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人権問題研究叢書 第 9 号、第 10号刊行
第 9 号 2014 年 3 月刊行
2 012 年度講演録
グローブ・
グローブ 2014 夏
№
78
講座・人権ゆかりの地をたずねて
第 10 号 2014 年 4 月刊行
部落実態調査の書誌的研究
2
0
1
4
年
78
月発行
発行人/理事長・上田正昭
印刷/田中プリント
7
定価 1,500円(税別)
カバーデザイン:京都市立芸術大学 江尻紗耶未氏
「賛助会員」募集中
◎年会費 個人会員 1 万円(学生は 5 千円)
法人会員 5 万円
◎特 典 ・『グローブ』(季刊:年 4 回発行)『年報』の無償送付
・『研究紀要』『人権問題研究叢書』の無償送付
・「人権大学講座」の無料受講
・人権図書室所蔵の図書貸出サービス
・当センター主催の講演会等への優先案内
◎お問い合せ、お申込みは下記へ
公益財団法人 世界人権問題研究センター
(公財)世界人権問題研究センター
〒604-8221 京都市中京区錦小路通室町西入天神山町 290 番地1
TEL 075-231-2600 FAX 075-231-2750
[URL] http://www.mmjp.or.jp/jinken/[ E-MAIL] [email protected]
世界人権問題研究センター発行の刊行物の紹介
◎定価 1,000 円(税込)
∼ 1,500 円(+税)
(下段参照)
『人権問題研究叢書』
京都市児童福祉センター
◎定価
8,200 円(+税)
創立 10 周年記念出版
「散所・声聞師・舞々の研究」
当研究センターが取り組む調査・研究のさらなる活性化とそ
の成果を広く国内外に発信し、人権文化の発展に寄与するこ
とを目的に創刊しました。当研究センター研究員が調査・研
究活動を通じ、人権問題を科学的に考察し論著したものです。
子どもに関する様々な心配、不安などについての相談をお受けし、専門スタッフが十分
にお話をお聞きし、専門的な調査などを行い、助言、指導、判定、治療、訓練などの支援
当研究センターでは、1996 年から 9 年間にわたって共同研究
として「散所に関する総合的研究」に取り組んできましたが、
その成果をまとめました。
を総合的かつ系統的に行う、児童福祉の総合機関です。
相談は、児童福祉センター又は第二児童福祉センターの総合受付でお聞きします。
(お住まいの行政区によって相談する場所が違いますので、詳しくは下の図を御覧ください)
児童福祉センター
◎定価
1,800 円(+税)
◎定価
1,800 円(+税)
「人権歴史年表」
「京都人権歴史紀行」
人権を主題として構成された年表は、ほとんど前
例がないなかで人権問題を探求し、新たな人権文
化の創造をめざす人々の学習の手引となるように
編集しました。
京都に残る人権に関わる場所、事柄、そこで生き
た人々の後を訪ね、歴史を振り返るなかで、基本
的人権や自由、平等、平和の大切さと、それを実
現するためにどれほどたくさんの人々の努力が積
み重ねられてきたかを学んでいただけます。
北 区・上京区・左京区
中京区・東山区・山科区
下京区・右京区・西京区
にお住まいの方
児童福祉センター総合受付
電話番号 …801−2929
住 所 … 京都市上京区竹屋町通
千本東入主税町 910-25
第二児童福祉センター総合受付
第二児童福祉センター
南 区・伏見区
◎定価 各号
2,500 円(税込)
季刊「グローブ」(研究センター通信)
年 4 回発行
(深草・醍醐支所管内を含む)
にお住まいの方
電話番号… 612−2727
住 所… 京都市伏見区深草
加賀屋敷町 24−26
「研究紀要」の刊行(年 1 回発行)
当センターでは、
「国際的人権保障体制の研究」
「同
和問題の研究」
「定住外国人の人権問題の研究」
「女
性の人権問題の研究」
「人権教育の理論と方法の研
究」の5部門で研究を行っており、毎年、当研究セ
ンター研究員の個人研究の成果を公表しています。
当研究センターの研究活動やその他事業について
の報告や予定、研究課題、研究員の紹介、外部か
らの声などを掲載しています。
①救済の社会史
②アイヌ・台湾・国
際人権
世界人権問題
編
著
研究センター
安藤仁介
著
編
︵税込︶
A5判・一二〇頁
定価 一〇〇〇円
︵税込︶
A5判・一四五頁
定価 一〇〇〇円
+税
A5判・三一九頁
定価 一五〇〇円
︵税込︶
A5判・二七一頁
定価 一五〇〇円
︵税込︶
A5判・二一三頁
定価 一〇〇〇円
+税
A5判・二八一頁
定価 一五〇〇円
+税
A5判・二二八頁
定価 一五〇〇円
+税
A5判・二八八頁
定価 一五〇〇円
+税
A5判・二二七頁
定価 一五〇〇円
+税
A5判・三一二頁
定価 一五〇〇円
公益財団法人 世界人権問題研究センター刊
宏
仲尾
研究センター
著
③朝鮮通信使と京都
④講座・人権ゆかり
の地をたずねて
秋定嘉和
著
二〇一〇年度講演録
⑤人権から見た近代
京都
上田正昭
世界人権問題
⑥京都の中の渡来文
化
著
編
編
編
田端泰子
二〇一一年度講演録
世界人権問題
研究センター
世界人権問題
研究センター
世界人権問題
研究センター
⑦歴史のなかの女性
の人権
二〇一二年度講演録
⑧講座・人権ゆかり
の地をたずねて
⑨講座・人権ゆかり
の地をたずねて
⑩部落実態調査の書
誌的研究
人権問題研究叢書
※受付時間はいずれも、午前 8 時 30 分∼午後 5 時(土曜・日曜・祝日はお休みです。)
相談の内容
● 子どもを育てる家庭環境に関する相談
保護者の子育てについての悩み、病気などの理由で家庭での子育てが出来ない場合など
● 子どものこころやからだの発達に関する相談
発達の遅れ、聞こえ、ことばについての不安など
● 子どもの行動に関する相談
家庭内での暴力、盗みなどの非行や不登校など
● 里親に関する相談
何らかの理由で家庭で生活が出来ない子どもを、愛情を持って養育していただける里親さんの募集及び里親
さんの養育支援など
● 子どもの虐待についての相談・通告
虐待されていると思われる子どもを見つけたら、すぐ相談・通告を
子ども虐待 SOS 専用電話
801−1919
子ども虐待についての相談・通告を
子
24 時間
・365 日受け付けています。相談者・通告者
ともにプライバシーは守られます。
GLOBE No. 78 2014 summer 目次
外部寄稿
歴史随想
京都府いじめ防止基本方針について ⋮ 立 久 井
聡
渡来系氏族の出自 ⋮⋮⋮⋮⋮⋮⋮⋮⋮⋮⋮ 上 田
正昭
及び意見交換会に関する報告 ⋮⋮⋮⋮⋮ 安 藤
かわさき人権施策推進協議会で
考えていること ⋮⋮⋮⋮⋮⋮⋮⋮⋮⋮⋮ 阿 部
有里
⋮⋮⋮ 堀 江
﹃京都における歴史学の誕生﹄
雑感 ⋮⋮⋮ 川 嶋
將生
︱︱その背後にある抑圧を考える
智子
隆一
﹁ひとの移動﹂と人権 ⋮⋮⋮⋮⋮⋮⋮⋮⋮⋮⋮ 田 中
﹁通学﹂
という日常 ⋮⋮⋮⋮⋮⋮⋮⋮⋮⋮⋮⋮ 中 島
性の多様性
﹁五日市憲法﹂草案と人権 ⋮⋮⋮⋮⋮⋮⋮ 仲 尾
宏
浩己
アジア諸国と人権︵その三八︶ ⋮⋮⋮⋮ 安 藤
仁介
ASEAN政府間人権委員会による視察
仁介
報
告
連
載
研究第一部
研究第二部
研究第三部
研究第四部
研究第五部
研究部の報告
二○一四年度 人権大学講座 ⋮⋮⋮⋮⋮⋮⋮⋮⋮⋮⋮⋮
1
2
事業案内
■表紙は「ルドベキア」〈笠本眞理氏提供〉
4
12
22
26
仲尾 宏
憲 政 記 念 館
人権の〝館〟
〔連載〕
6
14
10
16
18
20
24
GLOBE(グローブ) ラテン語の「球」の意からきた言葉で地球、天体のことです。
条 に 高 句 麗 の 建 国 の 始 祖 と す る﹁ 須 牟 祁︵ 雛 牟 ︶ 王 の
後 な り ﹂ と 述 べ て い る の に も、 高 麗 氏 が 高 句 麗 で あ っ
たことをはっきりとうかがうことができる。
問 題 は 漢 氏 と 秦 氏 で あ る。 漢 氏 と し て は 生 駒・ 金 剛
山 脈 の 東 側 の 奈 良 県 明 日 香 村 桧 前 を 中 心 と す る 東︵ 倭 ︶
漢氏とその反対である西側の河内に分布する西漢氏が
有名だが、アヤ氏に漢の字を当てたのは、たとえば﹃続
そ れ な ら ば な ぜ ア ヤ 氏 を 名 乗 っ た の か。 ア ヤ の 由 来
◆歴史随想 ︱
渡来系氏族の出自
研究センター理事長
京都大学名誉教授
日 本 紀 ﹄ に 記 載 す る 延 暦 四 年︵ 七 八 五 ︶ 六 月 十 日 の 坂
古代の日本列島へ朝鮮半島から渡来した人びとを代
は、 韓 国 慶 尚 南 道 咸 安 地 域 の 加 耶 の 有 力 な 国 安 羅 に あ
上田
正昭
上 苅 田 麻 呂 ら の 上 表 文 に﹁ 後 漢 霊 帝 の 曾 孫 阿 智 王 の 後
表 す る の が、 高 麗︵ 狛 ︶ 氏・ 漢 氏・ 秦 氏 で あ る。 高 麗
る と み な す 説 が 有 力 で あ る。 こ の 説 で は 安 羅 人 = ア ヤ
なり﹂とするような中華思想にもとづく。
氏が朝鮮半島北部の高句麗系であることは、
﹃日本書紀﹄
しかし東漢氏の始祖と伝える阿知使主の息子の掬
ビトということになる。
と し て、 高 句 麗 を す べ て 高 麗 と 記 し、﹃ 続 日 本 紀 ﹄ が 同
︵都加︶が新︵今来︶の漢の陶部高貴・鞍部堅貴らを
が神功皇后攝政前紀や應神天皇七年九月の条をはじめ
様に和銅四年十二月の条ほかでやはり高麗と書いてい
弘 仁 六 年︵ 八 一 五 ︶ に 完 成 し た﹃ 新 撰 姓 氏 録 ﹄ に お
に は﹁ 漢 人 ﹂ を﹁ 百 済 国 人、 多 夜 加 の 後 な り ﹂ と 明
か り で は な い 。﹃ 新 撰 姓 氏 録 ﹄ で は 、
﹁ 右 京 諸 蕃 ︵ 下 ︶﹂
献 じ た そ の 才 伎 の ふ る さ と は 百 済 で あ っ た。 そ れ ば
い て も、 右 京 や 山 城 国 の﹁ 諸 蕃 ﹂ な ど に 高 句 麗 を 高 麗
確 に 記 述 し て お り、 私 見 で は 漢 氏 は 朝 鮮 半 島 南 部 の
るのにも明らかである。
と 表 記 し、 ま た 未 定 維 姓 の 河 内 国 の 狛 染 部 や 同 狛 人 の
2
No. 78 2014 summer
GLOBE
加 耶 ・ 百 済 系 と 位置づけるのが妥当ではないかと考え
にあるという説を提起された。
り く ま れ た 鮎 貝 房 之 進 氏 は、 秦 氏 の 由 来 は こ の﹁ 波 旦 ﹂
し か し﹃ 三 国 史 記 ﹄ の 成 立 は、 日 本 で い え ば 平 安 時
