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「建設業で働く理由」 「夢の途中」

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「建設業で働く理由」 「夢の途中」
平成 22 年度建設産業人材確保・育成推進協議会「私たちの主張」から優秀作 5 作をご紹介します。
優秀作【国土交通大臣賞】
シビルエンジニア
渡辺 泰充さん
「夢の途中」
優秀作【国土交通大臣賞】
(株)吉川工務店
後藤 大輔さん
「建設業で働く理由」
私が建設業に従事して、今年で六年目になります。現在
ていたのと、工事を完成させるためにすごくがんばってくれた
は、
国土交通省発注の砂防工事の現場代理人として、現場
から、
席を用意しました。ありがとうございました。
」
との言葉を
に従事しております。この工事は、
私が公共工事の現場代理
頂きました。私は、
工事完成までうまくいかないことばかりで落
人を務める初めての工事で、
毎日自分の実力不足を実感しな
ち込んだりしましたが、
その言葉を頂いたことですべてが救わ
がらも、
業務をしています。
れたような、
うれしい経験でした。
「僕は、
僕を最も必要としているところへ行く」
―― 2009 年秋、
松
毎日定刻に仕事を終え、
6 時には家に帰る。残業に関してはベ
井秀喜はこう言ってヤンキースを後にした。建設会社で定年再雇
トナムが先進国だ。シャワーを浴び、
刻々と色を変える西の空を横
用中の身には、
この35 歳の若者の言葉が沁みた。私には雇用継
目に、
グラスにバーボンを注ぐ。至福のひと時だ。
続の権利は残っているとはいうものの、
どうもこの会社は、
というより
技術力とは、
何が起こるかを予測する力、
これに対して計画を立
私は、
多くの方々の生活を支える建設業に魅力を感じてお
その後担当したのは、上司と一緒になって行う工事ばかり
日本が私を必要としていないようだ。さて、
私は何ができるのか、
何
てる力、
そして、
予測を超えることが起きた時に対応する力の総和
り、
特に社会基盤を整備する土木工事に関心を持ちましたの
でしたが、
お客様や地元の方に喜んでいただけるために業務
をしているときが楽しいのか・・・答えは容易に見つかった。私に
だと定義しよう。これらに即座に答えを出すだけの知識と経験と倫
で、
建設業に就職を決めました。これまでにいくつかの工事を
をしてきたつもりです。自分の実力不足でうまくいかないことば
はエンジニアとしての誇りがある。39 年の会社人生活で積み重ね
理と、
知らないことを聞くための人脈が必要だ。それが一流エンジ
た技術者哲学がある。橋梁分野であれば、
プロとしての自負があ
ニアの条件だ。
経験する中では、
つらいこともありましたが、
工事が完成したと
かりですが、
完成後の
「ありがとう」
のためにがんばれると思い
る。これが通じるところ、
すなわち
「僕を必要としているところ」
だ。
自分のやりたいことを探すために、
目の前のことを一所懸命にや
きの達成感や、
お客様や地元の方々に喜んでいただけたとき
ます。
今、
ベトナム・ホーチミンの橋梁工事で施工監理のレジデント・
る。やりたいことが見つかれば、
それに一所懸命に取り組む。一
の嬉しさは、
何事にも負けないものがあり、
日々の業務に取り組
建設業というと、悪いイメージを持つ方がいると思います。
エンジニア
(RE)
として働いている。サイゴン川の畔に居を構え、
往
所懸命にやるとモノの本質が見えてくる。人脈も増える。一流に
んでいく原動力となっております。
実際、
テレビや新聞で報道されることは悪いことばかりです。
き交う船の汽笛で目覚め、
片道 45 分の現場に出勤する。
REの仕事
近づく。そうなると、
仕事が
「1日やっても飽きない」
ようになる。決し
私が4 年目の時のことです。一人で工事を任されるように
しかし建設業は、
日々の生活や社会の整備などに必ず無くて
は、
いわゆる
「責任技術者」
である。毎日、
それこそ面白いように課
て楽な道ではない。それが結果的に、
「世の為、人の為」
になる。
それが、
社会資本を整備するという仕事の本質だ。
なった頃ですが、
地元にある工場で燃料タンクの新規設置工
