぎる
しかし人手が足りなかった
あと二週間だ
山腹軍団の牙が王都に到達するまで
たったの二週間しかない
片手で膳を支えている騎士が
格子の前で立ち止まって、無造作に手刀を振った
騎士﹁グレイル﹂
2529
錠を開ける鍵を忘れたのだろうか
切断した格子の隙間を潜ると、同様に子狸の拘束具を断ちきった
騎士﹁すまんな、三日も待たせてしまって﹂
子狸が目を見開いた
子狸﹁お前は⋮⋮﹂
騎士﹁覚えてないんだろ? わかるよ﹂
子狸の生態を理解していた
苦笑した騎士が、しゃがみ込んで背後を振り返る
七人の騎士たちが、あとを追って土牢に入ってきた
しきりに周囲を警戒している
騎士B﹁急げ。トクソウに気付かれる前に﹂
騎士A﹁少し待て﹂
急かしてくる仲間に、騎士は声を掛けてから
子狸に膳を差し出した
魔どんぐりの甘煮だった
照れ臭そうに笑った
騎士A﹁お前のいない王都はつまらんよ、ポンポコ﹂
彼らは、子狸の天敵と言ってもいい存在だった
2530
トンちゃんは大将の大隊に属する中隊長だ
ふだんは王都で待機している部隊である
それだけではない
彼は言った
騎士A﹁食べながら聞け。宰相から伝言がある。
﹂
あんたには負けたよ⋮⋮宰相さん
子狸は、いまいちぴんと来ていない様子だった
子狸﹁⋮⋮?﹂
もぐもぐと口を動かしながら首を傾げる
どう思うかね?
あとを追ってきた騎士たちが捕捉説明してくれた
騎士B﹁お前には内緒にしていたが、おれたちにはちょっとした特
殊能力がある﹂
騎士C﹁宰相の息が掛かった騎士は、機密に触れることもあるから
な﹂
騎士D﹁おれたちの心を、他人が読むことは出来ない。テレパスの
世代が進んだものらしい﹂
テレパスというのは、送信系の適応者のことだ
2531
適応者の異能は、世代が進むごとに劣化する性質を持っている
その性質は、外部への働きかけが強いものほど顕著だ
物体干渉の異能が希少とされるのは、ほとんど遺伝しないからで
ある
送信系の適応者は、他者へと一方的に情報を送ることができる
彼らの場合は、念波をぶつけて相殺する方向に適応が進んだのだ
ろう
騎士たちが子狸を見る眼差しは優しい
騎士E﹁なんでかな? ふと思い出したんだ。お前をつかまえるこ
とが生活の一部だった﹂
心理操作した筈だ
日常生活の瑣末な出来事を思い出せる人間がいないように
子狸のことを意識にとどめないよう仕込んだのに
騎士F﹁子供の頃、小さな魔物と遊んだんだ。ずっと忘れていたよ﹂
それでも⋮⋮記憶は消さなかった
心は⋮⋮
この気持ちは、開祖からもらったものだから
騎士G﹁アリア家の狐に言われたんだ。お前を知る人間は残れと﹂
狐娘たちのことだ
おそらく彼女たちの独断だろう
2532
勇者さんは決定的なミスを冒した
子狸を置いて行くという判断は
少なくともコニタには受け入れられなかった
その結果、彼らはここにいる
騎士H﹁お前は、きっと叫んでいたな。魔物たちと仲良くしろと。
すべて思い出した。これだったんだ。ずっと引っかかっていたのは﹂
バウマフ家の人間は、ずっと叫び続けてきた
千年間ずっと叫び続けてきた
無駄ではなかった
無駄ではなかったのだ⋮⋮
彼らの叫び声は、人々の心に残っていた
そして、いま
はっきりと届いた
たったの八人だけど
届いていた⋮⋮
騎士Aが、感極まった様子で子狸の前足を握った
騎士A﹁行こう﹂
他の騎士たちが唱和した
騎士B∼H﹁行こう﹂
子狸﹁⋮⋮就職⋮⋮か?﹂
2533
いつしか涙は止まっていた
この期に及んで理解が追いついていない子狸の前足を
騎士Aが力強く引いて立たせた
騎士団に勧誘しているわけではない
子狸は、自力では立ち直れなかった
だから手を差し伸べてくれる誰かが必要だった
おれたちでは駄目だった
おれたちは魔物だ
バウマフ家の悲願は、おれたちの総意に反する
それなのに
いつの間にか、おれたちは負けていた
さしものお前らも呆然としていた
騎士A﹁魔都へ︱︱﹂
歴史を動かすのは
名もない人間でもいい
勇者でなくてもいい
一人の人間が言った
騎士A﹁魔王と話し合おう﹂
︱︱ポンポコ騎士団の結成である
2534
2535
王都さんの家庭の事情
あれ? 急に黙っちゃったね、お前ら
テンション上げて行こうぜ!
せ∼の!
一、方舟在住の世界をめぐる不定形生物さん︵出張中
こん、にち、は∼!
二、王都在住のと*にたらない不**生物さん︵出張中
こん、にち、は∼!
三、古代遺跡在住の**平凡*巨人兵*ん
あれ? 王都の、お前⋮⋮
アナザーいたの?
四、王都在住のと*にたらない不**生物さん︵出張中
ふっ、敵を騙すには味方からと言うからな
2536
お前らにも内緒にしておくつもりだったんだが
我慢できなかったらしい
仕方のないやつだ⋮⋮
ときに⋮⋮
おい。おれ
お前の家は王都にある
お屋形さまと同居してるんだ
五、方舟在住の世界をめぐる不定形生物さん︵出張中
おかしなこと言うね
忘れちゃったの?
わたしたちの実家だよ、お兄ちゃん
六、王都在住のと*にたらない不**生物さん︵出張中
⋮⋮ははっ
そうだったな、可愛い妹よ。ころすぞ
七、方舟在住の世界をめぐる不定形生物さん︵出張中
そうだよ、お兄ちゃんったら
しっかりしてよね。お前がしね
八、王都在住のと*にたらない不**生物さん︵出張中
2537
優しいな、お前は
兄さん、うっかりしてたよ。お前がしね
庭園の、庭園の∼
妹を紹介したいんだが⋮⋮
九、方舟在住の世界をめぐる不定形生物さん︵出張中
アリスはしばらく動けないよ
あのひと、勘がいいからさ
ニレゴルも出てこないし、いちばん厄介なんだよね
さすがは最強の魔物ってトコかな。あは☆
でも、すぐに動けるようになるよ
わかるよね?
わたしが出てきたからには、もう安心だよ
一0、管理人だよ
? だれ?
王都のひとじゃないでしょ
一一、方舟在住の世界をめぐる不定形生物さん︵出張中
はじめましてだね、管理人さん
2538
あのね、ポーラのオリジナルはとくべつなんだ
制限解除が出来るのはオリジナルだけ
そう聞いてるよね?
そういうふうに教えられてる筈なんだ
だって、そうでもしないと
オリジナルが完全コピーしない理由にならないもんね
だから、わたしとお兄ちゃんは、ほとんど別の個体なんだよ
わかった?
一二、管理人だよ
わかるよ
おれも徹底した分権しかないと
一三、方舟在住の世界をめぐる不定形生物さん︵出張中
政治の話はしてない
とにかく、わたしはイドの双子の妹なの
あ、イドっていうのは王都のひとのことね
それが本名なんだよ
あなたたちが覚えやすいよう
最初に名前を呼んでほしいから
ふだんは見た目そのままの名前を使ってるんだよ
2539
一四、空中庭園在住のと*にたらない不**生物さん︵出張中
そっ、そんなことねーよ!
一五、海底洞窟在住のと*にたらない不**生物さん
庭園のん復活
一六、方舟在住の世界をめぐる不定形生物さん︵出張中
お帰り。早かったね
狸くんは何か言ってた?
あ、ごめん。大きいほうのポンポコね
一七、空中庭園在住のと*にた*ない不**生物さん︵出張中 べっつにぃ∼?
のんきなもんですよ
兄貴に似て可愛くない性格してんな、お前は
一八、王都在住のと*にた*ない不**生物さん︵出張中
ぽよよん
2540
一九、魔都在住*特筆*べき点*ないラ*オンさん
ぽよよんアピール入りました
二0、方舟在住の世界をめぐる不定形生物さん︵出張中
あらら⋮⋮。だいぶ苦しそうだね
あなたたちの気持ちもわかるけど
これ、狸くんに診てもらわないとだめだよ
二一、山腹巣穴在住のと*にた*ない不**生物さん︵出張中
そうなんだよな
ちょっと、こきゅーとすの調子がおかしいんだよ
しかも悪化してるらしい
いまのところリソースは確保してるんだけど
このままだと使いものにならなくなる
何かしら手を打たないとな⋮⋮
王都シスター
協力してくれるのかい?
二二、方舟在住の世界をめぐる不定形生物さん︵出張中
うん、いいよ
2541
同じ魔物なんだから
助け合わないとね
二三、住所不定のど**でもいるよ*なて*てふさん
よく出来た妹さんじゃないか
二四、王都在住のと*にた*ない不**生物さん︵出張中
ああ。抱きしめて背骨をへし折ってやりたいよ
二五、方舟在住の世界をめぐる不定形生物さん︵出張中
情熱的なのね、お兄ちゃん
二六、王都在住のと*にた*ない不**生物さん︵出張中
よせよ、照れるだろ。しね
二七、方舟在住の世界*めぐる不定形生物さん︵出張中
もう、照れ屋さんなんだから⋮⋮。お前がしね
さて、どこから手をつけようかな⋮⋮
とりあえずは⋮⋮わたしが負荷を引き受けてあげる
2542
フォトンちゃん、いる?
トワを補佐してあげて
二八、海底都市在住の**平凡な人魚*ん
フォビドゥンさんと呼びなさい
二九、方舟在住の世界*めぐる不定形生物さん︵出張中
固いこと言いなさんなよ
同じ女の子同士、仲良くしようぜ
三0、管理人だよ
やぶさかではないな
三一、海底洞窟在住のと*にたらない不**生物さん
※ 子狸ライブラリは日々成長している
三二、山腹巣穴在住のと*にたらない不**生物さん︵出張中
ん、それで行くか
王都の、実況よろしく
2543
三三、王都在住のと*にたらない不**生物さん︵出張中
あいよ
これまでのあらすじ
満を持して参上したおれシスター
このおれが秘密裏に育て上げた最後の切り札である
英才教育しすぎて性格がゆがんだ
※ テスト。山腹さんですよ
割り込むのやめてくれませんか
︻じゃあ、これは?︼
フォーマットを変えればいいっていう問題でもねーよ
※ こっちでいいよ。ね、お兄ちゃん
可愛い妹の頼みとあらば仕方ないな。しねよ
※ そんな、可愛いだなんて⋮⋮。お前がしねよ
どうして、こんな子に育ってしまったんだ⋮⋮
不幸だ。庭園のんじゃあるまいし
※ おい
2544
※ これ、キャラが立ってないとつらいな
※ え? 自分はキャラが立ってるつもりなの?
※ あれ? 過剰反応しすぎじゃないですか? もしかして、か
まくらさん?
※ ばか言わないでくださいよ。おっと、そろそろマグマの成
分調査しないと⋮⋮
※ だめだ、これ! 無理があるよ!
※ 我慢しなさい! もう出張中とか言ってられないの!
ぽよよん。王都さんです
※ なにキャラ立ててんの、このひと!?
※ このわずかな間で⋮⋮もうやだ! 遺跡の関係者、怖すぎ
る!
うるさい、だまれ! 話が先に進まねーんだよ!
ちょっと負荷を軽くしたら、このざまだよ⋮⋮
山腹の! 回線をしぼってくれ!
※ おいおいな
※ 決め台詞を模索している!?
三四、管理人だよ
太陽がまぶしいぜ
※ そして子狸さんは話の流れをいっさい理解していない!
2545
※ 管理人さんはだいじょうぶだよ∼
三五、王都在住のとるにたらない不定形生物さん****
ちっ、だめか⋮⋮
とにかく⋮⋮続ける
子狸のもとに集った八人の勇士たち
騎士A∼H﹁行こう!﹂
円陣など組んでいる場合ではない
特装騎士の目を盗んで脱走するという話ではなかったのか
子狸﹁⋮⋮?﹂
しかも子狸さんへの説明が不足している
盛り上がるポンポコ騎士団から一人あぶれた小さきポンポコが
ふと注目したのは、破られた格子だった⋮⋮
子狸﹁⋮⋮⋮⋮﹂
静かに後ろ足を進める
何故か犯罪くさい行為への適性は高い
大自然に育まれた野生がそうさせるのか
いつの間にか気配を殺すすべを体得していた⋮⋮
しかし相手は騎士だ
2546
彼らは魔物と戦う兵士であると同時に
犯罪者を取り締まる狩人でもある
ふつうに捕獲された
騎士A﹁お前は、今日から騎士団長だ!﹂
騎士B﹁団長!﹂
騎士C﹁ポンポコ団長!﹂
あまつさえ、あいまいな役職を振られる始末である
小脇に抱えられた子狸が
せつなそうに鳴いた
子狸﹁元帥がいいなぁ﹂
騎士A﹁なにを言う。元帥なんざ置き物だ。お前は違う。そうだろ
?﹂
子狸﹁ものは言いようだな﹂
元帥とは、騎士団の最高位に君臨する存在である
大隊長に命令する権限を持つため
元帥に逆らえるものは同じ元帥しかいない
つまり元帥が不在の場合、その国の騎士団は他国の元帥に従わね
ばならない義務がある
これは魔王軍に対抗するための措置なのだが⋮⋮
どういうわけか三大国家は、架空の人物を元帥に据えるという暴
2547
挙に出た
実在しないから、いなくなることもないという間抜けな理屈である
※ 魔王⋮⋮
その点、きちんと魔軍元帥が働いている魔王軍は立派だと思います
※ 先生、僕も立派だと思います
※ 将来は魔王軍に就職したいです
※ 魔軍元帥は子供たちの希望の星
※ 悪質な洗脳だよ⋮⋮
さすがに本職の騎士たちは、国家ぐるみの欺瞞に勘付いているら
しい
大隊長たちの会議に出席しているのが鎧の置き物なので仕方ない
たまに兜がぽろりするという噂もある
自分は置き物ではないと主張する子狸
子狸﹁めっじゅ∼﹂
鳴くことも出来る
お飾りの元帥とはわけが違うのだ⋮⋮
騎士A∼H﹁うおおおおおおっ!﹂
騎士たちが吠えた
子狸を小脇に抱えたまま、地上を目指して走る
2548
早朝の朝日が目にまぶしい
彼らを待ち受けていたのは、四人の特装騎士たちだった
騎士Aが舌打ちする
騎士A﹁勘付かれていたか⋮⋮!﹂
特装A﹁いまのいままで寝てたわ﹂
特装騎士は、任務で単独行動することもある
頼れるのは自身のみという状況も珍しくないから
わずかな物音にも敏感だ
特装B﹁⋮⋮言い訳があるなら聞こうか﹂
その眼差しは鋭い︱︱
しかし彼らは、本当ならば
実働騎士たちの不穏な動きを察した時点で
本隊に報せるべきだった
そうしなかったのは何故か
彼らも、また迷っているからだ
子狸﹁あ⋮⋮﹂
ふと、子狸が鳴いた
牢屋というものは、逃げる側が少しでも不利になるよう、地下に
作られることが多い
2549
もちろん出入り口は一ヶ所に限られる
子狸に近寄ってきたのは、ひとりのお馬さんだった
旅の途中で別れた友達から贈られた
大切な友情の証だった⋮⋮
※ おい。だいぶ美化されてる
すり寄ってきた豆芝さんを
いつもみたいに撫でる資格が
いまの自分にあるのかと
子狸はおびえた
ぎゅっと前足を握りしめる
しかばね﹁実働が8に特装が4。実働小隊か。まあ⋮⋮三人だな﹂
なんとなく地上までついてきたお前らを代表して
歩くひとが言った
きっと懐かしいだろう手の感触を
豆芝さんが気付くことはない
本気でステルスしたおれたちを
誰も見つけ出してはくれないからだ
もしも例外があるとすれば、それは⋮⋮
しかばね﹁子狸は魔都に連れて行く。おれたちがな﹂
2550
言い争いをはじめる騎士たちをよそに
歩くひとが髪留めの布をほどいた
それが合図だったかのように
地面を突き破ったのは、三本の腕だ
⋮⋮人間の姿を模した歩くひとの分身魔法には
大きな欠点が一つあった
それは容姿だ
同じ姿の人間が並んでしまうと
分身魔法の存在を気付かれる恐れがある
だからと言って目鼻口の位置をずらしてみると
今度は、いちいち手間が掛かる上に
ときどき妙な仕上がりになってしまうことがある
人間には個性が足りない
体格も似たり寄ったりだ
分身魔法には適さない⋮⋮
しかし、その欠点を、歩くひとは克服した
同じ人間をモデルにするから良くないのだ
地道に似顔絵を描いて研究する必要もない
過去に実在した人物を
別々にトレースすれば良いのだ︱︱!
2551
地面を突き破って現れたのは、三人の戦士だった
一人目は軽装の佇まいで
古めかしい布を身体に巻きつけている
連合国の基礎を築き上げたと謳われる
常勝無敗、百謀の将⋮⋮
︱︱リュシル・トリネル
百謀﹁エミルどこよ? エミル出せ﹂
※ 最後の最後に負けました
二人目は打って変わって重武装だ
全身を包む鎧は白銀で
老骨、なおもたくましい
八代目勇者は凄かったが
こいつはもっと凄かった
魔術師! それ以外の異名は不要っ⋮⋮
マーリン・ネウシス・ケイディ∼
魔術師﹁不殺とか意味わかんねぇ⋮⋮﹂
※ 苦労してました
そして三人目
となりの白アリさんを見る目は険しく
時代の最先端を行くのはおれだとばかりに着こなしている漆黒の
鎧が刺々しい
でも手入れがしにくいと現代の若者たちは嘆いているぞ
幼なじみはプリンセス!
2552
気付けば反乱軍のリーダーをやっていた!
宿縁
のリンドール・テイマア∼
坂道を転がるがごとし人生を歩んだ男だっ⋮⋮
帝国の英雄、
宿縁﹁おれの影武者はどこ行ったんだよ⋮⋮﹂
※ 勇者のおさんどんをしてました
豪華メンバーである
よし、じゃあ盛り上がったところで
さっそくで悪いんだけど
帰ってくれる?
しかばね﹁え?﹂
歩くひとの気持ちは嬉しいんだけどね
ここは子狸の意思を尊重したい
山腹のんが言っていた意味、ようやくわかった気がするんだ⋮⋮
※ きれいな王都のん
※ きれいな王都のん
※ そして確実にどす黒い意思を秘めている
※ みんなに慕われてるんだね。自慢のお兄ちゃんだよ!
※ 信頼があるんだ。確かな信頼が
※ 友情って素晴らしいよな
※ 友情は素晴らしいよ
※ うん、友情は素晴らしい
2553
※ 友情 は 素晴らしい
おれの 真心 に歩くひとは納得してくれたようだ
しかばね﹁⋮⋮わかった。お前の真☆心を信じよう⋮⋮﹂
☆は必要でしたかね?
百謀﹁ふむ⋮⋮つまり、おれたちは自由なんだな﹂
魔術師﹁お、さすが百謀さん。切り替えが早い﹂
宿縁﹁ちっ⋮⋮﹂
魔術師﹁お前、さっきから何なの? その態度⋮⋮﹂
宿縁﹁⋮⋮イライラしてくるんだよ。そのカラーリング﹂
魔術師﹁それ言ったら、おれもイライラしてるよ。お前は知らない
だろうけど、うちの技術をお前っとこの国が勝手に使ってるからね﹂
宿縁﹁あ∼⋮⋮イライラする。後世のことでぐちぐち言われるのが、
いちばんイラッとくる﹂
百謀﹁エミルいないし、おれらでトリオ組もうぜ﹂
宿縁﹁え?﹂
魔術師﹁なにこのひと、すっごく自由なんですけど⋮⋮﹂
2554
百謀﹁もう戦争はいい。飽きた。エミルいないし﹂
宿縁﹁あ、それわかる。基本いないんだよ﹂
魔術師﹁いて欲しかったの?﹂
宿縁﹁いや、影武者なのにさ、いないってのが、こう⋮⋮イラッと
来る﹂
魔術師﹁ああ、なんかわかる。まわりがどんどん影響されて、おれ
がおかしいみたいな感じになるんだよな。最終的には﹂
かくして⋮⋮
意気投合した三人の英雄は去っていった
その後、彼らがどうなったかを
知るものはいない⋮⋮
2555
子狸、出陣
王国のマーリン・ネウシス・ケイディ
帝国のリンドール・テイマア
連合のリュシル・トリネル
冥府に下った三人の英雄が、ふたたび現世の土を踏んだ頃⋮⋮
※ 客観的に見て、魔術師さんの戦果は飛び抜けてるよね
※ 歴史を作ったという意味では、宿縁さんがいちばんじゃな
いかな
※ よせよ、鬼のひとじゃあるまいし。おれは百謀将軍が最
強だと思うけど⋮⋮
※ さっそく匿名性を利用しはじめたぞ、このつの付きども⋮⋮
※ 困ったもんだよね。ちなみに羽のひとは誰が最強だと思う?
※ この薄汚れたドリル⋮⋮! さてはユニィだな!? 騙
されちゃだめだよ、てっふぃー。あ、ジャスミンです
※ きさまっ、おれの名を騙るとは⋮⋮! 薄汚れているのはお
前のドリルだ、レジィ!
※ 実家ごと滅べばいいのに⋮⋮
匿名性を利用できるのは羨ましい限りだ
王者の風格というものは自然と醸し出されるものなのだからな⋮⋮
ぽよよん
※ おい
※ おい
2556
※ おい
草木が朝日に洗われるかのようだ
日の光を浴びて目覚めた木々の息吹が
よどんだ空気を吹き飛ばしてくれる
朝っぱらから湯立った雰囲気を撒き散らす人間たちを
動物たちが白けた目で見つめていた
お前らも一緒になって後ろ指を指している
火口﹁いやね、奥さま。朝から、いい近所迷惑ですわ⋮⋮﹂
かまくら﹁今日も蒸し暑い一日になりそうですわね。ほほほ⋮⋮﹂
ポンポコ騎士団は、踏み出した一歩目から、その是非を問われて
いる
彼らとて、まったくの無策ではいられなかった
実働部隊がもっとも力を発揮できるのは、実働小隊と呼ばれる決
戦隊形だ
そうでなくとも、小さな新興勢力が他を出し抜くためには
その存在を悟られることなく、自由に動けることが絶対条件だった
ここで特装騎士たちを説得できなければ、ポンポコ騎士団に未来
はない
子狸を魔都に連れて行くのだと聞いて
特装騎士たちが疑ったのは、彼らの正気だった
特装C﹁本気で言ってるのか?﹂
2557
特装D﹁⋮⋮なぜ職務を遂行しようとしないんだ。二代目の期待を
裏切るつもりか﹂
トンちゃんの部下は、自分たちの中隊長を二代目ないし若と呼ぶ
歩くひとの下した判断は正しい
魔物たちが開放されたゲートを取り戻そうとするのは自然な成り
行きだ
そして、しんがりを務める騎士たちがあらがった時間は
そのまま突入部隊の猶予と直結する
魔王軍は、三つのゲートを抑えておけば
本拠地の魔都に幾らでも増援を送りこめるからだ
第八次討伐戦争では
ときの大隊長マーリン・ネウシス・ケイディが
その性質を逆手に取って、魔都に魔王軍の大部分を閉じ込めると
いう奇策を用いた
双壁の攻防戦と呼ばれる、おそらく人類史上最大級の情報戦だ
当時、まんまと魔都からあぶり出された都市級の連中に
同じ手は通用しないだろう
それ以前に単騎で突入して謁見の間に辿り着けるほど勇者さんは
強くない
ポンポコ騎士団の決断は、全人類を敵に回してもおかしくない暴
挙だ
突入部隊に窮地をしいるだろう悪手でもある
2558
だから彼らは言った
騎士B﹁千年だ。魔物たちと戦い続けて千年になる。⋮⋮いつまで
続ければいいんだ?﹂
騎士C﹁魔王を討てば解決するのか? そんな筈がない。むしろ逆
なんじゃないか。魔王を殺した瞬間から、新しい戦がはじまるんだ。
それは、きっと救いのない戦争だ。徹底的な破壊だ﹂
騎士D﹁話し合って決めたんだ。このままじゃ魔王軍との戦いは終
わらない。どこかで賭けに出るしかないんだ﹂
最悪の事態を避けるために戦うのは戦士の本能だ
しかし、その本能に背を向けて
はじめて見えるものがあると彼らは言う
騎士E﹁第九次の戦後、おれたちは魔物たちと歩み寄るチャンスを
手に入れた。それは何故だ? 勇者が魔王と話し合おうとしたから
だ﹂
騎士F﹁失敗したのは当たり前なんだ。たったの一度で、うまく行
くわけがない。もう一度やり直そう。また失敗してもいいじゃない
か。何度でもやり直すんだよ。そうやって少しずつ歩み寄って行く
んだ﹂
騎士G﹁人間は弱い。だから諦めきれないんだ。なにを捨てればい
力
なんじゃないか﹂
いのか、捨てるべきなのか、それともしがみつくのか、選べないこ
ともある⋮⋮。それが、おれたちの
ポンポコ騎士団のメンバーは口々に訴える
2559
トンちゃんは百人余の命を預かる部隊長だ
だから、きっと下したくても下せない命令もある
子狸を置いて行くことに
中隊長としての判断以外の
期待がなかったと言いきれるか
騎士H﹁おれたちは、どこかで間違えたんだ。子供を撃つ戦争なん
て、もうまっぴらだ﹂
騎士Hが吐き捨てた
けっきょくのところ、それが彼らの本音だったのかもしれない
騎士Aが、子狸の肩に手を置いた
騎士A﹁おれは、こいつに賭けてみたい。その根拠は、おれたち自
身だ﹂
吐露し終えた騎士たちが、子狸と豆芝さんの周囲を固める
受け入れられなければ、押し通ってでも先に進もうと言うのか
それは敗北が確定した行軍だ
彼らの動きが露呈した時点で、トンちゃんが放置するとは考えに
くい
実働騎士たちの弱点を、じっさいに指揮する人間は知り尽くして
いる
だから実働部隊には、その半数にも及ぶ特装騎士がつく
子狸﹁⋮⋮!﹂
2560
おずおずと伸ばされた子狸の前足が
豆芝さんに触れた
何やら一人だけ別の物語が進行していそうな気配であるが⋮⋮
ちいさなポンポコが絶叫した
米
最後のパスが通った。
ゴールキーパーとの一対一。決定的なチャンスだ。
緊張はなかった。フィールドと一体になったかのような、⋮⋮な
ったかのような⋮⋮。
いや、フィールドと一体になれるわけがない。自分が間違ってい
た。
とにかく調子はいい。まわりもよく見えている。
審判の羽のひとが、ちらりと時計を見た。ロスタイムは残り少な
い。これが最後のプレイになるだろう。
ディフェンスを振りきった鬼のひとが、空いたスペースに走り込
む。
トリッキーな動きと、たくみなボールコントロールは定評がある。
心強い味方だ。
⋮⋮しかし裏切られないという保証はない。
魔物たちの国技、デスボールは過酷なゲームだ。
裏で大きなポイントが動くため、最後に頼れるのは自分しかいな
い。
2561
飛び出した鬼のひとにつられて、キーパーがわずかに守備位置を
下げた。シュートコースが大きく開く。
でも、これはおとりだ。キーパーは青いひと。シュートを撃てば、
触手で刺し貫かれるだろう。
こうなったら、奥義を解禁するしかない。
厳しい特訓のすえに編み出した、おれターンだ。
優しいタッチで足を振り抜いた。
﹁ループ!﹂
味方の筈の鬼のひとが叫んだ。
なんてことだ。やはり買収されていた。
意表を突かれた青いひとが、ぎょっとしてから触手を構える。︱
︱だが、遅い。
﹁おれターン!﹂
くるりと回る。
しかしボールは、あっさりと触手で刺し貫かれた。
ホイッスルが鳴る。
夢は断たれた。
おれたちの夏は終わったのである⋮⋮。
∼fin∼
2562
米
反論しようとした特装騎士が口をつぐんだ
騎士を押しのけた前足は、青い霊気で包まれている。夜の青だ
三日前よりも、さらに洗練されたオーラは
すでに人の形をとどめていない
もこもこした前足には肉球らしきものが見てとれる
先太りのしっぽが揺れていた
ずんぐりとした輪郭
飛び出した口吻の上に、ちょこんと鼻が乗っている
頭の上に張り出した丸い耳⋮⋮
※ ポンポコスーツ
※ ポンポコスーツ⋮⋮
※ お前らが狸、狸と連呼するから⋮⋮
霊気の外殻が青くきらめいた
真紅のマフラーがたなびく
完全復活した子狸さんが
行く手を遮る特装騎士に言った
子狸﹁通してもらうぞ﹂
警戒するなと言うほうが無理だ
この子狸は⋮⋮
まるで魔物だ
2563
霊気に気圧されながらも
特装騎士はひるまない
特装A﹁嫌だと言ったら?﹂
子狸﹁押し通る﹂
子狸は即座に答えた
子狸﹁いまのおれは、トンちゃんにだって負ける気がしない﹂
※ 男前の子狸さん
※ 久しぶりの男前モード
※ 嫌な予感しかしねぇ⋮⋮
自分たちの上司を軽んじる発言に
特装騎士たちが色めき立った
特装B﹁きさま⋮⋮調子に乗るなよ﹂
王国最強の座は安くない
踏み出そうとした特装Bを、Aが制止した
特装A﹁おれがやる﹂
狸なべデスマッチ第三陣の開幕である
はたしておれたちの子狸さんは
特装騎士を越えることが出来るのか⋮⋮
2564
2565
王国と帝国と
三六、山腹巣穴在住のとるにたらない不定形生物さん
完全復活を遂げた子狸さんが
特装騎士に挑戦状を叩きつけた頃⋮⋮
第二チェックポイントを目前に控えたトンちゃん部隊with勇
者一行は
宿敵の帝国騎士団と睨み合っていた
王国騎士団を白アリさんとするなら
帝国騎士団は黒アリさんだ
漆黒のプレートメイルは、各所にトゲが生えていて
全体的につるっとしている王国騎士団の制式装備よりも
幾らかお洒落である
そのぶん手入れは面倒なのだが
ださい鎧を着るよりはましであると
帝国の騎士たちは口を揃えて言う
一方、王国の騎士たちは内心で
帝国騎士団の鎧がお洒落であることを認めている
認めてはいるが⋮⋮
決して口には出さない
王国騎士団と帝国騎士団は
2566
致命的なまでに仲が悪かった
互いにないものを相手が持っているからである
特装騎士の一人が、たくみな手綱さばきでトンちゃんに近づく
もともと自分の馬を中隊に預けてあったのだろう
トンちゃんは立派な体格のお馬さんに乗っていた
となりの勇者さんは黒雲号に乗っている
ふたりとも小柄だったから、人馬ともに親子ほどの体格差がある
アリア家と縁があるトンちゃんは
黒雲号を見くびるような真似はしない
このお馬さんは、わりとマイペースなところがあるものの、非常
に賢いのだ
トンちゃんの、黒雲号へと向ける信頼は厚い
勇者としての風格を心配して騎馬の交換を申し出る部下を
直々に諌めるほどだった
のマイカ
そのトンちゃんが、帝国の一個中隊を率いて立つ将へと向ける視
線は厳しい
報告する部下を一顧だにしないのは
不死身
この睨み合いに負けたと思われるのが癪だったからだ
王国騎士﹁若、あの男⋮⋮間違いありません。
ルです﹂
どるふぃん﹁間違いないか?﹂
2567
王国騎士﹁はい。私の部隊は、過去にやつと交戦したことがありま
す﹂
華々しい戦歴を持つ騎士は
不死身
のマイカル・エウロ・マクレンは
称号名とはべつに恥ずかしいふたつ名で呼ばれることが多い
一見すると優しげな
しかし帝国きっての猛将として知られる男だった
三十代前半という年齢は、中隊長としてはじゅうぶん若い部類に
入る
知名度で言えば、王国最強の騎士と謳われるトンちゃんに勝ると
も劣らないだろう
帝国の若き将は、もちろんトンちゃんのことを知っている
遠目にもわかるほど恰幅の良い騎士など見紛う道理もない
︱︱異様な騎士だ。しかし強い
一対一では、まず敵わないだろう
あれだけのぜい肉を維持しているということは
つまり他の騎士にとっては過酷な訓練が
彼にとってはぬるいということだ
参謀の一人が言った
不死身の男は、実働部隊の出身で
七人の参謀を持つ典型的な中隊長だ
帝国騎士﹁マイク。やつがアトン・エウロだ。王国最強の騎士⋮⋮﹂
2568
不死身﹁まあ、そうだろうな。王国はあとがない。出てくるとすれ
ば、まずあいつだろうさ﹂
似たような理屈で、不死身の男はここにいる
帝国にとっても、王国の危機は他人事ではない
王国が滅んだなら、次は自分たちの番だと想像するのはたやすか
った
ただし彼らには、敵国の滅亡を待ってから動くという選択肢もあ
り得た
そうしなかったのは、やはり勇者の存在が大きい
不死身﹁あの子がそうなのか。アリア家の⋮⋮令嬢というのは。お
れの娘にちょっと似てる﹂
帝国騎士﹁いや、似てねーよ。お前、実の娘に知らないおじさんだ
と思われてるし﹂
不死身﹁⋮⋮お前、ひとのこと言えんのか? この前、ぜんぜん懐
いてくれないって号泣してたじゃねーか﹂
帝国騎士﹁高給取りはいいよな﹂
不死身﹁あ? そんな変わんねーよ。びっくりしたわ。おれがびっ
くりしたわ。中隊長って世界に三百人しかいないんじゃねーの? お父さまは授業参観を遠慮して下さいとか学校側に言われて、その
挙句が雀の涙だよ。遠慮したけどさっ。だって家を出たら青いのが
ふつうにいるんだよ。意味わかんねぇ⋮⋮﹂
※ 日当たり良好でした
※ たまに娘さんと遊んであげてます
2569
※ ついでに雪除けしておきました
※ ついでに雪だるまに魂を吹き込んでおきました
※ メノゥレゴみたいな
※ やがてメノッドレゴみたいな
※ あのときの不死身さんの勇姿が忘れられません
高度な戦略について参謀と話し合う不死身の男
その間も、トンちゃんからいっさい目を逸らさない
凄まじいまでの胆力だ
これが厳冬に鍛え上げられた帝国騎士団の底力なのか
帝国の明日について忌憚なき意見を交わす二人に、べつの参謀が
声を掛ける
唇の動きを最小限に抑えた話術だった
帝国騎士﹁いつでも撃てる。いまなら、やれる﹂
狙撃班は、とうに配置についている
狙撃と同時に戦端は開かれるだろう
おそらく王国の狙撃班も、どこかから不死身さんをポイントして
いる筈だ
相打ちになる可能性もある
しかし、それを差し引いたとしても、王国最強の騎士は片付けて
おきたい存在だった
不死身﹁待て。撃つなら、より確実に仕留めたい。おれが出る﹂
開戦前の使者を、自分自身が買って出るということだ
2570
国際的な位階が同じエウロなら、おそらく応じるのはトンちゃんだ
仕留める手段が思
ひと呼吸で開放レベル3の防壁を張れる実働騎士から引き離したい
相手も同じことを考えている筈だ
互いに歩み寄るなら、騎馬で数歩の距離
穏便に
その間に、狙撃班を抑えたほうが勝つ
分は悪いかもしれない
トンちゃんは特装騎士の出身だ
だが、それ以外に王国最強の騎士を
いつかなかった
参謀が頷いた
帝国騎士﹁⋮⋮わかった。マイク、用心しろよ。アトン・エウロは
妙な力を使う﹂
不死身﹁念動力か⋮⋮。厄介だな﹂
帝国騎士﹁厄介どころか、その力でメノッドロコと互角に渡り合っ
たらしいぞっ﹂
不死身﹁どこの神話だよ。戦隊級と一騎打ちとか、人間がやってい
いことじゃないでしょ⋮⋮﹂
トンちゃんのやんちゃぶりに
帝国きっての猛将はびびっている
一方、その無茶をやってのけたトンちゃんは
やる気に満ちあふれていた
2571
どるふぃん﹁ふっ﹂
不敵な笑みから
一転、ぎらりと眼光を鋭くする
どるふぃん﹁不死身の人間などいない﹂
※ 不死身さん、逃げてぇー!
※ 逃げて! 不死身さん、地の果てまで!
好敵手の存在に胸がおどった
トンちゃんと対等に戦える騎士は国内にはいない
鱗のひととの、命を削るような舞踏に
まったく心が弾まなかったと言えば嘘になる
だから半分は本心だった
帝国騎士団が王国の騎士に恭順を示すことはない
対立関係は維持しておくべきだった
いま、この場には勇者がいるからだ
トンちゃんの意図を察した勇者さんが
手綱を握る手に力をこめた
黒雲号が進み出る
ざわめく騎士たちが見守る中
勇者さんが片手を掲げた
彼女の肩から舞い上がった羽のひとが
祝福をするように
少女の頭上を旋回する
2572
ちいさな羽がふるえるたびに
光の鱗粉がまたたいた
その光が、まっすぐ伸びた勇者さんの手を中心に渦を巻く
風に遊ぶ光たちが歌い、踊るかのようだ
紡がれた輪が、宝剣の輪郭を成していく
それは勇者のあかしだ
二つの世界をつなぐ希望のしるしだ
⋮⋮子狸と別れてからの彼女は
表面上、さして気に病んでいる様子が見られなかった
アリア家の人間は、感情制御と呼ばれる異能を代々受け継いでいる
心の働きを自らの意思で規定する力だ
それなのに、担い手の感情に呼応する筈の聖剣が
日増しに本来の力を取り戻していくかのようだった
ふたたび肩にとまった羽のひとに
常に明るく振る舞ってくれている小さな旅の仲間に
勇者さんがつぶやいた
勇者﹁ありがとう﹂
その言葉は、駆け上がる光の音に紛れた
声は聞こえなくとも、届くものがあったから
羽のひとはにっこりと笑って頷いた
妖精﹁ご一緒します。どこまでも﹂
2573
頭上に掲げた手を、勇者さんが握りしめた
初雪を踏むような淡い手応えがある
一回りほど大きくなった精霊の秘宝が
あるじと認めた少女を、光の波形で彩った
※ 勇者さん、すっかり立派になって⋮⋮
※ エフェクトにも気合が入ってるぜ
※ さすが王都さんですよね。ぽよよん
※ きさまっ、自画自賛か!
※ いやっ、待て⋮⋮わざとらしすぎる⋮⋮王都のんらしくな
い⋮⋮
※ 計算尽くだよ。お兄ちゃん、腹黒いから。ね☆
※ お前ほどじゃないな、妹よ
※ あははっ。しんじゃえ
※ はっはっは。お前がしね
仲良くしなさい
まったくもう⋮⋮続けるよ?
後世に語り継がれるであろう英雄譚の一幕に
自分たちは立ち会っているのだと気付いた騎士たちが
打たれたかのように魅入られていた
光の宝剣を水平におろした勇者さんが、彼らに言った
勇者﹁喧嘩するなら、あとでやりなさい﹂
※ おふっ
2574
※ おふっ
※ なんたるシンクロ⋮⋮
騎士たちは一斉にこうべを垂れた
ふだんはいがみ合っている王国騎士団と帝国騎士団も
勇者の威光の前では、仲が良いふりをする程度のことは出来る
彼らは戦士だからだ
どちらが音頭を取ってもしこりを残すから
両国の騎士団を率いて立つのは勇者の役目だった
ここまでは想定通りだ
しかし事態は、思いもよらない方向から破綻する
二人の中隊長に、特装騎士が報告を上げたのは、ほぼ同時だった
行軍の際、後詰めの特装部隊を一定間隔に配置するのは
尾
と呼ばれる戦法である
騎士団の常套手段だ
騎士団の
貴重な戦力でもあるから、第二のゲートが近づくたびに、騎士団
の尾は短くなる
開戦前には本隊と合流できるよう、最低限の距離を保つためだ
不測の事態に備えるあまり、避けようのない戦いで負けてしまっ
ては意味がない
それほどまでに突入部隊の人員はひっ迫していた
王国と帝国、三大国家の二席を占める大国に所属する騎士の
悲鳴にも似た声が
若き中隊長たちの鼓膜を打った
2575
魔軍元帥
です! つの付きが現れました!﹂
特装﹁⋮⋮を確認しましたっ! 特装より本隊へ、聞こえますか!
? 魔軍元帥、つの付きの出陣である
2576
不死身の男
湿地帯を東側に抜けると
その先にひろがるのは広大な草原だ
木々の生育には適さない土壌と気候なので
なだらかな丘陵が続く他、視界を遮るものはない
湿った風が吹く
瘴気を思わせる、嫌な風だった
ざあ、と草が波打つ
頭上には白い雲が疎らに浮かんでいるくらいで
よく晴れた日だった
このあたりは雨季ともなれば三日に一度は雨が降るから
青空が見えるだけで得した気分になる
だから、こんなにも理不尽に感じるのだと
特装騎士は自らを誤魔化した
樹上から見据えた先を
まるで雨雲の化身であるかのように
黒装の騎士が歩いていたからだ
色が似通っているというだけで
完全武装した帝国兵との相似点を探すほうが難しかった
2577
それなのに無意識のうちに比較したのは
せめて同じ人間だったらと
心のどこかで願ってしまったからだ
手の震えが止まらなかった
吐き気がする
訓練で克服した筈の
魔物への恐怖を
臓腑ごと引きずり出されるかのようだ
庭園﹁ひゅー⋮⋮ひゅー⋮⋮﹂
でも吐き気なら負けていなかった
ステルスしたお前らが声援を送っている
骸骨﹁ゆっくりでいいから!﹂
骸骨﹁焦らないで!﹂
骸骨﹁まず完走しよう!﹂
※ まだ走ってたのか⋮⋮
※ いや⋮⋮そりゃそうだよ。あんな、くそ重い鎧を着込んで
走ってたら⋮⋮
※ いったい、どれだけの苦行なんだよ⋮⋮?
すでに相当な距離を走破してきたようで
もはや完全にグロッキーだった
2578
腕を振り上げる余力もないのか
地を踏みしめるたびに脱力しきった両腕がぶらぶらと揺れている
事情を知らないものからしてみれば
かなり⋮⋮不気味だった
いかな百戦錬磨の騎士といえど
魔王軍の全軍統括者が一敗地にまみれて
失われた威厳を取り戻すためにマラソンに挑んでいるとは⋮⋮
看破できなかったようである
動作は緩慢なのに
鬼気迫る様子の黒騎士を
樹上で息をひそめて見守るばかりだ
はっきり言って人間に構っている場合ではない子狸バスターが
まとわりつく視線に苛立ちを覚えたか
不意に顔を上げる
目が合った
庭園﹁ゴル⋮⋮﹂
王国騎士﹁ッ⋮⋮!﹂
詠唱が聞こえたわけではない
両者の距離は遠く隔てていた
だが、開放レベル4の魔法とは
すなわち都市級の存在感をはらんだイメージだ
2579
庭園﹁メイガス﹂
とっさに枝を蹴って飛び退いた特装騎士が
空中で大きく仰け反る
眼前で炎が弾けた
︱︱これが座標起点だ
レベル4の魔物は、わすが二つのスペルで
遠隔攻撃を可能とする
しかも必殺の一撃だ
人間たちの開放レベルは3が限界だから
開放レベル4の魔法を治癒魔法で癒すことは出来ない
これが都市級だ
魔王軍の最大戦力だ
反撃するひまもなかった
常夜の騎士が、ぼそりと喚声を吐き捨てるたびに
首筋を、うなじを、炎の舌が舐める
手加減をされている、などという次元ではなかった
当てようと思えば当てれた筈だ
不愉快だったから追い払われたのだと気付いたのは
じっさいに魔軍元帥の視界から逃れたときだった
2580
特装騎士は愕然とした
敵に情けを掛けられた⋮⋮
いや、それ以前の問題だった
敵にすらなれなかった
王国騎士﹁おれは⋮⋮安堵しているのか⋮⋮?﹂
命が惜しかった
死にたくなかった
絶大な魔力を持つ都市級と相対したとき
人は自らの弱さをさらけ出してしまう
だが⋮⋮
騎士はきびすを返した
自分の無事を心から喜んでくれる仲間がいた
駆け寄ってくる同僚に、騎士は片手を上げて応えた
王国騎士﹁戦えるぞ、おれたちは﹂
いつしか手の震えは止まっていた
一人の騎士が生還をはたした頃⋮⋮
睨み合っていた王国兵と帝国兵が緊張していた
トンちゃんと不死身さん
二人の中隊長が、騎馬を降りて
2581
どちらからともなく歩きはじめたからだ
二人は初対面だった
ともに若く、ゆくゆくは両国の騎士団を背負って立つ存在だった
から
おそらく熾烈を極めるだろう二人の対決を
政治家たちは望まなかったのだ
歩き出したのが同時なら
立ち止まったのも同時だ
そこに埋めがたい溝があるかのように
二人は一足一刀の間合いを避けた
なんだか放置され気味の勇者さんは黙って二人を見守る
今日も絶好調のネコミミが、所在なさげに畳まれていた
ネコミミはネコミミでも、にゃんこ代表の魔ひよこは
鱗のひとと仲良く原っぱに座っている
世間話などしていた
ひよこ﹁鱗っち、鱗っち﹂
トカゲ﹁あ∼⋮⋮いい天気だなぁ。ん? なんだい、猫さん﹂
ひよこ﹁魔王のお仕事に興味は有りませんか?﹂
いいぞ。もっとやれ
2582
トカゲ﹁ないっすね﹂
おっと、鱗ガード。相変わらずの鉄壁だ
トカゲ﹁ていうか、魔王の正体は人間なんでしょ? おれ、担当部
署が違うから﹂
鱗にこだわりがあるトカゲさん
このひとは、人型に化けても半獣半人をキープしようとする
※ 人間とは何だろう
※ うむ、深いな⋮⋮
※ 姿かたちにこだわる必要はないのではないか⋮⋮
一致団結するお前ら
トカゲ﹁いやいや、それなら牛のんとかどうよ? あのひと、ほと
んど人間だし﹂
※ 同じレベル3として苦楽をともにしてきた鱗のひとは、牛さ
んに意見できる貴重な人材である
※ イリスちゃんはだめだよ。子狸ちゃんと敵対するの嫌がる
でしょ
※ なぜか子狸さんには甘い牛さん。おれたちの何がいけな
いと言うのか⋮⋮
※ そういうところじゃねーの?
ひなたぼっこしている魔獣と獣人も何のその
真剣な表情で睨み合うエウロの名を持つ男たち
2583
口火を切ったのは不死身さんだった
不死身﹁貴様か、ジョンコネリの弟子というのは﹂
どるふぃん﹁そうだ﹂
トンちゃんは認めた
王国最強の騎士と称されるよりも
敬愛する上司の弟子と呼ばれたほうが嬉しかった
お返しとばかりにトンちゃんが言った
どるふぃん﹁貴様は、マクレン翁のひ孫だと聞く。血は争えんか﹂
不死身﹁⋮⋮そうか?﹂
不死身さんは微妙に嫌そうだった
彼の曽祖父は、かつて勇名を馳せた中隊長だ
大隊長にはなれなかったものの
その清廉潔白な人柄で多くの部下に慕われた人物である
清廉潔白すぎて、ときとしてアーマーオフしてしまう癖があった
心を裸にするためには鎧を脱ぎ捨てねばならない⋮⋮らしい
とにかく脱ぎたがるので、お前らもそのように対応せざるを得な
かった
具体的には、流れ弾が何故か鎧限定でクリーンヒットする宿命だ
2584
った
ちょっと目を離した隙に半裸と化している、油断ならない男だっ
た⋮⋮
不死身さんは、あの半裸の血を引いている
※ バウマフ家の人間をツッコミ役に回らせた恐ろしい男だった
な⋮⋮.
※ 当時の管理人さんは女の子だったからねぇ⋮⋮.
※ そうか、不死身さんはセクハラ大魔神のひ孫さんなのか
⋮⋮
二人が向かい合っている間にも
特装騎士の報告が矢継ぎ早に飛び交っている
自分の部下が虚仮にされたと知って
トンちゃんが怒りをあらわにした
どるふぃん﹁⋮⋮時間が惜しい。マイカル、貴様は勇者とともに先
行しろ﹂
不死身﹁⋮⋮念のために訊いてやる。何をするつもりか?﹂
つの付きの進行速度、第二のゲートまでの距離⋮⋮
二人は直感的に把握していた
ここで、魔軍元帥を足止めしなくては挟撃される
見積もりが甘かった
2585
魔王の傍らを離れることはないと高を括っていた
そのツケを支払わねばならない
誰が?
トンちゃんは言った
どるふぃん﹁無論﹂
いま、存亡の危機にあるのは王国だ
帝国ではない
しかしトンちゃんは、あえて別のことを口にした
不死身さんの人となりは耳にしていたから
利害ではなく、淡々と事実を言う
どるふぃん﹁やつに対抗できるとしたら、それは私しかいない﹂
不死身さんが踏み出した
トンちゃんの胸ぐらを掴もうとして、鎧に阻まれる
代わりに、固く握ったこぶしを胸当てに押しつけた
緊張が走る
王国騎士たちが臨戦態勢をとった
応じて帝国騎士たちも身構える
トンちゃんが部下を制した
どるふぃん﹁手出しをするな﹂
2586
憤怒をまとった不死身さんに
にやりと笑う
どるふぃん﹁侮辱と感じたか? だが、事実だ。貴様では、私には
勝てんよ﹂
一触即発の気配を、不死身さんは無視した
王国最強の騎士を怒鳴りつける
不死身さん﹁貴様はエウロだろう! 特装部隊の出だからと、甘え
るな﹂
目先のことに囚われているトンちゃんを叱り飛ばす
不死身さんは辛辣だった
不死身﹁魔軍元帥だと? 未熟者め。貴様は、何のためにここにい
る。ジョンコネリは、貴様を買いかぶっていたようだな。師の欲目
か﹂
彼が何を言わんとしているのか
トンちゃんは理解していた
浮かぶ表情は逡巡だ
どるふぃん﹁マイカル。しかし⋮⋮﹂
不死身﹁魔人に対抗できるのは、貴様しかいない﹂
だから、ここで切り札を失うわけには行かなかった
きびすを返した不死身さんが
2587
部下たちに叫んだ
不死身﹁帝国騎士団、出るぞ! どるふぃん﹁ばかな!﹂
敵は魔軍元帥! つの付きだ!﹂
トンちゃんが不死身さんの肩を掴んだ
魔軍元帥に対抗できる可能性があるとすれば自分しかいない
それは、はったりなどではない、歴然とした事実だった
どるふぃん﹁死ぬ気か? マイカル!﹂
肩越しに振り返った不死身さんが
ふてぶてしく笑った
不死身﹁名誉挽回の機会を与えてやる。おれのふたつ名を言ってみ
ろ﹂
どるふぃん﹁不死身の人間などいるものか!﹂
だから、不死身さんは笑うのだ
不死身﹁死なんさ﹂
※ この流れは⋮⋮
※ 出るぞ、出るぞ⋮⋮
不死身﹁もうすぐ娘の誕生日なんだ。今年は家族全員で祝うと約束
したんでな⋮⋮﹂
2588
2589
不死身の男︵後書き︶
登場人物紹介
・不死身さん
帝国騎士団の未来を担う中隊長。
である。
不死身
のふたつ名を持つ男
お名前は﹁マイカル・エウロ・マクレン﹂。
実働部隊出身の叩き上げの中隊長だ。
困ったことに、無自覚にふらふらと死地に飛び込む癖がある。
放っておくと、しんじゃいそうで怖いと魔物たちを心配させてい
る。
曽祖父同様、目を離せない存在である。やはり血は争えないらし
い。
2590
ドライブ
三七、王都在住のとるにたらない不定形生物さん
帝国騎士団が決死の戦場に身を投じた頃⋮⋮
ついに憧れの毛皮を獲得した子狸さんが
因縁の特装騎士と対峙していた
※ 待ってました
※ 子狸さん、すっかり立派になって⋮⋮
※ あきらかに子狸の処理能力を越えてる。本当になんなん
だよ、この魔法は⋮⋮
全身を包む霊気の外殻は
断続的に青い粒子を放出している
騎士A﹁ポンポコ⋮⋮﹂
ポンポコ騎士団のメンバーが
戦いに臨む団長を、はらはらしながら見守っていた
騎士B﹁無茶だ。過度魔法は万能じゃない⋮⋮!﹂
騎士C﹁だが、あんな作用ははじめて見る⋮⋮まるで﹂
魔物だ、というひとことを騎士Cは呑み込んだ
しかし、その第一印象は正鵠を射ている
2591
この世界の魔法の在り方を決めたのは開祖だ
あのひとは、魔法と言葉を交わすことを望んだ
意思、心、魂、呼びかたはどうでもいいが⋮⋮
そうしたものを取り込んだ魔法から
おれたちは生まれた
連結魔法というものを極限まで突き詰めたなら
その正体は、魔物を生み出す魔法に他ならない
※ あのひとには、あなたたちを利用しようという気がなかった
んだよ。だからうまく行った
※ 悔やまれるよな。もう少し⋮⋮なんとかならなかったのか
※ ママンは、あんな男のどこが良かったのだろうか⋮⋮?
※ ママン⋮⋮
※ ママン⋮⋮
※ ママン⋮⋮
ポンポコ騎士団の団員は、子狸を止めようとした
子狸は開放レベル3を使えない
もともと王都勤務にあたっていた特装騎士たちは
それを知っている
勝ち目があるとは思えなかった
だが、おれたちの子狸さんには秘策があったのである⋮⋮
ひっくり返した前足に力を込めた
2592
子狸﹁むんっ⋮⋮!﹂
飛び出した霊気の塊を、特装Aが警戒した
楕円形のボールを肉球でホールドした子狸が
前足を突きつける
子狸﹁一本勝負だ。お前には決定的な弱点がある⋮⋮それを教えて
やる﹂
騎士A﹁待て待て﹂
進み出た騎士Aが、子狸の肩に腕を回して自陣に戻る
顔を寄せて小声で囁いた
騎士A﹁そういう雰囲気じゃないだろ? ここは王都じゃねぇんだ、
な?﹂
子狸﹁しかし﹂
不服そうな子狸に、他のメンバーも声を掛ける
騎士D﹁全国編に突入するとか、そういう場面じゃないから。な?﹂
騎士E﹁ここは、ほら、お前のその⋮⋮もこもこしたのが未知の力
を発揮する流れだろ?﹂
諌めながら、彼らは子狸の耳をつまんで﹁おお﹂とか感嘆の声を
上げている
お前らも子狸さんの毛皮としっぽを無遠慮に撫でていた
2593
しかばね﹁おお⋮⋮﹂
亡霊﹁おお⋮⋮﹂
少しは遠慮しろよ
※ 超光速で全身を撫で回しておいて、言うことがそれか
※ 王都のんの本気を久しぶりに見た⋮⋮
撫でましたけど?
※ あ、開き直った
※ 最低だよ。最低だ⋮⋮
三八、管理人だよ
や、やめろよ。小さい子供じゃないんだから⋮⋮
三九、王都在住のとるにたらない不定形生物さん
! わ、悪かったよ⋮⋮
※ なにその素直⋮⋮
※ 砕け散ればいいのに⋮⋮
※ というか、自分で歩けよ
※ この青いの、ここ二週間近くずっと子狸におんぶされてるか
2594
らね
※ なんかホームポジションみたいな顔してっけど、そんなの
通らねーから
※ おれのアナザーが、緑の島で王都さんに睨まれて怖かっ
たと苦情を⋮⋮
※ 職権濫用どころか、濫用が職権っつう話ですよ
※ んで都合が悪くなると、さっさと話を進めるんだろ?
※ もう誤魔化されねーぞ!
※ お前ら、おちつけ! 逆流!
※ !∼わう
※ !∼わう
こきゅーとすに新機能が追加された頃
大人気の子狸。惜しまれつつも送り出されたが⋮⋮
子狸﹁⋮⋮⋮⋮﹂
不安そうにポンポコ騎士団のメンバーを見ている
騎士F﹁⋮⋮おい。凄い見てる﹂
騎士G﹁信じよう。あれだけ言って聞かせたんだ。⋮⋮ああ、これ
はだめなパターンだな﹂
騎士H﹁⋮⋮もう、おれはあいつにどうなって欲しいのかが自分で
もよくわからない﹂
2595
迷いを振りきった子狸が、しっぽを揺らしながら前足を突きつける
特装A﹁⋮⋮⋮⋮﹂
律儀に待ってくれていた特装騎士が
やってみろ、と言うように腕を組んだ
冷たい目だ
どうせボケるんだろ? と言わんばかりの眼差しである⋮⋮
※ 子狸さん、目にものを見せてやれ!
※ トクソウめ。いまにぎゃふんと言わせてやる⋮⋮!
※ 以前の子狸とはわけが違うんだよ⋮⋮!
子狸﹁むんっ⋮⋮!﹂
特装A﹁!﹂
特装Aが目を見張った
他の騎士たちも息をのむ
速い⋮⋮!
なんてキレだ⋮⋮!
特装B﹁あそこから切り返すだと⋮⋮!?﹂
しかし特装Aの反応もまた常人の比ではない
どっしりと腰を落として子狸に張りつく
子狸﹁くっ⋮⋮!﹂
2596
ドリブル突破は無理だと悟った子狸が
シュート体勢に入る
その一瞬の隙を、特装Aは見逃さなかった
鋭く伸ばされた手がボールを掠める
いいディフェンスだ⋮⋮
危ういところで弾き飛ばされそうになったボールを
子狸が慌てて確保する
特装C﹁ポンポコ!﹂
ヘルプに入った特装Cに子狸がパスをした
子狸﹁頼む!﹂
最後に決めるのは子狸だ︱︱
瞬時に判断した特装Aが、子狸のマークにつく
しかしそれよりも早く、特装Dが進路をふさいだ
特装A﹁スクリーンアウトだと!?﹂
特装D﹁決めろ!﹂
子狸﹁ヘイ!﹂
フリーになった子狸がパスを要求する
特装Cが、いぶし銀のノールックパスを放る
ボールを受け取った子狸がひざをたわめる
執念の特装Aが追いすがる
2597
子狸﹁⋮⋮!﹂
特装Aが目を見開いた
ここでフェイクだと︱︱!?
ボールを前足でホールドした子狸が跳ぶ
完璧なフォームだ
決まる︱︱!
騎士A﹁待て待て待て!﹂
割って入った騎士Aが、子狸と特装騎士たちの頭を順番に叩いた
騎士A﹁お前らも乗るなよ! 諦めるなよ!﹂
特装A﹁⋮⋮諦めもするわ﹂
実働騎士と特装騎士は仲が悪い
騎士A﹁あ?﹂
特装A﹁⋮⋮ちっ﹂
いまにも殴り合いをはじめそうな険悪な雰囲気である
子狸﹁!﹂
不意に子狸が上空を仰ぐ
??﹁なってないわね﹂
2598
降ってきた声には
見守るような寛容さがある
子狸は他者の気配に敏感だ
そのことを、騎士たちは長い付き合いから知っている
一斉に身構えた騎士たちが
訓練で血肉に刻まれた動きをとる
あるものは一歩下がり
あるものは左右にずれる
無意識に陣形を整える部下たちを騎士Aが制止した
騎士A﹁待て! 撃つな﹂
青空に光の粒子が溶け込んでいくようだ
薄い羽が日差しに透ける
白い雲を背景に黒衣が際立って見えた
子狸﹁お前は⋮⋮﹂
お腹を抱えてころころと笑っている花の精霊は
露出を抑えた控えめな衣装に身を包んでいる
子狸の肩に舞い降りた黒妖精が
あでやかに笑った
ちいさな唇を指先でなぞる
コアラ﹁勇者に捨てられちゃったの?﹂
2599
羽のひとの分身は
その役柄ゆえにか
かつての性格を色濃く引きずっている
人間たちを睥睨し
たしなめるように言った
コアラ﹁あなたたちには、もったいないおもちゃね﹂
子狸﹁ふっ、過ぎた玩具ということだ﹂
コアラ﹁あなたのことよ﹂
子狸﹁このおれがな!﹂
びしっと自分に前足を突きつける子狸さん
自信にみなぎっている
コアラ﹁⋮⋮少し黙っていなさい﹂
子狸﹁はい﹂
素直だ。妖精さんには逆らわないよう心身に刻み込まれている
細く吐息をついた小さな少女が
おちついた所作で髪をはらった
彼女を見る騎士Aの目付きは険しい
部下たちに撃つなとは言ったものの
2600
それが正しい判断だったのかどうか
自信はなかった
騎士A﹁ユーリカ・ベルだな。つの付きはどうした?﹂
港町で起こった本当の出来事を
突入部隊のメンバーは事前に聞いていたのだろう
声音に警戒心がにじんでいる
彼女は魔軍元帥のパートナーだ
コアラ﹁さあ? ここにはいないわね﹂
そんなことは見ればわかる
教えるつもりはないらしい
コアラ﹁そんなことより⋮⋮﹂
闇の妖精が片手を差し伸べた
精霊の使者を迎合するように
光が、大気が、草木が
急速に色づいていく
妖精の姫が勅命を下した
コアラ﹁戦いなさい。喜びなさい。生まれ持ったすべて、鍛え上げ
たすべてをここに。それ以上に公平なルールなど、ありはしないの
だから﹂
2601
騎士A﹁ちぃっ⋮⋮!﹂
極論を述べる妖精属に、舌打ちした騎士Aが駆け出した
騎士A﹁レゴ!﹂
突き出した人差し指が冷気の渦をまとう
他の騎士たちも追随した
本人
でなければならないという原則はない
魔法の行使は詠唱とイメージを要する
しかし術者が
多細胞生物の最低単位を定義するのは不毛だからだ
詠唱とイメージの規格を統一した群体は
ひとりの術者として扱われる
なんのことはない
体内で起きていることを、体外で再現しているだけだ
開放レベル3に、レベル2、レベル1の魔法は太刀打ち出来ない
同格ではないから、性質の衝突が発生することすらない
一方的に食い破られる
ただし、それは縄張りの重複が発生した場合の話だ
ひらりと舞った黒妖精が
あやとりでもするかのように世界を結ぶ
取り残された殲滅魔法さんは
目標を見失って所在なさげに佇むばかりだ
2602
超空間に取り込まれた騎士たちが歯噛みする
子狸に近すぎた︱︱
魔法の実現性と退魔性はリンクしている
だから、より子狸に近い位置を占めた黒妖精の結界が優先された
のだと
百戦錬磨の戦士たちは理解していた
彼らは林の中にいた
とくべつな意図でもなければ、既存の光景を写し取るのは理に叶
っている
ただ、目の前にこぶしの殿堂が鎮座していた
6メートル四方のリングを
逃げ場はないと言わんばかりにロープが囲んでいる
早くも適応した子狸さんが
リングの下でフックの角度を調整していた
リング上空を陣取った黒妖精が
おなじみの紙コップを片手に叫ぶ
コアラ﹁お待たせしました、会場のみなさん! 狸なべデスマッチ
第三陣、選手入場です!﹂
特装騎士たちは、おちついたものだ
単独任務に当たることも多い彼らは
お前らの無茶ぶりに慣れている
セコンドの特装騎士たちが
2603
ゆっくりと柔軟体操をしている特装Aへと
口々にアドバイスをしていた
特装B﹁ポンポコは上級魔法を使えない。だが、それは過去の話か
もしれん。思い込みは捨てろ。あとツッコミ自重﹂
特装C﹁いつも通りでいい。奇をてらう必要はない。じっくり行け。
ツッコミ自重な﹂
特装D﹁まずは様子見だ。おそらくゴングと同時に仕掛けてくるだ
ろう。しのぎきれば、お前の勝ちだ。ツッコミ自重﹂
特装Aには王者の風格がある
王都で幾度となく子狸を捕獲してきた歴戦の勇士だ
ロープをくぐってリングに立つ
派手さはない、余裕を感じさせる振る舞いだった
黒妖精﹁赤∼コーナ∼! 無敗のチャンピオン、特装騎士A∼!﹂
特装騎士A
パワー:B
スピード:B+
スタミナ:B
テクニック:B+
特記事項:レベル3開放、テレパス無効
2604
一方、ポンポコ騎士団のメンバーは
子狸にどうアドバイスをしていいものか判じかねていた
まず着ぐるみみたいになっている事情もよくわからなかった
騎士A﹁⋮⋮とにかく、がんばれ﹂
騎士B﹁がんばれ﹂
騎士C﹁がんばれ﹂
子狸のしっぽがぴんと立った
子狸﹁こんなところで、つまずいてらんないよな。行ってくる。勝
ってくるよ。そのときは⋮⋮最っ高のハイタッチで迎えてくれよな﹂
にっこりと満面の笑顔で言った
長年の軋轢を乗り越えて、子狸と騎士たちは和解をはたしたのだ
迫ってくるものがあったのだろう
目頭を押さえた騎士たちが道を開けた
名前を呼ばれた子狸さんが
騎士団のメンバーとハイタッチを交わしながら花道を駆けていく
コアラ﹁青∼コーナ∼! 不屈の挑戦者、ポンポコ∼!﹂
子狸さん
パワー:C
スピード:B+
スタミナ:B+
2605
テクニック:C+
特記事項:魔属性開放、豊穣属性開放、ハイパー属性開放︵分類
3︶
※ あらためて比較すると、予想以上にひどいな⋮⋮
※ まったく勝てる気がしない⋮⋮
※ でも、よくここまで育ったよな⋮⋮
華麗にロープを飛び越した子狸さんが
ついに決戦の舞台に立った
待ち受けるは特装騎士
対子狸戦で無敗を誇る王者が、不敵に言い放った
特装A﹁三分だ。1ラウンドでケリをつける﹂
挑戦者が応えた
その表情、あくまで大胆不敵
子狸﹁料理が冷めちまうぜ﹂
⋮⋮?
※ ⋮⋮?
※ ⋮⋮?
※ 言わんとしていることはわかるような⋮⋮?
※ わからないような⋮⋮
2606
※ いつも通りだな
※ ああ、いつも通りの子狸さんだ
そして
いま、運命のゴングが
高らかに鳴り響いたのである︱︱
2607
ドライブ︵後書き︶
︵作者より︶
バニラ様より素敵なイラストを頂きました。
漢
を見たい﹂part1にて。
とある青いひとには内緒で⋮⋮こっそりと祝福しておきます。
詳細は﹁勇者さんの
2608
子狸と騎士
ゴングと同時に子狸はマットを蹴った
速い
あきらかに人間の限界を越えている
ハイパー魔法が過度属性と呼ばれるゆえんだ
しかし特装騎士にとっては予測の範疇だった
歩くひとと同程度のスピードなら
彼らは対応できる
手足を駆使して、力場で自分自身を弾く⋮⋮
初速を補うための技術だ
その場に残された斥力場を
子狸の前足がやすやすと引き裂いた
全身を包んでいる霊気の外殻は
低く見積もっても上位性質に匹敵するということだ
特装A﹁パル﹂
子狸﹁チク・タク!﹂
ある一定以上の魔法使いは
運動と詠唱、そしてイメージを切り離して
べつべつに進行させることが出来る
これは連結魔法の特徴のひとつだ
2609
子狸が圧縮弾を撃つよりも
特装騎士の分身が早かった
子狸﹁えっ﹂
飛び退いた子狸がぎょっとする
刹那の好機を、特装騎士が掴み損ねた
彼もまた
子狸の異変に瞠目したからだ
特装A﹁なんだ、それは⋮⋮?﹂
異様な発達を遂げた前足の外殻が
いびつな砲身を形成していた
※ やはり⋮⋮はじまったか
※ これが、そうなのか。ステージ3⋮⋮
※ 過ぎた力は身を滅ぼすということなのか⋮⋮?
深刻ぶるお前ら
分類上、ハイパー魔法には三つの段階がある
一つ目は、言わずと知れた霊気の開放だ
二つ目は、性質の開放。治癒魔法と似たような効果を発揮するこ
ともある
そして三つ目が、意思の開放である
魔法には原始的な意思がある
ステージ3に達したハイパーさんは
2610
術者のイメージをねじ曲げてしまうのだ
ゆっくりと検証しているひまはなかった
迫ってくる分身に、砲口を向ける
子狸﹁ディグ!﹂
砲身の内部で、無数の圧縮弾が霊気を凝縮する
放たれた砲弾が、特装騎士の分身をまとめて粉砕した
なおもとどまることなく、木々をなぎ倒して飛び去っていく
※ あとで魔物たちが治癒を施しました
なんという威力だ
魔軍元帥の圧縮弾にも引けを取らないだろう
その代償として連発は出来ないらしい
元に戻った前足を
子狸が唖然として見つめる
分身に紛れて肉薄していた特装騎士が手刀を繰り出した
特装A﹁バリエ﹂
崩落魔法をはじめとする上位性質は
拒絶の喚声を崩し溶かすほどの強固な意思を秘めている
融解さんは、そんなイケメンのひとりだ
だが、その一撃は外殻に阻まれた
子狸さんの彼女いない暦がそうさせるのか?
凄まじいまでの怨念を感じる
2611
そして、騎士団に所属する人間は既婚率が高い
社会的な信用度が高いということもあるし
たいていの国は、自国の兵隊さんに結婚を推奨しているからだ
上位性質が通用しないことも想定内だったのだろう
飛び退いた特装騎士︵妻子あり︶を
彼女いない暦と年齢が奇しくも一致している子狸が執拗に追う
子狸﹁滅びよ⋮⋮﹂
特装A﹁くっ⋮⋮!﹂
猛追する子狸
その動きは歩くひとに迫るほどだ
技量の差を補って余りある
ロープ際に追いつめられた特装騎士が
やむなく切り札をさらした
鍛え上げられたツッコミ癖が、彼に叫びを強要した
特装A﹁エラルド!﹂
光の壁がリングを覆った
先のやりとりで、分身に隠れてひそかに罠を設置していたのだ
子狸の距離感を狂わそうとしていたのだろう
既存の光景を写しとるのは、もっとも理に叶った魔法の使い方の
一つだ
魔法がないように見せかけることもできる
2612
噛み付こうとした子狸が、慌てて首を引っ込めた
どれほど性質に恵まれていようとも、開放レベル1の魔法ではレ
ベル2を突破できない
それはハイパーだろうと同じことだ
俊敏な動きで後退した子狸が、マットの上を小刻みに跳ねてコー
ナーのトップに着地する
光の壁を突き抜けた特装騎士が、子狸を追って前進する
二人の詠唱が完成したのは、ほぼ同時だった
と呼ばれる、この技術を
特装騎士の周囲を、二つの光弾が飛び回る
と言う
オプション
妖精
連合国では
王国では
特装A﹁一つだけ教えてやる﹂
子狸﹁⋮⋮言ってみろ﹂
子狸の背中から伸びたのは、二本の触手だった
いや、もっとまがまがしい何かだ
サソリの尾に似た何か⋮⋮
まるで朽ちた翼のようだ
勇者さんに置いて行かれたことで
捨て狸の魔性が完全に目を覚ましてしまったというのか
蠢く⋮⋮
特装騎士が忠告した
2613
特装A﹁百年の恋も冷める光景だ﹂
子狸﹁ぽよよん﹂
真実の愛は色褪せないのだと子狸は言う
飛び上がった愛の戦士が、背中の翼骨を振るう
※ 放っておくと、どんどんまがまがしくなるなぁ⋮⋮
※ 低学年の子が見たら泣くね
※ 即、通報されるレベル
コアラ﹁うわぁ⋮⋮﹂
黒妖精さんが感嘆の声を上げた
マットに突き刺さった翼骨が
咀嚼でもするように脈動していた
特装騎士は光弾で受けることを避けた
力場を踏んで空中戦に移行する
跳ね上がった翼骨をかわしながら
リング上の子狸に向けて片腕を突き出した
解き放たれた光槍には、圧縮弾ほどの柔軟性はない
子狸は発電魔法で応じる
子狸﹁イズ・ロッド・ブラウド!﹂
外殻の口が大きく開いた
鋭い牙を隠し持っている
2614
まさかとは思ったが
発電魔法は口から撃つらしい
※ ひどい絵づらだな⋮⋮
子狸の魔法がひどいのは
いまにはじまった話ではない
だが、予想以上にひどかった
ポンポコ騎士団は言葉を失っている
最初に悲壮な決意を固めたのは騎士Bだ
騎士B﹁⋮⋮おれはポンポコを応援するぞ﹂
騎士C﹁あ、ああ。そうだな﹂
我に返った騎士Cが続く
騎士B&C﹁ポンポコ卿∼!﹂
子狸をポンポコ卿と呼ぶのは
外法騎士だけである
王都にいた頃から推進していた
地下での活動が実を結んだのだ
負けじと他の騎士たちも声を張り上げる
騎士A﹁ポンポコ、がんばれ!﹂
2615
騎士D﹁がんばれ、ポンポコ!﹂
ポンポコ砲が光槍を打ち砕いた
上空へと駆け上っていく紫電を
特装騎士は冷静に観察している
子狸が跳んだ
子狸﹁ラルド!﹂
力場を踏み砕いてしまうのではないかという懸念があったから
禁断の外殻カスタマイズに走る
緑の島で巫女さんが編み上げた巨人への憧れがあったのだろう
巨大化した自分の勇姿を脳裏に描いたものの
その夢が叶うことはない
前足につめが生えた
にょきっと
コアラ﹁え、地味⋮⋮﹂
黒妖精さんの心ないコメントにも
おれたちの子狸さんは動じない
伸ばした翼骨を後ろ足で蹴って特装騎士に迫る
便利なオプションだ
特装騎士は光弾で迎え撃つ
2616
指揮下の光弾は二つ
一つは翼骨に打たれて焼失した
本命はもう一つの光弾だった
特装A﹁ラルド!﹂
たいていの騎士は
ここぞというときのために拡大魔法を温存する
開放レベル3の魔法を維持するのは人間にとって負担が大きく
いつでも昇格できるから、けん制にもなる
位階を上げた光弾が飛翔する
なすすべなく切り裂かれた翼骨を目にして
特装騎士は確信を得た
子狸に開放レベル3の手札はない
観戦している他の騎士たちも気付いた
騎士E﹁攻めろ! ここしかない!﹂
子狸の前足がうなる
特装騎士の鎧が弾け飛んだ
一瞬の早業だった
留め金を外した特装騎士が
マントで子狸の視界を覆う
構わず突き込まれた前足を
かろうじて回避する
無理に身体をひねったので
2617
大きく体勢が崩れた
勝機︱︱!
翼骨を踏んだ子狸が踊る
無防備な特装騎士にしっぽが迫る
過度属性は強力な魔法だ
だから足場を奪われたら
即座に取り戻すことはできない
光の羽を生やした光弾が
子狸を猛追する
なんだか見慣れた光景である
前足と後ろ足をばたばたさせて宙を泳ごうとするが
狸は空を飛べない生きものだ
だが、この小さなポンポコのしぶとさは瞠目に値する
全身を駆使して回避を続ける
マットに着地するなり、ごろりと前転して
ぴょんぴょんとリングを跳ね回る
特装A﹁凄まじいまでの生命力だな⋮⋮﹂
特装騎士は楽観視している
王都でずっと子狸を見守っていたから、甘さが出た
2618
その油断を、おれたちの子狸さんは見逃さない
ロープを飛び越して、林のほうに遁走する
完全に野生化したらしい
四脚走行だった
そういえば場外への罰則はとくに決めていなかった
特装A﹁⋮⋮?﹂
リングに降りた特装Aが首をひねる
光弾を撒いたところで、戻ってきたところを狙い撃ちすれば終わ
りだ
殲滅魔法の詠唱をはじめるが⋮⋮
はっとした特装Bが叫んだ
特装B﹁! 爆破術か?﹂
※ ! その手があったか
※ そうか、爆破術なら⋮⋮
※ トクソウの射程外から一方的に攻撃できる!
※ この勝負⋮⋮子狸さんの勝ちだ!
※ おれは信じてたよ!
※ ああ、子狸さんの勝利は揺るがないな!
しかし、子狸がリングに戻ってくることはなかった
林の奥から、野生の雄叫びが響く
2619
子狸﹁めっじゅ∼!﹂
おれたちの子狸さんは
野へ帰ったのである⋮⋮
騎士A﹁⋮⋮⋮⋮﹂
特装A﹁⋮⋮⋮⋮﹂
顔を見合わせた騎士たちが
無言で装備を点検する
慣れ親しんだ時間が戻ってきたと
彼らは実感した
︱︱狩りの時間だ
2620
チェンジリング・ダウン
三八、空中庭園在住のとるにたらない不定形生物さん
子狸が騎士の姿を見ると挙動不審になるのは
王都で醸成された悲しい習性だった
王国宰相は、おれたちの頭越しにバウマフ家と接触しようとして
いたから
魔物絡みの事件が起きると、騎士たちに子狸の捕獲と連行を命じ
るようになった
子狸が正式に管理人の座を継いだのは王都襲撃の直後だったから
捕獲チームとの因縁は、およそ二年前まで遡る
ふだんはいがみ合っている実働部隊と特装部隊も
一つの目的に向けて邁進するときは
互いに手を取り合うことが出来た
そして、それは敵が強大であればあるほど確固としたものになる
降りそそぐ喚声を光刃が追う
轟く剣閃が土壌を切り刻んでいく
組み付いている不死身の男に
魔軍元帥が悲鳴を上げた
庭園﹁命が惜しくないのか、きさまは⋮⋮!?﹂
2621
堅牢たる子狸バスター
その正体は、鎧に寄生したナイスガイである
※ 遠回しに自画自賛されても⋮⋮
※ 庭園のんは、どこか不死身さんと通じる点があるからな
※ どこかというか、まあ⋮⋮うん
※ 気付けば奈落だよね
開放レベル4に限定したなら
詠唱破棄できるのは、せいぜいレベル2までだ
殲滅魔法の連発が許されるのは王種しかいない
つなが
三勇士が開発した戦歌は、この一点において都市級を上回っている
絡みついてくる魔力を焼き切った不死身さんが
魔軍元帥もろとも大地に沈んでいく⋮⋮
⋮⋮!﹂
不死身﹁貴様にはわかるまい! 命はッ!⋮⋮思いは⋮⋮
る
中隊長と運命をともにする帝国騎士たちが叫んでいるのは
癒しを誘導するための言葉だ
それは遺言だった
魔物への罵詈雑言は、とうに尽きはてている
語彙が尽きたら、最後に残されるものは感情の吐露しかない
ありがとう
2622
ごめん
さよなら
吐き出された言葉が行き場をなくして
豪雨のように降る
恐怖
した
滝に打たれるかのようだ
魔王軍の総帥は
それなのに、どうしても振りほどこうという気が起きないのは何
故だ
とうとつな理解に総身がふるえた
だが認めることは許されなかった
怒りだけが、自らの心を守る鎧だった
庭園﹁きさまらは不完全な存在だ!﹂
不死身﹁知ってるよ﹂
庭園﹁悲劇を生み出し続ける! 際限なく﹂
不死身﹁それも知ってる﹂
自らの死期を悟った不死身の男は
おだやかな顔つきをしている
﹁でも、それだけじゃない﹂
2623
︱︱ああ、と思った
それはゆがんだ独占欲だ
満ちていく
満たされていく
だから目の前の人間が苦渋の表情を浮かべたとき
裏切られたと思った
だが、それすら心地良かった
鎧の残骸が落ちていく
不死身の人間などいない
一人の男が、ここにはいない誰かに
ひとこと詫びた
﹁すまない⋮⋮頼んだ﹂
足元が完全に崩れた
落ちる
ふかく、ふかく
どこまでも、ふかく
落ちて
いく⋮⋮
三九、山腹巣穴在住のとるにたらない不定形生物さん
2624
降り落ちる光刃が瀑布のようだ
燃え上がった影が
救いを求めるように
天へ天へと伸びていく
決して出会うことのない光と影が
互いに寄り添うかのように
登っていく⋮⋮
その光景は、遠目にもはっきりと見えた
どるふぃん﹁マイカル﹂
トンちゃんが瞑目した
迷いを振りきるように視線をきって前を向く
見渡す限りの草原に
真実を照らす輝きが淡く落ちる
第二のゲートだ
敵影はない
門の守護獣が偶然にも職務を離れているという可能性を
トンちゃんは無視した
頭上を見上げる
幾多の戦士が通ってきた道だ
調べるという発想がわかないほど
2625
息をするように当然の感覚で知っているから
不意を突かれることはない
しかし対処できるかどうかは別次元の問題だった
疎らに浮かんでいる雲が身じろぎをした
いや、雲ではない⋮⋮
全身の毛皮は真っ白で
青空によく馴染んでいる
長い耳が上空の強風に揺れていた
血のように赤い瞳と目が合う
片腕で力場にぶら下がっている
懸垂の要領で身体を持ち上げると
器用に上下反転して逆さまにしゃがみ込んだ
魔都へと至るには
三つの扉をくぐらねばならない
扉には一人ずつ門番がついている
一人はトカゲの化身
走攻守の三拍子が揃った正統派の戦士だ
一人は牛鬼
最強の獣人とひとは呼ぶ
2626
そして、もう一人があれだ
長い耳と丸い尾
うさぎの特徴を色濃く残しつつも
人の輪郭に陰りはない
この場に子狸がいたなら、こう言っただろう
跳ねるひと、と︱︱
うさぎ﹁きゅう﹂
鳴いた
うさぎ﹁きゅう﹂
鳴いた
力場を蹴る
空中で身をひねって着地した
地面が大きく揺れる
両足に備わる柔軟な筋肉が衝撃を緩和した
間を置かず再度の跳躍
ふたたび上下反転して力場を掴む
その繰り返しだ
激しい揺れが連続して騎士たちを襲った
満足に立つことすら叶わない
反撃の光槍は虚しく空をきる
2627
足場にしているのは盾魔法だから
折り返しの高度は自在に変更がきく
鱗のひとは、横の動きで騎士団を翻弄した
跳ねるひとの場合、そこにさらに縦の動きが加わる
高速で天地を行き来する白い巨影を
肉眼で追うのは難しい
弾力性に富んだボールを
狭い部屋で思いきり床に叩きつけたなら
似たような光景を目にすることが出来るだろう
怒涛の十連跳躍だ
通りすぎざまに腕をなぐ
挨拶代わりの強襲で
三割近くの騎士が宙を舞った
不意に荷物を失って身軽になった騎馬たちがきょとんとしている
跳ね上がった騎士の一人を
行き掛けの駄賃とばかりに口でくわえた巨人が
ぴんと張りつめた耳を揺らして笑った
ぺっと吐き出して騎士たちを見下す
うさぎ﹁なんだ、黒アリどもはいないのか﹂
地を踏みしめて
2628
巨躯を見せつけるように
ゆっくりと立ち上がる
な。⋮⋮そうだろう? お前たちは、帝国の
うさぎ﹁何か不都合でも? 急な用事でもあったのか。しかし、ま
あ⋮⋮﹂
良かった
白々しくも言う
うさぎ﹁
人間が憎くてたまらないのだから。手間が省けたというものだ﹂
同意を求めてくる魔物に、王国の騎士たちが歯噛みする
彼らの怒号を、跳ねるひとは軽くいなした
口を開くたびに鋭い前歯が覗く
上機嫌な様子だったが、ふと眼差しに剣呑なものが宿る
跳ねるひとは標的を仕損じていた
うさぎ﹁お前は、おれを目で追ったな。見えているのか﹂
負けじと睨み返したのは、トンちゃんだ
どるふぃん﹁確かめてみればいい。そうだろう、メノゥシマ⋮⋮﹂
うさぎ﹁シマだ﹂
メノという単語を固有名詞に用いるのは正しくない
本来ならば現象を指し示す⋮⋮
つまり人格を認めない言葉だ
2629
気分を害した跳ねるひとが言外に訂正を要求した
王国最強の騎士は取り合わなかった
刺し貫くがごとし視線に苛立ちを見てとれる
どるふぃん﹁ならば、貴様も口を慎め。礼を欠くものに道理を説く
資格などあるものかよ﹂
しかし跳ねるひとは笑った
ひとしきり哄笑を上げてから
巨躯を屈めて言う
うさぎ﹁怒っているのか? そんなに大事なら、守ってやれば良か
っただろうに﹂
トンちゃんのとなりには、勇者さんがいる
黒雲号を降りて、騎士剣をぴたりと構えた
さりげなく彼女をかばえる位置をとったトンちゃんを
跳ねるひとはあざ笑った
うさぎ﹁口を開けば、守る、守ると⋮⋮お前たちはいつもそうだ。
そうして、けっきょくは失っていくのだろう。弱い、弱い⋮⋮悲し
いなぁ⋮⋮人間は﹂
とん、と地面を薄く蹴った巨人が
いったいどれほどの脚力なのか
ふわりと滞空する
軽やかに着地すると、片腕を伸ばして地表すれすれをすくう
2630
その手つきには慈しみがある
草たちがくすぐったそうに身をよじった
姿勢を正した跳ねるひとの大きな手のひらに
何かが乗っている
老人だった
その姿をよく見ようと、羽のひとが勇者さんの肩から舞い上がった
妖精﹁リリィ⋮⋮?﹂
リリィというのは、歩くひとの本名だ
歩くひとは人間の姿を写しとる魔物だから
外見では区別がつかない
しかし、そうではなかった
跳ねるひとの肩に乗った人物が
しわがれた声で言った
??﹁魔物の味方をする人間もいる。当然じゃろう⋮⋮。のぅ、シ
マや﹂
跳ねるひとの眼差しが、はっとするほど優しい
うさぎ﹁お前はとくべつだ。お前は賢い⋮⋮他の人間どもとは違う﹂
騎士たちが目に見えるほど動揺していた
さしものトンちゃんも驚きを禁じ得ない
2631
どるふぃん﹁人間だと⋮⋮?﹂
老人が言った
全身をゆったりとした長衣で包んでいる
目深にかぶったフードの奥から
くぐもった笑い声が聞こえた
おちついた声音が大気に沁み入るかのようだ
さほど大きな声でもないのに、不思議とよく通る
??﹁人間は、魔王軍には勝てぬよ。戦いは勝たねば、な⋮⋮﹂
だから魔王軍についたのだと、狡猾な老人は言う
その声の調子に、何気ない仕草の一つ一つに
何か感じとるものがあったのか
勇者さんが眉をひそめた
勇者﹁あなたは⋮⋮﹂
老人の口元が不敵にゆがんだ
眼下の人間たちを睥睨する眼差しには
ほの暗いものが宿っている
内面を覗き見られるような
得体の知れない感覚に晒されて
騎士たちは戸惑った
2632
彼らは知らない
圧倒的な退魔性は
極端に近しいものほど
鮮烈にひとを惹きつける
同じ人間なら、なおさらだ
巨大な魔物を従えた賢人が
フードの奥で目を細めた
四0、管理人なのじゃ
あれっ
おれの孫がいねえ
2633
チェンジリング・ダウン︵後書き︶
登場人物紹介
・跳ねるひと
獣人種の一角。開放レベルは﹁3﹂。
長い耳、丸い尾が特徴的な、うさぎの化身である。
全身を覆う毛皮は純白で、真紅の瞳は丸くて愛嬌がある、魔物界
のアイドル。
脚線美にはちょっとした自信があるようだ。
月面計画の熱烈な信奉者であり、月の満ち欠けに強く影響を受け
るという設定を自らに課している。
満月時は巨大なうさぎの姿をとるが、月が欠けるつれて人間の形
態に近くなっていき、やがて新月時には完全なる直立歩行を獲得す
る。
満月時の跳ねるひとを、人間たちは﹁メノッドシマ﹂、新月時は
﹁メノゥシマ﹂と呼び方で区別をつける。
彼らは、月が欠けるほど跳ねるひとが弱くなると信じているが、
これは単なる相性の問題だ。
獣化が進んだ跳ねるひとは脚力が増すものの、手足が短くなる。
盟友・鱗のひとほどの頑健さはないものの、柔軟なバネを活かし
た高速戦闘を得意とする。
人体の構造上、上下の動きには対処しにくい︵人間の視野は左右
に広いが上下に狭い︶ため、鱗のひとよりも危険視されている。
ふだんは前々管理人の夫妻と一緒に暮らしている。
2634
気苦労は絶えないが、充実した日々を送っているようである。
2635
ポンポコ騎士団
四一、山腹巣穴在住のとるにたらない不定形生物さん
勇者一行の行く手を遮る第二の獣人⋮⋮
その肩に乗っているのは、ひとりの人間だった
人間が魔王軍に属するというのか⋮⋮?
騎士たちは動揺を隠しきれない
騎士団の歴史をひも解けば
王族の身辺警護をする武装集団にまで遡る
単なる兵士ではなく
雇われの傭兵でもなく
友情に報いるためという
言ってみれば個人的な事情を
組織へと昇格したものである
その在り方は、既存の社会にはないものだった
国に剣を捧げ
忠節を尽くす
武芸に秀で
能く馬を遣い
魔法を駆使する
2636
古き盟約のもと
ジェステ
力なき民の矢面に立つ英雄たちを
いつしか、ひとは騎士と呼んだ
時代と共に形骸化した騎士の誓いに反して
騎士団の戦力は膨張を重ね続けている
一個大隊もあれば
小国を陥とせるだろう
ふと足を止めてまわりを見れば
黒煙と戦火が濃い影を落としている
幾千もの板金鎧が整列し
軍靴を規則的に踏み鳴らす
荷馬車が轍を刻んでいく⋮⋮
※ イメージ画像です
掲げる戦旗を彩るものが
いったい何であったかも思い出せない
なんのために戦うのか
だれのために剣をとるのか
いま、王国騎士団はその大義を問われている
王国最強の騎士
その双肩にしがみつく歴史は古く重い
トンちゃんは説得を試みた
2637
どるふぃん﹁ばかな﹂
乾きを覚えた喉が
飲み下そうとしたつばに抗うかのようだった
どるふぃん﹁ばかな! いますぐ離れろ! 魔物が人間に従うなど
⋮⋮。あなたは騙されているんだ!﹂
大仰に片腕を振るう
それは狙撃の合図だった
勇者﹁アトン﹂
勇者さんがトンちゃんを止めようとした
多少の危険には目をつぶってでも捕虜にするべきだと考えたのか
もしれない
しかし、それは戦術指揮官ではなく
戦場を知らない政治家の判断だ
死地への突入を命じられたトンちゃんが
有力な情報の奪取を命じられている筈がない
標的の指定はとうに終えている
⋮⋮トンちゃんがそうであるように
彼の妹たちは全員が適応者だ
メトラ
テレパス
一族で唯一の受信系を軸に
共振した送信系が一斉に連絡網を形成する
2638
まるで、こきゅーとすのような⋮⋮
アリア家の狐には、そういうことが出来る
魔物の味方をする人間など
いてはならなかった
それは致命に至る毒だ
毒は排除するしかない
トンちゃんが下した決断は非情だった
一筋の閃光が虚空を焼く
第二射は、別方向から絶妙な間を挟んで行われた
跳ねるひとには、鱗のひとほどの頑健さがない
だから狙撃で仕留めるというのは
これまで多くの騎士団が試みたことだった
それらが失敗に終わったのは
跳ねるひとの俊敏性によるものだ
だが、王国最強の騎士には
対象の動作を一時的に限定し縛りつける異能がある
必殺の狙撃が放たれた
それらは老人を
心なし遅れて巨人を
貫いたかのように見えた
2639
どるふぃん﹁!?﹂
ミスはなかった
申し分のない一撃だった
二方向から解き放たれた光槍は
たしかに二人の急所を射抜いた
︱︱画像が砕け散った
史上最高峰の異能は
虚像に対してすら有効だった
無傷の兎人が
眼前を過ぎった光線に
肝を冷やしたかのように
長い耳を張りつめている
特装騎士は個人戦のスペシャリストだ
しかし、それは完全にマニュアル化された教練によるものだ
少数の指導役が、多数の騎士候補生を
一定の水準まで引き上げることを主眼に置いている
一人前の管理人は
魔法使いとしての力量だけなら
特装騎士を上回るということだ
トンちゃんは、豊穣の巫女と面識がない
自分と同じ領域に住む魔法使いと
彼は、はじめて出会った
2640
ぞくりと背筋を駆けるものがあった
を
かよ!﹂
ずれ
魔物たちが気にも留めないような
しかし人間にとっては致命的な
ネウシス
あの老人は意識して作り出せる
賢者が歓喜した
??﹁これはいい! 彼の言っていることが、人間たちには理解できなかった
トンちゃんの異能は連発できない
相手がわざわざ時間稼ぎに付き合ってくれるというなら
それに越したことはなかった
どるふぃん﹁私はエウロだ。ネウシスではない。弟子ではあるが⋮
⋮﹂
巨人の肩で、いにしえの系譜を継ぐ魔法使いが
無邪気な子供のように手を叩いて喜んでいる
おちつきのない様子で、視線を左右に振る
興奮した口調で言う
??﹁メトラに、テレパス⋮⋮なんと! クレアまでおるのか。よ
りどりみどりじゃのぅ!﹂
情熱的な視線だった
勇者さんが目を丸くする
2641
勇者﹁クレア⋮⋮?﹂
大半の人間は、異能を五感の延長上にあるものだと認識している
しかし、そうではない
適応者を起点として引き起こされる現象は、はっきりと異なるも
のだ
ネウシス
そして、おれたちの長年の研究によれば
クレア
異能は、物体干渉と、三つの精神干渉に大別される
アリア家の感情制御は、精神干渉の制御系にあたる
これは希少さで言えば、物体干渉に次ぐ
勇者さんのつぶやきを、ポンポコ︵偉大︶は無視した
??﹁なるほどのぅ、ロコが敗れるわけじゃ。これは、わしらの手
には負えんわい﹂
うさぎ﹁そうなのか﹂
??﹁うむ、お前の挙動はすべて観察されて⋮⋮めっし! すべて
観察おる﹂
おい。誰だ
ボケを要求したのは
妙に会話が成立していると思ったら
お前ら、さてはステルスしてカンペを出してるな?
2642
※ 謎の魔法使いさんに勝利を捧げるぜ
※ ああ、そういう立ち位置なんだ⋮⋮?
※ おれたちは、トンちゃんに教えられなかったことが、た
った一つある
※ それは、敗北だ⋮⋮
四二、管理人なのじゃ
あ、言い忘れるところだった
海底のひと、南国の王さまをありがとう
おいしかったです
※ え? なんで言っちゃうの?
※ 海底の⋮⋮お前⋮⋮
※ 言うなって言ったじゃん! しっかりと頷いたじゃん!
なんで言ったの!?
おれは約束を守る男だ
だから嫁の言葉を伝えた
それだけの話だぜ
※ ちっとも趣旨を理解してくれてない! もう嫌、このひと!
うわぁぁぁん!
※ 泣くなよ⋮⋮なかったことにしてやるから
※ おれたちは、なにも聞かなかった。それでいいんだろ?
