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建築ストック改修時の諸問題 黒木 正郎 1), 1)株式会社
建築ストック改修時の諸問題 2010/09 建築学会大会資 料 黒木 正郎 1), 1)株式会社 日本設計 第一建築設計群副群長兼チーフアーキテクト, (株式会社 日本設計,[email protected]) 時代の変化に伴い建築ストックの活用手法の確立が急がれているが、その道筋にはまだ把握されていない問題点が 存在する。本稿では、法規上の諸問題を中心に、実際の建築ストック改修・活用プロジェクトの場で建築設計者とし て関係した経験を解説するとともに、今後のストック活用に向けた提言をおこなう。 1.はじめに わが国の建築・不動産事業をとりまく昨今の時勢から、 建築ストック活用の必要性については論を待たないとい える。しかし現実のプロジェクトにはさまざまな問題が 発生している。事業の現場で最初に突き当たるのは担保 価値の評価である。これは、既存建築の改修活用にロー ンを設定しようとする際には、新築建築物の場合と異な り、果たしてその建築物が担保に値する価値を持ってい るかどうかについて現状では正しく評価することが難し く、結果としてローンの設定ができないがゆえにストッ ク活用が進まないという局面に至ることがままあると言 うことである。 技術面から見るとここにある問題点は 3 種に分類でき る。ひとつは「調査」に関するもので、ある建物の活用 に関して必要十分な調査の範囲、精度などをきめること がまず難しい。耐震改修については法的基準と事例の集 積ができているが、それ以外の側面の調査について定ま った方法論が無い。 人的な問題、 調査費用の問題もある。 もうひとつはコストで、改修工事にかかる事前調査の 精度によることが大である上に、改修工事の要求水準設 定のしにくさとも関連して、概算コストの算出時は無論 のこと、改修設計図書に基づくコスト算出の場合であっ ても算出する人によって大幅な開きが出る。このことが 改修工事に対する発注者側の基本的な信頼性を失わせ、 新築を選択させる動機付けになってきた。 三つ目が法規に関するものである。昨今の基準法「厳 格化」の流れもあり、本気で法的適合を狙った改修工事 をおこなおうとすると、予想もしなかったハードルが 次々と現れる。これまで長きに渡って改修工事の局面で きちんとした法的対応をする、という習慣があまりなか ったためか、良好に管理された建築物でも法的対応はお ざなりにされている面がおおい。事業用資産の売買の局 面では、最近この点に関する金融機関の審査が厳しくな り(金融当局が違法性のある融資に神経を尖らせている からと聞く)隠された違反の有無を綿密に調べるニーズ が増え始めた。公共セクターが所有する建築物の改修に も厳格化で支障が出ているとの声もあるようだ。 2.事例紹介 本稿は東京都内の主として事務所ビルのストック活用 事業に設計者として関係した立場から、ストック活用の 問題点について法制面から取り上げて概説する。題材と したのは現実に存在したプロジェクトであるが、個別の 問題について現実の状況は複雑かつ多様であるため、一 部理解を得やすいように簡略化して解説したことをご承 知置き願いたい。また、本稿の例示については事業資産 そのものの事例であるのでデリケートな問題を含んでい る。そのため、プロジェクトの特定を避ける目的でいく つかの事例をひとつにまとめて論じていることをお断り しておく。 2.1 文化財級建築物 はじめに取り上げるのは文化財級建築物の事例である。 本建築物は建築後約 75 年をへて大規模な増築工事がお こなわれると同時に、文化財としての指定を受けること になったものである。文化財指定により、建築基準法第 3 条 1 項の規定にもとづく適用除外扱いを受けることと なったので、基本的に現行法への遡及はなされないが、 不適合項目の調査およびできる限りの安全対策、および 消防法上の適合化工事をおこなった。 ■計画概要:某ビル本館 用途:事務所(用途変更あり) 構造 SRC/RC、規模:地上 7 階地下 2 階 延べ面積:約 30,000 ㎡ 竣工時期:昭和初期 ■防災設備改修、対応の前提条件 (1)建築基準法 新館建設計画により同一敷地内の 2 棟(新館・本館) は建築基準法上 1 棟扱いとなるが、本館部分は重要文化 財の指定により、法 3 条 1 項の適用を受ける。 (2)消防法 本館は現状【15 項】事務所として運用されているが、 新館竣工後は新館との接続により 2 棟が消防法上 1 棟の 扱いとなり、更に防災設備は現行法規への遡及がなされ る。 ■用途変更 現在は事務室(一部金融機関窓口)だが新館の竣工に 伴い基準階に交流施設(貸会議室) 、文化施設(博物館) が設けられる。 ■遡及適用等の対応方針 建築基準法に定められた防災・避難規定、及び消防設 備等についてはできる限り対応を行う。但し文化財とし て価値を損なうもの、物理的対応が困難なものについて は、 建築基準法 3 条 1 項の適用と消防法令 32 条の特例に よる免除をうけた。 ■安全性を確保するための対応策の概要 [付表 1] (1)構造の耐震性・耐震改修促進法に基づく検証。対応 は不要の結論を得た。 (2) 各居室出入口扉・建築基準法上の特定防火設備に 「準 じた仕様」への改修を対応する。 (3)竪穴区画・極力現行法規に近づけつつも、文化財的 価値の高い箇所は区画の新設をせず。 (適用除外) (4)面積区画・扉の意匠が文化財的価値を持つ部分につ いてはあえて「特定防火設備」の仕様に合致させること はせず。 (5)階段幅員・法定の 1200 ミリに数十ミリほど不足す る箇所があったが、文化財的価値を損なわずに対応する ことは不可能のためそのままとした。 (適用除外) (6)避難距離・居室の一部に現行法の規定を超えるとこ ろがあったが、避難安全検証法に基づく避難計算に準じ た計算をおこなって安全性を確認した。 (7)排煙設備・設置が不可能のため、避難安全検証法に 基づく避難計算に準じた計算をおこなって安全性を確認 した。 (8)内装制限・文化財的価値を守るために現況のまま保 存とした。 (適用除外) (9)昇降機・一部扉および内装は、文化財的価値が高い ために継続使用とした。またオーバーヘッドおよびピッ ト寸法が現行基準に合致しない部分があったが改修が物 理的に不可能のためそのままとした。 (適用除外) (10)このほかビル側管理者による巡回強化に基づく人 的対応について言及している 本建築物は、 これらの調査と対応工事をおこなった後、 新館の建築確認(本館の増築)を受ける際に建築基準法 3 条 1 項に基づく適用除外の扱いを受けている。 2.2 某事務所ビル 次の事例は建築後 40 年近く建った事務所ビルである。 近隣の再開発に伴い別棟増築工事が必要になったもので あるが、都心部にあって稼働率も高くテナントの移転先 も確保できないため、テナントを入れたまま適合化工事 をおこなうこととしたものである。そのため、工事可能 な遡及項目が限定されるなか、また非常に長期間をかけ て法的適合状態を作り出すに至った。 ■計画概要:某事務所ビル 用途:事務所(用途変更なし) 構造 S/RC、規模:地上○○階地下○階 延べ面積:○○○○㎡超(一部別棟増築あり) 竣工時期:昭和 40 年代 ■建築基準法防災設備改修、対応の前提条件 (1)建築基準法 都市計画への対応のために増築が必要となり、遡及 対応による安全性向上にあわせて陳腐化更新のための改 修工事をおこなった。 (2)消防法 今回の大規模改修工事に伴い、懸案となっていた消防 設備等の改修工事をおこなった ■用途 用途変更は発生していない ■遡及適用等の対応方針 建築基準法に定められた遡及適用の基準に基づき遡及 対応をおこなう。別棟みなし規定および避難安全検証法 を活用して、物理的な遡及工事は最小限にとどめた。 ■安全性を確保するための対応策の概要 [付表 2] (1)構造の耐震性・増築部分とは互いに応力を伝えない 構造とする形とし、かつ耐震改修促進法の規定に基づい て構造耐力の検証をおこなった。 (2)面積区画・スプリンクラーの設置による区画免除の 規定が現行法と異なっていた。 3,000 ㎡区画についてはす べて対応、高層区画については避難安全検証法により仕 様規定を免除。 (3)特別避難階段の構造(排煙) ・現行基準に適合しな い「スモークタワー方式」による排煙設備が備わってい たが、スモークタワーを活用して排煙ダクトおよび排煙 機を新設した。 (検証法の計算では設置免除まで達せず) (4)受水槽・基礎梁の中を用いるピット式であった。現 行法規では認められない形式だが、法 86 条の 7「独立部 分」 扱いの規定により増築部分以外には遡及せずに済む。 (5)東京都建築安全条例・低層部分の店舗街については 東京都建築安全条例に基づく「連続式店舗」の扱いを受 けるがこの基準が変更になり、通路幅員および天井高さ の規定が強化された。当該部分については陳腐化更新に あわせて規定にかなうものに改修した。 (6)非常用の昇降機・建設当初とは非常用昇降機の基準 が変わっていたが、基準法第 87 条の 6 および施行令代 137 条の 6 により遡及適用されないこととなっている。 本件に類似するストック活用の事例は多々あると思わ れるが、これまでは別棟増築であれば法遡及についてか なり柔軟な扱いがなされており、また別棟でなくても小 規模な工事の場合には安全性を損なわない、または向上 の方向である範囲で現実的に可能な遡及を行うことが事 実上認められてきた。しかしながら平成 19 年 6 月 20 日 施行のいわゆる「厳格化」以降、法令に記述されたとお りの取り扱いしか許されなくなったことに加え、遡及の 必要性とそれが現実に適用可能かどうかの判断に非常に 高度な知見を要するため、技術的にも人的にも対応が追 いつかず、ストック活用を進める上で支障となっている ようである。本年 6 月のいわゆる運用改善により、スト ック活用に関する「円滑化」がどの様になるか注目した い。 3.ストック活用における法令上の諸問題と解決の方向 上記の 2 例を含め、ストック活用に関しての法令上の 問題と解決の方向について考察する。 3.1 集団規定と構造以外は何らかの方法はあるが まず、法令上の問題については、集団規定および構造 が最初のハードルである。集団規定については緩和規定 も数多く設けられ、状況によりさまざまであるが、不適 合部分を削ることによって物理的な問題を発生する場合 は事実上改修不能になることがある。構造については耐 震改修促進法の基準を満足しうる改修を可能かどうかが ひとつの目安になる。本事例ではたまたま 2 事例とも集 団規定、構造とも基準に適合したが、この 2 点はストッ ク活用の成否を決する。 これら以外の項目では、現行法に厳密に適合している 状態にまで持ち込もうとすると、法規と技術双方の知見 を総動員し、なおかつコストの制約をできるだけ少なく しないと対応方法が見つからないことがある。ただし、 適合させることが物理的に不可能なものは少ない(一部 あることは前出した)ので、適合状態に「できるだけ近 づける」ことで可となれば問題は飛躍的に減少するだろ う。 3.2 検証法は有力なツールだが既存向きにできていない 防災関連については「避難安全検証法」は有力なツー ルではある。2 例ともこれにより安全性を確認した上で 仕様規定の適用を逃れている部分が存在する。特に排煙 については、この規定が存在しなかったときの建築物に 排煙規定を適合させるのは事実上不可能なので、検証法 の適用は必須なのではないか。ただし検証法も万能では なく、条文・項目により仕様規定の免除ができないもの があって、そのポイントがネックになって全体のシナリ オが成立しないこともありうる。 (特別避難階段の構造 規定の適用除外のうちの一部や、歩行距離のうちの重複 距離など)また、検証法自体が新築を対象にしているた めか、建築物の現状の使い方や管理水準を考慮に入れた カスタマイズ(居室の使用人数のとり方など)ができな いため、メリットが感じられず使い勝手もいまひとつで あるストックに適用する際の柔軟性の改善を求めたい。 3.3 別棟扱いは活用できるが不満も多い 平成 17 年に施行された建築基準法第 86 条の 7 に規定 された「増築時の別棟扱い」は、ある程度有効であった。 これによって、事例 2 のほうでは「地下ピット利用の受 水層」の継続使用が可能になった。ただし、防火区画な ど別棟扱いの効かない項目が残ることが全体の有効性を 減殺している。また、避難設備、排煙設備、非常用の照 明装置などは「開口部の無い耐火(準耐火)構造の壁で 区画されている場合には別棟とみなす」という、事実上 適用不能な緩和規定となっているが、 「2 重の防火区画」 など、現実に適用可能で安全性に問題が無いといえるも のへ変更されることを希望する。 