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日本オペラ振興会 オペラ歌手育成部
日本 のオペラ年 鑑 2 0 12 『日本のオペラ年鑑2012』 (編集・発行:学校法人東成学園/昭和音楽大学オペラ研究所、発行:2013年12月20日) 日本オペラ振興会 オペラ歌手育成部 小畑恒夫 よく「藤原のオペラ研修所」と言われるが、 のオペラ団体としての伝統を残している)を 「日本オペラ振興会」の「オペラ歌手育成部」 もつこの育成部の位置を明確にするためであ る。 という名称が正しい。 1934(昭和 9)年に創設され、初の本格的 * なオペラ団体として日本のオペラ界を牽引し 育成部の目的は、文字通りオペラ歌手の育 てきた「藤原歌劇団」と、その活動を 1958 成である。日本のオペラ界を牽引するような 年の教育オペラ研究会にさかのぼることがで 高いレベルの公演を行っている「日本オペラ きる「日本オペラ協会」という二つのオペラ 振興会」の育成部であるからには、そうした 団体が、1981 年に合併・統合したかたちで、 舞台で活躍できるプロのオペラ歌手を育てる 新たに日本オペラ振興会が設立された。両団 という高い目標を掲げているのは当然だろ 体の名称は新組織の公演事業部門として残さ う。 れ、前者は西洋オペラを、後者は日本オペラ 一般には音楽大学や大学院では必ずオペラ を担当している。1981 年にこの新組織が作 の授業があり、オペラ歌手の育成がなされて られた時、歌手およびスタッフの育成も重要 いるものと考えられているが、実際には多く と考えられ、この「オペラ歌手育成部」が作 の音大で経費のかかるオペラの授業は敬遠さ られた。したがって、西洋オペラだけでなく、 れがちだし、学生のレベルの問題からオペラ 日本の創作オペラでも活躍できるオペラ歌手 の訓練をする以前の声作りで大学の 4 年間が を育てようというのが、この育成部の理念な 終わってしまうケースもある。原則として音 のである。 楽大学卒業者のレベルを受験資格とするこの 育成部でも、舞台経験はもちろん、オペラの 今回このレポートの執筆にあたって、「オ ペラ歌手育成部」の岡山廣幸・育成部長にお 授業を経験せずに入ってくる研究生も多い。 話しをうかがったが、ヨーロッパのオペラと 従って「基本的な舞台での立ち方、舞台にお 日本オペラの歌唱における問題について明快 ける常識、演出の先生を交えての舞台授業」 な説明をいただいた。外国語であれ、日本語 など、やはり基本的なことから始める。そし であれ、技術的な発声法はイタリアのベルカ てプロになるためには何よりもそうした基本 ントである。ただ、耳に美しい日本語、聞き が大切なのだと言う。 とりやすく理解される日本語の方法(滑舌、 育成部は現在、研究生という 2 年制のオペ ラ専門課程を開講している。その特色は「主 歌唱法)は学ぶ必要があり、それには日本オ ペラ協会の総監督であり、日本語唱法の大御 にイタリア語によるオペラ・アンサンブル、 所である大賀寛のメソードが生かされている オペラ全曲の、歌唱法から音楽総合表現に至 と言う。 るまでを幅広く学ぶために、常に実践に主眼 冒頭に「藤原のオペラ研修所」ではないと を置き、個々の素材を重視するため、少人数 書いたのは、名称だけの問題ではなく、将来 制のきめ細かな指導体制をとっている」こと の活躍の場所として二つのオペラ部門(二つ にある。具体的には、1 年目の「オペラ専門 1 日本オペラ振興会 オペラ歌手育成部 ● 51 『日本のオペラ年鑑2012』 (編集・発行:学校法人東成学園/昭和音楽大学オペラ研究所、発行:2013年12月20日) コース」はオペラ・アンサンブルを核として すると育成部に入ってきた時点では、ここ 歌唱と身体表現との総合体験を、2 年目の「オ でイタリア・オペラをやりたいとか、日本の ペラマスターコース」は個々の成長と個性・ オペラをやりたいとかの選択をすることはま 資質を重視し、本舞台に向けたオペラ・アン だできないのだろうか? 