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地球の風 地域の風

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地球の風 地域の風
スポーツ王国・和歌山。
紀三井寺のお膝元で
130年続くホテル。
次期経営者である林俊行さんは、
一つのキーワードで
両者を結びつけている。
それは、郷土愛あふれる
林さんだからこそ
推進できる取り組みだった。
地球の風
地域の風
45
株式会社はやし 専務 取 締 役
林 俊行 氏
in
Wakayama
の写真、名前、種目などが印刷された
ポスターだ。 人の選手一人ひとりの
写真の横には、直筆のサイン。大阪大
会 キロ競歩・銀メダリストのヨアン・
ロンドンオリンピックに沸いた今
年 か ら さ か の ぼ る こ と5 年。20 0
ストレスをかけない接遇 ││。受け入
の用意、練習場への送迎、選手たちに
び る。 そ し て 参 加 国 の 一 つ、 フ ラ ン
の前哨戦として世界中から注目をあ
に留学した頃を思い出しました︵笑︶
﹂
﹁いやいや楽しかったですよ。むか
し家業から逃げるようにしてフランス
マン・メニルらのサインもある。食事
7 年8 ∼9 月に、
﹁世界陸上 大阪大
れたホテル側も、仕事とはいえ気苦労
スの選手団が事前合宿に利用したホ
テ ル が﹁ 紀 三 井 寺 ガ ー デ ン ホ テ ル は
やし﹂
︵以下﹁はやし﹂
︶だ。
♦
西国三十三所第二番札所・紀三井寺
境内入り口からのびる昭和レトロな参
ンス行きの経緯はのちほどご説明いた
し﹂は建っている。和
ケーションに、
﹁はや
交差する絶好のロ
5 号和歌山海南線が
れる和歌山県道13
が、専務の林さんで五代目を数える。
ある。まだ正式な就任ではないそうだ
お膝元で130年続く老舗中の老舗で
82年︵明治 年︶創業、紀三井寺の
﹁紀三井寺ガーデンホテルはやし﹂
の前身である﹁はやし旅館﹂は、18
だこう。
歌浦湾にもほど近く、
﹁はやし﹂の後継ぎとして和歌山で
生まれ育った林さんは、1986年4
♦
ちょっとしたリゾー
月、地元の県立高校から一橋大学社会
のロビーに 大 き な 写 真 パ ネ ル が2 枚
まだ﹃そうですか﹄くらいにしか思っ
﹁高校の校長先生から一橋大学OB・
OGの活躍ぶりを聞かされたときは、
学部に入学する。
飾 ら れ て い た。 フ ラ ン ス 選 手 団 全 員
正面玄関でスリッ
パにはきかえフロントに進むと、左手
ト気分を味わえる。
道と、国体道路と呼ば
やかに当時を振り返る。気になるフラ
ホテル経営にたずさわる、株式会社
はやし専務取締役の林俊行さんはにこ
こ の 大 会 は、 当 時 北 京 オ リ ン ピ ッ ク
会 ﹂ が 開 催 さ れ た。 約20 0 の 国 と
ディニズ、棒高跳・銀メダリストのロ
50
が多かったのではないか。
15
地域・2000人近い選手が参加した
明治 年創業の
ホテルが迎えた
フランスの陸上選手団
54
15
in Wakayama
地球の風 地域の風
46
いくうちに、自由な校風や、数学・英
ていませんでした。でも資料を読んで
南端のキーウェストまで。
セブンマイルブリッジを渡って大陸最
分向きだなと。何より、生まれてから
アチア︶を回って観光都市ドゥブロヴ
◎2回目︽ヨーロッパ・アドリア海
沿岸周遊︾ ユーゴスラビア︵現クロ
語の配点の高さがわかって、これは自
ずっと和歌山にいて、将来も家業を継
ニクまで。
に就職する。
旅して回り、1990年、J R西日本
一度は実家を離れたいと東京に向
かった林さんは、その足で世界各地も
ろな経験をさせてもらいました︵笑︶
﹂
ではお金を巻き上げられたり、いろい
﹁ヨーロッパでは着いてすぐに皆バラ
