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Page 1 京都大学 京都大学学術情報リポジトリ 紅
Title Author(s) Citation Issue Date URL ソグド文字で表記された漢字音 吉田, 豐 東方學報 (1994), 66: 271-380 1994-01-31 https://doi.org/10.14989/66751 Right Type Textversion Departmental Bulletin Paper publisher Kyoto University 東方学報 京都第6 6 耕 ( 1 9 9 4 ):3 8 0 -2 71 頁 ソグ ド文字 で表記 された漢字音 吉 田 些旦 L i iJ Ⅰ ソグド語文殿中にみられる漢語の要素 Ⅱ ソグド文字で表記された漢文悌典 Ⅲ ソグド文字で表記された漢語の教音 1 表の説明 2 聾母 3 韻母 4 資料の時代 Ⅳ ウイグル語に導入された漠字音に関する 2・3の問題鮎 1 資料の問題 2 不規則 な封鷹 3 いわゆる 「ウイグル字音」の問題 Ⅴ 敦塩出土の俗文書中の漠字音の検討 Ⅶ おわ りに 附録 1 TⅡT の漠字音 附録 2 Ma i n zの漠字音 附録 3 ソグド語の音韻鰹系と文字 は じめに ソグ ド人 と中国人 との接解は古 く,遅 くとも後漢時代には ソグ ド商人が,盛 んに中国を訪れ ていた ことが知 られてい る( 1 ) 。そ の過程 で嘗然言語 の接鯛 も行われ ,接解 に伴 う借用や 2言語 併用な どの現象 もみ られたであろ う。 しか し,この ようなごく古い時代の言語接解の鐙嫁は,檎 鐙で きる形 では後世 まで残 され なか った。中国を表す c y n( <秦)( 2 ) や長安を示す ' Ⅹwmt ' n( < 成陽 ?)( 3 )を,教少 ない例 としてあげ ることができるか もしれ なし) 。だが これ らは,あ くまで も固有名詞であ り,西方に侍あ った 中国の地名 として,必ず しも借用語 と見 なす ことはで きな いであろ う。 〔1〕 i ? S t ) ソグド文字で表記された漠字音 現在残 されているソグ ド語文献で見 る限 り, ソグ ド語に導入され定着 した漢語か らの借用語 ym' wt s y( 4 )「 艶鵡」 ( <鵜鵡 は非常に少ない。異論 な く定着 していた といえるものとしては,' 千),mk'「 墨」 ( <墨),my w 「虎」 (<猫),t y m 「宿屋 」 (<店),p' n 「ものを書 きつける板」 ( <板),孟 n k「升」 (<升)をあげることができるだろ う。 これ らが ソグ ド語に定着 していた ,t ym, ことは,それ らが中央 アジアの他の言語にも導入 されていることか ら知 られ る0mk' p' nは,古代 トルコ語にもみ られる(5).' ym' wt s yについては, トカラ語 A に ya mut s iが在讃 されてい る(6)。 また漢語 の 「升」が,中央 アジアの諸言語 に借用 され た ことについては, Si ns Wi l l i a msa ndHa mi l t o nが詳 しく論 じている( 7 ) 0 w と同源の語は トカラ語 Bme wi y oにみ られ ,L也de r sは漢語か らの借用語だ とし 一方 my た (8)o これに対 して Ba i l e y は, コークソ語の muyi「 虎 ( 十二支の名 稀) 」を論 じた際, ソグ ド語形及び トカラ語 B の形式に言及 し,これ らはコ-タン語形 と同源であ り,漢語か らの借 用語 ではない と主張 した( 9 ) 。異系統 の言語に類似 の形式が在護 され ることか ら, ここでは L也de r s の課を支持 しておきたい。ただ ,4-6世紀頃のものと考え られ るイ ンダス河上流の w は既に兄いだ され るので,借用 された とすれば非常に早い時期であっ ソグ ド語碑文中に my 0 )0 た ことになる(1 上記の 5語は他の言語にも在覆 され ることから,それ らが漢語か ら直接 ソグ ド語に導入 され た ものではな く,所謂文化語嚢 として中央アジアで流布 していた可能性 も考慮 してお く必要が あるであろ う。なお,「 小鏡」を意味す る pn yが,漢語の分か らの借用であるとす るむきもあ るが( l l ) , これについては焚語の p叩a -「小感」か ら借用 された とす る He nni ng の課が採用さ 2 ) 0 れるべ きである(1 これ らの 5語以外に,どれほ どの漢語が ソグ ド語に定着 していたかを知 ることは困難である0 なぜなら多 くの場合,漢語に由来す る形式は限られた文肱に 1度 しか現れないか らである。 さ らに後期の俗文殿中には,古代 トル コ語の要素 とともに漢語の要素が見つかる場合がある。下 の Ⅰ葺及びⅤ章でも論 じるように,この種の文献中の漢語の形式は,古代 トル コ語文献中のそ れ と基本的に同 じであ り,それ らが本来 どの言語に導入されていたのかを決定す ることは容易 ではない。 以下の各章で ソグ ド文字で表記 された漢語を扱 うが,資料 としては ソグ ド語文献中の漢語の 要素 と, ソグ ド文字で音寓 された漢文併典を用いる。 これ らは全膿 としてそれほど量が多いわけ ではな く, ソグ ド語文献の解明や,漢語音韻史の資料の摸大に著 しく貢献す ることにはならな い。 しか し, ソグ ド語文献中の漢語の要素に関する練合的研究を提出す ることは, ソグ ド語の 研究が始まって以来はぼ9 0 年を経た現在に至るまで一度 も試みられなかったことであ り,その意 義は小 さくないと信 じる(13)0 3/ . ( ) 〔2〕 東 方 学 報 Ⅰ ソグ ド語文献中に見 られる漢語の要素 ソグ ド語文献に見 られ る漢語を,文献 ごとに リス トす る。中にははば確茸に漢語を表記 した ものと考えられるのに,封癒す る漢語を特定できない形式がある。そのような場合でも賂乗比 定 されることを期待 して,形式だけは収録することにした。なお文献はほぼ時代順に配列 され ている。 1 Anc i e ntLe t t e r s( A. D.31 2 -31 3 )( I ) Anc i e ntLe t t e rI Iには,昔時の中国の諸都市の名稀が ソグ ド文字に よって表記 されている。 nni ng と Ha r ma t t aに よって比定された(2)0 それ らは He ' nkp'( ALI I ,1 3,1 6 ) :鄭 ng真 ap( 3 ) c wc n( ALI I ,5 ) :酒泉 t s 真 a udzt 主 wan( 4 ) kc' n( ALI I ,6,3 5 ) :姑 戯 kuodzt a ng kmz yn( ALI I ,8 ) :金城 ki a mi i a ng 漢語の地名であるものの,未比定あるいは確薫な比定ができていないものは,攻のとお りであ る。 kwr ' yn k( ALI I ,8) n' yn' ymh( ALI I ,1 5 ) * ∂ r y' ny( ALI I ,1 9 ) kr "c yl l( ALI I ,4 0 ) これ らの うち k wr ' ynkについて,古代書簡を最初に校訂 した Re i c he l tは,kr ' wr ' n( ALVI ,5 ) 「 楼蘭」 と同じ地名であると考 えた( 5 ) 。 しか し He nnni ngは手紙の内容 と,模蘭のような重要 な地名が 2様に綴 られ ることは考 えに くい とい う理由で,Re i c he l t の説を退けた。He nni ng 自身は金城の東にあった都市の名前だろ うとするものの,具鰹的な提案は行 っていない(6)。一 方 Ha r ma t t aは何の論鐙 もせずに Hua i ya ng推陽 ( γ wa i真 a ng)にあてた( 7 ) .上古音の * gtwer d主 a ng を参考に した もの と思われ るが,彼の古代書簡についての年代論 (2世紀末のもの と す る)は否定されてお り,上古音に基づいた比定そのものにも問題がある。今は不明の地名 と してお く。 n' yn' ymh は,明らかに都 と並置 された地名である。Ha r ma t t a は,n' yn' y' h と謹み ,Na nya ng南陽 ( n畠 m真 a ng)にあてた. しか しその後彼の読みは退け られている( 8 ) O * ∂r y' ny は破損部にあ り,必ず しも確茸な謹みではない。 またこれが地名であるとい う確認 n ni ngは ∂ r w' ny「 敦燈」 と謹んだ.( a ) r y' nyは Ha r ma t t aの読みで,彼は Li ya ng もない.He 〔3〕 3 7 8 ソグド文字で表記された漠字音 に比定 したが, どの ような具鰹的地名を考 えているのか明らかではない。 kr "c yhは位格の冠詞 ' wyを伴い,地名である可能性が高い。Har ma t t aは Ki c he ngをあて はめるが, これについても注樺が施 されていないので,彼の意固 した漢字 は不 明であ る(9)0 最後 に ALI Iの 日附の部分に見 られ る c y r ∂ s w" nについて述べてお く必要がある。Henni ng は, これは酒泉 を表記 した ものだ と考 えていた (10)。 これに対 して Ha r mat t a は,中国語で ` t̀ hec ur r e ntc yc l eo fs i xt y' 'を意味す る t s i ' l uS 也n( 上古音 * t st i rl i u( k) z i u6 n)の音寓だ とした (ll ) 0 彼は封鷹す る具鰹的な漢字を提出 していないが,玄六旬 ( 或は巡)を意圏 したのではないか と 考え られ る。 しか し榎 によれば,その ような漢字の表現の存在は疑わ しい とい う(12)0 この語の解樺 について最終的な結論を下 したのは Gr en e ta ndSi ns Wi l l i a msで,彼 らによ れば c y r ∂ s w" nは常時のサマルカン ド王の名前である。c y r ∂の部分は, ソグ ド語の人名 の構成 i r O( <古代イ ラン語 * ei O r a -r 種,血統」) であ り,s w"nは古代イラ 要素 として別 に存在す る c ン語の * s a va na -「繁柴」に遡 るもの と考 え られ る(13)0 2 イ ンダス河上流テ ラス附近の碑文 (4-6世紀) ( 1 4 ) my w( 1 5 ):猫 mま え u 3 ブグ ト碑文 (6世紀後半) この碑文 についての研究は Kl j a 菖 t o r ny ja ndLi v菖 i cに よって行われた (16).保存状態が劣悪で, 彼 らの解義 には必ず しも信頼を置 くことはできないが( 1 7 ) ,彼 らが漢語 を表記 した とす るのほ 攻の 3語である。 kwt s ' t t '( Bl ,1 ) :? * s nkw n ( 1 8 )( B2,2,8 ) :牌軍 t s 真 a ngki ua n t r xw' n( B2,2,7,B3,4 ) :達官 dt a tkua n cに よれば,kwt s ' t t 'は碑文建立普時の中園の皇帝の名前或は年貌 であ Kl j a 菖 t o r nyja ndLi vi ると考 え られ るが,適切な漢語を兄いだ し得ない とい う。s nkwn は 2度現れ るが, どちらも 殆 ど破損 した部分を,校訂者たちが補 った ものであ り,ブグ ト碑文に この形式が存在す るか ど うかは疑わ しい。 もしこの復元が正 しい とすれば ,s nkwn/ S' nkwn の最 も早 い例 となるだろ ラ(1 9 ) 0 t r xw' n が古代 トル コ語の構親である t a r qa n に封慮す るものであることは Kl j a 菖 t o r ny ja nd Li v菖 i cも指摘 しているQ また t r xw' n とい う I W-を伴 う形式は,t a r qa nの語源が漢語 の達官で あ るとす る羽 田亨の祝を補強す るもの として,護雅夫の言及す るところである(20)ot a r qa nの 語源が達官であるか どうかについては,未だに賛否両論があるようだが (21),本碑文 の t r xw' n は達官を為 した もの として問題がないので,護舘に従 ってお く。 : ; / / - 〔 4〕 東 方 学 報 4 アスターナ出土の女奴隷幸男契約文書 ( 6 3 9 年) ( 2 2 ) この契約文書には,攻の ような漢語の要素がみ られる。 ' wt '( 4 ) ( 2 3 ):? 4) :張 軸n g C ' n( w" n( 1 ) :王 j 真 wa ng w( 1 ) :延寄 主 a n顛2 u y' nc y y' ns y' n( 3,6,9,ve r s o1 ) :? 文書の日附の部分に現れた麹氏高昌園の年貌 y' n c y w 延寿 と W" n王の比定はほぼ確薫である. また C ' nkwt r「C' n姓」 とい う表現 と,類似の Ⅹ' nkwt r ' y「 康姓」及び " nkwt r ' k 「安姓」 ( 下 ' n が漢語の姓を表 し,高昌園の有力氏族であった張氏に封慮す る 記 5参照) との比較か ら,C ものであることも受け入れ られ るであろ う(2 4 ) 0 ' wt 'は奴隷の買い主である僧侶の y' n s y' nの父親の名前で,張姓 と考えられ るので,やは り 漢語の人名であると推定 される。 この推定が正 しければ,y' n s y' nも漢人借の名前 とい うことに 5 ) 0 なる。 しか し残念なが らどちらにも適切な漢字を常てはめることができない( 2 5 俳典 (8世紀頃) (26) ソグ ド併典中には,攻のような漠語形が兄いだされる。 " n( I nt o x3 5 ) ・ .賓 l a n ' n' Wγ t ' r ' S ' mmy xs ' mp w∂ ' y( SCE5 5 8 -5 9 ) :阿蒋多羅三乗三菩提 ・ an uo k(2 7 )t al as a m uodt i e i ma ks 畠 m bt ' ym' wt s y( SCE1 4 4,31 5,3 5 2 ) :艶鵡子 ・ g ngmi ut s i ∂ y w( SCE1 6 5 ) :蓉 1 i e u P29 51 ) :墨 ma k mk'( w( P26 3 5e tpa s s i m) :猫 m主 a u my 44 ) :芭蕉 pat s i a u p' t s y' W( Dhy3 p yp' n( SCE1 5 4 ) :庇板 pt ip wa n( 2 8 ) S ' m( SCE1 3 8,1 6 9 ) :暫 t s 冬 m SCE1 5 5 ) :啄木 t ukmuk t m' wx( x' n( P81 6 7 ) :康 kt 畠 ng( 2 9 ) Ⅹ' y' nkwyn( I nt o x3 4 ) :開元 kt a ing i wt m P81 7 5 ) :公主 kungt g i u xw nC y h( w これ らの うち, 最後の Ⅹ wnc wyhは俳典の奥書の中の廻向の部分に現れ る女性の人名である。 q une uy( Ⅹw nC y )は古代 トル コ語においても, しば しば女性の名前 として用いられているO徒 w 〔5〕 3 / ( ; ソグド文字で表記された漢字音 って漢語か らの借用語 とい うよ り, トル コ名を持 った ソグ ド人であ ったか, トル コ族 出身 の女 性であったのだろ う( 3 0 ) 0 なお SCE には,上に収録 した もの以外に kyc ' kh ( 1 6 6 )「うじ轟」があ り, これを相席 k主 wo k 顛 n の音鳥形 とみなすむ きもあるが,漢語 との禾離が著 しく,ここには敢 えて加えな か った。賓際 k yc ' khは ソグ ド語本来の語形 と考えて不都合はない(31 ) 0 5. 1 焚語音評語 の表記 上記の ' n' Wγ t ' r ' S ' mmyxs ' m pw∂' yは,焚語の a nut t a r a s a mya kS a r P bo dhi -の漢字 に よる音 詩語に基づいてい る。 この よ うに焚語の音諾語を さらに ソグ ド文字で表記 しているものが, ソ グ ド俳典には何例かみ られ る。その場合別に直接焚語に由来す る形式が存在す ることもある。 例えば上の例には,' nwt r ' y' ns m' y ks mp w∂ y とい う形式 も別に知 られている( 3 2 ) 。 この ような 漢字による音評語に基づいた形式 も, ソグ ド語中の漢語の要素 と見なされるだろ う。ただ し,こ の種 の資料には注意すべ き特徴があ り,安易に藻字音を ソグ ド文字で表記 した もの と見なすわ けにはいかない.例えば上の例で も,帝の音鳥形 n' wrにはむ しろ * ' nt ' Wγが期待 され る し, 操 の音鳥形 ∂ ' yにはむ しろ * t ( ' ) yが濠想 され る( 3 3 ) 。 また ' wt ' n wr( STi i1 0,5 1 )紘,ut t a r a kumの音詩語欝単越 ・ i ua tt a nj i wt ! tに由来す るが(34),漢語の入馨の韻尾 tは, 欝では t( 或はゼ ロ) rで表記 されている。 これは明 らかに,原語への配慮か ら為 された ものである( 3 5 ) 0 で,越では 従 ってこの種 の形式は,ソグ ド文字に よって表記 された他の漠字音 と同列に扱 うべ きではない0 上に ' n' Wγ t ' r ' S ' mmyxs ' mpw∂' yだけを と りあげ収録 したのは,草に この形式ではい くつかの 音節を分綴 し,漠字音を表記 しよ うとす る志向性が他のものに比較 して高いか らである。 便宜のために,下に漢字に よる音詩語を下敷に した,或はそれ らに影響 された と考 え られ る 語を リス トしてお く。 なお [ ]内の形式は,別に在鐙 され る焚語に由来す る語形である( 3 6 ) . 1" m( ' ) y t ' ," m' t' ( 3 7 )( pa s s i m) :阿禰 陀 ( Skt .a mi t a bha ,a mi t 豆 y us )・ amj i edt a 2 ' n' Wγ t ' r 'S ' mmy xs ' m pw∂' y( 上記参照) 3' wt ' n wr( 上記参照) 4c np( ' ) W∂ n( Dh y2 1 2 ,2 1 5 ) :閣浮壇 ( Skt ・j 豆 mb 屯na da ,Pkt ・j a bo da p . a )皇 a m bt ま a udt a n 5 c w∂ ' yk'( SCE1 9 9 )[ C ' wt y 馳'( L9 3 ,2 5 ) ] :樹提伽 ( Skt .j yo t i s ka )i i udt i e igt ま a 6 c ympw∂ ' y( STi i1 0 ,5 3 ) [ c n pw∂ β y p( Dhy111 ,1 1 9 ; P1 5,2 6 ) ] : 闇浮 捉 ( Skt .j m bud a vi pa - )ま え mbt 如 dt i e i 7∂ ' p' t( SCE1 8 6 ) :壇越 ( Skt .da na pa t i )dtanj iw t ! t 8 ∂( ' ) wt '( Dhupa s s i m) :頭陀 ( Skt ・d h At a )dt貢 ud< a 9 k' y' w n y( Dhy1 1 5 )[ kw y' n'( STi i1 0,5 3 ) ] :壁耶尼 ( Skt ・go da nⅠ ya ,Pkt .go y融l a , go ya n i ya )gt i u主 a丘i 37 5 〔6〕 東 方 寧 報 1 0 ky∂ y'( SCE2 )[ c f ・z y t( He nni ng,1 9 4 0,6 2 ) ] :祇陀 ( Skt ・j e t a )gt j i idt 急 1 1 mnc ' wy 昌 y r ( ' ) y( Vi mpa s s i m)l mnc w菖 r y( P5 , P6 , P8 ) ; mwnc ( W) 菖 r y( P9 ) ] :文殊師利 ( Skt . ma 丘 j u如)mi ua n云 i u! il j i Skt . 