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時系列データを用いた教育財政制度の実態分析
東北大学大学院教育学研究科研究年報 第 60 集・第 2 号(2012 年) 時系列データを用いた教育財政制度の実態分析 ―義務教育費の財源構成にみる政府間財政関係― 青 木 栄 一* 小入羽 秀 敬** 山 中 秀 幸*** これまでの教育財政研究の多くは制度史研究であった。実際の財政データを用いた分析において はワンショットサーベイに近い状況であった。つまり単年度かごく短期間のデータを用いた分析 だった。 本稿は, 文部科学省 「地方教育費調査報告書」 の約50年分のデータを用いて,消費的支出(本務教員, 兼務教員,事務職員,その他の職員,教育活動費,修繕費,維持費),資本的支出(土地費,建築費, 設備備品費,図書購入費) の財源構成の推移を分析した。 その結果明らかになったことは以下の通りである。すなわち,教育活動費,修繕費,維持費,設備 備品費,図書購入費については,特に 1950 年代に公費以外の寄付金のウエイトが大きかったものの, その後そのウエイトが小さくなったことである。 この知見が示唆するのは,教育費の財源構成を決めるのは,教育財政制度の規程のみではなく, それぞれの時期の社会経済的要素や政治行政動向でもあるということである。 キーワード:時系列データ,教育財政制度,義務教育費,財源構成,政府間財政関係 1 課題設定 1–1 問題関心 本稿は時系列データを用いて義務教育費の財源構成がどのように変遷してきたかを明らかにする ことを目的とする。従来の教育財政研究が関心を寄せてきたのは教育財政制度であり具体的にはそ の制度史研究が主流であった。たとえば,特定の教育財政制度の成立過程や変化を明らかにする歴 史研究である。戦後日本でこれらの研究が最初に盛んになったのは 1950 年代だった。この時期は いわば「制度設計」の時代とでもいうべき時代であり教育財政制度をどのようなものとして構築す るかが教育政策の最優先課題の一つだった。主要な論点は,義務教育費(特に教員給与)負担の制度 設計をどうするかというものであり,具体的には財政移転と税源配分の二つが問題となった。前者 教育学研究科 准教授 広島大学高等教育研究開発センター 研究員 *** 武蔵野大学教育学部 非常勤講師 * ** ― ― 13 時系列データを用いた教育財政制度の実態分析 については,中央政府から地方政府への財政移転に関して,特定補助金(たとえば国庫支出金)によ るか一般補助金(たとえば地方交付税交付金)によるかという選択肢があった。後者については,義 務教育費が巨額の支出を伴うため重要な論点となった。税源を地方政府に手厚く配分することは, 義務教育を直接担う地方政府の「総体」にとっては,合理的な選択である。しかし,個々の地方政府 に等しく税源が分散しているわけではない。それを解消するためには中央政府からの再分配機能を 組み込んだ税源配分と財政移転が必要となる。 ところで,2000 年代に入り義務教育費国庫負担制度が三位一体改革の焦点となった。その過程は 教育政策の歴史でも重要なものであることは間違いないが,その帰結として義務教育費国庫負担制 度が存続したこともまた事実である。つまり,2010 年代の現在においても,1950 年代に形成された 教育財政制度に本質的な変化は起きていないという見方も可能である。もちろん,義務教育費国庫 負担制度を含め教育財政制度の変遷を詳細に分析すること自体重要な研究課題ではあるが,本稿の 問題関心はそこにはない。本稿が着目するのは現行の教育財政制度が半世紀,およそ 50 年間の長期 間にわたり運用されてきたことである。このことを重視するならば,従来の教育財政研究を補完す る研究課題が浮上してくる。すなわち,教育財政制度(とその変化)の分析にくわえて,教育財政制 度の実態についての研究である。制度の実態分析という場合,次の二つが考えられる。第 1 に,そ の制度の下で各アクターがどのように行動するかを明らかにする政策実施研究がある。第 2 に,制 度が運用された結果に着目する研究がある。教育財政制度についていえば,支出額のようないわば 「アウトプット」 に着目する研究が考えられる。 本稿が行おうとするのは後者のタイプの研究である。 従来の義務教育費に関する論点を踏まえるならば,義務教育費の負担主体(財源)別の分析が求めら れる。長期間にわたって制度が作動した結果,義務教育費の負担主体(財源構成)がどのように変容 したのだろうか。あるいは変容していないのだろうか。 このような研究内在的な問題関心にくわえて,制度設計的な問題関心からもこのような研究が必 要である。すなわち,義務教育費について自明とされている事柄を改めて再検討する必要がある。 1950 年代以降 2010 年代に至るまで(少なくとも教育関係者にとって)自明とされている事柄は以下 の二点である。第 1 に,政府間財政関係(中央政府―地方政府関係)については,義務教育費の負担 主体について設置者負担主義(つまり地方政府が負担すべきという考え方)を採用しているものの, 実際には巨額の財政負担に地方政府が耐えられないため巨額の財政移転が是認されている。しかし, 地方分権を極度に進めるならば,地方政府への税源配分を強化し,地方間の財源の不均衡を許容す る考え方もありうることになる。あるいは,歴史的にみれば市町村が巨額の義務教育費の負担に耐 えかねたことが,義務教育費国庫負担制度が構想されるきっかけとなったことを想起すべきである (坂本 1989)。第 2 に,政府と家計の関係では(政府―家計関係) ,現在では公費負担の原則が当然視 されている 1。しかし,近代日本の教育財政の歴史からは地域社会や保護者が義務教育費を負担し てきたことが明らかである(高寄 2000,同 2003,同 2004,同 2006)。 このように地方教育費のうち特に義務教育段階の経費負担については,セクター間の関係が固定 的なものとして把握されているのが現状である。しかし 2000 年代に顕著となった未曾有の財政危 ― ― 14 東北大学大学院教育学研究科研究年報 第 60 集・第 2 号(2012 年) 機をうけ,義務教育費の負担構造が安定的固定的に維持される保障はない。まして東日本大震災の 影響を考慮すれば,義務教育費の負担制度を根底から問い直す必要がある。そのための議論の素材 を提供するため,すでに蓄積されている教育財政データに依拠した実証的な分析が必要である。 1–2 先行研究のレビュー 先述の通り, 従来の教育財政研究の主流は義務教育費国庫負担制度に関する制度史研究であった。 教育行政学の分野(小川 1992,井深 2004) ,地方財政史の分野(坂本 1989,今井 1993)それぞれでこの ような研究が存在する。以下,教育行政学ではあまり触れられてこなかった地方財政史の研究を紹 介する。 戦前の義務教育費国庫負担制度については坂本の研究が参考になる。坂本は戦間期における政府 間関係の変貌(第一次世界大戦以降の中央政府からの補助負担金の増大に伴うその変化)を踏まえ つつ,「国庫負担概念が教育財政に先導的に登場したことの財政的意義とその問題点」 (同:415)を 明らかにした。つまり,小学校の教員給与の半額を 1930 年代以降国家が保障していたことの意味を 考察した。坂本は「普通教育財政への国家資金の拡大が,教育内容への国家統制,地方教育行財政 への統制と反自治的傾向を有する点については,戦後の今日まで変わらないわが国の政府間関係を めぐる特質の一つであ」 (同:435-436)ると述べつつも,この義務教育費の国庫負担制度が,政府間 の財政調整と財源保障機能を持っていたこと,さらに農村財政を援助したという意味で社会政策的 な機能も果たしたことを強調した。 