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森鷗外が 120 年前ドイツから日本へ 紹介した環境
森鷗外が 120 年前ドイツから日本へ 紹介した環境医学の過去・現在・未来 森 千里 千葉大学大学院 医学研究院 環境生命医学 教授 予防医学センター長 私の家は山陰の山の中の貧しい小藩、津和野藩の典医の家系で、私の代で 17 代目になる。 森鷗外は私の曽祖父にあたる。鷗外は 1884 年から当時医学の分野では最先端を走っていた ドイツに留学し、最初に滞在したライプツィヒでは細菌の培養法や顕微鏡を使った観察方 法など、科学の基礎を学んだ。ベルリンでは後のノーベル賞受賞者コッホに細菌学を、さ らにミュンヘンでは環境医学の父といわれるペッテンコッフェルに教えを受けた。 鷗外はドイツで衛生学の基礎を学び、当時人の健康、命を脅かす大きな問題であった感 染症対策についてベルリン市内の下水道の汚水を使って実験するなど、今で言う基礎医学、 特に衛生学・公衆衛生学・環境医学を含めた社会医学を吸収して 1888 年に帰国し、日本に 広げた。 鷗外は、人の健康を向上させるには、目の前の疾患に対応することももちろんだが、衛 生学を基盤に街を整備することの重要性をドイツで学んだのであった。日本に帰国した後 は、軍医として勤めるかたわら東京都(当時は東京市)の下水道整備や街づくりのインフ ラ整備を医学的な観点から進めるよう助言している。鷗外が編纂した、初めて日本語で書 かれた衛生学の教科書「衛生新編」 (1897 年)には、第 5 版で鷗外自身が「新街増設の計 画」という章を付け加え、都市計画における医学的側面の重視の必要性が説かれている。 当時、伝染病の蔓延を招く原因ともなっていた、衛生状態の劣悪な貧しい人たちの住む地 区を取り壊し、貧民を都市の外に追放してしまう、といういわゆる「貧富分離」構想が持 ち上がっていたのに鷗外は反対し、貧民街を取り壊すならばその人たちが住む場所を別途 確保すべきだとし、さらに都市計画には「一極集中」を避けていろいろな都市機能を広く 分散し人口が集中し過ぎるのを避けるべきである、と述べている。 私たちのグループは、化学物質が人体に及ぼす影響を研究する中、胎児のへその緒から 例外なくダイオキシン類や PCB 類を含む化学物質が検出されることを見出し、胎児の複合 汚染状況を明らかにしてきた。そして、現世代の人達を基準とするのではなく、胎児を含 めた未来世代を基準とした環境改善型の予防医学の普及を提唱し、2003 年に「次世代環境 健康学プロジェクト」を開始した。次世代環境健康学プロジェクトの目的は、ハイリスク グループと同時に、化学物質の影響を受けやすい胎児や子供というハイリスクの「ライフ ステージ」に注目して、環境を改善することで病気になる前に予防しようとする『環境改 善型予防医学』を社会に広めていくものである。化学物質の健康診断、教育システム、体 内残留性化学物質の削減法の開発を行い、さらに環境改善型予防医学のモデルケースとな る場所、つまり化学物質を削減した街づくり『未来世代のための街づくり:ケミレスタウ ンⓇ・プロジェクト』を 2005 年から開始した。 環境を改善することで将来発症するかもしれないシックハウス症候群の患者さんの増加 を食い止める「環境改善型予防医学」を実証実験として、「ケミレスタウンⓇ・プロジェク ト」を立ち上げたのである。千葉大学の「ケミレスタウンⓇ・プロジェクト」は、千葉大学 柏の葉キャンパス内に、化学物質(ケミカル)の少ない(レス)な街「ケミレスタウンⓇ」 のモデルを作ろう、というプロジェクトである(ケミレスⓇ、ケミレスタウンⓇ、ケミレス ハウスⓇは、NPO 次世代環境健康学センターの登録商標)。本プロジェクトは化学物質問題 の対策として、感受性の高い胎児や子ども、さらに成人でも感受性の高い人を基準にした 環境づくり、すなわち、「環境ユニバーサルデザイン」による社会づくりを提唱している。 実は、1887 年に鷗外は日本の家屋とドイツの家屋を比較し、温度・湿度などを比べてその 健康への影響なども研究して論文にしており、現在私が進めているプロジェクトの一歩目 を論文としている事に最近気づいた。 現在我々は、新しい衛生学・公衆衛生学の学問体系として「未来世代のための健康科学: Sustainable Health Science」を大学院の教育プログラムと、公衆衛生に基づいた街づくり を目指して「Town of Public Health (TOP) プロジェクト」を開始した。鷗外は 100 年前に 書いた衛生新編で「衛生学とは健康を守ると同時にその増進を図るべきもの」と述べてい るが、これは今生きている私たちの世代を中心にした考え方である。21 世紀を生きる私た ちは、100 年先の未来世代の健康を守り増進させるための街づくり、社会作り、人づくりを 行うことが重要と考えている。 昨年(2009 年)は、森鷗外がドイツに留学して 125 年という節目に当たる年であり、私 は、ベルリンにある「森鷗外記念館」において「1884-2009 鷗外が出会った衛生学とその 後の日本での環境予防医学の発展」というタイトルで講演をした。鷗外は死ぬまでもう一 度ヨーロッパに行きたい、という希望を抱いていたそうだが果たせずに死んだ。今回、日 本旅行医学会での講演の機会を頂き、私がベルリンの講演内容をもとに、 「森鷗外が 120 年 前ドイツから日本に紹介した環境医学の過去・現在・未来」についてお話しできるのは、 これも偶然ではないように思っている。