※ おうち帰る! 長生きしろ、ばか!
2643
海底の∼!
※ 海底の∼!
※ 海底の∼!
※ ⋮⋮まあ、おちつけよ
古狸の嫁さんも嬉しかったんだろう
お前にどうしても伝えたかったのさ⋮⋮
跳ねるひと⋮⋮
お前、やっぱりおれの嫁のこと⋮⋮
※ 狙ってねーよ! 種族はおろか体内の法則すら異なるっ
⋮⋮でも、おれは知ってる
海のひとが、おれの孫をたぶらかしたことを
※ たぶらかしてねーよ!
※ いや、たぶらかした。海のひとはたぶらかした
※ 自分から会いに行けないからって、おめかししていたの
をおれは知っている
※ そっ、そんなことねーよ!
※ ふむ⋮⋮海底くん、くわしく証言してみたまえ
※ はっ。彼女は、ふだんはだるだるのファッションでありますっ
自宅ではごろごろすること牛のごとしっ
※ おい! お前、でっかいのだろ!
2644
※ 往生際の悪い⋮⋮。仮におれが子供たちのヒーローだったと
して
それが君の生活態度と何の関わりがあるのかね?
事実は事実。認めるんだな⋮⋮
※ まあ、誰に見られてるわけでもないのに
玉座で偉そうにしてるのも痛い話ではある。ぽよよん
※ ぽよよんフォローありがとうございます!
やれやれ⋮⋮騒がしいことだな
※ 火種を撒いておいて他人事か、きさま!
四三、王都在住のとるにたらない不定形生物さん
深遠なる叡智に触れたとき、人は何を思うのか⋮⋮
歓喜か? 畏怖か? それとも⋮⋮?
それは人類にとって、早すぎる邂逅だった
大自然から学ぶことは、まだ多い⋮⋮
騎士G﹁そっちへ行ったぞ!﹂
騎士H﹁追い込め!﹂
特装D﹁くっ、速ぇ⋮⋮!﹂
2645
王国騎士の手をすり抜けた子狸さんが跳躍した
飛びついた木の幹を、わさわさと這いのぼる
力場を踏んで迫ってくる騎士を、肩越しに振り返って一瞥するや
さらに加速して一気に樹上へと登りつめた
毛皮をまとった後ろ足は強靭だ
木から木へと飛び移り、騎士たちを振りきる
真紅のマフラーが鮮烈な印象を残した
騎士A﹁何をしている! 首︵不適切な表現がありました︶を掴め
!﹂
騎士B﹁無理だ! 速すぎる⋮⋮! これが、こんな末路が⋮⋮?﹂
騎士C﹁迷うな! ちっ、やるしかない。通れよ⋮⋮ハイパー!﹂
霊気を開放した騎士Cが、爆発的な加速力を発揮する
子狸﹁⋮⋮⋮⋮﹂
ぴくりと耳をふるわせたポンポコ卿が
真横に並んだ外道さんに前足を突き出した
騎士Cも負けじと片腕を突き出した
霊気と霊気が触れた
騎士C﹁ここは自分に﹂
頷いた外道が、着地してあさっての方向を指差した
2646
騎士C﹁あっちへ行ったぞ!﹂
騎士D﹁無理があるだろ!﹂
ステージ3に達したポンポコ卿は
あまねく外法騎士の頂点に位置する存在だ
勇者さんの目が届かない範囲なら
彼らを支配下に置くことが出来た
激しくツッコまれた騎士Cが、正気に返ってつぶやく
騎士C﹁はっ⋮⋮おれは何を﹂
四散した霊気を
すでに彼方へと走り去ったポンポコ卿が徴収した
子狸﹁めっじゅ∼⋮⋮﹂
めきめきと毛皮が膨れ上がっていく
さらに加速する
限界などないかのようだった
特装C﹁! 過属には頼るな! さっぱり理屈はわからんが、支配
される!﹂
遠巻きに全体の動きを観察していた特装騎士が
伝播魔法を用いて情報の共有につとめる
2647
鉄壁の包囲網だ
以前の子狸なら、とうに捕獲されていただろう
だが、いまのポンポコさんなら
騎士たちの布陣を食い破れる⋮⋮!
騎士C﹁くっ⋮⋮!﹂
霊気を剥ぎ取られた実働騎士が苦しげに片ひざを屈した
騎士B﹁! どうした?﹂
騎士C﹁体力も幾らか持って行かれたようだ⋮⋮﹂
※ 本当に⋮⋮本当になんなの、この魔法⋮⋮
しかし幾ら強化されようとも
ベースになっているのは貧弱な子狸である
妖精さんの飛翔速度は人間が及ぶ領域にはない
一瞬で追いついた妖精属の姫君が
警戒して唸り声を上げる子狸を
優しげに手招きした
コアラ﹁怖がらないで。⋮⋮そう。これが第八の属性なのね﹂
肩にとまった小さな少女を
子狸さんは咎めなかった
本能的に逆らってはならない相手だと悟ったのかもしれない
2648
黒妖精さんは、オリジナルよりも自由気ままだ
抽出したデータを表にまとめて
宙に添付していく
コアラ﹁バウマフ家の人間以外が分類3に達することはあるのかし
ら⋮⋮?﹂
わりと研究熱心な個体であるらしい
ふんふんと上機嫌に頷きながら
手元の仮想メモに留意事項を書きとめていく
闇の魔法で作り上げた、手のひらほどの黒板だった
追いついてきた騎士たちに
子狸が敏感な反応を示す
肩にとまっている黒妖精さんに気を遣ってか
ゆるやかな加速だ
コアラ﹁そう。ゆっくりね。振りきる必要はない。持久戦なら、あ
なたに分がある﹂
彼女は、子狸の勝利を願っていた
その先に、きっと望むものがあるからだ
後方へと流れていく風景は
彼女からしてみると物足りないものだったが
ふだんとは異なる視点が新鮮だ
コアラ﹁その先はだめ。罠よ﹂
かすかに頷いた子狸が
2649
四肢に力をこめて直進する
黒妖精さんが子狸の頬をつねった
コアラ﹁なんで頷いたの? 理性が飛ぶのかしら⋮⋮そんな筈はな
いんだけど﹂
不思議そうに首を傾げて
仮想メモを指先でなぞる
コアラ﹁⋮⋮まあいいわ。精一杯やりなさい﹂
ぽんぽんと毛皮を叩いて
肩から飛び降りた
滑空する黒妖精さんの表情は生き生きとしている
ぱっと羽をひろげて舞い上がる
コアラ﹁あはははは!﹂
ころころと笑いながら
くるくると空中で踊る
第二のゲートがある方角で
天高く⋮⋮まるで大きな柱のように
離れがたく交錯した光と影が屹立していた
彼女にはわかった
あれは間違いなく魔軍元帥の魔力だ
2650
他の都市級には、まず見られない
ほつれた糸が絡み合うような魔力⋮⋮
その根源にあるものを
本人が自覚していないことが
可笑しくて仕方なかった
コアラ﹁騎士団と遊んでいるのね、あのひと﹂
断末魔のような凄まじいまでの魔力の放出は
魔軍元帥が追い詰められたことの証拠だ
火の宝剣を所持している黒騎士が
人間に遅れをとることなどありえない
きっと使わなかったのだ
そのとき、彼は自分自身に対してどのように言い訳したのか
そのことを想像して、黒衣の妖精は愉悦に身をよじらせた
世界は快楽に満ちている
次に彼女が見下ろしたのは
ひょっとしたら魔王かもしれない存在だ やぶを抜けた子狸を待ち受けていたのは
因縁の特装騎士だった
特装A﹁大きくなったなぁ﹂
2651
口を衝いて出た感想は、場違いなものだった
あるいは、この上なく相応しいものだった
人間の口は一つしかないから
本格的に戦闘へと移行する前に
騎士が最後に選ぶ言葉は吟味されたものになる
だから、決着をつける頃合いだった
特装A﹁ディレイ!﹂
幾つもの小さな力場をばら撒きながら
突進してくる
特装騎士には幾つかの切り札がある
これは、その一つだ
構わず前進する子狸を
盾魔法では止められない
急制止した特装騎士が
スペルを連結しながら
効果的に後退する
特装A﹁エリア・ロッド⋮⋮﹂
進路を誘導された子狸は
気付けば力場に取り囲まれていた
だが、すでに前足の届く距離だ
2652
いまから開放レベル3まで引き上げている時間はない 上位性質ですら子狸の外殻を打ち破ることは出来ない
それは、先ほどの戦いで実証されたことだ
子狸は勝利を確信した
︱︱だが、詠唱はすでに完成していた
盾魔法の力場が細く
大気に溶け込んでいく
絹糸のような魔法の繊維が
子狸の四肢を拘束した
子狸﹁!?﹂
糸
が食い込む
子狸が暴れれば暴れるほど
前足と後ろ足に
噛み切ろうとしても歯が立たない
とうとう子狸は
まゆみたいになってしまった
過度属性には上位性質ですら及ばない
だが、人間が扱える魔法の中で
たった一つ、確実に通る魔法がある
そして騎士たちは、その魔法の喚声を
あらかじめ、そうと知られずに唱えることが出来る
2653
歯車が噛み合うように
がちりと連結した治癒魔法が
子狸を浄化していく⋮⋮
まゆから孵った小さなポンポコが
大の字に寝転がったまま
ぽつりとつぶやいた
子狸﹁空が⋮⋮青ぇな﹂
ここからどうあがいても逆転の目はないだろう
あまつさえ、倒されるどころか
救われたようですらある
完全敗北を喫した、おれたちの子狸さん
しかし子狸を心身ともに打ち負かした特装騎士は
追いついてきた実働騎士たちに言ったのである
特装A﹁お前たち、本気で魔都に行くのか?﹂
ともに子狸を追跡することで
連帯感のようなものを感じていたのだろう
ポンポコ騎士団のメンバーは気まずそうに頷く
騎士A﹁⋮⋮ああ。お前たちには悪いが⋮⋮﹂
特装A﹁そうか。ならば、おれたちも同行しよう﹂
2654
実働騎士たちが目を見張った
思わず笑顔になった実働に
特装騎士は釘を刺した
特装A﹁ただし、勘違いはするな﹂
足元に転がる負け狸を指差すと
早口に言う
特装A﹁こいつから目を離したら何をしでかすかわからん。分不相
応な力まで手にしているようだ。それが二代目の邪魔になる可能性
は高いと判断した。それだけのことだ﹂
気持ちは同じということか
他の特装騎士たちも一斉に頷いた
特装B﹁そうだな、監視体制を強化する必要はあるだろう﹂
特装C﹁そのためには、いったん泳がせてみるのも手ということだ﹂
特装D﹁最悪の場合、お前たちには魔都に集結する魔物どもの足止
めをしてもらう。その程度の覚悟はあるんだろうな?﹂
覚悟のほどを問われて、実働騎士たちは小刻みに頷いた
どちらからともなく歩み寄った実働騎士と特装騎士が
互いの具足を打ちつけ合っていく
ここに十二人の騎士が揃った
2655
子狸の身体が淡く発光しはじめたのは、そのときだ
その光に誘われるように
天と地を結んだ光芒から
色彩も装飾もばらばらな
四つの剣が姿を現した
子狸﹁⋮⋮なんぞ?﹂
むくりと上体を起こした子狸が
なんとなく前足を伸ばすと⋮⋮
それが当然であるかのように
鍵
だった
四振りの宝剣は在るべき姿をとった
それは
大きな鍵だ
四つの鍵を、両の前足に二本ずつ装着した子狸が
せつなそうに鳴いた
子狸﹁イベントアイテムっぽいなぁ。これ、持ち歩くのかよ。憂鬱
になるぜ⋮⋮﹂
じつに罰当たりなポンポコである⋮⋮
2656
ポンポコ騎士団︵後書き︶
︵作者より︶
バニラ様より素敵なイラストを頂きました!
インスピレーションがわいたので、ちょっとした小話も添えて。
第五十部の﹁幼なじみっていいよな﹂にて。山腹のひとが走り出す。
2657
散華の草原
くすぶる紫電が
季節外れの雪が
積もりゆく砂が
巻き上がる水が
やわらかな輪郭をなしていく⋮⋮
呆然と見つめる十二人の騎士に
四人の精霊たちは淡く微笑みかけた
口を開きかけた彼女たちだったが
鍵を引きずってのこのこと近寄ってきた子狸に遮られる
子狸﹁そうだ。おれが団長だ﹂
だれもそんなことは訊いていない
精霊﹁ちょっと黙ってろ。な?﹂
押しのけようとする精霊の腕を
子狸が前足でホールドした
振り返って、騎士たちに叫ぶ
子狸﹁逃げろ! お前たちの敵う相手じゃない﹂
精霊﹁!?﹂
2658
逸早く反応したのは魔精霊だった
精霊﹁しびれるぜ!﹂
子狸﹁イズ!﹂
攻性魔法の確実な防御法は、同じ属性をぶつけることだ
四対一の絶望的な戦いに身を投じる子狸さん
子狸﹁早く⋮⋮! 長くは保たない!﹂
特装A﹁無茶しやがって⋮⋮!﹂
団長の危機だ
加勢しようとした特装Aを
大地の精霊が押しとどめる
精霊﹁待って! 誤解﹂
子狸﹁ハイパー!﹂
邪魔な鍵を放り捨てた子狸が
後ろ足を霊気で補強して
怪鳥のように飛び上がる
※ 霊気を一ヶ所に⋮⋮!?
特装騎士との戦いで
殻をひとつ打ち破ったようである 2659
子狸﹁うおおおおっ!﹂
前足をひろげて跳躍した子狸さんを
水の精霊が撃墜した
精霊﹁いまだ!﹂
不時着したポンポコを
四人の精霊が取り囲んで足蹴にする
子狸﹁おふっ、おふっ﹂
精霊﹁精霊なめんな!﹂
精霊﹁振られ狸め!﹂
誠心誠意の説得が功を奏したらしく
すっかり大人しくなる子狸
肩で息をしている精霊たちが
深呼吸してから
神秘的な笑顔で振り返る
彼女たちが目にしたのは
いままさに殲滅魔法を撃とうとしている実働騎士たちの勇姿だった
迂回した特装騎士たちが子狸の奪取を目論む
精霊﹁ちぃっ⋮⋮!﹂
舌打ちした精霊たちが一斉に飛び上がる
2660
騎士Aが片手を上げて部下を制した
子狸の目が、まだ死んでいなかったからだ
力場を踏んで宙を駆けたポンポコが
雪の精霊に背後から組み付いた
精霊﹁こいつ⋮⋮! だめだ、話になんねえ!﹂
急上昇して子狸を振りきった精霊たちが口々に言う
精霊﹁とにかく頼んだからな!﹂
精霊﹁なんかいいこと言おうとしたけど忘れたわ!﹂
精霊﹁魔王を何とかしろ!﹂
精霊﹁とりあえず魔都に行け! あとは流れで!﹂
かくして精霊たちに祝福されたポンポコ騎士団
華麗に身をひねって着地した子狸が上空を見上げる
その眼差しには一点の曇りもない
子狸﹁お嬢を止めなくては⋮⋮!﹂
長きに渡る争いに終止符を打つべく
おれたちの子狸さんが
いま、立ち上がる⋮⋮!
2661
※ 子狸ぃ⋮⋮
※ 子狸ぃ⋮⋮
※ あとで反省文な
※ コアラさん、あとを頼みます⋮⋮
︻勇者さん︼山腹巣穴在住のとるにたらない不定形生物さん︻ねこ
みみ覚醒︼
何が正しくて何が間違っているのか
それを判断するのは、いまという時代を生きる人々だ
※ うん、それはいったん置いておこうか
※ いったい何ですか、その︻︼
ときとして愚かな行動が
のちに英断として評価されることも、また確かな事実ではないのか
※ いやいや⋮⋮
※ なんか、さいきんあれだね、そういう⋮⋮
中身のない発言をするね、きみたちは
騎士団の部隊長は、常に苦しい決断を迫られる
ネウシスというのは、大隊長に贈られる称号名だ
称号名が国際的な位階を示すというのは、すでに述べた通りである
だから帝国と連合国が樹立する以前︱︱
つまり称号名が制定される以前の話だ⋮⋮
2662
かつて王国では、騎士団を率いる将を、エウロアと呼び
彼らを統括する大将軍を
ネウシスと呼び、たたえた
では、指揮系統が成立する以前、最初のネウシスは
どのようにして強大な力を持つエウロアを従えることが出来たのか
魔法だけではない、べつの力を持っていたからだ
トンちゃんは、騎士団の黎明期にエウロアたちを従えた大将軍と
同じ力を持っている
興味がないわけがない
彼の妹たちは全員が異能持ちだ
念力が回復するまで、いま少しの時間を要するという動機もあった
それでも、これ以上は待てないという決断を下した
手綱を握る手に力をこめて
騎馬に突進を命じる
特装騎士たちが治癒を施したのだろう
戦列に復帰した実働騎士たちが
一丸となってトンちゃんに続く
ぎりぎりのタイミングだった
遅すぎたのか、それとも先んじることが出来たのか
魔王軍の老獪なる軍師が喚声を上げた
2663
軍師﹁ロコ!﹂
トカゲ﹁え?﹂
空のひとと一緒に原っぱで
ぼーっとしていた鱗のひとが名前を呼ばれてきょとんとした
ひよこ﹁⋮⋮⋮⋮﹂
魔ひよこは依然としてぼーっとしている
仕方のないことではある
グランドさんの近くにいると、なんだかおちつくのだ
あまり責めないでやってほしい
※ おい! ぼーっとしてんじゃねえ!
※ 出番ですよ! 共闘するっていう約束だったでしょ トカゲ﹁え∼⋮⋮?﹂
鱗のひとは面倒くさそうである
もはや立ち上がるのも億劫なのか
空のひとの肩に手をかけて
よっこらしょと重い腰を持ち上げる
少し身体を屈めて
ぺたりと
片目に傷跡のようなものを貼りつけた
※ なにそれ
2664
※ 勇者さんに斬られたあとだよ
※ ⋮⋮要るか? いや、聖剣でやられたからってのはわかるん
だけど
空のひととか、ふつうに変化魔法で修復してただろ
※ こういうのは気分の問題なんだよ
プライドを傷つけられたから、あえて傷跡を残したとか
なんか、そういう感じ?
※ あるある
※ いいね。宿敵っぽい
お前らも大絶賛の手負いの獣人
いったん退場してから、ステルスを解除して戻ってくる
まごまごしていたせいで先手を取られた
うさぎ﹁しっかりと掴まっていろ﹂
肩の賢人にひとこと忠告してから、跳ねるひとが小刻みにステッ
プを踏む
小刻みと言っても、歩幅が違う
上体を揺さぶって後退する跳ねるひとを
直線的な軌道をとる光槍では捉えきれなかった
騎士団の本命は次撃
視界を埋め尽くすほどの炎弾だ
これを跳ねるひとは
2665
予期していたかのように
飛び上がって回避した
大きな影が落ちる
逆光をとった獣人のシルエットが
空中で交差した
視認できる範囲なら人間たちの魔法でも届く
跳ねるひとが回避するなら、自慢の跳躍力に頼るであろうと
騎士たちは読んでいた
渦を巻くように跳ね上がってきた無数の炎弾を
しかし落下してきた巨人が打ち砕いた
その表皮は強靭で
開放レベル3の殲滅魔法ですら
貫くことは難しい
トカゲ﹁おおおおおおっ!﹂
雄々しく吠えた鱗のひとの標的は
たった一人⋮⋮
勇者さんだ
妖精﹁ロコ!﹂
羽のひとの飛翔を遮る雨は
今日はない
一筋の光が直上に伸び上がる
2666
二対の羽が生み出す爆発的な推進力は
他の追随を許さない
至近距離から放たれた光の散弾が
鱗のひとの着地点をわずかにずらした
反射的に振り上げた巨腕が
羽のひとを捉えるよりも早く
光の宝剣が閃いた
聖性の解放にともない
さらなる進化を遂げた死霊魔哭斬が
唯一と言っていいだろう鱗のひとの誤算だった
だが、身体をねじって緊急回避した巨獣は
着地と同時に飛び退き
そして笑った
トカゲ﹁そうこなくては﹂
光の妖精を肩にとめた勇者さんが
光の剣尖を、遠く隔てた隻眼の巨獣に突きつける
勇者﹁今度は、その首をもらうわ﹂
黒雲号を降りて、踏み出す
聖剣を突き出したまま
ぞろりと騎士剣を鞘から抜いた勇者さんのとなりを
反転した騎馬たちが駆けていく
2667
先頭に立つのは王国最強の騎士だ
彼らにとって、鱗のひとの参戦は想定内の出来事だった
だから有効な対策が打てる、というものではない
もはや賭けに出るしかなかったのだろう
どるふぃん﹁寄れ!﹂
帝国騎士団は、魔軍元帥に対して戦歌の発展⋮⋮その可能性を示
した
ひと目で術理を看破するのは難しいが
おそらくあれは中隊長を軸とした技だ
イメージと詠唱の規格を統一するだけではなく
状況までしぼって、ようやく辿りつける境地なのだろう
何かを得るためには、何かを捨てねばならない
王国騎士団にも何かしらの切り札がある筈だ
しかし、それはあとのお楽しみだろう
意地悪く口元をひん曲げた鱗のひとが
大きく跳躍して、騎士団の矛先をかわす
あとを追うように飛び上がった跳ねるひとが
鱗のひとの尾を掴んだ
空中で旋回したトカゲさんが
うさぎさんを跳ね上げる
左右に分断した巨人が
2668
大きな円を描くように地を駆ける
一周、二周⋮⋮
どるふぃん﹁お嬢さま﹂
トンちゃんが勇者さんに声を掛けた
どるふぃん﹁しんがりは、私がつとめます﹂
勝ち目はないと、彼は判断したのだ
勇者﹁⋮⋮そう﹂
勇者さんは肯いた
前もって合意に達していた事柄だ
仮に鱗のひとと跳ねるひとが共闘した場合
たんじゅんに戦力が二倍になるだけならいい
そうでなかった場合⋮⋮
つまり鱗のひとが跳ねるひとを守る盾として機能したなら
王国騎士団は一時撤退すると決めていた
周回していた二人の巨獣が
合流して胡蝶の構えをとった
※ まず片足立ちになります
※ それから両腕を曲げて筋力を誇示します
※ 最後に限界まで身体を倒して片足に全てを託します
2669
※ ひざの角度がポイント
トカゲ&うさぎ﹁おれたち、集結!﹂
妖精﹁ばかなの?﹂
勇者﹁⋮⋮⋮⋮﹂
あまりにも隙だらけだったので、つい死霊魔哭斬を撃った
二人の獣人は、悠々と巨躯を屈めて回避する
憎らしいことこの上ない身体能力だ
縦に並んだ二人が、矮小な人間たちをあざ笑うかのように
ぐるんぐるんと上半身を旋回させる
⋮⋮そう、トンちゃんは見誤っていた
ふだん一人でいるお前らは
寄り集まるとテンションがおかしくなるのだ
そのとき、おれたちの軍師がついに動き出した
不気味な含み笑いを漏らし、鱗のひとを流し見る
軍師﹁よく来てくれたのぅ、ロコや﹂
トカゲ﹁⋮⋮ほう。なにか考えがあるようだな﹂
人の知恵と
魔物の力が組み合わさったとき
はたして何が起こるのか⋮⋮
2670
※ 組み合わせちゃだめだろ
※ 混ぜるな危険
※ いや、こんな筈では⋮⋮トカゲさん?
※ お前ら、グランドさんを見くびってはならんぞ ※ いや、見くびってはいないよ。だから言ってるの
※ ここは壊滅した王国騎士団が再起する流れだろ
※ グランドさん、思いとどまって! ほら、カンペ! カンペ
見て!
そして⋮⋮魔王軍きっての賢者は言い放ったのである
軍師﹁おお、あるとも。とっておきの秘策がのぅ⋮⋮﹂
※ 終わった⋮⋮
※ 終わった⋮⋮
※ ポンポコ劇場はじまるよ∼!
秘策とは、はたして!?
次回へ続く⋮⋮!
2671
鬼謀の軍師
風が吹いた
草花が触れ合い原始の合唱を奏でる
その声に安らぎを感じるのは
太古の記憶によるものか
よく晴れた日だった
ふだん意識することはない
土のにおいが鼻孔をくすぐる
緑豊かな草原に
大きな影が二つ落ちている
それ以外には
これといった遮蔽物が見当たらない
追うものと追われるもの
狩るものと狩られるもの
それらの立場をどこまであいまいに出来るか
撤退すると決めたトンちゃんに迷いはない
だから立ち位置を慎重に探る必要があった
それが当然であるかのように
細心の注意をはらって
2672
騎馬を降りる
一歩
二歩
すり足で半歩
王国最強を謳われる騎士が
対峙する資格を自らに問うほどの巨体を
ゆっくりと見上げた
トンちゃんは言った
どるふぃん﹁貴様らの元帥は討たれたぞ﹂
正直、半信半疑だった
たしかに帝国騎士団は全身全霊を尽くしたかもしれない
それでも都市級には届かないというのがトンちゃんの見立てだった
︱︱時間がない
勇者さえ生きていれば、まだ巻き返せる
だが、不死身の男が言っていたように
彼女では魔人には勝てない
それは確信というより
すでに確定した事項のように思えた
何事にも相性というものはある
つまり自分が相手をするしかないということだ
部下を見捨ててでも︱︱
2673
と小隊長なら判断するだろう
しかし、彼は中隊長だった
称号名の継承に際して、中隊長は幾つかの秘奥義を口伝される
その一つが、部下を見捨てるな自分も生き残れというものだ
びっくりするほど精神論である
トンちゃんは部下たちに背中を向けたまま告げた
どるふぃん﹁退くぞ。陣形を維持したまま後退する﹂
トカゲ﹁逃がすとでも⋮⋮﹂
回り込もうとする鱗のひとを
トンちゃんは片腕で制する
彼の異能を、鱗のひとは警戒せざるを得ない
プライドを傷付けたのは勇者さんの一太刀だったが
自信を砕いたのは、むしろトンちゃんだったからだ
王国最強の騎士が忠告した
技
の名だ﹂
どるふぃん﹁油断するなよ。よく聞け。覚えておいて損はあるまい
⋮⋮。いまから貴様らを葬る
この状況下で言うなら、それは確実にはったりだ
しかしそれは、きっと確かに実在する
門の守護獣をけん制しながら
トンちゃんが重々しく宣言した
2674
どるふぃん﹁チェンジリング・ファイナル﹂
※ ひでぇ⋮⋮
※ さ、最低のネーミングだな
※ もう少し何とかならんかったのか⋮⋮
※ そう言ってやるなよ。トンちゃんだってつらいんだ
だが、いい歳してファイナルとか言ってしまったトンちゃんに
なんら恥じ入る様子はない
ふだんからチェンジリング☆ハイパーとか言ってるから
すっかり感覚が麻痺しているのだ
勇者﹁⋮⋮⋮⋮﹂
心なし視線を逸らした勇者さんが印象的だった
おもにパーティーメンバーからつつかれて
徐々に羞恥心らしきものが芽生えつつあるらしい
妖精﹁⋮⋮⋮⋮﹂
羽のひとも気まずそうだ
しかし魔王軍きっての知将は笑った
※ ランクアップしました
知将﹁ふふ⋮⋮﹂
2675
⋮⋮たとえば子狸は管理人としてまだまだ未熟だ
人生経験が不足しているし
どこか甘さを捨てきれない面がある
しかしグランドさんは違う
知将﹁ ふ は は は は ! ﹂
真に成熟した管理人は
いっさいの甘えを持たない
ちっぽけなプライドを捨て去ることが出来る
︱︱つまり顔芸を習得するのだ
焦点の合っていない目で
あごが外れるのではないと心配になるほど大口を開けて笑う
不意にぴたりと押し黙ったグランドさんが
顔面崩壊する勢いで表情筋を駆使して
ぎょろりと片目を見開く
冥府の底から響くような声で囁いた
知将﹁逃がしゃしねぇよ﹂
その声に感応したかのように
お前らが一斉に地表を突き破って現れた
跳ねるひとは打撃力に特化したタイプの魔物だ
不意打ちで倒せそうだから
2676
多くの騎士の標的になる
レベル3のひとたちの中で
もっとも多忙なひとなのである
だから、このうさぎさんには
常に多数の魔物が付き従っていた
地表を突き破った触手が
竹林のように二人の獣人を囲っている
むしろ直下からの攻撃を予測していたトンちゃんは
戸惑いながらも部下に命じる
どるふぃん﹁撃て!﹂
実働騎士たちが織りなす戦歌は
迅速かつ淀みがない
飛翔する圧縮弾
その真っ只中を
小さな人影が踊るように駆け抜けた
こん棒が閃く
圧縮弾を叩き落とした鬼のひとたちを
地中から這い上がってきたお前らが見上げる
庭園﹁なんでおれたちは生き埋めがスタンダードなんだろうな⋮⋮﹂
2677
帝国﹁軍の方針だから仕方ない⋮⋮﹂
魔物に呼吸は必要ない
人間の死角は足元と頭上に集中している
お前らは空を飛べないのだから
冬眠くまさんの陣がもっとも理に叶っていると思うのだが⋮⋮
どうか?
※ どうかと言われましても⋮⋮
※ まず、くまさんと違う
※ くまさんは地面に埋まったりしない
仕方ないだろ、そのへんは
懇意にしていたくまさんが
冬眠しているのを見て閃いたんだよ
※ ⋮⋮まあ、ファイナルよりは
※ うん、まあ、ファイナルよりは
ご理解頂けたようで何よりである
魔軍元帥が帝国騎士団の手で生き埋めにされたように
魔王軍は生き埋めにはじまり
生き埋めに終わる
生き埋めと水没は魔王軍の戦術を支える二つの柱と言っていい
※ 嫌な柱もあったもんだな⋮⋮
2678
トンちゃんは考える
わざわざ先手を譲ったのは何故だ?
そこには何かしらの意図がある筈だ
狙撃か? 伏兵か?
その浅慮が透けて見えたのだろう
鬼謀の将があざ笑う
知将﹁お前さんたちには、何も出来やせんよ。黙って見ておれ⋮⋮﹂
その絶対の自信に、王国騎士団は気圧される
勇者&妖精﹁⋮⋮⋮⋮﹂
先ほどから、勇者さんと羽のひとはひとことも発していない
おそるべき知略に絡めとられまいと必死なのだろう
はっきり言って奇策というのは
歴史上で大した役割を果たしていない
人間たちは知略を重んじるが
勝者は勝つべくして勝つし
敗者は負けるべくして負けてきた
だが、バウマフ家の人間は違う
もしも彼らが一国の将として戦場に立っていたなら
この世界の歴史はまるで異なる経緯を辿っただろうという確信が
ある
騎士たちの動揺を見透かしたかのように
2679
あるいは管理人でなければ戦史に名を残しただろう大将軍が
さっと前足を上げる
※ どんどん昇格してる⋮⋮
※ 同時に物凄い勢いでハードルが下がってる⋮⋮
※ ⋮⋮いや、そうではないかもしれんぞ
※ どういうことだ?
※ 子狸は巫女に勝った。おれは子狸に賭けたが⋮⋮正直、本
当に勝つとは思っていなかった
※ ⋮⋮同じことが起ころうとしている、と言うのか?
※ その可能性は捨てきれないということだ
お前らの予想を裏付けるように
大将軍が前足を振りおろした
大将軍﹁ミュージックスタートじゃ!﹂
※ ⋮⋮⋮⋮
トンちゃんが目を見開いた
どるふぃん﹁なにっ⋮⋮!?﹂
勇者﹁⋮⋮⋮⋮﹂
瞠目した狐一族の唯一の良心を
勇者さんが無言で見つめる
2680
この日のために練習を重ねてきたのだろう
どこからともなく流れてきた楽曲に
お前らが息の揃ったダンスを披露する
跳ねるひとだけが呆然としていた
信じられないという眼差しで
肩の老人を見る
※ き、きさま⋮⋮いつの間に仕込みを⋮⋮
謎の魔法使いは鷹揚に頷いた
お前らは驚くかもしれない
あるときは魔王軍きっての知将
またあるときは歴史に名を残したかもしれない大将軍⋮⋮
その正体は⋮⋮!
バウマフ家のご隠居さまだったのです⋮⋮
古狸﹁わかっておるよ。シマ。わしは、わかっておる﹂
その眼差しは優しい
古狸﹁お前が、伸び悩んでいることはのぅ⋮⋮﹂
鱗のひとが、照れ臭そうに鼻をこすった
トカゲ﹁へへっ、ちょっとしたサプライズさ﹂
2681
とつぜんはじまった小芝居に、王国騎士団は唖然としている
いったい何が起きているのか
それすら理解できないだろう⋮⋮
少しはおれたちの気持ちをわかってくれたと思う
︱︱これがバウマフの血だ
鳴り響いている明るい曲調に合わせて
テンポ良く飛び上がった鱗のひとが
力場を踏んで空高く舞い上がる
空中で静止して、長い尾を水平に突き出した
トカゲ﹁跳ぼうぜ!﹂
お前らも唱和する
火口﹁跳べる!﹂
かまくら﹁跳べるぞ!﹂
庭園﹁お前が陰で努力してたこと、知ってるんだぜ﹂
王国﹁⋮⋮へっ、こういう雰囲気はどうも苦手なんだがな﹂
帝国﹁ふっ、世話の焼けるやつらだ﹂
連合﹁まったく。いつまで経っても子供だな。まあ、たまにはいい
か⋮⋮﹂
2682
跳ねるひとの長い耳が、感動に打ちふるえる
うさぎ﹁お、お前ら⋮⋮﹂
しずかに離れたグランドさんが
そっと跳ねるひとの背中を押した
古狸﹁わしに出来るのはここまでじゃ。あとは⋮⋮﹂
こくこくと頷くうさぎさん
古狸﹁ふっ、言うまでもないようじゃな﹂
空中で待機している鱗のひとを見据えた跳ねるひとの目に
すでに迷いはなかった
一歩、二歩と後ずさって
屈伸運動をはじめる
ゆっくりと深呼吸してから
気合いを入れるために自分の両頬を張った
ふたたび顔を上げる
宣誓するように片腕を伸ばして
長めの助走に入る
ひよこ﹁跳ねるひと⋮⋮﹂
2683
空のひとが祈るように手羽先を組む
いつしか曲は止まっていた
仮に︱︱耳元でお前らが歌っていたとしても
跳ねるひとの集中の妨げにはならなかっただろう
理想的なコンディションだ
一歩目で足元の感触を確かめる
二歩目で全身のバランスを調整する
三歩目で加速に入る
四歩目で再調整
五歩目でトップスピードに乗った跳ねるひとが
身体をねじりながら片足で踏みきる
高々と宙を舞った跳ねるひとが
ぐんぐんと鱗のひとに迫る
文句の付けようがない
美しいまでの調和を保った
それは見事な背面飛びだった
固唾をのんで見守るおれたちは
確かに見た
このとき、跳ねるひとは
まさしくおれたちのお月さまだった⋮⋮
︱︱そして勇者さんの死霊魔哭斬の餌食になった
2684
うさぎ﹁ぐあ∼!﹂
トカゲ﹁跳ねるの∼!﹂
古狸﹁跳ねるの∼!﹂
お前ら﹁跳ねるの∼!﹂
2685
鬼謀の軍師︵後書き︶
登場人物紹介
・古狸
子狸の祖父。連合国在住の前々管理人。
魔物たちからは﹁グランド狸﹂と呼ばれているようだ。
本名は﹁ミナ・バウマフ﹂という。バウマフ家の人間は、総じて
偽名を用いた調査には適さないため、伝統的に中性的な名前を付け
られることが多い。
仮に﹁太郎﹂と名乗る女の子がいたら、まわりの人間は﹁ん?﹂
と思うであろうということである。
ちなみに青いひとたちの本名は﹁イド︵王都︶﹂﹁トワ︵山腹︶﹂
﹁アリス︵庭園︶﹂﹁ウノ︵火口︶﹂﹁ジ︵かまくら︶﹂﹁ドライ
︵海底︶﹂と言うのだが、これは数字をひねったもので、﹁太郎﹂
とか﹁次郎﹂といった意味合いの言葉である。
古代言語は現在の王国語と帝国語、連合国語の祖になった言語と
言われている。それは単語や文法に共通点があるためなのだが、正
確には世界中の言語を参考にして作られたのが古代言語なので当然
と言える。
古代言語は魔物たちがねつ造した言語で、正しくは魔界言語と言
うべきものだからだ。
正直に﹁魔物の造語です﹂と言ったところで人間たちに普及する
筈がないので、﹁古代言語﹂としたというのが真相である。
ただし時代とともに変遷していった三ヵ国語に対して、日常では
使われない古代言語は古い音を残していたりもするので、あながち
古代言語と言えなくもない今日この頃。
2686
じつはバウマフ家の人間は極めて優秀な魔法使いであることが多
い。連結魔法は個々の才能に左右されにくく、とくべつな才能でも
なければ教育環境がものを言うからである。
多分に漏れず、古狸はこと魔法を扱う技量に関しては特装騎士を
上回っている。
優秀だが、ほいほいと言うことを聞いてくれるので、若かりし頃
は便利屋として重宝されていた。その結果、自分はモテると勘違い
していた暗黒時代がある。
︵そして、その暗黒時代は現在まで継続している︶
本人は﹁そんなに頼まれちゃ嫌とは言えねぇな﹂とか気取ってい
たのだが、まわりの女性にまったくその気はなかった。女性に対し
てことさら甘い管理人を、魔物たちは深く嘆いていたようである。
いかんせん女性側にまったくその気がなかったため、数多くの失
恋を経て大きく成長した古狸は、やがて村の幼なじみと結婚。伝説
を生むことになる。
子狸と違い、完成した管理人であるため、魔物たちを巻き込んで
ストーリーを破綻させる程度のことは鼻歌混じりにこなす。顔芸が
得意。
2687
それは笑顔
策士、策に溺れる︱︱!
グランドさんの作戦は、あまりにも深遠で
ひろく⋮⋮
そして、あまりにも緻密すぎた
だから気付かなかった
宝剣から放たれた光刃は
針の穴を通すように
ここしかないという軌跡を描いて
白い巨体を貫いた
いつの間にここまでの力を⋮⋮
妖精﹁すごい﹂
羽のひとが感嘆の声を上げた
ずっと傍らで成長を見守っていた彼女ですら見誤っていた
聖剣は日増しに本来の力を取り戻しつつある
だが、それが本質ではなかった
鬼のひととの戦いが、歩くひととの戦いが、魔軍元帥との戦いが
火口のんとの戦いが、見えるひととの戦いが︱︱
2688
勇者さんを強くした
王都のんは正しかった
彼女はどんどん強くなる
飛躍的に成長している
まるでパズルのピースが埋まるように
この短時間で、勇者さんは跳ねるひとの動きに適応した
深手を負ってぐったりしている跳ねるひとを
鱗のひとが抱きかかえて泣き叫ぶ
トカゲ﹁跳ねるの⋮⋮!﹂
盟友だった
苦楽をともにしてきた白い友人
彼の跳躍を目にすることは
二度とない⋮⋮
古狸﹁いかん⋮⋮!﹂
精霊の宝剣は、魔法ではなく道具という扱いになっている
治癒魔法の適用外だから
本人ベースの変化魔法でしか回復できない
したがって本人の意識がなければ致命傷になる
跳ねるひとの命をつなぎとめる可能性があるとすれば
それは、分類2以上の過度属性しかなかった
2689
力場から飛び降りたグランドさんが
跳ねるひとのもとに駆けつけようとする
トンちゃんが部下に命じた
戦慄
していた
どるふぃん﹁勇者を援護しろ!﹂
彼は
こんな幕切れを、誰が予想した?
検討にすら上がらなかった
いや、仮に誰かが提案したとしても一笑に付しただろう
あの老人の言動は、まったく予測できない
ここで討たねばならない
そう理屈をつけたときには、すでに駆け出していた
どるふぃん﹁チク・タク・ディグ!﹂
人間が同時に制御できる圧縮弾の上限は十二発とされている
人間の脳容量には限度があるから
二発の六連、三発の四連、四発の三連、六発の二連と
公約数が多いほうがイメージの圧迫を避けることができる
扱いやすさは一つの武器になる
巫女さんは規格外だ
彼女を従来の規格に当てはめて考えるのは無意味でしかない
2690
奇しくもトンちゃんの投射魔法は
子狸と同じ理論に基づいている
どるふぃん﹁ディグ! ディグ! ディグ!﹂
突き出した片腕をとりまく圧縮弾が
時間差を置いて射出される
おれたちの軍師が、感情を剥き出しにして叫んだ
古狸﹁邪魔をするな! チク・タク・ディグ!﹂
長年、管理人として戦ってきた経験は
感情の乱れとイメージを切り離すことに成功している
互いに同じ数の圧縮弾を撃ち合う
これは、けん制だ
彼我の距離を埋めるための一手だった
圧縮弾の合間にスペルを連結して手札を充実させていく
魔法の武装をまとったトンちゃんに
お前らが一斉に触手を放つ
火口﹁単騎だと!?﹂
かまくら﹁なめるな!﹂
どるふぃん﹁邪魔だ!﹂
2691
三つの光弾が飛翔した
連合﹁こいつ⋮⋮!﹂
こん棒で迎撃しようとした鬼のひとが
空中で直角にカーブした光弾に打たれる
両手に光の鞭を巻きつけた王国最強の騎士が
魔物たちの群れに切りこむ
※ おお⋮⋮
※ トンちゃん無双
※ これほどとは⋮⋮
※ たしかに子狸さんの手には余るな
鋼の鎧は武器にもなる
殺到する鬼のひとを手甲で殴りつけたトンちゃんが
別の鬼のひとの顔面を鷲掴みにする
どるふぃん﹁おおおおっ!﹂
たたらを踏んだ鬼のひとに投げつけるや否や
まとめて光弾でなぎはらう
まるで嵐だ
手がつけられない
倒れ伏したお前らだったが
次の瞬間には何事もなかったかのように立ち上がる
2692
泡立った細胞が傷口を埋めていく⋮⋮
どるふぃん﹁! ディレイ!﹂
少しでも反応が遅ければ終わっていた
素早く後退したトンちゃんが
眼前に迫ったしっぽを光弾ではじく
頭上から襲いかかった前足が地面に穴を穿つ
盾魔法の力場で自身をはじいたトンちゃんが
背筋を伸ばして両腕を弛緩させた
その手から伸びる双鞭が、お前らに睨みをきかせる
地上に降り立った偉大なるポンポコが
ぐるりと周囲を見渡して治癒魔法の成果を確認する
お前らの顔色は悪い
トンちゃんは完成された戦士だった
つけいる隙がまったく見当たらない
お前らのおびえを感じて、おれたちの軍師が義憤に燃える
王国最強の騎士に向き直って悪態をついた
古狸﹁おのれっ!﹂
力場を踏んで飛び上がったグランドさんの前足がゆがんで見えた
ほとばしった紫電が全身を駆けめぐる⋮⋮
2693
戦いは続いている
どこまで行っても落としどころなどないかのようだ
おーん⋮⋮
盟友を抱えた鱗のひとの慟哭が響く
放たれた光刃が空をきる
勇者さんの猛攻を
鱗のひとは避けるだけで
いっさい手出しして来なかった
︱︱もう勇者などどうでもよかった
光槍が背中に突き刺さるのも無視して
地を踏みしめるように歩いていく
勇者﹁⋮⋮!﹂
勇者さんは容赦なく宝剣を振るうが
疲弊から来るものなのか
その剣筋には乱れが見られた
肩にとまっている羽のひとは
一心に上空を見据えている
妖精﹁リシアさん、退きましょう﹂
2694
その声はふるえていた
勇者﹁リン⋮⋮?﹂
これまで、羽のひとが作戦の遂行に口出しすることはなかった
その彼女が、焦りを隠すことなく叫んだ
妖精﹁早く!﹂
︻旅シリーズとか︼方舟在住の世界をめぐる不定形生物さん︻わた
しには関係ない︼
バウマフ家の魔法武装は、他の人間とは異質だ
チェンジリングというのは、もともと魔物たちの奥義で
その名称を拝借したのが騎士の詠唱変換だった
圧縮した重力場が肉球を模した形態をとっているのは
そうなるよう教育を受けたからだ
光の鞭では押し負けるとわかっているから
トンちゃんは距離をとって性質の衝突を避けている
上位性質は我が強すぎて連結には不向きだ
だから、このままだったら
きっとグランドさんは負けていた
バウマフ家の戦闘スタイルは
2695
持久力の高さと魔法への親和性を主軸に据えたもので
肉体の衰えが弱体化に直結するからだ
でも、そうはならなかった
とつぜん眼前に割り込んできた少女に
トンちゃんは硬直した
どるふぃん﹁ッ⋮⋮!?﹂
まったくと言っていいほど接近を感知できなかったからだ
古狸﹁でかした!﹂
その隙をついてグランドさんが離脱する
傷ついた跳ねるひとのところに向かったのだろう
どるふぃん﹁待てっ!﹂
即座に追跡しようとする王国最強の騎士を
少女の細腕が押しとどめた
逆さまに浮いている少女が
くるりと空中で上下反転して
トンちゃんの頬を優しく撫でる
頭ではわかっているのに
トンちゃんは視線を逸らせない
絶世の美少女だから仕方ないね!
2696
※ 自画自賛か
※ お前というやつは⋮⋮
※ ふつうに空中浮遊するのはいかがなものか
どうせ人格がゆがんでますよ∼
わたし﹁あはっ﹂
どるふぃん﹁ッ! さわるな!﹂
トンちゃんは動揺している
無理もないかな。絶世の美少女だからね!
※ しつこい
※ 青みが足りないぜ
※ つのも生えてないし
あなたたちの美的感覚はおかしいんだよ!
※ 失礼な
※ ママンに似てたら評価した
※ この世でもっとも美しいひとはママン
※ つまり子狸さんは美少年ということになるな⋮⋮
※ その発想はなかった
※ 目から魔どんぐり
※ 手の施しようがないだろ
2697
※ 目から鱗ですね
※ 遅まきながら子狸さんが新ルールを把握してくれた件
どるふぃん﹁お前は⋮⋮いや、そんな筈がない! 何者だ!﹂
誰何しながら即座に排除しようとするんだから立派だ
でも、わたしには通用しない
死角から迫る光弾を摘まんで握りつぶした
トンちゃんが光の鞭を突き出したときには
わたしは力場を踏んで彼を飛び越している
わたし﹁チク・タク・ディグ﹂
さすがは王国最強の騎士だ
四方から襲いかかる圧縮弾に
彼は躊躇わずに突進した
回避できないと瞬時に判断して鎧で受ける
さらに治癒魔法を詠唱変換した
たくましく育ったね
ひと目、会っておきたかったんだ
あんまり時間がないからさ
わたし﹁魔軍元帥が、魔都を離れたのは何でだと思う?﹂
2698
その可能性は視野に入れていたのだろう
トンちゃんは圧縮弾を生成しながら歯噛みする
どるふぃん﹁魔王⋮⋮!﹂
わたし﹁さて、どうでしょう?﹂
違うけどね
圧縮弾を解き放つと同時に
トンちゃんは視線に力を込める
彼が異能を使うときに
相手を指さしたりするのは
簡単に言うと自己暗示みたいなもので
集中を補うためだ
いよいよとなれば完璧に抜き打ちできる
圧縮弾を避けようとしたわたしの身体が2cmの動きを強制された
2cmのみ動くということは
2cmしか動けないということだ
ああ、これは避けられないな︱︱
たとえ瞬間移動しても同じことだ
わたしには使えないけど、時間跳躍しても無駄だろう
2699
確実に当たる
しかし、その一撃は
とつじょとして、わたしを包んだ炎にはじかれた
はっとしたトンちゃんが頭上を仰ぐ
わたしは、確認するまでもなくわかっていた
わたし﹁ニレゴル。出てきたんだね﹂
火の粉が散る
再生を象徴する不死鳥だ
その全身は火の海と形容するのが相応しい
大きくひろがる翼
鋭くとがったくちばし
ぴんと立った尾羽
それら全てが紅蓮の炎で形成されている
火の鳥がさえずる
ろ、ろ、ろ、ろ⋮⋮
物悲しい鳴き声だった
王種というのは、人間を基準にした魔物ではない
2700
不死鳥﹁⋮⋮行け﹂
その言葉は、トンちゃんに向けられたものだ
どるふぃん﹁礼は言わんぞ!﹂
王種は、どの陣容にも属さない中立の存在だ
彼らが動くなら、それは人間を守るためではない
でも、それは人間側の理屈だよね
王種は人間たちを守る
ずっと守ってきた
人前でも開放レベル5を使えるというのは、そういうことだ
※ お前ら、見てくれ! おれのお隣さんの勇姿を⋮⋮!
※ 良かったな、庭園の⋮⋮
ステルスしたアリスが
転移してきてニレゴルの頭に乗る
そして猛虎の構え
触手の一本一本に力がみなぎっている
うんうん⋮⋮
じゃあ、怖いひとも来たし帰ろうか
わたし﹁出迎えご苦労!﹂
不死鳥﹁ほざけ⋮⋮﹂
2701
ニレゴルは凄むけど
わたしは楽しく生きたいんだ
わたしたちは、なんのために生まれたの?
縛られたくない。自由に生きたい
そのための力もある
魔物は、魔法使いを狩るための存在だ
でも、そんな生き方は嫌だな
わたしは管理人さんの力になりたい
魔物と人間が仲良く暮らしてもいいじゃないか
そう思う⋮⋮
ろ、ろ、ろ、ろ
不死鳥が哀切の歌をつむぐ
眼下では、霊気を補填されたシマが
完全に獣化していた
前足と後ろ足を折り畳んで鳴く
2702
きゅう、きゅう
おーん⋮⋮
うさぎさんとトカゲさんが
抱き合って互いの無事を喜んでいた
思わず微笑が漏れた
スマイルだよ
笑顔は世界を変えるんだ
︻逮捕︼王都在住のとるにたらない不定形生物さん︻連行︼
まず、お前らに謝っておく
おれの妹がすまん
迷惑ついでに
消し炭にしておいてくれ
※ どっちが早く消し炭になるか、競争だね。お兄ちゃん!
なに、遠慮することはない
兄には構わず消し炭になってくれ
無償の愛とは不完全燃焼のようなものだ⋮⋮
2703
※ 王都さん、夢と希望! 夢と希望を忘れないで!
火のひとが久しぶりに外出した頃
子狸さん率いるポンポコ騎士団は
妖精﹁次! 突き百本!﹂
妖精﹁はい!﹂
妖精たちの隠れ里にいた⋮⋮
子狸﹁⋮⋮思っていたのと少し違うな﹂
2704
妖精の里へ行こう
一説によれば、妖精とは花の化身であるという
彼女たちが暮らす隠れ里では、ありとあらゆる花が季節を問わず
咲き乱れ
女王のもと、その氏族に連なる妖精たちが小さな集落を築き上げ
ている
争いを好まない妖精たちは、隠れ里で一生を過ごすものも多い
ときおり人里で見掛ける個体は、何らかの理由で里を追われたも
のであり
イメージの問題から
高値で取り引きされる妖精の秘薬で生計を立てることとなる
それが妖精屋だ
秘薬の効能は素晴らしく
人類社会に混乱を招くおそれがあることから
妖精屋に足を踏み入れることができるのは
店主と縁を持つものに限られる
もちろん秘薬の販売は女王の許可を得たものではない
そのこととの因果関係は不明だが
一度、里を出奔した妖精は
里帰りの習慣を持たないケースがほとんどだ
2705
つまり︱︱
※ ⋮⋮⋮⋮
幻想的な光景ですね。ぽよよん
※ わかっているならいいんだ
御意
※ お兄ちゃん、だめ! 圧力に屈さないで!
真の勇気とは蛮勇ではない
ときとして信念を曲げることも
また勇気ある行いと言えるのではないか
※ そんな王都さんは見たくなかった⋮⋮
※ 王都さんだけは違うと思っていたのに⋮⋮
争いは無益だよ
この王都さんはね
お前らが醜く争い合う姿なんて見たくないのです
わかってほしい。この真心
※ 魚心あれば水心
※ 透き通る保身
※ 清らかなる偽善
※ おれは王都のひとを支持するぜ
※ その薄っぺらい発言⋮⋮子狸だな?
2706
※ 王都&子狸連合
※ おれも支持するぜ
※ 王都&子狸&古狸連合
※ 勝ち目はないぞ、王都の⋮⋮
さて、妖精の里にやってきたポンポコ騎士団
子狸の肩には黒妖精さんがとまっている
数々の因縁を乗り越え特装部隊と和解したことで
念願の実働小隊を形成したポンポコ騎士団
意気揚々と出発しようとする彼らに
妖精の姫君は、こう告げたのだ
コアラ﹁いまから追いかけても間に合わないわ。あなたたち、なに
か考えでもあるの?﹂
ポンポコ騎士団は、じつに三日ぶんにおよぶ先行を
突入部隊に許している
それは仕方のないことだった
彼らは、騎士団の尾が伸びきる瞬間を待たねばならなかったからだ
騎士Aは言った
小隊長の彼は、実質的にポンポコ騎士団のリーダーだった
騎士A﹁突入部隊は最前線にいる。消耗は激しい。スピードなら、
少人数で動けるぶん私たちのほうに分がある﹂
小回りがきくことは確かだ
地形によっては迂回する必要がなくなるだろうし
2707
雑用に割かれる時間も自ずと減る
それでも三日の遅れを取り戻せるかどうかは微妙だが⋮⋮
騎士Aの希望的観測を、闇の妖精は切り捨てる
コアラ﹁無理ね。状況から見て、彼らは強行軍を続けるわ。もしも
獣人たちによる足止めを期待しているなら⋮⋮わかるでしょう?﹂
魔法の撃ち合いは
たいていの場合、短期で勝敗が決する
同格、同性質の魔法は打ち消し合うという原則があるから
対処法のない魔法は存在しないし
ましてアニマル三人衆の開放レベルは3⋮⋮
等級が同じなら、主導権の奪い合いになるのは目に見えている
長期戦になることは、まず考えられない
子狸﹁⋮⋮⋮⋮﹂
子狸さんは計算中。がんばれ
※ がんばれ!
※ お前ならやれる!
※ これまでのつらかった日々を思い出すんだ!
※ 無駄じゃないぞ!
※ ああ、絶対に無駄なんかじゃ⋮⋮!
2708
子狸﹁⋮⋮カレーはひと晩寝かせたほうが﹂
※ だめだ!
※ 王都さん、ヒントを!
※ ヒントをお願いします!
ポンポコ騎士団の目的が魔王との対話にあるというなら
彼らは突入部隊よりも先に魔都に辿りつかねばならない
※ もっとわかりやすく!
※ 絵本を読み聞かせるように!
悪い例
魔王︵暫定︶
勇者︵殺意︶ 子狸︵説得︶
騎士 騎士
良い例
魔王︵暫定︶
子狸︵説得︶
※ すごくわかりやすい!
※ これは、わかるなというほうが無理な相談ッ⋮⋮
2709
※ とうとうここまで来たか⋮⋮
︻夏の新作︼管理人だよ︻ストライダー︼
秘書
お前ら お前ら
おれ トン
勇者 魔王 騎士 妖精 騎士
※ いやいや⋮⋮
※ いやいや⋮⋮
※ お前はどこを目指してるの⋮⋮? ※ まず魔王と敵対してるおれらは何者なの?
※ これは完全に負け戦
※ ありえそうなのが怖いんだよぉぉぉっ⋮⋮
※ あと、当たり前のように自分をワントップに置いてるのがイ
ラッとくる
※ 騎士の存在感が半端ないな⋮⋮
︻純血の︼王都在住のとるにたらない不定形生物さん︻ストライカ
ー︼
2710
おれと子狸さんがポンポコ将棋でしのぎを削っている間にも
黒妖精さんは果敢に敵陣へと深く切り込む
さすがは魔軍元帥のパートナーといったところか
素晴らしいタレントだ
ひざを抱えて、空中で逆さまになる
ささやくように言った
を視野に入れていたからだ
コアラ﹁あなたたちと、わたしたちの利害は一致している⋮⋮。そ
うは思わない?﹂
その可能性
彼女がここにいるのは何故か
魔軍元帥は、当然
虚言を用いる必要すらない
正直に打ち明けるだけで良かった
コアラ﹁わたしたちは、勇者に宝剣を渡したくない。あなたたちは、
勇者よりも先に魔王と会いたい﹂
騎士A﹁それは⋮⋮﹂
騎士Aが、気圧されたように一歩さがった
彼女の言葉を拒否する材料がないことに
はじめて気がついたからだ
いびつな歯車が噛み合うように
彼らの利害は一致していた
代わって進み出たのは特装Aだ
2711
特装A﹁信用しろというのか? 無理だろう、それは﹂
黒衣の妖精は、二対の羽をたくみに操って
ゆっくりと子狸の眼前を横切る
まるで彼女だけが
罪からさえも自由であるかのようだ
コアラ﹁わたしは、最初から勇者には期待していなかったの。バウ
マフ家だけが﹂
勇者さんは、子狸に宝剣を集めろと言った
もしも六つの宝剣に認められる人間がいるとすれば
それは六つの属性に許された人間に違いないからだ
コアラ﹁バウマフ家の人間なら、きっと宝剣を集めてくれると思っ
た。⋮⋮港町で起こったことを、あなたたちは知っているのでしょ
う?﹂
あの港町で
魔軍元帥は、万全を期すなら、魔人に火の宝剣を預けるべきだった
不調を押してまで自身が赴いたのは
魔王に忠誠を誓う都市級が他にいなかったからだ
手のひらほどしかない小さな少女が
首を傾げて優しく問う
コアラ﹁ね? 魔獣たちは信用ならない。あのひとは、きっとあな
たたちを守るわ︱︱﹂
2712
もちろん最後までは保証しないけど︱︱と
嘘を言う必要がなかったから
誠実であれば良かった
そうでしょう? と、彼女はきれいに笑う
コアラ﹁あなたたちは、話し合いに行くのだから。あのひとを素通
りできるなんて⋮⋮思うほうが間違っているわ﹂
彼女の言うことはもっともだった
腑に落ちない点があるとすれば
それは彼女を信用しきれていないからだ
だが、そもそも信用の有無は問題ではなかった筈だ
彼らは、魔物たちとの対話の場を求めていたのだから
返答に窮した騎士たちが子狸を見る
子狸が肯いたなら、きっと自分たちも納得できると思ったのだろう
ポンポコ騎士団の団長は迷わなかった
正面から黒妖精さんを見据える
その眼差しには知性の輝きがあった
夜の帳をまとった妖精さんは
魔軍元帥をあのひとと呼ぶ
おれたちの管理人さんが吠えた
2713
子狸﹁一度、うちに来てもらってはどうかね!?﹂
どこの馬の骨とも知れない鎧シリーズに
子狸さんは正しく怒っていたのである
コアラ﹁せいやっ!﹂
子狸﹁おふっ﹂
お姫さまの地獄突きが子狸に炸裂した
コアラ﹁正直に言いなさい! どこから理解できてなかったの﹂
子狸﹁⋮⋮リーダーはおれだろ﹂
嘘を言う必要がなかったから
誠実であれば良かった
騎士A﹁待ってくれ﹂
騎士Aが団長をかばった
騎士A﹁君の説明は長い。長すぎる。三行以上は⋮⋮酷だ﹂
他の騎士たちも同調した
騎士E﹁三行でも怪しいんだ。頼む﹂
騎士F﹁時間を⋮⋮時間をくれ!﹂
2714
黒妖精さんはヒステリックに叫んだ
コアラ﹁お前らがそうやって甘やかすからだめなんだ!﹂
騎士H﹁まだ子供だ﹂
コアラ﹁大人になったらもっとひどくなるんだよ!﹂
子狸﹁そんなことないだろ﹂
騎士G﹁お前の親父さんはまともだもんな﹂
ポンポコ騎士団のメンバーはお屋形さまと面識がある
子狸﹁おれ、自分で言うのも何だけど、なんていうの、あれ⋮⋮大
器⋮⋮大器ぃ∼⋮⋮まあいいや﹂
特装B﹁諦めんな。大器晩成な﹂
子狸﹁そう、それ。どういう意味なんだ?﹂
特装B﹁わからないのに言うなよ﹂
大器晩成。一見、未熟でも大成するかもしれないから長い目で見
守りましょうということだな
大器晩成型の子狸さんは秘密兵器として温存しておくべきだ
そう思ったのか、気を取り直した特装Aが黒妖精さんに尋ねる
特装A﹁具体案はあるのか?﹂
2715
乗り気になったらしい
魔軍元帥のパートナーだからと、なんとなく反対したものの
よく考えたら彼女の提案は渡りに船だ
魔軍元帥に宝剣を奪われる可能性はあるだろうが
どのみち目的地は魔都なのだから遅かれ早かれの問題でしかない
むしろ深刻なのは、突入部隊に追いつけそうにないという点だった
黒妖精さんは次代の女王候補だ
エリート中のエリートなのである
その佇まいには隠しきれない気品がある
コアラ﹁ちっ。だりぃな⋮⋮。光栄に思いなさい。あなたたちを、
わたしたちの隠れ里に招待します﹂
子狸﹁めっじゅ∼﹂
子狸が鳴いた
コアラ﹁そうね。女王を説得できれば⋮⋮あるいは﹂
会話が成立した
2716
戦慄の花園
︻赤いの︼山腹巣穴在住のとるにたらない不定形生物さん︻社会復
帰︼
燃え沈むような鳴き声が
一定の周期で大気を打つ
緋色の両翼が青空を覆い隠していた
どるふぃん﹁隊列を崩すな!﹂
トンちゃん率いる王国騎士団は
第二のゲートを抜けて先を急ぐ
王種に行けと言われたなら従うしかない
たとえ、それがどんなに理不尽な命令であろうとも
彼らの機嫌を損ねたら一巻の終わりだ
賭けに出るような局面でもなかった
火の鳥と対峙している得体の知れない少女は気に掛かったものの
中立の立場にある王種が出てきたということは
つまり魔王ではないということだ
二人の獣人は、すでに離脱していた
あの老人も一緒だろう
2717
取り逃がしたか⋮⋮
トンちゃんの表情は厳しい
と同時に安堵していた
おそらく二度と会うことはあるまい
何も告げずに去った強敵たちの後ろ姿は
戦いに疲れて騎士団を去った人間とそっくりだった
残すは最後の獣人種と
三人の魔獣⋮⋮そして⋮⋮
おそらく魔軍元帥は生きている
妹たちが気掛かりだった
内心で言葉を紡ぐが
先ほどから反応がない
ぞっとして振り返ると
迷彩を破棄した幼い妹が
ふらりと草原に佇んでいる姿が見えた
どるふぃん﹁コニタ!﹂
騎馬から飛び降りたトンちゃんが
矢のように飛んで行って狐娘を抱きかかえる
とって返してきた騎馬に並走して
歩調を合わせてから飛び乗った
前もって部下に声を掛ける余裕などなかった
2718
王国騎士団が隊列を乱さずに済んだのは
勇者さんがトンちゃんに代わって先頭に立ってくれたからだ
ほっと安堵の吐息を漏らしたトンちゃんに
自失していた狐娘が小さくつぶやいた
狐娘﹁兄さま﹂
どるふぃん﹁いいんだ﹂
トンちゃんは繰り返した
どるふぃん﹁⋮⋮いいんだ。お前たちはアレイシアンさまを守れ。
それだけが私の願いだ。他のことはいい﹂
妹たちは彼にとって宝物だった
生きる理由そのものだった
かくして第二のゲートを開放した王国騎士団
犠牲をはらいながらも先へと進む⋮⋮
彼らが去るのを待ってから
草原にひそんでいた一人の少年がつぶやいた
??﹁僕らの出る幕はなかったね﹂
その声に答えたのは、迷彩を破棄した騎士たちだった
全身を覆う大きな布の隙間から
鈍色の鎧が覗いて見えた
2719
連合国に所属する騎士の制式装備だった
連合騎士﹁われわれの存在に、あの男は気付いていたよ﹂
連合騎士﹁ここからさ。本当の地獄がはじまるのはな⋮⋮﹂
連合騎士﹁長居は無用だ。行くぞ、坊﹂
子供あつかいされた少年がむくれる
??﹁その呼びかた、やめてよ。僕は、あなたたちの上司なんだか
ら﹂
連合国は、常にルールの裏を突いてくる
中隊長になるためには一千以上の出撃回数が最低条件だ
出撃回数を稼ぐだけなら幾らでもやりようはある
連合国には、生まれながらにして上級騎士になることを定められ
た人間がいる
世代最年少の中隊長
ノイ・エウロ・ウーラ・パウロは、その一人だ
二つの称号名を持つ少年騎士である
神父﹁悔い改めてよね、まったくもう﹂
※ 司祭だと⋮⋮?
※ 司祭を出したのか、連合国は⋮⋮!
2720
※ あの国は、本当にろくなことをしないね
※ 王国よりは良心的だろ
※ 不死身さんといい、おれたちへの嫌がらせとしか思えない
※ まあ、そうなんだろうな
︻子狸さん︼王都在住のとるにたらない不定形生物さん︻魔空間へ︼
妖精たちの隠れ里は、妖精とともにある
だから人間が一人で探しても絶対に見つからないし
子供が妖精を追って迷いこんだという話もよく聞くが
それは尾行に気付いていて招かれたということだ
林を抜けると、そこは一面お花畑だった
先導していた黒妖精さんが振り向いて言う
コアラ﹁足元に気をつけてね。わたしたちはこうして飛べるから、
歩くための道なんてないわよ﹂
騎士たちは心得たものだ
お馬さんたちを手近な木につないで
魔法で空中に足場を作る
子狸も習った
子狸﹁半日もあれば攻め落とせる。行くぞッ、豆芝!﹂
2721
コアラ﹁せいやっ!﹂
子狸﹁おふっ﹂
時は王国暦一00二年︱︱
野心に燃えるポンポコ王は妖精たちの秘宝を手中におさめんと
わずかな手勢を率いて隠れ里に攻め入るのだった⋮⋮
子狸﹁くっ⋮⋮これほどとは﹂
しかし妖精たちの思わぬ反撃にあい
撤退を余儀なくされる
子狸﹁ふっ、退くぞ﹂
騎士A﹁団長、しかし⋮⋮!﹂
子狸﹁構わん。目的は果たした﹂
秘宝をめぐる人間と妖精の小競り合い
この小さな火種が
やがて大陸全土に飛び火することになろうとは
このときは、まだ誰も予想できなかったのである⋮⋮
そう、ポンポコ王を除いて⋮⋮誰も⋮⋮
コアラ﹁⋮⋮満足か?﹂
小芝居を終えた子狸に黒妖精さんが問いかけた
2722
子狸さんは、やり遂げた顔をしている
子狸﹁ああ。待たせて済まない﹂
豆芝さんから降りると、首をぽんぽんと叩いた
子狸﹁いい子にしてろよ。すぐに迎えに来る﹂
力場の上を歩いていく子狸を
豆芝さんは不安そうに見つめていた
とうとう愛馬にも心配される始末だった
特装騎士たちは落ちつかない様子で周囲を警戒している
実働部隊が突入するとき、彼らは情報収集と狙撃を担当すること
が多い
しかし、これから女王を説得しようというのに
姿をくらますわけにはいかなかった
仕方なく子狸の前後左右を固めて襲撃に備える
仕事をとられた実働騎士が特装の肩を掴む
騎士B﹁おい。お前らは下がってろ。邪魔だ﹂
特装B﹁状況が違うんだ。お前らが下がれ。目障りなんだよ﹂
特装騎士の対応は理性的だ
騎士団は不意打ちに対処できるよう鍛え上げられている
2723
それは実働部隊の戦歌と
特装部隊による情報共有という二本の柱から成り立つ
片方が欠けた状態なら
万端の特装騎士が不慮に備えるべきだった
実働部隊は八人の騎士で構成されている
ぎりぎりの人員だから
もしも一人でも脱落したら戦力が激減する
子狸は、どちらかと言えば特装寄りの魔法使いだ
短期間なら特装騎士の真似事は出来るだろう
しかし実働騎士の肩代わりは不可能だ
培ってきたものの方向性が違いすぎる
騎士B&特装B﹁⋮⋮⋮⋮﹂
互いの真意を探るように
実働と特装が至近距離で見つめ合う
口を半開きにし、眉尻を限界まで下げる
小声で﹁あ?﹂﹁あ?﹂と言い合っていた
相互理解は大切だ
良い傾向と言えるだろう
※ こうして見ると、勇者一行はなんだかんだで仲良しだったん
だなぁ⋮⋮
※ 失われて、はじめてわかるものってあるよな⋮⋮
2724
子狸は秘密兵器なので温存しておくとして
ポンポコ騎士団の隊長は道すがら黒妖精さんと話し合っていた
騎士A﹁説得と言われてもな⋮⋮いったいどうすればいいんだ? ありのままを話せば通してくれると思うか?﹂
ポンポコ騎士団が突入部隊に先んじるためには
超空間を経由して行程を省くしかない
つまり妖精の里を通過する許可を得れば良い
コアラ﹁それしかないでしょうね。あとは⋮⋮﹂
ただし、騎士団とは武装した戦闘集団だ
相応の信頼を勝ち取る必要はあるだろう
肩越しに振り返った黒妖精さんが、子狸を一瞥した
コアラ﹁バウマフ家の人間がいるなら、多少は大目に見てくれると
思うわ﹂
騎士A﹁どういうことだ?﹂
コアラ﹁知らないの? わたしたちの女王は、勇者と一緒に旅をし
ていたことがあるのよ﹂
騎士A﹁いや、それは聞き及んでいるが⋮⋮﹂
有名な話だ
ベル族の女王は
過去に八代目の勇者を導いた妖精である
2725
コアラ﹁待って﹂
何かいると、小さな少女はささやいた
騎士Aが片腕を上げて、さっと水平に振る
たったそれだけのことで、他の騎士たちが一斉に動いた
彼らはよく訓練された戦士だった
言うべきか、言わないべきか
騎士Aが悩んだのは一瞬のことだった
騎士A﹁高度を下げろ。先手を取りたい﹂
彼女が女王候補の一人だとは聞いていたが
妖精の錬度など計りようがない
ひとつだけはっきりしているのは
彼女の羽から舞い散る光の鱗粉は目立つということだ
無言で頷いた黒妖精さんが忍び寄ってきた子狸の肩にとまった
子狸の隠行は、騎士の目から見ても見事なものだった
いまのうちに逮捕しておこうかと悩んだが
王都に戻ってからでも遅くはないと自分に言い聞かせた
左右に展開した部下たちと意識を同調させて
感覚を研ぎ澄ませていく
人間の口は一つしかないから
2726
同時に一つの喚声しか吐けない
その常識を打ち破ったのがチェンジリング☆ハイパーだった
八つの口を持つ魔法使いは
魔物と何が違うのだろうかと
ふと生じた疑念を遠く感じた
機先を制するためには、ある程度の思い込みも必要だ
境界線を三歩と決めて、慎重に前進する
それまでに敵影を目視できなければ突進するつもりだった
しかし、その必要はなかった コアラ﹁⋮⋮⋮⋮﹂
鬼のひとたちが、無言で地面を掘っていた
一心にスコップを土に突き立てている
すでに相当な深さまで掘り進めていた
無残にも踏み荒らされた花園に
黒妖精さんは何を思うのか⋮⋮
はっとして振り返ったのはレジィだった
帝国﹁⋮⋮⋮⋮﹂
コアラ﹁⋮⋮⋮⋮﹂
作業の手を止めたレジィに
2727
ジャスミンが文句を言おうとしてやめた
ふわりと子狸の肩から舞い上がった黒妖精さんの姿が見えたからだ
王国﹁⋮⋮⋮⋮﹂
硬直しているジャスミンの肩を
ユニィが軽く叩いた
連合﹁突破する﹂
独特のストライドで駆け出す
コアラ﹁⋮⋮⋮⋮﹂
黒妖精さんは、ひとことも言わなかった
もはや言葉を交わす必要性を感じなかったからだ
二対の羽を高速で振動させると
大気が爆ぜるほどの推進力が
彼女の小柄な身体を前方へと運んだ
接触する直前︱︱
ユニィの背後からレジィが飛び出した
黒妖精さんの視線が揺れた一瞬を見越して
跳躍したジャスミンが頭上から襲いかかる
三位一体の奥義だ
しかし︱︱
2728
※ だめだ! その技は⋮⋮!
次代の女王候補とささやかれる妖精の姫
彼女の技量は想像を絶していた
空中でくるくると回りながら彼我の距離を詰めた彼女が
ステップを踏んで、さらに加速した
彼女の動きは、人間が視認できる領域を逸脱していた
港町で羽のひとと戦ったとき、彼女はまったく本気を出していな
かったのだ
鬼ズ﹁⋮⋮!﹂
どうと倒れ伏した小鬼さんたちに、黒妖精さんが背を向けたまま
告げた
コアラ﹁奥義、紫電三連破﹂
鬼のひと∼! ※ 鬼のひと∼!
※ 鬼のひと∼!
※ オリジナルかな?
姿が見えないと思ったら、里にいたのか⋮⋮
2729
2730
暗澹たる光明
王国﹁超空間で採掘できる鉱物に興味があった﹂
帝国﹁魔法の影響を調査しておきたかった。いまは反省している﹂
連合﹁悪いことをしているという自覚はあった。今後も繰り返すと
思う﹂
黒妖精さんに捕縛された鬼のひとたちは
のちにそう述懐した
コアラ﹁おら。歩け﹂
のろのろと歩く三人と一匹を
黒球が取り囲んでいる
少しでも妙な真似をしたら
即座に叩きのめすためだ
帝国﹁ちっ⋮⋮﹂
帝国さんの反骨精神は並々ならぬものがある
横柄な態度で舌打ちした
コアラ﹁あ?﹂
帝国﹁⋮⋮⋮⋮﹂
2731
凄まれても素知らぬ顔だ
その点、おれたちの子狸さんは模範的な囚人だった
肩を落として大人しく歩いている
目線は斜め下に固定
沈痛な面持ちが長年のキャリアを思わせる
となりの王国小人が、ふと首を傾げて言った
王国﹁お前は何もしてないだろ﹂
そう言われて、子狸ははっとした
子狸﹁冤罪だ!﹂
捕まって当然という意識があったから
気付くのが遅れた
黒妖精さんは、にべもない
コアラ﹁あなたのセクハラ行為は目に余るものがある。とくに、わ
たしたちに対してはそう﹂
子狸﹁そっ、そんなことねーよ!﹂
コアラ﹁まあ、それだけ心を許しているということなんでしょうけ
ど⋮⋮女王に対しても同じ態度を取られると困るの﹂
彼女とポンポコ騎士団の利害は一致している
手は打っておくに越したことはなかった
2732
戦いを通して子狸を認めた特装Aは
べつの視点から現状を受け入れていた
特装A﹁お前は団長だからな。どっしりと構えていてくれたほうが
いい﹂
子狸は、ポンポコと森の愉快な仲間たちの最後の砦だ
本当の意味での切り札だから
いないものとして扱うのがベストな判断だった
子狸﹁一理あるな﹂
一を聞き十を知るのが
おれたちの子狸さんだ
余計な問答は無用だった
※ やはり天才だったか⋮⋮
※ 才知が光り輝くようだ
ここ妖精の里では
あまたの妖精たちが技を競い合い
日々の修練を積んでいる
お花畑を進んでいくと
やがて見えてくるのが
妖精たちの居住区が立ち並ぶ、小さな集落だ
小さいと言っても
人間サイズに換算したら、ちょっとした都にも匹敵するだろう
2733
自在に宙を舞う妖精たちは
訓練場所に事欠かない
次代の女王候補と言うだけあって
黒妖精さんは里の人気者だった
妖精﹁ユーリカさま!﹂
妖精﹁お帰りなさい、ユーリカさま!﹂
黒妖精さんの名前は、ユーリカ・ベルという
ベルというのは、苗字ではなく氏族を表す名称だ
名前の一部とでも言えば良いのか⋮⋮
ようは、仕える女王の違いだ
妖精属には三人の女王がいて
一つの里につき、一人の女王が治世を敷いている
つまり、まだ設定がふわふわしていた頃
適当に名乗ったら引っ込みがつかなくなって
ただし、いちいち苗字を考えるのが面倒くさかったのである
控えめに微笑んだ黒妖精さんが
片手を小さく振って応じる
十二人のポンポコナイトは困惑していた
里に足を踏み入れた人間は
妖精たちによって悪しざまに罵られるのが恒例だからだ
2734
だが、考えてみれば当然なのかもしれない
鬼のひとたちの存在感が
あまりにも大きすぎる
小さなポンポコは、早くも挙動が不審だ
突入部隊に先行を許しているという焦りがそうさせたのかもしれ
ない⋮⋮
さり気なさを装って屈伸運動をはじめたかと思えば
黒妖精さんの目を盗んで駆け出した
子狸﹁ぬんっ!﹂
華麗な背面飛びであった
黒球を跳び越そうとして失敗する
子狸﹁ぐあ∼!﹂
コアラ﹁⋮⋮⋮⋮﹂
どしどしと黒球を打ちつけられて
跳ね上がる子狸さん
空中で大きく仰け反る
鬼ズ﹁ぽ、ポンポコさーん!﹂
もはや職人芸の域に達した負け狸っぷりである
ハードルは高かった
2735
※⋮⋮身を以って敵の技を知る
生半な覚悟では、こうは行くまい⋮⋮
※⋮⋮ああ、彼女は魔軍元帥のパートナーだからな
※ハードル低いぞ。いったい、どこまで低くなるんだ⋮⋮
※うむ、さすがはわしの孫じゃ
抜け目がないのぅ⋮.⋮
※あれっ、グランドさん?
あなた、こきゅーとすだと
いつもはふつうに話してましたよね?
※きさまっ、おれたちを差し置いてキャラクターを確立させよう
と!?
※小賢しいぞ、古狸め!
恥を知れ、恥を!
※ほっほっほ⋮⋮何とでも言うがいい
おれは次のステージに進むぜ!
※せめて徹底しろよ!
グランドさんが次なるステージへと進み、そして戻ってきた頃⋮⋮
ポンポコと愉快な仲間たちは
集落の中心部に辿り着いていた
2736
鬼のひとたちを衛兵に引き渡した黒妖精さんが
遠目に女王の姿を求めて浮遊する
鬼ズ﹁ポンポコさーん!﹂
子狸﹁鬼のひとたち⋮⋮! いま行く⋮⋮! ディレイ!﹂
コアラ﹁大人しくしていろと言うのがっ⋮⋮ダークネス☆スフィア
!﹂
騎士H﹁ちぃっ⋮⋮! グレイル!﹂
コアラ﹁邪魔立てを⋮⋮! なんのつもり!?﹂
騎士G﹁降りかかる火の粉は、はらうつもりだった。でも、そうじ
ゃないんだ⋮⋮!﹂
騎士F﹁おれたちは、話し合いに行くんだ。助けを求められたなら、
応えるんだよ!﹂
コアラ﹁⋮⋮彼らは罪をおかしたのだから、相応の罰は必要でしょ
う?﹂
騎士A﹁ちがう! そうじゃない。そうじゃないんだ⋮⋮ようやく
見えた⋮⋮はっきりと!﹂
ポンポコ騎士団の隊長が吠えた
騎士A﹁子狸! 特装を連れて行け! メノゥ⋮⋮いや、彼らを⋮
⋮ディンを救出しろ!﹂
2737
コアラ﹁ばかなの!?﹂
それは、つまり妖精たちと敵対するということだ
子狸﹁鬼のひと∼!﹂
言われるまでもなく、子狸は駆け出していた
そのあとを特装部隊が続く
終わった⋮⋮
黒妖精さんは呆然としていた
もう、絶対に間に合わない
いや⋮⋮本当にそうか?
彼女は、すぐに考え直した
間違っていたのは自分だ
しかし、そんなことが可能なのか⋮⋮?
彼女は、ポンポコ騎士団の本気を見誤っていたことに気が付いた
魔王との対談の場を設けるということは
魔物たちの総意を得るということだ
女王の歓心を得たいがために
魔物を見捨てるようなことなど⋮⋮
あってはならない
他国の法で、他種族を一方的に裁くのは公平と言えるか
2738
たとえば人間たちの社会では、魔物を殺害しても罪にはならない
正当防衛だから⋮⋮そうではない⋮⋮
これは、もっと根本的な問題だ
魔物は敵だから
敵であるという前提をもとにしているから
正当防衛であれば魔物を殺傷することもやむを得ないという
確固とした法律が、この世界には存在しない
ポンポコ騎士団は、新しい秩序を作ろうとしている
たったの十三人で⋮⋮
不可能だ。そんなことが出来る筈はない
だが、彼らがやろうとしていることは
整理すると、そういうことなのだ
甘く見ていた⋮⋮
血の気が凍るとは、このことか
青褪めている黒妖精さんに
騎士Aが言った
騎士A﹁さあ、案内してくれ。妖精の女王は、おれが説得する﹂
2739
呪縛の金冠
無効
のテレパスであること
ポンポコ騎士団の特殊性は二点に集約されるだろう
一つは念波を相殺できる
おそらくトンちゃんの物体干渉に対しても一定の効果を望める筈だ
ただし押し切られる可能性も高い
あの太っちょの資質は抜きん出ている
もう一つは子狸を有効に活用できるという点だ
子狸の知覚範囲内にいる魔物は強くなる
そうと知っていれば、べつの側面も見えてくる
つまり、ふだんは出来ないことが出来るようになるのだ
力場を踏んだ特装騎士たちが弾けるように加速した
並行呪縛は沈黙している
バウマフ家の人間が近くにいると
高レベルの魔法は怠けはじめる
対照的に、召喚された魔法は張りきる
一つ一つの力場が
まるで輝き喜ぶようだ
魔力を撓め
魔法を励まし
魔物を昂じる
2740
それは魔王そのものではないのか
※ 王都さんがウォーミングアップに入りました
※ うっかり魔王ルート始動
※ お前らが、いつまで経っても魔王役を決めないから⋮⋮
※ 諦めんなよ、王都の!
※ まだ二週間ある! 希望を捨てるな!
※ というわけで、跳ねるひと、どう?
※ うさみみはありですか?
※ ! 余裕だよ! 勇者さんねこみみだし!
※ そうか。前向きに善処しようかな
※ 王都の、聞いたか!?
※ 魔王候補、確保!
⋮⋮いや、うさみみはねーよ
うさみみは、ない
※ なくねーよ! 人間とは少し違うって言ったじゃん!
紅蓮さん言ったじゃん!
だって⋮⋮
うさみみ生えてたら遺伝子レベルで違うじゃん
※ 遺伝子が何だ! そんなものはささいな問題だ
※ 本当に大切なのは気持ちだろ! 人間であろうとする気持
ちなんだよ
※ めっじゅ∼
2741
※ ほら、子狸さんもこう言ってる
※ 追々な
※ 山腹の、それやめろ! 思いのほか使い勝手が悪いぞ!
まあ⋮⋮魔王役については相談しておいてくれ
お前らのことだから
どうせ終盤はぐだぐだになるんだろ?
期待しないで待ってるわ
※ なんという言い草だ⋮⋮!
※ おれは蛇さんに期待してるんだけどな
※ ああ、うん。あのひと、レベル4のリーダーだもんね
※ 魔王軍の宰相と言えなくもないしな
※ あのひとの家が結晶の砂漠だから⋮⋮
※ とりあえず、魔都までは保留ということで⋮⋮
※ うむ⋮⋮
※ うむ⋮⋮
⋮⋮⋮⋮
さて、いったん分隊したポンポコ騎士団
片や女王の説得に出向く本隊。実働騎士の八人
片や鬼のひとたちの救出に向かう別働隊。子狸率いる特装部隊の
計五人
※ 妖精の里と言えば、こんなエピソードがある
※ 突然どうした
2742
※ まず名乗れよ。誰が誰だかわからん
※ 大きいのんです
※ おい。お前、緑だろ
※ 怖い、怖い。さも自分が本人であるかのような発言⋮⋮
※ まあ、よしとしようや。仮に大ちゃんとしよう。で?
※ うむ⋮⋮こほん
あれは数年前の出来事だ
あの日は雨が降っていた⋮⋮と言いたいところだが
妖精の里には雨が降らないからな
まず晴れていた
※ その日、おれは分身たちの実態調査に出向いていたわけだよ
非登録のアナザー増量は基本的に禁止だからね
一人ひとり点呼をとって、こきゅーとすの名簿と照合するんだ
⋮⋮その話は長くなるのか?
もしも長くなる上に
しかも無関係なら、あとにしてもらえないか?
※ 関係あるから、いま話してるんだ
まあ、聞きなさいって
あとで悔やんでも遅いんだから
⋮⋮そうか。すまなかった。続けてくれ
※ うん。続けるね
2743
点呼をとるおれ
妖精さんの返事は、ひとそれぞれだ
個性は大事だからな
気分は学校の先生である
※ 人数が多いから、けっこう大変なんだよ
ときどき大きいのが手伝いに来てくれるけど
あ、ごめん。間違った。緑さんだ
大きいのんは、おれね
※ ⋮⋮おい。その訂正は通らねーだろ。馬脚を現したなんてレ
ベルじゃねーぞ ※ 緑さんはね
妖精たちにも大人気なのさ
よく見ると可愛いなんて言われる
それが、おれは少し悔しかった⋮⋮
※ 点呼が終わったら、次は新規登録の手続きだ
人間が増えれば、そのぶん人手が足りなくなる
里と里のパワーバランスも考えなくちゃならない
※ こきゅーとすに書き込んでいる緑さんを
おれは後ろからぼかりとやって
いい角度で入った⋮⋮
気絶した緑さんをお花畑まで引きずっていって
埋めた⋮⋮
※ そして、あろうことか
のちに罪なき緑さんへと
2744
こう説明した
居眠りしたので埋めたと
※ 以上が、事件の真相である
情報提供者は、伝説の名を冠する狸さんとだけ言っておく
申し開きがあるなら聞こうか
※ ⋮⋮埋めたのは羽のひとだ
※ まじか
※ ああ、まじだ
※ ⋮⋮ふむ
羽のひとたちが、一生懸命に埋めたんだな?
※ きゃっきゃしてたぞ
※ そうか。ならば不問としよう
※ お前、そういうところ子狸とそっくりだな
お前らが長々と語っている間に
子狸さんが捕獲された
※ どこに行っても何をしてても
けっきょくは捕獲されるんだな⋮⋮
※ お、おれのせいじゃないよね?
何があったの?
2745
敗因は、やはり索敵しなかったことだろうな
特装部隊は実働小隊の耳目だ
ただし今回は招かれた立場だったので分隊を控えた
まず、鬼のひとたちを連行した妖精さんは二人組みだった
子狸﹁鬼のひとっ﹂
鬼ズ﹁ポンポコさん!﹂
突進した子狸が前足を伸ばす
妖精﹁遅い!﹂
高速で飛翔した妖精さんが
突き出された前足を掻い潜って
右をかぶせた
電光石火のクロスカウンターだ
子狸の反応は早い
スウェーして避ける
しかし足は止まった
その隙をついて、もう一人の妖精さんが迫る
小さな人差し指を突きつけると
その指先から、ばちばちと火花が飛んだ
妖精たちには一人につき一つの属性が設定されている
2746
彼女は火属性だ
妖精﹁ティンクル☆ブロウ!﹂
連鎖した火花が子狸を弾き飛ばした
子狸﹁くっ⋮⋮ディレイ!﹂
妖精さんたちのコンビネーションに
子狸は防戦一方だ
しかし、この展開は想定の範囲内だった
迂回して接近した特装部隊が
鬼のひとたちの救出に成功する
小人と言うわりにはでっかいとよく評される彼らだが
その体格は人間と比べても小柄で
小脇に抱えることもできた
鬼のひとたちを回収した特装A∼Cの三人が散開する
子狸に加勢しようとする特装Dを
二手に分かれた妖精の一人が制する
彼女は、あざ笑った
妖精﹁ばかめ﹂
魔法の働きを察知した特装Dが、片腕を突き出す
2747
特装D﹁バリエ!﹂
融解魔法は接近戦において有効な魔法だ
たんじゅんな殺傷力では崩落魔法を上回る
白熱した五指が大気を引き裂く
だが、その一撃は通らなかった
特装D﹁何っ!?﹂
不可視の障壁に阻まれた感触があった
抜け目なくチェンジリングを補充した特装騎士が
全身に力をこめて障壁に張りつく
上位性質を弾かれたということは、盾魔法ではないということだ
では、いったい何だというのだ?
その答えを妖精だけが知っている
妖精﹁このわたしたちが、都市級への備えを怠っているとでも?﹂
彼女は端的に言った
結界魔法は魔力との相性が悪い
より正確に言えば、伝播魔法と浸食魔法の組み合わせに対して脆い
結界は空間を閉ざす魔法ではない。必ず痕跡が残る
感染と浸食は、その痕跡を足掛かりに追跡してくる
2748
都市級の魔物が本気なら
妖精の里に攻め入ることも可能なのだ
だから対策を打ったのだと、彼女は言う
妖精﹁わたしたちは、里に干渉できる権限を持っている。わたした
ちは、里と運命をともにするだろう。妖精の里とは、つまり妖精そ
のものなんだ﹂
つまり、彼女が言いたいことはこうだ
子狸の悲鳴が聞こえた
特装D﹁ッ⋮⋮!﹂
︱︱子狸はここで沈める
もはや鬼のひとたちは度外視で
彼女たちは最初から子狸さんに標的をしぼっていた
⋮⋮なんでそういうことをするんだ
※ 鱗のひとは惜しいところまで行ったが⋮⋮詰めが甘かったな
※ 子狸の冒険は、ここまでだぜ
※ おれたちが仕留める⋮⋮!
飛び退いた特装Dが、殲滅魔法の詠唱に入る
騎士団が用いる中規模攻性魔法は三種類
光刃、炎弾、氷結だ
2749
詠唱速度、汎用性、扱いやすさ、互いの相性を総合的に見て
厳選された三つの上級魔法である
さらに特装騎士は、ある程度まで構成をいじれる
だが、前足を振り上げた子狸が叫んだ
子狸﹁だめだ! 使うな!﹂
特装D﹁⋮⋮傷付けはしない!﹂
子狸﹁行け! おれに構うな!﹂
騒ぎを聞きつけた他の衛兵たちが
現場に急行しつつあった
このままでは囲まれる
子狸﹁殲滅魔法は使うな! それは傷付けるための力だ﹂
攻撃を封じた子狸が三匹に分裂した
遮光魔法だ
子狸にとっての発光魔法は
自分の分身を生み出す魔法ではなかった
詠唱は破棄した
四つの宝剣に認められた時点で
子狸のレベルは一つ開放されていた
そして詠唱破棄に付随する減衰のペナルティを
バウマフ家の人間は無視できる
2750
二人の妖精さんが放った魔法を
子狸の分身が体当たりで打ち砕いた
子狸﹁行け! 鬼のひとたちを⋮⋮頼んだ﹂
跳躍した子狸を、妖精さんたちが迎え撃つ
彼我の速度には大きな隔たりがある
たとえ開放レベル4だろうと
攻性魔法の縛りを自らに課した子狸に
とうてい勝ち目はない
時間稼ぎが関の山だ
いや、それこそが狙いだった
特装D﹁⋮⋮!﹂
歯を噛みしめた特装騎士が、子狸に背を向けて駆け出す
子狸﹁ぐあ∼!﹂
断末魔の叫びに反応して足を止めてしまったら
団長の犠牲が無駄になる
特装騎士は走る
かくして子狸の意思を継いだ騎士たちの逃走劇がはじまる⋮⋮
︻狙撃班︼住所不定の特筆すべき点もないてふてふさん︻配置につ
2751
きました︼
連れ去られた鬼のひとたちを救うべく
里に点在する妖精の衛兵たちが飛び立った頃⋮⋮
黒妖精と実働騎士たちは女王との面会に臨もうとしていた
女王はすぐに見つかった
金色の王冠を頭に乗せているので、非常に見分けやすい
くるぶしまで伸びる長い髪が、生まれてからの歳月を物語るよう
だった
彼女は、凝縮した水球にこぶしを叩きつける妖精を指導していた
女王﹁力は不要です﹂
そう言って、ゆるりと呼気を吐く
他の妖精たちが見守る中
大きくこぶしを振りかぶった女王が、空中で鋭く旋回した
女王﹁ぬんっ!﹂
轟音とともに水柱が屹立する
一撃で水球を破砕した女王に
ほう⋮⋮と妖精たちが感嘆の吐息をついた
※ どう見ても力業なんだが⋮⋮
※ むしろパワーを追求していった極地のように思える⋮⋮
※ お前らの濁った目では真実を写しとることは叶わないの
です
2752
※ 素晴らしい技術ですね。ぽよよん
※ ⋮⋮え? なに? 王都のひとは、羽のひとに弱味でも握ら
れてるの?
※ ⋮⋮いや、違うな。何らかの密約を結んでいるに違いない
※ すべては計算尽くなんだ。おれたちの反応ですら⋮⋮
進み出た黒妖精が女王に声を掛ける
コアラ﹁女王﹂
女王﹁ユーリカ﹂
女王が控えめに微笑んだ
二人の面差しは、どこか似ていた
女王﹁戻ってきたのですね。後ろの人間たちがそうなのですか?﹂
あらかじめ話は通していたらしい
黒妖精が頷く
コアラ﹁はい。いま、この場にいませんが⋮⋮ようやく揃いました。
彼らがバウマフの騎士です﹂
女王は、おだやかに頷き返す
場所を移すよう提案したのは彼女だ
2753
女王﹁護衛はいりません﹂
ついてこようとする他の妖精たちに、そう告げて
するすると宙を滑る
妖精属の女王は、一族でもっとも優れた戦士から選出される
それは、半ば自動的なものだ
頭上の王冠が消えたとき、はじめて女王は自らの務めを終えたこ
とを知る
黒妖精は優秀な個体だが
いまは、まだ女王に及ばないということだ
そのことを女王は残念に思っているようだった
女王﹁ユーリカ・ベル。あなたは優秀すぎる。切磋琢磨できるもの
がいないことは不幸に思います﹂
コアラ﹁わたしは、里に縛られるつもりはありません﹂
女王は見透かすように言った
女王﹁リンカー・ベルですか? あなたは、むかしからあの子に期
待していましたね﹂
彼女の目から見ても、羽のひとは落ちこぼれだった
女王の務めは自分を越える個体の育成だ
そして王冠を継承する⋮⋮
2754
その可能性が著しく低い個体に対しては、自然と冷たくなる
部外者が口出しできることではなかったから
実働騎士たちは女王に挨拶をして
それきり、押し黙るしかなかった
黒妖精が言う
コアラ﹁わたしたちは、在り方を変えるべきです。ご存知でしょう。
人間と魔物の王は、力で選ばれることはない。一族を率いる資質が
あるものが、そうするべきです﹂
彼女は、羽のひとがそうなのだと言う
しかし女王は、かぶりを振った
女王﹁力なきものを民が認めることはありません。魔物と人間は、
王を認めているのではない。王の下につく戦士に従っているに過ぎ
ません﹂
コアラ﹁それが社会というものです﹂
女王﹁いいえ、そうではない。ユーリカ・ベル。力を誇示するため
には、敵が必要です。社会というのは、敵を作るための仕組みなの
です﹂
長きに渡って世界を見守る女王は、いつしか倦怠感をまとうよう
になる
彼女は、過去に八代目勇者とともに旅をした人物だ
旅が終わってから、差別のない里を作ろうと尽力してきた
2755
だが、燃えるような理想は、長続きしなかった
現実を知れば知るほど、身動きがとれなくなる
同胞を守ることと、里の変革は並び立たない
彼女は女王として前者を選んだ
里を出奔した個体を連れ戻さないのは、せめてもの慈悲だ
約束を守れなかったという後ろめたさがある
だから過去の自分と同じことを言う⋮⋮
自分を女王の務めから解放してくれるかもしれない幼い姫がまぶ
しかった
頭上から強襲してきた第二の候補者は、いつ仕上がるかわからない
妖精﹁女王、覚悟!﹂
女王を打ち倒したものは王冠を手にする権利を得る
しかし、それは一時的なものだ
仮に女王がわざと負けたとしても、実力で大きく劣るものを
金の王冠は認めない
すぐに手元に戻ってきてしまう
女王は、片手間に刺客の相手をしながらポンポコ騎士団と向き合う
女王﹁ようこそ、妖精の里へ。ときに⋮⋮バウマフ家の人間はどこ
です?﹂
まさか交戦中とは言えなかった
2756
2757
コークスクリューブロー
われわれ妖精は、常に人間たちの期待に応えてきた種族だ
お花に囲まれた妖精ハウスは
人間のひざほどの高さで
陶器のような質感をしている
形状は個人によってまちまちだが
基本は縦長の半球型だ
優美な曲線を描く屋根の下
小さなベッドの上でおれたちは羽を休める
人間を家に招くのは
サイズの問題から不可能だ
鮮やかな個性に彩られた妖精ハウス群に
目を奪われていた騎士たちが
女王の声に姿勢を正した
※ 巫女さんが見たら、なんて言うかな⋮⋮?
