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『タイム』誌のもじり

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『タイム』誌のもじり
『タイム』誌のもじり
国広哲彌
長年アメリカの週刊誌『タイム』と『ニューズウイーク』を購読しているが、どうも『タ
イム』の方に記事の見出しや写真説明などに「もじり」が多いと言うことが言えそうである。
それはときに大変凝っていて、思わずうならされてしまう。もじりというのは、日本語の例
でいえば、例えば奥本大三郎の随筆のひとつに「牡蠣くえば」というのがあるが、これは「柿
食えば鐘が鳴るなり法隆寺」のもじりであるといったたぐいのことである。
もじりは読者が元の言語作品を知っていなければ感じ取ることができないものであり、
いささか高級な言語遊戯に属する。英語の場合は、英米文化に通じていなければならないか
ら、一段と高級の度が増すことになる。英米の小説に見られるなぞりないし引用の実例を克
明に集めて辞書の形にしたものに、市河三喜・西川正身・清水護編『引用句辞典』( The
Kenkyusya Dictionary of English Quotations)(研究社、1953)がある。これは世界にも
例を見ないユニークな労作であり、編者の先生方の博識、博読にはただ頭が下がるのみであ
る。
この辞書でみると、もじり・引用の元をなしているのは聖書やシェイクスピアやミルト
ンなどの代表的詩人がほとんどである。『タイム』を読んでいて気付いたものはシェイクス
ピア、小説・映画のタイトル、歌の一節、慣用表現などに基づいている。今度出版される『ラ
ンダムハウス英和大辞典』の第2版では、小説・映画・歌のタイトルが関連情報として加え
られているので、この種のもじりを確かめるには、便利になった。以下に主として小説・映
画タイトルのもじりの例を見て行くことにする。
(1) ELOOD, SWEAT and TEARS. (July 26,1993)これは現在ミッシシッピー川上流、ミ
ズリー川などの流域を襲っている大洪水の記事の見出しである。「洪水」と闘うのに「汗」
を流し、家や農作物を失って「涙」を流していると言うのであるが、元の表現は‘Blood, sweat
and tears’である。この慣用句は従来の英和辞典には載っていないが、最近の引用句辞典(例
えば The Penguin Dictionary of Quotations <1960>)を見れば、第二次世界大戦中のチャ
ーチル首相の演説の一節であることが分かる。元の演説の正確な表現は、 ‘ I have nothing
to offer but blood, toil, tears and sweat.’であった。
同じ慣用句に基づくものとして、
‘MUD, SWEAT, AND CHEERS’ (Oct. 14, 1991)という
のがある。これは、ラグビーについてのカバーストーリーのタイトルである。「どろと汗」
にまみれて闘い、「声援」を受けるというわけである。また、町の暴力騒動を扱った記事に
‘Blood, Sweat and Fears’(血と汗と恐怖)
(Sept.28,1987)と付けられているのもあった。
(2) Steps Toward a Brave New World.(輝かしき新世界に数歩接近)(July 3,1987)
これは、パーキンソン病、アルツハイマー病などの老人病の治療に、胎児の組織を脳に移
植するのが有効であるらしいという記事のタイトルである。シェイクスピアに親しんでいる
人なら、 ‘Brave New World’ が Tempest の一節であることを思い出すであろうし、大きな
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英和辞典の ‘ brave’の項にもそう出ている。しかしそれだけではこのもじりの意味は分から
ない。これは Aldous Huxley の同名の小説のもじりなのである。この小説は、試験管の中
で子供が育てられ、睡眠中の教育により思想改造が行われるなどの未来小説である。つまり
人間の体に人工的な手を加えられることができるのが‘Brave New World’だという理解が
裏にあるわけである。次の記事の中の ‘brave new’と言う形容詞の意味もハクスレーの小説
を下敷きにしている。
(3) The brave new technologies stir up a rash of conflicting feelings, breeding hope
and despair where once there was resignation.(この輝かしき新技術は、かってはあきら
