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英国公文書館所蔵 ア0ネ ス ト・サ トウの 日本滞在 自筆 日記
英 国 公 文 書 館 所 蔵 ア0ネ ス ト ・サ トウ の 日本 滞 在 自筆 日記(1861-1884)の 解 読 と活 字 化 (11610511) 平 成11年 度 平 成13年 (基盤研 究(C)(2))研 度 科学 研 究費 補助 金 究 成 果報 告書 平 成15年3月 研究代表者 宮 澤 眞 (埼玉女子短期大学) 一 英 国 公 文 書 館 所 蔵 ア ー ネ ス ト ・サ トウ の 日本 滞 在 自 筆 日記(1861-1884)の 解 読 と活字 化 目 次 英 国 公 文 書 館 所 蔵 ア ー ネ ス ト ・サ トウの 日本 滞 在 自筆 日記(1861-1884)の 解 読 と活 字 化 第1報 ア ー ネ ス ト ・サ トウ 自 筆 日記 の 解 読 と 活 字 化 第2報 サ トウ 日 記 の 記 入 日 リ ス ト(1861/1V4-1926/12/31)…41 第3報 ア ー ネ ス ト ・サ ト ウ 自 筆 日 記 の 一 部 転 写 テ キ ス ト (鹿 児 島x$67January: ・ ・ ・ …1 ・ …107 熱 海1867March,::February: 長 崎1867September: 大 阪1867December: 北 海 道1868September: 東 京1900April-May: 英 国1926December) 参 考 文 献 ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ … 朽7 第1報 ア ー ネ ス ト ・サ トウ 自筆 日記 の 解 読 と活 字 化 第1報 ア ー ネ ス ト ・サ トウ 自筆 日記 の 解 読 と活 字 化 は じめ に ア ー ネ ス ト ・サ トウ(ErnestMasonSatow:1.843=1929)は 見 習 生(studentinterpreter)と して1861年11月 、 駐 日英 国 公 使 館 付 きの 通 訳 に上 海 へ 到 着 して か ら、 最 初 の う ち こそ 断 続 的 で あ り な が ら も、 次 第 に毎 日欠 か す こ と な く 日記 を 書 きつ づ け た 。 日記 執 筆 の 期 間 は66年 間 にお よ び 、 最 後 の 記 入 が192b年12月31日 で あ るの だ か ら、1929年8月26日 、86歳 で 他 界 す る2年 半 余 り前 の 、 高 齢 に 達 す る まで 継 続 で きた わ けで あ る。 本 研 究 に お い て 対 象 に 取 り上 げ た 「英 国 公 文 書 館 所 蔵 ア ー ネ ス ト ・サ トウ 自筆 日記 」 は これ に 該 当 す る 。 た え ず 座 右 に 書 物 を お いて 読 書 を し、 外 国 語 を 学 び 、 教 会 や 地 域 社 会 に 関 心 を 持 ち 、 英 国 と諸 外 国 の歴 史 文 化 を 学 ぼ う と した サ トウ は 、 勤 勉 な 努 力 家 で あ る。 そ れ だ け に 、45年 間 の 英 国 外 務 省 勤 務 に 関 連 して 書 き送 る外 交 文 書 、 こ ま め に交 わ した 私 的 書 簡 、 多 くの 新 聞 雑 誌 記 事 ・序 文 ・講 演 原 稿 と著 作 、 そ れ に この 日記 を加 え て み る と き、 指 先 の 間 に ペ ン を 握 って 書 い た 勤 勉 家 サ トウの 文 書 類 は、 想 像 を 絶 す る ほ ど の膨 大 な分 量 と な るで あ ろ う。 健 筆 家 の 生 涯 は立 派 な 労 作 を残 した と言 え る。 ア ー ネ ス ト ・サ トウの 自筆 日記(以 下 、 特 に 断 らな い か ぎ り、 「サ トウ 日記 」 と 略 称 す る こ とが あ る)を 私 が 読 み始 め た の は 、 鹿 児 島経 済 大 学 の 助 教 授 時 代 に端 を 発 す る。 津 曲 学 園 の 留 学 制 度 に よ って1985年8月 で あ る。 正 確 に は、1985年11月 か ら1986年9月 迄 ロ ン ドンに 留 学 して い た と き の こ と か ら ロ ン ドン市 内 チ ャ ンサ リー ・レー ン(ChanceryLane) の 英 国 公 文 書 館 旧館(PublicRee。rdOffice)に 日参 して は、 鉛 筆 に よ る ノ ー トへ の 筆 写 を約 三 ヵ月 ほ どっ づ け た 。 当 時 、 館 内 に ワ ー プ ロ ・ノ ー トパ ソ コ ンの 機 械 類 を 持 ち込 む こ と は 禁 止 さ れ て お り、 昔 な が らに ノー トを 持 参 して そ こに 鉛 筆 で 書 き込 み 、 下 宿 に戻 って か ら ノ ー トを 便 りに して タ イ プ や ワー プ ロ に 打 ち込 む 。 翌 日 に は 、 打 ち 出 した も の を 公 文 門 一1一 書 館 に 持 って 行 って 、 原 資 料 と比 較 しな が らタ イ プ ミス等 を チ ェ ッ クす る。 そ う した 今 日 で は考 え られ な い ほ ど の 面 倒 な 、 しか し丹 念 な 調 査 方 法 を取 って い た 。 薩 摩 藩 の 起 こ した 生 麦 事 件 に端 を 発 す る薩 摩 と英 国 の 交 流 史 に興 味 を持 っ て い た 時 期 だ け に 、 生 麦 事 件 の 英 人 犠 牲 者 リチ ャ ー ドソ ンの よ うに 、 上 海 や 横 浜 に群 が っ た 若 い 冒 険 商 人 た ち の 生 態 を 知 る うえ で 、 サ トウ 日記 の 第1冊 目 は ま た とな い 資 料 と 思 え た 。 上 海 ・北' 京 と 初 期 横 浜 の 部 分 に つ いて 転 写 テ キ ス トを作 成 で きた が 、 そ の ほか は 、 西 郷 隆 盛 や ウ ィ リス 、 苗 代 川 等 、 薩 摩 藩 に関 連 す る箇 所 を 数 冊 か ら拾 い読 み して 、 ノ ー トに鉛 筆 で メ モ を す る程 度 に 終 始 した 。 な に しろ 長 期 間 、 公 務 の 時 間 的 縛 り もな い 、 文 字 通 り研 究 に 没 頭 で き、 しか も外 国 に 滞 在 して い る 日 々で あ る。 せ っか く人 生 で 最 初 に 恵 ま れ た チ ャ ンス を 有 効 に使 い た い と思 い 、 午 前 中 は大 英 博 物 館 の 自筆 原 稿 部 門 に 入 って ア ー サ ー ・シ モ ンズ の 書 簡 を ノ ー トに筆 写 す る、 午 後 に は近 くの 英 国 公 文 書 館 に か け っ け 、 サ トウ 自筆 日記 を 繙 く、 夜 は昼 間 の ノー トを ワ ー プ ロ に打 ち 込 む、 そ の 合 間 に知 り合 った 若 い 外 国 人 学 生 と学 生 寮 の パ ブ で ビタ ー の 杯 を 傾 け る、 と い う忙 しい けれ ど充 実 した 数 カ 月 で あ っ た。 その成果 は 「 薩 摩 と イ ギ リス の 出 会 い 」(高 城 書 房 出 版 ・昭 和62年)の 書 中 に 、 「ア ー ネ ス ト ・サ トウ の上 海 生 活 」 と題 した一 章 と して 実 っ た ば か りで な く、 サ トウ 日記 第 一 冊 (PRO/30/33/15/1)の46頁 分 の 英 文 判 読 テ キ ス トを 「ア ー ネ ス ト ・サ トウの 上 海 滞 在 に 関 す る資 料 的 考 察 」 と題 して 大 学 紀 要 に 掲 載 で きた 。 そ の後 、 平 成6年5月 に は、 作 家 の 吉 村 日 召氏 の 推 薦 に よ って 、 英 国 側 資 料 か ら見 た 生 麦 事 件 を 新 た に 執 筆 す る運 び に 発 展 して 、 サ トウ 日記 の 調 査 研 究 を 更 に徹 底 す る必 要 が 出 て きた 。 毎 年 夏 休 み に 入 る と渡 英 して は、 ロ ン ドン郊 外 キ ュ ウ ガ ー デ ンズ(KewGardens)の 英 国 公 文 書 館 新 館 に足 しげ く通 った 。 サ トウの 自筆 日記 帳 を 目 の 前 に して 判 読 す る機 会 は、 以 前 よ り も頻 繁 に な った 。 そ う した 流 れ の な か で 成 果 と して は、 「幕 末 維 新 を 演 出 した 外 国人 ア ー ネ ス ト ・サ トウ 」 を 市 販 雑 誌 「歴 史 と旅 」 に発 表 して み た り、 吉 村 昭 氏 の 推 薦 に よ る拙 著 「幕 末 に殺 さ れ た 男 一 一一生 麦 事 件 の リチ ャ ー ドソ ン」(新 刊)の 潮 選 書 ・平 成9月 出版 で は 、 「若 き 日の ア ー ネ ス ト ・サ トウ」 と い う一 章 に纏 め る こ とが で きた 。 更 に 、 前 述 第 一 冊 目 の 日記 に後 続 す る 英 文 判 読 テ キ ス トも、 同 時 に 完 成 して い た か ら 、" ErnestSaしow冒sEarlyJapanDiary:1862-1863"と 題 して 大 学 紀 要 に発 表 した 。 ア ー ネ ス ト ・サ トウ の 自筆 日記 を 目 の 前 に置 き多 くの 時 間 を 費 や しな が ら、 平 成10年 迄 は 、 上 記 し た よ う に時 々 の 必 要 性 か ら生 まれ た拾 い読 み を 現 地 で 繰 り返 して い た に過 ぎ な い。 細 々 と断 続 して き た10年 余 りの サ トウ 日記 調 査 を 一 段 と徹 底 し前 進 させ て 、 少 な く と 一2一 もサ トウの 日本 滞 在 に係 わ る 時 期(第 1900・ 短 期 訪 問1906年6月)に 一 期1862-1869・ 第 二 期1870-1884・ 第 三 期1895- っ い て は、 は や め に 解 読 と活 字 化 を 進 め た い 、 と思 う よ うに な った 。 新 潮 選 書 の 出 版 が 契 機 に な った 。 そ こで 自費 に よ る渡 英 の 繰 り返 しに は 限 度 が あ る と 判 断 し、 科 研 費 補 助 金 基 盤 研 究(C)(2)の 交 付 を 申請 した 。 平 成11年 度 か ら平 成13年 度 の 三 年 継 続 の 研 究 計 画 が 、 幸 い な こ とに 認 可 され た と き に 、 上 記 の 日本 関 係 分 日記 の 一 部(1862-1884)に 集 中 す る こ と が 、 私 自身 の 当面 す る研 究 の 必 要 性 と、 そ れ に な り よ り も力 量 の 及 ぶ 範 囲 と考 え て い た 。 と こ ろ が 、 歳 月 の 進 行 と と も に 実 際 に 研 究 計 画 が 進 展 す る に と もな い、 研 究 意 欲 は膨 らむ 一 方 と な った 。 当 初 計 画 の 範 囲 を飛 び 越 え て 進 む 勢 いで 、 解 読 活 字 化 の作 業 が 進 ん だ 。 今 回 も留 学 の 際 と 同 じ現 象 が 起 き た。 チ ャ ン ス を与 え られ た こ とで 弾 み が っ き、 この 機 会 に チ ャ ンス を 最 大 限 に生 か そ う と す る傾 向 に あ る。 そ れ は そ れ で 結 構 な の で あ る が 、 そ の 分 、 相 当す るエ ネ ル ギ ー を っ ぎ込 ま な け れ ば 可 能 とな らず 、 集 中 力 と忍 耐 力 が 欠 か せ な い よ うに 思 わ れ る。 この 際 に 、 ア ー ネ ス ト ・サ トウ が 書 き残 した 自筆 日 記 の 一 字 一 句 を 全 て 解 読 活 字 化 して み た い 。 サ トウ 日記 の 全 体 像 に迫 りた い 、 と い うチ ャ レ ン ジ精 神 に い っ しか 襲 わ れ て い た わ け で あ る 。 実 際 に 、 年 度 末 ご と に 提 出す る実 績 報 告 で は、 日本 関 係 の 期 間 を 次 第 に越 え て い き、 最 後 的 に は66年 間 の 生 涯 に まで 、 研 究 対 象 を 延 長 で きた と報 告 す る こ と に な った 次 第 で あ る。 こ こで は 先 ず 最 終 的 に解 読 活 字 化 で き た 自筆 日記 の 数 量 を示 して お き た い 。 当初 計 画 の 判 読 作 業 に 該 当す る 自筆 日記(1862-1884)の 頁 数 は約2537頁 で あ る 。 最 後 的 に判 読 で きた 全 自筆 書 簡 の 総 頁 数 は約9373頁 と な り、 当 初 計 画 の 約3,7倍 の 分 量 に 達 した 。 ア ー ネ ス ト ・サ トウの 自筆 日記 は 、 本 人 が 一 字 一 句 を 生 涯 に わ た って ペ ンで 書 い た もの で あ り、 そ れ を 後 年 の 私 ど も は 便 利 な ワ ー プ ロ を 使 い 、 解 読 して 活 字 化 し転 写 テ キ ス ト (transcriptions)を 作 成 す る。 作 業 形 態 は違 っ て い て も、 サ トウ本 人 の 手 書 き文 字 を 丹 念 に辿 る こ とで 、 私 は こ の3年 の 間 に 彼 の66年 間 を生 き た よ うに 思 わ れ た 。 タ イ プ を 打 っ 自分 の 指 先 か ら、 サ トウ の 呼 吸 や 心 の 動 き が 伝 わ って き た と感 じた 瞬 問 もあ る。 当初 計 画 を 進 展 させ て 膨 大 な 資 料 の 山 の 山頂 を きわ め よ う とす る、 無 謀 な 挑 戦 を 自分 に 課 した こ と で 、 今 回 、 よ うや くサ トウ 自筆 日記 の 全 体 像 の 把 握 が 、 国 内 外 で 初 め て 達 成 で き た こ と を 無 事 報 告 す る と もに 、 この 稀 な 機 会 を 与 え て い た だ い た 科 研 費 補 助 金 の 制 度 に、 あ らた め て 深 く感 謝 した い と 思 う。 3二 2)ア ー ネ ス ト ・サ トウ 自筆 日記 の 全 体 像 英 国 公 文 書 館(PublicRecordOffice,KewGardens)が 所 蔵 す る ア ー ネ ス ト ・サ ト ウ 日 記 は 、 ア ー ネ ス ト ・サ トウ 文 書 コ レ ク シ ョ ン の 一 部 で あ り 、 そ の 分 類 番 号 お よ び 日 記 冊 数 は、 以 下 の 通 りで あ る こ と を調 査 過 程 で 確 認 した。 分 類 番 号PRO/30/33/15/1-17:冊 数 ・17 PRO/30/33/16/1-12:12 PRO/30/33/17/1-10:10 サ トウ 日記 全 冊 数39 本 研 究 の な か で ア ー ネ ス ト ・サ トウ 自筆 日記(略 称 サ トウ 日記)と 呼 ん で い る もの の 他 に、 日記 類 と して 、 旅 先 で 記 した メ モ 帳 と、 旅 に携 行 した 別 冊 の 旅 先 日記 帳(J。umal。f Journies)を 同 じ英 国 公 文 書 館 は 所 蔵 して い る。 こ れ らを 総 称 して こ こ で は 「旅 日記 」 と 呼 ん で み た い ・ 通 常 の 意 味 で の 曜(dia「y)ζ は言 え な い もの の ・ 本 研 究 との 関 連 で1煙 要 な 資 料 で あ る こ と に違 い な い。 そ こ で 、 以 下 に そ の 分 類 番 号 ・頁 数 ・タ イ トル ・執 筆 時 期 に つ い て 確 認 した 概 要 を 述 べ る。 PRO/30/33/17/11/185pp・:TravellingNotes(日 本 国 内 PRO/30/33/17/12/263pp.:JournalofJournies(日 ・旅 の メ モ):1879,.., 本 国 内 旅 日 記): 1881/7,1881/8,1882/2,1882/5,.1882/8-9,1882/11, PRO/30/33/17/13/1嶋PP・:TravelsinSiamVol.1(シ ヤ イ ア ム 日 言己):../4-1885/12. PRO/30/33/17/14/103PP.:TravelsinSiamVol.2(シ ヤ イ ア ム 日 記):../::./2. PRO/30/33/17/15/21PP.:TravelsInSiamVol.3(シ ヤ イ ア ム 日 記):1886/2-1886/4. pRO/30/33/17/16/129pp.:Chiuzenji1895-1900(中 禅 寺 旅 日 記):1885/8-1900/4. サ トウ 「旅 日記 」 全 冊 数6 「旅 日記 」6冊 の な か で 、 今 回 の 計 画 進 行 中 に解 読 と活 字 化 を 終 え て い る もの は、 「日 :登三 本 国 内 旅 日 記 」(PRO/30/33/17/12)と 2冊 分 だ け で あ る 。 こ れ ら2冊 厂中 禅 寺 旅 日 記 」(PRO/30/33/16)、 合 計goo頁 弱 の は い ず れ も 日 本 関 係 で あ る の で 、 サ トウ 日 記 研 究 と の 関 連 で 重 要 な 資 料 と 思 え た た め に 、 英 文 転 写 テ キ ス トを 作 成 して お い た 。 本 報 告 書 に は 、 後 述 す る よ うに 、 そ の 一 部 を 収 録 す る。 「日本 国 内 旅 日 記 」(PRO/30/33/17/12)の う ち、 熱 海 滞 在 に該 当 す る部 分 で あ る。 「旅 日 記 」 の う ち で 本 研 究 の 対 象 か ら 除 外 し た も の に つ い て 、 以 下 に そ れ ぞ れ の 内 容 と 除 外 し た 理 由 を 指 摘 して お き た い 。 第 一 の 資 料PRO/30/33/17/11/185(日 本 国 内 ・旅 の メ モ)は 、鉛 筆書 きの断片 的 メモで あ っ て 、 日記 体 の も っ 連 続 性 の 叙 述 に 欠 け て い る 。 そ れ で サ トウ 日 記 の 範 躊 に 入 ら な い と 判 断 した 。 「シ ャ イ ヤ ム 日 記 」(PRO/30/33/17/13-15)の3冊 読 活 字 化 が 終 わ り 、ADiplomatinSiamと 分 は 、 す で にNige!Bradleyに 題 す る 翻 刻 版 が1994年 よ る解 に 出 版 さ れ て い る。 そ こ で 、 こ れ も本 研 究 か ら は 除 外 し た 。 本 研 究 の 進 行 過 程 に 平 行 し て 、IanRuxtonが (PRO/30/33/17/16)は 解 読活 字 化を進 めて いた 、 後 述 す るTheDiaries。fSirErnestSatow-一 inTokyo(1895-1900)の 巻 末 に収 録 され る こ と に な った 「中 禅 寺 旅 日 記 」 一BritishMinister 。 そ れ で 、 こ こで は研 究 対 象 か ら 除 外 し た が 、 今 後 、 私 の 転 写 テ キ ス トと ラ ッ ク ス ト ン ・テ キ ス トと を 丹 念 に 比 較 検 討 し て み た い と考 え て い る。 ア ー ネ ス ト ・サ トウ の 自筆 日記 の 総 体 は 、 上 記 の 「サ トウ 日記 」39冊 と 「旅 日 記 」6冊 を 加 え た45冊 で 構 成 され て い る 。 そ の うち三 年 間継 続 の 本 研 究 計 画 の 進 行 過 程 で 、 実 際 に 解 読 と活 字 化 を 達 成 で き た もの は 、 「サ トウ 日記 」39冊 と 「旅 日記 」2冊 を 合 わ せ た41冊 となる。 サ トウ 日記39冊 の 解 読 活 字 化 は、 内 外 で 初 め て の こ とで あ ろ う。 全 体 像 を把 握 で きず に い た の で 、 最 初 に 表1を 作 成 して み た 。 「 表1:サ 転 写 原 稿(transcriptions)の 化 した 転 写 テ キ ス ト(A4版 トウ 日記 の 自筆 原 稿(manuscripts)と 概 算 」 に は、39冊 の 自 筆 日記 の 頁 数 、 お よ び私 の 解 読 活 字 ・一 行40文 字 ・半 角 英 字 入 力 ・一 頁30行)の 枚 数 を リス ト して あ る。 上 記 表 の 頁 数 や 枚 数 は 、 あ くま で も概 算 で あ る。 と い うの も、 サ トウ の 自筆 日記 帳 は 、 糊 付 け した 新 聞 記 事 の 切 り抜 き等 を 多 く含 ん で お り、 そ れ ら も 自筆 原 稿 の 頁 数 に 入 って い こ巨二 る。 ま た 、 ワー プ ロ に打 ち 込 ん だ 私 の転 写 原 稿 の 枚 数 に して も概 算 に な ら ざ る を え な い 。 理 由 の 一 と して 、1頁30行 の英 文 タイプ原稿 の末行 まで、 全ての行 を打 ち込 んで い るわ け で な い か らで あ る 。 頁 に よ っ て は数 行 の こ と もあ る。 それ に 日付 が 変 わ る た び に 、 一 行 の 空 白 行 を 入 れ て タ イ プ して あ る。 更 に、 前 述 した 新 聞 切 り抜 き等 の 添 付 資 料 に っ い て も、 タ イ プで き る 資 料 は、 可 能 な か ぎ り全 て 打 ち 込 む よ うに した 。 以 上 の よ うな 理 由 か ら、 転 写 原 稿 の 枚 数 は 多 少 と も膨 れ 上 が って し ま っ た。 い ず れ に せ よ そ れ ほ ど多 数 の 枚 数 に は な らな い。 全 体 で200枚 前 後 の 膨 張 と推 定 して い る。 39冊 分 の ア ー ネ ス ト ・サ トウ 自筆 日記 帳 は、 表1計 算 に よ れ ば 、 総 頁 数 で9,373頁 とい う計 算 に な った 。 ま た 、 私 の 転 写 テ キ ス トの 枚 数 は、6457枚 に な っ た 。 本 研 究 の報 告 と い う こ とで 、 実 際 に タ イ プ作 業 を 終 え た 自筆 資 料 の総 量 は 、 上 記 した よ う に 「旅 日記 」2冊 分 を 加 え た ら、9765頁 と な り、 ほ ぼ1万 頁 を タ イプ に打 ち込 んだ と 言 って よ い の で あ ろ う。 転 写 テ キ ス トの 方 は 、6645枚 の 概 算 とな る。 ほ ぼ6500枚 の コ ピ ー 用 紙 分 の 文 字 を打 ち込 ん だ と言 って よ い で あ ろ う か。A4版 の コ ピー用 紙6500枚 を積 み重 ね て み た ら、 腰 の 高 さ に 達 した 、 と言 え ば数 量 的 に 分 か りや す い か も知 れ ず 、 記 念 に撮 影 した 写 真 の コ ピー を 本 報 告 書 に 添 付 して み た くな る ほ ど の分 量 な の で あ る。 解 読 活 字 化 の作 業 を 終 え た39冊 の 日記 帳 に つ い て 、 概 要 だ けで も纏 め 報 告 して お き た い と考 え た 。 後 述 す る よ う に 、 約1万 頁 近 い サ トウ 日記 分 の 転 写 テ キ ス ト約6500枚 を 本 報 告 書 に発 表 で きな い事 情 が あ る。 単 純 計 算 した だ け で6500頁 の 報 告 書 に な って しま うか らで あ る 。 ま た 、 サ トウ 日記 の 全 体 像 を 把 握 す る手 だ て と して は、 各 日記 帳 につ い て の 概 要 説 明 は 、 有 効 な 一 っ の 手 掛 か り資 料 に な る と も思 わ れ た。 そ こで 、 第1報 巻 末 に は、 サ トウ 日記 帳 全39冊 を 対 象 と して 、 項 目 に そ った 各 日記 帳 の 解 説 を 行 い 、 表 の よ うな か た ち で 掲 載 す る こ と に した。 概 要 の 項 目 は 以 下 の 通 りで あ る。 各 日記 帳 の 資 料 登 録 番 号 ・頁 数 PAGENATION(日 PERIOD(執 記 帳 で の 頁 の 付 け 方) 筆 期 間) PENMANSHIP(判 読 の 難 易 度 ま た は筆 跡) EDエTエNG(紙 面 の 使 い 方) FEATURES(主 ENCLOSURES(糊 に内 容 的 な 特 色) 付 け され た 新 聞 切 り抜 き や サ トウ の 自筆 イ ラ ス ト等) 一6一 上 記 項 目の な か で も、PAGENATエONに は特 に注 意 が 必 要 で あ る。 日 記 帳 の整 理 に あ た って は、 日付 とな らん で 、 帳 面 上 で の 記 入 頁 つ いて は 、 先 ず 確 認 して お きた い枠 組 の 事 項 で あ る。 い つ 、 どの 頁 に、 書 い て い る か と い う こ と な の だ 。 頁 の 打 ち方 に は二 通 り見 られ る 。 一 般 的 に は書 籍 の 場 合 と 同 じに 、 紙 面 の 各 頁 に 頁 番 号 を記 入 す れ ば よ い 。 第1報 巻 末 に 掲 載 す る 「サ トウ 自 筆 日記 の 各 冊 概 要 」 で は、 英 国 公 文 書 館 の 資 料 登 録 番 号 に っ つ く、pp・ の 表 記 の 場 合 が そ れ に あ た る。 この 一 般 的 な 方 法 に よ って 原 資 料 に 頁 番 号 が入 って い る こ とを 示 す 。 ま た 、ff.と か ユeavesと い う表 示 に な る もの が 多 出 す る。 こ の種 の 頁 番 号 付 け の 方 法 は 、 手 書 き の 書 簡 や 自筆 原 稿 の 場 合 に 採 用 され て い る。 紙 面 の 表 紙 に番 号 を 入 れ 、 紙 面 裏 面 に は 番 号 を入 れ な い 。 そ れ で 、 枚 数 計 算 に よ る番 号 付 け とな る。 サ トウ 日記 第2冊 1枚 目の 紙 で は 裏 表 に、189枚 従 って 、 第2冊 を 例 に と っ て み る と、ff・1-189aと い う表 示 は、 目 の 紙 も裏 表 に、 日記 が 書 か れ て い る こ と を意 味 して い る。 目 は通 常 の頁 数 に換 算 す る と な れ ば 、189枚 の2倍378頁 が総 頁数 とい う 計 算 を 示 して い る。f・189は 紙 面 の 表 頁 に あ た り、f:189aは 同 じ紙 の 裏 頁 に あ た る か らで あ る。 3)第2報 に つ い て 一 一書 誌 的 整 理 と の 関 連 を 中 心 に 本 研 究 の 目的 の 一 っ は、 サ トウ 日記 の 自筆 原 稿 を 解 読 して 活 字 化 す る こ との ほ か に 、 そ の 作 業 に基 づ い て 、 当 該 自筆 原 稿 の 書 誌 的 な 整 理 を す る こ と に あ っ た 。 書 誌 リス トに 記 載 した い 事 項 に は 、記 入 の あ る 日毎 に そ って 、 日記 の 年 月 日、 資 料 登 録 番 号 、 記 入 頁 、 執 筆 場 所 、 キ ー ワ ー ド等 が あ が られ よ う。 本 報 告 書 で は 、 この 詳 しい 書 誌 リス トの発 表 を 断 念 せ ざ る を え ず 、 後 日の 機 会 に譲 る こ とに した。39冊66年 度 分 の 全 サ トウ 日記 を対 象 に扱 う に は 、 書 誌 リス トだ け で200頁 が 必 要 に な る た め で あ る。 そ こで 、 印 刷 頁 数 の 節 約 を も っ ぱ ら念 頭 に入 れ た概 略 リス トを作 成 した 。 表2「1867年 度 日記 執筆 の 日付 ・場 所 ・言 及 内 容 」 はそ の 一 例 で あ る。1867年 度 分 だ け を こ こで 例 に選 ん だ 理 由 は 後 述 す るが 、 幕 末 最 後 の 多 忙 な 活 動 の 時 期 に あ た り、 サ トウ の 日記 記 入 も比 較 的 多 い方 の 年 に あ た っ て い る。 簡 略 化 した この 種 の リス トだ け で も、 全 サ トウ 日記 分 を 網 羅 した ら、 本 報 告 書 の100頁 が 必 要 に な る こ とが 判 明 した。 そ こで 今 回 の 報 告 書 に お い て は 、 最 終 的 に 書 誌 的 整 理 を 更 に 簡 略 した 第2報 一7一 の形 式 を採 用す るこ とに な った 。 第2報 「サ トウ 日記 の 記 入 日 リス ト(1861/11/4-1926/12/31)」 で は、 ア ー ネ ス ト ・サ トウ の 自筆 日記 帳 全39冊 を 対 象 に 扱 い 、 日記 を 書 い て い る年 月 日 の リス トと した 。 年 度 と と もに 更 に 月 別 に 分 け て い る の で 、 い つ 日記 執 筆 が盛 ん と な り集 中 して い る か 、 全 体 像 を 一 目 で 概 観 で き る。 ま た 、 ど の 時 期 、 どの 特 定 日に 、 日記 の 記 入 が あ るか ど うか 、 に っ い て も分 か りや す い。 今 後 、 新 た に若 手 研 究 者 が 原 資 料 に あ た る さ い に 、 一 種 の チ ェ ッ ク リ ス トと して 現 場 で 使 って い た だ け た らよ い 。 ま た 、 右 端 の 備 考 欄 に は 、 年 度 毎 に 資 料 番 号 を 細 か く示 して あ る の で 、 必 要 な 年 月 日の 原 資 料 を 英 国 公 文 書 館 で 請 求 す る際 に 、 活 用 し や す い便 宜 さ も考 慮 に入 れ て 作 成 した 。 「 旅 日記 」 と の 関 連 性 も この リス トを 使 っ て 検 討 可 能 に な るで あ ろ う。 「サ トウ 日記 の 記 入 日 リス ト」 に 空 白 とな っ て い る 日に 、 「 旅 日記 」 を 執 筆 して い る こ とが 、::1年 年代 を 中 心 に して 発 生 す るか らで あ る。 日記 を 書 き つ づ け る こ と に つ い て 、 ア ー ネ ス ト ・サ トウ本 人 は ど う意 識 し、 ま た 、 ど ん な 考 え方 を 持 って い た の か 。 サ トウ 日記 の 中 に は 、 こ の点 に関 連 す る言 及 が 数 回 あ る 。 そ の ほ か 、 サ トウの 自叙 伝 に も興 味 深 い発 言 が 見 られ る。1921年 に ロ ン ドンで 出 版 され た サ トウ の 自叙 伝 「 一 外 交 官 が 見 た幕 末 維 新 」(ADIPLOMATエNJAPAN)の 初版序 文 にお いて、 次 の よ うに 述 べ て い る 。 A diary kept almost 1861 constituted enabled relate the foundation me to supply my diplomatic came finally uninterrupted additional confined details. It had never been my purpose in different over a period parts of the world, of altogether This comprised culminated of the direct in the restoration of Japan which remained the series rule years, episodes of events of the ancient to which forty-five myself to one of the most interesting which I have been concerned. sovereigns home in November [of A DIPLOMATIN JAPAN], while my memory experiences to be spread and I therefore from the day I quitted line in that of in abeyance for over six hundred years. (1).7) 一8一 i 上 掲 引 用 文 の な か で 、 「1861年11月 に 英 国 を 離 れ た 日か ら、 ほ とん ど途 切 れ る こ と な く、 書 きっ づ けて きた 日記 」 と い うサ トウの 発 言 は 、 こ の 自叙 伝 を 書 き始 め た 頃 の1880年 代 後 半 や 、 執 筆 中 断 の 後 に再 開 した1919年 前 後 の 感 想 を語 って い る に過 ぎな い 。 事 実 は そ うで な い こ とが 、 第2報 の 日記 執 筆 リス トに よ って 確 認 で き る。1860年 代 の 執 筆 は 実 に散 発 的 に 終 始 して い る。1$70年 は わ つ か1日 分 しか 日記 を 書 い て い な い 。 とて もrほ とん ど途 切 れ る こ とな く」 と形 容 で き る状 態 で な い の で あ る 。 こ れ も1880年 代 か ら は次 第 に こ ま め に な って い き、1910年 代 か ら1920年 代 にか け て は 、 ほぼ 連 日 の執 筆 に発 展 した 。 前 述 した 「シ ャイ ア ム旅 日記 」 翻 刻 版 を 纏 め たGeorgeAユexanderLensenは 、 サ トウ 日 記 の 自 筆 原 稿 と転 写 テ キ ス.トの膨 大 さに つ い て 、 次 の よ うな 感 想 を 述 べ た こ とが あ る 。 後 述 す る 第3報 と の 関 連 もあ る の で 、 す こ し長 くな るが こ こ で 引 用 して お きた い。 Satow kept a series throughout most of his became more detailed with time, as Satow's responsibilities as his conversations gained of his stay account of diaries in importance. two decades consists of over 3,000 entries, particularly that manuscript during so that about the same number of printed diaries, their even those entirety dealing would worthwhile. only havbeen reminders routines. Instead, significant disconnected of passing it they pages. Japan It handwritten, the would total, if published any diaries, interests and with trivial Even then the material are it in the Satow from 1895 to Nor would to delet appreviated To have published the period record earlier. are greatly like seemed best entries. with in in Japan, personal and twice as long as his Although prohibitive. Satow diaries, personal less pages. the stay by a form of "speedwriting," full, he had spent They increased Thus Satow's in Japan and China in 1895-1906 is about of the long life. 1906, in have been clutteredwith the hundrum of office and to_paraphrase remained too bulky, the and for publication. (KOREAANDMANCHURIA, pp.16-7) 上 掲 引用 分 で は 、1895-1905年 分 の サ トウ 日記 自筆 原 稿 が 、3000頁 以 上 で あ る と 述 べ て 一9一 い る け れ ど正 確 さ に欠 けて い る。 実 際 に は2700頁 前 後 の 概 算 計 算 と な る。 サ トウ 日記 帳 の 一 冊 分 、 日本 語 の 新 書 版 一 冊 分 に ほ ぼ 相 当 す る 自筆 原 稿300頁 の差 は大 きい。 以 前 、 幕 末 の 日本 沿 岸 や 中 国 海 域 に配 置 され た 英 国 軍 艦 、 例 え ば第3報 トラ ー 号(Rattler)等 で 取 り上 げ る ラ の 、 推 進 か ら沈 没 か 廃 船 す る ま で の 動 き にっ い て 、 英 国 公 文 書 館 所 蔵 の 航 海 日誌 を 数 冊 調 べ た こ とが あ る 。 そ の と き に 軍 艦 に も 人 の 生 涯 に似 た 「生 きて い く」 こ と の 浮 き沈 み や運 命 が あ り そ うに 想 像 で き た 。 今 回 の サ トウ 日記 の 研 究 過 程 に お い て も、 同様 の イ メ ー ジを 味 わ った 瞬 間 が あ る 。 こ れ だ け膨 大 な サ トウ 日記 に は 、 人 生 と 似 た 日記 自体 の 「 生 きて い く」物 語 が あ り そ うに 感 じ られ た 。 日記 の 文 面 の 内 部 だ け に 閉 じ こ も り、 日記 執 筆 の 過 程 を 物 語 の 形 に纏 め 、 「ア ー ネ ス ト ・サ トウの 日記 物 語 」 と題 した 新 書 版 を 早 め に 出 版 で き る よ う に、 目下 準 備 を 進 め て い る 。 本 研 究 の 成 果 の 一 部 で あ る と 明 記 して 出 版 で き る 日 まで 、 転 写 テ キ ス トを 繰 り返 し読 み 直 す こ とが 、 今 後 の 課 題 の 一 っ と思 う。 4)第3報 に つ い て 一 一解 読 活 字 化 の 作 業 と伝 記 研 究 に 関 連 して 上 掲 引 用 文 に お い て サ トウが 述 べ て い る よ うに 、 自叙 伝 の 執 筆 に は第 一 次 資 料 の 利 用 が 欠 か せ な い 。 未 刊 の ま ま の 自 筆 日記 や 書 簡 等 を 含 め て 、 そ れ らを 私 的 文 書(autograph persOnalpapers)と 英 国伝 記 作 家 達 は呼 ん で い るが 、 自叙 伝 に 限 らず 、 後 年 の 伝 記 研 究 や 伝 記 執 筆 に お い て も不 可 欠 の 資 料 で あ る こ と に相 違 な い 。 サ トウ略 伝 を 書 き上 げ て み た い た め に 、 第 一 次 資 料 の 一 っ と して サ トウ 日記 の 一 角 、 日本 滞 在 期 間 に 限 定 した 解 読 活 字 化 の 作 業 に取 り組 ん だ はず で あ る の が 、 す で に述 べ た よ う に全 生 涯 を対 象 とす る伝 記 研 究 に まで 作 業 の 幅 が 広 が っ て しま った 。 サ トウ 自身 が 上 掲 引 用 文 の 一 っ で 述 べ て い る よ うに 、 長 い外 交 官 生 活 の な か で も、 若 い 日 々 を 送 った 幕 末 日本 の エ ピ ソ ー ドは、 確 か に サ トウ 日 記 の な か で 光 彩 を 放 っ て い る。 表2に 掲 載 した1867年 度 日記 執 筆 の リス トか ら明 らか な よ う に 、 幕 末 維 新 の な か で 特 に活 躍 の 際 立 って い るの は1867年 に あ た る。 本 報 告 書 で は 、 こ の 年 度 を 中 心 に して 数 本 の 転 写 テ キ ス トを 選 び 、 掲 載 す る こ と と した 所 以 で あ る 。 掲 載 した 転 写 テ キ ス トに地 名 を 日本 語 で 入 れ て 区別 して あ るの で 、 以 下 の 解 説 で は 地 名 に よ って 資 料 の 区 別 を す る。 最初 の 「 鹿 児 島 」 で は、1867年1月12日 兵 庫 ・神 戸 で 実 現 した 西 郷 隆 盛 との 会 見 模 様 が 一10二 白眉 と言 え る。 本 研 究 目 的 の 一 つ にあ げ て い た 故萩 原 延 壽 著 「遠 い崖 」 に お け るサ トウ 自 筆 日記 の 読 み 方 や 使 い方 に つ い て 、 こ こで 簡 単 に 言 及 す る た あ に、 西 郷 ・サ トウ会 談 の 箇 所 を 選 ん で み た わ けで あ る。 第5巻 「慶 喜 登 場 」(pp・123-141)で 扱 わ れ て い る。 サ トウ と西 郷 と の一 問 一 答 を 日本 語 に翻 訳 して は 、 そ の 合 間 に 適 切 な 解 説 を加 え る か た ちで 、 「遠 い崖 」 の 叙 述 ス タ イ ル は 進 行 す る。 「 西 郷 と サ トウの 会 話 に もど ろ う 」 と い う 言 葉 が 差 し込 ま れ て い る例 の よ うに 、 一 頁 の 三 分 の 一 程 度 か 、 半 頁 ほ ど に わ た る長 い 解 説 も と き に 発 生 す る。 そ の た め に会 話 や 物 語 の 流 れ を 中 断 して しま う こ と も起 き え る。 また 、 「老 中 の 板 倉 周 防 守 」 とい うよ う に、 サ トウ 自 筆 日記 に な い 「老 中 の 」 とい う類 の 枕 詞 を 頻 繁 に注 入 して い るが 、 日本 の読 者 を考 え た親 切 で あ ろ う。 読 み 方 に よ って は 、 サ トウ 自 身の 口か ら 「 老 中 の 」 と断 っ て い る か の よ うに 、 読 者 に受 け 取 られ か ね な い 。 原 文 に 忠 実 に 翻 訳 を して 、 訳 者 編 者 の 注 は[括 弧]の な か に入 れ る方 が 、 明 確 に な りそ うで あ る 。 ま た 、 「水 戸 家 の 出 で あ る 自分 の 弟 の 民 部 大 輔 」 に も、 原 文 で は"hisrelati◎n"と あ って 、 「弟 」 と は 明 記 して い な い 。 こ の点 も 日本 の 読 者 の た め の 親 切 の 現 れ な の か も知 れ な い が 、 行 き過 ぎで あ る よ う に も思 わ れ る。 サ トウ ・西 郷 会 談 の くだ りで は 、 自筆 日記 の 二 箇 所 に 削 除 訂 正 が あ る。 例 え ば 、"ltis yOurlastpoint"を 削 除 して 、"ltISagreatpity.."と サ トウ は 訂 正 して 書 き直 して る もの を 、 「兵 庫 問 題 は あ な た の 最 後 の 拠 点 な ん で す ね 」 とい うよ う に 、 削 除 箇 所 を 追 加 して 訳 出 して い る の は 、 な ぜ な の か 理 解 で きな い。 「茶 碗 む し(か?)」 、 と疑 問 符 を っ けて 訳 して い る箇 所 の 原 文 に は 、"ochamushi"と あ る。 この よ うな 場 合 に 他 の 箇 所 で は 、 疑 問 符 の 形 を と らな い ケ ー ス も散 見 して 、 一 貫 性 が な い の で あ る 。 例 え ば 、 人 物 確 定 が で き な か っ た ら しい 、 と 推 測 さ れ る 西 郷 の 変 装 名 ShimadzuSachiuに 疑 問 符r島 [括 弧]書 して も、 「島 津 サ チ ュ ウ」 と力 タ カ ナ入 り の 書 き方 を採 用 して い る。 津 サ チ ュ ウ(か?)」 と して 統 一 性 を 持 た せ るの もよ し、 前 述 した 訳 者 編 者 用 の きの 方 法 を 終 始 使 い 、 一 貫 性 を持 た せ る こ と も可 能 で あ った 。 最 後 に 、 西 郷 と の 会 見 の 始 ま り に お い て 、 寡 黙 が ち な 西 郷 に 当 惑 した サ トウ は、"the manlookedsostolidandwouldnotspeak"と 現 と思 わ れ るsしOlidは す る 印 象 を 書 き残 して い る。 効 果 的 な 表 、 西 郷 ら しい風 貌 を読 者 の 眼 前 に彷 彿 と させ る。 そ れ が 訳 出 で は、 「か れ は じっ に 鈍 感 そ う に見 え た 」 と な って い る。 そ の あ と に続 く解 説 に サ トウ 自叙 伝 か ら同 じ場 面 を 引 用 して 、 「 鈍 感 そ う」 で は あ りえ な い と分 か っ て い る はず な の に で あ る。 西 郷 隆盛 は 「黒 ダ イ ヤ の よ うに 光 る大 き な 眼 を して い て 」 と解 説 して い るの で あ る か ら、 -11一 'stolidと い う サ トウ の 初 印象 に 、 「鈍 感 そ う」 とい う感 覚 は混 じり込 ん で い る わ け が な い 。 「堂 々 た る」 「不 動 の 」 「落 ちっ き は ら った 」 、 大 木 の幹 の よ うな 感 触 の 訳 語 を 見 っ け た い もの と感 じた 。 以 上 の よ うに 細 か い 点 に気 づ き は して も、 全 体 的 に み る と き、 故 萩 原 延 壽 著 「 遠 い崖 」 は 分 か りや す く流 れ を っ か ん だ 優 れ た叙 述 で あ り、 大 きな 欠 陥 もな く慎 重 に 自筆 資 料 を 判 読 した 過 程 が 推 定 で き る 。 本 研 究 の 当 初 計 画 で 予 定 して い た サ トウ 日記 の 時 期 は、 「遠 い崖 」 の 扱 う時 期 を 考 慮 し て 設 定 した もの で あ っ た 。 サ トウ 日記 の 自筆 原 稿 全 体 の な か に 、 この 日本 滞 在 の 時 期 を お い て み る と き、 全 体 の27%に あ た る。 ま た 、 故 萩 原 延 壽 氏 が 、 英 国 公 文 書 館 で サ トウ 自筆 の 日記 帳 を繙 き な が ら、 ノ ー トに 鉛 筆 で 読 ん だ 結 果 を 書 き込 ん で い る こ と、 そ れ に39冊 全 て に 目 を通 して い る こ と、 そ の 二 点 は叙 述 の な か か ら判 明 す る。 問 題 は 、 全 体 の27%部 分 の 英 文 転 写 テ キ ス トを手 書 きで あ れ 、 タ イ プ され た テ キ ス トで あ れ 、 す べ て 作 成 して い るか ど うか で あ る。 この 点 に つ い て は上 に 述 べ た 鉛 筆 書 きの ノー トな り、 あ る い は他 の か た ち で あ れ 、 い ず れ にせ よ 手 書 き の 判 読 テ キ ス トを 作 成 して い る と推 定 で き る。 他 の か た ち、 と述 べ た の は 、 「遠 い 崖 」 に 頻 繁 に使 用 して い る ウ ィ リス 自 筆 書 簡 に 関 連 して 、 鹿 児 島 県 立 黎 明館 に は故 萩 原 延 壽 の もの で な い 友 人 の 手 に な る ウ ィ リ ス文 書 の 手 書 き判 読 テ キ ス トが 届 け られ て い る た め で あ る 。 あ りえ な い想 像 で あ る け れ ど、 自筆 原 稿 を 読 み な が ら、 英 文 の メモ を 作 る の に あ わ せ 、 同 時 に 直 接 自筆 原 稿 か ら 日本 語 に翻 訳 して しま う、 と い う作 業 も可 能 な の で あ る。 大 きな 仕 事 を 残 され た だ け に 、 厂遠 い崖 」 の 執 筆 に あ た って 基 礎 資 料 とな った はず の 、 転 写 テ キ ス トの 実 在 と公 表 を 期 待 して い る。 後 に述 べ る よ う に、 仮 に本 研 究 に よ る転 写 テ キ ス トが CD出 版 され る こ とに な れ ば 、 「 遠 い崖 」 と原 文 とCDテ キ ス トとの 相 互 比 較 が 容 易 に な るで あ ろ う。 この 比 較 問 題 は い つ か 論 考 して み た い と思 って い る 。 「熱 海 」 の 転 写 テ キ ス トの 方 は 、 す で に 上 記 した よ うに 、1867年3月 と..年2月 の二 度 の 熱 海 滞 在 を 記 した 内 容 で あ る。 多 忙 な 公 使 館 勤 務 の 間 に骨 休 み に訪 れ る の に 、 横 浜 ・ 東 京 か ら適 当 な 距 離 に あ った か ら、 中 禅 寺 と な らび 、 熱 海 の 湯 煙 や 風 物 を サ トウ は愛 した 。 活 気 に み ち た1867年 の 日記 に も、 この よ う に長 閑 な 生 活 の 一 面 が あ った こ とや 、 そ れ に 旅 仲 間 の 顔 ぶ れ を 明 らか に した い 、 と い う主 に伝 記 的 な 関心 が あ って 、 こ こ に 掲 載 す るよ う に選 ん で み た 。 しか し、 そ れ だ け で は な い。 1867年3月 の 熱 海 滞 在 につ い て は、 自叙 伝 に お いて(ADIPLOMAT,p・194)、 一12一 「特 記 す る ほ ど の こ とは な い 」 と述 べ て い る。 旅 仲 間 の こ と も単 に、"sOmefriendsfrOmY。kohama" と説 明 した あ と に 、 仲 間 の一 人 が 女 性(aladyofourparty)で あ る と述 べ て い るだ け で あ る。 転 写 テ キ ス トか ら明 らか に な る よ う に 、 横 浜 の 友 人 とい うの が 、 実 は マ ー シ ャ ル 夫 人 と英 国 商人 ア ス ピナ ル を 含 ん で い る こ とを 知 って 驚 い た 。 いず れ も1862年 の 生 麦 事 件 に 間 接 的 に 巻 き込 ま れ た英 国 人 関 係 者 な の で あ る。 拙 著 「幕 末 に 殺 さ れ た 男 」 で は 、 マ ー シ ャ ル 夫 人 と ア ス ピナ ル に っ いて 詳 し く描 い て み た こ とが 思 い 出 され た。 幕 末 の 英 国 人 の生 活 や伝 記 に 関心 を抱 く研 究 者 に と って は、 見 逃 す こ との で きな い 「 横 浜 一 行 」 の面 々 と考 え られ る。 上 掲 引 用 文 の 一 つ に お いて 、 膨 大 な 資 料 を 前 に した レ ンセ ン は ・ °ltseelnedbesしtodeletetrivialandしoparaphrasethelesssignificant entries"と い う判 断 を 示 して い る。 ど う な ので あ ろ うか 。 様 々 な 関 心 を 持 っ 読 者 や 、 研 究 者 の 複 数 の 眼 を 転 写 テ キ ス ト作 成 者 が 意 識 して お くべ きで は な い の だ ろ うか 。 ト リ ビ ァ ル で 重 要 性 に欠 け る と思 い削 除 した い 箇 所 が 、 実 は 、 読 む 人 に よ っ て は興 味 深 い一 節 で あ りえ る。 そ の 意 味 で 、 翻 訳 に あ た っ て も、 ま た 翻 刻 版 を発 表 す る に際 して も、 可 能 な か ぎ り サ ト ウ の 意 向 を 組 み 、 原 文 を 丹 念 に 読 ん で 忠 実 に 再 現 す る の が 、 最 善 の 策 な の で あ る。 そ う し た 考 え 方 の 根 拠 とな る一 例 と い う観 点 か ら も 「熱 海 」1867年 テ キ ス トを 選 ん で み た。 「熱 海 」1882年 テ キ ス トは 、 ハ ング ル を2月23日 「 二 人 の 子 供(NIAHI)」 と二 人 の 男 の 子(栄 と 「オ カ ネ(OKANU)」 太 郎 と久 吉)、 と2月25日 の 二 箇 所 に入 れ て い る 。 の よ うに 読 め る け れ ど、 恐 ら く、 武 田 兼 そ れ に女 中 を伴 な った 親 子 水 入 らず の 湯 治 の つ も りで 、 熱 海 行 き を 選 ん だ の か も知 れ な い 。 そ う推 測 す る段 階 に あ り、 ま だ 確 証 はで き な い。 こ の 頃 、 ハ ン グル を 学 ん で い た にせ よ 、 こ こ に来 て 急 に英 文 の 合 間 に 登 場 す る に は 、 それ な り に 隠 して お た い心 理 が 働 い て い る 内 容 と思 わ れ る。 サ トウ 日記 に は こ う した 側 面 が あ る。 そ れ で も、後 年 に な って 読 み 返 して い るに 、 訂 正 した り削 除 を せ ず に、 後 世 の 私 ど もに 手 渡 して い るわ け で あ る。 そ れ に もそ れ な りの 理 由 が あ るの だ ろ う。 ハ ング ル 語 の 出 現 は 、 サ トウ の 隠 され た 日本 で の 私 生 活 に っ いて 、 全 体 的 に論 考 す る際 に 、 見 落 と して は な らな い 箇 所 と考 え られ た の で 、1867年 厂長 崎 」(/867年9月)と 「熱 海 」 テ キ ス トに追 加 した 。 厂大 阪 」(1867年12月) 、 これ ら二 つ の 転 写 テ キ ス トは、 上 記 「鹿 児 島 」 で 述 べ た こ と と関 連 す るが 、 サ トウの 情 報 源 と懇 親 の 場 面 を彷 彿 さ せ る好 資 料 で あ り 、幕 末 維 新 に 関 す る サ トウ 日記 の 史 料 性 の 面 白 さ を 明 らか に した い 目的 か ら、 特 に 選 ん で 掲 載 した。 一13一 「北 海 道 」(..年9月)に っ つ く数 点 は、 これ ま で の テ キ ス トを1867年 か ら選 ん で い た が 、 そ れ 以 降 の もの か ら選 ん で み た 。 英 国 軍 艦 ラ トラ ー号 に 乗 船 した サ トウ は 、 同 艦 の 宗 谷 沖 座 礁 事 故 に巻 き込 ま れ て い る。 珍 しい遭 難 体 験 を して い る と思 うの で 、 本 報 告 書 に 掲 載 した わ け で あ る。 そ れ と、 サ トウ の 自叙 伝 で は(ADIPLOMAT,p.385)、 巻 末 近 くで 短 い 言 及 を して い るだ け で あ り、 サ トウ 日記 と 自叙 伝 の 関 連 性 を 考 え る上 で も、 一 っ の 材 料 を 提 供 して い る と考 え た 。 自筆 日記 を 資 料 に 使 い 、 自叙 伝 を 書 く にせ よ 、 或 い は伝 記 を 書 くに して も、 この よ うな 取 捨 選 択 が 行 わ れ る もの な の だ 。 事 実 の 連 鎖 と、 物 語 や 歴 史 は 、 べ っ もの な の で あ る。 以 下 に 転 写 テ キ ス トと比 較 す る た め に 自叙 伝 の 素 っ気 な い 当該 箇 所 を 引用 して お く。 ラ トラ ー号 座 礁 時 の 体 験 が 、 サ トウ の生 涯 に お いて 伝 記 的 に意 味 あ る もの で あ る こ と は 、 こ の と き苦 労 を と もに した 船 長 ス テ フ ァ ン ソ ンの 死 亡 記 事 切 り抜 きを 後 年 の 日記 帳 に糊 付 け して い る一 事 を 見 た だ け で も分 か る。 From September chase after coast of 8 to the Russians Yezo, in embarked, was wrecked progress of space corvette in October the who course in political narrating "Dupleix," 「東 京 」(1900年4-5月)の 17 events Captain are of Soya our Adams I were reported which Bay. But in Japan, experiences. du and Petit to H.M.S. as be was seems We were on a wild-goose occupying "Rattler," this it absent not the in which concerned unnecessary rescued northern with to by we had the the occupy French Thours. 転 写 テ キ ス トを 掲 載 す る 理 由 は 、 エanRuxtonに よ る転 写 テ キ ス トとの 比 較 が 可 能 に な っ た た あ で あ る。 解 読 活 字 化 の 研 究 者 が 共 有 す る問 題 点 を項 目 別 に指 摘 して 、 本 研 究 計 画 の 総 括 に した い た め で もあ る 。 ラ ッ ク ス トンに 固 有 して 発 生 し た 問 題 と い う よ り も、 私 自身 も侵 しや す い 誤 読 な ど の 問 題 点 で あ る こ と は 、 予 め お断 り し な け れ ば な らな い 。 他 人 の ア ラ や ミス は 見 つ け や す く、 自分 の 侵 す 間 違 い に気 づ か な い の が 、 この 種 の 作 業 の 特 徴 で あ る。 よ ほ ど慎 重 を 期 さ な い か ぎ り、 ミス の 回 避 は 神 業 と言 え る 、 と私 も 日 頃 か ら実 感 して い る。 ○ 省 略 記 号 の 扱 い 方 。 上 掲 引 用 文 の 一 つ で レ ンセ ンは 、 サ トウの 得 意 と す る省 略 法 に 言 及 し、"speedwriting"の 方 法 を話 題 に した 。 な に も これ は サ トウ に 限 られ た技 術 で な 一14一 く、 タ イ プ の な い 時 代 に ペ ンで 多 くの 文 書 を 作 成 す る 立 場 の 人 、 と りわ け外 交 官 に は よ く 見 られ る現 象 な の で あ る 。 ラ ッ ク ス ト ンは 巻 末 付 録 に お い て 、rabOuし rwhich」 をrwch.」 」 をrab.」 、 な ど とす るサ トウ 日記 に 頻 繁 に 見 られ る 省 略 記 号 を リス トした 。 そ の うえ で ラ ック ス トンは 、 省 略 した もの の 多 くを 正 し い元 の 単 語 に戻 して い る。 上 掲 引 用 文 で レ ンセ ンが 言 及 して い る よ う に、 印 刷 さ れ た 文 字 数 は 、 当 然 、 膨 張 す る 。 省 略 を 正 す こ とで の メ リ ッ トと デ メ リ ッ トが 生 じ る か ら、 ど ち らの 芳 法 を 採 用 し た らよ い か 、 簡 単 に決 め られ な いで あ ろ う。 私 は原 文 に忠 実 な再 現 を 原 則 に して 、 活 字 化 の 作 業 に あ た って き た の で 、 本 報 告 書 で は省 略 を原 文 の ま ま 保 存 した 。 ラ ッ ク ス ト ンの テ キ ス ト と の 比 較 で 誰 もが 最 初 に気 づ く相 違 点 は、rand/&」 ス トに ラ ッ クス トンは 、 これ(&)を rlwy.」rComr.」rcOrrespce.」 の 扱 い 方 で あ ろ う。 巻 末 の 略 語 リ 加 え て い な い。 他 に も頻 出 す る 略 語 厂thro'」 や 「 な ど、 多 くの もの を リス トに 加 え て い な い。 サ トウ 流 の 省 略 は、 そ れ な りに 一 貫 性 を も って い るの で 、 読 み 慣 れ て くれ ば 、 研 究 者 は 即 断 で き る もの が 多 い。 そ れ に 、 省 略 した場 合 に、 ピ リオ ッ ドf・ 」 を い っ も入 れ て い る。 そ う い う意 味 で もサ トウ は 、 几 帳 面 な 性 格 な の で あ る。 そ れ にraOrrespondence」 を 「 correspce・ 」 と 省 略 す る 場 合 の よ うに 、 語 頭 と語 尾 の 文 字 を 組 み 合 わ せ て い るか ら、 英 語 力 の あ る人 に と って 、 容 易 に判 読 で き る もの ば か り と も言 え よ う。 ま た 、 ラ ック ス トンは 略 号 を 正 して み た り、 略 号 の ま ま 残 して み た り、 作 成 した テ キ ス トに 一 貫 性 が な い こ と残 念 に思 う。 一 例 は、 同 一 頁(p・439)で い る♂!Teac.Mrs.KirkwOod"と い う よ うに 、 略 語rc.」 「c.」とrwitn」 に起 き て を 原 文 の ま ま に保 存 した 。 そ れ が 数 行 下 に移 る と、"contentthemselvesWlthapieceofground"と な り、rc.」 を rwith」 に 直 して い る。 結 論 的 に言 え ば 、 原 文 の 略 語 は、 保 存 す る か た ち が 適 切 で あ る と考 え る。 ○ 日付 の 記 入 法 。 この 点 に つ いて は第1報 巻 末 に 掲 載 す る 各 日記 帳 の 解 説 に詳 細 を 述 べ て あ る の で 、 こ こで は 問 題 点 だ け を 簡 単 に ふ れ て お き た い 。 日本 語 文 書 で も 「以 下 同 じ」 と い う意 味 を 表 す の に 、 略 号 「"」 を 用 い る こ と が あ る。 サ トウ 日記 の 場 合 、 同 月 の 記 載 が 同 じ頁 の 紙 面 上 で 続 くと きな ど に 、 「21April」 「22"」 の よ うに 月 名 を 省 略 す る 傾 向 に あ る。 ラ ッ ク ス トンの 転 写 テ キ ス トで は 、 変 更 を 断 らず に 、 略 した 月 名 を フ ル 名 に 直 して い るが 、 これ もサ トウ ら し い筆 致 の 感 触 や 、 ま さ に ス ピー ド ・ラ イ テ ィ ン グ の 日記 ら し さを 多 少 と も削 ぐ原 因 に な りか ね な い。 編 集 者 用 の 追 加 記 号 を 使 え ば 、22[April.]と 表 記 で き た はず で あ り、 この 点 も残 念 な 編 集 方 法 の 採 用 と 思 わ れ た 。 -15一 ○ 誤 読 。 解 読 活 字 化 の 作 業 に あ た る 研 究 者 に と っ て 、 誤 読 は も っ と も恐 る べ き 事 態 で あ る 。 多 出 す る よ う で あ れ ば 、 致 命 傷 に な り か ね な い 。 転 写 テ キ ス ト作 成 の 研 究 者 と して は 失 格 、 と い う評 価 に 発 展 す る た め で あ る。 こ れ が 怖 くて 、 丹 念 に 何 度 も 、 自筆 原 稿 (manuscripts)と 自 分 の 転 写 原 稿(transcriptiOns)を 読 み 比 べ 、 読 み 直 す わ け で あ る。 と り わ け 、 私 の よ う に英 語 を 母 国語 と しな い 日本 人 研 究 者 に は 、 こ の 点 、 ど こ ま で も慎 重 で あ りた い もの で あ る。 1900年4月11日 分(p・440)で 注[T。y。tOmエ]ま は、 「Hideしada」 を 「Hideyoshi」 と誤 読 し、 編 集 者 の で 追 加 して し ま っ た 。 1900年4月17日 分(p.441)で は、 「 しobemadeif」 を 「t。bemadeupif」 して い る。 これ は 英 文 の 読 み に 日頃 か ら慣 れ て い る英 米 人 研 究 者 が 、 て 見 え る の で 誤 読 した上 に、 自分 の 意 識 の 上 で 「madeup」 「if」 はrup」 と誤 読 と似 と い う作 文 を した 二 重 の 誤 り の 結 果 で あ ろ うか 。 日本 人 研 究 者 に は この 種 の 誤 読 は 、 あ ま り起 こ りえ な い。 1900年4月18日 あ る。 複 数 形 の 分(p・441)で は、 「missions」 を 「missi。n」 と誤 読 して い る よ うで 「s」 の 読 み は 、 サ トウ 日記 の 場 合 、 筆 跡 が 明 確 で な く 判 断 し か ね る こ と が 多 々起 き る 。 1900年5月 旧 分(p.444)で は 、rC.H.Hay」 rC.H.Hay,asonofoneoftheHayes」 を 「C.H.Hayes」 と 誤 読 して い る が 、 と い う文 章 の 流 れ の な か で 、 英 語 に強 い は ず の 英 米 人 研 究 者 で も この よ うな 単 純 な ミス を 起 こす の で あ るか ら、 日本 人 研 究 者 は よ ほ ど謙 虚 に な っ て 日 頃 か ら英 書 を 読 み 漁 り、 英 語 力 を 高 め て お き た い も の と 思 っ た 。 1900年5月2日 は 判 読 して い る が 、 分(p・445)で は、 「attacks。nprivatevillages」 「attacksonpiratevillages」 と ラ ッ クス トン と読 み た い、 と私 は 考 え て い る。 ま だ 決 め か ね て お り 、 な お 慎 重 に 文 脈 の 中 で 検 討 して み た い 箇 所 で あ る 。 ○ 欠 落 。 最 後 に も っ と も避 げ た い 見 落 と しを 扱 わ な け れ ば な ら な い 。 こ の 失 敗 の 繰 り 返 し も 、 転 写 テ ス トを 作 成 す る 研 究 者 に は 、 こ れ ま た 致 命 傷 に な り か ね な い 。 時 間 を 惜 し む こ と な く、 丹 念 に 自筆 原 稿 と 、 自 分 の 作 成 した 転 写 原 稿 と 、 読 み 合 わ せ さ え す れ ば 避 け ら れ る も の で あ る 。 こ こ で 比 較 対 象 に し た ラ ッ ク ス トン の 翻 刻 テ キ ス トの 、 わ ず か10頁 余 り の な か に も 、 誤 読 と と も に 欠 落 が 発 生 し て し ま い 、 そ れ も 数 カ 所 で 起 き て い る 点 か ら判 断 す れ ば 、 印 刷 す る ま え に 十 分 な 時 間 を 注 入 した 「見 直 し作 業 」 を 怠 っ た 結 果 と 評 価 せ ざ る を 得 な くな る。 そ れ だ け解 読 活 字 化 の 作 業 は、 慣 れ と と も に、 た え ず 謙 虚 な 姿 勢 で 原 文 を 読 み 取 る気 持 一16二 ちが 大 切 だ と思 っ た 。・ 1900年 明4日 分(p・ 嶋8)で は 、rheoughtnott。 」 と あ る が 、rought」 ラ ッ ク ス ト ン に よ る 勝 手 な 読 み 方 で あ り、 原 文 で はrheshouldtellKurodanotし あ る か ら 、 な ぜ かfKurOda」 1900年 明12日 は、 。」 と 云 々 を 読 み 落 と して い る 。 分(p・440)で は丶 「subterfuges(he…Redensarten)」 と い うよ うに 、 丸 括 弧 が 欠 け て い る。 1900年4月19日(p.X41)で 1900年 Lay&」 明20日 はrShaws」 分(p.442)で は 、rCheeしham」 とな って い る の に 、 人 名 の 1900年5月2日 分(p.4眞5)で の 前 に あ るrthe」 「Lay」 の 後 に 続 け て 、 原 文 で はfCheetham, を 見 落 と して しま って い る。 は 、 起 き て は な ら な い 飛 ば し読 み の 大 き な ミ ズ が 発 生 し て い る 。 一 行 分 の 欠 落 で あ る。 ラ ッ ク ス トンの テ キ ス トに 、 ChangChi-Tung」 を 読 み 落 と して い る 。 「gOupYangtze,andsee と あ る箇 所 が 、 原 文 で はrgOupYangtzeasfaras工Chang,giving af。rtnighttoYangtze,&seeChangChi-tung」 と記 さ れ て い る。 発 生 原 因 は二 つ 考 え られ る。 一 つ に は 、 原 文 に 同 じ文 字 く る と こ ろか ら、 下 の 行 の 「Yangtze」 「Yangtze」 が 近 くで 二 度 出て の 方 に 目 移 り して 、 中 間 の 一 行 を 飛 ば して 読 ん だ た あ で あ る 。 こ れ は 流 れ 作 業 の よ う に 転 写 し て い れ ば 、 誰 に も起 こ り得 る ミ ス で は あ る 。 問 題 は 、 印刷 の 前 に原 文 と の 読 み 比 べ を 慎 重 に しな か った 点 に あ る。 「 英 国 」(1926年12月)の 転 写 テ キ ス トは 、 サ ト ウ 日記 の 最 後 の 一 ヵ 月 分 を 判 読 し た も の で あ る。 書 体 は乱 れ て き て 、 読 ん で いて も痛 々 し さ を 感 じ る けれ ど 、 最 後 まで 勤 勉 に 努 力 し、 端 正 に 生 き た 姿 は 、 た と え 乱 れ た 筆 跡 で あ ろ う と も、 行 間 か ら 読 み 取 れ る 。 お わ りに 学 生 時 代 に読 ん だ 書 物 の 中 で 、 量 か ら質 へ の転 換 、 と い う発 想 を 学 ん だ 。 な に か 新 しさ を 開 発 で き る とす れ ば 、 凡 人 に と って は この 方 法 で あ ろ うか 。 途 轍 もな く多 量 の 時 間 と精 力 を 注 入 した 解 読 活 字 化 の 作 業 が 終 わ っ た。 転 写 テ キ ス トは 未 だ 粗 削 りな状 態 に あ る け れ ど も、 サ トウ 自筆 日記39冊 分 を こ な し終 え た 。 本 報 告 書 の 段 階 ま で に、 サ トウ 日記 の 全 体 像 を 眺望 す る地 点 に到 達 した の で あ るか ら、 今 後 の サ トウ研 究 と執 筆 の た め に し っか り と し た基 盤 を 形 成 で き た と 自負 して い る。 -17一 表1:サ ト ウ 日 記 の 自 筆 原 稿(manuscripts)と 年号 自筆原稿 (頁 数 概 算) 転 写 原 稿(transcriptions)の 転 写 原 稿(A4版 30行 年号 自筆 原 稿 (頁 数 概 算) の 枚 数) 概 算 転 写 原 稿(A4版 30行 の 枚 数) 1861 1 1 1895 235 149 1862 158 99 S・. 192 132 1863 33 15 1897 179 99 1864 57 37 1898 180 120 1865 50 35 198 130 12 15 1900 245 148 1867 234 118 /901 145 155 .. 189 99 1902 325 165 25 15 1903 238 142 2・ ・ S.・ ;・ ・ 1870 2 5 1904 374 216 1871 82 41 1905 272 173 1872 105 59 1906 188 121 1873 63 30 1907 201 141 82 71 1874 11 5 ・1: 1875 76 42 1909 127 105 1876 93 83 1910 137 111 1877 131 91 1911 140 115 SS 105 63 1912 169 141 1879 112 83 1913 160 128 SSA 71 43 1914 163 131 :: 42 25 1915 167 137 it 23 17 1916 143 128 S: 90 69 1917 136 131 :: 142 92 1918 130 120 :: 197 117 1919 135 124 i2. 142 82 1920 166 142 Si 150 81 1921 139 13⊥ ↓ ::i 85 61 1922 148 137 SS・ 56 48 1923 171 140 1890 90 62 1924 221 114 1891 176 102 1925 208 179 1892 197 125 1926 210 132 1893 164 110 1894 285 176 合計 9373 6457 一18一 ' 表2 1867年 度 日 記 執 筆 の 日 付 ・場 所 ・言 及 内 容 Date PlaceofVisit (y/m/d) orWriting Remarks [encld:] Date PlaceofVisit (y/m/d) orWriting Remarks [encld.] 「 1867/1/1 2 3 4 5 6 atsea Kagosima Kagosima Kagosima atsea Argus 1867/5/25 Akazaka inkago 集 成館 26 Hamamatsu onfOO七 Niiro Sutcliff 27 28 29 Kakegawa Kakegawa A.Gower Shinada Sしag Fushima sake Mishi皿a eels Uwajima 7 8 Uwajima Uwajima Uwajima 9 Mitarai banquet Kura 10 Shodozima 七eahouse 11 Hiogo Glover's 2b 12 Hiogo Saigo toOsaka 27 28 29 2/7 9 Yokohama Hiogo Prince 30 6/1 2 Noguchi 3 7/23 Kerr 30 31 8/1 [ff.1-2,3photos] Yedo for}{akodat}e anchored hayaoi nosleep bySnap inNambu Hakodate Howell HakOdaしe rambled Hakodate Hakodate SirH.P. Hakodate aしsea BuしZOW theatre Matsumae 10 Hiogo Otoyosan 2 Niigata 80junks 11 Osaka Cardew Niigata Governor 12 13 Osaka KOmaしSU 3 4 Niigaしa Salamis Osaka Mitsui 14 15 Osaka Osaka ・ Pユpes Yoshii [ff.7-7a,2printerof 5 6 Nakawamine しoNoしO 7 8 Kanazawa Kanazawa 酒造 家 Kanazawa Nanao 9 10 Japaneseしe皿plesl 11 16 77 Osaka Matsuki Osaka toSakai [f.11a,photoincluding Satow,Noguchi,Mitford] r ontheroad 3girls atsea Sado Abe onthe-.road Shiwo onthe-road Tsubata 12 14 15 Kanazawa Kanadzu scissors 16 17 18 19 Fuchiu Torinoko Nakanokawachi goodinn ontheroad sekisho ontheroad 20 Kusa七SU Hkone Mitford ontheroad my策 論 Komatsu ・ 18 19 Osaka Osaka purchase Aidsu's 20 Hiogo guards 21 onahouseboat nosleep Yokohama 22 24 Osaka SirH.P. Osaka Aston 25 26 Osaka Roches Osaka Saigo 30 31 Osaka Osaka 舌官 Awaji Osaka review 21 25 3/21 23 24 aしsea Yedo Ichikawa Yokohama Fosters on.board Argus Atami Toby 25 26 27 28 Hakone しhelake Odawara honjin Oiso onfoOし 2 Fujisawa bette Susaki GOしQ 29 Yedo inkagos 3 4 Susaki seeGoto 31 4/1 Yedo Krisしan Susaki Goしo Yedo Susaki Hirayama 5/18 19 Osaka JO「oya inboaし 5 6 9/1 o honjin 20 Kusatsu Nakasendo Wirgman 7 8 9 21 Shono 22 23 24 Kuwana Shima dealer Miya namoshi? Okazaki O curious 一19一 atsea atsea , Wadasaki Nankai Kochibay Susaki Goto 11 12 Shimonoseki Nagasaki Inouye 13 14 Nagasaki Nagasaki Flowers Nankai Kaしsura Tamagawa ' PlaceofVisit Date (y/m/d) orWriting 1867/9/15 Remarks Daしe [encld.] Nagasaki Hirayama 16 Nagasaki Yokobuye 18 19 Nagasaki Nagasaki 20 21 22 23 (y/m/d) 1867/12/23 PlaceofVisit orWriting Remarks [encld.] Osaka oysしer Osaka Chief Hirayama 24 25 Osaka Nagasaki Katsura Salamis 28 29 Osaka Osaka Kasuya Hayashi Igano Nagasaki Niiro 30 Osaka Gemba Nagasaki Nagasaki Glover's 31 Osaka £700 24 25 Nagasaki Nagasaki myphoし 26 27 28 29 Nagasaki Nagasaki Nagasaki しyphoOn Nagasaki bankday 30 Nagasaki Nagasaki Saigo Nagasaki Nagasaki Hirayama Cachon Nagasaki Nagasaki Nagasaki whisし Nagasaki Nagasaki Nagasaki Hirayama Rionoske 12 Nagasaki Nagasaki 13 atsea Straits midnight Oshima 10/1 2 3 4 5 6 7 8 10 11 林 宇 一 ○ 迎陽亭 bowls 9 Hirayama mypupil Flowers Suwa ・ ・ yorial Glover璽s Macao 14 Hiogo 15 16 Yokohama midnight Yedo geisha 16 Yedo TycOOOn 18 Yedo Mikado 25 26 Yedo Kaneko Yedo 吉井幸 輔 27 28 29 Yokohama Yokohama Tetsu 11/6 30 12/1 atsea wander onboard Rattler weighed daylight atsea Osaka Oshima Osaka onshore Osaka repairs 5 6 Osaka Mitford Osaka Saigo 7 8 Osaka Sansei Osaka curios 12 13 Osaka toHiogo Osaka festival 1耳 Osaka Yoshii 15 Osaka 中江恭 平 16 17 18 Osaka Osaka Osaka Saigo Legation 19 Osaka nonews 20 Osaka Saigo 2 3 4 Tempozan ・ ■ Taikun's 一20一 サ ト ウ 自 筆 日 記 の 各 冊 概 要 ア ー ネ ス ト ・サ トウ 日 記 第1冊PRO/30/33/15/1pp.Oa-343 PAGENATION:厚 め の 紙 にleafOaと して 片 面 で 書 き は じめ た も の の 、 巻 末 に き て 裏 面 白 紙 を 逆 向 き に 使 っ て 書 き つ づ け た か ら、 総 頁 数344pagesに PERIOD:!Nov.4,1861か らJan.15,1866の PENMANSHIP:大 な る。 