1 2 p' r ' my r( Kud a r aa ndSunde r ma nn,1 9 8 8 ,1 7 9,n. 2 0 )[ p' r ( ' ) my t( p a s s i m) ] :波羅蜜 ( p豆 r a mi t え ー )p usl am主 6 t 1 3 pk' β ' m( pa s s i m) :薄迦焚 ( Skt .bha ga va t )bt a kkabt i wt Z m 1 4 pw∂' y( pa s s i m) :菩提 ( Skt .bo d hi )bt uod{ i e i Skt .p凸r va vi de ha )p 真 ua tbt uadt i e i 1 5p wr p' ∂ y岳( Dhy1 1 3 ) :弗婆摸 ( 1 6p w孟 p' ∂ ' y( STi i1 0,5 2 ) :弗婆提 ( Skt ・pd r v a vi de ha )pi ua tbt uadt i e i 1 7s y wpw∂ ( ' ) y,sypw∂y( 3 8 )( pa s s i m) :須菩提 ( Skt .s ubh Bt i )s i ubt uodt i e i 上の例の うち, 2, 3, 5,1 0,1 2,1 3 ,1 7 が漠語形に基づいた ものであ ることは異論がな いだろ う( 3 9 ) 。 しか しそれ ら以外の形式 については,若干の注樺が必要である。 1の " m( ' ) yt ' は文服か ら明 らかに阿禰陀俳を表 してお り, この如来の漢語の名前に よって しか ソグ ド語の形 式は説明できない (4 0 ) 0 4の cnp( ' ) W∂ n について,S i ms Wi l l i a msは プラーク1 )ッ ト形 に由来す る とす るが,彼 自身 が典嬢 とす る Br o ugh の著書において,Br o ugh 自身は プラーク リッ ト形 に基づいた漠語形を 仲介 して ソグ ド語に導入 された ものだ としている(41 ) 。筆者はこの Br o ughの考 えに従 った。同 棲に,6の c ympw∂' yを Si ms Wi l l i a msはプラーク リヅ ト形に由来す るとしているが ,Mt i l l e r a ndLe nt zは漠語形に基づいた もの と考えている(42)。 この語には焚語形に基づ く cnpw∂βypが )ット形に由来す る形式は, ソグ ド語に 別 に 2種類の併典で在謹 されている.一般にプラーク1 定着す る傾向があるので, この場合 1度 しか在透 されない C m pw∂' y yを定着形であるとは認め 難 く,漠語形をベースに した一時的な語形 と見 な した ( 4 3 ) 0 ∂ ' p ' tは漠語形 とも焚語形 とも著 しく異なるが,焚語形を知 らない評者が,漢語の形式を参 考に して考案 した不完全 な焚語形だ と考えた。∂( ' ) wt 'は S kt .d h古t a 一に よく似てお り,敢えて 漠語形に由来す るものと見なす必要はないようにも思われ る。しか し,この語が現れ る経典では, 何故 ∂ ( ' ) wt 'と呼ばれ るかを説 明す る件 ( Dhu2 7 0 2 7 7 )で,s r y「頭」 とい う語が引用 されてい る。これは漢語 の音鳥形 「 頭陀」を前提に して初めて説明できるので,a ( ∫ ) wt ' は漠語形をベー スに した もの と考 えた。 9の k' y' w n yが湊語形 の犀耶尼に由来す ることは,Be nv e ni s t eが指摘 し A s mus s e nも支持 している( 4 4 ) 。ただ しこの場合,パー リ語形 g o ya n i y a -との類似性か ら, これに似た形式を持つ プラーク 1 )ッ トか ら借用 された可能性 も排除で きない. さらに厄介 な ことに, ソグ ド語 には kwy' n'( STi i1 0,5 3 )とい う語形 も知 られている。 しか もこれは k' wy' nyの場合 と異な り,漢 文原典の犀陀尼 の評 として用いられている.ただ k' wy' n yはともか く,k y' w n' の方が漠語形で 〔7〕 : ) 7 / . 1 ソグド文字で表記された漠字音 はな くプラークリッ ト形に由来 し, ソグ ド語に定着 していた可能性を支持す るのは,在覆 され る漢語形 ( 倶那尼,犀陀尼,畢耶尼,倶伽尼 ( 4 5 ) )は,どれ も尼 丘iで終わ りn'とは一致 しない こと,コークソ語に借用 された g go ya na ( 4 6 )と, ウイグル併典中に見 られ る ga vya nadi vi p(47) か ら,中央アジアに g o ya na -とい うプラーク1 )ッ ト形が流布 していた ことが推測 され ることで ある.Ma c Ke nz i eは k' y' w nyを kwy' n'のヴァ1 )アン トであるとみな し, どちらもソグ ド語に 定着 した形式であるとした( 4 8 ) 。従 って彼は,k' wy' nyは漠語形に基づ く形式 とは認めていない y' w ny は,漢語の摩耶尼をベースに したものであ り,kwy' n'の方はプ ことになる.筆者は k' ラーク1 )ットか ら借用 され定着 していた形式 と考える. ' y菖 w yr yは Vi m に限定され特殊であ り,mnc w菖 r yと比較 して末尾の 一 言 yr yは漠語 1 1の mnc 形を原語 として想定すれば訣明が容易である( 4 9 ) O また I C' y -の部分は,音詩漢字 の殊 w 夷uの 介母 主と主母音 uが融合 して前舌の園唇母音 として著者 されていた と考えれば,合理的に説明 できるだろ う( 5 0 ) 0 1 4 の p w∂' y を菩提に基づ くものと考えたのは,漢語の須菩提に由来す ることが分か ってい るs y wp w∂ ' yの pw∂ ' yと同一の形式であるからである。形式だけか らなら Skt .bo dhi 一に由来 ) 0 す るのか漠語形に基づいた ものかの判断は困難である(51 1 5 のp r p∂ w ' y畠についても, Be nve ni s t eは焚語形ではな く漠語形に基づ くもの としている( 5 2 ) . 特に p-は,漢語の婆 ( bt u畠)た よって容易に説明できる。一方語末の 一 言は, ソグ ド語評者が弗 e g a -が含 まれていると誤解 したことによるのであろ う( 5 3 ) .Ma c Ke nz i eは この 婆捉の原語に d dr va de g a -を想定 した (54)o Lか しこの語は単に 「 東方の圃」を意味す るだ 語形の原語 として p けであって,s ume u一山の東方の園である弗婆捉 ( r pGr va ide v ha )とは全 く別の語である( 5 5 ) 0 Ma c Ke nz i eはまた1 6の pwg p' ∂ ' yは pwr p' ∂ ' y畠の c o r r upt e ds pe l l i ngであるとし,pwr p∂ ' y昌 が ソグ ド語に定着 した形式だ と考えている。一方 Mi i l l e ra ndLe nt zは, どちらの形式 も容易 w菖 p' ∂ ' y も漠諾原典中の に説明できない として,その由来の究明を放棄 している( 5 6 ) 。筆者は p 弗婆堤の原語を知 らなかった評者が,漠語形をもとに誤 った焚語形を復元 したのではないか と 7 ) 。少な くとも p'及 び ∂ ' yは,婆操から簡単に説明できる. 考える(5 上で収録 した語形の多 くは,漢文俳典の翻葦に際 して一時的に導入 されたものであるが,中 myt ' ,pk' β' m,pw∂ ' y及 び s ywpw∂' yがその例である。 には ソグ ド語に定着 したものもある。" 何故 これ らの形式だけが,漢語を仲介 して ソグ ド語に導入されたかに答えるには,文化史的背 myt 'が焚語ではな く漠語形に由来する 景の考察が必要であろ う。例えば,阿禰陀俳を表す " ) 0 背景には,阿爾陀傍に封す る信仰が中開で特別の展開をみせたことがあったのだろ う(5B bhi k!us a r pg ha )を意味する pwr s nkについて述べてお く。 これが借用語 最後に僧侶の集圏 ( であることには疑いがないが,その語源については検討を要す る。 ウイグル語に b ur s a ng と い う同 じ意味の語があ り,問題の ソグ ド語形 と無関係であった とは考えられない。 ウイグル語 3n LL il 東 方 学 報 形 に捕 しては,漢語の俳借に由来す るとす る説が有力である(59). この祝が正 しい とすれば, ソグ ド語形 も同棲に説明され るであろ う。 また ウイグル語 とソグ ド語 との関係を考慮すれば, bur s a ngは p wr s nkか ら借用 された可能性が高い( 6 0 ) 0 bur s a ng( <So gd.pwr s nk)を俳借 ( bt i uats a ng<稚udd ha s a r r l ha g )か らの借用 とみなす こと には,い くつかの問題がある。 ■第一に俳は軽唇音を聾母 とする文字なので,初頭には p-では な く β-が期待 され る。無論 この鮎は,漢語の側で軽唇音化が起 こる以前に借用 された と考え れば問題がない(61)。第二に,語源 として言及 される漢語の俳借 も焚語の原語 とされる b ud dha ks us a l pg ha -であ s a l pg ha -も在澄 されない。ちなみに 「僧侶の集圏」を意味する焚語形は bhi る。 ソグ ド形 p wr s nk に封 しては Ba i l e y によって提案 された語源がある。彼は コークソ語の bi l s a 叩gga 一同様 p wr s nk も bhi ks sa u r n ha g 一に封慮する中期イ ン ド語形に由来するものだ とし て, コークソ語の 1 1 -及び ソグ ド語の r -は,* 云 -( <* r 蓋 <・ * Ⅹ昌 一 <k! )に よって訣明されると した。また ソグ ド語形の母音 W-は,ニヤ出土のカローシュティー文書中にみ られる b huk印-のかわ りに b h u-を持つ中期インド語形に由来す ると考えた (62)0 S a T Pga S yaのような,bhi p wr s nkの俳借語源課の問題鮎を考慮 して,筆者は Ba i l e yの祝を採用することにする。残 る 問題は ウイグル語 b ur xa n 「俳陀」の語源である。b ur s a ngと同様に b ur xa nの burも俳に由来 す るとす る祝が有力である( 6 3 ) 。つ ま り全髄を 「 俳 とい う王」を意味す る複合語 とみなす説で 6 4 ) 0b ur s a ngの bur -と同 じように bur xa nの b ur -ち,焚語の b hi k印一に由来すると考える ある( ur xa n は漢語 と トルコ語の複合語 とみなすべ きか, 筆者には分か らない( 6 5 ) 0 か, 或は従来通 り b wt-( <Skt .budd ha )を用いてお り,bur xa nの語源 ちなみに ソグ ド語では 「 併陀」に対 して p を考 える うえで参考にならない。 6 マニ教文献 マニ教文献が書かれた絶対年代を決定す ることは困難である(66)。マニ教 の布教史及び トル ファンにおける資料のあ り方か ら総合的に判断 して, 8111 世紀,特に 9・1 0 世紀頃のもの と ) o マニ教 ソグ ド語文献中の漠語形は多 くない。圭 y菖 yng ( 大乗)の例を するのが遺骨だろ う(67 M1 1 5 )か らのものである。なおマニ教文献には ソグ ド文字で書れた 除けば,すべて暦の断片 ( ものの他に,マニ文字で表記 された ものがある。下に引用する例では C ' y∂ ' n 以外は,マニ文 字によるものである。マニ文字の特薦 と音債の関係に関 しては,附録を参照 されたい( 6 8 ) 0 圭 y 孟 y n g( BBBd1 ) :大乗 dt ま id 乏t 皇 a n g 5 ) :猫 m主 a u my w( M 11 t yr( M 1 1 5 ) :乙 . 主 e t bw( M1 1 5 ) :戊 m2u 〔9〕 L ' ) ' / i ) ソグド文字で表記された漠字音 j ym ( M 11 5 ) :壬 丘 i i a m kw y ( M l1 5 ) :A k i wi kyy( M1 1 5 ) :己 k J ' i pyy( M1 1 5 ) :丙 p 呈 W℃ ng s yn( M1 1 5 ) :辛 S真 吾n 圭 yy( M1 1 5 ) :T t i e ng 皇' p( M1 1 5 ) :甲 ha p 文y y( M 1 1 5 ) :庚 kl mg 0 ) :粛壇 t S a idt a n( 6 9 ) c ' y∂ ' n( L12 6. 1 マ ニ教 中世ベル シア語文献 トル フ ァン出土 のマ ニ教文献 中,中世ベル シア語で書かれた文書 に も若干藻語形 が兄 いだ さ れ る。 これ らの文献 は中世 ベル シア語 で書かれてはい るものの,薫際には この地 にいた ソグ ド 人或 は トル コ人が書 いた ものであ る。従 って ここでは,それ らも収録 してお くことにす る。た 一般 に Ma h r na ma gと呼ばれ る)及び I B6 371( -TI l I ) 1 3 5 ) だ しここで問題にす るのは ,M l ( の 2鮎だけである。 どち らもマニ教経典 の書寓の費用を喜捨 した,東 ウイ グル可汗園 の有 力者 808 -821 ) の時代に書かれ の名前 と稀親 を リス トした奥書 の部分 であ る(70)0 Ml は保義可汗 ( た もの と考 え られてい る( 7 1 ) 。一方 I B63 71 は,牟羽可汗 ( 75 9 -77 9) の名稀 を含 んでお り,そ の時代 に遡 るであろ う(72)0 2つ の文献 中の漢語 の要素 は,稀親 と人名に分須 して収録す るのが便利 であ る.稀窮 の多 く 1 1 e r自身 よって比定 されてい る。注意す は別 に古代 トル コ語文献 に在覆 されてお り,大概 M也 べ きは, これ らが基本的に トル コ語 に入 った借用語であ って,必ず しもイ ラン語 の要素 ではな い鮎 であ る。 また人名 の比定は極 めて困難 で,漢語の人名 らしい響 きの ものを リス トす るに と どまる。 稀親( 7 3 ) "mγ'( Ml,1 1 2 ) :押 衝 ・ a pnga( 7 4 ) C ' ng菖 yy( I B63 71 ) :長史 a く ま ng! a i c yg菖 y y( I B6 371 ;Ml,27 ) :刺史 t st 主 a k! i f w菖 y y( Ml ,pa s s i m) :副使 pt 如 ! i f wt _ W孟 Y( Ml ,76 ) :副都司 ?( 7 5 )pt 主 a ut u o! i p' nxw' n( M1 ,1 06 -7 ) :判官 pt u畠 nkua n s ' ng wn( pa s s i m) :将軍 t s 主 a ngki ua n Ml ,83 ) :侍郎 ?( 7 6 )乏 il 畠 ng s yl ' ng( 371 〔1 0〕 東 方 学 報 sy r t w毒 ,s y r _ t W菖 y y( Ml,4 7 ,7 3 ) :節度使 ( 7 7 )t s i e tdt uos i 圭 ' y( Ml ,3 7,4 7 ) :大 (78)dt a i と ' y 菖 y( Ml ,9 0 ) :大師( 7 9 )dt a i! i i r x' n( pa s s i m) :達 官 ( 8 0 )dt a tkua n と wt _ Wγ( Ml ,2 7 ) ,土 wt wx( I B6 3 7 1 ) :都督 (81 )t uot uo k xw nc wy,Ⅹw nj y ( w Ml,pa s s i m) :公主 kungt g i u 人名 " n j yr k y y( Ml,1 1 3 ) :安 日0 1 畠 n血豆 i さ t_ " l n' W( Ml,1 1 4 ) :安〇 ・ a n_ j y m( M1 ,9 0 ) :任 丘麺 m l '( Ml ,9 5 ) :羅 t a l ' j y h( Ml ,1 0 3 ) :羅 0 1 a_ l y( Ml ,1 0 3 ) :李 l j i l y wkl ' 圭 '( Ml ,1 0 3 ) :〇〇〇 I _ _ l y wl ' n g( Ml ,7 8 ) :劉0 1 主 a u_ p' wk( Ml ,1 0 6 ) :C) _ p' ws ' n g( Ml ,1 2 2 ) :保 戒 p畠 ud zt 畠 ng s y ws y w( Ml ,1 3 9 ) :繍繍 S 主 頁 uS 真 ヨ u 圭 ' ng( Ml ,9 4 ) :唐 dt a ng と s w( Ml ,8 3 ,1 0 6 ) :曹 dzt 急 u w' s ynd n( Ml ,1 2 2 ) :〇〇〇 _ _ _ ここに提案 した人名 の漢字の比定は どれ も試案の域を出ず,すべてに疑問符 (?)を附すべ き性質のものである。 これ らの うち p' ws ' ngの漠字形は Mi l l l e rに よって提案 された( 8 2 ) 0s y w s yw には s nd wsとい う人名が先行 している。s nd wsは 「絹 ( 或は錦)の着物」を意味す るの で( 8 3 ) ,高田時雄氏の示唆に従 って,繍繍に比定 した。上にはあげなか ったが,Ml,4 6 4 7に み られ る q wn ky y( t ' ys ' ng wn s yr t w菖 )は配列か ら判断 して,漢語である可能性がある. また p' Ⅹ( Ml ,6 6 )や c wng y ( w Ml ,1 0 9 )も漢語か もしれない。なお,Mt i l l e rが漢語 の名前か もしれ ない と考えた 菖 ymg wn( M1 ,8 3 )は,Si ms I Wi l l i a msに よってセム系 の名前であるサイモ ンでめ ることが明らかにされている( 8 4 ) 0 7 キ リス ト教文献 キ リス ト教 ソグ ド語文献 の絶対年代についても不明である.出土地である Bu l a y ' L qにあった キ リス ト教の僧院では,近世ベル シア語の文献 も残 されてお り, このことと トランスオ クシア 〔1 1〕 37 0 ソグド文字で表記された漠字音 チ-のキ リス ト教の俸播を考慮すれば,マニ教文献同様 811 世紀,特に 9・1 0 世紀のものと a y i q の出土の文献にみ られる 考 えられるだろ う。敦燈出土のキ リス ト教 ソグ ド語文献や,Bul トル コ語の要素 もそのことを支持するだろ う( 8 5 ) 0 漢語の借用語 としてほ,攻の 2語が知 られている。上で述べた ように,これ らは ソグ ド語に 定着 した語嚢であった。キ リス ト教文献のほとんどはシリア文字で書かれてお り,下の 2語 も 同様である。 ソグ ド語を表記す るシ リア文字の音債については,附録を参照 されたい。 t ym ( STi3 6:2,5 ) :店 t i e m p' n( STi4 9:1 ) :板 pwa n( 8 6 ) 8 敦塩出土の漢語の数詞 敦塩出土のチベ ット語文書 Pe l l i o tt i be t a i n1 8 9 5 A 及び同1 6 8 9の裏面には, 1か ら3 0までの漢 語 の数詞が ソグ ド文字で表記 されている。ただ し 9及び1 0の部分は完全に破損 していて,その 形式を同牧す ることができない。 この文書は Ha mi l t o n によって詳 しく研究 されている( 8 7 ) 0 Ha mi l t o n は用いられた字膿が1 0 世紀の ソグ ド語及びウイグル語文書のそれ と似ていることを 指摘 しているので,これを1 0 世紀前後の文書 と考えて差 し支えないであろ う。 奇妙なことにこの数詞の表では, 1か ら 8までの数字の末尾に漢語では説明できない要素の '(')が附加 されている。 これは ソグ ド文字によるソグ ド語の数詞の表記に影響 された装飾的 な要素だ とす る詮 と, 日附を表す漢語の数詞に序数詞を名詞化するソグ ド語の∃ 妾尾節が附加さ れた ものだ とす る課がある( 8 8 ) .いずれにせ よソグ ド語の影響であると考え られていて,その 考 えは正 しいであろ う( 8 9 ) 0 しか しこの文書が ソグ ド人に よって書かれたか どうかについては,即断できない。