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Page 1 州工業大学学術機関リポジトリ *kyutaca 『 Kyushulnstitute of
九州工業大学学術機関リポジトリ
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MELVILLEの処女作 ”TYPEE” を中心として
松本, 良一
1956-03-30T00:00:00Z
http://hdl.handle.net/10228/3278
Rights
Kyushu Institute of Technology Academic Repository
6
M肌VILLEの処女作・・TYPEE”を中心として
松 本 良 一
捕鯨船Acushnet号がMarquesas群島 作品が後の作晶に対して持つてv・る関係の幾つ
Nuku Hivaに投錨したのは1842年6月23日の かにふれたのみであつて,作晶自体の評価並び
ことであつた.作品7>ρ㏄:Chap IIIの胃頭, に文学的な問題以前にぞくすることのみを取扱
It was in the summer ofl842 that we つたに過ぎな\・.このような問題をここに取扱
arrived at the island;… う理由は,この作品自体の文学的価値とは全然
はこの事実の記述を以て始つている. 別個な問題であつて,この二つを混同すること
Acushnet号は小読乃アθeに於けるDolly は勿論不可であるし,混同するつもりもなv・
号であり,Moby Dickに於ては有名なPequod が,本来この作者が余りにも謎に包まれてv・
号として登場してくる.いすれも老朽般とし て,今術,不明な点が多く,作晶自体幾多の解
て描かれてはv・るが,事実はFairhavenをで 釈を容れうるために,正当な理解に到達しがた
て処女航海の途にのぼつたばかりの・358トン いうらみがあるからである.1協砂ぴc〃に対す
をわすかに上まわる規格型の新造船であつた. る諸家の解釈の賑かさを見てもその間の事情の
小説の胃頭は,澗高いバイオリンのように 一・端をうかがい知ることが出来るL,彼が何十
exclamation marksを積み重ねることによつ 年も忘却されなければならなかつた理由もてこ
て緊迫した調子を出し,水夫たちの苦痛を訴 にある.
えつつ,何となく異常な出来事への予想をかき 現右America本国でMelville criticismと
たてながら始る.船には水夫達が“Pedro”と 呼ばれるものには二つの型乃至は流れがある.
呼んでv・る一羽の雄i難がいた・かつては甲板で 一つはらct−gathering叉は食ct−huntingと
多くの牝難を従えて意気揚々としていたこの 称されるもので,今一つは批評自体である.双
“Pedro”も,一羽だけ取残された今では昔日 方の間に立場と解釈の相違はあるであろうが,
の面影とてはなく,ただ痩せ衰えてひたすら お互に他を排撃しおとしめる理由は少しもある
全能なる船長の食膳を賑わす日のくるのを待 まV・と思う.ただ現在の段階は研究,解釈が不
つぼかりである.水夫達はその難のかたがつけ 十分であるというに過ぎぬ.両者の間から,よ
ば,頑固な般長も船をどこかの港にまわすであ り正しv・Melvilleの像が浮び上つてくること
ろうと・いちすに哀れな難の運命一つに自分達 を私は確信する.作家によつては作品自体がす
の望みをつなv・でいる.そうした事情が, べてを語つている割り切れた作品を書く作家も
Melville一流のhumorとpathosをたたえ ある.このような作家につv・ては,彼に関する
た筆を以て描き出されて)・る.この難の哀れさ 昆ctsなどは必要がない.しかしMelvilleの
は・船長の前には無力な水天達の姿でもあるが 場合はセうは言えまい.
後年に於ける彼の出色の短小篇読B硫妙γの主 とにかくここでは,そうした文学以前の問題
人公を彷彿させるものがあつて興味が深い. につv・て,二三考えをまとめてみようとしただ
しかしここではこの小説の筋書は一切省略し けのことである.従つてここではその線上にあ
て・この作品を中心に・作者Melville並びに るもの, Jay Leyda:脇zτzzze加9及びz舵
この作品が持つ二三の問題点にふれてみたv・。 Por励Zθ』掘紗ZZZe/Leon Iloward:疏rmαη1脆Z.
実はもつと多くの問題を予想したのであるが, 砿允/Eleanor Melville Metca1C挽r功αη1顕・
不手際なために甚だ中途半端なものになつてし 砂ZZ椛/Newton Arvin:疏rmαη馳Z砿泥/を主
まつた.ここでは作者と作晶のつながり,この として参考にした.
MELVILLEの処女作“TYPEE”を申心として 7r
100年祭(1919年)を境にして,Melvilleは or the‘TupPer』er,, attacking ad・
忘れられた存右から一躍LてAmerica文学の venturous school boys and romantic
寵児になつた.単にAmerica本国ぼかりでな young ladies,負)r乃Pθθhad produced
く,大西洋をはさんだ英国に於ても,既に1922 agreat sensation with its cannibal ban−
−1924年にはConstableからMelville全集一現 quets and heathnish・rites,……(3)
存までに於ける唯一のMelville全集一の刊行を と述べてv・る.このMitche11の巧ρ㏄に対
みてv・る.しかし何とv⇔てもMelville復興と するsatireの原文(4)はApri124,1850所載で,
その研究熱は,かつて彼の作晶がはじめて世に Melvilleの第五作拓硫e Jαc臨出版後のもの
出た英国,彼が完全に忘却されてv・た時代にi幾 である.“Typce”出版直後の新聞雑誌に於け
人かの熱心な讃美者を持つていて,老後の彼の る反響はまことに盛んなもので,その後彼が一
淋Lさをなぐさめてくれた英国を去つて,今で 作を出すごとに,それらに対する一般の批評は
は完全に本国たるAmericaにその中心が移つ 必す 7yρeeに言及して語られてv・ると言つて,
てLまつた卵励・6耽読・D・・ケ・4s£・吻 いv・程である・
{ゾ疏rπzαη1佐1砂Z》Zeの著者Ronald Masonの こうLた処女作の成功は・生来極度にshyで
如きは,Melville研究は今や英国では困難で 真面目なMelvilleにも・有名なByronのぴ
あると言つて嘆いてv・る.(1)Ronald Masonが そみにならつて・
上記の書物を出したのは1951年で,Melville全 You remember someone woke one morn一
集が出た当の英国に於て既にかくの如くである ing and丘)und himselfらmous. And
から,我国に於ては彼の作晶だけでもどれだけ here am I, just coming針om hoeing in
・ 揃つてv・るか甚だ疑問である.…我々としては the garden, writing autographs・(5)
Ilendricks Ilouseの新しv・全集が出揃うのを と書かせている.
