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子どものための外国文学

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子どものための外国文学
2009年 度
狭山シニア・コミュニティ・カレッジ
2010年1月9日(土)
武蔵野学院大学大学院・武蔵野学院大学教授
博士(英文学)
佐々木隆
子どものための外国文学
建学の精神:他者理解
建学の精神:自覚ある女性たれ
1
目
次
はじめに
1
2
3
4
5
3
「こども観」とは
1 )「 子 供 」「 子 ど も 」「 こ ど も 」 の 表 記
2 )「 児 童 」 と は
3)日本の「こども観」と西洋の「こども観」
4
5
6
「昔話・お伽話・童話・少年文学」から
「児童文学」へ
1)明治以前の「昔話・お伽話」
2)明治初期 童話と児童観、児童文学
3 )「 児 童 文 学 」 と は 何 か
4)エレン・ケイ『児童の世紀』
5 )『 赤 い 鳥 』
6)世界の児童文学史
7
8
9
10
11
13
日本に英米文学が紹介された頃
1)受容のあり方について
2)英米児童文学の紹介
14
18
文学作品の変容
1)活字化から舞台へ
2)マンガ化、アニメ化、映像化
21
21
英米文学アラカルト
1) 様々な分野
2) 科学とファンタジー
24
41
まとめとして
46
注
資料
47
48
おわりに
50
2
は
じ
め
に
本 冊 子 は 狭 山 シ ニ ア ・ カ レ ッ ジ の 子 育 て 支 援 学 科 の 第 30
回「 子 ど も の た め の 外 国 文 学 」用 の テ キ ス ト で あ る 。限 ら れ
た 時 間 の 中 で 十 分 に 伝 え ら れ な い こ と や 、い わ ゆ る フ ィ ー ド
バ ッ ク( あ と か ら 利 用 が 可 能 に な る こ と )に も 利 用 で き る よ
うに、活字化したものである。
具 体 的 な 内 容 に つ い て は 、外 国 文 学 も 様 々 な も の が あ る が 、
こ こ で は 英 米 文 学 を 中 心 に 扱 う こ と と す る 。ま た 、昨 今 の 時
代 の 流 れ か ら も ク ー ル・ジ ャ パ ン の 文 化 ア イ テ ム で あ る ア ニ
メ 等 に つ い て も 取 り 上 げ る こ と に な ろ う 。実 際 の 講 義 で は す
べ て を 網 羅 す る こ と は で き な い の で 、資 料 と な る よ う に 冊 子
を 作 成 し た 。な お 、実 際 の 講 義 で は 目 次 の 3 ~ 5 あ た り を 中
心 に 触 れ る こ と に な る 。ま た 、当 日 は パ ワ ー ポ イ ン ト 等 を 利
用 し な が ら 進 め る が 、そ の す べ て を 本 冊 子 に 収 録 す る こ と は
で き な い が 、そ の 場 合 に は 抜 粋 あ る い は 時 系 列 年 表 等 の 形 式
で掲載したことお断りしておきたい。
な お 、英 米 文 学 の 内 容 を さ ら に 知 り た い 場 合 に は 、
「資料」
編の文献を利用されるか、ホームページ「佐々木隆研究室」
( ht t p : / / w w w. s s k . e c o nf n. c o m ) の 「 講 義 に 関 す る こ と 」 → 「 武
蔵 野 学 院 大 学 」→「 英 米 文 学 史 」を 参 考 に し て ほ し い 。大 学
の授業で配付したものなどを掲載している。
佐々木
3
隆
1
「子ども観」とは
1 )「 子 供 」「 子 ど も 」「 こ ど も 」 の 表 記
「 子 供 」「 子 ど も 」「 こ ど も 」 と 表 記 は 様 々 で あ る 。 最 近 で
は「子 供」と いう 表記よ り「 子ど も」あるい は「 こど も」の
表 記 を よ く 見 る よ う に な っ た 。『 広 辞 苑 』( 第 6 版 ) で は 見 出
し 語 は「 子 供 」で あ る 。最 近 の 例 で は 、幼 保 一 元 化 の 切 り 札
と も 言 え る「 こ ど も 認 定 園 」と い う 新 し い 施 設 が 法 的 に 整 備
さ れ た の は 20 06 年 ( 平 成 1 8) 1 0 月 の こ と で あ る 。
さ て 、「 子 供 」 と 言 う 表 記 の 「 供 」 は 、 ど う し て も 大 人 と
の 関 係 、比 較 か ら 出 て く る 言 葉 で あ る 。も と も と 戦 後 の 公 用
文 で も 「 子 供 」 と い う 表 記 が 使 わ れ る 一 方 、「 国 民 の 祝 日 に
関する法律」
( 19 4 8 年 7 月 2 0 日 )で は 5 月 5 日 を「 こ ど も の
日 」 と 定 め て い る 。 ま た 、「 就 学 前 の 子 ど も に 関 す る 教 育 、
保 育 等 の 総 合 的 な 提 供 の 推 進 に 関 す る 法 律 」( 20 0 6 年 ) で は
「 子 ど も 」、 そ し て 、 今 日 の 施 設 名 の 「 こ ど も 認 定 園 」 を 見
て も 、国 自 体 、あ る い は 行 政 レ ベ ル で さ え も 、名 称 に つ い て
は確固とした認識がないのが実情である。一般的には「大
人 ・ 子 供 」、「 お と な ・ こ ど も 」 と い っ た 程 度 の 漢 字 に よ る 表
記 か 、ひ ら が な に よ る 統 一 表 記 と す る か と い っ た レ ベ ル で あ
る。
こ こ で は 、「 子 育 て 支 援 学 科 」 の 一 講 座 と い う こ と か ら 、
表 記 に つ い て 言 及 し た 。辞 書 的 に は 当 然「 子 供 」は あ り 、表
現 と し て 間 違 っ て は い な い が 、「 子 ど も 」「 こ ど も 」 の 人 格 の
独立などを特に強調したいような場合には表記へのこだわ
りが見られるといったところだろうか。
な お 、最 近 の 大 学 で は 以 下 の よ う な 学 部 、学 科 が 設 置 さ れ
ているので、設置年と大学名を紹介しておきたい。
2 00 2
2 00 2
2 00 2
2 00 3
年
年
年
年
2 00 4 年
2 00 5 年
鎌倉女子大学児童学部子ども心理学科
鹿児島純心女子大学国際人間学部こども学科
金城学院大学人間科学部現代子ども学科
東大阪大学子ども学部こども学科
*日本で最初の子ども学部
東京成徳大学子ども学部子ども学科
白梅学園大学子ども学部子ども学科
4
2 00 5 年
2 0 0 6年
2006 年
2 00 7 年
2 00 7 年
2008 年
梅光学院大学子ども学部子ども未来学科
中国学園大学子ども学部子ども学科
東北福祉大学子ども科学部子ども教育学科
浦和大学子ども学部子ども学科
東京未来大学こども心理学部こども心理学科
帝京科学大学子ども学部子ども学科
こ う し た 傾 向 は 「 子 ど も 学 」 ( Ch i l d S ci e nc e ) と い う 考 え 方
が新たになされるようになったことが大きな理由の一つで
あ る 。し か し 、ま だ 確 立 は さ れ て い な い 。現 状 で は 保 育・教
育の両方をカバーするような内容である。
2 )「 児 童 」 と は
「 子 供 」「 子 ど も 」「 こ ど も 」 と 言 う 表 現 と 同 様 に 使 わ れ て
い る 用 語 と し て 「 児 童 」 が あ る 。 こ こ で 19 9 4 年 5 月 2 2 日 に
日 本 が 批 准 し た C o nv e nt i on on th e R i gh t s of t h e C hi l d(「 児
童 の 権 利 に 関 す る 条 約 」) に つ い て は 注 目 し て お き た い 。 そ
れ は 、英 語 の“ ch i l d”を ど の よ う に 訳 す か と い う こ と だ 。
「子
ど も 」「 こ ど も 」 な の か 、「 児 童 」 な の か と い う こ と だ 。
政 府 訳 で は 「 児 童 」 と な っ て い る 。 そ の A r ti c le 1( 第 1 条 )
を見ておきたい。
F o r t h e p ur p ose s of th e p r ese n t C o nv e nt i on, a
c h i ld me a ns eve r y h u ma n b e ing b el o w t he age o f
e i g ht e en ye a rs u n le s s u nd e r t h e l a w a pp l ica b l e t o
t h e c h il d , m ajo r i ty is at t ain e d e a rl i er .
児童とは、十八歳未満のすべての者を言う。ただし、当
該児童で、その者に適用される法律により早く成年に達
したものを除く。
で は 、日 本 で は 法 令 的 に は「 児 童 」を ど の よ う に 定 義 し て い
る の だ ろ う か 。児 童 福 祉 法( 1 94 7 年 1 2 月 1 2 日 ・ 法 律 1 6 4
号)には児童について次のように定義している。
5
第4条
こ の 法 律 で 、 児 童 と は 、 満 18 歳 に 満 た な い 者
をいい、児童を左のように分ける。
1. 乳 児
満1歳に満たない者
2. 幼 児
満1歳から、小学校就学の始期に達するまでのもの
3. 少 年
小 学 校 就 学 の 始 期 か ら 、 満 18 歳 に 達 す る ま で の 者
法 律 上 、「 子 ど も 」・「 こ ど も 」 な の か 、 あ る い は 「 児 童 」 な
の か と い っ た 問 い に は 、社 会 通 念 上「 児 童 」と は 小 学 生 を 指
す 場 合 が 多 い 。さ ら に 法 律 上 の「 児 童 」の 定 義 を み て も 一 定
で は な い 。学 校 教 育 法 で は 、満 6 歳 ~ 1 2 歳 を「 学 齢 児 童 」と
呼 び 、 道 路 交 通 法 で は 6 歳 以 上 13 歳 未 満 の 者 、 労 働 基 準 法
で は 15 歳 未 満 の 者 を 「 児 童 」 と 定 め て い ま す 。 ま た 、 児 童
福 祉 法 で は 前 述 の 通 り 18 歳 に 満 た な い 者 の 総 称 が 「 児 童 」
で あ り 、乳 児( 1 歳 未 満 )、幼 児( 1 歳 か ら 小 学 校 就 学 ま で )、
少 年 ( 小 学 校 就 学 か ら 18 歳 に 達 す る ま で ) と 区 分 さ れ て い
る 。 母 子 福 祉 法 で は 、 20 歳 未 満 を 「 児 童 」 と し て い る 。
一 般 的 に 「 子 」 と い う 表 記 は 、 民 法 に あ る 20 歳 未 満 の 者
を 「 未 成 年 者 」 と 定 め 、「 子 」 と は 年 齢 に 関 わ り な く 親 子 関
係 に お け る「 子 ど も 」の こ と を 意 味 す る こ と に な る 。国 が 定
め る 法 律 で あ っ て も 、「 児 童 」 の 表 記 に 統 一 性 は な く 、 縦 割
り行政の弊害と言えるかもしれない。
い づ れ に し て も 、 最 大 20 歳 未 満 は す べ て 児 童 と い う 考 え
方 が あ る こ と が わ か る 。こ れ だ け 曖 昧 で あ れ ば 、後 で ふ れ る
ことになる児童文学の定義も自動的に曖昧となる。
3)日本の「こども観」と西洋の「こども観」
「 こ ど も 」に つ い て 注 目 さ れ る よ う に な っ た の は い つ 頃 か
ら だ ろ う か 。 日 本 で は 「 子 ( こ )」 に つ い て は 和 歌 な ど に も
詠 わ れ て い る こ と は 周 知 の 通 り で あ る 。『 万 葉 集 』 (7 5 9? ) に
は 「 銀 も 金 も 玉 も 何 せ む に 優 れ る 宝 子 に し か め や も 」( 山 上
憶 良 )と い っ た 有 名 な 和 歌 が あ る 。ま た 、日 本 で 最 も 古 い 社
6
会 福 祉 ・ 児 童 福 祉 施 設 は 聖 徳 太 子 ( 57 4 -6 2 2) が 設 立 し た 「 悲
田 院 」だ と も 言 わ れ て い る 。悲 田 院 は 天 王 寺 ・四 箇 所 の ひ と
つ で 、 59 3 年 建 立 と 言 わ れ て い る 。 仏 教 の 慈 悲 の 思 想 に 基 づ
き 貧 し い 人 や 孤 児 を 救 う た め の も の で 、中 国 の 隋 に 倣 っ た と
言 わ れ て い る 。世 界 的 に 見 て も こ の 時 代 こ う し た は っ き り と
福 祉 目 的 の 施 設 の 設 立 は 珍 し い よ う だ 。欧 米 、特 に イ ギ リ ス
に 目 を 向 け て み る と 、中 世 は ロ ー マ ・ カ ト リ ッ ク 教 会 が 救 済
の 名 の 下 で 組 織 的 に で は な い が 、教 会 が 社 会 福 祉 施 設 の 役 割
を 果 た し て い た よ う だ 。( 1 )
そ の 後 は 、 134 7 年 に 労 働 者 条 例 、 15 3 0 年 に 労 働 者 条 例 、
1 5 9 7 年 に は 貧 民 救 済 法 が 発 令 さ れ る が 、以 後 、本 格 的 な も の
は 産 業 革 命 以 後 、貧 富 の 差 の 拡 大 、格 差 社 会 が 現 実 化 し て か
らのものである。
社 会 の 流 れ も あ る が 、子 ど も の 捉 え 方 と し て は 、お と な の
未 熟 な 姿 、家 督 相 続 の 道 具 、一 家 の 労 働 力 と し て 語 ら れ る こ
と が 多 か っ た 。一 般 に「 子 ど も 観 」を 最 初 に 問 う た の は ジ ャ
ン = ジ ャ ッ ク ・ ル ソ ー( Je a n- Ja c q ue s R ou s se au , 1 7 12 - 17 7 8)
の 『 社 会 契 約 論 』 ( 17 6 2) 、『 エ ミ ー ル 』 (1 7 62 ) で あ る 。 ル ソ
ー は 子 ど も の 教 育 は 子 ど も ら し く す る こ と を 主 張 し 、発 達 段
階 に 応 じ た 自 然 に 従 う 教 育 、つ ま り 、子 ど も を 植 物 に 喩 え て
考 え る こ と が 最 も よ い 教 育 だ と し た の で あ る 。子 ど も 観 に よ
り 教 育 の 在 り 方 が 変 わ れ ば 、自 ず と 児 童 文 学 等 の 考 え 方 も そ
こから変わって来ることになる。
2
「 昔 話・お伽 話・童 話・少年 文 学 」か ら「児 童 文 学 」へ
1) 明治以前の「昔話・お伽話」
明 治 時 代 以 前 の 昔 話 、お 伽 話 は も と も と 児 童 文 学 と い う 考
え 方 が 出 現 す る 以 前 か ら 存 在 す る も の で あ る 。む し ろ 、明 治
時 代 に な っ て か ら 、児 童 文 学 と い う 考 え 方 が 誕 生 し て か ら 付
け ら れ た 名 称 と い っ た ほ う が 正 し い か も し れ な い 。言 い 伝 え 、
伝 説 等 が 総 じ て 「 昔 話 」 と な り 、「 お 伽 話 」 は そ の 内 容 と し
て 現 実 離 れ し た 話 、外 国 風 に 言 え ば フ ァ ン タ ジ ー と い う こ と
に な ろ う か 。明 治 以 前 に は 草 双 紙 、赤 本 、黄 表 紙 な ど で「 桃
太 郎 」が 取 り 上 げ ら れ た り 、あ る い は『 お 伽 草 紙 』で は「 カ
7
チ カ チ 山 」 が 取 り 上 げ ら れ て い た 。 そ れ 以 外 に も 、『 日 本 書
紀 』 や 『 古 事 記 』 な ど か ら は 「 因 幡 の 白 兎 」、『 今 昔 物 語 集 』
か ら は 「 藁 し べ 長 者 」、「 か ぐ や 姫 」 で 知 ら れ る 『 竹 取 物 語 』、
「 八 犬 士 」で 知 ら れ る『 南 総 里 見 八 犬 伝 』等 も あ る が 、そ れ
ぞ れ の 時 代 の 中 で 生 ま れ た 文 学 で あ っ て 、後 年 に な っ て 捉 え
方が異なって来たのである。