ている。
秦 氏 の ハ タ に つ い て は ⑴ 機 織 の ハ タ 説、 ⑵ 梵 語 の 絹
代 の 末 期 で あ っ て、 そ の 信 憑 性 は 長 く 疑 わ れ て き た。
郡 竹 辺 面 鳳 坪 里 で、 甲 辰 年︵ 五 二 四 ︶ の 新 羅 古 碑 が み
布 説、 ⑶ 韓 国・ 朝 鮮 語 の パ タ︵ 海 ︶ 説、 あ る い は ハ タ
多 く の 人 び と は 秦 氏 を ハ タ 氏 と よ ん で い る が﹃ 古
つ か り、 そ の 碑 文 に は 明 ら か に 古 地 名﹁ 波 旦 ﹂ の 文 字
一 九 八 六 年 の 三 月 の こ と で あ っ た。 韓 国 慶 尚 北 道 蔚 珍
事 記 ﹄ で は ﹁ 波 陀 ﹂ の 用 字 で ハ ダ と よ み 、﹃ 万 葉 集 ﹄
が あ っ た。 現 地 の 農 民 が 耕 作 中 に こ の 古 碑 が ほ り お こ
︵多・大︶説などさまざまに説かれている。
巻 第 十 一 の〝 朱 引 く 秦 も ふ れ ず て 寐 た れ ど も 心 を け
された。
こ の 碑 文 発 見 の 報 に 接 し て、 日 本 人 で は も っ と も 早
し く 我 が お も は な く に 〟︵ 二 三 九 九 ︶ と 詠 ま れ て い る
ご と く、 秦 は 本 来 は﹁ ハ ダ ﹂ と よ ん で い た と 考 え ら
大 同 二 年︵ 八 〇 七 ︶ に 斎 部 広 成 が 忌 部︵ 斎 部 ︶ 氏 の
こ の 新 羅 古 碑 に よ っ て、 鮎 貝 説 は き わ め て 有 力 と な り、
﹁ 殺 牛 ﹂ の ま つ り な ど も 記 す 重 要 な 新 羅 古 碑 で あ っ た。
く現地で碑石と碑文を確認したが、﹁奴人法﹂あるいは
伝 承 を 中 心 に ま と め た﹃ 古 語 拾 遺 ﹄ で は、 雄 略 朝 の こ
現在では秦氏を新羅系とみなす見解が学界の主流と
れる。
と と し て、 秦 酒 公 が 献 上 し た﹁ 絹・ 綿、 肌 膚 に 軟 ら か
なっている。
秦氏が北九州︵大宝二年の戸籍・
﹃豊前国風土記﹄逸文︶
な り、 故、 秦 の 字 を 訓 み て 波 陀 と 謂 ふ ﹂ と 伝 え て い る。
注 目 す べ き 伝 承 で あ っ て、 ハ タ 氏 は も と も と ハ ダ 氏 と
と こ ろ で 一 一 四 五 年 に 高 麗 の 金 富 軾 が 編 纂 し た﹃ 三
て 居 住 し て い る の が 対 象 的 で あ る︵﹃ 渡 来 の 古 代 史 ﹄、
く 分 布 す る の に 対 し て、 高 麗 氏 や 漢 氏 は 点 的 に 集 中 し
か ら 東 北 の 出 羽︵ 久 保 田 城 漆 書 文 書 ︶ ま で、 面 的 に 広
国史記﹄﹁地理志﹂には慶尚北道の古地名として波旦県
角川学芸出版︶。
称されていた可能性がある。
を あ げ て い る。 独 学 で 朝 鮮 半 島 の 地 名 な ど の 研 究 に と
3
京都府教育庁指導部学校教育課
地域連携・生徒指導担当課長
年生の生徒が自
立久井
聡
月、 大 津 市 で 当 時 中 学
そ の 後、 こ の 生 徒 が 同 級 生 か ら 激 し い い じ め を 受 け
て い た と い う こ と が 明 ら か に な り、 全 国 的 に い じ め の
問題がクローズアップされることとなりました。
日 に﹁ い じ め 防 止 対 策 推 進 法 ﹂ が 施 行
こ う し た 状 況 の 中、 国 に お い て は 様 々 な 議 論 を 経 て、
月
与 え る 行 為 で あ っ て、 当 該 行 為 の 対 象 と な っ た 児 童 生
月
日に策定された﹁いじめ防止基本方針﹂
徒が心身の苦痛を感じているもの﹂と定義されるとと
もに、同年
11
月
日 に 策 定 し た の が﹁ 京 都 府 い じ め 防 止 基 本
豊かな心の育成やいじめが確認された時の迅速かつ組
る 基 本 的 な 方 向 ﹂ と し て、 学 校 に お け る 子 ど も た ち の
全 体 の 構 成 と し て は、 ま ず、﹁ い じ め の 防 止 等 に 対 す
◆ 京都府いじめ防止基本方針
方針﹂です。
年
た め の 対 策 を 総 合 的 か つ 効 果 的 に 推 進 す る た め、 平 成
じ め の 防 止、 い じ め の 早 期 発 見 及 び い じ め へ の 対 処 の
こ の 検 討 委 員 会 で の 議 論 を 踏 ま え、 京 都 府 と し て い
針について検討いただきました。
委 員 会 を 立 ち 上 げ、 い じ め 防 止 等 の た め の 基 本 的 な 方
経 験 者、 学 校、 保 護 者、 行 政 等 の 関 係 者 か ら な る 検 討
国 に お け る 法 制 化 を 受 け て、 京 都 府 に お い て も 学 識
て取り組むべき様々な施策も示されました。
に お い て は、 京 都 府 を 含 む 地 方 公 共 団 体 や 学 校 に お い
10
1
織 的 な 対 応、 家 庭 で の 規 範 意 識 の 醸 成、 社 会 全 体 で 子
年
4
京都府いじめ防止基本方針について
年
2
さ れ、 い じ め は﹁ 児 童 生 徒 に 対 し て、 一 定 の 人 的 関 係
平成
28
26
◆ いじめの問題を取り巻く状況
平成
10
ら命を絶つという痛ましい出来事がありました。
23
ど も た ち を 見 守 る こ と の 大 切 さ な ど、 府 と し て の 考 え
9
にある他の児童生徒が行う心理的又は物理的な影響を
25
4
No. 78 2014 summer
GLOBE
方を述べています。
する取組や施策の審議といじめ事象を調査するための
て、 関 係 機 関 と の 連 携 を 図 る た め の 会 議、 い じ め に 対
基本的な方針に基づいた取組が実施されることになり
今 後 は、 各 学 校、 各 市 町 村 に お い て も、 そ れ ぞ れ の
◆ 今後の取組
点を貫いています。
委 員 会 の 設 置 と と も に、 い じ め の 未 然 防 止、 早 期 発 見、
ま す が、 方 針 や シ ス テ ム が で き て も、 実 効 性 が な け れ
次 に、﹁ い じ め の 防 止 等 の た め の 京 都 府 の 対 応 ﹂ と し
いじめへの対処にかかる具体的な施策をあげています。
校においていじめ防止基本方針の策定と具体的な計画・
生 徒 に 様 々 な 取 組 を 通 じ て﹁ い じ め は 決 し て 許 さ れ な
ま ず は、 い じ め る 側 に 立 た せ な い た め、 全 て の 児 童
ば意味がありません。
相 談・ 情 報 収 集・ 対 応 等 の た め の 組 織 の 設 置。 そ し て、
い人権侵害である﹂ことを理解させること。
ま た、﹁ 学 校 が 実 施 す べ き 施 策 ﹂ と し て は、 全 て の 学
外 部 の 専 門 家 と の 連 携 や 継 続 的 な 指 導、 児 童 生 徒 の 主
疑 い ﹂ の あ る 場 合 と 定 義 す る と と も に、 重 大 事 態 に 対
や﹁ 相 当 の 期 間 学 校 を 欠 席 す る こ と を 余 儀 な く さ れ た
童 生 徒 の 生 命・ 心 身・ 財 産 に 重 大 な 被 害 が 生 じ た 疑 い ﹂
最後に﹁重大事態への対処﹂としては、重大事態を﹁児
﹁ 社 会 総 が か り ﹂ で、 子 ど も た ち を 見 守 り、 向 き 合 う
と日常的に接する教職員だけでなく保護者を含めた
等 の 多 く は 学 校 外 で 行 わ れ る こ と か ら も、 子 ど も た ち
ま た、 急 速 に 進 化 す るS N S に お け る ネ ッ ト い じ め
守りと子どもの変化に気づくことが何よりも重要です。
そ し て、 早 期 発 見、 早 期 対 応 の た め に、 日 常 的 な 見
す る 学 校・ 教 育 委 員 会・ 地 方 公 共 団 体 の 長 等 関 係 者 の
こ と が、 何 よ り も 子 ど も た ち を 救 う き っ か け に な り ま
体的な取組の推進等の様々な施策を示しています。
役割を具体的に定めています。
に﹁ い じ め は、 い じ め を 受 け た 児 童 生 徒 の 教 育 を 受 け
と 身 体 を 第 一 に 守 り 通 す た め に、 大 人 の 本 気 度 が 問 わ
悲 劇 を 決 し て 繰 り 返 さ な い た め に、 子 ど も た ち の 命
す。
る 権 利 を 著 し く 侵 害 す る 人 権 問 題 ﹂ で あ り﹁ 子 ど も の
れることになります。
京 都 府 の 特 徴 と し て、 こ う し た 考 え 方 や 施 策 の 全 体
生命と身体の尊重を第一に考えて守り通す﹂という視
5
ASEAN政府間人権委員会による視察
及び意見交換会に関する報告
年のウィーン宣言及び行動計画の第
項を実施する
た め 取 り 組 み で も あ る。 こ う し て ア ジ ア 地 域 初 の 地
域 的 人 権 機 関 と し て 設 立 さ れ たAI C H R は、 そ の
設 立 後 積 極 的 に 活 動 を 行 い、AS E AN 人 権 宣 言 を
こ の よ う に、 東 南 ア ジ ア で は 地 域 的 な 人 権 促 進 及
起草して2012年の宣言採択に結びつけた。
び 保 護 の 機 運 が 高 ま っ て い る。 さ ら に、20 13 年
二〇一四年四月十一日︵金︶午前十時∼午後一時三〇分
場所 ︵公財︶世界人権問題研究センター︵視察︶
今後の方向性を
SEAN協力の
1 月 に は 安 倍 総 理 が ジ ャ カ ル タ を 公 式 訪 問 し、 日A
日時
37
からすま京都ホテル︵意見交換及び昼食会︶
東 南 ア ジ ア 諸 国 連 合︵ A S E A N ︶ は、 東 南 ア ジ
EAN外交五原
示 し た﹁ 対 A S
則﹂を発表した
ヵ 国︵ ブ ル ネ イ、 カ ン ボ ジ ア、 イ ン ド ネ シ ア、
ラ オ ス、 マ レ ー シ ア、 ミ ャ ン マ ー、 フ ィ リ ピ ン、 シ
が、 そ の 第 一 原
ア
つの分野での協力を進め
安 全 保 障、 社 会・ 文 化 の
︶ は、 第 回 A S E A N 首 脳 会 議 に
