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現代日本語の時間の従属複文 - 横浜国立大学教育人間科学部紀要
現代日本語の時間の従属複文 工 Adverbial Temporal 藤 Clauses Mayumi Ⅰ 真由美 in Modern Japanese KuDe) Ⅰ 時間の従属複文の体系 Ⅱ Ⅲ アスペクト・テンスと時間の従属複文 時期限定系列の従属複文 Ⅳ 期間限定系列の従属複文 Ⅴ その他の時間の従属複文 Ⅵ 時間関係と因果関係 Ⅶ おわりに 時間の従属複文の体系 人間言語一般あるいは様々な個別言語が,時間をどのような観点からどう一般化して とらえ,どのような手段でそれを表現しているかは,言語研究に携わる者にとってつき せぬ興味をかきたてる魅力あるテーマの1つであろう。現代日本語においても,時間の 状態)は,形態論的,構文論的,語嚢的,語形成 なかに現象する出来事(動作,変化 的など様々な表現手段で,いくつかの観点から-出来事の時間的展開のあり方・とらえ 方,出来事の時間的位置づけの仕方,複数の出来事間の時間関係のあり方・とらえ方, 出来事の時間的局所限定のされ方等一時間がとらえられていると思われるが,このよう な大きな問題に総合的な回答が出されるにはまだまだ時間が必要とされるであろう。 本稿が扱うのはlこのような時間の表現の一部をなす「学校に行く時けがをした」 「お客が土星阻串となしかった」 「寝る前に菌をみがきなさい」 「友達が来るまで待って いた」 「勉強した後テレビを見よう」 「試験に落ちてから元気がない」のような,複数の 出来事間の時間関係の様々を表し分けるために発達している時間の従属複文である。 結論を先取りして,時間の従属複文の基本的体系を図式化して示せば,次のようになっ ていると思われる。 (カラの場合のみシテカラのかたちになって,理由を表す従属複文 と区別されることになる。) 時期 ⅠⅡ 同■時 期間 トキ(ニ) アイダ(ニ) 継 後続(-先行) マエ(ニ) マデ(ニ) 近 先行(-後続) アト(デ) カラ 170 工 まず, 藤 真由美 2つの出来事のⅠ<時間的順序関係>の観点から,大きくは<同時的時間関 係>を表すグループと<継起的時間関係>を表すグループに分かれる。そして継起性を 表すグループは<後続一先行>関係にあるものと<先行一後続>関係にあるものとに下 位分類される。 そしてその上にさらにⅡ<時間的枠づけ方>の観点から, <時期限定>的なものと< 期間限定>的なものに分かれる。 「トキ,マエ,アト」の系列が単純に主文の出来事の 成立時期の限定・指定を行なうのに対し, 「アイダ,マデ,カラ」の系列は,主文の出 来事の成立期間の限定・指定を行なうのである。マデは終了時点の限定を,カラは開始 時点の限定を行い,アイダは開始と終了時点両方の限定を行なう。 このように大きくは2つの観点から,時間の従属複文は体系化されているといえよう。 時間の従属複文が複数(基本的には2つ)の出来事間の時間関係の様々を表し分けて いるとすれば当然,主文,従属文の述語のアスペクト・テンス性がからみあってくるこ 「映画を見る前にお茶を飲んだ」 とになる。例えば「子供が帰ってくるまで起きていた」 「*映画を見た前にお茶を飲んだ」と とは言えても, 「*子供が帰ってくるまで起きた」 は言えないように。 主文,従属文のアスペクト・テンス性と相関しつつ,それぞれの時間の従属複文がど のような時間関係的意味・機能をもって相互に対立しているかの記述が本稿の目的であ る。 Ⅱ アスペクト・テンスと時間の従属複文 1 アスペクトと時間の従属複文 主文及び従属文におけるそれぞれの出来事の時間的展開のありよう,つまりはアスペ クトと2つの出来事間の時間関係とは相関する。例えば,マエ(ニ),マデ(ニ),アト (デ),カラのような継起的時間関係を表す場合の<従属文の述語>は,運動動詞の完成 相でなければならず,持続相であったりあるいは文法的アスペクト対立のない存在動詞 であることは許されない。 ・ここに来るまでには随分道に迷ったわ。 (*来ているまでには, ・本を読んだ後,お風呂に入ります。 (*読んでいた後) また,アイダニ,マデニの場合は, *いるまでには) <主文の述語>は運動動詞の完成相でなけ叫ゴなら ないが,アイダ,マデの場合は持続相あるいは存在動詞である。 ・太郎が寝ている間に本を読んだ。 /太郎が寝ている間本を読んでいた。 ・死ぬまでに /死ぬまで中国にいたい。 このように,主文,従属文の出来事のアスペクトと,出来事間の時間関係とが相互規 定的であるとすれば,まずもって次のように,出来事を<時間的限界>を示差的意味特 現代日本語の時間の従属複文 171 徴とするアスペクト的観点から大きく2分類しておかなければならない。これは単純に 言ってしまえば<運動動詞完成相であるか否か>っまりは<時間的限界をアクチュアル に捉えているか否か>の対立である。 <アクチュアルな時間的限界有> <アクチュアルな時間的限界無> A B 運動動詞完成相 動詞 運動動詞持続相. A.1限界動詞…A.2非限界動詞 詞 述語 完成相完成相 開く,割れる,止まる,宿れる,歩く,回る,遊ぶ,動く,降る,剛1ている,行っている,止まっている,いる,ある, 入る,行く/開ける,割る, たた(,押す,見る,読む, 止める,入れる,殺す,着る 飲む,鳴らす,振る,漕ぐ 開けている,殺している,着ている, 痛い,忙しい,にぎやかだ,心配だ, 歩いている,見ている,飲んでいる 病気だ,小学生だ,無言だ Aの運動動詞完成相はすべて,そこにおいて運動が開始(成立)あるいは終了する時 間的限界,あるいは運動が尽きて結果が成立するという必然的時間的限界への到達性を アクチュアルにとらえているものである。この点で完成相はアスペクト的意味において markedであって,非継続相あるいは一般アスペクトのような消極的規定では不十分で あるといえよう。そしてこのアクチュアルな時間的限界をとらえている点で共通しつつ, A.1のようなそこに至れば必然的に運動がっきて結果状態が成立する内的必然的時間限 界への到達性を表すものと, A.2のような内的必然的限界のないもの,つまりはどこで 運動が終わっても運動が成立したといえる任意の終了限界しかもたないものとに分かれ る。時間的限界が内的必然的なものであるかどうかという時間的限界の性質の相違も他 の出来事との時間関係のとりむすび方の相違をもたらしてくる。 ②スルーシティルのアスペクト対立 一方, Bに属するのは①運動動詞の持続相及び, のない非運動動詞(存在動詞),形容詞(形容動詞),名詞述語である。前者では完成相 との対立のなかで文法的に運動の時間的限界が(内的必然的限界であれ,任意の終了限 界であれ)無視されているし,後者では語嚢的に時間的限界がとらえられていない。両 者は文法的レベルの同一の運動に対するとらえ方の問題か語嚢的レベルのあり方的な問 題かの相違があるが,どちらも,開始,終了あるいは結果成立の時間的限界をアクチュ アルにとらえていない点で共通している。 [語量的対立] (注1) [文法的対立] 完成相<アクチュアルな限界到達性有> 運動動詞<時間的限界有> 持続相<アクチュアルな限界到達性無> 存在動詞<時間的限界無> 形容詞,名詞述語 -A 172 工 藤 真由美 このようにスルーシティルの文法的対立においても語嚢的意味の対立においても,時 間的限界性の有無が重要になってくるのは,時間的限界は内的時間と外的時間の結節点 であって,時間的限界のとらえ方丁あり方が出来事内部の時間的構造化の相違と同時に 他の出来事との外的時間関係の相違をもたらすからであるといえよう0 こうして以上のA, Bへの2分類は,時間の従属複文において次の様な2つの意味を もっことになる。 まず,カラを除いて,従属文がこあるいはデを伴っている場合とない場合とがあるが, これは<主文のアスペクト>と次のように相関している。 <主文の述語> ・時期 ・期間 トキ,マエ,アト A, トキニ,マエニ,アトデ A アイダ,マデ B アイダニ,マデニ A B (A.2) 時期を表す従属文において,ニまたはデがない場合は,どのようなタイプも主文の述 語に来ることができるが,ニ(デ)がある場合は,基本的にA (運動動詞の完成相)に 限られる。従って,次のように, *印のものは主文がBのタイプのものであるがゆえに 非文法的となるが,ニ,デがなければ,文法的である。 (注2) <主文の述語- A> <主文の述語- B> 僕が小学生だった時に父が死んだ。 *父が死んだ時に僕は小学生だった。 宿に着く前にお腹が痛くなった。 *宿に着く前にお腹が痛かった。 太郎は勉強した後でテレビを見た。 *太郎は勉強した後でテレビを見ていた。 期間を表す従属文においては,ニがっかない場合はB (またはA.2のタイプ)に限定 され,ニがある場合はAに限定される。従って,次の*印のものは主文の述語がA.1 であるが故に,従属文は<アイダニ><マデニ>としなければならない。 <主文の述語- <主文の述語-A.1> B> 田舎にいる間元気だった。 *田舎にいる間元気になった。 子供が帰って来るまで起きていた。 *子供が帰って来るまで起きた。 私は耳を近付けて,その昔の止むまで聞いた。 理-が机の前に座って手紙を読んでいる間, <-聞いていた> (野火) 澄江は庭の梅の花を眺めた。 (冬の旅) <-眺めていた> 上の2例「聞く,眺める」のような非限界動詞の完成相(A.2)は,限界動詞完成相と 173 現代日本語の時間の従属複文 <マデ><アイダ> 異なり,そこで運動が尽きるべき内的必然的限界が無いがゆえに, と共起しえて外的に時間的限界が与えられる。そしてこの場合は持続相と完成相のアス ペクト対立が中和する。どこで終わっても運動が成立したといえる任意の終了限界しか 無い非限界動詞において,完成相と持続相のアスペクト対立の中和現象が起こりやすい のは必然的であるといえよう。この点で,非限界動詞はアスペクト対立のない状態・存 在動詞に一歩近付いているものである。 なお「トキニ,マエニ,アトデ,アイダニ,マデニ」とシティルが共起している場合が あるとすれば,それは次のようにパーフェクト的意味となってしまう。(工藤1989a参照) ・釈放後の今村が初めて仙台へ行ったとき,彼を出迎えた人々の中に,戦中のラバウ ルで従兵を務めた後藤金哉の嬉しさを包みかねた笑顔もあった。後藤は駅に出迎え (責任) に行く前に,今村家の墓所を入念に掃除していた。 <動作持続> <パーフェクト> ・先生がくるまでレポートを書いていた。 先生がくるまでにレポートを書いていた. このように,従属文のニ,デの有無は主文の出来事のアスペクトと相関しているので あって,ニ(デ)がある場合は限界到達性を表す完成相(A)に限定される。 第2に, <従属文のアスペクト>との相関性は次のようになっている。 <従属文の述語> 同時性(トキ,アイダ) A, 継起性(マエ,マデ,アト,カラ) A 継起性を表す場合には,従属文の述語はA B (完成相)に限定される。従属文の出来事 が時間的限界への到達性をとらえていないとすれば,主文の出来事との継起性は表しえ ないのである。 (注3) <従文の述語- A> <従文の述語- B> ・ここ古連星塵どこにいたの。 *ここにいる前どこにいたの。 ・野菜が崩れるまで煮てしまった。 *野菜が崩れているまで煮てしまった。 ・太郎が釆た後,次郎が釆た。 *太郎が忙しい後,次郎が忙しい。 ・歯を磨いてから,寝なさい。 *歯を磨いていてから,寝なさい。 一方,同時的時間関係の場合には,従属文の述語はA, Bどちらも可能である。 ・公園に行く(行った)時/本を読んでいる時,部屋にいる時,僕が病気だった時 ・窓を開ける(開けた)間/本を読んでいる間,お金がある間,子供が静かな間 (注4) 174 工 藤 真由美 時間的限界をとらえていないBのタイプが従属文の述語にくれば,必然的に同時性を 表すことになる。が, Aにおいては正確には後述するように,さらにスルーシタの対立 が<限界達成前一限界達成後>というアスペクト対立に変容することによって同時関係 性を表すようになると言うべきであろう。 2つの出来事が同時であるという場合には限 界に至る前の段階(局面)と同時であるか限界に至った後の段階と同時であるかが重要 な問題となってくるわけである。 このように,時間の従属複文における2つの出来事間の時間関係の様々を表し分ける にあたっては,常に主文,従文の出来事の<時間的限界>に関わるアスペクト性が相関 している。時間的限界のあり方・とらえ方が内的時間構造の相違(アスペクト)と外的 時間構造(他の出来事との時間関係)の相違を続一的にむすびっけるからである。この 場合,何よりも基本的であるのは<完成相であるか否か>っまりは<時間的限界をアク チュアルにとらえているか否か>であろう。運動動詞の持続相では文法的に,非運動動 詞,形容詞,名詞述語では語嚢的に,アクチュアルには時間的限界がとらえられてはい ない。この2つのアスペクト的相違は,絶対的テンスと相関して,前者では<未来一過 去>の対立となり,後者では<現在(未来)一過去>の対立となることが既に指摘され ているが,また同時に2つの出来事間の時間関係のとりむすび方の相違をももたらすの である。 このアクチュアルな時間的限界の有無による対立は, telic-atelicという内的必然的 限界の有無による語嚢的レベルの対立とは異なる。従って例えば「開ける,止まる」は 「歩く,見る」と語嚢的レベルにおいて内的必然的限界がある点で異なるが,完成相で は「窓を開けた後,車が止まるまで」のようにその内的限界への到達がアクチュアルに とらえられ,持続相では限界到達性には触れないので「*窓を開けていた後」のように は言えないことになる。また「歩く,見る」は内的必然的限界はないが,完成相では 「公園を歩いた後,歩く前」のように任意の終了限界あるいは開始限界へのアクチュア ルな到達をとらえ,持続相ではこのような時間的限界に触れないので「*公園を歩いて いる前(級)」とは言えないことになる。 