Comments
Description
Transcript
現代思想と呼ばれる様々な思想が生き死にを繰り返してきた
( 書 評) 現 代 思 想 の冒 険 者 た ち 鈴 村 和 成 著 ﹃バ ルト 第 21巻 テ ク ス- の快 楽 ﹄ 講談 社 刊 最 初 に バ ルト の研 究 者 でも な いも のが、 こ のよ う な 一文 を書 - こと に ついて幾 ば - か の説 明 を さ せ て いた だ き た い。 十 九 世 紀 末 から今 世 紀 にかけ て、 現 代 思 想 と呼ば れ る様 々な思 想 が生 き 死 にを繰 り返 し てき た。 そ こ で共 通 し て いる こと は' わ 」 ( フ ェミ ニテ) と な る。 1般 にバ ルー と いう 人 は フ ッー ワー ク のか る い思 想 家 と みら れ て いる。 ﹃ 恋 愛 のデ ィ スク ー ル﹄、 言 語 の物 質 性」 と れ わ れ の時 代 が 「 言 語」 と 「セ ク シ ュアリ テ ィー」 を 見 出 し た、 と いう こと であ ろう 。 バ ルト に即 し て言 う と 「 「 女性性 ﹃ミ シ ュレ﹄ を は じ め彼 の扱 った フ ァ ッシ ョン、 ストリ ップ 、 プ ロレ ス、 ホ モセ ク シ ャ ル、 ハシ ツシな ど、 さら には白 い エクリ チ 言 語」 と 「セ ク シ ュアリ テ ィー」 に関 係 し な いも のはな いし' ュー ル、 ニ ュー ト ラ ル' テ ク スト の快 楽 と った バ ルト語 にし ても 「 これ ら の題 材 が いま な お現代 社 会 を 語 る上 でも っと も 現代 性 の刻 印 を帯 び た も のであ る こと に変 わ り はな い。 し かし、 問 題 は これ から で、 こう し た題 材 自 体 も す で に現在 では サブ ・カ ルチ ャー、 カ ウ ンタ ー ・カ ルチ ャーと し て社 会 の 〓疋の承 認 をう け てし ま い' 逆 に知 的 な分 野、 哲 学 や文 学 も こう し た題 材 を扱 わ な - て は な ら な いと いう ド ク サ さ え形成 され つ つあ る こと であ る。 一方 、 現 代 社 会 にあ って切実 な も の の ひと つに芸 術 が あ る こと は疑 いえ な いこと であ ろう 。 私 にと っても芸 術 、 と り わ け文 学 が、 社 会 に出 る にし た が って い っそ う 大 切 な も の にな ってき た。 私 が本 書 を 手 に取 った 理由 は、 いま の芸 術 ' 文 学 を 取 り巻 -状 況 を考 「お ろ かし さ、 こ の愛 す べき も の 」 であ る が、 こう し た題 材 が いかな る存 在 と し て バ ルト の生 涯 に機 能 し た のかを見 極 め た か った え る上 で バ ルト に立 ち返 って考 え て み る必 要 を感 じ た こと であ る。 上 記 のよう な サブ ・カ ルチ ャー的 な題 材 は、 バ ルー にと っては の であ る。 そ し て、 も う ひと つの理由 は著 者 の鈴 村 氏 が詩 人 であ る こ と であ った。 鈴 村 氏 は、 ラ ンボ ー に ついて傑 出 し た書 物 を著 さ れ て い る フラ ン ス文 学 の研 究 者 であ る と同 時 に、自 ら詩 人 と し て詩 的 一 一 一 一 芸 和を扱 う 仕 事 に従 事 さ れ て いる。 も と よ り現代 詩 は十 九 世 紀 後 半 から モダ ニズ ムと いう 現実 を 背景 と し て歩 み始 め た。 