2)明治初期 童話・少年文学と児童観
童話と児童観を述べるには教育に注目しなければならな
い 。特 に 明 治 の 教 育 、と り わ け 子 供 の 教 育 に つ い て 触 れ て お
き た い 。明 治 6 年 ( 18 7 3) 3 月 の 田 中 義 廉 編 『 小 学 読 本 』
(文
部省)には次の様にある。
人の務めは、種々にて士農工商とも皆別々の学文あり、
さ れ ど も 、幼 年 の と き 習 ふ べ き 学 文 は 、み な 同 じ こ と な り 、
これを一般の学文といふ、○この学文を学ばざれば、何
れ の 業 を も 学 ぶ こ と 能 は ず 、故 に 、人 は 六 七 歳 に 、至 れ ば 、
皆小学校に入りて、一般の学文を習ふべし、○小学校は
士農工商とも皆習ふべき学文を教ふる所なり(2)
身 分 に 関 係 な く 、「 幼 年 の と き 習 ふ べ き 学 文 は 、 み な 同 じ こ
と な り 、こ れ を 一 般 の 学 文 と い ふ 」は 注 目 に 値 す る 。明 治 も
中頃には子供のための読み物が次々と刊行されるようにな
った。
明治二十年代は、読み物としての少年雑誌が日本で初
めて続々と刊行されだした時期であった。主な誌名を掲
げ れ ば 、『 教 育 小 共 の は な 誌 』( 明 治 2 0・ 8)、『 少 年 園 』
( 明 21 ・ 1 1 )、『 日 本 之 少 年 』( 明 22 ・ 2 )、『 小 国 民 』
( 明 22 ・ 7 )、『 幼 年 雑 誌 』( 明 2 4 ・ 1 )、『 少 年 世 界 』( 明
28・ 1) 等 で あ る 。 対 象 年 齢 は 、 小 学 校 低 学 年 生 か ら 青
年期までにわたり、様々なであるが、どの雑誌も、当初
は小説やお伽噺といった娯楽的作品は極めて稀で、教育
的 読 売 が 主 流 を 占 め て い た 。( 3 )
8
日 本 の 童 話 に 関 す る 考 え 方 は 、明 治 2 4 年 (1 8 91) 1 月 に「 少
年 文 学 叢 書 」の 第 1 巻 と し て 巖 谷 小 波『 こ が ね 丸 』が 出 版 さ
れ、童話を含めた児童文学が定着したようだ。
明治時代において児童文学がどのように誕生したかとい
えば、その契機は、思想史的には、その時代に入ってよ
うやく子どもが、条件つきではあるけれど人格を認めら
れるようになったからであり、社会史的には、近代日本
の国家が近代的な社会をつくるためのファクターのひと
つ と し て そ れ を 必 要 と し た か ら で あ っ た 。( 1 1 )
日 本 に お け る 児 童 観 の 歴 史 を 辿 っ て い く と 、特 に 明 治 以 降 の
教 育 施 策 、児 童 福 祉 行 政 と も 大 き く 関 連 し て 来 る 。歴 史 的 に
遡れば前述の通り聖徳太子の悲田院をその萌芽と見ること
も で き る で あ ろ う が 、明 治 に 入 る と 文 明 開 化 と 殖 産 興 業 と い
う 基 本 的 な 政 策 の も と に 、富 国 強 兵 の 考 え が 登 場 し て く る こ
と に な っ た 。児 童 は 富 国 強 兵 の た め の 人 材 と し て 考 え ら れ る
よ う に な っ た 。今 で 言 う 人 権 と は 程 遠 い が 、そ れ で も 児 童 保
護 は 前 進 す る こ と に な っ た 。児 童 保 護 に 関 す る 行 政 の 流 れ は
以下の通りである。
明治
明治
明治
明治
明治
大正
大正
大正
大正
大正
元年
4年
7年
23 年
44 年
6年
6年
8年
9年
11 年
(18 6 8)
( 1 871 )
( 1 874 )
(18 9 0 )
(19 1 1 )
(19 1 7 )
(19 1 7 )
(19 1 9 )
(19 2 0 )
( 1 922 )
堕胎禁止令
棄児養育米給与方
恤救規則
軍人恩給法
工場法
国立感化院令
児童研究所設置(東京)
児童相談所設置(大阪)
児童保護委員制度
小年法、矯正院法
3 )「 児 童 文 学 」 と は 何 か
前述の通り、
「 児 童 」の 定 義 が 曖 昧 で あ れ ば 、必 然 的 に「 児
童 文 学 」の 定 義 も 曖 昧 な も の と な る 。そ こ で「 児 童 文 学 」の
定 義 に つ い て 示 唆 に 富 む 文 芸 評 論 家 ・ 瀬 沼 茂 樹 ( 1 9 04 - 19 8 8)
9
の指摘を紹介しておきたい。
普通に文学のジャンルとして児童文学を考える場合、児
童のために成人が制作した文学、あるいは児童のための
文学をいうことになっている。おそらくこれには二義が
あるだろう。簡単にいえば、児童用の文学であり、児童
の年齢に応じて教育的意義をも含めて、特別の配慮の加
えられた文学が一方にある。もう一つは児童のために、
純然たる芸術意欲から制作される文学である。現実には、
前者にしろ芸術意識を根源としなければ、低次元の教化
にとどまるであろうし、後者にしろまったく教化的適応
性を無視しては児童文学として成り立ちしがたいところ
も あ る 。( 5 )
瀬沼はさらに児童文学について述べている。
文学の問題として考えると、児童文学の分化が若いと
いうことであろう。どこの国の文学にも、神話、伝説、
民話、民謡などがあり、それ自体に児童文学の要素を含
みながら、児童文学として成立したわけではない。わが
国 の お 伽 噺 に せ よ 、 英 語 の Fa ir y ta l es , F a ble に せ よ 、
独 語 の M är c he n に せ よ 、 す べ て 児 童 の た め の 文 学 と し て
用 意 さ れ た も の で は な い 。( 6 )
つ ま り 、も と も と 存 在 し て い た 話 を 児 童 文 学 と 呼 ぶ 場 合 と 児
童 の た め に 用 意 す る た め の 文 学 が あ る と う い こ と だ 。そ し て 、
児 童 の た め に 用 意 す る い わ ゆ る「 児 童 文 学 」に は 、教 育 的 な
意味合いが含まれると考えらよう。
4)エレン・ケイ『児童の世紀』
エ レ ン ・ ケ イ (El l e n K e y 18 4 9~ 1 92 6 )が 明 治 3 3 年 (1 9 00 )
に『 児 童 の 世 紀 』を 発 表 し 、20 世 紀 を「 児 童 の 世 紀 」と 呼 ん
だことは、当時の日本にもその波動は届いている。
近代的児童文学研究は、児童研究の中に、教育・心理学
10
研究の一環として発展過程をたどる。この時期はエレン・
ケ イ ( E ll e n Ke y 1 84 9~ 1 92 6 )の『 児 童 の 世 紀 』(一 九 ○ ○ )
が国際的に大きな反響をよび、邦訳の大村仁太郎『二十
世 紀 は 児 童 の 世 紀 』( 一 九 ○ 六 ) が 教 育 界 に 衝 撃 を あ た
える時期とかさなってくる。児童学会の児童研究も「児
童 の 世 紀 」 に 触 発 さ れ て も り あ が っ て い く 。( 7 )
エ レ ン・ケ イ は 子 ど も の 権 利 保 障 に つ い て 先 駆 的 な 役 割 を 果
た し た 。ま さ に 、エ レ ン・ケ イ の 登 場 に よ り 、日 本 だ け で は
なく、世界中に児童に関する考え方が一新されたのである。
20 世 紀 を 子 ど も 中 心 主 義 教 育 の 新 時 代 と す る こ と を 訴 え た
の で あ る 。( 8 )
5 )『 赤 い 鳥 』
日 本 に お け る 童 話・児 童 文 学 研 究 の 史 的 展 望 を 考 察 し て 見
ると次の通りとなる。
わが国の児童文学研究に三つの屈折点が指摘できるよう
に思われる。第一は、明治期の教育・心理と密接した形
における伝承的説話研究から、大正期の童心芸術運動と
連動する童話・童謡研究への発展期である。第二は、大
正期デモクラシーもプロレタリア児童文学も否定してし
まう戦時期少国民文学の統制期への転換である。第三は、
敗 戦 に よ る 民 主 主 義 児 童 文 学 の 新 生 期 で あ っ た 。( 9 )
こ う し た 時 代 背 景 の 中 、 大 正 7 年 ( 19 1 8) 7 月 の 鈴 木 三 重 吉
( 1 8 82 - 19 3 6) の『 赤 い 鳥 』の 発 刊 に よ り 、
「子供のための芸術」
を 創 作 す る 必 要 性 が 宣 言 さ れ る に 到 っ た の で あ る 。こ の「 子
供 の た め の 芸 術 」は 、芸 術 至 上 主 義 と い う 当 時 の 世 相 を 反 映
し て 、童 話 が 芸 術 と し て の 地 位 を 獲 得 す る ま で に な る の で あ
る。
昔物語、伝説噺、お伽噺などを文学的に取り扱う時にはお
伽 噺 と し 、教 育 的 に 描 い た 場 合 に は 童 話 と い う よ う な 傾 向 が
明 治 時 代 に は あ っ た が 、大 正 7 年 ( 19 1 8) 7 月 の 鈴 木 三 重 吉 に
よ っ て『 赤 い 鳥 』が 創 刊 さ れ る と 、童 話 に 対 す る 見 方 は 新 た
11
な局面を迎えるようになった。
大正七年七月、鈴木三重吉は雑誌『赤い鳥』を主宰発
行 し た 。 創 刊 の プ リ ン ト を 見 る と 、「 西 洋 人 と ち が っ て 、
われわれ日本人は哀れにも未だ嘗て、ただの一人も子供
のための芸術家を持ったことがありません」とある。だ
か ら こ そ 、『 赤 い 鳥 』 に よ っ て 『 芸 術 と し て の 真 価 の あ
る純麗な童話と童謡を創作する」最初の運動を、当今文
壇一流の作家詩人の協力を得て推し進めたい、と三重吉
は主張したのであった。鈴木三重吉は東京帝国大学英文
科の出身で、在学中夏目漱石の知遇を得、明治三十九年
に処女作「千鳥」を発表し、文壇に登竜した既成の作家
であった。その三重吉が、子供の文学に献身することを
宣 言 し た の で あ る 。( 1 0 )
『 赤 い 鳥 』の 登 場 に よ り 、童 話 の 中 に「 芸 術 性 」が 持 ち 込 ま
れたのである。
蘆 谷 重 常 は 大 正 2 年 ( 1 91 3 )4 月 の『 教 育 的 応 用 を 主 と し て
い る 童 話 の 研 究 』( 勧 業 書 院 )、 大 正 2 年 ( 19 1 3)4 月 の 『 童 話
及 伝 説 に 現 れ た る 空 想 の 研 究 』( 以 文 館 ) で は 童 話 は 昔 話 を
指 し て い た が 、蘆 谷 重 常 は「 伝 説 学 的 見 地 」
「芸術的立場」
「児
童 心 理 学 の 上 か ら 、そ の 応 用 の 点 か ら 言 へ ば 教 育 的 見 地 」の
三 つ に ま と め て い た が 、「 芸 術 的 立 場 」 に つ い て は 、 後 年 に
なってようやく発表されるようになった。
大 正 11 年 ( 1 92 2) 5 月 に は 蘆 谷 重 常 ( 1 88 6 -1 9 46) を 中 心 に 日
本 童 話 協 会 が 設 立 さ れ た 。会 則 に は「 童 話 の 研 究 及 び 一 般 児
童 芸 術 の 改 善 普 及 を 計 る 」と あ る の は 、注 目 し て お い て よ い
だろう。
児童文学の本質の究明による学問的な光が当て始められ
た の は 戦 後 に な っ て か ら の こ と で あ る 。 昭 和 22 年 ( 19 4 7) 1 2
月 に 児 童 福 祉 法 、 昭 和 2 6 年 ( 19 5 1 )5 月 の 児 童 憲 章 が 制 定 さ
れ 、子 供 の 人 格 や 権 利 が 保 障 さ れ る よ う に な っ た こ と が 大 き
な 要 因 で あ ろ う 。 大 正 時 代 に は 早 く も 大 正 1 3 年 ( 1 9 24 ) 1 1
月 の 有 富 郁 夫『 児 童 文 学 十 講 (
』 東 京 出 版 社 )、大 正 1 4 年 (1 9 25 )
9 月 の 富 山 師 範 附 属 小 学 校 編『 児 童 文 学 の 研 究 』
(明治図書)
の よ う に「 児 童 文 学 」と い う 呼 称 も 使 用 さ れ て い る が 、明 治
12
時 代 で は 「 お 伽 噺 」、 大 正 時 代 か ら は ほ と ん ど が 「 童 話 」 と
いう表現であったようだ。
6)世界の児童文学史
世 界 児 童 文 学 史 の 源 泉 を ど こ に お く か は 難 し い 。日 本 の 場
合 と 同 様 に 、児 童 文 学 と い う 概 念 と の 係 り が あ る か ら だ 。い
わゆる昔話等と言う考え方からすれば『イソップ物語』
( A e so p’ s Fa b le s )は そ の 原 点 と い う こ と な る か も し れ な い 。
『 イ ソ ッ プ 物 語 』 は 古 代 ギ リ シ ャ の ア イ ソ ポ ス ( Ae s op,
6 2 0 -5 6 0 B C) に よ っ て 創 作 さ れ た と さ れ て い る 。 一 般 的 に は
動物などが人間生活の諸相を描いたものとなった寓話とし
て 知 ら れ て い る 。し か し 、フ ラ ン ス の ぺ ロ ー ( C har l e s Pe r au l t,
1 6 2 8- 1 70 3 ) 、 ド イ ツ の グ リ ム 兄 弟 (J a co b , 1 7 85 - 18 6 2,
W h i lh e lm G r im m, 17 8 6- 1 85 9) 、 デ ン マ ー ク の ア ン デ ル セ ン
( H a ns C h ri s ti an An d er s en , 1 805 - 1 87 5 )、イ ギ リ ス の ル イ ス ・
キ ャ ロ ル (L e wi s C ar o ll , 1 83 2 -1 8 9 8) あ た り が そ の 定 着 に 寄
与 し た の 考 え に は 異 論 は な い だ ろ う 。児 童 文 学 と い う こ と に
なれば、イギリスなしには考えられないのだ。
イギリスは、児童文学という文学の新しい一領域を、作
りあげ、育ててきた国であり、いまなおさかんにそれを
発 展 さ せ て や ま な い 。( 1 1 )
イ ギ リ ス に は 、ジ ョ ン・ラ ス キ ン( J o hn R u sk i n, 1 8 19 - 19 0 0)、
オ ス カ ー・ワ イ ル ド ( O sc a r Fi ng a l O’ F la h er ty Wi l ls W i ld e,
1 8 5 4- 1 90 0) 、 ビ ク リ ア ス ・ ポ タ ー ( Bea t r ix P o tt e r,
1 8 6 6- 1 94 3) 、 ミ ル ン (A l an A l exa n d er M i ln e , 18 8 2 -1 9 56 ) な
ど 枚 挙 に 暇 が な い 。ま た 、イ ギ リ ス と 同 じ 英 語 文 化 圏 で あ る
ア メ リ カ で は 、 ル イ ザ ・ オ ル コ ッ ト (L o uis a M ay Al c ot t ,
1 8 3 2- 1 88 8 ) 、 マ ー ク ・ ト ウ ェ イ ン ( M ar k T w ai n , 1 8 3 5- 1 91 0 )
に よ り リ ア ル な 小 説 が 生 み 出 さ れ て い く こ と に な る 。( 1 2 )
特 に ア メ リ カ の 場 合 に は 、所 謂 フ ァ ン タ ジ ー と 言 っ た 内 容 の
も の よ り も 、現 実 社 会 で 子 ど も が ど の よ う な 立 場 に 立 た さ れ
て い る の か と い っ た よ う な も の が 主 流 の よ う だ 。世 界 を 見 て
も 、は っ き り と 子 ど も の た め に 書 か れ た 文 学 も あ れ ば 、そ う
でないものもある。
13
3
日本に英米文学が紹介された頃
1)受容のあり方について
英 米 文 学 に こ だ わ ら ず 、西 欧 の 文 学 の 日 本 へ の 紹 介 を 考 え
る と 、文 禄 2 年 ( 1 5 93 )に は『 イ ソ ッ プ 物 語 』が『 伊 蘇 普 物 語 』
として紹介されていたことは触れておかなければならない
だ ろ う 。 明 治 6 年 (1 8 73 ) に は 渡 部 温 ( わ た な べ ・ お ん
1 8 3 7- 1 89 8 )が 『 通 俗 伊 蘇 普 物 語 』 を 刊 行 し て い る 。
日 本 に お け る 英 米 文 学 の 初 紹 介 は 嘉 永 元 年 ( 18 4 8) の 稿 本