Rights: AICHR
おいて採択されたチャアムフアヒン宣言によって設
び拡大に向け
的価値の定着及
づ く も の で あ り、 ま た 人 権 の 促 進 及 び 保 護 の た め の
していく﹂と謳
諸国と共に努力
て、 A S E A N
地域的取り決めを設けるよう検討を求める1993
14
15
設立するよう定めるASEAN憲章第
条1項に基
立 さ れ た。 こ れ は、AS E AN に 固 有 の 人 権 機 関 を
︵
て い る。20 0 9 年、AS E AN 政 府 間 人 権 委 員 会
3
ASEAN Intergovernmental Commission on Human 民 主 主 義 、 基 本
的人権等の普遍
則 に は﹁ 自 由、
ン ガ ポ ー ル 、タ イ 、ベ ト ナ ム ︶ か ら 成 り 、経 済 、政 治・
10
6
No. 78 2014 summer
GLOBE
月には日ASEAN交
周 年 特 別 首 脳 会 議 が 東 京 で 開 催 さ れ、 そ の 成 果
わ れ て い る。 加 え て、 同 年
流
文 書 に お い て も、AS E AN に 対 す る 人 権 分 野 で の
支援が掲げられた。
こ れ ら を 受 け て、 日 本 政 府 は AS E AN に 対 す る
人 権 分 野 で の 協 力 を 具 体 化 し、 人 権 関 係 者 間 の 人 脈
日︵土︶の期間、
︵ タ イ ︶、 Ms. Le Thi Thu
︵ベトナム︶
Seree Nonthasoot
の 名 で あ っ た。 加 え て、 A S E A N 事 務 局 よ り
︵ A S E A N 代 表 ・ マ レ ー シ ア ︶、
Ms. Leena Ghosh
我が国の外務省より伊藤恭子ASEAN日本政府代
表 部 公 使 参 事 官、 ま たAI C H R 各 委 員 の ア シ ス タ
時より
分間行われ
ントらも委員に同行して当センターを訪問した。
当 セ ン タ ー の 視 察 は、 午 前
伝 え る と と も に、 当
た。 初 め に、 当 セ ン タ ー の 安 藤 仁 介 所 長 が 視 察 団 に
日︵日︶から
ASEAN事務局の担当者を日本に招聘することを
30
対して訪洛の謝意を
月
センターの概要を説
主催であり、
一般財団法人日本国際協力センターにより実施され
明 し た。 次 い で、 研
それぞれ当センター
人権図書室及び専任
示していた。
続 い て、 午 前
時
の蔵書内容に関心を
らは特に人権図書室
H.E. Mr. Srun 研 究 員 研 究 室 を 案 内
し、 A I C H R 委 員
当センターを訪問したAICHR 委員及び委員代行
は、
︵ ブ ル ネ イ ︶、
Ms. Aqilah Hanafiah
︵ カ ン ボ ジ ア ︶、
︵インドネ
Mr.
Rafendi
Djamin
Thirith
︵ 委 員 代 行・ラ オ ス ︶、
シ ア ︶、 Mr. Bounkham Phonedalom
︵マ
Tan Sri Dato’ Sri Dr Muhammad Shafee Abdullah
レーシア︶
、 Mr. Moe Kyaw Aung
︵ 委 員 代 行・ ミ ャ ン
10
分 か ら 正 午 ま で、
45
る。
た。 今 回 のAI C H R に よ る 当 セ ン タ ー 視 察 及 び 意
12
決 定 し た。 こ のAI C H R 来 日 プ ロ グ ラ ム は 外 務 省
構 築 を 行 う こ と を 目 的 と し て、AI C H R 委 員 及 び
10
12
究第一部の研究員が、
6
見 交 換 会 の 開 催 も、 こ の 来 日 プ ロ グ ラ ム の 一 環 で あ
4
マ ー︶
、
︵フィリピ
H.E.
Amb.
Rosario
Gonzales Manalo
ン︶
、 Ms. Vanessa Chan
︵ 委 員 代 行・ シ ン ガ ポ ー ル ︶、 Dr.
7
10
40
見 交 換 は、 当 セ ン タ ー の 安 藤 仁 介 所 長、 坂 元 茂 樹 研
か ら す ま 京 都 ホ テ ル に て 意 見 交 換 会 が 行 わ れ た。 意
HRは競合する価値を調
からは、第一に、AIC
で あ る こ と、 ま た 第 二
整するための政治的機関
名 と A I C H R 委 員 ら と の 間 で 行 わ れ た。
究 第 一 部 長、 薬 師 寺 公 夫 客 員 研 究 員、 小 畑 郁 嘱 託 研
究員の
に、ASEAN 憲章第
り、とりわけ人権保護の
のために設立されてお
条1項に規定されるよう
そ の 後、 意 見 交 換 が 開 始 さ れ、 坂 元 茂 樹 部 長 は A
て 歓 迎 の 意 を 表 明 し、 こ れ に 対 し て 現 在、AI C H
ICHR委員らに対してAICHRの独立性につい
観点からは政府代表が委
にAICHR は人権及び
て 質 問 し た 。 国 際 人 権 条 約 の 履 行 監 視 機 関 は 、通 常 、
員となることで実現可能
Rの議長国を務めるミャンマーの代表が謝意を示す
個 人 の 資 格 で 選 出 さ れ た 委 員 に よ り 構 成 さ れ、 締 約
な政策を打ち出すことが
基本的自由の促進と保護
国 政 府 か ら の 独 立 性 を 確 保 し て い る 。し か し な が ら 、
可能となることが説明さ
R が 政 府 間 機 関 と し て 設 立 さ れ た の か、 ま たAI C
持 し て い る 点 に あ り、 坂 元 部 長 か ら は 何 故AI C H
Rの特徴はASEAN加盟国政府と密接な関係を維
が な さ れ た。 こ れ に 対 し て、 フ ィ リ ピ ン 代 表 は、 こ
どのような具体的制度が構築され得るかという質問
け る 地 域 的 人 権 保 障 を 実 現 す る た め に、 近 い 将 来、
つ い で、 薬 師 寺 公 夫 研 究 員 か ら、 A S E A N に お
︵2︶
AI C H R は 政 府 間 機 関 で あ り、AI C H R 委 員 は
れた 。
HRが政府間機関であることが地域的人権保障の実
れまでの成果文書では地域的人権保障のための具体
が、 今 後、 ハ イ レ ベ ル・ パ ネ ル で の 議 論 を 通 し て A
現にあたってどのような意味を持つのかについて質
こ れ に 対 し て、 タ イ 代 表 や シ ン ガ ポ ー ル 代 表 な ど
的制度について詳細を明記することができなかった
14
問がなされた。
︵1︶
各国政府により指名される 。したがって、AICH
とともにAICHR の概要について説明を行った。
そ の 冒 頭 で は、 安 藤 仁 介 所 長 が 改 め て 視 察 団 に 対 し
4
8
No. 78 2014 summer
GLOBE
新たな問題に対処していくための作業を行わなけれ
れ た 世 界 人 権 宣 言 の 内 容 を 前 向 き に 検 討 し つ つ、A
S E AN 諸 国 政 府 は、 一 九 四 八 年 に 国 連 に て 採 択 さ
築 を 行 っ て い く と 回 答 し た。 ま た、 タ イ 代 表 は、 A
S E AN 各 国 の 特 色 を 考 慮 し つ つ、 漸 進 的 に 制 度 構
日本の司法制度が国際的な人権基準には必ずしも合
ま え て、 そ の 後、 出 席 者 の 間 で は、 死 刑 制 度 を 含 む
を 実 施 す る こ と が 必 要 で あ る と 回 答 し た。 こ れ を 踏
する教育を裁判官に対して行うなどの具体的な政策
け で は 実 現 す る こ と が で き ず、 例 え ば 国 際 人 権 に 関
た。 こ れ に 対 し て、 安 藤 所 長 は、 人 権 保 障 は 理 念 だ
時
分ま
致しておらず課題があることなどについて議論が行
SEAN 人権宣言に基づきHIV の問題など今日の
ばならないと述べた。
われた。
な お、 意 見 交 換 会 の 後、 正 午 か ら 午 後
で昼食会が催された。
︵1 ︶ A I C H R 付 託 条 項︵
び を参照。
︶3及
Terms of Reference
︵文責
研究センター所長
安藤仁介︶
30
ま た、 小 畑 郁 研 究 員 か ら は、 国 連 人 権 理 事 会 で 実
施 さ れ て い る 普 遍 的 定 期 審 査 に つ い て、AS E AN
諸 国 は 類 似 の 方 法 論 を 取 っ て い る よ う に 見 え る が、
ASEANでは普遍的定期審査についてなんらかの
対 応 を と っ て い る の か と い う 質 問 が な さ れ た。 こ れ
に つ い て、 フ ィ リ ピ ン 代 表 は、 例 え ば20 07 年 に
1
︵2︶ な お、 A I C H R 付 託 条 項 ︵b ︶ で は、 AI C
HRは内政不干渉原則にしたがうと規定される。
2.1
移住労働者の権利の保護と促進に関するASEAN
宣 言 が 採 択 さ れ た よ う に、AS E AN 諸 国 は 人 権 政
策 の 一 部 を 共 有 し て お り、 そ れ が 人 権 状 況 に つ い て
の対外的な説明に反映されていると回答した。
加 え て、 タ イ 代 表 か ら 安 藤 仁 介 所 長 に 対 し て、 自
由 権 規 約 委 員 会 元 委 員 の 経 験 に 基 づ き、 国 際 人 権 条
約の履行監視機関による勧告のように法的拘束力の
な い 文 書 を 国 内 的 に 実 施 す る に は、 ど の よ う な 工 夫
を行えばよいと考えているかという質問がなされ
9
5.2
シリーズ
国際人権・随想
アジア諸国と人権
︵その三八︶
研究センター所長
京都大学名誉教授
安藤
仁介
一九四五年八月、日本の敗戦に伴いヴィエト・ミンは
ハノイを占拠、翌九月にヴィエトナム民主共和国︵北ヴィ
エトナム︶樹立を宣言してホー・チ・ミンが初代大統領
に 就 任、 四 六 年 一 一 月 に は 復 帰 し た フ ラ ン ス 軍 と ハ イ
フ ォ ン で 衝 突 し て 第 一 次 イ ン ド シ ナ 戦 争 が 始 ま り ま す。
解放民族戦線が結成され、六二年以降米国も介入する第
二次インドシナ戦争へと繋がります。そして七三年には
南北ヴィエトナム政府、解放戦線、米国の四者によるパ
リ 和 平 協 定 が 成 立 し、 米 国 人 捕 虜 釈 放 と 米 軍 の 撤 退 後、
