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「てもらう」構文における動作主の範囲と格の 交替 The
碩士学位論文
「てもらう」構文における動作主の範囲と格の
交替
─ The scope of agent and the alternation
of case
in the 「Temorau」syntax ─
2004年 2月
仁荷大学校 大学院
日語日本学科(日本語学専攻)
朴 用 萬
碩士学位論文
「てもらう」構文における動作主の範囲と格の
交替
─ The scope of agent and the alternation
of case
in the 「Temorau」syntax ─
2004年 2月
指導教授
李成圭
이 論文을 碩士学位 論文으로 提出함
仁荷大学校 大学院
日語日本学科(日本語学専攻)
朴 用 萬
<目次>
1. はじめに ······························································································1
2. 先行研究及び問題提起 ······································································4
2. 1 柴谷方良(1978) ··········································································4
2. 2 高見健一(2000) ········································································10
2. 3 益岡隆志(2000) ········································································13
2. 4 堀口(1987) ················································································17
3. 「名詞句」の範囲 ············································································21
3. 1 動作主とは ················································································23
3. 2 「てもらう」構文における動作主の範囲 ····························24
3. 2. 1 動作主がいわゆる有生名詞(人․動物の場合) ··········25
3. 2. 2 動作主がいわゆる無生名詞の場合 ······························26
3. 3 受動文との比較 ········································································30
4.「名詞句に」をとる「てもらう」構文 ··········································32
4. 1 「に」の意味․用法 ································································32
4. 2 「名詞句に」が動作主を表す場合の「から」への交替 ····34
4. 3 「名詞句に」が動作主と起点を表す場合の
「から」への交替 ························36
4. 4 例外的な交替 ··········································································40
4. 5 「に」から「から」への交替 ················································41
4. 5. 1 動作主の役割 ··································································41
4. 5. 2 動詞の影響 ······································································42
5.「名詞句から」をとる「てもらう」構文 ······································47
5. 1 「から」の意味․用法 ····························································47
5. 2 「名詞句から」が起点を表す場合の「に」への交替 ········48
5. 3 「名詞句から」が動作主と起点を表す場合の
「に」への交替 ····················50
5. 4 例外的な交替 ··········································································51
6. おわりに ····························································································52
<參考文献> ······························································································54
国文抄錄 ··································································································56
英文抄錄 ··································································································58
이 論文을 朴用萬의 碩士学位 論文으로 認定함.
2004年 2月
主審
印
副審
印
委員
印
1. はじめに
もののやりもらいを表す表現は一般に「授受表現」と称される。
この授受表現は日常生活の中で頻繁に用いられており、その表現形
式も多様である。それだけに、授受表現に関して行われてきた研究
の数も実に多い。
ところで、本研究で授受表現と称しているのは、例えば次のよう
なものがある。
(1)僕は花子にプレゼントをあげた。
(2)花子は僕にプレゼントをくれた。
(3)僕は花子にプレゼントをもらった。
授受を表す表現としては上のようなものがあり、これを敬語と関
連して言えば、「差し上げる」「くださる」「いただく」という形
式も同じものであるといわれている。これらの動詞が本動詞として
使われた場合はものの授受が行われるが、それが次のように補助動
詞として使われると、行為の授受まで表現できる。
(5)僕は花子にノートを貸してあげた。
(6)花子は僕にノートを貸してくれた。
(7)僕は花子にノートを貸してもらった。
(5)~(7)は補助動詞として使われた典型的な授受の表現形式であ
る。このようにものや行為の授受を表す表現であるため、特にその
移動方向について考えてみる必要がある。一方、例文(7)の「名詞
句に」は動作主の役割をしているが、(5)、(6)はそうではない。そ
のことから次のような格の交替を予測できる。
- 6 -
(5)'*僕は花子からノートを貸してあげた。
(6)'*花子は僕からノートを貸してくれた。
(7)' 僕は花子からノーとを貸してもらった。
(5)'~(7)'の三つの例は統語構造の面からは等価のものだと言わ
れている。それはこの三文を同等に、主語․間接目的語․直接目的
語と分析してしまうであろう。しかし、このような分析ではどうし
て(7)'の「花子に」が「花子から」に置き換えられて、(5)'․(6)'
の「花子に」․「僕に」が同じように「花子から」․「僕から」と
置き換えられないのか説明がつかない。さらに、「てもらう」構文
においても、次の(8)、(9)のようにその格の交替が必ずしも見ら
れるとは言えない。それは一体どういう現象なのだろうか。
(8) a 太郎は次郎に來てもらった。
b *太郎は次郎から來てもらった。
(9) a 太郎は山田先生に教えてもらった。
b 太郎は山田先生から教えてもらった。
本研究は、補助動詞として使われる授受動詞の中で、このような
格の交替の見られる構文、特に「てもらう」構文を中心としてその
格の交替について調べていこうとするものである。
それからもう一つ、「てもらう」構文において「名詞句に」のと
ころに來る名詞の種類を調べたところ、次のような制約があるのが
分かった。
(10) 太郎は花子に英語を教えてもらった。
(11) 太郎は盲導犬に道を案内してもらった。
(12)*雪に溶けてもらったので、道路が歩きやすくなった。
(13)*池の水に凍ってもらい、スケートができるようになっ
た。
- 7 -
(10)~(13)の例文の下線部は「動作主」を表している。例文のよ
うに、人や動物のような名詞が來た場合は許容度が高くなるが、自
然現象や物を表す名詞の場合は許容度が落ちてしまう。それを同じ
統語構造を持っている、つまり「動作主マーカー」を持つ「受身文
」と比較してみると、受身文の場合は次の例文のように、許容度が
「てもらう」構文よりずっと高くなることが分かる。
(14) 太郎はすりに金の入っているカバンをすられた。
(15) 太郎は雨に打たれて気持がよくなかった。
(16) 太郎は風に吹かれながら道を歩いている。
(17) 太郎は自分の家でナイフにさされたまま死んでいた。
受動文と「てもらう」構文は同じ「動作主マーカー」を持ち、あ
る行為を受けるという意味では同じ構造を持っていると言える。そ
れなのに、どうして「受身文」の場合と比べて「てもらう」構文の
名詞句には許容度が落ちるのか、また、そこにはどういう制約が働
いており、どこまで許容できるのかなどについては未だにあまり指
摘されていない。
本研究では、すでに提示した「てもらう」構文における「に」と
「から」の相互交替、それからその「名詞句」にくる名詞の許容度
を中心として考察していくことにする。
- 8 -
2. 先行研究及び問題提起
2. 1 柴谷方良(1978)
◎「てもらう」構文の格の交替
「てもらう」構文における格の交替についての先行研究は柴谷(1
978)、山岡(1993)などがある。まず、補助動詞としての用法を見て
いく前に、常に「に」と「から」相互交換のできる場合、つまり「
もらう」が本動詞として使われる場合を見ていくことにする。
(18) 太郎は次郎に本をもらった。
(19) 太郎は花子に手紙をもらった。
この例文は山岡(1993)が述べた次のような説明で(18)'、(19)'の
ように変えることができる。
もらうの場合のニ格は二重の格である起点動作主が表層
に現れたものだから、起点の方を強調すればカラ格になる
。
(18)'太郎は次郎から本をもらった。
(19)'太郎は花子から手紙をもらった。
つまり、もらうが本動詞として使われると、「動作主」、「起点
」の両方の役割をするということである。このような現象はほとん
ど例外なく行われる。ここで予測できるのは、動作主が「起点動作
主」であれば、「から」への交替ができるということである。それ
では、「てもらう」構文における格の交替はどうであろうか。
- 9 -
(20) a 太郎は山田先生に英語を教えてもらった。
b 太郎は次郎に駅まで迎えに來てもらった。
この「てもらう」表現は行為の授受を表す表現形式の一つである
。それでは、ものではなく行為の授受を表す構文の場合はどのよう
な格の交替が見られるか。(20)の「名詞句に」のところを次のよう
に変えてみる。
(21) a 太郎は山田先生から英語を教えてもらった。
*b 太郎は次郎から駅まで迎えに來てもらった。
「名詞句に」で表された場合は同じ「てもらう」構文のように見
えるものがその「名詞句に」のところを「名詞句から」に置き換え
