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海底遺跡調査 - 名古屋大学

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海底遺跡調査 - 名古屋大学
沖縄 県 北谷 沖 の海底構 造物 の年 代 測定 と与那 国海 底 遺跡年代 の再検 討
木村政 昭 1),古川雅英 1), 中村 俊夫 2), 上集 里香 1),市川逸 土 1)
1)
琉 球大学理学部物質地球科学科, E
m
ai
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4
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x:0
9
8
9
4
8
-2
47
7
2)
名 古屋 大学年代測定総合研 究セ ンター
1.は じめ に
沖縄本 島北谷沖 で平成 1
7年度 に行 われ た調査成果 に これ までの研 究成果 を加 え,海底
遺跡様 地形 の形成年 代 を再検 討 した.そ の結果 と従来行 って きた与那 国沖 の海底 遺跡様
地形形成年 代 との比較検討 も行 った.
北谷 町 は沖縄本 島の 中南部 に位 置 し,西海岸 に面 してい る.本 城 の調査 は, 1
9
9
0年
1
0月 に県 内のダイバー玉城欣也 氏 に よって著者 の一人木村 に人 工的海段状地形 の存在 が
報告 され て以来行 われ た.琉 球 大学海 底調 査 団の調査 が断続 的 に行 われ ,琉 球石灰岩 が
削 られ てで きた階段状地形 を示す斜 面 が複 数確認 され た (
木村 , 1
9
9
7
)
.
しか し,次 の理 由に よって,それ らが古代 の人 工遺跡 か ど うか につ いては強い疑念 が
わ き,判 定 で きず にいた.① 当時 は,一方 に面 した階段 だ けが認 め られ たが,それ がい
ったい何 の た めに作 られ たか用途 不 明 で あ る.② それ ら階段 は,断層 に よるずれ に よっ
てで きた もので はないか.③ 軍事行動 や波漢 に よって 削 られ た ものではないか.④ た ま
たま得 られ た階段地形 を造 ってい る (
削 られてい る)石灰岩 の炭 素年代 が,数 千年 よ り
若 い年代 を示 した.
9
9
8年 以降の琉球大学海底調査 団の調査
特 に,④ については重要で あった. これ は, 1
に よ りわか った もので ある.数 千年 前 以降水深 20m前後 の海底 が陸上 に出 るこ とは海 水
準変動 か らでは考 え られ ないた め,海 底 で できた人 工的地形 は,戦後 の人為 的 な地形 改
変 以外 には考 え られ ない.そ のた め,古代 遺跡 の可能性 は ない との見方 が支配 的 にな っ
た.そ こで,真相 を明 らか にすべ くよ り総合的な調査 を行 った.
2
. 調査 お よび測定
2
-1. 調 査
2
0
0
4
-2
0
0
5年 にかけて,マル チナ ロー ビー ム音波探査機 シーバ ッ トに よる海底地形調 査
(
Fi
g. 1),水 中 ロボ ッ トお よびス クーパ潜水 に よる調査 が行 われ た.また,水 中 ビデ オ
や デ ジ タル カ メ ラで の海底地形撮影 に よる地形調 査 お よび潜水 者 に よる遺物採 取 ・測 定
21
9
用サ ンプル採集 を行 った.
1_
?743
L
30
127・
43<0
12743SO
12741
1
00
127-44-IO
1271
J
I
41
20
127443O
1.
?74440
127441
50
1274500
Fig.1 北 谷 沖 に お け る試 料 採 取 位 置 . 海 底 地 形 は シ ー
バ ッ トに よ る .
Sampling locations off Chatan.Submari
ne topography
is made with SEABUT data.
2-2. 測 定
採取 され たサ ンプル については X線 回折 ・薄片製作 ・放射性炭素年代測定 を行い,従来
の研究成果 を合 わせ総合的な検証が行 われ た.
粉末 X線 回折
サ ンゴはアラゴナイ ト (
霧石)の結 晶 を持つ生物である. これが,何 らかの影響 で陸上
に露 出 して雨水や淡水 な どの陸性 の水 の影響 を受 ける と,溶解 してカル サイ ト (
方解石)
-
220 -
として再結晶す る.放射性炭素年代測定の際に, この二次変質 したカルサイ トが含 まれて
いると年代値が若返 って しま う.そのために,粉末 X線回折を行い試料 中のカルサイ トの
有無について調べた.測定では,アラゴナイ トとカルサイ トの含有量を調べる.
カルサイ トの含有量が 20% 未満であると,放射性炭素年代測定値 は信頼できる年代を示
す. しか し,20% 以上をしめす と,カルサイ ト系の生物の混入や陸化 して二次変質 したカ
ルサイ トが含まれている可能性 も考え られ るので,年代値 を検討す る時は慎重に扱わなけ
ればな らない.
薄片検鏡
今回用いた試料が,陸化 して二次変質 していないか どうかを調べ るために,薄片による
観察 も併せて行 った.薄片の作製は,岩石カ ッターで切断 した岩石チ ップの片面を,研磨
剤の ♯800と♯1600を使い,平 らに し. 80 o Cに調節 したホ ッ トプ レー トの上にチ ップ置
5×8c
m) も一緒に温め,この間 2敵 性樹脂接
き,乾燥 させ る.使用す るスライ ドグラス (
着剤 を調合す る.チ ップが乾燥 した ら,岩石研磨面に樹脂 を薄 く塗 り,スライ ドグラスを
密着 させ,貼 り付 けたチ ップ とスライ ドグラスを,ホ ッ トプ レー ト上に放置す る.樹脂が
完全に凝 固 した ら,スライ ドグラスに貼 り付 けたチ ップを二次切断 し,二次切断 した面を
研磨剤の ♯800 と♯1600を使い研磨 し,薄片に仕上げたものを,琉球大学理学部の長井孝
一助教授 に鑑定 していただいた.
