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Title Author(s) 学校文法の成立と展開 ラウス・マレー文法の再評価 南出, 康世 Editor(s) Citation Issue Date URL 女子大文学. 外国文学篇 杉本龍太郎教授退職記念号. 1992, 44, p.1 01-128 1992-03-31 http://hdl.handle.net/10466/10508 Rights http://repository.osakafu-u.ac.jp/dspace/ 1 0 1 学校文法の成立と展開 ラウス・マレ一文法の再評価 南出康世 学校文法の母体である規範主義文法が成立したのは 18世紀と言われる。 もっと精確に言えば1760年以降、すなわち 18世紀後半である。 1760年を境に 当時の文法は質的にも量的に大きな変化を遂げるのである。まず量的な面か ら見てみると 1760年以前では文法書の種類も比較的少ない。 Alston ( 19 6 5 ) に採録されている 1700年から 1750年に出された文法書の種類は、再発行・再 版・改訂を別に数えると約 100冊だが、 1751 年から 1800年の聞には約400冊に 急増している。 Michael ( 19 7 0:589-92) はやや対象と算定法が異なる が、 1720年代には 4 冊、 1730年代 03冊)、 1740年代c7冊)、 1750年代 (23 冊)、 1760年代 (33冊)、 1770年代 (52冊)とし、った具合に文法関係の書物が 1750-60年を境に急増していることを報告している。次に質的な面の相違で あるが、 Mclntosh ( 19 8 6:52) は、 f1750年以前のほとんどの文法書は短 く、幼稚で (puerile)、杜撰で Cslovenly)、古めかしく Co l d-fashioned)、 1750年以降のものは長く、学術的Clearned) 、正確で (precise) 、かっ現 代的で (modern) ある J と総括している。別の面から見ると 1760年以前の ものはラテン語の文法モデルを通して英語の品詞論 (etymology) を教え ることに主眼があった。あるいは逆にラテン語をモデルにした英文法がラテ ン語入門を兼ねていた。もっとも 1712年には Swift によってアカデミーの 提案がなされるなど、英語の標準化 (standardization) /維持 (mainte nance) の必要性が意識されつつあり、その意識は当然文法にも反映してい た。 しかしまだ正誤を判定するための具体的な規則として明示的に述べられる ことはなかったといえよう。文法が英語を母語とする人々に正しい英語を教 えることを明確に意識したのはやはり 18世紀後半である。 1 0 2 南出康世 ラウスの文法 1760年以降になると品調論に統語論が加わり「誤った英語」を正すための 規則を提示することが主たる傾向になった。このような質的変化をもたら す原動力となったのが、ラウス(R. L owth) :A S h o r tI n t r o d u c t i o nt o 17 6 2 ) (本稿で使用したのは 1764年版と 1769年版(南 E n g l i s hGrammαr ( 雲堂翻刻版)である。序文には r t\かなる言語であれ、その文法の主要な 目的は礼儀正しく自己を表現する術を教えることであり、あらゆる語句や 構文に関してその正誤を判定することを可能ならしめることである J とあ りまた、「これを行うに簡明な方法は規則を定め、それを用例で例証する事 である J とその目的と方法が明確に述べられている。ラウスの文法は、 Ash , Murray などに引き継がれ、彼が定めた規則は学校文法に根を下ろ し、その多くは標準英語の文法として定着し、あるものは現在も論争語法 ( d i s p u t e dusage) に姿を留めているのである。その例をいくづかあげて みよう。(括弧内の数字は南雲堂翻刻版の頁数./の後にあげるのは 1764年版 の頁数。角括弧内は筆者のコメント)。 ( 1 ) 不定法 (infinitive mode) の場合を除いて Be 動調は常に主格を後に 従える: I twasI ./thoughyoutooki tt obeHim (73/132) 。 ( 2 ) whose を which の所有格に用いて物にも用いるのは適切でないと思わ れる。ただし詩などで先行詞が擬人化されている場合は別である (32 [7])/152) 。 (3) 二重比較、二重最上級は適切でない(improper) ( 3 4[ 4J / 5 7 ) 0l e s s e r はジョンソン博士が言うように less の野蛮な堕落形 (barbarous c o r r u p ュ tion) である (35 [5J/59)0[二重比較によって比較を強めるというふ うに見るか冗語的とみるか、 2 つの意見がありうる。 17世紀後半には合 理主義 (rationalism) の観点からこれを非論理的とみなす傾向があった が、ラウスもこれを受けて冗語的と見なし、これを誤りとした。後世の学 校文法はほぼ例外なくこれを支持したので、現在では二重比較、二重最上 級は標準英語から姿を消すに至った。なお、 lesser は less と意味用法に おいて分化し現在も命脈を保っている]。 学校文法の成立と展開:ラウス・マレ一文法の再評価 ( 4 ) Will は l 人称単数及び複数では約束、脅迫を表す。 1 0 3 2 人称及び 3 人称 単数では単なる未来の予告を表す。 shall は 1 人称では単に未来の予告 を、 2 人称 3 人称では約束、命令、あるいは脅迫を表す (46-47/78) 。 ( 5 ) 中性動調 (neuter verb) の 1ie はしばしば能動動詞 (active verb) の 1ay と混同される (56/97) ( 6 ) Hi Ewou1dh avespoke[MiltonJ るのは堕落である (61 のように過去形と過去分詞を混同す [4J/105-6)0[初期近代英語においては、 OE に おいて強変化であった多くの動詞が弱変化形を持つに至り過去形は混沌と していた。たとえば、 Barber ( 19 7 6:25 1)によると下記の動詞は括弧内 における過去形を有していた。 climb (clamb , clomb , c limbed)/he1p (ho1p , he1ped)/melt (molte , melted)/drive (drave , drove , d r i v ュ ed)/grind (groond , ground , grinded)/run (ran , ron , run , run 白 ned)/shine Cshone , shoon , shined) 下線を施した語がラウスが規定し た形である。 clomb などの例外はあるが、現行の形はほぼラウスの規定 した通りになっている。 Görlach 0991:9 1)によれば、いずれの形が生 き残るかこれといった法則性はなかったようである。ラウスがある場合は 強変化を、ある場合は弱変化を採用していることから明らかなように当時 の慣用の実態と趨勢をよく観察して約 170 の不規則動調の過去形、過去分 詞形の固定化を果たした]。 ( 7 ) Hecauseda l 1persons , whomheknewhad , orhethoughtmight have , spokent ohim , t obeapprehended ,のような構文では had の主 格 who であるべきである。 (67 [ 7 ] . 1764年版にはこの注記無し )0 [最 近の文法学者は whom の使用を過剰矯正 (hypercorrection) とみなし ているが、規範文法が確立する以前からこのような用法が存在するところ から見ると必ずしも過剰矯正の結果とは言えないようである。 he knew の目的語とみるのもネイティブスピーカーの直観に合っているということ になろうが、 had の主語と見るべしという主張が後の学校文法にも引き 継がれて標準英語の文法として確立したのである]。 ( 8 ) 前置調は常に目的格を支配する。 Who doyouspeakto? の who は whom であるべきである (87 [1J/161 [9J)。 1 0 4 南出康世 ( 9 ) 関係代名調はしばしば暗黙に了解され省略される: Theman1l o v e . (92/173) 。 側関係代名詞 who は than に続くときは常に目的格である (97/183) 。 U V 接続詞 that はしばしば省略される 1 begy ouwouldcomet ome. (97-98/183) 。 U 2 ) 衆多名詞 (Noun o fMultitude) は単数あるいは複数扱~ ¥:Myp e o p l e i sf o o l i s h;t h e yhaven o tknownme. (71-72/128)。 日 Whom domensay , t h a t1am?