た場合、(21)aは正しい文となり、(21)bは非文になる。これについ
て柴谷(1978)は次のように述べている。これを説明するために例文
(21)を次のように補文構造として分析した。
(21)' a [先生が英語を教える]
b [次郎が駅まで迎えに來る]
この例文の主語は共に動作主であり、(21)'aの主語は動
作主であると共に起点でもあると説明している。一方、(21
)'bの主語は起点としては働かない。(21)aにおいて「山田
先生」が「に」でも「から」でも許す理由は、それが「動
作主․起点」として働いているからであり、(21)bの「太郎
」が「に」だけしか許さないのは、それが「動作主」とし
てしか働いていないからであるということが分かる。
このように、柴谷(1978)は「てもらう」構文において、動作主が
「起点動作主」であれば「から」に置き換えられると述べている。
- 10 -
しかし、一つの文の中で「動作主」と「起点動作主」を分別するこ
とはそれほど容易ではない。さらに、その「起点動作主」というも
のがどんな影響を受けて起点動作主になったのかの説明がなく、た
だ「起点動作主」だから交換できるという説明だけでは分かりにく
い。というわけで、本稿では「てもらう」構文における「に」․「
から」の交替が行われる場合、どういう規則や制約が働いているの
か、またその例外はないのかなどについて見てきたいと思う。
一方、「名詞句に」が「起点動作主」であっても次のような例文
の場合は「から」に置き換えられないと柴谷(1978)は述べている。
◎使役構文の格の交替
「てもらう」の格の交替の後半部に、使役的な意味合いを表す文
では「に」を「から」に置き換えられないと書いてある。それでは
、なぜそのような現象が見られるのかについてみていくことにする
。まず、基本的な使役文を踏まえながら、それが「てもらう」構文
とはどういう関わりがあるのかについて見てみる。
日本語の使役文は、多くの言語の使役文がそうであるように、二
つの反対の使役状況を表す。柴谷(1978)はその二つの使役状況を次
のように「誘発使役」「許容使役」と分けて述べている。
誘発状況
ある事象が使役者の誘発がなければ起こらなかったが、
使役者の誘発があったので起こったという状況。
許容状況:ある事象が起こる状態にあって、許容者(使役
者と形態的に同じ)はこれを妨げることができた。しかし許
容者の妨げが控えられ、その結果その事象が起こったとい
う状況。
- 11 -
(22) a 太郎は次郎
に/を 走らせた。
b 太郎は次郎 *に/を 失神させた。
上の例文を見て分かるように、使役文の問題点は、被使役者が助
詞「を」で表されている文と「に」で表されている文との意味的相
違、及びこの相違をどのように形式的に捉えるかということにある
。この「を」使役文と「に」使役文の意味的な特徴の面から、柴谷
(1978)は次のように述べている。
「を」使役文は、強制的に強いられた状況とか、使役者
が直接手を下して物事を引き起こした場合とか、それに使
役者が権威者である場合を典型的に表す。一方、「に」使
役文は、被使役者の意志を重んじ、使役者がそれに訴えて
物事を引き起こしたような状況を典型的に表す。
それに、「に」使役文は被使役者の意志がなければならない、言
い換えれば動作主になれない被使役者は「に」使役文を作られない
ということを付け加えている。
一方、「に」使役文「を」使役文の両方を使える許容使役文の場
合を「積極的許容─承諾を与えて積極的に許すという場合」と「消
極的許容─積極的に承諾を与えないが、ある事物の発生․進行を妨
げるのを控えるという場合」というように二つに分けて説明してい
る。この中で消極的許容を表す「を」使役文は、「責任のありか」
を表し、間接受動文に近いと説明している。
(23) a 僕は太郎 に/*?から 本を読ませた。
b 僕は太郎 に/*?から 英語を教えさせた。
以上のことを念頭において、特に次のような「てもらう」構文が
使役の意味合いを表す場合はなぜ「から」への交替が難しいのか等
- 12 -
について考えてみよう。既に述べたように、使役文における「動作
主․起点」からは「から」を派生することが難しいと述べている。
(24) a 僕は太郎 に/から 本を読んでもらった。
b 僕は次郎 に/から 英語を教えてもらった。
しかし、「てもらう」構文で不自然な「から」文に相当する使役
文でも、次のように全く非文法的でなく、不自然だという程度に止
まるのはどうしてであろうか。このことは使役的意味を表す文でも
、ある場合には「動作主․起点」名詞句から「から」を派生できる
ということであろうか。
(25) a 僕は太郎 に/?から 本を図書館に返してもらった。
b 僕は太郎 に/?から 本を図書館に返させた。
(26) a 校長先生は山田先生 に/?から 子供を誉めてもらっ
た。
b 校長先生は山田先生 に/?から 子供を誉めさせた。
上の問題を解決する方法として柴谷(1978)は、ここで見られる「
から」が「動作主․起点」名詞句以外のものに由來すると考えるこ
とが可能かどうかを調べればよいと言っている。それに、その可能
性は十分にあって、次のような独立した起点名詞句に由來すると考
えることができると述べている。
(27) a ?僕は太郎に太郎から本を図書館に返してもらった。
b ?僕は太郎に太郎から本を図書館に返させた。
(28) a ?校長先生は山田先生に山田先生から子供達を誉めて
もらった。
b ?校長先生は山田先生に山田先生から子供達を誉めさ
せた。
- 13 -
上の例文は通常文としては不自然であるが、(23)の「から」文が
由來すると考えられる文は一層文法性が低いということである。
(29) a *?僕は太郎に太郎から本を読ませた。
b *?僕は太郎に太郎から英語を教えさせた。
同様に、「てもらう」構文でも「~に~から」の文法性の低いも
のは、文法性の低い「~から」文と相関的であると説明している。
(30) a *?校長先生は山田先生に山田先生から二年生に英語を
教えてもらった。
b *?校長先生は山田先生から二年生に英語を教えても
らった。
これについて柴谷(1978)は次のように述べている。
(25)․(26)の「から」文と(27)․(28)、(23)の「から」
文と、(29)、それに(30)aと(30)bとの間の文法性の相関は
前者が後者から「~に」を省略して派生されたものであり
、前者の「から」は「動作主․起点」から派生された「か
ら」ではないということを端的に示している。このことか
ら、使役的意味を表す文では、「動作主․起点」からは「
から」を派生できない(つまり、「起点規則」が働かない)
、と統一的な制約を設けることができる。
一方、(24)の「から」文は「動作主․起点」から派生されたもの
であるということは、次のような文を上げながら比較している。
(31) a *?僕は太郎に太郎から本を読んでもらった。
b *?僕は太郎に太郎から英語を教えてもらった。
- 14 -
もし(24)が(31)から派生されたものであれば、(30)aから派生さ
れた(30)bの「から」文のように文法性の頗る低い文でなければな
らないが、そうではない。柴谷(1978)はこのことから、(24)は(31)
から導き出されたものではなく、「動作主․起点」名詞句が見せる
「に」「から」交替によるものであるという結論を出している。
2. 2 高見健一(2000)
次は「名詞句」に現れる名詞の種類に関しての研究である。これ
は、高見(2000)の内容に言及されているものであり、全体的な論文
の内容は「被害受身文」と「てもらう」構文の比較に焦点がおかれ
ている。まず、高見(2000)は次のような例文を挙げながら「客観
的描写」「被害․迷惑」「恩恵․利益」の用法を説明している。
(32) a 娘がピアノを夜る遅くまで弾いた。(客観的描写)
b 私は、娘にピアノを夜遅くまで弾かれた。
(被害․迷惑)
c 私は、娘にピアノを夜遅くまで弾いてもらった。
(恩恵․利益)
(32)aは「娘がピアノを夜遅くまで弾いた」という事象を話し手
の感情を交えず、客観的、中立的に描写した文である。それに対し
、(32)bはその事象をいわゆる被害受身文の形で表現し、話し手が
その事象により被害․迷惑を被っていることを示している。一方、
(32)cは、その事象を「てもらう」という形で表現し、(32)bとは逆
に、話し手がその事象により恩恵․利益を受けていることを示して
いる。このように、ある同一現象でも話し手の主観的な捉え方によ
って内容が違ってくる。
一方、高見(2000)は被害受身文と「てもらう」構文の基本的な機
- 15 -
能について次のように述べている。
被害受身文の基本的機能
被害受身文は、その主語指示物が、埋め込み文によって
表されている事象により迷惑を被っており、その迷惑が「
に」格名詞句の指示物のせいであると考えていることを示
す。
「てもらう」構文の基本的機能
「てもらう」構文は、その主語指示物が、埋め込み文に
よって表されている事象により利益を受けており、その利
益が「に」格名詞句の指示物のおかげであると考えている
ことを示す。
それから、被害受身文と「てもらう」構文の主語指示物が、自分
の受けた迷惑や利益を「に」格名詞句の指示物に帰するためには、
二つの語用論要因が関わっていると述べている。その一つは、「に
」格名詞句の指示物が、人間か無生物かという点であり、もう一つ
は、埋め込み文で記述される事象が「に」格名詞句指示物の自ら引
き起こす事象であるかどうかという点である。
․․․前略․․․
このような観点から両構文を考えてみると、「に」格名
詞句は人間(や動物)の場合がほとんどで、無生物の場合は
不適格になる文が多いことに気づく。ただ、無生物の場合
でも、「雨」「台風」「太陽」のような自然の力を持つも
のは、次の例文のように両構文に現れる。
- 16 -
(33) a 僕は帰り道、雨に降られて、びしょぬれに
なった。
b 台風に早く通り過ぎてもらって、ホッとし
た。
c ?お日さまに午後の間ずっと照ってもらったの
で、洗濯物が乾いた。
この点は、雨や台風、太陽が自然の力を持っており、その力でも
って人間にある影響を与えるためであり、何の影響も与えない無生
物(植物も含む)とは区別されなければならない。このような説明で
高見(2000)は、次のようにまとめている。
「に」格名詞句になりやすさの階層
人間が受けた迷惑/利益を何のせい/おかげにするかに関
して次のような階層があり、その階層の左側の要素ほど、
「に」格名詞句になりやすい。
人間 > 動物 > 自然の力 > 無生物
このようにして、高見(2000)は「に」格名詞句になりやすさの階
層を整理している。さらに、これを点数化して「受身文」と「ても
らい構文」を比較しながら、次のような説明をしている。
両構文になりやすい事象の階層
両構文になりやすい事象に関して次のような階層があり
、その階層の左側の要素ほど両構文になりやすい。
- 17 -
「に」格名詞句自ら引き起こす事象 >
無生物や自然の力などの外的要因により引き起こされる
事象 >
人間や動物などの外的要因により引き起こされる事象
高見(2000)が提示した上の事実に基づいてこの原則はどこまで許
容できるか、さらに果たしてこれは正しい説明なのかなどについて
見ていくことにする。もっとも、名詞句に現れる名詞の種類に関し
ては今まで多くの学者達によって研究されてきているが、特に「て
もらう」構文においては直接触れた先行研究があまりないため、本
稿ではその傾向性をまとめる一方、その名詞句に現れる名詞の種類
によってどのような違いが生じるかなどを研究していきたい。
2. 3 益岡隆志(2000)
益岡(2000)は三つの問題を取り上げている。まず、本動詞構文か
ら補助動詞構文への拡張の問題を論じ、「てもらう」構文を中心に
構文間の対立と恩恵性の現れ方の相関、それから事態に対する「好
ましさ」の評価という問題である。本稿で注目したいと思うところ
は、二番目の「てもらう」構文を中心に構文間の対立と恩恵性の現
れ方の相関関係を説明した部分である。
それについて見ていく前に、益岡(2000)が提示した一つの疑問に
ついて見ていきたいと思う。それは「なぜ(てやる․てあげる構文)
などは恩恵性を表すことができるのであろうか」という問である。
