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走れメラス5 - So-net

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走れメラス5 - So-net
走れメラス5
1
結婚相手
“あの時、あの人と結婚しとけばよかった。”
と思う人が結構多いらしいと聞いた。
“あなたは”’
と夫に聞いたら、
“いないよ。”
と即答。
“本当?”
と疑いながら、ちょっとうれしい。するとすかさず、
“あの時あの人と結婚しなければよかった、と思うときはあるけどね。”
(朝日新聞 2003.4.5 いわせてもらお)
2
化粧
彼の前でメークをしていた時のこと。
彼に
“かわいい?”
と聞くと
“かわいいよ”
と一言。久しぶりにほめられてドキドキしてしまい、
“少し濃かったかなあ“
と言うと、
“そんなことないよ。もっと濃くてもいいくらいだよ。”
と笑顔で返された。
(いわせてもらお
3
叱られる
“オレはね、先生に叱られたけど何ともなかった。”
小2の T 君が言う。
“おめえ、強〜な。”
と、感心する。
“そうだよ、オレはいつもママに叱られてるから。”
4
ジレンマ
di(二つの)+ lemma(命題)からきている。
1
朝日新聞 2004.02.01)
5
WC
Water closet
6
WC2
憚り(はばかり)、東司(とうし)、手水場(ちょうずば)、尿殿(しどの)、御不浄(ごふ
じょう)
、西浄(せいちん)、雪隠(せっちん)、用所(ようじょ)、後架(こうか)、隠所(い
んじょ)
7
一杯のテイー
日本人の A くんは、ロンドンのカフェで
“ア カップ
オブ
テイー
プリーズ”
と紅茶を一杯頼んだ、つもりだった。
紅茶が 2 杯きた。
“A couple of tea, please.”
と聞こえたらしい。
8
P. S.
Postscript:追伸
9
酒を飲む時間
朝によし、昼はなほよし、晩もよし、飯前飯後、其の間もよし。
(小原庄助)
10 ゴルフのホール数
ゴルフの1ラウンドが 18 ホールと定められたのは 1858 年。
ホール数をいくつにするか、えんえんと議論が続いていた。そんな時、ある長老が発言し
た。
“ホールをまわるには、気付けがかりのウイスキーが必要だ。私も1ホールいくたびに、
ウイスキーをグラス1杯飲むことにしている。グラス1杯のウイスキーを 18 杯飲むとする
とちょうどボトルがからになる。したがって、1ラウンド 18 ホールがちょうどいい。”
そして、1ラウンド 18 ホールと決まった。
11 ゴルフ
美人プロゴルファーのステイーブンスがぷりぷりしながらクラブハウスに戻ってきた。18
番ホールにあがる寸前に
2
“いい体してるじゃね〜か。”
と日本人のおじさんに肩をさわられたと言う。
事情を聞いてみると、17番ホールで見事なバーデイをとったステイーブンスに、
“ナイスバーデイ”
と言って肩をたたいたという。
ステイーブンスには
“ナイスボデイ”
と聞こえたらしい。
(とっておきのいい話
文芸春秋編)
12 ゴルフ 2
アメリカのゴルフ場でキャデイに
“練習場にパターとサンドウェッジを持ってきてくれ。”
と言うと、バターとサンドイッチがきたという。
(とっておきのいい話
文芸春秋編)
13 航空便
via air mail
(米)
by air mail
(英)
par avion
(仏)
14 船便
surface mail
15 いいよ
日本人が外国人に足を踏まれた。
“アイムソーリー”
とかいっている。
“いいよ”
と言いたいのだが英語で話せない。
そこで、目に手をあててアカンベーのような仕草をすると、すぐにその手を横に振った。
‘めじゃない’
と表現したかったらしい。
16 Back go go
作家の遠藤周作と友達の画家が外国人の女性とデートした。
3
とても盛り上がった。
帰りのタクシーの中で、その画家が叫んだ。
“Back go go, Back go go!”
