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2014.5 No.33 平和のテーブル・京都 通信 平和のテーブル・京都 子どもや子どもの本に関わってきたものが、月 1 回テーブルを囲み、 3.11東日本大震災を 平和の井戸端会議、平和のよもやま話をしています。 な っ て い く の だ ( あ す の わ し ん ぶ ん お お き な お お き な ひ か り に ち い さ な ひ か り は そ の と き 、 ま っ て い る ゆ う じ ん た ち が ち い さ な ひ か り を も っ た た く さ ん の 忘れないでおこう そ の さ き に は し っ か り あ る い て い こ う そ れ を た や さ な い よ う に そ う し て 、 た い せ つ に ま も ろ う ち い さ な ひ か り を わ た し は た と え な に が お こ ろ う と 、 ち い さ な ひ か り 絵 ・ 詩 Vol.9 市 居 み か よ り ) 戦中・戦後の想い出すことなど(5) 忘れもしない中学 3 年生の夏休み、毎日午後 最後の残照とブルジョワジ-の台頭の時代の華 から冷房もないこの図書館へ通って、大デュマ やかなパリ社交界が、複雑な人間関係と網の目 作・大宅壮一訳「モンテ・クリスト伯」上下 2 のように張り巡らされた伏線を通じて活写され 巻を読み通した。1 年生の時に読んだ「巌窟王」 る。丸 1 ヶ月の間夢中になってのめり込んで興 の原作だった。19 世紀前葉のフランス、ナポレ 奮していた。頭の中がモンテ・クリスト伯爵の オン派だと密告され、恋人を奪われ絶海の孤島 ことで一杯になって、夢は果てしなく広がって で 14 年間の独房生活を強いられたマルセイユ いった。小説とはこんなに面白い物なのか!と の水夫エドモン・ダンテス、獄中で知り合った 思った。 老人から高い教育・教養と莫大な財産のある島 父の蔵書に読みふけるのはもう少し後、高校 の地図を授けられ、奇跡の脱獄・・モンテクリ 生になってからのことだ。ドストエフスキーや スト伯爵と名を変えてパリ社交界に登場・・今 トルストイ、バルザックやスタンダールなどロ では社交界の大物となっている三人の密告者た シア文学やフランス文学、社会科学の本が多か ち・・その一人はかつての恋人メルセデスを妻 った。バルザック「風流滑稽奇談」など、父が にしている政府高官・・手に汗握る深謀遠慮の まだ読まない方がいいと言う本に先に手が行く 復讐物語、波瀾万丈・絢爛豪華な大ロマン。フ が、高校生には結構刺激的な内容だった。 ランス大革命の鬼子として生まれたナポレオン 高校生になると、友人と古本屋巡りをはじめ 帝政、その崩壊と王政復古の時代、貴族階級の た。当時、寺町通りなどには古本屋が軒を連ね ていたが、そこには、知的好奇心の盛んな 15-6 デルスゾーンの「ヴァイオリン協奏曲」(ダヴ 才の少年にとって心躍る「未知の世界」があっ ィッド・オイストラッフのヴァイオリン、コン た。 ドラシン指揮のモスクワフィル)、ショスタコ 欧米の推理小説-エラリー・クイーン、アガ ーヴィッチの「森の歌」(ムラビンスキー指揮 サ・クリスティ-、ヴァン・ダイン、ディクス のレニングラードフィル)の 2 枚。岩波文庫の ン・カー、ガストン・ルル、クロフツ、ミルン ★1 つ 40 円、高校生の小遣い 600 円(月)の時 などの作品に夢中になったのもこの頃のこと 代に、LP レコードは 1 枚 2,000 円もした。LP だ。 レコードはジャケットの写真(指揮者や演奏家) 想い出すままに懐かしい名前を書き出してみ が魅力で、裏面の解説も行き届いた内容だった。 たが、後に、巨人・松本清張が登場するまでは、 「森の歌」のジャケットはムラビンスキーの指 推理小説は「謎解き」の世界だった。その謎解 揮写真、ロシア貴族出身らしい端正な容貌が印 きの醍醐味に魅せられていた。 象的だった。高音質の HI-Fi(ハイファイ)、ス テレオ・プレイヤーを備えてクラシック音楽を 幼い頃から父の部屋に今の電気冷蔵庫の下半 専門に聴かせる音楽喫茶「田園」が誕生したの 分ほどの大きさの、木製の「蓄音機」が鎮座し もその頃だった。 ていた。父が母親に就職祝いに買ってもらった 音楽と言えば、高校時代は「うたごえ運動」 とかで大切にしていた。