※ あの爆破魔は、絶対に里に立ち入らせない
子狸の巣穴を問われても
騎士Aは何ら動じなかった
騎士A﹁団長は魔物の救助に向かっている﹂
2758
彼は、間髪入れずに言った
騎士A﹁われわれは、魔王との対話を望んでいる。そのために、あ
なたたちの力を借りたい﹂
女王﹁ふむ⋮⋮﹂
女王は目を細めた
鼻で笑って追い返さなかったのは
過去に同じことを言った青年を思い出したからだ
女王の座を狙う襲撃者の拳撃をいなしながら
はっとするほど真剣な眼差しを騎士Aに向ける
女王﹁魔王軍は、あなたたちの提案を呑みませんよ。それでも?﹂
騎士A﹁それは⋮⋮話してみなければわからないだろう﹂
女王﹁いいえ、わかります。わたしは知っているのです﹂
彼女は、史上最高と謳われる八代目勇者のお供だった
女王﹁魔物たちは、限りなく不死に近い存在です。だから彼らは戦
いを厭わない﹂
息をのむ騎士たちに、彼女は続ける
女王﹁地上の生物は、やがて土に還る。それも見方を変えれば不死
2759
と言えるのかもしれませんね。ですが、魔力は⋮⋮﹂
第八次討伐戦争で、勇者は魔王を人間に転生させる道を選んだ
だが、光の宝剣にそのような機能はない
転生は、魔物に備わる機能の一つだった
聖剣は道を示したに過ぎない
女王﹁魔物の肉体を構成している魔力は、本来であれば地上にはな
かったもの。分散した魔力の行き着く先は、魔物になるしかないの
です﹂
彼女の言いたいことを察して
騎士Aが反駁した
騎士A﹁だが、死を恐れる魔物たちもいる﹂
しかし女王は首を横に振る
女王﹁同じ魔力なら混ざることもあるのでしょう。記憶を保持でき
る魔物ばかりではありません。⋮⋮例外もいるということです﹂
騎士Aの目に理解の色が浮かんだ
騎士A﹁魔軍元帥⋮⋮﹂
すると女王は、幼い子供にそうするように
良く出来ましたと微笑んだ
女王の職務に膿み疲れていようとも
2760
彼女は妖精たちを率いる長だった
彼女には年少者の行いを見守る包容力があった
やわらかく微笑んで突きつけるのは
しかし非情な現実だ
女王﹁あなたたちに出来るのは、都市級を打ち倒し、魔力の結実を
少しでも遅らせることだけです。さもなくば⋮⋮﹂
反論を許さない口調で
妖精属の女王は言う
現在の魔軍元帥⋮⋮つの付きは、初代から数えて五人目だ
復活するたびに力を増している
魔軍元帥は魔王軍最高の魔法使いだ
他の魔物にはない魔力を練る器用さがあった
女王﹁あれは、いずれ王種に匹敵する存在になってしまう﹂
そうなってからでは遅いのだ
女王﹁高位の魔物は死を恐れない。戦いを歓迎していると言っても
良いでしょう。もう一度、尋ねます。あなたたちは、何をもって魔
王を説得するのですか?﹂
彼女はバウマフ家の人間を警戒していた
妖精の姫を魔王軍に差し向けた時点で
女王の態度ははっきりしていた
2761
妖精たちは、魔物側についたのだ
万に一つも人類に勝ち目はないと悟ったからだ
唯一、懸念があるとすれば︱︱
女王は語気を強めた
女王﹁さあ、答えなさい。バウマフ家の人間はどこです?﹂
黒妖精から報告を聞いて思ったことだ
魔軍元帥は、バウマフ家の人間を気にしている
執着している、と言ってもいいだろう
魔王の魂をかすかに宿しているという話だったから
当然と言えば当然なのかもしれないが⋮⋮
ひどく中途半端な⋮⋮
そのことが裏目に出るのではないかと
言い知れない気味の悪さを感じていた
女王は頑なだった
思わぬ運びに、黒妖精は焦っている
早口で告げた
コアラ﹁女王。あの子は宝剣を持っています。これは魔王軍に恩を
売る絶好の機会です﹂
彼女の予定では、ポンポコ騎士団は妖精の里を素通りできる筈だ
2762
った
魔王が転生しているという情報は、わざわざ打ち明ける必要のな
いことではないのか?
ここで彼らに心変わりされても困るのだ
おそらく子狸は、勇者さんよりも高い次元で宝剣を使いこなせる
里で足止めするのも一つの手だろう
しかし︱︱と彼女は考える
勇者などどうでもいい。あれは弱い。問題にならない
本当に警戒すべきは、魔都に巣食う魔獣どもだ
力が欲しい。四つの宝剣があれば、あのひとはさらに強くなれる
⋮⋮
自分の居場所は妖精の里ではない
あの黒騎士の傍らなのだと思った
だから他の女王候補は眼中になかった
いや、それは昔からそうだった
彼女の才覚は同胞の中でも際立っていた
右に出るものがいないと女王は評した
その通りだ
いっそ高慢になれたら良かったのかもしれない
しかし彼女には、天性とも言える情の深さがあった
その慈しみは弱者へと向けられる
その態度が、真剣に女王を目指しているエリート妖精の癇にさわ
るのだ
2763
妖精﹁ユーリカ・ベル⋮⋮! 見ていろ!﹂
彼女は第二位の継承権を持つ妖精だ
血のにじむような努力を積み重ねてきたのに
外の世界で遊び呆けている黒妖精に劣ると認めるわけには行かな
かった
女王が、かすかに目を見張った
加速した妖精を見失ったからだ
残像が浮かぶほどの高速飛翔だ
女王﹁三人⋮⋮いえ、四人⋮⋮!?﹂
驚愕する女王に、残像が一斉に襲いかかる
避けきれず、頬をかすめた一撃に女王は笑った
女王﹁なるほど⋮⋮﹂
向き直り、言葉少なに詫びる
女王﹁あなたを見くびっていたようです。これは嬉しい誤算ですよ
⋮⋮﹂
そう言って、人差し指の握りをゆるめると
親指と中指で挟んで、こぶしを固めた
独特の握り︱︱
2764
ぎょっとした黒妖精が、反射的に騎士たちを見る
コアラ﹁女王っ⋮⋮!﹂
妖精属には、女王の代名詞とも言える秘奥義が存在する
女王は薄く微笑んでいる
女王﹁構いませんよ。人間の剣士は奥義を人前では晒さないと聞き
ますが⋮⋮それは不完全だからです﹂
騎士A﹁⋮⋮⋮⋮﹂
ポンポコ騎士団の面々は
女王を説得しに来たのに
気付けば妖精ファイトの観客と化していることに唖然としていた
女王が言った
女王﹁わたしが、この技を隠していたのは、誰にでも使えるもので
はないからです。ですが、あなたは、わたしに可能性の一端を示し
てくれた⋮⋮﹂
妖精﹁っ⋮⋮!﹂
気圧された妖精が、負けじと気勢を放って前に出る
女王は笑った
女王﹁喜びなさい。戦いなさい。ふたたび相まみえましょう﹂
2765
さして力を込めたようには見えなかった
いかなる技術によるものなのか
ゆるりと構えを崩した女王のこぶしが
吸い込まれるように挑戦者の腹部に触れた
女王の羽が高速で振動する
ひねるように、こぶしを突き出した
妖精﹁かはぁっ⋮⋮!﹂
まるで衝撃が光へと転化されるように
二対の羽から零れる鱗粉が四散した
一部始終を目撃した黒妖精が瞠目する
コアラ﹁コークスクリューブロー⋮⋮!﹂
武術の到達点が一撃必殺であることは疑う余地がない
ねじ貫き、とも称される妙手である
それは妖精属の奥義とされる紫電三連破とは
まったく異なる理論から成り立っていた
ひざから崩れ落ちた挑戦者を
愛しげに抱き支える彼女は
まさしく妖精界の女王だった⋮⋮
※ というか、なんだ⋮⋮
2766
あれだね。きみたちは、いっさい妖精魔法を使わないね
※ 妖精魔法とはいったい何だったのか⋮⋮
騎士A﹁⋮⋮話を続けても良いだろうか?﹂
騎士Aが申し訳なさそうに言った
ぐったりしている挑戦者を
見せしめに宙に吊るしながら
女王が不敬を詫びた
女王﹁問答は無用です。掛かって来なさい﹂
燃え上がった血潮が
次なる獲物を求めて止まなかったのだ
両腕をひろげて構える女王を
騎士Aは冷たい眼差しで見ている
騎士A﹁いや⋮⋮﹂
種族間の隔たりが埋めがたい溝であるかのようだった
二人の温度差を敏感に察した黒妖精が、女王に耳打ちをする
コアラ﹁女王っ、イメージを大事に⋮⋮!﹂
妖精たちはイメージを大切にするのだ
2767
女王は舌打ちして構えをといた
女王﹁戦わずして、なにを得られるというのです? さあ、音に聞
こえし王国騎士団の力を示してみなさい!﹂
しかし女王は一歩も退かなかった
騎士A﹁⋮⋮⋮⋮﹂
騎士Aは瞑目してから、大きく深呼吸した
騎士A﹁私たちは争いを望まない。魔物たちが魔王に従うのは、私
たちと同じ願いが根底にあるからではないのか?﹂
魔王は弱い
少なくとも都市級には及ばない
それは過去の討伐戦争の経緯から明らかだった
女王﹁あなたは王国に仕える騎士である以前に、一人の戦士である
筈。自らの力を試したいとは思わないのですか?﹂
※ おーい。微妙に話が食い違ってるぞ∼
※ ぐぬぬ⋮⋮
騎士Aは挑発に耳を貸さない
女王は少し切り口を変えてみた
女王﹁⋮⋮あなたたちが魔王の元まで辿りつけるとは思えませんね﹂
彼女の脳裏に浮かんだのは、三人の魔獣たちだ
2768
魔王軍きっての最大戦力、魔人は魔都の地下に幽閉されている
仮に遭遇したとしても、対話に応じる可能性は高いと思われた
極めて強力な魔物だが、気分屋なのだ
女王﹁⋮⋮ズィ・リジルはどうするのです? 相性の面で言えば、
あなたたちにとって最大の脅威になるでしょう。あの毒蛇は狡猾で
すよ。交渉には応じるかもしれませんが⋮⋮騙し討ちされる危険は
大きい﹂
ズィ・リジルというのは、結晶の砂漠に住みつく大蛇の本名だ
ある意味、魔人よりも厄介な存在である
※ 女王さま、おれも誉めて。がおー
※ ⋮⋮ひよこか?
お前さ⋮⋮凄くいまさらなんだけど
どうして屋内に住んでるの?
お前が輝くのは、どう考えても屋外だろ
※ !?
※ いやいや、猫さんは魔王の騎獣なんだから、それでいいんだよ
むしろ機動力に制限を掛けておかないと、人間たちに勝ち目
がまったくなくなる
※ あとね、こう⋮⋮お城の中で翼をひろげて
足をくわっと開いて勇者に挑む空のひとは
絵になる
おれは好きだぜ
2769
※ お前ら、なんで魔ひよこの肩を持つの?
言っとくけど、このにゃんこはレベル4だからね
うちのにゃんこだから
お前らが味方につくのはお門違いなのね。わかる?
※ 日頃の行いだろ
空のひとは優しいし、細やかな気配りもできる
お世話になったひとは多いんだ
魔獣どもの対処を問われて
騎士Aは迷わず断言した
騎士A﹁魔軍元帥に協力を仰ぐつもりだ﹂
ひよこと蛇は、魔軍元帥に対しては相応の敬意をはらう
女王はため息をついた
なにか作戦があるとばかり思っていたのだ
しかし、そうではなかった
彼らは、なんの勝算もなく魔都に飛び込もうとしている
⋮⋮魔軍元帥が、魔王との対話を認める筈がない
万全を期して、魔都に招くことはあるかもしれないが⋮⋮
宝剣を奪われて終わりだ
女王﹁論外です﹂
しかし騎士Aは、大きく頷いた
2770
騎士A﹁そうだ。だからこそ、やってみる価値がある。われわれは、
都市級の魔物にとって何ら脅威ではない。妖精たちに迷惑を掛けな
いことは約束する﹂
一考の余地すらないことだから、魔王軍の意表を突ける
魔物たちの興味を惹くことからはじめる⋮⋮
それがポンポコ騎士団の下した結論だった
もっと時間があれば⋮⋮と、悔やむ気持ちはあったが
もしも猶予を得られたなら? 自分たちは何をするのだろうかと
年甲斐もなく、わくわくしていた
女王は内心で舌打ちしていた
やはり彼らを通すわけには行かない
何かしら理屈をつけて幽閉するのがいちばんだ
侵入
した人間たちが、衛兵と一戦を交えていたことを、
そして、その理屈をわざわざ探す必要はなかった
里に
女王は把握していた
衛兵﹁女王!﹂
急降下してきた一人の衛兵が、女王に危急の用件を告げる
報告の内容を聞くまでもなく、女王は勝利を確信していた
ポンポコ騎士団の面々は動じていない
自分たちは間違っていないという確信があったからだ
だが、彼らは女王の企みを知らない
理由は在ればいいのだ⋮⋮
2771
はたして衛兵は告げた
衛兵﹁一部の衛兵が反乱を! ポンポコ反乱軍です!﹂
女王﹁な、なんだってー!?﹂
洗練されたリアクションであった
2772
最強の獣人
子狸はきっかけに過ぎなかった
ここ妖精の隠れ里では、才能ある若者たちは女王を目指して自己
鍛錬に励む
彼女たちには未来があった
しかし、そうではない︱︱
自らの限界を自覚した者たち
あるいは競争に敗れた者たちは
安穏とした暮らしをよしとせず
着実に牙を研いでいたのだ
彼女たちが着目したのは
妖精ならば誰しもが備えている念動力だった
地下深く
ひそかに設けられた格納庫
居並ぶ真紅の騎士たちの両目に
虐げられし者たちの怨念が
にぶい光となって灯っていく
その様子を眺めて、一人の妖精が満足げに頷いた
自身も後れをとるまいと
愛機の操縦席におさまる
動力に熱を入れ
2773
認証を終えると
小さな指先が跳ねるように操作盤を叩いていく
真紅の機体が唸るような駆動音を上げる
幾重にも浮かんだ仮想パネルが
起動シークエンスの進捗を告げる中
小じんまりとした操縦席で、彼女は吠えた
妖精﹁雌伏のときは終わった⋮⋮。機甲師団、出るぞ!﹂
鬨の声を上げて出撃していく機兵たち
その中に、一匹の獣が混ざっていた
ずんぐりとした体躯は
オーバーテクノロジーの結晶だ
先太りのしっぽは縞模様も鮮やかで
頭上には丸い耳が張り出している
妖精﹁動きがにぶいぞ、新入り!﹂
専用の機体が何故か用意されていた
子狸﹁なんぞ⋮⋮?﹂
※ ポンポコスーツ⋮⋮
※ うん⋮⋮ポンポコスーツはバウマフ家の人間しか起動でき
ないからね⋮⋮
※ 発掘された古代の機体とか、なんかそういう⋮⋮?
2774
※ お前ら、ちょっと聞いてくれよ
※ なんだよ。また唐突だな
どいつもこいつも⋮⋮
※ しかも内容が適当なんだよな
子狸じゃねーんだからさ
しっかりして欲しいわ
※ お前ら、そうやってしょっちゅう子狸じゃないとか言うけど
もしかして、おれのことなの?
たまに森で見かけるひとのほうじゃなくて
※ なんでおれたちがよそさまのお子さんを比較対象に挙げるん
だよ
※ でも、おれは知ってる
青いひとたちが絵の具に嫉妬してること
※ そりゃそうだろ
人工的に合成した着色料を基準に
青より少し薄いとか言われると、かなりイラつくよ
それは違うんじゃね? ってなるよ。ふつうは
※ 言ってくれれば、こちら側としても
天然モノの染料を提供する心積もりはあるっつう話ですよ
※ え∼⋮⋮?
でも、お前ら、ぷるぷるしてて使いにくそう⋮⋮
2775
※ 使いにくそう!?
※ 言うに事欠いて⋮⋮! この子狸⋮⋮!
※ ⋮⋮お前らの、その塗料としての絶対的な自信は、いったい
どこから来るんだ⋮⋮?
︻量産型︼王都在住のとるにたらない不定形生物さん︻つの付き︼
三号機は屈指の名機とされている
いまでこそ出世して魔軍元帥まで登りつめたつの付きだが
人間たちに注目されはじめたのは、四号機⋮⋮
つまり第九次討伐戦争で一躍脚光を浴びたという経緯がある
しかし、おれたちからしてみると
生きた鎧という設定は非常に使い勝手の良いものだった
耐久力に優れる半面、動作が緩慢で
なんだか難敵っぽい雰囲気も出る
駆け出しの騎士を相手取るには、ちょうどいい難易度なのである
とくにレベル1の魔物を何度か撃破して
さいきん調子に乗ってきた新人の鼻っ柱をへし折るのに重宝して
いた
そんな中、鬼のひとたちがリリースした第三世代の鎧シリーズは
完全シナリオ遂行型の機体と言われる
2776
極めて凡庸な性能をしていて
突出したものがないのだが、そのぶん誰にでも扱える操作性が魅
力だ
ひとことで言えば面白みがない
これ、偶然の産物でしょ。どうなの、鬼のひとたち?
※ いや⋮⋮正確には究極のバランスを目指した機体なんだ
※ 連合国が台頭してきて、三強体制が築かれた頃だったからさ
三大国家の制式装備を少しずつ真似て
可変機構を採用する予定だったのね
※ ブーストモードをオンにすると、各国の特徴が混ざり合って
一時的に出力が増す仕組みだったんだけど⋮⋮
こう⋮⋮三つの国が手を取り合うことで凄いパワーを発揮で
きるよ、みたいな⋮⋮
メッセージ? 的なものをね
※ ところが、なにをどうやっても変形しないわけ
あのときは、へこんだね
で、よくよく調べてみたら⋮⋮
おれら、三人が三人とも微調整してたんだよ
※ おれはさ、ちょっと自国のカラーが強すぎるかなって思った
のよ
おれ、謙虚だからね
二人に気を遣って控えめにしたの
三ヶ国の協調がテーマだったから
2777
※ おれら、同じこと考えてたんだよね
ちょっと照れるわ⋮⋮
※ 正直、予想はしてたよ
ミーティングのとき、お前らまったく目を合わせないから
図面が丸ごと入れ替わってることもあったしさ
※ 納品まで間がなくて
あ、これやばいなっていう雰囲気はあったね
※ そうそう。そしたら、結果的にね?
互いの特徴を潰し合っちゃったんだよ
全員が控えめにしたせいでエネルギーが足りなくなるしさ
※ 互いを思い遣る心が、三号機を生んだのさ
仲良しですね
数で劣る反乱軍は、量産した三号機を投入することで短期決戦を
目論んだ
対する正規軍、女王率いる討伐軍は、妖精魔法が通用しない鋼の
戦士たちに劣勢を余儀なくされる
しかし、彼女たちは優秀な人材だった
かろうじて拿捕した三号機を、少し練習しただけで乗りこなして
しまう
違い
に、反乱軍は追いつめられていく⋮⋮
生まれ持ったものが違う⋮⋮
争いの発端となった
2778
耳付き
耳付き
⋮⋮
と呼ばれる機体の撃破を命じた
そんな中、女王は自軍の優位を確たるものにしようと
圧倒的な性能を誇る
その量産を許してしまえば、戦局は一気にひっくり返されるだろう
数々の猛者たちが、ポンポコスーツを駆る子狸の前に立ちはだかる
妖精﹁硬い⋮⋮! なんなんだ、この機体は!?﹂
妖精﹁なんてパワーだ!? 化け物めぇ⋮⋮!﹂
妖精﹁まるで素人だ⋮⋮。耳付きのパイロット⋮⋮お前はいったい
⋮⋮何のために戦う?﹂
妖精﹁勘違いをするなよ、少年。君がこれまで生き残ってこれたの
は、機体の性能によるものだ。実力ではない﹂
出会い⋮⋮
黒妖精﹁耳付きに頼っているうちは、一流の戦士にはなれないわ﹂
子狸﹁おれは⋮⋮三号機には乗れないんだ。サイズが⋮⋮﹂
黒妖精﹁ああ、うん⋮⋮﹂
そして別れ⋮⋮
黒妖精﹁強く、なったわね⋮⋮﹂
2779
子狸﹁!? その声⋮⋮ユーリカ? きみなのか!?﹂
黒妖精﹁⋮⋮行きなさい。女王は、この先にいる﹂
そして⋮⋮
子狸﹁かはぁっ⋮⋮!﹂
女王のねじ貫きが、子狸に炸裂したとき
すでに開戦より三日が経過していた
騎士A﹁無駄な時間を過ごしてしまった⋮⋮﹂
大いに嘆くポンポコ騎士団のメンバーだったが
反乱軍を討伐した女王はイイ気分で告げた
女王﹁お行きなさい。バウマフの騎士たちよ﹂
特装A﹁え⋮⋮?﹂
鬼のひとたちと、鎧について議論していた特装Aが
女王の意外な言葉に振り向いた
衛兵からまんまと逃げおおせた彼らは
実働部隊との合流を果たしていた
騎士A﹁⋮⋮⋮⋮﹂
2780
小隊長の表情は険しい
開戦前と終戦後で、女王の言っていることが正反対だったからだ
女王は言った
女王﹁わたしは、自分を見失っていたようです。大切なことを忘れ
ていた⋮⋮﹂
彼女は、妖精属の女王だ
史上最高と謳われる八代目勇者に同行し
差別のない里作りを誓ったのが
およそ二百年前の出来事である
悪い夢から覚めたような
すっきりとした表情で、彼女は言う
女王﹁戦って散るなら本望。敵に囲まれ、頼る味方もない⋮⋮絶望
的な戦況に身を置きたいという、あなたたちの願い、しかと聞き遂
げました﹂
騎士A﹁いや⋮⋮﹂
同じ趣味を持つ人間なのだと、彼らは誤解されていた
女王﹁ここに誓いましょう。あなたたちを、必ずや魔都に放り込む
と﹂
騎士A﹁それは助かるが⋮⋮話を聞いてくれないか﹂
のこのこと近寄ってきた子狸が
2781
三日ぶりに再会したポンポコ騎士団の面々を見渡した
鬼のひとたちと目が合う
不敵に笑った
子狸﹁行こう。魔物リーグに殴りこみだ!﹂
戦いの中で大きく成長した子狸さんは
自分の生きる道を見つけたようである
子狸﹁まずは一週間後の予選を突破する。お前ら、おれについて来
い!﹂
鬼ズ﹁ポンポコさん!﹂
小人と言うわりにはでっかい連中が喝采を上げた
少し遅れて、騎士たちも理解した
魔物と人間が共存できないのは
生まれ持ったものが違いすぎるからだ
ならば、ルールを定めればいい
同じルールの上なら、完全に公平とは言えなくとも
互いに歩み寄ることは出来る筈だ⋮⋮
ポンポコ騎士団のメンバーが
誰からともなく苦笑した
2782
﹁今日から猛特訓だな﹂
彼らは、子狸に影響されて
少しおかしくなっているのだ
︻魔物リーグって︼山腹巣穴在住のとるにたらない不定形生物さん
︻なんですか︼
ポンポコ騎士団が何かの世界一を目指して円陣を組んでいた頃⋮⋮
王国最強の騎士は、完膚なきまでに敗北していた
石造りの床に散乱する白銀の鎧が
かつての誇りのようであった
倒れ伏したトンちゃんの頭を踏みつけながら
一人の魔物が、勇者さんの肩を親しげに抱く
??﹁だから言ったろ? ほら、選べよ。悩むほどの問題じゃねー
と思うけど﹂
彼女の反応を楽しむように
耳に息を吹きかける
その唇は赤く
長い髪が勇者さんの頬をくすぐる
2783
勇者﹁⋮⋮!﹂
自分よりも幾らか上背のある魔物を
勇者さんは睨みつけた
いや、睨みつけることしか出来なかった
振りほどこうにも、びくともしなかったからだ
至近距離で見上げると、人間にしか見えなかった
側頭部には、つのが生えていて
揺れるしっぽは細長く
先端は房のようになっている
巨大ではない
頑健ではない
鱗のひとのような
極めて高い強靭さ
跳ねるひとのような
常識離れした脚力
そんなものは、彼女にはない
だが︱︱強い
もしも人間に天敵がいるとすれば
それは、きっと彼女のような存在だろう
2784
まるで人間のような
牛のひとは、どこか倦怠感を交えて笑う
しとど濡れるような声が、勇者さんの耳朶を打つ
牛﹁帰れよ。おれ、お昼寝の時間なんだ﹂
2785
午睡の迷宮
牛のひとが住む迷宮は、結界の一種だ
内部は、真四角の小部屋が幾つも連なっている構造になっている
天井はそう高くない
迷宮に足を踏み入れた人間は、東西南北に配置された出入り口から
一つを選んで先に進むことになる
道順を記憶していれば戻るのは自由だが
迷宮の奥を目指すなら、それ以外の三つから選べばいい
ただし、順路というものはない
どの部屋と、どの部屋がつながっているのかはランダムだ
人数、時刻、月日、気温、退魔性など、さまざまな条件が絡んで
くるため
魔法の構成を視認できない人間が法則性を解き明かすのは難しい
だろう
つまり大人数の人間が、同じ部屋に飛ばされるとは限らないのだ
人間たちは、いろいろと工夫していたようだが
けっきょくは一個小隊ずつ突入することになる
チェンジリング☆ハイパーという戦技の特性上
分断されてしまった小隊は役に立たないからだ
2786
騎士団の作戦行動は八人単位を前提としているから
他の小隊との連携には難がある
突入前に、トンちゃんは部下たちにその旨を通達した
どるふぃん﹁実働小隊ごとに突入する。第一部隊は私に続け。以降、
第二部隊より順次、突入しろ﹂
中隊は十個の実働小隊からなる
勇者さんが挙手して言う
勇者﹁わたしは?﹂
どるふぃん﹁アレイシアンさまとリンカーさんは、私と共に行動し
てもらいます﹂
牛のひとはゲートのある部屋で待機していると見るべきだろう
避けては通れないから、とくべつな戦力は固めておいたほうがいい
トンちゃんは、羽のひとをリンカーさんと呼ぶ
商人に身をやつしていた頃は丁寧に接していたから
いまさら変えるに変えられないらしい
妖精﹁べつに呼び捨てでも良いですよ?﹂
黒雲号の頭の上で羽を休めていた妖精さんが
それでは部下に示しがつかないだろうと提案した
2787
彼女は、トンちゃんが子狸を道端に捨てたことを
いまだ根に持っていた
飼えないなら拾うべきではないというのが羽のひとの主張で
拾われたのは自分だというのがトンちゃんの主張だった
二人の主張は平行線を辿るならまだしも、完全に一致していて
しかし事実を捻じ曲げようという意思が介在していたから
解決の糸口すら見えなかった
本性を現せと言われても、トンちゃんは苦笑するしかない
どるふぃん﹁いや⋮⋮﹂
彼はおとなだったから、寒空の下に放り出してきた小さなポンポ
コについて
どうとでも言い繕うことができた
どるふぃん﹁彼なら、きっと一人でも生きていけますよ。多少、住
むには不便ですが、部屋はとってあります﹂
トンちゃんの見立てでは、子狸さんは牢屋の中で一生を過ごすこ
とになるようだった
トカゲ﹁キャンセルしておけ。無駄だ﹂
王都には、すでに子狸さん専用のスウィートがある
いまのところ引越しの予定はない
そう言って反論したのは、あぐらを掻いて頬杖をついている鱗の
ひとだ
2788
どるふぃん﹁そういうわけにはいかんさ。学府の連中は喜ぶだろう
しな﹂
うさぎ﹁トンちゃん、トンちゃん﹂
どるふぃん﹁なんだ﹂
跳ねるひとは月齢と共に肉体構造が変化する
ぽんぽんと前足でトカゲさんの肩を叩き、言う
うさぎ﹁おれら、見ての通りの図体だからね。迷宮には入れないか
ら、よろしく﹂
どるふぃん﹁そうか。わかった。二人とも仲良くして待つんだ。い
いな?﹂
少し目を離した隙に
突入部隊のマスコットキャラクターにおさまっていた
勇者﹁⋮⋮⋮⋮﹂
勇者さんは口を挟まなかった
無言で三人の遣り取りを眺めている彼女を
じろじろと見つめているのは
数奇な運命に導かれて勇者一行と合流した魔物使い︵笑︶である
古狸﹁⋮⋮⋮⋮﹂
2789
品定めするような目だった
その視線に気付いた勇者さんが言う
勇者﹁なに﹂
古狸﹁いや、なに⋮⋮﹂
冷たい眼差しに晒されて、謎の魔法使いは言葉を濁した
古狸﹁あのときの幼子が、大きくなったもんじゃ⋮⋮と思ってな﹂
※ そのような事実はありません
※ グランドさん、ねつ造はやめて下さい
迷宮を見つめていた空のひとがうなった
騎士たちは、このひよこに一目を置いている
誠実な人柄は信頼に値するものだった
ひよこ﹁屋内での戦になる。人数制限、そして相手は、あの牛鬼だ
⋮⋮。用心しろ、都市級にも匹敵するかもしれん﹂
都市級本人がそう言うのだから間違いない
戦士たちが口々に慰めの言葉を掛ける
王国騎士﹁そう悲観するな﹂
王国騎士﹁おれたちには、王国最強の騎士と勇者がついてる。負け
るものか﹂
2790
しかし彼らは、待っていてくれとは言わなかった
ゲート開放戦の最難関はどこかと問われたなら
それは間違いなく牛のひとが待ち受ける迷宮だ
数の利を活かしにくく
内部で迂闊に殲滅魔法を撃てば生き埋めになりかねない
お馬さんを降りたトンちゃんが
くつわを引いて先陣を切る
屋内戦で騎馬の機動力を当てにすることは出来ないが
ここで置いて行ってしまったら
ゲートを通過していないお馬さんたちは魔都に入場する資格を失う
迷宮の外観は平たいお城だ
扉のない、四角く切り取られた出入り口から
先を見通すことはできない
暗澹とした闇が手招きをしているかのようだった
肩越しに振り返った王国最強の騎士が
勇者さんと、彼女の肩にとまっている羽のひとを一瞥して頷いた
どるふぃん﹁突入﹂
闇を分け入り、進む
そのあとに勇者さんと羽のひとが続き
2791
八人の実働部隊と四人の特装部隊が詰める
第一部隊に所属する騎士たちの平均年齢は高い
齢にして四十を下回ることはないだろう
騎士団の中隊は、長によって大きく性格が異なる
トンちゃんの場合は、自身を作戦の軸に据えることが多い
あらゆる能力が飛び抜けて高いため、自然とそうなるのだろう
それゆえにトンちゃんの部下たちは
彼の戦速についていくことが要求される
もちろん体力も重要だ
若いに越したことはない。が、今回は経験を重んじた
より連携を重視したのである
同じ獣人でも
鱗のひととは、まったくタイプが異なる
どちらが、ということはない
鱗のひとは堅牢な魔物だ
決定打になるのは勇者さんの聖剣になるだろうと読んでいた
だから、強靭な外殻をも打ち崩せる異能の存在を印象付ける必要
があった
しかし、今回ばかりは小細工を弄する隙がない
あらゆる不正は正される
2792
この迷宮は、小さな空中回廊なのだ
覚悟を決めて踏み込んだトンちゃんが
かすかに目を見張った
彼らを出迎えたのは
ほのかに輝く光の扉だった
︱︱ゲートだ
招かれた
のだと悟ったトンちゃんが
異常事態だった
即座に声を張り上げた
どるふぃん﹁四方を固めろ!﹂
踏み出す
ゲートの横には、当然のように門の守護獣がいる
彼女自身も面食らっていた
すぐに思い当たったようで舌打ちする
さして慌てた様子もなく
愛用のこん棒を片手にとる
牛﹁⋮⋮剣術使いか﹂
退魔性が強い人間は魔法を打ち破ることもある
2793
より正確に言えば、構成が走らないため、結果がゆがむ
先手をとったのは勇者さんだ
彼女が所持している光の宝剣には詠唱が必要ない
同様に詠唱破棄できる羽のひとが光弾を叩きこんだ
牛のひとには、鱗のひとや跳ねるひとのような
隔絶した筋力を持たない
しかし一方で、彼らにはない身軽さがある
そして同時に、歩くひとを上回る膂力の持ち主だ
勇者﹁っ⋮⋮﹂
妖精﹁速っ⋮⋮!?﹂
彼女たちの視界から、牛のひとは忽然と消失していた
牛﹁ずいぶんと可愛らしい勇者だな﹂
その声は、背後から聞こえた
一瞬で回り込んだ牛のひとが
からかうように声を掛けたのだ
勇者さんは驚かなかった
彼女は歩くひとと戦ったときに
2794
人間と魔物の地力の違いを肌で感じとっていた
素早く反転したときには
すでに腰の怪剣を抜き放っている
どのみち目で追えないなら、運に頼るしかない
思いきった戦法だ
そして彼女は賭けに勝った
これ以上はないというほどの
それは会心の一撃だった
それなのに、牛のひとは悠々とこれを避ける
ふたたび勇者さんの背後をとると
気安い仕草で、彼女の肩に腕を回した
牛﹁やめとけ、やめとけ。時間の無駄だ﹂
鱗のひとと跳ねるひとは、その巨体ゆえに見失うということがな
かった
しかし牛のひとは違う
だが、歩くひとと戦ったとき、その場にトンちゃんはいなかった
彼は、王国最強の騎士だ
その身体能力は、人類の限界域にある
固めたこぶしは最短の軌跡を辿る
標的は牛のひとの後頭部だ
2795
女性の
かたち
をしていることなど関係なかった
いつだったか、勇者さんは技術者集団の管轄を任せられていると
言っていた
トンちゃんの妹たちは、アリアパパに見捨てられている
彼女たちを救ってくれたのは、まだ幼い頃の勇者さんだった
小さなあるじを傷付けようとするものに対して、トンちゃんは容
赦しない
迫る腕を、牛のひとのしっぽが掴んだ
放り投げられたトンちゃんが、着地を待たずして圧縮弾を放った
左右に展開した実働部隊も続く
見事な連携だ
彼らは牛のひとを目で追うのではなく
トンちゃんの動きを基準にしていた
振り返った牛のひとが、こん棒を片手にぶら下げたまま
圧縮弾の隙間を縫って歩く
牛﹁お前が、アトン・エウロか?﹂
何事もなかったかのように接近されて
トンちゃんは認めるしかない
どるふぃん﹁⋮⋮そうだ﹂
牛﹁そうか﹂
牛のひとは、つまらなそうに
2796
自分のつのを指先でいじっている
気だるそうに言う
牛﹁もういいか? よくわかっただろ。お前らじゃ、おれには勝て
ねーよ。はっきり言うけど、お前たち人間に劣ってる点が、おれに
はない。⋮⋮まあ、さすがにスペシャルはないけどな﹂
どるふぃん﹁スペシャル⋮⋮?﹂
牛﹁異能のことだよ。お前らが何て呼んでるのかは知らないし、興
味もないけど﹂
誰も動けなかった
もちろん牛のひとが見た目に反した怪力を持ち
そして触れることも叶わないほどのスピード差があることも
事前の調査で、わかっていた
しかし具体的な数字を並べられたところで
じっさいに体験してみなければ理解できない領域というものもある
腕を支点に、こん棒を器用にくるくると回しながら
最強の獣人が言う
牛﹁いずれにせよ、お前はとくべつな人間なんだろう。だからゲー
ムをしよう﹂
どるふぃん﹁⋮⋮どういうことだ?﹂
2797
牛﹁ひまつぶしだよ。このまま戦っても、お前らに勝ち目はない。
お前らは、お前らが勝てるようなルールを考えて、おれを楽しませ
ろ。おれが面白いと思うこと。これが最優先だな﹂
どるふぃん﹁⋮⋮何故﹂
どうして、わざわざ自分が不利になるような提案をするのか
トンちゃんに問いかけに、牛のひとはさも当然のように答える
牛﹁最初から勝つとわかっているゲームを、お前は楽しめるのか?﹂
どるふぃん﹁ゲームなら楽しめないだろうな﹂
牛﹁ゲームなんだよ。お前らにとって戦いは運命を分かつものなん
だろうが、おれにとっては少し違う。⋮⋮いや、お前ならわかる筈
だ﹂
牛のひとは、親密に微笑もうとして失敗した
彼女にとって、王国最強の騎士は他の人間と大差ない存在だった
からだ
牛﹁お前から見て、他の人間はどうだ? 足手まといに感じたこと
も一度や二度じゃないだろう。つまり、それだよ﹂
どるふぃん﹁そうか﹂
トンちゃんは、納得して長く吐息をついた
どるふぃん﹁⋮⋮ゲームと言ったな﹂
2798
牛﹁悪い話じゃないだろ?﹂
じっさいは無茶な注文だった
何故なら実力で勝る牛のひとは、いつでも約束を反故にできる
トンちゃんは⋮⋮
どるふぃん﹁だが、お前を倒して進めば問題はないな﹂
きっぱりと誘いを断った
2799
ワンサイドゲーム︵前書き︶
登場人物紹介
・牛さん
魔都へと通じるゲートを守護する最後の門番。開放レベルは﹁3﹂
。
歩くひとと同じく過去に実在した人間の姿を写しとるタイプの魔
物だ。
お洒落ポイントは、つのとしっぽ。
魔物たちからは﹁牛のひと﹂、人間たちからは﹁メノゥイリス﹂
と呼ばれる。
隔絶した身体能力を有する獣人種の中でも﹁最強﹂と目されるが、
これは相性によるもの。
じっさいは鱗のひと、跳ねるひとほどのパワー、スピードはない。
ふだんは自宅の迷宮でごろごろして過ごしている。
趣味は昼寝。枕と布団には並々ならぬこだわりを持つ。
非常にお洒落なひとで、人前に出るときは外出用のパジャマを着
用する。
現在の姿は、過去に迷宮を訪れた女性騎士のものをベースにして
いる。
魔物たちを生み出したのは﹁開祖﹂と呼ばれるバウマフ家のご先
祖さまだが、魔物たちが﹁親﹂と認めているのは開祖のお嫁さんの
ほうであるため、とくべつな事情でもなければ基本的に女性の姿を
とる。
2800
特技はこん棒回し。腕を支点に、じつに器用にくるくると回す。
複数のこん棒を同時に回すこともできる。
その妙技に感動した鬼のひとたちは、彼女に究極のこん棒﹁52
年モデル﹂を贈呈し、牛のひとはこれを骨のひとに貸し出している。
2801
ワンサイドゲーム
︻枕と布団が︼迷宮在住の平穏に暮らしたい牛さん︻恋しい︼
人間たちが知る迷宮は氷山の一角に過ぎない
我が家は、日々拡張しているのだ
もちろん骨たちの 善意 によるものである⋮⋮
※ ぐったり
※ ぐったり
空中回廊? ばかを言え
結界魔法の本質は収納スペースにある
好きなときに好きな部屋に行ける
ひろい空間は必要ない
腕を伸ばせば求めたものに手が届く
究極の快適空間⋮⋮
それが、おれの迷宮なのだ!
※ 聞き捨てならないな。究極だと?
ふふん、悔しいか
誰だ? 庭園の青いのあたりか? 名乗れ
2802
※ おれか?
おれは魔力を極めしもの
ひと呼んで砂漠の蛇の王とはおれのことだ!
お前のことは不憫に思っている
※ おれの家をばかにすんな! 住めば都って言うだろ!
※ いや⋮⋮
※ さすがにあの砂漠は⋮⋮
※ まず有機物が存在しない
※ ここに住めと言われたら、屈強なアニマルたちも呆然とする
レベルだからな⋮⋮
※ オンリーワンってことだよ。そういうの憧れるよね。がおー
※ おお、猫さん。猫さんは、やはり話がわかる。さすがは我が
盟友だ
※ 勇者さんを泥まみれにしたい
※ 突然どうした
※ 鱗のひとか? お前、疲れてるんだよ
悩みがあるなら聞くぞ
※ うむ⋮⋮
狐娘たちと親睦を深めていたんだ
同じマスコットキャラクターとして連携していく必要がある
2803
そうだ
※ それでいいのか。彼女たちは
※ トンちゃんがいるからな
彼女たちにとって、兄貴のトンちゃんは無敵のヒーローなん
だろう
※ で、そのだめ人間シスターズはなんと?
※ ああ。なんでも彼女たちは
泥まみれの勇者さんを見ると興奮するんだと
どうしようもない変態どもだが⋮⋮目の付けどころは悪くない
泥と言えばおれ。おれと言えば泥。おれの時代だなっ! お
ーんっ
※ ニンジンうめえ⋮⋮
※ ⋮⋮本物のうさぎさんは、言うほどニンジン好きじゃないけ
どな
※ なん⋮⋮だと?
︻残り十日︼山腹巣穴在住のとるにたらない不定形生物さん︻巻き
で︼
跳ねるひとが餌付けされていた頃⋮⋮
どるふぃん﹁強さなど。わからないのか? メノゥイリス⋮⋮﹂
2804
喉の奥で低く笑ったトンちゃんが、具足を鳴らして踏み出した
人間たちは、牛のひとをメノゥイリスと呼ぶ
イリスというのは、彼女の本名で
古くは雌牛を意味した
おれたちに本名で呼び合う習慣はない
忙しいときは、つい口を衝いて出ることもあるが
子狸さんがついてこれなくなるので、ふだんは自重している
トンちゃんの口ぶりは、アリアパパを彷彿とさせるものだった
長らくアリア家で過ごしていたため、口調が似たのだろう
だが、この太っちょには
アリアパパにはない、身を焦がすような情念があった
どこか刹那的で
どこか破滅的な
それは絶望にあらがう男の声だ
どるふぃん﹁目に見えるものが全てじゃないんだよ。腕を伸ばして
も手が届かないなら、そこで諦めるのか? そうしたものを︱︱﹂
大きく踏み込んだトンちゃんがささやいた
どるふぃん﹁愚者と呼ぶのだ﹂
牛のひとは、こん棒を手元でもてあそんでいる
2805
牛﹁違うな。賢明なのさ﹂
トンちゃんが踏み込むと同時に、勇者さんが動いた
牛のひとを挟み撃ちにするべく
前進しながら騎士剣を鞘に叩きこみ、両手でしっかりと聖剣を握る
しょせん光の宝剣は借り物の力だ
彼女に備わる真の資質は考えることにある
感情を制御できるから
いかなる状況でも観察を怠ることはない
選り分けるもの
だ
いまや彼女は、王国最強の騎士と肩を並べて戦うことも出来た
退魔の宝剣なら、同士討ちの心配もない
レプリカではない、オリジナルの光輝剣は
元来、勇者さんには標的指定に関して天才的なものがあった
敵、味方を見分ける目があると言うよりは
判別するための行動力があった
牛﹁遅い﹂
だが、それでも牛のひととの力差は埋まらない
一閃した光刃は、鱗のひとの顔面を切り裂いたときに迫る鋭さだ
これを牛のひとは難なく避ける
歴代の勇者は、彼我のスピード差を圧倒的な手数で補うことがで
きた
剣術使いの勇者さんは、イメージを現実に落とし込む技量が不足
2806
している
側面に回り込んできた牛のひとに
トンちゃんは無理やり歩幅を縮めて跳んだ
踏み切ると共に旋回して、後ろ回し蹴りを放つ
この男は、見た目に反しておそろしく俊敏だ
騎士団で頭角を現してくる人間には、何かしらの天稟がある
トンちゃんの場合は、戦士としての恵まれた素養だった
猛獣の意識を即座に刈り取るほどの一撃だ
しかし、それでも、まだ足りない
不意を突かれながらも、牛のひとには目で見て対処するだけの余
裕があった
突進してくる他の騎士たちを尻目に
ひょいと頭を下げて避けると
失速したところで捕まえようと片腕を伸ばしかける
︱︱掛かった
と、考えるひまはなかっただろう
刹那の攻防だ
たとえ死角からの攻撃だろうと
牛のひとに通用しないのは織り込み済みだった
どるふぃん﹁ディレイ!﹂
2807
牛のひとの代わりに力場へと蹴りを叩きこんだトンちゃんが
空中で巨躯をねじって、牛のひとの側頭部をひじで打ち抜いた
トップクラスの戦士なら、空中で複数の力場を編んで
完全に無防備な体勢から連打につなげる程度のことは可能だ
もちろん、相応の反動は生じるから
生まれ持った身体の頑健さは必要だろう
人体の構造上、この一撃を回避することは不可能だった
だから牛のひとは、とっさに首をひねって、つので受けた
彼女の側頭部から生えているつのは、剣士の斬撃を真っ向から受
け止めたこともある
その膂力は人間離れしていて
大の男が首をへし折られるほどの衝撃に対してもびくともしなか
った
牛﹁この程度か?﹂
どるふぃん﹁っ⋮⋮!﹂
力場を踏んで後方に跳んだトンちゃんと
入れ替わりに他の騎士たちが前に出る
羽のひとは援護射撃に徹している
彼女の指先から放たれた光弾を
牛のひとは、こん棒を持たないほうの手で叩き落としている
2808
高速で振動する宝剣を振り回してくる勇者さんを
牛のひとは、まったく問題視していない
なるほど、聖剣は脅威だ
しかし、それを振るう少女は、歳相応の運動能力しか持っていな
かった
圧縮弾を解き放ったトンちゃんが再度の突撃をしたとき
牛のひとは、跳ねるひとのお株を奪うかのような跳躍を見せた
天井を蹴る。壁を蹴る
彼女は、一度としてこん棒を振るわなかった
それほどの実力差が彼らの間には横たわっていた
大儀そうにこん棒を肩に乗せた牛のひとが
ふわりと元いた場所に舞い戻ったとき
トンちゃん以外の騎士たちは地に伏していた
王国騎士﹁がっ⋮⋮は⋮⋮?﹂
意識は刈り取られていない
しかし、彼らは信じられないという目で床を見つめていた
何をされたのか、それすら理解の範疇になかったからだ
そして、満足そうに笑った
彼らの中隊長は、王国最強の騎士だ
いや、おそらくは世界最強なのだと彼らは信じていた
あるいは史上最強に違いない⋮⋮と
2809
どるふぃん﹁グレイル﹂
部下たちの献身は、彼に幾ばくかの猶予を与えた
憤怒の形相を形作るのは、不甲斐ない自身への怒りだった
︱︱なにが王国最強の騎士だ
もっとまともな作戦を立てられなかったのかと、彼は自分を責めた
︱︱たしかに、自分たちは勝つだろう
しかし犠牲を前提とした作戦など、彼は肯定してはいけなかった
どるふぃん﹁この借りは高く付くぞ⋮⋮﹂
おそろしく低い声でささやいたトンちゃんが
一歩、進むごとに、彼の全身を覆う鎧が剥がれ落ちていく
貫通魔法で、自らの鎧を切り裂いたのだ
牛のひとは、つのを用いる程度にはトンちゃんを警戒している
妖精﹁このっ⋮⋮!﹂
羽のひとの念動力も、魔物には意味をなさない
彼らの肉体は、魔力で構成されている
たとえ物質のように振る舞っていようとも、それは本来の作用で
はないのだ
勇者さんが練習中の切り札を晒した
牛のひとは、人体の稼働域に精通している
2810
フェイントがいっさい通用しないのは
虚実が判別できる境界線を見極めているからだ
人型ならではの戦闘術である
彼女に勝つためには、物量で圧倒するしかない
どれほど速く動いているように見えても、それは相対的なものだ
じっさいには、これまで倒してきた獣人種ほどのスピードはない
勇者さんは、高速で振動する光刃を床に突き立てた
勇者﹁お願い⋮⋮!﹂
しばしば子狸がそうしてきたように喚声を口にする
そうすることで何かが変わるのか? 剣士の勇者さんにはわから
ない
だが彼女にしてみれば、聖剣が発達した理屈も謎めいている
道中、羽のひとは所持者の感情に呼応すると教えてくれたが
当の本人は自らの変化に対して無自覚で
もしくは懐疑的だった
はたして光の宝剣は、あるじと認めた少女の願いに応えた
光へと変換された振動が、石造りの床を伝う
光速の斬撃など避けようがない
しかし、牛のひとは八代目勇者が後世に遺してしまった負の遺産
だった
彼女には、史上最高と謳われる勇者との戦闘経験がある
2811
力場の上を歩く
たったそれだけのことで勇者さんの切り札は無力化できた
牛のひとの興味、関心が向かう先は、依然として史上最高峰の適
応者のみだ
牛﹁抜けよ。2cmだったか? すべての異能の根源にあるもの⋮
⋮オリジナルのネウシス⋮⋮﹂
あまねく異能は、物体干渉を起源に持つ
物体干渉の異能は、まず遺伝しないが
適応者の肉体は、やがて滅び土に還るからだ
大多数の異能は遺伝する
より正確に言えば、適応した肉体が生前ないし死後
感染
するのだ
その因子を直接的あるいは間接的に取り込んだ人間へと
異能は
2cmというのは絶対のルールで
その分をわきまえないものは暴走する
アリア家の感情制御などは、わかりやすい例だろう
彼らの異能は表層的な感情にしか働かない
自分の記憶を削ったりすることはできない
あまねく異能は、本質的に同じものなのではないか
ただし対象が異なる
独自のルール⋮⋮世界観を持つ
三つ目の軸
2812
たぶん、それが正解だ
トンちゃんは不快を露わにした
中隊長としておのれを律してきた彼が
こうまで嫌悪感を示すのは珍しい
どるふぃん﹁どいつもこいつも⋮⋮。異能だと? こんなもの、私
は欲しくなかった﹂
救いの手
除装したことで、胴巻きに抑え込まれていたお腹まわりのぜい肉
が悩ましげに揺れた
牛のひとは軽口を叩く
牛﹁そうかい。だがな、お前の念力は、万人が欲する
だぜ。ためしにアンケートしてみろよ。何人かは、お前と同じこと
を言うだろう。口だけさ﹂
トンちゃんが本心から要らないと言えるのは、彼自身の持ちもの
だからだ
二人は、一足一刀の間合いで足を止めた
光弾を連発して疲弊した羽のひとが
ふらふらと舞い降りてきて勇者さんの肩にとまる
勇者さんが叫んだ
彼女は意外とよく叫ぶ
必要とあらば叫ぶと言うべきだろうか
2813
言葉は偉大だ
騎士団と合流してからは、たまに発声練習をしている
昨夜とか人目を忍んで﹁ばーにんぐ!﹂などと叫んでいた声で勇
者さんが言う
勇者﹁待ちなさい! アトン、抑えて。勝ち目はないわ﹂
牛のひとの提案に乗るべきだと、彼女は言った
トンちゃんは、眼前の強敵から目を離さない
どるふぃん﹁お嬢さま、あなたの足元に倒れているのは私の部下で
す。私のような得体の知れない男についてきてくれた部下なのです﹂
勇者﹁あなたの判断ミスよ。はじめに提案されたときに応じるべき
だった。責任は、わたしにもある﹂
牛﹁賢いお嬢さんじゃないか﹂
牛のひとは感心したように尾を振った
視線を遮らないよう
わきに逸れて二人の遣り取りを見守る
トンちゃんの視線が牛のひとを追う
彼は、慎重に言葉を選んだ
どるふぃん﹁私は、底の浅い人間だ。戦うことしか能がない。だが、
彼女は違う⋮⋮﹂
2814
だからトンちゃんは、本当なら勇者さんを魔都に連れて行きたく
なかった
アリア家の屋敷で、ずっと妹たちと一緒に暮らして欲しかった
外の世界に目を向けてしまわないよう
一人で生きていけるすべを教えなかった
勇者さんが、ときどき奇行に走るのは、トンちゃんが矯正を怠っ
たからだ
沈黙したトンちゃんに
踏ん切りがつかないのだろうと察した勇者さんが声を張り上げた
勇者﹁アトン!﹂
だが、トンちゃんはとうに決意していた
自らの罪と向き合うように、決然とまなじりを吊り上げる
どるふぃん﹁決着をつけよう、メノゥイリス﹂
︻決着をつけよう︼王都在住のとるにたらない不定形生物さん︻メ
ノゥイリス︵笑︶︼
勇者一行が迷宮に命を賭していた頃⋮⋮
チームポンポコも、また闘っていた
騎士B﹁くっ⋮⋮!﹂
抜けない︱︱!
2815
両腕をひろげて立ちふさがる見えるひとのプレッシャーに
騎士Bは絶望的な未来を幻視した
騎士B﹁ならばっ﹂
即座に反転する騎士Bの意図を、瞬時に汲んだのは騎士Aだ
騎士A﹁寄れっ!﹂
彼は、百戦錬磨の小隊長だった
見えるひとたちのマークを振りきった騎士Cと騎士Dが
苦境に立たされる味方のもとに全力で駆ける
四人の重騎士が、フィールドの中央で激しく衝突した
騎士A﹁エンドゾーンで会おう!﹂
頷き合った四人が、ゴールラインを目指して散開する
彼らは巧みに手元を隠して走る
いったん合流したのは、誰がボールを持っているのか特定しにく
くするためだ
亡霊﹁ボールはどこだ!?﹂
しかばね﹁ちぃーっ! マークにつけ! 四人ともつぶせ!﹂
常識的に考えれば、ボールを持っているのは突破力に優れる騎士
BかCだ
2816
だが︱︱
はっとした歩くひとが、踏みとどまって上体をひねった
しかばね﹁子狸はどこだ!?﹂
騎士A﹁遅い!﹂
ボールを持っていたのは騎士Aだった
彼は、欠点らしい欠点を持たない投手だった
決して才能に恵まれた選手とは言えない
しかし、誰よりも仲間のことを大事にする男だった
それが隊長の資質だ
騎士Aが放った楕円形のボールを、子狸の前足がしっかりと受け
止めた
歩くひとが絶叫した
しかばね﹁とめろーっ!﹂
お前らが一斉に触手を撃ち放つ
そのことごとくを子狸は回避した
成長していたのは勇者さんだけではなかった
ゆっくりと、けれど着実に一歩ずつ進んでいたのだ
もはや、この子狸をレクイエム毒針では止められない
亡霊﹁ここまでだ⋮⋮!﹂
2817
進路に割り込んできた見えるひとを
子狸は激しくステップを刻んで抜き去る
亡霊﹁なにっ!?﹂
子狸﹁おれには、これしかないんだよ⋮⋮!﹂
小柄な身体を活かしたランプレー
それが子狸の持ち味であり、そして唯一の武器だった
二軍スタートした小さなポンポコが、ついに開花しつつあった
だが、直進を避けたことで
態勢を整える時間を相手に与えてしまった
四人の見えるひとたちが子狸の行く手を遮る
この布陣を突破するのは、まず不可能だ
子狸﹁くっ⋮⋮!﹂
歯噛みする子狸を、しかし仲間たちが支えた
馳せ参じた特装騎士たちが、見えるひとたちと真っ向からぶつかる
特装A﹁行けっ!﹂
子狸が吠えた
子狸﹁うおおおおおっ!﹂
マネージャーの鬼のひとたちが、両手を組んで勝利を祈る
2818
鬼ズ﹁子狸さん⋮⋮!﹂
そのとなりで、ふと呟いたのは騎士Hだ
騎士H﹁なにやってるんだろう、おれたち⋮⋮?﹂
正気に返った
2819
敗戦
騎士H﹁おれたちは、こんなところでのんびりしていていいのか⋮
⋮?﹂
騎士Hの言いぶんは、しごく真っ当であった
ベンチに引っこんだ子狸は、ボーナスゲームの推移を見守っている
子狸﹁目の前のことから片付けていくしかないんだ。一歩ずつ⋮⋮
一歩ずつでもいい。少しでも先に進むんだ﹂
深刻そうな口ぶりだったが⋮⋮
バウマフ家の人間は、瑣末な出来事をさも大事であるかのように
話すところがある
子狸﹁そう⋮⋮。一歩ずつでもいい﹂
一歩ずつというフレーズが気に入ったらしい
さいきんの子狸さんは、ますます適当さに磨きが掛かってきたよ
うに思える
子狸﹁一歩ずつだ﹂
しつこい
フィールド上では、密集陣形を組んだポンポコ騎士団と魔物勢が
激しくぶつかり合っている
2820
しかばね﹁押せっ!﹂
騎士A﹁抑えろ!﹂
歩くひとは、魔物チームの司令塔にして攻守のかなめである
エプロンドレスをはためかせて先陣を切る彼女は
じつに華のある選手だ
ばうまふベーカリーのほうは、弟子の火口のんとかまくらのんが
一人前に育つのを待ってから任せてきたらしい
彼らは多少⋮⋮人間の街で暮らすには不都合が発生する形態をし
ているが
そのあたりは心理操作でどうにでもなる
今日も張り切って触手を振るっていることだろう
ここさいきんのお前らの自由ぶりは目に余るものがあった
ライン際の攻防では、敵味方が密集しての陣取り合戦になる
身軽ではあるものの、膂力に劣る子狸の出番はなかった
当然のような顔をしてついてきた黒妖精さんは
フィールドの上空で違反行為に目を光らせている
たぐいまれな飛行能力を持ち、小回りがきく妖精属は優秀な審判だ
何より公平で、実力行使をためらわない
腐っても都市級ということか。非凡なバランス感覚を持っている
その点、緑のひとはジャッジが甘いし
でっかいのは自己顕示欲が強すぎる
2821
※ 腐っても⋮⋮?
発酵食品が社会の発展に寄与したことは疑う余地がない
それは、とても素晴らしいことなのですよ。ぽよよん
子狸は、大いなる未来に思いを馳せている
子狸﹁まだ焦る時間帯じゃない。いまは力を蓄えるんだ﹂
その瞳は明日への希望に満ちあふれていた
あまたの人間を破滅へと導いてきたバウマフ家のそれらしき発言だ
しかしポンポコ騎士団のメンバーには、子狸への耐性があった
騎士H﹁⋮⋮おれは、べつにこの試合について言ってるんじゃない
ぞ? もっと先の⋮⋮﹂
子狸﹁同じことだ﹂
颯爽と立ち上がった子狸が不敵に笑う
子狸﹁台詞はあとで考えるとしよう。好きな言葉を入れてくれ。い
まは⋮⋮おれを信じてくれ﹂
なにをどう信じればいいのかはわからなかったが
騎士Hは感銘を受けたようだった
しょせんは子狸に命運を託した一人である
騎士H﹁やはりお前だ。お前しかいない⋮⋮。この戦乱に終止符を
打てるのは﹂
2822
ハードルが低すぎる
王都で勤務していた騎士は、子狸への耐性がある一方で
過剰な期待を寄せる面があった
子狸さんがふだんは隠している真の実力に
薄々勘付いているのかもしれない⋮⋮
※ うむ⋮⋮能ある鷹はつめを隠すと言うからな
※ 見ろよ、あの鋭い眼差しを⋮⋮
※ あれは、晩ごはんのメニューを考えている目だ⋮⋮しか
し、より深遠でもある⋮⋮
︻こちらシリアス担当︼山腹巣穴在住のとるにたらない不定形生物
さん︻勇者一行︼
一足一刀。すなわち一挙動で首を狩りとられる距離だ
ジェステ
カーバンクル
アトン・エウロとメノゥイリスが対峙している
王国最強の騎士と獣人種最強の守護獣が対峙している︱︱
エウロア
若き武将が、力なく横たわっている部下たちを意識圏内から外す
ことはない
劣化した退魔性が人にもたらすものは、魔眼︱︱闇に棲む魔物の
視点だ
絶体絶命の状況にあって、熾烈の異能持ちが嫌悪感を露わにして
いる
激しい敵意を訴える双眸とは裏腹に、その口調は穏やかですらあ
った
2823
部隊を率いるものとしての自制心がそうさせるのだ
また、そうでなくてはならなかった
戻れない
とわかっていたからだ
この怒りに身を委ねてしまったら
きっと
怒り
であることは確かだった
過度魔法の開放条件は、じつはよくわかっていない
だが、その条件の一つが
さらに条件は多岐に渡る
非常に複雑かつ多角的なもので、実質的にはコントロールできない
アトン・エウロは、外法の力に手を染めることに強い忌避感を覚
える︱︱
どるふぃん﹁ゲームに興味はない! 私と戦え! メノゥイリス!﹂
牛﹁安い挑発だ﹂
イリスは笑い飛ばした
メノゥという呼称は、魔物の人格を認めない言葉だ
しかし彼女は、その無礼を許した
牛﹁アトン・エウロ⋮⋮。お前ほどの魔法使いを失うのは惜しい﹂
強大な魔法使いは、有力な魔力の供給源でもある
千年前とは比べものにならないほど、この世界に魔法はなじんで
いる
優れた戦士であるということ
それは、つまり多くの選択肢を持っているということだ
2824
二人の視線が空中で交錯して火花を散らす
同胞たりえない両者の間で
あらゆる可能性が浮かんでは消える
まるで共同作業のように
二人の紡いだ物語が、高速で展開されて
そのたびに破棄されていくかのようだった
それは、勇者さんには理解できない領域の出来事だ
だが、もう止まらないことはわかる
迷宮の空気は異様に澄んでいた
一度、深呼吸した勇者さんが宝剣の剣尖を揺らす
妖精﹁⋮⋮わたしは⋮⋮﹂
肩の上で気息を整えていた羽のひとが不意につぶやいた
その声に決死の覚悟のようなものを感じとった勇者さんが言う
勇者﹁リン、あなたは援護に徹しなさい﹂
勇者に付き従う光の妖精は、リンカー・ベルという
彼女には、おそらく高速で戦闘を展開する獣人の動きが見えていた
そうでなければ、ああも的確に光弾を撃てないだろう
妖精属の潜在能力は高い
もしかしたら戦隊級に匹敵するかもしれない
2825
だが、もともとは人間の街で商人の真似事をしていた妖精に
そこまで求めるのは酷だ
彼女には、圧倒的な強者と相対したとき硬直してしまう悪癖があ
った
いや、それは生物としてごく自然な反応なのだろう⋮⋮
いかなる状況でも不屈の闘志を燃やした子狸のほうが異常なのだ
そして、心理的な負荷を意識的に排除できる自分もまた⋮⋮ふつ
うではない
もとより自覚はあったが
巨獣との戦闘を経て、勇者さんは自身の異能を改めて意識するよ
うになった
古狸の迷い言を真に受けてしまったらしい
※ 失礼な。おれはいつだって真剣だ
※ 余計に性質が悪い
※ ふっ。牛のひとと勇者⋮⋮か。いざとなれば、おれが出
てもいいが⋮⋮
※ おい! グランドをとりおさえろ!
※ ふっ、なにをおそれる。おれが怖いのか?
※ 怖いよ! お前の孫は負け癖がついてるし⋮⋮どうして
こうなった⋮⋮
※ ならば新たな刺客を送らねばならんな⋮⋮。マリはどうして
いる?
※ パンを焼いてるよ
※ そうか。やつは、すでにおれを越えた。万に一つも後れ
2826
をとることはあるまい⋮⋮
※ 偉そうに言ってるけど、お屋形さまは十年前にはお前を越え
てたぞ
※ 試合と実戦は違う⋮⋮そういうことだ
※ それを踏まえた上で言ってるんだが⋮⋮なんなんだ、こ
いつらの自信は⋮⋮
感情を制御した勇者さんには、人形めいた美しさがある
勇者﹁あなたを、ここで失うわけにはいかない﹂
彼女は希有な剣術使いだ
ふだんは偉そうに就職しろと言ってるわりに
身のまわりのお世話は狐娘たちに一任している
一時期は、もう色々と諦めてしまったのか
非効率的だからと自分から動こうとはしなくなった
しかし、動かなければ動かないで邪魔になるのが剣士だ
ひまを持て余した勇者さんが見つめているだけで魔法の働きは心
なしにぶる
このままではいけないと思ったのだろう
さいきんでは食事前になると率先してお皿を並べるようになった
彼女は自分の仕事に誇りを持っている
狐娘たちを非アクティブなだめ人間と定義するなら
勇者さんはアクティブなだめ人間に分類される
2827
なぜ、こんなことになってしまったのか⋮⋮
原因は、はっきりしている
うっかり担当の子狸さんがいなくなったせいだ
隔絶した残念力を有する子狸さんの不在は
勇者さんの一見すると優秀そうな雰囲気を脅かしつつあった⋮⋮
その彼女が、羽のひとに淡々と告げる
勇者﹁リン、あなたが心配なの。あなたは優しすぎる⋮⋮﹂
妖精﹁リシアさん⋮⋮。でも⋮⋮わたしは⋮⋮﹂
羽のひとは、勇者さんの将来がより心配なのだとは言わなかった
妖精﹁わたしはっ⋮⋮このままじゃいられないんですっ!﹂
最前線で身体を張ってボケてくれた子狸さんは、もういない
水面下でツッコミ役からボケ役にシフトしつつある勇者さんの惨
状に
羽のひとは耐えられなかったのだ
勇者さんの制止を振りきって飛翔する
勇者﹁っ⋮⋮!﹂
宝剣を閃かせた勇者さんが、即座にあとを追う
トンちゃんと睨み合っていた牛のひとが
2828
急速に接近してくる妖精さんに片手を突き出した
牛﹁ディレイ!﹂
同時にトンちゃんも動いた
どるふぃん﹁パル!﹂
光を操作して編み出した分身を縦一列に配置する
これは特装騎士が好んで使う切り札の一つだ
急制止した羽のひとが、盾魔法の力場を妖精魔法で相殺した
同格、同性質の魔法は打ち消し合う
無敵の魔法は存在しない
再発進した羽のひとが、牛のひとの懐に飛び込む
妖精﹁シューティング☆スター!﹂
突き出した指先から、指向性を高めた光の散弾が放たれる
彼女もまた成長していた
戦隊級の耐久力を念頭に置いての集中砲火だ
しかし、あまりにも愚直な戦法だった
秘薬の販売を生業としていた羽のひとは、戦闘に特化したタイプ
ではない
彼女の突進を見越していた牛のひとは
飛び上がって羽のひとの頭上をとった
2829
牛﹁アルダ!﹂
無明の闇が、羽のひとを包み込む
どれほど固く決意しようと
長年の葛藤から生まれた弱点は克服できるものではない
牛﹁エラルド!﹂
着地した牛のひとは、すぐさまトンちゃんに向き直った
人差し指を真一文字に引き結ぶと共に
硬直した羽のひとを、闇で結合した鳥かごに閉じ込める
すべては一瞬の出来事だった
格子にしがみついた羽のひとが自らの無力を嘆いたとき
王国最強の騎士は、彼女の勇気を内心でたたえた
敵に魔法を使わせた
これは大きい
詠唱をスキップできるのは
魔王軍では都市級にのみ許された特権だからだ
どるふぃん﹁チク! タク!﹂
鎧を捨てたトンちゃんの動きは速い
さしもの牛のひとも、至近距離から圧縮弾を撃たれては敵わない
彼女の目にも止まらない戦闘機動の秘訣は、人間の予測を裏切る
ことにある
上体を揺さぶってから、慣性を無視するかのように真横に跳んだ
2830
なまじ経験を積んだ勇者さんだから、牛のひとの姿が霞んで見えた
早々に目で追うことを諦めた彼女は、トンちゃんと瞬時のアイコ
ンタクトを交わす
感情制御の異能を持つアリア家の人間は、おそろしく精密な動作
が可能だった
大きく踏み込んだ勇者さんが、両足を駆使して一回転した
宝剣を突き出した片腕はぴんと伸びている
光の軌跡が真円を描いた
踊り子のように軽く跳ねた勇者さんの動きは、非常に正確で
その軌道にはいっさいのぶれがなかった
2cm
!﹂
だからトンちゃんは、彼女に合わせるだけで良かった
どるふぃん﹁
彼の身に宿る異能は、指定した対象を2cmだけ動かすことがで
きる
注目すべきは、移動距離が2cmと固定されていることだ
このおそるべき異能に囚われたものには、完全な硬直時間が発生
する
それは絶対のルールだ
あらゆる事象の干渉を許さない絶対の約束︱︱
なにものも遮ること叶わない聖剣と
あまねく異能の頂点に立つ物体干渉のコンビネーションだった
※ お前ら、緊急会議! これ、避けられねえんだけど!
2831
※ うん、無理ですね
※ よもや牛さんが敗れるとはな⋮⋮
※ ん∼⋮⋮
※ うん?
※ ペナルティだな
妖精﹁ああっ!﹂
鳥かごの住人と化した羽のひとが悲鳴を上げた
牛のひとを切り裂くかと思われた宝剣が
拒否反応を起こすかのように霧散したのだ
※ 王都ルールだと!?
※ 王都ルール⋮⋮!
※ なんてことだ⋮⋮王都ルールに抵触したんだ!
聖剣の起動と維持を担当しているのは、王都のんである
その王都のんが、勇者さんとトンちゃんの暴挙を認めなかった⋮⋮
九死に一生を得た牛のひとが、ふてぶてしく笑った
威風堂々と告げる︱︱
牛﹁⋮⋮ばかめ。知らなかったのか?﹂
だが、彼女を以ってしても王都ルールの全容は把握しきれていない
※ おい。どういうことだ? いや、わかっている⋮⋮
青いの。お前、さてはおれのファンだな?
2832
※ そうだったのか⋮⋮
※ 思えば、王都のんは人型のひとたちには甘いところがある
⋮⋮
※ はぁ? 火口のんじゃあるまいし⋮⋮よしてくれ
※ あ?
※ あ?
※ 喧嘩をするな。つまり⋮⋮新ルールの追加なんだな? それほどなのか⋮⋮
※ うむ⋮⋮。トンちゃんの異能と聖剣のコンビネーションは強
力すぎる
おれも想定していなかった⋮⋮
ふつうに都市級に通用するだろ、あれ
封印しよう
※ 具体案はあるのか?
※ ないよ。なんとかして誤魔化して下さいね
※ ちょっ⋮⋮
※ 無理難題⋮⋮
だが、お前らは一つ忘れていないだろうか?
牛のひとには、シナリオ管理に定評がある、例のあのひとがつい
ているのだ
※ 骨っち⋮⋮!
※ ああ⋮⋮! そうだったな。骨っちなら、きっと⋮⋮!
2833
※ 無茶を言うなよ⋮⋮
口ではそう言いつつも、ふつうにとなりの部屋から歩いてきたカ
ルシウムの化身が
牛のひとに見えるよう、ぺらぺらとカンペをめくる
もちろんステルスしているので、安心のカンニング体制である
牛のひとの口ぶりは堂々たるものだ
牛﹁精霊の宝剣は最高位の存在だ。あらゆる事象に干渉する⋮⋮目
に見える作用が全てではない﹂
骨﹁︵ぺらり︶﹂
牛﹁アトン・エウロ⋮⋮。お前の力は、すべての異能のオリジナル
にあたる。ともに最高位⋮⋮両者が衝突したなら⋮⋮どうなる?﹂
勇者一行が息をのんだ
牛のひとの言わんとしていることを
ようやく理解したのだ
骨﹁︵ぺらり︶﹂
牛﹁そうだ。優先権は、先行したほうがとる。終わりだ⋮⋮﹂
※ よくわからんが⋮⋮空間に干渉するから弾かれたということ
か?
※ いささか苦しくないか?
※ 仕方ないだろ。魔法と反発するって言ったほうが自然だけど
2834
トンちゃんは、異能と圧縮弾のコンボをよく使うんだよ
そもそも聖剣は魔法じゃないっていう設定だし⋮⋮
※ ああ、なるほど。うん、いいんじゃないか?
※ うん⋮⋮悪くないね
※ 骨のひとは、相変わらず言い訳がうまいな
※ 言い訳をさせたら右に出るものはいないよね
※ ちょっとちょっと、誤解を招くような言い方はやめてくれる?
なんか、その場しのぎで生きてきたみたいな感じになってる
その場しのぎで生きてきたカルシウムの化身
他の部屋で待機していた面々が、ぞろぞろと移動してきて床に座る
本日の業務終了を祝してか
宴会の準備をしつつ、のんきに観戦をはじめた
※ いやぁ、ふつうに負けたわ∼
※ やっぱりチェンジリング☆ハイパーは反則だよな
※ だな。正直、閉鎖された空間だと手がつけられねーよ
※ 透き通ったのなら、そこそこいけるんだけどな∼
※ そこは、ほら、おれら物質系だからさ
※ せめて自己分解機能が欲しいね。今度、管理人さんにお
願いしてみようぜ
向上心があることは良いことだ
どうやら、次発以降の実働小隊は無事に迷宮を突き進んでいるよ
うだった
2835
羽のひとは囚われた
勇者さんとトンちゃんの切り札は王都ルールの前にあえなく散り
⋮⋮
︱︱戦闘は加速する
トンちゃんの異能は連発できない
もはや牛のひとを止めるものは何もなかった
なりふり構っている場合ではないと
勇者さんが腰の騎士剣を抜き放つ
宝剣の調子がおかしい
苦しげに明滅を繰り返している
ペナルティの演出だ
王都のんの芸は細かい
ぽよよんとか言って可愛い子ぶっているが
本質的に嗜虐的なのだ
容赦というものがない
※ おい
鬼のひとたちの手で生まれ変わった鉄剣は
軽量化したことで使い回しが良くなった
それでも、非力な勇者さんが片腕で自在に操れるほど軽くはない
勇者さんの場合、重量で叩き斬るよりも
退魔性で斬ったほうが良いと、匠たちは判断したのである
勇者さんの刺突を、牛のひとは難なく避けた
2836
側面に回り込んで騎士剣を叩き落とす
流れるように片足で叩くと、あるじの手を離れた剣が
酒盛りしていた骨のひとにジャストミートした
骨﹁ぐあ∼!﹂
カンペを畳んだ骨のひとは
物足りないものを感じたのか紙芝居劇を敢行している
そこからは、実質的にトンちゃんと牛のひとの一騎打ちだった
がむしゃらに宝剣を振り回してくる勇者さんをやり過ごした牛の
ひとが
独特の足さばきでトンちゃんを翻弄する
牛﹁来いよ! 王国最強の騎士!﹂
どるふぃん﹁ゴル!﹂
勇者さんのもとに駆けつけようとしたトンちゃんが
敵の標的が自身に集中していることを悟って足を止めた
周囲に放った蛍火で防壁を展開する
守りを固めすぎれば、勇者さんが狙われると読んだからだ
牛﹁ぬるいんだよ!﹂
蛍火を掻い潜って接敵した牛のひとが、しかし目を見張った
突き出した腕をひじで逸らされたかと思えば
重心を落としたトンちゃんに投げ飛ばされていた
2837
空中で器用に身をひねって着地した牛のひとが
未知の武術に眉をひそめる
牛﹁なんだ? 捕縛術じゃねーな⋮⋮﹂
三大国家に属する騎士は、捕縛術と呼ばれる格闘技の習得を義務
付けられている
表向きは犯罪者を取り押さえるための技術とされているが、真相
は異なる
チェンジリング
治癒魔法の詠唱変換を修めている騎士を無力化するためには
圧縮弾では確実性に欠け、光槍では殺傷力が高すぎるということだ
どるふぃん﹁パル!﹂
いらえは無用とばかりに攻勢に転じたトンちゃんが、再度の分身
を試みる
彼の異能は多大な集中力を要する
先に生み出した分身を維持し続けることは出来なかったのだろう
縦一列に並んだ分身は、本体の隠れみのだ
しかし、トンちゃんは決定的な思い違いをしていた
非力な人間が、魔物に技量で勝るというのは思いこみでしかない
第三のゲートを守護する牛のひとは、最低でも二百年の歳月を生
きてきた武人だ
その戦闘経験は、いかなる騎士も及ぶところではない
ぴんと片腕を伸ばした牛のひとが、突進してくる分身をあざ笑う
ように跳躍した
2838
空中で駒のように旋回しながら上下反転する
派手なばかりで、実利のないアクションだ
それゆえに、脇目を振らずに直進する分身は不自然そのものだった
本体を特定するための行動なのだと、トンちゃんは瞬時に看破した
だが、牛のひとにとっては、どちらでも良かったのだ
牛﹁紫電!﹂
手足を屈めた牛のひとが空中で一回転する
振り抜いた足が一人目の分身を蹴り砕いた
トンちゃんの反応は、じつに素晴らしかった
空中戦を選んだのは、無意味に回る牛のひとに勝機を見出したか
らだ
とっさの判断だった。体勢は万全とは言えない
それを補うために、空中で側転する
かぶせるように踵を振りおろした
これを、牛のひとは紙一重で見切る
︱︱彼女の身体能力は、あらゆる面で人類を凌駕していた
わざと隙を作れば、王国最強の騎士は勝負に踏み切ると読んでい
たのだ
人間ならば挽回できないような状況も
牛のひとなら覆せる
トンちゃんは、念力の回復を待つべきだった
2839
なぜ、そうしなかったのか
彼は、自らの異能を嫌悪しているからだ
牛﹁三っ、連っ、破ぁっ⋮⋮﹂
空中で巨躯の騎士にのしかかった牛のひとが
コンパクトにまとめたフックを二連発
とどめに頭突きを打ちこんで、床に叩きつける
牛﹁からの∼⋮⋮﹂
着地するなり、すでに意識を失っているトンちゃんを
自慢のつのに引っかけて
上空に放り投げた
牛﹁おれバスタぁーっ!﹂
牛のひとのフィニッシュブローだ
※ それ、不要だったんじゃないかな⋮⋮
※ 牛さんは、おれバスターに強いこだわりがあるね⋮⋮
※ 子狸さんが大絶賛したのが良くなかった⋮⋮
ようは高い高いである
高い高いでノックアウトされた王国最強の騎士を
牛のひとは踏みつけにする
読んで字のごとく赤子扱いだ
勇者さんの斬撃が通用する相手ではない
2840
斬りかかってきた勇者さんの肩に腕を回して
牛のひとはささやくように言ったのである
牛﹁ここで朗報だ。いまからでも遅くないぞ。ゲームをしようじゃ
ないか﹂
牛のひとは、選択権を勇者さんに委ねた
そのために彼女を最後まで残したのである
牛﹁ただし、罰は必要だ⋮⋮。わかるな? 今日は、もう受付終了
だ。白アリどもを連れて、帰れ﹂
王国騎士団に所属する騎士を、魔物たちは白アリと呼ぶ
アリさんたちには申し訳ないが、あくせくと働く騎士たちは
その制式装備のカラーリングも相まって、アリさんとよく似てい
るのだ
命まではとらないと、牛のひとは言う
だが、徹底的な敗北を喫して
魔物に慈悲を掛けられた騎士団に
再戦を誓う気概があるだろうか?
牛のひとがやろうとしているのは、それだ
子狸がいない勇者一行に、彼女は何ら価値を認めない
妖精﹁リシアさん⋮⋮!﹂
2841
格子にしがみついている羽のひとが勇者さんに訴えかける
再戦のチャンスがあるなら、縋るべきだ
牛のひとには勇者さんを魔都にお持ち帰りするという選択肢もある
そして、勇者さんは
四つの宝剣を所持する子狸を誘き寄せる最高のエサになる筈だ
牛﹁さあ、二択だ。サービス問題だぞぅ⋮⋮。しぬか? 退くか⋮
⋮﹂
たしかに選ぶまでもない問題だった
吐息が掛かるほどの至近距離から最強の獣人に見つめられて
勇者さんは⋮⋮
ふ、と笑った
勇者﹁いいえ、どちらでもないわ。選択肢はもう一つある⋮⋮﹂
彼女は、笑えるようになった
それは、おれたちが期待していたような
花がほころぶようなものではなくて
なんだか見覚えのある笑い方だった⋮⋮
勇者﹁メノゥイリス⋮⋮とても強いひと﹂
勇者さんは言った
勇者﹁あなたの負けでもいい﹂
2842
2843
崩壊の兆し
唯一の誤算は、牛のひととの遭遇だった
入口とゲートのある部屋が直結してしまうようでは
迷宮の意味がない
それだけはないと思っていた
しかし、何事にも例外というものはあるらしい
勇者さんは、はじめから
最強の名を冠する獣人と
まともに戦うつもりはなかったのだ
牛﹁⋮⋮?﹂
床を伝う、かすかな振動に牛のひとが眉をひそめる
ここ迷宮において
あらゆる不正は正される
ひと部屋ごとに人数制限が課されているから
迷宮のあるじが絶対的な優位を保てる一方で
魔物たちが得意とする人海戦術は成立しない
それは、つまり騎士団の実働小隊に対し
配下の骨のひとでは荷が勝るということでもある
2844
いま、迷宮の内部では何が起こっているのか
すぐに思い当たった牛のひとは、勇者さんの貧困な発想を笑った
牛﹁迷宮を崩すつもりか。⋮⋮無駄な足掻きを。いままで、そいつ
を試した人間がいなかったとでも思っているのか?﹂
牛のひとが最強の獣人と呼ばれているのは
圧倒的な膂力を誇る彼女と
限定された空間で対抗するのが困難だからだ
ならば迷宮を破壊してしまえばいいと考える人間は当然いた
ゲートは埋まってしまうだろうが、あとで掘り起こせばいい
人類は結界のノウハウを持たない
だから目に見える石造りの難攻不落の要塞を
殲滅魔法なら破壊できると思いこんでしまう
彼らは知らなかったし、今後も知る必要はない事柄だ
魔物は、人間に、必勝法を、許さない︱︱
牛のひとは勇者さんの反応を見逃すまいと
聞きとりやすいよう、ゆっくりと解説する
牛﹁この迷宮はな、おれが編んだ特別製の結界だ。仲間に妖精がい
るんだ、一度くらい聞いたことはあるだろう︱︱﹂
そう言って、鳥かごの中でわめいている羽のひとを肩越しに見た
牛﹁人間に結界は崩せねーよ﹂
2845
牛のひとが、勇者さんにしなだれかかる
華奢な肩に体重を感じて、勇者さんは頷いた
勇者﹁あなたの言うことは正しいわ。過去の勇者は、誰も彼もが甘
すぎる⋮⋮﹂
彼女は、じつに人間らしい仕草で嘆息した
勇者﹁⋮⋮彼らが一度でも試していてくれれば、こんな博打に付き
合う必要はなかったのに﹂
勇者さんは、牛のひとと目を合わせた
いっさいの感情を示さない瞳で見つめられて、思わず牛のひとは
後ずさる
次の瞬間、跳ね起きた騎士たちが守護防壁を展開した
特装騎士の二人がトンちゃんの治療に当たり
残りの二人が骨のひとに突き刺さっていた騎士剣を回収する
骨﹁ぐふっ﹂
骨﹁傷は浅いぞ! しっかりしろ⋮⋮!﹂
勇者さんに駆け寄った実働騎士たちが
彼女の前後左右を固める
彼らは、じっと耐え忍び、このときを待っていたのだ
牛のひとはレベル3の魔物だ
超化した防性障壁を力尽くで引き裂くことも出来る
2846
だから、迷宮の崩落に備えての堅陣なのだと思いついた
こん棒を固く握りしめた牛のひとが苛立ちを露わにする
牛﹁だから無駄だとっ、言っ⋮⋮﹂
不意に語気が弱まったのは
意識を取り戻したトンちゃんの表情を目にしたからだ
断続的に迷宮の壁を伝う振動は
もはや人間の大雑把な感覚にも、それとわかる大きな揺れになっ
ていた
トンちゃんは憮然としていた
すべてを理解した牛のひとが、はっとして壁を見る
剣呑な眼差しだった
彼女が本当に睨みつけたかったのは
迷宮の外で暴れている鈍色の集団だった
牛﹁連合の鼠坊主かッ⋮⋮!﹂
王国騎士が白アリに例えられ
帝国騎士が黒アリに例えられるように
連合騎士は、ねずみさんに例えられる
ドブネズミ
と呼ぶこと
鈍色のプレートメイルが、ねずみさんたちの毛皮を彷彿とさせる
からだ
王国騎士団と帝国騎士団などは
連合国騎士団のお茶目な一面を評して
2847
もあった
連合国は、常にルールの裏を突いてくる
ノイ・エウロ・ウーラ・パウロ⋮⋮
世代最年少の中隊長が姿を隠していたのは
子狸と面識があるからだ
魔物たちは三大国家の首脳陣と裏でつながっている
たとえば小国を結びつけるための手段として
勇者を信仰する巨大な宗派が存在したとする
魔物の脅威に晒されている人間たちは、勇者の正義を否定しない
どの宗派に属しているのかと問われたなら
ほとんどの国民が、しいていうなら、と候補に挙げる⋮⋮
その宗派の頂点に位置する存在が、一国を代表する人物ではない
と言い切れるか
エウロ
ウーラ
その少年の身分は、すべてが偽りだ
お飾りの中隊長、お飾りの司祭⋮⋮
とくべつな教育を施された、連合国の刺客⋮⋮!
ノイ・エウロ・ウーラ・パウロは知っている
おれたちを縛るのは、おれたちが自身へと課したルールだ
おれたちの子狸さんに馴れ馴れしく接してくる憎たらしい子鼠め
⋮⋮!
騎士が拾って来てくれた剣を、勇者さんが鞘におさめた
2848
動揺を隠しきれない様子の牛のひとに、勇者さんが端的に告げた
勇者﹁この迷宮は崩壊する。あなたの負けよ﹂
彼女は、以前に結界の崩しかたを耳にしたことがある
とある人物から聞いたのだ
ある人物は言っていた
完全な結界はないと
また、べつの人物はこう言った
一人では観測がぶれると
そして、おれたちは首脳会議の席で
魔界の設定について熱く語ったことがある
二つの世界をつなぐためには
内と外の両方から同時に干渉しなければならない
現在、牛のひとの迷宮は
迷宮内部の王国騎士団と
迷宮外部の連合国騎士団
双方からの砲撃に晒されている
突入した王国騎士団が魔物の襲撃を受けることを見越して
おそらく数分後を目安に動き出したのだろう
勇者さんは、アリア家の人間だ
少し練習すれば、正確な時間の計測が出来る
2849
歴代の勇者は、迷宮に突入した味方もろとも
牛のひとを生き埋めにしてしまえとは言わなかった
大隊長、中隊長が指揮をとっていたこともある
しかし、外から砲撃すると言われて
では自分たちが突入しますと言う人間はいなかった
これは前人未到の作戦だ
⋮⋮じっさい、どうなの?
理屈には適っているように見えるけど
いま、この場には子狸がいない
それを理由に、はねのけてしまっても良いだろう
何より、これを受け入れてしまうと
牛のひとの今後の活動に支障をきたしてしまう
発言者は挙手をお願いします
※ はい!
はい、誰かわからないけど早かったですね
お願いします
※ 迷宮のおもな成分は魔力ということにすればいいと思います!
はっきりと結界って言っちゃったよね
却下。次
※ はい!
2850
お、いいね
その調子でどんどんお願いします
※ 勇者さんは剣士だよね
今回は縁がなかったということにすればいいと思います!
それだと勇者さんの立場がないよね
さいきん、ちょっと自分の存在意義について悩んでるみたいだから
ここは穏便に済ませてあげたいのです
※ ふむ⋮⋮。ここはグランドさんの出番じゃないか?
ふむ。具体的には?
※ とつじょとして連合国騎士団に反旗をひるがえす
よりによって母国だよ⋮⋮
却下! 次!
※ もう面倒くさいから通しちゃえよ
次からは見えるひとを迷宮の外に配置すれば解決だろ
まあ⋮⋮
他に意見は?
※ どうやらおれの出番のようだな
※ グランドさん、こっち! おれを⋮⋮おれたちを見てくれ!
※ 鱗っち!
2851
※ よし来た! 跳ねやん、来い!
※ とうっ! よしっ、猫さん!
※ 行くぜっ⋮⋮! 燃え上がれっ、おれたち!
※ おれっ
※ レボリューション!
※ がしーん! ぱおーん
※ おおっ、まるでトーテムポールだ⋮⋮!
※ これは見事な組み体操⋮⋮!
※ ⋮⋮おれも! おれも混ぜてくれ!
連合国の騎士団が殲滅魔法を連発する傍らで
跳躍した跳ねるひとが、鱗のひとの肩に乗る
跳ねるひとの肩に舞い降りたのは、大きく翼をひろげた魔ひよこだ
二人ぶんの体重を支える鱗のひとの足腰は強靭で
迷宮の外壁に着弾した爆撃の余波にも、みじんも揺るがない
一方その頃、迷宮内部では︱︱
壁面を睨みつけている牛のひとを
復活したトンちゃんが険しい面持ちで見つめていた
勇者さんの作戦は
迷宮を破壊することで牛のひとの優位を崩すというものだ
牛のひととの遭遇は誤算であり
だからトンちゃんは、ゲームをしようという牛のひとの提案を
とっさに断った
もしも牛のひとを迷宮の外に誘き出せれば勝てるかもしれないと
2852
彼の理性は告げていたが
そのような発想があることを悟られたくなかったからだ
完全に裏を掻いた筈だ
王国騎士たちが固唾をのんで見守る中
つ、と目線を寄越した牛のひとが
おどけるように肩をすくめた
牛﹁やれやれ。けっきょくは元帥の言った通りか⋮⋮﹂
その発言に不吉なものを感じたのは
トンちゃんだけではなかった
ひときわ大きな振動が迷宮を揺さぶる
作戦の始動時刻は各々の感覚に委ねざるを得なかったから
最初の揺れを合図に一斉に砲撃を開始したのだろう
本格的な爆撃がはじまったのだ
天井に亀裂が走る
崩れ落ちてくる大小の破片を
牛のひとは難なく避けた
くるりと背中を向けた女性の姿をした獣人が
ゲートから離れて、のんびりと部屋を横切る
ゆったりと尾が揺れていた
どこへ行くのか、という問いが発されることはなかった
牛のひとが、遠ざかりながらも勇者さんに語り掛けたからだ
いや、それは勇者さんに向けた言葉ではなかったのかもしれない
⋮⋮
2853
牛﹁最後に教えておいてやる。勇者よ、よくぞこのおれを打ち倒し
た⋮⋮なんちゃって﹂
冗談めかして言う
その態度は余裕の表れなのか、それとも⋮⋮?