最近 9- 1 0 世紀頃のもの と考えられる,敦燈出土の ソグ ド語文献がい くつか車表 された. これ らを登表 した Si ms Wi l l i a msa ndHa mi l t o nに よれば,そこには古代 トルコ語の強い影響がみ られ,普 pr e s t i ge )を考慮 時の民族融合の結果であるとい う( 9 0 ) 。 ソグ ド語の古代 トルコ語に封す る威信 ( すれば, ソグ ド語使用者が トル コ語の要素を導入 した とい うより, トル コ語を母国語 とす る人 間が ソグ ド語を使 った結果 とみなす方が適切であろ う. ここで問題にす る文書 も, これ らの文 献 と同様に,文章語 としての ソグ ド語に精通 した いレコ人によるもの と考えるべ きではなかろ うか. I I I 章で も論 じるように,漢語の 日母 ( 血豆)を 義 一で表記するとい う一見奇妙な事態 も, ト ル コ語の影響 と考えれば説明できるが, ソグ ド語を母国語 とする話者によるもの と想定 した場 合には,説明が困難である。 下に Ha mi l t o n の新字を引用す る.ただ しここでは一般的なソグ ド文字の翻字法に従 って, S と 蓋 を区別 しておいた.また破損部の表記法 も, 彼のものを改め,( 丸括弧)は部分的な, [ 角 括弧]は完全な破損部を表す ものとした。 3 6 9 〔1 2〕 東 ︰ t ・ t .. 川 村 :一 ・ i さ t :一 nZl :二 S a m m 帆 :四 s i :五 n guo :六 l i uk s yr ' :七 t st 真 6 t ( p' r ' ) :八 p wa t ( a ) l y] ( p' yr ) :十一 ま ま a p・ 主 さ t s ym s y :十二 i i a p広丘 i s yps ' m ' .十三 軸 PS a m s ypz y :十四 顛a pS i ( 義 ) m γ y y w :十五 ま ま a pnguo ( 昌 y) m( 1 ) y γ :十六 塾a pl 主 uk 菖 yp( C ) y r :十七 云 主 a pt st 主 さ t s ypp' r :十八 i 主 a pp wえ ー 孟 ypky w :十九 乏 i a pk由u s ys yp :二十 血 豆 i麺 p s ys yp' y r :二十一 血 豆 iま ま a p・ 皇 6 t ys ym 写 y :二十二 血 豆 iま ま a p血乏 i s ys yps ' m / :二十三 丘 乏 iZ i a PS a m s ys yps y :二十四 丘 2 i軸ps i s ys ypγ W :二十五 丘 宏 ii 主 a pnguo 菖 y菖 ypl wk :二十六 丘 i i顛a pl i uk s ys y ps yr ・ .二十七 血 豆 i麺pt sく i e t s ys ypp' r :二十八 丘Z ii 皇 a pp wa t 菖 y菖 ypky w :二十九 丘 乏 ii i a Pl 由u s ' m菖 yp :三十 S 畠 mZ i a p s 方 学 報 9 悪者出土の木簡 黄文弼 『 新彊考古豪掘報告』北京 ( 1 9 8 3 )園版2 7には蔦著明屋溝北適地出土の木簡 2鮎を掲 ) 。 これ らは 2鮎 とも逸 り状 の よ うなもの と思われ るが,中に 2語漢語 らしい も 載 している(91 0 世紀頃のもの と考 え られ る. のが含 まれているo これ らは字鮭か ら判断 して1 〔1 3〕 3 6 8 ソグド文字で表記された漠字音 C' nt s y( ar e c t o2 ) :童子 (?)t !え nt s i t s wn( bve r s o1 ) :寸 (?)t s ua n l O その他 ロシア科学アカデ ミー東洋学研究所ペテルブルグ支部が所蔵するソグ ド語の 2断片 ( L4 7+4 8 )は,薬学文献の断簡である。そ こには 菖 nkとい う単位が兄いだされ る。 これは漢語の升 軸 ng か らの借用語であると考え られている( 9 2 ) 。 またベル リンにあるソグ ド語 とウイグル語 の封評 語嚢中の pyl yrは,漢語の筆築 p主 6 tl 真 吾 tに遡るとされる( 9 3 X 9 4 ) 0 Ⅱ ソグ ド文字で表記 された漢文俳典 1 金剛五薩 1. 1 漢文 テキス トの校訂 St a a t s bi bl i o t he k) が保管す る トルファン文書の うち,Mai nz 善西ベル リンの国立圃書館 ( 1 6 0( 1 )及 び Ma i nz6 2 4は,同一の貝菓本の断片で両者は接合することが可能である。本来の分 類香 坂 TI Dか ら察す ると, ドイツ ・トルファン探検隊が第 1回の探検 ( 1 9 0 2 -3 )の際に高昌故 i nz1 6 0の方は極小断片で,Ma i nz6 2 7の右端の一部にあ 城において貴兄 した ものである.Ma たる ( 克典版参照) 。文書のサイズは, ソグ ド文字を横書 きとみて,横 2 5. 0c m,縦 1 2. 0c m である。 f o r ma ls c r i pt )の ソグ ド文字で書かれてはいるが,内容は ソグ ド語ではな この東本は正吾鰹 ( く,漢文併典を ソグ ド文字に よって音寓 したものである。筆者は音寓 された併典が,現在は敦 塩 出土の寓本にのみ残 されている辞宗文献の一つの 『 金剛五薩』( 2 ) であることを貴兄 した。た だ し,この俳典は表の第 2行で始 ま り,裏の第 7行で終わ ってお り,残 りは別のテキス トであ る。おそ らく,『 金剛五経』を含む他の敦塩文書 と同様に,この貝葉木 も禅宗文献を集めた連 東本の一部であったのであろ う。 音寓本のテキス トを提出す る前に,敦塩出土の 『 金剛五経』の漢文寓本を校訂 し, クリティ カルテキス トと,寓本の系統園を提示 してお く。『 金剛五感』を含む漢文寓本には,筆者 の調 2 鮎が存在する :S1 6 7 4,4 1 7 3 ,4 7 1 2( 以上スタイン本), P2 9 7 5 ,3 5 5 9( -3 6 6 4 ) , 査 した範囲では次の1 3 6 4 5,3 7 9 2,4 5 9 7( 以上ペ リオ本),鳥2 9,乃7 4,衣3 7( 以上北京本),◎1 7 6 (レニングラー ド 本) 0 367 〔1 4〕 東 方 学 報 テ キ ス ト 0. a金剛b五薩 cd 1. 一心e敬薩 清浄虞 如無f去無来g 不生不h滅 2 . 寂然常住i湛j意k怪安1 千俳共 尊 m十 方 同境 n 3. 位 沙功徳o非 色非 心p 南無 q法身r樺迦牟尼 4. 俳 S 5. 一心t敬薩 批慮遮 那 u千葉V 蓮W華四智y 珍Z 賓 6. 徳a a 山無bb極cc願 dd海無遠e e 横行だ三gg耽h h 鼎 i 功十地 7 . 廉 jj照kk法界髄 1 1 満 虚空南無mm報nn身o o 樺迦牟尼 8, 俳 pp 9. 一心敬薩如来 生 qq地雪山之r r 北香山之s s 東 1 0. 城tt葛 虎迦維uu姓樺迦氏v v 父w w名辞飯x x 母y y 親z z 摩A那 l l . 十九 出家三 十 成 B道南無 C化身D樺迦牟尼 1 2. 俳 1 3. E一心F敬 薩 G金剛般若 H波羅蜜多微妙甚深1 1 4. 生諸併身J 滅凡夫罪無人無我馨空色空K 15. 苦L悩蓋纏M困玄 N永息0南無金剛P般若波羅 1 6. 蜜多甚 深法蔵 1 7. E一心Q敬意舎 R衛城南S須 T蓮 U園中砥陀林下 1 8. 如来精舎Ⅴ衆聖W 辞房Ⅹ於 此Y伽藍 Z祝 漸 AA般BB若 1 9. 我今恭 C C敬憶 DD念世EE尊南無金剛FF般GG君波羅 2 0 . 蜜多HH甚Ⅰ Ⅰ 深J J 法蔵 ヴ ァ リア ン ト a.挑和尚 ( 金剛 -) :P3 55 9;金剛五薩 - ナ シ :S1 67 4 b.光 :P2 9 75,3 792 ・ ・ ・ 五薩)文 :P35 5 9, 3 6 45, 495 7;( ・ ・ ・ 五薩)讃 :P2 9 75;( ・ ・ . 五億 )一本 :鳥2 9;( C. ( 五祓)本 :P3 7 92 d.一心奉敬 :P37 92 e. ( 一心)満 :S41 73,471 2,鳥2 9,乃7 4,◎1 76 f .な し :P3 792 〔1 5〕 3 6 6 ソグ ド文字で義記 された湊字音 g. ( 無乗)衣 ( 不生・ ・ ・ ) :P4 5 9 7 h.ナ シ :P3 7 9 2 i .宿 :P4 5 9 7 j .檀 :S1 6 7 4 ,4 71 2 ,P3 5 5 9;堰 :P3 6 4 5・ ,浴 :P3 7 9 2 71 2;秦 :衣3 7; ( 堪意)虚空 :P3 6 4 5 k.ナ シ :S4 1 ,然 :S1 6 7 4 m.逮 :S 1 6 7 4,P3 5 5 9,衣3 7 n.育 :S1 6 7 4;敬 :P2 9 7 5 , ' 3 7 9 2,4 5 9 7,鳥2 9 ,衣3 7;意 :P3 5 5 9;同境 - 化併 :P3 6 4 5 0. 得 :P 3 6 4 5 p.非色非心 - 非心非色 :P3 6 4 5 q. ( 南無)清浄 :P2 9 7 5 ,3 6 4 5 ,3 7 9 2 ,鳥2 9,◎1 7 6 r .抜身 一 身 :P3 6 4 5;本師 :S1 6 7 4 ,P3 5 5 9 ,衣3 7; ( 法身)同名 :P2 9 7 5 S .秤迦牟尼俳 - 枇鹿渡那悌 :01 7 6 t . 卜心1蒲 :鳥2 9 u. ( -遮那)併 :S1 6 7 4,41 7 3 ,P3 6 4 5;批慮遮那 - 慮遍那 :P3 7 9 2 V. 莱 :P 2 9 7 5;乗 W . :P3 5 5 9 逮 :P 2 9 7 5 y.枝 :P3 6 4 5,3 7 9 2 ,鳥2 9 Z.顔 :P3 7 9 2 a a.得 :S 1 6 7 4,P3 5 5 9 ,3 6 4 5 ,3 7 9 2 ,衣3 7 bb.盟 :P3 6 4 5,鳥2 9 cc. 敬 :P2 9 7 5;境 :P3 6 4 5;義 :P4 5 9 7;逮 :衣3 7 d d.漢 :S1 6 7 4;願 一 項用 :P3 5 5 9;願海無速 - ナ シ :衣 3 7 e e.追 :P3 5 5 9 g_携行 一 倍幸 :P3 7 9 2 gg.二 : P3 7 9 2 hh.節 :P2 9 7 5 i i .慶 :S1 6 7 4;累功 - 敬痘剛 :P2 9 7 5;累功 - 理贋 :P3 7 9 2 j j .光 :P3 5 5 9,3 7 9 2 ,衣3 7 k k.義 :S1 6 7 4,P3 5 5 9 ,衣3 7;超 :S41 7 3 ,4 71 2,P3 7 9 2 ,鳥2 9;赦 :P4 5 9 7,乃7 4,◎1 7 6; 胎 :P2 9 7 5 7 9 2;髄漸虚空 - ナ シ :P3 6 4 5 l l .聴 :P3 mm. ( 南無)囲蒲 :S4 1 7 3 ,P2 9 7 5 ,3 6 賂 3 7 9 2 ,鳥2 9 ,乃7 4 3 6 5 〔1 6〕 東 方 学 報 nn.質 :S1 6 7 4 ,4 7 1 2 ,P2 9 7 5 ,3 6 4 5,3 7 9 2 ,鳥2 9 ,乃7 4 ( -・ 身)本師 :S1 6 7 4,P3 5 5 9,衣3 7; ( -身)同名 :S4 1 7 3 ,P2 9 7 5 ,乃7 4 00. 7 6 pp.樺迦牟尼俳 - 慮舎那俳 :◎1 q q.十 :衣3 7 r r .至 :S4 1 7 3 ,鳥2 9,乃7 4,◎1 7 6 ss.至 :S4 1 7 3 ,鳥2 9,乃7 4 t t .成 :S1 6 7 4,P3 5 5 9 ,3 7 9 2 uu. 樵 :P3 5 5 9;衛 :鳥2 9;迦維 - 加薦 :P2 9 7 5;迦維 - 加盈 :P3 7 9 2 vv. 姓樺迦氏 - ナシ :S4 1 7 3 ,P2 9 7 5 ,3 6 4 5 ,3 7 9 2 ,4 5 9 7 ,鳥2 9,乃7 4,◎1 7 6;姓樺迦氏 - 5 5 9 姓示樺迦 :P3 ww . 少 :P3 6 45・ ,父 - 母火 :P3 7 9 2 ⅩⅩ. 浮飯 - 浄焚 :P2 9 7 5;浮飯 - 諸焚 :P3 7 9 2 yy. 母 → ナシ :P3 7 9 2 zz. 越 :S1 6 7 4;日 :P3 5 5 9;名 :P3 6 4 5 A.磨 :S4 1 7 3 B.城 :P2 9 7 5 C. ( 南無)千百 :P2 9 7 5 ,3 6 4 5 ,3 7 9 2; ( 南無)千百億 :鳥2 9,◎1 7 6 D. ( 化身)本師 :S1 6 7 4, P3 5 5 9,衣3 7;( 化身)同名 :P2 9 7 5 ,3 6 4 5 ,3 7 9 2,鳥2 9,◎1 7 6; 化身 - 俳身 :乃7 4 E.衣 3 7 では,2つのセ クシ ョンの順序が逆 にな っている. F. ( 一心)満 :鳥2 9 G.檀 - ナシ :P3 7 9 2 H.金剛般若 - 微妙金剛般若 :S1 6 7 4 ,P3 5 5 9;金剛般若 - 甚深妙法金剛般若 :衣3 7;金剛 7 9 2 般若 - 金光不若 :P3 Ⅰ .微妙甚深 - ナシ :S1 6 7 4;微妙甚深 - 不可思議 :P3 5 5 9 ,衣3 7 J .生諸併身 - 生活化身 :P3 5 5 9;生諸併身 - 生諸寂 :P3 6 4 5 K.色空 - ナシ :P2 9 7 5 ,3 7 9 2 L.a :P3 6 4 5 M.故 :P3 7 9 2 N.慈 :P2 9 7 5 ,鳥2 9;資 :P3 5 5 9 0.衣 :S4 1 7 3 ,P3 6 4 5( ? ) ,4 5 9 7 ,鳥2 9 ,乃7 4,⑳1 7 6;永息 - 如謡 :P2 9 7 5 P.金剛 - ナシ :S1 6 7 4,P3 5 5 9,衣3 7;金光 ( 若 !) :P3 7 9 2 Q. ( 一心)満 :鳥2 9 〔1 7〕 3 6 4 ソグ ド文字で表記 された漢字音 R.袷 :P3 7 9 2 S.男 :P2 9 7 5;南 →ナシ :P4 5 9 7 T.失 :P2 9 7 5;悉 :P3 7 9 2 ,鳥2 9 U. ( 須達)陀 :P3 6 4 5 V.袷 :P3 7 9 2;如来精舎 →ナシ :P3 6 4 5 W .衆聖 - 聖衆 :S1 6 7 4,P3 5 5 9;世衆 :P3 6 4 5;種善 :P3 7 9 2 Ⅹ.堂 :P3 7 9 2 Y.於此 - 於彼 :S1 6 7 4,P3 5 5 9;於此 一 因此 :P2 9 7 5;於此 - 如来依此 :P3 7 9 2 Z.伽藍 →ナシ :S4 1 7 3 ,P2 9 7 5 ,3 6 4 5 ,3 7 9 2 ,4 5 9 7 ,鳥2 9 ,乃7 4,◎1 7 6 AA.忠 :S1 6 7 4,P3 5 5 9;此 :P2 9 7 5;欺 :P3 9 7 2 BB.不 :P3 7 9 2 cc.共 :S1 6 7 4,P3 5 5 9 DD.追 :S1 7 6 4;追 :P3 5 5 9 EE.聖 :鳥2 9 FF.金剛 - ナシ :S1 6 7 4,P3 5 5 9,衣3 7;金剛 一 十金光 :P2 9 7 5,3 7 9 2 GG.不 :P3 7 9 2 HH.多 一 十ナシ :P3 7 9 2 Ⅰ Ⅰ .其 :P4 5 9 7 J J .潔 - ナシ :P3792 寓本の系統固 2 種の寓本は,テキス トの異同をもとに,い くつかのグループに下 『 金剛五薩』のこれ らの1 位分類することができる。 まず r,oo,D で 「 法師」を持つ 3寓本 ,S1 6 7 4,P3 5 5 9,衣 3 7 をまとめにすることができる。 このグループは,残 りの寓本 と ( ア)m で 「 逢」を持つ ,( イ) P,FF で 「金剛」を軟 く,(ウ)Z で 「伽藍」を持つ,( -)Ⅴ Ⅴ の一句を持つ鮎で異なってい る。 このグループはまた kkで共通 して 「 充」を示す.S4 7 1 2は最初の 3分の-程度 しか残 っ kで 「 充」ではな く 「 超」を持つので,これ ら 3寓本 と同 じグループには分類 ていないが,k できない。 7 が H,Y で他の 2つ とは異なる。 また最後 2つのセ クション これ らの 3寓本の中では,衣3 の順序が この寓本だけ逆になっている。一方で,Ⅴ Ⅴでは P3 5 5 9が,Ⅰでは S1 6 7 4が他の 2つ と異なっている。従 って,衣 3 7 が他の 2つ と異なる鮎は多いものの,後者を衣3 7と封峠 させる べ きか どうかに関 しては疑問が残 る。 3 6 3 〔1 8〕 東 方 学 報 残 りの 9寓本では,P2 9 75 ,3 6 4 5,3 79 2,鳥2 9の 4つが共通 した特徴を示す,q,mm,nn,C, D 参照O乃7 4と ◎1 7 6はこのグループと似た特徴を持つが,すべての鮎で一致す るわけではな い。特に ◎1 7 6は,Sと ppで他の11 寄木 と異なっている。残 りの S41 7 3,4 71 2,P45 9 7につい ては,他の寓本 とは特に密接な関係を示 さない。 上述 した ことをまとめて,下に寓本の系統園を示す。下に示すテキス トか ら明らかなとお り, Ma i nz1 6 0+Ma inz 6 2 4( 以下に Ma inzと零す)は,P2 9 7 5,3 6 4 5,3 7 92,鳥2 9のグループに屠す るので,ここでは便宜的上 この寓本 も系統園の中に加えておいた。 1 . 2 Ma i nzの校訂 下に Ma i nzのテキス トを提示す る。 テキス ト中の [ 角括弧]は完全な破損部を,( 丸括弧) は文字の一部が残 っていることを示す。 ( --)は,文字の残量か ら推定 され る字数を表す。 - 便宜のために行間に封鷹す る漢字を添 えておいたO封麿する漢字の認定には,上靖のクリティ カルテキス トとヴァ1 )アン トを参考に した。なお補助記既を附けた k及び rは,各々文字 k及 び rに下に文字 rに似た小 さな文字が添えてある。 Ma r gi na lt e xt 0 w' 菖 wa 和尚 ? 〔1 9〕 3 6 2 ソグ ド文字 で表記 された漢字音 Re c t o ] ( I ) m, yx , wrF l 1[ 2 ( ・ ) [' ] ( ys ) [ ym kyr yt s yt s yc y] n( 写 ) Wβ wkwβ W ( ど ) 【 ' y 一心 敬産 清 浄 貞 如 無 去 無 乗 [ 不生不滅寂然] 3孟 wc wl ] ( ・ ・ ) t s w菖 yβ W( t ) wnk( k) [ 常 住 [ 湛意佐安千俳共] 尊 (?)十 方 同 境 [ 怪沙] 4 Ⅹwnkt ' kl n' m] ( wt s y)t s yβ' p孟 yn( t ) [ wnkmy菖 ' k' 功 徳 [ 非 色 非 心 南]無 清 浄 法 身 [ 同 名 樺迦牟尼] 5 Pr・ ・' ys ymb lkyr ] yp( y) l t s y] ( n)y ypr ynxwl ' 俳 一心 [ 敬]穫 批 [ 慮遮那千] 菓 蓮 華 [ 四智珍賓] 6t ' k菖 ' nβ wkykkwynx' yβ wpynt s ykxys ' mky(r wy) [ Ⅹwnk畠 ypt yxw] 徳 山 無 極 願 海 無 遠 横 行 三 砥 累 [ 功 十 地 虞] 7 β cc ywβ' px' yt ym' nkw文wnkn' mwwl y] nm' np' ( W畠 ) [ yn主 ' k' ] 照 法 界 膿 漏 虚 空 南無 園 漏 報 [ 身 樺迦 牟尼価] 8 ' ys ym l kyr ] y写 W r ' y菖 yt ys wyr孟 ' nc yp' kl 一心 [ 敬]薩如 来 生 地 雪 山 之 北 [ 香山之東城親] 9 文'w y β W( m) 【 yt ] ( S ) yβ' mdpwmyp' y'主 yp( ky) t w 迦維 父 名 辞 焚 母 名 摩耶 十 九 [ 出家三十成道] Ve r s o 1 n' mwt s yn( p' ) [ Ⅹ?] nyexw'畠 ynt wnkmy菖 ' k( ' ) [ 南無 千 百 ? 化 身 同 名 樺迦 [ 牟尼悌一心敬薩] 2 kym 文w l p' 写 ] 'p' r 'pyrt '菖 ym 菖 ym β ( wy) [ f 金 剛[ 般若]波羅蜜多 甚 深 徴 [ 妙生諸俳身滅] 3 β' mβ wt s wyβ Wγ' β W写 yn孟 y文wnk菖 ' k女wnkl 凡 夫 罪 無我 無 人 聾 空 色 空 [ 苦悩蓋纏困玄] 4 wys ykn' mwkym 文wp' 写'p' r 'pyrt '岳 ym 畠 ym β ( ' p) [t s w' ys ym 永 息 南無 金 剛般若波羅 蜜 多 甚 深 法 [ 蔵 一心 ] 5 kyr y菖 ' wy菖 y[ n] ( ' ) ms yl w 敬薩 舎衛 城 [??] 