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436号 3月発行 - 東京慈恵会医科大学同窓会

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436号 3月発行 - 東京慈恵会医科大学同窓会
先端 医療 と医療倫 理
会 費 年 額 6,000円
(
購 読 料 1,200円 含 )
卒 業生 、在 校生 、父 兄 、 同窓 で満 席 の 中央 講 堂
倫理委員会を作 って話し合い、そ
対して ﹁
個々の大学や病院などに
の両者は僅差であ ったが、これに
同窓会 にて頒 布中
松 田誠著
﹁高 木 兼 寛 伝 ﹂
遂 に 発 売 ﹁白 い航 跡 ﹂
講堂において、諸教授その他
八日︵午
月後
︶ 三時より大学中央
回進学課程修了式は、 三月十
第六十六回卒業式 ・第 三十
ミ ニペナントを授与された。 村氏の調査熱心はつとに知ら
り学長から卒業証書と大学の 寛先生の伝記小説である。吉
新卒業生は次々に壇上に上が た って連載された学祖高木兼
り、例年通り氏名を呼ばれた 産経新聞の夕刊に約 一
年にわ
つぎに卒業証書授与式に移 これは吉村昭氏の力作であり
をかけられる場面があ った。 入 った。度々報じて来た様に
を終え卒業試験に合格、晴れ
た。続いて本年度の樋口 一成
今 後を 誓 う答 辞 を読 み上 げ
お〝
も て な し の 心〟
ア ク ー ユと は
新 しい リ ゾ ー トホ テ ル 、 ア ク ー ユ 三 四 郎 。
三四郎
吹きを忠実に伝えているから
ずらわしさ〟が少 なくな った
ので会員には裏面を必らず 記
入して払い込んでいただ きた
きをお 手 伝 いさせ て い た だ きます。折 々
であろう。発刊は上下 二巻に
る傑作が並んでいる。またこ
れらの取材地が全国にわた っ
つである。
ているのも、同氏の特色の 一
最寄りの書店で手に入らな
い場合は同窓会事務局で扱っ
ている。電話で申込みを。
頒価二五〇〇円 ︵
送料込︶
第 66 回卒 業 生 氏 名
孝彰 平山茂樹 広瀬茂道 井勉 坂本和彦 三條明良 これにより従来封筒に同封
い。
3月1日付
。
なり、各巻千 二百円である。
なお同氏の自選作品集が発刊
中であり十五巻中六巻が発売
全国の同窓が待ち望んでい の平潟町であることなど今ま 通じて読みごたえを感ずるの されている。﹁星 への旅﹂﹁戦
教職員、在校生、父兄、同窓
女子学生に五人ほど紫の袴姿 れていることであるが、自ら
阿部 正和監修
ビデオ ﹁
慈大 の曙﹂
八〇〇〇円 ︵
送料込︶
関係者多数出席のもとに行わ
があ ったが、男子にも当世風 鹿児島県立図書館で発見した
一七〇〇円 ︵
送料込︶
れた。阿部学長、名取理事長
に 羽織 り袴 姿 が 二人 みら れ
の医学士の称号を得た卒業生
赤崎安晴 天野繭 青木功 成尾孝 一郎 西村理明 野賀
部に、文化部門は広い対外活 雄 朝倉潤 浅沼 一
成 藤岡 正史 野 口英郎 野木村健 医体で順位を上げたサ ッカー
に各賞の授与が行われ、
学長、 君が送辞を朗読し、下級生の
動をした音楽部に賞状とカ ッ 秀 一 藤田誠 一郎 福地敏朗 沼田美和子 織田豊 岡田秀
隆君は、今後
各 賞 の受 賞 者
帆足茂久 本田陽 一 飯田有 猿田克年 佐藤尚 一 関田徹 紀子 飯野年男 磯島晃 岩 島田紀朋 添田 一弘 諏訪勝
野圭 二 岩澤京子 角田亘 仁 鈴木新 鈴木史子 鈴木
兼川潤 一 完山裕基 柏木明 永純 田畑俊治 田知本寛 田畑 俊治 柏木秀彦 加藤 一明 香取美 田嶋徹 高木優 高松純 高
されてきた払込振替票の両面
学内掲示
SANSHIRO
TEL O558(52)0346㈹
た﹁
白い航跡﹂の発売日は三 で知られてなかった史実を忠 は慈恵人であるということだ 艦武蔵﹂﹁海の柩﹂﹁深海の使
月二十八日になるとの情報が 実に小説化している。全編を けではなく、それが明治の息 者﹂等々いずれも 一読に価す
とともに名誉教授たちが壇上
まず進学課程寺島正浩以下
は一一八名︵
うち女子十八名︶ 生の将来を励 ます 暖かい式辞
記念杯に移り、運動部門は東
た。この日六年間の医学全科 洋医学に出会 ったのが茨城県
﹁
九番隊日記﹂から学祖が西
の席に つき、例年のごとく国
九六名に、学長より修了告知
︵二面に掲載 ︶があ った。続
歌斉唱で式が始ま った。
があり、専門課程 への入学が
である。
らの言葉を引用しつつ、卒業
許可された。続いて進学課程
同窓会長から賞状と記念 品が 良 き相談相手 であ った卒業生
同起立して ﹁曙満ちくる﹂の 原田徹 蓮村ひろみ 服部哲 小野雅史 大谷昌道 大塚泰
いて在 校生を代表し て三尾寧
表彰された。教養賞が学長よ
贈られた。今年は横尾
学生歌を合唱し卒業式 ・修了 林裕之 林圭造 林真仁 林 史 斎藤祐二 酒井朋久 酒
続いて成績優秀者 ︵別記︶
り同窓会賞が八家同窓会長よ
が基礎、臨床、慈大賞の三賞 生代表 の横尾
式は無事終了した。
修了の成績優秀者 ︵別記︶が
り、父兄会賞が岩沢父兄会長
を獲得したため記念品も腕時 医師とし て研鑚に励み、患者
次に小林教学委員長の学事
プが授与された。終わ って 一 後藤晶子 後藤豊 濱口明彦 雄 小俣富美雄 大森 一範 より授与され、それぞれ賞状
計、置時計、花瓶と変化が 配 の明日に架ける橋になろうと
報告の後、学長の古 い先輩 か
に感謝 の言葉を述べた。卒業
と記念品 ︵ドーランド医学辞
慮されたようであ った。
した同窓会賞の須賀万智さん
同窓会賞 施され、会 員 へのサ ービスと
現在同窓会員のデータは コ 慈大 新聞発送 用の帯封から実
にな った。払込時の〝書く わ
郎 中野美佳 中野智樹 中 子 横尾隆 吉田 一仁 儀武
山秀次 中谷慶章 仲吉健 路雄
ンピ ューターに登録されてお
に記入しなければならなか っ
助教授 小山勝 一
教授 ︵定員外︶を委嘱する
助教授 貴島政邑
教授 ︵定員外︶を委嘱する
また はアシスタン トの笹 木 、水 野 谷 、栗 原 までど
隆君
スキーの怪我で松葉杖で登壇
曲ハ
︶が贈られたが、なかでも
に八家会長がいたわりの言葉
第 66 回 卒 業 生
諏訪 勝仁
横尾
隆 おける教養 ・同窓会 ・父兄会
横尾
隆 の各賞 は次 の通り 。
林
裕之
教養賞 寺島 正浩
横尾
隆
同窓会賞 須賀 万智
父兄会賞 山岸 弘子
津治 川嶋治 木村哲夫 北 梨葉子 武田邦彦 武井豊 第 30 回 進 学
田昭仁 北西史直 小林史明 田中和郎 田中俊英 冨井雅
第六十六回卒業式において
成 績優 秀 者に 授 与さ れた 慈 課 程 修 了 生
小林潔 小林徹也 小池真喜 人 辻洋子 上原良樹 宇野
大 ・基礎 ・臨床 ・同窓会の各