3.4 現行法の行き届かない部分がネックになる 事例 1 は文化財的用途に用途変更した部分もあるため、 それまでの特定多数者の利用から不特定多数が利用する 場合を想定する必要があると考え、防災関連規定につい ても可能な限り現行基準への向上をおこなっている。し かし、幾つかの部分についてはそれら工事をおこなうと 文化財的価値を損なうため、法 3 条 1 項に基づく適用除 外となることに甘んじて既存のままとしている。本件は たまたま文化財としての扱いを受けうるものであったか ら良かったが、そうでない建物であった場合には、違反 にしてでも活用するか改修工事をおこなわずいずれ解体 する、という 2 つからの選択となり、事業的には将来は 解体の道を選ぶこととなる可能性が高い。これらの中に 将来の文化財候補が多数含まれうることを考えると暗澹 たる思いにとらわれる。 事例 1 においてひやりとしたのはエレベータピットと オーバーヘッドの寸法である。これらがともに現行基準 に不足しているということで、遡及適用義務が生じた場 合には改修対象となるが、オーバーヘッドはともかくピ ットの改修は基礎のつくり換えとなるので事実上不可能 である。このような、ストック活用の意義と比較して明 らかに優先度の低い項目であっても対応しなければ全体 が法令違反となってしまう矛盾はぜひとも解消したい。 3.5 全体計画認定による段階工事 建築基準法第 86 条の 8 に定められた「全体計画認定」 については、当初に出されたガイドラインで、5 年間で 全体を適合常態にするとされていた段階改修の期間がネ ックになっていたが、その後規制緩和がなされている。 そのことも含めればストック活用への有効性はさらに高 まったと言える。 問題点としては、この期限延長の緩和を都合よく利用 するとずっと改修工事中にしたまま事実上遡及対応をせ ず、かえって危険な建築物を残してしまうことになる点 である。問題の少ないストックは広く活用の道を開き、 大きな問題点を持つストックはそれを優先的に解消させ た上で活用に供するシステムが望まれる。全体計画認定 の考え方は、後述する法自体の根本的改正とあわせて適 用されれば、本格的なストック活用時代にあわせた社会 システムの一環となりうると考える。 4.「新築基準適用」から「ストック活用」の法へ かつて他稿註 1)において言及したことでもあるが、そ れも含めてストック活用のための法制度に関する今後の あり方について、実務者からの希望として述べておきた い。 ■提案 1・建築基準法 3 条 1 項 3 号の積極的運用 現行法では建築基準法の適用除外となる「重要文化財 等」と、一律原則遡及の一般的な既存不適格建築物の 2 種類しかないが、今後近代建築の中から文化財として後 世に伝えるべきものが多数出てくることが予想される。 これらの建築物が、ストック活用される段階でその文 化的歴史的価値を損なうような改変を余儀なくされるこ とを避けるために、現行法に規定されている「法 3 条 1 項 3 号、審査会同意に基づく適用除外」を積極的に運用 することを望みたい。 ■提案 2・遡及項目のポジティブリスト化 現行の建築基準法は既存不適格建築の増築等において も特定の項目を不遡及とする緩和特例がある。しかるに この原則では、基準法・施行令・告示と連なる詳細基準 への完全な適用がままならないがゆえに既存建築の有効 利用が阻害されると言う問題が発生する。事例 1、のエ レベータピットのようなものである。このような現行の 「不遡及条文明示・遡及項目のネガティブリスト」型で は、増殖する一方の新築向け詳細基準のすべてを緩和の ために網羅することは追いつかず、結果として思いもよ らないところでストック活用を妨害することになる。こ の弊を避けるためには、ストック活用においては、安全 性にかかわる重要な部分のみを遡及対象とし、詳細な基 準類は不遡及とする「遡及条文明示・遡及項目のポジテ ィブリスト化」とする事を要望したい。 ■提案 3・段階改修の発展形として段階適用を 現行の「段階改修」 (全体計画認定)規定はそれ自体時 宜にかなった有効な措置であると思うが、活用されてい るとは言いがたい。 期間的な制約が緩和されたとはいえ、 遡及完遂の原則が変わらないので所有者側にはメリット が感じられないためである。 これを一歩進めて、 「遡及の 段階適用」または「部分適用」とすることはできないか。 ストック活用のためのちいさな改修が全体への遡及に及 ぶことをさけ、活用の程度にあわせて安全性を向上させ るための適用範囲を選択可能とする制度である。詳細を 論じるところまで検討が至っていないが、所有者にとっ ては理にかなうと感じられる制度となるのではないか。 ■提案 4・協議調整が可能な法規制を 平成 19 年の「別棟増築」導入の改正にたまたま近いタ イミングで、いわゆる「厳格化」が施行されたが、この 2 つの運用開始はストック活用の現場を思い切り凍りつ かせた。それまで、主事ほかとの相談を重ねることで改 修工事と遡及的用の関係については実現可能な選択をお こなってきた経験的な積み重ねが崩れ、 「原則どおり以 外はすべて違法」と言う世界が出現したためである。ス トックの状態と使われ方双方の多様性を考えると、こう した原則は現実離れしている。今後は、ストックのあり 方、その敷地や将来の位置づけなどと求められる安全性 の水準等を総合的に判断して「協議調整」に基づいて活 用のあり方を決めていける法制度に改正すべきではない か。管理の水準や内容などソフト面での対応を考慮に入 れるかどうかも議論すべきである。 この場合、社会的には、新築時以降の経年変化を含め 第 3 者に履歴情報を公開することが求められる。建築の 履歴を公開すると言うことは、その建物がどのような安 全性を確保しているか、それが法的にどのような位置づ けにあるか、と言うことを明らかにするばかりでなく、 資産的な価値が市場から確認できると言うことでもある。 ストック活用とは、建築物が利用者にとって有効に活用 されると言う点のほかに、市場で取引される社会財とし ての価値を保有し続けると言うことでもあるから、その 価値を証明する情報の公開が求められると言うことであ る。これらの情報公開が前提となれば、そのための修繕 更新、履歴情報管理、調査査定等が現在の建築士等専門 技術者の手によって日常的におこなわれることなり、本 稿の冒頭に述べた「3 つの問題点」の相当な部分が解決 に向かうこととなるのではないかと考察するものである。 