はならない仕事です。もっともっと小さい範囲で見れば、
お客
題が生まれる。最大荷重 4 万 5 千kNを超える杭の載荷試験をどう
するか、
束ね鉄筋の機械式継手はどうするのか、
鉄筋を溶接して
中学生諸君、村上龍が
「13 歳のハローワーク」
で触れていない
事を担当させていただいたときに、
うれしいことがありました。
様や地元の方々に喜んでいただける、
やりがいのある仕事だ
いいか、
塩分の多い地下水をベントナイトの練混ぜに使えるか、
コン
仕事がここにある。心の隅に残しておいてくれ。これから進路を
この工場では久しぶりの大規模工事でしたので、
お客様の
と思っています。こんなにも誇れる仕事はないと思います。
トラクターの工程計画がデタラメだ、
工事区域に住民が平気で入っ
選ぶ高校生諸君、私の人生を参考にするもよし、
しないもよし、
だ。
関心も当社の上層部の関心も強く、
すごくプレッシャーを感じる
私にできることは、
任せられた工事でお客様や地元の方々
てくる、
などなど。その一つ一つに答えを出し、
コントラクターを指導
これを読んでくれた諸君の一割でも、社会資本整備という仕事に
工事でした。この工事は、
複数の業者が狭いヤードで同時に
に喜んで頂けるようにがんばることしかありません。
「ありがとう」
する。
興味をもってくれればうれしい。
作業を行うもので、
当社は、
タンク基礎・外構工事を担当して
のために。
20 数年前に私が悩んだことで、
コントラクターの技術者も悩んで
今、
土木を学んでいる学生諸君、
すでに社会に出たシビルエン
いました。お客様と業者全体で毎日打合せを行い、
工期に間
いる。ちょっとしたアドバイスで若者の目が輝く。こちらもうれしくな
ジニアの卵たち、
あなた方の選択はそんなに悪くない。社会資本
る。隣接工区の所長までが相談に来る。現場のアシスタント・レ
整備は悪だという風評に流されてはいけない。
「なぜ、
世界一にな
ジデント・エンジニア
(ARE)
が言う。
る必要があるのですか」
などという問いに答える必要はない。あな
「みんな、
あなたが好きなんです」
たが一流になれば、
あなたを必要とするところは必ずある。
による手直しで怒られたりと、
反省することばかりでしたが、工
このAREは36 歳、
コントラクターの副所長は32 歳、
いずれも基
学校に期待するな、会社に期待するな、上司に期待するな、
国
期に間に合わせるため必死で現場を動かしていました。
礎学力に優れ、
経験には乏しいが、
好奇心と意欲に溢れたベトナ
に期待するな。その代わり、
尊敬できる先生や先輩や友人を見つ
ようやく無事に工事が完成し、
竣工式を行うことになり、
当社
ム人技術者である。彼らの希望は、
会社で地位が上がることでは
けなさい。その人を鏡にして、
自分をよく見つめなさい。
ない。責任技術者として祖国の社会基盤整備に携わることであ
70 歳の今もなお、下水道整備で世界を飛び回っている先輩が
がその準備を行いました。竣工式の参加者は、工場の上層
る。土木を選んだ人間としては、至極当然な志望だ。ベトナムの
いる。中学の同級生で、
ベトナムに医療村を作るべく奔走している
社会資本はまだ脆弱だ。まだまだ、
日本の資金と技術を必要とし
ヤツがいる。栃木の田舎に引っ込んだと思った同窓生は、
またモン
ている。ここでは自分が必要とされているという自惚れが、私を有
ゴルに橋を架けに行った。今や、
オジサンが荒野をめざしてい
すが、
なぜか私の席が用意されていました。竣工式終了後、
頂天にさせる。かつて、
現場で夜を徹して技術検討をしていた頃
る・・・3年後、
橋の完成とベトナム若手技術者の成長が楽しみだ。
改めてお客様のところに工事完成の挨拶にうかがい、
そこで
と同じ感覚だ。だから、
1日中仕事をやっていても飽きることがない。
62 歳のシビルエンジニアはまだ、
夢の途中にいる。
雑談をしていたら、
お客様から
「一番長く工事に携わってくれ
44
The Construction Industry Guide Book 2011
に合わせるため、工程を毎日毎日見直しました。そうした中、
私は、
協力業者さんに無理を言い迷惑をかけたり、
自分のミス
部・関係部門の方々、元請業者の上層部の方々ばかりでし