子 小池健 小池靖 小助川 吉雅 和田悟 和 久津里行 賞の受賞者は次の通り。
第三十回進学課程修了式に 雅己 栗原理 丸山達志 宮 矢萩裕 一 山田紋子 山田哲
川朗 宮島浩人 水谷央 村 也 山口浩史 山口眞紀 山
上敬子 村川祐 一 長峰守 本恭子 山本真理 山本真司 中田良子 中村靖幸 中西達 山本尚 梁井真 一郎 矢野幹
慈大賞 基礎賞 臨床賞 植に対する国民の関心は高く、そ の中で、今月十二日には脳死状態
り、会員から住所変更等の連 共 に同窓会事務局 の事務合理
で送 付 され、 表 は住 所 ・氏
たが、今回から〝窓付 き封筒〟
同 窓 会 費 払 込 票 の 宛 名 も コン ピ ュー タ ー 化
れが脳死に対する関心を高めてい の青年の家族から臓器提供の申し
同窓会費の払込振替票にも宛
絡があるとただちに変更の入 化がな され てきた。その後、
る。その先端医療のうち、臓器移
に 対して行 った調 査では、﹁各界 五% ︵前回より五 ・六ポイント上 移植調査会 ︵
脳死臨調︶を発足さ
の参加を求めて話し合い、社会的 昇︶
、 肉親 で本人が延 命を希望 し せ、本年六月には中闇意見を、来
合意としての基準を決定﹂ 二三 ・ ない場合六七 ・三%と二 一・三% 年 一月には最終答申を受ける予定
九%、﹁医師な ど医療 に関係 する とな っている。
とな っている。しかし、各施設毎
専門家が学会などを通じて話し合
この調査の結果から先端医療に に倫理基準を作成し対処している
い、基準を決定﹂ 二三 ・一%とこ 対する国民の関心が高いことが判 のが現状であり、この現状は今回
の調査では支持されていない。そ
る倫理に関する世論調査﹂の結果 死﹂を挙げた人が四六 ・五%と最 は自分自身の場合﹁寿命に任せる﹂
をまとめて発表した。
も 多く、以 下 ﹁臓 器移植﹂﹁末期 六五 ・二%に対し ﹁最善を尽す﹂
この調査は、医療技術の進歩に 医療﹂などの順とな っている。そ 二七 ・二%。肉親で本人の意志が
伴う医療上の倫理的な問題に関す して倫理的対処が必要とした人達 不 明の 場合 五 三 ・二% と 三五 ・
る国民の意識を調査することを目
的として、昨年十月全国の男女三
千人を対象として行われたもの
で、調査項目は先端医療、延命医
療、治療方法の決定などとな って
いる。
先端医療に関する意識調査では
﹁関心がある
﹂六八 ・九%に対し、
﹁殆ど ︵全く︶関心がない﹂は五 ・
るものと考えられるが、その脳死 出があり話題とな ったが、結局脳
ー で打ち出され ているため、
名出しの コンピ ューター化が 名 ・会員番号が コンピ ュータ
裏 面だ け記入すればよ いこと
力がされ、常に最新のデータ
検討されてきたが、来月実施
が保守されている。
のはこびとな った。
に対し倫理的検討を最も強く希望 死者からの臓器提供はなか った
去る六十三年五月より、まず
宛名の コンピ ューター化は
していることに注目すべきであろ が、なお議論の余地を残したよう
う。脳死問題については日本医師 である。︵E︶
セールス部 遠 山 四 志 一
発 行 所 慈 恵 医 大 同 窓 会
東京都 港区西新 橋
3−25−8
電 話
(3431)6971
編 集 発 行 人 南 雲 今 朝 雄
は ﹁どんな場合でも医師は生命の 会生命倫理懇談会が昭和六三年 一
延長のため、できるだけのことを 月に ﹁
脳死を人の死とみなしてよ
しなければならない﹂五六 ・五%、 い﹂﹂
とする最終報告をまとめて
﹁そうは 思わない
方では脳という 一
﹂ 三五 ・四% で いる。しかし 一
総理府は今月三日 ﹁医療におけ 必要と考える分野に ついては ﹁脳 あ った。延命医療の希望に ついて 部の臓器の死をもって個体の死と
することに、強い疑問をもつグル
ープのあることも忘れてはならな
い。また政府は首相の諮問機関と
して、昨年 一月臨時脳死及び臓器
毎 月1回 25日 発 行
購 読 料 一 部 100円
七%と低い。また先端医療技術の れぞれの施設毎に基準を定めて対
うち、何らかの分野で倫理的検討 処する﹂は九 ・ 一%と低い値を示
が必要と考えている人が七四 ・ している。
五%に達しており、倫理的検討が
延命治療に関する意識の調査で
東京慈恵会医科大学担当
や 同 窓 会 、ご 会 食 な ど。きめ 細 や か な
。
上 下2巻 、 各 巻1200円
講 談社 刊
た
わっ
晴 れ の ご 婚 礼 を は じめ、記 念 パ ー ティ
〒410−35 静 岡 県 賀 茂 郡 西 伊 豆 町 堂 ヶ 島
TEL(03)3504−1111
幸 田1−1−1
〒100 東 京 都千代田区内
お 役 立 て くだ さい。
帝 国 ホテル
の 機 会 に 、帝 国 ホ テル の お もて な しを
が変
今
うぞお気 軽 にお問 合 せ 、こ 相 談 ください。
1991.4.OPEN
心豊かな
ふれあいの舞台。
の卒業生が とび立つ
118名
!!風
サ ー ビ スで 、あ た た か く心 に 残 るひ とと
第66回 卒 業 式
論説
第436号
昭 和32年9月12日
(
第三 種 郵便 物 認 可)
聞
新
大
慈
平 成3年3月25日
(1)
卒 業 式 式 辞
言が相手の気持を和らげ、相
吉村さんの鼓膜の奥にこびり
声が長い年月を 経た今 日でも
の先生の ﹁お大事 に﹂と いう
に至 っていますが、未だに与
幾度か 死線をのりこえて今日
よく言われました。私自身は
ついていて離れないというの えられた責任が果せず、馬車
手を励ますことも事実であり
作家の吉村昭さんの随想を
ます。
本 幸 夫
肝 ・胆 道 系 の エ コ ー 診 断
放射線科 宮
ております 。患者を全人間的
と つの重大な動き にな ってき
す る医学 の流れと平行するひ
復 の流れは、細分化 ・専門化
ました。このように人間性回
本日、ここに第六十六回卒 は、まことに光栄なことであ 慮を重視するようにな ってき
の若き 日に肺を患 って胸郭成
があります。吉村さんは、そ
御存知の諸 君も多 いと思 いま
して執 筆して下さ いました。
あ る新 聞の夕刊 に連載小説と
記を ﹁白い航 跡﹂と題し て、
本学の学祖高 木兼寛先生 の伝
ですが、この ﹁お大事 に﹂を
か つて私は、人間国宝、高
ないでし ょうか。簡単な言葉 慈恵の恩と親のありがたさを
と つに ﹁
お大事に﹂というの まされ、気持が和ごむのでは 思いがします。今さらながら
す。 この吉村 さん の随想のひ
どうぞ諸君お忘 れなく 。診察
橋刀匠の刀鍛冶道場を見学し
らに明るくなり、御病人は励 えるだけでも身の毛のよだつ
られるならば医療の現場はさ な っていたか、そのことを考
ですべての御病人に呼びかけ うでなければ、どんな人間に