し かし、詩 人 と し て著 者 が バ ルー を論 じ る こと のな か には、 二十 世 紀 も残 す と こ ろあ と数 年 と な って現代 詩 を生 みだ し た 現実 が リ アリ テ ィを失 い つ つあ る と き' 現代 詩 と り わ け 日本 の戦 後 詩 と は、 い った い 日 の情 況 の中 で著 者 自 身 あ え て詩 を書 - こと は確 固 と し た姿 勢 と相 当 な決 意 が 必 要 であ ろう 。 そ う し た意 味 で、 本書 に お いて詩 人 何 であ った のか、 これ から ど う な る の か、 終 わ ってし まう のか' と い った詩 人自 ら の態 度 決 定 が内 蔵 さ れ て いる ので はな いか。今 と し て の著 者 が バ ルト の読 みを 通 し て、 現在 ま す ま す狭 い範 囲 に囲 い込 ま れ つ つあ る詩 の世 界 への思索 を読 み と れ る の ではな いか と の期 待 があ った のであ る。 常 々感 じ る ことな のだ が、 現在 わ れ わ れが生 き て いる中 でも っとも苛 立 た し -、 歯 が ゆ いこと は、 あ ら ゆ る言 説 の いかが わし さ' べて の言説 が相 も変 わらず 言説 - ロゴ ス のも つ権 力 の呪縛 に囚 わ れ て いる。 情 報 化社会 あ る いはボード リ ヤー ルの言 に従 えば 後 期 白 々し さ、時 とし て発揚 さ れ る暴 力性 であ る。 政 治 家 や経 済 人 を はじ め新 聞 、 テ レビ な ど の マス コミ、 果 ては知識 人 に至 るま です 資 本 主義 の践 庖 す る世 界 ではあ ら ゆ る言 説 、 批 判 さえ も、 商 品化 され消 費 さ れ てし ま って いる。 「ロラ ン・バ ルト の時 代 と いう も のが あ る」 と著 者 が書 き出 す と き、 およそ 一九 五〇年 代 な かば から没年 の 一九 八〇年 ま で の約 二 十 五年 間 、 さら には 二十 一世紀 を目前 にし た現在 ま で に、 記 号論 、構 造 主義 ' 精神 分析 、 文化 人類 学、言語 学 のさ まざ まな活動 が 本 来 学 ん で いたダ イ ナ ミ ックな可能 性 、創 造性 、破 壊 性 を ことご と- も のわ かり のよ い議 論 に通俗 化 さ れ てし ま った こと への著 者 の静 かな憤 りを感 じ る こと は深読 み に過 ぎ るだ ろう か。 著 者 が バ ルトを 「 啓 蒙 の人 」と呼び 、 「 難解 にし か語 り えな い明快 な思想 が れ る以前 に、 いとも簡 単 に矯 小化 さ れ、 あ っさ り と葬 り去 られ た こと への不機 嫌 な いら だ ちが本 書 の底 流 を流 れ て いるよう に感 じ あ る」 と宣 言 す る と き、 か つてポ スト モダ ンと いう言 葉 がジ ャーナリ ステ ィ ック に世間 を席 巻 し、構 造 主義 にし ても正確 に理解 さ ら れ る のであ る。 さ て、 わ れわ れ は依 然 とし て 一つの知 の体 系 とし て了解 できう る よう な世 界 に安 住 す る ことを期 待 し て いる。 二元論 の迷 妄 から の自 由 を求 め考 え抜 かれた近代 思想 がも た ら し た 二項 対 立 の抗 争 と止揚 を内 に含 んだ' し たが ってそ の分 だ け複 雑 な構 造 を内包 し た 二九論 、 あ る いは形而上学 を頼 り にし て いる。 