『 漂 荒 紀 事 』で あ っ た よ う だ 。こ れ は 蘭 学 者 黒 田 麹 盧( く ろ
だ ・ 1 8 27 - 18 92 ) が 蘭 語 本 か ら デ フ ォ ー ( Dan i e l D ef o re ,
1 6 6 0- 1 73 1 )の『 ロ ビ ン ソ ン ・ ク ル ー ソ ー 』( Ro bi n s on C r us o e ,
1 7 1 9) を 抄 訳 し た も の だ 。 訳 者 は 「 英 吉 利 国 、 魯 敏 孫 嶇 瑠 須
著 」と あ り 、こ の 有 名 な 孤 島 小 説 を 実 録 と し て 扱 い 、ま さ に
実 用 書 と し て 考 え て い た よ う だ 。日 本 も 英 国 も 島 国 で あ る と
い う こ と か ら こ う し た こ と が 起 こ っ た の か も し れ な い 。そ の
後 、安 政 4 年 (18 5 7 )に 横 山 由 清( よ こ や ま・よ し き よ )が『 魯
敏 遜 漂 行 紀 略 』を 要 約 で あ る が 刊 行 し た 。明 治 維 新 後 は キ リ
ス ト 教 の 影 響 を 受 け た 雑 誌 や 少 年 文 学( 児 童 文 学 )の 翻 訳 と
して様々な作品が翻訳されるようになった。
日 本 に お け る 英 米 文 学 の 初 の 紹 介 は 、 嘉 永 元 年 ( 1 84 8 年 )
の稿本『漂荒記事』であったという。これは、蘭学者黒
田 麹 盧 が 蘭 語 本 か ら デ フ ォ ー ( Da n i el D e fo e , 16 6 0 -1 7 31 )
の 『 ロ ビ ン ソ ン ー ・ ク ル ー ソ ー 』 ( R ob i ns o n Cr us o e , 17 1 9)
を抄訳したもの(13)
で あ っ た 。し か し 、明 治 期 を 通 じ て 最 大 の 収 穫 は『 女 学 雑 誌 』
に 連 載 さ れ た 若 松 賤 子 ( わ か ま つ ・ し づ こ , 1 86 4 - 18 9 6 ) 訳
『 小 公 子 』 で あ る と 言 っ て よ い だ ろ う 。 明 治 23 年 ( 1 8 90) 8
月 か ら 10 月 に ま ず 連 載 さ れ 、 そ の 後 中 断 さ れ た も の の 、 明
治 2 5 年 ( 18 92 ) 7 月 に は 完 成 し た 。 こ れ は バ ー ネ ッ ト
( M r s. F ra n ce s Ho d g es o n B ur n ett , 18 4 9- 1 92 4 )の L i tt l e L or d
F a u nt l er o y (1 88 6 ) の 翻 訳 で あ る 。( 1 4 ) 英 文 学 の 中 で も オ ス
カ ー・ワ イ ル ド の 童 話 は 芸 術 童 話 と し て 捉 え ら れ て い る の で
14
ある。
大 正 1 3 年 (1 9 24) 1 1 月 の 蘆 谷 重 常『 世 界 童 話 研 究 』
(早稲田
大 学 出 版 部 )は ワ イ ル ド の 童 話 を 各 国 の 童 話 の 項 目 に 入 れ ず
に「 芸 術 童 話 」と し て 取 り 上 げ た こ と は 興 味 深 い 。本 書 は「 緒
言 」、
「 第 一 篇 古 典 童 話 」、
「 第 二 篇 口 碑 童 話 」、
「第三篇 芸
術童話」から成っておいる。
「 緒 言 」に は 蘆 谷 重 常 の 童 話 の 分 類 の 考 え 方 が 示 さ れ て い
る。
童 話 は 、も と 傳 説 よ り 発 達 し た る も の で あ る 。傳 説 と は 、
古代未開の人民が、口から耳へ語り傳へたる説話のすべ
てをいふ。それらの説話の中、特に民族の歴史及び宗教
と関係深きもの、藝術的或は思想的内容の優秀なるもの
は、或は詩歌に歌はれ、或は記録せられて後世に残つて
居る。かくの如き古代の詩歌及び記録に遺れる、童話的
要素に富める説話を稱して「口碑童話」といふ。
文化の発達に伴ひ、民衆の藝術的の要求が口碑童話を
以て満足せざるに至れば、口碑童話を材料として之に藝
術的彫琢を加へ、或は作家自ら新しき傳説を創造して、
更に別種の童話を造り出すに至る。これを「藝術童話」
と い ふ 。( 1 5 )
「 イ ン グ ラ ン ド の 童 話 」と「 ケ ル ト 族 の 童 話 」は「 第 二 篇
口 碑 童 話 」 で 取 り 上 げ ら れ て い る 。「 第 三 篇 芸 術 童 話 」 は
「 第 一 章 ペ ロ - ル 及 び ド - ル ノ ア の 童 話 」、
「第二章 ハウ
フ の 童 話 」、
「 第 三 章 ア ン ダ ア ゼ ン の 童 話 」、
「第四章 クリ
ロ フ の 寓 話 」、
「 第 五 章 ト ル ス ト イ の 童 話 」、
「第六章 ワイ
ル ド の 童 話 」と な っ て い る 。ワ イ ル ド の 童 話 に つ い て は 次 の
ように説明している。
ワイルドの童話は一八八八年に公にせられたる「幸福
な 王 子 」 ( Ha p py P r in c e a nd oth e r t a le s )と 一 八 九 一 年
に 公 に せ ら れ た る 「 柘 榴 の 家 」 ( T he H o us e o f
P o m eg r an a te s )に 収 め ら れ て あ る 。 彼 の 童 話 は 、 ア ン ダ
アゼンの想をフロオベルの筆で書いたと言はるゝほど
のもので、其の空想の奔走なる、その描寫の精緻なる、
15
その文章の流麗なる、他に匹儔を見ざるところ、恐らく
近代英文学の如何なる作品を以て之と比較する遜色な
か る べ し と 思 わ れ る 一 大 藝 術 品 で あ る 。( 1 6 )
ま た 、童 話 に お い て「 子 供 と 大 人 」に つ い て 触 れ 、ワ イ ル ド
の童話については次のように説明している。
童話において、大人の生活をあまりくはしく語ることは、
大人の愚痴や希望を、童話といふ形に托するといふより
外に解釋のしやうがない。この點においても、近代の童
話には、假面のみの童話が少なからずあるが、ワイルド
のは大いに之と異なつて居る。彼の童話は、大人の童話
でるともいへるが、また子供の童話であるともいへるの
で あ る 。( 1 7 )
蘆 谷 重 常 は 代 表 的 な 童 話 作 家 7 人 に つ い て 論 じ た が 、そ の 位
置付けは次の通りである。
予は近代童話作家の代表なるものとして、ペロ-ル・
ド-ルノア夫人、ハウフ・アンダアゼン、クリロフ・ト
ルストイ、ワイルドの七家をあげた。ペロ-ル及びド-
ルノアは、ヨ-ロッパにおける童話作家の祖として、ハ
ウフはハウフ型芸術童話の創始者として、アンダアゼン
は最大の芸術童話家として、クリロフは近代寓話家の泰
斗として、トルストイは思想本位童話家として、ワイル
ドは極端なる芸術的童話の作家として、いづれも正に芸
術 作 家 を 代 表 す る に 足 る も の で あ る 。( 1 8 )
ワ イ ル ド の 童 話 は Th e H ap p y P r in c e a n d O t he r Ta les
( 1 8 88 ) と T h e H ou s e o f P o me g ran a t es (1 8 91 )に 収 録 さ れ た も
のと考えると、その作品は以下の通りである。
T h e H a pp y P r inc e an d O t he r Ta l e s
T h e H ap p y P r i nc e
T h e N ig h tin g a le an d t h e R o s e
T h e S el f ish G ia n t
16
『幸福な王子
その他』
「幸福な王子」
「ナイチンゲールとバラ」
「わがままな巨人」
T h e D ev o ted F ri e nd
T h e R em a rka b l e R oc k et
「忠実な友」
「すてきな打ち上げ花火」
T h e H o us e o f Po m e gr a na t es
T h e Y ou n g K i n g
T h e B ir t hda y of th e I n fan t a
T h e F is h erm a n a n d h is Sou l
T h e S ta r -Ch i l d
『柘榴の家』
「若い王」
「王女の誕生日」
「漁夫とその魂」
「星の子」
日本における西洋の童話の受容を見ると、イソップ物語、
グ リ ム 童 話 、ア ン デ ル セ ン 童 話 を 抜 き に し て は 語 る こ と は で
き な い だ ろ う 。特 に ア ン デ ル セ ン 童 話 の 影 響 は 計 り 知 れ な い
ものがある。
アンデルセン童話の圧倒的な影響力に比べると、社会風
刺性が強く無垢なるものの美への憧憬をテーマとした大
人向けとも言える 9 編のワイルド童話の魅力を真に理解
した者は少ない。ましてや子供の享受など微々たるもの
で あ っ た と 言 え よ う 。( 1 9 )
童 話 を 考 え る に は 、教 育 と の 関 係 や 当 時 の 子 ど も 観 な ど と
も 大 い に 連 動 し て 来 る 。「 こ ど も の た め の 読 み 物 」 と し て の
童 話 な の か 、童 話 も 芸 術 性 を 求 め る の か と い っ た こ と が 問 わ
れ て い る こ と に な ろ う 。こ こ で 大 き く 取 り 上 げ た 蘆 谷 重 常 は
ワイルドを藝術的童話作家として位置付けたのである。
蘆 谷 重 常 は ワ イ ル ド の 唯 美 主 義 を「 人 生 と 美 」の 関 係 を 捉
え 、童 話 研 究 の 観 点 か ら ワ イ ル ド を 本 格 的 に 研 究 し た 先 駆 者
と 言 え る か も 知 れ な い 。有 島 武 郎 の よ う に 強 く 影 響 を 受 け た
文 学 者 も い る が 、概 し て「 ワ イ ル ド の 童 話 が 高 尚 か つ 難 解 な
た め に 稀 薄 で あ っ た 」( 2 0 ) と い う の が 、一 般 的 な 捉 え 方 で あ
ろう。
ま た 、 戦 後 で は あ る が “ T h e H a p py P r in c e” を 中 心 に 日 本
へ の 受 容 研 究 を 扱 っ た 平 成 16 年 ( 20 0 4) 11 月 の 榊 原 貴 教 「 ワ
イ ル ド に 見 る 翻 訳 社 会 史 ― ―『 幸 福 の 王 子 』と 戦 後 日 本 の 児
童 文 学 」(『 翻 訳 と 歴 史 』 第 2 4 号 、 ナ ダ 出 版 セ ン タ ー ) と い
っ た 素 晴 ら し い 研 究 業 績 も 発 表 さ れ て い る 。ま た 、特 に 注 目
17
さ れ て い る も の と し て 有 島 武 郎 の「 燕 と 王 子 」と の 比 較 研 究
も あ る 。大 正 15 年( 19 2 5)5 月 ~ 7 月 に 有 島 武 郎 氏 遺 筆「 燕
と 王 子 」(『 婦 人 の 国 』 第 1 巻 第 1 号 ~ 第 3 号 , 新 潮 社 ) と し
て発表されたものであるが。
ワイルド童話の受容研究は同時に比較文学研究としても
進 ん で い る 。単 な る 童 話 研 究 だ け は な く 、こ う し た 有 島 の よ
う な 受 容 も ま た ひ と つ の 受 容 の あ り 方 で あ り 、童 話 研 究 を 通
し て 、こ ど も 観 、児 童 観 と は 何 か と い っ た 問 題 に ま で 発 展 す
るのである。
2)英米児童文学の紹介
こ こ で は 簡 単 に 英 米 文 学 の う ち 、児 童 文 学 を 時 系 列 に 紹 介
し て お き た い 。も ち ろ ん 、何 を 以 て 児 童 文 学 と 呼 ぶ か は 前 述
の 通 り 様 々 な 問 題 も あ る が 、こ こ で は 一 般 的 な 捉 え 方 と し て 、
絵 本 、児 童 文 学 全 集 、世 界 少 年 少 女 文 学 全 集 な ど で 紹 介 さ れ
て い る も の を 中 心 に 、さ ら に こ れ に 加 え て 、文 化 ア イ テ ム と
し て キ ャ ラ ク タ ー 化 し て い る も の も の あ る の で 、キ ャ ラ ク タ
ーの登場する作品についても取り上げておきたい。
13 世 紀
1485 年
1719 年
1726 年
1734 年
1780 年
1806 年
1812 年
1818 年
1837 年
1843 年
1852 年
1852 年
1865 年
1868 年
1871 年
ロビン・フッド
マ ロ リ ー 『 ア ー サ ー 王 の 死 』( ア ー サ ー 王 伝 説 )
デフォー『ロビンソン・クルーソー』
スィフト『ガリバー旅行記』
「 ジ ャ ッ ク と 豆 の 木 」( 活 字 化 さ れ る )
クーパー『マザー・グースのメロディ』
ラム姉弟『シェイクスピア物語』
「 三 匹 の 子 豚 」( 活 字 化 さ れ る )
シェリー『フランケンシュタイン』
デ ィ ケ ン ズ『 オ リ ヴ ァ ー ・ ト ゥ ィ ス ト 』
( ~ 1 8 39 )
ディケンズ『クリスマス・キャロル』
ホーソン『ワンダー・ブック』
ストウ夫人『アンクル・トムの小屋』
キャロル『不思議の国のアリス』
オルコット『若草物語』
キャロル『鏡の国のアリス』
18
1871
1876
1883
1883
1886
1886
1886
年
年
年
年
年
年
年
1888
1888
1891
1894
1897
1898
1900
1901
1904
1904
1905
1911
1912
1919
1926
1932
1934
1935
1935
1937
1940
1950
1950
1951
1954
1958
1961
1966
年
年
年
年
年
年
年
年
年
年
年
年
年
年
年
年
年
年
年
年
年
年
年
年
年
年
年
年
ウィード『フランダースの犬』
トウェイン『トム・ソーヤーの冒険』
スチーブンソン『宝島』
トウェイン『ハックルベリー・フィンの冒険』
スチーブンソン『ジキル博士とハイド氏』
バーネット『小公子』
ド イ ル『 緋 色 の 研 究 』
( シ ャ ー ロ ッ ク・ホ ー ム ズ ・
シリーズの開始)
ワイルド『幸福な王子』
バーネット『小公女』
ワイルド『柘榴の家』
キプリング『ジャングル・ブック』
ウェルズ『タイム・マシン』
ストーカー『ドラキュラ』
バウム『オズの魔法使い』
ポッター『ピーター・ラビット』シリーズ開始
バリー『ピーター・パン』
ハーン『怪談』
バーネット『秘密の花園』
バリー『ピーター・パンとウェンディ』
ウェブスター『あしながおじさん』
ロフティング『ドリトル先生アフリカゆき』
ミルン『くまのプーさん』
ワイルダー『大きな森の小さな家』
ト ラ バ ー ス『 風 に の っ て き た メ ア リ ー・ポ ピ ン ズ 』
トラバース『帰ってきたメアリー・ポピンズ』
ワイルダー『大草原の小さな家』
トールキン『ホビットの冒険』
ナイト『名犬ラッシー』
ル イ ス 『 ナ ル ニ ア 国 物 語 』( シ リ ー ズ 開 始 )
アシモフ『われはロボット』
サリンジャー『ライ麦畑でつかまえて』
ト ー ル キ ン 『 指 輪 物 語 』( ~ 19 5 5)
ボンド『パディントン・ベア』
ダール『おばけ桃の冒険』
ダール『チョコレート工場の秘密』
19
1972
1983
1988
1997
1998
1999
年
年
年
年
年
年
2000 年
2003 年
2005 年
2007 年
ダール『ガラスの大エレベーター』
ダール『魔女がいっぱい』
ダール『マチルダ』
J. K. ロ ー リ ン グ 『 ハ リ ー ・ ポ ッ タ ー と 賢 者 の 石 』
J. K. ロ ー リ ン グ『 ハ リ ー・ポ ッ タ ー と 秘 密 の 部 屋 』
J. K. ロ ー リ ン グ『 ハ リ ー・ポ ッ タ ー と ア ズ カ バ ン
の囚人』
J. K. ロ ー リ ン グ『 ハ リ ー・ポ ッ タ ー と 炎 の ゴ ブ レ
ット』
J. K. ロ ー リ ン グ『 ハ リ ー・ポ ッ タ ー と 不 死 鳥 の 騎
士団』
J. K. ロ ー リ ン グ『 ハ リ ー・ポ ッ タ ー と 謎 の プ リ ン
ス』
J. K. ロ ー リ ン グ 『 ハ リ ー ・ ポ ッ タ ー と 死 の 秘 宝 』
20
4
文学作品の変容
1)活字化から舞台へ
文 学 作 品 は 原 作 か ら 台 本 化 (脚 本 化 ) さ れ 、 舞 台 で 上 演 さ
