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「風土論」の経験
− 134 − 「風土論」の経験 「風土論」の経験 From experiences of lecturing 風土論 (Climatology) 北 沢 恒 彦 Tsunehiko KITAZAWA 序にかえて─素材と方法 わかりやすい,明晰な文章を書く人のものに,どうしても歯の立たぬ一編にであうことがあ る。たとえば, 『桑原武夫集』の中の「チョゴリザ登頂」などがそれだ。これは私に「登山」 といえるほどの経験がないからで,経験のある人には,逆にこれが一番面白いということにな (1) るかもしれない。登頂記の記述が即物的になればなるほど,この間の「格差」は広がっていく。 「風土論」という講義を受け持って四年になる。この時間を今仮に「風土諭の経験」といわ せてもらうと,そのごく早い段階で,上に記したメカニズムを学生の反応で気づいた。私の見 たもの,よく知っていると自負している素材を,そのまま精一杯熱意を込めて差し出しても, 予期したような反応が来ないのだ。もちろん来ることもある。それもかなり鋭く来はするが, 数は少ない。さて,どうしたものか。「風土諭の経験」とはこの行きつ戻りつの試行錯誤でし た,とややオーバーにいってみたい気がする。 私は1995年までの約三十年間,京都の主に商店街を歩くことを仕事にしてきた。商店街の性 格規定は商店街だけみていても出てこない。いきおいその後背地や裏通りにまで足を延ばすこ とになる。自慢するほどのことではないが,よく歩きましたとはいえる。商店街といっても, 祇園や河原町から壬生その他,それこそ旧街道筋にさりげなく溶けこんだ「近隣」商店街まで, 種類はさまざまである。それぞれ固有の風土と生活相をそなえており,風土諭の格好の素材に なりうることにまちがいはない。ただ,それをそのまま持ち出しても大多数の学生には通じな い。当然といえば,これはまったく当然の話である。こちらは「仕事」として歩いていたので あるし,三十年間飽きもせず続けてきたからには,それなりの問題意識があったわけだが,そ の「経験」の共有を無媒介に迫るのは,迫られる方は迷惑だろう。これはすぐわかった。やり 方に工夫を加えねばならない。でなければ,どんなよい素材でも死んでしまう。 それに一口に商店街を対象とするといっても,その切口は幾通りかある。商店街まるごとと らえようとするやり方もあるし,サブ・ブロック(小街区)や一つの店舗といった狭く限った 京都精華大学紀要 第十七号 − 135 − ところにピンをたてて,その近傍を濃淡に塗り分けていくという,いわばスケッチ的方法もあ る。やや立ち入ったヒアリングなど,さしずめこれに入るだろう。レベッカ・ジェニスンに壬 (2) 生や寺町商店街のスケッチでお世話になったのもこの一例である。 今仮に,これを調査の微 分領域というなら,逆に今度は個々の商店街を突き抜けて,地域全体の商業特性を抽出する 「広域」調査,いわば積分領域のようなものもある。これは,微分領域を積み上げていくとい うだけでは間にあわない,まったく別の手法を取り入れねばならない。その一つに思い切り 「迷ってみる」という初期動作があった。なにしろ対象とする範囲が格段に広くなるので,無 造作に調査員を投入すると不測の事故に見舞われるおそれがある。それを防ぐためにも,調査 の設計者があらかじめ,地域の「体感」をえておくことが不可欠なのだ。 「体感」をえるてっ とりばやい方法は,できるだけ早いめに,やみくもに歩きまわって「迷って」おくことである。 この初期動作で,右京区の仁和寺から歩き始めて,南にやみくもに新丸太町通りまで迷い出て, 不思議な「体感」を味わったことがある。両者の間に広大な園芸用農地が広がっていることを 私が知らなかったこともある。行けども行けども同じような風景があるだけで,どこが「境目」 か皆目見当がつかない。ところが,あるところで「ぽっと」感じが変わったのである。この 「感じ」は,新丸太町通り近くにきていたから,という後知恵より,はるかに「風土諭」的セ ンスの問題として重要であると思う。一種の「境界」問題なのであるが, 「ぽっと」感じたと 口にするだけでは大方の学生には通じない。通じないが,そこをなんとか工夫して伝えないと, あとがもたない。 端折っていえば,問われているのは,一ランク抽象度を高めた方法の問題ということになる。 方法のレベルになんとか話を乗せることができれば,何も素材は商店街にこだわることはない。 適用の外延はぐっと広がる。とにかく,商店街といったことに特別の関心をもたぬ学生に対し て,少なくとも原理的には,風土諭的センスなるものの匂いぐらいは伝えられる方策が求めら れていたのだ。 