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Title Author(s) カントリーハウス・ポエムにおける'dwell'の用法 西谷, 真稚子 Editor(s) Citation Issue Date URL 英米言語文化研究. 2000, 48, p.69-89 2000-03-31 http://hdl.handle.net/10466/10628 Rights http://repository.osakafu-u.ac.jp/dspace/ カントリーハウス・ポエムにおける‘dwell’の用法 西 谷 真稚子 屋敷の建て方や生活の様式等をはじめとして、およそ住まうということと 多少なりとも関わらずには成立し得ない英国十七世紀のカントリーハウス・ ポエムにおいて散見されるのがdwe11ということばである。 OEDによるこ の語の初出は十三世紀中葉にまで遡るが、カントリーハウス・ポエムという 詩群において、その語の用いられ方には注目すべきところがあるように感じ られる。ここではべン・ジョンソンの‘To Sir Robert Wroth’を111心に平編 のカントリーハウス・ポエムを取り上げ、dwellということばとこの詩群との 関わりを考察していくこととする。 1 古典詩人ホラティウスのβρ04es第二歌は地方での生活を賛美したもので あるが、カントリーハウス・ポエムという一群の詩が現れた十七世紀にこの 詩の英訳が数多く試みられたのは当然のことであろう。ベン・ジョンソンに も1618年頃までと推定されている英訳があるのだが、‘To Sir Robert Wroth’ はこの古典詩と内容的に近いものがある一方で、詩人のもうひとつのカント リーハウス・ポエム‘To Penshurst’のコンパニオン・ピースとも見なされて いる。ロバート・ロース卿が、‘To Penshurst’を詩人が捧げたロバート・シ ドニー卿の娘メアリの嫁いだ相手であるという事実も、ふたつの詩を心情的 に、より近いものにするのだが、‘To Penshurst’は1612年頃、‘To Sir Robert Wroth’の方は詩中に言及されている卿の役職の任命時期からして1616年まで に書かれたと見られており、詩集7加For臨の中でこの詩は前者のすぐ後 1ピ置かれていることからも、製作年代は離れていないと考えられる。‘To Penshurst’に勢いを得て、詩人は‘To Sir Robert WrQth’を書き、その結果、 似通った点が見出されるとするのもそれほど突飛な推童ではないだろう。 一70一 西 谷 真稚子 Heather Dubrowは、この詩と1功。鹿8第二歌の訳詞群との間には見られな い、‘To Penshurst’との共通点を二つ挙げている♂ひとつは、それぞれの屋 敷の主人が示す歓待の精神が称揚されていること、もうひとつは、古典的な 丁丁表現であるところの、いわゆる否定的定義が詩中に用いられている点で ある。しかしながら、これらの共通点は逆に、各の詩の中のdwellというこ とばに意味の違いを生じさせている、土編の詩の相違点にも関連しているよ うに見える。まず、饗応の場面を比べてみると、‘To Penshurst’では、「歓待 というものがおよそ知っている限りのものがあふれている気前の良い食卓」 (IL59−60)に着く客の姿は次のように描かれている。 Where comes no guest but is allowed to ea七 Without his fear,. and of thy lord’s own meat: Where the same beer and bread and self−same wine, That is his lordship覧s shall be also mine. And I not fain to sit,(as some this day At great men’s tables)and yet dine away. Here no man tells my cups;nor, standing by, Awaiter, doth my gluttony envy, But gives me what I ca11, and lets me eat, He knows, below, he shall find plenty of meat, Thy tabユes hoard not up for the next day, (‘To Penshurst’, IL63−71)2 ここでは「同じビールやパン、ワイン」(1.65)といった「屋敷の主人自身の食 事」(L64)を客が「気兼ねなく」(1.64)取る様・子が述べられており、「御主人 1 11eather Dubrow,‘The Country−House Poem:AStudy in Generic Development’GθπrθvoLxii(1979),164. 2 本論中の‘TO Penshurst’および‘To Sir Robert Wroth’の引用は全て George Parfltt(ed.), Belz Joπso几7んθCo’れρZθ亡θPoθ襯s(Harmondsworth: Penguin Books Ltd.,1984)による。 カントリーハウス・ポエムにおける‘dwell’の用法 一71一 の食べ物はすなわち私の食べ物である」(L66)というように、屋敷の主人と わけ隔てのない質と量の気持ちの良いもてなしが受けられることが強調され ているのである。また、給仕人の態度も家風を反映して、「何杯飲んだのか数 える者もおらず、給仕の者が傍らに立って、私の大ぐらいを羨ましがつたり しない」で、「私の言ったものを取り、食べるままにさせてくれる」(11.67−69) というように評価されている。これらのトピックはいずれも、カントリーハ ウス・ポエムで盛んに用いられたマルティアーリス、ユヴェナーリスといっ た古典詩人たちの謁刺表現にのっとったものであること、また、否定的定義 が使われていることから明らかなように、ここでペンズハースト屋敷と対照 して非難されているのは、全く逆の接待ぶりを示す他所の屋敷なのである。 一方、‘To Sir Robert Wroth’では、大広間で収穫の後の盛大なお祭り騒 ぎが催されている。 