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英国公文書館所蔵 ア0ネ ス ト・サ トウの 日本滞在 自筆 日記

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英国公文書館所蔵 ア0ネ ス ト・サ トウの 日本滞在 自筆 日記
英 国 公 文 書 館 所 蔵 ア0ネ
ス ト ・サ トウ の
日本 滞 在 自筆 日記(1861-1884)の
解 読 と活 字 化
(11610511)
平 成11年 度
平 成13年
(基盤研 究(C)(2))研
度 科学 研 究費 補助 金
究 成 果報 告書
平 成15年3月
研究代表者
宮
澤
眞
(埼玉女子短期大学)
一
英 国 公 文 書 館 所 蔵 ア ー ネ ス ト ・サ トウ の
日本 滞 在 自 筆 日記(1861-1884)の
解 読 と活字 化
目
次
英 国 公 文 書 館 所 蔵 ア ー ネ ス ト ・サ トウの
日本 滞 在 自筆 日記(1861-1884)の
解 読 と活 字 化
第1報
ア ー ネ ス ト ・サ トウ 自 筆 日記 の 解 読 と 活 字 化
第2報
サ トウ 日 記 の 記 入 日 リ ス ト(1861/1V4-1926/12/31)…41
第3報
ア ー ネ ス ト ・サ ト ウ 自 筆 日 記 の 一 部 転 写 テ キ ス ト
(鹿 児 島x$67January:
・ ・ ・ …1
・ …107
熱 海1867March,::February:
長 崎1867September:
大 阪1867December:
北 海 道1868September:
東 京1900April-May:
英 国1926December)
参
考
文
献
・
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…
朽7
第1報
ア ー ネ ス ト ・サ トウ 自筆 日記 の 解 読 と活 字 化
第1報
ア ー ネ ス ト ・サ トウ 自筆 日記 の 解 読 と活 字 化
は じめ に
ア ー ネ ス ト ・サ トウ(ErnestMasonSatow:1.843=1929)は
見 習 生(studentinterpreter)と
して1861年11月
、 駐 日英 国 公 使 館 付 きの 通 訳
に上 海 へ 到 着 して か ら、 最 初 の う ち こそ
断 続 的 で あ り な が ら も、 次 第 に毎 日欠 か す こ と な く 日記 を 書 きつ づ け た 。 日記 執 筆 の 期 間
は66年 間 にお よ び 、 最 後 の 記 入 が192b年12月31日
で あ るの だ か ら、1929年8月26日
、86歳
で 他 界 す る2年 半 余 り前 の 、 高 齢 に 達 す る まで 継 続 で きた わ けで あ る。 本 研 究 に お い て 対
象 に 取 り上 げ た 「英 国 公 文 書 館 所 蔵 ア ー ネ ス ト ・サ トウ 自筆 日記 」 は これ に 該 当 す る 。
た え ず 座 右 に 書 物 を お いて 読 書 を し、 外 国 語 を 学 び 、 教 会 や 地 域 社 会 に 関 心 を 持 ち 、 英
国 と諸 外 国 の歴 史 文 化 を 学 ぼ う と した サ トウ は 、 勤 勉 な 努 力 家 で あ る。 そ れ だ け に 、45年
間 の 英 国 外 務 省 勤 務 に 関 連 して 書 き送 る外 交 文 書 、 こ ま め に交 わ した 私 的 書 簡 、 多 くの 新
聞 雑 誌 記 事 ・序 文 ・講 演 原 稿 と著 作 、 そ れ に この 日記 を加 え て み る と き、 指 先 の 間 に ペ ン
を 握 って 書 い た 勤 勉 家 サ トウの 文 書 類 は、 想 像 を 絶 す る ほ ど の膨 大 な分 量 と な るで あ ろ う。
健 筆 家 の 生 涯 は立 派 な 労 作 を残 した と言 え る。
ア ー ネ ス ト ・サ トウの 自筆 日記(以
下 、 特 に 断 らな い か ぎ り、 「サ トウ 日記 」 と 略 称 す
る こ とが あ る)を 私 が 読 み始 め た の は 、 鹿 児 島経 済 大 学 の 助 教 授 時 代 に端 を 発 す る。 津 曲
学 園 の 留 学 制 度 に よ って1985年8月
で あ る。 正 確 に は、1985年11月
か ら1986年9月
迄 ロ ン ドンに 留 学 して い た と き の こ と
か ら ロ ン ドン市 内 チ ャ ンサ リー ・レー ン(ChanceryLane)
の 英 国 公 文 書 館 旧館(PublicRee。rdOffice)に
日参 して は、 鉛 筆 に よ る ノ ー トへ の 筆 写
を約 三 ヵ月 ほ どっ づ け た 。 当 時 、 館 内 に ワ ー プ ロ ・ノ ー トパ ソ コ ンの 機 械 類 を 持 ち込 む こ
と は 禁 止 さ れ て お り、 昔 な が らに ノー トを 持 参 して そ こに 鉛 筆 で 書 き込 み 、 下 宿 に戻 って
か ら ノ ー トを 便 りに して タ イ プ や ワー プ ロ に 打 ち込 む 。 翌 日 に は 、 打 ち 出 した も の を 公 文
門 一1一
書 館 に 持 って 行 って 、 原 資 料 と比 較 しな が らタ イ プ ミス等 を チ ェ ッ クす る。 そ う した 今 日
で は考 え られ な い ほ ど の 面 倒 な 、 しか し丹 念 な 調 査 方 法 を取 って い た 。
薩 摩 藩 の 起 こ した 生 麦 事 件 に端 を 発 す る薩 摩 と英 国 の 交 流 史 に興 味 を持 っ て い た 時 期 だ
け に 、 生 麦 事 件 の 英 人 犠 牲 者 リチ ャ ー ドソ ンの よ うに 、 上 海 や 横 浜 に群 が っ た 若 い 冒 険 商
人 た ち の 生 態 を 知 る うえ で 、 サ トウ 日記 の 第1冊
目 は ま た とな い 資 料 と 思 え た 。 上 海 ・北'
京 と 初 期 横 浜 の 部 分 に つ いて 転 写 テ キ ス トを作 成 で きた が 、 そ の ほか は 、 西 郷 隆 盛 や ウ ィ
リス 、 苗 代 川 等 、 薩 摩 藩 に関 連 す る箇 所 を 数 冊 か ら拾 い読 み して 、 ノ ー トに鉛 筆 で メ モ を
す る程 度 に 終 始 した 。 な に しろ 長 期 間 、 公 務 の 時 間 的 縛 り もな い 、 文 字 通 り研 究 に 没 頭 で
き、 しか も外 国 に 滞 在 して い る 日 々で あ る。 せ っか く人 生 で 最 初 に 恵 ま れ た チ ャ ンス を 有
効 に使 い た い と思 い 、 午 前 中 は大 英 博 物 館 の 自筆 原 稿 部 門 に 入 って ア ー サ ー ・シ モ ンズ の
書 簡 を ノ ー トに筆 写 す る、 午 後 に は近 くの 英 国 公 文 書 館 に か け っ け 、 サ トウ 自筆 日記 を 繙
く、 夜 は昼 間 の ノー トを ワ ー プ ロ に打 ち 込 む、 そ の 合 間 に知 り合 った 若 い 外 国 人 学 生 と学
生 寮 の パ ブ で ビタ ー の 杯 を 傾 け る、 と い う忙 しい けれ ど充 実 した 数 カ 月 で あ っ た。
その成果 は 「
薩 摩 と イ ギ リス の 出 会 い 」(高 城 書 房 出 版 ・昭 和62年)の
書 中 に 、 「ア ー
ネ ス ト ・サ トウ の上 海 生 活 」 と題 した一 章 と して 実 っ た ば か りで な く、 サ トウ 日記 第 一 冊
(PRO/30/33/15/1)の46頁
分 の 英 文 判 読 テ キ ス トを 「ア ー ネ ス ト ・サ トウの 上 海 滞 在 に 関 す
る資 料 的 考 察 」 と題 して 大 学 紀 要 に 掲 載 で きた 。
そ の後 、 平 成6年5月
に は、 作 家 の 吉 村 日
召氏 の 推 薦 に よ って 、 英 国 側 資 料 か ら見 た 生 麦
事 件 を 新 た に 執 筆 す る運 び に 発 展 して 、 サ トウ 日記 の 調 査 研 究 を 更 に徹 底 す る必 要 が 出 て
きた 。 毎 年 夏 休 み に 入 る と渡 英 して は、 ロ ン ドン郊 外 キ ュ ウ ガ ー デ ンズ(KewGardens)の
英 国 公 文 書 館 新 館 に足 しげ く通 った 。 サ トウの 自筆 日記 帳 を 目 の 前 に して 判 読 す る機 会 は、
以 前 よ り も頻 繁 に な った 。 そ う した 流 れ の な か で 成 果 と して は、 「幕 末 維 新 を 演 出 した 外
国人
ア ー ネ ス ト ・サ トウ 」 を 市 販 雑 誌 「歴 史 と旅 」 に発 表 して み た り、 吉 村 昭 氏 の 推 薦
に よ る拙 著 「幕 末 に殺 さ れ た 男 一 一一生 麦 事 件 の リチ ャ ー ドソ ン」(新
刊)の
潮 選 書 ・平 成9月
出版 で は 、 「若 き 日の ア ー ネ ス ト ・サ トウ」 と い う一 章 に纏 め る こ とが で きた 。 更
に 、 前 述 第 一 冊 目 の 日記 に後 続 す る 英 文 判 読 テ キ ス トも、 同 時 に 完 成 して い た か ら 、"
ErnestSaしow冒sEarlyJapanDiary:1862-1863"と
題 して 大 学 紀 要 に発 表 した 。
ア ー ネ ス ト ・サ トウ の 自筆 日記 を 目 の 前 に置 き多 くの 時 間 を 費 や しな が ら、 平 成10年 迄
は 、 上 記 し た よ う に時 々 の 必 要 性 か ら生 まれ た拾 い読 み を 現 地 で 繰 り返 して い た に過 ぎ な
い。 細 々 と断 続 して き た10年 余 りの サ トウ 日記 調 査 を 一 段 と徹 底 し前 進 させ て 、 少 な く と
一2一
もサ トウの 日本 滞 在 に係 わ る 時 期(第
1900・
短 期 訪 問1906年6月)に
一 期1862-1869・
第 二 期1870-1884・
第 三 期1895-
っ い て は、 は や め に 解 読 と活 字 化 を 進 め た い 、 と思 う よ
うに な った 。 新 潮 選 書 の 出 版 が 契 機 に な った 。 そ こで 自費 に よ る渡 英 の 繰 り返 しに は 限 度
が あ る と 判 断 し、 科 研 費 補 助 金 基 盤 研 究(C)(2)の
交 付 を 申請 した 。
平 成11年 度 か ら平 成13年 度 の 三 年 継 続 の 研 究 計 画 が 、 幸 い な こ とに 認 可 され た と き に 、
上 記 の 日本 関 係 分 日記 の 一 部(1862-1884)に
集 中 す る こ と が 、 私 自身 の 当面 す る研 究 の 必
要 性 と、 そ れ に な り よ り も力 量 の 及 ぶ 範 囲 と考 え て い た 。 と こ ろ が 、 歳 月 の 進 行 と と も に
実 際 に 研 究 計 画 が 進 展 す る に と もな い、 研 究 意 欲 は膨 らむ 一 方 と な った 。 当 初 計 画 の 範 囲
を飛 び 越 え て 進 む 勢 いで 、 解 読 活 字 化 の作 業 が 進 ん だ 。 今 回 も留 学 の 際 と 同 じ現 象 が 起 き
た。 チ ャ ン ス を与 え られ た こ とで 弾 み が っ き、 この 機 会 に チ ャ ンス を 最 大 限 に生 か そ う と
す る傾 向 に あ る。 そ れ は そ れ で 結 構 な の で あ る が 、 そ の 分 、 相 当す るエ ネ ル ギ ー を っ ぎ込
ま な け れ ば 可 能 とな らず 、 集 中 力 と忍 耐 力 が 欠 か せ な い よ うに 思 わ れ る。
この 際 に 、 ア ー ネ ス ト ・サ トウ が 書 き残 した 自筆 日 記 の 一 字 一 句 を 全 て 解 読 活 字 化 して
み た い 。 サ トウ 日記 の 全 体 像 に迫 りた い 、 と い うチ ャ レ ン ジ精 神 に い っ しか 襲 わ れ て い た
わ け で あ る 。 実 際 に 、 年 度 末 ご と に 提 出す る実 績 報 告 で は、 日本 関 係 の 期 間 を 次 第 に越 え
て い き、 最 後 的 に は66年 間 の 生 涯 に まで 、 研 究 対 象 を 延 長 で きた と報 告 す る こ と に な った
次 第 で あ る。
こ こで は 先 ず 最 終 的 に解 読 活 字 化 で き た 自筆 日記 の 数 量 を示 して お き た い 。 当初 計 画 の
判 読 作 業 に 該 当す る 自筆 日記(1862-1884)の
頁 数 は約2537頁 で あ る 。 最 後 的 に判 読 で きた
全 自筆 書 簡 の 総 頁 数 は約9373頁 と な り、 当 初 計 画 の 約3,7倍
の 分 量 に 達 した 。
ア ー ネ ス ト ・サ トウの 自筆 日記 は 、 本 人 が 一 字 一 句 を 生 涯 に わ た って ペ ンで 書 い た もの
で あ り、 そ れ を 後 年 の 私 ど も は 便 利 な ワ ー プ ロ を 使 い 、 解 読 して 活 字 化 し転 写 テ キ ス ト
(transcriptions)を
作 成 す る。 作 業 形 態 は違 っ て い て も、 サ トウ本 人 の 手 書 き文 字 を 丹
念 に辿 る こ とで 、 私 は こ の3年 の 間 に 彼 の66年 間 を生 き た よ うに 思 わ れ た 。 タ イ プ を 打 っ
自分 の 指 先 か ら、 サ トウ の 呼 吸 や 心 の 動 き が 伝 わ って き た と感 じた 瞬 問 もあ る。
当初 計 画 を 進 展 させ て 膨 大 な 資 料 の 山 の 山頂 を きわ め よ う とす る、 無 謀 な 挑 戦 を 自分 に
課 した こ と で 、 今 回 、 よ うや くサ トウ 自筆 日記 の 全 体 像 の 把 握 が 、 国 内 外 で 初 め て 達 成 で
き た こ と を 無 事 報 告 す る と もに 、 この 稀 な 機 会 を 与 え て い た だ い た 科 研 費 補 助 金 の 制 度 に、
あ らた め て 深 く感 謝 した い と 思 う。
3二
2)ア
ー ネ ス ト ・サ トウ 自筆 日記 の 全 体 像
英 国 公 文 書 館(PublicRecordOffice,KewGardens)が
所 蔵 す る ア ー ネ ス ト ・サ ト ウ 日
記 は 、 ア ー ネ ス ト ・サ トウ 文 書 コ レ ク シ ョ ン の 一 部 で あ り 、 そ の 分 類 番 号 お よ び 日 記 冊 数
は、 以 下 の 通 りで あ る こ と を調 査 過 程 で 確 認 した。
分 類 番 号PRO/30/33/15/1-17:冊
数 ・17
PRO/30/33/16/1-12:12
PRO/30/33/17/1-10:10
サ トウ 日記 全 冊 数39
本 研 究 の な か で ア ー ネ ス ト ・サ トウ 自筆 日記(略
称 サ トウ 日記)と
呼 ん で い る もの の 他
に、 日記 類 と して 、 旅 先 で 記 した メ モ 帳 と、 旅 に携 行 した 別 冊 の 旅 先 日記 帳(J。umal。f
Journies)を
同 じ英 国 公 文 書 館 は 所 蔵 して い る。 こ れ らを 総 称 して こ こ で は 「旅 日記 」 と
呼 ん で み た い ・ 通 常 の 意 味 で の 曜(dia「y)ζ
は言 え な い もの の ・ 本 研 究 との 関 連 で1煙
要 な 資 料 で あ る こ と に違 い な い。 そ こ で 、 以 下 に そ の 分 類 番 号 ・頁 数 ・タ イ トル ・執 筆 時
期 に つ い て 確 認 した 概 要 を 述 べ る。
PRO/30/33/17/11/185pp・:TravellingNotes(日
本 国 内
PRO/30/33/17/12/263pp.:JournalofJournies(日
・旅 の メ モ):1879,..,
本 国 内 旅 日 記):
1881/7,1881/8,1882/2,1882/5,.1882/8-9,1882/11,
PRO/30/33/17/13/1嶋PP・:TravelsinSiamVol.1(シ
ヤ イ ア ム 日 言己):../4-1885/12.
PRO/30/33/17/14/103PP.:TravelsinSiamVol.2(シ
ヤ イ ア ム 日 記):../::./2.
PRO/30/33/17/15/21PP.:TravelsInSiamVol.3(シ
ヤ イ ア ム 日 記):1886/2-1886/4.
pRO/30/33/17/16/129pp.:Chiuzenji1895-1900(中
禅 寺 旅 日 記):1885/8-1900/4.
サ トウ 「旅 日記 」 全 冊 数6
「旅 日記 」6冊
の な か で 、 今 回 の 計 画 進 行 中 に解 読 と活 字 化 を 終 え て い る もの は、 「日
:登三
本 国 内 旅 日 記 」(PRO/30/33/17/12)と
2冊 分 だ け で あ る 。 こ れ ら2冊
厂中 禅 寺 旅 日 記 」(PRO/30/33/16)、
合 計goo頁
弱 の
は い ず れ も 日 本 関 係 で あ る の で 、 サ トウ 日 記 研 究 と の 関 連
で 重 要 な 資 料 と 思 え た た め に 、 英 文 転 写 テ キ ス トを 作 成 して お い た 。 本 報 告 書 に は 、 後 述
す る よ うに 、 そ の 一 部 を 収 録 す る。
「日本 国 内 旅 日 記 」(PRO/30/33/17/12)の
う ち、 熱 海
滞 在 に該 当 す る部 分 で あ る。
「旅 日 記 」 の う ち で 本 研 究 の 対 象 か ら 除 外 し た も の に つ い て 、 以 下 に そ れ ぞ れ の 内 容 と
除 外 し た 理 由 を 指 摘 して お き た い 。
第 一 の 資 料PRO/30/33/17/11/185(日
本 国 内 ・旅 の メ モ)は
、鉛 筆書 きの断片 的 メモで
あ っ て 、 日記 体 の も っ 連 続 性 の 叙 述 に 欠 け て い る 。 そ れ で サ トウ 日 記 の 範 躊 に 入 ら な い と
判 断 した 。
「シ ャ イ ヤ ム 日 記 」(PRO/30/33/17/13-15)の3冊
読 活 字 化 が 終 わ り 、ADiplomatinSiamと
分 は 、 す で にNige!Bradleyに
題 す る 翻 刻 版 が1994年
よ る解
に 出 版 さ れ て い る。 そ
こ で 、 こ れ も本 研 究 か ら は 除 外 し た 。
本 研 究 の 進 行 過 程 に 平 行 し て 、IanRuxtonが
(PRO/30/33/17/16)は
解 読活 字 化を進 めて いた
、 後 述 す るTheDiaries。fSirErnestSatow-一
inTokyo(1895-1900)の
巻 末 に収 録 され る こ と に な った
「中 禅 寺 旅 日 記 」
一BritishMinister
。 そ れ で 、 こ こで は研 究 対 象 か
ら 除 外 し た が 、 今 後 、 私 の 転 写 テ キ ス トと ラ ッ ク ス ト ン ・テ キ ス トと を 丹 念 に 比 較 検 討 し
て み た い と考 え て い る。
ア ー ネ ス ト ・サ トウ の 自筆 日記 の 総 体 は 、 上 記 の 「サ トウ 日記 」39冊 と 「旅 日 記 」6冊
を 加 え た45冊 で 構 成 され て い る 。 そ の うち三 年 間継 続 の 本 研 究 計 画 の 進 行 過 程 で 、 実 際 に
解 読 と活 字 化 を 達 成 で き た もの は 、 「サ トウ 日記 」39冊 と 「旅 日記 」2冊
を 合 わ せ た41冊
となる。
サ トウ 日記39冊 の 解 読 活 字 化 は、 内 外 で 初 め て の こ とで あ ろ う。 全 体 像 を把 握 で きず に
い た の で 、 最 初 に 表1を
作 成 して み た 。 「
表1:サ
転 写 原 稿(transcriptions)の
化 した 転 写 テ キ ス ト(A4版
トウ 日記 の 自筆 原 稿(manuscripts)と
概 算 」 に は、39冊 の 自 筆 日記 の 頁 数 、 お よ び私 の 解 読 活 字
・一 行40文 字 ・半 角 英 字 入 力 ・一 頁30行)の
枚 数 を リス ト して
あ る。
上 記 表 の 頁 数 や 枚 数 は 、 あ くま で も概 算 で あ る。 と い うの も、 サ トウ の 自筆 日記 帳 は 、
糊 付 け した 新 聞 記 事 の 切 り抜 き等 を 多 く含 ん で お り、 そ れ ら も 自筆 原 稿 の 頁 数 に 入 って い
こ巨二
る。 ま た 、 ワー プ ロ に打 ち 込 ん だ 私 の転 写 原 稿 の 枚 数 に して も概 算 に な ら ざ る を え な い 。
理 由 の 一 と して 、1頁30行
の英 文 タイプ原稿 の末行 まで、 全ての行 を打 ち込 んで い るわ け
で な い か らで あ る 。 頁 に よ っ て は数 行 の こ と もあ る。 それ に 日付 が 変 わ る た び に 、 一 行 の
空 白 行 を 入 れ て タ イ プ して あ る。 更 に、 前 述 した 新 聞 切 り抜 き等 の 添 付 資 料 に っ い て も、
タ イ プで き る 資 料 は、 可 能 な か ぎ り全 て 打 ち 込 む よ うに した 。 以 上 の よ うな 理 由 か ら、 転
写 原 稿 の 枚 数 は 多 少 と も膨 れ 上 が って し ま っ た。 い ず れ に せ よ そ れ ほ ど多 数 の 枚 数 に は な
らな い。 全 体 で200枚
前 後 の 膨 張 と推 定 して い る。
39冊 分 の ア ー ネ ス ト ・サ トウ 自筆 日記 帳 は、 表1計
算 に よ れ ば 、 総 頁 数 で9,373頁
とい
う計 算 に な った 。 ま た 、 私 の 転 写 テ キ ス トの 枚 数 は、6457枚 に な っ た 。
本 研 究 の報 告 と い う こ とで 、 実 際 に タ イ プ作 業 を 終 え た 自筆 資 料 の総 量 は 、 上 記 した よ
う に 「旅 日記 」2冊
分 を 加 え た ら、9765頁 と な り、 ほ ぼ1万
頁 を タ イプ に打 ち込 んだ と
言 って よ い の で あ ろ う。 転 写 テ キ ス トの 方 は 、6645枚 の 概 算 とな る。 ほ ぼ6500枚 の コ ピ ー
用 紙 分 の 文 字 を打 ち込 ん だ と言 って よ い で あ ろ う か。A4版 の コ ピー用 紙6500枚
を積 み重
ね て み た ら、 腰 の 高 さ に 達 した 、 と言 え ば数 量 的 に 分 か りや す い か も知 れ ず 、 記 念 に撮 影
した 写 真 の コ ピー を 本 報 告 書 に 添 付 して み た くな る ほ ど の分 量 な の で あ る。
解 読 活 字 化 の作 業 を 終 え た39冊 の 日記 帳 に つ い て 、 概 要 だ けで も纏 め 報 告 して お き た い
と考 え た 。 後 述 す る よ う に 、 約1万
頁 近 い サ トウ 日記 分 の 転 写 テ キ ス ト約6500枚 を 本 報 告
書 に発 表 で きな い事 情 が あ る。 単 純 計 算 した だ け で6500頁 の 報 告 書 に な って しま うか らで
あ る 。 ま た 、 サ トウ 日記 の 全 体 像 を 把 握 す る手 だ て と して は、 各 日記 帳 につ い て の 概 要 説
明 は 、 有 効 な 一 っ の 手 掛 か り資 料 に な る と も思 わ れ た。 そ こで 、 第1報
巻 末 に は、 サ トウ
日記 帳 全39冊 を 対 象 と して 、 項 目 に そ った 各 日記 帳 の 解 説 を 行 い 、 表 の よ うな か た ち で 掲
載 す る こ と に した。 概 要 の 項 目 は 以 下 の 通 りで あ る。
各 日記 帳 の 資 料 登 録 番 号 ・頁 数
PAGENATION(日
PERIOD(執
記 帳 で の 頁 の 付 け 方)
筆 期 間)
PENMANSHIP(判
読 の 難 易 度 ま た は筆 跡)
EDエTエNG(紙 面 の 使 い 方)
FEATURES(主
ENCLOSURES(糊
に内 容 的 な 特 色)
付 け され た 新 聞 切 り抜 き や サ トウ の 自筆 イ ラ ス ト等)
一6一
上 記 項 目の な か で も、PAGENATエONに は特 に注 意 が 必 要 で あ る。 日 記 帳 の整 理 に あ た って
は、 日付 とな らん で 、 帳 面 上 で の 記 入 頁 つ いて は 、 先 ず 確 認 して お きた い枠 組 の 事 項 で あ
る。 い つ 、 どの 頁 に、 書 い て い る か と い う こ と な の だ 。
頁 の 打 ち方 に は二 通 り見 られ る 。 一 般 的 に は書 籍 の 場 合 と 同 じに 、 紙 面 の 各 頁 に 頁 番 号
を記 入 す れ ば よ い 。 第1報
巻 末 に 掲 載 す る 「サ トウ 自 筆 日記 の 各 冊 概 要 」 で は、 英 国 公 文
書 館 の 資 料 登 録 番 号 に っ つ く、pp・ の 表 記 の 場 合 が そ れ に あ た る。 この 一 般 的 な 方 法 に
よ って 原 資 料 に 頁 番 号 が入 って い る こ とを 示 す 。 ま た 、ff.と
か ユeavesと い う表 示 に な
る もの が 多 出 す る。 こ の種 の 頁 番 号 付 け の 方 法 は 、 手 書 き の 書 簡 や 自筆 原 稿 の 場 合 に 採 用
され て い る。 紙 面 の 表 紙 に番 号 を 入 れ 、 紙 面 裏 面 に は 番 号 を入 れ な い 。 そ れ で 、 枚 数 計 算
に よ る番 号 付 け とな る。 サ トウ 日記 第2冊
1枚 目の 紙 で は 裏 表 に、189枚
従 って 、 第2冊
を 例 に と っ て み る と、ff・1-189aと
い う表 示 は、
目 の 紙 も裏 表 に、 日記 が 書 か れ て い る こ と を意 味 して い る。
目 は通 常 の頁 数 に換 算 す る と な れ ば 、189枚
の2倍378頁
が総 頁数 とい う
計 算 を 示 して い る。f・189は 紙 面 の 表 頁 に あ た り、f:189aは 同 じ紙 の 裏 頁 に あ た る か らで
あ る。
3)第2報
に つ い て 一 一書 誌 的 整 理 と の 関 連 を 中 心 に
本 研 究 の 目的 の 一 っ は、 サ トウ 日記 の 自筆 原 稿 を 解 読 して 活 字 化 す る こ との ほ か に 、 そ
の 作 業 に基 づ い て 、 当 該 自筆 原 稿 の 書 誌 的 な 整 理 を す る こ と に あ っ た 。 書 誌 リス トに 記 載
した い 事 項 に は 、記 入 の あ る 日毎 に そ って 、 日記 の 年 月 日、 資 料 登 録 番 号 、 記 入 頁 、 執 筆
場 所 、 キ ー ワ ー ド等 が あ が られ よ う。 本 報 告 書 で は 、 この 詳 しい 書 誌 リス トの発 表 を 断 念
せ ざ る を え ず 、 後 日の 機 会 に譲 る こ とに した。39冊66年 度 分 の 全 サ トウ 日記 を対 象 に扱 う
に は 、 書 誌 リス トだ け で200頁
が 必 要 に な る た め で あ る。 そ こで 、 印 刷 頁 数 の 節 約 を も っ
ぱ ら念 頭 に入 れ た概 略 リス トを作 成 した 。
表2「1867年
度 日記 執筆 の 日付 ・場 所 ・言 及 内 容 」 はそ の 一 例 で あ る。1867年 度 分 だ け
を こ こで 例 に選 ん だ 理 由 は 後 述 す るが 、 幕 末 最 後 の 多 忙 な 活 動 の 時 期 に あ た り、 サ トウ の
日記 記 入 も比 較 的 多 い方 の 年 に あ た っ て い る。 簡 略 化 した この 種 の リス トだ け で も、 全 サ
トウ 日記 分 を 網 羅 した ら、 本 報 告 書 の100頁
が 必 要 に な る こ とが 判 明 した。 そ こで 今 回 の
報 告 書 に お い て は 、 最 終 的 に 書 誌 的 整 理 を 更 に 簡 略 した 第2報
一7一
の形 式 を採 用す るこ とに
な った 。
第2報
「サ トウ 日記 の 記 入 日 リス ト(1861/11/4-1926/12/31)」
で は、 ア ー ネ ス ト ・サ
トウ の 自筆 日記 帳 全39冊 を 対 象 に 扱 い 、 日記 を 書 い て い る年 月 日 の リス トと した 。 年 度 と
と もに 更 に 月 別 に 分 け て い る の で 、 い つ 日記 執 筆 が盛 ん と な り集 中 して い る か 、 全 体 像 を
一 目 で 概 観 で き る。 ま た 、 ど の 時 期 、 どの 特 定 日に 、 日記 の 記 入 が あ るか ど うか 、 に っ い
て も分 か りや す い。 今 後 、 新 た に若 手 研 究 者 が 原 資 料 に あ た る さ い に 、 一 種 の チ ェ ッ ク リ
ス トと して 現 場 で 使 って い た だ け た らよ い 。 ま た 、 右 端 の 備 考 欄 に は 、 年 度 毎 に 資 料 番 号
を 細 か く示 して あ る の で 、 必 要 な 年 月 日の 原 資 料 を 英 国 公 文 書 館 で 請 求 す る際 に 、 活 用 し
や す い便 宜 さ も考 慮 に入 れ て 作 成 した 。
「
旅 日記 」 と の 関 連 性 も この リス トを 使 っ て 検 討 可 能 に な るで あ ろ う。 「サ トウ 日記 の
記 入 日 リス ト」 に 空 白 とな っ て い る 日に 、 「
旅 日記 」 を 執 筆 して い る こ とが 、::1年
年代
を 中 心 に して 発 生 す るか らで あ る。
日記 を 書 き つ づ け る こ と に つ い て 、 ア ー ネ ス ト ・サ トウ本 人 は ど う意 識 し、 ま た 、 ど ん
な 考 え方 を 持 って い た の か 。 サ トウ 日記 の 中 に は 、 こ の点 に関 連 す る言 及 が 数 回 あ る 。 そ
の ほ か 、 サ トウの 自叙 伝 に も興 味 深 い発 言 が 見 られ る。1921年 に ロ ン ドンで 出 版 され た サ
トウ の 自叙 伝 「
一 外 交 官 が 見 た幕 末 維 新 」(ADIPLOMATエNJAPAN)の
初版序 文 にお いて、
次 の よ うに 述 べ て い る 。
A diary
kept almost
1861 constituted
enabled
relate
the foundation
me to supply
my diplomatic
came finally
uninterrupted
additional
confined
details.
It had never been my purpose
in different
over a period
parts
of the world,
of altogether
This comprised
culminated
of the direct
in the restoration
of Japan which remained
the series
rule
years,
episodes
of events
of the ancient
to
which
forty-five
myself to one of the most interesting
which I have been concerned.
sovereigns
home in November
[of A DIPLOMATIN JAPAN], while my memory
experiences
to be spread
and I therefore
from the day I quitted
line
in
that
of
in abeyance for over six hundred years.
(1).7)
一8一
i
上 掲 引 用 文 の な か で 、 「1861年11月 に 英 国 を 離 れ た 日か ら、 ほ とん ど途 切 れ る こ と な く、
書 きっ づ けて きた 日記 」 と い うサ トウの 発 言 は 、 こ の 自叙 伝 を 書 き始 め た 頃 の1880年 代 後
半 や 、 執 筆 中 断 の 後 に再 開 した1919年 前 後 の 感 想 を語 って い る に過 ぎな い 。 事 実 は そ うで
な い こ とが 、 第2報
の 日記 執 筆 リス トに よ って 確 認 で き る。1860年 代 の 執 筆 は 実 に散 発 的
に 終 始 して い る。1$70年 は わ つ か1日 分 しか 日記 を 書 い て い な い 。 とて もrほ とん ど途 切
れ る こ とな く」 と形 容 で き る状 態 で な い の で あ る 。 こ れ も1880年 代 か ら は次 第 に こ ま め に
な って い き、1910年 代 か ら1920年 代 にか け て は 、 ほぼ 連 日 の執 筆 に発 展 した 。
前 述 した 「シ ャイ ア ム旅 日記 」 翻 刻 版 を 纏 め たGeorgeAユexanderLensenは
、 サ トウ 日
記 の 自 筆 原 稿 と転 写 テ キ ス.トの膨 大 さに つ い て 、 次 の よ うな 感 想 を 述 べ た こ とが あ る 。 後
述 す る 第3報
と の 関 連 もあ る の で 、 す こ し長 くな るが こ こ で 引 用 して お きた い。
Satow kept
a series
throughout
most of his
became more detailed
with time, as Satow's
responsibilities
as his conversations
gained
of his stay
account
of diaries
in importance.
two decades
consists
of over
3,000
entries,
particularly
that
manuscript
during
so that
about the same number of printed
diaries,
their
even those
entirety
dealing
would
worthwhile.
only
havbeen
reminders
routines.
Instead,
significant
disconnected
of passing
it
they
pages.
Japan
It
handwritten,
the
would total,
if
published
any diaries,
interests
and with
trivial
Even then the material
are
it
in
the Satow
from 1895 to
Nor would
to delet
appreviated
To have published
the period
record
earlier.
are greatly
like
seemed best
entries.
with
in
in Japan,
personal
and
twice as long as his
Although
prohibitive.
Satow diaries,
personal
less
pages.
the stay
by a form of "speedwriting,"
full,
he had spent
They
increased
Thus Satow's
in Japan and China in 1895-1906 is about
of the
long life.
1906, in
have
been
clutteredwith
the hundrum of office
and to_paraphrase
remained
too bulky,
the
and
for publication.