では主格の who であるべき (73 [ 6J/ 1 3 2 [4]) 。 1 ( 4 ) 前に冠詞後に of を従える分詞 (participle) は名調になる。それゆ え、 These a r et h eRuleso fGrammar , byt h eo b s e r v i n go fwhich youmaya v o i dmistakes/byo b s e r v i n gwhich... はよいが、 by o b ュ s e r v i n go fwhich , byt h eobservingwhich は誤りである (76一 77/138 3 9 ) 0[初期近代英語には、後者の 2 形も用いられていた。実に論理的な 説明で後者を非文としたわけである]。 [3J/152) 。 日 Either を each の意味に用いるのは誤り (83 日6) 副調は修飾する語の近くに置くのが原則であり、その適切さと力は位置 に左右される。それゆえ r 3 語のみを話した」の意であれば only の位置 は 1 o n l yspaket h r e ewords でなく 1 spakeo n l yt h r e ewords である ( 8 6 [8J/159 [7]) 。 間英語では 2 つの否定は一方を破壊する、即ち肯定と同等である (87/1 60)。 叩異なるものの性質が比較される場合、後にくる名詞は than または as によって支配されず、明示されているか暗黙に了解されている動詞また は前置詞に支配される Thou a r tw i s e r than1[am]./Yout h i n k himhandsomerthan[youthinkJme.(96/180- 1)。 以上ざっと見ただけでも我々が学校文法で学ぶ規則の多くがラウスにその 源を発していることが分かる。彼の品調分類は 9 品詞一冠詞、名調、代名 調、形容調、動調、副詞、前置詞、接続詞、間投詞であり、それぞれの定義 も我々に馴染みの深いものである。この意味でラウスは学校文法の祖という ことがでる。もっともこれらの品調分類とか規則がすべてラウスを出発点に 1 0 5 学校文法の成立と展開:ラウス・マレ一文法の再評価 しているという意味ではない。例えば、上記(1 7) の 2 重否定が否定を相殺す るという説は、 Howatt ( 19 8 4:2 1)によればすでに J ones:A c c i d e n c et o t h eE n g l i s hTongue (1 724) に述べられていると L 、う。 Görlach ( 19 9 1 102) は 17世紀にすでに登場していた文法規範規則を 13 あげているが、上に あげた規則の多くがこれに含まれる。ラウスは自己の規範基準をもとにこれ までの文法規則を集大成したといえよう。ラウスが対象にしたのはもっぱら 書き言葉の英語であるが、次のように話し言葉にも言及してスタイルの相違 を考慮した記述もある。たとえば前置調後置に関する記述を見てみよう。 Thisi sanidiomwhichourlanguagei ss t r o n g l yi n c l i n e dt o i t p r e v a i 1 si ncommonconversation , ands u i t sv e r yw e l lw i t ht h ef a m i l ュ i a rs t y l ei nw r i t i n g ;but t h ep l a c i n go ft h eP r e p o s i t i o nb e f o r et h e R e l a t i v ei smoregraceful , a sw e l la smorep e r s p i c u o u s anda g r e e s muchb e t t e rw i t ht h esolemnande l e v a t e ds t y l e .( 8 8 / 1 6 2 ) これなどは今日の記述文法書が言っていることとほとんど変わらない。 S t a l k e r (1 985) は“ Lowth's r u l e so fp r o p r i e t ywereo f t e ncouchedi n ar e l a t i v i s t i ccontex t.一"と述べているがこの辺の事情を考慮してのことで あろう。しかしこのような観察はどちらかと言えばまれで、全体的には フォーマルな書き言葉優先の文法で、話し言葉は書き言葉の下位に位置付け られている。この点でスタイル、フィールド、モードなどの観点から言語の バリエーションをノ〈ランスよく捉える現在の記述文法の目から見れば物足り ないであろう。また、慣用に対する態度もラウスと今日の文法では根本的に 異なる。現在では主観的な意見を極力押さえで慣用をあるがままに客観的に 記述するというのが基本姿勢である。一方ラウスの基本見解は「悪いのは言 語でなく慣用 (practice) J(序文)という姿勢である。彼のこの発想の根底 には Swift (1 712) の「我々の言語は極めて不完全である。それは日々進歩 しているというより日々堕落しているのである。それを磨き洗練したつもり で、多くの場合乱用と不合理を倍増させているのである。我々の言語は文法 の全てに背いているのである J としサ主張があるのはいうまでもない。 1 0 6 南出康世 もっとも「悪いのは慣用 J といっても、ただやたらに慣用を批判していた のではない。すでに上で見たように、むしろ慣用重視の立場を取っている記 述も珍しくない。ラウスの記述はしばしば後の英語史学者の記述と一致す るのである。上記 (6) に関連するが、 Barber ( 19 7 6:25 1)によると次に あげる強変化動詞は初期近代英語において過去形を 2 つ持つという bear ( b a r e .b o r e )/break ( b r a k e .b r o k e )/speak ( s p a k e .s p o k e )/s t e a l ( s t a l e .s t o l e ) / t e a r( t a r e .tore)。ラウスもどちらか一方に決めつけるこ とをせず、 steal を除いて両形をあげている (52-9) 。また rWho は人に適 切で、 Which は現在ではものにのみ用いる。 That は人にもものにも区別せ ずに用いる J (90-1/168-69) というのも英語史学者が説く当時の関係代名 詞の実態そのものを反映しているのである (cf. B arber1 9 7 6:214/G rlach 1 9 9 1:124) 。また「文が否定のときは、副調 not を助動詞の後に置く。助 動詞を伴わない場合は。動詞の直後に置く J (78/143) などもラウスが規定 したルールというより当時の慣用そのものである。シェイクスピア時代に は、 not を動詞の前におくのは普通であった。ラウスはこの語順を「現在で は廃用であるが、古くは大いに用いられた」と客観的な判断を示している。 ( c f .B arber1 9 7 6:263-67) 。その他 if. t h o u g h .u n l e s s .e x c e p t .w h e t h ュ er...or 節における仮定法と直説法の競合 (94-95/177) に関する記述も彼 が規定した規則というより当時の慣用そのものといってよさそうである。 ラウスは、 Lounsbury ( 19 0 7:286) が指摘するように、一流の文学者 ( S w i f t .Dryden.Pope など)、さらには聖書が「犯している誤り J を初め て糾弾した学者である。彼が収集した多数の用例はそこから帰納的に文法の 規則を引き出し、その規則に権威をつけるためではなく、自己の基準に照ら し合わせて「誤用例」として提示して「英語が文法的正確さ (grammati c a laccuracy) の面で何の進歩もないこと」を示すためであった。後の学 校文法の基本となった「誤文を通して正しい英語を教える」という誤用文法 ( f a l s esyntax) の発想はここに端を発していると考えてよいであろう。こ のようにラウスの姿勢は現在の文法観と合い寄れないので非科学的文法家の 悪例として引用され酷評の対象となる。以下どのような形容詞で評されてい るかいくつか引用してみよう。 学校文法の成立と展開:ラウス・マレ一文法の再評価 1 0 7 Theαrtificial andconstrlαining e f f e c to fLowth'sp s e u d o r u 1 e s . . . [ J .Aitchison , Lang凶.ge Chαnge : P r o g r e s so rDecay?1 9 8 4 .p . 