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「Think Globally, Act Locallyー台湾で のグローバルな学習から日本を

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「Think Globally, Act Locallyー台湾で のグローバルな学習から日本を
「Think Globally, Act Locallyー台湾で
のグローバルな学習から日本を見つめ直
すー」
1年 横井洸希
はじめに
僕はSGH事業で台湾へ研修に行き、現地の人々
と交流したり、現地の学生と会話したりするなか
で台湾の魅力に触れ、台湾についてもっと人々に
知ってほしいと思った。また、台湾での経験を通し
て日本という国を再認識できた。この文章はこれ
らを踏まえて執筆したものである。
1 台湾の歴史・政治・経済
(1)台湾の歴史
SGHのゼミの講義やJTB台湾で受けた講義をも
とに台湾の歴史についてまとめた。しかし、膨大
な量となったため、最後に資料として載せることに
した。ここでは歴史の流れについて軽く触れる。
台湾の歴史は多くの民族や国が複雑に絡み合って
いる。台湾は民族の多様性に富んでいて、細かく分
けることができる(資料A参照)。また、台湾はオ
ランダ、鄭成功、清朝、日本、中国国民党に統治さ
れていき、多くの国や人が出たり入ったりを繰り
返した(資料B F参照)。これらの経緯で台湾では
民族・文化が混在するようになった。これは台湾
人のアイデンティティに少なからず影響を与えてい
る。
(2)台湾の政治
台湾の総統は初代蒋介石から嚴家淦、蒋経国、
李登輝、陳水扁、馬英九、蔡英文(2016.5.21∼)
と続く。台湾には多くの政党が存在するが主たる
ものは、二大政党である中国国民党(KMT)と民
主進歩党(DPP)である。陳水扁、蔡英文は民進
党からの総統であり、その他は国民党からの総統
である。また、蔡英文は台湾初の女性総統になる。
もともと中国から移住してきた国民党は大陸中国
と関わるのを推進している。一方、民進党は台湾
が独立するのを目標としている。現馬英九総統の
任期は2016年5月20日に終わるため、同年1月16
日に中華民国(台湾)総統選挙が行われた。この
選挙で、民進党の蔡英文主席が当選し、政権交代
することとなった。総統選挙については後ほど
「2」で触れることにする。
よって生産されている。他にも台湾企業はパソコン
やテレビなどを作っている。にもかかわらず、多く
の人々は台湾企業のブランドを知らない。それは
なぜかというと、台湾では、顧客から頼まれた製
品を生産しているだけで自社ブランドを持っていな
い企業が多いからだ。これを受託生産という。台
湾企業は受託生産の担い手として、世界のエレクト
ロニクス産業を席巻している。メリットは、受託生
産のみに専念するため、顧客から見ると自社ライ
バルに成長するおそれがないので安定して仕事が入っ
てくる点や多くのブランド企業を顧客とすること
で様々な市場情報に接するため、最先端の市場・
技術知識を蓄えている点である。また、中国に大
規模工場を設立し、低コストで大量生産を行うこ
とができている。一方で中国への経済的な依存度
が高まっているのも事実だ。台湾企業にとって、中
国経済の発展は大きなビジネスチャンスである。
しかし、中国は台湾を統合することを目標としてお
り、ビジネスで政治を囲い込もうとしているのもま
た事実である。2014年3月18日にひまわり学生運
動が起こった。これは、中国人が台湾で、台湾人
が中国でサービス業を行えるようにするという協
定(中台サービス貿易協定)に調印することに学
生が反発した運動である。このことから、中国と
の経済一体化に台湾の若者たちは強い不満を持っ
ているといえる。その反面、それをビジネスチャ
ンスとしてとらえる台湾の人もいる。今後の台湾経