これについて益岡(2000)は次のように述べている。
結論から言えば、本動詞構文の中に恩恵性の萌芽がある
ということである。すなわち、「やる(あげる)」などは単
に事物の授受を表すだけでなく、通常、授受の対象である
- 18 -
事物が当事者にとって「好ましい」ものであるという意味
を表すということである。
これをは次のような例を挙げて説明している。
(34) a 多くの学生に優を与えた。
b 多くの学生に優をやった。
(35) a 一部の学生に不可を与えた。
b ?一部の学生に不可をやった。
(36) a 職員に優待券を渡した。
b 僕に優待券をくれた。
(37) a 即座にイエローカードを渡した。
b ?即座にイエローカードをくれた。
(38) a 教え子から歳暮を受け取った。
b 教え子から歳暮をもらった。
(39) a 脅迫状を受け取った。
b ?脅迫状をもらった。
「優」や「優待券」や「歳暮」は好ましいものであるが、「不可
」や「イエローカード」や「脅迫状」は好ましくないものである。
益岡は「与える」「渡す」「受け取る」においては授受の対象が好
ましいものでなくてもよいのに対し、「やる(あげる)」「くれる」
「もらう」で授受の対象は通常好ましいものに限られていると説明
している。そして、それは事態の授受を表す補助動詞構文にもその
まま引き継がれると述べている。授受の対象である事態が好ましい
ものであるということは、その事態が当事者にとって恩恵的である
ということに他ならない。しかし、この説明は「通常」と「限られ
ている」という二つの表現が矛盾であって誤解を招く恐れも生じる
のではないかと思われる。つまり、この表現から見れば、例外があ
るようなないような言い方をしていおり、これだけでは十分な説明
- 19 -
だとは言えないだろう。例えば、次のような例文はどう説明すれば
よいのだろうか。
(40) a とんだことをしてくれたなあ。
b よくも人の顔に泥を塗ってくれたな。
c 後にも先にも一度の小説をあんなに悔しがって
夜じゅう泣いてくれなくともよさそうなものを。
これらの場合、利益․恩恵は意味せず、不利益․迷惑即ちマイナ
スの利益を受けており、それが授受の補助動詞を伴って表現されて
いる。というのは、先の説明は必ずしも正しいとは言えないだろう
ということを示している。つまり、上の例文は授受表現を用いる構
文の中でも不利益․迷惑を表すことができるのを見せている。では
、どうしてある時は利益を表し、ある時はマイナスの利益を表すの
であろうか。それについての説明は今後の課題としたい。
一方、益岡(2000)は「てもらう」構文を「受動型てもらう」構文
と「使役型てもらう」構文の二つの種類があると述べている。
(41) 衛星放送などで見た方を含めると、相当数の方に樂しん
でもらったと思う。
(42) そうであれば、代表の座を辞めてもらうしかない。
(41)のような「受動型てもらう」構文は相手から一方的に動作を
受けるものであり、「使役型てもらう」構文は(42)のように、相手
に対する働きかけが認められるものである。これをもとにして、益
岡(2000)は「受動型てもらう」構文と受動構文、「使役型てもらう
」構文と使役構文を次のように比較している。
「受動型てもらう」構文と受動構文は当該の事態が好ま
しいかどうか、つまり、恩恵的か迷惑的かという対立を構
- 20 -
成するのに対して、「使役型てもらう」と使役構文は事態
の好ましさの対立を表すわけではないということである。
その具体的な内容として、まず「受動型てもらう」構文と受動構
文を次のように説明している。
․「受動型てもらう」構文 ─ 恩恵性を表す。
․
受動構文 ─ 迷惑性を表す。
(ただし、当然のことながら受動構文はいつも迷惑性を表す
というわけではない。)
(43) 先生に作文をほめてもらった。
(44) 先生に作文をけなされた。
次は、「使役型てもらう」構文と使役構文の説明である。
․「使役型てもらう」構文 ─ 相手に依頼して事態の実現を図
る。
․
使役構文 ─ 自らの意向を一方的に押し付けるという強制の
意味合いが強い。
(45) 花子に(頼んで)代わりに行ってもらった。
(46) 花子に代わりに行かせた。
このように、「受動型てもらう」構文と「使役型てもらう」構文
とでは恩恵性の濃淡に差が認められるのであるが、このことは、「
てもらう」構文が受動文․使役文と対立関係を構成し、これらの構
文との間で役割を分担していることに起因する。反面、「てやる(
あげる)」構文と「てくれる」構文は対立する構文を持たない。
以上のように、益岡(2000)では「てもらう」構文を中心に構文間
- 21 -
の対立のあり方が恩恵性の現れ方に反映されるということを説明し
ている。「てもらう」構文と使役文․「てもらう」構文と受動文に
関しては、まだ研究すべきところが多く残っていると思われるが、
それは今後の課題としたい。
2. 4 堀口(1987)
堀口(1987)は「てくれる」と「てもらう」の置き換えが可能かど
うかという現象面に着目しながら、「てくれる」「てもらう」のム
ード的意味の類似点と相違点を明らかにしようとした(しかし「て
くれる」「てもらう」の前の動作主が意志動詞で、話し手が授受に
関係している表現を観察の対象とし、動作主が無意志動詞の場合お
よび第三者間の「てくれる」「てもらう」については触れていない
)。
堀口(1987)はまず、時間を基準として「てくれる」「てもらう」
が未來のことを表す場合と現在のことを表す場合、また、時と無関
係な「てくれる」「てもらう」とに分けて説明しており、最後に「
仕手が無生物やコトの場合」について説明している。
まず、「てくれる」「てもらう」が未來を表す場合については、
仕手の了解が「てくれる」と「てもらう」の使い分けの要因になっ
ていることを確認し、それから仕手の了解がある場合と無い場合と
に分けて説明している。堀口(1987)は仕手が自分がその行為をする
ということをまだ知らない場合には「てもらう」は使えるが、「て
くれる」は使えないと述べている。
(47) *來月から君が経理をやってくれるよ。
(48) 來月から君に経理をやってもらうよ。
終助詞「ヨ」には聞き手が知らないことを伝える働きが
- 22 -
あるから、例文(47)(48)は聞き手が知らないということは
仕手が自分の行為を了解していないということである。従
って、仕手が自分の行為を了解していない場合に使える「
てもらう」は「ヨ」と共起できるが、仕手が自分の行為を
了解していない場合には使えない「てくれる」は「ヨ」と
共に使うと非文になるのである。
また、仕手の了解がある場合と無い場合とに分けて述べながら、
仕手の了解がある場合は「てもらう」「てくれる」両方使えるが、
仕手の了解がない場合には「てもらう」しか使えないといっている
。ここで、まず「仕手の了解がある」ということは、「仕手が自分
がある行為をするように期待されているということを知っていて、
そのうち確実にその行為をするということを話し手が確信している
こと」だと説明している。つまり、行為の実行に関しては、「積極
的に実行する」から「実際にはしない」までの幅があるのである。
従って、「てくれる」「てもらう」が未來のことを表し、仕手の了
解がある場合の「てくれる」「てもらう」は、話し手にとっての確
定的未來を表すということができる。一方、仕手の了解がない場合
については、
「てもらう」が未來を表し、仕手がその行為をすること
を了解していない場合、「てもらう」は話し手の意志を表
し、その意志は仕手が聞き手の場合には命令や依頼の機能
を持つことも考えられる。
と述べながら、次のような例文を挙げている。
(49) あの人には來てもらう。
(50) あの人は來てくれる。
(51) あの人には來てもらうまい。
- 23 -
(52) あの人は來てくれまい。
「てくれる」「てもらう」が現在を表す場合については、「てく
れる」「てもらう」はどちらも現在のことを表す場合にも使うこと
ができ、この場合の「てくれる」または「てもらう」は仕手の行為
の繰り返しが現在に至っているということを表すのだと述べながら
、次の例文を挙げている。
(53) カエルコールすると、子供を起しておいてくれる。
(54) お酒をサービスしたりすると、機嫌を直してくれます。
一方、時と無関係な「てくれる」「てもらう」については、以下
の例文を「どれも仕手の行為を描写し、確言のムードを表現してい
るという点で共通している」というふうに説明している。
(55) 友人と二人で決行した。女二人で不用心なので夫にも同
行してもらう。(日記風記述)
(56) 実験は次のようにして行った。生徒たちを二組に分け、
一方にはCを飲ませ、他方にはにせの薬を飲み続けてもら
う。(手順)
(57) 動き出したバスはゆっくり停車した。だれ一人いやな顔
をせず、私が間に合ったことだけを喜んでくれる。「間
に合ってよかったね」と口々に言ってくれる。(列挙)
最後に、仕手が無生物やコトの場合について説明している。仕手
が無生物であれば、仕手がその行為を了解しているということはあ
りえないので、次のような用法で「てくれる」も「てもらう」も使
える例は、
(58) NTTは破損したカードを取り換えてくれます。
- 24 -
(59) 千をこす言葉をワープロに覚えてもらう。
のように、仕手が、人が操作できる機械や人が所属している集団
や組織などの場合に限られる。これについて、実際には仕手が無生
物の場合には、次のように「てくれる」しか使えない例が多いと述
べている。
(60) その暖かさが学校へ向かう私を包んでくれる。
(61) 少年の心との小さな闘いが私を支えてくれる。
以上、授受表現の先行研究、特に「てもらう」構文を中心として
調べてみた。まず、柴谷(1978)では、「てもらう」構文における「
に」と「から」の交替を扱っている。しかし、その交替ができるか
どうかの問題より重要であると思われるのは、それが「てもらう」
構文に現れる独特な現象であること、またその交替が行われる環境
などについては今後も研究していく必要のあるというところである
。本論文では、おもにその交替が起こる要因として働いている動詞
を調べてみながら、その傾向性について見ていきたいと思う。
二番目として、高見(2000)では、「てもらう」構文と「受身文」
を比較しながらその共通点や相違点について論じている。特に、「
てもらう」構文と「受身文」における「名詞句」の種類を整理し、
その傾向性を次のようにまとめている。
人間 > 動物 >自然の力 > 無生物
それから、益岡(2000)では「てもらう」構文を「受動型てもらう
」と「使役型てもらう」とに分けて、その役割の違いを論じている
。特に、「受動型てもらう」と受動構文、「使役型てもらう」と使
役構文を比較し、その微妙な違いについて論じている。また、「て
もらう」構文を中心に構文間の対立のあり方が恩恵性の現れ方に反
- 25 -
映されるということを説明している。
その次に、森田(2002)では、授受表現利益の自主的授受を成して
いる七つの動詞を分類しながら、その意味の違いや使い分けについ
て松下文法に基づいて論じている。特に、「てもらう」構文が現れ
る場合を四つに分けて説明している。つまり、「てもらう」構文が
「依頼․命令․迷惑․許可を求める」の意味を持っており、話者に
よってその使い分けが行われると論じている。さらに、対人関係に
おける「くれる」と「もらう」の使い分けと、対人関係以外の「く
れる」「もらう」の意味やその使い分けについて分類している。
最後に、堀口(1987)では、「てくれる」と「てもらう」の互換性
とムード的意味について説明している。まず、「てくれる」「ても
らう」構文が未來を表す時、仕手の了解がある場合は「てくれる」
も「てもらう」も使えるが、仕手の了解がない場合は「てもらう」
しか使えないと述べている。また、「てくれる」「てもらう」が現
在を表す時は、仕手の行為の繰り返しが現在に至っているというこ
とだと論じている。また、時と無関係な「てくれる」「てもらう」
の場合は、手順、列挙、日記風記述などの用法で表され、どれも仕
手の行為を描写し、確言のムードを表現しているという点で共通し
ていると説明している。
3. 「名詞句」の範囲