(KOREAANDMANCHURIA,
pp.16-7)
上 掲 引用 分 で は 、1895-1905年
分 の サ トウ 日記 自筆 原 稿 が 、3000頁 以 上 で あ る と 述 べ て
一9一
い る け れ ど正 確 さ に欠 けて い る。 実 際 に は2700頁 前 後 の 概 算 計 算 と な る。 サ トウ 日記 帳 の
一 冊 分 、 日本 語 の 新 書 版 一 冊 分 に ほ ぼ 相 当 す る 自筆 原 稿300頁
の差 は大 きい。
以 前 、 幕 末 の 日本 沿 岸 や 中 国 海 域 に配 置 され た 英 国 軍 艦 、 例 え ば第3報
トラ ー 号(Rattler)等
で 取 り上 げ る ラ
の 、 推 進 か ら沈 没 か 廃 船 す る ま で の 動 き にっ い て 、 英 国 公 文 書 館 所
蔵 の 航 海 日誌 を 数 冊 調 べ た こ とが あ る 。 そ の と き に 軍 艦 に も 人 の 生 涯 に似 た 「生 きて い
く」 こ と の 浮 き沈 み や運 命 が あ り そ うに 想 像 で き た 。 今 回 の サ トウ 日記 の 研 究 過 程 に お い
て も、 同様 の イ メ ー ジを 味 わ った 瞬 間 が あ る 。 こ れ だ け膨 大 な サ トウ 日記 に は 、 人 生 と 似
た 日記 自体 の 「
生 きて い く」物 語 が あ り そ うに 感 じ られ た 。 日記 の 文 面 の 内 部 だ け に 閉 じ
こ も り、 日記 執 筆 の 過 程 を 物 語 の 形 に纏 め 、 「ア ー ネ ス ト ・サ トウの 日記 物 語 」 と題 した
新 書 版 を 早 め に 出 版 で き る よ う に、 目下 準 備 を 進 め て い る 。 本 研 究 の 成 果 の 一 部 で あ る と
明 記 して 出 版 で き る 日 まで 、 転 写 テ キ ス トを 繰 り返 し読 み 直 す こ とが 、 今 後 の 課 題 の 一 っ
と思 う。
4)第3報
に つ い て 一 一解 読 活 字 化 の 作 業 と伝 記 研 究 に 関 連 して
上 掲 引 用 文 に お い て サ トウが 述 べ て い る よ うに 、 自叙 伝 の 執 筆 に は第 一 次 資 料 の 利 用 が
欠 か せ な い 。 未 刊 の ま ま の 自 筆 日記 や 書 簡 等 を 含 め て 、 そ れ らを 私 的 文 書(autograph
persOnalpapers)と
英 国伝 記 作 家 達 は呼 ん で い るが 、 自叙 伝 に 限 らず 、 後 年 の 伝 記 研 究 や
伝 記 執 筆 に お い て も不 可 欠 の 資 料 で あ る こ と に相 違 な い 。 サ トウ略 伝 を 書 き上 げ て み た い
た め に 、 第 一 次 資 料 の 一 っ と して サ トウ 日記 の 一 角 、 日本 滞 在 期 間 に 限 定 した 解 読 活 字 化
の 作 業 に取 り組 ん だ はず で あ る の が 、 す で に述 べ た よ う に全 生 涯 を対 象 とす る伝 記 研 究 に
まで 作 業 の 幅 が 広 が っ て しま った 。 サ トウ 自身 が 上 掲 引 用 文 の 一 っ で 述 べ て い る よ うに 、
長 い外 交 官 生 活 の な か で も、 若 い 日 々 を 送 った 幕 末 日本 の エ ピ ソ ー ドは、 確 か に サ トウ 日
記 の な か で 光 彩 を 放 っ て い る。 表2に
掲 載 した1867年 度 日記 執 筆 の リス トか ら明 らか な よ
う に 、 幕 末 維 新 の な か で 特 に活 躍 の 際 立 って い るの は1867年 に あ た る。 本 報 告 書 で は 、 こ
の 年 度 を 中 心 に して 数 本 の 転 写 テ キ ス トを 選 び 、 掲 載 す る こ と と した 所 以 で あ る 。
掲 載 した 転 写 テ キ ス トに地 名 を 日本 語 で 入 れ て 区別 して あ るの で 、 以 下 の 解 説 で は 地 名
に よ って 資 料 の 区 別 を す る。
最初 の 「
鹿 児 島 」 で は、1867年1月12日
兵 庫 ・神 戸 で 実 現 した 西 郷 隆 盛 との 会 見 模 様 が
一10二
白眉 と言 え る。 本 研 究 目 的 の 一 つ にあ げ て い た 故萩 原 延 壽 著 「遠 い崖 」 に お け るサ トウ 自
筆 日記 の 読 み 方 や 使 い方 に つ い て 、 こ こで 簡 単 に 言 及 す る た あ に、 西 郷 ・サ トウ会 談 の 箇
所 を 選 ん で み た わ けで あ る。 第5巻
「慶 喜 登 場 」(pp・123-141)で 扱 わ れ て い る。
サ トウ と西 郷 と の一 問 一 答 を 日本 語 に翻 訳 して は 、 そ の 合 間 に 適 切 な 解 説 を加 え る か た
ちで 、 「遠 い崖 」 の 叙 述 ス タ イ ル は 進 行 す る。 「
西 郷 と サ トウの 会 話 に もど ろ う 」 と い う
言 葉 が 差 し込 ま れ て い る例 の よ うに 、 一 頁 の 三 分 の 一 程 度 か 、 半 頁 ほ ど に わ た る長 い 解 説
も と き に 発 生 す る。 そ の た め に会 話 や 物 語 の 流 れ を 中 断 して しま う こ と も起 き え る。 また 、
「老 中 の 板 倉 周 防 守 」 とい うよ う に、 サ トウ 自 筆 日記 に な い 「老 中 の 」 とい う類 の 枕 詞 を
頻 繁 に注 入 して い るが 、 日本 の読 者 を考 え た親 切 で あ ろ う。 読 み 方 に よ って は 、 サ トウ 自
身の 口か ら 「
老 中 の 」 と断 っ て い る か の よ うに 、 読 者 に受 け 取 られ か ね な い 。 原 文 に 忠 実
に 翻 訳 を して 、 訳 者 編 者 の 注 は[括 弧]の
な か に入 れ る方 が 、 明 確 に な りそ うで あ る 。
ま た 、 「水 戸 家 の 出 で あ る 自分 の 弟 の 民 部 大 輔 」 に も、 原 文 で は"hisrelati◎n"と
あ って 、 「弟 」 と は 明 記 して い な い 。 こ の点 も 日本 の 読 者 の た め の 親 切 の 現 れ な の か も知
れ な い が 、 行 き過 ぎで あ る よ う に も思 わ れ る。
サ トウ ・西 郷 会 談 の くだ りで は 、 自筆 日記 の 二 箇 所 に 削 除 訂 正 が あ る。 例 え ば 、"ltis
yOurlastpoint"を
削 除 して 、"ltISagreatpity.."と
サ トウ は 訂 正 して 書 き直 して
る もの を 、 「兵 庫 問 題 は あ な た の 最 後 の 拠 点 な ん で す ね 」 とい うよ う に 、 削 除 箇 所 を 追 加
して 訳 出 して い る の は 、 な ぜ な の か 理 解 で きな い。
「茶 碗 む し(か?)」
、 と疑 問 符 を っ けて 訳 して い る箇 所 の 原 文 に は 、"ochamushi"と
あ
る。 この よ うな 場 合 に 他 の 箇 所 で は 、 疑 問 符 の 形 を と らな い ケ ー ス も散 見 して 、 一 貫 性 が
な い の で あ る 。 例 え ば 、 人 物 確 定 が で き な か っ た ら しい 、 と 推 測 さ れ る 西 郷 の 変 装 名
ShimadzuSachiuに
疑 問 符r島
[括 弧]書
して も、 「島 津 サ チ ュ ウ」 と力 タ カ ナ入 り の 書 き方 を採 用 して い る。
津 サ チ ュ ウ(か?)」
と して 統 一 性 を 持 た せ るの もよ し、 前 述 した 訳 者 編 者 用 の
きの 方 法 を 終 始 使 い 、 一 貫 性 を持 た せ る こ と も可 能 で あ った 。
最 後 に 、 西 郷 と の 会 見 の 始 ま り に お い て 、 寡 黙 が ち な 西 郷 に 当 惑 した サ トウ は、"the
manlookedsostolidandwouldnotspeak"と
現 と思 わ れ るsしOlidは
す る 印 象 を 書 き残 して い る。 効 果 的 な 表
、 西 郷 ら しい風 貌 を読 者 の 眼 前 に彷 彿 と させ る。 そ れ が 訳 出 で は、
「か れ は じっ に 鈍 感 そ う に見 え た 」 と な って い る。 そ の あ と に続 く解 説 に サ トウ 自叙 伝 か
ら同 じ場 面 を 引 用 して 、 「
鈍 感 そ う」 で は あ りえ な い と分 か っ て い る はず な の に で あ る。
西 郷 隆盛 は 「黒 ダ イ ヤ の よ うに 光 る大 き な 眼 を して い て 」 と解 説 して い るの で あ る か ら、
-11一
'stolidと い う サ トウ の 初 印象 に
、 「鈍 感 そ う」 とい う感 覚 は混 じり込 ん で い る わ け が な い 。
「堂 々 た る」 「不 動 の 」 「落 ちっ き は ら った 」 、 大 木 の幹 の よ うな 感 触 の 訳 語 を 見 っ け た
い もの と感 じた 。
以 上 の よ うに 細 か い 点 に気 づ き は して も、 全 体 的 に み る と き、 故 萩 原 延 壽 著
「
遠 い崖 」
は 分 か りや す く流 れ を っ か ん だ 優 れ た叙 述 で あ り、 大 きな 欠 陥 もな く慎 重 に 自筆 資 料 を 判
読 した 過 程 が 推 定 で き る 。
本 研 究 の 当 初 計 画 で 予 定 して い た サ トウ 日記 の 時 期 は、 「遠 い崖 」 の 扱 う時 期 を 考 慮 し
て 設 定 した もの で あ っ た 。 サ トウ 日記 の 自筆 原 稿 全 体 の な か に 、 この 日本 滞 在 の 時 期 を お
い て み る と き、 全 体 の27%に
あ た る。 ま た 、 故 萩 原 延 壽 氏 が 、 英 国 公 文 書 館 で サ トウ 自筆
の 日記 帳 を繙 き な が ら、 ノ ー トに 鉛 筆 で 読 ん だ 結 果 を 書 き込 ん で い る こ と、 そ れ に39冊 全
て に 目 を通 して い る こ と、 そ の 二 点 は叙 述 の な か か ら判 明 す る。
問 題 は 、 全 体 の27%部
分 の 英 文 転 写 テ キ ス トを手 書 きで あ れ 、 タ イ プ され た テ キ ス トで
あ れ 、 す べ て 作 成 して い るか ど うか で あ る。 この 点 に つ い て は上 に 述 べ た 鉛 筆 書 きの ノー
トな り、 あ る い は他 の か た ち で あ れ 、 い ず れ にせ よ 手 書 き の 判 読 テ キ ス トを 作 成 して い る
と推 定 で き る。 他 の か た ち、 と述 べ た の は 、 「遠 い 崖 」 に 頻 繁 に使 用 して い る ウ ィ リス 自
筆 書 簡 に 関 連 して 、 鹿 児 島 県 立 黎 明館 に は故 萩 原 延 壽 の もの で な い 友 人 の 手 に な る ウ ィ リ
ス文 書 の 手 書 き判 読 テ キ ス トが 届 け られ て い る た め で あ る 。
あ りえ な い想 像 で あ る け れ ど、 自筆 原 稿 を 読 み な が ら、 英 文 の メモ を 作 る の に あ わ せ 、
同 時 に 直 接 自筆 原 稿 か ら 日本 語 に翻 訳 して しま う、 と い う作 業 も可 能 な の で あ る。 大 きな
仕 事 を 残 され た だ け に 、 厂遠 い崖 」 の 執 筆 に あ た って 基 礎 資 料 とな った はず の 、 転 写 テ キ
ス トの 実 在 と公 表 を 期 待 して い る。 後 に述 べ る よ う に、 仮 に本 研 究 に よ る転 写 テ キ ス トが
CD出
版 され る こ とに な れ ば 、 「
遠 い崖 」 と原 文 とCDテ
キ ス トとの 相 互 比 較 が 容 易 に な
るで あ ろ う。 この 比 較 問 題 は い つ か 論 考 して み た い と思 って い る 。
「熱 海 」 の 転 写 テ キ ス トの 方 は 、 す で に 上 記 した よ うに 、1867年3月
と..年2月
の二
度 の 熱 海 滞 在 を 記 した 内 容 で あ る。 多 忙 な 公 使 館 勤 務 の 間 に骨 休 み に訪 れ る の に 、 横 浜 ・
東 京 か ら適 当 な 距 離 に あ った か ら、 中 禅 寺 と な らび 、 熱 海 の 湯 煙 や 風 物 を サ トウ は愛 した 。
活 気 に み ち た1867年 の 日記 に も、 この よ う に長 閑 な 生 活 の 一 面 が あ った こ とや 、 そ れ に 旅
仲 間 の 顔 ぶ れ を 明 らか に した い 、 と い う主 に伝 記 的 な 関心 が あ って 、 こ こ に 掲 載 す るよ う
に選 ん で み た 。 しか し、 そ れ だ け で は な い。
1867年3月
の 熱 海 滞 在 につ い て は、 自叙 伝 に お いて(ADIPLOMAT,p・194)、
一12一
「特 記 す る
ほ ど の こ とは な い 」 と述 べ て い る。 旅 仲 間 の こ と も単 に、"sOmefriendsfrOmY。kohama"
と説 明 した あ と に 、 仲 間 の一 人 が 女 性(aladyofourparty)で
あ る と述 べ て い るだ け で
あ る。 転 写 テ キ ス トか ら明 らか に な る よ う に 、 横 浜 の 友 人 とい うの が 、 実 は マ ー シ ャ ル 夫
人 と英 国 商人 ア ス ピナ ル を 含 ん で い る こ とを 知 って 驚 い た 。 いず れ も1862年 の 生 麦 事 件 に
間 接 的 に 巻 き込 ま れ た英 国 人 関 係 者 な の で あ る。 拙 著 「幕 末 に 殺 さ れ た 男 」 で は 、 マ ー
シ ャ ル 夫 人 と ア ス ピナ ル に っ いて 詳 し く描 い て み た こ とが 思 い 出 され た。
幕 末 の 英 国 人 の生 活 や伝 記 に 関心 を抱 く研 究 者 に と って は、 見 逃 す こ との で きな い 「
横
浜 一 行 」 の面 々 と考 え られ る。 上 掲 引 用 文 の 一 つ に お いて 、 膨 大 な 資 料 を 前 に した レ ンセ
ン は ・ °ltseelnedbesしtodeletetrivialandしoparaphrasethelesssignificant
entries"と
い う判 断 を 示 して い る。 ど う な ので あ ろ うか 。 様 々 な 関 心 を 持 っ 読 者 や 、 研
究 者 の 複 数 の 眼 を 転 写 テ キ ス ト作 成 者 が 意 識 して お くべ きで は な い の だ ろ うか 。 ト リ ビ ァ
ル で 重 要 性 に欠 け る と思 い削 除 した い 箇 所 が 、 実 は 、 読 む 人 に よ っ て は興 味 深 い一 節 で あ
りえ る。
そ の 意 味 で 、 翻 訳 に あ た っ て も、 ま た 翻 刻 版 を発 表 す る に際 して も、 可 能 な か ぎ り サ ト
ウ の 意 向 を 組 み 、 原 文 を 丹 念 に 読 ん で 忠 実 に 再 現 す る の が 、 最 善 の 策 な の で あ る。 そ う し
た 考 え 方 の 根 拠 とな る一 例 と い う観 点 か ら も 「熱 海 」1867年 テ キ ス トを 選 ん で み た。
「熱 海 」1882年 テ キ ス トは 、 ハ ング ル を2月23日
「
二 人 の 子 供(NIAHI)」
と二 人 の 男 の 子(栄
と 「オ カ ネ(OKANU)」
太 郎 と久 吉)、
と2月25日
の 二 箇 所 に入 れ て い る 。
の よ うに 読 め る け れ ど、 恐 ら く、 武 田 兼
そ れ に女 中 を伴 な った 親 子 水 入 らず の 湯 治 の つ も りで 、
熱 海 行 き を 選 ん だ の か も知 れ な い 。 そ う推 測 す る段 階 に あ り、 ま だ 確 証 はで き な い。 こ の
頃 、 ハ ン グル を 学 ん で い た にせ よ 、 こ こ に来 て 急 に英 文 の 合 間 に 登 場 す る に は 、 それ な り
に 隠 して お た い心 理 が 働 い て い る 内 容 と思 わ れ る。 サ トウ 日記 に は こ う した 側 面 が あ る。
そ れ で も、後 年 に な って 読 み 返 して い るに 、 訂 正 した り削 除 を せ ず に、 後 世 の 私 ど もに 手
渡 して い るわ け で あ る。 そ れ に もそ れ な りの 理 由 が あ るの だ ろ う。 ハ ング ル 語 の 出 現 は 、
サ トウ の 隠 され た 日本 で の 私 生 活 に っ いて 、 全 体 的 に論 考 す る際 に 、 見 落 と して は な らな
い 箇 所 と考 え られ た の で 、1867年
厂長 崎 」(/867年9月)と
「熱 海 」 テ キ ス トに追 加 した 。
厂大 阪 」(1867年12月)
、 これ ら二 つ の 転 写 テ キ ス トは、 上
記 「鹿 児 島 」 で 述 べ た こ と と関 連 す るが 、 サ トウの 情 報 源 と懇 親 の 場 面 を彷 彿 さ せ る好 資
料 で あ り 、幕 末 維 新 に 関 す る サ トウ 日記 の 史 料 性 の 面 白 さ を 明 らか に した い 目的 か ら、 特
に 選 ん で 掲 載 した。
一13一
「北 海 道 」(..年9月)に
っ つ く数 点 は、 これ ま で の テ キ ス トを1867年 か ら選 ん で い
た が 、 そ れ 以 降 の もの か ら選 ん で み た 。 英 国 軍 艦 ラ トラ ー号 に 乗 船 した サ トウ は 、 同 艦 の
宗 谷 沖 座 礁 事 故 に巻 き込 ま れ て い る。 珍 しい遭 難 体 験 を して い る と思 うの で 、 本 報 告 書 に
掲 載 した わ け で あ る。 そ れ と、 サ トウ の 自叙 伝 で は(ADIPLOMAT,p.385)、
巻 末 近 くで 短
い 言 及 を して い るだ け で あ り、 サ トウ 日記 と 自叙 伝 の 関 連 性 を 考 え る上 で も、 一 っ の 材 料
を 提 供 して い る と考 え た 。 自筆 日記 を 資 料 に 使 い 、 自叙 伝 を 書 く にせ よ 、 或 い は伝 記 を 書
くに して も、 この よ うな 取 捨 選 択 が 行 わ れ る もの な の だ 。 事 実 の 連 鎖 と、 物 語 や 歴 史 は 、
べ っ もの な の で あ る。
以 下 に 転 写 テ キ ス トと比 較 す る た め に 自叙 伝 の 素 っ気 な い 当該 箇 所 を 引用 して お く。 ラ
トラ ー号 座 礁 時 の 体 験 が 、 サ トウ の生 涯 に お いて 伝 記 的 に意 味 あ る もの で あ る こ と は 、 こ
の と き苦 労 を と もに した 船 長 ス テ フ ァ ン ソ ンの 死 亡 記 事 切 り抜 きを 後 年 の 日記 帳 に糊 付 け
して い る一 事 を 見 た だ け で も分 か る。
From
September
chase
after
coast
of
8 to
the
Russians
Yezo,
in
embarked,
was
wrecked
progress
of
space
corvette
in
October
the
who
course
in
political
narrating
"Dupleix,"
「東 京 」(1900年4-5月)の
17
events
Captain
are
of
Soya
our
Adams
I were
reported
which
Bay.
But
in
Japan,
experiences.
du
and
Petit
to
H.M.S.
as
be
was
seems
We were
on
a wild-goose
occupying
"Rattler,"
this
it
absent
not
the
in
which
concerned
unnecessary
rescued
northern
with
to
by
we had
the
the
occupy
French
Thours.
転 写 テ キ ス トを 掲 載 す る 理 由 は 、 エanRuxtonに
よ る転 写 テ
キ ス トとの 比 較 が 可 能 に な っ た た あ で あ る。 解 読 活 字 化 の 研 究 者 が 共 有 す る問 題 点 を項 目
別 に指 摘 して 、 本 研 究 計 画 の 総 括 に した い た め で もあ る 。 ラ ッ ク ス トンに 固 有 して 発 生 し
た 問 題 と い う よ り も、 私 自身 も侵 しや す い 誤 読 な ど の 問 題 点 で あ る こ と は 、 予 め お断 り し
な け れ ば な らな い 。 他 人 の ア ラ や ミス は 見 つ け や す く、 自分 の 侵 す 間 違 い に気 づ か な い の
が 、 この 種 の 作 業 の 特 徴 で あ る。 よ ほ ど慎 重 を 期 さ な い か ぎ り、 ミス の 回 避 は 神 業 と言 え
る 、 と私 も 日 頃 か ら実 感 して い る。
○
省 略 記 号 の 扱 い 方 。 上 掲 引 用 文 の 一 つ で レ ンセ ンは 、 サ トウの 得 意 と す る省 略 法 に
言 及 し、"speedwriting"の
方 法 を話 題 に した 。 な に も これ は サ トウ に 限 られ た技 術 で な
一14一
く、 タ イ プ の な い 時 代 に ペ ンで 多 くの 文 書 を 作 成 す る 立 場 の 人 、 と りわ け外 交 官 に は よ く
見 られ る現 象 な の で あ る 。 ラ ッ ク ス ト ンは 巻 末 付 録 に お い て 、rabOuし
rwhich」
をrwch.」
」 をrab.」
、
な ど とす るサ トウ 日記 に 頻 繁 に 見 られ る 省 略 記 号 を リス トした 。 そ
の うえ で ラ ック ス トンは 、 省 略 した もの の 多 くを 正 し い元 の 単 語 に戻 して い る。 上 掲 引 用
文 で レ ンセ ンが 言 及 して い る よ う に、 印 刷 さ れ た 文 字 数 は 、 当 然 、 膨 張 す る 。
省 略 を 正 す こ とで の メ リ ッ トと デ メ リ ッ トが 生 じ る か ら、 ど ち らの 芳 法 を 採 用 し た らよ
い か 、 簡 単 に決 め られ な いで あ ろ う。 私 は原 文 に忠 実 な再 現 を 原 則 に して 、 活 字 化 の 作 業
に あ た って き た の で 、 本 報 告 書 で は省 略 を原 文 の ま ま 保 存 した 。 ラ ッ ク ス ト ンの テ キ ス ト
と の 比 較 で 誰 もが 最 初 に気 づ く相 違 点 は、rand/&」
ス トに ラ ッ クス トンは 、 これ(&)を
rlwy.」rComr.」rcOrrespce.」
の 扱 い 方 で あ ろ う。 巻 末 の 略 語 リ
加 え て い な い。 他 に も頻 出 す る 略 語 厂thro'」
や 「
な ど、 多 くの もの を リス トに 加 え て い な い。
サ トウ 流 の 省 略 は、 そ れ な りに 一 貫 性 を も って い るの で 、 読 み 慣 れ て くれ ば 、 研 究 者 は
即 断 で き る もの が 多 い。 そ れ に 、 省 略 した場 合 に、 ピ リオ ッ ドf・ 」 を い っ も入 れ て い る。
そ う い う意 味 で もサ トウ は 、 几 帳 面 な 性 格 な の で あ る。 そ れ にraOrrespondence」
を 「
correspce・ 」 と 省 略 す る 場 合 の よ うに 、 語 頭 と語 尾 の 文 字 を 組 み 合 わ せ て い るか ら、 英 語
力 の あ る人 に と って 、 容 易 に判 読 で き る もの ば か り と も言 え よ う。
ま た 、 ラ ック ス トンは 略 号 を 正 して み た り、 略 号 の ま ま 残 して み た り、 作 成 した テ キ ス
トに 一 貫 性 が な い こ と残 念 に思 う。 一 例 は、 同 一 頁(p・439)で
い る♂!Teac.Mrs.KirkwOod"と
い う よ うに 、 略 語rc.」
「c.」とrwitn」
に起 き て
を 原 文 の ま ま に保 存 した 。 そ れ
が 数 行 下 に移 る と、"contentthemselvesWlthapieceofground"と
な り、rc.」
を
rwith」 に 直 して い る。
結 論 的 に言 え ば 、 原 文 の 略 語 は、 保 存 す る か た ち が 適 切 で あ る と考 え る。
○
日付 の 記 入 法 。 この 点 に つ いて は第1報 巻 末 に 掲 載 す る 各 日記 帳 の 解 説 に詳 細 を 述
べ て あ る の で 、 こ こで は 問 題 点 だ け を 簡 単 に ふ れ て お き た い 。 日本 語 文 書 で も 「以 下 同
じ」 と い う意 味 を 表 す の に 、 略 号 「"」 を 用 い る こ と が あ る。 サ トウ 日記 の 場 合 、 同 月 の
記 載 が 同 じ頁 の 紙 面 上 で 続 くと きな ど に 、 「21April」
「22"」 の よ うに 月 名 を 省 略 す る
傾 向 に あ る。 ラ ッ ク ス トンの 転 写 テ キ ス トで は 、 変 更 を 断 らず に 、 略 した 月 名 を フ ル 名 に
直 して い るが 、 これ もサ トウ ら し い筆 致 の 感 触 や 、 ま さ に ス ピー ド ・ラ イ テ ィ ン グ の 日記
ら し さを 多 少 と も削 ぐ原 因 に な りか ね な い。 編 集 者 用 の 追 加 記 号 を 使 え ば 、22[April.]と
表 記 で き た はず で あ り、 この 点 も残 念 な 編 集 方 法 の 採 用 と 思 わ れ た 。
-15一
○
誤 読 。 解 読 活 字 化 の 作 業 に あ た る 研 究 者 に と っ て 、 誤 読 は も っ と も恐 る べ き 事 態 で
あ る 。 多 出 す る よ う で あ れ ば 、 致 命 傷 に な り か ね な い 。 転 写 テ キ ス ト作 成 の 研 究 者 と して
は 失 格 、 と い う評 価 に 発 展 す る た め で あ る。 こ れ が 怖 くて 、 丹 念 に 何 度 も 、 自筆 原 稿
(manuscripts)と
自 分 の 転 写 原 稿(transcriptiOns)を
読 み 比 べ 、 読 み 直 す わ け で あ る。
と り わ け 、 私 の よ う に英 語 を 母 国語 と しな い 日本 人 研 究 者 に は 、 こ の 点 、 ど こ ま で も慎 重
で あ りた い もの で あ る。
1900年4月11日
分(p・440)で
注[T。y。tOmエ]ま
は、
「Hideしada」 を
「Hideyoshi」
と誤 読 し、 編 集 者 の
で 追 加 して し ま っ た 。
1900年4月17日
分(p.441)で
は、
「 しobemadeif」
を
「t。bemadeupif」
して い る。 これ は 英 文 の 読 み に 日頃 か ら慣 れ て い る英 米 人 研 究 者 が 、
て 見 え る の で 誤 読 した上 に、 自分 の 意 識 の 上 で
「madeup」
「if」 はrup」
と誤 読
と似
と い う作 文 を した 二 重 の 誤 り
の 結 果 で あ ろ うか 。 日本 人 研 究 者 に は この 種 の 誤 読 は 、 あ ま り起 こ りえ な い。
1900年4月18日
あ る。 複 数 形 の
分(p・441)で
は、
「missions」
を
「missi。n」
と誤 読 して い る よ うで
「s」 の 読 み は 、 サ トウ 日記 の 場 合 、 筆 跡 が 明 確 で な く 判 断 し か ね る こ と
が 多 々起 き る 。
1900年5月
旧
分(p.444)で
は 、rC.H.Hay」
rC.H.Hay,asonofoneoftheHayes」
を
「C.H.Hayes」
と 誤 読 して い る が 、
と い う文 章 の 流 れ の な か で 、 英 語 に強 い は ず の
英 米 人 研 究 者 で も この よ うな 単 純 な ミス を 起 こす の で あ るか ら、 日本 人 研 究 者 は よ ほ ど謙
虚 に な っ て 日 頃 か ら英 書 を 読 み 漁 り、 英 語 力 を 高 め て お き た い も の と 思 っ た 。
1900年5月2日
は 判 読 して い る が 、
分(p・445)で
は、
「attacks。nprivatevillages」
「attacksonpiratevillages」
と ラ ッ クス トン
と読 み た い、 と私 は 考 え て い る。 ま
だ 決 め か ね て お り 、 な お 慎 重 に 文 脈 の 中 で 検 討 して み た い 箇 所 で あ る 。
○
欠 落 。 最 後 に も っ と も避 げ た い 見 落 と しを 扱 わ な け れ ば な ら な い 。 こ の 失 敗 の 繰 り
返 し も 、 転 写 テ ス トを 作 成 す る 研 究 者 に は 、 こ れ ま た 致 命 傷 に な り か ね な い 。 時 間 を 惜 し
む こ と な く、 丹 念 に 自筆 原 稿 と 、 自 分 の 作 成 した 転 写 原 稿 と 、 読 み 合 わ せ さ え す れ ば 避 け
ら れ る も の で あ る 。 こ こ で 比 較 対 象 に し た ラ ッ ク ス トン の 翻 刻 テ キ ス トの 、 わ ず か10頁 余
り の な か に も 、 誤 読 と と も に 欠 落 が 発 生 し て し ま い 、 そ れ も 数 カ 所 で 起 き て い る 点 か ら判
断 す れ ば 、 印 刷 す る ま え に 十 分 な 時 間 を 注 入 した
「見 直 し作 業 」 を 怠 っ た 結 果 と 評 価 せ ざ
る を 得 な くな る。
そ れ だ け解 読 活 字 化 の 作 業 は、 慣 れ と と も に、 た え ず 謙 虚 な 姿 勢 で 原 文 を 読 み 取 る気 持
一16二
ちが 大 切 だ と思 っ た 。・
1900年
明4日
分(p・
嶋8)で
は 、rheoughtnott。
」 と あ る が 、rought」
ラ ッ ク ス ト ン に よ る 勝 手 な 読 み 方 で あ り、 原 文 で はrheshouldtellKurodanotし
あ る か ら 、 な ぜ かfKurOda」
1900年
明12日
は、
。」 と
云 々 を 読 み 落 と して い る 。
分(p・440)で
は丶
「subterfuges(he…Redensarten)」
と い うよ うに 、
丸 括 弧 が 欠 け て い る。
1900年4月19日(p.X41)で
1900年
Lay&」
明20日
はrShaws」
分(p.442)で
は 、rCheeしham」
とな って い る の に 、 人 名 の
1900年5月2日
分(p.4眞5)で
の 前 に あ るrthe」
「Lay」
の 後 に 続 け て 、 原 文 で はfCheetham,
を 見 落 と して しま って い る。
は 、 起 き て は な ら な い 飛 ば し読 み の 大 き な ミ ズ が 発 生 し
て い る 。 一 行 分 の 欠 落 で あ る。 ラ ッ ク ス トンの テ キ ス トに 、
ChangChi-Tung」
を 読 み 落 と して い る 。
「gOupYangtze,andsee
と あ る箇 所 が 、 原 文 で はrgOupYangtzeasfaras工Chang,giving
af。rtnighttoYangtze,&seeChangChi-tung」
と記 さ れ て い る。
発 生 原 因 は二 つ 考 え られ る。 一 つ に は 、 原 文 に 同 じ文 字
く る と こ ろか ら、 下 の 行 の
「Yangtze」
「Yangtze」
が 近 くで 二 度 出て
の 方 に 目 移 り して 、 中 間 の 一 行 を 飛 ば して 読 ん だ
た あ で あ る 。 こ れ は 流 れ 作 業 の よ う に 転 写 し て い れ ば 、 誰 に も起 こ り得 る ミ ス で は あ る 。
問 題 は 、 印刷 の 前 に原 文 と の 読 み 比 べ を 慎 重 に しな か った 点 に あ る。
「
英 国 」(1926年12月)の
転 写 テ キ ス トは 、 サ ト ウ 日記 の 最 後 の 一 ヵ 月 分 を 判 読 し た も
の で あ る。 書 体 は乱 れ て き て 、 読 ん で いて も痛 々 し さ を 感 じ る けれ ど 、 最 後 まで 勤 勉 に 努
力 し、 端 正 に 生 き た 姿 は 、 た と え 乱 れ た 筆 跡 で あ ろ う と も、 行 間 か ら 読 み 取 れ る 。
お わ りに
学 生 時 代 に読 ん だ 書 物 の 中 で 、 量 か ら質 へ の転 換 、 と い う発 想 を 学 ん だ 。 な に か 新 しさ
を 開 発 で き る とす れ ば 、 凡 人 に と って は この 方 法 で あ ろ うか 。
途 轍 もな く多 量 の 時 間 と精 力 を 注 入 した 解 読 活 字 化 の 作 業 が 終 わ っ た。 転 写 テ キ ス トは
未 だ 粗 削 りな状 態 に あ る け れ ど も、 サ トウ 自筆 日記39冊 分 を こ な し終 え た 。 本 報 告 書 の 段
階 ま で に、 サ トウ 日記 の 全 体 像 を 眺望 す る地 点 に到 達 した の で あ るか ら、 今 後 の サ トウ研
究 と執 筆 の た め に し っか り と し た基 盤 を 形 成 で き た と 自負 して い る。
-17一
表1:サ
ト ウ 日 記 の 自 筆 原 稿(manuscripts)と
年号
自筆原稿
(頁 数 概 算)
転 写 原 稿(transcriptions)の
転 写 原 稿(A4版
30行
年号
自筆 原 稿
(頁 数 概 算)
の 枚 数)
概 算
転 写 原 稿(A4版
30行
の 枚 数)
1861
1
1
1895
235
149
1862
158
99
S・.
192
132
1863
33
15
1897
179
99
1864
57
37
1898
180
120
1865
50
35
198
130
12
15
1900
245
148
1867
234
118
/901
145
155
..
189
99
1902
325
165
25
15
1903
238
142
2・ ・
S.・
;・ ・
1870
2
5
1904
374
216
1871
82
41
1905
272
173
1872
105
59
1906
188
121
1873
63
30
1907
201
141
82
71
1874
11
5
・1:
1875
76
42
1909
127
105
1876
93
83
1910
137
111
1877
131
91
1911
140
115
SS
105
63
1912
169
141
1879
112
83
1913
160
128
SSA
71
43
1914
163
131
::
42
25
1915
167
137
it
23
17
1916
143
128
S:
90
69
1917
136
131
::
142
92
1918
130
120
::
197
117
1919
135
124
i2.
142
82
1920
166
142
Si
150
81
1921
139
13⊥ ↓
::i
85
61
1922
148
137
SS・
56
48
1923
171
140
1890
90
62
1924
221
114
1891
176
102
1925
208
179
1892
197
125
1926
210
132
1893
164
110
1894
285
176
合計
9373
6457
一18一
'
表2
1867年 度 日 記 執 筆 の 日 付 ・場 所 ・言 及 内 容
Date
PlaceofVisit
(y/m/d)
orWriting
Remarks
[encld:]
Date
PlaceofVisit
(y/m/d)
orWriting
Remarks
[encld.]
「
1867/1/1
2
3
4
5
6
atsea
Kagosima
Kagosima
Kagosima
atsea
Argus
1867/5/25
Akazaka
inkago
集 成館
26
Hamamatsu
onfOO七
Niiro
Sutcliff
27
28
29
Kakegawa
Kakegawa
A.Gower
Shinada
Sしag
Fushima
sake
Mishi皿a
eels
Uwajima
7
8
Uwajima
Uwajima
Uwajima
9
Mitarai
banquet
Kura
10
Shodozima
七eahouse
11
Hiogo
Glover's
2b
12
Hiogo
Saigo
toOsaka
27
28
29
2/7
9
Yokohama
Hiogo
Prince
30
6/1
2
Noguchi
3
7/23
Kerr
30
31
8/1
[ff.1-2,3photos]
Yedo
for}{akodat}e
anchored
hayaoi
nosleep
bySnap
inNambu
Hakodate
Howell
HakOdaしe
rambled
Hakodate
Hakodate
SirH.P.
Hakodate
aしsea
BuしZOW
theatre
Matsumae
10
Hiogo
Otoyosan
2
Niigata
80junks
11
Osaka
Cardew
Niigata
Governor
12
13
Osaka
KOmaしSU
3
4
Niigaしa
Salamis
Osaka
Mitsui
14
15
Osaka
Osaka
・
Pユpes
Yoshii
[ff.7-7a,2printerof
5
6
Nakawamine
しoNoしO
7
8
Kanazawa
Kanazawa
酒造 家
Kanazawa
Nanao
9
10
Japaneseしe皿plesl
11
16
77
Osaka
Matsuki
Osaka
toSakai
[f.11a,photoincluding
Satow,Noguchi,Mitford]
r
ontheroad
3girls
atsea
Sado
Abe
onthe-.road
Shiwo
onthe-road
Tsubata
12
14
15
Kanazawa
Kanadzu
scissors
16
17
18
19
Fuchiu
Torinoko
Nakanokawachi
goodinn
ontheroad
sekisho
ontheroad
20
Kusa七SU
Hkone
Mitford
ontheroad
my策
論
Komatsu
・
18
19
Osaka
Osaka
purchase
Aidsu's
20
Hiogo
guards
21
onahouseboat
nosleep
Yokohama
22
24
Osaka
SirH.P.
Osaka
Aston
25
26
Osaka
Roches
Osaka
Saigo
30
31
Osaka
Osaka
舌官
Awaji
Osaka
review
21
25
3/21
23
24
aしsea
Yedo
Ichikawa
Yokohama
Fosters
on.board
Argus
Atami
Toby
25
26
27
28
Hakone
しhelake
Odawara
honjin
Oiso
onfoOし
2
Fujisawa
bette
Susaki
GOしQ
29
Yedo
inkagos
3
4
Susaki
seeGoto
31
4/1
Yedo
Krisしan
Susaki
Goしo
Yedo
Susaki
Hirayama
5/18
19
Osaka
JO「oya
inboaし
5
6
9/1
o
honjin
20
Kusatsu
Nakasendo
Wirgman
7
8
9
21
Shono
22
23
24
Kuwana
Shima
dealer
Miya
namoshi?
Okazaki
O
curious
一19一
atsea
atsea
,
Wadasaki
Nankai
Kochibay
Susaki
Goto
11
12
Shimonoseki
Nagasaki
Inouye
13
14
Nagasaki
Nagasaki
Flowers
Nankai
Kaしsura
Tamagawa
'
PlaceofVisit
Date
(y/m/d)
orWriting
1867/9/15
Remarks
Daしe
[encld.]
Nagasaki
Hirayama
16
Nagasaki
Yokobuye
18
19
Nagasaki
Nagasaki
20
21
22
23
(y/m/d)
1867/12/23
PlaceofVisit
orWriting
Remarks
[encld.]
Osaka
oysしer
Osaka
Chief
Hirayama
24
25
Osaka
Nagasaki
Katsura
Salamis
28
29
Osaka
Osaka
Kasuya
Hayashi
Igano
Nagasaki
Niiro
30
Osaka
Gemba
Nagasaki
Nagasaki
Glover's
31
Osaka
£700
24
25
Nagasaki
Nagasaki
myphoし
26
27
28
29
Nagasaki
Nagasaki
Nagasaki
しyphoOn
Nagasaki
bankday
30
Nagasaki
Nagasaki
Saigo
Nagasaki
Nagasaki
Hirayama
Cachon
Nagasaki
Nagasaki
Nagasaki
whisし
Nagasaki
Nagasaki
Nagasaki
Hirayama
Rionoske
12
Nagasaki
Nagasaki
13
atsea
Straits
midnight
Oshima
10/1
2
3
4
5
6
7
8
10
11
林 宇 一
○
迎陽亭
bowls
9
Hirayama
mypupil
Flowers
Suwa
・
・
yorial
Glover璽s
Macao
14
Hiogo
15
16
Yokohama
midnight
Yedo
geisha
16
Yedo
TycOOOn
18
Yedo
Mikado
25
26
Yedo
Kaneko
Yedo
吉井幸 輔
27
28
29
Yokohama
Yokohama
Tetsu
11/6
30
12/1
atsea
wander
onboard
Rattler
weighed
daylight
atsea
Osaka
Oshima
Osaka
onshore
Osaka
repairs
5
6
Osaka
Mitford
Osaka
Saigo
7
8
Osaka
Sansei
Osaka
curios
12
13
Osaka
toHiogo
Osaka
festival
1耳
Osaka
Yoshii
15
Osaka
中江恭 平
16
17
18
Osaka
Osaka
Osaka
Saigo
Legation
19
Osaka
nonews
20
Osaka
Saigo
2
3
4
Tempozan
・
■
Taikun's
一20一
サ
ト ウ
自
筆
日
記
の
各
冊
概
要
ア ー ネ ス ト ・サ トウ 日 記
第1冊PRO/30/33/15/1pp.Oa-343
PAGENATION:厚
め の 紙 にleafOaと
して 片 面 で 書 き は じめ た も の の 、 巻 末 に き
て 裏 面 白 紙 を 逆 向 き に 使 っ て 書 き つ づ け た か ら、 総 頁 数344pagesに
PERIOD:!Nov.4,1861か
らJan.15,1866の
PENMANSHIP:大
な る。
長 い期 間 に渡 る。
き な字 で 丁 寧 に 書 か れ て い る の で 判 読 は 容 易 で あ る 。
EDITING:小
見 出 しの た め に 開 け た 枠 が 全 体 的 に 狭 く、 日付 の 確 認 が 紛 らわ しい の
に 、 巻 末 で1863年4月
の 記 述 を 再 開 した と き に は 、 対 照 的 に 三 セ ンチ ほ ど の 広 い 幅
を 作 っ て お り 、 こ の 変 化 は 通 訳 見 習 い の 傍 ら 、 外 交 文 書 の 清 書 を さ せ られ た お り の
正 式 文 書 の 様 式 に 学 ん だ も の と 思 わ れ る 。pp.149-52は
上 か ら 白紙 で 糊 付 け して 隠
し て お り 、 な ん ら か の 後 日編 集 の 意 図 を 感 じ さ せ る 。
FEATURES:異
国 で の 珍 しい 日 々 の 体 験 を 楽 しそ うに 綴 っ て い る 。
ENCLOSURES:巻
頭 に はSatOwCasしle,Middlesexと
記 した 一 枚 の 写 真 が 添 付
さ れ て お り、 そ こに は母 親 と姉 を 思 わ せ る二 人 の 女 性 が 玄 関 先 に立 って い る。
ア ー ネ ス ト ・サ ト ウ 日 記
第2冊PRO/30/33/15/2ff.1-189a
PAGENATION:leaves1-189aと
PERIOD:幕
枚 数 記 入 な の で 総 頁 数 は378pagesに
末 の 年1867年2月7日
PENMANSHIP:公
か らi.:年10A17日
なる。
までの動 乱期 にあた る。
使 館 で の 清 書 の 仕 事 に精 進 す る間 に 、 書 き 慣 れ た小 さ な 文 字 に
変 わ っ て き た が 、 判 読 しや す く 読 ん で 気 持 ち の 良 い 自 分 の ス タ イ ル を 形 成 し た 。
EDITING:日
付 を 入 れ る 小 見 出 し の 広 い 枠 を 取 り 、 年 月 日 の 他 、April2,Tuesday
の 様 に 曜 日 も入 って い る の で 、 日付 の 確 定 が 容 易 で あ る 。 但 し、 糊 の 染 み が 多 々
あ っ た り、 この 日記 帳 は 薄 め の紙 質 で あ る の で 、 裏 面 の 文 字 が 染 み て 読 み に くい 。
FEATURES:ア
ー ネ ス ・サ トウ の 名 前 を 幕 末 維 新 史 に 残 し た 記 念 す べ き 活 躍 が 日 々
に 描 か れ て い る 日 記 で あ る の で 、 本 報 告 書 に は 主 に 第1冊
の 巻 末 部 分 と こ の2冊
目
!
