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Japanisch-Deutsche Gesellschaft

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Japanisch-Deutsche Gesellschaft
「Die Brücke 架け橋」第682号 平成27年 6 月 1 日発行(隔月刊)公益財団法人日独協会
Japanisch-Deutsche Gesellschaft
架け橋
日独協会機関誌
6
2015
表紙のことば
2015 年の独日協会連合会総会は私の地元ベルリンで開
催されました。総会全体のレポートは「Die Brücke」8 月
号に掲載いたしますが、公式プログラムのほかに観光の時
間もありました。3 日間にわたり会議を行った後、
日曜日(5
月 17 日)の午前中は、船に乗ってシュプレー川を楽しみ
ました。ベルリン独日協会の名誉会長ギュンター・ハーシュ
氏のご招待で、150 人で一つの観光船を貸し切りました。
ずっと前から知っている友人や総会で新しく出来た仲
間と会話したり歌を合唱したりしながら、楽しい 3 時間
を過ごしました。生まれも育ちもベルリンの私ですが、
実はシュプレー川の船ツアーを経験したことはありませ
ん。なので、今回、初めてベルリンを別の視点から知る
ことができました。例えば、表紙の「Molecule Man」を
すぐ近くから見れました。
アメリカ人アーティスト、ジョナサン・ボロフスキー
氏によって 1997 年にシュプレー川の真ん中に作られた
作品の高さはなんと 30 メートルです。当時、3 つのベル
リン区、クロイツベルクとトレプトー、フリードリヒス
ハインが接するところに立っています。しかし、ベルリ
ンは 2001 年までは 23 区から成っていましたが、その後
12 区に合併・再編されたため、
(元東ベルリンの)フリー
ドリヒスハイン区と(元西ベルリンの)クロイツベルク
区は新しくフリードリヒスハイン = クロイツベルク区と
して生まれ変わりました。10 数年前では考えられないコ
ラボレーションです!冷戦時代に東ベルリンと西ベルリ
ンの堺だったところでもありますが、私から見ると、何
より人が接する場所です。ベルリンはいつだって変わり
つつある出会いの町なので、2015 年の総会に相応しい場
所だと、
船上から「Molecule Man」を見ていて感じました。
(タベア・カウフ)
目 次
Zum Titelblatt
Die Verbandstagung des Verbandes der Deutsch-Japanischen Gesellschaften wurde im Jahr 2015 in meiner Heimatstadt Berlin abgehalten. Über die Verbandstagung im Allgemeinen können Sie in
der Augustausgabe der Brücke näheres erfahren, doch neben dem
offiziellen Programm gab es natürlich auch Zeit für ein bisschen
Sightseeing. Nach drei Tagen mit vielen Besprechungen, fuhren wir
am Sonntag vormittag mit einem Schiff auf der Spree, das wir ganz
für uns allein hatten. Diese Bootstour wurde von Herrn Prof. Dr.
Günther Haasch, dem Ehrenpräsidenten der DJG Berlin gesponsort.
Wir verbrachten wirklich lustige drei Stunden – singend und essend – mit neuen und alten Bekannten auf dem Schiff. Auch wenn
ich in Berlin geboren und aufgewachsen bin, hatte ich zuvor noch
nie eine Tour auf der Spree gemacht und so gab es auch für mich
viel Neues zu entdecken. Zum Beispiel habe ich zum ersten Mal
die berühmten „Molecule Man aus der Nähe gesehen.
Sie wurden 1997 von dem amerikanischen Künstler Jonathan Borofsky angefertigt und stehen mit ihren 30 Meter Höhe mitten auf
der Spree. Damals standen sie genau an der Stelle, wo sich die
drei Bezirke Kreuzberg, Treptow und Friedrichshain trafen. Doch
nach der Bezirksreform 2001 sind aus den ehemals 23 Berliner
Bezirken zwölf geworden und Friedrichshain (ehemals Osten) und
Kreuzberg (ehemals Westen) sind zu einem Bezirk verschmolzen.