れ る こ と が あ る 。ド ラ マ 化 さ れ 、ミ ュ ー ジ カ ル 化 さ れ る 。児
童 文 学 と い う こ と に 目 を 向 け て み れ ば 、特 に 有 名 な の は ア メ
リカのライマン・フランク・バウム原作『オズの魔法使い』
や イ ギ リ ス の ジ ェ ー ム ズ・バ リ ー 原 作『 ピ ー タ ー・パ ン 』な
ど が あ る 。ま た 、変 わ っ た と こ ろ で は 、原 作 が 新 聞 連 載 漫 画
の ア メ リ カ の ロ ナ ル ド・グ レ イ『 ア ニ ー 』は 昭 和 6 1 年 ( 1 98 6 )
に 日 本 で も 初 演 さ れ 現 在 で も 上 演 さ れ 続 け て い る 。英 米 文 学
に こ だ わ ら な け れ ば 、『 シ ン デ レ ラ 』、『 白 雪 姫 』、『 美 女 と 野
獣』など枚挙に暇がない。
2)マンガ化、ア二メ化、映像化
児 童 文 学 と の 出 会 い は 、読 み 聞 か せ や 絵 本 な ど か ら 始 ま る
と 考 え て も よ い だ ろ う 。特 に 文 字 に ポ イ ン ト を 置 く 以 上 に 絵 、
イ ラ ス ト に ポ イ ン ト が 置 か れ て い る マ ン ガ 化 、ア ニ メ 化 さ れ 、
時 に は 、 実 写 化 さ れ 、 映 像 化 さ れ て い る 。 映 像 化 に は TV 放
映によるものもあれば、映画になるものもある。もちろん、
そ の 後 は ビ デ オ 化 、 DVD 化 さ れ る こ と と な る 。 例 え ば 、 フ ィ
ン ラ ン ド の ト ー ベ ヤ ン ソ ン 原 作 『 ム ー ミ ン 』 は 昭 和 44 年
( 1 9 69 ) 1 0 月 ~ 19 7 0 年 1 2 月 に TV 放 送 さ れ た 。 ス イ ス の ヨ ハ
ン ナ ・ ス ピ リ の 原 作 『 ア ル プ ス の 少 女 ハ イ ジ 』 は 昭 和 49 年
( 1 9 74 )1 月 ~ 197 4 年 1 2 月 に TV 放 送 さ れ た 。ま た 、イ ギ リ ス
の ウ ィ ー ダ 原 作 『 フ ラ ン ダ ー ス の 犬 』 は 昭 和 50 年 ( 19 7 5) 1
月 ~ 1975 年 12 月 に TV 放 送 さ れ た 。
昔 話 や 童 話 の ア ニ メ 化 で は T B S 系 列「 ま ん が 日 本 昔 ば な
し 」を 忘 れ る こ と が で き な い 。昭 和 5 0 年 (1 9 75) 1 月 に ス タ ー
ト し た 初 回 シ リ ー ズ か ら 、 平 成 6 年 ( 19 9 4) 9 月 の 放 送 終 了 ま
で 全 39 シ リ ー ズ 、 9 52 回 に わ た っ て 放 送 さ れ た 。 ま た 、『 世
界 名 作 劇 場 』と い っ た よ う な ア ニ メ 化 さ れ た 児 童 文 学 も 現 代
のような映像時代では大きな意味を持つことになるのでは
ないだろうか。一連のシリーズを簡単に紹介しておきたい。
21
カルピスまんが劇場
1 9 6 9 年 - 1 97 0 年 「 ム ー ミ ン 」
1971 年
「アンデルセン物語」
1972 年
「 ム ー ミ ン 」( 新 )
1973 年
「山ねずみロッキーチャック」
1974 年
「アルプスの少女ハイジ」
1975 年
「フランダースの犬」
※ 第 1 話 - 第 2 6 話 ま で は「 カ ル ピ ス ま ん が 劇 場 」と し て 放 送
さ れ て い た 。 DVD 等 現 在 で は 、 第 2 7 話 以 降 の 「 カ ル ピ ス こ
ど も 劇 場 」。
カ ル ピ ス こ ど も 劇 場 [編 集 ]
1975 年
「フランダースの犬」
※ 初 回 放 送 時 は 第 27 話 か ら 「 カ ル ピ ス こ ど も 劇 場 」 に 変 更
さ れ た が 、現 在 で は 使 用 し て い る 映 像 の 都 合 で 全 話「 カ ル ピ
スこども劇場」に統一。
1976 年
「母をたずねて三千里」
1977 年
「あらいぐまラスカル」
カ ル ピ ス フ ァ ミ リ ー 劇 場 [編 集 ]
1978 年
「ペリーヌ物語」
世 界 名 作 劇 場 [編 集 ]
1979 年
「赤毛のアン」
1980 年
「トム・ソーヤーの冒険」
1981 年
「家族ロビンソン漂流記 ふしぎな島のフローネ」
1982 年
「南の虹のルーシー」
1983 年
「アルプス物語 わたしのアンネット」
1984 年
「牧場の少女カトリ」
ハ ウ ス 食 品 世 界 名 作 劇 場 [編 集 ]
1985 年
「小公女セーラ」
1986 年
「愛少女ポリアンナ物語」
1987 年
「愛の若草物語」
1988 年
「小公子セディ」
1989 年
「ピーターパンの冒険」
22
1990
1991
1992
1993
年
年
年
年
1994 年
「私のあしながおじさん」
「トラップ一家物語」
「大草原の小さな天使 ブッシュベイビー」
「若草物語 ナンとジョー先生」
( 19 8 7 年 に 放 送 さ
れ た 、『 愛 の 若 草 物 語 』 の 続 編 )
「 七 つ の 海 の テ ィ コ 」( 19 9 4 年 3 月 2 0 日 放 送 の 9
話まで)
世 界 名 作 劇 場 [編 集 ]
1994 年
「七つの海のティコ」
( 19 9 4 年 4 月 1 7 日 放 送 の 1 0
話から)
1995 年
「 ロ ミ オ の 青 い 空 」( 1 年 1 作 品 最 後 の 作 品 )
1996 年
「名犬ラッシー」
1 9 9 6 年 - 1 99 7 年
「家なき子レミ」
も ち ろ ん 上 記 以 外 の 作 品 も ア ニ メ 化 さ れ 、 特 に TV 放 送 で 放
映 さ れ た 。児 童 文 学 を 含 め 文 学 と の 出 逢 い 方 も 親 か ら 読 み 聞
か せ で 知 る も の 、 ラ ジ オ 、 紙 芝 居 と い っ た 時 代 か ら 、 TV、 映
画 、 DVD な ど の メ デ ィ ア の 多 様 化 に よ る 影 響 も 少 な く な い 。
重 要 な こ と は 、こ う し た 作 品 を こ ど も と お と な が い っ し ょ に
み る こ と よ っ て 同 じ 時 間 を 共 有 し 、同 じ 感 動 を 共 有 す る こ と
に あ る 。そ の 意 味 で 、児 童 文 学 と い う 名 称 で あ ろ う と 、あ く
ま で も 文 学 で あ り 、「 こ こ ろ の 豊 か さ 」 を 高 め る と こ ろ に 児
童文学の極みがあると思われる。
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英米文学アラカルト
1) 様々な分野
英 米 文 学 ア ラ カ ル ト と し て 、ま ず 英 文 学 を 文 化 ア イ テ ム の
ひ と つ と し て 考 え 、文 学 ・ 演 劇 ・ 映 画 に つ い て 取 り 上 げ て み
た い 。こ れ ら を 単 独 に 取 り 上 げ る こ と も で き る が 、作 品 を 文
学 と し て 読 み 、演 劇 と し て 劇 場 で 観 た り 、ま た 、映 画 化 さ れ
て い る 作 品 も 少 な く な い の で 、関 連 の あ る も の と し て 捉 え て
お き た い 。し か し 、ア ー サ ー 王 伝 説 、ウ ィ リ ア ム・シ ェ イ ク
ス ピア 、H.G.ウェ ルズ、オス カー・ワイ ルド 、ラ フカデ
ィオ・ハーンにつては、まず個別に少し触れおきたい。
1 アーサー王伝説
小 池 滋『 英 国 ら し さ を 知 る 事 典 』
( 東 京 堂 出 版 、20 0 3 年 7 月 )、
p p . 5- 8 .
ブ リ ト ン 人 は し ば し ば ア ン グ ロ・サ ク ソ ン 人 に 対 し て 抵 抗
を 試 み た が 、挫 折 に 終 わ る こ と が 多 か っ た 。こ う し た 状 況
か ら 生 ま れ た の が 、支 配 階 級 に 勇 敢 に 反 抗 し て 、ケ ル ト 民
族の国を再興させる英雄への期待である。
アーサー王はこのような願望から作り上げた伝説上の
人 物 で あ ろ う と 考 え ら れ る 。実 際 に こ の 名 の 王 が い た か ど
う か 、信 頼 で き る 文 献 が な い か わ か ら な い 。
・・・
(中略)
・・・
魔法使いマーリンの助けによってこの世に生まれ出たア
ー サ ー は 、名 剣 エ ク ス カ リ バ ー を 得 て 、外 敵 を 次 つ ぎ に 倒
し て ブ リ テ ン 王 と な り 、ギ ネ ヴ ィ ア を 王 妃 と す る が 、ロ ー
マ に 巡 礼 の 旅 に 出 て い る 間 に 、王 位 と 王 妃 を 甥 に 奪 わ れ る 。
こ の 報 い を 知 り 急 い で 帰 国 、甥 を 殺 す が 、自 分 も 瀕 死 の 重
傷を負い、アヴァロンの島へ行き、死ぬ。
2 ウィリアム・シェイクスピア
William Shakespeare
(1564-1616)
橋 口 稔 「 イ ギ リ ス 文 学 小 史 」( 荒 竹 出 版 編 集 部 編 『 年 表 イ ギ
リ ス 文 学 史 』 荒 竹 出 版 、 1 98 9 年 2 月 )、 pp . xii - x ii i .
シ ェ イ ク ス ピ ア は す ぐ れ た 詩 人 で あ っ た が 、そ の 作 品 が
多 く の 人 々 を と ら え た の は 、舞 台 を と お し て で あ っ た 。こ
の 時 代 の 芝 居 は 、初 め は 宿 屋 の 中 庭 や 、大 学 や 法 学 院 で 上
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演 さ れ て い た が 、1 57 0 年 代 の 後 半 か ら 、ロ ン ド ン に 劇 場 が
つ く ら れ て 、 多 い 時 に は 10 ほ ど も あ っ た 。 こ の 間 、 約 50
年 間 と い う 比 較 的 短 い 期 間 で あ っ た が 、稀 に 見 る 演 劇 の 興
隆期が生みだされた。
多 く の 劇 作 家 に よ っ て 数 多 く の 戯 曲 が 書 か れ 、上 演 さ れ
たが、頂点に立ったのがシェイクスピアであった。
・おもなシェイクスピア映画
オ リ ヴ ィ エ 監 督 『 ヘ ン リ ー 五 世 』 ( 19 4 4)
ウ ェ ル ズ 監 督 『 マ ク ベ ス 』( 19 4 8)
オ リ ヴ ィ エ 監 督 『 ハ ム レ ッ ト 』( 19 4 8)
シ ド ニ ー 監 督 『 キ ス ・ ミ ー ・ ケ イ ト 』 ( 19 5 3)
オ リ ヴ ィ エ 監 督 『 リ チ ャ ー ド 三 世 』 (1 9 55 )
黒 澤 明 監 督 『 蜘 蛛 巣 城 』( 1 9 57 )(『 マ ク ベ ス 』 の 翻 案 )
黒 澤 明 監 督 『 悪 い 奴 ほ ど ほ く 眠 る 』( 1 9 60 ))(『 ハ ム レ
ット』の翻案)
ワ イ ズ 、ロ ビ ン ス 監 督『 ウ ェ ス ト・サ イ ド 物 語 』(1 9 61 )
(『 ロ ミ オ と ジ ュ リ エ ッ ト 』 の 翻 案 )
コ ー ジ ン チ ェ フ 監 督 『 ハ ム レ ッ ト 』( 1 964 )
ゼ ッ フ ィ レ ッ リ 監 督 『 じ ゃ じ ゃ 馬 な ら し 』 ( 19 6 6)
ゼ ッ フ ィ レ ッ リ 監 督『 ロ ミ オ と ジ ュ リ エ ッ ト 』( 1 96 8 )
バ ー ジ 監 督 『 ジ ュ リ ア ス ・ シ ー ザ ー 』 (19 6 9 )
コ ー ジ ン チ ェ フ 監 督 『 リ ア 王 』( 1 9 70 )
ブ ル ッ ク 監 督 『 リ ア 王 』( 1 97 0)
ポ ラ ン ス キ ー 監 督 『 マ ク ベ ス 』( 1 97 1)
マ ザ ー ス キ ー 監 督 『 テ ン ペ ス ト 』 ( 19 8 2)
コ ロ ナ ー ド 監 督 『 真 夏 の 夜 の 夢 』 ( 19 8 3/ 8 4)
黒 澤 明 監 督 『 乱 』( 19 8 5)(『 リ ア 王 』 の 翻 案 )
ゼ ッ フ ィ レ ッ リ 監 督 『 オ テ ロ 』 ( 1 9 86 )
ブ ラ ナ ー 監 督 『 ヘ ン リ ー 五 世 』 ( 1 9 89 )
ゼ ッ フ ィ レ ッ リ 監 督 『 ハ ム レ ッ ト 』( 1 99 0)
グ リ ー ナ ウ ェ イ 監 督『 プ ロ ス ペ ロ ー の 本 』( 19 91 )(『 テ
ンペスト』の翻案)
ブ ラ ナ ー 監 督 『 か ら 騒 ぎ 』 ( 19 9 3)
ロ ン ク レ イ ン 監 督 『 リ チ ャ ー ド 三 世 』 (19 9 5 )
ブ ラ ナ ー 監 督 『 世 に も 憂 鬱 な ハ ム レ ッ ト 』 ( 1 995 )
ア ル ・ パ チ ー ノ 監 督『 ア ル ・ パ チ ー ノ の リ チ ャ ー ド を
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探 し て 』 ( 19 9 6)
ナ ン 監 督 『 十 二 夜 』 ( 1 99 6 )
ブ ラ ナ ー 監 督 『 ハ ム レ ッ ト 』( 19 9 6)
ラ ー マ ン 監 督 『 ロ ミ オ &ジ ュ リ エ ッ ト 』 ( 1 9 96 )
ノ ー ブ ル 監 督 『 夏 の 夜 の 夢 』 ( 1 99 6 )
マ ッ デ ン 監 督 『 恋 に お ち た シ ェ イ ク ス ピ ア 』 ( 1 99 8 )
ホ フ マ ン 監 督 『 真 夏 の 夜 の 夢 』 (1 9 98 )
テ イ モ ア 監 督 『 タ イ タ ス 』 ( 1 999 )
ブ ラ ナ ー 監 督 『 恋 の 骨 折 り 損 』 (1 9 99 )
ア ル メ イ ダ 監 督 『 ハ ム レ ッ ト 』 ( 2 0 00 )
ラ ド フ ォ ー ド 監 督 『 ヴ ェ ニ ス の 商 人 』 (20 0 4 )
・おもなシェイクスピア・ミュージカル
『 シ ラ キ ュ ー ス か ら 来 た 男 た ち 』 ( 19 3 8)
原 作 :『 間 違 い の 喜 劇 』
脚本:ジョージ・アボット
音楽:リチャード・ロジャース
『 キ ス ・ ミ ー ・ ケ イ ト 』 ( 1 9 48 )
原 作 :『 じ ゃ じ ゃ 馬 な ら し 』
脚 本:べ ラ・ス ペ ワ ッ ク 、サ ミ ュ エ ル・ス ペ ワ ッ ク
音楽:コール・ポーター(作詞)
『 ウ ェ ス ト ・ サ イ ド 物 語 』 ( 19 5 7)
原 作 :『 ロ ミ オ と ジ ュ リ エ ッ ト 』
脚本:アーサー・ローレンツ
音楽:レオナード・バーンスタイン
『 自 分 の こ と 』 (1 9 68 )
原 作 :『 十 二 夜 』
脚本:ドナルド・ドライヴァー
音楽:ハル・へスター、ダニー・アポリナー
・おもなシェイクスピア・オペラ
『 妖 精 の 女 王 』 (1 6 92 )
原 作 :『 夏 の 夜 の 夢 』
作曲:ヘンリー・パーセル
『 オ テ ロ 』 ( 18 1 6)
原 作 :『 オ セ ロ 』
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作曲:ジョアッキーノ・ロッシーニ
『 夏 の 夜 の 夢 』 (1 8 50 )
原 作 :『 夏 の 夜 の 夢 』
作曲:アンブロズ・トマ
『 マ ク ベ ス 』 ( 1 84 6 -4 7 )
原 作 :『 マ ク ベ ス 』
作曲:ジュゼッペ・ヴェルディ
『 オ テ ロ 』 ( 18 8 0- 1 88 6 )
原 作 :『 オ セ ロ 』
作曲:ジュゼッペ・ヴェルディ
『 フ ァ ル ス タ ッ フ 』 ( 1 889 - 9 2)
原 作 :『 ウ ィ ン ザ ー の 陽 気 な 女 房 た ち 』、『 ヘ ン リ ー
四世』
作曲:ジュゼッペ・ヴェルディ
『 ロ ミ オ と ジ ュ リ エ ッ ト 』 ( 18 6 5- 6 7, バ レ エ 音 楽 は
1888 に 加 筆 )
原 作 :『 ロ ミ オ と ジ ュ リ エ ッ ト 』
作曲:シャルル・グノー
『 夏 の 夜 の 夢 』 (1 9 60 )
原 作 :『 夏 の 夜 の 夢 』
作曲:ベンジャミン・ブリテン
3 H . G . ウ ェ ル ズ Herbert George Wells (1866-1946)
上 田 和 夫 編『 イ ギ リ ス 文 学 辞 典 』
( 大 修 館 書 店 、20 0 4 年 1 月 )、
p . 3 78 .