「てもらう」構文は、動作主が行う行為を主語が受けるという意
味を表している。これは松下(1927)によれば、自行自利態で、他人
の動作を受けて自己の動作とし、その受けることが自己の利益であ
ることを表すのである。ここで、重要な役割を果たしているところ
が動詞の部分であって、その行為を行う役割は「動作主」が担当し
ている。それに、その動作主を表すところにどんな名詞が來るかに
- 26 -
よって、文が成立するかしないかが決まる。
本章では、まず「てもらう」表現の由來や基本的な用法を調べ、
「てもらう」構文で重要な役割をしている「名詞句」のところを見
ていきたい。もっとも、今まで他の構文での名詞句に関してはある
程度研究されてきているが、「てもらう」構文での「名詞句」の許
容度については、それほど触れていない。というわけで、「てもら
う」構文における「に」と「から」の交替についてみていく前に、
その「名詞句」の許容度についてまとめておきたい。
★「もらう」の辞書的用法(『日本語文法大辞典』小学館)
もらう(貰う)
現代語 ─ 五段
古語 ─ 「もらふ」四段
․活用
未然
連用
終止
連体
已然
命令
は
ひ
ふ
ふ
へ
へ
․意味
人が与える物を受け取って自分の物とすること。それら
を求めることをいう場合もある。多くは、自分が利益を得
る物を受け取ること、恩恵を受けるのに用いることが多い
が、病気や喧嘩を引き受けることも表す。
․用法
本動詞として用いられるほか、接続動詞「て」を介して
ほかの動詞に接続詞、補助動詞として用いられる。補助動
- 27 -
詞としては上接の動詞の表す行為をほかにさせることで自
分が利益を受けることを表す。
․語誌
鎌倉時代以降に用いられた。
․研究史
現代語に関して、「やる」「あげる」「くれる」など、
同様にものの授受を表す動詞との意味․用法の違いに関す
る研究が見られる。特に「やる」については、「やりもら
い」として、方向の面で対になっている動詞として一括し
て称されることもある。
3. 1 動作主とは
「てもらう」構文における「名詞句」の役割は主に動作主で表さ
れる。というのは、主語に向かっていく行為のやり手を動作主が担
当しているということになるのである。しかし、残念ながら「ても
らう」構文における動作主について直接説明した論文や本はあまり
見つからないため、より広い範囲の(例えば、能動文や受動文など)
「動作主」を取り上げることにする。まず、『日本語教育辞典』で
は動作主に対して次のように述べている。
Agent,agentiveの訳語、動作者、動作主格という。動詞
や形容詞といった述語は、その意味を補うために、いくつ
かの名詞句を必要とする。このような述語と結び付いた名
詞句がその述語に対して持つ意味的な関係はいくつかある
が、動作主はそのうちの一つで、動作を行うもの、つまり
「動作の仕手」のことである。
- 28 -
․․․中略․․․
(3)日本語の文法で用いられる動作主(格)の概念は、「意
志的な動作を行う主体」である。したがって動作主は(人間
や他の動物を表す)有生名詞でなければならない。しかし、
「太郎が気絶した」、「太郎は花子が好きだ」、「太郎は
花子を知っている」、「太郎は車を持っている」は、いず
れも意志的な動作の主体ではないので動作主とはしない。
動作主であるかないかの違いはいろいろな文法現象となっ
て表面構造に現れる。たとえば、動作主の場合は「太郎は
走った、次郎も走った」のように動詞を繰り返さずに、「
太郎は走った。次郎もそうした」と「そうした」で置き換
えられるが、動作主でない場合は、「太郎は気絶した。次
郎も気絶した→*そうした」のように置き換えはできない。
以上の内容を念頭において、「てもらう」構文における動作主の
役割を見ていきたい。上の説明では、動作主は有生名詞でなければ
ならないと述べているが、それは果たして事実であろうか。という
ことなどを触れる一方、「てもらう」構文では動作主の役割をする
名詞の種類がどこまで許容できるのかということについて見ていく
ことにする。
3. 2 「てもらう」構文における動作主の範囲
上の内容を見て分かるように、動作主は「意志性」を持って、あ
る行為を行う役割を果たすものである。というのは、その動作主が
自力を持って何かの動作を引き起こすことができる場合だけ使える
ということになる。今までの先行研究では「てもらう」構文の動作
主を扱った論文は極めて少ないため、その論文を參考としながら「
- 29 -
てもらう」構文における「名詞句」の種類やその許容度などを整理
しようと思っている。
3. 2. 1 動作主がいわゆる有生名詞(人․動物)の場合
人間は日常生活において、周りの人々と密接なつながりや関わり
を持っているため、他人の行った行為で迷惑や利益を受けることが
極めて多い。一方、無生物とはそれほど密接な関わりを持たず、無
生物が私達に何かを行うことはないため、無生物に起きた事象が迷
惑や利益を及ぼすことは、人間の場合ほど多くない。このような観
点から考えてみると、「に」格名詞句は人間(や動物)の場合がほと
んどで、無生物の場合は不適格になる文が多いことに気づく。
(62) 先生に励ましの言葉をかけてもらい、元気が出てきた。
(63) その少年は、愛犬のポチに笑顔で迎えてもらい、幸せ
そうだった。
(64) *池の水に凍ってもらい、スケートができるようになっ
た。
(65) *皿に割れてもらい、かえって新しいのが買えた。
(62)は動作主を表す「名詞句」に人間が來た場合で、自然な文と
なる。(63)も「犬」という有生名詞が仕手の役割をしており、適格
文である。しかし、(64)、(65)の「池の水」「皿」のような無生物
が「に」格名詞句にきた場合は、不適格な文となるのである。この
ことについて高見(2000)は次のように述べている。
「に」格名詞句になりやすさの階層
人が受けた迷惑/利益を何のせい/おかげにするかに関し
- 30 -
て次のような階層があり、その階層の左側の要素ほど、「
に」格名詞句になりやすい。
人間 > 動物 > 自然の力 > 無生物
以上のように、「に」格名詞句に人間や動物などの有生名詞が來
た場合は、適格文となるということが分かる。その次に、無生名詞
が來た場合はどうなるかについて見ていくことにする。
3. 2. 2 動作主がいわゆる無生名詞の場合
上の説明で、動作主を表す「に」格名詞句にいわゆる有生名詞が
來た場合、適格な文になるということを見てみた。その次に、「に
」格名詞句のところに無生物が來た場合はどうなるのかについて見
ていくことにする。先行研究では、人間や動物などの有生名詞でな
ければ文は成立しないと言っているが、果たしてそうであろうか。
これから、その名詞句の許容度を同じ統語構造を持っているといわ
れている「受動文」と比較しながら、どこまで許容できるのかにつ
いて見てみることにする。
「てもらう」構文での「に」格名詞句の役割は動作主を担当して
いると言われている。というのは、その動作主が自力を持ち、何か
の行為を引き起こすことができるということになるのである。そう
いうわけで、一般的に考えてみると、有生名詞以外の名詞が來た場
合は不適格文になるのではないかという推定ができるが、実際はど
うであろうか。
(66) *雪に溶けてもらったので、道路が歩きやすくなった。
(67) *雨に降ってもらったので、さわやかな気持になった。
(68) *鉛筆に書いてもらって、助かったな。
- 31 -
上の例文は「に」格名詞句のところにいわゆる無生名詞が來た場
合で、どれも不適格な文である。それは、自分の意志のない無生物
が動作主の役割を付与された場合、自らある行為を引き起こすこと
ができないため、その役割を果たすのは不可能であるということを
表している。これは、上の「有生名詞が動作主の役割をする場合」
のところで調べてみた先行研究の内容と同じである。それでは、そ
れは例外なく行われる不変の法則であるのだろうか。次の例文を見
てみよう。
(69) この計算機に処理してもらう。
(70) 足りない金は政府に援助してもらった。
(71) 薄くて軽いタプレットに線でつながったペンで書き付け
て、読み取ってもらう。
(72) 千をこす言葉をワープロに覚えてもらう。
(69)~(72)の「に」格名詞句はいわゆる無生名詞である。それな
のに、いずれも適格文である。上の説明によれば、有生名詞以外の
ものが「に」格名詞句に來ると不適格文になるはずである。これは
、どうやって説明すればよいだろうか。これについて堀口(1987)は
以下のように述べている。
これは、仕手が人が操作できる機械や人が所属している
集団や組織などの場合に限っての現象で、実際には仕手が
無生物の場合には、次のように「てくれる」しか使えない
例が多い。
(73) その暖かさが学校へ向かう私を包んでくれる。
(74) 少年の心との小さな闘いが私を支えてくれる。
(75) ほんの少し赤のまじった食品はなんとなく華やか
さを添えてくれる。
- 32 -
(76) ひと言声をかけあうことがお互いの気持のきしみ
を溶かしてくれる。
一方、高見(2000)では、無生物の場合でも「雨」、「台風」「太
陽」のような自然の力を持つものは「てもらう」構文に現れると述
べ、次のような例文を挙げている。
(77) 台風に早く通りすぎてもらって、ホッとしたよ。
(78) ?お日様に午後の間ずっと照ってもらったので、洗濯物が
乾いた。
この点は、雨や台風、太陽が自然の力を持っており、その力で持
って人間に影響を与えるためであり、何も行わない無生物(植物も
含む)とは区別されなければならない。しかし、これは文章の内容
によって適格になるか不適格になるかが決まるのではないかと思わ
れる。というのは、先の例文で見たように、
(66) *雪に溶けてもらったので、道路が歩きやすくなった。
(67) *雨に降ってもらったので、さわやかな気持になった。
(68) *鉛筆に書いてもらって、助かったな。
のような例では、適格な文とは言えないからである。
以上の内容をまとめてみると、「に」格名詞句には人間や動物な
どのいわゆる有生名詞が來なければならないこと、それに、例外と
して「雨」や「風」、「台風」などの自然の力を持っている名詞が
來た場合は、その文の内容によって適格になる場合もあれば、不適
格になる場合もあるということ、最後に、人が操作できる機械や人
が所属している団体や組織などが「に」格名詞句に來る場合に限っ
て適格文になるということである。これでは、高見(2000)が設定し
た階層構造とほぼ同じだと言うことができる。
- 33 -
「に」格名詞句になりやすさの階層
人が受けた迷惑/利益を何のせい/おかげにするかに関し
て次のような階層があり、その階層の左側の要素ほど、「
に」格名詞句になりやすい。
人間 > 動物 > 自然の力 > 無生物
上の設定は、まさに正しいと言うことができる。それは当然のこ
とで、自分の意志を持ち、働きかけ性をもっているという条件を満
足させる名詞は有生名詞しかない。しかし、次の例を見てみると、
必ずしも有生名詞を要するとは言いがたい。
(79) 彼はその手紙に慰めてもらった。
(80) あの時の彼の言葉に勇気づけてもらった。
(81) 彼女は寂しい時、思い出のぬいぐるみに慰めてもらう。
(82) 一発の安打に選手達は励ましてもらった。
(79)~(82)はいずれも無生名詞が「に」格名詞句のところにきて
おり、文法的にも意味的にも適格文である。上の説明によれば、無
生名詞が來た場合は、「人が操作できる機械や人が所属している団
体や組織などが「に」格名詞句に來る場合に限って適格文になる」
と述べており、自力を持っていると見なされている「風」「雨」「
台風」などの自然現象以外の名詞は使えないと説明している。それ
では、(79)~(82)は不適格文になるはずだが、そうではない。これ
は一体どういう現象であろうか。それを考える前に、まず、(79)~
(82)に使われている動詞のところを調べてみる必要がある。それぞ
れ「慰める」、「勇気づける」、「励ます」などの動詞が使われて
いる。これはある行為を直接するというより、感情的に対象に対し
て働きかけると行った萌芽より正確な解釈だと思われる。というの
- 34 -
は、(79)~(82)で使われている「に」格名詞句は各々「手紙」「こ
とば」「ぬいぐるみ」「安打」でそれによって話者はそこに使われ
