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Page 1 Page 2 された。 國の朗読後のことである。 ー965年7月24日
人 間 関係学 研 究 第10号 2011 41 − 54 チ ャールズ・オルソ ン著 『ミュソロ ゴス』 「 詩 と 真 実」 につ い て* 平 十野 順 雄** An Essay on Charles Olson's “Poetry and Truth" in Muthologos Yorio HIRANO キ ーワ ード : ミ ュト ス, ミ ュソ ロ ゴ ス, ブ ラッ ク ・ マ ウン テン 派詩 人 , チ ャ ール ズ ・ オル ソ ン , 『マ クシ マ ス詩 篇 』 I. 「 詩 と 真 実 」 に ユ ソロ ゴ ス 』(Muthologos, 1979) は, 1963年 か ら1968 年 の 間 に ア メ リ カ 詩 人 チ ャ ー ルズ・ オ ル ソ ン イCharles Olson, 1910-70) が 行 な っ た 講 演 や 対 談 , 座 談 , 及 び イ ン タ ヅ ユ ー を 集 め た も ので あ る。 そ の 内容 を紹 介 す る と以 下 の よ 引 こな る。 Muthologos 第一巻 ① ブ 歴 史 に つ い て 」(On History, 1963)。 The University of British Columbia Poetry Conference で, Robert Creeley, Robert Duncan, Allen Ginsberg, Phillip Whalen ら の 詩 人 だ ち と 共 に 行 な っ た パ ネ ル ・ デ ィ ス カ ッ シ ョ ン 。 1963 年7 ② 月29 日 。 「 マ シ ュ ル・¬ ム の 下 で 」(Under the Mushroom, 1963 Buffalo か ら40 マ イ ル 束 に あ るGratwick 1960 年12 月 と1961 年2 )。 く1963 年11 月16 日 に / ニ ュ ー ヨ ー ク 州 夫 妻 宅 へ ,オ ル ソ ン は 妻 のBetty 月 に 薬 物 学 者Timothy Leary と と も に招 か れ た。 が 行 な っ た 実 験 の こ と を ,6 名 か ら7 名 の 集 団 に語 っ た。 ③ 丁 カ ジ ュ ア ル ・ ミ ソ ロ ジ ー 」(Casual Mythology, 1965 Conference at Berkeley で 行 な っ た 講 演 。 1965 年7 )。 The University of California Poetry 月20 日 。 ① プ バ ー ク レ イ で の 朗 読 上(Reading at.Berkeley, 1965 )。 The University of California Poetry Conference で 行 な っ た 朗 読 。 1965 年7 ley, Lew Welch, John Wieners ⑤ 月23 日 夜 。 Allen Ginsberg, Robert Duncan, Robert Cree- な ど の 詩人 が聴 衆 の 中 にい た。 「 チ ャ ー ル ズ ・ オ ル ソ ン と エ ド ワ ー ド ・ ト ー ン 」(Charles Olson and Edward Dom, The University of California at Berkeley の 芝 生 の 上 で, Edward Dorn 1965 )。 と 行 な っ た対 談 が 映 像 化 * 本 稿 は,2011 年10 月22 日, 椙 山女 学 園 大 学 にお い て 開 催 さ れ た 日 本 英 米 詩 歌 学 会 第24 周 年 記 念大 会 で 行 な っ た研 究発 表 「C. Olson:Muthologos− 「 詩 と真 実卜 につ い て」 に基 づ い でい る 。 **人 間 関係 学科 教 授 −41 − 十 平 野 順 雄 さ れた 。 ④ の朗 読 後 の こ と で あ る 。 1965年7 月24 日 午 後 。 六 十 ⑥ 寸 グ ロ ス タ ー の オ ル ソ ン 」(01son in Gloucester, 1966 )。 1966年3 月12 日 にRichard Moore が オ ル ソ ン の 自 宅 を 訪 ねて , 教 育 テ レ ビ シ リ ー ズ 用づthe National Educational Television series ) の 映 画 を作 製 し た。 そ の 映 画 フ ィ ル ム の う ち,編 集 時 に不 要 とさ れた もの を文 字 化 し た もの 。 Muthologos ⑦ 第 二 巻 「 コ ー 招 か ト ラ ン れ て 行 た 。 聴 衆 ウ ン テ ド で の 手 − ク 」 (Talk at Cortland, 1967 な っ た 講 演 。 対 の 中 に は , ン 大 学 時 代 ニ ュ ー ヨ ー ク 州 立 大 学Buffalo 「 詩 と 真 1968 ⑨ 実 」 (Poetry and Truth, 1968 年3 「 ブ 月25 ラ ッ ク 続 講 演 開 催 ⑩ 「BBC ル ソ ⑩ ン テ 月26 しfz 「 パ リ ン を 訪 ・ レ シ リ 「 す べ 月27 年8 ト ン で 読 に ブ ラ ッ ク 年10 で 行 ・ マ 月20 な っ た 連 続 講 演 。 ン タ ユ ー が , グ ロ ス ー ヴ ェ 記 ⑧ の 現 代 詮 に 関 す る 連 月26 日 。 ト で の 放 送 用 に 予 め 作 成 し た 原 稿 も め 。 1969 年8 月26 ウ ェ ー デ ン の 女 性 が , を オ 日 。 グ ロ ス )。 オ ル タ ー の 自 宅 に い な っ た レ ヴ ュ ー 」 (Paris ン の 友 人 ハ )。 上 年3 月 」 (Interview in Gloucester, August 1968 ん だ ス 千 Review Interview タ ー で 行 ・ ブ な ラ ウ ン て が 問 題 と な る 人 た ち を お れ は 知 っ て い ケ ニ ー の 対 ン 州Beloit College )。 BBC 日 ) 後 に 放 送 し た ン タ ヅ ユ ー ,1968 イ ン タ ヅ と , オ ル ソ ン シ 公 式 の ト ー ク 。 1968 ね て √ イ ン タ ヴ ュ ー を 行 ー ズ の rit Lansing そ の 中 ・ − ・ な っ た 非 年7 の イ た 。 の 姿 が あ っ た 。 1967 ン に つ い て 」 (On Black Mountain, 1968 を 回 ボ ス ヴ ュ ー 校 に 日 ま で 。 日 に 行 (1968 ン 著Call Me Ishmael Work 月29 立 大 学Cortland 詩 を 書 い て い る 学 生 で あ っ 校 の 学 生 が い )。 ウ ィ ス コ イ ン タ ヅ ユ ー 」 (BBC Interview, 1968-69 る オ ル ソ ⑩ ・ マ ウ 「 グ ロ ス タ ー で の イ ソ ⑩ 日 か ら3 中 の3 ン が 修 正 ヨ ー ク 州 か ら , オ ル ソ ン の 学 生 で あ っ たJohn Wieners 日 。 r ⑧ )。 ニ ュ ー 象 は ニ ュ ー ヨ ー ク 州 立 大 学 に 所 属 レ )。 パ リ わ れ た 。 1969 (Harvey Brown る ー チ ・ レ 年4 ヴ ュ ー のWriters at 月16 日 。 詩 人 のGer- ) が 同 席 し た 。 ャ ー ル ズ ・オ ル ソ ン と ハ ー バ ブ ト ・A ・ 談 」 ("I Know Men for Whom Everything Matters": Charles Olson in Conversation with Herbert A. Kenny, 1969 に 位 置 す る ) the Boston Globe 1 )。 マ サ チ に あ るHerbert こ勤 め る 新 ュ ー セ ッ ツ 州Manchester A. Kenny 宅 で ,1969 聞 記 者 で あ 年8 る 。 ( グ ロ ス タ ー か ら5 月 の 下 旬 に 行 マ イ ル ほ ど 南 西 な わ れ た 対 談 。Kenny は , レ つ ま り ,『 ミ ユ ソ ロ ゴ ス 』 は , 詩 人 の 最 後 の10 年 間 の 活 動 を 記 し た 公 式 資 料 な の で あ る 。 本 稿 は ∧「ミ ユ ソ ロ ゴ ス 」 レ 第2 巻 所 収 の 「詩 と真 実 」 を オ 片 ソ ンの 詩 学 の 要 とし て 考 察 す る 試 み で あ る 。 そ の た め に は, まず 「 ミ ユ ソロ ゴ ス」 と い う 語 を 理解 し てお く 必 要 が あ る。 こ の 語 は オ ル ソ ン の 作 品 の 中 で は , 『 マ ク シ マ ス 詩 篇 』(The Maximus Poems 初 め て 現 わ れ る 。「 手 紙23 」 を 見 よ う 八975 ■ I ○ Ⅱ 。 ミLユ ソ ロ ゴ ス の 意 味 1 ) の 「 手 紙23 」 に 「 手 紙 23 」 検 討 。 