た。その中で私は、設営の手伝いのために会場にいたので
The Construction Industry Guide Book 2011
45
優秀作【総合政策局長賞】
(株)丸本組
中澤 義博さん
「私にとっての建設業」
(有)山田工務店
山田 友久さん
「天職として」
「スーパーマンになりたい。
」
同時に、
この時ほど土木構造物が一般社会において担う役割の重要さを改
私は二十五才の時に江戸時代末期から続く在来工法を主とした建築業を
も洋風の格天井、
八角型の格天井、
クロス貼りをしたものなど、
伝統から一歩
それが私の小さい頃の夢でした。
めて実感させられることもありませんでした。
営む家の娘と結婚をし、
家業を継ぐことになりました。まだ若かった私は、
転職
踏み出したものにも挑戦しました。
困っている人を助け、
悪に立ち向かう正義のヒーロー。そんな姿に私は憧
この出来事から、
建設業に従事する私は、
社会の重要な役割とその責任
には少しばかり自信のようなものがありました。それは、
工業高校の土木科を
日本建築における長押、
廻り縁は、
難しい仕事の一つです。私は、
技能へ
れていました。しかし、
月日が流れ大人になるにつれ、
そんな子供じみた夢が
を担い、
住民の生活になくてはならない仕事を選んだという誇りを得ることが出
出てから、
それまで勤務した会社はゼネコンで、
山陽新幹線のトンネル工事の
の挑戦と考え、
丸太で長押、
廻り縁を作ってみましたが、
杉材での丸太を刃物
叶うはずもないと、
どこかで諦める自分がいました。
来ました。そして、
1番大切なのは人と人との繋がりであること、
仲間を信頼す
測量施工をはじめ、
高架橋、
旧建設省の富士川支流の砂防ダム、
旧国鉄の
でうまく切れないと良い仕事とならず、
大変苦労した覚えがあります。しかし、
父や叔父が建設業に携わっていたこともあり、
その姿を見て建設の仕事に
ることこそが現場での作業を安全に遂行させるのだということも学びました。
総武線船橋・津田沼間の線増など、
土木の仕事をしていたからです。さら
仕事の中で様々な伝統的在来工法に挑戦したことが、
自分の技量の向上に
に、
転職するにあたり、
建築の勉強をする為、
大宮高等職業訓練校の建築製
欠かせないものだったと思います。
興味を持ち、
自分も同じような仕事に就きたいと考えたのが、
この職業に就く
あの日から、
沢山の現場を経て紆余曲折を繰り返しながら、
私も少しは成長
きっかけでした。現在は、
この仕事に携わって14年目になります。今日に至る
できたように思います。その成長を見せたくて、
竣工した現場を家族と見に行
までに、
河川、
道路、
海岸等のさまざまな工事を経験し、
現在は道路の維持補
くことが、
いつからか私の決まりごとのようになりました。
修工事の現場代理人として、
現場の第一線で汗を流す毎日です。
小さかった娘も今では小学生になり、
先日完成した現場を見て
「わー、
パパ
建設業の仕事をしてきたなかで、
人生において忘れられない出来事がありま
が作ったの!凄い!スーパーマンみたいだね。
」
と目を丸くしてはしゃぎました。
す。それは、
平成15年7月26日の宮城北部地震です。当時私は、
ようやく建
その言葉に、
私は幼い日に描いた自分の夢を思い出しました。
た。義父は、
『間違いを恐れず何でもやってみろ。
』
というような職人だったの
我ながらよくここまでとも思いますが、
今振り返れば、
若さがあったから出来た
設工事に慣れ、
仕事がおもしろくなってきた頃でした。そんな私の住む街で、
「スーパーマンになりたい。
」
で、
一年経った頃には、
新築の家一軒の墨付けを任されました。建前前日に
のであろうと思います。
図科に入学し、
昼間コースで一年間勉強し、
卒業の際には校長賞もいただき
施主が代々続く家柄の場合、
主屋を建てさせてもらうと、
そのつながりでそ
ました。
の他の氏神様の神社からお宮の工事の依頼をいただくことも度々ありました。
義父の経営する工務店に入社してからは、
大工の見習いとして毎日の現
このような依頼もきちんとこなすため、
彫刻を勉強しようと思い立ち、
大宮にいた
場での出来事や部材の寸法等ノートにメモして覚える努力を致しました。二
堂宮師に弟子入りをし、
毎週日曜日昼に教わりに行きました。四年間通った結