「境界」問題ということでいえば,私の採用した戦術は,抽象のレベルを思い切って切り上 げてみることだった。一種の奇襲作戦である。いわく「推移律の不成立」 A = B,B = C → A ≠ C。連続を通しての不連続。A の地点と B の地点では周囲の風景にさし たるかわりはない。B の地点と C の地点でもかわりない点ではほぼ同じだ。ところが C の地点 で A の地点をふりかえると,そこに画然とした差が認められることがある。そういう経験はあ りませんか。この反問は成り立つ。ここで,かなりのことを断言しても,こちらの心理的負担 は少ない。なにしろ, こちらは幾層かで武装しているのだから,相手が唖然としてくれればもっ けの幸いであるし,知らん顔されても,素材のところで無視されるよりもましだ。あまりにも 抽象的だと非難がくれば,待ってましたと,抽象のオーダーをさげて,あわよくば素材のとこ − 136 − 「風土論」の経験 ろまで下降できるかもしれない。 現在の学生は抽象能力に弱いといわれることがある。その反面,抽象語をただ羅列するだけ で,実体がともなわないともいわれる。前者については,私はなにかを断言する自信はないが, 後者については今までかなり行当った経験を持つ。あるいは,自分自身もいくぶんそのケのあ る学生であったかもしれない。これを簡単に矯正できるなどと思いあがらない方がいいとは思 うが,教師の側で抽象化のオーダーについて不断の自己検証を怠るべきではないとはいえる。 でなければ,せっかく素直な質問にであっても,解きほごして答える能力が急激に低下してし まうだろう。このことと重なるが,改めて特記しておきたいもう一つの項目がある。 「観念」への反射とでもいうべき一面である。これはおおよそ「学力」といわれるものと関 係がないが,ときには性欲に勝る強さをもつ何かである。きらめく反応をみせる学生がときに はいる。こういうケースにであうと,老骨に鞭うってでも食いさがりたい虚栄心にかられるの は,なにも私だけではあるまい。大学である以上こうした一面もあってよいし,時と場合によっ て積極的に擁護する戦闘性が大学にはあってよいと私は思う。以上のような文脈のもとに, 「推 移律の不成立」と同巧異曲のキーワードを五つばかり取り出し,いわばそれらを結晶軸にして 「風土諭の経験」を整理してみた。 1)推移律の不成立 2)地平線・「ボルヘス的」感覚 3)「エル・アレフ」あるいは木野祭 4)トポロジー・「伸縮自在の構造」 5)テキスト・和辻とバシュラールの間 1 推移律の不成立 大阪府南端の「岸和田」を例にとり,どこまでが「岸和田」か漠然としているのに,「だん じり祭り」にみられる通り,強烈なまでの「風土的特性」を切り取ることができると書いた学 (3) 生がいた。 その反面,自分の住む「泉北ニュータウン」は「線」によってはっきりと区画さ れているにもかかわらず,その風土的印象は極めて漠然としているというのだ。この「対称性」 の指摘は,「負うた子に教えられ」とでもいうべき鮮やかな印象で忘れ難いものの一つだ。ど こからどこまでが「岸和田」かわからないのに,画然としてそれはある。それこそまさに「推 移律の不成立」で私のいわんとしたことを見事に言い当てていたのである。 「地域とは何か」 と自ら題した先の小論文の筆者によると,岸和田の中心部の学校では,「だんじり祭り」とも なると,全校休校になるという。では,岸和田かそうでないか判然としない地帯の生徒はどう 京都精華大学紀要 第十七号 − 137 − か。これは,あっさり「休んで」しまうのだそうだ。はじめてこれを知ったとき,筆者には信 じがたいとしかいいようのないものだったという。ところがここにきて,もう一つの楔を筆者 は打ち込む。自分の足場である泉北ニュータウンに名称変更の問題が持ち上がったとき,にわ かに「地域」という声が住民の中からあがったというのだ。いかに水っぽいニュータウンとは いえ,人が住みはじめてそれなりの時が経過している。名称変更の問題は,期せずして住民の 中に,いわば「失われた時を求めて」の意識を呼びさましたというわけである。地域とは岸和 田にみられるとおり,たんなる行政的線引きにつきるものでなく,住民の「意識」の問題が介 在する。そして「時間」だ,というのが筆者の導きだした構図だった。 これが書かれた教室の場面を,今でもまざまざと想起することができる。これには,私が 「風土論」をうけもった初年度のしかも前期という「初体験」がかなり作用しているだろう。 いくつかの分野に分けた選択式の設問だった。残り時間もわずかになった頃,下駄バキでガタ ピシ入ってきた学生が,とうぜんながら時間切れになり「次回に仕上げてきていいですか」と いった。横着なタイプが特別嫌いな方ではないので, 「まあ,よかろう」と答えた。