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My Boston Times
★ My Boston Times ★ 書と写真で綴るボストン滞在記 河内 君平 My Boston Times: Kunpei Kawachi ★ 2 目 次 プロローグ ...................................................................................................................... 4 April, 2006 Boston ボストン着、BU白謙慎先生、ICEAACH、BU学長就任式 .............. 5 May, 2006 Washington D.C., Boston Maryland大学、Freer Gllery、CELOP、HUAM ............................. 34 June, 2006 Boston CELOP、Blue Hills、波士頓新聞 ................................................................... 67 July, 2006 New York, Boston 独立記念日、メトロポリタン美術館、Colombia 大学 ................... 96 August, 2006 Boston 妻子来米、科学博物館、MFA調査 ............................................................ 126 September, 2006 Washington D.C., Boston RED SOX、燕京図書館、サックラーギャラリー、ESLR ...... 156 October, 2006 Boston Columbus Day、Mass Art見学、「永」字指導 .............................. 186 November, 2006 HK, Macau, Boston 「徐渭と陳淳」国際会議・マカオ、Plymouthへ ............................ 216 December, 2006 Kansas City, Chicago, Boston シカゴ大学の書道実演と講義、Christmas・子供二人来米 ..... 246 January, 2007 Boston, NY, Pensacola Beach Oonishi Gallery NY、「龍門石窟」拓本調査、Pensacola ....... 276 February, 2007 San Diego, Los Angeles, Chicago UWF書道講義・実技指導、UCSD・UCLA見学、UC再訪 ..... 306 March, 2007 Hong Kong, Boston 香港國際研討會、「Kunpei Artworks」(CCAE) ............................ 336 エピローグ .................................................................................................................. 354 Weblog from Boston, 2006 3 4 Kupei Kawachi 河内 君平 2007 年10月 「時差」にいつごろ慣れたか分からないが、2 週間はかかっただろう。最 近はよく寝られるようになった。もっともSTARBUCKS COFFEE Liqueur や地ビールSAMUEL ADAMSの力を借りているが。 「自炊」は何年ぶりか。と言うよりこれまで殆ど料理らしい料理を覚えてこ なかった。母と妻のありがたさをしみじみ思う。作って食べてもらえる誰か がいれば、真剣に作るのだろうが、自分のためにだけ作る、それこそが「自 炊」だと痛感。たとえ美味しくても、一人で食べるのは味気ない。 「煙草」を禁止できず、「お腹」は凹まない。MILDSEVENのORIGINAL が一箱5.4$もする。日本のほぼ倍の値段。因習は簡単に変えられない。運動 をする必要があると思うが、寒さに負けている。少し暖かくなってからと思 いつつ、これも実行できるか不安。 「自由」のありがたさに感謝。その反面、自己管理の難しさに悩まされ る。中国、台湾に幾人か留学生を送り出してきたが、みんな良く頑張ってい ると思う。それに比べ、会議も授業も無いので、私はある意味「何もしない でよい」状態で、今のところ行き当たりばったりである。何時に寝なけれ ば、何時に起きなければという拘束が無く、何日までにこれを仕上げなけれ ばならないという作品も、いつまでに書かなければならないという論文もな く、まったくの野放し状態である。今までそれだけ時間に追われてきたから で、その習性が身についているためか、何もしないと逆に不安になる。今日 は何をしようかと、とりあえず時間を埋めている感じ。本当に贅沢な悩み。 パソコンがあり、このブログがあるお蔭で、何とか時間を費やしている。 プロローグ April, 2006 Boston 5 4月1日(土) 東京自宅からボストンのアパートへ 今日はとっても長い一日であった。 成田空港からUA882便がシカゴ・オヘア国際空港に着いたのは、同日の14 時15分。ほぼ定刻。11時間のフライト。3回の機内食で胃腸がおかしい。 ボストンへ行くため、UA881便に乗り換え。入国審査は「How long?」と聞 かれただけでパス。機内に預けた2 つの重いスーツケースをピックアップ し、もう一度預けなおしてからが、不安になった。 日通旅行社の立元さんから聞き、成田空港のU A のカウンターの女性から も言われた通り、スーツケースの鍵を全部開けて預ける。空港内の移動列車 で国際線ターミナル5から国内線ターミナル1へ動き、セキュリティーチェッ クを受ける。スーツケースが本当にUA881便に積まれたか、鍵をかけないま まで大丈夫か、不安で2回も質問した。「Automatically」と言われて一応納 得したが、ボストンの空港で手にするまでは安心できなかった。写真は、一 つのスーツケースに入っていた紙「Transportation Security Administration (TSA) NOTICE BAGGAGE INSPECTION」で、「あなたとあなたの仲間の 乗客を守るため、T S A は法律に基づき、すべての荷物検査を行う。そのた めに、いくつかの荷物を開けて実際に検査する。あなたの荷物は選ばれて実 際に検査された」というものである。鍵を開けておいてよかった。さもなけ れば、抉じ開けられて壊される破目になるところだった。テロ対策とはい え、勝手に中身を調べられるは好い気がしない。むかし中国でいつのまにか 手紙を開封されて腹をたてたものだったが、立ち会わずに知らないところで 検査されるのは本当に不気味である。 16時発UA882は18時半にボストン着。時差がシカゴと1時間あり、19時半 着となる。大橋二郎教授の奥様恭子さんが出迎えて下さり、アパートへ直 行。深夜1時半就寝 6 4月2日(日) お買い物 本日午前2時からサマータイムとのこと。1時間早まり、日本との時差は13 時間になる。 5 時ころに目が覚め、昨日のブログを書きあげた後、コンビニ(日本と違 って逆に高い)で買ってきたパン(写真)とオレンジジュースで朝食。10時 に新田多美子さんが車で迎えに来てくださり、買い物に出かける。最初に RELIABLE MARKETという韓国人経営商店で、自炊を始めるために、カリ フォルニア産白米「かがやき」10kg、象印製炊飯器94.5$(90$+tax4.5$)等 を購入、合計288.43$。次に安いと評判で移民の多くが買いにくるMARKET BASKET に入るが、あまりの人の多さに閉口し、10点以下購入者用の早い registerで15.75$支払う。新聞BOSTON Sunday Globeなど購入。3軒目は STOP&SHOPで食料・雑貨の購入、86.38$。4軒目TAGS HARDWEARで風 呂場・水周りの品を117.53$。5軒目はBEST BUYという電化製品店で東芝製 21inchのDVD/TVを220.49$(209.99$+tax10.50$)で購入。最後6軒目 TAEGETで掃除機等を115.74$で買った。締めて844.32$をクレジットで購入 したことになる。驚いたのはAmexが使えなかったこと。16時頃昼食抜きで 帰宅。エレベーターはないが、中2階の部屋なので100点ぐらいの品数を何と か部屋に運び込み、疲れてダウン。20時半夕食。といっても買ってきた海苔 巻き。21時過ぎにBU(BOSTON UNIVERSITY)の白謙慎教授から電話が あり、来週会うことになる。22時半に同じアパートの方から電話があり、明 日同じB U 方向に向かうので、地下鉄の乗車、乗り換えに同行して下さると のこと。7時45分出発とのことで1時就寝。 7 4月3日(月) BUでのオリエンテーション 同じアパートにお住まいの平井宏二さん(Harvard Medical Center勤務) と8時に出発し、徒歩で地下鉄Davis駅まで行く。無料配布の新聞「Metro」 をもらい、止まっているエスカレーターを降りる(しょっちゅう止まってい る)。「4 token please」と5$支払い、1¢大のCoinを1枚入れて改札を通る。 プラットホームでは音楽演奏者が出迎え。P o r t e r 、H a r v a r d 、C e n t r a l 、 Kendall/MIT、Charles/MGH、Park St.