年目の時には建築士も受験してみようと頑張り、
二級建築士を取得できまし
果、
斗組、
木鼻、
虹梁、
海老虹梁、
蟇股と、
簡単なものはできるようになりました。
まさか大地震が起こることなどその時は想像もしていませんでした。
叶うはずもないと諦めた夢が、
まさかこんな形で実現するとは思ってもいま
はよく眠ることができない程緊張しました。任されたのは二階建三十八坪、
ほ
色々な技能を身につけ、
腕を磨いていくと、
道具も良いものが欲しくなります。
地震直後、
外に出た私は目を疑いました。そこには、
道路の陥没、
橋桁の
せんでした。
とんど真壁造りの純和風の家でしたが、
うまく上棟することができました。一軒
まずは、
鉋は千代鶴貞秀の淡路の夕凪、
ノミは市弘、
玄翁は幸三郎と、
やはり
ずれ等、
いたる所で被障害が生じていたのです。普段私たちが利用してい
建設業とは一般の方から見れば、
重労働で危険を伴い敬遠される職業か
の家を仕上げることが出来ると、
徐々に自信が付いてきました。この頃、
義父
仕事をやる以上、
最高級の道具と考え使ってみました。
も知れません。しかし私にとっては、
沢山の種類の工事を経験出来る上に、
そ
の工務店には同年代の職人が入社してきて、
大工道具や隅木等の木矩術
よい道具を使ってみると、
なんといっても刃物はその冴えが違ってくるし、
材木
について毎日のように話しするようになり、
自分には大変勉強になりました。この
も種類によっては、
きちんとした手入れを続けなければ刃が立たないものもありま
ようにして隅木山勾配、
本中、
出中、
入中と新しい技術を次々とマスターするこ
す。そこで、
弟子達には、
昼休みには毎日研ぎ物を行うように教えました。二
とができ、
そのような技術が、
入母屋の照り隅木などを造作する時に大変役に
年、
三年経ったときに切れ味が全然違って来るのがよく解るようになります。
る電気、
水道等のライフラインが遮断され、
必要最低限の生活が困難になり、
全ての人が皆困り果てていました。
の全てが必ず誰かの役に立ち、
自分の内に秘めたあらゆる可能性を見つけ
まだ余震の続く中、
混乱している妻と3ヶ月の幼い我が子を残し、
私は道路
ることが出来る、
かけがえのない職業です。
の維持管理に向かいました。後ろ髪を引かれる思いで家を出ましたが、
ライフ
これから建設業に携わろうとしている人に、
私から言えることがあるとすれ
ラインが確保されない限り、
近隣の生活を、
ひいては自分の家族を守ることは
ば、
夢や希望を持って現場に取り組んで欲しいということです。夢はどんな形
出来ません。
で叶うか分かりません。ですが、
強く願い信じていれば必ず叶う日が来ます。
私に出来ること、
それは道路の復旧工事でライフラインを1日でも早く回復さ
そんな風にワクワク出来る職業は、
きっと他には無いのではないでしょうか?
せることでした。道路の復旧作業には時間と労力がかかりましたが、
一つの目
まだまだ力の足りない私ですが、
いつの日かこの
「建設業」
という素晴らしい
標に向かい皆で団結し助け合うことに、
不思議と充実感さえ感じていました。
職業で、
真のスーパーマンになれるよう、
努力し続けたいと思います。その日
その時私は、
作業内容を完璧にこなすことは勿論、
共に働く仲間や近隣住
が来るのを楽しみに、
私は今日も現場へと向かいます。
民に対し、
今以上に誠実で真っ直ぐに対応したいと心から強く思いました。と
優秀作【総合政策局長賞】
「継げることの意味」
つな
46
優秀作【総合政策局長賞】
柴木建設(株)
柴木 一二子さん
立ちました。
そのほかにも、
同じ大きさの竹と竹を組む組み方も年配の宮大工さんに教
その頃私は、
建築士の勉強にも力を入れ、
一級建築士にも合格し、
仕事に
えていただき勉強しました。宮大工さんからは、
『あなたみたいに教わりに来た
対しての信用もより得られるようになりました。このこともあって義父の馴染み
人は初めてだ。頑張って習得しなさい。
』
と励まされたばかりか、
道具まで頂き
施主の方々からの受注も多くなり大変有り難く感じられました。このような施主
いい思い出になっています。
は代々続く家柄で大きな家の注文の方が多く、
工事にあたっては天井などに
昨今は、
木造住宅の世界にも