長 い期 間 に渡 る。 き な字 で 丁 寧 に 書 か れ て い る の で 判 読 は 容 易 で あ る 。 EDITING:小 見 出 しの た め に 開 け た 枠 が 全 体 的 に 狭 く、 日付 の 確 認 が 紛 らわ しい の に 、 巻 末 で1863年4月 の 記 述 を 再 開 した と き に は 、 対 照 的 に 三 セ ンチ ほ ど の 広 い 幅 を 作 っ て お り 、 こ の 変 化 は 通 訳 見 習 い の 傍 ら 、 外 交 文 書 の 清 書 を さ せ られ た お り の 正 式 文 書 の 様 式 に 学 ん だ も の と 思 わ れ る 。pp.149-52は 上 か ら 白紙 で 糊 付 け して 隠 し て お り 、 な ん ら か の 後 日編 集 の 意 図 を 感 じ さ せ る 。 FEATURES:異 国 で の 珍 しい 日 々 の 体 験 を 楽 しそ うに 綴 っ て い る 。 ENCLOSURES:巻 頭 に はSatOwCasしle,Middlesexと 記 した 一 枚 の 写 真 が 添 付 さ れ て お り、 そ こに は母 親 と姉 を 思 わ せ る二 人 の 女 性 が 玄 関 先 に立 って い る。 ア ー ネ ス ト ・サ ト ウ 日 記 第2冊PRO/30/33/15/2ff.1-189a PAGENATION:leaves1-189aと PERIOD:幕 枚 数 記 入 な の で 総 頁 数 は378pagesに 末 の 年1867年2月7日 PENMANSHIP:公 か らi.:年10A17日 なる。 までの動 乱期 にあた る。 使 館 で の 清 書 の 仕 事 に精 進 す る間 に 、 書 き 慣 れ た小 さ な 文 字 に 変 わ っ て き た が 、 判 読 しや す く 読 ん で 気 持 ち の 良 い 自 分 の ス タ イ ル を 形 成 し た 。 EDITING:日 付 を 入 れ る 小 見 出 し の 広 い 枠 を 取 り 、 年 月 日 の 他 、April2,Tuesday の 様 に 曜 日 も入 って い る の で 、 日付 の 確 定 が 容 易 で あ る 。 但 し、 糊 の 染 み が 多 々 あ っ た り、 この 日記 帳 は 薄 め の紙 質 で あ る の で 、 裏 面 の 文 字 が 染 み て 読 み に くい 。 FEATURES:ア ー ネ ス ・サ トウ の 名 前 を 幕 末 維 新 史 に 残 し た 記 念 す べ き 活 躍 が 日 々 に 描 か れ て い る 日 記 で あ る の で 、 本 報 告 書 に は 主 に 第1冊 の 巻 末 部 分 と こ の2冊 目 ! の1867年 度 分 の 判 読 テ キ ス トを 選 択 し て 掲 載 す る 。 ENCLOSURES:MembersOfthefirstExpeditiontoOsakaと 写 真(f.11a)に 記 入 の あ る 集 合 は 、 サ ト ウ 、MitfOrd、 野 口 富 作 な ど七 名 が 写 って い る。 -21一 ア ー ネ ス ト ・サ ト ウ 日 記 PAGENATION:枚 第3冊PRO/30/33/15/3pp .1-51 数 で な く頁 数 の 記 入 に な っ て い る の は 、 全 サ ト ウ 日 記 の 中 で も 珍 し い ・ 総 頁 数 で51pagesと PERIOD:1868年11A6日 な り、 薄 め の 日記 帳 で あ る 。 か ら"1871年8月13日 PENMANSHIP:イ ま で を 扱 って い る 。 ンク の 文 字 が 霞 ん で きて お り、 判 読 に支 障 が 出 る。 EDITING:年 に よ っ て 量 的 に バ ラ バ ラ の 記 入 で あ り 、1870年 に は ほ とん ど 日記 を 書 いて い ない。 FEATURES:西 郷 、 大 久 保 、 小 松 な ど 薩 摩 藩 の 重 臣 と 会 見 ・交 遊 し て い る 描 写 が 眼 前 に浮 か ぶ よ う な叙 述 を 含 ん で い た り、 「五 家 之 荘 」 「米 良 」 等 の 人 名 を 日 本 語 で 書 き 加 え て い る 。:・ ・年 ま で は 伸 び や か な 書 体 で 書'い て い た の が 、1870年 に はわつ か な 記 述 で も 筆 致 が 一 変 し、 生 活 の せ わ し な さ を 感 じ さ せ る 。 ENCLOSUREgS:写 真 や 新 聞 切 り抜 き な ど一 切 の 添 付 物 、 そ れ に 自筆 イ ラ ス トな ど も一 切 入 って い な い 。 ア ー ネ ス ト ・サ トウ 日 記 PAGENATION:各 PERIOD:1871年8月18日 12月30日 第4冊PRO/30/33/15/4pp .2-330 頁 に 番 号 を 打 っ て お り 、 総 頁 数 は334pagesで あ る。 か ら1875年12月30EIま と 翌 年1876年1月1日 で の 期 間 に 該 当 す る 。 但 し、1875年 の 二 日 分 に つ い て は 、 別 紙(PP .323A-323B)の 四頁 分 を 挿 入 して あ る の で 、 時 系 列 の 配 置 に な ら な か っ た 。 PENMANSHIP:濃 EDITING:日 い イ ン クで 流 れ る よ うな 書 体 で 綴 って い て 判 読 しや す い 。 付 や 小 見 出 し の た め に 設 け て い る 左 端 の ペ ー ス が2セ ンチ ほ どの 幅 で 取 って あ る 特 別 な 日記 帳 を 使 い なが ら、 な ぜ か 本 文 の 行 頭 に 合 わ せ て 日付 を 引 っ 込 め 、 確 認 を 困 難 に し て い るAug.21[1871]の FEATURES:途 様 な例 が 多 々 見 られ る。 切 れ が ち な 日記 が 或 る期 間 に 継 続 して い る の は 、 主 に小 旅 行 の 思 い 出 を 記 す 目 的 の た め で あ ろ う。 ENCLOSURES:pp.237-240に は小 旅 行 の 間 に 渓 谷 で 遭 難 の 危 険 に さ ら さ れ た ア ト キ ン に よ っ て 書 か れ た も の と 思 わ れ 、 筆 跡 が サ トウ の も の と 違 っ て い る 。 -22一 ア ー ネ ス ト ・サ トウ 日記 PAGENATION:枚 第5冊PRO/30/33/15/5ff .1-203a 数 計 算 に よ っ てleaves1-203aで あ り 、 総 頁 数 はXO6pagesに な る。 PERIOD:1876年1月2日 か ら1879年10月25日 PENMANSHIP:小 までの期 間に相 当す る。 さ な文 字 で 書 か れ て あ り、 多 少 読 み に くい 箇 所 が 散 見 す る EDITING:日 。 付 の 見 出 しを し っ か り と 記 し て い な い 箇 所 も 多 々 あ っ た り 、 単 に 日 だ け を 記 し て い る 場 合 も あ る の で(1877年 1878年7月 明18日 等)日 付 の 確 認 が 紛 らわ しい 。 の 記 述 に 見 る よ う に 、 こ の 頃 か ら訂 正 や 加 筆 が 目 立 つ よ う に な る 。 FEATURES:鹿 児 島 大 学 医 学 部 の 前 身 とな っ た 赤 倉 病 院 を 創 設 した 友 人 の ウ ィ リス や 苗代 川 の 薩 摩 焼 「壼 屋 」 を1877年2月 ENCLOSURES:1877年4月17日 に 訪 問 した思 い 出 が 綴 られ て い る 。 か ら24日 ま で 甲 府 経 由 で 東 海 道 に 出 る 徒 歩 旅 行 の 途 中 、 携 帯 したバ ロ メ ー タ で 一 日 に 何 度 も測 定 を して 作 成 した 各 地 の 標 高 を 記 した 詳 し い リ ス トが 添 付 さ れ て い る 。 ア ー ネ ス ト ・サ トウ 日 記 第6冊PRO/30/33/15/6ff PAGENATION:leaves1-73aに 記 入 さ れ 、 総 頁 数 で は146pagesに PERIOD:1879年11月15日 PENMANSHIP:大 .1-73a か ら1881年12A27日 な る まで の記入 であ る。 き あ の 字 で 、 単 語 と単 語 の 間 に ゆ と りを 置 き 、 全 体 的 に伸 び 伸 び と書 い て い る の で 判 読 しや す い 。 公 使 館 で 課 せ られ た 外 交 文 書 の 清 書 作 業 の 間 に サ トウ ら しい 綺 麗 な 書 き方 が 体 得 で き た もの と思 わ れ る。 EDITING:左 端 に 日付 記 入 の た め の 空 白 ス ペ ー ス を 十 分 に 取 っ て あ り 、 ま た 年 月 日 の 表 記 も分 か りや す く、 丁 寧 な 書 体 とあ い ま って 、 全 日 記 の うち で も最 も気 持 ち 良 く読 め る も の に な って い る。 FEATURES;夕 食 会 に行 く途 中 で 馬 車 の 左 車 輪 の 事 故 が 起 きて 、 身 体 を 支 え よ う と し た サ ト ウ は 、 右 手 首 を 捻 挫 し て し ま う 。 そ れ で 、1880年11A8日 い 左 手 で 書 い た た め に、 丁 寧 な サ トウ の 書 体 か ら一 変 す る 。 ENCLOSURES:な し。 -23一 聖 の 日記 は慣 れ な 、 ア ー ネ ス ト ・サ トウ 日 記 第7冊PRO/30/33/15/7ff.1-72a PAGENATION:1eaves1-72aの 記 入 法 で あ る の で 、 総 頁 数 は144pagesに PERIOD:S:年1月16日 か ら..年3月22日 PENMANSHIP:ff.56a-57に な る。 まで の期間 であ る。 は 記 入 日の 時 系 列 に 混 乱 が 見 られ る もの の 、 そ れ 以 外 は読 みやす い細字で綺 麗 に書かれ て いる。 EDITING:小 見 出 しの 空 白 ス ペ ー ス を 設 け て 、 日付 の 記 入 に 活 用 して い た り、 この 頃 は 細 字 の ペ ンを 使 い 、 流 れ る よ うに 気 持 ち の 良 い 書 き方 に 戻 って い る 。 但 し、 SS年3月4日 と5日 は 、 先 行 す る3月3日 の 月 名 を 見 出 し に用 い た 珍 し い省 略 形 にな ってい る。 FEATURES:こ れ ま で に も時 折 、 人 名 等 の ハ ン グ ル 文 字 が 日記 に 登 場 し て い た の で あ るが 、 こ の 頃 に はハ ン グ ル 語 の レ ッ ス ンを 受 け て お り 、 長 い 文 章 も散 見 す る 。 ENCLOSURES:な し。 ア ー ネ ス ト ・サ トウ 日 記 第8冊PRO/30/33/15/8ff.1-74a PAGENATION:leaves1-74aの PERIOD:S:年3月24日 構 成 で あ り 、 総 頁 数 で は148pagesに か ら..年4月3日 な る の 期 間 に あ た り 、 こ の 頃 か ら次 第 に 一 年 に 一 冊 の 日 記 帳 と い う サ トウ の 意 図 が 推 察 で き る よ う で あ る 。 PENMANSHIP:こ EDITING:薄 の 頃 の 特 色 とな っ た 細 字 の 流 れ る よ う な ス タ イ ル で あ る。 手 の 紙 質 は 判 読 に 困 難 を 伴 うが 、 な ん の た め に 、 と思 い た い ほ ど の広 さ で 空 白 ペ ー ス を 各 頁 左 端 に取 って い るた め 、 日付 の 確 認 は 容 易 で あ る 。 FEATURES:Siamを 中心 に 東 南 ア ジ ア に 関 す る記 述 が 多 くな り、 日 々 に 提 起 され る 問 題 点 を 項 目別 の 見 出 し と下 線 に よ っ て 分 け て い る 。 この 点 も、 これ ま で に 見 られ な い ス タ イ ル で あ る 。 そ れ だ け 日記 執 筆 の 目 的 が あ くま で も私 的 な 異 国 生 活 や 旅 行 記 録 で あ っ た の が 、 公 的 な 仕 事 の 私 的 覚 書 と い う性 格 を 帯 び た 変 化 と言 え る。 ENCLOSURES:添 年7月1耳 付 した 写 真 や 新 聞 記 事 な ど は 皆 無 に 近 い 。 唯 一 の 例 外 は 、:: 日 バ ン コ ク 発 、THEFRENCHANDS工AMと -24一 題 す る 四行 の 切 り抜 き で あ る 。 ア ー ネ ス ト ・サ ト ウ 日 記 PRO/30/33/15/9ff.1-73 第9冊 PAGENATION:leaves1-73の PERIOD:先 記 入 で あ り 、 総 頁 計 算 で は145pagesに 行 す る 第8冊 の 継 続 分ii年4月3日 か ら::年11A13日 な る。 まで の 一 年 に 満 た な い 記 録 で あ り、 一 日分 に多 数 の 頁 を 費 や す ケ ー ス が 続 出 す る 。 PENMANSHIP:読 みや すい小 さな文字 で流 れ るよ うに書 いて いる。 EDITING:左 端 に十 分 な 空 白 ス ペ ー ス を 開 け て 、 日付 の 小 見 出 しに 活 用 で き て い た り、 サ トウ 日 記 ら しい 全 体 の 落 ち つ きが 感 じ られ る。 FEATURES:前 冊 と 同 様 に 項 目立 て を して 、 見 出 しの 項 目 に下 線 を 引 い て い る 。 外 交 官 と し て の 日 常 的 業 務 に つ い て 私 的 記 録 に 残 して お き 、 自 分 の 発 言 や 指 示 を 後 日 に 日記 帳 で 確 認 す る 必 要 が 出 て き た た め の 日 頃 の 慎 重 な 準 備 と も受 け 取 れ る 。 ENCLOSURES:leaves2-3の 四 頁 分 は 、 当 時 の 通 常 の 書 簡 用 紙 を 挿 入 した も の で あ る 。 先 行 す る 日記 帳 に 散 見 した こ とで は あ るが 、 こ こで もわ ず か な イ ラ ス ト (壺 、f.41>が ア ー ネ ス ト ・サ 描 か れ て い る。 トウ 日 記 PRO/30/33/15/10ff.1-74a 第10冊 PAGENATION:leaves1-74aの 記 入 で あ り 、 総 頁 数 で は148pagesに PERIOD:1885年11月.:か PENMANSHIP:細 ii.年6月25日 ら::・ 年12月::ま な る。 で の 一 年 余 りの 期 間 に あ た る 。 め の ペ ン を使 い 、 大 き め な 文 字 で 書 いて い る の で 判 読 しや す い 。 分(f.28)の 日 付 と し て 、25Kobeと い う サ トウ 日記 で は 珍 し い表 記 が あ る。 EDITING:項 目別 に 見 出 しを 付 け て い る の も 先 行 す る 日記 帳 と同 じで あ る。 左 端 の 小 見 出 しスペー スは、通 常一頁 の五分 の一前後 で十 分 であ った ものが、 四分 の一 を 占 め る な ど 、 不 必 要 に 広 く な っ た ケ ー ス(f.12)も 出 て い る。 FEATURES: ENCLOSURES:f.19と 番 号 の 入 っ て い る通 常 の 書 簡 用 紙 一 枚 三 頁 分 の サ トウ 自 筆 メ モ(MemorandumforMr.French)が 挿入 され て いる。 一25一 ア ー ネ ス ト ・サ ト ウ 日 記 PRO/30/33/15/11ff.1-70a 第11冊 PAGENATION:leaves1-70aの 記 入 で あ り 、 総 頁 計 算 で は140pagesに な る。 あ ま り に 空 白 が 多 くて 、 少 し間 延 び した 感 じ さえ 覚 え る ほ ど で あ る。 PERIOD:前 冊10の 載 は1887年11月18日 PENMANSHIP:比 最 終 記 載1886年12月::分 を 継 続 す る こ とか ら始 め 、 巻 末 の 記 ま で の ほ ぼ 一 年 間 の 日記 で あ る。 較 的 小 さ な 細 め の 文 字 で 丁 寧 に 書 い て い る。 判 読 し や す い 。 EDITING:外 交 文 書 の 記 述 法 を 踏 襲 し、 左 端 の 小 見 出 しス ペ ー ス を 十 分 に 取 り、 こ こで は 更 に 一 歩 進 ん で 項 目間 を 一 行 空 き に して い る。 FEATURES:湿 気 の た め か 紙 に シ ミが 目 立 っ て き て い る 。 ENCLOSURES:写 真 等 の 添 付 物 が な くて 記 述 本 位 で あ る も の の 、 左 端 空 白 ス ペ ー ス を 使 っ て こ れ ま で に も短 い 文 章 の 追 加 が 見 ら れ た 。 そ れ が 細 か い 文 字 で 書 け ば 二 、 三 の 英 単 語 が 十 分 に 入 る ス ペ ー ス で あ る と ころ か ら、 この 日記 帳 で は 例 外 的 に 長 い 文 章 の 挿 入 が 見 ら れ る(f.16)。 ア ー ネ ス ト ・サ トウ 日 記 PRO/30/33/15/12ff.1-99 第12冊 PAGENATION:leaves1-99の PERIOD:ii年11月21日 PENMANSHIP:適 枚 数 記 入 が あ り 、 総 頁 で は197pagesに か ら1890年9月15日 な る。 まで の 長 期 間 に及 ぶ 。 切 な 紙 質 の 帳 面 に 小 さ な 文 字 で 流 れ る よ う に書 い て い る。 部 分 的 な 例 外 は 、 英 国 へ 帰 国 して い た1888年 の 夏 の ロ ン ド ン で 、8月11日 断 を 受 け た り 体 調 不 良 を 起 こ し て お り 、 同 年9月 に は医師 の診 の 日記 に は多 少 と も荒 い筆 致 が 見 え る 。 他 の 箇 所 に もあ る 。 EDITING:頁 左 端 に 小 見 出 し用 の 罫 線 が 縦 に 印 刷 さ れ て い る の で 、 日 付 は ほ ぼ 自 動 的 に そ の 欄 に 記 入 して い る。 FEATURES:日 記 執 筆 の模 範 と 言 え そ うな 書 き方 で あ る 。 小 見 出 し、 日 付 、 行 間 、 文 字 間 隔 、 筆 致 、 訂 正 や 汚 れ の 有 無 、 等 の 角 度 か ら判 断 し て の 評 価 で あ る 。 ENCLOSURES:礼 拝 資 料(S.Paul'sCathedral,1888/10/29),ff.42-47a。 一26一 ア ー ネ ス ト ・サ ト ウ 日 記 第13冊 PAGENATION:leaves1-92aの PRO/30/33/15/13ff.1-92a 記 入 で あ り 、 総 頁 は184pagesに PERIOD:1890年9月16日 か ら1891年9月7日 PENMANSHIP:大 な る。 の ほぼ一年 分 であ る。 き な 文 字 で 走 り書 き して お り、 ゆ っ く り と 日記 を 書 い て い る だ け の 時 間 的 な 余 裕 の な さ を 感 じ さ せ る 。 決 して 書 き な ぐ り で は な い も の の 、 荒 い 筆 致 も散 見 した り、 記 述 が 時 系 列 に な らず 、 ア チ コ チ に 飛 ん で い るケ ー ス が あ る の で 判 読 に あ た って は 注 意 が 必 要 に な る 。 EDITING:左 端 の 空 白 ス ペ ー ス は空 けて あ る も の の 、 時 に は 日 付 の 確 認 が 困 難 に な る ほ ど、 頁 の 端 ギ リギ リ ま で書 き込 ん で い る。 FEATURES:年 齢 が 進 む に つ れ て 、 と り わ け 引 退 後 の サ トウ は 、 読 書 の ほ か に 植 物 採 取 と 観 察 を 趣 味 と し て 深 化 さ せ る の で あ る が 、 こ の 日 記 の 段 階 で も珍 し い 植 物 の イ ラ ス トを 描 い て 、 植 物 観 察 の 趣 味 の 一 端 を 垣 間 見 せ て い る 。 ENCLOSURES:上 記 イ ラ ス ト(f.33) ア ー ネ ス ト ・サ トウ 日 記 PRO/30/33/15/14ff.1-91 第14冊 PAGENATION:leaves1-91の PERIOD:先 枚 数 記 入 で あ り 、 総 頁 数 は181pagesで 行 す る 第13冊 1892年8月30日 PENMAN§HIP:全 の1891年9月7日 あ る。 分 を 継 続 す る こ とか ら始 め 、 最 終 日付 は まで の 期 間 に あ た り、 一 年 に 満 た な い 。 体 的 に は 大 き め の 字 で 書 き 流 して い る が 、 大 き な 字 で あ っ て も、 ・ 落 ち つ い た 柔 らか な 印 象 の 書 き方 を 稀 に 交 え る 時 も あ る。 EDITING:小 見 出 し欄 に 日 付 を 表 記 す る に も 、 同 じ シ ス テ ム で は な い 。 例 え ば1892 芝3 年4月 の 分 に は 、13Apri!、Apr.14、April16、24Sunday、25、27Apr.と い う 具 合 で 様 々 な の で あ る。 FEATURES:外 交 官 と して の 多 忙 さ は、 面 会 、 会 議 、 夕 食 な ど に つ い て 日 々 繰 り返 して い る 記 述 か ら も窺 い 知 れ る。 ENCLOSURES:isに 短 い 新 聞 切 り抜 き が 添 付 さ れ て い る。 一27一 ア ー ネ ス ト ・サ ト ウ 日 記 PRO/30/33/15/15 第15冊 PAGENATION:leaves1-107の ff.1-107 記 入 で あ り 、 総 頁 数 で113pagesに PERIOD:1892年9月1日 か ら1893年12月24日 PENMANSHIP:太 な る。 までの期 間に あた る。 い ペ ンで 濃 く書 い て い るが 、 荒 い感 じよ り もむ し ろ 、 丁 寧 で や わ ら か な 印 象 を 全 体 的 に 与 え 、 ど こ か 生 活 の 落 ち つ き が 感 じ さ せ るO EDITING:左 端 の 小 見 出 しス ペ ー ス は頁 幅 の八 分 の一 程 度 で あ る。 日付 の 記 入 等 の 用 途 に は これ が 適 切 な 空 き で あ る と思 わ れ る 。 き ち ん と した ス タ イ ル が 長 い経 験 の な か で 生 ま れ た の で あ ろ う。 追 加 の 文 章 を こ の わ つ か な ス ペ ー ス に 入 れ る の に 、 例 え ば 、1892年12月20日 と21日 の 間 で 利 用 して お り(f.24a)、 縦 書 き に して 五 行 を 書 き添 え て も い る。 FEATURES:長 文 の と き に は 段 落 で 大 き く イ ン デ ン トす る 余 裕 を 見 せ て い る 。 ENCLOSURES:な し。 ア ー ネ ス ト ・サ ト ウ 日 記 第16冊 PAGENATION:leaves1-113aの PERIOD:1893年12月24日 PRO/30/33/15/1.6ff.1-113a 記 入 で あ り 、 総 頁 数 は226pagesに な る。 を 前 冊 か ら 継 続 して 始 め て お り 、 一 年 未 満 、1894年11月2 日の 途 中 で 終 わ って い る 。 一 年 に 一 冊 と い う標 準 的 な 日記 執 筆 に定 着 して き て い る もの の 、 書 き出 しが 年 頭 で な い た め に ズ レが 生 じ る。 記 述 の 長 さ も一 日一 頁 が 標 準 で あ る とす れ ば 、 こ こ で は 一 行 か ら数 頁 に な って お り 、 マ チ マ チ な の だ 。 PENMANSHIP:前 冊 と 同 様 に大 き な 文 字 で ゆ る や か に 書 い て い る の で 、判 読 が 容 易 で あ る の は 言 う まで もな く、 読 ん で い て 気 持 ち の 良 い 書 体 で あ る。 EDITING:前 冊 と同 様 に 適 切 に 空 け て あ る 左 端 の 余 白 に は 、 追 加 の 文 章 を 三 行 に わ た っ て 入 れ ら れ る だ け の 広 さ が あ る(f.11a)。 FEATURES:例 え ば1894年10月 旧 か ら4日 て 、 判 別 しに く くな って い る 箇 所 が あ る 。 ENCLOSURES: -28一 の様 に、 一 部 に は 日付 を 書 き直 して い ア ー ネ ス ト ・サ ト ウ 日 記 PRO/30/33/15/17ff.1-1`78a 第17冊 PAGENATION:leaves1-178aの 記 入 で あ り 、 総 頁 数 は356pagesで あ る。新 し い 頁 を め く る の に 一 枚 頁 を 飛 ば し て し ま う こ と は 起 こ り え る こ と で は あ る 。 サ トウ 日 記 に も 見 受 け られ る 。 こ こ で はf.172aに PERIOD:前 冊1894年11A2日 PENMANSHIP:太 EDITING:左 発 生 して 時 系 列 を 混 乱 させ た 。 を 継 続 す る 形 で 始 ま り 、1895年4月26日 で終 わ る。 い ペ ン で 濃 く 流 れ る よ う に 書 い て い る の で 判 読 しや す い 。 端 空 白 ス ペ ー ス に 短 い 語 句 や 文 章 を 追 加 す る こ と は 、 他 の 日記 に も 多 々 あ った け れ ど、 こ こ で は 例 外 的 に頁 上 端 の ス ペ ー ス に 一 日分 の 記 述 を 追 加 記 入 し て い る(f.95,1895年5月11日)。 FEATURES:最 後 の 日 本 勤 務 の た め に 横 浜 へ 到 着 し た1895年7月28日 以来 、記 述 は こ こ ろ な しか 筆 致 に丸 み が 出 て や わ ら な か 感 じ を与 え る 。 慣 れ た 日本 生 活 の な か で 味 わ う こ との で きた 時 間 的 な 余 裕 と 落 ち つ い た 生 活 の た あ で あ ろ う か 。 ENCLOSURES:イ ラ ス ト(f.58)。 ア ー ネ ス ト ・サ ト ウ 日 記 第18冊 PAGENATION:leaves1-184aの PERIOD:1896年4月27日 PENMANSHIP:濃 PRO/30/33/16/1ff 記 入 で あ り 、 総 頁 数 は368pagesに か らi・S年6月15日 .1-184a な る。 の ほ ぼ 二 年 間 に わ た る。 い イ ン ク の 太 い字 で あ るが 、 丁 寧 に 書 か れ て い る の で 判 読 しや す い 。 但 し、 た っ ぷ り とイ シ ク を 付 け る た め に 、 イ ン クの 乾 きが 遅 く、 時 に は 擦 っ て 紙 面 を 汚 す ケ ー ス が 見 られ る よ う に な る 。 EDITING:頁 幅 の 五 分 の一 ほ ど の 広 さ で 左 端 ス ペ ー ス を こ こで も 空 けて い る の で 、 日付 の 記 入 や 語 句 の 追 加 に 適 切 に 活 用 で き て い る。 空 白 の 割 合 は 、 書 い て い る 文 字 が 小 さ め で あ るの で か な り 目立 つ く らい で あ る 。 FEATURES:日 本 語 の 漢 字 が 頻 繁 に ま じ る の も 、 こ の 日記 帳 の 特 色 の 一 つ で あ る。 君 平 、 天 主 、 同 意 、Nishi西 成一 、國粋 家、等 であ る。 ENCLOSURES: 一29一 ア ー ネ ス ト ・サ ト ウ 日 記 第19冊 PAGENATION:leaves1-117の FRO/30/33/16/2ff.1-117 枚 数 番 号 付 け で あ る の で 、 総 頁 数 で は233pages に なる。 PERIOD::・S年6月16日 か ら;・.年9月29日 PENMANSHIP:語 までの一年 余 りの期間 。 句 の 間 の スペ ー ス に ゆ と りが あ り、 大 き な 文 字 で 伸 び 伸 び と書 い て い る の で 、 判 読 しや す い テ キ ス トで あ る 。 EDITING:左 端 の空 白 スペ ー ス を十 分 に 取 っ て い る の で 、 そ こに 記 入 して い る 日付 は判 別 しや す い 。 FEATURES:Chinesemission(f.95a)の よ う に 、 し ば ら く止 め て い た 下 線 入 り の 小 見 出 し を 再 開 し て 、 記 述 の 内 容 を 項 目 化 し よ う と す る 工 夫 が 見 え る 。Parkesと D'Anethan等 か の 外 交 官 仲 間 、 そ れ に 日本 人 旧友 が 頻 繁 に 訪 問 す る公 務 日課 を 記 す こ と が 多 くな り、 サ トウの 交 遊 の 幅 の 広 さが 手 に 取 る よ う に分 か る。 ENCLOSURES ア ー ネ ス ト ・サ ト ウ 日 記 第20冊PRO/30/33/16/3ff.1-116 PAGENATION:leaves1-116の 枚 数 記 入 法 で あ る の で 、 総 頁 数 で は231pagesに な る。 PERIOD:1899年10月11日 か ら1900年11月10日 ま で の 一 年 余 りの 期 間 に あ た る が 、 こ の 間 に 日 本 勤 務 を 終 え て ロ ン ド ン に 一 時 帰 国 して い る 。 生 活 す る 場 の 変 化 は あ っ て も、 習 慣 化 した 日記 執 筆 を ほ ぼ毎 日欠 か して い な い 。 勤 勉 な 性 格 の 一 端 が 見 え る 。 PENMANSHIP:太 め の ペ ン と 濃 い イ ンク を 使 い、 ゆ っ た り と書 い て い るの で 判 読 しや す い 。 EDITING:左 端 ス ペ ー ス が 十 分 に 空 いて い る と こ ろ か ら、 これ を 横 向 き に して 六 、 七 行 の 長 い文 章 を 細 か な 字 で 追 加 して い る ケ ー スが 二 、 三 あ る。 FEATURES:日 ENCLOSURES:写 Augusti・:と 記 文 面 に は、 日頃 か ら慣 れ た 外 交 文 書 の 書 き方 が 現 れ て い る 。 真 一 葉(f.4a)の 裏 面 に 、afterafortnightOfOxfOrd, い う メ モ書 きが あ る 。 人 物 不 詳 。 -30一 ア ー ネ ス ト ・サ ト ウ 日記 第21冊 PAGENATION:leaves1-147の PERIOD:/900年11月11日 岬 枚 数 表 記 な の で 総 頁 数 で は293pagesで あ る か ら1901年12月13日 PENMANSHIP:太 EDITING:段 PRO/30/33/16/4ff.1日 の ほぼ一年 間 にあた る。 い ペ ンで 濃 い イ ン ク を 使 い 、 落 ち つ き の あ る書 き 方 で あ る 。 落 付 け の た め の イ ンデ ン トも適 切 で あ り、 全 体 と して 堂 々 と書 い て い る の で 安 心 し て 読 み 進 め ら れ る 。 左 端 の 空 白 ス ペ ー ス も 十 分 に 空 け て あ る 。f.106a で は こ の ス ペ ー ス ー 杯 に 、Hartsaidで 始 ま る 長 文 を 横 書 き で 追 加 して い る 珍 し い 例 が あ る。 これ も 日記 執 筆 の 目的 が 、 公 務 に 関 す る私 的 記 録 と い う性 格 を 持 っ た め に 、 細 か い 覚 書 を 必 要 と し た た あ と 思 わ れ る 。 同 様 の 例 はf.146aに FEATURES:新 し い 日 記 帳 の 書 き 出 し に 、Peking1900と もあ る 。 あるよ うに、在 中国英 国 公 使 時 代 の 日記 で あ り、 公 務 に 係 わ る私 的 な 覚 書 の 意 味 が 強 い 。 中国 語 の 人 名 、 釘 翼 、 呉 仲 賢hisinterpreterが 、 日本 語 に代 わ っ て散 見 す る よ うに な る 。 ENCLOSURES:f.4(Capt.Bingley)とf.127(Beck)に ア ー ネ ス ト ・サ トウ 日 記 PAGENATION:leaves1-134aの 第22冊 メモの添付 があ る。 PRO/30/33/16/5ff.1-134a 枚 数 計 算 な の で 総 頁 で は268pagesに PERIOD;1901年12月25日 か ら1.902年10月17日 PENMANSHIP:比 な る。 ま で の 一 年 弱 の期 間 に わ た る 。 較 的小 さ な字 で 流 れ る よ う に書 い て い る の は読 み や す い の で あ る が 、 筆 記 体 のtの 横 棒 線 を 後 か ら付 け る と き に余 りに 長 く流 しす ぎ る た め に 、 他 の 文 字 に ま で か か っ て し ま い 、 読 み に く く し て い る 。 同 じ こ と は 筆 記 体iの 上部 に 付 け る点 も、 長 く引 き す ぎて い る た め に 汚 れ た 文 面 に 見 え た りす る。 EDITING:左 端 空 白 ス ペ ー ス を 広 く 空 け て 日付 の 記 入 欄 と して 活 用 し て い る 。 そ こ に 文 章 を 挿 入 し て い る ケ ー ス の な か で も 、1902年4月12日 と4月14日 の 日付 を 記 し た 空 白 に、 日付 を 越 した 文 章 の 継 続 が 見 られ る の は 誤 読 の 原 因 に な りぞ うだ 。 FEATURES:使 ENCLOSURES:イ 臣平 安 、 崇 禮 、 無 父 無 君 、 の よ うな 中 国 語 を 時 に 使 っ て い る 。 ラ ス ト画(f.106)。 一31一 ア ー ネ ス ト ・サ トウ 日 記 PRO/30/33/16/6ff.1-141 第23冊 PAGENATION:leaves1-141の 枚 数 計 算 で あ り 、 総 頁 は281pagesに PERIOD:1902年10月18日 紙 面(f.104)の か ら1903年12月21日 上 で 、1903年9月 な る。 の 一 年 余 りの 期 間 で あ る。 ま た 、 同 一 の24、22、23、25日 とい う順 序 に よ り、 な ぜ か 日 付 が 合 い 前 後 して 記 入 さ れ て い る 。 PENMANSHIP:濃 EDITING:紙 い イ ン クを 使 い 、 柔 らか な 文 字 で 流 れ る よ う に 書 い て い る。 面 左 端 に 縦 の罫 線 が 入 っ て い な い の で 、 見 出 しの た め の 空 白 ス ペ ー ス を 空 け るの は よ いが 、 横 幅 の 五 分 の 一 の ス ペ ー ス を 取 って しま い 、 そ の 割 り に は 書 い て い る 文 字 は 小 さ い の で あ る 。 そ れ で も 、f.5aのNOto(Oct.31)やf.26aの よ う な 場 合 に は、 外 交 文 書 と 同様 に 、 文 章 の 追 加 に便 利 な 空 欄 使 用 法 で あ る 。 FEATURES ENCLOSURES:ff.20-21の 間 に サ トウ を 含 む 集 合 写 真 。 ア ー ネ ス ト ・サ ト ウ 日 記 PRO/30/33/16/7ff.1-147 第24冊 PAGENATION:leaves1-147の PERIOD:1903年12月22日 PENMANSHIP:六 枚 数 表 示 で あ り 、 総 頁 数 は293pagesに か ら1904年9月19日 な る まで の一 年 弱 の 期 間 で あ る 。 十 歳 に な った 人 の 字 と は 思 え な い ほ ど 、 大 き な 字 で 、 しか も円 や か な書 体 で 気 持 ち よ く書 い て い る の で 判 読 に な ん の 困 難 も感 じ られ な い 。 サ トウ 自筆 日記 の な か で 最 も綺 麗 に書 か れ て い る 日 記 帳 と言 え る 。 EDITING:こ こで も左 端 に 空 白 ス ペ ー ス を 広 く空 け て い る 。 頁 飛 ば しに よ る 時 系 列 の 混 乱 が 、 こ こ で は1902年1月7日 FEATURES:一 分 で 発 生 した 。 日 分 の 執 筆 に 、 一 頁 を 当 て る と い う の が 標 準 で あ る け れ ど 、 サ トウ 日記 の 場 合 に は 長 短 は マ チ マ チ で あ り 、 こ こ で は1903年1月4B(ff.1H4a)の よ うに 、 七 頁 半 の 長 き に及 ぶ もの も登 場 した 。 ENCLOSURES:ff.42-43ま で は 、1916年2月21日E.S.と 日付 の 入 っ た 引 用 メ モ が 挿 入 さ れ て お り、 後 日に 日記 帳 を 読 み 返 して 編 集 を した こ とが 分 か る 。 -32二 ア ー ネ ス ト ・サ ト ウ 日 記 PRO/30/33/16/8ff.1-140 第25冊 PAGENATION:工eaves1-140の 枚 数 表 記 で あ り 、 総 頁 数 は279pagesに PERIOD:190年9月21日 か ら1905年9月30日 PENMANSHIP:太 な る。 ま で の 約 一 年 間 を扱 って い る 。 い字 で 濃 く流 れ る よ う に書 か れ て い て 判 読 しや す い 。 EDITING:広 く小 見 出 し の 空 白 ス ペ ー ス を 設 け て い な が ら も 、1904年9月23日 付 表 記Sept.23に 続 き 、 単 に 「n26」 の 日 と 表 し 、 し か も 「26」 は 本 文 の な か に 入 っ て い る状 態 で は、 日付 の 確 認 が 紛 らわ しい 。 こ う した 場 合 、 本 文 の 文 脈 の 流 れ か ら判 断 して 、 「26」 が 日 付 で あ る と 確 定 す る しか な い 。 む し ろ 次 の 頁 に あ る 「27"」 と い う省 略 法 の 方 が 混 乱 しな い 。 FEATURES:f.11で は 文 末 にHealsobroughtと あ り、 次 の 行 は イ ンデ ン ト して 別 の 話 題 に 転 じて い る が 、 左 端 空 白 で ア ス テ リ ッ ク 付 き の 蔚amessageで 始 ま る六 行 の 長 い文 章 を 継 続 させ て い る 。 最 初 か ら空 白 ス ペ ー ス に続 き を 書 くと い う の も不 思 議 で あ り、 元 に な っ た メ モ の 存 在 と 日記 で の 清 書 と い う仮 定 を 推 測 さ せ る 。 ア ー ネ ス ト ・サ トウ 日 記 PRO/30/33/16/9ff.1-140 第26冊 PAGENATION:ff.1-140の PERIOD:前 枚 数 表 示 で あ り 、 総 頁 数 は279pagesに 冊 の1905年9月30日 PENMANSHIP:大 を 継 続 す る 形 で 始 ま り 、1907年1月25日 な る。 で終 了 。 き な 文 字 で 丁 寧 な 書 き方 で あ るの で 判 読 は 容 易 で あ る 。 EDITING:1906年3月2旧 分 は 頁(f.62a)の 上 段 空 白 に 追 加 して い る 。 左 端 に罫 線 の あ る 日記 帳 を使 わ な い サ トウ は、 そ の つ ど 空 白 幅 を 設 け るが 、 そ の 幅 は そ の ま ま 時 期 的 な 心 理 傾 向 を 映 し 出 して い る と 思 わ れ る 。 次 第 に 狭 く な っ て き て い る 。 FEATURES:f.95の f.134の 文 面 に は珍 し く日本 語 の 文 字 文 面 に 注 目 し た い 。 日 記 の 記 述 は 当8に 「嘉 永 明 治 年 間 録 」 が 見 え る 。 して い る の か 、 後 日 に纏 あ書 き し て い るの か 、 た え ず 疑 問 が 脳 裏 を 走 る事 柄 で は あ る 。 こ こ で は 以 下 に挙 げ る イ ン タ ー ナ ル ・エ ヴ ィ デ ン ス を 根 拠 に 、 後 日 の 纏 め 執 筆 が 明 白 で あ る 。1906年12月18日 か ら19日 以 降 の 数 日 に 移 っ た と き の 筆 跡 ・イ ン ク の 濃 さ ・19日 の 日 付 訂 正 。 ENCLOSURES:f.111にMor!ey'sRecollectiOnsか らの 自筆 引 用 文 が あ る。 -33一 ア ー ネ ス ト ・サ ト ウ 日 記 第27冊 PAGENATION:leaves1-152の PRO/30/33/16/10ff.1-152 枚 数 計 算 で あ り 、 総 頁 数 は303pagesに PERIOD:1907年1月26日 か ら1909年4A22日 PENMANSHIP:訂 な る。 までの期 聞を カ ヴァーす る。 正 や 追 加 した 箇 所 も な く全 体 的 に 綺 麗 な 書 体 で 書 い て い る 。 EDITING:左 端 の 空 白 ス ペ ー ス も十 分 に あ け て 、 そ こ に 日 付 を 記 入 す る ほ か に は 、 こ れ ま で に 散 見 し た よ う な 他 国 外 交 官 と の 会 見 ・会 話 な ど を 後 日 の 参 考 の た め に 、 空 白 に 付 記 す る よ うな 必 要 が 、 最 後 の 日本 赴 任 の折 に は な か った ら し い 。 の び や か に 落 ち つ い た 書 き方 で あ る の は、 そ の ま ま 最 後 の 日本 生 活 の 姿 を 映 し 出 して い るの で あろ う。 FEATURES:1907年12月16日 分(f.93a)は 、 左 端 スペ ー ス に縦 書 き の 追 加 記 入 を し て い る が 、 内 容 は 地 元 の キ リ ス ト教 慈 善 団 体 の 集 ま り で 講 演 し た と こ ろ 、 恐 ら く 雨 の た あ に 聴 衆 が 少 な か った の だ ろ う と い う 内容 に 過 ぎ な い。 ENCLOSURES:新 聞 切 り 抜 き(f.16,SirErnestSatowaPundit)。 ア ー ネ ス ト ・サ ト ウ 日 記 第28冊 PAGENATION:leaves1-150aの PRO/30/33/16/11ff.1-150a 枚 数 記 入 で あ り 、 総 頁 で300pagesに PERIOD:1909年4月23日 か ら1911年6月11日 PENMANSHIP:引 な る 。 ま で の 約 二 年 余 りに わ た る 。 退 後 の 田 舎 生 活 の な か で 、 地 域 活 動 に 駆 り出 さ れ る こ と は あ っ て も、 文 字 通 り晴 天 雨 読 の 余 裕 あ る生 活 模 様 は 、 こ う した 自筆 の 文 面 に も落 ち 着 き の あ る書 体 と な って 現 れ る も の で あ る ら し い 。 EDITING:1901年1月 の 箇 所 に 同 年4月4日 か ら8日 分 の 記 述(ff.53a-54)が 急 に 挿 入 さ れ て い るの は ど う し た事 情 で の記 入 間 違 い に な った の か 不 思 議 で あ る 。 FEATURES:か れ て サ って の 同 僚 や 友 人 知 人 の 死 亡 を メ モ す る こ とが 、 晩 年 に 向 か うに つ ト ウ 日 記 の 特 色 に な る が 、 こ こ で はf.56aの 左 端 空 白 にTheTimesOftoday announcesthedeathofEddyMorantwhowaswithmeatTangierashon. attache,verynicefellow.と 筆 家 で も あ り 、1910年5月20日 記 して い る 。 ま た 、 健 脚 家 で 知 に はwrote141ettersと -34一 られ る サ トウ は健 メ モ 書 きを 加 え て い る 。 ア ー ネ ス ト ・サ ト ウ 日 記 PRO/30/33/16/12ff.1-1.21 第29冊 PAGENATION:leaves1-121の 枚 数 計 算 で あ り 、 総 頁 で241pagesと PERIOD:1911年6月12日 か ら1912年12月5日 PENMANSHIP:細 EDITING:一 な る 。 ま で の ほ ぼ 一 年 半 の 期 間 で あ る 。 い 字 体 で あ る もの の 鮮 明 に 書 か れ て あ り判 読 しや す い 。 頁 に 二 十 五 行 、 そ れ だ け一 行 の 幅 が 広 あ の 日記 帳 を 使 っ て い る が 、 引 退 後 の 伸 び や か な 生 活 の な か で 、 日 記 は 日 課 と な っ て 、 一 日 も欠 け て い な い 週 月 が 多 く な る 。 平 均 して 一 頁 に 三 日 分 、 つ ま り一 日 分 が 八 行 ほ ど で 書 き 進 め て い る 。 FEATURES:唯 一 の 例 外 と し て 押 し 葉 が 添 付 さ れ て い る(f.84a)。 ENCLOSURES:サ ト ウ ら し い 人 物 が 野 外 で ス ピ ー チ を し て い る 姿 が シ ル エ ッ トで 浮 か ぶ 写 真(f.14)。 f.120)に 多 く な っ て き た 新 聞 切 り 抜 き(f.41a,f.66a,::,f.119, は 、(f.79a)lnterestingSpeechbySirErnestSatOwの よ うに 、 サ ト ウ に 言 及 す る 地 方 新 聞 記 事 が 大 半 と言 え る 。 ア ー ネ ス ト ・サ トウ 日 記 第30冊 PAGENATION:leaves1-.119の 枚 数 記 入 で あ り 、 総 頁 で は237pagesに PERIOD:1912'12A6日 PENMANSHIP:小 PRO/30/33/17/1ff.1-119 か ら1914年5月28日 な る。 までの期 間で ある。 さ な 太 い 字 で 流 れ る よ う に 書 い て い る点 で は、 若 い 頃 とな ん ら 変 わ って お らず 、 判 読 に 支 障 は な い 。 EDITING:左 端 ス ペ ー ス も紙 面 一 頁 の 六 分 の 一 ほ ど を 当 て て 、 専 ら 日付 の 記 入 に 使 って い る 点 で も、 若 い 頃 とな ん ら変 わ って い な い 。 FEATURESlほ ぼ 毎 日 日記 を 付 けて い る 。 引 退 した サ トウ は す で に 七 十 歳 を 迎 え て お り 、 こ の 頃 か ら年 度 末 に は 一 年 の 間 に 他 界 し た 同 僚 ・友 人 ・知 人 な ど の 死 亡 日 を 記 録 す る習 慣 が で き た 。 ENCLOSURES:地 元 新 聞 の 記 事 を 中 心 に し て 、1913年 事 の 切 り 抜 き を 添 付 し て い る(f.49a,f.75,f.81a,f.90,f.101a)。 に もサ トウ に 言 及 の あ る記 従 って 、 実 際 の 日記 執 筆 そ の もの は 、 総 頁 数 か ら そ の 分 を 差 し引 か な け れ ば な ら な い 。 一35一 ア ー ネ ス ト ・サ トウ 日 記 PRO/30/33/17/2ff.1-124a 第31冊 PAGENATION:leaves1-124aの 枚 数 表 記 で あ り 総 頁 数 は228pagesに PERIOD:1914年5月29日 か ら1915年12月18日 PENMANSHIP:ペ な る まで の 約 一 年 半 の 期 間 で あ る。 ン先 が 太 い た あ に 、 す こ しイ ン クが 濃 厚 す ぎ る 。 EDITING:全 体 と し て は 空 白 の 多 い 余 裕 の あ る 書 き 方 を 保 っ て い る 。 但 し 、1915年 3月10日 分 は 、 全 日記 帳 で も唯 一 の 例 外 と言 え る よ う な 、 一 行 の 行 間 に 二 行 分 を な ぜ か 書 き 込 ん で い る 。 FEATURES:年 度 末 に は 一 年 間 の 死 亡 記 録 を は教 会 関 係 ・慈 善 ・地 域 団 体 等 へ の 年 間 の 献 金 額 を リ ス ENCLOSURES:1914年 に はTimesに (f・19a,f・23a,f・25a)、1915年 英 国 大 使 館 前 にサ 送 った サ ト ・サ トウ 日 記 トウが 寄 付 PENMANSHIP:イ EDITING:広 トす る よ う に な る 。 トウ の 投 書 を 含 む 三 つ の 切 り抜 き 在 日 ・植 樹 し た 桜 に 関 す る 切 り 抜 き も あ り 、f リス .92aに は トも添 付 さ せ て い る 。 PRO/30/33/17/3ff.1-119 第32冊 PAGENATION:leaves1-119の PERIOD:1915年12月19日 末 か ら に は(f.67a,f.76,f.79,f.89,f,91a)、 S.A.W.SatOwlsvisitsしoOtterySt.Maryの ア ー ネ ス リ ス ト す る だ け で な く 、191年 枚 数 表 記 で あ り 、 総 頁 数 は237pagesに か ら1917年9月11日 な る 。 ま で の 期 間 で あ る。 ンク の 濃 淡 や 書 き 方 が マ チ マ チ に な っ て きて 読 み に くい 。 い左 端 ス ペ ー ス 、 イ ン デ ン トと文 末 ス ペ ー ス な ど 白 い 空 間 が 多 い 従 来 の 書 き 方 か ら 始 め た こ の 日 記 帳 も 、 四 分 の 一 ほ ど し て か ら(f36aあ た り)、 左 端 の ス ペ ー スを 空 けず に 書 くよ う に な る。 そ の た め に 本 文 の な か に 入 っ て しま う 日付 に 、 た と え 下 線 を 引 い た に せ よ 、 判 読 に 不 便 を 生 じる よ う に な る 。 これ も戦 時 下 の 倹 約 ム ー ド の 現 れ と 解 釈 す べ き で あ ろ う か 。 こ の 傾 向 が 一 層 進 む と 、1916年7月31日 8月1日 の よ う に、 前 文 の終 わ り に 続 けて 書 き込 む よ う な 傾 向 を 産 み 、 一 頁 の 文 面 に 空 白 が 皆 無 と い う詰 ま っ た 状 態 に 陥 る 。 ENCLOSURES:新 や 聞 切 り 抜 き に は 、GifしtoLondonLibrary-一 PapersOnChina(Times,7Jan.1916)がf.5に 一SirE 添 付 さ れ て い る 。 -36一 .Satow's ア ー ネ ス ト ・サ ト ウE信 己 PRO/30/33/17/4ff.1-119 第33冊 PAGENATION:leaves1-119の 枚 数 記 入 で あ り 、 総 頁 数 は237pagesに PERIOD:1917年9月12日 か ら1919年6月20日 PENMANSHIP:細 な る。 まで の期 間であ る。 か い 字 で 頁 一 面 に 書 き 込 ん で い て も前 冊 よ り は 読 み や す い 工 夫 が あ る。 一 つ に は 日毎 に太 字 の ペ ン と細 字 用 の ペ ンを 交 互 に使 う こ と で 、 見 た 目に も 日に ち の違 い を イ ン ク の濃 淡 で 表 す こ と を ど うや ら思 い つ い た 様 子 で あ る 。 EDITING:全 て の余 裕 あ る空 白 ス ペ ー ス が な く な って し ま い 、 ペ ン と イ ンク の 使 い 分 け 、 そ れ に 日付 に二 重 下 線 を 引 くな ど して 、 サ トウ な り に工 夫 して 、 日 々 の 違 い を 図 ろ う と して い る よ うだ 。 引 退 生 活 の な か で 月 日を 失 念 す る こ と もま ま あ る 。 FEATURES:ペ ン の調 子 が 悪 い の か 、 イ ンク の 量 が 多 す ぎて 紙 面 に 滲 み 、 鮮 明 さ に 欠 け る文 字 が 多 出 す る 結 果 とな っ た 。 引 退 生 活 の な か で 話 題 性 に 欠 け 、 日課 の 日 記 で は 天 候 に 言 及 して 、191811A9日 Chinewayfootandback.と ア ー ネ ス ト ・サ トウ 日 記 PAGENATION:leaves1-117の PERIOD:1919年6月22日 PENMANSHIP:濃 に は 、Mild,somerain,WalkedtO 記 して い る だ け で あ る 。 そ れ に 省 略 記 号 が 少 な く な る 。 第34冊PRO/30/33/17/5ff.1-117 枚 数 表 記 で あ り 、 総 頁 数 は233pagesに か ら1920年12A20日 (f.89a)に ま で の 期 間 で あ る 。 い イ ン クが 鮮 明 な 文 字 を 浮 か ば せ ず に 、 判 読 に苦 しむ 単 語 の 場 合 が 頻 発 す る 。 次 第 に 読 み に く い テ キ ス EDITING:前 な る。 トに 変 わ っ て き た 。 冊 と 同 様 に 一 切 の 空 白 ス ペ ー ス を 入 れ て い な い 。1920年8月1日 来 て 、 久 し ぶ り に 左 端 空 白 の ス ペ ー ス を 空 け た の は 、 ど う した 風 の 吹 き 廻 しに よ る もの だ ろ うか 、 不 思 議 で あ る。 FEATURES:山 野 の散 歩 に で か けて は 、 野 草 を 集 め た りす るの が 日課 の よ う に な っ て く る が 、 草 花 の 学 名 を ラ テ ン 語 で 表 記 して い る 。 ま た 、 漢 字 以 外 に は ほ と ん ど 英 語 だ け を 書 い て い た の が 、 こ こ で は ギ リ シ ャ 語 が 混 じ っ て い る(f.112a)。 ENCLOSURESl友 人 のPrykeのobituary(f.51)の 聞 か ら の 切 り 抜 き が 貼 っ て あ る(f.44,f.61,f.61a,f.106)。 -37一 ほ か 、1920年 に は わ ず か な 新 ア ー 不 ス ト ・サ トウ 日 記 PRO/30/33/17/6ff 第35冊 PAGENATION:leaves1-120の .1-120 枚 数 表 記 で あ り 、 総 頁 数 は240pagesに PERIOD:1920年12月21日 か ら1922年8月29日 PENMANSHIP:先 なる。 まで の 期 間 に あ た る。 行 す る 数 冊 の 日記 帳 に 散 見 し た か な り 荒 い 書 き 方 と 比 較 す れ ば 、 外 交 官 時 代 に戻 っ た か の よ うに 丁 寧 で 落 ち つ い た筆 致 に戻 って き た 。 EDITING:左 端 の 空 白 ス ペ ー ス こ そ作 って い な が い が 、 段 落 で 改 行 す る 際 に文 末 の 空 白 を 残 して い る 。 す こ し は 狭 苦 し さ を 取 り 除 い て い る 。 ., FEATURES:1 .921年3月30日 か ら4月3日 ま で の 期 間 は 、 ま と め て 日記 を書 い て い る 。 ほ と ん ど生 涯 丶 病 に 伏 した こ との な い サ トウ も、 晩 年 に 向 か うに つ れ て 故 障 が 出 始 め 、 こ の と き は 声 が 出 な い ほ ど の 喉 頭 炎 を 患 い 、 日記 を 断 念 した 模 様 で あ る 。 1921年 度 末 の 死 亡 者 リ ス トは 長 い も の に な っ た 。 ENCLOSURES:1921年 分 の 新 聞 切 り 抜 き は 地 元 新 聞 か ら 多 く あ っ た(f f.16a,f.⊥ ア ー ネ ス ト ・サ .8,f.10a, ↓6a,f.49,f.53,f,61)。 トウ 日 記 第36冊 PAGENATION:leaves1-95の PRO/30/33/17/7ff .1-95 枚 数 表 示 で あ り 、 総 頁 数 は189pagesに PERIOD:1922年8月30日 か ら1923年11月4日 PENMANSHIP:小 な る。 ま で の 一 年 余 りの 期 間 で あ る 。 さ め な綴 り で あ るが 、 や わ らか い 流 れ る サ トウ ら し い書 き 方 で あ る の で 、 判 読 は そ う難 しい も の で は な い 。 EDITING;左 右 の端 ギ リギ リ に ま で 紙 面 を 使 って い て 、 日付 は本 文 中 に 入 って し ま い 、 し か も一 本 な い し 時 に は 二 本 の 下 線 を 用 い て き た 先 行 日 記 と 違 い 、 ま っ た く 日 付 だ け と い う もの が 発 生 す る 。 そ れ で も判 読 で き る 。 一 字 一 句 を 辿 っ て 進 む 読 み の 作 業 で は 、 意 味 の 流 れ を た え ず 把 握 し て お か な け れ ば な らず 、 文 脈 の 動 き の な か に 、 文 字 が 浮 か ん で く る 。 本 文 中 に 置 か れ た 下 線 の な い 日付 の 確 定 が 可 能 に な る の も そ の た め で あ る 。20.Cloudyaしfirst[1923/9/20]が FEATURES:Masujima(f.6a)の 具 体 例 の 一 つ で あ る。 よ う な 人 名 に 鉛 筆 で 後 日の 下 線 が 入 っ て い る 。 ENCLOSURES:Mrs.SatowとMr.F.Willis家 の 工lfracombe火 冖38: 災 記 事(f .11a)。 ア ー ネ ス ト ・サ トウ 日 記 PRO/30/33/17/8ff.Oa-80 第37冊 PAGENATION:leavesOa-80の 枚 数 記 入 で あ り 、 総 頁 数 は160pagesに PERIOD:1923年11A5日 か ら1924年8月19日 PENMANSHIP:サ な る。 ま で の 一 年 弱 の 期 間 で あ る。 トウ ら し い 小 さ な 字 で 滑 ら か に 書 い て い る こ と は 以 前 と 変 わ り な い の で あ るが 、 イ ンク が 漏 れ や す いペ ン を使 って 、 太 字 で 書 こ う とす る の で 、 文 字 を 潰 し て し ま い 、 読 み に く い 箇 所 が 発 生 す る の は 避 け られ な い 。 EDITING:左 右 に 空 白 を 設 け な い で ギ ッ シ リと 書 き込 ん で い る 。 後 日に 追 加 す る に も そ の 空 白 は な く 、1924年1丹4日Yesterday云 FEATURES:年 々 の表 現 が 発 生 す る 。 末 の 慣 習 と な っ た 死 亡 者 リ ス トは 月 別 に す る ほ ど に 増 え 、 二 十 名 を 越 え た 。G.E.MOrrisOn,J.A.Pryce,BishopStirling等 ENCLOSURES:同 が 含 ま れ て い る。 僚 ・知 人 ・友 人 の 他 界 を 年 末 に ま と め て 記 録 す る 習 慣 ば か り で な く 、 日 々 に 新 聞 で 伝 え ら れ るObituary(f.4)の 切 り抜 きや 日記 帳 上 の 言 及 が 晩 年 の 進 行 と と も に 増 え て い く。 自然 の 成 り行 き で あ る 。 ア ー ネ ス ト ・サ トウ 日記 第38冊 PRO/30/33/17/9ff PAGENATION:工eaves1-133a枚 PERIOD:1924年8月20日 数 記 入 で あ り 、 総 頁 数 は266. か ら1925年10A27日 PENMANSHIP:小 .1-133a .:一 に な る 。 迄 の一年弱 の期間 であ る。 さな 文 字 で あ っ て も綺 麗 に 書 か れ て い るの で 判 読 しや す い 。 イ ン ク で 紙 面 を 汚 す こ と は 稀 で あ っ た が 、 こ こ で はff .33に EDITING:左 大 き な シ ミが で き た 。 右 の 空 白 は な い もの の 、 行 間 に加 筆 す る必 要 もな くな り、 日毎 に 濃 淡 分 け した イ ン クの 使 用 もあ っ て 全 体 的 に 読 み や す い 。 後 日 に 鉛 筆 で 人 名 を マ ー ク し た の も餌 か に ・ 近 く に 住 むLawrieandJ・s・phi・e力 FEATURES:引 瀕 発 す る ・ 退 後 の規 則 的 な 田 園 生 活 の な か で 記 述 す る 日記 は 、 まず 天 候 か ら始 め 、 原 稿 執 筆 、 庭 は畑 の 作 物 、 散 歩 、 健 康 状 態 、 読 書 、 訪 問 記 録 、 教 会 活 動 、 慈 善 ・社 会 的 活 動 、 親 戚 付 き 合 い、 隣 人 の 生 活 模 様 、 海 外 事 情 、 家 政 、 書 簡 等 が 主 な テ ー マ とな っ た 。 日記 の 最 後 ま で 心 身 と も に 旺 盛 な活 動 が 記 録 され て い る 。 ENCLOSURES:MissiOnaryExhibition(f.35)やObiしuary等 1二39こ 短 い 切 り抜 き 。 ア ー ネ ス ト ・サ ト ウ 日 記 第39冊PRO/30/33/17/rOff.1-121a PAGENATION:ユeaves1-121aの 枚 数 記 入 で あ り 総 頁 数 は2増pagesに PERIOD:1925年9月20日 PENMANSHIP:イ か ら1925年12A31日 な る 迄 の 最 後 の 日記 で あ る 。 ン ク の 濃 淡 を 違 え て い る の は 、 最 後 の 日記 帳 ま で に 定 着 した 慣 習 で あ る 。 濃 す ぎ るた め に 文 字 面 を 潰 した り 、 紙 面 が 汚 れ る 。 EDITING:左 右 の 行 端 に ギ ッ シ リと書 き込 ん で い る の 余 白 は な い 。 細 字 で 書 く と に は 判 読 しや す い の で あ るが 、 そ れ で も全 体 的 に苦 しそ う な 筆 の運 び を 感 じ させ る。 MicklehamをMickle(f.21)と 訂 正 す る よ う な例 が 示 す よ う に 、 心 身 と も に余 裕 の あ る 時 期 は過 ぎて し ま っ た か の よ う に、 痛 々 しい 印 象 を 受 け る。 FEATURES:中 ENCLOSURES:1925年 山 昌 樹 の ダ ンテ翻 訳 に言 及 して 、 久 しぶ り に 漢 字 が 登 場 す る 。 度 末 の 他 界 者 リ ス トも二 十 五 名 を 越 え て お り、 そ の な か に 兄 弟 の サ ム や チ ャ ー ル ス も 含 ま れ て お り 、 特 に サ ト ウ の 屋 敷 を 頻 繁 に 訪 れ て ㌧、た 法 律 家 の サ ム に つ い て は 、mybrotherSam,alas!と 1, 付 記 して い る。 第2報 サ ト ウ 日 記 の 記 入 日 リ ス ト(1861/11/4一 窪926/12/31) 1 8 6 1 JANUARY FEBRUARY MARCH APRIL MAY JUNE JULY AUGUST SEPTEMBER PRO/30/ 33/15/1 OCTOBER p.2:. Nov.4. NOVEMBER 10 19 DECEMBER 20 26 7 17 11 15 33/15/1 27 114 18 15 30 - 41 - PRO/30/ p.2: Dec.30. 1 8 6 8 JANUARY 16 17 18 19 20 1 2 3 4 5 16 17 18 19 20 1 2 3 2 PRO/30/ 10 22 23 214 25 26 27 28 29 30 6 7 8 9 10 11 12 13 14 15 21 22 23 24 25 26 27 28 6 7 8 9 29 30 21 31 33/15/1 p.2: FEBRUARY MARCH 4 5 APRIL MAY JUNE 1 2 3 4 5 6 16 17 18 19 20 21 1 2 3 14 5 6 7 16 17 18 19 20 21 1 2 3 14 5 19 JULY 12 25 16 1 7 8 28 10 11 12 13 214 25 26 27 28 29 30 8 9 10 11 22 23 24 25 26 28 29 30 6 7 8 9 10 11 13 14 15 21 22 23 214 12 31 15 9 22 23 Jan.8. 27 31 30 3 20 27 6 AUGUST 29 7 214 SEPTEMBER 8 2 9 12 17 OCTOBER 1 114 NOVEMBER PRO/30/ 3 24 33/15/1 pp.152-9 DECEMBER : Dec.2. 2 - 42 - 1 6 8 3 JANUARY FEBRUARY MARCH PRO/30/ 33/15/1 APRIL 5 6 10 p.160: April 24 MAY 6 2 11 16 25 JUNE 31 8 14 18 JULY AUGUST SEPTEMBER 13 PRO/30/ 33/15/ 15 OCTOBER pp.189 192: Oct.15. NOVEMBER DECEMBER - 43 - 1 8 6 4 JANUARY FEBRUARY PRO/30/ 33/15/1 MARCH p.192: 26 Mar.26. APRIL MAY JUNE JULY 26 21 AUGUST SEPTEMBER 1 16 2 17 3 18 28 29 31 6 3 1 27 4 5 19 20 6 21 7 22 8 23 9 24 10 11 25 26 29 30 12 13 14 15 27 28 29 30 31 PRO/30/ 33/15/1 OCTOBER 10 1 pp.253258: Oct.10. NOVEMBER i-:CEMBER - 44 - 1 8 5 6 JANUARY FEBRUARY MARCH APRIL MAY JUNE JULY AUGUST PRO/30/ 33/15/1 SEPTEMBER p;258: Oct.2. OCTOBER 5 2 PRO/30/ 30 33/15/1 pp.303- NOVEMBER 1 2 3 5 6 7 8 9 16 17 18 19 20 21 22 23 2)4 DECEMBER - 45 - 10 11 12 13 26 27 28 15 307: Nov.28 1 8 6 6 JANUARY FEBRUARY MARCH APRIL MAY JUNE JULY AUGUST PRO/30/ SEPTEMBER 33/15/1 P.308: OCTOBER Nov.26. NOVEMBER PRO/30/ 26 33/15/1 pp.317-9 Dec.31. n.d. DECEMBER 25 - 46 - 27 30 31 1 JANUARY 1 2 3 5 6 8 6 7 8 9 7 10 11 12 13 14 15 PRO/30/ 33/15/1 p.319: FEBRUARY 7 16 17 18 19 20 9 21 10 11 12 13 1)4 15 Jan.1. 25 PRO/30/ MARCH 33/15/1 23 24 21 25 26 27 28 29 31 p.343: Jan.15. APRIL 2 PRO/30/ 33/15/2 MAY f .1: 18 JUNE 1 2 19 20 21 22 23 24 25 26 27 28 29 30 26 27 28 29 30 12 13 114 15 Feb.7. 3 JULY 23 AUGUST SEPTEMBER 1 2 3 16 17 18 1 2 3 16 OCTOBER 1 18 2 3 5 19 20 5 19 20 14 5 6 21 6 21 7 8 22 7 22 6 7 6 7 8 9 10 11 214 25 26 9 23 24 8 30 11 12 13 14 15 25 26 27 28 29 30 10 11 12 13 14 15 25 26 27 28 29 30 31 31 16 NOVEMBER 16 PRO/30/ 18 3/15/2 ff DECEMBER 1 2 3 4 5 16 17 18 19 20 6 7 8 12 23 214 - 47 - 25 13 14 15 28 29 30 .104-5 Dec.31 31 1 JANUARY 1 2 3 17 18 14 5 8 6 21 7 22 6 8 8 9 10 23 214 25 11 12 27 28 114 15 29 30 PRO/30/ 31 33/15/2 f.105a: FEBRUARY MARCH 1 2 3 16 17 18 1 2 16 )4 19 18 5 6 7 20 21 22 8 9 23 214 5 6 7 8 19 20 21 22 23 9 10 13 11 25 10 114 15 Jan.1. 29 11 12 13 15 APRIL 15 MAY 16 17 18 JUNE JULY PRO/30/ 11 29 30 31 33/15/2 ff.188aAUGUST 2 3 17 18 189a: 19 20 21 22 23 25 26 8 SEPTEMBER 16 17 19 20 21 22 23 26 214 28 29 30 Oct.17. 12 13 114 15 PRO/30/ 27 28 29 30 33/15/3 p.1: OCTOBER 1 8 9 8 9 12 Nov.6. 17 NOVEMBER 6 16 19 21 7 22 23 214 10 25 PRO/30/ 26 27 28 29 30 33/15/3 pp.18-20 DECEMBER 3 16 18 4 5 9 21 22 - 48 - 11 13 14 15 : Dec.22 1 JANUARY 2 8 5 19 20 7 21 6 9 8 9 10 11 12 13 15 PRO/30/ 23 214 25 26 27 28 30 33/15/3 8 9 p.20: FEBRUARY 16 MARCH 11 13 114 15 Jan.2. 2)4 1 3 16 18 6 9 23 15 214 28 29 30 PRO/30/ 33/15/3 APRIL 1 2 3 17 18 10 p.)414: April MAY JUNE JULY AUGUST SEPTEMBER OCTOBER NOVEMBER DECEMBER 49 - 18 1 8 7 0 JANUARY FEBRUARY MARCH APRIL MAY JUNE JULY AUGUST SEPTEMBER OCTOBER NOVEMBER PRO/30/ 33/15/3/ DECEMBER 7 pp.45-6: Dec.7. -50- 1 7 8 1 JANUARY FEBRUARY MARCH PRO/30/ 33/15/3/ APRIL p.47: May 27. MAY 27 PRO/30/ 33/15/3/ 12 JUNE p.51: Aug.13. JULY 26 20 27 28 29 PRO/30/ 33/15/4/ AUGUST 3 18 SEPTEMBER 1 16 OCTOBER NOVEMBER 1 21 3 17 5 18 19 17 18 19 2 3 2 17 4 5 6 23 24 8 6 7 20 21 22 23 25 9 6 22 5 18 19 22 12 13 26 27 28 11 12 26 27 p.2: 29 30 14 15 Aug.18. 30 9 15 24 30 31 15 10 23 31 26 30 PRO/30/ 33/15/4/ 14 DECEMBER 17 18 5 12 21 22 13 14 15 p.78: Dec.22. - 51 - 8 1 7 2 PRO/30/ JANUARY 17 18 19 20 21 22 23 24 25 26 33/15/4/ P.78: Jan.17. FEBRUARY 19 13 MARCH 16 17 18 APRIL 21 19 20 22 23 14 15 29 3 MAY 6 JUNE 9 21 JULY 31 AUGUST 27 SEPTEMBER 3 5 6 16 OCTOBER 22 23 PRO/30/ NOVEMBER 29 30 33/15/4/ p.182: DECEMBER 1 2 16 17 3 4 5 6 18 19 20 21 2 8 9 10 11 12 23 24 25 26 27 - 52 - 28 14 15 29 30 Dec.31. 31 1 JANUARY 1 2 3 4 5 7 8 6 7 8 9 3 10 11 12 13 16 14 PRO/30/ 29 33/15/4/ p.183: FEBRUARY Jan.1. MARCH APRIL 10 11 12 13 14 15 MAY JUNE JULY AUGUST SEPTEMBER OCTOBER 26 PRO/30/ NOVEMBER 33/15/4/ 23 2)4 25 26 27 pp.243-5 Nov.27 DECEMBER - 53 - 1 7 8 4 JANUARY FEBRUARY MARCH APRIL MAY JUNE JULY AUGUST PRO/30/ 33/15/4/ SEPTEMBER p.245: 214 OCTOBER 1 2 3 25 26 27 28 29 30 Sept.24. PRO/30/ 4 33/15/4/ pp.253-5 : Oct.4. NOVEMBER DECEMBER - 54 - 1 8 5 7 JANUARY FEBRUARY MARCH APRIL MAY JUNE PRO/30/ 33/15/4/ JULY p.256: 23 214 25 26 27 28 29 30 31 30 31 July 23. AUGUST 16 SEPTEMBER 27 1 3 5 6 19 22 24 25 28 30 PRO/30/ 33/15/4/ OCTOBER 1 2 16 5 18 19 20 6 21 22 8 10 11 12 13 14 15 23 25 26 27 28 29 30 pp.32931 30: Dec.28. NOVEMBER 2 6 3 28 30 PRO/30/ 33/15/4/ 6 DECEMBER 16 17 18 19 20 21 22 23 9 10 11 13 24 25 26 28 - 55 - 114 15 p.323A: 30 Dec.30. 8 1 JANUARY 1 2 3 4 5 6 7 17 7 6 8 12 PRO/30/ 23 29 33/15/4/ f.323Aa: 3 FEBRUARY 14 5 14 12 19 25 Jan.1. 26 PRO/3U/ 2 MARCH 11 18 23 24 33/15/5/ 25 31 f.1: Jan.2. APRIL 6 1 12 24 22 19 20 26 11 MAY 16 17 JUNE 1 2 18 19 3 4 21 5 6 22 7 8 24 25 9 10 18 JULY 1 5 16 21 2 AUGUST 7 9 22 23 24 6 3 8 9 23 24 SEPTEMBER 1 2 16 17 OCTOBER NOVEMBER 1 3 14 18 19 5 6 7 8 9 20 21 22 23 24 17 18 1 2 3 16 17 18 11 29 30 13 14 15 28 29 28 29 30 114 15 12 11 25 25 26 28 29 30 11 13 14 15 28 29 30 26 27 10 3 16 27 26 3 13 19 21 6 19 20 21 114 22 23 214 25 26 27 28 7 8 9 10 11 12 13 114 15 23 214 25 26 27 28 29 30 22 31 30 31 PRO/30/ 33/15/5/ DECEMBER 1 16 2 3 18 14 19 5 8 9 21 - 56 - 10 11 25 26 15 27 28 f.146a: 31 Dec.31. 1 JANUARY 1 2 3 17 18 8 6 19 7 7 11 7 21 23 12 26 13 14 28 15 30 PRO/30/ 31 33/15/5/ f.47: FEBRUARY MARCH 1 2 3 14 5 6 7 16 17 18 19 20 21 22 3 1 14 7 19 20 22 8 8 17 18 19 20 14 1 21 22 11 12 26 12 9 13 15 Jan.1. 13 28 10 114 28 23 214 9 16 10 23 24 APRIL MAY 9 29 11 31 15 23 24 28 6 20 22 JUNE 214 26 30 8 13 8 13 114 15 28 29 30 14 15 19 JULY AUGUST 2 16 17 1 2 7 19 214 OCTOBER 26 6 20 SEPTEMBER 25 3 5 16 17 18 19 20 1 2 3 27 12 21 22 21 22 28 9 23 214 25 26 30 12 13 14 15 27 28 29 30 21 31 PRO/30/ 33/15/5/ NOVEMBER 2 11 3 21 f.112: 28 DECEMBER - 57 Nov.28. 