レ Letter 23 [‥士 What we have here −and literally in my own front yard, as l sd to Merk, asking him what delving, into “ 丘shermans ffield" recent historians … −42 − チ ャ ールズ ・オ ルソ ン著 『ミユソロ ゴ ス 』 not telling him it was a poem l was interested in, aware I'd scare him off, muthologos has lost such ground since Pindar The odish man sd:“Poesy steals away men's judgment by her muthor (taking this crack at Homer's sweet-versing) “and a blind heart is most men's portions." Plato allowed this divisive thought to stand, agreeing that muthos is false. Logos isn't−was facts. Thus Thucydides l would be an historian as Herodotus was, looking for oneself for the evidence of what is said …] [ What we have in this field in these scraps among these fishermen, and the Plymouth men, is more than the fight of one colony with another, it is the whole engagement against (1)mercantilism[…] and (2)against nascent capitalism except as it stays the individual adventurer and the worker on share−against all sliding statism, ownership getting in to, the community as, Chambers of Commerce, or theocracy; or City Manager (Charles 手 紙2ト Olson, The Maximus Poems 104-105) エ (略) 資料 に よ れ ばー まさ に う ち の 玄 関 先 で 起 こ っ た 事 件 だ。「 フ ィ ッ シ ヤマ ン ズ・フ ィ ー ルド 」 に 関 し て , 最 近 の 歴 史 家 が ど んな 研 究 を七 て い る のか , マ ー ク に聞 い て み た時 …お れ は , 詩 に 関 心 が あ る の だ と言 わ なか っ た, そ ん なこ と を言 お う も の なら 縮 み上 が っ て し ま う だ ろ う か ら 。 ピ ン ダロ ス 以 後 , ミ ユソ ロ ゴス に は拠 り所 が な い −43 − 平 野 順 雄 頌 歌 詩 人 ピ ン ダ ロ ス い わ く ,「 詩 は 偽りの物語によって 人 間 の 判 断力 を 奪 い 去 る 」( ホメ ロ ス の 美 しい 詩 に 向 け ら れ た こ の皮 肉 ) 「 ゆえ に ほ と ん ど の人 の 心 は 盲 目 な の で あ る 。」 こ れ を見 て プ ラト ン は , 分 割 す る 思 考 を 正 しい と 支 持 し た ミ ュト スが 偽 りで,ロ ゴスは 偽りではなく,事実だ,と認めたのだ。かくして ツキュジデスの登場となる だが お れ は, 語 ら れて い るこ と の 証 拠 を 自分 で 探 す ヘ ロ ド ト ス の よ う な 歴 史 家 で あ り たい 。( 中 略 ) ‥ こ の原 野 で 起 こ っ た グロ ス タ ユ 住民 と プ リ マ ス 住民 と の 静 い は , 一 つ の植 民 地 と もうブ つ め植 民 地 と の 争 い に と ど ま ら ない 。 そ れ は, 全 面 戦 争 な の だ 。 敵 は , まず (1 ) 商業 主 義 ( 中 略 ) 十 そ れ に (2 ) 生 ま れ た ば か り の 大 資本 主 義 だ。 た だし 個 々の冒険商人と労働者が,分け前にあずかる 段 階 に留 ま る な ら, 話 は 別一 敵 は , 堕 落 す る 国 家 主 義 全 体 な の だ 。所 有 権 が 共 同 体 に割 り込 む・ , 商 工 会 議所 や , 神 権 政 治 , あ るい は, 市 政 担 当 官 の形 を とっ て 丿 (チ ャ ー ルズ ・オ ルソ ン 『マ ク シマ ス詩 篇 』104 − 105 頁) 引 用 箇 所 の1 行 目 に 出 て 来 る 人 物 「 マ ー ク 」(Merk ) と は , ハ ー プ ア ー ト 大 学 の 歴 史 学 者 フ レ デ リ ッ ク ・ マ ー ク (Frederick Merk ) を 指 す 。 人 と 文 明 が 西 へ 向 か う て 動 く と 考 え ,「 西 へ の 動 き 」(Westward Movement ) とい う 概 念 を 提 唱 し た 人 物 で あ る 。 オル ソ ン は , 学 生 の 時 , こ の 歴 史 学 者 の 「 西 へ の 動 き」 と い う 題 目 の 授 業 に出 て大 き な 影 響 を受 け たが , こ の 詩 の 中 で は, 自 分 ( あ る い は , 詩 の 語 り 手 マ ク シ マ スト の 方 が フ レ デ リ ッ ク ・ マ ー ク よ り 偉 い レ と い う 態 度 を と っ て い る 。 『 マ ク シ ヤ ス 詩 篇 案 内 ト(A 』 ‥ Guide to the Maximus レ Poems of Charles Olson, 1978;以 下A Guide と 略 記 ) の 著 者 ジ ョ ー ジ ・F ・ バ タ リ ッ ク (George F. Butterick) に よ る 砿 「 フ イ ッ シ ャ マ ン ズ ・ フ イ ニ ル ド 」("fishermans ffield" ) は , オ ル ソ ン が 子 ど も の 頃 , 両 親 と と も に毎 年 夏 を 過 し た マ サ チ ュ ー セ ッ ツ 州 ア ン 岬 (Cape Ann, Massachusetts ), グ ロ ス タ ー 港 (Gloucester Harbor ) の づ 卜 犬 チ ャ ールズ ・オル ソン 著 に ユソロ ゴ ス』 西 岸 付 近 に あ っ た (Butterick.A Guide lx)。 そ れ は, 新 大 陸 へ の 最 初 の入 植 者 が 開墾 し た場 所 を 指 す 地 名 で あ る (Butterick.A Guide 145)。 だ から , 一 行 目の 「 う ち の 玄 関 先 で 起 こ っ た 事 件 だ」 は , 誇 張 で は な く, 事 実 な の だ6 イ ギリ ス から 入 植 し て きた 漁 師 た ち は , 漁 業 の 他 に 畑 仕 事 を す る 必 要 が あ っ た 。 漁 師 の 耕 作 地 を「 フ ィ ッシ ヤマ ンズ ・ フ ィ ー ル ド 」 とい う 名 で 呼 ん だ の で あ る 。 原 文 の引 用2 行 目で は,「 フ ィ ー ル ド」 の“F が“f と な っ て い る が, こ れ は 印 刷 ミ ス で は ない 。 第 一 次 入 植 が 盛 ん だ っ た17 世 紀 に は, 綴 り 字 が ま だ 確 定 し てい な か っ た た め , “f が 一 つ の 綴 り 方 もあ れば ,“r とす る綴 り方 もあ っ た ので あ る 。 「 手 紙23 」 冒 頭 で は,「 フ ィ ッ シ ャマ ンズ ・フ ィ ー ルド 」 に 関 す る 歴 史 的 事 実 が , 語 り 手 マ ク シ マ ス の 現 在 の 目 で 確 認 さ れる 。 続 い て 詩 は ,ミ ュ ト ス(muthos )とロ ゴス(logos)の 対 立 を 語 っ た後 , 再 び 歴 史 的 事 実 の 考 察 へ 戻 っ て い く。「 手 紙23 」 の4 行 目 にミ 耳 ト ス とロ ゴ ス を 連 結 レ だ よ う な 語 「 ミ ュ ソロ ゴ ス 」(muthologos) が 出 て お り ,「ピ ン ダロ ス 以 後 , ミ ュ ソロ ゴ ス に は 拠 り所 が ない 」 と さ れ て い る 。 そ し て10 行 目か ら15 行 目に は , ピ ン ダ ロ ス が 主 張 す る , 偽 り の 物 語(ミ ュ ト イ)と事 実 佃 コ スト の 違 い を プ ラ ト ン も認 め た , と 書 か れ て い る 。 し か し ミ ュ ト ス が 偽 り の物 語 で ,ロ ゴ ス は 事 実 だ と い う ピ ンダ ロ ス の 考 え 方 は 正 し い の だ ろ う か 。 2 。『ロ ゴ ス の ア ート 』 『マ ク シ マ ス 詩 篇 案 内 』 で , ジ ョ ー ジ ・F ・ バ タリ ッ ク は,「 手 紙23 」 の ミ ュ ト ス と ロ ゴ ス に 関 す る 注 目 J ・A ・K ・ ト ム ソ ンの 『ロ ゴ ス の ア ート 』(J. A. K.Thomson, The Art of the Logos. London, 1935 ) を挙 げ る。 バ タ リ ッ ク が 引 用 す る 箇所 を見 よ うノ 十So far as we know, the first to distinguish between Muthos and Logos, was Pindar. 