これをき いて顔をあげたのが先の「地域と何か」の筆者だった。彼は苦しそうに「ぼくも,そうさせて もらえますか」といった。これは横着でなく,いうなら無器用なケースだ。したがって, 「地 域とは何か」は横着ものの余録にあずかった,いわばルール違反の産物だったといえる。ただ これは正規の試験ではなく,私が任意に講義時間内に課題したものだったと申し添えておいた 方がよいだろう。ともあれ,どこで横着ものを切り捨てるかは,なかなか結論の出ない難問で はある。 風土論とは時間を含みこんだ空間論である。 「地域とは何か」は,筆者なりの素材まで下降 した見事なこれの思想型であり,教えてできることではない。ただ,「推移律の不成立」とい う抽象的定式が,筆者のなかのあるもやもやした問題意識をつつく作用をしたとはいえる。初っ 端からこういうでき過ぎた「結晶」例に出あえたのは幸運だった。 2 地平線・「ボルヘス」的感覚 和辻哲郎は「風土」の序言で,「風土」と「環境」概念を区別している。和辻によると,「環 境」は「風土」から抽出された対象的的概念であり,自然科学に近い。あらかじめ彼の「風土 論」に,自然科学と一線を画した位置を確保しておきたいというのが意図だったと思うが,こ のあたりの表現がいかにも晦渋で,それだけに見逃されやすい。しかし,これはなかなか重要 な指摘で,「童画」あるいは「地平線」の問題として見直すと,ぐっと身近かなものになる。 幼児が見たもの,感じた世界を描くとき,それはユークリッド空間の「常識」からすると, − 138 − 「風土論」の経験 つじつまのあわぬことが多い。大きなものが小さかったり,その逆であったり,遠い距離が短 く,本来近かるべきものが,とんでもない遠景に置かれていたり,右では太陽が照ってるのに, そのすぐ左で雨傘をさした子が平気で歩いていたりする。たぶん,こういうことがおこるのは, 幼児が世界を「まるごと」見たり感じたりすることの,技法的な反映だろう。 「龍」や「ネプ チューン」を呼び出したのも,同じ構造であったと推測できる。まず,こういう熱い主観的世 界があり,他方そこを潜り抜けてユークリッドの冷たい客観的世界が抽出される。ファンタス ティックにみえるものが具体的であり,リアリスティックにみえるものが実は抽象的なのだ。 和辻のいうところを極めて善意にとれば,以上のようにいえるだろう。ただ,和辻の難点は, こうした方法を徹底できなかったところにある。「風土諭」は,童画に近いところから出発す る方がおもしろいというのが,私の考えだ。 ユークリッド空間における「距離」。これは,ある単位を定めると,あとは加算的に算出で きる簡明な構造を持つ。等間隔に樹木が線状に並んでいるということは,まさに文字どおりそ ういうことであって,それ以外のなにものでもない。しかし「現実には」,はたしてそうだろ うか。手近かの樹木ともう一つ向こうにある樹木がユークリッド的には「等間隔」であるとし ても,目にする限り,それはなんらかの縮尺関係,ある種の「歪み」を帯びるだろう。こう考 えると,ユークリッド的距離とは「無限」の高みから見下ろした距離,いわば空間を越えた神 の視点から見た「公平な」距離といって,いえぬことはない。 「風土論」の目は違う。それは 見ている世界に自らも一点として位置を占める目,「世界内的に」拘束された目である。あま り公平でないところが,先の童画的おもしろさに一脈通じるおかしみとなりうる。 やや高台にある駅を降り,馴染みの町へと坂を下っていくとき,暮れなずむはるか向こうの 山際まで,幾層もの町並がなたたみなして蜃気楼のように浮上するのにふと目がいくことがあ る。「地平線」の感覚とは,私の場合,こうした瞬間に喚起されるものに近い。私は帰ってい く馴染みの町についてかなりのことを知っているが,地平線に向かって無限級数的に縮約して いく幅一杯にひしめいている町々については,ほとんど何もしらない。そしてそのことが逆に, 無限への憧れに似た感情を私の中に呼びさますのだ。この感情を仮にいま,ボルヘス的感覚と なずけることにしょう。無限を有限の中にとじこめようとする熾烈な願望を,ボルヘスは「エ ル・アレフ」という掌編で見事に形象化しているからである。アレフとは集合論で連続数(非 可算無限)の濃度に当てるヘブライ文字。Z の斜線を矢で貫いたような形をしている。人工知 能研究の先駆者であるハーバート・サイモンは,後にも先にも自ら進んで面会を求めた文学者 は,ボルヘスただ一人だという。(4) 京都精華大学紀要 第十七号 − 139 − 3 「エル・アレフ」あるいは木野祭 タイのフィールド経験に触れて,バンコックの屋台や車の喧噪など,この街の色と音のすべ てが猥雑で違和感があったのに,しばらくバンコックを離れて「地方」を一周して帰ってくる と,これら違和感のあったすべての事物が,「おかえりなさ∼い」と迎えてくれている親しみ (5) に満ちた色と音に変わっていた,という意味の小論文があった。 