先にも述べたよう サンブルとオペラ全曲の研修として、実践的 に、ここではまずイタリア語によるオペラ・ な教育を行う。各コースの概要は別表に掲げ アンサンブルを取り上げる。それがオペラの たが、いずれも舞台に立つ人に必須の内容が 基礎であるという考え方からだ。 「現状では、教材として使っているのは 学べるように科目化されている。 「オペラ演習」はグループで行うアンサン モーツァルトのイタリア・オペラです。特に ブルの練習で、一つのグループにつく講師陣 専門コースの方ではそうです。音大を卒業し は指揮者 2 名、ディクション指導が 1 名、コ たけれどレチタティーヴォを歌ったことがな レペティトゥールが 2 名、演出家が 1 名が原 いという学生は結構いるんですよ。レチタ 則で、このチームで音楽を作り、ディクショ ティーヴォをしっかり勉強してもらうために ンを正し、1 年間勉強する。後期には演出の も、モーツァルトのオペラはとてもいいので 入った練習が主になるそうだ。この講師陣に す」。 対し、学生の方の人数は専門コースが昼コー ところでカリキュラムのなかには「声楽実 ス、夜コースを合わせて 10 名、マスターコー 技」、つまり声楽のレッスンというものはな スが 13 名なので、まさに「少人数制のきめ い。あくまでもオペラを歌うための歌唱のテ 細やかな指導体制」が実現されている。 クニックは身についているのが前提で、その 「演技」は台詞術をメインに演技そのもの ために選抜試験があり、合格した者だけが研 の方法を学ぶ。オペラマスターコースのこの 究生になれる。それでも実際には、選抜試 授業では、ダリオ・ポニッスィさんを講師に 験のアリアは歌えたけれど別の曲は大変、と 招いてイタリアの伝統演劇「コンメーディ いう学生がたまに紛れ込んでくることもある ア・デッラルテ」の身体表現も取り入れてい し、専門コースの時点ではまだ充分な水準に るそうだ。 達していない学生がいるのも現状だ。そうい 「日本歌曲」 「日本舞踊」は明らかに日本オ う人たちは自分のテクニックを向上させるた ペラ協会での活躍を念頭に設定されている。 めに、積極的に自分で指導者を探して声楽の 《蝶々夫人》も含めて日本オペラの所作がで レッスンを受けなければならないという。こ きるためには「日本舞踊」は必要だろう。若 こで学ぶのは声の出し方ではなく、舞台で表 い人たちにとって日本家屋もキモノも過去の 現するために必要なこと。オペラの中でどの ものになってしまった昨今、プロになるため ようにソロやアンサンブルを歌うか、どのよ にはどこかで日本的な身体表現をきちんと学 うな様式で歌うか、演技をつけながらどのよ ばなければならない。 「日本歌曲」は先に述 うに表現するかということなのだ。 べた大賀寛が授業を受け持っている。 「大賀 専門コースでモーツァルトを卒業したら、 先生は日本歌曲もベルカントであるという考 他のレパートリーをやるのですか? 他のオ え方ですから、教わる方も、それで混乱を起 ペラに適性のある人たちもいるのでは? こすことはない」と岡山廣幸氏は言う。 「日本 「確かにいます。ですから、マスターコー オペラ振興会の育成部ですから、両方をバラ スに進んだ時点で、各学生の声に合ったレ ンスよく勉強していかなければならない」と。 パートリーを、各クラス担当している講師た 52 ● 日本オペラ振興会 オペラ歌手育成部 2 『日本のオペラ年鑑2012』 (編集・発行:学校法人東成学園/昭和音楽大学オペラ研究所、発行:2013年12月20日) ちが相談して決めて行くのです。