The rout of rural folk come thronging in, (Their rudeness七hen is thought no sin) Thy noblest spouse affords them welcome grace; And the great heroes, of her race, Sit mixed with loss of state, or reverence. Freedom doth with degree dispense. (‘To Sir Robert Wroth’,11.53−58) 大挙してやって来た農民たちに対して、奥方は「淑やかに歓迎し」(L55)、息 子たちも「威厳も畏敬もおかまいなしに彼らに交じって座を占める」(L57)と いう対応、「その時には来た者たちの粗野なことも答められない」(1.54)し、 「座の解放感が階級の差を免じている」(L58)といった雰囲気は一種の無礼講 にも似て、主従の良好な関係をよく伝えるが、‘To Penshurs七’で見られた飲 食に関連した気前の良いもてなしへの称賛はここにはなく、従って、それに 慣習的に付随する調刺の要素、否定的定義という表現も用いられていないの であるから、この場面では、この詩が讃えることになっている地方での生活 と対照され、非難されるべきものは意図されていないことがよくわかる。 しかし、この詩の中では、ロバート・ロース卿の屋敷での宴ではない、別 一72一 西谷真稚子 の宴に平行が割かれている。そしてこれは、‘To Penshurst’との第二の類似 点とされている、否定的定義の使用が見出される箇所でもある。 How blest art thou, canst love the country, Wroth, Whether by choice, or fate, or both; And though so near the city, and the court, Art ta’en with nei七her’s vice, nor sport: That at great times, art no ambitious guest Of sheriff’s dinner, or mayor’s feast; Nor com’st to view the better cloth of state; The richer hangings, or crown plate; Nor throng’st,(when masquing is)to have a sight Of the short bravery of the night; To view the jewels, stuffs, the pains, the wit There wasted, some not paid for yet! But canst, at home, in thy securer rest, Live, with unbought provision blest; Free from proud porches, or their gilded roofs, ’Mongst lowing herds, and solid hoofs: (ll.1−16) ここで言及されているのは、「特別な機会」(1.5)に持たれる、sheriff、 mayor といった高官宅の宴であり、そこには「豪華で上質の衣装、贅沢なタペスト リーやすばらしい器を見に来たり」(11.7−8)、仮面劇(1.9)が催される折など、 r中にはまだ支払いを済ませていないものもある宝石や織物、工夫を凝らした 布やら機知の数々」(1,11)といった「一夜のはかない華やかさ」(L10)がいわ ば「その場で使い散らされていく」(1.12)のを「見るだけにつめかける」(L9)、 「含むところのある客」(L5)の姿が配されている。その描写において、卿の屋 敷では「含むところのある客」の集まる「晩餐会」や「宴」は持たれない、 というのではなく、彼はそのような客ではない、という否定の仕方は、卿の 地方の屋敷に、ではなく、彼の「自身の選択、あるいは運命の定め、もしく カントリーハウス・ポエムにおける‘dwelrの用法 一73一 はその双方によるにせよ」(L2)、彼の地方へ向かう姿勢、都市や宮廷に背を 向ける姿勢に力点が置かれていることを示す。ロバート・ロース卿自身、161 3年頃、つまりこの献詩の成立にごく近い時期にエセックス州のsheriffに任 じられているという事実は、一層、その力点の置き方を際立たせるだろう。 引用部分の否定的定義は、詩の冒頭の四行で述べられている「地方」‘the country’(1.1)対「悪徳や慰みごと」(1.4)に満ちた「都市や宮廷」‘the city and the court’(L3)の図式を敷術する形になっているのである。都市や宮廷 のきらびやかな集いで見られる事物を形容するべく用いられている‘better’ (L7)、‘richer’(1.8)といった比較級は、都市や宮廷の中でもとりわけ選りすぐっ たものであることを示すと同時に、「より気苦労のない」(1.13)憩いを手に入 れることのできる地方での生活、という都市や宮廷との対比を示す比較級に 呼応しており、決して評価する意味合いで用いられているのではない。また、 第十四行の「購うことなく手に入る食べ物」という表現は、‘To Penshurst’ の「屋敷の自家製の貯え」‘free provisions’(1.58)に通じるところがあるが、 これらはいずれもヴェルギリウスやホラティウス、マルティアーリスといっ た古典詩人たちの詩句をふまえているものの3、後者では、そこまで十二分目 描かれてきた屋敷の叩。鷹θ甜α、自発的豊饒性を受けたこの表現は会食の場 面に見出され、もてなしに関して、他所の非難すべき屋敷との対照に寄与す るのに対して、‘To Sir Robert Wroth’では、未払いのものも含めて一夜の うちに用済みになる都市や宮廷の事物が、貨幣経済の体系の中にあることを 批判するために用いられているのである。 他方、‘To Penshurst’で、否定的定義は詩の冒頭でも使われている。 