'Surely marvels are many,' do deceive 'he says, 'and methinks in part Muthoi adorned with cunning fictions beyond the true Logos the minds of men.' Here Muthos, the false Story, is contrasted with Logos, the true. Again he says, [ ' … ]Poesy steals away the judgments of mankind by her Muthoi, portion.' Here and a blind heart is most men's again Muthos is the false story. It is from this usage that 'myth' has come to mean the words of the New English Dictionary [Oxford English Dictionary (in ])'a fictitious narrative.' The reason for the choice of Muthos rather than Logos to designate the fictitious narrative is fairly clear. It is Homer's word, and it is of certain Stories in Homer that Pindar is thinking when he says that their charm blinds us to their falsity. Even Plato them. It is only when the need arises to discriminate between the false Story and the true, between imagination (as in what we call the Platonic myths )and demonstrable fact, that he follows Pindar and calls e Lo the false a Muthos. Yet the converse does not hold, and in normal usa OS did not mean a true s 1 (Thomson, The・ Art of the Lo即s 18- 1 9; Butterick,Guide A 145-146.Underlines are mine.) 私 た ち が 知 る 限 り, ミ ュ ト ス (MUthOS ) どロ ゴ ス (Logos卜 を 最 初 に 区 別 し た の は, ピ ン ダ ロ ス だ っ た。「 確 か に す ば ら し い こ と は多 い が づ とう に ミ ュ ト イ (Muthoi ) の 中 に は , 巧 妙 な 虚 構 で 飾 り立 て ら れ てお り, 真 実 のロ ゴ ス 以 上 に 人 の 心 を 龍 絡 す る もの が あ る よう だ 」 と ピ ン ダ ロ ス は 言 う。 こ こ で はノ 偽 り の 物 語 で あ る ミ ュ ト ス は , 真 実 の 物 語 で あ る ロ ゴ ス と対 比 さ れ て い る 。 ピ ン ダロ ス は更 に 言 う,「(中 略 )詩 はミ ュ ト イ に よっ て 人 間 の判 断力 を 奪い 去 る ので , ほ と ん ど の人 間 に は 盲 目 の心 が残 る だ け で あ る 」と。こ こ で も,ミ ュト ス は, 偽 り の物 語で あ る。 −45 − 平 野 順 雄 こ う い う 用 法 か ら ,「 神 話 」('myth' ) は, (the New English Dictionary[Oxford English Dictionary ] の 語 句 で 言 え ば )「 虚 構 の 物 語 」('a fictitious narrative' ) を 意 味 す る よう に なっ た。 虚 構 の 物 語 を 指 す の に ロ ゴ ス で は な く ミ ュ ト ス が 選 ば れ た 理 由 は , 実 に 明 快 で あ る 。 ミ ュ ト ス が ホ メ ロ ス の 言 葉 だ か ら だ 。 だ か ら , 物 語 の 魅 力 (charm 卜 に よ っ て , わ れ わ れ に は 物 語 の 嘘 (falsity ) が 見 え な く なっ て し ま う と ピ ン ダロ スが 言 う時 , ピ ン ダロ ス の 頭 にあ る の は , ホ メロ ス の 物 語 か っ た 。虚 偽 の 物 な の だ。 プ ラト ン で さX 語(the false Story) と真 実 の物 語(the true [Story]) を, あ るい は想 像( い わ ゆる プ ラト ン の神 話) と 明 白 な事 実 を, 区 別す る 必 要 が生 じ た と き に だけ , プ ラ ト ン はよ ピ ン ダロ ス に な らっ て 虚 偽 (the false)を ミ ュ ト ス と 呼 んだ の で あ る 。 し か し , 逆 は な かっ た ので , こ と ば の普 通 の 用 法 で は.ロゴスは O ム ソ ン 『ロ ゴ ス の ア ート 』18-19 頁 ; バ タリ ッ ク 『案 内 』145-146 頁 。 下 線 は平 野 ) こ の引 用 箇 所 で は , ミ ュ 下 ス とロ ゴ ス が 対 立 す る もの と し て 捉 え ら れ て い る。 だ か ら , 偽 り の 物 語 (ミ ュ ト ス ) と 真 実 の 物 語 ( ロ ゴ ス ) の 対 立 を 軸 に し て 話 が 展 開 さ れ る 限 り, ト ム ソ ン の 説 明 は 理 解 七 や す い 。「 神 話 」('myth' ) が, The New English Dictionary [ 現 在 のOxford English Dictionary ]で は ,「 虚 構 の 物 語 」('a fictitious narrative す とし て ミ ュ ト ス の中 に組 み 入 れ ら れ て い る とい う 説 明 も, 納 得 で き る。 理 解 が 困 難 な の は , 最 初 の 下 線 か ら 一 つ 前 の 文 で あ る 。 そ の 文 の 前 半 を 平 易 に書 き直 せ ば, 「 ホ メ ロ ス の 物 語 に 魅 了 さ れ て ピ ン ダ ロ ス は , 物 語 の 虚 偽 が 見 え な く な っ た 」, と な る だ ろ う 。 文 の 後 半 を , 同 様 に 平 易 に 書 き な お せ ば 以 下 の よ う に な る 。「 ホ メ ロ ス の 言 葉 す な わ ち , ミ ュ ト ス に 魅 惑 さ れて 物 語 の 虚偽 が見 え な くな っ た か ら こ そ, ピ ン ダロ ス は 虚偽 であ るミ ュ ト ス を 危 険 視 し , 真 実 お よ び 事 実 を 語 る ロ ゴ ス を 重 視 し た 」こ と 。 : し か し ト ム ソ ン の 説 明 を 平 易 に 書 き 直 し て も , 文 意 は 伝 わ り に く い 。 ピ ン ダ ロ ス が , ホ メ ロ ス の 物 語 を 肯 定 し なが ら否 定 し て い る 点 心 分 か り に く さ の根 本 があ る か らで あ る 。 ホ メ ロ ス の 物 語 (ミ ュ ト ス ) の 魅 惑 を 知 悉 し て い る ピ ン ダ ロ ス は √ ミ ュ ト ス が 魅 惑 的 で あ る が 故 に 真 実 お よ び 事 実 (ロ ゴス ) と 峻別 す る 必 要 を 感 じ , ミ ュト ス の価 値 をロ ゴ ス よ り低 い もの とし な け れ ば な ら な か っ たノ 魅 力 的 な も のは 良 い とす る一う の規 範 と, 魅 力 よ り も真 実 の 方 が 価 値 的 に 上 で な け れ ば な ら な い と す る も う 一 つ の 規 範 が , ピ ン ダ ロ ス の 頭 の 中 で 交 差 し レ ミ ュ ト。 ス とロ ゴ ス の 序 列 化 か 行 な わ れ る。 本 来 異 な る 二 つ の規 範 がピ ン ダロ ス の価 値 観 に よっ て 説 明 ぬ き で , 序 列 化 さ れ たの だ。 こ の操 作 の 結 果 , ホ メ ロ ス の物 語 に対 する 評 価 が 不 透明 にな り , 文 意 が 伝 わ り に く く なっ た ので あ る。 下 線 を 引 い た箇 所 に移 ろ う。 一 つ 目 の 下 線 を 引 い た 箇 所 は , プ ラ ト ン が ミ ュ ト ス と ロ ゴ ス を 「 分 割 す る 」 ピ ン ダ ロス の 思 考 法 を , 必 要 な 時 だけ 支 持 し た と説 明 し で い る 。 そし て, 必 要 な場 合 に は 虚偽 をミ ュ ト ス と呼 ん だ が , 真 実 を ロ ゴ ス と 呼 ぶ こ と は な か っ た と い う 点 心 ト ム ソ ン は 注 意 を 促 す 。 つ ま り , 二 つ 目 の 下 線 を引 い た 文 にあ る 通 り , ロ ゴ ス は 真 実 の 物 語 を 意 味 し な か っ た の で あ る 。 