側面にハンドルがつい の全盛期で、音楽センターの「青年歌集」がベ ていて、それでゼンマイを巻いてレコードをか ストセラーになり、四条河原町界隈にあった「う けた。ゼンマイが緩んでくると音が間延びする たごえ喫茶」(「灯」?「炎」?)をのぞいた ように聞こえてきて、慌ててハンドルを回す。 り、高校のクラブ「音痴コーラス」に籍を置い 幼い頃は、 「ペルシャの市場にて」が大好きだっ たり・・ロシア・世界民謡、青年・学生歌、労 た。砂漠を近づいてくるキャラバンの足音ー市 働歌が多かったが、あの頃の青年はどこででも 場の喧噪-お姫様の訪れ・・去りゆくキャラバ 実によく歌を歌った。 ンの足音と展開するエキゾティックな音楽を何 「夜霧のかなたへ 別れを告げ 度もせがんでかけてもらった。中でもお姫様の らお 窓辺にまたたく 訪れを描いた哀愁に満ちたメロディーが忘れら 出でていく と も しび に 雄々しきます つ きせ ぬ乙 女 の 愛の かげ 」 れない。ビクター製のレコードが沢山そろって (灯)、「りんごの花ほころび いて、ベトーベンの「英雄」「運命」「田園」 たち 「合唱」、シューベルトの「未完成」、ドボル チューシャ)・・いずれも戦時下の男女の別離 ジャックの「新世界より」等を勝手に聞き始め を歌ったロマンティックなロシアの歌曲で、歌 たのは中学3年の頃だった。SP レコード(78 詞もメロディーが美しい。 回転)の時代で、片面 3 分程度、「合唱」など 君なき里にも 川面にかすみ 春はしのびよりぬ」(カ また、戦後の開放的な労働運動、学生運動の は 8 枚もあり、頻繁にレコード盤を取り替えな 歌・・「太陽は呼ぶ地は叫ぶ 立てたくましい ければならなかった。戦前版だったので、指揮 労働者 世界をつなげ花 者はトスカニーニ、フルトベングラーが多かっ の輪に」(世界をつなげ花の輪に)、「学生の た。父はやがて、それを電気モーターに改装し、 歌声に しばらくは電気蓄音機(電蓄)として使ってい 再び戦火でみだすな・・」 た。高校3年になった頃、LP レコード(33 回転) (国際学生連盟の歌)。 が登場、音質とボリュームは飛躍的に進歩した。 働くものの赤い血で 若き友よ手をのべよ 高校1年の「一般社会」 LP プレイヤーを買ってもらい、最初に買っても 担当のH先生は京大の大 らった LP レコードは、チャイコフスキ-とメン 学院生だったが、その先 2 輝く太陽青空を 生に勧められて「社研部」の仲間と京大西部講 がみ)であり、神聖にして侵すべからざる天皇」 堂へソビエト映画を観に行ったことがある。 「若 が主権者の「神の国」から国民が主権者の「民 き親衛隊」という独ソ戦中の青年パルチザンを の国」へと 180 度転換して、新しく生まれ変わ 描いた映画だったが、字幕がなく、音量を絞っ った。同時に、国際紛争解決の手段としての「戦 たロシア語にかぶせて日本語台詞を京大生が読 争」は永久に放棄された。 み上げるのだが、それが熱がこもっていて実に 先生の指示に従って教科書の至る所を黒々と うまかった。映画は普通、2 台の映写機を交互 墨で塗りつぶした。 に使って映写するのだが、この日は 1 台が故障 先生と言えば、軍国主義の権化のような何人 していて、フィルム 1 巻を映写し終わる毎に、 かの先生が消えるようにいなくなり、軍隊帰り 次の巻をセットする間、電灯がついて 5-10 分ほ の若い先生が「国防服」姿で現れて、子供たち ど待ち時間がある。観客は大学生・高校生ばか の人気を集めた。「自由」と言う言葉がはやり、 りだったが、その待ち時間が来るたびに、あち 先生にしかられると、子供たちは口をとんがら こちで歌声がわき起こる・・「民衆の旗赤旗は せて「自由や」と反発した。抑圧の反動でそん 戦士の屍(かばね)を包む な風潮があった。 く冷えぬ間に 旗を 屍(しかばね)固 血潮は旗を染めぬ その 影に 死を誓 う 高く立て赤 卑怯 者さ らば去 れ こうして私たち戦後世代は、平和と国民主権 はじめて聞く「赤旗 と基本的人権の日本国憲法のもとで子供時代を の歌」。戦前の、政府に反対することが命がけ 送り、民主教育を受けて成長し、進学し、就職 だった時代の革命歌だった。 し、結婚し、子供たちを育てて年月を重ねてき われらは赤旗守る」・・ 長い長い映写時間が終わって、熱気のこもっ た。