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Title Author(s) 近代組織規律の構造 沢田, 善太郎 Editor(s) Citation Issue Date URL 人間科学. Human Sciences. 1986, 18, p.29-66 1986-10-30 http://hdl.handle.net/10466/11769 Rights http://repository.osakafu-u.ac.jp/dspace/ 29 近代組織規律の構造 沢 田 善太郎 は じ め に 思想の異なる多くの論者が共通して,近代の公式組織(以下,組織と略す) の特徴に規律(discipline)をあげていることは興味深い。 「労働手段の一様な動きへの労働者の技術的従属と,男女の両性および非常にさま ざまな年齢層の個人から成っている労働体の独特な構成とは,一つの兵営的な規律を 作り出すのであって,この規律は,完全な工場体制に仕上げられ,すでに前にも述べ た監督労働を,したがって同時に筋肉労働者と監督労働者への,産業兵卒と産業下士 官への労瀦の分糀+分醗展させるのである甑マルク・r資本論』第1巻) 「近代的・資本主義的作業場経営では,経営規律(Betriebsdiszipline)は完全に合理 的な基礎にもとづいており,最善の収益をあげるにはいかにすればよいかという見 地から,何らかの物的生産条件と同様に個々の労働者をも,ますます,適当な測定手 段を利用することによって計測するようになっている。この原則にもとつく・労働給 付の合理的な調教と習練(Abrichtung und EinUbung)とが最高の勝利をおさめてい るのは,周知のごとく,アメリカ式の『科学的管理』方式においてである。〈中略〉 この合理化の全過程は,国家的官僚装置にあっても,支配者(Herr)の処分権力下に 置かれている物的経営手段の集中と,歩調を合わせて進行する。政治的・経済的需要 充足の合理化に伴い,規律化(Disziplinierung)は,一つの普遍的現象として,制し (1)Marx, Karl, Dα51(‘ψ溜, Bd.1,瓢α7κEηg8Z5躍〃紘Dietz, Berlin l 962.(以下, 1(ψ’α」,捌6r乃8,と略記)。 Bd.23, S.446−7.『マルクス=エンゲルス全集』,大月書店 (以下,『全集』),23巻,554頁。なお,特に断らずに訳文を改める場合がある。(以下で 引用する他の文献も同様。) 30 人間科学論集18号 がたく広まってゆき,カリスマと個人差に富む行為の意義とを,ますます制限して (2) ゆく。」(ウェーバー『支配の社会学』) 「今日の刑罰制度の理想点とは無限の規律であろう。〈中略〉独房中心の監獄,拍子 をつけるように明確に区分されたそこでの時間経過と強制労働,監視と評点記入の審 級段階,裁判官の機能を代行し,増大させる規格化の専門家たち,こうした監獄が刑 罰制度の近代的な手段となったとしても,何も不思議でない。監獄が工場や学校や 兵営や病院に似かよい,こうしたすべてが監獄に似かよったとしても何も不思議はな (3) い。」(フーコー『監獄の誕生』) 組織の概念を定義する際に,複雑な諸組織の現実から何を選び取って組織の 基本属性とみなすが,組織理論の体系を左右する重要な問題であることは言う までもあるまい。たしかに組織の概念は抽象的なものにならぎるをえない宿命 があるようである。組織理論の教科書や辞典類を読むと,組織の定義は多くの 場合,まず軍隊,工場,病院,学校など様々な種類の組織を例示し,次にこれ らの組織に共通する属性を示すことによってなされる。ところが,もともと病 院や工場などの組織の下位分類自体が個別の病院や個別の工場を一般化した概 念なのだから,「組織」は二重に一般化きれた類概念ということになる。このよ うな組織概念の外延の広がりはその内包を貧弱にするので,組織理論は,産業 祉会学や政党社会学など特殊な種類の組織に対象を限定した理論に比べ,「組 織環境の分化は組織の諸構成部分の分化を促進する」といった類いの形式的な 命題の羅列に終わる場合が多い。組織理論は数理社会学的な方法が最:も早く発 達した分野であるのも,この事情によるところ大であろう。 今日求められる組織理論の課題の一つは組織社会としての現代の諸問題に接 (2)Webcr・Max・防π∬乃ψ銘ηゴG65〃∬んψ,4AufL, J.C。B. Mohr, Tubingen 1956, (以下,確.祝.αと略記),Bd.1, S.647.世良晃志郎訳『支配の社会学』,創文社 1962 年,522−23頁(第2分冊)。 (3)Fouca111t, Miche1,3駕r〃6’〃676ψ磁卜N碗∫απ6θ♂‘」αρ伽η, GalHmard, Paris 1975. (以下,ε砂.と略記).p.228−29.田村 淑訳『監獄の誕生』,新潮社 1977年,226−27 頁。 近代組織規律の構造 31 近することである。現代社会が組織社会と呼ばれるのは,強大化した組織が私 たちを包囲し,私たちの行動とひいては人格そのものの形成と統御を行ってい るという日々の実感によるものであろう。このような現代人の生活感覚と形式 化された組織理論の現状との隔たりはかなり大きい。 組織理論に現代社会論としての問題関心を復活きせる上で,組織規律の問題 に注目することは,案外有力な出発点になるのではあるまいか。人間主義,個人 主義が基調であるとされる近代社会は,同時に,諸個人の一糸乱れぬ行動の斉 一性を確保する規律化の技術を高度に発達させた社会でもある。このことは一 度でも工場見学した人なら容易にうなずくことであろう。今日の莫大な工業生 産も発達した軍事技術も多かれすくなかれこの規律化の技術に依存している。 本稿の冒頭に引用した三人の論者は,私たちの社会観の形成に最も大きな影 響を与えた論者である。また,彼らの「組織理論」(マルクスの「工場」論ウェ ーバーの官僚制論,フーコーの「監獄」論)は,いずれも彼らの同時代認識と 分かちがたく結びついている。このことと彼らが共通して組織規律の問題に注 目したこととは無関係ではあるまい。規律の問題に注目して彼らの議論を追跡 することは,組織理論から現代社会論への展開の筋道をつける端初になるので はないだろうか。この観点から,本稿では彼らの議論をウェーバー,フーコー, マルクスの順序で考察する。(言うまでもなく,この順序は行論の都合による 便宜的順序である)。 1 ウェーバー支配理論における規律の位置 (4) 組織理論は「協働の組織理論」と「支配の組織理論」に大別できよう。協働 (4)拙稿「組織理論」参照のこと,申 久郎(編)『機能主義の社会理論』,世界思想 社 1986年,125−137頁。組織成員の利害対立を想定する組織理論には,成員間に力関 係の大きな落差がある場合に成立する「支配の組織理論」とともに,成員の力関係があ る程度拮抗している場合に成立する「闘争の組織理論」も無視できないが,これは別の 機会に論じたい。 32 人間科学論集18号 の組織理論とは,組織を共通の目的を持つ諸個人の協働のシステムとしてとら える理論である。一方,支配の組織理論は,組織が利害対立する諸個人によっ て構成きれ,組職成員の活動を規定するのは支配関係であると想定する理論で ある。私見によれば,本稿の冒頭に引用したマルクス,ウェーバー,フーコー は支配の組織理論の代表者であり,彼らの強調した規律の概念はこの理論の最 も重要な構成要素である。以下,この節では,組織・支配・権力・規律の概念 の密接な関係を,ウェーバーの議論を手掛かりに考察する。 ウェーバーは,『経済と社会』第1部第1章(「社会学の根本概念」)で,権 力,支配,規律の概念を続けて次のように定義している。 「権力(Macht)とはある社会関係の内部で抵抗を排してまで自己の意思を貫徹す る可能性を意味し,この可能性が何にもとつくかは問うところではない。 支配(Herrschaft)とは,ある内容の命令を下した場合,特定の人々の服徒が得ら れる可能性を指す。規律(Diszipline)とは,ある命令を下した場合,習慣的態度 (eingeubter EinsteHung)によって,特定の多数者の敏速な自動的・機械的な服従が (5) 得られる可能性を指す。」 上の権力と支配の定義は社会学の権力論の貴重な財産として繰り返し引用さ れ,論じられてきた。この二つの概念の直後にある規律の概念がウェーバーの 権力と支配の理論の鍵概念の一つであることは容易に予想がつく。この概念が これまでさほど論じられずにきたのは,規律に関するウェーバーの議論が,未 完に終わった「経済と社会」の断片的な草稿であることによるだろう。 今日「支配の社会学」と呼ばれるウェーバーの論述は,r経済と社会』第3 (6) 版では政治論,国家論に関わるいくつかの断片とともにr経済と社会』の第3 部として編集きれていた。この第3版では,ウェーバーの規律論は「正当性」 (5)眠π・α,Bd・1, S・28・清水幾太郎r社会学の根本概念』,岩波書店 1972年,86頁。 (6)贋7∫5‘加∫∫襯4G8∫θ」♂50乃4’,3Aufl’,∫C.B. Mohr, Tubingen 194Z (なお,1肌π. 0.の引用頁数は第4版による。) 近代紅織規律の構造 33 という明らかに不適切な題名で独立した章として扱われた。しかし,「支配の (7) 社会学」を第2部第9章にまとめた現行の第4版では,第3版の「正当性」の 章は解体きれ,新たに編成された第6節「カリスマ的支配とその変形」の末尾 の項に,「支配形態の規律化と没主観化(Versachalichung)」という題名で収録 されている。 第3版,第4版のいずれでも,ウェーバーの規律論は前後の章節とのつなが りが良くない。ウェーバーの規律論は「経済と社会』のなかの半ば孤立した断 片にとどまっている。ウェーバーの規律概念を彼の支配理論の体系のなかに位 置づけるには,ウェーバーの思考に即しつつ,しかも,彼の述べ足りなかった 部分を補う必要がある。一以下,私見によるその見取り図を示したい。 周知のように,支配は権力よりも高次の概念であり,権力の存在を基本的な 前提としつつも,それ以外にいくつかの契機を有している。