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アジアのポピュラー音楽と社会変動

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アジアのポピュラー音楽と社会変動
2000年度第2期アジア理解講座
「アジアのポピュラー音楽と社会変動」
毎週月曜日(9月25日∼12月11日、ただし10月2日、10月9日は休講)
これまでアジアの音楽として紹介・研究されてきたのは、いわゆる「伝統的」とされる古典音楽
や民俗音楽が中心でした。しかし、90年代に入ると、日本で中国語圏のスターやインド映画など
がブームとなったり、日本人歌手がアジアでヒット曲を生み出すようになり、いまや、メディア
の発達による国境を越えた交流が当たり前になっています。ポピュラー音楽は「ふつうの人々」
の暮らしに密着した音楽です。今を生きる人々によって創られ、日常として受け入れられ、語ら
れ、体験される音楽です。だからこそ、今という時代の影響を大きく受け、それを色濃く反映し
ています。ポピュラー音楽は「アジアの今」を考えるのに欠くことのできない重要な文化現象で
あるといえるでしょう。しかしながら、こうした問題に関する体系的な研究はまだ始まったばか
りです。本講座は、アジアのポピュラー音楽の単なる紹介にとどまらず、それを現代における当
該社会の変容や、アメリカ主導のグローバルなポピュラー音楽の流通との関わり、日本における
受容のありかたのなかで考えていくことを目的とします。それによって、アジア各地に暮らす人々
の価値観やアイデンティティがいかに構築され、発現されているのかを具体的に考えていきたい
と思います。この講座を通じて、伝統的な遺産の残るアジア、近代化に遅れをとったアジア、貧
しい被援助国としてのアジアとは異なる、激しく変動する社会の様々な問題を抱えつつも、世界
の動きに敏感に対応し、それを再解釈し消化して自らのものとしていく、積極的なアジア像を提
示できればと考えています。
第1回(9月25日)「アジアのポピュラー音楽と社会変動−概論−」井上 貴子
80年代末∼90年代初頭、西欧発のワールド・ミュージック・ブームが日本に到来し、欧米のポピ
ュラー音楽と共に世界各地の音楽が紹介されるようになると、アジアのポピュラー音楽への関心
は一気に高まりました。また、アジア各地で衛星放送などのメディアの発達に伴う情報の流通が
飛躍的に拡大し、国境を越えたポピュラー音楽のヒットが生まれています。こうした現象はアジ
ア各地域にいかなる影響を与え、人々はそれをいかに受容し、再解釈しているのでしょう。ポピ
ュラー音楽と社会との接点を考えます。
第2回(10月16日)「中国語圏のポピュラー音楽」関谷 元子
中国語圏のポピュラー音楽は、主に中国、台湾、香港の3箇所に分けられ、それぞれ明確なる特徴
を持っています。もちろん、そのほかの地域に住む中国人の活躍も決して少なくありませんが。
今回は、各地域のポップスの特徴をヴィデオ・クリップとともにご紹介しながら、米国で育った
中国系人の動き、各地域の相互の動き、など、中国人社会でのポップスのダイナミズムがご紹介
できればと思います。ちなみに、それぞれの地域の人々としょっちゅう会う機会があるなかでの、
個人的な体験などもお話できればと思います。
第3回(10月23日)「ポピュラー音楽と伝統音楽のはざま:インドネシアの地方ポップ」福岡 正太
インドネシアの地方ポップは、主に地方語で歌われるポピュラーソングで、地方都市を中心に発
展してきました。地方ポップは、地方に属する伝統音楽とグローバル化する世界に属するポピュ
ラー音楽が出会う場所で形成されたと言えるでしょう。地方ポップを例にして、グローバル化す
る世界におけるポピュラー音楽と伝統音楽の関係を考えてみたいと思います。
第4回(10月30日)「海を越える移民と音楽:東南アジアにおけるポピュラー文化の形成」小池 誠
ポピュラー音楽は様々な文化の衝突・混合・融合のなかで生まれてきた。東南アジアのポピュラ
ーも国境を越えた人と情報のダイナミックな動きから誕生し、変化、発展してきた。アジアの中
の人の移動(移民)に注目して、インドネシアとシンガポールを中心に東南アジアのポピュラー音
楽の歴史を話したい。東南アジアの社会・経済に大きな力を持っているのは、言うまでもなく中
国から渡ってきた華人である。とはいえ、中国系音楽のインパクトはあまり見られない。いっぽ
う、インド系移民は人口数としては多くはないが、インド映画を筆頭にインド文化がポピュラー