みんなは何を言っているのか理解できなかった。で、そのまま帰った。
後で確認すると、戻って、ゴーゴーを踊りに行こうと主張していたらしい。
17 オムレツ
黒沢明は朝食はあっさりと、プレーンオムレツで済ますのが好きだった。
地方ロケの小さなホテルで黒沢はいつものようにプレーンオムレツひとつ部屋に運んでく
れるように頼んで待っていた。すると、オムレツとその脇にプリンがひとつ添えられてい
た。黒沢は何故プリンがついてきたのか疑問に思った。
数カ月後、監督の頭の中に閃光が走った。
“あれは、プリンオムレツだったのだ。”
(とっておきのいい話
文芸春秋編)
18 ブスと酔っ払い
晴れ着姿のお嬢様達が、電車の中で一団となって喋りあっていると、したたかに酔っぱらっ
たおじさんが怒鳴った。
“こら、ブスども!静かにせい、ブス!”
お嬢さん達も、すかさず怒鳴り返した。
“ブスとは何よ、ブスとは!うるさいわね、酔っ払い!”
するとおじさん、
“俺は、明日になれば治る!”
(とっておきのいい話
文芸春秋編)
19 タマタマ時計
アメリカ人が、メキシコ旅行に行き、ホテルから街へ出た。時計をうっかり忘れてきたた
め、時間がわからない。しかたがないので、道ばたに座っているメキシコ人にたずねた。
すると、そのメキシコ人、隣に立っているロバのキンタマをソット持ち上げて、おもむろ
に、
“三時十五分!”
という。
ホテルに帰って時計を見てみるとなるほどあっている。不思議に思って、今度は腕時計を
してその男のところへいった。
“今、何時でしょうか?”
くだんのメキシコ人は、またもやソットロバのきんたまを持ち上げると、
4
“四時三十分だよ。”
腕時計をみると、ぴったりあっているではないか。どうしてそんなことで時間がわかっちゃ
うのか?男は大金を握らせて懇願した。
“教えてくれ。なぜわかるんだ。”
“おまえさん、ここに座ってロバのキンタマを持ち上げてみな。”
言われたとおりにすると、ロバの股ぐらから、教会の時計台が見えるのだった。
(とっておきのいい話
文芸春秋編)
20 新婚旅行
5歳の子がお母さんに質問しました。
“ママ、新婚旅行ってなあに?”
“結婚したばかりの男の人と女の人が一緒に旅行することよ。”
“ふ〜ん、ママとパパと行ったの?”
“行ったわよ。とても楽しかったわ。”
“その時、僕も一緒に行ったの?”
ママは落ち着いて答えました。
“もちろん、行きましたとも。行きはパパと、帰りはママと一緒にね。”
(とっておきのいい話
文芸春秋編)
21 チャーチルの政治家論
“期待される政治家とは、明日なにが起きるかを、国民に予告できなくてはならない。
そして、次の日、何故自分の予言どおりにならなかったかを国民に納得させる能力がなく
てはならない。”
22 米長邦雄九段が棋士になった理由
“私の三人に兄は頭が悪いので東大にすすみ、私は頭がよいので棋士になりました。”
23 水泳を習う理由
70 歳を過ぎた御婦人が木原光知子に水泳を習いたいと言ってきた。理由を聞くと、
“三途の川をバタフライで渡りたいから。”
24 天からの手紙
北海道大学の中谷宇吉郎は人工雪の研究をした。雪の結晶形は、それが成長するときの大
気の温度と水蒸気が補給される度合いで決まることをつきとめた。このような研究から、
降ってきた雪の結晶から上空の気象状況が知られるようになった。
“雪は天から送られた手紙である。”
5
は、中谷の有名な言葉である。
25 天気予報
明日は、あしたの風が吹くでしょう。
26 台風
アメリカ:ハリケーン
インド:サイクロン
マダガスカル:トロバドス
フイリピン:バギオ
27 ハリケーン
コロンブスが西インド西インド諸島を航海したときたびたび暴風雨に遭遇した。そして原
住民がウラカンと呼ぶ暴風雨をコロンブスもそう呼ぶようになった。スペイン語では H を
発音しないので、ウラカンは Huracan と綴ることになる。これがのちに英語の Hurricane に
かわったということである。
28 味
夫が入院した。
点滴をしているのをみて孫が
“おばあちゃん、これ何?”
と聞く。
“これはね、おじいちゃんがお口から食べられないから、これがご飯なのよ。”
と答えた。納得顔の孫がおじいちゃんに言った。
“おいしい?”