註 1)「建築ストック社会と建築法制度」(日本建築学会編・ 技法堂出版) 近現代建築の保存と設計実務上の課題 黒木正郎 1) 1) 日本設計 第一建築設計群副群長兼チーフ・アーキテクト ([email protected]) 地域にあって、そろそろ歴史的な香りの漂い始めた段階の「文化財風建築物」を保存活用に導く方法を考察したい。 現状では、実務の場面で「保存活用しましょう、そうすることによるメリットがありますよ」と、言い出すきっかけ づくりになる材料がほとんどない。この点で決定的な役割を果たすのは税制であり、特に個人財産レベルでは保存活 用と解体処分の分岐点になるのは相続税制である。税制を含む不動産制度と、建築単体に関するストック活用促進制 度、それらを街づくりに位置付ける都市制度の融合が、文化財保存を通じた文化的蓄積のある国づくりにおいて重要 な施策となるであろう。 ストック活用,文化財,相続税,固都税,生産緑地 B の場合 B1・活用を検討した⇒無理だったので解体することにし た(構造や法制度など理由は様々) B2・活用を検討した⇒何かしらの形で一部または全部を 残すことができた(構造や法制度をクリアできた) 敷地に余裕があるかどうか、物理的な状態がどうか、 という二つがクリアできないと残せません。 C の場合 この場合は、 「物理的・法的条件」 と、 「所有者の経済的条 件」の組み合わせで考えないといけません。 C1・物理的・法的条件はクリアできた場合 C1.1・所有者の経済的な条件が整わなかったので、残す ことができなかった C1.2・所有者の経済的な条件が整ったので、残すことが できた 建物の物理的な状態とは関係なく、経済的な条件が整 わないがために残念だけど解体せざるを得ない、という ことは、相続の場面でよくおこります。この場合には所 有者も大変気の毒なことになることもあります。 「物納 のための解体」の条件を緩和する必要があることは指摘 するまでもないでしょう。 C2・物理的・法的条件をクリアできなかった場合 C2.1・所有者の経済的な条件も整わなかったので、残す ことができなかった C2.2・所有者の経済的な条件が整ったので、 (何らかの改 修をして)残すことができた 所有者に残したいという何らかの意思があるにもかかわ らず残せない、という状況を改善することができれば、 地域の歴史的建築を残せる確率が向上するでしょう。 上記 A1 の場合はともかく A2 を B に、さらに C の状況 に持ち込むにはどうしたらよいか、また、C1.1 を C1.2 に、C2.1 を C2.2 に持ち込む条件などを考えて見ます。 1.「文化財風建築物」を残す検討 最近では、設計の対象敷地で、既存建築物のないとこ ろに建ててくださいという事例はまずありません。ほと んどは、古い建物が残っていて、それを解体して新たに 建築物を作るという仕事です。それらの現場では、年月 を経て歴史的蓄積を感じさせ始めている「文化財のよう なもの」に遭遇することが時々あります。わたくし自身 の体験では、本当に重要文化財になったものも一件だけ ありましたがそのほかは、 「文化財のような気がするも の」または「考えようによっては文化財になれるかもし れない」ものでした。残念ですが、それらの「文化財風 建築物」 (何と言ったらよいのでしょう) で残せたものは 一つもありません。ところが最近、設計の実務上ではあ りませんが、 「考えようによっては文化財かもしれない ものを、残すことができるかどうか」について真剣に考 えさせられる場面にいくつか行き当たりました。今日は そういうものたちを含めて、 「実務を進める現場で、 どう したらクライアントを含めて、残す判断に行き着くこと ができるか」 について考えをすすめてみたいと思います。 2.既存建築物に対する所有者の態度 既存の建物が残っている現場では、 その取扱いについて、 クライアントの態度を3通りに分かれます。 A・壊すのが当然 B・何らかの形で活用が可能か検討してほしい C・残したいのでその方法を考えてほしい 普通のプロジェクトはもちろん A です。 それぞれはさらに結果が分かれます。 A の場合 A1・誰が見ても壊すことに納得できるような建物⇒解体 A2・見る人が見れば保存すべきだといわれるような建物 ⇒多少話題になるが結局解体 建物はそれぞれに歴史や物語を持っているのですが、 もったいないと思えるようなものは少ないようです。 3.建築物の保存活用を促進するための 3 つの条件 既存建築物を「地域の文化財」として保存活用をしよ 1 要があることは言うまでもありません。そういった条件 のもとに、 「使われ方のソフト」 などもいれたストック活 用制度が社会的に認知されていくことを期待したいと思 います。そうすることで、危険を増大させるようなおか しな改造や、専門家のチェックを経ない劣化改修なども 減っていくはずです。そしてまたこれは、文化財となる 資質を持った建築物を、法制度が邪魔して活用できない から、という理由でみすみす失われていくことを避ける ことに貢献するでしょう。 うと考えるときに直面する条件は、次の3点に集約でき ると考えられます。 イ)建築物としての法的条件・・・敷地や建築物として の物理的条件を満足したうえで、ストック活用を促進す るための建築諸制度の延長上で文化財保存に対する建築 基準法上の条件が整備されること。 ロ)街づくり政策などの環境条件・・・街づくりなどの 都市政策に、ストックの活用、特に地域の歴史的文化的 蓄積を大切にしようとする政策的意図がはっきり示され て、かつそれによる優遇策が整っていること。 ハ)所有者の経済的条件・・・所有者が保存し維持管理 してゆける経済的条件すなわち残すことのメリットが整 備されること。 ここで、イ)については、建築関連法制度を改正してス トック活用を促進する施策を展開すべきである、という 議論が行われていますので、その延長上での話を少しさ せていただきます。ロ)については、今後の展開、特に 人材誘致や観光振興など地域が一体となって取り組むべ き課題における建築ストック活用、ひいては文化財活用 の議論の展開に期待します。今日の報告ではさらに、と くに住宅スケールの建築物で問題になる、ハ)経済的な メリットについて考察いたします。 5.