な ら ば, ピ ン ダ ロ ス の 二 分 法 は, ホメ ロ ス に よっ て も, プ ラト ン に よ っ て も 支持 さ れ てい ない こ と にな る 。 む し ろ レ ミ ュ ト ス も ロ ゴ ス も 物 語 (Story ) と い う 点 で は 同 じ だ と 考 え る 方 が よ い , と ト ム ソ ン は 説 い て い る の だ 。 \ わ れ わ れ が 読 み に く さ を 感 じ た 文 は , ミ ュ ト ス と ロ ゴ ス を 区 別 レ ミ ュ ト ス を ロ ゴ ス の 下 位 に 置こ う と し た ピ ン ダ ロ ス の 苦 渋 を 語 る 文 で あ る ど と も に ピ ン ダ ロ ス の 概 念 操 作 に は 無 理 が - あ る ご と を 暴 露 す る 文 だ っ た の で あ る 。 46 − / チ ャ ールズ・ オルソ ン 著 に ユソロ ゴ ス』 3. ツ キ ュ ジ デ ス と ヘ ロ ド ト ス 犬 「 手 紙23 」の 中 ほ ど( 本 稿43 頁 参 照 )に ツ キ ュ ジ デ ス(Thucydides )と ヘ ロ ド ト ス(Herodotus ) が 登 場 し て い る。 に ユ ソ ロ ゴ ス 』 第1 巻 「歴史 に つ い て 」 に よ れ ば, ツ キ ュ ジ デ ス は 「 出 来 事 を 報 告 す る 人 」 で , ヘ ロ ド ト ス は ,「 歩 き 回 っ て , 発 見 で き る あ ら ゆ る も の を 発 見 し , そ れ か ら語 る人 」 であ る 。 [Herodotus ]says "I'm using this as a verb ’istorin,which means to find out for yourself [ … ]” [ … ]After all, Herodotus goes around and finds out everything he can find out, and then he tells a story. It's one of the reasons why l trust him more than, say, Thucydides, who basically is reporting an event. (Charles Olson, “On History," Muthologos Vol.I 3 ) [ ヘ ロ ド ト ス ]は 言 う ,「 私 は , こ れ を 動 詞 ヒ ス ト リ ン と し て 使 う 。 ヒ ス ト リ ン の 意 味 は , 自 分 で 探 し 出 す で あ る ( 中 略 )」。( 中 略 ) つ ま り √ ヘ ロ ド ト ス は , 歩 き 回 り , 探 し出 せ るあ ら ゆ る も の を 自分 で探 し 出 し て , そ れ か ら 物 語 を 語 る。 そ れ が よ ヘ ロ ド ト ス の 方 を 私 か 信 用 す る 理 由 の 一 つ だ 。 誰 よ り か と 言 え ば ,た と え ば ツ キ ュ ジ デ ス よ り 。 ツ キュ ジ デ ス は基 本 的 に 出 来事 を 報 告 す る 。 (チ ャ ー ル ズ ・ オ ル ソ ン 「 歴 史 に つ い て 」 に ユ ソ ロ ゴ ス 』 第1 巻 ,3 頁 ) 二人の歴史家の違い を上記引用 のよう に考 えるならば,「手紙23」で, 語り手マクシマスが 「お れは,語ら れているこ との証拠 を/自分で探すヘロドト スのような歴史家/であ りたい」 と言 うのも頷けるだろう。ヘロ才トスこそ, アリスト テレ スに 「ミュソロゴス」と呼ば れた人物 だう たのだ。その理由にづいて,バ タリ ックは,ト ムソンの著書を解説し ながら明 らかにし でくれ る。 Thomson points out that Herodotus was called “the Muthologos ” by Aristotle, and that “What it all comes to is this, that for the audiences which harkened to the Stories a Muthos was a Logos, and a Logos a Muthos. They were two names for the same thing" (Art of the Logos, p.19 )。 (Butterick, A Guide 146 ) 下 ム ソ ン は , ヘ ロ ド ト。ス が ア リ ス ト テ レ ス に よ っ て 「 ミ ュ ソ ロ ゴ ス 」 と 呼 ば れ た と 指 摘 し て い る 。 そ し て ょ「 結 局 の と こ ろレ 物 語 に 耳 を 傾 け る 聴 衆 に と っ て は , ミ ュ ト ス が ロ ゴ ス で あ り, ロ ゴス は ミ ュ ト ス で あ っ た の だ。 ミ ュ ト ス とロ ゴス は同 じ も の を指 す 二 つ の 名 前 だ っ た 」(『 ロ ゴ ス の ア ー ト 』19 頁 )。 ( バ タ リ ッ ク 『 案 内 』146 頁 ) ト ム ソ ン に よ れ ば , もと もと , ロ ゴ ス は「 こ とば 」('word')や「 理 性 」('reason' )で は な く , 単 に 「 語 ら れ てい るこ と 」('what is said' ) を意 味 し た の であ る。 Logos did not originally mean 'word' or 'reason,' or anything but merely 'what is said.' (Thomson, The Art of the Logos 17; Butterick, Guide A 146) ロ ゴ ス は , も と も と「 こ と ば 」や丁 理 性 」を 意 味 し な か っ た , 単 に「 語 ら れ て い る こ と 」 を 意 味 し た 。 ( ト ム ソ ン 『ロ ゴ ス の ア ー ト 』17 頁 ; バ タ リ ッ ク 『 案 内 』146 頁) 話 を整 理 す る と ,こ う な る だ ろ う 。 ミ ュ ト ズ が 虚 偽 で ,ロ ゴ ス が真 実 であ る と いう 二 分 法 は , −47 − 几 平 野 順 雄 常 に 有 効 とは い え ない 。 むし ろ , 虚偽 であ りな が ら 同 時 に 真 実 で あ り, 真 実 で あ りな が ら 同 時 に 虚 偽 で あ る よう なこ と を語 る者 , す な わち 「 ミ ユソ ロ ゴ ス 」 に な る こ とが 私 の願 い だ , と 語 り 手 マ ク シ マ ス は 言 っ てい る , と 。 こ れ はレ ピ ン ダロ ス に は 把 握 で ぎ な か っ た 考 え 方 で あ る 。 語 る 内 容 が(1)魅 惑 に 満 ち た 虚 偽 お よ び虚 構(ミ ュ ト ス )な の か,(2)事 実 お よ び真 実 佃 ゴス ) な の か , と ピ ンダ ロ ス の よう に二 分 す る ので は な く , ミ ュ ト ス もロ ゴ ス も, 語 る とい う点 で は 同 じ だ と い う , 結 合 の 思 考 法 が ミ ユ ソロ ゴス で あ り , ま た , そ の よう に 語 る 者 が ミ ユソロ ゴ ス と 呼 ば れる と い う ,決 定 的 に 新 し い 考 え方 が こ こ で示 さ れ て い る 。 あ る い は ,こ う も言 え る だ ろ う 。「 物 語」 (Story)にお い で はレ語 る 内容 が 虚 偽お よ び 虚構( ミ ユ ト ス ) で あ る か , 事 実 お よび 真 実 (ロ ゴス ) で あ る か と い うレ 語 る 題 材 の 真 偽 は 問 題 で は ない の だ ,と。 ピ ン ダロ ス が 苦 渋 に 満 ち た 概 念 操 作 を 行 な う 必 要 が あ っ た の は, 語 る 題材 の真 偽 が , 「物 語 」 の 真 偽 を決 定 す る と 考 え た か ら で あ る 。 そう で は な く, ミ ユ ソ ロ ゴ ス とい う 考 え にお い て は ,「物 語 」 は, 語 る 内容 の真 偽 の 区 別 を超 越 し で い る の であ る。「 物 語 」 に 関 す る 考 え を ト ム ソ ン が , 一 歩 進 め た こ と の 意 義 は大 きい 。 ニ Ⅲ 。 エ 1. ベ ロ イ 「 ミ ロ ゴ ス め 」 の 実 」("Poetry and Truth" ス コ ン シ ンフ州 の ベ ロ の 冒 頭 で , タ イ ル に ソ ン は ソ ン が 行 ら の 朗 深 い , 考 イ ト 大 学 め よ う や く 我 の 『詩 と は ど う い 詩 の 不 思 議 な い 。 そ こ に 巧 衆 に 語 , の 内 容 そ の も の の 生 わ ら ず, と い っ た 和 き 生 き と し た 動 語 オ ル ソ ン の 講 演 , 何 時 か な 囲 気 内 容 が オ ル , ソ ン の ユ ソ ロ ゴ ス 』 の 第2 月27 日 ノ3 な わ れ た , und 月29 巻 に 現 衆 は オ ル ソ ま り に 思 考 の プ ロ セ 自 体 を , ユ ソ ロ ゴ ス 』 に 収 め ら れ た 「 詩 日 の 三 夜 に わ た づ て ウ ィ ) の 英 訳 だ と 言 い ) で あ る , わ れ り と と 言 え , ス ㈲ 講 な が ら , と 言 っ て オ き 込 , 必 ず 自 作 『マ ク シ マ ス 詩 篇 』 か む こ と に よ っ て 講 演 を 興 味 し も 講 演 で 語 っ と と も に 詩 の 純 然 こよ っ て 進 む 部 分 , よ り は 語 , も ら う た め に オ ル り な が に は ら 考 た 事 柄 の 例 証 た る 力 が 噴 出 す 瞬 時 の 言 い 換 え え て い る の だ 。 