済の行方は中国との関わり方が鍵となっている。
2 中台・日台関係
(1)台湾総統選挙
2016年1月16日に行われた台湾総統選挙で民進
党の蔡英文主席が689万4744票(得票率56.12%)
を獲得し、得票数381万3365票の国民党の朱立倫
主席、157万6861票の親民党の宋楚瑜主席を大差
で破り、当選した。民進党を後押ししたのは、8
年間の馬英九政権への国民の不満の高まりが挙げ
られる。例えば、2014年3月18日に、台湾の学生
と市民らが立法院(日本の国会議事堂)を占拠し
たひまわり学生運動。これは馬総統が中国と結ぼ
うとしたサービス貿易協定に若者を筆頭に多くの
国民が不満を抱いて起こったものである。この運
動や選挙結果からわかるように、多くの台湾の国
民は中国との融和政策を推進する国民党に否定的
な考えを持っているといえる。国民党とは対照的な
民進党に票が集まったのにも納得だ。しかしなが
ら、投票率は過去最低の66.27%だった。現地の学
生の12人に、もし選挙権があったらどの党に入れ
(3)台湾の経済
驚くことに、アップル社のiPhoneは台湾企業に
ー121ー
るかアンケートをしたところ、国民党1、民進党
3、その他1、残る7人はどの政党にも投票しな
いと答えた。投票しない理由の多くは、どの党に
なっても結局政治は変わらないからというものだっ
た。投票率の低さは、学生と同じような考えから
だろうか。台湾人の間では独立志向が高まってい
るように感じられ、このため、民進党が多くの票
を得たのだと思っていたが、民進党によって独立が
できると考えている台湾人ばかりではないようだ。
この選挙だけで台湾人がひとえに民進党または蔡
主席を支持しているとはいえなさそうだ。
今回の選挙の結果を受けて、中国と台湾の関係
がどうなるかに注目が高まっている。蔡主席は中
台関係について、現状維持を強調している。しかし、
蔡主席が当選したことで中台関係の悪化は避けら
れないとの見方も大きい。少し遡るが、選挙が行
われる前の2015年11月7日に、1949年に中華人民
共和国が建国されて以来、初めての中台トップ会談
が行われた。習近平、馬英九両氏の会談の最大の
目的は、総統選挙において、民進党への牽制をす
るためだといわれていた。このことから、中国が
民進党の当選をよく思っていないことがわかる。
総統選挙後、中国の新聞は、台湾の民衆は独立路
線を支持して蔡主席に票を投じたのではないと強
調している。さらに、外交力を行使して台湾の孤立
を図る可能性、すなわち台湾が国交を結んでいる
小国と経済大国である中国が国交を結び、台湾と
小国との国交を断絶させる可能性があることを示
唆していた。今後、中国が何かしらの形で台湾に
対して圧力をかけることが予想される。おそらく、
台湾にとって中国がいかに重要な存在であるかに
気付かせ、4年後の総統選挙で中国との関わりが
深い国民党の返り咲きを狙っているのだろう。中
台関係の今後の動向には目が離せない。
(2)中台関係
中台関係に着目すると、台湾の未来は3つ考え
ることができる。1つは中国との統合。1つは現
状維持。1つは台湾の独立。現地の学生17人に、
自分は統合、現状維持、独立のどれを希望するか、
また希望と違い現実はどうなると予想するかを聞
いてみた。希望では、統合3、現状維持6、独立
8という結果になった。一方現実は、統合4、現
状維持11、独立2、と予想された。独立を希望す
る多くは、中国と台湾は別の国だという意見だっ
た。また、国連に参加したい、五輪に台湾として
出たい(現在はチャイニーズタイペイ:中華台北)
という意見もあった。しかし、現実的には現状維
持が多かった。これに関しては、中国の力には対
抗できない、中国との無意味な戦争は避けたいと
いう意見が多かった。また、貿易や教育面は協力
してもいいが、政治は中国とは一緒にされたくな
いという意見もあった。一方で中国との統合に対
しては、経済効果への期待が多いと思っていたが、