放射性 炭 素年代 測 定
放射性炭素年代測 定は,名古屋大学年代測定総合研 究セ ンターのタンデ トロン加速器
質量分析計 (
AMS)2号機 を用いて行 った.1
4
Cの半減期 は,国際的な慣例 となっている (
中
i
b
b
yが用いた 5,568年 を用いた.較正暦年代補正は,海洋 リザーバー効果補
村,2001) L
正や宇宙船の経年変化 による補正が行 える較正プログラム CALIB 5.01の MarineO4 data
set (
1
4
C年代一較正データセ ッ ト)を用いた (
Konrad eta
1
.,2004)
3
. 結果
3
-1
. 遺跡様地形
海岸か ら沖合-水平距離約 300mまでの一帯で,水深 10-20mの場所 に城 のよ うな形態
Fi
g.2).沖縄でグスクと呼ばれ る城郭 とよく似ている.
の地形の存在が明 らかになった (
古代の城郭 にも似 た 巨石構造地形 の城壁 に相 当す る部分では,階段状 に発達す る楼観 を
思わせ るよ うな地形や,沖縄 の大型 グスクにみ られ る武者走 りの よ うな凹み,また城 門
のような地形が認 め られ,北西か ら南東方 向に延び るグスクの形状に似ている.
- 221-
A
北谷海底遺跡
聖域 .拝所 ?
聖域
Fi
g
.2 シーバ ッ トによ り明 らかになった城郭様海底地形 (
A).
U
n
d
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l
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ntc
as
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ei
ni
nO
ki
na
wa.
北谷沖の人工的海底地形域 は,北 と南で形態が異 な る.それぞれ を北部,南部 と呼ぶ.
北部 は階段状の構造 が よ く見 られ,南部 は 自然 の地形 の中に,一部 に人 工的 な地形がみ
Fi
g
.2
).そ
られ る.シーバ ッ ト調査の結果,中城 グスクの構造 とよく似た構造が現れた (
こで人工地形 を特徴的に示す 2カ所 について重点的にスクーパ潜水 を行 い,年代測定サ ン
プル を採取 した (
Fi
g
.1
).
その結果 ,階段 は人為 的で,断層 によるずれや 汝漢等 に よる戦後水 中でで きた地形 で
はない とい う事 がわかった (
木村,2006;2007). 海底の階段状地形や ドル メン状地形の
形態は,人が形成 した可能性 が極 めて高 く, このほか ピラ ミッ ド状構造物や路道 システム
0数 ヶ所で認 め られた.
等,明 らかに人工的地形 ・形態が 1
3
2. 波漢等 との関係
北谷町の海岸線 は これ まで著 しく変化 してい る.その要因は,埋立てによる土地拡大,
-222-
波 藻や砂磯採集 な どによる海岸線 の人為的前進 ・後退 が挙 げ られ る.北谷町全域 は埋立
て工事 に よる変化 を除き,特 に第二次大戦 中 とその以後 に大 きな変化があった.そ こで,
今 回遺跡様海底地形 とそれ らの関係 について明 らかに した.
北谷 町の海岸線 は,は米軍 の沖縄本 島初 の上陸地 になった こ とと,その後 の基地建設
のため,短期的に海岸線が大 き く変容す るとい う経緯 があった.調査域 よ り浅海域 では,
米軍の排水パイプが現在 も残 っていた り,戦車が沈んでいた ところもあ り (
仲松他 ,1
985),
人為的 な影響が見 られ る所 で あ る.そのた め,海 の中で人為的 に造 られ た場合 の可能性
として,凌深工事や米軍に よる工事 な どがあげ られ る.
本調査域の北側 にある北谷海底 ピラ ミッ ドは階段の よ うな段 が数段ある.その階段の中
で も,海底か ら一段 目の部分 には 8本 ほ どの平行な線状の清が見 られ,一見パ ワーシ ョベ
ルでひっかいた ときに出来 る跡 に似ている. これ については,イケハ ラエ ンジニア,圃場
組 ,南洋土建,土地開発公社,国土総合建設で話 を聞 くことができた (
上集,2005).
その結果,港湾の周辺 においては船 が通れ るよ うにす るために竣藻工事 を行 うが,近 く
の港湾である浜川港か ら船で約 1
.
8k
mの調査域で工事 を行 う可能性 は低い. さらに,石灰
岩 のよ うな固い地質 は,グラブ波漢船 を使 いグラブバ ケ ッ トで掘 る.この機械 は,深 くて
も水深 1
3
mまでの汝藻が可能である (
囲場絶,南洋土建談,2
005).また,グラブバ ケ ッ ト
を用い る と,無造作 に掘 られてい くため渡漢面は凸凹にな り,きれいな階段状の地形はで
きない.その他の機械 は,バ ックホ ウ (
ユ ンボ ウ)は水深 2-3
mまで しか対応 してお らず,
ポンプ漢藻船 は地質の柔 らかい砂地や粘土質の地形で用い るので,今回の債 の形成 とは関
係 しない と言 える (
南洋土建談,2005).また,米軍が この地域 を工事 した とい う記録 は残
っていない.この事か ら,戦後米軍が水深 2
0
m近 くかつ 1.
5kmXlk
mの広範囲の海底 を削
り取 るよ うな大工事 を行 った可能性 はない とみ られ る.