2 3 J On eo ft h emostn o t o r i o u swasBishopRobertLowth …[F. Palmer , Grammαr , 1 9 71 .p ・ 25J Worse , t h e r ei s noj u s t i f i c a t i o ni nt h eh i s t o r yo ft h elanguage f o r u to fwholec l o t hbys e 1 f ュ .manyo ft h er u 1 e s . . . They weremα de upo s t y 1 e de d u c a t o r sl i k e Bishop Robert Lowth i nt h ee i g h t e e n t h century. 一 [E. Chaika , Lαnguage: TheS o c i a lMirror , 1989, p . 1 9 9 J もっと具体的に言えば、ラウスに浴びせられる批判の典型的なものは「ラ テン語の文法の尺度で英語の文法を記述した」である。すでに見てきたよう に、確かにラテン語色は濃いが一部でもって全体を推しはかるのは行き過ぎ である。最ももこれを明解に証明する方法は、ラテン語の文法範鴎とラウス が提示している文法範鴎を比較してみることである。当時英語で書かれたラ テン語文法書として Lilly (1 770) が普及しており、英文法の記述にもすく なからぬ影響を与えていた。これをラテン語文法の代表として品調、テン ス、動詞、格、法の種類を比較してみる。 L i l l y( 17 7 0 ) 法 ηdnORd 格(代名詞) n口 動詞 RUFbnORu 品詞 ラウスがテンスを 3 種類 (present , ある。動調の 3 種類 (active , ラウス past , future) に絞ったのは現代的で passive , neuter) 、法の 5 種類 (indicative , imperative , subjunctive , infinitive , participle) はラテン語の影響が感じ られるが、機械的にラテン語の文法を英語に押しつけたのではないことは上 の比較から明瞭である。さらに次のような見解と発言は彼が英語の独自性を 認めていたことを立証している。 o 冠調体系の面では一つだけしか冠詞をもたないギリシャ語より優れている (22-23 日1] /33) 。 1 0 8 南出康世 。所有あるいは所属の関係はしばしば格、すなわち名詞の異なる語尾によっ て示される。この格はラテン語の属格 (genitive case) に相当するが、 もっと適切に呼ぶとしたら、所有格 (possessive case) である (26/40 -4 1)。 。代名詞は名調と同様主格、属格あるいは所有格、それと動詞あるいは前置 調に後続する格を持つ。これはラテン後の斜格 (oblique case) に相当 するが、目的格 (objective case) と呼ぶのがふさわしい。 (29/47-48)。 。名調は主格と所有格のみを持つ (27/43) 。 。英語では男性 (masculine) 、女性 (feminine) の区別は動物にしかあて はまらないが、この点で男性女性の区別を持つ言語より有利である。詩的 あるいは修辞的な文体では、中性名詞を男性あるいは女性に転換すること によって擬人化の効果をより一層高めることができるからである (2728/44)。 o 英語の前置詞の重要な用法の一つは他の言語ではおもに格、すなわち名詞 の異なる語尾によって示されるような関係を表すことである (65/113)。 。独立分詞構文の主語、 He descending... の主語はラテン語の奪格 (ab lative) にならって him とすべきと Bentley は主張しているが、英語に はそのような格はない。むしろギリシャ語の属格にならって、 his とする 方が理にかなっているかもしれない。しかし、これは英語を、英語とは 無関係の外国語のルールに押しつけようとするものである (74 [7J/133 [5])。 当時の文法とラテン語の結び付きを考える際普遍文法の存在も看過しては ならない事実である。ラウスも Harris (175 1)を通じて普遍文法の存在を 支持していた。彼は「もし子供がまず文法の共通原則を教授されたら、ラテ ン語に入っていく場合でも途方にくれることがないであろう」との趣旨のこ とを序文で述べている。英語の文法を通して共通の文法原理を習得しそれか らラテン語に入って行けば共通の文法原則、即ち、普遍文法の原理が生かさ れて学習が容易になるというのである。しかし具体的に英語教育、英語の学 校文法に応用するとなると問題があった。たとえば、ラウスは前述のように ハリスの影響を認めているが、「普遍文法は抽象的に教えることはできな 学校文法の成立と展開:ラウス・マレ一文法の再評価 1 0 9 い。既知の言語に鑑みて教えねばならな L リ(序文〉と述べまた別の頁 (38) の脚注では「普遍文法には理論上いかなる抽象的な法 (mode) があるにせ よ、英語には上で述べた以外の文法上の法は存在しないJ と述べ普遍文法の限 界を指摘している。 Michael ( 19 7 0:169) によると 18世紀終わり頃には普遍 文法への言及はずっと少なくなるという。 Vorlat ( 19 7 5:428) はこの普遍文 法の概念が当時の学校文法家にと、の程度理解されたかについて、「英語の文法 家は普遍文法を初歩的な実用文法に取り入れる術を持たなかった。それは内容 においても、形態においても未消化のままに終わったJ とかなり否定的な見方 をしている。現実には普遍性の概念は大部分の教師、文法家によって抽象的な レベルよりも表層構造のレベルで捉えられた。もしこのレベルの普遍文法が存 在するとすれば、どれかある言語をマスターすることによって他の言吾を学ぶ 場合それを多少修正すればすむ。そこでこの「言語」を英語ではなく、当時最 も権威のあった言語一一ラテン語と同一視する方向に向かっていったのは当然 の成り行きであった。しかし上で述べたように文法も次第に、英語の独自性・ 個別性を認めてラテン語文法からの離脱を図る傾向が強くなる。この傾向は、 すでに Ash (1 784) にみられる。これは副題、 An Ea syI n t r o d u c t i o nt o D r .Lowth'sE n g l i s hGrammαr が示すようにラウス文法の入門簡約版で あるが、「英語の十分な知識はラテン語の習得なしには不可能であると学識者 の中にすらそう考えている人がいるが、それは、刊 19ar error である」と 序文で述べている。ラウスと同時代の文法家で Ash よりももっと強力にラテ ン語からの離脱を主唱したものに Buchanan (1 776)、 Fisher (1779) 等があ る。前者から必要部分を引用しておこう。この書は書名の一部に“ for t h e u s eo ft h es c h o o l so fB r i t a i n and l r e l a n d and o fp r i v a t eyoung gent 1 emenandladies" とあるように、主眼は学校のテキス卜を意図してお り、序文は青年と教師 (master と teacher の両方が用いられている)に話しか ける形式で書かれている、また本文は What i sGrammar? Grammari s t h eArto fexpressing. ーのように問答形式 (catechism) が採用され、専 門用語はできるだけ少なくするなど、ラウスの書より user -friendly の工 夫がなされている。また、乱取り形式の誤文訂正練習問題を含めるなど、 形式的には後世の学校文法書を先取りしているといってよい。また、序文 1 1 0 南出康世 には、 Nay , further , a c q u i r eamasterlyandc r i t i c a lKnowledgeo ft h e i r ownLanguage! which hasbeens oamazingly s a c r i f i c e d andn e g ュ l e c t e df o ras m a t t e r i n gi nL a t i nandGreek , w i t hwhich , a f t e rt h e y h e ya r et oh o l dnomore have misspent s o much p r e c i o u s Time , t Correspondence t h a nw i t ht h eC h i n e s e !1mighth e r emakeQ u o t a ュ t i o n s from t h ec e l e b r a t e d Mr.Locke , andsomeo t h e rwriters , on Education , s t r o n g l yrecommendingande n f o r c i n gt h eI n s t r u c t i o no f t h eB r i t i s hYouthi nt h eGrammaro ft h e i rownLanguage. とあり、英語文法の独自性とラテン語文法からの離脱を演説的な口調で強調 し、また女性が文法教育を受ける機会を剥奪されていることを指摘するな ど、当時の状況を知る上でも序文は貴重な資料となっている。