(三枝の笑ウインドウ
朝日新聞 2003.05.10)
29 発見
科学では、基本的な新しい概念の一定の発展段階においては、博学であることは、科学者
に問題を解決させうる主要な特徴とはならず、重要なのは想像力と具体的な思考、そして
なによりも大胆さということです。普通、新しい原理を設定する際、数学者に特徴的な鋭
い論理的思考は、むしろ邪魔になります。というのは、想像力のあしかせとなるからです。
(科学・人間・組織
30 うそ
うそには三つの種類がある。
6
カピッツア)
うそ、
恥知らずなうそ、
そして統計だ。
(科学・人間・組織
カピッツア)
31 うそ2
科学者は希望する結論を得ようとするあまり、統計的な正確をもつ実験データを主観的に
解釈しがちですが、それがどんなに危険かをラザフォードはよく知っていました。だから、
彼は統計的なデータの取得は実験の目的を知らない学生におこなわせました。
(科学・人間・組織
カピッツア)
32 指導
“私のところで X は見込みのないテーマに取り組み、いたずらに時間と器具その他をつい
やしている。”
と、カピッツアはラザフォードに相談した。ラザフォードはこう答えた。
“彼が見込みのないテーマに取り組んでいるのは知っている。しかしこのテーマは彼独自
のものであり、もしも彼の研究がうまくいかなくても、それは彼に独創的な考え方を教え、
別の問題へ導き、それは実験的な解決をうることができるだろう。”
そして、ラザフォードのいう通りになりました。彼は弟子の中に思考の独自性、創造性を
育むために、多くのものを喜んで犠牲にしました。そして弟子にそれが現れると何かと気
を配り、その人の研究を特に激励しました。
(科学・人間・組織
カピッツア)
33 指導2
カピッツアはソ連で研究が思うようにできずに悩んでいた。
ラザフォードはこんな手紙をよこしてくれた。
“必要ないことだろうが、君に少し助言したい。君にとって最も大切なことは、できるだ
け早く、君の研究所の設備で研究をはじめ、君の助手たちを役に立つように教え込むよう
に努力することだと思う。再び研究を始めるようになれば、不愉快なことの多くはなくな
ると思う。君が研究所を開設するために懸命に働いているのを当局側が見さえすれば、君
と当局の関係も好転するものと確信している。私が情勢を理解していないと君はいうかも
しれないが、君のこれからの幸せは、研究所でいかに熱心に研究をするかにかかっている
と私は信じる。自省のし過ぎはかえっていけない。”
(科学・人間・組織
34 指導3
7
カピッツア)
ラザフォードは夕方6時以降、研究所で働くことを許さなかった。カピッツアはこれに抗議
した。ラザフォードはこう答えた。
“6時まで働けば十分だ。あとの時間は考えなければならない。あまりにも考え過ぎ、あ
まりにも考えない人間は落第だ。”
(科学・人間・組織
カピッツア)
35 エーレンフェスト
エーレンフェストの特長は批評眼が並外れて鋭かったことです。理論物理学者たちは、大
きな研究を完成すると、それを説明するために彼のところへやってきました。エーレンフェ
ストなら、どんなに小さな矛盾や間違いも見逃さなかったからです。彼のところには、ア
インシュタインやボーアがやってきていたほど本腰をすえた有益なものでした。忘れてな
らないのは、エーレンフェストは非常に喜んで批評し、それは生き生きとして辛辣でさえ
ありましたが、いつも思いやりにあふれていたということです。
(科学・人間・組織
カピッツア)
36 エーレンフェスト2
エーレンフェストは自分が批判した友人たちの水準に達するほどの創造的な仕事ができな
いことに悩んだ。
そして自殺した。
37 波と粒子
音は波である。外で発生した音は窓ガラスをこわすことなく我々は室内できくことができ
る。これは、音の発信源が空気を振るわせ、窓を振るわせ、その窓がまた空気を振るわせ、
その空気が我々の鼓膜を振るわせているためである。
石は粒子である。外で遊んでいた子供の投げた石は窓ガラスを壊し室内の我々にぶちあた
る。
38 波と粒子 2
光は粒子だろうか、波だろうか?これは延々と議論の続いた物理学上の問題であった。そ
して、
‘光は波でもあるし、質量0の粒子でもある、’
という結論に達した。
39 波と粒子 3
“光が波でも粒子でもあるのであれば、電子もそうだっていいだろう。”
とドウ・ブロイは考えた。彼の師のランジュバンはこの仕事に惚れ込み、訪問した研究者に
8
宣伝した。
40 波と粒子 4
ドウ・ブロイの研究を知ったデバイはそれをゼミナールで話すようにとシュレーデインガー
に命じました。
“こんなばかげたことなど話したくありません。”
と彼は答えました。だがデバイは、それでもやるように命じました。シュレーデインガーは
結局、同意せざるを得ず、ゼミナールでドウ・ブロイの学説をもっとくわしく理解しやすい
数式であらわすことにしました。彼はこれをやってのけ、全世界に自分の名を高らしめ、
彼の名で現在知られているシュレーデインガー方程式の発見に到達したのです。
ゼミナールで報告を聞いたデバイは
“君はすばらしい研究をしたのだ!”