そ し て、 こ の 一元論 の世 界 は隠蔽 さ れ抑 圧 さ れ たも のを排 除 し た と ころ で成 り立 つも のであ る ことを、 わ れ わ れ の時 代 が、少 な - とも記 号論 '構 造 主義 以来 の知的 営 為 が明 ら か にし てきた と ころ にも係 わらず で が宙 ぶら り の情 況 を つ- りだ し、 そ の情 況 に耐 え かね るよう に、 い っそう の苛 立 た し さ所在 な さを助 長 し て いる。 これが唆 味 で形 あ る。 いや、 これら の知 的営 為 が、伝 統 的 な確 固 とし た世界観 ' 大 きな物 語 を解 体 し崩 壊 さ せ てき ただ け に、 そ の後 の思想的 停 滞 容 Lが た い現代 の姿 であ る。 そ れだ け ではな い。 わ れ わ れ は、 わ れ われ自 ら の言説 にも常 に裏 切 ら れ続 け て いる。 本 当 のことを言 えな い、常 に本 当 のことが 言 え て いな いと いう実 感 が つき ま と って いる。 こ こ には、 かけが え のな い私 、他 人 と交 換 できな い自 分 への目覚 め の契 機 があ る。 わ れわ れ にと って の真 実 は、客観 化 す る近代 理性 が つ- りあげ る歴史 的 ' 社会 的 な人間像 に還 元 し っ- す こと のできな い自 己 固 有 の私 な のであ る。 十 九 世紀 以来 の近代 - モダ ンの成 立 と変 容 によ って社会 から常 にす り抜 け て い-自 分 と の矛盾 に直 面 す る こと から、 現代 思想 と いわ れ るも のが始 ま った。 ヘーゲ ルを引 き合 いに出 せば 、弁 証 法 の自 己 展開 の発露 とし て の矛盾 な ど と いう のは 2 空 想 に過ぎ ず ' むし ろ' 近代 理性 の働 きが われ われ自 身 と世 界 を客観 化 し て い- さ中 に近代 におけ るわ れわれ の抱 え込 んだ本 質的 な矛盾 が はじ め て意 識 さ れ る のであ る。 そ こ にこそ ( 近代 の)芸術 ' 文 学 の立脚点 があ る のであ る。 「 今 日' 私 た ち は何 者 かであ ると規 定 さ れ る こと に居 心地 の悪 さを感 じ て いる。 私 は哲 学 者 であ る、作 家 であ る'詩 人 であ る' 学 生 であ る。 そ のよ う に言 いき るた め には自 分 を偽 ら な- てはな ら な い。 借 り物 の衣 装 を着 て いるよう な気 が す る。 こ の自 分 と いう も のの形容 L が た き'何 者 か であ る こと の居心 地 の悪 さ' 定 めな さ' 漂流 と いう こと- これ ら の現代 性 の印 は、 まざ れも な -半 世 った わけ ではな いし' わ れ わ れは今 も な お バ ルト の時 代 を生 き て いると いう著者 と とも に' われ われ にと っても バ ルトを読 む こと 紀 ほ ど前 に ロラ ン ・バ ルトが私 た ち に手渡 そう とし た大事 な指 標 」 であ った とす れば 、 バ ルト の仕 事 の意 味 が彼 の死 ととも に終 わ は 「 現代 思想 の冒険 」 への旅 立 ち の第 一歩 とな る であ ろう。 とは いえ ロラ ン ・バ ルト ついて語 る こと は難 し い。 そも そも バ ルト は定義 しが た い人物 であ る。彼 の著作 にし ても 「 あ ら ゆる本 に似 て いる結 果' ど んな本 にも似 て いな い」 よう な形容 L が た いも のであ る。 「 前 後 の脈 絡 でし か存 在 しな い本。 システ ム の亡 目点 。 残余 ' 痕 跡'余計 な も の」 であ って' バ ルト語 で言 う なら 「 零 記 号 」 のよう なも のであ ろう。 し たが って、彼 は 「いかな る意 味 で も自分 に貼 ら れた記号 に安 住 す る人 ではな か った。 