までRed LineのInbound(内回り)に乗 る。ここでGreen Line(E)に乗り換えMuseumで下車。ボストン美術館(MFA =Museum of Fine Arts, Boston)やイザベラ・ガードナー美術館がここにあ る。T マークの地下鉄は、東京の地下鉄丸の内線や三田線のように地上に出 るところがあり、ずっと地上を走る時は路面電車の感じで、三軒茶屋から走 る東急世田谷線のよう。平井さんを見送ってからM F A に行くが開館が1 0 時。周囲をぐるりと回る。岡倉天心を記念して造られた「天心園」という枯 山水の庭園を柵から覗く。もう一度地下鉄に乗ってPark St.まで戻り、今度 はBoston College行きのGreen Line(B)に乗って、Boylston、Arlington、 C o p l e y 、H y n e s / I C A 、そしてK e n m o r e で下車。1 0 時にB U のI S S O (International Students and Scholars Office)に到着。約束の11時に早すぎる ので、近くのB o o k S t o r e で閑つぶし。B U のグッズがいろいろ売られてい る。再度ISSOを尋ね、Ostrowski, Jill Mさん(Adviser)の説明を受け、保険 などの書類を提出。親切な方で、風邪を召していたが、フランス人男性、ス ペイン人女性と私の3人に応対。説明が45分かかり、その後フランス人のMichel Camplo君と別の建物(徒歩20 分)に行き、写真を撮ってI D カー ドを発行してもらい、さらにBUの E-mailアドレス取得の手続き。1時 半までかかったので、Michel君と イタリアレストランに入り昼食。 彼は化学が専門、B U でB i o t e c h nologyを研究し、career upのため にやって来たと言う。急いで自宅 に戻り、3 時過ぎに新田さんと住 居の管理会社RHAに行き、アパー トの正式な入居契約をする。日本からFAXで申し込んだ。部屋代は1000$。 用意してきたTravelers Checkで2000$支払う。いっぱい歩いたため、帰宅後 ダウン。白謙慎さんの教え子、高翔君からの電話で起される。彼もHarvard Medical Center勤務。芸術ではなく医術を志しているそうだ。日本人にはい ないパターン。中国人には、明末清初の傅山のように医者でありながら書の 傑作を残した人が居る。結局2時就寝。 8 4月4日(火) Porterへ 9 時起床。外は小雨が降っている。大東文化大学に提出する書類「連絡 票」を書いたので、雨上がりの昼過ぎに郵便局へ。航空便封書で8 4 ¢。 D a v i s 駅前の映画館で、新田さんに教えてもらった「横田めぐみ」のポス ターを見つける。タイトルは「ABDUCTION: The Megumi Yokota S t o r y 」で、誘拐と銘打ってある。2 2 日に放映される。地下鉄で隣駅の Porterに行き、電気スタンド、延長コード、三叉ソケット、座布団、シャン プー、お茶碗、お皿などを買って帰る。部屋が明るくなり、だんだん過ごし 易くなってきた。晩餐に炊飯器で初めてご飯を炊き、フライパンでウイン ナーを焙り、ハムエッグを作る。電話でA i r n e x に長距離電話の申し込みを する。ローカルの電話会社Verizonだけでは、ボストン市内しか話せない。 手続完了に一週間かかるという。そういえば、郵便物第一号はVerizonから の登録通知。なぜか立て続けに勧誘の電話。Y e l l o w P a g e で調べたという が、どうしてそんなに早く分かるのか? インターネットでボストン日本国総領事館に「在留届」を送る。万が一に 備えて情報をもらわなければならない。現在の「テロ脅威レベル」は黄色で 5段階の3だという(http://www.boston.us.emb-japan.go.jp/ja/index.html)。 急に恐ろしくなった。 9 4月5日(水) 雪 今日こそぐっすり寝ようと、韓国焼酎「San-sa-chun」を飲んで0時に床に 就いたのに2 時に目覚める。老化ではないと思いつつ、時差ぼけが治らな い。7 時前に白んできたので、外出できるかと窓から覗くと雨。次第に雪に 変わり、霙(みぞれ)になったり、花弁(はなびら)の雪になったりと、く るくる変化する。まるで真綿がひらひらと飛び交う、少し大きめの桜吹雪の よう。さすがに北緯42度20分に位置するボストンならではか。この位置は、 日本では北海道の室蘭市(北緯42度18分)あたり。京都と姉妹都市だそうだ が、4 月にこんなにも寒いとは。元来、寒いのが大嫌いなのにボストンを選 んだ以上、耐えるしかない。2002年2月から3月、在外研究で台北に行った時 も寒かったが、何とか乗り越えた経験もあるし、もっとも部屋の中は、24時 間暖房が入りっぱなしで、暖かいから何とかなるだろう。ともあれ体の中か ら温まろうと、紙パックに入っている「Tofu(豆腐)」一丁と昨日の残りのウ インナーを、日本から持ってきた包丁で細く切り、「ほんだし」を入れ、ハ ナマルキの「Soybean Paste White Type(信州白味噌)」でスープを作る。卵2個 も追加。昨晩炊いたご飯が少し堅く、黄ばみはじめている。 12時過ぎに、Evelyn Malkinさんから電話。ゆっくりと話しかけて下さっ たので聞き取れた。11日(火)12時にRed LineのCharles/MGH 駅から歩いてす ぐの彼女の勤務先、MGH(Massachusetts General Hospital)を尋ねる約束をす る。Malkinさんは、大東大の近藤正臣教授のご紹介で引き合わせて頂いた方 である。 昨日BUのGraceさんにmailを送った。彼女が今回、私をBUに受け入れる 諸手続をして下さった方なので、何とか連絡を取りたいと思ったからであ る。 これに対し今日、〈I l o o k forward to meeting you soon!〉と返信をもらい、金 曜日に会えることになった ので一安心。所属するA r t History Department(芸術 史学科)が、725 Common wealth Avenue, the College of Arts and Science's building, on the 3rd floor, r o o m 3 0 2 にあることもわ かった。会いたいとお二方 と連絡が取れて、ほっとし た一日だった。 10 4月6日(木) 銀行口座開設 就寝が朝の3時。またもや5時に目覚め。午前中は『欧米収蔵中国法書名蹟 集』のデーターを打ち込む。昨日と違って今日は清々しいお天気。13時過ぎ に新田さんが迎えに来られ、Harvard SquareにあるBank of Americaに行き 口座開設の手続。アメリカではCheck( 小切手)が普通に使用され、部屋代、 電話代など、現金振込せず、普通郵便でC h e c k を送る。口座開設に1 時間か かる。手続をしてくれた女性はCleopatraを思い出せるEgypt人であった。 ATMが1F 、手続が地下1Fというのは非常に不思議な感じ。STAPLESとい う電気製品店でPanasonicのFAX兼電話機(149.98$)、交換用cartridge、A4用 紙を計190.22$ で購入。16時前に「北京」という名の韓国料理店で「ちゃん ぽん」の昼食。店名から料理までまさに日中韓の“ちゃんぽん”である。 11.5$なり。Porterに戻り、2日と4 日にも行ったTAGS HARDWEARで Microwave oven(電子レンジ)を68.24$で購入。そのあと急いでコムキャスト に行き、テレビ回線とメールの手続をし、17時帰宅。自宅が一気に電気製品 化する。明日朝9時から11時の間に回線工事に来るし、14時にはBUに行き、 Graceさんに面会することになった。今日こそ早く寝てしっかり睡眠をとら なくては。 11 4月7日(金) BUのGraceさん ComcastからTVとInternetの回線工事に来るので、朝から掃除。ついでに 洗濯。アパートの1階にコインランドリーがあり、全自動で1.25$(25cent×5 枚)。6日分の衣服と洗剤を放り込み、部屋に戻って掃除機をかける。4分の3 が厚手のカーペット、残りがタイル貼りの2 0 畳ほどのワンルーム( バスルー ムとトイレを含む)。Handy typeなのにVacuumの音が凄い。10時過ぎにドミ ニカ共和国出身というお兄さんが工事に来る。工事が終わってから再度掃 除。韓国製「明太子」とご飯で11時半に昼食。Davis Squareの近くにある、 Social Security Administrationに行き、SSN(Social Security number)発行の 手続きをする。SSNはいわゆる国民総背番号制度で、納税者番号、各種社会 保障番号として使われるもの。収入がないのだが、被労働者番号も取得でき るので、手続を済ませsignすると、一気に英語をまくし立てられる。さっぱ り聞き取れないが、6週間かかることだけわかった。 急いで地下鉄に乗り、BU East駅まで行く。約束の14時には少し早かった が、[725 BOSTON UNIVERSITY COLLEGE of ARTS & SCIENCES]の看板 を見つけ3階へ。302roomに私を受け入れて下さったDepartment of Art Historyのofficeがあり、GraceさんとAllen君がいる。お土産の和紙製カード を差し上げ、お礼を述べてから、いくつか質問。