以上の ことか らは,水深 1
7,1
8
mにある縞状の跡 は,波深工事で造 られた可能性 はない
と考 え られ る.加 えて我々の潜水調査やサ ンプ リングの結果,それ らは石灰岩 中に発達 し
た節理 (
地殻変動の際にで きる,ずれ のない割れ 目)であることが判明 し,漢 藻説 は成立
しな くなった.また,回収 された試料 の中には,層理面 を切 るよ うに石灰質層 が付着 して
い るものが見受 け られた. これ は,石灰質層 とその下位 の層 との間が不整合 面で あ り,
海底観 察 の結果 も合 わせ る と,上位層堆積 以降変形 はなか った とみ られ る. この こ とか
ら, も しも人為的な手が施 され た とした ら,その時期 は石灰質層 とその下位 の層 の間,
す なわち 1
,00
0年以上前 と言 うことになって しま う.今か らお よそ 3,
000年前以降の不
整合期 の ことと推定 され るかれである.
3-3. サ ンプル
ー
22 3 一
北谷海 底 ピラ ミ ッ ド
調査域北部の調査は 1994年以降実施 されている.壁面はほぼ平で,規則的な段が 5段
続いてお り,階段の よ うなひな壇 の よ うな形 を してい る地形が ある (
北谷海底 ピラ ミッ
ド,Fi
g
.2
).海底か ら一段 目部分には,8本の清がある.これ らの段 と溝 は全て平行で,
北東一南西方向に延びている.以後, この地形 を北谷階段 ピラ ミッ ドと仮称す る.
2004-2005年 のスクーパ潜水調査では,北谷階段 ピラミッ ドの海底か ら-段 目の部分で
採集 を行 った.試料はそれぞれ階段 ピラ ミッ ド状に削剥 された基盤 か ら採取 した もので,
サ ンゴを主 とす る礁性石灰岩 である.2005年 に採取 した試料 050728-1は,層理面 を切 る
よ うに石灰質層 が付着 してお り,石灰 質層 とその下位 の層 との間に不整合面がある可能
性があ る.測定 には 白色でサ ンゴの組織 が見 られ る部分 と,灰 色でサ ンゴの組織 の見 ら
れない部分 に分 けて行 った.
北谷 海 底 三角 ピラ ミッ ド
調査域南部の調査は 2004年か ら実施 されている.北谷海底 ピラ ミッ ドの階段状の地形
に似て はい るが,南側側方か ら見 る と三角形の陵が三つあるよ うに見えるところか ら,
三角 ピラ ミッ ドとい う作業名 が付 け られ ている構造物がある Fi
g.2
).壁面はほぼ平で,
この地点か ら調査域北部の北谷階段 ピラ ミッ ドまで 300mほ どある.以後, この地形 を北
谷海底 三角 ピラ ミッ ドと仮称す る.
2005年 の調査 によって,北谷三角 ピラ ミッ ドの下か ら二段 目の水深 1
5.1
mか ら,石灰
岩が得 られた.
北谷 海 底 ドル メ ン
ここにはまず, ドルメンの様 に見 える地形がある (
Fi
g
.2
). ドルメンとは支石 と呼ば
れ る支 え となる石の上に,天井石 あるいは上石 と呼ばれ る巨大な石 を乗せたもので,世
界各地 に存在 している. 日本 においては縄文時代晩期末 よ り弥生時代 にかけて存在 し,
墓や祭壇 の役割 をもつ.今回の調査対象 となっている地形 は,東西に延びる 900 の段 に,
大 きな岩 が乗 っかるよ うに置かれてお り,また,段 と岩 の間の空洞は,人が一人は入れ
るくらいの大 きさになってい る.これ らの特徴 か ら,ドル メンに似ているとされている.
以後, この地形 を北谷海底 ドル メン,覆 いの岩 を上石,下で受 ける部分 を支石 と呼ぶ こ
とにす る.
2005年 の採集 によって,水深 1
8.8mか ら北谷 ドル メン上石 の石灰岩,水深 1
8.8mか ら
北谷 ドル メン支石の石灰岩,上石 と支石 によ りできた空洞 の下を掘 り,水深 18.5m か ら
地中に埋 まっていた石器 のよ うな石灰岩 の転石が得 られた.試料の中で も,北谷 ドル メ
- 2 24 一
ン上石 と支石か ら採取 した試料 05071
6-2,05071
6-3 は,北谷階段 ピラ ミッ ドと同様 に,
層理面を切 るよ うに石灰質層の付着が見 られた.測定には北谷 ドル メンの上石 と支石 は,
それぞれ 白色でサ ンゴの組織が見 られ る部分 と,灰色でサ ンゴの組織が見 られない部分
に分けた。北谷 ドル メンの下か ら採取 され た石器 のよ うな石は 2箇所の ものを用いた.
3-4. 北 谷海 底遺跡 の年代
g.1に今回使用 した試料の採取位置を示 し,
年代測定に用 いたサンプルについては,Fi
Table lに年代値 を示す.試料番号の A,B,C はそれぞれ, 白色でサ ンゴの組織が見 られ
る部分,灰色でサ ンゴの組織が見 られない部分,石灰質層を示 している.
1
4C
年代値は yr
BP,暦年代-補正 した年代 calBPで示 され, BPは西暦 1
950年か ら遡 った年数 を示す.
Ta
b
l
el 北谷および周辺の海底遺跡の 1
4C年代測定.
1
4
ca
g
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ampl
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sv
i
c
i
ni
t
y.