バラになってしまったり、アカプルコ
◎3回目︽メキシコ縦断︾ メキシ
コシティからアカプルコまで。
ぐだろうと思っていましたので、一度
は東京に行ってみたい! と思い、一橋
大学を選びました﹂
バブル景気の
余波を受けて
思っていたよりも早く
家業へ
ゼミは田中浩教授︵当時。現、一橋
大学名誉教授︶の政治学を選んだ林さ
ん。毎年恒例の河口湖合宿で、昼は激
﹁将来、家業を継いだときの役に立
てば⋮⋮と考えた結果です。
﹃はやし﹄
を拠点にした観光エリ
論を交わし、夜は当時の学生らがそう
であったように、盛り上がったことが
アについて知っておき
を演奏するなどの活動はあったが、そ
したのち、同駅内の旅
J R天王寺駅︵大阪
府︶で研修期間を過ご
たかったですし﹂
﹁いい思い出になっています﹂と語る。
一方、サークルは、入学当初はジャ
ズ研究会に所属。小平祭で﹃ルート ﹄
の 後、 体 育 会 自 動 車 部︵ 現 在 は 復 活
井寺」は、770年(宝亀元年)に建立
されたといわれており、山内に湧く三
井水は「名水百選」に選ばれている。
また、桜の名所としても有名である。
正式名は紀三井山金剛宝寺護国院。
準備中︶に移る。卒業までの
計3回、主に春休みを利用し
た海外遠征に参加している
が、その﹁遠征﹂ぶりが振るっ
ている。
47
◎1回目︽北米大陸︾ サン
フランシスコから東部のマイ
アミまで大陸を横断、さらに
西国三十三所第二番札所である「紀三
66
行センターに配属された。
﹁民営化してまだ3年で、会社が積
極的に事業を多角化していた時期で
す。旅行センターでもパッケージ商品
さまでホテルがてんやわんやで。想定
していたよりもかなり早くなりました
が、家業に戻って正解でした﹂
本を退職。家業
まり大きな痛手をこうむらずにすん
日本全国がバブルのツケを支払わ
さ れ る な か、 和 歌 山 と そ の 周 辺 が あ
﹁ バ ブ ル 崩 壊 後 し ば ら く し て ⋮⋮
1997年でしょうか。和歌山はそう
た。3か月間で約300万人を動員、
XPO 世界リゾート博 ﹄が開催され
94年7∼9月には﹃J APAN E
バブル崩壊前の着工から5年後の19
島﹁和歌山マリーナシティ﹂が誕生。
カッコいいですが、要するに家業から一
着いてもいいかなぁ、⋮⋮などというと
を始められるのなら、この際海外に居
めてみたいと思ったのです。面白いこと
に海外を見てみたい、新しいことを始
り流れるようになりました。久しぶり
ろうか。
﹁家族には﹃フランスのビジネスス
in Wakayama
地球の風 地域の風
を売り出してい
て、活気があり
ました﹂
である﹁はやし﹂の集客が思った以上
だのは前述のとおりである。しかし、
フランス、アメリカ、
ブラジルを見て回る
﹁失われた2年﹂
に好調で、会社の休日に手伝う程度で
林さん自身はかなり行き詰まってい
しかしわずか
1年でJ R西日
はフォローしきれなくなったのだ。
波が色濃く残っていた。和歌山県とそ
でもありませんでしたが、世のなか全
たそうだ。
の周辺も例外ではない。
﹁はやし﹂から
体としては不景気で、悪いニュースばか
19 9 0 年 代 初 め か ら 半 ば に か け
て、日本の各地方にはバブル景気の余
車で南へ 分とかからない海岸に人工
特に9月は関西国際空港オープンが動
度距離を置きたかったのです﹂
の大成功をおさめた。さらに翌199
5年、NHK大河ドラマ﹃八代将軍吉
宗﹄の放映開始により、御三家の一つ、
紀州徳川家ゆかりの和歌山に観光客が
どっと押し寄せたのだ。
﹁大河ドラマの影響は、地方の観光
にとって本当に大きいですよ。おかげ
とはいえ次代の経営者である。それ
ほど簡単に離れることができるものだ
員に拍車をかけ、地方博としては異例
10
「紀三井寺ガーデンホテルはやし」の
露天風呂と大浴場。