地下鉄の定期、MailのLog Inから、Libraryや諸施設の使用方法、一年間の計画の立て方などについて アドバイスをもらう。来週月曜日に再訪する旨を伝え、記念撮影。MFAの9 月までのMember Cardを頂戴する。今ちょうど《Degas to Picasso》が展覧 中なので、すぐに見学できる。 15時過ぎにBUのbuildingを出るとまたもや雨。傘が無いので、BU goods を販売する店で、BUのlogo入りフード付きジャケットをID Cardを見せて購 入。色々な特典があるものだ。 Kenmore駅からDavis駅に戻 り、家の近くの本屋に立ち寄 る。4冊購入し、7lb.(1lb.〈ポ ンド〉= 1 6 ? 〈オンス〉・約 454g)すなわち約3kg.までなら ば、sea mail(船便)で送ってく れるというので、1 1 $ プラス してそのまま郵送。帰宅後 T V を見ながら寝てしまい、 2 3 時に目覚め。このブログを 書き終え、3 時。また寝ま す。 12 4月8日(土) Porterの「寿屋」 午前1 1 時、電話ではなくI n t e r p h o n e の音で目覚め。見知らぬ日 本人女性がお二人立っている。何 かと思いきや「あなたはお幸せで すか?」と宗教勧誘。Bostonの地 でもあるのか、郵便受けのローマ 字の氏名から日本人とおぼしき人 を訪ねて回っているのか、と不思 議に思いつつ、「一応、信仰心は 持っています」と答えると、「キ リストの教えは感謝です」と言っ て、『目ざめよ!――本当の幸せどうすれば見つかりますか』と『ものみの 塔』という小冊子を下さった。とまれ、まずは「感謝の心」を持つことは大 切である。 今日はまったくのfree。ふらっとPorter駅にある「寿屋」という日本人向 けSupermarketに出かける。所狭しと、食料品、生活用品から、レンタルビ デオまで並んでいる。日本語のみならずハングルも北京語も聞こえてくる。 ある母親が男の子に「お店の中にいなさい」と言うと、「I’ll go there.」と 英語の返答。East AsiaとAmericaのまさしく異文化交流の原点のようなお 店。『ボストン・ワシントンDC 便利帳vol3』26$を購入。日本から持ってき たボストン日本人会発行『改定第2版 ボストンへようこそ』も置いてある。 長距離電話用のCardを20$、自動販売機で購入。日本でも使用している携帯 電話Vodafone を使用するのとどちらが安いのか分からないが、念のため。 C a r d の裏側の銀色の部分を爪で擦ると1 0 桁の数字が現われる。これをピン (暗証)numberと呼び、1+800+ピンnumberを掛けてから、東京だと011-81+ 3+局番でつながるという。今度試してみよう。 今日も風が冷たい。トルネードのような突風が吹いて、ジョージア州の家 屋が壊れたというニュースを、T V は何度も放映。M L B ( M a j o r L e a g u e Baseball)のBoston Red socks対Baltimore Oriolesの試合をLive放送で見る。2 −1でBostonが勝った。Curt SchillingはかつてSeattle Marinersに居たPitcher だ。電子レンジでMade in Japanの「たこやき」をチンして、地ビールの Boston Lager「SAMUEL ADAMS」を片手に、試合終了まで応援した甲斐 があった。BUとMFAの中間に位置するFenway Parkに行って、早く本物の 試合を見たい。結局午前2時就寝。 13 4月9日(日)BU白謙慎先生 Boston大学終身教授、白謙慎先生(1955年天津生まれ)に会い、1年間の予定 を話し合う。非常に気さくで、「我是直的。」と短刀直入に話される。昨年 3 月末、北京の邱振中教授と中央美術学院で対談式講演を行った翌日、同じ く中央美院で白先生の講演があり、その時初めてお会いした。邱先生が白先 生の親友、私と邱先生も親友だから、「朋友的朋友就是我的朋友。」という 心情は、至って東洋的である。もし白先生と北京で会っていなかったら、今 回のBU Visiting Scholar は有り得なかった。ほんの一言二言交わしただけで あったが、思えばそれが運命的出会いであり、私をB U に受け入れる推薦を してくださった恩人である。邱先生にも感謝、感謝である。 白先生が、1 1 時に車でアパートに迎えに来られ、自宅のあるN e w t o n まで Charles riverを渡り、約30分のドライブ。ユダヤ人が多く住むという一帯 は、豪邸が並ぶ閑静な住宅地域。著書『傅山的交往和応酬』上海書画出版社 2003年12月発行を頂戴する。会話の中で、田中節山先生から頂いた英文の書 物を見せられる。偶然とはいえ、その日に節山先生からブログにコメントを もらったので本当に驚いた。彼は毎日、字を書いているそうで、鍾? 風の小 楷が清々しい。この1年間をどういう風に過ごすか、具体的に意見交換。 まずMFA(ボストン美術館)、The Arthur M. Sackler Museum(Harvard サックラー美術館)はいつでもO K 。アメリカには中国書跡収蔵上、重要な 美術館が3 つ:①メトロポリタン美術館、②プリンストン大学付属美術館、 ③フリーア美術館。この3 つがほぼ一直線上で東海岸に位置するので、一週 間ぐらいの計画で参観する計画を立てる。 昼食をご馳走になった後、ハーバード大学「Yenching Library(燕京図書館 14 館) 」を参観。中国、日本の書物や定期 刊行物まで多く収蔵されている。白先 生もよく利用されるとのこと。閲覧 カードを発行してもらい、記念撮影。 1 5 時ころ自宅まで送って頂いた。よう やく研修に向けて一歩動き出した感 じ。1 8 時半に、同じアパートの平井さ んと一緒に、MITのあるKendall駅まで 行き、LEGAL SEA FOODSという Bostonでは有名のお店で、クラムチャ ウダー、ロブスターを食す。ワイン片 手に2 2 時まで、中国、日本、アメリカ の政治、文化、医学、芸術などについ て語り合う。二人で110$なり。今日は 非常に有意義な一日。そのまま2 3 時に ダウン。。 4月10日(月) 郵便局のParcel Davis SquareにあるPost office(郵 便局) へ、日本への封書3 通と国内 への2 通を書き上げたので送り、あ わせて白帝社から届いたParcel(小 包) を受け取ろうと思って出かけ た。一番安いものでA i r m a i l が 84cent(約100円)、国内便が39cent (約45円)。不在通知の紙を差し出す と、Porter Squareにある郵便局へ 行けと言われる。ZIP code(郵便番 号)によって扱う郵便局が異なる。 MA02139の管轄はPorter Square Post officeらしい。自宅に戻り、大きい鞄 を背負って行くと、「Certification?」と言われる。身分証明書を提示しなけ れば受け取れない。もう一度自宅に戻り、BUのID Cardを持って行って見せ ると、signを2箇所にして手渡してくれた。まさに3度目の正直ある。そう重 くなかったから良かったが、事前に送った2 0 k g . の船便を引き取る時には、 不在にしないよう用心しなければいけない。とても担いで帰ることができな い。それにしても再配達は無いものか? 今日は一面の青空が広がり心地よい。Massachusetts Avenue(略称Mass Ave.) を2 回往復した時、通りすがりの教会のモクレンに目が留まった。1本 はまだ蕾だったが、1本は開花している(写真)。薄っすらとした赤紫色が暖か さを待ち望んでいるように感じた。 19時半に白謙慎さんから電話がある。「教授」と話しかけるとたしなめら れ、以後は「謙慎兄」、「君平兄」と呼び合うことになる。アメリカでは親 しくなるとnicknameで呼び合うのが慣例だが、日本ではなかなかそうはい かない。University of Marylandから「On the Study of Chinese Calligraphy」 の通知がメールで届いたから転送する、残念ながら会議日のThursday, May 4, 2006は試験のため謙慎兄は行けないが、私に参加してみてはどうかとの案 内。行きますというと、WashingtonDCの近くだからと、早速Freer Gallery of Artのcurator、張子寧さんに電話連絡をとって下さり、訪問可であるし、 10∼20件位は見せてもらえるとビッグな知らせ。いよいよ国内の旅が現実化 してきた。安全と言われても不安がだが、行くしかない。 15 4月11日(火) Evelyn Malkinさん Evelyn Malkinさんにお会いできた。MGH(Massachusetts General Hospital) は本当に大きく、現代的な総合病院で、日本のような陰気臭さがない。11時 に着いてしまい、受付に12時になったら呼び出して欲しいとお願いしたとこ ろ、11:50にEvelynさんの方から声をかけて下さった。小柄ながら気品のあ る老人で、一目で分かった(Evelynさんの方が私を見つけてくださったのだ が)。食堂でランチをご一緒させていただく。Beeper(ポケットベル)の呼び 出しで、仕事に戻らなければならないと12:40に別れた。大東大の近藤教授 からのpresentを差し出し、写真をとって教授に送りたいと言うと、それは 家に来てからにして、と断られる。近藤教授がE v e l y n さんとアメリカで出 会ったのは40年前のことです、と申し上げると、絶句された。