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「すべての野蛮なものたちを絶滅させよ」ガザ 2009 年

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「すべての野蛮なものたちを絶滅させよ」ガザ 2009 年
ノーム・
ノーム ・ チョムスキー
「 すべての野蛮
すべての 野蛮なものたちを
野蛮 なものたちを絶滅
なものたちを 絶滅させよ
絶滅 させよ」
させよ 」 ガザ 2009 年
2009 年 1 月 19 日 ( 6 月 6 日改訂 )
Noam Chomsky、"Exterminate all the Brutes": Gaza 2009*
chomsky.info, January 19, 2009 (revised June 6, 2009)
http://www.chomsky.info/articles/20090119.htm
翻訳
寺島隆吉・寺島美紀子・岩井志ず子・佐藤純子
「狂ったか」と思わせる残虐なガザ攻撃
無防備なパレスチナ人に対する米国=イスラエルの新たな攻撃が、2008 年 12 月 27 日(土曜日)に始ま
った。攻撃は、イスラエルの報道によれば、半年以上にわたって周到に準備されたものであった。計画は二
つの要素からなっている。つまり軍事的攻撃とプロパガンダである。これは 2006 年のレバノン侵略の教訓に
ず
さん
基づいている。レバノン侵 略 は計画が 杜 撰 で宣 伝がまずかったと考 えられた。したがって、今 回の攻 撃や
言動のほとんどは用意周到に準備されたものだと確信してよいだろう。
攻撃のタイミングについても、それは確かだ。攻撃は昼の 12 時少し前、子供たちが学校から走って帰り、
人々が混み合ったガザ市街でせわしく行き交っていた時だった。225 人の死者と 700 人の負傷者を出すに
は、ほんの数 分しかかからなかった。どこにも逃げ場のない狭い檻に閉 じこめられた無 防 備 な市 民への大
量虐殺の順調な滑り出しであった。<註 1>
攻撃はとりわけ警察学校卒業式を標的とし、数十人の警官を殺した。イスラエル軍(イスラエル防衛軍ID
F)の国際法部門は数ヶ月間、その計画を批判してきてはいたが、その責任者プニナ・シャルビット・バルー
チ大佐 Pnina Sharvit-Baruch は、軍の圧力で遂に国際法部門の承認を与えた。「圧力をかけられて」「責
任者シャルビット・バルーチと国際 法部 門がさらに合法化 したのは、ハマス政権官 邸への攻撃と交 戦 規定
の緩和だった。結果として、多数のパレスチナ人死傷者を出すことになった」とハーレツ紙は報じている。国
際法部門は「攻撃を適切で有効なものにする」ため「寛大な立場」をとっているのだ、と記事は続ける。その
後、シャルビット・バルーチは、テルアビブ大学の人権センター長や他の職員の抗議にもかかわらず、法学
部教授に収まった。
国際法部門の決定の基礎には、「ガザ地区に侵攻する時、現地の警察は抵抗勢力[兵士]とみなす」と
いう軍の認 識・類 別があったのだと、ヘブライ大 学 法 学 部 教 授ユーバル・シャニーYuval Shany は論 評 し
た。また、このような交戦規定は[パレスチナ・ガザ地区側からすれば]「イスラエル予備兵や、これから 2 年
間徴兵される 16 才以上の人間さえも兵士として考えてよい」ことになる。これはイスラエル国民の大部分を
テロの合法的標的にするものである、と付け加えている。
-1-
別の例えをすれば、イスラエル軍IDF交戦規定は、パキスタン政府軍に抵抗する勢力が 2009 年 3 月に
おこなったラホールの警察官候補生たちに対するテロ攻撃を正当化することになる。この攻撃では少なくと
も 8 人が死亡したが、この攻撃は当然ながら「野蛮」だと非難された。しかしながら、パキスタン精鋭軍はこの
件に対応し、テロリストを殺したり捕虜にした。ガザ地区の人には、このような選択は許されていない。[ガザ
地区の人たちは警察学校 を攻撃されても、このようなテロ行為をしたイスラエル軍に抵抗し、その犯人を殺
したり捕虜にする選択肢は与えられていない。]
また「保護された一般市民」という概念にたいするイスラエル軍IDFの限定された考え方は、国際法部門
の上級職員によってさらに踏み込んで説明されている。すなわち、「警告にもかかわらず家屋に侵入する者
は、『一般市民への権利侵害』事項を考慮する必要がない。なぜならば彼らは自主的に人間の盾となって
いるのだから。法的見地から、彼らに考慮する必要はない。自宅を守るために自宅に戻ってくる者は、戦闘
に参加するつもりだと見なされる、ということだ。」<註 2>
[訳註: 2009 年 3 月 30 日パキスタン・ラホールにおける警察官候補生たちに対するテロ攻撃については下記 URL を参照]
http://www.afpbb.com/article/war-unrest/2588051/3982385
ニューヨークタイムズ紙通信員イーサン・ブロンナーEthan Bronner は、「ガザ戦争での成果を分析する」
と題した回顧的分析のなかで、攻撃第1日目の功績が最重要なもののひとつだと言及した。イスラエルは、
広範囲で不釣り合いなまでのおぞましい恐怖を引き起こし、「狂った」と見せるほうが都合がよいと計算した
のだ。それが 1950 年代にまで遡る教訓であった。「ガザのパレスチナ人は、土曜の正午、イスラエル戦闘機
が多くの標的を同時攻撃した第1日目に、その意味を知ったのだ」とブロンナーは書いている。「200 人程が
即死で、実際にガザの人たちの全てとハマスとに衝撃を与えた」と。
「狂った」という戦術は成功したように見えるとブロンナーはしめくくっている。つまり「限定的ではあるにし
ろ、ガザの人たちはこの戦争であまりに非道い苦痛 を感じたので、選挙で選ばれた政府ハマスに支配 され
たくなくなるかもしれない徴 候」があると。政 治的 目 的のために一 般 市 民に苦 痛を与えるということは、また
長年にわたる国家テロの原理であり、実際のところ指導原理である。ちなみに、私はニューヨークタイムズ紙
の回顧記事「チェチェン紛争の成果を分析する」を記憶していない。[ガザ攻撃と同じくらいに、あるいはそ
れ以上に]その成果は大きかったはずだが。<註 3>
ガ ザ 市 民 を 「 教 育 」 す る た め の 大 虐 殺 、 GurGur - EbanEban - Friedman Doctrine
Doctrin e
用意周到な計 画にはおそらく虐殺の終了も含まれていた。就任式直前に終 了したので、オバマ大統領
が米国支援のこの凶暴な犯罪行為に批判的発言 をするかも知れないという(ありそうにもない)脅威をも最
小限におさえたのだ。
ユダヤ教 安 息 日 (土 曜 日 )の虐 殺 開 始から二 週 間 後には、ガザの大 部 分 はすでに瓦 礫となり、死 者が
1000 人に達した。そのとき、ガザの人たちのほとんどにとって命綱だった国連機関UNRWA(パレスチナ難
民救済事業)が発表したのは、イスラエル軍がガザへの援助物資搬入を拒否したということだった。安息日
のために検問所が閉鎖されたからだというのだ<註 4>。安息日を讃えるために、死の渕にあるパレスチナ
人は食料と医薬品を拒否されなければならない。その一方、その安息日に、数百人のパレスチナ人が米国
のジェット爆撃機やヘリコプターによる虐殺の危機にさらされていたのだ。
-2-
ユダヤ教の安息日を厳格に守るこの二通りのやり方[物資搬入拒否と爆撃]について、メディア
の関心は無いに等しかった。当然である。米=イスラエルの犯罪史においては、そうした残酷さと
冷笑的行為はほとんど脚注程度にしか値しない。あまりにもお馴染みのものだからである。同様
の事件を見てみると、1982 年 6 月米国が支持したレバノン侵略は、サブラ Sabra とシャティーラ
Shatila というパレスチナ難民キャンプへの爆撃で始まった。後にそれは、IDF の指揮下、おぞま
しい大虐殺の行われた所として有名になった。爆弾は「ガザ病院」という名の地方病院に命中し、
米国中東専門家の目撃証言によれば、200 人以上を殺害した。その大虐殺は侵略の幕開きで、15000
人~20000 人位を殺害し、かつ南レバノンとベイルートのほとんどを破壊したが、これは軍事的
にも外交的にも米国による決定的な支援のもとで進行したものであった。その支援の中には、そ
の犯罪的侵略を中止せよと求める安保理決議にたいする米国の拒否権行使も含まれている。全く
隠し立てさえせず着手されたこの攻撃は、平和的・政治的解決という脅威からイスラエルを守る
ためであった。イスラエルが激しいロケット攻撃に苦しんでいるというのは、ご都合主義の作り
話であり、弁解者の空想的たわごとであった。<註 5>
[訳註] 安息日:旧約聖書で週の 7 日目と定められており、実際には土曜日あたる。ユダヤ教徒はこの日には戒律としてい
かなる労働も行わないことを求められる。キリスト教ではそれは厳密に求められることはない。「何もしてはならない」の範囲は宗
派によりかなり差異があり、ユダヤ教では基本的に厳格であり、家事を含め日中は一切の労働を行わない。人命の救助 など
緊急の場合には安息日でも労働を行ってよいとされているが、教義に厳格な人々からは非難され救急車に投石されることも
ある。(ja.wikipedia.org/wiki/安息日)
これらすべては特 別 なことではなく、イスラエル高 官 が堂 々と論 じてきたことである。30 年 前 、参 謀 長
(Chief of Staff)のモルデチャイ・ガーMordechai Gur は、1948 年以来「我々は村や町に住んでいる人々と
戦ってきた」と述べた。イスラエルの著名な軍事解説者ズィーブ・シュリフ Zeev Schriff は、参謀長のこの言
葉 を次のように要 約 している。「イスラエル軍 は常 に民 間 人 をねらってきた。意 図 的 かつ意 識 的にである。
(中 略 )イスラエル軍は決 して軍 事 目 標と民 間 人とを区 別 してはこなかった。(中 略 )意 図 的に民 間 人 を攻
撃してきた」と。
その理由を、著名な政治家アッバ・エバン Abba Eban は次のように説明している。「理にかなった見通し
があり、それは結局のところ実現されたのだ。攻撃の被害を受けた人々が、自分たちの指導者に敵対行為
をやめるよう、圧力を行使するという見通しだ」と。その結果、エバンの理解どおり、イスラエルの不法な入植
地拡大・残酷な抑圧という計画は、何ら邪魔されることなく実行できるよう許すことになったのだ。
エバンは、労 働 党 政 権 が民 間 人 を攻 撃 したことについてのベギン首 相 の見 解 を、その写 真 を示 しなが
ら、「可 能な限りの手段を行使して不 当に民間 人に死と苦痛を加えているイスラエルは、ベギン氏も私もあ
えてその名を言おうとは思わない体制 [訳注:ナチス] を思い出させるものだ」と批判した。エバンはベギン首相
の述べた事実にではなく、それをベギン首相が公けの場で述べたことに異を唱えたのだ。大規模な国家テ
ロを弁護するエバンの主張が、彼自身あえて名指ししようとしなかった体制を思い出させるものであるという
ことは、エバンにもエバン信奉者たちにとっても関わりのないことであった。<註 6>
エバンの国家テロ擁護 は権威 筋には説得力あるものと見なされている。現在の米=イスラエルによる攻
撃が荒れ狂ったとき、ニューヨークタイムズ紙の寄稿者トマス・フリードマン Thomas Friedman は以下のよう
-3-
に説明した。現在の攻撃 におけるイスラエルの戦略は、2006 年のレバノン侵攻同様、「ハマスの闘士を大
.....
量殺害し、ガザの人々に苦痛を与えることによって、ハマスを『教育』しようとする」健全な信念 に基づいたも
のである。それはレバノンでそうであったように実利 的な理由で道 理にかなっている。レバノンでは「長 期に
わたる唯一の抑止力は、市民(すなわち闘士の家族および雇用者)に十分な苦痛を強いることであった。そ
れが将来のヒズボラを押さえ込むことになる」。
だとすれば、それと同じ論理で、9・11 で米国人を『教育』するというビン・ラディンのやりかたも賞賛に値
することになる。ナチスがチェコスロバキアのリディス Lidice [1942 年、340 人を殺害] とフランスのオラドール
Oradour [1944 年、642 人を殺害] を攻撃したのも同じ論理だったし、プーチンがグローズヌィ Grozny を破壊し
たのも、他の有名な『教育的』攻撃と同様に、同じ論理だった。<註 7>
ニューヨークタイムズ紙の通信員ステファン・エルランガーStephen Erlanger の記事は以下のようである。イ
スラエルの人権団体は「イスラエルが、議会や警察署や首相官邸などのような非軍事施設に分類されてい
る建物を攻撃したことに困惑している」。それだけではない。村、人家、人口が密集した難民キャンプ、上下
水道施設、病院、学校や大学、モスク、国連の救援施設、救急車、つまり犠牲者の苦痛を軽減するための
ものは実に何でも攻撃したのである。イスラエル諜報部のある高官は、イスラエル軍が「ハマスを両面から―
抵抗勢力すなわち軍事的側面と、ダワすなわち社会的側面から」攻撃した、と説明した。が、社会的側面と
は市民社会のことを遠回 しに言ったまで、である。エルランガーは次のように続けている。「その高官は、ハ
マスはみな同じだと主張した」。戦争中は、ハマスの政治的社会的な管理施 設は、ロケット格納庫と同 様、
合法 的 攻撃 目 標であった」と。 エルランガーや新 聞の編 集者たちは、市民 を標 的にした大 規模 テロがあ
からさまに擁護され実行されたことについて何もコメントを加えていない。それどころか通信員や寄稿家たち
は、先にも述べたように、戦争犯 罪を容 認したり明 らかに擁護したりする姿勢 さえ暗示している。しかし、規
範に忠実に従いつつ、エルランガーは次のことを強調するのを忘れない。米国=イスラエルの攻撃とは異な
り、ハマスのロケット攻撃は「 [戦闘員と非戦闘員を] 区別せよとする原則にたいする明白な侵害であり、テロリズ
ムの伝統的定義に合致するものである」と。<註 8>
中東地域の事情に詳しい人々と同様に、中東問題の専門家ファワーズ・ゲルゲス Fawwaz Gerges も次
のように述べている。「イスラエル当 局 者と米 国人 同 盟 者は、ハマスが武 装 集 団であるだけでなく、社 会 に
深く根づき、多くの人々の支持を得ている社会的組織でもあるということを理解していない」。したがって、ハ
マスの「社会的側面」の破壊計画を実行するということは、パレスチナ人社会の破壊を目的にしているという
ことなのであると。<註 9>
ゲルゲスは寛容すぎるだろう。イスラエルと米国当局者たち(あるいはメディアや評論家たち)が上記のよ
うな事実[ハマスが社会的運動体であること]を理解していないことなどありえない。むしろ、彼らは暴力という
手 段を事実 上 独 占している人々の、伝統 的 立 場を暗に採 用しているのである。つまり、我々の武 力ならど
んな反対 勢 力も打ち砕くことができる。もし我々の猛攻 撃で莫 大な数の民 間人 死者が出るとすれば、それ
は全く理にかなっている。おそらく残ったものたちは適正に教育されるだろう、と。
イスラエル軍 IDF の将校たちは、自分達が市民社会を壊滅させていることをはっきり理解している。イー
サン・ブロンナーEthan Bronner は、あるイスラエルの大佐が自分も自分の部下も「ハマスの戦闘員はほとん
ど記憶に残っていない」と言っていることに言及している。「ハマスは銃を持った村人だ」と装甲車の砲兵は
-4-
言った。彼ら[村人]は、1985 年の南レバノン占領の殺人的 IDF「鉄拳」作戦の犠牲者と酷似している。この
作 戦を指揮 したのは、レーガンの「対 テロ戦争 」時 代における最高のテロリスト司 令官 、シモン・ペレスだっ
た。この作戦中、イスラエルの指揮官たちと戦略分析官たちの説明では、犠牲者たちは「テロリストの村民」
であり、「テロリストは地域の人々ほとんどの支持を得て戦うので、根絶が難しい」ということだった。あるイスラ
エルの指揮官は、「テロリストは・・・ここでは多くの目を持っている。なぜならここに住んでいるからだ」とこぼ
していた。
一方、エルサレムポスト紙 の軍事通信 員は、イスラエル軍が「外国人テロ傭 兵」との戦いのときに必ず直
面する問題について述べている。「狂信者だ。彼らはみな IDF との戦いで殺される危険を犯し続けるという
大義に身を捧げており」、そのことが「住民が払う犠牲」にも関わらず、占領下の南レバノンで『秩序と安全』
を維持しているにちがいない」のだと。その問題は、南ヴェトナムに於ける米国人、アフガニスタンに於けるロ
シア人、占領下のヨーロッパに於けるドイツ人、そして Gur-Eban-Friedman Doctrine を律儀に実行してい
る侵略者にはお馴染みのことである。<註 10>
[訳注: Gur-Eban-Friedman Doctrine と は、先述の 30 年前の参謀長 Gur モルデチャイ・ガー、著名な政治家 Eban ア
ッバ・エバン、ニューヨークタイムズ紙の寄稿者 Friedman トマス・フリードマン、この 3 人共通の教条・信条]
と こ ろ で ゲルゲスは、米国=イスラエルによる国家テロは失敗すると考え、次のように書いている。ハマ
スは「50 万人のパレステチナ人を虐殺しなければ消し去ることはできない。よしんばイスラエルがハマスの最
高指導者たちを殺すことに成功したとしても、新しい世代の、今よりもっと過激な指導者たちが、すぐに彼ら