この人に ラ公演も見に行きます。最近はみんな DVD は《ラ・ボエーム》のミミをやって修了さ ばかりで満足する傾向があるけれど、実際の せようとか……。人に合わせるのでいろんな 舞台を見ないと」と岡山氏。自分たちが取 ものが出てきます。後期バロックからヴェリ り組んでいるオペラがどういうものであるの ズモまで。イタリアものがメインになります か、実際の舞台を見て学び取ることは多いだ けど、フランスものがあったり、以前ストラ ろう。 ヴィンスキーの《マヴラ》をやったことがあ 組織的には、育成部は「公益財団法人日本 りました。強い声の学生だったので、やらせ オペラ振興会」の一部門なので、運営上の重 てみたのです」 。 要な決定は理事会でなされ、事務局が総務 専門コースからマスターコースへ進級する 部、事業部、育成部を統括するかたちになっ には試験で規定以上の成績を収めなければな ている。だから経済的な面ではさまざまな制 らない。試験は年に 2 回、ソロとアンサンブ 約があり、修了公演の赤字幅を減らす対策等 ルそれぞれの試験があり、他に日本歌曲試験 には理事や事務局との話し合いもある。しか や演技の試演が年 1 回ずつある。なかには落 し教育内容やカリキュラムについては育成部 第する学生もいるそうで、それはプロをめざ が責任を持ち、岡山廣幸・育成部長、岡山肇・ すのだからいたしかたない。進級できなかっ 育成部教務主任を中心に現場の指導者たちが た者は 1 年に限りもう一度そのクラスで勉強 決定しているという。 し、再チャレンジができるそうである。 オペラ歌手育成の方法としては、今のシス 2 年目マスターコースにおける大きな特色 の一つは、オペラ 1 曲全部を修了公演として テムが唯一最良のものでしょうか? すこし 仕上げることだ。一応スタッフも付き、照明 らないが、許される範囲でベストを尽くし 意地の悪い質問に、「ベストかどうかはわか もあり、衣装もつけた公演になる。修了試験 ています」と岡山氏。「もし僕に経済的余裕 で優秀な成績を収めると藤原歌劇団の準団員 があったら、もう少し修了公演にお金をかけ または日本オペラ協会の準会員に推薦され て、広いところでやらせてあげたいとか、声 る。修了者のおよそ半数が準団員になるのが 楽の実技試験も、大きなホールで声を聞きた 実績だそうである。 いとか、そういう希望はありますけど、全部 * お金がらみですから……。でも方法論は変わ 育成部は神奈川県川崎市新百合ヶ丘、昭和 りません」。 音楽大学北校舎の内部にあって、教育環境は オペラ歌手を育てる簡単な方法はあるわけ 整っている。授業はこの校舎の教室・スタジ がない。その正しい、正統的な方法を育成部 オで行われる。また試験は、ソロ歌唱試験 では行っているというわけである。 がラ・サーラ・スカラという客席数 184 の小 実際に藤原歌劇団の団員や準団員の数を見 ホール、アンサンブル試験はオペラ練習用の ると、育成部の出身者はかなり増えてきてい 第 2,第 3 スタジオ、マスターコースの修了 る。佐藤美枝子、中鉢聡、三浦克次など第一 公演は本格的な音響・照明設備を備えた客席 線で歌っている人たちがいる。そうした人材 数 246 のスタジオ・リリエが使用される。 が出てきているのが一番の実績だろう。 研究生は、特典として藤原歌劇団と日本 ただ最近の少子化は大きな問題になってき オペラ振興会の公演を割引料金で見られる。 「彼らは日本オペラも見に行くし、藤原オペ ているという。またそれと同時に圧倒的な男 性不足という問題もある。