Thou art not, Penshurst, built to envious show, Of touch, or marble;nor canst boast a row Of polished pillars, or a roof of gold. Thou hast no lanthern, whereof tales are told; 3 Virgil, Gθorgごcs iv.133, Horace,βρo漉s ii.48, Martial, Llv.12 and IV, lxvi.5. 一74一 西 谷 真稚子 Or stair, or courts;but stand’st an ancient pile, And these grudged at, art reverenced the while. (11.1−6) ここで暗に非難されているのは高価な「大理石や黒大理石」(1.2)を用い、「自 慢できる磨き上げた柱列」や「黄金の屋根」(1.3)を持ち、「伝説にちなむ灯火 塔や大階段や中庭」(1L4−5)を備えた「人に羨望の念を起こさせるたあに建て られた」(1.1)好ましからぬ他所の屋敷である。そしてこういつた屋敷は、さ きに見た、ペンズハースト屋敷の歓待の場面でも、繰り返し否定的定義を用 いて、その豪勢な外観に伴わない吝箇な接待を批判されているのと同じ屋敷 なのである。ここでも、‘To Sir Robert Wroth’の前述の否定的定義にあっ た「これ見よがしの立派な玄関、金ぴかの屋根」‘proud porches, or their gilded roofs’(L15)という表現がホラティウスら古典詩人たちを遠くふまえな がら4、‘To Penshurst’の上記の第二行から第三行と酷似していたことに気づ くが、やはり留意すべきであるのは、非難の対象を異にしている点である。 ‘To Robert Wroth’では、地方対都市あるいは宮廷の図式の中で、これらの ものが都市、宮廷の提喩として働いていると言えるだろう。 そしてすでに見たとおり、‘To Penshurst’で、比較対照される他所の好ま しくない屋敷への非難が詩中で断続的に見られるのと同様に、‘To Sir Robert Wroth’でも、否定的定義という形は取っていないものの、都市およ び宮廷への非難は、さきの引用箇所だけに終わらない。卿が「汚れなく」 ‘innocent’(1.66)生活するように求められた後、都市や宮廷に生きる者たちへ の弾劾が始まる。 Let others watch in guilty arms, and stand The fury of a rash command, Go enter breaches, meet the cannons’rage, That they may sleep with scars in age. And show their feathers shot, and colours torn, 4 Horace,0(!θs II.xviii.1. カントリーハウス・ポエムにおける‘dwell’の用法 一75一 And brag, that they were therefore born. Let this man sweat, and wrangle at the bar, For every prlce,1n every ,ar, And change possessions, oft’ner with his breath, Than either money, war, or death: Let him, than hardest sires, more disinherit, And each where boast it as his merit, To blow up orphans, widows, and their states; And think his power do七h equal Fate’s. Let that go heap a mass of wretched wθalth, Purchased by rapine, worse than stealth, And brooding o’er it sit, with broadest eyes, Not doing good, scarce when he dies. Let thousands more go flatter vice, and win, By beirlg organs to great sln, Get place, and honour, and be glad to keep The secrets, that shall break their sleep: And, so they ride in purple, eat in plate, Though poison, think it a great fate, (11.67−90) この箇所はホラティウスの1功odθs第二歌、そしてヴェルギリウスの Gθo忽08第二歌に負うていることが指摘されている。兵士、法律家、資本家、 高利貸し、廷臣といった者たちのさまざまな悪行、悪徳が仔細に連ねられて いるこれらの詩行は、たとえば、1功04θ8第二歌と並べてみると、後者におけ る高利貸し、兵士、法廷、宮廷への数行の言及が、ここでは大幅に増やされ、 詳細の度を増していることがわかる。反復して用いられている let(ll.67,73,77,81,85)には、そこに属する人間たちと自らの側を隔てようと する詩人の頑なな姿勢が感じられるのである。 続けて、詩人は再び卿に直接呼びかける。 西 谷 真.稚子 一76一 But thou, my Wroth, if I can truth apply, Shalt neither that, nor this envy: Thy peace is made;and, when man’s state is well, ’Tis better, if he there can dwe11. (ll.91−94) ‘that’や‘this’(1.92)で表わされている、直前に置かれていた都市および宮廷で 11を送る者たちとその悪徳のリストは、‘envy’(1.92)の否定という娩曲表現の なしうる限りの激しさで拒否されているはずである。地方に身を置くことで 得られる「汝の平安」(L93)を何にも勝るものと位置づける詩人は「自分の所 領がちゃんと治まっていれば、そこにとどまり住むことこそ、よりよいこと なのだ。」と半ば教訓めいて説く。