事に﹂が全国の病院や診療所 当によか ったと思います。そ
す。しかし、いまこの ﹁お大 慈恵で教育を受けたことは本
で もな い 呼び か け であり ま す。愚かな器でありますが、
として普及し つつあること ば肝腫瘍の中で、比較的高
し、不可決のモダリテ ィー 躍的な進歩であろう。例え
馬のような毎日を送 っていま
に理解す る媒体 の重要なもの
形の手術を受けられました。
した患者さんが諸 君の前を立
例に上げます。吉村 さんは 、 であります。﹁
お大事に﹂、何
が 言葉である ことは言うまで
それから何年かた ってからそ
ち去る時、ぜ ひ ﹁
お大事に﹂ たことがあります。選ばれた
部正和
も ありません。私は、これま
の手術の執刀をされた先生に
と 一言 、声をかけ て上げ て下 鉄の塊を、斎戒沐浴して、古
学 長阿
で長い間、言葉 で思いのまま
名古屋駅のプラ ットホームで
さ い。
超音 波とい え り、治療法の決定や、治療
ば、誰でも胆石を 効果の判定にも有用性を発
を 相手に伝える ことが でき、
ば ったり出合 ったのでありま
進学 課程 修 了 の諸 君 に
はじめに進学課程修了の諸
式装束に身を包み、赤き鉄の
は周知の事実である。
実際、 頻度に遭遇する海綿状血管
・七五メガ ヘルツ、百 二八
いずれにし ても、人間存在 冷めないうちに打ちさばく槌
思い描くほど、超 揮している。
音波検査が肝 ・胆
超音波普及のもう 一つの
道系の診 断に際 要因は、超音波診断学の飛
りかえて専門の医学の勉強 に 相 手もまた私の気持をよく分
す。先生は ﹁吉村君、元気そ
思うのであります。
励ま れ るよ う おす すめ しま か ってくれているものと過信
業式ならびに第三十回進学課 ります。まず卒業証書をお渡
程修了式を挙行するに当り、 しした一一八名の諸君に心か
名誉教授をはじめ教職員各 らお祝い申し上げ、その前途
位、同窓会および父兄会の役 に祝福を送ります。またこの
員の皆様、さらに又、卒業生 六年間、諸君の今日あるのを
の父兄の方々の御列席の下 楽しみ にお待ちにな ったご父
に、学長として式辞を述べる 兄 の 方々 にも 祝意 を 表 しま
機会を与えられましたこと す。おめ でとうございます。
す。四年間の専門課程では、 してまいりま した。しかし言
進学課程では 二年間医師と
君に申し上げます。
素子の コンベ ックス型探触 るものがあることなどが分
超音波検査の対象疾患は、 腫は、通常、高エコーの腫
肝 ・胆道系疾患のほぼ全域 瘤として描出されるが、患
をカバーする。こうした普 者の体位を変換したり、腹
及の背景には、装置自体の 腔内圧を変化させたり、或
進 歩が 大 きく 関 与し て い は、そのまま連続的に十か
る。例 えば当科でも、五年 ら二十分ほど持続的に観察
程前より、三 ・五、乃至三
す
ることで、腫瘍内部のエ
コーレベルが著しく変化す
て、﹁言葉 の重要 性﹂を 再認 人の真心、 一つの刀にそそぐ
子が使用されるようにな っ かってきた。こうした知見
し た。このこと の重要性は、
に 一般教育を主として学びま
が、将来、医師にな って困難 意外にもそれが充分にできて
かつ完全に修得したものだけ
す。基本的なことを着実 に、
大事にね﹂とひと声、声をか 希望であります。
した。
そのさい吉村さんに﹁お が諸君に対する私のひとつの
う に見事 にでき上りました。
の 根源 に かか わ るこ とと し の音と、飛び散る火花、打 つ
医学 の 基礎 ・基 本を 学 び ま 葉 の重要性を知り 、言葉 によ うだね。本当によか ったね﹂
ってどれだけお互いが通じあ と声をかけられました。発車
識していただきたいのであり 魂と気迫、それに心を打たれ
諸 君 が 将来 医師 に な ってか
な局面に際会 したとき、巧み
しての教養を身に つけるため
っているか注意してみると、 のベルが鳴り始めたので先生
い教育 によ ってこの名刀のよ
言葉 を大 切に﹂こ れ ました。諸君も六年間の厳し
は列車のデ ッキに飛び乗 りま ます。 ﹁
ら、 二十年後、三十年後には
いないことを知るようになり
じ めて 分 かる こと で あり ま に切りぬけることができ るの ました。勿論、相手に意志を
今後 の運用をどうするかは諸
であります。明年の今ごろ留 伝えるには言葉以外に、表情
大 先 輩 か ら の メ ッセ ージ
す。ど こにあ っても 、何も の
君 一人 一人 の責 任 であ りま
けられたそうであります。そ
す。この 二年間はのびのびと
年の憂き目をみることのない や身ぶり、手まね、皮膚の接
でありま しょう。専門課程 に ように皆さん心をあわせて精 触など非言語的な コミ ュニケ
ーブを挿入したり、悪性腫
→神谷町
御成門 ︵
右︶←
薬価基準収載
Interve-
〒105 東 京 都 港 区 愛 宕1−6−6
Radiology
リセルギンカ プセル
※ 用 法 ・用 量 、使 用 上 の 、注
意 等 につ い ては添 付 文 書 をご 覧 くたさい。
京都 中 央 区京 橋3丁 目1−2
東京都中野 区鷺宮3丁目13番6号
ク ラブ活動にも励まれたこと
Nonvascular
ても、同探触子を使用して 音波の有用性は、いわゆる
瘍 への エタノール局注療法
あります。そして医学以外 の から、次のような話をう かが
持効性脳循環代謝改善剤
不眠症 麻酔前投薬
〈
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用法 ・
用量、
使用上の注意などについては添付文書をご参照下さい。
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販 売
大日本製 薬株 式 会 社
山之内製薬
販 売
製造
学術部
膜ドーム直下の病変に対し
と
にも負 けな い慈恵 イズムを発
呼ばれる、 一連の治療分野
誼は終生忘れ ることなく、そ
して人に授けたことどもは忘 揮さ れて、母校 に光を注ぐ存
めて少なくな った。
さらに、
にも表われている。すなわ
ーシ ョンもありますが、 一番
有効な意志伝達の方法は、い せられたメ ッセージを紹介し
れなさ い。﹂
また ﹁
そ の日の 在にな って下さ い。
﹁
病 気を 診ずし て病人を診
コンベ ックス型探触子はそ
第 二に 一人の大先輩から寄
かに不完全ではあるにしても まし ょう。この先輩は愛媛県
仕事は、その日のうち に片づ
よ﹂という建 学の精神 の下 に
に視野から除外することが
などである。これらは、放
た医療は言葉で終ります﹂そ
ことに気を散らしたり、病人 いました。
ドワイヤーを 挿入し、血管
ntional
言 葉以 外 には な いと 思い ま 松山市で今なお第 一線で患者