クールに1 年間行かせてほしい﹄と
頼 ん で 了 解 を 得 ま し た。 そ し て 逃 げ
るようにしてニースに渡ってからは、
コートダジュールの海岸でリゾート
三昧です﹂
1998年に渡仏してからの2年間
を、林さんは﹁失われた2年﹂と自嘲
気味に表現している。
﹁最初の1年はニースのスクールに通
いながらヨーロッパを見て回りました。
スクール修了後にアメリカに行き、数
か月滞在するうちに知り合いができた
ので、そのつてをたどってブラジルに。
そして、あっという間に2年です﹂
もっとも、よくよく話をうかがって
みるとその2年間は必ずしも﹁失われ
た﹂ものではなさそうだ。
﹁ニースのビジネススクールにはさ
まざまな地域の人が集まっていまし
た。ヨーロッパはもちろん、アメリカ、
ア フ リ カ ⋮⋮。 皆 が 一 緒 く た に な っ
て、共同プレゼン用の資料をつくった
りするわけです。価値観は一人ひとり
まったく違いますし、話すタイミング
も違う。彼らは喋りながら考えて、つ
じつまを合わせていくんですよ︵笑︶
。
こういう環境でもまれるのは面白かっ
たですね﹂
ブラジルに渡ってからも、決して遊
びほうけていたわけではない。
﹁地元の中小企業のお世話になっ
て、 縫 製 工 場 の 見 学 を さ せ て い た だ
48
き ま し た。 新 し い こ と を 始 め て み た
紀三井寺への参拝で﹁はやし﹂を利
用する客の数は底堅い。しかし人々の
がないまでに細分化していった。
ん か ら。 気 持 ち の ど こ か で は、 つ ね
旅行形態が変わり、かつてのような団
い と 思 っ た の は、 ウ ソ で は あ り ま せ
に事業のヒントになるようなものを
体旅行客の利用は下火に。そこで林さ
ス・ジョビンが﹃イパネマの娘﹄を初
ノヴァの生みの親アントニオ・カルロ
オ・ボン・グルメというクラブで、ボサ
トクラブで終わりを告げる。その店は
館、武道館、市民球場、ビーチなど、大
紀三井寺運動公園をはじめとして体育
ば、スポーツ関連の総合施設を備えた
る。5台の送迎バスをフル稼働させれ
﹁はやし﹂には、最大400人程度ま
で一度に宿 泊できるキャパシティがあ
需要﹂である。
んが目をつけ、力を入れたのが﹁合宿
探していました﹂
そして、地中海沿岸のニースから始
まった自称﹁失われた2年﹂の旅は、
めて披露した場所だ。林さんが観たス
会や練習の会場に ∼ 分で乗りつけ
大西洋を望むコパカバーナ海岸のナイ
テージでは、女性アーティストがしき
帰国の意思が固まっていく林さん。
演奏やトークを聴きながら、しだいに
りに日本のことを語っていた。彼女の
なのだ。このニーズを逃す手はない。
にとって、
﹁はやし﹂は最高の合宿拠点
られる。京阪神の学校やスポーツ団体
だいた学校やスポーツ団体はあって、
きます。もともと合宿で利用していた
ど ││ が練習やイベントで大勢やって
グの選手たち ││ 日本チームの選手な
﹁ホテルから西のほうに行くとマリ
ンスポーツの施設があって、セーリン
15
﹁自分が帰るのは、やっぱり日本かな﹂
そのとき脳裏に浮かんでいたのは、
和歌浦湾の海の輝きだったのではない
10
∼ 年くらいかけて少しずつ数が伸
20
﹁合宿というのは自己研鑽、チーム
てきたと林さんは語る。
が必要だが、そのノウハウも蓄積され
的がはっきりと異なるため独自の対応
高めていた。一般の旅行客とは利用目
口コミによる紹介に次ぐ紹介で、合
宿拠点としての﹁はやし﹂は認知度を
びてきていました﹂
10
だろうか ││。
地元行政・観光団体と
二人三脚で
スポーツ選手の
合宿ニーズに応える
林さんの﹁失われた2年﹂を含む1
9 9 0 年 代 の 年 間 は、 日 本 経 済 に
とって﹁失われた 年﹂と呼ばれてい
る。バブルははじけ、景気は停滞し、
10