第二次世界大戦後の政府間財政関係の制度化については今井の研究が参考になる。今井はシャウ プ勧告や神戸勧告の不徹底に着目した分析を行った。以下,今井(同:19-27)の分析に従い戦後の義 務教育費国庫負担制度の制度化について簡単に触れておく。シャウプ勧告をうけ,昭和 25 年度予算 編成では補助負担金の整理が焦点となったが,文部省所管の義務教育費国庫負担金が平衡交付金に 振り替えられたのに対して,厚生省所管の生活保護費負担金は存続が認められた。今井はその背景 を「GHQ を背景にした日本政府部内の交渉の結果であった」 (同:20)とする。文部省,厚生省ともに, 特定補助金でなければ地方政府が教員給与や生活保護に支出する保障がないこと,平衡交付金制度 で義務教育費や生活保護費の算定がどのようになるかという技術的な問題があることから,それぞ れの負担金の存続を主張した。この他に,厚生省は生活保護行政が中央の責任で行われるべきもの であることも強調した。今井によれば,厚生省は当時生活保護法の全面改正の準備に入っており, 生活保護費負担金が平衡交付金へ振り替えられると改正目的が達せられない状況であることを政府 部内で主張した。その結果,地方自治庁と大蔵省の支持調達に成功し,生活保護費負担金の存続に 成功した。一方で,文部省はごく初期の段階に義務教育費国庫負担制度の存続を諦め,平衡交付金 制度の枠内で義務教育費の確保を目指した。そして「標準義務教育費の確保に関する法律案」を策 定し,地方自治庁の反対に遭いつつも,閣議決定にまでこぎ着けた。しかし,首長の予算編成権,議 会の予算審議権を制限するとして地方関係者が強く反対し,その陳情を受けた GHQ の示唆をうけ, この法案の国会提出を断念した。 ― ― 15 時系列データを用いた教育財政制度の実態分析 ところで,第二次世界大戦後,新たな教育財政制度を構想するという政策課題に直面していたた め,大蔵省や文部省の担当官による研究が盛んとなった時期があった。大蔵省関係者(瀬戸山 1955, 相澤 1960),文部省関係者(内藤 1950,全国教育財政協議会 1952,安嶋 1958)それぞれが書籍を刊行 した。両者に共通しているのは,制度設計を念頭に置いた研究だということである。特に,戦前以 来の義務教育費の負担制度の変遷を踏まえた分析視角が採用されている 2。また,教育委員会制度 の創設を背景に,その財政権の確立も意識したものもあった(全国教育財政協議会 1952)。 いずれにせよ教育財政研究では制度史研究が主流であった。この他には中央政府の予算編成過程 を扱ったもの(斎藤 1990) ,中央と地方を通じた予算編成過程を扱ったもの(小川 1996)があるが予 算編成の制度を記述したものであり,いわゆる動態的な分析ではなく,いわば静態的な分析である 3。 ここまで検討してきた結果,従来の教育財政研究が制度に強い関心をもっていたものの,先述した ような制度の実態への関心がそれほど強くなかったことが判明する 4。 制度史研究が主流であった教育財政研究の中心的な問題関心は「義務教育費を誰が負担すべき か」というものであり,まさに制度設計上のものであった。ただし,この問題関心は,制度の実態分 析においても共有されるべきものであることを強調したい。さて,義務教育費は巨額であるが故に, 教育という閉じた領域での制度設計が不可能である。具体的には,政府間財政関係の制度設計が課 題とされており,税源配分と財政移転制度をめぐる議論が展開されてきた。財政移転制度について は,財政調整機能と財源保障機能をいかに担保するかという論点が含まれた。より具体的には,地 方政府が支出する義務教育費を中央政府が保障する制度として,一般補助金(たとえば地方交付税 や平衡交付金) によるか特定補助金(国庫補助負担金)によるかといった論点があった。 実は,ここまで述べてきた内容は,主として政府間財政関係についてであった。しかしながら, 義務教育費の負担主体に関する議論としては,さらに公費と私費の負担関係を議論に含めなければ ならない。 現在,公費(特に中央政府)負担が当然視されている義務教育費であるが,この状況は歴史的にみ れば自明のことではない。公費負担や財政移転が自明視されるようになった過程を明らかにする必 要がある。本稿では次のことを課題とする。すなわち現在自明視されている義務教育費の負担構造 の形成過程を跡づける。しかし, その全体像や各制度の成立や改廃をここで追うことは困難である。 そこで,次のような作業課題を設定する。義務教育費の財源別データを用いて,各年代においてど のような主体が義務教育費を負担してきたのかを明らかにし,その推移を追う。あらかじめ本稿の 結論をやや先取りするならば,現在のように義務教育費のほとんどが公費によって負担されている 状況は,必ずしも戦後直後から継続していたものではないことが示されるであろう。 2 使用データ 地方教育費の負担割合を示すために次の作業を行う。データソースは文部科学省が行う「地方教 育費調査」である。本稿では最初の調査年度(1955 年会計年度)から執筆時点で入手できた最新年度 (2008 年会計年度)までのデータを用いる。この調査には多様なデータが含まれているが,本稿が義 ― ― 16 東北大学大学院教育学研究科研究年報 第 60 集・第 2 号(2012 年) 表 2-1「地方教育費調査」項目名の変遷 本稿使用項目名 年 度 大支出項目 中支出項目 小支出項目 細 目 本務教員 1955 ~ 56 年度 1957 ~ 68 年度 1969 ~ 93 年度 1994 ~ 08 年度 消費的支出 消費的支出 消費的支出 消費的支出 教授費 教授費 教授費 人件費 教員給与 本務教員給与 本務教員給与 本務教員給与 本務 兼務教員 1955 ~ 56 年度 1957 ~ 93 年度 1994 ~ 08 年度 消費的支出 消費的支出 消費的支出 教授費 教授費 人件費 教員給与 兼務教員給与 兼務教員給与 兼務 事務職員 1955 ~ 56 年度 1957 ~ 68 年度 1969 ~ 93 年度 1994 ~ 08 年度 消費的支出 消費的支出 消費的支出 消費的支出 教授費 教授費 教授費 人件費 教員以外 事務職員給与 事務職員給与 事務職員給与 事務職員 計 その他の職員 1955 ~ 56 年度 消費的支出 消費的支出 消費的支出 消費的支出 消費的支出 消費的支出 消費的支出 消費的支出 消費的支出 消費的支出 消費的支出 消費的支出 消費的支出 消費的支出 消費的支出 教授費 維持費 補助活動費 教授費 維持費 補助活動費 教授費 維持費 補助活動費 補助活動費 補助活動費 教授費 維持費 補助活動費 人件費 教員以外 施設維持職員給与 衛生職員給与 教育補助員給与 施設維持職員給与 衛生職員給与 教育補助員給与 施設維持職員給与 衛生費 給食費 その他活動費 教育補助員給与 施設維持職員給与 補助活動職員給与 その他の職員給与 教育補助員給与 消費的支出 消費的支出 消費的支出 消費的支出 消費的支出 消費的支出 消費的支出 消費的支出 消費的支出 消費的支出 消費的支出 消費的支出 消費的支出 消費的支出 消費的支出 消費的支出 消費的支出 消費的支出 消費的支出 消費的支出 消費的支出 消費的支出 消費的支出 消費的支出 消費的支出 消費的支出 消費的支出 消費的支出 消費的支出 消費的支出 消費的支出 消費的支出 教授費 教授費 教授費 教授費 教授費 教授費 教授費 教授費 教授費 教授費 教授費 教授費 教授費 教授費 教授費 教授費 教授費 教授費 教授費 教授費 教授費 教授費 教授費 教授費 教授費 教授費 教授費 教授費 教授費 教授費 教授費 教育活動費 教員以外 教員以外 教員以外 教員以外 教員以外 教員以外 教員以外 教員以外 教員以外 旅費 教科書給・貸与 