1 8 8 7 JANUARY 19 9 PRO/30/ 24 33/15/5/ f.112a: FEBRUARY 3 5 17 10 11 10 11 Jan.9. 20 14 MARCH 16 6 5 6 7 6 7 8 9 12 13 14 17 APRIL 5 12 21 11 MAY 114 17 JUNE JULY AUGUST 16 17 18 19 1 2 3 4 21 5 6 22 23 214 7 19 8 9 23 SEPTEMBER 6 25 26 27 28 10 11 12 13 12 13 17 18 1 2 3 19 20 31 8 NOVEMBER 16 30 25 5 OCTOBER 29 21 22 23 24 25 26 27 28 15 29 30 PRO/30/ 33/15/5/ DECEMBER 14 5 f.164a: Dec.5. - 58 - 8 1 7 9 JANUARY FEBRUARY MARCH PRO/30/ 33/15/5/ 6 APRIL f .165: April MAY 14 16 17 JUNE 1 2 18 3 19 20 14 5 7 9 21 22 23 214 6 7 18 11 12 13 114 15 25 26 27 28 29 30 9 31 10 22 JULY 6 16 8 10 7 19 20 12 23 26 27 PRO/30/ 33/15/5/ AUGUST 7 10 9 f .203a: Oct.25. SEPTEMBER 2 10 19 25 PRO/30/ 26 27 33/15/6/ f .1 : OCTOBER 11 18 19 20 21 22 23 214 114 Nov.15. 25 PRO/30/ NOVEMBER 16 17 18 19 20 21 22 23 2)4 25 26 27 28 29 15 33/15/6/ 30 ff .16a17: DECEMBER 1 2 3 16 17 18 14 5 6 7 19 20 21 22 8 9 23 214 - 59 - 10 11 12 13 14 15 25 26 27 28 29 30 Dec.31. 31 6. 1 JANUARY 1 8 8 0 2 PRO/30/ 33/15/6/ .17: FEBRUARY 14 15 29 30 an.1. 16 MARCH 6 20 7 8 9 21 10 25 26 27 28 12 13 31 APRIL 19 MAY 2 16 JUNE 25 20 1 2 16 17 3 5 19 21 6 22 7 15 214 25 26 27 28 29 30 9 10 11 12 13 114 15 8 20 21 28 JULY 15 16 17 18 19 29 AUGUST SEPTEMBER 1 1 2 10 11 25 26 114 15 29 30 14 2 214 OCTOBER 31 3 9 27 28 11 22 NOVEMBER 8 16 17 18 15 19 RO/30/ 3/15/6/ DECEMBER 1 .52: 21 23 214 -60- 25 26 27 28 29 30 Dec.30. 8 1 JANUARY 8 1 1 16 15 PRO/30/ 17 33/15/6/ f.53a: FEBRUARY 8 9 10 Jan.1. MARCH 27 APRIL 2 3 14 5 6 7 29 8 28 MAY 29 3 JUNE 10 16 JULY 20 2 11 12 22 6 29 30 12 AUGUST 21 SEPTEMBER 6 23 7 25 8 214 25 27 28 214 25 27 28 29 30 9 10 12 13 114 15 OCTOBER 20 NOVEMBER 1 2 3 14 5 6 7 8 11 17 31 PRO/30/ 33/15/6/ ff.73- DECEMBER 73a : 27 - 61 - Dec.27. 8 1 8 2 PRO/30/ JANUARY 16 18 19 28 25 33/15/7/ f.1: FEBRUARY 1 2 3 19 MARCH 3 1 22 5 23 7 9 10 11 24 25 26 Jan.16. 27 28 13 9 2 APRIL MAY 12 26 JUNE 7 5 1 9 10 9 10 11 12 13 14 15 23 24 25 26 27 28 29 30 8 9 AUGUST 16 17 18 19 20 21 22 SEPTEMBER 16 OCTOBER 1 17 12 22 20 JULY 11 8 30 18 12 15 22 30 14 3 29 NOVEMBER 31 30 PRO/30/ 6 33/15/7/ ff.11aDECEMBER 12: n.d. Dec.n.d. - 62 - 1 JANUARY 1 2 16 3 14 5 8 6 7 18 8 3 8 9 10 23 24 25 14 15 PRO/30/ 33/15/7/ f.12: FEBRUARY MARCH APRIL MAY JUNE 1 2 3 16 17 18 3 1 2 16 17 1 2 16 17 1 NOVEMBER 13 22 23 24 25 26 27 28 14 15 15 7 8 9 10 11 12 13 14 23 24 25 26 27 28 29 5 6 7 8 9 10 11 12 13 114 19 20 21 214 25 26 27 28 3 5 6 9 10 11 12 13 14 15 21 28 29 30 3 1 2 3 14 5 17 18 2 3 18 19 19 7 8 2 3 7 8 9 10 11 12 13 14 15 23 214 25 26 27 28 29 30 6 7 8 9 10 114 15 29 30 20 16 17 16 17 18 2 3 5 30 22 22 24 26 9 14 15 6 12 6 28 26 8 9 21 22 23 24 31 31 12 22 7 Jan.1. 31 21 3 1 OCTOBER 12 22 20 21 SEPTEMBER 11 6 19 20 2 10 21 18 1 9 5 17 16 21 8 19 20 16 JULY AUGUST 19 20 7 10 31 11 26 13 114 15 29 30 28 29 30 12 13 14 27 28 27 3 1 16 21 5 20 24 7 8 25 9 10 23 21 26 26 PRO/30/ 33/15/7/ f.56a: DECEMBER 5 16 17 19 20 11 7 21 22 23 214 25 - 63 - 12 27 13 14 Dec.31. 30 31 1 JANUARY 8 8 4 13 1 17 18 21 19 20 22 23 214 25 9 10 14 15 PRO/30/ 28 33/15/7/ f.57: FEBRUARY 14 1 18 23 25 Jan.1. 26 27 28 29 PRO/30/ MARCH 1 2 3 17 18 14 5 6 19 20 21 7 8 22 24 10 11 25 26 14 12 33/15/7/ 31 ff.70a72a: APRIL 2 4 5 8 9 10 14 11 28 15 Mar.22. 29 PRO/30/ MAY 1 2 3 14 6 19 20 7 33/15/8/ 22 28 30 31 f.1: Mar.24. JUNE 3 1 17 n.d . 9 6 12 18 JULY 6 7 8 10 26 27 11 12 13 16 AUGUST 9 17 SEPTEMBER 18 1 1 19 20 2 18 19 3 4 17 18 19 2 23 6 20 21 5 6 7 10 23 214 8 14 15 30 12 13 14 15 13 114 15 31 31 27 8 22 12 30 26 11 16 17 NOVEMBER 23 20 1 17 .18 OCTOBER 11 29 9 11 12 26 10 20 21 22 11 29 12 26 13 14 15 PRO/30/ 28 29 30 33/15/8/ ff.514a- DECEMBER 1 16 2 3 17 18 5 6 9 10 21 214 25 - 64 - 11 27 28 14 15 29 30 55a: 31 Dec.31. 1 JANUARY 6 2 16 8 17 19 7 8 8 21 9 5 10 12 13 114 15 PRO/30/ 26 214 33/15/8/ f.56: FEBRUARY 16 2 3 17 18 MARCH 3 16 17 19 214 10 11 25 26 14 18 19 Jan.2. 15 12 20 21 22 23 214 25 26 27 28 29 30 PRO/30/ 13 114 15 f.75a: 33/15/8/ APRIL 3 1 16 17 20. 5 MAY 21 22 23 6 214 25 11 9 23 214 28 25 12 13 26 April 114 PRO/30/ 29 33/15/9/ 3. f .1: 5 JUNE 16 17 19 15 12 7 21 22 April 25 (conti7 hued) JULY 2 3 5 6 7 9 19 20 21 22 23 214 10 12 114 29 30 31 PRO/30/ 33/15/9/ AUGUST 1 2 3 5 6 19 20 21 7 8 9 10 11 214 27 13 114 15 28 29 30 73: Nov.13. t SEPTEMBER 1 16 17 5 6 7 19 20 21 22 8 9 10 11 23 24 25 26 13 14 15 30 PRO/30/ 33/15/10 OCTOBER 1 2 3 16 17 18 NOVEMBER 5 6 7 22 8 9 10 11 23 24 25 26 5 16 17 10 21 12 13 15 f. 30 Nov.16. 13 28 22 14 1: PRO/30/ 29 30 33/15/10 ff.5-6a: DECEMBER Nov.30. - 65 3 1 8 8 6 JANUARY FEBRUARY PRO/30/ 33/15/10 13 MARCH 21 APRIL 1 2 3 7 16 MAY 1 10 24 21 2 3 14 5 26 214 6 8 11 15 28 f .6a: 31 Mar.13. 12 26 29 30 10 18 JUNE 7 19 15 23 25 27 28 29 30 PRO/30/ JULY 16 2 3 17 18 19 20 21 7 9 10 11 12 13 14 15 22 23 24 25 26 27 28 29 30 33/15/10 31 ff.73a74a: AUGUST 1 2 16 17 5 6 10 11 24 25 26 9 10 24 25 7 13 27 28 15 29 Dec.18. 1 30 PRO/30/ SEPTEMBER 5 1 6 7 8 16 15 28 33/15/11 f .1: Dec.18 . OCTOBER 7 1 9 10 23 NOVEMBER n. 13 11 22 13 23 ( continued) 27 8 d. 15 1 PRO/30/ 29 33/15/11 f .2a: DECEMBER 1 5 18 6 21 7 22 11 23 24 - 66 - 12 15 30 Dec.30. 1 8 1 JANUARY 5 1 16 8 17 18 9 19 7 10 11 25 12 114 15 PRO/30/ 27 33/15/11 f .3: FEBRUARY 7 2 20 2 MARCH APRIL MAY 21 22 214 20 3 5 18 19 20 14 JUNE 1 22 23 14 18 26 30 13 214 25 28 9 10 11 12 31 15 29 13 22 114 15 28 9 30 12 13 114 15 27 28 29 23 9 21 13 10 5 19 20 :1 . 12 10 8 21 2 Jan 21 5 16 JULY 9 7 18 2 12 7 3 16 8 22 26 22 PRO/30/ AUGUST 5 1 10 22 214 25 33/15/11 26 29 30 114 15 29 30 .70a: Nov.18. SEPTEMBER 2 16 3 18 6 19 20 21 8 22 13 23 PRO/30/ 33/15/12 OCTOBER 1 2 3 5 6 16 17 18 19 20 21 22 2 3 6 7 8 9 17 18 21 22 23 214 NOVEMBER 16 14 5 8 9 10 11 12 13 114 15 23 214 25 26 27 28 29 30 11 12 13 114 26 27 25 29 f .1: 31 Nov.21. PRO/30/ 30 33/15/12 ff.7-7a: DECEMBER 1 2 3 16 17 18 14 5 6 19 20 21 7 22 8 9 23 10 11 12 13 114 15 30 - 67 - Dec.30. 1 8 1 2 JANUARY 16 17 18 8 5 6 7 8 9 19 20 21 22 23 24 8 10 11 26 13 27 28 15 29 30 PRO/30/ 31 33/15/12 f.8: FEBRUARY MARCH 1 2 3 16 17 18 1 2 3 16 17 APRIL 16 2 3 17 18 19 14 5 6 7 20 21 22 5 6 7 20 21 JULY SEPTEMBER NOVEMBER 11 12 13 214 25 26 27 28 29 30 9 10 11 12 13 14 15 22 23 24 25 26 27 28 29 30 10 11 12 15 6 7 21 22 OCTOBER 16 17 1 2 29 10 5 17 28 9 20 16 27 8 3 1 26 26 2 14 5 14 25 25 17 18 AUGUST 23 24 8 8 9 21 22 5 6 7 10 23 22 3 5 7 18 19 20 21 22 3 14 5 6 7 8 22 23 15 15 13 14 28 29 11 12 13 114 15 26 27 28 29 30 13 14 11 20 19 9 30 114 23 214 7 Jan.2. 31 26 8 20 13 15 24 16 21 19 14 22 23 18 16 13 11 17 3 12 10 16 2 11 9 7 1 10 22 21 MAY JUNE 9 8 7 19 20 8 25 26 27 9 10 11 214 25 26 27 29 9 10 11 12 14 21 28 29 13 114 28 31 31 15 15 31 15 PRO/30/ 29 33/15/12 f.50: DECEMBER 1 3 17 18 5 7 8 9 214 - 68 - Dec.31. 27 31 8 1 JANUARY 3 16 17 18 19 5 6 7 20 21 22 8 8 9 9 10 11 12 13 15 PRO/30/ 25 26 27 28 30 33/15/12 f.50: 2 FEBRUARY 16 MARCH 7 18 19 20 21 22 5 6 7 3 16 17 18 2 3 5 6 7 17 18 20 21 22 17 1 17 1 19 20 3 5 18 19 20 22 21 18 9 26 27 11 12 27 9 8 9 23 214 6 7 8 21 22 23 5 19 20 21 22 10 11 114 28 12 29 30 114 15 31 27 23 SEPTEMBER 17 25 8 AUGUST 16 23 22 2 17 Jan.3. 22 1 16 JULY 6 2 16 JUNE 14 5 1 APRIL MAY 3 25 26 27 28 29 30 10 11 12 13 114 15 25 26 27 13 114 15 29 30 10 214 8 9 10 23 214 25 26 9 10 11 OCTOBER 31 12 27 28 30 19 NOVEMBER 5 6 7 8 13 9 27 28 PRO/30/ 29 30 33/15/12 f.77a: DECEMBER 1 2 16 17 14 15 11 20 25 - 69 - 27 Dec.27. 1 JANUARY 1 16 5 17 18 20 8 6 7 9 8 21 9 0 10 11 12 PRO/30/ 33/15/12 214 f.78: FEBRUARY 3 Jan.1. 26 14 MARCH 6 7 8 9 10 11 12 16 31 APRIL 7 18 11 19 MAY 214 5 7 8 25 28 29 13 114 30 10 23 214 JUNE 6 16 17 22 9 10 214 25 12 30 PRO/30/ JULY 1 33/15/12 19 21 26 23 27 28 29 30 31 ff.98a99: AUGUST 1 2 17 Sept.15 18 19 20 22 25 26 28 29 31 PRO/30/ SEPTEMBER 1 2 3 5 16 17 18 19 20 6 7 8 9 23 214 10 11 12 13 26 27 28 29 15 33/15/13 30 f . 1: Sept.16 OCTOBER 1 2 3 5 6 7 8 16 NOVEMBER 11 9 27 214 14 1 16 17 18 1 2 3 16 17 18 6 19 20 7 8 29 30 13 114 15 27 28 29 11 9 25 21 14 PRO/30/ 33/15/13 DECEMBER 4 5 19 20 6 7 21 22 8 9 10 11 12 13 14 15 23 24 25 26 27 28 29 30 - 70 - f.24: 31 Dec.31. 1 JANUARY 1 2 16 17 19 9 8 5 6 7 20 21 22 8 9 1 10 24 12 13 26 14 15 29 30 PRO/30/ 31 33/15/13 f .24: FEBRUARY 2 16 MARCH 17 2 16 APRIL 17 2 3 5 18 19 3 3 1 5 19 20 JUNE 6 7 8 9 10 23 24 25 8 20 18 19 MAY 7 20 5 18 19 6 6 7 21 22 6 7 21 22 9 10 24 25 8 11 11 23 214 13 11 Jan.1. 27 28 12 13 14 15 28 29 30 13 14 15 29 30 12 25 26 28 9 10 11 13 24 25 26 27 28 9 10 11 12 13 25 26 27 28 29 30 11 12 13 14 15 27 28 29 30 8 1 2 3 5 16 17 18 19 20 21 22 23 214 1 2 3 5 6 7 9 10 16 17 214 25 8 31 15 29 30 15 PRO/30/ 33/15/13 JULY 19 20 21 22 23 ff.91a31 92a: Sept.7. AUGUST 1 2 3 16 17 18 5 6 7 19 20 9 10 11 12 24 25 26 27 28 114 15 29 30 31 PRO/30/ 33/15/14 SEPTEMBER 1 2 3 7 18 8 9 11 23 24 26 14 27 28 29 f . 1: Sept.7. 30 (conOCTOBER 1 16 2 17 NOVEMBER 5 18 19 20 3 16 17 5 19 6 21 6 21 7 22 7 8 23 24 27 8 9 22 10 11 12 25 26 27 tinued) 13 114 15 28 29 30 114 15 PRO/30/ 29 30 33/15/14 28 f .19a: DECEMBER 1 2 3 16 17 18 5 19 6 7 22 8 12 214 - 71 - 25 26 28 114 15 29 30 Dec.31: 31 8 1 JANUARY 1 2 3 5 18 20 6 7 9 8 9 2 10 11 12 23 13 14 28 29 15 PRO/30/ 33/15/14 f.20: FEBRUARY 3 1 17 MARCH APRIL 1 1 MAY JUNE JULY 19 20 2 3 17 18 2 3 16 6 21 7 22 5 19 20 14 21 5 22 6 7 18 19 20 5 6 20 21 5 6 7 20 21 22 1 2 3 16 17 18 1 2 3 16 17 18 1 2 19 19 21 22 7 8 23 214 25 26 27 28 29 8 9 10 11 12 13 114 15 23 214 25 26 27 28 29 30 8 9 10 11 12 13 14 15 23 214 25 26 27 28 29 30 8 9 10 11 12 13 114 214 25 26 27 28 29 30 9 10 11 13 114 15 25 26 27 28 29 30 10 11 12 13 14 15 27 28 29 23 3 5 18 19 20 21 22 5 6 7 Jan.1. 8 23 214 7 9 23 214 25 31 31 PRO/30/ 33/15/14 f.91: AUGUST 1 2 16 17 19 20 21 22 8 9 10 11 12 13 23 24 25 26 27 28 15 29 30 Aug.31. 31 PRO/30/ SEPTEMBER 1 2 3 14 5 19 6 21 33/15/15 22 23 26 214 27 28 29 f . 1 : 30 Sept.1. OCTOBER NOVEMBER 1 2 3 16 17 18 1 2 3 16 17 14 5 19 20 4 5 19 20 6 21 6 21 7 8 22 7 8 22 10 11 12 13 14 25 26 27 28 29 9 10 24 25 114 26 28 15 31 15 PRO/30/ 29 33/15/15 f.27a: DECEMBER 1 2 16 17 18 19 5 6 7 20 21 22 9 10 11 12 13 14 23 24 8 25 26 27 28 29 - 72 - 15 Dec.31. 31 1 JANUARY 16 8 2 3 5 6 17 18 19 20 21 7 22 9 3 8 9 10 11 12 13 23 2)4 25 26 27 28 PRO/30/ 29 30 31 33/15/15 f.28: FEBRUARY MARCH APRIL 6 2 3 16 17 18 20 21 22 17 18 20 21 22 5 6 7 21 3 1 4 17 18 19 20 2 3 5 16 17 18 1 2 MAY 19 5 16 6 7 8 9 10 11 12 13 23 214 25 26 27 28 8 9 10 23 214 9 13 27 10 17 18 114 31 12 14 26 27 29 12 9 10 11 23 214 25 26 8 9 10 12 13 13 Jan.2. 114 11 8 15 28 19 20 15 29 30 114 15 31 29 5 6 7 19 20 21 22 JULY 16 7 7 1 16 JUNE 14 1 8 9 10 214 25 11 12 13 114 15 30 PRO/30/ 31 33/15/15 ff.106a- AUGUST SEPTEMBER 1 2 1 3 4 3 17 18 8 5 21 22 6 7 19 20 21 22 9 10 12 23 214 8 9 10 23 11 12 26 27 13 114 28 29 107: 30 31 Dec.24. PRO/30/ 28 29 30 33/15/16 f.1: OCTOBER 2 3 5 6 7 8 9 16 17 18 19 20 21 22 23 214 1 2 3 5 6 7 8 9 18 19 20 21 22 23 214 10 11 12 25 26 13 114 15 27 29 30 11 12 114 15 26 27 Dec.24 31 (continued) NOVEMBER 16 25 28 29 PRO/30/ 33/15/16 DECEMBER 1 3 16 18 14 5 19 20 21 7 8 9 10 11 12 13 114 15 22 23 214 25 26 27 28 29 30 - 73 - f.3: 31 Dec.31 1 JANUARY 1 2 16 17 1 2 16 17 3 5 18 19 8 6 7 20 9 4 8 9 10 11 12 13 23 214 25 26 27 28 15 29 30 PRO/30/ 31 33/15/16 f.3a: FEBRUARY MARCH APRIL MAY JUNE 3 1 3 16 17 18 1 2 16 17 6 18 19 20 14 19 9 23 214 5 6 7 20 21 22 23 24 5 6 7 9 3 19 21 1 2 3 16 5 17 18 1 2 3 5 16 17 18 19 20 19 8 22 8 9 10 11 12 13 25 26 27 28 10 11 12 27 114 15 13 14 15 28 29 10 11 12 13 114 15 23 25 26 27 28 29 30 12 13 114 15 28 29 30 6 7 8 10 11 20 21 22 23 214 25 26 6 7 8 9 11 12 13 14 15 21 22 26 27 28 29 30 23 214 25 Jan.1. 31 PRO/30/ JULY 2 16 3 5 6 18 19 20 21 8 22 9 13 11 23 26 27 114 28 15 33/15/16 30 f.113a: Nov.2. AUGUST 1 16 17 3 5 18 19 20 7 21 22 9 23 10 11 25 12 14 15 27 29 30 31 PRO/30/ 33/15/17 SEPTEMBER 1 2 3 5 16 17 18 19 20 1 2 3 16 17 18 6 7 8 9 22 23 214 11 12 13 114 15 f. 1 : 25 26 27 28 29 30 Nov.2 10 11 12 13 14 15 25 26 27 28 29 30 (conOCTOBER 4 5 6 20 21 8 22 23 24 tinued) 31 PRO/30/ NOVEMBER 1 2 16 3 18 5 19 20 6 21 7 22 8 9 23 24 25 26 12 13 14 27 28 29 15 33/15/17 ff.3031a: DECEMBER 1 16 2 3 17 18 6 19 20 21 9 22 23 - 74 -- 10 12 25 27 13 114 29 Dec.31. 31 1 JANUARY 5 1 16 17 20 8 6 7 21 9 5 8 10 23 25 11 13 27 14 n .d 15 30 PRO/30 / 31 33 / 15 / 17 f.31a: FEBRUARY MARCH 2 3 17 18 2 3 18 16 APRIL 2 16 17 18 2 3 17 18 16 JUNE 19 19 14 1 MAY 7 19 18 AUGUST SEPTEMBER 1 1 19 18 2 3 17 18 19 27 28 12 13 14 11 20 21 23 214 25 26 5 6 7 8 9 10 11 12 13 114 15 22 23 214 25 26 27 28 29 30 9 10 11 12 13 114 214 25 27 28 29 30 13 114 15 29 20 6 6 5 6 20 21 20 5 19 22 6 21 5 2 16 17 OCTOBER 18 26 10 5 16 17 25 15 9 19 20 1 13 8 21 JULY 12 6 5 17 23 24 22 11 5 5 1 16 21 8 6 21 6 21 23 8 22 7 7 10 11 23 214 25 26 27 28 8 9 10 11 12 13 8 10 9 23 214 12 11 12 25 26 27 23 214 25 15 30 31 31 15 28 29 30 13 114 15 29 30 29 30 114 15 29 30 31 13 13 10 7 22 11 10 7 22 28 Jan . 1 . 26 PRO/30/ NOVEMBER 3 16 17 5 18 6 21 7 8 25 22 11 12 13 114 15 33/15/17 26 27 28 29 30 ff .1147a148 : DECEMBER 1 2 3 18 14 5 19 20 6 7 8 21 22 23 9 - 75 - 10 11 12 13 114 15 25 26 27 28 29 30 Dec . 31 , 31 1 JANUARY 1 2 3 16 17 18 5 8 20 6 7 21 22 9 9 23 6 10 11 214 12 13 114 15 27 28 29 30 PRO/30/ 31 33/15/17 f.1148: FEBRUARY MARCH 3 1 14 5 16 17 18 19 20 1 2 3 5 16 17 18 19 20 6 21 6 7 22 7 22 8 9 10 11 12 13 114 23 214 25 26 27 28 29 8 9 10 11 12 13 23 214 25 26 27 15 Jan.1. PRO/30/ 29 30 31 33/15/17 f.178a: APRIL 1 2 3 5 16 17 18 19 20 6 21 7 22 8 9 10 11 12 13 114 15 23 214 25 26 27 28 29 30 April 26 PRO/30/ MAY 1 2 3 5 16 17 18 19 20 1 2 3 5 16 17 18 6 21 7 8 9 22 23 214 11 12 13 114 15 25 26 27 28 29 30 9 10 11 214 25 33/16/1 31 f . 1: April JUNE JULY AUGUST SEPTEMBER 19 1 OCTOBER 16 NOVEMBER 2 3 5 17 18 19 20 2 3 5 2 3 17 18 19 2 16 17 18 19 8 21 22 23 6 7 8 22 23 5 1 1 6 22 214 23 13 28 29 13 114 15 10 11 25 26 27 28 29 30 11 12 13 114 15 214 25 9 10 29 6 7 21 22 23 214 6 7 8 9 10 11 12 13 114 15 20 21 22 23 214 25 26 27 28 29 30 5 6 7 8 9 10 11 12 13 114 15 25 26 27 28 29 30 20 23 21 31 11 12 29 31 PRO/30/ 33/16/1 DECEMBER 1 2 3 16 17 18 14 19 5 20 6 7 9 10 11 12 13 114 15 f.65a: 214 25 26 27 28 29 30 Dec.30. - 76 - 27 1 JANUARY 1 3 .4 16 18 8 5 19 20 7 21 9 7 8 9 10 23 24 25 12 26 13 14 15 28 29 30 PRO/30/ 31 33/16/1 f.66: FEBRUARY 1 2 16 MARCH APRIL 3 5 18 19 20 9 10 11 12 13 23 214 25 26 27 28 2 3 5 6 7 8 9 10 11 12 13 114 16 17 18 19 20 21 22 23 214 25 26 27 28 29 2 3 7 8 9 10 11 12 13 21 22 23 24 26 27 28 1 1 2 5 19 20 3 5 6 10 7 19 JUNE JULY OCTOBER NOVEMBER 15 29 30 114 15 12 214 25 26 27 28 5 6 7 8 9 10 11 12 19 20 21 22 23 214 25 26 27 28 29 30 1 2 3 5 6 7 8 9 10 12 13 14 15 17 18 19 20 21 22 23 24 25 26 27 28 29 30 2 3 5 6 7 8 9 10 11 12 13 114 20 21 22 23 214 25 26 27 28 16 17 1 2 16 17 1 2 3 5 16 17 18 19 20 1 18 19 3 14 5 18 19 20 6 7 9 21 22 23 7 8 10 11 21 2 7 30 13 14 15 27 28 29 30 12 13 114 15 27 28 29 30 11 214 9 Jan.1. 31 17 AUGUST 18 15 16 16 SEPTEMBER 14 1 17 MAY 21 8 31 31 8 22 PRO/30/ 214 25 26 27 28 29 30 33/16/1 8 9 10 11 12 13 14 15 135: 23 24 25 26 27 28 29 30 ff.134aDECEMBER 1 16 2 3 5 6 18 19 20 21 22 - 77 - 31 Dec.31. 8 1 JANUARY 3 17 5 18 20 6 21 9 8 7 8 9 10 22 23 24 25 11 12 13 14 27 28 29 15 PRO/30/ 33/16/1 f.135: FEBRUARY MARCH APRIL 1 2 3 16 17 18 1 2 3 16 17 18 14 17 20 6 21 5 19 20 3 1 16 5 19 6 21 5 19 20 7 22 23 9 10 11 12 13 214 25 26 27 28 114 15 7 8 9 10 11 12 13 114 15 22 23 214 25 26 27 28 29 30 8 9 10 11 12 13 114 15 23 2)4 25 26 27 28 29 30 6 21 8 22 Jan.3. 31 PRO/30/ MAY 1 2 16 17 5 18 19 20 6 21 7 22 8 9 23 214 10 11 12 25 26 27 10 11 12 25 26 27 13 1)4 15 30 33/16/1 31 f.1814a: June JUNE 1 3 16 17 18 6 19 20 21 7 22 8 9 23 214 28 114 15 29 30 15. PRO/30/ 33/16/2 JULY 1 2 6 5 7 8 9 23 AUGUST 1 16 2 3 17 18 SEPTEMBER 2 3 16 NOVEMBER 30 13 114 15 5 6 7 8 9 10 22 23 214 25 26 27 28 29 30 7 8 9 10 11 12 13 114 15 25 26 9 10 11 12 13 23 2)4 25 26 27 28 10 11 12 25 26 27 5 6 20 21 3 5 6 7 16 17 18 19 20 21 22 2 3 5 6 7 19 20 21 22 18 29 7 2 16 27 6 1 DECEMBER 26 31 June 19 3 1 25 f.1: 5 21 OCTOBER 10 14 8 8 9 23 214 - 78 - 29 14 31 15 PRO/30/ 33/16/2 140a: 29 30 31 Dec.31. 16. 1 JANUARY 1 2 16 17 3 5 19 20 8 6 21 7 22 9 8 9 9 10 11 23 24 25 26 12 13 14 15 PRO/30/ 31 33/16/2 ff.41: FEBRUARY MARCH APRIL MAY JUNE 1 2 3 5 16 17 18 19 20 1 2 3 16 17 18 1 2 3 16 17 1 2 16 17 1 16 JULY 16 6 22 6 19 20 5 7 7 22 6 19 20 7 22 9 23 24 8 23 214 8 23 24 8 18 19 20 21 22 2 3 5 6 7 17 18 21 22 2 3 6 7 17 19 20 5 19 20 21 9 9 23 214 8 9 11 12 13 25 26 27 28 10 11 12 13 25 26 27 28 10 11 12 13 114 15 25 26 27 28 29 30 10 11 12 13 114 15 25 26 27 28 29 30 10 11 12 13 114 15 23 214 25 214 25 22 14 15 114 15 30 28 26 27 28 Jan.1. 31 30 29 31 PRO/30/ AUGUST 1 2 3 14 5 9 33/16/2 17 30 31 f . 117 : Oct.5. SEPTEMBER 1 2 3 16 17 18 5 19 20 6 21 7 22 8 9 10 11 23 214 25 26 12 13 114 28 29 15 PRO/30/ 33/16/3 OCTOBER 2 16 NOVEMBER 1 16 5 17 18 2 3 17 18 19 20 14 19 5 20 21 6 21 22 23 7 8 22 23 11 12 25 26 27 9 10 11 214 25 27 114 15 28 29 30 13 114 15 PRO/30/ 28 29 30 33/16/3 f .1: 31 Oct.11/ f.23: DECEMBER 1 2 16 17 18 19 5 6 20 21 9 22 23 10 25 - 79 -- 11 27 28 114 15 29 30 Dec.31. 31 1 JANUARY 1 2 3 5 16 17 18 19 20 0 9 6 21 7 22 8 0 10 23 214 25 26 12 13 114 15 27 28 29 30 PRO/30/ 31 33/16/3 f.23a: FEBRUARY MARCH APRIL MAY 5 1 2 16 17 18 1 2 3 4 16 17 18 19 1 2 3 16 17 18 1 2 3 16 JUNE 1 16 19 20 3 17 18 8 9 22 23 214 6 7 9 21 22 23 214 5 6 7 8 9 19 20 21 22 23 214 5 14 12 25 26 10 25 13 26 11 25 26 5 19 20 21 22 23 6 7 8 21 22 Jan.1. 28 12 10 15 28 12 28 114 15 29 30 14 15 29 30 8 19 2 6 31 15 31 9 23 10 11 12 13 114 15 25 26 27 28 29 30 PRO/30/ JULY 2 3 17 18 1 2 3 16 17 18 16 5 6 7 20 9 10 11 12 23 13 114 33/16/3 15 28 ff.114a116: AUGUST 5 19 20 6 21 7 22 8 9 10 11 23 214 25 26 12 13 114 15 Nov.10. PRO/30/ SEPTEMBER 1 2 6 3 7 8 9 10 214 25 33/16/4 27 29 30 Nov.11. OCTOBER NOVEMBER Li 2 3 17 18 1 2 3 16 17 18 19 1 2 3 It 16 17 1 5 6 7 19 20 21 22 LI 5 6 7 21 22 5 6 7 19 20 21 22 8 9 10 11 12 13 114 23 24 25 26 27 28 29 30 10 11 12 13 14 15 PRO/30/ 26 27 28 29 30 33/16/4 12 13 14 15 8 9 23 24 31 f.29a: DECEMBER 8 10 23 24 - 80 - 26 Dec.26. 1 9 0 JANUARY 16 18 19 21 22 214 1 10 12 25 27 114 28 15 PRO/30/ 30 33/16/4 f.29a: FEBRUARY 1 2 3 16 17 18 2 3 17 18 1 2 3 16 17 18 MARCH APRIL MAY JUNE 5 19 5 19 20 14 6 8 21 22 6 7 21 5 22 7 19 20 2 5 6 16 17 18 20 21 22 1 2 3 5 6 7 17 18 19 20 2 3 JULY 16 17 18 14 19 5 23 20 22 11 12 25 26 27 9 10 11 12 214 25 26 27 10 11 13 114 15 29 30 28 29 30 15 8 26 214 8 6 10 23 22 1 9 9 23 214 10 11 25 26 11 8 9 10 23 214 25 8 9 10 23 214 25 114 15 13 114 15 28 29 28 27 27 Jan.10. 12 13 114 27 28 29 11 12 13 26 27 31 31 15 30 PRO/30/ 31 33/16/14 ff.146a- AUGUST 1 2 17 SEPTEMBER 1 2 3 18 19 5 6 20 21 22 21 22 6 7 3 7 7 18 8 9 10 11 214 8 12 27 9 10 11 12 23 214 25 26 27 114 28 15 30 147: 31 114 Dee.214. PRO/30/ 30 33/16/5 ff.1: OCTOBER 1 2 3 17 14 5 8 9 20 25 26 12 13 27 28 Dec.25. 29 30 31 PRO/30/ NOVEMBER 16 2 5 6 7 17 19 20 21 22 8 9 10 11 12 23 24 25 26 27 28 29 15 33/16/5 30 ff.3a4a: DECEMBER 1 2 16 17 3 5 20 6 7 22 8 10 12 13 23 21-1 25 27 28 - 81 - 15 29 30 Dec.30. 1 JANUARY 2 16 3 18 14 19 5 20 9 0 6 21 22 2 9 10 11 23 214 25 26 12 13 14 28 29 PRO/30/ 30 33/16/5 f.14a: FEBRUARY MARCH APRIL 1 3 16 17 18 1 2 3 17 18 2 3 1 18 MAY JUNE JULY 1 2 3 16 17 18 1 2 3 16 17 18 1 2 3 16 19 5 6 20 21 5 6 19 19 5 14 9 21 22 23 214 6 7 9 6 18 12 13 25 27 28 12 13 26 27 10 11 12 25 26 27 10 11 Jan.2. 114 14 15 30 14 15 28 29 30 12 13 14 15 26 27 28 29 30 12 13 14 28 29 22 23 7 8 9 10 11 23 214 25 26 7 8 9 10 11 22 23 214 19 5 11 26 23 7 6 10 10 6 20 5 2)4 8 21 22 5 19 9 22 31 31 30 15 29 30 31 PRO/30/ 33/16/5 AUGUST 1 2 3 16 17 18 5 19 20 9 21 22 23 10 11 12 25 13 14 28 29 ff.133a31 134a: Oct.17. SEPTEMBER 1 3 8 16 22 23 6 7 9 25 11 12 13 26 27 28 29 30 13 114 15 f.1 30 Oct.18. 15 PRO/30/ 33/16/6 OCTOBER 1 3 17 18 20 3 5 6 18 19 20 21 NOVEMBER 16 14 2 17 5 9 10 21 22 23 24 25 22 8 9 10 214 25 26 26 27 27 28 29 31 : 15 PRO/30/ 30 33/16/6 ff.31- DECEMBER 1 5 2 18 6 11 19 25 - 82 - 12 13 31a: 29 Dec.29. 1 JANUARY 9 0 10 5 16 17 18 19 20 3 21 22 214 25 26 27 28 114 15 29 30 PRO/30/ 31 33/16/6 f.31a: FEBRUARY 1 2 3 18 MARCH APRIL 2 3 16 17 18 1 19 5 6 20 21 22 23 214 5 6 7 9 20 1 2 18 3 2 3 16 17 18 JULY 20 18 19 1 14 21 22 23 17 18 21 22 5 6 7 20 21 22 5 6 7 19 20 6 21 26 26 23 214 8 9 23 214 8 7 22 13 114 15 13 114 15 28 29 30 Jan.5. 27 11 25 23 214 5 12 10 27 9 19 3 16 9 6 16 17 JUNE 19 1 16 17 MAY 14 31 13 25 26 27 28 29 30 10 11 12 13 114 15 29 30 114 15 114 15 25 26 27 28 10 11 12 13 25 8 9 10 23 214 25 28 11 12 13 28 30 31 PRO/30/ 33/16/6 AUGUST SEPTEMBER 6 1 16 1 17 18 2 3 18 16 19 20 21 5 19 7 22 7 21 22 8 23 214 8 9 23 214 25 25 13 ff.1140-1 12 26 27 29 11 12 114 15 PRO/30/ 26 27 29 30 33/16/7 28 114 15 11 31 Dec.21. f .1: OCTOBER 1 3 17 NOVEMBER 16 17 5 19 20 3 1 14 18 14 5 19 20 6 7 8 214 21 6 10 7 9 21 22 23 214 25 25 12 Dec.22. 114 26 27 28 29 11 12 13 114 26 27 30 31 PRO/30/ 30 33/16/7 ff,8-9: DECEMBER 1 2 3 17 18 5 19 6 7 21 22 8 9 214 -83- 10 11 13 26 28 Dec.31. 114 30 31 9 1 1 2 3 16 17 18 JANUARY 5 19 6 7 21 0 4 8 9 10 11 12 23 214 25 26 27 14 28 15 29 PRO/30/ 31 33/16/7 f.9a: 1 FEBRUARY 3 16 17 18 1 2 3 MARCH 17 14 16 17 1 2 16 17 MAY JUNE 5 18 21 6 21 5 7 22 6 19 20 7 1 2 3 17 18 5 8 23 214 5 29 12 7 8 9 10 11 22 23 2)4 25 9 8 28 11 25 7 114 27 10 7 13 26 9 23 12 25 214 15 13 114 15 28 29 30 12 13 114 15 26 27 28 10 11 12 13 214 25 26 27 28 9 10 23 2 10 8 6 6 9 23 22 19 20 16 JULY 6 19 20 3 APRIL 5 25 9 16 25 12 13 26 27 28 11 12 26 27 28 Jan.1. 31 30 14 15 30 114 31 15 29 PRO/30/ 33/16/7 AUGUST 2 6 3 17 18 SEPTEMBER 1 2 3 17 18 22 23 7 8 21 22 23 20 5 19 8 6 9 9 10 11 12 13 114 15 f.147: 25 26 27 28 29 30 10 11 12 114 15 PRO/30/ 26 27 30 33/16/8 31 Sept.19 f. OCTOBER 1 16 NOVEMBER 3 17 18 6 7 20 21 22 6 7 5 19 1 5 16 17 18 20 21 22 8 8 9 11 214 26 9 23 214 10 11 25 26 12 13 27 Sept.21 114 28 30 28 1: 31 15 PRO/30/ 30 33/16/8 ff.43-414 DECEMBER 1 2 3 18 5 19 6 7 8 21 22 23 9 - 84 - 10 11 12 25 26 27 13 114 15 29 30 Dec.31. 31 9 1 JANUARY 4 2 16 17 5 19 20 5 0 10 11 25 21 12 13 27 28 PRO/30/ 29 31 33/16/8 f FEBRUARY MARCH APRIL MAY JUNE 1 2 16 17 1 2 4 5 18 22 5 17 18 1 2 3 16 17 1 2 16 17 1 2 6 19 20 4 21 3 5 1 2 10 22 23 214 25 7 8 15 13 14 15 27 28 29 30 11 12 13 14 214 15 26 27 28 29 30 13 14 15 30 27 11 10 11 12 22 23 214 25 26 27 29 7 8 10 11 12 14 22 23 26 27 7 8 22 23 214 10 11 25 26 Jan.2. 28 9 3 21 10 13 8 6 16 JULY 9 22 14 25 8 3 21 23 7 5 20 11 7 28 29 31 31 30 13 PRO/30/ 33/16/8 f .140- AUGUST 3 /4 6 16 21 7 22 8 23 10 214 11 12 26 27 Sept.30 114 28 30 31 PRO/30/ SEPTEMBER 1 2 16 17 3 5 6 18 19 7 8 22 23 9 214 26 12 13 14 15 33/16/9 27 28 29 30 f.1a: Sept.30 OCTOBER 1 2 16 17 NOVEMBER 6 18 8 23 3 16 7 19 6 19 20 21 22 23 10 214 25 9 10 214 25 11 12 13 (con- 27 11 12 30 tinued) 13 114 15 PRO/30/ 28 29 30 33/16/9 f .140a: DECEMBER 1 3 16 18 /4 5 6 7 21 22 8 9 10 11 26 85 - Dec.31 12 28 31 1 JANUARY 1 2 3 5 17 9 6 21 0 8 22 6 12 9 23 26 PRO/30/ 15 27 29 30 31 33/16/9 f.41: FEBRUARY 2 3 16 17 18 1 2 3 16 17 18 21 3 6 7 21 22 MARCH APRIL MAY JUNE JULY AUGUST SEPTEMBER OCTOBER NOVEMBER 1 5 19 5 8 22 23 8 9 22 23 24 6 10 10 11 11 13 27 28 12 13 26 9 10 23 24 25 15 114 15 29 30 12 13 14 15 26 27 28 29 30 16 17 18 1 2 3 5 6 7 8 9 10 11 12 13 114 16 17 18 19 20 21 22 23 24 25 26 27 28 29 30 1 2 3 6 7 8 17 18 214 25 26 27 28 29 30 1 2 3 9 10 11 12 13 114 15 16 17 24 25 26 27 28 29 30 1 2 9 10 114 15 23 24 25 29 30 1 2 19 20 7 14 5 4 5 18 19 20 6 6 7 7 8 5 18 20 3 14 5 6 7 8 9 18 19 20 21 22 23 214 6 1 2 3 5 16 17 18 19 20 1 2 3 5 6 17 18 19 20 3 5 31 9 3 21 22 8 Jan.1. 8 25 26 27 28 11 12 13 26 27 28 29 31 31 15 10 11 12 13 14 15 23 24 25 26 27 28 29 30 7 8 9 10 11 12 13 21 22 23 24 25 26 27 29 30 6 7 8 15 PRO/30/ 33/16/9 DECEMBER 1 16 17 18 19 21 10 214 - 86 - 25 26 12 13 14 27 28 29 f.134a: 31 Dec.31. 1 JANUARY 1 16 5 6 7 8 19 20 21 22 23 2 17 18 0 9 214 7 10 11 12 13 114 15 25 26 27 28 29 30 PRO/30/ 31 33/16/9 f.135: FEBRUARY 1 5 2 18 20 6 21 7 22 8 9 10 11 12 13 23 214 25 26 27 28 9 10 11 23 24 25 26 14 15 Jan.1. PRO/30/ MARCH 1 2 16 19 6 7 21 22 8 14 15 33/16/9 27 ff.139a1140 : APRIL 1 2 3 17 18 14 5 6 19 20 7 22 8 9 10 11 12 23 24 25 26 27 13 14 15 Jan.25. 30 PRO/30/ MAY 1 2 3 16 17 18 1 2 3 16 17 18 1 2 3 16 17 18 1 2 5 19 21 7 8 9 22 23 214 10 11 12 13 114 15 33/16/10 26 27 28 29 30 f .1 : Jan.26. JUNE JULY AUGUST SEPTEMBER OCTOBER 14 5 19 20 5 17 18 16 17 18 1 2 3 16 17 18 1 5 19 20 19 20 3 5 19 6 21 6 21 6 21 6 7 22 7 22 7 22 7 21 5 19 8 10 11 12 13 114 15 23 214 25 26 27 28 29 30 8 9 10 11 12 13 114 23 214 25 26 27 8 9 10 11 12 13 23 24 25 26 27 28 29 30 29 30 15 8 9 10 11 12 13 114 15 23 214 25 26 27 28 29 30 9 10 11 12 13 114 15 25 26 27 28 29 30 6 7 8 21 22 23 31 31 PRO/30/ NOVEMBER 1 2 16 17 14 18 5 6 7 19 20 21 22 8 9 10 11 23 214 25 26 27 13 114 15 33/16/10 28 29 30 ff.9595a: DECEMBER 3 16 17 18 5 19 20 6 21 7 8 9 23 214 10 11 12 13 114 15 25 26 27 28 29 30 - 87 - Dec.31. 31 1 JANUARY 0 9 1 2 3 5 6 7 16 17 18 20 21 22 8 1 2 3 5 6 7 8 16 17 18 19 20 21 22 23 1 2 3 5 6 7 16 17 18 20 21 22 23 5 7 20 21 22 23 24 8 10 12 13 25 27 28 114 PRO/30/ 15 30 31 33/16/10 f.95a: FEBRUARY MARCH APRIL MAY 1 2 3 16 17 18 1 2 3 5 18 20 3 5 16 JUNE 1 2 16 JULY 19 6 7 10 11 12 214 25 26 27 28 29 9 10 12 13 14 214 25 27 28 29 30 8 9 10 14 15 23 214 25 8 23 2)4 6 25 26 27 12 13 114 15 28 29 30 12 13 14 15 27 28 29 30 13 14 15 8 9 10 22 23 214 25 26 6 7 8 9 10 11 21 22 23 24 25 26 3 16 17 18 3 5 6 7 8 9 10 11 12 16 17 18 19 20 21 22 23 24 25 26 27 3 5 6 7 8 9 22 23 24 17 18 1 2 3 16 17 21 5 6 7 8 9 29 27 2 SEPTEMBER 28 Jan.1. 26 1 5 114 11 7 19 20 AUGUST OCTOBER 19 9 31 29 14 29 30 10 14 15 25 29 30 114 15 10 28 13 31 NOVEMBER PRO/30/ 33/16/10 ff.136a: DECEMBER 11 7 18 21 25 -88- Dec.31. 12 27 28 29 30 31 1 JANUARY 1 2 16 5 18 9 6 19 2021 0 7 8 9 9 12 22 23 26 27 28 14 15 29 30 PRO/30/ 31 33/16/10 f.137: FEBRUARY 2 3 5 16 17 18 19 20 1 MARCH 1 2 3 16 17 18 1 2 3 16 17 18 1 2 3 4 21 5 7 8 9 10 11 12 13 22 23 214 25 26 27 28 6 19 20 21 7 22 14 15 Jan.1. 8 9 10 11 12 13 14 15 PRO/30/ 23 214 25 26 27 28 29 30 33/16/10 8 9 10 11 12 13 114 15 152: 26 27 28 29 ff APRIL MAY 17 5 6 19 20 14 5 7 21 22 6 7 8 22 23 7 8 19 2021 23 24 9 10 11 12 13 114 214 25 26 27 28 29 31 15 149a- April 22 PRO/30/ 31 33/16/11 f.1: JUNE JULY 1 2 16 17 1 2 16 AUGUST SEPTEMBER OCTOBER 3 5 18 19 3 17 18 14 19 14 6 20 21 22 5 9 10 11 12 14 15 25 26 27 28 29 30 10 11 12 13 114 15 25 26 27 28 29 30 31 9 10 11 12 13 14 214 25 26 27 28 29 30 31 8 23 214 6 7 8 20 21 22 23 9 1 2 3 16 17 18 1 2 3 9 10 11 12 13 114 15 16 17 18 19 20 21 22 23 214 25 26 27 28 29 30 1 2 3 5 6 7 8 9 10 11 12 13 14 15 16 17 18 23 214 25 27 28 29 30 5 19 20 5 19 20 6 21 7 22 6 21 7 22 23 April 31 PRO/30/ NOVEMBER 1 2 3 5 6 7 8 9 10 11 12 13 14 15 33/16/11 16 17 18 19 20 21 22 23 214 25 26 27 28 29 30 ff.5151a: DECEMBER 1 2 3 5 6 16 17 18 20 21 7 22 8 9 10 11 23 2)4 25 26 - 89 - 27 13 1)4 15 28 29 30 Dec.31 31 23 1 JANUARY 1 2 3 16 17 18 9 1 0 6 7 8 9 10 11 12 13 14 15 19 20 21 22 23 24 25 26 27 28 29 30 4 5 PRO/30/ 31 33/16/11 f.52: FEBRUARY MARCH 1 2 3 16 17 18 1 2 3 16 APRIL MAY JUNE JULY OCTOBER 19 8 9 10 11 12 13 22 23 24 25 26 27 28 6 7 8 9 10 11 12 20 21 22 23 24 25 26 3 15 27 28 29 30 11 12 13 14 15 20 21 22 23 214 25 26 27 28 29 30 6 7 8 9 10 11 12 13 114 15 19 20 21 22 23 214 25 26 27 28 6 7 8 9 10 11 12 13 14 15 20 21 22 23 25 26 27 28 29 30 6 7 8 10 11 12 13 114 15 19 20 21 22 25 26 27 28 29 30 9 10 11 12 13 114 15 214 25 26 27 28 29 30 9 10 11 12 13 14 15 23 24 25 26 27 28 29 30 9 10 11 12 13 14 15 23 24 25 26 27 28 29 30 2 3 16 17 18 1 2 3 4 16 17 18 19 1 2 3 4 4 14 5 5 5 5 5 7 8 19 20 21 22 23 6 7 8 20 21 22 4 5 2 16 17 1 2 3 5 6 7 16 17 18 19 20 21 22 18 19 9 23 214 6 1 3 14 10 1 17 18 13 9 4 18 19 3 15 8 17 17 18 5 14 7 16 2 7 6 2 16 SEPTEMBER 14 1 1 5 19 20 21 17 18 16 AUGUST 14 8 30 Jan.1. 31 31 31 31 31 PRO/30/ NOVEMBER 1 2 3 16 17 18 4 5 6 7 8 19 20 21 22 23 9 24 10 11 12 13 14 15 33/16/11 25 26 27 28 29 30 ff.119a120: DECEMBER 1 2 16 17 3 14 18 19 5 6 7 8 9 10 11 12 13 14 15 20 21 22 23 214 25 26 27 28 29 30 -90- Dec.31. 31 1 JANUARY 9 1 1 1 2 3 14 5 6 7 8 9 10 11 12 13 114 15 16 17 18 19 20 21 22 23 214 25 26 27 28 29 30 PRO/30/ 31 1 33/16/1 f.120: FEBRUARY MARCH APRIL MAY 1 2 3 16 17 18 1 2 3 16 17 18 14 5 19 14 19 1 2 16 17 1 2 3 16 17 18 3 7 8 10 11 12 13 25 26 27 28 9 10 11 12 214 25 26 9 15 13 114 15 27 28 29 30 21 5 6 7 8 20 21 22 23 6 7 8 9 10 11 12 13 114 15 21 22 23 214 25 26 27 28 29 30 6 7 8 9 10 11 12 13 114 15 21 22 25 26 27 28 29 30 11 12 13 114 15 26 27 28 29 30 20 14 5 19 20 22 23 214 114 20 14 5 18 19 6 23 214 Jan.1. 31 PRO/30/ 31 33/16/11 f.150a: JUNE 1 2 3 16 17 18 14 5 19 20 6 7 8 9 10 21 22 23 214 25 June 11 PRO/30/ JULY 1 2 3 14 5 6 7 8 9 10 11 12 13 114 15 16 17 18 19 20 21 22 23 214 25 26 27 28 29 30 33/16/12 31 f.1: June AUGUST SEPTEMBER OCTOBER NOVEMBER 1 2 3 16 17 18 1 2 3 16 17 18 1 2 3 16 17 18 1 2 3 16 17 14 5 6 21 14 5 19 20 14 5 19 20 14 5 18 19 20 7 22 6 21 7 22 6 7 21 22 8 9 10 11 12 23 214 25 26 27 114 15 28 29 30 31 8 9 10 11 12 13 114 15 23 214 25 26 27 28 29 30 8 9 10 11 12 13 114 15 23 214 25 26 27 28 29 30 9 10 11 12 13 114 15 PRO/30/ 214 25 26 27 28 29 30 33/16/12 6 7 8 21 22 23 31 f.39a: DECEMBER 1 2 3 14 5 6 7 17 18 19 20 21 22 12 8 9 23 214 10 11 12 13 114 15 25 26 27 28 29 30 - 91 - Dec.31. 31 9 1 JANUARY 1 2 3 5 6 7 16 17 18 19 20 21 22 1 8 2 9 10 11 12 13 14 15 23 24 25 26 27 28 29 30 PRO/30/ 31 33/16/12 f.40: FEBRUARY MARCH APRIL 1 2 3 16 17 18 1 2 3 16 17 18 1 2 3 16 MAY 1 17 18 2 16 3 18 4 5 19 20 14 6 21 7 22 8 9 10 11 12 13 14 23 24 25 26 27 28 29 10 11 12 13 25 26 27 28 29 30 10 11 12 13 114 15 25 26 27 28 29 30 12 13 114 15 28 29 30 5 6 7 19 20 21 22 5 6 7 19 20 21 22 5 6 7 8 19 20 21 22 23 5 6 7 8 20 21 22 5 6 7 8 19 20 21 22 5 6 7 20 21 22 14 14 8 9 23 214 8 9 23 214 15 Jan.1. 15 31 9 10 214 25 26 27 9 10 11 12 13 114 15 121: 25 26 27 28 29 30 Dec.5. 9 10 11 12 13 14 23 214 25 26 27 28 29 30 8 9 10 11 12 13 114 15 23 24 25 26 27 28 29 30 PRO/30/ 31 33/16/12 ff.119a- JUNE JULY AUGUST 14 1 2 3 16 17 18 1 2 3 16 17 18 1 2 3 17 18 19 16 19 14 14 23 214 31 31 PRO/30/ SEPTEMBER 1 2 3 4 5 6 7 8 16 17 18 19 20 21 22 23 1 2 3 4 5 6 7 8 16 17 18 19 20 21 22 1 2 3 5 6 7 16 17 18 19 20 21 22 9 10 11 12 13 114 15 33/17/1 214 25 26 27 28 29 30 f . 1 : 9 10 11 12 13 14 15 23 24 25 26 27 28 29 30 10 11 12 13 111 15 PRO/30/ 25 26 27 28 29 30 33/17/1 Dec.6. OCTOBER NOVEMBER 14 8 9 23 214 31 f .4 DECEMBER 16 2 3 5 6 7 17 18 19 20 21 22 8 9 23 214 - 92 - 10 11 12 13 14 15 25 26 27 28 29 30 Dec.31. 31 1 JANUARY 1 2 3 16 17 18 5 19 20 9 6 21 7 22 3 1 8 9 10 11 12 13 114 15 23 214 25 26 27 28 29 30 PRO/30/ 31 33/17/1 f.14a: FEBRUARY MARCH APRIL MAY JUNE JULY AUGUST SEPTEMBER OCTOBER 2 3 16 17 18 1 2 3 16 17 18 1 2 3 16 17 18 1 14 19 14 19 14 5 20 5 20 5 19 20 5 6 7 8 9 10 11 12 13 21 22 23 214 25 26 27 28 8 9 10 11 12 25 26 6 7 21 22 6 21 15 13 114 15 27 28 29 30 7 8 9 10 11 12 13 114 15 22 23 214 25 26 27 28 29 30 7 8 9 10 11 12 13 114 15 23 214 25 26 27 28 29 30 1 2 3 16 17 18 1 2 3 5 6 7 8 9 10 11 12 13 114 15 16 17 18 19 20 21 22 23 214 25 26 27 28 29 30 1 2 3 5 6 7 8 9 10 11 12 13 114 15 16 17 18 19 20 21 22 23 214 25 26 27 28 29 30 1 2 3 5 16 17 18 19 20 1 2 3 5 16 17 18 19 20 21 22 1 2 3 5 6 7 8 16 17 18 19 20 21 22 23 19 20 6 23 214 114 21 22 6 21 6 8 9 10 11 12 13 114 15 22 7 23 214 25 26 27 28 29 30 7 8 9 10 11 12 13 114 15 23 214 25 26 27 28 29 30 9 10 11 12 13 114 15 214 25 26 27 28 29 30 Jan. 1. 31 31 31 31 31 PRO/30/ NOVEMBER 1 2 3 16 17 18 4 5 6 7 19 20 21 22 8 9 10 11 12 13 14 15 33/17/1 23 214 25 26 27 28 29 30 ff.83a814: DECEMBER 1 2 3 16 17 18 5 6 7 19 20 4 21 22 8 9 23 214 -93- 10 11 12 13 25 26 27 28 15 29 30 Dec.31. 31 1 JANUARY 1 2 3 16 17 18 19 9 5 6 7 20 21 22 4 1 8 9 23 214 10 11 12 13 114 15 25 26 27 28 29 30 PRO/30/ 31 33/17/1 f.814a: FEBRUARY MARCH APRIL 1 2 3 16 17 18 1 2 3 16 17 18 1 2 3 16 17 18 5 19 14 19 6 20 21 5 6 20 21 5 6 19 20 21 7 8 9 10 11 12 13 22 23 214 25 26 27 28 7 8 9 10 11 12 22 23 214 25 26 8 9 10 25 7 22 23 214 114 15 13 1/4 15 27 28 29 30 11 12 13 114 15 PRO/30/ 26 27 28 29 30 33/17/1 Jan.1. 31 f.119: MAY 14 1 2 3 16 17 18 19 20 1 2 3 5 16 17 18 1 2 3 16 17 18 19 20 1 2 3 5 16 17 5 6 21 7 8 9 10 11 12 13 114 15 22 23 214 25 26 27 28 29 30 7 8 9 12 13 114 15 33/17/2 23 214 25 26 27 28 29 30 f.1: 8 9 10 11 12 13 114 15 23 214 25 26 27 28 29 30 8 9 10 11 12 13 114 15 May 27. 31 PRO/30/ JUNE 19 20 6 21 22 May JULY AUGUST SEPTEMBER OCTOBER NOVEMBER 14 18 19 1 2 3 16 17 18 1 2 3 16 17 18 1 2 3 16 17 18 5 6 21 6 7 22 7 20 21 22 23 214 25 26 27 28 29 30 8 9 10 11 12 13 114 15 23 214 25 26 27 28 29 30 10 11 12 13 14 15 25 26 27 28 29 30 10 11 12 13 14 15 25 26 27 28 29 30 5 6 7 20 21 22 5 6 7 19 20 21 22 5 6 7 19 20 21 22 19 14 14 8 9 23 214 8 9 23 214 28. 31 31 31 PRO/30/ 33/17/2 f.47: DECEMBER 1 2 3 16 17 18 14 5 6 7 19 20 21 22 8 9 23 214 - 94 - 10 11 12 13 114 15 25 26 27 28 29 30 Dec.31. 31 9 1 JANUARY 1 2 3 16 17 18 14 5 19 20 6 7 22 21 5 1 8 9 23 214 10 11 12 13 14 15 25 26 27 28 29 30 PRO/30/ 31 33/17/2 f.47a: FEBRUARY MARCH APRIL MAY JUNE 1 2 3 16 17 18 1 2 3 16 17 18 1 2 3 16 17 18 1 2 3 16 17 18 1 2 16 17 5 19 20 14 6 7 22 21 5 6 7 19 20 21 22 6 7 14 19 19 3 18 19 5 20 22 21 8 9 10 11 12 13 23 214 25 26 27 28 8 9 10 11 12 25 26 9 10 23 214 23 214 8 114 15 13 14 15 27 28 29 30 11 12 13 114 15 25 26 27 28 29 30 Jan.1. 31 5 6 7 8 9 10 11 12 13 114 15 20 21 22 23 24 25 26 27 28 29 30 5 6 7 8 9 10 11 12 13 114 15 PRO/30/ 20 21 22 23 24 25 26 27 28 29 30 33/17/2 9 10 11 12 13 114 15 23 24 25 26 27 28 29 30 11 12 13 114 15 26 27 28 29 30 31 ff.120JULY AUGUST 1 2 3 16 17 18 1 2 3 16 17 18 14 5 19 20 5 19 20 6 21 7 22 6 7 21 22 8 8 9 23 24 25 124a: 31 Dec.18. PRO/30/ 31 33/17/3 f.1: SEPTEMBER OCTOBER 1 2 3 16 17 1 2 3 16 17 18 14 5 6 7 18 19 20 21 22 5 6 7 19 20 21 22 14 8 9 10 11 12 13 114 15 23 24 25 26 27 28 29 30 10 11 12 13 114 15 25 26 27 28 29 30 8 9 23 211 Dec.19. 31 PRO/30/ NOVEMBER 2 3 16 17 18 1 14 19 5 6 7 8 20 21 22 23 9 10 11 12 13 114 15 33/17/3 214 25 26 27 28 29 30 ff.2a3a: DECEMBER 1 16 2 3 14 17 18- 19 5 6 7 20 21 22 8 9 23 214 10 11 12 13 14 15 25 26 27 28 29 30 - 95 - Dec.31. 31 1 JANUARY 1 2 3 16 17 18 19 9 1 5 6 7 8 20 21 22 23 6 9 10 11 12 13 1)4 15 214 25 26 27 28 29 30 PRO/30/ 31 33/17/3 f.4: FEBRUARY MARCH APRIL MAY JUNE JULY AUGUST 1 2 3 16 17 1 5 6 7 8 9 10 11 12 13 114 18 19 20 21 22 23 214 25 26 27 28 29 2 3 5 6 7 8 9 10 11 12 13 114 15 16 17 18 19 20 21 22 23 214 25 26 27 28 29 30 1 2 3 5 6 7 8 9 10 11 12 13 14 15 16 17 18 19 20 21 22 23 214 25 26 27 28 29 30 1 2 3 5 6 7 8 9 10 11 12 13 14 15 16 17 18 19 20 21 22 23 24 25 26 27 28 29 30 1 2 3 5 6 7 8 9 10 11 12 13 14 15 16 17 18 19 20 21 22 23 214 25 26 27 28 29 30 1 2 3 5 6 7 8 9 10 11 12 13 14 15 16 17 18 19 20 21 22 23 214 25 26 27 28 29 30 1 2 3 5 6 7 8 9 10 11 12 13 14 15 16 17 18 19 20 21 22 23 24 25 26 27 28 29 30 8 NOVEMBER /4 2 3 5 6 7 16 17 18 19 20 21 22 23 1 2 3 14 5 6 7 16 17 18 19 20 21 22 1 2 3 4 5 17 18 19 20 SEPTEMBER OCTOBER 4 16 6 7 15 Jan.1. 31 31 31 31 9 10 11 12 13 14 15 214 25 26 27 28 29 30 8 9 10 11 12 13 14 15 23 24 25 26 27 28 29 30 8 9 10 11 12 1.3 114 15 PRO/30/ 25 26 27 28 29 30 33/17/3 21 22 23 31 f.75: DECEMBER 1 2 16 17 3 4 5 18 19 20 6 7 8 9 10 11 12 13 14 15 21 22 23 24 25 26 27 28 29 30 , - 96 - Dec.31. 