け、翌日に持 ちこす ことをな
ち、肝膿瘍に対し、超音波
可能である。故に、従来は
射線診断部の新しいサービ
以来、見落されることは極
す。いずれにしても卒業生諸 の診療に当 っておられる九十
の特徴的な形状により、腹
二十から三十パーセントし
スとして定着しつつある。
れほど医療の中で言葉の占め
との話し合いなどに気を 使う
した。まことにおめでたいこ
造影のテク ニックを 用いて
大阪 市中央 区道修 町3丁 目2番10号
〒666−01 兵 庫 県 川 西 市 矢 問 字 高 田103番 地
たため、現在では、径三ミ は、高エコーを呈する 一部
リの肝腫瘤や、 一ミリの胆 の原発性、あるいは転移性
石でも容易に同定が可能と 肝癌との鑑別をするうえ
な った。また、従来、超音 で、極めて有効なサインと
波検査の死角とされた横隔 いえよう。
肝 ・胆道領域における超
す すま れたら 、す こし頭を 切 進して下さい。
卒 業生 の諸 君 に
次 に卒業生諸 君に申し上げ 要性﹂ であり、もうひと つは
ます。私は本日の式辞 で二つ 大先輩 のお 一人が諸 君の卒業
いよう にしな さい。
﹂ さら に 育成された諸 君の今後の御活
四歳の菅井久隆先生でありま
ガイド下でドレナージチ ュ
に際して寄せ られたメ ッセー 君は、これから医療の世界で
壁に軽度の圧迫を加えるこ
のことを述べます。そのひと
とで、消化管を比較的容易
みの 事を し て いて はな れな
か同定し得なか った総胆管
最近では、閉塞性黄 疸の患
る重要性と価値は高いのであ
ことはむしろ邪道であるとさ を知りませんね。専門的な言
﹁
お医者さんは言葉づかい り、御卒業の栄冠を得られま
ります。
外門脈血流の測定が可能と
胆道内にステントを 留置と
のと信じます。
慈恵医大に学んだことに大き
なり、食道静脈瘤の診断に
慈恵医大 の 一一〇年にわた
よ。
相手が理解していようが、 統的精神を深く持 つ慈恵医大 す。本日卒業された 一一八名
な誇りをも って、慈恵医大の
とであります。希望に燃える
で、六年にわた って医の倫理 の諸君も今後同窓の 一員とし
とはいえません。この伝統的 患者を叱るかのように話すん
私自身が医療の世界に入 っ え考えてきた傾向がなか った 葉を使 って、早 口に、しかも
における心ある人たちは、医
いまいが、そんなことは 一向
販 売
日本ベー リンガー インゲル ハ イム 株 式 会 社
そ して 、 笑 顔 。
睡眠導入剤
虎 の門 →
03−3431−OlO9
又 ﹁偉い人になるには、人並 躍を心から祈ります﹂
ジの紹介でありま す。
から直接教えを受けた数少な
い。人の休む暇の間に努力 し 輩が諸君の将来に思いを寄せ
結石なども、当科では八十
者に対し、超音波 ガイド下
お働きになるとき、言葉の重 す。先生は学祖高木兼寛先生
つは ﹁
医療における言葉の重
要性という問題をぜひ知 って
い現存の大先輩であります。
なくてはなりません。それ に られた心暖まる、しかも熱の
パーセント以上診断し得る
での胆道内漏を形成する、
九十 四歳になる 一人の大先
いただきたいのでありま す。
以下、先生からのメ ッセージ
ようにな っている。装置の
医療 と言葉
最近、私は 一人のお年寄り
を披露しまし ょう。
は健康を第 一に保つべきであ こも ったメ ッセージの 一部を
﹁
本日、諸君は蛍雪の功な ります﹂と、このよう に日頃 御紹介いたしました。
進歩をもう 一つ述べよう。
すなわちPTCDのテク ニ
ックを用いて胆道 内にガイ
﹁
医療は言葉で始まり、ま 道であると考えてきた傾向が
どうぞ謙虚な態度で、分か
超音波ドプラ装置である。
に
船出に感慨 一入のものがおあ る輝やかし い歴史と伝統は教
りやす い言葉 で親切に患者さ
同装置により、肝内或は肝
り
りでし ょう。天下に比類なき 職員 一同および同窓会の会員
んに対処して下さい。諸君が
わ
てざ っと五十年が経過しまし
歴史と、殊のほか人類愛の伝 によ って受け つがれていきま
お
た。そこ で到達した結論は、 な考え方は今でも根強く残 っ ですね 。第 一、私たちの言う
﹁
医療 の本質は病人の病態を ています。しかし医療の世界 ことを よく聞 いてくれません
含 む人 間全体 の理解とそれに
療における言葉の重要性を認
い った治療も行なわれてい
基 づく支援 ︵
サポート︶であ
る。今後、こうした分野は
も応用され、当科でもすで
に日常診療の中に繰り込ま
益々発展してゆくものと思
出身者らしいあり方で、医師
れている。肝硬変の程度と
を厳しく教育された幸福を思 て、 この栄光の伝統をぜひ守
その合併症、さらには門脈
するうえで有効な手段であ
われる。
にお構 いなしに、にこりとも
しないで 一方的に話しまく る い、将来の目標を定め、手を
って いた だ きた い と思 いま とし て今後充実した毎日を送
って いた だく よ う希 望 しま
諸君 の前途に重ね て心から
加え て挑戦という精神をい つ す。
取り合 ってすすまれるよう念 す。夢と希望を持ち、それに
願し ております。
か つて我が恩師高木兼寛先 も発揮してくれるならば慈恵
生 は、い つも次のように言 っ 医大は絶えず充実発展し、慈 の祝福を送り、私の式辞とい
圧亢進症の病態生理を把握
る﹂
ということでありました。 識しはじめ、積極的な関心を
そして、この人間理解の最 示すようにな ってきました。
んです。
﹂
このお年寄りの話には沢山
医学中心から医師中心 へ、
は何にもまして重要であるこ そし て今ようやく患者中心 へ
の教訓が含まれていることを
大 のよりどころとして、言葉
とが分か ってきたのでありま と医療 の様子が大きく変ろう
感じたのであります。
一方、ごく簡単な言葉の 一 ておら れまし た。 ﹁
受 けた恩 恵らしい特色が生かされるも たします。
す。これまで私たちは専ら医 とし ています。病入の立場、
学を学ぶことが良い医師 への 病人の考えや気持に対する配
さわやかホテル。
1日2回
トーアエイヨー
自然な眠 りです
診療 メモ
付属
病院
慈恵
医大
宿泊予約担当 小林明美 ・
清水卓
愛宕山 東 急イ ン
(
二)
(メ シル 酸 ジ ヒ ド ロエ ル ゴ トキ シ ン徐 放 性 製剤 )
田 辺 製 薬 株 式会 社
製 造
日本ベー
リンガー
インゲルハイム株式会社
兵庫県川西市矢問字高田103番地
〔資料請求 先〕
(一
)
NHK
愛宕 山
東急 イ ン
慈恵 医大 まで歩 い て3分 。東 京
での ご宿泊 は お まかせ下 さい。
(2)
平 成3年3月25日
聞
新
大
慈
(
第三 種 郵便 物 認 可 )
第436号
効能・
効果
(3)
慈
平 成3年3月25日
