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08-2. 契約の無効・取消原因
京都産業大学2007年度民法Ⅰ(吉永担当)講義資料 08-2. 契約の無効・取消原因(その2・意思の欠缺2錯誤) 2007年6月1日講義予定 Advanced 錯誤については、非常に様々な説が展開されている。そしてそれは、根本においては「人はなぜ契約に 拘束されるのか」という哲学・基礎法学につながる問題での対立を反映している。その意味では、錯誤を めぐる議論を理解することは、初学者にとっては非常に難しいと考えられる。 そこでこの講義では、判例の立場(それは契約に拘束される理由について、個人の意思を重視する立場 (法律行為論)を前提としている)を前提に説明を進めていくこととする。しかしこれは決して、判例の 立場が唯一絶対の正解であり、他の説は取り上げるに足らないという意味ではない。判例を批判する理論 について興味のある人は、佐久間140頁以下、内田63頁以下、あるいは山本敬三『民法講義Ⅰ総則』157 頁以下を参考に、各自で研究していただきたい。 1. 錯誤とは 錯誤:表意者が、意思の欠缺に気づかずに真意の欠けた意思表示をすること。 心裡留保との相違: • 同じ意思の欠缺でも、これに気づいている場合である心裡留保と比べると、表意者の帰責性はより小さい と評価できる ⇨表意者の保護はより厚くなる =相手方の善意・悪意を問わず(一定の錯誤に限定され、表意者に重大な過失がないことが要件とされる が)意思表示は無効となる 錯誤による意思表示の無効の要件: ①意思表示の内容に関する錯誤(顧慮される錯誤)であり、かつ → 2. ②法律行為の「要素」(=重要な部分)に錯誤があること → 3. (1)その点についての錯誤がなかったら表意者はその意思表示をしなかったといえ(主観的因果関係)、 (2)通常人が表意者の立場にあったとしてもしなかっただろうと考えられること(客観的重要性) ③ただし、表意者に重過失がある場合には契約は無効とはならない → 4. 2. 意思表示の内容に関する錯誤 表示錯誤と動機錯誤の峻別:錯誤は、意思欠缺が伴う表示錯誤と、伴わない動機錯誤を峻別する • 表示錯誤:錯誤があることにより表示行為の内容と内心の効果意思に不一致を来す(意思欠缺が生じる) タイプの錯誤。次の2種にわかれる。 • 表示上の錯誤:言い間違い・書き間違いのように、表意者が誤って予定外の表示手段をとってしまう こと • 内容の錯誤(表示行為の意味に関する錯誤):表示手段の持つ意味を誤解していたために、意思欠缺 が生じる場合。例えば、10ダース(=120本)のボールペンを購入しようという効果意思を形成しな がら、10ダースのことを1グロスというのだと「グロス」という言葉の意味を勘違いしていたために (正しくは1グロス=12ダース=144本)、「1グロスのボールペン」と効果意思に対応しない表示行 為を行ってしまう場合 • 動機錯誤:錯誤が効果意思を形成する段階(動機・縁由の段階)に存しているため、効果意思と表示行為 のないようには不一致がない(意思欠缺は生じていない)タイプの錯誤。次の2種にわけられる • 性質の錯誤(性状の錯誤・属性の錯誤):意思表示の対象となる人や物の性質に関する錯誤。例えば 「スピードが出る」という性質があるからと思い「この車を買う」という意思表示をしたが、実際に は高速度を出す性能がなかったという場合、効果意思と表示行為の内容に不一致は存在していない。 • 理由の錯誤(縁由の錯誤・狭義の動機錯誤):意思表示を行うにいたる間接的な理由・背景事情に関 する錯誤。例えば「地下鉄が開通すれば値上がりする」と考えて「この土地を買う」という意思表示 をしたが、実際には地下鉄が開通しなかったという場合、効果意思と表示行為の内容に不一致は存在 していない 08-2. 契約の無効・取消原因(その2・意思の欠缺2) p. 1 京都産業大学2007年度民法Ⅰ(吉永担当)講義資料 Case1 「動機」は意思表示の内容とならない Aは、高校時代の友人Bに「大学の講義に必要なので、君の持っている中古パソコン甲を1万円で譲ってほ しい」と申し込み、Bは快諾した。