の1867年
度 分 の 判 読 テ キ ス
トを 選 択 し て 掲 載 す る 。
ENCLOSURES:MembersOfthefirstExpeditiontoOsakaと
写 真(f.11a)に
記 入 の あ る 集 合
は 、 サ ト ウ 、MitfOrd、
野 口 富 作 な ど七 名 が 写 って い る。
-21一
ア ー ネ ス
ト ・サ ト ウ 日 記
PAGENATION:枚
第3冊PRO/30/33/15/3pp
.1-51
数 で な く頁 数 の 記 入 に な っ て い る の は 、 全 サ ト ウ 日 記 の 中 で も
珍 し い ・ 総 頁 数 で51pagesと
PERIOD:1868年11A6日
な り、 薄 め の 日記 帳 で あ る 。
か ら"1871年8月13日
PENMANSHIP:イ
ま で を 扱 って い る 。
ンク の 文 字 が 霞 ん で きて お り、 判 読 に支 障 が 出 る。
EDITING:年
に よ っ て 量 的 に バ ラ バ ラ の 記 入 で あ り 、1870年
に は ほ とん ど 日記 を 書
いて い ない。
FEATURES:西
郷 、 大 久 保 、 小 松 な ど 薩 摩 藩 の 重 臣 と 会 見 ・交 遊 し て い る 描 写 が 眼
前 に浮 か ぶ よ う な叙 述 を 含 ん で い た り、
「五 家 之 荘 」
「米 良 」 等 の 人 名 を 日 本 語 で
書 き 加 え て い る 。:・ ・年 ま で は 伸 び や か な 書 体 で 書'い て い た の が 、1870年
に はわつ
か な 記 述 で も 筆 致 が 一 変 し、 生 活 の せ わ し な さ を 感 じ さ せ る 。
ENCLOSUREgS:写
真 や 新 聞 切 り抜 き な ど一 切 の 添 付 物 、 そ れ に 自筆 イ ラ ス トな ど
も一 切 入 って い な い 。
ア ー ネ ス
ト ・サ
トウ 日 記
PAGENATION:各
PERIOD:1871年8月18日
12月30日
第4冊PRO/30/33/15/4pp
.2-330
頁 に 番 号 を 打 っ て お り 、 総 頁 数 は334pagesで
あ る。
か ら1875年12月30EIま
と 翌 年1876年1月1日
で の 期 間 に 該 当 す る 。 但 し、1875年
の 二 日 分 に つ い て は 、 別 紙(PP
.323A-323B)の
四頁
分 を 挿 入 して あ る の で 、 時 系 列 の 配 置 に な ら な か っ た 。
PENMANSHIP:濃
EDITING:日
い イ ン クで 流 れ る よ うな 書 体 で 綴 って い て 判 読 しや す い 。
付 や 小 見 出 し の た め に 設 け て い る 左 端 の ペ ー ス が2セ
ンチ ほ どの 幅 で
取 って あ る 特 別 な 日記 帳 を 使 い なが ら、 な ぜ か 本 文 の 行 頭 に 合 わ せ て 日付 を 引 っ 込
め 、 確 認 を 困 難 に し て い るAug.21[1871]の
FEATURES:途
様 な例 が 多 々 見 られ る。
切 れ が ち な 日記 が 或 る期 間 に 継 続 して い る の は 、 主 に小 旅 行 の 思 い
出 を 記 す 目 的 の た め で あ ろ う。
ENCLOSURES:pp.237-240に
は小 旅 行 の 間 に 渓 谷 で 遭 難 の 危 険 に さ ら さ れ た ア ト
キ ン に よ っ て 書 か れ た も の と 思 わ れ 、 筆 跡 が サ トウ の も の と 違 っ て い る 。
-22一
ア ー ネ ス
ト ・サ
トウ 日記
PAGENATION:枚
第5冊PRO/30/33/15/5ff
.1-203a
数 計 算 に よ っ てleaves1-203aで
あ り 、 総 頁 数 はXO6pagesに
な る。
PERIOD:1876年1月2日
か ら1879年10月25日
PENMANSHIP:小
までの期 間に相 当す る。
さ な文 字 で 書 か れ て あ り、 多 少 読 み に くい 箇 所 が 散 見 す る
EDITING:日
。
付 の 見 出 しを し っ か り と 記 し て い な い 箇 所 も 多 々 あ っ た り 、 単 に 日 だ
け を 記 し て い る 場 合 も あ る の で(1877年
1878年7月
明18日
等)日
付 の 確 認 が 紛 らわ しい
。
の 記 述 に 見 る よ う に 、 こ の 頃 か ら訂 正 や 加 筆 が 目 立 つ よ う に な る 。
FEATURES:鹿
児 島 大 学 医 学 部 の 前 身 とな っ た 赤 倉 病 院 を 創 設 した 友 人 の ウ ィ リス
や 苗代 川 の 薩 摩 焼
「壼 屋 」 を1877年2月
ENCLOSURES:1877年4月17日
に 訪 問 した思 い 出 が 綴 られ て い る 。
か ら24日 ま で 甲 府 経 由 で 東 海 道 に 出 る 徒 歩 旅 行 の
途 中 、 携 帯 したバ ロ メ ー タ で 一 日 に 何 度 も測 定 を して 作 成 した 各 地 の 標 高 を 記 した
詳 し い リ ス トが 添 付 さ れ て い る 。
ア ー ネ ス
ト ・サ
トウ 日 記
第6冊PRO/30/33/15/6ff
PAGENATION:leaves1-73aに
記 入 さ れ 、 総 頁 数 で は146pagesに
PERIOD:1879年11月15日
PENMANSHIP:大
.1-73a
か ら1881年12A27日
な る
まで の記入 であ る。
き あ の 字 で 、 単 語 と単 語 の 間 に ゆ と りを 置 き 、 全 体 的 に伸 び 伸
び と書 い て い る の で 判 読 しや す い 。 公 使 館 で 課 せ られ た 外 交 文 書 の 清 書 作 業 の 間 に
サ トウ ら しい 綺 麗 な 書 き方 が 体 得 で き た もの と思 わ れ る。
EDITING:左
端 に 日付 記 入 の た め の 空 白 ス ペ ー ス を 十 分 に 取 っ て あ り 、 ま た 年 月 日
の 表 記 も分 か りや す く、 丁 寧 な 書 体 とあ い ま って 、 全 日 記 の うち で も最 も気 持 ち 良
く読 め る も の に な って い る。
FEATURES;夕
食 会 に行 く途 中 で 馬 車 の 左 車 輪 の 事 故 が 起 きて 、 身 体 を 支 え よ う と
し た サ ト ウ は 、 右 手 首 を 捻 挫 し て し ま う 。 そ れ で 、1880年11A8日
い 左 手 で 書 い た た め に、 丁 寧 な サ トウ の 書 体 か ら一 変 す る 。
ENCLOSURES:な
し。
-23一 聖
の 日記 は慣 れ な
、
ア ー ネ ス ト ・サ トウ 日 記
第7冊PRO/30/33/15/7ff.1-72a
PAGENATION:1eaves1-72aの
記 入 法 で あ る の で 、 総 頁 数 は144pagesに
PERIOD:S:年1月16日
か ら..年3月22日
PENMANSHIP:ff.56a-57に
な る。
まで の期間 であ る。
は 記 入 日の 時 系 列 に 混 乱 が 見 られ る もの の 、 そ れ 以
外 は読 みやす い細字で綺 麗 に書かれ て いる。
EDITING:小
見 出 しの 空 白 ス ペ ー ス を 設 け て 、 日付 の 記 入 に 活 用 して い た り、 この
頃 は 細 字 の ペ ンを 使 い 、 流 れ る よ うに 気 持 ち の 良 い 書 き方 に 戻 って い る 。 但 し、
SS年3月4日
と5日
は 、 先 行 す る3月3日
の 月 名 を 見 出 し に用 い た 珍 し い省 略 形
にな ってい る。
FEATURES:こ
れ ま で に も時 折 、 人 名 等 の ハ ン グ ル 文 字 が 日記 に 登 場 し て い た の で
あ るが 、 こ の 頃 に はハ ン グ ル 語 の レ ッ ス ンを 受 け て お り 、 長 い 文 章 も散 見 す る 。
ENCLOSURES:な
し。
ア ー ネ ス ト ・サ トウ 日 記
第8冊PRO/30/33/15/8ff.1-74a
PAGENATION:leaves1-74aの
PERIOD:S:年3月24日
構 成 で あ り 、 総 頁 数 で は148pagesに
か ら..年4月3日
な る
の 期 間 に あ た り 、 こ の 頃 か ら次 第 に 一
年 に 一 冊 の 日 記 帳 と い う サ トウ の 意 図 が 推 察 で き る よ う で あ る 。
PENMANSHIP:こ
EDITING:薄
の 頃 の 特 色 とな っ た 細 字 の 流 れ る よ う な ス タ イ ル で あ る。
手 の 紙 質 は 判 読 に 困 難 を 伴 うが 、 な ん の た め に 、 と思 い た い ほ ど の広
さ で 空 白 ペ ー ス を 各 頁 左 端 に取 って い るた め 、 日付 の 確 認 は 容 易 で あ る 。
FEATURES:Siamを
中心 に 東 南 ア ジ ア に 関 す る記 述 が 多 くな り、 日 々 に 提 起 され る
問 題 点 を 項 目別 の 見 出 し と下 線 に よ っ て 分 け て い る 。 この 点 も、 これ ま で に 見 られ
な い ス タ イ ル で あ る 。 そ れ だ け 日記 執 筆 の 目 的 が あ くま で も私 的 な 異 国 生 活 や 旅 行
記 録 で あ っ た の が 、 公 的 な 仕 事 の 私 的 覚 書 と い う性 格 を 帯 び た 変 化 と言 え る。
ENCLOSURES:添
年7月1耳
付 した 写 真 や 新 聞 記 事 な ど は 皆 無 に 近 い 。 唯 一 の 例 外 は 、::
日 バ ン コ ク 発 、THEFRENCHANDS工AMと
-24一
題 す る 四行 の 切 り抜 き で あ る 。
ア ー ネ ス ト ・サ ト ウ 日 記
PRO/30/33/15/9ff.1-73
第9冊
PAGENATION:leaves1-73の
PERIOD:先
記 入 で あ り 、 総 頁 計 算 で は145pagesに
行 す る 第8冊
の 継 続 分ii年4月3日
か ら::年11A13日
な る。
まで の 一 年 に
満 た な い 記 録 で あ り、 一 日分 に多 数 の 頁 を 費 や す ケ ー ス が 続 出 す る 。
PENMANSHIP:読
みや すい小 さな文字 で流 れ るよ うに書 いて いる。
EDITING:左
端 に十 分 な 空 白 ス ペ ー ス を 開 け て 、 日付 の 小 見 出 しに 活 用 で き て い た
り、 サ トウ 日 記 ら しい 全 体 の 落 ち つ きが 感 じ られ る。
FEATURES:前
冊 と 同 様 に 項 目立 て を して 、 見 出 しの 項 目 に下 線 を 引 い て い る 。 外
交 官 と し て の 日 常 的 業 務 に つ い て 私 的 記 録 に 残 して お き 、 自 分 の 発 言 や 指 示 を 後 日
に 日記 帳 で 確 認 す る 必 要 が 出 て き た た め の 日 頃 の 慎 重 な 準 備 と も受 け 取 れ る 。
ENCLOSURES:leaves2-3の
四 頁 分 は 、 当 時 の 通 常 の 書 簡 用 紙 を 挿 入 した も の
で あ る 。 先 行 す る 日記 帳 に 散 見 した こ とで は あ るが 、 こ こで もわ ず か な イ ラ ス ト
(壺 、f.41>が
ア ー ネ ス
ト ・サ
描 か れ て い る。
トウ 日 記
PRO/30/33/15/10ff.1-74a
第10冊
PAGENATION:leaves1-74aの
記 入 で あ り 、 総 頁 数 で は148pagesに
PERIOD:1885年11月.:か
PENMANSHIP:細
ii.年6月25日
ら::・ 年12月::ま
な る。
で の 一 年 余 りの 期 間 に あ た る 。
め の ペ ン を使 い 、 大 き め な 文 字 で 書 いて い る の で 判 読 しや す い 。
分(f.28)の
日 付 と し て 、25Kobeと
い う サ トウ 日記 で は 珍 し い表
記 が あ る。
EDITING:項
目別 に 見 出 しを 付 け て い る の も 先 行 す る 日記 帳 と同 じで あ る。 左 端 の
小 見 出 しスペー スは、通 常一頁 の五分 の一前後 で十 分 であ った ものが、 四分 の一 を
占 め る な ど 、 不 必 要 に 広 く な っ た ケ ー ス(f.12)も
出 て い る。
FEATURES:
ENCLOSURES:f.19と
番 号 の 入 っ て い る通 常 の 書 簡 用 紙 一 枚 三 頁 分 の サ トウ 自
筆 メ モ(MemorandumforMr.French)が
挿入 され て いる。
一25一
ア ー ネ ス ト ・サ ト ウ 日 記
PRO/30/33/15/11ff.1-70a
第11冊
PAGENATION:leaves1-70aの
記 入 で あ り 、 総 頁 計 算 で は140pagesに
な る。
あ ま り に 空 白 が 多 くて 、 少 し間 延 び した 感 じ さえ 覚 え る ほ ど で あ る。
PERIOD:前
冊10の
載 は1887年11月18日
PENMANSHIP:比
最 終 記 載1886年12月::分
を 継 続 す る こ とか ら始 め 、 巻 末 の 記
ま で の ほ ぼ 一 年 間 の 日記 で あ る。
較 的 小 さ な 細 め の 文 字 で 丁 寧 に 書 い て い る。 判 読 し や す い 。
EDITING:外
交 文 書 の 記 述 法 を 踏 襲 し、 左 端 の 小 見 出 しス ペ ー ス を 十 分 に 取 り、 こ
こで は 更 に 一 歩 進 ん で 項 目間 を 一 行 空 き に して い る。
FEATURES:湿
気 の た め か 紙 に シ ミが 目 立 っ て き て い る 。
ENCLOSURES:写
真 等 の 添 付 物 が な くて 記 述 本 位 で あ る も の の 、 左 端 空 白 ス ペ ー
ス を 使 っ て こ れ ま で に も短 い 文 章 の 追 加 が 見 ら れ た 。 そ れ が 細 か い 文 字 で 書 け ば 二 、
三 の 英 単 語 が 十 分 に 入 る ス ペ ー ス で あ る と ころ か ら、 この 日記 帳 で は 例 外 的 に 長 い
文 章 の 挿 入 が 見 ら れ る(f.16)。
ア ー ネ ス
ト ・サ
トウ 日 記
PRO/30/33/15/12ff.1-99
第12冊
PAGENATION:leaves1-99の
PERIOD:ii年11月21日
PENMANSHIP:適
枚 数 記 入 が あ り 、 総 頁 で は197pagesに
か ら1890年9月15日
な る。
まで の 長 期 間 に及 ぶ 。
切 な 紙 質 の 帳 面 に 小 さ な 文 字 で 流 れ る よ う に書 い て い る。 部 分
的 な 例 外 は 、 英 国 へ 帰 国 して い た1888年
の 夏 の ロ ン ド ン で 、8月11日
断 を 受 け た り 体 調 不 良 を 起 こ し て お り 、 同 年9月
に は医師 の診
の 日記 に は多 少 と も荒 い筆 致 が 見
え る 。 他 の 箇 所 に もあ る 。
EDITING:頁
左 端 に 小 見 出 し用 の 罫 線 が 縦 に 印 刷 さ れ て い る の で 、 日 付 は ほ ぼ 自 動
的 に そ の 欄 に 記 入 して い る。
FEATURES:日
記 執 筆 の模 範 と 言 え そ うな 書 き方 で あ る 。 小 見 出 し、 日 付 、 行 間 、
文 字 間 隔 、 筆 致 、 訂 正 や 汚 れ の 有 無 、 等 の 角 度 か ら判 断 し て の 評 価 で あ る 。
ENCLOSURES:礼
拝 資 料(S.Paul'sCathedral,1888/10/29),ff.42-47a。
一26一
ア ー ネ ス ト ・サ ト ウ 日 記
第13冊
PAGENATION:leaves1-92aの
PRO/30/33/15/13ff.1-92a
記 入 で あ り 、 総 頁 は184pagesに
PERIOD:1890年9月16日
か ら1891年9月7日
PENMANSHIP:大
な る。
の ほぼ一年 分 であ る。
き な 文 字 で 走 り書 き して お り、 ゆ っ く り と 日記 を 書 い て い る だ
け の 時 間 的 な 余 裕 の な さ を 感 じ さ せ る 。 決 して 書 き な ぐ り で は な い も の の 、 荒 い 筆
致 も散 見 した り、 記 述 が 時 系 列 に な らず 、 ア チ コ チ に 飛 ん で い るケ ー ス が あ る の で
判 読 に あ た って は 注 意 が 必 要 に な る 。
EDITING:左
端 の 空 白 ス ペ ー ス は空 けて あ る も の の 、 時 に は 日 付 の 確 認 が 困 難 に な
る ほ ど、 頁 の 端 ギ リギ リ ま で書 き込 ん で い る。
FEATURES:年
齢 が 進 む に つ れ て 、 と り わ け 引 退 後 の サ トウ は 、 読 書 の ほ か に 植 物
採 取 と 観 察 を 趣 味 と し て 深 化 さ せ る の で あ る が 、 こ の 日 記 の 段 階 で も珍 し い 植 物 の
イ ラ ス トを 描 い て 、 植 物 観 察 の 趣 味 の 一 端 を 垣 間 見 せ て い る 。
ENCLOSURES:上
記 イ ラ ス ト(f.33)
ア ー ネ ス ト ・サ
トウ 日 記
PRO/30/33/15/14ff.1-91
第14冊
PAGENATION:leaves1-91の
PERIOD:先
枚 数 記 入 で あ り 、 総 頁 数 は181pagesで
行 す る 第13冊
1892年8月30日
PENMAN§HIP:全
の1891年9月7日
あ る。
分 を 継 続 す る こ とか ら始 め 、 最 終 日付 は
まで の 期 間 に あ た り、 一 年 に 満 た な い 。
体 的 に は 大 き め の 字 で 書 き 流 して い る が 、 大 き な 字 で あ っ て も、 ・
落 ち つ い た 柔 らか な 印 象 の 書 き方 を 稀 に 交 え る 時 も あ る。
EDITING:小
見 出 し欄 に 日 付 を 表 記 す る に も 、 同 じ シ ス テ ム で は な い 。 例 え ば1892
芝3
年4月
の 分 に は 、13Apri!、Apr.14、April16、24Sunday、25、27Apr.と
い
う 具 合 で 様 々 な の で あ る。
FEATURES:外
交 官 と して の 多 忙 さ は、 面 会 、 会 議 、 夕 食 な ど に つ い て 日 々 繰 り返
して い る 記 述 か ら も窺 い 知 れ る。
ENCLOSURES:isに
短 い 新 聞 切 り抜 き が 添 付 さ れ て い る。
一27一
ア ー ネ ス ト ・サ ト ウ 日 記
PRO/30/33/15/15
第15冊
PAGENATION:leaves1-107の
ff.1-107
記 入 で あ り 、 総 頁 数 で113pagesに
PERIOD:1892年9月1日
か ら1893年12月24日
PENMANSHIP:太
な る。
までの期 間に あた る。
い ペ ンで 濃 く書 い て い るが 、 荒 い感 じよ り もむ し ろ 、 丁 寧 で や
わ ら か な 印 象 を 全 体 的 に 与 え 、 ど こ か 生 活 の 落 ち つ き が 感 じ さ せ るO
EDITING:左
端 の 小 見 出 しス ペ ー ス は頁 幅 の八 分 の一 程 度 で あ る。 日付 の 記 入 等 の
用 途 に は これ が 適 切 な 空 き で あ る と思 わ れ る 。 き ち ん と した ス タ イ ル が 長 い経 験 の
な か で 生 ま れ た の で あ ろ う。 追 加 の 文 章 を こ の わ つ か な ス ペ ー ス に 入 れ る の に 、 例
え ば 、1892年12月20日
と21日 の 間 で 利 用 して お り(f.24a)、
縦 書 き に して 五 行 を 書
き添 え て も い る。
FEATURES:長
文 の と き に は 段 落 で 大 き く イ ン デ ン トす る 余 裕 を 見 せ て い る 。
ENCLOSURES:な
し。
ア ー ネ ス ト ・サ ト ウ 日 記
第16冊
PAGENATION:leaves1-113aの
PERIOD:1893年12月24日
PRO/30/33/15/1.6ff.1-113a
記 入 で あ り 、 総 頁 数 は226pagesに
な る。
を 前 冊 か ら 継 続 して 始 め て お り 、 一 年 未 満 、1894年11月2
日の 途 中 で 終 わ って い る 。 一 年 に 一 冊 と い う標 準 的 な 日記 執 筆 に定 着 して き て い る
もの の 、 書 き出 しが 年 頭 で な い た め に ズ レが 生 じ る。 記 述 の 長 さ も一 日一 頁 が 標 準
で あ る とす れ ば 、 こ こ で は 一 行 か ら数 頁 に な って お り 、 マ チ マ チ な の だ 。
PENMANSHIP:前
冊 と 同 様 に大 き な 文 字 で ゆ る や か に 書 い て い る の で 、判 読 が 容
易 で あ る の は 言 う まで もな く、 読 ん で い て 気 持 ち の 良 い 書 体 で あ る。
EDITING:前
冊 と同 様 に 適 切 に 空 け て あ る 左 端 の 余 白 に は 、 追 加 の 文 章 を 三 行 に わ
た っ て 入 れ ら れ る だ け の 広 さ が あ る(f.11a)。
FEATURES:例
え ば1894年10月
旧 か ら4日
て 、 判 別 しに く くな って い る 箇 所 が あ る 。
ENCLOSURES:
-28一
の様 に、 一 部 に は 日付 を 書 き直 して い
ア ー ネ ス ト ・サ ト ウ 日 記
PRO/30/33/15/17ff.1-1`78a
第17冊
PAGENATION:leaves1-178aの
記 入 で あ り 、 総 頁 数 は356pagesで
あ る。新 し
い 頁 を め く る の に 一 枚 頁 を 飛 ば し て し ま う こ と は 起 こ り え る こ と で は あ る 。 サ トウ
日 記 に も 見 受 け られ る 。 こ こ で はf.172aに
PERIOD:前
冊1894年11A2日
PENMANSHIP:太
EDITING:左
発 生 して 時 系 列 を 混 乱 させ た 。
を 継 続 す る 形 で 始 ま り 、1895年4月26日
で終 わ る。
い ペ ン で 濃 く 流 れ る よ う に 書 い て い る の で 判 読 しや す い 。
端 空 白 ス ペ ー ス に 短 い 語 句 や 文 章 を 追 加 す る こ と は 、 他 の 日記 に も
多 々 あ った け れ ど、 こ こ で は 例 外 的 に頁 上 端 の ス ペ ー ス に 一 日分 の 記 述 を 追 加 記 入
し て い る(f.95,1895年5月11日)。
FEATURES:最
後 の 日 本 勤 務 の た め に 横 浜 へ 到 着 し た1895年7月28日
以来 、記 述 は
こ こ ろ な しか 筆 致 に丸 み が 出 て や わ ら な か 感 じ を与 え る 。 慣 れ た 日本 生 活 の な か で
味 わ う こ との で きた 時 間 的 な 余 裕 と 落 ち つ い た 生 活 の た あ で あ ろ う か 。
ENCLOSURES:イ
ラ ス ト(f.58)。
ア ー ネ ス ト ・サ ト ウ 日 記
第18冊
PAGENATION:leaves1-184aの
PERIOD:1896年4月27日
PENMANSHIP:濃
PRO/30/33/16/1ff
記 入 で あ り 、 総 頁 数 は368pagesに
か らi・S年6月15日
.1-184a
な る。
の ほ ぼ 二 年 間 に わ た る。
い イ ン ク の 太 い字 で あ るが 、 丁 寧 に 書 か れ て い る の で 判 読 しや
す い 。 但 し、 た っ ぷ り とイ シ ク を 付 け る た め に 、 イ ン クの 乾 きが 遅 く、 時 に は 擦 っ
て 紙 面 を 汚 す ケ ー ス が 見 られ る よ う に な る 。
EDITING:頁
幅 の 五 分 の一 ほ ど の 広 さ で 左 端 ス ペ ー ス を こ こで も 空 けて い る の で 、
日付 の 記 入 や 語 句 の 追 加 に 適 切 に 活 用 で き て い る。 空 白 の 割 合 は 、 書 い て い る 文 字
が 小 さ め で あ るの で か な り 目立 つ く らい で あ る 。
FEATURES:日
本 語 の 漢 字 が 頻 繁 に ま じ る の も 、 こ の 日記 帳 の 特 色 の 一 つ で あ る。
君 平 、 天 主 、 同 意 、Nishi西
成一 、國粋 家、等 であ る。
ENCLOSURES:
一29一
ア ー ネ ス ト ・サ ト ウ 日 記
第19冊
PAGENATION:leaves1-117の
FRO/30/33/16/2ff.1-117
枚 数 番 号 付 け で あ る の で 、 総 頁 数 で は233pages
に なる。
PERIOD::・S年6月16日
か ら;・.年9月29日
PENMANSHIP:語
までの一年 余 りの期間 。
句 の 間 の スペ ー ス に ゆ と りが あ り、 大 き な 文 字 で 伸 び 伸 び と書
い て い る の で 、 判 読 しや す い テ キ ス トで あ る 。
EDITING:左
端 の空 白 スペ ー ス を十 分 に 取 っ て い る の で 、 そ こに 記 入 して い る 日付
は判 別 しや す い 。
FEATURES:Chinesemission(f.95a)の
よ う に 、 し ば ら く止 め て い た 下 線 入 り の
小 見 出 し を 再 開 し て 、 記 述 の 内 容 を 項 目 化 し よ う と す る 工 夫 が 見 え る 。Parkesと
D'Anethan等
か
の 外 交 官 仲 間 、 そ れ に 日本 人 旧友 が 頻 繁 に 訪 問 す る公 務 日課 を 記 す こ
と が 多 くな り、 サ トウの 交 遊 の 幅 の 広 さが 手 に 取 る よ う に分 か る。
ENCLOSURES
ア ー ネ ス ト ・サ ト ウ 日 記
第20冊PRO/30/33/16/3ff.1-116
PAGENATION:leaves1-116の
枚 数 記 入 法 で あ る の で 、 総 頁 数 で は231pagesに
な る。
PERIOD:1899年10月11日
か ら1900年11月10日
ま で の 一 年 余 りの 期 間 に あ た る が 、 こ
の 間 に 日 本 勤 務 を 終 え て ロ ン ド ン に 一 時 帰 国 して い る 。 生 活 す る 場 の 変 化 は あ っ て
も、 習 慣 化 した 日記 執 筆 を ほ ぼ毎 日欠 か して い な い 。 勤 勉 な 性 格 の 一 端 が 見 え る 。
PENMANSHIP:太
め の ペ ン と 濃 い イ ンク を 使 い、 ゆ っ た り と書 い て い るの で 判 読
しや す い 。
EDITING:左
端 ス ペ ー ス が 十 分 に 空 いて い る と こ ろ か ら、 これ を 横 向 き に して 六 、
七 行 の 長 い文 章 を 細 か な 字 で 追 加 して い る ケ ー スが 二 、 三 あ る。
FEATURES:日
ENCLOSURES:写
Augusti・:と
記 文 面 に は、 日頃 か ら慣 れ た 外 交 文 書 の 書 き方 が 現 れ て い る 。
真 一 葉(f.4a)の
裏 面 に 、afterafortnightOfOxfOrd,
い う メ モ書 きが あ る 。 人 物 不 詳 。
-30一
ア ー ネ ス ト ・サ ト ウ 日記
第21冊
PAGENATION:leaves1-147の
PERIOD:/900年11月11日
岬
枚 数 表 記 な の で 総 頁 数 で は293pagesで
あ る
か ら1901年12月13日
PENMANSHIP:太
EDITING:段
PRO/30/33/16/4ff.1日
の ほぼ一年 間 にあた る。
い ペ ンで 濃 い イ ン ク を 使 い 、 落 ち つ き の あ る書 き 方 で あ る 。
落 付 け の た め の イ ンデ ン トも適 切 で あ り、 全 体 と して 堂 々 と書 い て い
る の で 安 心 し て 読 み 進 め ら れ る 。 左 端 の 空 白 ス ペ ー ス も 十 分 に 空 け て あ る 。f.106a
で は こ の ス ペ ー ス ー 杯 に 、Hartsaidで
始 ま る 長 文 を 横 書 き で 追 加 して い る 珍 し い
例 が あ る。 これ も 日記 執 筆 の 目的 が 、 公 務 に 関 す る私 的 記 録 と い う性 格 を 持 っ た め
に 、 細 か い 覚 書 を 必 要 と し た た あ と 思 わ れ る 。 同 様 の 例 はf.146aに
FEATURES:新
し い 日 記 帳 の 書 き 出 し に 、Peking1900と
もあ る 。
あるよ うに、在 中国英 国
公 使 時 代 の 日記 で あ り、 公 務 に 係 わ る私 的 な 覚 書 の 意 味 が 強 い 。 中国 語 の 人 名 、 釘
翼 、 呉 仲 賢hisinterpreterが
、 日本 語 に代 わ っ て散 見 す る よ うに な る 。
ENCLOSURES:f.4(Capt.Bingley)とf.127(Beck)に
ア ー ネ ス ト ・サ トウ 日 記
PAGENATION:leaves1-134aの
第22冊
メモの添付 があ る。
PRO/30/33/16/5ff.1-134a
枚 数 計 算 な の で 総 頁 で は268pagesに
PERIOD;1901年12月25日
か ら1.902年10月17日
PENMANSHIP:比
な る。
ま で の 一 年 弱 の期 間 に わ た る 。
較 的小 さ な字 で 流 れ る よ う に書 い て い る の は読 み や す い の で あ
る が 、 筆 記 体 のtの
横 棒 線 を 後 か ら付 け る と き に余 りに 長 く流 しす ぎ る た め に 、 他
の 文 字 に ま で か か っ て し ま い 、 読 み に く く し て い る 。 同 じ こ と は 筆 記 体iの
上部 に
付 け る点 も、 長 く引 き す ぎて い る た め に 汚 れ た 文 面 に 見 え た りす る。
EDITING:左
端 空 白 ス ペ ー ス を 広 く 空 け て 日付 の 記 入 欄 と して 活 用 し て い る 。 そ こ
に 文 章 を 挿 入 し て い る ケ ー ス の な か で も 、1902年4月12日
と4月14日
の 日付 を 記 し
た 空 白 に、 日付 を 越 した 文 章 の 継 続 が 見 られ る の は 誤 読 の 原 因 に な りぞ うだ 。
FEATURES:使
ENCLOSURES:イ
臣平 安 、 崇 禮 、 無 父 無 君 、 の よ うな 中 国 語 を 時 に 使 っ て い る 。
ラ ス ト画(f.106)。
一31一
ア ー ネ ス ト ・サ トウ 日 記
PRO/30/33/16/6ff.1-141
第23冊
PAGENATION:leaves1-141の
枚 数 計 算 で あ り 、 総 頁 は281pagesに
PERIOD:1902年10月18日
紙 面(f.104)の
か ら1903年12月21日
上 で 、1903年9月
な る。
の 一 年 余 りの 期 間 で あ る。 ま た 、 同 一
の24、22、23、25日
とい う順 序 に よ り、 な ぜ か 日
付 が 合 い 前 後 して 記 入 さ れ て い る 。
PENMANSHIP:濃
EDITING:紙
い イ ン クを 使 い 、 柔 らか な 文 字 で 流 れ る よ う に 書 い て い る。
面 左 端 に 縦 の罫 線 が 入 っ て い な い の で 、 見 出 しの た め の 空 白 ス ペ ー ス
を 空 け るの は よ いが 、 横 幅 の 五 分 の 一 の ス ペ ー ス を 取 って しま い 、 そ の 割 り に は 書
い て い る 文 字 は 小 さ い の で あ る 。 そ れ で も 、f.5aのNOto(Oct.31)やf.26aの
よ う
な 場 合 に は、 外 交 文 書 と 同様 に 、 文 章 の 追 加 に便 利 な 空 欄 使 用 法 で あ る 。
FEATURES
ENCLOSURES:ff.20-21の
間 に サ トウ を 含 む 集 合 写 真 。
ア ー ネ ス ト ・サ ト ウ 日 記
PRO/30/33/16/7ff.1-147
第24冊
PAGENATION:leaves1-147の
PERIOD:1903年12月22日
PENMANSHIP:六
枚 数 表 示 で あ り 、 総 頁 数 は293pagesに
か ら1904年9月19日
な る
まで の一 年 弱 の 期 間 で あ る 。
十 歳 に な った 人 の 字 と は 思 え な い ほ ど 、 大 き な 字 で 、 しか も円
や か な書 体 で 気 持 ち よ く書 い て い る の で 判 読 に な ん の 困 難 も感 じ られ な い 。 サ トウ
自筆 日記 の な か で 最 も綺 麗 に書 か れ て い る 日 記 帳 と言 え る 。
EDITING:こ
こで も左 端 に 空 白 ス ペ ー ス を 広 く空 け て い る 。 頁 飛 ば しに よ る 時 系 列
の 混 乱 が 、 こ こ で は1902年1月7日
FEATURES:一
分 で 発 生 した 。
日 分 の 執 筆 に 、 一 頁 を 当 て る と い う の が 標 準 で あ る け れ ど 、 サ トウ
日記 の 場 合 に は 長 短 は マ チ マ チ で あ り 、 こ こ で は1903年1月4B(ff.1H4a)の
よ
うに 、 七 頁 半 の 長 き に及 ぶ もの も登 場 した 。
ENCLOSURES:ff.42-43ま
で は 、1916年2月21日E.S.と
日付 の 入 っ た 引 用 メ モ
が 挿 入 さ れ て お り、 後 日に 日記 帳 を 読 み 返 して 編 集 を した こ とが 分 か る 。
-32二
ア ー ネ ス ト ・サ ト ウ 日 記
PRO/30/33/16/8ff.1-140
第25冊
PAGENATION:工eaves1-140の
枚 数 表 記 で あ り 、 総 頁 数 は279pagesに
PERIOD:190年9月21日
か ら1905年9月30日
PENMANSHIP:太
な る。
ま で の 約 一 年 間 を扱 って い る 。
い字 で 濃 く流 れ る よ う に書 か れ て い て 判 読 しや す い 。
EDITING:広
く小 見 出 し の 空 白 ス ペ ー ス を 設 け て い な が ら も 、1904年9月23日
付 表 記Sept.23に
続 き 、 単 に 「n26」
の 日
と 表 し 、 し か も 「26」 は 本 文 の な か に 入 っ て
い る状 態 で は、 日付 の 確 認 が 紛 らわ しい 。 こ う した 場 合 、 本 文 の 文 脈 の 流 れ か ら判
断 して 、
「26」 が 日 付 で あ る と 確 定 す る しか な い 。 む し ろ 次 の 頁 に あ る 「27"」
と
い う省 略 法 の 方 が 混 乱 しな い 。
FEATURES:f.11で
は 文 末 にHealsobroughtと
あ り、 次 の 行 は イ ンデ ン ト して
別 の 話 題 に 転 じて い る が 、 左 端 空 白 で ア ス テ リ ッ ク 付 き の
蔚amessageで
始 ま る六
行 の 長 い文 章 を 継 続 させ て い る 。 最 初 か ら空 白 ス ペ ー ス に続 き を 書 くと い う の も不
思 議 で あ り、 元 に な っ た メ モ の 存 在 と 日記 で の 清 書 と い う仮 定 を 推 測 さ せ る 。
ア ー ネ ス
ト ・サ
トウ 日 記
PRO/30/33/16/9ff.1-140
第26冊
PAGENATION:ff.1-140の
PERIOD:前
枚 数 表 示 で あ り 、 総 頁 数 は279pagesに
冊 の1905年9月30日
PENMANSHIP:大
を 継 続 す る 形 で 始 ま り 、1907年1月25日
な る。
で終 了 。
き な 文 字 で 丁 寧 な 書 き方 で あ るの で 判 読 は 容 易 で あ る 。
EDITING:1906年3月2旧
分 は 頁(f.62a)の
上 段 空 白 に 追 加 して い る 。 左 端 に罫 線
の あ る 日記 帳 を使 わ な い サ トウ は、 そ の つ ど 空 白 幅 を 設 け るが 、 そ の 幅 は そ の ま ま
時 期 的 な 心 理 傾 向 を 映 し 出 して い る と 思 わ れ る 。 次 第 に 狭 く な っ て き て い る 。
FEATURES:f.95の
f.134の
文 面 に は珍 し く日本 語 の 文 字
文 面 に 注 目 し た い 。 日 記 の 記 述 は 当8に
「嘉 永 明 治 年 間 録 」 が 見 え る 。
して い る の か 、 後 日 に纏 あ書 き し
て い るの か 、 た え ず 疑 問 が 脳 裏 を 走 る事 柄 で は あ る 。 こ こ で は 以 下 に挙 げ る イ ン
タ ー ナ ル ・エ ヴ ィ デ ン ス を 根 拠 に 、 後 日 の 纏 め 執 筆 が 明 白 で あ る 。1906年12月18日
か ら19日 以 降 の 数 日 に 移 っ た と き の 筆 跡 ・イ ン ク の 濃 さ ・19日 の 日 付 訂 正 。
ENCLOSURES:f.111にMor!ey'sRecollectiOnsか
らの 自筆 引 用 文 が あ る。
-33一
ア ー ネ ス ト ・サ ト ウ 日 記
第27冊
PAGENATION:leaves1-152の
PRO/30/33/16/10ff.1-152
枚 数 計 算 で あ り 、 総 頁 数 は303pagesに
PERIOD:1907年1月26日
か ら1909年4A22日
PENMANSHIP:訂
な る。
までの期 聞を カ ヴァーす る。
正 や 追 加 した 箇 所 も な く全 体 的 に 綺 麗 な 書 体 で 書 い て い る 。
EDITING:左
端 の 空 白 ス ペ ー ス も十 分 に あ け て 、 そ こ に 日 付 を 記 入 す る ほ か に は 、
こ れ ま で に 散 見 し た よ う な 他 国 外 交 官 と の 会 見 ・会 話 な ど を 後 日 の 参 考 の た め に 、
空 白 に 付 記 す る よ うな 必 要 が 、 最 後 の 日本 赴 任 の折 に は な か った ら し い 。 の び や か
に 落 ち つ い た 書 き方 で あ る の は、 そ の ま ま 最 後 の 日本 生 活 の 姿 を 映 し 出 して い るの
で あろ う。
FEATURES:1907年12月16日
分(f.93a)は
、 左 端 スペ ー ス に縦 書 き の 追 加 記 入 を し
て い る が 、 内 容 は 地 元 の キ リ ス ト教 慈 善 団 体 の 集 ま り で 講 演 し た と こ ろ 、 恐 ら く 雨
の た あ に 聴 衆 が 少 な か った の だ ろ う と い う 内容 に 過 ぎ な い。
ENCLOSURES:新
聞 切 り 抜 き(f.16,SirErnestSatowaPundit)。
ア ー ネ ス ト ・サ ト ウ 日 記
第28冊
PAGENATION:leaves1-150aの
PRO/30/33/16/11ff.1-150a
枚 数 記 入 で あ り 、 総 頁 で300pagesに
PERIOD:1909年4月23日
か ら1911年6月11日
PENMANSHIP:引
な る 。
ま で の 約 二 年 余 りに わ た る 。
退 後 の 田 舎 生 活 の な か で 、 地 域 活 動 に 駆 り出 さ れ る こ と は あ っ
て も、 文 字 通 り晴 天 雨 読 の 余 裕 あ る生 活 模 様 は 、 こ う した 自筆 の 文 面 に も落 ち 着 き
の あ る書 体 と な って 現 れ る も の で あ る ら し い 。
EDITING:1901年1月
の 箇 所 に 同 年4月4日
か ら8日
分 の 記 述(ff.53a-54)が
急 に
挿 入 さ れ て い るの は ど う し た事 情 で の記 入 間 違 い に な った の か 不 思 議 で あ る 。
FEATURES:か
れ て サ
って の 同 僚 や 友 人 知 人 の 死 亡 を メ モ す る こ とが 、 晩 年 に 向 か うに つ
ト ウ 日 記 の 特 色 に な る が 、 こ こ で はf.56aの
左 端 空 白 にTheTimesOftoday
announcesthedeathofEddyMorantwhowaswithmeatTangierashon.