試料番号
試料物 賞
-
(緯度、経度)
試料採取場所
北谷階段 ピラミッ ド最表面
9
8
0
8
3
0
2 サンゴ石灰岩
北谷階段ピラミッド内部轍密
9
8
0
8
3
0
4 サンゴ石灰岩
0
41
1
2
9
4
A サンゴ石灰岩(
白) 北谷階段ピラミッド縞状部
0
41
1
2
9
4
ら 石灰岩 (灰)
北谷階段ピラミッド縞状部
0
5
0
7
2
8
1
A サンゴ石灰岩 (白)北谷階段ピラミッド最下部
北谷階段ピラミッド最下部
0
5
0
7
2
8
-1
B 石灰岩 (灰)
0
5
0
7
ー
6
2
A サンゴ石灰岩 (白)北谷ドルメン上石
0
5
0
7
1
62
a 石灰岩 (灰)
北谷ドルメン上石
0
5
0
7
1
6
3
A サンゴ石灰岩 (白)北谷ドルメン支石
0
5
0
7
1
6
3
a 石灰岩 (灰)
北谷ドルメン支石
白)北谷ドルメン下の石片
0
5
0
7
2
8
3
A 石灰岩転石表面(
灰)北谷ドルメン下の石片
0
5
0
7
2
8
3
a 石灰岩転石内部(
北谷海岸
0
5
0
2
1
3
2 琉球石灰岩
座間味ストーンサークル
G41
2
1
6
-1 キクメイシれき
2
7
7
8
0
3
6
サンゴ石灰岩
座間味センターサークル
2
7
7
8
0
6
7
サンゴ石灰岩
座間味センターサークル
1
2
7
○4
4
ー
1
9
日
'
、2
6
○1
9
ー
4
4
〝
高度
(
∩)
-1
7
1
7
-1
6
.
5
-1
6
.
5
-1
7
.
9
-1
7
.
9
1
2
7
04
4
'2
8
′
′
一
、2
6
○1
9
'
3
5
′
' 1
8
.
8
-1
8
.
8
1
8
.
8
1
8
.
8
1
8
.
5
-1
8
.
5
1
2
7
○4
4
'
4
0
〝
.
2
6
○1
9
'
2
8
〝
2
1
2
7
.4
4
'
4
2
"
,
2
6
.1
2
7
3
9
"
2
0
2
0
2
0
∂ー
3
C 1
(
4
y
C
r
年代
8P
) 較正歴年代
(
c
a
旧P) Lab.Co
d
e
0.
81
1
1
0±7
06
1
0
7
3
6 BO
t
○
⊥1
2
5
7
3
4
0.
85
0
3
0±7
05
3
0
0
5
4
5
6 Be
t
O
-1
2
5
7
3
5
4.
841
2
8±3
141
3
0
4
2
4
3 NUT
A2
8
5
1
6
1
.
92
7
7
5
±2
92
4
3
6
2
5
9
7 NUT
A2
8
5
1
7
0.
34
3
2
0±21 4
4
1
2
4
4
8
6 NUT
A2
9
8
8
6
2.
73
9
3
5±2
03
8
7
7
3
9
5
8 NUTA2
9
8
8
9
1.
13
1
6
8±1
92
91
ト3
0
0
4 NUTA2
9
8
7
7
3.
22
5
01
=
±1
92
日ト2
21
0 NUTA2
9
8
8
0
2.
33
8
4
4:
±2
03
7
5
4
3
8
4
7 NUTA2
9
8
81
3.
83
3
8
9±1
93
2
3
4
3
3
1
2 NUTA2
9
8
8
2
2.
32
0
3
0±1
9 1
5
4
4
-1
6
2
7 NUTA2
9
8
8
4
22
41
7
±1
92
01
2
2
0
9
5 NUT
A2
9
8
8
5
4
0
4
0±8
03
9
4
6
41
8
2 NUT
A3
8
2
9
2
.
1
77
8
1
0±1
4
081
2
6
8
41
3 NUT
A5
2
0
5
2
.
5
32
4
3
0±9
0 1
9
4
2
2
1
8
3 NUT
A5
2
1
2
20
04年 に北谷階段 ピラミッ ドの高度 -1
6.5mか ら採取 した石灰岩 の較正歴年代は, 白色
部分が 4130-4243CalBP,灰色部分が 2436-2597CalBP を示 した.次に,2005年 に北
谷階段 ピラ ミッ ドの高度-17.9m か ら採取 した石灰岩 は, 白色部分が 4412-4486CalBP,
灰色部分が 3877-3958CalBPを示 した.また,北谷 ドル メン上石 の高度-18.8mか ら採取
0CalBP,北
した石灰岩 の表面は, 白色部分が 291卜3004 CalBP,灰色部分が 211卜221
谷 ドル メン支石の高度-18.8m か ら採取 した石灰岩 は, 白色部分が 3754-3847CalBP,灰
色部分が 323牛 3312CalBP,北谷 ドル メンの上石 と支石 によ りできた空洞の高度118.5m
か ら採取 した石器 の よ うな石灰岩 は,1544- 1
627CalBPと 201
2-2095CalBPを示 した.
lA,050728-トB,050728-3-A,05071
6-21Aと050728-3-A
試料番号 041129-4-Aと050728-1
のカルサイ ト含有量は,それぞれ 20%未満 を示 している (
Table2). カルサイ ト含有量が
20% までは,二次的変質はない とされてい るので,二次変質 は していない とみてよい.一
方,残 りの試料 については,カルサイ ト含有量が 20%以上であった.これが,カルサイ ト
-
225
-
系の生物が混入 しているこ とによるのか,それ とも二次変質 したカルサイ トが混入 してい
ることによるのかは,検討 を要す る.
Table2 北谷海底遺跡 及 び関連域 の1
4C年代 とX線 回折結果.
1
4C agesa
ndX-raydi
ff
racti
on res
ul
tsofs
amplesrecovered f
rom t
heChata
nUnde
rwaterRui
nsand
i
tsconserni
ngregi
on.
試料番号
試料採取場所
041
1
2
9
4
-A 北谷階段ピラミッド縞状
0
41
1
2
9
4
-B 北谷階段ピラミッド縞状
05
0
7
2
8
-トÅ 北谷階段ピラミッド最下
0
5
0
7
2
8
-ト.