彼 は 「し かじ か の存 在 であ る」 と いう存 在規定 によ っては捕 ら え きれな い人 で あ った。 彼 がも っとも嫌 悪 し た のは 「 も っとも ら し さ」 が生 みだ す神 話 作 用 だ った。 本当 ら し さ' 自 然 ら し さ' 当 然 であ る こと' これ が彼 の嫌 う も のだ った。 彼 は これ をプ チ ・ブ ルジ ョワ の神話 と呼び ' 世論 ( ド クサ) と名 づ け て' そ の松脂 のよう にねば ねば と貼 り つ-粘着 性 の作 用 にた いし て逃走 の線 を引 こう とし た」 のであ って'彼 を思想家 '哲 学 者 、文 芸 評論 家 ' 批評家 ' あ る いは 記 号論 者 と呼 ん で みた と ころ で何 も言 った こと にな ら な い。 むし ろ彼 と彼 の書 いた本 が、 現代 の知 の成 果 であ る記 号論 、構 造 主義 ' 精神 分析 ' 文 化 人類 学 な ど様 々な分 野 の本 を' あ る いは フーコー、 デ リダ ' ド ゥ ルーズ' レヴ ィ- スト ロー ス、 ラ カ ン' クリ ステ 」 のであ る。 そ れを著者 は零 記 号 の力 と呼び、 こ の ヴ ァな ど現代 思想家 と呼ば れ る人 た ちを、 現代 思想 と いう ひと つのジ ャン ルに繋 ぎ とめ て いる' そ の力 に目 を向 け る べき であ る。 彼 の書 いた 「 書物 が ロラ ン ・バ ルト の体 系 ' 現代 思想 と いう体系 を支 え て いる 明 る い部 屋﹄ ま で' バ ルト の思想経 歴 に大 きな転 回 そ こで'著者 は 1九 五 三年 の ﹃ 零 度 の エクリチ ュー ル﹄ から 1九 八〇年 の ﹃ 「 零 記号 が漂流 を開 始 し て体 系 を お おう」 光 景 ' 「 体系 を覆 す運動 し、 そ れを わ れ われ は現代 思想 と呼 ん で いる にすぎ な いと言 う。 があ った と いう定説 を採 ら な い。転 回 と いえば たえざ る転 回 の軌 跡 を た ど った バ ルトを描 - た め に著 者 の採 用 し た方 法 は共時 的 な 方 法 と適時 的 な方 法 の併 用 であ る。前 者 は' ま さ にこ の点 に本書 の要点 があ る のだ が、彼 の 「 思想的変 遷 ' そ の歴史 を' いわば 写 真 に撮 るよう に 一時 に' 同時 に観察 し分析 す る方 法 」であ る。 なぜ なら' 「 彼 の思想 の運 動 そ れ自 体 が共時的 な運 動 を引 き起 こし て 3 いて、 あ の断 章 形 式 に端 的 に表 わ れ て いるよ う に、 す べてを同 時 に並列 し て見 せ るt と いう 「 写 真 的 エク リ チ ュー ル ュー ルの力 」 を め ぐ って著 者 の バ ルト精 読 の成 果 が 展 開 さ れ る こと にな る。 」 」 が採 用 」 さ と し て の バ ルト の l貫 性 ' であ った と いう著 者 の意 図 は明 ら かであ る。 」 に立 って バ ルト に接 近 す る。 著 者 にと って バ への著 者 自 身 の接 近 方 法 を各 章 にわ た って繰 り返 し繰 り返 し わ れ わ れ に開 示 す る こと に尽 き る。 そ の達 人 、 「 ジ ョー カ ー 」 れ て いる の であ って、 こ の エク リ チ ュー ルの同 時 進 行 性 、 あ る いは共 時 性 こそが彼 の思考 の核 心 であ る のであ る。 