剥き出しの権力の みによる支配は,服従者にとって不本意な外見上の服従であり,脆弱な支配で ある。支配が「権力のエコノミー」を実現し,安定するために必要な契機は, 正当化,組織化,規律化の三つに整理できよう。 正当化とは,支配の正当性を服従者に納得させることである。ウェーバーが この正当性の三つのタイプから支配の三類型を定式化したことは,今更言うま でもあるまい。 次に,組織化とは支配関係の内部に,支配者(Hcrr)に従属し,「継続的に秩 (8) 序の実施と強制とをめざす行為」を遂行する行政幹部(集団)を作り出すこと である。ウェーバーの場合,組織という言葉で意味されているのは,このよう な行政幹部の行為の存在に他ならない。支配の三類型は正当性の類型であると (7)注2参照 (8)眠π.(㍉Bd.1, S.154.世良晃志郎訳『支配の諸類型』,創文社 1970年。133頁.な お,翫π.0.,Bd.2, S,548−49,世良訳『支配の社会学』前掲書,26−27頁(第1分冊) をあわせ参照のこと。 34 人間科学論集18号 同時に,行政幹部の類型でもある。行政幹部は,伝統的支配では支配者と属人 的な恭順関係(Pietat)にある僕(しもべ)であり,カリスマ支配ではカリスマ の「使徒」である。また,合法的・合理的支配に最も適合的な行政幹部は官僚 制的行政幹部である。 規律化は,支配の第三の契機として位置づけることができるだろう。 先の引用を振り返ると,ウェーバーは支配の定義に特殊な限定をつけること によって,規律を定義している。支配は命令に対する服従の得られる一般的な 可能性を指すが,規律はこの服従が,1)「多数の人間」から,2)「習慣的態 度」によって,3)「敏速,自動的,機械的」に得られる可能性を指す。すな わち,多数の人間が速やかに,整然と命令に従うことが規律であり,規律化 (Disziplinierung)とは,服従者にこのような規律を訓練し,身につけさせるこ とである。 規律と訓練は一体不可分である。もともと,西欧語の《discipline》は,訓練 によって身についた抑制のきいた行動くらいの意味であり,規律とも訓練とも 訳せる言葉である。先の定義にあった「習慣的(eingeubt)態度」も,無意識 的な習慣というより,人為的な訓練の所産を指し,習慣的という訳語は必ずし も適切ではない。 規律が浸透すると,支配者は大衆組織の活動を計算可能な機械として扱える ようになる。ウェーバーが近代資本主義的生産の著しい特徴とした形式合理性 (計算可能性)の進展は,規律を基盤にする。また,ウェーバーがアメリカの 用語を用いて,近代の大衆政党をマシーンと呼ぶとき,彼の念頭にあるのは, 規律の確立によって政党機構が選挙時のキャンペーンなどに一枚岩的に活動す (9) る状況である。 組織を機械にたとえると,規律は個人を機械の部品に作りかえる。部品とし (9)蹴㍑.α,Bd,2, S.845−58.石尾芳久訳r国家社会学』,法律文化社 1960年,52−83 頁。 近代組織規律の構造 35 ての人間に要求きれるのは,命令を忠実に実行する高度の平凡さであって,個 人としての英雄性ではない。ウェーバーによると,近代的規律は,オランダ独 立戦争のオランダ軍,ドイツ三十年戦争のスエーデン軍,清教徒革命の「鉄騎 隊」など,新教徒の軍隊のなかで生まれた。これらの軍隊は,身分的特権を奪 われ,戦闘と同時に土方仕事に従事し,抜け駆けや戦闘後の略奪を禁じられ, 密集隊形を堅持することによって,騎士軍や傭兵隊に優越する戦闘力を得た。 このような規律が服従者に内面化されると,規律の遵守は,義務と良心の観 念によって動機づけられた一つの徳とみなされるようになり,支配関係の質的 変化をもたらす。ウェーバーによると,身分制にせよ,カリスマ支配にせよ, 旧来の支配は人的(personlich)な支配であり,特定の個人に対する恭順や熱 狂的崇拝に依存する。これに対して,規律にもとつく支配は,服従者が抽象的 な権威に従う没主観的な(sachlich)支配である。言いかえれば,規律は特定個 人の権威に依存する支配関係の:不安定性を排除する。まさしく,この点で,行 政幹部が一愛もなく怒りもなく一恒常的に職務を遂行する近代官僚制は, (10) 「規律の最:も合理的な落とし子」であり,支配者(Herr)の交代によって動揺 することのない「組織による支配(Herrschaft durch“Organization”)」を実 現する。 II フーコーと規律の権力 ウェーバーによると,規律は,「《訓練》によって機械化された熱練を《調 (11) 教》する」ことをめざすものであるが,近代社会におけるこのような規律=訓 (12) 練の体系を最も綿密に論じたのは,フーコーのr監獄の誕生』である。この章 (10)確.π.G,, Bd.2. S.690,「支配の社会学』,前掲,504頁. (11)陀π。α,Bd.2, S.690, r支配の社会学』,前掲,504頁。 (12)注3参照。田村訳『監獄の誕生』は,《discipline》を規律・訓練と訳しているが, 本稿では他の論者の引用との統一のため,単に規律と訳することにする。 36 人間科学論集18号 では,彼の規律論を検討する。 『監獄の誕生』は,1757年置ダミヤンの処刑と約3/4世紀後のパリ少年感化 院の日課という対照的な処罰の描写からはじまる。この二つの情景は18世紀末 から19世紀初頭に生じた刑罰の様式の変遷を示している。旧体制の刑罰の特徴 は身体に直接,苦痛・損傷・烙印を加えることである。ダミヤンの処刑の例を 見ても,単に彼の生命を断つだけでなく,彼の身体に最大限に苦痛を与えるこ とと,見世物としての効果が狙われている。このような身体刑は西欧では18世 紀昼頃から急速に姿を消す。死刑と軽度の犯罪に対する罰金刑とのあいだの全 領域は,受刑者を拘置し,規則正しい日課を通じて「精神」の矯正をはかる監 獄制度によって覆われるようになる。『監獄の誕生』の目的は,このような刑 罰制度の変遷を近代精神の歴史との関連で解明することである。 フーコーによると,刑罰を「身体についての政治的技術論(technology pol− itique du corps)」,あるいは,「権力の技術論(technology du pouvoir)」の一環 としてとらえることによって,刑法の歴史と人間科学の歴史との共通の母胎が 見えてくる。一刑罰制度の変化は,権力の客体である人間に対する見方の変 化にもとつく。刑法改革の行われた19世紀初頭は,心理学,社会学などの人間 諸科学の生まれた時期でもある。刑法改革と人食科学を生み出した人間観の変 化はいずれもこの時期に生じた権力による身体掌握手段の変化に関わってい るのではあるまいか。一本稿の当面の課題は,フーコーがこのような推論に 到達するにあたって用いた彼の権力論の概念装置を検討することである。 1 フーコーの権力概念 フーコーの権力概念の特徴は,1)権力を身体に対する攻囲(investissement) の仕組みとしてとらえること,2)権力論の構成要素として権力の技術論を重 視すること,3)権力を社会関係の微視的側面においてとらえること,4)権力 と知の密接な関連を強調すること,であろう。以下,煩雑ではあるが,彼の文 近代組織規律の構造 37 章をいくつか引用しながら,説明を加えていきたい。 権力と身体 フーコーの言う身体とは,単に物でもなければ,肉体から遊離 した意識や霊魂でもない文字通りの生身の人間のことであると思えば良さそう である。私たちはこのような身体として社会的諸関係のなかに組み込まれる。 この時,社会的諸関係が身体を統御し,身体にある特定の型を押しつける作用 が権力である。 「権力関係は身体に無媒介な影響力を加えており,身体を攻囲し,烙印を押し,訓 練し,責めさいなみ,労役を強制し,儀式を押しつけ,表徴(signe)を要求する。身 体のこの政治的攻囲は複合的で相関的な諸関連に応じて身体の経済的活用と結びつ く。〈戯評〉身体を生産力として組み込むことができるのは,身体が服従の強制の仕組 み(そこでは欲求もまた注意深く配分され活用される政治的道具の一つである)のな (13) かに入れられる場合に限られる。」 権力は身体に様々な形式で作用する。身体刑も権力の一つの形式である。決 まった時間に身体を仕事場に拘束する工場制度も権力の別の形式である。ある 目的に適した身体を作り出す様々は仕組みも,権力の作用としてとらえること ができる。数kmの飼劒前進に耐えうる,機敏で頑健な兵士の身体を作り出す 軍事教練にも,更には,一日二食で,たっぷりと昼寝をとらし肥満体の力士を 作る相撲部屋の習慣にも,合目的的な身体を作り出す権力作用が介在する。 フーコーは,身体に対する服従の強制(身体の政治的攻囲)と経済的諸関係に おける生産力としての身体の活用との密接な関わりを指摘する。生産活動を行 う身体は,奴隷,農奴,工場労働者などいずれの場合にも,常に権力関係に組 み込まれ,その時々の労働に適合的な身体を陶冶されてきた。 身体の政治的技術論 ところで,このような身体の政治的攻囲は,すでに触 れたように,フーコーが身体の政治的技術論とか権力の技術論とよぶ知の次元 を基盤にする。 (13)8.θ.P。, p.30−31.田村訳,前掲,30頁。 38 人間科学論集18号 「服従の強制は単に暴力本位の手段だけによっても,観念形態を主とする手段だけ によっても実現されない。〈中略〉すなわち,身体の科学だとは正確には言えない身体 の一つの《知》と,他方,体力を制する手腕以上のものである体力の統御(maitrke) とが存在しうるわけであって,つまりは,この知とこの統御こそが,身体の政治的技 (14) 術論とでも名づけていいものを構成するのである。」 ウェーバーが支配に見い出だした知の次元は正当性(legitimacy)の次元で あったが,フーコーは支配を支えるもう一つの知の次元(身体の政治的技術 論)に着目する。まず,身体の政治的技術論と呼びうるいくつかの事例をあげ ておこう。 事例1 日本の国鉄がATS(自動列車停止装置)を導入した1966年当時,年に60 件前後の信号冒進(制限速度オーバー)が生じた。