小論文というより, 「余韻」 のようなものをうまく捉えたスケッチというべきかもしれない。「余韻」のようなもの,これ は風土論において重要であり,「ボルヘス的感覚」と名ずけたものもこれに関係する。 ボルヘスは先の「エル・アレフ」で,おおよそ五十コの名詞や状態をあらわす短いセンテス を連打する手法によって「余韻」を捉えようとしている。この掌編は,故人となった女性,ベ アトリス・ビデルボヘの語り手の断ちがたい愛執の念がモチーフである。語り手は,やや俗物 風に描かれている「恋敵」,カルロス・アルヘンティーノから故人の邸の地下室に全宇宙を写 す「エル・アレフ」なるものが存在すると唆かされ,いかがわしいとは思いつつその地下にも ぐりこんで,あるべくはずもないそれにで合う。「エル・アレフ」は直径数センチの球体をし ていた。このくだりから, 「私は見た」の連打が,先の名詞や状態系を目的語として矢継ぎ早や (6) に繰り出されるのである。まさに,非可算無限を数えあげようとする絶望的な連打である。 話はちがうが,中尾ハジメの「弘法市の広がり」にも,似たような「連打する」カ所がある。(7) これは東京ものの筆者が,はじめて東寺の「空海の風景」に行き当って文化ショックをうける くだりである。筆者は「弘法市」で商われていた大小の事物や女人堂で御詠歌をあげていた老 女たちの「童女」のような姿に至るまで,ランダムにとりまぜて憑かれたように数えあげる。 これもおおよそ三十コに及んで,ボルヘスに迫る勢いである。 「風土論」は小論文,スケッチ,創作,切口メモといったものを,簡単な動機付けを行って 適宜時間内に課する構成で進めてきた。こうした小さな書記行為(エクリチュール)自身, いってみれば無限を有限に閉じ込める操作のトレーニングといえぬこともない。小さなものほ ど,かえって自然に「統体」を胚芽的に写しだす機制が働くことがある。どれほどボリューム の大きな論文でも,胚芽的「統体」がすり潰されてしまっているようなものは無に等しい。 「風土論」は出席もやかましくいわず,点数も甘いとみてか,今まで登録数だけはやけに多かっ た。はながらナメてかかっている連中も多いんじゃないかといわれれば,そうかもしれんなと 答えるしかない。しかし横着な連中も,もっていき方では,なかなかいいものをみせてくれる という楽しみもある。いいもの,面白いものとは,短い中にも,いいたいことが一杯つまって いる文章である。ボルヘスの連打も,中尾ハジメのそれも, 「余韻」を引きずりだす手法,一 種の「詩学」を含む点で,学生の中にあるものとまったく等価なのだ。ただ,そのことを学生 − 140 − 「風土論」の経験 に納得させるのは,いうほど簡単ではない。そこで,一計を弄することにした。最近のことで ある。 まず,ボルヘスの連打していく文章をできるだけ早いスピードで読み上げる前に,一言コメ ントをいれた。 「木野祭をみよ」である。あの「祭り」で「軽音」の山崎伸吾(8) が歌うロック の「歌詞」の意味がわかって,多くの諸君が舞台を囲んでいるわけじゃあるまい。あすこにあ るのは,「意味」ではなく響きでしょ。これから読み上げるボルヘスも,そういうものとして きいてほしい。これは利いた。読み上げる間,聴くものの中にほとんど遅滞なくボルヘスが打 ち込まれていく手応えがあった。げに「木野祭」のもつ「風土論」上の効果は絶大なものだ。 「木野祭」は京都精華大学の学生の魂の色をうつしだす「エル・アレフ」である。もちろん, 祭りの期間を利用してサイクリングにでかけるのも自由だが。 「風土論」における音・色・意味といったことを考えてみる。 さしずめアルチュール・ランボーの「母音」など音が色を引き出す一例だろう。意味は覆わ れている。 A は黒,E は白,I は赤,U は緑,O は青,母音たちよ, ぼくはいつの日か,眼に見えぬ君たちの誕生を語るだろう。(9) (清岡卓行訳) これは「言語レベルの風土論」として格好の素材だと思うが,今までのところうまく使いこ なせていない。この詩はあともずっと続くのに,例年,この二行のところで足踏みしてしまう。 (10) 逆に意味鮮明な例として,オペラ「カルメン」の独唱部分「ハバネラ」の CD を使ってみた。 真面目なバスク出身の兵士ドン・ホセを誘惑し,かつその上官にひじ鉄をくわす二重の意味 を含む歌詞だが,日本語の訳さえ示しておけば,あとは歌に合わせてフランス語を目で追うの はそう負担にならない。これは2回試してみた。色彩感もあり効果はほぼ満点である。なによ り途中でガーンという迫力で合唱が入るので, 居眠りしていた顔が机からはっと上がる。 