少子化による生徒 3 日本オペラ振興会 オペラ歌手育成部 ● 53 『日本のオペラ年鑑2012』 (編集・発行:学校法人東成学園/昭和音楽大学オペラ研究所、発行:2013年12月20日) 数の激減は、現在の音楽大学もかかえている 学ばなかった人たちもここで歌唱に必須の基 問題で、すそ野が広くなければ優れた人材も 礎固めをすることができる。実際にここから 出てきにくくなる。 「これに関しては、藤原 研究生を受ける人も出ている。 歌劇団の団員で音楽大学で教えている人もか 社会の人口構成の急激な変化は、今後さま なりいるので、そういう人たちと情報交換し ざまな分野で我々の生活に大きな変化をもた て育成部の学生を増やす手段を一緒に考えて らすと予想されるが、音楽の分野も例外では います」 。 ない。オペラを楽しむ高齢者がもし増えたと そうした社会の変化に対応するという意 しても、実際に舞台に乗って歌い演じる若い 味もあり、育成部には「研究生」のほかに 世代がどんどん育ってこなければ、オペラの 「選科生」の制度も設けられた。 「選科生」は 未来はどうなるだろう。オペラという実践的 1 年制で、「声楽アミーチコース」「声楽ス な芸術分野で活躍できる潜在能力をもった若 トゥーディオコース」 「オペラ基礎コース」 者は、昨今の音楽大学が育てている学生以外 の 3 コースがある。これらは主にオペラに親 にもたくさんいるはずで、そうした若者たち しみ、楽しみながら学ぶという教養的な側面 を発掘して育てるシステムはもっと充実させ をもっている。しかし「オペラ基礎コース」 る余地があるだろう。もっともそれは本稿で だけは「研究生」に進む準備をするコースと 紹介した「日本オペラ振興会オペラ歌手育成 いう位置づけであるため、18 歳以上 33 歳未 部」だけの話ではなく、音楽界全体が協力し 満という年齢制限を設けている。ソルフェー て考えなければならない大きな問題であるよ ジュやイタリア語の授業もあるので、音大で うに思われる。 日本オペラ振興会 オペラ歌手育成部 研究生制度概要 平成 25 年度 募集要項を基に作成 オペラ専門コース オペラマスターコース ●授業日 昼コース:月・(水)・金 10:00-13:00 夜コース:火・木・(金) 18:00-21:00 ※原則的に基幹授業が週 2 回。もう一日は年度を通して適 宜行われる特別授業のための基本曜日。 ●授業日 昼コース:火・木・(土) 10:00-13:00 夜コース:月・(水)・金 18:00-21:00 ※原則的に基幹授業が週 2 回。もう一日は年度を通 して適宜行われる特別授業のための基本曜日。 ●授業内容 オペラ演習、日本歌曲、日本舞踊、ダンス・ステップ、演 技、メイク・服飾、オペラ史、舞台照明、芸術鑑賞 他 ●授業内容 オペラ演習、日本歌曲、演技、メイク・服飾、オペ ラ史、舞台照明、新人育成オペラアンサンブル公演、 芸術鑑賞 他 ●試験 中間試験・進級試験(ソロ・オペラアンサンブル) 日本歌曲試験(年 1 回)、演技試演(年 1 回) ☆ソロ試験課題曲 前期:1850 年迄に作曲されたイタリア語によるオペラ アリア 後期:イタリア語によるオペラアリア ●試験 中間試験・修了試験(ソロ・オペラアンサンブル) 日本歌曲試験(年 1 回)、演技試演(年 1 回) 新人育成オペラアンサンブル公演 ●進級 基準以上の成績をあげた者は進級することができる。ま た何らかの事情で進級できなかった者は、1 年間に限り同 コースに留まることができる。 ●修了 基準以上の成績をあげた者は修了することができ る。また何らかの事情で修了できなかった者は、1 年間に限り同コースに留まることができる。マス ターコースにおいて、修了試験に合格した者のうち 成績優秀な者は、藤原歌劇団の準団員または日本オ ペラ協会の準会員に推薦される。 54 ● 日本オペラ振興会 オペラ歌手育成部 4