甲の引渡しと代金の支払いが行われた後、実は大学の講義ではパソコ ンが必要ないことが判明したが、Aはゲームをするなど甲を利用し続けている。このとき、「大学の講義 に必要なので」というAの発言部分はAの動機を述べたに過ぎず、意思表示の内容にはなっていない。この ため、契約上の債務の内容に取り込まれているわけでもないので、BはAに対して、パソコンを講義で使う よう要求することは(法律上は)できない。 意思表示の内容に関する錯誤:民法95条によって顧慮されるのは「意思表示の内容に関する錯誤」だけであ るが、これは次のように判断する • 表示錯誤の場合:意思欠缺が存在するため、常に意思表示の内容に関する錯誤として扱われ、他の要件が ととのえば、民法95条により意思表示を無効にする • 動機錯誤の場合: • 原則:意思欠缺が存在しないため、原則として意思表示の内容に関する錯誤ではないとされ、意思表 示の無効を導かない。 • 例外:ただし、動機が相手方に対して表示され、さらに意思表示の内容になっていれば、意思表示の 内容に関する錯誤にあたるとされ、他の要件がととのえば、民法95条により意思表示を無効にする (動機表示構成)というのが判例の立場である 「意思表示の内容になる」の意味は、一義的な基準で明らかにすることはできないが、抽象的には 次のようにいわれている • 動機を前提あるいは条件とすることまでは必要ない(「地下鉄が開通しない場合には売買契 約は無効」とまでいう必要はない) • しかし、一方的に動機を相手に伝えるだけでは不十分 Case2 顧慮される錯誤か否かの判断 ①AはBに、Bが所有する土地甲を3,000万円で買いたいと申し込む手紙を書くつもりで、誤って0を一つ多 く(300,000,000円)書いてしまった。これはいわゆる表示錯誤の中の表示上の錯誤であり、効果意思 (3000万円の代金)と表示行為の内容(3億円)に不一致をきたしている。このため、意思表示の内容 に関する錯誤として、95条の他の要件がととのえば、意思表示は無効となる。 ②Cは、Dの所有する時価3,000万円相当の土地乙を3億円で買いたいと申し込み、Dがこの申込を承諾し た。Cが、時価の10倍もの値段で申し込んだのは、乙周辺に近々京都市営地下鉄が開通するという情報 をつかんだからであった。しかし、京都市の財政難が原因で、地下鉄開通計画は頓挫してしまい、乙の 値段が上がることはなかった。このときのCの錯誤は狭い意味での動機にとどまっており、効果意思(乙 を3億円で買う)と表示行為の内容(乙を3億円で買う)は一致している。そのため原則として意思表示 は無効とならない。 ③これに対して②において、Cは地下鉄建設計画をDにも話し、それも考慮要素としながら金額をはじめと する契約条件についての交渉が行われていたという場合には、Cの動機が表示され、意思表示の内容に なったといえるため、例外的に意思表示を無効にする余地が生じることとなる。 Advanced 表示錯誤と動機錯誤の微妙な境界 Aが、中古車販売店Bにいき、「このスピードの出る車を50万円で売ってくれ」と言って車を買ったが、 この車がスピードのでないものであったという場合(「性質の錯誤」)、これが表示錯誤となるのか、動 機錯誤となるのかという問題は、両錯誤の峻別を説明する際によく引き合いに出される例である。 伝統的な通説によれば「動機錯誤」に分類されている。「この車」といって「この車」を買うことに なっているため、意思欠缺は存しないからである。ここで、「Aは『スピードの出る車』といって、『ス ピードのでない車』を買うことになったので、表示錯誤である」との考え方をとると、誤りとなる。 性質錯誤については、山本敬三『民法講義Ⅰ総則』160頁の Comment も参照すること。 08-2. 契約の無効・取消原因(その2・意思の欠缺2) p. 2 京都産業大学2007年度民法Ⅰ(吉永担当)講義資料 3. 