消耗品費 その他 旅費 教科書給・貸与 消耗品費 修学旅行費 特別活動費 その他 旅費 消耗品費 特別活動費 修学旅行費 その他 旅費 教授用消耗品費 特別活動費 修学旅行費 その他 特別活動・修学旅行費 その他 旅費 教科書給・貸与 学校図書費 消耗品費 その他 旅費 教科書給・貸与 消耗品費 その他 消費的支出 消費的支出 消費的支出 消費的支出 消費的支出 消費的支出 消費的支出 消費的支出 消費的支出 消費的支出 消費的支出 消費的支出 消費的支出 消費的支出 消費的支出 消費的支出 消費的支出 消費的支出 維持費 維持費 維持費 維持費 維持費 修繕費 維持費 維持費 維持費 維持費 修繕費 維持費 維持費 維持費 維持費 修繕費 その他管理費 修繕費 宿日直手当・学校警備費 消耗品費 燃料費 電気・水道・ガス費 その他 計 宿日直手当・学校警備費 消耗品費 光熱水費 その他 計 宿日直手当・学校警備費 消耗品費 光熱水費 その他 1957 年度 1958 ~ 81 年度 1982 ~ 93 年度 1994 ~ 08 年度 教育活動費 1955 年度 1956 年度 1957 年度 1958 ~ 68 年度 1969 ~ 72 年度 1973 ~ 81 年度 1982 ~ 93 年度 1994 ~ 08 年度 管理費 1955 ~ 72 年度 1973 ~ 81 年度 1982 ~ 93 年度 1994 ~ 08 年度 出所: 「地方教育費調査」各年版より筆者作成。 ― ― 17 衛生職員給与 給食職員給与 職員給与 時系列データを用いた教育財政制度の実態分析 務教育費の負担主体を分析課題としていることから,目的別内訳 5 でいえば義務教育費(小学校費, 中学校費) を扱うことになり,かつその財源内訳を分析することになる。 『地方教育費調査報告書』各年版に掲載されている義務教育費(小学校費,中学校費)についてそれ ぞれ消費的支出,資本的支出に関する財源データをまとめる。消費的支出は,教員給与(本務教員, 兼務教員) ,事務職員給与,その他の職員給与,教育活動費,管理費に区分される。資本的支出は, 土地費,建築費,設備備品費,図書購入費に区分される。また,財源内訳については,地方債・寄付 金以外の公費(国庫補助金,都道府県支出金,市町村支出金) ,地方債,公費組入れ寄付金,公費に組 み入れられない寄付金(PTA 寄付金,その他の寄付金)という区分が長期間にわたり採用されてき たが,このうち公費に組み入れられない寄付金が 2009 年度(2008 会計年度)から調査対象より除外 された。寄付金には「公費に組み入れられない寄付金」と「寄付金」の2種類があった。前者には「PTA 寄付金」 と「その他の寄付金」 があった。 「PTA 寄付金」とは PTA が直接学校に寄付したものであり, 公費(地方公共団体の歳入)に組み入れられなかったものである。「その他の寄付金」とは PTA 以外 の校友会,学校後援会,同窓会,体育後援会,その他の団体又は個人が直接学校に寄付したものであ り,PTA 寄付金同様に公費に組み入れられなかったものである 6。 なお,この「地方教育費調査」は各年度で支出項目名の異同が散見される。そのため,ある項目名 の別の年度との対応関係を確定する必要がある。表 2-1 は項目名の変遷をまとめたものである。こ の表からは,同じ内容を示す項目名であっても年によって異なる場合があることが指摘できる。も ちろん,全ての項目が一対一対応しているとは限らない。本稿では「本務教員」 「兼務教員」 「事務職 員」 「その他の職員」 「教育活動費」 「管理費」 について年度によって異なる項目名について,できるか ぎり同一カテゴリーとして把握できるようにした 7。 3 消費的支出 人件費とは教員及び職員の給与並びに共済組合等負担金,恩給費等,退職・死傷手当等の経費を 指す。給与には本俸のほか,期末手当など「地方自治法」第 204 条第 2 項による諸手当が含まれる。 ただし,共済組合による給付金は,地方公共団体から支出された給料及び手当ではないため対象外 となる。 次の経費は一般に中央政府と都道府県の負担となっている。ただし,市町村独自に支出している 場合もある。 「市町村立学校職員給与負担法」による市町村(組合)立の小学校,中学校,特別支援学校の教職 員及び市(指定都市を除く)町村(組合)立の高等学校(定時制)の教員の給料その他の給与 「地方公務員等共済組合法」第 113 条第 2 項に規定する共済組合負担金 「地方公務員災害補償法」第 49 条第 1 項に規定する地方公務員災害補償基金負担金 「地方財政法」第 33 条の 5 の 5 に規定する地方債を財源とする退職手当 本稿ではこのうち,給与を検討する 8。 ― ― 18 東北大学大学院教育学研究科研究年報 第 60 集・第 2 号(2012 年) 3–1 本務教員 本務教員は当該学校に常勤として勤務する教員のことであり,本稿が検討するのはその給与費で ある。充て指導主事の給与は都道府県教育委員会の支出となる。研修等の理由で一定期間(1 年か ら 2 年)市町村教育委員会等,市町村の機関に勤務する教員の給与は市町村の支出となる。また,本 務教員には,産休代替者,育児休業代替者等の給与も含まれる。 義務教育費国庫負担金制度は戦前に成立したものであるが,占領改革により一度廃止され,平衡 交付金に組み入れられ一般財源化されている(小川 1992) 。その後新しい負担金制度が成立してい るため,本稿で扱うのはこの新しい負担金制度の成立後の時期である。 近年の制度改革は次の通りである。第 1 に,義務教育費国庫負担金のうちで教職員退職手当,児 童手当 2,300 億円が 2004 年度に一般財源化された。交付税措置の方法は「基幹税移譲予定交付金」が 将来の税源移譲までの暫定措置として新設された。第 2 に,三位一体の改革の過程で,2005 年度に 中学校分の教員給与費の 8,800 億円が一般財源化されたが,これは暫定措置であった。その後 2005 年11月30日に政府・与党合意 「三位一体の改革について」のなかで義務教育費国庫負担制度の堅持と, 小中学校教員給与の国庫負担割合を三分の一とすることが決定された(德久 2006)。 図 3-1 は小中学校本務教員給与費の財源構成である。小中学校ともに財源の傾向は同様である。 1955 年以降,国庫補助金と都道府県支出金の割合は 1 : 1 ,2006 年以降の割合は 1 : 2 となってい る。国庫補助金は義務教育費国庫負担金である。その他の財源である公費以外の寄付金,地方債, 図 3-1 本務教員給与費の財源構成(小・中学校) 註 : 紙幅の都合上小学校の財源構成を網掛で,中学校の財源構成を線で表現し一つの図にした(以下同じ)。 出所 :「地方教育費調査」から筆者作成(以下同じ)。 ― ― 19 時系列データを用いた教育財政制度の実態分析 市町村支出金の割合はほぼ 0%に近い。 なお,2005 年以降のデータでは都道府県支出金のシェアが例年よりも大きい。2005 年の義務教育 費国庫負担金が所要額から 4,250 億円減額されて計上され,減額分が税源移譲予定特例交付金とし て都道府県に財源手当されたためである。これは 2006 年までの三位一体改革の全体像に係る政府・ 与党協議会の合意(2004 年 11 月 26 日)および四大臣と与党政策責任者による合意において「17 年度 の暫定措置として 4,250 億円程度を減額する」とされたことに従ったものである(財政調査会 2005, p.122) 。 すでに触れたとおり,本務教員給与費を負担するのは主として国庫補助金と都道府県支出金であ る。その他の財源については次のことが指摘できる。第 1 に,公費以外の寄付金は比較的多かった 1950 年代でも総額の 1%未満でありほとんどシェアはない。