首を長くして待つているのが現状である. 、四年余の長い航海の後に彼の天才が一瞬にし
それはとにかくとして,AmericaでのMel一 て花を開くに至つた事情は,およそ彼を読む程
ville研究熱はすさまじV・ものがあり,その量 の者がひとtノく関心を持たざるをえない事実で
に於て,彼の研究に比肩するものは,遠からす ある.
してHenry Jamesのみになるであろうと・ My development has been all within a
Richard Chaseが言つている.(2)今日ではMel・ 丘w years past. I am like onc of those
ville criticismは,その表面的なはなやかさの seeds taken out of the Egyptian Pyra・
故に,些か皮肉を交えて語られる段階にたち至 mids, which, after being three thousand
つてv・るらLv・. years a seed and nothing but a seed・
ところでMelville revivalを境として, being planted in English soil, it de−
Melvilleと言えば」膨DγDεc〃とv・うのが通り veloped itse1£grew to greenness, and
相場になつてしまつた.勿論彼を語るほどの者 then丘II to mould. So I. Until I was
でそれに異論をさしは.さむ者は殆んどあるまv・ twenty品ve, I had no development at
が,生前に於けるMelvilleは一般的に言つて all. From my twenty・丘fth year I date
巧ρeeによつて代表されてv・たと考えて差支え ・ my li飴・ Three weeks have scarcely
あるまv・. passed, at any time between then and
Van Wyck 8rooksは肪e L乞6θrαrγ疏5zorγ now, that I have not unfold韻within
げZ』互&の中で, my・el£(6’ .
Donald G. MitcheU, in the Lorg碑ze, 1851年の春Hawthorneに宛てて書かれた
・p・k・・fth・‘Typec di…derうa・m・・e この長v・手紙の一・節は・捉えがたv破の心的発
virulent than the Jane Eyre malady’ 展を知る上に最も重要なものの一つであつて,
8 松 本 良 一
彼が1ゆうγD6cゐ執筆iの“heU一丘re”の中に陣吟 を皮切りに4月14日迄,2ケ月近くの間, Philo一
してv・る時のものである. logos Societyと称する一“improvement in
Shall I send you a丘n of the“Whale” composition, elocution and debate”を目的と
by way of a specimen mouthfu1?The Lて結成された一会の指導権をめぐつて前会長
tail is not yet cooked−tho, the hell−6re と薪会長MelviUeの間に,激しい粉諦の多v・
in which the whole book is broiled 言葉の泥試合が展開されている.(10)この会は彼
might not unreasonably have cooked it 等の所属するYoung Men,s Associationの附
all ere this.(7) 属機関であつた.この論争はそれ自体としては
とその間の事情が述べてある.即ち乃iτθe出版 文学とは別に関係はないが,翌1839年春,7玩
(1846・2・27)後5年を経過して書かれたも De㎜crαzZc Prθs3α㎡Lα城πgbμr♂2∂砂θrZ誌er
のであるが・25才にして内的発展のスタートに に2回に亘つて,丑α9ηe励s戸omα肪Z励8 De講
つv・たと彼自身語つている言葉の真実性は,い と題する小品が,“L.A. V.”とv・う匿名で採
ろいうな事実からMelville研究家の均しく認 用掲載されてv・る.(11)更にLiverpoolへの彼
めるところである. の最初の航海から帰つた後,同じく上記の新聞
すべてのMelville論一とりわけ7ypθe創 のll月16日号に“Harry the Ree丘r”とv・う筆
作過程の問題はこの前程の上に立つて押し進め 名で,耽eDeα疏㊨rψと題する小品を載せて
られてゆくものであつて・最も新しv・研究と資 v・る.(12)」M日z砿友L昭の編者Jay Leydaはこ
料を綜合結晶し)たLeon Howardの正后㎜π オtをMelvilleのものらしいと推定しているが,
娩Z・競と齢,この線はくづしてはいない. L。。nH。w。,dは彼の筆になるものと断定した
この驚く程巧に資料を織り込んだ伝記は,太卒 上で,後年に於ける彼の出色の短篇小読B㎞鋤
洋に於ける彼の動向を綿密に跡づけ,特に (忽re功に一脈通するところがあるとして興味
Hawaii時代の彼に相当な転機があつたものと を示してv・る.これら三篇はひとLく稚拙なも
推定してはいるが,(8)それとても7yρθe,0㎜o のではあるにしても,一応彼の文学的なものに
以下の作晶と,それに該当する時代の資料で今 対する興味を物語るものであつて,彼の生涯を
日明らかになつてv・る乏しv・資料から推測され 25才を境に,文学の時代と非文学的な行動の時
うる限度内のものであつて,彼が文学と直接的 代に分断Lてしまうことに,些か躊躇を感ぜし
な結びつきを持つのは,1844年秋Bostonで彼 める理由がそこにある.彼が将来何によつて立
が海軍から解放されて,自由の身になつてから とうと考えていたか知る由もないが,文学を以
のこととする点に変りはない. て身をたてようなどとv・う気持が彼にあつたと
Newton Arvinがこの間の事情を総括して, は考えがたい.尤も, Eric Cana1のengineer
In the biginning,数)r Melville, was de一 たることに失敗した後(13)の不況のどん底時代
cidedly not the word, but the deed.(9) に,彼が教師の職に執着してv・たことは事実で
と言つてv・るのは,直裁簡明に要点をつv・てv・ あるが,それとても不況時代に於ける一時的現
る.但しこの巧な裁断的表現の真実性も,Leon 象と考えるべきであろう.ただ彼はその時代に
Howardの緻密な跡づけも, Melvilleの人生 上記の如く物を書くことに関心を示してv・る.
を心おき液く25才で両断してしまう訳にはv・か これより先,彼がはじめて教師になつた後しば
なv・.それは25才以前に,甚だ幼稚なものでは らくして,少しは仕事になれてきた頃,
あるが,彼の書v・たものが印刷に附された時 …a企wintervals of time are aHbrded
期・彼が非常に文学に接近した時期があるから me, which I improve by occasional writ一
である.彼の書いたものが初めて公の出版物に ing&reading…(1の
印刷されたのは,The Albany Microscopeと と伯父への手紙に書v・てv・るのも気になる文句
v・う新聞紙上でのことである.1838年2月17日 であつて,やがて上記のPhilologos Societyで
MELVILLEの処女作“TYPEE”を申心として 9
活躍し,つv・で三つの小晶を書く時期につなが ら帰つた時期にこの作品を読んだということが
つているのをみても,物を書くことに対する関 Dana宛の彼の手紙に明かにされてv・るし,(15)
心が既にこの頃から彼の心に動v・てv・たものと Danaの作品にはJulyと明記した序文がつv・
考えることが出来る.だが1840年の春には彼の てv・るからである.