振り返ってみていろいろな事があったが、 た講堂の外へ出ると、東大路に晩秋の冷たい夜 いつの時代もそれぞれに充実していて、楽しか 風が吹いていた。あの木造の「京大西部講堂」 った。この55年間、世界に戦火の絶えること は、今も昔のままの姿を留めている。 は片時もなかったが、この国は平和を享受し、 戦時下、そして戦後の数年間(小・中学生時 私たち国民は家族と引き裂かれて軍隊にとられ 代)の想い出を書くつもりが、筆が滑って高校 ることもなく、戦火に追われることもなかった。 時代にも少し触れてしまった。高校時代となる 父や母の世代、いや、ほんの 10 年先輩達の世 と、想い出も多く書き出せば切りがないのでこ 代に比べても、私たちは本当に恵まれていた。 の辺りで筆を止めよう。 そんな思いが強い。この平和な時代に、この自 由な国に生まれ育ったことを感謝している。 閑話休題。戦中から戦後へ、この鮮やかな「暗 父の蔵書、ゴーゴリ「死せる魂」の表紙のウ から明へ」の転換を確定し、定着させたのが、 ラに、父の戦時下の思いが書き込まれている。 翌々年制定される日本国憲法であった。学校の 召集(徴兵)のことがいつも頭を離れず、明日 副読本で「あたらしい憲法のはなし」を習った 来るか明後日来るかと不安な気持で毎日を過ご のはいつの頃だっただろうか。B5版の粗末な していた様子がわかる。それは当時の普通の市 冊子で、黄色っぽい表紙は、国会議事堂に光が 民の偽らぬ気持ちだったのだろう。両親や若い さしている図案だった。戦後 妻や幼い子供達、恋人を残して戦場へ駆り出さ 数年間だけ使われ、その後の れていった無数の男性の思い、後に残された女 「復古調」で使われなくなっ 性たちの気持ちは想像に余りある。しかしそれ たようだが、私たちはそれを は表に出してはならない感情だった。 「 御国のた 習った世代に属していた。 め」「国家の非常時」「非国民」などの言葉が飛 日本は「現人神(あらひと び交っていた。いやな言葉だ。二度と復活して 3 ほしくない。私など「意気地なしで女々しい」 山崎豊子の「大地の子」に描かれたように、 人間だから、もし兵隊にされて戦地へ連れ出さ 国策によって「開拓団」として中国大陸の奥深 れたら、家に帰りたい家族に会いたい・とそれ く送り込まれた農民たちは、ソ連軍侵攻直後に ばかり考えていたことだろうとよく思う。 「棄民」され、その悲惨な運命は、「残留孤児」 出征する兵隊は近所の人々の盛大な見送りを 問題として今も続いている。 受けた。後に残していく家族のことを思って後 戦後、NHK ラジオに「尋ね人の時間」という ろ髪を引かれる気持ちであっても、「勇ましく」 番組があって、毎日決まった時間に、 振る舞わねばならなかった。見送る人々には涙 「昭和 19 年頃、満州・新京で○○をされていた、 を出すことも許されなかった。戦後になって母 ××県出身の△△さん、○○さんが探しておら は「みんな、しょんぼりして出征していかはっ れます」と言う趣旨の放送が延々と流れていた。 たえ。」とくり返し話していた。 軍人軍属はシベリア抑留者以外は、ポツダム 特攻隊という非人間的な作戦によって、17 才 宣言に基づいて速やかに本土送還されたが、中 から 22 才の若い命が 4000 人以上も失われた。 国大陸などのアジア各地に散らばった民間人の まだ人生の入り口に立ったばかりで死を強制さ 帰国は困難を極めた。国内の戦災もあり、肉親・ れて、 「御国のため、天皇陛下のために死ぬ」こ 家族・知人がばらばらにされていた当時の混乱 とを自分に納得させようとして、それでも納得 状況が伝わってくる放送だった。どれほど多く しきれないでいる悩みが、戦没学生の手記「き の人々が、わらにもすがる思いでこの放送に耳 け を傾けたことだろう。 わだつみのこえ」 (岩波文庫)には様々に綴 られている。お向かいの家のお兄さんはまだ旧 ラジオ放送といえば、あの時代は NHK も民間 制中学生だったが、特攻隊に志願し、飛び立つ 放送も今と比べて「牧歌的」だったように思う。 日の前日に敗戦を迎えて生きて帰ってこられ、 落語、漫才、ユーモラスで痛烈な政府批判の「冗 空気銃でハトやスズメを撃ち落として、たき火 談音楽・日曜娯楽番」(三木トリローなどによ で焼いて食べたり、よく一緒に遊んでもらった。 る音楽とコントによる風刺番組)などは家族み 「学徒動員」によって多くの前途ある学生達 んなで笑い転げて聞いていた。 