にとって代わるだろう。ハマスの存在は厳然たる事実である。消え去ることはない。どれほど死傷者が出よう
と、白旗は揚げないだろう」と。
しかし、おそらく、しばしば暴力の効果を過小評価する傾向がある。特に奇妙なのは、そういう過小 評価
する考え方が米国で支持されているということである。我々はなぜ現在の状況にいるのか[何が現在の状況
をもたらしているのか]。
これとあれとでは話
これとあれとでは 話 が 違 う 、 奴 ら は 動物 で 我 々 は 人間 だ
ハマスは、いつも決まって「イランに支援されたハマス、イスラエル撲滅に献 身するハマス」と記述 される。
しかし「民 主 的 選 挙で選 ばれたハマス、国 際 的 合 意に従 って二 国家 共 存の解 決案 をずっと求め続けてき
たハマス」というような説明を見つけるのはむずかしい。しかし、その国際的合意こそ、30 年以上にわたって
米国とイスラエルが阻止してきたものだった。[このような国際的合意とハマスの努力は]すべて事実かも知
れないが、[米=イスラエルの]政策路線への有益な貢献は何もない。それゆえ [そんな合意と努力など] 不要と
いうわけである。
先に述べた詳細な事実[南ヴェトナムに於ける米国人、アフガニスタンに於けるロシア人、占領下のヨー
ロッパに於けるドイツ人]は、大きな流れの中では些細なことだが、それでもなお米国と米国の従 属国 につ
いて重要なことを教えてくれる。他の国々にとっても同様である。
もうひとつ例を挙げるなら、今回 、米=イスラエルがガザ攻撃を始めたとき、尊 厳号という小さな船がキプロ
スからガザへの途上にあった。乗船していた医師や人権活動家たちはイスラエルの犯罪的 封鎖を破 り、ガ
ザの幽閉された人々に医薬品を持ってゆこうとしていた。その船を公海上でイスラエルの軍艦が遮り、船体
-5-
を激しくぶつけ、ほとんど沈没させんばかりとなった。が、ともかく、船はどうにかレバノンまで辿り着いた。イス
ラエルは例によって嘘を並べ立てたが、乗船していたジャーナリストや乗船者たちがその嘘を暴いた。その
なかにはCNN通信員カール・ペンホール Karl Penhaul や前・米下院議員で「緑の党」大統領候補だった
シンシア・マッキニーCynthia McKinney がいた<註 11>。
これは重大 犯 罪である。たとえばソマリア沖で船をハイジャックするよりもっと悪い。が、ほとんど見過 ごさ
れてしまった。そうした犯罪を黙認するというのは、ガザが占領地であり、イスラエルには封鎖を維持する資
格があるのだという(暗黙の)了解を反映している。命令に従わない民間人を罰するという計画実行のため
には、公海上で犯罪 行為 をやれと、国際秩 序の監視者 [米国] が公認さえしているのである。先に述べた口
実 のもとで、である。そのほとんどは広 く受 け入 れられてはいるが、明 らかに認 めることのできないものであ
る。
[そうしたことに対して]無 頓着でいることは、またもや「意 味のあること、道 理 にかなったこと」なのだ。何 十
年にもわたってイスラエルはキプロス=レバノン間の公海上で船舶をハイジャックしてきた。そして乗客 を殺
害・拉致し、時には彼らをイスラエルの監獄(秘密監獄・拷問部屋をふくむ)へ連行し、捕虜として何年も監
禁した<註 12>。
そうしたことはいつも通りのことなので、新たな犯罪行為も欠伸(あくび)程度のものという扱いである。キプ
ロスとレバノンはそれぞれ全く異なる反応をした[尊厳号という小さな船による活動を支持し援助した]が、ア
ラブ全体の枠組みの中では、彼らは何ほどの意味も持たない。
たとえば、もしレバノンのデーリー・スター紙という概して西 側べったりの新 聞の編集者が次のように書い
たとしても誰が気にかけるだろうか。「約 150 万人のガザの人々は、技術的には世界最先端の、しかし道徳
的には逆 行している軍事 マシンのもとに置かれ、殺 人 的な扱いにさらされている。パレスチナ人 は、アラブ
世界にとって、第 二次 大 戦前のヨーロッパに於けるユダヤ人になった、としばしば言われるが、この解釈 は
真実味がある。何ともやりきれないことだが、ナチスがホロコーストという悪事 を行っていたとき、ヨーロッパと
北米人がそっぽを向いていたのと同様に、イスラエル人がパレスチナ人の子 供たちを虐殺しているとき、ア
ラブ人は何もしようとしない」<註 13>。多分アラブ諸国のなかで最も恥ずべき国は、イスラエルを別にすれ
ば、米国の軍事援助の恩恵を最も享受しているエジプトの残虐な独裁政権である。
レバノンの学者アマル・サアド・ゴライェブ Amal Saad-Ghorayeb によれば、イスラエルは「レバノンの市民
をブルーライン(国際法上の国境線)のレバノン側から恒常的に拉致している。ごく最近では 2008 年 12 月
である」。そして、もちろん「イスラエル機は、国連決 議 1701 号に違反し、毎 日レバノン領空を侵犯 してい
る」。それもまた長年行なわれてきたことである。
イスラエルの戦略解説者ズィーブ・マオズ Zeev Maoz は、2006 年のレバノン侵略後にイスラエルの二枚
舌(二 重 基準)を非 難して、次のように書いた。「イスラエルは、6 年 前、南レバノンから撤退 後、事実 上 毎
日、偵察飛行任務を遂行し、レバノン領空を侵犯してきた。たしかに、このレバノン領空飛行がレバノン側に
具体的な被害を与えたというわけではないが、領域侵犯にはちがいない。ここでもまたイスラエルは高い道
徳的地歩を保持しない」。一般的に「レバノンにおける対ヒズボラ戦争が正義の道徳的戦争であるという、イ
スラエル国内隅々を埋め尽くす合意」には何の根拠もない。「恣意的で短期 的な記憶、内向きの世界 観、
二重 基準に基づく」合 意 である。「これは正義の戦 争ではない。力の行使は、度を超え、見 境がなく、その
-6-
究極目的は強奪である」。
マオズがまたイスラエル人読者に喚起しているのは次のことである。1978 年以来 5 回にわたる侵略はさて
おいても、レバノン人を威嚇する目的での、衝撃音波 [超高速航空機の地上への轟音] を伴う領空飛行が、レバ
ノンに於けるイスラエルによる犯罪行為の最小のものである、ということである。「1988 年 7 月 28 日、イスラエ
ル特殊部隊はシェイク・オベイド Sheikh Obeid を拉致、1994 年 5 月 21 日にはムスタファ・ディラニ Mustafa
Dirani を拉致した。ディラニはイスラエル飛行士ロン・アラド Ron Arad(彼はその時 1986 年レバノンを爆撃
中だった)を捕虜にした責任を取らされたのだ。イスラエルは、この 2 名と極秘状況下で拉致したレバノン人
20 名を、裁判もせず長期にわたって拘留・投獄した。彼らは人的『交渉材料』として拘留されたのである。イ
スラエルのこうした捕虜 交 換のための拉致は、明らかに道徳的に非 難されるべきである。拉致を行うのがヒ
ズボラであれば、軍事 的 に罰せられるが、同じことをイスラエルが行なっても罰せられることはないのだ」と。
しかも規模は壮大で、長年にわたっている。
イスラエルの犯罪行為や、それに対する西側支援が暴露されてきてはいるものの、それにしてもイスラエ
ルのこうした恒常的行為は重大である。マオズが指摘しているように、これらの犯罪行為は、イスラエルには
再びレバノン侵略の権利があるとした基本的主張が、完全な偽善であることを浮き彫りにするものである。こ
の主張は、2006 年にイスラエル兵が国境線で捕虜になったことを口実としたものだが、この捕虜事件は、22
年前の安保理命令に違反して占領した南レバノンからイスラエルが撤退後、6 年目にして初めての、ヒズボ
ラによる越境行為であった。その間イスラエルは罰 せられることなく、ほとんど毎日、国境線を侵犯していた
のである。しかも、これに対してメディアはただ黙認あるのみだった。
その偽善性もいつも通りである。トーマス・フリードマンは、劣等人種がテロリストの暴力によってどのように
「教育される」べきかを示しながら、2006 年のイスラエルによるレバノン侵略について書いている。それによれ
ば、またもやイスラエルは南レバノンとベイルートの大部分を破壊し、1000 人もの市民を殺害したが、それは
自己防 衛のための正当 な行為であり、「イスラエルがレバノンから一方 的に撤退したあと、国連が認 可した
イスラエル=レバノン国境線 [ブルーライン] を越えて不当な戦いをしかけた」ヒズボラの犯罪行為に応戦したも
のである。同様に、上院外交委員会委員長ジョン・ケリーは、ブルッキングス政策研究所で講演して、「イス
ラエルが、平和をもたらそうとして、一方的に南レバノンとガザから撤退した失敗」を嘆いている。
その嘘はわきにおくとしても、(イスラエルのガザからの「撤退」に話を戻すと)、空前の破壊的で殺人的な
イスラエルの犯罪行 為を考えれば、同じ論理で、イスラエル人にたいするテロ攻撃は全面 的に正当化され
るだろう。なぜなら、レバノンとその公海上でおこなったイスラエルの犯罪的行為は、国境で兵士 2 名を捕虜
にしたヒズボラの犯罪をはるかに凌駕するものだからである。ニューヨークタイムズ紙の中東問題ベテラン専
門家たち[たとえばトーマス・フリードマン]なら、少なくとも自社の新聞を読 めば、必ずやこの犯罪を知って
いるはずだからである。例えば偶然にも、1983 年 11 月の捕虜交換についての記事の 18 段落では、アラブ
人拘束者のうち 37 名は「最近キプロスからベイルート北のトリポリに行こうとしていたとき、イスラエル海軍に
捕得された人々であった」と書かれている。<註 15>
もちろん、豊かで権力 を持つ国に抵抗するものに対する「適切な処置」についての、このような結論のす
べては、根本的欠陥に基づいている。すなわち「我々と奴らとは違う」という原理である。西欧文化に深く刻
まれたこの決定的原理は、どんな正確な類比やどんな完全な論証さえ、根底から崩すのに十分である。
-7-
2009 年が始まったとき、ガザで米国=イスラエルが実行していた新しい犯 罪は、イスラエルにとってお馴
染みという分 類を除けば、如何 なる標 準的 分類にも容易に適 合しない。私 はいくつか例をあげたが、他の
例に戻ろう。文 字通 り、その犯罪はまさに米国 政府 の「テロリズム」の公式定 義にあてはまるが、だからと言
って、その名称が彼らの非道ぶりを十分に表すわけではない。「侵略」と呼 べるものですらない。なぜなら、
占領 地におけるそのような行為は、米 国の暗黙の承 認のもとで行なわれつつあり、真面 目な学者たちもそ
れを認識しているからである。
たとえば、占領地におけるイスラエル入植の全歴史を振り返って、イジト・ツェルタル Idit Zertal とアキバ・
エルダーAkiva Eldar は次のように述べている。イスラエルが 2005 年 8 月にガザから軍を撤退させた後、そ
の荒廃した地域は、「1 日たりとも、イスラエルの軍事的支配から、あるいは住民が毎日払っている占領の犠
牲から、解放されることはなかった。(中略)イスラエルが残したのは、焦土と化した土地、公共施設の破壊、
現在も未来もない人々であった。解決案は偏見に満ちた占領者の卑劣な手段で破壊された。そして事実、
その卑劣な手段が占領地を支配し続け、恐ろしい軍事力で住民を殺し苦しめ続けている」<註 16>。それ
は、米国の確固とした支持と関与があってこそ、極端な残忍さをもって執行可能なのである。
と こ ろ で 、 米国=イスラエルのガザ攻撃が激しさを増したのは、2006 年 1 月であった。それは軍がガ
ザから正式に撤退した数ヶ月後だった。その時、パレスチナ人は「極悪犯罪を犯した」のである。つまり、自
由な選挙で「間違った側」に投票したのだ。他の国と同じように、罰を受けずに御主人[米国]の命令に背く
ことなどできようはずがないことをパレスチナ人は学んだ。御主人は、知識人階級から嘲笑されることもなく、
「民主主義への切望」について演説をぶつことをやめない。またもや感動的成果である。
逃げ場のない檻に囲われた人々を、残虐で卑劣なやり方で苦しめることにたいして、「侵略」や「テロリズ
ム」という用語では不十分なので、何か新しい用語が必要である。彼らガザの人々は米国の最先端軍事技
術で粉々になるまで打ち砕かれている。国際法にも米国内法にさえも違反して使用されているが、「超法規
国家」と自称する国にとっては、ただ些細な専門用語的問題にすぎない。
もう一つの些細な専門用語的問題は次の事実である。2008 年 12 月 31 日、恐怖に怯えたガザの人々
が、情け容赦のない襲撃から逃れる場所を必死に求めていたとき、ワシントンはドイツ商船を雇い、ギリシャ
からイスラエルに 3000 トンの正体不明の「弾薬」を輸送しようとした。ロイターの報道によれば、「12 月に、ガ
ザ地 区 への空 爆 に先 立 って、さらに多 くの委 託 軍 需 兵 器 をイスラエルへ運 ぶため、米 国 は商 船 を雇 った
が、今回の輸送はそれに続くものである」。武器売買を監視している新米国基金 New America Foundation
の概況報 告も、「イスラエルによるガザ地区介 入は、米 国の税金で支払われた、米国が供 給した武器 によ
って、煽られている」と述べた。この新たな輸送は、「イスラエル軍への補給のために」ギリシャ国内の港を使
用することは禁止する、というギリシャ政府の決定によって阻止された。
このすべては、ブッシュ政権からイスラエルへ提供された米軍事援助 210 億余ドルとは全く別物であり、
ほとんどが贈与である。オバマは、状況がどんなに悪くなっても、この贈与が将来にまで継続することを保証
するつもりだ。オバマは「今後 10 年以上、イスラエルへの無条件軍事援助 300 億ドルを送る」よう要求して
いる、と外交政策解説者ステファン・ズーンズ Stephen Zunes が報告している。ブッシュ政権よりも 25%増
-8-
で、「大 統 領 候 補 者 に献 金 している米 兵 器 製 造 業 者にとっては大 当 たり」、そして「親 イスラエル団 体 the
`pro-Israel' PACs PAC は数回にわたって大統領候補者に献金していた」。そして飽きもせず「中東その他に
大規模な武器移転を促進するのである」。
[訳 注 : 親イスラエル団体 AIPAC: the American Israel Public Affairs Committee, Pro- Israel Lobby に つ いて は下 記 の
サ イ ト を 参 照 。h ttp :/ /w w w.a ip ac. or g/a bo ut _AI PA C/d ef aul t. asp # 。 こ の サ イ ト で は , 次 の よ う な 説 明
があり、オバマ大統領が笑顔で映っている。]
米国支援によるイスラエルの犯罪に対するギリシャの対応は、大抵のヨーロッパの指導者の臆病な姿勢
とはかなり異なる。この違いからわかるのは、ワシントンが全く現実的だったのかもしれないということだ。なに
しろ、1974 年まで、ギリシャをヨーロッパの一部ではなく、近東の一部と見なしていたのだから。多分ギリシャ
は、文明化しすぎていてヨーロッパの一部にはなれないのだ。
イスラエルへの武器引き渡し時期が妙だと気がついた人には、ペンタゴンは次のように答えるだろう。「ガ
ザ攻撃を激化させるには船荷がつくのが遅すぎる。軍装備品は、何であれ、米国がいざというときにいつで
も使用できるよう、イスラエルに予め配備されていなければならない」と。全く尤もらしい答えだ。イスラエルが
後援者[米国]に提供する多くのサービスのひとつが、世界の主要エネルギー資源の周縁部に価値ある軍
事基地を提供することである。それは米国が侵略・攻撃するための前哨基地として、あるいは専門用語を使
うとすれば、「湾岸を防衛し」「安定の確保」をすることである。<註 17>
イスラエルへの大量の武器の流れは、多くの二 次的目 的に役立っている。中東 政策 解説者ムウィン・ラ
バニ Mouin Rabbani は、イスラエルが無防備な攻撃目標にたいして新規開発された武器を試すことができ
る、と述べている。これはイスラエルと米国にとって「事実、二重三重にも価値がある。なぜならば、同種の武
器で効果が低いものが、後にアラブ諸国へ大金で売られ、事実上、米国兵器産業および米国からイスラエ
ルヘの軍事供与への助成金となるのである。」<註 18> これらが米国支配の中東体制における、イスラエ
ルの補助的機能であり、またそれは何故イスラエルがそれほどまでに米当局から、また米国の広範にわたる
ハイテク企業、そしてもちろん軍需産業と諜報局から好かれているかという理由なのである。
イスラエルは別にして、米国は主要な武器供給者として世界でも飛び抜けている。新米国基金 the New
America Foundation の最新報告によると、「米国の武器と軍事訓練は、2007 年の主要 27 の戦争のうち 20
の戦争に関与し」、230 億ドルを稼ぎ、2008 年には 320 億ドルに増加している。2008 年 12 月の国連会期
中 、米 国 が反 対 した多 くの国 連 決 議 のなかに、武 器 取 引 の規 制 を求 める決 議 があったのも驚 くに値 しな
い。2006 年には米国だけがその条約に反対投票をしたが、2008 年には相棒がひとり加わった。 ジンバブ
エである。<註 19>
その 12 月の国連会期中には他にも重要な投票があった。「パレスチナ人の自決権」に関する決議は、
173 対 5 で採択された(反対は米国、イスラエル、太平洋諸島の属国。米国とイスラエルは[自分たちは孤
立していないと]言い逃れるために属国を引き込んだわけである)。投票は、国際的孤立のなかで、米国=イ
スラエルの拒否的姿勢を再確認させるものであった。同様に「普遍的な旅行の自由、家族再会の重要性」