ただ,わずかながら継続してその存在 が確認でき,最後に確認されたのは 1994 年であった 9。第 2 に,地方債であるが,ごくわずかながら 確認できる。最初に確認されるのは 1994 年である。以後,1997 年,1998 年に起債が確認されている。 第 3 に,市町村支出金であるが,これもまたほとんどシェアはない。地方債と異なるのは毎年度確 認できることである。1950 年代から 60 年代は 0.2%から 0.7%で推移し,その後は 0.1%程度となって いる 10。 3–2 兼務教員 兼務教員の給与は次のものを含む。①他の学校の本務教員が,当該学校に兼務している場合の諸 手当,②教員を本務としないが,当該学校に兼務する者(例えば本務の実習助手で当該学校の講師 を兼務している場合) の諸手当である。 図 3-2 は小学校および中学校の兼務教員の給与費の財源構成を示している。小中学校ともに財源 構成の傾向はほぼ同様であるがシェアの大きさが異なる。1955 年度以降,都道府県支出金が最大の シェアを占めているが,2000 年以前の中学校のシェアは一貫して小学校のシェアよりも大きい。小 学校が 1970 年代まで 50 ~ 60%,1980 年以降は 70 ~ 80%前後で推移していたのに対し,中学校では 1970 年代は基本的に 70%を超え,1980 年代後半には 90%のシェアとなっている。2000 年以降は両者 ともに 70%前後とシェアが近くなっている。国庫補助金は,小学校では 1970 年代は 40%前後のシェ アがあったが,1980 年代以降は減少して 2 割を切り,2005 年までは 15%前後で推移していた。2006 年以降は 10%を切っている。中学校では 1980 年代以降は 20%を切って減少傾向が続き,1990 年代に 15%前後までシェアが増加するが 2000 年以降は減少傾向である。市町村支出金は 1980 年代後半か ら増加傾向を示すようになり,2000 年代に入り 2 割に迫っている。これは兼務教員に非常勤講師を 含んでいることから,市町村が独自に採用する非常勤講師の増加を反映したものであると推測でき る。 ― ― 20 東北大学大学院教育学研究科研究年報 第 60 集・第 2 号(2012 年) 図 3-2 兼務教員給与費の財源構成(小・中学校) 註 : 原則として矢印はそれぞれの財源を含む領域の上端あるいは当該領域中央部(特に小学校) を指している(以下同じ) 。 3–3 事務職員 図 3-3 は小学校および中学校の事務職員の給与費の財源構成を示している。小中学校ともに財源 構成の傾向はほぼ同様である。国庫補助金と都道府県支出金のシェアは 2005 年まで一貫してほぼ 1 : 1 ,2006 年以降は 1 : 2 である。これは教員と同様,県費負担職員給与が国庫負担金によって措 置されているためである。それ以外の財源は主に市町村支出金である。 市町村支出金は小学校では 1973 年,中学校では 1977 年をピークとして長期にわたり減少傾向を 示している。これは市町村が独自に雇用する事務職員の減少を反映していると考えられる。市町村 が市町村費で独自に事務職員を雇用する際はその給与を全額負担しなければならない。そこで市町 村の財政負担の軽減を図るために市町村費雇用職員を学校から引き上げた結果,市町村支出金の シェアが減少したものと思われる。 なお,もう一点特筆すべき特徴がある。小学校では 1960 年代まで公費以外の寄付金のシェアが 1%から 2%あった。全国的にはわずかなシェアとはいえ,寄付金により雇用された事務職員が存在 していたことを示すデータである。中学校については小学校と同様に 1%から 2%のシェアが確認さ れるが,確認される期間が小学校よりも長期である。すなわち 1970 年代中頃までそうした傾向が確 認できる。 ― ― 21 時系列データを用いた教育財政制度の実態分析 図 3-3 事務職員給与費の財源構成(小・中学校) 3–4 その他の職員 その他の職員とは教育補助員(技術職員,実習助手,特別支援学校の寄宿舎指導員,学校図書館職 員,船員等教授の補助に携わる職員) ,施設維持職員(用務員,守衛,ボイラー技師等施設維持のた めの職員),補助活動職員(学校医,学校薬剤師,看護職員,保健師,学校栄養職員,学校給食調理従 事員,運転手,特別支援学校の介添職員等) を指す。 図 3-4 は小学校および中学校のその他の職員の給与費の財源構成を示している。全期間を通じて 市町村支出金が最大のシェアである。また,1975 年から長期的傾向として都道府県支出金と国庫補 助金のシェアが増加しており,2008 年時点では両者合わせて約 10%を占めている。なお,公費以外 の寄付金については 1960 年頃までは 1 ~ 2%程度のシェアを持っていたが,1960 年をピークとして 減少している。これは1960年の文部事務次官通達 「教育費に対する住民の税外負担の解消について」 が影響していると考えられる。1961 年には地方交付税の単位費用として小学校の学校給食従事員 を 1 名増員して給料単価を引き上げる措置が取られ,文部省初等中等教育局長通達「学校経費にか かる税外負担の軽減方指導について」 (文初財第 144 号 1961 年 3 月 15 日)においても PTA 会費等 による学校経費の父兄負担軽減のために「学校給食調理員,学校図書館職員,その他事務補助員等 で,PTA 等の給与負担にかかるものの公費負担切替に資するため」に給与費増額を措置したと記載 されており,元来公費以外の寄付金によってまかなわれていたその他の職員給与費が市町村支出金 ― ― 22 東北大学大学院教育学研究科研究年報 第 60 集・第 2 号(2012 年) 図 3-4 その他の職員給与費の財源構成(小・中学校) に吸収されていったことを意味する。減少幅は中学校の方がゆるやかであり,小学校は 1960 年代前 半には 1%を切ったのに対して中学校では 1%を割り込むのに 1967 年までかかっている。 3–5 教育活動費 教育活動費とは,児童・生徒に対する教授及びその補助のために要した経費のことである。大別 して,特別活動費(学級活動,児童・生徒会活動,クラブ活動,学校行事,旅行・集団宿泊的行事など の特別活動に要した経費) ,教授用消耗品費(教科用図書,教授用教具,その他(出欠簿,便箋,封筒, カレンダー等) ) ,旅費(教員と教育補助員の旅費) ,その他の教育活動費(印刷・製本代,郵便料,部 活動費等) となる。 図 3-5 は小学校および中学校の教育活動費の財源構成を示している。小中学校ともに財源構成の 傾向はほぼ同じである。市町村支出金のシェアが 1955 年以降一貫して最大であった。公費以外の 寄付金は小学校では 1958 年がピークでシェアが約 31%,中学校では 1960 年がピークでシェアが約 36%となっていた。1960年以降はシェアが縮小しており1968年で都道府県支出金とのシェアが逆転, 1970 年代前半には 1 割を割っている。国庫補助金のシェアは 1955 年以降 1 割台で推移してきたが, 1985 年以降シェアが急減した。これは教材費の国庫負担金からの除外を反映したものであろう。 都道府県支出金には 1985 年以降いったんは国庫補助金の減少分を補うほどにシェアが拡大したが, 1994 年から縮小が始まり,2008 年の調査時点で(図では 2007 年) ,1960 年時点とほぼ同様のシェア となった。 ― ― 23 時系列データを用いた教育財政制度の実態分析 1960 年を境とした公費以外の寄付金の減少は他の費目と同様に 1960 年の地方財政法および同法 施行規則改正が関係している。