た動詞の感情のところを感じとるようになったと言うことができる
。しかも、それは主観的な感情だと見なすことができるため、こう
いう場合は、あらゆるの無生名詞もそのところに來ることが可能で
はないかと思われる。それに、(79)~(82)の「に」格名詞句に使わ
れた名詞を見てみると、「だれかが書いた手紙」、「だれかの言葉
」、「だれかにもらったぬいぐるみ」、「だれかの安打」というよ
うな解釈ができ、結局ある人が働きかけて何かの行為を引き起こし
た結果、作られた結果物と言っても間違いはないと思う。それから
、その結果物を擬人化して(実はその行為をした人が大切であるが)
あたかもその結果物がその動作をしたように感じるということであ
る。しかし、こういう現象を一括して「例外的」であると言うこと
はできない。これも言語現象の一つで、あるところに位置付ける必
要がある。
3. 3 受動文との比較
「てもらう」構文の格の交替がどのように現れるのかを説明する
前に、「に」「から」の名詞句を持つ受動文について簡単に見てみ
ることにする。しかし、これが詳しくなりすぎると本論文の主旨と
はずれた方向になりかねないので、本稿では簡単に触れるというこ
とを断っておきたい。
◎受動文の検討
佐久間鼎は「受け身」について次のように述べている。
影響の波及といふ関係を現はす必要がないなら「水が(私
- 35 -
に)かかったら…」というやうに、自動詞「かかる」だけを
用ゐてすむのですが、それは丁度「子どもが泣く」や「雨
が降る」と表現するのと同様で、その動作․事象が自分に
対してもつ生活感情的効果、自分がそれに対していだく関
心は、ほとんど関説されません。その効果、その関心を表
現するところにこそ、「受け身」の形の意義が認められる
のだといふべきでせう。
細川(1986)は受動文の「に」「から」の使用上の区別を動詞が
持っている「結果性」という概念の強弱と受動文の主語の有生性を
もって説明している。つまり、これら二つの格には次のような二つ
の原則があると主張している。
原則(1)
受動文において「から」でマークされるのは、起点、素材
あるいはその出所(source)に限られる。ただし、動作․作
用を表す受動文で主語․動作主共に有生物の時は、動作主
も「から」で表せる。
原則(2)
受動文において「に」でマークされるのは、着点、産物、
動作主に限られる。この場合の動作主とは直接的な関与者
である。
上記の内容に基づいて、受け身と「てもらう」構文を簡単に比較
してみる。
1)私は先生にほめられた。
2)私は先生にほめてもらった。
1)は主体の「私」が「先生がほめる」という事象から好ましい結
果を受け取ることで結局「私」が利益を受けるということを示して
- 36 -
いる。2)も先生のほめる行為を「私」が受けることで利益の授受行
為を表している。二つの表現が同じ利益の意味を表すという点から
言えば、二つの表現の置き換えが問題になりかねないが、実際には
どうであろうか。1)と2)は両方とも利益․恩恵を表しており、その
共通点は話し手を中心とした表現で二つの文の主体が同じだという
ことである。しかし、異なっている点も存在する。1)は意味的側面
で扱ってみると偶然性があるという感じがする。つまり、自分がほ
められることを全然予想していなかった状態で偶然にほめられたと
いう意味である。その反面、2)は自分がほめられたことは既に予想
していた結果である。それは主体の希望によって相手からの利益の
行為を求める役割をする「てもらう」表現があるからである。よっ
て、受動文と「てもらう」表現を置き換えるのは少し無理のあるこ
とではないかと思われる。
4.「名詞句に」をとる「てもらう」構文
「名詞句」に接続する格助詞としては種々のものがあるが、本稿
では「てもらう」構文に現れる助詞、つまり「に」と「から」につ
いて調べてみたい。他の構文、例えば「てやる」構文にも「あの車
の持主から大金をふんだくってやるぞ」(川口一郎『二十六番館』)
というような二つの格の出現がみられるがそれはごく一部の現象で
あり、本稿では研究の範囲を「てもらう」構文に限る。まず、「に
」の基本的な意味やその用法について見ていくことにする。
4. 1 「に」の意味․用法
ここでは「に」の基本的な意味․用法について説明する。主に、
辞書に書いてあるものを中心として論を進める前の基礎的な知識と
- 37 -
して調べておく。その基本的な意味が「てもらう」構文に実際、ど
のように使われているのかに注目する必要がある。
さて、『大辞林』には「に」の意味․用法について次のように書
いてある。(ここでは、様々な意味の中で特に本稿との関わりのあ
る部分だけを挙げることにする。詳しい用法については『大辞林』
や『基礎日本語辞典』をご參照。)
(1)格助詞 ─ 上代から用いられている語で動作․作用が
行われ、また存在する、時間的․空間的な
位置や範囲を示すのが本來の用法。
1) 時と場所․範囲を指定する。「5時に起
きる」「仕事の合間に本を読む」「ア
パートに住む」「空に星がまたたく」
など。
2) 目標․対象などを指定する。「読書に
熱中する」「君に見せてやろうか」な
ど。
3) 帰着点や動作の及ぶ方向を表す。「家
に辿り着く」「危篤に陥る」など。
4) 動作․作用の起こる原因やきっかけを
表す。「山登りに夢中になる」「恐ろ
しさにふるえる」「やぶ蚊に苦しむ」
など。
5) 動作․作用の起こるみなもとを表す。
「人にぶたれる」「盗人(ぬすつと)にお
金をとられる」
․․․以下省略․․․
このような「に」の意味․用法の中でも特に注目しなければなら
ない部分は2)と5)のところである。それは本稿で扱っている授受表
- 38 -
現の一つの構成成分でもあれば、「てもらう」表現に現れる「動作
主」や「起点」の意味に関与する要素の一つでもあるからである。
4. 2 「名詞句に」が動作主を表す場合の「から」への
交替
まず、上に書いてある「に」の辞書的な意味を考えながら「に」
の様々な用法について見てみる。
(83) 彼女に手伝ってもらうのはいいが、やれ、ご馳走しろだ
の何だのと、後が恐ろしいよ。(動作主)
(84) こんなに皆に応援してもらえて、君は果報なものだ。
(動作主․起点)
(85) 友達の部屋に入らせてもらうと、棚の上にお人形がいっ
ぱい飾ってあった。(場所)
(86) お年玉がたまったので、お母さんに頼んで、(お母さん
に)銀行に預けてもらいました。
(挿入句→この場合は普通、動作主が省略される)
(83)~(86)の下線部は各々「動作主」、「動作主․起点」、「場
所․時間」、「動作主省略」を表している。しかし、この「に」の
用法の中で特に「動作主」と「動作主․起点」のところだけを研究
対象とし、「時間․場所」やその他のものは論外とする。また、「
もらう」が本動詞で使われる場合は例外なく「から」に置き換えら
れるのに対し、それが補助動詞になった場合、その許容度が落ちて
くる理由について見ていくことにする。
(87) 君に帰ってきてもらわないつもりなんだがね。
(88) その親類の医者に見てもらったらどうだ。
- 39 -
(89) どうするといって、主人に我慢してもらうよりほかはな
い。
(90) 僕は自分で美味しいと思うものは、誰よりも愛する人間
に食べてもらいたいと思うな。
(91) 太郎に第二の証人として立ってもらいましょう。
上の例文は動作主が何かの行為をしてその行為を主語が受けると
いうような「てもらう」構文の典型的な例文である。この動作主は
いずれも「意志性(意志性についての説明は二章にある)」を持って
いる。しかし、柴谷(1978)によると、「名詞句に」が動作主だけを
表す場合「から」に置き換えることができないと述べている。柴谷
は「この動作主が起点動作主でないから「から」に置き換えられな
い」と言っている。しかし、ここで注目すべきところは「起点」と
いう言葉の概念である。『日本国語大辞典』には「起点」について
次のように書いてある。
①物事の始まるところ。出発点。起こり。 ↔
終点
․․․以下省略․․․
(87)~(91)での動作主は「君に」「医者に」「主人に」「…人間
に」「太郎に」であり、これだけでは「起点」を表しているのかど
うか分からない。つまり、動作主が「起点」の役割を果たすために
は後ろに來る動詞を調べておく必要がある。その動詞がどういう傾
向性を持ち、どんな特性を持っているのかについて調べてみる必要
があり、それが本論文の重要なテーマの一つである。それではまず
、「名詞句に」が「動作主․起点」を表す場合の「から」への交替
について見ていくことにする。
4. 3 「名詞句に」が動作主と起点を表す場合の
- 40 -
「から」への交替
前章では「名詞句に」が動作主だけを表す場合の「から」への交
替について見てみた。その次に、「名詞句に」が動作主と起点を表
す場合を見ていくことにする。まず、「てもらう」構文が二重の格
を持っているかについての山岡(1993)の説明を見てみよう。
もらうの場合のニ格は二重の格である起点動作主が表層
に現れたものだから、起点の方を強調すればカラ格になっ
たのだが、補助動詞テモラウの場合は利益の授受の動作主
のみが抽象されており、起点が関与しないので、カラは生
じない。ただし、本動詞の方の動作主が起点動作主である
場合には、例外的にカラ格を取り得る。
山岡(1993)では、「に」から「から」への格の交替を「例外的」
だと説明している。つまり、普通は「に」で現れるものが動作主と
共に起点を表す場合だけ「から」が表されるということである。こ
こでも動作主と起点が強調されており、それを与える動詞について
は説明されていない。しかし、それは、ともすると、起点を表すか
ら「から」が、「から」であるから起点を表すというような「循環
論法」になってしまう恐れも生じかねない。つまり、どちらが優先
視されているのかが分かりにくいのである。
(92) a 太郎は次郎に英語を教えてもらった。
b 太郎は次郎から英語を教えてもらった。
(93) a 一人の学者の生涯を同じ専門の学者に知ってもらいた
かった。
*b 一人の学者の生涯を同じ専門の学者から知ってもらい
たかった。
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(92)aの「次郎に」はいわゆる「起点動作主」であるから「から
」に置き換えられ、(93)aの「学者に」は「起点動作主」ではない
ため、「から」に置き換えるとおかしい文となる。ここでも「起点
」の役割が問題になるが、一体、起点動作主とそうでないものを区
別するには何が必要なのであろうか。それを考える前に、常に交替
のできる場合、つまり、「もらう」が本動詞として使われた場合を
先に見てみよう。
(94) a 太郎は次郎に本をもらった。
b 太郎は次郎にお金をもらった。
c 太郎は政府に融資をもらった。
d 太郎は節子に愛をもらった。
(94)は「もらう」が本動詞として使われており、ここでの「動作
主」は例外なく「から」に置き換えることができる。これは既に述
べた山岡(1993)の説、つまり「もらうの場合のニ格は二重の格であ
る起点動作主が表層に現れたものだから、起点の方を強調すればカ
ラ格になる」ということを見て分かる。この事実を「てもらう」構
文に関連づけて考えてみると、次のような予測ができる。もし「て
もらう」構文が「~をもらう」という意味で表すことができるとし
たら、その「名詞句に」を「名詞句から」に置き換えても文法的で
あろうということである。ただし、その表現形式は必ずしも「もら
う」だけを使うのではなく、主体が「~をもらう」という意味にな
る動詞(例えば、受ける․得るなど)を含めて考える。
(95) 彼は彼女との結婚をお父さんに許してもらった。
(96) 目の見えない彼はいつも盲導犬に助けてもらっている。
(97) 今度の事業に必要な資金は、親会社に融資してもらうこ
とに話がついた。
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この例文の動詞を見てみると、各々「許す」「助ける」「融資す
る」で、これは「許しを得る」「助けをもらう」「融資をもらう」
等のようになる。ここで見られる一つの現象は「~を」受けるとい
う意味になる場合は「てもらう」構文における格の交替が成立する