パリでの個展 作品集『C a l l i g r a p h i e Kunpei K A W A C H I 』を差し上げると、 「Marvelous!」「Special!」と褒めてくださる。アメリカ人に〈書〉を通 じて感動を与えられたらかと思うと、嘘でも嬉しいものだ。 自分がどういう人間で、今まで何をしてきたのか、何故ボストンに来たの か、これからボストンで何をするのか、それらの質問に必死に英単語を繋い で乗り切ったが、まるで面接試験を受けた感じ。2 4 日にお宅へ伺うことに なった。MGHの8Fからは眺めが良いと教えてもらい、Bostonの街並みを撮 影。 その後、地下鉄でHarvard駅に行く。Harvard Squareで開設したBank of America口座の確認のため。出かけに、Bank of AmericaからCash Cardと Checkが送られてきたので、Card使用のテストを兼ねて40$引き出す。 COOPで『400 MUST-HAVE WORDS FOR THE TOEFL』8,95$、『English Vocabulary Study Cards 1000』9,95$、『English Grammar Study Cards 400』 9,95$を購入。COOPのMembers Cardを作りたいと思うが、ハーバード大か MIT(マサチューセッツ工科大学)のIDがないと駄目と言われる。残念。 その足で、燕京図書館に行き、中田勇次郎・傅申編集『欧米収蔵中国法書名 蹟集(全四巻)』中央公論社・昭和56年発行を探す。《Masterpieces of Chinese calligraphy in America and European Collections》が英文名。しかし Yenching Libraryには無く、Fine Artsが所蔵しているのでそちらへ行ってく ださいと言われる。そちらの閲覧券がないので諦める。 自宅まで歩いて帰る。運動不足解消のためだが足が痛くなる。途中、休憩 がてら「寿屋」でMILDSEVENの1carton(10個)を54$、CVS/Pharmacyで Soap(石鹸)8個とScissors(鋏)を購入して帰宅。ほぼ2km、地下鉄2駅分を歩い たことになる。禁煙は難しい 16 4月12日(水) 現代中国絵画 MFAで知られるボストン美術館の「Friends of Asian Art」の「Special Events」として、「Chinese Painting」の講演が18時から19時半まで開催さ れた。演者はHao Sheng(盛昊), Assistant Curator of Chinese Artで、Harvard 大学でArt historyのPh.Dを取得中のまだ若い中国人。 この情報を教えてくれたのは高翔君。高君とMFAの太湖石の前で17 :50 に待ち合わせ、初めて館内に入り、中国書画部の部屋に入れてもらう。学芸 員は盛昊氏とその助手などを含めて3 人。盛昊氏から、私のことについては 既にBUのE. Asian Archaeology(略称:ICEAACH、正式名称:International Center for East Asian Archaeology and Cultural History=東アジア考古学 文化史国際センター) の方から連絡があったと聞かされる。正式にアポイン トを取って調査する上で、良い知人を得た。中国語で会話できるので好都合 である。 18時から先にReception。ワインをいただく。20人ぐらいの方々が立食で 情報交換。30分後、盛昊氏が、パソコンから映し出す映像と館蔵の絵画作品 とを実際に対比させながら、現代中国人画家1 4 人の見所を説明( カッコ内は 生年と現在居住地) 。高行健( 1 9 4 0 ・P a r i s ) 、王天徳( 1 9 6 0 ・上海) 、谷文達 (1955・New York)、李華弋(1948・San Francisco)、徐冰(1955・New York)、 秦風(1961・Boston)、張宏(1954・New York)、劉小東(1963・北京)、喩紅 (1966・北京)、邱挺(1971・北京)、李津(1958・天津)、曽小俊(1954・北京)、楊 詰蒼(1956・Paris&Heidelberg)、劉旦(1953・北京)の各氏。 このうち谷文達は、浙江美術学院の同窓なので親近感を持った。このよう に、私と同世代の中国人画家が活躍すること、そして彼らの作品が美術館に 収蔵されていることに感動と羨望を覚えざるをえない。個々の作品の Connoisseur(鑑定)についても言及したが、構図や手法の独創性が主題であっ た。画像や実作品は見れば理解できるが、英語の発表は半分も分らない。こ の点は非常に残念だった。講演終了後、なぜか後片付けを手伝っているうち に、作品を収蔵庫まで運ぶのに付き合う。偶然M F A の倉庫に入れてもらっ た。 講演会場で隣に座った中国人が、Harvard Univ. Fine Arts Library勤務の 女性で、『欧米収蔵中国法書名蹟集( 全四巻) 』を調べて教えてもらえる事に なる。これまた偶然である。 帰り際、7月8日から半年間、明代の董其昌(1555?1626)およびその周辺作品 の展覧会があることを教えてもらった。「Understanding the Master: Dong Qichang and His Circle―Saturday, July 8, 2006- Tuesday, January 2, 2007」 である。興味のある方は渡米されては如何? 17 4月13日(木) 敷布団 午前中雨。でも洗濯。真上の部屋#33号室に越してこられた方が、電話が うまく繋がらないため、新田さんからの電話やF A X 転送を取り次ぐ。一緒 にcoffeeを飲みながら世間話。ご主人と一緒に武田製薬の勤務をやめてタフ ツ大学でc a r e e r u p という新婚さん。( ご主人は数ヶ月遅れて来られるそう だ。) 午後からMass Ave.の散策に出かける。北西に向かい、Arlingtonに向かう ( バス路線図参照) 。P e m b e r t o n F a r m s は鉢植えの花を売っている農園。 Bread&Butter KonvenienceというConvenience Storeはどうして「K」で始 まるのだろうか。そう思って歩いていると、部屋で聞こえる鐘の音を鳴らす 教会があった。 備え付けのsofa bedが柔らかすぎるため、日本から持って来たシーツ1枚 をcarpetの上に敷いて寝ているのだが、やはり痛いので、敷布団はないかと 探していたら、上手い具合に韓国商品店でb e d の上に敷く薄手のマットのよ うなものを見つけた。29$なり。Fujisanという日本製品を海外まで配送し てくれる会社があり、ネットで調べたら敷布団1 枚が4 0 0 $ 前後もする。高く て手が出ないので、sofa bed自体をchangeできないものかと交渉中である が、当座はこれで少しは楽だろうとほくそ笑む。そのままどんどん歩いてい くと、Root16にぶつかる。交差点にはMobile石油のGasoline stand、その反 対側の脇には小川が流れている。 交差点を越えると、ここからが Arlington市。Cambridge市では なくなる。市外局番も6 1 7 から 781に変わる。しばらく歩き、疲 れたので大きなお店に入る。お 店から出ると大粒の雨。マズイ と思い急いで帰宅する。何と部 屋に戻り外を眺めると日が差し ている。本当に「お天気や」の ボストンの気候だ。。 18 4月14日(金) ICEAACH 朝9 時のアポイントが取れたので、「東アジア考古学文化史国際センター 」を尋ねる(略称ICEAACH)。場所はKenmore。BUのISSOやArt History Departmentにも近い。住所は650 Beacon St. 5th Floor Boston MA02215。 そもそもICEAACHは、今回の「大東文化大学長期海外研究員」の申請書 類の送付先で、Art History Department に連絡を取り、白謙慎教授と相談し てGO signを出し、最初に受入許可のメールをいただいた機関である。BUの Department of Archaeologyに属す機関で、専用図書室もあり、研究所と言 う方がふさわしい。お会いしたスタッフは、R o b e r t E . M u r o w c h i c k (Director・Research Associate Professor・PH.D.・愛称ボブ)、David J. Cohen (Arc/Base Project Manager・愛称ディビッド)、Katie MeGurl (Secretary・ 愛称ケティ) の3人。他にも居るそうだが、まるで大東大書道研究所のよう。 m e e t i n g は最初とは思えないぐらい和やかであった。というのも、ボブと ディビッドは中国考古学の専門家でChineseが話せるし、ディビッドは奥さ んが日本人であるためJ a p a n e s e も話せる。1 2 歳の息子のM a x 君は日英の bilingualである。 来週月曜はBUが祝日のため、18日の火曜日から専用deskを貰える事にな り、毎日通う場所が出来た。定期的に出勤する場所がないと落ち着かないの で一安心。25歳の時に中高の非常勤になってから20数年、必ず専用の机がど こかにあったので、そういう習性がついてしまったのだろう。ICEAACHに 毎日通えるのかと思うとワクワクしてきた。 Boston Red Socksのhome grand、FENWAY Parkまで歩いて5分。今日か ら4日間、Seattle Marinersとの試合で、イチローや城島が出るとあって、無 性に見たくなり、切符を買いに行く。