ただ、本文の 記述には名調の格を属格一つに絞るなどラウスにない工夫もみられるもの の、相対的に言えばラウスの 2 番煎に終わっている。しかしラウスを始めと する 18世紀の文法家がラテン語文法を無批判的に押しつけることに終始した のではないことは上の引用からも明らかである。 w. F .Bolton はこの辺の 事情を正当に評価しているようである。 Lowthi sbynomeans , a l lt h esame , o n eo ft h o s ewhowisht of o r c e English i n t ot h e shape o fL a t i n . [AS h o r tH i s t o r yo [Litenαry English , 1967, p . 5 5 ] Pullum (1 974) はラウスの文法記述の問題点はむしろ共時的/通時的の 混同で、話し言葉/書き言葉の混同はそれ程でもなく、それにラテン語の影 響は比較的少ないとの見解を取っている。 しかし一方には上で述べた普遍文法の足かせがあり、全体としてはラテン 語文法の網から完全に抜け出せなかった。当時の文法書がこのラテン語か らの離脱とラテン語の束縛の葛藤を最も顕著に表しているのは文法範瞬(例 学校文法の成立と展開:ラウス・マレ一文法の再評価 1 1 1 えば、時制、相、格、性など)・品詞分類の動揺と多様性である。例えば、 Michael0970:507) によると、 1800年までに英語で書かれた英文法書に は56通りの品調分類が存在するという。しかし一方では各文法書聞には驚く ほどの類似性が存在することも事実である。この類似性を強調する立場に立 てば、各文法書聞に見られる相違というのも、ラテン語文法範暁の拡大ない しは縮小に過ぎないという見方も成立する。結局ラウスの評価は、たとえ首 尾一貫したものでなくても英語の独自性を主張しその慣用をよく観察し少な くともフォーマルな書き言葉に関する限り、標準英語の規則の基礎を確立し た点を評価するか、結果としてラテン語文法から完全に離脱できなかった点 を重視し(もっともラテン語の文法範鴎全てが英語に適用できないというも のでもな L 、。必ずしもまったく別個の文法を英語のために作る必要はなかっ たことも十分認識しておく必要がある)、英語の慣用に合わないルールを英 語に押しつけたと評価するかで大きく異なってくる。すでに指摘したよう に、後の見方が大勢を占めるわけであるが、その極端な例として Aitchison を挙げることができる。下記に引用するのはすでに前頁で、ラウスの優れた 観察と記述文法を先取りした説明の例として一部あげたものである。 TheP r e p o s i t i o ni so f t e ns e p a r a t e dfromt h eR e l a t i v ewhichi tg o v ュ erns , andi sj o i n e dt ot h eVerba tt h eendo ft h eSentence , o ro fsome membero fi t . . .Thisi sanidiomwhichourlanguagei ss t r o n g l yi n ュ c l i n e dt o i tp r e v a i l si ncommonconversation , ands u i t sv e r yw e l l w i t ht h ef a m i l i a rs t y l ei nw r i t i n g;b u tt h ep l a c i n go ft h ep r e p o s i t i o n b e f o r et h eR e l a t i v ei smoregraceful , a sw e l la smorep e r s p i c u o u s anda g r e e smuchb e t t e rw i t ht h esolemnande l e v a t e ds t y l e .(88/162) しかし Aitchison は同じ個所を . . c o n t r a r yt og e n e r a lusage , heurgedt h a tp r e p o s i t i o n sa tt h eend o fs e n t e n c e ss h o u l d be a v o i d e d . . . Assresult , t h en o t i o nt h a ti ti s somehow• wrong' t oendas e n t e n c ew i t hap r e p o s i t i o ni snowadays rDec<α:y? 1 9 9 0 .2nde d i ュ w i d e l yh e l d .[Lαnguα.ge Chαnge :Progresso t i o n .p . l l J 1 1 2 南出康世 と解しているのである。上で引用したように彼女は The artificiαl and c o n s t r a i n i n ge f f e c to fLowth'spseudo-rules... と評価した以上ラウスを 文末前置詞誤用論者の一人に仕立てたかったのであろうが、曲解というべ きであろう。同じ個所を、 Burchfield は、 He recognized , however , t h a t p r e p o s i t i o n sc o u l dp r o p e r l yf a l la tt h eendo fsentences' と解している [TheE n g l i s hLαnguαge , 1985, p . 9 7]。もちろんこの解釈が適確であ る。 18-19世紀の文法家に対する評価はこのように、誤解・先入観に歪めら れていることが多い。 Pullum (1974) は“ Lowth i np a r t i c u 1 a ri smore mentionedt h a nreadbyt h em a j o r i t yo fgrammarianstoday." と述べ ているがこの辺の事情をいい得て妙である。 マレーの文法 マレーの文法は English Grammαr, Adαpted o fL e a r n e r s( 17 9 5 ) (以下 t ot h eD i f f e r e n tC l a s s e s English Grammar. 本稿で用いた版は 5 版 (1799)/15版(1 806) [南雲堂翻刻版])/English Exercises , Adaptedt o Murray'sE n g l i s h Grammar ( 17 9 7 ) (以下 English E x e r c i s e s:9 (1805)/24 版 (1 818)) with αn Appendix( 17 9 7 ) (以下 Abridgment :22版 (1808)/1818年版/ 1819年版) /E n g l i s hReader"orPi e c e si nP r o s eαnd (以下 English 版 Abridgmento fMurray'sE n g l i s hGrammar P o e t r y( 1 7 9 9 ) Reader:Goodrich 改訂の 1830年版)の 4 部作からなる。 とりわけ、 English Grammar はラウス文法に依存するところ大で、ラウ ス文法の普及版といってよいが、細かく見るとかなりの質的変化がみられ る。第ーは普遍文法の影響が希薄になったことである。このことはラウスの 文法書の冒頭にあった、「一般文法、即ち普遍文法は全ての言語に共通する 原則を説明する。個別言語の文法(例えば、英語の文法)はこの共通の原則 をそれぞれの確立した慣用と習慣に応じて、それぞれの個別言語に適用す る J が削除されていることからも明らかである。当時は普遍文法と言って も、普遍文法=ラテン語文法という発想が根底にあったので、普遍文法への 言及がなくなったこととラテン語の地位の変動とは大いに関係がある。また 学校文法の成立と展開:ラウス・マレ一文法の再評価 1 1 3 文法書が誰を対象にしているかということとも大いに関係する。英語を母語 としない大人の学習者を対象にしている場合、このような学習者はすでにラ テン語を学習している場合が多いので、ラテン語を経由して英語を学習する 形を取ったほうが能率的である。一方英語を母語にする子供を対象にしてい る場合英語を経由してラテン語に進む道が考えられるが、ラテン語の地位が 低下するとその必要性も低下する。もっぱら英語のみを学習すればよい。ま たラテン語のような学術語を将来必要としない子供もいる。マレーが対象に していた読者は後述するようにこのような子供も多く含まれていた。普遍文 法への言及がないのはこの辺にも理由があろう。もちろん以下指摘するよう に彼の文法にまだラテン語文法そのものの影響はまだ多く見られるのである が、少なくとも第一言語と第二言語の習得の橋渡しとなる普遍文法の役割と 言ったものは意識されていなかったようである。 