「20の扉」は、 が学業半ばに兵隊に動員され戦死していった。 子供たちの遊びに入り込んでいた。父は広沢虎 ガラス戸越しのキスシ-ンで有名な、今井正監 造の浪花節が好きだったし(父の中ではクラシ 督、岡田英次・久我美子主演の映画「また逢う ック音楽と浪曲が共存していた)、母は菊田一 日まで」は、1950 年前後に封切られたものと思 夫の連続ドラマ「君の名は」を涙して聞いてい うが、そんなある画学生と恋人の美しくも切な た。「君の名は」は空前の人気で、その放送時 い日々と別れを描いたリリシズムあふれる作品 間帯は銭湯の女風呂が空になると言われた。空 で、当時の人々の大きな共感を呼んだ。私がこ 襲下で知り合って共に逃げ惑い、有楽町・数寄 の映画を見たのは 10 年程後の、60 年安保闘争 屋橋でお互い名前も知らぬまま 1 年後の再会を に沸き立つ大学の文化祭だったが、忘れられな 誓って別れてしまった主人公(春樹と真知子) い映画の一つになっている。印象深いラストシ のその後を描くメロドラマ。佐田啓二と岸惠子 -ン・・・学生達を満載した軍用列車のテ-ル 主演で映画にもなって、岸恵子が頭部を覆って ランプが次第に遠ざかって行き、それにかぶさ 首に巻くマフラーのスタイルが「真知子巻き」 るように、恋人の爆死も知らずに戦場へ向かう と呼ばれて若い女性の間でブームになっていた。 主人公の学生の悲痛な叫びが響く、 「 いやだ!死 春樹と忠樹、名前が似ていたので、私に「西川 にたくない!こんな無意味な殺し合いで死ぬの 春樹様」と宛名書きした年賀状をくれた、お茶 はいやだ!」 ・・そして、この青年も懐かしいア 目な女生徒もいた。中学 3 年生だった。(続) トリエに戻ることは二度となかった。 2002 年 2 月記 4 (西川忠樹) 東京は眠らない 月に4,5回、東京と埼玉を往復している。 ないというのが嘘であることを証明しているよ 小田原と前橋を結ぶ湘南新宿ラインというJR うなものである。それでも政府は 2014 年 4 月 線を利用するのだが、赤羽を過ぎて埼玉県に入 11 日、エネルギー基本計画を閣議決定し、原子 り、同じラインが高崎線と呼ばれるようになる 力を“重要なベースロード電源”と位置づけて と車内の雰囲気が変わってくる。ほっと肩の荷 再評価してしまった。廃棄物の処理の問題には が降りたような和やかさが出てくるのだ。同時 一瞥もくれずに。その上、トルコとアラブ首長 に温度がすーっと低くなるのを実感する。勿論 国連邦との原子力協定が 18 日の参院本会議で 乗客の入れ替わりはあるが、比較的長く乗って 承認され今夏にも発効する見通しであるという。 いる人々も多い同じ車内なのにである。地理的 日本経済新聞によると、日本企業が関連する主 に北上していくので実際に温度の変化はあるの な海外原発案件は前述の二国以外に以下の国々 だろう。車窓からの眺めにも、武蔵野の名残の ともである。フィンランド、リトアニア、英国、 雑木林や田園風景が見られるようになるのも涼 チェコ、ベトナム、と続いている。 (2014/04/19. しさを感じさせる要因かもしれない。往きはぼ 日経朝刊) んやりそんなことを思うのだが、帰りになると、 しかも、紙面にはにおわせてはいるもののはっ 特に夜9時台の電車に乗り、東京圏内に入るの きりとは書かれてないが、東京新聞特報部元デ が 10 時から 11 時になると車窓からの景色は昼 スク坂本充孝氏の講演記録によると、核不拡散 間以上に埼玉圏内とはがらりと違ってくる。赤 条約により、 ( 核保有国の大国が世界の小国に核 羽、池袋、新宿とくるとビルの明かり、工事現 物質を保有させないため)原発の使用済み核燃 場の照明、車の赤いテールランプの川のような 料は輸出した日本が引き受けざるを得ないとい 流れ、と眠らない都心の姿に目が覚めてしまう。 うことなのだ。自国の核廃棄物の処理の行方も 次の渋谷で降りると、ここがまた、昼間以上の ままならないというのにである。私たちもゆっ 人の流れで、長い動く歩道を2本歩いて、駅前 くり眠ってはいられないのである。 に降り立つとタクシー・バスの数の多さ、ネオ 友人から京都の桜だよりが届き、有栖川べり ンのきらびやかさである。夜の11時過ぎであ の御衣黄桜を見てきたとのこと。数年みてない るという感覚が麻痺してしまい、疲れてもいら なあと思いつつ、近くの郵便局に出かけたのだ れないと洗脳されてしまう。