についての決議も採択されたが、米国、イスラエル、属国の太平洋諸島は反対であった。恐らくパレスチナ
人のことが念頭にあったからだろう。イスラエルが禁じているのは、イスラエル人配偶者と再会を望む、占領
-9-
地のパレスチナ人の入国である。
国 連 「 発展の権利」への反対投票では、米国はイスラエルに逃げられたが、ウクライナを獲得した。「食
糧の権 利」への反 対 投 票 は、米 国1国だった。これは地 球 規 模の甚 大 な食 糧 危 機に直 面するなか、特に
衝撃的な事実であり、西側経済を脅かしている経済危機を矮小化するものである。
国連の投票記録が、メディアや体制側知識人たちに、一貫して無視され、「記憶口」の奥深くに放り込ま
れてきたのは、非常に分かりやすい。国連の投票記録から、選出された国連代表とは一体どういうものなの
かが一般大衆に分かってしまうのは、賢いやり方ではないのだから。
米国の偽善,オバマも認めた残虐なガザ攻撃
ガザにおける英雄的ボランティアのひとり、ノルウエー人医師マッズ・ギルバート Mads Gilbert は、恐怖の
光景を「ガザの一般市 民 にたいする全面戦争だ」と述べた。彼の見積もりでは、死傷者の半分は女性と子
供である。ギルバートは、100 人の死体のなか、ただの 1 人の軍人すら見あたらなかったと報告している。そ
れはさほど意外なことではない。またイーサン・ブロンナーEthan Bronner は、ハマスは「離れて戦うことにし
ていた(中略)か、応戦しないことにしていた」と、米国=イスラエルによる攻撃の「成果を分析しながら」報告
している。したがってハマスの戦力は無傷で、犠牲 になったのはほとんど市民であった。つまり、広く支持さ
れている例の原則に従えば、成果はあったのだ。<註 20>
この見積もりは国連人道問題調整事務所長ジョン・ホームズ John Holmes も確認した。彼は「暴力が続く
につれ、日毎に悪 化している」人道 的危 機のなか、殺された市 民の大部 分が女性と子 供であるというのは
「妥当な推測だ」と記者たちに報告した。しかし我々は、イスラエルの外務大臣ツィピ・リブニ Tzipi Livni の
ことばに慰められるかもしれない。彼女は現在の選挙では主要なハト派だが、ガザには何の「人道的危機」
もない、イスラエルの慈悲心のおかげだ、と世界に請け合った。
[訳注: 外 務大 臣ツィピ・リブニ Tzipi Livni。中道右派カディマ党首で、2009 年 2 月総選挙で勝利するも首相はリクードのネ
タニヤフとなった。]
人々と人々の運 命を気遣 う多くのひと同様 、ギルバートとホームズは熱 心に停 戦を訴えた。しかし、いま
だに(2009 年 1 月現在)実現していない。ちなみに、「安保理が即時停戦を求める公式声明を土曜夜に発
表するのを米国が妨害した」とニューヨークタイムズ紙が指摘した。その公式理由は「ハマスには合意を守ろ
うという気配が何もなかった」というものであった。虐殺を正当 化する記録集のなかでも、この口実は最も皮
肉なものに属するにちがいない。もちろん、その発言はブッシュとライスであったが、まもなくオバマもその列
に加わることになった。オバマは、「もし私の娘2人が眠っている所にミサイルが落とされようとしていたら、私
はそれを阻止するためにどんなことでもするだろう」と同情的に繰り返しているが、オバマが言っているのは、
イスラエルの子どもたちのことであって、米軍によって切り裂かれているガザの数百人もの子どもたちのこと
ではない。そのことには、オバマは口をつぐんだままだった。<註 22>
数日後の 2009 年 1 月 8 日、安保理が「恒久的停戦」を求める決議を可決した。投票は 14 対 0、米国が
棄権というものだった。イスラエルと米国のタカ派は、米 国がいつものように拒否権を発 動しなかったことに
腹をたてた。しかしながら米国の棄権は、少なくともイスラエルの暴力激化に対して黄色信号を発するのに
十分であった。攻撃は事実上、就任式直前まで激化の一途をたどり、予想通りだった。
- 10 -
停戦が(理論上)実施された後、パレスチナ人権センターが発表した攻撃最終日の数字は、パレスチナ
人死者 54 人、そのうち非武装の市民は 43 人、そのうち 17 人は子どもだった。発表している間も、イスラエ
ル軍 IDF は民間人家屋と国連学校を爆撃し続けていた。彼らが見積もった死者総数は 1184 人にのぼり、
そのうち 844 人が民間人、281 人が子どもだった。イスラエル軍 IDF はガザ地区全体に焼夷弾を使い、家
々や農業用地を破壊し、市民を家から追い出し続けていた。数時間後、ロイター通信は、死者は 1300 人
以上だと報 告した。アル・メザンセンターの職員たちは、犠 牲 者と破 壊の数を丁寧に調べているが、これま
で絶え間のない重爆撃で近づけなかった地域を訪れた。彼らが発見したのは、破壊されブルドーザーによ
って取り壊された家々の瓦礫の下で腐敗している数十という市民の死体であった。都市部は完全に消え去
っていた。<註 23>
死傷者の数は確かに低く見積もられている。アムネスティ・インターナショナル、ヒューマン・ライツ・ウォッ
チ、イスラエル人権組織ベツレム B'Tselem による戦争犯罪への調査要求にもかかわらず、こうした残虐行
為に真剣な調査がされる見込みもない。公認の敵の罪状は厳しく調査されるが、私たちの側は組織的に無
視される。またもや、それは一般慣習であり、御主 人にとっては当然のことだ。つまり御主人は、一種の「大
きすぎて潰せない」という保護政 策に厳密に従っているのだ。このワシントンによって主要金 融機関に与え
られた金融政策、つまり保護政策というかたちで与えられた巨大な競争力は、その名が示すとおり[国家に
よって]保護されている。それと同じように、米国は「大きすぎて説明責任を果たすことができない」だけなの
である。司法調 査、不 買 運動 、経 済制 裁 、あるいは別の方法によっても、米国に説 明責 任を果たすよう強
制できないのである。
1 月 8 日の安保理決議は、ガザへの武器流入中止を求めた。米国=イスラエル(ライス国務長官=リブニ
外相)は、この決議の成果を確実にする施策についてすぐに一致点に達したが、それはイランの武器に集
中 していた。米 国からイスラエルへの武 器 密 輸を中 止する必 要 はなかった。なぜなら密 輸などないのだか
ら。報告されない時でも、膨大 な武 器輸 出は完全 に公然だからである。それは、ガザでの虐殺が進 行 して
いたとき公表された武器輸送の場合と同じである。また後になって明らかとなったことだが、ガザでの軍事攻
撃終了直後、イスラエルはスーダンも爆撃し、数十人を殺し、紅海の船舶を沈めていた。ガザのための武器
輸送だと疑われて攻撃目標となったのだが、これについてはメディアから何の反応もなかった。他方、イラン
が侵略者イスラエルへ米 国製武器が流入するのを妨害していたら、それを[米国やイスラエルは]恐ろしい
残虐なテロ行為と見なしていただろう。[それを口 実に米国やイスラエルは]イランに対して核攻撃をしてい
たかもしれない。<註 24>
安保理決議はまた「パレスチナ自治政府とイスラエルとの間での移動と通行に関する 2005 年合意にもと
づき、検問所の継続的開門を保証する」ことを求めていた。2005 年合意とは、ガザへの通行は継続的基準
でなされること、そしてイスラエルは西 岸 地 区とガザ地区 間の人と物 資の通 行 を可 能にすることを決めたも
のであった。
ライス国 務 長 官 =リビニ外 相 の合 意 は、安 保 理 決 議 のこの点 には一 切 ふれなかった。米 国 =イスラエル
は、パレスチナ人が 2006 年 1 月の自由な選挙で「間違った側」に投票した処罰として、2005 年合意を既に
破棄していた。2009 年、ライス=リビニ合意の後、記者会見でライスは、ワシントンはアラブ世界におけるその
自由 選 挙の結果を無 効 にするよう引き続き努 力する、と次のように強調 した。「出 来ることはまだたくさんあ
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る。ガザをハマス支配の暗黒から引出し、パレスチナ自治政府がもたらしうる良き政治の光明のもとに置くた
めに、まだなすべきことは多い」。ただし少なくとも、自治政府が腐敗のはびこる忠実な属国であり、[パレス
チナ人にたいして]激しい弾圧を喜んで行うか、[米国=イスラエルに]従順である限りだが。<註 25>
アラブ世界の訪問から戻って、ファワーズ・ゲルゲス Fawwaz Gerges は、その光景を見た人々の報告が
正しかったと強く断言した。米国=イスラエルのガザ攻撃の結果が人々を激怒させ、攻撃者とその協力者へ
の激しい憎悪をかきたてた。「いわゆる穏健なアラブ諸国(つまりワシントンから命令をうけている国々)が守
勢にまわり、イランとシリアに導かれた抵抗勢力が主に利益を得た、と言えば十分だろう。またもや、イスラエ
ルとブッシュ政 権はイランの主導 権に甘い勝 利を手 渡してしまった」。さらに、「ハマスは前にも増して強 力
な政治勢力として現われ、マフムード・アッバス議長のパレスチナ自治政府の支配組織ファタファを凌ぐこと
になるだろう」(アッバスは今ワシントンの大のお気に入りだが)。
その結論が正しいことは、独立 的なエルサレム・メディア・コミュニケーション・センターによる世論調査 で
明らかだった。調査では、西岸地区でハマスへの支持が、ガザ攻撃の後、19%からこの 4 月には 29%に上
昇した。その間、ファタハへの支持は 34%から 30%に下落した。戦闘的イスラム集団とその支持勢力を弱
体化させるどころか、「戦争は穏健派を弱体化させ、大幅に土台を掘り崩した。パレスチナにおいてだけで
なく、中東地域全体においても」とセンターは結論づけている。西岸地区のパレスチナ人の 53%が、ハマス
が戦争に勝利したと考えた。それに比べるとイスラエルの勝利と見た人は 10%だった。<註 26>
覚えておくに値するのは、アラブ世界が、ガザで起きていることを生中継で放映するテレビ放送から用心
深く遠ざけられているわけではないということだ。唯一の定期的なテレビ放送、アルジャジーラのすぐれた通
信員から寄せられる「混乱と破壊についての冷静で均衡のとれた分析」があったのだ。ロンドン・フィナンシ
ャル・タイムズ紙の報告によれば、アルジャジーラは「地上波チャンネルに代わる正真正銘の放送」を提供し
ている。我々米国のような効果的な自己検閲様式をもたない 105 の国々では、毎時間起きていることを人
々はいつも見ることができ、そのインパクトは非常に大きい、とロンドン・フィナンシャル・タイムズ紙は述 べて
いる。ニューヨークタイムズ紙の報道によれば、米国における「ほとんど完全とも言える報道管制は(中略)、
イラク戦争 初期の侵略 報 道に関し、アルジャジーラが米政府から受けた激しい批判で説明が付くことは間
違いない」。チェイニーとラムズフェルドが[米国におけるアルジャジーラの報道 に]異議を唱えたので、あき
らかに、独立系メディアは従うことしかできなかったのである。<註 27>
我々は必要なだけ殺す権利がある
攻撃目的が何だったのかについては、もっと冷静な議論がある。目的については一般にはいろいろ論じ
られているが、中でも、2006 年のレバノン侵略が失敗に終わった結果、イスラエルが失った「抑止力」すな
わち、潜在的抵抗勢力を服従させるための恐怖による威嚇力を取り戻すことである。しかしながら無視され
がちなもっと根本的な目的がある。最近の歴史を見れば、それはかなり明らかだろう。
イスラエルは 2005 年 9 月、ガザを放棄した。入植運動の守護聖人アリエル・シャロンのようなイスラエルの
合 理 主 義の強 行 論 者たちは、ガザの廃 墟で数 千 人の不 法 なイスラエル入 植 者たちが、イスラエル軍 IDF
に守られながら、土地と乏 しい資源のほとんどを使っていることに補助金を出 すのは意味がないと考えた。
むしろガザを世界最大の牢獄に変え、それよりはるかに価値のある西岸地区に入植者たちを移す方が、筋
- 12 -
が通っていたのである。西岸地区について、イスラエルは野心を、はっきりと言葉でも、もっと重要なことには
行動でも、隠そうとはしなかった。ひとつの目的は、分離壁の内側の、耕作に適した土地、給水施設、エル
サレムとテルアビブの快適 な郊外を併合することである。分離壁は国際司法 裁 判所で違法であると宣言 さ
れたが、それは的外れ・関係ないことである。その分離壁は広大に伸びた大エルサレムを含むもので、40 年
前の安保理命令に違反してはいるが、そんなことも関係ない。イスラエルは西岸地区の約三分の一を占め
るヨルダン渓谷も占領しようとしてきた。それゆえ、残っているものは[壁によって]閉じこめられ、さらにユダヤ
人 入植 地によって細 分化 され、その結 果 、西 岸地 区は三 分 割されてしまっている。そのひとつは、拡 大エ
ルサレムのマアレ・アドミム Ma'aleh Adumim の町を通り、クリントンの時代に東に延びて西岸地区を分断し
た。二つ目は、北へ伸びてアリエルとケドミム Ariel and Kedumim の町を横切る。そしてパレスチナ人に残さ
れた土地は、ほとんど恣意的に設置された数百の検問所によって分断されている。
http://0000000000.net/p-navi/info/column/200508310306.ht
m
"The map of the illegal settlements in East Jerusalem and Ma'ale
Adumim settlements bloc" c Chen,2005
検 問 所はイスラエルの安 全 保 障 とはなんの関 係も
ない<註 28>。もし一部が入植者保護の目的だっ
たにしても、国際 司法 裁 判所が明 確に判定 したよう
に、全 く違 法 である。実 際 、彼 らの主 たる目 的 はパ
レスチナ人 を苦 しめることであり、イスラエル人 平 和
- 13 -
活動家ジェフ・ハルパーJeff Halper が「支配の網目 matrix of control」と呼んでいるものを構築することであ
る。これはもし自分の家と土地に留まろうとするなら「殺虫剤をかけられて瓶の中で駆け回るゴキブリ」のよう
に耐えがたい生活を送るよう設計されている。全く妥当なことだ。なぜなら、彼らは「我々に較べればバッタ
のようなもの」だから、頭が「石や壁で砕けたって」かまわない。こういう言葉 使 いは、イスラエル上層部の政
治的・軍事的指導者たちのものだが、この場合は[米国の]尊敬すべき「王子たち」の言葉である。そしてそ
れと同じ姿勢が、たとえバラバラに個別に表現 されているにしても、[米国=イスラエルの]政策を形成 して
いるのである。<註 29>
政治的・軍 事的指導 者 たちの人種差別的 言葉 使いは、ラビの権威者たちの説教に較べれば穏健であ
る。しかし彼らは周辺の(非主流の)人物であるどころか、軍隊や入 植運動のなかで非常に影響力があり、
ザーテルとエルダーZertal and Akiva Eldar[イスラエルの著名なジャーナリスト]が明らかにしたように、政策
に強大な影響を与える「土地の支配者」である。ガザ戦争の忘れられない写真の 1 枚は、伝統的黒装束に
身を包む正統派ユダヤ教徒 3 人が写っていて、写真の見出しには、「イスラエル人は、この男たちのように、
ガザ近くの丘にやってきて、ハマスのロケットを止めようと軍がパレスチナの飛び地を叩き潰すのを、眺める」
とあった。
その物 語 はこうだ。正 統 派であっても世 俗 的であっても、イスラエル人 なら「戦 争を見 物 する桟 敷 席とな
る」丘の頂 上に登る。「ランチとか携 帯 ラジオとかを持 参する人もいる。そのラジオは眼 前で繰 り広げられる
戦闘の最新報告が聞こえるように目盛りが合わせてある」。「戦闘に従事している友人や家族を激励してい
る人もいる」。爆発している爆弾を見ると、歓喜を抑えることができないで、「『でかした、でかした!』と叫んで
いる人もいる」。双眼鏡や芝生用椅子を持ってきて、イスラエルの攻撃機が誤爆したのを酷評している人も
いる。まるで、スポーツ観戦で監督を酷評しているファンそっくりである。<註 30>
ガザ地区北部で戦っている兵士たちは、高位のラビ2人の「霊感を与える感動的な」訪問を賜った。その
時、2人のラビは、旧約聖書『詩編』の有名な一節を引用しながら、ガザには「罪なきもの」は一人もおらず、
したがってガザにいる者はみな合法的標的であると兵士たちに説明した。その 1 節は、イスラエルを抑圧す
る者たちの子どもを捕まえ、壁に叩きつけることを王に求めるものだった。
ラビたちは何も新解釈を披露したわけではなかった。エルサレムポスト紙の報道によれば、1 年前、最高
位ラビの前任者が、オルメルト首相宛てに手紙を書き、次のような裁定を下しているからだ。すなわち、ガザ
のすべての市民はロケット攻撃に対して集団責任がある、それゆえ「ロケット発射を止めさせる目的で、ガザ
に対する大規模軍事攻撃がもしあるとしても、その間、市民の無差別殺害を道徳的に禁止する必要は全く
ない」。彼の息子である、サフェドのラビ長 chief rabbi of Safed が、さらに次のように詳述している。「我々が
百人殺 した後、彼らが攻 撃を止めなければ、我々は千人 殺さなければならない。千人 殺した後、止 めなけ
れば、我々は 1 万人殺さなければならない。それでも彼らが止めなければ、我々は十万人、いや百万人で
も殺さなければならない。彼らを止めさせるためには、どれだけでも。必要な数だけだ」と。<註 31>
同様の見解を米国の著名知識人たちが表明した。イスラエルが 2006 年にレバノンを侵略した