attache,verynicefellow.と
筆 家 で も あ り 、1910年5月20日
記 して い る 。 ま た 、 健 脚 家 で 知
に はwrote141ettersと
-34一
られ る サ
トウ は健
メ モ 書 きを 加 え て い る 。
ア ー ネ ス ト ・サ ト ウ 日 記
PRO/30/33/16/12ff.1-1.21
第29冊
PAGENATION:leaves1-121の
枚 数 計 算 で あ り 、 総 頁 で241pagesと
PERIOD:1911年6月12日
か ら1912年12月5日
PENMANSHIP:細
EDITING:一
な る 。
ま で の ほ ぼ 一 年 半 の 期 間 で あ る 。
い 字 体 で あ る もの の 鮮 明 に 書 か れ て あ り判 読 しや す い 。
頁 に 二 十 五 行 、 そ れ だ け一 行 の 幅 が 広 あ の 日記 帳 を 使 っ て い る が 、 引
退 後 の 伸 び や か な 生 活 の な か で 、 日 記 は 日 課 と な っ て 、 一 日 も欠 け て い な い 週 月 が
多 く な る 。 平 均 して 一 頁 に 三 日 分 、 つ ま り一 日 分 が 八 行 ほ ど で 書 き 進 め て い る 。
FEATURES:唯
一 の 例 外 と し て 押 し 葉 が 添 付 さ れ て い る(f.84a)。
ENCLOSURES:サ
ト ウ ら し い 人 物 が 野 外 で ス ピ ー チ を し て い る 姿 が シ ル エ ッ トで
浮 か ぶ 写 真(f.14)。
f.120)に
多 く な っ て き た 新 聞 切 り 抜 き(f.41a,f.66a,::,f.119,
は 、(f.79a)lnterestingSpeechbySirErnestSatOwの
よ うに 、 サ
ト
ウ に 言 及 す る 地 方 新 聞 記 事 が 大 半 と言 え る 。
ア ー ネ ス ト ・サ
トウ 日 記
第30冊
PAGENATION:leaves1-.119の
枚 数 記 入 で あ り 、 総 頁 で は237pagesに
PERIOD:1912'12A6日
PENMANSHIP:小
PRO/30/33/17/1ff.1-119
か ら1914年5月28日
な る。
までの期 間で ある。
さ な 太 い 字 で 流 れ る よ う に 書 い て い る点 で は、 若 い 頃 とな ん ら
変 わ って お らず 、 判 読 に 支 障 は な い 。
EDITING:左
端 ス ペ ー ス も紙 面 一 頁 の 六 分 の 一 ほ ど を 当 て て 、 専 ら 日付 の 記 入 に
使 って い る 点 で も、 若 い 頃 とな ん ら変 わ って い な い 。
FEATURESlほ
ぼ 毎 日 日記 を 付 けて い る 。 引 退 した サ トウ は す で に 七 十 歳 を 迎 え て
お り 、 こ の 頃 か ら年 度 末 に は 一 年 の 間 に 他 界 し た 同 僚 ・友 人 ・知 人 な ど の 死 亡 日 を
記 録 す る習 慣 が で き た 。
ENCLOSURES:地
元 新 聞 の 記 事 を 中 心 に し て 、1913年
事 の 切 り 抜 き を 添 付 し て い る(f.49a,f.75,f.81a,f.90,f.101a)。
に もサ トウ に 言 及 の あ る記
従 って 、 実
際 の 日記 執 筆 そ の もの は 、 総 頁 数 か ら そ の 分 を 差 し引 か な け れ ば な ら な い 。
一35一
ア ー ネ ス
ト ・サ
トウ 日 記
PRO/30/33/17/2ff.1-124a
第31冊
PAGENATION:leaves1-124aの
枚 数 表 記 で あ り 総 頁 数 は228pagesに
PERIOD:1914年5月29日
か ら1915年12月18日
PENMANSHIP:ペ
な る
まで の 約 一 年 半 の 期 間 で あ る。
ン先 が 太 い た あ に 、 す こ しイ ン クが 濃 厚 す ぎ る 。
EDITING:全
体 と し て は 空 白 の 多 い 余 裕 の あ る 書 き 方 を 保 っ て い る 。 但 し 、1915年
3月10日
分 は 、 全 日記 帳 で も唯 一 の 例 外 と言 え る よ う な 、 一 行 の 行 間 に 二 行 分 を な
ぜ か 書 き 込 ん で い る 。
FEATURES:年
度 末 に は 一 年 間 の 死 亡 記 録 を
は教 会 関 係
・慈 善
・地 域 団 体 等 へ の 年 間 の 献 金 額 を リ ス
ENCLOSURES:1914年
に はTimesに
(f・19a,f・23a,f・25a)、1915年
英 国 大 使 館 前 にサ
送 った サ
ト ・サ
トウ 日 記
トウが 寄 付
PENMANSHIP:イ
EDITING:広
トす る よ う に な る 。
トウ の 投 書 を 含 む 三 つ の 切 り抜 き
在 日
・植 樹 し た 桜 に 関 す る 切 り 抜 き も あ り 、f
リス
.92aに
は
トも添 付 さ せ て い る 。
PRO/30/33/17/3ff.1-119
第32冊
PAGENATION:leaves1-119の
PERIOD:1915年12月19日
末 か ら
に は(f.67a,f.76,f.79,f.89,f,91a)、
S.A.W.SatOwlsvisitsしoOtterySt.Maryの
ア ー ネ ス
リ ス ト す る だ け で な く 、191年
枚 数 表 記 で あ り 、 総 頁 数 は237pagesに
か ら1917年9月11日
な る 。
ま で の 期 間 で あ る。
ンク の 濃 淡 や 書 き 方 が マ チ マ チ に な っ て きて 読 み に くい 。
い左 端 ス ペ ー ス 、 イ ン デ ン トと文 末 ス ペ ー ス な ど 白 い 空 間 が 多 い 従 来
の 書 き 方 か ら 始 め た こ の 日 記 帳 も 、 四 分 の 一 ほ ど し て か ら(f36aあ
た り)、
左 端 の
ス ペ ー スを 空 けず に 書 くよ う に な る。 そ の た め に 本 文 の な か に 入 っ て しま う 日付 に 、
た と え 下 線 を 引 い た に せ よ 、 判 読 に 不 便 を 生 じる よ う に な る 。 これ も戦 時 下 の 倹 約
ム ー ド の 現 れ と 解 釈 す べ き で あ ろ う か 。 こ の 傾 向 が 一 層 進 む と 、1916年7月31日
8月1日
の よ う に、 前 文 の終 わ り に 続 けて 書 き込 む よ う な 傾 向 を 産 み 、 一 頁 の 文 面
に 空 白 が 皆 無 と い う詰 ま っ た 状 態 に 陥 る 。
ENCLOSURES:新
や
聞 切 り 抜 き に は 、GifしtoLondonLibrary-一
PapersOnChina(Times,7Jan.1916)がf.5に
一SirE
添 付 さ れ て い る 。
-36一
.Satow's
ア ー ネ ス
ト ・サ
ト ウE信
己
PRO/30/33/17/4ff.1-119
第33冊
PAGENATION:leaves1-119の
枚 数 記 入 で あ り 、 総 頁 数 は237pagesに
PERIOD:1917年9月12日
か ら1919年6月20日
PENMANSHIP:細
な る。
まで の期 間であ る。
か い 字 で 頁 一 面 に 書 き 込 ん で い て も前 冊 よ り は 読 み や す い 工 夫
が あ る。 一 つ に は 日毎 に太 字 の ペ ン と細 字 用 の ペ ンを 交 互 に使 う こ と で 、 見 た 目に
も 日に ち の違 い を イ ン ク の濃 淡 で 表 す こ と を ど うや ら思 い つ い た 様 子 で あ る 。
EDITING:全
て の余 裕 あ る空 白 ス ペ ー ス が な く な って し ま い 、 ペ ン と イ ンク の 使 い
分 け 、 そ れ に 日付 に二 重 下 線 を 引 くな ど して 、 サ トウ な り に工 夫 して 、 日 々 の 違 い
を 図 ろ う と して い る よ うだ 。 引 退 生 活 の な か で 月 日を 失 念 す る こ と もま ま あ る 。
FEATURES:ペ
ン の調 子 が 悪 い の か 、 イ ンク の 量 が 多 す ぎて 紙 面 に 滲 み 、 鮮 明 さ に
欠 け る文 字 が 多 出 す る 結 果 とな っ た 。 引 退 生 活 の な か で 話 題 性 に 欠 け 、 日課 の 日 記
で は 天 候 に 言 及 して 、191811A9日
Chinewayfootandback.と
ア ー ネ ス ト ・サ トウ 日 記
PAGENATION:leaves1-117の
PERIOD:1919年6月22日
PENMANSHIP:濃
に は 、Mild,somerain,WalkedtO
記 して い る だ け で あ る 。 そ れ に 省 略 記 号 が 少 な く な る 。
第34冊PRO/30/33/17/5ff.1-117
枚 数 表 記 で あ り 、 総 頁 数 は233pagesに
か ら1920年12A20日
(f.89a)に
ま で の 期 間 で あ る 。
い イ ン クが 鮮 明 な 文 字 を 浮 か ば せ ず に 、 判 読 に苦 しむ 単 語 の 場
合 が 頻 発 す る 。 次 第 に 読 み に く い テ キ ス
EDITING:前
な る。
トに 変 わ っ て き た 。
冊 と 同 様 に 一 切 の 空 白 ス ペ ー ス を 入 れ て い な い 。1920年8月1日
来 て 、 久 し ぶ り に 左 端 空 白 の ス ペ ー ス を 空 け た の は 、 ど う した 風 の 吹 き
廻 しに よ る もの だ ろ うか 、 不 思 議 で あ る。
FEATURES:山
野 の散 歩 に で か けて は 、 野 草 を 集 め た りす るの が 日課 の よ う に な っ
て く る が 、 草 花 の 学 名 を ラ テ ン 語 で 表 記 して い る 。 ま た 、 漢 字 以 外 に は ほ と ん ど 英
語 だ け を 書 い て い た の が 、 こ こ で は ギ リ シ ャ 語 が 混 じ っ て い る(f.112a)。
ENCLOSURESl友
人 のPrykeのobituary(f.51)の
聞 か ら の 切 り 抜 き が 貼 っ て あ る(f.44,f.61,f.61a,f.106)。
-37一
ほ か 、1920年
に は わ ず か な 新
ア ー 不 ス
ト ・サ
トウ 日 記
PRO/30/33/17/6ff
第35冊
PAGENATION:leaves1-120の
.1-120
枚 数 表 記 で あ り 、 総 頁 数 は240pagesに
PERIOD:1920年12月21日
か ら1922年8月29日
PENMANSHIP:先
なる。
まで の 期 間 に あ た る。
行 す る 数 冊 の 日記 帳 に 散 見 し た か な り 荒 い 書 き 方 と 比 較 す れ ば
、
外 交 官 時 代 に戻 っ た か の よ うに 丁 寧 で 落 ち つ い た筆 致 に戻 って き た 。
EDITING:左
端 の 空 白 ス ペ ー ス こ そ作 って い な が い が 、 段 落 で 改 行 す る 際 に文 末 の
空 白 を 残 して い る 。 す こ し は 狭 苦 し さ を 取 り 除 い て い る 。 .,
FEATURES:1
.921年3月30日
か ら4月3日
ま で の 期 間 は 、 ま と め て 日記 を書 い て い
る 。 ほ と ん ど生 涯 丶 病 に 伏 した こ との な い サ トウ も、 晩 年 に 向 か うに つ れ て 故 障 が
出 始 め 、 こ の と き は 声 が 出 な い ほ ど の 喉 頭 炎 を 患 い 、 日記 を 断 念 した 模 様 で あ る 。
1921年
度 末 の 死 亡 者 リ ス トは 長 い も の に な っ た 。
ENCLOSURES:1921年
分 の 新 聞 切 り 抜 き は 地 元 新 聞 か ら 多 く あ っ た(f
f.16a,f.⊥
ア ー ネ ス ト ・サ
.8,f.10a,
↓6a,f.49,f.53,f,61)。
トウ 日 記
第36冊
PAGENATION:leaves1-95の
PRO/30/33/17/7ff
.1-95
枚 数 表 示 で あ り 、 総 頁 数 は189pagesに
PERIOD:1922年8月30日
か ら1923年11月4日
PENMANSHIP:小
な る。
ま で の 一 年 余 りの 期 間 で あ る 。
さ め な綴 り で あ るが 、 や わ らか い 流 れ る サ トウ ら し い書 き 方 で
あ る の で 、 判 読 は そ う難 しい も の で は な い 。
EDITING;左
右 の端 ギ リギ リ に ま で 紙 面 を 使 って い て 、 日付 は本 文 中 に 入 って し ま
い 、 し か も一 本 な い し 時 に は 二 本 の 下 線 を 用 い て き た 先 行 日 記 と 違 い 、 ま っ た く 日
付 だ け と い う もの が 発 生 す る 。 そ れ で も判 読 で き る 。 一 字 一 句 を 辿 っ て 進 む 読 み の
作 業 で は 、 意 味 の 流 れ を た え ず 把 握 し て お か な け れ ば な らず 、 文 脈 の 動 き の な か に 、
文 字 が 浮 か ん で く る 。 本 文 中 に 置 か れ た 下 線 の な い 日付 の 確 定 が 可 能 に な る の も そ
の た め で あ る 。20.Cloudyaしfirst[1923/9/20]が
FEATURES:Masujima(f.6a)の
具 体 例 の 一 つ で あ る。
よ う な 人 名 に 鉛 筆 で 後 日の 下 線 が 入 っ て い る 。
ENCLOSURES:Mrs.SatowとMr.F.Willis家
の 工lfracombe火
冖38:
災 記 事(f
.11a)。
ア ー ネ ス ト ・サ
トウ 日 記
PRO/30/33/17/8ff.Oa-80
第37冊
PAGENATION:leavesOa-80の
枚 数 記 入 で あ り 、 総 頁 数 は160pagesに
PERIOD:1923年11A5日
か ら1924年8月19日
PENMANSHIP:サ
な る。
ま で の 一 年 弱 の 期 間 で あ る。
トウ ら し い 小 さ な 字 で 滑 ら か に 書 い て い る こ と は 以 前 と 変 わ り
な い の で あ るが 、 イ ンク が 漏 れ や す いペ ン を使 って 、 太 字 で 書 こ う とす る の で 、 文
字 を 潰 し て し ま い 、 読 み に く い 箇 所 が 発 生 す る の は 避 け られ な い 。
EDITING:左
右 に 空 白 を 設 け な い で ギ ッ シ リと 書 き込 ん で い る 。 後 日に 追 加 す る に
も そ の 空 白 は な く 、1924年1丹4日Yesterday云
FEATURES:年
々 の表 現 が 発 生 す る 。
末 の 慣 習 と な っ た 死 亡 者 リ ス トは 月 別 に す る ほ ど に 増 え 、 二 十 名 を
越 え た 。G.E.MOrrisOn,J.A.Pryce,BishopStirling等
ENCLOSURES:同
が 含 ま れ て い る。
僚 ・知 人 ・友 人 の 他 界 を 年 末 に ま と め て 記 録 す る 習 慣 ば か り で
な く 、 日 々 に 新 聞 で 伝 え ら れ るObituary(f.4)の
切 り抜 きや 日記 帳 上 の 言 及 が 晩
年 の 進 行 と と も に 増 え て い く。 自然 の 成 り行 き で あ る 。
ア ー ネ ス ト ・サ
トウ 日記
第38冊
PRO/30/33/17/9ff
PAGENATION:工eaves1-133a枚
PERIOD:1924年8月20日
数 記 入 で あ り 、 総 頁 数 は266.
か ら1925年10A27日
PENMANSHIP:小
.1-133a
.:一 に な る 。
迄 の一年弱 の期間 であ る。
さな 文 字 で あ っ て も綺 麗 に 書 か れ て い るの で 判 読 しや す い 。 イ
ン ク で 紙 面 を 汚 す こ と は 稀 で あ っ た が 、 こ こ で はff .33に
EDITING:左
大 き な シ ミが で き た 。
右 の 空 白 は な い もの の 、 行 間 に加 筆 す る必 要 もな くな り、 日毎 に 濃 淡
分 け した イ ン クの 使 用 もあ っ て 全 体 的 に 読 み や す い 。 後 日 に 鉛 筆 で 人 名 を マ ー ク し
た の も餌
か に ・ 近 く に 住 むLawrieandJ・s・phi・e力
FEATURES:引
瀕
発 す る ・
退 後 の規 則 的 な 田 園 生 活 の な か で 記 述 す る 日記 は 、 まず 天 候 か ら始
め 、 原 稿 執 筆 、 庭 は畑 の 作 物 、 散 歩 、 健 康 状 態 、 読 書 、 訪 問 記 録 、 教 会 活 動 、 慈 善
・社 会 的 活 動
、 親 戚 付 き 合 い、 隣 人 の 生 活 模 様 、 海 外 事 情 、 家 政 、 書 簡 等 が 主 な
テ ー マ とな っ た 。 日記 の 最 後 ま で 心 身 と も に 旺 盛 な活 動 が 記 録 され て い る 。
ENCLOSURES:MissiOnaryExhibition(f.35)やObiしuary等
1二39こ
短 い 切 り抜 き 。
ア ー ネ ス ト ・サ ト ウ 日 記
第39冊PRO/30/33/17/rOff.1-121a
PAGENATION:ユeaves1-121aの
枚 数 記 入 で あ り 総 頁 数 は2増pagesに
PERIOD:1925年9月20日
PENMANSHIP:イ
か ら1925年12A31日
な る
迄 の 最 後 の 日記 で あ る 。
ン ク の 濃 淡 を 違 え て い る の は 、 最 後 の 日記 帳 ま で に 定 着 した 慣
習 で あ る 。 濃 す ぎ るた め に 文 字 面 を 潰 した り 、 紙 面 が 汚 れ る 。
EDITING:左
右 の 行 端 に ギ ッ シ リと書 き込 ん で い る の 余 白 は な い 。 細 字 で 書 く と に
は 判 読 しや す い の で あ るが 、 そ れ で も全 体 的 に苦 しそ う な 筆 の運 び を 感 じ させ る。
MicklehamをMickle(f.21)と
訂 正 す る よ う な例 が 示 す よ う に 、 心 身 と も に余 裕 の
あ る 時 期 は過 ぎて し ま っ た か の よ う に、 痛 々 しい 印 象 を 受 け る。
FEATURES:中
ENCLOSURES:1925年
山 昌 樹 の ダ ンテ翻 訳 に言 及 して 、 久 しぶ り に 漢 字 が 登 場 す る 。
度 末 の 他 界 者 リ ス トも二 十 五 名 を 越 え て お り、 そ の な か に
兄 弟 の サ ム や チ ャ ー ル ス も 含 ま れ て お り 、 特 に サ ト ウ の 屋 敷 を 頻 繁 に 訪 れ て ㌧、た 法
律 家 の サ ム に つ い て は 、mybrotherSam,alas!と
1,
付 記 して い る。
第2報
サ
ト ウ 日 記 の 記 入 日 リ ス ト(1861/11/4一
窪926/12/31)
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第3報
ア ー ネ ス ト ・サ ト ウ 自 筆 日 記 の 一 部 転 写 テ キ ス ト
鹿 児 島1867January
熱 海1867March,iiFebruary
長 崎18b7September
大 阪1867December
ゴ匕海 道seiSeptember
東 京1900April-May
英 国1926December
鹿 児 島(KAGOSIMA):1867January[PRO/30/33/15/1/pp.319-43]
Jan.1.
StartedfromNagasakiintheArgus.Comr.H.L.Round.Breezeblowing,
roughweather.
"2
.
AthalfpastoneanchoredinfrontofKagosima.Someofficerspulled-off
fromshore,bringingaflagwiththem-forustohoistwhilstfiringasalutein
answertotheirsonourdroppinganchor.-MatsuokaJuidayuwassenton…boardto
explainthatShiuri'noDaibu&OsuminoKamiwereinretirementonaccountof
thedeathofthelatter'smotherashorttimepreviously.Asneitherofthem
cld.showthemselves,thedutyofreceivingtheAdmiral's!etterwouldbe
performedbythePrince'ssecondbrother,supportedbytwoKaros.
WentonShOre&s七
〇ppedaヒ
しheShiu-zei-kuan(集
Sutcliffe,H.Harrison&N.Shilingfordarethenamesofthethreeforeigners
stoppinghere;thetwoformer[sJbeing
_hereonspec:topickupwhattheycan,
andthelatterhavingayear'sengagement.Watersisthe'nameof-theengineer
inLiuKiuwhoisisengagedinputtingupsugarmills.E.Holmeisacotton
spinner,-andlikeS.hasalsoanengagementonthecotton.millswhichisgoing
tobeerectedatIso.
Jany.3rd.
Captain-Roundwentonshorewithapartyofofficerstohandaverthe
Admiral'sletter;1'accompaniedhimtointerpret.-WewerereceiuedbyShimadzu
Dzusho,2ndsonofOsuminoKami,NiroGiobuaKarowhohasbeentoEngland,
andShimadzuIse,anotherKaro.InhandingovertheletterIreadouttoDzusho
themeaningof-theletter.Afterthisceremony,whichoccupiednotmorethan
fiveminutes,wesatdowntoafeast,commencingwithafew-coursesofJapse.
cookery,&endingwithalongsuccessionofEuropeandishes,withEuropean
wines&beer.Verylittleconversationofimportancetookplace.OnceNiro
saidsomethingaboutthewayinwhichhehadheeddoggedbyCustomhouse
officialsonhis.latevisittoYokohama,butasthiswastoopenaverylong
subjectofconversation,Imerelysaidso,andthesubjectdropped.Afterthe
banquetwasover.thepartydispersedtowalkaboutthetown,andIremained
behindtoassistintranslating.theAdmiral'sletter.NiroGiobucame.innow&
thentotalkbutourconversationwasmuchinterrupted.Hetoldmethatthe.
meetingofDaimiosatKiotohadbeenputoff,thathedidnotknowwhenit
l-107一
成
舘)a七Iso;J.
.
would
take
since,
that
was
to
Argus,
the
place
receive
be
of
the
G.
Did
you
S.
No,
I
G.
Was it
S.
No,
I mean
G.
Oh,
yes.
commands
of
his
G.
there
thought
by
a good
not
about
the
in
about
Ise
7th
about
ship,
nothing
about
of
a letter
3 wks
Itotsbashi
perhaps
the
the
matter.
which
In
had
been
month.
it
was.
phraseology
was
not
sending
very
much
auxiliary
who
sat
next:
to
was
in
Kioto
at
Ise
Choshiu
the
,
which
English
composition
document
& the
a letter
an
I knew
Hiogo
praised.
&c.
letter
Prince;
the
thro'
with
that
him
praised
one
Shimadzu
the
told
passing
there
surmised
a stupid
Higo
the
he
Satsuma
what
when
expected
too;
I
that;
heard
affair
getting
on;
me
the
the
troops
today
against
wrote
that
Choshiu.
letter
by
the
time.
Tycoon
has
withdrawn
his
side,
a great
part
troops.
the
is
very
Daimios
beating
S.
and
Mikado
see
Choshiu
of
person,
going
had
was
conversation
to
How is
he
steamer
in
would
presented
of
That
a French
course
S.
&c.
strong,
will
and
support
he
the
has
the
right
Tycoon;
and
on
the
& therefore
latter
has
no
troops
and
attacked
none
chance
now
of
him.
Well,
I
think
energetically
that
at
first,
G.
No,
never;
he
had
S.
You appear
to
be
G.
No,
not
if
he
he
must
not
the
very
friendly,
but
had
sent
have
his
best
conquered
right
on
his
friendly
with
we have
a natural
Choshiu
him.
side.
Choshiu.
fellow
feeling
for
one
of
our
own
class.
S.
Katsura
friends
Kogoro
of
G.
Kogoro
on
business
mine
is
can
going
& sleep
This
to
at
like
to
call
on
him
to
inquire
after
some
Shimonoseki.
an
interview
with
my colleagues
home
now
at
but
if
Osumi
three,
you
no
and
Kami
at
ten
I don't
particularly
and
when
wish
a meeting
he
to
will
see
be
at
him ,
you
there.
last
offer
I
Returned
on
intended
arrangements,
Jan.
at
of
not
I should
have
some
He is
go
here;
who live
with
liberty.
is
shore
declined,
from
and
was
Argus
whither
& found
that
unable
had
to
gone
Sutcliffe
manage
to
to
inform
& Co.
had
see
Kogoro
Round
gone
of
to
at
all
.
tomorrow's
dine
on
board
.
4.
Went
Niro
ready,
kuan
on
Giobu
but
and
board
to
came
about
that
it
inspected
assist
Round
twelve
should
glass
be
receiving
o'clock
to
delivered
at
factory,
kettle
foundry;
& then
as
Matsuoka
which
a
party
sat
down
large
in
shot
had
once
answer
say
that
Iso.
At
& shell
arrived,
more
-108-
the
two
a
Admiral's
answer
p.m.
foundry,
the
to
to
letter
European
was
landed
gun
was
letter.
not
quite
at
Shiu-zei
foundry,
pot
delivered,
banquet.
&
after
It
was
considerably
shorter
than that of the previous day, much to the delight
of all
parties; tho' the food was eatable.
It was pronouced very nice. I rather think
that it was a great stretch of indulgence on our part which induced us to say
so, for in reality the dinner was bad & ill-arranged.
After it was over about 5 o'clock Sutcliffe
& I started
to call
on Niro
Giobu, who had not appeared since the morning. After an hour's walking or
more, we came to his place, when it was already quite dark. Giobu received us
very cordially,
oranges;
and recognized
Sutcliffe
at once as an old friend.
beer & small cakes were produced over which we sat talking
till
Tea;
half
past seven. Niro told me that the letter whiCh the French ship was to bring was
one from the French Emperor had written to the Tycoon; that it was expected at
Hiogo that the English Minister would go there too; in fact that there would be
a general gathering
there of the P.R.
Giobu again referred
to the hindrances
thrown in their way by the Custom house officials at Yokohama, and told a story
of what -occurred on one occasion when he went to visit Sir Harry at Yokohama;
how Siebold abused the men who had dogged his steps & then fell upon two
Guaikokubugio who were at the Legation at the time & abused them frightfully
also.
The remembrance appeared to delight old Giobu a great deal. We then
abused the Custom house officials
for a short time, & talked a little
about
books, after which the lateness of the hour warned us that it was time to
depart.
Giobu presented each Of us with a leg of wild boar. Slept again on
shore at Iso.
Jan. 5.
Got up at 7 to go on board; was obliged to miss the usual walk up & along
the hills
at the back.
at a quarter to nine.
Matsuoka was on board to say good bye.
Fine weather; slight
Weighed anchor
breeze.
Jan. 6.
Fine weather & calm. Arrived at Uwajima in Iyo at 11.a.m. Territory of
Date Totomi no kami; 100,000 koku. Country very mountainous. Uwajima Bay is
difficult
to find, it is completely
heights varying from 500 to 2000 ft.
landlocked and surrounded by hills
A very high hill called Onigashiro
Onigajo lies close behind the town, i.e.
on its east side.
on a small wooded hill close to the seashore; consists
of
or
The Castle is built
as usual of a donjon keep
(otenshi) in the centre (omaru) surrounded by two circles of fortification
(ni
no maru and san no maru). The Tenshi is three stories high & neatly whitenwashed but almost hidden by the trees.
The town is long & straggling as the
hills come down to nearly to the water's edge, half of it being composed of
officials'
dwellings,
this
half lies
south of the castle,
- 1on—•
and the citizens'
quarter
this
is
to the
has been
taken
embanking part
side
of the
yashiro
soldiers'
east
The Bay is
advantage
bay;
that
on the
north
the stern
an opera
side
announced;
After
the shore
busily
a boat
engaged
&
fields
, by
one on each
just
under
a double
the
row of
was seen
hovering
in surveying
us thro'
on board said
himself
he was the
Prince .
that he had
by saying
had taken
place , a man named Tatei was
of the Hiogo before she was sent to Nagasaki to
He came to ask what was our business
.
The admiral's
letter
him a happy new year was read out & handed over.
Prince
was being
shown over
appointed
the ship
I conversed
a little
terms.
Shtotsubashi
Shogun, & not known when he will
at least.
Ogasawara had been dismissed
at Kokura, not for being beaten
in the Captain's
gig,
others
be;
fr.
perhaps
never
the Gorojiu
but for running
with
away .
him . He said
had not yet been
will
be;
the eldest
were children
swords wrapped up in nishiki.
and attended
The Prince
behaviour
When the Prince
of whom is a little
in arms,
hope not
for cowardly
accompanied him; a number of his jochiu
on the bank with his children;
the
Matsune Kura , son of
the cabin and whilst the
20 came down into
Uwajima & Satsuma were on very friendly
age;
the town is
He excused
some conversation
Matsune Dzusho, a young man of about
shore
towards
anchored
in it
him on board.
he had been captain
be exchanged.
wishing
6 guns & is
Some of the Uwajima people
Took a boat and brought
to
& some paddy
mounts
the ship
with an individual
glass.
come incog.
after
close
There are two small batteries
called
Sumiyoshi; from Sumiyoshi
(ashigaru)
houses.
& a half
very shallow
of to form a saltern
of the bed of the sea.
About an hour
about
& north.
boy of 7 years
by girls
was very polite
went on
were waiting
bearing
& affable
of
small
and promised
to come on board next day with the Inkio.
After
leaving
of red
lacquer
foreigners
a fine
appetite
& examining
evidently
don't
Everywhere surrounded
our clothes
know the
by a crowd of people
(I had met three
officers
of the
piece
of
asking
Argus).
7.
Rained
violently
came on board
& drinking
dozen,
& looking
about
interrupted
to fire
the side
battery
all
day & blew.
nevertheless
taling
talk
the town, & purchased
they
cheaply;
for curiosities.
questions
Jan.
him, went for a walk about
very
some Moselle
all
over
the French
the salute;
of the ship
south
one o'clock.
great
that
side.
Inkio
Stopped
for
The Inkio
intimacy
Date Iyo no Kami
a couple
at Nagasaki
seized
hold
for
of hours
26 boos' a
of me & began to
the Bakufu , but old Matsune
if he did not go away soon it would be too late
so the boat was ordered
a salute
& the
which I had bought
the vessel.
& their
him by saying
on the
about
The Prince
with
alongside
& as it
cleared
away from
of 17 guns was fired , which was returned from the
Noguchi had brought me an invitation
from Iriye ,
—110 —
the captain
of the battery,
took
and went ashore.
a boat
walk in,
six o'clock
till
11.
myself
oshie.
Jan.
inspired
Iriye
would not like
and after
every
wise saws & proverbial
and I flatter
foreign
drank sake,
I took
Japanese
and sang,
opportunity
sayings,
Soon afterwards
of junior
courses,
being on board ship.
we had eaten
a little
& lasted
afforded
past
from
and I had to answer all
some small
At half
rice,
rank and
me of uttering
which gave them unbounded
them with
we
asked us to
degree
eleven
delight,
of respect
wanted to come to Yokohama, but I persuaded
the last
we went to bed & slept
for
him that
quest
he
retired,
very comfortably.
8.
The morning was fine
Japonaise
we returned
captain,
Wright
accordance
on board.
their
& the Prince
countenance
imperious
about
countenance.
previous
shot
very
past
horses
to return
with
that
one the
shooting
as usual
steps
from Taikosama.
behind
The first
conversed
does also.
aquilin
in
arms men
The Inkio,
ugly
than
otherwise
to the
Inkio
in all
Inkio
149.
a deep
his
man, of very marked
nose and aristocratic
to talk
Sir
about
banquet.
There
is
still
& very
things
is
cast
of
another
other
the
Inkio
of was Hiogo,
Harry about;
he now wishes
that
the French were carrying
it
mounted
minutes
afterwards
to the
verandah
on one side:of
the
screens.
the
inner
room which
At the
end of the
me his ancestor
about
at the front
a quarter
had received
past
three
&I
by his own desires.
he spoke
He understood
two Princes
us into
told
two left
& the
We did not enter
by gold
which the Prince
to the
five
us and conducted
Round & the
thing
with
range
was across
good one.
is a tall
rather
added to
on such occasions
room was a very big screen,
stayed
The range
was finished
and we followed
Old Matsune received
off
well.
of the
rifle
they did not come up to the
who defers
a slightly
the
is Round the
Some of our small
but
altogether
The Prince
but at some temporary
was shut
day.
The former
Goten, where we were to have a Japanese
entrance.
go to
that
a la
who does not show up at all.
About half
gate,
to
& the view was a very
present.
big nose,
height
making a good breakfast
we landed,
& myself
in shooting,
His age is 32;
somewhere,
their
wide,
in his manner.
the middle
inkio
skill
were all
& a very
9th
made the
men, who really
some 700 yards
son,
after
At ten o'clock
& Dunn of the
to try
Uwajima picked
valley
and at nine o'clock
with engagement
were landed
that
wind & rain
appeared.
& then two others
of the usual
We talked,
of questions.
appropriate
came in,
It consisted
of the
was not at home, but his wife
of an hour he himself
officers
was ordered.
sorts
Iriye
and in about a quarter
Mori, and the artillery
dinner
to dine with him, so in spite
which
he said
to open the place
was to be opened in.Septr.
on the negotiations.
—111=
he had already
& Stotsbashi
of this
year,
and
If Hiogo was to be opened,
we had much better
I explained
thought
that
it
do it
the
than the French,
reason
necessary
of the
that
there
whom he did not like.
French
should
policy
to be in my opinion
be a recognized
that
they
head in the country
and
as they had a Treaty with the Shogun and he had the greatest
they wished to exalt
English
policy
him & give him all
was different;
particular;
for
if
we had a treaty
we had,
treaty
would have no force;
Japse.
fight
it
Inkio.
better
and settle
difficult
it
The Inkio
then
with
I said
Inkio.
& trade
expressed
there
Oh, yes,
thing,
he get back his
I.
Yes,
if
no Shogun,
the
but would let
the
suffer,
and you had
become
ten
times
more
would come to an end altogehter.
idea
it.
Will
will
would
that
Japan must become a confederated
& that
Sats
& Cho thought
way out of the
in a Yokohama newspaper
I read
to that
so too.
difficulty,
& that
effect.
Kokura is in a bad case.
land.
he can show a good reason
territory.
at present
trade
matters
the head;
S.
his
not with the Shogun in
among themselves.
would be no other
an article
is
power
That the
for the sake of trade.
his
the Mikado for
I thought
I had written
half
it
we interfer[r]ed,
of settlement
with Japan,
as there
apparent
in our power.
we did not wish to interfere,
to put an end to it
No, for
empire,
why then
But if war becomes a chronic
assit
S.
out,
the assistance
I have brought
his
for
its
[sic.]
being
all
returned;
his
rice
he has lost
this
year,
as we
have had a bad harvest.
S.
Indeed,
I am sorry
to
hear
it;
& I suppose
you pay
the
money to
Choshiu.
[I.]
No, to Kokura;
Here the
harem;
increase
he has still
conversation
music was introduced
of friendliness
discussions.
In fact
half
his territory.
was interrupted
by the entrance
and a great
quantity
and conviviality,
the Inkio
of the ladies
of sake
drunk,
much to
but not to the advantage
now gave himself
of the
the
of political
up to enjoyment
& would talk
no more.
He afterwards
said.
on board
the
illness,
and I should
like
to
be at
After
was led
Argus,
Kioto
drinking
off
You must
because
by old
at
a bout
Kura's
wife
was produced,
Goten,
and
her
Matsune
let
it
appear
on
the
papers
declined
attending
at
Kogi
hear
I did
to
that
Kioto
that
on the
so.
I went
plea
of
I should
not
present.
to
an hour.
eyebrows
the
deal
Matsune
for
Old
like
a great
talked
princes.
I have
not
just
not
of sake
his
house,
A young
as well
are
presented
girl
with
where
about
as Toyo the
shaved;
no doubt
me with
- 112 -
the
a fine
princes
and
he produced
eleven
years
sister
of
as
concubine
bamboo
their
more
old
Kura;
carving,
she
to
harems,
I
sake,
and
we
intended
to
be
is
now in the
one
of
the
and
after
two
Toyo
had retured,
we all
been taken
into
Sats'
Itoku's
daughter,
confess
it,
.none
went to bed.
service
I, and it
on board the
slept
screwed,
of them any better,
Janr.
& lives
Kura & myself
I was badly
worse than
Hayashi Kenzo, a Tosa rosin
together
but as it
I did not regret
was after
only
Argus,
by report,
Shinzo,
in one room.
who has
who married
With shame
I
was in such good company, who were
it.
The Inkio
'konshin
wo fukaku
& the Prince
suru
were both
tame.'
9.
Got; up at half
presented
past
five,
dressed
him with my opera
on board,
where they
glass
stopped
& came on board.
as a souvenir.
I cannot
in Yedo.
At 1/2 past
tell.
6 weighed
me & I
Yasu & Noguchi did not come
I asked
Yokohama & lend them any money they might want,
Yashiki
Kura accompanied
Kura to send
which should
anchor
them to
be repaid
& went to sea;
to the
with
great
regret.
As examples
guided
by externals.
straight
is
of how man is
deceived
Suppose
in thinking
he says
I will
down; if he jumped as he intended
in motion,
has its
full
in that
& he falls
he has fallen
case at least
is
as he intended;
wrong.
alone
might have done it this
way, but I thought
so, but I did not.
Now it
power of everyman to write
capacities
not his will
anchored
going
over
[sic.]
eleven
is quite
or compose well;
mast
mast
He does not see this,
of free
of free
but I preferred
certain
& not
when the vessel
consciousness
preferable
free,
body when on the
The advocates
if I had chosen,
is
top of the
astern
to this
and his
Secondly.
it
the
jump from the
at the foot of the mast.
know I might have left
written
his will
he would fall
but the onward motion communicated
effect,
but imagines
that
will
it
say:
I
to do it.
to do that.
that
will
I
I could have
does not lie
he composes or writes
within
as his
directs.
at Mitarai
knots.
in the Inland
No Japanese
Sea after
a splendid
came on bbard.
run all
Very pretty
day,
anchorage
between.
Jan. 10.
Got up anchor at 6 1/2 a.m.,
going
11 knots.
At three
& steamed
o'clock
belonging
to Tsuyama in Mimasaka.
a hill.
Some people
never
been
accidentally
1864.
correct
received
in a tea
by the
by a marine
Mimasaka troops
idea
surviving
told
narrows;
at
Kamanoura
us that
relatives
Conqueror
had retured
of the thrashing
anchored
the
fair
in
wind all
day
Shodzoshima
Went on shore for a walk & had a hard pull
hosue
of the
thro'
compensation
of the
on her return
from Geishiu.
we gave Choshiu.
- 113-
the
up
money had
man who was killed
from Shimonoseki
People
possessed
in
a very
.
Jan.
11.
Got up anchor
at
6 1/2 & sailed
Anchored at Hiogo to get coal,
$21 a ton.
possible;
vegetables
Government
coal
the
Harimanada
$12.
Doshiu
with
bamboo work.
foreigners.
People
Met three
opening
of Hiogo,
evidently
promised
but evidently
to send
out that
he must be mistaken
wind .
town very dear
some on board
if
Kenzo on board
acquaintance
were only
now to the
they would not
joking .
in Nagasaki;
he apologized
allow
the
when I pointed
at the time he mentioned .
was a Satsuma steamer going to Osaka . Went
there
the Kaimonmaru (Viola)
another
of Inouye Shinzaemon the captain.
the matter.
of
Met a Hizen man who
steamer
The Viola
brought
of Sats'
Made arrangements
going to Osaka to meet Komatsu & Saigo, who are to be called
if they will.
Hayashi & Inouye wrote letters
to Godai Saiske
to arrange
sight
as I had not been there
On coming on board heard that
made the
accustomed
who declared
they
he had met me at Glover's
Hayashi
quite
two-sworded•men
declared
Jan.
a fair
Coal in the
obliged to send to Osaka to get permission of the gunkanbugio;
beef &
can do. Walked about the town & bought some Arima saiku or baskets
of fine
with
over
beef & vegetables.
&
for
down from Kioto,
who is at Osaka ,
up Komatsu.
12.
Waited on board till
about
the answer had not yet
should
had
12 o'clock,
come back from Osaka.
go on board & see Inouye,
come informing
steamer
lying
him that
there
course
that
of the
Saigo
sallied
Saigo
day.
S.
received
the
would arise
jurisdiction.
French
the
rather
so I began about
which
& so after
letter
there
the
not
the
same as Shimadzu
alias.
After
at a loss;
a letter
a Geishiu
The inference
our departure
being
for Osaka
As I got out of the
that
on the shore
Sachiu,
sitting
bath
to
the .
Saigo would be down in the
down to eat , when it
rice had been hurriedly
towards
and laughed
was announced
swallowed we
Neuter
heartily
down & exchanging
the
Point.
when I
ordinary
of foreigners
subj.
living
on this
and would not speak ,
by Satsuma, & the difficulties
outside
point
from
the
in person.
- 114-
Treaty
some time,
would be a good find.
a letter
us that
we
the man looked so stolid
employment
harping
proposed
[sic .]
sat
Satsuma Honjin
from Brit.
After
Emperor's
Is
saying
just
to say that
In the meantime we went on shore
with a letter
We had only
him of his
I felt
from Godai.
a note
told
also
we deferred
& lunch.
to the other
was indeed
steamer,
to have a bath
arrived,
had arrived,
forth
remembered
topics,
arrive
Satsuma Honjin
Osaka messenger
The latter
was in Osaka;
was to come down on Sunday morning .
the answer shld.
a small
sent
Hayashi accordingly
wch. we did.
Saigo
that. Saigo would come down by said
until
when Inouye
French
it
limits
struck
& consular
me that
So I commenced.
Emperor
which
Shtotsbashi
the
Sai.
effect
Yes;
that
a short
there
, the reception
time
was a letter
to summon all
the
occasion
to receive
the
17th (Jap.)
whether
S:
the foreign
by the
he shld.
Sai.
S.
is
affair
but
his
receive
to be read
he
advantage
up a copy of theMem:
reply
was that
nothing
a letter
the
of
is to come down to Osaka on
We sent
go to Osaka, as he had heard
he did
more abt.
addressed
to Sir
not
know
the subject.
to the Shogun; he is
he?
Yes; he got his
Well,
Mikado to
of the Choshiu expedn.,that
Shtotsubashi
of Yoshii,
But how can Shtotsbashi
not Shogun,
on acct.
the R.R. there.
hands
the
R.R. to Osaka, & would take
the letter.
& expects
memorialized
from the French Emperor to the-Tycoon
of wch. had been delayed
now intended
H. Parkes
ago Shtotsbashi
that
first.
is
commission
very
But his
the day before
unexpected;
influence
I thought
yesterday,
the 5th
he had to settle
must have greatly
increased
(Jap.)
Choshiu's
for him to have
managed it.
Sai.
Yes, indeed;
a man who was yesterday
a beggarly
ronin
daimio,
is to
day Sei-i-tai-sho-gun.
S.
Who managed it.
Sai.
Itakura
Suwo no kami.
Shtotsbashi
is
in great
favour
now with
the
Mikado, & he could become Kuambaku if he chose.
He has made his relation
Mimbu
no Taiyu,
to the Shimidzu
which
a scion
has been extinct
S.
of the Mito family,
lately;
successor
family,
and he is going to send him as ambassador
to France.
On what business?
Sai.
S.
We have not the
least
idea.
And what is he going to summon the R.R. to Osaka for?
Sai.
S.
We have not the
How odd,
consulting
Sai.
that
consulted
late
that
they expected
on all
my Prince
they have one & all
either.
be able
be consulted,
matters
of Govt.
thought
to do these
things
without
it
should
.& we expected
they
would be
The Bakufu has got on so badly of
not be left
to ruin
the
country
by
of the Daimios were summoned by the Mikado to Kioto
in the Government.
of the Bakufu,
refused
Now they perceives
& as they don't
to attend.
Echizen
intend
that
such
to be made fools
sama stopped
there
of
as long as
but went away at last.
Then everything
Sai.
to
to have a share
is not the intention
S.
ought
And when certain
he could,
should
of that
the diamios.
henceforth
itself.
idea
Shtotsbashi
The Daimios
years
slightest
is
Well we shall
over for
be able
the
present.
to find
him out
in the
next
three
years,
I
suppose.