この装置は列車が信号に近づくと 警報を出し,運転手が警報の確認ボタンを押さない場合には非常ブレーキがかかる仕 組みである。ところが,警報を受けた人間はいったん緊張し警報の確認ボタンを押す が,その直後にはかえって弛緩状態に陥り,肝腎のブレーキをかけることを忘れる場 合がある。これに気づいた国鉄技術陣は,信号が近づくと自動的に機械がブレーキを (15) かけるATC(自動列車制御装置)開発し,新幹線に装備した。 事例2 原生的労資関係に労働時間短縮の動きが生じるのは,労働が高度化し,労 働者の集中力が従前以上に要求されるようになると,「長時間労働が引き合わないこ とについての企業主の経験にもとづいて,たとえ躊躇しながらであるにせよ,自発的 (16) に彼らによって労働時間が短縮される」ことによる。難航した日本の工場法の施行 (1916年)にあたっても,婦女子の夜間労働を禁じる有力な論拠の一つは,「現今内外 二丈テ需要スル邦綿糸ノ種類ハ主トシテ酒番二属シ之が用途モ亦概ネ手織機二上スル ニアルヲ以テソノ品質ノ選択ハ余リニ厳ナラサルモ漸次世人ノ嗜好尚進シ細糸ノ需要 (14)3・8.P・, p.31.田村訳,前掲,31頁。 (15)内橋克人r続々匠の時代』,サンケイ出版 1979年 (16)Weber. Max, Zur Psychophysik der industriellen Arbeit,(1908−09), ln:085α加一 膨」’θ廊爵鵠θz〃r50z‘oJo9∫6ππゴ30z∫吻。襯ん, J.C.B. Mohr, Tubingen 1924, S・139−40・ 鼓 啓雄訳「工業労働の精神物理学について」,『工業労働調査論』所収,日本労働協会 1975年,172頁。クレペリンの精神物理学に依拠してウェーバーが行った「封鎖的大経 営」における労働者の淘汰と適応に関する調査研究は,彼もまたフーコーの言う意味で の身体の政治的技術論に関心をもっていたことを示す。 近代組織規律の構造 39 増々増加シ且機械織布業ノ進歩スル」に至って,「徹夜業ヲ継続スル以上ハ到底精巧 (17) ナル綿糸ヲ製造スルコトヲ得ザル」ことであった。 安全性工学と社会政策論から採ったこれらの事例は,支配が安全,かつ,効 率的に身体を活用するために必要な技術的知識の事例である。たしかにこのよ (18) うな知識は断片的であり,「体系的・継続的な言説」のかたちで表明されること は少ない。後述するように,フーコーの規律論は,今日の社会生活の諸領域に 散在するこめ技術論に共通の骨格を見い出し,首尾一貫した体系に再構成する 試みである。正当性が権力に対する知的・情緒的な帰依を換起する服従者の側 に内面化されるべき知の次元であるのに対し,身体の政治的技術論は効率的な 服従を作り出す支配者の側に属する知である。(とはいえ,正当性信念や政治 的技術論の枠組みが,支配者と服従者の両者に共有されていることが多いの は,食うまでもない)。 権力の微視的物理学 権力についての議論は,国家権力とか支配階級の権力 という巨視的な次元を問題にする場合と,日常生活における微視的な次元を問 題にする場合がある。フーコーは,権力の問題を巨視的な次元の問題に限定す る見方に批判的である。 「権力の諸関連は濃密な社会の深部に降りていて,それらは市民に対する国家の諸 (19) 関連のなかとか階級間の境界とかには位置づけられない。」 フーコーは日常生活の様々な場面に酷い出せる微視的権力(micropouvoir) に注目する。彼は自己の権力論を微視的物理学にたとえ,力学的な意味での力 が粒子間の相互作用であり,実体でないのと同様,権力は社会関係において生 じる作用であり,実体でないことを強調する。 (17)r綿糸紡績職工事情』,1903年 農商務省。大河内一男「社会政策の基本問題』,日本 評論社1947年(第3版),268頁より引用。 (18)5.仏ρ.,p.31.田村町,前掲,30頁。 (19)8.81ρ,,p.32.田村訳,前掲,31頁。 40 人間科学論集18号 「この微視的物理学の研究には次の点が仮定さていれる。そこで行使される権力は, 一つの所有物としてではなく一つの戦略として理解されるべきである。〈中略〉権力 のうちにわれわれは,所有しうるかもしれぬ特権を読み取るよりむしろ,つねに緊迫 (20) し,活動申の諸関連が作る網目を読み取るべきである。」 フーコーがこの前後の文章で権力概念を示すために使った用語は,戦略・素 質・操作・戦術・技術・作用・果てない合戦・戦略的立場の総体的効果など, 非常に多様である。彼が言いたいのは,権力は《物》ではなく,人と人との社 会関係のなかで,あるいは,相互行為のなかではじめて生じるということであ る。たしかに権力の介在する社会関係では,権力を行使する人間と行使される 人間が区別できる。この場合に,前者の人間を権力の所有者といってもかまわ ないように思える。しかし,この「権力者」も,彼の単独の行為の水準では権 力を持たない。彼の権力は服従者との関係において生じ,服従者を介し,服従 (21) 者を「支えにして」生じる。このように単独の行為の水準では見い出されない が,複数の行為者の相互行為や社会関係の水準で付加される特性を,社会学者 は塁壁的属性(emergent property)と呼んでいる。フーコーの言う権力はこ の意味での即発的属性である。彼がこの用語を用いれば多少は言葉の節約が可 能であったろう。 このような権力のとらえ方は社会学者のあいだでは珍しいことではない。権 力を社会関係の創発的属性としてとらえることを提唱したのは,「社会的行為の (22) 構造』におけるパーソンズだし,パーソンズのこの発想はウェーバーの権力概 念に由来する。しかし,前節で引用したように,関係概念として権力を定義し たウェーバーの場合でも,組織の頂点には固有の命令権力保持者(Herr)を想 定し,組織権力を彼から委譲されたものとしてとらえる。フーコーは,後述す (20)ε,氏ρ.,p.31.田村訳,前掲,30−31頁。 (21)3.氏ρ,,p.31.田村訳,前掲,31頁。 (22) Parsons, Talcott,τ乃θ3徽6fπ760ゾ80‘εα」、4‘‘ゴ。η, Free Press, Glcnco IIL 1949. p.35−36fL 近代組織規律の構造 41 るように,組織権力を関係性の権力としてとらえる点でより徹底している。 権力と知 権力を微視的な社会関係と相互行為の水準でとらえるかぎり,個 々の社会関係では力関係の一時的逆転が生じる可能性がある。しかし,多くの 社会関係で不平等な力関係が固定する傾向があるのは,そこに何らかの社会統 制(social contro1)の仕組みが存在するからである。フーコーの議論の特徴 は,この社会統制の仕組みをその時代・その社会の知の編成との関連でとらえ ることである。フーコーによると,「あらゆる社会において,言説(discour)の 生産は,いくつかの手続きによって統御され,選択され,組織化され,再配分 (23) される」。人間の相互行為が言語を用いた相互行為であるかぎり,相互行為の過 程で,ある種の発言を禁じ,ある位置にある人山の発言を排除し,更に,その 場面で「正しい」発言を事前に定める社会的な知(言説)の編成は人々の力関係 を規定する要因になる。(生徒は教師に対して一時的に優位に立つかもしれな い。しかし,学校制度は長期的には教師の優位を作り出す知の編成に支えられ ている)。この意味で, 「ある知の領域との相関関係が組立てられなければ権力関係は存在しないし,同時 (24) に権力関係を想定したり,組立てたりしないような知は存在しない。」 知と権力との必然的な結合を強調するフーコーの発想からすると,知識の不 平等配分をもたらし,異端の思考をディシプリンにもとづいて排除する科学の 知は,それ自体が権力現象である。フーコーはこの観点から一権力現象であ る科学が人間を対象としたときに成立する一人間科学と権力の技術論との関 連に注目する。すでに述べたように,およそ権力の技術論はすべて,何らかの 身体観に立脚し,それに見合った人間とその「精神」を作り出す。フーコーに よると,刑罰を緩和し,規律を旨とする今日の権力の技術論は,今日の人間科 (23)Foucault Michel, L’Or伽ぬ伽鮒, GaUimard Paris,1971,申村雄二郎訳『言語 表現の秩序』,河出書房新社 1981年,9頁。 (24)5.ゆ.,p.32.田村訳,前掲,32頁。 42 人間科学論集18号 学と同じ《知一権力》の編成に立脚し,共通の身体観にもとづいて今日の「人 間」を作り出している。(両者に共通する人間観の性質については剛節で論じ る)。 2 規律の権力 権力は何らかの技術論は立脚して身体に服従を強制する。この権力は社会生 活のあらゆる部分で作用し,身体に一定の型を押しつけ,特定の「精神」を生 み出す。フーコーは《規律》を以上のような権力論の枠組みでとらえ,今日の 組織社会において最も有力な権力の技術論を総括する概念として用いる。 西欧社会では,17世紀初頭まで兵士は生まれつきの頑健さや体格を基準に選 抜された。しかし,18世紀後半になると,兵士の身体は訓練(dressage, exer− cise)によって作りあげられるものとみなされるようになり,綿密な訓練の体 系が発達した。陶冶可能なものとして身体をとらえ,この観念にもとづいて広 範な訓練の体系を作り出したのは,この時期に発展した規律の権力である。 「身体の運用への細部にわたる取り締まりを可能にし,身体諸力の恒常的な束縛を 揺るぎないものとし,それに従順=効用の関係を強制する一連の方法こそが,《規律》 (25) と名づけうるものである。」 規律の技術は,17世紀以前にも修道院のなかで発展を遂げていたが,軍隊, 学校,工場などの諸組織に広がったのは17∼18世紀,フーコーの言う「古典主 義」の時代である。「監獄の誕生』の第3部(「規律」)は,この時期におけるこ れら諸組織の規律化の進展についての詳細な目録となっている。(このなかで フーコーは監獄制度についてはほとんど言及していない。刑罰制度の重点が身 体刑から監獄へ移行した18世紀末から19世紀初頭は,規律化が個別組職の内部 から全社会規模にまで広がった時期である)。