現代日本語におけるシティルースル(持続相一完成相)のアスペクト対立の内容面へ のmarked-unmarked性の安易なもちこみには十分慎重でなければならない。 2 テンスと時間の従属複文 テンスと時間の従属複文との相関性は,主文の述語は発話時との時間関係(deictic なカテゴリーとしての絶対的テンス)を表し,従属文の述語は,主文の出来事時との時 間関係を表すようになる点にあらわれる。従って例えば,次のように過去のことをいっ ているにも関わらず,従属文の述語にスルあるいはシティルが使われ,未来のことをいっ ているにも関わらずシタが使われることになる。 ・先週学校に行く時,坂道でころんだ。 私は去年日本に来るまで,アメリカにいた。 現代日本語の時間の従属複文 175 昨日私が出掛けている間に電話があった。 ・今度会った時にゆっくり虜まよ。 明日は映画を見た後,デパートで買物をします。 時間の従属複文が, 2つの出来事を<従属一非従属>関係にあるものとして1つの文 のなかに統一的に捉えるとすれば,主文の述語は発話時との時間関係(絶対的テンス) を表し,従属文の述語は主文の出来事との時間関係を表すというかたちで機能分担を行 なうのである。 この場合,従属文の述語が表す時間的意味には,次の2つのタイプが生じる。 第1に, 「マエ,マデ,アト」のような<継起的関係>の場合は,主文の出来事時を 基準とする<相対的テンス>対立が前面化される。従って「マエ,マデ」においては, アスペクト的に運動動詞完成相に限定されるのみならず, <スル>形式に限定されるこ とになるし,逆に「アト」においては, <シタ>形式に限定される。未来のことではあっ ても「するアト」とは言えず,過去のことではあっても「したマエ」と言えないのは, 従属文の述語は発話時との関係を切っているからである。また「トも アイダ」のよう な同時関係の場合のシティル形式も発話時ならぬ<主文の出来事との同時性>という相 対的テンスとなるがゆえに,過去のことではあっても「昨日デパートで買物をしている 時,財布をとられた」のように言えるのである。 第2に, 「トキ,アイダ」のような2つの出来事が<同時関係>にむすばれている場 合に,従属文の述語としてスル形式,シタ形式が使われたときは, 「マエ,マデ,アト」 のような継起関係にある場合と異なり,主文の出来事時よりあと,あるいは主文の出来 事時よりまえという相対的テンス的意味を実現しえなくなって, <限界達成前の段階一 限界達成後の段階>というかたちでのアスペクト対立が前面化される0 学校に行く時,鐘が鳴っていた。 <限界達成前の段階と同時> 学校に行った時,鐘が鳴っていた。 <限界達成後の段階と同時> ちょっとサングラスをはずす間に,帽子を吹き飛ばされてしまった。 <限界達成前> ちょっとサングラスをはずした間に,目に砂が入ってしまった。 <限界達成後> これらはすべて2つの出来事が同時関係にあるものとしてとらえられているわけであ るが,従属文の述語にスル形式を使うかシタ形式を使うかによって,同時関係のバリア ントを表し分けている。 こうして,従属文の述語は,発話時との時間関係は主文にまかせて,主文の出来事と の時間関係を表すことを基本的任務とすることになる。そしてこのことによって, の出来事を1つの文のなかに統一的にまとめあげるのである. 従来特に,現代日本語のスルーシタの時間的対立のありかたが問題とされてきている 2つ 176 工 藤 真由美 が,この対立は構文的機能ぬきにはとらえることはできず,基本的には終止(主文の述 請)の位置では絶対的テンス対立となり,非終止(従属文の述語)の位置では発話時と の関係をきりすてて,基本的に相対的テンスあるいはアスペクト対立となる。そして相 対的テンス的側面を前面化させるかアスペクト的側面を前面化させるかは, 2つの出来 事間のシンクグマティックな時間関係が継起的であるか同時的でにあるかが決めると思 われる。 こうして,時間の従属複文は2つの出来事の時間関係を表し分けていくものであるが 故に,主文,従属文それぞれの述語のテンス・アスペクト性と相関しつつ成立している といえよう。以上を図式化すれば次のようになる。 <従文の述語> (時期限定) 同時 Aする,した B 後続E互□ 先行 A トキ マエ トキニ マエニ (期間限定) アイダ アイダニ マデ マデニ した <主文の述語> ただし複雑なことに,従属文の述語が絶対的テンスを表す場合もある。この現象は 「ト 「マエ(ニ),マデ(ニ),アト(デ)」のような継起関係の場合は決して起こらず, 辛(ニ),アイダ(ニ)」のような同時関係の場合にのみ限定されているのが特徴的であ る。従って同時関係の場合には,次のように,相対的テンスによって主文の出来事時と の同時性を前面化させる場合と,絶対的テンスによって発話時との関係の方を前面化さ せる場合が起こってくる。 (詳細は工藤1989b参照) ・昨日学校に行っている時,お腹が痛くなった。 昨日学校に行っていた時,お腹が痛くなった。 ・京都にいる間,ずっと雨だった。 京都にいた間,ずっと雨だった。 <相対的テンス> <絶対的テンス> <相対的テンス> <絶対的テンス> 主文と従文がシンクグマティックな時間関係において<同時的>であるか否かが,従 文の述語の絶対的テンス化が可能であるかどうか,そしてスル形式と・シタ形式がアスペ 177 現代日本語の時間の従属複文 クト対立を前面化させるかどうかを決めると思われる。構文的意味・機能ぬきには形態 論的形式のパラディグマティックな対立のあり方をとらえることばできないといえよう。 時期限定系列の従属複文 Ⅱ 1 時期限定系列の中JL、は「トキ(ニ),マエ(ニ),アト(デ)」によってむすばれ た従属複文である。トキ(ニ)が同時関係を表すとすれば,マエ(ニ),アト(デ)は どちらも非同時-継起関係を表す点で共通している。 <トキ(ニ)> [≡≡≡≡ i 2 後続・先行関係 <マエ(ニ)> 先行・後続関係 <アト(デ)> さて,マエ(こ)とアト(デ)が先行(あるいは後続)の出来事を主文が表して いるかどうかで対立しつつも,両者ともに非同時-継起関係を表す点で共通していると すれば,次のように,どちらを使っても, 2つの出来事間の時間関係に変わりはない場 合も当然おこってくる。 ・太郎にあう前に次郎にあった。 次郎にあった後で太郎にあった。 ・京都に行く前に奈良に行こう。 奈良に行った後京都に行こう。 しかしながら両者は後続する出来事を(あるいは先行する出来事を)従属文におくか 主文におくかで,常に対称的であるわけではない。 第1に,マエ(ニ)の場合には,従属文の出来事がfactiveな場合とnon-factiveな場 合があって,後者は決してアト(デ)ではおきかえられない。 ・ factiveな場合 イタチは放す前に耳のうしろを焼いたんですよ。 (パニック) <=イタチは耳のうしろを焼いた後で放したんですよ。> ・ non-factiveな場合 そんなことをしたら,犯人は金を受け取る前に逃げだすにきまっているよ。 く*犯人は逃げだした後で金を受け取るにきまっている〉 (血の来訪者) 私は叫んで立ちすくんだ。しかし母の手がふりおろされる前に隣の人が来て母を とりおさえた。 (砂糖菓子の壊れるとき) く*隣の人がとりおさえた後母の手がふりおろされた〉 第2に,次のように, 2つの出来事間に,時間関係のみならず因果関係性もふくみこ まれている場合には,言いかえはきかない。 178 工 藤 真由美 (明暗) お延はこう云ったあとで,これは少し云いすぎたと思った。 案じたとおり,刑事が釆た後,中里の立場は複雑になった。 (凶学の巣) 第3に,テキストのなかに時間の従属複文が配置される場合,次のように,複文全体 が他の文(出来事)とも関係づけられているがゆえに,いいかえはきかない。 ・小林は椅子を離れる前に,先ず彼らの間に置かれたM・C・Cの箱を取った。そ してその中から又新しい金口を1本出してそれに火を点けた。 (明暗) を切ったあと ・夜が更けてから,漸く電話が鳴り,康吉の声がした。康吉が電話 緑はそっと立ち上がってグラスに少しウィスキーをっいだ。ウィスキーは,舌か (卒業) ら全身に弛みていった。 単純に時間の従属複文のみをテキストの時間構造のなかからとりだして考えれば, 「箱 を取った後椅子を離れた」 「ウィスキーをっぐ前に電話を切った」といっても,複文内 部の2つの出来事間の時間関係は変わらない。しかしながら,このように言い換えると, 後続文「火を点けた」 「ウィスキーは弧みていった」との時間関係,論理関係がこわさ れてしまう。従って一見,マエ(ニ)とアト(デ)は時間関係が論理的に対称的である がゆえに,いいかえが可能のように思えるが,テキスト的あるいはディスコース的にど ちらのかたちをっかうかが決定されていて,言いかえがきかない場合がはとんどである。 どちらを使うかは,前景化一背景化に関わる出来事の時間的流れの構造化の相違と結び ついているといえよう。 こうして,後続-先行関係の従属複文,先行一後続関係の従属複文は,それぞれ存在 理由をもって相互に対立しているといえよう。 3 以上の継起的時間関係を表す従属複文と対立しつつ,トキ(ニ)でむすばれた従 属複文は同時関係性を表す。 ところが次のように,現実的には同じ出来事を,継起的にとらえて表現することも同 時的にとらえて表現することもできる場合がある。 京都に行く前に名古屋で途中下車した。 /京都に行く時に名古屋で途中下車した。 前者では,従属文の出来事のプロセス段階を無視して, 2つの出来事は継起的にとらえ られているし,後者では,プロセス段階に焦点をあてて2つの出来事は同一の時間帯に 起こったこととしてとらえられている。このように2つの出来事間の時間関係をどうと らえるかは,個々の運動の時間的展開のありようをどうとらえるか,つまりはアスペク ト的把握の仕方と相関してくるのである。だとすれば,同時性を表す従属複文と継起性 を表す従属複文との間には絶対的境界はないといえよう。 現代日本語の時間の従属複文 179 トキ(ニ)でむすばれた時間の従属複文においては,従属文の述語のアスペクト的タ イプに限定はなく,また同時にスル形もシタ形もきうる。 サラダを旺旦唾,ちゃんと手を洗いましたか。 <開始限界達成前の段階と同時> サラダを作っている時,包丁で手を切ってしまった。 <動作持続の段階と同時> サラダを作った時,きれいにお皿に盛り付けましたか。 <終了限界達成後の段階と同時> そしてこのことによって,同時性の様々なバリアントを表すことになる。 こうして,トキ(ニ)によってむすばれた従属複文においては,従属文のアスペクト と主文のアスペクトが相関することによって, 大きくは次の2つのタイプの,細かくは 3つのタイプの同時関係性が生み出される。 (従属文) (主文) (1.1)全体的同時性 B ------------B (1.2)部分的同時性 B A -----------一- A B ----------------- (1)重複的同時性 (2)接触的同時性 A A ----------- 第1に,主文または従属文のどちらかがBのアスペクト的タイプである場合には,必 ず<重複的同時性>となり, <接触的同時性>となるのは両者がA (完成相)の場合に 限られる。 <重複的同時性> ①この前,ここを歩いている時,きみのことを思い出した。 (花壇) ②明治27年,日清戦争が始まった時,均は3年生だった。 (責任) <接触的同時性> ③帰って裏門のくぐりを入る時,真知子は郵便箱を覗いて見た。 (真知子) ④青山先生は,倒れたときに産婦人科の病院にかつぎこまれたんですよ。 (けっばり先生) 以上の例における時間関係を図示すれば,次のようになる。 <重複的同時性> ① (従属文) (主文) (参 ③ ④ ◆ ◆ 重複的同時性の場合には, においては, <接触的同時性> ◆ ◆ 2つの出来事は時間的に重なりあっているが,接触的同時性 ③の場合には<将前段階(限界達成前の段階)と同時>であり, ④の場合 180 工 藤 真由美 には<結果段階(限界達成後の段階)と同時>であって,同一の時間帯における<後続一 先行>関係あるいは<先行一後続>関係も認められる。従って,重複的同時性の方はト 辛(ニ)によってしか表せないが,接触的同時性-接触的継起性であるとすれば,マエ (ニ)あるいはアト(デ)におきかえうる場合もでてくる。 ⑤受話器を堅旦塾一瞬祈るように眼を閉じた. (終の棲家) <-取る時> (幻化) ⑥唇が離れた後,女は少し怒ったような声を出した。 <-離れた時> しかし,次のように2つの出来事間に時間的gapのある継起性の場合には,マエ(ニ), アト(デ)しか使えない。 (注5) ⑦アンリ4世中学校を終える前,その年の夏休み,父はいっになく,わたしを伴っ (白い人) てアラビアのアデンまで旅行した。 ⑧有能な医者が患者を拒絶した後,他の凡庸な医者の手にかかって死亡した。 (霧の旗) こうして,トキ(ニ)が重複的同時性と接触的同時性を,マエ(ニ),アト(デ)が時 間的gapのある継起性をも時間間隔のない接触的継起性をも表しうることから,同一の 出来事をどちらでも表現しうることがおこってくるわけである。どちらを使用するかば, 話し手が2つの出来事を同一の時間帯に起こったこととしてとらえるか,時間的順序性 に焦点をおいてとらえるかというpragmaticな視点のおき方の選択の問題である。 <トキ(ニ)> <マエ(ニ),アト(デ)> /一一一へ、\ 重複的同時性 接触的同時性-接触的継起性 //一一/\\-\\、 非接触的継起性 第2に,トキ(ニ)が表す重複的同時性には,全体的同時性の場合と部分的同時性の 場合がある。主文,従属文の述語の両方がBのタイプの場合には必ず<全体的同時性> となり,一方がA他方がBの場合には<部分的同時性>となるのが普通である0 (注6) <全体的同時性> ・私がフランクフルトで働いているとき,庄野さんはウィーンに留学なさってたの。 (ドナウの旅人) ・先生の処にいるとき,私は一人前の女でした。 <部分的同時性> ・眠っているときに襲おうか,失敗は許されないだろう。 (頼まで美し) (冬の旅) 181 現代日本語の時間の従属複文 ・「家康出現」と勝頼が知ったとき,当の家康は勝頼の現場よりぎっと80キロ西方 (覇王の家) の大井川付近古=iiB. 第3に,主文および従属文の述語がともにAである場合にのみ接触的同時性を表すこ とになるが,常にではなく,次のように重複的同時性をも表しうる。 ・私が田様の前で泥鱈すくいを踊ったとき,旅の代わりにした座布団の綿がコ_吐左 (駅前旅館) のだ。 ・ここから帰る時,ぽろぽろ涙をこぼしながら,坂を下って行ったそうよ。 (青梅雨) この場合は当然アト(デ),マ干(ニ)には置き換えられないが・主文・従属文の 述語がともにAである場合には,接触的同時性か重複的同時性かを文脈的にあるいは pragmaticな知識によって判断しなければならなくなる。 以上,時期限定系列の従属複文が,接触的同時性-接触的継起性において連続しつつ, 非接触的継起性か重複的同時性かで対立していることを述べた。そしてこの事実は,従 属文の述語におけるスル形式の<後続性>という相対的テンス的把握と<限界達成前性 (将然段階性) >というアスペクト的把握,シタ形式における<先行性>という相対的 テンス把握と<限界達成後性>というアスペクト把握の連続性をも示しているといえよ う。 2つの出来事が同じ時間帯にしめあわせて把握されれば,そこではアスペクト的把 握の方が前面化してくると思われる。アスペクトも相対的テンスも他の出来事との時間 関係を表し分けるという機能をもっているとすれば両者の間に絶対的境界はないといえ よう。 Ⅳ 期間限定系列の従属複文 1期間限定系列の中JL、はアイダ(ニ),マデ(ニ),カラによってむすばれた従属複文 である。 3者は主文の出来事成立の期間を指定する点で,時期指定系列の従属複文と対 立しっっ,期間の開始時点を示すか,終了時点を示すか,両方を示すかで対立している。 <終了時点> 子供が帰って来るまで原稿を書いていた。 子供が帰って来るまでに原稿を書いた。 <開始時点> 退院してからずっと元気です。 田舎に釆てからとても元気になりました。 <開始・終了時点> 太郎が_じ旦匝とても賑やかだった. 太郎がいる間に勉強を教わった。 そして,ニの有無は主文のアスペクトと相関していて,マデニ,アイダニの場合は主 (非限界動 文の述語はA (完成相)に限定され,マデ,アイダの場合はBあるいはA.2 詞完成相)に限定される。 182 工 藤 真由美 ・ともかく僕は小野寺-ルを捉まえるまで,ここで立っている。 (開幕ベルは華やかに) (時の止まった赤ん坊) お顔卑見ゑ見ぎ心配でした. (伸子) つでも,よい小説が書きたいのだ。 駅に着くまでに自分はずく濡れになった。 ・死ぬまでには1 (和解) 以上の例から分かるように,マデの場合は,従属文の出来事成立が主文の出来事の持 続性の終わりをつげるのである。一方マデニの場合は,後続する出来事成立時を終わり の限界とする期間内のどこかの時点で,主文の出来事が限界に到達することを表す。こ のように<後続一先行>関係にある点で,マデ(ニ)がマエ(ニ)と共通しているとす れば, 「ここに来る前(まで)どこにいたの」 「城外に出る前に(までに)殺された」の ようにどちらを使っても時間関係は変わらないが,単純な継起性に焦点をあてるか期間 性を前面化させるかの相違がある。 同様に,アイダは主文の出来事の持続期間全体を限定し,アイダニは従属文が示す期 間内のどこかの時点で主文の出来事が成立することを表す。 ・田中医師が自分の腹部を押さえている間,ロバートは眼をっむっていた。 (ただいま浪人) 別れて,ちいさなエレベーターで下に降りる間, 3人とも無言だった。 (不信のとき) (錦繍) ・私の寝ている間に帰って行くんでしょう。 そして国鉄高円寺の駅まで歩く間に,和子というのはマチ子の弟嫁と同じ名だった と気が付いた。 (不信のとき) 従って,アイダの場合は<全面的同時性>となり,アイダニの場合は<部分的同時性> となる。そのため,以上の例を,時期限定のトキあるいはトキニにおきかえることも可 能である。が,アイダ(ニ)の方は,期間性を前面化させるため,次のような例におい てはトキ(ニ)におきかえられない(おきかえにくい)0 (リラ冷えの街) ・手術する軌病院で簸三三父、ゑ。 さあ,コーヒーを入れる臥 あっち馳去? ・章之助はすぐにタキシーをよび,車が釆 2 (A列車で行こう) 垂匙洋服を着た。 \一′ヽ一′■\ノ■〉 (自分の穴の中で) さて,カラはマデ(ニ),アイダ(ニ)と対立しつつ,期間の開始時点の限定を 行なうが,ニの有無による形式的対立はない。が,主文の述語がBのタイプであれば, 持続的出来事の開始時点を外的に限界づけ, Aのタイプであれば,従属文の出来事成立 以後の期間に主文の出来事が成立することを表す。 183 現代日本語の時間の従属複文 (砂糖菓子の壊れるとき) ・私は先生の顔を見てから少し気持ちが楽になっていた。 夕方先生が出ていってからずっと一人ぼっち。 ・今夜帰ってから,ゆっくり手紙を書こう。 しかしながら,主文の出来事がA (完成相)である場合には,開始時点を示すかたち での期間の明示が必ずしも平面化せず,アト(デ)と同様に・単純に2つの 先行一後続>関係にあることを示す場合も多い。 ・宏とすれ違ってから, (事件) 沢を上がりつめて,丘の上に出ました。 <-すれ違ったあと> (青春の構図) ・高梨はそう言ってから,ちょっと言葉を切?キo <-そう言ったあと> (氷壁) ・ゆうべ,君と別れてから,また八代夫人と会ったんだ。 <-別れたあとで> \ノヽ-′\… とはいうものの,両者は全く同じに使われるわけではなく,次のように<後続する出来 事を成立させるためにまえもって必要な動作を意図的に行なう>場合には,カラの方が 使用される傾向がある。アト(デ)が単純に時間関係をとらえるとすれば,カラは<先 行一後続>の時間関係のみならず<必要条件一目的>の因果関係性をも同時にとらえよ うとする。 (人間の壁) ・これはお医者さんに聞いてから食べなさいよ。 ・傷口がよごれているからね,いますぐ縫合は,駄目。 ら縫ってあげましょう。 このガーゼをとりかえてか (本日休診) 以上,アイダ(ニ),マデ(ニ),カラが期間限定系列の従属複文である点で共通しつ っ,時期限定系列のトキ(ニ),マエ(ニ),アト(デ)と対立していること,と同時に, アイダ(ニ)とトキ(ニ),マデ(ニ)とマエ(ニ),カラとアト(デ)は,それぞれ2 っの出来事間の時間的順序性が,同時性,後続一先行性,先行一後続性の点では共通し ているがゆえに,相互に言いかえが可能な場合もおこりうることを記述した。