し , 語 る 時 の 息 (プ レ ス ) や , 思 よ う 。 首 ブ 既 に で は な ま し く 思 っ た く と 聴 衆 く , ら し く の 一 オ ル , わ っ ,9 人 が 「9 ソ ン と い う 茶 て き た 時 に 終 時10 分 , 途 方 目 っ 気 も な い エ わ る は ず の 講 演 だ よ 」 と 答 え る , し 出 さ れ て い た 。 岐 に わ た る た め も 拘 ら ず , も 如 実 に 感 じ 取 オ ル ソ を 引 何 事 か を 語 っ た 時 に 伝 ン を 好 に は 醸 も 多 を 聴 衆 に 分 か っ て 講 演 の 中 に の 中 に 聴 衆 ? 」 と オ ル ソ ン が 聞 あ に 詩 に 関 す る 連 続 講 演 で あ る 。 Wahrheit ら れ る 。 オ ル ソ ン は わ り , ン は 朗 読 さ れ る 詩 は と の や 聴 衆 こ の 講 演 オ ル ソ ー モ ア が 生 ま れ る き だ 檀 上 が 講 演 会 場 , , も し ば し ば あ っ た 。 そ れ に に 伝 は う も の で あ る か ら れ た 内 容 の 論 理 的 っ た よ う だ 。 聴 や か な 雰 て 。 ) で 行 な 魅 力 か ら な く な る 事 と 読 者 に 既 を 持 つ 講 演 内 容 で あ る は が 三 日 に わ た っ て 下今 ↓ , 聴 衆 前 言 の 修 正 が 見 わ っ た の は , 一m の 価 値 だ が ま ざ る ユ り か け , 伝 が 終 う 。 日 ,3 々 ら わ せ る 。 り か け で あ る 。 り と 入 れ レ も な る 。 聴 ネ ル ギ ー に あ 月25 と 真 実 』 (Dichtung に わ た る 講 演 は , 詩 ご の 連 続 講 演 , え る だ ろ 年 の3 を 面 食 読 を た っ ぷ し た が っ 」 「 体 験 の 教 条 的 本 質 」 ("The Dogmatic Nature of Experience" な っ た / 渾 身 の 語 る 人 物 た 今 き た と 言 も の に す る 戦 略 を 用 い て い る 。 機 と 実 (Beloit College っ て の あ か )は ,1968 ト ル が ゲ ー テ が 連 続 し , 思 考 の 飛 躍 た が を 確 聴 衆 や わ れ わ れ 読 者 に な っ て は い る 契 タ イ ト ル は の 三 夜 意 味 を 読 む 準 備 が で と 真 サ ブ と 真 ト 大 学 で の 連 続 講 演 ュ ソ 『Muthologou 演 「 詩 ン が 提 −48 唱 七 ― だ 講 演 そ の , 講 演 者 オ ル ソ る こ と が で 「 投 射 も の が ン の 息 き る , ど こ へ 向 か う の か 分 (プ レ ス ) は 確 そ う い う 講 演 詩 論 」 (“Projective Verse," で あ 1950 実 に っ た 。 ) の チ ャ ールズ・ オルソ ン 著 に ユソ ロ ゴ ス』 実 践 だ と 考 え る こ と が で きる 。 以 下 に 「 投 射 詩 論 」 の 要 諦 を3 巾 the kinetics つ挙げる。 of the thing. A poem is energy transferred from where the poet got [… it ] , by way of the poem itself to, all the way over to, the reader. Okay. Then the poem itself must, at all points, be a high energy-construct and. at all points, an energy-discharge ・ (2)is the principle, CONTENT [‥。 ]:FORM IS NEVER MORE THAN AN EXTENSION OF . ご (3)the process of the thing [ … ]:ONE PERCEPTION MUST IMMEDIATELY AND DIRECTLY LEAD TO A FURTHER PERCEPTION 。 (Charles Olson,“Projective Verse,"1950. Selected Writings 16-17 ) (1 ) 事 物 の 力 学 よ 詩 と は 詩 人 が エ ネ ル ギ ー を 得 た 場 所 か ら ( 中 略 ) 詩 自 体 に よ っ て , は る ば る と 読 者 の とこ ろ ま で 届 け ら れ るエ ネ ル ギ ー であ る 。 分 か る だ ろ う。 だ か ら , 詩 自 体 が よ あら ゆ る 点 で, 高 エ ネ ル ギ ー構 造 体 と な ら な け れ ば な ら ず , あ ら ゆ る 点 で , エ ネ ル ギ ー放 射 装 置 と な らな け れば な ら ない の だ。 (2 ) は 原 理 で あ る ( 中 略 )。 形 式 は 内 容 の 延 長 以 外 の も の で は な い 。 (3 ) は 事 物 の プ ロ セ ス で あ る ( 中 略 )。 ― つ の 感 受 性 は 即 座 に 直 接 次 の 感 受 性 に 移 行 ■ し な け れ ば な ら な い 。 ・ − ・ ■ (チ ャ ー ル ズ ・ オ ル ソ ン 「 投 射 詩 論 」, 1950 年 。『オ ル ソ ン 選 集 』16-17 頁 よ り ) ま た, 二 本 題 に な か 構 成 全 体 が , オ ル ソ ン の 詩 論 ソ ン の 友 人 は こ う 言 な か 入 ら ず に と も 繋 そ の ま わ り を ぐ る ぐ る と 回 る よ う に 見 え る か っ て い る よ う だ 。 『マ う ○ 「 詩 と 真 実 」 ク シ マ ス 詩 篇 』 「 手 紙15 」 で , の オ ル ■ ■ Maximus, to Gloucester LETTER15 […] He sd, "You go allaround the subject." And“l I sd, didn't know it was a subject." He sd ノYou twist" and l “l sd, do." He said other things. And l didn't say anything ・ (Maximus Poems 72) マ クシ マ ス か ら , グ ロ ス クー ペ 手 紙15 ㈲ 「 あ ん た , 本 題 の ま わり をぐ る 一 つ と 回 る ね 」 と 奴 が 言 っ た 。「 本 = 題 か, 気 にし て な かっ た」 と答 え る お れ 。「 紆 余 曲折 す る ん だ ね 」 と 奴 が 言 い ,「 そ う さ」 とお れは 答 え る。 他 の こ と も聞 か れ た が 答 え な か っ た。 (『マ ク シア ス詩 篇 』72 頁 ) ⊃ 本 題 の ま わり を ぐ る ー つ と」 回 り,「 紆 余 曲折 す る 上 進 み方 がレ 詩 にせ よ, 散 文 にせ よ, ま た 講 演 にせ よ, オ ル ソ ン の 語 り 方 の 特 徴 で あ る よう だ。 上 の詩 中 で, ぶし つ け と も思 え る 指 摘 を し て い る 「 奴ト と は, \オ ル ソ ン よ り17 歳 年 下 の ア メリ カ 詩 人 ポ ー ル・ ブ ラ ッ クバ ー ン(Paul - Blackburn, 1927-1971) であ る。 49 − 平 野 順 雄 2 。 ミ ュ ト ス , ロ ゴ ス , ミ ュ ソロ ゴ ス ざ て , 最 も肝 心 な 点 に 入 ろ う 。「 詩 と真 実」 の 中 に以 下 の よう な 箇 所 が あ る 。 l don't know how immediately and how early this was his name contrast to Homer, who was to the Greeks the Muthologos. −the Logographer −in I hope you hear that switch. It's a most exciting switch, to my mind, because actually what you call Herodotus' stories are known to the Greeks as logoi[ …]Actually logos, in my mind right now, logic or/////[deliberate stutter]is ///,is like s stst story, and is, like,only story. And that when you have subjects like pslychology (sic)and pslopology (sic) is, like, so. At this point, happily, is the word mouth.