學校が閉鎖になつて,彼は叉不安な時期をむか この作品とMelvi11eとの関係は,当のDana
えるのである. とMelvilleとの個人的交渉よりは遙かに深v・
要するに,この問題には幾分の疑v・が残るの ものがあると思われる.それがMelvilleを太ZF
は止むをえなv・としても,Melville自身が言 洋に旅だたせる一つの動機になつたかも知れぬ
明するが如く,25才を以て彼の生涯を二分する とは誰しも推察するところであるが,この作品
ことは,外形的に非常』に便利であるのみなら とMelvilleとの関係が深v・とv・う理由は,こ
ず,内面的にみても十分うなづけるものがあ の作品には乃P㏄に於けるMelvilleの場合と
る.彼が自らの行動の時期を精算して,一度目 よく似た運命に遭遇したGeorge P. Marshと
を内に転ずると共に,彼の創作活動が実証する v・う青年の挿話が入つてv・るからではなv・.αθ
如く,彼には矢つぎ早に複雑な深みへの世界が 叉MelvilleがDanaの作品を読んだ時の感
開けてくるからである.これを要するに,25才 想を“Strange, congenia1琵elings”を感じた
以前の時期は一括してこれを文学以前のもの とか,“tied and welded to you by asort of
一たとえ文学的芽生えに似たものはあつても作 Siamese link of a慌ctionate sympathies”と
家たらんとする意識以前のもの一と考えるべき か,その他かなり誇張された感じのする言葉づ
であろう.しかし満20才をはさんで印刷された かいの手紙を,後年Dana宛に出しているからで
三つの習作的小晶の時代は,意識的に文学以前 もなv・.(15)この二人の作品の申には切りはなせ
のものであろうとなかろうと,結果に於ては後 なv・ものが内在しているからである.Newton
に於ける作家としての彼のcareerに点線的に Arvinは一方に於てDanaの作品と巧peθと
つながつてv・ることは否むことの出来ない事実 の間に本質的差異が存在することを指摘すると
である.ただそれを文学以前のものとする所以 同時に,他方に於て両者が一つの系譜につなが
は,この時代と ηρeθ創作に至る中間に,大 る作品であることをも適切に指摘している・{17)
きな二つの期間一行動の期間一が介在している 鋤0罷αrsろψre Zゐe輪Zと乃㍗ちとりわけ
からである.即ち, 砺Ze Jbc胞との関連は甚だ密接であると思わ
1.Galenaへの往復旅行(1840・6・63一同年 れる.
秋) しかし二人の関係を論するのがここでは目的
2.太平洋航海(1841・1・3−844・10・14) ではなv・.20才の頃のMelviUeの文学的萌芽
の二つがそれである. がやがて表面から姿を没てし,少くとも記録の
Galena(Illinois州)への旅には伯父Thomas 上では専ら行動の時期となり,25才を境にして
Melvilleをたよつて友入Flyと共に出かけた. 文学的な自己発見の時期がやつてくる.25才が
生活打開の道を求めるのが目的であつた.恰も その転回期であるとするいま一つの論拠はこう
西部行の目的には最悪の時期を選んだために旅 であろう.
行は失敗に終つた.GalenaからNew York 脇o托αr3 bぴbre疏ε輪渉の序文で, Dana
に舞v・もどつたMeMlleがAcushnet号に身 はその航海の目的と執筆の動機とを明確に述べ
を托して,v・ bゆるIshmaelの旅に出る迄の た後,
間に,彼は海洋小読家として彼のすぐ先輩に当 It is written out from a journal which
るRichard Henry Dana, Jr.の,当時人気が Ikept at the time, and丘om notes which
あった肋oyεαrs 6プbrezゐθ」撫δ(1840)を読 I made ofmost of the events as they
んだものと考えられてv・る.彼が最初の航海か happened;and I have adhered closely
■
’ 10 松 本 良 一
to白ct in every particular, and endeav一 とLeσ・Howardは述べてv・る.向7ンρeeの
oured to give each thing its true charac一 序文下Melvilleが・
ter. 1於 v←ry many published narratives no
と書いている.7ypeeによつて名をえたMe1− little degree of attention is bestowed
villeと同様に, Danaは太平洋岸への航海後 upon dates;but, as the author lost all
に出Lたこの一作によつて一→挙に名声を博L knowledge of the days of the week,
た.しかL後年法律家・政治家たるべき彼は during the occurrence of the scenes here−
Harvard大学の学半ばにして航海に出たので in related, he hopes that the reader
あるが,Melvilleとは異り家庭的にも恵まれ ’ will charitably pass over his shortcom一
て)、て正規の教育も受け,航海に出かげるに際 ings in this particular・
Lても航海から引上げるについても,非常には と言つてv・るのは・この書物が旅行記等の如き
つきりした目的意識を持つてv、た男である. imfbrmativeな作品出版できこえたJohn
この点Melvi11eとの間には人間的に可成大き MurrayのHome and Colonial Libraryか
な開きがあり,航海の記録も綿密にとつて帰っ ら出たからでもあろうが・彼は航海と放浪とに
た.このDanaの範に倣わすとも, Melvi11e 際して予め文学的意図などは持たなかつた証査
が何等かのjournal乃至はnotesを持つて帰 でもある・
つてv、たとすれば,Melville研究家の所説はそ 1846年2月処女作7y1耽の出版がなると・
の出発点に於て大幅な修正を余儀なくされる筈 つづ∨て彼は矢つぎ早にOmoo一娩r直一Re∂一
である.ところが彼にはそんなものは全然な bωrπ一耽絃Jbc脇一Mb砂D批一P琵rrθ…と作
v・.後年に於ける二つの大きな旅行はそれぞれ, 品を書き急ぎ,散り急v・だかの感じさえあるの
J・u・n・1・f・vi・it t・L・nd・n and・h・ であつて・正に蝉のd・m・n酪かれた燗
C。n、in。nt,1849−1850 のようですらある・こうした事実と・質的に傑
Journal up the straits,1856−1857 作や問題作を生み出した彼の文学的業蹟・その
として記録が残されているし,再度の太卒洋岸 正体をとらえがたv・複雑な性格・その鋭い洞察
への航海にも簡単ながら日記を残している.し 力・彼の言葉を借りて言えぼ・
かるにLiv・・p・・1行を始め, G・1・n・行,殊に 11・v・all m・n wh・鋤a Any6・h・an
Danaを読んだ直後の太平洋行の記録が皆無な . swim near the sur伍ce・but it takes a
のをみれぽ,彼にはこうした旅行,航海の記録 great whale to go down stairs丘ve miles
を利用しようとv・う意図は勿論のこと,それを or more;&ifhe don’t attain the bot一
メモしようとする気持すら全然なかつたのであ tom, why, all the lead in Galena can’t
ろうと推察されるのである.だからこそ乃ρ・・ ら・hi・n th・plumm・t th・t will・1’m
執筆に際しては,彼がその作品の中にあげてv・ not talking of Mr・Emerson now−but