大
新
聞
(
第三 種 郵便 物 認 可 )
第436号
平成
三年度入学試験問題
数学
ドイツ語
英語
フランス語
医薬品を通じみなさまにご奉仕するスズケングループ
医薬品総合商社
株式
会社
スズケ ン
医薬品製造販売
株式
会社
三和 化 学研 究所
(
第三 種 郵 便物 認 可)
第436号
物
理
化
学
慈
大
新
聞
平 成3年3月25日
生
(4)
物
ロ ン ド ン よ り
武
ランド 、中国等︶と和気あい
生 涯 教 育 セ ン タ ーだ よ り
本欄 二月号に記したごと 検査 マニ ュアル︶ 一九九〇 生涯教育センター長も退任
二 ・三日前に女王様ご臨席に まだまだ大英帝国の繁栄はそ
って御参加下さいますよう
なると思います。どうぞ振
ずや活眼を開くセミナーに
委員会 でこれを審議し、承
の御挨拶をいただきます。
︵16 ︶
長英
吉 和画
もし ﹁
越路吹 雪シ ョー﹂を進めていたら、同窓会は破産
のコーち ゃんが癌 で百年祭直前に亡くな ったのだから、
まらなか ったが、世の中何が幸いするかわからない。そ
結果的 には正に ﹁
士族の商法﹂で、遂にこの件はまと
帝国ホテルの ロビーで会見した。
をとり、所長 で夫君でもある内藤法美氏と我々三名は、
てい いか五里霧中 である。赤羽君を頼りに事務所と連絡
違いなし。とい っても、先立 つも のは心細いし、どうや っ
ほどの大 スターとなれば、デ ィナーシ ョーなど大当り間
り、越路吹雪に白羽の矢を立てた。何しろ、 コーち ゃん
たらいいかと、議論百出 ・喧々囂々の揚句、 一案として
﹁記念音楽会
﹂を案出した。
南雲君と私が音楽部O B赤羽紀武君 ︵昭37︶の力を籍
築 ・増築︶関係は大学お任せとして、同窓会は何をや っ
会を催し てアピールしようということになり、建設 ︵新
同窓会理事会においても、記念事業の 一環として何か
三浦
南雲
慈恵狂一代
腹痛﹂
テー マ ﹁婦人の腰痛 ・下
生涯教育センター月例セミナー
4月13日︵土
即4
︶時
婦人科︶
寺島芳輝教授 ︵
産
大学2号館10階
講師 員が日頃の研究や診断も忘れ
病理学教室 では両講座の共 て楽しみます。
特に忘年会は、
誌上発表され ています。
同管理 の基に、日常の病院病 毎年同門会を兼ねて開催さ
さら に研究もお互いの協力の 方と現教室員との交歓がなさ
理業務や病理解剖を行ない、 れ、諸先輩方や懐かしい先生
基 に行なわれ ています。従 っ れる楽しい 一時でもありま
第 二病 理学 教 室
室
教の横顔
秋の教室旅行 ・そして忘年会
︵下田忠和記︶
には 二人共心から感謝 ・恐縮している。
しみの 一喝と して今 でも笑 い話とな っているが、赤羽君
86 キ ロから70キ ロにやせ た南雲君が、﹁バカヤ ロ、揚げ
た花 火を拾う花火師が いるか !﹂とい ったのは、負け惜
たと公 会堂に足を 運んだ 。待 っていた赤羽君が ﹁
先生た
百年祭 の悼 尾を飾る記念音楽会は日比谷公会堂で盛大
歯拒腕のほかなか った。
する に余りあ ったが、ベ ットに縛り つけられた我々は切
内科系 の大病 で倒れた。独りぼ っちの赤羽君の労苦は察
私事 ではあ るが、百年祭直前に私は外科系、南雲君は
の会とな った。
恵ゆか りの山本直純氏指揮 ﹁
新日本 フィル ハーモ ニー﹂
した かも知れなか った。赤羽君の尽力でこの企画は、慈
に行わ れたが 、その時の我々 二人は痩せ衰えて、よたよ
展、及び慢性腎炎の発生機 序 では比較的新しい分野ではあ 会を行な っています。病理学
とその形態的推移に関する研 るものの、その中では特に大 教室の年中行事に関しても同
究が、大きなテー マとな って 腸早期癌 の研究成果が、国内 様 です 。四月 の新人歓迎会に
と、この時ばかりは教室員全
始まり、六月の六医科大学 の しい知識の習得に励んでいま
カンフ ァレンスで定期的 に厳
います。この他最近では、細 外 から注 目され ています。こ
しく検討され、学会あ るいは
病理学教室による野球大会 ・ す。
析、モノク ロナール抗体の作
B5 頁296 図72写 真226 カ ラ ー3
1991 定 価12,360円 (税 込 ) 〒300
オー ストラリア、 ニ ュージー
一月にとうとう多国籍軍が
あ いと 研究をし ています。
イラクに対し武力行使に出、
混沌と した九〇年代の幕明け
て定年 退任されます小林建
正
決定しましたのでお知らせ
一教授 ︵麻酔科学教室︶は
月
いたします。新しく就任さ
望
を象徴する世 界情勢となりま
一九九〇年 八月末、湾岸危 された ロイヤルブ ロンプトン
つい先日、全館完成をも っ した。英国国内もサ ッチ ャー
機 の解決が叫ばれる中、私は 病院と ナシ ョナル ・ハート ・ て、四年ぶりの大雪の中、 エ 首相の退陣や、イン フレの悪
れた教授の講演を中心にプ
青戸病院 内科
リザベス女王ご臨席 のもと、 化と決して楽観的な様相では
ログラムを組んでおり、必
く、 ﹁
日本 医師 会生涯 教育 年、文光堂。
されます。新センター長に
講座、平成 三年月例セミナ
末筆 にな ってしまいまし は前川喜平教授︵
小児科学︶
ー﹂の今年度プ ログラムが たが、本 年三月末日をも っ が四月 一日付で就任されま
す。次号に新旧センター長
ロンド ン大学 ナシ ョナル ・ハ ホスピタルという 二つの病院
開院 式が 挙 行 され ま した。 ないの ですが、私の見る限り
れ、女王のことをお呼びする にどーんと腰をすえているい
し、その名を ロイヤル ・ブ ロ 関 する 注意 書 が職 員 に配 ら のなごりをとどめ、街の中心
認しましたので、認定証が
日時 第3内 科
小山勝一教 授
胞 培養 に よる 腫瘍 細 胞の 解 れらの研究成 果は各研究班の
製、さらには分子病理学的に
本 書 は , 具 体 的 な 症 例 を 通 して ,
心 電図 の個々の 波形 の読み 方を学
ぶ と同 時に, 臨床 的なデー タを加
味 して 患 者 の 病 態 を 総 合 的 に 把 握
し,臨床 的判 断がで きるよ うに し
っ ら え た 臨 床 ト レー ニ ン グ の 書 。
Q&A形
式で解 説。
だ ったのですが、このたび統
内科 における 一年間の留学を
ンプトン ・ナシ ョナル ・ハー
時は ユア マジ ェステ ィか マー く つも の大きな公園やどんな
加藤 信夫 先生 ︵昭48︶が
いけない云々の実にこまごま れるたび、日の沈む帝国とい
粗鬆 症の予 防︶
、小 森亮 理
す。阿部正和学長よりビデ
事より雑誌 、臨床 スポー ツ
糖尿 病診療 にお ける
注意点
なります。この間木村哲二教 研究が、主に行なわれていま 床が 一体とな った益々の研究 て教授以下全員が第 一・第 二 す。また病院の中央検査部病