とシュレーデインガー言いました。しかし、シュレーデインガー自身は物理学者達にドウ ・
ブロイがおこなったことについて人に説明するよい方法を発見したに過ぎないとしか考え
ていなませんでした。
41 波と粒子 5
1個の電子が、分たれた二つのスリットの両方を部分的に通り、その奥にある壁に到達し
たと説明するしかないのです。
光子の裁判 朝永振一郎
42 瀬古利彦
効率性を求める世の中で、マラソン練習も、あまり走り込まなくても記録は出せるという
風潮があった。だからこそ、長く走ることが必要だと思った。
世界のマラソン界は、ケニヤやエチオピアなど、アフリカの高地の選手たちが強さを誇っ
ている。坂口は、彼らに日本人が対抗するには、豊富な練習量しかないと実感している。
それは、瀬古利彦をチームの先輩として身近で見てきたからだ。月間 1000 キロなら多いと
言われるなか、瀬古の走行距離は 1500 キロに達することもあった。世界一の練習だった。
人間にあれ以上の練習はできない。
(一流を育てる
中国電力陸上部監督
坂口泰)
43 みにくいあひるの子
小学校2年生の娘が、久しぶりに‘みにくいあひるの子’の絵本を手に取り、
“わたしだったら、みにくいあひるの子でも、いい子いい子ってなでてあげる。”
と優しい言葉をかけていた。だが、しばらくすると
“でも、少しはみえるんでしょ?”
9
と不思議な質問。どうやら‘醜い’を‘見にくい’だとずっと思い込んでいたらしい。
(朝日新聞 いわせてもらお
2003.06.07)
44 青春
青春というのは暦上の年齢ではなく、60 歳でも 70 歳でも、目標を持って生きている時を
さすのだ。
(詩人
サムエル・ウルマン)
45 青春 2
延べ床面積 30 坪前後の家を数件造った後、建物の規模も徐々に大きくなった頃に、サント
リーの佐治敬三さんから、うちの美術館を造れと依頼されました。経験したこともない大
きな建物で不安だともらしたら、情けないことを言うな、やってみろと。
それがいまの天保山サントリー美術館です。
美術館の仕事を一緒にしていた時、いつも佐治さんは、とにかく人生は面白くなければな
らないと騒いでいましたね。仕事をしている間はワクワクしながら生きてみろ。感動しな
い人間は成功などしないぞ、と。
そのとき佐治さんは、私とこの美術館を造りながらお互いに青春を走ろうと思われたそう
です。
(建築家
安藤忠雄)
46 Look out
アメリカの電車に日本人が乗っていた。車掌が
“Look out!”
と言ったので窓から首を出して外を見た。線路すれすれに太い大木があり首の骨を折った。
Look out は注意しろ、という意味。
47 ひっくり返す
He turned his pocket inside out. 彼はポケットを裏返しにした。
She turned the basket upside down.
彼女はかごをひっくり返した。
(イデオム英会話
48 ~やら、~やら
佐藤伸雄)
(What by~)
What by a strong wind and what by a heavy luggage with myself, it was a most hard job. 強風が吹
くやら重い荷物を持っているやらで、とってもつらい仕事だった。
(イデオム英会話
10
佐藤伸雄)
49 ~ならばどうする
(What if~)
What if he should come?
もし彼がきたらどうしますか?
(イデオム英会話
佐藤伸雄)
50 mind
Would you mind coffee?
Yes, I do.
この意味は、
“コーヒーを気にしますか?つまり嫌いですか?”
である。したがって、聞かれた人は
“嫌いです。”
と答えたことになる。
(イデオム英会話
佐藤伸雄)
51 おたまじゃくしの親
なまず
52 ペンギンの子供
つばめ
53 機内食
“今度日本航空では乗客にソバを振舞うことにしたそうだ。どういうソバだと思う?”
“?”