る数人の航海記を参照し,その援けを借りて彼 of the whole corps of thought−divers・
は作品を書かねばならなかつた.とりわけ, that have been diving&coming up
Stcwart・s narrative, in fact, became so again with blood−shot eyes since the
intimate a part ofMelville,s mind while world began.(19)
he was writing his own book that his と言つてv・るが如き “thought−diveres”の一→
visual remembrance of the Marquesas 人であつた彼,早くから大衆的な名声を嫌つて
was adapted to Stewart’s descriptions 永遠なる生命にふれようとLて苦闘した彼の姿
and some ofhis observations dn man. を考えるとき,彼ほどの文学的素質を持つた作
ners and customs were simply borrowed 家が,巧ρee以前の時期に於て文学と絶縁した
丘om it.(18) かにみえる生活を送つていたことに,ともすれ
MELVILLEの処女作“TYPEE’を中心として 11
ぼ断ち切りがたv・疑惑を感じるのであるが,後 tain Pelegとの間に, 暑
年の彼から逆算して放浪時代の彼に天才的な “But what takes thee awhaling?Iwant
haloを認めようとするのは危険でもあるし,叉 to know that be負)re I think of shipPing
,,
事実それは不可能でもある.Melvilleは遅く ye・
開く花であつた. “WeU・sir・Iwant to see what whaling is・
そこ∼渡N・w・−A・vinの
@ :ジご1::㌦蕊lingi,?r、av。 ye
In th・b・ginnin帥・M・1vil1・・w・・de− c1・pP・d・y・・n C・p・・in Ah・b?・(Ch・p.
cidedly not the word but the deed. XVI)
とv・う言葉を確認しておこう. とv・う会話がしるされている.“Wc11, sir, I
want to see what whaling is. I want to
序ながらここでMelvilleを南海に駆りたて see the world.”とv・う言葉はIshmae1の言葉
た原因について一瞥しておきたv・.彼がNew であると同時に,MelviUe−Acushnet号で航海
Yorkで職をさがすかたわらDanaを読んだ に出た彼一の本心であつたに相違なv・.否,“1
ことは既に述べた.少し遡つてGalenaでは want to see the world.”とv・う気持はこの時
CooperのRe∂R%erを読み,同じくGalena のみでなく,R(∂6μrηに於ける初航海をはじめ
滞在中後にMb砂ぴc〃となるべき檸猛な として,あらゆる海への一或は海での一彼の行
鯨Mocha Dickの記事を恐らくPaci6c紙 動を規定している複雑な動機や要素が,簡単な
(July 51 August 30)で読んだものと推察さ この一言に表白されてv・るものとみて差支えな
れる.Galenaでは叉捕鯨船で当時太干洋のど v・のではなかろうか.
こかを航行中の従兄Thomasの噂話が当然で 彼が捕鯨船に乗りくんだ時の心境を,脇砂
たことであろう.旬彼にはGuert Gansevoort DZc〃の有名な冒頭の一一節一Catoの自殺的行為
とv・う海軍将校の従兄があつて,後年Melville に喩えることは些か行きh過ぎであるにしても・
の精神生活に切り離せなv・存在になる.(20)Cap− Call me Ishmae1・Some years sago−never
tain Marryatと当時の不況が彼を海に’駆りた mind how long Precisely−having little
てたと後年彼は匂わせでいるそうであるが,海 in my purse, and nothing particular to
に対する彼の関心は幾回となく太干洋を渡つた interest me on shore, I thought I would
彼の父によつて一彼がRe∂bμrη(Chap.1)に於 sail about a little and see the watery
て語るが如く一深く少年時代の彼の心に植えつ part ofthe world・It is a way I have
けられた.そして彼の評論者たちが強調する如 of driving ofr the spleen and regulating
く,更にその奥にあるものと1、て,彼の血統と the circulation.
家系をつけ加えて考えることも,彼の場合には とv・う文にも同じ気持を汲みとることが出来
強ち無理ではなv・ようである.とりわけ不況と る.(この気持を最も詳細に述べているのは
家庭と未知の世界に対するあこがれが基本的な Re励μrη, Chap.1である)
要素であろう.危険は当然避けられなv・にして ’Melvilleの南海に於けるその後の行動一Jay
も,海に騎り行くことは当時としではさほどに 1二eydaが“the escape丘om the frying Pan of
異常なことではなかつたらしい.Danaは病後 the Acushnet into the constant threat of丘re
の健康のためにスポーツでもやる如く干水夫と among the Typees”(21)と言つてv・る船からの
して長v・航海に出たし,Melvilleの末弟もや 脱走, Tahitiに於けるbeachcomber的生活,
がて船乗りになるべき運命にあつた. Lahaina(Maui島)からHonoluluに移つた彼
M6砂D嬬に於けるIshmaelは勿論即Mcl一 が七こでaccountantとしての仕事に(22)入る迄
villcではなv・. Melvilleの変身である.この の殆んど動向不明なblankの時期等々一後年
IshmaelがPequod号に乗りくむとき, Cap一 に於けるひたむきな彼を知る者にとつては,そ
12 松 本 良 一
うした彼の像と此の期に於けるこうした一聯の Master of the within named ship Person・
事実とは些か結びつき難v・感じもするが,それ ally apPeared befbre me&declared that
らを“Iwant to see the world.”とv・うIsh. _Richard T Greene&Herman Mel.
mae1の言葉とあわせ考えるときh,そこに自ら viue deserted at Nuke Hiva July 9 th
肯きうるものがあるのではなv・か. 1892…(24)
処女作Typeeの書きだしは, と)・うのがその記録である.
six months at sea!Yes・reader, as I live, Melvilleの脱走がJuly 9でTypee valley
six months out of sight of land;cruis・ からLucy Ann号に救いだされたのがAug.
ing after the spermwhale beneath the gだとv・う事実が明かになつた現在では,作品
scorching sun of the Line, and tossed 巧ρεeの詳細な途中の記述を一応信用すれば,
on the billows of the wide−rolling Paci− July I4には彼等二人は, Marheyoの家に,
6c−the sky above, the sea around, and 歓待されたcaptivesとして落着v・たことにな
nothing else!weeks and weeks ago our る.