南 須 [ 蓮 c n] w kkyt'r ym x( ' ) [ 園 中] 砥 陀 林 下 [ 精舎辞] 6 β W署 W r ( ' ) l y 房 如 来 [ 於 藍 此 伽 孟 wyr] s yp' 写 'p' r 'p( y) [ rt '菖 ym] 説]斯般若波羅 蜜 多 甚 7菖 ym β( ' ) l p 孟J yt s wn東( ' ) l yn' ] mwkyml史W] 深 法 [蔵 我 今 恭 敬 憶 念 世] 尊 ? 南無 金[ 剛] 8 p[ ' 幻( 'p) [ ' r 'pyrt'言 ym 菖 ym β' pt s w] gt ' wc wky( m) [ ] 般若 波 [ 羅 蜜 多 甚 深 法 威] 道 場 金 [ 剛] 9 日ぎ[ 3 6 1 ] ( ・ )n , k( t , ) yxw( , nk)[ ] 〔2 0〕 東 方 寧 報 ソグ ド文字で表記 された漢字音 東 方 学 報 a Ma in z1 6 0の右端に小さく書かれている ;b βr・ ・ ' ys ym の部分は,2つの断片の接合 部に普り,讃みは必ずしも確なわけではない ;C β' p を書こうとして誤 りに気附き β だけを書き,攻に正しい cywを書いた。その際 βを消し忘れたもの ;a「 飯」なら ば β' n が濠想される。ヴァリアント「 焚」を参考にした ;e或いは wy;f β( ' y)とも 諌める ・ ,gt ' W までは空欄である。ここで 『 金剛五薩』が終わったことを示すのだろ う。 2 So1 4 8 3 0( -T I ITo yoql ) この寓本 ( 以下に TⅡT と暮す)は,正書腔の ソグ ド文字で音寓 された 7行のテキス トと, 各音鳥形の右側に後で書 き添え られた漢字か らなる。文書のサイズは ソグ ド文字を横書 きとみ て,横 2 8c m,縦 9. 5c m である。ただ し薯際には ソグ ド文字は縦書 きされていた らしく,蘇 えられた漢字は縦に書かれている。漢字の俳典は 『 大乗起信論』か らの引用を含んでいるもの の,テキス ト全鰹を比定す ることは今のところできていない。 この文書に関 しては,百済康義 と Sunde r ma nn に よる共同研究が濠定されてお り,テキス トの校訂などほそれに譲 ることに す る。ただ しこの資料は, ソグ ド文字表記の漢字音を研究する上では必須のものなので,下記 の表中に別に欄を設けておいたo この文書か ら回収 され る漠字音については附録 も参照 された い。なおこの馬本では非常に多 くの補助記親が用いられているので,それ らを説明 してお く必 要がある。下にそれ らを列挙す る : 今( β):βの下に補助記親を附けた文字は他でも知 られてお り,有聾音 [ β】と区別 して無尊書 [ f 】を表す( 3 ) 0 イ( 写):Ⅹ或は γの下に補助記親を附けた文字は, ソグ ド語文献では Ni l a ka qt ha dha r a p王にみ 焚語の聾門摩擦音の hを表すには, られる(4).そこでは焚語の hが Ⅹ或は 耳で表記 されている。 軟 口蓋摩擦音に封鷹す る文字 Ⅹ では不都合 と考えて,補助記親を附けたのであろ う。ただ し この補助記観を終始一貫 して使 うことはなかった ようだ。一方 ウイグル文字でも文字 Ⅹ ( -q) の上に l鮎ない し 2票占を附けた文字や,Ⅹ の下に 1鮎を附けた文字は知 られている( 5 ) 。 この文 字は有聾音 [ γ ]と区別 して無聾の [ Ⅹ]或は [ q]( 軟 口蓋の閉鎖音)を表す場合 と,摩擦音 [ γ ]及び [ Ⅹ] と区別 して無聾の閉鎖音を表す場合があった ようだ(6)。本資料では,摩擦音 と区別 して特 に閉鎖音を表 していると考えられる。詳 しくは下記Ⅲ章参照。 6に在透 されるO これは有馨音 と j( k):文字 k の上に補助記貌 (2鮎)を附けた文字は P2 k】を表す もの と考えられている( 7 ) 。 しか し本文書では逆に有聾音を示 してい 区別 して無聾音 [ る。 L 2( k):文字 k の下に補助記窮を附けた文字は他では知 られていない.閉鎖音を表す ことは 確かだが,その葺態は必ず しも明確ではない。筆者の解樺については下記参照。 3. ( p):文字 p の下に補助記窮を附けた文字 も,他では知 られていない. この文字の正確な 〔2 3〕 3 5 8 ソグド文字で表記された漠字音 音債 も明らかではない。なお下記参照 j( p):文字 。 p の上に補助記班を附けた文字は,他でも知 られている.ただ しこの場合には 2種類の単音がある.一つは,マニ教文献に見 られるもので,文字 p の上に 1鮎或は 2鮎を f ]を表す( 8 ) O もう一つは,俳典に 1例在透 されるO文字 pの上に 1鮎を施 した もりで, 施 して [ 有聾閉鎖音 [ b]を示す (9)。本文書のものは明らかに後者 と同 じで,有聾閉鎖音 [ b]を表 してい る。 1 ,( r ):文字 rの下に補助記既 (ここでは小 さく書かれた文字 r )を附けて [ 1 ]を示す ことは, 0 ) 0 ソグ ド文字で もウイグル文字でも普通に行われることで問題がない(1 壬( y):文字 y の下に補助記親を附けた文字は他では知 られていない。 どのような音債を持 つか明らかではない。 t( i ):文字 Zの下に補助記親を施 した文字は,[ n]と区別 して [ Z,乏 ]を示す場合 と,[ n]及び l z ]と区別 して [ 云 】を表す場合がある(ll ) . この文書では 日母を表記す るために用い られ,この馨 母は 8世紀には [ 乏 ]と費音 されていた ことが知 られているので,後者の場合だ と考えられ る. 3 その他 上で扱 った 2鮎以外にも, ソグ ド文字で表記 された漢文俳典は知 られている。大谷探検隊将 来の 1鮎は既に紹介 した (12)。その他にも若干の断片が見つか っている。筆者 に知 られている のは攻の とお りである : ( 1 ) ドイ ツ ・トルファン探検隊清爽 Sol O 6 7 5( -MI K1 9 7-TI D) :2 6 . Oc mxl l . Oc m の貝葉本 ( 接合可能な 2断片か らな る)。表裏各 9行ずつ。漢文俳典の比定はできていない。 ( 2 )大谷探検隊将来 西域文化資料 No s .1 1 2 3 ,1 1 2 9 ,2 1 3 5 ,2 8 0 3 a ,5 7 3 5 ,5 7 4 6 ,5 7 4 7 ,5 7 5 8:これ らはすべて 小断片で同一文書の離れである。表は正吾膿の ソグ ド文字で書かれた悌典で,その紙背 を利用 した ものである。 どちらも原典の比定はできていない(13)0 Ⅲ ソグ ド文字で表記 された漢語の吏音 1 表の説明 ここでは,上の Ⅰ・Ⅱ節で収録 された漢語の表記を整理 し,その背後にある漢語の単音の問 題を扱 う。整理に際 しては,Ⅰ・Ⅱで収録 したもの以外に,『 慈恩俸』のウイ グル語諾 中にみ える漠字音 も参考にす ることに した。 ウイ グル文字で表記 された漠字音は,資料 の時代や地域 3 . I ; / - 〔2 4〕 東 方 学 報 が類似するだけでな く,文字鰹系が基本的に同 じであることか らも,営然参考にすべ きもので ある。賓際下で も明らかになるとお り,『 金剛五薩』の中の藻字音寓形は,基本的に ウイ グル 文字で表記 された ものと同 じである。 ウイグル語文献は,公表 された ものだけでも膨大な量にのぼ り,それ らの中の漠語形を網羅 的に扱 うことは,筆者のような門外漢には不可能である。幸いウイグル語文献中の漠字音につい ては,D. Si n o r ,B.Cs o n g o r ,庄垣内正弘,高田時雄 ,G. Ka r aによる専論があ り,それ らに よって大約は把握できる( 1 ) 。特に庄垣内のものは,漢語の要素を多 く含む 『 慈恩侍』の ウイ グ ル語諾中の漠字音を,未登表の部分 まで含め,文字特薦の形で提出 してお り, ソグ ド文字によ る音寓形 との比較を容易に して くれ る(2)。下の表の中に提出したのは,この庄垣内の研究か ら 引用 した ものであ り,筆者 自身が寓本にあたって読みを確認す る作業は行 っていない。ただ し ,Ⅹ, βに改め ソグ ド文字表記 との比較を容易にするために,彼の翻字の b,d,q,Ⅴを各 々 p,∂ た( 3 ) 。また誤植 と考 えられ るものは,表の中には含めていない。 この鮎については下のⅣ章の 説明も参考にされたい。 下に ソグ ド文字で表記 された漠字音を整理 した表を示す.表は漢語の音韻研究の一般的方法 にならって,馨母及び韻母の順に配列 してある。準接 した中古音は,『切韻』の反切に よって Ka r l g r e nが再構 した ものである(4)。ただ し Ka r l g r e nの再構形では匡別 されていないが,軽唇 音 と重唇音の別は重要なので,本稿では両者を別 々に扱 った。 この種の資料を扱 う場合,時代や地域を考慮すれば,む しろ 8世紀後半の長安音に基づいた とされ る 『 慧琳音義』( 7 8 3 8 0 7 年撰述)の反切か ら推定 される韻母の鰻系や,91 0 世紀の敦 燈で書かれたチベ ット文字表記の漢文文献をもとに,羅常培や高田時雄が再構 した常時の敦塩 における登音 と比較すべ きか と思われ る( 5 ) .しか しこれ ら後の時代の単音は,基本的に 『 切韻』 の鰹系か ら組織的な襲化を経て成立 した ものと考えられ,我々の資料 もそのような 『 切韻』以 後の襲化を知る手がか りになるものなので,敢えて 『 切韻』の膿系に準接 して整理 した. もち r l g r e n の再棒形に封する修正や,これ ら後の時代の単音に言及す るこ ろん必要に鷹 じて,Ka とにする。 表についての注樺では, ソグ ド文字による漠字音の音鳥形を, ソグ ド文字の音債や昔時の漠 字音を参考に して説明す る.注は原則 として TⅡT及び Ma i n zに封するものであるが,Ⅰ章 で収録 したものについても言及す る。ただ しⅠ章で扱 った漠字音は時代の鮎でも,表記の面で も均質性を妖 くことには留意 されたい。 2 聾母 2. 1 重唇音 ( 表 1) 常( p) ,漢 ( pt )及び並 ( bt )母には等 しく文字 pが用いられている。 ソグ ド文字では,閉鎖音 〔2 5〕 L ' i ・ 了 打 ソグド文字で表記された漠字音 表1 TⅡT 常 p 誘 p ' n k 不 pr 漢 p` 怖 p w 並 薄 ' p' Ⅹ Ma i n z そ の 他 般 p' 芭 p' ( 5 ) * 百 p y X 波 p' 板 p' n ( 5 ) 本 p y n 冒 報 遠 北 p ( p y ' ( k ' n W ) [ Ⅹ ) ] 丙 八 p b y ' r i ' y l r ( ( 8 ' ( 7 ) 6 ) ( ) ) 8 ) 砕 p i , 庇 列 p y ' n ( ( 5 6 ) . 1 ) 破 p' 菩 p w( 5 ) 婆 p' 批 p ( y ) b` 菩 p w m ウ イ グ ル 蒲 批 p w y 名 my 滅 ' n f ) ' y r 磨 . p' 魔 ' nP' 母 p w 墨 猫 木 鵡 my k ' W Ⅵ w ' Ⅸ ( ( 5 ( 5 2 ( ) ) 5 , ) 5 ,6 ) 銘 明 my 戊 b w( 6 ) 馬 p' 戊 p w *( )中の数字は, Ⅰ章のセ クシ ョソ名を示す。以下同様。 について,有聾 ・無聾及び有気 ・無気を区別す ることがで きないので, この表記か らこれ らの 聾母が常時互いに区別 されていたかを推定す ることはで きない。ただ下 で も述べ る よ うに ,T ⅡTでは明母 の脱鼻音化に よ り費生 した有聾閉鎖音を f )で表記 してお り, この ことか ら並母が 有聾音 ではなか った ことが推測 され る。 また摩擦音では全濁音の無馨化は明瞭 であ る上 に , 8 世紀後半以降の他 の資料 で も全濁音 は無聾化 しているので( 6 ) , この資料 で も全鞠 の閉鎖音 は無 聾化 していた と考 え られ る。 Tの表記 は明 らかに重唇音あ 不は 『 虞韻』の反切に従 えば軽唇音化す るはずであるが ,TⅡ ることを示 してい る.同様 の現象はチベ ッ ト文字資料及び ブラーフ ミ一文字資料 に も見 られ る ( 7 ) ( ) TⅡT の怖 p w及び薄 ' p' Ⅹにみ られ る表記 pと ' pの意圃す る音債は不 明であ る。前者 は有 355 〔2 6〕 東 方 学 報 気音を聾母 とす る文字 なので,有気性を表そ うとした もの とも考 え られ るが,他 の有気音馨母 .' p に関 しては,群母の字 である教 ' k y nに類似 の表記が には類似の補助記鍬 ま見 られ ない (8) 見 られ る.薄 も葱 も全濁音 なので,全濁音が まだ他の聾母に完全 に合流 していなか った ことを 示す ものか もしれ ない (9)。ただ し全濁音馨母 において も例外的な事例 である ことは強調 してお かなければな らない。 明母は,TⅡTでは m-と ' n p -に よって,Ma i n zでは m-と p-に よって音寓 され ている. こ れは唐代の長安及び西北地方 で起 こったいわゆ る晩鼻音化現象の現れである。 この襲化では, ,n,I-ほ軌 、 鼻音 の入 りわた りを持 った有聾閉鎖音 ( mb,n d,q g)に襲化 した. 鼻音の聾母 m0) 0 T ただ し鼻音を韻尾 に持つ字 では,逆行 同化に よって鼻音性が保持 され ることが多か った (1 ⅡT の ' n f ) -は明 らかに鼻音 の要素を残 している( l l ) 。 さらに補助記掛 こよって,有聾 の閉鎖音 を区別 して表記 しよ うとしてい る。一方 これは有馨閉鎖音 Ma i n zでは,ウイグル と同様文字 p-だけを用いる。 [ b]を表 した もの と考 え られ (12),鼻音要素を失 ってい る鮎 で TⅡT よ り吏展 した段階に属 してい る。m-で表記 され るのは どち らの資料で も,後 に鼻音が綬 く場合である。 これ もウイ グルやチベ ッ ト文字資料 と一致す る(1 3 ) 0 w は ,[ p]と 【 b]を区別で きるてこ文字に よる表記 であ り,正 しく有聾音で その他 の欄の戊 b TⅡT Ma i n z そ の 他 ウイ グル 罪 誹 β y 法 β' p 坊 β W f 方 β ' n k 方 夫 父 β W 府 封 β w Wn k 漏 β wn k 敷 f ` 奉 副 俳 β r Ⅴ 微 文 q 網 β n β ' n k 俳 ,β r f w( 6 . 1 ) 焚 凡 房 β W ' m 輔 符 β W 無 β W 文 βyn 微 β( wy) 武 β W ソグド文字で表記された漠字音 あった ことがわかる。m- で表記 された ものは,どれ も晩鼻音化以前に導入 された借用語 と見 なす ことができる(1 4 ) 。ただ し象 myx は焚語音詩語中の例であ り,脱鼻音化の考察の封象には な り得ないだろ う。 2. 2 軽唇音 ( 表 2) 非, 秦, 微母の例が知 られている。 TⅡT では非 ・奉に射 して β を,微に封 して β を用いる。 ソグ ド文字の β は本来無聾音 も有聾音 も示 し得るので,特に無聾音を表す際には補助記窮を 用いることが知 られている。従 って βは [ f ]を,βは [ Ⅴ]を表 していたに違いない。Ma i nzは両 者を区別せず一様に βを用いるが,微母では有聾音を表 していた と考えられ る。 このことは他 の資料 とも一致す る(1 5 ) 。 ちなみに非母 と奉母の登音が異なっていた として も, ソグ ド文字で f ]になってい は匝別できなかったであろ う。高田によれば,非 ・敷 ・奉の 3尊母は合流 して [ た と考えられ るとい う(16)0 無 mw は例外であるが, どれ も焚語音詩語の南無 n' mw( <Skt .na mo )の場合であ り,異 と す るに及ばない。 2. 3 舌頭音 ( 表 3) 端 ・透 ・定母はすべて t -で表記 されている。 これは重唇音におけると同様,漢語 の側の音 韻襲化 と, ソグ ド文字の表音上の制約か ら濠想される事態である(1 7 ) O泥母は ,TⅡT では n あるいは ' n t -で表記 されている。メ n t -ほ晩鼻音化を示す もので,t -は [ d]と単音 されていたに ) や kの場合 と異な り,単なるtと区別する補助記親が附けられなか 違いない.ただこの場合 ,i った理 由は不明である。 ソグ ド文字で ソグ ド語を表記する場合 ,' n t とい う文字列が頻繁に現 れ ることと関係があるのかもしれない。念 ' nt ' ym では,鼻音の韻尾を持つにもかかわ らず股 鼻音化が起 こっている。 この種の例外はチベ ット文字資料にも見 られる(1 8 ) 0 Ma i nzの南 n'は焚 mw の例であ り,問題にならない。その他の欄の提 ∂' yも,焚語音詩語の例 語音詩語の南無 n' である。 -1 )で表記 されていて問題がない。TⅡT の六 r y wγに補助記既がみえ 来母の字はすべて r( ないのは,単に不注意に よるものである。その他の欄の焚語音詩字の羅 r'は問題にならない が,蓉 ∂yw には注が必要である。 ソグ ド文字の ∂は,比較的古い盾のイ ン ド語か らの借用語 9 ),この場合 も ∂ほ 【 1 ]を寓 していた では [ 1 ]を表記す るために用いられることが知 られてお り(1 ことになる。従 って参 ∂yw は,比較的に古い借用語であると判断できる。 2. 4 舌上音 ( 表 4) 舌上音 ( 知 ・徹 ・澄母) と正歯音 ( 照 ・穿母)は,チベ ット文字資料では合流 している(20). 353 〔2 8〕 TⅡT 端 t 多 t ' 嘗 t ' nk 得 t k Ma i nz ウイ グル t . ' 多 t ' ( 5 ) 東 t wnk 徳 t ' k 啄 t ( 5 ) 敦 t wn 店 丁 督 都 と 圭 圭 t y W Wγ w y m X ( ( 6 ( ( 6 6 . 6 ) 1 . . ) 1 1 ) ) 徳 帝 t a yk 他 t ' 睦 t y 定 道 t ' W 池 t y 同 t wnk 派 能 nnk n 念 乃 来 乗 r " y 羅 論 r wn 1 の 他 b 逮 t ` d` そ 南 ' nt ' ym n' 憂 統 太 t w ' ynk 達 t r ( 3 ) 提 度 大 壇 t 主 _ j ∂ W y r ' y y ( n ( 6 ( 6 ( 6 6 5 . 6 ) . ) 1 1 ) ) * n' wr( 5) [ n] ( ' ) m 賓 t yw ・殿 達 徒 t ∂ y w ' r n 南 n' m . 寧 ny l yw 羅 r ' ( 5 ) 流 来 r ' y 参 ∂ yw( 5) 臆 1 W 剃 r y 絶 r y 六 1 wk( 8 ) 雛 r y 林 r' 汀m 蓮 l yn l wk' ( 8 ) ソグ ド文字資料では, これ らの聾母の漢字は少ないが,どのグループも C -で表記 されていて, ' n ほ ,6 3 9 年の契約文書 に現れ る例で,こ 両者は合流 していた考 えられ る。その他の欄の張 C の時期に既に知母が照母 とよく似た登音であった ことが分かる.なお,全濁音及び攻清音の扱 〔2 9〕 3 5 2 ソグド文字で表記された漠字音 表4 TⅡT Ma i nz 中 [ c wⅠ 1 ] k 知 モ そ の 他 張 C' n( 4 ) 徹 t ` C " nk 澄 長 a` 重 t c wnk 住 c w 長 C' ng( 6. 1 ) ウイ グル 張 貞 中 c C 立nk w 超 堵 c C w ' W w 宅 c yX 鄭 重 陳 t c s y w n いは他の閉鎖音尊母 と同様である。 TI l T の重 t c wnkは奇妙な表記である。t c -は [ t e ]と表記 した ことにな り,単なる C [ 6 ]と c wnk と表記 されている票占ほ注 目 どの ような差異があるのか不 明である.ただ正歯音の種 も t され る。単音 のなん らかの差異を表そ うとしたものであろ うが,その意園す るところは必ず し s w を これ と関連づけ,重の も明らかではない。庄垣 内は, ウイグルの例外的形式である重 t ) 0 馨母が澄母中では他 と異なった性質を持 っていた もの と考えた (21 2. 