“ジャルソバさ。”
(自然と人生
金田一春彦)
54 ジャブ
小5の娘と、高1の次男がシャドーボクシングをして遊んでいた。
“ジャブジャブ”
と次男が言った。
娘は、ジャンプをしながらストレートを繰り出していた。
55 円谷幸吉
東京オリンピックマラソンに円谷は出場した。あまり期待されていなかったが、で胴メダ
ルを獲得した。彼は、命をかけて走るランナーであった。
次のメキシコオリンピックでの優勝の期待を一心に背負い、ひたむきに練習した。が、故
11
障勝ちで、思うようにいかなかった。1968 年、命をかけて走るランナーは右頚動脈を切っ
て自らの命を絶った。
56 円谷幸吉2
父上様、母上様、三日とろろ美味しゆうございました。干し柿、餅も美味しゆうございま
した。
敏雄兄、姉上様、おすし美味しうございました。
克美兄、姉上様、ブドウ酒とリンゴ美味しゆうございました。
巌兄、姉上様、しめそし、南ばん漬け美味しゆございました。
喜久蔵兄、姉上様、ブドウ液、養命酒美味しゆうございました。又いつも洗濯ありがとう
ございました。
幸造兄、姉上様、往復車に便乗させて戴き有難うございました。モンゴいか美味しゆうご
ざいました。
正男兄、姉上様、お気を煩わして大変申しわけありませんでした。
幸雄君、秀雄君、幹雄君、敏子ちゃん、ひで子ちゃん、良介君、敦久君、みよ子ちゃん、
ゆき江ちゃん、光江ちゃん、彰君、芳幸君、恵子ちゃん、幸栄君、裕ちゃん、キーちゃん、
正祠君、立派な人になって下さい。
父上様、母上様。幸吉はもうすつかり疲れ切ってしまって走れません。何卒お許し下さい。
気が休まることもなく御苦労、御心配をお掛け致し申しわけありません。幸吉は父母上様
の側で暮らしとうございました。
57 A girl と the girl
少女の成績は一般に上がっていくものであるが、その少女の成績は下がる。
A girl 成績 a girl.
The girl 成績 the girl.
12
58 ハンス
オイラー
彼は抜群の才能だけでなく、その外観も早くから私の目を引いていた。彼は彫り
の深い頬の落ちた細面とブロンドの巻き髪をもっていた。彼の笑顔の中にはしば
しば悩みが認められ、彼が話すとき、若者にはめずらしい強い集中力が感じられ
た。彼の生活は苦しいのは明らかであった。私は彼に小さなポストであるが与え
ることができたのを喜んだ。
(部分と全体 ウェルナー ハイゼンベルク)
59 ハンス
オイラー2
第2次世界大戦中、ハイゼンベルクはオイラーを原子爆弾開発グループに入れた
かった。兵役を免除されるからである。戦後に国を復興させるときに君の能力を
生かすべきだ、とオイラーを説得しようとした。しかし、オイラーは、健康状態
が悪かったにも関わらず自ら空軍に志願した。
“私も戦争が無駄なことだとは思っています。ですが、私の友人がその戦争に従
軍し、死んでいっているのです。私は彼らの状況より安全なところに身をおきた
くありません。
”
60 ハンス
オイラー3
ハイゼンベルクとオイラーは鎮痛な内容の手紙を何回かやり取りした。やがて、
オイラーの手紙は、上空から見た美しい眺めや、仲間たちとのちょっとしたふざ
けの楽しい軍隊生活を書き綴った内容の明るい調子のものになっていった。
61 ハンス
オイラー4
ハイゼンベルクはオイラーの手紙を読んで、ボーアから聞いたシラーの詩を思い
出した。
13
生きることの不安を投げ捨て、
もはや恐れることも、案ずることもなく彼は雄々しく人生に立ち向かう。
今日当たらなくても、明日はきっと当たる。
明日当たるのなら、今日のうちに
なお残る貴重な残り酒の杯を心ゆくまで傾けよう。
・・・
オイラーはこの戦争で散った。
62 見果てぬ夢
見果てぬ夢を夢見
卓越した敵と戦うこと
耐え難き悲哀に耐え勇者もしり込みするような地を走ること
悪を正すために
遠くから清純で貞節なる女人に崇拝の念を贈ること
いかに腕が疲れていても
手の届かぬ星をなんとか掴もうと努めることだ!