ラウスと並んでマレーもラテン語の文法範曙を英語に強引に適用した人物 と誤解されているケースが多いので、これににちょっと触れておきたい。ま ず強調しておきたいことは、マレーには「英語は、多くの点で、学術語 ( le a r n e dlanguages) と実質的に異なる。それゆえ、ギリシャ語および ラテン語文法学者が説く原則や規則に盲目的に従うと (u n d i s t i n g u i s h i n g attachment) 自分自身誤ちを犯し、他人に誤ったことを教え他人を惑わす 事になりかねない J (1l 3) という認識が十分あったことである。決してラテ ン語の規則を英語に機械的におきかえた訳でないのである。しかしこれだけ の認識がありながら、名調に 3 つの格を復活させたり、受動動詞 (passive verb) という範瞬を設けたり、時制に 6 つの種類を認め、その理由を学術 語に求めたりして、ラテン語の枠から脱し切れなかった面も残している。し かも下記の引用が示すように、マレーは英語の独自性を認めつつも、語尾屈 折をもっギリシャ語、ラテン語を英語の上位に置いていたようである。 I ti sobvious , t h a talanguage , l i k et h eGreekandLatin , whichcan t h u scomperhendi nonewordt h emeaning o f two o rt h r e e words , musth a v esomea d v a n t a g e so v e rt h o s ewhicha r en o ts ocomprehenュ s i v e .Perhaps , indeed , i t mayn o t bemorep e r s p i c u o u s;but , i nt h e 1 1 4 南出康世 aπangement o fwords , andc o n s e q u e n t l yi nharmonyandenergy , a s tmaybemuchmoree l e g a n t .( 12 3 ) w e l la si nconciseness , i すでに指摘したように、ラウス以降の文法は大なり小なりラテン語からの 離脱を意図していた。この傾向はマレー以降著しくなる。たとえば Hornsey ( 18 03?)は序文で「英文法の知識は若者の教育にとって不可欠な部分を形 成している。それゆえ、若者自身の言語(英語)を無視してラテン語を教え る不合理 (absurdity) はすでにあまねく認識されている J と述べ、「厳密 にいって英語には現在、過去の 2 つの時制しかない J (1 8) といった鋭い指 摘をしている。このように一口に学校文法と言っても千差万別で細かく見 れば時代を先取りした記述も散見される(もっとも 2 時制論は Priestley ( 17 6 7:13) に由来するものであろう)。しかしながら一般的にいってマ レー以降の文法も Hornsey を含めて部分的修正はあるものの大枠では依然 としてラテン語文法の影響下にあったといってよかろう。 第 2 にマレーはラウスは言うに及ばず先行文法家の書を渉猟してより中 庸的な立場を取ることを心がけていることである。たとえば、 English Grammar (5 版)では参考にした文法家として、 Harris , Johnson , Lowュ th , Priestley , Beattie , Sheridan , Walker をあげているが、 15版ではこれ に Coote が加わっている。また、 Abridgment (1 819) の扉には An Aュ bridgment o f English Grammar w i t hA d d i t i o n sfromWebster , Ash , TookandOthers とあり、実に精力的に他の文法家の意見に耳を傾 けていることがわかる。ラウスを踏襲しながらも随所に彼と異なる意見がみ られるのはこのせいである。例えばラウスは「再帰代名詞を目的語に使うの はよいが、 He camehimself./Theyd i di tthemselves. のは堕落である。 He のように用いる cameh i sself./Theyd i di tt h e i rselves. と言うべ きである J (33/53) という立場を取っているが、マレーは rHimself , themュ selves は hiself , theirselves に代わって主格 (nominative case) で用いら れる: Hecamehimsel f ./Theyperformedi tthemselves.J とあっさり 片付けている (69) (下記参照)。また r -9 で終わる名調の場合, 's は付加さ れない時がある Ce.g. f o rr i g h t e o u s n e s ssake). 複数の s で終わる名詞 学校文法の成立と展開:ラウス・マレ一文法の再評価 にはアポストロフィは決して付加されない (e.g. 1 1 5 one a g 1 e swings) (26- 7)J とラウスは主張しているが、マレーは r s は省略するがアポストロフィ は on eagles'wings のように保持される J (57/54) とラウスの説を修正し ている。 Görlach ( 19 9 1:82) によると、単数名調 +'s ( e . g .boy's) のよ うな形は 1500年頃から随意的に用いられるようになり、 1690-1700年には確 立し、問題の複数名調+' ( e . g .boys') の形は 18 世紀に入ってようやく用い られるようになったという。ラウスが文法書を執筆した当時ではまだ稀で あったのだろうか。さらに、 by t h i smeans といった means の単数用法の 正当性を論じラウスを批判している個所(1 58) では“ The p r a c t i c eo ft h e b e s tandmostc o r r e c twriters , orag r e a tmajorityo fthem , c o r r o b o ュ t scontinuance , t h estandard r a t e dbyg e n e r a 1usage , forms , duringi o flanguage" と述べている。この背後には Campbell の唱えた慣用の基 準、 Reputable , National , P resentUse があることは用意に推測できる。 確かにラウスが悪いのは慣用と見倣し、それを是正するのを自らの役目とし ていたのと対照的に、マレーには、語源的意味よりも現在の慣用を尊重しよ うとする態度が随所にみられる。次例は言語の一般的規則に違反しているが ‘ strictly p r o p e randjustifiable' と見倣すべきものという(以下丸括弧内 は南雲堂翻刻版の頁数。角括弧内は筆者のコメント)。 ( 1 ) Noneo fthema r ev a r i e dt oexpresst h eg e n d e r .( 15 9 )[none は元 来 no one なので単数扱いが本来的に正しい]。 ( 2 ) Heh i m s e l fs h a l ldot h ework. ( 15 9 ) [himse1f は本来目的格(ある いは対格)。すでに述べたようにラウス (32-3) はこの用法を認めず、 He h i ss e l fs h a l ldot h ework のように言うべきとの立場を取っている] ( 3 ) Youhavebehavedy o u r s e l v e sw e l l .You は本来 2 人称複数代名調主 格 ye の対格である(1 59)0 [この区別は 16世紀中頃まで守られていた (Bar ber 1 9 7 6 :2 0 4 ) J ただこのような共時的慣用主義は特定の事例に不規則的に顔を出すに過ぎ ない rWhose は人に限定され始めたようであるが、一般的にはそうでな い。 Good writer は散文に於てでさえ、物に関して用いる J と言ったかと思 うと「しかしこの構文は一般的にいって耳に心地好くない (not p l e a s i n g )J 1 1 6 南出康世 という主観的な意見が飛び出すといった具合である(152)。また、「子供は 理性と層、慮を持ち合わせていないので子供を指して who を用いると耳障り (harsh) でましてや、動物に用いるのは不適当Cimproper) J という理屈 が述べられたかと思うと、「噴習 (custom) によって人に関しても which を用いることができる (e.g. Whicho fthem , i sheo rshe?)J といった 慣用重視の発言が出てくる(1 52)0 Sugg(964) は 18世紀の文法を総括して 'Thus “ eighteenth-century Englishgrammar" d o e sn o tappeara s p a r t i c u l a r l yp r e s c r i p t i v e . .. i twasn e i t h e rt h a ts i m p l enort h a tpecu ・ liar" と述べているが実態をよく把握した見解といえよう。 