とき、ハーバード法科大学院教授アラン・ダーショウィッツ Alan Dershowitz がリベラルなインタ
ーネット上のハフィントンポスト紙 Huffington Post で、レバノン人は全てイスラエルの暴力の合
法的標的だと説明した。レバノンの市民は「テロリズム」つまりイスラエルの侵略に敵対する抵
- 14 -
抗者を支援したため、その「報いを受けている」のである。それ故、圧倒的大多数のレバノン市
民は、ナチを支援していたオーストリア人同様、攻撃を免れない。[イベリア系ユダヤ人]セファ
ルディ Sephardic のラビの死刑宣告[イスラム教の法的決定ファトワに当たるもの]が彼らに適用さ
れるというわけである。
エルサレムポスト紙のウェブサイトにあるビデオでは、ダーショウィッツがパレスチナ人対イ
スラエル人の度を超えた死者率という話しをあざ笑い続けている。1000 対1あるいは 1000 対 0
にさえ上げるべきだと言い放った。つまり、野獣は、完全に絶滅させるべきだと。もちろんダー
ショウィッツは「テロリスト」のことを言っているのである。イスラエル軍の犠牲者を含む広い
範疇で、である。「イスラエルは決して市民を狙わない」のだから。ダーショウィッツは断固と
してこのように宣言した。つまりは、パレスチナ人、レバノン人、チュニジア人、実際に神聖な
国家の無慈悲な軍の邪魔をする者は誰でもテロリストであり、あるいはまた、偶然に彼らの正当
なる犯罪の犠牲者になった人もテロリストなのである。<註 32>
歴史上、これと同等の行動を探すのは容易ではない。たぶん興味深いのは、それが実質的に非難 され
ることはなく、したがって支配する側の知的・道徳的文化においては、明らかに、全く適切な行為だと考えら
れていることである。「我々の側」がやることならば、適 切なのだ。つまり、公 式の敵の口からそのような言 葉
が出れば、もっともな怒りを引き出すことになり、その悪者を罰するために、大規模な先制攻撃を要求するこ
とになるのである。
抵抗 する「
する 「 バッタ」
バッタ 」 や 「 薬漬 けのゴキブリ
けの ゴキブリ」
ゴキブリ 」 には更
には 更 なる制裁
なる 制裁 を
「我 々の側 」は決 して市 民 を標 的 としないという主 張 は、暴 力 国 家 にお馴 染 みの教 条 (ドクトリン)であ
る。それにはいくらかの真 実がある。米国のような強 い国家は一 般的に特定 の市民を殺そうとはしない。そ
れどころか、そういう国 家 が多くの市 民 を虐 殺することになる殺 人 的 行 為を実 行することを、国 家と知 識 人
階級は知っている。しかし、特定の人を殺そうと意図しているのではない。そのような行為を恒常的におこな
うことは、法 律 的には、恥 ずべき無 関 心 という範 疇 に入るのだろうが、それは帝 国の標 準 的 な行 いや教 条
(ドクトリン)にふさわしい呼び名ではない。なぜなら、彼らの行為は、私たちがその意図がないのに、蟻を殺
しているのを知りながら道を歩いているのに似ているからだ。蟻は非常に下等なので[殺しても]問題になら
ないのである。
クリントンがアフリカの貧困国(スーダン)の主要製薬工場を爆撃した場合も同じである。数万人が死んで
しまうかもしれないと予想されていたし、結果は明らかに予想通りだった。しかし我々は特定の人たちを狙っ
たのではないのだから罪はない。そのように西側の道徳 主 義 者たちも我々に保証 している。同 じことがさら
にもっと極端な場合にも当てはまる。多すぎて列挙できないほどだ。イスラエルが「解放する」土地で行動を
するときも同じだ。自分でも分かってはいるが、偶然そこに群がっている「バッタ」や「薬漬けのゴキブリ」を殺
しているだけなのだ。この種の道徳的退廃に対する上手い用語は見つけられない。間違いなく故意の殺人
より悪い。しかも、これが余りにもお馴染みのものなのである。
古 代 の パレスチナでは、(「土地の支配者」によれば、神のお告げによって)正当な所有者たちが、薬漬
けのゴキブリたちに、方々に散らばった土地を与えたのかもしれない。しかしながら、それは彼らの権利では
- 15 -
ない。「私は信じる。そして今日の今日まで、まだ信じている。この全土に対する、我々国民の、永遠で歴史
的な権利を」。オルメルト首相は 2006 年 5 月の両院合同議会で、沸き起こる拍手喝采に対して、このように
述べた。そして同時に、西岸地区の価値ある土地を占領するという、彼の「収束」措置計画を発表した。先
にも述べたとおり、それは、パレスチナ人をバラバラに孤立した地区で疲弊させておくという政策である。彼
は「全土」の境界については明確にしなかったが、シオニストたちの計画も境界 の明確化はなかった。それ
にはもっともな理 由 があるからだ。つまり、永 続 的 な領 土 拡 張 こそが国 内 の重 要 な原 動 力 なのだからであ
る。
もし、オルメルト首相が自らの原点のリクード党に依然として忠実であったならば、[彼らの言う「全土」は]
紛れもなく、少なくとも価値ある部分である現在のヨルダン国を含めた、ヨルダン川両岸のことを意味したの
かもしれない。しかし、1999 年のリクード党憲章(現在のベンヤミン・ネタニヤフ首相の計画)は曖昧である。
その宣言は、「ヨルダン渓谷とそこから広がる領土は、イスラエルの主権下になるであろう」というものである。
ヨルダン渓谷 を「見下ろす」ものが何なのかは定義されていないが、ヨルダン川 の西岸につながるもの全て
を、つまりかつてのパレスチナをイスラエルの主権下に置こうとしていることは確かである。その領土に、パレ
スチナ国家が存在できるはずがないし、入植は拘束を受けてはならないはずである。憲章は「入植は、イス
ラエルの土地にたいするユダヤ人の譲 り渡すことのできない権利を、明確に表明するものである」と宣 言し
ているのだから。
オルメルト首相とリクード党の後継者にとって、イスラエル国民が「この全土に対する、永遠で歴史的な権
利をもつ」ということと、一時的訪問者でしかないパレスチナ人には一切の自 決権がないということは、劇的
な対称性をなすものである。先述したように、パレスチナ人には自決権がないということは、2008 年 12 月、イ
スラエルやワシントンに住むイスラエル支持者が繰り返し述べたことである。この二国はいつも通り国際社会
から孤立し、いつも通り[それに対して主流メディアは]全くの沈黙を保った。<註 33>
オルメルト首相が 2006 年に策定した計画は、強硬さが不十分だ・手ぬるいとして、その後は断念されて
いる。しかし、収束計画の代替計画と、それを実行するために毎日おこなわれている行動は、ほとんど同じ
考えによるものである。2008 年、西岸地区の入植作業は、入植地監視団体「今すぐ平和を Peace Now」の
報告によれば、60%増であり、西岸地区入植地における住宅建設は前年比 46%増であった。一方、テル
アビブでは 29%減、エルサレムでは 14%減であった。「今すぐ平和を」のさらなる報告によれば、58000 戸
分が許可待ちで待機しているなか、新たに 6000 戸の建設が認められた。報告によれば、「もし計画が全て
実 現すれば、占 領 地の入 植 者 数 は倍 加するだろう」。ワシントンの財 政 部 長 から苦 情をいただかずに、入
植事業を拡大する方策はいろいろある。たとえば後で全国的な電気・水道網に連結し、時間をかけてゆっ
くりと入植地や市街になっていくような「前進基地」を設置するのである。あるいは、安全のために必要だか
らという理由で、パレスチナ人の土地を没収し、入植地のまわりに「環状の土地」を拡大するという単純な方
法もある。この全過程が続いているのである。<註 34>
このような方策は、イスラエル国家が設立される前の時代に起源があり、占領初期の日々にまでさかのぼ
るものである。その当時の基本的考えを、占領地担当だった国防相モシェ・ダヤン Moshe Dayan が詩的に
述べていた。「今 日の状 況は、ベドウィン[アラ ブ の 遊牧 民 族 ]の男と、その男が不 本 意ながら誘 拐する少
女との複雑な関 係に似ている。(中略)少 女つまり、君たちパレスチナ人は、民族として、我々を欲しない。
- 16 -
だが我々は君たちの態度を変えてみせる。我々の存在を君たちに強制することによって」。君たちは「犬の
ように暮らし、出て行きたいものは皆、出て行くがいい」。我々は欲しいものを手に入れるだけだ。<註 35>
これらの計画が犯罪であることは疑念の余地もなかった。1967 年戦争 [イスラエルによる水資源確保のための 6
日間戦争] の直後、イスラエルにとって最高の法的権威者、テオドール・メロン Theodor Meron が、イスラエル
政府に通告した。「管掌地での市民の入植は、国際人道法の基盤である第 4 次ジュネーブ協定への明白
な違反である」。イスラエルの法相は同意した。国防相ダヤンも次のように認めた。「占領地に入植するイス
ラエル人は、ご存じの通り、国 際会 議に違 反しているが、[昔どおりのやり方 だから]本質 的に新しいことは
何もない」。だから問題はないはずだ。しかし国際司法裁判所は満場一致で 2004 年のメロンの結論を承認
した。イスラエル高等裁判所は、法律上は賛成したが、実際上は反対した。いつも通りのやり方である<註
36>。
西岸地区では、イスラエルは米支援のもと、何の妨害もなく、その犯罪的計画を追求できる。効率的な軍
事支配とイスラエルに協力的なパレスチナ治安部隊のおかげである。今では、米国と同盟する独裁政権に
訓練され武器を与えられたパレスチナ治安部隊である。イスラエルはまた定期的に暗殺や他の犯罪も実行
でき、その間 、入 植 者たちはイスラエル防 衛 軍の保 護のもとで、大 暴れするのだ。こうして西 岸 地 区はテロ
で効率的に押さえつけられてきたが、パレスチナのもう半分のガザには未だに抵抗がある。米国=イスラエル
によるパレスチナの併合・破壊計画が、邪魔されずに進展するためには、抵抗も抑えられなければならない
のである。
それ故に、ガザ侵略なのである。
米国が荷担した、言語を絶する凄惨なガザ攻撃
侵略の時機は、目前のイスラエル総選挙に大きく影響されていると考えられた。労働党の中道派、イュー
ド・バラク国 防 相 は、世 論 調 査 ではひどく出 遅 れていたが、イスラエル人 解 説 者 ラン・ハッコーエン Ran
HaCohen の計算によれば、虐殺の初期に、アラブ人 40 人殺すに付き 1 議席を獲得した。<註 37>
しかしながら、それは変 化した。イスラエル極 右は侵略で十 分得るものがあったが、注意 深く磨き上 げら
れたイスラエルのプロパガンダ攻勢でも抑えきれないような犯罪が明らかになってきた。それで、侵略の熱烈
な支持者でさえ、外の世界がイスラエルの「正当な戦争」の真相を知りはじめてきたことに、懸念をもちはじ
めたのだ。著名な政治学者で歴史家のシュロモ・アビネリ Shlomo Avineri は、イスラエルと外界の「意見の
重要 な違い」について分 析し、次のように説 明した。その理 由の中には、「イスラエルが使 用した爆弾 の威
力の結果、メディアがそれを誇張したため生まれた厳しいイメージ。それと同様に、偽情報と(間違いなく)イ
スラエルにたいする昔からの月並みな憎悪」がある。
しかしシュロモは、それよりもずっと根深い理由に気づいた。「作戦の名称は、認識のされ方・外見に大き
く影響を与えるものである。イスラエル人は、作戦の名称『キャスト・レッド(Cast Lead)』のヘブライ語 [ドレイド
ル駒] を、詩人ハイム・ナフマン・ビアリク Haim Nahman Bialik が書いた一節と関係づけている。それはユダ
ヤ教の祭りハヌカの歌の一部で、かわいい子どもたちが歌う歌である。作戦がハヌカ祭 6 日目に始まったと
いう事実が、そういう連想を強めた。
しかしながら、海外では違った見方がされている。ドイツは言うまでもなく、英国では、Cast Lead は全く異
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なって連想される。Lead(鉛)は Cast(鋳造)され、弾丸・爆弾・迫撃砲弾になる。世界中がキャスト・レッド作
戦を報道したとき、軍国主義的で残酷で攻撃的な響きがして、『回るドレイドル駒』というよりは、死と破壊を
連想させた。最初の攻撃が火を噴き、イスラエルの主張を説明する最初の演説がされた後、作戦は既に好
戦的印象を与えてしまっていた」。イスラエルの大失敗だ。おそらくもっと物柔らかな命名をすべきだった、と
シュロモ・アビネリは考えた。「『ガザの入口(Gates of Gaza)』のような。それなら歴 史的 響きも持つからね」
と。<註 38>
[訳注:キャスト・レッド(鋳造された鉛)とは、ユダヤの祭りハヌカで子どもたちが遊ぶドレイドル駒を指す。ドレイドルはユダヤ教
が弾圧されたことを象徴するものであるという。日刊ベリタhttp://www.nikkanberita.com/print.cgi?id=200901051401141]
他の戦 争支 持 者たちも警告した。虐殺 は「イスラエルの魂とイメージを台無 しにしている。世界 中のテレ
ビ 画 面 で 台 無 しに し てい る 。 世 界 中 の 居 間 で 、 最 も 重 大 な こと に オ バ マ の 米 国 で 」 ( アリ ・ シャ ビ ト Ari
Shavit、ハーレツ紙寄稿者)。シャビトが特に懸念を表明したのは、イスラエルの「国連施設への砲撃が(中
略)国 連 事 務 総 長のエルサレム訪 問 当 日だった」ことだった。「狂 気を超えた」行 為だと彼 は思った。<註
39>
さらに細かな点を加えておくと、その「施設」は、ガザ市の国連敷地で、中 にはUNRWA(国連パレスチ
ナ難民救済事業機関)の倉庫があった。UNRWA 所長ジョン・ジン John Gin によれば、砲撃が破壊したの
は、「避難所・病院・食糧配給センターに今日、配送することになっていた数百トンもの緊急食糧と医薬品」
だった。同時に、軍事攻撃はアルクッズ病院 the al-Quds hospital の 2 フロア(2 階分)を破壊し、焼失させ、
またパレスチナ赤十字協会が運営する第 2 倉庫も破壊した。人口密集地のタルハワ地区 Tal-Hawa の病院
も、「イスラエル陸軍が近 隣 地 区へ侵 攻 したので、恐 怖からガザの数 百 人が中に避 難 したその後 」、イスラ
エル戦車に破壊された、とアルジャジーラが報告した。
くすぶる廃墟となった病院内部から救 出すべきものは何も残っていなかった。「彼らは建物を砲撃した。
病院の建物を」と救急医療師アフマド・アルハズ Ahmad Al-Haz がAP通信に語った。「出火した。私たちは
病人や怪 我 人や、そこにいた人たちを避 難 させようとしていた。消防 士が到 着し、火 を消 したが、火 はぶり
返し、また消した。また火がぶり返した。3 度もだった」。その炎は白燐弾によるものだと疑われているが、そ
の他多くの火災と深刻な火傷についても同じ疑いを持たれている。<註 40>
この疑いをアムネスティ・インターナショナル(AI)が確認したのは、集中砲火が止み、調査が可能となっ
た後だった。イスラエルは「賢明にも」すべてのジャーナリストを排除した。イスラエル人のジャーナリストでさ
え。その間、犯罪は狂暴に進行した。AIは、ガザ市民に対するイスラエルの白燐弾使用は「明らかであり、
否定できない」と報告し、人口密集地での度重なる使用を「戦争犯罪だ」と非難した。AI調査団は、住居周
辺に散乱し、まだ発火し続けている白燐弾の切れ端を発見した。「住民と彼らの資産をさらに危機に晒して
いる」、特に子どもは「戦争の残骸に惹かれやすく、その危険に気づかない」。
主要な標的は UNRWA 敷地だったと、AIは報告した。敷地内にはイスラエルの「白燐弾が燃料タンク数
台のすぐ隣に着弾し、数トンの人道的救助物資を破 壊する大火事を引き起こした」。これは、イスラエル当
局が「これ以上は敷地内に砲撃を行わないという保証を与えた」後のことであった。同じ日、「白燐弾がガザ
市のアルクッズ病院に着弾し、病院職員が患者を避難させざるを得ない火事を起こしていた。(中略)白燐
が皮膚に付着すると、筋肉の奥深く、骨の中まで深く燃え、酸素がなくならない限り燃え続ける」。故意に意
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図 したものか、愚 劣 なほどの無 関 心 さによるものか、いずれにしても、この兵 器 が市 民 の攻 撃 に使 われれ
ば、このような犯罪となるのは避けられない。<註 41>
白燐弾は米 国製だったとAIは報告した。ガザでの武器使用を再調査する報告書の中で、AIは、イスラ
エルが米国の支給した武器を使用し「国際人道法 を著しく侵害」したと結論づけ、「国連安保理が、即時・
包括的な武器禁輸措置を、そのユダヤ国家に課す」よう要請した<註 42>。意識的な米国の共謀はほと
んど疑問の余地がないにもかかわらず、米国は「大きすぎて潰せない」と同じ原理で、処罰要求から除外さ
れるのである。[訳注:「大きすぎて潰せない」は、ブッシュ&オバマによる金融危機後のウォール街救済策]
しかしながら、イスラエルによる甚 大な法 侵 害 、戦 争 時の蛮 行 を禁 止するために設 計 されている法の侵
害にばかり集中しすぎるのは誤りである。そうではなく、侵略そのものが既に深刻な犯罪なのである。イスラ
エルが弓矢でぞっとするような損害を与えたのだとしても、それもやはり極悪非道な犯罪行為である。
また、特定の標的に注目を集中させることも誤りである。この軍事作戦は野心的で、はるかに大がかりだ