Das hätte man sich über die vielen Jahre des Kalten Krieges sicherlich auch nicht vorstellen können. Und so sind die „Molecule
Man zwar auch ein Ort, wo früher die Grenze zwischen Ost und
West verlief, doch in erster Linie drücken sie einfach die Begegnung zwischen Menschen aus. Für mich ist Berlin ein sich stets
verändernder Ort der Begegnung – die Stadt war also genau richtig gewählt als Ort für die diesjährige Verbandstagung.
(Tabea Kauf)
ページ/ Seite
初学者のためのドイツ連邦共和国の国家の仕組み
フェリックス R. アインゼル
1
黄金の琥珀に純白の泡
Das deutsche Staatssystem für Anfänger
3
Folge13 : Berliner Weisse - das einzigartige Bier Teil 1
松沢 幸一
ドイツ経済の動き(拡大版)
第 33 回
伊崎 捷治
Dr. Koichi Matsuzawa
4
特別寄稿
「第一次世界大戦から百年。そしてプロイセン、
ドイツの辿った道」 6
稲川 照芳
Tendenz der deutschen Wirtschaft
8
Berliner Luft ベルリンの最新情報
10 Berliner Luft
Bericht von der Generalversammlung des Verbandes der JDGen
ソニア・ツィマーマン 11 Sonja sagt Servus!
協会活動
Sonja Zimmermann
12 JDG-Aktivitäten
「ドイツと日本を結ぶもの−日独修好 150 年の歴史−」
展示会のお知らせ
13
Ausstellung über die Geschichte des japanisch-deutschen Austausches in Sakura
ドイツ関連情報いろいろ
14 Die Informationen
シンポジウム「日仏独における外国人労働力の活用」参加者の声
15
秋祭りのご案内
16 Informationen zum Herbstfest
コラム【驚いてン Sie!?】
Shoji Isaki
Beitrag
„100 Jahre seit dem Ersten Weltkrieg. Der deutsch-preußische Weg.“
Teruyoshi Inagawa
連合会総会レポート
オウちゃんが来た!
Felix R. Einsel
Das goldgelbe kühle Nass mit dem schneeweißen Schaum
∼ Vol.13 ベルリンの変わり種、ベルリナー・バイセ<前編>∼
∼統合 25 年後の東部ドイツ∼
INHALT
Symposium „Ausländische Arbeitskräfte in Japan, Frankreich
und Deutschland“ aus Sicht einer Teilnehmerin
タベア・カウフ 17 „Odoroiten Sie!?“
Tabea Kauf
初学者のためのドイツ連邦共和国の国家の仕組み
その 20 最終回 ドイツにおける政治教育
DasdeutscheStaatssystemfürAnfänger
Teil20.DiepolitischeBildunginDeutschland
フェリックス R. アインゼル(ゾンデルホフ&アインゼル法律特許事務所 弁理士、
(公財)日独協会理事)
Felix Reinhard Einsel(Patent Attorney, Sonderhoff & Einsel Law and Patent Office, Vorstandsmitglied der JDG)
Demokratie braucht eine lebendige und streitbare
Zivilgesellschaft. Sie kann nur funktionieren, wenn die
Bürgerinnen und Bürger das politische und gesellschaftliche
Leben mitgestalten. Deutschland hat im 20. Jahrhundert zwei