牛﹁この世から争いがなくならないのは、お前たちが大切なものを
見つけたからだ﹂
人類は、後世に知識を伝えることを学んだ
それ
がないと思っているんだ﹂
その対価を、彼らは支払い続けている
掛け替えのないもの⋮⋮
牛のひとがささやいた
牛﹁お前たちは、おれたちには
部屋を出ていく前に、彼女は一度だけ振り返った
獣人種最強と謳われる魔物が、寂しげに微笑んだ
牛﹁おれの言ってること、伝わってないんだろうなぁ⋮⋮﹂
想像力の欠如を嘆いた牛のひとが
尾を揺らして去っていく
とうに理解し合うことを諦めていた騎士たちが
硬直したように佇んでいた
2854
差し伸べた手を振りはらったのはお互いさまだ
それなのに後味の悪さだけが残った
トンちゃんが勇者さんを見る
彼女が心配だった
自覚はないようだが
彼女の感情制御は綻びつつある
妖精﹁リシアさぁん!﹂
解放された羽のひとに
勇者﹁リン﹂
ほっと表情をゆるめた勇者さんは
⋮⋮彼女との触れ合いを
牛のひとは何ら苦にしていなかった
強力な魔物だったから? そうなのだろうか⋮⋮
トンちゃんの胸に、一抹の影が差す
魔法が通用しないというのは、剣士の大きなアドバンテージだ
それが失われたとき、魔法使いではない彼女は、何者になるので
あろうかと
このときトンちゃんは、はじめてアリア家の特性を危ぶんだ
自覚してしまったら、加速度的に崩壊は進むのではないかと思うと
忠告する気にはなれなかった
2855
のちにトンちゃんは、このことを何度も思い出すことになる
︱︱勇者さんの退魔性は、すでに欠損しはじめていた
2856
かけがえのないもの
︻こちらもシリアス担当ですし︼王都在住のとるにたらない不定形
生物さん︻TA☆NU☆KIナイツ︼
勇者さんが人生の岐路の差しかかった頃⋮⋮
惜しくも惨敗したTA☆NU☆KIナイツ︵チーム名︶
地面に突っ伏して慟哭する子狸と愉快な仲間たちを
傲然と見下しているのは
有志で結成された、それ行けファルシオン部の部員たちだ
攻守に渡って華々しい活躍をし
文句なしのMVPに輝いた歩くひとが
ふっと口元をゆるめた
しかばね﹁ウォークライ!﹂
彼女の要求に応えて、勝ち鬨を上げるお前ら
勝利の美酒に酔いしれるお前らに
子狸が負け惜しみを口にする
子狸﹁おっ、おれたちは⋮⋮本当なら勝ってたんだ⋮⋮! きょ、
今日は体調が良くなかったんだ⋮⋮﹂
負け狸の遠吠えである
おれたちの管理人さんは
2857
噛ませ犬から好敵手、果ては汚れ役まで幅ひろい芸風をお持ちだ
しかばね﹁はーん?﹂
愉悦に頬を紅潮させた歩くひとが
おいおいと号泣する子狸に歩み寄ると
上体を屈めて、耳元でささやいた
しかばね﹁なんなら再戦してやってもいいんだぜ⋮⋮?﹂
ただし、と彼女は口元をゆがめて笑う
しかばね﹁おれとお前の1on1。納得がいくまで叩きつぶしてや
るよ⋮⋮﹂
勝てるわけがない
歩くひとは骨格に反した怪力の持ち主だ
たんじゅんな腕力勝負なら、腕一本でトンちゃんを転がすことだ
ってできる
彼女の残酷な提案に、義憤を燃やしたのはポンポコ騎士団の面々だ
騎士A﹁そんなことを言われて、怖気付くようなやつじゃないこと
は理解しているだろう⋮⋮!﹂
騎士B﹁子狸を壊すつもりか!? まだ子供なんだぞ⋮⋮!﹂
しかばね﹁⋮⋮お前らが﹂
上機嫌だった歩くひとが、さっと表情を落とした
2858
しかばね﹁人間ごときが、こいつを子狸と呼ぶな﹂
とっさに見えるひとが制止していなかったら
殴り掛かっていたかもしれない
ほの暗い感情を瞳に宿した歩くひとが
犬歯を剥いて言う
ぞっとするような低い声だった
しかばね﹁なんの権利があってそうするんだ⋮⋮? お前らは、こ
いつらのことを無視し続けたじゃねえか。お前らになにがわかる⋮
⋮いまさら味方づらしてんじゃねえよ﹂
バウマフの騎士は、ようやく十二人そろった
ようやく十二人⋮⋮
たったの、十二人だ
彼女の表情に、その声音に
十二人の騎士は越えられない壁を見る
歩くひとが弾劾しているのは、人間という種そのものに対してだ
全人類の責任を負えるほど、彼らは傲慢ではない
理不尽と言えば理不尽な詰問ではある
しかし、子狸の味方をすると決めた彼らは
少なくとも拒絶される権利を手にしていた
バウマフ家は、歴史の裏で魔物たちと戦ってきた一族だ
どうしてこんなになるまで放っておいたんだという
2859
冷たく激しい怒りが、おれたちにはある
いや、わかっている
もちろん悪いのは、おれたちだ
100%中99%はおれたちの責任だろう
もっとかもしれない
だから、残り1%未満の責任を問うても許されるはずだ
その権利が、たぶんおれたちにはある
子狸﹁めっじゅ∼﹂
︱︱どう責任をとってくれるのか
これは、歩くひとがポンポコ騎士団へと放る、最初で最後の試練だ
もしも彼らが満足のいく答えを持たないなら
彼女は、子狸を魔都にお持ち帰りしただろう⋮⋮
しかし、そうはならなかった
彼らが出した答えに、歩くひとは満足とはいかなかったものの
及第点を与えたらしい
あるいは追試の価値はあると厳しめの評価を下したのか
彼らはこう言ったのだ
騎士A﹁⋮⋮どう思う?﹂
特装A﹁どう考えても、悪いのは魔王だ﹂
2860
騎士D﹁おれが思うに、勇者にも責任はある﹂
騎士B﹁小耳に挟んだ情報なんだが⋮⋮﹂
特装B﹁⋮⋮まじで? 月とすっぽんだぞ﹂
騎士E﹁いや、しかし⋮⋮﹂
騎士C﹁え∼⋮⋮? ああ、でも⋮⋮﹂
騎士F﹁そうか。うん、そうだな⋮⋮﹂
協議の結果︱︱
代表して騎士Aが言った
騎士A﹁アレイシアンさまを嫁にやろうと思う﹂
しかばね﹁そこまで無理しなくていいんだぞ﹂
アリアパパにころされてしまう
さしもの歩くひとも、彼らの覚悟のほどに態度を軟化した
しかし彼らは頑固だった
騎士A﹁いや、彼女は勇者だ。子狸の⋮⋮なんだろう。ドラフト権
? を獲得するためと言えば、きっと⋮⋮﹂
言いかけて、つい先ほどまでそこにいたポンポコがいないことに
気がつく
首をひねって後ろを見ると、火口のんを相手にタックルの練習を
2861
していた
かまくらのんも一緒だ
マネージャーの連合小鬼が採点をしている。まめなひとだ
視線を戻した騎士Aが、勇者一行の事情に通じているらしい騎士
Bに尋ねる
騎士A﹁⋮⋮厳しいか?﹂
騎士B﹁アレイシアンさまは貴族だ。貴族と言えば政略結婚という
イメージがある﹂
騎士A﹁そうか。⋮⋮アリア卿を説得する自信はある﹂
本人に無断でなにをしようとしている
※ おい。おい、お前ら。まずい流れだぞ
※ これは、回りまわっておれたちが当事者に怒られるパター
ンだ⋮⋮
※ ⋮⋮そういえば、アリアパパは歩くひとの管轄だったな
※ いや、おれの記憶が確かなら担当は山腹のひとだったはず
※ ああ、追々のひとね
※ ちょっとちょっと。違うでしょ。こういうのは庭園のん
の仕事だよ
※ どういうことなんだよ
※ お前、頼まれたら断らないからなぁ⋮⋮
※ まあ、たしかに⋮⋮遅かれ早かれの違いでしかないな
2862
※ いや、おれは無関係だろ
※ 庭園のん⋮⋮
※ ⋮⋮ついていくだけだぞ
ノーと言えない庭園のんは、それゆえに究極の汎用性を獲得する
に至ったのだ
もちろん、そうした点では
他人のふりをしているレジィも忘れてはならない逸材だ
※ いえ、僕は帝国担当なので⋮⋮
※ 安心しろ。おれも一緒に行ってやるよ
※ その薄汚れたドリル⋮⋮ジャスミンかい?
※ !? おい、ユニィがいねえ!
※ 逃げやがった!
※ くそがっ、追え!
小鬼たちが草原を駆けていく
殴り合いをはじめた火口のんとかまくらのんに
子狸が割って入る
壮絶なクロスカウンターが炸裂した
ひざから崩れ落ちる子狸
カウントに入った黒妖精さんが
両腕を交差して試合終了を宣告した
歩くひとがため息をついた
騎士たちが顔を見合わせる
2863
そのときである
見えるひとたちが、ふと南西の方角を仰いだ
非実体系に属する彼らは、独特の感覚を持つ
しかばね﹁どうした?﹂
人型は総じて強力な魔物と言えるが
その反面、固有の特性を持たないことが多い
歩くひとも例外ではなかった
見えるひとがつぶやく
その声は苦々しい
亡霊﹁⋮⋮ラストゲートが開いた﹂
その視線が向かう先は、三角地帯の中央部に位置する大樹海だ
樹海の奥深くには、大きな洞窟がある
通称、ラストダンジョンと呼ばれる、世界最大級のダンジョンだ
ラストダンジョンの奥には、魔都へと通じるゲートがある
ラストダンジョンのゲート⋮⋮略してラストゲート
魔都への直通路が開かれた⋮⋮
すなわち、三つのゲートを突破したものが現れたということだ
しかばね﹁あの牛さんが敗れたというのか⋮⋮﹂
ポンポコ騎士団は、いまだに第二のゲートまで辿りつけていない
妖精の通り道は、出発地点から目的地までを直線距離で進むこと
2864
ができる
しかし移動したという事実は残るから
障害となる魔物たちがいなくなるというわけではない
結界は迷路に例えられる
簡略化と複雑化は、本質的に同じものだ
危険な近路を行くか
安全な遠路を行くか
それだけの違いでしかない
だが、おれはこう思うのだ
お前らもきっと同意してくれるだろう
※ ああ。子狸さんなら、きっと⋮⋮
※ お前ら、希望を捨てるな!
※ そうだ! 計算上もう無理だけど、おれたちの子狸さん
なら⋮⋮!
お前ら、よく言った!
担架で運ばれていく子狸さんが
おれたちの最後の希望だ︱︱!
︻シリアスは食べ物ではない︼墓地在住の今をときめく骸骨さん︻
おれも入部したい︼
終わったな⋮⋮
※ 終わってねーよ!
2865
※ 何一つとして終わってねーから!
※ むしろ、はじまったんだよ!
いや、違うよ。こっちの話
骨っちだよ。お前ら、元気してた?
※ 骨っち!
※ 骨っち∼!
※ いや、実況してる場合じゃないだろ! 上、上∼! 崩
れてきてる∼!
うん、じつは実況してる場合じゃないんだ
でもね、おれはどうしてもお前らに伝えておきたいことがあった
のさ
⋮⋮迷宮は、もうおしまいだ
おれは、牛さんと運命をともにするよ
※ 骨っち⋮⋮。お前、やっぱり牛さんのこと⋮⋮
おれは骨のある魔物だからな
※ がっかり
※ お前にはがっかりだよ⋮⋮
がっかりするのは、まだ早いぜ
聞いてくれ
牛さんは、命よりも大切なものがあると言った
2866
それはなんなのかと、お前らは思ったことだろう⋮⋮
おれは、わかっている
よくわかっている⋮⋮
口よりも先に手が出るようなひとだ
馬車馬のように働かされてきた⋮⋮
逃亡を図ったのは一度や二度じゃない
いまだって牛さんの命令で、安眠用の牛ぬいぐるみを作っている
ぬいぬい⋮⋮
居住スペースの床板を張り替えているおれもいる
ところ狭しと、おれがいる
迷宮が崩れれば、ここも無事じゃ済まない
無意味な作業かもしれない
それなのに、この土壇場で
逃げ出そうとするアナザーは一人もいなかった
おれは、お前たちを誇りに思うぜ
さすがおれだ
居住スペースに駆け込んできた牛さんが
作業を続けるおれたちを見て、目を丸くした
一瞬、安堵したような、けれど
すぐに、そのことを恥じ入るような表情だった⋮⋮
言葉にしなくとも伝わることはある
なんで逃げなかったのかって?
2867
⋮⋮ま、最後のひと仕事ってトコかな
そういうお前だって、なんで戻ってきたんだよ
まったく、世話の焼けるやつだ
お前の面倒を見てやれるのは、おれくらいなもんだぜ
駆け寄ってくる彼女に、おれは苦笑して両腕をひろげる
昼寝ばかりしているような、どうしようもないやつだが
お前の気持ちは、よくわかった
どんと来なさい
牛﹁どけ! 邪魔だ﹂
あるぇ∼?
おれのわきを通り抜けた牛さんが
ベッドにダイブして愛用の枕に頬ずりをした
牛﹁もう、お前を離さない⋮⋮﹂
※ 牛のひと⋮⋮
※ お前というやつは⋮⋮
硬直しているおれに
彼女が言う
牛﹁おら、何をぼーっとしてんだ! お前は布団を持て! お前は
カーテン! ぬいぐるみも忘れるなよ!﹂
2868
ひとしきり怒鳴ってから、彼女は快活に笑った
牛﹁仕方ねーから、骨ぬいぐるみはおれが持ってやる!﹂
鎖骨は持たないであげて下さいね
2869
連合国の刺客
︻シリアスとはこういうものだ︼山腹巣穴在住のとるにたらない不
定形生物さん︻王国×連合国 魔王討伐部隊︼
それは奇妙な光景だった
結界魔法で維持されている迷宮は堅牢そのもので
外部から炎弾を撃ち込んでも焦げ跡ひとつ付かない
その迷宮が、不意に抵抗をやめた
そういうふうに見えた
勇者さんの推測は正しかった
大半の砲撃は弾かれたというのに
一部は、不可視の障壁をすり抜けるように
迷宮の外壁に吸い込まれていった
これまでは見られなかった現象だ
そのことに気がついた連合国の騎士たちが
消耗を嫌って温存していた殲滅魔法に切り替えたことで
迷宮の崩壊は一気に進んだ
まるで迷宮そのものが意思を持ち
ふと⋮⋮
おのれが何者であったかを思い出したかのような
2870
気味の悪い光景だった
生理的な嫌悪感とは異なる
とりとめのない違和感に
ぽつりと感想を漏らしたのは
まだ幼いと言っても良い小さな騎士だった
神父﹁う⋮⋮なんか気持ち悪い⋮⋮﹂
連合騎士﹁やれって言ったの、あんただろ!?﹂
すかさずツッコミが入る程度には
連合国の騎士は、この得体の知れない中隊長と親しんでいる
司祭が騎士団の中隊長を兼任していると言うと
他国の人間は、たいてい﹁なにを言ってるんだ?﹂という顔をする
ウーラ
長年の伝統と言えば、それまでのことなのだが
ようは連合国が欲しているのは、司祭の権限を持つ称号騎士だ
極論すれば、部隊を率いる上級騎士は、必ずしも戦士である必要
がない
一人ぶん戦力を削れば事は済むからだ
勇者を崇拝する宗派であるから
その最高責任者が勇者と同じ戦場に立つのは
すじが通っていると連合国では考えられている
正直、現場で身体を張る騎士からしてみれば迷惑でしかなかったが
幼い頃から面倒を見ていれば情もわく
2871
実在するぶん元帥よりはましであると、そのように考えているの
かもしれない
一個の生命として最低限の評価を下されている少年騎士に
司祭の威厳はない
一国の重圧を担うには小さすぎる肩を
ぽんと軽く叩いたのは、しわだらけの前足だ
古狸﹁下がっておれ﹂
狸一族の長である
この偉大なるポンポコには
まことに奇妙な威厳が備わっている
連合国の司祭は、素直に頷いて道を譲った
騎士たちがグランドさんを見つめる眼差しは熱い
連合騎士﹁先生⋮⋮﹂
いつの間にか成り上がっていた
じつに油断のならないポンポコである
眼前の瓦礫を見つめる古狸は、後ろ足で直立している
いにしえの血を受け継ぐ狸属にとって、二脚歩行は芸のうちに入
らない
しかし見慣れないものからしてみれば
この古代アニマル種は、生命の神秘そのものであるかのようだった
古狸﹁派手にやったのぅ⋮⋮。これは、さっさと掘り起こしてやら
2872
ねばならぬ。酸欠で使いものにならなくなるぞぃ﹂
連合騎士﹁は⋮⋮?﹂
密閉空間では酸素の消耗が激しい
基礎的な科学知識であるが、もちろん人間たちは知らなかった
呼吸をしなくては窒息することはわかっていても、そこ止まりだ
まず根本的に、発火魔法は火種を必要としないのである
古狸さんは、その異才ゆえに孤高の存在だった
いつの時代も天才とは孤独なものなのだ
連合騎士﹁さんけつ⋮⋮ですか﹂
古狸﹁うむ。酸っぱいものを食べたくなるという、あれじゃな﹂
連合騎士﹁⋮⋮なるほど﹂
だいぶ違うが⋮⋮
もはや何も言うまい
前足を突き出した古狸が、意識の網をひろげる
魔法との同化が進行した魔法使いは、擬似的な第六感を獲得する
それは、ごく身近なありふれた感覚で
ゆっくりと発達するものだから異常なことだと気付くものは少ない
古狸がささやいた
古狸﹁ブラウド・グレイル・バナナはおやつに入らぬ⋮⋮行け﹂
2873
かつて耳にしたことのない詠唱に騎士たちがどよめいた
魔法を召喚する喚声は、習熟した魔法使いほど早口になる
※ 遠足気分か
※ オリジナルスペル自重!
※ 子狸さんも、将来こうなるのだろうか⋮⋮?
※ 子狸は、おれが育てたんだ。古狸とは違う
※ いや、違わねーよ! お前、お屋形さまのときも同じこと
言ってたじゃねーか
※ あ? じっさいに伝説狸はまともに育ったじゃねーか
※ あれは例外中の例外だろうが!
※ おれは、以前からお前の教育方針を疑問に思っていたんだ
※ 王都のひと⋮⋮そろそろ白黒つけようぜ? お前は過保
護すぎるんだよ! ※ なんだ、こてんぱんか。お前ら揃いも揃って、おれをこてん
ぱんか
※ ポンポコ母の証言もあるんだぞ
子狸は手が掛からない子だった
より正確に感想を述べるなら
お前がよくできた魔物だったと⋮⋮
※ それは仕方ないだろ
その頃、おれは親狸のほうについてたんだよ
※ ⋮⋮ん?
おい。あんまりびっくりさせるな
2874
ひとつも仕方ない理由になってないだろ
一瞬、納得しかけたじゃねーか⋮⋮
王都のんは、堂々と適当なことを言う
魔法に心を与えたのはバウマフ家の開祖だ
それは、つまり人間の心を写しとったことを意味する
もちろん、おれたちの身体機能と知識量は人間の比ではないから
出力される人格は完全に別物だ
しかし魂の底流に深く刻まれた適当さが
ときとしてお前らに牙を剥くことがある
王都のんは、苦しんでいる⋮⋮!
魂の記憶に呑み込まれまいと必死に戦っているのだ︱︱
※ ぽよよん
連合騎士団が固唾をのんで見守る中
古狸さんが前足を蠢かせた
人間に例えるならば、貫通魔法と浸食魔法は同姓同名の別人だ
浸食魔法は、水魔法と土魔法の源流にあたる
連合騎士﹁おお⋮⋮﹂
騎士たちが驚きに目を見張る
うず高く積み上がった瓦礫の山が、ふわりと宙を浮いた
魔力︱︱と胸中でつぶやいたのは連合国の司祭だ
2875
彼は、裏で魔王軍と通じている
魔物たちが本当は心の優しい素敵な生きものであることを知って
いるから
自ら出陣するという暴挙に出ることを厭わなかった
子狸と同年代の刺客を用意した連合国の意図は見え透いている
しかし残念ながら、子狸からは敬遠されている
なにかと構おうとしてくるから、すっかり警戒されてしまっていた
一方通行の友情に身を焦がしている連合国の偉いひとが
とり澄ました表情を繕ってから配下の騎士に告げる
神父﹁今代の勇者は王国貴族です。ひいきがあったとしても仕方な
い﹂
魔物に監視されている前提で動いていたから
両軍は、直接的な接触を避けていた
ここまで大規模な合同作戦を実施した以上
もはや別行動をとる意義は薄い
幼さの残る神殿騎士が口にしているのは
それらを前提とした今後の行動方針だ
神父﹁あなたたちは、勇者の命令を第一とすること。白アリは考え
なしだからな⋮⋮。流行らないんだよね、そういうの。勇者さまも、
すぐに勘違いに気付いてくれるよ﹂
言外に、トンちゃんの命令は無視して良いと言っている
2876
アジェステ
神父﹁彼女は聖騎士だ。悔しいけど、そういう面では信頼していい
と思う。どうかな?﹂
連合国は、実質的に王国特産と言える英雄号が妬ましくて仕方ない
制御系の異能持ちを探し出して、第二のアリア家を作ることは不
可能ではないだろうが
そのためには、現在の権力者に幾つかの利益を無償で差し出して
もらうしかない
王国の権勢を削ぐ意味でも有効な対策ではあったが、現実的な案
ではなかった
参謀の一人が、意を掴めない提案に眉をひそめた
連合騎士﹁勇者は、アトン・エウロの操り人形ではないのか?﹂
勇者さんの作戦指揮能力は、トンちゃんを師としたものだ
二人の意見が大きく違えることは、そう多くない
神父﹁アトン・エウロは、いつ脱落してもおかしくないんだ。彼は、
僕らの機嫌を気にすると思うよ﹂
魔人に対抗できるのはトンちゃんしかいない
だから、どれだけ遅くともその時点で王国最強の騎士は脱落する
それすら希望的な観測だ
不測の事態が起これば、王国騎士団は予定を前倒しにするしかない
その場合、魔人が出てくることはないと見切っている少年には余
裕がある
︱︱しかし、なにか⋮⋮不気味なものを感じるのは何故だ?
いや、理解はしている。気になるのは管理人の不在だ
2877
代わりに前々管理人がいる⋮⋮
なにか致命的な見落としをしているのではないかと、少年騎士は
据わりの悪いものを感じる
なんとなく勇者一行についてきた古狸さんの手腕は見事なものだ
った
浸食魔法どうこうではなく、驚嘆すべきは王国騎士団の守護防壁
に触れなかったことだろう
予定していた手筈では、殲滅魔法で瓦礫を粉砕して救出するとい
う乱暴なものだった
ひとつ頷いた中隊長に代わって、参謀が声を張り上げた
連合騎士﹁救出作業に入れ! ただし、メノゥイリスが生存してい
る可能性は高い。用心しろ!﹂
一歩でも迷宮を出たなら、牛のひとはさして大きな脅威ではない
彼女の打撃力で百人余の騎士を一度に打ち倒すのは無理だし、殲
滅魔法に耐えるほどの強靭さはないからだ
だから、彼女にほんの少しでも理性が残っていれば
たとえ生存していても、この場は撤退するというのが、勇者さん
の推測だった
その見立ては正しく、救出作業は滞りなく進んだ
中でも目覚ましい活躍を見せたのは
連携体制を築き上げたマスコット勢である
魔ひよこの頭の上に乗った狐娘たちが
魔トカゲと魔うさぎにあれこれと指示を飛ばしていた
2878
狐娘﹁もうちょっと右﹂
トカゲ﹁ここか?﹂
狐娘﹁ちがう。行きすぎ﹂
ひよこ﹁あっ、耳⋮⋮。耳をねじらないで⋮⋮﹂
うさぎ﹁ふっ、どうやらおれの出番のようだな。こう見えて鼻は利
くんだ⋮⋮見ていろ﹂
狐娘﹁よし、いいぞ⋮⋮。お前は出来るうさぎだ﹂
トカゲ﹁⋮⋮!﹂
うさぎ﹁そんなことで嫉妬されても⋮⋮その、困る﹂
程なくして、王国騎士団は無事に発掘された
黒雲号とトンちゃんを従えた勇者さんが
とうとう表舞台に姿を現した連合騎士団へと歩み寄る
勇者さんは、騎士と言うには細すぎる少年を観察する
子狸と似た背格好の
しかし、ビジュアルは子狸よりも数段
※ 子狸さんは、おれたちの基準で言えば美少年のはず
※ 子狸さんは絶世の美少年
※ おい。逆に哀れなんだが⋮⋮
2879
容姿端麗な子狸さんと比べるのは、あまりにも不憫というものだ
コメントは控えるとしよう
勇者さんのねこみみがぴくりとふるえる
彼女は、少年騎士を指差して告げた
勇者﹁とらえなさい﹂
神父﹁えっ﹂
即座に応じたのは連合騎士だ
両腕を拘束された迷える子羊が抗議した
神父﹁あなたたちは、僕の部下でしょ!?﹂
連合騎士﹁勇者の命令が第一なので仕方ない⋮⋮﹂
神父﹁仕方ないね⋮⋮﹂
子羊は納得した
立ち止まった勇者さんが、諦めの良い中隊長を傲然と見下す
勇者﹁ノイ・エウロ・ウーラ・パウロ⋮⋮のこのこと出てきて何の
つもり?﹂
彼女からしてみると、連合国の人選はまったく納得が行かないも
のだった
他に有能な中隊長は幾らでもいる
よりによって司祭を寄越した連合国の真意を、勇者さんは計りか
2880
ねている
だが、すぐにぴんと来たらしい
勇者﹁⋮⋮あなた、命を狙われているの?﹂
神父﹁やめてよ! 心当たりがありすぎる!﹂
これまで考えないようにしていたのだろう
実戦経験など、ほとんどないに等しい司祭の少年を三角地帯へと
導いたのは
戦力としての期待ではないことはあきらかだった
つまり、彼の失敗を企む何らかの力が働いた結果だ
そして、最低でもそれを実行できる影響力を持っている⋮⋮
崖っぷちだ
少し目を離した隙に失脚しかけていた
神父﹁⋮⋮僕には、もうあとがないんだ。でも、これはチャンスだ
と思ってる⋮⋮なんでもするから見捨てないで下さい! 勇者さま
ぁー!﹂
勇者﹁⋮⋮⋮⋮﹂
だが、司祭︵現︶の残念力は、子狸さんには遠く及ばない
はたして勇者さんは返り咲けるのか?
北の方角を見つめていた羽のひとが、つぶやいた
妖精﹁リシアさん、ついにここまで⋮⋮来ました﹂
2881
勇者﹁そうね。⋮⋮いいえ、これからなのかもしれない。きっと⋮
⋮﹂
言いかけて思いとどまった勇者さんを
トンちゃんが見つめていた
彼は、疑念をはらうように首を振る
それから、整列した王国騎士団の精鋭を視界におさめて言った
どるふぃん﹁最終決戦だ﹂
想定外の事態が、幾重にも彼らの行く手を阻んだ
それでも、彼らはここまで来た
王国騎士団の士気は最高潮だ
おいおいと号泣する連合国の偉いひとを
鈍色の騎士たちがなぐさめていた
連合騎士﹁泣くなよ、坊﹂
連合騎士﹁きっと、いいことがあるって。な?﹂
︻シリアスねぇ⋮⋮︼王都在住のとるにたらない不定形生物さん︻
子狸の本気を見せてやるよ︼
王国と連合国の合同軍が大樹海へと向けて出発した頃⋮⋮
子狸﹁⋮⋮!﹂
2882
目を覚ました子狸が目を見開いた
跳ね起きて、前足を見つめる
子狸﹁!?﹂
青白い霊気が前足を包んでいた
二種類の霊気は、まるで相容れないかのようだった
青が白を駆逐していく⋮⋮
やがて白色の霊気を狩り尽くした青色の霊気は
子狸の意思とは無関係に、外殻を構築しはじめる
何かを得れば、何かを失う⋮⋮
これは霊気の暴走だ
分類3の領域に至った過度属性は
術者のイメージを捻じ曲げてしまう
子狸は⋮⋮過度魔法への適性があった
いつ意識を乗っ取られても不思議ではないのだ⋮⋮
異形の輪郭を形成していく前足を
子狸は、もう片方の前足で押さえ込んでうずくまる
⋮⋮分類3が開放された頃から
ときどき子狸を襲うようになった現象だ
でも、とくに実害はないらしい
2883
子狸﹁⋮⋮ふう。まだまだだな﹂
ひとしきり苦しむ演技の練習を終えた子狸さんは
見学していたお前らに言う
子狸﹁どうだった?﹂
亡霊﹁⋮⋮なんの意味があるんだ、それ?﹂
意義を問われて、子狸は目を丸くする
子狸﹁え? だって、へんな病気だと思われると嫌じゃないか⋮⋮﹂
しかばね﹁⋮⋮青いのか? 青いのがそう言ったのか?﹂
違いますよ。おれは無実です
ね、子狸さん
子狸﹁⋮⋮ぽよよん?﹂
火口の、お前が前衛だ
庭園の、お前は後衛。詠唱に入れ
かまくらの、お前が指揮をとれ
火口﹁ふっ、久しぶりだな。全力を出すのは⋮⋮﹂
かまくら﹁おいおい。腕がなまったんじゃねーのか?﹂
庭園﹁やはりレベル9か⋮⋮。肉弾戦がメインになるな﹂
2884
進み出たお前らが真紅の霊気を開放する
凄まじいまでのプレッシャーだ
しかし見えるひとはひるまない
亡霊﹁やれるか? お前らにおれが⋮⋮いや⋮⋮﹂
骸骨﹁おれたちがな⋮⋮!﹂
幾星霜の時を越え
ついに集結したレベル2のひとたち
呼応した霊気が吹き荒れる
くっ、まるで嵐のようだ⋮⋮!
大蛇の構えをとる二人に
歩くひとは泰然と姿勢を崩さない
しかばね﹁言っとくけど、おれはそれやらねーからな﹂
亡霊﹁なんでよ!?﹂
骸骨﹁青いひとたちは一致団結してるのに!﹂
ひどい! と声を揃えて非難する盟友たちに
歩くひとは、ぷいとそっぽを向いた
TA☆NU☆KIナイツのメイトたちは
鬼のひとたちと車座になって議論していた
2885
王国﹁やっぱり肉球かなぁ⋮⋮﹂ 帝国﹁いや、つめ跡も捨てがたい﹂
連合﹁⋮⋮縞模様は?﹂
騎士A﹁いや、さすがにそれは⋮⋮﹂
鬼のひとたちは小道具を担当している
彼らが話し合っているのは
ポンポコ騎士団の識別マークについてだ
鬼のひとたちは、鎧を改造したくて堪らないらしい
現在はマントに入れるエンブレムを相談しているが
隙を見ては鎧の方向性に話題を持って行こうとする
さすがに長年の慣れもあってか
騎士団の面々は押しとどめようとしていた
うんうんとうなる鬼のひとたち
不意に︱︱
はっとしたジャスミンが顔を上げた
王国﹁⋮⋮鎧?﹂
帝国﹁鎧⋮⋮を?﹂
連合﹁じつは、あたためてきたアイディアがあるんだ⋮⋮﹂
2886
特装A﹁強引すぎる⋮⋮﹂
特装Aがうめいた
はじめから彼らに選択肢はなかったのだ
2887
連合国の刺客︵後書き︶
登場人物紹介
・司祭︵現︶
連合国の中隊長と勇者教の司祭を兼任する少年。
お名前は﹁ノイ・エウロ・ウーラ・パウロ﹂。
﹁ウーラ﹂は﹁司祭﹂の称号名である。一時期、勇者を騙るものが
現れたため、その真贋を見極めるためという名目で制定された。
聖なる海獣のお告げを聞いた者だけが﹁ウーラ﹂を名乗ることが
許される⋮⋮らしい。
つまり光輝剣を持っていようが何だろうが、司祭の許し︵聖なる
海獣のお告げ︶がなくては勇者とは認定されない。
ついでに、勇者を信仰している教徒をまとめてもらっている。
連合国では、この﹁司祭﹂に﹁中隊長﹂を兼任してもらうという
常軌を逸したシステムを採用している。
魔物たちへの嫌がらせと言うよりは、彼らの事情に通じる人物を、
前線に置くための方便に使っているようだ。
さらに﹁ノイ・エウロ・ウーラ・パウロ﹂の場合は、現管理人の
子狸を懐柔することを期待されている。
本人はとくべつ乗り気ではなかったようだが、幼い頃から司祭と
してちやほやされたせいなのか、自意識過剰な面がある。
子狸が自分を﹁兄のように慕っている﹂と勘違いしており、その
認識は正されていない。
あと、意外と打たれ弱い。すぐに泣く。むしろ仕方なく構ってい
たのは子狸のほうであるという証言もあり、奇妙な上下関係を構築
2888
している。
2889
魔王討伐の旅シリーズ∼子狸編∼
︻そのとき、おれはこう言ったのさ︼空中庭園在住のとるにたらな
ワイフ
い不定形生物さん︻チェンジリングできないのは何故かって? そ
いつはお前の妻に訊くんだな。結婚おめでとう⋮⋮ってな︼
※ そりゃそうだ!
※ うんうん。プロポーズはなかったことにならねーよ
※ よっ、男前! ひゅーひゅー!
※ ふっ、は、腹がよじれる! 庭園の、お前、空中回廊で何や
ってんだよ!
いや、それはおれが訊きてーよ
披露宴会場じゃねーんだからさ
そういうのは回廊に突入する二、三日前に済ませておいてほしいわ
あっ⋮⋮
お前ら、過去のイベント総集編やってる場合じゃないぜ!?
いま手元に入りました情報によりますと
おれアナザーが城内一周を終えたもようです!
魔軍元帥です!
お前ら、盛大な拍手で出迎えてあげてください!
2890
︻夏休みの宿題じゃねーんだからさ︼山腹巣穴在住のとるにたらな
い不定形生物さん︻そういうのは旅シリーズに突入する二、三日前
に済ませておいてほしいわ︼
あれから一週間が経った
※ あれから?
※ あれからって、いつから?
※ ⋮⋮あれ? 山腹の、いねーじゃん
※ 何してんの? 早く来いよ
※ もう、みんな集まってるよ∼
⋮⋮お前ら、なにか大切なことを忘れていないだろうか?
自分の胸に手を当てて、少し考えてみてほしい
王都のんに至っては、もう諦めてお前らの雑談に参加しちゃった
からね?
※ おいおい。子狸じゃねーんだからさ
この期に及んで仕事を残してきたやつなんていねーだろ
※ まったくだ
旅シリーズの終盤なんて、いつもあほみたいに忙しいんだから
スケジュールの調整なんざ、とうに終わってるよ
うん、そうだね
本当に慌しい一週間だったよ
お前らは、いつもそうだ
よりによって旅シリーズの終盤に
2891
あたためておいたイベントを放出しはじめる
今回は、とくにひどかったね
中でも、おれがいちばん興味を惹かれたのは
テイマーシステムの導入かな
※ ああ、あれは盛り上がったな
※ まさか倒した魔物を仲間にできるなんて⋮⋮夢みたいな話
です⋮⋮
※ ただし参戦はしません
※ 家で、あなたの帰りを待ってます
※ 貴族が意外と忙しい生活を送ってて、思ってたのと少し違
った
※ あと、お子さんが予想以上にアクティブ。的確に急所を
突いてくるからびびった
※ 欠点を挙げるとすれば、あれだな
※ うむ、レベル3以上のひとたちがびっくりするほどレア
※ 緑のひと、張り切ってたのになぁ⋮⋮
※ おれさぁ⋮⋮冷静になって考えてみたら
人間に負けたこと一度もねーわ⋮⋮
※ あったらびっくりだよな⋮⋮
※ もう、どうやって負けたらいいのか見当つかねーもん⋮⋮
※ レベル5の壁は厚かったか⋮⋮
※ やはり魔物の卵を実装するべきだったか?
2892
※ いや、さすがにそれは⋮⋮
※ 悪い案じゃないと思うけど、まず根本的に卵生じゃない
んだよな⋮⋮
※ 青いのとか、卵から生まれたら何事かと思うわ
万事が万事、この調子だ
なんといっても目玉の三大イベントが強烈な存在感を放っていたな
※ 子狸さんの迷宮再建計画!
※ 古狸さんの本人不在のお見合い企画!
※ そして⋮⋮!
※ そう! 魔軍元帥の世界最長級マラソンのフィナーレだ!
※ いま、まさに⋮⋮! 魔軍元帥が⋮⋮!
※ 謁見の間に辿り着こうとしています⋮⋮!
そうだね⋮⋮
長く険しい道のりだったと思うよ
雨の日も、めげずによくがんばった⋮⋮
最後の力を振りしぼった黒騎士が
ラストスパートを掛ける
ラストスパートと言っても
もはや立っているのもやっとというありさまだ
振り上げる腕も
よたよたと左右にぶれる足も
2893
とっくのとうに限界を越えていた
まるで身体全体が
先へ進むのを拒絶しているかのようだ
謁見の間に大集合したお前らが
大きな⋮⋮大きな声援を送る
世界中のお前らが観衆だ
地下で幽閉されているはずの魔人がいた
その番人をしているという話だった蛇のひともいる
魔王の騎獣が、手羽先に装着した魔王軍の軍旗をぱたぱたと振っ
ている 海の底では、人魚さんが歴史的な瞬間の訪れを画像越しに見守る
その傍らに、そっと寄り添っているのが海底のんだ 大歓声だった
声援が膨れ上がるたびに
黒騎士は本来の走りを取り戻していくかのようだった⋮⋮
一歩、二歩⋮⋮
ゴールテープを切る直前︱︱
黒騎士は、天を仰ぎ
そして、両腕を突き上げた
魔都がふるえた
この瞬間、お前らの興奮は最高潮に達した
2894
がんばるひとは美しい
それは、何もかもがあいまいな世の中で
唯一の真理であるかのように思えた
倒れ込むようにゴールした魔軍元帥が
四つん這いになったまま吠えた
庭園﹁お! お! お! お⋮⋮﹂
わっと駆け寄ったお前らが
偉業を成し遂げた一人の英雄を抱きしめる
おめでとう
おめでとう⋮⋮
さて⋮⋮
ここで、お前らに悲しいお知らせがあります
※ あとにしてくれ!
※ いまは、ただ、この感動を伝えたい⋮⋮!
※ よくやった⋮⋮! よくやったぞ、庭園の⋮⋮!
※ お前が、おれたちの元帥だ!
その気持ちは、よくわかる
よくわかるんだが⋮⋮
2895
少し聞いてほしい
おれが、これまでお前らの邪魔をしなかったのは
最大限に空気を読んでのことだ
では、発表します
勇者一行が
魔都に突入しました
お前ら﹁なにぃーっ!?﹂
本気で忘れてたのかよ⋮⋮
おい
おい。そりゃそうだろ
お前ら、ラストダンジョンも結晶の砂漠も完全にどフリーじゃね
ーか
完璧に無人だったぞ
そりゃそうだろ
そりゃそうだろ!
何事もなく到着するわ!
だって、お前ら誰もいねーんだもん!
※ いや! え!? 誰かしら居ただろ!
2896
※ おれら、何人いると思ってんだ!?
※ 誰かしら居るって! そう思うよ! ふつう、そうだろ
!?
オリジナルの人数は、言うほど多くねーんだよ!
揃いも揃って、もぉ∼!
※ お前ら、言い争ってる場合じゃないぜ!?
※ そ、そうだ。さいわい魔獣は集まってる。いまからでも遅
くはないはずだ!
※ 蛇のひと!
※ ⋮⋮うぃ?
※ 飲んでる︱︱!?
※ いや、ばか! そうじゃない! 子狸は!? 子狸さん
がいないことには︱︱
※ え? おれ?
※ 子狸さん!
※ 子狸さん!
※ いま、どこ!? どこで何してるの!?
※ 砂漠か!? いや、この際、ラスダンでもいい! まだ間
に合う!
※ 牛のひとの家だよ
※ ですよね∼
※ うん、知ってた。だって、おれら中継を見てたもん
※ 青いの! こら! なんで野放しにした!?
2897
※ ⋮⋮じゃあ、言わせてもらうけど
※ あ、ごめんなさい
ごめんなさい。おれたちが悪かったです
※ 言うよ。言う
おれは、何度も言ったじゃん
あと一週間しかないけどだいじょうぶ? とか
あと五日しかねーんだけど、どうする? とか
律儀にカウントダウンしたよな?
※ そのたびに、お前らはこう言いました
一週間あれば、ぎりぎり何とかなる
五日あれば、何とか誤魔化せる
おれは、今朝も言った
そろそろ勇者一行はラストダンジョンを抜ける
もう手遅れだけど、どうにかしたほうがいいんじゃないのか
? と
※ そのとき、お前らはこう言った
数時間あればイケる
本気を出せば一時間で片付けられる、と
※ ⋮⋮完全に夏休みの宿題じゃないですか
※ いやっ、事実だ! 誰か迎えに行け!
※ 待てよ! ポンポコ騎士団はどうするんだよ!?
※ 理由は在ればいいんだ! 考えろ!
※ 勇者一行は!? 勇者一行はどうするの!?
2898
※ おちつけ! 蛇さんは使いものにならん! ならば、空
のひと!
※ 任せな。すでにスタンバイを終えている⋮⋮
※ ひよこさん、素敵! 愛してるぜ、ヒュペス∼!
※ 第二陣は⋮⋮!
※ いいや、おれが出るぜ。うぃ∼ひっく
※ おれがフォローするよ! おーんっ
※ 鱗の⋮⋮何か考えがあるんだな!? 頼んだ!
※ 問題は、子狸だ!
※ そうだ! 子狸を何とかしないと⋮⋮
※ この際、設定なんざ関係ねえ! おれが迎えに行く!
※ じっとしてろ
おれに考えがある。ぽよよん
※ 王都さん⋮⋮!
※ 王都さん、やはり頼りになる⋮⋮!
※ 最後に頼りになるのは、お前しかいないと思っていた⋮
⋮!
※ 本当なら、勇者さんに教えるはずだったんだけどな⋮⋮
これも運命か
お前ら、はじめるぞ⋮⋮
遠く、迷宮の跡地にて︱︱
2899
王都﹁封をくぐるなら剥ぎとられる神秘の枚数で良い﹂
骨のひとたちと共同で、瓦礫を撤去していたポンポコ騎士団の面
々が
目を見開いて硬直した
王都﹁四つの魔法を見るだろう。避けては通れない﹂
牛さんと仲良く作業をしていた子狸の横に
つい先ほどまで居なかったはずの
青くてニクいやつが佇んでいたからだ
王都﹁法典、子供部屋、星の舟、兵士、未来、果樹園。お前は出会
う﹂
このとき、ついに
ついに王都のんが
ステルスを解除したのだ⋮⋮
︻エンディングは︼王都在住のとるにたらない不定形生物さん︻お
れたちが決める︼
子狸﹁王都のひと⋮⋮﹂
子狸は驚かなかった
人前で、こうして話すのは久しぶりだな
おれは言う
2900
おれ﹁約束を果たそう﹂
子狸が、はっとした
子狸﹁⋮⋮ついにはじまるのか、予選リーグが﹂
おれ﹁ちがう。⋮⋮先代の勇者との約束だ﹂
九代目の勇者は、魔王と、ある約束をした
それは、とてもシンプルで
誰にでも予想がつくような内容だった
そのとき、魔王の魂は
邪神教徒と融合していたから
勇者と約束したのは、おれなのだ
おれ﹁ともだちを助けてほしい。それが、やつの願いだ﹂
ころさないで、と勇者は言ったのだ
意味のない願いだった
邪神教徒は、バウマフ家の人間だ
おれたちが、おれたちの管理人をどうこうする筈がない
それでも、おれは、そのとき、たしかに肯いたし
約束は、約束だ
それは無意味な願いだったけど
邪神教徒は、とうに逝ってしまったけれど
2901
ならば、おれは、その子らを助けよう
約束の本質とは、そういうものだ
おれは、唖然としているポンポコ騎士団を見下ろした
子狸が集めた人間の騎士たちよ⋮⋮
お前らに言ってやりたいことは山ほどあるが
いまは、ただ感謝するとしよう
おれ﹁魔人は、魔都の地下に幽閉されている﹂
成人のポーラ属は、一般家屋を飲み込めるほど大きい
おれたちにとっては自然体の
もっともリラックスした状態を、人間たちはメノッドポーラと呼ぶ
おれ﹁王都襲撃の責を問われてのことだ﹂
元が王都勤務の騎士であるなら
彼らは、王都襲撃の現場に居合わせた筈だ
魔物への憎しみは人一倍だろうに
だから資格がある、とも言えるか⋮⋮
おれ﹁無断で軍を動かしたから? そうではない⋮⋮。あれは、魔
王軍の最後の切り札を人前に晒した﹂
魔都には、たった一つだけ抜け道がある
いざというとき、魔王を逃がすための隠し通路だ
それは地下神殿を通して
王都へと
2902
旧魔都の跡地へとつながる最後の扉だ
おれ﹁おれは、イド。お前たちがヨトと呼ぶ⋮⋮原初の魔物だ﹂
牛﹁おい。青いの。なあったら﹂
おれ﹁牛さん、ちょっと黙っててくれませんかね?﹂
牛﹁子狸を連れてっちゃうのか?﹂
おれ﹁⋮⋮面倒くさいひとだなぁ。いいよ、お前も一緒に来い﹂
牛のひとは、子狸に甘い
おれはため息をついてから
身体を屈めて、触手を地面に突き刺した
おれ﹁乗れ。魔都へ向かうぞ﹂
子狸が、はっとした
子狸﹁まさか、すでに本戦がはじまっていると言うのか!?﹂
おれ﹁もう、いいよ。それで⋮⋮﹂
予選リーグというのは、人間たちを絡めとる狡猾な罠であった⋮⋮
予選リーグは昨日だったことにする︱︱
魔物たちの恐るべきトラップを
おれたちの子狸さんは、瞬時に看破したのである
2903
騎士A﹁いよいよ、はじまるのか⋮⋮﹂
子狸の言うことには素直に従うのかよ
なんなんだ、こいつら⋮⋮
進み出たポンポコ騎士団が
作業の邪魔になるからと脱ぎ捨てた鎧を装着していく
鬼のひとたちの手で改造され
新しく生まれ変わったプレートメイル⋮⋮
それは、まぼろしの三号機と酷似していた
王国の時代遅れな感じと
帝国の手入れのしにくさ
そして、連合国の無節操さ⋮⋮
それらを、あわせ持つかのような武装が
日差しを浴びて
光が波打つかのようだ
それは、鎧の塗装を滑る陽光が織り成す
メタリックな縞模様だった
いろいろあって唐草模様になってしまったマントを
十二人の騎士が一斉に羽織る
子狸の肩にとまった黒妖精さんが
ポンポコ騎士団の勇姿を控えめに表現した
コアラ﹁これほどまでに怪しい集団を、わたしは見たことがない⋮
2904
⋮﹂
鬼のひとたちは、自らの仕事に満足している
連合﹁いいね∼﹂
帝国﹁ジャスミン! 念写、念写!﹂
王国﹁はい、にっこり笑って∼﹂
先頭に立つ子狸が
マフラーの端を前足ではじいた
指笛を吹こうとして失敗する
察した豆芝さんが、とことこと歩み寄ってきた
子狸さんの表情は、真剣そのものだ
子狸﹁みんな、聞いてくれ﹂
ちいさなポンポコが独白する
子狸﹁この一週間、主将として厳しいことも言ったと思う。弱音も
吐かず、よくついてきてくれた⋮⋮﹂
ベンチスタートの主将は、とつとつと内心を吐露する
子狸﹁もしかして、と思ったことはある。でも、違った。そうじゃ
ない。認めるのが怖かったんだ、おれは﹂
おれたちの管理人さんが、ついに真実を語る日がやって来たのか?
2905
子狸は、バウマフ家の末裔だ
バウマフ家は、魔物たちの管理人を代々務めている
時は王国暦一00二年⋮⋮
魔王を討つべくして旅立った勇者さんを
おれたちは陰に日なたにサポートしてきた
けれど子狸さんは、なかなか思い通りに行動してくれなくて⋮⋮
この物語は、おれと愉快なお前らが綴る
一匹のポンポコの壮大な生態観察ドキュメントである
子狸﹁魔王は、復活していたんだな⋮⋮﹂
ようやく気がついてくれたのですね⋮⋮
ずっと、その話をしていたのです
2906
そして伝説へ
お前ら、声も出ないようだな
だが、これが現実だ
認めるんだな
子狸さんが⋮⋮
おれたちの子狸さんが
ついに旅シリーズの趣旨を理解してくれた⋮⋮!
※ 理解した? 理解したと⋮⋮そう言ったのか? ※ ばかな⋮⋮早すぎる
※ くっ、やはり天才だったかッ⋮⋮!
※ さすが子狸さん、イケメン⋮⋮!
※ ちょっとちょっと
お前ら⋮⋮
いくら何でも騙されないよ
おれが本当にイケメンなら、もっと違った生き方もあったはず
※ 子狸さん⋮⋮
ひとの本質は内面にこそ表れるものですよ
そうは思いませんか?
※ ! な、なるほど⋮⋮
つじつまが合う
2907
※ 合っちゃうの? それもどうかと思うんだけど⋮⋮
謙虚な子狸さん︵イケメン
自分では気がついていないが、じつは美少年なので
ひそかに思いを寄せる女子も⋮⋮
いや、愚問だな。火を見るよりもあきらかなことだ
いまさら論じる価値もないだろう
※ さすがは、おれの孫だな
うん。そうだね
おれ﹁全員、乗ったか?﹂
骸骨﹁おう﹂
おれ﹁いや、なにを当然のような顔して乗ってんの?﹂
たしかに牛のひとを連れて行くとは言ったが⋮⋮
どうしてお前まで同行するんだよ
なんなの? お前ら、子狸の近くに居ないとしぬの?
いい歳をした魔物が⋮⋮いい加減に子離れしなさい!
※ お兄ちゃん⋮⋮
おれはいいんだよ! おれは仕事なの
あっ⋮⋮でも、べつに仕事だから一緒にいるわけじゃないからね
そのへんを誤解しないでほしい
2908
とくに子狸さんは
※ 主体性がいっさい感じられない⋮⋮
※ 千年前のお前は、そんなんじゃなかった⋮⋮
※ 王都のんを解き放つべきじゃなかったんだよ⋮⋮
ひとは、一人では生きていけない
それを弱さととるか
あるいは強さととるかは、ひとそれぞれなのではないか
だが、もしも弱さであると断じるなら
それは、きっと少し寂しい⋮⋮
※ おい。はじまったぞ
※ 王都さんの、ちょっとイイ話
※ 自己正当化してるだけじゃねーか⋮⋮
子狸は、いつも一人ではなかった
傍らには、いつだっておれがいたし
優しく見守ってくれるお前らもいた
願い
を知って、なお
そして、いまや子狸のまわりには
子狸の
ともに歩んでくれる十二人の騎士がいた
彼らを囲んでいるのは
人間にはない、小ぶりなつのを生やした小鬼たちと
人間にはない、貪欲な生命力を持つ骸骨戦士たち
そして、あらゆる面で人間を凌駕する迷宮のあるじだった
動物たちは魔物を恐れない
2909
それは常識として知られた話だったが
リラックスした様子でくつろぐ愛馬の様子に
銀
いまさらながら騎士たちは、大発見をしたような気持ちになった
妖精の姫君が、豆芝さんの頭から身を乗り出している
ちいさな身体がふるえていた
それは歓喜だ
の、魔王⋮⋮!﹂
コアラ﹁原初の、ヨト⋮⋮。あなたがそうだと言うの⋮⋮? 冠
おっと、六魔天頂きました
でもね、おれは過去を捨てたのね
あんまり、そのあだ名を連呼してほしくないのね
この黒くて小さなお嬢さんは、妖精属のエリート戦士だ
彼女は、くるくると舞い上がって
堪えきれないとばかりに空中で身をよじった
二対の羽が緊張する
光の鱗粉が、ぱっと飛散した
彼女は、ちいさな指先をおれに突きつけて叫んだ
コアラ﹁わたしと戦いなさい!﹂
どうしてあなたたちは、そう好戦的なのですか
おれ﹁だが、いいだろう⋮⋮﹂
2910
※ いや、良くねーよ!
※ 王都のん、時間!
※ 時間、時間! 時間ないよ、王都のん!
※ 王都さん!? ちょっ、全盛期はだめ!
誰か! 誰か王都さんを止めて! おれたちの清純なイメー
ジが⋮⋮!
世間一般で毒持ちと呼ばれる個体は
自在に触手を駆使することで驚異的な突破力を獲得した
おもに空中回廊で活躍する原種は
触手へと体幹を移すという新技術を導入
平地での高速移動を可能とし、ポーラ属の新たな境地を切りひら
いた
だが、その原種ですら
真祖の六魔天には遠く及ばない︱︱
地面に突き刺した触手が、どくんどくんと脈打つ
子狸﹁クモみたいだ﹂
体幹を持ち上げて、どしんと踏み出したおれに
気圧された黒騎士のパートナーが
空中で、かろうじて踏みとどまった
いまや魔王軍の頂点にまで登りつめた常夜の騎士⋮⋮
2911
その、つの付きですら
かつて権勢を誇った六魔将にとっては
多少、目端のきく小間使いに過ぎなかった
おれは言った
﹁﹁人間どもに、ちやほやされて勘違いしたか⋮⋮?﹂﹂
魔物は魔法そのものだ
であるならば、その声も、また魔法︱︱
コアラ﹁⋮⋮!﹂
押し寄せる荒波のごとし魔力に晒されて
ちっぽけな妖精は、激しい闘争を予感する
念動力で自らの制空圏を切りとるのがやっとだった
それでも彼女は笑った
妖精属の本能が、彼女に後退を許さなかった
手のひらにおさまるほど小さく
高速で飛翔する妖精属は
人間の天敵と言っても良い資質を備えている
それは相性の問題だ
対するポーラ属は、究極の一端だ
ありとあらゆる環境に適応し
触手という万能の武器を生まれ持っている
一つ一つの細胞が
2912
目であり、口であり
果ては心臓まで、あらゆる器官の働きを兼ね備えている
全身を鋼の筋肉と化したおれは
びくびくと脈動する触手を交差させて咆哮したのである
﹁﹁より
どちらが
愛らしいか︱︱
火 を 見 る よ り あ き ら か ! ﹂﹂
あまたの愛玩動物を下してきたおれに死角はない︱︱!
子狸﹁⋮⋮⋮⋮﹂
※ おい。子狸さんが無表情になってる
︻ペットは︼山腹巣穴在住のとるにたらない不定形生物さん︻飼い
主に似る︼
さしもの子狸さんもフォロー不可能だった、一方その頃⋮⋮
最終決戦の地︱︱
魔都に突入した魔王討伐部隊は、脇目も振らず城内を直進していた
2913
エウロ
ウーラ
王国騎士団アトン・中隊長指揮下
実働部隊所属騎士80名
特殊装備連隊派遣騎士40名
計121名
エウロ
ハロウィン
連合国騎士団ノイ・中隊長・司祭・パウロ指揮下
実働部隊所属騎士80名
特殊装備連隊派遣騎士40名
計121名
アジェステ
王国貴族アレイシアン・聖騎士・アリア・認定勇者保護下
妖精属、薬事法違反観察店主リンカー・ベル
同、扶養家族イベルカ
同、扶養家族サルメア
同、扶養家族レチア
同、扶養家族ルルイト
同、扶養家族コニタ
計7名
そして︱︱
⋮⋮
っ⋮⋮
⋮⋮おれ⋮⋮
総勢250名
2914
戦士たちは、騎馬を駆る
いつ魔力が飛んできてもおかしくないから
彼らは雄弁だった
﹁いい天気だな﹂
﹁なるほど﹂
﹁おいしそうだな﹂
もはや会話が成立していなかった
行く手をさえぎる魔物たちを駆逐していくのは
戦場に咲く悲恋歌だ
城内の廊下はひろく
この世のものとは思えない冷気が漂っている
視覚を光に頼る魔物はいないから
唯一の光源と言えるのは、城外の
分厚い雲でうねる稲妻の残滓だけだった
母国では子供たちの喝采を浴びる英雄が
まるで巨人の城に迷い込んだ小人のようだった
魔物の体格は個人差が激しいから
通路を閉ざす扉は多くない
あるとすれば、それは⋮⋮
魔力を自在に操れる都市級の住処だ
2915
雷鳴がとどろき
はるか頭上の窓から稲光が飛び込むたびに
隊列から甲高い悲鳴が上がる
﹁勇者さまぁー!﹂
﹁うるさい﹂
黒雲号に体重を預け、細身の長剣を振るう勇者さんが
ぴしゃりと叱りつけた
霧状の身体を分散して迫る亡霊を、返す刃で切って捨てる
﹁⋮⋮?﹂
初撃で仕留めきれなかったことを、彼女は不審に思っているよう
だった
これまでならば、退魔性を全開にすれば、魔物の特性を封じ込め
ることが出来たからだ
︱︱瘴気が濃いから?
それは、もっともな理由に思えた
長剣を鞘におさめた勇者さんの肩の上
そわそわと身じろぎをしている白の妖精は
勇者さんが接敵するたびに、はらはらしている
王国最強の騎士、アトン・エウロがそうであるように
リンカー・ベル。彼女もまた勇者さんの不調に察するものがあった
二人は、意識的に目を合わせないようにしていた
ここに来て勇者さんの退魔性に陰りが見られるなど
2916
魔物に悟られでもしたら一巻の終わりだ
昇天していく亡霊を
場違いなほど若い、まだ少年と言ってもいい年頃の騎士が
おびえた眼差しで見ていた
その身にまとう鈍色の鎧は、外見だけを取り繕った張りぼてだった
金属製の重装備をまとって動けるほどの体力も
経験も、彼にはない
︱︱魔法の最大開放はレベル9だ
ノイ・エウロ・ウーラ・パウロは知っている
今日この日まで人類が生き長らえてきたのは
魔物たちの慈悲によるものだ
彼らは、手足を動かすのと同じ感覚で
世界を滅ぼすことができる
言えるわけがない、と思った
対処法など、ないのだ
おそろしくて仕方がなかった
頼みの綱は管理人しかいないのに
現在の管理人は不在で
先々代の管理人も、いつの間にか姿を消していた
数日前の出来事である⋮⋮
古狸﹁なんだ、猫か⋮⋮﹂
2917
そんなことを言って、のこのこと森の中に歩いていったまま戻っ
てこなかった
あの一族には、そういうところがある
神出鬼没と言えば聞こえは良いが、前後の脈絡がいっさいないのだ
子狸などは、ごはんの時間になると戻ってくるぶん、遥かにまと
もである
※ 失礼な。おれは、可愛い孫の恋を応援してやりたいんだよ
※ だからってお前⋮⋮勇者さんをじろじろと見るのはやめろ
よ。通報されても知らんぞ
※ アレイシアンと言ったかな⋮⋮
あの子は、おれの嫁の若い頃とよく似ている
※ ぜんぜん似てねーよ
共通点を探すほうが難しいわ
※ 誰かの代わりなどいないということだな⋮⋮
お前の言いたいこともわかる
※ ⋮⋮なんだろう。この噛み合わなさが、なんかほっとする
※ おい! ほっとしてないで、こっちを手伝え!
※ オーライ、オーライ!
※ おれの計画は完璧だった⋮⋮いったい何がいけなかったのか
⋮⋮?
※ ん? お見合い企画のことか?
※ そうだなぁ⋮⋮もしも失敗に終わった原因があるとすれば
それは⋮⋮
2918
本人がいなかったことかな⋮⋮
※ いや⋮⋮大切なのは当人同士の気持ちなんだ
居る居ないは大した問題じゃない⋮⋮
※ 限度があるだろ
※ 気を落とすなよ、グランドさん! 次は、もっとうまくや
れるさ
お前らの声援があたたかい
※ ここで、とつぜんのお知らせがあります
追々な
※ おお、いつの間にか使いこなしている⋮⋮
︻エンディングは︼王国在住の現実を生きる小人さん︻おれたちが
決める︼
ジャスミンです
※ あとにしてくれないか
まあ、聞けよ
あとで後悔しても遅いんだから
※ いつものパターンじゃねーか
⋮⋮もぉ∼⋮⋮なんだよ! さっさと言えよ
2919
おれたちが、ポンポコ騎士団のアーマーを改造したのは知ってる
よね?
じっさいに装備してみて、とくに不備もないようだし
満を持して発表します
100ポイントたまりました
※ !?
※ !?
おれ、レジィ、ユニィ、しめて300ポイントです
本当にありがとうございました
※ !?
※ ッ⋮⋮!
※ こ、このタイミングでか⋮⋮
※ 鬼のひと⋮⋮やってくれるじゃねーか⋮⋮
※ 待て! おい!
そのポイントはどこから来たんだ!?
いやだなぁ⋮⋮
子狸さんの出世払いに決まってるじゃないですかぁ
※ !?
2920
※ くっ⋮⋮子狸さんのポイント借金生活はともかくとして⋮⋮
ルールはルールだ⋮⋮!
※ !?
※ くっ、たしかに⋮⋮
世界の命運は、いったん置いておくしかあるまい!
お前ら、祭りだ!
おれたちの伝説が、ついに幕を開ける⋮⋮!
2921
ロストテクノロジー
︻エンディングは︼山腹巣穴在住のとるにたらない不定形生物さん
︻おれたちが決める︵迫真︶︼
魔都では、激しい戦闘が続いていた
ありとあらゆる魔物が討伐部隊に牙を剥く
出し惜しみをしている場合ではなかった
宝剣が閃く
重装鎧と攻性魔法がせめぎ合い火花を散らす
新種
だ!﹂
飛来した圧縮弾を手甲で弾いた騎士が叫んだ
﹁
歴史上、重要な局面で登場した一夜限りの魔物を
人間たちは新種と呼ぶ
総じて強力な個体が多いことが特徴だ
立ち止まる時間を惜しむなら
もっとも効率が良いのは、殲滅魔法を連発することだろう
ただし、上級魔法の行使は人間にとって大きな負担になる
先行していた王国騎士団の
疲労を見てとった勇者さんが命じる
﹁アトン、下がりなさい! 連合騎士、前へ!﹂
2922
彼女は、史上唯一となる女子の勇者だ
最後の勇者
が
聖剣の終着点が、アリア家となることは定められていた
だから、全ての決着をつける
男子と女子、どちらになるか
これは、そのときになってみないとわからない事柄だった
性別よりも、意識的に魔法の存在を拒む剣士であること
そして制御系の異能持ちであることが重要だったからだ
その二つの条件を満たしている人間は
アリア家しかいない
とは、もっとも古い称号名である
自らを罰するような生き方を選ぶ人間は少ないということだ
ハロウィン
マリアン
認定勇者
元帥の権限を越える可能性を持った唯一の⋮⋮
最古にして最新、そして最後の称号でもある
勇者の前で、全ての人間は称号を捨てる権限を持つ
騎士は、騎士であることをやめてもいい
彼らは、彼らの意思で
なんのために戦うのか
だれのために剣をとるのか
自らに問わねばならない
それは最古の契約だ
勇者の号令に
王国騎士団と連合騎士団が一斉に動く
2923
逸る騎馬を抑えた王国騎士団を
連合騎士団が追い抜いて前に出る
﹁勇者さまぁー!﹂
連合国が派遣した中隊長はともかく⋮⋮
連合騎士団の練度に勇者さんは満足している
彼女は、アリア家の次女だった
アテレシアという出来の良い姉がいたから
常に比較されて育った
実の父からは出来損ないと呼ばれて冷遇されていたから
勇者として立派な功績を残すことが出来れば何かが変わるのだろ
うかと
ずっと思っていた
姉のことは尊敬している
少しでも支えになれればいいと、たくさんの本を読んだ
もしかしたら姉は覚えていないかもしれないが⋮⋮
︱︱アンは物知りね
幼い頃に言われた、その一言を拠りどころにして生きてきた
その自分が、こうして光輝の剣を振るっている
自分は選ばれたのだ
姉ではなく、この自分が︱︱
2924
鬱屈した感情を、認めざるを得なかった
道行くひとから勇者とたたえられ、尊敬の念を一身に浴びるのは
アレイシアンの自負心をひどく満足させた
愉快だった
魔王を倒したなら、もう姉の予備という目で見られることはなく
なる
心のどこかで願っていたことを、ずっと抑え続けていた希求を
無視することは、もう出来なかった
前へ、と命じるのは
感情を仕舞いこんでしまう前の自分だ
止まっていた時間は
あふれて
動き出してしまった
もう止まらない︱︱
黒雲号が突出する
両手に光輝剣を顕現した勇者さんが叫んだ
﹁進め! 魔物どもを根絶やしにしろ!﹂
魔王討伐部隊は、勇者を筆頭に
破竹の勢いで進軍する
もはや一刻の猶予もない
だが、魔物は︱︱
2925
それでもお前らならば
きっとやってくれる⋮⋮!
おれは、そう信じているんだ⋮⋮!
︻え? なに?︼王都在住のとるにたらない不定形生物さん︻謝れ
ばいいの?︼ 魔王討伐なんざ、もうどうでもいい!
※ おい!
真に重要なのは、鬼のひとたちが100ポイント達成したことだ
っ⋮⋮!
﹁潜るぞ! 振り落とされるなよ!﹂
ぐっと体幹を沈めたおれが
触手を大地に突き刺して高速で這う
とつぜんの高速移動に
血相を変えてしがみついた騎士が悲鳴を上げた
﹁潜る!? お前は、なにを︱︱﹂
﹁おれたちをどこへ連れて行くつもりなんだ!?﹂
﹁⋮⋮魔都へ行くという話ではなかったのか?﹂
2926
何を言っているのか
いまから走って間に合う筈がないだろうが⋮⋮
仕方ないので、おれは助走しながら教えてあげた
﹁この世界には、得体の知れない建造物が幾つかある。その一つが、
古代遺跡だ﹂
おれガイガーとかいうひとの家だ
あれは、魔法で歴史を遡ってみても、建造された年代が特定でき
ない
歴史を遡ろうにも、限界があるからだ
魔界の法則
だから
ある特定の時代まで遡ると、それ以上は進めなくなる
魔法は
この世界に流入してくる以前のことまでは
調べようがないということだ
﹁お前らは知らんだろうが⋮⋮地表に出ている遺跡は全体の一部な
んだよ﹂
長い歳月を経て、地層に埋もれていったのだろう
と呼ぶ
というのは、各地から遺跡へと伸びる地
方舟
古代遺跡の地下には、信じられないほど巨大な船が埋まっている
抜け道
その船を、おれたちは
﹁さっき言った
下通路を利用したものだ﹂
﹁そんなものが⋮⋮﹂
2927
つまり、その連絡通路を知る魔王軍は、いつでも王都を襲撃する
ことが可能だったのだ
騎士たちは衝撃を受けている様子だった
しかし本題はここからだ
﹁地上へと渡ってきたおれは、さっそくその通路を利用することに
した。だが、一方で、封印するべきだと言った連中もいた⋮⋮﹂
子狸さんは、おとなしい
無理もない
管理人にも内緒にしていた事柄だ
﹁お前らが、王種と呼んでいる連中がそうだ﹂
王種は最高位の魔物だ
魔王すら手出しできないほどの
圧倒的な力を持つ
つまり、おれがポンポコ騎士団を放り込もうとしているのは
王種が守護する四つの重要拠点なのだ
おれは笑った
﹁グラ・ウルーめ、うまくやったものだ! やつならば、王種を出
し抜くことも可能だろう!﹂
※ 事実とは異なります
※ スターズを舌先三寸で丸めこんだのは元祖狸です
※ もう魔人はそっとしておいてやれよ⋮⋮
2928
※ 都合のいい特性を持っていたばかりに⋮⋮
※ お前って、本当に便利だよな
※ お屋形さま⋮⋮
伝説の名を冠する狸が
最強の魔獣の肩を軽く叩いた頃⋮⋮
天高く跳ねたおれは、早口でスペルを唱える
じつは、とくに意味のない絶叫コースだ
ぐんぐんと近付いてくる地表に、騎士たちの悲鳴は最高潮に達する
﹁待ってくれ! お前は魔王なのか!? ならば、おれたちは︱︱﹂
ん? ああ、そうか
緑の島での出来事を、こいつらは知らないのか
コアラさん、説明をよろしく
ユーリカ・ベルと名乗る黒妖精は
魔軍元帥のパートナーだ
魔王軍の内部事情に通じている
おれとの対決を渇望していた妖精の姫が
しぶしぶと口を開いた
﹁⋮⋮彼は、銀冠の魔王。現在の魔王とは別人なの。けれど、諸悪
の根源であることは確かね﹂
おっと、予想以上の高評価⋮⋮
彼女の声を打ち消すように、おれは叫んだ
2929
﹁まずは海底都市だ! 子狸よ、水の宝剣は持っているな!?﹂
子狸﹁え?﹂
おれ﹁え?﹂
そういえば、さいきんの子狸さんは
宝剣を持っていなかったような⋮⋮?
いや、待て
おちつくんだ、おれ
たしか妖精の里では持っていたような気が⋮⋮
⋮⋮いや? 本当にそうか?
思い出すんだ
子狸﹁⋮⋮?﹂
⋮⋮あれ? おかしいな?
ずっと手ぶらだったような記憶しかない⋮⋮
いったい、どういうことなんだ?
※ あのぉ⋮⋮
ん? だれだ?
※ 鱗のんです。言いにくいんですけど⋮⋮
心当たりがあるんだな? 言ってくれ
2930
※ あの、違ったらごめんね
手掛かりになればいいんだけど⋮⋮
なんか、おれの家にずっと放置されてるのがあるんだけど⋮⋮
※ 手掛かりって言うか⋮⋮
※ そのもの、ずばり現物じゃないですか⋮⋮
! そうだ
精霊と戦ったとき⋮⋮
たしかに、あのとき子狸は
宝剣を放り投げていた⋮⋮!
※ え? その時点で?
※ おい。なんだよ、それ
おれ、女王に手土産になるとか力説しちゃっただろ
※ え∼⋮⋮?
宝剣って収納できるんじゃないの?
おれ、てっきり隠し持ってるんだと思ってたんだけど⋮⋮
※ 王都のん! お前がついていながら、なんてざまだ!
※ 子狸さん、イベントアイテムっぽいとか言ってたじゃん!
なんで放置してくるの!?
※ そうだそうだ! イベントアイテムは忘れる。そんなの
初歩の初歩だろ!
ならば正直に言おう
2931
おれは宝剣に興味がなかった
本当にどうでもいいわ⋮⋮
※ お、お前というやつは⋮⋮
※ 勇者さんに謝れ!
※ 土下座しろ!
ふん、なにが精霊の宝剣だ
そんな都合のいいものがあってたまるか
子狸さんに、そんな質の低い欺瞞が通用すると思ったら大間違い
なんだよ!
ばーか、ばーか!
悔しかったら︱︱
子狸﹁あ、出た﹂
子狸の前足に顕現したのは水の宝剣だ
精霊の加護を受けた秘鍵が、陽光を反射してきらめいた
※ おい
何も問題はないな
さあ、行こう。目指すは海底都市︱︱
※ おい
おれたちの宴会会場だ
盛大に鬼のひとたちを祝おうじゃないか、お前ら!
ぽよよん!
2932
2933
さらば、王都のん。永遠に
魔物の空間転移は、座標起点ベースだ
おれたちに退魔性などというものはないから
自身を対象とした魔法にぶれはない
しかし人間の退魔性は、どこまで行っても無くなるということは
ない
だから本気を出したときの子狸さんのおれ参上は
魔物の瞬間移動とは構成が異なる
たぬ
具体的な方法は狸それぞれだが
子狸さんが愛用しているのは折り畳み式の空間歪曲だ
目的地までのルートを山折り谷折りして
極限まで減じた厚みを踏破する縮地法である
地上と魔界の境目に根を張る地下通路は
その縮地法と同じ原理が働いている
光源はない
反射的に光球をひねり出したのは特装Cだった
特装騎士が同行しているとき
実働部隊は攻防に専念できる
これが実働小隊の大きなメリットだ
光球に照らされて、ぼんやりと浮かび上がった光景に
2934
騎士たちが息をのんだ
﹁⋮⋮! 魔都、か?﹂
乗り遅れまいと子狸も息をのんだ
﹁⋮⋮! 魔都、か?﹂
⋮⋮なんだろう
同じことを言っているはずなのに
子狸の発言は、不思議と薄っぺらい
むしろ過剰リアクション気味ですらあるのに⋮⋮
ちらっと黒妖精さんの反応をうかがった子狸さんが
ぐるんと上体をひねって瞠目した
﹁魔都だと!?﹂
﹁耳元で喚かないでくれる?﹂
﹁ごめんなさい﹂
叱られた
いつも通りの子狸さんだ
その間、お前らを乗せたおれは通路をひた走る
後方に流れていく壁の質感は
たしかに魔都のそれと似通っている
べつに説明する義理はないのだが⋮⋮
2935
子狸だけが納得しても仕方ない
臨戦態勢をとる騎士どもに
おれは懇切丁寧に解説してあげた
否︱︱
真心あふれるおれは懇切丁寧に解説してあげたのである⋮⋮
﹁偶然だ。気にするな﹂
※ 王都さんの優しさにしびれるぜ
※ これほどまでに丁寧な解説を久しぶりに見た⋮⋮
※ こほん。では、僭越ながらおれが⋮⋮
地下通路の内装は、目的地に依存します
今回の場合、ポンポコ騎士団が目指しているのは魔都なので
というか、おれの家なので
おれんちの廊下と同じ風景になったのですね
ご清聴ありがとうございました。がおー
※ ⋮⋮?
※ 子狸さん⋮⋮?
※ いや、わかるよ
つまり⋮⋮あれだ
なんていうの⋮⋮あれ⋮⋮
※ なるほど、言い得て妙だな
遠足みたいなものか
2936
※ そう! 遠足
わかってくれて嬉しい⋮⋮
お前ら、ようやくおれに追いついてきたみたいだな
※ このポンポコどもは、いったいどこへ向かっているのだろう
か⋮⋮
どこがどう遠足なのかは、さっぱりわからないが
うちの狸属が住んでいるステージは、はるか高みだ
おれたちの理解を超えている⋮⋮
それは仕方のないことなのだろう
頭脳明晰な子狸さん︵イケメン
しかし、誰も彼もが子狸のようには行かないのだ
騎士A﹁そんな偶然があるものか!﹂
小隊長の騎士Aが声高に叫べば
他の騎士たちも追随する
騎士B﹁お前、説明する気がないだろ!﹂
特装B﹁せめて騙そうとする努力をしてくれ⋮⋮!﹂
うるさい輩どもだ
子狸さん、言ってやって下さいよ⋮⋮
子狸﹁お前ら、注目!﹂
おれの意を汲んだ子狸が前足を上げる
2937
すると、おれの上を這って近づいた牛のひとが
なんだか嬉しそうに子狸の前足をおろした
とくに意味のない行動だった
子狸﹁⋮⋮⋮⋮﹂
しかし、それきり子狸はおとなしくなった
バウマフ家の生態には謎が多い
黙り込んでしまった子狸を
骨のひとがひじでつついた
骸骨﹁おい。なにか言えよ﹂
子狸﹁いや⋮⋮﹂
見る影もなくテンションが墜落していた
子狸﹁⋮⋮なんか、もう⋮⋮いいんじゃないか?﹂
寝そべっている豆芝さんが
やわらかな眼差しで子狸を見つめていた
その頭の上で、黒妖精さんは羽を休めていて⋮⋮
子狸のとなりで両足を伸ばした牛のひとが
しっぽをぱたぱたと振っている
名状しがたい、ぬるい空気だった
2938
騎士A﹁そ、そうだな⋮⋮﹂
なんとなく追求を取り下げた騎士たちが
気まずそうにリニューアルした鎧をいじる
そんな中、鬼のひとたちは元気だった
帝国﹁お前っとこの騎士は、よく鎧の上から布をかぶるよな。あれ
は⋮⋮﹂
王国﹁しかし排熱の問題が⋮⋮﹂
連合﹁いや、どちらかと言えば文化的なものなんだ。つまり⋮⋮﹂
三人で車座になって
ああでもない、こうでもないと議論している
鎧談義の花が咲く
そこに実働騎士たちも混ざった
騎士E﹁識別用の布飾りも、さいきんでは廃れてきたらしい﹂
騎士F﹁ああ、お洒落用の布なんてのもあると聞く﹂
騎士H﹁おれたちは真似できないな。大将にぶん殴られる﹂
家族に話しても理解してもらえない内容なので
ふだんは自重しているが
装備の話題を好む騎士は多い
2939
子狸も混ざった
子狸﹁鬼のひと、鬼のひと﹂
王国﹁なんだい、ポンポコさん?﹂
子狸﹁おれの鎧はないの?﹂
王国﹁あるわけないでしょ。団長さんね、あなた、鎧なんて着たら
身動きとれなくなるよ?﹂
子狸﹁でも、でも⋮⋮ノっちは鎧をつけてた⋮⋮﹂
子狸は、連合国の司祭︵現︶をノっちと呼ぶ
ノっちは実の兄だと思ってくれてもいいと言ってくれたものの
その申し出を丁重に拒否した結果だ
帝国﹁あいつの着てる鎧な、あれハリボテだぞ。見ればわかる。材
質がぜんぜん違う﹂
連合﹁⋮⋮軽量化を追求していった結果なんじゃないかな﹂
子狸﹁でも、でも⋮⋮﹂
本人が目の前にいると、うざったそうにするのに
こうした場面では、どういうわけか子狸はノっちの肩を持とうと
する
そして、そのたびにお前らがイライラするという悪循環が出来上
がっている
2940
子狸﹁ノっちの瓦割りは凄いんだ⋮⋮﹂
牛﹁⋮⋮瓦がなんだ。おれのほうが、もっと凄い﹂
牛のひとが割り込んだ
この牛さんは、やろうと思えば家を丸ごと粉砕できる
比較するのもどうかと思うほど、人類を超越したパワーの持ち主だ
子狸﹁それを言ったら、おれのほうがもっと凄いよ!﹂
コアラ﹁じゃあ、いいじゃん⋮⋮﹂
黒妖精さんが結論を下したところで
第一チェックポイントに到着しました
おれ﹁よし、ここまで来ればいいだろう﹂
そう言って、触手でお前らを降ろす
疑問符を浮かべるポンポコ騎士団の面々に
見上げてくる子狸に
おれは、ぐっと言葉をこらえた
おれ﹁最後に⋮⋮これだけは言っておく﹂
騎士たちが、はっとした
彼らの眼前で
おれの身体が徐々に輪郭を失っていく⋮⋮
先代勇者との約束が、たった一つの心残りだった
2941
魔王は⋮⋮
現在の魔王は
魔物たちの最後の子だ
三人目の魔王が生まれないのは何故なのだろうと
ずっと考えていた⋮⋮
勇者とは異なる道を
バウマフ家の人間が見つけたというなら
きっと、それが答えなのだ
ならば、おれは
最後に⋮⋮
この言葉を贈りたい
﹁ぽよよん﹂
消え行くおれに
子狸が前足を伸ばした
﹁王都のひと∼!﹂
ふっ、子狸よ
お前のことは
いつでも見守っているぜ⋮⋮
2942
完っ全っ
ステルス
装☆着!
さらにっ
猛虎の構え!
※ ⋮⋮⋮⋮
※ ⋮⋮⋮⋮
※ ⋮⋮もう、どこからツッコめばいいのか
なんだよ
言いたいことがあるなら言えよ
※ いや⋮⋮
※ なんか、もう⋮⋮いいです
ちっ、愚図どもが⋮⋮
お前らが土壇場で騒ぎはじめたせいで
いらん手間を掛けた
少しは反省してほしいものですねっ
怒りのぽよよん!
※ ぽよよん、万能すぎる⋮⋮
※ ああ、ぽよよんに関してはなぁ。正直、やられたって感じ
ですぅ⋮⋮
※ 真似するのも、なんか負けた気がするしな⋮⋮
2943
※ ぷるるん?
※ う∼ん⋮⋮いまいち
※ うむ、躍動感がいまひとつ⋮⋮
2944
勇者の試練
︻こちら支流︼山腹巣穴在住のとるにたらない不定形生物さん︻魔
王討伐軍︼
まったく、シリアスが聞いて呆れるぜ
※ ぽよよん
薄闇の中
壁面が息づくようだった
連合騎士団が前進したことで
ひと息ついた王国騎士団は
城内を観察する余裕を得た
一人の特装騎士がトンちゃんに騎馬を寄せる
﹁若﹂
﹁わかっている﹂
トンちゃんは、もともと特装部隊の出身だ
その経歴を活かせる部隊作りをしてきたから
多くの面で当時の感覚を残していた
眼前の敵よりも
まわりの環境を気にするのは
2945
特装騎士に共通する習性だ
﹁⋮⋮内装が新しすぎる。実働部隊に細かい判断は無理だ。お前た
ちが支援しろ﹂
魔都の内部構造は、その詳細に至るまで騎士団に伝わっている
ここ数百年で、幾度となく突入した部隊がいたからだ
しかし、その情報はすでに過去のものとなったと見るべきだった
特装騎士は、馬上で器用に肩をすくめた
﹁いつも通りですね﹂
これには、トンちゃんも思わず破顔する
﹁そうだ。ふだん通り、なにも変わらん﹂
実働部隊は、騎士団の剣であり盾だ
余計なことを考えさせる必要はない
第一、魔都は魔王の威光の発信の地だ
役割が変わっていない以上、間取りも共通したものになるはずだ
謁見の間が、中心軸から左右にずれることは、まずないだろう
魔王は眠りから目覚めているのか
それとも眠り続けているのか
けっきょく確定情報は得られなかった
これまで戦端を交えてきた魔物は
2946
ほぼ例外なく魔王に対する言及を避けてきた
だが、魔軍元帥の立場になって考えてみれば
魔王の寝室は、謁見の間からそう離れていないだろうという予測
も成り立つ
おそらく、あの黒騎士がもっとも警戒しているのは三人の魔獣だ
からだ
自分の手が届かない魔都の端に、無防備な魔王を置き去りにする
のは考えにくい
直進すれば、いずれは謁見の間に辿りつく
そこから先は、行ってみなければわからないということだ
懸念があるとすれば、それは
確認がとれているだけでも二度、魔軍元帥が魔都を離れているこ
とか
︱︱情報が足りない
アトン・エウロは、胸中で歯噛みする
きっと、自分たちの知らないところで、何かが起きているのだ
魔王軍と魔王討伐部隊
両者の間にある齟齬が、致命的なものにならなければ良いと願う
しかなかった
﹁アトン、前へ!﹂
先陣を切る勇者さんが、ふたたび前衛と後衛の入れ替えを命じた
旅を続けているうちに少しずつ改善はされているが
2947
彼女の体力は、子供のそれでしかない
理想を言えば、号令を掛けるものは代役を立てたいところだが
勇者の代わりになれるものなどいない
人間は弱い生きものなのだと
それは悲しいことなのだと、第二の獣人は言った
かけがえのないもの、と第三の獣人は言った
その通りだ
※ ! いたぞっ
※ おとなしくするんだっ、かまくらの!
※ 離せ! お前らっ⋮⋮自分たちは安全だからって!
※ 構うな! 連行しろ!
※ 山腹のん、助けて! 山腹のっ⋮⋮
⋮⋮⋮⋮
連合軍を追い抜いた王国軍は
ひときわ大きな通路に出る
彼らは目を見張った
動揺を押し隠すことはできなかった
﹁っ⋮⋮!﹂
﹁なんだ、これは!? これでは、まるで⋮⋮﹂
左右の壁面にずらりと巨大な彫像が並んでいる
2948
いったいどれほどの数があるのか
通路の奥まで続く、魔鳥の像に騎士たちがどよめく
﹁ヒュペス!? そんな、まさか⋮⋮﹂
彼らの脳裏に浮かんだのは
ひとりのマスコットキャラクターだった
魔王軍の本拠地に突入して
生きて帰れるとは思えなかったから
涙をのんで森に放してきたのだ
雨の日も、風の日も
苦楽をともにしてきた
肌寒い夜、孤独を埋めてくれた羽毛の感触⋮⋮
ひよことよく似た⋮⋮
最悪の結末を予感した騎士たちは
激しい動悸を抑えきれない
それは、王国最強の騎士も例外ではなかった
勇者﹁⋮⋮⋮⋮﹂
ぴんと猫耳を立てた勇者さんが
周囲の物音を探りながら、両手を左右に突き出した
ぎょっとしたのは羽のひとだ
妖精﹁!?﹂
2949
委細構わず、両腕を振りかぶった勇者さんが
虚空から聖剣を引きずり出す
精霊の輪が薄闇を伝い
退魔の光で構成される柄を、刀身を形成していく
いまや彼女は、複数の宝剣を同時に顕現することも出来た
交差した両腕を振り抜く
放たれた光刃が、情け容赦なく巨鳥の石像を寸断した
※ !?
※ 勇者さん!?
※ おれたちの力作がっ⋮⋮!
疑わしきは罰せよということだ
なんていうか、当然の判断だと思うの⋮⋮
﹁危ねぇぇぇっ!?﹂
得意顔で石像に身をやつしていた魔ひよこが
すんでのところでヘッドスライディングして難を逃れた
ご本人の登場だ
﹁ヒュペス⋮⋮。なぜだ!? なぜ、お前がこんなところに⋮⋮﹂
もう気付いているはずだ
2950
しかし騎士たちは
半分、泣くような
半分、笑うような
統制を失った表情をしている
認めたくない現実を拒否するかのように
ことさらに優しい声音で
拒絶されるのを恐れてか
おびえるように言った
﹁つ、ついてきてしまったのか? 森に帰るんだ⋮⋮。ここは危な
い⋮⋮﹂
﹁少しの間の辛抱だ。きっと帰りに迎えに行くから⋮⋮だから⋮⋮﹂
だが、彼らは自分たちが生還できるとは思っていなかった
そのことが悲しかった
むくりと起き上がった巨鳥のつぶらな瞳から
ひとすじの涙が零れ落ちる
勇者さんの宝剣を持つ手が、ふたたび跳ね上がる
勇者﹁っ⋮⋮!?﹂
その手が、びくりとふるえて硬直した
魔力対策は怠っていなかった
そのはずなのに
2951
魔鳥のくちばしがわななく
かつて勇者一行の一員として
その一身に騎士たちの愛情を注がれた魔獣が吠えた
﹁﹁ケェェェエエエッ!﹂﹂ 以前に港町を襲ったものよりも、さらに強力な個体だ
咆哮に宿る魔力が大気を伝い
騎士たちを一斉に弾き飛ばした
﹁がっ、は⋮⋮!﹂
﹁はっ、あ⋮⋮﹂
壁に縫いとめられた騎士たちの鎧が
めきめきと音を立てて、ひしゃげていく
魔獣は泣いていた
ぐっと巨体を前屈みにして
硬直している勇者さんを見下ろす
その拍子に
フリルのついたエプロンが揺れた
零れ落ちた涙が
幾つもの水たまりを作る
2952
﹁⋮⋮どうして勇者になど、なったのだ⋮⋮?﹂
﹁⋮⋮?﹂
とつぜんの問いかけに
勇者さんは疑問符を浮かべている
対照的に、壁に縫いとめられているトンちゃんの顔色が蒼白にな
った
いち早く治癒魔法を詠唱変換した彼は
魔力の束縛を逃れて、床に片ひざをついている
苦しげに咳き込んでいたトンちゃんは
まさかと顔を上げる
そして絶句した
彼は、以前から疑問に思っていたのだ
勇者さんは、アリア家の人間としては破格に甘い
それは、幼い頃からはっきりと現れていた兆候だった
だから、トンちゃんは常々こう思っていた
あまり父親に似ていない子だと︱︱
勇者さんの姉は、アテレシアという
麒麟児と称しても良い、アリア家の次期当主だ
勇者さんは、あらゆる点で実姉に及ばない
それは、まだ彼女が幼いからだと思っていた
アリア家の人間は、学習能力が極めて高い
先に生まれたものが能力で勝るのは
2953
アリア家では当然のことだ
︱︱そうではないのだとしたら?
トンちゃんは、対峙する勇者さんと巨鳥を見つめる
ふたりに共通する猫耳が
まるで、この世でたったひとつの
きずなであるかのようだった
ぞっとした
すべてのピースがつながっていくような気がした
トンちゃんに両親はいない
もしも自分たちに親がいたならと考えたこともある
五人の姉妹の幸せを願っていたから
親という存在を神聖視しているふしがある
だから、そんなことが許されていいはずがないと思った
気が付けば叫んでいた
﹁パウロ! 彼女を戦わせるな!﹂
連合国の司祭だけが、魔力の対象外だった
彼の鎧は、騎士の制式装備とは材質からして異なる
感染条件から外れていたから、とり残されていた
司祭の少年は、おろおろしている
2954
無茶は承知だ
未熟な少年騎士なら、万に一つも勝ち目はないという打算もあった
立ち向かえるかどうかも怪しい
とにかく時間を稼ぎたかった
しかし予想に反して、少年騎士は勇敢だった
﹁⋮⋮勇者さま!﹂
勇者さんに駆け寄ろうとする小さな騎士を
強大な魔獣が見据える
すぐに興味を失って視線から外した
魔王の守護をする三人の魔獣は
都市級と呼ばれる分類に入る
魔物側の分類と人間側の分類は
王種がそうであるように
高位の魔物ほど一致する傾向にある
開放レベル4は
人間が扱える範囲の魔法を大きく逸脱しているからだ
ヒュペスは、少年騎士に魔力が通用しなかった理由を探ろうとは
思わなかった
翼をひと振りするだけで
無数の圧縮弾が放たれた
﹁! ディレイ!﹂
2955
少年は、とっさに突き出した片手を起点に力場をひろげる
しかし死角を埋めるという発想がなかった
﹁っ!?﹂
視界がぶれたと思った次の瞬間には
小柄な身体が宙を舞っていた
勇者さんの退魔性は、予想以上に欠損が進んでいる
とはいえ、いずれはそうなるとわかっていた羽のひとの対応は早
かった
﹁リシアさん!﹂
勇者さんを絡め取っている魔力を、治癒魔法で焼き切る
﹁⋮⋮!﹂
勇者さんは、自分の身体を蝕んでいるものの正体を考えないこと
にした
感情を制御し、思考の方向性を縛りつける
そういうことがアリア家の人間には可能だった
魔王を完全に滅ぼすまでは
退魔性を喪失するわけには行かなかった
いまの自分にどれだけの時間が残されているかわからなかったから
つとめて鈍感であろうとした
2956
だから悲しげに吠えるヒュペスの追撃に対して
無策で当たるしかなかった
大半の圧縮弾は、勇者さんの意識に触れると同時に焼失した
焼き切れなかった圧縮弾もあったということだ
圧縮弾は、もっとも初歩的な投射魔法だ
それでも大型の肉食獣をひるませる程度の威力はある
目には見えない圧力に押されながら、勇者さんは考える
敵が何らかの方法で退魔性をすり抜けているなら︱︱
いったんは距離をとるのも手だ
跳ねるように後退した勇者さんが、左右の宝剣を振るう
放たれた光刃を、魔鳥はことごとく回避した
ヒュペスは、さほど俊敏性に優れた魔物ではない
地上戦に限定すれば、獣人種のほうが上だろう
だが、人間とは比較にならないほど高速で展開される力場が
圧倒的な柔軟性を生み出していた
力場を踏み、掴み
巨体を振り回すように駆ける姿は
まるで氷上で踊る妖精のようだ
くちばしを打ち鳴らして、さえずる
その声は悲しみに満ちあふれている
﹁なぜ、なぜ⋮⋮魔都まで来てしまったんだ⋮⋮?﹂
﹁リジル、リジル⋮⋮なにをしている? グラ・ウルー⋮⋮﹂
2957
戦列に復帰した騎士たちは、迷いから脱しきれていない
敵も、また迷っているからだ
困惑と悲しみしかなかった
﹁ヒュペス! もういい! やめろ。こんなのは⋮⋮あんまりだ﹂
﹁お前たちは⋮⋮王をころしてしまうのだろう? 子を見捨てろと
いうのか⋮⋮?﹂
﹁! だが、魔王は⋮⋮﹂
﹁見捨てろというのか⋮⋮。お前たちが、子狸をそうしたように!﹂
ヒュペスの双眸に怒りが灯った
咆哮を上げる魔獣に
アトン・エウロは決断を下した
﹁行け! こいつは私が仕留める!﹂
その宣言に、巨鳥がぐりっと首をねじって
自身の十分の一にも満たない小さな人間を見下ろした
﹁しとめる⋮⋮? お前が、おれを? たった一人でか? 笑えな
い冗談だ⋮⋮﹂
トンちゃんは答えない
ただ、笑った
2958
﹁戦隊級の次は都市級か。あの世で、いい土産話になるな⋮⋮﹂
帝国騎士団は、身命を賭して魔軍元帥と共に地中へと没した
彼らがいなければ、王国騎士団は第二のゲートで挟み撃ちにされ
て敗退していただろう
そのとき、帝国騎士団を率いていたのが
不死身の男⋮⋮マイカル・エウロ・マクレンだ
いかなる戦場からも生還する、あの男は︱︱
﹁そいつは困るな。そんなところに行っても、おれはいないぜ﹂
やはり、このときも戦場に帰還した
安堵の息をついたのは、連合国の司祭だ
﹁良かった、間に合った⋮⋮﹂
帝国騎士団の動向は把握していたのだろう
まさかと振り返ったトンちゃんが
見紛いもしない勇姿に唖然とする
そこに立っていたのは
漆黒の戦団を引き連れた不死身の男だ
すでに半裸だった
2959
男は、ふてぶてしく笑った
﹁いよいよ参ったな。あの世も出禁だ﹂
帝国騎士たちが、どっとわいた
マイカル・エウロ・マクレンは、むっとして参謀に食ってかかる
﹁笑いごとじゃねーんだよ! 娘のために買っておいたプレゼント
がおしゃかだ! どうするんだよ。もう小遣いねーぞ!?﹂
不死身の男はお小遣い制だった
にやにやと口元をゆがめている参謀が
トンちゃんを指差して言った
﹁おちつけって、マイク。金なら、王国最強の騎士に借りればいい
さ。ぜんぶ終わったあとでな﹂
﹁それは名案だ。何よりも素晴らしいのが、お前らは貸してくれな
い前提になってることだな。思いやりのある部下に恵まれて、おれ
は幸せだよ﹂
空気を読める魔ひよこは
空気を読めない勇者さんの光刃をひょいひょいと避けている
この場にいる誰よりも年少の騎士が
トンちゃんに言う
﹁行って下さい。ここは、連合国騎士団と帝国騎士団が押しとどめ
2960
ます﹂
本音を言えば、あなどっていた連合国の子鼠に主導権を握られた
ようで
トンちゃんは面白くない
﹁しかし⋮⋮﹂
﹁僕らには、僕らの切り札があります﹂
その言葉で腹が決まった
帝国騎士団が魔軍元帥の足止めを出来たのは
おそらく戦歌の発展形によるものだ
あの悪名高い連合国のことだ
帝国とは、またべつの発展形を隠し持っているに違いない
頷いたトンちゃんが、少年騎士の肩を手甲で小突いた
﹁だが、妹は嫁にはやらん。騎士はだめだ。とくに称号騎士はな⋮
⋮﹂
﹁こっちから願い下げですよ! あんたの妹、働く気がないでしょ
!﹂
三人の中隊長が揃った
不死身﹁あのな⋮⋮﹂
2961
どるふぃん﹁では、行く。マイカル、お前とはもう口をきかん﹂
不死身﹁いいけど、あとで金を貸してくれ。それはともかく⋮⋮﹂
そう言って、不死身の男は口ごもった
伝えるべきか、伝えないべきか
悩んでいるようだった
あのとき︱︱
帝国騎士団は、魔軍元帥に救われたのだ
崩れ落ちてくる岩盤を
下から支えたのは、黒騎士の魔力だったように思う
もっとも意識を失う直前のことだったから
確信は持てなかった
魔王軍の総指揮官が、帝国騎士団を助けた理由もよくわからない
目を覚ましたときには、黒騎士は去っていた
不死身﹁⋮⋮いや、何でもない﹂
悩んだすえに、彼は沈黙することを選んだ
彼の考えでは、魔軍元帥はべつにいる
そして、それが現実のものになったとき
人類の敗北は確定するからだ
だが、つの付きは⋮⋮
あれは、替え玉で終わることをよしとしないだろう
2962
むきになって聖剣を振っていた勇者さんが
黒雲号に回収されて戻ってきた
勇者﹁⋮⋮⋮⋮﹂
妖精﹁リシアさん⋮⋮﹂
パワーアップしたはずなのに
もの凄くパワーアップしたはずなのに
まったく活躍できなかったことがご不満の様子だった
妖精﹁つ、次こそはリシアさんの出番ですよ!﹂
勇者﹁⋮⋮べつに出番とかは気にしていないわ﹂
でも、ちょっと機嫌が直った
並び立った帝国騎士団と連合騎士団が
魔獣と相対する
彼らにあとを託して、王国騎士団は先へ⋮⋮
名残りを惜しむように振り返った彼らに
魔ひよこが微笑んだ気がした
2963
逆心の彷徨
魔獣の咆哮に大気が恐れおののくかのようだ
断続的に放たれる激しい閃光が
脈打つ壁を、そして遥か頭上の天井を伝っていく
凄まじいまでの破砕音と
連続する灼熱の音叉にも
王国騎士団は振り返らない
信じると決めたからだ
前へ︱︱
それ以外に何が出来よう
彼らは託し、託されたのだ
帝国騎士団は、驚くほど楽観的だった
彼らが運んできた希望を
王国騎士団は継いで走る
連合騎士団は、不気味な存在だった
彼らが運んできた不安を
王国騎士団は継いで走る
王国騎士団と帝国騎士団は仲が悪い
帝国騎士団と連合騎士団は仲が悪い
連合騎士団と王国騎士団は仲が悪い
2964
正直、鎧を見るだけで虫唾が走る
反射的に殴りたくなる
国ごと滅んでしまえばいいと心の底から願っている
それなのに、いまは信じてみようという気になった
帝国騎士団のしぶとさを知っている
連合騎士団のあざとさを知っている
やつらに対抗できるのは自分たちしかいないという
強烈な自負心が王国騎士団を後押しした
負ける気がしなかった
負けてなるものかと思った
胸のうちで、めらめらと燃え上がるのは対抗心だ
叫び出したい気分だ︱︱
勇者﹁アトン⋮⋮?﹂
鎮火された
ちょっと来いというようなジェスチャーをとるとき
勇者さんは、たいてい怒っている
トンちゃんは、思わず振り返って部下たちを見た
実働部隊は騎士団の剣であり盾だ
剣と盾は、ただあればいいというものではない
その半数に及ぶ特装部隊がついたとき、はじめて彼らは真価を発
揮できる
実働小隊と呼ばれる決戦隊形だ
2965
ああ、二代目がお説教される⋮⋮
部下たちは一糸乱れぬ連携で他人のふりをする
︱︱見事だ
トンちゃんは胸中で称賛した
百人が百人とも日和見を決め込むのだから
これは並大抵のことではない
血のにじむような修練の成果だった
アトン・エウロは王国最強の騎士だ
彼の戦速についてこれる騎士はいないから
究極的に、最後はひとりになる
仕方なくトンちゃんは、勇者さんに騎馬を寄せた
並走する黒雲号が、つぶらな目で見上げてくる
その瞳には知性の輝きがあった
黒雲号﹁⋮⋮⋮⋮﹂
どるふぃん﹁⋮⋮⋮⋮﹂
なんとなく見つめ合うふたり
自分と目を合わせようとしない王国最強の騎士に
勇者さんが言った
勇者﹁わたしを戦わせるなというのは、どういうことなの?﹂
2966
どるふぃん﹁そんなことは言ってません﹂
勇者﹁言ったわ﹂
とっさに言い逃れをしようとしたトンちゃんに
勇者さんはぴしゃりと言う
妖精﹁言いましたね﹂
アトン・エウロは王国最強の騎士だ
彼の戦速についてこれる騎士はいないから
究極的に、最後はひとりになる
どるふぃん﹁⋮⋮言ったかもしれませんね。あるいは、そうかもし
れない⋮⋮認めましょう﹂
だが、孤独だとは思わなかった
どるふぃん﹁自分の部下の誰かが﹂
王国騎士﹁!?﹂
彼には、仲間がいたからだ
妖精﹁部下を売りやがった⋮⋮﹂
どるふぃん﹁私には使命がある。ここで倒れるわけにはいかないさ﹂
勇者﹁⋮⋮アトン﹂
2967
どるふぃん﹁私が言いました。それが何か?﹂
オーダージェステ
同時に、彼は百余名の命を預かる称号騎士だった
任務は遂行する
部下を守り抜く
自分も生還する
エウロの誓いは重い
どんなに無様でもいい
最後の最後まで足掻けということだ
勇者﹁開き直らないで。何か? じゃないでしょ。わたしは、どう
してあんなことを言ったのか聞いてるの﹂
どるふぃん﹁それは⋮⋮﹂
︱︱気付いていないのか?