B 北谷階段ピラミッド最下
0
5
0
71
6
2
T
A 北谷ドルメン上石
05
0
71
6
2
-a 北谷ドルメン上石
0
5
0
71
6
3
A 北谷ドルメン支石
0
5
0
71
6
3
-B 北谷ドルメン支石
0
5
0
7
2
8
3
T
A 北谷ドルメン下の石片
0
5
0
7
2
8
3
-B 北谷ドルメン下の石片
05
0
21
3
2
北谷海岸,琉球石灰岩
9
8
0
3
2
9
-ー
-1 与那国第一海丘側溝
0
31
21
7
「
A一一
0F
j
v
ef
i
n
g
e
r
031217A6 Fi
v
ef
i
n
g
e
r
0312ー82 人面岩下
高度
℃ 1
4
C
年代
(
m) ∂1
(
y
r
BP) 較正歴年代
(
C
a
t
BP) 測定番号
-1
8
.
5 4.
84128土3141304243 X9
-1
6.
5 1.
92775±2924362597 X-1
0
-1
7
.
9 03 4320士2144124486 X3
-1
7
.
9 2.
73935±20 38773958 X2
-1
8
,
8 1.
13168±19291ト3004 X5
-1
8
.
8 3.
22501±19211ト2210 X4
-1
8
.
8 2.
33844±2037543847 X6
-1
8
,
8 3.
83389±1932343312 X8
-1
8.
5 2.
32030±19 15441627 X7
-1
8
.
5
22417±1920122095 X一一
2
X-l
l
2
3 1
.
ー1920±60 15281392
-1
2
.
5 0
.
623080士1i
nval
i
d
X-1
2
29.
3 1.
817120±7201191948X1
3
14.
1 1.
65250±40 56335577
Ca
J
c
托e Ar
a
g
o
n
i
t
e >
C
2
a
0
l
G
%
托
eC
純粋な
al
ci
t
e結晶
(
%
)
(
%
)
8.
8
71.
8
44.
8
9.
2 ○
17.
3
28.
5
20,
8
23.
2
●
3.
2
62.
6
29.
3
1
0.
5
32.
9
ー6.
5
44.
4
12.
2 ○
18.
6
46.
2
28.
5
1
0.
4
一
75.
6
0
○
3
8
35
■
2
6
.
3
7.
8
●
32.
5
8.
3
■
43
23 ○
●
●
・<40%
○>40%
検鏡 によると,試料番号 0
41
1
2
9
4によると, 白色 の部分 (
A)はサンゴの組織が見 られ,
灰色の部分 (
B)は石灰質の堆積物 によって 占め られていることが分かったこの Bは,カル
サイ ト%は 4
4.
8と 2
0%以上である.試料番号 0
5
071
6
-3によると, 白色の部分 (
A)はサ
ンゴが生 きたままフ レーム ワー クをつ くってその隙間に石灰質の堆積物が入 ってい る.灰
B)は,所々に潜行性 の海綿 によって破壊 された穴があ り,石灰質の堆積物 によ
色の部分 (
って 占め られてい る.本サ ンプル も灰色部分のカルサイ ト含有量が 2
0%を超 えてい る.
ただ し,長井孝一氏の鑑 定では, どの部分 を見て も,陸上で二次変質 を受 けた とい う影
響 はない とい う.
ここで,二次変質の可否 を も う少 しきめ細かに見てみたい.Table2 には与那国島の海
底遺跡 ポイ ン トの例 も示 してある.まず,Tabl
e 2において,カルサイ ト含有量が 2
0%以
上のものに ・を付 した.これ は生物学的 ・地質学的に何 らかの影響 を受 けた もの とみな さ
れ る.
8
0
3
2
9
-1
-1の年代 は,地質学的に
ここで,与那国の海底遺跡 ポイ ン トの例 を見てみ る.9
は明 らかに構造物ができて以降の堆積 で, この後陸化 した形跡のないサ ンプルであ る. こ
0
0年前後の値 を示 し,カルサイ ト含有量が 3
8%あるとい うことは,カル シウム
れが 2,0
含有量 4
0%までは陸化の影響 を受 けず とも説明できるとみな してみ る.そ こで 4
0%以上を
5
021
3
2は陸上に露出 している琉球石灰岩の例
区分 して○を Table2に付 した.ここで,0
0万年以上前のもの と推定 され る.こ
を見てみ る.年代は二次変質 していて未定であるが 1
一226-
れと0
31
21
7
A
-6が X線的には純粋なカルサイ トの結晶 (
c
a
c
o3) とみな され る. これ と同
じものは与那国の 0
31
21
7
1
A
6の 2
01
1
9
-1
9
4
8
3yrB
Pのサンプルがある.ここで,二次変質
%)琉球石灰岩 はカルサイ ト4
0%以上で,純粋なカ
を完全に行 っている (
アラゴナイ ト0
ルサイ トで成っていることか ら,この純粋 なカルサイ ト4
0%以上の石灰岩は陸化 した可能
a
bl
eには,琉球石灰岩以外 の どの石
性が強い とみなす ことができよ う. したがって,本 T
灰岩 も明 らかに陸化 によって変質 した といえるものはない とみ られる.
しか し,与那 国の第 1海 丘で明 らかに陸化の影響 を受 けた可能性 の高い 0
31
21
8
2と
9
7
0
71
8
-1のカルサイ ト含有量が 4
0%以上であるにもかかわ らず,純粋なカルサイ トが生成
0%以上の ものについては陸化 を疑ってみ る必要
されていないことか らみて,カルサイ ト4
はあ りそ うである.
今回の測定試料は,粉末 X 線回折 と薄片観察によ り,た とえ陸化 した として も,二次
的変質の影響 を受 けていない事が分かった.つま り,放射性炭素年代値 は, ほぼ正確 な
石灰岩 の形成年代 を示す とい うことになる.今回の放射性炭素年代測定で明 らか となっ
た年代値 は,北谷 ドル メン下か ら採集 され た石器 の よ うな,転石あるいは最新期表層堆
41
2
4
4
8
6C
alB
P,一番新 しい もので 2
4
3
6
2
5
97CalB
Pと
積層 を除 くと一番古い もので 4
,
5
0
0年前
い う結果 になった.北谷町宮城沖の人工的海底地形域 を形成する岩盤 は,約 4
,
5
0
0年前 までの礁性石灰岩であることが明 らか となった.