った。目 標は「生 活 手 段 の全 てを破 壊 すること」だったと当 局 者たちは警 告 していた。農 業 用 地の大 部 分
が、家禽、家 畜、温室 、果 樹園もろとも、恐 らく永久 的に破壊された。その結 果、大きな食 糧危 機になるだ
ろうと世界食糧計画 the World Food Program は報告した。またイスラエル防衛軍IDFが標的にしたのは、
農 業 省 と 「 ザ イト ゥ ン Zaitoun に あ る パ レスチ ナ 農 村 救 済 委 員 会 the Palestinian Agricultural Relief
Committees の各事務所だった。この各事務所は貧しい人たちに安い食糧を提供しているからであった。兵
士たちは略奪し、破壊し、口汚い落書きを残していった」。
巨大な地域がブルドーザーで真っ平らの新地にされた。「イスラエルのブルドーザー、爆撃、砲撃で生じ
た物理的損害以上に、土地は、白燐弾を含む軍需品、破裂した下水管、動物の死骸、屋根に使われてい
たアスベストで汚 染 されてしまった。多 くの場 所 で、損 害 は極 限 に達 した。ジャバール・アル・ラヤス Jabal
al-Rayas は、かつては栄えた農村だったが、全ての家屋が打ち壊され、家畜でさえ殺され、野外で腐ったま
まとなっていた」。
ガザ経済界の指導者たちは、概して政治には無関心だが、「イスラエルの経済封鎖による 18 ヶ月間の操
業停止後でも、やっと動いていた 3%の産業ですら、そのほとんどが破壊されてしまった、と言っている」。イ
スラエル軍は「空爆、戦車 の砲撃、武 装ブルドーザーを使って、ガザのほとんどの重要な製造 工場の生 産
能力を壊滅させるため」、219 もの工場を破壊したり、激しい損害を与えたと、パレスチナ人実業家たちは語
った。<註 43>
復興の可能性を妨害するために、IDF イスラエル防衛軍は大学を攻撃した。とくにアル・アズハール大学
農業学部 the agriculture faculty at al-Azhar university(ワシントンお気に入りの派閥、ファタハ支持と考え
られていた)、ラファ Rafah にあるアル・ダッワ人文大学 Al-Da'wa College for Humanities、ガザ防衛大学
the Gaza College for Security Sciences を破壊した。ガザにある大学の建物 6 つが全て跡形もなく壊され、
16 の建物が損害を受けた。破壊されたうちの 2 つは、ガザにおけるイスラム教大学の科学工学研究所を収
容していた<註 44>。攻撃の口実は、それらの大学がハマスの軍事活動に貢献していたというものであっ
た。同じ原理をもってすれば、イスラエル(と米国)の大学は大規模テロの合法的標的となるのである。
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時にはイスラエル海軍 が漁船に発砲したという報告もあったが、これらは、漁業を沿岸 地域に押しやり、
そうすることで、漁業を破壊するため近年おこなっている組織的軍事攻撃の実態を隠蔽している。なぜなら
イスラエルが発電所と汚染処理施設を破壊したことで引き起こされた広範囲の汚染が、沿岸地区での漁業
を不可能にしているからである。ガザのアルメザン人権センターthe Al Mezan Center for Human Rights
は、今では非常に信頼すべき筋となってきているものだが、最近の事件をいくつか引用しながら、「イスラエ
ル占領軍IOF(Israeli Occupation Forces)による、漁師も含めたパレスチナ人市民にたいする攻撃の継続
的拡大を強く非難している」。
[訳注:イスラエル軍をIDF防衛軍ではなくIOF占領軍と言い換えているところがミソ]
国際 的な人 権 監視 員たちは、ガザ領 海で漁 船にたいする恒常的 攻 撃があると報告 している。彼らは報
告の場にパレスチナ人漁師を伴い、「当時は 6 ヶ月間の停戦協定が継続中だったにもかかわらず」「ガザ領
海でありながら、彼ら漁師をイスラエル軍が攻撃する数え切れない行動を目撃」してきた、そして今は 1 月の
停戦協定後であるにもかかわらず再び攻撃を受けている、と述べている。イスラエル海軍の攻撃で「ガザの
漁師 4 万人は生計手段を奪われている」と、ギデオン・レビィ Gideon Levy は、19 才のガザ人漁師のベッド
脇から報告した。その 19 才の漁師は、10 月 5 日ガザ沿岸近くで、イスラエル砲艦が警告もなく漁船に攻撃
を仕掛けてきて重傷を負わされた。イスラエルのガザ侵略によって停戦が破られる 1 ヶ月前のことだった。
レビィの話しによれば、「数日おきに国際連帯運動(ISM:the International Solidarity Movement)は、
漁師への攻撃について、ガザの有志からの報告を公表している。時には海軍の船舶が卑劣な技巧を用い
たり、時には水兵が高圧水ホースを漁師めがけて使用して師を海に投げ込んだり、また時には漁師に致命
的攻撃を開始したりする」。<註 45>
国際監視員の報告によれば、漁船への攻撃が始まったのは、ガザ領海で 2000 年にが非常に有望な天
然ガス田を発見してから後のことだった。恒常的な攻撃で漁船は徐々に沿岸地区へ追いやられている。公
式命令によってではなく、脅威と暴力によってである。石油業 界誌とイスラエル経済紙の報道によれば、イ
スラエル国有のイスラエル電気公団は、「パレスチナ人支配下のガザ地区の、地中海沿岸沖にある海洋領
域から、約 15 億立方メートルにも及ぶ天然ガス」を購入する交渉を[BG Group と]行っている。ガザ侵略
が、パレスチナ人からこれらの価値ある天然資源を横取りする計画と関係があるのかも知れない。そういう考
えを抑えることは難しい。パレスチナ人はその交渉には参加できないのだから。<註 46>
[訳注: BG Group。1986 年 に民 営化 され た英 国ガ ス公 社 British Gas( ブ リテ ィッ シュ ガス )を その 前身 とす る
天然 ガス 事業 を主 体と する エネ ルギ ー企 業。ブリ ティ ッシ ュガ スの 経営 の悪 化に 伴う 一連 の事 業再 編で 、同 社の
事業 はい くつ かの 企業 に分 割さ れた 。現 在の BG Group は、1999 年に 、主に 英国 以外 の事 業、資産 を引 き継 ぎ、
英国以外のガス田の開発、生産、LNG 事業、パイプライン事業、発電事業を行う会社として設立された。]
侵略や暴力に代わる代案を、米国=イスラエルは望まない
侵略には口実がつきものである。今回の場合は、イュード・バラク Ehud Barak が述べたように、ハマスのロ
ケット攻撃に直面してイスラエルの忍耐が「尽きた」のである。果てしなく繰り返されるこの呪文は、イスラエル
が自衛のために武力を使う権利があるというものである。この主張は部分的には擁護できるものである。ロケ
ット攻撃は犯罪であるのだから。国家は犯罪的攻撃に対して自衛の権利を持つことは正当である。しかし、
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だからといって武力によって自衛する権利があるということにはつながらない。それは認めるかとか認めるべ
きかという原理を超えている。プーチンはチェチェンのテロに応じて武力を使う権利はない。米国がイラクで
達成した以上の成果をプーチンが達成したからといって、プーチンが武力という手段に訴えたことは正当化
されない。もしペトレイアス司令官 General Petraeus がそれを達成していたなら、王位を与えられたかも知
れないほどだったのだが<註 47>。
ナチ党のドイツは[同様に]パルチザンのテロから自衛するため、武力を使う権利はなかった。「水晶の夜
Kristallnacht は、ユダヤ人青年ヘルシェル・グリュンシュパン Herschel Grynszpan が行ったパリのドイツ大使
館書記官殺害によって正当化されない。英国人は、独立を求める米国人植 民者たちの(まさに本物の)テ
ロ[アメリカ独立戦争]に対して、自衛のためだからといっても武力を使うことを正当化されなかった。同じく、
アイルランド共和軍(IRA :Irish Republican Army)のテロに対抗するという理由で、[英国は]アイルランド
のカトリック教徒にテロ行為を行うことは正当化されなかった。ついに英国が IRA の道理に適った不満に耳
を貸すという分別ある方針に転換したとき、テロは終了したのだ。それは「釣り合い」の問題ではなく、そもそ
も「暴力を使わない手段 があるのか」という行動選 択の問題である。これら全 ての事件において、はっきりと
それ[暴力を使わない手段]はあったのである。だから武力という手段に訴えることは何であっても正当化さ
れるものではなかったのである。
[訳注:。水晶の夜 Kristallnacht は、 独大使館員殺害の報復として 1938 年ナチス党員がドイツ全土のユダヤ人を襲撃放火
した事件。アイルランド共和軍 IRA(Irish Republican Army)は、アイルランド独立闘争を行ってきた武装組織 」
武力という手段に訴えたとしても、正当性の立証という重荷を背負う。ガザや西岸地区でイスラエルが 40
年 以 上 たった今 でも容 赦 なく続 けている犯 罪 行 為 に対 する抵 抗 を、すべて抑 えようとするイスラエルの場
合、その立証が可能かどうかが問われねばならない。恐らく、パレスチナ人の抵抗の合法性について、イス
ラエル記者 団のインタビューに私が答えたものであるが、それを引用しておこう。「ガザと西 岸 地区が、ひと
つの単位体だと見なされていることを私たちは思い出すべきだ。だから、もしイスラエルの破壊 的で違 法な
計画に対する抵抗が、西岸地区で合法的であるなら(それとは反対の合理的主張があるなら、とんでもなく
面白いものだろう)、ガザでも同様に合法的である」。<註 48>
パレスチナ系米国人ジャーナリスト、アリ・アブニマーAli Abunimah は次のように報告した。「西岸地区か
らイスラエルへ撃たれたロケットはひとつもない。それなのにイスラエルの違法な殺害、土地強奪、定住者の
虐殺、誘拐は、停戦中も 1 日たりとも止むことはなかった。西側が支援するマフムード・アッバス Mahmoud
Abbas のパレスチナ自治政府は、イスラエルの要求全てに同意した。米国軍事顧問の高慢な監視下、アッ
バスはイスラエルに代わって抵 抗勢 力と戦う『治 安 部隊 』を招 集 した。その部 隊は、西 岸地 区でイスラエル
の容赦のない入植活動から、一人のパレスチナ人も助けなかった」と。全て米国の堅固なイスラエル支援の
おかげである。
尊敬を集めているパレスチナ人国会議員、ムスタファ・バルゴウチ Mustapha Barghouti 博士は、次のよう
に付け加えている。2007 年 11 月アナポリス会議 [メリーランド州アナポリ ス Annapolis 海軍兵学校] で、ブッシュ
が平和と正義への献身について人心を高揚させるような大げさな演説をぶった後、パレスチナ人に対 する
攻撃が西岸地区で激化し、それに伴い、入植者とイスラエルの検問所も同様に急増した。明らかに、これら
の犯罪行為はガザからのロケット攻撃に対応してのものではない。逆なら[イスラエルの攻撃に対するパレス
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チナ人の反撃なら]あり得ることだが。<註 49>
残 酷な占 領に抵抗している民衆の行動は、犯 罪 的だとか政治 的に馬鹿げていると非難されるが、抵 抗
の代替案を出さない人は、そのような判断をすべき道徳的立場にはない。イスラエルの進行中の犯罪に対
して直接的関 与を選ぶ米 国人たちにとって、すなわち自分の言葉で、あるいは自らの行動で、あるいは沈
黙によってパレスチナ問題に関与する米国人たちにとって、そのような結論は特別な意味を持っている。非
常に明確な非暴力という代替案が存在するのだから、ますます武力に結論を求めることに道徳的立場はな
くなるのである。しかし代 替 案 には欠 点 がある。米 国 が事 実 上 強 く支 持 している違 法 な入 植 地 拡 大 計 画
を、その代替案が妨げてしまうという欠点である。他方で、そんな入植計画は「役立たないよ」と時折、穏や
かな勧告を出すこともあるのだが。<註 50>
イスラエルは自衛のための単純で容易な手段を持っている。つまり占領地における犯罪的行為を終わら
せ、長年の「二国家共存」という国際合意を受け入れることである。この解決策を米国=イスラエルが 30 年
間妨害し続けてきた。この条件で政治的解決を要求した安保理決議に、1976 年、米国が初めて拒否権を
発動して以来のことである。この恥ずべき記録を私は再び振り返るつもりはないが、米国=イスラエルの今日
の拒否主義が過去よりもずっと露骨にさえなっていることを知っておくことが重要である。アラブ連盟は合意
をさらに進めてイスラエルとの完 全な国 交 正 常 化を呼びかけている。ハマスは国 際 合 意という観 点で二 国
家共存を繰り返し呼びかけている。イランとヒズボラはパレスチナ人が受け入れる合意なら遵守すると明言し
てきている。<註 51>
ひとは曖昧さと不完全 さを求めることもできるが、米国=イスラエルの場合はそうではない。両国は輝 かし
い孤立のなかにある。言葉の上においてだけではなく[行動においても]。
詳細な記録は有益である。パレスチナ民族評議会 The Palestinian National Council は、1988 年に国際
合意を公式に受け入れた。しかしシャミール=ペレス連立政権 Shamir-Peres の対応は、ヨルダンとイスラエ
ルの間 に「もうひとつのパレスチナ国 家 」はあり得 ないというものだった。ジェームズ・ベーカー国 務 長 官
James Baker が断言したように、米国=イスラエルの指示しているように、ヨルダンは既にパレスチナ国家なの
だから。その後のオスロ合意 The Oslo accords は、パレスチナ人が国家として諸権利を持つ可能性を脇に
追いやった。1993 年 9 月、ホワイトハウスの芝生で盛大なファンファーレのなかで署名された「暫定自治原
則合意」Declaration of Principles は、国連決議 242 号に言及しただけで、パレスチナ人には何も与えな
いものだった。
[訳注:暫定自 治原 則合 意 Declaration of Principles。
Principles 。 イスラエルとPLOの相 互承 認の交 換書 簡と、イスラエルが占領する
地域に5年間のパレスチナ暫定自治期間を設け、その間に最終的な返還条件を決める交渉を行なうという内容]
その一方で、米国=イスラエルは、その後の国連による宣言を図々しくも無視 した。国連の宣言はパレス
チナ人の国家としての権利を尊重するものだったが、全てがワシントンに阻止された。そして、これらの権利
が意味のある形で実現されてしまうかもしれないという「脅威」は、オスロ合意の数年間で、イスラエルによる
違法入植地の着実な拡大とそれに対する米国の支援によって、系統的に堀崩されていった。特に入植が
加速したのは、2000 年、クリントン大統領とバラク首相が共に任期の最終年を迎えたときだった。そういうこ
とを背景に、いくつかの交渉がキャンプ・デービッド Camp David で行われたのだった。
[訳注:キャンプ・デービッド(Camp David)は、アメリカ合衆 国大 統領の別 荘である。正式 な名称は海軍サーモント支援 施
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設 (Naval Support Facility Thurmont)である。メリーランド州 のサーモント、キャトクティン山 岳 公 園 (Catoctin Mountain
Park) の中にある]
クリントンは、キャンプ・デービッド合意の崩壊の責任はヤセル・アラファト議長にあると非難したが、その後
は前 言を撤回 して、米国=イスラエルの提 案は余 りにも極端すぎてパレスチナ人でも受け入れることができ
ないことを認めた。2000 年 12 月、クリントンは「諸項目」を提示した。曖昧だが、実現可能なものだった。彼
はそのとき、両者がその諸項目を受け入れたと発表したが、両者は実は保留 を表明していた。インティファ
ーダ the intifida 勃発の 4 ヶ月後、2001 年 1 月に両者はエジプトのタバ Taba で会い、合意まであと一歩に
近づいた。あと数日あれば合意できた、と彼らは最終記者会見で語った。しかし、交渉はイスラエル首相イ
ュード・バラクによって予定より早く切り上げられたのだった。タバの 1 週間は、30 年も続いた米国=イスラエ
ルの拒否主 義の、唯一の中断である。このような記録の中の、唯一の中断が再開されないという理由 は何
もないのである。<註 52>
[訳 注 :パレスチナのインティファーダは「イスラエルによるパレスチナ軍 事 占 領 に対 する 2 度 の民 衆 蜂 起 (或 いは抵 抗 運
動)」に対する呼称として一般 的に使用される。第 2 次インティファーダ(アル・アクサ・インティファーダ)は 2000 年 9 月 29
日に発生した。イスラエルのシャロン=リクード党首・外 相(後に首相)が 1,000 名の武装した側近と共にアル・アクサモスクに
入場したのがきっかけであった。]
イーサン・ブロンナーEthan Bronner が繰り返していた[米国=イスラエルにとって]好ましい見解は、次の
ようなものである。すなわち「海外にいる多くの人たちが思い起こすバラク首相とは、2000 年の交渉でイスラ