ということである。逆に言えば、この動詞は「起点」の意味を表す
「名詞句」を持つともいうことができる。もう一つ、もともと「か
ら」格を取る動詞を考えてみる必要があるがこれは次の章で説明す
ることにする。
今度は、柴谷(1978)が説明した「起点動作主」の全てが「から」
に置き換えられるのかどうかの問題である。
(98) a 校長先生は田中先生に二年生に英語を教えてもらっ
た。
b 太郎は次郎に勘定を払ってもらった。
c 太郎は次郎に図書館に本を返してもらった。
この例文の下線部は「起点動作主」であり、先行研究から考えて
みると「から」への交替が見られるはずである。しかし、これを「
から」に変えた時、次のような文になる。
(98)' *? a 校長先生は 田中先生から 二年生に英語を教えて
もらった。
*? b 太郎は 次郎から 勘定を払ってもらった。
? c 太郎は 次郎から 図書館に本を返してもらった。
柴谷(1978)は(98)'aについて次のように説明している。
「てもらう」構造に於ける「動作主․起点」名詞句の「
から」派生にはある制約が働いているようである。即ち、
「もの」の移動が「もらう」の主語またはその身内に向か
- 43 -
っていない場合は「から」を派生することができないよう
である。
しかし、これは例文を作るための例文のようで、(98)a自体が文
法的に正しいかどうかはっきりしていない。つまり、「教えてもら
う」の動作主が誰なのか混同させる恐れがある。これは「英語を教
えてもらう」動作主が「山田先生」か「二年生」か、それとも「両
方」を指しているのか明らかではないため、必ずしも正しい文とは
言いにくい。
一方、(98)b․cについては
「てもらう」の主語に代わってという使役的意味合いが
強い。次節の使役文の考察でも明らかなように、使役文も
「動作主․起点」名詞句から「から」の派生を許さない。
従って、「もの」が「てもらう」の主語に向かっているか
どうかという点よりも、さらに一般的に、使役的な意味を
表す文では「から」の派生が許されない、という形で「動
作主․起点」からの、「から」の派生に対する制約を設け
ることが可能であると考えられる。
のように述べている。しかし、(98)a․bが使役かどうかはこの例
文だけを見ては分からない。意味的に言えば、「私の代わりに勘定
を払わせた」「私の代わりに図書館に本を返させた」というように
言えるが、それは客観的な敍述ではなく、主観的な捉え方の問題で
ある。例えば、
(99) 彼女は主人に買ってもらった袖の着物を着ていた。
(100) 退職した父は息子にお金を送ってもらっている。
(101) 彼女は毎日忙しくて、祖母に赤ちゃんの面倒を見ても
らっている。
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のような例文は「私の代わりに主人に買わせた」「私の代わりに
息子にお金を送らせた」「私の代わりに祖母に面倒を見させた」の
ようになる。使役より受身の意味で解釈しやすい部分を「使役的な
意味合いが強く、使役的な意味を表す文では「から」の派生は許せ
ない」と端的に言うのは少し無理のある話ではないかと思われる。
以上、「名詞句に」をとる「てもらう」構文を説明した。
4. 4
例外的な交替
柴谷(1978)によると「てもらう」構文において「名詞句に」が動
作主だけを表す場合は格の交替は見られない、それはその「名詞句
に」が起点動作主を表す場合にだけできると説明している。しかし
、次のような例文はどう説明できるだろうか。
(102) それでは、君に発表してもらおう。
(103) 金井さんにちょっと葉子と一緒に出向いてもらうように
言っていただけませんか。
(104) 足りないものは彼に買ってもらったらどうだ。
(102)の動作主は君であり、「起点動作主」だから「から」への
置き換えができる。しかし、「から」に置き換えた場合、意味的に
違う解釈になる可能性もある。つまり、その「から」が「起点動作
主」表すこともできるが、場合によって「順序」を表す場合もあり
うる。(103)も「に」の場合は「言っていただく」の主体になる反
面、「から」に置き換えた場合は「出向いてもらう」の動作主にな
るからここでの交替には再考の必要がある。(104)も普通は「買う
」の動作主として働いているが、場合によっては、「あなたが持っ
ているものを買う」の意味になりうる。このように、文法的には交
替ができる、しかし意味が変わってくる、というようなことについ
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てはあまり言及されていない。もちろん、このような説明は語用論
的な側面が濃厚であり本稿の研究方法とは離れているとも言えるが
、これについての研究もしておく必要があると思う。
4. 5 「に」から「から」への交替
4. 5. 1動作主の役割
先行研究では「名詞句に」が動作主のみを表す場合は、「から」
に置き換えできないと言いながらその動作主が「起点動作主」であ
れば「から」に置き換えられると述べている。しかし、これだけで
は何が動作主のみを表し、何が起点動作主の役割を果たしているの
か分かりにくい。また、「名詞句に」が独立の力を持っていて、あ
る影響を与えられるという誤解を招く可能性もある。
それではまず、次の例文を見ながら「名詞句に」が果たして独立
性を持っているかどうかを見てみよう。
(105) あした、4時までにあなた達に集まってもらいます。
(106) あした、4時までにあなた達に集めてもらいます。
(105)'*あした、4時までにあなた達から集まってもらいます。
(106)' あした、4時までにあなた達から集めてもらいます。
(105)と(106)は動作主とその動作の関係を表している。異なって
いるのは動詞の部分が一つは自動詞でもう一つは他動詞という点だ
けである。もちろん、意味の差も生じるが、「あなた達」の部分が
動作主の役割を果たしていることは同じである。しかし、(105)'と
(106)'を見て分かるように、(105)は「に」を「から」に置き換え
られないが、(105)は置き換えできる。ということは、(105)の「名
詞句に」はただの動作主の役割を、(106)の「名詞句に」は「起点
動作主」の役割を果たしていると言っても間違いない。全く同じ形
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態の「名詞句に」の役割がこのように違っているということは、そ
の「名詞句に」が独立の力を持っているのではなく、文の中のある
構成成分の影響を受けているということを示している。上の例文で
異なっている部分は動詞だけで、このことから「名詞句に」は動詞
の影響を受けていると言うことができる。
4. 5. 2 動詞の影響
その次に、「名詞句」が動詞の影響を受けているということを前
提として、どういう影響を受けているのかについて見ていくことに
する。
(107) あの時、太郎に 來てもらって助かった。
(108) 太郎は山田先生に 家へよってもらった。
(109) 太郎は次郎に 駅まで迎えに來てもらった。
(110) 太郎は山田先生に 英語を教えてもらった。
(111) 太郎は山田先生に 誉めてもらった。
(112) 太郎は次郎に 本を貸してもらった。
先行研究では(107)~(109)は「から」に置き換えできないが、(1
10)~(112)は置き換えられると述べている。その理由として(110)
~(112)の「名詞句に」が「起点動作主」であるからだと説明して
いる。しかし、外国人がこの例文を見て起点動作主かただの動作主
かを分別するのはかなり無理のあることである。それで、本稿は「
名詞句」に影響を与える動詞の性質を考える上で、その動詞がどう
いう傾向性を持っているのかについてみていくことを目的とする。
まず、上の例文の動詞を見てみよう。(107)~(109)は「來る」「
寄る」で、(110)~(112)は「教える」「誉める」「貸す」である。
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これらの共通点を見てみると、(107)~(109)は自動詞が使われてお
り、(110)~(112)には他動詞が使われている。ここで予測できるの
は、「に」「から」の交替は主に他動詞が使われた場合に見られる
ということである。実際、例文を検討してみた結果、自動詞が使わ
れて格の交替が見られた例文は一件もなかったということがそれを
裏付けている。次の列挙した動詞は格の交替が見られた場合使われ
た動詞である。(紙面上、例文は省略)
「に」→「から」
教える、誉める、貸す、愛する、作る、何々をしてもらう、
食う、可愛がる、買う、大切にする、おごる、紹介する、助言
する、言う、礼を言う、構う、応援する、けいこをつける、伝
える、受ける、目をかける、理解する、話す、辯護する、注目
する、出す、推薦する、慰める、尊敬する、送る、使う、送る
、答える、許す 等
「から」→「に」
継ぐ、教える、解放する、発行する、許す、分ける、買う、提
供する、送る、何々をかける、打つ、知らせる、譲る、話す、
助ける、言う、提供する、援助する、伝える、駄目を押す、買
う、手直しをする、助ける、送る、融資する、身を退く、出す
、戻す、拵える、治す、面倒を見る 等
ここでいくつかの事実を前提として挙げながら論を進めたい。
① 自動詞の場合は動作主としての「に」は取るが、「から」へ
の交替はできない。
上の(107)~(109)を見ると、自動詞が使われた場合「に」から「
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から」への格の交替が見られないということが把握できる。しかし
、この例文だけでは自動詞は格の交替が見られないと断定しにくい
ために、他の例文を挙げながら考えてみることにする。
(113) ここはひとつ君に泣いてもらって、九州に行ってほしい
のだが、どうだろうか。
(114) 会社との折衝に委員に立ってもらうのは大変こっちに
とっては有利だった。
(115) あなたなんかに、來てもらいたくない。
(116) 結局、あなたに帰ってもらいたいってことを考えていた
の。
しかし、自動詞が使われた例文はそんなに多くはない。それに、
自動詞が使われた場合はほとんどが「行く․來る․帰る․寄る․泣
く․立つ」などの一部の動詞に限られている。それでは、なぜ自動
詞は「てもらう」に現れにくいのかということになるが、それにつ
いての先行研究はあまりない。一つ予測できるのは、自動詞が使わ
れた場合の「名詞句に」は積極的な動作主として働いていないので
はないかということである。つまり、自動詞が使われた場合は自分
の強い意志を持ってある行為をするのではなく、「たまたま․誰か
に頼まれて․誰かにさせられて」その行為をするようになったとい
う印象が強い。もう一つは、自動詞が使われた場合はその行為が文
の主語ではなく動作をする者に帰着する傾向がある。というわけで
、もともと積極的な「起点」を表す「から」の派生は生じないので
はないかと思われる。
② 他動詞はいつも「から」への派生が起こるのか。
上の説明で「に」が「から」に置き換えられる場合は、他動詞が
使われた時に限られる。それでは、他動詞が使われた場合の全てが
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「から」に置き換えられるのかという問題になるが、結論から言え
ば必ずしもそうではない。
(117) a 太郎は花子に英語を教えてもらった。
b 太郎は花子から英語を教えてもらった。
(118) a 学校や公園が近くにあって、駅にも近いような家を不
動産屋に探してもらった。
b*学校や公園が近くにあって、駅にも近いような家を不
動産屋から探してもらった。
(117)、(118)は他動詞が使われた場合の例文である。しかし、(1
17)は「に」でも「から」でも使えるのに対して、(118)の場合は「
に」はできるが「から」への交替はできない。それは、一体何を意
味しているのであろうか。先行研究からいうと、(117)の動作主は
「起点動作主」であり、(118)はただの動作主であると言える。こ
こでも、「起点」の意味が問題になる。それを考える前にもう一度