フーコーの論述の魅力の一つは 彼が提示する豊富な事例にあるが,以下では,彼の規律論の概念構成に絞って (25)5.乱ρ.,p.139.田村訳,前掲,143頁。 近代組織規律の構造 43 議論を進める。 すでに述べたように,権力は身体を攻囲し,一定の型の人間を作り出す。こ の点で,規律の権力は,一1)空間配分の作用によって独房的であり,2)活 動の規則化(codage)によって有機的であり,3)時間の累積によって段階的 に形成され(g6n6tique),4)諸山の構成によって結合的な一個人性を作り 出す。以下,この順に説明する。 独房的個人 規律の権力は空間と身体の関係を規定しなおす。工場にせよ, 学校・軍隊・病院にせよ,規律を徹底させるための閉鎖的な空間=施設が作り 出される。人々は毎日決まった時間その空間に閉じ込められ,私生活と違った 秩序を受け入れるよう馴致される。この閉鎖的な空間は「碁盤割り」の原則に もとつく内部構造を持ち,各人の所定の位置を定め,その在・不在や活動の様 子が綿密に観察できるように設計されている。そこでは機能的な位置決定の準 則が貫かれ,各人は有益性の観点から作業工程の流れにそって配列される。 個人の位置を特定化するこの空間は人々の序列を明示する空間でもある。こ こでは人々の序列が席(次)によって表現される。個々人の位置の置き換え可 能性と序列化の技術との結合は,成員間の競争を組織化する。 身体が空間内で占める位置によって差異化され,監視され,序列化される と,人々とその活動は様々な図表(出欠簿,座席表,工程図など)の一要素と して扱えるようになる。図表化しうる秩序に組み込まれ,この秩序を甘受する 個人を,フーコーは独房的個人と呼ぶ。 有期的個人 規律は時間と身体との関係をも再規定する。人々の動作・活動 は綿密に掌握され,規則化される。一時間割が普及し,人々は時報や合図に 従って整然と活動するようになる。時間割が徹底すると,身体活動は時には秒 単位にまで分解され,規則化される。個々の動作や姿勢について,所要時間や 手足・関節の位置まで規定した操典(manuel)が定められ,これにもとつく操 練(man㏄uvre)が繰り返される。一このような活動の規則化を基盤に,時 44 人間科学論集18号 間を無駄なく活用するための諸技術が発達する。 身体活動の規則化が権力の目標となるとともに,新しい身体観が生まれる。 それは体育(physical education)の観念ともいえよう。この観念は,人間有機体 の自然法則に合致した一それゆえ最も機能的で美しい,とされる一身体活 動が存在し,それは訓練によってはじめて身につくという観念である。「自然 の意図と人体の構造を学ぼう,そうすれば,われわれには,自然が兵士に与え (26) たいと望んでいる姿勢や態度が判明するであろう」というギベールの言葉は, この身体観をよく表わしている。運動生理学,健康医学,保健理論など,自然 科学と人間科学との接点となるような,新しい知の体系が編成される。フー コーが有機的身体とよぶ身体は,これらの知にもとづいて,身体の「自然」に 合致することをいわば強制される身体である。 段階的に形成される個人 上の意味での身体陶冶の観念は,段階的に形成き れる個人の観念と密接な結びつきがある。身体にその発展段階に応じた目標を 課し,基準をみたしたものを次の段階に送り込む訓練の体系が整備される。こ の過程を典型的に示すのは,学校における学年(class)の発生である。アリエ スによると,西欧社会において,知識の階層的な構造であるカリキュラムが生 まれ,生徒が学力に応じた学年に編成されるのは,16世紀の文法学校において である。このような進級制度は集団内の競争を促進する。17世紀のイエズス会 (27) の学校(col16ge)はその典型である。イエズス会の学校は学年を更に10人単位 の組に分け,組間の激しい競争制度を導入した。 結合的個人 以上の過程を通じて,個人は組織のなかに組み込まれ,その歯 車として機能するようになる。フーコーは,これをマルクスの結合労働(Kom (26)Guiberti, J.A. de. E∬αゴg6πθrα」♂6’α‘勿膨,1772.8.乱ρ., p.157.田村訳,前掲,159 頁より引用。 (27) Ari6s Phiippe,五’8π漁π診認」αoゴ8.角漉露α♂8∫oμ∫L,αη6‘6ηR6922ησ, Plon Paris,1960. 杉山光信,杉山恵美子訳r〈子供〉の誕生』みすず書房1980年。天野郁夫「教育と選抜』 第一法規 1982年,40頁,あわせ参駅のこと。 近代組織規律の構造 45 くゆ 一binierte Arbeit)の概念を用いて説明する。身体は組織の一員として協業・分 業体系に編成されることによって,巨大な生産力となる。空間への個人の配 分,時間と活動の取り締まり,段階的な訓練などの規律の方法はすべて,この 組織に組み込まれる個人の形成という目標に収敏するといっても過言ではある まい。 フーコーによると,上述の意味で独房的・有機的・段階形成的・結合的な個 人を作り出す規律の権力が大きな成功を収めたのは,この権力が身体の訓練 (dressement)にあたって,一1)ヒエラルキー的監視,2)規格化(normali− sation)を行う制裁,3)両者の組み合わせである試験,という一三つの単純 だが効果的な手段を用いたことによる。 ヒエラルキー的監視 服従者を克明に監視することは,規律の本質的な戦略 である。すでに述べたように,閉鎖された施設を造営することはこの戦略にも とつくものである。可視性(Ubersehbarkeit, visibility)についてのジンメル→ マ.ト。の議請聞様,。一。一は,姻者と服従者との視線の概糊に注 目する。身体刑の権力は民衆に見世物を提供し,自己の勢威を誇示する権力で ある。これに対して,規律の権力は自己を秘匿し,服従者の観察に専念する権 力である。 フーコーによると,監視には円形監視とヒエラルキー的監視という二つのモ デルがある。前者の頂点をなすのが,ベンサムの構想した一望監視施設(pano .,、i、。。13脇ることは言うまでもない。しかし,歴史上,より大きな役害旺課 たしたモデルはヒエラルキー的監視である。集団の規模に応じて,ピラミッド (28)1(α卿α‘,Bd1,躍6惚, Bd.23, S.346,『全集』,23巻,429頁。 (29)Simmel Ge。rg,εoz20♂og亀Duncker&Humblot, Berlin 1958(初版1908年), S. 34.Merton, Robert,560駕丁肋ηαπ4εo癩15彦駕伽6, Free Press, Glenoce IIL 1957. 森 東吾割勘r社会理論と社会構造』みすず書房 1961年。290−292頁,306−325頁。 (30)ε.θ4,.,p.197−229.田村訳,前掲,198−228頁。 46 人間科学論集18号 状に監視系統を枝分かれきせ,監視者をも監視するこの技術は,監視の密度や 効率性の点で優れている。監督労働者や,教室で教師の監督業務を代行する学 級委員などの下級の監視者が,監視ヒエラルキーの拡張にともなって生み出さ れる。 フーコーがヒエラルキー的監視に注目し,それを「18世紀の偉大な技術的発 (31) 明」と呼ぶとき,彼は近代組織の誕生を論じているのである。すでに述べたよ うに,ウェーバーが組織権力の源泉として組織の頂点に固有の権力の保持者を 想定するのに対して,フーコーは組織権力を監視の仕組みそれ自体のなかに求 める。 「ヒエラルキー的監視における権力は,物として所有されるのではなく,また,財 産として譲渡されるのではなく,機械仕掛けとして機能する。たしかに,この仕掛け はそのピラミッド型組織によって,《頭》(かしら,chef)を配置されるのは事実だ が,実はその装置全体が《権力》を生み出し,この永続的で連続した領域のなかに諸 (32) 個人を配分しているのである。」 ウェーバーが,官僚制的行政幹部の権力を最高権力者(Herr)から順々に下 部に委譲されたものとみなす一町の理論全体ともそぐわない一「法定説」 的形式主義に陥っているのに対して,組織の仕組み(あるいは,関係性)自体 に組織権力の「源泉」を求めるフーコーの議論は,筆者にはより魅力的に思わ れる。 規格化を行う制裁 近代組織にはいずれもささいな罪一遅刻,欠勤,:不注 意,怠慢,不作法,不潔など一に対する軽度の処罰の規則が存在する。この 処罰は人々を一定の規格にはめる上で障害となるような逸脱の矯正と感化を目 的にしたものであり,それゆえ,再訓練や宿題のような「ためになる」処罰が 好んで用いられる。規格化を行う制裁が用いるもう一つの有力手段は序列化 (31)&θ4,.,p.179.田村訳,前掲,180−81頁。 (32)8.乙ρ.,p,179.田村訳,前掲,181頁。 近代組織規律の構造 47 (hi6rarchisation)である。序列化は序列の上昇によって褒賞を人々に授ける一 方,序列の後退によって人を罰する。この序列は何らかの画一的な基準にもと づいて設定されるから,序列化の進行は組織成員の同質化を進行させる。 試験 このような監視と制裁を同時に遂行するのが試験である。ここでは 《examen》を試験と訳したが,この言葉は分野によって診察・調査・監査・尋 問・検閲・閲兵等々とも訳しうる。訳語の多様性は,試験が近代諸組織におい て横断的に見られる事象であることを示している。今日の多くの組織で「試 験」は高度に儀式化され,権威づけられているものである。 試験において何が調べられ,その結果がどのように評価されるかは,規律の 権力と知との関係を周り,それが作り出そうとする近代的個人の性質を知る上 で好適な素材である。試験が諸個人を規格化し,序列化する機能をもつこと は,これまでの議論から明らかであろう。試験は人々に到達すべき目標を示し 一定の規則体系(s6rie de codes)に従った解答を要求する。これは規格化の側 面である。人々を一定の基準にもとづいて順位づけ,分類するのは序列化の側 面である。 フーコーはこれと同時に,試験が人々を個人化(indiv量dualisation)すること を指摘する。