その星を追うのが予の冒険だ
いかに望みがなくとも いかに遠くとも
正義のために戦うこと
疑問もためらいなく
地獄にも喜んで身を投じよう
14
正義のためであれば!
この身を心の底から
この輝かしい冒険に捧げるならば
わが心は安らぎと平穏を得られるだろう
死を迎えたときに
そして世の中は少しは改まるだろう
一人の男が 嘲笑を浴び傷だらけになりながら
それでも勇気の最後の一滴まで振り絞って
届かぬ星を掴もうとするならば
(ラマンチャの男)
63 呼吸法
3秒吸う。
2 秒息を止める。
15秒かけて息を吐く。吐ききる感じ。
64 呼吸法 2
鼻から息を背骨を通すつもりでゆっくり吸う。
腰と腹あたりまで吸い込んだら、今度はゆっくりと吐いていく。
背骨に空気の通り道をつくるイメージ。
65 呼吸法 3
15
自分の体を液体の入った皮袋だとイメージし、肩甲骨を緩めるようにしてゆっく
りと息を吐きながら、体を前や後ろに傾けながら、体の中の液体をちゃぷちゃぷ
させるような動きをする。
66 教授のいる日
会社の先輩がリクルート関連で大学のある研究室に電話をかけた。
“M 先生はいらっしゃいませんか?”
“今日は先生は忙しいので研究室に居ません。”
と秘書が答えた。
次の日、再び電話した。
“今日は先生は忙しくないので研究室に来ていません。”
と秘書が答えた。
67 治す
心臓が悪ければ心臓だけを治療しても、本当の癒しにはならない。本当の癒しになるためには、
心臓を持っているその丸ごとの人、あるいはその人と一緒に生活いている家族まで、あるいはその
家族が生活している地域まで見て、本当に癒すということが完成するのではないかと思う。
(がんばらない 鎌田実)
68 水虫治療法
それはある児童用の書物で偶然発見したのだが、なんと、お茶っぱが効くというのだ。どういう了
見で、お茶っぱが効くのか、全く理解の範囲を超える方法だが、ワラにもすがる思いの私は早々
実行に移った。まず患部を軽石で洗い、少し血がにじむ程度に皮を薄くした。これは私の勝手な
療法だが、この方がお茶の葉エキスが水虫菌に直接作用しやすそうだからである。次にお茶っぱ
に熱めの湯をかけ、ふやけたところをストッキングに入れ、患部を覆って床についた。
どうせこんな療法は、我が清水市の茶所ならではの迷信だろうと思い、たいした期待もせずに一夜
は過ぎた。
ところが、一週間この方法を続けただけで私の水虫は完治した。
(もものかんづめ さくらももこ)
69 もうどう犬
私は、盲導犬は道を教えるだけのものと思っていました。だけど、違いました。
クイールの見ている空が、ハーネスを通じて私にも見えるんです。
(盲導犬クイールの一生)
70 Close
16
閉を押さえているのだ。
ぼく自身は、こんな自動の機械に乗って、自分でいちいちドアを閉めようなんて思ったことがない。
それはエレベータの仕事である。あと1,2秒すればドアは閉まるのだ。
3,40年前までは、立派なエレベーターのある建物などあまりなく、手動で扉を閉めるのも珍しくな
かった。自動が普及しても、ボタンは開だけだった。日本でどのエレベータにも閉がつくようになっ
たのは、そんな昔ではなかったと思う。
開は、本質的には親切なボタンだと思う。乗り遅れた人を助ける。
今ではどこの国でも閉がつくようになり、外国人も当たり前のように閉を押している。日本発のセッ
カチ輸出で世界中がせっかちになってきたのだろう。
(指揮者 岩城宏之)
71 Help yourself
アメリカ人がよく使う Please help yourself という挨拶も、英語の会話に慣れるまでは、私の耳にはあ
まり快く響かなかったことを述べておこう。この言葉は日本語だと"自由にお召し上がりください。
“というほどの意味だが、直訳すると”どうぞ自分自身を助けなさい“ということになる。これはどうも
私の耳には何か突き放したようで不親切に響き、それがなぜ好意の表現となるのか、なかなか悟
れなかった。日本人の感受性からすると主人は客をもてなすに際し、かゆいところに手が届くよう
に相手の気持ちを察してやるのが礼儀である。したがって、”御自分を助けなさい“では不慣れな
客にたいしてあまりにも思いやりのない言葉と思われないか。私は概してアメリカ人は、日本人のよ
うに思いやったり、察したりしない国民であるということを漸く感じるようになった。そんなわけで、そ
うでなくても異郷にあれば心細くなるものだが、私は一層心細い気持ちで最初のアメリカ生活を
送っていたのである。
(甘えの構造 土井健郎)
72 育てる
育てようと思うたら、じっと我慢して見ていてやらねばいけません。少々まどろっこしくても、すぐに
手を出しちゃいかんのです。それをしたら人は育ちません。技術の知識を覚えることはできても、
技術を生かす心は身につきません。
(表具師 山内 啓左)
73 いい親
“ぼくには、ずっと考えてきたことがある。
いい親になるには、どうすればいいか。
それは、いつも変わらないこと。
17
辛抱強く、話を聞いてやること・・・話がわからなくても、きいてやるふりをすること。
そして、愛してやること。”
(クレイマー・クレイマー)
74 危険なコンサート
次男が年長の頃、情操教育にと思い妻がオーケストラのコンサートに連れて行った。
演奏が始まると、
“とんでくる?とんでくる?”