七五年の北側大攻勢の前にサイゴンは陥落、南側は全面
降伏、翌七六年の南北統一選挙で選ばれた国会は国名を
ヴィエトナム社会主義共和国と改めたのです。
さて、先に見たヴィエトナムにおける旧教の迫害を理
解するためには、フランス植民地時代から続く同国の苦
難の歴史を顧みる必要があるでしょう。このことは、共
産党の一党独裁やそれに基づく経済政策についても当て
はまり、多くの面で国民の自由な活動が制約されていま
す。もっとも、だからといってあらゆる人権の制約が許
さ れ る わ け で は な く、 必 ず し も 政 治 体 制 や 経 済 政 策 に 関
一九五五年、フランスに替わった米国を後ろ盾にゴ・ジ
ト ナ ム は 北 緯 一 七 度 線 で 南 北 に 分 断 さ れ ま し た。 南 で は
ンフーの戦いに敗れてジュネーヴ協定を締結し、ヴィエ
トナム国の独立を認めますが、五四年にはディエンビエ
や 活 動、 マ ス メ デ ィ ア の 報 道 に 関 し て、 種 々 の 規 制 が 課
などが指摘されました。また、NGOを含む団体の組織
束場所や刑務所の医療体制や衛生基準に問題があること
族や弁護士への連絡が確保されていないこと、身柄の拘
に懸念が表明され,被疑者については身柄の拘束後、家
権規約委員会の審査では、被疑者の扱いや刑務所の状況
わりのない人権問題も見受けられます。たとえば、自由
ン・ジェムが大統領に就任しヴィエトナム共和国︵南ヴィ
フランスは四九年サイゴンでバオダイを復位させヴィエ
エトナム︶と改称、これに対して六〇年南ヴィエトナム
10
No. 78 2014 summer
GLOBE
さらに、女性の人権についても、DV をはじめ、避妊
努 力 し て い る 姿 勢 が き わ め て 印 象 的 で し た。 も う 一 つ
らが過去にこだわらず立派な米国市民になろうと真摯に
情で米国籍を取得することになったのでしょうが、かれ
の選択や具体的な方法に対する家族内や社会的な制約が
は、一九九七年一一月、京都大学国際交流委員会を通し
されていることが問題とされています。
強いこと、教育・社会生活・家族生活において子供や年
て知り合ったヴィエトナム国立大学副学長にお願いして
ナ ム 第 二 回 国 家 報 告 の 審 査 に は 私 も 立 ち 会 い ま し た が、
ところで、自由権規約に基づく二〇〇二年のヴィエト
たことが、これも強く印象に残っています。
た ち が、 ス ク ー タ ー を 乗 り 回 し て 親 身 に 付 き 合 っ て く れ
しかも、物質的には日本より恵まれていない当時の学生
スで三日間、大学以外の名所までご案内いただきました。
学生とを英語で交流させた経験です。このときは大型バ
ホー・チ・ミン校を訪れ、法学部の私のゼミ生と同校の
少 者 の 意 思 が 必 ず し も 尊 重 さ れ て い な い こ と、 と り わ け
身 体 不 自 由 者 の 人 権 保 護 が 不 十 分 な こ と な ど が、 規 約 人
権委員会の懸念事項に挙げられています。そしてヴィエ
パ ー セ ン ト の 中 国 系 に 加 え、 タ イ 系、
トナムも他の東南アジア諸国と同様に、少数民族問題を
抱 え て い ま す。
パーセント近くが少数民族です。ただし、ビ
政 府 代 表 は 一 九 八 六 年 に 始 ま る﹁ ド イ モ イ︵ 刷 新 ︶ 政
策﹂の下で社会主義に市場経済システムを取り入れた経
済 成 長 の 成 果 を 盛 ん に 強 調 し て い ま し た。 そ の せ い か、
二〇一二年の一人当たり国民所得は一四〇〇米ドルに達
し、ヴィエトナムは今やいわゆる中進国の仲間入りをし
く な っ て 夕 飯 に も 招 い て い た だ き ま し た が、 か れ ら は 英
エトナムは着実な経済発展を実現し、それが人権の伸長
憾ですが、勤勉で粘り強い国民性に裏付けられて、ヴィ
ま し た。 南 シ ナ 海 の 海 洋 資 源 を め ぐ る 中 国 と の 紛 争 は 遺
語 と 並 ん で 流 暢 な フ ラ ン ス 語 を し ゃ べ り、 か つ て は 裕 福
に繋がることが期待されます。
い た 店 の 経 営 者 夫 妻 が ヴ ィ エ ト ナ ム 出 身 者 で し た。 親 し
トンで博士論文を仕上げるため大部の資料をコピーして
が二つあります。一つは一九六九年、米国の首都ワシン
実は私には、ヴィエトナムについて、個人的な想い出
ん。
ルマのように分離・独立をめぐる尖鋭な対立はありませ
全人口の
にミャオ、ヤオ、ムオン、モイなどの山岳部族を含めて
クメール︵カンボディア︶系のほか、最初に触れたよう
3
な階層に属していたと思われます。おそらく何らかの事
11
15
かわさき人権施策推進協議会で
考えていること
研究センター研究員
神奈川大学法科大学院教授
す。政治情勢がどう変わろうと、この財産をすり減らす
こ と な く、 さ ら に 磨 き あ げ て い く べ き 任 務 が 私 た ち の 協
議会に課せられています。
川崎市の人権行政の根幹をなしているのは、世界人権
宣言と国際人権諸条約です。国際人権規約、子どもの権
利条約、人種差別撤廃条約、女性差別撤廃条約といった
ものがそうですが、これからは、健常者中心の社会のあ
り方に根本的な変容を迫る障害者権利条約が大きな比重
を占めていくことになるでしょう。
共 同 参 画 審 議 会 を 主 宰 し て い た こ と も あ る の で す が、 こ
議会の会長をつとめています。以前には、埼玉県の男女
縁あって、2012年から、かわさき人権施策推進協
は例外なく地方自治体であり、したがって、地方自治体
ば本来の意義を半減してしまいます。人間が生を営む場
ます。けれども、人権は身近なところで活かされなけれ
国家機関のありかたに焦点をあわせがちになってしまい
阿部
浩己
のように地方自治体の人権行政に携わる機会は、座学に
こそが国際人権法の本当の意味での最前線であることは
国際人権法を研究していると、どうしても国際組織や
遁走しがちな私のような者にはなによりの恩沢というべ
いうまでもありません。このような認識はいまでは多く
の人たちによって共有されているでしょうが、川崎市は
きものです。
手前みそになるかもしれませんが、川崎市の人権行政
もっとも、御多分にもれず、川崎市でも貧困や子ども
それを特に強く意識して実践に移してきています。
そういえるように思います。前任者たちのスケールの大
の虐待などの問題が深刻になっています。人種主義の波
には厚みがあります。子どもや外国人について、とくに
きな発想と果敢な行動がつくりあげた誇るべき財産で
12
No. 78 2014 summer
GLOBE
あり指針です。子どもの権利条例や多文化共生社会推進
なってくれるのが、人権擁護のためにつくられた条例で
にはいません。幸いというべきか、こうした局面で盾に
政治の世界の動向を反映してことのほか緊張感を高めず
が徐々に及んできているようにも感じます。人種主義は、
化にはさまざまな負の側面が構造的に伴いますが、その
はならないという意見を表明したことです。グローバル
強く感じたのは、多くのサポーターが人種差別はあって
日本のサッカー界でも明瞭になったように思います。心
の一件があってから、人種差別を容認しないスタンスが
合を強いられたことは記憶に新しいところでしょう。こ
規範力を強めていることもたしかです。グローバル化し
指針といった︿善きタテマエ﹀の数々が、醜悪な人種主
先日、協議会の報告書を市長宛てに提出するに先立っ
たサッカーに、人種差別はまったくもって不似合いです。
一方で人種差別の禁止が現代世界にあってますますその
て市民・こども局長室を訪問したところ、地元のサッカー
サッカーの真のファンであれば、そのことを肌感覚とし
義に対して制度的に立ちはだかってくれています。
チームの大きな旗が壁に掲げられていました。川崎フロ
て理解しているに違いありません。
への愛を枯らしていないのですが︵ちなみに、このチー
度だけ優勝の美酒を味わわせてくれる横浜ベイスターズ
められないものかという思いが頭をよぎりました。協議
も活動の幅を広げ、人権施策と市民との距離をもっと縮
推進協議会として、サッカーをはじめとするスポーツに
局長室で川崎フロンターレの旗を見たとき、人権施策
ンターレというJ リーグに加盟するプロサッカークラブ
年に一
ムの前身である大洋ホエールズも1977 年まで本拠地
会には、人権についての深い見識や鋭い感性をお持ちの
です。私自身はサッカーよりも野球が好みで、
を 川 崎 に お い て い ま し た ︶、 サ ッ カ ー は 文 字 通 り グ ロ ー
方 が つ ど い ま す。 さ ま ざ ま な 提 案 が と び か う 豊 か な 議 論
の 場 に、 地 域 ス ポ ー ツ と 人 権 施 策 の か か わ り に つ い て、
バル化したスポーツとして人種差別を許さぬ姿勢をはっ
きりさせていることは御存知のとおりです。
らせているところです。
ささやかな構想を投じてみるのもよいかなと思案をめぐ
﹁ JAPANESE ONLY
﹂と記された一部サポーターのあか
らさまな差別的横断幕を理由に、浦和レッズが無観客試
13
40
﹃ 京 都 に お け る 歴 史 学 の 誕 生 ﹄雑 感
研究センター研究員
立命館大学名誉教授
の密やかな自負がみてとれる。
書 名 か ら う け る 印 象 で、 い か に も 東 の 東 大 史 学 に 対
抗 す る、 京 大 史 学 や そ の 他、 京 都 に 地 盤 を お い て 活 躍
した日本史研究者の事歴とその研究内容を述べた書
物、 と い っ た 内 容 を 想 像 す る 人 が い る や も し れ な い。
た し か に 人 物 を と り あ げ る こ と に は 違 い は な い が、 叙
述される内容はそうしたものとは少し異なる。
と り 上 げ ら れ た 人 物 と は、 一 八 九 五 年 刊 の﹃ 平 安 通
章 か ら は、 京 都 の 歴 史 編 纂 に 大 き な 足 跡 を 遺 し た 人 物
本 書 は み せ て は い な い が、 し か し 抑 制 さ れ た 序 章 の 文
て 冒 頭 に 記 し た よ う な、 大 上 段 に 振 り か ぶ っ た 構 え を
︵ 八 頁 ︶を 検 証 す る こ と に 狙 い を 定 め て い る 。 し た が っ
史学史をたど﹂︵一一頁︶って、
﹁地域の歴史学の歩み﹂