時期限定 的か期間限定的か,同時的か継起的かの対立は,現実の出来事間の時間関係の客観的相 違であるとともに,話し手の焦点のあて方(視点のおき方)の相違でもある。 184 藤 工 真由美 その他の時間の従属複文 Ⅴ 以上のような時間の従属複文の他に,次のような時間の従属複文がある。 時期 同.時 継 起 期間 コロ(ニ),シュンカン(ニ) ナリ,ヤイナヤ,トタン 後節(-先行) チヨクゼン(ニ),マギワ(ニ) 先行(-後続) ノチ(ニ),チヨクゴ(ニ) ウチ(ニ) トキマデ,マエマデ,アトマデ イライ トキカラ,マエカラ,.ウチカラ コロ(ニ)は,トキ(ニ)と同様に<同時性>を表す点で共通するが,トキ(ニ)と 異なり,おおざっぱな時期限定である。 ・私たちが2年生になった頃, Kは,帽子への興味などすぅかり忘れていた。 (Kの話) (幽霊) ・夕食がすむころに雨となった。 シュンカン(ニ)は時間幅のごく短い時期限定である。従って主文,従文ともにA (完成相)に限定される。 ・うるさいな,写す瞬間に笑うから,早く撮れ。 ・ (男はつらいよ) 2塁ランナーがホームにすべりこんだ瞬間,キャッチャーの山倉がそのうえ古=厳 (監督) いかぶさった。 ナリ,ヤ(イナヤ),トタンは「シタトキ」でも表しうる接触的同時性を明示する。 (完成相)に限定される。 従って主文,従文ともにA (浮雲) ・船が着くなり,富岡のところへ電報も打った。 ・1, 2歩踏みだしたとたん,花田は何故かぎょっとしたように再び身体をひいた。 (日の果て) ・ミスター・テラサキは海軍の獄室に尊区けつけるや,バーグナー氏のカメラから, (マリコ) こっそりフイルムを抜き取って,自分のポケットに際してしまった。 チョクゼン(ニ),マギワ(ニ)は, <後続一先行>関係にある2つの出来事間の時 間間隔がほとんどない(接触的)ことを明示する。 ・干物は出す直前に悟ればいいのよ。 ・バスが来た。発車するまぎわに,私はとびのった。 (不信のとき) (白い人) 185 現代日本語の時間の従属複文 そしてチョクゴ(こ)は<先行一後続>関係にある2つの出来事間の時間間隔がほと んどないことを明示する。 ・伊沢との電話が切れた直後に,こめかみに当てたピストルの引き金をひいIsもの (男たちの前線) らしい。 接触的継起性-接触的同時性であるとすれば,以上の「する直前(に)」をスルトキ (ニ), 「した直後(に)」をシタトキ(ニ)におきかえることができる。 「_とたノチ」というかたちの ノチ(ニ)はアト(デ)と同義であるが文章語である. みならず[上三ノチ」のかたちもある。またアトデと同義にアトニのかたちが使われる こともある。 ・牧子はあなたが京都を去ったのち,睡眠薬で自殺した。 ・心臓が一瞬停止したのちに,今度は逆にガンガンと鳴りだした。 (暗い旅) (八っ墓村) ・兄弟はしばらく一間の内に閉じ篭もって,謹慎の意を表して後,二人とも人知れ (それから) ず家を捨てた。 ・恭吾は梼曙したあとに, 「そうだ」と,云い切った。 (帰郷) 以上はすべて時期限定系列の従属複文であるが,期間限定系列に属するものとしては まず,ウチ(ニ)がある。これは, 2つの出来事の同時性を表す点でアイダニと共通し ている。従って次のアイダニをウチニにいいかえることができる。 ・挟みあうあいだに,その切尖が背後の勘兵衛の眉間に触れ,わずかに皮を切った。 <-挟みあううちに> (覇王の家) ・ちょっと見ない間に可愛くなるもんだなあ。 (不信のとき) <-見ないうちに> 両者の相違は次の点にあると思われる。 第1に, 2つの出来事の同時進展性を明示する場合には,アイダニではなくウチニで ある。 (事件) ・冒頭陳述を読んで行くうちに,確信に達して来た。 ・信之は香南の言葉を聞いているうちに,だんだん常の自分をとりもどしていた。 (食卓のない家) 第2に,従属文の述語が特にA.1 (内的限界動詞)の否定形式である場合には,アイ ダニではなくウチニの方が普通である。このようにウチニは従文の出来事が内的限界に 到達した以後の期間との対比性を前面に出す。 186 工 藤 真由美 (夕べの雲) ・昨日はあの子,暗くならないうちに帰ってきましたから。 (霧の旗) ・さ,お風邪を召さないうちに,何かお飲みになって。 第3に,ウチ(ニ)は,従属文の述語にシタ,シティタ(過去形)がくることばない。 またこの有無が,主文のアスペクト的タイプの相違にむすびっくことはない。 ・眺めているうち立原は,この写真をここに置いていたらきっと発表したくなるだ <-眺めているうちに> (人間の鎖) ろうという気がした。 次に,イライはカラと共通して期間の開始時点を表すが,カラと異なり主文の述語は Bに限定されていて,主文の持続的出来事の開始時点を明示する。 (野火) ・私は内地を出て以来,こういう不条理な観念や感覚に慣れていた。 ・この源氏との合戦に勝って以来,世は平家全盛時代である。 (北条政子) さらに,トキ,マエ,アト,ウチは形式名詞性を保っていて,次のようにカラ,マデを 伴って,主文の持続的出来事(B, A.2)の開始あるいは終了時点を表すことができる。 ・今村は板垣を陸相に推す一派の運動を知った時から, その不成功を願っていた。 (責任) (山の音) ・寺の鐘が鳴る前から,目がさめていた。 (錦繍) ・言い終わらないうちから,もう令子は涙を流していました。 ・思いがけなく繁子に会った時のここちは彼女が見えなくなったあとまで捨吉の胸 を騒がせた。 (桜の実の熟するとき) 時間の従属複文は基本的に<時間的順序性>と<時間的枠づけ方>の2つの観点から 体系化されているが,その上に<時期限定の明確さ>の有無, <時間間隔>の有無, 同時進展性>の有無等の特徴がつけくわわってくるのである。これらは中心的時間の従 属複文では明示できない2つの出来事間のより詳しい時間関係の様々を表し分けるため に発達しているといえよう。 Ⅵ 時間関係と因果関係 以上のような時間の従属複文は, 2つの出来事間の時間関係を表すために発達してい るものであり,原因一結果,必要条件-帰結,目的一手段のような因果関係(条件づけ一 条件づけられの関係)を表す従属複文としては, 「ノデ,カラ,スレバ,スルナラ,ス ルト,シタラ,スルタメニ,スルヨウニ」等のようなものがある。確かに両者は,時間 関係を基本的に捉えわけているのか,因果関係を捉えわけているのかで異なっているの であるが,時間関係ぬきの因果関係はありえず,また時間関係をとらえるとすればそこ < 187 現代日本語の時間の従属複文 にimplicitには因果関係性が含みこまれてくる。ここでは,どのようなかたちで,時 間の従属複文に因果関係性が含みこまれてくるかについて簡単に述べることにしよう。 (言語学研究会・構文論グループ1988参照) 第1に,次のように, <先行一後続>関係にある場合は,先行の出来事が原因を,後 続の出来事が結果を表すことになる。 (凶学の巣) ・存分に殴り合った後, ついに二人とも立ち上がれなくなった。 涌井はああいう手紙を出した後,ひどい自己嫌悪に襲われたのではないか。 (木瓜の花) ・でも私は特別養護老人ホームを見てから,考えが少し変わったんですよ。 (快惚の人) 今度の手術をして,淋巴腺のカタマリをとってから, 左肩から背中にかけての凝 iロ6i■:⊆;i (死を見つめる心) が急に軽くなった。 <同時>関係にある場合には,従属文が原因を,主文が結果を表す。 (事件) ・しかしきみはハツ子に抱きっかれた時,びっくりしたろう。 ・妻君がいない間,勝呂医師は一人で自炊しているらしかった。 (海と毒薬) ・外国じゃあ日本式のスリッパを売っていないから,仕様がなしに家のなかでも靴 (男たちの前線) をはいているうちに慣れてしまった。 これらの場合,因果性の方を前面化するとすれば, 「ノデ,カラ」のかたちがつかわれ ることになろう。 第2に,次のようなシタトキの場合は, 能であって, 2つの出来事の間に<必要条件一帰結>の論理的関係が成立している。 ・彼の最大の敵はこの弱気である。 ない。 「シタナラ,スレバ」におきかえることも可 それを克服できたとき彼の人生は変わるに違い (凶学の巣) <-克服できたなら> ・条件を承諾しない時は,航空機を爆破して全員爆死させると通告して釆ました。 <-承諾しなければ> (食卓のない家) 第3に,マデの場合,最初の3例のように従属文の出来事が原因となって主文の出来 事を終了に導く場合と,後の4例のように従属文の出来事が主文の出来事の目的あるい は結果となっている場合があるが,全てにおいて従属文(後続)の出来事成立が主文の 出来事の終了を条件づけている。 188 工 藤 真由美 <従属文の出来事の成立が,主文の出来事の終了の原因> ・あなたに会うまでは,退屈ぎらいは男の特性で,女の人はみんな退屈が大好物 なんだと思っていましたよ (純白の夜) 。 ・私もその人に聞くまで全然夕乱りませ_j!でし克. (冬の虹) ・電話がかかってくるまで本田は死んだように寝ていた。 <従属文の出来事が主文の出来事の目的> (海の牙) (わるいやつら) ・私はあの女に逢うまで,此処に立っていますよ。 (不信のとき) ・道子が玄関の戸を開けるまで,ずっとブザーを鳴らし続けた。 <従属文の出来事が主文の出来事の結果> (春の嵐) ・忠介は和歌子が歩きくたびれて泣きだすまで歩き廻ったのだ。 で働く。 ・がむしゃらに働いて,働いて,疲れきって,へとへとになるま I \一′■\/ヽ_′\ノー (死を見つめる心) 第4に,マエ(ニ),マデニの場合は, 来事とに<目的一手段(前提条件) factiveな場合は,従属文の出来事と主文の出 >関係がでてくるが, non-factiveな場合は,主文 の出来事は従属文の出来事成立をくいとめる原因となっている。 <factiveな場合> ・餌をっける前に,かついできた竿を巻いた糸をはどいた。 <-餌をっけるために> (亀裂) この決JLlをするまでには,私もかなり迷ったのですが. <non-factiveな場合> (真知子) ・が,名前があげられる前に米子がさえぎった。 密使は城外に出るまでに斬られてしまい,通信の方法がない。 (真知子) (太閤記) こうして,複数の出来事間の時間関係の様々を表す従属複文は,条件づけ一条件づけ られ性の様々,つまり因果関係性を表す従属複文に隣接しているものであることが明ら かとなる。 時間の従属複文 1,単純に時間関係のみを表している場合(いわば偶然的関係) 2,因果関係性をも表している場合(いわば必然的関係) 因果関係の従属複文 189 現代日本語の時間の従属複文 Ⅶ おわりに 以上,大きくいえば,次の点について考察してきた。 1,時間の従属複文は,複数の出来事の時間関係の様々を表すために存在しているも のであり,基本的には<同時性一継起性>という<時間的順次性>の観点と<時期一期 間>という<時間的枠づけ方>の観点から体系づけられている。これは,現実の出来事 間の時間関係の客観的相違であるとともに,同一の出来事に対する視点のおき方(2つ の出来事間の時間関係のとらえ方)の相違でもある。 2,このような複数の出来事間の時間関係性の表現には,主文,従属文のそれぞれが 表す出来事の<時間的限界>に関わるアスペクト性が相関している。個々の出来事の時 間的展開のあり方・とらえ方(アスペクト)と出来事間の時間的関係のあり方・とらえ 方は相互規定的であって,アスペクト的把握抜きに出来事間の時間関係をとらえること ばできず,逆に他の出来事との時間関係抜きには時間的限界をめぐるアスペクト対立の 成立の必然性はないといえよう。 3,主文の述語は発話時との時間関係(絶対的テンス)を表し,従属文の述語は主文 の出来事時との時間関係を表す。時間の従属複文が2つの出来事を<従属一非従属(倭 存一独立) >関係にあるものとして1つの文に統一的に捉えるとすれば,このような現 象は必然的であろう。スルーシタの対立が従属文において相対的テンス化あるいはアス ペクト対立化の現象を引き起こすのは,従属文と主文との構文的意味・機能の相違に関 わっている。そして相対的テンス化もアスペクト対立化も他の出来事との時間関係を表 し分けるという機能をもつ点で共通しているとすれば,両者の間に絶対的境界はなく連 続的である。 1つの形態論的形式の対立が,主文の述語の位置では絶対的テンス対立, 継起性-異時性の従属文の述語の位置では相対的テンス対立,同時性の従属文の述語の 位置ではアスペクト対立になるという3つのあり方を実現しても不思議ではない。 4,出来事間の時間関係性は,出来事間の因果関係性とも相関してくる。従って,時 間の従属複文には,単純に時間関係だけを表している場合のみならず,論理的な条件づ けの関係をも含みとして表す場合がある。時間関係性と因果関係性は相対的に独立しつ つも,次々に起こる出来事の絶え間ない流れを組織化(構造化)する2つの手段として からみあってもいる。 もし時間の従属複文を体系づけている<同時性一継起性>のような,複数の出来事間 のシンタグマテイツクな時間概念をヤコブソン,ボンダルコ,マスロフに従って<タク シス>と名づけるとすれば,そして我々は普通ただ1つの出来事だけを認識・伝達する ● ● のではなく,複数の出来事を一貫性と統一-性のある1つの事件としてまとめあげながら 認識・伝達するとすれば,ディスコースのなかでは,出来事は自らの時間的展開のあり よう,他との時間関係,発話時との時間関係という,アスペクト的な,タクシス的な, テンス的な3つの要素が複合的にからみあったものとして時間的規定をうけとっている ということになろう。 紙幅の都合上,個々の時間の従属複文の精密な記述を行なうことができなかったが, 190 工 藤 真由美 今後はこの・ような3者間の関係を機械的に切り離すことなく,共存・相互交渉のありよ うを話し手の視点の問題をも含めて追求してゆかなければならないと思われる。 (注1)基本的に「起きない,釆ない,開けない」のような否定形式は,出来事の不成 立性を表すがゆえにアクチュアルには時間的限界をとらえてなくBに属する。