ここで川いられている‘dwell’(1.94)は‘To Penshurst’の最終部分、 Now, Penshurst, they that proportion thee With other edifices, when they see Those proud, arnbitious heaps, and nothing else, May say, their lords have built, but thy lord dwells. (11,99−102) で憎いられている‘dwells’(L102)とわずかながらconnotationが異なってい るように思われる。‘To Penshurst’の一.ヒ記の引用部分は、そのままこの詩全 体の要旨といえるほどに簡素かっ総括的で、他所の非難すべき屋敷とペンズ ハースト屋敷の対比が、つまるところ、buildとdwellという動詞のそれに 凝縮されている。「傲慢で野心に満ちた堆積」(1.101)を建てるという一過的な 行為と対照的に使われている、住むという継続的な行為を表わすdwellには、 この時、見せるためではなく、主人が常時住まうという実質的な目的を満た した上で、歓待の場面に象徴されるような、その地での社会的責任を果たす という意がこめられていると.考えられる。一一力’、‘To Sir Robert Wroth’で 卿への呼びかけの[.1.】にある上述のdwellは、地方‘there’(1.94)にとどまり続 けるというここでの意味とこの詩では裏表になっているところの、悪徳のす みかである都市および宮廷を遠ざける、離れておくという意味が強く打ち出 カントリーハウス・ポエムにおける‘dwe11’の用法 一77一 されていると感じられる。それは直接的には、さきに見たように、都市と宮 廷に対する激しい非難がかなりの詩行を割いて直前に置かれていることによ るが、詩の中で、かつて卿が都市および宮廷の側にいながらそこを去ったと 示唆されていることも少なからず関係しているだろう。それは当時、日に日 に募っていた、郷紳階級の領地離れをはじめとする人間のロンドンへの流出 とは、逆向きの行為であったはずである。新興勢力となり始めた都市の住人 たちが引き起こしっっある社会的、政治的あるいは経済的な変化が覆そうと する古い体制にいまだ属しているのが地方であり、カントリーハウスである のだから、それに依存する詩人の反発が大きいのも当然であろう。dwellは ここでもやはり、この詩の意図するところをよく表わしたことばになってい ると百える。 このように見てくると、‘To Penshurst’の中のペンズハースト屋敷と‘To Sir Robert Wroth’における地方は,ほぼ重なりながらも補い合って、詩人 が理想と思い描くところの、昔ながらの体制や社会規範を体現する。それに 対して、それぞれ対比されている他所の屋敷、都市や宮廷は、屋敷や地方が 体現するものを脅かすものの具体的なヴァリエーションと見なすことができ る。‘ambitious’という望ましくない意味での同じ形容詞が、‘To Penshurs七’ では‘ambitious heaps’(L101)、‘To Sir Robert Wroth’においては‘alnbi− tious guest’(1.5)という、各の詩における非難の対象物、もしくはそれに属す るものに冠されているのは、このことをよく表わしているように感じられる。 ベン・ジョンソンが書いたカントリーハウス・ポエムはこの二編であるけれ ど、これらを合わせることによって、彼が拒もうとしたもの、守ろうとした ものが尽くされる試みになっているのではないだろうか。dwellということ ばは、二つの詩で各、称賛されるものの特質を言い当てるべく用いられてい るのである。 一78一 西 谷 真稚子 H ‘To Sir Robert Wroth’ではしかし、 dwellということばをはさんで、詩に 新たな展開があるように見える。 Thy peace is made;and, when man’s state is well, ’Tis better, if he there can dwe11. God wisheth, none should wrack on a strange shelf: (11.93−95) 「見知らぬ岸辺に難破する」(1.95)というたとえは、明確に地方への定住が推 奨された直後であるから、まずは、「定まった所領」(L93)がありながら、見 知らぬ、すなわち自らの在所ではない場所、ここでは都市や宮廷へとさ迷っ て行き、良からぬ結果を招く干たちをとがめていることになる。しかしなが ら、船、海洋への言及は比喩でない可能性も持つ。この第95行は、1609年、 ヴァージニア植民のてこ入れの一環として組織された移民団が大西洋上で遭 難し、途中のバーミューダ島に上陸したという、当時の事件を指していると 言われている。難破の後に、彼らは島で生活しっっ船を作り直し、翌年、無 事に目的地ヴァージニアへ到着したのだが、これまで実体のわからないまま、 海の難所として悪魔の島と呼ばれてきたバーミューダ島が、この事件以降、 思いの外の利益を見出されて洋上楽園に仕立て上げられた後、植民者たちは 現実との落差による辛酸をなめながら、この島をイギリスの植民地政策のひ とつのくさびにしていくことになる。ベン・ジョンソンはすでに、チャップ マン、マーストンとの共作の芝居、Eα8亡ωα冠, Ho!の中でヴァージニア植民 事業そのものを椰回していたのだが、この事件に対して彼が抱いた感情は、 引用部分のこの第95行にも窺える。国土(statθ)を離れて新天地を求めると いうことは「神の思し召すところではない。」とするのも当然であろう。そう なると、この一行は二重の非難になっている。「見知らぬ岸辺」(L95)とは、 本国を出て新天地を求めていくような輩を生む、都市や宮廷のことであり、 また、本国を離れた海の向こうの新天地そのものでもあるのだ。言い方を変 えるならば、ここで地方とイギリスという国家は二重写しにされているわけ カントリーハウス。ポエムにおける‘dwelrの用法 一79一 で、この場合、dwe11ということばはその定着の意味あいによって、同心円 状の地理的広がりを持っているのである。