「古典」 もなかなかやるもんである。 4 トポロジー・伸縮自在の構造 先にあげた推移律にしても,水平線にしても,無限の囲いこみにしても,すべてトポロジカ ルな用語である。ユークリッドの空間論が不変の剛体上の幾何学としたら,トポロジーは引っ 張ったり,縮めたり,振じったりできるゴム上の幾何学といえよう。いわば,伸縮自在な構造 (11) を持つ空間,一種のキュビズムである。 しかも「近さ」の概念をもちいて精密に定式化でき (12) る。 たとえば「水平線」をとると,そのいかなる「近傍」にもおおよそすべてのエレメント 京都精華大学紀要 第十七号 − 141 − が含まれてしまう。そういう「極限」として「水平線」が定義できるように。 風土論はとにもかくにも空間を問題とする分野であるから,このトポロジーの外延をできる だけ広くとって援用すると,問題の整理にはなはだ都合がよい。そこでややモダーンを気取っ て,わが風土論を一筆書きで,次のように定式化してみた。 風土論とは,土地の寓話的なトポロジーである。 (Climatology;An anecdotic topology of the earth)。ここで「土地」としたところは「水」でも「風」でも「火」でもかまわない。 「寓話的」 は「童画的」でもよいが,学生にはここでロンラン・バルトの「零度のエクリチュール」(13) を もじって,ちょとコメントをいれてみた。「寓話性ゼロ」とは,いわば自然科学的な記述であ る。寓話性のディグリーが高くなればなるほど限りなく「詩」(あるいは神話的構造)に近ず くということです。このあたりは若い人相手のありがたいところで,お年寄り相手では「なん のこっちゃ」といわれそうでも,学生からの拒否反応はなかった。耳なれない用語でも,これ を機会に,ああ,こういうところで,このように使われているのだな,と「語用論的に」気づ いてくれるようになれば充分なのだ。 それにもう一つ,戦略的企みもある。トポロジー概念をキー概念とすることで,易学的な 「風水論」や記述的な「民俗学」のような隣接領域との, 「風土論」講義の「種差」を確保し ようとする企みだ。隣接領域の研究成果を遠慮なくコラージュ風に(コラージュはトポロジー の最も得意とする方法だ)とりこみながら,宇宙に生動するものとしてある姿をより直截につ かみとる。そうした独自の方法的領域を切り拓く一端を担いたいのである。小論文「地域とは 何か」が鋭く指摘していたように,風土論的空間は時間を含む。この論点を,局所的に異質な トポスのコラージュの問題に変換できないか。「質」は時間に規定される。 先のボルヘスの掌編「エル・アレフ」では,茫然と地下室から顔をだした語り手に,ライバ ルの男が「すっかりあれを見てしまったんですね。色つきで」という。この「色つきで」とい うのが面白い。時間は水深によって色合いをかえるのである。 5 テキスト・和辻とバシュラールの間 ガシュトン・バシュラールをテキストに取り上げようとしたが,これはうまくいっていない。 なぜバシュラールかというと,文字どおりエンペドクレスの四元素(土地,水,火,空気)(14) (15) をトポロジカルに扱った詩的「四部作」 があると同時に,彼が優れた自然科学者でもあった という振り幅の魅力である。それだけに,これを自家薬篭中のものとして,そのエッセンスを (16) 学生に伝えるのはむずかしい。ただ最近『教師バシュラール』 という本がフランス大学出版 (PUF)から出たことでもわかるとおり,彼には情熱的な教師の側面があった。むしろこの面 − 142 − 「風土論」の経験 から入れば,突破口が開けるかもしれない。後年ソルボンヌで最も盛名の高い教師になるが, もともとはシャンパーニュ地方の物理・化学の高校教師である。電電公社のようなところでア ルバイトしたり,軍役と見返りの奨学金をもとに検定試験を積み重ねたりして1927年にようや くディジョン大学にポストを獲得するが,基本的には独学の人である。そういう経歴のせいか, 彼は学生に対する極めて高い感度をもっていたらしい。奔放に想像力を解き放って風土論的領 域に踏み込むのも,ディジョン大学の実験室で一人の学生が彼の講義を「滅菌された世界」(17) と評するのを耳にしたのが切っかけだという。自分のやり方に常々ピンとくるものがないと感 じていたことも相まって,よし,これからは雑菌をうじゃうじゃ培養するやり方でやってやれ ということになる。真偽はともかく,こうした「回心」のエピソードが語り継がれるところに, 「教師バシュラール」の面目を伺い知ることができよう。とはいえ,彼は自然科学についても, 終生その認識論的深化の作業を怠っていない。安易な科学への椰楡にも厳しかった。 和辻の『風土』に欠けているのはこの振り幅である。彼には「風土」を「童画」として認め る器量はあるまい。