実際は政治・軍事上の観点で中国には敵わないた
めという意見が多く、意外だった。
これらの意見から、台湾国民の中では台湾人と
してのアイデンティティを主張する人が増えてきて
いるように感じる。これが近年の中国との融和政
策への否定的意見に繋がっているだろう。民進党
が当選したことにも影響していると考えられる。し
かし、独立の声が高まるにもかかわらず、なかなか
その一歩を踏み出せないのはやはり中国の存在が
鍵となっているか。力では大国中国に対抗するこ
とができないために、あるいは中国との戦争を引
き起こさないために現状維持というのが得策だと
考えられているように思う。総統選挙の投票率の低
さにも繋がっているだろう。しかしながら、人間
個人の考え方は多種多様であり、さらに台湾は民
族が多様でもある。違う場所で聞いたら、結果は
全く異なるかもしれない。はたまた民族を越えた
共通理解が生まれているのかもしれない。この結
果で全てを見るのではなく、今後も調査をしてい
き、台湾国民のアイデンティティの変化を長い目で
見ていくことが必要だろう。
(3)日台関係
外務省によると、現在台湾が国交を結んでいる
国は全部で22ヵ国あるという。その多くは一度聞
いたことがあるかないかという国ばかりである。
もちろんその中には日本はない。どうしてメジャー
な国がないのかは考えればすぐにわかる話である。
経済大国中国は台湾を国として認めていない。その
ため中国と国交を結んでいる国は中国の反感を買
わないためにも台湾と国交を結べないのである。
多くの国は、中国との国交を失ってまで台湾と国
交を結ぼうとは考えないだろう。現在の日本もそ
の1つだ。では、日台で国交を結べる日は来るの
だろうか。僕は、残念ながら現状では国交は結べ
ないと考える。もし結べるならそれは台湾が独立
か統合された日であろう。そしてこれらは今すぐ
に行われることはなさそうだからだ。しかし、だ
からといって台湾に対して何もできないというわけ
ではない。例えば、今も行われている民間交流を
さらに活発化することならできるだろう。JNTO(日
本政府観光局)によると2015年の訪日台湾人旅行
ー122ー
者数は367万7100人である。台湾の人口は約2,343
万人(2014年12月:外務省)であるため、人口の
約15%、実に約6.7人に1人が日本を訪れたことに
なる。一方2014年(2015年の統計は未発表であっ
た)の訪台日本人旅行者数は163万4790人である。
日本の人口は約1億2682万人(2016年1月:総務
省統計局)であるため、人口の約1.3%、実に約
76.9人に1人が台湾を訪れたことになる。数字か
らも明らかだが、日本のほうが台湾より人口が5.4
倍ほど多いにもかかわらず、台湾のほうが2.2倍ほ
ど多く日本へ来てくれている。仮に人口が同じだと
すると約12倍の差にもなる。日本は貿易不均衡を
もたらしているのだ。確かに日本は外国人の訪日
を推進する一方で出国者には手をつけていない。
このままでは世界と揉めることにもなりかねない。
そこで、今の日本にできること、かつ台湾のため
にできることとして訪台日本人旅行者を増やすこと
が挙げられる。しかしただ単に旅行料金を安くす
るというのではいけない。僕は台湾の勉強をする
までは台湾という国は中国の一部か独立していな
い国かというようなイメージしかなかった。その
ため台湾という国の魅力を知らなかったのである。
他の人がこれに当てはまるかどうかはわからない
が、少なくとも台湾という国について知る機会を
増やすことは重要だ。観光だけでなく、歴史、文
化、さらには現地の人と交流して、台湾という国へ
の理解を深められたらよいだろう。もし訪台日本
人旅行者が増え、日台で交流がさらに深まり、台
湾の認知度が増えれば、それは国交以上に大きな
両国の懸け橋となるのではないだろうか。
3 日台相互のさらなる発展のために
(1)台湾の未来
台湾は今後どうなっていくのだろうか。今後の