第 3 の相違は文法ルールを22 も設定した事から推測されるようにラウスよ りきめこまかい記述になっていることである。 22のルールはそれぞれのルー ルでさらに 4-5 あるいはそれ以上に細分化されるので、実際のルールの数 は100:余りに及ぶであろう。そしてこのルールに合わない表現は erroneous , deviant , corrupt , faulty などのレッテルを貼られたのである。事実ラウス が学校文法の土台を作りマレーが家を完成させたと言えるであろう。ラウス に見られないがマレーが述べているルールのうちで現在の学校文法でも常識 となっているもの、論争語法 (disputed usage) として英米の語法辞典に 必ず取り上げられているものを若干挙げてみよう。 ( 1 ) 関係代名詞 that は物のみならず人にも適用される。しかし形容詞の最 上級、代名形容詞 same の後では who , which より好んで一般に用いら れる(1 50) ( 2 ) Heb ehavedwithal i t t l ereverence は肯定的で、 He behavedw i t h l i t t l ereverence は否定的である(1 67)。 ( 3 ) Chief , extreme , perfect , right , universal , supreme はそれ自体最上 級の意味を持つので比較級、最上級を持たない (162)。 ( 4 ) 次のような場合、形容詞と名調を離すのはよくない: A l a r g eenough number は A (5) numberl a r g eenough とするべきである(1 63)。 現在時制の分調で始まる節全体が一つの観念とか状況を表すのに用いら れる場合はそれが依存している名詞は属格である。即ち動名調構文の主語 は所有格で表す(1 73)。 1 1 7 学校文法の成立と展開:ラウス・マレ一文法の再評価 (6) 以下の例では括弧内の前置詞を用いるべきであるC1 S9-9 I)。 Hei sr e s o l v e do fgoingt ot h eP e r s i a nc o u r t . (on)/Hea c c u s e d t h em i n s t e r sf o rb e t r a y i n gt h eD u t c h .( o f )/hisa bhorrencet ot h a t f )/TheE nglishwerev e r yd i f f e r e n tp e o p l e s u p e r s t i t i o u sf i g u r e .( o t h e nt owhatt h e ya r ea tp r e s e n t . (from)/thy p r e j u d i c et o my c a u s e( a g a i n s t ) / i ncompliancet ot h ed e c l a r a t i o n( w i t h ) . 第 4 の相違は文体とかスピーチレベルに関する言及がラウスよりも頻繁に なされていることである。一例を挙げると、 I n common conversation , and i nf a m i l i a r style , we f r e q u e n t l y omit t h earticles , whichmightbei n s e r t e dw i t hp r o p r i e t yi nwriting , e s p e c i a l l yi ng r a v estyle. “ At worst , timemightbe gained by t h i s e x p e d i e n t . " (1 67) 。 しかし、残念なことにはこの種の言及は散発的で、一貫性に欠けるのはラウ スと同じである。たとえば、動調の活用形で learn , 化形 (e.g. learnt , spelt , spilt) spell , spill の不規則変 がくだけた書き言葉 (familiar w r i t i n g ) で用いられることを示唆しておきながら、どのような種類の文章であれ、こ れらの形を避けるべし(1 2 1)と言明している。なおマレーの言語観、文法 観を知る上で、 English Grammar 付録の "Rules andO b s e r v a t i o n sf o r A s s i s t i n gYoungPersonst oWr i t ewithP e r s p i c u i t yandAccuracy" は極めて重要である。ここでは英文を書く上で重要な概念、 perspicuity , accuracy , purity , propriety , precision , clearness , unity , strength 等が 論じられている。いずれもかなり主観に左右されやすい概念であるが、結 局マレーの文法の規則というのはこれらの概念を彼なりに反映させたものとい うことができょう。これから推測できることは、マレーを含めて当時の文 法家は言語の機能を「命題的情報を正確かっ能率的に伝達すること J とみ なしていたということである。 Planned/Unplanned (Ochs) , Messageュ o r i e n t e d / L i s t e n e r o r i e n t e d (Brown) とし、った対立概念を援用すると、 Planned/Message-oriented の方向を重視する文法である。これは必然 1 1 8 南出康世 的に書き言葉本位の文法とならざるを得ない。なぜかというと話し言葉、と りわけ「会話」では、発話はリアルタイムになされるので、非計画的 (un planned) である。また会話では相手の社会的地位、年齢、感情等を尊重し た聞き手本位(listener-oriented) ならざるを得ず、「面子を脅かすJ ( f a c e ュ threatening) 危険を避けるため正確さ効率の良さよりむしろ間接性Cindi rectness) 、丁寧さ (politeness) が優先される。い L 、かえると会話では 「言うこと J は必ずしも「意図すること J ではなし、。これははマレーの唱え る perspicuity. accuracy 等の概念に真っ向から対立する。ラウスやマレー の文法には当然のことながらこういった語用論的配慮は全くない。それにも かかわらず彼等は文法をそれぞれ次のように話し言葉を包括する形で定義し ている。 Grammari st h ea r to fr i g ht 1 ye x p r e s s i n gourt h o u g h t sbywords. [ラウス ]/English grammari sthe 訂t o fspeakingandw r i t i n gt h e Englishlanguagew i t hp r o p r i e t y . [マレー] My grammar i sc o n f i n e dt ot h ea r to fw r i t i n gt h eE n g l i s h languagewithpropriety のように限定を加えておけばいわれのない非難 を浴びることも少なかったであろう。事実変化の少ないフォーマルな書き言 葉においてはラウスやマレーのルールのほとんどが現在も有効である。一方 変化の多い話し言葉のレベルでは彼等のルールは現実とかけはなれたものが 少なくない。これは後世の言語学者が学校文法を非難する大きな理由のーっ となっている。しかし、ラウスやマレーの文法記述の前提が planned/mes s a g e o r i e n t e ddiscourse のルールであったわけだから、このルールと現実 の話し言葉、すなわち un p l a n n e d / l i s t e n e ro r i e n t e ddiscourse の語法と に大きなずれがあり、それが時代を経るにしたがってさらに大きくなってき たのは当然である。 さて、第 5 の相違はラウスは文法を言葉の作法と捉えていたのに反して、 マレーはクエーカー教徒の女学校の生徒を念頭に文法書を書いたこともあっ て、文法学習を言葉の作法に加えて道徳心の向上の一助となるべきものと見 倣したことである。 English Grammar5 版の序文でも「学問のみならず 美徳の大義を、幾分とも促進させたい。