こ の 「エク リ チ 」 」 本 書 にお いて 「バ ルト自 身 、 思想 が 一種 の モー ド であ る こと を見 抜 いた最 初 の人 「 螺 旋 状 の ア イデ ンテ ィ テ ィ 記口 雲 胴、 構 造 主義 な ど の いわば 思想 の意 匠 、 「ア ル ルカ ンの衣 装 を ま と った思 考 こ で著 者 は 「 作 者 バ ルト の立 場 に立 とう と し ては いけ な い。読 者 の 一人 一人 の立 場 ルト の大 き な 足跡 を 語 る こと、 あ る いは彼 の著 作 一冊 一冊 に ついて解 説 め いた ことを書 - こと は さ ほ ど困 難 な こと では な い。 語 る こと、 書 - こと、 そ れ を 対 象 化 、概 念 化 と い っても よ いが 、 そ れ によ って必 ず 取 り逃 が し てし まう も のが あ る こと が問 題 な の であ る。 そ れ を 記 号 化 不能 な も のと い っても よ い。 著 者 は バ ルト のテ ク スト の結 論 が常 に開 かれ て お り、 そ こ に バ ルト の批 評 の 「キ モ を 読 み解 - こ と解 釈 す る こと は何 ら バ ルト を 語 る こと にな ら な い。 こ の バ ルト のテ ク スト の最 後 に浮 かび 上 が こそ が わ れ わ れ にと って の出 発点 な の であ る。 」 論 旨 が 不透 明 にな り、角 が と れ、 惨 ん だ よう にな って、 や わ ら かな空 白 」が残 って いる。 し の部 分 」を 見 出 し て いる。 そ こ には、 「 」 かし 、 こ の 「 空白 る 「 空自 バ ルト は 「テ ク スト の最 後 の段 落 で読 者 を 、 あ な たを指 す のだ 。 そ こ に作 者 の退 場 す る出 口が あ り、 読 者 の登 場 す る 入 口があ る。 」 にあ る の であ り、 そ こから始 め る こと の中 にし か バ ルト の真 実 は見 え て こな いと いう のが本 書 の立 場 であ る。 も し バ ルト の 一人 の作 者 から多 数 の読 者 への、 こ の変 身 劇 。 バ ルト の批 評 の最 大 の魅 惑 と は、 こ の作 者 と読 者 の テ ク スト と いう舞 台 におけ る交 代劇 通 産 と い った よう な も のが あ る と す れば 、 そ れ は バ ルト の思想 を総 括 す る こと では な - 、 そ の確 かな テ ク スト 理論 であ った。 そ れ 一貫 し た テ ク スト への態 度 であ った。 」 と題 し た シリ ーズ の T巻 であ る0 本 シリ ーズ は、 今 村 仁 司 、 三島 憲 一、 野家 啓 l、 は、 これ し か選 択 でき な いと いう 意 味 で、 む し ろ こち ら が 選 ぶと いう よ りも 、 ど こ か から 不 可 避 的 にや って- るも のと し て の彼 の と ころ で、 本 書 は 「現 代 思 想 の冒険 者 た ち 鷲 田清 一、 四民 の編 者 によ り選 ば れ た 三十 人 の現 代 思想 家 と呼ば れ る人物 を 一人 一冊 で扱 った も のあ る が、 こ の三十 人 の中 には、 鷲 - べき こと にと いう か、 これ が編 者 の企 図 のな によ り の表 明 でも あ る のだ ろう が 、 サ ルト ルが 入 って いな い。 恐 ら -' 六〇年 代 であ れば 当 然 入 って いた であ ろう実 存 主義 と マルク ス主義 の人 た ちが抜 け て いる のであ る。 