れ る の か も し れ な い が、 本 書 は﹁ 京 都 市 に 軸 を 置 い て
と し た ド イ ツ 観 念 論 は・・・﹂ 云 々 な ど と 説 き 起 こ さ
日 本 の 史 学 史 全 体 を 語 る と き に は 、﹁ ヘ ー ゲ ル を 中 心
に﹃ 京 都 の 部 落 史 ﹄ 編 纂 の 経 過 を 扱 っ た 章 と、 淀 の 旧
歴 史 編 纂 に 大 い な る 足 跡 を 遺 し た 人 び と で あ り、 こ れ
究 セ ン タ ー 初 代 理 事 長 の 林 屋 辰 三 郎 と、 ま さ に 京 都 の
さ わ り、 の ち 愛 媛 大 学 に 転 じ た 篠 崎 勝、 本 人 権 問 題 研
問 題、 そ の 西 田 の 下 で 第 一 次 京 都 市 史 編 纂 業 務 に た ず
二郎と一九四〇年からはじまった第一次京都市史編纂
川 島 元 次 郎、 西 田 文 化 史 学 と 謳 わ れ た 京 大 教 授 西 田 直
平、 一 九 一 五 年 刊 の﹃ 京 都 府 誌 ﹄ 編 纂 の 中 心 と な っ た
一八九〇年代から長岡京跡の探求につとめた岡本爺
川嶋
將生
を史学史的にとりあげ分析することは、﹁日本の思想史
家に伝わった朝鮮通信使関係史料をめぐる章とが加わ
志 ﹄ 編 纂 の 中 心 と な っ た 湯 本 文 彦 を は じ め と し て、
研究の一翼を担う﹂︵三頁︶ものとの、編者小林丈広氏
14
No. 78 2014 summer
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る と い っ た 構 成 を と る 。し た が っ て 後 半 二 章 は そ れ 以
こ の 客 観 的、 と い う の が 重 要 な と こ ろ で、 講 筵 の 末
り を も つ の は、 な ん と い っ て も 後 半 の 三 つ の 章 だ ろ
このなかで、本人権問題研究センターに直接かかわ
う し た 意 味 で は、 本 章 か ら 得 ら れ た い わ ゆ る﹁ 林 屋 史
こ と、 こ う し た 客 観 的 分 析 な ど は で き そ う に な い。 そ
的 長 く 先 生 の 指 導 を う け て き た 私 な ど に は、 と て も の
席 を 汚 し、 そ れ の み か 仕 事 や 研 究 会 活 動 な ど で も 比 較
う 。 林 屋 先 生 の 事 歴 に つ い て は 、ご 自 身 の 執 筆 に よ る
学﹂の意義は大きい。
前の章とは、やや趣きが異っている。
﹃ 一 歴 史 家 の 軌 跡 ﹄︵ 一 九 九 三 ︶ が あ る が、 そ こ で は
﹃ 京 都 の 部 落 史 ﹄ 編 纂 の 章 も 同 様 で、 一 九 九 五 年 全
活 動 と と も に、 そ の 研 究 の 成 果 が、 は や 歴 史 的 な 評 価
自 分 の 研 究 に 対 す る 意 義 や 、ま し て 思 想 の 分 析 を 語 っ
先生の研究の意義や思想などについては、二〇〇八
を う け る 段 階 に 至 っ た の か、 と の 感 が 強 い。 し か し、
一 〇 巻 の 完 結 か ら 早 く も 二 〇 年。 京 都 部 落 史 研 究 所 の
年 の 藝 能 史 研 究 會 大 会 が﹁ 芸 能 史 と 文 化 史 ︱ 林 屋 辰 三
本章のよう な 内容を 、﹁京都 の 史学史 ﹂の なかに位置づ
てほしかったなどは、望むべくもない。
郎没後十年︱﹂の特集を組んで議論するとともに、﹃藝
け た の は、 他 に は み ら れ な い﹁ 京 都 の 史 学 史 ﹂ の な に
本 書 は、 編 者 が 主 導 し 二 〇 〇 六 年 か ら 活 動 を は じ
能 史 研 究 ﹄ 一 八 三 号 に は 、村 上 紀 夫 ﹁ 一 九 五 〇 年 代 と
分 析 さ れ て 世 に 問 わ れ た の は 、お そ ら く こ れ が は じ め
め た﹁ 京 都 歴 史 研 究 会 ﹂ に よ る 最 初 の 論 文 集 で あ る
よ り も の 特 徴 で あ ろ う し、 編 者 の 思 い も 忖 度 す る こ と
て な の で は な い か。 そ れ は 林 屋 先 生 の 事 蹟 と 行 動 が、
と い う。 編 者 の 書 き 様 か ら は、 続 刊 が 予 定 さ れ て い
林 屋 史 学 ﹂ が 掲 載 さ れ た が 、先 生 の 生 涯 全 般 に わ た る
いまや客観的な分析対象とされる時を迎えたとも言
る と も う け と れ る が、 は た し て 如 何 か。 楽 し み に 期
ができる。
い 換 え る こ と が で き 、そ の こ と が 私 に は 、一 種 、感 慨
待したい。
研 究 活 動 と そ の 意 義・ 思 想 が こ れ ほ ど 詳 細 に 語 ら れ、
深いものがある。
15
﹁ 五 日 市 憲 法 ﹂草 案 と 人 権
女性の人権という、ごく当たり前の事柄が彼女の働きが
な け れ ば、 憲 法 に は 書 き 込 ま れ な か っ た と い う 重 大 な こ
と、また当時の日本人の政治家や憲法学者がそのことに
執拗に反対したことは、あまり知られていなかった。こ
のことは女性だけでなく、男性も含めて、現代、そして
未来の日本人が長く記憶するべき事柄であろう。
もう一つの﹁五日市憲法﹂の件は、それにもまして初
耳という人が圧倒的に多いだろう。私は学生時代、政治
憲法に書き込むために尽力したベアテ・シロタ・ゴード
憲法にはじめて取り入れられた男女平等︱女性の権利を
一つは﹁五日市憲法草案﹂の紹介と、もう一つは日本国
ろう。その特集で触れられている事柄は二つある。その
るような日本社会の現状の中では、異色の特集記事であ
り、排外的言動こそが正しいのだ、とする言説を是認す
倍内閣の成立以来、とみに国家主義の風潮がさかんにな
に理想の源流﹂と題する特集記事を掲載した。第二次安
面トップ記事に﹁普通の人々、普通の理念︱明治の草案
憲法記念日を翌日にひかえた五月四日、朝日新聞は一
べきか、という関心を高まらせた。さまざまな自由民権
はさらに人びとの憲法や国家と人民の関係をどう考える
えなくなったことはよく知られている。そのような動き
年後に国会を開設する旨の詔書を天皇の名で出さざるを
一八八一年、政府はそのような動きの高まるなかで一〇
き か、 と い う こ と へ の 関 心 が 急 速 に 広 が っ て い っ た。
間で憲法典の根幹はどういう理念と原則がたてられるべ
権運動が各地で展開されるなかで、少なからぬ人びとの
のか、という命題が時の政治指導者だけでなく、自由民
新﹂以来、一〇余年を経て、新しい国家像をどうつくる
ていなかった時代だった。しかし、一八六八年の﹁ご一
研究センター研究第三部長
京都造形芸術大学客員教授
学の専攻であったこともあって、いくつかの﹁私擬憲法﹂
ン の こ と で あ る。 後 者 に つ い て は 彼 女 が 晩 年、 日 本 を 訪
運動に関わってきた人びとがそうであり、各地で有名・
の こ と を 知 っ て は い た が、﹁ 五 日 市 憲 法 ﹂ は ま だ 知 ら れ
問して日本人に憲法草案作成時に彼女が関わった状況と
無名の人びとがさまざまな意見を闘わせ始めた。まさに
仲尾
宏
思いを率直に語ってくれたことで、人々の記憶に新しい。
16
No. 78 2014 summer
GLOBE
に﹃民権自由論﹄を刊行していた植木枝盛︵一八五七∼
民衆の制憲運動であった。民権運動にたずさわり、すで
ておくべき事柄であろう。
陽の目を見ることとなった。このことも私たちは記憶し
は入れられず、一九四七年施行の日本国憲法ではじめて
と こ ろ で﹁ 五 日 市 憲 法 ﹂ 草 案 は 現 在 の 東 京 都 あ き る 野
治は国を亡し、国を売るに至る事﹂と鋭い論陣を張った。
権を張らざれば国権を張り独立を保つ能はず、専制の政
主自由及び憲法に依らざれば固く護るべからざる事﹂
﹁民
授権の対象ではないという﹁天賦人権説﹂を率直に我が
反映でもあろうが、この時代の人びとは、日本人のみが
ちが欧米の憲法典を真剣に学習し、それを伝えたことの
があることだ。これらは植木をはじめとする民権論者た
内外国民ヲ論ゼズ其身体生命名誉ヲ保護ス﹂という条項
さらに驚くべきことは﹁凡ソ日本国ニ在居スル人民ハ
九二︶も各地で演説会を催し、自説を説いてまわった一
市という奥多摩も、最も山深い地域で生まれた。開明的
諭吉が﹁天は人の上に人をつくらず、といへり﹂と他人
こ と と し て 理 解 し て い た の だ。﹃ 学 問 の す す め ﹄ で 福 沢
人である。彼は徹底した民権論者であり﹁国は人民の自
な地主層、都会との交流のあった商人、開校してまだそ
の説を自著の冒頭において、自説のいいかげんさを誤魔
れほど時が経過していない小学校の教師などが中心だっ
た と い う。 朝 日 新 聞 の 記 事 に よ れ ば、 美 智 子 皇 后 が
このような﹁私擬憲法﹂案は他にもたくさん存在した。
化そうとしたこととは一八〇度異なる方向性をこの一項
それらはいずれも五日市憲法案に見られるような、人民
は示している。
容だが、その内容をみると、男系国帝︵天皇︶の世襲制
二 〇 一 二 年 冬 に こ の 地 を 訪 れ、﹁ 深 い 感 銘 を 覚 え た こ と
や、一定の財産を有する者が選挙権を有する民選議院な
主体の憲法典、人民主体の国づくりをめざす輝かしい歴
でした﹂と述べたという。さて、二〇四条に及ぶその内
どで構成する元老議院制など、民主主義の原則からすれ
史の一ページを目指す試みであった。
まかり通ろうとしているのではないか。
前の努力の歴史を顧みようとしない動きが大手を振って
だが、昨今はこのような日本の人民の優れた創意と自
ば不徹底の箇所も少なくないが、以下のように当時とし
各自ノ権利自由ヲ達ス可シ。他ヨリ妨害ス可ベカラズ且
て は 瞠 目 す べ き 項 目 が、 明 記 さ れ て い る。
﹁日本国民ハ
国 法 之 ヲ 保 護 ス ベ シ ﹂﹁ 凡 ソ 日 本 国 民 ハ 族 籍 位 階 ノ 別 ヲ
問 ハ ズ、 法 律 上 ノ 前 ニ 対 シ テ ハ 平 等 ノ 権 利 タ ル 可 シ ﹂。
これらの条項は一八八九年公布の﹁大日本帝国憲法﹂に
17
性の多様性
︱︱その背後にある抑圧を考える
研究センター専任研究員
堀江
有里
﹁ 多 様 な 性 にY E S!﹂ ︱︱ 五 月 の こ と、 六 色 の レ イ
International Day Against Homophobia