授の時に病理学教室は二講座 す。中でも腎癌 ・卵巣癌 ・胃 発展が期待されています 。ま 病理の区別なく、毎週 一回の 理科は病理学教室内にあり、
制となり、第二病理学講座に
教室との密接な協力の基にそ
は大場勝利教授が就任され、
の業務が行われており、この
ため他の基礎医学教室と異な
右川栄世教授、藍沢茂雄教授
り、検査技師が多数仕事に従
と受け継がれ現在に至 ってい
事しています。
ます。現在教室員は、本院 ・
最近は学内外に於いて種々
各分院 ・国立佐倉病院 ・神奈 癌 ・大腸 癌 の発 生 とそ の 進 た消化管病理の研究は、本学 剖検検討会、隔週の症例検討
な臨床と合同の研究会が行わ
川県立厚木病院等の各病理部
門において、診断や研究面で
大いに活躍し、又大学院生や
臨床各科派遣の研究生が、病
理学の研修及び研究に従事し
ています。
第二病理学教室は、第 一病
本 書 は , 当 直 時 に役 立 つ よ う 作 成
さ れたきわ めて実 践的な マニ ュア
ル。 頭痛 ,解離性 大動脈瘤 ,肺 塞
栓 ,急性 中毒を 新設 し,虚血性 心
疾患 を狭心 症 と急性心 筋梗塞 に分
け て 十 分 に 記 述 した 。 医 療 過 誤 に
対する緊急 医学処置の要点も追加。
合計 画 によ る新 病 院が 完成
許 可され、猛暑の東京を後に
ト ・ホスピタルと して新 たな
ム ︵
ジ ャムと同じ発音で︶と 病院 にもある テニスコート、
生 涯教育 センターを10 回以
とした指示がされました。本 われながらも 二十 一世紀に向
授与されました。
が︶最新の設備の中で実に充
実した研究生活を送 っていま
英語を話してみたり、やたら く の年月を経なければ決し て
3月14日
東 京 ・文 京 ・本 郷
振 替 東 京7−96693
医学書院
●新刊
ー ト&ラング ・イ ンステ ィチ
ュート ︵NHLI︶の循環器
ロンド ンでの生活が始まるこ
のです。
この病院は、ヨー ロッ お呼びするようにとか、決し 日本 では考えられない英国人
と に なり ま し た。現 在プ ー スタートを 切ることにな った
の礼儀 正しさや高潔な心に触
ジオプラステ ィが行われたこ
当に英国というのは何でも格 け てあざやかな午後の残照を
れました資料を御紹介しま
御案内申 し上げ ます。
ル ・ウ ィルソ ン教授のもと、
パではじめ て心臓移植やア ン
とでも有名 であり 、循環器病
です。 日本と英国は共に島国
オテープ ︵VHS︶メデ ィ
てこちらから握手を求めては
単離心筋細胞を用いた研究に
上利 用されましたの で、当
学の古典とも いわれる教科書
です。そして未だ厳然とした
で確か に性格的に他の ヨー ロ
ッパ 民族と比 して似た点もあ
︵医療界 ・今年の流れ、骨
カル ・エグゼクテ ィブN8
o.
0
従事し、日本では未だ認可さ
エントの心臓をもら っての実
れない心臓移植手術のレシピ
階級社会の中に人々は生活し
ります が ﹁マチ ュアー﹂さと
験や ︵
ただし心臓移植は夜中
の著名 で知ら れるポール ・ウ
ッド博 士を輩出し た病院 でも
ており、事実教室内もいわゆ
いう点 にお いては 、さらに多
次に当センターに寄贈さ
おける充実 ぶりは 目をみはる
る ﹁
オ ックスブリ ッジ﹂卒業
気取 って息をのみ込みながら 英 国のような大人 の国にはな
医学vo
7l︵N
1o∼
.12︶、 同
セミナールーム A
参加費 無料
タ ッフ 一千人 というゆとりの
話すというやからが少なから れないのではなかろうか、私
誌臨床増刊号 スポー ツ医学
ある構 成にな っています。
ずいます。しかし彼らの性格 を含め日本人には今を謳歌す
柏病院内科
渡邊禮次郎教授
いた永野允教授をはじめ、留 病院内科のスタ ッフに心から
最後にこの貴重な機会を戴 守中に迷惑をおかけする青戸 感謝の意を表します。︵昭43︶
でなく 、如何 にそれを刹那的 が必要だと痛感します。
もこと研究に関しては排他的 る豊かさ への エネルギーだけ
ではなく、私を含め色々な国
脳動 脈硬化症 と
Binswanger病
ち ひどいや、花火を揚げ っ放しなんだもの﹂というと、
病理学教室の歴史は、 一八 理学教室と共に伝統的に人体 癌 細胞の解析も行 ないつつあ
八七年成医会講習所で初めて 病理学の研究を大事にしてき ります。軟部腫瘍は木村哲 二
ました。現在は泌尿生殖器と 教授 ・女性生殖器腫瘍は産婦
消化管疾患、軟部腫瘍、腎生 人科の樋 口 一成教授と両教授
検による腎炎及び実験的腎炎 以来、本学の伝統ある研究分
の形態並びに免疫組織化学的 野であり、今後とも病理と臨
からの留学生︵
伊、米、スイ ス、 に終 らせな いか、と いう信念
2月8日
(
土)
れ、当教室の若い教室員も多
忙な中を積極的に参加し、新
病理学の講義が行われたこと
に始まり、その後今 裕先生
を初代教授として病理学講座
が開設されてから八十年余に
第4内 科
谷本晋一 教授
(
土)
式ば った事が好きな国のよう 放 っているか の如く見えるの
ものがあり、病棟 にし ても広
び 出さ れ る つら いも の です ありま す。そ れ故、研究面に
にい つもあり突然の電話で呼
大 なスペースに二〇六床と ス 生が大半を占め、妙などもり
当循環器内科が属するこの
す。
病院は元来 一八四 一年に設立
平 成3年 度 月例 セ ミナ ー 日程
場所 同窓会 ・
同 門 会 予告
講演
﹁
中高年のスポーツ障害﹂
江 東 ブ ロ ック 同 窓 会
日時 4月20日︵土︶
午後3時∼6時半
場所 柏病院C棟2F会議室
柏病院大畠院長
担当 足立支部 花崎豊
気 管支喘息 の病態 と治療 の
現況
(
土)
B5 頁186 図122 1991
定 価3,502円 (税 込 ) 〒300
B6変 型 頁334 図26 1991
定 価3,090円 (税 込 ) 〒300
A5 頁116 1991
定 価1,236円 (税 込 ) 〒300
A5変 型 頁220 図36 写 真3 原 色 図6
1991 定 価2,987円 (税 込 ) 〒300
本書 は,病 院内 で働 くうえで 不可
欠な 病棟, 外来 での知識 や約束 事
さ ら に 共 に 働 く 医 療 ス タ ッフ と の
関 係 , 難 しい 患 者 へ の 対 処 な ど の
必須 事項を まとめ たもの 。新 潟県
医師 会勤務 医部会 の医師 たちの 長
年 の 経 験 と 努 力 が 凝 集 さ れ て い る。
本 書 は , 臓 器 別 ・系 統 別 医 学 知 識
を 一 通 り獲 得 した 医 学 生 が , 病 棟
や 外 来 で 実 際 に 患 者 に 接 し, 診 療
行為 を学ぶ うえで 必要な ,また手