かろう じ て実 存 主義 では ハイデ ガI、 マルク ス主義 で は ルカー チ、 ア ルテ ュセー ルぐ ら い、 そ の代 わり にジ ンメ ル、 ホ ワイ ト ヘッド、 ウ ィトゲ ンシ ュタ イ ン、 ガダ マ- 4 な ど が とられ て おり' フー コー' デ リダ 、 ド ゥ ルーズ ' レヴ ィナ ス、哲 学 畑 以外 で レヴ ィ - ス- ロー ス' ラ カ ン' バ シ ュラー ル' ベンヤ ミ ン' バ フチ ン、 エー コ' クリ ステヴ ァなど の顔 ぶれが並 ん で いる。 現在 の日本 に お いて現代 思想 と いう も のを考 え るとき、 」 にかえ て 「エクリ チ ュー ル 」 と言 う こ サ ルト ルが落 ち て バ ルトが入 って いると いう本 シリ ーズ のよう な企 画 が大 手出 版社 にお いて成 立 す ると いう事実 は'時 代 の趨 勢 と い ってし ま えば そ れ ま でだが' や はり T考 に値 す る こと ではな かろう か。 そ こで重要 な こと は' バ ルトが ﹃ 零 度 の エクリチ ュー ル﹄ で登 場 し た と き'彼 が 「 実存 と によ って何 が始 ま った か であ る。 一九 五 五年 ' カ ミ ュと の論 争 を経 て 「 時 代 は確 実 に'実存 から テ ク スト へ' 歴史 から構 造 へ' 意 味 から記 号 へと流 れを変 えた」 。 そ の時 から知 的 バ ックグ ラウ ンド が変 わ り' 思 想 の道 具 と し て の言 葉 が変 わ り'文 体 も変 わ っ 」 自 体 が問 わ れ た こと はな か った。 サ ルー ルの 「 政治参 加 とは'文 学 と い た' そ の目覚 め の光景 を バ ルト と とも に見 届 け る こと は' わ れ わ れ にと っても スリ リ ング な経 験 であ る。 周知 の通 り サ ルト ルの ﹃ 文学 と は何 か﹄ 以前 に 「 文学 う自 明 の制度 を暴 露 す る行 動 であ った。 詩 も小説 も文 芸 評論 も、 そ れ らも ろも ろ の文 学 と称 せら れ る営 みは' いまだ か つて文学 そ 」 」 いた の であ る。愛 す る と は' ま さ にそれ だ った のであ り、 彼 の批 評 は挙げ て こ の盲目 の文 れ自 身 を ふり返 った こと はな か ったし のであ る。 バ ルト の ﹃ 零 度 の エクリ チ ュー ル﹄ も サ ルト ルの問 いの地点 から発 し て いる。 バ ルト にと って 「も っとも深 切 に愛 さ れた おろ かな も の' 見 え な いも のは 「 文学 学を ( ブ レヒト流 に いう な ら) 異化 Lt 対象 化 し、 差異 のも と に見 る こと に賭 け ら れ て と共 に断 固 とし て生 き る決 意 を し た ことを意 味 す る。 し かし'職 人 には職 人 の世界 のし き た り があ るよう に、文 学 にも文学 のし き 」 のであ る。著 者 は こ こ にサ ルト ルの 「 文学 と は何 か 」 」 や 「 実存 」 によ って問 う こと と いう問 いの徹底 を見 て いる。 バ ルーが 「サ ルト ルから別 れ る のは' た りがあ る。そ こ で' バ ルト は、「 文 学 を考 え る にあ た って、文 学 の外 に出 よう とし た。文 学 の外 部 'そ れが バ ルト にと って言 語 だ った 」 の登場 人物 ' 文 学内 部 の存 在 であ った のであ る。 ではな い、 言語 であ る。 ﹃ロラ ン ・バ ルト によ る ロラ ン ・バ ルト﹄' ﹃ 明 る い部 屋﹄ な ど の自 でさえ、 す で にバ ルト にと っては 「 文学 」 文 学 から さら に言 葉 を切 り離 し' そ れを言語 の身体 とし て対象 化 し た」 こと であ った。 文 学 を 「 私 」 は できな い。 