31 1 1 2 16 17 1 2 16 1 JANUARY 3 9 5 6 20 21 3 5 6 17 18 19 20 21 2 3 5 6 20 21 5 6 18 19 1 7 8 7 9 10 11 12 13 114 15 22 23 24 25 26 27 28 29 30 PRO/30/ 31 33/17/3 f.75a: FEBRUARY MARCH 16 APRIL 17 18 1 2 3 16 17 18 1 2 3 16 17 18 1 2 MAY JUNE 1 16 11 12 13 22 23 214 25 26 27 28 8 9 10 11 12 23 24 25 26 7 7 22 7 9 14 15 13 114 15 27 28 29 30 8 9 10 11 12 13 114 15 25 26 27 28 29 30 22 23 214 6 7 8 9 10 11 12 13 114 15 19 20 71 22 23 214 25 26 27 28 29 30 3 5 6 7 10 11 12 13 114 15 18 19 20 21 25 26 27 28 29 30 3 5 6 9 10 11 12 13 14 15 17 18 19 20 21 24 25 26 27 28 29 30 2 19 20 10 21 16 JULY 19 8 14 5 8 9 22 23 214 7 8 Jan.1. 31 31 31 PRO/30/ 33/17/3 AUGUST 1 2 3 16 17 1 2 16 17 1 2 3 16 17 18 SEPTEMBER 14 5 6 7 18 19 20 21 22 3 5 6 7 8 21 22 5 6 19 20 21 18 19 20 8 9 10 11 12 13 114 15 25 26 27 28 29 30 9 10 11 12 13 114 15 PRO/30/ 23 214 25 26 27 28 29 30 33/17/4 7 8 9 10 11 12 13 114 15 22 23 24 25 26 27 28 29 30 23 214 f.119: 31 Sept.11. f.1: OCTOBER Sept.12. 31 PRO/30/ NOVEMBER 1 16 2 3 17 18 5 19 6 20 21 7 22 8 9 10 11 12 13 14 15 33/17/4 23 24 25 26 27 28 29 30 ff.23a24: DECEMBER 1 16 2 3 17 18 14 5 19 20 6 21 7 22 8 9 10 11 12 13 14 15 23 214 25 26 27 28 29 30 - 97 - Dec.31. 31 1 JANUARY 14 9 1 2 3 16 17 18 1 2 3 16 17 18 1 2 3 16 17 18 1 2 3 16 17 18 1 2 3 16 17 18 1 2 3 16 17 18 19 20 1 2 3 5 6 7 16 17 18 19 20 21 22 1 2 3 5 6 7 16 17 18 19 20 21 22 1 2 3 5 6 7 16 17 18 19 20 21 22 1 2 3 6 7 16 17 18 5 19 20 6 21 7 22 1 8 9 8 10 11 12 13 1)4 15 25 26 27 28 29 30 9 10 11 12 13 14 15 23 24 25 26 27 28 9 10 11 12 13 14 15 23 24 25 26 27 28 29 30 23 2)4 PRO/30/ 31 33/17/4 f.24a: FEBRUARY MARCH APRIL MAY JUNE JULY AUGUST SEPTEMBER OCTOBER 19 14 5 6 7 20 21 22 5 6 n 19 20 5 19 20 5 19 20 14 14 5 5 19 20 21 6 21 6 21 6 21 21 22 7 22 7 22 7 22 22 8 .d. 8 9 10 11 12 13 114 15 23 214 25 26 27 28 29 30 8 9 10 11 12 13 14 15 23 24 25 26 27 28 29 30 10 11 12 13 114 15 25 26 27 28 29 30 9 10 11 12 13 114 15 23 24 25 26 27 28 29 30 9 10 11 12 13 14 15 23 24 25 26 27 28 29 30 10 11 12 13 14 15 25 26 27 28 29 30 12 13 14 15 28 29 30 8 9 23 214 8 8 8 9 23 214 8 9 10 11 23 214 25 26 Jan.1. 31 31 31 31 31 PRO/30/ NOVEMBER 1 2 3 16 17 18 5 19 20 6 21 7 22 8 9 10 11 12 13 14 15 33/17/4 23 214 25 26 27 28 29 30 ff.87a88: DECEMBER 1 2 3 16 17 18 5 19 20 6 21 7 22 8 9 10 11 12 13 114 15 23 214 25 26 27 28 29 30 - 98 - Dec.31. 31 1 JANUARY 9 5 6 7 20 21 22 5 6 19 20 21 1 1 2 3 16 17 18 1 2 3 16 17 18 1 2 3 5 6 7 16 17 18 19 20 21 22 1 2 3 5 6 7 8 16 17 18 19 20 21 22 23 19 8 9 9 10 11 12 13 114 15 23 214 25 26 27 28 29 30 11 12 13 114 15 PRO/30/ 31 33/17/14 ff .. 88a: FEBRUARY MARCH APRIL 14 7 22 8 9 10 23 214 25 26 27 28 8 9 10 11 12 13 114 15 25 26 27 28 29 30 9 10 11 12 13 114 15 214 25 26 27 28 29 30 23 214 Jan.1. 31 PRO/30/ 33/17/14 MAY JUNE 1 2 3 16 17 18 1 2 3 16 17 18 14 5 19 20 19 6 7 21 22 8 9 23 214 5 6 9 20 21 22 23 214 10 11 12 13 114 15 25 26 27 28 29 30 10 11 12 13 114 15 25 26 27 28 29 30 f.119: 31 June 21 PRO/30/ 33/17/5 JULY AUGUST SEPTEMBER 1 2 3 16 17 18 1 2 3 16 17 18 2 3 17 18 1 2 3 16 17 18 1 16 OCTOBER 14 5 19 20 5 19 20 6 7 21 22 6 21 5 19 20 4 5 19 20 7 22 7 21 6 21 22 7 22 8 9 10 11 12 13 114 15 23 214 25 26 27 28 29 30 8 9 10 11 12 13 114 15 23 2)4 25 26 27 28 29 30 8 9 10 11 13 114 15 23 214 25 26 27 28 29 30 8 9 10 11 12 13 14 15 23 24 25 26 27 28 29 30 f . 1: 31 June 22 31 31 PRO/30/ NOVEMBER 1 2 3 4 16 17 18 19 1 2 5 6 7 20 21 22 8 9 10 11 12 13 14 15 33/17/5 23 24 25 26 27 28 29 30 ff:36a- 9 10 11 12 13 14 15 23 2)4 25 26 27 28 29 30 37: DECEMBER 16 3 17 18 14 19 5 6 7 20 21 22 8 - 99 - Dec.31. 31 1 JANUARY 2 9 1 2 3 5 6 7 16 17 18 19 20 21 22 8 0 9 10 11 12 13 14 15 23 24 25 26 27 28 29 30 PRO/30/ 31 33/17/5 f.37a: FEBRUARY MARCH APRIL MAY JUNE JULY 5 6 7 8 9 10 11 12 13 14 19 20 21 22 23 24 25 26 27 28 29 5 6 7 8 9 10 11 12 13 14 15 18 19 20 21 22 23 24 25 26 27 28 29 30 2 3 5 6 7 9 10 11 12 13 14 15 16 17 18 19 20 21 22 23 24 25 26 27 28 29 30 1 2 3 5 6 7 9 10 11 12 13 14 15 16 17 18 19 20 21 22 23 24 25 26 27 28 29 30 1 2 3 16 17 18 1 2 3 16 17 1 1 2 3 16 17 18 1 2 3 16 17 18 4 14 5 19 20 5 6 21 6 19 20 7 22 7 22 8 8 15 8 9 10 11 12 13 1)4 15 23 2)4 25 26 27 28 29 30 8 9 10 11 12 13 114 15 23 214 25 26 27 28 29 30 Jan.1. 31 31 31 PRO/30/ AUGUST 1 2 3 16 17 18 14 19 5 20 6 7 21 22 8 9 10 11 12 13 14 15 23 24 25 26 27 28 29 30 33/17/5 31 f.117: Dec.20. SEPTEMBER 1 2 3 16 17 18 1 2 3 16 17 18 1 2 16 17 5 7 8 9 10 11 12 13 114 15 22 23 214 25 26 27 28 29 30 5 6 7 8 9 10 11 12 13 14 15 19 20 21 22 23 24 25 26 27 28 29 30 3 5 6 7 8 9 10 11 12 13 14 15 PRO/30/ 18 19 20 21 22 23 24 25 26 27 28 29 30 33/17/6 19 20 6 21 PRO/30/ 33/17/6 OCTOBER NOVEMBER f.0a: 31 Dec.21. ff.2a-3: DECEMBER 1 2 3 16 17 18 5 19 20 6 7 8 9 10 11 12 13 14 15 21 22 23 214 25 26 27 28 29 30 - 100 - Dec.31. 31 9 1 JANUARY 1 2 3 16 17 18 19 5 6 7 20 21 22 2 8 1 9 10 11 12 13 14 15 23 24 25 26 27 28 29 30 PRO/30/ 31 33/17/6 f.3a: FEBRUARY MARCH APRIL 1 2 16 17 1 2 16 17 1 2 16 17 MAY JUNE JULY AUGUST SEPTEMBER OCTOBER 2 3 18 19 3 18 19 5 6 7 8 9 10 11 12 13 20 21 22 23 214 25 26 27 28 5 6 7 8 9 10 11 12 114 15 13 114 15 30 20 21 22 23 214 25 26 27 28 29 5 6 7 8 9 10 11 12 13 114 15 20 21 22 23 214 25 26 27 28 29 30 5 6 7 8 9 10 11 12 13 14 15 20 21 22 23 214 25 26 27 28 29 30 5 6 7 8 9 10 11 12 13 114 15 18 19 20 21 22 23 2/4 25 26 27 28 29 30 4 5 6 7 10 11 12 13 114 15 25 26 27 28 29 30 9 10 11 12 13 14 15 23 24 25 26 27 28 29 30 10 11 12 13 114 15 25 26 27 28 29 30 3 18 19 3 18 19 Jan:l. 31 16 17 1 2 16 17 1 2 3 16 17 18 19 20 21 1 2 3 5 6 7 16 17 18 19 20 21 22 1 2 3 5 6 7 16 17 18 19 20 21 22 1 2 3 5 6 7 8 9 10 11 12 13 114 15 16 17 18 19 20 21 22 23 214 25 26 27 28 29 30 1 2 3 5 6 7 8 9 10 11 12 13 14 15 33/17/6 16 17 18 19 20 21 23 24 25 26 27 28 29 30 ff.72- 3 14 22 8 9 23 214 8 8 9 23 214 31 31 31 31 PRO/30/ NOVEMBER 22 72a: DECEMBER 1 2 3 16 17 18 14 5 19 20 6 21 22 23 24 10 11 12 13 114 15 25 26 27 28 29 30 -- 101 - .Dec.31. 31 1 JANUARY 1 2 3 16 17 18 19 9 5 6 7 20 21 22 2 2 8 9 10 11 12 13 14 15 23 24 25 26 27 28 29 30 PRO/30/ 31 33/17/6 f.73: FEBRUARY 1 2 3 16 17 18 1 2 3 16 17 18 1 2 3 16 17 18 1 2 MARCH APRIL MAY 16 19 19 5 6 7 8 9 10 11 12 13 20 21 22 23 214 25 26 27 28 5 6 7 8 9 10 11 12 20 21 23 24 25 26 5 6 9 10 23 24 19 20 21 22 7 22 3 5 6 7 18 19 20 21 22 14 15 13 14 15 27 28 29 30 11 12 13 14 15 25 26 27 28 29 30 10 11 12 13 14 15 25 26 27 28 29 30 9 10 11 12 13 14 15 23 24 25 26 27 28 29 30 9 10 11 12 13 14 23 24 25 26 27 28 29 8 8 9 23 214 Jan.1. 31 PRO/30/ 31 33/17/6 f.120a: JUNE JULY 1 2 3 5 6 7 16 17 18 19 20 21 22 1 2 3 5 6 7 16 17 18 19 20 21 22 8 8 Aug.29. PRO/30/ 30 31 33/17/7 f.0a: AUGUST SEPTEMBER 14 1 2 3 16 17 18 19 20 1 2 3 5 17 18 19 20 21 22 3 5 6 7 20 21 16 OCTOBER 16 17 18 19 5 6 21 7 22 6 7 22 8 9 10 11 12 13 14 15 23 214 25 26 27 28 29 30 8 9 10 11 12 13 114 15 23 214 25 26 27 28 29 30 8 9 10 11 12 13 14 15 23 24 25 26 27 28 29 30 Aug.30. 31 31 PRO/30/ NOVEMBER 1 2 3 16 17 18 5 19 20 6 7 21 22 8 9 10 11 12 13 1)4 15 33/17/7 23 24 25 26 27 28 29 30 ff.25a26: DECEMBER 1 2 3 16 17 18 5 19 6 7 8 9 10 11 12 13 14 15 20 21 22 23 24 25 26 27 28 29 30 - 102 - Dec.31. 31 9 1 JANUARY 1 16 2 3 17 18 19 5 6 20 21 7 22 2 3 8 9 10 11 12 13 1)4 15 23 214 25 26 27 28 29 30 PRO/30/ 31 33/17/7 f.26: FEBRUARY MARCH APRIL MAY 1 2 3 5 6 7 8 9 10 11 12 13 16 17 18 19 20 21 22 23 214 25 26 27 28 1 2 3 8 9 10 11 12 16 17 18 23 214 25 26 1 2 3 8 9 10 16 17 18 23 214 1 2 3 8 16 JUNE JULY 17 18 14 5 19 20 14 21 5 19 20 14 5 6 6 21 7 22 7 22 7 13 114 15 27 28 29 30 11 12 13 114 15 25 26 27 28 29 30 9 10 11 12 13 114 15 23 214 25 26 27 28 29 30 8 9 10 11 12 13 114 15 25 26 27 28 29 30 2 3 16 17 18 1 2 3 5 6 7 8 9 10 11 12 13 114 15 16 17 18 19 20 21 22 23 214 25 26 27 28 29 30 20 6 15 1 19 5 7 22 21 19 20 14 6 1)4 21 22 23 214 Jan.1. 31 31 31 PRO/30/ AUGUST 1 2 3 5 16 17 18 19 20 1 2 3 16 17 18 6 21 7 8 9 10 11 12 13 114 15 22 23 214 25 26 27 28 29 30 8 9 10 11 12 13 114 15 23 214 25 26 27 28 29 30 33/17/7 31 f.95: Nov.4. SEPTEMBER 14 5 19 20 6 7 21 PRO/30/ 33/17/8 OCTOBER NOVEMBER 1 2 3 5 16 17 18 1 2 3 5 16 17 18 19 20 19 20 6 21 6 7 22 7 21 22 8 9 10 11 12 13 114 15 23 2/4 25 26 27 28 29 30 8 9 10 11 12 13 114 15 23 214 f.0a: 31 Nov.5. PRO/30/ 33/17/8 ff.15-6: DECEMBER Dec.31. 18 19 20 21 22 23 214 - 25 103 - 26 27 28 29 30 31 1 JANUARY 1 2 16 17 3 14 5 18 19 20 9 6 7 21 22 2 8 4 10 11 12 13 114 15 25 26 27 28 29 30 9 23 214 PRO/30/ 31 33/17/8 f.16a: FEBRUARY MARCH APRIL MAY JUNE 8 1 2 3 14 5 6 7 16 17 18 19 20 21 22 1 2 3 14 5 6 7 8 16 17 18 20 21 22 23 1 2 3 14 5 6 7 8 16 17 18 1 2 3 16 17 1 2 3 16 17 18 19 10 11 12 13 114 25 26 27 28 29 9 10 11 12 13 114 15 214 25 26 27 28 29 30 9 10 11 12 13 114 15 25 26 27 28 29 30 10 11 12 13 114 15 25 26 27 28 29 30 10 11 12 13 114 15 25 26 27 28 29 30 9 23 214 20 21 22 23 214 14 5 6 7 8 9 20 21 22 14 5 6 7 19 18 19 19 20 21 23 214 8 9 23 214 22 15 Jan.1. 31 31 PRO/3U/ JULY 1 2 16 17 3 14 5 18 19 20 6 7 8 9 10 11 12 13 114 15 21 22 23 214 25 26 27 28 29 30 7 8 9 10 11 12 13 114 15 22 23 214 25 26 27 28 29 30 33/17/8 31 f.80: Aug.19. AUGUST 1 2 3 16 17 18 6 )4 19 20 21 31 PRO/30/ 33/17/9 SEPTEMBER OCTOBER 1 2 3 14 5 6 7 8 9 10 11 12 13 114 15 f.0a: 16 17 18 19 20 21 22 23 214 25 26 27 28 29 30 Aug.20. 1 2 3 14 5 6 7 8 9 10 11 12 13 114 15 16 17 18 19 20 21 22 23 2)4 25 26 27 28 29 30 31 PRO/30/ NOVEMBER 1 2 16 17 10 11 12 13 114 15 33/17/9 18 19 20 21 22 23 214 25 26 27 28 29 30 ff.145a- 3 14 5 6 7 8 9 146a: DECEMBER 1 16 2 17 3 18 )4 5 19 20 6 21 7 22 8 9 23 214 - 104 - 10 11 25 26 12 13 114 15 27 28 29 30 Dec.31. 31 1 JANUARY 1 16 2 3 17 18 19 9 5 6 7 20 21 22 2 8 5 9 10 11 12 13 114 15 23 214 25 26 27 28 29 30 PRO/30/ 31 33/17/9 f .147 : FEBRUARY MARCH APRIL MAY JUNE JULY 1 2 3 16 17 18 1 2 3 16 17 18 1 14 5 19 20 14 5 19 20 2 3 5 16 17 18 19 20 1 2 3 5 16 17 18 1 2 3 16 17 18 1 2 3 16 17 18 1 2 3 16 17 18 6 7 8 9 10 11 12 13 21 22 23 214 25 26 27 28 6 7 8 9 10 11 12 22 23 214 25 26 7 21 15 13 14 15 27 28 29 30 8 9 10 11 12 13 14 15 22 23 214 25 26 27 28 29 30 6 7 8 9 10 11 12 13 114 15 19 20 21 22 25 26 27 28 29 30 5 6 7 8 9 10 11 12 13 114 15 22 23 214 25 26 27 28 29 30 7 8 9 10 11 12 13 114 15 23 214 25 26 27 28 29 30 8 9 10 11 12 13 114 15 23 214 25 26 27 28 29 30 19 20 5 20 6 114 21 21 6 21 22 23 214 Jan . 1 . 31 31 31 PRO/30/ AUGUST 24 5 19 20 6 21 7 22 33/17/9 31 f.133a: Oct.27. SEPTEMBER 1 2 3 16 17 18 5 19 20 6 21 7 22 8 9 10 11 12 13 114 15 23 214 25 26 27 28 29 30 PRO/30/ 33/17/10 OCTOBER NOVEMBER 1 2 3 16 17 18 1 2 3 16 17 18 14 5 19 20 5 19 20 6 21 6 21 7 22 7 22 8 9 10 11 12 13 14 15 23 24 25 26 27 28 29 30 10 11 12 13 114 15 PRO/30/ 25 26 27 28 29 30 33/17/9 8 9 23 f.0a: 31 Oct.28. ff.16-17 DECEMBER 1 2 3 16 17 18 14 5 19 20 6 21 7 22 8 9 10 11 12 13 114 15 23 214 25 26 27 28 29 30 - 105 - Dec.31. 31 1 JANUARY 1 2 3 16 17 18 14 19 9 5 6 7 20 21 22 6 2 8 9 10 11 12 13 14 15 23 24 25 26 27 28 29 30 PRO/30/ 31 33/17/10 f.17: FEBRUARY MARCH APRIL MAY JUNE JULY AUGUST SEPTEMBER 1 2 3 16 17 18 1 2 16 17 18 1 2 3 16 17 18 1 2 3 16 17 18 1 2 3 5 6 7 16 17 18 19 20 21 22 1 2 3 5 6 7 16 17 18 20 21 22 1 2 3 16 17 18 20 1 2 3 5 6 20 21 5 6 7 20 21 22 16 17 OCTOBER 14 1 2 16 17 5 6 7 8 19 20 21 22 5 6 19 20 5 19 20 5 19 20 19 14 18 19 3 18 19 5 9 10 11 12 13 23 214 25 26 27 28 7 8 9 10 11 12 22 23 214 25 26 7 8 9 10 22 23 24 6 7 8 21 22 21 6 21 6 7 21 22 7 22 114 15 13 1)4 15 27 28 29 30 11 12 13 114 15 25 26 27 28 29 30 9 10 11 12 13 114 15 23 214 25 26 27 28 29 30 8 9 10 11 12 13 114 15 23 214 25 26 27 28 29 30 9 10 11 12 13 14 15 23 24 25 26 27 28 29 30 9 10 11 12 13 14 15 23 24 25 26 27 28 29 30 9 10 11 12 13 14 15 23 2)4 25 26 27 28 29 30 9 10 11 12 13 14 15 23 214 25 26 27 28 29 30 8 8 8 8 Jan.1. 31 31 31 31 31 PRO/30/ NOVEMBER 1 2 3 16 17 18 14 5 6 7 19 20 21 22 23 214 25 26 12 13 114 15 33/17/10 27 28 29 30 ff.121- 121a: DECEMBER 1 2 3 5 6 7 8 9 10 16 17 18 19 20 21 22 23 214 25 - 106 - 11 .26 12 13 14 15 27 28 29 30 Dec.31. 31 第3報 ア ー ネ ス ト ・サ ト ウ 自 筆 日 記 の 一 部 転 写 テ キ ス ト 鹿 児 島1867January 熱 海1867March,iiFebruary 長 崎18b7September 大 阪1867December ゴ匕海 道seiSeptember 東 京1900April-May 英 国1926December 鹿 児 島(KAGOSIMA):1867January[PRO/30/33/15/1/pp.319-43] Jan.1. StartedfromNagasakiintheArgus.Comr.H.L.Round.Breezeblowing, roughweather. "2 . AthalfpastoneanchoredinfrontofKagosima.Someofficerspulled-off fromshore,bringingaflagwiththem-forustohoistwhilstfiringasalutein answertotheirsonourdroppinganchor.-MatsuokaJuidayuwassenton…boardto explainthatShiuri'noDaibu&OsuminoKamiwereinretirementonaccountof thedeathofthelatter'smotherashorttimepreviously.Asneitherofthem cld.showthemselves,thedutyofreceivingtheAdmiral's!etterwouldbe performedbythePrince'ssecondbrother,supportedbytwoKaros. WentonShOre&s七 〇ppedaヒ しheShiu-zei-kuan(集 Sutcliffe,H.Harrison&N.Shilingfordarethenamesofthethreeforeigners stoppinghere;thetwoformer[sJbeing _hereonspec:topickupwhattheycan, andthelatterhavingayear'sengagement.Watersisthe'nameof-theengineer inLiuKiuwhoisisengagedinputtingupsugarmills.E.Holmeisacotton spinner,-andlikeS.hasalsoanengagementonthecotton.millswhichisgoing tobeerectedatIso. Jany.3rd. Captain-Roundwentonshorewithapartyofofficerstohandaverthe Admiral'sletter;1'accompaniedhimtointerpret.-WewerereceiuedbyShimadzu Dzusho,2ndsonofOsuminoKami,NiroGiobuaKarowhohasbeentoEngland, andShimadzuIse,anotherKaro.InhandingovertheletterIreadouttoDzusho themeaningof-theletter.Afterthisceremony,whichoccupiednotmorethan fiveminutes,wesatdowntoafeast,commencingwithafew-coursesofJapse. cookery,&endingwithalongsuccessionofEuropeandishes,withEuropean wines&beer.Verylittleconversationofimportancetookplace.OnceNiro saidsomethingaboutthewayinwhichhehadheeddoggedbyCustomhouse officialsonhis.latevisittoYokohama,butasthiswastoopenaverylong subjectofconversation,Imerelysaidso,andthesubjectdropped.Afterthe banquetwasover.thepartydispersedtowalkaboutthetown,andIremained behindtoassistintranslating.theAdmiral'sletter.NiroGiobucame.innow& thentotalkbutourconversationwasmuchinterrupted.Hetoldmethatthe. meetingofDaimiosatKiotohadbeenputoff,thathedidnotknowwhenit l-107一 成 舘)a七Iso;J. . would take since, that was to Argus, the place receive be of the G. Did you S. No, I G. Was it S. No, I mean G. Oh, yes. commands of his G. there thought by a good not about the in about Ise 7th about ship, nothing about of a letter 3 wks Itotsbashi perhaps the the matter. which In had been month. it was. phraseology was not sending very much auxiliary who sat next: to was in Kioto at Ise Choshiu the , which English composition document & the a letter an I knew Hiogo praised. &c. letter Prince; the thro' with that him praised one Shimadzu the told passing there surmised a stupid Higo the he Satsuma what when expected too; I that; heard affair getting on; me the the troops today against wrote that Choshiu. letter by the time. Tycoon has withdrawn his side, a great part troops. the is very Daimios beating S. and Mikado see Choshiu of person, going had was conversation to How is he steamer in would presented of That a French course S. &c. strong, will and support he the has the right Tycoon; and on the & therefore latter has no troops and attacked none chance now of him. Well, I think energetically that at first, G. No, never; he had S. You appear to be G. No, not if he he must not the very friendly, but had sent have his best conquered right on his friendly with we have a natural Choshiu him. side. Choshiu. fellow feeling for one of our own class. S. Katsura friends Kogoro of G. Kogoro on business mine is can going & sleep This to at like to call on him to inquire after some Shimonoseki. an interview with my colleagues home now at but if Osumi three, you no and Kami at ten I don't particularly and when wish a meeting he to will see be at him , you there. last offer I Returned on intended arrangements, Jan. at of not I should have some He is go here; who live with liberty. is shore declined, from and was Argus whither & found that unable had to gone Sutcliffe manage to to inform & Co. had see Kogoro Round gone of to at all . tomorrow's dine on board . 4. Went Niro ready, kuan on Giobu but and board to came about that it inspected assist Round twelve should glass be receiving o'clock to delivered at factory, kettle foundry; & then as Matsuoka which a party sat down large in shot had once answer say that Iso. At & shell arrived, more -108- the two a Admiral's answer p.m. foundry, the to to letter European was landed gun was letter. not quite at Shiu-zei foundry, pot delivered, banquet. & after It was considerably shorter than that of the previous day, much to the delight of all parties; tho' the food was eatable. It was pronouced very nice. I rather think that it was a great stretch of indulgence on our part which induced us to say so, for in reality the dinner was bad & ill-arranged. After it was over about 5 o'clock Sutcliffe & I started to call on Niro Giobu, who had not appeared since the morning. After an hour's walking or more, we came to his place, when it was already quite dark. Giobu received us very cordially, oranges; and recognized Sutcliffe at once as an old friend. beer & small cakes were produced over which we sat talking till Tea; half past seven. Niro told me that the letter whiCh the French ship was to bring was one from the French Emperor had written to the Tycoon; that it was expected at Hiogo that the English Minister would go there too; in fact that there would be a general gathering there of the P.R. Giobu again referred to the hindrances thrown in their way by the Custom house officials at Yokohama, and told a story of what -occurred on one occasion when he went to visit Sir Harry at Yokohama; how Siebold abused the men who had dogged his steps & then fell upon two Guaikokubugio who were at the Legation at the time & abused them frightfully also. The remembrance appeared to delight old Giobu a great deal. We then abused the Custom house officials for a short time, & talked a little about books, after which the lateness of the hour warned us that it was time to depart. Giobu presented each Of us with a leg of wild boar. Slept again on shore at Iso. Jan. 5. Got up at 7 to go on board; was obliged to miss the usual walk up & along the hills at the back. at a quarter to nine. Matsuoka was on board to say good bye. Fine weather; slight Weighed anchor breeze. Jan. 6. Fine weather & calm. Arrived at Uwajima in Iyo at 11.a.m. Territory of Date Totomi no kami; 100,000 koku. Country very mountainous. Uwajima Bay is difficult to find, it is completely heights varying from 500 to 2000 ft. landlocked and surrounded by hills A very high hill called Onigashiro Onigajo lies close behind the town, i.e. on its east side. on a small wooded hill close to the seashore; consists of or The Castle is built as usual of a donjon keep (otenshi) in the centre (omaru) surrounded by two circles of fortification (ni no maru and san no maru). The Tenshi is three stories high & neatly whitenwashed but almost hidden by the trees. The town is long & straggling as the hills come down to nearly to the water's edge, half of it being composed of officials' dwellings, this half lies south of the castle, - 1on—• and the citizens' quarter this is to the has been taken embanking part side of the yashiro soldiers' east The Bay is advantage bay; that on the north the stern an opera side announced; After the shore busily a boat engaged & fields , by one on each just under a double the row of was seen hovering in surveying us thro' on board said himself he was the Prince . that he had by saying had taken place , a man named Tatei was of the Hiogo before she was sent to Nagasaki to He came to ask what was our business . The admiral's letter him a happy new year was read out & handed over. Prince was being shown over appointed the ship I conversed a little terms. Shtotsubashi Shogun, & not known when he will at least. Ogasawara had been dismissed at Kokura, not for being beaten in the Captain's gig, others be; fr. perhaps never the Gorojiu but for running with away . him . He said had not yet been will be; the eldest were children swords wrapped up in nishiki. and attended The Prince behaviour When the Prince of whom is a little in arms, hope not for cowardly accompanied him; a number of his jochiu on the bank with his children; the Matsune Kura , son of the cabin and whilst the 20 came down into Uwajima & Satsuma were on very friendly age; the town is He excused some conversation Matsune Dzusho, a young man of about shore towards anchored in it him on board. he had been captain be exchanged. wishing 6 guns & is Some of the Uwajima people Took a boat and brought to & some paddy mounts the ship with an individual glass. come incog. after close There are two small batteries called Sumiyoshi; from Sumiyoshi (ashigaru) houses. & a half very shallow of to form a saltern of the bed of the sea. About an hour about & north. boy of 7 years by girls was very polite went on were waiting bearing & affable of small and promised to come on board next day with the Inkio. After leaving of red lacquer foreigners a fine appetite & examining evidently don't Everywhere surrounded our clothes know the by a crowd of people (I had met three officers of the piece of asking Argus). 7. Rained violently came on board & drinking dozen, & looking about interrupted to fire the side battery all day & blew. nevertheless taling talk the town, & purchased they cheaply; for curiosities. questions Jan. him, went for a walk about very some Moselle all over the French the salute; of the ship south one o'clock. great that side. Inkio Stopped for The Inkio intimacy Date Iyo no Kami a couple at Nagasaki seized hold for of hours 26 boos' a of me & began to the Bakufu , but old Matsune if he did not go away soon it would be too late so the boat was ordered a salute & the which I had bought the vessel. & their him by saying on the about The Prince with alongside & as it cleared away from of 17 guns was fired , which was returned from the Noguchi had brought me an invitation from Iriye , —110 — the captain of the battery, took and went ashore. a boat walk in, six o'clock till 11. myself oshie. Jan. inspired Iriye would not like and after every wise saws & proverbial and I flatter foreign drank sake, I took Japanese and sang, opportunity sayings, Soon afterwards of junior courses, being on board ship. we had eaten a little & lasted afforded past from and I had to answer all some small At half rice, rank and me of uttering which gave them unbounded them with we asked us to degree eleven delight, of respect wanted to come to Yokohama, but I persuaded the last we went to bed & slept for him that quest he retired, very comfortably. 8. The morning was fine Japonaise we returned captain, Wright accordance on board. their & the Prince countenance imperious about countenance. previous shot very past horses to return with that one the shooting as usual steps from Taikosama. behind The first conversed does also. aquilin in arms men The Inkio, ugly than otherwise to the Inkio in all Inkio 149. a deep his man, of very marked nose and aristocratic to talk Sir about banquet. There is still & very things is cast of another other the Inkio of was Hiogo, Harry about; he now wishes that the French were carrying it mounted minutes afterwards to the verandah on one side:of the screens. the inner room which At the end of the me his ancestor about at the front a quarter had received past three &I by his own desires. he spoke He understood two Princes us into told two left & the We did not enter by gold which the Prince to the five us and conducted Round & the thing with range was across good one. is a tall rather added to on such occasions room was a very big screen, stayed The range was finished and we followed Old Matsune received off well. of the rifle they did not come up to the who defers a slightly the is Round the Some of our small but altogether The Prince but at some temporary was shut day. The former Goten, where we were to have a Japanese entrance. go to that a la who does not show up at all. About half gate, to & the view was a very present. big nose, height making a good breakfast we landed, & myself in shooting, His age is 32; somewhere, their wide, in his manner. the middle inkio skill were all & a very 9th made the men, who really some 700 yards son, after At ten o'clock & Dunn of the to try Uwajima picked valley and at nine o'clock with engagement were landed that wind & rain appeared. & then two others of the usual We talked, of questions. appropriate came in, It consisted of the was not at home, but his wife of an hour he himself officers was ordered. sorts Iriye and in about a quarter Mori, and the artillery dinner to dine with him, so in spite which he said to open the place was to be opened in.Septr. on the negotiations. —111= he had already & Stotsbashi of this year, and If Hiogo was to be opened, we had much better I explained thought that it do it the than the French, reason necessary of the that there whom he did not like. French should policy to be in my opinion be a recognized that they head in the country and as they had a Treaty with the Shogun and he had the greatest they wished to exalt English policy him & give him all was different; particular; for if we had a treaty we had, treaty would have no force; Japse. fight it Inkio. better and settle difficult it The Inkio then with I said Inkio. & trade expressed there Oh, yes, thing, he get back his I. Yes, if no Shogun, the but would let the suffer, and you had become ten times more would come to an end altogehter. idea it. Will will would that Japan must become a confederated & that Sats & Cho thought way out of the in a Yokohama newspaper I read to that so too. difficulty, & that effect. Kokura is in a bad case. land. he can show a good reason territory. at present trade matters the head; S. his not with the Shogun in among themselves. would be no other an article is power That the for the sake of trade. his the Mikado for I thought I had written half it we interfer[r]ed, of settlement with Japan, as there apparent in our power. we did not wish to interfere, to put an end to it No, for empire, why then But if war becomes a chronic assit S. out, the assistance I have brought his for its [sic.] being all returned; his rice he has lost this year, as we have had a bad harvest. S. Indeed, I am sorry to hear it; & I suppose you pay the money to Choshiu. [I.] No, to Kokura; Here the harem; increase he has still conversation music was introduced of friendliness discussions. In fact half his territory. was interrupted by the entrance and a great quantity and conviviality, the Inkio of the ladies of sake drunk, much to but not to the advantage now gave himself of the the of political up to enjoyment & would talk no more. He afterwards said. on board the illness, and I should like to be at After was led Argus, Kioto drinking off You must because by old at a bout Kura's wife was produced, Goten, and her Matsune let it appear on the papers declined attending at Kogi hear I did to that Kioto that on the so. I went plea of I should not present. to an hour. eyebrows the deal Matsune for Old like a great talked princes. I have not just not of sake his house, A young as well are presented girl with where about as Toyo the shaved; no doubt me with - 112 - the a fine princes and he produced eleven years sister of as concubine bamboo their more old Kura; carving, she to harems, I sake, and we intended to be is now in the one of the and after two Toyo had retured, we all been taken into Sats' Itoku's daughter, confess it, .none went to bed. service I, and it on board the slept screwed, of them any better, Janr. & lives Kura & myself I was badly worse than Hayashi Kenzo, a Tosa rosin together but as it I did not regret was after only Argus, by report, Shinzo, in one room. who has who married With shame I was in such good company, who were it. The Inkio 'konshin wo fukaku & the Prince suru were both tame.' 9. Got; up at half presented past five, dressed him with my opera on board, where they glass stopped & came on board. as a souvenir. I cannot in Yedo. At 1/2 past tell. 6 weighed me & I Yasu & Noguchi did not come I asked Yokohama & lend them any money they might want, Yashiki Kura accompanied Kura to send which should anchor them to be repaid & went to sea; to the with great regret. As examples guided by externals. straight is of how man is deceived Suppose in thinking he says I will down; if he jumped as he intended in motion, has its full in that & he falls he has fallen case at least is as he intended; wrong. alone might have done it this way, but I thought so, but I did not. Now it power of everyman to write capacities not his will anchored going over [sic.] eleven is quite or compose well; mast mast He does not see this, of free of free but I preferred certain & not when the vessel consciousness preferable free, body when on the The advocates if I had chosen, is top of the astern to this and his Secondly. it the jump from the at the foot of the mast. know I might have left written his will he would fall but the onward motion communicated effect, but imagines that will it say: I to do it. to do that. that will I I could have does not lie he composes or writes within as his directs. at Mitarai knots. in the Inland No Japanese Sea after a splendid came on bbard. run all Very pretty day, anchorage between. Jan. 10. Got up anchor at 6 1/2 a.m., going 11 knots. At three & steamed o'clock belonging to Tsuyama in Mimasaka. a hill. Some people never been accidentally 1864. correct received in a tea by the by a marine Mimasaka troops idea surviving told narrows; at Kamanoura us that relatives Conqueror had retured of the thrashing anchored the fair in wind all day Shodzoshima Went on shore for a walk & had a hard pull hosue of the thro' compensation of the on her return from Geishiu. we gave Choshiu. - 113- the up money had man who was killed from Shimonoseki People possessed in a very . Jan. 11. Got up anchor at 6 1/2 & sailed Anchored at Hiogo to get coal, $21 a ton. possible; vegetables Government coal the Harimanada $12. Doshiu with bamboo work. foreigners. People Met three opening of Hiogo, evidently promised but evidently to send out that he must be mistaken wind . town very dear some on board if Kenzo on board acquaintance were only now to the they would not joking . in Nagasaki; he apologized allow the when I pointed at the time he mentioned . was a Satsuma steamer going to Osaka . Went there the Kaimonmaru (Viola) another of Inouye Shinzaemon the captain. the matter. of Met a Hizen man who steamer The Viola brought of Sats' Made arrangements going to Osaka to meet Komatsu & Saigo, who are to be called if they will. Hayashi & Inouye wrote letters to Godai Saiske to arrange sight as I had not been there On coming on board heard that made the accustomed who declared they he had met me at Glover's Hayashi quite two-sworded•men declared Jan. a fair Coal in the obliged to send to Osaka to get permission of the gunkanbugio; beef & can do. Walked about the town & bought some Arima saiku or baskets of fine with over beef & vegetables. & for down from Kioto, who is at Osaka , up Komatsu. 12. Waited on board till about the answer had not yet should had 12 o'clock, come back from Osaka. go on board & see Inouye, come informing steamer lying him that there course that of the Saigo sallied Saigo day. S. received the would arise jurisdiction. French the rather so I began about which & so after letter there the not the same as Shimadzu alias. After at a loss; a letter a Geishiu The inference our departure being for Osaka As I got out of the that on the shore Sachiu, sitting bath to the . Saigo would be down in the down to eat , when it rice had been hurriedly towards and laughed was announced swallowed we Neuter heartily down & exchanging the Point. when I ordinary of foreigners subj. living on this and would not speak , by Satsuma, & the difficulties outside point from the in person. - 114- Treaty some time, would be a good find. a letter us that we the man looked so stolid employment harping proposed [sic .] sat Satsuma Honjin from Brit. After Emperor's Is saying just to say that In the meantime we went on shore with a letter We had only him of his I felt from Godai. a note told also we deferred & lunch. to the other was indeed steamer, to have a bath arrived, had arrived, forth remembered topics, arrive Satsuma Honjin Osaka messenger The latter was in Osaka; was to come down on Sunday morning . the answer shld. a small sent Hayashi accordingly wch. we did. Saigo that. Saigo would come down by said until when Inouye French it limits struck & consular me that So I commenced. Emperor which Shtotsbashi the Sai. effect Yes; that a short there , the reception time was a letter to summon all the occasion to receive the 17th (Jap.) whether S: the foreign by the he shld. Sai. S. is affair but his receive to be read he advantage up a copy of theMem: reply was that nothing a letter the of is to come down to Osaka on We sent go to Osaka, as he had heard he did more abt. addressed to Sir not know the subject. to the Shogun; he is he? Yes; he got his Well, Mikado to of the Choshiu expedn.,that Shtotsubashi of Yoshii, But how can Shtotsbashi not Shogun, on acct. the R.R. there. hands the R.R. to Osaka, & would take the letter. & expects memorialized from the French Emperor to the-Tycoon of wch. had been delayed now intended H. Parkes ago Shtotsbashi that first. is commission very But his the day before unexpected; influence I thought yesterday, the 5th he had to settle must have greatly increased (Jap.) Choshiu's for him to have managed it. Sai. Yes, indeed; a man who was yesterday a beggarly ronin daimio, is to day Sei-i-tai-sho-gun. S. Who managed it. Sai. Itakura Suwo no kami. Shtotsbashi is in great favour now with the Mikado, & he could become Kuambaku if he chose. He has made his relation Mimbu no Taiyu, to the Shimidzu which a scion has been extinct S. of the Mito family, lately; successor family, and he is going to send him as ambassador to France. On what business? Sai. S. We have not the least idea. And what is he going to summon the R.R. to Osaka for? Sai. S. We have not the How odd, consulting Sai. that consulted late that they expected on all my Prince they have one & all either. be able be consulted, matters of Govt. thought to do these things without it should .& we expected they would be The Bakufu has got on so badly of not be left to ruin the country by of the Daimios were summoned by the Mikado to Kioto in the Government. of the Bakufu, refused Now they perceives & as they don't to attend. Echizen intend that such to be made fools sama stopped there of as long as but went away at last. Then everything Sai. to to have a share is not the intention S. ought And when certain he could, should of that the diamios. henceforth itself. idea Shtotsbashi The Daimios years slightest is Well we shall over for be able the present. to find him out in the next three years, I suppose. S. Three connected with years is a long the latter part time. But this council at Kioto, of the document giving ' —115 permission was it not to Treaty- making,inwch.theMikadosays,therearepointsintheTreatieshitherto existingwhichIwishyoutorectifyinconcertwiththedaimios? Sai.Oh,nO!Youarequiしewror〕gしhere.