エルの平和時のどの指導者よりも多くをパレスチナ人に提供したが、結局のところ交渉は失敗し、暴力的な
パレスチナ人の暴動(インティファーダ)を爆発させただけだった。それが彼を政権から追い払うことになった
のだ」。この欺瞞的なおとぎ話を「海外にいる多くの人たち」が信じているのは疑いない。ブロンナーや非常
に多くの彼のお仲間たちが「ジャーナリズム」と呼ぶもののおかげである。<註 53>
一般に主張されていることは、もしイスラエル防衛軍 IDF が入植者を立ち退かせようとするな
ら、内戦という結果になる、だから「二国家共存」案は達成不可能だということである。そうか
も知れないが、更なる議論が必要である。[というのは]、IDF は、違法入植者を立ち退かせるた
めに武力に訴えなくともよいからだ。[入植者と争わなくても彼らは軍隊と争うだけの力がないの
だから] IDF は交渉で確定されたどんな境界線にでも簡単に撤退できるはずだからである。[そう
すれば]境界線を越えてきた入植者たちは、[政府による]補助金で建てた[入植地の]家を離れ、イ
スラエル内のやはり補助金で建てた家に移るか、あるいはパレスチナ自治政府の下に留まるか、
いずれかの選択をすることになろう。
同じことが、2005 年、周到に実行されたガザでの「国民の深い心の傷」についても言える。欺
瞞があまりに明らかなので、イスラエル人解説者たちが嘲笑したほどであった。IDF は撤退する、
とイスラエルが発表しさえすれば十分だったろう。そうすれば、ガザでの生活を享受するために
補助金をうけていた入植者は、与えられたトラックにおとなしく乗り込み、別の[西岸地区]占領
地のやはり補助金で新たに建てた住居まで移動することになるだけだった。悲嘆する子どもたち
の悲劇的写真や「こんなことは二度とあってはならない」という激しい叫びも生み出すことには
ならなかったはずだ。ところが住民が泣き叫ぶ映像報道は、願ってもないプロパガンダを提供し、
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部分的「撤退」の真の目的を覆い隠してしまった。他の占領地における違法入植の拡大という、
真の目的を。<註 54>
[訳注:国 民の深い心の傷。ガザ撤退 計 画を「国民の深い心の傷」と称したが、「シャロンには明確な意図がある。ヨルダン川 西岸の植 民地
化をいっそう進め、その土地をできるだけ多くイスラエルに併合することである。ガザ地区の入植地を撤退することでイスラエル和平派の反発
を抑え、世界に全占領地からの撤退が進行しているような希望を与える。シャロンの目的は、パレスチナ人のコニュニティを切り裂くことだ。つ
まりパレスチナという一体化した領土をばらばらにすることなのだ」。www.doi-toshikuni.net/j/column/200502-amira.html]
要するに、絶えず繰 り返 されている主張とは違い、イスラエルには自衛のためと称して武 力を行使する権
利はない。たとえガザからのロケット攻撃がテロ犯罪 と見なされようとも。さらに[ガザ攻撃の]理由は見え透
いている。攻撃を開始する口実は聞くに値しない。
さらにもっと限定的な問題もある。イスラエルにはガザからのロケット攻撃に対して、武力行
使に代わる短期的な平和的代案がないのかということである。ひとつの代案は停戦を受け入れる
ことであろう。しばしばイスラエルは公式にもそれを行ってはきたが、すぐさま違反してきた。
最近の、そして今のガザ攻撃と関連した事例では、2008 年 6 月の停戦である。その停戦は「ガザ
への搬入を禁止・制限されていた全ての物品の輸送を許可する」ため、境界検問所を開くことを
要求していた。イスラエルは公式には同意したが、すぐさま、ハマスが 2006 年に捕虜とした兵士
ギラッド・シャリット Gilad Shalit を解放するまで、合意に従わないし境界も開放しない、と発表
した。<註 55>
ガザ侵略後、イスラエルはまたもやシャリット拘束を持ち出して、ハマスの停戦および長期休戦提案を拒
絶し続けた。部 分的には同じ理由で、イスラエルは、如何なる復 興も、またマカロニ、クレヨン、トマトペース
ト、平豆、石けん、トイレットペーパーや、その他そのような「大量破壊 兵器」の輸入でさえ許可しなかった。
ワシントンにきちんと問い合わせをした上で。
[訳注:「大量破壊兵器」 。 食料や日用品を大量破壊兵器としていることに注目すべきである]
シャリットの拘束について絶えず声高に非難するのもまた、露骨な偽善である。イスラエルによるパレスチ
ナ人誘 拐の長い歴 史を脇に置くとしても、この場 合、その偽 善はこれ以 上 ないほど、どぎついものである。
ハマスがシャリットを拘 束 した前 日 、イスラエル軍 がガザ市 に入 り市 民 2 人 (ムアマー兄 弟 the Muamar
brothers)を拉致・誘拐し、イスラエルに連れ去り、既 に拘束している数千の囚人に加えているのだから。伝
えられるところによれば、そのうち数百人は容疑もないという。一般市民の誘拐は、攻撃をしている軍隊の兵
士を拘束するより、はるかに重罪である。しかしいつも通り、シャリットについての激怒とは対称的に、それは
ほとんど報道されないのである。記憶に残る平和への障壁は、シャリットの拘束だけなのである。底なし沼の
ような、西側の帝国主義 的精神構 造をまたもやさらけ出す例である。シャリットは返還されるべきである。公
平な捕虜交換の中で。<註 57>
シャリット拘束後、イスラエルのガザに対する容赦ない軍事攻撃が、単なる悪意に満ちた段階を通り越して
本当に残虐なものになったことは確かだが、しかしシャリット拘束以前でさえ、イスラエルは 9 月の撤退後、
ガザ北部に 7700 発以上の砲弾を撃ち、それについては実際どこからも何のコメントもないということは、思
い出してよいことであろう。<註 58>
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イスラエルの論理に従えば「ガザ包囲」は戦争行為である。
イスラエルは、正式受諾した 2008 年 6 月の停戦を即座に拒否した後、ガザ包囲を続けた。私たちは包
囲が戦 争 行 為であることを知 っている。事 実 、イスラエルはもっと強い原 則さえ常に主 張 してきた。つまり、
外界との接触を妨げることは、包囲とまで行かなくとも、戦争行為であると。だから、反撃としての大規模 攻
撃を正当化できるのだとしてきた。ティラン海峡 the Straits of Tiran を航行するイスラエル船舶への妨害を
口実の一部として、1956 年イスラエルは(これにはフランスとイギリスも加わった)エジプト侵略を行い、1967
年 6 月の戦争を開始した。
http://en.wikipedia.org/wiki/Straits_of_Tiran
ガザ包囲は部 分的なものではなく全面 的なものであり、占領 者が時に気まぐれにそれを僅かに緩めると
いったものだった。それに、ティラン海峡の閉鎖がイスラエルに与えた影響以上に、ガザ包囲はガザの人々
にはるかに非道い悪影響を及ぼすものである。したがって、イスラエルの原則と行動の支持者たちは、ガザ
地区からイスラエル領へ向けたロケット攻撃の正当化について、問題視などすべきではないのである。
もちろん、再び、私たちは全てを無効にする原則 にぶつかる。すなわち「我々と奴らとは違う」という原 則
である。
イスラエルは 2008 年 6 月 以 後 も包 囲 を続 けただけでなく、極 端 な残 忍 さをもってそれを実 行 した。
UNRWA(国 連 パレスチナ難 民 救 済 事 業 機 関 )の援 助 物 資 補 充 さえ阻 止 した。「だから停 戦 が破 られたと
き、我々を頼りにしている 75 万人分の食糧が底をついた」と UNRWA 責任者ジョン・ジンは BBC に伝えた。
<註 59>
イスラエルの包囲にもかかわらず、ロケット攻撃 は極端に減った。イスラエル首相のスポークスマン、マー
ク・レゲブ Mark Regev によれば、2008 年 6 月停戦の開始から 11 月 4 日 [訳注:オバマ当選の当日] までに発
射された僅かな数のうち、ハマスのロケットは 1 発もなかった。その 11 月 4 日に、イスラエルは停戦に違反
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し、いわんや言語道断にもガザ襲撃を行った。その結果パレスチナ人 6 人を殺害し、ハマスからの報復ロケ
ット集中 攻撃となった(怪 我人は出 なかった)。ガザ襲撃は米 大統 領選 挙当 日の夜で、注目が他に集まっ
ていた。襲撃の口実は、イスラエルがガザでトンネルを発見した、またもやイスラエル兵を捕まえるために使
われる可 能 性があるというものであった。公 式 発 表 では「トンネル点 検 」だと言 う。その口 実 は、多くの時 事
解説者が指摘しているように、ばかばかしいほど見え透いたものであった。もしそのようなトンネルが存在し、
境界まで達していたら、イスラエルはそこを簡単に塞ぐことができただろうから。しかしいつも通り、そのばか
ばかしいイスラエルの口実は信頼できるものと見なされ、[衆人の関心をガザ攻撃から逸らすために選ばれ
た、米大統領選挙の投票当日という]襲撃開始のタイミングは見落とされたのだった。<註 60>
イスラエルのガザ襲撃の理由は何だったのか。私たちはイスラエルの計画についての内部事情について
何も証拠は得ていないが、英国人通信員ローリー・マッカーシーRory McCarthy が報じているところによれ
ば、襲撃が「[ハマスとファタハが]互いの相違を調整し、ひとつの統一政府を作る」ことを目ざして、カイロで
開催 予 定だったハマス=ファタハ会談の直 前だったことは確かだ。それはハマスがガザを支配するようにな
った 2007 年 6 月の内戦後、初めてのハマス=ファタハ会談になる予定であり、外交努力を前進させる方向
への重要な一歩となるはずであった。そのいくつかは既に述べたが、イスラエルには外交という脅威を妨害
するために挑発的行為を行ってきたという長い歴史がある。[その歴史に]またひとつ事例が書き加えられる
ことになろう。<註 61>
[訳注:2007 年 6 月内戦。ガザの戦闘。2006 年の正当な自由選挙で選ばれたハマスと米支援のファタハによる]
ハマスにガザを支配させることになった内戦は、ハマスの軍事クーデターであると一般には評され、またも
やハマスの質(タチ)の悪 さを証 明するものになってしまっている。しかし真 実 は少 し異なっている。内 戦は
米国とイスラエルが扇動し、[ファタハが]露骨に軍事クーデターを企て、ハマスが政権につくことになった自
由選挙を覆そうとしたのである。これはデビッド・ローズ David Rose が詳細に文書化した報告書を公表した
2008 年 4 月以来、少なくとも、世界の知るところとなった。それによれば、米国大統領ブッシュ、米国務長官
ライス、米国家安全保障問題担当顧問エリオット・エイブラムズ Elliott Abrams が、「ファタハの実力者ムハ
ンマド・ダーラン Muhammad Dahlan 支配下の軍隊を後押しして、流血のガザ内戦を引き起こし、ハマスを
前よりも増して強力にしてしまったのだ」。
その話は、ノーマン・オルセン Norman Olsen によっても確認されている。26 年間、国務省外交局に勤
め、そのうち 4 年間はガザ地区で、もう 4 年間はテルアビブの米大使館、その後、異動して国務省の対テロ
副調整官となった人物である。オルセンと彼の息子は、国務省が行ったごまかしの数々を詳細に述べてい
る。自分たちが推す候補アッバスが 2006 年の選挙で確実に勝利するよう工作したのだ。それが成功してい
れば、それが民主主義の勝利として歓迎されたことであろう。選挙不正工作が失敗したあと、米国とイスラエ
ルは、「間違った側」に投票したとしてパレスチナ人を処罰し、ファタファの実力者ムハンマド・ダーラン率い
る武装組織に武器を供給しはじめた。しかし「ダーランの殺し屋たちが早く動きすぎ」、機先を制したハマス
のストライキが軍事クーデターの試みを潰したのだと、オルセンは書いている。<註 62>
米国政府の政治路線はもっと身勝手なものだ。
米国=イスラエルは、その[イスラエルが先導し]失敗に終わった軍事クーデターに応酬して、ガザの人々
を処 罰するため、そして不 服 従という疫 病がパレスチナの他の地域にも広がることがないのを確 実にしよう
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と、さらに厳 しい 対 応 策 を導 入 することにした 。ヨ ルダンと共 に、米 国 は、米 将 軍 キー ス・デイトン Keith
Dayton の指揮下、西岸地区の治安を保つため、パレスチナ「治安部隊」に武器を与え訓練もすることを保
証した。イスラエル陸軍将 校たちも参加した、とイーサン・ブロンナーがニューヨークタイムズ紙で報じ、その
様子も書いている。「イスラエル将校がここで射撃練習所の落成式を行ったが、そのとき、パレスチナ[に与
えた]武器の試し撃ちと[それを使用する]承認を兼ねて、それを撃って見せた」。ブロンナーはさらに次のよ
うに詳述 した。新たな準 軍 事組 織の大きな功 績は、いかなる類の「民 衆蜂 起」をも予防 し、「厳 格に維持 さ
れた秩序」を保ったことであった。こうして、ファタハへの共感と支持を素 晴らしく演出したのであった。その
間もイスラエルは、ガザでパレスチナ人を虐殺し、ガザのほとんどを瓦礫に帰していたのだ。
これらの軍隊の効果的功績は、上院外交委員会委員長ジョン・ケリーをまたもや感動させた。ブルッキン
グス政策研究所での演説で、彼は「イスラエル人に、平和を希求するという正当な相棒を与える必要性」を
雄 弁 に語 った。この数 十 年 間 、米 国 =イスラエルは平 和 解 決 に関 する国 際 合 意 を一 方 的 に拒 絶 してきた
が、それはイスラエルがそれ[ 正当な相棒 ]を明らかに欠いてきたからだというわけである。パレスチナ解放組
織は、アラブ諸 国および他の諸 国 と共に(ただし米 国=イスラエルを除く)、平 和 解 決に関する国 際 合 意を
支持してきた。
我々米国はこの失敗 [イスラエルに正当性がないと世界中から批判を浴びている状況] を克服しなければならない
として、ケリーは次のように説明した。選挙で選ばれたハマス政府を弱体化させ、我々の男マフムード・アッ
バスを強 化する策を提 案 しながら、「もっとも重 要なことは」とケリーは続 けた。「デイトン将 軍の努 力を強 化
することだ。治安を維持しテロと戦う、パレスチナ治安部隊を訓練することだ。(中略)最近の事態の進展に
は非常に元気づけられる。ガザ侵略の間、パレスチナ治安部隊は市民の騒乱という予測が広がる中、西岸
地区で平静を維持することにほぼ成功した。明らかに、まだやるべき事は残っているが、我々がそれを助け
ることができるのだ」。<註 63>
そうだ、我々にはできるのだ。米国は 1 世紀にもわたって、準軍事組織と警察部隊を育て上げるという豊
かな経験を積んできた。そして征服した国民を宥め、永続する強圧的治安状 態の構造を押しつけることに
成功してきた。それが、国 民の民族的民衆 的な意 欲を掘り崩し、国内の富 裕階級と国外の同盟 者への服
従を維持しているのである。<註 64>
「テロ」ではなく「政治的解決」という脅威
イスラエルが 2008 年 6 月の停戦を 11 月に破ったあと(彼らの停戦は例によって、この程度のものだが)、
ガザ包囲はより一層厳しくなり、住民にはさらに悲惨な結果となった。ガザに関する著名な専門家サラ・ロイ
Sara Roy によれば、「11 月 5 日、イスラエルはガザへ入る全検問所を封鎖し、食糧、医薬品、燃料、調理用
ガス、そして上下 水道設 備の部品などの供給を大 幅に減らしたり時には拒否したりした」。「イスラエルから
ガザに入る食糧供給トラックは、10 月は1日平均 123 台だったが、11 月には1日平均 4.6 台だった。水道
関係設備の補修・維持用部品は1年以上も搬入を拒否されたままである。世界保健機構 WHO はガザの救
急車の半分は壊れていると報告したばかりである」。そして残りもすぐにイスラエルの攻撃の的となった。
ガザ唯 一 の発 電 所 は燃 料 不 足 のため操 業 を中 止 せざるをえなくなった。再 開 には部 品 が必 要 である
が、必要な部品は 8 か月もイスラエルのアッシュドッド港 Ashdod に置かれたままになっていた。電力不足の
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ため、ガザ地域のシファー病院 Shifaa' hospital で火傷患者が 300%になった。木を燃やそうとして起きた事
故だった。イスラエルは塩素の出荷を禁じたので、ガザ市と北部では 12 月半ばまで、水道使用が 3 日毎、
6 時間だけに制限された。このようなことで命を落とした場合でも、イスラエルのテロによるパレスチナ人犠牲
者には数えられないのである。<註 65>
http://en.wikipedia.org/wiki/Ashdod
11 月 4 日のイスラエルの攻撃の後、双方は暴力を激化させた(死者はすべてパレスチナ人だった)。そし
て 12 月 19 日に停戦は正式に終わりを告げた。オルメルト首相が全面的侵攻を認可したからだ。
その数日前、ハマスは元々の 7 月停戦協定に復帰するという提案をしていたが、それに対してイスラエル
は何も述べなかった。歴史家でありカーター政権の高官であったロバート・パストール Robert Pastor は、そ