臼esh provisions were all exhausted. ’
There is not a sweet potato left;not a 作品乃・ρ㏄の原名は英国版と米国版では異
single yam・ るが,前者では
とv・う文句で始まる.このDolly号に於ける Narrative of a Four Months・Residence
疲れはてた苦難の生活一虫も食わなv・ように堅 among the Natives of a Valley ofthe
く固めたsea−biscuitと・salt−beefのみに頼る Marquesas Islands, or A peep at Poly一
生活一は,即ちAcushnet号のMelvilleの生 nesian L浪.
活と照応する. 後者では
1月6日にGa16pagos群島の中を通過した Typee:APeep at Polynesian Li命dur・
般は・1月の初旬から5月の初旬にかけて150 ing a Four Months’Residence in a
barrels・6月6日に50blsを加えはしたが不漁 Valley of the Marquesas with notices
つづきである.西に向つて航行の途中,行き会 of the French occupation of Tahiti and
つたHerald号(New Bedfbrdに帰航中)に, the provisional cession of the Sandwich
Acushnet号は‘‘750 bbls”と捕獲した鯨油の Islands to Lord Paulet.
報告をしてv・る.この調子では概算年間300bls となつてv・る.
の牧穫で,2800blsで満船になるAcushnet号 このように長v・titleを持つてv・る理由は容
には,向う数年間は帰航できる望みはなかつた. 易に想像がつく.作者は近代的な小説の概念
“fresh provisions”を食v・つくした船には にょつてこの作晶を書V・たのではなくて,彼の
scurvy発生の怖れがあつた、船長は遂にMar一 経験を表現するのに最も手近な形式,当時読書
quesas行を決意して南下を開始Lた, Nuku 階級に根強い需用を持つていた旅行記が彼の念
Hivaに投錨したのが1842年6月23日である.(23)’ 頭にあつたに相違なv・.一つにはこの作品を最
巧μe記載の如くその間正に“Six months at 初に受け入れたのが;informationを基調とす
sea!…six months out of sight of land!”であ る作晶を提供することを以て知られたJohn
る・ MurrayのHome and Colonial Libraryで
舶は19日間停泊して7月ll日に出帆してv・ あつたからであろう.即ち読者に対して作晶内
る.その間MelviUeは計画を練つて最後の上 容への信頼性を彊調する必要があつたのであ
陸の機会を捉え,僚友Richard Tobias Greene る.この作晶についでやがて“authenticity”の
と脱走した. 問題が生じてくるし,Londonにこの原稿が携
Ihereby certify that Valentine Pease 2d 行ざれるに先だつてNew YorkのHarper&
MELVILLEの処女作“TYPEE”を申心として 13
Bros社が「とうてV・信じがたい,従つで価値 こうしでMelvilleはMarquesasで般から
がない」として出版を拒否した事実があるのを 脱走した.Marquesaes・一殊にNuku Hiva島
みてもわかる. 乃至はTypee族について彼が予備的な知識を
この“Four Months…”が,事実はthree 持つてv・たと老えられるふしは十分ある.例え
weeks and丘ve daysに過ぎなかつたというこ ばLangsdorfrの著書をMelvilleは読んでv・
とは,我国でも西川正身氏が既に「英語青年」 たかも知れないと考えるのも無理ではなV・.
誌上で報告ずみである. Langsdorfrの南海に関する書物は,後年彼が
現在Melville研究の著しい傾同の一つは Melvilleの伯父John De wolfの指揮する般 、
克ct−gatheringであるが,彼に関する飽ctsが で行つた放行記をも併せて納めているからであ
明かになればなるほど,彼の小説は飴ctsから る.
遠のいて丘ctionとしての色が濃くなつてゆく Or he may have heard indirectly of
のは些か皮肉である.旅行記として世に送り出 the Marquesas by way of his cousin,
された処女作ですら,…次第に丘ctionの要素が Thomas wilson Melville, whose飽mily
明るみにでてきた.上記の滞在期間の例などは he had just been visiting in Illinois, who
氷山の一角に過ぎなV・. was even then somewhere at sea in a
‘Hurra, my lads!It,s a settled thing;next whaler, and whose name Herman was to
week we shape our course to the Mar. use in his imminent adventures. OriginaI
quesas!’The Marquesas!What strange “Tommo”Melville had spent two weeks
visions ofoutlandish things does the very at Nuku Hiva nearly thirteen years be−
name spirit up!Naked houris−canniba1 6)re as’a midshipman aboard the U・S・S・
banquets−groves of coco−nut−coral.reef㌃ γ乞ηce朋e3,0n a trip which also had been
−tattooed chie烏一and bamboo temples; dcscribed in a book Ilerman MelviUe
sunny va11eys planted with breadfruit・ might have read be負)re he Ieft home;
trees−carved canoes dancing on the and if the younger cousin knew little
Hashing blue waters−savage woodlands in particular about the older one,s visit
gu・・d・d by h・rrib1・id・1・−heath・ni・h t・th・n・ighb・・ing v・11・y・f Typee・h・
rites and human sacrifices. ・ undoubtedy was aware that there were
Such were the strangely jumbled an・ supPosed to be cannibals in those hills
ti・ip・ti・n・th・t haunt・d m・du・ing・u・ b・飴・e him…(25)
passage fめm the cruising ground.1 とLeon Howard教授は述べているし・New一
琵lt an irresistible curiosity to see those ton Arvinも同じことをもつとはつきり言つて
islands which the olden voyagers had so v・る.(26)島の魅力はさておき,作品の中でMel・
glowingly described.(chap.1) villeが述べてv・る如く,懸賞つきの脱走者が
situationは文中に明かである.舶は運命の島 追手を逃れるためには, HapPar族とTypee
に向つて舵をとつている.単純な文ではあるが 族が相反目しているこのNuku Hiva島は,
MelviUe特有な動的なリズムを持つた楽しい 逃げる者にとつては有利なところもあつた.