ンボーフラッグとともにそんなメッセージが街角に出現
した。ID AHO︵
︶ の イ ベ ン ト で あ る。 こ こ 数 年 間、 全 国
and Transphobia
各地で二〇∼三〇代の若者たちを中心にさまざまな性/
生を祝福していこうとする動きが生み出されている。
IDAHOとは、世界保健機構︵WHO︶が﹁同性愛﹂
を精神疾患のリストから削除した一九九〇年五月十七日
を機に、国際的にホモフォビア︵同性愛者に対する差別
意 識 ︶ に 抵 抗 し て い こ う と す る 記 念 日 で あ る。 後 に ト ラ
ンスフォビア︵性別越境者に対する差別意識︶も射程に
入れられることとなった。日本でIDAHOイベントを
﹂
︵※ ︶によると、
呼びかける﹁やっぱ愛ダホ! idaho-net
今年は岩手、仙台、東京、埼玉、横須賀、山梨、名古屋、
患︱︱や、性自認を﹁女﹂か﹁男﹂のどちらかに決めな
に分かれていない人々︱︱インターセックス/性分化疾
BTと表現することで、身体の性別が﹁女﹂か﹁男﹂か
方自体も異なった位相の存在がある。さらに言えばLG
トランスジェンダー︵性別越境者︶が含まれ、この括り
ゲ イ︵ 男 性 同 性 愛 者 ︶、 バ イ セ ク シ ュ ア ル︵ 両 性 愛 者 ︶、
るようになったが、そこにはレズビアン︵女性同性愛者︶、
からだ。最近は、LGBTという言葉が日本でも使われ
そこから外れる生き方をしている人々の総称にすぎない
アル︶﹂︱︱が〝当たり前〟と思われている社会のなかで、
が異性に向いている人々︱︱﹁異性愛者︵ヘテロセクシュ
スジェンダー﹂︱︱、かつ性的指向︵性意識の向く方向︶
体の性別と性自認︵性別の自己認識︶が一致し︱︱﹁シ
じつは性的少数者を定義することは簡単ではない。身
もあった。
をめぐる状況が大きく変化したことを実感する出来事で
映画上映などを実施開催。ここ二〇年ほどで性的少数者
ら れ て い る。 そ れ ぞ れ、 街 頭 イ ベ ン ト や メ ッ セ ー ジ 展、
大阪、神戸、徳島、愛媛、福岡などでの開催情報が寄せ
1
18
No. 78 2014 summer
GLOBE
い人々の存在も取りこぼしてしまうことになる。
現実には複雑でさまざまな身体や性がある。要は﹁性
だ と す る︵ ※
︶。 こ の よ う な 罰 則 規 定 を も つ 法 律 は、
同性愛者たちの状況をより深刻化させ、社会における差
価値観︱︱という二つの性規範から外れた人々を性的
﹁異性愛主義﹂︱︱異性同士がつがうことを前提とする
かつ性自認と一致することを前提にする価値観︱︱と、
そのなかで抵抗の象徴として使われてきたレインボーフ
し、具体的な暴力があり、命が奪われていく状況がある。
ることを認識していくことは大事なことではある。しか
多様な性/生があること、そこに一人ひとりの生があ
別意識を助長するものであることは言うまでもない。
少数者と呼んでいるに過ぎないのだ。考えてみればと
ラッグが、性の多様性を祝福するためだけに使われてい
は仕方ないことなのだろうか。本来、問われなければな
くことへの違和感がわたしにはある。マジョリティにも
らないのは少数者を排除する社会構造であるはずなの
て も 乱 暴 な 話 で も あ る。 そ れ は 同 時 に、 二 つ の 性 規 範
た と え ば、 同 性 愛 者 の 状 況 を め ぐ っ て、 近 年、 つ ぎ
に。多くの涙や血が流されてきた現実に思いを馳せなが
がいかにわたしたちの社会に強く横たわっているのか
の よ う な 出 来 事 が 起 こ っ て い る。 二 〇 一 四 年 二 月、 ウ
心地の良い空間を生み出そうとする努力を課せられるの
ガ ン ダ で は、 い わ ゆ る﹁ 反 同 性 愛 法 ﹂ が ム セ ヴ ェ ニ 大
ら、抵抗の歴史を語り継いで行く必要を痛感する。
むものである。ウガンダはすでに英国による植民地時
[注]
︶
jp/international/7191
同 性 愛 法 案 ﹂ と そ の 起 源 ﹂﹃
﹄︵
SYNODOS
http://synodos.
イト= http://yappaidaho.blog.shinobi.jp/
稲場雅紀、二〇一四、﹁魂のジェノサイド ︱︱ウガンダ﹁反
﹂は二〇〇七年より日本での
idaho-net
I D A H O イ ベ ン ト を 呼 び か け て 活 動 し て い る。 公 式 サ
代から﹁反ソドミー条項﹂という生殖目的以外の性行
つづいていたこの法律は最も重いものでは終身刑を含
統領の署名によって成立した。二〇〇九年から議論が
を示してもいる。
別 二 元 論 ﹂ ︱︱ 身 体 が﹁ 女 ﹂ か﹁ 男 ﹂ の い ず れ か で、
2
﹁ や っ ぱ 愛 ダ ホ!
※
の で あ る。 長 年、 ア フ リ カ の 状 況 を 追 っ て い る 稲 場 雅
愛者の生活権や結社の自由を疎外し、監視を進めるも
し、今回の法案成立となった。﹁反同性愛法﹂は、同性
為を禁止する法律をもっていたが、これでは不十分と
※
1
紀はこれを﹁﹃魂のジェノサイド﹄を現実化する法案﹂
19
2
﹁ 通 学 ﹂と い う 日 常
研究センター研究員
プール学院大学名誉教授
中島
智子
れてサバンナを駆け抜ける。カルロスは6才の妹を馬の
後ろに乗せて、パタゴニアの平原を駆ける。ザヒラは月
曜の朝に少女たち3人で、アトラス山脈を全寮制の学校
へと向かう。サミュエルは足に障害があり、手作り車い
すを二人の弟が引っ張って行く。
かれらの通学は毎日が﹁大冒険﹂で、危険を回避しな
がらトラブルには自分たちで対処する。時に大人たちに
助けてもらうこともあるが、必ずしも出会うとは限らな
い し 出 会 っ て も 協 力 し て く れ な い こ と も あ る。 だ か ら、
家族たちは祈りとともに送り出すしかない。世界には学
校までの送り迎えを保護者の責任とする国もあれば、地
ところもある。このような通学文化やそれを生み出す社
域で見守るところ、ICタグ等で通学を監視・確認する
才の4人の通学風景を撮ったドキュメンタリー映画
会状況に慣れ親しんでいると、何かあってもそれを知ら
∼
を 2 時 間、 ア
せる術もなく、祈ることしかできない家族の心情に胸を
先日﹃世界の果ての通学路﹄という映画を見た。
を 1 時 間 半、 モ ロ ッ コ の
掻きむしられる。現代の﹁先進国﹂の学校はそこまでし
ルゼンチンのカルロスは
で あ る。 ケ ニ ア の ジ ャ ク ソ ン は 片 道
を
を 4 時 間、 イ ン ド の サ ミ ュ エ ル は 4
、
7.5
ザヒラは
分 か け て 通 う。 時 速 に 換 算 す る と 順 に
km
12
18
km
となり、ばらばらな印象を持つが、実はこうい
かれらのたくましさだ。
たときに残るのは、毎日の通学を日常生活として生きる
る。しかし、そういう様々な思惑をこえて映画を見終え
て行くところなのかというシニカルな思いも頭をもたげ
11
、
1時間
22
km
ジャクソンは野生動物に警戒しながら、7 才の妹を連
うことだ。
、
3.2
km 15
15
km
13
5.5
20
No. 78 2014 summer
GLOBE
になっている。この地域の人々の学校経験や、子育て世
統廃合によって学校数が減少し、今ある学校も小規模校
ニュースが後を絶たない今日では、そういう願いは当然
よ く わ か る。 特 に、 登 下 校 中 の 痛 ま し い 事 故 や 事 件 の
通学路は、少しでも短く安全な方がいいという考えは
ねて日常化していったことだろう。
代には子育てや教育への思いを聞いた。ある卒業生、と
のことである。ただ、
通学を学校に行くための単なる手段、
つ い 先 日、 和 歌 山 県 の あ る 集 落 に 調 査 に 行 っ て き た。
いっても 代後半の女性に小学校時代の思い出を聞くと、
才代
た登校風景、異年齢の6∼7 人で毎日歩いた道中の思い
少し考えて
﹁登校ですね﹂
と応えられた。1時間かけて通っ
された無用な時間と意味づけされてしまうかもしれない。
その時間は子どもにとって生活からも学びからも切り離
道中はただの過程とだけ考えて効率のみを優先させると、
て行くこと、毎晩わらじを編むために宿題をする暇がな
は当たり前、わらじがすぐに傷むのでスペアわらじを持っ
の方々にお話をうかがったときに、通学は1時間2時間
トに載っていたピエール・ラビの言葉だ。映画の余韻の
もたちを残していくのだろう﹂
。これは、
映画のパンフレッ
うかとよく考える。だが、私たちは地球に、どんな子ど
﹁私たちはどんな地球を子どもたちに残してやれるだろ
∼
かったこと、雨の日はわらじの傷みが早く大変だったこ
中でこの言葉を噛みしめながら、しかし、さらに次のよ
出が一番だというのだ。別の学校の卒業生で
となどが話された。これらの語りから、通学も子どもた
の時間と空間を生きてきた。地域の大人たちがそっと見
という独特な﹁文化﹂を伴って、子どもたちはその固有
がないことが当たり前で、比較的安全に、時には登校班
これまでの日本では、学校の登下校は大人の付き添い
常、そして映画の子どもたちのようにそこに希望を見い
未来のために今の生活や時間を犠牲にするのではない日
通 学 路 と と も に 生 ま れ 育 っ た 地 域 が 大 切 に さ れ る こ と、
域、どのような生活、そしてどのような時間を残すのか。
れは単に自然環境としての地球ではない。どのような地
な地球にしていくかが私たちの重要な任務であると。そ
守っていたのかもしれないが、大人の目の届かない空き
だせるような﹁学校﹂のあり方。課題は大きい。
る。
うにも考える。残していく子どもたちのためにも、どん
80
ちの生活の中にしっかりと組み込まれていることがわか
60
地や山の中なども、子どもは自分たちの経験値を積み重
21
20
研究部の報告
﹁ ひ と の 移 動 ﹂と 人 権
研 究 第 三 部 は﹁ 定 住 外 国 人 の 人 権 問 題 の 研 究 ﹂ を 主
よ う に 確 保 さ れ、 ま た 侵 害 さ れ て き た か を 史 料 や 調 査
に 基 づ い て 明 ら か に す る こ と で あ る。 し た が っ て、 本
年 度 も 多 く の 報 告 が 近 現 代 の 京 都 を は じ め と す る、 関
西 地 方 の 在 日 韓 国・ 朝 鮮 人 の 戦 中・ 戦 後 の 生 活、 教 育、
労 働、 帰 国 問 題 を 取 り 上 げ た。 そ の 要 点 は 次 の 通 り で