5 歯頚音 ( 表 5) 精 ・清 ・徒の 3聾母がすべて t s -で表記 されている。全濁音の無馨化 と, ソグ ド文字の表音 上 の制約か ら期待 され るとお りの音寓形である。その他の欄で, この聾母が C ,t s ,S -で表記 されているのは,[ t s ]が ソグ ド語 の音韻鮭系には通常存在 しない音であることに由来す る。 こ の外来 の音は,借用語においては [ t s 】のまま登音 され るか ,[ t s ]に最 も近 い他の音 [ 己 ]あるいは [ S 】に よって代用 され るか したのであろ う( 2 2 ) 。なお Anc i e ntLe t t e rI Iの泉 c n及び蔵 C' n(どち dz ]を表 していたもの と考 えられ る。 この時期に漢語の全濁音が, らも従母)の C -紘,有聾音 [ 無聾化 していた とは考え られない。 心母は S - で表記 されていて問題がないo邪母の例は存在 しないが,無聾化 して心母 と区別 がな くな っていたであろ う。 ウイ グル文字の表記はそのことを澄 明 してい る( 2 3 ) 。その他 の欄 yは, ウイ グルにおけ ると同様の散発的な有聾化の例 と考え られ る(24)0 の四 z 3 51 〔3 0〕 TⅡT 棉 増 t s nk t s 精 清 t s ynk 七 t s yr Ma i nz 積 t s yk 尊 t s w( ? ) 罪 t s w' y dz ` 漸 t s y ' y m m 心 S 四 s y 酒 の 他 c w( 1 ) 洛 s n( 2 ) t s wn 1 ) S ' n( 6. 千 t s yn 蕉 替 子 t 節 S s s y ' m y r ( ' W ( 5 6 5 ) . ) ( 5 1 ) 清 ( t s y) 刺 f 此 切 [ t t s 】 ' ( y S ) y t s 荏 そ c yg( 6. 1 ) 七 ( s C y ) r y ( ' d ( 8 8 ) 8 ) ) 罪 t s wy 浄 t s y ウ イ グ ル 宗 t s wnk 蒋 t s w 子 t s y 育 子 晋 宗 t ∂ s s w y s y y n n k 草 t s ' W 錯 t s ' Ⅹ 泉 c n( 1 ) 英 t s w 頗 C ' n( 1 ) 秦 慈 t s yn 雪 s wyr 辛 s yn( 6 ) 三 三 S ' m 三 S ' m( 5 ) 孫 s wn 死 s y 須 s y[ W] S ' m( 8 ) 粛 s yw 心 s ym 如 s y S ' m' ( 8 ) 宣 t s wyn 薩 S ' r 修 s yw 息 s yk 信 三 S s y ' m n 心 s ym S ' m 四 s y( 8 ) z S y [ y ( ] 8 " ) ( 8 ) 表 6) 2, 6 正歯音 ・歯上音 ( 照 ・穿母が知 ・徹母 と合流 した ことについては上で述べた。例外的な表記である種 t c wnk についても上記を参照 されたい。その他の欄の主 j wyは官主 Ⅹwn j wy にみ られ るもので,借 用の後先行の n に同化 して有聾化 した ものと考えられる( 2 5 ) 0 〔31〕 3 5 0 ソグ ド文字で表記 された漠字音 TⅡT 樵 t 貞 Ma i nz 障 c y"nk 者 C' 之 c y 照 c yw 専 至 種 諸 之 t c c y w w y n n k . 虞 【 c y] n そ 主 の 他 ウ イ グ ル c wy h( 5 ) j wy( 6. 1 ) 也 C 早 W 志 c y C y( w 6. 1 ) 周 c yw t 穿 言 ` . 昌 c w d 秤 i` 神 主yn 審 p 辞 菖 ym g y' y 菖 yn w 言 W 訣 少 菖 W' ' y w yr 樺 世 舎 聾 菖 昌 [ g y ' ] y 聾 菖 y 好 nk 菖 yp 甚 g ' ym 孟 W 主 W 城 主 y 辞 常 侍 菖 yn 菖 ww . 、 言 y 如 壬 云 W 云 m y 偽 人 蓋 y y y nk 筒 常 島 菖 y ' ynk ▲ 甚 十 菖 主 mp y 若 二 野' γ 軍 y 若 如 茅 W 知 多 y W 人 事 yn 疏 生 島 ' nk 生 菖 y S ・ 併 菖 山 喜 ' n 日 症 t S t 初 S' 34 9 菖 島 yr nk 審 善 成 是 血豆 箕 乗 菖 yn 鳥 ym 常 十 i 菖 yng( 6 ) 身 探 深 世 S 乗 貫' 島 y p( 8 ) 主 m( y 8 ) 城 z yn( 1 ) 十 薫 c y w( 4 ) 壬 j ym( 6 ) 言 y( 8 ) 二 F 菖 y y ' ( 8 ) 孟 Y( 6. 1 ) 史 菖 y y( 6. 1 ) 山 喜 ' n 沙 孟' 斎 C ' y( 6 ) 粛 C' y 慨 C' m 姉 〔3 2〕 東 方 学 報 高田によれば,チベ ッ ト文字資料では,審 ・押 ・紳母は合流 して 言【 6 ]になった。 また疎 ・ 淋母は ![ 声 ]になった( 2 6 ) O ソグ ド文字資料では,林母の例はみ られないが,他の 4聾母はすべ て 畠によって表記 されている。 ソグ ド文字ではおそ らく【 6 ]と[ β ]は区別できないので,この資 料か ら,5聾母がすべて合流 していたのか,あるいはなお 2系列の区別があったのかは判断で きない( 2 7 ) 0 照母 と荘母及び穿母 と初母の区別の有無については,高田はそれがあった とす る。 ソグ ド文 字資料には荘 ・初母の例がないために速断はできないが,ウイグルの例を参考にすれば,照母 と同様 C -で表記 されていたであろ う。無論,【 ¢ ]と [ さ ]の場合 と同 じように,[ t G ]と 【 t 声 ]の区別 は ソグ ド文字ではできなか ったであろ う( 2 8 ) 0 y nは An c i e n tLe t t e rの例であ り,押母の無聾化以前の段階を反映するも その他の欄の城 z のである。 ソグ ド文字の Zは ,[ 云 ]も表記できることに留意 されたい06 3 9 年の契約文書中の需 c y w の例は難解である。ただ し濁音聾母の紳 ・秤 ・淋母の現代漢請-の登展は一様ではな く, t 声 ] ,[ t 声t ] ,[ 8 ]に襲化 し, しか もその儀件が特定できない.チベ ッ ト文字資料でもま 各聾母が [ れに期待される摩擦音 ( s h,z h)ではな く,破擦音 0 ,c h)が現れ る場合がある( 2 9 ) 。幕 c yw も, このような酵母の不安定な発音の一例 とみなされるだろ う( 3 0 ) 0 l Tで 写,Ma i n zで 写-によって表記 されている。いずれ も [ 蓋 ]を表 し,問題がない。 日母は TI 問題はその他の欄の二 言 y,好 ,q y である。 この聾母が漢語で無聾化 していた とは考えられ ず (31), この数字 の表 を書 いた者 の言語において,二次的に無聾化 した もの と考 え られ る。 Ha mi l t o nは,ウイ グル語における 乏>蓋の襲化の例を引用 し, ソグ ド語においても同様の無聾 , 化が起 こったのだ と考えた( 3 2 ) . しか し注意すべ きは 蓋の音素 としての地位が ソグ ド語 とウイ グル語で異なることである。 ソグ ド語では 蓋は本来の音素であるのに勤 し,ウイグル語では本 来の音素ではな く,借用語にのみ認め られる.従 って母国語の影響による ゑ>畠の襲化は, ウ イグル語の場合にはあ り易いが, ソグ ド語を母国語 とする者では考えに くい。それ故 この資料 は,文語であるソグ ド語に精通 した トル コ人によって書かれたもの とみなすべ きであろ う。 こ 6 9 頁 も参照 されたい.なおウイグル文献中の 日母の特殊な事例について の鮎については上記3 は下記3 2 0 頁参照。 2 . 7 牙音 ( 表 7) 牙音の表記は複雑 である。Ma i n z では,見 ・漠 ・群の 3馨母は他の閉鎖音の聾母 と同様に 及び k)によっ 区別がな くな り, しか もウイグルにおけると同 じように,3・4等の字は k-( て,1・2等の字は Ⅹ-( 及び 文一 )に よって表記される( 3 3 ) 。迦 k 'は例外だが,樺迦 菖 ' k' ( <S k t . 貞 a ky a)にみ られ るもので,焚語音詩語の例であ り異 とするに足 りない(34)o ウイグルの k-と Ⅹの使い分けは,漢語の側で軟 口蓋閉鎖音 ( すなわち牙音)が,1・2等 と 3・4等で相嘗調音 〔3 3〕 3 4 8 ソグド文字で表記された漠字音 二TⅡT Ma i nz そ の 他 見 y) ' W 九*k( 九*( ky) [ W] h k 鬼 *kwy 金*kym 金*km( 1 ) 金*ky m 敬*ky 九*ky w( 8 ) 環*kyy 敬*k' ynk 境*( 近) [ y? 】 巳*ky y( 6 ) 季*kwy 蓮*k' ynk 迦 k' 英*kwy( 6) 恭*ky nk 境*k' ynk 迦 文' 軍*( kwn) ( 3 ) 官*kwynk 界 ky' y 界 Ⅹ' y gwn( 6. 1 ) 綱 ⅩW 撃 kw( Ⅹ) 剛 文W 官 ⅩW' n( 3,6. 1 ) 慶 ⅩW kwy R Sw' n 故 耳W 功 Ⅹwnk 更 写y' nk k( 1 ) ウイ グル Ⅹ' n( 6 ) 堅 *ky n 江 Ⅹwnk 公 Ⅹwn( 5,6. 1 ) 庚 Ⅹy 庚 甲 文 y ' p y ( 6 ) 穀 園 ⅩwX 漢 恐*kwn k 去*kw 康 Ⅹ' n( 5 ) 卿*ky k` 軽* 起*ky ' ynk 空 文wnk 開 Ⅹ' y( 5 ) 窺*k 慶*ky wy 秤 憩*' ky( n) 極*ky k 極*ky yk 砥*ky 乾 忌* *k kyn g` 疑 業*' nk' yp 願*kwyn #* ' nkp' ( 1 ) 尭*kyw ng 疑*' nky 我 元*' nkwyn( 5 ) 業*kyp 五 外 γ W W' y γ' 衛 五 γ W W( w ' ( 6 y β 8 . ( ' ) ( 1 8 8 ) ) 元*kwyn N. B.*は3・4等字を示す。 位置が異な っていた ことに よるとす る祝がある( 3 5 ) 。そのことは否定 で きないであろ うが, こ の場合には明 らかに前舌母音 と k,後舌母音 とⅩが結び附 くとい うウイ グル語 の側 の制約が背 景にあ った と考え るべ きであろ う(36)。漢語 よ りも受け入れ側の言語 の影響 であることは,チ ベ ッ ト文字資料や ブラーフ ミ一文字資料に この区別が全 くみ られない ことか らも知 られ る。 こ の鮎か ら推測 され る Ma i nz の書 き手 の母国語の問題については下にやや詳 しく論 じることに す る。 3 47 〔3 4〕 東 方 学 報 Ma i nzでは, 1・2等の聾母に Ⅹ-だけでな く文一も用いているO見母でも功 Ⅹw n kと剛 史W のように一定せず,同報の功 Ⅹ wn k( <k n ng)と空 文w n k( <kt n g)でも一定 しないので,有気 u ・無気の区別や,前 より後ろよ りといった調音位置 とは無関係だ った と考え られ る.次の表 8 か ら分かるように,摩擦音聾母の暁母や匝母の 1・2等字に 文-を用いるものは見あた らない ので,文一 は一部 の ウイ グル文献におけると同様に,摩擦音と区別 して, 口蓋垂あるいは後ろ よりの軟 口蓋の閉鎖音を表記するために用いられていたことが分かる。ただ し補助記銃の使用 に一貫性がなか った ようである。 Ma i nzではまた 虹 が群母 と疑母で用いられている。上でも述べた ように,群母は無聾化 し ていた と考えられ,同 じく群母の橡が ky kと表記 されているので,kは有聾音を表す ものとは 考えられない。一方,砥 g i6(3 7 )k y,極 g' f a kky k,願 qlwt mk wy nの表記か ら判断 して,介母の 前舌 ・中舌の区別 ( いわゆる重紐 2類の区別) とも無関係のようである。今は不明として,解決 を今後の研究に委ねたい(38)0 TI l Tでも,見 ・漠 ・群の 3聾母の表記には k -(あるいは k)と羊-が用い られているO群母 の敷 ' ky n に見 られ る ' k-は,全濁聾母が見 ・漠 とまだ完全には合流 していなか ったと とを示 唆す る( 3 ) .k( k)と 孝一の使い分けは,だいたい Ma i nzの場合 と同 じで, 1・2等字に 写,3 9 ・4等字に k ( k ) を用いる傾向が顧著である。 しか し TⅡTでは,界 ky' yや覚 kwxのような 例外 もみられる。従 って TⅡTは Ma i nzに比べて,漢語の音韻鰹系に息茸であ り, ウイグル の音寓 システムとは少 し異なる。 この鮎については,表 8の匝母の 4等字である現 Ⅹ' yn も参 照 されたい。背景には TⅡT と Mai nzの音寓に常たった人間の,音韻鰹系の違いがあるもの と思われる。 k/1種 しか存在せず,それ と摩擦音の / Ⅹ,γ /が対立 して ソグ ド語では,軟 口蓋の閉鎖音は / いた。しか もウイグル語に見 られ るような,前舌母音 と後舌母音 との結合上の制約 もなかった。 k/と / Ⅹ( γ ) /とでは附随的な音聾特徴 として,前者の方が後者 より前 よ りの調音鮎を持 っ ただ / ていた (40)。従 って漢語の見 ・渓 ・群母 の表記に際 しては,後ろよ りの調音鮎を持つ 1・2等 の聾母を韓寓す る場合,その閉鎖性を重視 して k を選ぶか,調音鮎が後ろ よ りであることに l Tの音寓に 配慮 して Ⅹ( あるいは 写)を選ぶかについて,揺れがあったのであろ う。つま りTI i n z の方は, ウイグル語を母図語 と 普た った人間の母国語は ソグ ド語であったのに対 し,Ma する人間が,青馬に闘興 した可能性が高い といえよう。 Tの 耳は,暁 ・匝母の表記には用いられておらず,Mai nzの 文 と同様,摩擦音 と なお TⅡ 4 1 ) 。 また k の正 区別 して特に閉鎖音であることを示すための補助記銃であった と考えられる( 確な音債が不明なのも,Ma i nzの場合 と同様である. 1等字の覚 kwxや 2等字の界 ky' yにも みられ るので, 3・4等の区別を意園 したものでは有 り得ない。また,軽 kt i 的 ( 3 7 )k' yn kと敬 I d a ngk' yn kの比較か ら,重紐 2類の区別 とも無関係であった ことが分かる(42)0 〔3 5〕 3 4 6 ソグド文字で表記された湊字音 その他の欄でも k-とⅩ-が現れ, その区別は漢字の 3・4等 1・2等の区別に並行 している。 例外は An c i e n tLe t t e rの姑 ( 蔵)k ( C ' n )であるが,上でも説明 した とお り, ソグ ド語を母国語 yの例 とする人間は, 1・2等の聾母を k-で表記することも有 り得た。興味深いのは,開 Ⅹ' である。 これは開元1 6 年 ( 728 年)に洛陽で翻詳 された俳典の奥書に現れ る( 4 3 ) 。 この昔時には, ソグ ド語に封する古代 トル コ語の側か らの組織的な影響があった とは考えに くいので,漢語の 見 ・湊 ・群母の 1・2等字の聾母を Ⅹ-で表記す ることが, ソグ ド語を母国語 とする者に よっ m gを nで寓す ことは比較的に古い時代に導入 ても行われ得た鐙左である。 さらに,韻尾の 一 ' nも,古い時代に成立 された漠字音の特徴であるか ら(44),サマルカン ド出身者の姓である康 Ⅹ した表記であると推測 される。 この例でも漠母は文字 Ⅹ一によって青馬 されている( 4 5 ) 0 疑母でも 1・2等 と3 ・4等で扱いを異にする.Mai nzでは 3 ・4等字に k-杏, 1・2等 字に γ -を用いる. この場合 kは,有聾の閉鎖音 [ g]を表 していたに違いない(46). ここでは韻尾 に鼻音を持つにもかかわ らず,聾母にいっさい鼻音の要素が現れない欝占で,明母 ・泥母 と際だ った相違をみせる. このことはチベ ット文字資料,ブラーフ ミ一文字資料,ウイグル文献にも γ -と輯寓 した文字は Ⅹ-と区別はないが,有馨音であったことに疑いはない 共通 している(47). ので,敢えてこのように特薦 した (47a)0 TⅡTでは 3・4等に ' n k-を用いる。 これは明母 ・泥母におけると同様,股鼻音化の一つの 段階 【 ( a ) g g]に封鷹す るものである.脱鼻音化が問題にならない時代に展す る Anc i e n tLe t t e r の例 ' n k p'都 も,類似の表記を用いるが, これは ソグ ド語にはない初頭の b]を寓すための便 宜であったのだろ う。それに対 して TⅡTの ' n k-の kは,有聾の閉鎖音 [ g ]を特に意固 したも のであるに達いない. この鮎については,韻尾の n g( つま りh ] )を表記す る TⅡTの n kも n k wy nは,上述 した俳典の奥書に見 られるものである。 こ 参考になる。なおその他の欄の元 ' の常時洛陽で脱鼻音化が始 まっていたか どうかは興味深い問題だが (48),我 々の資料はその判 断の材料 として使 うことができないO どちらの場合にも ' n k-と梅寓 されただろ うと推定 され るか らである。 1・2等の馨母には γを用いる。Ma i nzと同様字形か らγとⅩを区別す ることはできないが, 疑母の有聾性を考慮 して敢えて γと特薦 した。 3・4等の ' n k -との並行性を考慮すれば,こ こで鼻音の要素が見 られないのは奇妙である(49)。高田はブラーフ ミ一文字に よる表記で,疑 母の字が摩擦音を表す文字 h' ( : ) ( 5 0 )によって寓されることについて攻の ような説明を輿えてい る : 「---恐 らくは鼻音を伴 った軟 口蓋破裂音の疑母の発音がその聞 こえにおいて摩擦的に響 くのを寓 した ものであろ う」 ( 5 1 )0 γは軟 口蓋後部か ら口蓋垂で調音 され る摩擦音を表す文字な ので,高田の説明はこの場合にも通用され るかもしれない。一方で疑母の初頭音は後に失われ るので( 5 2 ) , ここにその聾母の窮ま りの一端を見ることができるか もしれない (53)。注4 7 で論 じ た疑母の股鼻音化の特殊性 との閲連 も含めて,この問題は未解決のまま賂乗の研究に委ねたい。 3 4 5 〔3 6〕 TⅡT 暁 悔 ⅩW' y Ⅹ γ Ma i nz 化 海 ウ イ グ ル 顧 *ky n w w ⅩW' ' y 許 訓*k 孝 漠*. k Ⅹ X' w n yn 護 Ⅹ W 何 Ⅹ' 下 Ⅹ( ' ) 華 ⅩW【 ' ] 鴻 Ⅹ wnk 惑 Ⅹ 寧 wk W γ 和 W' 皇 衡 玄 塊 慧 華 *k *Ⅹ ky W W' w wy ' Wyn 憧 Ⅹynk ' W "Ⅹ 益 ' yγ 安 " n( 5 ) 鶴 ' y 乙 ỳr ( 6 ) ' y ' wy r 薙 ' wynk - 秤 安 乙 恩 盛 y ' y n y r n k ' y r ・以4 y y ( 開) 愉 ( 令) の 他 虚 *k w 於 悪 愉 そ 耶4 y' " ' y 孤( r ( ' 8 ( 6 8 ) . ) 1 ) 延 4 y' n( 4 ) 衛 3 Wy 石 3 Wy n 氷3 薦 3 Wy- 維 園4 3 Wy 【 y] n Wy 祐 3 yWW 融 # 滅 楊 揚 跳3 4y y ' y W y W( n W Wk. ) 葉4 yyp 速 3 Wy n 英 尉 王3 W" n( 4 ) 王3 W' nk . 院3 Wyn 永 域 唯 維 銀 菟 速4 干 3W Wy β ' W y y W n n * N. B.3,4は各 々 3等 ・4等を示す。 〔3 7〕 3 4 4 ソグド文字で表記された藻字音 2. 8 喉音 ( 表 8) 暁母 ・匝母の字は例は少ないが,Ma in zでは ウイグル同様,3・4等で k,1・2等で Ⅹ- を用いて表記 しているO他の馨母におけるように,本来有馨であった匝母は無馨化 して療母 と 合流 していた と考えられるので,ここでは匝母の字 も X で輯寓 した。文字の形の上か らは Ⅹ とγの区別がないことは言 うまでもない.和 W'( 和筒 W' 蓋 W) は明らかに例外である。漢字の比 : Tでも暁母 定に誤 りが なければ,導入 された時代の差異を考慮 しない限 り説明で きないoTn ・匝母の字は例が少ない。