工twasas工havesaidbeforefor theDaimiostoconsultwiththeBakufuaboutreformingtheGovernment. S.Well,Isupposeamongstotherquestionsyouhadtodiscuss,.therewere Choshiu'saffair&theopeningofHiogo.Howabt.theChoshiubusiness.We foreignerscan'tcomprehendit. Sai.Itisindeedincomprehensible.Theycommencedwithoutreason&they have_cometoendequallywithoutreason. S.Isitpeaceorwhat? Sai.No,simplythathostilitieshaveceased&thetroopswithdrawn;and therethematterrests. S.WithusforeignersitisagreatpuzzlewhytheBakufuattackedChoshiu atall.Itwas-notbecausehehadfiredonforeignships.Ifhereallyhas offendedtheMikado,surelyyourPrince,withhisdeeplovefortheTenshi, wouldhaveassisted. Sai.Well,IbelievetheBakufuhatedChoshiuallalong. S.ItisagreatpitythisCouncildidnottakeplace,becauseitis highlyimportantthatthecountryshouldcometoasettlementwiththisyear. WehaveaTreatywith.Japan,notwithanyparticularperson,andwedon'tintend tointerferewithanywayyoumaychoosetosettleyourdesputes.Whether JapanisgovernedbyMikado,Bakufuorbecomesaconfederationofstates,we don'tcare;-onlywewanttoknowwhoistherealhead.Iconfesstoyouwe haveseriousdoubtsabouttheBakufu,wehaveseenthatitwasnotsupremeor rathernotomnipotentwhenitaskedustoletitofftheopeningofHiogo;then themurderofRichardson&theimpotenceoftheBakufutopunishthemurderers showedusitspowerdidnotextendasfarasSatsuma.Thenwhentheshipsof waroffriendlynationswerefiredonbyChoshiu,wehadtogo&punishhim becausetheBakufucouldn'tdoit.AndweseenowthatChoshiuhasgotthebest ofthelatewar.ThesethingsmakeusdoubtthesupremacyofBakufuthro'out 七hecOunしry,&wehopedしose.ease七 七lemer〕tcolneto.Andt)heBakufu[肖1亅 appearstomealsothat]willagainbeinadifficultpositionnextyearwhen wedemandtheopeningofHiogoasweintendtodo,ifthedaimiosopposeit. Sai.MymasterdoesnotopposetheopeningofHiogo,butobjectstoits beingopenedafterthefashionofotherports.Wewantittobeopenedsoasto beabenefittoallJapan¬solelyfortheprivateadvantageofBakufu. S.But.howwouldyouopenit? Sai.Byplacingallmattersconnectedwithitinthehandsofacommittee offiveorsixdaimios,whowouldbeabletopreventtheBakufufromacting entirelyforitsownselfishinterests.Hiogoisveryimportanttous.Weall - 116 - 除:1し owemoneytotheOsakamerchants&wehavetosendtheproductionsofour provincestothemeveryyearinliquidation.Ouraffairswillbemuchthrown outoforderiftheplaceisopenedontheplanofYokohama. S.Isee噛nowwhyyoしzmakesOmuchofHiogo.[肖q除 箇 所:ItisyOurlast point.]Itisagreatpityyoucan'tsettleeverythinginthenextyear,before theportisopened.PraycouldyougivemeacopyofShtotsbashi'smemo. Sai.工haveiしnotabouしme;buし 工雪11sendyouacopyifpossible.Sir Harryhasone;Yoshiigaveithim,andtoldhimifhecametoOsakatoaskfor us,forwecan'tgotoseehimfirstforfearofincurringsuspicion;&Sir HarryrepliednotonlysatsbutalltheDaimios. S.ThatwasratherinaccordancewithyOurPrince'sviews工shouldthink. Sake & sakana Inouye said were now introduced belonged to Godai. for a few moments, after rising but to leave a few moments he rose, us, Saigo excused out by a handmaiden himself which he came back & partook to go he prevented my acct., & served me, & I therefore requested & saying from Kioto to see him", departed. having the trouble being Jan. more dishes, good, & returned at daylight. Jan. to come so far &c. (in After on board at half past seven. Windy. lay in my cot till half past & little wind. Got up to breakfast. —117 four. on After to despatch him very much for he was gone we indulged of wch. ocha mushi was particUlarly 15. Smoother Yedo) & we will I thanked 14. Rough & windy, On my him not be ceremonious 13. Sailed Jan. all or two. "In case Sir H. wants to communicate anything any one he likes taken of a dish with Hayashi when he chose,- as I knew he had a long way to go. he has only to send a message to the Yashiki in a variety & returned whom old noticeable as 熱 海(ATAMI):1867March[PRO/30/33/15/2/ff.16-22] March 21. Sir to Thursday. H.P. went Hama in getting without with I was surprised 23. and board Atami. this invitation with from Met a procession at and put my escape. a large Locock on the when I afterward retinue, rather early this Lococks, got an to Hakone heard their to that I went join road noses Stayed party. a party of Yura the Fosters. the "Argus". he was no Jijiu, other party considerably at down but had had out of joint, Sat. Started the of any mishap; an encounter March expedition consequence up to go to passed of on his at Mrs. last ship, morning so much for Marshall bad to in & Aspinall. that the Atami we had The to anchor of everybody. discomfort Our weather in Kaneda party was very bay and consisted rainy pass & windy, a night on March 24. Sunday. Arrived cove, at Atami & landed inside valley which the ship and is Contains shut the honjin. memorials another recording characters. The spring immense cloud issues those who say that two feet bursts forth it times. Mar. This horizontally, titles The hotel built small in 1860, action just breaking stink. I cannot had half behind fetched believe force him dog Toby and The heat of a basin, its issues, Chinese as we came up; blowing [sic.] tho' of far in steam which only condenses by the foreigners & wretched. & left monument to his in a lot is on one side & after a small mouth of a forth an of the water the assertion of at a distance of and the stream on the opposite a dozen sitzbaths, besides who have visited the place [sic.] side, runs a vapour bath at different Had a bath. 25. Monday. Walked coast. comes forth here of a stone must be very great, away under ground. & shower bath shape name and only at the The town is stopped was in full from the hole. forth hills. of steam with a sulphureous as it Bad anchorage, Atami lies to the hole whence the hot water Rutherford in the his high one is close Sir of his visit two o'clock. not venture. in by pretty two good inns; and is about could in Here the morning is a delightful to Idzusan, a place warm douche, —118 — two miles issuing out north of the of Atami cliffs on the close to the beach, myself called I stripped & then went out on the beach very pleasant, started this Takinoyu. conveying to 'climb the and Hakone. for a short expensive. The sun shone bright on the of the hills, which labour. the Directly summit, priests after whence we could Promontories winding was hilly. rounding its another the thro' burst of the sea, the we reached in the honjin lake. half The length is hidden nothing round the mountain inn, amongst on the lake, the barrier wch. is nearly incredible and came out on all with half the ground way down, then the highest below. mountain of in by mountains on four thousand Descending situated feet quickly on the brink is about 7 1/2 miles, which loses it but a few wild fowl, lest and had a drink with left must be at least pleasantly by the mountains extent from the over town of Hakone, where we took up our of water the surface A little the Tokaido was distinctly climbed was far piece to enliven any great but still of the hill, baCk of Idzu, to the we got The lake or official of this and the while A Sagami & Yedo, the of wch. the Lake of Hakone, pent on our view. muddy road, stopped a corner in the plain finally is footing. & well protected up from below Kishiu again, Japan of snow. the bays of Totomi, a dense forest side above the level quarters hill travelling denuded we rounded Sagami, who were paid to keep one's Here we all way amongst the fields, Descending sides, see Fuji, we between was a high wind, especially almost place below on the left from the further all this was o'clock us to the shoulder was brought of Awa (Cape King), Vries in the distance; visible, leaving At twelve Verily brought of Fuji, said The feeling wch, intervene became difficult wind by the summit of the mountain. of water, all, body. above to warm on the backs of coolies, miles glimpse basin spouts. on is a temple embosomed in a grove of pines, north the a first the & warm, but there climb of 36 cho or two and a half whence we caught the walk of 10 miles. where it the Ishibashiyama, The baggage was slung each further thro. called 1 3/4 boos tops & got under warmth all mountains & went into use shld. boats its of the but about There was not being permitted to be made of the way. one [sic.) them to pass at the lower end of the town. Mar. 26. Tuesday. Rose pretty early All the hotels else. have their The barrier which the road amongst other will that things, cryptomerias body for with guard houses red, regarded gates —119— The notice from which it town. thro' board says individuals is to be inferred, distrust. After the a courtyard and suspicious considerable the whole establishment. about not much seen anywhere enclosing on each side. passports, with by walking a colour wounded persons, to pass without envelopes journey of two roofed-in dead bodies, is the woodwork stained consists passes not be allowed a dead & pr'epared leaving A grove the gates, of the roadpassesthro'anavenueofmagnificenttrees,allcryptomeria,&then commencestodescendalongtheleftsideofavalleyenclosedbyabarren mountainononesideandhillscoveredwithwoodstothetopontheother;a brawlingstreamrunsontherighthandsidefarbelow,hiddenentirelyfrom viewbytheしrees.Aftera・mi二LeorsO,therOadbecomesverysteep,being composedofhugestonesroughlyarrangedsoastoformsteps,downwhichahorse canwithgreatdifficultygo,andtakingturnsfromsidetosidelikeacork screw.FivemilesfromHakoneistheposttownofHatajiku,wherethefirst shopsfor'-thesaleofHakonesaiku,orboxesallsortsoffancyarticlesin camphorwoOdarefound.工nagardenbehindoneoftheinnsarecharmingbanks ofgrassandlittlecascadesfallingoverstonescarefullycuttopreservethe continuityofthesheetofwater.Soonafterleavingthisplacethe.roadtakes alittleturntotheleftcrossingastreamdescendingfromthe-hotspringsof YumOし ○,whicharehidden[左 端 空 白 に 加 筆:wrong]しhreeOrfourhundredyards upavalley.TwomilestoKawabata,andanothertownformakingcamphorwood articles,afterwhichtheroaddescendstothebottomofthevalley,and.from Imoto,whichistwomilesfurther,itbecomesalmostlevel.Thehillswhichnow towerhighaboveourheadswere.belowourfeetwhenwestarted. Odawaraliesontheseashoreattheendofthevalley,c!osetotheendof thehillsontherighthandside,thoseonthelefttrendingupfarintothe interior.Alongstreetofpeasantshouses,succeededbyanotherofsoliders barracksleadsintothetown,whilelanesofexceedinglypleasantaspect inhabitedapparent!ybythehigherofficialsstretchawayontheright.The castle .ofOkuboKaganoKamiisjustlikethatatAmagasaki.,beingalargearea surroundedbyamoat&whiteplasterwallswithaloftywhitetower, particularlyhiddenbytreesrisinginthecentre.Thehonjinwasabouthalfa mileinsidethegate;astragglingonestorybuildingwiththeusualbig entrancehallandcrowdoflittleroomsofeightmats.Justopposite .wasan apothecary'sshopinwhiteplasterremarkableforhavingthreegablestowards thestreeしs.Wed1(ゴtheelevenmilesfromHakOneir1上 ↓1/2hrsfr.1p.m.to 5.30. Mar. 27. Thursday. Rained out for all Oiso From this the & starting place 1 horseload 1/2 do. 1 coolie Fr. morning. Odawara At 2.30 on foot (Odawara) we took cleard at up. 4 o'clock coolies at We therefore & reaching the Govt. that packed place prices, i.e. being level up & set at 6.30. 464 cash 312 233 the road lies along the —120 — sea shore, & sandy, delightful to walk on & overshadowed Odawara to Kodzu " Maegawa 1 2 " " 2 " Oiso Walked the pinasters. 3 miles 2 " Umezawa Koshinshiki " by splendid whole distance in 2.40 min. Mar. 28. Thursday. Started at 9 for Hiratsuka is about From a hill and the Fujisawa. just 2 miles above the Hakone range. Hachisobe fr. town of Oiso there The two high mountains toge & Otomi toge. the base of Fuji. Oiso. Kintokizan made for rest the former. where we changed At a quarter past and the baggage turned off from Sir pole, Harry's bette party then came I followed bette. The, chair bearers in loud & unmusical and ate breakfast by a coolie voices. jo'hatago. the Tokaido Slept The whole as well as present Bahiu at the town eleven miles. of the kind called as it (riogake) in the of swell of 1 bu to the hotel is was in detached by a big lantern jo'dan lodging, keeper on a & then another with much grumbling at the honjin An Hodogaya , where the to go to Yokohama . I us at Odawara, being with the boxes expense near which took two hours in a kango preceded amused themselves mountain my knee in my mouth . & coolies . No Charge we reached gumi who had joined went ahead of the pass are about kango, kangos seven went on with Noguchi to Kanagawa, a journey One of the Fujisawa my putting view of Fuji crested the river an ordinary necessitating to-Totsuka, of the party the dark. to the north Road same as before the shape & size a splendid is a very shart This walk did me up, and I had to take hour and a half just About 6 miles from Oiso crossed of the same name, in boats. shik-kangb, is to each other or upper dais , sake , dinner & (chadai) amounted to six boos. The charge candles, for the for hatago includes bath &c. and the fish rice, tea, & sake are all sleeping extra. accommodation , fuel, We had a very fair'dinner money & were very swell. March. 29. Friday. Started at the toiyaba from Kanagawa at 7 in kagos. teahouse just on this side at Kawasaki to M'meyashiki 1st takeba of Tsurumigawa in 3/4 of an hour; and walked in...R —121 — at Nagamugi no kuriya; bridge. 2nd Walked from the rode in kago to Shinagawa 熱 海(ATAMI)::SFebruary[PRO/30/33/17/12/ff.95-100] Feb. 23. Started Ai] from Yedo by the 8 train and. Saburau Cobb's, driven English. for Atamin. with OKANU Ci\:/Y)Ii] At Kanagaha got by a man who may be a Chinese, into and NIAHI C)\> a four but speaks was good travelling from the for mountains. about 37 miles. so bad a road. the road were very fine. Vries 35 sen, owing to the lateness and the price having clear and been actually sky, It but a cold wind Hakone range at intervals was seen sending at the Wodohara inn Nakamatsu-ya: from Horses changed at Fujisaha. Brilliantly The views of Fuji trap very good Japanese Lunched at Umegaha, and got to Wodawara at 2.40, only about 5 hours on the road, horse out clouds along of smoke. of 2 kagos and 2 baggage Stopped coolies 4 yen of the hour. h Hayakawa Ishibashi Komekami Nebukaha Yenoura The first four the night, insignificant little and at Yenoura there comfortable. Ishibashi which are dotted a neat are lies in front of a picturesque nearly The new road now begins daidai Nebukaha stone, trees little of no great concealed on the Atami side divide size temple behind wch. there Yoritomo into half himself bough, tree. of Enoura. a dozen just turning walk for Nebukaha. the The fruit dell, pretty was until 25 years his defeat of At Komekami there is of the latter overlooking At Enowa come in sight hill, where a good deal of the Here and there ago the camphor tree forming diameter, is said of it -122- sea again, a in wch. trunks, wide spreading or even more. to remain several until spot. yama; must have been again in the spring. the are Akazayama, have wide spreading above the ground, 25 to 30 feet steep Passed on Ishibashi The mikan trees to be in every convenient numerous. for the sides About here one sees red in autumn, and green most part, little to climb a rather which are planted are after which sometimes cover a circle is a real of two persons which is so much used in gardens. among the mikan oranges Camphor-trees accommodation over blossoming. two men would be needed for a kuruma. so-called without is only room for a party with plumtrees, teahouse. vill.s, shortly and then leave It bushes, The daidai years on the is a charming before it which reaching to cross low undulating hills at the back of Manadzuru point. and from Yoshihama a hard volcanic scoriae plantations building in several intersected seashore 15 mina at Enoura, much over 4 ri, brown colour. by the road. at 10 to 7, having and as this only one inn at stone, Strata of Enoura has large for occupation left Wodahara at 3 and the time of kagos, present, has been put up at the other be ready is of wch. 2.12 to Enowa, wch. place At Yoshihama another places of a dark paving of oranges. Got to Yoshihama on the rested stone Enowa exports I doubt its we reached Suzuki-ya, end of the vill. being at five. but the framework towards Atami, and it of will by midsummer. Feb. 24. Started at 8.10, and extending through over climb the excellent smaller scale Mongaha, a vill. a considerable new road along the face walk, hamlet perched Japanese medlar prettily situated at 10.30, been burnt at the steam ceased for increasing boulders basin for a few minutes, to a violent that I could at last nothing came but a fierce on bubbling violent till I get tired the time again, away. of the passes the spring spring, was bubbling ones, out at first right across to but theh of the steam is heard, and I notice but all its this increasing again and this alteration the while in force leaving final termination, 1. which was 1/4 past - 123 - volume Then it at last piled that the little the little again, and pool at first & volume, then once more Saburau to note At about It seems to be a little up the steam so is repeated 1/4 to 1, and went off to lunch, hot real flow completely, about an hour. the of 8 or 10 feet, see the water, hole up with but feebly', Then the steam gave way to hot water and went on for at least as the big began to flow with varying a distance of steam, also Reached Atami of an hour in a very mild style. shooting and the Lococks in 1867 has 35 min. the water ceased cloud by orange above Idzusan, larger flow again, the a tiny When we got to Atami a small from the and beganto hardly surrounded at with noon, when water After than before, again the roar Got to Inamura, the intermittent round Amagi san, down to the shore. gone away. at the lower end of the basin at work again. less opposite was issuing rush, pool is keeps of the hilld a quarter wch. though on a much island, in shape. The new road end of the enclosure larger & another The house I stopped did not begin till the of the Cliff, road between San Rent, and Bordighiera, Fuji nine. on on the slope and a little thick 20 past down, and the people erruption into about was full. upper water, Then gradually above the sea in a cosy nook, and put up at Suzuki-ya, Shin-sei-Shiya of paddy fields. with view of Vries Ohomuero and Omuro Mts wch. resemble little of two valleys, stretch reminds one of the Cornice a most delightful at the conjunction 4 it irregular began in its proceedings, From all and I can hear sometimes it has omits nothing to show to do for with a whole the day, tides but that is rare . . Feb.25. StartedlnabOut8for・ltou,putintOAzhiroforanhOur ノレ],AH工[ノ ,lefしOKANU[ハ ン グ 丶 ン グ ノレ1,andtheservant-girlbehind,andsoreachedmydestinatiOn , Matsubaraat11.30andwentatoncetotheBathsofShishido,whereIlunched aしthehOusekeptbyKashihagi&gotagしsidefOrOhomurosan .Myfirstidea wastoascendKomurosanaswell,butasitappearedmuchlower ,andamere cone,工abandOnedしhaしintention.Startedwith .theguideupthevalleybythe 1.bankofthebridge,crossedabridge&overahilltoOgi .Turninghereto ther.ascendedbythesideofastreamtoTotari,andpassingthro'itbythe pathtoIkomura,foundatoriwiontheW.sideofthecone,underwch.passesa tracktothetop.Fromthissidetheshapeishemispherical coveredwith ,itisquite .shortkayagrassandbareoftrees.Ontheroadtoitareblocks oflavaspreadabout,andthe[sic.]abedofashesofstrataofdiverse thicknesscoversthewholeofthemoorlandcountryround ,asisseeninthe excavationshere&therethro'wch.thepaしhsrun.Ascentしothesum皿iしtoOk abt.20min.fromthebase,wch.was .reachedinlhr.40.min.fromShishido. Th・ 線 ・ewasafi・eview・fAmagisa・[稜 図]i・thissh・p・ ,a・dY・h・dzuyamaし ourright,infrontofit,adarksharppeakcoveredwithtrees ・ ,Fuzhi,Futago yamaofHakone,Tan-zaha,OhoyamaandtheseacoveredtotheEwithfishing boats,thefurthestatleast6riout.Thevills .ofYahatano&Ikemura,r.& 1.ontheS.side,andthenalltheislandsfromOhoshimadowntoKandzushima . Allaroundisnothingbutmountainmoororsea .Thedistanceacrossfrom YahatanotoOhoshimaisabout7ri.Thepathuptheconeis _composedof scoriae,withhere&therelavaexposed.Sawadwarftedscabiousinflower . Thecraterisabout250yds.acrossandsome80feetdeep;thebottomcovered withgrass&looseblocksoflava.OntheE.sideisasmallshrinetoSen-gen surroundedbysOmeverylargealltersandwhat工take七 〇beEuryajap .Onthe E.sideadjoiningisacircularelevatedplatformwithveryirregularsurfaceof lavablOcks,lookinglidくeavolcan⊥chillwhichhasf'alledinupOnitself' .We descendedontheE.side,wheretherewasnopath,averyeasyoperation ,gotby mistaketothemere,crosseditwhereanarrowneckdividesasmallsheetfrom thelargerone,thencameoutbythevill.ofYoshida,andsointotheShimoda road,whichbroughtusfinally.toWaka,&sobacktotheinnby1/4to6, havir〕glOStanhourorltheway・ 工しwld・beaneasyexcursiOnf'oroneday leavingat7inboat,soastoreturnby5,0r60'clockatthelatest. AtdinnerthewaitresssaysthatatKahana&Futo,twofishingvills.onthe coastS・OfWada・thewomenareseparatedfrOmtherestOfしhefa皿ilyduring - 124 - ,by the period they of menstruation, may not partake expiration of the nor too cold; the rises surrounded caught themselves food cooked for rest of 7 days they take The bath at Kashihagi's spring and have to cook for a bath, are just the and are house is good and has plenty in the middle by houses; of flat in fact of room. seem to be several At the again. temperature, neither too hot Food excellent. ground in the middle there fire; of the family. then clean of a pleasant at another of the valley, small The and is springs , wch. are in boxes. Feb. 26. Left a little less, after including magnificent coast 1/4 hrs. prospect along lies it hill above Hakone, Higane san, Yoshihama, round by 11.30. In the afternoon him since starting he left point consul in London. in life my feelings and Mera Head. Ozhiro anotheP commands a hill, To Bay, and coasted and got to the top on me Minami Tamotsu, once a protege Having not seen or heard anything my house with a letter of introduction to Itou, from well. was the for him, I was unwilling and could not be got rid indifferent called into or rather Ohoyama, the whole Misaki Descended 4 hrs. Usami,•wch. Tan-zaha, by Ohoiso, Ohoshima smoking-away. of mine and recently that on the Atami in about to KaMi Toge, where the path ascends of this way in, rest of Fuzhi, from Idzusan, seaward 8, and walked back to were not of for half cordial to see him , but he forced his an hour. I showed him by my manner towards him, and we talked only of matters. Find the baths veryn exciting if taken just before going to bed. Feb. 27. Spent the whole day in the house, the afternoon ordered when we went to the several camphorwood. intermittent pieces reading, shop of the of furniture, Got up at half past bathing, joiner bookcases six talking and spent and & lounging , till En-Shiu-ya, of whom I chest two hours of drawers in watching spring. Feb. 28. Left Atami at 1/2 past seven, and got to the 125 - top of Higane san by 9... in the 長 崎(NAGASAKI):1867September-October[PRO/30/33/15/1/ff Septr. 9. Spent the returned and the in the goes not get Nankai; perhaps off "Hiogo" nothing a wretched five till with knots. half to do . little after the gunboat of we were to start Of course an hour In afternoon about 40 horse at once, midnight. 11. Arrived at supposed Shimonoseki business who is as of on board Susaki wch. we did Sept. day to power, but .78a-91a] war, or about other. impenetrable I went as ever. everything 8. peaceful a.m. to Everyone ask after old No news whatever. & flourishing. went on shore friends and No appearance Left about half on some saw Inouye , or men of guns past six in the evening. Sept. 12. Arrived at Nagasaki came to dinner; this book. after the He is dinner, honesty of Harry four. a bit & suave was not his time doings Put like up at the Flowers' portrait demeanour; They that Ito first & Katsura page we had a little to finish. & denied . in the asserted he had ever of argument the perfect formed the idea Taikun. & I went much abused left, in stopped 20th. fact Governors did not as the vessel and an examination held which people. & officers Yataro, the just were eveng. in nothing absolutely has the custom after Sir lasted all Harry to them of yet discovered, been The Yataro's the charge when they orders, & the of Sir The Yokobuye has the for till to the defiance in leave night entrusted to produce house. unhappy. was going then who undertook same Of course done harbour at seem particularly 19th Iwasaki Spent Hirayama on the that sailed Septr. meet the The crew yaku to left appears have not gentle there in all the past is 13. Flowers She half a very which of overturning Septr. of Choshiu at latter two Basilisk. It Kagoshima she afternoon of of the Tosa's shld. acc. Governors was Kiki- be wanted. to the Tosa appear to nothing. 14. the day with Ito & Katsura at a tea-house —126 — called Tamagawa away up at the back of the belief the way the town that back a document the be reconstituted. the Europeans called on signed to by Shogun, by stream. Discussion & Japse Hikozo, never who lives Satsuma, requiring wld. Tosa, him to about mix, in retire at Gower's Geishiu, his affairs, least not Folly. Bizen from Japse. in He has & Awa having office our & allow ending in time. On a story been the about presented Government to Septr.15.Sunday. TooktiffinwithHirayama.HesaysSasakiSanshiro,theTosametsukeis over-ruledbythekai-yen-tai(海 援 隊),whowillnoしallOwhimtOcarryOutしhe Prince'sordersaboutsearchingforthecriminals. Septr. 16. Examinn. Nankai of the Yokobuye did not sail the Kai-yen-tai, opposite Still I tell do I. it Septr. certain that of the Yokobuye were in a teahouse up to twelve that to insist of the 6th. the o'clock at night. if they don't don't upon it. This disbelieve want the My policy the men upon the Govt. Two of the Yokobuye to being to throw I do not urge it, but to do so if he likes. 18. Called on Hirayama in the eveng. a young fellow of forbidding at the Kagetsuro for; landed there. Advise copies of all depositions Septr. 19. Katsura alSo the four men stated examination way. The two Governors for have at last sent Sugano Kakubei. the depositions. that his companion shld. to have gone to Karatsu He offers Nankai & Asked for Sakae & the other. me a steamer to Osaka, if I like to him know in a day or two whether came to the streets Consulate against & armed with short Discrepancy The former is to be sent in the of the Kagetsuro. by Sasaki to let of Nagasaki of 600 men, to be raised I suggest of the keeper I promise discuss defence of Sugano Kakubei , who was with the capt. of the Yokobuye made & especially can accept. plans my suspicions of the murder. came in the morng. to Yedo that I state countenance on the night be sent force appears evening The Tosa people of discovering to Flowers It in the the mestukes & the Govt. does not appear leave ten were murdered made, neither the responsibility return till C.H. one of whom was the capt. looks suspicious. return, at the from Nagasaki where the sailors statements case for. —127— in the ruffians; spears to they propose besides in statements afternoon swords. of Sasaki I a They Sakae & Septr. 20. Translated Sir depositions Harry, Septr. advising to on Satsuma murder case made, & offers I hint at that the clan Salamis arrived be cleared of at in the eveng. two sworded Letter men after from dark . money 4000 boos for days at to therefore like my idea. Nagasaki the night. Also being night. the the Tosa able to the the . the clans; for complicity of fix doing; guilt one why the thirteen all for to give as we have acct not men; think not & . of his be examined men shld. of clans them , it is being the guilty; else shld. the on man be ordered teahouses he has a reward to order are the of the about lukewarmness; & promised people no reason statet. his propose some two sworded is of (me-akashi) of whole There Iwasuke's suspicions possibility every from From him to , Sasaki Sanshiro, the Yokobuye's capt . to Hirayama; as of been discovered excluded proof the already been up by all as into maru to go & fetch in Nagasaki as strictly that believe not work without admit that be taken has has men being & delivered must Thence an examn. suspicious sworded it spies I propose that guests I don't the two Hirayama's murderer. to examine unreasable doings all the at such Nothing discovered the Grumbles to in Nagasaki lent him to make an inquiry He says all men are He does man. given ten of has Asked me a copy. first least. Govt. & one other been to give the Giobu. own people. discovers the Niiro possibility Govt. who says his even unless the Karo amongst settlement of day. 21. Called if all settlement for lists be discovered he had better . be re:- examined. 22. [Sept.] Sunday. Tiffined head of the mountain 23. at Glover's, bay, where ash, with have the the bridle of seeds prettiest path shaped place in to Tokitsu. like Japan. Rowed Wax tree very to like a beans. Septr. Nose Osumi no Kami called be excluded by way of amendment evening, clans they right aside their in Naminohira, entrance must from that swords. that night. at in the the if they the fr. extreme have the business examinn. end, dark. which I also settlement guard We proposed after to & fro. Reurged Three afternoon. settlement be escorted to be excluded in Hikidaya the passes bunches men shld. lay they hint in the of houses one close to Shinchi. —128 — all takes it day also, the clans the two sworded delighted them that to be erected under that He is there would unless & of all for Consulate the & adds in serve they the the would people settlt.; & one the one just at ItQwasherethismorningtosaygoodbyeandintroducesayoungfellowwhom hewantsmetotakeaspupiltoYedo.Katsura'spresentnameisKidoJiunjiro (木 戸 準 (林 宇 二 郎);工nouyeisTakadaHarutaro(高 田 春 太 郎)&hisOwnisHayashiUichi 一).Pupil'snameisYamamOしOJiuske.MyoldfriendYamagataKeizohas beenadoptedbyShishidoBizen.HisfatherYamagataTaigaitwaswhowrotethe "lmanoshokooshiuniarazaruron" ,¬NagaiUtaasgenerallystated. Ito'smasterYoshidaTorajirowroteseveralbookscombattingtheviewsof Yamagaしa&Nagai.TherewereしwOschoolsOfphilOsOphy,thoseofTeishi(程 子).andOyOmei(王 陽 明)oneOfwhichinculcatesしhedutyOfresistingtyrants, theotherthedutyofreformingoneself.Yamagatabelongedtothelatter. Hencehisargumentsagainstanyattemptstodisturbthe:presentstakeof things.: 24.Septa. Hadmyphotographtaken&ateaEuropeanfeed[sic.]atFujiya,rightat theendofthetown,beyondTeramachi;theycallittafururiori. 25.Septr. NoseOsuminoKamicalls.Heproposesthatforeignersshouldbeorderedto giveupgoingtotheteahousesintheYamaintheeveningexceptonSundays;on Sundaystheguardthereshouldbedoubledsothattheforeignersmightenjoy themselvesatpeace..AlsotobuildafreshsetofteahousesintheShinchi. Theorderagst.two-swordedmengoingintothesettlet.atnightwillbemade .. ApparentlytheAuthoritiesarehighlypleasedbythisstrengtheningof _their handsbnOurpart.DinedwiしhNiroGiobuatKoyotei(迎 陽 亭)inChikugo- machHesaysthereisareportthatthesailingoftheNagasaki .maruwas delayedonacc.oftheTosamanwhowastohavegoneinhereabscondingatthe lastmoment.She .leftonMondaymorng.the23rd.Nirosays…heknowsnothing whateverOftheengagemenしofFrenchmenby工Washitaandthatheisanxiously awaitingthelatter'sreturn.Hewrotetoannultheengagementdirectlyhe heardofit,buthisletterwastoolate.Isaidweofcoursecouldnotobject totheiremployingFrenchmen,butthatasFrenchviewsofJapanesepolitics& oursdifferedsomuch,&itwaswellunderstoodthatourscoincidedtoacertain extentwiththoseofSatsuma,itnaturallycausedusto-askwhether-this engagementmeantachangeofviewsinSatsumaclan.Hesaidthatsuchanidea wasquitenatural,butthatnochangehadtakenplace.SinceOsuminoKamihad decreedtheadoptionofEnglishmethods,thewholeprovincehadbecome enthusiasticintheirfavour,andobjectedverymuchtotheadventofFrenchmen; hewasafraidheshld.havetosendthemback.Withregardtothereportthat thetwoSatsumasteamerswhichcameinlatelyfromOsakahadgonedownto - 129 - Kagoshima it. to embark troops Osumu no Kami is health. Echizen expected to leave Hara is house at Septr. a dropsy to have there at returned So apparently by his typhoon Kaitenmaru Septr. Osaka a word where to his they in high was not he has province . have made up their favour & repute has of truth gone Uwajima minds been in for his is also to give murdered in . in his own party. during landed the high night. & dry Two at cargo boats sunk in the harbour , & Akunoura. 27. A blank Septr. day of billiards & bowls. 28. Hirayama and one of the Nagasaki the latter over Septr. the Tosa two people Maru. were has too metsukes having They busy. came absconded had asked is pleasing It to dinner. and Sasaki to so It caused a false a delay Sanshiro note is or what in the Saedaui little report to abt . sailing go authority of , but the the Govt . Tosa. 29. Sunday. Another Septr. blank day. 30. From nine o'clock to the C.H. to examine Sasaki who have been brought few days. officers hoist The true back in the Nagasaki history of that named Tamae, & that the flag the Kagetsuro. mestsuke relied upon; Sasaki & that of Saedaui, Mr. Saedaiu they to his Prince who placed said astonishment examination and I pitched of ridiculing laughing the into them pretty at the qeustions us out of our case, saw nothing anybody either Nankai; they considered the Tosa people to be freed - 130- in the from the suspicion & be Gohachi . strongly put . by us, but he got a flea At the end the to criminate Governors with faces. that Sugano to was wrong & not to going to & crew of with up making most diabolical stated in a for leave officers he went alone him when he denied up for follow she was bought by one of Odzu To my great previous of things had to be sat with the object lug and shut the we must believe state maru; the Yokobuye will is that when interrogated that Sakae and Hashimoto Kindayu pending the application Here was the point. declared Here was a pretty evidently vessel he put her in charge his own on board. his of he said 26. the Also Kioto, ill an ometsuke Kioto Violent the lying reported soon. Ichinoshiu, for in Governors Yokobuye & as far as those two vessels replied that on the on any ocular this were white It foreign were close to else had been letter for them is at spot shown to but their arrest swallow; conversation of that to without of 3 girls. that to It answer that in of The Dumbarton That to prove the write negative. cook is in that Niiro to cater. Osumi no Shiuri the a a difficult & sisters, arrived no one in Flowers Satsuma. Ten brothers & Sugano dressed will Saigo 7 Shissei 28. 3rd. hour in by men in Sasaki way. we had a French except Dzusho that grounds. course one of the 2nd. That court was committed I proposed place; to be, Yamamoto to go to Yedo. giving passports leave. Octr. No Kami's no Taiyu besides the afternoon. Noguchi Wrote & that begins Jiuske, to ask for an application. people to came have supsect to Jiuske assistance Hear take they their of being in very much adherents a Choshiu away man. 2. At ten turned our o'clock to C.H. first upon the opinion, upon which argue from the it. which Govr. two men, The number be Chinese settlement. the will but protection be irksome of produced residence impossible just of to for such to the Govr's the British three of the them. Discussion Yokobuye. We stated examinations etc. We declined forward views in a letter our our deliberations answer: .I the of from anticipated grounds I think patrols a duty must point a refusal on which all our they about to will it at put night effectual. patrol to the of of to see settlement case would result to udner close in the but have men available Guards settlement, not & the-rest records am curious of the I adhere one be the then & perhaps found tanner. Namenohira, they held wld. the thorough examinations Consul, The will Hirayama come prepared, As to would to meet as we had not view. arrest into is a passport object it will Robertson's & Shimadzu in founded evidence. a criminal night. Yama at above not we 1. getting of on the at murder at afternoon importance, no Kami's My pupil to any of age Satsuma Octr. in the suspicions, them the the ourselves, circumstantial moment dressed they us at on the twelve in amongst strong condemn that been man and Komatsu 29 years late have very but after that left, with is to some discussion to certain that came to dinner confidential almost a little demanding nut them, be sufficient garments We then After we entertained against would 1st. manner. contrary evidence evidence England. concerned. the to keep out four settlet. proposal of Thence three and to patrol men to be placed samurai; to —131 — prevent & I think & Japanese Consulate old prison. or be calculated, at their town guard-houses, one opposite the every going outside point in a one at to the of the leading in during the day & remaining, entering I do shld. & leaving. not think sworded be they going Octr. will made far are be any in the great their will I the the trade, & the then gate foreign We can't would Shinchi & will Hirayama restriction. executed at please to annoying. of names not hindrance of and leave this direction discovered to thinks whom I am desious too murderers Marcus it men, be on merchants. annoy rest think help that. the two- it will If the relax. 