しかし序文のハイデガーを意識した晦渋な表現にもかかわらず,明らかに これは童画なのである。したがって,飯沼二郎のように,「マルトンヌの乾燥指数」なるもの を持ち出して,いわゆる「風土」の地球的三区分(モンスーン,砂漠,草原)の「いい加減さ」 (18) そのようにからまれて仕方ない,どこか「出 を看破したようにいうのも見当違いと思うが, 来上がった」スタイルが和辻にあるのも否めない。幼児の一筆書きのようなものですよといっ てしまえば,いかにキ真面目な飯沼二郎も気勢をそがれたにちがいない。和辻の『自伝』を評 して,よく書けているが,和辻の実家ぐらいの地方の名家ともなれば,人に憚ることが一つや 二つあるのが普通なのに,あまりにも叙述が淡々としてい過ぎるとした梅原猛は,突くべきと ころをよく突いていると思う。(19) バシュラールには,「木野祭」のような騒ぎに喜んで同化していく「田舎出の」教師として の稚気があった。もし和辻の学問に,そうした稚気を認める一点のユーモアがあったなら,柳 田国男の地をはうような記述的業績に,あたかもケプラーに先行するティコ・ブラーエのごと き位置を「対極的に」認めることができたかもしれない。(20) 振り幅とはそういうことである。 とはいえ,こうしたいささか途方もない批判点を付しつつも,私は和辻風土論の先駆性を認め る。 そこで昨年度(1998)前期は,この和辻,九鬼周造,丸山真男の三人を取り上げ(21),そのテ キストからかなり大部な量を抜き出して,ブリーフィングと批評を真正面から課題した。こう したオーソドクスなやり方は初めてだったが,反応は悪くなかった。九鬼を取り上げたのは, ハイデガーとの関係で和辻と共通するからだが,九鬼の場合はハイデガーとほぼ対等の付き合 いという点で他に抜きん出ている。その『「いき」の構造』の批評で,「いき」を「いけてる」 京都精華大学紀要 第十七号 − 143 − という現代の若者用語に置き直したとたん,はずみがついて生き生きした小論をものした例が あった。しかし,この筆者は他の二人については完全にパス。教師としては困りものだが, はっきりした気質がうかがえて面白かった。(22) 和辻と丸山については,双方に「忠臣蔵」諭があるという側面に焦点をあてた。ところが一 口に「忠臣蔵」といっても,相手がわかっているとは決めてかかれない。 「福沢諭吉」までは いいとして「河上肇」となると危ない,とは知人の言だが,世代差というのはたいへんなもの である。留学生もいる。しかし,これは簡単な説明を入れて無難に乗り切れた。あくまでコ ラージュであるが,丸山の「政治的」な切口と和辻の「近松的」な切口の対照に興味を示した (23) 柳田国男と南方熊楠の双方がお ものがかなりあった。今年度はこれに鶴見和子を加えたい。 おえる思惑からだ。また,計算に入れていなかったが,平野啓一郎の『日蝕』(24) なるダーク・ ホースがぽかっと飛び出してきた。これはフランス中世の「錬金術」を扱った秀逸な「日本文 学」であり,アリストテレスやトマス・アキナスの「自然学」の扱いも堂にいっていて, 「風 土論」講義にとってまさに宝の山である。こういう「エル・アレフ」の見本が出てきた以上, バシュラールなど縁遠いなどといわせない。何に足をすくわれ,何に助けられるか,まったく 見当のつかない時代になった。しかし,とにもかくにもこれらのテキストをたたき込める資質 は,今の学生には充分ある。 結びにかえて─再び素材と方法 私が自治体職員として,地域調査員の研修を受けていたとき,実習に東京品川区のなんでも ない商店街に連れていかれたことがある。「共同事業」のモデル・ケースとはいうものの,そ こには道具立てとしてはみるほどのきらびやかなものは何もなかった。地元銀行とリンクした コンピュターが導入され,顧客管理がしっかりしているときかされていたぐらいのことだろう か。ただ印象的だったのは,商店街の男女がとても仲のよい感じで,動きもキビキビしていた ことである。実習をとりもってくれたのは中小企業事業団の職員だったが,事業団の教室に帰っ て,研修生がこもごも感想を述べあったとき,私はそのときの不思議な印象を口にしてみた。 他の人は他のことを口にしていたから,その中で私の感想は特に異彩を放つ種類のものではな かった。一わたり意見交換が終わったとき,その名もはっきり覚えている緑川という世話役の 事業団職員が,ぽつりとこういった。 「実はあの商店街を作った人たちは,『満蒙開拓団』の引き揚げ者たちだったんです。焼け野 原の品川で助けあって生きてきた。そういう伝統が今も生きてるんでしょうね。共同事業なん ていわれるまでもなく,そういう実績があの街にはあるんですよ」 − 144 − 「風土論」の経験 緑川さんには,いいたくてそういったのではないだけに,こういう組織の人にはめずらしい 風韻というか,ひかえめな「内面性」が感じとれた。