個人の嗜好や消費動向はつかみどころ
49
10
正しく、一斉に行動することを重視し
が主な目的です。ですから皆さん規則
ビルディング、メンタル面の鍛錬など
自信の表れでもあるのかもしれない。
楽しかったからというだけではなく、
が当時を楽しそうに振り返ったのは、
事前合宿について紹介したが、林さん
使っている。
とれるようなあたたかい言葉を選んで
をさけ、学生の利用者へのエールとも
けなのかもしれないが。
だからこそトレーニングにはうってつ
るうえにかなり急勾配で段差が高い。
それにしても、なんとも心あたたま
る風景だ。西国三十三所第二番札所で
ています。食事をする、入浴する、就
︽お食事メニューは育ち盛りの皆様
の食欲にお応えできるようボリューム
寝するといった集団の規律を守るため
ありながら、地元の子どもたちに自主
﹁自信なんてとんでもない。やるべき
ことはまだまだあります。これからは
満点の日替わりでご用意させていただ
に、ホテル側としてとるべき対応はい
私どもから学校や団体へのアプローチ
バスで送迎して、お弁当まで届けるホ
する選手たちに、大盛りの食事を出し、
トレの場所を提供するお寺。寝泊まり
ろいろありますが、もうすっかり慣れ
︵営業︶をする必要もあるでしょうし、
︽ホテル所有のバスにて臨機応変に
無料送迎させていただきます︾
きます︾
てきました。私もバスを運転して選手
合宿シーズン以外のニーズもあらため
する風土が根づいているのだろう。
の皆さんを送迎しています﹂
︽スポーツ・イベント会場までお弁当
の配達も承っております︾││
テル。スポーツに打ちこむ人々を応援
ホテルの受け入れ体制が整っている
のであれば、あとはいかに効率的に広
﹁合宿でいらっしゃるお客様のなか
には、 年以上前からきていただいて
て掘り起こさなければいけません﹂
報していくかがポイントになる。その
その一つひとつに対応している林さ
んや従業員の方々を思い浮かべたと
点については、和歌山市の行政や観光
団体が頼もしい味方だ。
﹁市が助成して大会・コンベンショ
ンを積極的に誘致してくれています。
ま た、 和 歌 山 市 長 が 会 長 を 務 め る 和
歌 山 市 観 光 協 会、 そ し て 私 ど も が 会
長を務めさせていただいている紀三
井 寺 観 光 協 会 な ど が 連 携 し て、 合 宿
拠点としての紀三井寺や﹃はやし﹄を
き、ホテルのサービスを超えた何かが
へ、
﹃あのホテルはいいよ﹄と伝えて
い る 団 体 も あ り ま す。 先 生 か ら 先 生
への階段を上がっていく。どうやら自
準備体操をして、一人また一人と境内
てきた彼らは、自転車を降りると軽い
急げば、そ
る。結論を
も、 林 さ ん は い ろ い ろ と 模 索 し て い
もう一つの課題である合宿シーズン
以外のニーズの掘り起こしについて
つねに世界を
意識しながら
愛する和歌山を
内側から盛り上げる
くださっているようです﹂
伝わってくる。
取材前日に訪れた紀三井寺境内入り
口の様子が、ふと頭をよぎる。
日が暮れかかり、参道の土産物店や
お食事処がシャッターを閉め、すっか
り人気がなくなった境内入り口。そこ
に地元の中学生らしき子どもたちが7
主トレーニングをしているらしい。
∼8人、自転車ですべりこんでくる。
さることながら、インターネット経由
てふるさと
ア ピ ー ル し て い ま す。 和 歌 山 県 観 光
のアプローチも有効だろう。おそらく
﹁お
あとで林さんに聞いたところ、
寺さんの許可をもらって、トレーニン
和歌山に対
紀北の合宿拠点の一つとして紹介し
て い た だ い て い ま す。 こ の よ う な こ
とは本当にありがたいですね﹂
部活を終えたそのままの格好で集まっ
林さんも百も承知で、実際に﹁はやし﹂
グで階段を上り下りしているんです
する林さん