S.
Three
connected
with
years
is
a long
the latter
part
time.
But this
council
at Kioto,
of the document giving
'
—115
permission
was it
not
to Treaty-
making,inwch.theMikadosays,therearepointsintheTreatieshitherto
existingwhichIwishyoutorectifyinconcertwiththedaimios?
Sai.Oh,nO!Youarequiしewror〕gしhere.工twasas工havesaidbeforefor
theDaimiostoconsultwiththeBakufuaboutreformingtheGovernment.
S.Well,Isupposeamongstotherquestionsyouhadtodiscuss,.therewere
Choshiu'saffair&theopeningofHiogo.Howabt.theChoshiubusiness.We
foreignerscan'tcomprehendit.
Sai.Itisindeedincomprehensible.Theycommencedwithoutreason&they
have_cometoendequallywithoutreason.
S.Isitpeaceorwhat?
Sai.No,simplythathostilitieshaveceased&thetroopswithdrawn;and
therethematterrests.
S.WithusforeignersitisagreatpuzzlewhytheBakufuattackedChoshiu
atall.Itwas-notbecausehehadfiredonforeignships.Ifhereallyhas
offendedtheMikado,surelyyourPrince,withhisdeeplovefortheTenshi,
wouldhaveassisted.
Sai.Well,IbelievetheBakufuhatedChoshiuallalong.
S.ItisagreatpitythisCouncildidnottakeplace,becauseitis
highlyimportantthatthecountryshouldcometoasettlementwiththisyear.
WehaveaTreatywith.Japan,notwithanyparticularperson,andwedon'tintend
tointerferewithanywayyoumaychoosetosettleyourdesputes.Whether
JapanisgovernedbyMikado,Bakufuorbecomesaconfederationofstates,we
don'tcare;-onlywewanttoknowwhoistherealhead.Iconfesstoyouwe
haveseriousdoubtsabouttheBakufu,wehaveseenthatitwasnotsupremeor
rathernotomnipotentwhenitaskedustoletitofftheopeningofHiogo;then
themurderofRichardson&theimpotenceoftheBakufutopunishthemurderers
showedusitspowerdidnotextendasfarasSatsuma.Thenwhentheshipsof
waroffriendlynationswerefiredonbyChoshiu,wehadtogo&punishhim
becausetheBakufucouldn'tdoit.AndweseenowthatChoshiuhasgotthebest
ofthelatewar.ThesethingsmakeusdoubtthesupremacyofBakufuthro'out
七hecOunしry,&wehopedしose.ease七
七lemer〕tcolneto.Andt)heBakufu[肖1亅
appearstomealsothat]willagainbeinadifficultpositionnextyearwhen
wedemandtheopeningofHiogoasweintendtodo,ifthedaimiosopposeit.
Sai.MymasterdoesnotopposetheopeningofHiogo,butobjectstoits
beingopenedafterthefashionofotherports.Wewantittobeopenedsoasto
beabenefittoallJapan&notsolelyfortheprivateadvantageofBakufu.
S.But.howwouldyouopenit?
Sai.Byplacingallmattersconnectedwithitinthehandsofacommittee
offiveorsixdaimios,whowouldbeabletopreventtheBakufufromacting
entirelyforitsownselfishinterests.Hiogoisveryimportanttous.Weall
- 116 -
除:1し
owemoneytotheOsakamerchants&wehavetosendtheproductionsofour
provincestothemeveryyearinliquidation.Ouraffairswillbemuchthrown
outoforderiftheplaceisopenedontheplanofYokohama.
S.Isee噛nowwhyyoしzmakesOmuchofHiogo.[肖q除
箇
所:ItisyOurlast
point.]Itisagreatpityyoucan'tsettleeverythinginthenextyear,before
theportisopened.PraycouldyougivemeacopyofShtotsbashi'smemo.
Sai.工haveiしnotabouしme;buし
工雪11sendyouacopyifpossible.Sir
Harryhasone;Yoshiigaveithim,andtoldhimifhecametoOsakatoaskfor
us,forwecan'tgotoseehimfirstforfearofincurringsuspicion;&Sir
HarryrepliednotonlysatsbutalltheDaimios.
S.ThatwasratherinaccordancewithyOurPrince'sviews工shouldthink.
Sake & sakana
Inouye
said
were now introduced
belonged
to Godai.
for a few moments, after
rising
but to leave
a few moments he rose,
us,
Saigo excused
out by a handmaiden
himself
which he came back & partook
to go he prevented
my acct.,
& served
me, & I therefore
requested
& saying
from Kioto to see him", departed.
having
the trouble
being
Jan.
more dishes,
good, & returned
at daylight.
Jan.
to come so far
&c.
(in
After
on board at half
past
seven.
Windy.
lay in my cot till
half
past
& little
wind.
Got up to breakfast.
—117
four.
on
After
to
despatch
him very much for
he was gone we indulged
of wch. ocha mushi was particUlarly
15.
Smoother
Yedo) & we will
I thanked
14.
Rough & windy,
On my
him not be ceremonious
13.
Sailed
Jan.
all
or two.
"In case Sir H. wants to communicate anything
any one he likes
taken
of a dish
with Hayashi
when he chose,- as I knew he had a long way to go.
he has only to send a message to the Yashiki
in a variety
& returned
whom old
noticeable
as
熱 海(ATAMI):1867March[PRO/30/33/15/2/ff.16-22]
March
21.
Sir
to
Thursday.
H.P.
went
Hama in
getting
without
with
I was surprised
23.
and
board
Atami.
this
invitation
with
from
Met a procession
at
and put
my escape.
a large
Locock
on the
when I afterward
retinue,
rather
early
this
Lococks,
got
an
to Hakone
heard
their
to
that
I went
join
road
noses
Stayed
party.
a party
of Yura
the
Fosters.
the
"Argus".
he was
no Jijiu,
other
party
considerably
at
down
but
had had
out
of
joint,
Sat.
Started
the
of
any mishap;
an encounter
March
expedition
consequence
up to go to
passed
of
on his
at
Mrs.
last
ship,
morning
so
much
for
Marshall
bad
to
in
& Aspinall.
that
the
Atami
we had
The
to
anchor
of
everybody.
discomfort
Our
weather
in
Kaneda
party
was
very
bay
and
consisted
rainy
pass
& windy,
a night
on
March 24. Sunday.
Arrived
cove,
at Atami & landed
inside
valley
which the ship
and is
Contains
shut
the
honjin.
memorials
another
recording
characters.
The spring
immense cloud
issues
those
who say that
two feet
bursts
forth
it
times.
Mar.
This
horizontally,
titles
The hotel
built
small
in 1860,
action
just
breaking
stink.
I cannot
had half
behind
fetched
believe
force
him
dog Toby and
The heat
of a basin,
its
issues,
Chinese
as we came up; blowing
[sic.]
tho'
of far
in steam which only condenses
by the foreigners
& wretched.
& left
monument to his
in a lot
is on one side
& after
a small
mouth of a
forth
an
of the water
the assertion
of
at a distance
of
and the
stream
on the opposite
a dozen sitzbaths,
besides
who have visited
the place
[sic.]
side,
runs
a vapour bath
at different
Had a bath.
25.
Monday.
Walked
coast.
comes forth
here
of a stone
must be very great,
away under ground.
& shower bath
shape
name and
only
at the
The town is
stopped
was in full
from the hole.
forth
hills.
of steam with a sulphureous
as it
Bad anchorage,
Atami lies
to the hole whence the hot water
Rutherford
in the
his
high
one is close
Sir
of his visit
two o'clock.
not venture.
in by pretty
two good inns;
and is
about
could
in
Here
the
morning
is
a delightful
to
Idzusan,
a place
warm douche,
—118 —
two miles
issuing
out
north
of
the
of
Atami
cliffs
on the
close
to
the
beach,
myself
called
I stripped
& then went out on the beach
very
pleasant,
started
this
Takinoyu.
conveying
to 'climb
the
and Hakone.
for
a short
expensive.
The sun shone bright
on the
of the hills,
which
labour.
the
Directly
summit,
priests
after
whence we could
Promontories
winding
was hilly.
rounding
its
another
the
thro'
burst
of the sea,
the
we reached
in the honjin
lake.
half
The length
is
hidden
nothing
round
the mountain
inn,
amongst
on the lake,
the barrier
wch. is
nearly
incredible
and came out on
all
with
half
the ground
way down, then
the highest
below.
mountain
of
in by mountains
on
four
thousand
Descending
situated
feet
quickly
on the brink
is about
7 1/2 miles,
which
loses
it
but a few wild fowl,
lest
and had a drink
with
left
must be at least
pleasantly
by the mountains
extent
from the
over
town of Hakone, where we took up our
of water
the surface
A little
the Tokaido was distinctly
climbed
was far
piece
to enliven
any great
but still
of the hill,
baCk of Idzu,
to the
we got
The lake
or official
of this
and the
while
A
Sagami & Yedo, the
of wch. the Lake of Hakone, pent
on our view.
muddy road,
stopped
a corner
in the plain
finally
is
footing.
& well protected
up from below
Kishiu
again,
Japan
of snow.
the bays of Totomi,
a dense forest
side
above the level
quarters
hill
travelling
denuded
we rounded
Sagami,
who were paid
to keep one's
Here we all
way amongst the fields,
Descending
sides,
see Fuji,
we
between
was a high wind, especially
almost
place
below on the left
from the further
all
this
was
o'clock
us to the shoulder
was brought
of Awa (Cape King),
Vries in the distance;
visible,
leaving
At twelve
Verily
brought
of Fuji,
said
The feeling
wch, intervene
became difficult
wind by the summit of the mountain.
of water,
all,
body.
above to warm
on the backs of coolies,
miles
glimpse
basin
spouts.
on is a temple embosomed in a grove of pines,
north
the
a first
the
& warm, but there
climb of 36 cho or two and a half
whence we caught
the
walk of 10 miles.
where it
the
Ishibashiyama,
The baggage was slung
each
further
thro.
called
1 3/4 boos
tops
& got under
warmth all
mountains
& went into
use shld.
boats
its
of the
but about
There
was
not being permitted
to
be made of the
way.
one
[sic.)
them to pass
at the lower end of the town.
Mar. 26. Tuesday.
Rose pretty
early
All the hotels
else.
have their
The barrier
which the road
amongst other
will
that
things,
cryptomerias
body
for
with guard houses
red,
regarded
gates
—119—
The notice
from which it
town.
thro'
board
says
individuals
is to be inferred,
distrust.
After
the
a courtyard
and suspicious
considerable
the whole establishment.
about
not much seen anywhere
enclosing
on each side.
passports,
with
by walking
a colour
wounded persons,
to pass without
envelopes
journey
of two roofed-in
dead bodies,
is
the
woodwork stained
consists
passes
not be allowed
a dead
& pr'epared
leaving
A grove
the gates,
of
the
roadpassesthro'anavenueofmagnificenttrees,allcryptomeria,&then
commencestodescendalongtheleftsideofavalleyenclosedbyabarren
mountainononesideandhillscoveredwithwoodstothetopontheother;a
brawlingstreamrunsontherighthandsidefarbelow,hiddenentirelyfrom
viewbytheしrees.Aftera・mi二LeorsO,therOadbecomesverysteep,being
composedofhugestonesroughlyarrangedsoastoformsteps,downwhichahorse
canwithgreatdifficultygo,andtakingturnsfromsidetosidelikeacork
screw.FivemilesfromHakoneistheposttownofHatajiku,wherethefirst
shopsfor'-thesaleofHakonesaiku,orboxesallsortsoffancyarticlesin
camphorwoOdarefound.工nagardenbehindoneoftheinnsarecharmingbanks
ofgrassandlittlecascadesfallingoverstonescarefullycuttopreservethe
continuityofthesheetofwater.Soonafterleavingthisplacethe.roadtakes
alittleturntotheleftcrossingastreamdescendingfromthe-hotspringsof
YumOし
○,whicharehidden[左
端
空
白
に 加
筆:wrong]しhreeOrfourhundredyards
upavalley.TwomilestoKawabata,andanothertownformakingcamphorwood
articles,afterwhichtheroaddescendstothebottomofthevalley,and.from
Imoto,whichistwomilesfurther,itbecomesalmostlevel.Thehillswhichnow
towerhighaboveourheadswere.belowourfeetwhenwestarted.
Odawaraliesontheseashoreattheendofthevalley,c!osetotheendof
thehillsontherighthandside,thoseonthelefttrendingupfarintothe
interior.Alongstreetofpeasantshouses,succeededbyanotherofsoliders
barracksleadsintothetown,whilelanesofexceedinglypleasantaspect
inhabitedapparent!ybythehigherofficialsstretchawayontheright.The
castle
.ofOkuboKaganoKamiisjustlikethatatAmagasaki.,beingalargearea
surroundedbyamoat&whiteplasterwallswithaloftywhitetower,
particularlyhiddenbytreesrisinginthecentre.Thehonjinwasabouthalfa
mileinsidethegate;astragglingonestorybuildingwiththeusualbig
entrancehallandcrowdoflittleroomsofeightmats.Justopposite
.wasan
apothecary'sshopinwhiteplasterremarkableforhavingthreegablestowards
thestreeしs.Wed1(ゴtheelevenmilesfromHakOneir1上
↓1/2hrsfr.1p.m.to
5.30.
Mar.
27.
Thursday.
Rained
out
for
all
Oiso
From this
the
& starting
place
1 horseload
1/2
do.
1 coolie
Fr.
morning.
Odawara
At 2.30
on foot
(Odawara)
we took
cleard
at
up.
4 o'clock
coolies
at
We therefore
& reaching
the
Govt.
that
packed
place
prices,
i.e.
being
level
up & set
at
6.30.
464 cash
312
233
the
road
lies
along
the
—120 —
sea
shore,
& sandy,
delightful
to walk on & overshadowed
Odawara to Kodzu
" Maegawa
1
2
"
"
2
"
Oiso
Walked the
pinasters.
3 miles
2 "
Umezawa
Koshinshiki
"
by splendid
whole distance
in 2.40 min.
Mar. 28. Thursday.
Started
at 9 for
Hiratsuka
is
about
From a hill
and the
Fujisawa.
just
2 miles
above the
Hakone range.
Hachisobe
fr.
town of Oiso there
The two high mountains
toge & Otomi toge.
the base of Fuji.
Oiso.
Kintokizan
made for
rest
the
former.
where we changed
At a quarter
past
and the baggage
turned
off
from Sir
pole,
Harry's
bette
party
then came I followed
bette.
The, chair
bearers
in loud & unmusical
and ate
breakfast
by a coolie
voices.
jo'hatago.
the Tokaido
Slept
The whole
as well as present
Bahiu at the
town
eleven
miles.
of the kind
called
as it
(riogake)
in the
of swell
of 1 bu to the
hotel
is
was in
detached
by a big lantern
jo'dan
lodging,
keeper
on a
& then another
with much grumbling
at the honjin
An
Hodogaya , where the
to go to Yokohama . I
us at Odawara, being
with the boxes
expense
near
which took two hours
in a kango preceded
amused themselves
mountain
my knee in my mouth .
& coolies . No Charge
we reached
gumi who had joined
went ahead
of the pass are
about
kango,
kangos
seven
went on with Noguchi to Kanagawa, a journey
One of the
Fujisawa
my putting
view of Fuji
crested
the river
an ordinary
necessitating
to-Totsuka,
of the party
the dark.
to the north
Road same as before
the shape & size
a splendid
is a very shart
This walk did me up, and I had to take
hour and a half
just
About 6 miles from Oiso crossed
of the same name, in boats.
shik-kangb,
is
to each other
or upper dais ,
sake , dinner
&
(chadai)
amounted to
six boos.
The charge
candles,
for
the
for
hatago
includes
bath &c. and the fish
rice,
tea,
& sake are all
sleeping
extra.
accommodation
, fuel,
We had a very fair'dinner
money & were very swell.
March. 29. Friday.
Started
at
the
toiyaba
from Kanagawa at 7 in kagos.
teahouse
just
on this
side
at Kawasaki to M'meyashiki
1st takeba
of Tsurumigawa
in 3/4 of an hour;
and walked in...R
—121 —
at Nagamugi no kuriya;
bridge.
2nd
Walked from the
rode in kago to Shinagawa
熱 海(ATAMI)::SFebruary[PRO/30/33/17/12/ff.95-100]
Feb. 23.
Started
Ai]
from Yedo by the 8 train
and. Saburau
Cobb's,
driven
English.
for
Atamin.
with OKANU Ci\:/Y)Ii]
At Kanagaha
got
by a man who may be a Chinese,
into
and NIAHI C)\>
a four
but speaks
was good travelling
from the
for
mountains.
about 37 miles.
so bad a road.
the road were very fine.
Vries
35 sen,
owing to the
lateness
and the
price
having
clear
and
been actually
sky,
It
but a cold wind
Hakone range at intervals
was seen sending
at the Wodohara inn Nakamatsu-ya:
from
Horses changed at Fujisaha.
Brilliantly
The views of Fuji
trap
very good Japanese
Lunched at Umegaha, and got to Wodawara at 2.40,
only about 5 hours on the road,
horse
out clouds
along
of smoke.
of 2 kagos and 2 baggage
Stopped
coolies
4 yen
of the hour.
h
Hayakawa
Ishibashi
Komekami
Nebukaha
Yenoura
The first
four
the night,
insignificant
little
and at Yenoura there
comfortable.
Ishibashi
which are dotted
a neat
are
lies
in front
of a picturesque
nearly
The new road now begins
daidai
Nebukaha stone,
trees
little
of no great
concealed
on the Atami side
divide
size
temple behind wch. there
Yoritomo
into
half
himself
bough,
tree.
of Enoura.
a dozen just
turning
walk for
Nebukaha.
the
The fruit
dell,
pretty
was until
25 years
his defeat
of
At Komekami there
is
of the latter
overlooking
At Enowa come in sight
hill,
where
a good deal
of the
Here and there
ago the camphor tree
forming
diameter,
is said
of it
-122-
sea
again,
a
in wch.
trunks,
wide spreading
or even more.
to remain several
until
spot.
yama; must have been
again in the spring.
the
are
Akazayama,
have wide spreading
above the ground,
25 to 30 feet
steep
Passed
on Ishibashi
The mikan trees
to be
in every convenient
numerous.
for
the sides
About here one sees
red in autumn, and green
most part,
little
to climb a rather
which are planted
are
after
which sometimes cover a circle
is a real
of two persons
which is so much used in gardens.
among the mikan oranges
Camphor-trees
accommodation
over blossoming.
two men would be needed for a kuruma.
so-called
without
is only room for a party
with plumtrees,
teahouse.
vill.s,
shortly
and then leave
It
bushes,
The daidai
years
on the
is a charming
before
it
which
reaching
to cross
low
undulating
hills
at the back of Manadzuru point.
and from Yoshihama a hard
volcanic
scoriae
plantations
building
in several
intersected
seashore
15 mina at Enoura,
much over
4 ri,
brown colour.
by the road.
at 10 to 7, having
and as this
only
one inn at
stone,
Strata
of
Enoura has large
for occupation
left
Wodahara at 3 and
the time of kagos,
present,
has been put up at the other
be ready
is
of wch. 2.12 to Enowa, wch. place
At Yoshihama
another
places
of a dark
paving
of oranges.
Got to Yoshihama on the
rested
stone
Enowa exports
I doubt its
we reached
Suzuki-ya,
end of the vill.
being
at five.
but
the
framework
towards Atami, and it
of
will
by midsummer.
Feb. 24.
Started
at 8.10,
and extending
through
over
climb the excellent
smaller
scale
Mongaha, a vill.
a considerable
new road along the face
walk,
hamlet
perched
Japanese
medlar
prettily
situated
at
10.30,
been burnt
at
the
steam
ceased
for
increasing
boulders
basin
for
a few minutes,
to a violent
that
I could
at last
nothing
came but a fierce
on bubbling
violent
till
I get tired
the time
again,
away.
of the
passes
the
spring
spring,
was bubbling
ones,
out
at first
right
across
to
but theh
of the steam is heard,
and I notice
but all
its
this
increasing
again
and this
alteration
the
while
in force
leaving
final
termination,
1.
which was 1/4 past
- 123 -
volume
Then it
at last
piled
that
the little
the little
again,
and
pool
at first
& volume,
then
once more
Saburau to note
At about
It seems to be a little
up
the steam so
is repeated
1/4 to 1, and went off to lunch,
hot
real
flow completely,
about
an hour.
the
of 8 or 10 feet,
see the water,
hole
up with
but
feebly',
Then the steam gave way to hot water
and went on for at least
as the big
began to flow with varying
a distance
of steam,
also
Reached Atami
of an hour in a very mild style.
shooting
and
the Lococks in 1867 has
35 min. the water ceased
cloud
by orange
above Idzusan,
larger
flow again,
the
a tiny
When we got to Atami a small
from the
and beganto
hardly
surrounded
at with
noon, when water
After
than before,
again the roar
Got to Inamura,
the intermittent
round
Amagi san,
down to the shore.
gone away.
at the lower end of the basin
at work again.
less
opposite
was issuing
rush,
pool is
keeps
of the hilld
a quarter
wch. though on a much
island,
in shape.
The new road
end of the enclosure
larger
& another
The house I stopped
did not begin till
the
of the Cliff,
road between San Rent, and Bordighiera,
Fuji
nine.
on on the slope
and a little
thick
20 past
down, and the people
erruption
into
about
was full.
upper
water,
Then gradually
above the sea in a cosy nook,
and put up at Suzuki-ya,
Shin-sei-Shiya
of paddy fields.
with view of Vries
Ohomuero and Omuro Mts wch. resemble
little
of two valleys,
stretch
reminds one of the Cornice
a most delightful
at the conjunction
4 it
irregular
began
in
its
proceedings,
From
all
and
I can
hear
sometimes
it
has
omits
nothing
to
show
to
do
for
with
a whole
the
day,
tides
but
that
is
rare
.
.
Feb.25.
StartedlnabOut8for・ltou,putintOAzhiroforanhOur
ノレ],AH工[ノ
,lefしOKANU[ハ
ン グ
丶 ン グ ノレ1,andtheservant-girlbehind,andsoreachedmydestinatiOn
,
Matsubaraat11.30andwentatoncetotheBathsofShishido,whereIlunched
aしthehOusekeptbyKashihagi&gotagしsidefOrOhomurosan
.Myfirstidea
wastoascendKomurosanaswell,butasitappearedmuchlower
,andamere
cone,工abandOnedしhaしintention.Startedwith
.theguideupthevalleybythe
1.bankofthebridge,crossedabridge&overahilltoOgi
.Turninghereto
ther.ascendedbythesideofastreamtoTotari,andpassingthro'itbythe
pathtoIkomura,foundatoriwiontheW.sideofthecone,underwch.passesa
tracktothetop.Fromthissidetheshapeishemispherical
coveredwith
,itisquite
.shortkayagrassandbareoftrees.Ontheroadtoitareblocks
oflavaspreadabout,andthe[sic.]abedofashesofstrataofdiverse
thicknesscoversthewholeofthemoorlandcountryround
,asisseeninthe
excavationshere&therethro'wch.thepaしhsrun.Ascentしothesum皿iしtoOk
abt.20min.fromthebase,wch.was
.reachedinlhr.40.min.fromShishido.
Th・
線
・ewasafi・eview・fAmagisa・[稜
図]i・thissh・p・
,a・dY・h・dzuyamaし
ourright,infrontofit,adarksharppeakcoveredwithtrees
・
,Fuzhi,Futago
yamaofHakone,Tan-zaha,OhoyamaandtheseacoveredtotheEwithfishing
boats,thefurthestatleast6riout.Thevills
.ofYahatano&Ikemura,r.&
1.ontheS.side,andthenalltheislandsfromOhoshimadowntoKandzushima
.
Allaroundisnothingbutmountainmoororsea
.Thedistanceacrossfrom
YahatanotoOhoshimaisabout7ri.Thepathuptheconeis
_composedof
scoriae,withhere&therelavaexposed.Sawadwarftedscabiousinflower
.
Thecraterisabout250yds.acrossandsome80feetdeep;thebottomcovered
withgrass&looseblocksoflava.OntheE.sideisasmallshrinetoSen-gen
surroundedbysOmeverylargealltersandwhat工take七
〇beEuryajap
.Onthe
E.sideadjoiningisacircularelevatedplatformwithveryirregularsurfaceof
lavablOcks,lookinglidくeavolcan⊥chillwhichhasf'alledinupOnitself'
.We
descendedontheE.side,wheretherewasnopath,averyeasyoperation
,gotby
mistaketothemere,crosseditwhereanarrowneckdividesasmallsheetfrom
thelargerone,thencameoutbythevill.ofYoshida,andsointotheShimoda
road,whichbroughtusfinally.toWaka,&sobacktotheinnby1/4to6,
havir〕glOStanhourorltheway・
工しwld・beaneasyexcursiOnf'oroneday
leavingat7inboat,soastoreturnby5,0r60'clockatthelatest.
AtdinnerthewaitresssaysthatatKahana&Futo,twofishingvills.onthe
coastS・OfWada・thewomenareseparatedfrOmtherestOfしhefa皿ilyduring
-
124 -
,by
the period
they
of menstruation,
may not partake
expiration
of the
nor too cold;
the
rises
surrounded
caught
themselves
food cooked for
rest
of 7 days they take
The bath at Kashihagi's
spring
and have to cook for
a bath,
are just
the
and are
house is good and has plenty
in the middle
by houses;
of flat
in fact
of room.
seem to be several
At the
again.
temperature,
neither
too hot
Food excellent.
ground in the middle
there
fire;
of the family.
then clean
of a pleasant
at another
of the valley,
small
The
and is
springs , wch. are
in boxes.
Feb. 26.
Left
a little
less,
after
including
magnificent
coast
1/4 hrs.
prospect
along
lies
it
hill
above
Hakone, Higane san,
Yoshihama,
round
by 11.30.
In the afternoon
him since
starting
he left
point
consul
in London.
in life
my feelings
and Mera Head.
Ozhiro
anotheP
commands
a
hill,
To
Bay, and coasted
and got to the top
on me Minami Tamotsu, once a protege
Having not seen or heard anything
my house with a letter
of introduction
to Itou,
from
well. was the
for him, I was unwilling
and could not be got rid
indifferent
called
into
or rather
Ohoyama, the whole
Misaki
Descended
4 hrs.
Usami,•wch.
Tan-zaha,
by Ohoiso,
Ohoshima smoking-away.
of mine and recently
that
on the
Atami in about
to KaMi Toge, where the path ascends
of this
way in,
rest
of Fuzhi,
from Idzusan,
seaward
8, and walked back to
were
not
of for half
cordial
to see him , but he forced his
an hour.
I showed him by my manner
towards
him,
and
we talked
only
of
matters.
Find the baths
veryn exciting
if taken
just
before
going
to bed.
Feb. 27.
Spent the whole day in the house,
the
afternoon
ordered
when we went to the
several
camphorwood.
intermittent
pieces
reading,
shop of the
of furniture,
Got up at half
past
bathing,
joiner
bookcases
six
talking
and spent
and
& lounging , till
En-Shiu-ya,
of whom I
chest
two hours
of
drawers
in watching
spring.
Feb. 28.
Left
Atami at 1/2 past
seven,
and got to the
125 -
top of Higane san by 9...
in
the
長 崎(NAGASAKI):1867September-October[PRO/30/33/15/1/ff
Septr.
9.
Spent
the
returned
and
the
in the
goes
not
get
Nankai;
perhaps
off
"Hiogo"
nothing
a wretched
five
till
with
knots.
half
to do .
little
after
the
gunboat
of
we were
to start
Of course
an hour
In
afternoon
about
40 horse
at
once,
midnight.
11.
Arrived
at
supposed
Shimonoseki
business
who is as
of
on board
Susaki
wch.
we did
Sept.
day
to
power,
but
.78a-91a]
war,
or
about
other.
impenetrable
I went
as ever.
everything
8.
peaceful
a.m.
to
Everyone
ask
after
old
No news whatever.
& flourishing.
went
on
shore
friends
and
No appearance
Left
about
half
on
some
saw Inouye
,
or men
of guns
past
six
in
the
evening.
Sept.
12.
Arrived
at
Nagasaki
came
to dinner;
this
book.
after
the
He is
dinner,
honesty
of
Harry
four.
a bit
& suave
was not
his
time
doings
Put
like
up at
the
Flowers'
portrait
demeanour;
They
that
Ito
first
& Katsura
page
we had a little
to finish.
& denied
.
in the
asserted
he had ever
of
argument
the
perfect
formed
the
idea
Taikun.
& I went
much abused
left,
in
stopped
20th.
fact
Governors
did not
as the
vessel
and an examination
held
which
people.
& officers
Yataro,
the
just
were
eveng.
in
nothing
absolutely
has
the
custom
after
Sir
lasted
all
Harry
to
them
of
yet
discovered,
been
The
Yataro's
the
charge
when they
orders,
& the
of
Sir
The Yokobuye
has
the
for
till
to the
defiance
in
leave
night
entrusted
to produce
house.
unhappy.
was going
then
who undertook
same
Of course
done
harbour
at
seem particularly
19th
Iwasaki
Spent
Hirayama
on the
that
sailed
Septr.
meet
the
The crew
yaku
to
left
appears
have
not
gentle
there
in all
the
past
is
13.
Flowers
She
half
a very
which
of overturning
Septr.
of
Choshiu
at
latter
two
Basilisk.
It
Kagoshima
she
afternoon
of
of the
Tosa's
shld.
acc.
Governors
was
Kiki-
be wanted.
to
the
Tosa
appear
to
nothing.
14.
the
day with
Ito
& Katsura
at
a tea-house
—126 —
called
Tamagawa
away
up at
the
back
of
the
belief
the
way
the
town
that
back
a document
the
be
reconstituted.
the
Europeans
called
on
signed
to
by
Shogun,
by
stream.
Discussion
& Japse
Hikozo,
never
who lives
Satsuma,
requiring
wld.
Tosa,
him
to
about
mix,
in
retire
at
Gower's
Geishiu,
his
affairs,
least
not
Folly.
Bizen
from
Japse.
in
He has
& Awa having
office
our
& allow
ending
in
time.
On
a story
been
the
about
presented
Government
to
Septr.15.Sunday.
TooktiffinwithHirayama.HesaysSasakiSanshiro,theTosametsukeis
over-ruledbythekai-yen-tai(海
援 隊),whowillnoしallOwhimtOcarryOutしhe
Prince'sordersaboutsearchingforthecriminals.
Septr.
16.
Examinn.
Nankai
of the Yokobuye
did not sail
the Kai-yen-tai,
opposite
Still
I tell
do I.
it
Septr.
certain
that
of the
Yokobuye were in a teahouse
up to twelve
that
to insist
of the 6th.
the
o'clock
at night.
if they don't
don't
upon it.
This
disbelieve
want the
My policy
the men upon the Govt.
Two of
the
Yokobuye to
being to throw
I do not urge it,
but
to do so if he likes.
18.
Called
on Hirayama in the eveng.
a young fellow
of forbidding
at the Kagetsuro
for;
landed
there.
Advise
copies
of all
depositions
Septr.
19.
Katsura
alSo the four
men stated
examination
way.
The two Governors
for
have at last
sent
Sugano Kakubei.
the depositions.
that
his companion shld.
to have gone to Karatsu
He offers
Nankai &
Asked for
Sakae & the other.
me a steamer
to Osaka,
if I like
to
him know in a day or two whether
came to the
streets
Consulate
against
& armed with short
Discrepancy
The former is to be sent
in the
of the Kagetsuro.
by Sasaki
to let
of Nagasaki
of 600 men, to be raised
I suggest
of the keeper
I promise
discuss
defence
of Sugano Kakubei ,
who was with the capt. of the Yokobuye
made & especially
can accept.
plans
my suspicions
of the murder.
came in the morng.
to Yedo that
I state
countenance
on the night
be sent
force
appears
evening
The Tosa people
of discovering
to Flowers
It
in the
the mestukes
& the Govt. does not appear
leave
ten
were murdered
made, neither
the responsibility
return
till
C.H.
one of whom was the capt.
looks suspicious.
return,
at the
from Nagasaki
where the sailors
statements
case
for.
—127—
in
the
ruffians;
spears
to
they propose
besides
in statements
afternoon
swords.
of Sasaki
I
a
They
Sakae &
Septr.
20.
Translated
Sir
depositions
Harry,
Septr.
advising
to
on Satsuma
murder
case
made,
& offers
I hint
at
that
the
clan
Salamis
arrived
be cleared
of
at
in the
eveng.
two sworded
Letter
men after
from
dark .
money
4000
boos for
days
at
to
therefore
like
my idea.
Nagasaki
the
night.
Also
being
night.
the
the
Tosa
able
to
the
the
.
the
clans;
for
complicity
of
fix
doing;
guilt
one
why the
thirteen
all
for
to give
as we have
acct
not
men; think
not
&
. of his
be examined
men shld.
of
clans
them , it is
being
the guilty;
else
shld.
the
on
man be ordered
teahouses
he has
a reward
to order
are
the
of the
about
lukewarmness;
& promised
people
no reason
statet.
his
propose
some
two sworded
is
of
(me-akashi)
of
whole
There
Iwasuke's
suspicions
possibility
every
from
From him to , Sasaki
Sanshiro,
the Yokobuye's
capt .
to Hirayama;
as
of
been
discovered
excluded
proof
the
already
been
up by all
as
into
maru to go & fetch
in Nagasaki
as strictly
that
believe
not
work without
admit
that
be taken
has
has
men being
& delivered
must
Thence
an examn.
suspicious
sworded
it
spies
I propose
that
guests
I don't
the
two
Hirayama's
murderer.
to examine
unreasable
doings
all
the
at
such
Nothing
discovered
the
Grumbles
to
in Nagasaki
lent
him to make an inquiry
He says
all
men are
He does
man.
given
ten
of
has
Asked
me a copy.
first
least.
Govt.
& one other
been
to give
the
Giobu.
own people.
discovers
the
Niiro
possibility
Govt.
who says
his
even
unless
the
Karo
amongst
settlement
of
day.
21.
Called
if
all
settlement
for
lists
be discovered
he had better
.
be re:-
examined.
22.
[Sept.]
Sunday.
Tiffined
head
of the
mountain
23.
at
Glover's,
bay,
where
ash,
with
have
the
the
bridle
of seeds
prettiest
path
shaped
place
in
to Tokitsu.
like
Japan.
Rowed
Wax tree
very
to
like
a
beans.
Septr.
Nose
Osumi
no Kami called
be excluded
by way of
amendment
evening,
clans
they
right
aside
their
in Naminohira,
entrance
must
from
that
swords.
that
night.
at
in the
the
if
they
the
fr.
extreme
have
the
business
examinn.
end,
dark.
which
I also
settlement
guard
We proposed
after
to & fro.
Reurged
Three
afternoon.
settlement
be escorted
to be excluded
in Hikidaya
the
passes
bunches
men shld.
lay
they
hint
in the
of
houses
one close
to Shinchi.
—128 —
all
takes
it
day also,
the
clans
the
two
sworded
delighted
them
that
to be erected
under
that
He is
there
would
unless
& of all
for
Consulate
the
& adds
in
serve
they
the
the
would
people
settlt.;
& one
the
one
just
at
ItQwasherethismorningtosaygoodbyeandintroducesayoungfellowwhom
hewantsmetotakeaspupiltoYedo.Katsura'spresentnameisKidoJiunjiro
(木
戸 準
(林
宇
二 郎);工nouyeisTakadaHarutaro(高
田 春
太
郎)&hisOwnisHayashiUichi
一).Pupil'snameisYamamOしOJiuske.MyoldfriendYamagataKeizohas
beenadoptedbyShishidoBizen.HisfatherYamagataTaigaitwaswhowrotethe
"lmanoshokooshiuniarazaruron"
,&notNagaiUtaasgenerallystated.
Ito'smasterYoshidaTorajirowroteseveralbookscombattingtheviewsof
Yamagaしa&Nagai.TherewereしwOschoolsOfphilOsOphy,thoseofTeishi(程
子).andOyOmei(王
陽
明)oneOfwhichinculcatesしhedutyOfresistingtyrants,
theotherthedutyofreformingoneself.Yamagatabelongedtothelatter.
Hencehisargumentsagainstanyattemptstodisturbthe:presentstakeof
things.:
24.Septa.
Hadmyphotographtaken&ateaEuropeanfeed[sic.]atFujiya,rightat
theendofthetown,beyondTeramachi;theycallittafururiori.
25.Septr.
NoseOsuminoKamicalls.Heproposesthatforeignersshouldbeorderedto
giveupgoingtotheteahousesintheYamaintheeveningexceptonSundays;on
Sundaystheguardthereshouldbedoubledsothattheforeignersmightenjoy
themselvesatpeace..AlsotobuildafreshsetofteahousesintheShinchi.
Theorderagst.two-swordedmengoingintothesettlet.atnightwillbemade
..
ApparentlytheAuthoritiesarehighlypleasedbythisstrengtheningof
_their
handsbnOurpart.DinedwiしhNiroGiobuatKoyotei(迎
陽 亭)inChikugo-
machHesaysthereisareportthatthesailingoftheNagasaki
.maruwas
delayedonacc.oftheTosamanwhowastohavegoneinhereabscondingatthe
lastmoment.She
.leftonMondaymorng.the23rd.Nirosays…heknowsnothing
whateverOftheengagemenしofFrenchmenby工Washitaandthatheisanxiously
awaitingthelatter'sreturn.Hewrotetoannultheengagementdirectlyhe
heardofit,buthisletterwastoolate.Isaidweofcoursecouldnotobject
totheiremployingFrenchmen,butthatasFrenchviewsofJapanesepolitics&
oursdifferedsomuch,&itwaswellunderstoodthatourscoincidedtoacertain
extentwiththoseofSatsuma,itnaturallycausedusto-askwhether-this
engagementmeantachangeofviewsinSatsumaclan.Hesaidthatsuchanidea
wasquitenatural,butthatnochangehadtakenplace.SinceOsuminoKamihad
decreedtheadoptionofEnglishmethods,thewholeprovincehadbecome
enthusiasticintheirfavour,andobjectedverymuchtotheadventofFrenchmen;
hewasafraidheshld.havetosendthemback.Withregardtothereportthat
thetwoSatsumasteamerswhichcameinlatelyfromOsakahadgonedownto
- 129 -
Kagoshima
it.
to embark
troops
Osumu no Kami is
health.
Echizen
expected
to leave
Hara
is
house
at
Septr.
a dropsy
to have
there
at
returned
So apparently
by his
typhoon
Kaitenmaru
Septr.
Osaka
a word
where
to his
they
in high
was not
he has
province
.
have made up their
favour
& repute
has
of truth
gone
Uwajima
minds
been
in
for
his
is
also
to give
murdered
in .
in his
own party.
during
landed
the
high
night.
& dry
Two
at
cargo
boats
sunk
in
the
harbour
, &
Akunoura.
27.
A blank
Septr.
day
of
billiards
& bowls.
28.
Hirayama
and
one
of
the
Nagasaki
the
latter
over
Septr.
the
Tosa
two
people
Maru.
were
has
too
metsukes
having
They
busy.
came
absconded
had
asked
is
pleasing
It
to
dinner.
and
Sasaki
to
so
It
caused
a false
a delay
Sanshiro
note
is
or
what
in
the
Saedaui
little
report
to
abt
.
sailing
go
authority
of
, but
the
the
Govt
.
Tosa.
29. Sunday.
Another
Septr.
blank
day.
30.
From nine o'clock
to the C.H. to examine Sasaki
who have been brought
few days.
officers
hoist
The true
back in the Nagasaki
history
of that
named Tamae, & that
the flag
the Kagetsuro.
mestsuke
relied
upon;
Sasaki
& that
of Saedaui,
Mr. Saedaiu
they
to his Prince
who placed
said
astonishment
examination
and I pitched
of ridiculing
laughing
the
into
them pretty
at the
qeustions
us out of our case,
saw nothing
anybody
either
Nankai;
they considered
the Tosa people to be freed
- 130-
in
the
from the suspicion
&
be
Gohachi .
strongly
put
.
by us,
but he got a flea
At the end the
to criminate
Governors
with
faces.
that
Sugano to
was wrong & not to
going
to
& crew of
with
up making most diabolical
stated
in a
for leave
officers
he went alone
him when he denied
up for
follow
she was bought by one of Odzu
To my great
previous
of things
had to be sat
with the object
lug and shut
the
we must believe
state
maru; the Yokobuye will
is that
when interrogated
that
Sakae and Hashimoto Kindayu
pending the application
Here was the point.
declared
Here was a pretty
evidently
vessel
he put her in charge
his own on board.
his
of
he said
26.
the
Also
Kioto,
ill
an ometsuke
Kioto
Violent
the
lying
reported
soon.
Ichinoshiu,
for
in
Governors
Yokobuye &
as far
as
those
two vessels
replied
that
on the
on any ocular
this
were
white
It
foreign
were
close
to
else
had
been
letter
for
them
is
at
spot
shown
to
but
their
arrest
swallow;
conversation
of
that
to
without
of
3 girls.
that
to
It
answer
that
in
of
The Dumbarton
That
to
prove
the
write
negative.
cook
is
in
that
Niiro
to cater.