と妻に顔をうずめて怖がった。
バイオリンを弓と思ったらしい。
75 ビュフォンの針
マッチと同じ距離の平行線を何本も引く。
マッチを適当に投げて、そのマッチが平行線と交わった回数を数える。この交わる確率
は2/になる。つまり、その交わった回数を投げた回数で割るとを求めることができる。
76 ビュフォンの針の証明
平行線と角度Θに落ちたマッチの平行線と垂直な方向の長さ成分は d sinである。この長さの棒
の端を平行線からもう一方の平行線へずらしていき平行線間の距離 d だけすすめる。このときこの
棒が平行線と交わっていた距離は d sinである。よって、角度Θで落ちたマッチが平行線と交わる
確率は d sin/d=sinである。角度としては0からの/2 間を考えればいいから、すべての角度の場
合の交わる確率pは

2
p=
0
sind

2
2
=
となる。
77 鈴木のボール
面積 S の壁に半径 a の円を n 個書く。
子供に目隠しをさせ壁に向かってボールを投げさせる。
円にぶつかったボールの数を壁にぶつかったボールの数で割る。それを p とおくと
2
p = na
S
でを求めることができる。
18
78 行灯
あんどん
79 行火
あんか
80 蛇の道は蛇
じゃのみちはへび
81 縁も縁もない
えんもゆかりもない
82 燐寸
マッチ
83 秋桜
コスモス
84 向日葵
ひまわり
85 紫陽花
あじさい
86 麺麹
パン
87 肖像写真
写真を始めたばかりの頃のぼくは、モチーフに対する自分の解釈が成り立たない内は、
シャッターを切る気にはどうしてもなれなかった。この男はこういう人間だな、というこ
とをかなりの接触を通じて、自分なりの解釈と納得がいって初めて安心してシャッターを
切ったものだった。
写真術発明の初期においては、人物に対する解釈をどうするかというよりは何よりもまず
写るか写らないかということのほうが一大事だった。何とかして写そうという技術的操作
で精一杯であり、移されるほうも自分の姿を写真として残そう、写されようとむきになっ
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ていた。つまり、撮る者も撮られるものも写るか写らないかの技術的操作の中に一体となっ
てしがみついていたわけだ。生きた姿をそのままに写し撮るということ、それだけにまた
撮られた者の生きた姿が、つまり生命がうすれるという恐怖を与えたに違いなかった。写
真家の主観的な解釈などというものは末梢的で、問題ですらなかった。
写真術初期の肖像写真が実に優れたリアリティックを具現していることは、今日のぼく達
に深く考えさせるものがある。
(土門
拳)
88 肖像写真2
女の顔は、やや上から見おろした時が、一番美しいと言われる。
その人らしいということと、その人ということは、必ずしも一致しない。
気力は眼に出る。
生活は顔に出る。
教養は声に出る。
心に秘められた感情は、口のまわりに出る。
年はうしろ姿に出る。悲しみも・・・・・。
写される人に押されてはろくな写真はできない。
写される人があなたまかせの心境になるまで、押し切らなければ駄目だ。気力第一である。
いい写真というものは、写したのではなくて、写ったのである。計算を踏みはずした時に
だけ、そういういい写真ができる。ぼくはそれを、鬼が手伝った写真と言っている。
(土門
拳)
89 ナンシニクルカ
以前、電報は濁音なしのカタカナで送られた。
明治時代の日本野球の草創期、初めてい一高(現・東京大学)の野球部と外国人チームと
の試合が行われた。
外国人チームは一高チームが何時にくるのかの問い合わせの電報
“ナンシニクルカ?”