の 歴 史 の な か で、 日 本 社 会 に 定 住 し て き た 外 国 人 市 民
近 代、 そ し て 現 代 に か け て 生 じ て い る 日 本 と 東 ア ジ ア
る こ と だ け を 目 的 と し て い る の で は な い。 前 近 代 か ら
政 治 的、 社 会 的、 経 済 的 事 象 を と ら え て 調 査、 研 究 す
れ た。 し か し、 本 研 究 部 は 個 々 の 定 住 外 国 人 を め ぐ る
背 景 を 前 に し て、 研 究 員 か ら さ ま ざ ま な 課 題 が 提 起 さ
な危機にさいなまれている時期に遭遇している社会的
会における定住外国人の人権がかつてないほどの新た
満 洲︵ 中 国 東 北 地 方 ︶ へ の 開 拓 団・ 開 拓 青 少 年 義 勇 軍
に 対 す る 聞 き 取 り 調 査 に 関 す る 報 告、 京 都 に お け る 旧
に 関 す る 報 告、 滋 賀 県 湖 南・ 甲 賀 地 方 の 在 日 コ リ ア ン
報 告、 一 九 三 七 年 強 制 移 住 を 中 心 と す る 旧 ソ 連 高 麗 人
戦後朝鮮北部における日本人の残留と引揚げに関する
京 都 山 科 地 区 の 土 木 工 事 と 朝 鮮 人 労 働 者 に 関 す る 報 告、
に 焦 点 を 当 て た 在 日 朝 鮮 人 の﹁ 帰 国 ﹂ に 関 す る 報 告、
争期の神戸華僑に関する報告、一九四六年の﹁計画輸送﹂
ま ず、 近 現 代 史 分 野 に 関 し て は、 ア ジ ア・ 太 平 洋 戦
ある。
の 人 権、 お よ び 諸 々 の 日 本 国 家 の 対 外 的 諸 政 策 の 遂 行
に 関 す る 報 告、 占 領 期﹁ 無 認 可 ﹂ 朝 鮮 人 学 校 へ の 行 政
と す る 研 究 部 で あ る。 二 〇 一 三 年 度 は、 昨 今 の 日 本 社
過 程 で、 日 本 人 を 含 む、 あ ら ゆ る 人 び と の 人 権 が ど の
22
No. 78 2014 summer
GLOBE
題 と し て は、 イ ギ リ ス の 反 人 種、 民 族 差 別 撤 廃 法 制 度
当 局 の 対 応 に 関 す る 報 告 が あ っ た。 次 に、 現 在 的 な 課
つ い て は、 ど の 国 に お い て も 民 族 差 別 の 扇 動 と い う 決
め て い る。 ま た 昨 今 の﹁ ヘ イ ト・ ス ピ ー チ ﹂ の 問 題 に
の 刊 行 に よ り 公 け に す る こ と を 計 画 し、 そ の 作 業 を 進
け れ ば な ら な い 課 題 で あ る。 そ の た め に 二 〇 一 四 年 度
に 関 す る 報 告、 高 校 無 償 化 の 朝 鮮 人 学 校 除 外 の 現 状 に
総 じ て 言 え ば、 今 日 の 定 住 外 国 人 問 題 を 広 く 検 討 す
前 半 の 研 究 会 は こ の 課 題 を め ぐ っ て、 そ れ ぞ れ 異 な っ
し て 許 す こ と の で き な い 深 刻 な 現 象 で あ り、 そ の 克 服
る う え で、 歴 史 的 前 提 と な る 戦 前 期 か ら 戦 後 に か け て
た研究分野をもつ研究員から調査や取材などを根拠に
関 す る 報 告、 帰 化 制 度 か ら 見 え る 日 本 の 外 国 人 政 策 の
の 帝 国 日 本 を め ぐ る﹁ ひ と の 移 動 ﹂ に 関 す る 諸 問 題 と、
し た 研 究 成 果 を 持 ち 寄 り、 研 究 活 動 を 集 積 す る こ と を
は 日 本 に お い て 早 急 に、 全 社 会 を あ げ て と り く ま れ な
在日コリアンを中心とした現代日本の人種状況につい
目指している。そしてその一端を本年度中に市民の方々
現状に関する報告があった。
て、 諸 外 国 の 事 例 と 比 較 し つ つ 追 究 す る 研 究 方 向 を 確
に報告することを目指している。
︵研究第三部専任研究員
田中隆一︶
認しながら、共同研究を進めた。
こ の よ う な 研 究 活 動 か ら 地 域 的、 時 間 的 に も、 定 住
外 国 人 を 主 と す る 詳 細 な 実 情・ 実 態 が 明 ら か に な り つ
つ あ る。 こ れ ら の 研 究 活 動 の 成 果 は 折 に ふ れ て 各 研 究
員 の﹃ グ ロ ー ブ ﹄ 誌 や そ の 他、 本 セ ン タ ー の 刊 行 物 な
ど で 報 告 す る と と も に、 ま と ま っ た 形 で の﹃ 資 料 集 ﹄
23
2014年度 人権大学講座
人権大学講座は、国連の「世界人権宣言」50 周年を機に 1998 年に開設をしたもので今年度で 17 年目
を迎えます。時の話題や社会の関心事などにも視点を向け、多彩なテーマで人権問題を考えていただけ
るよう講座を編成しています。
*今年度から「人権大学講座」に「講座・人権ゆかりの地をたずねて」(※)を統合し、実施します。
■ 講座日程表/講座内容
月日曜
1
2
3
4
5
6
7
8
9
10
11
12
種 別
時時 間間
開講式
14:00 ∼ 14:10
講義と
対 談
14:10 ∼ 16:40
(150 分)
講 義
14:00 ∼ 15:40
(100 分)
講 義
14:00 ∼ 15:40
人権としての教育
岩槻 知也
(100 分)
∼困難を抱える若者のリテラシー実態とその支援∼
講 義
14:00 ∼ 15:40
(100 分)
講義と
対 談
14:00 ∼ 16:40
(160 分)
障碍者権利条約の批准がもたらすもの
講義と
対 談
14:00 ∼ 16:40
(160 分)
婚外子差別の問題
∼国際人権条約の国内的実施∼
講 義
14:00 ∼ 15:40
(100 分)
問われているのは「指導」であって、子どもではない
講 義
14:00 ∼ 15:40
被差別部落の変容と部落実態調査
石元 清英
(100 分) ∼部落実態調査の書誌的研究からみえてきたもの∼
講 義
14:00 ∼ 15:40
(100 分)
∼七度の宿館となった寺∼
講 義
14:00 ∼ 15:40
(100 分)
∼生きづらさと暴力の問題から∼
講 義
14:00 ∼ 15:40
(100 分)
∼ COCON KARASUMA ビルなど∼
講 義
14:00 ∼ 15:40
(100 分)
∼坂上氏と清水寺のゆかり∼
修了式
15:40 ∼ 15:50
7月8日
(火)
7 月 25 日
(金)
8 月 22 日
(金)
9 月 12 日
(金)
9 月 26 日
(金)
10 月 10 日
(金)
10 月 24 日
(金)
12 月 5 日
(金)
12 月 19 日
(金)
1 月 16 日
(金)
1 月 28 日
(水)
2 月 19 日
講 座 名
講講 師師
備考
研究センター所長 安藤 仁介
国際的に見たヘイト・スピーチ、ヘイト・クライムの問題点 安藤 仁介
∼国際人権規約委員会の経験から∼
足利義輝の
園会見物
∼天文十七年を中心に∼
鞍馬寺勧進聖と「語り」
∼鞍馬信仰における位相∼
∼何をどう変えようとするのか∼
∼学校生活における子どもの人権を考える∼
朝鮮通信使と本圀寺
同性愛者の人権 占領期京都の社会と人権
坂上田村麻呂と清水寺
師岡 康子
河内 将芳 旧ゆかり
野地 秀俊 旧ゆかり
坂元 茂樹
谷口真由美
松波めぐみ
薬師寺公夫
高田 恭子
住友 剛
仲尾 宏 旧ゆかり
堀江 有里
田中 隆一 旧ゆかり
上田 正昭 旧ゆかり
(木)
研究センター理事長 上田 正昭
備考欄の「旧ゆかり」は、「講座・人権ゆかりの地をたずねて」です。
※「講座・人権ゆかりの地をたずねて」:京都の各地を人権の視点から紹介し、その歴史をたどりながら学ぶ講座
24
GLOBE
No. 78 2014 summer
会場案内
講義会場
今出川通
二条駅
京阪電車
丸太町通
二条城
ハートピア京都
市役所
地下鉄東西線
※受付:各回午後 1 時 30 分∼
京都府立総合社会福祉会館 ハートピア京都
京都御所
府庁
〒 604-0874 京都市中京区竹屋町通烏丸東入る
清水町 375 番地
御池通
TEL 075-222-1777 / FAX 075-222-1778
阪急電車
• 京都市営地下鉄烏丸線「丸太町」駅下車 5 番出口
川端通
五条通
鴨川
河原町通
烏丸通
堀川通
大宮通
地下鉄烏丸線
四条通
(地下鉄連絡通路にて連結)
• 京都市バス、京都バス、JR バス
七条通
塩小路通
「烏丸丸太町」バス停下車 烏丸通り沿い南へ
JR京都駅
申込方法
受 講 料
受講手続き
申 込 先
1 回 1,000 円 全講座一括の場合 10,000 円
※全講座を一括で申込みいただくと受講料が割引きとなります。
※賛助会員は無料で受講できます。
○受講日前日までに、「受講申込書」(別紙)に必要事項を記入し、郵送又は
FAX で申込みの上、指定の金融機関口座に受講料を振り込んでください。
複数の受講希望日をまとめて申込みが出来ます。
○申込み及び受講料の振り込みが間に合わない場合は、当日、会場での受付
も可能です。
(ただし、定員を超過している場合は受講出来ません。)
・京都銀行
府庁前支店
普通 853685
・東京三菱 UFJ 銀行
京都支店
普通 1222396
・京都信用金庫
本 店
普通 1269372
・京都中央信用金庫
本 店
普通 1039688
公益財団法人世界人権問題研究センター
〒 604-8221 京都市中京区錦小路通室町西入天神山町 290 番地 1
電話:075-231-2600 FAX:075-231-2750
E-mail [email protected]
HP:http://www.mmjp.or.jp/jinken/research/index.html
25
人権の〝館〟
なってからは旧陸軍省や参謀本部
は大名屋敷だったものを近代に
れ て い る。 こ の 土 地 は 江 戸 時 代 に
ぐ近くにこの憲政資料館が建てら
区 の、 そ れ も 国 会 議 事 堂 正 門 の す
権力の中枢部である東京都千代田
けられて、その多方面の活動にかかわる資料が展示され
一階には尾崎財団が運営する尾崎メモリアルホールが設
館入り口のポーチには尾崎咢堂の銅像がたてられ、また
れたのである。それを受け継ぐものとして、現在も資料
に開館したのだがそれを併合して現在の資料館が開設さ
一八五九∼一九五四︶記念会館が一九六〇年にこの場所
﹁ 憲 政 の 神 様 ﹂ な ど と よ ば れ て い た 尾 崎 行 雄︵ 咢 堂・