の提案をイスラエル防衛軍の「高官」に手渡したが、イスラエルは応えなかった。
12 月 21 日のイスラエル筋が伝えたところによれば、イスラエル内務保安[防諜]機関シン・ベト Shin Bet
の長官は、ハマスがイスラエルと「穏やかな関係」を保つことに興味を示している一方でハマス軍事部 門は
戦争の準備を続けている、と述べた。
カーター政権の元高官パストールは、[パレスチナ問題全体ではなく]ガザ問題だけに限定して言えば、
「ロケット攻撃を止めさせるため、軍事的対応に代わる選択肢があったことは明らかである」と述べた。ほとん
ど議論されないが、そこにはまた、もっと大きな選択肢があった。つまり、占領地を含めてパレスチナ全体の
[軍事的解決ではなく]政治的解決を受け入れるという選択肢である。<註 66>
イスラエルの外交問題古参通信員アキバ・エルダーAkiva Eldar は次のような記事を書いている。イスラ
エルが 12 月 27 日土曜日にガザへの全面的侵略を開始する直前、「ハマスの政治局主任カレッド・メシャ
ール Khaled Meshal は Iz al-Din al-Qassam のウェブサイトで次のように宣言した。ハマスは『攻撃の中止』
を準備しているだけでなく、ハマスが選挙で勝利しその地域を支配する以前の、2005 年のラファ検問所 the
Rafah crossing での合意に戻ることを提案した。そのラファでの合意では、検問所はエジプト、欧州連合、
パレスチナ自治政府代表とハマスにより合同管理のもとに置くというものであった」。そして先にも述べたよう
に、ハマスは緊急に必要とされる物資を入れるために検問所を開くことを求めた。<註 67>
イスラエルの暴力を弁護する低俗な人たちがいつも主張するのは、今回の攻撃の場合も、「過去半世紀
の多くの例(1982 年のレバノン戦争、1988 年のインティファーダへの『鉄拳』反撃、2006 年のレバノン戦争)
のように、イスラエルは耐えがたいテロ行為に決意をもって反撃しただけだ、というものである。恐ろしい痛苦
を与えて敵に教訓を思い知らせてやるという決意である。したがってパレスチナ市民の苦痛と死は避けがた
い。しかし教 訓 は[効 果 を上 げれば]それにつれて減 る」(『ニューヨーカー』誌 編 集 者 デビッド・レムニック
David Remnick)<註 68>。
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2006 年の侵略は、既に述べたように、ぞっとするような皮肉な考え方に基づいてしか正当化できないもの
である。1988 年のインティファーダへの狂暴な反撃についても、あまりにも下劣で議論する価値さえない。
せいぜい同情的な理解をするとしても[悪意がないとすれば]驚くべき無知さ加減の反映と言うべきだろう。
しかし 1982 年のレバノン侵略についてのレムニックの主張は全く通俗的なもので、絶え間ないプロパガンダ
の注目すべき功績と言えるが、いくつか思い出してみる価値があるものである。その教訓は、特に米国知識
人に関しては、認 識するには余りに簡 単すぎて逆 に理解できないのである。[ほんの少し努 力すれば誰に
でも分かることなのだから]、ほとんど「避けがたい」というわけではないのだが。
な ぜ な ら 、 イスラエル=レバノン国境は、異論をはさむ余地のないほど、イスラエルの侵略前 1 年間は静
かだったからだ。少なくともレバノンからイスラエルまで、北から南までは。
その 1 年間、イスラエルが絶えずレバノンを挑発していたにもかかわらず、PLO は米国主導の停戦をきち
ょうめんに守っていた。イスラエルの挑発には、多くのレバノン市民の死傷者を出すような爆撃もあり、おそら
くイスラエルが周到に計画している侵略の正当化に、うまく使える反撃を引き出す目論みだった。イスラエル
がその挑発で達成したものと言えば、たった 2 度、それも軽度の象徴的抵抗だけであった。その後イスラエ
ルはあまりにも馬鹿げていて真面目に考える気にもなれない口実で侵略を行ったのである。
その侵略は「容認できないテロ行為」とは何の関係のないものであった。ただし「容認できない行為」とは
関 係があったが。つまり外 交 的 解 決 である。それは全く明 瞭 だった。米 国 が後 押 しした侵 攻が始まった直
後 、イスラエルで著 名 なパレスチナ人 問 題の研究 者 イェホシュア・ポラス Yehoshua Porath(ハト派ではな
い)は、次のように書いた。アラファトが停戦維持に成功したことは、「イスラエル政府からすれば本当の破滅
だった」。なぜならそれが政治的解決への道を開くものだからである。イスラエル政府は PLO がテロという手
段に訴えることを望んだ。そうなれば、PLOが「将来の政治的和解にとって合法的な交渉相手」になるとい
う脅威がなくなるからである。
そうした事 実 はイスラエルにはよくわかっていたし、隠 そうともしなかった。イツハク・シャミール Yitzhak
Shamir 首相は、イスラエルが戦争をおこしたのは、「恐ろしい危険、つまり軍事的危険よりは、むしろ政治的
危険」があったからだと述べたが、それはイスラエルの優れた風刺家ミシェール B. Michael に「軍事的危険
とかガリラヤ the Galilee の危機という下手な言い訳は、もうお終いだ」と書かせるほどであった。我々は、時
機を得た先制攻撃で、「政治的な危険を取り除いてしまった」。今や「神に感謝する。交渉相手が誰もいな
いことに」。歴史家ベニー・モリス Benny Morris は、PLO が停戦を守ったことを認め、「戦争の必然性は、イ
スラエルにとって、イスラエルの占領地支配にとって、PLOが政治的脅威であることだった」と説明した。彼
以外にも、この揺るぎない事実を率直に認めている人たちがいる。<註 69>
最近のガザ侵略に関する第 1 面解説記事で、ニューヨークタイムズ紙通信員スティーブン・リーメーヤー
ズ Steven Lee Meyers は次のように書いている。「いくつかの点で、ガザ攻撃はイスラエルが賭に出て大負
けした事件を思い起こさせた。それは 1982 年レバノンで、イスラエルがヤセル・アラファトの軍事力の脅威を
なくそうとした攻撃だ」。それは正しい。しかし、彼の考えている意味においてではない。1982 年は、2008 年
同様、政治的決着の脅威を取り除くことが必要だったのであった。<註 70>
イスラエルの宣伝者たちが望んでいるのは、ガリラヤ地方 [下 の地 図 を参 照 ] に雨霰と降るロケット攻撃に、
つまり「容認できないテロ行為」にイスラエルが反撃した、という話に西側の知識人とメディアが食いついてく
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ることであった。そして彼らはまだ諦めてはいない。
http://www1.tmtv.ne.jp/~hsh/IS4-gariraya.htm
だからといってイスラエルが平和を望んでいない、ということではない。誰しもみな平和を望んでいる。ヒト
ラーでさえである。問題はどんな条件で?ということである。シオニズム運動はその起源から、目標達成の最
善 策 は政 治 的 解 決 を遅 らせることであり、その間 ゆっくりと既 成 事 実 を積 み上 げてゆくことだと理 解 してい
た。1947 年のような特別な合意であってさえも、指導者たちは更なる拡大への暫定措置としか認めなかっ
た<註 71>。
1982 年のレバノン戦争は絶望的な外交上の脅威(=解決)という劇的な例であった。その後、イスラエル
は宗教的組織ハマスを支援した。これは、世俗的組織 PLO と、そのPLOが主導する忌々しい平和解決を
潰すためであった。おなじみのもう一例は、1967 年戦争前のイスラエルの挑発行為である。これは、さらなる
土地獲得や暴力への口実として利用できるような、シリアの反撃を引き出すために仕組まれたものだった。
防衛大臣モシェ・ダヤン Moshe Dayan によれば、少なくとも事件の 80%はそうだった。<註 72>
話を過去にさかのぼれば、建国前のユダヤ軍事組織ハガナーHaganah の公式軍史では、ユダヤの宗教
詩 人ヤコブ・デ・ハーン Jacob de Haan の 1924 年の暗殺 は、ハーンが伝 統 的ユダヤ共 同体 (the Old
Yishuv)とアラブ上級 委員 会との和解を「陰謀 した」としての糾弾だったと述べている。以 来そうした例は数
限りない。<註 73>
政治的和解を遅らせる努力は、「平和交渉する相手がいない」という嘘とともに、いつも完璧に筋が通っ
ていた。奪われまいとする[相手の]土地を奪うには、それ以外の別の方法を考えるのは難しい。
イスラエルは
イスラエル は 何故 「 安全保障 」 より「
より 「 領土拡大 」 を 優先 するのか
イスラエルの、安全保障より領土拡大を優先させる根底には、同様の理由があるのだ。2008 年 11 月 4
日の、イスラエルによる停戦違反は、沢山ある最近の例のひとつにすぎない。
イスラエルが 2008 年 6 月の停戦を破ったとき、アムネスティ・インターナショナルは次のように報告した。
2008 年 6 月の停戦は「ガザ近辺の、スデロット Sderot 村や他のイスラエルの村々において、生活水準を非
常に向上させた。というのは、停戦以前は、イスラエル住民たちはいつあるか分からないパレスチナのロケッ
ト攻撃に怯えながら暮らしていたからだ。しかしながら、すぐ近くのガザ地区では、イスラエルの封鎖がその
まま残り、パレスチナ住民は停戦の恩恵に全く与れなかった。2007 年 6 月以来、150 万人のパレスチナ人
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全員がガザに閉じ込められ、資源は枯渇し経済は破滅状態であった。人口の 80%が今では、イスラエル軍
が認めるわずかな国際援助に頼っている」<註 74>。
しかし、ガザ近くのイスラエルの町々の安全を確保することにと比べれば、西岸地区への入植を拡大する
ために、外交的解決を押さえ、パレスチナ内にいまだ残っている抵抗を潰すことの方が、明らかに重要だっ
たのだ。
安全保障より領土拡大を重視する姿勢は、イスラエルの 1971 年の重大決定以来、特に明確になってき
た。この決定は、米国家安全保障問題担当補佐官ヘンリー・キッシンジャーHenry Kissinger の後押しで行
われた。パレスチナ人には何も提供しないものだったが、エジプトのサダト大統領による全面和平提案を拒
否するためであった。とは言え、イスラエルにとって大惨事一歩手前の大戦争ののち、8 年後に米国とイスラ
エルがキャンプ・デービット Camp David で受け入れざるをえなくなった合意でもあった。エジプトとの[完全
な]和平協定を結んでいれば、重要な安全保障上 の脅威を終わらせることになっていたであろう。しかし受
け入れがたい交換条件があった。それは、イスラエルがシナイ半島北東部の大規模入植地 拡大計画 を放
棄しなければならないというものであった。やはり安全保障は[イスラエルにとって]領土拡大に優先するもの
ではなかったのだ。これまで通りである。<註 75>
今日でも、イスラエルは[努力すれば]国家の安全、パレスチナとの関係正常化、アラブ地域への仲間入
りが可能だろう。しかしイスラエルは、違法な入植地拡大、紛争、度重なる暴力行使、また犯罪的・殺人的・
破壊的であるだけでなく自身の長期的な安全 保 障を蝕む行動、これらを明らかに優先させている。米軍と
中東の専門家アンドリュー・コールデスマン Andrew Cordesman は次のように書いている。確かに、イスラエ
ル軍は無防備なガザ市民を押し潰すことができるかもしれないが、「イスラエルも米国も、アラブ世界で最も
思慮深く最も穏健な人物の一人、サウジアラビアのツルキ・アル・ファイサル Turki al-Taisal 王子から次のよ
うな反応を引き出すような戦争からは何も得ることはできない。王子は 1 月 6 日に次のように述べた。『ブッ
シュ政権は、ガザの無辜の民に大虐殺と流血を続けるという、おぞましい遺産と無謀な姿勢を[オバマに]残
した。(中略)もうたくさんだ。今や私たちは皆パレスチナ人であり、神のために、そしてパレスチナのために、
私たちは殉教者となる。そしてガザで亡くなった人々の後に続く』」。<註 76>
イスラエルで最も思慮深い人物の一人ウリ・アブネリ Uri Avnery は次のように書いている。イスラエルが
軍事的勝利をおさめた後、「世界中の人々の意識の中に焼き付けられたものは、血にまみれた怪獣というイ
スラエル、いつでも戦争犯 罪をおかす用意があり、道徳的抑制を効かせるつもりもないイスラエルの姿であ
ろう。これは今 後 長期にわたる我々の未 来 、世 界での我々の立 場 、我 々が平 和と平 穏を達 成する見 込 み
に、厳しい結果をもたらすことになるだろう。結局、この戦争は我々自身に対する犯罪でもある。イスラエルと
いう国に対する犯罪である」。<註 77>
彼の言っていることは正しい、そう信じる十分な理由がある。イスラエルは意図して世界で最も憎まれる国
に自らなりつつあり、米国の若いユダヤ人も含めて、西側の人々の献身をも失いつつある。彼らは、イスラエ
ルの長きに渡る執拗で衝 撃的犯 罪に耐えられるとは考えられない。数十年 前、私は次のように書いた。自
らを「イスラエル支持者」だと称する人々は、イスラエルの道徳的堕落と、おそらくは究極の破壊を支持する
人々である、と。残念なことに、その判断はますます妥当であるように思われてきた。
この間、私たちは歴史 上まれな事件を静かに観察しているのである。イスラエルの亡き社会学者バルー
- 31 -
チ・キメーリング Baruch Kimmerling が「政治的自殺行為」と呼んだもの、すなわち我々の手による国家の
殺害を。<註 78>
註
*2009 年 1 月 19 日、MIT国際研究センターでの講演をもとにしている。初版は Z ネットとスポークスマン紙(英国)にでたも
のである。
1 Mouin Rabbani, http://www.merip.org/mero/mero010709.html.
2 Yotam Feldman and Uri Blau, Haaretz, Jan. 22, 29, 2009. Sabrina Tavernise, "Rampage Shows Reach of Militants in
Pakistan, New York Times, March 31, 2009.
3 Bronner, NYT, Jan. 19, 2009. On the 1950s concept "we will go crazy" ("nishtagea") if crossed, see Chomsky, Fateful
Triangle (South End, 1983; updated 1999 ), 467f.
4 Craig Whitlock, Griff Witte and Reyham Abdel Kareem, Washington Post, Jan. 11, 2009.
5 For sources and details, see Fateful Triangle, and below, at note 67.
6 Gur, see my Towards a New Cold War (Pantheon, 1982), 320; Gur, Eban, FT, 181-2.
7 Friedman, NYT, Jan. 14, 2009.
8 Erlanger, NYT, January 17, 2009.
9 Gerges, Nation, Jan. 16, 2009.
10 Bronner, NYT, Jan. 16, 2009. Chomsky, Pirates and Emperors Old and New (Claremont Research and Publications,
1986; extended version, South End Press, 2002), 44f..
11 http://www.cnn.com/2008/WORLD/meast/12/30/gaza.aid.boat/index.html.
http://www.cnn.com/2008/WORLD/meast/12/30/gaza.aid.boat/index.html#cnnSTCVideo. AFP and other wire services,
Dec. 30, 2008. Stefanos Evripidou, Cyprus Mail, Dec. 31, 2008.
12 See note 15, below. Gilbert Achcar, Noam Chomsky, and Stephen Shalom, Perilous Power (Paradigm 2008, updated
from 2007 edition), 239.
13 Editorial, Daily Star, Jan. 14, 2009.
- 32 -
14 Saad-Ghorayeb, Daily Star, Jan. 13, 2009. Maoz, Haaretz, July 24, 2006.
15 Friedman, NYT, Jan. 14, 2009. Kerry, http://kerry.senate.gov/cfm/record.cfm?id=309250. March 9, 2009. Pirates and
Emperors, 63, citing David Shipler, NYT, Nov. 25, 1983. Also Jan. 26, 1984.