[ “mouth." Muthos is mouth. [sputters]And indeed logos ‥.]you'll find that what you have to say muthologos is, said" −as suddenly the logos ,you're actually only having the stories of ―and history we can say mythththology (sic)is stories of myths ―which is simply words in the is “what is said of what is mouth is simply a capability, as well as words are a capability [ there, as l think even the Greeks in calling Herodotus the Logographer mean it …] −that he who can tell the story right has actually not only, like, given you something, but has moved you on your own narrative. ( “Poetry and Truth," Muthologos vol. IT 37-3 8 . Ellipses are mine.) ど れ ほ ど 早 く か ら ヘロ ド ト ス が こ う い う 名 前 で 呼 ば れ てい た か 私 は知 り ま せ んー ロ ゴ グ ラ フ ァ ー [ 言 葉 の 記 述 者 ]− とい う 名 前 , ホ メロ ス と は対 照 的 な 呼 び 名 で す。 ホ メ ロ ス は ギ リ シ ヤ人 に と っ て , ミ ュ ソロ ゴ ス で し た。 ご の 転 換 を 聞 い て ほ しい の で す 。 こ れ は , 私 の 頭 の 中 で は , も っ と も刺 激 的 な 転 換 で す 。 なぜ か とい ケと ,い わゆ るヘ ロ下 ト ス の 物 語 と 呼 ば れ る もの は, ギ リ シ ヤ人 に は ロ ゴ イ と し て 知 ら れ て い た の で す。( 中略 ) 実 際 , ロ ゴ ス と は , 今 現 在 の 私 の 頭 の 中 で は, 論 理 あ る い は///// [入 念 な 口 ご も る声 ]は,/// で , そ れ はス , スト , ス ト ーリ ーの よう な も ので す 。 た だ , ス ト ーリ ー に だ け 似 た も の で す 。 そ し て , あ な た 方 が , 心 理 学 (pslychology) と か , 考 古 学 (pslopology) な ど の 学 問 を手 に 取 る と・ き, あ な た 方 はレ 実 は 物 語 を手 に し て い る に す ぎま せ んー そ し て ,歴 史 も同 じ こ と な の で す 。 こ の 点 で , 私 た ち は , 神 話 学 (mythththology) が, 神 話 に つ い て の 物 語 だ と 言 う こ と が で き ま す一 神 話 は「 口 ⊥ と い う 言 葉 で す。 ミ ュ ト ス は, 口 な の で す。[ 唾 を 飛 ば す ]そ し て , ロ ゴ ス と は, 単 に 口 の 中 に あ る言 葉 に す ぎ ませ ん。 づ 中 略 ) あ な た 方 は 知 るこ と に な る で し ょ うレ ミ ュ ソロ ゴ ス と は,「 語 ら れ てい る こ と につ い て 語ち れて い る こ と 」 だ と 一 不 意 に口 が 単 な る 可 能性 に な り ま す , 言 葉 が 可 能 性 で あ る よ 引 こ( 中 略 ) そ の場 合 の ロ ゴ ス と は , ギリ シ ヤ人 で さ え ヘロ下 ト ス をロ ゴ グ ラ フ ァ ーと 呼 ん だ の で す が , こ んな つ もり だ っ たので はないか, と私は考 えてい ます一物 語を正し く語るこ とので きたヘロドト ス は , 人 々 に 何 か を与 え た だ け で は な く て /人 々 が 各 々 の 物 語 を 紡 ぐ よう に 駆 り 立 て た の だ , とい う こ と で す。レ 汗詩 と真 実 」 に ユソ ロ ゴ ス』 第2 巻 37 − 38頁 ) こ の箇 所 を 読 む と , ミ ュト ス が 偽 り で , ロ ゴ ス が 真 実 で あ る と い う 前 提 が 誤 り だ と い う 議論 も ( 本 稿45 −46頁 参 照 ), ミ ユ ソロ ゴ ス と呼 ば れ た 歴 史 家 が ヘ ロ ド ト ス で , マ ク シマ ス は 「 ヘ ロ ド ト ス の よ う な 歴 史 家 に な り たい 」と語 っ てい たこ と( 本 稿47 頁 参 照 )も , 意 味 を失 う 。「 詩 と真 実 」 で は ,「 ミ ュ ト ス は 口 」 で ,「 ロ ゴ ス と は口 の 中 に あ る 言 葉 」 にす ぎな い とさ れて い る −50 − チ ャ ー ルズ・ オルソ ン著 『ミュソ ロ ゴ ス』 か ら だ。 な ら ば, ミ ュ ト ス が 偽 り で , ロ ゴ ス が 真 実 であ る とい うピ ン ダロ ス の 前提 は, 議 論 す る必 要 が な か っ た こ と に な る 。 ま た , ミ ユト ス もロ ゴ ス も 「物 語 」(Story) と い う 意 味 で は 同 じ な の だ, とい う 決 定 的 に 新 し い 考 え 方 も, 「 ミ ュ ト ス は 口 」で , 「ロゴスは口の中にある言葉」 に す ぎ ない と い う新 た な 断 定 の 前 で は , 行 き場 を失 う 。 さ ら に 「 詩 と真 実 」 の 中 で , ヘ ロ ド ト ス は 「ミ ュ ソ ロ ゴ ス」 で は な く , ロ ゴ グ ラ フ アー (言 葉 の記 述 者 ) と さ れ,「 ミ ユソ ロ ゴ ス 」 は ホ メ・ ロ ス だ と語 ら れ てい る ○ こ れ ほ ど多 ぐ の 根 本 的 な 修 正 を迫 ら れ る と , わ れ わ れ は,「 手 紙23 」 に即 し て 行 な っ て きた 議 論 をい っ た ん無 に 帰 し て , も う 一 度 始 め か ら , ミ ュ ト ス ,ロ ゴ ス, ミ ュ ソロ ゴ ス な ど の概 念 を組 み立 て 直 さ なけ れ ば な ら な く な る 。 そ の仕 事 に 要 す る 時 間 と労 力 を 考 え る と , わ れ わ れが 麻 疹 に似 た 無 力 感 に 襲 わ れ た と し て も/不 思 議 は ない の であ る。 し かし 今 わ れ わ れ が 目 撃 し て い る オ ル ソ ン の 行 為 こ そ,「 詩 と 真 実 」 の核 心 部 を 形 成 す る 行 為 な のだ 。 つ ま り √ 自分 自 身 が 過去 にお い て 書い た 文 や諸 前提 に縛 ら れ る こ と な く, 詩 とは 何 で あ り, 真 実 と は何 であ る の か を ,勇 気 を も っ て 考 え 直 す プロ セス が 「 詩 と真 実」 の正 体 な の で あ る。1953 年 に 『マ ク シ マ ス 詩 篇 』 の一 部 を な す 寸手 紙23 」 が 書 か れ た。「 詩 と 真 実 」 の。 講 演 が行 な わ れ た の は1968 年 で あ る。 だ か ら ,「詩 と真 実 」 は15 年 前 に書 い た 詩 「 手 紙23 」 に 。 や とらわ ¶ れる こ と な く, オ ル ソ ン が 新 た に詩 と 真 実 に 関 す る 暫 定 的 な 解 答 を 提 出 し か も の で あ る , と考 え る べ き な の だ。 だが ,「 もう 一 度 始 め か ら , ミ ュ ト ス , ロ ゴ ス , ミ ユ ソロ ゴ ス の 概 念 を 組 み 立 て 直 す 」 必 要 に 気 付 い た わ れ わ れ が,「 麻 庫 に 似 た 無力 感 に襲 わ れ た 」 の も事 実 で あ る。 ど う し て , こ の よ う な事 態 に 立 ち 至 っ た の か を 考 え て み よ う。 わ れ わ れが ,「 手 紙23 」 の 解 釈 に 用 い た 思 考 の 枠 組 み を, そ の15 年 後 に 書 か れた 「 詩 と 真 実 」 に そ の ま ま当 て はめ よ う と し た と こ ろ に無 理 があ っ た の であ る。 過去 を基 準 に し て 未来 を判 断 し よ う と し た の だ か ら 。 そ れ は ,「 手 紙23 」 と「 詩 と真 実 」 の 間 に 横 た わ る15 年 の 歳 月 を 無 視 す る こ とで あ っ た と言 え る。 こ の 無 理 を悟 っ た か ら こ そ , わ れ わ れ は 「麻 疹 に似 た無 力 感 に襲 わ れた 」 の で あ る 。 ニ カ だ レ 「 手 紙23 」 と 「 詩 と 真 実 」 に は15 年 間 の 隔 た りが あ る と はい え √ 一 つ の 共 通 点 が あ る こ と も確 か な ので あ る。 そ れ は , ヘロ ド ト ス に対 す る オ ル ソ ン の 強い 尊敬 の 念 であ る。 どう い う 底 の尊 敬 の念 であ っ た の か に つ い て は , 上 に 掲 げ た 「 詩 と真 実 」 か ら の引 用 の 最 終三 行 を ご 覧 い た だ き たい 。 