IT化の波が来るようになり、
プレカットの部材
工夫を凝らしました。例えば、
格天井を一軒の家あたり一箇所から二箇所造
で木組みをするなどコンピューターで家が建つ時代になってきました。しかし、
作するようにしたり、
同じ格天井でも二重格天井、
吹き寄せ格天井、
丸太での
木組みで二百年経っても残る伝統的木造住宅を作っていき、
この技能を次の
格天井、
さらには竹での格天井と色々な種類を手がけてみました。この他に
世代へと継承させたいと願っています。
たと初めて知った瞬間だった。また、夫は社長としてもきれいな仕事にとこと
る道を作ることは、
とても意味のあることで、私達はそんな仕事に携わること
んこだわりを持っていたので、利益を忘れて良い施工を社員に求めていた。
「何年経っても自分の作ったものには責任を持たないと」
と夫は頑なだった。
に誇りを持って施工している。そんな夫や社員の姿を、私が気がつかない
ところで見ていた息子が選んだ道から、
やはり父親から伝わるものがあった
ある年、超大型台風が上陸し、尋常でない雨量があちらこちらで大災害
のだと、今さらながら知ることができた。
をもたらしたことがあった。ちょうどその頃、私達の会社は、完成が近い砂防
今、地方の建設業界は厳しい状況にあえいでいるが、責任と誇りだけは
工事を施工中だった。台風から一夜明け工事現場に行くと、
なんとこの砂
胸に秘めていたい。社員と会社を守る強い心は、時として折れそうになるけ
防が大量の土砂と水をしっかり堰止め、下流の川が氾濫することも、
もちろ
れど、私達建設業が、人を、
日本を守っていることを信じ、次の世代へ継いで
つな
いつの頃からだろうか、
この仕事に息子が就く事を熱く思う気持ちが失せ
度となく氾濫し、
その度に付近の住民は田畑や家屋が水害にあい大変な思
ん家屋が浸水することもなく、
この地区を救ってくれていた。例え人には知
いきたいと強く思う。
たのは。
いをしたこと、
また、
この川にはホタルなどの水辺の生き物が沢山いることな
られずとも、作った社員は一同に感動し、
「よくぞ守ってくれた」
と皆自慢に
しかし、
継げていくことは一見簡単そうに見えるが、
とても大変なことだと身
をもって思う。技術や信頼、
そしてセンスはなかなか目に見えず、伝えるのが
つな
そんな私の気持ちに反して、息子が選んだ道は工学部だった。私の夫
どを話したのだそうだ。そして、人間と生き物のどちらも共に生きていける方
思ったのは記憶に新しいことだ。施工前には、
こんな所にコンクリートのもの
は建築士で土木技師でもあり、建設業を営んでいる。そんな姿に幼い頃か
法をと考えて作った
「多自然型工法」
のことを説明し、人間の大切な命や財
を作って何の意味があると言葉する人も住民の中にはいた。建設業のもの
困難だ。しかし、
それらが形や結果として現れると、何とも言えぬ喜びになる
らあまり興味を示さず歩んでいたのに
「何故?」
と、不思議な思いだった。
産を守りながら、
自然の生き物もそこで暮らせる方法の工事があること、
そし
作りは、結果が出るまでに時間がかかったり、人の目や耳に届かないことが
ことも事実だ。
息子は子供の頃、公共工事があまり良くないイメージで語られることを耳
て開発が一方的に悪いことばかりではないことを、息子に分かるように語り
多いが、私達の生活や生命を守っていることは、
まぎれもない事実だと思う。
この、
「もの作り」
を私達は次へ伝える責任がある。今一度、
考えてみたい。
にした時、夫に
「お父さんの仕事は悪いこと?」
と、尋ねたことがあった。その
かけてくれたそうだ。この時のことがとても印象に残っていると息子は私に
道路工事にしても、
まばらな家屋しかない所に道路を作っていると揶揄する
時夫は、
自分が手がけた河川工事の現場に息子を連れて行き、
この川は何
話してくれた。父親のもの作りに対する思いは、
しっかりと息子に伝わってい
人もいる。しかし、人が生きていく上で消防車や救急車が家の前までいけ
The Construction Industry Guide Book 2011
The Construction Industry Guide Book 2011
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