台湾の未来について推察してみる。次期総統蔡英文
主席は中台関係で現状維持を強調しているため、
政権交代したからといってすぐに何かが変わるわ
けではなさそうだ。今後も多くの台湾人の間で独
立志向が高まっていくのだろうが、独立まで踏み
切るのは難しく、学生が予想する通り現状維持が
かたいだろう。もし何かが変わるとしたら、それ
は中台の考えが一致したときだ。中国が台湾を国
として認めれば話は早い。でも現状は認めそうに
ない。では、なぜ台湾の人は中国と統合するのを
拒むのかを考えよう。例に挙げるのが香港だ。香
港は1997年までイギリスに占領されていた。その
後中国に返還され、一国二制度の原理のもと中華
人民共和国香港特別行政区となっている。香港が
中国に対して良い感情を持っていたら、もしかした
ら台湾も統合するのかもしれない。しかし実際は
一国二制度であるのにもかかわらず中国の影響力
が拡大しているため、香港の人の不満が爆発してい
る。例えば香港への移住が増加してもともといた
人の職が失われたり、妊婦が香港にやってくるため
に受け入れ数が足りなくなったりしているという。
イギリスが占領していたころに戻りたいという声さ
えある。香港の例を踏まえると確かに台湾は中国
と統合するより現状維持のほうがよさそうだ。現
状維持のデメリットは正式な国として承認されず、
国連などに参加できないことだろう。しかしそれ
でも今は何の不都合もなくいっているので、中国と
の統合と現状維持を天秤にかけたら、やはり現状
維持をするほうが賢明だろう。また、独立をしよ
うとして中国との関係が悪化するのもできれば避け
たいだろう。もし、仮にも中国の国家主席が台湾
を国として認めてくれる時が来たら独立すればよい。
たとえ独立ができなくても、自分たちを台湾人と
して認識し、中国への嫌悪がこれ以上強まらない
ようにしたほうが、台湾人にとっての幸福が大きい
のではないだろうか。
(2)日本の未来
僕たちは普段日本にいるからこそ日本について
よく知っていると思いがちだが、日本から離れる
ことで俯瞰的に日本を見つめられるとはまた不思
議なことだ。例えば、台湾と比較することで見え
てきた日本の誇りがある。具体的には、衛生面の
良さや栄養バランスに富んだおいしい和食などだ。
これらは日本にいても外国人の口から耳にするこ
とはあるだろう。しかし、実際に台湾のトイレで
トイレットペーパーが流せない経験をしたり、普
段食べなれない独特のスパイシーが効いた料理を
食べたりすると、台湾が悪いというわけではなく、
本当に日本が優れている国なのだということに気
付く。まさに「百聞は一見に如かず」である。こ
のように、日本の魅力を再発見できるツールの1
つに英語があると考えられる。英語というグローバ
ルなコミュニケーションから日本を再認識するの
だ。例えば、外国人の友達と日本文化について会
話して、日本の伝統文化の再認識に繋がることがあ
るかもしれない。また、互いの宗教について知り、
国同士の親睦を深めることにも繋がるかもしれな
い。世界に目を向けることで、自国の見えていな
かった部分に気付くことがある。それが、日本人
が英語を学ぶ意義であろう。これはThink
Globally, Act Locally(世界規模でものを考え、身
ー123ー
近な地域で活動しよう)という考え方に似ている。
しかし、日本人は英語が本来はコミュニケーショ
ンツールであることを忘れ、受験科目の1つとして
認識しすぎではないだろうか。もちろん台湾でも全
員が英語を喋れるわけではない。しかし、台湾の
英語教育が日本より実用化しているのは紛れもない
事実だ。現地の学生によると、彼らは4、5歳の幼
少のころから両親に英会話スクールに入れてもらい、
英語に慣れ親しんで成長してきたという。そして、
高校生の今は英語の授業でディスカッションをする
そうだ。英語を実用的な言語として使えるようにし
ている台湾に日本は見習う点があるだろう。
英語を例にとったが、これは台湾の学習全般に