格の交替が見られる場合に使われた動詞を見てみよう。
教える、誉める、貸す、愛する、作る、何々をしてもら
う、可愛がる、買う、大切にする、おごる、紹介する、助
言する、言う、礼を言う、構う、応援する、けいこをつけ
る、伝える、受ける、目をかける、理解する、話す、辯護
する、注目する、出す、推薦する、慰める、尊敬する、送
る、使う、送る、答える、許す․․․
これらを見るといくつかの予測ができる。一つは他動詞であると
いうこと、もう一つは、その動詞が方向性を持っているということ
である。つまり、動詞自体にその方向性がある場合は「から」への
交換が起こりやすいということである。それでは、方向性を持つ動
詞というと、移動動詞(行く․來る․帰る)なども含まれることにな
- 50 -
るり、格の交替もできるのではないかと思われるが、これらは格の
交替が見られないということは既に確認したことである。それゆえ
、その方向性というものがただの方向性ではないというふうに考え
ることができる。それは何であろうか。この問題を考える前に、「
てもらう」構文の本來の意味に戻ってみよう。もともと「てもらう
」構文の基本的な意味というと「主語または主語の身内に向かって
何かの利益が來る」ことであると言われている。そのことから、そ
の方向性は「主語に向かっての利益の方向性」であるということが
分かる。ただの「來る․行く」という移動動詞(自動詞)の場合はそ
れ自体には何の利益も働きかけ性もない。それに、この「利益の方
向性」というのは文全体の意味ではなく、動詞自体の意味である。
その意味から、既に説明した自動詞の場合は「利益の方向性」を持
たないため、その利益の起点を強調する「から」への交替はできな
いということが分かる。
以上の内容をまとめてみると、「てもらう」構文において、格の
交替が見られる場合は他動詞が使われた場合で、自動詞では見られ
ない、他動詞の中でもその動詞の性質が「利益の方向性」持ってい
るかどうかによって成り立つ場合もあれば、成り立たない場合もあ
るということである。しかし、次のような例文はどう扱えばよいの
であろうか。
(119) 母に着付を手伝ってもらって、お茶会へ行く用意をしま
した。
(120) 彼女に手伝ってもらうのはいいが、やれ、ご馳走しろだ
の何だのと、後が恐ろしいよ。
(121) 自分は遊んでばかりいて、人に手伝ってもらおうなんて
考えは、捨てなさい。
(122) いつもベティさんの家から彼女に手伝ってもらって呼び
出すのだった。
(123) 青木はそろそろ消極的な、生きること考えることさえ
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も、他人に手伝ってもらわねばならぬ自分の位置に飽い
て來ていた。
上の例文は他動詞が使われており、その動詞の性質も「主語に向
かっての利益の方向性」を表している。先行研究によると、このよ
うな動作主は「起点動作主」であり、「から」への置き換えができ
ると述べている。しかし、この例文においての「から」への交替に
は異論の余地(必ずしも非文ではないが、不自然である)があると言
われている。これは一体どういう現象であろうか。これからは、こ
のことについて調べてみようと思っている。
5.「名詞句から」をとる「てもらう」構文
前章では「に」をとる「てもらう」構文について察してみた。基
本的に「名詞句」のところに「に」が來た場合は「動作主」の意味
を強く帯びているということが分かるようになった。それでは、そ
の「名詞句」のところに基本的に「から」が來た場合はどういう現
象が見られるのかについて見ていくことにする。その前に、「から
」の意味․用法について簡単に触れてみる。
5. 1 「から」の意味․用法
『古辞林』には「から」について次のように書いてある。
「から(柄)」という名詞が抽象化され、動作․作用の経由
地を表すようになったといわれる。上代から用いられている
が、起点․原因を表すようになるのは中古以降の用法。
- 52 -
(1)格助詞 ─ 1)出発する位置を表す。
① 時間的․空間的な起点。
「あしたから休みになる」「山から
日が登る」
② 論理の起点․根拠。「今年の実績か
らボーナスの額を決める」
2)通過する位置を表す。「窓から日が差
し込む」
3)理由․原因․動機などを表す。
「経営不振から工場が閉鎖された」
4)動作․作用の出どころ。
「君から聞いた話」「おやじから怒られ
た」
5)範囲を表す。「…から…まで」の形を
とることが多い。
「何から何までお世話になりました」
․․․以下省略․․․
このような「から」の意味․用法の中でも特に注目しなければな
らない部分は、1)と4)のところである。これは本稿で扱っている「
てもらう」構文の中に現れる一つの要素であるからである。それで
は、「名詞句」に「から」が來た場合、どういう意味でどのような
役割を果たしているのかについて見てみよう。
5. 2 「名詞句から」が起点を表す場合の「に」への交替
「から」が表すいろいろな意味․用法の中で、ここでは特に「起
点」を表す部分を見てみる。前章で述べたように、「もらう」が本
- 53 -
動詞として使われた時「名詞句に」を「名詞句から」に置き換えら
れる。これは「起点」の意味を強調する場合で、ほとんど例外なく
使われるといわれている。本章では、「から」を「に」に置き換え
た場合について見ていきたい。まず、もらうが本動詞として使われ
た次のような例文を見てみよう。
(122) a 太郎は花子から手紙をもらった。
b 太郎は花子に手紙をもらった。
これは山岡(1993)が述べた「もらうの場合のニ格は二重の格であ
る起点動作主が表層に現れたものだから、起点の方を強調すればカ
ラ格になる」という説で説明できる。すなわち、「もらう」が本動
詞として使われた場合は例外なく「に」を「から」に、「から」を
「に」に置き換えても文法的には何の間違いもないということであ
る。それでは、それが補助動詞となった場合はどうであろうか。
(123) a そんなにほしいというなら、箱から一つ出してもらっ
たらどう。
b 学費は家から送ってもらっている。
c 私は素直に、おろしたリンゴをスプンから食べさせて
もらい、野菜スープをのみ、幼児用のウェファースと
衛生ボーロを食べた。
これらは「起点」の意味が強く、動作主としては働いていない。
このように、普通「起点」だけを表す場合は「に」に置き換えられ
ないと言われている。この場合の「起点」は場所や出どころを表し
ており、動作主としては働いていないからである。
5. 3 「名詞句から」が動作主と起点を表す場合の
- 54 -
「に」への交替
前章では「てもらう」構文において「名詞句から」が使われた時
、その「から」が起点だけを表す場合は「に」に置き換えられない
ということを見てみた。今度は、「から」に動作主の意味を附与し
て「起点動作主」として使われる場合の「格」の交替について見て
いくことにする。
(124) 以上はママから教えてもらいました。
(125) そうやって僕は彼から旅券を発行してもらったのだ。
(126) まだ高校生のようなそのお嬢さんが節子の弟と一緒に夜
行バスで軽井沢にスケートに行くことをうちからようや
く許してもらったので、その夜、かわいい恋人たちは大
はしゃぎだった。
(127) その中には、中学三年生の時に母から買ってもらった万
年筆もあった。
(128) 松戸の農家から四千円で譲ってもらったお米なんです。
(129) 今度の事業に必要な資金は、親会社から融資してもらう
ことに話がついた。
例文の下線部は「起点動作主」の役割を果たしており、「に」へ
の交替に無理がない。ここで「名詞句から」に使われた「名詞」の
ところを見てみよう。それを並べてみると、「ママから」「彼から
」「家から」「農家から」「親会社から」というようになる。この
名詞を見て分かるように、人間か人間と関係のある名詞が使われて
いる。つまり、動作主として働くためにはいわゆる「有生名詞(人
間、動物など)」と人間に相当するもの(学校、政府、会社など)で
なければならない。ここで「人間に相当する物」というのは、目に
見える建物ではなく、そこに入っている「人間」を指している。も
- 55 -
し「建物」自体を指したら、それは起点の意味だけを表し、「に」
への交替はできないと言うことができる。
一方、今までの先行研究は主に「に」から「から」への交替で、
その逆の方は言及していない。もちろんそれほど話しをする必要が
なかったかもしれない。しかし、形式的にはその交替ができるが交
替すると意味が変わってしまう現象はどう説明すればよいのであろ
うか。それを一括して例外であると断定してよいのであろうか。そ
れともこのような現象は格の交替とは関係のないことであろうか。
5. 4
例外的な交替
これまで見てきたのは、「てもらう」構文の中において「名詞句
」を表す「に」と「から」格の交替についてであった。それで、あ
る程度の結論は出てきたものの、次のような文章ではそれをどう扱
えばいいのか未だにはっきりしていない。つまり、格の交替はでき
るが、意味が違ってくる場合である。それは一見すると、格の交替
とは関係のない事項であるから話にはならないと批判される可能性
もあると思う。しかし、それは日本語話者にとっての問題で、外国
人にとってはかなりおもしろい現象になるかもしれない。格の交替
には問題がないが、意味が変わってしまうこの現象は外国人が工夫
する必要のあることではないかと思われる。
(130) 太郎はできるだけ穏やかに、女から身を退いてもらうよ
うな話を進めた。
(131) それでもどうしても君の方へ連れてきたいというなら、
五百五十円か、それだけのお金を君の方から出してもら
わねばならん。
(132) 金井さんから葉子と一緒にちょっと出向いてもらうよう
に言っていただけませんか。
- 56 -
(133) いい加減に湖が濁って、それで勇から解放してもらいた
かった。
(134) 国元へは私から知らせてもらいたいという依頼もありま
した。
(135) 皆で決めたグループの規則を犯すものは、グループから
出ていってもらおう。
例文の下線部はいずれも「起点動作主」であり、既に述べた説に
したがって「に」に置き換えることができる。しかし、ここで一つ
注目しなければならないところがある。(131)~(135)を詳しく見て
みよう。この例文は格の交替ができると言えるが、文法的には間違
いがないと言ってもその意味が違ってくる。ここで使われている「
に」格名詞句の「に」は動作主の役割をしながら、ある意味では着
点を表している。それを「から」に置き換えた時、「起点」と「着
点」という反対概念になってしまい、行為の方向が違ってきてしま
う。(131)~(135)の場合がその実例である。上の「から」を「に」
に置き換えるのはできるが、それが表す意味は全く違ってくる。そ
のために、「に」と「から」と交替においては慎重さが要る。
6. おわりに
本稿では、さまざまな授受表現の内、特に「てもらう」表現を中
心として、その構文の中で現れる現象の一つである「に」と「から
」の交替について論じてみた。それから、「てもらう」構文の中で
重要な役割を果たす「に」格名詞句には、どういう名詞が來ること
ができるのかについて調べてみた。特に、今まで研究された内容を
中心にして、説明の不十分なところやまだ説明されていない部分を
補おうとした。
- 57 -
まず、「に」格名詞句に來られる名詞は一言で言えば、あらゆる
の名詞が來られると言うことができる。もちろん、その傾向性は人
間の方が適格になる可能性が大きい、また、無生名詞が來た場合の
成立する動詞が限られているとはいえ、それを全部例外扱いするの
は言い過ぎであると思う。そのような現象も言語現象の一つであり
、もっと確実な位置付けをしなければならない。
次に、「てもらう」構文における「に」と「から」の交替につい
ては、ただの動作主か起点動作主かの問題を解くために、その名詞
句に影響を与える「動詞」の傾向性について見てみた。その結果、
次のような傾向性がみられた。
Ⅰ 自動詞が「てもらう」構文で使われると、「から」への置き
換えはできない。
Ⅱ 他動詞の中でも「から」への置き換えができない場合が多
い。他動詞の中でも「てもらう」の動詞が利益の方向性を