Osumi
no
Shiuri
the
a
a difficult
& sisters,
arrived
no one
in
Flowers
Satsuma.
Ten brothers
& Sugano
dressed
will
Saigo
7 Shissei
28.
3rd.
hour
in
by men in
Sasaki
way.
we had a French
except
Dzusho
that
grounds.
course
one of the
2nd.
That
court
was committed
I proposed
place;
to
be,
Yamamoto
to go to Yedo.
giving
passports
leave.
Octr.
No
Kami's
no Taiyu
besides
the
afternoon.
Noguchi
Wrote
& that
begins
Jiuske,
to
ask
for
an application.
people
to
came
have
supsect
to
Jiuske
assistance
Hear
take
they
their
of being
in
very
much
adherents
a Choshiu
away
man.
2.
At ten
turned
our
o'clock
to C.H.
first
upon
the
opinion,
upon
which
argue
from
the
it.
which
Govr.
two
men,
The number
be
Chinese
settlement.
the
will
but
protection
be irksome
of
produced
residence
impossible
just
of
to
for
such
to the
Govr's
the
British
three
of
the
them.
Discussion
Yokobuye.
We stated
examinations
etc.
We declined
forward
views
in a letter
our
our
deliberations
answer:
.I
the
of
from
anticipated
grounds
I think
patrols
a duty
must
point
a refusal
on which
all
our
they
about
to
will
it
at
put
night
effectual.
patrol
to the
of
of
to see
settlement
case
would
result
to
udner
close
in the
but
have
men available
Guards
settlement,
not
& the-rest
records
am curious
of the
I adhere
one
be the
then
& perhaps
found
tanner.
Namenohira,
they
held
wld.
the
thorough
examinations
Consul,
The
will
Hirayama
come prepared,
As to
would
to meet
as we had not
view.
arrest
into
is
a passport
object
it
will
Robertson's
& Shimadzu
in
founded
evidence.
a criminal
night.
Yama at
above
not
we
1.
getting
of
on the
at
murder
at
afternoon
importance,
no Kami's
My pupil
to
any
of age
Satsuma
Octr.
in the
suspicions,
them
the
the
ourselves,
circumstantial
moment dressed
they
us at
on the
twelve
in
amongst
strong
condemn
that
been
man and Komatsu
29 years
late
have
very
but
after
that
left,
with
is
to
some discussion
to
certain
that
came to dinner
confidential
almost
a little
demanding
nut
them,
be sufficient
garments
We then
After
we entertained
against
would
1st.
manner.
contrary
evidence
evidence
England.
concerned.
the
to keep out
four
settlet.
proposal
of
Thence
three
and
to patrol
men to be placed
samurai;
to
—131 —
prevent
& I think
& Japanese
Consulate
old prison.
or
be calculated,
at
their
town
guard-houses,
one
opposite
the
every
going
outside
point
in
a
one at
to
the
of
the
leading
in during
the
day
& remaining,
entering
I
do
shld.
& leaving.
not
think
sworded
be
they
going
Octr.
will
made
far
are
be
any
in
the
great
their
will
I
the
the
trade,
& the
then
gate
foreign
We can't
would
Shinchi
& will
Hirayama
restriction.
executed
at
please
to
annoying.
of
names
not
hindrance
of
and
leave
this
direction
discovered
to
thinks
whom I am desious
too
murderers
Marcus
it
men,
be
on
merchants.
annoy
rest
think
help
that.
the
two-
it
will
If
the
relax.
3.
Borrowed
chockful
a
of
Octr.
copy
of
mistakes.
Cachon's
French
English
I am busy
making
Japonese
notes
to
dictionary;
review
it
is
it.
4.
Did
Octr.
nothing
all,
but
play
whist
with
a dummy.
Fortune
favours
me.
5.
Kimura,
vessel
personal
the
induced
to
at
Yugawo called.
at
& ruin
But
That
by him to pay his
96 boos
debt
name unknown,
I am happy
they
have
feel
that
to
is,
Tsugaru
clan
as I believe
respects.
600 points.
& says
of
Winnings
& belonging
he came after
at
whist
Poor
Mrs.
Flowers
is
only
$300
to carry
them
my stay
here
now to
will
Noguchi
tonight
dismayed
an
and was
make my gains
up
the
of
at
on to the
put
Tosa's
prospect
end of
extra
the
hundred
year.
in
the
the
9th
to
the
pockets.
Octr.
6.
Sunday.
Today
month.
the
festival
of
Invitations
had
Nishiyakusho
& sit
Proceeding
thither
Tadasu,
along
I found
with
in the
a huge
been
shed
with
a crowd
Suwa,
Noguchi
standing
model
of
in front.
An invitation
& I found
the
tree
performed
was
followed
a dance
large
round
were
perched
basin
two
white
paddybirds,
dancing
was performed
benches
carried
the
from
o satsuma,
cloth
next
company.
not
stuffed,
end
of which
with
but
to anther.
or satsuma
-132-
odori,
in
the
in
satin
who
was preceded
by a
made of
amongst
cloth.
the
with
there
most
were
which
It
cash.
by 12 composed
in which
party
The great
green
bullrushes
One of
thro'
up a standing
& kind.
This
Sagawa
I pushed
was weighted
by 12 or 9 ft.
Nagasaki.
named
& took
polite
go
of
his
or gate.
dressed
& filled
6 ft.
place
of
of
to
to me to join
very
children
day
& mighty
tree
sent
9th
Consuls
high
cherry
there
the
lower
on platform
by coolies
was the
red
the
the
clansman
was speedily
Governors
with
the
a bamboo fence
white
made way for
pole,
all
for
& a fellow
before
edged
on a strong
being
to
there
by a dozen
& then
carried
performances
Vice
god,
round
a double
the
cherry
sent
prepared
position
shed
a Shinto
of
was
The
broad
remarkable
ten
hoko,
one with
two
a tiger
large
These
with
plunging
masks
of
an old
were
accompanied
mallets,
while
them.
The other
these
the
presided
treat
over
Chinese
took
& beef
by the
steak
Vice
me as an inferior,
o'clock
came the
banners
on large
a host
of
with
smaller
long
spears
black
and shields
hakucho
& black
Governor
about
& native
town.
obstacles
the
the
heavy
poles
carried
like
to the
way of diScovery
of
with
foreigners
in
taking
place
in such
a manner
& secondly
daimios
shown
it
to have
by the
fit
be
these
matters,
means of
restoring
Tosa
people,
matter.
that
Firstly,
the
a body
the
calling
itself
made
to
at
Custom
restrict
Vice Gov.
so I told
the
replied
him that
on horse
back
of
order
to the
and
called
to
the
vice
settlement
tried
to throw
in accordance
lost
a great
with
deal
of
of the
murder
incapacity
to keep
order,
a Government
should
I suggested
that
precise
allow
a degree
retainers
this
bows
possibility
daimio's
was the
and
deal
house.
to all
support,
a great
they
to
two
by huge
dresses
to so great
the
and
About
Lots
had
Government's
of extraterritoriality
held
Kannushi
inquiry
Government
we sat
disposed
that.
hardly
I thought
of courting
the
showed
examinations
to Nagasaki.
Talked
of
Governor
by men in white
bag.
That
this
right
should
resorting
about
the
late
regulations
with
was not
gochisoyari.
instead
Yodo.
ground
called
a paper
& the
regard
by three
procession
hour
god preceded
could
followed
are
in the
bearers
before
thirteen
which
of the
the
upon
supported
changed
of
&c.
chinked
individuals
soon
one with
armour
About
hospitality
cars)
the
they
at
these
of
they
dresses.
Olivers
which
which
o'clock,
I found
(sacred
which
Tosa affair
wishes
twelve
boar,
a suit
which
in real
for
They were
shaped
With
in the
expressed
mikoshi
with
drums
by the
Rowlands
poles,
caps
bef6re
or
were
all
of a wild
basins
the
Governors.
banners.
broomlike
beat
prepared
but
jin-yo
brass
court,
place
another
another
carrying
hoko bearers
was the
soup
bamboos,
man & Otafuku,
by boys
representations
down to fowl
down through
as
that
from
some
freely
he had nothing
reason
I spoke
was
to do
to
him
them.
Octr.7.
Ninomiya
the
end of
last
fellow
clansmen
wanted
to appoint
Kurume doctor
to
send
In
to see
men Sugano
they
showed
the
his
me.
Yui,
of the
reply
Tosa
with
a day for
afternOon
of the
disprove
called
me a note
the
sending
year
points
It
Hirayama,
had been already
was of course
laid
down.
in
sent
the
I suggested
- 133 -
the
the
two
day at
the
some of
his
Yugawa also
to the
arrest
one
to bring
of the
I agreed
and
demanding
house
permission
captain
& time.
on
It
Tosa
day place
letter
me a copy.
the
dinner.
called
Robertson's
son to request
a little
to the
& Sakae.
three
whom I saw at
dinner
metsukes
& detention
& crossed
negative
& told
to
not
him
urge
the
of the
two
me on the
but
to them
came and
way,
attempting
an alteration
but
to
which
they
promised
forwarded
to
at
be continued
strike
all
for
at
the
ships
had
one ran
away.
root
to
that
once;
the
the
daimios'
their
names,
they
like
to restrict
on going
that
none
would
not
told
a good
story
things
all
should
to last
.
They
to
.
the
settlement
severe
prevent
at
restrictive
that
of a certain
if
to
reside
or
out
where
any
necessity
.
They
would be
night
measures
any daimio's
business
not
They must
replied
find
be
could
men coming
be able
go into
would
and
number , and to impose the
out of the foreign
settlet
do to adopt
now adopted
if
would
and
should
ready
precautions
of
and
the
in
also
men in order
report
who had legitimate
morning
7.30;
6 or
7,
retainers
all
at
coming
to
.
old
yujo.
Yoriai
of
As soon
following
the
first
for
Kioto.
After
opened
without
perhaps
govt.
time
engines
priest
and a-state
deal
shinu
.
the
aiding
one
object
of
their
as
the
twenty
a great
party
the
tea
daimios
can't
and
why they
from
not
see
among
themselves;
& greatly
impoverish
foreigners
to seize
would
invite
all
but
that
a couple
could
give
I found
their
internal
out
to
no
the
a small
to
war,
feast
Hiogo
the
which
differences
Kurume .
would
while
country
Kioto
and
being
war
country,
of the
& a
be settled
a civil
bits
in
could
at
a rioriya
& was made up in
for
But a foreign
had
how they
years
other.
different,
a clockmaker
objected
chiugoku
I did
agree
Arima
or thirty
the
become
home.
we went
opportunity
agst.
attack
came mostly
that
together
called
The reason
I said
today
to
Govr.
He was originally
champagne
hospital
from
Sakae , a man who is said
to have
Chiuhei , a man visiting
Nagasaki
for
a machinist
& constructed
boilers
&
steamers.
talk.
affairs,
a war,
last
who is
overlooking
was that
give
Konoye
of
only
Imae
Nagata
a bottle
Vice
we went
first
dignified
are
on we heard
the
over
& then
looked
utai;
were
of
were
a most
hitherto
hokos
front
lot
they
kamuro
looking
were
clan,
Japanese
in
o hatoba
that
the
town , but
me.
the
recitative
None of the
the
for
up from
shed
, who performed
we were
performances
drinking
internal
in
the
so diminutive
been
lot.
While
waiting
political
but
mournful
a similar
and Tanaka
of
came
to
The Maruyama Machi
who have
new.
as the
of
again
garments
of that
of his
a couple
hill
yujo
wounded
Kurume people
do with
About
were
had been
which
13 & 14,
humanity
showed
dances
particulars.
great
of
machi
the
of
accompaniment
foreigners
on the
girls
morsels
& I went
to Suwa no Yashiro.
up in swellest
the
tiny
wife
processions
town
two little
to
his
the
the
dressed
measure
most
see
thro'
abt.
these
Flowers,
to
proceeded
would
it
those
nishiyakusho
the
rule
a state
had to
names
were
semimilitary
irksome
the
out
these
8.
This
to
keept
in
measures
but
Hirayama
of
send
regulations
that
was too
& going
& that
Nagasaki
Octr.
and
their
sufficient
it
I should
reporting
replied
The police
I suggested
ever;
coming
leaving
of
adopt.
once.
it
by
was the
when peace
came we could have treaties
be defined.
Kioto,
Nagata
but destroy
feeling.
who was already
the Bakufu.
About four
I met the
people
fair
with the Mikado in which the Taikun's
o'clock
Mitsuhashi
came in and the
shouted
So they also
it
last
winter,
you must not
wld. appear
and had a grand
room was gradually
I left
abt.
of the wounding to be correct.
filled
with
6.30 & the
share
attack
the general
to ToSa, and gave himself
feast.
yujo,
party
One Englishman
head and on the arm, and the American slightly
them belonged
out,
could
we went down to the Kamaya in Maruyama machi where
Most of the men got drunk.
story
drunk
position
kamuro & geiko.
broke up.
very
Found the,
drunk was cut on the
on the arm.
up to his
More Kurume
The man who wounded
own people
who reported
the
matter.
Octr. 10.
Hosokawa Rionoske,
the Consul.
younger
He is fat-faced
brother
of the Prince
and about
25, healthy
fat
of Higo came to call
on
& intelligent.
to
Tried
pump me about the Tosa affair
but failed;
then went on politics
I held
tongue; so he expressed a wish to see me and have a lengthened conversation,
asked me to Glover's
Octr.
I said
I had no invitation.
11.
Townsend
exactly
& I called
on Rionoske
by appt.
but
he was not
on board;
not
polite.
Octr.
12.
Endo turned
it
to dine.
my
&
up first.
and discoverd
was followed
him at once.
Urakami there
place
also
have
followed
they
the
with me to Yokohama.
practice
a number.
of the
in Christianity
the
criminals
Government
daimios
& subversive
to join
Xtians
those
case;
who will
the
on the
pretext
of good govt.
in a representation
to Hirayama.
that
& they
•—135—
are
to that
He and the
of Urakami have been forgiven
they
are
metsukes
on promising
of
to that
their
is reported
because
one,
leave
are
crime of
& think
that
number
to get
This
that
there
the
a large
trying
effect.
people
in punishg.
but it
grave
Niiro
next
who say that
been a very
He
the Omura people
abjure,
the Omura people,
has hitherto
off
besides
in Omura; hitherto
Nagasaki
to punish
This offends
that
to say goodbye.
of one of the Omura villages
who are now in prison
Went to say goodbye
All the
He says
and wished to do so also, in the present
revolutionary
Kiushiu
here.
are some inhabitants
converted,
believing
letting
in his card by Noguchi who read
He goes in the Coquette
were still
the GovernorS do not intend
so large
he sent
by Iwai & Nagata of Kurume who came merely
Giobu came while
criminals
Like a fool
all
is
the
of [sic.]
on the
18th.
not to do so again,
but
they
are
going
the
Coquette
latter
Octr.
are
permitted
to
to
forgive
at
their
11 p.m.
disguised
believe
what
Xtians
also.
Matsui
a Macao
of
they
like.
Very
Tosa
and
like
Endo
He thinks
the
a whale.
Left
Kinske
of
Choshiu
Omura
people
Nagasaki
in
board,
the
on
Portuguese.
13.
Passed
bluff
at
Octr.
14.
Passed
thro'
the
the
extreme
Mashima
Straits
east
strait
at
of
Shimonoseki
end
of
the
8.30.
15.
Passed
Octr.
16.
Arrived
Oshima
at
Island
Shodzu
Yokohama
at
at
5 p.m.
3 guns
mounted
on
a small
town.
midnight.
Octr.
at
5 p.m.
midnight.
- 136 -
shima
at
5 p.m.
Arrived
at
Hiogo
at
大 阪(OSAKA)1867December[PRO/30/33/15/2/ff.94a-105]
Decr.
1. Sunday.
At sea;
rounded
Cape Oshima at 4,30.
P.M.
2 Monday.
Strong
N.W. wind; cid.
Osaka by 4.30 p.m.
[Dec.]
only do 2 knots
Bar evidently
agst.;
impassable
anchored
as no boats
before
Tempozan at
appear-
3. Tuesday.
Get on shore
Hiuga.
about
We go & look
Tamatsukuri
noon & call
gomon; suggest
under a misapprehension
bugiosho.
Larks.
that
I had sent a verbal
into
behind
the
a funny dignified
message for him to come
bad interpreter
him with Shibata
Ise & Shibata
the yashiki
Old Seare writes
What a horrid
about
Ogasawara
lodgment,
some alterations.
to the
our chaff
Governors;
at Iga no Kami's former
letter
translate
on the
he must have got to
a summons.
4 Dec. Wed.
Arranged
for
for building
guard.
repairs
a temporary
To be ready
not say how.
once.
(Either
needn't
let
barrack
& the latter
very far
houses,
and
if it
can be helpted).
in Kioto reply
Expenses
to be paid could
whole sum might be re-paid
from the
to Goto & Yoshii.
is
small
chief's
thoughts,
at
but one
Lots of two sworded persons
The former
severally
has
the rusui;
gone down to-his
but the little
man
come down at once I expect.
5. Decr.
Thur.
Walked down to the settlement
far
or the
being
him be dishonest
country,
and adjacent
by the 18th of Decr.
in form of a rent
alternative
Wrote letters
yashiki
for 50 men of the 9th who are coming down as a
if possible
Perhaps
about.
will
of Tamatsukuri
as levelling
bonded godowns,
highly
Inaba
& bunding
goes,
proceedings.
Hiobu Taiyu & Matsudaira
about
breakfast.
but of course
Custom house & guard house
objectionable
tomorrow to see Mitford
orders
before
repairs
no drains.
& a big palisade
tiffin
nearly
finished
They are
at
came-a messenger
Thereafter
-137-
•
for the
detachment
all
to say that
walked over to Tamatsukuri
up of buildings
as
building
the back,
Nui, Nagai Hizen & Kawakatsu Bingo will
& myself.
& fitting
After
It is
be down
& gave
of foot.
Decr.
6. Fri.
Called
on the
construction
with
the arrival
Koske saying
Saigo arrived.
Decr.
that
the
settlement
Warehouses
should
in
not be further
In the afternoon
of
proceeded
recd.
he was too busy at Kioto & recommending
letters
course
letter
from
to wait until
to Yedo.
7.
Yedo.
this
morning to meet Rojiu
Had orders
information
For all
tired
of being
resolved
Taikun
the
to
Taikun
I don't
badgered
to call
strongly
the
that
that
stop
it
council;
than it
at
They are
ago been
is
us.
to
take
that,
to his own party,
& that
this
but merely,
not impossible
of votes
way to
Gave us no
intending
& to give unity
& it
on their
Osaka & see
to be his intention,
by the 4 clans
him by a majority
established
& Sansei!
had long
believe
a general
reinstate
Decr.
fr.
except
step.
his
that
power
he has
the
Council
will
be more
was before.
8. Sunday.
A Blank day, spent
dined
with
us.
& singing.
Decr.
12. Thurs.
Started
at a quarter
because
at less
in wandering
Talk of nothing
acting
thus
that
of the Ministers.
Sent off
Went early
will
& arranged
at the N. End of the
until
Yoshii
Govr.
to nine
in kagos
refused
18 boos!
was 1/2 past
It
and I reached
Nishinomiya,
just
have arrived.
pace with
but 'curios'
the machikata
than
Ama(gasaki)
about in the pursuit
half
it
way; thence
Poor little
for
Hiogo.
twelve
to one.
had to get
and only
at 6.15.
Seare
China & Europe;
also
We were obliged
and couldn't
when Mitford
to go
procure
who walked
Three o'clock
them
got
to
brought
us to
out and walk or we shld.
never
Nagazawa & the escort
our footsteps,
board the Rattler
in Japan,
to lend us horses
at a quarter
of curiosities.
had to trot
one of them turned
in order
up at the
Dined with Swann & then went ashore
to keep
end.
Got on
to sleep
at the
Sokuaisho.
Decr.
13.
Fri.
Went to see
Consulate
7 days
& discussed
of feasting
processions
for
Shibata
the
Settlement
of
filling
Hiuga
various
no Kami,
details
crape
up of
splendid.
dressed
the
Kuai sojo,
of the
people
settlet.
Foolish
the
of business
in Kobe in honour
red
at
with
site.
and
Parkesian
—138 —
now become
with
him.
expected
opening
carts,
supposed
Fetes
idea
also
of
to be
the
He says
of
to
in
a public
English
there
the
were
port,
convey
Hiogo
garden,
and
earth
Site
of
much
calculated
to increase
towards
that
his popularity
us on the part
there
will
settlet.
of the Japanese
be some real
at Kobe at
11.15
Arrived
opposite
foreign
Ojikawa
by half
past
makers,
dancing
decorated
with
(!?).
konshin
settlement
cakes
chiefly
red cape,
on their
heads,
& dancing.
bearing
the names of the
no kosai
this
Noel,
1st
is great
and it
time.
lieut.
colours,
ka,
rate
oranges
ka,
little
also blue & purple.
to be hoped
from the
of Rattler
with
crowds
of festival
ijanai-i
ka.
bags & straw,
Many people
Houses,
& flowers.
tarring
red lanterns
The whole in honour of the shower of pieces
two gods of Ise,
us.
mouth to the usual
thro'
ijanai
is
good will
Started
of Osaka by a different
ijanai
in all
Dresses
& people,
Walked at a great
and singing
there
Govt.
in a boat.
six.
Apparently
which has lately
taken
of paper
place.
It
took us a hour to walk up.
Decr.
14. Sat.
Yoshii
things
Koske came & we talked.
to the
last
extremity
Uwajima, Choshiu & Geishiu;
are
indifferent;
all
The coalition,
to gain their
the Western
daimios
& so Shiuri
to arrive
Saedani Umetaro,
in a few days.
unknown.
between
troops
at Kioto
a view
to the
Nagasaki
murder
includes
a large
destruction
Tosa,
Chikuzen & Hizen
are pretty
much of one mind.
no Daiyu comes up instead.
The other
The Choshiu question
party
of Satsuma,
to join,
He is expected
whom I knew at Nagasaki,
lodgings,
to push
a Tosa man,
by three
men entirely
10,000 men at Kioto;- Satsuma and Tosa about
them at Kioto & Osaka.
Taikun's
determined
consists
in fact
a few days ago in his
The Taikun has about
also.
points
Higo & Arima are inclined
Osumi ni Kami is too ill,
was murdered
which is
will
daimios
number who will
of that
clan.
was by no means settled,
such as Geishiu
be a difficult
try
and that
bring
one to settle,
to force
I took
will
5000
up
as the
on a war again with
occasion
to say
one of the
first
that
the
questions
proposed to the new Govt. would be the punishment of the murderers;
that no
money compensation would be accepted;
& that the Japanese if they wished to be
on good terms
reoccurence
affairs
with
foreigners
of such affairs.
were not settled
He replied
this
wrath upon the foreigners,
the Treaty
we could
and to avoid
Powers.
no longer
whom he had no real
hold
in order
the
to this
time at Kioto,
I responded
that
Taikun
disaster,
had better
by saying
the daimios'
to get the
that
prevent
if the internal
men would wreak their
Taikun into
bad relations
they would fail
of their
object
responsible
the
of persons
for
the
acts
with
then,
for
over
control.
Decr.15.Sun.
.TwoUwajimamen須
藤 但
馬sutOTajimaapparentlyakayo,and西
江Yukiyewashiscorrectname,20/4/10)SaiOnjiRaiye
甲 寺
、ametsukewhoml'sawat
ご139・ 一
雷 江(雪
Uwajima when I went there
come as precursors
expressed
the
establishment
prince's
assured
delight
of the parliament
the
them that
with a message fr.
and see us.
the
May.
in the
the question
had they
arrive
early
prospect
They have
in January.
We did not discuss
same sense
of
as to Yoshii
also that
we are on as good terms
than
in came
Goto, who arrived
We made a proposition
43i5T.
at Osaka last
therefore
much.
I
yesterday,
and
in abeyance
for
with Tosa as before.
Nakae Kiohei
night
the
at Uwajima
politics
was not abandoned but only lying
retired
They
now existing
he had spoken of to me in the spring
affair
I explained
No sooner
at
in Osaka last
Nagasaki
the present.
They did not say very much.
of Iyo no Kami who will
& at our interview
mentioned
in the Argus.
& is
of Tosa,
too busy to come
to go and see him instead
which was
joyfully
accepted.
We met him in front of the Tosayashiki
by the Nagabori &
turned in with him.
Our first
move was to speak to him about the Nagasaki
affair
& say that
altho'
the particular
of the Yokobuye & Nankai
going
that
our people
Japse.
until
had murdered
reparation
appeared
& that
constitution
replied
that
murder
inspired
to take
charge
kindness,
which
him with
to track
tho'
in itself
learn
again
further
Government.
for
had
of
Japan.
& arrive
about
I replied
for
that
fr.
Yodo is much better
not rest
the
feelings
to present
information
as
about
myself,
of any other
to
to serve
state,
apply
H.M. service,
of his
case.
illness.
in Osaka on the 20th or thereabouts,
—140—
own
with
no stone
shld.
I then asked him
to his
He promised
to do
that
he shld.
come down &
remain a few days in Osaka
about
the
Engl.
the present
He wants
consult
form of
cabinet
to
with
& the
employ
and
my own government
but that
the
obtain
& could
if they wished for the
to the Minister
for
the
of pay from a Japanese
I would not seek
He will
his
of the new Govt. which he
parliament.
I was content
two of
He
of Englismen
value or beauty.
& myself
new
effect.
to Yodo as a return
It was agreed
through
of
of the
of the
demand with
place
fact
which some people
both Yodo & he felt
Mitford
they should
I left
report
the
we shall
arrangement
in the latter
of becoming a recipient
me, & if
the
the constitution
such
under that
The idea
the
at the same time he shld.
a question
of an officer,
which suits
& that
taken
& that
to be formed.
& that
a foreigner,
not take service
officer.
just
sympathy
We gave him a little
information.
services
to talk
until
making
criminals
particulars
of putting
services
remained,
not of any great
& of the senate
see the chief
method
the
false
was removed from then,
to wait
of a gun which I wished
We then proceeded
proposes
by thel
the Engl. Govt. but by the punishment
to the murder of our sailors,
unturned
to
would satisfy
we were content
the
be left
so.
still
gave us an opportunity
subordinates
regard
out together
caused
was made, not by the payment of an indemnity,
to suppose
criminals;
suspicion
another
loan of an
is not one
career
in
embark on the 18th instant
whence he will
proceed
at once to
Kioto.
In the eveng.
we projected
Shinchi
was the place
I had in my mind's
these
places
close
early
a dinner
on ville,
eye.
to the influx
of fresh
guests,
for a walk with old Seare and it began to be late.
Tokaku to engage
mustered
a room for
our forces
merry makers
shlders
by telling
started,
driving
My instincts
us by what
turned
garments
with their
that
aside
without
offering
to let
trying
a fat
sides
girls
in,
who appeared-as
but
called
locked,
gone
& the
out
Honkakuji
the
So in we turned
guessed
dance.
the
part
reception
and passed
of the
that
Osaka
one is
about
women is
accustomed
dance on
experience
inhabitants
think
could
legs,
had all
of returning
give us.
to
Luckily
knew of a house called
got a capital
call
at.
room upstairs.
of certain
As
o Une and o
of the house took up the
absence
after
had
walk distant
back we might as well
to meet with
—141—
a Violent
the .doors were found
the
acquaintance
remarkable
our
on Tokaku to take us
there
& to
The total
up;
we stood
midst a kago with
minutes'
but the female attendants
the wine cup.
shut
Whilist
The number of pretty
'five
to despair,
waiting
us
in the house came to meet
not prevail
road
the.
made way for
than our previous
about
was to make the
in red
of young boys & men
in their
again.
Arrived
was on the
some
and I was afraid
and after
man on sturdy
ten minutes
dressed
place
a herd
by some one was that
a little
& took
We found
us.
cold food the philosopher
which as it
of our expedn.
of the
entrances,
sort.
We began
and after
tossed
We could
of that
We
by the
triumphed,
they
receiving
us a room,
a house
anything.
at Tokaku, we found the chief
rest
was much larger
contain.
Masa we did not engage geiko,
conversation
Arrived
disapppeared
us a guide.to
the guide,
q.51* Sho o tei
the object
dancers
be ,
They were so occupied
however
All the feasters
troop
to sup on whatever
for our purposes,
contrary
and the
of
on their
cut that
all.
nice.
we
manner in which they thrust
back to decline
of the various
explann.
to
on the
dressed.
or something
for
we were unnoticed,
rudeness.
the
it
six
shld.
burden
of merrymakers
by the violent
makers
Osaka could
they gave
Tsuii
that
them to give
in concert,
led us to think
isn't
& dancing:, & bearing
them on the thresholds
both
lanterns
most gorgeously
the
after
to
to be full
to find a shorter
road
past
of my bette
I placed
the crowds
naika,
been 'turned
inshouting
doll
'ija
us pass;
to persuade
rest
they two would be enought
our way thro'
by festival
had just
half
me the way, but once the bette
the slightest
rooms occupied
Of festival;
to be a circuitous
& their
the
dusk for
a messenger
were expected
that
of backlanes
provoke a guarrel
people
trooped
told
out
dancing
messenger
sorts
& shouting
the escort
here
all
in forcing
flaming
place
them I thought
thro'
I despatched
streets
& Yokoi proposed
us to the
Dotombori.
difficulty
As the
about
but Noel had gone out
and as Noel came in about
& started.
Matsushita
summoned to attend
us,
and Tokaku in the Namba
I wished to start
the
in Yedo.
of fear
cold
or dislike
& often
Curiosity
hostile
apparently
on
triumphsovereveryotherfeeling;andthentheattendantsaregenerallyblack
toothedinsteadofwhitetoothed,whichmakesagreatdifference.Sobriety&
earlyreturnwastheorderoftheevening.
Decr.16.Mon.
TodayNoelreturned.Wemovedoverfr.Hongakujiinspiteoftherain
whichfellintorrents.Itwashalfpastsevenbeforeallthebaggagearrived.
WearesettleddownataplacecalledTamatsukurigomonnoyashiki,originally
occupiedbytheJoban&sinceIganoKamiinhisdescentstoOsakalastspring.
工tIS50yrs.old&muchfallenintodecay,buしrepairshavebeerlmade&Itis
nowcOmfortable.Themainbuildir〕gWlユlaccOmodateSirHarry&t)hreeOrfour
others.Mitfordwillshareanattachedbuildingorkoyawithsomeother
fellOw.IhaveseizedOnone,しheOfficersoft⊃hegthBetaしchmentaretoshare
athird,guestsafourth,andtheescortafifth,whilstthereisagreat
buildingorkariyaforthedetacht.SentofftheSpencerrifleforYodoto
Goto,whohaddespatchedamessengertofetchit,tho'wihtoutbeingaskedto
takeしhaし
(岩
しrouble.WenttovisitSaigOKichinosuke(西
下 左
治
Comte
右
衛
Conversation
of saying
seemed to be divided
that
maintain
that
cease,
off
revolvers.
to
the Icarus's
leave
very anxious
of the Tosa & Satsuma
Otsu
last
Aug.
conversations).
had overheard
himself;
but unprejudiced
to disprove
carried
out.
that
think
it
but that
heads,
Kiangsu
'buy' .
We gave
the possibility
men to murder Mitford
we were
some men, whom he imagined
to accomplish
story,
their
Saigo tries
he said
that
the
that
clans
independently
for
contained
of their
$155000 dollars,
give
one much
strongly
having
to
of
the
They
been a plot
when we passed
thro'
way by other
me at Osaka that
and when I told
this
cld.
that
he
they
Goto at Susaki
Satsuma
no Taibu
—142 —
were one, from being
not have been
We reassured
him that
true,
and
we did not
wish to murder foreigners,
who sometimes
& Shiuri
that
by friendly
pretty
Noguchi told
Satsuma or Tosa shld.
chief.
find
by an indemnity.
the scheme, if there
ruffians
I always
he being in Kioto heard such a report
to make out that
either
out
Opinion
to be Tosa men, regretting
Goto was not in Kioto at the time.
probable
them
me the
ones.
men don't
of there
turned
paid
actuated
and myself
project;
and took measures to prevent
says
hard
of more murders;
Now I have no doubt myself.
I had heard this
but very
murder would not be settled
(Fortunately
had not been able
that
hits
Saigo
of Japan & are themselves
it will
understand
were all
little
as to the probability
encouragement
that
much on murders.
I gave
men who wish for the advancement
feelings,
助).Foundthere
門)工washiしaSajiyemon,justreturnedfr.EurQpewithhisfriend
de Montblanc.
compliment
郷 吉 之
took such ideas
has bought
into
Chapman's
came up in her;
ship
a very
their
the
good
Decr.
17. Tues.
Visited
just
the other
behind
Decr.
two places
the barracks
offered
opposite
the o te;
affairs.
Kawachi,
Commander of F.A.
No date has been fixed
can be blamed if he shld.
be late.
or about
discuss
it.
to arrive
should
Objections
will
surely
is not unlikely
after
all,
Taikun's
Decr.
plan
that
arrived
called
for the daimios to assemble,
upon
& therefore
Supposing that
& that
In this
about
no one
the few daimios now in Kioto
& come to a decision,
now are they to enforce
view it
the non-appointment
appears
of a date
to me that
is
war
part
of the
at Yedo appears
to be
his opponents.
but no news of him came at all.-
overland
fr.
Yedo.
The impression
up altogether
& is
nobody;
by word of mouth change the appearance
on the
22nd.
at once,•with
too large
Taikun's
troops
under the
Hada talk
the object
are far
idea
out;
in Kioto,
that
all
there
to be object
opening of these
great
object
it.
will
go on with their
must be appointed
Governors.
Ito
places
Taikun,
severe
I reply
at the
be put off,
No of course,
be to open the
back of the
evidently
the
arrival
of
forbidden
when war does
castle,
which is
has his eyes too on
chief
& the
& whether Saigo has not written
to the
& I suppose
place
which
Hiogo & Osaka will
for a foreign
Ito
to know whether
can't
commence
of his domains,
Of course
a foreginer
tussle.
is to be
war will
having been imperatively
just
and
There are only 7 battalions
for war.
for
our Legation
He wants
of the
I told
the
& so keep fOreigners
fact.
quiet
Then the
whilst
they
private
plans for the reformation
of the country.
Some one
therefore
to represent
Japan at these places.
I suggested the
says
do not attack
the
was no cause
• The chief
who says that
the Shogun of parts
reinforcements
of a pretty
Kaiyo7maru,
about
Ito Shunske,
residences
so much does distance
of affairs.
for the peace of the country.
especially
chief
with
of depriving
not be the most peaceful
with
We talked
the chief,
the Taikun has shut
report
rebels
& out of repair.
20.
Letters
the
dirty
situated
19. Thurs.
Decr.
sure
small,
a Legation;
us.
be raised.
for embarassing
We began to expect
break
Harry for
18. Wed.
Ishikawa
here
to Sir
they
will
be turned
the residences
but
if
they
to fight
touch
regiments
& many ships
not think
they would wish to do so.
out
at once.
of the foreigners,
us they
in addition
will
have
a couple
to the Shogun's
He promised
- 143-
Well so long
as the
they may do as they like
to let
of English
troops.
me know again
Ito
does
before
the actual
day comes.
Mori Heirokuro
interval
A body of Choshiu men are coming up under the command of
& Fukumoto Shiuma, Katsura
& Kikkawa not being able
to leave
the
Govt. of the province.
23rd Decr.
The chief
was to have arrived
expectation
of meeting
red faced
but
didn't.
him & were disapptd.
hard teahouse
girl
We went down to Tempozan
Eat oyster
of appararently
& drunk sake
in
with a fat
much knowledge of the world .
24 Decr.
Chief
arrived.
confusion
all
the country
Saigo
Looked
day.
Letter
at
the
house
from Shinosaki
to an eggshell
& then
He sends
away again .
Splendid
Yataro comparing the present
held in the hand,
to keep the peace.
ran
& begging
state
me to persuage
me the M.S. Hankamfu, all
of
Komatsu &
but the vols
1 to
5.
25 Decr.
Kasuya
Hikone,
Chikugo
no Kami, gaikokubugio,
Bizen & young Geishiu
what's
are
came & called
in Kioto.
on me .
Does not appear
Says
to feel
that
certain
going to happen.
28 Decr.
Visit from Hayashi
men landed
instant.
thinks
Kenzo my old friend
at Nishinomiya
under
the
He too does not know whether
Goto & Saigo are trying
Nishinomiya.
The Choshiu
Takumi is reputed
I shall
try
opened.
people
are
down there
and see
, but
Endo goes down tomorrow to
in a temple
what is
It
in refusing
they
looks
going
strangely
have
very early
on , after
but has not turned
work on his hands and had sent
at first
to be any fighting
who became inkio
down today,
Gemba no Kami has gone to meet him.
is persistent
is going
encamped
to be a man of capacity,
to get
difficult
there
to keep the peace.
Iga no Kami was expected
precious
of the Argus . He says 1500 Choshiu
of Mori Takumi on the 23rd
leadership
as if
there .
in life .
the port is
up, & Nagai
Iga
got some
for Nagai to help him; for he
to come, and afterwards
taking
no notice
of
messages.
[Dec.]
29.
Iga no Kami appeared
only.
All the
Governors
who has the credit
tho'
of course
after
all
today
& we talked
of the two places
of being
the almost
Iga no Kami is admitted
sole
into
—144—
Hiogo & Osaka
were present
adviser
their
business
& Nagai Gemba no Kami,
of the Taikun at present ,
secrets.
[Dec.]
30.
Iga no Kami & Gemba came again.
no satisfaction
all,
in
is to be had apparently.
spite
approving
of Gembals
the chief's
attempts
action
nightman.
terms
never
we wld.
to
At all
give
abt.
Nagasaki
Hirayama
get
in the matter,
them as a perpetual
that
Discussion
murder,
is to go to Nagasaki
him off.
The F.O.
& he seems inclined
events
he told
the matter
in which
writes
them today in pretty
up until
of troops
up.
Sir
by the daimios
Harry told
the murders
where they may get into
regiments.
& do not like
them unless
collision
their
they get
with foreigners
A great
shame of him to meddle
morning
to see Koba Dennai
over
strong
were seized
&
so that
Evidently
hunging such a number
the
troops
he will
thus
out
to keep it
punished.
They asked a lot of questions
about the Engl. Constitution,
it would appear as if both sides were desirous of taking our advice.
they are hard pressed
after
away from Osaka
send for a couple
& increase
the
of
Taikun's
embarassments.
[Dec.]
31.
Went this
why the
chief
men here,
Thence
wished their
but doubtless
troops
removed.
they cld..be
the Choshiu forces
having been ordered
Geishiu
yashiki
Min. had proposed
Mori Heirokiuo
coming.
has
& the Nishihonganji,
not yet
of Decr.
with the order
[sn]
arrived
given
it
arrived.
in Geishiu
The latter
refused
orders,
Geishiu
story,
In fact
it
a great
present
lately
man & learnt
to Saigo.
is up that
to borrow the use
he told
of luck
& without
& asked
me they did
that
clear
it.
plan.
his
were starting
proof
that
officers
on them by the confederation.
news,
steamers
alleging
I was relieved
- 145-
from
by Iki
necessity
their
orders
was given,
no Kami, but in
Having seen this
the
them.
no doubt.
have sent
order
came
This is the
it, together
when the original
on
On the
to accompany
They declined
as pretended
Geishiu
in compliance
of the their
They planned
of their
went by sea.
That the Taikun shld.
change was not contemplated
forced
Geishiu
reason
from him they could not return.
believe
of the general
is pretty
they
the
the Engl.
to desire.
which left
messenger
them to go back.
a recall
out
by a messeneger
On the 20th three
territory
& advised
find
250
who has come over
A proclamation
piece
I cannot
by land to say that
but one can't
is part
countermanding
Bunske,
Nevertheless
not to come; this
prreviously.
to Mitarai
reality
& he would write
people.
to him
they had only
to come up are allowed
Iga no Kami says they were told
15th.
that
to the Taikun what they happened most particularly
16th a messenger
the
elsewhere
with the Geishiu
not wish to come to OSaka, & thought
prince's
He replied
sent
He stops
the
Rusui & explained
I went & saw a Choshiu man named Nagamatsu
from Nishinomiya.
of the
the Satsuma
Choshiu
of going
to
Nishinomiya.
Japanese
row,
Today
Secretary
or
cutting
arrived
with
the
service
the
£ 700
as
letter
about
a year,
so
I had
thought
-
146 -
the
there
new
is
of
no
doing.
appointments.
need
for
I am to
my kicking
up
be
a
ゴ匕海 道(HOKKAIDO):1868September-October[PRO/30/33/15/2/ff.177a-188a]
Septr.
8.
Embarked
with
on board
Adams for
appears
namely
of this
report
foreign
trade
Rattler
a political
probable
group,
the
that
the
Kunashiri
trip
northwards.