小 説 家 ・ S F 作 家 。 Ke n t 州 Br o m le y で 小 店 主 の 父 と 、 小 間
使 い 上 が り の 母 の 三 男 と し て 生 ま れ る 。1 4 歳 の と き 、母 は
S u s se x の あ る 屋 敷 Up P a r k に 家 政 婦 と し て 入 り 、彼 は 服 地
商 や 薬 屋 に 奉 公 に 出 る (1 8 80 - 83) 。 グ ラ マ ー ・ ス ク ー ル で
才 能 を 認 め ら れ 、 奨 学 金 を 得 て 南 ロ ン ド ン の N o rm a l
S c h oo l o f Sc i en c e に 進 み 、 T .H . H ux l e y の 下 で 生 物 学 を 学
ぶ 機 会 を 持 つ 。1 8 8 7 年 、卒 業 後 学 校 教 師 と な る が 、健 康 を
害 し て 辞 め る 。 T h e Ti m e Ma c hin e ( 18 9 5 ) で 一 躍 有 名 に な
り 、 科 学 の 知 識 に 基 づ く 想 像 力 に 富 む 数 々 の 短 編 と 、 The
I s l an d o f Dr . Mor e a u (1 8 96 )、 Th e I n vi s ib l e Man (1 8 97 )、
T h e Wa r o f th e W o r ld s (1 8 98 )な ど で 成 功 し 、 S F の 大 成 者
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として名を残す。
・おもな作品と映画は以下の通り。
『 タ イ ム ・ マ シ ン 』 ( 1 89 5 )
バ ル 監 督 『 タ イ ム ・ マ シ ン 』 ( 1 95 9 )
ウエルズ、ヴァービンスキー監督『タイム・マシン』
( 2 0 02 )
『 ド ク タ ー ・ モ ロ ー の 島 』 ( 1 8 96 )
テ イ ラ 監 督 『 ド ク タ ー ・ モ ロ ー の 島 』 (19 9 6 )
フ ラ ン ケ ン ハ イ マ ー 監 督 『 D NA / ド ク タ ー ・ モ ロ ー の
島 』 ( 1 99 6 )
『 透 明 人 間 』 (18 9 7 )
ホ エ ー ル 監 督 『 透 明 人 間 』 ( 19 3 3)
ラ モ ン ト 監 督 『 透 明 人 間 』 ( 19 5 1)
『 宇 宙 戦 争 』 ( 18 9 8)
ハ ス キ ン 監 督 『 宇 宙 戦 争 』 ( 19 5 3)
ス ピ ル バ ー グ 監 督 『 宇 宙 戦 争 』 (2 0 05 )
ラ ッ ト 監 督 『 宇 宙 戦 争 』( 2 00 5)
4 オ ス カ ー ・ ワ イ ル ド O s c ar F i n g a l O ’ F l a h e r t i e W i l l s
Wilde (1854-1900)
上 田 和 夫 編『 イ ギ リ ス 文 学 辞 典 』
( 大 修 館 書 店 、20 0 4 年 1 月 )、
p . 3 82 .
詩 人・小 説 家・劇 作 家 。ダ ブ リ ン 生 ま れ 。父 親 は 高 名 な 眼
科 ・ 耳 鼻 科 医 、 母 親 は ‘ S pe r anz a ’ の 筆 名 で 活 躍 し て い た
愛 国 主 義 者 の 著 述 家 。 ダ ブ リ ン の T r in i ty C ol le g e お よ び
オ ッ ク ス フ ォ ー ド の Ma g da l en C o l le g e で 学 ぶ 。
オ ッ ク ス フ ォ ー ド 在 学 中 の 18 78 年 に す で に そ の
‘ R av e nn a’ に よ っ て N ew d ia te P ri z e を 受 け る 。 そ の 頃 か
ら 機 知 と 才 気 で 知 ら れ 、芸 術 と 生 活 に お け る 唯 美 主 義 を 主
張 し て い た 。大 学 卒 業 後 、ロ ン ド ン に 移 住 し 、派 手 な 唯 美
主 義 者 ぶ り 、 と く に 長 髪 と ビ ロ ー ド の 半 ズ ボ ン 姿 が P un c h
誌 や G il b ert と S u l li v an の 喜 劇 Pa t ie n ce ( 1 88 1 )な ど で か
ら か わ れ る 。 処 女 詩 集 P oe m s (1 8 8 1) を 出 版 後 、 1 88 2 年 に
10 ヶ 月 に 及 ぶ ア メ リ カ 講 演 旅 行 に 出 か け て 唯 美 主 義 的
な芸術と生活について講演し人気を博す。
・おもなワイルド作品と映画
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『 幸 福 の 王 子 』 ( 1 88 7 )
『 ド リ ア ン ・ グ レ イ の 肖 像 』 ( 18 9 1)
ロ ー イ ン 監 督 『 ド リ ア ン ・ グ レ イ の 肖 像 』 ( 19 5 9)
ダ ラ マ ー ノ 監 督 『 ド リ ア ン ・ グ レ イ の 肖 像 』 ( 1 97 1 )
『 サ ロ メ 』 ( 1 8 92 )
デ イ タ ー 監 督 『 情 炎 の 女 サ ロ メ 』 ( 1 953 )
ラ ッ セ ル 監 督 『 ケ ン ・ ラ ッ セ ル の サ ロ メ 』 ( 1 987 )
『 理 想 の 夫 』 ( 18 9 5)
パ ー カ ー 監 督 『 理 想 の 結 婚 』 ( 1 99 9 )
『 真 面 目 が 肝 心 』 ( 1 89 6 )
『 獄 中 記 』 ( 1 9 05 )
ギ ル バ ー ト 監 督 『 オ ス カ ー ・ ワ イ ル ド 』 ( 1 9 97 )
・おもなワイルド・オペラ
『 サ ロ メ 』 ( 19 0 5)
原 作 :『 サ ロ メ 』
作曲:リヒャルト・シュトラウス
5 ラ フ カ デ ィ オ ・ ハ ー ン L af c a d i o H e a r n ( 1 8 5 0 - 1 9 0 4 )
上 田 和 夫 編 『 イ ギ リ ス 文 学 辞 典 』( 研 究 社 、 2 004 年 1 月 )、
p . 1 58 .
小 泉 八 雲 。ア イ ル ラ ン ド 人 軍 医 と ギ リ シ ア 女 性 を 両 親 と し
て I on ia 諸 島 の L ev k ás 島 に 生 ま れ る 。 幼 時 、 大 伯 母 に 引
き 取 ら れ て 、イ ギ リ ス 、フ ラ ン ス で 教 育 を う け 、18 6 9 年 ア
メ リ カ に 渡 り 、新 聞 記 者 に な り 、 9 0( 明 治 2 3)年 来 日 。英
語 教 師 と し て 松 江 、熊 本 、神 戸 を へ て 、東 京 帝 大 で 英 文 学
を講じた。
古 い 日 本 の 真 実 の 美 に 惹 か れ 、‘ e xo t ic pai n t er ’ と し
て G l im p se s of U n f am i li a r J a pa n ( 18 9 4) 、 K o ko r o (1 8 96 )
以 下 、数 々 の 著 作 で 日 本 を 海 外 に 紹 介 す る と と も に 、西 欧
的 感 性 の 本 質 を 、教 壇 を 通 し て 、日 本 の 青 年 た ち に 伝 え る
ことに努めた。
6 映画化された英米文学
こ れ ま で 触 れ て き た も の と 一 部 重 複 す る が 、20 00 年 以 降 映 画
化されて日本でも公開されたおもな英米文学作品の映画は
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以下の通りである。
ウ ィ リ ア ム ・ シ ェ イ ク ス ピ ア 原 作 / ア ル メ イ ダ 監 督『 ハ ム
レ ッ ト 』 ( 20 0 0)
J .K. ロ ー リ ン グ 原 作 / コ ロ ン バ ス 監 督 『 ハ リ ー ・ ポ ッ タ ー
賢 者 の 石 』( 2 001 )
J .R . R. ト ー ル キ ン 原 作 / ジ ャ ク ソ ン 監 督 『 ロ ー ド ・ オ ブ ・
ザ ・ リ ン グ 旅 の 仲 間 』 ( 20 0 1)
J .K. ロ ー リ ン グ 原 作 / コ ロ ン バ ス 監 督 『 ハ リ ー ・ ポ ッ タ ー
秘 密 の 部 屋 』( 20 0 2)
J .R . R. ト ー ル キ ン 原 作 / ジ ャ ク ソ ン 監 督 『 ロ ー ド ・ オ ブ ・
ザ ・ リ ン グ 二 つ の 塔 』 ( 20 0 2)
H . G .ウ ェ ル ズ 原 作 / サ イ モ ン ・ ウ ェ ル ズ 、 ゴ ア ・ ヴ ァ ー ビ
ン ス キ ー 監 督 『 タ イ ム ・ マ シ ン 』( 20 0 2)
R .L .ス テ ィ ー ヴ ン ソ ン 原 作 / フ ィ リ ッ プ ス 監 督『 ジ キ ル 博
士 と ハ イ ド 氏 』 ( 2 0 02 )
J . R .R . ト ー ル キ ン 原 作 / ジ ャ ク ソ ン 監 督 『 ロ ー ド ・ オ ブ ・
ザ ・ リ ン グ 王 の 帰 還 』 ( 20 0 3)
ダニエル・デフォー原作/シャベール監督『ロビンソン・
ク ル ー ソ ー 』 (20 0 3 )
ジェイムズー・バリー原作/ホーガン監督『ピーター・パ
ン 』 ( 2 00 3 )
アシモフ原作/アレックス・プロヤス監督『アイ、ロボッ
ト 』 ( 2 00 4 )
J .K. ロ ー リ ン グ 原 作 / キ ャ ア ロ ン 監 督 『 ハ リ ー ・ ポ ッ タ ー
ア ズ カ バ ン の 囚 人 』( 2 00 4)
フ ー ク ワ 監 督 『 キ ン グ ・ ア ー サ ー 』( 2 00 4)
ウ ィ リ ア ム・シ ェ イ ク ス ピ ア 原 作 / ラ イ ト フ ォ ー ド 監 督『 ヴ
ェ ニ ス の 商 人 』 ( 2 0 04 )
ダイアナ・ウィン・ジョーンズ原作/宮崎駿監督『ハウル
の 動 く 城 』 ( 2 004 )
H . G .ウ ェ ル ズ 原 作 / ス ピ ル バ ー グ 監 督 『 宇 宙 戦 争 』( 2 00 5)
J . K .ロ ー リ ン グ 原 作 / ニ ュ ー ウ ェ ル 監 督 『 ハ リ ー ・ ポ ッ タ
ー 炎 の ゴ ブ レ ッ ト 』( 2 0 05 )
チ ャ ー ル ズ・デ ケ ン ズ 原 作 / ポ ラ ン ス キ ー 監 督『 オ リ バ ー ・
ツ イ ス ト 』 ( 2 005 )
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C . S .ル イ ス 原 作 / ア ダ ム ソ ン 監 督 『 ナ ル ニ ア 国 物 語 第 1
章 魔 女 と ラ イ オ ン 』 (2 0 05 )
ロ ア ル ド ・ ダ ー ル 原 作 / バ ー ト ン 監 督『 チ ャ ー リ ー と チ ョ
コ レ ー ト 工 場 の 秘 密 』 (2 0 05 )
ジ ェ イ ム ズ ・ オ ー ス テ ィ ン 原 作 / ラ イ ト 監 督『 プ ラ イ ド と
偏 見 』 (2 0 05 )
シ ュ テ フ ェ ン ・ フ ァ ン マ イ ア ー 監 督 『 エ ラ ゴ ン 』 ( 20 0 6)
デ ヴ ィ ッ ド ・イ エ ー ツ 監 督『 ハ リ ー ・ポ ッ タ ー と 不 死 鳥 の
騎 士 団 』 ( 20 0 7)
ブ ラ ッ ド リ ー・レ イ モ ン ド 監 督『 テ ィ ン カ ー・ベ ル 』
( 20 0 8)
C . S .ル イ ス 原 作 / ア ダ ム ソ ン 監 督 『 ナ ル ニ ア 国 物 語 第 2
章 カ ス ピ ア ン 王 子 の 角 笛 』 (20 0 8 )
7 キャラクターとしてのイギリス物
1)フランケンシュタイン
メ ア リ ー ・ シ ェ リ ー 『 フ ラ ン ケ ン シ ュ タ イ ン 』 ( 1 81 8 )
ホ エ ー ル 監 督 『 フ ラ ン ケ ン シ ュ タ イ ン 』 (19 3 1 )
ホ エ ー ル 監 督 『 フ ラ ン ケ ン シ ュ タ イ ン の 花 嫁 』 ( 1 93 5 )
ブ ラ ナ ー 監 督 『 フ ラ ン ケ ン シ ュ タ イ ン 』 (19 9 4 )
2)ドラキュラ
ブ ラ ム ・ ス ト ー カ ー 『 ド ラ キ ュ ラ 』 ( 18 9 8)
ブ ラ ウ ニ ン グ 監 督 『 魔 人 ド ラ キ ュ ラ 』 ( 1 931 )
フ ィ ッ シ ャ ー 監 督 『 吸 血 鬼 ド ラ キ ュ ラ 』 (19 5 7 )
コ ッ ポ ラ 監 督 『 ド ラ キ ュ ラ 』( 19 9 2)
* ド ラ キ ュ ラ 退 治 に 乗 り 出 す ヴ ァ ン・ヘ ル シ ン ク が 登
場 し 、以 後 、魔 物 退 治 の 代 名 詞 と し て 使 わ れ る よ う
な る 。ヴ ァ ン ・ ヘ ル シ ン ク の 話 も 独 立 し て 作 ら れ る
ようになる。
3)ピーター・パン、ウェンディ、フック
ジ ェ ー ム ズ ・ バ リ ー 『 ピ ー タ ー ・ パ ン 』( 19 0 4)
ブ レ ノ ン 監 督 『 ピ ー タ ー ・ パ ン 』 (1 9 24 )
ラ ス ケ 、ジ ェ ロ ニ ミ 、ジ ャ ク ソ ン 監 督『 ピ ー タ ー ・ パ ン 』
( 1 9 53 )
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ス ピ ル バ ー グ 監 督 『 フ ッ ク 』 ( 19 9 1)
ホ ー ガ ン 監 督 『 ピ ー タ ー ・ パ ン 』 (2 0 03 )
フ ォ ー ス タ ー 監 督 『 ネ バ ー ラ ン ド 』 ( 20 0 4)
4 ) ピ ー タ ー ・ ラ ビ ッ ト P e ter R ab b it
ベ ア ト リ ク ス・ポ ッ タ ー B e atr i x H el e n Po t ter (1 8 66 - 19 4 3)
上 田 和 夫 編『 イ ギ リ ス 文 学 辞 典 』
( 大 修 館 書 店 、20 0 4 年 1 月 )、
p . 2 81
女 性 童 話 作 家 ・ 挿 絵 画 家 。 La n c as h ir e の 裕 福 な 家 庭 に 育
つ 。教 育 は 家 庭 教 師 の み 。避 暑 先 の 湖 水 地 方 La k e D is t ri c t
を 愛 し 、動 植 物 を 写 生 。18 9 3 年 家 庭 教 師 の 息 子 の 見 舞 い に
書 い た 絵 入 り 手 紙 が Th e T a le of P et e r R ab b i t の 原 型 で 、
1 9 01 年 、 25 0 部 を 自 費 出 版 。 以 降 23 冊 の シ リ ー ズ は 児 童
文 学 の 古 典 と な っ た 。動 物 の 生 態 に 基 づ く ユ ー モ ラ ス な ス
ト ー リ ー 、難 関 な 語 も 取 り 入 れ と 簡 潔 な 文 章 、綿 密 な 取 材
と 博 物 学 の 感 性 に 支 え ら れ た 正 確 な 絵 が 特 徴 。1 9 0 5 年 、湖
水 地 方 L ak e D is t r ic t の Wi n der m e r e 湖 の 近 く に H i ll To p
F a r m を 購 入 。 13 年 結 婚 、 以 後 農 業 と 牧 羊 に 専 念 。 数 千 エ
ー カ ー の 土 地 を N a ti o na l T ru s t に 遺 贈 し た 。
5 ) ア リ ス Ali c e
ル イ ス ・ キ ャ ロ ル L e wi s C a rro l l ( 1 83 2 -1 8 92)
上 田 和 夫 編『 イ ギ リ ス 文 学 辞 典 』
( 大 修 館 書 店 、20 0 4 年 1 月 )、
p . 5 6.