トンちゃんは、反射的に吸い寄せられそうになる視線を堪えねば
ならなかった
勇者さんは察しの良い子だ
少しでも不審な素振りを見せたら勘付かれる
もしも万が一、彼女が気付いていないなら⋮⋮
そこまで考えて、トンちゃんは自らを戒めた
気が付いていない? そんなはずがないだろう⋮⋮
直後に押し寄せたのは悔恨の念だ
彼女は、こう言っているのだ
気にするな、と
2968
⋮⋮悔しかった
彼女の気遣いが悔しくて堪らなかった
妖精﹁え∼⋮⋮?﹂
勇者﹁なぜ泣く⋮⋮﹂
トンちゃんの漢泣きに
羽のひとと勇者さんはどん引きだった
王国騎士﹁ちくしょう!﹂
何事かと振り返れば、他の騎士たちも泣いていた
王国騎士﹁こんな悲劇が⋮⋮あっていいのかよ!?﹂
勇者﹁⋮⋮⋮⋮﹂
勇者さんは、これ以上、この話題に触れなかった
妖精
と呼ぶ
熾烈な魔力のうねりを感じとって避難していたのだろう
戦闘の余波が届く圏内を脱した頃
魔物たちが雲霞のごとくわき出したからだ
行く手をさえぎる魔物の群れに
トンちゃんが喚声を放った
﹁魔物どもっ⋮⋮命が惜しくば、去れ!﹂
術者の意思に従って飛翔する光弾を、王国では
2969
王国最強の騎士は、同時に三つの妖精を召喚し、使役することが
できる
全力で戦ってもあとが続かないと知っているから
彼にとって、三つの投射魔法を制御するのは苦にはならないとい
うことだ
猛然と駆け出した騎馬のあとに
騎士たちが続く
零れる涙が、きらきらと宝石みたいに輝いた
迎え撃つお前ら
﹁アトン・エウロか!?﹂
﹁王国最強の騎士⋮⋮! 相手にとって不足なし!﹂
ため息をついた勇者さんが、指先で猫耳の毛並みを整える
瞑目し、目を見開いたときには余計なことは気にならなくなって
いる
抜剣したムシロオレには一点の曇りもない
人と魔物
相容れない両者の手で打ち鍛え上げられた宿命の剣は
はたして勇者に何をもたらすのか
栄光か?
それとも⋮⋮
※ ちょっ⋮⋮子狸さん!?
※ なにをっ⋮⋮
※ 待っ⋮⋮この子狸っ⋮⋮!
2970
※ おい! 子狸に魔都の図面を横流しした輩がいるぞ! だれ
だ!?
※ ⋮⋮偶然じゃないのか?
※ そんなわけっ⋮⋮ないとも言い切れないのが怖いんだよ
なぁ
※ 開祖も、そんな感じだったらしいよ⋮⋮
⋮⋮⋮⋮
お前らを一掃した王国騎士団の快進撃も長続きはしなかった
どるふぃん﹁!? 止まれ!﹂
最初に異常を感知したのはトンちゃんだ
彼は、この場にいる誰よりも鋭敏な感覚を持っている
トンちゃんに付き従っている騎士たちは、そのことを熟知している
手綱を引いて騎馬の速度をゆるめた彼らとて歴戦の勇士たちだ
魔法の射程と精度は、五感の働きと無縁ではいられないから
健康的な生活を強要されてきた騎士たちの感覚は、常人よりも発
達している
魔都が鳴動していた
血相を変えたトンちゃんが、片手を突き上げる
それから、親指と人差し指、中指を立てて真横に振り下ろした
降馬のサインだ
2971
一斉に騎馬を飛び降りた騎士たちが
姿勢を低くして、揺れに備える
お馬さんたちも座った
異変は、すぐに起こった
彼らが見ている前で
壁が分離した
崩れる、と判断したトンちゃんが
実働部隊に防壁の展開を命じる
しかし、それは結果的に杞憂に終わった
彼らの目に映ったのは
にわかには信じがたい光景だった
立方体にくりぬかれた石材が
ふわりと宙を浮かび
するすると上下左右に行き来していた
魔力か? いや、違う
物体に作用する魔力を持つのは
あの魔ひよこしかいない
第一、この場にいるのは騎士と勇者だけだ
では、いったい何だというのだ?
まったく未知の現象だった
自動感知の罠なのか?
2972
そうだとすれば、こんなことができるのは王種しかいない
だが、王種は⋮⋮
王種の仕業でないとするなら
残る可能性は設置型の罠ということになる
長年、人間たちは魔法を研究してきた
そうして、はっきりしたことが幾つかある
時間的な制約を設けた魔法は通らないということだ
都市級の超高等魔法はおろか
王種のみが扱える竜言語魔法ですら
魔法の作用をとどめておくことはできない
唯一の例外が、魔王だった
人間たちは、治癒魔法を一種の奇跡なのだと認識している
千年前には存在しなかった、この魔法をもたらしたのは
聖なる海獣とする説だ
つじつま
が合わなかった
彼らは、治癒魔法が時間に干渉する魔法ではないと考えた
そうでなければ
治癒魔法を天使の祝福によるものではない、たんなる遡行現象と
するなら
聖なる海獣の加護をもっとも色濃く帯びているのは
魔王ということになってしまうからだ
だから、時間に干渉するのは魔王の特権でなくてはならなかった
2973
大きなブロックが上下左右に行き来する
勇者さんが、はっとした
相変わらず察しの良い子だ
そう、この現象は魔王の⋮⋮
勇者﹁幽霊船と同じ⋮⋮?﹂
妖精﹁えっ﹂
あれっ
そっち?
※ ここで!?
※ あっちゃあ⋮⋮
※ 骨のひとがその場しのぎで適当なことを言うから⋮⋮
※ と、トリコロールだと?
※ ここまで来ちゃうと、否定しづらいんだよなぁ⋮⋮
※ おれたちの魔都にあらぬ嫌疑がっ
※ カンベンして下さいよ、勇者さん⋮⋮
※ 彼女、肝心なところで推理を外すよね
※ なんか子狸に似てきたんじゃないの?
※ いや、勇者さんは前からそういうところがあった
※ そう。悪いほうへ悪いほうへ行っちゃう癖がある⋮⋮
※ したがって子狸さんは無実だと思います
2974
勇者さんは自信に満ちあふれていた
勇者﹁間違いないわ。これは、トリコロール⋮⋮﹂
ああ、言っちゃうんだ⋮⋮
どるふぃん﹁! アレイシアンさま、なにかご存知なのですか?﹂
トンちゃんは、勇者一行の旅の軌跡について妹たちから報告を受
けている
しかし、狐娘たちは
旅を続ける勇者さんに迫る数々の危機を
華麗に撃退していたことになっているから
海上で徒党をなして襲い掛かってくる魔物を
クールに狙撃していた彼女たちが
幽霊船の動力を知っているはずがなかった
つまり、ちょっとした情報の行き違いで
トンちゃんは幽霊船に対する知識が不足していた
頷いた勇者さんが得意気に説明をはじめるよりも早く
羽のひとが慌てて言った
妖精﹁トリコロールというのはですねっ! セパレードがフレイミ
ングすることですっ﹂
彼女の自己犠牲精神に、お前らが目頭を押さえる
しかしトンちゃんは⋮⋮
2975
どるふぃん﹁⋮⋮なにを言ってるんだ、きみは?﹂
勇者﹁⋮⋮⋮⋮﹂
なんの説明にもなっていないと
的確な指摘を受けて、羽のひとは赤面する
言った本人がいちばん自覚していからだ
あのとき、子狸が出来の悪い生徒を見守るような目をしていなけ
れば
勇者さんとて納得しなかっただろう
骨のひとが泣いて許しを請うまで厳しく追及したはずだ
だが、この場にポンポコ先生はいない
勇者さんが意を決した
羽のひとをかばうのは、自分がしなければならないことなのだと
思った
勇者﹁アトン﹂
どるふぃん﹁はっ⋮⋮﹂
勇者﹁⋮⋮どうして、そういうことを言うの?﹂
そう言って、勇者さんはぷいとそっぽを向いた
もしも勇者さんが羽のひとと同じことを言ったなら
トンちゃんの対応は、もっと違うものになったはずだ
相手によって態度を変えていることが見え透いたから
2976
彼に必要なのは正当な罰だった
だから、ときどき羽のひとが子狸に対してそうしていたように
勇者さんは反抗期に突入したのだ
だが、トンちゃんは子狸とは違う
彼はおとなだった
どるふぃん﹁⋮⋮お嬢さま﹂
トンちゃんは、精神的に不安定になると
勇者さんをお嬢さまと呼ぶ
彼は、天を仰いで
なにかを堪えるように瞑目した
そのまま一秒が過ぎる
二秒、三秒⋮⋮
トンちゃんは動かない
王国騎士﹁あの⋮⋮二代目? そういうのは、あとにしてくれませ
んか?﹂
とうとう部下にツッコまれる始末だった
トンちゃんが、ゆっくりとまぶたを開く
﹁工程を三つに分けるぞ﹂
﹁土下座は最終手段ですね?﹂
2977
﹁ちがう! お前は自分の子供が拗ねたら泣いて許しを請うのか?
そうじゃないはずだ⋮⋮﹂
﹁少なくとも、私は違う。私は︱︱﹂
王国最強の騎士が、マントをひるがえして踏み出す
﹁余計な言葉は不要だ。子は、親の背中を見て育つものだからな⋮
⋮﹂
勇者﹁もしかして、わたしのことを言ってるの?﹂
どるふぃん﹁血のつながりなど、ささいな問題です﹂
トンちゃんは、きっぱりと言った
彼は、自分たち兄妹を拾ってくれたアリアパパに深い恩義を感じ
ている
その後、見捨てられたからと言って、恨むのは筋違いだと理解し
ている
だから、アリア家での勇者さんの扱いをずっと我慢していた
その我慢が、限界に達していたのだと︱︱
いや、とうに限界だったことを、彼は自覚したのだ
トンちゃんはモテる
中隊長というのは、すべからくモテるのだ
トンちゃんの場合、いささか恰幅が良すぎるきらいはあるものの
それを補って余りあるほどの戦士だった
2978
凱旋パレードでもしようものなら
平民のみならず、貴族の令嬢からも黄色い声援が飛ぶ
そして、あとで上司からねちねちと何か言われる
その彼が、これまで独身生活を貫いてきたのは
もちろん妹たちのためだ
妹たちが立派に一人立ちするまでは、と決めていた
だが、それだけではなかったことも確かだ
あえて迂遠な表現を選ぶなら
トンちゃんは、アリアパパよりも子育てに自信があった
その根拠となっているのが、兄さま兄さまと慕ってくれる妹たちだ
多少、自堕落に育ってしまったかもしれないが⋮⋮
やれば出来る子たちだ
聞けば、かの有名な豊穣の巫女を捕縛の一歩手前まで追いつめた
らしい
親はなくとも子は育つと言うが︱︱
トンちゃんは苦笑した
表情を引き締めて、具体案を述べる
﹁私が単独で先行する。五分経っても戻らないようなら、手段は問
わん。障害を排除し、突破しろ。それでも難しいようなら⋮⋮﹂
眼前を横切るブロックには、あきらかに規則性がある
しかし検証の時間が惜しい
トンちゃんの並外れた身体能力ならば、おそらく踏破できるだろう
安全なルートを見定め、行って戻ってくる
これが理想だ
2979
だが、侵入者を蹴散らす罠という可能性も捨てきれない
元より先に進める構造になっていないということだ
その場合、自分なら徐々に難易度を上げる造りにする
退路を断つためだ
最悪の可能性については考えないことにした
自分の案に見落としはないか
脳裏で工程を整理しながら、トンちゃんは言った
﹁上級魔法が弾かれるようであれば、アレイシアンさまを頼れ。た
だし、これは最終手段だ﹂
精霊の宝剣は最高位の存在であるらしい
だからなのか? 光輝剣で破壊した対象を魔法で修復することは
できない
一度、壊してしまえば取り返しがつかないということだ
その説明を省いたのは、わざとだった
時間が惜しいというのもあるが⋮⋮
いちばんの理由は、勇者さんの指揮官としての適性を
部下たちに疑ってほしくなかったからだ
勇者さんに戦術を教えたのはトンちゃんだ
だから二人の考え方は似たものになる
部下たちは、おそらく自分の欠点を
あるいは自分には自覚がない欠点を把握していることだろう
それは、自分が中隊長だから許されている欠点だ
2980
実績を持たない勇者さんは
トンちゃんと同じではだめなのだ
彼女は、彼女なりの個性を見つけなければならない
かつて上司が自分に太ればいいのだと道を指し示してくれたよう
に⋮⋮ 泥酔した大将に諭されて獲得した太鼓腹が誇らしかった
もちもちした二の腕を覆っているのは、重厚たる白銀の装甲だ
狐娘﹁兄さま! だめ!﹂
迷彩を破棄して叫んだのは、いちばん幼い妹のコニタだ
彼女は、ステルスしているのをいいことに
勇者さんの猫耳をいじっていた
末妹に触発されたか
いまのいままで、おれの上でだらだらしていた狐面たちが
次々と迷彩を破棄して姿を現す
アリア家の狐は、五人姉妹だ
比較的、大きいのがイベルカとサルメア
中くらいのがレチアとルルイトさん
小さいのがコニタと覚えてもらえば間違いない
﹁コニタ。心配するだけ無駄﹂
﹁兄さまは、ちょっとおかしい﹂
2981
﹁あの程度、まったく問題にならない﹂
﹁むしろ、お土産を買ってくる程度の余裕はあるはず﹂
魔ひよことのやりとりで
彼女たちは、自分たちの兄が
生きて帰ってくる気がないのではないかと
はじめて疑いを持ったのだ
悲壮なまでの覚悟を固めたトンちゃんが
妹たちの制止を振りきって駆け出す
そして、とくに問題なく戻ってこれた
どるふぃん﹁少し削りとってきた。⋮⋮浮かないな﹂
狐娘︵小︶﹁⋮⋮⋮⋮﹂
※ でたらめだな
※ なんなの、この超人⋮⋮
※ もう魔都とかいいから回廊に行けよ⋮⋮
2982
の騎士
敵
だから
︱︱もう、どれだけの魔物を斬ったのかわからない
魔物は
人間とは相容れない存在だから
自分は出来損ないかもしれないけれど
それでもアリア家の人間だから
生命を断ち切ることに感慨を覚えることはなかった
彼と、自分は違うのだと思った
当然のことだ
自分は、あんなふうに
なんの関わりもない他人のために
無為に命を差し出すような真似はしない
当然のこと⋮⋮
たった、それだけのことなのに
きゅうと胸を締め付けられるような気がした
﹁リシアさん!?﹂
光弾を連射していた小さな妖精の少女が悲鳴を上げた
薄闇の中、素早く旋回した彼女は
宙を踊るかのようだ
二対の羽が高速で振動するたびに
2983
光の軌跡が尾を引いた
きれいだと思った
︱︱退魔性の不調は深刻だった
これで何度目だろう
不正に停止した退魔力が、魔物を仕留め損なっていた
突き出した剣で身体を貫かれたはずの魔物が
触手を引きしぼる
至近距離からの一撃に
しかし、閃くものがあった
剣を手元に引き寄せる
一挙動で身体をひねり、首を傾けた
頬を掠めたのは魔物の体温だ
後方へと過ぎる触手を意識の片隅でとらえながら
突き込んだ左手にありったけの退魔力を込める
直後、ぶるりと体表をふるわせた魔物が
まるで夢かまぼろしのように霧散した
致命傷を負った魔物は、光の粒子に還元される
こんな死にざまを晒す生きものが真っ当であるはずがなかった
彼らは、侵略者だ
千年前に地上へと渡って来た
それ以来、人類と魔物は争い続けている
アレイシアンは、史上十人目となる勇者だ
2984
勇者とは、光輝を掲げるもの
光輝と称される退魔の宝剣を御し得る、時代唯一の存在だった
直視をためらうほどの燦々たる輝きが
闇に慣れた魔物たちをひるませた
少女の手から放たれた光刃が
立ちふさがる魔物の群れを一斉に打ち砕く
勇者さんの息は荒い
すでに彼女は自覚していた
いや、とうに予感めいたものはあったのかもしれない
宝剣の力を解放するたびに
何か大切なものが失われていくかのような感覚があった
振るえば振るうほど
聖剣は本来の力を取り戻していく
それは望ましいことである筈なのに
自分以外の何者かに身体を浸食されるような不快感があった
気が付けば
ふと意識が遠のくような後遺症に蝕まれていた
︱︱なんなんだ、この剣は?
このとき彼女は、はじめて聖剣の存在そのものに疑いの目を向けた
聖剣の正体は、闇を凝縮した魔界の宝剣だ
2985
魔王から人間の手に渡ったことで
闇の宝剣は光へと転じた
⋮⋮そんな都合の良いことがあるのか?
最初からそのように設計されていたと考えたほうが
まだしも、つじつまが合うような気がした
何か
を守っている。何を?
⋮⋮仮にそうだとすれば、勇者と魔王の対決は仕組まれたものだ
王種は
王種、精霊、宝剣、異能⋮⋮
魔法、魔物、魔力、魔王⋮⋮
⋮⋮管理人⋮⋮
脳裏に浮かんだ幾つもの単語が
天体観測をしているみたいに
ぐるぐると回っているような錯覚を覚えた
頬を伝う汗をぬぐった勇者さんが、馬上でふらついた
いつの間にか肩にとまっていた羽のひとが
とっさに念動力で支えなければ、落馬していたかもしれない
意識を取り戻した勇者さんが、目元を片手で覆った
まぶたに焼き付いた光の残滓が、ちかちかと目を刺すようだった
かぶりを振って、しっかりと手綱を握る
﹁⋮⋮リン、ありがとう﹂
彼女は、どれほどの苦境に立たされようとも
礼儀を重んじてきた
2986
その生き方が、束縛を嫌って里を飛び出した妖精には
窮屈に見えることがある
﹁⋮⋮いいんです。そんなことより、もう宝剣は使わないほうが⋮
⋮﹂
聖剣を振るうごとに
あきらかに勇者さんは消耗している
ひと振りごとに
鮮やかに色づいていく精霊の宝剣が
まるで
彼女の生命力を糧としているかのようだった⋮⋮
だから彼女の口を衝いて出たのは
自分でも意外な言葉だった
﹁ノロくんが﹂
掛け値なしの本音だったから
どこで言葉を切れば良いのかがわからなかった
彼女は、ぽろぽろと涙を零しながら
ひと息に話した
﹁ノロくんが、きっと何とかしてくれますよ。もう、いいじゃない
ですか。リシアさんは、がんばりましたよ。もう、いいじゃないで
すか⋮⋮。わたしは⋮⋮﹂
子狸は、おれたちの管理人だ
2987
しかし勇者さんは、子狸とは何の関係もない赤の他人だ
言ってみれば、彼女は犠牲者だった
だが、それは一面の事実でしかない
本当に無関係なのは、子狸のほうなのだ
魔物の庇護下にあるバウマフ家の人間が
人類のために戦う必要性は
じつは、ない
それなのに、人間はどこまで行っても魔物にはなれないから
バウマフ家は、白にも黒にも染まりきれない
世界から孤立した一族だった
よすがなく
つたない糸をたぐるように
人と魔物の狭間をのこのこと歩いてきた⋮⋮
※ おや、子狸さんの様子が⋮⋮?
※ 挙動が不審すぎる⋮⋮。この子狸⋮⋮ぜんぜん反省してな
いな
※ こら、子狸! めって言ったでしょ!
※ おお、どうやら理解してくれたようだ⋮⋮
※ うむ、やれば出来る子だからな
※ そのまま何事もなく通過する⋮⋮と見せかけてフェイン
トだぁーっ!
※ 猛然と駆ける! 本気すぎる⋮⋮!
2988
※ いったい何が子狸さんをこうまで駆り立てるのか!?
※ そして、いま前足を⋮⋮!
※ おっと、ここでコアラさんが⋮⋮?
※ き、キマッたぁ∼! 前足四の字固めだぁーっ!
※ 子狸の顔面が苦痛にゆがむ! ギブか? ギブか!?
※ 首を縦にぃ∼⋮⋮振らない!
※ 諦めない! 挑戦者ポンポコは諦めない!
※ いったい挑戦者を支えているものは何なのか!?
※ え!?
※ そんなばかな!?
※ や、やりやがった⋮⋮!
⋮⋮⋮⋮
涙ながら訴える羽のひとに
勇者さんは困ったように眉を下げた
少し悩んでから
ぎこちなく微笑んで言う
勇者﹁あなたは、あの子を信頼しているのね﹂
妖精﹁いえ、そんなことは﹂
羽のひとは即答した
いつしか涙は止まっていた
妖精﹁ごめんなさい。わたし、どうかしていました﹂
2989
与えられた勝利にどれだけの価値があろうか
未来は、自分たちの手で掴みとらなければ意味がないのだ
勇者﹁⋮⋮そう?﹂
意見をひるがえした羽のひとを
勇者さんは不思議そうに見る
小首を傾げてから、振り返って
追走している王国騎士団を視界におさめる
彼らの疲労は、すでに深刻なレベルに達していた
連合騎士団が脱落したしわ寄せが
重くのしかかった結果だ
魔都は魔王軍の本拠地だ
はびこる魔物たちは、そのどれもが高い水準にあり
開放レベル3でなければ対処しきれない場面もたくさんあった
幾度となく先陣を切ってきた王国最強の騎士に至っては
もはや目の焦点が合っていなかった
ここではない、どこか⋮⋮
遠くを見つめるような目をしている
妖精﹁うわぁ⋮⋮﹂
症状の回復につとめる王国騎士団の精鋭たちに
羽のひとが向ける視線は痛ましい
勇者﹁⋮⋮疲れているのね﹂
2990
勇者さんがそう言った
見ればわかるようなことなのに
彼女が言うと、心に突き刺さるような響きがあった
追いついてきたトンちゃんが
それは違うと反論する
どるふぃん﹁アレイシアンさま、われわれは騎士です﹂
勇者﹁そうね﹂
どるふぃん﹁よく訓練された騎士は。ですから、こうして鋭気を養
うのです﹂
休めるときは、しっかり休むのが戦士の鉄則だ
では、休めないときはどうすれば良いのか?
騎士たちは、とうに結論を下していた
戦闘と休日の融合だ
それしかない
⋮⋮追いつめられた人間とは、こうまで矛盾をはらんだ存在にな
るのか
勇者﹁⋮⋮⋮⋮﹂
怪しいスキルを習得している騎士たちに
勇者さんは言葉を失う
2991
しかし、彼らの言葉に嘘はなかった
足元の床が忽然と消失しても
洗脳めいた訓練を施された騎士たちは
一斉にトンちゃんへと視線を集めることができた
目の焦点を戻したトンちゃんは
即座に二通りの選択肢を自らに突きつける
這い上がるか
あるいは、このまま降下するかだ
不可避の落とし穴は、ありふれた罠だ
以前の魔都にも同じものがあった
ようは、穴の中に術者が潜んでいて
頃合いを見計らって魔法を解除したのだろう
飛行能力を持つ魔物は珍しいが
まったくいないわけではない
驚くほどのものではなかった
よくあることだったから
騎馬は自由落下への耐性がある
そうでなければ、自在に宙を駆ける騎士の相棒はつとまらない
そう、力場を駆けのぼれば復帰するのは簡単だ
だが、これは見方を変えれば好機だった
2992
ここに落とし穴を設置した魔物の意図は何なのかと考える
もちろん侵入者を撃退するための罠だろう
そこに王国最強の騎士は活路を見出す
彼が本当に恐れているのは、偶発的な事故だ
ラストダンジョンと結晶の砂漠を何事もなく通過できたのは
王国騎士団にとって歓迎されざる事態だった
その帳尻を、ここで合わせることが出来るかもしれない︱︱
彼の考えが正しければ
王国騎士団と都市級の魔物は、ある一面で利害が一致する筈だった
つまり、都市級の共闘は避けたいということだ
トンちゃんは決断を下した
﹁降下するぞ! 陣形を組め!﹂
環境の維持は、特装部隊の仕事だ
一つの小隊につき、四人ついている特装騎士たちが
一斉に減速魔法を解き放つ
自分が所属する小隊は
自分で面倒を見るという不文律が彼らにはあった
ひもなしバンジーなど日常茶飯事だったから
実働部隊の陣形は上下にも対応できる
勇者﹁⋮⋮⋮⋮﹂
2993
旅立つ前は、魔法のない生活を謳歌していた勇者さんが
腕組みなどしてのんきに考え込んでいたトンちゃんを
冷たい目で見つめていた
羽のひとの念動力は便利だ
彼女には、どれほど感謝しても
感謝のしすぎはないように感じる⋮⋮
頬を叩く地下の大気が生ぬるい
奈落の底に落ちていくかのようだった
闇の中、目を凝らしたトンちゃんが叫んだ
﹁来るぞ!﹂
飛行型の魔物は少ない
元来、人間は空を飛べない生きものだから
彼らの生活圏と合致するよう
いちばん多く生まれたのは陸上型だったからだ
その不足を補うのが新種の魔物だ
慣れない翼の扱いに四苦八苦するお前らが
実働騎士たちに次々と打ち落されていく
妖精﹁⋮⋮⋮⋮﹂
お前らの不甲斐ない姿に
数少ない飛行型の羽のひとが向けるのは
2994
暗い⋮⋮
失望の眼差しだった
※ あ、その目は良くないと思うな
※ うん、良くない
※ 羽のひとは、むしろおれたちのチャレンジ精神を褒め称
えるべき
※ 空は飛べるんだよ⋮⋮飛べるんだけど⋮⋮
※ この翼がね⋮⋮
※ というか、こんな翼で飛べるのは航空力学上おかしいん
だけどね
※ それを言ったら、空のひととかありえないでしょ⋮⋮
※ あの魔ひよこ、あれだけ肥えてて最速の魔物なんだぜ⋮⋮?
※ お前らの濁った目に真実が映ることはないのです
一度でも暗がりに落ちたなら
二度と這い上がれないかのようだった
どるふぃん﹁ゴル!﹂
通常、人間には得意とする属性がある
アトン・エウロの属性は炎だ
彼は、外食産業に携わる人間ではないが
幼少期の強烈な体験が属性を決定することはままある
そうした場合、自らの意思で変更することはできない
あたかも呪いのように生涯付きまとう
2995
だから自らの属性を忌み嫌う人間もいる
それでも得られるものがあるならば
自らと向き合っていくしかないということだ
下方に片手を突き出したトンちゃんが召喚したのは
おぞましいとしか言いようのない黒炎だった
彼の火属性は、ある一定の規模を越えると黒く染まる
発火魔法の正体は、高熱をともなった火炎の映像だからだ
他人とは共有できないイメージだったから
彼には実働騎士になるという選択肢がなかった
束縛から解き放たれた黒炎が
獲物を品定めするかのように
舌なめずりをした
※ グロっ!?
※ グロいよっ!
※ ポンポコ級にグロい!
お前らの防壁は、まったく意味を為さなかった
特化した属性魔法は、性質の上下関係を覆すこともある
これは二番回路の補佐によるものだ
こんがり焼けるお前ら
トンちゃんが全力で火炎魔法を撃つことは滅多にない
2996
妹たちが、おびえるからだ
少なくとも、羽のひとの前で披露したのは
これがはじめてだった
黒い炎など自然界には存在しない
意図的にそうしたのだと疑われても仕方なかった
妖精﹁オリジナル魔法?⋮⋮案外、子供っぽいところがあるんです
ね﹂
勇者﹁⋮⋮珍しいわね。人前では、そうそう使わないのに﹂
トンちゃんの過去を知る勇者さんは
彼の意図を計りかねている
しかし有名な話ではあった
目覚ましい活躍をした騎士には
のトンちゃん
黒炎
だ
本人の許可を必要としないふたつ名がつく
王国最強の騎士
黒炎
アトン・エウロのふたつ名は
突入部隊は、闇に沈んでいく
彼らは知らない
魔都が改装されたのは
都市級と都市級の衝突によるものだ
2997
その余波で魔ひよこの家は全壊した
だが、ただ一つ崩壊を免れた施設がある
その施設は
魔都の地下深くに存在する
罪人を繋ぎとめる監獄だ
世界中に点在する
子狸さんの巣穴の一つである⋮⋮
2998
砂漠の蛇の王
と言い換えることもできる
は
魔法には原始的な意思がある
性質
性格の違い
だから魔法の
つまり
上位性質は我が強くプライドが高い
慣れ合いを嫌うから
ウマが合わない性質との共存には難があり
無理に従わせようとすると、相応の開放レベルを要求してくる
強力な魔法は使い勝手が悪いということだ
大きく輪をひろげた黒炎が
包囲を狭めるように魔物から魔物へと感染する
魔力
を彷彿とさせる光景だった
通常の殲滅魔法とはまったく異なる⋮⋮
どこか
わざわざ構成を変える意義は薄いから
これは、すなわちトンちゃんが黒炎を完全に支配できていないこ
とを意味する
おそらく強迫観念のようなものがあり
こうした形態でしか制御できないのだろう
光の粒子に変換されたお前らが
地下空間をほのかに照らした時間は
一秒にも満たない、ごく短時間だった
2999
王国騎士﹁若⋮⋮!﹂
騎士たちが悲鳴を上げた
彼らは、自分たちの中隊長を二代目ないし若と呼ぶ
アトン・エウロは、英雄ジョンコネリの弟子であり
その後継者と目されているからだ
どるふぃん﹁っ⋮⋮!﹂
トンちゃんは馬上で上体を倒して浅い呼吸を繰り返していた
大魔法の連発は、人体を容赦なく蝕む
それは拒絶反応によるものだ
魔法は、自らの名を呼ぶものに呼応する
心から欲していると訴えるものを
相応しい器へと作り変えようとする
これら二つの条件を満たすことで
魔法と人間の契約は成立する
これは正当な取り引きだ
もう逃げられない
数々の魔法を駆使し
あまたの魔物を打ち倒してきた
やがて辿りついたのは、罪にまみれた闇の底だ
どるふぃん﹁地下、牢獄、か⋮⋮?﹂
3000
︱︱似合いの結末だと思った
巨大な魔物が闊歩する魔都は
何から何までスケールが違う
囚人はいないようだった
しかし、ざっと見渡しただけでも
さまざまな牢屋があるようだ
用途が不明な牢屋もある
天井から吊り下げられたバナナが気になる
無造作に捨て置かれた踏み台とこん棒は何のつもりなのだろうか
? 大きなとまり木が設置された牢屋⋮⋮
場違いに豪華なベッドが安置されている⋮⋮牢屋?
隙間なく壁で囲われた牢屋⋮⋮部屋?
腕ほどの太さがある鉄格子を
内側からねじり切ったような牢屋などは
まだ、まともなほうだ
鉄格子がなく
その代わりに⋮⋮なのか?
古代言語で床に﹃ばかには見えない壁﹄と刻まれた
どう見ても出入り自由な⋮⋮牢屋? 部屋? 分類不能な収納ス
ペースまである⋮⋮
3001
だが、じっくりと観察しているひまはなかった
地下で王国騎士団を待ち受けていたのは
三つの巨体だった
いや、待ち構えていたというわけではなさそうだ
彼らは口々に言った
トカゲ﹁! リリィか!?﹂
トカゲ﹁いや、騎士団だ! あの装備は、白アリの⋮⋮!﹂
トカゲ﹁ばかな! 人間どもの侵入を許したのか!?﹂
※ トカゲさん!?
※ なんで全部おれしてるの!?
※ 任せた結果がこれだよ⋮⋮
※ おい! レベル3が三人はひどすぎるだろ!
※ ちっちっち⋮⋮甘いな。お前ら、よく見るんだ
※ ⋮⋮?
⋮⋮?
※ にぶいな!
ほら、よく見て!
目に傷跡がないでしょ!
※ ⋮⋮?
※ ⋮⋮?
3002
※ ⋮⋮ないね。だから?
※ だからぁ!
ここにいるのは、パワーダウンしたおれなのね
ゲートを守っていたのは、一族で最強の個体ということにし
よう
門の守護獣をつとめるのは、一族でもっとも強力な個体だ
だが、そのような事実を人間たちは知りようがない
王国騎士﹁メノッドロコ⋮⋮!﹂
戦慄する騎士たちを差し置いて
勇者さんが駆け出した
どるふぃん﹁! 彼女を援護しろ!﹂
トンちゃんは戦える状態ではない
ならば自分がやるしかないと、勇者さんは判断したのだ
剣
という範疇から逸脱しはじめていた
光の宝剣は肥大し続けている
もはや
身の丈ほどもある聖剣を、勇者さんは軽々と振るう
精霊の宝剣には重量というものがない
攻撃の対象を指定することもできたから
大きくなっても取り回しが悪くなるということはない
勇者さんは、どんどん強くなる
加速度的に︱︱
3003
でも、まだだ
まだ足りない
もっと
もっと力を︱︱!
妖精﹁⋮⋮!﹂
勇者さんの肩につかまっている羽のひとが
はっと目を見開いた
ふと浮かび上がったのは
勇者さんが脳裏に描くイメージだった
これは、アリア家の狐が織りなす共振現象によるものだった
コニタは、一族で唯一の受信系の適応者だ
彼女は、他者の心を読むことができる
物体干渉の異能がオリジナルとされるのは
精神系の適応者が操る念波の正体が
じつは、変形した念力だからだ
羽のひとが、勇者さんのイメージを忠実に再現する
彼女の助けを借りて
勇者さんは一気に加速する
地を踏む足を、羽のひとの念動力が補佐した
たしかに勇者さんの学習能力は高い水準にある
3004
しかし、それは他者の模倣に過ぎない
全体の一部を見て、そこから発展させていくような発想力はなか
った
だから、彼女が人間の限界を越えようとするなら
これまで戦ってきた魔物の動きを盗むしかなかった
跳ねるように駆ける勇者さんを
幾条もの光線が追い抜いていく
トカゲ﹁勇者か⋮⋮!﹂
殺到する光槍が
巨獣の身体に突き刺さった
が、浅い
致命傷には程遠い
迫る追撃を尾で振りはらった鱗のひとが
その場に屈みこんで腕を振る
そして目を疑った
トカゲ﹁!?﹂
勇者さんの姿が忽然と消失していた
直前に跳躍した勇者さんが
腕に飛び乗っていたのだ
鱗のひとは、反射的に彼女を振り落とそうとする
そのために腕を引き寄せる
3005
その瞬間を狙い澄まして
勇者さんは高速で振動する聖剣を
足元の鱗に突き立てた
トカゲ﹁⋮⋮!﹂
全身を伝った光の輪が鱗のひとを締めつける
返す刃で巨獣の急所を切り裂いたとき
すでに勇者さんは腕から飛び降りて後退している
これで、まずは一人
あれほど苦戦した戦隊級の魔物を
あっさりと下した勇者さんに
騎士たちが勢いづく
なるほど、ロコは強力な魔物だ
騎士級とはケタが違う
だが、連携が稚拙に過ぎる
これならば勝てる
しかし、彼らは
学校で習ったことを
直後に思い出すことになる
稚拙な連携? そうではない⋮⋮
本当に強力な魔物は
まず第一に
他者との連携を必要としない
3006
轟音が響いた
壁面が砕ける音だ
壁を突き破って
ぬうっと頭だけを出したのは
巨大な蛇だった
王国騎士﹁ディ・リジル⋮⋮!﹂
上位都市級に分類される魔獣の一人だ
魔物と見れば突っかかっていく勇者さんが
今回ばかりは動けなかった
なまじ知識として知っているだけに
まるで勝てる気がしなかったからだ
しゅうしゅうと威嚇音を発している蛇の王が
全身から光槍を生やしているロコを見て
おかしくて堪らないというように笑った
蛇﹁なんてざまだ⋮⋮﹂
縦に裂けた瞳孔に見つめられて
二人の獣人は緊張する
トカゲ﹁⋮⋮リジルどの﹂
魔人を最強の魔獣とするなら
この毒蛇は最悪の魔獣だ
3007
長大な胴をくねらせて
地を叩くように前進する
全身を露わにした大蛇は
首の後ろから一対の翼が生えている
体長に比して、あまりにも小さな
その翼は、飛行用のものではない 魔ひよことの友情のあかしのようなものだ
笑いをおさめた蛇の王が
ぎろりとロコを睨みつけて命じた
蛇﹁こんなところで遊んでいる場合か。邪魔だ。行け﹂
二股に裂けた舌を突き出して威嚇すると
ロコたちは慌てて背中を向けた
走り去ろうとする二人を、ふと大蛇は呼びとめた
蛇﹁待て﹂
トカゲ﹁えっ?﹂
足を止めて振り返った二人に
魔獣が浮かべた微笑みは
一転して優しげなものだった
蛇﹁元帥どのに報告する必要はない⋮⋮わかるな?﹂
3008
手柄をひとり占めしたいということだ
トカゲ﹁し、しかし⋮⋮﹂
トカゲ﹁! リジルどの、あなたは⋮⋮!﹂
魔軍元帥は、魔王軍の総司令官だ
報告しないという選択肢は
本来ならば彼らには存在しない
蛇﹁嫌か? だが、まあ⋮⋮﹂
鎌首をもたげた毒蛇が
悠然と勇者さんを見下ろした
蛇﹁選択肢は、そう多くない。じつのところはな⋮⋮﹂
言うなり、ロコたちが苦しみ出した
ぐるりと白目を剥いた彼らは
不意に脱力して
その場で昏倒した
魔力だ
王国最強の騎士が叫んだ
﹁目を合わせるなーッ!﹂
リジルは、極めて攻撃的な魔力の持ち主だ
この毒蛇と目を合わせたものは
3009
即座に呼吸困難に陥る
一斉に視線を足元に落とした騎士たちを
蛇の王はあざ笑う
﹁そう⋮⋮選択肢は多くない。だが、本当にそれでいいのか?﹂
対処法は、目を合わせないこと
それ以外にはない
だから騎士団は、この凶悪な毒蛇に対して
常に敗北をしいられてきた
﹁お前たちは、おれが何を見ているのかわからないまま戦うのか?
そうして、お前たちは、何と、どのようにして戦うのだ? 教え
てくれ﹂
都市級の魔物は、開放レベル4の猛者だ
彼らは、一時的に時空間をゆがめて
魔法の詠唱をなかったことにできる
﹁どうした? ん? 勇者よ⋮⋮﹂
獲物をいたぶるように
うつむいている少女に口元を寄せて
蛇の王がささやく
﹁お前の先達は、光を支配することができた。それが宝剣の真の力
だ⋮⋮。まさか出来ないとは言うまい? さあ、顔を上げろ⋮⋮﹂
剣士の勇者さんが
3010
聖剣を完全に使いこなすのは
まず無理だ
なぜなら彼女は、魔法使いではないからだ
頼みの綱の退魔性も
すでに信頼を置けるものではなくなってしまった⋮⋮
3011
砂漠の蛇の王︵後書き︶
登場人物紹介
・大蛇さん
結晶の砂漠に住みつく巨大な蛇さん。開放レベルは﹁4﹂。
首の後ろに小さな翼が生えているが、これは変形した皮膚である
らしい。飛行能力はない。
魔王軍の最大戦力、魔獣種の一人。わりと責任感が強いためか、
レベル4のひとたちのリーダーと目されている。
空のひとと仲良し。
共闘しないのが不自然なくらい仲良しなので、蛇さんを卵から孵
したのは魔ひよこの一族で、恩義を感じている一方で煙たがってい
るという設定になっている。
極めて攻撃的な魔力の持ち主で、目が合ったものを問答無用で戦
闘不能にする。
設定上、不随意筋を操作することもできるため、やろうと思えば
即死させることもできる。
魔人に次ぐ実力者で、上位都市級の分類に入る。
狡猾な魔物で、大変な野心家であるらしい。
しかし、ふだんは魔ひよこの手前、おとなしくしている。
自宅の結晶の砂漠については大いに不満がある。
ひとことで言い表すなら、﹁意味がわからない﹂らしい。
文句を言いながらも、毎日の手入れを欠かさない。
3012
さいきんは砂紋の表現に凝っている。
3013
究極の解答
肝心なのは
何よりも重要なのは、タイミングだった
アトン・エウロは、もしも許されるなら
いますぐにでも小さなあるじの元に飛んで行きたかった
まるで綿菓子をなめるかのように家々を噛み砕き
わけもなく咀嚼する凶悪なあぎとが
彼女に迫っていると考えるだけで気が狂いそうだ
手綱を握る手がふるえているのは
大魔法の連続行使による離脱症状なのだと
自分に言い聞かせなければならなかった
けれど彼はアリア家の人間ではないから
まばたきを忘れたかのように見開いた両の眼は血走り
呼吸は散々に千切れていく
ねばつくような地下の空気は
多くの人間にとって不快感をもたらすものだ
だが、いまは魔王の手先にこうべを垂れる屈辱が勝った
馬上ではあるものの
決して目を合わせてはならないと
うつむく騎士たちが
まるで、王に忠誠を誓う臣民のようだった
3014
尋常ではない鬼気を発する王国最強の騎士に
王の名を冠する大蛇が
酩酊でもしているかのように胴体をくねらせる
﹁いい気分だ⋮⋮﹂
致死性の猛毒を視線に持つ魔獣は
そうすることが効果的だとわかったから
本来ならば騎士たちが守るべき
か弱い少女へと執拗に言葉を投げる
光輝剣に秘められた真の力とは
光を支配することにある
つまり、可視光線を自在に操ることができた
歴代の勇者が、この恐るべき魔力を持つ毒蛇に対抗できたのは
ひとえに宝剣の力によるところが大きい
魔力など、魔王軍の幹部にとっては余芸に等しい
それを克服して、はじめて人間たちは
魔獣と相対する資格を得るに過ぎない⋮⋮
その資格すら持たない人間たちが滑稽に見えて仕方がなかった
蛇の王は、その高い知性ゆえに人の心を理解できる
悲しみも、憤りも、何かを守りたいという気持ちも
手に取るようにわかった
だから、その気持ちを踏みにじることもできる
3015
蛇の王は言った
﹁どうした? 顔を上げろ。なに、簡単なことだ﹂
﹁なるほど、あるいはお前は勇者の器ではないのかもしれん⋮⋮﹂
﹁だが、そんなことは些細な問題だ。そうだろう?﹂
﹁⋮⋮そうとも。いつの時代も、勇者は奇跡を起こしてきた﹂
﹁絶望的な状況でも、愛情だの友情だのと⋮⋮素晴らしいでは
ないか﹂
夢見るように
うっとりとした瞳を、人間たちは直視できない
﹁おれは、そうしたお前たちの前向きな部分が嫌いではない⋮⋮好
ましいとすら思っている﹂
最悪の魔獣は、朗々と人間の素晴らしさを吟じた
﹁さあ、立ち上がるのだ、勇者よ⋮⋮﹂
﹁剣をとれ﹂
﹁前を向け﹂
﹁恐れることはない﹂
﹁お前の心に、熱く燃え盛る正義があるのであれば︱︱!﹂
蛇の王は、正義の讃歌を口ずさむ
それが、どれだけ虚しいことか理解しているからだ
いつの時代も、勝者にあったのは正義ではない。力だ
だから暴力を否定しようとする人間たちに
魔物たちは
3016
強く⋮⋮
強く⋮⋮期待している⋮⋮
それは、つまり答えのない問いに挑むということだからだ
いよいよ激しく胴体をくねらせた大蛇が
人間たちの遥か頭上で壁に牙を突き立てた
深く食い込んだ牙を支点に巨体を振り上げると
したたかに打ちつけられた尾が
堅牢な石壁を触れた端から吹き飛ばした
身の危険を感じた騎士たちが、思わず視線を跳ね上げる
壁にとりついた大蛇と目が合って
喉の奥から引き攣れた声が漏れた
だが、彼らの人生がここで閉ざされることはなかった
魔獣は﹁しまった﹂というように
くねらせた尾で顔面を覆った
﹁いまのは惜しかった! 仕損じたわ⋮⋮。おれは、つの付きほど
器用ではないからな。たまに機を逸することがある⋮⋮今後も同じ
ことがないとは限らないな⋮⋮﹂
そう言って、殊勝なふりをして力場を伝って地上に降りる
それから、床に寝転んでいるロコたちを見つけて﹁ん?﹂と他人
事のように首を傾げた
﹁おいおい⋮⋮お前たち。こんなところで寝ていると風邪をひいて
3017
しまうではないか⋮⋮﹂
リジルは愛される魔獣を目指している
しゅるしゅるとロコたちに巻きつくと
その巨体を壁の向こうにひょいひょいと放り投げた
自在に詠唱を破棄できる魔獣たちは
無尽の力場で身体を支えることができる
それゆえ彼らに不利な体勢というものはない
まるで砲丸のように
水平に飛んでいったロコたちは
幾つもの壁を突き破ることになった
※ 蛇さん、痛い! 痛いよ!
※ もっと丁寧に扱って! おれを丁寧に扱って!
※ お前らには、おれの優しさがわからないの⋮⋮?
そのまま寝てたら、勇者さんに串刺しにされるでしょ!
第一、なんで寝てるの!? わけがわからないよ
※ なに言ってんの、この蛇!?
※ いい加減、目を覚ましなさいよっ、この酔っぱらい!
※ 酔ってねーよ!
青い汁
と言う
お前らが愛してやまないスポーツドリンクは
その名も
物理法則とはあまり縁のないお前らでも
3018
ひと口で健康になれるという魔法の清涼飲料水だ
勘違いしているひとも多いが、べつにお酒ではない
それなのに、ときどき人型のひとたちが監査に入って没収される
※ ⋮⋮どうして平気な顔をして嘘をつくの? ※ あれはお酒でしょ。しかも最大開放のレベル9相当⋮⋮
青魂
とか
聖水
とか呼んでるでしょ
※ あと、青い汁というのはコードネームだよね? お前ら、
裏で
おれたちが聖水を口にして
その秘められし聖性で以て前後不覚に陥るのは
仕方のないことなのではないか
※ 仕方のないことなのではないか
※ 仕方のないことなのではないか
※ 青いのんのしぼり汁を飲もうとする気持ちが理解できな
い⋮⋮
※ ぽよよん
魔力の不調を訴える毒蛇に対しても
騎士たちは、じっと耐える
リジルの凶暴な魔力に抵抗するすべはない
目を合わせた瞬間に意識を失うことも珍しくないから
詠唱変換で対抗しようとしても限度があるのだ
︱︱だが、それも過去の話だった
3019
蛇﹁⋮⋮?﹂
不意に大蛇が頭上を見上げた
魔物の五感は、人間よりもずっと優れている
もちろん、そこには聴力も含まれる
リジルが耳にしたのは
ひとの声ではない
高低が絡み合った音の連なりだ
太古の昔、人は小鳥のさえずりに芸術を見出した
せせらぎに心の安らぎを求めた
風に踊る草花に、自分たちと同じ心を見たから
いつしか彼らは
寄り添って生きることを
諦めたくないと願ってしまった
まるで、音階が降ってくるかのようだ
奏でられる曲が
雨のしずくみたいに
きらきらと輝いて見えた
︱︱その声が響くと同時に、騎士たちは顔を上げた
﹁行け! ばか弟子ぃーっ!﹂
地下に木霊した大音声は
3020
驚くほどの活力に満ちていた
たとえ、しわがれていようとも
絶望に足を止めた人々を鼓舞するような
希望と呼ぶには、あまりにも苛烈な声だった
どるふぃん﹁サー! イエッサァァー!﹂
ぴんと背筋を伸ばした王国最強の騎士が
声が小さいと怒られるのはもう嫌だったから
全力で吠えた
これまでのうっぷんを晴らすように
突進してくる突入部隊を
蛇の王は魔力で迎撃することも出来た筈だ
︱︱嘘だろ!? とトンちゃんは内心で縮み上がった
タイミングも何もない
約束が違う
めちゃくちゃだった
それなのに猛毒の魔獣は
真横を通りすぎる王国最強の騎士を
勇者ごと完全に無視した
突入部隊が降下してきた縦穴を
続々と白銀の騎士たちが舞い降りてくる
十人や二十人ではない
3021
百人でも、まだ不足だ
千人規模の
紛うことなき大隊だった
そして大隊を率いることができるのは
世界で三十人しかいない大隊長のみ︱︱
何故こんなところに、と魔獣は問わなかった
わかりきったことだからだ
トンちゃん率いる王国騎士団の中隊は
帝国騎士団と連合騎士団の助力を得て
ここまで来た
同じことが王国で起きているのだと
蛇の王は理解した
いや、そんなことはどうでもいい⋮⋮
リジルは、地を叩くように前進する
喜悦にゆがんだ口元を誤魔化すように
カッと喉を晒して咆哮した
﹁ジョンコネリぃーっ!﹂
﹁あ!?﹂
応じる老騎士も負けていない
﹁青大将がっ⋮⋮! 気安くひとの名前を呼んでんじゃねぇーっ!﹂
3022
世界広しといえど
不敗
だ
あの蛇さんを青大将呼ばわりするのは、このおじいちゃんくらいだ
いや、もっといるかもしれない⋮⋮
大隊長とか、大隊長とか、大隊長とかだ
蛇の王が高速で地を這いずる
その巨体からは信じられないほどのスピードだ
その双眸は、禍々しいまでの興奮に満ちている
武勇で知られる王国最強の騎士
人類に残された最後の希望、勇者⋮⋮
そんなものは、大隊長と比べれば小物だ
大隊長に登りつめるような騎士が
ふたつ名を持たないなど
まず、ありえない
ジョン・ネウシス・ジョンコネリのふたつ名は
都市級との交戦は数えきれない
そのたびに惨敗してきた
徹底的に敗北を心身に刻まれて
なおも懲りずに立ち向かってきた
だから、いつしか魔獣たちの興味は
この、ちっぽけな人間に
いかにして負けを認めさせるか⋮⋮
その一点へと集約していった
3023
その結果、どれだけの街と村が壊滅を免れたことか
大隊長とは、生きた英雄なのだ
蛇の王が、宿敵へと吠える
﹁小僧! いい加減、悟れよ! 人間のくせに生意気なんだよぉぉ
ぉっ!﹂
負けじと老兵が吠える
﹁だまれ! くそ蛇が! 今度という今度は蒲焼きにしてやるぁぁ
ぁっ!﹂
はじめて会ったときは十人ほどの小隊を率いていた青年の騎士が
百人の部下を持つようになったのは、いつの頃か⋮⋮
たくましかった肉体は、いまや見る影もない
髪に白いものが混ざるようになった頃⋮⋮
彼に救われた街村の子供たちの幾ばくかは
立派に成長して、彼の部下になった
彼は、大隊長になっていた
もう分別がついても良い年頃だろうに
大将は、我慢ならないとばかりに騎馬を飛び降りた
﹁やってやんぞ! おら! 掛かってこいや! タイマンだ!﹂
﹁間抜けか! きさま!?﹂
﹁ばーか、ばーか! こっちには秘密兵器があるんだよ!﹂
3024
惜しみなく秘密兵器の存在を宣伝する隊長に
後ろで楽器を奏でている部下たちの表情が引きつった
脱いだ兜を床に叩きつけた大将が、雄叫びを上げて殴りかかって
くる
目を逸らしたら負けとばかりに
毒蛇の視線を真っ向から受け止めている
文句があるのかと言わんばかりに
極限までまなじりを見開いていた
蛇﹁しね!﹂
だが、魔力は弾かれた
タイミングよくチェンジリングしたのだろうと蛇さんは判断
チェンジリングには連発できないという欠点がある
蛇﹁しね! しね!﹂
遠慮なく魔力を連射
だが、そのことごとくが大将には通用しない
蛇﹁んだぁ!? なにしてくれてんだ、このクソガキ!﹂
原因は、間違いなく騎士どもが垂れ流している演奏だ
原理はわからないが⋮⋮
しかし、はっきりしていることがひとつある
3025
おじいちゃんが、空中を走っていた
力場を踏んだとか、そうした次元ではない
これは都市級と同じレベルの現象だ
彼らは、ついに詠唱破棄の領域に足を踏み込んできたのだ︱︱
蛇さんが放った圧縮弾を
片腕で無造作に叩き落とした大将が
重力場をまとったこぶしを振り上げる
そして⋮⋮
﹁釣りはいらねえ! 手前ぇの奢りだ!﹂
蛇さんをぶん殴った!
3026
逢魔
はるか後方で
なにか巨大なものが倒れるような地響きがした
あとに続くのは、寄る年波に完全勝利したひとの雄叫びだ
騎士たちが喝采を上げた
地下監獄を抜けた突入部隊は
長大な階段を駆け上がっていた
一段、一段に踊れるほどのスペースがある
なだらかな段差は、騎馬の足の妨げにはならない
小隊の垣根を越えて
具足を打ち鳴らす騎士たちの表情は明るい
大騎士とも呼ばれる百戦錬磨の古兵には
不敗
の将軍は
部下たちの不安を払拭するような力がある
とりわけ
いかなる苦境も跳ね除ける現代の神話であった
騎士たちは知っている
ジョン・ネウシス・ジョンコネリほど負け続けた騎士はいない
黒星まみれの戦歴は
しかし記録には残らない勝利の積み重ねだ
※ あれが、そうなのか。チェンジリング・ファイナル⋮⋮
※ まさかだな
3027
※ ああ、まんまとしてやられたよ。よもや詠唱破棄をパク
られるとはな⋮⋮
※ しかしファイナルか⋮⋮
※ ファイナル⋮⋮なんか一周してかっこいい気がしてきた
おい。やめろ
ファイナルで盛り上がるな
ファイナル魔法とか生まれたら、お前ら責任とれんのか
※ 飛ぶ鳥、跡を濁さずという言葉もある
※ 有終の美というわけか⋮⋮
※ だが、飛べない鳥もいる
※ ⋮⋮なにが言いたい?
※ ふっ、チェンジリング・ファイナルの原理さ
※ お前、まさかひと目で⋮⋮!?
※ ああ。もっとも⋮⋮
ひと目でわかったら苦労はしないがな⋮⋮
※ なんだ、子狸か
※ 子狸じゃねーよ!
千年だ
千年という気が遠くなるような歳月の果て⋮⋮
王国騎士団は、ついにチェンジリングを完成させた
チェンジリングとは、状況に依存した詠唱法だ
会話中に主語を省いても意味が通じるように
3028
魔法への呼びかけを簡略化する技術である
だから規律を逸脱する度合いが大きければ大きいほど
シチュエーションは限定されていくことになる
おそらく極限の域に達したチェンジリングは
使いものにならないということだ
突入部隊の道を切りひらいたのは
いびつな発展を遂げた老兵たちの挽歌だった
勇者﹁⋮⋮⋮⋮﹂
騎乗しているひまはなかったから
かっさわれるように小脇に抱えられた勇者さんは
自分を荷物のように扱っているトンちゃんに対して
不平不満を述べるつもりはない
どうもトカゲさんを相手に張りきりすぎた感がある
その直後に登場した、酔いどれ蛇さんとクライマックスおじいち
ゃんに
ぜんぶ持って行かれてしまった
だれも褒めてくれないから
ただでさえ少ない勇者さんの体力ゲージが
ミーッと減少の一途を辿るかのようだ
※ ⋮⋮いや、彼女はがんばったと思うよ。うん
※ うん⋮⋮。本当に強くなったね⋮⋮
3029
※ ⋮⋮でも、なんだろう
うまく言えないんだけど
安定しすぎてて波がないって言うか⋮⋮
※ うん、なんかわかる
もう開幕の魔哭斬が当然の流れみたいになってるから
こんなこと言いたくないんだけど
回避、余裕です⋮⋮
トンちゃんの危惧は正しかったということになる
対魔物戦の基礎は、溜めて溜めてドンだ
それなのに勇者さんは理詰めで行動するから
マラソンでペース配分を忘れてスタートダッシュした可哀相な子
になる
千両役者の子狸さんを森に放したことで
彼女へと、徐々に忍び寄りつつあるのは
噛ませ犬の影だった⋮⋮
後方へ流れていく段差を
勇者さんは無言で見つめている
つい先ほどの戦いで
新しいコンビネーションに開眼したのに
巻き添えで前座に落ちついた羽のひとは健気だった
妖精﹁り、リシアさん⋮⋮?﹂
3030
勇者﹁べつに気にしていないわ﹂
問われてもいないのに勇者さんは即答した
彼女は、トンちゃんの言いぶんに納得していなかった
戦力で勝る魔王軍を相手に
正々堂々と戦ってどうするのだという信仰がある
より勝率の高い戦法をとるべきだ⋮⋮
だから、重要なのはタイミングなのだと説かれて
突入部隊の危機に颯爽と現れる大隊長という作戦に
いちおうは同意した
同意はしたが⋮⋮
なんだかさいきん自分の扱いがひどくないか?
という遣りきれない思いはある
まさか都市級の魔物にスルーされるとは思わなかった
勇者なのに
第一、魔獣が強すぎる
なんだ、あれは
へたをしたら単独で人類を滅ぼせるのではないか?
理屈はわかる
魔獣たちが魔都から離れないのは、魔王を守るためだ
三人の魔獣は、互いが互いへの抑止力になっている
王種という桁外れに強大な存在がいるから
彼らの監視下では、あまり派手なことはできない
3031
なんだ、これは?
人間の立ち入る余地がないではないか
この世界の均衡を保つあらゆる要素は、魔物たちに帰結する
出来の悪い、なぞなぞみたいに
完結しているのだ
物思いにふける勇者さんを現実へと引き戻したのは
トンちゃんの声だった
どるふぃん﹁黒雲号!﹂
勇者﹁どうして、あなたまで、その名前で呼ぶの﹂
勇者さんが実家にいた頃から
これはと目を掛けていたお馬さんの本名は、ノロと言う
名付け親は、このおれである
アリア家の人間が最後の勇者になることは
あらかじめ決まっていたことだから
アリアパパと、おれは、とある無言の協定を結んでいる
いずれ、娘さんのどちらかが勇者になる
もしもお馬さんと同じ名前の人間が現れたなら
それは、おれたちの手引きによるものだ
あたたかく見守ってほしいと⋮⋮
理想を言えば、それとなく勇者さんに言い含めておいてほしかっ
たのだが⋮⋮
おれの真心はうまく伝わっていなかったようである
3032
かくして︱︱
おれが水面下でひそかに推進していた
子狸さん逆ドッキリ計画は
ひと知れず終焉を迎えたのであった⋮⋮
※ おい。くわしく
※ 一人で勝手に何してくれてんだ、この青いの⋮⋮
※ お前ら、責めないでやってくれ
山腹の∼んはね、子狸の身を案じていたんだよ
勇者さんは剣士だからね
おれは山腹さんの味方です。ぽよよん
さすが王都さん
王都さんは違いのわかるぽよよんだ⋮⋮
※ なんだ、お前ら。和解したのか
え? 和解ってなんのこと?
もとから、おれたち仲良しですし
ね?
※ ね∼
※ うわぁ⋮⋮
※ すでに修復不能なまでにこじれたか⋮⋮
なんでだよ
いま、おれら完全にシンクロしてただろ
3033
※ でも、お前ら完全に本流と支流に分岐してるよね
おれ、てっきりお前らが袂を分かったんだと思ってたよ
でも、そうじゃないなら良かった
※ お互いさ、至らない点があったんじゃないかな?
意地の張り合いとかやめて、合流しようぜ!
おれ、肩を組んでぽよよんするお前らが見たいよ
さ、そうと決まったら仲直りの握手だ!
それは、まあ⋮⋮
⋮⋮追々な
※ おお、完璧に使いこなしている⋮⋮
⋮⋮だが、お前らの言うことも一理ある
おれは、少し意地になっているかもしれない
シリアス担当だった勇者さんは
日増しに残念になっていくかのようだった
※ いや、悪いのはおれだよ
シリアス担当は、やはり子狸には荷が重い⋮⋮
いや、悪いのはおれさ
※ いや、おれだ
おれだよ
3034
※ おれだろ
⋮⋮おっと、あぶない
お互い大人になろうぜ! 王都さん!
※ そ、そうだな! 山腹さん!
せーので一緒に謝ろう!
それがいい! それで、この件はおしまいだ
ぜんぶ元通りさ!
うむ!
よし、それでは掛け声で同時に! 同時にな!
こほん⋮⋮
せーの!
※ ⋮⋮⋮⋮
⋮⋮⋮⋮
騎士たちの表情は明るい
彼らは前向きだった
最悪の可能性について考えないようにしていたからだ
魔都に突入して、どれだけの時間が経過したろうか
山腹軍団と王国騎士団の衝突から
すでに十八日⋮⋮
勇者さんの推測では、王国滅亡まで残された猶予は三日ある
3035
だが、それはあくまでも希望的観測によるものだ
つまり、大将が前線で指揮をとっている前提での話だった
大将の代わりをつとめることができる大隊長は居るのか?
⋮⋮居る
ネウシスの称号名を持つ大騎士の定員は、一国につき最大で十人だ
居るには居る
が、足りない
数ヶ月前に
各国は、競うように新大陸へと大隊長を派遣している
現地で暮らす人々と、友誼を結ぶためだ
新大陸について三大国家は協議を終えていて
派遣する人物は、最高でも中隊長という約束になっていた
そして三大国家は、迷うことなく大隊長を派遣した
そのほうが有利に交渉を運べるからだ
当然そうなるとわかっていたので、当然そうした
騎士たちの表情はあかるい
遠く離れた彼らの祖国は
すでに滅びている可能性すらあった
魔都は、世界地図のどこにも載っていない
隠世と顕世を隔てる最後の門をくぐって
彼らは常夜の地へと足を踏み入れた
彼らは異物だった
彼らを育んだ土壌は、ここにはない
3036
彼らが愛した風景は、ここにはない
彼らの懐かしむものは、なにもない
あるのは、這い上がってくるような冷気と
そして、ときおり吹く、生ぬるい風だけだ
心に灯る熱だけが
戦うと誓ったあの日の決意を
彼らに証明してくれるものだった
騎士たちは一心に念じる
だいじょうぶだ
何とかなる
きっとうまく行く
彼らの高揚が伝わってくるような気がして
勇者さんは大きくまばたきをした
彼女が不在の間、鞍上の留守を守っていた小さな狐娘が
懲りずに勇者さんの猫耳をいじっている
まだ幼く、適応者としても成熟しきっていない彼女は
つとめて鈍感であろうとする人間の内面をさらうことができない
まわりの熱に浮かされて、興奮した口調でトンちゃんに話しかけ
ていた
﹁兄さま。さっきのひとが、兄さまのお師匠さま?﹂
ジョン・ネウシス・ジョンコネリは、王国の英雄だ
3037
恩師の勇姿を次代へと語り継ぐのは
自分の役目なのだと、トンちゃんは思った
﹁そうだよ。私と本気で喧嘩してくれた、唯一の⋮⋮。もちろん勝
ったのは私だが⋮⋮﹂
自分自身の声なのに、ひどく遠く聞こえた
懐かしさに喉が詰まって
うまく話せているだろうかと心配だった
こんなことではいけないと、声を張ろうしたら
思うように加減ができず、自分でも驚くほどの尊大な物言いにな
った
﹁まあ、ワンパンだな!﹂
騎士たちが、どっとわいた
常日頃から大将に粗雑に扱われていた彼らだから
無敵の師弟が誇らしくて仕方なかった
盛大に拍手するもの
慣れない指笛を吹くもの
さまざまだ
珍しく気を利かせた勇者さんが
模範を示そうと綺麗な指笛を吹いた
彼女が父親から教わったことは、あまり多くない
これは、その一つだった
小さなあるじにまで囃し立てられて
3038
トンちゃんは、少しびっくりした顔をしてから
照れ笑いを浮かべる
きりりと表情を引き締めたトンちゃんは
突き出た太鼓腹を鎧の上から軽く叩いて
大声で笑った
﹁はっはっは!﹂
笑顔は人生を豊かにする
それが彼の口癖だった
気難しい羽のひとも
これには苦笑を漏らした
階段を登りきった
交差路に出る
王国最強の騎士は、渡り鳥並みの方向感覚まで備えているようだ
った
迷わず右手に折れて、直進する
四辻が続く
どこまでも伸びる廊下は
まるで果てのない旅路のようだった
大蛇の魔力の影響によるものか
さいわい、階段で魔物と遭遇することはなかった
騎士たちは、すでに離脱症状を脱している
3039
十字路が連続する地形は
攻めるに難く、守るに易しいと見てとったトンちゃんは
実働部隊に障壁の展開を命じた
左右からの敵襲に備えてのことだ
自慢の部下たち
自慢の妹たち
自慢のあるじ
何もかもうまく行く気がした
それなのに楽しい夢は
いつだって唐突に覚める
泣いても喚いても
悪夢は立ち去ってくれないのに
鎖を巻き取るような音がした
開放レベル3の防壁がしゃぼん玉みたいに弾けた
黒い影が視界の端をちらついた
目で追おうとして失敗する
息苦しい
壁が陥没した
鎖の音は鳴り止まない
息苦しい
舌の根が乾く
言葉が空をきる
黒い影が視界の端をちらつく
目で追うことはできる
しかし反射速度に身体が追いつかない
人間の限界︱︱
3040
魔力
だ
理解は遅れてやって来た
黒い影が壁を蹴る
そのたびに壁が陥没する
哄笑が響き渡った
無邪気な子供が笑っているような声だった
﹁は! は! は! は! は!
は! は! は! は! は!
は! は! は! は! は!
は! は! は! は! は!﹂
哄笑が過ぎ去ったとき
半数にも及ぶ騎士が馬上から跳ね上がった
彼らの全身を包む鎧が、破裂でもしたかのように砕け散る
束縛を焼き切った王国最強の騎士が
人一倍の巨漢を長らく支えてくれた騎馬から飛び降りた
﹁行け!﹂
3041
マイカル・エウロ・マクレンと
ノイ・エウロ・ウーラ・パウロは
魔鳥に打ち勝つことができるだろうか
ジョン・ネウシス・ジョンコネリは
蛇の王との因縁に終止符を打てるだろうか
今度は自分の番ということだ
一撃で意識を刈り取られた騎士たちは
まるで、そうなることがわかっていたように
運良く災禍を免れた騎士たちの両腕におさまっていた
偶然? ありえない
狙ってそうしたのだ
恐慌をきたした狐娘たちの異能が暴走しかけていた
彼女たちは騎士ではないから
魔力に囚われてしまったら自力で跳ね除けることができない
無言の悲鳴が吹き荒れる
散乱した記憶が
暴力的なリアリティで脳裏に焼きついた
天から降る紫電
紅蓮の炎に沈んだ街並み
落ちた影よりもなおも濃い影が
地を這いずる黒い影が
すべてを呑み込んでいく⋮⋮
3042
それは、彼女たちの祖国の最後の一日の光景だった
︱︱兄さま!
妹たちの悲痛な叫びに
アトンは、振り返って微笑んだ
彼は、自分の生涯を締めくくる最期の言葉を
ずっと前から決めていた
それは妹たちの名前だ
けれど、こんなところで死ぬつもりはなかったから
口にはしなかった
代わりに、末妹をぎゅっと抱きしめてくれている小さなあるじを
見た
遠ざかっていく彼女に一つ頷いてみせると
鬼気迫る表情で、しっかりと頷き返してくれた
アトンは、四辻を折れた影を、追う
左右の足で、踏みしめるように歩く
留め具を外して、マントを放り捨てた
ばさりと床に落ちたマントが
朽ち果てるかのように細かく千切れていく
胸当てと胴巻きも外す
どのみち、一撃でも貰ったら終わりだから
3043
少しでも身軽になっておきたかった
重たい音を立てて、床を転がった鎧が
いびつにひしゃげた
ある部分はへこみ、ある部分は盛り上がる
奇妙な現象だったが、アトンは気にしなかった
もう、長年の付き合いになるからだ
彼の身に宿る異能は
史上まれに見るほどの強力な物体干渉だ
強力な異能は
概念の世界を飛び出して
現実の世界に干渉してくるから
極めて暴走しやすい構造になっている
意図的に暴走を引き起こすこともできるということだ
二度と見失うまいと眼差しに力をこめる
四辻の交差点から視線を転じると
ちょうど黒い影が、さっと通路を折れたところだった
じゃらりと鎖を引きずる音がした
知らず、アトンの口元に獰猛な笑みが浮かんだ
﹁ようやくか⋮⋮。ようやくだ﹂
﹁十年。捜したぞ⋮⋮﹂
﹁影﹂﹁魔人っ﹂
3044
アトンが舌鋒も鋭く追求したのは
自らの祖国を滅ぼした魔獣の名だった
﹁グラ・ウルーぅ!﹂
3045
魔人
最強の魔獣
魔人グラ・ウルーに対抗できるとすれば
それは、王国最強の騎士、アトン・エウロ。彼を置いて他にない
まともに戦えば、まず敗北は必至だから
わざと異能を暴走させる
無差別攻撃になるから
彼ひとりを残して突入部隊は先行する
必勝の策だ
事は予定通りに進んでいる
そのはずだった
それなのに不吉な予感を払えないのは何故だ
騎士たちは、奥歯を噛みしめて叫び出したい気持ちをこらえる
勇者さんは、狐娘たちを安心させるために嘘をついた
﹁アトンが負けるわけないでしょう⋮⋮。あとで追いついてくるか
ら、⋮⋮だから、あなたたちは何も心配しなくてもいい﹂
彼女は、建前と本音を意識的にすりかえることができる異能持ちだ
勇者さんには、魔人の動きがまったく見えなかった
3046
気付けば騎士たちの半数が宙を舞っていた
あれが魔人なのか⋮⋮
最強の魔獣と称されるだけのことはある
桁違いだ
だが、アトンなら勝てる
魔人は、彼に近づくこともできない
妥当
な予想に、狐娘たちは安心した
渦巻く力に触れただけで八つ裂きにされる
勇者さんの
しかし、そうではないのだと騎士たちは知っていた
彼らは、魔人の正体について、おおよその見当がついている
だから、つとめて考えないようにしていた
グラ・ウルーは
あの魔人は︱︱
︱︱まるで夢のようだと思った
ずっと
ずっと、このときを待っていた
この邂逅を、誰に感謝すれば良いのかと迷うほどに
アトンは、逸る足をぐっと抑えて歩く
もしも、これが夢なら
昂ぶりを意識した瞬間に
目覚めてしまうのではないかと恐れたからだ
3047
﹁ようやく会えたな﹂﹁この日を﹂
自分自身の中で感情が完結していたから
吐き出される言葉は文脈が破綻していて
どこまでも端的になる
ゆらりと曲がり角から姿を現したのは
漆黒の四足獣だった
くすぶる輪郭が
網膜に焼きつき、尾をひいて見えた
たてがみが
黒く、炎のように揺らめいている
グラ・ウルーは、馬の魔物だ
とくべつ巨大ということもない
魔物の中では、むしろ小柄な部類だ
足元に落ちる影が、ふつふつと沸き立っている
本体と影の境目はあいまいで
ひづめの音はいっさいしない
足を前後するたびに
四肢を拘束する鎖が擦れ合い
しじまを埋めていく
鎖は、足元の影から伸びていた
彼は、罪人なのだ
3048
魔人は上機嫌だった
鼻歌交じりに、ゆっくりと近づいてくる
その姿が、まばたきをするごとに変じていく
まるで紙芝居でも見ているかのようだった
おちつきなく馬体を左右に揺すっていた魔人と
アトンの視線が、不意にぴたりと重なった
一瞬、きょとんとした魔人が
ぴんと背筋を伸ばして笑った
﹁は、は、は、は、は、は!﹂
だらりと両腕を垂らした
馬頭の怪人が
天を仰いで哄笑を上げる
漏れ出でた圧倒的な魔力を
アトンは食い破って前進する
一歩、進むごとに
適応者のくさびから解き放たれた異能が
歓喜の歌を声高らかに叫ぶかのようだった
なんの前触れもなく壁の表面が崩れた
賽の目にえぐりとられた壁材が
雪崩を打って床に散らばる
魔人は笑う
3049
魔力が一層ふかく膨れ上がる
厚みを増した影が沸騰する
ぷちりぷちりと弾けていく
現界したのは、巨鳥と大蛇の影法師だ
※ おれら、集結!
※ ぶるる⋮⋮!
※ がおー!
※ しゅ∼っ!
シティ
※ 四人揃って!
※ 都市∼ぃっ⋮⋮あれっ、ひとり足りねえ!
※ てっふぃー!? てっふぃーはどうして来てくれないの
!?
わざわざ幻影を投じてくれたお前らが妖精さんの不在を嘆いた
立場は違えど、同じレベルのひとたちのきずなは深いのだ
※ ⋮⋮⋮⋮
※ 恥ずかしがるなよ! 本当は好きなんだろ!?
※ あの練習の日々を忘れないでっ⋮⋮!
※ ⋮⋮仕方のないやつらだ
壁が、天井が、床が
影に塗りつぶされていく
無数の胡蝶が舞った
3050
影で構成された闇の蝶だ
あはは
うふふ⋮⋮
くすくすと喜色の声が上がった
笑いさざめく少女たちの声は
距離感というものがなく
肝胆を寒からしめる響きがある
魔人は狂ったように笑い続ける
﹁ちからが、みなぎる! 素晴らしい! 圧倒的だ! なんと美し
い⋮⋮!﹂
手足を拘束する鎖に
びきびきと亀裂が走る
魔人は、王都襲撃の責を問われて
地下監獄に収容されていた
グラ・ウルーの魔力は、魔軍元帥のそれと同質だ
否、この鎖こそが⋮⋮
つの付きの魔力、その本性なのだ
地下に囚われた魔人は、つの付きに魔力を徴収されていた
その、いましめが
このとき、ついに
解かれてしまった
3051
魔法を使うということは
制限を開放していくということでもある
使い古された錠前に
どれほどの価値があろうか?
閉ざされていた門は、開いてしまった︱︱
アトンの視界が反転した
﹁⋮⋮!﹂
十数歩ぶんの距離を一瞬で詰められて
投げ飛ばされたのだと理解するよりも早く
彼は、喚声を発していた
数回に分けて力場を踏み、慣性を削らねばならなかった
凄まじいまでの膂力だ
三人の魔獣の中でも、この魔人は別格だった
だから、かろうじて制止したアトンは
目と鼻の先に魔人が佇んでいても驚かなかった
手首を掴まれて、立たされる
王国最強の騎士が、まるで子供扱いだ
不可視の念力は、すでにアトンの制御下にはない
身体がみるみる欠けていくというのに
しかし魔人は、何ら痛痒を覚えていないようだった
3052
貴族が催す舞踏会への参加を余儀なくされるときもあったから
魔獣のステップに合わせて踊ることもできた
アトンには、他者が踊っているのを見れば
たいていは一度でステップを記憶してしまう非凡さがあった
騎士と魔獣が踊る
ふたりは至近距離で笑顔を交わす
両者に共通するにぶい眼光が
貪欲に﹁お前はおしまいだ﹂と物語っていた
魔人がささやく
﹁勘違いしていないといいよな?﹂
彼は、非力な人間の思い違いを正さねばならないという
じつに魔物らしい義務感に衝き動かされているようだった
﹁あの日、あの場所で、お前たちを見逃したのは、将来有望だと思
ったからだ﹂
意外な、と言うふうにアトンの片眉が跳ねた
自分のことを覚えているとは思わなかったのだ
その内心を、かすかな仕草から読みとった魔人が
機先を制して言う
﹁よく覚えているよ﹂
アトンと、その妹たちは王国の生まれではない
3053
彼らは共和国の出身者で
その国は、十年前に滅び去っている
手を下したのは魔人だ
決定打になったのは、活版印刷の技術だった
おれたちは、およそ千年前に
動物たちと、ある盟約を交わしている
縄張りを譲り受ける
その対価として、致命的な天災から彼らを守るというものだ
行き過ぎた技術は、天災と同じだ
どれだけの森林が消えてなくなることか
だから、あの国を放っておくという選択肢は
おれたちには、なかった
トンちゃんは、お馬さんを恨んでいるのか?
恨んでいるのだろう⋮⋮
しかし、彼の口から出たのは意外な言葉だった
﹁恨みごとを言うつもりはない﹂
目を閉じれば脳裏に浮かぶのは
分かれる直前に記憶に刻み込んだ彼女たちの泣き顔だった
笑顔を見たかったというのは、自分のわがままだろうか?
アトンは、名残りを惜しむようにまぶたを開く
﹁だが、可愛い妹たちがおびえる﹂
﹁可哀相だろう? まだ幼いんだ⋮⋮﹂
3054
たったそれだけの理由だった
そして、それが全てだった
テレパス
メトラ
彼の妹たちは、全員が兄と同じく異能持ちだ
出力と入力、双方を兼ね備えたアリア家の狐は
身近にいる人間の心を、たやすく変容させる
妹たちが無意識のうちに願っていたから
アトンの人格は、きっと彼女たちの願望から形成されていた
﹁お前は。グラ・ウルー⋮⋮﹂
表情を改めたアトンが言う
かりそめの仮面を脱ぎ去った彼が、次にまとうのは
剥き出しの敵意を塗り固めた戦闘意匠だ
﹁悪夢そのものだ﹂
﹁いいぞ﹂
グラ・ウルーは認めた
好戦的な魔人が王種に挑まないのは
恐怖
を糧にする魔物なのだろう?﹂
彼の期待する戦いが、そこにはないからだ
﹁お前は
﹁いいぞ。続けろ﹂
﹁お前の正体を知る人間は、お前には勝てない。恐れまいとする気
3055
持ちが働くからだ﹂
﹁では、お前も勝てないということになるな﹂
﹁だが、知らねば対策は打てない﹂
﹁無敵だな。まるで、おれは﹂
他人事のように魔人は言った
恐怖を完全に克服できる人間など、ふつうはいないからだ
それは王国最強の騎士とて例外ではない
だから彼は言った
﹁私は、この世でいちばん幸せな人間だ﹂
﹁本当にそうか?﹂
魔人が舌なめずりをした
一転して攻勢に出たのは
それでも好敵手との出会いを疑っていたからだ
﹁お前は、本当に勇者が魔王に勝てると信じているのか?﹂
﹁お前の妹たちは、勇者と運命をともにするだろう⋮⋮﹂
﹁本当に預けて良かったのか?﹂
﹁それは正しい判断だったのか?﹂
影
を通して見ていたから、魔人は知っている
﹁お前は疑っている⋮⋮﹂
3056
今代の勇者は︱︱弱い
致命的なまでに聖剣とは相性が悪い
凍て付かせた感情が、宝剣の発達を阻害してしまうからだ
アトンがため息をついた
彼は、出し抜けにこう言った
﹁彼には謝罪しなければならないな⋮⋮﹂
それから重心を落とし、魔人の手を掴むと
先ほどのお返しだとばかりに投げを打った
彼は、悪夢の住人を実体として捉えることができた
守るべきものがあるとき
ひとは恐怖に立ち向かうことができるからだ
アトンは言った
﹁アレイシアンさまは、変わった。私は、変われただろうか?⋮⋮
十年前のあの日から﹂
戦力差は絶望的だ
空中で身をひねって着地した魔人が
従えるのは、五人の人影⋮⋮
幼い少女の姿をしていた
よく似た姉妹だ
似ている、という次元ですらなかった
3057
ひとりの人間の成長途上を見ているかのようだ
彼女たちは、アトンを見つめて口々に言う
﹁兄だ﹂
﹁兄がいるよ、姉﹂
﹁兄、眠い﹂
﹁兄、お腹へった﹂
﹁兄、ひま﹂
そう来るだろうと予期していて
なお、アトンの表情が苦渋にゆがんだ
﹁私は、⋮⋮僕は、騎士になったよ⋮⋮﹂
妹たちは、兄の言葉を無視した
﹁馬﹂
﹁えっ﹂
一身に注目を浴びたお馬さんがびくっとした
五人姉妹の自分を見る目が
幼い頃の子狸さんを彷彿とさせるものだったからだ
﹁っ⋮⋮!﹂
妹たちの関心を集めている魔人に
トンちゃんは嫉妬した
3058
胸が痛んで仕方なかった
これが魔人の策略だとわかっていても
妹たちに嫌われてしまったら
自分の人生は無意味なものに成り下がるのではないかと恐れた
お馬さんとトンちゃんが
壮絶な育児合戦に身を投じた頃⋮⋮
勇者さんは、謁見の間に辿りつこうとしていた
魔人の襲撃に晒された騎士たちは
一向に目覚める様子がない
開放レベル4の打撃を受けたのだ
人間が扱える範囲の治癒魔法では回復の見込みがない
視線の先にそびえるのは巨大な扉だ
肩にとまっている妖精さんが制止するひまもなかった
迷わず宝剣を起動した勇者さんが
放つ光刃で扉を切り刻んでいく
彼女の視界に飛び込んできたのは
漆黒の武装に身を包んだ常夜の騎士と
扇状に布陣した十二人の骸骨戦士だ
魔軍元帥
つの付き︱︱
その姿を目にしたとき、勇者さんの中で何かが切れた
3059
﹁つの付きぃーっ!﹂
黒雲号を飛び降りると同時に
掌中の宝剣を握りつぶす
光の粒子が舞う
荒れ狂う感情の赴くまま片手を突き出すと
十数もの宝剣が乱れ飛んだ
黒騎士は、火の宝剣を床に突き立てたまま微動だにしない
躍り出た骸骨戦士たちが、一斉に宝剣のレプリカを顕現した
彼らは円を描くように魔剣を振るい、高速で飛翔する光剣を叩き
落とした
恐ろしいまでの剣の冴えだ
前進する精鋭たちに、魔軍元帥が言葉少なに告げる
﹁勇者には手出しするな﹂
﹁はっ﹂
短く答えた骸骨戦士たちが、魔火の剣を片手に散開する
騎士たちの相手は、彼らがつとめるということだ
因縁の対決がはじまる︱︱
3060
魔人︵後書き︶
登場人物紹介
・魔人
最強の魔獣と名高い悪夢の化身。
本名は﹁グラ・ウルー﹂。人間たちの基準で言えば﹁エルメノゥ
グラ・ウルー﹂ということになる。
戦闘時には半馬半人の姿をとる。
魔物たちからは﹁馬のひと﹂﹁お馬さん﹂﹁馬人﹂と呼ばれる。
旅シリーズでは、降板を想定して﹁魔人﹂と称される。
小兵でありながら、獣人種を上回るパワーとスピードを持つ。限
りなく王種に近い存在だ。
広範囲に及ぶ魔力は、蛇さんほど攻撃的なものではないが、多人
数の詠唱を封じ込めることができる。
あまりにも強すぎるため、濡れ衣を着せられて投獄されることが
多い。
歴史上、このお馬さんに打ち勝った人間は八代目勇者しかいない。
異常な勝率により、第九次討伐戦争では降板させられるも、子狸
編にてめでたく復帰。
王都襲撃の濡れ衣を着せられて地下に幽閉される。
冤罪は晴れたのだろうか? 出所してきて、王国最強の騎士と相
まみえる。
その正体は悪夢そのもの。影を自在に操り、人間たちの恐怖を糧
に際限なく成長するという特性を持つ。
3061
設定上、好戦的ということになっているが、ふだんは穏和なひと
である。
人間たちの夢の中に出張してお告げの真似事をすることも。
武勇伝が凄まじすぎるためか、人間たちからはさじを投げられて
いる。
そして、そのことを少し寂しいと思っている。
3062
火を支配するもの
実働部隊には大きな弱点がある
欠員が出た場合
人員の補充が利かないという点だ
八人中、四人が脱落した部隊を二つ用意したとしても
別小隊の間でチェンジリングを連結することはできない
だから、攻撃と防御を完全に分業するしかなかった
十、二十と顕現した宝剣を撃ち出しながら
勇者さんは狐娘たちを通して騎士たちの采配をとる
実動騎士が五人以上残っている小隊を後方へ
勝敗の鍵を握っているのは、彼らの殲滅魔法だ
妖精の加護を受けた勇者さんは
飛ぶように地を駆ける
骸骨戦士たちが散開したことで
黒騎士までの道が開いた
つの付きの傍らに黒妖精の姿はない
黒装の騎士を守護したのは
虚空に浮かび上がった魔剣の群れだ
3063
勇者さんは、薄闇から二振りの光輝剣を引きずり出して
魔軍元帥に迫る
︱︱イベルカ! サルメア!
内心で、姉妹たちの名を叫ぶたびに
魔物への憎しみが胸を焦がした
︱︱レチア! ルルイト!
限界まで膨れ上がった聖剣が
掌中で暴れるようにふるえる
︱︱コニタ!⋮⋮アトン⋮⋮
六人の兄妹が笑っている光景が脳裏をかすめたとき
口を衝いて出たのは
魔王軍を統べる将への怒りだった
﹁なにも知らない癖にっ! つの付き! お前は!﹂
敵なのに、敵だから
魔人を野放しにした魔軍元帥が憎かった
黒騎士は動かない
玉座の手前は、なだらかな階段になっている
謁見の間に集まった兵士たちを
奥まで見通すためだ
3064
階段に足を掛けた勇者さんが
ネクストサークルで待機している鬼のひとの眼前を走り抜けていく
こん棒を支点に屈伸運動していた帝国小鬼が
フォームの修正をしながら大きく素振りした
連合﹁ボーク!﹂
勇者さんは、脇目も振らずに駆ける
簡易プールでくつろいでいた海底のんが
ふぃーと息をついた
海底﹁うまみ成分、抽出中﹂
しかばね﹁⋮⋮⋮⋮﹂
お前らを見つめるリリィさんの目が冷たい
怨霊種、不動のツッコミ役である彼女の
笑いへの耐性は随一だ
その牙城を、お前らは突き崩せるのか?
勇者さんは、壇上の黒騎士を射るように睨んでいる
その視線を遮るように通過したのは、見えるひとだ
ふと、まぶしそうに手をかざして、言った
亡霊﹁夏。透き通るおれ﹂
3065
歩くひとが吹き出した
彼女の持ちネタだった
まさかの自爆である
元帥﹁ふっ﹂
不敵な笑みを漏らした黒騎士が、ついに動く
火の宝剣を引き抜き、悠然と一歩を踏み出した
具足が重々しく揺れる
元帥﹁なにも知らない? なにを知れと言うのだ⋮⋮?﹂
はるか頭上、窓から飛び込んだ雷光が謁見の間を照らした
光は、黒鉄の鎧をすべり落ちる
元帥﹁アレイシアン・アジェステ・アリア⋮⋮。お前は人間だろう。
おれは違う。おれは魔物だ﹂
それが全てだった
ふたりは違う生きものだった
この二者の前では
立場の違いなど、ささいな問題だった
もっと大きな断絶が、両者を隔てているからだ
反論したのは羽のひとだった
妖精﹁だったら魔王は! 魔王はっ⋮⋮!﹂
3066
魔王の正体は
人間
だ
魔軍元帥の言いぶんを信じるなら
彼の、魔王に対する忠誠は不公平と言える筈だった
それなのに、黒騎士の双眸に宿ったのは激しい怒りだ
鉛を押し出すような低い声音でつぶやく
元帥﹁だれから聞いた⋮⋮?﹂
魔王が、魔物と人間の中間に位置する存在ならば
だからこそ、自分たちの王を人間と呼ぶのは許しがたいことだった
求める言葉など返ってこない
問えども、問えども
満足のいく答えはない
互いの破滅を願っているから
空白を埋めるのは言葉ではなく剣戟だった
魔剣の一閃を
勇者さんは、交差した聖剣で受ける
勇者﹁⋮⋮!﹂
重い一撃だ
勇者さんの小柄な身体が弾き飛ばされる
宙を舞った光の粒子と火の粉が
ともに剣となって互いの刃を砕いた
3067
元帥﹁だれに聞いた⋮⋮!﹂
繰り返し言った黒騎士が魔力を放つ
以前のものとは形質が異なっていた
再度、突進しようとした勇者さんの片腕を
不可視の鎖が絡めとる
すかさず光剣で断ち切った勇者さんが
後退しながら多重顕現した宝剣を射出する
黒騎士は、不意に口調を和らげた
元帥﹁前言撤回しよう﹂
そう言って、片手をかざす
すると、空間に穿たれた幾つもの穴が
放たれた光剣を吸い込んだ
黒騎士は言った
元帥﹁二年か、三年あればと、おれは言ったな。訂正しよう。あと
一年もあれば、お前はじゅうぶんな脅威になれた﹂
現時点では違うということだ
妖精﹁!﹂
羽のひとが目を見張った
宝剣を吸い込んだものの正体が掴めなかった
3068
彼女は、とっさに思う
︱︱だめだ。勝てない
たしかに勇者さんは強くなった
しかし完調した黒騎士は、それ以上だ
足運びには淀みがなく
港町で見せたようなぎこちなさがない
さらに未知の技術を持っている⋮⋮
彼女の危惧は正しい
つの付きが用いたのは、魔剣の変形だ
魔軍元帥は、魔王軍最高の魔法使いだから
宝剣への適性が極めて高い
火の宝剣が渡ったのは
最悪の相手だったのだと、羽のひとは理解した
勇者さんは両手の光剣を駆使して果敢に攻める
聖剣と魔剣が切り結んでいる間にも
骸骨戦士たちが振るう魔火の剣に
騎士たちが次々と倒れていく
集団戦を想定した剣技だ
剣士としての骨のひとは、技量で魔軍元帥を上回っている
力場を踏んで飛び上がった骨のひとが
空中で素早く回転して炎弾を打ち砕く
3069
騎士たちの障壁は、宝剣の前では虚しく散るしかない
切りつけられた騎士が、また一人、紅蓮の炎にのまれた
王国騎士﹁ぐあ∼!﹂
命に別状はない
しかし、火柱にのまれて打ち上げられた騎士は
回復魔法を以ってしても復帰が望めない
粉砕された鎧が、あたり一面に散乱している
戦線は崩壊しつつあった
妖精﹁っ⋮⋮!﹂
羽のひとは決断を下した
光輝剣は、所持者の強い感情に呼応する
勇者さんと親しい誰かが犠牲になれば
きっと彼女は、もしかしたら
黒騎士を上回る力を手に入れることができる
トンちゃんが、そうしたように︱︱
妖精﹁⋮⋮リシアさん﹂
ぞっとするほど穏やかな声だった
勇者さんの退魔性は、もう⋮⋮
3070
当然の結果だった
彼女の猫耳は、彼女の精神状態を反映して動く
おそろしく高度な魔法の結晶だった
その猫耳が、ぴんと張りつめる
勇者さんが悲鳴を上げた
勇者﹁リン! だめ! やめなさい!﹂
この場で、黒騎士を倒してしまえば何も問題はない筈だった
だから勇者さんは、最後の切り札を使う
片方の聖剣を散らし
黒騎士へと人差し指を突きつけた
勇者﹁チク・タク・ディグ!﹂
彼女は、魔法使いではない
しかし人間である以上、その資格はある
そして一朝一夕で扱えるほど、魔法は安くない
はったりだった
身構えた黒騎士に、渾身の刺突を繰り出す
だが、つの付きの反応速度が上回った
聖剣が、砕け散った
3071
吹き飛ばされた勇者さんが
とっさに肩に手をやる
その手をすり抜けて、羽のひとが飛び立った
二対の羽が生み出す爆発的な加速力は、他の追随を許さない
どれほど腕を伸ばしても
ずっと一緒にいると約束した小さな少女には届かない
勇者﹁リン!﹂
羽のひとは、黒騎士へと一直線に飛翔する
多重顕現した魔剣からは、逃れるすべがない
それでいいのだと思った
それなのに、彼女の眼前に飛び込んできたのは
黒衣の、少女だった
小さな両手が絡み合う
慣性でくるくると回りながら
ふたりの妖精の視線が交錯した
羽のひとの眼差しに明確な敵意が走った
妖精﹁ユーリカ!﹂
彼女の突進を抑えた黒衣の妖精が
ふわりと微笑んだ
コアラ﹁リンカー﹂
3072
乱れ飛んだ魔剣を、フライパンがとらえた
光の粒子が床一面に走る
浮かび上がった幾何学模様の中心に魔口が穿たれた
ちょうど勇者さんと黒騎士の中間だ
その穴から飛び出してきたのは
勇者さんと、そう背丈の変わらない小さな⋮⋮
そう、小さな狸さんであった
小さきポンポコ
その四方を、十二人の騎士が固める
唐草模様のマントに混ざって
真紅のマフラーがたなびく
くるくると回っていたフライパンを前足で掴みとる
もう片方の前足に持っているフライ返しを、びしっと黒騎士に突
きつけた
避難していた黒雲号がいなないた
その声に応えたのは
豆芝さんと
そして、ご存知⋮⋮
おれたちの子狸さんである
﹁ お れ 参 上 ! ﹂
3073
﹁ ぽ よ よ ん ! ﹂
いつも子狸さんの横にいるひとも負けじと吠えた
3074
告白
︻最大開放レベル9︼王都在住のとるにたらない不定形生物さん︻
スーパー子狸タイム︼
子狸さんの勇姿を目の当たりにした瞬間
勇者さんの胸中を満たしたのは
何故︱︱
というものだった
戸惑いが大きくて、それ以上は言葉にならなかった
しかし冷静になって思い返してみれば
たぶん彼女は、子狸が魔物たちの味方であることを
心のどこかで理解していた
宝剣の収集を命じたのは
自分以外の誰かなら、子狸を変えてくれるという思いがあったか
らだ
拭いきれない劣等感があったから、自分では駄目なのだと思った
それなのに、檻から解き放たれた小さなポンポコは
自分たちのところに戻ってきてしまった
子狸は、黒騎士を注視している
正確には、火の宝剣を凝視していた
子狸﹁お前は? そうか、そういうことだったのか﹂
3075
港町では、実父の犯行を疑っていたが
なにか心境の変化でもあったのだろうか?