Russians
have
& Itorup
& to look
for
west
former
of these
Saty.
Septr.
coast
to
at
Hakodati
in
Inouye
Iwami and his
baggage
course
was perfectly
ignorant
Yezo.
In
fact,
Septr.
see
thro'
with
arranging
consuls,
the
influence
at
half
the
out
It
Kurile
the
truth
may be opened
aggression.
out
abt.
We are
to
also
reception
84 hours
Adams to call
& could
of Inouye
after
ordinary
has
to
at
steaming.
on little
give
all
the
Landed
Eusden,
who of
us no information
we wanted
& other
25 with
east
places.
past
blackned
made this
we shld.
have
the
is
about
to know abt:
the
had
governors,
passed
nose
but
his
proposal
of his
busy
far
by Sir
therefore
as
Eusden
is
Harry
Parkes
at
had no trouble
We walked
out
placed
a circle
in
in the
to
seat
is
start
on the
16th
west
coast
to
same day
by the
a rather
good
jaw & .open
evidently.
to
see
subordinates.
- 147 -
looking
mouth,
intelligent
the
in
Consul's
the
in honour
conversation
the
room
abt.
& his
& not
&
& after
at
our
latest
to
young
three
in
Kamida
came into
some
heavy
He is
as
with
individual
we had
Inouye
is
this
& Shimidzudani
had
we on the
over
been
Adams was placed
Shimidzudani
from
We have
it.
coast;
a dodge
got
received.
Jiyiu
abt.
conducted
Chairs
former
Shimidzudani
difficulty
being
Sanyo.
two.
a bad leather.
imagined
was doubtless
some
that
& Itorup.
a wellshaped
named
of negotiations
compliments
by the
been
but
we entered
to go rond
a kuge
be properly
by the
to Kunashiri
That
after
with
got
Tatewaki
expedition
abt.
to find
which
What may be our
of everything
There
the
room used
instant
Iwanai
& went
governor
we shld.
there
interview
evening
two of
me.
coast..
the
Komatsu
that
arrived
the
on
& Adams.
to
Yokohama
the
on the
call
Stephenson
concerned
the
with
13.
to
refusing
uncertain.
we had already
places
Went
Russian
& Nanao.
is
of
Keppel'
12.
Arrived
Sun.
possession
neighbourhood
fr.
of Ad.
& Yokichi
to go up there
in that
Niigata
two places
taken
secured
nephew
Noguchi
& we are
a port
and Yezo thereby
go down the
principal
commanded by Stephenson,
&
call
at
kuge
of
teeth
shut
rooms
being
up as
or
4.
Septr.
14.
Shimidzudani
Sauto
Ichiro
start
on the
There
is
a report
to
Hakodate
make
the
takes
place
keep
it
a call,
16th
Hako-date
rio
by the
(exc.
gets
4500
quiet.
Agent
starting
rio
has
was settled
been
has
the
American
Rice
or dollars
as
been
his
we should
at
Iwanai.
by Southern
troops
sold
to the
Consul
before
share;
Chasseport
a man named
that
coaling
taken
gunboat
One thousand
of Societe
also
Niigata
and
One and
Rover
American
295)
Inouye,
It
the
that
with
& cordial.
prob.
rifles
Daimio
whom the
rather
have
of
been
as
sold
a
in
Generale.
15.
Spent
put
last
on
night
board
delayed.
at
the
and
Septr.
Howell's
Rover
My advice
Itorofu
make
a la
for
is
to
inquiries
Japonaise.
A lot
of
the
mines
at
Iwanai
and
throw
over
the
Japse.
altogether
on
our
own
machinery
has
departure
to
be
up
to
consequently
and
to
go
hook.
16.
We were
the
to
Rover
there,
to
started
having
said
Hiogo
more
have
not
who
from
to
he
had
Akita;
the
same
troops
officers.
at
Septr.
17.
Left
close
Daimio's
front
of
wood
Septr.
to
centre,
Prince
at
a.m.
Fine
weather
about
5 p.m.
up
above
Grassy
downs
bring
the
Niigata
to
the
at
6.30
troops
town
was
great
of
that
loss
formerly
Fr.
in
Vice
Sakakibara.
but
contrary
breeze.
town
situated
on
the
on
was
800
there
with
of
followers
castle
Weuve,
Large
towering
to
acct.
Filipino
his
Report
northerners.
agent
& north.
was
on
the
and
Takata,
outside
Takata
off
of
Hizen
Southerners.
defeated
the
of
to
it
Capt.
steamer
been
the
put
other
houses.
Passed
seashore
Hills
with
coverd
west.
19th.
Reached
Kayanoma
175 miles.
noon
east
9.
Matsumae
in
also
by
but
The
another
by
held
living
about
castle
inshore.
is
old
Osaka
severely
daylight
Howell.
the
He had
still
Hakodate,
in
with
is
Hakodate
up
the
been
at
with
occupied
had
Nigata
Consul
brought
place.
the
morning
Dined
& that
Shikibutaiyu,
Satsuma
this
left.
Sakakibara
at
of
in
67,500
transfer
Septr.
to
Very friendly
Kaga no Kami an old
for
bribe
off
morning
and burnt.
Akita
came
of Kishiu.
on
near
Iwanai
Much head
wind all
the
arrived
17th
The Bay is
enormous,
in Yezo
the
on
way had kept
the
being
evening
enclosed
—148 —
p.m.
Distance
us back;
of
by the
the
the
18th,
headland
from
Rover
having
of
Hakodate
which
left
crept
Sanenai
up
on the
N. & by the
volcano
numerous
called
Iwanai
lies,
which
run
southward
very
Kayanoma
settlement
valley,
trucks,
iron
with
the
Scott
rails
beach
&c.
out
in
summer;
cold
is
intense,
its
The valley
which
lies
Hills
all
for
here
the
fr.
for
the
purpose.
thermometer
hills.
the
ground
Salmon,
is
with
are
taken
salmontrout
hills
with
It
is
is
wood.
a purely
two miles
brought
to
up a
up some
connect
the
mine
of a man named
of this
covered
the
covered
about
at
which
of Iwanai
The Rover
Fahr.
of
back
superintendence
to 50°
A huge
mouth
Iwanai.
intended
S.
above
the
lies
The climate
falling
the
round
fr.
is
the
at
at
mine
which
under
to the
head. just
anchorage.
tramway
the
and
by sea
coal
the
machinery,
to -8°
neighbouring
5 miles
Gower's
visible
and other
even
shows
some
other
valley
Raitendake
of fishermen.
not
the
the
agriculture.
seashore
& is
brought
the
called
for
one after
to overhang
of Iwanai.
on the
out
appears
available
lies
winding
stretching
Shiribetsu
and another
apparently
Japse.
capes
place
night.
is
very
cool
In winter
the
snow.
Bears
abound
in
in the
river
Ishibetsu
half way between Iwanai & Kayanoma,& cod, rockcod, iwashi & other fish abound
in the bay.
fr.
Seaslug,
awabi and fish
manure are
exported
in large
quantities
Iwanai.
Sun.
Septr.
Horrid
20.
bad weather,
to Iwanai,
but as there
the name those
called
people
shamo.
seashore
iron rails
for
of about
hill,
yds.
of wood.
(three)
several
gradients
into
the
hill,
tunnel;
be able to
Talks
of bringing
sides
of the valley
bound together
the coal
cars
of going
Japse.
have been laid
up the
valley,
& now that
at $4 a ton.
with the lacquer
inclines,
has
When the
been
are
Gower talks
200 or 300 tons
down in sledges
are gentle
of coal
by a rope
vine so poisonous
-149=
extends
taken
out
of supplying
the
works in progress
are
a day.
with tall
grade,
4, seven feet
Very sanguin
over the snow in winter
covered
&
up
From the bottom of
of which there
commenced upon.
a
Gower'-s house, built
to the mine is halfway
are to be run down these
& a good deal
the
Half
have been cut of very steep
but the beds,
extract
under
down from
soon be completed.
stands
are
afternoon
of the mine 12 ft high by 7 wide already
have not yet been
will
to mean man.
wooden rails
The entrance
idea
The word Aino is
mine in the
on the side of the railway
whole of China & Japan with coal
finished
up the
up which the tramway cannot be conducted.
in making this
each,
coal
in the Rover the tramway will
The main gallery
some seventy
said
two miles
the middle one, and smaller
round a drum.
& is
the
a distance
therefore
especially
thick
of us visited
in European fashion
a very steep
already
to themselves
& longitudinal
mile from the seashore
the hill
give
so bad to give
30 or 40 Ainos there.
Sleepers
have arrived
furnished
& blowing,
are only abt.
A party
Gower's guidance.
the
raining
time.
impenetrable
to the blood.
man.
The
grass,
No Japanese
has
ever been five
is rich
miles
& easily
Septr.
brought
so dense is the
under cultivation;
population
jungle .
alone
But the soil
is wanted .
21.
Left
only
Iwanai
at
75 miles.
got
abreast
so ran
us went
narrow
which
anchor
to
which
house
called
temple
150,
out
we have
side
by the
whom ainos
about
60.
2500
to sea
under
heard
so much,
our
cape.
Seven
to the
ship .
situated
at
leading
over
few
breeze
tomorrow
.
with
of
mouth
of
hills
.
the
or
two of
the
of
shore;
a district
In
the
Ainos ,
A party
dozen
centre
course;
the
yds . fr.
altogether
a light
when we
continue
In the
souls
so that
and some
some
charts
to
steam
an unjoya,
the
this
place,
on an island
of
of
came off
rocky
by
breeze,
impossible
west
Very
up it
distant
& easterly
Indians,
a path
contain
& stood
of
Septr.
a small
Otarunai,
became
called
a big
estimated
Otarunai,
it
bay on the
with
exceeding
for
rainy
one o'clock.
valley,
not
is
weighed
aobut
besides
population
morning
was bad,
a middy,
contained
huts,
the
a little
Harris,
The village
aino
in
Cape Novosiltsof,
Shakotan
on shore
a very
seven
The weather
of
into
whom little
the
hope
evening
of
seeing
morning .
22.
Vain
hope.
westward
Violent
or
becomes
an
Septr.
north
wind
has
westward
sprung
across
impossibility.
Very
up
the
rough
during
Gulf
sea,
the
of
night
which
Tartary.
& sickness
drives
Otarunai
as
us
thereby
a consequence
.
23.
Weather
p.m.
moderated
this
Come in sight
of La Perouse
Septr.
mornning
of Riishiri,
& we steamed
island
on the
towards
Soya,
west
of
Soya,
fine
and water
at
about
close
to
2.30
entrance
straits.
24.
Going
ran
from the sea coast,
into
aground
to get
shaft
about
her
off
under
abandoned
Soya
bay at
two miles
by laying
the
futile,
pinnace
from
taking
o'clock
violent
proved
pr.
but
out
village
anchors
at
another
of Soya.
the
having
as
best
morning,
the
bower
were
thrown
over
the
approach
In
the
hopes
night
put
landed
to assist
—150 —
but
having
this
one
further
get
up,
in the
very
ship
us in landing
off
about
were
of
& a shore
ship's
the
three
engines,
four
I went
the
its
preventing
the
pinnace
soon.
broken
being
by reversing
the
ship
were made
experiments
Highwater
her off
an end to
attempts
to
of getting
& 5 more guns
(?)
began
anchor.
board
some pilots
stern,
smooth , the
Various
dragged,
sea
were made to drive
no avail.
of
the
the
the
especially
efforts
to get
off
and
of
endeavour
in
out
strain,
as
all
six
but
the
boat,
on shore
stores
32
to
& to
hire a godown in the village.
Before I left
the ship, Stephenson confided to
me his belief that the vessel would never be got off, and that we shld. all
have to sleep ashore the next night.
With some diffiiculty
I obtained an
interview-With an official
who happend to be delayed here in his voyage to
Sagalin named Hotta Gorozaemon; and tho' he appeared at firSt inclined to be
impudent & refer me to the local officials,
I gained the victory over himl he
did all that was asked. Rain becoming very violent, I returned to the ship,
where I found everybody apparently
prepared
everybody began packing up his goods.
Chefoo fresh
for the worst,
& after
dinner
With the wreck of the Racehorse near
in my memory, I hardly thought it worth while to make any such
preparations but Noguchi did for me-. About 9 o'clock a petty official of Soya,
accompanied by two Japanese sailors & an Aino came off. Their opinion as
inhabitants
well accustomed to these waters, was worth listening
to, & was
certainly not encouraging. The chief boatman declared that he doubted whether
the vessel could possibly hold together during the night, & that if the N.W.
wind should spring
differed
slightly
up, her existence
fr.
wlicL be speedily
our own view of the base
terminated-.
As this
& moreover no boats could be
procured to land our baggage, we determined to make the best of it,
& try to
get off everything early in the morning. The ship bumped heavily all night,
breaking both arms of the rudders yoke & springing the jibboom; still she made
very little
water, not more than a foot per hour, but towards five o'clock in
the morning the bottom began to give way undeP the engine room & speedily split
the whole length of that part of the ship.
As early as three o'clock the
biscuit was all passed up from the breadroom & deposited under tarpauling in a
Japse.
lighter
which had been brought
off about 8 o'clock
the previous
evening; but as the heavy rain obscured the sky, it was judged more prudent to
putt off the start till daylight.
In the meantime the Cutter, which was to have
towed this boat in got loose & drifted away fr: the ship to our great anxiety,
but luckily
landed,
she was recovered before seven o'clock.
the bedding of the crew followed.
The headman having been
At six o'clock
the engine room was
quite full of water, nearly over the cylinder.
I went on shore with my own
baggage, Noguchi & Admas' teacher about seven. The officials
had allotted to
us a large house to live in & keep all our stores &c. in, but as it was too
small for all
of us, I obtained
the loan of barracks,
situdated
in a little
gully at the back of the village, at 5 min. walk from the shore.
It rained
fearfully all day, and we have to remain huddled up in the Unjoya on the wooden
floor,
round a great
fire
of logs over which the aino cook was constantly
cooking rice & soup for the natives.
the afternoon with bag & baggage.
borrowed,
Everybody was landed by the early part of
On inspecting
the barrack which I had
Stephenson found it too far off to be convenient,
—151—
& we therefore
applied
for
building
close
other
quarters;
to that
very bad condition,
the
officers
mattrasses
& could
remained
[sic.]
there
the least
shyness
in
she sat
& the
having
been previously
family
to Yedo, & the
the
Unjoya,
Whilst
of their
four
years
with her mother
father,
who is still
but we all
which went ashore
of the wreck and that
sat
disaster;
letters
morning
distance
leaved
tree;
paths
little
I climbed
northwards
broad
quarters
their
this
their
Her father's
name is
8 years;
awaiting
smoking,
here
feeling
waited
before.
the
Hakodate about
to Shibetsu
with
inform
about
not
for
By the first
to Eusden informing
Iwami to
destination
way back
few of us had even
is to reach
and Inouye
in the
Without
and I never
so gladly
a letter
off
sleeping
by the grass
for
being
him
the
letters
them of our
the 3rd or 4th Oct.
the right
went out
along
in the
various
is occupied
and eat.
quarters;
is
Japanese
occupied
style
by the
taken
covered with
& there
a juniper
directions,
chiefly
evidently
parts
of Yezo
to allow
of any
in arranging
thirty
wardroom
officers
as you enter
our
two mats
up in the middle
To the left
some
for
as
the
the house
then two rooms of 8 mats each occupied
Adams & myself for sleeping
papered slides
numerous little
westwards
& steward's
of the entrance
a kitchen
here
room of about
the mats being
at which nine of us can sit
by Stephenson,
leading
The centre
one,
room & mess quarters;
the storeroom
with
and the day was spent
into
& walked
of the ground is
oak,
The sea was too rough
up the windows.
three
village
used here as in most other
travelling.
to the ship,
by throwing
the back of the
and dwarf
the seashore
& pasting
formed
middy
spread
morning.
are
off a messenger
down at
(sasa)
almost
route
putting
with
had
Last night
towards Cape Soya; the surface
concealed
frequented;
boats
to
reach
the
bamboo grass
as the ordinary
are
despatched
Dupleix
most of
Aniwa bay for
bump on the rocks;
hands were saved;
shld.
in
& yg. brother
at Tonnai.
we sent
so that
26.
This
table
all
were in
They are now on their
or welcomed it
Stephenson
Thomas of the
these
Septr.
they
up in the wardroom & cabin
& in the afternoon
to Du Petit
at Tonnai
at Hakodate.
at ease in our minds at every
2nd Octr.;
where
a capital
slides
we were smoking round the fire
has been stationed
dawn with so much impatience
boat
lying
the evening;
down by me & commenced to talk.
daughter
a wink of sleep,
the
of getting
The paper
came in the young damsel whom we saw yesterday
Nozaki
quite
satisfaction
not be mended before
round the fire.
afternoon
arrival
& had the
in wch. the men were lodged.
quarters.
The remainder
of the house
by the gunroom & engineers
at the
end.
A verandah
messes,
enclosed
with
runs along the whole of the front & at the back of the rooms are
cupboards & washing places.
In the afternoon little
Harris the
round
the
north
the beach before
point
breakfast
-152-
& shot
killed
three
teal,
& Adams who went
some uneatable
animal between
a rabbit
& a weazel.
dinner
of
as
we were
a cask
of
executive
sitting
beer
out
ship's
company
great
astonishment
of
opposite.
There
Septr.
parade
'Isowl
morning
Samai
on board
the
the
consequence
steward
left
the
rushed
in
the
in the
was small
inducement
the
wind.
After
in & reported
the
robbery
of
moonlight
who collected
of
unjoya
man accused
Ainos,
by .a
being
culprit
the
unjoya,
before
in a crowd
for
bluejacket;
the
the
& the
to
and squatted
sitting
up late
the
on the
& I went
to
rest.
thief
Cape Soya,
a solid
runs
dozen
receding
his
gun,
along
the
couchant.
but
produce
of
two windy
for
seashore
is
inside'
down to
a few hundred
yards
of
him on
the
edge
rock
huts
which
the
of
the
the
the
about
was one
any operation
which
and leaving
a large
.A few Aino
to
& the assembled
population.
the beach in the direction
the
and bright,
Off C. Soya
a lion
admonished
ship's
company
we went along
was fine
ground.
like
three
The Downs come quite
in others
shaped
had
Adams with
A reef
shallow.
along
shore,
beer
presence
of the
After breakfast
wreck.
some places;
of
The weather
extremely
the
the
the
towards
gull.
run
the
been
was mustered
ground in the
was horgans!'
solitary
is
like
had
in
27.
This
of
ten
scarce
& arrested
whole
bed before
are
smoking
whiwch
turned
ground
•
Salmon
water
water
path
a mile
in
room to
from
in one or two places
the
along
shore.
Septr.
28 & 29th.
First
day bright
excitement
on
possession
of the
the
cold
great
Begin
arrangements
the
at
part
junk
confoundedly
rate.
& fine.
of
the
gear
boatmen
in wch. Hotta
with
violent
to feel
once
Landing
for
a supply
&c.
the
ship
because
was going
rain;
anxious
from
over
our
landing
about
provisions
rice,
we shall
day
long;
people
had
to Sagalien.
nevertheless
of
all
taken-
Following
gear
& relief;
have
great
went
on at
unless
nothing
day
a
we make
to
eat
during
of
game
winter.
Septr.
Walked
along
afternoon,
shore,
with
that
craft
it
up the
was made of
but
along
to
the
eastward
holes
very
sides
in the
light
with
Adams
some ducks
but
as soon
Aino was put
sides
thro'
wch.
stringt
fastened
together
passed
thro'
—153 —
to
an infinite
iron
the
in.
nails
no.
us
the
out
at
of holes
in
wretched
of trouble
was rushing
with
take
on board
to a great-deal
water
this
a good way from
along
as we got
poor
the
pursuit
water
a canoe
and the
planks
in
on the
who was sculling
have a shot;
to fill,
with
Seeing
an Aino
Adams might
began
beach
bad success.
beckoned
order
plug
the
to
The canoe
the
stern,
bored
at
the
edge
again
of
to
the
diplomatic
Octr.
the
planks.
point,
life
in Paris
morning
train,
I met
when a little
was slightly
said
"very
this
only
talk
to
out
safer
down in
to
the
get
grass,
out
& proceed
& Adams told
on foot
stories
of
passed
her
that
she
& Washington.
the
a dodge
you"
the
she
moved
that
her
away,
was over,
Ainos.
that
small.
the
of
wch.
they
being
7 1/2 per
depth
to the
then
are
worn,
Octr.
did
into
the
very
all
the
fullygrown
put
rice;
of
four
former
as
over
& sat
the
tobacco,
rice
exceeds
the
old
& infirm
the
on the
there
abt.
bad
characters
the
the
cases
but
the
allowances.
seashore,
shoes
&
consume,
gratis,
men's
the
fishery
& pipe
fed
leather
over
very
After
a man can
are
time
the
abt.
tested
at
pipes
what
of
latter
in
commenced
of
willingly
surplus
carring;
Benten
my silence.
number
of
I thought
She made a bow as
the
work
I
down by my side;
to read.
comprehend
males
her.
who came to
was
& that
in winter
snow,
had
a fellow
a means of
hard
he said
to
on the
feet
of
& talked
rice,
to be supported
in requisition
the
of
hulled
not
docile
The quantity
of
Snow lies
are
as
are
temple
temple
a look
allowance
have
the
of
a Japse.
My resolution
& continued
get.
women & children
the
which
came to
unjoya
to her;
At first
but
of
insanity,
they
the
diem
steps
she
just
any more notice
intimate,
nymphomania.
if
& had
no more to her.
becoming
when she
usual
he was brother
as I could
Nearly
sake
clothing
as
to take
to say
of her
as shortly
I went
He said
but
story
later,
with
me not
on the
Probably
a few hours
I answered
our
her
me & said
& promised
I was basking
confirmed
but
& saluted
after
to prevent
previously.
strongly
damsel
her mind & begged
for
me while
a year
& sledges
and
snow shoes
drifts.
8.
The
weather
wind;
& calm
& Plover
dinner
have
of
the
been
at
Koetoi
5th
by
150
large
ten
the
obtained
the
from
of
sufficient
three.
which
been
quite
across
dingy,
weighing
runs
bay.
and
up
boats;
about
the
Ainos
to
half
by
seine
the
sea
the
payment
was
— 154 —
drawn
every
the
western
paid
fish
to
were
three
the
little
&c.
of
the
to
this
late
at
acc.
caught
boos;
Snipe
game
day
side
at
of
varieties.
of
returned
of
a dish
other
and
gear
us
discovery
according
these
on
and
suns
ship's
give
been
flatfish
by
hot
of
to
has
boats
lb.
of
the
splendid;
landing
A visit
these
20
the
into
of
eclipsed
the
been
numbers
The
abundance
and
has
much
with
miles
salmon,
week
stream
have
cutter
accompanying
in
out
table
resources
last
facilitated
shot
little
the
the
which
nights
supplying
these
during
seas
two
mouth
rest
we lay
boy rushed
of
sorry
afternoon
for
where
it
1.
This
is
So we judged
the
Soya,
But
salmon
place
night
at
all
fishing
about
with
the
about
of
the
sub.
in
our
seine
& the
the
truth
seems
but
lieut.
to have been that
only
inside
nets.
the
Ainos'
concealed
offered
the
cutter
existence
& dirgy
to
ten
of this
across,
started
with five
point
where
Nosshap
being
the
Koetori
at Koetori,
against
where it
issues
miles
the hills
line.
engaged
were being
in stacks
frames.
salted
From information
already
lasted
fishery
product.
places
salmon
this
Tobennai,
obtd.
headland
finds
in a large
quantity
in the
abt.
are
10 days,
cleaned
said
of flatfish
and a fish
occasion,
Octr.
9.
We had just
that
the
excitement,
& left
finished
breakfast
smoke of a steamer
and we perceived
horizon,
now showing
closer.
Someone from the
rounding
the point.
itself
called
before
was visible.
wreck
two.
at
into
the
in boats,
to
for
about
hudnred yds.
off
quantities
the fishing
season
taken;
be the
entire
Yedo market
There
(or
are
has
and as
and he
two other
Yamakanai)
ugoi by the Japanese,
of a truth
bellies
in the
and
dying
away.
had seen
like
toads
& bite
same manner as on the
yoyage
was about
and a headwind.
when a shout
was heard
ran out to look
a little
puff
Gradually
from the
maintop
Adams & Stephenson
.7155 —
are
besides
enormously,
The return
Everybody
difficulty
Various, conjectures.
house
out to dry in the sun on
the
at sailing
thiS morning,
& then
still
& brought
attempt
with gr.
her hull
in the river,
with salmon
a little
owing to an abortive
visible,
was dragged
their
hours,
of Cape
Round the
They have the power of inflating
three
hills
productive.
with a tail.
previous
the
broad issues
Yamuwakkanai
which
ourselves
Soya with
to be equally
fish,
We provided
get
to be navigable
for
ugly animals
sharks.
toad
abt.
to
a factor's
& Matsumae.
a few of the
like
fr.
at least-15000.will
called
Our seine
called
quarters
five
the
followed
have been already
& salted
fishery.
we
salmon-, of whioh large
way to Hakodate
is stated
us tho'
morning
for 5 miles
lay about
10,000 fish
of Cape Nosshap
herring
some 30 yds.
is navigable
boats
had
what remains
is
on the spot we found that
at which the fishery
is.
There
wch. is also
& that
its
line
all
in a warehouse or hanging
continue
side
of Soya.
it
in hauling
Most of these
kippered
Adams & myself
lowermasts,
Two fishing
for 10 days,
still
Yesterday
comes down to the
A river
from a large-marsh,
the mouth, busily
factor.
in a direct
and the
of sandy spit;
in a direct
supply
here
The Ainos were no losers,
the wreck was no longer
and over a dozen Aino huts.
sea from behind a sort
the
We steered
dip,
to
house
took us an hour & three
limb of Riishiri
by the
invisible
the
even were taken
factor's
and refused
master
It
men pulling.
hid
at the
dawn & Stephenson,
whale boat.
& those
wrong was done.
their
before
On our arrival
standing,
four
for
southern
entirely
fishery
no great
fishing
in the
by our people,
But as the Japanese
to pay for the fish,
as they were only
1/4
24 were caught
outside
in great
of smoke on the
it
came closer
a large
set
&
steamer
off in a boat
to meet
nearer
it
as soon
as it
and
anchored
abt.
Thouars
came
discussion
ashore
that
did,
to my great
part
of
cabin
Octr.
off
Stephenson,
all
Dupetit
the
embark
it
by night
for
to be the
shore
and
& ourselves;
as
was
next
It wardroom
officers
English
captain
7 a.m.
Stephenson,
Dupetit
a little
.
to remain
He gave
She came
.
after
morning
to offer
extreme.
.
judge
arranged
kindness
anything
Dupleix
I shld.
& start
I had resolved
Thouars's
More than
certain
Which we
if
up his
accommodated
cld.
or
only
a
stern
in
the
wld.
12.
Chifuji;
at
met
Consulate
by the
Hakodate
& took
away.
dollars.
Don't
& the
believe
fr.
that
it!
for
at
Embassy
the
space
there
their
Tabre
Adams & I going
to us on board;
foreigners
Grenet
Ottoman
coming
thereof
Some say
introduction
of the
road
possession
Imperialists
Chauvin
at
him on the
anything
Octr.
for
miles
joy and relief,
&c &c.
Arrived
of
with
Stephenson
wardroom
2 1/2
we shld.
us went.
to
was made out
told
have
loss
Yokohama
to
visit
turned
of an hour .
Niigata
is
without
bringing
had to
leave
to
into
the
so we all
amounts
me this.
to
the
taken
between
He advises
his
brother-in-law
2 p.m.
Ocean
3 & 400 ,000
me to get a letter
in
Paris
, Mr.
sailed
for
in Paris.
17.
Returned
Hakodate
with
[to]
letters
Yokohama.
& clothes
Arrived
on board
-156-
at
for
us .
already
東 京(TOKIO):1900April-May[PRO/30/33/16/3/ff.43-53a]
1 April.
Lunched with the
Ottleys.
only
write-his
that
when I came people
their
Ambro' came.
name on the princes,
respective
said
He said
& asked
Leyden had told
him he need
me what had to be done.
I must ask for an audience
I said
of the Princes,
thro'
grand masters.
2 April.
Miss Weston brought
apparent
their
pretext
that
rediscovery
& lent
were going,
named Anna Northend
So I talked
them Stewart
Miss B. asked
which .I referred
girl
she wanted to know abt.
in 1867.
showed them books,
they
an American
for
her to Col. Buck.
the early
freely
Rose's
Benjamin,
Christians
to them,
took
in Japan &
them upstairs,
Loyola & Coleridg&s
information
abt:
the
This made me suspect
on the
XaVier.
Japanese
army,
As
for
her to be a news paper
correspt.
Lunched at the
Keys.
Visctess
Aoki's
blossoms
of higan-zakura.
consequence
Stone
Mrs. Bruce left
reception,
and then
There
cards
to Uyeno,
has been fine
the buds of the cherrytrees
came,
and gave
on the Awdrys,
where
we then
we found
warm weather
are almost
me some information
went to
half
since
a dozen
March 31,
bursting.
about
telegraphs,
to be used
confidentially.
Dinner,
at wch. Justice
& Mrs. Chubb of Townsville
came.
3 April.
Bonar & Warrender
carry
out a fixed
Yalu-
came to call
plan,
They had got
Chinese,
the
latter
chapter
applied
& are
after
not equal
up a chapter
being
to them.
have to find 32,000,000
lunch.
obliging
W. thinks
to a sudden
of naval
enough
Bonar says that
tactics,
to
the Japanese
a fox,
the latter
Leyden says Aoki told
affair
being
settled
can only
e.g.-Battle
whiCh they
in one spot
used
of
on the
to haVe the
are very hard up.
They
the money.
on Mrs. Buck.
Dined at Leydens to meet Ad. Bendemann & Capt.
like
Japanese
emergency,
yen, & do not know where to turn for
Took Mrs; Bruce to call
face
stay
the
von Usedom, the former
with a
a good fellow.
him the news fr.
Corea in the papers
is not correct.
- 157-
abt.
the Masanpho
4
"
Bruces
went down by 11.25 train.
d'Anethan
affair.
brought
I said
his
circular
I wld. speak to Yoshida
Kuroda not to bother
about
Okuma came to call.
affair,
but the
stand
quietly
interest
about
that
people,
her abt.
fall
wld.
cost
also
that
Japan wld. have to go into
told
him the reason
the
part
Govt.
150,000
Treaties
of leases
being outside
apprehension
the latter
I talked
& found
abt.
& absorbing
One remarkable
with
all
again
of the last
the
world,
Eastern
Govt . to
historical
exhaustion
& 2ndly the annoyance
was a mistake
action
on
of the
he remarked
that
to try & apply
Japan ought
capital
the
them ,
to allay
, & not think
all
to get
.
of alphabet
wld . seem as if
the best
the
the
Trade by the
encourage
Masanpho
,
as much . He said
2 or 3 yrs . hence.
So I
loan , it being entrusted
As to this
& substitution
It
tell
5 times
wld. have been enough .
him in agreement.
newspapers
failure
superintendece
beef-eating
abt . the
of Russia;
to Russia
the market
of foreigners,
foreign
he should
on for a year without
in perpetuity.
order
on the part
without
carry
& above the Codes, it
when an administration
hands
in the financial
connected
in the matter
the
000 yen,
of the partial
of fianciers
was no trouble
into
Japan cld.
any standing
that
Michizane
joining .
there
& it
to Banks without
Sugawara
the army & navy would not allow
by & see Corea
of Japan in Corea.
and his
Yosaku and suggest
the diplomats
Said
Japse.
Kuroda
for Chinese
he had been
characters
reading
all
,
the
he found in them .
he made was that the Legislation
Bureau was full
statement
ideas
of
jo-i-ka.
Dined at the Whiteheads.
Tea c. Mrs. Kirkwood.
5 April.
To Aoki.
duty,
Talked
abt.
Ad. getting
as to wch. he alleged
made was was quite
similar
action
'geographical
contrary
on the part
inside
to Treaty,
the
considerations'.
that
he certainly
of the Gr. Britain,
Osaka Kisen Kaisha at the expense
breakwater
of an English
& that
line
its
, and Formosa teaTold him the diff .
could not show any
motive
of steamers
was to favour
from Tamsui to
Amoi.
Masanpho.
to content
couple
it
The question
themselves
construed
•
whom the
c. a piece
with a condition
not be given
remarked
is not quite
that
to any one else.
that
agreements
into
a right
declaration
the
island
they
The negotiations
of the
The Russians
of ground within
nature
of pre-emption
was
settled.
or refusal
— 158 —
limits
had previously
were being
proposed
made.
Treaty
by the
have undertaken
, but wish to
demanded shall
kept very secret
Russians
in the behalf
. I
were often
of the
party
to
Called
on Mme. Guhler.
6-9 [April]
At Chiuzenji
10
with Ottleys
& Cheetham,
returning
to Tokio on morning of 9th.
"
Churchill
11
started
off
on his
tour
to the
western
military
districts.
"
Asina
came.
No particular
from original
12
portraits
news,
brought
photographs
in the possession
of the
of Iyeyasu
head of the
& Hidetada
Tokugawa house.
"
To Aoki.
Yokohama,
being
He talked
to let
lest
pleasant
this
"Barfleur"
for them.
I told
then
in;
of persuading
the
said
master
had first
the
reply,
I wld. send
whole home.
things
latter
were
made
now he told
me the
These were mere subterfuges
(he
the motive at bottom was mere refusal;
with the
men of war that
of the
at
been made on the ground of
of buoy-cables,
they were made Redensarten),
the
Yokohama if
was in fault.
Japse.
Ad. Mori, harbourmaster
pre-occupation
come to
of weakness
was in such marked constrast
retaliate,
principal
him the refusal
on that
of the harbour
himself
difficulty
too many men of war shld.
want of space,
obstinacy
abt.
Ad. & I felt
facilities
surprised.
I did not
but they wld. have much leSs
afforded
in England
When I recd.
suppose
that
pleasure
in according
he was ready
to sign.
his
final
our people
these
to
wld .
facilities
than hitherto.
Consular
that
Lay.
approved
the
yes.
I replied
draft.
that
I wld.
all
& found
the treaties
nothing
to do with
advantages.
I let
complete
Audience
22nd.
telegraphic
full
objecting.
Indian
Cabinet
had
poWers wld.
suffice,
he
So he telegraphed
in three
I rejoined
weeks,
that
it
that
the delay
that
to sign,
make no further
had
of commercial
seemed unlikely
he was ready
we wld.
Germany &
to London to inquire,
but was a question
Whitehead that
him know clearly
we old.
we shld.
alteration,
be
&
indifference.
of Emperor before
So agreed
had
the
Wanted to know whether
reservations,
but whenever he informed
prepared.
he said
& he understood
Lay was that
had not been negotiated.
the
effect,
he had told
the reservations.
As I ws leaving
manifested
me know that
Thereupon
teleg.
The Hosei Kioku still
Belgium had accepted
abt.
to let
Asked whether
So I said
India.
sign,
Asked whether
Uchida had been instructed
informaed
said
convention.
leaving:
He says
Emperor is
to send in a Note at once asking
- 159 -
to leave
for audience
for
Kobe
of T.M.M.
Masanpho.
Coreans
feigned
& Russians,
asked
for
opposed
Dined
14
He
the
to
the
the
at
Gembei
very
negotiations
exclusive
to
know
being
right
interest
of
con
to
of
secret
carry
other
tutti
little
on
what
, but
mining
nationalities
,
is
he
being
done
understood
betw
Pavloff
.
had
wch.
wld.
mean
a monopoly
about
the
town
to
.
e tre.
April.
The
Bruces
came
up
cherry-blossoms,
wch.
correspce.
with
promised
to
him
lunch,
were
Aoki
abt.
and
at
I
drove
their
them
best
"Barfleur"
a
being
week
earlier
.
admitted
inside
my old
Montevideo
see
Showed
the
him
breakwater
,
my
and
copies.
Buck
brought
Ad.
McQueen
Forsyth
of
J.C.
the
Watson
U.S.N.
"Tallapoosa"
,
and
now commanding
the
friend
cruiser
James
"Brooklyn",
to
call.
15 April.
Japse.
dinner
given
by Kondo Rempei
d'Anethan,
Harmand, Orfini,
& Europe.
Brinkley
new house is
Lunched with
satisfaction
A really
Nippon
Yusen
to his taking
pleasant
dometistic
Kaisha
a trip
, to
to U.S.
entertainment
.
His
architecture
.
a party . Aoki and Katsura have given Leyden
to his recent affair
at Oji with a cadet
, and declared
was addressed to the Ministry of War by the latter . The
the d'Anethans,
in regard
no official
report
rlwy.
people
ar enow very
polite
to L.
"
A Mr. Randolph
sat
also.
example of Japanese
that
16
the
Buck & myself previous
& Glover there
a beautiful
of
an hour
Berens with
and a half
a letter
talking
fr.
Thomas Blow called
politics:
tall
after
man of abt . 50,
lunch
, and
member of
Bodddles'.
Returned
the
17
cards
Miyaokas.
of American Admiral,
Called
, and left
cards
for
on Mrs. Lay.
Ordered photos
& icho at Kamakura for Mitford,
Wylie at the Club.
money.
18
& officers
If
Went to Yokohama.
with
Forsyth
of Japanese
scenery
at Tamamura's for Rein
to be made if they can get permission
To C.P.R.
office
about
my passage , and to
.
Lunched
Bank abt.
Dined at the Kagawas.
"
Rev. Mr. Scott
& Borden of Canadian
mission
—160—
came about
income tax , to ask my
opinion
on various
points.
for
education
of
their
occupied
by
the
mission
& not
thought
his
salary
Their
own salaries
children
be
portion
retained
of
houses
belonging
- on rents
missions
would
- the
- Borden
exempt
as
as
engaged
'eduCational
in
at
home
to
the
educational
fUnds.'
work
Whitehead
was
pesent.
Lunched
with Cheetham.
Tea with
Mrs.
Kirkwood
and
ball
at
Chinese
Legation.
19
Called
20
on the
Shaws
& Awdrys
to say
good
bye.
"
Luncheon
myself,
at
there
Loenhohm,
Mejiro
villa.
Hayashi
the
Aoki,
the
morning
the
afternoon
Dined
Yatagata's
were
it
Baron
Takahira,
Uchida
was very
and
with
the
sunny
Besides
& Col.
& hot,
thermometer
Whitehead,
new Minr.
to
Fukushima.
temperature
fell
to
Cheetham,
London,
Cherry
garden
70 ° , but
55 °
, but
Lay &
Kirkwood,
it
there
Baelz
party.
clouded
&
In
over
in
was no rain.
Barreras.
21 April.
Lunched
at
the
knew Hoffmann
from
completion
of
1894-5.
this
the
C.T.
at
for
of
not
returning,
all
day
possibility
the
& Russia.
that
the
Roswell
Skeek,
as
of
that
exploded
con
in fact
here
dentist.
in
1871
He asked
in my opinion
Japan
who with
of a literary
time
the
I said
idea
had been
last
who was out
& Elliot
railway
talker,
Gembei
Watson
Shepard,
and
Siberian
& clever
Admiral
Japan
side,
Took in a Mrs.
bright
Dined
meet
of war betw.
no danger
a very
to
Atkinson,
probabilities
of
BUcks
desiring
by the
her
abt.
there
was
to forestal
results
husband,
the
of the
is
and
war
travelling,
family.
tutti
since
e tre;
the
said
last
nothing
teleg.
I haVe
about
heard
nothing.
22
Heavy
rain
Cholmondeley
& the
till
afternoon.
Whiteheads
to dinner.
Lunched
with
the
d'Anethans.
23
Left
24
a card
on Barrera.
Parlett
& Crowe
Emperor
and
to
dinner.
"
Farewell
audience
of
the
Empress.
- 161 -
They
both
sent
messages
to
the
Queen,
and expressed
report
their
soon.
They did
Called
Dined
is
at
also
25
a hope
messages
not
to
ask
to see me back
the
Queen,
me 'when'
on Mrs.
Buck and said
Oyamas,
a farewell
and
that
I should
good
bye
to myself;
soon.
I said
I should
I should
be glad
faithfully
to
come back
return.
to her.
Left
Whiteheads,
going
on the
4th May, Baelz,
Dr.
Ariga
Kirby
came;
at
I gave
Vice
Minr.
a card
Ottleys,
the
on Cholmondeley.
Okura
Kihachiro
international
who
law professor.
"
R.J.
Furuichi,
the
Consular
to
his
and
Took teleg.
arranged
him a letter
of
introduction
to
of Communications.
convention.
sign,
request
that
the
recd.
this
signature
morning
should
fr.
F.O.
authorizing
be tomorrow
me
afternoon
with
Aoki.
Deposit
of
had
happened.
it
Justice
costs.
reciprocity,
that
it
wld.
India.
wld.
right
not
I was not
were
of
exchange
notes
Masampho.
promising
Has
not
denying'
as
to
themselves.