このことはたとえば、‘To Sir Robert Wroth’と同様に、イギリスの海外進出に言及しているロバート・ヘ リックの地方賛美の詩、‘The Country Life, to the Honoured Master Endymion Porter, Groom of the Bedchamber to His Majesty’と比べて みるとわかりやすい。「地方でのすばらしい暮し」‘Sweet country life’(1.1) と「宮廷や都市に身を奉じる」‘serving courts, and. cities’(1.3)と∼・う不幸 で楽しむところの少ない生き方を対照させることからこの詩は始まり、すぐ に次の詩行が続く。 Thou never ploughst the ocean’s foam To seek, and bring rough pepper home: Nor to the eastern Ind dost rove To bring from thence the scorch6d clove. Nor, with the loss of thy loved rest, Bringst home the ingot from七he west. (11.5−10) 「泡立っ波を耕す」(L5)と農耕生活の比喩によってそしられているのは、大 西洋を渡って両インド諸島の産する胡椒や丁子、貴金属塊などを持ち帰る人 間たちである。土地の固有名とそこで行なう営みが具体的に示されているた あに、‘To Sir Robert Wroth’では「見知らぬ岸辺に難破する」という表現 にとどめられているからこそ高い比喩性はここでは大幅に薄れ、否定的定義 を用いて述べられていることも手伝って、その行為は直.前で已められていた 宮廷や都市の人間の行為に限定され、地方から宮廷や都市に出ていくことに は結びつきにくい。‘To Sir Robert Wroth’においては短い下行によって国 家と地方とが巧みに重ねられ、地方というものが安定し充足したものである ことが、より効果的に表わされていると’言えるだろう。 理想化された空間がこのように重ねあわされることはカントリーハウス・ ポエムでは珍しいことではない。そういっお詩のトーンは、詩人の状況認識 の度合い、もしくはその表現の制御によってさまざまであるのだが、‘To Sir 一80一 西 谷 真稚子 Robert Wroth’はどのあたりに位置すると考えられるだろうか。郷紳階級に 対して地方へ戻るようにとチャールズ王によってたびたび出された布告に寄 せてリチャード・ファンショーが書いた‘An Ode upon Occasion of His Majesty’s Proclamation in the Year 1630:Commanding the Gentry to Reside upon Their Estates in the Country’では、ヨーロッパを荒廃させた いわゆる三十年戦争のさまを、国名、君主名を挙げて詳しく書き連ねた後、 詩人は次のように続ける。 Only the island which we sow (Aworld without the world), so far From present wounds, it cannot show An ancient scar. White Peace(the beautiful’st of things) Seems here her everlasting rest To fix, and spreads her downy wings Over the nest. As when great Jove, usurping reign, From the p正agued world did her exile, And tied her with a golden chain To one blest isle; Which in a sea of plenty swam And turtles sang on every bough, Asafe re七reat to all that came As ours is now. (1L33−48) 「我々が種をまく島」(L33)と、ヘリックと同じように農耕生活の比喩で語ら れているのは言うまでもなく、自国イギリスである。「汚れない平和」(L37) という美しい鳥がその上に翼を広げて永遠に憩い、.秩序、調和を象徴する Joveの黄金の鎖でつながれているこの「ひとつの祝福された島」(1。44)は、 「枝ごとに愛と平和の象徴であるキジバトが鳴きしきる」(1.46)という一種の カントリーハウス・ポエムにおける‘dwe11’の用法 一81一 楽園である。「豊かな海に取り囲まれ」(1.45)た「安全な隠遁場所」(1.47)と .述べられ、「現在の傷」(L35)、「過去の傷」(1.36)を負う外界とは無縁の「世 界の外の世界」(1.34)と呼ばれる時、それは楽園の条件である隔絶と自己完結 を端的に表わしている。このような自国礼賛の後で、詩人は郷紳階級の人々 に地方へ戻ることを次のように促す。 The sap and blood o’th’land, which fled Into the root, and choked the heart, Are bid their quickening power to spread Through evey part. (11.65−68) 都市ロンドンとそこに集中した郷紳階級の干たちは、それぞれ「根」(1,66) と「血液とも言うべき樹液」(1.65)にたとえられ、イギリスはいわば一三の樹 木に見立てられているわけだが、国家を楽園になぞらえることを一一旦おいて、 この国の現実の窮状を打破すべく呼びかけているこの部分から始まる地方賛 美には、理想的な場所としての国家と地方のマクロコスモスーミクロコスモ スのつながりよりもむしろ、「地方もまた、雨を求めて干.一ヒがってい.る」‘The country too even chops for rain;’(1.93)といった表現にあるような、問題 を抱えた場所としての照応が見えるように思われる。それはとりわけ、詩の 末尾の部分で強く感じられる。そこで最も注意をひくことばはbloodであろう。 都市の軽薄な恋愛に比べてもっと貞淑な愛であるにせよ愛の神は「この地で も同様に血を散らす」‘Nor Cupid there less blood doth spill’(1,109)ので あるし、ナイチンゲールは枝の上から「凌辱と血からなる物語」‘atale/Of rape and blood’(11.115416)をさえずり聞かせる。