児 童 文 学 者 ・ 数 学 者 。 本 名 Ch ar l e s Lu t wi d ge D o d gs on 。
C h e sh i r e の 牧 師 の 長 男 と し て 生 ま れ 、R ug b y 校 か ら オ ッ ク
ス フ ォ ー ド の Ch r i st C h ur c h に 進 み 数 学 を 専 攻 、1 85 4 年 卒
業 後 、同 学 寮 の 数 学 の 講 師 と な る 。聖 職 叙 任 。生 来 の 内 気
と 酷 い 吃 音 の た め に 人 前 で 話 す の を 苦 手 と し た 。 E d mund
Y e a r の 雑 誌 T r ai n な ど に 投 稿 し ‘ L e wi s C a rro l l’ の 筆 名
を 用 い る 。 女 の 子 を 可 愛 が り 、 大 学 の 学 生 監 Li d d l e の 娘
A l i ce と そ の 姉 妹 の 舟 遊 び を し た と き 、 思 い つ き で 話 し た
こ と を も と に Al i c e’ s A dv e ntu r e s i n W on d erl a n d ( 18 6 5)
を 出 し て 大 成 功 を 博 し た 。ヴ ィ ク ト リ ア 朝 の 倫 理 と 大 人 の
整 合 性 か ら 逸 脱 し た 物 語 は 児 童 文 学 と し て 画 期 的 で 、児 童
の 精 神 傾 向 へ の 新 し い 接 近 の 道 を 開 い た 。 続 編 Th r ough
32
t h e L o ok i ng - Gla s s a n d W ha t Al i c e F ou n d T her e (1 8 71 )
と ナ ン セ ン ス 詩 T h e H un t in g o f t h e S na r k な ど が あ る 。
ル イ ス ・ キ ャ ロ ル 『 不 思 議 の 国 の ア リ ス 』 ( 1 8 65 )
ル イ ス ・ キ ャ ロ ル 『 鏡 の 国 の ア リ ス 』 ( 1 871 )
6 ) く ま の プ ー さ ん Wi n ni e -th e - Po o h
ア ラ ン ・ ミ ル ン A la n A l ex a ner M il n e ( 18 8 2-1 9 5 6)
上 田 和 夫 編『 イ ギ リ ス 文 学 辞 典 』
( 大 修 館 書 店 、20 0 4 年 1 月 )、
p . 2 30 .
小 説 家・随 筆 家・劇 作 家 。ロ ン ド ン 生 ま れ 。ケ ン ブ リ ッ ジ
大 学 に 学 び Gr an t a 誌 を 編 集 。19 0 6 -1 4 年 Pu n ch 誌 の 副 編 集
長 と な り 、 随 筆 を 連 載 。 M r Pi m P as se s B y ( 1 92 1 ) な ど 軽
妙 な ユ ー モ ア 喜 劇 20 作 が ウ ェ ス ト・エ ン ド で 上 演 さ れ た 。
T h e R ed H o us e M y s te r y (1 9 21 )は 推 理 小 説 の 傑 作 。 童 話 集
W h e n We W e re V er y Y o un g ( 19 2 4)、 N ow W e A re S ix (1 9 27 )、
息 子 と ぬ い ぐ る み が 主 人 公 の 童 話 W in n ie- t h e- P oo h
( 1 9 26 ) 、 続 編 T h e H o us e a t Po o h ( 1 92 8) は 、 E rn e st H .
S h e pa r d 挿 絵 で 児 童 文 学 の 古 典 。P o o h は ラ テ ン 語 な ど 諸 国
語 版 、 Wa l t D isn e y の ア ニ メ 版 、 タ オ イ ズ ム や ビ ジ ネ ス ・
マ ニ ュ ア ル へ の 応 用 版 に も な っ た 。 M i ln e 自 身 は 童 話 作 家
と は 見 ら れ た が ら ず 、ま た 実 際 の 父 子 関 係 は 冷 た く 、息 子
の C hr i st o ph e rR o b in は 童 話 の モ デ ル に な っ た こ と が 原 因
で、極度の人間嫌いになった。
7 ) 機 関 車 ト ー マ ス Th o ma s th e Ta n k E ng i ne
フ リ ー 百 科 事 典 『 ウ ィ キ ぺ デ ィ ア 』
( h t tp : // w ww . ja. w i ki p de i a. o rg)
き か ん し ゃ ト ー マ ス (T h om a s an d F r ie nd s) は 、 イ ギ リ ス
制 作 の ミ ニ チ ュ ア ・ワ ー ク を 取 り 入 れ た 幼 児 向 け の 人 形 劇
テ レ ビ 番 組 。 200 2 年 ご ろ ま で は 、 T h om a s th e T a n k En g in e
a n d F r ie n ds が 正 式 な タ イ ト ル だ っ た 。 日 本 語 版 は 一 貫 し
て 「 き か ん し ゃ ト ー マ ス 」 と 称 し て き た 。( 中 略 )
イ ギ リ ス で 1 984 年 に テ レ ビ シ リ ー ズ と し て ス タ ー ト し た 。
日 本 で は 、1 99 0 年 か ら 、フ ジ テ レ ビ 系 列 の『 ひ ら け ! ポ ン
キ ッ キ( → ポ ン キ ッ キ ― ズ → ポ ン キ ッ キ 2 1→ ポ ン キ ッ キ ー
ズ → ポ ン キ ッ キ )』お よ び フ ジ テ レ ビ 7 21『 チ ル ド レ ン タ イ
33
ム 』、 B S フ ジ 『 ト ー マ ス く ら ぶ 』 で 放 送 さ れ 、 長 く 子 ど も
た ち の 人 気 者 と な っ て い る 。原 作 は 、ウ ィ ル バ ー ト・オ ー
ド リ ー 牧 師 に よ る 絵 本 シ リ ー ズ「 汽 車 の え ほ ん 」か ら 、プ
ロ デ ュ ー サ ー の ブ リ ッ ト ・ オ ー ル ク ロ フ ト が 、幼 い 頃 慣 れ
親 し ん だ 絵 本 の 原 作 者 オ ー ド リ ー 牧 師 と 、鉄 道 に 関 す る ド
キュメンタリー番組の制作中に出会ったことがきっかけ
で 、テ レ ビ シ リ ー ズ 化 を 思 い 立 っ た 。 映 像 化 に あ た り 原 作
絵 本 よ り 対 象 年 齢 が 引 き 下 げ ら れ 、原 作 の 就 学 児 童 向 け か
らテレビシリーズは幼児向けとなった。1 シリーズを2ク
ー ル 2 6 話 で 制 作 。1 話 あ た り の 放 送 時 間 は 第 7 シ リ ー ズ ま
で は 本 編 正 味 5 分 、 第 8 シ リ ー ズ か ら は 本 編 正 味 7 分 。シ
ーズンの間にはブランクもあり、再放送でつないでいる。
イ ギ リ ス か ら 始 ま り 、世 界 各 国 で 放 送 さ れ 好 評 を 納 め 多 く
の 賞 を 受 け た 。な お 初 期 シ リ ー ズ の オ リ ジ ナ ル 英 語 版 で は
元 ビ ー ト ル ズ の リ ン ゴ ・ス タ ー が ナ レ ー シ ョ ン を つ と め て
い た 。( ち な み に 英 語 版 で は 、 ナ レ ー タ ー の 一 人 語 り で 物
語 が 進 行 す る ) 紆 余 曲 折 を 経 な が ら 20 年 を 超 え る 長 寿 シ
リ ー ズ に 成 長 し 、男 児 向 け キ ャ ラ ク タ ー の 定 番 と し て 大 量
の 商 品 が 流 通 し て い る 。 ビ デ オ / D VD か さ れ た 番 組 自 体 を
は じ め 、絵 本 や 玩 具 ・ 日 用 品 ・ 衣 料 な ど 、2 00 5 年 現 在 で 日
本国内のきかんしゃトーマスのキャラクター商品の売上
額 は 年 間 250 億 円 に 上 る 。ま た 、エ ル ト ン ・ ジ ョ ン が 自 ら
の レ ー ベ ル「 ロ ケ ッ ト・レ コ ー ド 」の イ メ ー ジ・キ ャ ラ ク
ターに一時トーマスを使用していたりするところからも、
人気のほどが窺える。
8 ) パ デ ィ ン ト ン ・ ベ ア P a ddi n g to n B e ar
「マイケル・ボンド」
( h t tp : // w ww . eho n . in f o/ w ho s who / M ic h ae l Bo n d.h t m l)
1 9 26 年 1 月 13 日 、 ロ ン ド ン の 西 に 1 00 キ ロ ほ ど 離 れ た ニ
ュ ー ベ リ ー に 生 ま れ る 。半 年 後 父 親 の 仕 事 で レ デ ィ ン グ の
町 へ 。 義 務 教 育 の 終 了 後 14 歳 で 弁 護 士 事 務 所 に 入 り 、 後
に BBC 放 送 へ 入 社 。17 歳 で 空 軍 に 志 願 。2 年 後 陸 軍 に 移 り
エ ジ プ ト へ 配 属 。そ の 頃 か ら 文 章 を 書 き 始 め 、1 9 4 7 年 に は
再 び B BC に 戻 り カ メ ラ マ ン と し て 仕 事 を し な が ら 執 筆 を 続
け 、1 95 8 年 に『 ク マ の パ デ ィ ン ト ン 』を 出 版 し 人 気 を 博 す 。
34
「パディントン・ベアのなぞ」
( h t tp : // w ww . 2s. b i gl o be . ne . jp/ ~ ke r i/ p ad d in gt o n be a r.
htm)
英 国 の マ イ ケ ル ・ ボ ン ド の 童 話 。赤 い 帽 子 、青 い ダ ッ フ ル
コ ー ト に 赤 い 靴 の く ま の お 話 。ペ ル ー か ら 密 航 し て イ ン グ
ラ ン ド 、ロ ン ド ン に や っ て き た 。パ デ ィ ン ト ン 駅 の「 落 と
し 物 預 か り 所 」近 く で 、皮 の ス ー ツ ケ ー ス に 座 っ て い た と
ころへブラウン夫妻がやってきた。運命の出会い、
と い う わ け だ 。 く ま の 首 に は 、「 こ の く ま の 面 倒 を み て あ
げ て 下 さ い 。あ り が と う 。」と 書 か れ た 札 が 下 が っ て い た 。
こ の 単 純 な 要 求 に 、ブ ラ ウ ン 夫 妻 は そ の く ま を 自 宅 に 連 れ
て か え ら ず に は い ら れ な か っ た 。パ デ ィ ン ト ン 駅 で 見 つ け
たからパディントンと呼ばれるようになった。
9)シャーロック・ホームズ
上 田 和 夫 編『 イ ギ リ ス 文 学 辞 典 』
( 大 修 館 書 店 、20 0 4 年 1 月 )、
p . 3 23 .
A . C o n an D o yl e が 創 造 し た 私 立 探 偵 。 ロ ン ド ン の 架 空 の 場
所 2 2 1B , B a ke r S t r ee t に 住 み 、 D r W at s o n と と も に 難 事 件
を 次 々 と 解 決 し た 。そ の 水 際 立 っ た 推 理 と ス ト ー リ ー 性 は
全 世 界 に 熱 狂 的 フ ァ ン を 生 ん だ 。 初 事 件 は A St u dy in
S c a rl e t ( 18 8 7) 、 以 後 6 0 以 上 の 事 件 に 関 わ る が 、 T he
A d v en t ur e s
of
S h er l oc k
H ol m es ( 18 9 1 ) 、 The
C a s e- b oo k o f Sh e r lo c k Ho m le s ( 19 2 7) は そ の 事 件 を 収 め
た 短 編 集 で あ る 。 T he F i na l P ro b l em (1 8 93 ) で 死 亡 す る
が 、フ ァ ン か ら の 激 し い 抗 議 で 、生 き 返 ら せ た「 事 件 」は
よく知られる。事件の怪奇と複雑さは世紀末のイギリス、
ことにロンドンの混沌とした空気に合っていた。
1 0 ) サ ン ダ ー バ ー ド Th u nd e rbi r d
「サンダーバード」
( h t tp : // w ww . tbj a p an . co m /i n tro / i nt r o_ n av i .ht m l )
「サンダーバード」の生みの親、総製作指揮のジェリー・
ア ン ダ ー ソ ン は 、 1 92 9 年 4 月 14 日 、 ロ ン ド ン の ハ ム ス テ
ッ ド 生 ま れ 。技 術 学 校 で 石 膏 工 芸 を 学 ん だ が 、石 灰 に ア レ
35
ル ギ ー を 持 っ て い た と わ か り 、映 画 セ ッ ト 用 の 模 型 を 作 る
夢を断念したという。
スチール写真技師として、働き始めたジェリーはどうし
ても映画産業で働きたくなり、英国情報省に属するフィル
ム製作現場に見習として参加した。その後、独立系フィル
ムメーカーの「ゲーンズボロ・ピクチャーズ」に入社した
が 、 19 4 7 年 に 英 国 空 軍 に 徴 兵 さ れ 、 航 空 管 制 の 無 線 交 換 手
を担当した。
2 年後に兵役を終えたジェリーは、数社の映画製作会社
を 経 て 、劇 場 上 映 用 の C M フ ィ ル ム や ド キ ュ メ ン タ リ ー を 制
作する「ポリテクニック・スタジオ」に入社する。そこで
多 く の 仲 間 と 出 会 い 、1 95 5 年 暮 れ に 仲 間 5 人 と 独 立 し て C M
フ ィ ル ム 製 作 会 社 「 AP フ ィ ル ム ズ 」 を 設 立 し た 。
し か し 、 CM の 仕 事 は 来 ず 、 瀬 戸 際 と な っ た 半 年 後 に 舞 い
込 ん だ 仕 事 は 、 絵 本 作 家 ロ バ ー タ ・ リ ー 原 作 の 「 T he
A d v en t ur e s o f T w i zz l e」( 日 本 未 公 開 ) と い う 、 安 価 な 1 5
分 人 形 劇 TV シ リ ー ズ 26 本 の 製 作 依 頼 だ っ た 。 そ の 後 、 彼
女 原 作 の「 T or ch y T h e Ba t te r y B o y 」
( 日 本 未 公 開 )1 5 分 全
2 6 話 の 人 形 劇 TV シ リ ー ズ も 製 作 し て い る 。 そ し て 、 ロ バ
ー タ ・ リ ー が 紹 介 し た 作 曲 家 、バ リ ー ・グ レ イ 原 案 で 、19 6 0
年 グ ラ ナ ダ T V 放 送 「 Fo u r F eat h e r F al l s」( ウ エ ス タ ン マ
リオネット 魔法の拳銃)を製作することとなった。この
ときの操り人形には、頭部中部に電磁石を内蔵し、台詞の
録音テープに直動して、電気信号で唇を開閉させる「リッ
プ・シンクロイド装置」を試験的に使用している。
そ の 後 、 ジ ェ リ ー は ATV 総 帥 の ル ー ・ グ レ ー ド 卿 の バ ッ
クアップを受け、スーパーマリオネーション第 1 作の「ス
ー パ ー カ ー 」、 英 国 は カ ラ ー TV 番 組 「 ス テ ィ ン グ レ イ 」、 初
の1時間人形劇「サンダーバード」などの特撮人形劇で、
ヒ ッ ト 作 品 を 発 表 し た 。 19 6 5 年 「 A P フ ィ ル ム ズ 」 か ら 「 21
世 紀 プ ロ ダ ク シ ョ ン 」に 改 名 し た ス タ ジ オ は「 キ ャ プ テ ン ・
ス カ ー レ ッ ト 」、
「 ジ ョ ー 9 0 」、
「 ロ ン ド ン 指 令 X 」の 後 に 、
実 写 作 品 に も 挑 戦 を 始 め 、「 U FO」 の 終 了 後 、 解 散 。
ジェリーは「グループ・スリー・プロダクション」を作
り 1 9 7 2 年「 プ ロ テ ク タ ー - 電 光 石 火 」、19 7 5 年「 ス ペ ー ス :
1 9 9 9」 を 製 作 し て 、 成 功 を 収 め た 。
36
「 テ ラ ホ ー ク ス 」、「 デ ィ ッ ク ・ ス パ ナ - 」「 ス ペ ー ス ・ プ
リシンクト」
「 ラ ベ ン ダ ー ・ キ ャ ッ ス ル 」な ど 子 供 番 組 を 製
作したジェリーは、現在新作を作る為に活動中である。
2 1 世 紀 の 世 界 は 科 学 技 術 が め ま ぐ る し く 発 展 し 、人 類 に
と っ て は 夢 の よ う な 世 界 で あ っ た 。し か し 、そ の 科 学 技 術
はひとたび事故を起こせば逆に大惨事となる危険性をは
ら ん で い る 。 そ の よ う な 時 代 背 景 の 中 、 西 暦 20 6 5 年 、 ア
メ リ カ の 世 界 的 な 大 富 豪 、ジ ェ フ ・ ト レ ー シ ー に よ っ て 国
際 救 助 隊 ( I N TER N A TI O NA L R ES CU E O R GA N IZ A TI ON ) が 設 立
さ れ る 。ひ と つ の 国 や 救 助 組 織 で は 対 応 で き な い 大 惨 事 か
ら人々を救出するためである
国際救助隊は公的なものではなく、あくまでもジェフ・
トレーシーとその家族らによって構成される私的な組織
である。主たる活動は、その名の通り“人命救助”。
最新気鋭の科学技術によって開発されたスーパーメカ
“ サ ン ダ ー バ ー ド ” を 駆 使 し て 、災 害 や 事 故 、あ る い は 犯
罪 に よ っ て 危 機 に 直 面 し た 人 々 を 救 う 。活 動 の 拠 点 と な る
基 地 は 、南 太 平 洋 上 に 浮 か ぶ 絶 海 の 孤 島 、ト レ ー シ ー ・ ア
イ ラ ン ド 。悪 用 を 避 け る た め 、そ の 詳 細 は 絶 対 の 秘 密 と さ
れ て い る 。ジ ェ フ の 指 揮 の も と 、ブ ル ー の 制 服 に 身 を 包 み 、
サ ン ダ ー バ ー ド・メ カ に 乗 り 込 む の が ジ ェ フ の 5 人 の 息 子
達、スコット、ジョン、バージル、ゴードン、アランだ。
彼 ら の 知 恵 と 勇 気 に 満 ち 溢 れ た 活 躍 を 描 く の が 、『 サ ン ダ
ーバード』なのである。
10 童話
1イギリス児童文学の古典
カ ー ペ ン タ ー 、プ リ チ ャ - ド / 神 宮 輝 夫 監 訳『 オ ッ ク ス フ ォ
ー ド 世 界 児 童 文 学 百 科 』( 原 書 房 、 1 9 9 9 年 6 月 )、 p .3 4 .