3. Borrowed chockful a of Octr. copy of mistakes. Cachon's French English I am busy making Japonese notes to dictionary; review it is it. 4. Did Octr. nothing all, but play whist with a dummy. Fortune favours me. 5. Kimura, vessel personal the induced to at Yugawo called. at & ruin But That by him to pay his 96 boos debt name unknown, I am happy they have feel that to is, Tsugaru clan as I believe respects. 600 points. & says of Winnings & belonging he came after at whist Poor Mrs. Flowers is only $300 to carry them my stay here now to will Noguchi tonight dismayed an and was make my gains up the of at on to the put Tosa's prospect end of extra the hundred year. in the the 9th to the pockets. Octr. 6. Sunday. Today month. the festival of Invitations had Nishiyakusho & sit Proceeding thither Tadasu, along I found with in the a huge been shed with a crowd Suwa, Noguchi standing model of in front. An invitation & I found the tree performed was followed a dance large round were perched basin two white paddybirds, dancing was performed benches carried the from o satsuma, cloth next company. not stuffed, end of which with but to anther. or satsuma -132- odori, in the in satin who was preceded by a made of amongst cloth. the with there most were which It cash. by 12 composed in which party The great green bullrushes One of thro' up a standing & kind. This Sagawa I pushed was weighted by 12 or 9 ft. Nagasaki. named & took polite go of his or gate. dressed & filled 6 ft. place of of to to me to join very children day & mighty tree sent 9th Consuls high cherry there the lower on platform by coolies was the red the the clansman was speedily Governors with the a bamboo fence white made way for pole, all for & a fellow before edged on a strong being to there by a dozen & then carried performances Vice god, round a double the cherry sent prepared position shed a Shinto of was The broad remarkable ten hoko, one with two a tiger large These with plunging masks of an old were accompanied mallets, while them. The other these the presided treat over Chinese took & beef by the steak Vice me as an inferior, o'clock came the banners on large a host of with smaller long spears black and shields hakucho & black Governor about & native town. obstacles the the heavy poles carried like to the way of diScovery of with foreigners in taking place in such a manner & secondly daimios shown it to have by the fit be these matters, means of restoring Tosa people, matter. that Firstly, the a body the calling itself made to at Custom restrict Vice Gov. so I told the replied him that on horse back of order to the and called to the vice settlement tried to throw in accordance lost a great with deal of of the murder incapacity to keep order, a Government should I suggested that precise allow a degree retainers this bows possibility daimio's was the and deal house. to all support, a great they to two by huge dresses to so great the and About Lots had Government's of extraterritoriality held Kannushi inquiry Government we sat disposed that. hardly I thought of courting the showed examinations to Nagasaki. Talked of Governor by men in white bag. That this right should resorting about the late regulations with was not gochisoyari. instead Yodo. ground called a paper & the regard by three procession hour god preceded could followed are in the bearers before thirteen which of the the upon supported changed of &c. chinked individuals soon one with armour About hospitality cars) the they at these of they dresses. Olivers which which o'clock, I found (sacred which Tosa affair wishes twelve boar, a suit which in real for They were shaped With in the expressed mikoshi with drums by the Rowlands poles, caps bef6re or were all of a wild basins the Governors. banners. broomlike beat prepared but jin-yo brass court, place another another carrying hoko bearers was the soup bamboos, man & Otafuku, by boys representations down to fowl down through as that from some freely he had nothing reason I spoke was to do to him them. Octr.7. Ninomiya the end of last fellow clansmen wanted to appoint Kurume doctor to send In to see men Sugano they showed the his me. Yui, of the reply Tosa with a day for afternOon of the disprove called me a note the sending year points It Hirayama, had been already was of course laid down. in sent the I suggested - 133 - the the two day at the some of his Yugawa also to the arrest one to bring of the I agreed and demanding house permission captain & time. on It Tosa day place letter me a copy. the dinner. called Robertson's son to request a little to the & Sakae. three whom I saw at dinner metsukes & detention & crossed negative & told to not him urge the of the two me on the but to them came and way, attempting an alteration but to which they promised forwarded to at be continued strike all for at the ships had one ran away. root to that once; the the daimios' their names, they like to restrict on going that none would not told a good story things all should to last . They to . the settlement severe prevent at restrictive that of a certain if to reside or out where any necessity . They would be night measures any daimio's business not They must replied find be could men coming be able go into would and number , and to impose the out of the foreign settlet do to adopt now adopted if would and should ready precautions of and the in also men in order report who had legitimate morning 7.30; 6 or 7, retainers all at coming to . old yujo. Yoriai of As soon following the first for Kioto. After opened without perhaps govt. time engines priest and a-state deal shinu . the aiding one object of their as the twenty a great party the tea daimios can't and why they from not see among themselves; & greatly impoverish foreigners to seize would invite all but that a couple could give I found their internal out to no the a small to war, feast Hiogo the which differences Kurume . would while country Kioto and being war country, of the & a be settled a civil bits in could at a rioriya & was made up in for But a foreign had how they years other. different, a clockmaker objected chiugoku I did agree Arima or thirty the become home. we went opportunity agst. attack came mostly that together called The reason I said today to Govr. He was originally champagne hospital from Sakae , a man who is said to have Chiuhei , a man visiting Nagasaki for a machinist & constructed boilers & steamers. talk. affairs, a war, last who is overlooking was that give Konoye of only Imae Nagata a bottle Vice we went first dignified are on we heard the over & then looked utai; were of were a most hitherto hokos front lot they kamuro looking were clan, Japanese in o hatoba that the town , but me. the recitative None of the the for up from shed , who performed we were performances drinking internal in the so diminutive been lot. While waiting political but mournful a similar and Tanaka of came to The Maruyama Machi who have new. as the of again garments of that of his a couple hill yujo wounded Kurume people do with About were had been which 13 & 14, humanity showed dances particulars. great of machi the of accompaniment foreigners on the girls morsels & I went to Suwa no Yashiro. up in swellest the tiny wife processions town two little to his the the dressed measure most see thro' abt. these Flowers, to proceeded would it those nishiyakusho the rule a state had to names were semimilitary irksome the out these 8. This to keept in measures but Hirayama of send regulations that was too & going & that Nagasaki Octr. and their sufficient it I should reporting replied The police I suggested ever; coming leaving of adopt. once. it by was the when peace came we could have treaties be defined. Kioto, Nagata but destroy feeling. who was already the Bakufu. About four I met the people fair with the Mikado in which the Taikun's o'clock Mitsuhashi came in and the shouted So they also it last winter, you must not wld. appear and had a grand room was gradually I left abt. of the wounding to be correct. filled with 6.30 & the share attack the general to ToSa, and gave himself feast. yujo, party One Englishman head and on the arm, and the American slightly them belonged out, could we went down to the Kamaya in Maruyama machi where Most of the men got drunk. story drunk position kamuro & geiko. broke up. very Found the, drunk was cut on the on the arm. up to his More Kurume The man who wounded own people who reported the matter. Octr. 10. Hosokawa Rionoske, the Consul. younger He is fat-faced brother of the Prince and about 25, healthy fat of Higo came to call on & intelligent. to Tried pump me about the Tosa affair but failed; then went on politics I held tongue; so he expressed a wish to see me and have a lengthened conversation, asked me to Glover's Octr. I said I had no invitation. 11. Townsend exactly & I called on Rionoske by appt. but he was not on board; not polite. Octr. 12. Endo turned it to dine. my & up first. and discoverd was followed him at once. Urakami there place also have followed they the with me to Yokohama. practice a number. of the in Christianity the criminals Government daimios & subversive to join Xtians those case; who will the on the pretext of good govt. in a representation to Hirayama. that & they •—135— are to that He and the of Urakami have been forgiven they are metsukes on promising of to that their is reported because one, leave are crime of & think that number to get This that there the a large trying effect. people in punishg. but it grave Niiro next who say that been a very He the Omura people abjure, the Omura people, has hitherto off besides in Omura; hitherto Nagasaki to punish This offends that to say goodbye. of one of the Omura villages who are now in prison Went to say goodbye All the He says and wished to do so also, in the present revolutionary Kiushiu here. are some inhabitants converted, believing letting in his card by Noguchi who read He goes in the Coquette were still the GovernorS do not intend so large he sent by Iwai & Nagata of Kurume who came merely Giobu came while criminals Like a fool all is the of [sic.] on the 18th. not to do so again, but they are going the Coquette latter Octr. are permitted to to forgive at their 11 p.m. disguised believe what Xtians also. Matsui a Macao of they like. Very Tosa and like Endo He thinks the a whale. Left Kinske of Choshiu Omura people Nagasaki in board, the on Portuguese. 13. Passed bluff at Octr. 14. Passed thro' the the extreme Mashima Straits east strait at of Shimonoseki end of the 8.30. 15. Passed Octr. 16. Arrived Oshima at Island Shodzu Yokohama at at 5 p.m. 3 guns mounted on a small town. midnight. Octr. at 5 p.m. midnight. - 136 - shima at 5 p.m. Arrived at Hiogo at 大 阪(OSAKA)1867December[PRO/30/33/15/2/ff.94a-105] Decr. 1. Sunday. At sea; rounded Cape Oshima at 4,30. P.M. 2 Monday. Strong N.W. wind; cid. Osaka by 4.30 p.m. [Dec.] only do 2 knots Bar evidently agst.; impassable anchored as no boats before Tempozan at appear- 3. Tuesday. Get on shore Hiuga. about We go & look Tamatsukuri noon & call gomon; suggest under a misapprehension bugiosho. Larks. that I had sent a verbal into behind the a funny dignified message for him to come bad interpreter him with Shibata Ise & Shibata the yashiki Old Seare writes What a horrid about Ogasawara lodgment, some alterations. to the our chaff Governors; at Iga no Kami's former letter translate on the he must have got to a summons. 4 Dec. Wed. Arranged for for building guard. repairs a temporary To be ready not say how. once. (Either needn't let barrack & the latter very far houses, and if it can be helpted). in Kioto reply Expenses to be paid could whole sum might be re-paid from the to Goto & Yoshii. is small chief's thoughts, at but one Lots of two sworded persons The former severally has the rusui; gone down to-his but the little man come down at once I expect. 5. Decr. Thur. Walked down to the settlement far or the being him be dishonest country, and adjacent by the 18th of Decr. in form of a rent alternative Wrote letters yashiki for 50 men of the 9th who are coming down as a if possible Perhaps about. will of Tamatsukuri as levelling bonded godowns, highly Inaba & bunding goes, proceedings. Hiobu Taiyu & Matsudaira about breakfast. but of course Custom house & guard house objectionable tomorrow to see Mitford orders before repairs no drains. & a big palisade tiffin nearly finished They are at came-a messenger Thereafter -137- • for the detachment all to say that walked over to Tamatsukuri up of buildings as building the back, Nui, Nagai Hizen & Kawakatsu Bingo will & myself. & fitting After It is be down & gave of foot. Decr. 6. Fri. Called on the construction with the arrival Koske saying Saigo arrived. Decr. that the settlement Warehouses should in not be further In the afternoon of proceeded recd. he was too busy at Kioto & recommending letters course letter from to wait until to Yedo. 7. Yedo. this morning to meet Rojiu Had orders information For all tired of being resolved Taikun the to Taikun I don't badgered to call strongly the that that stop it council; than it at They are ago been is us. to take that, to his own party, & that this but merely, not impossible of votes way to Gave us no intending & to give unity & it on their Osaka & see to be his intention, by the 4 clans him by a majority established & Sansei! had long believe a general reinstate Decr. fr. except step. his that power he has the Council will be more was before. 8. Sunday. A Blank day, spent dined with us. & singing. Decr. 12. Thurs. Started at a quarter because at less in wandering Talk of nothing acting thus that of the Ministers. Sent off Went early will & arranged at the N. End of the until Yoshii Govr. to nine in kagos refused 18 boos! was 1/2 past It and I reached Nishinomiya, just have arrived. pace with but 'curios' the machikata than Ama(gasaki) about in the pursuit half it way; thence Poor little for Hiogo. twelve to one. had to get and only at 6.15. Seare China & Europe; also We were obliged and couldn't when Mitford to go procure who walked Three o'clock them got to brought us to out and walk or we shld. never Nagazawa & the escort our footsteps, board the Rattler in Japan, to lend us horses at a quarter of curiosities. had to trot one of them turned in order up at the Dined with Swann & then went ashore to keep end. Got on to sleep at the Sokuaisho. Decr. 13. Fri. Went to see Consulate 7 days & discussed of feasting processions for Shibata the Settlement of filling Hiuga various no Kami, details crape up of splendid. dressed the Kuai sojo, of the people settlet. Foolish the of business in Kobe in honour red at with site. and Parkesian —138 — now become with him. expected opening carts, supposed Fetes idea also of to be the He says of to in a public English there the were port, convey Hiogo garden, and earth Site of much calculated to increase towards that his popularity us on the part there will settlet. of the Japanese be some real at Kobe at 11.15 Arrived opposite foreign Ojikawa by half past makers, dancing decorated with (!?). konshin settlement cakes chiefly red cape, on their heads, & dancing. bearing the names of the no kosai this Noel, 1st is great and it time. lieut. colours, ka, rate oranges ka, little also blue & purple. to be hoped from the of Rattler with crowds of festival ijanai-i ka. bags & straw, Many people Houses, & flowers. tarring red lanterns The whole in honour of the shower of pieces two gods of Ise, us. mouth to the usual thro' ijanai is good will Started of Osaka by a different ijanai in all Dresses & people, Walked at a great and singing there Govt. in a boat. six. Apparently which has lately taken of paper place. It took us a hour to walk up. Decr. 14. Sat. Yoshii things Koske came & we talked. to the last extremity Uwajima, Choshiu & Geishiu; are indifferent; all The coalition, to gain their the Western daimios & so Shiuri to arrive Saedani Umetaro, in a few days. unknown. between troops at Kioto a view to the Nagasaki murder includes a large destruction Tosa, Chikuzen & Hizen are pretty much of one mind. no Daiyu comes up instead. The other The Choshiu question party of Satsuma, to join, He is expected whom I knew at Nagasaki, lodgings, to push a Tosa man, by three men entirely 10,000 men at Kioto;- Satsuma and Tosa about them at Kioto & Osaka. Taikun's determined consists in fact a few days ago in his The Taikun has about also. points Higo & Arima are inclined Osumi ni Kami is too ill, was murdered which is will daimios number who will of that clan. was by no means settled, such as Geishiu be a difficult try and that bring one to settle, to force I took will 5000 up as the on a war again with occasion to say one of the first that the questions proposed to the new Govt. would be the punishment of the murderers; that no money compensation would be accepted; & that the Japanese if they wished to be on good terms reoccurence affairs with foreigners of such affairs. were not settled He replied this wrath upon the foreigners, the Treaty we could and to avoid Powers. no longer whom he had no real hold in order the to this time at Kioto, I responded that Taikun disaster, had better by saying the daimios' to get the that prevent if the internal men would wreak their Taikun into bad relations they would fail of their object responsible the of persons for the acts with then, for over control. Decr.15.Sun. .TwoUwajimamen須 藤 但 馬sutOTajimaapparentlyakayo,and西 江Yukiyewashiscorrectname,20/4/10)SaiOnjiRaiye 甲 寺 、ametsukewhoml'sawat ご139・ 一 雷 江(雪 Uwajima when I went there come as precursors expressed the establishment prince's assured delight of the parliament the them that with a message fr. and see us. the May. in the the question had they arrive early prospect They have in January. We did not discuss same sense of as to Yoshii also that we are on as good terms than in came Goto, who arrived We made a proposition 43i5T. at Osaka last therefore much. I yesterday, and in abeyance for with Tosa as before. Nakae Kiohei night the at Uwajima politics was not abandoned but only lying retired They now existing he had spoken of to me in the spring affair I explained No sooner at in Osaka last Nagasaki the present. They did not say very much. of Iyo no Kami who will & at our interview mentioned in the Argus. & is of Tosa, too busy to come to go and see him instead which was joyfully accepted. We met him in front of the Tosayashiki by the Nagabori & turned in with him. Our first move was to speak to him about the Nagasaki affair & say that altho' the particular of the Yokobuye & Nankai going that our people Japse. until had murdered reparation appeared & that constitution replied that murder inspired to take charge kindness, which him with to track tho' in itself learn again further Government. for had of Japan. & arrive about I replied for that fr. Yodo is much better not rest the feelings to present information as about myself, of any other to to serve state, apply H.M. service, of his case. illness. in Osaka on the 20th or thereabouts, —140— own with no stone shld. I then asked him to his He promised to do that he shld. come down & remain a few days in Osaka about the Engl. the present He wants consult form of cabinet to with & the employ and my own government but that the obtain & could if they wished for the to the Minister for the of pay from a Japanese I would not seek He will his of the new Govt. which he parliament. I was content two of He of Englismen value or beauty. & myself new effect. to Yodo as a return It was agreed through of of the of the demand with place fact which some people both Yodo & he felt Mitford they should I left report the we shall arrangement in the latter of becoming a recipient me, & if the the constitution such under that The idea the at the same time he shld. a question of an officer, which suits & that taken & that to be formed. & that a foreigner, not take service officer. just sympathy We gave him a little information. services to talk until making criminals particulars of putting services remained, not of any great & of the senate see the chief method the false was removed from then, to wait of a gun which I wished We then proceeded proposes by thel the Engl. Govt. but by the punishment to the murder of our sailors, unturned to would satisfy we were content the be left so. still gave us an opportunity subordinates regard out together caused was made, not by the payment of an indemnity, to suppose criminals; suspicion another loan of an is not one career in embark on the 18th instant whence he will proceed at once to Kioto. In the eveng. we projected Shinchi was the place I had in my mind's these places close early a dinner on ville, eye. to the influx of fresh guests, for a walk with old Seare and it began to be late. Tokaku to engage mustered a room for our forces merry makers shlders by telling started, driving My instincts us by what turned garments with their that aside without offering to let trying a fat sides girls in, who appeared-as but called locked, gone & the out Honkakuji the So in we turned guessed dance. the part reception and passed of the that Osaka one is about women is accustomed dance on experience inhabitants think could legs, had all of returning give us. to Luckily knew of a house called got a capital call at. room upstairs. of certain As o Une and o of the house took up the absence after had walk distant back we might as well to meet with —141— a Violent the .doors were found the acquaintance remarkable our on Tokaku to take us there & to The total up; we stood midst a kago with minutes' but the female attendants the wine cup. shut Whilist The number of pretty 'five to despair, waiting us in the house came to meet not prevail road the. made way for than our previous about was to make the in red of young boys & men in their again. Arrived was on the some and I was afraid and after man on sturdy ten minutes dressed place a herd by some one was that a little & took We found us. cold food the philosopher which as it of our expedn. of the entrances, sort. We began and after tossed We could of that We by the triumphed, they receiving us a room, a house anything. at Tokaku, we found the chief rest was much larger contain. Masa we did not engage geiko, conversation Arrived disapppeared us a guide.to the guide, q.51* Sho o tei the object dancers be , They were so occupied however All the feasters troop to sup on whatever for our purposes, contrary and the of on their cut that all. nice. we manner in which they thrust back to decline of the various explann. to on the dressed. or something for we were unnoticed, rudeness. the it six shld. burden of merrymakers by the violent makers Osaka could they gave Tsuii that them to give in concert, led us to think isn't & dancing:, & bearing them on the thresholds both lanterns most gorgeously the after to to be full to find a shorter road past of my bette I placed the crowds naika, been 'turned inshouting doll 'ija us pass; to persuade rest they two would be enought our way thro' by festival had just half me the way, but once the bette the slightest rooms occupied Of festival; to be a circuitous & their the dusk for a messenger were expected that of backlanes provoke a guarrel people trooped told out dancing messenger sorts & shouting the escort here all in forcing flaming place them I thought thro' I despatched streets & Yokoi proposed us to the Dotombori. difficulty As the about but Noel had gone out and as Noel came in about & started. Matsushita summoned to attend us, and Tokaku in the Namba I wished to start the in Yedo. of fear cold or dislike & often Curiosity hostile apparently on triumphsovereveryotherfeeling;andthentheattendantsaregenerallyblack toothedinsteadofwhitetoothed,whichmakesagreatdifference.Sobriety& earlyreturnwastheorderoftheevening. Decr.16.Mon. TodayNoelreturned.Wemovedoverfr.Hongakujiinspiteoftherain whichfellintorrents.Itwashalfpastsevenbeforeallthebaggagearrived. WearesettleddownataplacecalledTamatsukurigomonnoyashiki,originally occupiedbytheJoban&sinceIganoKamiinhisdescentstoOsakalastspring. 工tIS50yrs.old&muchfallenintodecay,buしrepairshavebeerlmade&Itis nowcOmfortable.Themainbuildir〕gWlユlaccOmodateSirHarry&t)hreeOrfour others.Mitfordwillshareanattachedbuildingorkoyawithsomeother fellOw.IhaveseizedOnone,しheOfficersoft⊃hegthBetaしchmentaretoshare athird,guestsafourth,andtheescortafifth,whilstthereisagreat buildingorkariyaforthedetacht.SentofftheSpencerrifleforYodoto Goto,whohaddespatchedamessengertofetchit,tho'wihtoutbeingaskedto takeしhaし (岩 しrouble.WenttovisitSaigOKichinosuke(西 下 左 治 Comte 右 衛 Conversation of saying seemed to be divided that maintain that cease, off revolvers. to the Icarus's leave very anxious of the Tosa & Satsuma Otsu last Aug. conversations). had overheard himself; but unprejudiced to disprove carried out. that think it but that heads, Kiangsu 'buy' . We gave the possibility men to murder Mitford we were some men, whom he imagined to accomplish story, their Saigo tries he said that the that clans independently for contained of their $155000 dollars, give one much strongly having to of the They been a plot when we passed thro' way by other me at Osaka that and when I told this cld. that he they Goto at Susaki Satsuma no Taibu —142 — were one, from being not have been We reassured him that true, and we did not wish to murder foreigners, who sometimes & Shiuri that by friendly pretty Noguchi told Satsuma or Tosa shld. chief. find by an indemnity. the scheme, if there ruffians I always he being in Kioto heard such a report to make out that either out Opinion to be Tosa men, regretting Goto was not in Kioto at the time. probable them me the ones. men don't of there turned paid actuated and myself project; and took measures to prevent says hard of more murders; Now I have no doubt myself. I had heard this but very murder would not be settled (Fortunately had not been able that hits Saigo of Japan & are themselves it will understand were all little as to the probability encouragement that much on murders. I gave men who wish for the advancement feelings, 助).Foundthere 門)工washiしaSajiyemon,justreturnedfr.EurQpewithhisfriend de Montblanc. compliment 郷 吉 之 took such ideas has bought into Chapman's came up in her; ship a very their the good Decr. 17. Tues. Visited just the other behind Decr. two places the barracks offered opposite the o te; affairs. Kawachi, Commander of F.A. No date has been fixed can be blamed if he shld. be late. or about discuss it. to arrive should Objections will surely is not unlikely after all, Taikun's Decr. plan that arrived called for the daimios to assemble, upon & therefore Supposing that & that In this about no one the few daimios now in Kioto & come to a decision, now are they to enforce view it the non-appointment appears of a date to me that is war part of the at Yedo appears to be his opponents. but no news of him came at all.- overland fr. Yedo. The impression up altogether & is nobody; by word of mouth change the appearance on the 22nd. at once,•with too large Taikun's troops under the Hada talk the object are far idea out; in Kioto, that all there to be object opening of these great object it. will go on with their must be appointed Governors. Ito places Taikun, severe I reply at the be put off, No of course, be to open the back of the evidently the arrival of forbidden when war does castle, which is has his eyes too on chief & the & whether Saigo has not written to the & I suppose place which Hiogo & Osaka will for a foreign Ito to know whether can't commence of his domains, Of course a foreginer tussle. is to be war will having been imperatively just and There are only 7 battalions for war. for our Legation He wants of the I told the & so keep fOreigners fact. quiet Then the whilst they private plans for the reformation of the country. Some one therefore to represent Japan at these places. I suggested the says do not attack the was no cause • The chief who says that the Shogun of parts reinforcements of a pretty Kaiyo7maru, about Ito Shunske, residences so much does distance of affairs. for the peace of the country. especially chief with of depriving not be the most peaceful with We talked the chief, the Taikun has shut report rebels & out of repair. 20. Letters the dirty situated 19. Thurs. Decr. sure small, a Legation; us. be raised. for embarassing We began to expect break Harry for 18. Wed. Ishikawa here to Sir they will be turned the residences but if they to fight touch regiments & many ships not think they would wish to do so. out at once. of the foreigners, us they in addition will have a couple to the Shogun's He promised - 143- Well so long as the they may do as they like to let of English troops. me know again Ito does before the actual day comes. Mori Heirokuro interval A body of Choshiu men are coming up under the command of & Fukumoto Shiuma, Katsura & Kikkawa not being able to leave the Govt. of the province. 23rd Decr. The chief was to have arrived expectation of meeting red faced but didn't. him & were disapptd. hard teahouse girl We went down to Tempozan Eat oyster of appararently & drunk sake in with a fat much knowledge of the world . 24 Decr. Chief arrived. confusion all the country Saigo Looked day. Letter at the house from Shinosaki to an eggshell & then He sends away again . Splendid Yataro comparing the present held in the hand, to keep the peace. ran & begging state me to persuage me the M.S. Hankamfu, all of Komatsu & but the vols 1 to 5. 25 Decr. Kasuya Hikone, Chikugo no Kami, gaikokubugio, Bizen & young Geishiu what's are came & called in Kioto. on me . Does not appear Says to feel that certain going to happen. 28 Decr. Visit from Hayashi men landed instant. thinks Kenzo my old friend at Nishinomiya under the He too does not know whether Goto & Saigo are trying Nishinomiya. The Choshiu Takumi is reputed I shall try opened. people are down there and see , but Endo goes down tomorrow to in a temple what is It in refusing they looks going strangely have very early on , after but has not turned work on his hands and had sent at first to be any fighting who became inkio down today, Gemba no Kami has gone to meet him. is persistent is going encamped to be a man of capacity, to get difficult there to keep the peace. Iga no Kami was expected precious of the Argus . He says 1500 Choshiu of Mori Takumi on the 23rd leadership as if there . in life . the port is up, & Nagai Iga got some for Nagai to help him; for he to come, and afterwards taking no notice of messages. [Dec.] 29. Iga no Kami appeared only. All the Governors who has the credit tho' of course after all today & we talked of the two places of being the almost Iga no Kami is admitted sole into —144— Hiogo & Osaka were present adviser their business & Nagai Gemba no Kami, of the Taikun at present , secrets. [Dec.] 30. Iga no Kami & Gemba came again. no satisfaction all, in is to be had apparently. spite approving of Gembals the chief's attempts action nightman. terms never we wld. to At all give abt. Nagasaki Hirayama get in the matter, them as a perpetual that Discussion murder, is to go to Nagasaki him off. The F.O. & he seems inclined events he told the matter in which writes them today in pretty up until of troops up. Sir by the daimios Harry told the murders where they may get into regiments. & do not like them unless collision their they get with foreigners A great shame of him to meddle morning to see Koba Dennai over strong were seized & so that Evidently hunging such a number the troops he will thus out to keep it punished. They asked a lot of questions about the Engl. Constitution, it would appear as if both sides were desirous of taking our advice. they are hard pressed after away from Osaka send for a couple & increase the of Taikun's embarassments. [Dec.] 31. Went this why the chief men here, Thence wished their but doubtless troops removed. they cld..be the Choshiu forces having been ordered Geishiu yashiki Min. had proposed Mori Heirokiuo coming. has & the Nishihonganji, not yet of Decr. with the order [sn] arrived given it arrived. in Geishiu The latter refused orders, Geishiu story, In fact it a great present lately man & learnt to Saigo. is up that to borrow the use he told of luck & without & asked me they did that clear it. plan. his were starting proof that officers on them by the confederation. news, steamers alleging I was relieved - 145- from by Iki necessity their orders was given, no Kami, but in Having seen this the them. no doubt. have sent order came This is the it, together when the original on On the to accompany They declined as pretended Geishiu in compliance of the their They planned of their went by sea. That the Taikun shld. change was not contemplated forced Geishiu reason from him they could not return. believe of the general is pretty they the the Engl. to desire. which left messenger them to go back. a recall out by a messeneger On the 20th three territory & advised find 250 who has come over A proclamation piece I cannot by land to say that but one can't is part countermanding Bunske, Nevertheless not to come; this prreviously. to Mitarai reality & he would write people. to him they had only to come up are allowed Iga no Kami says they were told 15th. that to the Taikun what they happened most particularly 16th a messenger the elsewhere with the Geishiu not wish to come to OSaka, & thought prince's He replied sent He stops the Rusui & explained I went & saw a Choshiu man named Nagamatsu from Nishinomiya. of the the Satsuma Choshiu of going to Nishinomiya. Japanese row, Today Secretary or cutting arrived with the service the £ 700 as letter about a year, so I had thought - 146 - the there new is of no doing. appointments. need for I am to my kicking up be a ゴ匕海 道(HOKKAIDO):1868September-October[PRO/30/33/15/2/ff.177a-188a] Septr. 