文である.ここには未知の島への憧慣と,その Howard教授の想定は巧でconvincingであ ・
後に於ける彼の経験と,小説を書くにあたつで る.しかしMarquesasに船が入つたから彼は
彼が渉臓しでえた知識とが,三重にかさなつで 脱走したとは考えがたv・.上の引用文の直ぐ前
いる.だから厳密に言えぼrealisticな当時の には,
心…象を伝えるものとは言v・がたv・.むしろ回想 On a clear day the scene had a breath一
的な描写とでも言うべきであろう. taking quality of natural design, and
14 松 本 良 一
in MelviUe,s case, its e銑ct may have えるに際しての“harrangue”(chap. VI)は脱
beeh heightened by anticipation. 走を未然に防ごヴとv・う気持を裏がえして表し
とv・う一一文がつv・てv・る.HowardはMar一 ているに過ぎなv・.
quesasだからMelvilleは逃げた,とは断定し MelvilleはNantucketやNew Bedfbrd生
てはv・なv・.だが“anticipation”につづく上記 えぬきの鯨捕りではない.ましてや1脆砂D6c〃
の文は明かにそれを想定してV・るものと考えら に描かれているが如き,捕鯨般に零細な出資を
れる.だがMarquesas群島ならすともMcl一 してその歩合にあつかつて生活してv・る基地の
vi11eは脱走したに相違なV・のである.長V・間 住民ではなv・.鯨捕りにはたんのうした.赤道
陸影をみなv・苦しい赤道地帯の航海の後に,船 地帯のはげしい太陽の直射にさらされづくめな
がたまたまNuku Hivaに入つたことが彼の 単調な生活からは一一日でも早く抜け出したかつ
運命を決定したまでのことである.同じ情況の た.罐詰生活をしていたのでは世界は見られな
もとに彼の船がTahitiかHawa三iに入港した v・.南海の涯まで来ていながら,たまに船が停
らどうであつたろうか.“Iwant to see the 泊しでも上陸すら出来ぬ生活には我慢が出来る
world”とv・う言i葉が単なる小説の彩ではなく 筈がなかつた.“hard times”に追われ,家庭
して,彼の内心を支配していた少年時代からの の緊張から逃れ,好奇心に支えられて出て来わ
あこがれだとすれば一更に南海に於て彼が放浪 したが,遙かなる心のあこがれは満す術もなか
した跡を仔細にたどつてみれば一一Marquesasに つた.“I want to see what whaling is・”と
於ける彼の脱走は必然の偶然でしかなかつた. いう気持は容易に満されはしたが,“Iwant to
cannibalsが住み,部族がお互に反目しあつて see the world.”とv・うもう一つの希望は彼が
v・るこの島では,成程脱走成功の可能性が他よ 船に乗りつづけている限り,所詮高嶺の花であ
りは多かつたかも知れない.彼には特に関心の つた.Fairhavenを後にして以来1年6ケ月の
深v・土地であつたとも考えられる.しかしMar一 間に彼等の船が錨を下したのはRio de Jan・
quesasでなければ彼は脱走しなかつたであろ eiro, Santa, Chatham,s Isle, Paytaの4ケ所
うとは考えがたv・のである.当時にあつては寄 に過ぎないのを見てもわかる.
港先での船乗の脱走はこと珍しくはない.とり それにしても4年4ケ月余に亘るこの太干洋
わけ太干洋に於てはそうであつた.単に水夫ば 航海に於て彼が何を感じ何を考えたか,後年の
かりではなくofHcerだつて船長吹第では逃げ 作品による外には,当時の彼の気持を知る直接
るのである.行く先々の港で彼等は脱走する. の材料は一つもなv・.あるのは船の記録と・彼
舶の寄港と脱走とはつきものなのだ.現にMel一 に関する二三の噂と,当時の南海の歴史的な事
villeと共にFairhavenを出港したのは般長以 実と彼の動向を伝える材料がわすかにあるだけ
下26名であつた.その中4年4ケ月余に亘る である.殆んど零に等しい.ただ一つだけ彼の
Acushnet号の航海の後無事Fairhavenの港 手紙の内容が兄のGansevoortによつて間接
に帰還したものll名,脱走9名,病気のため半 に伝えられてV・るに過ぎなV・.
死半生の態で陸に上げられたもの4名,他に …so much superior in morale&early
・伍…が2名P・y・・で搬すてて上陸してい ・dvant・g・r、}g th…dina「y「un°fwhal’
る.その中18t Mateは船長と喧嘩して船を離 ing crews…
れた.3・・lMateが離船した原因は明記してな とAcushnet号のcrewを評した短v・言葉が殆
いが1・・Mateと同じであると思われる.だか んどそのすべてである.船は処女航海に出たぼ
らこそ捕鯨船の船長は船と島や港につけること かりの薪造船て,crewの質は悪くなV・となれ
を極度に怖れ,船をつけても出来るだけ上陸を ば,必然的に彼の脱走に対する疑問が湧v・てく
許可しなv・のである.Dolly号のCaptain る.先に述べたのは脱走の主観的な原因である
Vangsが“starboard watch”に上陸許可を与 が,作晶“Typee”はその客観的な理由とし
MELVILLEの処女作“TYPEE”を中心として 15
で,(泌pt・in V・ng・の横暴と長期の航海をあ つで勝負は甚だ早いように思う・この小説の神
げた後, 秘的な内容やallegorica1なもの, symbolica1な
To whom would we apPly fbr redressP ものは別としで,この作晶が読者をまど bせる
We had le丘both law and equity on 奇怪な壁の一つに所謂cetologyなるものがあ
the other side of the Cape and unfbrtu一 る.
nately, with very a髭w exceptions our ところが少しく彼の作晶を読み漁つでゆけ
crew was composed ofaparcel of das一 ば,ルlb6γD雄に於て我々を当惑させ驚かせる
tardly non−spirited wretches, divided a− cctology乃至はそれに類するessay的要素は
mong themselvcs, and only united in 彼の殆んどすべての小説に彩しく存在すること
enduring without resistancc the un一 がすぐにわかる.後年彼がみαr椛ケや疏η加
mitigated tyranny of the captain・(Chap・ (乏reπoのような短篇小説に手をつけた後久しく
IV) しで書かれた遺稿一その簡潔な枯れた筆で小説
と述べてv・る. の主題と無関係な枝葉は完全に断ち切つでしま
乗組員に対するこの二つの相矛盾する批評を つたかにみえる一B∂砂B砲∂に於ても・伺かつ
どう受けとるべきかであるが,上記のMelville 彼は弁解に努めながらNelsonに関する問題の
の手紙をそのまま肯定した上で,この二つの間 一章を挿入している.