唯一の 3・4等字である現 Ⅹ' yn の例が,漢語の音韻髄系に思案な 韓寓である鮎については上記牙音の項参照( 5 i ) O 影母は ' -によって表記 されているO'ほ撃門閉鎖音を蓑 していたのだろ う( 5 5 ) o峻母は 3等で も 4等で も,開 口のものは y,合 口のものは W一によって韓寓 されている.愉母が開 口と合 口 で扱いを異にすることと,その薄霧の仕方はウイグル と同 じである(縫)o TⅡTの憂 ' y' Wに見 られるYの音債は不明であるO 文字 yは半母音 y及び母音 盲だけでな く, 知 に則 して勘案すれば,Yは半母音であることを明確に示 し, 毒も表記 し得た。菱の再横形 ・ Pe可 ではな く P如 】と発音すべ きであることを表そ うとしたものか もしれないO 3 嶺母 韻母の整理に際 しては,母音の音債が問題を こなるc Lか し残念なことに, ソグ ド文字は母音 ,W,y の 3つ しかない。 を正確に表記するには極めて不都合な文字である。母音を表す文字は ' 概ね 'ほ 蕗 可を了 y及び yは F,e lを了 W及び W は 担,6]を表す。なお ' yと ' W が各々 捧】 及び 【 i u]も表すことを除桝 ま,' yとy,' W とWの区別はない。例えば TⅡTでは 1 つの同 じ漢 字漸に射 して,t s ' ym と t s ym の 2種類の表記がある。賓際 このような表記がまさに ソグ ド的 なのであって,語頭以外の位置の 撞,f lを ' yで表記することは, ウイ グル文字では極 めて稀で ある( 5 7 ) O この種の表記は,ここで引用 した ウイグルの資料中には 1例 も存在 しない し,Ma i n z にも見あた らないO この現象も Ma i n zが基本的に,ウイグル と同 じ表記法を用いていたこと を示 している( 5 8 ) O ソグ ド文字が母音表記に過 していないことか ら,漢語の側に存在 した微細な韻母の登音の区 別は, ソグ ド文字では とうてい表現 しきれなかったであろ うO例えば 1等字 と 2等字の主母音 ( a l e ph)に よって表記 の区別 などは,漢語には存在 した紅蓮いないが, ソグ ド文字では等 しく ' されて しま う。従 って,『 切鶴』の額母のい くつかは,『 慧琳音義』では合流 していた ことが知 られているものの,我 々の資料の親藩な表記によってそのことを昏讃す ることはできないO下 で ソグ ド文字によって表記 された顔母の音債を推定するが,その昔債は多少 とも異質な要素を 含んではいるものの,基本的に ソグ ド語の音韻健系におさまる形式が選ばれている。 34 3 〔3 8〕 東 方 学 報 3. 1 介母の扱い 韻母についての議論 を行 う前に, ここでは物音及び合 口の介母が どの ように現れ るかを見て i )と中舌 ( Ⅰ )の区別は, ソグ お きたい。 まず見 ・渓 ・群母の項 でみた ように,物音介母の前者 ( ド文字表記には反映 されていない。 この鮎はウイグルで も同 じである。一般的に言 って,物音 介母は ソグ ド文字 では表記 され に くい。 この傾向は主母音が前舌母音 であ った り(59),聾母が C,義,蓋,y)である場合 ( 6 0 X 6 1 )に特に顕著である. しか し主母音が虞母音 ・後舌母 硬 口蓋の子音 ( r y wγ,障 t軸 ngcy"nkのように yで表記 されている。 i uk 音の場合には,六 I Ma i nzでは物音介母が yで表 されているのは,九 ( ky) [ W]と須 s y[ W]の 2例だけである。一 方 TⅡT は,は るかに多 くの場合に物音介母が表記 されている(6 2 ) 。 このことか ら判断すれば, i e nx' yn,選 ki e n gk' y nk,切 t sì e i t s ' y,念 ni e m' nt ' ym は物音介母を いわいる慣 4等字の現 γ まだ析出 していない状態を反映す る可能性があ る。 しか し一方で,物音介母が前舌の主母音 に e yと Cさ( Cはなん らかの子音を示す)が区別 さ 併呑 され る傾向があることや, ソグ ド語では Cy れに くい ことを考慮すれば( 6 3 ) ,あ ま りこれ らの表記を重要視す ることはできない。 TⅡT でもう一つ注 目すべ き鮎 は,牙 ・喉音の 2等の界 k豆 iky' y及び更 kl mg写y' n kに見 ら TⅡT Ⅹ' Ma i n z 羅 1 ' そ の 他 ' ( 5 ) ウイ グル ' 敬 何 良 他 t ' 我 γ ' 羅 r' ( 5 ) 羅 1 ' 多 t ' 多 t ' 多 t ' ( 5 ) 河 Ⅹ 軍y ' 摩 p' 摩 p' 破 婆 p' 鷲 魔 ' nf ) ' ua 和 波 W p' ' a 下 W 麻a 麻 阿 者 C ' Ⅹ 文( ' ' ) 芭 p' ( 5 ) .阿 沙 鳥 . 孟 p' , 化 華 Ⅹ w WH ' 華 Ⅹ W' 若 等 ' 君 主' 3 4 2 ソグド文字で表記された藻字音 6 4 ) 0 れる yである。 これは牙 ・喉音 2等の物音化の先駆け とみなす ことができるだろ う( 合 口の介母は ( いわゆる撮 口呼も含めて),撃母が唇音でない限 り,原則的に ・ W・によって 表記 されているOただ し唇音馨母は合 口性に関 して閑輿せず,韻書では合 口と扱われ るものの 開 口と同 じ扱いであるO合 口の介母は,その後に虞母音が凄 くときには W'と表記 されている が,後者 の囲唇母音や中舌母音が凍 く場合,表記上雨着は融合 し,W のみに よって表 されて いる( $ 5 ) 。ただ しこの場合に も,TⅡTと Ma i n zでは若干の違いが見 られるO罪 d zt u 釦 は TⅡ Tでは t s w' y,Ma i nzでは t s wyと表記 されている。後者では介母 と主母音が,融合 した ように 見える0 3. 2 果 ・慣擁 ( 表 9) 南轟 とも紅 ノと表記 され 区別がないO'は 卜a ]を表 しているO これは無論,漢語の側で雨 着が合洗 していたことを示す ものではな く, ソグ ド文字では雨着を区別することができなかった <Skt .pr a 植え )で用い られ るもので,中古 か らである( 6 6 ) 。なお若は,死語音評語である般若 ( 漢語では 畠 軸 と再検 される(S f ) a 3. 3 %# ( #i O) TⅡT では,蟹境の字はすべて Jy と表記 されているO この表記は明らかに二重母音を意園 a i ]を表 していたに速いない( 6 8 ) O ソグ ド文字の表記か らは, した ものであ り, 1・2等字では 卜 1I2等量韻の合液や , 1・2等の主母音の区別の有無は知 り得ないO他の鏡における朕況か ら判断 して, 1・2等の区別は漢語では保持 されていたであろ う。 3・4等の Jyが 卜a i]を意園 した ものか,[ e i ]を意圃 したものかは難問である。 ここでは, 漢語では 3事4等の核母音が 1I2等のものより狭かったことから,卜 e i ] を意園 したものと考え たOなお世 好yと切 t s ' yほ,祭鶴 と斉鶴がまだ合流 していなか った ことを示唆 している0両 嶺は 『 慧琳音義』では合流 していた と考えられるので,TⅡT の書寓年代を知 る上で参考にな るe無給 この 1例をもって,結論を下す ことは早計であるo Ma i nzでは 1 ・2等字を Jyで,3・4等字を ・ yで表記 しているO これは ウイグル と全 く同 じであるO前者が 卜a i ]を意浄 したものであることは明らかだが,後者が 卜C 1を表す ものか トi ] を表す ものかは容易に決め られないO ブラーフミ一文字で表記 された ウイグル語文献で,哲哉 の閑が * peではな く piと綴 られていることから( 6 9 ) ,Ma i nzでも yほ ト i ]を表 していた と考え ることができるo Lか し一方で,チベ ッ ト文字資料やブラーフミ一文字資料では,蟹黄の 3 暮 4等字 と止痛の字が異なる表記を受けているので,[ i ]ではな く[ e ]を想定する根接 もある(70)O いずれに しても二重母音ではな く,単母音が意圃されていることは注 目され る.罪 t s wyは, t s o i 〕のような妻音を表す ものであろ うO 合 口介母が主母音 と融合 した様子を示 し,t 3 4 1 〔4 0〕 TⅡT 秦 Ma i nz 外( 令)γ W' y そ の 他 大 a i 嶋 乗 r "y 乗 r ' y a i 7 5 ' nt ' y 海 Ⅹ' y 悼( 罪( 昧( 令) Ⅹ t ' n S W' W' f ) ' y y 開 と ' y( 6. 1 ) 大 t ' y t y( 6 ) 泰 太 t ' y Ⅹ' y( 5 ) 才 t s ' y 董 t ' y 罪( 令) . t S Wy 管 a i 界 ky' y 界 Ⅹ' y 主 祭 ai 世 毎' y 世 衛( 令) [ W g ] y y 辛 切 t s ' y 鮭 t y ウイ グル 罪( 令) t S Wy 蘭 提 C ' y ∂ ' y( 5 ) 椀 懐( 帝( 令 令) ) Ⅹ Ⅹ CW ' Wy y y 銘 Vy 兼 t y その他の欄では,大乗 とy菖 yngに見 られる大 王 yが例外的表記である.借用語が定着す る過程 で畢母音化 し,トa i ]か ら トe ]ない し トi 】に襲化 したのであろう。菩提 p w∂ ' yの提 ∂' yも,TⅡT の切 t s ' y同様,慣 4等の物音介母析出以前の段階を反映する可能性がある( 7 1 ) 0 3. 4 止揖 ( 表1 1 ) TⅡT でも Ma i nzでも,開 口は y,合 口は y と表記 されている。ただ し軽唇音及び愉母 w の合 口では,合 口の介母が聾母 と融合 し,開 口と同 じ扱いになっている。従 って Ma i nz の微 β( wy)は,もしこれが正 しい謹みであるとすれば,説明不可能な例外である。 yは明らかに [ i ]を意園 している。一万 wyは,トui ]を表す ものと考えられるが, ウイグル でこの簾の聾母には,後舌母音 と結合す る Ⅹ-ではな く,前舌母音 と共起す る k・が選ばれてい ることか ら,後績する [ i ]の影響で前 よりになった二重母音 [ t i i ]を意園 した ものとみなす方が u/の異音 とみなされる。 良いだろ う。もちろん ソグ ド語では,[ 叫 は音素 / 止横では,歯頚音を聾母 とす る字で,韻母が [ 1 ]に襲化 していたか どうかの問題があるO高 〔41〕 3 4 0 ソグド文字で表記された藻字音 TⅡT Ma in s そ の 他 ウイ グル i 妄 為 是 此拾) 義 【 W t y ] y ( S ) y. 砥 ky 脂 利 Ⅳ 鞄 t y 鹿 p y ( 5 ) 師 菖 y 1 至 c y 批 p y 師 蓋 y ( 6 . 1 ) 過 _ c y - 二 草 y 累 ( 令)( r Wy ) = Fy ( 8 ) 枇 p y 円 s y 維 *( 8 ) 遮 s wy 死 s y 之 疑 ' n ky 1 起 徳 管 窺 拷 ( ( 令) s k c 常 y w y y y 給) Wy 発 四( 令) 'k z S s i y 【 w y ( ' 】 8 ( y " 8 ) ( ) 移 6 ) ) 己 k y y( 6 ) 慈 t s y ky 子 t s y ( 5 ) 子 t s y 之 c y 使 菖 y y( 6 . 1 ) 以 y y 史 蓋 y y( 6 . 1 ). 節 ( 令)β y c y 令) 発 ( 手 維 唯 求 招 令 合) ) ) . 蓋 k β kW y w wy y 之 令 微 ( )β ( Wy? ) S y 寺 記 敬 t S k s y y y 治) kWy 田は,チベ ッ ト文字資料 には見 られないが,ブラーフ ミ一文字資料 には観察 され ると してい る( 7 2 ) o ソグ ド文字 に よる粗雑 な母音表記か らは,その鱒化が寮際に起 こっていたか ど うか判 断す ることはで きない( 冒 3 ) O ウイ グルでは どうであ ったかについては,下を こやや詳 しく論ず る ことにす るo なおその他の欄 の己k y y,使 畠 y y,史 義 y yの 3例はすべててこ文字資料か らのものであ り, ・ y yは単なる ) -と同慣であるけ O 3 3 . ( ) 〔4 2〕 東 方 学 報 3, 5 数廉 く 表1 2 ) 例は少ないが, 1年字に ' W,3・4等字に ( ' ) yw を用いる0 2等字の例はないが, ウイグ ル同 様 jw で表記 さJ lたであろ うojw は [ a u]を , ( ● ) ) r wは [ e u]を意園 した もの と考えられる。 『 慧琳音義』では,曹韻 と藷韻は合流す るが,零細な資料からその鮎を確敢す ることができな s y' W は,物音介母を I y-に よって表記 している鮎で,TⅡT の少 蓋 ' y wよ い。その他の欄の蕉 t t s y' W は【 t s i a 可 のような牽音を意淘 した もの と思われるが, り漢語の発音に愚案な表記であるo Ka r l gr e nによって aと再構 された腎韻の主母音を, ソグ ド文字で表記する際,'を選ぶか ( ' ) y つま り【 e 】を選ぶか 2つの方法があ り得たのであろ う. 3. 6 流撮 ( 表1 3 ) T芯Tでは尤韻の例のみ在謹 され ,y' W と表記 されているO核母音の さは 'に よって表記 さ 2 表1 TⅡT a 秦 u a 肴 u 顔u 〔4 3〕 遭 t ' W Ma i nz そ の 他 報 p' ( W) ウイ グル 餐 草 高 遁 Ⅹ t p w s ' ' w W ' W i 教 孝 Ⅹ' W 煮 t s y' W( 5 ) 超 梅 小 桃 遭 照 y c s 蓋 占 C y W ' y W w w W - 3 3 8 ソグド文字で表記された漠字音 表1 3 TⅡT 蔓 u 侯 Ma i nz そ の 他 母 pw 戊 bw( 6 ) 九 ( ky) [ W] 酒 c w( 1 ) ウ イ_グ ル 戊 模 寮 b 1 t ' y W w w w 尤 修 s y' W 主 2 u 九 k( y) ' W 毒 c yw( 4 ) 周 c yw 憂 ' y' W 九 副 f k w yw ( 6 ( . 8 1 ) ) * 州 y c C W ww yw 流 l yw れているが, これは * yw と表記 した場合 トi u]と謹 まれ ることを避け るために選ばれた綴 りで i nzの九 k主 2 u( ky) l w]の謹みが正 しいとすれば,この -yw は ウイ グル と同 じで, あろ う.一方 Ma 物音介母 と核母音が融合 し単母音化 して [ i ]と蒙音 されていたのだろ う。従 って TⅡT の - y' W は トi a u] ,Ma i nzの y wは[ i u]を意圏 した ものと考え られ よ う. 『 慧琳音義』では,侯嶺の唇音字及び尤韻の軽唇音字は,模韻 と合流 した ことが知 られてお り( 7 5 ) ,Mai nzの母 pw 及びその他の欄 の戊 bw,副 f w は よくこの状態を反映 している。 w( 酒泉 c wc n)は ,Anc i e ntLe t t e r中の地名であ り,その表記にあま り拘 その他 の欄の酒 c 泥す る必要はないだろ う。 3. 7 過擬 ( 表1 4 ) 例 に偏 りがある.模韻は TI l T にのみ在透 され,すべて W と表記 されてい るo この表記か ら[ u】が意園 されたか ,[ o ]が意固 されたかは分か らない。 魚韻 は Ma i nzではすべて I W で表記 されている。高田に よれば,魚韻は [ y]( つ ま りl t i ] )と登 音 され ていた とい う(76 ) 0W は この [ 也】を意固 した ものだろ う。TⅡT の場合は複雑で,諸 c w の よ うに Ma i nzと一致す るもの,如 写 y W のように物音介母を表記す るものがある。硬 口蓋子 yw と綴 られていることか ら判断 して,TⅡTでは物音介母 と主母音の 音を聾母 とす る如で も 融合 ( i +o >ti)が起 こっていなか ったのだろ う。虞の例外は TⅡT の併 蓋であるo所は 3例在 鐙 され るが 3例 とも同 じ表記なので,誤寓であった とは考えられないO この文字 の発音の特殊 ),今は不明 として解決を清爽 の研究に委ねたい. 性であ ったか もしれないが (77 i nz に しか見 られない。軽唇音を馨母 とする字では,拗音介母は聾母に吸収 虞韻 の字 は Ma u]と発音 されていたであろ う.住 c w では,硬 口蓋子音 の後 で介母は表記 されて され,単に [ 3 37 〔4 4〕 Ma i n z TⅡT 嘩 護 uO 怖 Ⅹ W p w 菩 都 γ W 菩 p w 負 主 wo 写W 諸 c w の 他 p w( 5 ) と W( 6 . 1 ) k ( 1 ) 五 γ W( 8 ) 五 故 そ 姑 γ W wβ y ( ' ( 8 8 ) ) 如 写 W ウイ グル 蘇 s w S V V W t w 蒲 p w 徒 杜 t ww 臆 l w 如 写 yW 去 k w 如 蓋 W 併 菖 虚 k w 害 許 椿 序 呂 毒 l k c s w W w w y w c wy h ( 5 ) 主 c w c wy ( 6 ) j wy ( 6 . 1 ) 武 β W 虞 .須 s y [ W] c w 夫 β W 住 i u 主 符 β W いないが,軽唇音を尊母 とす る字 と違 って,-W は前舌の園唇母音 [ 一 句 を表 していた と思われ る。 また須 s y 【 W]の復元が正 しければ,この yw は ト i u ]を表す ものであろ う。高田によれば, 昔時の漢語では虞韻は [ i u]と費音 されていた とい う( 7 8 ) .なお無 mwは聾母の項でも述べた と お り,焚語音諾語の南無 ( S k t .n a mo )に見 られるものであ り,臼か ら例外である。 その他の欄には特殊な表記がい くらかみ られ る。 まず An c i e n tLe t t e rの姑 k-( 姑戚k c ' n) は, wy 地名 に見 られ るものであ り, 1文字 1文字の嘉音を正確に表記 した ものではない。五 γ r wβ'は非常に奇妙な表記である( 7 9 ) 。 ウイグル語に導入 され定着 した漢語の中には,韻尾の u β(ウイグル文字の一般的特薦では Ⅴ) を析出しているものや,韻尾の uが βに の後にさらに 韓 じた例がある(80)。文字 yとβは混同Lやすいので,γ wyはむ しろ γ Wβと讃むべ きであろ う。 そ うすれば * γ Wβ及び γ wp'は,ウイグルに見 られるこの現象 と並行する現象であることにな レ人によって書かれた もの と推測 したが,その推軌 ま る(81)。上ではこの数字の表は, ウイグ′ 〔4 5〕 3 3 6 ソグ ド文字で表記 された漠字音 この例か らも支持 され る。 虞韻 の主 c wyは公主 Ⅹwnc wyに見 られ るものである。 この語は ごく早い時期に古代 トル コ 語 に借用 されてお り( 8 2 ) , トル コ語 の音韻腔系への同化 も著 しか ったであろ う。賓際,公 Ⅹ wn で も漢語の韻尾の I I =ま後席の C に同化 して nになっているO同様に,軽唇音化以前の段階を 示す鵡 m' W も,艶鵡子 ' ym' wt s yとい う借用語に見 られ るもので,Ma i nzな どの例 と同列に扱 うわけにはいかない。 表1 5 TⅡT a え 義 読 m p Ma i nz 二 Sm 二二 Sm - I 一 一 呑 冬 質 令 m p. 南 n [ n ' ] ( ' ) m a a 考 衝 m 甲 p ま i え 磨 莱 a m p の 他 漸 t s y ' y m m # yyp ' nk' yp 法 凡 焚 β' p m ウ イ グ ル Sm 二 三 押 S " ' m( m' m( 8 ( 5 8 ) , )8 ) 替 S ' m( 5 ) 甲 蕊' p( 6 ) 1 真 W W i 乏 凡 莱 1 2 e で p m p 業 3 3 5 そ ■ 〉 一 一 一 一 薙 南 t n s ' m ' p 慨 C' m 痛 言 yp 鄭 ' nkp' ( 1 ) 法 凡 業 k βy ' p m p 〔4 6〕 東 方 学 報 3. 8 成掻 ( 表1 5 ) ' m/ p, 3・4等で イ' ) ym/ pが現れる.