めるしかなかった所に、希望と絶望と言う相反する感情を続々とかき立てている)
(Sept.30,
1991)これは人間の人工的な発生飼育の技術に関する記事である。
‘ Brave New Babies’ (May 31, 1993)も同じくハクスレーの小説を下敷きにしたものである。
これは遺伝子治療によって遺伝子的な病気を治すことを目指した画期的な実験を受けた赤
ん坊のことを報じた記事のタイトルで、この場合、 ‘brave’ には「輝かしき」のほかに「勇
敢な」という意味が重ねられてるように読めるのではあるまいか。
(4) Napa Valley’s Gripes of Wrath. ( ナパヴァレーの怒りの苦情。新しいブドウ酒の呼
び名をめぐりブドウ酒醸造業者は激しく争う)(June 26,1989)
この見出しはスタインベックの小節 Grape of Wrath (怒りのブドウ)に基づいている。
‘grapes’と類音語の ‘gripes’を同時に響かせている所が心憎い。ナパヴァレーはカリフォル
ニア・ワインの生産地である。ここは観光名所でもあり、また文化の拠点でもあって、音楽
会を開く施設を持っている醸造所もいくつかある。
(5) The Old Man and the Mountains.(老人と山)(July 13, 1987)これはヘミングウ
エイの The Old man and the Sea を基にしてるいるが、この記事では、毛沢東がかって、
自分の家の前の山を景色の邪魔だと言って掘り崩し始めた伝説上の愚かな老人と自分が同
じようなものだ、と言ったという逸話を伝えたものである。
小説のタイトルのもじりとしては、ほかに、イギリスの作家 John Braine の Room at the
top (邦訳では、『年上の女』に基づく‘Vrooom at the Top’(June 13, 1988) というのがあ
る。これは Ford が、車の生産に拍車をかけるという記事で ‘Vrooom’はエンジンの響きを指
している。シェィクスピアの戯曲のタイトルに基づくものとしては、ウインザー城の火事を
扱った記事につけられた ‘The Not So Merry Wife of Windsor’ ( March 30,1992)があり、こ
れは The Merry Wives of Windsor (ウインザーの陽気な女房たち)による。
次に映画のタイトルのもじりの場合を挙げよう。アメリカの映画俳優 Robert Redford
がモスクワに招かれたという記事があり(May 23,1988)、その中で「モスクワのファンはい
かかですか」と尋ねられたレッドフォードは “ They’re more quiet in the theater”(映画館
の中ではとてもおとなしいですね)と答えている。記事にはそれに続けて次のようにある。
(6)O Fame, where is thy Sting? (おお有名人よ、なんじのとげはいずこにかある?)
これは ‘thy’ から見当が附くように、新約聖書「コリント前書」15:55 の‘O death, where
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is thy sting?’(死よ、なんじの棘は何処かにある)に基づいている。記事は、「余りに社交
的な答えではありませんか」と皮肉っているのであるが、それと同時に ‘Sting’ をイタリッ
クにすることによって、レッドフォードがポールニューマンと共演した名画’
‘Sting’ のこ
とも響かせている。「お見事」と言うほかない。
この記事に添えられた写真は、モスクワの街角でファンに全然囲まれていないレッドフォ
ードの姿を映し出しているが、その写真説明に‘far from the gawking crowd’(ポカンと見
とれる群衆から遠く離れて)とある。これは直接には Thomas Hardy の小節 Far From the
Madding Crowd (1874)(俗塵を遠く離れて)に基づいてるだろうが、この表現はさらに
Thomas Gray の Elegy Written in a Country Churchyard (墓畔悲歌)(1751)にさかのぼ
る。
(7) HOME ALONE ( April, 1922)
これは1991年のアメリカ映画のタイトルそのままである。記事は、オーストラリア
が気が付いて見ると、経済的に世界で孤立していて、これから取るべき道もはっきりしない
ことを述べたのである。映画の方は、家族旅行の出発のどさくさにまぎれて、男の子がひと
り置き去りにされるという話である。
(初出:『本の窓』1993 年秋(小学館))
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