「花の共和国」‘The com− monwealth of flowers’(1.119)と表わされた花壇では、紋.章学からの連想で それぞれ貴人たちになぞらえられた様々な花が咲き乱れており、その中でナ デシコの一種が「皇子」‘prince of the blood’(1.122)と呼ばれている。5さ 5 Gerald MMacLeanは、地方のこういつた素朴な喜びの数々が、宮廷のアナ ロジーで語られていること自体に注目し、それが‘1adies’(1.105)、卿紳階級の夫人たち に地方へ向かわせる説得の手段であるにせよ、そのアナロジーの中に、もはや状況は良 好なものではないとの詩人の懸念が潜んでいると指摘している。Gerald M.MacLean, TlπLθ’s Wぬθs8’研sオorご。αごRθprθsθ几乙α‘∠oπガ,z E1τg♂lsんPoeのノ 1603−1660(Winsconsin:The University of Winsconsin Press,1990),pp.89−90. 一82一 西 谷 真稚子 らに、木々を植え育てる楽しみが「チェリーやアンズ、スモモの甘美な樹液 の内に無垢が染められるのだ。」‘’Tis innocence in the sweet blood/Of cherries, apricocks and plums/To be imbrued.’(11.134−136)と語られてこ の詩は結ばれている。これらの‘blood’(11.109,116,122,134)は、地方に住んで 得られる喜びの数々が述べられる中で用いられているのだから、各トピック においては他愛なく感じられるとしても、詩の結びで集中して繰り返される ことによって、詩の冒頭で描かれていたイギリスを取り巻くヨーロッパ諸国 の血古い惨状と呼応して、ある種の不吉さを生じさせる。加えて、最後の果 樹のトピックは、家系図、family treeとの連想だけでなく、すでに詩中で 一本の樹木に見立てられていたイギリスの‘The sap and blood’(1.65)が根づ まりをおこしている状態にもう一度注意を喚起させずにはおかないだろう。 しかしながら、国家の無垢、無傷をあからさまに讃え、地方の美点を数え 上げるこの詩においては、不吉さはあくまでも暗示の域にとどまる。不安を はらんだ場所としてのマクロコスモスーミクロコスモスの照応が詩の表面に まで出てきているのがアンドルー・マーヴェルの‘Upon Appleton House’で ある。興味深いことに、ファンショーの詩同様に、花園が描かれた箇所があ るのだが、ここでは軍事の比喩が用いられている。「起床の小太鼓を打ち鳴ら す」‘Beating the dεαπwith its drums’(1292)蜜蜂に起こされ、「絹の軍旗 を広げ、まだ露で湿った火薬皿を乾かし、火薬筒に新たな香りを満たし」 ‘Their silken ensigns each displays,/And dries its pan yet dank with dew/And fills its flask with odours new.’(11.294−296)、屋敷の主人が通 り過ぎた時には一斉に「芳香の礼砲を放つ」‘ln fragrant volleys they let fly;’(1.298)のは「チューリップ、石竹、バラといった連隊」‘Each regiment _/That of the tulip, pink, and rose’(11.310−311)なのである。主である フェアファクス卿は、内乱の際に議会派総司令官として新型陸軍を率いて戦 功をあげながら、国王を処する裁判前後から心情的な迷いを見せ始めて、つ いにはスコットランド軍討伐を拒み、職を辞してヨークシャのアプルトン屋 敷に退いたという経歴を持つ。上述の花園について、彼のことなのか、彼の 祖先のことなのか、恐らくは意図的に曖昧にされたまま、「彼はこの土地に平 カントリーハウス・ポエムにおける‘dwe11’の用法 一83一 和に隠遁したが軍事の研究をやめることができず、戯れにこの庭を正確な要 塞の形に作った。」‘Who, when retir6d here to peace,/His warlike studies could not cease;/But laid these gardens out in.sport/ln the just fig− ure of a fort;’(ll.283−286)とも述べられている。マクロコスモスーミクロコ スモスの関係は明らか.であろう。ここで私たちは忘れ難い頓呼法を聞く。 OThou, that dear and happy Isle, The Garden of the World erθwhile, Thou Pα双z(距8θof four Seas, Which 1弛αひθηplanted us to please, But, to exclude the World, did guard With watery if not flaming Sword; Wha七luckless Apple did we taste, To make us Morta1, and the Waste? Unhappy!shall we never more That sweet M‘砒‘αrestore, When Gardens only had their towers, And all the Garrisons were Flowrs; When Roses only Arms might bear, And Men did rosie Garlands wear? Tulips, in several Colours barred, Were then the 8ω‘亡2e㎎of our G膨αr4. The Gαr(距πθr had the SoμZ(距ers place, And his more gentle Forts did trace. The Nursery of all things green Was then the only・Mα9α2eθπ。 The W‘鷹θr Qωαr亡θrs were the Stoves, Where he the tender Plants removes. 