ただ し,軽唇音を聾母 とす る字では,物 1・2等で ' m/ pは [ a ml b]を,( ' ) m/ y pは 音介母が聾母に吸収 され , 1・2等 と同 じ扱いになっている.トe m/ b]を意圏 した ものだろ う。3・4等が トe m]であって Li m]でなか った ことは,チベ ット 文字資料やブラーフミ一文字資料で, 深癖の字 と異なる表記を受けていることか ら明かである( 幻 ) . 威掻及び攻の深癖 の入聾の韻尾 pの発音 としては,[ p]あるいは 【 b]が考えられる.チべ ヅ ト文字資料では常に b と綴 られる。 一方 ブラーフミ一文字では p畠あるいは b急( まれに I hva, va )と表記 されている。マニ文字では I P,ウイグル文字による表記には表に示 した p以外に, β,W がみ られる。 このことと,封鷹する t入聾の韻尾が どの資料でも rと 少数ではあるが o ngl i deだけの s e mi r ol l e dr 」が推定 されているこ 表記 され ること,そ してその昔債 としては 「 となどか ら(84 ),総合的に判断すれば,入聾の韻尾 ・ p は外破を伴わない,入 りわた りだけがあ る音であったと推測 され よう。内破音では外被音はど有聾 ・無聾の対立は明瞭ではな く,その どちらによっても表記 され得たのだろ う。 また外破を伴わないため,その閉鎖性が明瞭ではな く摩擦音のように も聞 こえたのであろ う。 なおその他の欄の押 " m は押衛 " mγ'に見 られ るものである。韻尾の pが後鯖の字の鼻音性 を吸収 して 一 m に襲化 している。 この稀掛 こついては,他の言語に導入 された形式 も同 じ襲化 p が後唐の鼻音聾母に同化する現象は,次項の深簾の十 孟 m にも見 ら y を示 している( 8 5 ) . また - れる( 8 6 ) 0 3. 9 深掻 ( 表1 6 ) 基本的に ym/ p と表記 されている。 これは トi m/ b]を意園 したものに違いない。TⅡT の甚 訂ym は例外だが,' y と yが ソグ ド文字では比較的に自由に交替 し得 ることについては,既に i nzの十 菖 yは十方 菖 yβ W とい う表現に現れるもので,入聾の韻 上で述べた とお りである。Ma 表1 6 TⅡT Ma i nz そ の 他 ・ウ イ グ ル 倭 深 畠 ym 深 菖 ym 金 km( 1 ) 壬 ゑ ym 主 9 m 緯 甚 孟 ' y m 十 心 島 s y m p 甚 心 十 林 菖 金 s 汀m ky yp m m 十 壬 j 菖 y y m( p( 8 6 ) ) 榛 y m 十 林 1 金 l k 孟 y y p m 〔4 7〕 3 3 4 ソグ ド文字で表記 された漠字音 表1 7 TⅡT Ma i nz そ の 他 ウ イ グ ル 寡. 観 耳W' n 満 m' n 安 " n( 5 ) 安 " n 局 え ー 薩 u a n 乳 r S w ' r ' n 般 p' 蓮 列 t Ⅹ 圭 p r W ' ( n 2 6 ' ( ) n . 6 1 ( . 6 ) 1 . ) 1 ) 達 館 般 Ⅹ p t Ⅹ' W' m ' rn 山 孟 ' n a 耕 n 板 ( 令)p' n( 5,7 ) a 錯 え 山 n ー` i 主 w 皇 w i 静 仙 a a a n a t n t 山 岳 ' n 蘇 演 専 ( 令 令) ) C 菖 ' n W p y ' ' y y n r r 雪 園 ( 令) 令) W S W [ y y 】 r n 延 泉 y c n ' n ( ( 1 4 ) ) 醇 侍 専 宜 克 巻 醍 ( 令) )k t W C s S y W w w y W r y n y w y n n n 日工 願 kwyn 元 ' nkwy n( 5 ) dニ 如プロn 這 wyn 主 e n 蓮 r yn 先 千 t s yn 3 3 3 八 ( 令)p ( p ' r ' r ( 8 ' ) ) ( 8 ) 節 s yr ( 6. 1 ) 這 元 ww k yy nn 堅 kyn 殿 t yn 〔4 8〕 東 方 学 報 尾が後績す る軽唇音 と合 した状況を示す ものである。 この種の連聾は,一心 ' ys ym に も見 ら れ ることで,異 とす るに足 りない。 その他の欄の金 km は Anc i e ntLe t t e rの地名に見 られ るので, この例に拘泥す る必要はない だろ う。 3. 1 0 山撮 ( 表1 7 ) 1・2等で ' n / r , 3・4等で イ' ) yn/ rと表記 されている。合 口字はさらに W を伴 っているO 威薪を参考にすれば , 1・2等は [ ( u) a n/ r ]を ,3・4等は [ ( u) e n/ r ]を意囲 した もの と考 え ら れ る。 3・4等の主母音 に [ e ]を想定す ることについては,ブラーフ ミ一文字表記の ウイ グル 語 の形式,建 khe r n及び蓮 1 e l p も参考になる( 8 7 ) 。 また ウイグルでは前舌の母音 と結合す る文 字 kが W の前に立つ ことか ら( 8 8 ) , 3・4等の合 口の介母は [ n]であ った可能性が高い。 tは,例外 な く rと表記 されている。 この音債については高田が詳 しく論 じて 入馨の韻母 o ngl i deだけの s e mi r ol l e dr 」を採用す る。 こ いる( 8 9 ) 。本稿で も彼が受け入れた有坂秀世の訣 「 の鮎については上記 3 . 8 節 も参照せ よ。 般 p'は明らかに例外だが,焚語 の p r a 掃豆を表記す る般若に見 られ るもので, この表現では pa ]の ように発音 されていた らしい。他の文字に よる資料でも同様 の現象が観察 され る( 9 0 ) 0 般は [ その他の欄の例外的表記は,達官 t r xw' nt r x' nである。 この語源が正 しい としても,非常に 古い時代に トル コ語 に導入 され定着 した この形式は,舌代 トル コ語 の音韻鰹系に同化 していた もの と考え られ る。従 って この例の例外性を漠字音の表記の側面か ら議論す ることは不毛であ i e ntLe t t e rに現れ る地名に見 られ る泉 c n( 酒泉 c wc n)に拘泥す る必要 もない ろ う。 また Anc nの例は,物音介母が馨母に吸収 され , 1・2等の ように単音 されていた こ だろ う.一方延 y' とを示す (91 ) 0 3. 11 疎撮 ( 表1 8 ) 1等では合 口字のみが在覆 され る。ただ し唇音 の後では開 口と同 じ扱いなので,不 prは開 m/ r ,合 口で wn/ rであ った。 これは各 々 口の例 と見な して よい。従 って,TⅡTでは開 口で 一 l l a n/ r ] ,[ un/ r ]を意圏 した もの と考 え られ る.Ma i nzでは合 口の尊 t s n ,t w s w だけが在透 され s w は明らかに誤審 であ り,t s wn では る。t TⅡT 同様 トun]が意園 されている。開 口字が Ma i nzで どのよ うに表記 されていたかは興味深い問題である。TⅡT と同 じなら単に 一 m と表 記 されたであろ うし, ウイ グル と同 じであれば ynと表記 されていたであろ う.l f a r ]と吏音 さ n と表記 されていた可能性が高 れていた と考え られ る併 βrを参考にすれば,TⅡT と同様 い( 9 2 ) 0 3 ・4等字では開 口字のみ在覆 され ,yn/ r と表記 されている。 これは [ i n/ r ]を意圃 した も 〔4 9〕 3 3 2 ソグ ド文字で表記 された藻字音 TⅡT Ma i nZ u合 n ・ a 痩 没 魂 3 n t 論 不 ( 令r ) w pr n 尊 虞 質 真 毒 血 T j * a y n 信 S ' y y r n 人 l 妄 虞 耳 菖 ' y c y y n ] n u 諺 真 吾 t 七 i t s yr 蜜 t s w t s wn pyr そ の 他 量 ウ イ グ ル _ 諭 敦 孫 本 t l p s w w yn n 恩 駁 門 my Ⅹ ' y y n n n * s ' y y r n ( ( 8 6 ) ) 仁 乏 y n 秦 麟 演 乙 p t 1 ' y s y y n r. n 七 乙 s ( ' y ỳt C y ) r r y ' ( ' G ( r ( 8 8 ( 8 ) ) 8 ) ) ) 喪 愉 舜 筆 # s 1 主 p 菖 w y w y r y y n r y nn 東 方 学 報 のだろ う。ただ し,軽唇音を聾母 とす る場合には介母は聾母に吸収 され , 1等の開 口字 と同 じ 扱いになっていたはずで,併 h r ( TI ID) ,βr ( Ma i n z )はそのことを如薯に示 している。 これは現代 の北京音 と同 じであ り, ウイグル及び コークソのブラーフ ミ一文字資料 とも一致 している.一 方チベ ッ ト文字資料では,合 口の 1等字 と同 じ扱いになっているとい う( 9 3 ) 0 Ma i nzの- ' yほ例外だが,一心 ' ys ym に見 られるもので,一種の連聾である。文字一につ いては,同 じ現象がチベ ッ ト文字資料にも報告 されてお り(94), この例だけか ら入聾の韻尾の 弱化を問題にす ることはできないO その他の欄では,文韻 の軍 g wn が注 目される。 この韻に属する字は ウイグルでは,軽唇音 t i i n]を意圃 したものであると考えられ 化 した ものを除けば wyn と表記 されている. これは [ る。軍 gwnは,将軍 S ' ngwn にみ られるもので,古い時代に トル コ語に導入 され定着 した稀 親である。通常の文 ・詩韻字 との扱いの違いを問題にす る必要はない。 3. 1 2 着撮 ( 表1 9 ) 宕横に関 して速べ る前に,ng及び kを韻尾 とす る字全髄にわたる問題を扱 っておきたい. mgは TⅡT では例外な くnkで表記 されている。一方 Ma i nzでは,宕横 ・梗 第 1に,韻尾の 一 横で失われ,通鋸では nkで表記 されている.一般に1 0 世紀頃の河西地方では宕 ・梗鋸で韻尾 は脱落する傾向があ った( 9 5 )oMa inzの状態は,この現象と軌を一に している. mgが表記 されていない場合,韻尾全腔の鼻音性については 3種類の課がある。第 1 韻尾の 一 は, 鼻音性が完全に失われていた とす るもの ;第 2は, 摩擦音韻尾 卜戸 】に襲化 した とするもの ; 第 3は,ng が股落 し鼻母音化 していた とするものである。高田は第 3の祝を支持 している が( 9 6 ) ,昔時の漢語の発音 としては この考え方が安富であろ う.一方庄垣内は,ウイグルに導 入 された漠字音では,鼻母音が残 っていた可能性はないとした( 9 7 ) 。庄垣内の議論は債聴すべ きものであるが,鼻母音を持たない ウイグル語に導入された後の華音に関す るものであ り,必 ず しも漢語 の側 の護音 に鼻音性 が完全 に失われ ていた ことを示す ものではない.従 って Ma i nz でも下敷になった漢語は鼻音性を保持 していた と考えられ るが,それを受容 し講葡 し ていたこの資料の書 き手の発音に,鼻母音があったか どうかは判断できないO 第 2の問題は入聾の韻尾 kの音債である.チベ ット文字資料では等 しく一 gで,ブラーフミー 資料では kaない し ha:で, ウイグルでは kあるいは Ⅹで表記 されている( 9 8 ) 。他の人馨の韻 尾 との並行性を考慮すれば,入 りわた りだけの閉鎖音あるいは摩擦音を想定すべきであろ う。 ここで扱 う資料の うちで TI l T では,x / γない しkで表記 されている。すなわち徳韻で k, 鐸韻で x,その他では 一 ㌢が用いられている.全ての韻について例が回収できるわけではない ので,どのような規則に基づいてこの 3種が使い分けられているのか判然 としない。上での議 論に従えば,kとx / γは各々漢語の閉鎖音及び摩擦音に封鷹 しているように思われるo Lか 〔51〕 3 3 0 ソグ ド文字で表記された漢学者 TⅡT 磨 普 t ' nk Ma i ns 刺. 戒 畠 k 薄 ( 令) ' p' Ⅹ 陽 長 C " nk 常 常 好' n k. は)β' nk i 秦 a k y " nk f a n g 障 若 網 ( 令)c 等 β y ' n ' ㌻ k の 他 康 'Ⅹ' n( 5 ) 鐸 悪 姶 )p " Ⅹ ' nk ま n g 誘 方 そ C ' n( 1 ) ウイ グル * t s w 剛 風 郎 洛 皇 ( 光 食) 令) ・Ⅹ ⅩW l 1 w ' W Ⅹ ' WW 博 錯 鶴 t p Ⅹ s ' Ⅹ ' Ⅹ 婦 S ' n( 6. 1 ) 緒 言 W 方 ( 令)β W 張 C ' n( 4 ) 昌 c w 房 姶 )紳 長 C ' ng( 6. 1 ) 良 l w 領 菖W 主 W n ( 3 ) 王 ( . &)S W " n ( 4 ) _ 薬 s w 書茸拾) 棟 梁 常 坊 涼 傍 長 ( 拾 令)W竺 l y 声 蓋 β c w w W ' n w y w w W k し同棲 を こⅩと kで表記す る ウイ グルでは,雨着 の区別 は発行 の母音 の性質 ( つ ま り後者 か, 前舌か) に よって決 まってい る( 9 9 ) 0 TⅡTの状況は,基本的に この ウイ グルの状況 と同 じである -と Ⅹ-の直別 は後綾 の母音 の音贋 に依存 していた ので, こ と考 え られ る。牙 ・喉音聾母 で も k の推定 は晋 を得てい るであろ うO ただ ウイ グル とTⅡT では,その区別 を支配す る規則 が完全 3 2 9 〔5 2〕 東 方 学 報 に同じではなかったのであろ う(1 0 0 ) 0 Ma i nzでは kの例 しかみつか らないが,ここでは例が少な く責際には ・ Ⅹもあった と推定 さ れる。箕際 kの例が残 っている韻では,封鷹のウイグルでも kがみ られ るので, ウイグル と ほぼ同 じ状況であった と考え られる。 宕境の字は 1等 ・3等 ともに TⅡT では ' nk,Ma i nzでは I W と表記 されているO前者は明 らかに [ a q]を意園 しているo後者は 1等では [ o] が意園されていた と考えられ る.ト u]ではな かったことは,チベ ッ ト文字 ・ブラーフ ミ一文字資料の表記か ら容易に推測できる。 3等では 6 ]を音債 と 物音介母が主母音 と融合 して母音全鰹は前舌化 していた と考えられ,前舌母音の [ して推定できる( 1 0 1 ) 。 もちろん軽唇音を聾母 とする字では介母の影響はなか ったはずであるか ら,開 口の字 と同 じ扱いである.入聾の例は TⅡTに しか存在 しない。ノx / γには [ a x / γ ]を推 定する。 その他の欄には韻尾を 一 mで表記 した例が 目立つ。 これ らは Anc 主 e ntLe t t e r及び6 3 9 年の契約 文書に在讃 されるものであ り( 1 0 2 ) ,他の資料 より古い時代に属す る。漢語の韻尾の ng ( つま り [ g ] )は, ソグ ド語では音素 としては存在 しないので,この音を古 くは n に よって表記 したの であろ う。後に漢語 との接解を深めるに及んで,一 mと ngを区別 し後者を nkで表記す るよう になったのであろ う(1 0 3 ) 。賂 S ' n,s nは,賂軍 S ' ngwn,s nkwnにみえる例で,この形式の例外 性を問題にする必要がないことについては上記参照。 3. 1 3 庚揖 ( 表2 0 ) TⅡT では 2等で ' nk, 3・4等で ( ' ) y nkが見 られる。前者は [ a q] ,後者は [ e q]を意圃 し e ]であることは,チベ ッ ト文字 ・ブラーフ たものと考えられる。後者の主母音が 【 i ]ではな く[ ミ一文字資料の表記,さらには並行す る威撮及び山溝の 3・4等に照 らして明かである。 これ i nzでは, ウイグル と同様に 2等にも 3・4等にも yを用いる。 ウイグルの 3 ・ に封 して Ma 4等字に対 して庄垣内は,ブラーフ ミ一文字表記のウイグル語資料を参考に して トe】を推定 し 0 4 ) 。 この推定は常を得た ものであ り,Ma i nz の 3・4等に封 しても通用 されるであろ う. た(1 2等の yについては, ウイグルで後舌母音 と結合す る Ⅹ-が馨母の表記に現れ ることか ら,庄 さ ]を音債 として推定 した。チベ ット文字の e' iブ 垣内は主母音に i 'を再構 し, これ よ り廉い [ ラーフ ミ一文字の I eなども,牛狭ない し辛虞の母音を想定 させ るので,Ma i nzの 2等の yに 封 しては中舌の [ 3 ]を再構 してお くことにする. 入馨の字は例が少ないO確貴なものとしては,益 ' yγと積 t s ykが各々 TI l T と Ma i nzに 1 例ずつ在護 され る。 どちらも 3・4等字で,野聾字 と同様主母音には [ e ] を推定できるだろ 1 0 5 ) 。韻尾の γと k については上記を参照されたい.揮 菖'は例外だが,焚語音詩語樺迦 う( ( <Skt .言 え kya )にみえるもので,問題にする必要がない. 〔5 3〕 3 2 8 ソグ ド文字で表記 された漠字音 Ma i n z TⅡT 庚二 更 写 y ' n k 行 Ⅹ y そ 庚 の 他 文y y( 6 ) ウイ グル 庚 Ⅹ y Ⅹy 1 mg 生 島 ' n k 生 菖 y 衡 t 隔 2 k 冒 ( p' ) [ Ⅹ? ] 揮 睦 宅 百 自 C p 言 c y ' Ⅹ X e 耕 n g 庚三 艶 一 y ( 5 ) 境 k' mk y 境 ( k) [ y ] 丙 p y y( 6 ) 京 ky 如 n g 庚 去 Ⅵ 柁 三( n 令) g 敬 明( 令) k m ' y ' n y k n k 求 敬( 令) k W yy 敬 慶 英 永 環 明 w k m ' y y y y y ( n ) i a n g 軽 A 日 成 g ' y n k 益 k ' y γ n k 清 t ( t s y ) 城 横 浄 聾 菖 主 s y y k 聾 尺 濠 令 菖 y y c ' y X n ま え k 樺 菖 ' 石 菖 y k 1 その他 の欄 の城 z y nは An c i e n tLe t t e rの例である。鵜' yは奇妙だが,鵜鵡子 ' y m' wt s yにみ えるものでおのず と例外である。 3 27 〔5 4〕 東 方 学 報 3 . 1 4 骨痛 ( 表2 1 ) 例 は多 くない。 TⅡT では 1等 の開 口字は n k( k)と表記 され る。宕顕 の ' nk と比べれば トaq / 3 k]を意圏 した もの と思われ る.一方合 口の wkは トug]を表記 した ものであろ うoMa inzの ' kは これに対 して [ a g]を想定 させ るが, ウイ グル及びチベ ッ ト文字 ,ブラーフ 徳韻 の表記 の ミ一文字 の表記 と対照 して( 1 0 6 ) ,あ ま りに奇妙である.恐 らくは ' kに よって [ 9 g]を寓そ うと した もの と考 え るべ きで あ ろ う。 ウイ グル文 献 で も比較 的 に古 い盾 に属 す る ものに は , ' ( a l e ph)が文字 ゼ ロや yと交替す る例が見 られ る。庄垣 内はその昔債 として 【 a ]を想定 した( 1 0 7 ) 0 Ma i nzの表記は この鮎 で,古層 の ウイ グル語の表記 と似ていることにな る( 1 0 8 ) 0 3等の入聾字 は ykと表記 され ,[ i g]を意園 した もの と考 え られ る。色 菖 ' kは例外である. 0 9 ) 0 色については, チベ ッ ト文字資料や ブラーフ ミ一文字資料でも類似 の現象が報告 されている(1 ここでは俳教徒 に よる特殊 な読 み方が反映 された もの と考えてお く(110)0 その他 の欄の墨 mk'は, Ⅰ章 で も指摘 した ように早い時代 に借用 された語 で,その例外性 は問題にな らない。 3 . 1 5 江括 ( 表2 2 ) ここで も例は非常 に少 ない。TⅡT に入聾字が 2例知 られてい るだけであ り, 2例 とも wr と表記 されてい る。核母音が虞 めであ った ことを考慮すれば,トo r ] を意園 した もの と考 え ら れ よう。