明るさの怖い一面 が、その前の公園に薄桃色とも薄緑色とも見え であろう。 る朧な風情にかすむ大木が目に留まった。近づ 2011 年の福島の原発事故の3か月後、まだ熊 いてみると桜の老木で何と御衣黄(ぎょいこう) 本に暮らしていたのだが、所用で東京に出たこ ではないか。札には「さとざくら」と優しい命 とがあった。その時は東京駅の構内も昼間でも 名があった。後で知ったのだが、この桜は江戸 うす暗く、天井を見ると電灯が半分消されてい 時代、仁和寺で見つかり、花びらの色が貴族の るのがわかった。渋谷駅構内も同様で、渋谷か 衣装の萌黄色に近いので御衣黄と名付けられた ら乗った井の頭線も蛍光灯は半分の明るさだっ という。土地によりさとざくらとも呼ばれると た。立ち寄ったスーパーも薄暗かったが、むし のこと。この春、染井吉野の見事さに、さすが ろ落ち着けた。東京中がさすがに謹慎していた に東京生まれと土地に根付く美しさに感嘆させ のだろう。 られたが、春の終わりに東京での御衣黄に出会 3年後の今春、少なくとも街の明るさはすっ えたことは幸せだった。これからも諦めずに政 かり元に戻ってしまった。考えてみれば、原発 府のやり方に目を配っていこうと、改めて思わ は一機も動いていないのにである。電力が足り せてもらったことである。(千代田眞美子) 5 福島から岡山へ 仲のよい家族が、離れ離れに暮らさなくてはいけなくなったのはなぜ? 自然を愛する母親が、我が子に外遊びをさせられなくなったのはなぜ? 魚釣りが大好きだったあの人が、 山菜採りが大好きだったあの人たちが、 ある日突然それをあきらめなければいけなかったのはなぜ? こんなに悲しい出来事がたくさん起こっているのに、 それを引き起こした出来事は、まるで終わったことのように扱われ、 その責任はダレにも取られることなく、 「非常事態」は日常へと変わっていく。 人びとが前向きに生きようとする姿のかげに、 福島の人たちがふるさとを愛する心のかげに、 こっそりと罪から逃れようとしている者はいないだろうか? 性懲りもなく、他の国に罪を売りに行ったりしていないだろうか? 前に向いて歩きながら、 この理不尽さを意識したいと思う。(大塚愛 岡山県) ※大塚愛さんは、福島県川内村で大工や農業をしながら自給 自足の生活をしていた時に原発事故に遭い、家族で岡山へ 避難。子ども未来・愛ネットワーク代表。 読者からのお手紙 (1) 震災・津波の後、ささやかな繋がりを辿って お手玉を下さいました。「今何が欲しいですか。 気仙沼の仮設住宅に住む方々と知り合いになり 足りないものはありませんか」と尋ねると、 「物 ました。今までに 3 回ほど訪問しました。皆さ はもう要らない。ただ、自分たちがこの気仙沼 んとても粘り強い方々ばかりで、南国生まれの で生きている事を忘れないでほしい」と言われ、 ポワーンとした私は驚かされる事ばかりです。 胸を突かれました。 80 歳半ばで、津波の時「自分はもうよいから そんなこんなで、気仙沼には沢山の知り合い おまえ一人で逃げろ」と夫に言われて生き残っ ができ、私が出かけたり、こちらに来て頂いた てしまった・・・と泣いてばかりだったおばあ りして、その輪はどんどん広がっていきます。 さんは、裁縫道具と友禅の布端を一杯詰めてお おばあさんが言うように、起こってしまった事 届したら、次に出会った時は、 「済んだ事を考え をきっかけに生まれた繋がりを大切に育ててい ても仕方ない。あの事がなければあんたとも巡 こうと思っています。 り会わなかったのだからね」と言って、綺麗な 初めて気仙沼に行った時の歌です。 海近き家跡に小さき鯉のぼり 空とも海とも分かたず泳ぐ 空の青遺跡のように土中より 幼なのスプーン青きが覗く 6 (関谷啓子 京都市) (2) 桜の花も満開になり、過ごしやすい季節にな 候補を支持したという事実です。30 代も多い支 ってまいりました。お元気でご活躍の事と拝察 持率です。60 万票を超える得票数です。若者は いたします。お陰様で、私もようやく体調も回 何を求めているのでしょう。小学校からの保守 復し、また新聞作成に全面的に従事することが 的な教育が実ったということでしょうか。 出来るようになりました。 この事実は、将来の日本を予測できるような 周りの動きは、安倍政権の集団的自衛権問題 結果になるかもしれません。