8. Embarked with on board Adams for appears namely of this report foreign trade Rattler a political probable group, the that the Kunashiri trip northwards. Russians have & Itorup & to look for west former of these Saty. Septr. coast to at Hakodati in Inouye Iwami and his baggage course was perfectly ignorant Yezo. In fact, Septr. see thro' with arranging consuls, the influence at half the out It Kurile the truth may be opened aggression. out abt. We are to also reception 84 hours Adams to call & could of Inouye after ordinary has to at steaming. on little give all the Landed Eusden, who of us no information we wanted & other 25 with east places. past blackned made this we shld. have the is about to know abt: the had governors, passed nose but his proposal of his busy far by Sir therefore as Eusden is Harry Parkes at had no trouble We walked out placed a circle in in the to seat is start on the 16th west coast to same day by the a rather good jaw & .open evidently. to see subordinates. - 147 - looking mouth, intelligent the in Consul's the in honour conversation the room abt. & his & not & & after at our latest to young three in Kamida came into some heavy He is as with individual we had Inouye is this & Shimidzudani had we on the over been Adams was placed Shimidzudani from We have it. coast; a dodge got received. Jiyiu abt. conducted Chairs former Shimidzudani difficulty being Sanyo. two. a bad leather. imagined was doubtless some that & Itorup. a wellshaped named of negotiations compliments by the been but we entered to go rond a kuge be properly by the to Kunashiri That after with got Tatewaki expedition abt. to find which What may be our of everything There the room used instant Iwanai & went governor we shld. there interview evening two of me. coast.. the Komatsu that arrived the on & Adams. to Yokohama the on the call Stephenson concerned the with 13. to refusing uncertain. we had already places Went Russian & Nanao. is of Keppel' 12. Arrived Sun. possession neighbourhood fr. of Ad. & Yokichi to go up there in that Niigata two places taken secured nephew Noguchi & we are a port and Yezo thereby go down the principal commanded by Stephenson, & call at kuge of teeth shut rooms being up as or 4. Septr. 14. Shimidzudani Sauto Ichiro start on the There is a report to Hakodate make the takes place keep it a call, 16th Hako-date rio by the (exc. gets 4500 quiet. Agent starting rio has was settled been has the American Rice or dollars as been his we should at Iwanai. by Southern troops sold to the Consul before share; Chasseport a man named that coaling taken gunboat One thousand of Societe also Niigata and One and Rover American 295) Inouye, It the that with & cordial. prob. rifles Daimio whom the rather have of been as sold a in Generale. 15. Spent put last on night board delayed. at the and Septr. Howell's Rover My advice Itorofu make a la for is to inquiries Japonaise. A lot of the mines at Iwanai and throw over the Japse. altogether on our own machinery has departure to be up to consequently and to go hook. 16. We were the to Rover there, to started having said Hiogo more have not who from to he had Akita; the same troops officers. at Septr. 17. Left close Daimio's front of wood Septr. to centre, Prince at a.m. Fine weather about 5 p.m. up above Grassy downs bring the Niigata to the at 6.30 troops town was great of that loss formerly Fr. in Vice Sakakibara. but contrary breeze. town situated on the on was 800 there with of followers castle Weuve, Large towering to acct. Filipino his Report northerners. agent & north. was on the and Takata, outside Takata off of Hizen Southerners. defeated the of to it Capt. steamer been the put other houses. Passed seashore Hills with coverd west. 19th. Reached Kayanoma 175 miles. noon east 9. Matsumae in also by but The another by held living about castle inshore. is old Osaka severely daylight Howell. the He had still Hakodate, in with is Hakodate up the been at with occupied had Nigata Consul brought place. the morning Dined & that Shikibutaiyu, Satsuma this left. Sakakibara at of in 67,500 transfer Septr. to Very friendly Kaga no Kami an old for bribe off morning and burnt. Akita came of Kishiu. on near Iwanai Much head wind all the arrived 17th The Bay is enormous, in Yezo the on way had kept the being evening enclosed —148 — p.m. Distance us back; of by the the the 18th, headland from Rover having of Hakodate which left crept Sanenai up on the N. & by the volcano numerous called Iwanai lies, which run southward very Kayanoma settlement valley, trucks, iron with the Scott rails beach &c. out in summer; cold is intense, its The valley which lies Hills all for here the fr. for the purpose. thermometer hills. the ground Salmon, is with are taken salmontrout hills with It is is wood. a purely two miles brought to up a up some connect the mine of a man named of this covered the covered about at which of Iwanai The Rover Fahr. of back superintendence to 50° A huge mouth Iwanai. intended S. above the lies The climate falling the round fr. is the at at mine which under to the head. just anchorage. tramway the and by sea coal the machinery, to -8° neighbouring 5 miles Gower's visible and other even shows some other valley Raitendake of fishermen. not the the agriculture. seashore & is brought the called for one after to overhang of Iwanai. on the out appears available lies winding stretching Shiribetsu and another apparently Japse. capes place night. is very cool In winter the snow. Bears abound in in the river Ishibetsu half way between Iwanai & Kayanoma,& cod, rockcod, iwashi & other fish abound in the bay. fr. Seaslug, awabi and fish manure are exported in large quantities Iwanai. Sun. Septr. Horrid 20. bad weather, to Iwanai, but as there the name those called people shamo. seashore iron rails for of about hill, yds. of wood. (three) several gradients into the hill, tunnel; be able to Talks of bringing sides of the valley bound together the coal cars of going Japse. have been laid up the valley, & now that at $4 a ton. with the lacquer inclines, has When the been are Gower talks 200 or 300 tons down in sledges are gentle of coal by a rope vine so poisonous -149= extends taken out of supplying the works in progress are a day. with tall grade, 4, seven feet Very sanguin over the snow in winter covered & up From the bottom of of which there commenced upon. a Gower'-s house, built to the mine is halfway are to be run down these & a good deal the Half have been cut of very steep but the beds, extract under down from soon be completed. stands are afternoon of the mine 12 ft high by 7 wide already have not yet been will to mean man. wooden rails The entrance idea The word Aino is mine in the on the side of the railway whole of China & Japan with coal finished up the up which the tramway cannot be conducted. in making this each, coal in the Rover the tramway will The main gallery some seventy said two miles the middle one, and smaller round a drum. & is the a distance therefore especially thick of us visited in European fashion a very steep already to themselves & longitudinal mile from the seashore the hill give so bad to give 30 or 40 Ainos there. Sleepers have arrived furnished & blowing, are only abt. A party Gower's guidance. the raining time. impenetrable to the blood. man. The grass, No Japanese has ever been five is rich miles & easily Septr. brought so dense is the under cultivation; population jungle . alone But the soil is wanted . 21. Left only Iwanai at 75 miles. got abreast so ran us went narrow which anchor to which house called temple 150, out we have side by the whom ainos about 60. 2500 to sea under heard so much, our cape. Seven to the ship . situated at leading over few breeze tomorrow . with of mouth of hills . the or two of the of shore; a district In the Ainos , A party dozen centre course; the yds . fr. altogether a light when we continue In the souls so that and some some charts to steam an unjoya, the this place, on an island of of came off rocky by breeze, impossible west Very up it distant & easterly Indians, a path contain & stood of Septr. a small Otarunai, became called a big estimated Otarunai, it bay on the with exceeding for rainy one o'clock. valley, not is weighed aobut besides population morning was bad, a middy, contained huts, the a little Harris, The village aino in Cape Novosiltsof, Shakotan on shore a very seven The weather of into whom little the hope evening of seeing morning . 22. Vain hope. westward Violent or becomes an Septr. north wind has westward sprung across impossibility. Very up the rough during Gulf sea, the of night which Tartary. & sickness drives Otarunai as us thereby a consequence . 23. Weather p.m. moderated this Come in sight of La Perouse Septr. mornning of Riishiri, & we steamed island on the towards Soya, west of Soya, fine and water at about close to 2.30 entrance straits. 24. Going ran from the sea coast, into aground to get shaft about her off under abandoned Soya bay at two miles by laying the futile, pinnace from taking o'clock violent proved pr. but out village anchors at another of Soya. the having as best morning, the bower were thrown over the approach In the hopes night put landed to assist —150 — but having this one further get up, in the very ship us in landing off about were of & a shore ship's the three engines, four I went the its preventing the pinnace soon. broken being by reversing the ship were made experiments Highwater her off an end to attempts to of getting & 5 more guns (?) began anchor. board some pilots stern, smooth , the Various dragged, sea were made to drive no avail. of the the the especially efforts to get off and of endeavour in out strain, as all six but the boat, on shore stores 32 to & to hire a godown in the village. Before I left the ship, Stephenson confided to me his belief that the vessel would never be got off, and that we shld. all have to sleep ashore the next night. With some diffiiculty I obtained an interview-With an official who happend to be delayed here in his voyage to Sagalin named Hotta Gorozaemon; and tho' he appeared at firSt inclined to be impudent & refer me to the local officials, I gained the victory over himl he did all that was asked. Rain becoming very violent, I returned to the ship, where I found everybody apparently prepared everybody began packing up his goods. Chefoo fresh for the worst, & after dinner With the wreck of the Racehorse near in my memory, I hardly thought it worth while to make any such preparations but Noguchi did for me-. About 9 o'clock a petty official of Soya, accompanied by two Japanese sailors & an Aino came off. Their opinion as inhabitants well accustomed to these waters, was worth listening to, & was certainly not encouraging. The chief boatman declared that he doubted whether the vessel could possibly hold together during the night, & that if the N.W. wind should spring differed slightly up, her existence fr. wlicL be speedily our own view of the base terminated-. As this & moreover no boats could be procured to land our baggage, we determined to make the best of it, & try to get off everything early in the morning. The ship bumped heavily all night, breaking both arms of the rudders yoke & springing the jibboom; still she made very little water, not more than a foot per hour, but towards five o'clock in the morning the bottom began to give way undeP the engine room & speedily split the whole length of that part of the ship. As early as three o'clock the biscuit was all passed up from the breadroom & deposited under tarpauling in a Japse. lighter which had been brought off about 8 o'clock the previous evening; but as the heavy rain obscured the sky, it was judged more prudent to putt off the start till daylight. In the meantime the Cutter, which was to have towed this boat in got loose & drifted away fr: the ship to our great anxiety, but luckily landed, she was recovered before seven o'clock. the bedding of the crew followed. The headman having been At six o'clock the engine room was quite full of water, nearly over the cylinder. I went on shore with my own baggage, Noguchi & Admas' teacher about seven. The officials had allotted to us a large house to live in & keep all our stores &c. in, but as it was too small for all of us, I obtained the loan of barracks, situdated in a little gully at the back of the village, at 5 min. walk from the shore. It rained fearfully all day, and we have to remain huddled up in the Unjoya on the wooden floor, round a great fire of logs over which the aino cook was constantly cooking rice & soup for the natives. the afternoon with bag & baggage. borrowed, Everybody was landed by the early part of On inspecting the barrack which I had Stephenson found it too far off to be convenient, —151— & we therefore applied for building close other quarters; to that very bad condition, the officers mattrasses & could remained [sic.] there the least shyness in she sat & the having been previously family to Yedo, & the the Unjoya, Whilst of their four years with her mother father, who is still but we all which went ashore of the wreck and that sat disaster; letters morning distance leaved tree; paths little I climbed northwards broad quarters their this their Her father's name is 8 years; awaiting smoking, here feeling waited before. the Hakodate about to Shibetsu with inform about not for By the first to Eusden informing Iwami to destination way back few of us had even is to reach and Inouye in the Without and I never so gladly a letter off sleeping by the grass for being him the letters them of our the 3rd or 4th Oct. the right went out along in the various is occupied and eat. quarters; is Japanese occupied style by the taken covered with & there a juniper directions, chiefly evidently parts of Yezo to allow of any in arranging thirty wardroom officers as you enter our two mats up in the middle To the left some for as the the house then two rooms of 8 mats each occupied Adams & myself for sleeping papered slides numerous little westwards & steward's of the entrance a kitchen here room of about the mats being at which nine of us can sit by Stephenson, leading The centre one, room & mess quarters; the storeroom with and the day was spent into & walked of the ground is oak, The sea was too rough up the windows. three village used here as in most other travelling. to the ship, by throwing the back of the and dwarf the seashore & pasting formed middy spread morning. are off a messenger down at (sasa) almost route putting with had Last night towards Cape Soya; the surface concealed frequented; boats to reach the bamboo grass as the ordinary are despatched Dupleix most of Aniwa bay for bump on the rocks; hands were saved; shld. in & yg. brother at Tonnai. we sent so that 26. This table all were in They are now on their or welcomed it Stephenson Thomas of the these Septr. they up in the wardroom & cabin & in the afternoon to Du Petit at Tonnai at Hakodate. at ease in our minds at every 2nd Octr.; where a capital slides we were smoking round the fire has been stationed dawn with so much impatience boat lying the evening; down by me & commenced to talk. daughter a wink of sleep, the of getting The paper came in the young damsel whom we saw yesterday Nozaki quite satisfaction not be mended before round the fire. afternoon arrival & had the in wch. the men were lodged. quarters. The remainder of the house by the gunroom & engineers at the end. A verandah messes, enclosed with runs along the whole of the front & at the back of the rooms are cupboards & washing places. In the afternoon little Harris the round the north the beach before point breakfast -152- & shot killed three teal, & Adams who went some uneatable animal between a rabbit & a weazel. dinner of as we were a cask of executive sitting beer out ship's company great astonishment of opposite. There Septr. parade 'Isowl morning Samai on board the the consequence steward left the rushed in the in the was small inducement the wind. After in & reported the robbery of moonlight who collected of unjoya man accused Ainos, by .a being culprit the unjoya, before in a crowd for bluejacket; the the & the to and squatted sitting up late the on the & I went to rest. thief Cape Soya, a solid runs dozen receding his gun, along the couchant. but produce of two windy for seashore is inside' down to a few hundred yards of him on the edge rock huts which the of the the the about was one any operation which and leaving a large .A few Aino to & the assembled population. the beach in the direction the and bright, Off C. Soya a lion admonished ship's company we went along was fine ground. like three The Downs come quite in others shaped had Adams with A reef shallow. along shore, beer presence of the After breakfast wreck. some places; of The weather extremely the the the towards gull. run the been was mustered ground in the was horgans!' solitary is like had in 27. This of ten scarce & arrested whole bed before are smoking whiwch turned ground • Salmon water water path a mile in room to from in one or two places the along shore. Septr. 28 & 29th. First day bright excitement on possession of the the cold great Begin arrangements the at part junk confoundedly rate. & fine. of the gear boatmen in wch. Hotta with violent to feel once Landing for a supply &c. the ship because was going rain; anxious from over our landing about provisions rice, we shall day long; people had to Sagalien. nevertheless of all taken- Following gear & relief; have great went on at unless nothing day a we make to eat during of game winter. Septr. Walked along afternoon, shore, with that craft it up the was made of but along to the eastward holes very sides in the light with Adams some ducks but as soon Aino was put sides thro' wch. stringt fastened together passed thro' —153 — to an infinite iron the in. nails no. us the out at of holes in wretched of trouble was rushing with take on board to a great-deal water this a good way from along as we got poor the pursuit water a canoe and the planks in on the who was sculling have a shot; to fill, with Seeing an Aino Adams might began beach bad success. beckoned order plug the to The canoe the stern, bored at the edge again of to the diplomatic Octr. the planks. point, life in Paris morning train, I met when a little was slightly said "very this only talk to out safer down in to the get grass, out & proceed & Adams told on foot stories of passed her that she & Washington. the a dodge you" the she moved that her away, was over, Ainos. that small. the of wch. they being 7 1/2 per depth to the then are worn, Octr. did into the very all the fullygrown put rice; of four former as over & sat the tobacco, rice exceeds the old & infirm the on the there abt. bad characters the the cases but the allowances. seashore, shoes & consume, gratis, men's the fishery & pipe fed leather over very After a man can are time the abt. tested at pipes what of latter in commenced of willingly surplus carring; Benten my silence. number of I thought She made a bow as the work I down by my side; to read. comprehend males her. who came to was & that in winter snow, had a fellow a means of hard he said to on the feet of & talked rice, to be supported in requisition the of hulled not docile The quantity of Snow lies are as are temple temple a look allowance have the of a Japse. My resolution & continued get. women & children the which came to unjoya to her; At first but of insanity, they the diem steps she just any more notice intimate, nymphomania. if & had no more to her. becoming when she usual he was brother as I could Nearly sake clothing as to take to say of her as shortly I went He said but story later, with me not on the Probably a few hours I answered our her me & said & promised I was basking confirmed but & saluted after to prevent previously. strongly damsel her mind & begged for me while a year & sledges and snow shoes drifts. 8. The weather wind; & calm & Plover dinner have of the been at Koetoi 5th by 150 large ten the obtained the from of sufficient three. which been quite across dingy, weighing runs bay. and up boats; about the Ainos to half by seine the sea the payment was — 154 — drawn every the western paid fish to were three the little &c. of the to this late at acc. caught boos; Snipe game day side at of varieties. of returned of a dish other and gear us discovery according these on and suns ship's give been flatfish by hot of to has boats lb. of the splendid; landing A visit these 20 the into of eclipsed the been numbers The abundance and has much with miles salmon, week stream have cutter accompanying in out table resources last facilitated shot little the the which nights supplying these during seas two mouth rest we lay boy rushed of sorry afternoon for where it 1. This is So we judged the Soya, But salmon place night at all fishing about with the about of the sub. in our seine & the the truth seems but lieut. to have been that only inside nets. the Ainos' concealed offered the cutter existence & dirgy to ten of this across, started with five point where Nosshap being the Koetori at Koetori, against where it issues miles the hills line. engaged were being in stacks frames. salted From information already lasted fishery product. places salmon this Tobennai, obtd. headland finds in a large quantity in the abt. are 10 days, cleaned said of flatfish and a fish occasion, Octr. 9. We had just that the excitement, & left finished breakfast smoke of a steamer and we perceived horizon, now showing closer. Someone from the rounding the point. itself called before was visible. wreck two. at into the in boats, to for about hudnred yds. off quantities the fishing season taken; be the entire Yedo market There (or are has and as and he two other Yamakanai) ugoi by the Japanese, of a truth bellies in the and dying away. had seen like toads & bite same manner as on the yoyage was about and a headwind. when a shout was heard ran out to look a little puff Gradually from the maintop Adams & Stephenson .7155 — are besides enormously, The return Everybody difficulty Various, conjectures. house out to dry in the sun on the at sailing thiS morning, & then still & brought attempt with gr. her hull in the river, with salmon a little owing to an abortive visible, was dragged their hours, of Cape Round the They have the power of inflating three hills productive. with a tail. previous the broad issues Yamuwakkanai which ourselves Soya with to be equally fish, We provided get to be navigable for ugly animals sharks. toad abt. to a factor's & Matsumae. a few of the like fr. at least-15000.will called Our seine called quarters five the followed have been already & salted fishery. we salmon-, of whioh large way to Hakodate is stated us tho' morning for 5 miles lay about 10,000 fish of Cape Nosshap herring some 30 yds. is navigable boats had what remains is on the spot we found that at which the fishery is. There wch. is also & that its line all in a warehouse or hanging continue side of Soya. it in hauling Most of these kippered Adams & myself lowermasts, Two fishing for 10 days, still Yesterday comes down to the A river from a large-marsh, the mouth, busily factor. in a direct and the of sandy spit; in a direct supply here The Ainos were no losers, the wreck was no longer and over a dozen Aino huts. sea from behind a sort the We steered dip, to house took us an hour & three limb of Riishiri by the invisible the even were taken factor's and refused master It men pulling. hid at the dawn & Stephenson, whale boat. & those wrong was done. their before On our arrival standing, four for southern entirely fishery no great fishing in the by our people, But as the Japanese to pay for the fish, as they were only 1/4 24 were caught outside in great of smoke on the it came closer a large set & steamer off in a boat to meet nearer it as soon as it and anchored abt. Thouars came discussion ashore that did, to my great part of cabin Octr. off Stephenson, all Dupetit the embark it by night for to be the shore and & ourselves; as was next It wardroom officers English captain 7 a.m. Stephenson, Dupetit a little . to remain He gave She came . after morning to offer extreme. . judge arranged kindness anything Dupleix I shld. & start I had resolved Thouars's More than certain Which we if up his accommodated cld. or only a stern in the wld. 12. Chifuji; at met Consulate by the Hakodate & took away. dollars. Don't & the believe fr. that it! for at Embassy the space there their Tabre Adams & I going to us on board; foreigners Grenet Ottoman coming thereof Some say introduction of the road possession Imperialists Chauvin at him on the anything Octr. for miles joy and relief, &c &c. Arrived of with Stephenson wardroom 2 1/2 we shld. us went. to was made out told have loss Yokohama to visit turned of an hour . Niigata is without bringing had to leave to into the so we all amounts me this. to the taken between He advises his brother-in-law 2 p.m. Ocean 3 & 400 ,000 me to get a letter in Paris , Mr. sailed for in Paris. 17. Returned Hakodate with [to] letters Yokohama. & clothes Arrived on board -156- at for us . already 東 京(TOKIO):1900April-May[PRO/30/33/16/3/ff.43-53a] 1 April. Lunched with the Ottleys. only write-his that when I came people their Ambro' came. name on the princes, respective said He said & asked Leyden had told him he need me what had to be done. I must ask for an audience I said of the Princes, thro' grand masters. 2 April. Miss Weston brought apparent their pretext that rediscovery & lent were going, named Anna Northend So I talked them Stewart Miss B. asked which .I referred girl she wanted to know abt. in 1867. showed them books, they an American for her to Col. Buck. the early freely Rose's Benjamin, Christians to them, took in Japan & them upstairs, Loyola & Coleridg&s information abt: the This made me suspect on the XaVier. Japanese army, As for her to be a news paper correspt. Lunched at the Keys. Visctess Aoki's blossoms of higan-zakura. consequence Stone Mrs. Bruce left reception, and then There cards to Uyeno, has been fine the buds of the cherrytrees came, and gave on the Awdrys, where we then we found warm weather are almost me some information went to half since a dozen March 31, bursting. about telegraphs, to be used confidentially. Dinner, at wch. Justice & Mrs. Chubb of Townsville came. 3 April. Bonar & Warrender carry out a fixed Yalu- came to call plan, They had got Chinese, the latter chapter applied & are after not equal up a chapter being to them. have to find 32,000,000 lunch. obliging W. thinks to a sudden of naval enough Bonar says that tactics, to the Japanese a fox, the latter Leyden says Aoki told affair being settled can only e.g.-Battle whiCh they in one spot used of on the to haVe the are very hard up. They the money. on Mrs. Buck. Dined at Leydens to meet Ad. Bendemann & Capt. like Japanese emergency, yen, & do not know where to turn for Took Mrs; Bruce to call face stay the von Usedom, the former with a a good fellow. him the news fr. Corea in the papers is not correct. - 157- abt. the Masanpho 4 " Bruces went down by 11.25 train. d'Anethan affair. brought I said his circular I wld. speak to Yoshida Kuroda not to bother about Okuma came to call. affair, but the stand quietly interest about that people, her abt. fall wld. cost also that Japan wld. have to go into told him the reason the part Govt. 150,000 Treaties of leases being outside apprehension the latter I talked & found abt. & absorbing One remarkable with all again of the last the world, Eastern Govt . to historical exhaustion & 2ndly the annoyance was a mistake action on of the he remarked that to try & apply Japan ought capital the them , to allay , & not think all to get . of alphabet wld . seem as if the best the the Trade by the encourage Masanpho , as much . He said 2 or 3 yrs . hence. So I loan , it being entrusted As to this & substitution It tell 5 times wld. have been enough . him in agreement. newspapers failure superintendece beef-eating abt . the of Russia; to Russia the market of foreigners, foreign he should on for a year without in perpetuity. order on the part without carry & above the Codes, it when an administration hands in the financial connected in the matter the 000 yen, of the partial of fianciers was no trouble into Japan cld. any standing that Michizane joining . there & it to Banks without Sugawara the army & navy would not allow by & see Corea of Japan in Corea. and his Yosaku and suggest the diplomats Said Japse. Kuroda for Chinese he had been characters reading all , the he found in them . he made was that the Legislation Bureau was full statement ideas of jo-i-ka. Dined at the Whiteheads. Tea c. Mrs. Kirkwood. 5 April. To Aoki. duty, Talked abt. Ad. getting as to wch. he alleged made was was quite similar action 'geographical contrary on the part inside to Treaty, the considerations'. that he certainly of the Gr. Britain, Osaka Kisen Kaisha at the expense breakwater of an English & that line its , and Formosa teaTold him the diff . could not show any motive of steamers was to favour from Tamsui to Amoi. Masanpho. to content couple it The question themselves construed • whom the c. a piece with a condition not be given remarked is not quite that to any one else. that agreements into a right declaration the island they The negotiations of the The Russians of ground within nature of pre-emption was settled. or refusal — 158 — limits had previously were being proposed made. Treaty by the have undertaken , but wish to demanded shall kept very secret Russians in the behalf . I were often of the party to Called on Mme. Guhler. 6-9 [April] At Chiuzenji 10 with Ottleys & Cheetham, returning to Tokio on morning of 9th. " Churchill 11 started off on his tour to the western military districts. " Asina came. No particular from original 12 portraits news, brought photographs in the possession of the of Iyeyasu head of the & Hidetada Tokugawa house. " To Aoki. Yokohama, being He talked to let lest pleasant this "Barfleur" for them. I told then in; of persuading the said master had first the reply, I wld. send whole home. things latter were made now he told me the These were mere subterfuges (he the motive at bottom was mere refusal; with the men of war that of the at been made on the ground of of buoy-cables, they were made Redensarten), the Yokohama if was in fault. Japse. Ad. Mori, harbourmaster pre-occupation come to of weakness was in such marked constrast retaliate, principal him the refusal on that of the harbour himself difficulty too many men of war shld. want of space, obstinacy abt. Ad. & I felt facilities surprised. I did not but they wld. have much leSs afforded in England When I recd. suppose that pleasure in according he was ready to sign. his final our people these to wld . facilities than hitherto. Consular that Lay. approved the yes. I replied draft. that I wld. all & found the treaties nothing to do with advantages. I let complete Audience 22nd. telegraphic full objecting. Indian Cabinet had poWers wld. suffice, he So he telegraphed in three I rejoined weeks, that it that the delay that to sign, make no further had of commercial seemed unlikely he was ready we wld. Germany & to London to inquire, but was a question Whitehead that him know clearly we old. we shld. alteration, be & indifference. of Emperor before So agreed had the Wanted to know whether reservations, but whenever he informed prepared. he said & he understood Lay was that had not been negotiated. the effect, he had told the reservations. As I ws leaving manifested me know that Thereupon teleg. The Hosei Kioku still Belgium had accepted abt. to let Asked whether So I said India. sign, Asked whether Uchida had been instructed informaed said convention. leaving: He says Emperor is to send in a Note at once asking - 159 - to leave for audience for Kobe of T.M.M. Masanpho. Coreans feigned & Russians, asked for opposed Dined 14 He the to the the at Gembei very negotiations exclusive to know being right interest of con to of secret carry other tutti little on what , but mining nationalities , is he being done understood betw Pavloff . had wch. wld. mean a monopoly about the town to . e tre. April. The Bruces came up cherry-blossoms, wch. correspce. with promised to him lunch, were Aoki abt. and at I drove their them best "Barfleur" a being week earlier . admitted inside my old Montevideo see Showed the him breakwater , my and copies. Buck brought Ad. McQueen Forsyth of J.C. the Watson U.S.N. "Tallapoosa" , and now commanding the friend cruiser James "Brooklyn", to call. 15 April. Japse. dinner given by Kondo Rempei d'Anethan, Harmand, Orfini, & Europe. Brinkley new house is Lunched with satisfaction A really Nippon Yusen to his taking pleasant dometistic Kaisha a trip , to to U.S. entertainment . His architecture . a party . Aoki and Katsura have given Leyden to his recent affair at Oji with a cadet , and declared was addressed to the Ministry of War by the latter . The the d'Anethans, in regard no official report rlwy. people ar enow very polite to L. " A Mr. Randolph sat also. example of Japanese that 16 the Buck & myself previous & Glover there a beautiful of an hour Berens with and a half a letter talking fr. Thomas Blow called politics: tall after man of abt . 50, lunch , and member of Bodddles'. Returned the 17 cards Miyaokas. of American Admiral, Called , and left cards for on Mrs. Lay. Ordered photos & icho at Kamakura for Mitford, Wylie at the Club. money. 18 & officers If Went to Yokohama. with Forsyth of Japanese scenery at Tamamura's for Rein to be made if they can get permission To C.P.R. office about my passage , and to . Lunched Bank abt. Dined at the Kagawas. " Rev. Mr. Scott & Borden of Canadian mission —160— came about income tax , to ask my opinion on various points. for education of their occupied by the mission & not thought his salary Their own salaries children be portion retained of houses belonging - on rents missions would - the - Borden exempt as as engaged 'eduCational in at home to the educational fUnds.' work Whitehead was pesent. Lunched with Cheetham. Tea with Mrs. Kirkwood and ball at Chinese Legation. 19 Called 20 on the Shaws & Awdrys to say good bye. " Luncheon myself, at there Loenhohm, Mejiro villa. Hayashi the Aoki, the morning the afternoon Dined Yatagata's were it Baron Takahira, Uchida was very and with the sunny Besides & Col. & hot, thermometer Whitehead, new Minr. to Fukushima. temperature fell to Cheetham, London, Cherry garden 70 ° , but 55 ° , but Lay & Kirkwood, it there Baelz party. clouded & In over in was no rain. Barreras. 21 April. Lunched at the knew Hoffmann from completion of 1894-5. this the C.T. at for of not returning, all day possibility the & Russia. that the Roswell Skeek, as of that exploded con in fact here dentist. in 1871 He asked in my opinion Japan who with of a literary time the I said idea had been last who was out & Elliot railway talker, Gembei Watson Shepard, and Siberian & clever Admiral Japan side, Took in a Mrs. bright Dined meet of war betw. no danger a very to Atkinson, probabilities of BUcks desiring by the her abt. there was to forestal results husband, the of the is and war travelling, family. tutti since e tre; the said last nothing teleg. I haVe about heard nothing. 22 Heavy rain Cholmondeley & the till afternoon. Whiteheads to dinner. Lunched with the d'Anethans. 