熱心な教師ほど答案を丁寧に呼んで個々人がそれぞれ何が分かっ ていないかを調べ,それにもとづいて個人指導を行い,その弱点を矯正しよう とする。また,病院では診察のたびにカルテが作られ,個人の病歴が記録され, それにもとづいて個々人に応じた治療がされる。すなわち,試験(診察)は個 人別のデータを系統的に整備することによって,個人を「事例」として扱い, 個人に対する臨床的な措置を講じることを可能にする。規律化された社会は一 面では個人に対する細かな配慮が行き届く社会である。今日ほど個人に対する 配慮が行き届いた社会はこれまでなかったろう。しかし,この配慮は,正常 (同調,健康)と異常(逸脱,病気)との線分上に個人を位置づけ,異常の側 に分類される個人をその症状に応じた治療や教育によって矯正しようとする性 48 人間科学論集18弩 質をもった配慮である。 フーコーが,「試験中心の学校の時代が学問として機能する教育学の端初を (33) 告げた」というのは,以上のような文脈からである。フーコーによると,教育 学にかぎらず,個人を対象とする人間科学は,規律が試験を活用して遂行する 個人化と共通する認識枠組に立脚している。一般に人間科学は実験指向と臨床 指向(フィールド指向),あるいは,一般化指向と個性化指向とのあいだを揺 れ動いているものである。試験はこの両者のいずれとも関連する。一方には, 試験を通じて様々な教授方法の効果を測定し・個人を評定する規律の方法と, 大量観察し,分類変数ごとに平均を求め・個人差を平均からの偏差によって定 義する実験科学の方法との共通性が存在する。他方,規律は個人の規格を決定 した後には,むしろこの規格に当てはまらない人間に関心を集申する。それは 多くの場合,臨床指向(フィールド指向)の人間科学の関心であり,社会学の 逸脱研究や異常心理学が時に示す覗き趣味の発端ともなる。 規律は監視・処罰・試験を主要な手段とする近代の組織社会において最も有 力で精緻な権力の技術論であった。この権力を通じて序列化され,規格化さ れ,「個人(個性)化」された個人こそ,この節の前半で述べた四つの個人性に よって特徴づけられる個人である。規律の方法は17世紀に諸組職のなかで発達 し,19世紀初頭には全社会を覆うようになる。刑法改革はこのような規律の進 展を基礎にする。規律の方法によって犯罪者を矯正しようとする刑法改革の理 念は,フーコーの発想からすると,一面では監獄の市民社会化であるが,他面 では市民社会の監獄化を告げるものに他ならない。 (33)5・疏ρ・,p.189.田村訳,前掲,190頁。 近代組織規律の構造 49 II1 工場における規律の進化 本稿末尾の年表は西欧の諸組職における規律の進化の過程をまとめたものだ が,紙面の都合上,本文ではマルクスの議論を二心に工場における規律の進化 の過程にのみ触れることにする。工場規律についてのマルクスの議論には, フーコーの議論と一共通点も多いが一異なった視点が存在する。筆者には マルクスの規律論がフーコーの規律論の限界に照明をあてているように思われ る。この点を明らかにするのが,この章の課題である。なお言うまでもないこ とだが,本稿の議論は工場における規律の進化を論じる場合にも規律論の概念 構成に関心があるのであって,実証的な歴史叙述を目的にしたものではない。 資本主義的生産の前身をなす経営形態は,問屋制度にせよ,小ブルジ』ア的 手工業にせよ,分散的・家内的生産を特徴とする。そこでの労働は比較的融通 がきく。調子が出ない日には自分の判断で仕事を休むこともできる。そのた め,労働態度には,ウェーバーが言う意味での「伝統主義」が顕著である。伝 統主義の労働態度は一当面の生活ができるだけの稼ぎを得ると仕事を休んだ り,逆に,場当たり的にその場かぎりの儲けを追求するなどの一ムラの多い 仕事ぶりが特徴である。伝統主義は資本主義的生産規律を確立する過程での最 大の障害の一つである。 これに対して,資本主義的生産規律は工場制度を基盤にして発達する。 「かなり多数の労働者が,同じ時間に,同じ空間で(または,同じ労働場所で,と 言ってもよい),同じ種類の商品の生産のために,同じ資本家の指揮のもとで働くと (34) いうことは,歴史的にも概念的にも資本主義的生産の出発点をなしている。」 周知のように,マルクスは工場制度のもとでの生産力の発展過程を,単純な 協業→マニュファクチュア→機械制大工業の順に論じている。 (34)1(α卿砿Bd.1,珂吻ん6, Bd。23, S.341.『全集』,23巻,423頁。 50 区間科学論集18号 単純な協業 労働者間の分業をともなわない単純な協業の場合でも,労働者 の生産力は分散的生産の場合より増大する。それは一1)生産手段の共用に よる節約が可能である,2)大きな石の運搬の場合のように,多くの人手があっ てはじめて可能になる集団作業(集団力)が実現する,3)社会的接触によって 競争心や活力が刺激される,4)運搬作業や広い範囲の労働で移動費用が節減 できる,5)収穫期などのような決定的瞬間に大量の労働力が投入できる一 という事’庸による。 協業によって労働における社会的諸関係も変化する。労働の個人的な相異が 相殺されることによって社会的平均労働が出現し,価値法則が現実化する。こ の結果,個々の労働者には社会的平均労働が最低限達成しなければならないノ ルムとして作用するようになる。また,労働者集団を管理する指揮機能が労働 者集団から独立して資本家の機能となり,更に資本家からこの機能を「委譲」 きれた監督労働者(産業士官,産業下士官)が作られる。 マルクスによる同じ仕事場で労働者が協業することの意義についての考察 が,フーコーの規律論の冒頭の閉鎖的空間についての考察に対応することは言 うまでもない。規律についての二人の論述の発端の一致に注目しておきたい。 マニュファクチュア 労働者が同じ仕事場で働くことの意義は単純な協業に つきるものではない。分散的生産では不可能であった高度な分業が実現し,マ ニュフユクチュア(工場制手工業,「分業にもとつく協業」)が発達する。複雑 な作業が単純ないくつかの工程に分解されることによって,労働者集団全体の 生産力は飛躍的に増大するが,部分労働者としての個人の生産力はかえって 貧しくなる。また,分業工程には単純なものから複雑なものまで様々な段階 があるので,マニュファクチュアは「労働力のヒエラルキー」(Hierachie der Arbcitskrafte)を発達させる。 人々の時間観念はマニュファクチュア時代(16世紀中頃∼18世紀末)にしだ いに変化する。分業では労働のテンポをうまく調整することが必要である。各 近代組織規律の構造 51 工程の所要時間が均等になるように分業が設計され,労働者は労働の速度や強 度を一定に保つことが要求される。一定の労働時間で一定量の生産物を供給す るという価値法則の前提は,ここでは生産過程そのものの技術上の要請とな る。労働における時間観念の発達にともなって,17世紀後半には商品生産に必 要な労鵬間の短縮が意識的な原則として表明されるようになる135) 多くの論者が指摘するように,このような「時間意識の革命」をもたらした 技術上の前提は,正3世紀末に発明され,不定時法から定時法へ西欧社会の時間 くヨの を転換した機械時計の普及であろう。しかし,時間観念の変化はこのような技 術上の前提だけから達成されるものではなく,伝統主義の克服を必要とした。 フーコーが規律の進化について論じた古典主義の時代は,マニュファクチュア 時代とほぼ一致する。この時代は労働者を一定の作業場に定着させ,規律ある 労働に従事させるために,伝統主義との激しい闘争の行なわれた時代である。 これらの闘争のなかで最も苛酷なものは,15世紀末から16世紀に行なわれた くヨの 浮浪者に対する「血の立法」であろう。イギリスのチューダ王朝は,鑑札を持 たない乞食に拷問し,焼き印を押し,極刑を科す立法を次々と制定したが,そ れは暴力的に土地を収奪された農民に賃労働制度に必要な訓練を受けきせる最 初の試みの一つであった。労働能力のある貧民を労役場(workhouse)に収容 し,強制的に労役に従事させる制度もこのなかで生まれた。イギリスではこの 制度はエリザベス時代からはじまるが,フランスではやや遅れて17世紀に発達 くヨ する。フーコーは「狂気の歴史』のなかで17世紀を「大監禁時代」と呼び,こ (35)1(ψ卿」,Bd.1,既7ん8, Bd.23, S.368.『全集』,23巻,457頁。 (36)Mumford・Lewis・τ60加ピ6蹟η4σ勿洗αげ伽, New York 1934,生田 勉訳『技術と 文明』・美術出版社 1972年。Gimpell Jean, Lα柳・」漉・η配π5〃溜βぬ規・り,θηα幽 Seulle, Paris 1975,坂本賢三訳『中世の産業革命』,岩波書店 1978年。角山 栄『時 計の社会史』,中央公論社 1984年,など。 (37)1(ψ如1,Bd.1,既7セ, Bd,23, S,761−71.『全集』,23巻,959−969頁Q (38)Foucault・碗吻∫γ”θ」αノbあ8α‘’α96‘」ρ5吻砿Gallimard, Paris 1972,(初版1962 年)・田村 淑訳『狂気の歴史』・新潮社 1975年(主として第2章一第5章参照)。 52 人間科学論集18号 の強制収容に注目している。当時のフランスの施療院(hopital)は「あらゆる 無秩序の根源である乞食と怠惰」の阻止を目的とするものであり,収容者は貧 窮者,浮浪者,乞食,性病患者,身寄りのない老人・子供,低能者,病弱者, 身体障害者,無神論者,同性愛者,親不幸者,浪費癖のある父親など様々なカ テゴリーに属する労働不能者であった。 16世紀の全体を通じて,規律を身につけさせる手段は主として暴力的強制で ある。これは労働生活にかぎらない。アリエスによると,当時の学校は密告と (39) 体罰の全盛時代であった。この時期には規律の技術論はまだ粗野な段階にとど まっていたのである。しかし,17世紀になると,規律の強制は宗教の助けを借 りるようになる。