西谷真稚子 一84一 But War all this doth overgrow; We Ord’nance Plant and Powder sow, (11.321−344) 「.【U:界の庭」(1.322)、「海に囲まれた楽園」(1.323)と呼ばれている過去のイ ギリスは「炎の剣ならぬ水の剣で守」. 轤黶A「不幸なリンゴを食したために我々 は死をもたらされ_」(ll.325−328)とあるようにエデンの園、とりわけ「外 界を排するために」(1.325)つくられながら果たせなかった、一一種の砦として の側面を強調されている。要塞に見立てられていたフェアファックス卿の花 園と、かって彼が統べていた実際の要塞のマクロコスモスーミクロコスモス はここでさらにイギリスという要塞のマクロコスモスを持ち、加えて、エデ ンの園という照応もよりはつきりと持つことになる。 しかし肝心なことは、 花園と国家の照応において、後者が破壊され、「荒廃して」いる(1.328)という 照応の不均衡である。ミクロコスモスたる花園を目の前にして、詩人が一層 哀惜の念を禁じえないのは自然なことであろう。それを反映しているのが後 に続く追想であり、往時の平和なイギリスのそこごこで見られた花園が、目 前の花園と同じli峯〔事的な比喩を用いて表わされていることは注目に値する。 「庭だけが要塞を備え」(L331)、「守備兵といえば花だけ」(L332)、「武器を 持つのはバラのみ」(1.333)で、縞模様のチューリップはその軍服への類似か ら「われらの守備隊のスイス兵士」(ll.335−336)に置き換えられている。また、 庭師とその仕事の場がそれぞれ「兵::]と「もっと安穏な砦」(1L337−338)に 見立てられ、苗床は「唯一一・の兵器庫」(1.340)、温室は「冬期営」(L341)とい うことになる。そしてここで本義と喩義を逆転させ、これらすべてを損なっ た「戦」(L343)を雑草にたとえ、「砲を植え、火薬を蒔く」(1.344)所業を嘆 く詩人にとって、比r喩と現実の境は定かではない。マクロコスモスたる目の 前の花園も、安全でかわいらしいものとしてのみ感じられているとは言いが たい。この不吉な再びの照応一致への傾きは詩の末尾近くでもう一度繰り返 し認識されているように見える。 ’Tis not what once it was, the罪orZ(1, But a rude heap together hurled; カントリーハウス・ポエムにおける‘dwell’の用法 一85一 All negligently overthrown, Gulfs, deserts, preclplces, stone. Your lesser WbrZd contains the same, But in more decent Order tame; yoω,旋αひθガsσθπ亡rθ,〈見解θ’sゐαρ, 、4π4Pαrα伽θ’80吻M(とρ, (11.761−768) 外界に対して「あなたという、より小さい世界」(1.765)と呼ばれているアブQ ルトン屋敷は、「天の中心、自然の膝、楽園の唯一の縮図」(ll.767−768)と讃 えられ、一応はカントリーハウス・ポエムに似つかわしい結びを持つ。しか し同時に、「寄せ集めたものの粗雑な堆積」(1.762)と呼ばれ、「全くなおざり に投げ捨てられた深淵、砂漠、断崖、石」(IL763−764)から成るとされる屋敷 の外の世界と比べて、屋敷は「同じものを含んでいるが、もっと行儀よく整 然とした秩序の内にある」(IL765−766)と表わされる時、その比較自体が照応 の再確認なのであり、その表現はミクロコスモスにも内在する危うさを示唆 していると考えられる。マクロコスモスは「かつての姿ではない」(1.761)と 過去からの変容を示しているのであるから、それはなおさらのことであろう。 ‘Upon Appleton House’が書かれたのはファンショーのさきの詩から二十数 年のち、国王処刑を経て、共和制が進んでいった時期である。マクロコスモ スとミクロコスモスの照応の意味の変化には、時局と詩人の認識の変化がよ く写し出されていると言える。 それでは、ファンショーの詩を遡ることさらに十数年前のべン・ジョンソ ンの‘To Sir Robert Wro七h’では、理想の小世界たる地方に絶対的な信が置 かれているのだろうか。‘To Penshurst’で非難されている他所の屋敷は、‘To Sir Robert Wroth’では讃えられている地方の中にあるわけだが、レイモン ド・ウイリアムズのことばを借りるならば、「傲慢、貧欲、打算などが都市の 商人や廷臣たちの間だけでなく土地所有者たちにも強力に作用していたこと は明らかである」6。この視点から見ると、ロース卿の屋敷の賑やかな大広間 6 Raymond Williams, TんθCo召漉rッα認εんθα‘:y(New York:Oxford University Press,1973), p.28. 一86一 西谷真稚子 では酒杯が陽気に幾度もまわされているのだが、その杯の中には「訴訟でど ちらの側が負けるのか、どのようにして.弁護.士の費用を捻出したものか」‘... which side the cause shall leese,/Nor how to get the lawer fees’(11.61− 62)といった「彼らの気がかりが(ひとまず)沈められる」‘...in their cups, their cares are drowned’(1.60)のであるし7、また、地方が都市や宮廷の 「悪徳と慰みごとに染まっていない」‘_ta’en with neither’s vice, nor SPQrt’(L4)と断.言されていることと、カントリーサイドにおける紳士の一般 的な娯楽とはいえ、王の行幸の折には「(鹿狩りという)慰みごとのために、 汝の館を宮廷にする」‘_for it, makes thy house his court’(1.24)ことと はどのように峻別されているのかも気になるところである。しかしこの点に 関して最も興味深い箇所は、詩の末尾にある。「見知らぬ岸辺に難破するのは 神の思、し召すところではない」(L95)という断定の後に続く、人間に対する神 の慮りに寄せる全幅の信頼の表現は、ユヴェナーリスの調男憎第十番の結び の部分をかなり忠実にふまえている。