16 Zertal and Eldar, Lords of the Land (Nation Books, 2007), xii, 450.
17 Reuters, Jan. 10, 2009. Thalif Dean, Inter Press Service (IPS), Jan. 9, 2009. AFP, Jan. 13, 2009;
http://news.morningstar.com/newsnet/ViewNews.aspx?article=/DJ/200901131317DOWJONESDJONLINE000570_univ.xml
. Zunes, Foreign Policy In Focus, March 4, 2009. States News Service, Feb. 20, 1009.
18 Rabbani, Reuters, Jan. 10, 2009.
19 William Hartung and Frida Berrigan, http://www.newamerica.net/publications/policy/u_s_weapons_war_2008_0. Ali
Gharib, IPS, Dec. 12; Jim Wolf, Reuters, Dec. 25, 2008. General Assembly GA/10801.
http://www.un.org/News/Press/docs/2008/ga10801.doc.htm.
20 Gilbert, http://www.youtube.com/watch?v=Ev6ojm62qwA. Bronner, NYT, Jan. 19, 2009.
21 Holmes, Livni, AP, Jan. 6, 2009.
22 Stephen Lee Myers, NYT, Jan. 4, 2009. Stephen Lee Myers and Helene Cooper, NYT, Dec. 29, 2008.
23 PCHR, Press release, 17 Jan.. A later careful count revealed higher figures. Reuter, Jan. 19. Al Mezan Center, Press
release, 18 Jan. 2009.
24 Haaretz, March 29; Charles Levinson and Jay Solomon, WSJ, March 29, 2009.
25 Akiva Eldar, Haaretz, Jan. 9, 2009. http://www.haaretz.com/hasen/spages/1054143.html. Mark Landler, NYT, Jan. 16,
2009.
26 Tobias Buck, FT, Feb. 6, 2009.
27 Andrew England, FT, Jan. 15; Noam Cohen, NYT, Jan.12, 2009.
28 もしイスラエルの安全が関心事ならば、壁はグリーンラインに沿って、すなわち国際的に承認された国境線に沿って建設
することも可能であろう。そうすればパレスチナ側から何の反対も起きないであろう。ただし、占領地への自由な出入りが妨害
されるから、イスラエル人からの反対が出るだろうが。
29 Chief of Staff Rafael Eitan, Prime Minister Yitzhak Shamir. See Fateful Triangle for these and other examples.
30 Charles Levinson, Wall Street Journal, Jan. 8, 2009. 正統派ユダヤ教徒が丘の頂上で踊っている写真も参照。写真の下
には「ガザ地区のすぐ脇にある丘から、イスラエル人たちがガザ空爆を見て、攻撃を祝って踊っている。8 January 2009.
(Newscom)」という説明書きがある。www.israeli-occupation.org
- 33 -
31 Anshil Feffer, Haaretz, Jan. 9, 2009, http://www.haaretz.co.il/hasite/spages/1056116.html (Hebrew). Matthew Wagner,
Jerusalem Post, May 27, 2008. 宗教的国家主義のラビ指導者の役割については、Zertal and Eldar, op.cit を参照。彼らの
最も尊敬される人物の一人、ラビ指導者のツビ・イェフダー・クック Tzvi Yehudah Kook にとっては、「我々は罪の贖いの最中
であり」、国家は、イスラエルの全土に渡って「完全に神聖で傷ひとつない」。Gershom Gorenberg, The Accidental Empire
(Times Books, 2006), 275.
32 Dershowitz, Aug. 7, 2006;
http://www.huffingtonpost.com/alan-dershowitz/lebanon-is-not-a-victim_b_26715.html?view=print. Jerusalem Post, June
3, 2008, link to:
http://www.jpost.com/servlet/Satellite?pagename=JPost/Page/VideoPlayer&cid=1194419829128&videoId=1212041462265
33 オルメルトが収賄容疑で辞職するときのイスラエルでの記者会見で、初めて国際合意を受け入れ、これまでの自分の立場
を全て撤回した(Ethan Bronner, NYT, Sept. 30, 2008)。彼の次の行動が入植地違法拡大計画に従い続けることだったので、
この記者会見が何を意味するのか知るのは困難である。
34 Report on Israeli Settlements, Foundation for Middle East Peace, Jan.-Feb. 2009. Ghassan Banoura, IMEC, Jan. 28,
2009; http://www.imemc.org/article/58663. Mark Landler, NYT, March 3. Sara Miller, "Peace Now: Israel planning 73,300
new homes in West Bank ," Haaretz, March 2, 2009。クネセト(イスラエル国会)議員で右派 National Union 党のヤーコブ・
カッツは、2009 年 4 月ネタニヤフ内閣に入閣すると予測されているが、Army Radio で次のように語った。「(ピ-スナウの役員
ヤリブ・)オッペンハイマーが立案した計画を実現するよう万難を排するつもりだ。(中略)神の助けにより、これが今後数年間
で全て実現すること、ユダヤ人だけの単一国家となることを期待する」。重要なことは、いつも通り、彼がワシントンからどれだけ
の助けを期待できるか、である。入植地拡大のやり方については、Zertal and Eldar, op. cit. を参照。「土地の外縁(リング)」
拡大については、B'Tselem, Access Denied, Sept. 2008. を参照。
35 Gershom Gorenberg, Accidental Empire, 82. Yossi Beilin, Mehiro shel Ihud (Revivim, 1985), 42。政権を 1977 年まで
維持した労働党政権下での内閣記録の重要な概説。
36 Gorenberg, op. cit., 99f., 110-1, 173. 判決についての注意深い分析については Norman Finkelstein, Beyond Chutzpah
(U. of California, 2008, expanded paperback edition), Postscript, pp. 227-270. を参照。
37 HaCohen, Dec. 31, 2008. http://antiwar.com/hacohen/?articleid=13970.
38 Avineri, Haaretz, March 18, 2003. そう思われないかも知れないが、多分これは皮肉を意図していたものだ。その判断は
時として難しい。イスラエルのプロパガンダに対するヘブライ語は、「ハスバラ hasbara 」(「説明」)である。イスラエルがやること
は何でも、必ず正しく正義だということになっている。したがって困惑している部外者には、それを説明する必要があるだけな
のだ。
39 Shavit, Haaretz, Jan. 16, 2009.
40 UN Press conference, Jan. 15, http://www.un.org/News/briefings/docs/2009/090115_Gaza.doc.htm. Tobias Buck,
Andrew England, and Heba Saleh, FT, Jan. 15. Al-Jazeera, Jan. 16, 2009.
http://english.aljazeera.net/news/middleeast/2009/01/2009116144139351463.html . AP, Jan. 16,
http://www.latimes.com/news/nationworld/world/wire/sns-ap-ml-israel-gaza-hospitals,1,4371757.story.
41 AI, Jan. 19, 2009.
- 34 -
http://www.amnesty.org/en/for-media/press-releases/israeloccupied-palestinian-territories-israel039s-use-white-phosphorus-a.
http://www.amnesty.org/en/news-and-updates/foreign-supplied-weapons-used-against-civilians-israel-and-hamas-20090220.
AI はハマスへの禁輸措置をも求めたが、全く無意味である。
42 Times ( London ) , Feb. 24, http://www.timesonline.co.uk/tol/news/world/middle_east/article5792182.ece. Luis Ramirez,
VOA news, Feb. 23, 2009, http://www.voanews.com/english/2009-02-23-voa17.cfm.
43 Peter Beaumont, Observer, Feb. 1; Donald Macintyre, Independent, Jan. 26, 2009.
44 UN Office for Coordination of Humanitarian Affairs, 26 March, 2009;
http://www.irinnews.org/PrintReport.aspx?ReportId=83655.
45 Ben Hubbard, AP, Jan. 22, 2009. Al Mezan, press release, March 25. "Gazan coast becoming a 'no-go' zone," Feb. 16.
https://rcpt.yousendit.com/653921806/3e2d773310b503192cec11e52135696d ,
https://rcpt.yousendit.com/654151542/d31747c84aef5cbf6ee7b3848486d37b.
http://www.youtube.com/watch?v=cyPtd6qKLVE&feature=channel_page .
46 Platts Commodity News, Feb. 3, 2000. See also Platts Commodity News, Dec. 3, 2008; Feb. 16, 2009, は IEC が「ガザ領
海域からの天然ガス購入に関して、英国ガス BG との折衝のためロンドンに高官代表団を送るつもりである」と報じている。
Economist Intelligence Unit, Jan. 20; Amotz Asa-El, Market Watch (Jerusalem), Jan. 27, 2009. Steve Hawkes and Sonia
Verma (Jerusalem), 「ガザのガスをイスラエルに供給するため、BG グループは 40 億ドルの取引の中心にいる」Times
(London), May 23, 2007. Michel Chossudovsky, Global Research, Jan. 8, 2009 ,
http://www.globalresearch.ca/index.php?context=va&aid=11680. Also
http://www.speroforum.com/a/17732/Massive-natural-gas-deposits-found-off-Isrhttp://www.eia.doe.gov/emeu/cabs/East_M
ed/pdf.pdf.
47 See my "Good News, Iraq and Beyond," http://www.zcommunications.org/znet/viewArticle/16522.
http://www.chomsky.info/articles/20080216.htm.
48 Ynet, Aug. 3, 2006. http://www.ynet.co.il/articles/0,7340, L-3284692,00.html.
49 Abunimah, Guardian, Dec. 29. Barghouti,
http://palestinethinktank.com/2008/12/29/mustafa-barghouti-palestines-guernica-and-the-myths-of-israeli-victimhood/,
Dec. 29, 2008.
50 イスラエルが東エルサレムでアラブ人の家屋 80 戸以上を破壊したときのヒラリー・クリントンの厳格な忠告。Reuters, March
4, 2009.
51 とりわけハマスについては次を参照。Ismail Haniyeh, WP, July 11, 2006; Khalid Mish'al, Guardian, February 13, 2007.
Guy Dinmore and Najmeh Bozorgmehr, "Iran 'accepts two-state answer' in Mideast," FT, Sept. 2, 2006; "Leader Attends
Memorial Ceremony Marking the 17th Departure Anniversary of Imam Khomeini," June 4, 2006,
http://www.khamenei.ir/EN/News/detail.jsp?id=20060604A. イランの学者エルバンド・アブラハミアン Ervand Abrahamian の
次の言を参照。「ハメネイが言ったところによると、イランはパレスチナ人が決めることには何でも同意する」in
David Barsamian, ed., Targeting Iran (City Lights, 2007), 112. ハッサン・ナーシュララ Hassan Nasrallah も同じ立場を繰り
返し表明してきた。
- 35 -
52 記録と出典についての簡潔な説明については『失敗国家』Failed States を参照。ノーマン・フィンケルシュタイン Norman
Finkelstein の『イスラエル=パレスチナ戦争のイメージと現実』Image and Reality of the Israel-Palestine Conflict (Verso,
1996; new edition 2003)も参照。当初からのイスラエルの安全保障戦略の詳細な批判的分析については、Zeev Maoz,
Defending the Holy Land (Michigan, 2006)を参照。安全保障上および外交上の解決より以上に、領土拡大を重要視してい
ることを明確に暴露している。
53 Bronner, NYT, Jan. 8, 2009.
54 See Failed States, 193ff.
55 Gareth Porter, IPS, Jan. 9, 2009. http://www.ipsnews.net/print.asp?idnews=45350. 過去 10 年間の停戦侵害の記録を詳
細に分析したものとしては、Nancy Kanwisher, Johannes Haushofer, Anat Biletzki, "Reigniting Violence: How do ceasefires
end?," Huffington Post, Jan. 6, 2009 を参照。その分析によると、「紛争の一時停止後、先に殺しをやるのは圧倒的にイスラエ
ルであることを示している。(中略)実際、1 週間以上続いた小康状態のあと、最初に殺しをやるのは実質的にいつもイスラエ
ルである」。http://www.huffingtonpost.com/nancy-kanwisher/reigniting-violence-how-d_b_155611.html?view=screen.
56 Dion Nissenbaum, McClatchy Newspapers, February 25; Adam Entous, Reuters, March 11; Joshua Mitnick and Charles
Levinson, WSJ, Jan. 21, 2009. And many others. イスラエルによる侵略が終わったあとのハマスの停戦申し入れは、攻撃
後にイスラエルによって拒絶されるという事態を繰り返している。これについては、AP, Jerusalem Post, Jan. 25; Stephen
Gutkin, AP, Jan. 29, 2009 を参照。イスラエルの、攻撃直前になされる停戦申し入れの拒絶については、see Porter, op. cit.;
Peter Beaumont, Observer, March 1, 2009 を参照。
57 Amos Harel and Avi Issacharoff, Haaretz, June 24; Caleb Carr, Los Angeles Times, Aug. 12, 2006. Chomsky,
Interventions, (City Lights, 2007), 188.
58 Howard Friel and Richard Falk, Israel-Palestine On Record (Verso, 2007), 136, citing Human Rights Watch, June 30,
2006.
59 Jeremy Bowen, BBC News, Jan. 10, 2009. http://news.bbc.co.uk/2/hi/middle_east/7822048.stm.
60 Regev interviewed by David Fuller, Channel 4, UK. http://es.youtube.com/watch?v=N6e-elrgYL0. Editorial, The Other
Israel, Holon Israel, Dec.-Jan 2008/9.
61 McCarthy, Guardian, Nov. 5, 2008.
62 Rose, Vanity Fair, April 2008. Olson, Christian Science Monitor, Jan. 12, 2009.
63 Bronner, NYT, February 27, 2009. Kerry, op. cit.
64 こうした方法の起源は、国土をスペイン支配から効果的に解放したフィリピン人民軍を米侵略軍が破壊したやり方にある。
米侵略軍は、その過程でフィリピン人数十万人を虐殺した。この新しい方法は、その後、米国内の人民統制と監視強制にも
適用された。これらについては、Alfred McCoy, Policing America's Empire: the United States, the Philippines, and the Rise
of the Surveillance State (Wisconsin, in press)を参照。Among other studies, see Martha Huggins, Political Policing: the
United States and Central America (Duke, 1998); Patrice McSherry, Predatory States: Operation Condor and Covert War
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in Latin America (Rowman & Littlefield, 2005).
65 Roy, London Review of Books, Jan. 1, 2009; Christian Science Monitor, Jan. 2, 2009. Physicians for Human
Rights-Israel, Update 22.12.2008, http://www.phr.org.il/phr/files/articlefile_1230045569593.doc.
66 Porter, Beaumont; see note 50.
67 Eldar, Haaretz, Jan. 5, 2009. http://www.haaretz.com/hasen/spages/1052621.html.
68 Remnick, New Yorker, Jan. 12, 2009.
69 See Fateful Triangle, 201ff. Pirates and Emperors, 56f.
70 Stephen Lee Myers, NYT, Jan. 4, 2009.
71 デビッド・ベン・グリオン David Ben-Gurion という, 「the Yishuv の実力者は、国連の分割案を受け入れたが、彼は国連が
設定した国境をユダヤ国家のための最終案として受け入れたわけではなかった」。国境は「明確なユダヤ人の軍事的勝利」に
よって確立されるはずであると予測しているのだ。Avi Shlaim, The Iron Wall (Norton, 2000), 28-9. 国内の議論において
は、ベン・グリオンは、「歴史上の最終合意はない。永続的国境はない。究極の政治的主張はない。世界中で、変化と転換が
起こり続けるのだ」ということを明確に打ち出した。我々はトランスヨルダン(ヨルダンの旧名)を失ったことは受け入れたが、「パ
レスチナ西岸地区の全部に権利がある」。また「我々は完全なるイスラエルの土地を欲する」。Uri Ben-Eliezer, The Makings
of Israeli Militarism (Indiana, 1998), 150-1.
[訳注:トランスヨルダン王国は第二次世界大戦後の 1946 年に独立し、1949 年に国名をヨルダン・ハシミテ王国に改めた。1950 年にはエル
サレムを含むヨルダン川西岸地区を領土に加えたが、1967 年の第三次中東戦争でイスラエルに奪われる。(ウィキペディアより)
72 Maoz, Defending the Holy Land, 103.
73 Chomsky, Towards a New Cold War, 461-2n, citing Toldot Haganah, vol. 2, 251f. He was accused of "pathological"
behavior for referring (correctly) to the opposition of native-born Jews to Zionism (and for homosexuality). トルドト・ハハ
ガナーToldot Haganah は、シオニズムに対する(また同性愛のために)本国生まれのユダヤ人の反対に(正しく)言及するとい
う「病的な」行動のために罪に問われた。
74 AI, Nov. 5, 2008. http://www.amnesty.org/en/news-and-updates/news/gaza-ceasefire-at+risk-20081105.
75 Fateful Triangle, 64f. この結論を支持する十分な証拠については Maoz, Defending the Holy Land. を参照。
76 Cordesman, Jan. 9, 2009. http://www.csis.org/index.php?option=com_csis_pubs&task=view&id=5188. For Turki
al-Faisal's own words, see FT, Jan. 23, 2009.
77 Avnery, "How Many Divisions?," Jan. 10, 2009. http://zope.gush-shalom.org/home/en/channels/avnery/.
78 Kimmerling, Politicide: Ariel Sharon's War against the Palestinians (Verso, 2003).
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