ボブ、ディビッド、M a x 君と4 人で出 かける。しかし1 0 月1 日までのC a r d のほとんどが売り切れ。凄い人気であ る。 お昼前に、ディビッドが車でMax君を一旦家につれて帰るというので、同 乗させてもらい、ハーバード大のFine Arts Libraryまで送ってもらう。受付 でVisitor Cardを発行してもらい、『欧米収蔵中国法書名蹟集(全四巻)』と 『欧米収蔵中国法書名蹟集・明清( 全二巻) 』をようやく見ることができた。 デジカメで撮影しても好いという。カメラ撮影用の専用机まで置いてある。 じっくり館内の書籍を閲覧させてもらった。 Weblog from Boston, 2006 19 4月15日(土) 竹 今日はオフ。一日のんびり過ごす。イチローと城島が活躍し、3 −0 で Marinersの勝。Red Socksは今期初めての完封負け。BostonはRed Socks一色 なので、負けるとまるで阪神タイガースが負けたのと同じ気分になる(早す ぎるかな)。T V ではしきりにイチローの素晴らしさを称えている。イチ ローには活躍して欲しいし、Red Socksには勝って欲しいし、複雑な心境だ。 天気が好いので、気分転換に近くのPemberton Farmsに食料の買出しに行 く。そのお店で、来た早々に植木鉢の「竹」を買った。水を適宜あげるだけ でよいので、私でも枯らさずに育てられそうだ。他にも何か植木鉢がないか と探したが、みんな当然ながら英語で書いてあって分らない。諦めて食料品 コーナーに行くと、面白そうな缶だったので思わず買ってしまったのが 「ARIZONA梅緑茶」。プラムジュースのような味。まったく緑茶なんてど うして名づけたのか分らない。どこか東洋的な雰囲気を出そうしているが、 中身は西洋産。この手の品物がいっぱいかもしれない。Cabbageが丸ごと一 個で1.81$、Dole bananaは8本で1.48$、Tropicana OriginalというOrange deuceは1pack2000ccが3.99$といった具合。どれも日本より値段が高い。最 初に買ったcoffeemakerで作る味は抜群。洗うのが大変だが、これは日本に 持って帰りたいと思う一品(日本ではプラグが合わず使用不可でした)。 Wiener入りCabbage炒め、Bread、Banana、Consomme soupにcoffeeの夕食。 ★ 4月16日(日) お化け屋敷? かえって土日の方が行くところがなく、今日もオフ。天気の好い日曜 日。風が強い。1 1 時に新田さんが茄子の煮物を持って来て下さる。独身男 性に配っているとのこと。私は独身ではないが、一人住まいの男性には違 いない。今日はBoston Red Socksが勝った。試合の結果を見届けてから、郵 便を出しにいく。あいにく日曜日で切手を売っていない。葉書の国際便は 70cent。コンビニで聞くが、regularの39centしか置いていない。Davis駅前 のお店は殆ど閉まっている。Barber男性10$を見つけた。今度行こう。日 本では月に一度理髪に行っていた。B o s t o n でどうしようかと思っていたと ころだ。RentalのDVD屋、MUSIC CD shop、本屋(古書)などは開いてい る。大きな事故があったようで、救急車にパトカーが数台止まっている。 警官が数名、男たちに話しかけている。電信柱らしきものがへし折られて いる。車体の左側が完全にペシャンコ。 Cambridge市は、HarvardやMITがあることから学園都市として知られて いるが、私の住むChester St.の近辺は住宅街。そんな中、お化け屋敷のよう な家があった。住んでいるのだろうか。M c D o n a l d ' s にK e n t u c k y f r i e d chickenは本場もの。 20 4月17日(月) 愛国記念日 午前中、大橋先生夫人Kyokoさんとその娘さん2人、彼女の友人のBillと奥 さんKateにその娘さん2人、そして私の合計8人で、Arlington townの「The Patriot's Day Parade(愛国記念パレード)」を見に行った。4月第三月曜日は、 Massachusetts州の祝日で、ボストンマラソンが行われる日でもある。Patrol Car、Ambulance(救急車)から始まり、開国時代の衣装をまとった一列や、 Little LeagueにGirl Scoutまで、1時間以上も次から次へと行進が続いた。ア メリカ人はなぜにパレードが好きなのだろうか。 B i l l はB U で日本語を教える先生。今夏、日本へ日本語の研修に行くとい う。Kateのお父さんは日本人だそうだ。見終えた後、Kyokoさんが引っ越し たばかりの家の近くで昼食。Sandwichを注文すると、3人分はあろうかとい う量に驚く。残りはTake out。折角だからと郊外のWalden Pondまで30分ほ どd r i v e 。池を一周ハイキング。何の変哲もない池だが、夏は海水浴場でに ぎわうそうだ。 もう一箇所、B o s t o n 市内が見渡せる丘に行った。よく晴れているので、 Bostonのビル群がはっきりと見渡せた。新宿の高層ビルを見るかのようだ。 いろいろな人と出会い、話し、少しずつだがアメリカ文化に触れて東洋と の違いを感じつつある。まあ二週間では何も言えるものはないが。 21 4月18日(火) My Desk 郵便局に寄ってCheck2通と航空葉書4通を出す。ICEAACHに着いたのが 10時過ぎ。ボブはWashington DCに出張、ディビッドは自宅、研究所に居る のはケティだけ。月に1度だけBostonに来る研究員(高有徳氏)の机を借り ることにする。USBフラッシュのデーターを持ち込んで、Dell computerで の初仕事。日本語は打てないが、中国語は大丈夫。所蔵資料からCalligraphy を探し出す。1 6 件ヒット。そのうち重要と思われる7 冊の著者と書名は、 エール大学美術館、プリンストン大学美術館、メトロポリタン美術館、フ リーア美術館などでの展覧会のカタログである。 ① Mote, Frederick W.; Chu, Hung-lam; Goodman, Howard L. “Calligraphy and the East Asian book” 1989,Shambhala; New York: Distributed by Random House,Boston ② Fu, Shen(傅申) “Traces of the brush : studies in Chinese calligraphy” 1977,Yale University Art Gallery,New Haven, CT ③ Tseng, Yu-ho“Chinese calligraphy” 1971,Philadelphia Museum of Art, Philadelphia ④ Fong, Wen(方聞) “Beyond representation : Chinese painting and calligraphy, 8th-14th century” 1992,Metropolitan Museum of Art; New Haven: Yale University Press,New York ⑤ Fong, Wen C.(方聞) ; Princeton University Art Museum “Images of the Mind : Selections from the Edward L. Elliott Family and John B. Elliott Collections of Chinese Calligraphy and Painting at The Art Museum, Princeton University” 1984,Art Museum, Princeton University, in conjunction with Princeton University Press,Princeton, NJ ⑥ Fu, Shen(傅申); Lowry, Glenn D.; Yonemura, Ann “From concept to context : approaches to Asian and Islamic calligraphy” 1986,Freer Gallery of Ar 22 Smithsonian Institution : For sale by the Supt. of Docs. U.S. Govt. Print. Off,Washington, DC ⑦ Chang, Joseph(張子寧); Lawton, Thomas; Allee, Stephen D. “Brushing the past: later Chinese calligraphy from the gift of Robert Hatfield Ellsworth” 2000,Freer Gallery of Art,Washington, D.C. この他、上海博物館、南京博物院所蔵の中国語の書法カタログ、蒋彝著の 一般向け書、台湾人の徐田夫作品集、オークション会社クリスティーズの 図録、東京国立博物館『日本の書』展の図録などがあった。 しかし今日はついていない。打ち込んだd a t a は消えるし、画像も消去し てしまった。 ★ 4月19日(水) Dong Qichang ずっと床にシーツを1 枚敷いて寝ていたが、ソファーベッドのマットレス の交換に来てくれた。今日から少し楽になるだろうか。また柔らかいと腰に よくないので困るのだが。 