院 議 員 で 戦 前、 戦 後 に わ た っ て 長 く 議 員 と し て 活 動 し、
が お か れ て い た の だ が、 一 九 五 二
ている。尾崎は、一八九〇年第一回総選挙で当選、以後
東 京 の 都 心 部、 い や 日 本 の 国 家
年 に 衆 議 院 に 移 管 さ れ た。 そ し て
回当選という史上まれな活躍をした。その間、保
政資料館が開館した。現在も管理の管轄は衆議院で、資
政党結成にも加わったが、議会を重視して立憲主義を唱
安条例違反のかどで東京から追放されたり、いくつかの
連続
料館に附属してもうけられている会議室の借用などは本
え続け、軍部の急速な台頭に抗いつづけた稀少な政治家
一九七〇年に、日本の議会開設八〇周年を期してこの憲
来 は 衆 議 院 議 員 が 利 用 す る た め の も の で あ る と し て、 議
現資料館が開館された一〇年前の一九六〇年には、岸
の一人であった。
この資料館には前身があった。というのは戦前の衆議
員の紹介を経由することとなっている。
25
憲政記念館
26
No. 78 2014 summer
人権の〝館〟
GLOBE
そ の こ と が 人 び と の 猛 烈 な 反 対 運 動 を よ び お こ し、 国 会
決 を 図 り、 衆 議 院 議 場 に 警 官 隊5 0 0 名 を 突 入 さ せ た。
内閣が末期で、日米安保条約の改定を衆議院での強行採
うを問うている場所であるともいえるだろう。
地 で あ り、 言 葉 を か え て い え ば 日 本 の 民 主 主 義 の あ り よ
周辺で展開されることをみても、この場所が政治の中心
前の道路であった。なお六月一五日に東大生の樺美智子
捕される、という事件のまさに現場がこの資料館のすぐ
図った全学連の唐牛健太郎委員長以下数十名の学生が逮
の詔書や日露開戦時、アジア太平洋戦争開始時などのい
わった資料が複製で展示されている。たとえば国会開設
運動から始まって日本近代の重要な節目での議会のかか
とりわけ憲政の歩みのコーナーでは明治期の国会開設
さ て、 館 内 は 憲 政 史 シ ア タ ー、 憲 政 史 映 像 コ ー ナ ー、
が警官隊の突入によって混乱した現場で生命を奪われた
くつかの資料、また議会外の資料、たとえば一九〇一年
周辺は連日のように数万人以上の学生、労働者、市民が
の は こ こ か ら ほ ど 遠 く な い 南 通 用 門 附 近 で あ る。 現 在 の
の足尾鉱山鉱毒事件をめぐる田中正造の﹁直訴事件﹂の
憲政の歩みコーナーなどがあり、映像資料は参観者が自
資料館の周辺は公園として整備され、都心には珍しい静
直訴状や一九六〇年の安保闘争直後の社会党委員長・浅
デモをくりひろげていた年であった。そして四月二六日
寂な環境であるが、国会議事堂の入り口周辺は常時もの
沼稲次郎刺殺事件現場の写真などもあり、日本の近現代
由にテーマをえらんで検索、受像できる。
ものしい警備の警官の姿が見られる。近年の原発や秘密
史を通覧してまなべるように構成されている。
には警察機動隊と装甲車の車列を乗り越えて国会突入を
保護法・集団的自衛権に反対するデモもこの周辺や官邸
27
人権の〝館〟
また議場体験コーナーは実物の議場をやや縮小した大
き さ で は あ る が 衆 議 院 議 場 が 模 作 さ れ て お り、 見 学 者 は
議員席に座って、首相演説などの実況を模擬体験できる
ので、中学生などの見学者でいつも賑わっている。展示
の構成も、資料の選択や説明も一方的ではなく、客観的
な﹁憲政史﹂を学べる場であり、人権の視点からも見逃
すことができない大切な内容を含んでいる資料館であ
る。
時︵入館は
日
分まで︶
月
時
︹ 所 在 地 ︺東京都千代田区永田町1の1の1
分∼
日∼
16
30
︹ T E L ︺03㿌3581㿌1651
月
1
4
︹開館時間︺9時
︹ 休 館 日 ︺毎月の末日
︹ 入 場 料 ︺無料
28
17
︵研究第三部長
仲尾
宏︶
︵千代田線の同駅、有楽町線・半蔵門線・南北線
永田町駅からも近い︶
東京メトロ
丸ノ内線国会議事堂前②出入り口
︹交通機関︺
より徒歩8分
12
30
憲政資料館正門
尾崎咢堂メモリアルホール
28
世界人権問題研究センター発行の刊行物の紹介
◎定価 1,000 円(税込)
∼ 1,500 円(+税)
(下段参照)
『人権問題研究叢書』
京都市児童福祉センター
◎定価
8,200 円(+税)
創立 10 周年記念出版
「散所・声聞師・舞々の研究」
当研究センターが取り組む調査・研究のさらなる活性化とそ
の成果を広く国内外に発信し、人権文化の発展に寄与するこ
とを目的に創刊しました。当研究センター研究員が調査・研
究活動を通じ、人権問題を科学的に考察し論著したものです。
子どもに関する様々な心配、不安などについての相談をお受けし、専門スタッフが十分
にお話をお聞きし、専門的な調査などを行い、助言、指導、判定、治療、訓練などの支援
当研究センターでは、1996 年から 9 年間にわたって共同研究
として「散所に関する総合的研究」に取り組んできましたが、
その成果をまとめました。
を総合的かつ系統的に行う、児童福祉の総合機関です。
相談は、児童福祉センター又は第二児童福祉センターの総合受付でお聞きします。
(お住まいの行政区によって相談する場所が違いますので、詳しくは下の図を御覧ください)
児童福祉センター
◎定価
1,800 円(+税)
◎定価
1,800 円(+税)
「人権歴史年表」
「京都人権歴史紀行」
人権を主題として構成された年表は、ほとんど前
例がないなかで人権問題を探求し、新たな人権文
化の創造をめざす人々の学習の手引となるように
編集しました。
京都に残る人権に関わる場所、事柄、そこで生き
た人々の後を訪ね、歴史を振り返るなかで、基本
的人権や自由、平等、平和の大切さと、それを実
現するためにどれほどたくさんの人々の努力が積
み重ねられてきたかを学んでいただけます。
北 区・上京区・左京区
中京区・東山区・山科区
下京区・右京区・西京区
にお住まいの方
児童福祉センター総合受付
電話番号 …801−2929
住 所 … 京都市上京区竹屋町通
千本東入主税町 910-25
第二児童福祉センター総合受付
第二児童福祉センター
南 区・伏見区
◎定価 各号
2,500 円(税込)
季刊「グローブ」(研究センター通信)
年 4 回発行
(深草・醍醐支所管内を含む)
にお住まいの方
電話番号… 612−2727
住 所… 京都市伏見区深草
加賀屋敷町 24−26
「研究紀要」の刊行(年 1 回発行)
当センターでは、
「国際的人権保障体制の研究」
「同
和問題の研究」
「定住外国人の人権問題の研究」
「女
性の人権問題の研究」
「人権教育の理論と方法の研
究」の5部門で研究を行っており、毎年、当研究セ
ンター研究員の個人研究の成果を公表しています。
当研究センターの研究活動やその他事業について
の報告や予定、研究課題、研究員の紹介、外部か
らの声などを掲載しています。
①救済の社会史
②アイヌ・台湾・国
際人権
世界人権問題
編
著
研究センター
安藤仁介
著
編
︵税込︶
A5判・一二〇頁
定価 一〇〇〇円
︵税込︶
A5判・一四五頁
定価 一〇〇〇円
+税
A5判・三一九頁
定価 一五〇〇円
︵税込︶
A5判・二七一頁
定価 一五〇〇円
︵税込︶
A5判・二一三頁
定価 一〇〇〇円
+税
A5判・二八一頁
定価 一五〇〇円
+税
A5判・二二八頁
定価 一五〇〇円
+税
A5判・二八八頁
定価 一五〇〇円
+税
A5判・二二七頁
定価 一五〇〇円
+税
A5判・三一二頁
定価 一五〇〇円
公益財団法人 世界人権問題研究センター刊
宏
仲尾
研究センター
著
③朝鮮通信使と京都
④講座・人権ゆかり
の地をたずねて
秋定嘉和
著
二〇一〇年度講演録
⑤人権から見た近代
京都
上田正昭
世界人権問題
⑥京都の中の渡来文
化
著
編
編
編
田端泰子
二〇一一年度講演録
世界人権問題
研究センター
世界人権問題
研究センター
世界人権問題
研究センター
⑦歴史のなかの女性
の人権
二〇一二年度講演録
⑧講座・人権ゆかり
の地をたずねて
⑨講座・人権ゆかり
の地をたずねて
⑩部落実態調査の書
誌的研究
人権問題研究叢書
※受付時間はいずれも、午前 8 時 30 分∼午後 5 時(土曜・日曜・祝日はお休みです。)
相談の内容
● 子どもを育てる家庭環境に関する相談
保護者の子育てについての悩み、病気などの理由で家庭での子育てが出来ない場合など
● 子どものこころやからだの発達に関する相談
発達の遅れ、聞こえ、ことばについての不安など
● 子どもの行動に関する相談
家庭内での暴力、盗みなどの非行や不登校など
● 里親に関する相談
何らかの理由で家庭で生活が出来ない子どもを、愛情を持って養育していただける里親さんの募集及び里親
さんの養育支援など
● 子どもの虐待についての相談・通告
虐待されていると思われる子どもを見つけたら、すぐ相談・通告を
子ども虐待 SOS 専用電話
801−1919
子ども虐待についての相談・通告を
子
24 時間
・365 日受け付けています。相談者・通告者
ともにプライバシーは守られます。
人権問題研究叢書 第 9 号、第 10号刊行
第 9 号 2014 年 3 月刊行
2 012 年度講演録
グローブ・
グローブ 2014 夏
№
78
講座・人権ゆかりの地をたずねて
第 10 号 2014 年 4 月刊行
部落実態調査の書誌的研究
2
0
1
4
年
78
月発行
発行人/理事長・上田正昭
印刷/田中プリント
7
定価 1,500円(税別)
カバーデザイン:京都市立芸術大学 江尻紗耶未氏
「賛助会員」募集中
◎年会費 個人会員 1 万円(学生は 5 千円)
法人会員 5 万円
◎特 典 ・『グローブ』(季刊:年 4 回発行)『年報』の無償送付
・『研究紀要』『人権問題研究叢書』の無償送付
・「人権大学講座」の無料受講
・人権図書室所蔵の図書貸出サービス
・当センター主催の講演会等への優先案内
◎お問い合せ、お申込みは下記へ
公益財団法人 世界人権問題研究センター
(公財)世界人権問題研究センター
〒604-8221 京都市中京区錦小路通室町西入天神山町 290 番地1
TEL 075-231-2600 FAX 075-231-2750
[URL] http://www.mmjp.or.jp/jinken/[ E-MAIL] [email protected]
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