地域にとって重要な文化財の扱い 今後は近代建築の中から文化財として後世に伝えるべ きものが多数出てくることが予想されますから、これら の建築物が、ストック活用される段階でその文化的歴史 的価値を損なうような改変を余儀なくされることを避け るために、 「ストック活用建築制度」 が必要であることは 前出のとおりです。しかしながら現行の建築基準法には 3条1項1号と3号の、基準法適用除外となる「重要文 化財等」と、それ以外で一律原則遡及の「既存(不適格) 建築物」の 2 種類しかありません。建築物として年月を 重ね、地域の文化財らしくなってきたとしても、1号の 重要文化財に指定されるハードルは相当高いので、地域 にとっての重要な歴史資産であれば、3号に定められる 「特定行政庁が建築審査会の同意を得て指定」する文化 財として建築基準法の適用除外とする道をもっと活用す べきです。 これは「ストック活用建築制度」が制定された場合に はその守備範囲とこちらの「適用除外」制度の守備範囲 との間に整合性を持たせることが必要になると考えられ ます。おそらく、築 50 年程度までの「プレ文化財」段階 ではストック活用制度に基づいて安全性などを損なわな いように劣化を回復する改修を行い、文化財として認め うる資質を備えた段階で、全面的に「建築基準法(スト ック活用建築制度を含めて)適用除外・文化財として保 護」としていくのだと思います。 またいずれにしても今後近代建築たちが文化財となっ ていく時代にあっては、 「活用されながら保存していく」 ことが前提となりますから、文化財保存制度の側におい ても「文化財になると制約が加わって困るから、文化財 にならないようにする」という、社会的価値基準とは逆 のインセンティブが所有者に働くようなシステムは早急 に改め、個々の建物にごとに、文化財的価値の維持と建 築物としての使用価値の調和を図れるようにする必要が あります。 4.文化財以前のストック活用制度確立の必要 文化財となるような建築物でも、最初は新築建築物、 そのあと既存建築物の時期を経て歴史的建築物として扱 われうるかどうかの判断を迎える時期が来ます。設計実 務の上で問題を感じるポイントが2つあります。ひとつ は、誰もが納得するような文化財になる前の段階で単な る 「既存建築物」 として扱われる段階での順法性の問題。 もうひとつは、建築学的な価値については議論が分かれ るけれども、地域の文化的蓄積を担っている建築物であ るから法的に特別扱いをしたい場合についてです。 ストック活用の重要性については、今回のシンポジウ ムシリーズ第 8 回で、田村誠邦さんから体系だったお話 1) をいただいたように、今後早急に各種施策を打ち出す 必要があります。その際の建築基準法などの取り扱いに ついてですが、参考資料として添付いたしました拙稿2) 3) にも書かせていただきましたように、端的に言えば「新 築と既存は法的に別の扱いをする必要がある」というこ とです。その際、既往の法体系に準じたような形で、 「既 存建築物が満足すべき仕様基準」のような定めを置くの ではなく、建築物とそれが建っている環境、維持管理の 程度や方法、使われ方の履歴、所有者管理者の属性など 多様な条件を総合的に勘案して、 「協議調整に基づいた 柔軟な規定」を建物ごとにカスタマイズして適用すべき であるということが必須です。 もちろんこの際にはどのような条件のもとに何を義務 付け何を緩和したかなど、建物固有の情報を公開する必 6.経済的な条件とは何か 次に「経済的な条件」とは、言うまでもなく「残すこ とによってうまれる経済的なメリット」です。これを現 行の建築諸制度の中だけで考えていては展望が開けませ 2 所得 ん。なぜならば、その場合のメリットと言えるのは「容 積率緩和」ですが、これが意味を成すのは大都市の一部 地域だけです。さらにそれを実体化したい場合には、容 積割増や空中権の移転(あるいはその変形としての「隔 地一体型再開発」 ) という手法が概念としてはほぼ確立さ れているのですが、これから対象にしようとしているの は、そういう大仕掛けが使えないものです。 遠望すれば「文化財建築物を使い続けることから生ま れる付加価値の評価が金銭的に有意な差になって現れる 高度に文化的な社会」というものも想像できますが、そ こまでの社会の成熟を待っている間に建物がどんどんな くなってしまいます。そうだとすると経済的な「メリッ ト」とは、はっきりと「税制」といってよいでしょう。 7.「残すメリットを検討しましょう」と言いだす材料が ほしい 個人所有の建築物などでも既存建物がある場合、ほと んどは「A・壊す前提」です。そもそも、壊して建て替 えることを決意してから建築の専門家に声をかけるから、 ある意味で当然です。その段階になってから既存建物を 拝見して「文化財風」 「文化財になれるかもしれない」と 思える場合であっても「残して活用することを検討しま せんか?」と言い出せる材料がないので、単に問題を難 しくしようとする厄介なひと、と思われるだけで残念な 結果に終わってしまいます。 実務の担当者としては、そういう建築物に巡り合った 時に、 「残して活用することを検討しませんか」と言い出 せる材料がほしいと思います。もちろん、建築制度上の ストック活用建築制度によって、残すための必要条件は 整備された上です。建築関連制度と税制メリットを活用 して、B2、C1.2、C2.2 すなわち、 「検討の結果残すこと のメリットがあった」という状況に到達する確率を上げ ることができれば、保存に成功する可能性は飛躍的に上 昇するでしょう。 次に、税制面で確率を上げる可能性について考察して みます。 