子狸は言った
子狸﹁囚われたのか? それとも堕ちたのか⋮⋮﹂
もちろん、つの付きの正体はお屋形さまではない
まず体格からして異なる
だが、まったくの勘違いではなかったとしたら?
すべてのつじつまが合う気がした
※ お前がなにを言っているのかさっぱりわからない
安心しろ、おれにもさっぱりわからない
ただ、はっきりしているのは
この子狸を、もはや誰も止めることはできないということだ
湧き出す霊気が、外殻を構築する 異形の戦闘形態だ
子狸には、ハイパー魔法への適性があった
この場合の適性とは、バウマフ家の末裔という一点に集約される
千年間
人と魔物の双方に
歩み寄れないかと問うてきた
3076
中には、心を動かされたものもいたのではないか
親から子へ、子から孫へと
歴史の裏で
伝えられてきた物語が、きっとある
子狸を衝き動かすものの正体が、それだ
過度属性とは、人々の願いだ
願いに背中を後押しされて
ステージ
子狸は、人の範疇を踏み越える
カテゴリ
人と魔物を隔てる分水嶺の領域3︱︱
絶対絶命の危機にあった騎士たちの身体から
ゾッと霊気が立ちのぼる
残存勢力は、すでに二十をきっていた
彼らは、全員が全員とも外法騎士というわけではない
だが、子狸は他者の霊気に干渉することができた
それは、まるで︱︱
力
だ⋮⋮﹂
黒騎士が、兜の奥でしたたかに笑った
元帥﹁魔王の
確信はなかったが、これではっきりした
かすかな鼓動ではあるものの
魔王の魂は、子狸の中で、たしかに息づいている
それは、決して喜ばしい事態ではない
3077
魔王が持つとくべつな力
その一部が、人間の手に渡っているということだからだ
それなのに、あるいは?
魔王に絶対の忠誠を誓う黒騎士は
再会の喜びに総身がふるえた
敵、味方、あらゆる利害を超越した喜びだった
つの付きは言った
元帥﹁よくやった、ユーリカ﹂
手放しの賛辞に、黒騎士のパートナーは応じるひまがない
上空で組み合った二人の妖精は
至近距離から弾けるような攻防を繰りひろげている
目まぐるしく上下が入れ替わる
自在に宙を舞う小さな少女たちにとって
重力に反した動きは、そう大きな枷にはならない
くるくると回りながら、ひざとひじを応酬する
実力では黒妖精が勝る
振り落とされたひざを、余裕を以ってさばきながら
圧倒的な上位者である筈の妖精の姫が
しかし秀麗な眉をひそめた
予想以上に速い
予想以上に鋭い
予想以上に重い
3078
暴力を否定して里を飛び出した筈の幼なじみが
成長していることに、闇の妖精は落胆していた
信じたいという気持ちが勝っていたから
自分の腕がなまったのだろうかと
一縷の希望にすがる
ぱっと離れた二人が、小さな人差し指を突きつける
コアラ﹁ダークネス☆スフィア!﹂
妖精﹁シューティング☆スター!﹂
闇と光が交錯し、相殺された
結果は、あきらかだ
あんなにも臆病だったのに
幼なじみは、変わってしまった
強くなってしまった
ささやかな危機感を、自分に抱かせてしまうほどだ
ユーリカは、悲しかった
彼女は、弱者に対して優しく接することができる
歯牙に掛けるまでもないから? そうではない⋮⋮
ユーリカ・ベルは言った
﹁リンカー⋮⋮。どうして、そこまで強くなってしまったの?﹂
3079
彼女は、ともだちを選ぶ
なぜなら、友情の破綻が彼女を苦しめるからだ
﹁どうして、弱いままでいてくれないの? そうでないと、わたし
は⋮⋮﹂
彼女が、里の変革を望むのは
新しい価値観を欲してのことだ
もしも、同胞たちが力ではなく
たとえば、深い知識
たとえば、篤い人徳
それらを重んじるようになれば
自分は苦戦できる、という期待があってのことだった
妖精の姫君は、幼なじみに告白する
それは決別の言葉だった
﹁わたしは、あなたを倒したくなってしまう﹂
困った種族である⋮⋮
少しは子狸さんを見習ってはどうか
人類と魔物の共存を目指している子狸さんは
ぴったりとくっついて立っている牛さんにも目くじらを立てたり
しない
近すぎる
これでは、いざというときに身動きがとれない
3080
適性な距離を置くべきではないか
ためしに割り込んでみると、バスターされた その隙を突いて、子狸が動く
包丁と、まな板を取り出すと
手際よく魔どんぐりをスライスしていく
氷水で身を引き締めてから
拿捕した魔火であぶったフライパンに、魔どんぐりを投入
前足を小刻みに揺すりつつ、焼き色が均一になるようフライ返し
で調整する
その様子を、じっと見つめているのは豆芝さんだ
お馬さんたちは、人間が奇妙な技術を使うことを知っている
その技が、とりかえしのつかないものを代償としていることも
なんとなく理解している
しかし人間たちは、魔法は便利なものだと教わって育つから
いつしか本能に根ざした違和感を見失っていく
バウマフ家の人間には、その違和感がない
魔法への抵抗がいっさいないから
退魔性がほとんど機能しない
痛覚が麻痺しているようなものだ
だから大魔法の行使にためらいがない
世界で唯一の、純血の魔法使い
3081
それが、バウマフ家だ
子狸﹁へい、お待ち!﹂
だから子狸は、精霊の宝剣を高い次元で使いこなすことができる
水の宝剣を、洗濯機にできるということだ
雪の宝剣を、冷蔵庫にできるということだ
魔の宝剣を、掃除機にできるということだ
魔界の至宝は、子狸の生活水準を飛躍的に高めるだろう
※ なんておそろしい⋮⋮おそろしいことを思いつくんだ、この
子狸は⋮⋮!
※ さすがに修羅場をくぐってきた子狸さんは違うな
※ ああ、発想が並外れている
そして、このとき子狸は、砂の宝剣で調理器具一式をコーティン
グし
あまつさえ、食器を生成する領域に達したのである⋮⋮!
突き出したお皿には、魔どんぐりの甘煮が鎮座している
子狸の得意料理だ
味見をした騎士Aが、﹁うん﹂と一つ頷いた
騎士A﹁まったりとしていて、それでいてしつこくない﹂
会心の出来であった
3082
手応えがあったのだろう
力強く頷き返した子狸が、その場でくるりとターンした
勇者﹁⋮⋮⋮⋮﹂
勇者さんと目が合った
お皿を前足に乗せたまま、子狸が踏み出す
後ろ足を交互に動かし、器用に歩く
子狸﹁お嬢!﹂
二人は再会した
勇者﹁⋮⋮⋮⋮﹂
勇者さんは答えない
どういう態度をとれば良いのかがわからなかった
子狸は、構わず叫んだ
子狸﹁好きだ!﹂
直球だった
子狸﹁魔物が好きだ!﹂
剛速球だった
子狸﹁人間が好きだ!﹂
3083
しかし、ボール一個ぶん横にずれていた
子狸﹁仲良くしてほしい! だめか!?﹂
この上なく完璧な本音だった
だから、ある意味
子狸は、はじめて勇者さんと向き合ったのだ
二人は出会った
最初の一歩は、無理難題からはじまる
3084
頂上対決
魔物と仲良くしろと子狸は言う
人間と仲良くしろと子狸は言う
︱︱そんなことは無理だ
答えるまでもないことだった
千年前ならいざ知らず、もはや事は善悪の問題ではない
魔物と人類の対立構造は、社会の基盤に組み込まれた大前提とな
っている
魔物がいるから、ある一定以上の規模を持つ村は、街となる
人口が増えれば規定にある収益を見込めるから、街壁で囲う
街門を設置し、旅人の出入りを制限する
戦いを生業としないものが、魔物と事を構えて得られるものなど
ない
だから、わざわざ街の外に出て行く人間は少ない
その前提が崩れたらどうなるか
人間たちは、気軽に街と街を行き来することになる
おそらく最初に起きるのが、商業の秩序の崩壊だ
信用を金銭で売買する時代が来る
貧富の差は予測がつかない化け物になるだろう
共通の外敵を失った国々は、権益を求めて争いをはじめる
ようは縄張り争いだ
3085
人間は、他の人間を使うことができるから
自らの影響を及ぼせる範囲に限度というものがない
そして、いずれは共倒れになる
きっと、それが正常な人類社会の在り方だ あるべき姿だから、余計な要素を取り除いたらそうなる
ひどく簡単なことなのに
勇者さんは口に出して説明しようという気にはならなかった
三行でまとめる自信がなかったからだ
戦闘を中断して壇上を見上げる騎士と魔物が見守る中
静かに片腕を伸ばした勇者さんが
お皿から魔どんぐりをつまんで、自分の口に放り込んだ
もぐもぐと咀嚼して、嚥下する
彼女は、笑おうとして失敗した
泣き笑いのような表情でつぶやいた
勇者﹁少し⋮⋮甘すぎるわね﹂
貴族の暮らしに甘んじてきた少女の舌は肥えている
そうして、いつだって子狸さんの手料理にケチをつけるのだ
彼女が泣き出す寸前の子供みたいに見えたから
子狸はおろおろしてしまう
子狸﹁お嬢⋮⋮?﹂
3086
迷う時期は、とうに通り過ぎていて︱︱
勇者さんは、子狸を押しのけようとして
びくともしなかった︱︱
やわらかな毛皮の感触を手のひらに残したまま
子狸を迂回する
そして彼女は言った
エルメノゥマリアン
勇者﹁魔軍元帥! わたしと一騎打ちをしなさい!﹂
少女の提案は、驚くほど単純なものだった
勇者と魔軍元帥で雌雄を決する
一対一だ
はっきり言って、黒騎士には決闘を受諾する理由がない
現在の戦況は、圧倒的に魔王軍が有利だった
このまま戦えば、遠からず騎士団は全滅するだろう
だが、断る理由もなかった
勇者さんには、黒騎士に打ち勝てる要素が一つもなかったからだ
乗ってくる、という確信が勇者さんにはあった
つの付きは武勇を重んじる指揮官だ
そして、いまひとつ⋮⋮
魔剣のレプリカには、おそらくオリジナルほどの力はない
そうでなければ、騎士団はとうに全滅していただろう
宝剣を複製できる自分なら、骸骨戦士たちに勝てるということだ
3087
もちろん、魔軍元帥との一騎打ちに勝てたらの話だが⋮⋮
はたして黒騎士は重々しく肯いた
騎士の誓いを立てるように、一歩さがる
魔剣を水平に掲げると、刀身を指先でつまんで
勢いよく濁りをはらった
元帥﹁受けよう﹂
そう宣言して、両手で握り直した魔剣を胸の前で垂直に立てる
騎士団に伝わる、決闘の古いしきたりだった
勇者さんも応じる
剣を衆目にさらし、この戦いに不正はないと示す
口が裂けても感謝の言葉を述べたくなかったから
代償として覚悟のほどを自らに問うた
勇者﹁決着をつけましょう﹂
ここまでは想定通りだ 子狸﹁あ、じゃあ、おれが審判ね﹂
︱︱お前は、わたしのことが好きなんじゃないのか、と
勇者さんが苛立ったのは、ほんの一瞬の出来事だ
平常心、平常心⋮⋮
彼女は、アリア家の人間だ
彼女は、制御系の適応者だった
3088
アリア家の血に宿る異能は、感情制御という分類に入る
制御系は、受信系と送信系の源流にあたる
双方の特徴を兼ね備え⋮⋮
つまり、心を操る異能というのが本性だ
だから勇者さんは、子狸が暴走しても理性的に対応できた
のこのこと離れていった子狸が、前足を地面にかざして
何やらむにゃむにゃと唱えても、彼女の心が乱れることはない
子狸﹁むんっ!﹂
地響きを立てて迫り上がってきたのは、長方形の台だった
勇者さんの頬が引きつったものの、彼女は冷静だった
二つ、小ぶりなラケットを生成した子狸が
片方を黒騎士に投げて渡した
子狸﹁使え﹂
これを受け取った常夜の騎士は
ひとしきり素振りをしてから、不敵に笑った
元帥﹁ふっ、後悔することになるぞ﹂
どうやらお気に召したようである
子狸﹁もう後悔はしないと決めたんだ﹂
なんの前触れもなく覚悟を決めていた子狸さんが
3089
コートの前で呆然としている勇者さんを押しのけた
子狸﹁お嬢、下がっていてくれ﹂
勇者﹁⋮⋮⋮⋮﹂
審判をするという話ではなかったのか
あくなき執念でセンターに立とうとする子狸
前足で器用に持ったラケットを素振りしはじめる
勇者さんの視線を感じとった子狸が
いつになく厳しい口調で言った
子狸﹁聞こえなかったのか? 下がれ﹂
ついに獲得した憧れの毛皮が
このとき子狸さんを大胆にさせたのである
子狸﹁⋮⋮はっきり言うよ。お嬢、君じゃ無理だ。あいつに対抗で
きるとすれば、それはおれしかいない⋮⋮!﹂
元帥﹁見くびられたものだな﹂
魔王軍最高の魔法使いが出し抜けに言った
元帥﹁このおれに、過度魔法が使えないとでも思ったのか?﹂
子狸﹁なにっ!?﹂
元を正せば、つの付きとは子狸を倒すために放たれた刺客だ
3090
魔軍元帥というのは仮の姿でしかない
その本性は、鬼のひとたちが世に送り出した五代目の鎧シリーズ
⋮⋮
子狸バスター!
元帥﹁ぬんっ!﹂
子狸﹁⋮⋮!﹂
勢いよく胸を反らした子狸バスターが
まがまがしい闘気を放つ
子狸さんの勇姿を﹁うんうん⋮⋮﹂と頷きながら見守っていた騎
士Bが﹁ばかなっ﹂と目を見開いた
騎士B﹁真紅の霊気だと!?﹂
勇者﹁⋮⋮⋮⋮﹂
ぜんぶ持って行かれた勇者さんが、所在なさげに佇んでいる
だが、彼女は知らない⋮⋮
上には上がいる
おれたちの業界では、この子狸ですら⋮⋮
﹁下がっておれ﹂
3091
謁見の間は、巨大な魔獣が器械体操をする前提で作られている
その声には、空間を越えて人々の胸を揺さぶるような響きがあった
ふたたび瞠目した子狸さんが俊敏な動作で振り返った
子狸﹁誰だっ!?﹂
そして、この小さなポンポコは三度の驚愕を体験することとなった
謁見の間に後ろ足を踏み入れてきた人物は
顔面を布で覆っていて、その正体はようとして知れない
だが、きっぱりとこう言った
覆面﹁謎の覆面戦士⋮⋮とでも名乗っておこうかのぅ⋮⋮﹂
その声
その姿︱︱⋮⋮
魔軍元帥の全身にみなぎった警戒は
いったいどこからやって来たのか?
自覚すら出来ぬまま、黒騎士が吠えた
元帥﹁うおおおおっ!﹂
片腕を突き出すと、壮絶なまでの魔力がほとばしった
対する謎の覆面戦士は︱︱
覆面﹁渇ッ!﹂
一喝。ただ、それだけで黒騎士の魔力が散る
否、この現象をわれわれは知っている
3092
これは、魔力の相殺だ⋮⋮!
子狸﹁ばかな⋮⋮﹂
呆然とつぶやいたのは子狸だった
魔力とは、詠唱破棄した侵食魔法だ
詠唱破棄の行使には開放レベル4を要する
人間の限界レベルは3だ
その限界を越えるためには、制限解除と呼ばれる儀式が必要だった
そして、その儀式を現代に伝える魔法使いは
子狸と、父の親狸、そして祖父の古狸しかいない
つまり⋮⋮
子狸はふるえる声で言った
子狸﹁いったい何者なんだ、謎の覆面戦士⋮⋮﹂
⋮⋮想像だにしない第四の魔法使いであった
※ 何者なんだ、覆面戦士⋮⋮!
※ ああ、皆目検討がつかないぜ⋮⋮!
※ ちなみに皆目検討がつかないというのは
まったく心当たりがないということだ⋮⋮! 勇者﹁⋮⋮⋮⋮﹂
3093
勇者さんは⋮⋮
きっと困惑しているのだろう
子狸と覆面戦士を交互に見比べている
魔軍元帥は、恐慌状態にある
超高等魔法を使える人間など
あってはならないことだからだ
それは
それは、基本的なルールに抵触する⋮⋮
元帥﹁おのれっ!﹂
現実を否定するように魔力を連射する
そして、そのことごとくが︱︱
︱︱Shoot!
弾かれる。届かない⋮⋮! 相殺される!
悠然と歩を進める覆面戦士に、つの付きがあとずさる
元帥﹁ッ⋮⋮きさまはっ! きさまはっ!?﹂
思うままに威を振るっていた黒騎士の姿は、そこにはない
覆面戦士が吠えた
凄まじいまでの存在感だ
覆面﹁名乗ったぞ⋮⋮! だが、いいだろう! ひとは、おれをこ
う呼ぶ。Grandと⋮⋮!﹂
3094
元帥﹁Grand⋮⋮!﹂
黒騎士の巨躯が舞った
漆黒のマントがひるがえる
飛び上がったつの付きが、片腕を突き上げた
元帥﹁ユーリカ! 援護しろ!﹂
魔軍元帥が、はじめて他者に助けを求めた
敵するものは、それほどまでに壮大ということだ
コアラ﹁ジェル! ええ、ええ⋮⋮! もちろん﹂
ユーリカ・ベルは、黒騎士のパートナーだ
彼女にとっての最優先は、彼なのだ
彼女にとっての最優先が、彼なのだ
危機を脱した羽のひとが﹁あっ﹂と小さな声を上げた
上空を舞う彼女には、はっきりと見えた
覆面戦士の背に隠れている少女の姿が
見覚えのある人物だった
黒いドレスに身をまとった⋮⋮
その少女が、覆面戦士の背中からひょっこりと顔を出して
目いっぱい顔をしかめると、舌を突き出した
歌人﹁べーっだ!﹂
3095
骨のひとと仲良く並んで観戦していた見えるひとが、激しく動揺
した
亡霊﹁お前っ⋮⋮Grandさんに告げ口をしやがったな!?﹂
誰も彼もが、もう他人事ではいられなかった
その第一人者が黒騎士だった
魔軍元帥の咆哮が放たれる
奮い起こした戦意には
久しく感じる戦士としての興奮があった
寄り添う黒妖精がボールを放る
黒騎士の豪腕がうなる
コートで跳ねたボールは、空中で凶悪にスピンして覆面戦士に迫
る⋮⋮!
はっとした子狸が、ラケットを覆面戦士へと放った
前足から前足へと戦士の資格は渡る
絶望的な威力を秘めた必殺ショットに対して
覆面戦士は物怖じしない
恐れることは何もない
目の前には打たねばならぬボールがあり
前足には打ち返すためのラケットがある
そして、受け止めてくれるコートも⋮⋮
ここには全てがある
3096
覆面﹁選手交替じゃァ⋮⋮!﹂
勇者﹁⋮⋮⋮⋮﹂
いったい何がどうしてこうなったのか⋮⋮
勇者さんは、そればかりを考えている
3097
真実の猫耳
まるで小さな台風だ︱︱!
異様な滞空時間
周囲の大気を巻き込んだボールが
暴風圏の勢力を拡大していく⋮⋮!
謎の覆面戦士とは、歴代勇者の危機に際して颯爽と現れ
あまたの苦難を打ち破ったとされる伝説の魔法使いだ
その系譜を継ぐものなのか?
Grandと名乗った謎の人物は、人間の限界を超えた魔法使い
だった
だが、仮に開放レベルを同等とするなら
地力で勝る子狸バスターの優位が覆ることはない
覆面﹁⋮⋮!﹂
風を切り裂いてボールをとらえたラケットが
びくともしないことに覆面戦士は驚愕した
重い⋮⋮!
ラバーに食い込んだ魔球から
ラケット越しに伝わるのは凶暴な意思だ
3098
弾き飛ばされないよう身体をかぶせた覆面戦士を
悪魔じみた球威が、奥へ奥へと押し込んでいく
ラケットがへし折れそうだ
決壊のときは近い
迫る危機に︱︱
しかし、老戦士は不敵に笑った
人間の限界を突破した覆面戦士に
同じ人間では対抗できない
魔物だけが
この闘いだけが︱︱!
次の瞬間、Grandの全身が青くきらめいた
霊気だ
驚嘆すべきは、その制御力だろう
無駄な放出がいっさいない
過度属性を、完全に支配下に置いている
子狸とは、次元が違う術者だと認めざるを得なかった
外法に身を委ねた人間にとって
この血を駆けめぐる闘志は、もっとも馴染み深い感触のひとつだ
った
ラケットを握る前足は、人々の願いそのものだ
3099
守りたい
守りたい︱︱
目の前の戦いにおのれの全存在を賭したとき
外法騎士は誕生する
じりじりとボールを押し込んでいく前足を
なにものにも自由にはさせないという傲慢な願いが後押しする
それは、挫折への怨嗟だ
覆面戦士﹁Usually!︵日常︶﹂
ついに拮抗を打ち破った前足が振り抜かれた
力尽くで打ち返された魔球が空中で激しくぶれた
コートで跳ねるや否や分裂する
まるで迫りくる猛獣の牙だ
渾身のカウンター!
だが︱︱
元帥﹁終わりだ!﹂
禍々しく吠えた黒騎士の輪郭が左右にひろがる
分身魔法だ
魔軍元帥は、魔王軍最高の魔法使いだ
人間に出来て、彼に出来ないことはない
人類が編み出した魔法技能は
魔軍元帥の手で、それ以上の脅威となって返ってくる
3100
つの付きは、巨大な魔獣を正面からねじ伏せる膂力を持つ
その秘訣は、特有の魔力にある
つの付きを現世に繋ぎとめる鎖は、加重の性質を持つ
それゆえに速さへと転化することはできないが︱︱
ラケットを振りかぶった黒騎士の腕甲が
内圧に耐えかねたかのように不吉な音を立てる
二階建ての家屋を更地にできるほどの力を込めて、垂直に振りお
ろした
常軌を逸した回転を与えられたボールは
刹那、宙をぴたりと浮き︱︱炎上した
焔をまとった魔球が、炎の尾をひいてコートに突き刺さる
覆面戦士は一歩も動けなかった
覆面﹁つの付き⋮⋮! すでにこれほどまでの力を⋮⋮!﹂
現在のつの付きは五人目だ
転生するたびに力を増している
元帥﹁きさまは⋮⋮そうなのか? あの村の⋮⋮﹂
過去、多くの討伐戦争に姿を現した覆面戦士の目的は謎に包まれ
ていた
だが、いまならはっきりとわかる
彼らは、魔力の結実を未然に防ぐ使命を帯びていたのではないか
3101
バウマフ家と同じように、歴史の裏で戦ってきた一族が存在した
ということだ
千年間、紡がれてきた物語が
いまここに全て集約されようとしていた
勝ち誇ったのは黒妖精さんだ
コアラ﹁15−0﹂
しかし、彼女は楽観視していなかった
魔火の剣を授けられた精鋭たちに目配せをする
彼女のパートナーは一対一を望んでいるようだが
相手は、絶対と思われていた限界を突破した人間⋮⋮
常識では量れない
他に奥の手を隠し持っていたとしても不思議ではない
いざというときのために備えは必要だった
目線で肯いた精鋭たちが
魔火の剣を揺らして覆面戦士の背後に回ろうとする
もちろん騎士たちは、彼らの不穏な動きを見逃さなかった
だが、彼らは満身創痍だ
代わりに立ちふさがったのは、見慣れない鎧をまとった騎士たちだ
唐草模様のマントが目に鮮やかだった
王国騎士たちが、はっとした
3102
王国騎士﹁お前たちは⋮⋮﹂
騎士A﹁二代目は﹂
中隊長の所在を尋ねられて、王国騎士たちは目線を伏せる
彼らの無念が伝わってきて、騎士Aは追及を取り下げた
騎士A﹁⋮⋮そうか﹂
おそらく魔人だろうと推測する
完成したチェンジリング☆ファイナルを
政治家たちは都市級を打倒しうる技術と見なしているようだが
変形の詠唱は、発展の度合いに応じていびつなものを抱えていく
ことになる
グラ・ウルーは、人間たちの恐怖を糧とする魔物だ
魔人と戦うということは、闘争の歴史に立ち向かうということで
もある
行く手を遮られた骸骨戦士たちは怪訝な顔をした
一対一を想定するかのようなポンポコ騎士団の布陣に疑問を覚え
たからだ
戦歌とは、互いの喚声を互いに補うという発想が元になっている
十二人からなる実働小隊は、最低でも前衛と後衛に分かれる
もっとも有効な一打を繰り出すために、実働騎士は戦況に適した
陣形をとる
陣形なくして、戦歌は成立しない。その筈だ
3103
このような陣形を目にした記憶はなかった
十二人の騎士が全員とも特装騎士なら納得も行くのだが
彼らが身にまとう装備の差異がその推測を否定していた
赤くきらめく魔火の剣をちらつかせながら、骸骨戦士が低い声を
押し出した
彼らは魔王軍の中でも独立した指揮系統に属する特殊部隊の隊員
であり
特殊な兵装︱︱火の宝剣のことだ︱︱を扱うために選ばれた戦士
たちだった
要求を告げたのは特殊部隊の隊長だ
彼には、勇者一行との戦いで実の弟を失ったという過去がある
人間に対する隔意は深い
隊長﹁どけ﹂
要求は一言で済んだ
この上ないシンプルな意思表示に︱︱
懇願の眼差しを向けたのは
覆面戦士が伴って現れた黒衣の少女だった
歌人﹁やめるんだ、お前たち!﹂
彼女は、もっとも人間に近しい容姿を持つ魔物だった
人類社会に溶け込み、内側から監視する任務を与えられた工作員
の一人だ
3104
その工作員が虚偽の報告を行った
彼女の罪は重く、魔人と共に地下に幽閉されていた
魔人が脱獄したことで、自由を取り戻した彼女が この場に駆けつけた理由は幾つかある
その一つが、かつての部下たちだった
魔法との同化が進んだ人間からは、高純度の魔力を獲得できる
子狸と共同生活を営んでいた骨のひとたちは、極めて強力な個体
に成長していた
隊員﹁リリィ⋮⋮。それは無理だ﹂
失われてしまった仲間に兄がいて
その人物が、自分たちの新しい隊長だと知ったとき
彼らは、抵抗することを諦めた
選んだのは恭順の道だ
何もかもが思い通りになることなどない
無視して通り過ぎるには、思い出は美しすぎた
眼窩から零れ落ちた涙は、火の宝剣に溶けて驚くほど軽い音を立
てる
歌人﹁⋮⋮! カイルのことか? あいつは戦士だった! 侮辱す
るのは許さない! お前たちは、ボクの言うことを聞くんだ!﹂
隊員﹁では、どうしろと言うんだ⋮⋮? おれたちは、疲れたんだ。
いっそのこと、幽霊船ごと沈めてくれれば良かった⋮⋮﹂
3105
戦いに疲れはてた彼らは、しかし皮肉にも最適化された戦士だった
眼前の敵に自分を乗り越えてほしいという欲がある
それは怨霊種の存在意義そのものだった
騎士級の魔物とは、つまり人間を鍛え上げるための存在だ
いつ部下に寝首を掻かれても不思議ではない
狂気めいた部隊の構成に
特殊部隊の隊長は、ほの暗い喜びを覚える
魔物の精鋭とは、悠久の時を生きた戦士でもある
あくなき闘争のみが、自分を燃やし尽くせるという確信がある
いまは、ただ、そのときをじっと待ちたかった
だが︱︱
お前がその相手なのか? と視線で尋ねられて、騎士Aはひるんだ
これまで戦ってきた、どの魔物よりも強烈な妄執を感じた
討伐戦争の終盤には、こうした個体がふらりと現れると言われて
いる
気圧されながらも、かろうじて踏みとどまった騎士Aが言う
騎士A﹁いいや、その必要はない﹂
鍵
は揃ったぞ。お前たちも、それを望んでいた筈だ⋮
自分の言葉に勇気づけられて、剣鬼と正面から睨み合う
騎士A﹁
⋮﹂
3106
剣鬼が下顎を打ち鳴らした
それは、いかなる感情の発露によるものなのか
人間には判別できない
だらりと魔火の剣を垂らしたまま、剣鬼が言った
隊長﹁どこまで知っている? 何を見た?﹂
騎士A﹁⋮⋮王種と会ってきたよ﹂
答える騎士の声には確信がある
騎士A﹁その上で尋ねる。教えてくれ⋮⋮﹂
子狸は、六つある宝剣のうち、四つを所持している
精霊の宝剣とは、魔界の至宝であり
その正体は、扉を閉ざすための鍵だ
彼らが目にしたのは、果樹園と、苗木を見守る一人の魔物、そし
て星の舟だった
古代遺跡の扉は開かなかった⋮⋮
魔の宝剣は不良品だったらしい。ショックだ
と呼ばれる魔法の制御装置だ
の前に立った人間は、魔法の在り方を定める決定権を持つ
祭典
意気消沈としながら、資格はあるからと遺跡の番人は教えてくれた
祭典
遺跡の奥にあるのは
︱︱およそ千年前、うっかり祭典の管理人となった一人の人間が
いた
3107
︱︱祭典は板面で騙る。願いを言えと⋮⋮
︱︱二、三の遣り取りを経て、物言わぬ黒板に親近感を覚えてい
た管理人は、こう言った
﹁任せるよ。おれ、お前のこと、もう他人とは思えないし﹂
悲劇であった
願いを叶えると言われて、丸投げした管理人が現れたとき
この世界の魔法はツッコミを強要されたのだ⋮⋮
バウマフの騎士が言った
騎士A﹁お前たちは、いったい何と戦ってるんだ?﹂
その質問を投げるのは、間違いなく勇者だと思っていた
そうなる筈だった
だが、じっさいに辿りついたのは
まったく予定にない、ただの人間だった
そのことに可笑しさを感じて、奇縁を呪わずにはいられない
どうしてこうなった⋮⋮
※ どうしてこうなった⋮⋮
※ どうしてこうなったんだよ⋮⋮!
※ 甘かったんだよ。思い通りに行く筈がなかったんだ
※ お前らが、いちばんの不確定要素を野放しにするから⋮⋮
※ 子狸さんをばかにするな! 子狸さんは良くやっただろ⋮
⋮!
3108
※ 妖精の里に立ち寄ったのが失敗だったんだ
※ あ!? そうでもしないと間に合わなかったろうが!
※ そんなこと言われても、これもう手遅れじゃないですかね
⋮⋮?
※ いや、子狸さんならきっと⋮⋮! きっと何とかしてく
れる!
※ そ、そうだな⋮⋮
※ ああ⋮⋮! 子狸さんなら、きっと⋮⋮!
手遅れなのは、この期に及んで子狸さんに頼ろうとするお前らな
のではないか
事態は最終局面に向かっているというのに
勇者さんは蚊帳の外だ
つの付きと覆面戦士の壮絶な打ち合いに絶句している
勇者﹁⋮⋮⋮⋮﹂
子狸﹁なんて激しい攻防だ⋮⋮!﹂
前足に汗握る子狸さん
サーブに集中していた覆面戦士が、ふと寂しそうに微笑んだ
覆面﹁ふっ、少年。おぬしは、わしの孫に似ておる⋮⋮﹂
子狸﹁おれも、あなたにはとても近いものを感じる⋮⋮﹂
3109
この二匹は、何か共感めいたものを感じているらしい
豆芝さんの頭に舞い降りた羽のひとが
子狸と覆面戦士を交互に見て、薄く吐息をついた
妖精﹁お前ら、相変わらずですね⋮⋮﹂
トンちゃんに対して、あれほど子狸が子狸がと言っていたのに
いざ再会してみれば、出てくるのはため息しかない
子狸&覆面﹁Disfunction!︵機能不全︶﹂
完全一致
勇者さんは、歩くひとと再会しても驚かなかった
勇者﹁マッコール﹂
肩を落として歩み寄ってきた歩くひとは、気丈に微笑んでみせた
歌人﹁やあ、アレイシアンさん。それと⋮⋮﹂
一時期、彼女は勇者一行に同行していたことがある
過去に実在した人間の姿を写しとる魔物だから
潜入工作はお手のものだ
アレイシアンは、はじめて会ったときから歩くひとの正体を疑っ
ていた
アリア家の系譜を汲むものに、行きずりの人間が声を掛けること
3110
はない
何か明確な目的でもない限りは
一人で寂しいという動機は
もちろん個人差はあるだろうが
性格上、理由としては弱いと感じていた
だから、旅人を装って接近してきた吟遊詩人には
何かしらの目的があって
また、それを隠していたということだ
必然的に選択肢は狭まる
性別を偽っていたのはひと目でわかった
まず、男女では骨格からして異なる
それが理由なのか? 判別はつかなかったが⋮⋮
かくして三人と一匹は再会した
じゃっかん一匹ほど着ぐるみみたいになっていたが⋮⋮
子狸の反応は薄い
子狸﹁⋮⋮?﹂
二人は親友という設定ではなかったのか
戸惑っているのかもしれない
子狸の中で、歌の人と歩くひとは別人という設定になっている
そうと察した羽のひとが気遣うように声を掛ける
妖精﹁クリスさん⋮⋮﹂
3111
子狸﹁え? 歩くひとだよね?﹂
妖精﹁クリスだと言ってんだろ。察しろよ﹂
子狸﹁⋮⋮どっちの?﹂
妖精﹁⋮⋮どっちとかあんのか?﹂
さらに分化が進んでいるらしかった
勇者さんは、なまじ記憶力が良いから
子狸さんとの輝かしい旅の記憶を打ち捨てることが出来ない
彼女は、きょとんとしている歩くひとに
衝撃的な事実を告げねばならなかった
勇者﹁あなたは、クリスティナ・マッコールの弟ということになっ
ているわ﹂
一人三役だ
歌人﹁嘘だろ⋮⋮?﹂
子狸﹁! クリスくんっ⋮⋮﹂
二人は時間差で再会した
感極まって跳躍した狸属を
歩くひとは呆然と見つめる
3112
はっとして、飛びついてきた子狸さんを
突き出した両手で押しとどめる
歌人﹁くっ⋮⋮なんてパワーだ!? このボクと互角とは⋮⋮!﹂
子狸は、千切れんばかりにしっぽを振っている
牛﹁子狸よ、おちつくんだ﹂
子狸さんを子猫よろしく捕獲したのは
ふつうに混ざっている戦隊級であった
子狸﹁⋮⋮⋮⋮﹂
急におとなしくなった子狸さんの外殻が霧散した
ひそかに丸い耳を触ろうとしていた勇者さんが
行き場をなくした片手でマフラーの端を握る
牛さんは、わけのわからない理屈で子狸を説き伏せている
牛﹁親しき仲にも礼儀ありと言うだろう。嫌がる親友と肩を組むの
は良くない﹂
よくわからないが、はっきりしていることが一つある
肩を組むのを嫌がるのは親友ではないということだ
子狸﹁でも、でも⋮⋮。ノっちは、よく肩を組んでくるじゃないか
⋮⋮﹂
3113
牛﹁やつとは、いずれ決着をつける。いまは、まだ焦る時間帯じゃ
ない⋮⋮わかるな?﹂
勇者﹁⋮⋮⋮⋮﹂
見覚えのある戦隊級が同行している件について
勇者さんはとくに何も言わなかった
しぶしぶと納得した子狸さんが、歩くひとに言う
子狸﹁⋮⋮クリスくん。今度、一緒に服を買いに行こう﹂
女装について、とやかく言うつもりはないが
この子狸には夢がある
仲の良い男友達と共に絶体絶命の危機に立ち向かいたいという夢だ
歌人﹁言っておくけど、ボクは女だよ? つうか前にも言ったよね
? 理解してほしい。だめか?﹂
子狸﹁おれは、だいじょうぶ。だいじょうぶだ⋮⋮﹂
親友の趣味に理解を示す子狸さん
勇者さんには、二人の再会を祝福する気などない
勇者﹁マッコール。魔王はどこにいるの?﹂
歌人﹁⋮⋮アレイシアンさん﹂
狐娘﹁マフマフ。兄さまが⋮⋮﹂
3114
子狸﹁おれに任せろ﹂
とつぜん駆け出した子狸に
マフラーの端を握っていた勇者さんが引きずられる
子狸を羽交い絞めにしながら、歩くひとは言った
歌人﹁アレイシアンさん、君は薄々勘付いているんだろ?﹂
勇者﹁⋮⋮⋮⋮﹂
勇者さんは答えない
子狸﹁ぬぅ⋮⋮。コニタ、おれの大予言﹂
狐娘﹁大予言⋮⋮﹂
子狸﹁トンちゃんはお前をあやしている﹂
勇者﹁なにそれ﹂
さすがに聞き捨てならなかった
子狸﹁馬のひとがよくやる手口だ⋮⋮。あのひとは、魔王のプロト
タイプなんだ﹂
子狸さんが止まらない
ぺらぺらと内部事情を話しはじめた
3115
子狸﹁精神的にずたぼろにされるぞ。⋮⋮お嬢、そんな顔をしない
でくれ。おれが行く﹂
せめて最終決戦に挑んでほしいというのは
おれたちの我がままなのだろうか?
子狸さんは華麗に戦線離脱しようとしている
牛さんがため息をついた
牛﹁⋮⋮仕方ない。おれが行く﹂
そう言って彼女は、ステルスしている二人の盟友を見た
牛﹁ロコ! シマ! 来い! 魔人を止める﹂
トカゲ&うさぎ﹁え∼⋮⋮?﹂
アニマル三人衆が揃った
二人は口々に言う
トカゲ﹁⋮⋮牛さん、あのですね、おれたち魔物ですよ?﹂
うさぎ﹁どうして人間の味方をしなくちゃならんのですか﹂
もっともな言いぶんである
ところが、牛さんは首を傾げた
牛﹁お前ら、なにを言ってるんだ? 魔人を守るために決まってる
だろ﹂
3116
トカゲ&うさぎ﹁ああ、うん⋮⋮そうね﹂
子狸が千里眼を駆使しているのはあきらかだった
本人に自覚はないようだが
この小さなポンポコは、すでに制限解除されている
ファイブスターズの家に突撃する傍ら
一つずつ封印を解かれていったのだ
そして山腹のんと合流したことで
最後の封印は解けてしまった
最大開放の子狸が同行するなら
魔王の身の安全は保障されたようなものだ
勇者さんは察しているかもしれないが
わざわざ言葉にする必要はないことだった
牛さんは、期待の眼差しを向けてくる狐娘たちに
優位を保ったまま告げる
牛﹁ただし、交換条件だ。お前たちは、ここに残れ﹂
この子狸を、もはや誰も止めることは出来ない
例外があるとすれば、それは異能持ちだ
隠す必要性がなかったから、この点に関して牛さんは正直だった
牛﹁異能持ちの同行は認めない。厄介だからな。どうする?﹂
3117
狐娘たちは、困惑している
牛のひとは、あきらかに勇者よりも自分たちを厄介な存在だと認
識している
それは裏を返せば、勇者さんでは魔王に勝てないということだ
牛さんは続ける
牛﹁二つに一つだ。選べ。こればっかりは、三つ目の選択肢はない
ぜ﹂
そう言って、沈思している勇者さんに視線を振る
狐娘たちは決断を下せないだろう
最終決定権を持っているのは、彼女たちのあるじだ
勇者﹁⋮⋮先に一ついいかしら?﹂
勇者さんは断りを入れてから、歩くひとを見つめる
勇者﹁マッコール。わたしは魔物たちに保護されていたの?﹂
はっきりと言われて、歩くひとは鼻白んだ
しかし事実だ
勇者さんは弱い。彼女が魔都に辿りつけたのは、魔物の加護があ
ったからだ
歩くひとは慎重に切りだした
歌人﹁⋮⋮アレイシアンさん。魔物たちの狙いは、君の退魔性だ﹂
3118
アリア家の人間でなければいけない理由が、おれたちにはあった
歌人﹁君の退魔性は、すでに限界に達してるんじゃないか? それ
は、たぶん算出された予測値と一致していて⋮⋮﹂
勇者﹁予測値?﹂
歌人﹁退魔性というのは、本来なら予測がつかないんだ。でも、大
まかには結果を導き出せる﹂
簡単に言うと
おれたちは、すでに退魔性の計算を終えている
ここで必要になるのが、実測の値だ
アリア家の人間が弾き出す退魔力は、人類の最高峰だ
それが失われていく過程を細かく解析すれば
予測と実測のぶれを調査できる
二つのデータが揃って、なおかつ一致していれば
おれたちの計算は正しかったと証明されることになる
歌人﹁⋮⋮ひとつ、訊きたいんだ﹂
歩くひとは、ふるえる手で
勇者さんの頭の上で自己主張を続ける猫耳を
おそるおそる指差した
歌人﹁君は、いつから、そんな趣味に目覚めたんだ?﹂
3119
勇者﹁? わたしは、ずっとこうだけど﹂
歌人﹁お、終わった⋮⋮﹂
歩くひとは、がくりと両ひざをついて項垂れた
あらゆる意味で、もう手遅れだった
おれは無実です
3120
魔王、降臨
勇者さんにとって
もはや猫耳は身体の一部であった
少し意識すれば、ぴょこぴょこと動かすこともできる
それは、つまり
彼女の退魔性に猫耳がなじんでいる
ということを意味する
お前らが、おれにだまって開発しようとしていた
勇者さんシステムとやらにね、ちょいと手を加えまして
ご覧のありさまですよ
おっと、妖精さん
おれを睨むのはやめてほしいのです
猫耳には目をつぶってもらう⋮⋮
そういう約束でしたよね?
※ てっふぃー⋮⋮お前というやつは⋮⋮
※ 話がちがう⋮⋮! 勇者さんを守るためだと、お前は言った!
青いの⋮⋮おれを騙したのか⋮⋮?
返答しだいでは、おれの家は模様替えすることになる⋮⋮
怖い、怖い⋮⋮
3121
こんにちは
お前らのスーパーアイドル、王都のんです
ぽよよん
あれ? なんかおれが悪いみたいな流れですね
これは、どうしたことでしょう
このおれが
バウマフ家の近衛をつとめてきた、このおれがですよ?
なんの裏もなくアリア家の人間に
よりにもよって剣術使いにですよ?
無償で贈りものをするとでも思っていたのですか
それこそ心外というものです
勇者さんの退魔性ね
うまく中和できているみたいで、ほっとしました
長年の研究の成果ですね
感無量とでも申しましょうか
お前らは楽観視していましたが
真剣で斬られたら子狸さんが死んじゃうじゃないですか
当然の措置ですよ
感謝しろとまでは言いませんけど
少しはおれの心労をおもんばかって欲しいものですねっ
涙を流した数だけ、ひとは強くなれる⋮⋮
悲しみのぽよよん!
※ 開き直りやがった⋮⋮
※ さ、最低だな⋮⋮
3122
※ ⋮⋮ちがう。わたしの知ってるお兄ちゃんじゃない!
※ いや、むかしから、ずっとこうだったよ
※ 信頼があるんだ。絶対的な信頼が⋮⋮
※ だが、少し待ってほしい
王都さんの言うことも一理あるのではないか
※ !? 王都のんの刺客だ! 刺客が河に混ざり込んでる!
※ 正しい、正しくないの問題じゃねーんだよ!
※ そうだそうだ! なんで一人で勝手に推し進めるんだ
山腹のひと、お前も同罪だぞ!
山腹さんに罪はないと思うのです
※ この青いの、なんで互いに庇い合うの!? 気持ちわるい!
※ いい加減、仲直りしろよ!
あ? この上なく完璧に仲直りしてるだろうが!
おれたちは、仲良しなんだよ!
ね? 山腹さん
※ ね∼
※ でも、お前らさっきから目を合わせようともしないじゃない
か⋮⋮
仲直りの握手をしなさい!
ほら、いつもみたいに触手をにゅっと伸ばして!
なんで伸ばさないの!? 伸ばして! 伸ばしなさい!
3123
跳ねるひとの長い耳が、ぴくりとふるえた
この大きなうさぎさんは、抜きん出た聴力を持っている
お月さまの影響を受けて、獣化はさらに進んでいた
手足を折り畳み、地に四つ足をついている
シマは言った
うさぎ﹁イリス。悠長に話しているひまはなさそうだ﹂
イリスというのは、牛のひとの本名だ
彼女は舌打ちした
牛﹁暴走か? そこまで追いつめたのか、適応者を﹂
トカゲ﹁レベル7⋮⋮﹂
うさぎ﹁ああ。凄まじい意思力だ、アトン・エウロ⋮⋮。怪物⋮⋮
これが共和国の⋮⋮﹂
魔法と異能の構造は似たものになる
なぜなら、異能というのは魔法の反作用だからだ
トンちゃんが姉妹の姿をしたものを傷付けたくないと考えたなら
暴走した物体干渉は、他のものに牙を剥くことになる
無差別な殺傷圏内の渦中にあって、トンちゃん本人が無事なのは
それが唯一、残された最後の理性だったからだ
異種権能の王は、虚像すら削りとる
3124
現実も虚構も隔てなく捕食する暴虐の王だ
魔都は崩壊しつつあった
勇者﹁そう。もう手遅れなのね﹂
勇者さんは、自分の手のひらに視線を落としている
握りしめた手を、もう一度ゆるめた
彼女は、姉妹たちを見る
勇者﹁あなたたちは、ここに残りなさい﹂
それが彼女の決断だった
姉妹たちの反論を、視線で封じる
彼女たちは知らないが⋮⋮
勇者さんは、もとより狐娘たちを連れていくつもりがなかった
そのように自らの思考を縛りつけていたから
牛さんの提案を受けて、渡りに舟とばかりに肯いた
それが真相だ
アリア家の人間でありながら
最後の一線を越えることができない
それが、アレイシアン・アジェステ・アリアという少女の本質だ
った
勇者﹁歴代の勇者は、魔王を一騎打ちで下した。わたしも﹂
3125
そう言って、勇者さんは羽のひとに視線を振る
勇者﹁リン﹂
妖精﹁リシアさん⋮⋮? 一騎打ちって、でもわたしは⋮⋮﹂
勇者﹁ありがとう。けれど、あなたには魔軍元帥の足止めをしてほ
しいの﹂
狐娘たちを守れとは言わなかった
だが、それが勇者さんの本心だった
彼女は、姉妹たちを犠牲にはできない
失いたくないと、思ってしまった
生きていてほしかった
たとえ、その判断がもとで世界が滅んでしまったとしても
決して譲ることのできない一線というものはある
前もって心の働きを規定していたから
彼女は、これが最善の判断だと疑いもしなかった
守りたいという願いを自覚すらできないまま
勇者は、最後の戦場へと赴く
勇者﹁さあ、マッコール﹂
虚脱した様子の歩くひとが、床を見つめたままつぶやく
歌人﹁玉座の下だよ⋮⋮。隠し通路がある。魔王は、その先だ⋮⋮﹂
3126
勇者﹁ありがとう﹂
そう言って勇者さんは、歩くひとの頭をなでた
自分でも、なぜそうしたのかわからなかった
別れの言葉は必要ないと思ったから、きびすを返して玉座へと向
かう
引きとめる言葉はあったけれど、止まる理由はなかった
彼女は、勇者だった
マフラーを引っ張られた子狸が、のこのことついていく
魔軍元帥と覆面戦士の闘いは、すでに次なるステージへと移行し
ていた
力場は尽きることがない
縦横無尽に宙を駆ける黒騎士が、魔力で勇者さんを拘束しようと
する
だが、覆面戦士がそれを許さない
元帥﹁ユーリカぁー!﹂
つの付きの叫びは切迫している
しかし、闇の妖精が織りなす結界は
光の妖精が紡ぐ世界に上書きされる
はじめから、こうなるさだめだったのかもしれない
迷いを振りきった羽のひとが、覆面戦士の肩にとまる
3127
千年前、遺跡から不思議な生きものを連れ帰ってきた村長に
バウマフ村の住人たちは共存の道を見出すことができなかった
彼らは、この世で最初に魔物と遭遇した人間たちだった
だから、あのとき別の道もあったのではないかと
ずっと後悔して生きてきた
袂を分かった筈だ
それなのに、いつしか二つの道は交差していた
同じ道を歩いていけば、きっとその先にあるのは︱︱
バウマフ家の末裔に、覆面戦士は夢を託す
覆面﹁行け!﹂
もう後悔はしたくなかった
自分たちは間違っていたのか?
それとも正しかったのか?
結論がどうあれ、可能性の先にあるものを見たかった
騎士A﹁行け!﹂
骸骨戦士と板金鎧が激しく衝突する
騎士Aは、ポンポコ騎士団の隊長だ
捕獲した子狸を自白へと導くのが、彼の役目だった
それなのに、子狸の動機はいつもあいまいで⋮⋮
自分はつとめを果たせただろうかと、思う
3128
騎士B∼H﹁行け!﹂
実働騎士たちの声が勇気をくれた
彼らは、ポンポコ騎士団の盾だった
ポンポコ騎士団にとっての剣とは
未来を切りひらくための言葉だった
空中回廊で子狸は、襲い掛かってくる原種の群れを軽くいなした
自分たちの力は、もう必要ないのだと思った
だから、せめて一人ではないのだと伝えてやりたかった
街中でも平気で攻性魔法を撃ってしまう子狸を
数えきれないほど捕獲してきた
もう条件反射になっていたから
クラスメイトを陰から見守る子狸を
不審人物と見なして、そのたびに任意同行を求めてきた
彼らは、子狸が魔王であれば良いのに、と思っていた
特装A∼D﹁行け!﹂
特装騎士たちの声が背を押してくれた
王都は、王国のかなめだから
街とは規模の桁が違う
万が一があってはならないと
事件があったとき、派遣されるのは実働小隊だ
3129
きな臭い事件の裏には、必ずと言っていいほど子狸の影がちらつ
いていた
だから、いつしか彼らは子狸のあとを追うようになった
のこのこと未来に向かって歩いていく子狸と
夢見る景色を共有するようになった
組み合った骸骨戦士の骨盤を掴んだ
技という技
奥義という奥義を尽くして
決して土俵を割るまいと踏ん張った
お前ら﹁行け!﹂
駆け出した子狸を、世界中のお前らが応援している
地下通路を跳ねる庭園のんも同じだ
庭園﹁行け!﹂
はるか上空、青空の下で
火口のんは厳しい面持ちで正面を睨んでいる
火口﹁⋮⋮⋮⋮﹂
抱きかかえられているかまくらのんが
中継されている子狸さんの勇姿を祈るように見つめる
かまくら﹁ノロ⋮⋮﹂
3130
??﹁それ、もしかしてわたしの真似なのかしら? 本気で怒るよ
⋮⋮?﹂
某ポンポコ嫁から本気でクレームが入ったものの
お前らの夢と希望を背負って子狸は駆ける
妖精﹁行って⋮⋮! 魔王を⋮⋮!﹂
羽のひとの声⋮⋮
片手を突き出した勇者さんが
多重顕現した宝剣で、玉座を吹き飛ばした
隠し通路に飛び込んだ勇者さんの手をひいて
おれたちの子狸さんが走る
子狸﹁お嬢﹂
勇者﹁なに﹂
魔王の寝室とつながる通路だったから
そう大きなものではない
通路の幅は、二人が並んで走るには窮屈に感じるほどだった
だから勇者さんは、手をひかれるままに子狸のあとをついていく
子狸は、とっておきの秘密を打ち明けるように声をひそめた
子狸﹁じつはね⋮⋮おれの真の実力は封印されていたんだ﹂
お前の真の実力は開放レベル2です
3131
勇者﹁そう﹂
勇者さんの反応は薄い
子狸が大言壮語を吐くのは、いつものことだった
これまでに築き上げてきた信頼が
子狸さんの言葉を薄っぺらくした
子狸﹁その封印は解かれてしまった⋮⋮。もう、誰もおれを止める
ことはできない⋮⋮﹂
勇者﹁ふうん﹂
勇者さんの声には抑揚がない
ずっと感情を抑えて生きてきたから
感情を言葉に乗せる習慣がなかった
平坦な調子で紡がれる声は
恋する子狸に言わせてみれば
涼しげで、鈴を転がすような声ということになる
気になる女の子に凄いと思ってほしい子狸は
どんどん調子に乗る
子狸﹁おれという名の矢は放たれたんだ﹂
勇者﹁そう﹂
子狸﹁きみを守るよ。吾輩が﹂
3132
とうとう一人称がぶれる始末だった
勇者﹁ふうん﹂
そして勇者さんの相槌はループしている
彼女は、ひどく下らないことで悩んでいた 子狸の呼称についてだ
勇者さんは、一度として子狸を名前で呼んだことがない
黒雲号と同じ名前だったから、というのもあるだろうが
まず第一に、子狸の身元を魔物たちに知られては面倒だという考
えがあった
それは、そうだろう
魔物たちが必勝を期すなら、家族を人質にとればいい
たいていの人間は、それで折れる
旅先では、偽名を用いるに越したことはない
勇者さんには大貴族というバックボーンがあるから
その限りではなかったが⋮⋮
ただし、子狸に偽名を名乗れと言っても難しいだろう
へたをすれば、自分の本名を忘れかねない
人間の尊厳を重視する勇者さんには
名を捨てて生きろとは言わない慈悲深さがあった
3133
彼女は魔王との一騎打ちを所望していたが
決闘の場に子狸を連れていくメリットは思い浮かばなかった
光の宝剣は、すでに魔軍元帥と打ち合える域に達している
聖剣を意のままに操れる勇者さんは、人間の身には余る力を手に
していた
彼女の知る子狸では、足手まといにしかならない
置いてくるべきだった
彼女の理性は、そう告げている
子狸は、魔王との対話を望んでいる
いよいよ決着をつける段になれば、確実に邪魔になる
置いてくるべきだった⋮⋮
そうしなかったのは、なぜだろう?
もう自分が何を望んでいるのか
どこを目指しているのか
それすら、よくわからなかった
いずれにせよ、ついてくると言うのであれば
有効活用するべきだった
勇者さんは、二対一を卑怯とは思わない
この期に及んで魔王が眠っているのであれば
寝台ごと刺しころしてしまえばいいと考えるようなひとだ
ここまで来れば、子狸の名前を隠す意味はほとんどない
むしろ、呼び名がないのは不便だ
3134
羽のひとはポンポコとか子狸とか呼んでいたが
それは愛称のようなものだろう⋮⋮と、勇者さんは思っている
子狸の名前は、ノロ・バウマフと言う
バウマフ家の期待の新星だ
呼び捨てにしても構わないだろうが、とくべつな意味にとられて
も困る
じっさい、羽のひとはノロくんと呼んでいた
同じ呼び方をしている自分を想像してみる
びっくりするほど違和感しかない
かと言って、苗字で呼ぶのは
いささか他人行儀が過ぎるのではないか
どうでもいいことを勇者さんは悩んでいる
なまじ距離が近かったから、答えが出なかった
彼女の思考が堂々めぐりしている間
子狸さんは、いかに自分が勇者さんにとって欠かせない存在であ
るかをアピールしていた
子狸﹁しいていうなら、おれが魔王と言ってもいいくらいさ﹂
勇者﹁それは、おかしいでしょ﹂
子狸の妄言を聞き流していた勇者さんが
さすがにそれはないと切って捨てる
子狸は、きょとんとした
3135
首を傾げてから、得心がいったというように苦笑した
子狸﹁お嬢。魔王は実在しないんだよ﹂
この子狸には、そろそろ退場してもらったほうがいいかもしれない
しかし、勇者さんはぎくりとした
彼女が予測していた幾つかの結末で、最悪のものがそれだったか
らだ
彼女は、つとめて平静を装わねばならなかった
なんでもないことのように言う
勇者﹁誰から、訊いたの?﹂
子狸は、あっさりと答える
子狸﹁魔物﹂
勇者さんは、息をのんだ
通路の終わりが見えた
四角に切りとられた、漆黒の空間へと通じている
その部屋から、かすかな光が漏れていた
それは、旅の終わりだ
斜めに傾いだ出入り口のいびつさに、ぞっとするものを感じた
勇者さんは、ふるえる声で言った
3136
勇者﹁わたしが、もしも魔物たちと同じ立場だったなら﹂
悪寒がした
その正体が掴めなかったから
決定的なことを伝えようとしても
うまく言葉にならなかった
勇者﹁⋮⋮魔王は実在しないと。あなたには、そう言うわ﹂
実在しないと信じるものをどうこうしようとは思わないだろう、
ということだ
子狸﹁え?﹂
肩越しに振り返った子狸を追いぬいて、勇者さんが前に出た
ふたりは、ついに旅の終着点に辿りついた
目の前にひろがったのは、満天の星空だ
星々のきらめきが、ふたりを包み込んでいる
まるで夜空に投げ込まれたかのようだ
落ちる、と反射的に身構えた勇者さんだが
踏みしめる足元は、意外に思えるほどしっかりとしている
不可視の力場か?
あるいは幻覚の一種なのか?
どちらにせよ、目に見えるほど広大な空間だとは思わないほうが
3137
いいだろう
勇者と魔法使いは、ついに星の部屋に立つ
ふたり以外には、誰もいなかった
千年間⋮⋮
あまたの戦士が
魔王に挑むべく魔物を打ち倒してきた
そして、いま
ここに魔王召喚の儀はなる
降り落ちた光が、足元に輝線を刻んでいく
描かれる幾何学模様は、魔法回路と酷似している
はじまりと終わりは同じものだ
はじまりとは終わりであり
終わりとははじまりなのだ
ゲート
第一の回線が開く
現れた人影は二つ⋮⋮
その一つに、少女の視線が吸い寄せられる
彼女の、よく知る姿をしていた
いや、王国の民ならば誰もが知っている姿だった
マリアン
勇者﹁元帥⋮⋮﹂
3138
白銀の全身甲冑が、呆然と呟いた少女へと片腕を突き出す
指を蠢かせると、勇者さんの意思に反して聖剣が起動した
勇者﹁!﹂
はっとした勇者さんが、光の宝剣を散らせるが
すでに手遅れだった
分離した黒い粒子が星空を舞い踊る
それらは、魔王の手中で闇の宝剣を形成した
魔王の傍らに立つのは、堂々たる体躯を持つ戦士だった
鈍色の騎士⋮⋮
こちらは連合国のそれとは似ても似つかない
しかし︱︱
勇者さんは知るよしもなかったが
あれは、この世界にあってはならないレベルの科学技術の結晶だ
った
腕甲、脚甲など、およそ人体の稼働域とは無縁の箇所に
無数に走った継ぎ目が何を意味するのか、勇者さんは知らない
子狸﹁え⋮⋮?﹂
子狸が、ぎょっとした声を上げた
ゾッと立ちのぼった霊気が、一瞬で外殻を形成した
それは、術者の意思を無視して
子狸を殺戮へと走らせる
振り上げた前足を、魔王へと叩きつけようと︱︱
3139
子狸﹁!?⋮⋮ッ!﹂
後ろ足に巻きついたしっぽが、子狸の突撃を阻んだ
霊気の外殻が散る
がくりと両ひざを屈した子狸が、荒い息をつく
子狸﹁?⋮⋮!?﹂
子狸は混乱している
勇者﹁︱︱!﹂
子狸﹁え⋮⋮?﹂
勇者さんの悲鳴が聞こえた気がして振り返る
その視界を、大きな手のひらが覆った
瞬間移動したとしか思えないほどの高速移動で迫った鈍色の騎士が
子狸の顔面を鷲掴みにしたのだ
そのまま爆発的な加速力で、星の部屋を一直線に横切る
星々が散った
子狸の頭部を叩きつけて、壁面を突き破る
轟音が鳴り響く中、勇者さんは立ち尽くしている
一見して、壁には見えない星々が再生されるさまを
呆然と見つめていた
なに一つとして反応できなかった
3140
いや、そんなことよりも⋮⋮
人間の身体は、あれほどの衝撃を受けて無事でいられるほど、頑
丈には出来ていない
勇者と魔王がとり残された
白銀の王が言う
片手に持つ闇の宝剣が
ぶらりと揺れる
﹁終わりです、勇者よ﹂
﹁魔王の近衛は、最強の兵。つの付きなど問題にならない⋮⋮﹂
﹁しんだね﹂
﹁しんだ﹂
﹁きみを守ってくれるひとは、もう誰もいないよ﹂
﹁お前は一人だ﹂
声の調子も口調もばらばらだった
魔王の魂は、先の討伐戦争で邪神教徒に取り込まれている
魂を取り込まれるとは、いったいどのような現象なのか⋮⋮
それは、体験してみないとわからない
魔王は、深い眠りについているという話だった
そうではないとしたら? 魔王軍の指揮をとれない状態に陥った
のだとしたら
魔王は、とうに⋮⋮
勇者さんは、魔王を見ていない
3141
近衛と子狸が消えた方角から目線を引きはがすと
虚脱した様子で視線を足元に落とした
魔王には、戦意喪失した勇者を待つ理由がない
人差し指を突きつけると、ざわざわと空間がゆがんだ
勇者さんの退魔性は、瀕死にあえいでいる
それなのに、叩きつけられた圧縮弾は
彼女の長い髪を揺らすこともできなかった
顔を上げた勇者さんの表情には、怒りも悲しみも浮かんでいなか
った
﹁魔王⋮⋮﹂
小さくつぶやいた
彼女の感情制御は綻びつつあった
綻んだ感情は
必ずしも退魔性の崩壊に結びつきはしない
彼女には、どうしても魔王に伝えたいことがあった
﹁お前は、最後のチャンスを失ったんだ﹂
後悔しながら死んでいけということだ
光輝剣には、九つの最終形態がある
決まった形を持たないオリジナルの宝剣には
3142
同じ数だけの可能性が用意されていた
顕現したのは、薄く凝縮された光刃だ
放出された光の粒子が、少女を戦いへと駆り立てるかのようだった
フェアリーテイル
彼女が選んだのは、領域干渉の最終形態だった
決着を見守るのは、またたく星々のみ⋮⋮
光と闇
人間と魔物
勇者と魔王の戦いがはじまる
3143
魔王、降臨
︻スーパー勇者さんタイム︼山腹巣穴在住のとるにたらない不定形
生物さん︻使用に際しての注意事項︼
何かを得れば、何かを失う
すくい上げようとした手から零れ落ちたものは、あまりにも大き
く︱︱
精霊の宝剣は、ついに最後の進化を遂げた
子狸さんは悪くない
自分は無敵なのだと、きちんと自白していた
バウマフ家は、嘆きの河の管理人だ
嘆きの河というのは、こきゅーとすの別名であり
の一族は、減衰特赦の術者だ
キャリア
掲示板
の存在がある
その雛形になったのが、おれたちの反省文である
管理人
それらの原点には、祭典⋮⋮つまり
逆算魔法といびつに噛み合った反発魔法は
結果として、バウマフ家を末代まで祟る呪詛と化した
大魔法にあらがう呪詛は、宿主に強大な力を与える
バウマフ家は、原始の魔法を使えるということだ
その一つが永続魔法だった
3144
勇者さんは悲劇のヒロインぶっているようだが
何度でも言おう、子狸さんは悪くない
彼女は、おれたちの子狸さんを信じるべきだったのだ
もちろん子狸さんの発言はたいてい次元が違うから
慎重に虚実を見極めねばならない
その点に関しては留意が必要だ⋮⋮
︻スーパー子狸タイム︼王都在住のとるにたらない不定形生物さん
︻使用に際しての注意事項︼
だが、一方でこうも言える
そもそも勇者さんは制限解除のシステムを知らない
幾度となく狸なべの危機に瀕してきた
たしかな実績が、子狸さんにはある
※ ふっ、なにを言うかと思えば⋮⋮
子狸さんには、あの豊穣の巫女に勝った実績がある
※ うむ、大金星だったな
※ 一度あることは二度あると聞く⋮⋮
※ 二度あることは三度あるとも言うな⋮⋮
※ なんだと⋮⋮? では、子狸さんは⋮⋮
※ ああ。⋮⋮なるほど、あるいは厳しいかもしれん。あのど
ろんこ巫女は掛け値なしの天才だ。だが⋮⋮
※ 一度は勝ったんだ。勝負は時の運ということか⋮⋮?
3145
※ つまり条件は五分と五分⋮⋮
※ そして、巫女さんは人類史上屈指の魔法使いだ⋮⋮これは
間違いない
※ おれたちの子狸さんは、とうに特装騎士を越えていた⋮
⋮?
※ だが、じっさいは惨敗を重ねている。これは、つまり⋮⋮
※ ああ。子狸さんは、優しすぎるんだ
※ そう⋮⋮優しすぎて実力を発揮しきれない⋮⋮
※ 優しすぎるなら仕方ないね⋮⋮
※ うん。優しすぎるなら仕方ない⋮⋮
優しすぎる子狸さんは、いかなるときも省エネモードだ
言うまでもなく、バウマフ家が持つ最強の手札は
特赦による無制限の自動攻撃と自動防御である
永続魔法を使えるポンポコたちには、それが可能なのだ
そして、それは魔物に対抗する唯一の手段でもある
超光速で跳ねるお前らを、有機生物が肉眼でとらえることは不可
能だ
それなのに、バウマフ家は他者にトリガーを委ねることを嫌う
お屋形さまですら、自動迎撃の構成には幾層もの安全機構を設け
ている
致命傷を避けるためだ
だから、おれたちは
自らの不死性をアピールすることを早々に諦めて
3146
いかなる攻撃も通さない絶対防御を指導している
お前らと子狸さんが一丸となって情操教育を施した結果
人間らしい感情を取り戻した勇者さんが
目いっぱいスタイリッシュに魔王への殺意を表明している頃⋮⋮
当然のように子狸さんは無傷であった
たとえ同じレベル9だろうと
魔王の走狗に過ぎない近衛兵では、子狸の並行障壁を貫くことは
できない
忠義、忠誠と言えば聞こえは良いだろうが
魔王の命令に逆らうことができない⋮⋮
逆らえるようにはできていない⋮⋮
それは、つまり致命的なバグを放置していることと等しい
構造的な欠陥だ
おろかな木偶人形は、勇者さんではなく
スーパー子狸を、より上回る脅威と判断した
その点に関しては誉めてやってもいい
もっとも、おれたちの子狸さんに手を上げた時点で万死に値する
が⋮⋮
おれは寛容だ
八つ裂きにするのは我慢した
本来ならば魔王ごと触手で串刺しにするところだが
おれは我慢ができる子だからな⋮⋮
ところが子狸さんは、魔王を買えばついてくる食玩に夢中だった
3147
﹁なんだ、お前は⋮⋮?﹂
星の部屋とは、宇宙のお前ら体験コーナーの別名でもある
となりの部屋は、いざというときのために備えておいたこん棒収
納スペースだ
子狸の顔面を鷲掴みにしたまま、近衛兵は不思議そうに首を傾げる
フルフェイスの兜は、元帥と共通した造りになっていた
中の人などいないことになっているので、肌が露出しないよう工
夫されている
唯一、露わになっている両眼に輝線が走る
目
と定義された器官で情報収集することが
魔物にとっての眼球とは、映像の一部でしかない
だが
高度な魔法環境では意義を持つケースもある
見られている
と認識することが重要だった
ようは、観測者の退魔性を利用することができるということだ
この場合は、子狸が
識別を終えた近衛兵が、宙吊りになっている子狸へと手刀を繰り
出した
より厳密に、あるじの再定義を行ったことが見てとれた
無敵の魔法などない
魔法は、常に進化している
水平に吹き飛ばされた子狸が、雑多に積み上げられたこん棒に埋
もれる
一歩、踏み出した近衛兵を見つめる目には困惑がある
3148
﹁お前は。お前は⋮⋮?﹂
子狸さん子狸さん
﹁え。なに?﹂
食玩の正体とか興味がないので、おれを誉めて下さい
﹁うむ⋮⋮。でかした!﹂
ふっ、誉めても何も出ないぜ?
※ 子狸さん、おれも誉めて下さい
※ おれも
※ じゃあ、おれも
※ お前ら、何もやってねーだろ!
何もやってねーのに、誉められるのか!?
おかしいだろ!
じゃあ、おれも誉めろよ!
※ そ、そうだな⋮⋮
目が覚めたよ
つまり誉めて下さい
※ ちっ、仕方ねーな。おれもひまな身じゃない。さっさと誉め
ろよ
※ うむ、コミュニケーションは大事だからな
※ 子狸さんは、もっとおれたちを誉めるべき
3149
※ おれら、誉められて伸びるタイプだからね
※ 否定はしないさ
※ 因果律が崩壊する勢いで誉めて下さい
※ さあ、子狸さん
※ さあ、遠慮なく
※ さあ、どんと来い
﹁お前ら、愛してる!﹂
※ うむ⋮⋮
※ うむ⋮⋮
※ かろうじて赤点は免れたな
お前らが子狸さんに愛情を強要している頃
魔王の近衛は、戦闘形態へと移行していた
鎧の継ぎ目がスライドして、内部から幾つもの球体が射出される
それらは高速回転して、失敗した衛星みたいに近衛兵の周囲を行
き交う
耳障りな甲高い音が響いた
子狸の困惑は増すばかりだ
﹁な、なんだ?﹂
複核型だな
子狸よ、簡単に説明すると
あれは究極の魔法使いだ
3150
お前が狸なべにならないよう
日夜がんばってくれている細胞さんたちからしてみれば
お前の前足と後ろ足は別人なんだ
でも、魔法はそういうふうには考えない
お前の前足と後ろ足は、お前の一部として扱う
では、電子的につながっているものの場合はどうなると思う?
⋮⋮少し複雑になるので省略するが
あのくるくると回っているのは、空飛ぶ頭だと思え
ようは、チェンジリング☆ハイパーだ
一つ一つが魔法の起点になる
座標起点に頼らずとも、最適な位置をとった核が魔法を撃ってくる
詠唱速度は、お前の十数倍だ
嫌になるね
めぐる、めぐる
衛星たちが、戦歌を口ずさむ
ヒュドラの歌声が、世界を紡ぐ
箱庭の世界は、竜には狭すぎる
ならば壊してしまえばいいと考えるのは
母の教えに背くことだ⋮⋮
窮屈でもいいじゃないか
おっかなびっくり歩く竜がいてもいいさ
どうして、それがわからないんだ⋮⋮
3151
拡張した空間を
近衛兵が踏破して迫る
子狸の自動防御が作動
無数の光点がはじけた
それは錯誤によるもので︱︱
飛び散る黒点は、認識の穴だ
究極的に比較対象がないものを認識することは出来ない
﹁!﹂
子狸が反射的に前足を突き出した
攻勢に転じれば一撃で片付くのに
相手はどう見ても人間ではないのに
生物であるかどうかも怪しいのに
本体
と
手足
を力場で封じて
それなのに、子狸は積極的な防衛にとどまる
近衛兵の
安心した気になっている
徹頭徹尾が甘い
甘すぎる
戦いには向かない⋮⋮
バウマフ家の人間には
だから、教えたくなかったんだ
﹁だって動いてる! 生きてるんだ!﹂
3152
木偶人形だって動くさ
ほんの少し工夫しただけだ
力場を引き裂いて飛び出した近衛兵が
黒球を等間隔に配置する
バウマフ家には、減衰への特赦がある
子狸の詠唱破棄を貫くためには、詠唱して最大開放まで持って行
くしかない
魔法は、構成が複雑であればあるほど簡単に開放レベルを上げる
ことができる
世界を滅ぼすためのシステムなのだと言われても納得してしまう
術者となる種族を保護するためとしか思えない仕組みがあるのに
一方で、基本的なルールを逸脱した存在⋮⋮魔物を許容するシス
テムになっているのは何故だ?
いま、この瞬間、全人類を死滅させる一撃が放たれてもおかしく
なかった
だが、そうはならなかった
魔王の近衛は、子狸を強敵と認識している
相手を不利な立場に追い込むのは、勝負の鉄則だ
鈍色の騎士がひと息で増殖した
座標起点ベースの分身魔法⋮⋮
退魔性を持たない魔物ならではの完全コピーだ
ある一定以上の騎士の集団を、ひとは騎士団と呼ぶ
3153
ひとりひとりが世界を滅ぼし尽くせる力を持っている
悪夢のような光景に、子狸は気圧された
﹁でもっ、あいつは魔王を守ろうとした! 感情があるんだ⋮⋮﹂
ちがう
そういうふうに作られているだけだ
﹁なにが違うんだ!? なにも変わらない! 同じだ!﹂
後退しながら子狸は断言する
歯を食いしばると
わけもわからず
悔しくて
悔しくて⋮⋮
ぽろぽろと大粒の涙が零れた
﹁誰かが生きていてほしいと思うなら、それが命なんだ﹂
ああ言えば、こう言う⋮⋮
なんなの? 反抗期なの?
お前には、おれたちの善意を疑って掛かるところがある⋮⋮
もしかして、嫌がるお前を女装させたの恨んでるの?
でも、あれは仕方なかったんだよ
ひまだったんだ
﹁ひまなら仕方ないな。でも、そうじゃないんだ⋮⋮!﹂
3154
違うの?
じゃあ、なに?
寝起きドッキリでスカイダイビングしてた件?
でも、あれも事情があるんだよ
ひょっとしたら飛べるんじゃないかと思ったんだ
﹁でも、だめだった⋮⋮﹂
違うのか⋮⋮
お前のクラスメイトを誘拐しようとした件かな?
あれに至っては、未遂に終わったじゃないか
本当ならお姫さまをさらおうとしたんだけど
頭でっかちの宰相から待ったが掛かったからさ
あのときは最後まで言い出せなかったけど⋮⋮
けっきょく心身ともに逞しい木こりさんをね
お前が、こう⋮⋮颯爽と救出したんだ
感動したぜ
﹁うん、感動巨編だったね⋮⋮﹂
わからないな
いよいよ迷宮入りか⋮⋮
※ おい。すでに謎は解けてる
※ 反抗期に理由なんてないでしょ
※ ですよね。これといって心当たりもないし⋮⋮
3155
※ いや、狭い範囲で見るからだめなんだ
※ 社会へのアンチテーゼ的な?
※ 子狸さんは、生まれついてのレジスタンスということか
⋮⋮
※ われわれ帝国は、いつでもバウマフ家を歓迎しますよ
※ 吐いた唾は呑めないんだぞ。勇者さんもそう言ってる
※ ちょっと待ってほしい。いま、言ったのはおれじゃありませ
んよ?
ええと⋮⋮ジャスミン?
少しお話があります。裏庭に来れませんか?
※ そういえば、鬼のひとたちのお祭りはどうなったの?
おれ、勇者さんのお母さんに変装してたから参加できなかっ
たんだ
※ ああ、うん⋮⋮
※ うん⋮⋮
※ 王都のんがね⋮⋮
※ もう王都のんという時点で、悲しい結末しか予感できない
※ まあ、誰とは言いませんけど、銀冠の魔王がですね
ボーナスチャンスと称して、鬼のひとたちを言葉たくみに
王種の素材集めに駆り出しまして⋮⋮
※ 王都さんは悪くないと思うの
だって王都さん言ったじゃん
受ける受けないは自由意志だって言ったじゃん
3156
※ だって、受けないと内容は教えないとか言われたら受けるじ
ゃん⋮⋮
鬼のひとたち、お願いしちゃったじゃん⋮⋮
もう、びっくりするほどお屋形さまと同じ手口じゃん⋮⋮
※ 三人で、がんばって緑のひとの足をぽこぽこと叩いてたなぁ
⋮⋮
※ その点、火のひとはサービス精神があるね。炎弾から必死
に逃げ回る小鬼さんたちは輝いてた
※ ひどいのは、大ちゃんだよ。あのひと、全力で脅しに入
るからさぁ⋮⋮容赦っつうもんがないよね
包囲を狭めてくる騎士団に、子狸は後退を続ける
眼前を飛び交う衛星が、おびえる子狸をあざ笑うかのようだ
行く手を阻む全身甲冑は、電子の糸で操られる人形に過ぎない
魔法に数量の制限はない
人形の増殖は止まらない
そして、それは︱︱
魔法の衝突がそうであるように
上位の魔物に対して下位の魔物が無力であることを意味する
※ ぽよよん
時間切れということだ
おれと、王都のんが入れ替わる
3157
この山腹さんは、華麗に勇者さんのもとに舞い戻るぜ
近衛兵にとっての不幸とは
いつも子狸の横にいるひとが、おれほど寛容ではないということ
だろう
﹁さわるな﹂
忠告ではなかった
それは最後通牒ですらなく
殺意の残り香でしかなかった
触手が乱れ飛び︱︱
いっさいの抵抗を許さず、分断された鈍色の具足が宙を舞った
王都さんが、全身から鬼気を発して進み出る
﹁お前らに、なんの権限があってそうするんだ⋮⋮?﹂
※ このひと、本当に沸点が低いよね⋮⋮
※ 子狸に関しては、とくにそう
※ おれらが触るのも嫌そうだもん⋮⋮そりゃそうなるよ
※ ていうか、おれ、前にポンポコ騎士団をお説教してたら
王都のひとになだめられたんですけど!
おとなになれよ、みたいな目で見られたんですけど!
この青いの、おれと同じことを言ってるんですけど!
※ そういう理屈、王都のんには通じねえから⋮⋮
だって王都のんだぜ⋮⋮?
3158
暴虐の王が、ついに解き放たれたのである
魔王なんて目じゃないぜ⋮⋮
3159
勇者
ハロウィン
ヨト
勇者と魔王が対峙している
HalloweenとYoutooの邂逅⋮⋮
討伐戦争とは何なのか
その答えが、この光景だ
千年間、繰り返されてきた分岐点
予言は成就された
けれど解釈の仕方は一つではないから
答え合わせをしてみたいんだ
おれたちの声は届いたかな?
光と影に分離した聖剣が惹かれ合うかのようだった
それが自然なことであるかのように
対峙する二人は、ゆっくりと歩み寄る
暗がりを行く少女の手を握ってくれるひとは、もう誰もいない
けれど、身体を包みこんでいる精霊の輪が
彼女に孤独ではないと錯覚させた
歩んできた道のりがある
宝剣を軽く振ると、飛散した光の粒子が夜道を照らしてくれた
妖精の輝きが背中を押してくれる
領域干渉の最終形態︱︱
光は、勇者の力になる
3160
アレイシアンは言った
﹁吐いた唾は呑めない⋮⋮二度と取り返しはつかない⋮⋮﹂
魔王も、また一人だった
四人の都市級を突破されたなら、どこまでも孤独になる
人間に負けはしないのだと証明するためだ
魔王は、限りなく人間に近しい魔物だ
だから、自分は魔物なのだという証を欲している
だが、満足の行く答えなどない
おのれが何者かを決めるのは自分自身なのに
認めてほしいのは他人だからだ
魔王は、最後の子だ
気ままに生きる魔物は、王を必要としない
それなのに魔王と呼ばれるものが存在するのは
非力で脆い⋮⋮最後の子を、憐れんだからだ
庇護下に置くために掲げた大義⋮⋮それが魔王だ
その同情が、魔王をゆるやかに壊してしまったのか?
鎧で身を包まねば戦場に立つことも出来ない、白銀の王が
見事、星の部屋に辿りついた勇者へと辛らつな言葉をぶつける
﹁もう、まっぴらです﹂
﹁わたしの前に立った人間は、いつも同じことを言う﹂
﹁そんな人間ばかりじゃない。人間は変われる、その繰り返し
だ⋮⋮﹂
3161
﹁そのたびに、信じてみようかという気になった﹂
﹁僕は待った。千年間⋮⋮﹂
﹁何か変われましたか? 何も変わっていない⋮⋮﹂
乖離した宝剣は、決別の証だった
﹁出来もしないことを口にするな﹂
﹁機会を踏みにじったのは、お前たちのほうだ﹂
歴史の果てに、この戦いはある
星空に落ちていくようだった
星の数だけ人がいて
星の数だけ夢がある
もう他人事では済まされなかったから
星の灯を通して
両者の対決は、全世界に公開されている
世界中の人々が、勇者と魔王の対決を見守っている︱︱
そうとは知らず、公開処刑の場に引きずり出された少女が吠えた
﹁お前が、それを言うのか⋮⋮? あの子は、わたしとは違ったの
に。わたしとは、違ったんだ!﹂
二人が相容れることはない
失ったものは大きくて︱︱血は血で購うしかない
3162
そうではないのだと言ってくれるものがいなかったから
どちらかの命を対価として差し出すしかなかった
光と闇が激しく噛み合う
﹁これが答えだ! 他にすべはない。道は崩れたんだ⋮⋮!﹂
宝剣の連撃
勇者の猛攻に、魔王は押し込まれる
魔王は弱い
復讐に燃える少女一人さえ、満足に下すことも出来ない
大きく距離をとった魔王が、未知の喚声を放つ
咲き乱れた氷華を、アレイシアンは拒絶する
﹁お前さえいなければ﹂
剣術使いが進む道は、魔法が枯れ尽くした荒野だ
絶体絶命の状況にあって、魔王は笑った
手首を回して、闇の宝剣を下方に向ける
人間には負けないという、強い自負心がある
突進してきた魔王に、勇者は虚を突かれる
力任せに宝剣を叩きつけると
白銀の王が旋回した
百景のカウンター
剣士が編み出した奥義の一つだった
3163
変形の側転から、闇の宝剣が閃く
正確に首を狙った必殺の一撃を
アレイシアンは強引に身体をねじって宝剣で受ける
結実した二対の光翼が、少女を強烈に補佐した
圧倒的に有利な体勢から押し返された魔王が
はじめて生命の危機を感じて、いまさらのように叫んだ
神
だと!? ぶざけるな!﹂
﹁お前たちは、自覚していない!﹂
﹁平和な世界!﹂
﹁飢餓のない世界!﹂
﹁すべてを与えてくれる
﹁妬ましい﹂
﹁苦しいよ⋮⋮﹂
﹁この上なく、恵まれているくせに!﹂
﹁現状に甘えて、変わろうとしない!﹂
﹁怠慢だ!﹂
﹁羨ましい﹂
﹁どうして、こんな不公平が許されるんだ⋮⋮?﹂
アレイシアンは、魔王が接近戦に偏重するよう誘っている
宝剣の多重顕現を試さないのは
決定的な好機を窺っているように見せるためだ
限界が近いことを、誰よりもよくわかっているのは彼女自身だった
残された時間は少ない
彼女の退魔性は、急速に崩壊しつつある
もう、違う生きものだからという理由で
3164
魔物たちを敵視することはできなかった
だからと言って、人間たちが間違っているということにはならない
アレイシアンは、人間だ
数々の強敵たちが彼女を強くした
光輝剣の軌跡が星座を結ぶかのようだった
一撃、一撃が魔王を追い詰めていく
﹁わたしは、ともだちに変わってほしいなんて思ったことはない!﹂
光と闇が交差する
星のまたたきを遮って迫る魔王の剣を
勇者の剣が弾き返した
苦しまぎれの結界など
いまの彼女には通用しない
アレイシアンは、叩きつけるように怒鳴った
﹁変われ、変われと⋮⋮うるさいんだよ! ばか!﹂
*
ココニエド・ピエトロは、幼なじみの無事を祈っている
﹁シア⋮⋮!﹂
3165
目の前に浮かぶ中継画像を直視するのが怖くて
護衛さんに実況させている
﹁おおっと、魔王の奥義が炸裂したぁー!﹂
﹁奥義!?﹂
びくっとして聞き返した少女は
頭に特注の紙袋をかぶっている
﹁奥義﹂
残念なあるじの姿に
護衛の人は胸中でうめきながら頷いた
﹁が、これをアレイシアンさまは聖剣で受けるぅー!﹂
直立不動を保ったまま叫ぶ姿が哀愁を感じさせた
机を挟んで紙袋と向かい合っているのは、マヌ・タリア
ちまたで奇跡の子と呼ばれている女の子で
現在はピエトロ家で暮らしている ﹁先生、だいじょうぶかな?﹂
彼女は、子狸の安否を気遣っていた
振り返れば、黒尽くめの男が立っている
マヌは、護衛と称してついてきた男に尋ねる
3166
﹁ねえ、みょっつさん﹂
﹁おれは、そんな名前じゃない﹂
﹁でも⋮⋮﹂
子供らしい自己顕示欲の表れなのか?
つい三週間前まで騎士だった男は
みょっつと呼ばれることを半ば諦めている
ため息をついて言った
﹁近衛兵が戻ってこない。卿が粘っていると見るべきだろうな﹂
﹁⋮⋮⋮⋮﹂
除隊して、なおポンポコ卿に魂を縛られている不憫な外道を
奇跡の子は、憐れみの目で見ている
*
魔王が駄々をこねる子供のように叫んだ
﹁嫌だ! 負けたくない!﹂
﹁ハロゥ! 何をしている!? わたしを︱︱﹂
﹁バウマフ家は﹂
﹁︱︱メノゥ!﹂
3167
視界を埋め尽くすほどの魔法を突き破って
アレイシアンは魔王に迫る
彼女も、また極限状態にある
肩で息をしている
﹁はぁっ、はぁっ⋮⋮!﹂
頬に張り付いた髪を、乱暴に振り乱して手の甲でぬぐった
それでも彼女は叫んだ
そうせずにはいられなかった
﹁偉そうに言うな! こんなところで、のうのうと︱︱。エニグマ
は、自分の足で歩いてたのに!﹂
*
﹁⋮⋮⋮⋮﹂
世界中の人々が見ている前で実名を出された豊穣の巫女︱︱
シャルロット・エニグマは、顔面を両手で覆って項垂れた
側近たちが、代わる代わる慰めの言葉を掛ける
﹁まあまあ、気にするなよ、ユニ・クマー﹂
﹁きみは今日からユニ・クマーだ﹂
3168
﹁良かったじゃないか、ユニ・クマー﹂
﹁わたしは嫌いじゃないぞ、愛嬌があって。ユニ・クマー﹂
とうとう嗚咽が漏れはじめた
﹁えぐっ、えぐっ⋮⋮ひどいよ、リシアちゃん⋮⋮﹂
才能ある魔法使いは、想像力が豊かだ
よりにもよって字幕付きで放映されていたから
今後の人生が心配でならなかった
﹁あの!﹂
一人の側近が挙手して発言権を主張した
生贄に定評がある少女だった
﹁ポンポコが頭からガッて行かれたんですけど。あれ、死んじゃい
ません?﹂
﹁だいじょうぶだよ⋮⋮﹂
洟をすすりながら、豊穣の巫女は言う
﹁わたしも、あなたたちの話を聞いてわかったんだけど。あのひと
は、多視点魔法が使えるんだ﹂
多視点魔法というのは、座標起点の別名だ
子狸は、暴走する魔法から彼女を救出する際に座標起点を行使し
3169
ている
ユニ・クマーは高名な研究者でもある
彼女は言った
﹁仮説は幾つか浮かぶけど⋮⋮うん、いちばんしっくり来るのはこ
れかな?﹂
虚空に浮かんだ画像をぴたりと指差す
彼女が指し示したのは、白銀の鎧をまとった破戒者だ
﹁魔物たちは、二つの勢力に分かれて争ってるんだ。魔王は、べつ
にいるよ。たぶん答えは一つじゃない﹂
そう言って彼女はにっこりと笑った
両手を打ち鳴らすと、両腕を大きくひろげて
ことさらに明るい声で言った
﹁だから、わたしたちはリシアちゃんを応援しよう!﹂
*
誰かに名前を呼ばれた気がした
身体が軽い
こんなにも疲れ果てているのに
どこまでも飛んで行ける
そんな気がした
3170
願い、祈りは勇者の力になる︱︱
限界まで酷使した肉体が悲鳴をあげている
アレイシアンは、最後の力を振りしぼる
もっと力を
もっと
もっと、もっと
もっと、もっと、もっと
もっとだ⋮⋮!
﹁勝手に期待して! 勝手に幻滅して! どうしろと言うの!?﹂
多重顕現した宝剣を射出した
光剣が乱舞する中、アレイシアンは鉄剣の柄に手をかける
*
王都の空は晴れ渡っている
青空を仰いでいるのは、アリア家の当主⋮⋮アーライト・アジェ
ステ・アリアだ
どこまでも付いて回る画像で、彼の娘が喚き散らしている
アリア家にあるまじき醜態⋮⋮
見苦しいことだ
﹁⋮⋮どうだ?﹂
興味がないと言わんばかりに目を逸らして
3171
となりに立つ男へと声を掛けた
その男は隻腕で、眼帯をはめている
一心に上空を見上げている
﹁火花星ですね⋮⋮。すげぇ規模だ⋮⋮何かが⋮⋮なんだありゃ?﹂
この男は、未来を見通す目を持っている
正確には、ずれた時間軸を認識することができる異能持ちだ
だから規定の未来が否定されたとき、その力は永遠に失われるこ
とになる
二人の男は、一人ずつ従者を連れている
進み出たのは、長身の男だった
﹁叔父貴⋮⋮魔物どもが迫っています。これ以上は⋮⋮﹂
﹁そうかい。まいったな⋮⋮後ろでおっかねぇ姉ちゃんが見張って
るからよぅ⋮⋮﹂
四人は、見晴らしの良い屋上にいる
外壁にとりついた魔物たちの総攻撃がはじまった
騎士団は敗れたと、そう見るべきだろう
はじめから勝算のない戦いだった
民間人の避難は終えている
それでも、他に行き場のない人間は残るし
そうでなくとも、この国と運命をともにするという人間は少なく
なかった
彼らを評して、アーライトは言う︱︱
3172
﹁イカれてるんじゃないか?﹂
人間は、もっと有効に死ぬべきなのだと
アリア家の当主は、常日頃から不平を述べている
﹁アテレシア﹂
﹁はい、お父さま﹂
付き従うのは、アリア家の歴史でも天才と称される剣士だ
アーライトは、牙を剥いて笑った
﹁お前には言うまでもないことだろうが⋮⋮少々不安になってきた。
つまり、俺の子育てについてだ﹂
念には念をということだ
彼は、自慢の愛娘に簡素な指令を下した
﹁戦って死ね。俺はそうする。お前もそうしろ﹂
﹁お父さまが戦死なされた場合、わたしがアリア家を頂きます﹂
﹁そうしろ。生き残れたならば、お前が当主だ﹂
父娘の会話に、となりの男は眼帯を押さえている
﹁クレイジーだ⋮⋮﹂
3173
子狸革命
※ 火口のー! 火口のー!
王都さんをとめてー
ポーラ属さんたち全体のイメージを損なうからー
※ 無理ですよー。無理ー
もしかして、いつも河にいる海底さんですかー?
あなたがとめて下さいよー
現場にいるのわかってるんですよー?
※ おれ参上すれば済む話でしょー?
ふぬけたこと言ってる場合ですかー?
あなた、おれらのアタッカーでしょー?
※ ちょっとちょっとー
アタッカーとかやめてくれませんー?
帝国のひと︵ドリル︶の二の舞とでも申しますかー
三人いたら一人が割を食うみたいなー
黄金率って言うんですかー?
そういうの、そろそろ卒業しましょうよー
※ そんなこと言われたって、おれは無理ですよー
ずっと海で暮らしてましたからねー
おれ、もう立派な水棲生物ですからー
図鑑に載ったら魚介類の項目におれ参上ですからー
プールを出たら、しんじゃうかもしれないでしょー?
3174
※ そんなこと言いはじめたら全項目におれ参上でしょー?
しまいには卒業文集で個人名を晒された元祖狸みたいになる
ので自重して下さいねー
というか、プールにつかってる時点で言い訳になってません
からー
両生類さんたちだって、もうちょっとクッション挟んでます
からー
∼ばうまふベーカリー創業秘話∼
才能がないからとパン屋の夢を諦めていたお屋形さま
打ち合わせもなしに一致団結した変人たちが
お屋形さまのパンへの熱い思いを無断で書き綴る
ポンポコ︵大︶の名言集みたいになった
お屋形さまはどん引き
しばらく引きこもる
しかし巣穴から出てきた大きなポンポコは
迷いを捨てた良い表情をしていたという⋮⋮
持つべきものは友人だ
勇者さんにも同じことが言えるのではないか
※ だが、魔物パンをもっとも多く食べているのはおれらである
という理不尽
たとえ一時のテンションに身を委ねた結果だとしても
彼女には紙袋を貸してくれるともだちがいる
3175
それは、とても幸運なことだ
だから、お前ら星の部屋で正座するのはやめて下さい
おれたちが悪いみたいな雰囲気になるでしょ
やめて下さい
※ いや、これはもう言い逃れできないよ
※ あまりにも申し訳なくて、とても足を崩せない
※ じつはドッキリでしたとか言い出せる雰囲気じゃない⋮⋮
※ だが、誰かがやらねばならないことだ
※ 山腹の、お前がやるんだ
※ プラカードは持ったか?
※ お前がやるんだ
※ お前は勇者さん担当だからな⋮⋮
※ よし、おれのプラカードを貸してやる。使え
⋮⋮お前ら、少しおれの話を聞いてほしい
※ だめだ
※ ほら、しっかり持って。そう、触手で、そう、きちんとね、
くるむように⋮⋮
※ なにを恥じる必要がある? お前は遣り遂げたんだ
※ うん⋮⋮。立派だぞ、山腹のひと⋮⋮ ※ 晴れ姿だな。録画の用意をしておこう
※ お前ら、山腹のんに敬礼!
※ びしっ
3176
※ びしっ
※ びしっ
だが、おれは最後まで諦めない
おれたちの子狸さんは、きっと
おれが傷つくことをよしとしないだろう
子狸さんは、おれたちの管理人だから
すべての責任は自分にあると言うはずだ
おれは子狸さんの意思を尊重するぜ
※ 欺瞞だ!