か ら2
これは,4
,
5
0
0年 ほ ど前か ら隆起が進行 し,2,
4
0
0年前以降大幅な陸化があった ことを
Fi
g
.3
).そ して,城郭は 2,
5
0
0年前以上 に築かれ,ドル メンはお よそ 1,
8
00
示 してい よ う(
年前 (
平均値)までのサ ンゴ石片が加工 して使 われているところか ら,今か ら 1
,
8
0
0年
前以降に造 られたことが推定 され る.
以上,城壁や城郭のよ うな外観 を持 った北谷の海底遺跡で、確実に基盤 の岩石 (
サンゴ
化石)の 1
4
C年代は,すべて数千年前よ り新 しいことがわかった (
T
a
bl
el
).そ して,ほぼ
1
,
8
0
0年前に海 中で形成 された岩石が切 られて加 工 され、 ドルメンを作 ったことが明 らか
になってきた。
すなわち、北谷沖海底遺跡 は、2
,
5
0
0
-8
0
0年前の間に、陸上で形成 された とい うことに
,
5
0
0年前以降には陸上にあ り、その とき、
なる。 したがって、 この地域 は今か らおよそ 2
0
0年前以降に ドルメン
基盤 となった岩石が切 られて加工 され"城" となった後、今か ら 8
(
王墓 ?)が造 られ,その後再び海 中に水没 した と推定 され る.
- 227
-
北谷海底遺跡の年代
5,
000
4・
000
3,
000
2,
000
● 北谷沖 (
構造物) ● ドルメン下石片
○ 北谷沖
1,
000
◎ ケラマ沖 (
構造物)
(
表層)
Fi
g.3 北谷海底遺跡 と付近の構造物を構成す るサンゴ石灰岩 1
4
C年代.
1
4C a
geso
fc
o
ralli
mest
o
nesmadeo
fu
nde
r
wat
e
rrui
nsof
fKe
ra
ma
a
ndi
tsvi
ci
ni
t
y.
4. 考 察
4-1. 与那 国海 底 遺跡 の形 成 年代 の再検 討
これ まで,構造物 に付着 しているサンゴ藻等の生物化石の 14C の年代測定によ り、与那国
島の海底遺跡ポイ ン ト (
木村 ほか,2000)お よびその周辺の形態は,可能性 の一つ として,
お よそ 1
0,000 年 前 に陸以 上 で人 の手 が加 え られ て形成 され た こ とが示 唆 され ていた
(
Ki
mura et a1
.,2001;木村 ,2001;木村 ほか,2006) しか し,今 回北谷 の海底遺跡 は,
。
Tabl
e3).ここで,その後の潜水調査 (
木村,
数千年前以降の形成 と推定 され るに至った (
2003b) で得 られた知見 と最新の年代値デー タを加 えて,再検討 してみた.Fi
g.4 は, こ
4C 年 代 値 の数 千年 前 以 降 をプ ロ ッ トした もので あ る. そ れ に よ る と,
れ までの 1
3,000-2,000年前 に陸上で形成 された可能性が強 くなった. これ によると,海底部 と陸上
加工部の年代 もほぼ同時期 となる.
-
228 -
Ta
b1
1
e3 沖縄本島周辺海底鍾乳洞お よび陸上石灰岩 の 1
4
C
年代測定.
1
4Ca
ge
so
fli
me
s
t
o
ne
si
nU
nd
e
r
wat
e
ra
ndo
ns
h
p
rest
al
a
ct
i
t
ec
a
V
e
s
si
nOki
na
wa
.
試料名
2
9
3
2
3
4
試料番号
9
5
07
2
0
2
2
9
5
07
2
01
2
9
8
01
1
0-ー
試料物質
鍾乳石
鼻(見塚 ?)
見(見塚)
石灰温く赤色)
鍾乳石
鍾乳石
7
.
0
1
7
7
9
9
5 2
.
0
6
21
71
0
+
-1
7
0
5
2
.
1
3
0ー
2
0
+
-3
4
0
3 6.
6
0
1
6
4
0
十
一6
0
87
31
88
RU1
9
6
0
3
「
2
3
0
9
6
0
51
2
-1
31
9
6
0
81
5
-1
0
3
3
9
61
1
21
2
見(且塚 ?)
RU4
0
2日1
2
「
2
見片(長塚 ?)
水深 81
3
C 1
4
C年代,
BP
牧正帯年代
灘定番号
1
7 -1
,
5
7
2
89
0
+
-6
0
2
9
3
0
31
4
2NUTA4
7
7
8
1
7 0
.
3
9
9
8
0
+
-6
0
5
2
6
61
9NUTA47
7
7
3 0
.
1
9
3
7
6
0
+
-7
0
3
61
0
3
8
0
2NUTA4
7
7
9
H-1
0
5
0
81
0
伝A 巻き見(ビーチロック)
4
0
2
.
8
H2
05
0
81
0Ga マトリックス(フ口-スト >>0
1
.
7
見化石(イモガイ,穴あき
RU7
0
3
0
41
卜2
RU8
0
3
0
41
ト6
3 石灰岩(赤色)
2
7
6
49
4
6
0
8±7
備考
宜名文海底鍾乳洞
宜名真海底鍾乳洞
宜名実海底鍾乳洞
2
09
07
2
0
2
6
5NUTA2
-6
3
4
5 宜名文海底鍾乳洞
i
n
v
a
l
i
dNUTA-4778
i
n
v
a
l
i
dNUTA2-248
宜名真海底鍾乳洞
宜名文海底鍾乳洞
1
1
4
3
-1
2
6
7NUTA2
2
4
3
宜名真海底鍾乳洞
3
01
3
2
9
3
5NUTA2
-6
3
51 宜名文海底鍾乳洞
NUTA2
9
B
9
0 恩納海底鍾乳洞
5
07
8
5
4
6
6NUTA2
9
891 恩納海底鍾乳洞
3
5
-1
.