重要文 化財の 相続・ 贈与 登録美 術品の 相続 ・ 国等(※2)に対する重要 有形民俗文化財・重要文 化財に準ずる文化財の 譲渡 1/2課税(所得 税) ・ 国等(※3)に対する重要 文化財・史跡名勝天然記 念物として指定された土 地の譲渡 2千万円限度特 別控除(所得税)、 損金算入(法人 税) ・ 重要文化財である家屋 等(土地を含む)の相続・ 贈与 財産評価額の 70/100 を控除(相 続税、贈与税) ・ 登録有形文化財である 家屋等の相続・贈与 財産評価額の 30/100 を控除(相 続税、贈与税) ・ 伝統的建造物(文科大臣 が告示)である家屋等の 相続・贈与 贈与財産評価額 の 30/100 を控除 (相続税、贈与税) ・ 納付すべき相続税額に ついて、登録美術品 を 相続税として物納 物納の優先順位 を第3位から第1 位に繰上げ 地方税 対象 重要文 化財等 の譲渡 所得 ・ 国等(※1)に対する重要 文化財(美術工芸品・建 造物)の譲渡 非課税(住民税) ・ 国等(※2)に対する重要 有形民俗文化財・重要文 化財に準ずる文化財の 譲渡 1/2課税(住民 税) ・ 国等(※3)に対する重要 文化財・史跡名勝天然記 念物として指定された土 地の譲渡 2千万円限度特 別控除(住民税) ・ 重要文化財、重要有形民 俗文化財、史跡天然記念 物(家屋及び敷地) 非課税(固定資 産税、都市計画 税) ・ 登録有形文化財(家屋)、 登録有形民俗文化財(家 屋)、登録記念物(家屋及 び敷地)、重要文化的景 観を形成している家屋及 び敷地(文科大臣が告 示) 1/2課税(固定資 産税) ・ 重要伝統的建造物群保 存地区内の伝統的建造 物である家屋(文科大臣 が告示) 非課税(固定資 産税、都市計画 税) 8. 文化財に対する現行の税制優遇策 次の表が、現行の文化財に関する税制優遇策です。 重要文 化財等 の所有 文化財保護に関する税制優遇措置について 国税 対象 重要文 化財等 の譲渡 ・ 国等(※1)に対する重要 文化財(美術工芸品・建 造物)の譲渡 措置内容 非課税(所得税) 3 措置内容 ・ 重要伝統的建造物群保 存地区内の伝統的建造 物である家屋の敷地等 税額を適宜免 除、軽減(固定資 産税、都市計画 税) 9.文化財が建っていれば、建物も土地も相続税ゼロ。と いう制度になったらどうなるか 最初に気になるのは、税収の落ち込みですが、相続税 (国税)の総額は 2010 年で約 1 兆 2710 億円ですので、 このことによる影響は軽微、または他の政策で代替可能 と言い切ってよいと思います。 次に、そうなることによって、所有者の行動がどうな るかについてです。たとえば、2 億円の価値を持つ財産 が相続税評価の場合にゼロとされうるということは、そ れを持っていることは、他の財産(金融資産など)で持 つ場合に比べると相続の際には圧倒的に有利になるとい うことですから、その土地建物を持ち続ける限りにおい ては、建物を文化財として認められようとするためのイ ンセンティブがきわめて大きくなる(地価が高い場合で すが)ということです。おなじ土地でも上に載る建物が 文化財に認められるか否か、は天と地ほどの違いが出る ということですから、その資質のある建物は維持管理に それだけの努力を施す価値が出てくるというものです。 これまでとは逆に、土地価格の高さが建物を残させる原 因になるということになります。 こうなると、将来文化財に指定されることによって土 地の相続税が免除になるように、その資質のある建物を 設計してほしいという依頼が来るかもしれません。建築 家にとっては夢のような話です。既存の建物を壊せなく なるから、仕事が減ってよくないと考えるべきではあり ません。 場合によっては、文化財のある土地を持つことによる 節税策がはびこるようになり、文化財ビジネスが富裕層 対象に勃興することになるかもしれません。 ポイントは、 文化財を乗せたままの土地に換金性があるかどうかでし ょう。この辺が制度設計の肝になるのではないでしょう か。 税額を適宜免 除、軽減(固定資 ・ 産税、都市計画 税) (※1)国等:国、地方公共団体、独立行政法人国立美術館・ 国立博物館・国立科学博物館 (※2)国等:国、独立行政法人国立美術館・国立博物館・国 立科学博物館 (※3)国等:国、地方公共団体、独立行政法人国立博物館・ 国立科学博物館 重要伝統的建造物群保 存地区内の伝統的建造 物である家屋の敷地等 ここで注目したいのは、文化財建造物に対する相続税 と固定資産税・都市計画税です。残念なことにたとえ重 要文化財であっても相続税評価はゼロではなく 30%に なるだけ、登録文化財の場合には 70%になるだけです。 建造物にはそもそも課税評価上の価値はないので土地に 注目することになります。また、重要文化財指定はまれ な例ですので登録文化財について考えます。 相続税を例に考えて見ます。大都市にあって保存対象 になるような建物の敷地ですから、住宅一軒の敷地面積 を考えて、100 坪とします。文化財風の住宅、として場 所は都心部の住宅地ということで路線価坪当たり 200 万 円とします。土地の評価額は 2 億円ですからこれを子供 一人が相続したとすると、 (現行の基礎控除で計算する と)相続税は、3900 万円。 (小規模宅地特例を考慮して いません)登録文化財にしてその土地評価が 70%になる としても、1500 万円となります。 (重要文化財だと基礎 控除の範囲に入ってかからなくなるようです。 )昨今、少 子化の影響で相続人の数が減る一方で、税制調査会で議 論されているように相続税の控除額が引き下げられる影 響は大きいものと予想されます。 個人住宅レベルでこれだけの税額になるのですから、 売却処分は致し方ない判断でしょう。ましてや、商業地 域の小規模ビルでは、建て替えて収益化するのは当然の 判断と言えます。 (事業継続上の特例はあるようですが) こういうレベルで小さな文化資産が失われていくことに よって、いつまでも蓄積の薄い貧相な街並みを再生し続 けることが続いてしまいます。 文化財であれば、指定・登録・あるいは地域指定であ っても「一定の条件のもとに」相続税を免除、あるいは きわめて小さな税率にしたらどういう影響があるでしょ うか。これについては「一定の条件」を生産緑地制度4) などを参考に定めるなど、いくつかのアイデアがあるこ とを聞いておりますが、そういう条件が整うことによっ て、すくなくとも設計実務の場面で「保存について真剣 に検討する」 機会が増えるであろうことが予想されます。 10.法人の場合はどうか 相続税は個人の場合に限られますので、法人所有の場 合には固定資産税・都市計画税(固都税)についての考 察が必要です。 文化財を所有している法人にたいしては、その土地と 建造物に対しては固都税を非課税にするよう主張できる のではないでしょうか。文化財を維持管理しているとい う点に関してのみ考えれば、公益的活動を行う法人であ るとみなしうるからです。公益法人の公益的活動のため の資産が非課税であるのと同じです。その土地や建物の 内部で行われる事業活動は、その建物の文化的価値を維 持するための活動であるといえるかどうか、について審 査があることとすれば、暴走は避けられるのではないか と考えられます。