「要素」の錯誤=重要な部分に関する錯誤 意思表示の内容の「重要な部分」か否かは、主観的因果関係と客観的重要性の有無によって判断する • 主観的因果関係:当該錯誤がなかったら、当該表意者自身はその意思表示をしなかった、といえること もっとも主観的因果関係の要件が問題となることはほとんどない。表意者が意思表示の無効を主張して裁判を起 こすような場合には、まさに「当該錯誤がなかったら自分はその意思表示をしなかった」と思ったから裁判を起 こしていると考えられるからである。 • 客観的重要性:当該錯誤がなかったら、通常人であってもやはりその意思表示をしなかった、といえるこ と。これは、行われた契約類型の特質によっても影響を受けるし、当事者が意思表示をした趣旨にも影響 を受けると考えられ、一義的な基準を提示することはできない。 Case3 客観的重要性の判断の一例∼債務者の同一性についての錯誤の場合 ①Aは、友人Bから「私の友達がソニーのパソコンVAIOを売りたいといっているのだけど買わない?」と 話を持ちかけられて、このBの友人とVAIOの売買契約を締結することとした。その際、Aは「Bの友人」 というのはCのことであるとずっと思っていたが、実はDであった。Aは債務者が誰であるかについて錯 誤していたことになる。しかし、通常売買契約においては、売主が誰であれ目的の商品が希望の代金で 買えるならば問題はないのであるから、原則としてこの錯誤には客観的重要性が欠けており、要素の錯 誤であるとはいえない。 ②Eは、友人Fに頼まれて10万円を貸すこととした。しかし、契約を締結し10万円を渡した後になって気が ついたのだが、Eが契約を結んだ相手はFによく似た双子の兄弟のGであった。Eは債務者が誰であるかに ついて錯誤していたことになる。通常、金銭の貸付(消費貸借)では、誰が債務者であるかによって貸 付金が返ってくる見込みが大きく変わってしまうため、この錯誤には客観的重要性があるといえる。 4. 重過失の不存在 重過失:「重大な過失」のこと。その事情の下で払うべき注意を著しく欠いていたこと(甚だしい注意義務 違反)をいう。具体的には、表意者の職業・知識・経験・当該取引の種類等に照らして、ごく当たり前 のこともしなかったという場合に、重過失があるとされる。 重過失がある場合の効果:表意者が錯誤に陥るにつき重大な過失があった場合には、表意者は錯誤の主張を することができない(95条ただし書)。表意者に大きな帰責性が認められることを根拠に、相手方の保 護を優先するためである。 Case4 金額の誤記と重過失の認定 不動産の競売が行われ、売却基準価額は3,000万円とされていた。他の入札者が3,000万∼4,000万円の 価格で応札した中で、Aだけが3億5000万円という金額で応札し、結局買受人(落札者)となった。しか しAは、入札額を記入する際に、桁を1つ間違えて記入していたのであり、錯誤に基づく契約の無効を主張 した。 東京高裁はこうしたケースで、競売という(一般の不動産取引と異なり高度の知識と経験が必要とな る)場での売買であり、しかもAは不動産取引の専門家であること、入札額の記入欄には「一、十、百、 千、万、十万、百万……」と位取りが書かれていたことなどから、Aは著しく注意を欠いていたとしてAの 重過失を認定し、錯誤の主張を認めなかった。 もっとも、競売において買受人となっても、代金を納付せずにいれば買受人たる資格を失うだけで購入を強 制されるわけではない(ただし、予納した保証金(売却基準価額の20%=600万円(民事執行規則39条)の返 還を求めることができなくなる)。 (東京高裁昭和60年10月25日決定・判時1181号104頁参照) 5. 錯誤による意思表示の「無効」 無効:誰からでも契約の効力がないことを主張できる、というのが原則 錯誤による無効は、表意者保護を目的にしている制度であるという理解から、表意者の意思に反して第三 者が主張することはできないとされている(相対的無効・取消的無効) 08-2. 契約の無効・取消原因(その2・意思の欠缺2) p. 3