「 文 学 」 の他者 と は 「 私 伝的 な著 作 の 「 私 ともあ れ 「マルク ス主義 的 ' 科 学的 、客 観 的 「 解 釈 」と いう 頑固 な ( 制度 ) に対 し て、 バ ルトも ま た' 「 揚 め手 」から攻 め る必要 があ った」 ( 竹 田青 嗣 ﹃ 世 界 と いう 背 理 ﹄ ) とし ても バ ルト の進 み行 き は' フ ロベー ルが ﹃ ボ ヴ ァリー夫 人﹄ を書 いた時代 から バ ル 」 」 のであ る。 を' た ん に これが言葉 の身 体 であ ると断 じ た文学 者 '批 評家 は いな か った 」 のであ り' バ ルトは文字 通 り文 学 を 「 裸 にし トを経 て' おそ ら- は現在 ま で妥当 す る であ ろう。 そ の意 味 で 「バ ルト以前 に' 一般 に芸 術 の 一分 野 とし て聖域 に安 置 さ れ て いた 「 文学 て みせ た 5 「 散 種 」など の概 念 が セク シ ャルな も のであ る こと は いう ま でも な い。 いわ ゆ る現代 思想 と呼ば れ るも ので テリー ・イ ーグ ルト ンは、 そ の名 著 ﹃ 文学 と は何 か﹄ にお いてす で に フ ェミ ニズ ム批 評 に大 きな期 待 を お いて いる。 フーコーし 」 」 と いう命 題 の探 索 とし て費 や され る。 そ こでは 「 精神 ロゴ ス中 心主義 、 男根 中 心主義 への批 判 を含 ん で いな いも のはな いであ ろう。 バ ルト にお いても、 た とえば フ ァ ッシ ョン ・デ ザ イ かり、 デ リダ の 「 差延 ナ ー のデ ッサ ンを論 じ た ﹃エルテあ る いは文字 ど おり に﹄ で の 「 女 を捜 せ そ の女性 的 な身 体 性 が称 揚 された 」 のであ る。 主義 に傾 - ロゴ ス中 心的 な も の の考 え方 にた いし て、 エクリ チ ュー ル、 具体 的 には手書 き文 字 、 た と えば 東 洋 の書 のも つ物 質性 、 本書 におけ る ひと つの特徴 に ﹃ロラ ン ・バ ルト によ る ロラ ン ・バ ルト﹄、 ﹃ 明 る い部 屋﹄ な ど の自伝 的 著作 だ け でな-、 ﹃ 零度 の エ クリ チ ュー ル ﹄ と共 にもう ひと つの処 女作 ﹃ ミ シ ュレ﹄ への重 視 があ る。 そ こ では 「 社 会 的神 話 批 判 の時 代 から記号 学 、 テク スト た循 環 す る歴史 の時 間 と いう も のを女 の周期的 な時 間 性 に見出 した 」 」 共 ( 時 性 )が 対 比 さ れ、 これら が交 差 す のだ が、 バ ルト の視 線 は、男 性 のも のであ る歴史 の直 線 的 性 性 を へて、 モラ- テ の時 代 へ、 ロラ ン・バ ルト の軌 跡 は循 環 す る回帰 の運 動 を示 し っ つ螺 旋 状 に歩 みを進 め る。 ( 中 略 ) 彼 はそう し 格 ( 適時 性 )にた いし て女性 のも のであ る自 然 の循 環的 な時 間 、継 起 す る 「 生 き た不 動 性 と はそ の科 学 的装 いを とり さ って みれば 「 女 」 」 「 知覚 しう るも の 」にす る こと であ っ を ひき う け る 」 のであ る。著者 が ﹃ ミシ であ った のあ る。 そ こでは 「 言 語 が事 実 を な ぞ り' そ れ を 」 て いる。 バ ルト にと ってな により のこと は、 男 性 に属 す る 一般 の歴史 のよう に、 た えず 流 動 し変 化 す るも の、 し たが って 「 見 えな ると ころ に生 ま れ る新 たな歴史 、過 程 と し て の歴史 、 双方 の出 会 いから溢 れ出 るも の ( シミ ュラー ク ル) を考 察 す る こと に注 が れ 」 いも の 」を、 い った ん女 性 の領 分 に属 す る静 態的 な状 態 にす る こと、 す な わ ち 「 見 え るも の た。 