昨日帰宅すると、UPSからの不在通知がpostに貼ってあった。10時ころに 荷物が届く。サインして受け取る。Room23は玄関から一番の近さなので助 かる。三希堂に頼んであった、『欧米収蔵中国法書名蹟集( 全四巻) 』の古 本、半紙「南山」4〆、半切3反、全紙1反、墨汁8本、8尺毛氈が、段ボール2 箱に梱包されて届いたのである。これで字を書く練習ができる。 Bed makingと書道用品の整理をしてから、13時にMFAに向けて家を出 る。白謙慎教授が、MFAのDepartment of Art of Asia, Oceania and Africa で、中国絵画の授業をするというので、参加した。受講生の院生は、博士課 程1名、修士課程2名のみな女士。上海博物館書画研究部から来られた凌利中 副研究員も参加。Research Fellow for Chinese Art(中国美術研究助理)の、 Joe Scheier-Dolberg(史耀華)君が、Dong Qichang (董其昌)、Shitao (石濤)2件、 Kuncan (?残)、 Wang Yuanqi (王原祁)、Gong Xian(?賢)の全6件を見せてくれ た。明清が中心だったので親しみやすい。白教授はもちろん英語で授業され るのだが、私が中国語で質問し、凌氏やJ o e 君も中国語で話すため、院生諸 君から英語で話してと要求される。董其昌の冊頁は、7 月からの展覧会に出 品するそうだ。二玄社刊『董其昌の書画』に収録されるが、最後の何紹基の 跋文までは収めてないという。董其昌の画に、高士奇の跋文の組み合わせで 全26枚あるが、董其昌の落款はどこにもない。書画がハーモニーを奏で、見 ていて楽しかった。眼福の逸品。 23 4月20日(木) did not get ticket 今日こそはRed Socksの試合を見たいと思ったが、ticketが手に入らない。 ICEAACH のKatieに頼んで、boyfriendとともに探してもらったが、一人分 50$では無理のようだ。大体2枚ペアで売っており、60$×2が最低相場。誰 かを誘って見に行くしかない。ここのところ、天気は良いし、Red Socksは 強いし、明日から遠征でしばらく見られないしと、B o s t o n 中のファンが FENWAY Parkに押しかけているから、ticketが手に入らないのだろう。無 理もない。 それにしても120$(約14,000円)とは高い。日本風に言えば、路上で当日券を ダフ屋から買うことになる。そんな交渉を英語ではとてもできないからお願 いしたのだが、Katieとboyfriendに申し訳ない。今宵も諦めてテレビ観戦す るしかない。ちなみに、American‐Eastの試合結果状況は次の通り(4月19日 現在)。 Team W L PCT GB Boston11 4 .733 Baltimore 10 7 .588 2.0 NY Yankees 7 7 .500 3.5 Toronto 7 7 .500 3.5 Tampa Bay 7 8 .467 4.0。 4月21日(金) Charles River 昨夜、国士舘大学の渡邉・安西両氏から国際電話があった。非常に嬉しい ものである。20分ほど近況報告。このブログを見て、生活の様子がよく分か ると言ってくれた。また書き続けようと元気が出る。朝9 時、大東大の中国 学専攻M1の葉山さんとSkypeでこれまた20分ほど話す。門脇廣文先生はお 元気でしょうか?こちらは授業も会議も無いので、全くのんびり過ごしてい て申し訳ない。 1 1 時にI C E A A C H に行き、D a v i d に旅行の計画を相談する。昼食は David、Katieと3人で、近くのBERTUCCI’Sというお店でpizzaを食べる。 Large sizeの19.8$はさすがに3人でも食べきれない。食後Back bayを散策し ようと東に向かってへ歩き出すが、Charles River にかかるHarvard Bridge が見えたので、急遽左折して北上し、そのままM I T へと行き先変更。M a s s Ave.をひたすら歩いていると、古着などのUsed(Secondhand)を売っているお 店GOODWILL CAMBRIDGEを見つけた。休憩しながらGAPの真っ赤な sweat pantsを4.99$で購入。部屋着用のジャージにする。そのまま歩いてい ると、直ぐにCentralの地下鉄の駅があったので、そこから帰宅。 24 郵便受けの下に、萱原書房から、松本宏揮著『書法芸術の探求』と、浦野 俊則退職記念『望岳室古文字書法論集』の2 冊と「書道美術新聞」第8 4 3 号 が届いていた。感謝!! ★ 4月22日(土) ABDUCTION(拉致) 12時前に郵便局に行き、アパートの5月分家賃(前払い)をCheckで郵送。つ いでD a v i s 駅前の映画館S O M E R V I L L E で、今晩2 0 時半に放映される 「ABDUCTION:The Megumi Yokota Story」のticket、adult1枚8$を長蛇 の列を並んで購入。30分近く並んだか。Weak endにはこんなに人がいるの かと思うほど。この映画館ではちょうど“2006 Independent Film Festival of BOSTON” April 19-24を開催中で、そのpamphletを配布しているのを並ん でいる時にもらった。自主映画を放映する映画館である。 「横田めぐみさん」が1 3 歳で拉致されたことは知っていたが、昭和5 3 (1978)年8月12日、鹿児島県日置郡吹上町の吹上浜に自家用車を残したまま拉 致された、「市川修一さん(当時2 3 歳)」と「増元るみ子さん(当時2 4 歳)」のカップルのことは知らなかった。その弟、増元照明(家族会事務局 長)さんと、市川修一さんの兄、健一さんが映画会場に見えていた。映画終 了後(85分)、40分以上も質疑応答が行われ、映画製作者のご夫婦とともに、 増元照明さん、市川健一さんが、いくつもの質問に答えられる。市川健一さ んが、K T S 鹿児島テレビ放送のネット記事で、「アメリカでは、ワシント ンのホワイトハウスで行われる国際的な人権イベントやボストンで開かれる 横田めぐみさんを題材にした映画の上映会に参加し、現地のメディアを通し て拉致問題の解決を訴えるということです。」と語ったのと同じ事を言って おられた。アメリカ人に北朝鮮の拉致問題、「ABDUCTION」を語り伝え て輪を広げることが、今回の映画の願いであるという。残念ながら日本で放 映の予定は無いと直接伺う。大入り満員の映画館(300人はいたか?) で、最 後はstanding ovationであった。 そういえば今日22日、北朝鮮による日本と韓国の拉致被害者家族らが、ワ シントンのホワイトハウス前で「拉致救済コンサート集会」を開いたとい う。27日には横田めぐみさんの母、早紀江さんらが下院公聴会で拉致問題に ついて証言する予定で、日韓の被害者家族は一連の活動で、拉致問題の存在 と早期解決への支援を米政府、国民に連帯して訴えるそうだ。 Weblog from Boston, 2006 25 4月23日(日) cell phone(携帯) 今日は一日中雨、家に閉じ込められる。昨日のお昼の活動を書いておこ う。13時に高翔君と待ち合わせ、アメリカのcell phoneを、Verizonまで買い に行く。downtown/Crossing駅からWinter St.を少し歩くと、BOSTON C O M M O N という大きな公園が広がり、桜が咲いている。P a r k S t r e e t Churchを右手に見ながら、Informationを通る。真正面に黄色の丸い屋根の State House(州立議事堂)が見える。Boylston通りをひたすら西に向かって行 くが、風が強く寒い。Boylston、Arlington、Copleyと地下鉄の上を歩く形。 もう一本北側がB A C K B A Y になる。面白い観光バスが走っている。J o h n Hancock Towerのtower全体のガラス窓に、Trinity Churchがこぢんまりと 映し出され、現代建築と古代のcontrast。Boston Public Libraryは独特の風格 で、旧舘の館内はまるで西洋中世の感じ。吹き抜けの書架と緑色の電気スタ ンド傘が印象。Boylston St.745にあるVerizonで、1年契約、毎月39.99$、本 体79.99$で携帯を購入。SSN(Social Security number)をまだ取得していない ので、400$を保証金として支払う。 高翔君は中国新疆の出身、16歳で上海の医科大学入学、MAは北京の医大 で、PH.DをTufts大学で取得。嫌味が無く、気さくに何でも相談に応じてく れる好青年。Dunkin Doughnutのcoffeeをご馳走になり、Antiqueのお店が並 んでいるPark Streetに行く。いわゆる骨董街でいろんな国のものを売ってい る。Asiaを扱うお店も数軒あった。JUDITH DOWLINGはそんなお店の中 で、唯一食指が動いた。開元の文字を刻す唐代墓誌銘が一つ、亀田鵬斎が5 点あった。絵里香さん見に来ません? ★ 4月24日(月) Evelyn Malkin邸 7日に申請してあったSSN(Social Security number)が届いた。一日違いであ る。それを持ってCopleyまで地下鉄に乗り、昨日行ったばかりのBoylstonに あるVerizonを尋ねる。結果的にはそのまま。Deposit(保証金)400$は12ヵ月 後にcancelするときに返金するとのこと。新規契約を結ぶことも可能だが、 契約解除のために損をすることになる。 