助 け と な る よ う な 情 報 を 提 供 す る。
病 歴 の と りか た や 診 察 の し か た を
わ か り や す く 解 説 し, 臨 床 実 習 の
ポ イ ン トを 網 羅 。
聖 路加国 際病院
内科 レジデ ン ト 編
編集 福井次矢
免疫 不全症 の臨床検 査
編 集 小 林 国 男 ・葛 西 猛
本書 は,頸 部か ら胸腹部 にわた る
躯幹 外傷の ,さ まざまな 病態へ の
処置 法を,具 体的実 際 的にま とめ
た実 践の書。 著者 らが長 年にわ た
る 苦 闘 の な か か ら得 た 救 命 の ノ ウ
ハ ウを,あ ます ところな く懇切 に
開 陳 して い る 。 高 次 救 命 セ ン タ ー
の 医 師 だ け で な く, 一 次 救 命 の 現
場でも 必要な処 置法 や救命手 術手
技 が き め こ ま か く解 説 さ れ て いる 。
編集 新潟 県医師会
内 科 レジデ ン ト
マニ ュアル 第3版
診療 ガイダンス
7月13日
外傷外科の実際
心電 図
クリニ カルエクサ
サイズ 安藤博信
若 い臨床 医のための
臨床 実習 の手 引き
食道・
胃静脈瘤 の内視鏡 的
診 断お よび治 療
その一貫性 −
を求 めて−
内視鏡科
鈴木博昭教授
臨床検査医学
町田勝彦教授
眼科北原健二教授
6月8日
(
土)
躯 幹外傷の さま ざまな病 態
へ の処置 法を具体 的 に解 説
当直 時に役立 つよ う作 成さ
れた実 践的マ ニュアル
臨床入門
(
土)
日常 遭遇す る心電 図症例 を
Q&A形 式 で解説
病 院内 で働 くうえでの 必須
事 項を まとめ て解説
鑑 別診断 を行 ううえでの
必須 要素を 簡潔 に解 説
(
土)
第2内 科
酒井 紀教 授
〝
くす り〟
と腎臓
5月11日
演 者
産婦人科
寺島芳輝教授
婦 人の腰痛 ・
下腹 痛
4月13日
容
内
日
月
視覚 路障害 とその検 査法
(
土)
11月9日
留学生だより
会費 二千円
ロ イ ヤ ル ・ブ ロ ン プ トン ・ナ シ ョナ ル
・ハ ー トホ ス ピ タ ル
(
土)
9月14日
第436号
(
第三 種 郵 便物 認 可 )
聞
新
大
慈
平 成3年3月25日
(5)
松 本 正信 先 生 の叙 勲 を お祝 いし て
日本人と同等に入学した
私共が、今や外国人にな っ
こころおきなく愉快に歓談 で
台湾の同窓もだんだんと
ました。慈大 同窓皆様の御
にふとペンをとる気になり
ろげる食堂や休憩室がも っと
く見える。編集委員とし
べ、今は職場の内側もよ
定 価12,000円
新
学
松崎
浩他編
定 価28,000円
耳 鼻 咽 喉 科 診 療 マニ ュアル
野末
道彦他編
慈恵俳壇
岩国 村荘 露
菜の花や湖碧々と画布に塗る
春昼の白磁の仏陀の目のほそ
き
蝦墓鳴いて湖畔竹林暮れそむ
る
長岡 青柳薫也
一年の留年もして卒業す
渡し船船舷叩く水温す
大和路の三山笑ふ旅なりし
物故者御氏 名
加藤克 巳 ︵昭6︶愛知
屋富祖徳男 ︵昭13︶沖縄
篠原稠明 ︵
昭25︶東京
小宮山善蔵︵21専︶
神奈川
今井法 一 ︵準︶神奈川
次の原稿は来月以降に掲載
・お知らせ
します。
予科 の思 い出 ︵田中強︶、
留学生だより ︵木村英三 ・大
分、特に新任教授のとこ
日本産科婦人科学会他編
●定 価 は税 込 で す 。
企画しており、次回には実現
母 校 の名 誉 を か かげ て
てしまうなどとは当時想像
も出来なか ったことです。
き、
素晴らしい集りであ った。
バード大学の寄生虫学教授
あ ったらと思う。午後五時三
て長く活躍した嶋田甚五
〒113−91)
出席者は色紙の通り二十 一
金 岱
私は今年 一月 一日より医者
黄
の仕事からはなれ隠居の身
︵昭 22 ︶
の外科部長彦応隆先生 ︵
昭
命、勤 ・忍 ・労を旨にや っ 先生 ︵
昭18︶前台北医学院
い つも送 って下さるな つ
思うと述べられたが、長い間 催日と本県支部では決めてお
金江先生 ︵昭12︶現台北仁
授業が始まる。 ベストセラー
郎 君が 聖 マリ へ栄 転 す
営
業 部 直 通 )
振 替 東 京2−151494
をと考えている。
名で昭和17卒から昭和57卒ま
で四十年にわた っており、本
てまいりました。そのせい
かしい慈大新聞を読むうち
毎月航空便 で慈大新 聞を
送 って頂き、感謝 ・感激に
か、台湾医界に功績を残し
︵
昭 21︶
、 私と 同期 で ハー
20︶現馬階病院の X線の権
威 で 副院 長 の楊 東 傑先 生
の貢献は国民病といわれた結 り、大学での全国同窓会支部
減 ってきており、残された
となりました。
堪 えません。誠 にありがと
ている者が少なくありませ
三日の叙勲の際に松本 正信先
本県支 部は約 百名 の会員を擁
だ った ﹃
文学部唯野教授﹄の
十分までのぎ っしり つま った
俊 一他 編
栃 木 支 部 総 会 を 開催
賞は結核の医療に対する事と
ん。前台北医学院学長の黄
生 ︵昭17︶が 、勲 三等旭日中
核を撲滅にまで追いや った業 長会議と学術連絡員会議の開
平成 二年十 一月 二十五日︵日た
︶。松本先生からはご謙遜を 績には敬意を表するものであ 学の歴史の長さに感心す ると
定例支部総会を ニ ューイタヤ こめた挨拶があり、今回の受 る。
ころである。会は年令に関係
十 一月二十三日を恒例の開 なく、和気あいあいと全員 が
ホテル にて開催 した。十 一月
うございます。
綬 賞を 戴き、その祝賀会も兼
多幸をお祈り致します。
︵昭4︶中国の超級細菌学
イ スピル大学のバイオ細菌
済病 院 院 長の 張 暮年 先 生 の播家棟先生 ︵
昭22︶とル
学教授の劉乗輝先生︵昭22 ︶
同窓として誠に心細くさみ
者鄭翼宗先生 ︵昭14︶前台
など多彩であります。
しい限りです。我々台湾に
おります慈恵の同窓は、慈
湾鉄道病院院長の故杜世彬
ような、十 二分おくれて始ま
授業を、集中し て受けられる
卵 巣 腫 瘍 取 扱 い 規 約
科
しているが 、来年 の総会には
恵 の 名 誉 にか け て 一生懸
︵
大谷周三記︶
三病院内科第 二講座 の岡 野弘 やかに進み午後八時教授の御 の再開を約し散会した。
教授を お迎えし て ﹁
肺炎 ・マ 帰京を見送り、四月の京都で
り十 二分早く終わることはな
よう にするためにも、この 一 る。 一層の発展を祈る。
定 価12,360円
眼
ために設定しているものであ より多数 の出席を願 い、再開
る。また大学より講師の先生 を約し散会した。︵添田記︶
を招鴨して最新の清報や大学
の現況など詳細に伺うように
大 阪支 部 総会開催
松田周七 ︵
昭4︶静岡
イ コプ ラズ マ肺炎﹂に ついて
川田忠啓 ︵
昭4︶静岡