どこへ行っても「九 は論外としても、何となくある一定の方向に向 条の会」運動は高齢者によって支えられていま かっているような気がいたします。この間開催 す。 した高橋哲哉さんの講演でも、開口一番「右傾 昔「若者たち」というテレビドラマがあり、 化」という言葉が飛び出しました。一つひとつ 映画にもなりましたが「君の行く道は希望へと が関連はないと思いますが、例の新大久保駅前 続く」という歌詞があったと思います。今の若 の「ヘイトスピーチ」騒動、 「はだしのゲン」の 者は「希望」を持っているのでしょうか。 「草食 閲覧禁止、 「アンネの日記」関連本の破り捨て事 系」などと揶揄されていますが、求める対象が 件、最近の新聞には、広島市内の小学校で「折 「力強く引っ張ってくれる人」なのかなとも考 り鶴」をおることも、ある特定の運動だとの理 えます。ナチスのヒットラーのような人を想像 由で教委から圧力がかかっているとのことです。 します。 また、当局の動きと反対運動は、よくマスコ 取りとめのないことを書き、失礼しました。 ミの話題になりますが、一般の国民はどう考え 2014.4.14 ているのか、これらの情報は入って来ません。 ※生井弘明氏は「われら 私が一番気になるところです。 愛す」- 憲法の心を歌っ 考えてみれば、安倍政権の支持者は多数を占 (生井弘明 た“幻の国歌”の著者 めた一般国民です。その人たちは、どういう考 九条の会・草加) か もがわ出版(2005) えで、何を求めて自民党・安倍政権を支持して いるのでしょうか。特に際立ったのは、今回の 都知事戦で 20 代の有権者の半数近くが多母神 九条は力を失っていない ほんとに、ほんとに、九条を変えさせてはなりません。 一度失ったら、こういう憲法をもう一度持つために、どんな犠牲を払わなければならないか! 「九条を守ろう」と言うだけでは駄目だという人もいますが、改憲派がこんなに躍起になって九 条を変えたがるのは、何故か? それは、軍隊を持ちたい人たちにとって、九条が邪魔だからで す。 九条が力を失っていないからです。 「武力を使わない、提供しない」という憲法を守ること、丸腰で立っていること、それはとても 勇気の要ることです。戦争を始める以上の勇気と文字通り決死の根性が要ります。でも、そうい う決心を持ちたいと私は思います。(川端春枝) 7 そんなに急いで何処へ行く? 「リニアモーターカー」の名を耳にしたのは 都に」のステッカーが地 随分前だと思う。磁力で浮く、そして高速で走 下鉄駅や図書館などに貼 るということが、具体的にどういうものか理解 られている。京都に駅が 出来ていなかった。最近再び、今度は現実味を 出来れば、府内に経済効 帯びてリニアの声を聞くようになった。 「 こだま」 果があるということなの を超え、「ひかり」を超え、「のぞみ」さえ追い だろう。大阪では、途中で駅など不要と言って 越して、時速 500Km で東京と大阪間を約 1 時間、 いるようだが、それぞれにいい分がある。 Youtube で全長 42.8km の山梨 実験線 東京と名古屋間を 40 分で走るというリニア中 での試乗の動画を見た。後部座席のカメ ラが車内の様子を映している。前面のテ 央新幹線である。 「使い捨て時代を考える会」の安全農産供給 レビにはトンネルの前方が映し出されて いる。線路ばかりが見える。ゴーッとい センターで扱われている「まあの」の牛肉は、 長野県大鹿村で飼育されている牛である。その 鹿村に関わる方から話を聞いた。コースが決定 う音のみで、窓から は何も見えない。地 下を走っているのだから当然と言えば当 し、この先工事現場となる村が今何を考えてい 然。地上を走 るのは この間 で 8 秒 間だけ 。 るのか。さぞ大きな反対運動が起こっているだ 流れる景色 のみで、「風 景を見な がらゆ っ ろうと思っていたが、なかなかそうはいかない くりと」と いう旅か らは縁 遠い代物 。 地上を走る地域では 環境が破壊される。 そして、残土の問題、 工事や運行に使う 大鹿村をリニアが通ることになった。過日、大 らしい。周辺の村には反対者もいれば、賛成者 もいる。掘り出した土砂を運ぶトラックがこの ようだ。しかし、どうせ通るのなら、村にメリ 電気量、更に、JR 東 海の「環境 影響評 価 準備書」によると、大井川の水量が毎秒 ットがある方がよい。すなわち、 「新駅を作って 最高 2 トンも減 ると記さ れてい るようだ 。 