これはウェーバーが「プロテスタンティズムの倫理と資本主 (40) 義の精神』で追究したテーマだが,フーコーも,この時期には,工場労働を時 間割によって統制するために,祈りによって時を区切る宗教の助力が必要で (41) あったことを指摘している。 このような経済外的な智力の作用が存在した反面,マニュファクチュアには 生産過程の内部に規律化の徹底を妨げる要因があった。マニュファクチュアは 労働者の熟練を支えにする手工業的生産である。部分労働者化されたとはい え,労働者の大半はまだ熟練労働者である。部分労働者化は個別労働者の置き 換えを困難にする要因でもある。 「マニュファクチュアの全体機構は労働者そのものから独立した客観的な骨組みを もたないから,資本は絶えず労働者の不従順と戦っている。〈中略〉マニュファク (42) チュア時代全体を通じて,労動者の無規律についての苦情が絶えないのである。」 (39)注27参照。 (40)Weber Max, OJ6ρ70‘6川添∫6ゐ6趣旨猛槻〃67》σ6∫∫彦《46∫1(α卿α」6珈㍑∫,(初出 1904 −05年),In:oθ∫α祝膨z’6珈渉α’zθz解R6J19加∬oz’oJo卿, Bd.1,J.c.B. Mohr, Tubingen 1920,S.17−206.梶山 力,大塚久雄訳rプロテスタンティズムの倫理と資本主義の精 神(上・下)』,岩波書店,1962年。 (41)8.8ψ.,p.151−53.田村訳,前掲,154−55頁。 (42)1(ψ観,Bd.1,躍8雁, Bd.23, S.389−90.『全集』,23巻,482−83頁。 近代組織規律の構造 53 マニュファクチュア時代の規律化をめざす闘争は,一面では,マニュファク チュアの生産過程に内在するこの弱点克服のための闘争に他ならない。 機械制大工業 このような状態は,機械制大工業の出現とともに一変する。 マルクスは,18世紀末から19世紀にかけての産業革命によって出現した機械体 系の構成憂琴に原動機,伝動機構,道具機(作業機)の三つをあげるが,なか でも道具機の出現は生産過程にわける労働者の位置の転機となる。道具機は, これまで一何らかの道具は用いるにしても一労働者が自分の手で行ってい た作業を自動的に行う機械である。道具機の動力源は人力の場合もあるし,蒸 気機関のような機械力の場合もあるが,いずれにせよ道具機の出現によって人 間労働は機械の補助労働になる。労働速度は機械のペースで定まる。人間の身 体的制約の範囲を越えなかったマニュファクチュア的分業に代わって,自然科 学の合法則性を活かした機械主導の分業が進展する。 人間労働が機械の補助作業になるにつれて,「マニュファクチュアを特徴づ けている専門化された労働者のヒエラルキーに代わって,自動的な工場では機 械の助手たちがしなければならない労働の均等化または水平化の傾向があらわ (43) れる」。非熟練労働が大量に出現することによって婦人や児童が盛んに雇用さ れるようになり,労働力の価格が低下する。監督労働と被監督労働との分離が (44) 徹底し,「奴隷使役者の鞭に代わって,監督者の処罰帳が現れる」。一これら の結果はすべて,マニュファクチュア時代の労働者の抵抗の基盤であった熟練 を無意味化する。労働者は否応なく工場規律に従属させられるようになる。本 稿の冒頭に引用したマルクスの文章は,以上のような文脈で,機械制大工業に おける規律の確立を論じた文章である。 機械制大工業の出現による規律化の進行は疎外の進行でもある。 (43)ノ(α鋤α♂,Bd.1,陥6晦, Bd.23, S.442.『全集』,23巻,549頁。 (44)1(α舛砿Bd.1,既惚, Bd.23, S.447.『全集』,23巻,555頁。 騒 人間科学論集18号 「生産過程の精神的な諸力が手の労働から分離するということ,そしてこの諸力が 労働に対する資本の権力に変わるということは,機械の基礎の上に築かれた大工業に おいて完成される。個人的な無内容にされた機械労働者の細部の技能などは,機械体 系のなかに具体化されていてそれと一緒に「主人」(master)の権力を形成している科 学や巨大な自然力や社会的集団労働の前ではとるにも足りない小事として消えてしま (45) う。」/「資本主義的生産様式は労働条件にも労働生産物にも労働者に対して独立化され 疎外された姿を与えるのであるが,この姿はこうして機械によって完全な対立に発展 (46) するのである。」 機械とそれがもたらす規律化に対する労働者の抵抗は,19世紀初頭のうッダ (47) イト運動,19世紀全体を通じて西欧諸国に見られた「聖月曜日」など,様々な 形で続くが,労働者に対して疎外された強大な社会的諸力の前では,それはエ ピソード的な抵抗にとどまる。とはいえ,規律化と疎外に並行して労働の社会 化も進展する。自然科学の成果と結合し,自然諸力を最大限に活用する共同労 働の発展は,人間の身体的制約の範囲を凌駕した莫大な生産力を一さしあた り,あくまで疎外の状態において一現出する。 フーコーとマルクス 機械制大工業が規律化の進展にもたらす意義についてのマルクスの考察は, フーコーの議論と微妙な相異を示している。すでに述べたように,フーコーは 規律を権力によって攻囲される身体の脈絡から論じ,議論の素材を17∼18世紀 の古典主義時代(マニュファクチュア時代)に求めた。この時期は,伝統主義 を克服し,身体を最大限効率的に活用しようとするために,様々な闘争が行な われた時期である。フーコーの規律論が身体の政治的技術論として述べられて いるのは,この時期の手工業的発展段階に対応しているのではあるまいか。 (45)1(ψ伽」,Bd.1,躍〃乃8, Bd.23, S.446. 『全集』,23巻,553頁。 (46)κψi’α’,Bd.1,彫6rセ, Bd.23, S.455.「全集』,23巻,564頁。 (47)喜安 朗rパリの聖月曜日』,平凡社 1982年。角山 栄(編)r路地裏の大英帝 国』,平凡社 1982年,など。 近代組織規律の構造 55 (48) フーコーは「言葉と物』で,18世紀末から19世紀初頭に,古典主義時代と現 代との閥にエピステーメーの断絶があったことを強調する。『監獄の誕生」で は,これは身体刑から監獄刑への移行が見られた時期である。しかし,r監獄 の誕生』の議論は,規律の進化の観点からいうと,むしろ古典主義時代に発達 した規律の技術がそのまま量的に拡大し,現代社会にいたったという印象が筆 者には強い。『言葉と物』によると,古典主義時代の知は人間に関わる事象を人 間の表象の枠内で分析し,図式化する性質の知である。このような知は19世紀 には,人間に関わる事象を人間の表象の背後にある「物の秩序」に還元する知 の枠組みと交代する。人間科学は,人間の主体性が物の秩序に還元きれつつあ るこの時期に,人間の主体性の領域を追究する矛盾に満ちた「科学」である。 まことに大雑把な要約で恐縮だが,まずはこのような「言葉と物』の論旨から すると,人問を図表によって表現しうるような秩序に組み込む『監獄の誕生」 における規律の権力は,むしろ古典主義時代の知と相関する。このことはフー コー自身が明確に述べている。 「規律の第一の主要な操作は,雑然とした,無益な,もしくは危険な多数の人間を, 秩序づけられた多様性へと変える《生ける絵図》(tableaux vivants)を構成すること である。《表》(tableau)の構成は18世紀の学問的,政治的,経済的な技術論の大問題 の一つであった。〈中略〉そこでは二つの構成要素一配分と分析,規制と理解可能 性一が相互に緊密になっているのである。18世紀には表は権力の技術の一つである (49) と同時に知の手段の一つである。」 規律の権力が古典主義時代のエピステーメーに位置づけられるものなら, r監獄の誕生』において,規律との関連で論じられた人間科学も古典主義時代 の知に含まれることになる。しかし,これはフーコーの先行する著作の論旨と 矛盾する。 (48)Foucault, Michel, Lθ∫Mo’5θ’」α伽5氏ひηθル‘乃ωJogゴ〃8350彦θη66∫加η痂85, Ga1・ limards, Paris 1966,渡辺一民,佐々木明訳『言葉と物』,新潮社 1974年。 (49)&戯ρ.,p.150。田村訳,前掲,153頁。 56 人間科学論集18号 フーコーの規律論と彼の他の著作との整合性を維持するためには,規律が全 社会規模にまで広がる19世紀以降とそれ以前の時期との間に,規律の質的な断 絶を想定する必要があるのではなかろうか。その意味では,18世紀末∼19世紀 の機械制大工業の出現にともなって,人間労働が客観的な生産有機体の運動法 則に従属することに,工場規律の決定的な転機を求めるマルクスの発想のほう が,私見によれば,『言葉と物』でのフーコーの議論にかえってうまく当ては まる面がある。フーコーは彼の規律論を身体論の枠組みでとらえることによっ て,機械郭大工業における規律をマニュファクチャアの立場で論じることにな ってしまったのであるまいか。 ま と め 本稿ではウェーバー,フーコー,マルクスの規律概念を検討した。ウェー バーの場合,与えられた命令への無条件の服従を大衆組織の成員に訓練する規 律は,正当化,組織化とともに,支配を達成する基本的な契機である。フー コーはこのような規律一訓練の体系をより詳細に論じている。彼は規律を, 17∼18世紀に諸組織の内部で発達し,19世紀にいたって全社会に浸透した新し い権力の技術論を包括する概念として用いる。ヒエラルキー的な監視,規格化 を行う制裁,および,試験を主たる身体陶冶の手段として利用し,服従者に従 順と「効率」とを強制する規律の権力は,この権力と密接に関わった一人間 科学に代表される一今日の知の体系とあいまって,独房的・有機的・段階形 成的・結合的と彼が呼ぶ今日の個人性(individualit6)を作り出す。 本稿では更に,マニュファクチュアから機械制大工業への移行に工場規律の 画期を求めるマルクスの議論とフーコーの議論とを比較し,フーコーの規律論 では17∼18世紀の古典主義時代と19世紀以降(現代)との規律の質的変化をと らえきれない可能性があることを指摘した。たしかに本稿はこの論点を十分に 展開していない。フーコーの規律論は一単純に否定するには勿体ない一多 近代組織規律の構造 57 数の興味ある命題を含んでいる。