従って肯 定形式の場合には「 「 *お母さんに旦ら_些旦星空空室喧」 *通り車重-v_)"7"t_1__S__Fp?_車が一 台来た」とは言えないが「お母さんに叱られるまでやめなかった」 「通りを歩いている 風車は一台も来なかった」とは言える。しかし次のように,否定のスコープの問題等が からみあってくる場合もあり,否定とアスペクトの関係性の問題については別項を用意 したい。 6時の鐘が鳴るまで帰らなかった。 / 6時の鐘が鳴るまでに帰らなかった。 (注2)ただし,時期限定の従属文にニ(デ)があっても主文の述語がBのタイプであ る場合もあって,ニ(デ)の有無と主文のアスペクトの相互規定性は期間限定の従属文 ほど厳密ではない。なお, <ニ->の場合には,トキと同様に,主文の述語はBである ことが可能である。 (明暗) ・小さな郵便局の前を通る時に丁度4時が鳴っていた。 ・はんの1時間ほど前,病院に向かう時には,冗談でもいえそうな雰囲気であった。 (花壇) (注3)従属文の出来事が時間副詞等によって外的に限界づけられている場合にはBの タイプが可能となる。 ・貞次郎は,言うべき言葉を失った。しばらく黙っていたあと,やっとこう言った。 (輝ける碧き空の下で) また,マエの場合のみ否定形式がくる場合があるが,これは肯定形式との意味的対立 はない。 ・三千代が妻君にならない前,代助はよく,三千代のこう云う眼遣を見た。 <-なる前> (それから) (注4)ただし,アイダ(ニ)は期間を表すがゆえに「到着する,見かける,ボンとた たく」のような瞬間的出来事とはむすびっきえず,この場合は多回的になるか「マデノ アイダニ」のような形式となる。 ・選手が次々に到着する間,観客は拍手しつづけた。 ・ホテルに着くまでの間に,河村と少し話がしたい。 (男たちの前線) ここでいう瞬間動詞は,金田一1950のいう瞬間動詞と異なり,文字通りの瞬間動詞であ る。 「沸く,帰る,出来る,出る」等は次のように瞬間的変化(瞬間的限界達成)を表 191 現代日本語の時間の従属複文 してはいないがゆえにアイダ(ニ)と共起しうる。 ・湯の沸く間にウイスキーを生のまま飲んだ。 (木枯らしの庭) ・松谷亨は国産車に乗って,本社に帰る間,腕組みして苦りきっていた。 (開幕ベルは華やかに) (くげ沼行) ・ご飯の出来る間,海の方へ往ってみようか。 ・佐川の家の女中が取りついで,菊子が出るあいだ,美しい音楽がしばらく電話に (山の音) はいっていた。 このようなA.1の内的限界動詞の場合,開始の時間的限界は必ずしも明確ではなく,内 的限界達成時点が前面にでるために「出来るまで,出るまで」にいいかえることができ る。が,アイダでは従属文の出来事のプロセス段階に焦点をあてて同時関係性がとらえ られ,マデでは限界到達時点に焦点をあてて継起関係性がとらえられているといえよう。 ここでも従属文の出来事のアスペクト的把握の仕方と時間関係性が相関してくる。 (注5) A.2の非限界動詞完成相の場合,次のように「したトキ」と「したアト」では 2つの出来事間の時間関係は異なる。 (重い歳月) ・桂策はど-ルを飲んだあと,日本酒を飲み始めた。 <≠飲んだとき> ・私はその海を昼旦壁ふるえ出した。 (砂糖菓子の壊れるとき) <≠見た後> A.1の限界動詞と異なり, 「したアト」では任意の終了 限界をとらえて継起性を表しうるが, 「したトキ」では終了限界を捉えず開始限界達成 内的必然的限界のない動詞は, 後との同時性を表すことになる。 (注6)主文,従属文のどちらかがA,あるいは両方がAであっても,次のように全体 的同時性になる場合もある。 ・笛だけをエレーヌが吹いた時にも,ニコは寝そべって,指の聞から砂を落としな (アポロンの島) がらそれを見ながら,低音をっけていた。 ・だって,あたしが交番に届けるとき,両手で抱いて行ったんですもの。 (声) 192 藤 工 真由美 主要参考文献 奥田晴雄1988 「時間の表現(1)(2)」『教育国語』94, 95号 金田一春彦1950 「国語動詞の一分類」 (金田一春彦編1977 『日本語動詞のアスペクト』むぎ書房 に所収) 工藤真由美1989a 「現代日本語のパーフェクトをめぐって」 『ことばの科学3』むぎ書房 1989b 「現代日本語の従属文のテンスとアスペクト」 『櫨浜国立大学人文紀要』36号 言語学研究会・構文論グループ1988 「時間・状況をあらわすつきそい・あわせ文」 『教育国語』 92, 93, 94, 95号 寺村秀夫1983 「時間的限定の意味と機能」 『副用語の研究』明治書院 Bondarko, Brinton, Chung, A. Ⅴ. 1991. Functional L・ J・ 1988・ S. and The development Timberlake, A. Language Comrie, B. 1985. Dahl,0. 1981. Tense. On Declerck, R. 1979. Jakobson, MacJIOB;K).C. 0. R. English typolog)′ and and Aspect syntactic 1984. (bounded-unbounded) 14. Academic UP. distinction. Press. Blackwell. bounded/unbounded (telic/atelic)distinction. Routledge. of English verbal ocHOBHEJX OqepI柑 UP. 17. in English. 06 Basil systems. 1978. Semantics 1957, Shifters, Cambridge systems. Shopen, T. ed. mood.In descrLPtLOn. Cambridge UP. the and Linguistics Tense and of the telic-atelic and Semantics. vol. aspect Benjamins. aspectual Tense,aspect the definition Tense 199l. Heinamaki, of 1985. Cambridge In Syntax 1985. John grammar. teTnPOral categories rTOH兄THfIX ⅢO aCⅢeI(TOJ10IIHH. and coTmeCtiues. the Russian Indiana University. verb. Selected Writings aCrleKTOJIOr耳臥 B Ⅱ. Mouton. I(H. JleHHHrpan. (菅野裕臣訳1991 「アスペクト論の基本概念について」『動詞アスペクトについて(Ⅱ)』学習院大 学東洋文化研究所調査研究報告35) 本稿は1991年度-1992年度文部省科学研究費・一般研究B)課題番号03451065 諸言語との対照的研究-テンス・アスペクトー」の研究成果の一部である。 「E]本語とアジアの