欲しい」となる。経済効果も出る。そうか、現 誰が何のために利用するのだろう。経 済効果が見込まれるから作られたのだろ うけど、日本に今、本当にリニアは必要 なのだろう か。建築 費は 9 兆 300 億円。 先 10 年間、1 時間に 1700 台、1 分間に 3 台走る 地の人の気持ちは複雑なんだという思いを持っ た。それは、沖縄基地や原発立地県にも通じる。 ここは踏ん張りどころ、反対の声を大きくして 欲しいものだ。 名古屋以西のコースはまだ決まっていないが、 それだけかけてもやりたいということ 。 うーん、私にはよう分からないわ。 スロ ーでいいで はないで すか ( 池村奈津 子) 京都や奈良では自治体が乗り気だ。 「 リニアを京 『約束の海』を読んで国防を考える 「約束」というのは、かつて太平洋戦争の端 き、なんで「九」なのか、 緒となった真珠湾攻撃のとき唯一生き残り、日 と子ども心に思った、と話 本人捕虜第 1 号となった人である父と、自衛官 されたことがあった。五機 の息子の約束をさす。以前、この平和のテーブ の特攻艇に二人ずつ乗って ルでの雑談で、矢崎さんが、真珠湾の奇襲攻撃 攻撃に行く〈死にに行くこ でなくなった兵士を「九軍神」と新聞で見たと とだが〉―なぜ「十」じゃ 8 新潮社(2014) ないのか?と思ったということだ。ある程度の いている。つらくて泣きながら読んだ『大地の 人は思ったはずだが、そのことは国は無視、捕 子』も、戦争が引き起こす巨大な悲惨と、その 虜となったということは隠され、問うこともは 後始末の大変さ―しかし、一人ひとりの(国家 ばかられるうち「九軍神」が神話となって人々 に比べて)小さな人間の力の偉大さにもっと泣 の戦意をかきたてたのだ。その捕虜が戦後をど ける。また、戦後企業人として生きる立場にな う生きたかなど考えたこともなかった。その生 った人の、個人としての戦後処理(償い方)の き残った花巻和成は尋問され、アメリカ本土の 立派さにも感動する作品だ。こうして一人ひと 捕虜収容所を転々と移され、戦後昭和 21 年に りが後始末をしてきたわけだ。 なって帰国する。郷里を離れ、生涯を大企業の 日系人のアメリカ収容所をテーマにした『二 海外勤務をして全うしようとしている。その息 つの祖国』は読み終えていないままだったが、 子朔太郎は、防衛大学から自衛官となり、潜水 『約束の海』の解説の中で、この中にその捕虜 艦乗りとなって、あの「なだしお」を想起させ 第 1 号が登場している、「いつかは書いてみた る民間船との衝突事故を起こす艦に乗り組んで い「ある人物」として」30 年来温めてきたと書 いる設定だ。 いてあった。作家というのはすごいものだ、つ 確かに「なだしお」事件のとき、潜水艦の艦 いにここに来て最後のテーマに登場させたこと 橋〈という名称だそうだ〉に立って、おぼれる を思うと、完成まで書いてほしかったとつくづ 人を見ているだけで助けようとしない自衛官の く思う。 映像が何度も流れたことを思い出す。 「 なだしお」 今、毎日新聞に『出動せず』という戦後の自 といえば、国民を助けない自衛隊、というイメ 衛隊についての連載がある。三島由紀夫事件、 ージ。そしてここぞと非難していた自分がいる。 安保闘争時代、オウム事件のとき、自衛隊が憲 山崎豊子さんはこの「なだしお」 (小説中では 法下でどう振舞ってきたか、 「 日陰者だが耐えて 「くにしお」)に乗り組んだ花巻朔太郎を主人公 ほしい」という吉田茂の訓示に込められた深い に物語を紡いだ。第 1 巻は「くにしお」の事故、 意味について考えさせられる。「今は日陰者だ 当事者となった朔太郎のことと、海上自衛隊の が、」ということ、 「やがて国民の理解が得られ、 組織、海事裁判のこと、第 2 巻では、捕虜第 1 晴れて・・・」という含みなのだ。うーむ。 号の父の生涯を息子がたどる、第 3 巻では再び 現代の国防、ということについて書かれる予定 各家を回って「地域の だったそうだ。山崎さんが創作途中で亡くなら 九条の会です、署名をお れたとき、TV でも大いにそのことについて報 願いします」と訪ねると 道されていた。1 巻のみの完結で亡くなられた き、ある一軒の家で「う ことが残念と。ほとんどの取材を終え、作品の ちは自衛隊です、そんな プロットはいくつもできていたことが惜しい、 自衛隊を否定するような と。 