持っているかどうかによって「から」への置き換えが決ま
る。
Ⅲ しかし、動詞が利益の方向性を持っていても「手伝う」のよ
うな動詞が來た場合は「から」への置き換えができない。こ
のような動詞はなぜできないのかについては今後の課題とす
る。
Ⅳ 最後に、文法的には置き換えられるが、意味的に全く違う文
になる場合、また聞き手を混同させる恐れがある例外的な場
合がある。
以上で、今まではっきりしていない部分や明確にされていない部
分を中心として論じてみた。本稿でもまだ不十分なところが多いが
、これから「てもらう」構文と使役構文、「てもらう」構文と受動
文の関係についても今後、研究していきたい。
- 58 -
<參考文献>
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久野 暲(1978) 『談話の文法』 大修館書店
柴谷方良(1978) 『日本語の分析』大修館書店
城田 俊(1996) 「話場応接態(いわゆる「やり․もらい」)」
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高見健一(2000) 「被害受動文と「~に
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森田良行(1977) 『基礎日本語』角川書店
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渡辺裕司(1991) 「授受表現における授受の方向性」『日本語学
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- 60 -
<国 文 抄 錄>
‘Te morau구문에서의 ‘ni' 와 ‘kara'격(格)의 교체와
명사구의 범위에 대하여
日語日本學科 : 朴 用 萬
指導敎授 : 李 成 圭
일상생활에서 자주 사용되는 표현중의 하나로 수수표현(授受表
現)을 꼽을 수 있다. 이 표현을 크게 나누어 보면 주는 행위와 받
는 행위로 나눌 수 있는데, 일본어의 수수표현은 한국어의 그것
과는 사뭇 다른 양상으로 사용되며 그 의미나 역할 또한 세분화
되어 있는 특징이 있다. 특히, ‘Te morau'구문은 한국어와 일대
일 대응이 이루어지지 않는 대표적인 표현으로, 일본어의 언어문
화의 한 특징을 대변해 주고 있다고 말할 수 있다.
본 논문은 앞서 언급한 ‘Te morau'구문에 있어서의 명사구의
역할과 그 명사구를 형성하는 격(格)인 ‘ni'와 ‘kara'의 특징을 고
찰하고 서로의 독립된 영역과 공통된 부분을 조사하여 두 단어의
교체여부를 연구하는데 그 목적이 있다. 일반적으로, 다른 단어가
사용되면 그 의미 또한 다르게 나타나야함에도 불구하고 두 단어
가 같은 의미로 사용되는 이러한 현상에 흥미를 느끼게 되어 본
연구를 시작하게 되었다.
본 논문은 크게 두 부분으로 구성되어 있는데, 그 첫 번째는
앞서 언급한 ‘ni'와 ‘kara'의 교체에 관한 문제이다. 이 문제를 풀
어 나가는데 있어서 가장 중요한 열쇠로 작용했던 것은 바로 동
사의 성질이었다. ‘Te’ 形에 접속되는 동사의 성질에 따라서 두
단어의 독립된 영역과 공통된 영역이 결정된다는 것이다. 동사의
성질을 좀더 자세히 살펴본 결과, 교체가 이루어지는 제일의 조
건은 타동사의 성질을 갖는다는 것이었다. 이 점은 동작주(動作
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主)의 의지성과도 일맥상통하는 부분으로서, 행위자가 적극적인
의지를 가지고 자발적인 행동을 한다는 의미를 내포하고 있는 것
이다. 이러한 면이 동작주로부터 나오는 행위 즉, 기점의 의미를
나타내기 쉬운 환경으로 이어질 수 있다는 가능성을 설명해 주는
부분이라고 말할 수 있다. 그러나, 모든 타동사에서 이러한 격의
교체가 이루어지는 것은 아니다. 그 행위가 문장에서의 주체에게
이익을 가져다주는 행위여야 하며, 이익의 방향이 반드시 주체를
향한 이익이어야 한다는 것이다. 이러한 결론은 많은 예문을 통
해 검증된 결과로서, 일본어를 공부하는 외국인 학습자들에게 약
간의 편의를 제공할 수 있는 효과를 기대할 수 있을 것이다.
두 번째는, 명사구를 이루는 명사의 허용범위에 관한 문제이다.
일반적으로, 수동문에 있어서의 명사구의 허용범위에 대해서는
많은 연구가 되어 왔지만 ‘Te morau'에 관한 연구는 그다지 많
지 않다는 점에 착목하여 어느 정도까지 허용되는지에 대해서 검
토해 보았다. 예상대로 유생주어에 가까울수록 명사구의 위치에
오기 쉬웠으며, 무생명사라 할지라도 인간에 관계된 명사(예를 들
면, 단체나 회사, 집단 등)들은 허용되는 경향을 보이고 있다. 특
히, 개인적인 사고(思考)에 관한 동사나 감정을 나타내는 동사의
경우에는 거의 모든 명사가 사용될 수 있다는 결론에 도달하게
되었다.
이상과 같이, 본 논문은 ‘Te morau'구문에 나타나는 언어현상
을 주된 연구대상으로 삼고 있다. 아직은 현상지적에 지나지 않
는 수준에 머물고 있지만, 이러한 연구를 바탕으로 하여 다른 구
문과의 비교연구나 한․일 양국 언어간의 대조연구를 할 수 있는
밑거름을 만들었다는 점에 의의를 두고 싶다.
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<Abstract>
The scope of agent and the alternation of case
in theꡐTe morau' syntax
日語日本學科 : 朴用萬
指導敎授 : 李成圭
One of the usually using expression in our daily life is
Give-and-Take. This expression is divided into two action
which is Give and Take. But In case of Japanese express of
this has very different meaning with Korean expression and
meaning and position of it is subdivided. Especially,ꡐTe
morau'
is
representative
construction
which
does
not
correspond to Korean expression one to one and it seems to
speaks for one of the special Japanese language culture.
The purpose of this study is to consideration of a special
feature onꡐniꡑandꡐkaraꡑwhich function as a noun phrase
and generating noun phase status. At the same time, this
study will inquiry into similarity and difference on them
and replacement each other.
Generally, If we using different vocabulary, the meaning
also appear differently but it was very interesting that
this two word can be used same meaning.
This thesis divided into two parts.
First, the replacement ofꡐniꡑandꡐkaraꡑwhich we already
mentioned. The key word which can solve this problem is
nature of Verb. It was decided
by connective word of verb
toꡐTeꡑform if two words has similar meaning or different
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meaning. As a result of checking a nature of Verb with a
deeply, the first condition that can be transfer is that the
verb should be a transitive verb.
For this point has something to do with the subject's
will,
it
imply
that
performer
act
with
positive
and
voluntarily. It shows possibility of connecting of this
knids of phenomenon caused by subject's behavior.
But this kinds of status exchange was not completely come
out in a transitive verb, The action should give profit to
subject and direction of profit is also for subject. This
conclusion was made by a number of an example sentence, and
it give some advantage to foreign learner who learn Japanese
language.
Second, ted of a noun composed with a noun phrase.
Generally, a study for A permitted limit of a noun of
passiveness phase is made for many people, but it just
studied little forꡐTe morauꡑ. Therefore, this study was
made to aim this point to investigate of limitation.
As a result, living subject can be in a position of noun
and even so a lifeless subject, if this is related to
human(for example, group, company, mass etc), this also can
be permitted to.
Especially, we can conclude when the verb
which is related to private thought and feeling, it tend to
permit.
This study research theꡐTe morauꡑphases. Even if it just
maintain the status of language phenomenon, this study has a
significant
meaning
will
contribute
to
comparison
of
Korean-Japanese language or other phase on the basis of this
study.
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