音楽の分野で果たした影響は意外と大きなものである。その代表が、インドネシアの大衆に圧倒
的な人気をもつダンドゥットである。ポピュラー文化と移民の関係について、ポピュラー音楽を
通して考えてみたい。
第5回(11月6日)「インド映画とポピュラー音楽」井上 貴子
近年、インドの娯楽映画が日本でひんぱんに上映されるようになってきました。それらは歌と踊
りのシーンを盛り込んだミュージカル形式で、そこからヒット曲が生まれてきました。90年代に
なると、衛星放送の音楽チャンネルを通じたヒット曲も誕生するようになっていますが、そのテ
ーマのほとんどは、インド社会の伝統的な価値観とは異なるハッピーなダンスと恋愛。人々はそ
こに何をみいだしているのでしょう。宗教対立が先鋭化する激動の90年代とポピュラー音楽との
関係を考えます。
第6回(11月13日)「スリランカのポピュラー音楽と民族紛争、革命運動」澁谷 利雄
スリランカでは、無償教育の普及とマスメディアの発達により、1960年代後半には大衆社会的な
状況が現れる。ラジオやラジカセ、テレビを通じて、大衆歌謡が広く受け入れられていった。と
はいえ、、音楽ジャンルの志向は単に趣味の問題ではなく、階級や政治の動向と深く結びついてい
る。シンハラ語の大衆歌謡では、バイラとサララ・ギーの二大ジャンルに加えて、1990年代半ば
からは戦争歌が人気を呼んでいる。本講義ではナショナリズムと大衆歌謡の関連を見ながら、民
族抗争や革命運動について考察したい。
第7回(11月20日)
「沖縄ポップとアイデンティティ−戦後沖縄におけるポピュラー音楽の展開−」久万田 晋
近代の沖縄音楽史において、それまでの古典音楽や民俗音楽の伝統的要素を受け継ぎつつ、新し
いポピュラー音楽が発展した。そこでは、伝統的な要素を継承しながら、厳しい時代の潮流の中
で、沖縄のエスニック・アイデンティティーの表現が様々に試みられてきた。本講義では、昭和
期以降に発展した新民謡(創作民謡)と、1970年以降台頭してきた沖縄ポップの両ジャンルに注
目し、その中でどのような相互影響関係が繰り広げられ、いかに「沖縄のエスニック・アイデン
ティティー」が表現されてきたか、そして今後の沖縄音楽はどう展開してゆくのか、などについ
て考えてみたい。
第8回(11月27日)「UKエイジアンとポピュラー音楽」井上 貴子
イギリスには南アジア系移民のコミュニティが存在します。イギリス社会と出身国との狭間に生
きる移民たちは、バングラ・ビートと総称される新たな音楽ジャンルを創造してきました。軽快
なダンス・ビートを特徴としながらも、カーストや結婚など南アジアの伝統的な社会の矛盾や、
グローバル化のひずみに苦しむ第三世界の現状などをとりあげたメッセージ性の高い移民たちの
音楽を取り上げ、彼らのアンビバレントなアイデンティティの主張について考えます。
第9回(12月4日)「日本におけるアジアン・ポップの受容」関谷 元子
80年代になってワールド・ミュージックが日本でも盛んに紹介され始め、その動きの中で、アジ
ア各地域のポップスが紹介されましたが、バブル崩壊あたりと時を同じくしてその動きは一旦終
息します。そして、ここ何年かは、むしろ東アジアのポップスがさかんに紹介され、少しずつで
はありますが、CDがリリースされています。また、香港映画スターに関しては日本での大掛かり
なコンサートが行なわれており、2002年が近づくにつれて、このところ急に韓国ポップスの紹介
が勢いをつけているという事実があります。しかし、そういう事実が本当に、日本がアジア・ポ
ップスを受容していることをしめしているのか、ということを考えなければいけません。そんな
お話ができればと思います。
第10回(12月11日)
「アジアの米軍基地とロック」小倉 利丸
戦後日本の大衆文化に占める米国の影響は無視できないものがあることはいうまでもない。多く
の場合、こうした外国文化の流入は、マーケットやマスメディアを通じて入り込むものだと想定
されている。この想定自体はけっして間違いではない。しかし、戦後の米国文化が世界的な規模
で大きな影響力をもったもう一つの「回路」があった。それが米軍基地である。米軍基地は、海
外の軍事拠点であるだけでなく、兵士とその家族の生活や娯楽を目的に米国文化もまた基地のあ
る地域や国に移転した。ポピュラー音楽もその例外とは言えず、ジャズ、ロックの国際的な波及
に無視できない影響をもたらした。アジアにも多くの米軍基地がある。この基地を通じて入り込
んだ米国の音楽が、地域の文化や社会とどのように関わり、またどのような摩擦を生み出し、米