何より文化的価値のある建物の維持管 理に相応のコストをかけるインセンティブとなり、良い ものを建てて長く使うという環境にやさしい不動産活用 4 ちに建て替えられていたでしょう。しかし今次の災害の ように地域がいっぺんに変わってしまうという危機に直 面し、街の人々が地域のアイデンティティについて共通 の視点から一斉に考えた時に、建築物の持つ「文化継承 力」の強さにあらためて気づかされたということか、と 思います。すべての地域が同じとは思いませんが、地域 文化を継承する役割にたいして税を優遇することに、地 域社会が同意するのはあり得ることでしょう。ふだんか ら地域の人々がこのような感覚を持ち合わせながら生活 を送ることで、文化的蓄積のある地域社会が形成されて 行くことを期待します。 の在り方につながります。これについても将来の固都税 免除を狙えるような建物の建築依頼が増えるであろうこ とは、やはり建築家にとっては夢のような時代の到来で あります。 11.都市制度・建築制度・不動産制度の一体化を ここまで不動産としての建築物の税制がカギを握ると いうことを申し上げてきましたが、もちろん、それだけ ですべてが解決するわけではありません。そもそも建築 物として、既存建築物に対する建築基準法上の扱いをな んとかしないと残して活用すること自体できません。 また、税制を悪用して節税対策だけに使って建物を壊 して土地を売り払うようなことがないようにしなければ なりません。 (生産緑地制度には相応の制約条件がある ようです)それを抑えるためにも必要なのが、街づくり のための歴史的文化的建築物の位置づけです。税制上の 特別扱いを主張できるためには、地域全体の価値向上の ために必要であると言えなければなりません。 建築物の文化的価値と、街づくり政策と、税制とがこ のような関係になると、人々が地域全体の価値向上に関 心を向けるきっかけになるでしょう。このような視点に 立つと、文化財保存の思想は既存建築物の活用という建 築施策の延長上に位置付けることができますし、都市政 策の一部でもあります。また、建築専門家がこれまで領 域外と考えていた不動産や税制の世界とも、改修や維持 管理を含むストック活用と一体のものとして新たな活動 のフィールドにしていかなければならないことが見えて きます。 ところで、今後しばらくの間は、戦後から高度成長期 にかけての建築物が歴史的建築物として考えられうる年 限となってきますので、地域の文化的側面からの建築物 の価値を重視しないと、単なる貧しい時代の安普請とし て見捨てられ、結果的に地域の歴史遺産の系譜にぽっか りと穴が開いてしまうことを危惧いたします。これから は、建築物単体としての学術的価値に加えて、その地域 の中での意味づけや、歴史的文化的文脈の中での意味の 読み取りも重要視していくようになってもらいたいもの です。 最後に、建築物が地域文化の継承に持つ力に関するエ ピソードを申し上げます。今回の津波の被災地でのこと ですが、その地域では街全体が被災してしまったために ほとんどすべての建物が「一部損壊状態」になっていま す。 そこで、 築 50 年程度の純日本建築の料理屋について、 街づくりを進めるうえでのコアになるとして、保存の声 が起こっていることです。 50 年ほど前、港町として栄えたこの町の栄華を記憶す る建物だといわれているこの料理屋ですが、何分あまり にも日常的用途のものでしたし、建築史的価値はほとん どありませんから、ふだんどおりであれば、知らないう 5 り受けることができる。 ・死亡や身体障害等により農業等 の継続が困難になった場合には、自治体等に時価での買 い取りを請求することができる。 1) 第 7 回 建築・社会システムに関するシンポジウム 建築ストック活用における建築関連法制度の課題 2011/06/25 (http://news-sv.aij.or.jp/scr/tosho/shiryo.asp) 逆に制限される行為は ・当該土地の所有者または管理者等に、農地としての維 持管理を求められる。 ・農地以外としての転用・転売はで きない(農地としての転売については農地法による手続 きにより可能) 。 ・宅地造成、建築物等の新築・増改築な どはできない(農業用ビニールハウスなどは、自治体首 長の許可により建設可能) 。 ・土石の採取、水面の埋め立 て、干拓などが制限。 ・上記に違反した場合、原状回復命 令が出されることがある。 2) 建築ストック改修時の諸問題 (2010 建築学会大会資 料)黒木正郎 3) 集団規定の許可制移行の影響/建築主の論理と設計実 務の現場から 黒木正郎 2010/07/13 4) 生産緑地地区 出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia) 』 生産緑地地区とは、市街化区域内の土地のうち、一定の 要件を満たす土地の指定制度(生産緑地地区制度)に沿 って管轄自治体より指定された区域のことで、都市計画 上、農林漁業との調和を図ることを主目的とした地域地 区のひとつであり、その要件等は生産緑地法によって定 められている。 概要 大都市圏など一部地域において急速に進む都市化に対 し、緑地が本来持つ地盤保持や保水などの働きによる災 害の防止、および農林漁業と調和した都市環境の保全な どのため、将来にわたり農地または緑地等として残すべ き土地を自治体が指定することにより、円滑な都市計画 を実施することを主目的としている。また、大都市圏の 一部自治体においては、生産緑地指定を受けることで、 固定資産税課税の基礎となる評価が農地並みになる措置 が受けられる意味もある。なお、一旦指定を受けた土地 は、一定の要件を満たす場合の外は原則として解除でき ない。 要件 生産緑地に指定する(または地権者等が要望して生産緑 地としての指定を受ける)際には、生産緑地法により定 められている次のような要件を満たすことを、所轄自治 体が審査する。(以下、主たる要件) ・農林漁業などの生産活動が営まれていること、または 公園など公共施設の用地に適していること。 ・面積 500m2 以上(森林、水路・池沼等が含まれてもよい) 。 ・農林漁 業の継続が可能であること(日照等の条件等) 。 ・当該農 地の所有者その他の関係権利者全員が同意。 生産緑地になると受けられる措置は ・固定資産税が一般農地並みの課税となる。 ・相続税の納 税猶予の特例などが設けられている。 ・農地等として維持 するための助言や、土地交換のあっせんなどを自治体よ 6 都市計画,No.272,pp.37-42 都市計画,No.272,pp.37-42 不動産に関わる 実務者からみた課題 一般社団法人不動産証券化協会 巻島一郎 1 1. 三井本館街区の再開発で何を考えたか 2. さまざまな立場からの素朴な疑問 3. 公的支援では量も制約され、限界がある 4. もっと市場機能や市民の意思が力を持つよ うにできないのか 5. 提案 2 三井本館街区の再開発で何を考えたか 1. 保存・活用に伴うリスクに対する説明責任が果たせるか? (1) 株主に対して、保存コスト(減益要因)をどう説明するか。 株主が少数の同族で、経営も同じ同族で行われているよ うな、経営者と所有者が一致している場合は、自分の決 断だけでリスクを取ることができる。三井不動産のような 上場会社では、経済性を大きく損なう意思決定ができな い。経営者は会社との関係で受任者の立場にあり、善感 注意義務を負っている。 (2) テナントや消防署に対して、耐震性能などの安全性や、 既存不適格建築物でも大丈夫であることを、どう説明する か。 (3) 地域住民や中央区に支持を受けられる、地域振興(日本 橋再生)の内容か。 (4) 東京都が、重要文化財特別型特定街区制度に適合する 認める内容か。 3 三井本館街区の再開発で何を考えたか 2. 三井本館の歴史的建造物としての重要性については、すでに 研究成果があったが、耐震診断等については本格的なものは なかった。どのような改修をすれば、責任が果たせるか? 3. 日本橋再生に資する計画にするにはどうしたらいいのか? (1) 『大都市の中心部に残っている歴史的建造物が果たす べき役割』(米国調査)。日本銀行、三越、三井本館という 歴史的建造物群の景観。 (2) 三井本館の活用法。 街のアイデンティティを発信する場所としての活用 建築 博物館構想 三井記念美術館 (3) 日本橋地域ルネッサンス100年計画委員会(略称、日本 橋ルネッサンス委員会)」など、地域の団体による草の根 的な運動の展開。 4 三井本館街区の再開発で何を考えたか 3. 日本橋の活性化につながる連鎖的な建て替えが起こせる か? 日本橋地域の潜在力に対する信頼はあった。 「日本橋メガモール構想」 「メトロリンク日本橋」 5 さまざまな立場からの素朴な疑問 その近代建築がなくなると、誰が、どの程度、困るのか。(ただの古い建 物ではないのか。) 保存・活用によって、誰が、どの程度、良くなるのか。また、誰が、どの程 度、悪くなるのか(たとえば、所有者の保存コスト負担)。 国や自治体が、支援(究極的には、税金による負担)をしてまで保存すべ きことなのか。他の課題(たとえば、高齢者福祉など)に比べて、どの程 度重要なことなのか。優先度は高いのか。公的支援の副作用(制度の悪 用、都市計画の歪みを生じる可能性)はないのか。 建て替えオプションと比較して、社会経済的な効果はどうなのか。 その保存・活用は、土地利用の高度化、にぎわいの創出、街の活性化に マイナスではないのか。 その近代建築の保存・活用は、誰の責任(課題)なのか。所有者の責任 なのか、広く社会(たとえば、自治体、地域住民)なのか。 自治体が、公的支援の必要性の論拠は、明確に示せるのか。その論拠 は、達成度を事後評価できるものなのか。 たとえば、三井本館街区再開発の場合、三井本館の保存・活用が日本 橋エリアの活性化を導いたのか、新三井タワーが日本橋エリアの活性化 を導いたのか。 6 公的支援では量も制約され、限界がある 近代建築の保存に関しては、現在の所有者が保存・活用す ることを前提として、負担を軽減する施策(容積割り増し、容 積移転、固定資産税・都市計画税の軽減、特別償却など) を中心に論じられてきた。 保存・活用は耐震工事などの大規模改修を伴う以上、支援 策の充実が図られないと困難であることは事実である。 しかし、公的な支援策に期待しすぎると、「保存価値の認定 評価」「適正な補助金額の評価」「適正な建物活用方法(用 途転換)の認定」など、行政側に説明責任が必要な作業が 多く出てくる。支援する建物の量に制約も出てくる。 近代建築の所有者は孤独である。不動産価格の下落と修 繕費の増大に直面して、為すすべない状態ではないか。 その近代建築がプラスのキャッシュフローを生むような活用 策の創出が必要である。公的補助による支援では長続きし ない。 7 もっと市場機能や市民の意思が力を持つ ようにできないのか 1. 欠けているのは、「キャッシュフロー創出力を持ったリスクテ イカ―(新たな所有者)」ではないのか。 2. 市場では、価格、金利、利回りをシグナルに情報が飛び交 い、売買が成立し、資金が移動する。そこには、不確実性 やリスクに対する分析・評価に基づく合理的判断がある。し たがって、この「市場機能」を利用できれば持続可能な保 存・活用(取引・投資)が実現できる。 3. また、市場機能には、不確実性やリスクの評価の中で、合 理性を乗り越えた「未来への意思」も含まれてくるはずであ る。 4. 近代建築がもっと流動性をもち、活用能力を持った「新たな 所有者」に移転していく社会にしてもいいのではないか。 8 提案 長期的な視点で考えると、マーケットメカニズムとも調和した保存・活用の 仕組みを構築する必要がある。 1. 情報開示 (1) プレ文化財や未活用建物を含む、より幅広い近代建築リストの開 示 (2) 近代建築博物館 2. 移転コストをゼロにする (1) 一定年数以上の建物(土地を含む)の流通税の撤廃 (2) 専門の流通市場(情報交換システム)の創設による直接売買 3. 旧所有者の譲渡益課税をゼロにする (1) たとえば築70年以上の建物を売る場合は、改修必要額を上限に、 土地譲渡益課税を減額する。その分を安くして売ってもらう。 4. 所有者(=活用者)組織の創設 (1) 近代建築活用者協会 (2) 活用ノウハウの共有化。地熱を上げる。 (3) 活用のための「資本(出資者)」を創出し、活用事業分野が成長す るシナリオを描く 9 参考資料 (注)すべて 1999 年当時のものである 1.重要文化財・三井本館の保存に係わる費用概要 2.周辺の歴史的建築物 3.大都市の中心部に残っている歴史的建造物が 果たすべき役割 4.日本橋メガモール構想案 10 1 11 2 12 3 13 14 15 16 17 18 4 19 20 現在(1999年) 21 22 10年後~20年後 23