そ こ に は, ロ ゴ グ ラ フ アー ( 言 葉 の 記 述 者 ) と 呼 ば れ た ヘ ロ ド ト ス は, 正 し く語 る こ と に よっ て,聴 衆 が 自分 で物 語 を書 き た く な る よ う に駆 り立 て た,と記 さ れて い る。 「 ヘ ロ下 ト ス の よ う な 歴 史家 に な り たい 」 とい う オ ルソ ン の気 持 ち は/15 年 前 に 「手 紙23 」 を 書 い て い た 時 と少 し も変 わ ら ない の であ る。「 詩 と真 実 」 で は ,「 ミ ユ ソ ロ ゴ ス 」 とい う最 高 の 呼 び名 を ホ メ ロ ス の も の と レ ヘ ロ ド ト ス は , つ つ ま し や か に 「 ロ ゴ グ ラ フ ア犬 上(言 葉 を記 述 す る人 )と な っ て い る け れど 乱 オ ルソ ンが 目標 と す る 歴 史 家 は一 貫 し て ヘ ロ ド ト ス な の だ 。 「 手 紙23 」で われ わ れ が学 ん だ こ と は√ 「 ミ ユソ ロ ゴ ス 」が, 真 偽 の 区 別 を こ え た「物 語 」 (Story) を 意味 レ ヘ ロ ト ド ト ス が ミ ユ ソ ロ ゴ ス と 呼 ば れ て い た こ と で あ る 。 十 15年 後 に 発 表 さ れ た 「 詩 と真 実 」 で は ,「 ミ ユソ ロ ゴス 」 が 定 義 し 直 さ れ てい る。「 ミ ュ ト ス は口 で , ロ ゴ ス と は , 単 に 口 の 中 に あ る 言 葉 」 に す ぎず ,「 ミュ ソロ ゴ ス と は,『語 ら れ てい る こ と につ い て語 ら れ てい る こ と』」 で あ る , と。 ま た,「 不 意 に 口 が 単 な る 可 能 性 に な る , 言葉 が 可 能性 で あ る よ う に」 と 補足 さ れ て い る。 そ し て , ミュュソ ロ ゴ ス と 呼 ば れて い る の は , ホ メ ロ ス で あ る 。 丿 十 −51 − 平 野 順 雄 「 詩 と真 実 」 に お け る 「 ミ ュ ソ ロ ゴ ス 」 の 説 明 は , 分 か り に くい 。 た だ , オ ル ソ ン が , 言 葉 の発 せ ら れ 芯場 所 に 焦 点 を 移 し 根 源 的 な 発 話 行為 か ら 「 ミ ュ ソロブ ス」 を定 義 し 直 そ う とし て い る こ と は 理 解 で き る 。「 ミ ュ ト ス は 口 で , ロ ゴ ス と は , 単 に 口 の 中 にあ 芯 言 葉 」 で あ る と い う 定 義 に 従 え ば, ミ ュ ト ス は, ロ ゴ ス を 生 む 母 胎 もし く は容 器 の よう に 思 わ れ るレ「 不 意 に 口 が単 な る可 能性 に な る , 言 葉 が 可 能 性 で あ る よ う に 」 は , ミ ュト ス (口 ) もロ ゴス (口 の中 の 言 葉 )と 同 様 , 実 体 とし て 存 在 す る ので は な く, 言 葉 が 口 か ら 発 せ ら れる特 に 存 在 し 始 め る , とい う事 態 を 明 ら か に す る で あ ろ うよ 犬 「 ミ ュ ソ ロ ゴ ス と は ,『語 ら れて い る こ とに つ い て 語 ら れて い る こ と 』だ 」は , 「 ミ ュ ソロ ゴ ス 」 が 語 り直 し 亡あ る こ と を示 唆 し て い る 。 な ら ば , ホ メロ ス が ミ ュ ソロ ゴ ス と呼 ば れて い た理 由 は 以 下 の よ う に解 釈 で き る だ ろ う 。 ホ メロ ス の 叙 事 詩 は ,全 部 が創 作 であ る とい う よ り は, 語 ら れ て きた こ と を 語 り直 し か も の で あ る 。 語 ら れ てい る こ と (what is said ) は ,「 手 紙23 」 で は , ロ ゴ ス と さ れ, 究極 的 に は ミ ュ ト ス 同 様ブ 物 語 」(Story)の 呼 び 名 の一 つ と さ れ てい た(本 稿47 − 48頁 参 照 几 「語 ら れ てい る こ と 上 を含 む 「物 語 」 が す で に真 偽 の別 を超 えて い る の だか ら , 語 ら れ てい るこ と の 語 り 直 し の 中 で は ,真 偽 の 区 別 を は る か に超 え た物 語 が 展 開 さ れ, そ の 語 り 口 は , ホ メ ロ ス の 文 体 とし て 結 実 し て い る 。 こ の時 ,「 ミ ュ ソ ロ ゴ スゴ =「 語 ら れて い る こ と に つ い て 語 ら れ て い る こ と」 はレ ホ メ ロ ス の 叙 事 詩 を 意 味 レ また ,「 語 ら れ て い る こ と を語 り直 す 」 ホメ ロ ス を も 意 味 す る の だ , と。 「 手 紙23 」 で は ,「歩 き 回 っ て , 発 見 で き るあ ら ゆ る も の を発 見 し そ れ か ら語 る 人 」 ヘ ロ ド ト ス が ミ ュヅ ロ ゴ ス と 呼 ば れて い た が,「 詩 と真 実 」 に お い て は , ホメ ロ ス が ミ ュ ソ ロ ゴ ス と 呼 ば れ て い る。 こ れ は, ミ ュ ソ ロ ゴ ス の 意 味 が 丁物 語 」(Story) か ら に「 語 ら れ て い る こ と に つ い て 語 ら れ てい るこ と」 へ と深 化 し , 生 き生 き と し た 歴 史 の記 述 者 か ら叙 事 詩 人 へ と指 示 対 象 が 移 っ た ため で あ る6 そ の 結 果 , ミ ュ ソロ ゴ ス に は ホ メロ ス が ふ さ わし 仁 ロ ゴ グ ラフ ァ ー (言 葉 の記 述 者 ) に は , ヘ ロ ド ト ス が ふ さ わし い こ とが 明 確 に な っ た の で あ る 。 犬 3 に『マ ク シ マ ス 詩篇 』 と 「詩 と 真 実 」 「 詩 と 真 実 」 の 講 演 を し た1968 年 に も, オ ルソ ン は 『マ ク シ マス 詩 篇 』 の 第 三 巻 を 執 筆 し て い た 。『マ クシ マ ス 詩 篇 』 を書 き 終 え た 後 口 「 詩 と 真 実 卦 の 講 演 を し た の で は な く,『マ クシ マ ス 詩 篇i 執 筆 中 に「 詩 と 真 実 」の 講 演 が な さ れた の で あ る 。 し た が っ て ,「 詩 と真 実 」は ,『マ クシ マ ス 詩 篇 』 か ら大 き く 距 離 を と っ た と こ ろ に成 立 し た の で は な く , む しろ 『ヤ クシ マ ス 詩 篇 』 を完 成 に向 か わせ る た め に 聴 衆 に 語 り かけ な が ら 自 ら の 詩 と 詩論 を検 証 し か も の だっ た と 考 え ら れる 。「 詩 と 真 実 」を 検討 し た わ れ わ れ は , 最 後 に『マ ク シ マ ス 詩 篇 』の「 手 紙23 」に戻 っ て み よう 。 丿 特 に 「 お れ は ヘ ロ ド ト ス の よう な歴 史 家 で あ りた い …」か ら後 の方 を検 討 し て お きた い(本 稿43 − 44頁 参 照 )。 二度 目 の 引 用 に な る が , 便 宜 め た め 日本 語 訳 の み 挙 げ る 。 この原野で起こっ たグロ スター住民 とプリ マス住民 との静い は, 一つの植民地 ともう一つ の植民 地との争い に と どまらない。そ れは,全面 戦争なのだ。 敵は,まず(1 ) 商業 主義(中略) それに(2 卜 生 まれたばかりの 資本主義 だ。 ただし,個 々の冒険商人と労働者が,分け前にあ ずかる - 段階に留 まるなら,話 は別一 敵は,堕 落する国家 主義全体なのだ。所有 権が 52 − チ ャ ー ルズ・ オルソ ン著 『ミュソロ ゴス 』 共 同 体 に 割 り 込 む , 商工 会 議所 や , 神 権 政 治, あ る い は, 市 政 担当 官 の形 を と っ て こ こ で オ ル ソ ン が 描 い てい る の は , 江 田孝 臣 が 指 摘 す る よ う に 「 プ リ マ ス 植民 地 の ピ ュ ニ リ タ ン た ち と , ヨ ーロ ッ パ か ら もっ ぱ ら漁 業 の た め に 移 り住 ん で き た 零 細 漁 民 た ち 」( 江 田 109) と の 争 い であ る 。 プ リ マ ス 住民 と グ ロ ス タ ー住 民 の 争い は , 漁 業 足 場 の 奪い 合 い と な っ て 顕 在 化 し , 軍人 マ イ ルス ・ス タ ン ディ ッ シ ュ (Miles Standish ト がプ リ マ ス住 民 の利 害 を守 る ために グロ ス タ ー住 民 を撃 ち殺 さ ん ば か り に なる √ とい う 事 態 に まで 発 展 す る。 清 教 徒 と グ ロ ス タ ー住 民 の対 立 は, 表 面 的 に は「 一 つ の植 民 地 と もう 一 つ の植 民 地 の争 い 」 で あ る が , そ の 内 実 は 商 業 主 義 お よび 資 本 主 義 と 素朴 な 第一 次 産業 従 事 者 と の対 立 で あ るこ と を, 語 り 手 マ ク シマスは見抜いている。 政 治 と 宗 教 の一 致 を 目指 し て 新 大 陸 に や っ て きた 清 教 徒 た ち は , や が て ニ ュ ー イ ン グ ラ ン ド ・ マ ネ ーを 動 か す よう にな り, 商 業 主 義 や資 本 主 義 に染 まっ て い く。 