その足で歩いてICEAACHへ行く。5月3日から6日までWashington DCの Freer美術館参観とUniversity of Marylandの会議参加の旅行計画ため。Bob とDavidに相談しながら、Internetで飛行機の予約(e-ticket)をする。 15時前にEvelyn Malkinさんから携帯に電話がかかってきた。彼女のご自 宅で晩餐の予定になっている。私はICEAACHのある650 Beacon St.で待ち合 わせと思っていた。彼女は車で来られて645 Beacon St.に居ると言う。とこ ろが645番地が同じ並びに無い。なぜ?奇数と偶数は反対側と思い、道路の 26 向かい側に行くと、Commonwealth St.になっている。15分ほどうろうろし て、ようやく彼女の方が見つけて下さった。実は目の前でB e a c o n S t . と Commonwealth St.がX字にクロスし、さらに別のavenueが入っているとい うスクランブル交差点で、おまけに工事中でわかりにくい。誰かが言って いたが、B o s t o n 市内で一番交通事故の多い場所らしい。携帯電話サマサマ である。本当に買っておいて良かった。 彼女の赤い車に乗って、大きな中国系食料品店を覗く。8 8 と言う名前。そ の後ひたすらCommonwealth St.を西へ西へと向かう。BUがウナギの寝床み たいに長く続く。Bostonでは一番学生が多い大学。BUの建物が終わると、 Boston Collegeの中世ヨーロッパ風の校舎が見える。その先は豪邸、そして 山林が続き、1時間近くかかっただろうか、ようやくWeylandに到着。時計 は17時を指している。 我が家の1 0 倍以上の屋敷に、裏庭まである。小鳥の鳴き声と林檎の木が 出迎え。1 8 時半にもう一人の友人が来るまで、b e e r にアボガドとポテト チップスをいただきながら、彼女の集めた画集を見せてもらう。2 0 世紀ド イツ画家( カンジンスキーやパウルクレー) が好きなので、それを中心に眺め る。もう3 0年以上も前に、5 年間京都に住んでいたというB o b さんがいらっ しゃり、3 人の晩餐。チキン、クスクス、マンゴジャムにワインの後は、サ ラダにアイスクリームに紅茶。お二人の記念撮影をして、21時お別れ。Bob さんに自宅まで送ってもらう。 27 4月25日(火) リトル東京 今日は良いお天気。思わず洗濯に掃除。そしてPorterへ食料の買出し。つ いでにその名もPORTER SQUARE BOOKSという本屋で《Jackson Pollock》 $29.95、《Art & fear》$12.95の書籍購入。 17時前にWashington DCのFreer美術館の張子寧さんから電話がある。5月 5日の訪問OKとの承諾を得る。1日かけて収蔵品を見せてもらう予定。 日本食料品店の「寿屋」には、タウン雑誌や新聞のようなものがFREEで おいてある。その中で気になる文章を見つけた。『週間ビジネスニュース』 〈第39号〉Friday,April7,2006の8pageに、《特別寄稿 寂れ行く「リトル東 京」−後編−リトル東京の斜陽》である。 「リトル東京が寂れたのには、日本の不況や、二世、三世たちのコミュニ ティー離れなど、多くの要因が考えられるが、その中でも「日本領事館」が リトル東京から移転した影響も少なくない。先にも述べたが、リトル東京と いう場所自体、異国で生きていく辛さ、寂しさを祖国への面影で癒そうと日 本領事館界隈に集まった日系移民たちの「想い」から始まったものだが、そ の、日系移民たちの心の拠り所であったはずの領事館がリトル東京から出て 行ってしまったのでは、話にならない。領事館が移転する時、多くの日系人 が反対運動に参加した。……コリア・タウンやチャイナ・タウン、リトル・ バンコクやリトル・サイゴンは日々、栄えるように発展している。他のアジ アコミュニティータウンの活気はそれだけで、本国の存在、イメージをアメ リカに振りまいている。……リトル東京は今後、アメリカ社会から消えてし まうのだろうか、いや、名称や地域は残り続けるだろうが、リトル東京の活 気や潤いはもう、戻ってこないような気がしてならない。(松)」 リトル東京はBostonではなく、Los Angelesにある。その名を聞いたこと があったが、まさか斜陽の現実とは。日本を考え、Bostonを考える良い機会 になろう。行ってみたいと思う。 28 4月26日(水) SUDOK(数独) 11時ころ《Boston Globe》から購読勧誘の電話。Evelyn Malkinさんから 《New York Times》がいいけれど、BostonならGlobeと聞かされていた。英 語の勉強にもなるし、2 週間試しに読んで不要なら解除するということなの でOKした。その後すぐに、別の新聞社 (BostonとWashington DC) からも電 話があったが、“I don’t need it.”とすぐさま断った。不思議なものだ。よ りによって同日に3 件も新聞購読勧誘の電話がかかってくるとは。それにし ても日本と同じでしょっちゅう勧誘電話がかかってくる。“I don’t speak English.”と言うとすぐに諦めてくれるので好都合だが。 数独というP u z z l e をご存知だろうか。私も日本に居たとき、好きで時々 やっていた。FREEで配布している新聞《Metro》を私も愛読し始めたのだ が、Red Socksの試合結果に目を通した後、SUDOKを解いている人を見か ける。Park St.でGreen Line(B)に乗り換えた時、横に座られた小母さんが、 わざわざSUDOKUの本を取り出して解き始めたのには驚いた。ICEAACH の横にあるBarnes & Noble (BUの専門goodsも売っている店)で、SUDOKU のコーナーを見つけたので思わず写真撮り。 BobにWashington DCの地図を貸してもらい、Freer、White House、桜の 名所などを教えてもらう。もう桜は見られないかもしれない。7 月上旬に、 中国へ行く途中、日本に立ち寄って巨人(読売ジャイアンツ)の試合を東 京ドームで見たいがticketは取り易いかと質問された。誰かご存知の方は教 えてください。 以前KFCの写真を載せたので、家の近所にもある本場のMcDonald’sの 写真と、Barnes & Nobleで買った座布団(19.98$の2$引き)の写真をおまけに載 せます。 ★ 4月27日(木)BU第10代学長就任式 朝、栄豊斎に頼んでいた筆巻きが届いた。望月さん、笠井さんありがと う。船便でやはり1 ヶ月かかりましたね。すでにお世話になっている、また これからお世話になるアメリカの方々にpresentしようと思う。 Bobから、学長就任式を見たいなら、2時までにICEAACHに来るようにと のmailをもらった。正式には《The Inauguration of Dr. Robert A. Brown Tenth President of Boston University》April27, 2006 という。“Celebrating Our Legacy | Forging Our Future”がcatch copy。訳せば、「BU第10代学 長Dr. Robert A. Brown就任式典‐遺産を祝い・未来を鍛える−」となろう か。 29 4月27日(木) BU第10代学長就任式 (つづき) 1839年創立からの遺産を継承しつつ、さらに発展しようということであろ う。Ticketが無いと入場できないので、Bobと一緒にGeorge Sherman Union に受け取りに行く。Bob曰く、「前のPresidentが約30年務めて引退、滅多に 無い儀式。Harvard大では空席のまま」だそうだ。場所はAgganis Arena。 地下鉄の駅で言えば、ICEAACH のあるKenmoreから、BU East、BU Center、BU Westと3駅西に歩く格好になる。こちらでは2bloc aheadという ふうに、かたまりで位置を把握するが、数え切れない場合はどうしようもな い。Agganis Arenaの入口でBobと別れ、staffにTicketを見せて入場。警察官 もいる。大きなt h e a t e r の感じ。正面に大きなB U のf l a g と、その左に 「Celebrating Our Legacy」、右に「Forging Our Future」の2本のflag、両 サイドにも各学部の色とりどりのflagが垂れ下がっている。 1 5 時から1 7 時までの式典を見ながらいろいろ感じ、後で考えた点が3 つあ る。 ①式典の荘厳さ。色とりどりのgownとcapを身にまとったたくさんの学者 が列席し、その智恵と権威の象徴に圧倒された。gownとcapは大学、学位に よって色も形も違うという。BUは赤、Harvardは黒と決まっている。500人 以上は列席していたであろう。こんなにもPH.D.がいるのか。PH.D.の入場に 30分かかった。中国でも、学士(BA)、修士(MA)、博士(PH.D.)それぞれで色 の違うg o w n を着るという。もっとも日本でも、医学・工学・理学などの博 士は課程で取得しやすいが、最近改善されてきているものの文学博士の取得 は大変である。日本では、このような風習は戦前まであったのだろうか。特 別の衣装を身にまとうのはstrangeではあるが、何だか損をした気がする。 ②抗議する人の存在。その荘厳な式典に突如物言いする不思議さ。はっき り何を言っているのか聞き取れないのでよくわからなかったが、3 人が祝辞 や学長挨拶に対して、立ち上がって抗議した。すぐに警察官に取り押さえら れ退場させられたが。