0
2
07
8士6
0
1
56
3
-1
7
2
2NUTA2
6
3
5
4 恩納海底鍾乳洞
2
8
3
.
9
1
09
06
1
2
8
0卜1
1
7
6
9NUTA2
6
3
5
5 恩納海底鍾乳洞
RU9
0
3
0
8
29
-ー
鍾乳石
3
5
9
.
9
3
04
2
0
RU-1
0
0
3
0
8
29
-ー
21
8
2±6
0
0
3
0
9
0
3
2
-1
1
.
7
0
.
9
RU-l
l
石灰岩(ビーチロック)
鍾乳石くつらら石)
0
.
I
6
7
21
±7
0
RU-1
2
0
3
09
03
3
鍾乳石(つらら石)
5
0
.
3
1
0
3
6
0
i
n
v
a
J
i
da
g
eNUTA2-6360 恩納海底鍾乳洞
1
7
0
4
-ー
8
51NUTA2
6
3
81 瀬良壇
7
51
5
7
6
5
6NUTA2
6
3
6
2 トライアングルホール
1
2
3
5
5
-1
1
9
7
0NUTA2
6
3
6
3 マットホール
HDC1
9
6
0
81
5
-1
0
鍾乳石
6
.
6
3
01
2
0
+
3
40
i
n
v
a
l
i
dNUTA2-248
久米島海底鍾乳洞
HDG2
8
61
1
2ー
2
2.
1
1
6
4
0
+6
0
1
41
8
-1
61
0NUTA2
2
4
3
KMC6
9
9
0
41
0
-1
鍾乳石
鍾乳石
3
7
3
.
8
1
4
5
9
0
+
一一
3
0
KMC2
9
9
0
41
02
鍾乳石
3
7
-1
.
3
1
5
09
0
+
14
0
i
n
v
a
l
i
dNUTA2-249
i
n
v
a
l
i
dNUTA2-244
久米島海底鍾乳洞
久米島海底鍾乳洞
KMC1
9
9
0
41
7
2
37
3
.
3
1
22
0
+
-6
0
6
8
9
8
2
3NUTA2
2
4
2
KMC7
9
9
0
41
7
4
ホラ見片
鍾乳石
3
7
3.
5
ー
4
2
0
+
-6
0
1
29
0
-1
3
6
9NUTA2
2
5ー
久米島海底鍾乳洞
久米島海底鍾乳洞
KMC3
9
90
06
-1
6
.
5
2
2
8
8
0
+2
2
0
9
91
0
06
2
鍾乳石 中心
鍾乳石 外側 泥混じり
3
7
KMC
4
3
7
7
,
5
2
21
8
0
+21
0
i
n
v
a
l
i
dNUTA2-246
i
n
v
a
)
i
dNUTA2-250
久米島海底鍾乳洞
久米島海底鍾乳洞
一一
0
6
.
8
3
7
2
6
4
NUTA2
8
5
0
5 荒崎ドルメン
1
84
2
8
4
「
2
71NUTA2
8
5
0
6 荒崎ドルメン
3
2
7
糾
2
4
35
i
n
v
a
l
i
da
g
eNUTA2-8508 売崎ドルメン
2
4
8
7
2
47
8NUTA28
5ー
3 売時ドルメン
2
6
4
41
7
6
07
i
n
v
a
r
l
da
g
○NUTA2
-6
3
4
6 荒崎ドルメン
8
4
07
8
3
8
4NUTA2
-6
3
4
7 荒崎ドルメン
ー
沖縄南部陸上
Dトー
0
4
0
5
0
8
2
石灰岩
鍾乳石、上面蓑(
カルサイト) -1
0
7
.
3
赤色石灰岩
一一
0 -7.
鍾乳石、上面裏
一一
0
7
.
3
久米島海底鍾乳洞
D2
-I
0
4
0
6
05
-
D4
-1
D6
-1
0
4
05
0
83
大
0
4
0
5
08
-1
RU2
RU3
0
3
0
5
0
22
2 石灰岩
0
3
0
5
0
2
2
4 再溶融石灰岩
-1
0
-1
0
8
.
6
-1
.
9
G3
2
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4
0
81
7
-卜1 鍾乳石(ストロー管)
-5
0
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4
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4
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2
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0
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石灰岩
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-卜2 鍾乳石(ストロ-管)
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8
51
2 玉泉堂
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0
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1
5
5
4
6
2卜6
0
7NUTA2
8
51
4 玉東堂
67
-1
ここで陸上部の遺構 の年代 を整理 してみた.人工的な形態 を してい る炉跡 に付着 した炭
4
C年代 と 1
0
Be法による年代デー タを総合す る と、海底遺跡 ポイ ン トよ り 1
k
m北東
化物の 1
の崖 にあるサ ンニヌ台の年代が比較的高い精度で決 ま る。す なわち、サ ンニヌ台の炉跡か
ら採取 した炭化物 については約 1
,600年前 とでた。つ ま り今 か ら約 1
,600年前 まで炉 は使
われていた ことになる。 この こ とか ら、遺構ができた年代 は 1
,600年かそれ よ り古い と推
定 され る。そ して 1
0
Beの測定では、サ ンニヌ台の中部 は 4,
000-3,000年 ほ ど前 に削 られ た
こ とを示 した (
木村 、2003a)。 したがって、サ ンニヌ台の中部は今 か ら 3,000年前頃に形
成 され 1
,600年 ほ ど前まで使 われていた ことになる。 そ してまた、1
0
Be の数値 はまた 6
00
年 ほ ど前 にも削 られ た部分があることも示 してい る (
木村 ほか,2003a). このサ ンニヌ台
の階段構造 は、そのまま海面下 に続 く
。
とくにその広大 な平坦面は、海面下 1
5mまで続 い
ている.