しかし、貴賎の別なく人間をとらえる、 様々な欲望とそのむなしさを辛辣に描いたもとの詩における末尾の部分は一 とりわけ、直前で語られているのは、美貌に恵まれた若者が例えば皇帝の奥 方に懸想された場合、拒んでも拒まなくても.早晩、命を失うだろうという、 喚笑混じりの見通しである一皮肉で…種投げやりな感じを帯びているのに対 して、ジョンソンの詩の末尾はあくまでも敬度な調子で貫かれている。それ は、「神がふさわしいとして与えたものを運用できる.者は幸せであり、汝はそ のようでなければならない」‘Which who can use is happy:such be thou’ (L99)、あるいは「汝が地方で自らのっとめを果たすように」‘To do thy country service_’(1.103)といった、称賛に包んだ、地方定住への後押しの 中にも強く感じられる。詩はそのまま、 7 屋敷の大広聞での宴につめかけてくる農民たちは、潜在的に分裂性を帯びた、外 の世界を体現するものの一種とする見方もある。Heather Dubrow,オHαpがθr だ(どe’τ(Ncw York;Cornell University Press,1990), p,129. カントリーハウス・ポエムにおける‘dwe11’の用法 一87一 ...but when thy latest sand is spent, Thou mayst think life a thing but lent, (11.105−106) と続けて終わっているのだが、生は借りものにしかすぎないという宗教的な 現世忌避は、長寿を幸福とは見なさないと述べるユヴェナーリスの詩の末尾 の部分をふまえているかもしれないにせよ、ここまで、地.方という現世の一 隅にとどまり住むことを奨励し続けてきたこの詩の趣旨とかすかに抵触する のではないだろうか。 そのことを考えるにあたって、再び、マーヴェルの詩で讃えられていたア プルトン屋敷の主人、フェアファクス卿に言及しなければならない。卿は彼 自身、詩作をたしなむ人で、自らの屋敷について次のようなごく短い詩を書 いている。 Think not, O man that dwells herein, This house’s a stay, but an lnn, Which for convenience fitly stands, In way to one not made with hands; But if a time here thou take rest, Yet七hink, e七ernity’s the best, CUpon the New−Built House at Apleton’) ここにも見出される‘dwelr(1.1)ということばには、自らの決意のもとに隠 遁した彼の来歴からして、定住するという意味は十二分に働いていると言え るだろうが、現世を、「神の国への旅の途上」(1,4)にあり、「永遠」(L5)なる ものと対峠する「仮の宿」(1.2)とするこの伝統的な宗教観念は、ここでは書 き手と住まう者が同じであるがゆえに格別の違和感を与えない。では、マー ヴェルの‘Upon Apple七〇n House’で、この詩を恐らくはふまえたのであろう とされている次の一節はどうであろうか。 The House was built upon the Place Only as for α !レfαrん o! σrαoθダ And for an加1z to entertain 一88一 ・西 谷 真稚子 Its Lo冠awhile,but not remain. (11.69−72) 定住を表わすdwe11のかわりに‘remain’(1.72)ということばが用いられてい るが、示されている宗教的観念は同じである。仕えている主人の屋敷賛美を 旨とするこの詩で、屋敷を「しばし、ご主人を憩わせる宿」(ll.71−72)と見な すことは、ある意味では屋敷を疑あることにもなりかねないのだが、「恩寵の しるし」(1.70)という屋敷を、いわば神の国をめざす地図の上に位置づけるこ とによって、篤信の主人を称えるための手段になっているのである。しかし いずれの詩においても、たとえ理想の場所にせよ、定着するという観念が放 榔される方向で表現されることは注目に値する。それは「神々は我々と共に 住まう」‘The gods themselves with us dwelr 8とうたつた純朴な人間の幸 福からは遠く隔たった者のスタンスであるのだ。 詩を捧げる立場は‘Upon Appleton House’と同じであるのに、‘To Sir Robert Wroth’では、ここまで讃えてきた地方というものを永遠もしくは神 の国との関連で位置づけておらず、その結果、現世忌避を説く最終の二行は、 地方をも唐突に否定しているように響き、宗教的観念が勝ちすぎているとい う感がぬぐえない。生を借り物だとするその現世忌避は、たとえば、同詩人 が幼くして世を去った自分の息子や娘に寄せた詩に見られるようにepitaph、 哀悼の詩における慰籍に見出される表現を想起させるほどなのである9。この 不具合は、マーヴェルの詩では巧みに称賛の中へと織りこまれていった、理 想的であるはずの現状への懸念、不安を心ならずも露呈していて、そこに宗 教的観念が持ち込まれていると考えられる。この詩は‘To Penshurst’に比べ ると「貴族的な生活から、都市、そして海の向こうのより広い世界に視線を 向け」ていると言えるだろうがm、,視線はさらに現世を離れた次元にも向け られている。dwe11という観念を尊重することから次第に脱却する傾きを持つ 8 Andrew Marve11,‘The Mower against Gardens’,1.40. 9 ‘On My First Daughter’, IL3−4,‘On My First Son’,11.3−4. 10 Gerald M.MacLean, op.cガ‘., p.92. カントリーハウス・ポエムにおける‘dwell’の用法 一89一 てカントリーハウス・ポエムを書いたマーヴェルは自身が再び現実の社会に 戻っていったが、マーヴェルより時代は今少し前に書かれたべン・ジョンソ ンの‘To Sir Robert Wroth’はその傾きを詩中の宗教的解決に転じようとし た詩と見ることができる。