この観点から本書全体を通して、青 学校文法の成立と展開:ラウス・マレ一文法の再評価 1 1 9 年の心にふさわしくないと思われる用例・例文はことごとく避け、多くの場 合、道徳的かっ宗教的な含みのある用例・例文を紹介するよう配慮した」と 明言している、この気持ちは次第に高まっていったのであろうか、 15版のま とめの章には 5 版になかった、「若者の心に敬度と美徳の原理を植えつけ たいという願望に著者の心は動かされたj とし寸文句が挿入されている。本書 の Virtue e n n o b 1 e sus./Goodnessw i l lberewarded./Strivet oimュ prove./Gratitud巴 is ad e l i g h t f u lemoti : i m./Theywhoforgive , a c t e a l t hi spromoted (~、ずれもパー nobly./Byl i v i n gtemperately , ourh シングのための用例)といった多数の用例がこの配慮を物語っている。ま た、 English Reader もこの方針を遵守している。 Goodrich 改訂の 1830年 版では書名は次の通りで「信仰と美徳の最も重要な原則を教える」ことが読 本の目的の一つにあげられている. Murray's English Reader:o rPieces in Prose and Poetry , S。 l e c t e dfromt h eB e s tW r i t e r s .Designedt oA s s i s tYoungPersonst o Readw i t hP r o p r i e t y and E f f e c t;t oImprove t h e i r Languageand S entiments;andt oI n c u l c a t eSomeo ft h eMostImportantP r i n c i p l e s o fP i e t yandV i r t u e . . . . . E n g l i s hExercises の用例選択もこの方針に従っていることはいうまで もない。こういった方針は後世にも影響を及ぼしたようである。たとえ ば、 Lennie (1 852) はマレーをかなり意識しており記述が簡にして要を得 ている面ではマレーを凌いでいると自画自賛しているが、その用例の多く は、 Devotion promotes and s t r e n g t h e n s virtue./What cannot be mendedo rprevented , mustbeendured. のように道徳的かっ教訓的であ る。 Downey (1 99 1)は 19世紀の伝統文法家の多くは教える (teach) こと のみならず説教する (preach) ことを心がけたと言っているがこの辺の事 情を伝えるものであろう。 1 2 0 南出康世 マレ一文法とパーシング これまで見てきたように、マレーの文法は、 English Grammar を中心に、 E n g l i s hExercises と English Reader が整備され、 English Grammar で学んだ知識を English Exercises で練習し、そこで得た知識を応用して E n g l i s hReader を読み、読む作法を学ぶ一方で English Grammar と E n g l i s hExercises の用例を通して学んだ信仰と美徳の大義を頭の中にしっ かり埋め込むという構成になっている。さらに Abridgment は English Grammar の簡約版であると同時に English Exercises の簡約版である。 すなわち、初級者がこの合本簡約版を通して English Grammαr と Eng l i s hExercises のエッセンスをまとめて学べるよう工夫されている。 Eng l i s hExercises や Abridgment の練習問題はパーシングと誤文訂正から成 り立っているがこれにも周到な工夫が凝らされている。マレ一文法、さら にいうなら U3"臨己の学校文法は、Orthography , Etymology , Syntax , Prosュ ody から成り立っていたが、中心を成すのは Etymology と Syntax でそれ が 8 品調であれ 9 品調であれまずそれぞれの品調の定義と形態的・統語的特 徴を覚え、次に文を構成している各語の品詞を言いその形態的・統語的特徴 を指摘できることが文法学習者に課せられた第一の義務であった。品調パー シング (etymological parsing) はそのための不可欠の練習であり「文法 教授の全過程を通して規則的に継続すべきもの J ( E n g l i s hExercises) で あった。 Syntax の対象となったのは、ほとんど支配 (government) と一 致 (agreement~concord) に関するもので当時は主語、述語、目的語、 補語という統語機能に関わる観念はまだ充分に確立していなかった。それ ゆえ統語パーシング (syntactical parsing) といっても、文を主語とか 目的語といった構成素に分析するものではなかった。 English E x e r c i s e s (1 805) から 2 つのパーシングを引用してみよう。 I 品詞パーシング “ Hope a nimatesu s ." Hopei sacommons u b s t a n t i v eo ft h et h i r dperson , i nt h es i n g u ュ h enominativec a s e .[ D e c l i n et h eSubstαntiue. ] l a rnumber , and t Animα tes i saregularverbactive , i n d i c a t i v emood , p r e s e n ttense , 学校文法の成立と展開:ラウス・マレ一文法の再評価 1 2 1 t h i r dpersons i n g u l a r . . . U si sap e r s o n a lpronoum , f i r s tpersonp l u ュ ral , andi nt h eo b j e c t i v ec a s e .( 2 ) . E 統語パーシング “ Vice degradesu s . " V i c ei sacommonsubstantive , o ft h et h i r dpersoni nt h es i n g u ュ h enominativec a s e .Degradesi sar e g u l a rv e r b l a rnumber , andt n d i c a t i v emood , p r e s e n ttense , t h i r d person singular , a ュ active , i g r e e i n gw i t hi t snominative“ vice , ". . . Usi sap e r s o n a lpronoum , f i r s tpersonplural , i nt h eo b j e c t i v ecase , andgovernedbyt h ea c ュ t i v ev e r b “ degrades ," . . .( 2 0 ) . I と E のパーシングの相違は、 E で支配、一致への言及があるということだ けである(ちなみにラウスは parsing の代わりに、 apraxis , grammatical resolution という用語を用いているが、 E に相当する分析をしている)。 E n g l i s hGrammαr を A (1 40) では、“ A wisemangov e r n sh i sp a s s i n o n s . " w i s e man i st h es u b j e c t ;governs , t h e attribute , or t h i n g a f f i r m e d;andh i sJXL8 sions , t h e objec t.と説明しているが、 subject , object なと‘の範瞬は統語パーシングには登場しないのである。もっとも、 Elmore (1 830) P=Predicate) には S. JamesC .i sP .wise (S=Subject/C=Copula/ という分析がすでに提示されている (Elmore はこれを anal ysis とも parsmg とも呼んでいる)。また、 Douglas (1 889) では従来の ノ f ーシングに加えて Analysis s t e a li ss i n f u lだと、 To o fSentence を提示している。たとえば、 To steal=subject , i ssinful=Predicate に二分され る。 sinful は attribute である。 Elmore の用語では、 attribute=C & P で 上の例で言うなら、 lS W1se の部分が Attribute である。 