人らは大嫌いです(とか 最近、2,3 巻の構想・取材メモとあらすじ、 そういう意味のこと)!」と見る見る顔色を変 山崎さんが参考とした書物のリストをつけ出版 えてドアをバーン!と閉めた人がいる。あ~傷 された。死の瞬間まで創作に当たっていた作家 つけたなあ、と思いつつ、 「でも~自衛隊員であ 魂というか、 「戦争を書く」ことへの使命感、そ ればこそ、もっと関心持ってよ~死ぬかもしれ の膨大な取材の記録に本当に頭が下がる。適当 ない立場にもっとなるんだよ~」と思ったが、 なところで感覚的にものを言う自分が恥ずかし この溝は埋めがたい。日陰者を強いてきた戦後 い。 の平和主義者と、前線で国防に関わっている自 山崎さんは、戦争を描くとき、必ず戦後を描 衛官の家族―でも、かみ合わないままでいいの 9 だろうか? 身に寄り添っても、はずしてあげることはでき 日々くりかえされるスクランブル発進の様子 ない。それはできない。そこだよ、問題は。 「じ をこれまた TV で見た。領空の外側にある識別 ゃあ丸腰で死ねということか?」と気色ばまれ 圏に入ってきた外国機を 2 機で追尾し警告し、 ると「そういうことだ」としかいいようがない。 外へ誘導する。その回数が近年とても増えてき 「武装しても死ぬんだから。そうならない努力 た、というのだ。相手が攻撃してこず素直に誘 をせよ、と国に言うのよ。いっしょに!」。 導に応じるかわからない。どれだけのストレス でも、今の自衛隊の状況をもう少し知り、そ だろうか?こんなに大変な思いで国を守ってい のうえでも議論しなければお互い平行線を行く るのだ、ということだろう。こういうものを流 ばかりだろう。小説の中では、フルート奏者の すことも、やはり意図的だと思う。そんなに大 小沢頼子が、普通の国民感情を持ち、朔太郎を 変なことになってるんだ、と思うよね、見れば。 理解したいと感じつつも、その軍備や自衛隊の でも、ここに正当防衛なら攻撃してもいい、と 行動に率直な疑問を持ち考える―この人がさら いうことから踏み込んで、攻撃は最大の防御、 にどのように感じ考え、朔太郎と将来どうなっ となってはもう戦争のいい口実だ。始まったら ていくのか、山崎さんはどう考えていたのかな 簡単には終わらないのが戦争だということを忘 あ?本当に 3 巻まで書いてほしかったが、むし れてはいけない。そして始まりはいつもでっち ろ答は自分たちで、とあの世から見ていてくだ 上げの小さなドンパチだったことも。 さることだろうと思う。(後藤由美子) 許されていないこの歯止めをいくら自衛官の 「憲法 9 条を保持する日本国民にノーベル平和賞を!」署名をお願いします。 すでにテレビや新聞各紙でも掲載されたのでご存じの方も多いでしょう。神奈川県に住む鷹巣直 美さんのアイディアから生まれ、多くの推薦人を得てノーベル平和賞の正式候補になりました。 今、改憲への動きが活発になっています。戦争はごめんです。私達の力を集めて 9 条を守ってい きたい。平和のテーブルでも署名に取り組みます。周りの方に一人でも多くの署名をお願いしてく ださい。どなたでも署名は出来ます。署名用紙が足りなければ、コピーをよろしく。 集まった署名用紙は「憲法 9 条にノーベル平和賞を」実行委員会へお送り下さい。(住所は署名 用紙に記載されています) カンパも宜しくお願いします。 郵便振替 口座名「憲法 9 条にノーベル平和賞を」実行委員会 編集後記:「憲法解釈変更 記号 10230 番号 8937301 首相指示」「集団的自衛権限定容認」の大見出し。「国民の命と暮らし を守る責務がある」と言うならば、他国の国民が傷ついたり殺されたりすることをどう考えるので しょうか。直接武器を使わなくても、後方で支援をすることは、同じことではないですか。何処の 国であれ、日常を普通に暮らしている人たち、子どもたちを傷つけることはしたくない。憲法 の解釈改憲はそういう恐れが多分にあると思います。 池 Stop Nuclear Plants! テーブル通信は年 1000 円でお願いしています。 世話人: 池村奈津子 奥田文子 河野正子 後藤由美子 千代田眞美子 日向禮子 矢崎 紀 山本優子 連絡先:電話 080-5357-1953(後藤)e-メール natsu_ike@yahoo.co.jp(池村) 10 http://kyokoren05.vivian.jp/bunko/heiwa/table.html 条