Called
Aoki
on the
said
the
come back
I shld.
perh.
said
to Lord
we shld.
then
into
protocol,
of
of
the
delay,
to the
the
the
explain
talked
how
Minr.
of
some rubbish
question.
Court
of legislation,
signing.
Agreed
below
very
was upset.
strong.
as we shld.
not
Only
care
see
if
the
German
to sign
our
exchange
just
not
matter,
the
difficulty.
certain,
Kojedo
has
to
as
but
any
as
in the
he
believes
other
other
for
anything
asked
for
300,000
had
that
power,
to ask
But
later
on
or
Belgian
of notes,
Treaties
they
only
suggested
the
in
the
return
Russians
in connextion
tsubo
of
for
give
with
Corea
a 'selfthe
island
land.
Keys.
Emperor
remarked
or not.
I said
to do,
that
change.
A. replied
Harmand
had
been
the
wld.
writing
I had merely
his
I placed
that
to him that
but had heard
he had mentioned
S.
Uchida
to
instruments.
never
much prefer
that
write
to do with
judgt.
at
of
nothing
Pavloff
the
U. to
done.
Bureau
desirous
a way out
undertaking
told
Aoki
was signed.
tht
cede
of
any anxiety
main
& said
of
on appeal
Treaty
the
and
him had nothing
feel
first
came in & asked
to have been
on part
reservations
part
Uchida
vexed,
not
if
very
signed
the
form
shld.
I told
or Belgian
He reflected
for
wch.
we need
I said
put
ought
be all
when German
Treaty
it
Same objections
A. thought
case.-
A. seem rather
and say.that
abt.
but
Upton's
nothing
at
had been
home greatly
pressing
but
uncertain
I hoped
It
if
to,
in Lond.
he wished
he had heard
it.
whether
He intended
I
as indeed
had occurred
Embassies
disposition
done,
—162 —
that
certain.
to make
his
seemed
replied
nothing
proposal
myself
I had
to me
& I had
to make a
from Paris
to
that
instruct
Hayashi
just
to mention the subject
the
man suited
The Ottleys
26
to Lord Salisbury.
He added that
I seemed to be
for Japan.
to dinner.
"
Dined with
Charlie's
the d'Anethans,
and went with
them to the amateur
performance
of
aunt.
Sined
with Aoki the convention
for
protection
of the
property
of deceased
persons.
27
"
Went to Yoko.
Stirred
up Tamamura about
my photographs.
He said
they went
to Tokio yesterday.
Lunched on board
Cradock,
then
"Barfleur"
with
Comr. of "Alacrity"
udner
Centurion"
Marrack's
Ad. Bruce,
and met Ad. Sir
was at Bangkok in the
command,
dined
with
"Linnet"
him my despatch
about
"Barfleur"
when I was there,
me and played
to see Sir Ed. Seymour, who was bad with a cold
coming inside
Ed. Fremantle.
whist:
Went to
in the head.
the breakwater
"
Showed
during
repairs,
with which he agreed.
In the forenoon
in
wch.
correspondence
discussed
Pelly,
a note from him based
a good
deal
home, but that
other matters,
who has just
Rutherford
did
I had recd.
he expressed
of
misunderstanding
arrived
Ad. Fremantle
she being
information,
my sending
cleared
& then I went ashore with Ad. Fremantle
fr.
& made some corrections,
Whiteheads,
at
was entirely
England.
returning
up.
it
the
chapter
to her this
He sleeps
here
and
dinner
to Orfini
the
up.
We
to call
on Lady
the life
of Sir
on Japan,
wch. I
A. Michie is writing
Alcock, and she asked me to look through
Brought
on imperfect
dissatisfaction
morning.
has
his
meals
with
the
his niece.
Dined at the Aokis,' a farewell
and myself.
28
Randolph
other
curios
ministers.
29
Berens
to lunch.
to show.
Asaina
He brought
Began leaving
some bits
p.p.c.
cards
of Japanese
on colleagues
tapestry
and
and cabinet
300.
"
Lunched
Junker,
Last
with
d'Anethans,
Crusen and Miss Koda.
Sunday at St.
139 Psalm.
Andrews.
and went with
Dined with
The Bishop
her
Perrys,
for
music
by
the Whiteheads.
preached
The hymns were Rock of Ages, Thro'
-163-
to the
the
a striking
night
sermon on the
of doubt & sorrow,
&
the
King
of Love my Shepherd
is.
30
Lunchean
at
Kirkwood.
Okuma's
Dined
with
with
a diplomatic
party.
Called
on Lloyds
and
Mrs.
Baelz.
May 1.
David
Peacock,
Ch. Engineer
a son of one of the
in,
did
charge
not
of
the
different
the
Told
just
leave.
naval
Oxford,
continued
"Alacrity"
with
calls.
at
nothing
Then young
ago called,
came to speak
hospitals
came
called.
two years
Leyden
him I had heard
left
afternoon
the
who was here
know how to take
income-tax.
who has
Hayes
of
Yokohama
about
it.
a letter
and,
about
being
Roger
from
Leyden
the
called
Shand,
Dined
with
the
Whiteheads.
and
find
out
whe[ther]
coming
surgeons
on
C. Parr,
Allen
C.M. Hay,
in
to
pay
a young
man
lunch.
In
to
May 2.
Little
Y. Fukai
Tokio.
Told
Capt.
kind
him nothing
came
I am coming
back
to
Late
1st
Sherwood
Foresters
called.
Said
I had
been
of Lord
about
to
came
Salisbury
to
me a man of
for
keep
to one
kind
of
strictly
repressive
attacks
Chinese
Admiral,
gunboats.
wld.
have
think
any
all
the
cost
their
possible.
it
carry
were
River;
route.
their
means,
change
in
Cabient
him of
the
proposal
former
and
preferred,
sum.
eye on the
Miaotas
Naval
Chinese
on acct.
a fortnight
demonstration
Hope's
Isl.
if
Inlet
Bay
have
& see
any
legality
to
any
steps,
neither
thinks
of
at
the
men,
we shld.
by a few
excite
I ought
Russian
try
to
else
arsenal.
resolute
men.
jealousy,
as
to go up Yangtze
Changchitung,
at
money
or
Foochow
an end.
a
& the
headquarters:
defended
Taku happily
—164 —
take
as
French
wld.
required,
likelihood
to
the
to
doubt
the
be
protection
of
they
He thinks
to Yangtze,
off
of
me of
Chinese
E.H.S.
Mris
He told
a colour
be got
navy.
impregnable
an immense
to
declares
suggests
the
so give
Seems
man,
He wld.
requiring
of
Hong Kong
ports.
official.
launches
cannot
reaching
& river
Cooperation
an honest
fortified
giving
made
villages.
of
I planned
coast
the
flag
and
I told
and that
Canton,
Li Hung chang
strongly
as Ichang,
if
if
West
who seems
by
but
is
war
Reorganization
this
Foochow,
they
not
Whiteheads.
to visit
on piraate
insurrection.
the
me to Peking,
defined
to
general
Samsa
Does
and
patrolling
vessel
Foochow
bye.
to lunch,
of October
give
arrangements
secure
good
to send
beginning
able
say
impending.
Ad. Seymour
yi
try
was certain.
Begbie-Steward
immediately
far
to
to him in Tangier.
Asaina
nor
called
also
Lying
as
Lin Kunthere,
practically
effect
out of sight
Capt.
Callaghan
he does not think
it
can
& Lt.
Hulbert
in the Far East,
He said
that
it
was to the
it.
in reply
brought
abt.
Japan & Russia
pretty
woman with two suitors;
however
seemed blear,
designs
in the
responsible
was at
wld. last.
to fight
seemed quiet
Anxious to see
I said
Russia.
no one cld.
Yet many people
England & France as to Siam, a
to come to blows:
regarded
as the
Japan
he agreed
in Japan
would be several
was not of certain
nothing
trifling.
with,
only
One thing
obstacle
to
her
but seemed to imply that
in favour
of fighting
He talked
JapSe-
vacancies
as to the future.
mattered
this
among the
Altogether
much, and the land
Shaw, who came in
of by all
the
classes
I was better
the Minister
he agreed
others
in the
to adopt all
that
than
their
non—
good bye,
from the
of view,
so that
I
but seemed to
told
me that
highest
as a
to the
I was well
lowest,
and sympathize
who
with
at Yoko. who always
I explained
point
I
vexatious.
case of the B.Ss.
from an outsider's
time.
at Yoko. he regarded
to understand
views.
post;
he was cordial,
agitation
to say
of Japanese,
able
It was however different.
morning
most ofthe
year & a general
I said. the Custom house was sometimes
thought
all
no need however
All this
sentiment
that
As to war,
as to Corea like
he hoped I was coming back.
him there
spoken
The latter
classes.
He said
think
how long it
of Japan
Russian
Far East.
was a strong
to my observation
to a close:
advantage
talked
there
"Endymion" called.
one could not tell
war in South Africa
suppose
of the
in "Sirius."
Went to see Ito.
told
from it,
much impression.
Montevideo
the
of land & invisible
them.
expected
to him the land question,
the building
tax cld.
&
not be
escaped.
Demand on Doctors
not
heard
of it.
ihdefensible,
Called
in charge
of hospitals
Doyne had said
for
income tax.
to
him.
nothing
Ad. Seymour had
He thought
the
demand
as they pay income tax at home.
on Baroness
Dined at d'Anethans,
Sannomiya.
a farewell
to Orfini
He was looking
rather
& myself.
May 3.
Sannomiya
himself.
called.
He wished
Spoke with apprehension
replied
that
certain,
& shld.
everything
change,
I shld.
abt.
never
ask to
me a story
be removed,
-165-
but
that
He confirmed
but impossible
of a letter
to
but otherwise
Aston
& the
of my not coming back,
I got home.
at present,
and bent,
to be remembered
the possibility
not know till
being quiet
'et he told
particularly
ill
I cld.
Ito's
quite
Jerseys.
to wch. I
not
say for
language
to say when the situation
from Lord Jersey
written
after
abt.
may
their
、
great
successes
exact
a large
letter
arrived
unluckily
the cession
Lunched
Orfini,
it
with
Princess
deal
about
he was last
yesterday
abt.
Tanakas.
of Prince
back or not,
Tanaka
departure
account.
I shld.
on acct.
of it,
cld.
not help myself,
off,
I shld.
lose
all
This
it
off to
had already
begun
said
the
Emperor.
spoke a
of Wales to Arisugawa
he had been
that
there
when
arrangements
vacancies,
and whether
regretted
that
that
I cld.
I had already
and not be able
to get
I came
not stay
so that
If I had again
away for
the
put off my
wedding had been postponed,
having been made.
to Ito
but I was only
of England,
He also
that
here was much
were several
back here or not,
feeling
and then the
talking
my not returning
but I explained
my opportunity,
with
She was very gracious,
that
I said
be sent
would make no differerence.
wedding,
being
and Princes
of the friendly
the Crown Prince's
PP.
I wld. say so if I had an opportunity;
them.
on Japan's
representative
but to
other
but he took
negotiations
husband
about me, and they had both agreed
faithful
for
her
Todas, Mayedas,
& I did not know whether
territory
fr.
Peninsula.
the kindness
to be deprecated
begun,
as the
Arisugawa,
talking
trouble
had already
in London, & begged that
he was always
not to ask for
wld. cause
was too late,
of Liaotung
the Hayashis,
great
Japan
as the former
when the negotiations
Mutsu & Ito;
for
in 1895, and advising
indemnity,
I
put it
another
six
weeks.
Matsugata
came to say good bye.
The loan was made just
Cannot
at the right
time;
get away to the French
three
days more delay,
Exhibition.
and they would
not have got it.
Went to Fujimi
Dined with
cho to say good bye.
Cheetham.
4 May.
By 9.25
d'Anethans
to Yokohama along
and the Legation
in the "Centurion"
firing
salutes
Orifini.
with us.
to Wei-hai-wei,
of wch. he evidently
Endymion" barge.
with
Left
as we passed.
of people
to say good bye.
Saw Gubbins for a few moments; he went off
no time for any talk.
had not heard.
a quarter
Lots
Told him abt.
Lunched with Bonar and went off
to five,
the Endymion & an Italian
"Empress of India",
— 166 —
Marshall.
Peking,
in the "
man of war
英 国(OtterySt.Mary,U.K.):1926December[PRO/35/33/17/10/ff.113a-121a]
1 Dec.
Bright clear morning.
Wrote a letter
early & took it to G.P.O. for the
9.50 post.
Read the rest of Psalm 102 in the Russian Bible.
Lighted the
furnace. Read some of Grey's book. Sent to Hugh Luce's St. Mark for the twins.
After lunch walked up West Hill to Oaklands and back, 1 1/4 hr. and had a nap.
After tea fin[ished]
vol. 1 of Grey's book. At 6.15 a planet (? Mars) and
seven big stars shining brightly.
Then began vol. II, and read his speech of
Aug. 3, 1914 in the House of Commons. Two nights ago began "The Fortunes.of
Nigel" -in bed.
Abandoned the Six old English Chronicles and William of
Malmesbury, which I do not find interesting.
Started TommyCase's edition of
The Advancement of Learning and The New Atlantis.
2 Dec. Hard-frost.
Read
Psalm 103 in the Russian Bible. Received Asquith's "Genesis of the War" from
the London LibrarY. Went on reading Grey's vol. II, which is excellent.
There
was a wren in my bedroom thi8 morning, but when I opened the window it flew
away; it must have been there all night. Lawrie & Josephine brought over Mabel
Ching to lunch. Wemotored afterwards to Sidmouth, where L. & J. went to call
on Miss Thornton, formerly of Chriselhurst,
which [sic.] Mabel & I had a chat
with Mrs. Mills formerly
of Kenandy.
Then we came back.
It was a cloudy
afternoon, with a little
driz2le.
Reveiver from Hatchard vol. XI of BritiSh
DOcuments on the Origins of the War. Mabel and I exchanged greetings on the
esplanade with Mary D. who is staying]
at 4 York Terrace.
After tea read a
chapter of Grey and had a nap till 6 o'cl.
Read some chapters of Grey and
skipped several.
A cloudy and dark evening.
After dinner-began
Asquith's
Genesis of the war, and read to Chap. XV; the account of the work of the "
Committee of Imperial Defence." is admirable. Dedication of the Advancement of
learning to King James I in very flattering
terms. 3rd Dec. Cloudy and damp,
mild. Read about half of the 104 Psalm in the Russian Bible. Received from
Commin1607 Venice editionof Arioste, and Pickering's edition of Bacon's Essays
and Wisdomof the Ancients.
The NovumOrganum in English and The Advancement
of Learning.
Miller & Lilley delivered 2 tons of coke, and I carried in a
basketful of fire-wood.
Cloudy afternoon.
Walked past Black Hill Cottages to
Pitham Lane & back in 55 min. and then had nap.
Sidebotham came about six &
found my temperature and pulse quite normal, also my heart in good order. About
6.30 finished Asquith's "Genesis of the warj"]
He quotes a good deal that one
has already read elsewhere.
the origins
Before going to dress began "British
of the War["], vol. XI, by Headlam Morley.
- 167-
documents on
After dinner took up
Bacon's
and
Advancement
a planet
shining
104 in the
but
of
to
Bible.
All
of
firewood.
reading
Headlam-Morley
over
Sent
Saints,
basket
little
At
brightly.
Russian
none
learning.
an hour,
Took
three
till
lunch.
very
on reading
"The Advancement
single
star
apples.
Humphrey
police
that
right.
Took
Prought
the
for
A cloudy
II,
very
and dull
time,
Russian
Bible.
Morley.
After
till
lunch
Till
dinner
got
twenty
years,
or
five
frost.
3.30
So we had tea
Left
off
of
advancement
a tiresome
After
dinner
went
Lane
several
book,
planets
4,
Headlam-Morley
then
it
appearance,
Lavengro,
Moved into
Read
and back.
omitting
Psalm
A bright
the
and a host
truly
the
107 in
the
stars
all
sunny
shining.
—168 —
6
, Bk.
over
105
of
at
in the
Headlam-
seems
.
three
the
stars
.
lapse
, read
quite
After
of
over
it to me as I
new to me . 7
106 in the
Went on reading
Russian
Headlam-
to Sidling
Field
from
2 .30
station
to catch
the
5 .21
over
and
delightful
in order
Bible.
by six
to have
lunch
, mild.
o'clock
dinner
latter
book .
After
afternoon
the
part
"Novum Organum" ,
away on a shelf .
volumes
Before
some
Learning
after
"Essays"
a most
finished
on
till
clouded
and
of
Skipped
at
cloudless
it
lunch.
Learning
some
Read Psalm
6 .15.
Russian
the
get
Then slept
Read Psalm
Legation
drawing-room,
appendixes,
of
again
usual
all
the
to
after
of
Read
a
lane , back by Long dogSunny and mild . Headlam-
Maud to the
so put
after
thro'
.
2 planets
of the
looked
not
able
, but
.
Walked
at
night,
Headlam-Morely
Advancement
as
dinner
, discussing
one
Advancement
& some mist .
of firewood
been
.
Harbour
and now it
and I escorted
on with
morning.
Pithing
Poole
pneumonia;
morning
telephoned
sky .
to read
when Dr.
, but
10 min.
the
Went on
After
home
daughter
morning .
a clear
began
of learning,"
have
Morley's
at
reading
which
swept.
in 1 hr.
when Maud was announce[d].
train.
chimney
and
Walked
morning
Lane to Cold
with
dull
looking
of fire-wood
occupied
in a basketful
to
dear
7 o'cl.
Cloudy
till
fine
At
from
Morley
"the
home,
more,
suffering
Brought
3.
church
o'cl.
on in the
up Rill
dinner-time
A white
Bible.
thje
the
Clear
a basketful
walked
down Lavengro,
in bed
Dec.
in
6 Dec.
.
Duke of Devonshire
Went on with
a
when I returned
and
reading
.
in
Farm and back in a
mattins,
continued
Brought
dinner
A cloudy
before
also
.
nap
for
today
, one
tea
later
long
Psalm
in December ,
Stallard
and he had not
County,
After
again
Brought
six
shining.
lay
here
obscure.
cleared
and up past
Morley
lunched
to
& mild .
good
Finished
there
to Pitt
dress
."
& his
evening..
and
to
Lawrence
post
left
walked
foggy
the
an hour.
difficult
breakfast
lane
to
has
a good
I had
constellations
payable
Supplements
down yesterday,
letters
nearly
Evie
Rainy,
in some King of Tompkins
sofa
o'c.
two
other
subscriptions
of Learning
to have
broke
as
till
Farmer
was
car
for
and
morning , mild.
Afterwards
5 Dec.
with
his
cheques
temperature,
went
service
Cloudy
Literary
mild
Headlam-Morley
visible.
. Orion
4 Dec.
Detchingham
Went on reading
communion
10 o'cl
.
finished
8 Dec.
the
A
study
walked
to
HeadlabmAt 7 o'clock
vol . 1 of
Lavengro,. and afterwards rapidly read a large part of vol. 2.
Coupland's "Raffles",
an excellent
Then embarked on
piece of work, lent me by L.B. Cholomondely,
a friend of the author. 9th Dec. Cloudy and mild. Wrote letters & took them
down to the P.O. Went on reading Coupland's "Raffles".
After lunch'went down
town and walked round the Hilly Field to North Street.
Got back into the study
at 3.30, feeling rather feeble.
After tea finished Coupland's "Raffles", a very
remarkable-man.
At 9.30 finished
vol.
2 of Lavengro, and began vol. 3.
great deal of this book I had forgotten,
years
since
A cloudy
to
I last
Sidling
catch
the
train.
7.19
Lavengro.
out
Street
catalogue
of
seeds
of
E.
Hector
to
be sent
took
Finished
it
whom I fell
in the
later
on walked
on the
way.
When I got
well:
55 miles
Spanish
Read more
13 Dec.
of Oxford
her.
basketful
Morning
at
the
overcast,
mild.
Ozanam
came
slip
into
After
College-,
bedtime.
Dull
Posted
back
from
out
from
walked
very
Horace
to Sidling
with
after
Field
and
vicar
his
of chapteres
of
History
me that
dictionary
is
fairly
nor
moon.
to Maltby
House but
bound.
of
he
French
no stars
references
of
the
in
five,
tells
Paxford
neatly
wrapped
Humphrey had arrived
night,
Read a couple
-169-
to Humphrey
Russian
the
cloudy
a letter
Field
a
and
Hill
he can speak
up Mary D. at
Maltby,
Trevelyan.
lunch
Freese's
from
and East
he
cloudy
down
Then began
G.M. Trevelyan's
and that
road,
vegetable
a little
fellow;
books.
Night
Read a couple
of
looking
Went to hunt
Copied
road.
Russian
rare
abruptly.
that
him off
a re-perusal
Engineering
quite
on with
Book prices
of
to
came from
of
Lavengro.
home found
he left
by the
a list
Wrote
come
Catalogue
up to Sidling
high
good
till
of firewood.
lunch.
a very
Bible.
and sent
the
started_
of Borrow
to be repaired.
and gummed the
Rye before
is
him tea,
along
and then
Humphrey
learning
find
is
Russian
who had
109 in the
Barton,
sky overcast
109
so gave
ends
to
dinner-went
a nap.
The book
letter
chat,
I possess
then
at
post,
Basil
After
Went on reading
Morning
a long
of Psalm
Suttons.
9.25.
wrote
an hour's
Made out
the
Romany Rye,
England.
noted.
Inn & back,
Swan ink.
1 hr.,
up
to Aflington
in with
Holcombe
Dec.
Walked
Jasminum
fell
which
10th
Bible.
firewood.
tea
of
past
be seen.
After
night.
bottle
over
Birmingham,
of
Read half
Field,
12 December.
on a Motor-bicycle,
the
cloudy
items
a little
Lavengro
in with
back
wall
I cut.
to
RuSSian
me, and after
a big
Sidling
the
Walked
nap.
Psalm
down to
distance
which
to
lunch
morning.
and got
no stars
basketful
the
A dull,
and home,
and dull.
Finished
"The Romany Rye ."
fog.
bOx in
cloudy
up to thelane,
to Yohder
flower
to the
Manley
Matthews
Afternbon,
After
had a good
to Sidmouth.
Went to
Elkin
blossom.
Grey
sky,
108 in
in-a
So he came up with
11 Dec.
Bible.-
dark
Brought
and then
it
and no wonder, as it is five and twenty
Read Psalm
back;
and taking
5.21
A cloudy
mild.
to
20 min.,
Temperley
by the
and
beginning
1 hr.
it.
very
Field
nudiphylltum
about
read
morning,
A
did
Brought
to the
not
in
a
Britains
chapters
of The Romany
and back,
and when I got
back had 1/2 hr's
nap on the sofa.
coming from Oxford,
& was due here
Romany Rye, and after
neither
dinner
moon nor stars
some Adams' Pearmain,
Read Psalms
front
all
visible.
II.
14 Dec.
Russian
piece
stars
visible.
Lawrie & Josephine
in
the
Russian
calling
lunch
to
of ["]The Romany Rye."
a tea
brother
Bible.
Before
lunch
at Egland
walked
by Mrs.
Sidmouth,
her mother Lady Johnstone,
Whimple.
A lovely
planets
afternoon,
[sic.]
16 Dec.
1.2 in.
& we drove up, but Olga walked.
socks.
o'cl.
fallen
the
temperature.
firewood
brought
& back,
one hour.
by the
o'clock.
After
We went
we met her
planets
affairs
Prelude
the
After
ice
of The Prelude.
who came by the
going
Bible.
tea.
There
and bed-
but at
At dinner
Overcast
10
we had
morning,
And the paper
Field
over
to
mild
on the
& back.
tea,
Sarajevo,
Some
dinner.
to bed.
and left
very
18 Dec.
Olga went off
for
complicated
Sky overcast
at
ten
Sunny morning.
to Sidmouth
I walked back home, and went on with Seton-Watson's
—170—
Field
lunch we walked to Pitham Lane
walked
for
The
3 letters.
jumpers
Bible.
a
time
staircase
shining,
up to Sidling
dressing
116 & 117 in the Russian
thro'
more of the Prelude.
Allen
before
went on with
and knitting
Began Seton-Watson's
till
dinner
and some stars
Then walked
Maud and Ernest
At dinner
17 Dec.
of
Got home at 5.30,
Prelude.
Mary D. came to
house-planning
Lady
Rev. Sanders
Read a little
the Prelude.
of
Mrs. Hext,
Before tea I walked up to Sidling
dinner
Papers.
the
trees.
where
to meet Norah,
Swedish Ryebread.
5.41 train.
Finished
Read Psalms
11.15 train.
After
station
in from the coachhouse.
of Balkan
and back,
morning.
Wrote & posted
Read Psalms 114 & 115 in the Russian
in Falloden
history
about
crispbread,
Prelude
Sidmouth
over
the moon, three
sky overcast.
some Ry[e] vita
to the
asleep
of talk
At 6 o'cl.
apple
was showing
Brought in some firewood.
Olga and I walked
deal
the
sunny morning.
2.20,
was a great
Field
Johnson,
After
Orion
lunch
having
moon nor
very cold.
brightly.
After
and back,
read a
112 & 113
Miss Monteath,
sunset,
10 o'cl.
White frost,
thick.
tea
neither
committee.)
Began to read
and moon shining
When I went up at
window.
After
Read Psalms
Very frosty
Mrs. Hext,
gorgeous
moon and a planet.
Prelude.
we
a Mrs. Crawford from Hawkchurch, Mr & Mrs Wingfield
(he is a member of the Blind Institution
stars,
Pomona.
from the
After
at night,
Randall
in
and afterwards
up to Sidling
Heavifree
full
Cox's
stylosa
and back.
frosty.
to "Romany Rye".
given
Brought
got up by Miss Kennaway.
on the way, whom I found planting
Admiral Russelle,
bright
Iris
The sky overcast
sunny morning,
the appendix
party
Cut four
Field
Bright
I finished
Orange,
to a sale
1 of the
was overcast,
Ellison's
came to lunch,
15 Dec.
at Mary D's site
of vol.
Morning sky overcast.
we got back Olga and I walked up to Sidling
great
rest
The sky at night
Bible.
to Escot vicarage
to meet Olga who was
Read the
Kingof Tompkins County,
window.
motored together
at 5.21.
began vol.
110 & 111 in the
of the study
Walked to the station
by the
"Sarajevo."
After lunch we walked up the lane round by Holcombe Barton into the road, and
as far as Sadler's
Recluse,
to see whether my watch was right.
which I hardly understand.
At 6 o'cl.
After tea read The
the moon nearly
full,
risen
above East Hill. Read Trevelyan till dinner-time.
Moon& planet but no stars
visible.
After dinner read Trevelyan's chap. IV. At 10 o'cl. bright moonlight, .
planets & stars.
19 Dec. Foggy morning. Read Psalm 118 in the Russian Bible.
After mattins picked a flower and four buds of Iris stylosa,
three of the
latter
opened out after they were brought into the warm study.
After lunch we
walked to Four Elms and back in 3/4 hr. and after
I got baok I had a
comfortable nap on the sofa. Took a walk round the lower garden, temperature
extraordinarily
mild. At 6.45 the full moon high above East Hill. Besides the
moon, the planets
shining,
but no stars
visible.
Finished
Seton-Watson's
Sarajevo" after dinner after dinner, and then continued with TreVelyan.
Dec. A bright morning. Read 24 verses of Psalm 119 in the Russian Bible.
"
20
N.
wind. Picked a half-open bud of Iris stylosa.
Till lunch went on reading
Trevelyan.
At 2 o'cl.
we motored over to Sidmouth and walked along the
Esplanade, and came back by Woolbrook, getting
town, and I walked up to Sidling Field and back.
home at 3.15.
N. went down
It was a beautiful afterhoon,
and the coast view as far as Bear Head very lovely.
After tea read Trevelyan's
chapter VII on the NormanConquest. At 6.30 the moon rose over East Hill.
A
couple of planets and a big star shining brightly.
After dinner went on with
Bk. V of Giraud: l'Apologie.
21 Dec. A fine clear morning, white frost, earth
hard.
Wrote to Hatchard to get me Victor Giraud's edition of the Pensees.
Read
24 vv. of Psalm 119 in the Russian Bible. Went to Percy Harrison to have teeth
attended to. After lunch we walked to Aflington Inn & back, 1 1/4 hr. I had a
nap.
Maud has sent me a box of sweet meats as a Christmas present.
After tea
read Pritchett's
"International
and stars
"Observations on Egypt, Palestine, and Greece" being No. 225 of
conciliation , December, 1926.["] At 7.15 moon risen, planets
shining brightly.
After dinner looked at vol. 1 of Carlyle's
Frederick the Great.
At 10 o'clock Orion and other constellations
shining.
22
Dec. A cloudless sunny morning. Read 24 vv. of Psalm 119 in the Russian Bible.
Walked up to Sidling Field & back. There had been a hard frost, and the mud
in the lane was frozen.
Picked an Iris
stylosa,
and brought in a basketful
of
firewood. After lunch we walked by the lane to Knightstone, and back home by
the high road, in 1 hr. The Faculty Board of History at Cambridge have asked
[me] to act as a referee on the work of Professor C.K. Webster, who is applying
for the Degree of Doctor of Letters.
At 7 o'cl. two planets & several stars
shining.
Read some of vol. 1 of Carlyle's Frederick the Great. Percy & Helen
with their dog Peter arrived at 20 to 8. At 10 o'cl. Orion & accompanying stars
brightly
shining.
23 Dec. White frost & E. wind.
- 171-
Norah left for Shenfield by
the
10.27 and I took her down to the station
down and the
Russian
three
Bible.
to Sidling
of us walked
Received
Field
up again.
a picture
& back.
After
in a motor.
post
Read 24 vv. of Psalm
card
Sir Francis
like
Percy,
continued
talking
Sarajevo.
Wilson,
for nearly
At 7.30 all
shining
Carlyle's
Frederick
morning.
they
easily
promising
again.
into
Received
Orion,
Field
9.41 train,
and back;
a bitter
frosty
24 Dec.
Hard frost,
and returned
to lunch.
tea Carlyle's
Frederick
brilliantly,
cold
vol.
wind.
present.
In the afternoon
1.
At dinner
25 Dec.
East
me Bryce's
wind driving
and Ernest
had gone off to Sidmouth,
Josephine
Emperor
Theresa
& Lawrie
VI and his
was recognized
some drizzle
during
lunch in 55 min.
cloudy
Shandy.
sent
night.
the night.
Dull
Lane.
Finished
Began vol.
vol.
2.
Finished
the
II.
vol.
by Obed Dare's,
& past the railway
dinner
the
and plum pudding.
by which
night.
Afternoon
Silford
station
description
his
26th
—172—
today,
of
deal
about
daughter
Dec.
Maria
No frost,
Bible.
Lane & back after
Friedrich
began to read
at 7.10.
again
having
Bible.
left
After
.A
Tristram
come, I
Spent most
Lawrie took Josephine,
home to Beaumont.
& Echo published
and
and Percy met them on their
& the road
tea.
After
Field
A great
119th Psalm in the Russian
II.
sky .
as a
Mary Wilkin over
Seeds from Suttons
way up Ridgeway Lane before
Devon Express
shining
Maud and Olga
Read Bryce's
1 of Carlyle's
them a cheque.
the best
cloudy
After
cold morning.
walked
stars
across
brought
Percy & I walked to Pithing
A bright
the esplanade,
by the
as Cadhay
Read 24 vv. of 119 Psalm in the Russian
stylosa.
of the morning over Carlyle's
vol.
Sanction
27th Dec.
and me up Chineway,
Walked up to
mattins,
1 of Carlyle.
Lawrie & Helen went up East Hill,
way back down Rill
dull,
vol.
Pragmatic
as his heir.
Picked two buds of Iris
A sunny
& I walked to Sidling
went on further.
Then went on with
Karl
ice.
Bible.
clouds
came to stop after
the
tea.
dinner
volume "Memories of Travel"
to eat the turkey
after
time to
After
we walked as far
so we were nine altogether
the
night.
time Orion and other
postunous
Lawrie & Josephine
Percy
until
Hyades & the rest
and thick
in a taxi,
Helen,
Seton-Watson's
Percy & Helen went to Sidmouth
walked over from Sidmouth to midday dinner
others
and he
of "Mocha" chocolate from Olaga, and a packet of short
of Moffat, to whom I sent a letter
of thanks . After
Percy & Helen have given
Christmas
at Clifton,
Great
Aldebarans,
keen E. wind.
gate and back.
A present
bread from the Johnstons
Iceland
the
Pleiades,
&
While we were at
from Hatchard
Frederick
Inn,
conversation
Read vv. 97 to 120 of Psalm 119 in the Russian
Sidling
back.
us.
been at school
got
1 of Carlyle's
the stars,
brilliantly,
to overtake
He having
1 1/2 hr.
Went on with vol.
dress.
all
Dr.
Walked up
lunch Helen & I walked to the Alfington
Newbolt was announced.
under
119 in the
from Erna at Benthen.
on the way back met Percy who had been trying
tea
Percy & Helen walked
Helen
of the Siddown to
Then Josephine
&I
tea more of Carlyle's
but no "Times".
At 10 o'cl.
Orion
&other
read
constellations,
a good-deal
on East
with
of
Hill.
I walked
Lacock
II.
Lawrie
on the
to the
Epilogue
Emperor
to the
dinner
went
morning
of
letters
to
the
tried
to get
a nap,
post
and
a brilliant
in the
the
worked
o'clock
the
Psalms
of
giddiness
Holcombe
fields
till
home.
cut
went
to
Play
is reproduced
[sic.]
Helen
by the
30th
me,
lane
into
sky
after
Tristram
the
a long
Watton
high
leaving
to Pithing
Vol.
afternoon
from
XI of British
to
Tristram
Subscriptions,
Kenneth
Lane & back.
Basil
brightly.
Wrote
gifts
After
whom I had
Lucy
after
Satow,
tea
I knew,
Mrs.
who died
Charles
Arthur
during
Allen
Brent
Martin
Fedor's
Admiral
year.
15 Jan.
22 Jan.
of
Marrack
Sandrock
cloudy
to
it.
to dress
At 11
& mild.
Read
go down
town
Sidling
lane,
& posted
them.
through
Bible.
Helen
Afternoon
24 Jan.
26 Jan.
—173 —
wife
& loan
to
the
Carlyle
31
Had my
& Percy
some sunshine,
on in Carlyle
At 10 o'cl.
alone.
"Field
sky overcast.
Russian
of
for
Shandy.
Went on with
origin
to
I had an attack
the
read
Lovell
the
vol.
planets
to
II.
At
War came back
dinner.
21 Jan.
Wm. Haggard
Mrs.
the
went
lunch
afternoon,
Ellen
through
on the
lent
712.11.8.
People
£38,
breakfast
& me alone.
documents
Shandy
to
letters
and
& down to
Clear
more Tristram
in
Fine
Wrote
and back,
At bed time
129-131
After
Came home &
tea-time,
afterwards.
The
After
up Furzebrook
till
vol.
Dec.
Bible.
Till
afraid
Great
was shut.
at
lane,
road,
Read Psalms
interval.
to lunch,
the
from
23.
29th
Field
After
train
Day.
of Dec.
&
firewood.
Morning
I was
up
nap
Shandy
overcast.
Dec.
and
Christmas
on Palestine.
Bible.
& I walked
the
in
dinner
on Percy
Frederick
shop
shining.
turning
4.11
Russian
as a cook,
& after
Russian
frightened
Bryce
up to
night.
to Sidling
Filt
over.
the
his
and stars
II,
in the
in
the
Later
"Times"
fog
spent
by the
of
cloudy
but
Walked
Mrs.
vol.
in the
Brought
shaved,
planets
arriving
morning
125
as
dinner
frost,
The morning
back.
Carlyle's
Harold.
get
Engaged
we walked
A dull,
123 to
and
to
was clouded
7 sky overcast.
shining
early
Read some of James
and with
so we walked
this
in
After
hoar
Bible.
& me as far
Forbes,
Then I had a comfortable
Morning
hair
where
died
Satow
Carlyle's
Barton,
from
but no success.
Percy,
dinner,
Dec.
Erna
which
lunch
Helen
Shandy.
At 6 o'cl.
sky
took
the
brightly.
morning,
Russian
with
Psalms
sunset.
at
Cloudy
myself
Tristram
barber's
126 to 126
After
Japan
walk.
same.
dinner
occupied
Read
down to
the
road,
Westminster
went
have
tea
mild.
shining
to meet Kenneth
on with
and
posted
Sidmouth
After
planets,
28 Dec.
120 to 122 in the
& Josephine
station
Abbey.
The
Shandy.
Read Psalms
Carlyle.
Knightstone
besides
Tristram
Parlette.
& stars
Maurice
Pryke
J.C.S.
Davis
George
d'Arcy
Mrs.
Huyshe
Montague
of
Sid
Kirkwood
John
Macleavy
Mrs.
Lionel
Harold
Mary
Adams
Brown
Birch
Spender
Satow
Kawamura
31
Jan.
12
Feb.
20
Mar.
M.D.
House
Sidmouth
25
Mar.
28
Mar.
April
6
April
13
April
15
April
15
April
28
Ralph
Hine
Haycock
Aug.
Hiram
Shaw
Wilkinson
Sept.
G.W.
Knox
Nov.
12
26
13.
— 174 —
参 考
文 献
A
I.
WORKS
BIBLIOGRAPHY
OF
ERNEST
Reprinted
Copies
:
ERNEST
SATOW
SATOW
Edition
Synapse's
Published
in Japan , 1998.
Vol. 1
KUWAIWA
HEN: TWENTY-FIVE
EXERCISESIN THE YEDOCOLLOQUIAL
(1873)
Vol. 2
JAPAN1853-1864,
OR GENJI YUMEMONOGATARI
(2nd ed. , 1905)
KINSE SHIRIAKU. A HISTORYOF JAPAN, 1853-1869 (2nd ed ., 1876)
Vol. 3
AN ENGLISH-JAPANESE
DICTIONARYOF THE SPOKENLANGUAGE
(2nd ed ., 1879)
Vol. 4
A GUIDETO NIKKO (1875)
A HANDBOOK
FOR TRAVELLERS
IN CENTRALANDNORTHERN
JAPAN (2nd . ed.,
Vol. 5
JAPANESECHRONOLOGICAL
TABLES(1874)
LIST OF KOREAN
GEOGRAPHICAL
NAMES(1884)
ESSAYTOWARDS
A BIBLIGORAPHY
OF SIAM (1886)
THE JESUIT MISSION PRESS IN JAPAN, 1591-1610 (1888)
Vol. 6
THE VOYAGE
OF CAPTAINJOHNSARIS TO JAPAN, 1613 (1900)
Vol. 7
THE SILESIAN LOANANDFREDERICKTHE GREAT(1915)
Vol. 8
A GUIDETO DIPLOMATICPRACTICE, 1st vol.
(2nd ed .,
1922)
Vol. 9
A GUIDETO DIPLOMATICPRACTICE, 2nd vol.
(2nd ed .,
1922)
Vol.10
A DIPLOMATIN JAPAN (1921)
Vol.11
A DIPLOMATIN SIAM (Paul Strachan-Kiscadale
Introduced
Vol.12
, Scotland,
and Edited by Nigel Brailey
THE FAMILYCHRONICLE
OF THE ENGLISHSATOWS(1925)
THE RT. HON. SIR ERNESTSATOWby B.M. Allen
—175—
(1933)
1994)
1884)
THE DIARIES OF SIR ERNEST SATOW, British
A Diplomat
Returns
to Japan.
With an Introduction
Other
Minister
by Nigel
Edited
and annotated
Brailey
(Edition
(1895-1900):
by Ian Ruxton
Synapse,
Tokyo,
2003)
Editions
Ernest
Satow's
"Preface,"
Missionary
Ernest
Satow's
Press,
Marshall
Activity
from
Broomhall
(Morgan
"Preface,"
translated
4th
ed.
& Scott,
the
Spanish
THE CHINESE EMPIRE, A General
London,
SAINT THERESA'S
1907)
THE HISTORY OF HER FOUNDATIONS,
by Sister
Angnes
Mason
(Cambridge
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1909)
A GUIDE TO DIPLOMATIC PRACTICE edited
edition.
(Longmans,
A DIPLOMAT IN JAPAN with
II.
in Tokyo
by Sir
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Nevile
Bland.
1957)
by Gordon
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(O.P.U.,
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(Longman, London, 1863)
John Black
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S. Lane-Poole
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—176—
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M. Allen
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George Alexander
Lensen
KOREAANDMANCHURIA
BETWEEN
RUSSIA ANDJAPAN 1895-1904
Sir Ernest
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Grace Fox
BRITAIN ANDJAPAN 1858-1883 (Clarendon
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1969)
Sir Hugh Cortazzi
DR. WILLIS IN JAPAN 1862-1877
(Athlone
- 177 -
Press,
London, 1985)
of
平 成15年3月20日
研究 代表者
宮
澤
眞
一
埼玉 女子 短期大 学
科 研 費 研 究 番 号11610511
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