complement とし、 う用語は Elmore は使っていなし、。 Douglas は用いているが、 Persever a n c eovercomesdifficulties の difficulties すなわち目的語を指して用い ている。このように例外もあり用語にも微妙な差異があるが、一般的にいえ ば、文の構成要素の品詞を述べるマレ一流のパーシングが本流であったのは 言うまでもない。 なお格という範瞬はあっても、マレ一文法では Etymology の章で扱われ ておりそれはあくまで形態上の問題であって,上のパーシングが示すように 1 2 2 南出康世 文における機能とは直接関係しない形で捉えられていることに注意する必要 がある(もっとも、 English Grammαr (57) には The n o m i n a t i v ec a s e rt h es u b j e c to ft h everb と L 、 simplye x p e r s s e st h enameo fathing , o う説明があり、格を動調との関係概念として捉える見解が示されている)。 E で nominative “ VIce" といっているのはマレーが格変化を持たない英語 の名詞に 3 つの格(主格、所有格、目的格)を認めたことに由来するが、こ れはもちろんラテン語文法の影響であり、上で引用した Elmore , Douglas を始め後世の多くの学校文法家に引き継がれた。さて、 degrades のパーシ ングは現在ならば、 Degrades i sar e g u l a rt r a n s i t i v e verb , i n d i c a t i v e mood , agreeing with t h ep e r s e n tt h i r d persons i n g u l a rs u b j e c t “ vice" というべきところである。 us に関するパーシングは現在でも通用する。 このような練習が英語を正しく話したり書いたりする能力の養成に本当に つながるのかどうか疑問であるが、ともかく当時はこれが唯一最良の方法と 考えられマレーがこれに工夫を凝らしてパーシンク守全盛の基礎を作ったので ある。文法練習のもう一つの住は支配/一致の問題をマスターするための誤 文(英語では bad grammar , f a l s esyntax , f a l s econstruction などと呼 ばれる)訂正である。これは規則や原理を暗記するよりもそれに違反してい る例を生徒に提示したほうが効果的と考えられていたためである。著名な作 家の「誤文」を提示する方法はすでにラウスが実践しているが、これを文法 錬習問題として整備したのはマレーの功績であろう。練習問題として用いる には著者が自ら誤文を作る必要がある。この場合もマレーは「わざとらしい 誤りの (glaring erroneous) 例は避け、書いたり話したりする際にしばし ば起こりがちな例に限定した J (Abridgment , p .4)と用意周到なところ を見せているが、これは次第に訂正のための訂正練習になって、 Theology i st h a ts c i e n c ewhocontemplatest h en a t e ro fGod , andd i v i n et h i n g s のようないかにも誤文訂正のために作った人為的な例が登場するようにな る。現代では誤りを通して正しい英語を教えるという方法は文法恐怖症を引 き起こすマイナス効果のほうが大と見なされ文法テキストから全くと言って いいほど姿を消しているが、 19世紀にはこれが全盛であったようである。た とえば、 Hornsey (1 802?) は全頁の 4 分の l にあたる 30頁を誤文訂正に 学校文法の成立と展開:ラウス・マレ一文法の再評価 1 2 3 当てているし、また上で言及した Lennie (1852) は、マレーの Abridge ment が誤文訂正に 8 頁余りしかさいていないのに対して、 80頁もこれにあ てていることを宣伝文句の一つにしているほどである。ともあれこの二つの 文法練習は後の学校文法学者、 Sonneschein , Nesfield , Mason , Bain に引 き継がれ20世紀前半まで学校文法の骨子となってきたのである。 マレ一文法の人気の絶頂期は 1830年代とされる。 English Grammar は 1850年までに 300版を重ね、 1810年と 1830年の聞に 195回もレプリントされた という (Cmiel1990) 。この時期の学校文法界の趨勢を、 Algeo (1 985) 、 Downey (1 99 1)を参考にまとめてみると、マレーのライバルとしてま ず、R. Smith:Intellectual αnd P r a c t i c a lGammα r ( 18 30)/Smith's E n g l i s hGrammaront h eP r o d u c t i v eSystem (1 864) をあげることがで きる。これまでの文法はまず文法規則を暗記するという演鐸型であったたが、 Smith は練習の後に文法の規則は与えられるものという帰納型 (inductive method) を唱えた。また従来の文法はパーシングに代表されるように分析中 心であったが、 Smith は文構成 (sentence building) という発想を導入し総 合 (synthesis) 志向の文法を提案した。その後 S. 0 1theEnglishLαnguαge Greene:AnA 聞かs~s (1 874) が Smith の考えを引き継いだが Greene はさらに文分析 (sentence analysis) を導入した。パーシングはすでに上で 見たように、文の構成要素の品詞を同定しさらにそれを細分化するものであっ たが、 Greene の文分析は文の構成要素をその機能面から分析するもので分析 という名にふさわしいものであった。この分析は Reed Lessonsi nE n g l i s h(1 877) & Kellogg: Higher ではダイアグラム形式で提示され後の学校文 法に大きな影響力をもった。このように 19世紀半ばを過ぎると学校文法は次 第に語中心の文法から節中心の文法に変化してゆきそれとともに、主語、目 的語、補語、修飾語、単文、複文、童文といった統語範鴎が大きなウエート を占めるようになるのである。 ある統計によると米国では文法テキストの数は 1800-1810 聞に 14 種類で あったが、次第に増え 1821 一 1830 には 81 種類に激増している。正確な数字 は掴みがたいが、別の調査では 19世紀前半で 250種類の文法書が出版され たという (cf. Cmiel1990)。ある学者は 1850年頃を文法最盛期と見てい 1 2 4 南出康世 る。そしてすでに上で‘見たようにこの頃に前後して「文分析J r ダイアグ ラム J r生産 J ( p r o d u c t i o n ) r 構成 J ( b u i l d i n g / c o n s t r u c t i o n ) r 作文」 (composition) という概念がこの時期の文法書に登場するようになり、そ れが主流となっていった。たとえば、 Brown (1 886) では誤用文法とパーシ ング中心の練習問題の中に「近代的な教授法J として構成 (construction) (指示通りの品調を使って文を作る)と作文(単文、複文、重文を使ってま とまった意味を持つ文章を作る)の練習問題が取り入れられている。 Swin t o n (1 885) は序文で r19世紀後半には書物で説かれ、学校で教えられてい る類の英語の文法は、その公然の目的、即ち英語を礼儀正しく話し書く技術 を教えることを実行し得ていないことは多くの真剣な教師その他の人々の心 に疑う余地のないものとして根を下ろすに至っている」と当時の文法教育の 行き詰まりを指摘し、作文に役立つ文法をかかげ、練習問題もこれに沿った 工夫が成されている。このように 19世紀後半になると、マレ一文法を越える ための工夫が種々なされ語中心の文法から節中心の文法へ脱度してゆくが 所期の効果を挙げることができなかった(明治期に日本に輸入、覆刻、翻 訳された文法書、 Swinton , Brown , Quakenbos , Pinneo などの多くがこ の時期のものである。これについて詳しくは大阪女子大学付属図書館編『蘭 学英学資料選.!I (99 1)の「文法書J の章参照)。そして文法は人気を失い次 第に正規のカリキュラムから姿を消して行く。これとともにマレ一文法は衰 退の一途をたどるのである。マレー文法の衰退はそのまま学校文法の衰退を 象徴しているのである。 参考文献(1) Ash , J. l7 8 4 .Grammαtical I n s t i t u t e s:or, αn EasyI n t r o d u c t i o nt oD r . 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