には時間的経過と客観的な情i勢の変化がある, こうした傾向は処女作7ンρee並に第二作
と解するのが最も穏当であろう.すべり出しの 0沈ooをみれぼ非常によくわかる.彼がにわか
極めて好調であつたwhale−huntingもやがて に小説に手をつける迄には,厳密に言つて・彼
不調となり,Captain Peaseは健康のせv・もあ には小説の修業時代などはなかつた.大抵の小
つたのか,7夕P・・の文句を借れば,‘‘ty・ani・・1” 説家は早くから將来小説家たらんとする意識と
でその行為は“arbitrary and violent in the 修業を経てはじめて世に出るのであつて・彼等
extreme”であつた.従つて本来“touchy and にとつては文学の持つ形式に対する研究が一応
somewhat thin−skinned Herman MelviUe” 不可避的な課題であると言つでv・v・. Lかし
には到底耐え得られなかつたのであろうと Melvilleにはそのような時代はなv・.’彼の学
Howardは想像してv・る.尤も,捕鯨船の般長 校は経験の学校であり,太干洋の原住民と・世
が暴力を振うのは当時の慣習で,別にCaptain の追放者に等しい当時の荒くれた船乗りたちの
Peaseのみに限つた現象ではなかつたにしで 間に身をはつた生活なのだ.そうした彼が冒険
も,彼のo缶cerが:二人迄も同時に離般Lなけ 的で異常な自己の体験のi発表形式を手近な放行
ればならなかつたとv・うのはよくよくのことで 記文学に求めたのは,極めて自然な成行であつ
あつたにちがV・なV・. たと盲つてV・V・.
かくしてMelviUeの初期の文学の系譜を旗
一般にある作家の作晶を初めて読み度v・と思 行記文学に求めるに当つて・Arvinはとり bけ
うとき,我々は自然その作家の代表的な作品に MelvilleとMango Parkとを対比し・(28)Howard
手をつける.Melvilleの場合はそれがλ動6γ はRev・C・S・Stewartとの親近性を強調する
ぴcんとv、うことになる.そこで我々は常識的な のであるが,両者ひとしくDanaをその直接
小説の概念からひどくはみ出したえたいの知れ 身近な先輩としていることに変りはなv・・その
ぬ作品にぶつつかつた思v・がする.そこには読 Danaに対してもMelvilleはその間に明確な
者を阻むか思v・きり頗かせる何物かがある.そ 一線を引v・た・Danaが記録的な文学の線にと
こで読者は思v、切りよくこの作品を一ひいては どまつたのに対して,Melvilleは6ctionの領
作者を一捨で去るか,或いはこの作品に魅せら 域に足を踏み入れたからである・それあるが故
れるとv・うことになるのである.二者択一であ に・彼が後世America文学の巨峰・となり・世
16 松 本 良 一
界の文学に強v・光芒を放つ星となることが出来 1Ub6γ斑ゐvery much as he had com一
た訳でもある. posed his earlier books−that is, by te1L
ともあれ・Danaがi綿密な日記とnotesにi基 ing a story and Iater supPlementing
いて太卒洋岸に於ける貿易船の実態を忠実に再 the narrativ6 with infbrmative and de.
現Lてみせたのに対して,Melvilleはただ骨 scriptive materia1.(31)
に刻んだ体験とsailor’s yarnとを持ち帰つた とv・う文の中に明快に割り切られてv・るし,彼
のみであつた・従つて彼の作品が・執筆に際し の最後の小説疏砂刀必dにつv・ても同様な説
て参考にした先入達の航海記やDanaから離れ 明があたえられる.そして処女作7ypeθが即
たのは・予め南海に於ける生活の体験に先だつ ちその“earlier books”の形式を創始した訳
て,それを文学と結びつけて考える意図や準備 である.
がなかつたために,彼には純粋な族行記などは こうしたtravel book的な出発をした彼の作
到底書けなかつたからでもあるが,問題はむし 品はstoryの裏づけとLて当然』tsを提供
ろそこにあるのではなくて,彼が単なるらcts しなけれぽならなかつた.だから巧pθeに於
に満足出来なv・で6ctionの方向に心を惹かれ ては衣食住につv・ての記述は勿論のこと,宗
てv・たとv・う点にあろう.この事実はその後の 教,祭祀,部族間の戦闘,原住民の体位,taboo,
彼の作品が雄弁に物語つてv・るし,後に於ける 化粧,島の博物,等々の形でそれを提供し,宣
作家としての彼の関心が奈辺にあつたかを見れ 教師の活動や動向,フランス海軍の占領状況を
ば明瞭である.・巧ρθεは彼の名声を確立した. 語り,野蛮と文明を論じて小説の申に赤裸々な
0㎜はそれを補強した..R〈励ωrηと 蹴紀 作者の意見を開陳してみせるのである.現にロ
九c砲は庇r読による不評を一掃した.にも ンドンに於て原稿売込の交渉中三つの章を新し
拘らす脇r読に対して彼は巧解,0㎜oを不 く書き加え,更に三つの章に大幅な追加修正を
可とし・(29)Rα批rη,肪zθノ励ezを‘almost en・ 加えたのは,(32)出版者のJohn Murrayが彼を
tirely fbr“1ucre”と極言した.(30)彼の関心は比 “practised writer”ではなv・かと考え,作品の
較的自伝的な乃ρee−0ηzoo−Rα鋤rη一蹴ze “authenticity”をも疑つたのに対する一つの対
九c輪6の系列の作品よりは,より丘ctiona1な 応策でもあつた.(33)
娩磁,1協0γ疏”の上にあつたことは明かで 要するに,MbOγ1)6c”に於ける“Cetology”
ある.しかも一見忠実な自伝的作品であるかの の章や“The Whiteness of the whale”の章
如き印象をあたえるこれら1>ρα2系列の作品 等の雛型は既に処女作の中にあるのであつて,
が・案外6ctionalな要素を多分に持つてV・る 所謂「小説の美学」からすれば,脇砂ぴc〃の
ということが今日では次々に実証されて来てい 如きは正に型破りな異端の作品ではあるが,そ
る. の特異な構成も彼の作晶としてはこと形式に関
以上述べてきた如く,travel booksの系譜の する限り少しも珍しい現象ではなv・.ただしそ
上に立つて,飽ctと丘ctionを半々に持つて の文学的効果如何ということになれば,これは
Melvi11e文学は出発Lた.しかもそれが比較 自ら別個な問題である.