国のポピュラー音楽のグローバル化にどのような関わりをもったのかだろうか。上記の問題を、
アジアにおける米国音楽の受容を概観しながら、沖縄などを事例として、お話ししてみたい。
講師略歴
井上 貴子(いのうえ たかこ)大東文化大学国際関係学部助教授
デリー大学大学院南インド音楽専攻修士課程修了、東京大学大学院総合文化研究科博士課程中退。
インド音楽・インド近現代史専攻。インドに4年間留学し古典音楽・芸能を研究。現在、インドの
文化政策が芸能に及ぼす影響、メディアの発達に伴い拡大する大衆文化の様相、欧米の大衆文化
におけるインドの表象などに関心をもっている。主な著書・論文に『別冊宝島WTインド大発見読
本』(共著)1996、宝島社「南インドのデーヴァダーシー制度廃止運動―英領期の立法措置と社会
改革を中心に―」(『史學雑誌』第107編第3号、1998、史學会)
、
「南アジアの国民文化・消費文化
―音楽芸能を通じてみるインドの20世紀―」(古田元夫他編『<南>から見た世界02東南アジア・
南アジア―地域自立への模索と葛藤―』1999、大月書店)、「「逸脱」を演じる―女の子バンド体
験からみた<ロックと性>―」(北川純子編『鳴り響く性―日本のポピュラー音楽とジェンダー
―』1999、勁草書房)、
『はじめての世界音楽』
(柘植元一・塚田健一編)1999、音楽之友社その他
に、『キネ旬ムック インド映画娯楽玉手箱―インド映画完全ガイドブック―』(共著、2000、キ
ネマ旬報社)等にインドのポピュラー音楽に関する執筆多数。
関谷 元子(せきや もとこ)『ポップ・アジア』編集長
桐朋学園大学音楽学部作曲理論学科音楽学専攻課程卒業。レコード会社勤務を経て、音楽評論家
に。主にワールド・ミュージックを紹介しています。雑誌・新聞執筆の他、NHKFMで毎週土曜「ア
ジア・ポップス・ウィンド」という番組の構成とDJ。隔月刊でアジアの文化を伝える雑誌「ポッ
プ・アジア」編集長。NHK衛星放送「真夜中の王国」でアジアのミュージック・ヴィデオを紹介。
講談社『アジア・ポップス・パラダイス』編著。
福岡 正太(ふくおか しょうた)国立民族学博物館民族学研究部助手
東京芸術大学大学院博士課程中退。民族音楽学専攻。東南アジア、とくにインドネシア、西ジャ
ワの音楽について研究。共著に『「音」のフィールドワーク』(民博「音楽」共同研究編、1996、
東京書籍)
、『音の今昔』(櫻井哲男・山口修編、1996、弘文堂)など。
小池 誠(こいけ まこと)桃山学院大学文学部教授
東京都立大学人文学部卒。東京都立大学大学院社会人類学専攻博士課程修了。専攻分野は社会人
類学。1991∼1996年広島大学総合科学部助教授、1996年桃山学院大学文学部助教授、2000年同教
授。著書に『インドネシアのポピュラー・カルチャー』(共著、めこん、1995年)
、
『インドネシア
∼島々に織りこまれた歴史と文化』(三修社、1998年)など。
澁谷 利雄(しぶや としお)和光大学人間関係学部教授
立教大学大学院博士課程修了。文化人類学、南アジア現代史専攻。主にスリランカをフィールド
にしている。最近の関心は、「都市中産階級の宗教活動」、「ナショナリズムと大衆文化」。主な著
書に『祭りと社会変動』(同文館、1988)、『もっと知りたいスリランカ』(杉本良男編、弘文堂、
1987)、『実践宗教の人類学』(田辺繁治編、京都大学出版会、1993)、
『アジア読本スリランカ』(杉
本良男編、河出書房新社、1998)、『スリランカにおける女性、開発、民族意識』
(大森元吉編、明
石書店、1999)、
『アジアの食文化』(共編、建帛社、2000)他、がある。
久万田 晋(くまだ すすむ)沖縄県立芸術大学附属研究所助教授
東京芸術大学大学院修了後、東京芸術大学助手を経て、現在沖縄県立芸術大学附属研究所助教授。
専攻は民族音楽学、民俗芸能論。最近の研究テーマは①沖縄における民族的文化運動としてのエ
イサーの動向。②沖縄ポップにおける民族アイデンティティ表現の諸相。共書に『日本民謡大観
奄美・沖縄 奄美諸島篇』
(日本放送出版協会、1993年)
、『エイサー360度 歴史と現在』(那覇出
版社、1998年)など。
小倉 利丸(おぐら としまる)富山大学経済学部教授
法政大学、東京大学大学院で経済学を学び、その後富山大学経済学部で、政治経済学、現代資本
主義論(専門教育)と現代文化、ジェンダー(教養教育)などを講義する。著書に、『アシッド・キャ
ピタリズム』(青弓社)、『カルチャー・クラッシュ』(社会評論社)など。
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