を打った。
一高側は、
“汝、逃ぐるか?“
と解釈し、あわや喧嘩になりそうになってしまった。
(日本語を反省してみませんか
90 シサツ
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金田一春彦)
中央政府が鹿児島地方を視察して回っていた人間に
“シサツヲトケタラハヤクカエレ(視察を遂げたらすぐ帰れ)”
と電文を打った。それを西郷側の人間が
“刺殺を遂げたら・・・・”
と誤解し、それがたねで西南戦争が勃発したという説がある。
(日本語を反省してみませんか
金田一春彦)
91 ‘が’と‘は’
相手が状況をよく理解しているときは‘は’を使う。
“今日はいい天気ですね。”
“ここは静岡県です。”
“私は暑がりです。”
“あなたは暑くありませんか?”
など、今日、ここ、私、あなたというのは相手にとって状況が明確なことが多いため‘は
‘を使うことが多い。
(日本語を反省してみませんか
金田一春彦)
92 ‘が’と‘は’2
相手の頭に具体的に浮かばないことには‘が‘を使い、状況が明確になったら’は‘を使
う。
“あそこに鳥がいる。あの鳥はセキセイインコだ。”
これは英語の a と the の使い方に似ている。
“There is a bird. The bird is a parakeet.”
(日本語を反省してみませんか
金田一春彦)
93 I love you.
明治の初め、海外の小説を二葉亭四迷が訳したとき、ハタと困ったせりふがあった。
男と女が向き合って
“I love you.”
とささやきあう。
男はともかく、女がそういう言葉を口に出すことは当時なかった。
彼は、二日間考えたあげく、思いついた言葉は
“死んでもいいわ”
だった。
(日本語を反省してみませんか
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金田一春彦)
94 じいさん、ばあさん
国語学者の池田弥三郎が夫婦で田舎の福島の旅館に泊まった。
夕方散歩に出かけた。番頭さんが、
“じいさん、ばあさん、お出かけ。”
と声をかけた。散歩から戻ると、同じ番頭が
“じいさん、ばあさん、お帰り。”
と言った。
池田氏は
“きみ、いくらなんでもぼくたちをじいさん、ばあさん呼ばわりすることはないだろう。
少しは違った言い方があるんじゃないか。”
と講義した。すると番頭の方が面食らった表情で、そんなことを言った覚えはないという。
よく聞いてみると、池田氏の泊まった部屋の番号が 13 番だった。
“13 番さん”
を
“ずうさんばんさん”
と言っていただけであった。
(日本語を反省してみませんか
金田一春彦)
95 1729
数学者のハーディーが病気で療養中の弟子のラマヌジャンを見舞った。
“天気がひどいうえ、タクシーの番号も 1729 というつまらないものだった。”
とハーディーは冗談のつもりで言った。と、ラマヌジャンは間髪を入れずにいった。
“とても面白い数字ですよ。三乗の和として二通りに書き合わせる数のうち、最小のもの
です。”
1729 = 13+123 = 93 + 103
96 ラマヌジャン
ラマヌジャンはわれわれの 100 倍も頭がよいという天才ではない。なぜその公式を思いつ
いたか検討がつかない、という天才なのである。アインシュタインの相対性理論はアイン
シュタインがいなくとも二年以内に誰かが発見したろうといわれる。数学や自然科学にお
ける発見のほとんどすべてには、ある種の論理的必然がある。だから、10 年か 20 年もす
れば誰かが発見するのである。
ラマヌジャンの異様な輝きをもつ公式群は、なぜそれを思いついたかの必然性がみえない。
ということはとりもなおさず、ラマヌジャンがいなかったら、それらは 100 年近くたった
今日でも発見されていない、ということである。
(天才の栄光と挫折
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藤原正彦)
97 Salary
昔、塩(salt)は給料にもなった貴重品とされ、ラテン語で塩を買うための金を意味する
salarium が、給料(salary)の語源であることはよく知られている。
(元素 111 の基礎知識
98 Salary2
上記を面白いと思い妻に読んできかせた。
“へ~、そうなの。だけど、よく知られてないじゃんね。”
“うちだけかもしれないよ、知らなかったのは。”
23
桜井弘)
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