同法には教育活動費への言及はされていなかったものの,1960 年に 出された文部事務次官通達「教育費に対する住民の税外負担の解消について」 (1960 年 12 月 3 日 文 初財第 471 号)では「今回の法改正は PTA 寄付金等住民の税外負担の軽減をはかる趣旨に基づくも のでありますので政令で定める以外の経費であっても住民の税外負担の解消について格段の努力」 を都道府県に対して求めている。同時に地方交付税の単位費用の積算において消耗品費の増額や通 信費,印刷製本費などを増額している。1961 年 3 月 15 日に都道府県教育長宛てに出された文部省初 等中等教育局長通達「学校経費にかかる税外負担の軽減方指導について」では県教育長に対して管 下市町村教育委員会への PTA 会費等による学校経費の父兄負担軽減への指導を求めている。さら に本来都道府県が負担すべき教職員の旅費を PTA 等に負担転嫁している場合は都道府県負担に改 めることについても附記されている。 教材費および旅費は 1985 年に制定された国の補助金等の整理及び合理化並びに臨時特例等に関 する法律で補助規定が削除されて一般財源化された。これは臨時行政調査会の答申による。また, 教材費は 1991 年に「標準教材品目」を制定し,各学校で標準的に必要とされる教材の品目と数量を 示した。1991 年から 2000 年には第 3 次教材整備計画を策定した。1994 年の都道府県教育委員会宛 の文部省教育助成局財務課教育財務企画室長通知「公立義務教育諸学校の教材費の地方交付税措置 について」 (1994 年 4 月 14 日:6 教財第一五の一号)では市町村教育委員会に対する義務教育諸学校 の教材の整備についての適切な指導・助言を行うこと,学校に備える教材の経費について保護者に 図 3-5 教育活動費の財源構成(小・中学校) ― ― 24 東北大学大学院教育学研究科研究年報 第 60 集・第 2 号(2012 年) 負担させないよう努力することを依頼しており,他の費目と比較しても保護者等負担が大きかった ことが推測できる。 3–6 修繕費 修繕費は管理費の下位カテゴリーの一つであり,施設等の効用を維持するための修繕に要した経 費(労賃・原材料費・請負費等)を指す。たとえば,芝生の補充・整地,ペンキ塗り替え,屋根・窓ガ ラスの修繕,設備・備品の修繕である。 図 3-6 は小学校および中学校の修繕費の財源構成を示している。小学校と中学校では財源構成の 推移はほぼ同じである。市町村支出金がシェアの大半を占めており,1955 年時点で約 80%のシェア があり,徐々に拡大して 1965 年以降は 90%を超えている。もう一つの財源である公費以外の寄付金 が 10~20%のシェアであったため,両者で全体の 95%以上を占めていた。1960 年の地方財政法等改 正以降は公費以外の寄付金のシェアも減少し, 減少分も市町村支出金のシェアに吸収されていった。 公費以外の寄付金の減少は 1960 年の地方財政法および同法施行令改正が影響していると考えら れる。法改正によって,市町村立小学校および中学校の校舎・屋内運動場,寄宿舎等に必要な維持 および修繕に要する経費は市町村の負担に属するものであり,直接的間接的を問わずその負担を住 民に転嫁してはならないとされた。また,これに伴う財源措置として 1961 年度予算以降の教育費に かかる地方交付税交付金の単位費用のうち,修繕費が増額されている。 図 3-6 修繕費の財源構成(小・中学校) ― ― 25 時系列データを用いた教育財政制度の実態分析 3–7 維持費 維持費は管理費の下位カテゴリーの一つであり,施設等の効用を維持するために要した経費であ り,修繕費は該当しない。学校警備費,消耗品費,光熱水費,その他の維持費が含まれる。 図 3-7 は小学校および中学校の維持費の財源構成を示している。小学校と中学校でその財源構成 はほぼ同じである。1960 年代中盤までは市町村支出金が最大シェアで 60%~ 80%,都道府県支出金, 国庫補助金がそれぞれ 10 ~ 20%を占めており 3 大財源であった。しかしその後 1970 年代に都道府 県支出金と国庫補助金のシェアが急減し,その減少分を市町村支出金が吸収することでシェアを伸 ばしていった。1970 年代前半に 90%のシェアを超えた後も拡大を続け,1980 年以降は 98%を下回る ことがない。地方債は0%で推移しており, 公費以外の寄付金は1950年代には5%前後のシェアがあっ たが 1960 年をピークとして以降減少している。これは,1960 年の地方交付税法および同法施行規 則改正の影響と考えられる。 図 3-7 維持費の財源構成(小・中学校) 4 資本的支出 4–1 土地費 図 4-1 は小学校および中学校の土地費の財源構成を示したものである。主要な財源構成は市町村 支出金と都道府県支出金から市町村支出金と地方債に変化しており,小・中学校ともに大きな傾向 は変わらないが,構成比率が変化する時期が異なる。 ― ― 26 東北大学大学院教育学研究科研究年報 第 60 集・第 2 号(2012 年) 図 4-1 土地費の財源構成(小・中学校) 小学校は 1960 年代前半まで市町村支出金と都道府県支出金が 2 大財源であった。1963 年には地 方債が 10%を超えてシェアを逆転し,現在に至るまで市町村支出金と地方債が全体の 8 割~ 9 割を 占めている。中学校では地方債のシェアが 1960 年時点ですでに 15%あり,都道府県支出金とほぼ同 程度であったが,シェアの逆転は 1962 年と小学校とほとんど変わらない。 市町村支出金と地方債以外の財源の構成について,都道府県支出金は 1950 年代から 1960 年代初 頭にかけては 20 ~ 30%のシェアであったが,1964 年以降はシェア 10%以下となっている。公費以 外の寄付金は 1955 年よりシェアを減少させており,1973 年以降は 0%となっている。他の費目と同 様に,1960 年の地方財政法改正以降にそのシェアが急減している。国庫補助金は 1972 年よりシェ アを徐々に拡大させ,1980 年前後には 10%のシェアを占めている。しかしこれも一時的であり, 1980 年代中頃には 5%前後になっている。ただし,1980 年前後の第 2 次ベビーブームにより学校の 新設が相次いだ時期には,国庫補助金が一定の役割を果たした。具体的には 1971 年より「児童生徒 急増市町村立公立小・中学校施設特別整備事業費補助金」を新規に措置して学校の用地取得への助 成が行われており,国庫補助金のシェアが拡大したと考えられる。 4–2 建築費 図 4-2 は小学校および中学校の建築費の財源構成を示したものである。小中学校ともに同じ傾向 ― ― 27 時系列データを用いた教育財政制度の実態分析 図 4-2 建築費の財源構成(小・中学校) を示している。1955 年以降一貫して国庫補助金,市町村支出金,地方債が三大財源であった。国庫 補助金は 1960 年代 10 ~ 20%のシェアであったが,1970 年代中盤よりシェアを拡大し始めてピーク 時の 1980 年前後には 4 割弱となった。これは第 2 次ベビーブームの児童生徒が小中学校に入学する 生徒急増期に対応しており,この時期は国庫補助金の単価の増額や補助率増加 11 が影響したことで 国庫補助金のシェアが拡大したと考えられる。1980 年代中盤以降はシェアを減らしているが,これ は 1985 年の国の補助金等の整理及び合理化並びに臨時特例等に関する法律で義務教育諸学校施設 費国庫負担法が改正され,補助率が 2/3 から 6/10 に改正されたことが関係していると考えられる。 地方債は 1980 年前後の生徒急増期に対応してシェアを増加させて 30%前後まで拡大している。 1980 年前後をピークとして国庫補助金と地方債のシェアは減少し市町村支出金のシェアが拡大し たが 1990 年代に入ると地方債のシェアが拡大しはじめ,2000 年に入ると 30%を超えている。 