い ち は や く 産 業 革 命 に 成 功 し 、世 界 を 支 配 し た イ ギ リ ス が 、
最 も 繁 栄 し た ヴ ィ ク ト リ ア 時 代 と 呼 応 す る か の よ う に 、1 9
世 紀 後 半 か ら 19 2 0 年 代 に か け て 、 イ ギ リ ス 児 童 文 学 は 、
ま さ に そ の 黄 金 時 代 を 謳 歌 し た 。義 務 教 育 法 制 定 ( 18 7 0) を
はじめとする教育改革の成果により読み書きできる人口
が 増 加 し 、本 の 大 量 生 産 に つ な が る 技 術 革 新 は 、色 彩 的 に
も 魅 力 的 な 書 物 を 彼 ら に 提 供 し た 。フ ァ ン タ ジ ー を 中 心
37
に、異なるジャンルで優れた作品が多数出版された。
2「三匹の子豚」
フ リ ー 百 科 事 典 『 ウ ィ キ ぺ デ ィ ア 』
( h t tp : // w ww . ja. w i ki p de i a. o rg)
三 匹 の 子 豚( さ ん び き の こ ぶ た )は 喋 る 動 物 た ち が 登 場 す
る お と ぎ 話 で あ る 。 こ の 物 語 の 出 版 は 18 世 紀 後 半 に さ か
の ぼ る が 、物 語 そ の も の は も っ と 古 く か ら 存 在 し て い た と
考 え ら れ る 。こ の 民 間 伝 承 と し て 語 り 継 が れ て き た 物 語 は 、
1 9 3 3 年 の ウ ォ ル ト・デ ィ ズ ニ ー に よ る ア ニ メ ー シ ョ ン 作 品
に よ り 有 名 に な っ た 。 日 本 で は 1 9 60 年 代 に 制 作 さ れ た 着
ぐるみ人形劇『ブーフーウー』で有名。
カ ー ペ ン タ ー 、プ リ チ ャ - ド / 神 宮 輝 夫 監 訳『 オ ッ ク ス フ ォ
ード世界児童文学百科』
( 原 書 房 、19 9 9 年 6 月 )、p p . 31 4 -3 15
三 び き の コ ブ タ T h re e L i ttl e Pi p , T he
l 85 3 年 に J・ O ・ ハ リ ウ ェ ル が 採 集 し た 昔 話 で . ジ ェ イ コ
ブ ズ ゛ の 『 イ ギ リ ス 昔 話 集 』( 18 9 0) に 収 録 さ れ て い る 。
3 匹 の ブ タ が 家 を 建 て る 。1 匹 は わ ら で ,も う 1 匹 は エ ニ
シ ダ( 小 枝 )で ,3 匹 目 は レ ン ガ で 建 て た 。オ オ カ ミ が わ
ら の 家 に や っ て き て ,中 に 入 れ て く れ と 頼 む が ,ブ タ は「 だ
め だ よ 、だ め だ よ 、僕 の あ ご ひ げ に か け て も 」と こ た え る 。
す る と 、オ オ カ ミ は r ふ - と ふ い て ,ぷ 一 と ふ い て 、こ の
家 、ふ き と ば し て し ま う ぞ 」と い っ て 、こ の 家 、ふ き と ば
し て し ま う ぞ 」と い っ て ,ふ き と ば し ,ブ タ を 食 べ て し ま
う 。2 つ 目 の 家 と そ の 持 ち 日 に も 同 じ こ と が お こ る 。と こ
ろが,オオカミはレンガの家をふきとばすことができな
い 、3 番 目 の ブ タ を 捕 ら え よ う と し て オ オ カ ミ は さ ま ざ ま
な こ と を 試 み る が ,と う と う 煙 突 を お り て ゆ く と ま で い う 。
ブ タ は 火 を お こ し .大 鍋 を 煮 た た せ た 。そ し て オ オ カ ミ は
鍋に落ち、ブタはそれを料理し,食べてしまう。
こ の 話 は 、グ リ ム の『 オ オ カ ミ と 7 匹 の 子 ヤ ギ 』( T he W o lf
a n d th e S ev e n L i t tl e Ki d s ) に い く ぶ ん 似 て い る 。 1 81 3
年 に ロ ン ド ン の S・ フ ッ ド に よ っ て 出 版 さ れ た 『 よ く 知 ら
れ た ナ ニ ー ・ グ ー ス の 話 』 ( T h e Hi s to r y of C e l eb r at ed
N a n ny Go o se )に は 、 イ ギ リ ス の 類 話 と し て 初 め て 文 献 に 記
38
録 さ れ た も の が 収 録 さ れ て い る 。そ の 話 で は 、3 匹 の ガ チ
ョ ウ の 子 の う ち で 一 番 賢 い も の が 、レ ン ガ の 家 を 建 て て キ
ツ ネ の 裏 を か く 。 同 じ 話 が 、『 レ ナ ― ド 王 子 と レ デ ィ ・ グ
ー シ ア ナ の 話 』 ( T h e H is t or y of t he Pr i nc e Re n a rd o
A n d t he L a dy Go o s ia n a . ロ ン ド ン H ・ フ ォ ー ス , 18 8 3)
では、いっそう装飾的に再話されている。
こ の 話 を 絵 本 S こ し た も の が 20 世 紀 に 入 る と た く さ ん
出 て く る が 、 L ・ レ ズ リ ー ・ ブ ル ッ ダ の も の ( 1 9 0 5) も
そ の 1 冊 で あ る 。19 3 3 年 に は 、こ の 作 品 は 、成 功 を 博 し た
デ ィ ズ ニ ー の ア ニ メ 映 画 「 シ リ ー ズ ・シ ン フ ォ ニ ー シ リ -
ズ の 1 作 と し て 制 作 さ れ た 。主 題 歌( フ ラ ン ク ・ チ ャ ー チ
ル 作 )「 オ オ カ ミ な ん か こ わ く な い 」 も 評 判 を よ ん だ 。 映
画 フ ァ ン は 、こ の 映 画 に 登 場 す る オ オ カ ミ を 大 恐 慌 の 象 徴
と し て と れ え た 。さ ら に そ の 主 題 歌 は ア メ リ カ の 国 民 を 勇
気づけるものとなった。
3 「 ジ ャ ッ ク と 豆 の 木 」(「 ジ ャ ッ ク と 豆 の つ る 」)
カ ー ペ ン タ ー 、プ リ チ ャ - ド / 神 宮 輝 夫 監 訳『 オ ッ ク ス フ ォ
ード世界児童
文 学 百 科 』( 原 書 房 、 1 9 99 年 6 月 )、
p p . 33 4 -3 3 5.
ジ ャ ッ ク と 豆 の つ る J ac k an d th e B e an s tal k
イ ギ リ ス で は 、 お そ ら く と も 18 世 紀 の 前 半 に は 知 ら れ て
い た と 思 わ れ る 昔 話 。 17 3 4 年 に は 、『 暖 炉 を 囲 ん で ― ― ま
た は ク リ ス マ ス の お た の し み 』 ( R oun d a b ou t ou r
C o a l- F ir e : o r Ch r i st m as En t ert a i nm e nt s )が 出 版 さ れ た 。
こ れ は 、匿 名 氏 に よ っ て 書 か れ た 風 刺 的 な 本 で 、昔 話 や 迷
信を信じることがいかに無益かということをはっきり書
い て い る 。こ の 本 に は「 ジ ャ ッ ク ・ ス プ リ ン グ と 魔 法 の 豆
の 物 語 で み ら れ る 魔 法 」と 題 さ れ た 章 が あ る 。
・・・中 略・・・
タ バ ー ト に よ っ て 1 80 4 年 か ら 出 版 さ れ は じ め た 『 み ん
な 知 っ て い る お 話 』 シ リ ー ズ に 、『 ジ ャ ッ ク と 豆 の つ る の
物語。いままで出版されたことのない原稿からのもの』
( T he H i st o ry of Ja c k an d t he B e a n- s ta l k, P ri n t ed f r om
T h e Or i gi n al Ma n u sc r ip t , N e ve r B ef o re Pu b li s h ed )が 収
め ら れ て い る 。現 存 す る 一 番 古 い も の は 、1 80 7 年 版 で あ る 。
重 要 な 再 話 の 手 本 と な っ た タ バ ー ト 版 は 、時 代 が「 ア ル フ
39
レ ッ ド の 御 代 」 に 設 定 さ れ て い る 。・ ・ ・ 中 略 ・ ・ ・
天 ま で と ど く 豆 の つ る は 、旧 約 聖 書〔 創 世 記 2 8・ 1 2〕の
ヤ コ ブ の は し ご や 、『 新 エ ッ ダ 』 の 、 枝 を 天 ま で の ば し 、
根を地獄にまではわあせている世界樹イグドラシルを連
想 さ せ る 。グ リ ム 兄 弟 に よ っ て 収 集 さ れ た 話「 天 国 の か ら
ざ お 」は 、田 舎 者 が 植 え た 種 が 、ぐ ん ぐ ん 成 長 し て 大 き な
木 に な り 、空 に と ど く と い う と こ ろ が イ ギ リ ス の 話 と 似 て
いる。
4「幸福の王子」
カ ー ペ ン タ ー 、プ リ チ ャ - ド / 神 宮 輝 夫 監 訳『 オ ッ ク ス フ ォ
ー ド 世 界 児 童 文 学 百 科 』( 原 書 房 、 1 9 9 9 年 6 月 )、 p .2 6 4.
幸 福 な 王 子 H a p py Pr i nc e an d ot h er ta l es, T he
オ ス カ ー・ワ イ ル ド ( 1 85 4 -19 0 0 )作 の 物 語 集 。1 88 8 年 に ウ
ォ ル タ ー・ク レ イ ン と ジ ェ イ コ ム・フ ッ ド の さ し 絵 つ き で
出 版 さ れ た 。物 語 集 に は ハ ン ス ・ ア ン デ ル セ ン の 影 響 が は
っ き り と 現 れ て お り 、ど の 作 品 か ら も 一 様 に 悲 観 的 な 人 生
観 が 伝 わ っ て く る 。物 語 集 の 表 題 作 は 、あ る 王 子 の 銅 像 が
台 座 の 上 か ら 喜 び の 種 を 探 そ う と し て 、人 び と の 貧 し さ と
惨 め さ を 見 る と い う 話 で あ る 。暖 か い 土 地 に 渡 っ て い く 仲
間 に 加 わ り そ び れ た 1 羽 の ツ バ メ を 協 力 者 と し て 、王 子 は
不 幸 な 人 び と に 贈 り 物 を す る 。だ が 、そ の た め 王 子 も ツ バ
メも命を落とすことになる。
5 『 フ ラ ン ダ ー ス の 犬 』 A D og o f F l an d er s (1 8 7 2)
フ リ ー 百 科 事 典 『 ウ ィ キ ぺ デ ィ ア 』
( h t tp : // w ww . ja. w i ki p de i a. o rg)
フ ラ ン ダ ー ス の 犬 ( ふ ら ん だ ー す の い ぬ 、 原 題 : A D o g of
F l a nd e rs )は 、イ ギ リ ス の ウ ィ ー ダ ( O ui d a) の 書 い た 童 話 。
物語の舞台はベルギー北部のフランダース(フランドル)
地 方 。1 8 7 2 年 の 作 品 。孤 児 ネ ロ と 愛 犬 パ ト ラ ッ シ ュ の 物 語 。
T V の ア ニ メ 作 品 に な っ て 、日 本 で は 絶 大 な 人 気 を 得 て い る 。
活 字 版 は 、一 時 、T V ア ニ メ 絵 本 し か な か っ た 時 期 も あ っ た
が 、2 0 0 3 年 に 岩 波 書 店 か ら 並 装 の 廉 価 版 が 発 売 さ れ た 。同
じ 著 者 に よ る 別 の 短 編 も 収 録 さ れ て い る 。こ の 作 品 は イ ギ
リ ス の 作 家 の 手 に よ る こ と も あ り 、ベ ル ギ ー で は ほ と ん ど
40
無 名 の 作 品 で 、現 地 に は 著 者 や 登 場 人 物 の 銅 像 な ど の 類 は
な か っ た 。2 0 0 3 年 5 月 、ア ン ト ワ ー プ の 聖 母 大 聖 堂 教 会 の
前 に ネ ロ と パ ト ラ ッ シ ュ の 銅 像 が 建 て ら れ た 。こ れ は 作 品
が 再 評 価 さ れ た か ら で は な く 、日 本 か ら の 観 光 客 が『 フ ラ
ンダースの犬』にまつわる場所を捜し求めるためである。
ル ー ベ ン ス の 絵 を 見 て ネ ロ を 思 い 出 し 、涙 す る 日 本 人 も い
る と い う 。ア メ リ カ で 出 版 さ れ て い る『 フ ラ ン ダ ー ス の 犬 』
で は 、内 容 が 救 い が な さ 過 ぎ る と し て 改 変 が 加 え ら れ て い
る 。こ の 改 変 さ れ た ス ト ー リ ー で は 、ネ ロ と パ ト ラ ッ シ ュ
は 聖 堂 で 死 亡 せ ず 、ネ ロ の 父 親 も 名 乗 り 出 て ハ ッ ピ ー エ ン
ドをむかえる。
2)科学とファンタジー
こ れ ま で フ ァ ン タ ジ ー と い っ た 考 え 方 を し て い た も の 、あ
る い は SF ( sc i en c e f i ct i on )と 考 え て い た も の が 、 科 学 の 発
達 に よ り 、現 実 に な っ て い る 傾 向 が あ る 。こ う し た こ と を 考
え る と 、科 学 と 文 学 は と も に 想 像 力( イ マ ジ ネ ー シ ョ ン )か
ら 始 ま る こ と に な る 。こ こ で は 特 に 、ロ ボ ッ ト を 意 識 し た も
の を と り あ げ る 。実 際 の 講 座 で は さ ら に 詳 し い 内 容 を パ ワ ー
ポイントにて紹介したい。
科学とは
「科学」と「文学」
観察や実験など経験的手続きに
よって実証された法則的・体系
的知識。また、個別の専門分野
に分かれた学問の総称(『
に分かれた学問の総称(『広辞
苑』第6版より)
自然科学が典型。人間科学もあ
る。
科学は理数系で文学は文学系?
科学とは何かを考えると、科学と
文学には密接な関係があることが
わかります。では、科学の定義を
見てみましょう!
科学とは
科学は昔からあった
観察や実験など経験的手続きに
よって実証された法則的・体系
的知識。また、個別の専門分野
に分かれた学問の総称(『
に分かれた学問の総称(『広辞
苑』第6版より)
自然科学が典型。人間科学もあ
る。
白魔術→いわゆる自然科学(自
然現象)よいこと
黒魔術→いわゆる魔術(魔力に
よって行われる術。)わるい
こと
41
科学の要素?