この経験は私に街にも「顔」があるとい (25) う形で残った。 そういえば,弘法市にも,五條坂の陶器市を支えている街にも,みように よってそれぞれの顔がある。時間を含みこむ空間とはそういうことではないか。顔という以上, 見過ごすものもあるし,なんとなく気になるものもあって当然だ。そこに働く直感のようなも のが,風土論において極めて重要な作用をなす。その直感のトレーニングが私の「風土論」講 義の第一の目的である。そういって「経験上」かならずしも強弁とは思わない。 ただ,私の経験を経験としてそのまま持出しても,かならずしも学生には通じない。そこで, それなりのポールをたてて,今度は学生の経験のエッセンスを引き出す工夫をしてみた。この 小論は,このことのおおまかなスケッチである。素材と方法ということでいえば,ここには明 らかに逆転がある。私の経験を「方法」に変換し,そのことで学生から「素材」を引き出す。 それは私一個の経験を越えた極めて豊かな素材である。工夫次第では,それを再び方法に焼き なおすこともできよう。このことは「風土論」講義に尽きるものではなく,それを通して人文 学とは何かを考える私の経験でもあった。 鶴見和子によると,地元の漁民の中で水俣の「異常」が直感されたのは,1930年代にさかの (26) この間の目もくらむような「時差」は,人間存在への絶望感を誘うていのも ぼるとされる。 のだが,逆にいえば,人文学の底にある直感力を研き,問題摘出力と説得力を高めて,技術的 領域を補佐すべき緊要性を告げているともいえよう。 注記 (1)横山貞子,塩沢由典,小笠原信夫,鶴見俊輔,それに私を合わせた五人で「文体研究会」と仮称して, さまざまな本の読み合わせをした。これは1 980年から十年以上,鶴見が一時大きく体調を崩すまで続 いた。「文体研究会」の切っかけは,当時出版され『桑原武夫集』 (岩波書店)を手分けして読むこと だった。 (2)Rebecca Jenisson 『TERAMATI』(1987),『MIBU SHOTENGAI』(1988) 「商店街巡回観察報告書」,京都市中小企業指導所 (3)筆者は小山祥明(93L162) (4)ハーバート・A・サイモン『学者人生のモデル』(安西祐一郎・徳子訳)参照,岩波書店 (5)筆者は馬場敦子(92L237) (6) 「わたしは人のごったがえす海を見た。黎明と黄昏を見た。アメリカの群衆を見た。黒いピラミッドの 中央の銀色の蜘蛛の巣を見た。こわれた迷宮(それはロンドンだった)を見た。…(中略)…虎を, 京都精華大学紀要 第十七号 − 145 − ピストンを,野牛を,大波を,軍隊を見た,地上のすべての蟻を見た。机の引き出しに(そしてその 筆跡がわたしをわななかせた)カルロス・アルヘンティーノにあてたベアトリスの,猥褻な,信じが たい,精細な手紙を見た。チャカリータ墓地の慕わしい墓碑を見た。かつてはうるわしいベアトリス・ ビデルボーであった無残な骸骨を見た。わたしの黒い血の循環を見た。愛のかみ合わせと死の変容を 見た。あらゆる点から〈アレフ〉を見,〈アレフ〉の中に地球を見,地球の中に再び〈アレフ〉を, 〈アレフ〉の中に地球を見た。わたしの顔とわたしの臓腑を見た。あなたの顔を見た。そして眩暈を 感じ。涙を流した」J.L.ボルヘス「エル・アレフ」 (『ラテンアメリカ−集英社ギャラリー [ 世界の文学 ]19』)pp,222∼223 (7) 「盆栽も,家相方位の占いも,陶器も,ゴム長靴も,スポンジたわしも,迷子札を彫る人も,しいたけ も,ニンニクも,薬草も,お茶も,ろうそくも,おもちゃ屋も,線香も,靴下も,パンツもシャツも, 大工道具も,農具も,ヘビ屋も,古着屋も,帽子屋も,最新の砥石も,針の穴の糸通しも,めざしの 焼けるにおい,かまぼこ,薬味屋,おでん屋。りんご飴,わらび餅,じゅうたんも,かけ軸も,イモ も,バナナも…」中尾ハジメ「弘法市のひろがり」(『思想の科学』1978・3)P.26 (8)山崎伸吾(9 6L345)。「風土論」では,自分の目を「監督」に仮構して「川」をテーマとする映画の見 事なコンテを創作した。軽音楽部の中心メンバー。 (9) A noir,E blanc,I rouge,U vert,O bleu: voyelles, je deirai quelque joar vos naissances latentes: "VOYELLS",CLASSIQUES GARNIE' R 『Rimabaud』 P.110 (10)Georges Bizet(1838−1875)CARMEN,London Symphony Orchestra,CLAUDIO ABBADO (11)Jean Paulhan 『La peinture cubiste』参照,Callimard。