そ の意 味 で 「 記号 」 と いう行為 にか かわ る問 題、 そ こ でゆら ぐ主体 とは何 か? こ の間 題 ユレ﹄ にお いてす で に構 造 主義 あ る いは記号論 の思想 が先 取 り され内 在 し て いた こと の重 要性 を指 摘 し て みせたとき、 わ れわ れも 模写 す る写実 的 な言 語 であ る ことを や め て、 記号論 的 に いう な ら 「シ こフィア ンの過 剰 と いう ことが 了解 され る のであ る。 著者 と とも に バ ルト の 「 批 評 が 一貫 し て愛 す るも のを 「 見る 」 「こ の 二十 世紀後 半 の思想 界 、 文 学 界 を領 導 し た人 は、構 造 主義 、 記 号論 、 言語 理論 、精神 分析 、 テ ク ス-理論 等 々、 そ のときど に尽 - され る 」 と いう自 己 回帰 的 な - 今 ま で論 じ ら れ てき た よう に、 こ の回帰 は強度 の回帰 、 差 異 の回帰 であ って' た ん に自 き の思潮 を先 取 りす るよう にし て 「 理論 武 装 」し てゆ- よう に見 受 け ら れ る。 し かし バ ルトを バ ルト たら し め る本 質的 な動機 、 「バ ルト によ る バ ルト 」 ( 」 の真 意 があ る のであ る。 マラ ルメ)主 体 へと送 り かえ し てゆ-点 にこそ、彼 のテ ク スト の現代 性 、 そ の最大 の悦 楽 が あ る 」のであ る。作 品 から 彼 自身 あ る 己自 身 に返 る こと ではな い-運 動 のな か に聴 き とら れ る 「 血 液 のリズ ム 」の女性 的 な弱 さ の動機 が、彼 を武 装解 除 し、 「 がま ま の テク スト へ、 そし て作 者 の死 を宣 告 し た本家 とし て の 「テ ク スト の快 楽 6 す ぐ れた入門書 と は、 す-な - とも対象 とな った思想 家 な ど の著作 、原典 を読 ん で みる気 にさせ るも のであ ろう。 本書 を すぐ れ 」 接近 方 法 にあ る のであ ろう。 バ ルト にと って重要 な が私 た ち に与 え る最 大 のメ ッセージ と は'愛 す るも のと 一体 化 し た とき愛 す るも のは見 え な - な る - すな わ ち対象 の差 異化 の運動 た バ ルト の入門書 たらし め て いる のは著 者 が 「バ ルトを論 じ て バ ルト のよう に語 る こと の愚 は避 けな - てはな ら な い。 なぜ な ら彼 は止 み、同時 に知 は終 わ る、 そ んな おろ かな類推 的 な推 論 はやめ よ、 と いう 概念 であ る 「 距離 」 ( ブ レヒト的意 味 で)、読 者 ( 著 者 ) と思想 家 ( バ ルト) と の絶 妙 な間合 いの取 り方 であ ろう。 そ の意 味 で本書 も バ ルト と同 様 、結 論 部 が開 かれ て いる。 「﹃ 明 る い部 屋﹄ によ って記 号 論 、構 造 主義 は ひるがえ って読 み かえ さ れ、 そ こ に新 し い 生命 を と おし た のだ った。 そ のよう な読 み かえ しが今 、要 請 さ れ て いる」 のであ り、 わ れわ れも バ ルト の思想 圏 の住 人 とし て バ ル ト の世界 に分 け入 って い-楽 し みを享 受 す る ことが でき る のであ る。 福家俊彦 ( 昭和五二年度卒業'現 三井寺執事) 7