られた。
本音の要望や、会員自身の闘
と って、医学と直接むすびつ
を診る﹂医学を志したものに
いうこと。学祖のいう ﹁病人
27回学内感染症研究会︶西湘
支部総会、石川支部総会
越裕文 ・佐々木温子︶最近の
終了後の懇親会はアル コー
安藤六郎 ︵昭7︶東京
の講義を拝聴した。教授の長
講演をする岡野教授
医師の応援を得て運営するよ
千メートルの診療所、入所す
病歴、各自の健康法 等々な ご
信
学内カン ファレンスから ︵第
るのが 一寸大変でも立地条件
通
うにな ったが、なにせ高 度三 ルも進み、大学当局に対す る
うにな った。遂には学内 一般
生
年に亘る臨床経験を沢山のス
扁平上皮癌の診断に関する補
肺癌の時に早期腺癌、および
た。終了後会員全員の希望で
ご 説明 で 非常 に 参考 にな っ
集し、定刻午後三時より始ま ライドを駆使して我々開業医
った。支 部長、同窓会長 のご にと って平易に細に亘 っての
平成三年二月二十三日︵大
土︶梅林も満開を前に震え上る 一 名 と会員夫人二名 含む ︶が参
長をはじめ、兵庫県より八家
阪梅田、新阪急 ホテル に於 い 日だ った。出席者は平山支 部
て大阪支部総会を 開催 した。
夫
役が医師の確保に苦労するよ 講が追加され講演に花がそえ
当日は今冬 一番の冷え込みに 同窓会長、滋賀、京都、奈良、 挨拶の後、貴重な 記録 である
﹁慈大の曙
見舞われ、朝は マイナス温度 和歌山より各代表の先生も加
﹂のビデオを全員
で観賞した。今回の講演は第
を記録し、暖冬大阪城公 園の わり二十二名 ︵在学生 父兄 二
︵1︶
40
悌
︵
そ の 三︶
尾
学
い。きわめてパ ンクチ ュアル
ろは、四月に改めて告知
する。
★同窓からの投稿は実に
有難い。新聞としては 一
市川平三郎 監
際
ねた 記念 す べ き総 会で あ っ 績によるものと思う。その業 催後にその連絡を徹底させる
愛 宕 こ ぼ れ 話
長
は最高で、北アルプス連山が
がら に して 仰ぐ こ とが でき
愛 宕 こ ぼ れ 話
え、電話もつき電気もついて
一望の下だし、御来迎も居な
雪渓を滑落 して上腕骨骨折と
︵昭 29 ︶
槍ヶ 岳 診 療 所 の 四十 年
往診 料 は岩 魚 の フラ イ
る。命の洗 濯に同窓諸先生の
かないように見える種 々の学
近代化され、診療所も新しく
問が必要なことを忘れ てはな
意識傷害 の重症を負 った登山
最後 に、進学課程 にいる後
本 年度 の反省 と希 望
輩たち に 一言 。進学 課程は、
入所をおすすめしたい。
とにその頃から若手OBの入
なり立派にな った。皮肉なこ
も落着き登山人口が急激に増 す るま で は自 由な 時 間が あ かりで救出したところ、下山
所者が増えず、診療所係の現
者を、小屋のFさんと二日が
後、完治したと感謝 の手紙を
昭和三十年代に入ると世相 てしまい、夕方登山者が到 着
下さり、以来賀状 の交換が続
︵
学生会委員長 杉山健︶
らない。進学課程 こそが、そ
え、北アルプスの縦走路が交 り、 一緒に岩登りをしたり、
き、翌年は再び元気 に登山し
よいのだが。
に授業は進行する。すべての
時 間、思いきりリラ ックスし、 それより先、昭45卒の原
般性ある表現を欲しなが
らも出来るだけ著者の語法を
早急に解決をお願いし たい。 ★新聞挿入の大学付属病院外 温存したい。
ち合わせなどもあるだ ろう 。 る。
だろう。学生同志の簡 単な打 加 わ った。活 躍を期待す
貞夫君が編集委員と して
気分転換をはかることが必要
他大学 に比較し て出席率はよ
確に計算したことはないが、
学生も熱心に出席する。正
授業で出席をとられる。
に開始 、
十時三十分に終わる。 正午から午後 一時までが昼 ★ 世相 は 月の 単位 で 変遷 す 来診療担当医師 一覧表が 一月
休憩十分 間の後、第 二時限の 休み。学生がゆ っくりとく つ る。 一月前の ﹁戦争中﹂に比 と七月に更新されている。し
かし今後四月の異動によ
ってさらに変更される部
第 一時 限の授業は九時十分
反省と希 望とを述べ てみる。
う した勉強をする時期 である
差 する山の銀座四丁目に位置 散策に出かけたりで、OBと
てきて小屋にFさ んを訪ねた
やかに作られ てはいるが、そ
現役の格好の交流の場でもあ
こともあ ったり で、登山者に
平成 二年度最後の新聞とな い方だと 思う。ただ問題なの 時 間割 ・授業内容など、ゆる
った。小屋の人達との人間関
は感 謝され頼り にされる診療
った。そこで今日は学生の 一 は、私語が少なくないこと。
す る診療 所は繁盛 した 。場所
係も親密で暇な時は売店も手
と、多忙な現在痛感している。
も小 屋から独立し て冬期小屋
伝 ったし、ガールフレンドを
れを各自が工夫 して豊か に肉
を使用することになり入院も
連れて入所すると罰?として 所 であ った。
った。いまは亡きM先輩が戸 よう にな って自由な時間がな
づけしていく 努力が必要だと
可能にな った。山岳部も充実
羊羹を小屋の人達に御馳走す
終 える と その ま ま山 行に 出 に行く機会 は少なくな った反
板の上でア ッペの手術をした くな ってきた。小屋は増改築
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席するようになるのが、 一番
し ていた時期であり、勤務医
るという微笑ましい不文律が 界も漸次様変りし、山岳救助
て、帰 ってきてまた勤務する
い岩魚の フライであ った。当
こともあ ったし、狭く急峻な し て槍 ヶ岳山 荘 と名 前を 変
になり、 一日中患者が訪れる
時は、朝、登山者が出発して
編 集 部 だよ り
山室
ダイヤ ル イ ン
日をスケ ッチ風にまとめて、 出欠をとらなくても熱心に出
は山岳部O B、補助員は現役
昭 和四十年代 に入ると登山
部員で固め、遭難の 一報が入
肩に小屋の人と救援にとび出
とい った状態で、 一シーズン 者が バラバラに到着するよう
あ った。現役の中には勤務を 隊が小屋 に常駐し て遭難現場
して行 った。 一日行程の 三俣
に 二度 三度と勤務する者もあ
ると間髪を入れず救急薬品を
蓮華小屋ま で往診することも
面、山小 屋の数が増え て登山
度々 であり、往診料は美味し
しまうと小屋周辺は閑散とし
昭 和44年 槍 ヶ 岳 山 頂 か らの 槍 ヶ岳 山 荘
臨 床 整 形 外 科 手 術 全 書 (
全14巻)
ご宿 泊 、
ご会 食 、ご宴 会 、
ご婚 礼 、出張 宴 会 の
(6)
平 成3年3月25日
聞
新
大
慈
(
第 三種 郵 便 物認 可 )
第436号
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