公費以外の寄付金は 1960 年代までは最大 5%のシェアであったがその後は減少している。都道府 県支出金は 1960 年代には 1 割程度のシェアのある年度もあったが,1970 年代以降にはほとんどゼロ に近くなった。 4–3 設備備品費 図 4-3 は小学校および中学校の設備備品費の財源構成を示したものである。小中学校ともに同じ 傾向を示している。1955 年時点では市町村支出金,公費以外の寄付金,国庫補助金が 3 大財源となっ ― ― 28 東北大学大学院教育学研究科研究年報 第 60 集・第 2 号(2012 年) 図 4-3 設備備品費の財源構成(小・中学校) ていたが,公費以外の寄付金のシェア,次いで国庫補助金のシェアが減少し,減少分は市町村支出 金が吸収している。 国庫補助金のシェアは 1950 年代から 10%~ 20%弱であったが,1985 年より減少して 5%前後を推 移している。国庫補助金のシェアの急減は 1985 年に教材費国庫負担制度が廃止されたことに起因 するが,国庫負担が廃止された 1985 年以降も一定のシェアを持っているのは,理科教育振興法など の奨励的補助金によって措置されている備品費であると考えられる。都道府県支出金は 1950 年代 には 1%前後のシェアを持っていたが,1970 年代になると 1%を割り込むようになった。市町村支出 金は最大のシェアであり,1960 年以降の公費以外の寄付金の減少分,1985 年以降の国庫補助金の減 少分をまかなって 2008 年時点では 90%近くのシェアとなっており,設備備品費の主要な財源となっ ている。地方債は 1990 年代に増加し,5%前後のシェアとなっている。公費以外の寄付金は 1960 年 代までは多い年度で 3 割を超えるほどのシェアであったが他の費目と同様に 1960 年以降は減少して おり,1970 年以降は 10%を切っている。 4–4 図書購入費 図 4-4 は小学校および中学校の図書購入費の財源構成を示したものである。小学校,中学校とも に財源構成の傾向はほぼ同じである。1960 年代後半から市町村支出金のシェアが拡大し,当初約 10%を占めていた国庫補助金や 40%を占めていた公費以外の寄付金のシェアの逓減につながっている。 ― ― 29 時系列データを用いた教育財政制度の実態分析 図 4-4 図書購入費の財源構成(小・中学校) 国庫補助金は 1950 年代には 10 ~ 20%,1960 年代以降 10%未満で推移しており,80 年代以降はほ とんど 0%に近くなる。市町村支出金は 1960 年代に 50%前後のシェアであったが,その後徐々にシェ アが拡大していき,1980 年代には 80%,1990 年代後半には 90%となっている。公費以外の寄付金は 1960 年代に 40%を超えていたが,やはり 1960 年をピークとしてシェアは減少傾向にあり,1980 年代 までは約 10 ~ 20%,1990 年代後半は 10%前後となっている。このシェア減少は 1960 年の地方財政 法改正が原因であると考えられるが,他の費目と比較するとシェア減少の度合いは小さく,1990 年 代であっても 10%前後のシェアを維持し続けていることが特徴である。 5 考察 各費目の各財源の構成比の変遷の詳細はすでに検討したため,ここではいくつかのポイントにつ いて記す。 第 1 に,寄付金の構成比の変遷である。寄付金は 1960 年代まではいくつかの支出項目で主たる財 源として位置付いていた。これは今日の状況からは大きく隔たっている。多くの支出項目において 寄付金は 1970 年代を境に激減し,ほぼ消滅している。 第 2 に,中央政府と都道府県の役割である。1950 年代の戦後復興期には国庫補助金や都道府県支 出金のシェアが今日と異なっていた。たとえば,土地費の財源として都道府県支出金が一定のシェ アを保っていた時期があったことなど,現在では想像ができない状況があった。 ― ― 30 東北大学大学院教育学研究科研究年報 第 60 集・第 2 号(2012 年) これら 2 つの事柄が示唆するように,本稿の分析が明らかにしたことは,現在の財源構成は永続 的なものではないということである。恒久的制度というものは,成立当時の関係者の合意を示す表 現としては意義があるが,そのような制度が長期間存続することは自明ではない。今日のような財 政危機の時代における教育費の財源調達という実践的関心にとって,本稿の分析は次の点で示唆を 与えるものである。すなわち財源は固定的なものではなく,寄付金をも含めた財源の開発に取り組 む余地が十分にある 12。その一方で中央政府や都道府県が市町村の担う義務教育を補完することも あり得ることも指摘できる。教材費や図書費あるいは耐震診断や耐震補強費といった緊急に必要と される経費については地方交付税以外の財源によって担保することも検討できよう。その際には時 限措置も方策として考えられる。 本稿の分析結果を踏まえて,今後の研究上の課題を指摘する 13。 第 1 に,なぜ義務教育費の公費負担主義が定着したのかを明らかにする必要がある。本稿では義 務教育費の財源構成の推移を分析した結果,寄付金に頼らず公費に依存するようになったことを示 した。この要因を教育財政制度の帰趨に加えて,各アクターの動向や社会経済要素に着目して明ら かにすることが求められる。本稿の分析はあくまで各年の財源構成の推移であり,その意味で静学 的分析である。 動学的分析も組み合わせることでより精度の高い分析結果が得られると考えている。 なお行政学者の北村によれば,わが国において戦後一貫して地方政府が対人サービスを中心とし て行政サービスを充実することができたのは,中央政府による地方財政の暗黙の債務保証が存在し ていたからだという。一般にこの議論は地方財政の放漫運営を招いたとするスタンスであるが,北 村が指摘するように地方政府の活動量を高める段階においてはこのような債務保証機能にも一定の 存在意義があったという見方もできる(北村 2009:183) 。義務教育財政において,なぜ,どのよう に地方政府の教育サービス提供を安定化させるような公式制度が創設され,それが拡充・縮小して いったのかを明らかにしなければならない。 第 2 に,本稿が分析した範囲では公費(政府支出)と寄付金がトレードオフの関係であるように見 えるが,それが必然なのかそうでないのかを明らかにする必要がある。たしかに地方財政法の規定 により, 強制的な寄付金は禁じられているが, それをふまえてもなお寄付金のシェアが急減していっ た理由は十分明らかになったとはいえない。この点に関しても,義務教育財政にかんする政治過程 分析が必要である。 付記 本研究は科研費(課題番号 18330175,基盤研究(B),研究代表者本多正人) 「比較制度論を応用し た日本型教育行財政システムの生成・展開・再編に関する研究」の助成を受けたものである。 本稿は上記科研費報告書に筆者の一人(青木)が執筆した「地方教育費の財源にみる政府間財政関 係の制度化」に大幅な加筆修正を加えたものである。役割分担は以下の通りである。青木:1,2,5 の執筆,全体の調整,小入羽:3,4 の執筆,作図,時系列データの収集(1994 会計年度以降),山中: 時系列データの収集(1993 会計年度以前) 。 ― ― 31 時系列データを用いた教育財政制度の実態分析 【資料】 財政調査会(各年度版) 『国の予算』大蔵財務協会 【参考文献】 相澤英之(1960) 『教育費―その諸問題―』大蔵財務協会 伊藤和衛(1952) 『教育財政学』杉山書店 (1965) 『教育の機会均等―義務教育費の財政分析を中心として―』世界書院 市川昭午・林健久(1972) 『教育財政(戦後日本の教育改革第 4 巻)』東京大学出版会 井深雄二(2004) 『近代日本教育費政策史―義務教育費国庫負担政策の展開―』勁草書房 今井勝人(1993) 『現代日本の政府間財政関係』東京大学出版会 小川正人(1992) 『戦後日本教育財政制度の研究』九州大学出版会 小川正人編著(1996) 『教育財政の政策と法制度―教育財政入門―』エイデル研究所 北村亘(2009) 『地方財政の行政学的分析』有斐閣 斎藤諦淳(1990) 『文教予算の編成』ぎょうせい 坂本忠次(1989) 『日本における地方行財政の展開―大正デモクラシー期地方財政史の研究―』御茶の水書房 末冨芳(2010) 『教育費の政治経済学』勁草書房 瀬戸山孝一(1955) 『文教と財政』財務出版 全国教育財政協議会(1952) 『教育財政の研究』一二三書房 高寄昇三(2000) 『明治地方財政史』 (第 1 巻)勁草書房 『明治地方財政史』 (第 3 巻)勁草書房 (2003) 『明治地方財政史』 (第 4 巻)勁草書房 (2004) 『明治地方財政史』 (第 5 巻)勁草書房 (2006) 德久恭子(2006) 「教育政策におけるマクロ・トレンドの変化とその帰結―三位一体改革と義務教育費国庫負担法改正 の政治過程―」 『政策科学』 (立命館大学)14 ⑴,13-26 内藤誉三郎(1950) 『教育財政』誠文堂新光社 三上和夫(2005) 『教育の経済―成り立ちと課題―』春風社 安嶋彌(1958) 『地方教育費講話』第一法規出版 【註】 1 家計に着目した教育行政学の研究として三上(2005),末冨(2010)がある。 2 諸外国の制度への関心を示すものもあった(瀬戸山 1955)。 3 特定の時期の教育費をめぐる政治過程を扱った動態的分析として徳久(2006)がある。 4 実際の教育財政データを用いた研究として,伊藤(1965),市川・林(1972)がある。 5 「地方教育費調査」では学校教育費(幼稚園,小学校,中学校,盲・聾・養護学校,高等学校,中等教育学校,高等専 門学校)のほかに,社会教育費,教育行政費が調査対象となっている。 6 現行の地方財政法では次のように「割当的寄附金等の廃止」規程が存在する。 第四条の五 国(国の地方行政機関及び裁判所法(昭和二十二年法律第五十九号)第二条に規定する下級裁判所を ― ― 32 東北大学大学院教育学研究科研究年報 第 60 集・第 2 号(2012 年) 含む。)は地方公共団体又はその住民に対し,地方公共団体は他の地方公共団体又は住民に対し,直接であると間接 であるとを問わず,寄附金(これに相当する物品等を含む。)を割り当てて強制的に徴収(これに相当する行為を含 む。)するようなことをしてはならない。 第二十七条の三 都道府県は,当該都道府県立の高等学校の施設の建設事業費について,住民に対し,直接であ ると間接であるとを問わず,その負担を転嫁してはならない。 第二十七条の四 市町村は,法令の規定に基づき当該市町村の負担に属するものとされている経費で政令で定め るものについて,住民に対し,直接であると間接であるとを問わず,その負担を転嫁してはならない。 (地方財政法施行令)第五十二条 法第二十七条の四に規定する経費で政令で定めるものは,次に掲げるものとす る。 一 市町村の職員の給与に要する経費 二 市町村立の小学校及び中学校の建物の維持及び修繕に要する経費 なお,このような寄附金の禁止規定が初めて地方財政法に明示されたのは,1952 年のことであった(地方財政法 の一部を改正する法律(法律第百四十七号(昭和 27 年 5 月 23 日))。 第四条の二 国(国家行政組織法(昭和二十三年法律第百二十号)第八条の規定に基き設置される機関で地方に置 かれるもの及び同法第九条に規定する地方支分部局並びに裁判所法(昭和二十二年法律第五十九号)第二条に規定 する下級裁判所を含む。)は地方公共団体又はその住民に対し,地方公共団体は他の地方公共団体又は住民に対し, 直接であると間接であるとを問わず,寄附金(これに相当する物品等を含む。)を割り当てて強制的に徴収(これに相 当する行為を含む。)するようなことをしてはならない。 ちなみに一部の地方政府では義務教育費への寄付金(税外負担)を禁ずる条例を制定している。たとえば,三鷹市 (東京都) 「三鷹市義務教育に関する費用の税外負担を禁止する条例」 (1969 年)岡山市(岡山県) 「岡山市義務教育に 関する費用の税外負担を禁止する条例」 (1969 年)川崎市「川崎市立義務教育諸学校寄附取扱規則」 (1969 年)といっ た例が確認できる。この条例の背景には保護者の税外負担が横行していたことはもちろんであるが,行政の実践面 での背景としては,税外負担を解消することを求めた文部省(当時)の通知が発出されたことを指摘したい。たとえ ば 1956 年の「地方教育行政の組織及び運営に関する法律等の施行について」の通知において「教材の使用にあたっ ては保護者の負担等の点も考慮する」よう求めているし,1960 年の地方財政法の改正に合わせて「教育費に対する 住民の税外負担の解消について」の通知を出している。なお,この文部省(当時)の通知については,中央教育審議 会初等中等教育分科会教育行財政部会教育条件整備に関する作業部会「義務教育費に係る経費負担の在り方につい て(中間報告)」 (2004 年 5 月 25 日)の第 3 章を参考にした。 7 本稿では「管理費」を「修繕費」と「維持費」の 2 つのカテゴリーに分ける。なお 1994 年に「維持費」は「その他の管 理費」に変更された。この「その他の管理費」は従来の「維持費」に,「旅費」 (事務職員,施設維持職員及び補助活動 職員の旅費) 「その他」 (郵便料,電信電話料,新聞代・複写機,パソコン等備品のリース料など)が加わった(地方教 育費調査報告書の説明書より)。 8 「地方教育費調査」中の「給与」に含まれる範囲については,幾度かの制度改正をふまえつつ詳細に検討する余地 がある。 9 伊藤(1952:294-295)では「私費収入に属する寄附金が学校教育費に大きな役割を演じているということは,教育 財政の不健全性を物語る」という指摘があり,さらに「地方団体が教育費の調達に人頭税的強制寄附をなしているこ とは尚盛んである」と述べている。なお,義務教育費を対象とする本稿の議論からは外れるが,同様の箇所で「新制 大学特に旧師範学校系の教育学部において大学転換のための寄附或は寄附に似た『宝くじ』―当選金付証票が発行 ― ― 33 時系列データを用いた教育財政制度の実態分析 されていることも人のよく知るところである」という記述は,教職大学院に象徴される教員養成制度の構造改革期 にある 2010 年代の今,非常に示唆に富むものである。さて,市川・林(1972:511)では「6・3 建築期という寄付の季 節も終わったこの時点(引用者註:1950 年代後半)で,なお学校教育費総額の三分の一以上を父兄負担にまっていた というのはやはり注目に値しよう。これについては,当然父兄が負担すべきもののほかに, 『教員・事務職員の給与』 『旅費』 『日直・宿直手当』 『燃料費』 『消耗品費』 『建築費』 『教材用設備備品費』 『図書購入費』など,公費で負担されて 然るべきものの一部がそれによってまかなわれていた例が多くあった点が指摘される」という記述がある。 10 安嶋(1958:330-331)では「周知のとおり,義務教育諸学校教職員給与費は都道府県の負担とされているところで あって,市町村がこれを負担することは負担区分をみだすという点から望ましくないことはいうまでもない。しか し,現実には,都道府県が配置する教職員の不足を補うために,市町村費をもつて小中学校に教員または事務職員 等を学校に配置している」という記述がある。そしてこの市町村費負担の教職員数は 1957 年度で一万人近い(教員 1,643 人,事務職員 4,705 人,養護教員に相当する学校看護婦 3,346 人)ことが指摘されている。 