連 盟 が 運 営 す る﹃ ス ポ ー ツ 王 国 わ か
今までの実績に加えてさまざまな広
報や働きかけが功を奏し、7∼8月の
のホームページには団体プランがきめ
よ﹂とのことだった。上り下りと簡単
の愛情が原
やま合宿ガイド﹄というサイトでも、
夏休み、年末、春先などの合宿・大会
細かく記されている。特に学生パック
にいっても、この階段は231段もあ
林さんが掲げた課題のうち、前者の
営業面については直接のアプローチも
シーズンはつねに満室状態になるそう
についてはとおりいっぺんの言い回し
れらはすべ
だ。本稿の冒頭でフランスの選手団の
スポーツに
打ちこむ人々を
地域をあげて
応援する風土
20
和歌山県は果物の生産も盛んである。
50
動力になっているようだ。
うか、思い浮かばないのかもしれませ
で自分をアピールすることが苦手とい
せていきたいです﹂
を生み出し、地域社会をさらに安定さ
に、和歌山独自の素材を発掘し、雇用
識していく必要があると思います﹂
ても、この和歌山にいても、世界を意
す。もう世界は一つですから、日本にい
いる人間よりも、別の土地からきた方
学生時代は年に1回、家業に入って
からも丸2年、それぞれ時間をかけて
に行っても必ず和歌山に帰ってきた林
海外を見て回った林さんらしい視点
﹁別の土地の人というのは、日本人に
かぎりません。フランス人が南部鉄器
さんらしい、郷土愛あふれる言葉でも
だ。同時に、どんなに遠く離れた場所
︵岩手県の伝統工芸品︶の魅力に目をつ
まらない。
林さんの問題意識は、家業のホテル
の利用客を掘り起こすことだけにとど
ん。ですからここにどっぷり浸かって
かん。海 産 物 なら伊 勢 えび、太刀 魚、
にいいところを教えていただいたほう
﹁和歌山にはいいところがたくさんあ
るんですよ。フルーツなら梅、桃、み
クエの鍋料理。しょうゆ、かつおぶしの
がいいのではないでしょうかね﹂
似をすることだ。
ただし一つだけ、絶対にやりたくな
いことがあると語る。それは東京の真
発祥地でもあります。和歌山のしょう
ゆを使った和歌山ラーメンはおいしいで
すよ。観光地としても、世界遺産の熊
野古道に近く、パンダが9頭もいるア
ランスで売れるように仕上がりに注文
﹁私はやはり和歌山の海辺でのんび
り暮らす毎日が好きなんですね。これ
1990年一橋大学社会学部を卒業し、
家業である「紀三井寺ガーデンホテルはやし」の運営に本格的にたずさわる。
1991年JR西日本を1年で退職し、株式会社はやし入社。
2001年株式会社はやし専務取締役に就任。
ある。
﹁地域には地域なりのやり方や魅力
があるはずなので、東京の真似をする
をつけたりしていますよね。
﹃はやし﹄
1967年和歌山県和歌山市紀三井寺に生まれる。
けて、わざわざ買いつけにきたり、フ
のは問題だと思います。真似をすると
からもこの地域を離れず、内側から皆
地球の風 地域の風
in Wakayama
にも関西空港経由で中国・香港・台湾・
http://www.kimiideragardenhotel.com/
本来の魅力がなくなりますから。客観
【 紀三井寺ガーデンホテルはやし ホームページ 】
﹁でもなぁ﹂と区切って林さんは笑う。
﹁どうも和歌山の人はおっとりして
いるんですね。徳川御三家の名残なの
●
の力で盛り上げていきたいです﹂
和歌山市長から感謝状を贈られる。
韓国から宿泊客の方がお見えになりま
2007年「世界陸上 大阪大会」の事前合宿としてフランス選手団を受け入れ、
的な意見を言ってくださる方々と一緒
51
ドベンチャーワールドもあります﹂
西日本旅客鉄道株式会社(JR西日本)入社。
か、あまりせかせかと動いたり、自分
林 俊行(はやし・としゆき)
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