的素朴な並列的な形式で創作の中に持ち込まれ 一一般的な小説の概念からすれば,彼の作品中
てv・て,彼の小説に特異な一つの形式を与えて に磐しv・こうしたin{brmativeな部分, dis.
V・る・両者の割合と質的な変化は当然あるにし cursiveな部分は,当然narrativeの中に分散
ても・この形式はMb6γぴcゐは勿論・B認ケ 吸牧するか叉は切り捨てるべきものである.そ
B溺に於てもその跡をとどめている.Mb毎 うしてこそ初めて小説に一貫性を持たせること
ぴCゐの構成上の秘密は・ が出来,滑らかに渋滞なくstoryそのものを
Modern scholarly illvestigations have 読者の胸に印象づけることに成功すると考える
shown that MeMlle undertook to write べきであろう.7ンpθeに於けるが如く亀ctsや
M肌VILLEの処女作“TYPEE”を中心として 17
in品rrnationがそうした方法を採らなv・で独立 and was increasingly to be, he came to
した長v・章にまとめられ,時にはそれが連続し the pro飴ssion of letters as a kind of
てstoryの中にはめ込まれることになると,必 brilliant amateur, and he was never
然的にstoryの円滑な運びを妨げる弊はまぬが quite to take on, whether fbr better or
れがたい.彼がこのような方法をとつたのは, fbr worse, the mentality of the pro−
一つにはそれが安易な方法であるからであり, fCssionaL(34)
一つには,それによつて作晶が虚構ではなく事 という言葉はこんなところにも当てはまる.尤
実の裏づけを持つているということをより強く も,この評言のすぐ後には,
効鼻的に印象づけうると考えたためであると思 This is hardly to say that he was a lesser
われる.或は少し極端な言い方をすれば,1Ub砂 writer than those who did・
D磁や脇繍は兎に角として,乃1溜,0㎜ という但書がついてv・ることも念のためつけ加
の段階にあつては,それがt・av・lb・・k的な えておく・
作晶に於ける作者の義務であると迄考えたので .
§孟 1)同書Introductlon, PP◆15−6
はあるまいか・ 2)・Hi,・w。 H。,♂と題するM。1。il1。関緯
こうして彼の作晶には飴ctsと6ction・in一 評
fbrmationとnarrativeが一つの作品の中に午 3)“The Time。f M。lville and Whitman”,
行して存在し,時にはessayやtreatiseとな Chap. III, P 109
つて作者の宇.観や意見がむ琶出しに表明され 4)“Authors and Authorings”by D. MitcbeU
る.一一つの作晶の中に雑多な要素が盛り込まれ 5)Melville’s let撤t・Dr・w・sprague, July
るとすれば,それらを作晶として美事に結晶さ 24・1846
せるdは至難なわざである.内から白熱した 6)M・1・ill・’・1・tter・・礼H・w・h・m・・J…1(?)・
1851
情熱によつて支えられ・螂で豊か願勧に 7)M。1。illピ、1。tt。,“H。w、h。m。, J。1y 2乳
よつてすべてを具象化し融合すると共に, 1851
hum・・,・arcasmその他種々の文単的な武器を 8)Al・h・・gh M。1。ill。 w。,1。・。. t。 w。i、。 th。,
巧に使いこなすことに成功した場合は別とし’ he had・・no development at aU・until he
て,一たん力たらずして失敗した場合は,それ reached the age of twenty.飾e, his residen℃e
らが作晶を複雑化する狙いを満すどころか,反 in H・n・lulu, where he passed his twenty一
対にstoryの流れをバラバラにし,全体の調子 fou「th bi「thday・was imPo「tant formative
を単調にし,作晶効果を弱めるか救いがたいも Pe「i°d in his life’In it he acqui「ed°ne°f
のとするこどは必至である. tbe majo「attitudes a「ound which his intel一
しかるに彼は生涯この手法を以て貫きとおし lectual devel°pment t°°k pl・・…L H・w・・d・
なv・・Hawthorneに与えたAgatha storyに関 PP.75−9
する手紙は何かを示唆しているように思 bれ 11)Melville Log PP.83→に全文がでている。
る.しかしAgatha storyは実現しなかつた. 12)同上PP・97−8
MelviUeにはMelvilleの限界があつたようで “ 13)Peter.Gansevoort’s letter to WiUiam C.
ある.兎に角彼がとつた作晶構成上の手法は, B°uck・Ap「il 4・1839
彼の繍を貫く形式上の特徴をなして凱同 14)芸’欝s’ette「t°Pete「Gansev°°「四ec
時酢家としての彼の一つの限髄示してもい 15)M。1。illピ、1。tt。,,。R三。h。,d H。n,y D。na,
る・ Jr., May 1,1850
Bookish as MelviUe had always been 16)Chap.24 p.199(Penguin Lib)
の
18 松.本・良 一
一7)Newton Arvin:“Herman Melvllle”pp.78−
9
18)Leon Howard:“Herman Melville”p.93.
19)Melville,s letter to Evert Duyckinck, March
3,1849
20)Leon Howard:“Herman Melville”, pp.38−9
21)Jay Leyda:“The Portable Melville”, Bio−
graphical p.9
22)Isaac Montgomeryと契約cf.“Melville Log”
P.167
23)“Melville Log”pp.124−8/Leon Howard:
“Herman Melville”, p.43
24)stetson certificate of June 2,1843
25)Leon Howard:“Herman Melville”p.49
26)Newton Arvin:“Herman Melville”p.55
27)Gansevoort MeIvillざs letter to Lemuel Shaw,
July 22,1842
28)N.Arvin:“Herman Melville”, p.79
29)MelviIle,s letter to John Murray, March 25
1848 『
30)Melville,s letter to R. H. Dana, Jr., May 1,
1850
31)“Moby Dick”(M. L C.版)に附したLeon
Howardの序文
32)新に加えた章Chap. XX, XXI, XXVII/追
加修正した章Chap. XXIV, XXVI, XXX
(cf. Melvme Log. pp.200−1/The Portable
、
Melville, P.9)
’
’33)Gansevoort Melville,s letter to John Murray,
0ct.21, 1845
34)N.Arvin:“Herman Melville”, p.78
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