第一 次 産業 や 素 朴 な 売 買 か ら 離 れ, さ まざ まな 腐 敗 と結 びつ い て, アメ リ カ 全 土 を墜 落 させ た のは , 清 教 徒 た ち が 動 か す よ う に な っ た ニ ュ ーイ ン グ ラ ンド ・マ ネ ーな の だ。『マ ク シ マ ス 詩 篇 』「 手 紙16 」 に アメリ カ を 腐 敗 さ せ る 元 凶 とな っ た ニ ュ ー イ ン グ ラ ンド ・マ ネ ー の記 述 が あ る。 that movement of NE monies away from primary production & trade 十 to the several cankers of profit-making which have.[ … ],made America great. (The Maximus Poems, "Letter 1 6" 76 ) ニ ュ ブ イ ン グ ラ ン ド ・マ ネ ー の動 き 初 期 の 産 業 と 売 買 か ら 離 れ , \ 様 々 な 腐 敗 と結 託 し て 利 潤 を追 求 す るニ ュ ー イ ン グ ラ ンド ・マ ネ ー。 ア メ リ カ が 大 国 にの し上 が っ た の は ( 中略 ) 腐 敗 のお かげ 。 犬『 マ ク シ マ ス 詩 篇 』( 手 紙16 J 76頁 ) 漁 師 た ち の 質 素 で 素 朴 な 暮 ら し と, アメ リ カ 全 土 に 腐 敗 を拡 大 す る 大 規 模 な資 本 (ニ ュ ーイ ン グ ラ ンド ・マ ネ ー )投 下 と 利 潤 追 求 と の 対 立 を, マ ク シ マ スが ,「 グ ロ ス タ ー 住 民 と プ リ マ ス 住民 」 の 争 い に 見 て い る こ と は 言 う まで も ない 。 ト 様 々 な 歴 史 資料 を 調 べ , 動 き 回 り , 透 徹 し た眼 力 に よ っ て 事 物 の 本 質 を 見 抜 く オ ルソ ン は, 「 歩 き 回 り , 探 し 出 せ る 何 もか も を 自 分 で 探 し 出 し て , そ れ か ら 物 語 を語 る」 ヘロ ド ト ス と 似 て はい ない だ ろ う か 。似 てい る と す れば, そ れ は オ ル ソ ン が ヘロ ド ト ス 同 様 心 口 コブ ラフ ァー ( 正 確 な 言 葉 を 書 く 人 ) に な っ て い る とい う ご と で あ る 。 木 メ ロ ス の よう に「 語 ら れて い る こ と を 語 り 直 す」 時 , 語 る 材 料 の真 偽 を は る か に超 え た 世 界 を作 り 出 す 大 詩 人 「 ミ ュ ソ ロ ゴス 」 とは呼ばれないにして 乱 グ ロ ス タ ー を起 点 にし て 透 徹 し た眼 で アメ リ カ の歴 史 を 浮 き彫 り に す る 詩 人 オ ル ソ ン は に「 ロ ゴ グ ラ フ ァ ー 」 と 呼 ば れ る に ふ さ わ しい 。 わ れ わ れ のロ ゴ グ ラフ ァ ー, チ ャ ー ルズ ・ オ ルソ ンは , アメ リ カ の悪 を見 据 え なが ら 『マ ク シ マ ス 詩 篇 』 を 書 き続 け た 。 そ の 営 為 は, ア メリ カの 悪 を見 据 え る だけ で な く, 自 ら の内 部 を 検 証 す るこ と も要 請 す る 。 オル ソ ン は 自 ら の存 在 の根 拠 を も『マ クシ マ ス 詩 篇 』執 筆 に よ っ て, −53 − 平 野 順 雄 問い 続けたのだ。詩人の探求は,宇宙 と自己 との関係 をどこ まで も新た に問い直す,終 わりの ない探 求となる。精神と肉体の限界へ向 かうこ うし た行為 の全体 を, オルソ ンは正確な言葉で 書い たのであ る。そ の営為 が死 によって 終わるのは, 「 詩と真実」の講演 を行った1968年3 月 からほぼ2 年後の1970年1 月のこ とであっ たよ ト わ れ わ れ は 最 初 ル ソ ン の 詩 学 第 一 に に 提 の 要 と し て ホ メ ロ ス の ど の ソ ロ ロ ド が な さ れ て い る 。 ホ メ ロ ス の 叙 事 詩 は な く ,「 自 分 で 歩 ス 詩 篇 』 第 二 に を 書 づ と 率 に 発 表 さ れ た れ た 講 演 深 頃 の て い ざ ヘ 存 に は ら れ る 。 そ , し , 見 「 投 ま る も の で あ る の に 対 , は す , が 開 拓 ロ下 さ の 動 に 発 揮 し て い こ の 効 力 自 ら の 作 ド ト ス , に と 同 じ し て い で に 『歴 史 』 を 範 を 歩 と す る 『マ 『 マ ク シ マ ス 詩 篇 』 ト は よ っ て , き 始 く ロ ゴ グ ラ フ も な い に は き わ め て 稀 と 宇 宙 よ う 常 ア ー こ と だ が , 付 な 存 在 参 考 文 献 , , 現 で あ る , を 書 と 真 実 」 ) を 書 く の だ と い る こ と を 語 ) か ら の 大 ら ど こ ま で し な が る 。 ) が に お い オ て は く の で は な , く , う , 決 意 の 表 明 り 直 す 」 原 理 に よ っ て で に よ っ て 『フ ク シ 『マ の 主 題 も 始 が あ っ ま り へ 向 と 方 法 『マ , た と は 言 え な い こ か う に は , 途 方 ク シ マ ス 詩 篇 』 執 筆 と 真 実 」 が は , ク シ マ ス 詩 篇 』 で 見 ら れ , 「 詩 開 始 ル ソ ン 独 も な い 深 ま り , オ と 同 年 の1950 の 絶 筆 と 真 実 」 と 連 続 し て い な が ら , そ り 手 マ ク シ マ ス の 足 ど り 乱 き 破 っ て い る よ う に 見 ク シ マ ス 詩 篇 』 と 真 実 」 史 を 生 に は は 示 き 生 は 驚 間 ぢ か 年 に な さ く ほ を 行 な う 足 取 り を 記 述 す る オ ル 生 , き 生 き と し た 歴 史 記 述 に 必 要 す る こ と か , 深 ら 生 さ と 率 直 さ ま れ る 効 力 と の 併 を 存 分 ■ ■ ㎜ ■ ど 近 る 人 ) こ う 。 ロ の 講 演 の ま ま 宇 宙 へ 繋 が っ え る 。 し て い る 。 事 実 き と 記 述 る の だ 。 に 記 述 す け 加 え て お た が 日 常 さ れ て い ( 正 確 き な 変 化 る 。 「 詩 歴 , た だ し , 詩 詩 論 」 が 的 時 空 間 に 促 で あ る 。「 詩 と 真 実 」 (1968 る 」 歴 史 記 述 の 方 法 ○ 日 常 め る と を 語 「 詩 , ス 詩 篇 』 (1975 ス 詩 篇 』 ら れ て い し た こ む 語 を 突 る こ と を る の で あ る 「 語 「 投 射 詩 論 」 し た 時 空 さ の 両 方 が 要 品 を 書 う ま で 「 投 射 き も , 言 語 表 現 の 限 界 ト ス の と 率 直 を 体 し て √ 「 詩 る よ う な 時 空 間 な の が 。 そ こ ク シ マ ク シ マ 射 詩 論 」 (1950 だ け で あ と い う 事 情 が 関 係 さ と の 併 存 出 『マ そ れ は る 。 射 詩 論 」 こ に は た し て い る か 『マ の よ う に う 意 味 で あ ク シ マ ス 詩 篇 』 に よ っ て 言 と い で あ る 。「 投 で あ る と 率 直 『マ ソ ン の 手 な 深 き ま わ っ て 探 き が , ま た 新 た に 始 直 さ が 見 を 果 ゴ ス と し て ゴ グ ラ フ ァ ー と し て 詩 と 真 実 」 と が そ の 特 徴 自 の 動 く , 結 び え な け れ ば な ら な い 。 よ う な 役 割 よ う な ミ ュ よ う な ロ に 答 ヘ マ ト ス の 出 し た 問 い Ⅳ 。 ぐ な り , 『 マ ク シ マ ス 詩 篇 』 し た が っ て レ と 呼 ん で わ れ わ れ は オ ル ソ よ い の で あ の 読 者 は ン を ヘ ロ る 。 ゴ グ ラ フ ア ー と 呼 べ る 詩 人 は ,20 世 紀 後 半 と 。 犬 Butterick, George RA Guide to The Maximus Poems of Charles Oho 1978. Olson, Charles.The Maximus Poems. Ed. George E Butterick. Berkeley: University of California Press, 1983. −. Muthologos. 2 Vols. Bolinas, California: Four Seasons Foundation, 1979. −. Selected Writings. Ed. Robert Creeley. New York: New Directions, 1 966 ・ 江 田 孝 臣 「 メ ル ヴ ィ ル と ア メ リ カ 現 代 詩− ウ ィ ル ア ム ズ と オ ル ソ ン の 場 合 」 中 央 大 学 人 文 科 学 研 究所 編 『メ ル ヅ イ ル後 期 を読 む』 に 中央 大 学 出 版 部 ,2008 年 。 99− 122頁 。 。 ■ 「 ― 54 -