-
22
9 -
また、すでに遺跡 と認定 されているものに トウグル浜遺跡がある。これは、北海岸 にあ
り、4
,5
0
0年 ほど前の成立 とされてい る (
木村ほか,2
0
0
4
).その後 も遺物 も上位層に見出
,
5
0
0年前以降近世まで ヒ トが行動 していたことが知 られ る。
され ることか ら、この付近は 4
したがって,再検討 された海底遺跡が形成 された頃は、この島に ヒ トが定住 していたわけ
である。 また、そ こには鳥や亀 を配 した と思われ る巨大な レリー フも彫 られていて、文化
性 も認 め られ る.
以上の陸上部のデータも海底部の形成年代 を支持す る結果 を示 した.
サン二ヌ台(10Be)
与 那 国海 底 遺 跡 の 年\代
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+
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+
+
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トウ
グル浜遺跡
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杉1杉
海丘召
(lO
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6,
000 5,
000
4,
000
● 第 1海丘内部 (
サンゴ藻、見、 1
4C)
-3,
000
◎ サンニヌ台(1
4C)
遺
跡
卜
◎ウグル浜砂丘
◎
-2,
000
1,
000
0 第 1海丘外壁外側 (サンゴ藻,14C)
海底遺跡の陸上延長部
増
J
○什
4
l
0
0
O
l
0年
0 陸上遺臥 14C
Fi
g.4 与那 国海底遺跡年代 の再検討 .
Reexami
nati
ononagesofunderwate
rrui
nsoffYonaguni
.
4-2. 海 底 鍾 乳 洞 が示 す数 千年 前 以 降 の地 殻変 動
これまでの調査 により、沖縄県の与那国 と北谷沖海底には、水深 3
5
mまでの海底に, ど
4
Cお よび 1
0
Be年代測定 よ
ちらも城郭に似た石造構造物が存在す ることが明 らかになった。1
,
0
0
0
2,
0
0
0年 ほ ど前に陸上で造 られた と推定 され る.ちな
り,与那国のものは、今か ら 3
-
2
30 -
みに、陸上に露出 した部分の測定結果 も 3,0
00
-1
,500年ほ ど前を示 し,海底部 と整合的で
-1
,0
00年 ほ ど前に陸上で形成 された
ある。そ して,北谷沖の海底構造物は、今か ら 2,000
もの と推定 された.また、それ らの水没の主原因は地殻変動によるものと考え られ る。
そのよ うな陸化があったか どうかをみるために,沖縄本島の 4つの海底鍾乳洞内 (
木村.
新 田, 1
996;木村ほか,2
003
b;木村 ほか,2006b) か ら得 られた鍾乳石や貝塚の貝 と思わ
れ るサンプルの炭素年代 (
Ta
bl
e3) か らチ ェック してみた.Fi
g.5 はそれを示す図であ
り,4,
000-3,
000年前頃陸化 していたことを支持す る結果 を示 した。以上の結果か ら、沖
縄の海底遺跡 と推定 され るものは、従来 と異な りきわめて新 しい地殻変動によ り水没 した
ことが強 く示唆 され る.
沖縄本 島周辺の海底鍾乳洞形成最新年代 (
宜名真,恩納 ,久米島)
5,
000
4,
000
ー
3,
000
● つらら石 (
陸)
2,
000
1,
000年前
0 見 ,ビーチロック(
港)
⑳ 見 (
鬼塚 ?) (
陸)
Fi
g.5 沖縄の海底鍾乳洞 の 1
4C年代 .
1
4C agesofunde
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avesoffOki
na
wa.
5.ま とめ
1.沖縄県北谷 (
ちやたん)町宮城沖の階段状の地形や ドル メン状の地形 は,通常の海
の中で浸食作用な どによって出来た とは考 えに くい地形 ・形態 を してい る.それ らが
-2
31-
海 中で人為的に造 られた としても,水深約 20mの凌漢工事や米軍による工事によるも
のではない と判断 され る.
2.北谷沖に認 め られ る人工的海底地形 は,お よそ 2,500年前か ら 800年前頃に陸上で
形成 された と推定 され る.したがって,北谷町宮城沖海底 の人工的地形群 については,
古代遺跡 の可能性 が示唆 され る.そ こで,そ こを作業用地点名 として北谷海底遺跡域
と仮称す る.
3.
沖縄県与那国沖の遺跡様海底地形形成年代 の再検討結果 は,それが形成 された時
期 はお よそ 3,000
-2,000年前頃で,陸上で形成 された と推定 され る.
謝辞
北谷沖の水 中調査に際 しては,広部俊 明 ・長 田勇.小池真章子 ・平岡久枝 ・橋谷博子 ・
松浦暢 昌民 らの協力があった。本研究の岩石薄片鑑定に際 しては,琉球大学理学部の長井
孝一助教授 にお世話になった.また粉末 X線回折に際 し,同大学理学部の大森保教授 ・同
大学機器分析セ ンターの棚原朗教授 ら,そ して放射性炭素年代測定に際 しては,名古屋大
学年代測定総合研究セ ンターお よび地球科学研究所の方々にお世話 になった.また,宮城
沖の現地調査においては北谷町 ・東陽テ クニカ ・芙蓉海洋開発株式会社 を始め多 くの方々
に多大な協力を していただいた.
以上の方々に対 し,紙面に記 し厚 く感謝 の意 を表 します.
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