ピカソなどのいわゆるキュビストが一切の科学 的・合理的なるものを唾棄しながら,遠隔的にトポロジーに osmose(浸透)されている様相をとりあ げている。筆者は対ナチ・レジスタンス知識人グループの中心人物 (12)森毅『位相のこころ』(日本評論社)PP41∼44「近傍の公理」参照 (13)Roland Barthes 『Le degre zero de l' ′ e criture』,Points 参照 (14)Jostein Gaarder 『SOPHIE' S WORLD』 Berkley,P.36参照。エンペドクレスの四元素を色にたとえて, ターレスの水一色より,四色あれば,いろいろに絵が描き分けられるとしている。教材としてもよい。 (15)Gaston Bacherard ^veries de la Volonte La Terre et Re ′ ^veries du Repot et Re ' ssai sur l' imagination de la matie` re ^ves ;E L' Eau et les Re L' Air et les Songes;Essai sur l' imagination du mouvement (Libraire Jose Corti) 「風土論」の経験 − 146 − La psychanalyse du feu (idee,nrf) (16)Michel fabre 『Bacherard e' ducateur』 ,Presses Universitares de France 「形成」formation 概念を中心,教育者バシュラールの思想的可能性を正面にすえている。いわゆる1968 年「五月」の大学問題とバシュラール的理念との火花を散らす接触面にまで考察の射程が及んでいて 興味深かった。 (17) 「滅菌された世界」= univers pasteurise′ .パスツール法で滅菌されたという意味だろう。Pie` rre Quillet 『Bachelard』,E' dition Seghers,p.21 (18)飯沼二郎「和辻哲郎の『風土』について」参照。(著作集第一巻所収),未来社 (19) 『和辻哲郎集』(筑摩書房)の梅原猛による「解説」参照。 (20)ティコ・ブラーエの厳密な天体観測がケプラーに及ぼした影響については,朝永振一郎『物理学と何 だろう上』(岩波新書)参照。 柳田国男の厳しい記述的態度については,鶴見太郎『柳田國男とその弟子たち−民俗学を学ぶマルク ス主義者』参照。人文書院 (21)和辻哲郎「後期武家社会における倫理思想」(全集第十三巻所収),岩波書店。 九鬼周造『「いき」の構造』(岩波文庫)。 丸山真男「徂来学の特質」(『日本政治思想史研究』所収),東京大学出版会。 (22)筆者は豊田結(97L206) (23) 『鶴見和子曼陀羅』,藤原書店。 (24) 1998年度後期「芥川賞」受賞作品 (25)サルトルとある意味で対極的な位置を占めるレヴィナスが, 「顔」をその思想的中核においていること は興味深い。Benny Le' vy 『Visage continu』 (La pense' e du Retour ches Emmanuel Le' vinas)参照,Verdier。 著者のレヴィはサルトルの元秘書。 (26) 「水俣の人々は,『海は死んだ』という。いつ頃から海の異変に気がついたのであろうか。わたしがき いた限りでは,金子徳松さんが(1 898年生まれ)が一番はやい。その頃金子さんはうたせ網をしてい た。帆船のエンジンが故障したので,水俣の鉄工所に行って新品ととりかえてもらおうと思って,船 で百間港に行ったときのことである『夜停泊して,小便しにされいたら,青な,白な,赤な水がドド ドードと流れてくる。百間の排水口のあたりに。それでみんな起こした。…会社に行ってきこうとし ても,きけることじゃなか。けっして忘れることじゃなか。忘れることじゃなか。 』徳松さんは,これ はチッソが毒ガスを作っていたということを,終戦後になってきいたから・毒ガスのためだろうといっ た。しかし。たとえ戦時中に軍需産業の一環として毒ガスを作ったとしても,1930年代の話としてつ じつまがあわない。日窒が水俣工場でアセトアルデヒドの生産を開始し,廃水を百間港に無処理放流 を始めたのは,1932年(昭和7年)である。徳松さんの話はむしろ,アセトアルデヒドの生産と触媒 京都精華大学紀要 第十七号 − 147 − として使った水銀を含む廃水の放出とむすびつくように思われる」鶴見和子「多発部落の構造変化と 人間群像−自然破壊から内発的発展へ」 色川大吉編『水俣の啓示』,PP183∼84,筑摩書房