「火」は人類の宝
自然科学にとって、「地」
「水」「火」「風」「雷」、
さらには「大地」「海」
「空」(「天空」)は基本
的な要素。そして、人間。
神々の姿に似せて創造された
人類に、「火」を伝えたとさ
れるのがプロメテウス。プロ
メテウスはゼウスの怒りを
買う。『
買う。『ギリシャ神話』
ギリシャ神話』より
英文学史を辿りながら「科学」と
「文学」を考えてみよう
キリスト教伝来以前 ケルト文化
当初の宗教は自然崇拝の多神教であり、ド
ルイドと呼ばれる神官がそれを司っていた
ドラゴンは伝説は国を越え、文化を越え、存在
する。英文学では『
する。英文学では『ベオウルフ』
ベオウルフ』に登場するグレ
ンデルがそれにあたる。
ケルトでは、動物はインスピレーションや
魔力を与える存在として、人間と非常に密
なる関係にあり ます。
完全ではないストーリーを埋め、映画
化された。グレンデルは科学の力で
は説明できない。
日本の神道、神話に共通点が、、、
妖精は想像力の産物?
プトレマイオスの天動説
英文学の根底にはケルト文化の
影響を強くみることができる。
1530年
1530年 コペルニクス、地動
説を唱える
世界は旧秩序と新秩序が混在
地球は丸い、地球が太陽の周り
を回っている。
妖精(フェアリー)は科学では
説明ができない存在。
新しい時代の息吹が、、、
天動説・地動説についていえば、
天動説を主張したのはエジプトの
プトレマイオスやギリシャのアリ
ストテレスであり、地動説を発見
したコペルニクス、ガリレイ、ケ
プラーは、いずれも熱心なクリス
チャンでした。
あのシェイクスピア(1564
-1616)の時代は新しいも
のと古いものが混在する時代。
天文学が進むものの、占星術や
魔術もまだまだ一般民衆には根
深いものが、、、
42
科学と文学
どんな作品があるか見てみよう!
怪奇小説
『フランケンシュタイン』
フランケンシュタイン』、
『ドラキュラ』
ドラキュラ』はイギリスが生
んだ文学です。ここには、科学
VS宗教の問題が隠されています。
VS宗教の問題が隠されています。
19世紀(1800年代)の科
学は文学の中にどのような形
で入りこんできたのか?文学史
と科学の関係を見てみよう。
スティーヴンソン『
スティーヴンソン『ジキル
博士とハイド氏』
博士とハイド氏』(1886)
(1886)
人間の心を科学の力で解き明か
そうとした時代の作品です。フ
ロイトの『
ロイトの『夢判断』
夢判断』(1900)に
(1900)に
よって「無意識」という領域が
証明された。21
世紀にこの考え
証明された。21世紀にこの考え
方は通用するか?
『フランケンシュタイン(1818
)
フランケンシュタイン(1818)
メアリ・シェリーの怪奇小説。
スイスの科学者フランケンシュ
タインは、死体の断片をつなぎ
合わせて人造人間を作る。
生命とは何か?生命科学とは?
Science Fictionの行方
Fictionの行方
『タイム・マシン』
タイム・マシン』(1895)
SF小説
SF小説
『タイム・マシン』『
宇宙大戦争』
』
タイム・マシン』『宇宙大戦争
『透明人間』『
ドクター・モロー博士
透明人間』『ドクター・モロー博士
の島』
ウェルズが
の島』はイギリスのH.G.
はイギリスのH.G.ウェルズが
書いた作品です。
アインシュタインの「特殊相対
理論」が発表されたのは1905
年。文学は科学を先行す
る?SF小説の元祖。
文学の新しい姿?
『ドクター・モローの島』
ドクター・モローの島』
(1896)
ブラム・ストカー『ドラキュラ』
(1897)
科学の時代に何故。
宗教VS科学?
木の杭、聖水は伝統的な方法
銀の弾丸は科学の力
DNAをテーマにした作品。動物が
人間へ。ダーウィンの『
人間へ。ダーウィンの『種の起源』
種の起源』、
いわゆる進化論が発表されたのは、
1859年のこと。メンデル法則は
1865年のこと。
43
バリー『ピーター・パン』
『宇宙大戦争』
宇宙大戦争』(1898)
(1904)
未知なる宇宙へのあこがれ。宇
宙人の存在は?
古きよき伝統
→ 妖精
新しい科学の時代 → 宇宙人
妖精(ピーター・パン、ティン
カー・ベル)
科学の時代の人間の想像力のあ
り方?科学は万能のなのか?
未知なる存在VS人間
ミニ情報
ミニ情報
1920年にカレル・チャペックが
『R.U.R』(エル・ウー・エル)
を発表。「ロボット」という言葉が
使用される。この時は化学物質を加
工して様々なパーツを作り、それを
組み合わせた一種の人造人間。
アイザック・アシモフ(米)『わ
れはロボット』(1950)で
「ロボット工学三原則」が示され
る。
カレル・チャペックはチェコソロヴァキア
人。
「ロボット工学の三原則」
人類初の月着陸
第一条 ロボットは人間に危害を加えては
ならない。また何も手を下さずに人間が
危害を受けるのを黙視していてはならな
い。
第二条 ロボットは人間の命令に従わなく
てはならない。ただし第一条に反する命
令はこの限りではない。
第三条 ロボットは自らの存在を護らなく
てはならない。ただしそれは第一条,第
二条に違反しない場合に限る。
1969年7月20日、アポロ
11号が人類初の月着陸。人類
は宇宙時代に突入する。かつて
は、SFであった宇宙ものは現
実のものに。
パソコンの時代が到来
インターネットの時代が到来
1991年 ヨーロッパ原子核
共同研究所(CERN)が
World Wide Webを開発。
Webを開発。
1992年 日本で商用ネット
ワークサービスが開始される。
1977年にアップル・コン
ピュータ社設立
1981年にマイクロ・ソフト
社設立
44
New Age 到来
芸術とは
mirror upto nature
自然に対して鏡を掲げて
→時代に対して鏡を掲げて
宇宙の時代
コンピュータの時代
インターネットの時代
人間の夢はどこへ、、、
妖精や魔法の力は、、、
現実・科学、文学・想像?
科学は想像から始まる?
文学は想像力が、、、
人間にとって大切なことは想像
力、イマジネーションを働かせ
ること。
科学も想像力を現実化させるよ
うとすることで始まった。
(パワーポイント抜粋資料)
抜粋関連年表
1492 年
1 8 1 8年
1886 年
1895 年
1 8 9 6年
1 8 9 7年
1898 年
1900 年
1905 年
1 9 2 0年
1950 年
1969 年
1977 年
コロンブス、アメリカ新大陸発見。
シェリー『フランケンシュタイン』
スチーブンソン『ジキル博士とハイド氏』
ウェルズ『タイム・マシン』
ウェルズ『ドクター・モローの島』
ストーカー『ドラキュラ』
ウェルズ『宇宙大戦争』
フロイト『夢判断』
アインシュタイン『特殊相対理論』
カ レ ル チ ャ ペ ッ ク 『 R . U. R』
*「 ロ ボ ッ ト 」と い う 言 葉 が 始 め て 使 用 さ れ る 。
アシモフ『アイ、ロボット』
ア ポ ロ 11 号 、 人 類 初 の 月 着 陸 。
アップル・コンピュータ社設立
45
ま
と
め
と
し
て
「 子 ど も の た め の 外 国 文 学 」と 題 し て こ れ ま で 述 べ て き た
が 、実 は「 子 ど も の た め の 外 国 文 学 」と い う 言 い 方 自 体 が 古
い の か も し れ な い 。社 会 福 祉 も 最 近 で は 、ヒ ュ ー マ ン ・ ケ ア
と い う 言 い 方 が 少 し ず つ で あ る が 浸 透 し て き て い る 。こ れ ま
での社会福祉は上から下へといった弱者救済的なイメージ
が 強 か っ た 。し か し 、実 施 の 福 祉 の 現 場 、あ る い は 介 護 の 現
場 で は 、介 護 す る 方 も さ れ る 方 も お 互 い へ の 気 遣 い や 精 神 的
な 負 担 が か な り 大 き く な っ て い る 。こ う い う 意 味 か ら 、ケ ア
す べ き は な に も 「 さ れ る 側 」 だ け で は な く 、「 す る 側 」 に も
必 要 な こ と で あ る か ら だ 。そ の 意 味 で 、こ の 両 者 を ケ ア す る
こ と が 、ヒ ュ ー マ ン ・ ケ ア と い う こ と に な ろ う 。つ ま り 、
「子
どものための外国文学」というのも、一見「子どものため」
と い う 名 目 で あ っ て も 、そ の 内 容 は じ つ は お と な が 読 ん だ 方
がいいものもあれば、大人向きに書かれたものであっても、
「 子 ど も が 読 ん だ 方 が い い 」も あ る 。も と も と 、文 学 で あ る
こ と に 変 わ り は な く 、「 児 童 文 学 」 と い っ た よ う な 分 類 は 後
世 の 人 た ち が し て き た こ と で あ り 、ル ソ ー で は な い が 、自 然
な 環 境 の 中 で 、植 物 の よ う に 必 要 な 栄 養 を 得 る こ と が「 子 ど
も 」に は 必 要 な の で は な い だ ろ う か 。そ の 意 味 で は「 子 ど も
の た め の 外 国 文 学 」が あ る の で は な く 、ど ん な 文 学 も 子 ど も
でわかるようにおとなが噛み砕いて子どもに与えられるか
ど う か が 重 要 な よ う に 思 え る の だ 。重 要 な こ と は「 一 緒 に 読
む 」「 読 ん で 聞 か せ る 」「 一 緒 に 観 る 」 と い っ た 時 間 を 共 有 す
る こ と だ ろ う 。し か し 、こ う し た 時 間 を 共 有 す る に は 、楽 し
い 時 間 が 過 ご せ る 、あ る い は 心 が 浄 化 さ れ る( 癒 し 効 果 の あ
る も の )が 何 よ り 望 ま し い こ と は 言 う ま で も な い 。外 国 文 学
のよいところは日本とは全く異なった非日常の世界がそこ
に広がることだ。その中で繰り広げられるファンタジーは、
想 像 力 を 擽 り 、ま た 、S F は 知 的 な 好 奇 心 を わ き 起 こ す こ と だ
ろう。その宝庫がまさに英米文学に代表されるのだ。
46
注
( 1 ) 今 岡 健 一 郎 他 編 『 社 会 福 祉 発 達 史 』( ミ ネ ル ヴ ァ 書 房 、
1 9 7 3 年 4 月 )、 p p . 2- 3 .
( 2 ) 田 中 義 廉 編『 小 学 讀 本 』文 部 省 、 18 7 3 年 3 月 。( 古 田 東
朔 編『 小 学 讀 本 便 覧 』第 一 巻、武 蔵 野 書 院、1 9 7 8 年 1 2 月 、
p . 1 10 .)
( 3 ) 桑 原 三 郎 「 解 説 」(『 日 本 児 童 文 学 名 作 集 ( 上 )』) ,
p p . 27 6 -2 7 7.
( 4 ) 上 笙 一 郎 『 児 童 文 学 概 論 』 東 京 堂 出 版 、 197 0 年 4 月 、
p . 1 79 .
( 5 ) 瀬 沼 茂 樹 「 児 童 文 学 と 近 代 文 学 」( 瀬 沼 茂 樹 他 編 『 日 本
児 童 文 学 名 著 事 典 』 ほ る ぷ 出 版 、 1 98 3 年 1 1 月 )、 p. 2 .
( 6 ) I b id . , p p.2 - 3
( 7 ) 滑 川 道 夫 『 日 本 児 童 文 学 の 軌 跡 』 ( 理 論 社 、 1 988 年 9
月 )、 p .3 4 0.
( 8 ) 林 浩 康「 子 ど も 観 の 歴 史 的 変 遷 」
(『 北 星 論 集 』第 3 4 号 、
北 星 園 大 学 、 1 9 9 7 年 3 月 )、 p . 6 3.
( 9 ) I b id . , p .34 1 .
( 1 0 ) 桑 原 三 郎 「 解 説 」、 p. 2 82.
( 1 1 ) 瀬 田 卓 二 他 編 『 英 米 児 童 文 学 史 』 ( 研 究 社 、 19 7 1 年 8
月 )、 p .3 .
( 1 2 ) I bi d ., p.5
( 1 3 )『 英 米 児 童 文 学 史 』、 p. 7 .
( 1 4 ) I bi d ., p.1 6 .
( 1 5 ) 蘆 谷 重 常 『 世 界 童 話 研 究 』( 早 稲 田 大 学 出 版 部 、 1 92 4
年 1 1 月 )、 p . 5.
( 1 6 ) I bi d ., pp. 3 8 1- 3 82 .
( 1 7 ) I bi d ., pp. 3 8 2- 3 83 .
( 1 8 ) I bi d ., pp. 3 8 9- 3 90 .
( 1 9 ) 石 崎 等 「 ワ イ ル ド と 日 本 児 童 文 学 」( 山 田 勝 編 『 オ ス カ
ー ・ ワ イ ル ド 事 典 』 北 星 堂 書 店 、 1 99 7 年 1 0 月 )、 p. 5 08 .
( 2 0 ) I bi d ., p.5 0 9 .
47
資料
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坪 田 譲 治 『 児 童 文 学 入 門 』 朝 日 新 聞 社 、 1 94 9 年 1 月
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月
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北 本 正 章 『 子 ど も 観 の 社 会 史 』 新 曜 社 、 1 99 3 年 1 0 月
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48
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( 第 4 版 改 訂 )ミ ネ ル ヴ ァ 書 房 、
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年 4 月
川 戸 道 昭 編『 児 童 文 学 翻 訳 作 品 総 覧 』
( 全 8 冊 )大 空 社 、 2 0 05
年 6 月 ~ 2 00 6 年 3 月
2 0 0 5 国 立 国 会 図 書 館 国 際 子 ど も 図 書 館 編『 日 本 児 童 文 学 の 流
れ』
( 平 成 17 年 度 国 際 子 ど も 図 書 館 児 童 文 学 連 続 講 座 講 義
録 ) 国 立 国 会 図 書 館 国 際 子 ど も 図 書 館 、 2 00 6 年 1 0 月
49
お
わ
り
に
「 子 ど も の た め の 外 国 文 学 」と い う テ ー マ は こ れ ま で 私 自
身 が あ ま り 取 り 扱 っ て こ な か っ た テ ー マ で あ る 。英 米 文 学 で
も 現 在 も 人 気 の あ る 児 童 文 学 が た く さ ん あ る が 、今 回 は「 子
育 て 支 援 学 科 」と い う 大 き な 枠 組 み の 中 で 私 自 身 も「 こ ど も
観 」と「 児 童 文 学 」を ど う 考 え て い く か と い う こ と を テ ー マ
に今回の講座を担当した。
な お 、佐 々 木 の 経 歴 等 は 以 下 の 通 り で あ る が 、下 記 以 外 の
詳細な内容については本学ホームページ「武蔵野学院大学・
武 蔵 野 短 期 大 学 」 ( ht t p : / / w w w.m us a s hi no . a c . j p ) 、 あ る い は
個 人 ホ ー ム ペ ー ジ 「 佐 々 木 隆 研 究 室 」
( ht t p : / / w w w. s s k . e c o nf n. c o m ) ま で ア ク セ ス 願 い ま す 。 ま た 、
本 講 座 の 基 と な っ た 内 容 に つ い て は 個 人 ブ ロ グ「 佐 々 木 隆 研
究 室 パ ー ト 2 」 ( ht t p : / / g e o c i t i es . y a ho o . c o . j p / g l/ s s k2 0 0 0
t a ka s hi ) に 5 月 よ り 連 載 し た も の で あ る 。
佐々木
隆(ささき
たかし)
経歴
・ 武 蔵 野 短 期 大 学 国 際 教 養 学 科 教 授 を 経 て 、現 在 、武 蔵 野 学
院 大 学 大 学 院 国 際 コ ミ ュ ニ ケ ー シ ョ ン 研 究 科 教 授 、武 蔵
野 学 院 大 学 国 際 コ ミ ュ ニ ケ ー シ ョ ン 学 部 教 授 。武 蔵 野 学
院 大 学 ・ 武 蔵 野 短 期 大 学 教 務 部 長 。 博 士 ( 英 文 学 )。
・平 成 2 年 に 文 部 省 大 学 設 置 審 議 会 教 員 組 織 資 格 審 査 を 経 て
武蔵野短期大学国際教養学科 専任講師
・ 平 成 15 年 に 文 部 科 学 省 大 学 設 置 ・ 学 校 法 人 審 議 会 教 員 組
織 資 格 審 査 を 経 て 、武 蔵 野 学 院 大 学 国 際 コ ミ ュ ニ ケ ー シ
ョン学部国際コミュニケーション学科 教授
・ 平 成 18 年 に 文 部 科 学 省 大 学 設 置 ・ 学 校 法 人 審 議 会 教 員 組
織 資 格 審 査 を 経 て 、武 蔵 野 学 院 大 学 大 学 院 国 際 コ ミ ュ ニ
ケ ー シ ョ ン 研 究 科 国 際 コ ミ ュ ニ ケ ー シ ョ ン 専 攻( 修 士 課
程)教授
50
著 者
発行日
発行所
佐々木 隆
2009年12月10日
武蔵野学院大学 佐々木隆研究室
〒350-1328
埼玉県狭山市広瀬台3-26-1
ht t p : / / w w w. s s k. e c o nf n. c o m
51
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