Diktaturen hervorgebracht. Daher trägt die Bundesrepublik
Deutschland eine besondere Verantwortung dafür, dass in
Politik und Gesellschaft demokratische Grundwerte akzeptiert
und gelebt werden. ⑴
民主主義
活発 議論を好 民間人 必要不可欠 あ
こ を機能させ た
国民 政治 社会 形成
参加し け
い ドイツ 20 世紀 二
独
裁政権を誕生させ しま た こ た
ドイツ連邦共和
国
政治 社会
い 民主的 基礎価値 許容さ 且
実践さ
う す 特別 責任を負
い
Bundeszentrale für politische Bildung(ドイツ連邦共和国政
治教育センター)のウェブサイト上の自身を紹介する冒頭部
の記載である。
さらに、
Was ist unserer Auftrag ?(我々の使命は?)の部分では、
Die Aufgabe der Bundeszentrale für politische Bildung/bpb ist
es, Verständnis für politische Sachverhalte zu fördern, das
demokratische Bewusstsein zu festigen und die Bereitschaft zur
politischen Mitarbeit zu stärken. ⑵
ドイツ連邦共和国政治教育センター 役割
国民
物事
い
政治的 理解 手助けをし
国民
民
主主義的 意識を根付 せ 自主的 政治参加を促すこ
あ
このようにドイツでは民主主義はどんなことがあっても死守
しなければならない制度、そして価値として認識されている。
そもそも民主主義とはなんだろうか。„Demokratie (民主
主義)という語はギリシャ語で „Herrschaft des Volkes (国民
による支配)⑶を意味している。国民による支配が成立する
ためには、国民は政党の中で自分の考え方に一番近い政党に
投票することによって政権に就いてもらい、政権を運営して
もらうことになる(mittelbare Demokratie;間接民主制)
。従っ
て、
投票をする行為ぬきには民主主義は成立しないのである。
日本でも選挙にいかないのは言語道断だとマスコミが騒ぎ立
てる所以である。このため、一部の国(オーストラリア、ス
イスの一部の州など)において正当な理由なく選挙において
投票しなかった国民に対して罰金などの罰則を課している⑷。
しかし、ドイツは罰則を課しておらず、ドイツ連邦共和国政
治教育センターの役割が「自主的な政治参加を促す」として
いることからも分かるように、教育を通じ民主主義を理解さ
せることにより、国民が自主的に選挙に行くようにしようと
しているのである。当然、ここでいう「自主的な政治参加」
とは選挙権の行使に留まらず、さらに積極的に特定の政党の
党員となりその活動にもかかわる事も含んでおり、そのような
人材が教育により育つことを推奨していると考えられる。
しかし、国民は選挙に行って一票を投じさえすれば、本当
に民主主義は機能するのであろうか。
そのヒントとなるのが、ドイツの学校において、政治教育
(Politische Bildung)の究極目的として „Politische Mündigkeit
des Menschen (人間の政治的成熟性)の達成を掲げている
点が挙げられる⑸。政治的成熟性は三つのパーツからなると
い わ れ て い る ⑹。 一 つ 目 は 政 治 に つ い て の 基 礎 知 識
(politisches Wissen) ⑺。ここでは政治的な時事問題などの個
別の知識を指しているのではなく、政治という難解な分野に
おける大枠の理解であるとされる⑻。二つ目は政治的責任意
識(politisches Verantwortungsbewusstsein)である⑼。これは
民主主義という価値が実践されることに国民一人一人が法的
な責任を負うものではないが、道義的責任意識が芽生えるこ
とが要求される⑽。具体的には政治について最低限の関心を
持ち、民主主義という価値を重視し、政治的事項について衝
動的ではなく合理的な判断が期待される⑾。そして三つ目は
政治参加(Partizipation und Engagement)である⑿。しかし
このパーツは、積極的な政治参加を要求までするものではな
く、個人が政治参加の方法を理解などすれば足りるとされる⒀。
このように、選挙権を行使する国民にも一定の政治的判断