もいえることだ。台湾についての学習で中台が複雑
に絡み合っていることがわかった。台湾の外交問
題を勉強することは、日本の外交問題を見つめ直
すことにも繋がっているのだろう。そして、台湾を
知ることは日本を知ることにも繋がっているのだ
ろう。グローバルな視点で生き、身近なところで寄
与することが若者の使命であり、日本の未来を支
えていくのではないだろうか。
資料:台湾の歴史
A 民族構成
台湾の民族構成を大きく分けると外省人と本省
人の2つに分かれる。外省人とは1945年以降の来
住者をさす。全人口の12%で、主に大陸中国の国
共内戦で敗れた国民党の移住者である。一方で本
省人とは1945年以前の居住者をさし、主に漢族系
と原住民族系に分かれる。漢族系は全人口の86%
を占める。明朝の終わりから清朝の初めにかけて
福建省から移住してきたホーロー人(74%)と清
の時代に広東省から移住してきた人(12%)に分
けられるが、多くは漢人と原住民族の混血となっ
ている。一方、原住民族は全人口の2%ほどしかな
い。山岳に住む高山族(高砂族)と平地に住む平
埔族に分けられる。現在、公式に認められている
原住民族は16あり、多くは漢人化が進まなかった
高山族をさす。一方漢人化が進んだ平埔族は一部し
か原住民族として公式に認められていない。原住民
族にはかつては入れ墨や出草(首狩り)などの風
習があった。出草は敵対部落や異種族の首を狩る
風習であり、彼らは好戦的部族であったといえる。
原住民族はオーストロネシア語族と関わりが強く、
東南アジア方面から来た説が有力とされている。
B オランダ植民地時代
ポルトガルがヨーロッパ船として初めて台湾に到
達すると、ヨーロッパ各国から多くの人々が台湾
へ来航するようになった。そして、台湾の戦略的な
重要性に気が付いたオランダやスペインが台湾を
領有し、東アジアにおける貿易の拠点としていっ
た。オランダの東インド会社が1624年に史上初め
て台湾(台南)を領有し、その後1626年にやって
きたスペインも台湾(台北)を領有し抗争になっ
たが、1642年にオランダがスペイン勢力を追放す
ることに成功した。オランダは鎖国下の日本と平
戸で貿易をする際に、台湾を拠点としていたとみ
られている。
C 鄭成功政権時代
鄭成功は福建省出身の父鄭芝龍と平戸にいた日
本人の母田川マツの間に生まれた。幼名を福松(福
建省の福と田川マツの松)という。1644年大陸中
国で漢民族の明朝が滅亡し、満州族の清朝が進出
する。鄭成功らは「反清復明」を掲げ南明朝として、
清朝に抵抗していたが、力及ばず1661年に滅亡さ
せられる。清への反攻の拠点を確保するために、
鄭成功らの軍勢は台湾のオランダ・東インド会社
を攻撃し、1662年に東インド会社を追放すること
に成功した。その後、鄭成功は台湾島の開発に乗
り出し、「反清復明」の拠点にすることを目指し
たが、1662年中に病死した。彼の息子である鄭経
たちは父の跡を継ぎ、台湾を「反清復明」の拠点
にしていったが、反清勢力の撲滅を目指す清朝の
攻撃を受けて1683年に降伏した。この戦いの経緯
は日本でも知られ、後に近松門左衛門によって、国
性爺合戦として人形浄瑠璃化されている。また、今
日では鄭成功は台湾の開発始祖として社会的に高
い地位を占めている。
D 清朝統治時代
建国以来反清勢力の撲滅を目指して来た清朝は、
「反清復明」を掲げる台湾の鄭氏政権に対して攻
撃を行い、1683年に台湾を制圧して鄭氏政権を滅
ぼすことに成功した。その後、清朝は、台湾に1
府(台湾)3県(台南、高雄、嘉義)を設置し、
福建省の統治下に編入した。清朝の台湾領有は212
年にわたるが、清朝は台湾を「(価値がない)の
地」としてさほど重要視しておらず、消極的な態度
で台湾経営を行っていた。1871年、琉球の宮古島
の住民66人が台湾南部に漂着し、54名が牡丹社と
いう原住民に首を狩られて殺害され、残る12名が
命からがら帰国するという牡丹社事件が起こった。