筆者は,フーコーの議論の弱点を,彼が規律 を身体論のレベルでとらえたことにあると示唆したが,この観点からフーコー の諸命題を整合的に再編成できるかどうかは今後の課題である。また,この批 判が社会的物質代謝の基礎過程に直結する工場組織にとどまらず,その他の種 類の組織に通用するかどうかも問題である。マルクスが産業革命を規律の画期 とみなすのは,機械制大工業の出現によって,規律が人聞=身体の人為的な訓 練によって作り出される水準から,「物の秩序」によって必然的に強制される 水準への移行が達成されたからである。19世紀には,これと同じ過程がその他 の諸三門でも進行しているかどうか,学校における公教育の出現,軍隊におけ (50) る「絶対的戦争」の出現,病院における近代医学の出現,等々のもつ意味を改 めて検討する必要があるだろう。 本稿の議論は一応以上のように要約できょうが,いくつか論じ残した問題に 触れておきたい。 1)組織理論との関連について:本稿は従来の代表的な規律論を順々に検討 するスタイルをとったため,組織規律に関わる諸概念と命題を系統的に整理す ることはできなかった。とはいえ,本稿ではこのような理論化作業のための素 材をかなり押堀しているはずである。 2)組織の社会史をめぐって:本稿では近代組織の特質を規律に求めたが, この観点から近代組職の成立史を規律の進化の過程に注目して追究することは 興味ある課題である。(フーコーや本稿でも2回ほど引用したアリエスの研究 はこの作業における先駆的な業績である)。これは筆者には手に余る仕事だが, 本稿末尾の年表は,とりあえずこの作業の目安作りを試みたものである。 3)規律の評価について:本稿の読者は,筆者が組織規律を肯定したいの か,苔嘉したいのか判明せず,不満を感じているかもしれない。遺憾ながら, (50)Clausewitz, Karl von,70耀1(漉9θ,1832−34.篠田英雄訳『戦争論』,岩波書店 1968年。 58 人間科学論集18号 筆者はこれについて,すっきりとした解答をもっているわけではない。少なく とも筆者は,デュルケームが『道徳教育論』で行った「規律はそれ自身のうち にみずからの存在理由をもつのであって,規律に服してなすべき行為はさてお (51) き,人間が規律に服すること自体は善なることである」という命題の「社会学 的証明」には納得できない。本稿の枠組みでは,規律はあくまで支配関係の契 機である。成員の利害対立が支配関係を通じて処理される諸組織では,規律は 服従者にとって疎外と結びつく可能性が高い一これが本稿の枠組みから導か れる結論である。 とはいえ,本稿の課題はこのような価値判断を下すことではない。本稿の11 章の最初で述べたように,組織理論は「支配の組織理論」と「協動(co・pera一 (52) tion)の組織理論」に大別できる。たしかに,バーナード以来今日まで,協働 の組織理論は安易な現状肯定論の嫌味を払拭できずにいる。協働の理念はしば しば支配関係を隠蔽する虚偽意識として機能する。しかし,あらゆる自発的結 社(voluntary assosiation)1こ偽善を読み取るのも行き過ぎだろう。協働のレベ ルにおける規律の問題は本稿の論じ残したテーマなのである。本稿はあくまで 「組織による支配」の下での規律の客観的なメカニズムの解明のための試論に 他ならない。 (51)Durkheim, Emile,五’8ぬ‘σ’‘oη脚雇6, Alcan, Paris 1923.麻生 誠,山村 健訳 『道徳教育論』(2分冊),明治図書 1964年。第1分冊,66頁。 (52)Barnard, Chester 1.,71物Fππ‘彦加50プ読θEκθo漉。θ3, Harvard Univ. Press, Cam・ bridgc Mass,1938.山本安次郎,田杉競,飯野春樹訳『新訳経営者の役割』,ダイヤ モンド社1968年。 iEEKrewaptadiasxx 59 The Structure of Modern Organizational Discipline Zentaro Sczwada This paper treats the theories of Weber, Foucault and Marx on modern organizational discipline. For Weber, legitimatizing, organization and discipline are essential rribments of KHerrschaft). Discipline is a functional requisity of bureaucracy which trains people to obey authorities without any condition. Foucault uses discipline as a concept to generalize technologies of power which emerged the 17-18th centuries within formal organizations and spread to all society in the 19th century. Using hieralchical ob- servation, normalizing sanction and examination, disciplinary power gave birth to modern individuality and modern knowledge system of human sciences. In addition, this paper examines the theory of Marx on factory discipline. Marx discusses that the turning point of the discipline is the transformation of production from manufacture to great industry of machinery. We compare the discussions of Foucault and Marx, and show the argument of Foucault is diMcult to explain the development of the discipline from 17-18th centuries (classic age) to nowadays. 60 人間科学論集18号 規 律 の 進 化 般 14世紀 軍 隊 15世紀 大航海時代/1492,コロンブスの第 1回航海。/1498,ヴァスコ・ダ・ イタリア備二軍の最盛期。備長の資本主義 的な調達も国家の常備軍も共に封建的制 度に比べ規律の進化を意味するが,これ は軍事的支配渚に戦争経営手段が益々集 評してきた結果である。(W) 1494,イタリア戦争。常備軍の勝利と傭兵 ガマのインド航路発見。/1510−40, 隊の衰退の端初。 イタリア・ルネサンスの最:盛期。 スペインの南米大陸侵略。 16世紀 1517,宗教改革/1535,イエズス会創 設。/1541,ヵルヴァン ジュネー ブで神裁政治開始。 1568−1648,オランダ独立戦争。近代的規律 1559−1603,英エリザベス女王統治。 を持つ・身分的特権を奪われた最初の軍 隊はモーリッツ・オラーニエンのオラン 17世紀 1602,(英)東インド会社設立。 ダ軍であった。(W)/軍事上の大がかりな 1618−48,ドイツ30年戦争。 規律は,宗教的な祈りによって時を刻む 律動的な拍子を通して,モーリッツ・オ ラーニエンやグスタフ・アドルフ(30年 戦争当時のスエーデン王)の新教徒軍の 申で形成された。(F) 1637,デカルト「方法序説」。 1605−15,セルヴァンテス「ドン・キホーテ」。 1630年代,「三銃士」の時代(個人的武勇の 黄昏)。 1640−60,清教徒革命。騎士軍に対するクロ ムウェルの勝利は冷静で合理的な清教徒 的規律による。鉄騎隊の密集陣形は騎士 の突進に優越した。(W) この頃,英国とオランダの覇権抗争。 1661−1715,ルイ14世の親政。 1684,ニュートン「プリンキピア」。 絶対主義の時代。 18世紀 常備軍の全盛期。規律訓練に独自の儀式は 閲兵式である。1663年,ルイ1世の閲兵 式の兵員は1万8千,その治世の最も華 了しい行事だった。(F)/17世紀∼18世紀 に常備軍は発達の頂点に達する。軍隊は 国庫によって維持されたが,国庫は君主 の私物であり,国民は戦争に直接の係わ りを持たなかった。(C) 61 近代組織規律の構造 学 校 工 場 14世紀 学寮(生徒を寄宿させ教育する施 設)の出現。規律正しい学校は13世紀 の修道院の理念を暗示させる。(A) 15∼16世紀,公共用機械時計の出現→時間 秩序の革命。 16世紀 密告と体罰の全盛期/密告,パブ リック・スクールのモニター制度(英)。 イエズス会の学校では首席の生徒が監 15世紀末∼17世紀初,資本主義の勃興(M) 1)第一次土地囲い込み(英)2)血の立 法(英),1530,免許を得た老齢の乞食を 除き,不労者に鞭打ちと拘禁/1547,怠惰 者は告発者の奴隷となる/1572,鑑札のな 寮宮になった。/体罰,多くの自伝が子 供時代の悲痛な思い出を記す「私はラ い乞食は鞭打ちと焼印,再犯は死刑(M)。 テン語を学ぼうとして1度に53回ずつ 9月の期間では朝は時計の示す5時まで に就業,夜7∼8時まで勤務すべし。怠 惰1時間につき1ペンスを賃金から控除 鞭で打たれた。」(A) 1519,学年(class)の起源。知識の階層 的な構造であるカリキュラムが生まれ, 生徒が知識の程度ごとに集団に分割さ れるのは16世紀の文法学校においてで ある(A)→進級・落第制度の出現/ 16世紀末,フランスでは1学級1人の 教師/17世紀,学級に固有の教室。(A) 1563,徒弟法(英)「すべての職人は,3∼ すべし。」 16世紀中期,ピューリタニズムの台頭と, 職業倫理の変革。 16世紀中期∼18世紀,マニファクチュア時 代。