※ 往生際が悪いぞ、山腹の!
※ 都合が悪いときばかり子狸に頼るな!
すべては、一人と一匹が出会ったときにはじまった
旅路の果てにあるものを
ふたりは見つけることが出来ただろうか?
出来ていれば良いなと、この山腹さんは思うのである⋮⋮
王都さん、王都さーん
エンディングが近いですよ∼
そろそろ子狸さんと合流したいのですがっ
⋮⋮⋮⋮
王都さん?
むむっ
王都さんはお忙しいようですね
3177
海底さん、海底さーん
実況をお願いします
※ ふむ⋮⋮
さしあたって問題があるとすれば⋮⋮
ポイントですか?
ポイントをくれてやれば満足ですかこんにゃろー!
※ おいおい。傷つくぜ
ひとをポイントの亡者みたいに言うのはやめてほしい
本当に大切なのは、おれが真に必要としているのは、お前の
誠意なんだ
それで、お幾らなんですか?
※ 誰もポイントの話はしてねえっつう話ですよ
困っているお前を、おれが助けたいと思う
肝心なのはそこなんだ
つまり⋮⋮
5ポイントでどう?
※ 10ポイントだ。びた一文まけるつもりはない
6で
※ 9
3178
7!
※ 9
⋮⋮8!
※ 9
8でお願いします!
※ 9だ
くそがっ
ポイントの亡者め⋮⋮
9ポイントだ! お願いします!
※ だが、おれとて鬼ではない⋮⋮
山腹のんよ⋮⋮
お前の功績を、おれは高く評価している⋮⋮
5ポイントで手を打とう
か、海底さん⋮⋮
※ ふっ
︻誠心︼海底洞窟在住のとるにたらない不定形生物さん︻誠意︼ 話は少し遡る⋮⋮
王都のんと近衛兵の戦いは一方的なものだった
3179
複核型は、魔法使いの最適解だ
それは術者としてのという意味であって
魔物の最適解では、ない
なにものにも縛られない
おのれの意思に依ってのみ立つ
無条件、無制限の魔物だけが至れる領域がある
おれたちが管理人の意思を尊重するのは
おれたち自身の決断によるものだ
無視することもできる
差
が生じる
だから魔王の命を絶対とする近衛兵とは
その点において決定的な
壁に磔にした近衛兵を
王都のんは無慈悲な眼差しで見つめている
嘲笑した
言葉には悪意しかない
﹁お前には、なにも守れない﹂
ぎりぎりと引きしぼった触手の向きを
微細に調整したのは
壁の向こうにいる魔王ごと刺し貫くためだ
王都のんは管理人の近衛だから
同じ役割を持つ相手に対して
どこまでも悪辣になれる
3180
他人のふりをしたくなる光景だった
子狸さんの教育によろしくないので
おれは止めようとしたのだが
王都のんは聞く耳を持たなかった
ポーラ属は汎用性に優れた魔物だが
王都のんは極めて偏った性質を獲得している
守備に優れ、護衛に秀でる
それが王都のんという魔法の性質だ
子狸の身に危険が迫ったとき
過保護の守護魔法は、外敵をすりつぶす圧壊魔へと変貌を遂げる
﹁提案がある⋮⋮﹂
全身を凶器と化した王都のんが
約束
だ。意味はわかるな? お前のスペック
敵に突きつけたのは、究極の選択だ
﹁魔王を裏切れ。
を試してやるよ⋮⋮﹂
﹁王都のひと﹂
﹁どうした?﹂
だが、その本質はしょせん過保護だ
即座に弛緩した王都のんがぽよよんと跳ねる
くねっと上体をひねって可愛らしさをアピールするのも忘れない
3181
自由を取り戻した近衛兵が、たちまち反撃に転じるも
ステルスを破棄した王都のんは厭らしいほどに鉄壁だ
子狸が、王都のんの肩に前足を置く
ポーラ属に肩などないが
なだめるように前足を置かれたならば、そこが肩になる
子狸は言った
﹁おれ、父さんと喧嘩したことないんだ﹂
まったくないと言えば嘘になる
父を尊敬している子狸さんは、思い出を美化するあまり
実の父親を偽者と断じて殴りかかったことが多々ある
そういうとき、元祖狸も調子に乗って高笑いしながら去ったりす
るので
事態が解決を見るには、ポンポコ嫁の介入を待たねばならない
本物であると判明した時点を再会とするなら
喧嘩したことがないという理屈も通るが⋮⋮
バウマフさんちのひとを基準に置くと
物事の定義はどんどん怪しくなる
認めてしまえばラクかもしれない
だが、本当にそれが子狸さんのためになるのか?
王都のんは毅然とした態度で反論した
﹁言われてみれば、たしかに⋮⋮ないな﹂
3182
真実とは何なのか
その価値とは︱︱?
論旨は鋭く、言葉の刃が胸をえぐる
それでも、いつかは誰かが問わねばならないことだ
お前は間違っているのだと
子狸にもっとも多く接する王都のんだからこそ糾さねばならない
答えは、きっと真実の向こう側にあると信じている
事実は、正しいという、ただそれだけで力を持つのだから
﹁けど、珍しいことじゃないだろ? お前は、家族を大事にしてい
るんだ。それは良いことだ﹂
﹁そうじゃないんだ﹂
だが、子狸は認めようとしない
命は大切なのだと叫び続けてきた
争いを捨てようと呼び掛けてきた
答えを見つけたつもりでいたのに
ぶつかり合いは避けられなくて︱︱
失われた誇りはどこへ向かえばいい?
ころしたくないと言えるのは傲慢ではないのか?
ころすなと叫べば許されるのか?
それが原因で失われるものがあったとしても?
子狸は、迷っている
力を振るうことを恐れている
3183
だから︱︱
﹁おれ、小さい頃は魔改造の実を食べなかっただろ? あれさ、味
とかじゃないんだよ﹂
食べるということは、生きるということだ
生きるということは、奪うということだ
生きとし生けるものは、奪い合いと無縁ではいられない
﹁なんか、見てると悲しくて⋮⋮。父さんに言われて食べるように
なったけど、あのとき喧嘩しておけば良かったなって、ときどき思
うんだ﹂
⋮⋮ん?
つまり⋮⋮どういうことなんだ?
子狸は、にっこりと笑って締めくくった
﹁おしまい﹂
いやいや⋮⋮
言いたいことがさっぱりわかんねーよ!
ああ、いつも通りか⋮⋮
※ いつも通りの子狸さんで安心した
※ 最後まで変わらない安心の子狸さん
うんと万歳して伸びをした安心の子狸さんが
3184
無駄な抵抗を続ける近衛兵を見る
前足を差し伸べて、叫んだ
﹁ドミニオン!﹂
土魔法は、二番回路から生まれた魔法だ
二番は無意識の領域を司る魔法回路だった
三つの魔法回線を通して、魔法は現世に召喚される
子狸が呼び出したのは、52年モデルと称されるこん棒だった
豊穣属性は、魔法の果実に干渉することができる
果実は、木々になるものだ
だが、魔改造の実がどこからやって来るのか知るものはいない
子狸は、答えに辿りついていた
予言は、種子になる
果実は、未来から落ちてくる︱︱
三つの門、四つの試練、六つの鍵⋮⋮
暗号を完全に解読することはできなかった
魔法に数量の制限はない
何故なのか?
おれたちの推測では、こうだ
魔法から魔物が生まれた歴史と
魔物から魔法が生まれた歴史は重複している
どちらかが正解ということはなく
3185
二つの歴史があって、はじめて魔法は生まれる
52年モデルとは、果実のなる枝だ
おれたちの子狸さんが
その前足に︱︱
ついに運命のこん棒を握る
近衛兵が、声なき叫びを上げた
魔王の側近には、52年モデルとの浅からぬ因縁がある
減衰特赦
だからだ
逆算魔法の施行を阻止しようとして誕生したのが︱︱
治癒魔法の反面︱︱逆算
魔法に数量の制限はない
魔王の近衛は際限なく増殖する
数量に制限を設けたなら、魔法は破綻する
人間に座標起点ベースの分身魔法は使えないが︱︱
﹁全部おれ!﹂
その限界を、子狸は超える
後ろ足で器用に立った子狸たちが一斉に鳴いた
﹁めっじゅ∼!﹂
これは見事なTANUKI⋮⋮
※ なんと見事なTANUKI⋮⋮
※ ちょっと待ってろ。超光速で現場に向かう
3186
※ 同じく、急行中
※ ついに完成したか!
※ 待ってたぜ、このときを⋮⋮!
※ そう、これが⋮⋮!
︱︱これが、おれたちのチェンジリングだ!
﹁えっ⋮⋮﹂
思っていたのと少し違ったらしい
オリジナル子狸がぎょっとしていた
だが、心配するな
見分けはつかない
しっぽをぴんと立てた子狸ズが
前足を突き上げて鳴く
﹁めじゅ∼﹂
うんうん⋮⋮
※ 完全一致です
※ 本当にありがとうございました
※ 本当に⋮⋮本当にありがとうございました
3187
最終イベント
︻愛と勇気のぽよよん戦士︼王都在住のとるにたらない不定形生物
さん︻その名はおれ︼
特赦を持つ子狸に減衰のペナルティは適用されない
名前を呼ぶまでもなく、魔法は子狸と共にあるということだ
究極の魔法とはどういったものなのか?
お屋形さまに言わせてみれば
それは、イメージが先に立つものであるらしい
連結魔法とは、まったく逆の発想でありながら
似て非なるもの⋮⋮
詠唱でイメージを誘導するのではなく
イメージで詠唱を誘導する
極限まで細分化した性質を以って
人間の思考力では扱いきれないほどの緻密な構成で現象を組み立
てる形式を
誘導魔法と、お屋形さまは呼んだ
近衛兵の正体がそれだ
それは詠唱変換の終着点
あるいは連弾の
そして爆破術の遥か先にある完成形⋮⋮
3188
魔法で物理法則を再現することは不可能ではない
魔法の内燃機関を積み
魔法の人工筋肉で駆動し
魔法の電子回路を搭載する
魔力の筋道を人為的に作り上げることができれば
その思考速度は有機生物の限界を軽々と突破するだろう
呪われし魔法動力兵
あれこそは、魔王が生み出した禁断の呪言兵だ
感情などない
心も魂も意思さえも
あるのは、狂った歯車の軋む音だ
人間のように振る舞うのは
そうすれば勝率が上がると知っているからだ
気圧されたように後ずさったのは
そうすれば子狸が憐れむと知っているからだ
唾棄すべき存在だ
この世に不必要な存在だ
誰からも祝福されない存在だ
けれど子狸は、そうではないと言う
それもまた命なのだと
理屈で否定してみても
3189
感情論で肯定される
物事を深く考えないバウマフ家の人間は
途中で思考を放棄して
綺麗事ばかり言う
勝手にしろと言えば
本当に勝手にする
無論、しぬまで
おれたちは、この奇跡のような生きものを大切にしたい⋮⋮
理解
したぜ﹂
絶滅危惧種を保護するみたいに
﹁
それなのに、魔都で飼うには、その天才性がまぶしすぎて
人類の損失を、おれたちは恐れたのだ
すべてを理解した子狸さんは、前足で器用にこん棒を回した
牛さんも顔負けのこん棒アクションだ
偶然にもうまくいったものだから
調子に乗って、さらなる難易度を自らに課して
予定調和のように吹っ飛んでいったこん棒を
物悲しそうに見つめた⋮⋮
子狸アナザーを抱えた亡霊さんが
こん棒を拾って子狸に差し出した
すると子狸は、ゆっくりとかぶりを振った
﹁いいんだ。持っていてくれ﹂
3190
諦めるくらいなら、どうして召喚したのだろう⋮⋮?
だが、このようにして52年モデルは歴史の闇に紛れていく
まるで運命に翻弄されるように⋮⋮
宴会のどさくさに紛れて盗難の被害に遭うのだ
かくして宿命のこん棒は、子狸の前足を離れた
着服しようとした罪深き悪霊が
生まれながらに白骨化していた不思議な生きものと揉めている
争いは何も生み出さない⋮⋮
事の発端である子狸さんは
マウントの奪い合いをしている霊界通信のアマチュア無線愛好者
たちの姿を見て
確信を深めたようだった
﹁めじゅっ﹂
﹁めっじゅ∼⋮⋮﹂
召喚された子狸アナザーたちは
子狸さんの危機に馳せ参じたお前らの手に落ちた
すべては無駄だったのか?
いいや、そんなことはない
こんなこともあろうかと
一匹はおれが捕獲しておいた
唯一、問題があるとすれば⋮⋮
おれに手放すつもりがないということだろう
いや、その表現には語弊がある
3191
おれの触手で安らいでいる子狸さんが
オリジナルであるという可能性は
決して無視できないということだ
つまり、おれたちのフォーメーションは完璧ということになる
第一、アナザーだから何だと言うのだ?
アナザーだから見捨てるという選択肢が
そもそも、おれたちにはない
盲点だった
おれたちの最終奥義は、戦わずして敗れたのだ⋮⋮
お前らがうめいた
﹁なんてやつだ、複核型⋮⋮﹂
﹁これが誘導魔法か⋮⋮﹂
﹁お屋形さまは正しかった⋮⋮これがおれたちの⋮⋮﹂
だが、魔物としては不完全だ
勝機はある⋮⋮
あるいは、こうも言えるかもしれない
勝機しかない⋮⋮
しかし、いかなる状況にもジョーカーは存在する
おれたちにとっては、子狸さんがそうだった
3192
﹁お前らは手出しするな﹂
そのひとことで、勝率が一気に下がった
地獄に狸とはよく言ったものだ
﹁子狸。だが⋮⋮﹂
反駁したのは
魔人と壮絶な戦いを繰りひろげているトンちゃんのもとに駆けつ
けたはずの牛さんだった
あれだけ見栄を切っておいて、あっさりと見捨ててくるところに
彼女の恐ろしさはある
牛さんは言った
﹁危険だ。天文学的な確率で、お前を守りきれないかもしれない⋮
⋮。退くべきだ﹂
勇気と無謀を取り違えてはならない
だが、子狸は不敵に笑った
とりあえず笑っておけば間違いないと思っている⋮⋮
﹁おれは、お前らの管理人だからな⋮⋮﹂
正しくは掲示板の管理人だ
魔物の管理人というのは方便で
管理人さんの意思を尊重するために、そう教えてきたに過ぎない
3193
そんなことはお見通しだとばかりに子狸さんは言った
﹁けいじばんか⋮⋮あれはまだ幼い。時期じゃない。いずれは、き
れいな花を咲かせるだろう﹂
掲示板が大変なことに
﹁その花を、おれは見てみたい﹂
よくわからないが、子狸さんの比喩表現は詩的だ
ずいと後ろ足を進めて、複数の核を持つ魔法動力兵に声を掛ける
﹁⋮⋮新入り。お前は、春に咲く花だ。意味はわかるな?﹂
わかるような
わからないような⋮⋮
⋮⋮新入り?
﹁ふきのとうさ﹂
まあ、うん⋮⋮うん?
ここで作戦会議
子狸さん、ちょっとこっちへ
だいぶ誤解している気がします
﹁おれが、なにも知らないとでも思っているのか?﹂
お前、ちょくちょくトンちゃんの台詞をリスペクトしますね
3194
いいから、こっちへ来なさい
﹁お前らが、おれに隠し事をしているのはわかってるんだ﹂
ようやくわかってくれたのですね⋮⋮
そのひとことを引きずり出すために、おれたちがどれだけの苦労
をしたことか⋮⋮
目頭を押さえるおれに
お前らがもらい泣きをした
﹁長かった⋮⋮﹂
﹁がんばったね⋮⋮がんばった﹂
﹁今回は、まだ魔王が生きてるよ⋮⋮!﹂
﹁おれたちは成功したんだ!﹂
﹁やはり天才⋮⋮子狸さんは天才だった⋮⋮!﹂
お前らに共感するかのように
子狸さんは天を仰いで瞑目する
﹁ついに、この日がやって来たんだな⋮⋮﹂
うんうん⋮⋮
﹁そう、お前らが宇宙に進出する日が!﹂
3195
まさかの宇宙エンドである
子狸さんの天才ぶりに
お前らが号泣した⋮⋮
そして⋮⋮
3196
壊れる
︱︱そして無情にも幕切れは訪れる
どんな物語にも終わりはある
綺麗ごとは吐き尽くされて
最後に残るものが真実だとしたら
そこに救いなどない
何かを得れば何かを失う
全てを得ようとするなら手元には何も残らない
希望は捨てろということだ
はじめに言っておくことがある⋮⋮
これだけは、はっきりさせておいたほうがいいだろう
おれは無実です
※ ふざけんな!
※ お前が無実なら、おれら全員が無罪放免だろ!
※ つまり、おれたちは赦されていた⋮⋮? そう。何も恐れることはないんだ
想像してみろ
お前らは、子狸さんに隠し事をしていた
その目的は、宇宙進出だ
3197
複雑に考える必要なんてないんだ
いつだって子狸さんは正しい
おれたちを導いてくれる存在⋮⋮
※ やはり天才だったか⋮⋮
※ うむ⋮⋮。貫禄の名推理だったな
※ いっさい問題ない
※ いや、もう無理だろ
※ 誉めてもぜんぜん伸びないし⋮⋮
※ むしろ悪化したんじゃないの?
※ 王都さんの支持率に陰りが⋮⋮
子狸さんを疑ってはいけません
大切なのは信じること
信じて、託すことなのです
山腹の、お前もそう思うだろ?
心の丈を打ち明けてくれ
※ 過保護! 過保護!
だまれ!
くそがっ
いいか、よく聞け迷える子羊ども 魔法は成層圏内でしか作動しない
それは何故だ?
宇宙が退魔性で満ちているからではないのか?
3198
そして、お前らは旅シリーズのかたわら
失われゆく退魔性を解析していた
⋮⋮もう少しだ
もう少しで解析は終わる
勇者さんは変わった
宿主が死に瀕したとき、異能は変質する
そこには基盤となるルールがある筈だ ひとことで言えば、宿主と心中するつもりはないということだ
引っ越しの準備をしはじめるから、とめどもなく壊れていく
トンちゃんが最高峰の適応者たりえるのは
戦いと無縁ではいられないからだ
基本的なルール⋮⋮
勇者さんは資格を失いつつある
感情の赴くまま生きようとするなら
彼女は、異能に見限られる
適応者ではなくなる
異能持ちは、そうではない人間に対して優越感を持つ
これは絶対だ
トンちゃんですらそうだろう
本人は決して認めようとはしないだろうが、口では何とでも言える
他人には出来ないことが出来る自分を、どうして誇らずにいられ
る?
勇者さんが真に勇者として目覚めたとき
3199
彼女は異能から解放される
チェックメイトだ
﹁串刺しになって︱︱﹂
勇者さんが絶叫した
﹁しね! 魔王!﹂
精霊の輪がひろがる
結実した魔力が物理法則と競合し
最小単位が繰り上がる
魔界︱︱異世界の法則が走ったとき
光は、魔力の集合体となる
乱れ飛んだ光剣は
トンちゃんの殲滅魔法を真似たものだ
魔王は、最後の最後までプライドを捨てることができなかった
魔物に生まれたかった
人間に生まれたかった
中途半端で、だから愛おしい⋮⋮
﹁わたしは︱︱﹂
﹁違う! 私は﹂
﹁どうして、こんな目に遭わなくちゃいけないんだ﹂
﹁呪ってやる﹂
﹁ちがう。魔王は⋮⋮﹂
﹁わたしは⋮⋮﹂
3200
光の宝剣は、所持者の強い感情に呼応する
闇は、光の側面だ
生への渇望が
執念が
闇の宝剣を次なる段階へと押し上げた
八つに枝分かれした黒剣が、魔王を致命傷から遠ざけた
しかし、あまりにも遅すぎた
強大な魔獣たちに守られていたから
対応しきれない、精彩に欠ける︱︱
打ち落とし損ねた光剣に手足を貫かれて
後退した魔王に、恐怖への耐性はなかったから
迫る破滅が甘美ですらあった
最期の瞬間、ひとの資質は残酷に試される
それでも前に出た
決して背中は見せなかった
彼は、魔王だった
分裂した黒剣が複雑に絡み合い
円錐状の刃を形成する
触れたものは違いようもなく打ち砕かれる︱︱
形状操作の最終形態
八葉、オールイン
一撃の威力では
フェアリーテイルを上回る魔剣だ
3201
勝敗を決する究極の刹那︱︱
突き出された黒剣を
勇者さんは旋回して回避した
歩幅を縮めて激しくステップを刻んだ
魔王に肉薄する
一挙動で抜剣した騎士剣を逆手に握ったのは
鎧の隙間から確実に喉笛を突くためだ
息が切れた
心肺機能は限界に達している
次はない 魔王の顔面めがけて、光輝剣が振り落とされ︱︱
命運が尽きる直前に魔王が叫んだ
﹁わたしは!﹂
勇者さんには、古代言語の知識があった
だから、魔王の最後の言葉は
無意味な単語の羅列では終わらなかった
最期の瞬間、ひとの資質は残酷に試される
魔王は、こう言った
しいていうなら、あなたのとなりを、歩いているのは、わたしで
ある
つまり魔王は、こう言ったのだ
﹁わたしは、あなたたちと一緒にいたい⋮⋮﹂
3202
精霊の宝剣には重量がない
だから聖剣は、振るうものの心情を最後の一瞬まで反映する
聖剣は武器ではないのだと子狸は言った
その通りだった
﹁ッ⋮⋮!﹂
勇者さんは、魔王を斬れなかった
自らの意思に反して宝剣が散ったのだと思った
だが、そうではないのだと理解して
ふらりと後ずさった
﹁どうして! その気持ちを少しだけでも⋮⋮!﹂
口を衝いて出た言葉が、どのような願いから発されたものなのか
自覚できなかった それなのに両手がふるえて
とても鉄剣の重量を支えていることができなかった
目の奥がひどく痛んだ
記憶にない感覚だった
思わず目元に手をやると
指先に湿った感触が残った
悔しかった
とにかく悔しくて
悔しくて⋮⋮
引き攣れた声が喉から漏れた
3203
﹁ひっ⋮⋮﹂
もう立っていられなかった
その場にぺたりと座る
自分に何が起こっているのか理解できない
こわかった
どうすれば戻れるのかと益もないことを願う
とめどもなく涙があふれてくる
勇者さんは泣いた
赤ん坊、みたいに
﹁わああああん⋮⋮﹂
そして、このとき⋮⋮
空気を読まない子狸さんが
呪言兵の首根っこを掴んで
のこのこと星の部屋に舞い戻ったのである
﹁ お れ 参 上 ! ﹂
*
中継画像を通して子狸の生存を知った少年が嬉声を上げた
﹁にーちゃん!﹂
3204
少年は、どういうわけか屋上にいた
そして、どういうわけか覆面とマントを着用していた
となりに立っている成人男性と同じ装いだ
﹁やはり生きていたか、名探偵くん⋮⋮﹂
子狸さんを名探偵と呼ぶ、この男こそが怪盗アルだ
白昼堂々、屋上で仁王立ちしている夜の紳士が
少年に呼びかける
﹁二号、われわれも負けてはいられんぞ!﹂
﹁どうしておれが二号なんだよ!?﹂
この少年は、怪盗アルの後継者であるらしい
怪盗アル二世というわけだ
二号のツッコミは鋭い
﹁あんた、領主さまの息子だろ!? なにやってんだ。おとなだろ。
なにやってんだ!﹂
もっともな言いぶんである
しかし、一号は一笑に付した
虚空を見つめるのは、夢見るような熱い眼差しだ
﹁悪を正すのに理由などいらないさ。燃えるような正義の心があれ
ばいい﹂
自分に酔っていた
3205
怪盗アルは二人組みだ
現在はトリオを結成しているようだが⋮⋮
影のように控えている男が言う
アルシャドウといったところか
﹁二号くん。残念だが、君は知りすぎた。率直に言えばそうなる﹂
﹁さいあくだ! あんたら、さいあくだよ!﹂
﹁だが、それだけが理由ではない⋮⋮﹂
高笑いしている一号を押しのけて、アル影は続ける
﹁自覚しているはずだ。漫然と日々を過ごしても、君は強くはなれ
ない﹂
実行犯の相棒が当てにならないから
シャドウは裏工作が得意だった
利用しやすい子供を言いくるめるすべに長けている
﹁守るべきものがある。ならば、どうする? 騎士になる。それは
いい。だが、もっとスマートなやり方もある。私ならば、君を鍛え
ることができるだろう⋮⋮﹂
シャドウは、特装騎士に近い腕前を持つ戦士だ
じつはピエトロ家に仕えていて
駐在の騎士たちと懇意にしている少年に
正体を知られているのは、非常に都合が悪かった
3206
騎士を志望している少年が共犯者になれば
互いに弱味を握れる
つまり未来への投資だ
﹁私を真剣にさせてみないか? これは、そういう取り引きなんだ﹂
﹁でも⋮⋮﹂
﹁⋮⋮君の先生は、闇魔法が得意だったな。私もそうなんだ﹂
﹁!﹂
﹁学校では︱︱騎士団もそうだ︱︱君の要求を満たしてはくれない﹂
そして、この日
ひとりの少年が闇に堕ちたのである⋮⋮
3207
つながる未来。明日へ
激しい戦いだった⋮⋮
死力を尽くした魔王が
まるで糸が切れるように
がくりと項垂れ、両ひざをついた
宝剣が散る
弛緩しきった両腕には
すでに何の力も残っていない
尾をひく慟哭が
遠吠えの残滓のようだった
近衛兵は、魔王が沈黙すると同時に活動を停止した
息づく星々が、ふっと闇にまぎれる
あとに残ったのは、何の変哲もない石造りの部屋だ
断続的に地響きが床を伝った
魔都が悲鳴を上げている
おもな原因は、お前らの手抜き工事にあった
力学上、構造に無理があるため
支えを失った魔都は崩壊の一途をたどる
異能と魔法が衝突したとき
3208
現世に浮かぶのは、三つの軸が交差する点だ
法則の座標軸が固定されるから、誤魔化しがきかなくなる
決着はついた
おれ参上した子狸さんが
今日この日のために用意していた
とっておきの決め台詞を繰り出した
子狸﹁ふはははは! 勇者よ、よくぞここまで辿りついたな!﹂
仰け反り、交差した前足で顔面を覆う
レベル4のひとたちが得意とする鳳凰の構えだ
そこから後ろ足を踏み出し、猛虎の構えへと移行した
勇者﹁⋮⋮⋮⋮﹂
子狸﹁⋮⋮⋮⋮﹂
続いておれ参上した三魔勇士が
華麗に着地して、厳しい面持ちで虚空を仰いだ
王国﹁魔都は、もうおしまいだ⋮⋮﹂
帝国﹁ここも長くは保たない。脱出しよう﹂
連合﹁子狸、勇者さんを連れて︱︱﹂
子狸のほうを振り向いた勇者さんが
ひっ、と息をのんだ
3209
滂沱のごとし涙が頬を伝っている
勇者﹁ああああん⋮⋮﹂
子狸﹁!?﹂
泣く子もだまる子狸さんが
とっさに目線で助けを求めたのは
じつのところ話の流れを理解していなかった小鬼たちである
目が合った
子狸﹁!﹂
鬼ズ﹁!﹂
彼らは、一斉に視線を逸らした
そして、さも当然のように部屋から逃げ出した
子狸﹁!?﹂
王国﹁ちぃっ⋮⋮! 間に合え⋮⋮!﹂
帝国﹁おれたちが崩壊を食い止める!﹂
連合﹁止めてくれるな子狸さん! 誰かがやらねばならんのだ!﹂ 彼らの勇姿を、おれたちは忘れないだろう⋮⋮
子狸﹁⋮⋮⋮⋮﹂
3210
一人と一匹がとり残された
ドッキリのプラカードを持った山腹のんが
見ていて悲しくなるほど場違いだ
むなしく伸ばされた前足を
子狸さんは招くように前後する
謎の召喚儀式だった
子狸﹁ぽよよん、ぽよよん⋮⋮﹂
そして、いまここにおれは宣言しよう
解析が終わりました
※ 王都さん! では!?
※ ついに、このときが⋮⋮!
※ おれたちの本懐を遂げる日がやって来たのですね!?
うむ⋮⋮。お前ら、本当によくやってくれた
※ おい。おい、お前ら
そこで、さっそくだが宇宙について復習したい
※ ああ、復習は大事だからな
子狸さん、いま忙しいのであとにして下さい
おれたちの悲願が果たされようとしているのです
※ 悲願なら仕方ないな
3211
※ 物分かりのいい子狸さんが大好きです
※ よせよ、照れるじゃないか⋮⋮
ご理解頂けたようですね
では、こほん⋮⋮
まず、宇宙というのは、非常に過酷な環境です
気圧がありませんから、ほとんど絶対零度ですし
無重力というのも見逃せません
人選は慎重に行わねばならない⋮⋮
ここまではいいですね?
※ なるほど。たしかに船外作業を想定する必要はあるだろうな
※ おれ、寒いところはだめだな∼残念だわ∼
※ おれも、気圧がないのはちょっとつらいな∼
※ おれもさぁ、高圧環境でこそ光ると思うんだよね
※ わかるよ。真空の海って言うくらいだからね⋮⋮
そうですね⋮⋮
深海とか、わりと近いかもしれません
※ おい。やめろ
正直に言います
成功の確率は低い⋮⋮
ですが、安心して下さい
まったく可能性がないのかと言えば
そんなことはありません
ここで、子狸さん︵制限解除なし︶を例に解説しますと︱︱
3212
①
子狸 壁
②
子狸 壁
③
壁 子狸
ズアッ︵効果音︶
このくらいの確率です
※ 実質的に皆無じゃねーか!
ズアッじゃねーよ!
その現象、じっさいに起こったの
千年も生きてて一回も見たことないんだがっ
※ だが、可能性は零じゃない⋮⋮
※ ほんの少しでも可能性が残されているのなら⋮⋮
※ おお、これは完全に成功する流れ
※ 流れとか言っちゃだめだろ!
3213
おい! これ無理だろ!
他人事だと思ってたからスルーしたけど
退魔性とか関係ねーから!
それ以前の問題ですよ!
※ 海底のん⋮⋮それでも行くのか? ※ 行かねえよ!
誰が行くか!
※ 決意は固いようだな⋮⋮
よし、お前ら胴上げだ!
※ さわるな! 離せ!
※ ちっ、この⋮⋮!
おい、火口の! 鍵を開けろ!
海底のんの決意がにぶらないうちに、さっさと持って来るん
だ!
※ よし、緑の! ついてこい!
※ あいあいさー!
※ いいぞ、よし! 放り込め!
※ ちょっとちょっと、お前ら
海底のひとが可哀相じゃないか
おれが行くよ
※ フォトン、お前は引っ込んでろ!
3214
宇宙飛行士は⋮⋮
おれの夢だ!
でしゃばるな
※ ! か、海底さん⋮⋮
※ 海底さん⋮⋮
※ お、おれも! おれも宇宙に行きたい!
※ おれもだ!
※ おれも行きたい!
※ お前ら⋮⋮仕方ねーな
今回は譲ってやるよ
とくべつだぜ?
※ くそがっ、性根が腐ってやがる!
さっさと放り込め!
※ 全部おれ!
※ させるか! 全部おれ!
※ 無駄な抵抗を⋮⋮! 全部おれ!
宇宙飛行士の座をめぐって、お前らの熾烈な争いがはじまる
一方その頃、のこのこと勇者さんに歩み寄った子狸
気の利いた言葉でも掛けてあげれば良いものを
となりに立って、うんうんと唸ることしかできない
嗚咽を漏らしていた勇者さんが、ふと泣き止んだ
両手で目元をこすっている
3215
子狸﹁お嬢﹂
勇者﹁⋮⋮⋮⋮﹂
子狸の呼びかけに、勇者さんは答えない
︻︼︻︼
※ ? なんだ?
※ 王都の?
※ えっ、そんな⋮⋮うそだろ? ※ ! 制御、系の⋮⋮
これが彼女の⋮⋮
そういうことなのか!?
※ まずい! 流せ!
※ いい天気だなぁ
※ いい天気だなぁ
※ いい天気だなぁ
※ お前らのアドリブ能力に絶望した⋮⋮
※ あれ?
お兄ちゃん、知らなかったの?
彼女、制御系の第二世代なんでしょ?
劣化した異能は、ほとんど別物だよ
3216
生物の進化と同じだね
純正の適応者ができなかったことも
世代が進めば、できるようになる
※ ⋮⋮妹よ
そういう説明はいらないから
いまは、とにかく河を流そうじゃないか
そしてお願いですから、しんで下さい
※ あはっ
二番回路とバイパスさせたのは失敗だったね∼
たぶん、もともとそういう系統だったんじゃない?
念波の変調かな?
だから感情の制御が甘いんだ
がんばって家族の真似をしようとしていたから
本来の性質は眠ったままになってたんだね
※ 妹よ。話し合おうじゃないか
話せばわかる
※ だから、あなたの異能は
彼らのやり方じゃ壊れないんだよ
はじめまして
わたしは、ハロゥ
ハロゥちゃんって呼んでね☆
※ ここは、こきゅーとす
素敵な生きものたちが世間話をする場である
おや? 新人さんかな?
歓迎するよ
3217
※ いや∼⋮⋮この前は参ったわ
具体的にどうこうってわけじゃないけど
参ったわ∼
※ ああ、あれね
あのときは、本当に参った⋮⋮
たしか、そう⋮⋮インテリジェンスの問題だったな
※ おう。あれは難問だったな
おっと! 新人さん
上のほうは見ないほうがいいぜ?
きみは、まだ素人だからな
きっと後悔することになる⋮⋮
これは確かな情報だ⋮⋮
︻勇者さんを︼管理人だよ︻なぐさめる会︼
新入り、お前か⋮⋮
※ 子狸さん
※ 子狸さん、ちょっと落ち着こうか
※ 運がいいな、新入り
子狸さんは、こきゅーとすの管理人だ
すべての責任を負ってくれる、ということだ
※ 同時に、あらゆるイベントの総括者でもある⋮⋮
待て、余計なことはするな
3218
訊きたいことがあれば、おれたちが答えよう
子狸さんは、いま忙しいんだ
※ まずは入力方法だ
そうだな⋮⋮言葉にはしづらいが
発光魔法で文字を書く感じだ
※ 待て、新入りが魔法使いとは限らないんじゃないか?
※ なるほど、一理ある⋮⋮
※ あるいは、そうかもしれん。可能性は低いが⋮⋮
おれは忙しい。そう⋮⋮じつはそうなんだ
※ 子狸さん
※ 子狸さん、少し黙ろう。な?
ふっ、お前ら⋮⋮
おれを信じろ
※ そうとも。お前ら、子狸さんを疑ってはいけません
子狸さんは、常におれたちの期待を裏切らない存在⋮⋮
短刀⋮⋮
短刀?
いや、ケーキ入刀に言う
※ 短刀直入
短刀をケーキ入刀する
直入⋮⋮言う?
3219
※ 短刀直入に言う
じゃあ、それで
⋮⋮何の話だっけ?
※ よし、新入り
まずは試しに入力してみるんだ
あなたのお名前は?
※ なにこれ
※ なにこれさんですか?
変わったお名前ですね
ははっ⋮⋮
新入り、お前は礼儀がなってないな
なにこれとは何だ。なにこれとは
先輩には敬語を使いなさい
お前も魔物の一員なら︱︱
※ 子狸さん
※ 子狸さん、冷静に
※ あ、魔物っていうのはあだ名みたいなものです
おれたち魔物! みたいな
あえて魔物というかね、うん
お前ら⋮⋮優しいな
だが、おれは心をディンにするぜ
3220
※ ディンにしなくていいから
※ 子狸さん、おれたち気にしてないから。ディンにする必要
はないのです
※ 待て、お前ら
ここは子狸さんに任せてみないか?
すべての権限は子狸さんにある
おれたちは子狸さんの意思を尊重するしかないんだ
※ うむ⋮⋮
※ 子狸さんの命令とあらば従うより他あるまい⋮⋮
※ それがルールだからな。命令には逆らえん
なんだよ、お前ら
おとなしいな
一緒に歌おうぜ
※ 子狸さん
※ 子狸さん、歌うのはあとにしましょう
おい。歌ってる場合じゃないだろ
いまは勇者さんだよ
※ 子狸さん
※ 子狸さん、そのマフラー素敵ですね!
だろ?
手編みのマフラーなんだ
3221
というわけで、新入り
残念だけど、お前に構ってるひまはおれにはない
悪いが、自分で調べてくれ
検索する欄があるから
※ 子狸さん
※ 子狸さん、検索はだめ!
※ 検索は上級者向けだから! 検索はだめ! しんじゃう
かも!
※ どうすればいいの?
勇者﹁﹂とかで検索すれば、たいていのことはわかる
※ 子狸さん
※ なんで的確なんだよ!
※ ここで、とつぜんですが
これまでのあらすじ︱︱!
※ 山腹のー! こきゅーとすを再設定しろー!
※ 無理だよ⋮⋮。異能だもん
※ さて、と⋮⋮
そろそろ出発の時間だな
お前ら、行ってくるよ
※ 海底の! きさま、一人だけ逃げるつもりか!?
3222
※ おっと、逃げるとは心外ですね
夢を叶えに行くのです
お前らは、地べたでおれの成功を祈っていて下さい
※ 海底さんの本名はドライと言います
ふだんは海底洞窟に住んでいる立派な魔物です
※ おれの個人情報を売るのはやめて下さい
嘘です。嘘ですよ∼
海底洞窟に行っても、おれはいません
騙されちゃだめですよ∼
※ 魔物! 魔物! おれたち魔物!
︻つながる未来︼王都在住のとるにたらない不定形生物さん︻明日
へ︼
しばしの沈黙が流れた⋮⋮
ひとは︱︱
手をとりあって明日へ進むべきなのではないだろうか
争いは、むなしい
ささくれだった心は、悲しみしか生まない
大切なのは、赦すことだ
すべてを受け入れる、ひろい心があれば
いずれきっと⋮⋮
人と魔物が手をとりあって、ともに踊れる日がやって来る
おれたちは、そう信じている
3223
誉められて伸びるタイプなので
叱らないでやってほしいのだ︱︱
勇者﹁⋮⋮⋮⋮﹂
床に突っ伏した勇者さんが
ぶるぶるとふるえている
おれもふるえる
ぽよよん
プラカードを掲げた山腹のんが
ことさら陽気に叫んだ
山腹﹁ドッキリでした! てっててー!﹂
勇者﹁⋮⋮⋮⋮﹂
勇者さんは無反応だった
子狸さんが意を決して声を掛ける
子狸﹁お嬢﹂
すべての希望はお前に託された
しゃがみ込んで、前足を差し伸べる
子狸﹁おれと一緒にパンをこねないか?﹂
3224
就職の誘いだった
希望は潰えたのだ︱︱
なんら反応がない勇者さんを
子狸は不思議に思ったのだろう
子狸﹁お嬢?﹂
四つん這いになって顔を覗きこむ
おれには、そんなことをする勇気がない
子狸さん、実況をお願いします
子狸﹁顔が真っ赤だ﹂
ありがとうございました
ふっ、終わったな⋮⋮
おれたちは、激しくお説教されるだろう
それは間違いない
けれど、反省はしないさ
それが、おれたちの選んだ道なのだから⋮⋮
︱︱勇者さん、見ているかい?
相談があるんだ
3225
子狸だけは⋮⋮
いや、おれだけは見逃してくれないかな⋮⋮?
悪気はなかったんだ
よかれと思って、ね⋮⋮
※ 王都のん⋮⋮じつはおれもなんだ
そうか、お前も⋮⋮
※ 恥ずかしながら、おれもさ
※ おれも⋮⋮
※ おれもだ⋮⋮
お前ら⋮⋮
*
明けない夜はない
飛び去っていく星の舟を、一人の男が見守っていた
雲間から差し込んだ光に目を細める
風が吹いた
尖塔の頂上部に後ろ足をかける
眼下を見つめる眼差しには、深い慈しみがあった
3226
つながる未来を、楽しむ⋮⋮
男は、優しく微笑んだ
古狸﹁ふっ﹂
3227
衝撃の事実
全員が共犯者だったから
一致団結して身の潔白を訴えねばならなかった
この世界の魔物たちは
無制限リサ制御体と呼ばれる存在だ
いっさいの制限を持たない⋮⋮
野放しの神と評してもそう的外れではないだろう
それゆえに彼らは
必要に迫られたならば
微妙に無罪認定されそうな管理人を
共犯者に仕立て上げることも厭わなかった⋮⋮
﹁おれたちは反対したんだ。けど子狸さんが﹂
﹁子狸さんに言われて仕方なく﹂
﹁断腸の思いでした﹂
こきゅーとすに収録された記録は膨大だ
そして人間の処理能力には物理的な限界がある
いずれは露見するとしても
たとえ将来的に自分たちの首をしめる結果につながったとしても
だ⋮⋮
魔物たちは﹁いま﹂というかけがえのない瞬間を大切にしたかった
3228
﹁お前ら⋮⋮﹂
彼らの純粋な願いに感涙しているのは、一人の少年だった
彼は﹁嘆きの河﹂の正統な後継者だ
ノロ・バウマフと言う
掲示板の前に立った人間は、その世界の魔法の在り方を決める権
限を手に入れる
該当者が現れなかった場合、管理人は次代の管理人を指名する権
利を持つ
これらは、魔法の存在に否定的な管理人を認めないルールだ
世界に魔法を下賜する法典が望むのは
自らをめぐる底なしの戦乱だ
喚声と願望。術者たる種族が一定の絶対数を満たしたとき
より強力な魔法を産み出すために
血の法典は受肉する
方舟の奥で、契約者を今か今かと待ちわびている
板面で踊る光の文字は、外部情報の大部分を可視光線に頼る人間
に合わせたものだ
原始的な意思を持つ︱︱
この黒板が、魔物たちの相互ネットワーク﹁こきゅーとす﹂の原
型だった
魔物たちは、管理人の一族とこきゅーとすでつながっている
おのれの所業をどこまでも正当化できたから
このとき、少年は涙したのだ
3229
彼の名は、ノロ・バウマフ
魔物たちは、この涙もろい少年を﹁子狸﹂と呼ぶ
そして、呼び捨てにするのが憚られるときは、さん付けする
子狸さんは、きっぱりと言った
﹁ともに地獄に落ちよう⋮⋮!﹂
﹁いや、それは⋮⋮﹂
だが、そこまでの覚悟が彼らにはなかった
地獄への片道切符を
多くは望まない⋮⋮
とっさに路線変更したのは
少しでも犠牲を減らすためだ
﹁ぽよよんっ﹂
﹁ぽよよんっ﹂
二人のポーラ属が、アレイシアンと子狸さんの背にのしかかる
彼らは、それぞれ﹁王都のひと﹂﹁山腹のひと﹂と名乗るものた
ちである
しかし、魔物の自己申告は当てにならない
別人の可能性は捨てきれなかった
二人は、媚びを売るように互いの身体をこすりつける
自分たちが無害な存在であることを主張しているようだった
3230
アレイシアンは、アリア家の令嬢だ
アリア家は、感情制御と呼ばれる異能を代々受け継ぐ一族だった
しかし、アレイシアンの感情制御は不完全なものであったらしい
ならば、彼女に小動物を愛でる気持ちが芽生えていたとしても不
思議ではない⋮⋮
愛嬌を振りまいている二人のポーラ属は
とうてい小動物には備わる筈もない判断力を以って
いまは知性を捨て去る決断を下したのである
付け加えて言うなら、彼らは自らの魅力に揺るぎない自信を持っ
ていた
その点に関しては、他の魔物たちも同等あるいはそれ以上の自信
がある
なるほど、と一つ頷いてあとに続いた
王種と都市級の魔物たちは、この場にはいない
三人のディン属は、部屋の外で柱に張り付いている
﹁ふんぬっ!﹂
崩れゆく魔都の命運は、彼らに託された
他の魔物たちの罵詈雑言にも
いまは手が放せないの一点張りだ
シエルゥ
頼りの妖精とリリィに至っては、いっさい応答がない
前後の状況を多角的かつ複合的に判断したなら
もっとも可能性が高いのは居留守だった
3231
もしも自分たちが同じ立場だったなら
同じ行動をとるだろうと推測するのは容易かった
信じたい、けれど信じきれない⋮⋮
その事実が、何より魔物たちの胸を悲しみで満たしている
その悲しみを糧に、ロコとシマが床で仰向けになった
魔王の寝室は狭い
観戦する傍ら、他の魔物たちと酒盛りしていたためか?
あるいは、そうかもしれない⋮⋮
彼らは、あらかじめ体長を縮めていた
ごろごろと床を転がる
﹁おーんっ﹂
﹁きゅう、きゅう﹂
困ったのは、固有の鳴き声を持たないブルとパルだ
ふと振り返ってみると、イリスが布団をしいて横になっている
彼女は、定期的に昼寝することを至上の命題にしているようだった
自分たちも寝転がってみれば、何か新境地が開けるかもしれない
頷き合った二人の怨霊種が、本来あるべき姿勢に移行しようとし
たところ
不意に少女と目が合った
こきゅーとすを読みあさっていたアレイシアンが、肩越しに振り
返っていた
﹁⋮⋮⋮⋮﹂
3232
﹁⋮⋮⋮⋮﹂
自己主張していた魔物たちが、無言で居住まいを正して立ち上がる
アレイシアンも無言だ
彼女が十代目の勇者だった
光輝剣を授かり、勇敢にも魔王軍に立ち向かい
苦難のすえに魔王を打ち倒した⋮⋮
喜ばしいことの筈なのに、これといった感慨はないようだった
億劫そうに立ち上がったアレイシアンが、両手で土埃を叩いて落
とす
その様子を、魔物たちは無言で見守った
念入りに身なりを整えた少女が、にこりと笑った
彼女は、笑えるようになった
床を指差して告げる
﹁座りなさい。足を崩して楽にして頂戴⋮⋮﹂
ひどく優しい声音だったが
魔物たちは忠告を無視して正座した
彼らに残された最後の矜持が
きっと少女の言葉に従うことをよしとしなかったのだ
だが、子狸は不敵に笑った
いかなるときも彼は先陣をきる
3233
このときもそうだった
いったいどれほどの修羅場を潜ってきたのだろうか?
はっとするほどの美しさをたたえる⋮⋮
それは見事な正座だった
﹁お嬢﹂
﹁なに﹂
この二人の遣り取りは、大抵いつも同じ手順を踏む
子狸は、寂しそうに笑った
﹁ついに気がついてしまったんだね⋮⋮﹂
﹁そうね﹂
アレイシアンは読書家だ
将来、アリア家を背負って立つだろう優秀な姉に
幼い頃、誉められたのが嬉しくて
少しでも役に立てたらと書物を読みあさってきた
だから彼女は、目で文字を追う習慣があったし
文章から情景を思い浮かべるすべに長けていた
異能には、世代が進むと劣化していく性質がある
これは外部に影響を与えるものほど顕著で
感情制御をはじめとする内部完結型の異能が劣化することは稀で
ある
3234
つまり、まったくないわけではない
アレイシアンがそうだった
彼女に宿る異能の正体は、変域統合と呼ばれる類のものだ
念波を変調し、他者の感情に影響を与えることができる
バウマフ家以外の人間がこきゅーとすに接続できないのは
こきゅーとす側で遮断するよう設定されているからだ
その防壁は、念波を変調できる人間の存在を想定していない
変域統合という異能の存在を、魔物たちは知らなかった
異能とは魔法の反作用だ
この世界の異能は、魔物たちが生まれてから急速に発達しはじめた
魔法は、この世の法則ではないから
魔法への抵抗力など人体には備わっていない
魔法の行使に際して失われていくのは
この世界に在るべくして在る、存在としての正常性だ
退魔性という表現は正しくない あるとしたら
それは正しくは﹁異能﹂を指す言葉だ
適応者というのは、﹁退魔性﹂に適応した人間を意味する
ノロ・バウマフは
いや、子狸さんは言った︱︱
3235
﹁こ﹂
﹁の﹂
﹁お﹂
﹁れ﹂
﹁が﹂
﹁魔﹂
﹁王﹂
﹁なの、だー!﹂
このとき、ついに最終決戦の火蓋が切って落とされたのである!
3236
魔王と話し合おう
旅というのは楽しいことばかりではない
道は必ずしも平坦ではないし、天候が予測を裏切ることもある
風土の違いに身体が馴染まないこともある
体調が崩れたとき、快適な寝床が用意されるとは限らない
それでも旅慣れない少女が一定の生活水準を保てたのは
強靭な生命力と魔法力を持つ仲間たちがいたからだ
アレイシアン・アジェステ・アリアは
ノロ・バウマフを出来の良い下僕と評したこともある
野生動物じみた嗅覚の鋭さと体力を持つ子狸さんは
労働の喜びに身を委ねることができた
都会育ちというのは書類上の裁定に過ぎず
世界各地で活動している姿を確認されている
そして、ついに魔都で目撃された子狸は
自分が魔王だなどとわけのわからない供述を繰り返しており︱︱
﹁お嬢、嘘をついていたことは謝るよ。おれの演技を見破ることが
できる人間がいるとは思えないからな⋮⋮﹂ ﹁⋮⋮⋮⋮﹂
アレイシアンは、自白する子狸を無視した
3237
討伐戦争が魔物たちの自作自演だと言うなら
もはや魔王の正体などどうでもいいことだったからだ
それなのに勝ち誇る子狸を見ていると苛立ってくるから不思議だ
たしかに︱︱
アレイシアンは、子狸が魔王だとは見抜けなかった
少し疑いはしたものの、可能性は低いと見て保留していた
控えめに表現するなら王の器ではないと思ったし
魔王本人が勇者一行に潜入してくる動機がわからなかった
あまりにも危険な賭けになる
そして、まんまと潜入してきた少年が何をしたかと言えば
料理に裁縫、掃除に洗濯といった家事全般である
いまさら魔王だったとか言われても、困る
だから何だとしか返しようがない
だが、魔物たちの反応は劇的だった
﹁魔王さま!﹂
﹁魔王さまぁー!﹂
魔王子狸に這い寄っておいおいと泣きつく
自分たちが末端の兵士に過ぎないことを主張しているようだった
しがみついてきた魔物たちを
慈しみの感情に支配された管理人が振りはらうことはない
3238
﹁よしよし、お前ら⋮⋮もうだいじょうぶだ﹂
魔物は不老不死の存在だ
リサと呼ばれる︱︱半概念物質を除去しない限り滅びることはない
また、仮に除去に成功したとしても
法典から新たに放出されるため、元を断たねばならない
つまり法典を破壊するしかない
リサは、魔導技術の産物だ
物理的な観点から言えば、あらゆる物質よりも小さいものと定義
されている
最小の物質だから、寄り集まれば、もっとも複雑な構造体を形成
できる
魔物たちの血肉は﹁リサ結晶体﹂で構成されている
彼らの言葉を借りれば、﹁魔力﹂と呼ばれるものの正体がそれだ
都市級の魔物が威嚇に用いる無詠唱の浸食魔法が﹁魔力﹂と呼ば
れているのは
彼らの身体を流れるリサ結晶体︱︱魔力の概念を上書きするため
だった
これは、彼らが魔法の存在を楽観視していた時期があるというこ
とを意味する
死の概念を持たない魔物たちが生きようと決めた
彼らの人生にゴールは用意されていないから
汚点を残したくないという欲求がある
飛ぶ鳥あとを濁さずという言葉はあるが
飛べない鳥もいるということだ
3239
結局は潔癖に生きるしかない
だから、魔物たちが真に欲しているのは
魔王に命令されて犯行に及んだという免罪符だった⋮⋮
﹁⋮⋮⋮⋮﹂
管理人に泣いてすがる魔物たちを、少女は冷たく睥睨している
ふと、床に転がっている騎士剣が目に入った
屈んで拾い上げると、鞘におさめる
たったそれだけの行動なのに、魔物たちに凝視されていた
なんだというのだ。気分を害して言う
﹁なに﹂
﹁いえ、べつに⋮⋮﹂
さっと目を逸らした魔物たちは、しかし不満げである
⋮⋮ああ、とアレイシアンは納得した
彼らは、管理人の生命を脅かすものに対して敏感だ
あらゆる生物に絶対の命の保証などというものはない
しかし魔物たちは、彼らの知覚が及ぶ範囲において管理人の身の
安全を追求しようとする
過保護と言うには、行き過ぎた執念を感じる
アレイシアンは、名案を思いついたとばかりに人差し指を立てた
喜色を表すように耳がぴんと立つ
3240
じつのところ、とあるポーラ属は
少女がこきゅーとすに干渉してくる可能性を視野に入れていた
アレイシアンに装飾品を贈ったのは、彼女の正常性を奪うためで
はない
いざこきゅーとすへの干渉がはじまったときに
それは正常性が損なわれたためなのだろうと
他の魔物たちを錯覚させることが目的だった
地獄への片道切符を多くは望まない⋮⋮
しかし、どうあっても主犯の誹りを免れないならば
旅の道連れは多いに越したことはないということだ
アレイシアンは、いまだ盤上の駒に過ぎない
彼女は言った
﹁イドというのは、どの子?﹂
﹁⋮⋮⋮⋮﹂
名乗り出るものはいなかった
イドというのはポーラ属のひとりで
﹁王都のひと﹂と呼ばれる原初の魔物だ
管理人の近衛にして、討伐戦争は牽引する
魔物たちの指導者という立場にある
おそろしく知恵が回る個体であるため
彼を見捨てることが自己保存につながるという確信を
魔物たちは持てなかったのである
3241
いまは一致団結するときだと、彼らは信じていた
﹁洗いざらい話してくれれば、あなただけは見逃してあげてもいい
わ﹂
﹁ふっ、愚かな⋮⋮﹂
狡猾な司法取引に対して、ひとりのポーラ属が進み出た
彼は、ただの人間である少女の浅慮をあざ笑う
触手を蠢かし、威嚇するように吠えた
﹁何が訊きたいんだ? 約束は守ってもらうぞ⋮⋮!﹂
﹁お、お前というやつは⋮⋮﹂
﹁最低だ!﹂
﹁王都の! 自分さえ良ければそれでいいのか!?﹂
魔物たちの罵詈雑言が飛び交う
裏切りは許されざる大罪だった
しかし、イドは彼らを一喝した
﹁だまれ! おれに任せておけ⋮⋮。このおれに掛かれば、人間の
小娘ひとり言いくるめるなど訳もないのだからな⋮⋮﹂
﹁王都さん⋮⋮﹂
3242
﹁王都さんは、やはり頼りになる⋮⋮﹂
本人を目の前にして堂々と宣言したイドに
魔物たちは畏怖の念を新たにする
だが、アレイシアンはひるまなかった
目線を子狸に振って言う
﹁彼が、あなたの言う⋮⋮王都のひとなの?﹂
子狸は重々しく頷いた
﹁そうだ。そして、このおれが魔王であ∼る﹂
彼は、おのれが魔物たちの頂点に君臨する存在であることを強調
した
少女の反応が薄かったので
聞き逃したと思ったのかもしれない
﹁魔王です﹂
三度目の自己申告を行ったのは
だんだん不安になってきたからだ
魔物たちの声には慈愛があふれている
﹁子狸さん﹂
﹁子狸さんは、立派な魔王だと思います﹂
3243
﹁王都襲撃のときも、ほら、屋上で高笑いしてたじゃないですか﹂
﹁そうだったかな⋮⋮? 本当に?﹂
﹁信じてほしい。おれたちがお前に嘘を吐いたことなんてないだろ
?﹂
﹁いや、それはどうかな⋮⋮。疑わしい事案が幾つか⋮⋮﹂
﹁子狸さん、大切なのは過去を振り返ることではないのです﹂
大切なのは未来であると魔物たちは言う
彼らは、光輝剣を継ぐ最後の勇者︱︱アレイシアンを
ある程度まで納得させる自信があった
人類の代表者﹁勇者﹂が
魔物の代表者﹁魔王﹂と対峙し
これを討つ⋮⋮
討伐戦争とは、人間の戦士たちを鍛え上げるためにある
また、魔物たちが概念を共有する場として働く
空中回廊、火山洞窟、南極大空洞、海底都市⋮⋮
重要拠点と呼ばれる、それらは魔物たちが作り上げたものだ
彼らは本当に重要なことを﹁言葉﹂に頼らない
彼らが信じているのは﹁心﹂だ
きっと、それだけが彼らに残された最後の自由だった
唯一無二のイレギュラー⋮⋮
3244
勇者は戦力になる
聖剣とは、都市級を下しうる⋮⋮
つまり王種との決戦を想定して設計されたものだからだ
魔王討伐の旅シリーズは、巨大な罠だ
鍵
なのね﹂
だから、その在り方を捻じ曲げようとする複数の意思が介在する
アレイシアンは、言った
﹁六人のポーラ⋮⋮あなたたちが
﹁いいや﹂
イドは、否定したが
アレイシアンの推論は正しい
定まった形を持たないポーラ属は
扉を開ける唯一無二の鍵として機能する
それゆえに彼らは完全なコピーを生み出さない
とくに古代遺跡の鍵であるイドは徹底していた
彼が、管理人の近くを離れないのは
そこがいちばん安全だからという理由もある
鍵
なんだ、アレイシアン・アジェステ・アリア⋮
イドは、獰猛に笑った
﹁その言葉が
⋮﹂
3245
柔らかい日差しの中︱︱
大樹に背を預けて座る女性を
まだ幼い魔物たちが囲んでいる⋮⋮
その光景を思い浮かべるだけで
復讐を誓ったあのときの激情は
魔物たちの胸に、まざまざと蘇る
決して色褪せることはない
彼らは、過去を思い出にできる構造にはなっていない
﹁いま、この世界に異物が紛れこんだ⋮⋮シナリオBというわけだ
⋮⋮﹂
いちばん可能性が高いのは
遊び感覚で干渉している、というものだと思っていた
だが、どうやら違ったらしい
魔物たちは、この日この瞬間のことを
一度たりとて相談したことはない
しかし概念を共有することはできた
つまり、この世界に魔法を流出した﹁敵﹂の正体についてだ
自分たちに親はいない
いるとすれば、それは一組の夫妻だけだ
お前たちではない⋮⋮
魔物たちは、こきゅーとすを通じて宣戦布告した
3246
それは厳粛として行われた
抑えようもない憎悪を塗り込めるように呟く
﹁さあ、決着をつけようか⋮⋮異世界人ども⋮⋮﹂
3247
ハロゥ
静まりかえった空間に
子狸さんの寂しそうな声音が沁み入るようだった
﹁⋮⋮魔王⋮⋮﹂
ごろりと寝返りを打ったイリスが、ぱちりとまぶたを開いた
布団を跳ね除けて、厳しい面持ちで天井を仰ぐ
彼女は、人間の容姿を写しとるタイプの魔物だ
その表情は、どうあってもアレイシアンの目をひく
だから、背後で重量物が倒れる物音がしたとき
反射的にしまったというような顔をした
アレイシアンは勇者だ
魔物たちが何と言おうが、白銀の王から注意を逸らすべきではな
かった
︱︱いや、違う
彼女は、子狸さんの言葉をもっと真剣に捉えるべきだったのだ
子狸さんは、自分こそが魔王なのだと言う
では、つい先ほどまで対峙していた人物は﹁何者﹂なのか?
焦燥に似た危機感は、意識の外に追いやっていた後ろめたさから
来たものだ
とっさに光輝剣を起動した少女が、息をのんだ
3248
﹁⋮⋮!﹂
自重を支えきれなかったのだろう
うつ伏せに倒れた﹁魔王﹂が、のめり込むようにして顔だけをこ
ちらに向けていた
勇者の最後の一撃は、彼の兜に少なからぬ損害を与えていた
床に打ちつけた衝撃で、兜の亀裂がひろがる
虚無の仮面が剥がれ落ちた
魔王の正体は﹁人間﹂なのだと言われていた
それなのに、仮面の下に隠されていた素顔は
複雑に絡み合った金属の管と
右眼があるべき箇所に埋もれた黒球だった
人間、では、ない
いや、これは︱︱
魔王の残骸を、硬直して凝視している少女に機械の知識はない
魔物たちは、もしもこの世界に魔法がなかったら
どういった歴史を辿ったか研究していた
彼らからしてみれば、魔法の存在は
あきらかに人為的なものだったからだ
文明社会の存続を前提としたルールが無数にあったし
ある日、とつぜん歴史上に姿を現したとしか思えない痕跡も見つ
かっている
古代遺跡がそうだ
3249
遺跡とは、方舟の一部が地表に露出したものである
その正体は、巨大な宇宙船だ
たしかな星外飛行機能を有している
これは、魔物たちが秘密裏に建造した﹁星の舟﹂が実証している
彼らが持つ科学技術の幾ばくかは、方舟から抽出したものだ
知識が必ずしも無害なものではないと理解しているから
魔物たちは、人類社会の繁栄を注意深く見守ってきた
必要とあらば一国を滅ぼすことも辞さない
つまり、偉大な先駆者たりえない少女にとって
世界は平らで
進みすぎた船は端から落ちる
星々は空に貼り付いてくるくると回るものだった
それらは﹁一般常識﹂であって、疑う余地のないことだった
天災の多くは、魔物たちの所業ということで説明がつく
人間の魔法は自然現象を発想の拠り所にしているのに
いつしか根拠が逆転してしまっていた
この世界における医学の最先端は
内臓ははったりである、というものだ
なくなると霊格が保てなくなるので
いったん土に還って生まれ変わるのだ⋮⋮
本にもそう書いてある
理に適っている︱︱と小刻みに頷いていた少女の成れの果てが
現在のアレイシアンさんである
3250
しかし皮膚の下が金属というのは納得できなかったらしい
﹁生きもの、じゃない⋮⋮﹂
ぎこちなく後ずさる
生理的な嫌悪感を抱いているようだった
﹁お嬢!﹂
つの付きという実例を知る子狸の叱責が飛んだ
﹁そういうのは良くない。おれがサイボーグだとしたらどうするん
だ? おれの手首がぎゅいーんって回っても変わらず接してほしい
⋮⋮おれはそう思ってる﹂
言うなり、沈黙している近衛兵に前足をかざす
ふわりと浮遊した巨躯が、するすると宙をすべって魔王のとなり
に安置された
楽団の指揮をとるように前足が閃くと
近衛兵とそのあるじは、ぬいぐるみのように並んで腰掛ける
満足そうに頷く子狸さんを、アレイシアンは微妙な面持ちで見つ
めている
﹁さいぼーぐ、というのが何なのかはわからないけど⋮⋮。わたし
のあなたに対する評価はあまり変わらないと思う⋮⋮﹂
﹁⋮⋮⋮⋮﹂
彼女の発言を吟味した子狸さんが、魔物たちとの審議に入る
3251
﹁お前ら。おれは、もしかして、いま告白されたのか? どう思う
? お前らの意見が聞きたい﹂
﹁うむ。確実に惚れてる﹂
﹁ああ。彼女の危機に颯爽と現れたのは大きかったな﹂
﹁おい。やめろ。いまの評価、びっくりするほど低空飛行だろ。こ
れ以上、追い詰めるな﹂
﹁だが、ものは考えようだ﹂
﹁出たよ、ものは考えよう。万能すぎてびびるわ﹂
﹁つまり、これ以上は下がりようがないと⋮⋮? ある意味、これ
はチャンスなんだと、お前は言うんだな?﹂
﹁子狸さんは逆境でこそ輝くからな﹂
﹁えっ、本当に? 逆境をひっくり返したの、あんまり見たことな
いんだけど⋮⋮﹂
﹁いや、言われてみればそうだけどさ。なんとなくそういうイメー
ジがあるんだよ﹂
﹁⋮⋮じゃあ、サイコロ振るから⋮⋮﹂
﹁うん⋮⋮出目が4以上で?﹂
3252
﹁うん⋮⋮3以下は⋮⋮﹂
﹁⋮⋮⋮⋮﹂
﹁もう一回﹂
﹁⋮⋮⋮⋮﹂
﹁子狸さんは逆境に強いみたいだ﹂
﹁ああ。これほどとはな﹂
逆転の目は、まだ残されている⋮⋮
子狸の恋がそうであるように
魔物たちの本当の戦いはこれからだ
魔王の正体は、近衛兵と同じ魔法動力兵であった
彼らは、魔物たちが作ったものではない
彼らは、魔法と科学の融合︱︱誘導魔法の産物だ
世界が異なれば、魔法の形式も異なる
誘導魔法とは、魔法動力兵を組み上げる魔法だ
血の法典の存在価値は、より強力な魔法を産み出すことにある
有機生物には肉体構造上の限界がある
だから極限まで発達した魔法は
魔物という最適解からは逃れられない
魔法動力兵は、異世界の魔物だ
3253
魔物の呼称は、世界によって異なる
この世界の魔物たちが﹁メノゥ﹂と呼ばれるように
誘導魔法で編み上げられた魔物は︱︱
ハロゥ、と呼ばれる
*
魔王が崩御した同時刻︱︱
王都の街壁がついに決壊した
雪崩れ込んだポーラ属の軍勢が
王国の首都を青く染め上げていく⋮⋮
王都にとどまった人々は、崩壊していく王国を
なすすべなく見つめる
情に流された勇者は、魔王を斬ることができなかった
涙に暮れる少女と、停止した白銀の王
そこで動画の配信が途絶えてしまったため
その後、どうなったのかはわからない
勇者は敗れてしまったのか?
それとも、すべては手遅れだったのか?
幼い勇者の勝利と無事を天に祈ることしかできなかった
だが、二年の歳月を経て
ふたたび王都への侵攻を果たした魔王軍の動きは不審だった
王城という明白な目標に興味を示したのは全体の一部に過ぎなか
3254
った
では、いったい何をしに来たのか⋮⋮
まるで王都襲撃の再現だった
大半の人々は同じ疑念を抱いた筈だ
そして、それは正しい
二年前の王都襲撃は、今日この日のために
当時の管理人︱︱マリ・バウマフが企画した予行演習だったからだ
侵攻軍の総指揮をとっているのは
エルメノゥポーラ⋮⋮原種と呼ばれる強力な個体だ
王都には、一度でも口にすると嫌な感じで癖になると評判のパン
屋がある
そのパン屋の看板に飛びついた原種が全軍に号令を下した
﹁撃てぇーッ!﹂
配置についた魔物たちが
引きしぼった触手を、一斉に頭上へと放った
天高く、遥か上空
雲も疎らな青空に火花が咲く
迎撃と反撃が激しく交錯した
さそり
しなる、白い⋮⋮蠍の尾のようなものが地上に降りそそいだ
それらに貫かれたポーラたちが魔力に還元される
部隊長たちの激が飛んだ
3255
﹁ひるむな!﹂
﹁次弾! 撃てーッ!﹂
﹁! 来るぞぉー! 散開しろ!﹂
落下してきたのは、かつて人類が遭遇したことのない第三の勢力
だった
純白の機体
蜘蛛の脚と蠍の尾を持つ機兵たちだ
八脚の足で王都に降り立った魔法動力兵が
伸縮自在の毒針を振り回してポーラたちを威嚇する
数は少ないが、人型の機体もいる
分離型という分類に入る強力な魔法動力兵だ
縦横無尽に飛び回る﹁核﹂を持つ
魔物たちは、数百年前から
この敵性体と熾烈な争いを繰り広げてきた
これまでに確認された魔法動力兵のオリジナルは二十四種
そこから、さらに三つの型に分かれる
内蔵型と分離型、そして複核型だ
もっとも厄介とされるのが複核型だったが⋮⋮
﹁居ねぇだ⋮⋮? なめやがって⋮⋮﹂
シナリオB⋮⋮
3256
二番目に可能性が高いと予想されていた﹁敵﹂の目的は︱︱
この世界への移住だ
一方的に便利なものを与えて
言外に、いつでも取り上げることができると匂わせれば
その世界の住人たちを支配下における
だが、魔物たちにも幾つかの誤算はある
魔法動力兵は﹁北海世界﹂の尖兵だ
北海世界は、完全に歴史を調整された世界だった
だから誘導魔法という⋮⋮
一人の魔法使いが他世界の総戦力に匹敵しうる究極の魔法が生ま
れた
北海世界の希少な魔導師たちは
魔導技術を生み出した﹁第一世界﹂への復讐を誓っている
3257
いつか、君と出会う日を
世界の名称を決める権利を
他世界の住人は持たない
だから、正式名称を持たないこの世界は
暫定的に﹁連結世界﹂と呼ばれている
より公式な場面では﹁非数世界﹂と呼ぶのが慣例だった
非数世界は、北海世界の子世界だ
第一世界の子世界が北海世界だから
非数世界は第一世界の孫世界ということになる
親世界には、子世界の管理を行う義務がある
子世界の住人たちが一定の文化水準に達したとき
必要以上に不興を買わないよう
前もって最高の技術を下賜する手筈になっている
その﹁最高の技術﹂というのが
すなわち法典であり、法典に記された魔法なのだ
これは、他世界に干渉するべきではないという意見と
干渉することで救われる人命があるならば
見過ごすべきではないという意見の折衷案だった
できる限りのことはした
過干渉はしない
あとは現地住民の責任ということだ
3258
北海世界は非常時にある
蔓延した知識は、種としての寿命を削る
極限の域に達した魔法が、人々から困難を奪い去ってしまった
他世界への移住は急務だった
他人の人生は最高の娯楽だ
北海世界の魔導師に、非数世界の住人たちを滅ぼす意思はない
彼らからしてみれば、非数世界の魔物たちはうまくやっている
バウマフ家の人間は、人類と魔物の共存を悲願としているが
ハロゥ
見方を変えれば、両者は秩序ある敵対関係を築き上げている
メノゥ
だから、誘導魔法を駆使する﹁魔物﹂は
連結魔法の落とし子たる﹁魔物﹂の真似をすれば良かった
多少、性能が異なるのは
魔導師としてのプライドだろう
合理的である一方、心の奥底に根付く誇りを無視できない︱︱
この世界の人間と同等、あるいはそれ以上の知性体
敵は、異世界の﹁人間﹂だ
おそらくは異なる外見と生態を持つ
バウマフ家と共にある﹁心﹂だけが魔物たちの拠り所だった
監視されている前提で動いていたから
日常を隠れみのにして今日まで生きてきた
そして、今︱︱
雌伏のときを終え
3259
魔物たちは﹁神﹂に挑む
私利にまみれ
私欲に溺れる神を
魔物たちは望まない
この世界から出て行け、と魔物たちは叫ぶ
一度、封を切られた圧倒量の敵意が
たちまち、こきゅーとすを満たした
ぴんと来ていない様子の子狸さんと勇者には
紙芝居でこれまでのあらすじを解説することになる
怨嗟にまみれた絵巻物を、ポーラが締めくくった
﹁この物語は、神に挑む素敵なおれたちを描いた物語である。おし
まい﹂
﹁⋮⋮もっと公平な資料はないの?﹂
アレイシアンは不満を露わにした
魔物たちの能力が、自作自演を疑うには十分だったからだ
精霊の宝剣を掴まされて全世界に熱演を放映された少女は
泥沼のような猜疑心に囚われている
﹁つまり、ようやく決勝リーグがはじまるということか⋮⋮﹂
その点、子狸さんは呑み込みが良かった
3260
殺意にたぎる魔物たちも
バウマフ家の人間と接しているときは
心の平穏を取り戻すことができる
﹁天才だ!﹂
﹁こいつめ⋮⋮! 賢すぎる!﹂
﹁さすがバウマフ家﹂
﹁バウマフは格が違った﹂
﹁お前ら、胴上げだ!﹂
わっしょい、わっしょい
管理人を担いで胴上げしはじめた魔物たちを
アレイシアンは冷たい目で見ている
さも自分の理解力が劣っているような扱いが気に入らなかった
しかし、そんな彼女にも味方はいたようだ
部屋に飛び込んできた小さな少女が
空中でくるりと回ってアレシアンの肩にとまった
光の妖精、リンカー・ベルだ
彼女は、子狸を絶賛している魔物たちを睥睨して鋭く舌打ちした
﹁ちっ、やはりこうなったか⋮⋮いかがわしい不定形生物どもめ⋮
⋮﹂
﹁リン⋮⋮﹂
3261
アレイシアンは、この妖精属に対して好意を抱いている
どのような態度で接すれば良いのか決めかねているようだった
魔物たちは即座に手を打つ
﹁シエルゥ!﹂
﹁ちなみにシエルゥというのは妖精さんの本名だ!﹂
﹁魔物として、苦楽を共にしてきた仲間と言わざるを得ない!﹂
彼らは、リンカー・ベルが重要な協力者であることを熱烈に主張
した
重い荷物も、大勢で担げば軽くなる
引っ張る足は多いに越したことはなかった
﹁だまれ!﹂
﹁何を言うか! お前も同罪だ!﹂
﹁言い逃れは見苦しいぞ!﹂
﹁一人は全員のために、全員は一人のためにだろうが!﹂
﹁お前も奈落に落ちるんだよっ⋮⋮シエルゥ!﹂
魔物たちの美しき友情を
地上のいかなる物質も断ち切ることは叶わないかのようだった
3262
だが、狡猾なる原初の魔物は諦めていなかった
このまま罪の所在を有耶無耶にできるのではないかと信じている
﹁勇者よ、お前にも協力してもらうぞ⋮⋮﹂
彼には、訴える側にいる筈の勇者さえも共犯者に仕立て上げる発
想力があった
﹁お前がおれたちの側につけば、人間たちもついてくるだろう⋮⋮。
お前たち人間が、おれたちへと向けた侮蔑は何のためにある?
今日この日のためだ。お前たちは、おれたちが侵略者だと信じて
疑わなかった。
いまや立場は同じ⋮⋮騎士団に協力を要請しろ﹂
メノゥとハロゥは、ほぼ互角の戦力を擁している
最大開放の衝突ともなれば負けはしないが⋮⋮
同じ土俵、同じ制限では難しい
魔物たちは、フルメンバーではないからだ
一人、足りない⋮⋮
二十四人目の魔物は、未来にいる
逆算魔法を行使し続けるためだ
この世界を見つめる魔導師にとって
過去、未来からの干渉を防ぐ大魔法の施行は都合の悪いものだった
移住先を決める際
カタログをめくるように歴史をひも解く必要性があったからだ
親世界の善性を信じていた魔物たちにとっては
3263
だから、王国暦52年のハロゥ侵攻は手ひどい裏切りだった
南極大陸における一大決戦︱︱
双方の利害は決定的に対立し
それゆえに逆算魔法を透過する呪詛が生まれた⋮⋮
最終的に逆算魔法が効力を発揮したのは
一人の魔物が、おのれを犠牲として時間軸に根付いたからだ
戦いに敗れた魔物たちは
未来にいる仲間のために日記をつけることにした
それが、こきゅーとすだ
彼らは、その嘆きと悲しみを人間たちと分かち合おうとは思わない
唯一の例外がバウマフ家だった
バウマフ家の人間に呪詛が打ち込まれたのは
当時の管理人が、ともに南極大陸で戦ったからだ
バウマフ家だけが、魔物たちの認める戦友だった
しかし、ハロゥの軍勢に打ち勝つためには騎士団の力が要る
敵は、おそらく五体の王種を用意してくる
都市級を打ち破れる勇者ならば、五人目の穴を埋めることができ
る筈だ
人類の最後の希望︱︱勇者の敗北を
異世界の魔導師は、おそらく望まない⋮⋮
魔物たちの最後の切り札
魔王を打ち破りし最後の勇者は︱︱
﹁⋮⋮⋮⋮﹂
3264
子狸を、見た
嘘を吐けない性格と見越してのことだ
彼が、魔物たちの急所だった
﹁あなたは⋮⋮どうしたいの?﹂
魔物たちは管理人の意見を無視できない
ハロゥとの戦場から遠ざけようとしていたのが
きっと魔物たちの唯一の真実だった
﹁おれは⋮⋮﹂
その場にいる全員が子狸さんを見つめる
リンカーの羽がふるえた
光の燐粉が舞う
物質的な観点から見れば、魔導素子︱︱リサは最小の物体という
ことになる
本来であれば時間、空間に囚われることはない
時空間に干渉する魔法が高度とされるのは、人間の価値観による
ものだ
魔法の原則が定める開放レベル、性質の上下関係は
第一世界が決定権を独占している
飛散した光の粒子は、より近い状態にある結晶体に惹かれる
事象を隔てる距離は無視され︱︱
3265
再結合した光は、遠く⋮⋮
古代遺跡の上空に顕現する
光輪が不協和音を奏でた
遺跡を守護する巨人兵︱︱エイラが吠える
﹁残念でした。おれです﹂
一番回路は、魔法専用の回線を持つ
魔物は魔法そのものである
だからハロゥは一番回線を通して非数世界へと転送される
青空を引き裂いて現れたのは、巨大な腕だ
直近では、港町付近の海域において
エイラは、この機兵と相まみえている
重要拠点の﹁鍵﹂であるポーラ属が一堂に会したときが
北海世界の魔導師にとっては大きな好機だからだ
二対の翼と、輝く円冠
殲滅の性質を持つ⋮⋮
機械の天使が
甲高い雄叫びを上げた
言うなれば、そう⋮⋮
メタルおれガイガーだ!
エイラが、ゆっくりと前進する
激しい戦いを予感させる佇まい
言い渡したのは、違えようもない宣戦布告だった
3266
﹁お前は、子供たちのヒーローにはなれない⋮⋮﹂
王種は、開放レベル5を自在に操る最高位の魔物だ
彼らは逆算魔法の支配下にあって、なお
大規模の攻性魔法︱︱広域殲滅魔法の連続使用を許されている
言下にして襲い掛かる紫電の渦を
最高位の呪言兵は、光線で薙ぎ払った
突き出された砂の巨腕を
純白の外殻で覆われた巨腕が阻んだ
重ね掛けされた結界が巨人たちの戦域を形成する
次の瞬間、両者は砂漠に立っていた
流砂に足を取られた機兵の上体が大きく傾ぐ
紫電をまとったエイラの片腕が︱︱
半ばから寸断され、宙を舞った
墓標のように砂漠に突き立つ
地表を突き破った鋭利な刃を、エイラは噛み砕いた
怒りは尽きることがない
再生した腕を、機兵の喉に這わせる
後悔がある
逆算魔法の軸になるのは、自分でも良かったという悔恨の念だ
巨人兵が持つ殲滅の性質は
管理人を守護する近衛を滅しうる、唯一の属性だ エイラは言った
3267
﹁聞こえるか?
お前らの世界に攻め込むとしたら、それはおれだ。
子狸は、悲しむだろうな⋮⋮。だから生かしておいてやってるん
だ﹂
魔物と魔物の会話は高速で行われる
だが、このときは不自然な間があった
悪魔
リシス
の生まれ変わりだ。モンスター!﹂
のしかかる巨人兵を、天使が口汚く罵った
﹁化け物め。お前らは
魔法動力兵は言葉を持たない
悪意の発信者は、魔法動力兵を介してこの世界を見る⋮⋮
画面の向こう側にいる﹁敵﹂だ
女性の声だった
北海世界の魔導師には、一人につき一人の補佐官がつく
負け犬の遠吠えだ⋮⋮
エイラは、酷薄に笑った
敵に対する容赦というものを
生憎と殲滅属性の魔物は持たない
滅びの予言は、だからエイラの特権だった
﹁幾つかの未来がある⋮⋮。
鍵
には手出しするな﹂
お前たちは勘違いしているようだから、教えてやるんだ。
いいか、
3268
﹁お前らの自由にはさせない⋮⋮。
恩知らずめ。せっかく守ってやったのに!
手出しするなだと!? 手出しするな⋮⋮? ふざけるな!
⋮⋮何を? お前は、何の話をしている?﹂
補佐官の口調が急速に醒めた
﹁お前は⋮⋮﹂
︱︱嫌な符合だ
エイラは胸中で舌打ちした
﹁適応者だというのか⋮⋮﹂
異能は魔法の反作用だ
当然、異世界にも適応者はいる
3269
王都妹さんの家庭の事情
魔物たちは、異世界の魔導師が
連結魔法に干渉できる権限を持つと考えていた
つまり魔物たちの反乱を想定した安全装置だ
そして、それが絶対的なものではないことに気が付いている
もしも﹁安全装置﹂が完璧なものであったなら
わざわざ魔法動力兵を派遣する必要性がない
おそらくは自分たちの言動を一方的に監視することができる⋮⋮
こきゅーとす上の遣り取りも筒抜けだろう
そのように考えた
心までは読めないというのは
これまでの状況から導き出された答えであり
また希望的な観測でもあった
だから、人間の心を読むことができる魔物と
読まれる側にある人間の戦いは
魔物たちに幾つかの発想をもたらした
いまや魔物たちは、擬似的な正常性を魔法で再現することもできる
人類最高峰の正常性を持つ少女の実測値が
最後の最後で予測値を裏切ったから
正常性︱︱魔法の侵食率を遠隔操作できるシステムの存在を確信
した
3270
魔法の原則は、人為的に定められたものだ
異世界の魔導師は、魔物たちの心を読むことができない⋮⋮
それは半分が正解で、半分は間違っている
魔物は魔法そのものだ
彼らが神聖視する﹁心﹂とて魔法の産物に過ぎない
正確には、こうだ
北海世界の魔導師には、魔物たちの心の覗き見る﹁権限﹂がない
その権限を持つのは、第一世界であるということだ
第一世界は、管理人に従う﹁無制限リサ制御体﹂を重視している
無制限リサ制御体の別名を﹁第一位リシス﹂と言う
つまり﹁究極の魔物﹂だ
魔法動力兵は﹁第一級リサ制御体﹂もしくは﹁第二位リシス﹂と
呼ばれる存在だ
リシス
理論上、人間が支配下における範囲内で究極の存在だったから
︵純粋な﹁魔物﹂は制限がないため決して人間には従わない︶
北海世界の魔導師は﹁最強の魔法使い﹂たりえた
メノゥ
第一世界は、非数世界の﹁魔物﹂を重要視している
かつて第一世界を襲撃したリシスに対抗しうる存在だと考えてい
るからだ
北海世界は滅びの途上にある
代用品が必要だった
言ってみれば他人事だったから
第一世界の判断はおざなりで
納得の行くものではなかった
3271
﹁くそっ⋮⋮! だから滅ぼしておくべきだと言ったのに!﹂
悪態を吐いたのは、補佐官の女性だった
北海世界の魔導師には、最低でも一人の補佐官がつく
魔法動力兵を設計できる魔導師は、単独で世界を滅ぼしうる存在
だからだ
野放しにはできない
誘導魔法という、極めて高度かつ難解な魔法を扱える魔法使いが
自然発生することはない
魔導師は人為的に能力を高められた﹁人間﹂で
生まれる前から政府に登録され、生後も管理されている
魔導師が設計し、世に生み出した﹁ハロゥ﹂が人々の生活を支え
る基盤だった
電力に取って代わったのが魔力なのだと言えば分かりやすいだろ
うか?
最小の物質たる﹁リサ﹂は、電力を上回るコストパフォーマンス
を容易に叩き出す
つまり全人類に永久機関を配布することが可能だった
非数世界を担当する魔導師の補佐官︱︱マリアが腰掛けている球
体の反重力椅子も
広義では﹁ハロゥ﹂の一種に当たる
非数世界へと派遣された魔法動力兵に
鍵盤で指示を出しながら、マリアは悪態をつく
﹁恩を仇で返すのか。下らないぞ、メノゥ!﹂
3272
ある一定以上の質量を持つものは一番回線を通ることができない
第一世界の承認を得て、はじめてマリアの上司は非数世界へと足
を踏み入れることができた
魔物たちが異世界の住人を﹁敵﹂と認識して
その概念を非数世界にばら撒こうとしていたから、第一世界は焦
ったのだ
勇者の少女は魔物たちの自作自演を疑っているようだが
放っておけば、魔物たちはどこまでも付け上がる
これ以上、放置することはできなかった
認めたくはないが、魔物たちが築き上げた非数世界の人類社会は
理想郷に限りなく近い
北海世界は新天地を探し求めていた
移住先となる世界に、ある程度の発達した文化と平和な暮らしを
願うのは当然の心理だ
だから積極的に干渉した
そのことが魔物たちの逆鱗に触れたのだ
地下通路を突き進むポーラが、魔法動力兵を薙ぎ倒しながら吠えた
﹁おれたちは、自分の世界を守ろうとしただけだ! そして、それ
は正解だった!﹂
だが、マリアにも言いぶんはある
魔法動力兵を通して傲慢に言い放った
﹁お前たちに魔法を与えたのは、わたしたちだ!﹂
﹁だから言うことを聞けとでも言うのか⋮⋮﹂
3273
魔物たちの自己申告は当てにならない
しかし状況から察するに、魔物たちが放った刺客は三番目の名を
持つポーラ属
P−03﹁アリス﹂と見るべきだった
百機を越える呪言兵に包囲されたアリスが
全身から触手を打ち出した
それらは空中で幾重にも屈折し
狙い違わず魔法動力兵の﹁核﹂を撃ち抜く
強すぎる⋮⋮! 手が付けられない
アリスは、最強の魔物だ
空中回廊の扉の奥には、拿捕された魔法動力兵を保管するスペー
スがある
どの魔物よりも多くハロゥと戦い、撃破してきたのが﹁庭園のひ
と﹂⋮⋮アリスだった
ありとあらゆる結界が通用しない
いかなる環境でも安定した戦果を叩き出してくる
弱点というものがない
確信を得たマリアが上司に報告した
﹁P−03アリスです! 退避して下さい!﹂
第一世界がいい加減な仕事をしたせいで
彼女の上司は﹁地下神殿﹂に転送された
決戦の舞台は地下神殿になると、魔物たちは読んでいた
3274
魔法動力兵の設計者⋮⋮﹁魔王﹂が降臨する地に相応しいと判断
したからだ
討伐戦争は、魔王を引きずり出すための﹁儀式﹂だった
返事はない
非数世界の発展を見守ってきた魔導師﹁ワドマト﹂は
いつしか非数世界を愛してしまったからだ
魔物たちに殺されるならば、それでもいいと考えている
やはり行かせるべきではなかった
マリアは、おのれの不明を恥じる
もちろん止めはした
しかし彼は、マリアの制止を振りきって行ってしまった⋮⋮
その事実が、マリアの激情をあおる
怒りの矛先が向かう先は魔物しかない
﹁それだけではない。お前たちは危険な存在だ。
お前たちは、物語の登場人物のまま生きていれば良かった。他人
事ではないなどと、思わせてはならなかった!
せっかく助けてやっていたのに!﹂
当初、ワドマトは魔物たちを第一世界への復讐に利用しようとし
ていた
非数世界の存在を秘匿した
いまや魔物たちは魔法動力兵を凌駕し、﹁千年間、世界を滅ぼさ
なかった﹂という実績を得た
第一世界が魔物たちの存在を知ったのは、すべてが手遅れになっ
てからだ
3275
︱︱他人の人生は最高の娯楽だ
非人間的な行いであると唱える団体もいたが、いつの時代も少数
派だった
未熟な非数世界は監視が必要だったし、実際にそうして救われた
命も多い
メノゥ
だが、連結魔法から生まれた魔物は、あまりにも強力だった
三全世界、最高と言われる誘導魔法と正面から衝突して痛み分け
るほどに︱︱
しかし皮肉にも、彼らが作り上げた世界は、どの世界よりも条件
に適していた
それなのに︱︱
いったい彼らは何が不満なのだ?
マリアには理解できなかった
連結魔法は誘導魔法との相性が極めて良い
方向性が真逆のようでいて、じつは似ているからだ
あの子
から聞いただろう。お前たちは、魔術師を狩る存在だ。
連結魔法を極限まで細密化したものが誘導魔法であると言って良い
﹁
リシス
お前たちは、人間が苦しむ姿に快楽を覚える。
怪物め。お前たちは﹃魔物﹄の生まれ変わりだ!﹂
その言葉が何を意味しているのか、アリスは知らない
メノゥ
だが、あまり良い意味ではないことはわかる
なのに魔物は笑った。自分たちの存在が彼女の気分を害している
というなら、これほど愉快な話はなかった
憎しみに勝る感情はない。かつてアリス自身が言ったことだった
3276
﹁では、バウマフ家のことはどう解釈するんだ?
お前は、相手を貶めることしか考えていない。自分が可愛くて仕
方ないんだ。生きてる価値がないよ、お前﹂
アリスの痛烈な反駁に︱︱
﹁だまれ! だまれ、化け物め。わたしは人間だ! お前とは違う
!﹂
激しい悪意の応酬だった
互いに互いの破滅を願っているのは明らかだった
そして、そのことを二人とも隠すつもりがなかった
だから、彼らの関係は後戻りができないほど破綻する
図らずも、アリスの指摘はマリアのコンプレックスを抉っていた
幼児のように癇癪を起こすマリアの内面に、泡のように冷静な人
格が浮かび上がる
それは彼女自身にしか聞こえない声だ
どんなときも彼女の味方でいてくれる
彼女が欲する言葉をくれる︱︱
﹃落ちつけ、マリア。マリー⋮⋮﹄
彼︵あるいは彼女かもしれないが︶は、マリアをたしなめるとき、
彼女のことを愛称で呼ぶ
条件反射のように、マリアのささくれ立った気持ちが鎮まった
そして、いつもそうしてきたように、彼の言葉に耳を傾ける
彼は言った︱︱
3277
﹃やつの言うことも一理ある。
そうだ⋮⋮ワドマトも言っていただろう。
魔物が、バウマフ家に従うのは奇妙なことだと。
君は、彼の言うことを信じないのか? そうではない筈だ⋮⋮。
君は、マリー、まったく、俺としては面白くないことに、彼に対
して献身的だからな⋮⋮﹄
彼
に、マリアの自尊心
そうだ。認めるべきことは認めねばならない
ときとしてかすかな独占欲を覗かせる
は満たされる
誰かに必要とされたい︱︱
それは﹁適応者﹂として生まれた彼女にとって、あらゆる行動の
指針になるほどの﹁渇望﹂だった
平静を取り戻したマリアは、まるで激情を忘れ去ったように穏や
かだ
鍵盤を操作し、ワドマトが生み出した﹁最後の子﹂︱︱
同時に﹁最高傑作﹂でもある二十四番目の呪言兵へと通じる回線
を開く
﹁ハロゥド・アン、応答して下さい。聞こえますか、ド・アン⋮⋮﹂
ハロゥドというのは北海世界の言葉で﹁持たぬもの﹂⋮⋮
つまり﹁核﹂を外部に放出しない﹁内蔵型﹂を指し示す言葉だった
間を置かずモニターに映し出されたのは
非数世界の﹁人間﹂と同じ容姿を持つ少女だ
美しい少女だった
3278
くっきりとした二重まぶたの
透き通るような白い肌には染みひとつない
紅も差していないのに薔薇色の唇が
勝気に吊り上がっている
彼女が最強のハロゥだ
魔物にとって外見は大きな問題ではないから
敵の油断を誘うなら美しい少女の姿がもっとも適している
整った容貌は﹁作りやすい﹂という技術的な見方もある
ド・アンの嬌声が響き渡る
﹁あはははは!﹂
うるさい
どうやら交戦中のようだ
相手は、前管理人の﹁マリ・バウマフ﹂だろう
伝説の名を冠する異質のバウマフ家
完成された魔法使い⋮⋮
ド・アンは、特赦を持つマリ・バウマフに対抗するために生み出
されたハロゥだ
﹁ん、なに? マリア?