23 Left 24 a card on Barrera. Parlett & Crowe Emperor and to dinner. " Farewell audience of the Empress. - 161 - They both sent messages to the Queen, and expressed report their soon. They did Called Dined is at also 25 a hope messages not to ask to see me back the Queen, me 'when' on Mrs. Buck and said Oyamas, a farewell and that I should good bye to myself; soon. I said I should I should be glad faithfully to come back return. to her. Left Whiteheads, going on the 4th May, Baelz, Dr. Ariga Kirby came; at I gave Vice Minr. a card Ottleys, the on Cholmondeley. Okura Kihachiro international who law professor. " R.J. Furuichi, the Consular to his and Took teleg. arranged him a letter of introduction to of Communications. convention. sign, request that the recd. this signature morning should fr. F.O. authorizing be tomorrow me afternoon with Aoki. Deposit of had happened. it Justice costs. reciprocity, that it wld. India. wld. right not I was not were of exchange notes Masampho. promising Has not denying' as to themselves. Called Aoki on the said the come back I shld. perh. said to Lord we shld. then into protocol, of of the delay, to the the the explain talked how Minr. of some rubbish question. Court of legislation, signing. Agreed below very was upset. strong. as we shld. not Only care see if the German to sign our exchange just not matter, the difficulty. certain, Kojedo has to as but any as in the he believes other other for anything asked for 300,000 had that power, to ask But later on or Belgian of notes, Treaties they only suggested the in the return Russians in connextion tsubo of for give with Corea a 'selfthe island land. Keys. Emperor remarked or not. I said to do, that change. A. replied Harmand had been the wld. writing I had merely his I placed that to him that but had heard he had mentioned S. Uchida to instruments. never much prefer that write to do with judgt. at of nothing Pavloff the U. to done. Bureau desirous a way out undertaking told Aoki was signed. tht cede of any anxiety main & said of on appeal Treaty the and him had nothing feel first came in & asked to have been on part reservations part Uchida vexed, not if very signed the form shld. I told or Belgian He reflected for wch. we need I said put ought be all when German Treaty it Same objections A. thought case.- A. seem rather and say.that abt. but Upton's nothing at had been home greatly pressing but uncertain I hoped It if to, in Lond. he wished he had heard it. whether He intended I as indeed had occurred Embassies disposition done, —162 — that certain. to make his seemed replied nothing proposal myself I had to me & I had to make a from Paris to that instruct Hayashi just to mention the subject the man suited The Ottleys 26 to Lord Salisbury. He added that I seemed to be for Japan. to dinner. " Dined with Charlie's the d'Anethans, and went with them to the amateur performance of aunt. Sined with Aoki the convention for protection of the property of deceased persons. 27 " Went to Yoko. Stirred up Tamamura about my photographs. He said they went to Tokio yesterday. Lunched on board Cradock, then "Barfleur" with Comr. of "Alacrity" udner Centurion" Marrack's Ad. Bruce, and met Ad. Sir was at Bangkok in the command, dined with "Linnet" him my despatch about "Barfleur" when I was there, me and played to see Sir Ed. Seymour, who was bad with a cold coming inside Ed. Fremantle. whist: Went to in the head. the breakwater " Showed during repairs, with which he agreed. In the forenoon in wch. correspondence discussed Pelly, a note from him based a good deal home, but that other matters, who has just Rutherford did I had recd. he expressed of misunderstanding arrived Ad. Fremantle she being information, my sending cleared & then I went ashore with Ad. Fremantle fr. & made some corrections, Whiteheads, at was entirely England. returning up. it the chapter to her this He sleeps here and dinner to Orfini the up. We to call on Lady the life of Sir on Japan, wch. I A. Michie is writing Alcock, and she asked me to look through Brought on imperfect dissatisfaction morning. has his meals with the his niece. Dined at the Aokis,' a farewell and myself. 28 Randolph other curios ministers. 29 Berens to lunch. to show. Asaina He brought Began leaving some bits p.p.c. cards of Japanese on colleagues tapestry and and cabinet 300. " Lunched Junker, Last with d'Anethans, Crusen and Miss Koda. Sunday at St. 139 Psalm. Andrews. and went with Dined with The Bishop her Perrys, for music by the Whiteheads. preached The hymns were Rock of Ages, Thro' -163- to the the a striking night sermon on the of doubt & sorrow, & the King of Love my Shepherd is. 30 Lunchean at Kirkwood. Okuma's Dined with with a diplomatic party. Called on Lloyds and Mrs. Baelz. May 1. David Peacock, Ch. Engineer a son of one of the in, did charge not of the different the Told just leave. naval Oxford, continued "Alacrity" with calls. at nothing Then young ago called, came to speak hospitals came called. two years Leyden him I had heard left afternoon the who was here know how to take income-tax. who has Hayes of Yokohama about it. a letter and, about being Roger from Leyden the called Shand, Dined with the Whiteheads. and find out whe[ther] coming surgeons on C. Parr, Allen C.M. Hay, in to pay a young man lunch. In to May 2. Little Y. Fukai Tokio. Told Capt. kind him nothing came I am coming back to Late 1st Sherwood Foresters called. Said I had been of Lord about to came Salisbury to me a man of for keep to one kind of strictly repressive attacks Chinese Admiral, gunboats. wld. have think any all the cost their possible. it carry were River; route. their means, change in Cabient him of the proposal former and preferred, sum. eye on the Miaotas Naval Chinese on acct. a fortnight demonstration Hope's Isl. if Inlet Bay have & see any legality to any steps, neither thinks of at the men, we shld. by a few excite I ought Russian try to else arsenal. resolute men. jealousy, as to go up Yangtze Changchitung, at money or Foochow an end. a & the headquarters: defended Taku happily —164 — take as French wld. required, likelihood to the to doubt the be protection of they He thinks to Yangtze, off of me of Chinese E.H.S. Mris He told a colour be got navy. impregnable an immense to declares suggests the so give Seems man, He wld. requiring of Hong Kong ports. official. launches cannot reaching & river Cooperation an honest fortified giving made villages. of I planned coast the flag and I told and that Canton, Li Hung chang strongly as Ichang, if if West who seems by but is war Reorganization this Foochow, they not Whiteheads. to visit on piraate insurrection. the me to Peking, defined to general Samsa Does and patrolling vessel Foochow bye. to lunch, of October give arrangements secure good to send beginning able say impending. Ad. Seymour yi try was certain. Begbie-Steward immediately far to to him in Tangier. Asaina nor called also Lying as Lin Kunthere, practically effect out of sight Capt. Callaghan he does not think it can & Lt. Hulbert in the Far East, He said that it was to the it. in reply brought abt. Japan & Russia pretty woman with two suitors; however seemed blear, designs in the responsible was at wld. last. to fight seemed quiet Anxious to see I said Russia. no one cld. Yet many people England & France as to Siam, a to come to blows: regarded as the Japan he agreed in Japan would be several was not of certain nothing trifling. with, only One thing obstacle to her but seemed to imply that in favour of fighting He talked JapSe- vacancies as to the future. mattered this among the Altogether much, and the land Shaw, who came in of by all the classes I was better the Minister he agreed others in the to adopt all that than their non— good bye, from the of view, so that I but seemed to told me that highest as a to the I was well lowest, and sympathize who with at Yoko. who always I explained point I vexatious. case of the B.Ss. from an outsider's time. at Yoko. he regarded to understand views. post; he was cordial, agitation to say of Japanese, able It was however different. morning most ofthe year & a general I said. the Custom house was sometimes thought all no need however All this sentiment that As to war, as to Corea like he hoped I was coming back. him there spoken The latter classes. He said think how long it of Japan Russian Far East. was a strong to my observation to a close: advantage talked there "Endymion" called. one could not tell war in South Africa suppose of the in "Sirius." Went to see Ito. told from it, much impression. Montevideo the of land & invisible them. expected to him the land question, the building tax cld. & not be escaped. Demand on Doctors not heard of it. ihdefensible, Called in charge of hospitals Doyne had said for income tax. to him. nothing Ad. Seymour had He thought the demand as they pay income tax at home. on Baroness Dined at d'Anethans, Sannomiya. a farewell to Orfini He was looking rather & myself. May 3. Sannomiya himself. called. He wished Spoke with apprehension replied that certain, & shld. everything change, I shld. abt. never ask to me a story be removed, -165- but that He confirmed but impossible of a letter to but otherwise Aston & the of my not coming back, I got home. at present, and bent, to be remembered the possibility not know till being quiet 'et he told particularly ill I cld. Ito's quite Jerseys. to wch. I not say for language to say when the situation from Lord Jersey written after abt. may their 、 great successes exact a large letter arrived unluckily the cession Lunched Orfini, it with Princess deal about he was last yesterday abt. Tanakas. of Prince back or not, Tanaka departure account. I shld. on acct. of it, cld. not help myself, off, I shld. lose all This it off to had already begun said the Emperor. spoke a of Wales to Arisugawa he had been that there when arrangements vacancies, and whether regretted that that I cld. I had already and not be able to get I came not stay so that If I had again away for the put off my wedding had been postponed, having been made. to Ito but I was only of England, He also that here was much were several back here or not, feeling and then the talking my not returning but I explained my opportunity, with She was very gracious, that I said be sent would make no differerence. wedding, being and Princes of the friendly the Crown Prince's PP. I wld. say so if I had an opportunity; them. on Japan's representative but to other but he took negotiations husband about me, and they had both agreed faithful for her Todas, Mayedas, & I did not know whether territory fr. Peninsula. the kindness to be deprecated begun, as the Arisugawa, talking trouble had already in London, & begged that he was always not to ask for wld. cause was too late, of Liaotung the Hayashis, great Japan as the former when the negotiations Mutsu & Ito; for in 1895, and advising indemnity, I put it another six weeks. Matsugata came to say good bye. The loan was made just Cannot at the right time; get away to the French three days more delay, Exhibition. and they would not have got it. Went to Fujimi Dined with cho to say good bye. Cheetham. 4 May. By 9.25 d'Anethans to Yokohama along and the Legation in the "Centurion" firing salutes Orifini. with us. to Wei-hai-wei, of wch. he evidently Endymion" barge. with Left as we passed. of people to say good bye. Saw Gubbins for a few moments; he went off no time for any talk. had not heard. a quarter Lots Told him abt. Lunched with Bonar and went off to five, the Endymion & an Italian "Empress of India", — 166 — Marshall. Peking, in the " man of war 英 国(OtterySt.Mary,U.K.):1926December[PRO/35/33/17/10/ff.113a-121a] 1 Dec. Bright clear morning. Wrote a letter early & took it to G.P.O. for the 9.50 post. Read the rest of Psalm 102 in the Russian Bible. Lighted the furnace. Read some of Grey's book. Sent to Hugh Luce's St. Mark for the twins. After lunch walked up West Hill to Oaklands and back, 1 1/4 hr. and had a nap. After tea fin[ished] vol. 1 of Grey's book. At 6.15 a planet (? Mars) and seven big stars shining brightly. Then began vol. II, and read his speech of Aug. 3, 1914 in the House of Commons. Two nights ago began "The Fortunes.of Nigel" -in bed. Abandoned the Six old English Chronicles and William of Malmesbury, which I do not find interesting. Started TommyCase's edition of The Advancement of Learning and The New Atlantis. 2 Dec. Hard-frost. Read Psalm 103 in the Russian Bible. Received Asquith's "Genesis of the War" from the London LibrarY. Went on reading Grey's vol. II, which is excellent. There was a wren in my bedroom thi8 morning, but when I opened the window it flew away; it must have been there all night. Lawrie & Josephine brought over Mabel Ching to lunch. Wemotored afterwards to Sidmouth, where L. & J. went to call on Miss Thornton, formerly of Chriselhurst, which [sic.] Mabel & I had a chat with Mrs. Mills formerly of Kenandy. Then we came back. It was a cloudy afternoon, with a little driz2le. Reveiver from Hatchard vol. XI of BritiSh DOcuments on the Origins of the War. Mabel and I exchanged greetings on the esplanade with Mary D. who is staying] at 4 York Terrace. After tea read a chapter of Grey and had a nap till 6 o'cl. Read some chapters of Grey and skipped several. A cloudy and dark evening. After dinner-began Asquith's Genesis of the war, and read to Chap. XV; the account of the work of the " Committee of Imperial Defence." is admirable. Dedication of the Advancement of learning to King James I in very flattering terms. 3rd Dec. Cloudy and damp, mild. Read about half of the 104 Psalm in the Russian Bible. Received from Commin1607 Venice editionof Arioste, and Pickering's edition of Bacon's Essays and Wisdomof the Ancients. The NovumOrganum in English and The Advancement of Learning. Miller & Lilley delivered 2 tons of coke, and I carried in a basketful of fire-wood. Cloudy afternoon. Walked past Black Hill Cottages to Pitham Lane & back in 55 min. and then had nap. Sidebotham came about six & found my temperature and pulse quite normal, also my heart in good order. About 6.30 finished Asquith's "Genesis of the warj"] He quotes a good deal that one has already read elsewhere. the origins Before going to dress began "British of the War["], vol. XI, by Headlam Morley. - 167- documents on After dinner took up Bacon's and Advancement a planet shining 104 in the but of to Bible. All of firewood. reading Headlam-Morley over Sent Saints, basket little At brightly. Russian none learning. an hour, Took three till lunch. very on reading "The Advancement single star apples. Humphrey police that right. Took Prought the for A cloudy II, very and dull time, Russian Bible. Morley. After till lunch Till dinner got twenty years, or five frost. 3.30 So we had tea Left off of advancement a tiresome After dinner went Lane several book, planets 4, Headlam-Morley then it appearance, Lavengro, Moved into Read and back. omitting Psalm A bright the and a host truly the 107 in the stars all sunny shining. —168 — 6 , Bk. over 105 of at in the Headlam- seems . three the stars . lapse , read quite After of over it to me as I new to me . 7 106 in the Went on reading Russian Headlam- to Sidling Field from 2 .30 station to catch the 5 .21 over and delightful in order Bible. by six to have lunch , mild. o'clock dinner latter book . After afternoon the part "Novum Organum" , away on a shelf . volumes Before some Learning after "Essays" a most finished on till clouded and of Skipped at cloudless it lunch. Learning some Read Psalm 6 .15. Russian the get Then slept Read Psalm Legation drawing-room, appendixes, of again usual all the to after of Read a lane , back by Long dogSunny and mild . Headlam- Maud to the so put after thro' . 2 planets of the looked not able , but . Walked at night, Headlam-Morely Advancement as dinner , discussing one Advancement & some mist . of firewood been . Harbour and now it and I escorted on with morning. Pithing Poole pneumonia; morning telephoned sky . to read when Dr. , but 10 min. the Went on After home daughter morning . a clear began of learning," have Morley's at reading which swept. in 1 hr. when Maud was announce[d]. train. chimney and Walked morning Lane to Cold with dull looking of fire-wood occupied in a basketful to dear 7 o'cl. Cloudy till fine At from Morley "the home, more, suffering Brought 3. church o'cl. on in the up Rill dinner-time A white Bible. thje the Clear a basketful walked down Lavengro, in bed Dec. in 6 Dec. . Duke of Devonshire Went on with a when I returned and reading . in Farm and back in a mattins, continued Brought dinner A cloudy before also . nap for today , one tea later long Psalm in December , Stallard and he had not County, After again Brought six shining. lay here obscure. cleared and up past Morley lunched to & mild . good Finished there to Pitt dress ." & his evening.. and to Lawrence post left walked foggy the an hour. difficult breakfast lane to has a good I had constellations payable Supplements down yesterday, letters nearly Evie Rainy, in some King of Tompkins sofa o'c. two other subscriptions of Learning to have broke as till Farmer was car for and morning , mild. Afterwards 5 Dec. with his cheques temperature, went service Cloudy Literary mild Headlam-Morley visible. . Orion 4 Dec. Detchingham Went on reading communion 10 o'cl . finished 8 Dec. the A study walked to HeadlabmAt 7 o'clock vol . 1 of Lavengro,. and afterwards rapidly read a large part of vol. 2. Coupland's "Raffles", an excellent Then embarked on piece of work, lent me by L.B. Cholomondely, a friend of the author. 9th Dec. Cloudy and mild. Wrote letters & took them down to the P.O. Went on reading Coupland's "Raffles". After lunch'went down town and walked round the Hilly Field to North Street. Got back into the study at 3.30, feeling rather feeble. After tea finished Coupland's "Raffles", a very remarkable-man. At 9.30 finished vol. 2 of Lavengro, and began vol. 3. great deal of this book I had forgotten, years since A cloudy to I last Sidling catch the train. 7.19 Lavengro. out Street catalogue of seeds of E. Hector to be sent took Finished it whom I fell in the later on walked on the way. When I got well: 55 miles Spanish Read more 13 Dec. of Oxford her. basketful Morning at the overcast, mild. Ozanam came slip into After College-, bedtime. Dull Posted back from out from walked very Horace to Sidling with after Field and vicar his of chapteres of History me that dictionary is fairly nor moon. to Maltby House but bound. of he French no stars references of the in five, tells Paxford neatly wrapped Humphrey had arrived night, Read a couple -169- to Humphrey Russian the cloudy a letter Field a and Hill he can speak up Mary D. at Maltby, Trevelyan. lunch Freese's from and East he cloudy down Then began G.M. Trevelyan's and that road, vegetable a little fellow; books. Night Read a couple of looking Went to hunt Copied road. Russian rare abruptly. that him off a re-perusal Engineering quite on with Book prices of to came from of Lavengro. home found he left by the a list Wrote come Catalogue up to Sidling high good till of firewood. lunch. a very Bible. and sent the started_ of Borrow to be repaired. and gummed the Rye before is him tea, along and then Humphrey learning find is Russian who had 109 in the Barton, sky overcast 109 so gave ends to dinner-went a nap. The book letter chat, I possess then at post, Basil After Went on reading Morning a long of Psalm Suttons. 9.25. wrote an hour's Made out the Romany Rye, England. noted. Inn & back, Swan ink. 1 hr., up to Aflington in with Holcombe Dec. Walked Jasminum fell which 10th Bible. firewood. tea of past be seen. After night. bottle over Birmingham, of Read half Field, 12 December. on a Motor-bicycle, the cloudy items a little Lavengro in with back wall I cut. to RuSSian me, and after a big Sidling the Walked nap. Psalm down to distance which to lunch morning. and got no stars basketful the A dull, and home, and dull. Finished "The Romany Rye ." fog. bOx in cloudy up to thelane, to Yohder flower to the Manley Matthews Afternbon, After had a good to Sidmouth. Went to Elkin blossom. Grey sky, 108 in in-a So he came up with 11 Dec. Bible.- dark Brought and then it and no wonder, as it is five and twenty Read Psalm back; and taking 5.21 A cloudy mild. to 20 min., Temperley by the and beginning 1 hr. it. very Field nudiphylltum about read morning, A did Brought to the not in a Britains chapters of The Romany and back, and when I got back had 1/2 hr's nap on the sofa. coming from Oxford, & was due here Romany Rye, and after neither dinner moon nor stars some Adams' Pearmain, Read Psalms front all visible. II. 14 Dec. Russian piece stars visible. Lawrie & Josephine in the Russian calling lunch to of ["]The Romany Rye." a tea brother Bible. Before lunch at Egland walked by Mrs. Sidmouth, her mother Lady Johnstone, Whimple. A lovely planets afternoon, [sic.] 16 Dec. 1.2 in. & we drove up, but Olga walked. socks. o'cl. fallen the temperature. firewood brought & back, one hour. by the o'clock. After We went we met her planets affairs Prelude the After ice of The Prelude. who came by the going Bible. tea. There and bed- but at At dinner Overcast 10 we had morning, And the paper Field over to mild on the & back. tea, Sarajevo, Some dinner. to bed. and left very 18 Dec. Olga went off for complicated Sky overcast at ten Sunny morning. to Sidmouth I walked back home, and went on with Seton-Watson's —170— Field lunch we walked to Pitham Lane walked for The 3 letters. jumpers Bible. a time staircase shining, up to Sidling dressing 116 & 117 in the Russian thro' more of the Prelude. Allen before went on with and knitting Began Seton-Watson's till dinner and some stars Then walked Maud and Ernest At dinner 17 Dec. of Got home at 5.30, Prelude. Mary D. came to house-planning Lady Rev. Sanders Read a little the Prelude. of Mrs. Hext, Before tea I walked up to Sidling dinner Papers. the trees. where to meet Norah, Swedish Ryebread. 5.41 train. Finished Read Psalms 11.15 train. After station in from the coachhouse. of Balkan and back, morning. Wrote & posted Read Psalms 114 & 115 in the Russian in Falloden history about crispbread, Prelude Sidmouth over the moon, three sky overcast. some Ry[e] vita to the asleep of talk At 6 o'cl. apple was showing Brought in some firewood. Olga and I walked deal the sunny morning. 2.20, was a great Field Johnson, After Orion lunch having moon nor very cold. brightly. After and back, read a 112 & 113 Miss Monteath, sunset, 10 o'cl. White frost, thick. tea neither committee.) Began to read and moon shining When I went up at window. After Read Psalms Very frosty Mrs. Hext, gorgeous moon and a planet. Prelude. we a Mrs. Crawford from Hawkchurch, Mr & Mrs Wingfield (he is a member of the Blind Institution stars, Pomona. from the After at night, Randall in and afterwards up to Sidling Heavifree full Cox's stylosa and back. frosty. to "Romany Rye". given Brought got up by Miss Kennaway. on the way, whom I found planting Admiral Russelle, bright Iris The sky overcast sunny morning, the appendix party Cut four Field Bright I finished Orange, to a sale 1 of the was overcast, Ellison's came to lunch, 15 Dec. at Mary D's site of vol. Morning sky overcast. we got back Olga and I walked up to Sidling great rest The sky at night Bible. to Escot vicarage to meet Olga who was Read the Kingof Tompkins County, window. motored together at 5.21. began vol. 110 & 111 in the of the study Walked to the station by the "Sarajevo." After lunch we walked up the lane round by Holcombe Barton into the road, and as far as Sadler's Recluse, to see whether my watch was right. which I hardly understand. At 6 o'cl. After tea read The the moon nearly full, risen above East Hill. Read Trevelyan till dinner-time. Moon& planet but no stars visible. After dinner read Trevelyan's chap. IV. At 10 o'cl. bright moonlight, . planets & stars. 19 Dec. Foggy morning. Read Psalm 118 in the Russian Bible. After mattins picked a flower and four buds of Iris stylosa, three of the latter opened out after they were brought into the warm study. After lunch we walked to Four Elms and back in 3/4 hr. and after I got baok I had a comfortable nap on the sofa. Took a walk round the lower garden, temperature extraordinarily mild. At 6.45 the full moon high above East Hill. Besides the moon, the planets shining, but no stars visible. Finished Seton-Watson's Sarajevo" after dinner after dinner, and then continued with TreVelyan. Dec. A bright morning. Read 24 verses of Psalm 119 in the Russian Bible. " 20 N. wind. Picked a half-open bud of Iris stylosa. Till lunch went on reading Trevelyan. At 2 o'cl. we motored over to Sidmouth and walked along the Esplanade, and came back by Woolbrook, getting town, and I walked up to Sidling Field and back. home at 3.15. N. went down It was a beautiful afterhoon, and the coast view as far as Bear Head very lovely. After tea read Trevelyan's chapter VII on the NormanConquest. At 6.30 the moon rose over East Hill. A couple of planets and a big star shining brightly. After dinner went on with Bk. V of Giraud: l'Apologie. 21 Dec. A fine clear morning, white frost, earth hard. Wrote to Hatchard to get me Victor Giraud's edition of the Pensees. Read 24 vv. of Psalm 119 in the Russian Bible. Went to Percy Harrison to have teeth attended to. After lunch we walked to Aflington Inn & back, 1 1/4 hr. I had a nap. Maud has sent me a box of sweet meats as a Christmas present. After tea read Pritchett's "International and stars "Observations on Egypt, Palestine, and Greece" being No. 225 of conciliation , December, 1926.["] At 7.15 moon risen, planets shining brightly. After dinner looked at vol. 1 of Carlyle's Frederick the Great. At 10 o'clock Orion and other constellations shining. 22 Dec. A cloudless sunny morning. Read 24 vv. of Psalm 119 in the Russian Bible. Walked up to Sidling Field & back. There had been a hard frost, and the mud in the lane was frozen. Picked an Iris stylosa, and brought in a basketful of firewood. After lunch we walked by the lane to Knightstone, and back home by the high road, in 1 hr. The Faculty Board of History at Cambridge have asked [me] to act as a referee on the work of Professor C.K. Webster, who is applying for the Degree of Doctor of Letters. At 7 o'cl. two planets & several stars shining. Read some of vol. 1 of Carlyle's Frederick the Great. Percy & Helen with their dog Peter arrived at 20 to 8. At 10 o'cl. Orion & accompanying stars brightly shining. 23 Dec. White frost & E. wind. - 171- Norah left for Shenfield by the 10.27 and I took her down to the station down and the Russian three Bible. to Sidling of us walked Received Field up again. a picture & back. After in a motor. post Read 24 vv. of Psalm card Sir Francis like Percy, continued talking Sarajevo. Wilson, for nearly At 7.30 all shining Carlyle's Frederick morning. they easily promising again. into Received Orion, Field 9.41 train, and back; a bitter frosty 24 Dec. Hard frost, and returned to lunch. tea Carlyle's Frederick brilliantly, cold vol. wind. present. In the afternoon 1. At dinner 25 Dec. East me Bryce's wind driving and Ernest had gone off to Sidmouth, Josephine Emperor Theresa & Lawrie VI and his was recognized some drizzle during lunch in 55 min. cloudy Shandy. sent night. the night. Dull Lane. Finished Began vol. vol. 2. Finished the II. vol. by Obed Dare's, & past the railway dinner the and plum pudding. by which night. Afternoon Silford station description his 26th —172— today, of deal about daughter Dec. Maria No frost, Bible. Lane & back after Friedrich began to read at 7.10. again having Bible. left After .A Tristram come, I Spent most Lawrie took Josephine, home to Beaumont. & Echo published and and Percy met them on their & the road tea. After Field A great 119th Psalm in the Russian II. sky . as a Mary Wilkin over Seeds from Suttons way up Ridgeway Lane before Devon Express shining Maud and Olga Read Bryce's 1 of Carlyle's them a cheque. the best cloudy After cold morning. walked stars across brought Percy & I walked to Pithing A bright the esplanade, by the as Cadhay Read 24 vv. of 119 Psalm in the Russian stylosa. of the morning over Carlyle's vol. Sanction 27th Dec. and me up Chineway, Walked up to mattins, 1 of Carlyle. Lawrie & Helen went up East Hill, way back down Rill dull, vol. Pragmatic as his heir. Picked two buds of Iris A sunny & I walked to Sidling went on further. Then went on with Karl ice. Bible. clouds came to stop after the tea. dinner volume "Memories of Travel" to eat the turkey after time to After we walked as far so we were nine altogether the night. time Orion and other postunous Lawrie & Josephine Percy until Hyades & the rest and thick in a taxi, Helen, Seton-Watson's Percy & Helen went to Sidmouth walked over from Sidmouth to midday dinner others and he of "Mocha" chocolate from Olaga, and a packet of short of Moffat, to whom I sent a letter of thanks . After Percy & Helen have given Christmas at Clifton, Great Aldebarans, keen E. wind. gate and back. A present bread from the Johnstons Iceland the Pleiades, & While we were at from Hatchard Frederick Inn, conversation Read vv. 97 to 120 of Psalm 119 in the Russian Sidling back. us. been at school got 1 of Carlyle's the stars, brilliantly, to overtake He having 1 1/2 hr. Went on with vol. dress. all Dr. Walked up lunch Helen & I walked to the Alfington Newbolt was announced. under 119 in the from Erna at Benthen. on the way back met Percy who had been trying tea Percy & Helen walked Helen of the Siddown to Then Josephine &I tea more of Carlyle's but no "Times". At 10 o'cl. Orion &other read constellations, a good-deal on East with of Hill. I walked Lacock II. Lawrie on the to the Epilogue Emperor to the dinner went morning of letters to the tried to get a nap, post and a brilliant in the the worked o'clock the Psalms of giddiness Holcombe fields till home. cut went to Play is reproduced [sic.] Helen by the 30th me, lane into sky after Tristram the a long Watton high leaving to Pithing Vol. afternoon from XI of British to Tristram Subscriptions, Kenneth Lane & back. Basil brightly. Wrote gifts After whom I had Lucy after Satow, tea I knew, Mrs. who died Charles Arthur during Allen Brent Martin Fedor's Admiral year. 15 Jan. 22 Jan. of Marrack Sandrock cloudy to it. to dress At 11 & mild. Read go down town Sidling lane, & posted them. through Bible. Helen Afternoon 24 Jan. 26 Jan. —173 — wife & loan to the Carlyle 31 Had my & Percy some sunshine, on in Carlyle At 10 o'cl. alone. "Field sky overcast. Russian of for Shandy. Went on with origin to I had an attack the read Lovell the vol. planets to II. At War came back dinner. 21 Jan. Wm. Haggard Mrs. the went lunch afternoon, Ellen through on the lent 712.11.8. People £38, breakfast & me alone. documents Shandy to letters and & down to Clear more Tristram in Fine Wrote and back, At bed time 129-131 After Came home & tea-time, afterwards. The After up Furzebrook till vol. Dec. Bible. Till afraid Great was shut. at lane, road, Read Psalms interval. to lunch, the from 23. 29th Field After train Day. of Dec. & firewood. Morning I was up nap Shandy overcast. Dec. and Christmas on Palestine. Bible. & I walked the in dinner on Percy Frederick shop shining. turning 4.11 Russian as a cook, & after Russian frightened Bryce up to night. to Sidling Filt over. the his and stars II, in the in the Later "Times" fog spent by the of cloudy but Walked Mrs. vol. in the Brought shaved, planets arriving morning 125 as dinner frost, The morning back. Carlyle's Harold. get Engaged we walked A dull, 123 to and to was clouded 7 sky overcast. shining early Read some of James and with so we walked this in After hoar Bible. & me as far Forbes, Then I had a comfortable Morning hair where died Satow Carlyle's Barton, from but no success. Percy, dinner, Dec. Erna which lunch Helen Shandy. At 6 o'cl. sky took the brightly. morning, Russian with Psalms sunset. at Cloudy myself Tristram barber's 126 to 126 After Japan walk. same. dinner occupied Read down to the road, Westminster went have tea mild. shining to meet Kenneth on with and posted Sidmouth After planets, 28 Dec. 120 to 122 in the & Josephine station Abbey. The Shandy. Read Psalms Carlyle. Knightstone besides Tristram Parlette. & stars Maurice Pryke J.C.S. Davis George d'Arcy Mrs. Huyshe Montague of Sid Kirkwood John Macleavy Mrs. Lionel Harold Mary Adams Brown Birch Spender Satow Kawamura 31 Jan. 12 Feb. 20 Mar. M.D. House Sidmouth 25 Mar. 28 Mar. April 6 April 13 April 15 April 15 April 28 Ralph Hine Haycock Aug. Hiram Shaw Wilkinson Sept. G.W. Knox Nov. 12 26 13. — 174 — 参 考 文 献 A I. WORKS BIBLIOGRAPHY OF ERNEST Reprinted Copies : ERNEST SATOW SATOW Edition Synapse's Published in Japan , 1998. Vol. 1 KUWAIWA HEN: TWENTY-FIVE EXERCISESIN THE YEDOCOLLOQUIAL (1873) Vol. 2 JAPAN1853-1864, OR GENJI YUMEMONOGATARI (2nd ed. , 1905) KINSE SHIRIAKU. A HISTORYOF JAPAN, 1853-1869 (2nd ed ., 1876) Vol. 3 AN ENGLISH-JAPANESE DICTIONARYOF THE SPOKENLANGUAGE (2nd ed ., 1879) Vol. 4 A GUIDETO NIKKO (1875) A HANDBOOK FOR TRAVELLERS IN CENTRALANDNORTHERN JAPAN (2nd . ed., Vol. 5 JAPANESECHRONOLOGICAL TABLES(1874) LIST OF KOREAN GEOGRAPHICAL NAMES(1884) ESSAYTOWARDS A BIBLIGORAPHY OF SIAM (1886) THE JESUIT MISSION PRESS IN JAPAN, 1591-1610 (1888) Vol. 6 THE VOYAGE OF CAPTAINJOHNSARIS TO JAPAN, 1613 (1900) Vol. 7 THE SILESIAN LOANANDFREDERICKTHE GREAT(1915) Vol. 8 A GUIDETO DIPLOMATICPRACTICE, 1st vol. (2nd ed ., 1922) Vol. 9 A GUIDETO DIPLOMATICPRACTICE, 2nd vol. (2nd ed ., 1922) Vol.10 A DIPLOMATIN JAPAN (1921) Vol.11 A DIPLOMATIN SIAM (Paul Strachan-Kiscadale Introduced Vol.12 , Scotland, and Edited by Nigel Brailey THE FAMILYCHRONICLE OF THE ENGLISHSATOWS(1925) THE RT. HON. SIR ERNESTSATOWby B.M. Allen —175— (1933) 1994) 1884) THE DIARIES OF SIR ERNEST SATOW, British A Diplomat Returns to Japan. With an Introduction Other Minister by Nigel Edited and annotated Brailey (Edition (1895-1900): by Ian Ruxton Synapse, Tokyo, 2003) Editions Ernest Satow's "Preface," Missionary Ernest Satow's Press, Marshall Activity from Broomhall (Morgan "Preface," translated 4th ed. & Scott, the Spanish THE CHINESE EMPIRE, A General London, SAINT THERESA'S 1907) THE HISTORY OF HER FOUNDATIONS, by Sister Angnes Mason (Cambridge Univ. 1909) A GUIDE TO DIPLOMATIC PRACTICE edited edition. (Longmans, A DIPLOMAT IN JAPAN with II. in Tokyo by Sir London, introduction Nevile Bland. 1957) by Gordon Daniels (O.P.U., 1968) REFERENCE 萩原 延壽著 「 遠 い崖 」 全14巻 朝 日新 聞 社 刊 、1999-2001年) Laurence Oliphant THE NARRATIVE OF THE ERALOF ELGIN'S MISSION TO CHINA TO JAPAN, 2 vols. (Blackwood, London, 1859) Sir Rutherford Alcock THE CAPITALOF JAPAN, 2 vols. (Longman, London, 1863) John Black THE YOUNGJAPAN (Trubner, London, 1880) S. Lane-Poole THE LIFE OF SIR HARRYPARKES,2 vols. Alexander Michie —176— (Macmillan, London, 1894) THE ENGLISHMAN IN CHINA, 2 vols. Bernard (Blackwood, Edinburgh, 1900) M. Allen THE RT. HON. SIR ERNESTSATOW (Kegan Paul, London, 1933) W.G. Beasley GREATBRITIAN ANDTHE OPENINGOF JAPAN (Luzac, London, 1951) George Alexander Lensen KOREAANDMANCHURIA BETWEEN RUSSIA ANDJAPAN 1895-1904 Sir Ernest Satow (Sophia Univ., Observations Tokyo, 1966) Grace Fox BRITAIN ANDJAPAN 1858-1883 (Clarendon Press, 1969) Sir Hugh Cortazzi DR. WILLIS IN JAPAN 1862-1877 (Athlone - 177 - Press, London, 1985) of 平 成15年3月20日 研究 代表者 宮 澤 眞 一 埼玉 女子 短期大 学 科 研 費 研 究 番 号11610511