「マニファクチュアは労働者から独立 した客観的骨組みを持たないから,資本 は絶えず労働者の不従順と戦っている。」 17世紀,競争と試験の導入。17世紀のイエ ズス会の学校はその典型である。イエ ズス会が16世紀末に新しい教育綱領を 作り競争制度を導入した背景には中国 在住の修道士からの「科挙」の情報が あった(天野郁夫「教育と選抜」)/「イ エズス会の学校は学級を10人単位の組 に分け,組間の激しい競争制度を導入 した。(F) 今日の初等教育に近い「小さな学校」 が出現→僧侶による民衆教育。(A) (M) 17世紀,大監禁時代。一般施療院は「あら ゆる無秩序の根源である乞食と怠惰」の 阻止を目的として設立された。収容者は 貧窮者,浮浪者,乞食,性病患者,身寄 りのない老人・子供,詐欺師,放蕩者, 罪人,低能者,病弱者,無神論者,同性 曲者などパリだけで6千人,当時の人口 の1%を占めた。(F’) 17世紀中期,バックスターの説教。「行為の みが神の栄光を増すために役立つ。時間 の浪費は最大の罪である」。(W’)/「時間の 正確さは長く宗教的調子を保持した。17 世紀の大製造所の規則は労働時間を分け る勤行を記す,『朝,仕事につくや手を洗 い自分の仕事を神に捧げ,十字を切って 働き始めるべし』」。(F) 62 人間科学論集18号 隊 般 フリードリッヒ・ウィリアム1世の官房 政治(官僚制の前身)。 1751−72フランス百科全轡刊行。 1757,ダミヤンの処刑。 1756−63,7年戦争。 1764,ベッカーリア「犯罪と刑罰」。 軍 フリードリッヒ・ウィリアム1世(在位 1713−40)の長身兵団。 1719年の王令は南仏の兵営を模した数百の 兵営の建設を命令。兵士の「秩序と規律 の維持」のため「兵営は高さ10尺の外壁 によって閉鎖される」。1745年には約320 の都市に兵営が設置され,1775年には収 容人員は20万に達した。(F) フリードリッヒ2世(在位1740−86)の軍隊 全ヨーロッパはプロシア歩兵操典を模倣 した.時間と動作が綿密に分解・規制さ れる。1743年の操典(普)では立て銃6 拍横倒し4拍子,担え銃13拍子である。/ 「小股歩は1ピエ,並足・早足・途足の 歩幅は一方のかかとと1方のかかとの間 隔を2ピエとすべし」(仏王令)。(F) 1764パリ軍官学校創設。幼年時から職業 軍人を養成。軍官学校の建物自体が監視 装置となる。個室は廊下にそって配列, 10人程度の生徒の群の左右に士官室を設 置,生徒は夜間個室に監禁された。(F) 1772 ギベール「戦術概説」。「自然の意図 と人体の構造を学べば,自然が兵士に与 えたいと望む姿勢と態度が判明するだろ う。/規律訓練を国民的なものにする必 要がある。」 1776,アメリカ「独立宣言」。 1789,フランス革命開始。 この頃,臨床医学誕生。 この頃,ベンサムー望監視装置を構想。 1793−97, フランス革命戦争(国民軍の発 端)。 19世紀∼20世紀 ナポレオンの軍隊。彼とともに戦争は無制 限の「絶対的戦争」となる。国民が国家 1804−14,15,ナポレオン帝政。 の戦争に関与する。/種々の部隊からなる 1810,フランス寸法改革。監獄刑が刑罰 の中心を占めるようになる。 軍(師団)が用いられ,号令の代りに複 雑な作戦命令が発せられる。(G) 63 近代組織規律の構造 場 学 校 1718,義務教育の勅令(普)→19世紀初頭 プロシアの就学率は80%を越え,西欧で 群を抜いた水準になる。 プロシアは官吏の任用に競争試験を導入。 18世紀半ばには高級官僚のほとんどが試 験で任用される。プロシアの大学は「国 家の大学」となり,行政学など官僚教育 の講座を増設した。 工 1691,ペティ「アイルランドの政治的解 剖」。商品生産に必要な労働時間の短縮 が意識的原則として表明される。(M) 1736,フランクリン「時は金である」。 啓蒙主義運動による学校の体罰・密告の糾 弾。それはフランスでは1763年までに姿 を消す。(A) 学校の軍隊化開始,1762年以後,中等学校 の制服は聖職者風からミリタリー・ルッ クへ移行する。(A) 1775,土木学校。1778,鉱山学校(仏), grandes ecolesの出現。/土木学校では年 1776,アダム・スミス「諸国民の富」。 18世紀後半(仏)には大規模なマニファク 16回の試験があった。試験による学力の 測定は学問としての教育学の端初ともな つた。(F)/土木学校は競争試験によっ て地位を得たフランスで最初の官僚を生 チュアが発展,修道院や城塞や閉鎖的な 都市に似てくる。「守衛は職工達の退出 時だけ入り口を空けるべし。秩序と治安 に鑑み,総ての職工は同じ建物に集めて んだ。(ガクソット「フランス人の歴史」) おく事が肝要である。」(F) 英国産業革命 1768,アークライト水力紡績機を発明。「秩 序は分業というスコラ的独断に基づくマ ニファクチュアにはなかった。アークラ イトは秩序を創造した。」(ユア「工場の 哲学」)/1785,紡績機に蒸気機関が結合 大工場を都市に設立する事が可能になる /筋力のない労働者が充用可能になる→ アークライトの3つの工場では1150人の ナポレオンはリセ,コレージュに軍隊的規 律を導入。カトリック系の学校は軍隊化 を嫌悪しつつ,呼笛の使用,密集体形で の行進,縦列での整列,時の独房の使用 などその一部を採用した。(A) 労働者の2/3が子供だった。(Ash) 1799,オーウェン,ニュー・ラナーク工場 を経営。工場では4色の木片が吊され, 各蛍働者の前日の品行を表示した。(ベン ディックス「産業における労働と権限」) 64 人間科学論集18号 隊 般 軍 1813,国民皆兵令。参謀本部設置(普)。 1813−14,諸国民解放戦争。 1830,(仏)7月革命。 1830−42,コント「実証哲学講義」→社会 学の誕生。 1832−70,第2帝政(仏)/オスマンのパリ 1832−34,クラゥゼヴィッツ「戦争論」。 改造。 1834,(英)東インド総督「綿織物工の骨 はインドの野を真っ白にしている。」/ 1840−42,アヘン戦争/1857,セポイの 反乱。 1848,(仏)2月革命,(独)3月革命。/マ ルクス・エンゲルス「共産党宣言」。 1859,ダーウィン「種の起源」 1871,ドイツ帝国成立。/パリ・コミュー ン0 1879,ヴン[・,ライプニッツ大学に最:初 の心理学講座設置。 1887,デュルケーム,ボルドー大学に仏 で最初の社会学講座。 1890−1910,社会学の確立期(デュルケー ム,ウェーバー,ジンメルの主要著作 この時期に集中)。 1866,普懊戦争。1870,普仏戦争。モルト ケ,参謀組織を確立。 1869−1912,西欧諸国の軍備拡張,兵役年限 延長,帝国主義段階への移行。 1914−18,第1次世界大戦。 近代組織規律の構造 学 校 65 工 場 相互教育法の発達。合図,命令,時間割中 1811−12, ラッダイト運動。 心の教育「8:40教師の入構/8:52 1820年代,織布・鉄鋼・石炭・機械工業で 機械体系完成。機械への労働者の従属と 様々な年令による労働体の構成は一つの 兵営的規律を作り出す/労働体の性格変 化と機械に駆逐された過剰人口の存在は 労働日の制限を一切取り払う。(M)当 時の工:場は児童,婦人も含め始業朝5時 半,14−15時間労働が標準,子供は8歳 集合の合図/8:50児童の入構・祈り/ 9:00着席/9:04最初の書き取り/ 9:08終了/9:12二回目の書き取 り。」(F) 罠衆の学校はラテン語中心からフランス語 中心の教育へ移行する。(A) 位から勤めに出た。 1830−60年代,西欧諸国の産業革命。パリ の市外に出現した大工場は厳格な職場規 律を実施した。パリ市内の小仕事場に働 く労働者はそれらを牢獄と呼び慣らした /1930,パリ警視総監の報告「月曜日,労 働者は仕事を休み酒場で楽しむ。彼らの 騒擾は常に月曜日をめざして準備され る。」 1833,(英)週日の労働を妨げず,貧民児 童に社会的規律と信仰を課す日曜学校 に出席者が150万に達した。 1833,(英)工場法。18歳以下の労働を12時 間に制限,児童に就労日2時間の教育義 務/(工場付属の)学校教師自身が字を書 けない事は珍しくなかった。(M) 1845,エンゲルス「イギリスにおける労働 者階級の状態」 1847,(英)工場法改正(10時閲労働法)。 公教育の実現 1870,(英)初等教育法。/文官任用に競 1867,マルクス「資本論」第1巻。 19世紀末,独占資本主義の成立。 争試験採用。 1882−89,第3共和制は反教権の旗印の 下に「無償,義務,非宗教」の公教育 を実現(仏)「西欧の教育が益々国家 の統制下に置かれ,つまり真の公共物 になりえたのは,19世紀末葉である。 (デュルケーム)/学校は教会に変わる 国家のイデオロギー装置となった。(ア ルチュセール) 1911,テーラー「科学的管理法」経営の機 械化と規律化の最終的帰結(W)。 1913,フォード・システムの出現,ベルト コンベア・ラインによる大量生産。 66 人間科学論集18号 年表く規律の進化〉略号・引用文献一覧 略 号 W:ウェーバー『支配の社:会学』本文注(2)参照 W’:ウェーバーrプロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神』本文注(40)参照 F:フーコー『監獄の誕生』本文注(3)参照 F’:フーコー『狂気の歴史』本文注(38)参照 C:クラウゼヴィッ『戦争論』本文注(50)参照 M:マルクスr資本論』本文注(1)参照 A:アリエス『子供の誕生』本文注(27)参照 Ash:アシュトンr産業革命」中川敬一郎訳 岩波書店 1973年 その他の引用文献 天野郁夫『教育と選抜』本文注(27)参照 ガクソット『フランス人の歴史』内海利明・林田遼右訳 みすず書房 1975年 デュルケーム『教育と社会学」佐々木交賢訳 誠信書房 1976年 ベンディックス「産業における労働と権限』大東英祐・鈴木良隆訳 東洋経済新報社 1980年 喜安 朗rパリの聖月曜日』本文注(47)参照 桜井哲夫r「近代」の意味一制度としての学校・工場』NHKブックス 1986年