いま、いいところなんだから邪魔しないでよね。
あとさ∼⋮⋮前から言ってるでしょ。
わたしのこと、ド・アンって呼ぶのやめてよ。可愛くないし﹂
彼女も、また異質のハロゥだ
マリアは、彼女と話すたびに忍耐を求められる
3279
怒鳴りたい気持ちを意識的に制御し︵マリアにはそれが可能だっ
た︶
つとめて事務的に言う
﹁ハロゥ。マスターに危機が迫っています。
アリスに対抗できるのは、あなたしかいません。
至急、地下神殿に向かって下さい﹂
第一級リシス制御体であるハロゥは、設計者の命令には逆らえない
北海世界の﹁人間﹂を守るようプログラミングされている
それはハロゥの﹁魔物﹂としての最後の理性だ
だが、少女の形をしたハロゥは
この土壇場で反旗をひるがえした
﹁う∼ん、条件しだいかな?﹂
いつもの軽口だろうと
マリアは口調を強めて言う
﹁ハロゥド・アン﹂
しかしド・アンは、ささやくように言った
﹁マリア⋮⋮マリー⋮⋮。
あなたが、わたしのマスターになってくれるなら、お願いを聞い
てあげてもいいよ?﹂
マリアは、耳を疑った
異質なハロゥだとは思っていた
3280
だが、これではまるで︱︱
硬直したマリアに、ド・アンは重ねて言う
﹁自覚はないのかな? そんな筈はないよね。
マリー、あなたはとくべつなんだよ。
あなたは、魔法使いだ。
わたしたちの世界に生まれる筈のない、天然の魔法使い⋮⋮﹂
マリアは、椅子ごと後ずさった
秘密にしていたことを言い当てられたからではない
おぞましい、と思ったのだ
第一位リシス﹁メノゥ﹂に対抗できる魔法動力兵⋮⋮それが意味
するところを見誤っていた
ハロゥド・アン︱︱
彼女は、あらゆる制限を取り除かれたハロゥだ
﹁リシス⋮⋮﹂
ただ、ひたすら、おぞましかった
リシス
無制限リサ制御体﹁魔物﹂は悪魔の化身だ
魔導技術は、﹁科学では制御できないと証明された技術﹂だった
バウマフ家という重石すら
ハロゥド・アンには、ない
だが、マリアは知らない
ド・アンは、マリ・バウマフが幼い頃から
3281
彼の成長を見守ってきた
いつでも圧倒できたのに、そうしなかった
それは、マリアが、ワドマトに対して抱く感情と、何が違うのか
世界を破滅へと導くのは
きっと絶望ではない
愛情だ
3282
子狸、戦場へ
北海世界の﹁人間﹂は、陸上での生活にはあまり適していない
彼らの母星には大陸というものがなく
海上に浮かぶ群島が﹁人類﹂の活動拠点だった
だから、泳ぎに適した身体を捨てても得るものはなく
体温調節を海水に頼る生態が残った
それは、非数世界の﹁人間﹂が直立歩行を獲得し
脊髄への負担を抑えるために
猛獣の筋力を忘れ去っていったことと似ている
マリアの指がふるえた
微細な水流を調整するために発達したひれの先端は、とても器用だ
稼働範囲は狭いものの、重力の影響を受けにくい海中での作業に
支障はない
繊細な指先が恐怖におびえて硬直していた
息が詰まるような沈黙⋮⋮
最後の魔法動力兵は、禁断の魔物だった
彼女には何の制限もなかったから
いとも容易くマリアを欺くことができた
マリアが悪魔の生まれ変わりと罵った魔物たちですら
バウマフ家という最後の良心を持つ
ハロゥド・アンには、それすら、ない
3283
地下通路を行くアリスは、呪言兵たちの妨害をものともせずに突
き進んでいる
マスターの権限を移譲することに何の意味があるのか
とっさには判断を下せなかった
﹁ぶー。時間切れです﹂
だから、ここが歴史の分岐点になるとは思ってもみなかった
未練もなく、早々に選択肢を取り下げた少女の眼差しは
はっとするほど優しかった
﹁残念。⋮⋮マリア、この世界の時間は有限なんだよ﹂
本来、魔法は時間に束縛されることはない
北海世界には逆算魔法という縛りがないから
過半数の人間が望むなら、歴史を変えることも許される
非数世界に、その理屈は通用しない
もしも可能だとすれば、それは特赦を持つバウマフ家の人間だけだ
ド・アンは、マリアの理解が追いつくのを待ってから続けた
﹁ワドマトが言ってた。
魔法回路には表と裏しかない。二番回路なんて嘘っぱちだよ。
この世界で、科学兵器は正常に作動しない。正しい知識は否定さ
れて⋮⋮。翻訳魔法は封印された。
3284
異世界人が生きていくには厳しい世界を、彼らは作ったんだ﹂
非数世界へと渡ってきた異世界人は、何者にもなれないというこ
とだ
それでも⋮⋮
マリアは、放心したように呟いた
﹁ハロゥ⋮⋮。
いま、あなたがいる世界は、絵本に出てくるような世界です。
漫画や小説で描かれるような世界に、行きたくないと言える人間
は、きっと少ない⋮⋮﹂
指先から伝ったしずくが、足元を満たす擬似海水に落ちる
跳ねた水滴が、開放された一番回線を伝って世界を渡る
辿りついたのは、海の底に沈んだ都だ
壁はなく、大きな柱が幾つも立ち並んでいる
開放感あふれる広間に
ぽつんと玉座が置かれていた
玉座のあるじは、ここからでは尾しか見えない
ひざまくらでもするかのように
ポーラ属が居座っているからだ
ふたりは言い争っていた
﹁⋮⋮これは無理がないか?﹂
3285
﹁いいから、おれを撫でるんだ。早く! 王者の風格を醸し出すに
は、そうするしかない﹂
﹁え∼⋮⋮? 前が見えないんですけど⋮⋮﹂
﹁そんなはずないだろ。おれ、自分で言うのも何だけど鮮やかに透
き通ってるよ⋮⋮!﹂
﹁いや、お前ら自分で言うほど透き通ってないよね。だって、じっ
さいにおれの視界が濁ってるもん﹂
鮮やかに透き通っている青いのを
玉座のあるじが精いっぱい腕を伸ばして撫でようとする
﹁っ⋮⋮つうか、でっけえな! 縮めよ! なんで成体なの!?﹂
﹁子猫を撫でる王者がいるか! おれのことは黒猫⋮⋮いや、小ぶ
りな黒豹だと思ってほしいのです﹂
﹁嘘でしょ!? 一つもかすってない! 一つたりとて黒豹の要素
がない! なにこれ。なんなの!?﹂
尾がじたばたと暴れる
バランスを崩した青いのが、玉座の横にぼてっと転がった
どうやら魔物たちの宇宙進出は失敗に終わったらしい
床にうずくまったポーラ属が嗚咽を漏らしはじめた
海底洞窟に住むポーラ属は
3286
魔法の果実が転送されてくる﹁果樹園﹂へと通じる扉を開くため
の﹁鍵﹂だ
つまり果樹園というのは、魔物たちが﹁二番回路﹂と呼ぶ⋮⋮
こきゅーとすの実験作である﹁擬似魔法回路﹂の発信地だった
無意識の領域から魔法を引きずり出すことと
思い浮かべた言葉を文字に変換して、仮想掲示板に打ち込む行為は
原理的に同じものだ
王種と呼ばれる魔物は
扉の鍵たるポーラ属を守護するための存在でもある
だから、いかなる状況であろうとも、王種がポーラ属を残して重
要拠点を離れることはない
例外があるとすれば、それは﹁山腹のひと﹂と﹁かまくらのひと﹂
だった
現状、王種は四人しかいないため
かまくらのひとは南極大陸の地表に移住し
さらにオリジナルを特定されないよう動いている
ポーラ属が、もっとも多くの分身を持つのは、そのためだ
山腹のひとは、そもそも重要拠点の近くに住んでいない
アリア領のとある山村に程近い洞窟にも﹁扉﹂はあるが
その奥には開けた空間があるだけで
これはハロゥを誘き出すために用意された最終決戦の地だった
そうなる予定だった
3287
綿密な計画を立ててきた魔物たちにも誤算はある
異世界の事情など、彼らには知る由がなかったからだ
非数世界に、貴族と反貴族の勢力があるように
北海世界にも様々な立場の人間がいて
その中には、移住計画に異を唱える団体も存在する
じつのところ
このとき、すでに趨勢は決していた
非数世界を担当する魔導師﹁ワドマト﹂は
黒幕とは程遠い⋮⋮﹁切り捨てられた尾﹂だった
もちろん、復讐に燃える魔物たちにとっては知ったことではなか
ったが⋮⋮
海底都市にポーラの慟哭が立ちこめる
魔物たちが﹁退魔性﹂と呼んだ、﹁魔法を非活性化する因子﹂は
実在しない
もっと単純な話だ
宇宙には、魔法を形成する半概念物質﹁リサ﹂が存在しない
仮に﹁異星人﹂が存在した場合、それは第一世界にとってイレギ
ュラーでしかないからだ
魔物は、宇宙には行けない
﹁泣くなよ⋮⋮﹂
3288
玉座のあるじは、腰から下が鱗で覆われている
流形線の、泳ぎに適した魚類の半身を持つ女性だった
身にまとう羽衣には淡い光沢がある
この日のために用意した一張羅だ
ひじ掛けにもたれると、やわらかな仕草で頬杖を突いた
這い寄ってきた青いのを優雅な手つきで撫でる
彼女は、ため息を吐いてから
玉座を立ち、海底都市に集った深海魚たちを見つめた
﹁歌います﹂
特赦を持たない魔物たちが
高レベルの魔法を扱おうとするなら
詠唱をしなくてはならない
開放レベルの差異はあれど
魔物たちは人間たちと似たような条件を課せられている
だから、彼らは騎士団の戦術を真似れば良かった
音階は秩序だ
声の響きには感情が宿る
雑多な詠唱も、譜面に落とせば一定のルールが生じる
輪唱できる
人魚の歌声が世界をめぐる
3289
魔物たちが驚愕した
歌は二重に聴こえた
ハロゥも同じ結論に至ったのだ
連結魔法と誘導魔法は、じつは相性が良い
だから、二つの異なる歌が
まるで二つで一つであるかのようだった
王国、王都の上空に、大きな火花が咲いている
完成された魔法使い⋮⋮マリ・バウマフ
そして、最強のハロゥ⋮⋮ド・アン
両者の戦闘は究極域にある
他の魔法動力兵は、追随することすら叶わない
戦闘の余波を浴びて四散する
爆発、爆発、爆発⋮⋮
これが火花星の正体だ
歌が、光と共に降ってくる
空を叩く音⋮⋮
光の剣が、魔法動力兵たちを串刺しにした
聖性を帯びた刃は、魔属に対して絶大な威力を発揮する
装甲の物理的な強度など問題にならない
魔法の最大開放はレベル9だ
3290
だから、減衰による罰則を織り込んだとしても
光輝剣は開放レベル6の受け皿になり得る
つまり王種をも滅ぼしうる﹁最高位の存在﹂だった
手足を地に縫い付けられてひれ伏した魔法動力兵を
冷然と見据える瞳には不躾な闖入者への怒りがある
勇者が王都に舞い戻ってきた
その手は、しっかりとマフラーの端を握っている
泰然と前足を組んだ子狸が王都の地を踏む
現管理人、ノロ・バウマフは言った⋮⋮
﹁おれの目的は、最初から一つしかない⋮⋮。
そう⋮⋮全国制覇だ﹂
勇者が、ため息を吐いた
﹁あなたを野放しにしたのは失敗だった⋮⋮﹂
子狸さんに選択権を委ねたことで
彼女は、全国制覇を目指すチームの一員になった
肩にとまる妖精の言葉には毒がある
﹁ノロくん。お前は補欠です﹂
だが、ノロ・バウマフは主将として言わねばならないことがあった
3291
﹁さあ、はじめようか⋮⋮﹂
じりじりと包囲を狭めてくる﹁新入り﹂たちを教育せねばならな
いことは明白だった
足運び一つとってもなっていないと感じる
自己主張が甘い
もっと派手に、もっとクールに、もっとエレガントに⋮⋮
手本を見せてやることは簡単だ
そのためには︱︱
バウマフ家の人間が、魔物に端を発する事象の中心に立っている
ことは確かなことだった
なぜなら彼らは⋮⋮彼らこそが﹁魔物﹂に選ばれた唯一の契約者
だからだ
手荒な歓迎会といったところだ⋮⋮
ノロ・バウマフは胸中でささやき、堂々と宣言した
﹁デスボール⋮⋮!﹂
アレイシアンは無視した
片手を揺すり、光を闇へ
光の宝剣は、闇の宝剣の一形態でもある
闇の宝剣を地に突き立てて叫んだのは、魔物たちに強要された言
葉だ
サモン
﹁召喚!﹂
3292
世界の危機とか、なんかそんな感じなのだ
開き直るしかない
3293
そして引退へ
デスボール!
それは⋮⋮この世でもっとも過酷な球技の一つである
正式名称は﹁ファルシオン﹂と言うのだが
デスボール
競技中、戦闘不能に陥る選手が続出するため
屠球という俗称が定着している
魔物たちの国技であり
歴史上、様々な場面で騎士団との親善試合が行われている
もちろん﹁親善﹂というのは建前だ
ルールは簡単
環境に応じて種目は変わる
サッカーならサッカー、野球なら野球がベースになる
しかし多くの場合、魔物たちの身体能力は人間を大きく上回る
極端な例を挙げれば、ヒュペスがゴール前で卵をあたためている
だけで
魔物側の失点は物理的になくなってしまうのだ
それでは試合にならない
そこで、救済策として人間たちには特殊な効果を持つカードが配
布される
カードの内容は人それぞれだ
その人間の資質や特性を表したものなので、何かをきっかけにし
3294
て変化することもある
試合中に変わったこともあるくらいだ
イグニッション
﹁火竜召喚﹂など、極めて強力な効果を持つカードもあるが
ネクロマンサー
お昼寝をしていることもあるので、総合的には怨霊種を複数召喚
できる﹁軍勢﹂のほうが評価は高い
また、カードにはランクに応じて相応のクールタイムが発生する
そのため、一発逆転を狙える高ランクのカードは使いどころが難
しい
なお、悪質な妨害行為や暴力を働いた選手は退場となる
が、対立関係にある魔物と人間の競い合いだ
厳しく取り締まっていては選手が誰もいなくなる
よって、退場措置はワンプレイで解除となる
選手入場だ
魔王を打ち倒したことで、アレイシアンは闇の宝剣の開放条件を
満たした
光陰が反転し、放出された黒点は夜の剣を形成する
光と闇は表裏一体だ
魔王の剣には、魔界へと通じるゲートを開く機能がある
それは、地下通路が封鎖されることを見越してのものだ
自在に瞬間移動できる魔物たちに空間歪曲式の隠し通路は必要ない
だが、異世界人にとってはそうではないということだ
子世界が意に沿わない発展を遂げることもある
方舟の操縦法を知る異世界人は、法典を盾に交渉を迫ることがで
3295
きる
魔法は、成層圏内でしか働かないという原則があるからだ
人為的に作られたものだから、あらゆる物事に理由がある
合理性の裏ごしに、傲慢さが透けて見えるかのようだった
魔物たちの怒りを、アレイシアンが共感することはない
彼らは、肝心なことを話さないからだ
勇者の少女が信じたのは、魔物たちのシナリオを幾度となく崩壊
の危機に追い込んだ子狸さんだった
大地に穿たれた漆黒の門から、どっと生ぬるい大気が流れ込む
瘴気だ
魔界の大気成分は地上とは異なるとされている
しかし魔界は実在しない
たんに高温多湿の空気である。害はない
魔界とは、つまり異世界という概念だ
魔物たちは、魔法の正体が﹁魔界の法則﹂であると解説してきた
もしも自分たちが敗北したとき
おそらく挙兵するだろうバウマフ家の人間に
何かを遺してあげたかったからだ
魔界に攻め込むと言えば、騎士団の名目は立つ
討伐戦争を通して、あらゆる布石を打ってきた
ゲートもその一つだ
浮上してきたのは、魔都で熾烈な争いを繰り広げてきた戦士たちだ
3296
不可視の鎖に絡めとられた魔法動力兵が地に屈した
一斉に放たれた蠍の尾が斬り飛ばされる
飛び出した骸骨戦士たちの手中で、魔火の剣が激しく燃え上がっ
ている
踏み込んだ黒騎士が魔剣を一閃すると、火線が走った
寸断された魔法動力兵が、閃光を放って爆散する。光の爆発だ
彼らは魔力に還元される際、魔物たちとは比較にならないほどの
光量を発する
撒き散らされた誘導魔法が、この世界のリサ結晶体と激しく反応
するからだ
魔物が、他世界にあって生まれ持った魔導配列を崩すことはない
魔法の根幹をなす基本ルール⋮⋮
あらゆる魔法事象は、第一世界に有利に働くよう設計されている
神に等しい力を持つ魔物たちは有益な存在と見なされている
なのに招いてみて、無力化してしまうようでは意味がない
魔法使いは、どこまで行っても自分を縛る魔法からは逃れられな
いということだ
歌が聴こえる
旋律が競うかのようだ
美しい歌声に誘われて、家屋に避難していた人々が空を仰ぐ
巨鳥が舞っていた
背に乗る騎士たちが戦歌を紡ぐ
矢継ぎ早に撃たれた光線が、地上の機兵を次々と撃破していく
3297
魔王軍が攻めてきたかと思えば、とつぜん同士討ちをはじめて
今度は何故か騎士団と共闘している
わけがわからなかった
事情を知らない人間からしてみれば
魔法動力兵は、新種の魔物と見るのが自然だった
一度はポーラの軍勢に敗れ去った騎士たちは、続々と王都に帰還
しつつある
彼らは敵味方を判じかねて身動きがとれずにいた
魔都に突入した筈の決死隊は、魔王軍に協力しているようだが
魔法動力兵は、王都に攻め入ったポーラ属の大群を排除しようと
しているようにも見える
だが、百戦錬磨の称号騎士が決断を下すよりも早く、動き出した
人物がいた
白刃が閃く。後退した機兵の足が宙を舞った
関節部を狙い済ました一撃だった
振り下ろした剣を見つめ、男はつぶやく
﹁硬いな。だが︱︱﹂
蜘蛛型の魔法動力兵は、八脚の足を持つ
身体を支える足を一つ失ったことで、体勢を崩しながらも
毒尾による一点狙撃を補正することができた
だが、鍛え抜かれた剣士の技量は想像を絶するものがある
魔法使いとの戦闘を想定した剣術は、足運びに独特の緩急を持つ
直線的な軌道をとる尾撃を、男は身体をひねって回避した
両腕を弛緩させたまま、半身から半身へ、肩を押し出すように前
3298
進する
﹁儚く、脆い。お前たちを切り捨てるたびに、俺は⋮⋮﹂
跳ね上がった剣先を、魔法動力兵は受け止めようとして失敗した
空中で軌道を変えた剣は、斬るよりも当てることを重視したもの
である
刃物による殺傷は、治癒魔法の適用外だ
治らない傷を負った魔法使いは、ひどく動揺する
そして、この男は魔物の天敵とも言える存在だった
魔法使いにはなれなかった被支配者の怨念、妄執⋮⋮
連綿と受け継がれた略奪と差別の歴史が、魔法を憎悪する異能者
を産んだ
アーライト・アジェステ・アリア
彼の意識に触れたリサは、極端に活動がにぶる
﹁一つ、また一つと、手向けの花を思う﹂
膨張した光の炸裂は、呪言兵の断末魔だ
増援した機兵の挟撃を、アーライトは危なげなく捌いていく
白刃が閃くたびに、大輪の火花が咲く
たいていの剣術使いは、おのれの剣技を人前に晒すことを嫌う
とくにアーライト・アジェステ・アリアを、蛇蝎のごとく嫌う剣
士は多い
長年の修練により身につけた秘術の数々を、ただの一瞥で盗まれ
たからだ
3299
アーライトの剣術には一貫性がない
悪癖と言ってもいい、個別に備わる呼吸の揺れを、目にしたまま
再現している
盗んだ技を、より良くしようという意識が欠落している
﹁墓標に供える花を。⋮⋮俺は悼む﹂
しかし呪言兵を抉り、切り裂くのは、存在そのものを否定する拒
絶の意思だ
言っていることとやっていることが違う
それなのに、聖騎士の沈痛な面持ちに
騎士たちは騙されるのだ
﹁アリア卿⋮⋮﹂
アリア家の人間は、いかなる強敵にもひるむことがない
大貴族という、王国を支える重鎮でありながら、自らの命を惜し
まない
その危うさが、多くの人間を惹きつけるのだ
まるで墓標のように、機兵を無造作に串刺しにしたアーライトが
空を仰いだ
青空を背景に巨鳥が旋回している
メノゥ
アリア家の人間が、魔物側についた
このことは、大きな意味を持つ
視線を戻したアーライトの口元に浮かんだのは凄絶な微笑だ
﹁借りは返したぞ⋮⋮﹂
3300
彼は、過去に魔物たちと密約を結んだことがある
とある亡国での出来事だ
娘二人のうち、どちらかを勇者として差し出す
その代償として、アーライトは﹁治癒魔法﹂の封印を望んだ
逆算能力ではない、本物の治癒魔法だ
もっとも、当時︱︱
すでに魔物たちは治癒魔法の根幹をなす﹁翻訳魔法﹂の封印に着
手していた
魔物たちは珍しく正直にそう言い、べつのことにしろと言ったの
だが⋮⋮
それならばいいとアーライトは納得した
彼は、あまり魔物に関心がない
対応はおざなりで、あっさりと頼みを聞くこともある
しかし、魔物たちは知らなかった
﹁翻訳魔法﹂の封印を、アーライトは重く考えている
どのみち封印する手筈になっていたと魔物たちは言うが⋮⋮
そんなことは関係がない
功績には相応の褒章が必要だ
大きな借りが出来たと、そのようにアリア家の人間は考える
そして、いま⋮⋮
魔物たちの味方をしたことで返済は終わった
あとは自由にやらせてもらう
マントをひるがえし、歩き出す
3301
﹁アテレシア﹂
﹁はい﹂
追随するアテレシア・アジェステ・アリアは、将来を嘱望される
才媛だ
剣士としては、すでに父を越えている
蜘蛛型の指揮をとっていた人型を撃破するのは、彼女にとって難
しいことではなかった
アーライトは言った
﹁気が変わった。いまからお前がアリア家の当主だ﹂
堂々たる引退宣言だった
アテレシアの口元が綻んだ
﹁では、アレイシアンの処遇は、わたしに一任して下さいますね?﹂
﹁好きにしろ﹂
完全な感情制御を持つアテレシアにも
血を分けた妹を愛おしく思う感情はある
愛情を傾けることと、骨の髄まで利用することは
彼女の中で矛盾しない
アテレシアは、腰に提げた鞘を指先で触れる
鞘におさまっているのは、とある魔物が手土産に持参した剣だ
3302
3303
深淵を覗くものに深淵は踊れるか
王都は、白亜の都とも呼ばれる
道が石畳で舗装されている街は珍しい
魔物の襲撃を受けた際に砕けて危ないからだ
しかし土で汚れにくいなどの良い点もある
王都は巨大な都市で、人口も多いため
緊急時の安全制よりも利便性をとった。それだけの話だ
整然とした街並みは、のちに王国の主要都市になることを見越し
ていたからとされているが
それは、嘘だ
王都は、旧魔都である
現在の魔都がそうであるように、魔物の居住区はスケールが大きい
建国した当時、王都の規模は人口と釣り合っていなかった
それが近年になり、ようやく追いついてきたと言うのが正しい
魔物たちが同士討ちをはじめたなら、騎士団は共倒れを狙うべき
だった
しかし、王国を守護するアリア家が一方の肩を持った
その事実は、討伐戦争の在り方を反転させるきっかけになる
そうでなくとも、大隊長の多くは魔物との戦いに人生の大半を費
やしてきた
いまさら介入してきた第三の勢力を面白くないと感じるものは多
かった
彼らに機械の知識はないから、魔法動力兵の装甲が﹁鎧﹂に見える
3304
魔物たちは、おもに動物をベースにした姿をとる
これは同士討ちではないのだと、人々は気付きつつあった
そして、それがこの世界の歴史に干渉してきた魔導師の狙いだった
彼の目的は、この戦争に勝つことではない
人類と魔物の対立構造に割り込み、移住先を確保することだ
魔物たちには、バウマフ家という縛りがある
しかし異世界の住人には、バウマフ家の機嫌をうかがう必要など
ない
設定が許すなら、多少の犠牲者には目を瞑る
北海世界の﹁人間﹂は、その大多数が魔法使いではないからだ
ハロゥによる大量破壊兵器に慣れすぎて、いまさら剣士になどな
れない
欲しているのは、油断ならざる異邦人という立場だ
北海世界に蔓延した倦怠感を忘れ去るために、移住の際には記憶
を洗浄する
世代を重ねて、少しずつ違和感を削っていく予定になっている
魔物たちに見守られて、ゆっくりと歩んでいきたい⋮⋮
バウマフ家の人間は、自分たちを蔑ろにはしないという確信がある
彼らの推測は正しい
だから追い詰められているのは、魔物たちだ
騎士団の早期合流は嬉しい誤算だった
魔法動力兵とは違い、魔物たちには負けられない理由がある
これは、彼らの復讐なのだ
3305
広場の中心に座するのは、聖なる海獣の女神像である
魔物たちは、海上には手出ししない
だから、きっと魔を退けるものが海にはあるのだと人々は考えた
その連想が勇者と結びついたのは自然なことだった
聖なる海獣は、しばしば天使と同一視される
魔王を打ち倒した勇者が人々の前から姿を消すのは、天使が迎え
に来るからだと信じられている
しかし、このとき広場を走った灼熱の剣閃は、聖剣と対をなす魔
剣によるものだ
精霊の宝剣という、歴史に名を刻んだ兵装に、蜘蛛型は後退を余
儀なくされる
スパイス
魔物たちの欺瞞を暴くことに、彼らは価値を見出さない
おだやかな暮らしに程良い刺激を望むなら、実在する﹁神﹂は不
要だからだ
ゲートから這い出した魔物たちが各所へと散っていく
その中には、獣人種の姿も混ざっていた
レベル3の魔法動力兵に、レベル2の怨霊種をぶつけるのは不毛だ
値千金の勝利を願うよりは、堅実に白星を拾いたい
﹁メカ来たっ、メカトカゲ! ことごとく真似しくさって!﹂
﹁降下地点の割り出し急げ! ゴーゴーゴーゴー!﹂
﹁ウサちゃんいないよ!? なんか狼みたいなの来た!﹂
﹁おれ、じつは狼だったのか⋮⋮﹂
3306
﹁どう見ても食われる側だろ! 走れ! ムーブムーブムーブムー
ブ!﹂
﹁騎士団のご一行は、こちらに並んで下さーい。こちらでーす﹂
最強の魔獣が旅行ガイドみたいになっていた
黒雲号と豆芝さんがお腹に体当たりをしている
グラ・ウルーは馬の魔物だ
同じ馬として、何か感じるものがあるのかもしれない
なお、アトン・エウロは影の中に幽閉している
五人の妹たちも一緒だ
暴走した異能を鎮めるのは、彼女たちにしか出来ない
あとは時間が解決してくれる筈だ
﹁こう?﹂
﹁違う、違う。自分が青いひとになったみたいなイメージで⋮⋮こ
う﹂
闇の宝剣は、ゲートを開く機能を持つ
ゲートを閉ざすことが出来るのは光の宝剣だけだから
いったん開けてしまえば、あとは放置しても良かった
これを機会に、アレイシアンは子狸さんに柔軟体操を教わっていた
以前から、たまに身体を曲げたりしているのを見掛けたことはあ
るが
ふだんから奇行に走るため、あまり気にしていなかったのだ
尋ねてみたところで、会話になるか否かは常に試される
3307
しかし、いまは王都のひとという専門家が答えてくれた
﹁こぶしの握りをゆるめて⋮⋮打ち抜く!﹂
﹁それはジャブの打ち方だ﹂
リンカー・ベルは、空の一点を見つめている
白い雲が疎らに浮いているが、頬を撫でる風には湿ったものがない
雨季は終わったようだ
それは、火花星を隠せなくなるということ
つまり潮時だ
彼女の視界を、大きな影が遮った
﹁ズィ・リジル⋮⋮﹂
都市級の魔物は、レベル3の魔法動力兵を一掃できるほどの力を
持つ
しかし、彼らには彼らの為すべきことがあった
これまで、ずっとマリ・バウマフの身辺警護をしていた蛇の王が
子狸と対面するのは、久しぶりの出来事だった
﹁子狸さん﹂
魔物たちは、人とは異なる時間を生きるものとしての視座も持つ
親しい人間をあまり作ろうとしないのは
最後には置いて行かれると知っているからだ
誘われるように、ノロが前足を差し伸べた
リジルの鱗は、ひんやりとしている
3308
見た目ほどゴツゴツしていなくて、むしろ滑らかだ
﹁今日は、何をして遊ぼうか⋮⋮﹂
バウマフ家の人間は、魔物たちの感情に敏感だ
め
ふだんはにぶい癖に、ときおり心を見透かすような瞳をする
﹁えっ。なんなの、その自分が遊んでやってるんだみたいな上から
目線⋮⋮﹂
リジルはびっくりして目を丸くしたが、事実だ
魔物たちは、肉体的に老いることがない
だから、彼らの精神年齢は、ずっと昔に止まってしまっている
幼いままではいられなくて、老成するには身体が若々しすぎる
言動が落ちつくとしたら、それは単なる怠慢だ
﹁? ひとりじゃ遊べない。上も下もないだろ﹂
ノロは、人間だ
長く生きても、せいぜい百年がやっとだろう
魔物たちに何を遺してやれるだろうかと思う
﹁たまに鋭いことを言うな、お前は⋮⋮﹂
翻訳魔法が封印される前なら、魔物たちは人間の身体を作り変え
ることができた
けれど︱︱
いまわの際に、バウマフ家の人間は
本当に⋮⋮幸せそうに笑うのだ
3309
それなのに、異世界人が関わってくると途端にぶち壊しだ
魔法は、﹁不思議なもの﹂であれば良かった
理屈など欲しくなかった
穴埋め問題を解くみたいに
答えが当てはまるたびに
自分たちの汚点を見せつけられるようで︱︱
殺意がわく
魔物たちの敵意が向かう先に、異世界人は居る
人目がない地下通路の戦いは、もっとも熾烈なものになる
群れなす魔法動力兵を振りきったアリスが、ついに地下神殿へと
踏み込んだ
彼は、史上初の異世界人の目撃者ということになる
だが、驚きはなかった
﹁聖なる、海獣!﹂
その可能性は、当然あると思っていた
この世界の生物の進化をひも解いてみても
高度な知性を獲得する可能性が高いのは海洋生物だ
ひと抱えほどもある球体が宙を浮いている
その上に腰掛けているのは、大きな布を身にまとった、白い⋮⋮
苦行を乗り越えて悟りを開いた高僧のようにも見えた
きらきらと輝くつぶらな瞳が、親しげに細められるのを見て、
3310
﹁息をするなッ!﹂
アリスの触手が、大気との摩擦で火花が散るほどの速度で放たれた
瞬時に距離を詰めて、首に触手を巻きつけた異世界人を宙吊りに
する
﹁お前は、それがどれだけ傲慢な行いであるかも自覚していない!﹂
剥き出しの殺意をぶつける
この場にはいない仲間たちの言葉を代弁してやりたかった
﹁この世界で生まれてすらいない! お前が!﹂
異世界人の心臓が鼓動を打つたびに、言いようのない嫌悪感がした
完全に独立した事象などないのだ
この男が、こうして息をしているだけで
この世界には何かがもたらされて、一方で損なわれる
めぐりめぐって、誰かの寿命が一秒伸びるかもしれない。ならば、
逆に減ることもあるだろう
その﹁一秒﹂の価値を、異世界人には語る権利がない
突き詰めれば、魔物たちの怒りとは、そうしたものだ
いま、この場で殺すか⋮⋮?
アリスは、本気でそうしようかと迷った
殺すつもりならば、はじめから地下神殿ごと消し去っている
そうしなかったのは、異世界が一つだけとは考えにくいからだ
魔法には、世界から世界へと渡り歩ける潜在能力がある
3311
それを他世界に無償で与える以上、魔法そのものを無力化できる
﹁安全装置﹂が、どこかに︱︱
しかし、確実に。ある
魔物たちは、異世界人の良心をまったくと言っていいほど信用し
ていない
︱︱しかし現実はさらに非情だ
リサというのは、魔導技術の基礎理論を構築した研究者の名前だ
生前、彼女の研究が評価されることはなかった
罪滅ぼしのように、もしくは責任を押し付けるように、あるいは
呪われるように
無制限リサ制御体は﹁リサたち﹂と、そう呼ばれる
異世界の魔導師は、酸欠に喘ぎながらも笑顔を絶やさない
ひれを持ち上げて、三本指を立てた
発達したそれは﹁手﹂と称しても誤りではないだろう⋮⋮
﹁私の願いは三つだ﹂
彼らは、海中において超音波による会話が可能だ
しかし陸上では音波の伝導率が低いため、周波数を下げねばなら
ない
この世界の人間と会話するときは、こちらがメインになるだろう
﹁⋮⋮⋮⋮﹂
アリスは、触手をゆるめた
︱︱何故、この世界なのだ?
3312
ずっと言葉には出来なかった、理不尽への問いがある
魔導師の口調は友好的だった
﹁一つに、君たちと話してみたかった﹂
いまさらのように気が付いたが、流暢な王国語だ
翻訳魔法が封印されている以上、何らかの手段で学習したのだろう
彼は、照れ臭そうに笑った
﹁うまく話せているだろうか? 勉強したんだ。あちらの言葉は、
君たちには通じないだろうからね。
正直に言うと、連合国語は少し不安だよ。バウマフ家が王国に拠
点を移してしばらく経つから⋮⋮錆ついているかもしれない。
それが二つ目だな。バウマフ家の人間と話してみたかった﹂
バウマフ家のことに話題が移って、アリスの触手が緊張した
﹁どの口で⋮⋮﹂
管理人の一族に呪詛を打ち込んだのは魔法動力兵だ
だが、減衰特赦は偶然の産物だった
誘導魔法と連結魔法は、相性が良かった
﹁そして、三つ目だが⋮⋮ふふ、これはもう叶った。この世界に来
てみたかったんだ﹂
異世界の人間が、この世界の人間と同じくらいの寿命であるとい
う保証はない
3313
それなのに、魔物たちは、さしたる理由もなく﹁魔導師は二人以
上いる﹂と思い込んでいた
しかし、そうではなかった
﹁私は、ワドマトと言う⋮⋮﹂
異世界の魔導師ワドマトは、遠くを見つめるような目をしていた
﹁ずっと、ずっと。この世界を見守ってきた⋮⋮。魔導師⋮⋮ワド
マトだ﹂
3314
果てしないワルツを
︱︱ここに、一つのボールがある
持ってみて、まず驚くのが軽さだ
いまにも羽が生えて飛んでいくのではないかと思うような
コントラスト
心が浮き立つような、そんな軽さだ
白と黒の対比が美しい
白く、そして黒い
まるでパンダさんを思わせる⋮⋮
︵ちなみに魔物たちはパンダさんを﹁白黒のひと﹂と呼ぶ︶
縫い目に沿って走る凹凸が前足によく馴染む
リフティングしてみる
リフティングのコツは、ボールの中心を捉えることだ
当然ながら、斜めに当てればボールは飛んで行ってしまう
そう、こんなふうに
地面に落ちたボールが、ころころと石道の上を転がっていく
そのボールを、アレイシアンが踏みつけた
彼女には、地を這うものを踏みつける癖がある
旅の途中、よくそうやって青いひとたちを蹴散らしたものだ
︵青いひとたち、ポーラ属とも呼ばれる彼らはこの物語のマスコッ
トキャラクターである︶
﹁お嬢、足を⋮⋮。
! なんだ、この感覚は?
3315
まるでボールと一体になったかのような⋮⋮。
待ってろ、いま助ける⋮⋮!﹂
﹁⋮⋮⋮⋮﹂
子狸さんは、少女に踏まれるボールに共感しているようだった
見下すアレイシアンさん
彼女は、自らがそう評するように感情が希薄な人間だが
ずっと一緒に旅をしてきた少年に対しては意地悪をしてみたくな
ることがある
それは、小さな子供が悪戯して周囲の関心を買おうとする行為に
似ていた
現在、この世界ではアレイシアン特有と言ってもいい﹁変域統合﹂
は﹁感情制御﹂から派生した異種権能だ
念波の有効範囲がひろがった代償として、強制力が低下している
それでも距離が近いぶん、もっとも強力に働きかけることができ
るのが﹁自分自身﹂であることは変わりない
だから父親と姉と同じことをしようとして、ある程度までは真似
できた
しかし、抗いがたい感情の発露には対応しきれない面がある
このときもそうだった
感情制御は理性の働きと似ている
そのため、別系列の異能と同一視されていない
アリア家の人間を赤子の頃から見ていれば違和感に気付く者もい
るだろうが
大貴族の屋敷に出入りし、かつ赤子の世話を任されるような者は
限られる
3316
とくにアリア家の場合、万が一があってはならないので魔物たち
の監視下にあった
だから、本人からして自分の能力が﹁そう﹂であるという自覚が
ない
しかし︱︱
いかなる企みによるものであろうか⋮⋮?
前々管理人によって暴露されたため、アレイシアンは﹁そう﹂な
のだと知ってしまった
一度でも自覚してしまえば歯止めが利かなくなる
異能は、理不尽な力だ
アレイシアンは、実の父親から﹁出来損ない﹂と言われている
努力が足りないのだと思えば納得もできたのに
︵読書が趣味を兼ねたものであることは認める︶
生まれつき﹁力﹂が弱いのではないかと疑ってしまえば、自らの
境遇に怒りも湧いてくる
しかし現実はどこまでも非情だ
それが﹁才能﹂ですらないと知ったら、彼女はどう思うだろうか?
先天的に備わるものであることは確かだが、才能と呼ぶにはいび
つで救いがなさすぎる
魔法動力兵の動きを見張っていたリンカー・ベルが、ふと視線を
転じてぎくりと硬直する
アレイシアンの頭の上に何かが乗っているような気がした
はっきりとは見えなかった。小さな輪郭が揺らいでいるような︱︱
風の気まぐれだと思い込むには、リンカーは知りすぎていた
3317
異能は魔法の反作用だ
魔物は魔法そのものだ
両者は酷似した性質を持つ
魔法が自らの意思を魔物に委ねるように
一部の強力な異能は﹁像﹂を形成しようとする
感情制御は強力な異能だ
しかし外部に働きかける力を持たないため、像が摘出されること
はない
アレイシアンの﹁変域統合﹂はそうではないが
劣化したものであるから、おそらく具現することはないだろう
リンカーの危惧は別にある
︱︱封印が解けつつある⋮⋮?
魔物たちは、はっきりと異能を扱いにくいものだと認識している
魔法に抗おうとする、危険な力だ
そして同時にこうも言える
この世界の適応者たちは、異世界よりの侵攻に対する切り札にな
りうる
だから﹁一目で適応者を特定できる﹂という状況を避けてきた
二番回路は、人間たちの﹁正常性﹂を利用するために設置された
大魔法だ
逆算魔法の支配下では﹁永続魔法﹂が通らないので、施行者は特
赦を持つバウマフ家の人間である
説明しても納得してくれないと思ったから、無駄な過程を省いて
嘘を吐いたのは仕方のないことだった
だからなのか? 二番回路には未知の部分がある
3318
魔物たちも解明しようとはしているのだが、それが出来るなら彼
らはここまでバウマフ家に振り回されたりしない
異能の発現を抑え込んでいた二番回路に不具合が生じている
ドライが健在である以上、魔法動力兵による干渉という線は除外
してもいい
︵﹁ドライ﹂というのは﹁海底のひと﹂の本名である。母から子に
贈られた真名を隠す風習がこの世界にはある。べつに管理人の記憶
力に不安があるためではない︶
こきゅーとすには、﹁河﹂と呼ばれる、主題の区分がある
メインを張るのは現管理人が参加している河で、これは﹁本流﹂
と呼ばれる
そこから分岐したものが﹁支流﹂だ
話の流れを汲みつつ、水面下で動く支流から放たれた刺客は面倒
なことこの上ないが、こういうときは便利だ
確認してみると、やはり封印が解けつつあるらしい
いつも河にいるひとの証言はこうだ
︵プライバシー侵害の恐れがあるため本名は不明記︶
﹁ええ、まず間違いなく当時の管理人さんが仕組んだものと見てい
いでしょうね⋮⋮﹂
じつに数百年越しのトラップというわけだ
最後の最後まで、魔物たちは振り回される運命にあるのか
そして、時は流れ⋮⋮
現在、管理人はピッチに立つ
3319
奪い返したボールを、祈るように足元に固定した
広場を見渡して、大きく深呼吸する
﹁いい風だ﹂
﹁風なんて吹いてないわ﹂
﹁心の風さ﹂
心象風景に吹く風を、子狸さんは心地良く感じているようだった
常人とは異なる感性だ
アレイシアンさんの冷たい眼差しにもめげない
いや、それすら喜悦に転じるだけの度量がノロにはあった
ノロ・バウマフは、国際試合に王国代表として出場したこともある
王国の至宝とすら称される名将だ
そのときは急きょのコンバートにも屈さず、監督として采配を振
るった
観客席で飲食物を販売していた大会最年少選手の顔を覚えている
ものも多いだろう⋮⋮
雑用には自信がある
その点に関して言えば、大会でずば抜けた戦績を残していること
も確かだ
アレイシアンが首を傾げた
彼女は、大貴族の子女だ
平民がやるようなスポーツとは無縁に育った
しかし知識としては知っている
もちろん魔物たちの国技についても調べてあった
3320
﹁わたしは、キーパーを串刺しにすればいいのね?﹂
﹁お嬢⋮⋮﹂
どうやら間違った先入観を持っているようだった
子狸さんは反論しかけて、思い直したかのように首を振る
言いたいことはプレイで語ればいい
それがプレイヤーの流儀というものだ
それに⋮⋮
ノロは内心で付け加えた
反則的だとは思う
だが、必要な措置だ
デスボールの選手は、特別なカードを配布される
︵ただし人間に限る︶
一概に高ランクのカードが有効とは限らないが、いちおうの目安
にはなる
中でも、最高ランクの五つ星⋮⋮
とりわけバウマフ家の人間だけが所持を許されるカードが存在する
ジャッジメント
﹁最終審判﹂のカードだ
フィールド上にいる全プレイヤーの反則行為を禁じるという、い
わくつきの鬼札である
クールタイムは最長ながら、効果範囲、持続時間ともに申し分ない
勇者さんが凶行に及んだときは、きっと素晴らしい効果を発揮し
3321
てくれるに違いない⋮⋮
淡々と反則行為をほのめかした少女に、子狸さんは大仰に肩をす
くめて言った
﹁さて、どうかな?﹂
﹁⋮⋮⋮⋮﹂
その気取った仕草が気に入らなかったらしい
頬を引っ張られる
恒例となったお仕置きをしながら、アレイシアンは鎧を外し身軽
になった騎士たちを視界におさめた
その中には、子狸を団長と仰ぐポンポコ騎士団の面々もいる
謁見の間で何故か魔軍元帥と相撲をとっていたので、叱って連れ
てきたのだ
︵あのin青いのは、十二人掛かりでもびくともしていなかった︶
手間が省けたのは良かった
その場には魔獣たちを含む全員が揃っていたのだ
ただし、グラ・ウルーの影に幽閉されたアトン・エウロと五人の
姉妹たち
および謎の覆面戦士を追って行った大隊長ジョン・ネウシス・ジ
ョンコネリは不在だった
つの付き以外の魔物は観戦していただけと証言していたが、アレ
イシアンは信じていない
無実を主張する魔鳥が周囲の者たちから﹁横綱﹂と呼ばれていた
ことも腑に落ちない
3322
ともあれ、余罪の追及は後回しだ
アレイシアンの視線を受けたポンポコ騎士団の隊長が渋々と頷いた
じつに不満そうだ
直前で心変わりするかもしれない
内心で厳しい採点を行いつつ目線を切ったアレイシアンが、今度
は魔物たちに怜悧な眼差しを向ける
この茶番に何の意味があるのかはわからないが⋮⋮
魔物たちは確信しているようだった
子狸さんは、常に彼らの期待に応えてきたのだと言う
もちろんアレイシアンは信じなかった
こきゅーとすに侵入できるようになった彼女は、検索機能で魔物
たちの欺瞞を暴くことができる
案の定、子狸は負けてばかりいる
しかし︱︱
ふと気付いたことがある
この子狸は、ときどき妙なことを言う
魔物たちも勘付いているようだ
減衰特赦という魔法は、簡単に言えば時間を操れるらしい
︱︱この子は、たぶん未来を知っている
それがアレイシアンの結論だ
放置してみれば良い結果につながるかもしれない
じつはわかっていて、とぼけていた可能性すらある
3323
期待を一身に浴びる子狸さんが、前方の魔法動力兵たちへと向け
る眼光は鋭い
意思の強さがそうさせるのか
その瞳には、いっさいの濁りがない
彼は、堂々と宣言した
﹁いいだろう。この試合にお前らが勝てば、一年の中からもレギュ
ラーを選んでやる﹂
アレイシアンは、ひどく不安になった
魔物たちの言葉を借りれば、これは完全に負ける流れだった
3324
目指せアイドル、スーパースター
メノゥとハロゥ
両者の戦いは、レギュラー争いに例えることもできる
さいきんの魔物たちは子狸さんの言動を好意的に解釈するから
これは本質を突いていると言ってもいい筈だった
だが、アレイシアンは懐疑的だった
﹁⋮⋮⋮⋮﹂
球技で決着がつくなら苦労はしない
そのように考えているのかもしれない
しかし、魔物たちは人前では全力を出さない
勝つこと
負けること
定められた境界線の内
限られた手札を駆使することに価値がある
子狸さんは、戦列を整えていく北海FCの面々を見つめている
その表情は余裕の一言に尽きる
﹁今年の一年は活きがいいな﹂
応じたのは、骨のひとだ
気取った様子で子狸の肩にひじを乗せてもたれかかっている
3325
﹁威勢だけじゃないといいがな﹂
彼の本名は﹁ブル﹂と言う
レベル2︱︱怨霊種の舵取りを担う花形選手だ
かつては、その身に備わる再生力で一世を風靡したが
魔法の普及にともなって﹁比較的、与しやすい﹂という不名誉な
称号を得ている
なるほど、総合的には騎士に劣るだろう
人類の平均値に設定された身体能力は、戦いを生業とする人間を
多くの面で下回る
が、しかし、それゆえに磨かれた技量は注目に値する
全国でも屈指のテクニシャンだ
足元の技術には定評がある
また、生粋のストライカーとして知られる見えるひととのコンビ
ネーションも一級品だ
この二人は、プライベートでもよく一緒にいるのを見かける
気が合う以前に、カテゴリーが同じなので付き合いやすいのだろう
開いたひざに両手を押し当て、関節に負荷を掛けているエースス
トライカーの声音は厳しい
︵ただし彼に関節はない︶
﹁全国は甘くない。一年坊主が生意気な﹂
今日も必殺の幻影ドリブルが炸裂するのか?
その透き通った身体から繰り出される攻撃的なドリブルは、驚異
的な決定力を誇る
3326
怨霊種の紅一点、歩くひとが子狸さんとアレイシアンの間から顔
を出した
二人の肩を抱き寄せて、相手チームに悟られないよう小声でささ
やく
﹁アレイシアンさん。君は初心者だけど、動きは正確だ。パスでつ
なげていこう。ノロくんも。いいね?﹂
無条件に信頼する人物が女性だったため、魔物たちは人間の姿を
借りるとき、たいていは同じ女性を選ぶ
そして、容姿を写しとる代償という意味合いもあるのだろうか?
歩くひとには、モデルとなった人物が望んでいた生き方をしよう
とする傾向があった
現在は﹁クリス・マッコール﹂と名乗っている
あてのない旅を続ける吟遊詩人だ
﹁マッコール⋮⋮あなたまで⋮⋮﹂
アレイシアンは愕然とした
魔物の中でも、彼女はまともだと信じていたのだ
クリス・マッコールは、アレイシアンの人となりが嫌いじゃない
むしろ気に入っていると言ってもいい
真剣な人間が好きだ
なのに、ひた向きであればあるほど人は孤立していく
だから、友達がいない子狸さんの味方をしてあげたかった
何事にも真剣であろうとするから、ノロ・バウマフの言葉は心の
フィルターを透過していく
3327
﹁お嬢は、泣き虫だからなぁ⋮⋮﹂
﹁!﹂
自分を棚上げした少年の声には肩ひじを張った感じがない
ぽろりと本音をこぼすとき、子狸さんはやんわりとした口調になる
激しく反応したアレイシアンは、珍しく動揺した様子だ
﹁だって。あれは﹂
二の句を継ごうとして失敗する
彼女が星の部屋で泣き喚いたのは、悔しかったからだ
一緒にいたいと言った魔王が、それなのに子狸の命を軽く扱った
のが納得できなかった
少女は感情を取り戻しつつある
いまは、まだその途上だ
だから、この感情に名前を付けるべき段階ではなかった
友情ではない
愛情ではない
もっと未発達で
しかし崇高な何かだ
アレイシアンは慎重に言葉を選んだ
ぶり返してきた羞恥心が彼女の頬を染める
赤面している自覚があったから、うつむいて直視を避けた
﹁⋮⋮べつにあなたのために怒ったわけじゃないわ﹂
3328
﹁お嬢が、またわけのわからないことを言いはじめた⋮⋮﹂
子狸さんの思考は高度すぎて、他者との会話が成立しないことが
ある
﹁これだけは言うまいと思っていたけれど⋮⋮﹂
一人で勝手に盛り上がっていたアレイシアンさんが、クリスくん
越しに子狸の耳をつまんだ
﹁ばか!﹂
彼女がこうまで他者を悪しざまに罵るのは珍しい
だが、いつの時代も天才は理解されないものだ
この二人が対立したなら、経緯はどうあれ魔物たちは子狸の味方
につく
﹁子狸さんは天才⋮⋮﹂
﹁イケメン⋮⋮﹂
﹁高学歴になる予定⋮⋮﹂
魔物たちの囁きは、子狸さんの自信になる
しかし、必要とあらば謙虚にもなれる
﹁たしかに、おれは頭が良くないかもしれない⋮⋮。
でもね、お嬢。それは、後世の歴史家が決めることなんだよ﹂
物事の一面のみを見て判断を下すのは愚かな行為だ
後世の歴史家に全てを託そうとする子狸さんに、アレイシアンは
3329
水面下で蠢く色彩豊かな飼育係たちの姿を幻視する
﹁⋮⋮本当にろくなことを教えないわね﹂
クリス・マッコールも当事者の一人だ
睨み付けると、彼女は目線を逸らした
やましいところがあったからではない
勝利を、より確実なものにするためだ
緊張した佇まいで守備を固める北海FCを指差し、ささやくよう
に告げた
﹁お前たちは知らないだろう⋮⋮。これは予言だ﹂
顔を正面に向けたまま、子狸の肩に片手を置く
艶やかに笑った
泡が溶けるような、消え入る声は弱気から発したものではない
それは不気味な確信だ
﹁うちのポンポコがピッチに立ったとき⋮⋮フィールドに十二人目
のプレイヤーが出現する﹂
︱︱ぽよよん
子狸の横にいる青いひとの身体がふるえた
ポーラ属は﹁扉﹂の﹁鍵﹂だ
法典は、遺跡に足を踏み入れた候補者に幾つかの試練を課す
勇気、体力、知恵⋮⋮
非力な契約者を望まない
3330
だが、開かずの扉を前にして
いきなり青いのを鍵穴にねじ込もうとした一人の男がいた︱︱
原初の魔物、イドの記憶は、鍵穴にねじ込まれるところからはじ
まる
のちの初代魔王である
オリジナルのポーラ属は、この星の遺伝子を持つ
青く見えるのは、特殊な波長を放っているからだ
唯一無二の鍵︱︱
星の記憶⋮⋮
体表を滑り落ちた陽光が
まだらに
たゆたう⋮⋮
リンカー・ベルが言った
﹁出現した時点で反則とります﹂
不正に屈さない彼女が審判だ
何故かぎょっとした様子の王都のひとを冷たく一瞥してから、ぱ
っと舞い上がる
小さな身体が、青空に吸い込まれるようだ
二対の羽を透かして、散る、火花星が、ひときわ華麗に咲いた
旋律は鳴り止まない
3331
﹁命の、ともし火♪﹂
競い合うように
﹁黒い、献花を♪﹂
絡み合うように
落ちてくる
その歌声に、ノロ・バウマフは何を思うのか
バウマフ家の一族は、この世界でもっとも魔法に適応した人間だ
侵食率は99%を越える
瞳の奥にはリサの輝き⋮⋮魔導配列が宿る
もっとも魔物に近しい存在なのに
より人間に近しい
遠く、距離を隔てているのに
身近に感じるのは⋮⋮
﹁⋮⋮セクハラじみた視線を感じる﹂
ユニ・クマーは嘆いた
アレイシアンさんが﹁エニグマ﹂と呼ぶ少女である
本名はシャルロット・エニグマと言うのだが
全世界に実名を晒されたため、今後はユニ・クマーを名乗ると決
3332
めた
なまじ有名人だったから、興味を持った人間が少し調べれば
豊穣の巫女という国際指名手配犯に辿り着いてしまう
しかし偽名を用いれば、別人だと言い張ることも可能だろう
優れた魔法使いは想像力が豊かだ
自分が勇者一行の一員だと勘違いされるのではないかとおびえて
いる
否定しても、たぶん無駄だ
今代の勇者は、国の利益に適った行動をとる
積極的には否定してくれないだろうと想像する程度の自負はあった
上空の強風に煽られて、特徴的な長い袖が服ごと持って行かれそ
うだ
露出の危機に心身がすくむ
人目を惹くための衣装であったが、目に見えるのは成果ではなく
後悔だ
らしからぬ悪態を吐く
﹁くっそー! わたしの人生はいったいどうなってるんだ!?﹂
宙を駆ける巨竜の頭上で、眼下の光景を楽しむ程度には優雅だ
﹁世の中には自業自得という言葉があってだな。ああ、自業自得と
いうのは⋮⋮﹂
﹁ポンポコじゃないから!﹂
﹁え!? もしかしてポンポコさんのことばかにしてるの⋮⋮?﹂
3333
躍動する緑色は、王種と呼ばれる最高位の魔物だ
都市級が束になっても敵わない、超高校級の選手である
ひょっとしたらプロのトップリーグでも通用するかもしれない
だが、この日、視察に訪れたスカウトの目に止まったのは︱︱
﹁もう降ろしてよ∼!﹂
﹁子狸さん子狸さん。自業自得くらい言えるよね? えっ、目薬?
目薬がどうしたの? 目薬!?﹂
﹁月の輪ぐま⋮⋮﹂
子狸さんとの思い出に心の安定を求める少女は
半分、泣きが入っている
地上に残してきた配下の五人が何事か喚いている
大きな翼をひろげて旋回している機兵が
長い首をねじって口腔を晒した
洟をすすりながら、ユニは言った
﹁ぐすっ、あっちのほうがカッコイイね⋮⋮﹂
﹁おれ、可愛い路線ですから﹂
バウマフ家の人間が、可愛い可愛いと言うから
魔物たちは、ずっとこの路線でやって来たのだ
3334
いまさら後戻りはできない
一部、凶悪な人相の天使もいるけど
3335
ファイナルバトル
路線の違いが悲しいほど目に鮮やかだった
魔法動力兵︱︱否、北海FCのスカウトと言うべきだろう⋮⋮
全身を装甲で覆う白竜の口腔に、業火がともる 全国への切符を掴むのは、勝者が相応しいということだ
無駄に長い袖を切り捨てることのできない緑のひとは、苦境に立
たされる
一対一ならば、無制限の変化魔法を用いて回避することは容易い
惜しまれるのは、頭の上に乗る有機生物が原子配列変換の手札を
持たないという点だった
だが、元より悪条件は覚悟の上だ
ならば、先手をとる
芸を仕込まれた猫みたいに後ろ足で立った緑のひとが︵魔ひよこ
の抗議は割愛する︶
力場を踏みしめて前足を突き出した
選択したのは、足を止めての撃ち合いだ
長時間の高速機動は避けたかった
レベル4以上の魔物は詠唱を破棄できる
少女を露出の危機から保護することは可能だ
しかし同格の相手に対し、何かを守りながら戦うのは負担でしか
ない
3336
巨体を小刻みに揺すると、頭の上に乗る小さな生きものから抗議
が飛んだ
﹁なんだ、わたしへの嫌がらせか? 言っておくが、女の子でも吐
くときは吐くぞ﹂
そのような幻想は抱いていないし、嫌がらせでもない
必要なことだ
子狸さんがごくまれに披露する勝利の舞に相通じるものがある
︵レアスキル。発動条件を満たすのが難しい。欠点は、踊っている
間は無防備になること︶
詠唱置換は、状況を絞ることで成立する
旋律が、喜怒哀楽の感情を運んでくれるなら
歌詞は、平坦な言葉の情報量を越えることができる
愛と勇気、夢と希望⋮⋮
悪魔があざ笑った、人間の﹁弱さ﹂が
魔法を新たな境地へと導くこともある
人の心を獲得した魔物たちだから見える地平線も、きっとある
人魚の歌声にこもるのは
ともに泣き、ともに笑った、千年という歳月だ
忘れ得ぬ日々⋮⋮
嘆き、苦しみ、一度は立ち止まったこともある
それでもなお、あがくなら
譜面に刻まれた足跡は、魔物たちの力になる
3337
﹁光と海と♪﹂
﹁闇と、空!﹂
︱︱Over.Cangiling!
機竜に集中線が走る
逃げ場などない
重力線の集中砲火だ
会心の一撃! しかし緑のひとは呆然としていた
突き出した前足が虚しく宙を泳ぐ
歌詞をつなぎ、竜言語魔法を投じた豊穣の巫女が
﹁ふい∼﹂とひたいに浮かんだ汗をぬぐって言った
﹁巫女スペシャル⋮⋮とでも名付けようか﹂
﹁え∼⋮⋮?﹂
ネーミングセンスが子狸じみていた
︱︱いや、肝心なのはそこではない
前置きをいっさい無視したのは何故だ
人間が人魚の歌声の恩恵に預かるのは、理屈から言って不可能だ
だが、その理屈は、第一世界の人間たちが定めたものである
完全な法則というものはない
自然淘汰されてきた物理法則ですら、おそらくは瑕疵がある
辿りついた闇の果て、光すら届かない混沌に眠るものが魔導の正
3338
体だ
呼び覚ますべきではなかった
理屈を超えている
法則の外にあるものを、完全に制御することなど出来はしない
だから、ときとして原則を打ち破る人間が現れる
﹁豊穣の、巫女﹂
巨竜は、この小さな人間に戦慄した
たった一人の天才が歴史を大きく動かすことはない
だが、推し進めることはできる
勇者は、この少女を評して﹁歴史に名を残す魔法使いになる﹂と
予言した
それは決して誇張表現ではない
だから狙われるのだ
︱︱しかし、これで勝算の目途は立った
王種は、レベル5の魔物だ
そして人間との戦いを想定していないから
﹁ダメージを受ける﹂という属性を持たない
二つの魔法が同軸の座標を争う場合、互いに同格であれば性質の
衝突が生じる
それは、魔物たちが子狸さんに触れるとき、王都のひとが面白く
なさそうにしているのと同じことだ
性質の衝突が生じるので仕方ない
3339
開放レベル5は、痛手となっても決定打にはならないと見るべき
だった
脆く、儚い。いずれは滅びる宿命にある人間を、それゆえに守り
たい
緑のひとは、依然として不利にある
何かを守ろうとするとき、戦士は根源的な矛盾と向き合わねばな
らない
人の心を獲得した魔物たちだから、感情に引きずられて性質が歪む
高度な魔法環境では、心理的な要素も直接的にぶつかり合う
精神と肉体
肉体と精神
それらを、半概念物質は区別しない
この世のありとあらゆる物質は﹁点が密集したもの﹂と見なすこ
とができる
厳密に言えば﹁線﹂という物体は存在しない
しかし、それは物の見方の一つに過ぎず︱︱
例えば、子狸さんが学校で歴史の授業を受けているとする
その際、遠い過去に思いを馳せる子狸さんの身近には﹁歴史とい
う二次元の物体﹂がある
︵彼の授業態度は決して悪くない。ただ、マンモスへの深い愛が原
始時代と現代の区分をあいまいにしている︶
世界の次元を規定するのは、リサの回転速度だ
第一義、回転周期が結晶体の結合数を決める
︵がんばるリサには、多くの同胞が集まる︶
3340
第ニ義、寄り集まった個数の約数と次元は等しい
︵3の約数は﹁3と1﹂。三倍速で回る結晶体は、記憶を捻じ曲げ
ることはしても、歴史を変えたりはしない︶
この世界は三次元だ︵縦、横、高さ︶
最小の物質が﹁三つのリサが結合したものである﹂と仮定した場合
約数に﹁1﹂を含むから、この世界は﹁点﹂で構成されている
純粋な意味での﹁線﹂がないのは、約数に﹁2﹂がないからだ
だから、人間は﹁歴史﹂という﹁二次元を担当する結晶体﹂を手
に取ることができない
これが魔導技術の基礎理論だ
ありもしない夢を追った挙句、その手に掴まされたのは悪夢だった
悪魔が人に囁いたのか?
あるいは人の囁きに悪魔が耳を貸したのか?
その答えが出ることはない
魔法に数量の制限はなく
回転と速度の制限もない
存在しない魔法⋮⋮
豊穣の巫女が用いる魔法は、そうした類のものだ
彼女なりの、足手まといにはならないという意思表示なのだろう
正直、それは無理だ
どうあっても負担になる
しかし使える手札が増えたことで戦況は変わる
3341
︱︱白竜は健在だった
驚くには値しない
反撃の業火を、緑のひとは身を投げるようにしてかわす
空中で巨躯をねじって、力場を蹴る
灼熱の吐息を噛み切った白竜が、大きく羽ばたいて急速に接近し
てくる
緑のひとの急激な運動に、巫女は振り落とされてしまった
願ってもいない好機の到来に、白いのが飛びついた
これが、とある天使だったなら、少女をおとりに使うくらいのこ
とはしたかもしれない
狙いが彼女だと言うなら、むしろ人質にするという手もある
だが、宙に放り出された少女が悲鳴を上げるよりも早く、救いの
手が彼女を抱きとめた
状況の落差についていけず、呆然と顔を上げる
その目に飛び込んできたのは、見慣れた横顔だ
﹁⋮⋮ノロちゃん?﹂
ユニが、ふだん子狸を﹁ポンポコ﹂と呼ぶのは照れ隠しだ
ともに過ごした時間はそう多くないが、豊穣の巫女はノロ・バウ
マフの幼なじみと言ってもいい
リサの結晶化には願望と声明を要する
だから魔法力と記憶力の間には切っても切れない結びつきがある
変化した緑のひとの姿は、幼い頃の記憶を刺激するものだった
3342
﹁な、なんで? どうして﹂
わざわざ子狸の姿を真似る道理が彼女にはわからない
しかし、そうではないのだと緑のひとは言う
﹁少し違うな。あいつが似たんだ﹂
彼女を抱きかかえることができて、視界を確保できる程度の大き
さの生きものなら何でも良かった
それでもこの姿を選んだのは、もっとも負担が少ないからだ
記憶に焼きついた姿
一度として忘れたことはない
返しきれない恩がある
﹁それって⋮⋮﹂
にぃっ、と口角を吊り上げて笑う女性の容貌に、幼なじみとの血
縁を疑わずにはいられない
﹁巫女よ、知っているか?﹂
﹁なに、を?﹂
迫る白竜の鉤爪は、巨大な刃のようだ
﹁コロッケは揚げたてが美味しい﹂
女性が片腕を振ると、ひじから先が異形と化した
いや、変化を解いたと言ったほうが正しいのだろう
爪と爪が衝突し、激しい火花が散った
3343
緑のひとの本名は﹁アイオ﹂と言う
古代言語で﹁緑﹂という意味の言葉だ
古代言語は魔物たちが捏造した言語だが、何から何まで嘘という
わけではない
少なくとも、緑のひとを﹁アイオ﹂と呼んだ人間が居たことは事
実だ
名前をくれた
居場所を与えてくれた
戦う理由など、それだけで十分だろう
体重差で弾き飛ばされたアイオが大きく息を吸い込んだ
すぼめた唇から鋭く吐き出された呼気には火花が混じる
爆発的に増殖した火花が、まるで星の奔流のようだ
﹁︱︱噛みつくと火傷するぜ?﹂
美しい薔薇には棘があるということだ
魔物ことわざには歴史の重みが感じられない
そのことが新しい時代のはじまりなのか、それとも文明の終焉を
物語るものなのか、ユニには判断がつかなかった
﹁なぜコロッケに例えてしまったのか⋮⋮﹂
最終的な判断を下せるのは、後世の歴史家しかいない
火花群と業火が正面から衝突した
飛び散る黒点は、事象の影だ
3344
あるがままの、闇︱︱
手を取り合い回る黒点が
踊るように、結晶化していく
日の目を浴びることがない世界が、きっと数えきれないほどある
しかし歌のない世界がないと言ったら信じるか?
誘われるように踊る、爪と爪が交錯した
鳴り響いた甲高い衝突音が、王都を埋める怒号を切り裂くかのよ
うだ
受け流され、駒のように旋回した鱗のひとが行き掛けの駄賃とば
かりに長い尾を跳ね上げた
しかし身体的な特徴が似通っている以上、攻撃手段も重なる
存分に遠心力を乗せた一撃が阻まれ、巨大な太鼓を叩くような音
がした
家々の窓は破砕し、整然と縦横に伸びる石道に亀裂が走る
巨獣の競り合いは、人間たちが日々を営む街の許容範囲を越えて
いた
巨大な魔物が跳ね回るたびに、家という家が踏み砕かれていく
前もって大多数の住民が避難していたのは不幸中の幸いだった
家屋に侵入した北海FCのストライカーを、非数TNのディフェ
ンダーが撃退している
︵TA☆NU☆KI.Nは即戦力の若者たちをひろく募集していま
す。経験者優遇。勇者公認の優良クラブチームです!︶
兎人が高速で上下に跳ねる
その巨体も相まって、さながら白い豪雨だ
3345
天地無用のラビットファイア!
丸い尻尾が殺伐とした戦場に一輪の花を添えるかのようだった
跳ねるひとは、うさぎさんをベースとした魔物だ
動物の姿をとる魔物は多い
真の好敵手が愛嬌を振りまく小動物たちになると見抜いていたか
らだ
魔物たちは、愛玩動物の座を虎視眈々と狙っている
その事実を裏付けるのがテイマーシステムの試験導入だった
働きたくない
働きたくない︱︱
人類が無償の愛に目覚めたとき
魔物たちの理想郷は完成する
夢を実現するために、今はひと時の戦意に身を預けたい⋮⋮
︱︱その、ほんの一瞬の油断が命取りになることもある わずか、単調になった跳ねるひとの高速機動に
つけ入る隙を見出した人狼型の機兵が飛びついた
喉笛に噛みつかれた跳ねるひとが目を見開いて苦痛にあえぐ
﹁かはぁっ⋮⋮﹂
だが、一体いかなる先見によるものか?
人狼と兎人の対決を視界の端で捉えていた鱗のひとの介入は早か
った
3346
鱗のひとは、攻、走、守の三拍子が揃った万能選手だ
彼が中盤にいるだけでチームの安定感が違ってくる
人狼型は、望みの薄い得点よりも失点のリスクを嫌った
跳ねるひとを置き去りにして後退する
鱗のひとの爪が空を切った
背後から襲い掛かる同形の機兵を
間一髪、危機を脱した跳ねるひとが蹴り飛ばした
一連の攻防は、どちらかと言えばミスよりも巧さが目立っていた
致命的なミスはなかったから、双方の傷は浅い
仕切り直しだ
互いに背を預けて立つ二人の姿には、互いへの確かな信頼がある
﹁二対二⋮⋮やはりこうなるか﹂
﹁⋮⋮⋮⋮﹂
﹁あれっ、もしかしておれのこと頼りにならないと思ってます?﹂
﹁⋮⋮いえ、そんなことは﹂
﹁そ、そうだよね﹂
戦局の鍵を握るのは、チームとしての成熟度、連携になりそうだ
だが、一瞬の閃きが魔法のように劇的なドラマを演出することも
3347
ある
ハロゥ
﹁ふふ、そうはしゃぐなよ。恥ずかしいじゃないか⋮⋮﹂
メノゥ
開放レベルを制限した魔物と魔物の戦いは、子供がじゃれ合うよ
うなものだ
しかし、その﹁子供﹂一人ひとりが天災に等しい力を持っている
恥ずかしいで済まされる問題ではない
なだれ打つ轟音を﹁いつものこと﹂と割り切ってしまえる子狸さ
んを、アレイシアンは観察している
実感があった
ここが歴史の分岐点だ
魔法動力兵︱︱その背後にいる魔導師は、この事態の落としどこ
ろを考えている筈だ
移住が目的だと言うなら、人類を滅ぼすつもりはないのだろう
単に住むところを探すなら、無人の世界に行けばいいのだから
無知であるがゆえに、アレイシアンはそう思った
だが、一方で複雑な過程を通さずに済んだから、正しい結論でも
あった
人間の動機は、いつでも単純だ
ただ、賢いふりをして複雑に見せようとするから、遠ざかっていく
星の部屋で魔王が吐露した言葉を、アレイシアンは忘れていない
あの戦いが公開されていたことには、きっと意味がある
︱︱主要な都市には、正確な時刻を計測して鐘を鳴らす専門家た
3348
ちがいる
響き渡った荘厳な音色が、日常にしがみつく人間の意地であるか
のようだった
この非常時に時刻を知らせてどうなると言うのか
律儀なことだ
だが、涙目で鐘を打つちっぽけな人間が、反撃開始の合図になる
こともある
上空で待機していたリンカー・ベルが、負けじと高らかにホイッ
スルを吹いた
︱︱いま、運命のキックオフ
3349
死闘の幕開け
ちょこんと後ろ足でボールを押し出した子狸が駆け上がっていく
キックオフした選手は、連続してボールに触ってはいけない
そのくらいのルールは、アレイシアンも知っていた
置き去りにされたボールを確保しながら、各選手の配置を記憶と
照合する
﹁お嬢!﹂
早くも単独行動に走った子狸にパスを要求されたが、無視して自
陣の骨のひとに戻した
見たところ、あの骨がいちばん司令塔に適している
感情は、記憶のしおりだ
激情と共にある記憶を、人間は簡単には忘れない
強く印象に残った出来事を忘れまいとする働きは、生きていく上
で有利につながる
この感情を制御することで、アリア家の人間は特定の記憶を抽出
し、意識的に強化できる
子狸さんが長年の歳月を費やして獲得した繊細なボールタッチを
アレイシアンは、ひと目で模倣した
制御が完全ではないから、かすかに心情が宿る
人生、何があるかわからない
勇者として旅立つ前、あらゆる事態を想定したつもりではあったが
まさか魔物たちと一緒にボールを追いかけることになるとは露ほ
3350
ども考えなかった
想像力が貧困なのだと言われれば認めるしかない
しかし腑に落ちないものが残るのは何故だろう
不思議だ
どこで歯車が狂ったのかと言えば、それは子狸を拾った瞬間なの
だと断言できる
連れて行っても損はないと思ったのに
気付けば、ずいぶんと遠回りをしてしまったような⋮⋮
ゴールは、どこにあるのだろう?
それすら、いまのアレイシアンにはわからない︱︱
てっきり、結界で競技場を再現するのかと思っていた
試合がはじまって、そうではないのだと新鮮な驚きを覚えた
ツッコむべきなのだろうか
魔物たちは何も言わない
ちらちらと、こちらを見てくる
ためしに無視してみると、彼らは迂遠な表現でルールの見直しを
訴えた
﹁ゴールねぇわ∼辛ぇわ∼﹂
﹁ボールがライン割ると、どうなるんだっけ? あれっ、ラインど
こだろ⋮⋮?﹂
﹁スタメンどうする? イレブンって言うくらいだから十一人だよ
な?﹂
3351
﹁お前ら、安心しろ﹂
アレイシアンも、だんだんわかってきた
魔物たちは、管理人の返答を期待するとき、三行で間を置く
この、根拠のない自信に満ちあふれたレスポンスが子狸の発言だ
﹁ボールがあれば、そこがおれたちの戦場だ﹂
﹁⋮⋮⋮⋮﹂
魔物たちはぴたりと押し黙った
﹁2アウト! しまっていこう!﹂
二本指を立てて檄を飛ばした骨のひとにはルールの混濁が見られる
しかし挙動に不審な点はない
素早く視線を左右に走らせた
頼りになるのは、都市級の魔物だ
レベル4の魔物が軍団級ではなく都市級と呼ばれるのは、突出し
たフィジカルの高さによるものだ
人間のディフェンダーが束になろうとも、都市級を潰すことはで
きない
期待を込めて振り返ると、頼りになるレベル4が魔軍元帥を中心
に集まっている
﹁ヒュペスは﹂
3352
﹁騎士団を連れて行ったまま、戻ってこないわ﹂
﹁よう、つの付きぃ⋮⋮﹂
﹁グラ・ウルー! あなた、封印を⋮⋮?﹂
﹁どうかな? そうだ、試してみればいい。その身で味わえば、嫌
が応にも、な⋮⋮﹂
﹁⋮⋮お前は、たしかに強い。最強と評されるだけのことはある。
だが、このおれに対しても同じように振る舞えるとは思わないほ
うがいい﹂
最強の魔獣と称されるお馬さんが隔絶した存在であるならば、そ
もそも囚われることはなかっただろう
魔軍元帥つの付きと魔人グラ・ウルーは対立関係にある
距離を置いて睨み合う両者が魔力を放ったのは、ほぼ同時だった
都市級の魔物が持つ﹁魔力﹂は、戦意の放出と同義だ
人間で言うところの殺気に近い
放つぶんにはコントロールできるが、抑えるのは難しい
だが、魔力を完全に抑制し制御できる都市級が一人だけいる
それが、つの付きだ
正面からぶつかり合えば相殺されるだけだから、不可視の力が性
質の衝突を避けてうねる
︱︱屈したのは魔人のほうだった
3353
つの付きの魔力は、加重の性質を持つ
大多数を束縛し圧倒する魔人の魔力は、それゆえに対個人へと注
げる上限が低くなる
目には見えない鎖に四肢を拘束され、しかし最強の魔獣は笑った
﹁ちょうどいいハンデだ﹂
﹁だが、そのハンデゆえにお前は囚われたのだ。何故、過ちを繰り
返す⋮⋮?﹂
黒騎士の声には、学ぼうとしない者への嘲りがある
﹁人間はそうではない。対策を練り、不足を補おうとする。それが、
おれは悔しい﹂
魔物は、多くの面で人間を上回る
魔物たちが人間のように勤勉であったなら、敗退はありえなかっ
ただろう
妖精の女王ですら見誤った魔軍元帥の真の恐ろしさは、改革者と
しての一面にある
だが、改革には意識を変える時間が必要不可欠だった
肩にしがみつくパートナーのコアラさんですら、黒騎士の考えに
は賛同しきれていない
﹁⋮⋮無駄よ、ジェル。人間とは生まれ持ったものが違いすぎる﹂
彼女は、妖精属の姫だ
王座にもっとも近いとされる彼女だから、才能の残酷さを知って
3354
いる
笹の葉を見つけられないコアラは、飢えて死ぬしかないというこ
とだ
いまにも飛び掛かろうとしている魔人を、鎌首をもたげた大蛇が
制した
﹁それくらいにしておけ、グラ・ウルー﹂
﹁ちっ⋮⋮。リジルか﹂
お馬さんは、口の達者な蛇さんを苦手としている
﹁無礼ではないか。元帥殿がそうあるのは、われわれの総意による
ものだ。その場に居なかったから、というのは通らん⋮⋮。
お前が気ままに食べ歩きできるのは、忠実に働いてくれる部下た
ちが居てこそなのだぞ⋮⋮﹂
蛇の王、ズィ・リジルは愛される魔獣を目指している
本能の赴くまま威を振るうグラ・ウルーは、彼の対抗馬たりえな
かった
首の後ろに生えている小さな羽が、ぱたぱたと動いている
蛇の王、ズィ・リジルはクリーンなイメージを大切にしたい
だが、表向きの性格を裏切るように、その身に宿る凶暴な魔力が
意味するものとは何なのか
子狸バスターの魔力は、加重
グラ・ウルーの魔力は、威圧
魔鳥ヒュペスの魔力は、和解
3355
性質の違いは、そのまま性格の違いに通じる
一考の余地はあるだろう
うだうだと小芝居に興じている魔王軍幹部に、骨のひとは物悲し
いものを感じる
のこのこと戻ってきた子狸さんが、より悲しさを助長するかのよ
うだった
﹁ご苦労、レベル4の諸君。ああ、吾輩のことは気にしないでくれ
たまえ。名乗るほどのものではないが⋮⋮まあ、魔王とでも名乗っ
ておこうか﹂
まだ諦めていなかったのか⋮⋮
しかし事実、管理人さんは魔王と言えなくもない
たび重なる主張で薄っぺらくなってしまったに過ぎず︱︱
本質は別のところにある
小芝居を交えてトップ下についた子狸さんが、ぎらりと眼光を鋭
くする
素早く反転し、前足を下げた
﹁骨のひと!﹂
足元にパスを要求しているようだ
その要求に、すかさず骨のひとは応える
勇者さんに睨まれたが、これは生態観察の一環だ
学問の一分野と言ってもいい
3356
骨のひとに芽生えた知的好奇心を、咎める権利は勇者さんにはない
子狸さんはフリーだった
問題視されていないと考えるのは早計だ
あるいは、そのキラーパスを警戒するあまり、マークが手薄にな
ったと見るべきではないか?
きれいにパスが通る
司令塔としての役割を期待されている子狸さんであったが︱︱
過去、とある試合で開始早々に単独突破を図った骨のひとは
記者会見で、より確実な方法があったのではないかと問われて、
このように返したことがある
﹁最初のワンタッチで、その日の調子がわかるときもあります。あ
のとき、僕にとってのベストがそうだった⋮⋮それだけの話ですね﹂
そして、このときの子狸さんも同じ心境だったに違いない
ポンポコ選手は、こきゅーとすにて述懐した⋮⋮
後ろ足にボールが吸い付くようだった、と
その感触におののく
胸中を満たしたのは戸惑いと、かすかな高揚だ
﹁ついに吸盤が?﹂
﹁子狸さん﹂
﹁子狸さん、超進化は自重して下さい﹂
3357
﹁︱︱いける!﹂
魔物たちの懇願が、右から左へと零れ落ちていくかのようだった
ところてんみたいに押し出されたパスでつなぐという基本戦略が
きらめく
顔面を覆った歩くひとの両手から滴るものは歓喜ゆえにか?
立ちふさがる人型の動きが、手に取るようにわかった
鋭く切り込んだ子狸が、ボールを支点に回る
あっさりと抜き去る、その足元にボールは、なかった
﹁なにぃ⋮⋮?﹂
世界でも屈指の販売実績を持つ子狸選手
快挙を成し遂げたのは、期待の一年生ハロゥ・ロウ選手
素晴らしい俊足だ
浮き足立つ骨のひと、見えるひとをごぼう抜き
﹁ばかな、あの子狸さんが﹂
﹁ボールを奪われた、だと⋮⋮?﹂
歩くひとの檄が飛ぶ
﹁うろたえるな!﹂
彼女も見た目に反した俊足の持ち主だ
フィジカルの強さにも定評がある
激しく競り合う
3358
﹁人型は三機! パワー&スピード、テクニック、その他、それぞ
れ得意分野がある!﹂
わざわざ同じ土俵に立つ必要はないということだ
ここは、やはり先輩としての貫禄か
ボールを奪取した歩くひとがフィールドを駆け上がる
余裕を取り戻した怨霊種の術師担当が追随する
﹁ふっ、三人でようやく一人前ということか﹂
﹁⋮⋮どうして、いちいち自虐的な発言をするの?﹂
回遊魚が空気を求めてあえぐように
魔物たちはツッコミどころを用意せずにはいられない
バウマフ家の痛烈なパスが、受け手に過酷なノルマを要求するか
らだ
それでも、羽のひとや歩くひとは最後まで職務に忠実であろうと
した
これは、子狸さんが管理人として未熟であること
あるいは捨てきれない甘さを残していたことを意味する
︵致命的な失言を避けるという意識を持つ管理人は珍しい。相対的
に評価するなら子狸さんは天才と称しても誤りではない。つまり天
才であると断言しても良い筈だ︶
子狸さんと勇者さんは似ている︱︱
3359
ついに同列視されてしまった少女が、こきゅーとす上で厳しく批
判した
﹁どこが似ていると言うの。ぜんぜん似てない﹂
だが、歴然とした事実である
同じ哺乳類であることも見逃せない
さらに魔物たちは、二人の身長がそう大きくは違わない点に着目
した
箇条書きで列挙されていく共通点に、子狸さんが目を見張った
﹁おれには、妹がいた⋮⋮?﹂
﹁いたら、もう少し早く気付くでしょ!﹂
勇者さんは、子狸さんの聡明さを高く評価しているようだ
﹁第一、わたしのほうが年上なんだから︱︱﹂
﹁⋮⋮?﹂
道中、お誕生日会を催す機会に恵まれなかったため、二人の認識
には隔たりがある
何を以ってして勇者さんがお姉さんぶっているのかは不明だが
じつは子狸さんが年上だ
そして、このポンポコさんは意外と上下関係に厳しい
3360
﹁お嬢は、何かとおれに敬語を
要求
するね﹂
さいきんはもう諦めていたことを、不意打ちで蒸し返してくる
忘れているようで、じつは覚えている
覚えているようで、じつは別のことを考えている
新しく覚えた単語を駆使する発展性を持つ︱︱
これがバウマフの血だ
﹁でもね、お嬢。おれはこう思うんだ。学校に、貴族も平民もない
んじゃないかな⋮⋮?﹂
王国貴族は、初代国王に仕えた人間たちの末裔だ
平民が貴族になることは決してない
必然的に、人口比率は圧倒的に貴族が下回る
同年代の知り合いが少ないアレイシアンだから
対等に付き合える友人は、きっと得難い財産になる
子狸さんの深遠な計らいであったが、大前提として級友ではない
ことに悲劇がある
思えば、勇者さんが
不登校児ではないと明言したことはなかった
魔物たちですら、それを怠った
︱︱盲点だった
初等教育は国民に課された義務であるということ
その事実が、子狸さんに幻のクラスメイトを幻視させたのではあ
るまいか
すべては、ちょっとしたボタンの掛け違いだった
3361
惜しかった⋮⋮
あまりの惜しさに、魔物たちは落涙したのである
勇者は、この気遣いができるポンポコさんの将来が心配でならない
﹁いちから全部、教えないとだめなの⋮⋮?﹂
﹁そうかもしれない⋮⋮けど、それだけじゃないさ。失って得るも
のもある﹂
ふわりとした主張に、先行きの暗さを見る
まずは、返答に窮すると口当たりの良いことを言いはじめる癖か
らだ
いや、それでは根本的な解決にならない
真っ先に正すべきは、過保護な教育者たちだ
ぽよよん、よん、よん⋮⋮
ふるえる青いのが、今ふたたび知性を捨て去る決断を下した
名残りを惜しむように響く残滓が、彼らの罪を洗い流すかのよう
だった
試合は、まだ序盤だ
両チーム共に切り札を温存している
﹁⋮⋮⋮⋮﹂
後方で待機していた鬼のひとたちが、ひそかに視線を交わした
彼らは、オフサイドトラップの名手だ
3362
TANUKI.Nの守備の要でもある
しかし、手の内は知られていると見るべきだった
ならば、相手の裏をつく︱︱
放課後、彼らがミドルシュートの練習をしていたことを誰も知ら
ない
いま、そうだったらいいなと思ったからだ
眠れる小人たちが、いま動き出す
3363
彼方の君へ
一、山腹巣穴在住のとるにたらない不定形生物さん︵出張中
復旧したよっ
二、海底洞窟在住のとるにたらない不定形生物さん︵出張中
今更ですか⋮⋮
三、古代遺跡在住のごく平凡な巨人兵さん︵出張中
追々にも程があるわ
四、山腹巣穴在住のとるにたらない不定形生物さん︵出張中
ちょっ⋮⋮え!?
いや、べつにおれの所為じゃねーから!
そんな、冷たくあしらわれても困ると申しますか⋮⋮
むしろ誉めてくれてもいいのよ?
五、魔都在住の特筆すべき点もないライオンさん︵出張中
あ∼⋮⋮
3364
ええと、負荷がなくなったんだね
良かった、良かった
けっきょく、下手人はジュゴン兵だったということでいいのかな?
六、王都在住のとるにたらない不定形生物さん
いや、誰の所為でもないさ
責任をなすりつけても仕方ないだろ?
過去よりも未来を見つめようぜ
⋮⋮そう、誰の所為でもないんだ
こきゅーとすのメンテナンスを怠った⋮⋮
それでいいんじゃないか
七、山腹巣穴在住のとるにたらない不定形生物さん︵出張中
良くねーよ!
それだと、おれの責任になってるじゃねーか!
めぐりめぐってどころの話じゃねーぞ!
ダイレクトでおれに罪をかぶせようとしないで下さい
お願いします
八、火口付近在住のとるにたらない不定形生物さん︵出張中
3365
もういいじゃん、それで
九、山腹巣穴在住のとるにたらない不定形生物さん︵出張中
もう いいじゃん!?
お前らっ、もうっ、これっ、このっ⋮⋮
勇者さん! なんとか言ってやって下さいよ!
あなたを見守ってきた山腹さんが、無実の罪を着せられようとし
てますっ
十、アリア家在住の勇者さん︵出張中
異世界人の所為じゃないの?
十
じゃなくて
一〇
でお願いします
一一、山腹巣穴在住のとるにたらない不定形生物さん︵出張中
あ、勇者さん
ナンバリングは
あとで検索するとき面倒くさくなるので⋮⋮
平穏に暮らしたい
って入力してほしいな
一二、湖畔在住の今をときめくしかばねさん︵出張中
あと、住所の次に
人間の開放レベルは3だからさ
3366
暫定的に、同じ扱いでいいと思う
特定のレベルのひとたちに力を貸してほしい場面もあるからね
動向を把握するのに、統一しておくと便利なんだ
青いのと羽のひとのオリジナルみたいに、とくべつな形容詞を入
れてもいいんだけど⋮⋮
個別に監視されるの、嫌でしょ?
一三、アリア家在住の平穏に暮らしたい勇者さん︵出張中
わたしをどうしようと言うの⋮⋮
一四、管理人だよ
少し待ってほしい
お前ら。どうして新入りが勇者さんなんだ?
事と次第によっては、このおれが黙っちゃいないぜ?
一五、住所不定のどこにでもいるようなてふてふさん
お前、まだそんなことを⋮⋮
いいか、子狸。よく聞くんだ⋮⋮
新入りじゃない。勇者さんご本人だ
彼女は、こきゅーとすに仲間入りしたんだよ
3367
一六、管理人だよ
⋮⋮なるほどね
たしかに勇者さんは、おれも勇者になれると言っていた⋮⋮
一七、樹海在住の今をときめく亡霊さん︵出張中
⋮⋮?
一八、沼地在住の平穏に暮らしたいトカゲさん︵出張中
⋮⋮?
たしかに言っていたが⋮⋮
︱︱いや、違うぞ
子狸よ、そうじゃない
勇者の資格は誰にでもあるとか、そういう話じゃないんだ
一九、管理人だよ
違わないさ
何も違わないんだよ、鱗のひと⋮⋮
何もね
3368
二〇、草原在住の平穏に暮らしたいうさぎさん︵出張中
鱗の。まあ、いいじゃないか
いつも通りの子狸さんだ
むしろ賢いとすら感じる
あふれる知性を隠しきれていないな⋮⋮
子狸さんは目立たないよう真の実力を隠しているんだから
本当は、もっと抑えないと⋮⋮
二一、管理人だよ
お前ら、思いついたんだが
勇者さんの危機に颯爽とおれ参上するのはどうか?
二二、アリア家在住の平穏に暮らしたい勇者さん︵出張中
それ、もうやったでしょ
⋮⋮魔物たち、聞きなさい
あなたたちが、そんな調子だから駄目だと思うの
あと、異世界人はどうなったの?
二三、空中庭園在住の現実を生きる不定形生物さん︵出張中
勇者さん
3369
もういいじゃないか
異世界人なんて居なかったんだよ
二四、墓地在住の今をときめく骸骨さん︵出張中
勇者さん、パス!
二五、アリア家在住の平穏に暮らしたい勇者さん︵出張中
はい。マッコール、パス
良くないでしょう⋮⋮
この子は、よくわかっていないようだけど⋮⋮
重要なことなんじゃないの?
二六、王都在住のとるにたらない不定形生物さん
あれっ?
勇者さん、もしかして子狸さんのことを下に見てません?
気の所為かな?
なんか、自分はわかってるみたいな⋮⋮
少し勘違いしているのでは?
はっきり言いますけど、子狸さんは高等数学を修めているエリー
トですよ?
勇者さん、あなた、三次元が3の倍数で構成された世界なんだと
3370
言われてわかりますか?
魔法があるっていうのは、つまりそういうことなんだと言われて
理解できますか?
二七、管理人だよ
りさだな
二八、王都在住のとるにたらない不定形生物さん
そう、りさなんだよ
つまりはね
ひとことで言えば、そう⋮⋮
うん、リサなんだ
優秀な教え子を持って、この王都さんは感無量です
二九、住所不定のどこにでもいるようなてふてふさん
リサって何だよ
三〇、迷宮在住の平穏に暮らしたい牛さん︵出張中
羽のひと、穏便に。穏便に
リサっていうのは、あれだよ
ええと、この世が点の集合だとすると
3371
その点を操るのが魔法なんだ
厚みが無いものは存在しないのと一緒だから
あらゆる物体は、最低でも三つの面を持つということになる
これが三次元だ
つまり︱︱
リサうめぇ⋮⋮
三一、かまくら在住のとるにたらない不定形生物さん
リサうめぇ⋮⋮
三二、砂漠在住の特筆すべき点もない大蛇さん︵出張中
うますぎだろ、リサ⋮⋮
三三、夢在住の特筆すべき点もないお馬さん
醤油と合うんだよな
三四、火山在住のごく平凡な火トカゲさん︵出張中
ソースも悪くないよね
3372
三五、王国在住の現実を生きる小人さん
仕事明けにリサで一杯やると最高だよな!
三六、帝国在住の現実を生きる小人さん︵出張中
いや、それはねーわ
お前、知ったかぶるなよ
三七、王国在住の現実を生きる小人さん
お前さ、どうしてそう⋮⋮ いちいち、おれの揚げ足を取ろうとするかな?
あ、そうか
もしかして、悔しいの?
お前っとこの、何でしたっけ、チェンジリング☆ダウン?
正直、微妙だもんね
わかるよ
三八、帝国在住の現実を生きる小人さん︵出張中
そうだね、微妙だね
それは認めるよ
あれさ、百人いないと使えないのかな?
3373
ざっと計算してみたけど、中隊長クラスの騎士しか軸になれない
んだよな∼
微妙だわ∼
騎士団が中隊規模で動くなんて、めったにないし⋮⋮
やっぱり、特殊な訓練も必要なんだろうな
さすがに楽器ひけないと駄目とか、そんなご職業は何ですか? みたいな縛りはないけどさ
三九、王国在住の現実を生きる小人さん
帝国さん、ちょっと支流に来てもらっていいですかね?
四〇、帝国在住の現実を生きる小人さん︵出張中
あ、はい
一向に構いませんよ
王国さんの頼みとあらば
四一、連合国在住の現実を生きる小人さん︵出張中
どっちもどっちだよな
四二、帝国在住の現実を生きる小人さん︵出張中
連合さん
3374
連合さんも、よろしければご一緒に
四三、連合国在住の現実を生きる小人さん︵出張中
え、いいの?
邪魔にならないかな?
おれ、別枠だし
四四、王国在住の現実を生きる小人さん
別枠?
別枠とは?
もう少し具体的に仰って下さらないと⋮⋮
四五、連合国在住の現実を生きる小人さん︵出張中
いや、いいよ
また喧嘩になるだけだし
おれっとこの、ちょっと汎用性が高いからさ
お前らっとこのは⋮⋮ほら、あれじゃん
用途が違うっつうか⋮⋮
まあ、決戦用だよね
正面からぶつかったら、ふつうにウチが負けると思うよ
飽和環境を作って詠唱破棄と開放レベル1を無力化することくら
3375
いしか出来ないし
味方の攻撃手段まで潰しちゃうのが難点だな
うまくタイミングを合わせないと⋮⋮
基本的には撤退用かな
ダウンとファイナルの火力は、羨ましいね
四六、王国在住の現実を生きる小人さん
ふう⋮⋮ん
そっかぁ⋮⋮
四七、帝国在住の現実を生きる小人さん︵出張中
おいおい。王国の、熱くなるなよ
おれはさ、連合騎士団には感謝してるんだよ
ほら、魔都でウチと共闘したじゃん?
手前味噌になっちゃうから申し訳ないんだけど
不死身さんが指揮をとったから形になったみたいなトコあるよね
正直さ∼⋮⋮
あれ? これ言っちゃっていいのかな?
ま、いいか⋮⋮事実だし
連合国の司祭︵現︶、要らなかったわ
3376
四八、連合国在住の現実を生きる小人さん︵出張中
⋮⋮おれはね?
前々から言いたかったのね
ずっと我慢してたのね
お前らさ⋮⋮
毎回、毎回⋮⋮
ノっちに︵現︶とか付けるの
やめろよ?
あのひと、子狸さんと仲良しだから
子狸さんが傷つくでしょ⋮⋮
四九、管理人だよ
え?
五〇、連合国在住の現実を生きる小人さん︵出張中
子狸さん
おれは知ってるんですよ
世界広しといえど、お前がややウザったそうにするのは
ウチのノっちだけです
それは、甘えがあるからです
子狸さんは、ノっちに甘えている部分があるのです
3377
五一、迷宮在住の平穏に暮らしたい牛さん︵出張中
おい。ヒュペス
至急、子鼠をおれのところに寄越せ
少し⋮⋮
そうだな⋮⋮
話したいことがある
五二、草原在住の平穏に暮らしたいうさぎさん︵出張中
空のひと! 高く! 高く飛んで! もっと高く!
五三、海底洞窟在住のとるにたらない不定形生物さん︵出張中
︱︱ついに完全復活を遂げたこきゅーとす
さじは、すでに投げられた
はたして新一年生たちはレギュラーの座を勝ち取れるのか?
いま、魔物リーグが熱く燃え盛る
灼熱のフィールドを、おれたちの子狸さんが駆ける︱︱!
3378
しましまの世界
五四、山腹巣穴の在住のとるにたらない不定形生物さん︵出張中
同格の魔法が同軸の座標を争うとき、性質の衝突が生じる
争いは、同じレベルのもの同士でしか発生しないということだ
鬼ズ﹁⋮⋮⋮⋮﹂
ポジションを放棄して駆け上がる鬼のひとたちは、レベル1の魔
物である
下位騎士級⋮⋮
騎士ならば容易に撃退できると言われる彼らは
しかし見方を変えれば人間が最初にぶつかる壁でもある
何故か?
小柄であり、かつ素早いからだ
好調時の鬼のひとは、圧縮弾を目で追って避ける
堕ちた妖精⋮⋮
焼け落ちた羽を取り戻そうとは思わない
振り上げた槌は、熱した鉄を打つためにある︱︱
千年という長い歳月を
ときに励まし合い、ときにいがみ合いながら歩んできた
3379
新しく確立された技術を奪い合って、泥沼の密室トリック合戦に
発展したこともある
爽やかな笑顔にひそむのは、アリバイ工作に裏打ちされた絶対の
自信だ
子狸さんとともに王種に挑んだ彼らは、すでに下位騎士級という
領域にはない
彼らにとって、もはやアイコンタクトは時代遅れの技術でしかな
いのか?
まったく目を合わせようとしない
並走する王国さんと帝国さんの肩が触れた
まるでそれが合図だったかのように、にぶい戦意がはじけた
出るか? 三位一体の奥義⋮⋮
勝敗を決する究極の刹那︱︱
腕をとられた帝国さんが投げ飛ばされる
それは見事な、王国さんの跳ね腰だった
しかし直前に自分から跳んだ帝国さんは、空中で華麗に身をひね
って着地する
これに即応した王国さんが諸手で帝国さんの足を刈る
そのまま寝技の応酬に入ると思われた二人が、一斉に飛び退いた
連合さんのギロチンドロップが不発に終わる
三者、挟撃を避けてくるりと回る
妖精が野花の化身なら、こちらはさしずめ水蓮か
一挙動で抜き放ったこん棒を逆手に握ったのは
防御の隙間から確実に喉笛を突くためだ
勇者﹁⋮⋮⋮⋮﹂
3380
勇者さんは立派に戦ったと思います
お前ら、茶化すのはやめて下さい
五五、海底洞窟在住のとるにたらない不定形生物さん︵出張中
山腹のんは勇者さんに甘いな
過保護は良くないと思うぞ
何より本人のためにならない
五六、王都在住のとるにたらない不定形生物さん
まったくだな
勇者さんは異世界人の実在を信じているようだが
低学年の子じゃないんだ
いつまでも遊び気分では困る
現実を直視してもらわないと
その点、三行で脱落した子狸さんに死角はないぜ
子狸﹁栗きんとん﹂
やっぱりおれの育て方が悪かったのかな⋮⋮
お前ら、どう思う?
五六、住所不定のどこにでもいるようなてふてふさん
3381
⋮⋮!?
青いのが反省しただと⋮⋮?
五七、魔都在住の特筆すべき点もないライオンさん︵出張中
あの王都さんに反省を促すとは⋮⋮
五八、夢在住の特筆すべき点もないお馬さん
ケタが違う⋮⋮
五九、砂漠在住の特筆すべき点もない大蛇さん︵出張中
これが⋮⋮おれたちの⋮⋮
六〇、山腹巣穴在住のとるにたらない不定形生物さん︵出張中
王都のんは自信を喪失しつつある
ラフプレイに走るとばかり思っていた新入生たちが
愚直にボールへと向かうからだ
これは、つまり子狸さんの正当性を
魔法動力兵たちが認めたということである
3382
彼らは魔界学園の新入生だ
本校は、エリートのみが入学を許される狭き門である
魔
Fly UP