能力が存在することが要求されている。国民がどの程度の判
断能力を最低限身に付けなければならないかについてドイツ
の政治学者である Wilhelm Hennis(ヴィルヘルム ヘ ニス)
は以下のような例えを発表している。国民は「政治の舞台
(Politisches Spiel)
」についてサッカーの観客がサッカーの
フィールド上での出来事を理解しているのと同等の理解を持
たなければならない⒁。すなわち、
「政治のルール(Politische
Spielregeln)
」を理解し、成功と失敗を見極める力を持ち、有
能な政治家と無能な政治家を特定できなければならない⒂。
第二次世界大戦後すぐには、ナチスドイツ下で全体主義的
な政治教育が学校において行われていたこととの関係上、
„Politische Bildung(政治教育) というもの自体がタブー視
されてきた⒃。全体主義であろうが民主主義であろうが政治
教育に変わりはなく、一つのイデオロギーの押し付けになっ
てしまうということからに違いない。しかし、政治的に成熟
した国民(mündiger Bürger)を育てるためには、政治教育は
必要不可欠であり、1960 年代までには、ほとんどすべての州
(当時の西ドイツ)の学校において行われるようになった⒄。
政治教育の最大の課題は、個人の自由と個人を指導すること
による個人の自由に対する制限というジレンマをどのように
克服するかにあるが、現在、学校は、生徒達が自主的に民主
的な考え方を身に付ける道具を提供するに留めるという考え
方を用いてそのジレンマの解決を図ろうとしている⒅。民主
主義という政治制度に絶対的な信頼を寄せる一方、それがイ
デオロギーの押し付けにならぬよう最大限配慮している姿勢
がみてとれる。
しかし、ドイツにおいて民主主義が絶対的な価値と位置づ
けられていることは紛れもない事実であり、それに反する価
値は基本的には存在しない。これはドイツ基本法上(ドイツ
の憲法上)
、そしてドイツの社会においても同様である。
日本で社会生活を営んでいると、政治についての議論を聞
くことは皆無に近い。その一方で、酒の席などにおいて、相
当な教育を受けた社会的地位の高い方が、結局日本には民主
主義は似合わない、独裁政権に戻るべきということを語るの
・
最終回はドイツにおける政治教育(politische Bildung)に
ついてである。
1
を幾度となく聞いてきた。日本が単一民族なため、人種的な
弾圧も起きないなどをその理由としていた。これはアジアの
現在民主主義を採り入れるようになった多くの国々に当ては
まることであるが、憲法は民主的であるにもかかわらず、社
会的には伝統的な価値と民主的な価値が混在しており、とき
にはそれが抵触してしまう事態を生じさせている⒆。日本で
社会的な影響が一番強い伝統的な価値は儒教的な価値だと思
われる⒇。本来の儒教がそのような価値であったかどうかは
別として、年功序列や独裁政治につながりかねない強いリー
ダー(政権)への憧れなどはその典型例だろう。しかし、年
功序列のため、上の者に対して意見を言えない、強い政治的
リーダーに服従するといった行動は、民主主義と全く相容れ
ないものである。ここ数年の日本の政治をみていると、民
主的な価値がだんだん押され始めていると感じることが多く
なってきた。
今でも、忘れられない思い出がある。1992 年に米国の
デューク大学のロースクールのサマー・プログラムに参加し
た際に、ロシアからきた先生の授業において、「民主主義は
完璧には程遠い制度である。しかし、人類が現段階で到達で
きた最高の制度である」と言っていたのが心に強烈に響いた
ものである。ソ連崩壊の直後にロシアの学者からそのような
言葉を聞くのが時代の変化を感じさせる一方、当時レーニン
の本などを読んで若干共産主義にかぶれていた筆者にとって
は若干反発もあった。しかし、今はよく分かる。民主主義で
ないということは、国家権力が政府に集中し(三権分立では
ないということ)
、基本的な人権も尊重されないということ
につながる。確かに日本は単一民族に近いかもしれない。し
かし、単一民族であっても、いろんなところで利益の衝突は
起こる。そのうちの一つの利益がそのときの政府の考え方に
反する場合、弾圧はいとも簡単に起きる。ナチス・ドイツで
もそうだったでしょう。精神疾患のある自国民を殺し、政治
的にナチスに同調しない自国民を投獄・殺害した。民主主義
の構成要素である、基本的人権の尊重、そして少数者の人権
を保障する(裁判所)ための三権分立、社会的に少数の者の
利益を代表する野党の存在など、これらが存在してはじめ
てみんなが安心して生活できるのである。
2
さて、
初学者のためのドイツ連邦共和国の国家の仕組みも、
今回をもってお別れとなる。最初、自分の専門分野でない題