勇敢と言えば勇敢であり、日本ではまったく見られな い光景である。そういえば、White Houseで胡錦濤が挨拶し始めると、法輪 功の女性が突然抗議するといった光景をT V で見たが、不満が渦巻いてい る。Speechの途中で、抗議内容を上手に自分のspeechに取り込んで拍手喝 采を浴びたタフツ大学長は見事であった。 ③伝統の重み。①とも関連するが、アメリカ最古の大学Harvardは1636年 創立というから驚く。Yale大1701年、Pennsylvania大1740年、Delaware大 1743年、Princeton大1746年と続き、BUは1839年。それでも日本のどの大学 よりも古い。日本では、東大が明治1 0 年( 1 8 7 8 ) 。それより古いのが明治4 年 (1872)、師範学校から始まる現筑波大学。慶応義塾は安政5年(1858)に開塾す るが、大学部が出来たのは明治23年(1890)。中国と言えば北京大学だが、そ 30 の前身の京師大学堂は1898 年創立。辛亥革命後、1912 年から北京大に改名 している。こうやって眺めると、アメリカの大学は歴史がある。しかしイ ギリスのUniversity of Oxfordの1117年、枝分かれしたUniversity of Cambridgeの1209年創立を考えると、アメリカも足元に及ばない。日本の大 学教育の有り方を考える上で、見習うべき点が多かろうと思う。 ★ 4月28日(金) 教え子の展覧会 Bostonから日本の展覧会のお知らせ。大東文化大学の教え子3人が展覧会 を開く。頑張っているので私のブログに紹介する。時間のある人は是非見に 行って、感想をコメントか「掲示板」に書いて欲しい。 月歩展《げっぽてん》のご案内――「謹啓 麗春の候、皆々様におかれま してはますます御健勝のこととお慶び申し上げます。 この度、幸喜洋人、 松尾大輔、國枝貴之の三人による『印とその周辺』を主題にした展覧会を開 催するはこびとなりました。下記の通りご案内とさせて頂きます。会場: 國 枝ビル2 階奥 〒1 5 0 - 0 0 0 1 東京都渋谷区神宮前6 - 8 - 6 日時:平成1 8年5 月4日 (木)5日(金)午前10時∼午後6時 アクセス:JR山手線原宿駅表参道口徒 歩6 分 東京メトロ千代田線徒歩4 分。明治通り沿いロッテリア裏手、穏田 (おんでん)商店街真ん中。ご多忙とは存じますが、ご高覧賜ります様、何 卒宜しくお願い申し上げます。時節柄、御身体ご自愛下さいます様、重ねて お願い申し上げます。頓首 平成十八年四月吉日 月歩會一同」 國枝君の作品「飾り台」のコメント「印章・刻印の世界では通常、印面に 刻まれた内容、紋章等が第一義的なものとなります。しかし印材となる物体 31 4月28日(金) 教え子の展覧会 (つづき) 自身を愛でる文化、観賞や、感触によって体感する文化も忘れてはならない と考えます。押印時以外は日頃、箱や棚にしまわれている石印材、木印材等 を『身近に、陽の当たる場所へ』との願いを込めて、それらを飾る『飾り 台』の作成にこの1 年間取り組みました。知識や技術面において、まだまだ 浅く、薄いものである事は否めませんが、現時点での足跡として記録、展示 し、皆様のご意見、ご批評を頂ければ幸いです。」 もう一つ情報。大東文化大学書道部OBの方のHPを教えてもらいました。 ご覧になりたい方は、http://www.interq.or.jp/world/hi-ro/をクリックして みてください。 ★ 4月29日(土) 水鳥 12時前に黒河夫妻とBU West駅で出会う。早く着いたので、学長就任式が あったAgganis Arenaに行き概観を撮影。ついでCollege Of Fine Artsを見 学。ここは音楽(Music)・映像(Theater)・視覚芸術(Visual Art)の三学科から なる学部で、BU Art Galleryや音楽ホールがあった。留学したくなる雰囲気 で、韓国の若い女子学生が二人いた。学部はCollege、学科はDepartment of Art HistoryまたはSchool of Visual Artというふうに呼んでいる。 黒河夫妻が見えたので、案内してもらって「T おばさんの家」を見学させ てもらう。1日から1年以上の方まで滞在するミニホテル、B&B(一泊朝食付) である。節約派で何とかボストンに滞在したい方には、お勧め。学生諸君 如何ですか?HPを書いておきます。http://tbbboston.s165.xrea.com/ index.html。場所はBUの真南に位置し、毎日BUに通うのであれば徒歩5分 と至近距離である。 見学後、歩いてSt. Mary’s駅のそばの日本料理店「銀座」で食事。隣に は中華のお店。ボストンに来て初めて焼き魚(salmon)を食べた、11$なり。 黒河さんのご主人はSANYOからの1年間の派遣で、BUのMBAを取得され てまもなく帰国とのこと。卒業式には真っ赤なgown を着るそうである。し かし派遣制度も自分が最後だと言っていた。 St. Mary’s駅から地下鉄Green Line (C)に乗り、Coplyで下車。観光と shoppingのspot、Prudential Centerへ行く。何と携帯を買ったVerizonの向 かいにあった。頂上から夕日の展望はお勧めと久美子さん。このC e n t e r は arcade中央に屋台のお店が並び、巨大Shopping mall の Coply Place とも繋 32 がっている。ここで黒河夫妻と別れ、ぐるりと一回りしてから、C h a r l e s Riverに向けて歩き出す。渡米前に、溝口雄三先生(東大名誉教授・前大東大 教授) から「水鳥」が良いとの感想を聞いていたからだ。鴨が泳いでいる。 Asphaltだが散策コースがあり、自転車、Skateboard、ジョキンッグ、日光 浴とさまざま。MITのbuildingが眼前に広がる。 散策後、Red LineのCharles/MGH 駅を見つけ、Park St.駅でGreen Line に乗り換え、次のGovernment Center駅でBlue Lineにもう一度乗り換え、 Airport駅まで行く。Shuttle Bass(無料)でC・D terminal行きに乗って、ロー ガン国際空港まで足を伸ばす。5月3日にJET Blue Air LineでWashingtonに 行くための予行演習である。 渡米時は大きなS u i t c a s e が2 つ。これでは国内旅行に不便なので、A i r terminalで鞄を見つけて購入。店頭販売のものしか残っていなかったので、 Discountの交渉をして、10%offの122.9$ (117$+tax)で成立。 帰りは昨秋完成したばかりのSilver LineでSouth Stationまで乗り、Red Lineに乗り換えて帰宅。予行演習無事終了。発見したことが2つ。Tokenの C o i n 1 枚( 1 . 2 5 $ =約1 5 0 円) で、家と空港が結ばれていることと、ほとんど Escalatorがあって荷物の運搬に楽なことである。しかしDavis駅から自宅ま での間の歩行者用舗装道路はデコボコで、一番運びにくかった。 33 4月30日(日) 渡米一ヶ月 無事にひと月が終わろうとしている。 「時差」にいつごろ慣れたか分からないが、2 週間はかかっただろう。最近 はよく寝られるようになった。もっともSTARBUCKS COFFEE Liqueurや 地ビールSAMUEL ADAMSの力を借りているが。 「自炊」は何年ぶりか。と言うよりこれまで殆ど料理らしい料理を覚えて こなかった。母と妻のありがたさをしみじみ思う。作って食べてもらえる誰 かがいれば、真剣に作るのだろうが、自分のためにだけ作る、それこそが 「自炊」だと痛感。たとえ美味しくても、一人で食べるのは味気ない。 「煙草」を禁止できず、「お腹」は凹まない。MILDSEVENのORIGINALが 一箱5.4$もする。日本のほぼ倍の値段。因習は簡単に変えられない。運動を する必要があると思うが、寒さに負けている。少し暖かくなってからと思い つつ、これも実行できるか不安。 「自由」のありがたさに感謝。その反面、自己管理の難しさに悩まされ る。中国、台湾に幾人か留学生を送り出してきたが、みんな良く頑張ってい ると思う。それに比べ、会議も授業も無いので、私はある意味「何もしない でよい」状態で、今のところ行き当たりばったりである。何時に寝なけれ ば、何時に起きなければという拘束が無く、何日までにこれを仕上げなけれ ばならないという作品も、いつまでに書かなければならないという論文もな く、まったくの野放し状態である。今までそれだけ時間に追われてきたから で、その習性が身についているためか、何もしないと逆に不安になる。今日 は何をしようかと、とりあえず時間を埋めている感じ。ほんとうに贅沢な悩 み。パソコンがあり、このブログがあるお蔭で、何とか時間を費やしてい る。 一か月分の経費を$1=¥118で計算すると、CardまたはCashでの支払いが $3000強、Checkが$5000弱。合計95万円弱もかかった。家賃3ヶ月分、新田さ んへの支払い、電化製品(TV/電子レンジ/炊飯器/電話兼FAX/携帯電話)な どの購入が大口である。外食は数回で、決して贅沢な生活をしているつもり はないのに、非常に大きな出費である。ボストンの物価は決して安くない。 東京よりも高いというのが実感。 かくのごとく、この一ヶ月全体の感想を書き出すと反省点ばかりになって しまった。5月に乞うご期待。 Weblog from Boston, 2006 34 May, 2006 Washington D.C., Boston 35