日本政府は、事件に対し清朝に厳重に抗議したが、
原住民は「化外の民」である、という清朝からの
ー124ー
返事があったため、日本政府は1874年に台湾出兵
を行った。日本の台湾出兵がきっかけで、清朝は
日本や欧州列強の進出に対する国防上の観点から
台湾の重要性を認識するようになり、消極的な台
湾経営は積極政策へと変わっていく。清朝は台湾
の防衛強化のために知事に当たる巡撫職を派遣し、
1885年に台湾を福建省から分離して台湾省を新設
した。しかし、1894年に清朝が日本と戦った日清
戦争に敗北したため、1895年に締結された下関条
約に基づいて台湾は清朝から日本に割譲された。
これ以降、台湾は日本の外地として台湾総督府に
統治されることとなる。
E 日本統治時代
日本の台湾統治は、台湾人の武力抵抗への鎮圧
から始まる。初代総督樺山資紀(在任13ヶ月)、
二代総督桂太郎(在任4ヶ月)、三代総督乃木希
典(在任16ヶ月)はゲリラとの戦いに徹すること
になった。1898年、四代総督に児玉源太郎(在任
8年間)が就任、後藤新平も同時に台湾総督府民
生局長として就任した。後藤新平は台湾の衛生状
況を改善するため、当時東京帝大で水道工学を講
じていた英国人バルトン(William. K. Burton)と
浜野弥四郎に水道事業の計画を依頼し、台湾に近
代水道が敷設された。インフラに着手がされた結
果、港湾、鉄道、道路、通信網、公衆衛生が整備
された。また、台湾南部の乾燥と塩害対策として、
八田與一が烏山頭ダムと用水路を建設した。新渡
戸稲造は台湾のサトウキビに目をつけ、糖業を発
展させた。精糖、米の生産が増加したことで財政
的にも台湾は独立した。これは日本初の外地であ
る台湾を今後の他国の支配での模範にするという
狙いがあったとも考えられている。
時代は第二次世界大戦へと進み、台湾で皇民化
政策が行われた。1940年には台湾人の日本名使用
を進める改姓名運動も展開された。日本政府は当
初は台湾人には兵役の義務を課さなかったが、兵
員不足の事態になると、志願兵の名のもとに1942
年から徴兵が始まった。また、原住民が「高砂義
勇隊」を編成し、戦場に送り込まれた。1944年、
ついに台湾にも徴兵制が施行されたが、1945年8
月15日、日本は敗戦した。参戦した台湾人の軍人
は約8万人、軍属は約12万人。約3万人の戦死者
が出た。しかし、多くの戦死者、戦傷者は、戦後
日本喪失のため、日本から補償が受けられなかっ
た。1974年、インドネシアの山中で元日本兵であ
る台湾先住民アミ族のスニヨン(日本名中村輝夫:
漢名李光輝)が救出されたのをきっかけに参戦し
た台湾人の補償運動が展開された。1987年、日本
政府は戦死病死者、重傷者に対し、一人あたり200
万円の弔慰金を払った。しかし、これは米英仏な
ど他国が植民地の兵士に支払った補償と比べると、
とても小さな補償だと言われている。
F 国民党による統治
国共内戦で敗れた国民党が台湾に移住してきて、
国民党による台湾統治は始まった。初めは歓迎ムー
ドであったが、国民党の政治は腐敗していた。当
時の人々は、「犬(日本)が去って、豚(中国)
が来た(日本人はうるさく吠えても番犬として役立
つが、中国人は貪欲で汚い)」といったという。
1947年2月28日に起こった二・二八事件以降、国
民党に抗議する声が広がった。その国民党は台湾
人の抵抗意識を奪うために、医者、教師、弁護士
や留学経験のある学生などのいわゆるエリートや
抗議する若者数万人を大量虐殺した。さらに1949
年蒋介石が台湾へやってきたころから全土で戒厳
令が出され、使用言語は北京語のみに限定された。
約38年間に及ぶ戒厳令は世界でも類を見ない。夜
も出歩けない長い恐怖の支配が終わった後、台湾
は民主化の道を歩んでいき、今日に至る。
ー125ー
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