材での発表に戸惑いもあったが、今はこのような勉強の機会
を与えて下さった日独協会、編集部の方々に心から感謝して
いる。またどこかでお会いしましょう。
<引用文献>
⑴ Bundeszentrale für politische Bildung
http://www.bpb.de/die-bpb/
⑵ Bundeszentrale für politische Bildung
http://www.bpb.de/die-bpb/52218/was-ist-unser-auftrag
⑶ DER BROCKHAUS IN FÜNFZEHN BÄNDEN,S.176,
F.A.BROCKHAUS
⑷ Wikipedia「義務投票制」
⑸ Joachim Detjen, Politische Bildung Geschichte und Gegenwart in
Deutschland 2. Auflage, S.211, Ouldenbourg Verlag
⑹ 前掲注 5, S.214
⑺ 前掲注 5, S.214
⑻ 前掲注 5, S.214
⑼ 前掲注 5, S.214
⑽ 前掲注 5, S.214
⑾ 前掲注 5, S.214
⑿ 前掲注 5, S.215
⒀ 前掲注 5, S.215
⒁ Wilhelm Hennis, Das Modell des Bürgers, Gesellschaft-Staat-Erziehung
2, S.337
⒂ 前掲注 14, S.337
⒃ Thomas Hellmuth/Cornelia Klepp,Politische Bildung, S.56, Böhlau
Verlag
⒄ 前掲注 16, S.58
⒅ 前掲注 16, S.57
⒆ Wo l f g a n g S a n d e r, H a n d b u c h P o l i t i s c h e B i l d u n g , S . 5 9 9 600,Wochenschau Verlag
⒇ 前掲注 19, S.599
前掲注 19, S.599,S.602 は同様の趣旨であろう
前掲注 3, S.176 ヨーロ
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政府 こ 褐炭 少
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州 あ
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歴史 背景
空気 い
統一
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私 小さい頃 年 何回 行
Bitterfeld
東
にあった!? Bitterfeld-Wolfen
父方 祖父母 故郷
う
パで一番汚れた町がドイ
あ
い 町
緑
多
活気
い
■日独協会理事でもあるアインゼル氏による連載が今月号で終了
する。ドイツ国家の仕組みについて優しく解説していただいた記
るで違った。ベルリンの壁に象徴されるこの国際都市は何か重
くて厚い印象だった。それが、とにかく緑が多い。ベルリンか
らポツダムへのツアーバスから見える旬なドイツはマロニエ、
ライラックが咲き誇り、ヴンダバール(Wunderbar ! )である。
総勢 25 人余の我々とぐんま日独協会が合流し、日独交流の旅
は始まったばかり…(5 月 15 日ベルリンにて/大)
編集後記
■ „ 過酷“ な十二時間の空の旅を経て、フランクフルトからい
よいよベルリン入り。これまで思い描いていたベルリンとはま
事は非常にわかりやすく、日頃なじみの薄い我々にとって勉強に
なる記事であった。アインゼル氏は超多忙な日々を送られている
が、3 年にもわたって、我々日独協会会員がドイツという国をより
よく理解するために書いていただいたこの記事は将来においても
多くの人々がドイツを理解するうえで大いに参考になるものと思
う。多大なるご尽力に編集部として心より御礼申し上げる。
(戸)
発送作業を手伝って下さったボランティアの皆さんに心から感謝します。
架け橋
日独協会機関紙「Die Brücke 架け橋」第 682 号 2015 年 6 月 1 日発行/隔月刊
編集責任:金谷誠一郎
(編集長)公益財団法人日独協会/電話:03-5368-2326/FAX:03-5368-2065/http://www.jdg.or.jp
/印刷・製本:三和印刷株式会社
住 所:〒160-0016 東京都新宿区信濃町 18(マヤ信濃町 2 番館)
禁 無断転載
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