11 1972 年には小中学校校舎の補助率が 1/3 から 1/2 になり,1973 年には小中学校屋体の補助率が 1/3 から 1/2 となっ ている。 12 高寄昇三による戦前の政府間財政関係・地方財政の研究では学校の建設費や運営費が地元住民の寄付金により賄 われていたことが当時の財政資料を用いて説得的に紹介されている(高寄 2000,同 2003,同 2004,同 2006)。 13 本稿では新しい制度論の観点は強調していないが,本稿の知見を踏まえれば次のような点について新しい制度論 の観点からの分析が求められるだろう。第 1 に,公式制度の創設や改廃が制度のアウトプットに影響を与えるとい う論点である。ある公式制度が成立したり,廃止されたりすれば財源構成に直ちに影響を与える。たとえば 1984 年 の教材費の国庫負担廃止によるシェアの変動はその代表例である。第 2 に,しかしながら,公式制度の帰趨が直ち に「制度化」をもたらすわけではない。つまり,公式制度の変動によって確かに財源構成のシェアに変化が生じるこ とはあっても,それが一時的なことかもしれないし,均衡状態(つまり制度化)に達するまでにどの程度の時間が必 要かはその時点では不明である。教材費の国庫負担廃止直後には都道府県支出金が一時的にシェアを増大させ,補 完機能を担ったものの,それはあくまで短期間の現象であったことがその例である。 ― ― 34 東北大学大学院教育学研究科研究年報 第 60 集・第 2 号(2012 年) Actual Situations of Education Finance System in Japan with Time Series Analysis : A Source of Revenue of Compulsory Education and Intergovernmental Fiscal Relations Eiichi AOKI (Associate Professor, Graduate School of Education, Tohoku University) Hideyuki KONYUBA (Researcher, Hiroshima University) Hideyuki YAMANAKA (Lectuerer, Musashino University) Most of the studies on the education finance are studies on the history of education finance system, especially on the formation process of education systems, or changes of education finance system. The golden age of these studies is 1950's, because in this period the most important political issue is institutionalizing education finance system, in a word, a top priority matter of education policy is how to construct education finance system. The main question of these studies is that who should bear the expenses of compulsory education. There are few studies which use data of education finance and almost all of them take one-shot survey design. In other words, conventional researches of education finance have used data of one fiscal year budget. It is in 1950's that most of education finance system are formed. If this fact is taken into consideration, it is necessary to analyze who share the cost of education under the education finance system. Today, we can use the time-series data of education finance, so we should analyze actual situations of education finance using that data. In this paper, a source of revenue of compulsory education is analyzed using statistics of educational administration and finance.The components of the source of revenue of compulsory education are subsidy from central governments, local allocation tax grants, local bond, donation made by parents and community. The components of expenditure of compulsory education are as follows: Current expenditure: (a) salaries of full-time teachers, part-time teachers, non-teaching staff and other staff (b) school activities (c) maintenance and repairs. Capital expenditure: (d) land (e) construction (f) equipment and materials (g) books. The points which this paper clarified is that the share of donation made by parents and community for school activities, maintenance and repairs, equipment and materials and books is large especially in 1950's and after that, the share of donation have become smaller and smaller. ― ― 35 時系列データを用いた教育財政制度の実態分析 This suggests that the determinant of the component ratio of the source of revenue is not only education finance system but also socio-economic factors and political factors. Kety Words:A Time-Series Data, Education Finance System, Compulsory Education, A Source of Revenue, Intergovernmental Fiscal Relations. ― ― 36