高 田はチベ ッ ト文字資料か ら,この韻では 「 少な くとも唇 ・牙喉音 の下ではかな り前 表2 1 TⅡT 登 増 a n g 能 9 徳 k 主 a 慕 職 ng 〔5 5〕 Ma i nz そ の 他 ウイ グル t s nk 屠 nnk 佐 臥 ( 令) Ⅹ W yn n k k 得 惑 ( 令) t Ⅹ k Wk t s ynk 徳 北 t p ' ' k k 墨 mk' ( 5 ) 徳 園 t Ⅹ y w k X 息 s y k 乗 孟 yng( 6 ) 乗 識 伍 菖 孟 云 yk n k 3 1 7 b l ソグド文字で表記された漠字音 TⅡT Ma i n z a a 餐 江 n k g 覚 寧 Ⅹ kW w( γ γ ) そ a の 他 my x( 5 ) ウイ グル 江 讐 Ⅹ 菖 w wn k よ りの a であった」 としているが, ソグ ド文字資料は明らかにこれ と矛盾す る(11 1 ) 。 ウイ グル の野聾字 の例 も, ソグ ド文字表記 と一致 して核母音を W で寓 している(112 )。 ソグ ド・ウイ グル 文字に よる表記 と,チベ ット文字に よる表記 の相違をどのように説明すべ きか筆者には分か らな い ( 1 1 3 ) 。 その他 の欄 の貌 my x は確かにチベ ッ ト文字資料 の ' me gと一致す るが,焚語音詩語 に見 ら れ る例 なので,上述 した問題を論 じる際には多少値引 きして考える必要があるだろ う0 3. 1 6 通境 ( 表2 3) 1等では東韻の字が Ma i n zに在透 され るだけで,すべてが I Wn kと表記 されている。 これは [ uq]を意園 した ものだろ うo核母音が [ u]であったか [ o]であったかは,文字の上か ら判断で きないが,チベ ッ ト文字,ブラーフ ミ一文字,ウイ グルのブラーフ ミ一文字資料におけ る表記 を勘案すれば,前者が妥常な推定である(11 4 ) 0 その他の欄 の公 Ⅹ wnは公主 Ⅹ wn c wy hに見えるものである。古い時代の借用語の中の例外 的形式を問題にす る必要はないだろ うO また啄木 t m' wxの t -について も同 じで,借用語中の特 殊 な例 として,その例外性に拘泥す るには及ばない。 また帝を俳教徒が入聾 で登音 していたこ とについては,上記 Ⅰ章注2 7 参照。 3等字でも例は多 くない.確薫 なものは,TⅡT にのみ在覆 され る。鐘韻は n kと表記 さ w れ 1等 と区別はないが,物音の介母 と核母音が融合 して,前舌化 した母音を伴 って [ t i q]の よ うに登音 されていたであろ う。一万人聾 の六 r y wrでは介母が融合す る以前の状態を示 し, [ i ur ]と単音 されていた もの と思われ るO その他の欄の六 l wk,1 wk' ,l yγは,すべて敦燈 出土の数字の表にみ られ るものである。 この 表記の揺れは,介母 と核母音が融合 してできた前 よ りの園唇母音を,その圃唇性か ら [ t i ]で受 け入れ ることも,前 よ りであることか ら中舌の [ ' l lで受け入れ ることもあ り得た ことを示 して いるのだろ う。入聾の韻尾はその 2つの場合に封癒 して,各 々 k及び 一 ㌢が選ばれている。 こ の例はまた,入馨の韻尾 kの表記 に,文字 kを選ぶか Ⅹ( γ)を選ぶかが必ず しも一定 していな か った ことを示 している。 3 25 〔5 6〕 TI l T Ma i nz 功 空 Ⅹ w nn n k 同 文 t w k そ の 他 ウイ グ ル 公 啄 Ⅹ t ( n w 5 )( 5 ,6,1 ) 鴻 公 Ⅹ Ⅹw w Ⅵm n k 東 t n k uk 木 m' ⅥⅨ( 5 ) 穀 ⅩwX uO 沃 冬 ng 蒋 n' Wγ ( 5 ) 僕 保 統 宗 t p s w Ⅵ w Ⅸ Ⅰ l n k k uo k 督 土 と W wX γ ( 6. . 1 ) 轟 t WⅤ Ⅹ 屋 u ng 東 如n 東三 屋三 g 六 r y wγ i uk r y Wγ 鍾 重 t c wnk よ WO ng 恐 種 k t c w wn n k k 中 【 c wn] k 六 l wk( 8 ) 嵩 融 宮 中 k 幅 s y c β w W wn y ( Ⅹ k n ) k l y wγ k ( 8 ' ( ) 8 ) 鐘 c wⅠ血 龍 用 y l c w w w w y y n n n k k k 4 資料の時代 TⅡT とMa i nzの書かれた時代について考察す る。 上適 した漠字音表記についての研究か ら, 0 世紀の漠字音を総合的に研究 した高田は,攻の ような結論 に達 教壇 出土 の資料か ら, 9-1 〔5 7〕 3 2 4 ソグド文字で表記された藻字音 したO教塩出土のチベ ット文字資料には 2つの骨が兄いだされるOそれ らはおもに宕癖 ・梗接 において ng韻尾が保持 されているか どうか と,重紐 2類の区別が組織的になされているか ど うかの基準紅 よっている0-万は,ng を保持 し重紐の区別を行 っているのに勤 し,他方は両 者を失 っているO相対的に前者が古 く,後者が新 しいことは明かであるが,高田はその違いを単 に時代差によるものでな く,言語それ 自鰻の性質の違いによって家明 しようとす る。すなわち, 敦塩がチベ ッ トに よって支配 された頃 ( 7 86 / 7 -8 4 8 )紘,それ以前の中央集樺鰹制の名残 とし て,併典はなお長安の標準音によって讃葡 されていた。 しか しチベ ッ ト支配を晩 した後の,い わゆる節義軍時代には,敦短は漢人によって支配 されていた とはいえ,完全な濁立国家を こなっ ていた。 さらに中原における政情の不安 も手樽って,標準的な壁音は次第に失われ,代わ って この地方の方言 ( 高田は河西方言 と呼ぶ)が用いられるようになった( i i 5 ) . 上で速べた教塩安料率の 2厚は,前者が標準音に,後者が河西音紅封磨するOそのことの傍 2 2 年に建てられた唐寄食盟碑中に見 られ るチベ ット文字表記 の漠字音に言 鐙 として高田は,8 ngは完全を こ殊 及 しているo この碑文の言語は標準語であったと考えられるが,そこでは韻尾の - 存 されている(=6)O 唐 ・五代に トルファンも食め中開の西方で,大 ざっばに言 って 2種類の漠字音が行われてい i nzとを比較するとき菅を得たものであることが分かるO ソグ ド た とす る指摘は,TⅡT と Ma 文字の表記か ら重紐 2類の区別の有無を知 ることはできないが,ngの鶴尾については TⅡTが inzは宕揖 ・梗顕でそれを失 っている.従 って TⅡTが高 完全に保存 しているのに対 して,Ma 田のい う2肴の うちの前者を こ,Ma i nzが後者に属することは明かであるO このことか ら T丑T は 9世紀以前 ,Ma i nzは 9世紀以後の資料であると推定できる。 TI l T に見 られ る藻字音には,他にも古風な鮎が認められる。第-に鼻音寮母はなお鼻音要 nか のようを こ袈記 され,Ma i n2 ;の p-とは封照的である.第 素を保持 しているO例えば明母は ' i nz に比べて物音介母を表記す る傾向が強かつたにも拘 らず,いわゆる慣 4等親で物 二は Ma 音介母を表記 した例がな く,介母析出以前の状態を示す可能性があった. これ と紺逢 して,祭 慧琳音義』では合流 してい 鶴 と努寵の字は各々 1例ずつあるが,異なる表記を受けてお り,『 た とされる祭顔 と賛韻が,TⅡT ではまだ区別 されていた ように見える.第三に全燭の並母 と 群母は,まだ全清 ・攻清 と完全には合流 していなかった ことを示変す る表記 も見 られたO これ らの事象はそれ 自壊では飴 りに零細で,他の解輝の可能性を排除す るわけではないが, 慧琳音 全鰹 として見るとき互いに補強 しあって,TⅡTの基礎にある方言の音 さを澄明する。『 義』以前の言語淡腰を反映す るとすれば, 8世紀中ごろを T濃Tの下限 とみなす ことができる だろ う。一方その上限は,軽唇音化や脱鼻音化,さらに全濁の摩擦音寮母の無聾化が完了 して いることから, 7世紀中ごろに設定 されるだろ う。 ところで, ソグ ド語諸の傭兵の絶封年代を 知 ることは,顔謬あるいは沓寓年代を明記 した資料が 1鮎 しか存在 しないため,必ず しも容易 3 2 L ' ) 7 〔 5 8 〕 東 方 学 報 ではない.ただ唯一年代を記 した俳典は,上述 した ように開元1 6 年 ( 72 8 年)のものであ り, 他の俳典 もその前後に研詳 された ものと推定され るoこの推定はまた,漢文原典の成立年代や, 後に紙背に書き込 まれた文書の内容の分析,さらには併典爾詩のスポンサーであった ソグ ド商 人の中国での活動の時代を勘案 しても妥常である( 1 1 TⅡT は ソグ ド人俳教徒に よるものと 7)0 考えられるから,他の ソグ ド語併典同様 ,8世紀前半に成立 したものと考えて大過ないのでは なかろ うか。 in z に見 られ る漠字音は,上で繰 り返 し述べた ように, ウイグル語詩の 『慈恩停』 一方 Ma の中の藻字音 と原則 として同 じである。『 慈恩偉』のウイグル語詩は,北庭出身の ウイグル人 僧侶 シソコ-サ リ都銃の手になるものである。彼は1 0 世紀末から11 世紀にかけて活躍 していたこ i nzの年代 もそれ とあま り異ならない時代に設定できるだろ う0 とが知 られているので(118),Ma Ma i nz の時代については,別に内容か らも推測が可能である。『金剛五感』は上逃 した よう に,敦燥出土の寓本中に多数兄いだ される。敦塩出土の禅宗文献の時代屠位について研究 した 上山によれば, この文献は後期 ( 8 60 -1 00 0 年頃)のものだ とい う(1 1 9 ) 。 また Gi l e sが,『金剛五 薩』の寓本 S1 674,S61 7 3について, 紙質か ら1 0 世紀のものだとしていることも参考になる(1 2 0 ) 0 Ma i nz のテキス トは トル ファン出土であるものの,系統 としては敦燈出土の- グループと一 致するので,これ らの敦煙霧本 と同時代の産物である可能性が高い.貴際1 0 世紀に,敦塩 とウ イグルが支配す る トルファンとの関係が密接であったことを裏附ける謹揚が提出されている( 1 2 1 ) 0 これ らを練合すれば,Ma i nz は10世紀 ( 恐 らくは後半)に成立 した と考えて聞達いないだろ う。 Ma i nz に関す るもう一つの重要な問題は,これを生み出 した俳教徒集圏が, ウイグル人で あったか ソグ ド人であったかの問題である。筆者は最近,ウイグル人俳教徒は改宗の後 しばら 2 2 ) 0 1 0 世 く( たぶん1 0 世紀頃)は,ソグ ド語で も悌典を書いていた可能性があることを指摘 した (1 紀のものと考えられ るソグ ド語併典に,ウイグル語の要素が含まれていることが理由であった。 Ma i nz にみ られ る漠字音が ウイグルに導入されたもの と同 じであることか ら考 えて, これが ソグ ド語 ・ソグ ド文字に構通 した ウイグル人併教徒によって書かれた とする説を,再び強調 し ておきたい。 Ⅳ ウイグル語に導入 された漠字音に関する 2・3の問題 1 資料の問題 前節で ソグ ド文字 で表記 された漠字音を扱った際,ウイグル語諸の 『 慈恩俸』の中の藻字音 にも言及 した。 ウイグル語 ・ウイグル語文献に門外漢である筆者が,ウイグル語の専門家によ 〔5 9〕 3 2 2 ソグド文字で表記された漠字音 って提出された資料を利用 した際に感 じた問題鮎を,ここではい くつか指摘 してお きたい。 第 1は,正確な文字特薦資料の必要性である。 この鮎は既に高田が指摘 し,庄垣内は薫際に 文字韓寓の形で資料を提出 している( 1 ) 。しか しそれでも十分ではない場合がある。 特に文字 Ⅹ( 或 はγ )の韓寓は深刻である.『 慈恩博』の寓本では文字 Ⅹに鮎を附けた 文も使われているが,こ れが庄垣内の韓寓では完全に無税されている。また上でも解れた ように, この寓本には尻尾の 長短による Ⅹと γの区別があるらしい(2)O例えば秤量の単位の石は 菖 y γと綴 られているとい う。入聾の韻尾 kに封鷹す る文字が,他の漠字音表記において Ⅹであったか γあったかは興 味深い問題である。 この種の特薦態度に関す る問題以外にも,個 々の文字の韓寓が研究者 ごとに一致 していない とい う問題 もある。例えば綱維寺を,秋世民は q a wf s i Ⅰと輯寓 し,庄垣内は qo vi s i iと表記す hr bo r nは ko vi s iとして,同時に文字特薦 として q' v ys yyをあげる(3)O この場合,綱が る.R6 hr bo r n の費表 文W と綴 られていたのか,文'と綴 られていたのか判断に苦 しむ (4). さらに,R6 した第 7巻のテキス トとそれに添えられた文字特薦によれば,院には βyn,wyn,yyn の 3種 類の表記法がある(5).一方庄垣内の研究では wynだけが登録 されている( 6 X 7 ) . この字の韓寓は, 愉母の合 口字がどの文字によって特薦 されたかの問題に関わ り重要である。その見地か ら,ち う一度寓本に普たって読みを検討す る必要がある。 第 2は,ウイグルに導入 され定着 した漢語が,前舌の母音を含むのか後舌の母音を含むのか, 可能な限 り明らかに してお くことである。例えば槙 l ym は後舌母音を含む ( つまり 1 Ⅰ m)こと r aに よって明らかにされている(8)O ところが榛が属する侵韻の韻母 ( L a m)は, ウイグ が ,Ka i m になっていた と考えられ る(9)。核母音の前舌性は,例えば金 kym で k-が選 ルでは一般に ばれていることか らも推測 される。従 って槙が後舌の扱いを受けていることについては,なん らかの夜明が用意 されなければならない。 この鮎については下記 も参照せ よ。 第 3には, ウイ グルに導入 された漠字音研究の基礎資料 となる,『慈恩博』の全テキス トを 早急に準備す ることである。例えば従来提出されていたテキス トには,泥母の字で脱鼻音化を 示す ものがなか った。それ故庄垣内は,「 『慈恩俸』の接 した漢語には脱鼻音化のなか った可能 性 もある」 としている(1 0 ) . しか し R6 hr bo r nが最近校訂 した第 7巻に ∂ y y nが在覆 され,彼は それを漢語の年 ni e n に比定 した。 この解樺が正 しければ,ウイグル語諸の 『 慈恩侍』の基礎 となっている漢語にも,確実に脱鼻音化があったことになる。脱鼻音化の例 としては他にも, 第 5巻に現れ る阻末 ∂ yr p' rがあげ られる。狙 ( dst 真 wo或は t s 主 wo)が ∂ y rと綴 られるのは,請 e tに謹み誤 ったからに違いな く,この例か らも脱鼻音化の存在は 者であるシソコ-サ リが浬 ni 明かである(ll ) 0 3 21 〔6 0〕 東 方 学 報 2 不規則な封鷹 上述 した とお り,Ma i nz にみ られる漠字音 と 『慈恩俸』中の漠字音は基本的に同 じである。 しか し両者が一致 しない場合や, ウイグルが濠憩に反する表記を示す ものがある。それ らの一 部は明らかに誤寓に属す るものであろ う。 ここでは誤寓 とは考えに くいものの一部 で,説明が 可能 と思われるものについて解説す る。 2. 1 聾母 2. 1 . 1 有馨 と無聾の揺れ 端母の帝は濠想 され る * t yではな く∂ yで表記 されている。R6hrbornはウイグル語に導入 さ れた後,母音間で有聾化 した ものだ とする(1 2 ) 。帝の場合には常に ∂ yで表記 されていて,これ が ウイグルで字音になっていた可能性が高い。一方借用の後,語中で散吏的に有馨化 した結果 wt ' y ∂ ' s y( Ⅹ wt ' y ∂ s yの誤寓)の子 * ∂ s yはそのような例である。 とみ られるものがある。皇太子 Ⅹ 子は通常 t s yと表記 されたが, この場合に限って * ∂ s yで現れる。大毘婆沙論 t ' yp yp' 蓋 ' l wnの 沙 乏'もまた, この種の散華的有聾化の結果ではなかろ うか (1 3 ) 0 有聾音が期待 され るところに無聾音が現れる例 としてほ,日母が 昌 一で表記 され る場合をあ げることができる. この馨母は本質的に有馨で,通常 真 一で表記 されている(1 4 ) . この現象には 2つの異なる背景を想定す る必要がある.第 1は,後期のウイグル文献では 蓋と畠の区別が混 乱 し二次的に 畠と表記 され るようになったものがあることである(1 5 ) O第 2は,蓋が ウイグル語 , 本来の音韻膿系に属 さないことか ら 蓋を含む外来語を受容す るとき,ウイグル語 の音素の う ちで 蓋に最 も近い 言に よって,置 き換えられたものがあることである.Ma i t r i s i mi tのセソギ ム本のような古い寓本に見 られ る暦 日 l y k孟 y rは(16),この種の例 とみなされ よう. どちらの場 合柾も,ウイグル語の音素膿系への同化が問題になっていることは事賓である。 しか し前者で は,大量の漠字音の導入後 ( つ ま りウイグル字音の成立後),一旦 蓋は ウイグル語の中に定着 した。その後藻字音が次第に土着化する過程で,再び 蓋が 昌と混同された。後者の場合には, 大量の漢字音を導入する以前の借用語期に起 こった一種の土着化である(1 7 ) 0 2. 1 . 2 通人 t wy ynについて wy y n は,一般に漢語の道人に由来す るもの と考えられ ウイグル語で沸教僧侶を意味す る t ている(18)。通人 とい う漢語は,唐代以前には確かに沸教僧侶を意味 していたので,意味の面 か らは問題がない (19)。問題は これが, ウイグル文献中の通常の漠字音か らは飴程逸脱 してい ることである。特に人に封慮す る yynは奇妙である.なぜなら人 血 蕪 nは日母の字であ り, 日 母は上過 した ように 蓋ない しは 主で表記 されるか らである.一方道 dt a uが t w と綴 られ ること については,二重母音の a uが ウイ グル語の音韻鮭系に同化 して,畢母音化 した もの と説明で 〔6 1〕 3 20 ソグド文字で表記された漠字音 -が用いられている鮎については,下記を参照 きるので問題がない。期待 される ∂ -ではな く t せ よ。 庄垣内は,人が yyn と表記 されることを,仲介言語の存在を想定 して説明 しようとす る。 一方脚注では,筆者の提案を引用 し,別 の説明の可能性 も示唆 している(20)。 ここでは筆者の 提案をやや詳 しく論 じておきたい。 上でも述べた ように,通人が併教僧侶を意味 したのは唐代以前である。従 ってこの意味で道 人が古代 トル コ語に借用 されたのは,唐代以前であった と考えなければな らない。そのころは 脱鼻音化が始 まる以前であ り, 日母の音債は 丘b]であったことが知 られている(21 ) 。それ故道 人が借用された嘗時,人は 色 廷nのように単音 されていて,古代 トル コ語では 丘i n ない し 免i ' n のような形式で受容 されたであろ う。 古代 トルコ語には,免方言 と y方言 と呼ばれる 2種類の襲種が有 った ことが知 られている. al r「悪い」は,y方言では a yi γとなるO この 2つの襲種は便宜上 「 方言」 と 例えば 丘方言の a a>y) と関係があ 呼ばれているが,糞際には地域的な意味での方言ではな く,資料の時代差 ( るらしいことが最近明らかにされている(2 2 ) 。従 って古い時代に導入 されていた ai n,ai ' n は後 n,yl nに襲化 した ことにな り, 日母の不規則な封鷹は説明される. に yi この説明の帯鮎の一つは,免を含む語には通常 免と yの 2種類の形式が知 られていることで ある( 2 3 ) o t o y' l ' nが本来 * t o 丘i ' n であったのなら, 貴際にその形式が在覆 され ることが期待 され る. t o免i ' n とい う にもかかわ らず,沸教 ウイ グル語の基礎語嚢に属 し俳典に頻出するこの語に,* ヴァリアソ トは 1例 も報告 されていない。筆者は,この問題は攻のように解決できるのではな いか と考えている.通常の 丘を含む語 とは異な り,* t o 色1 ' nの場合には 免の後にさらに鼻音が 績 く.それ故 丘>y の襲化が後横の鼻音の存在によって,他 より早い時期に徹底 して起 こった uya n は並行す る例である。筆者がかつて明らかに した ものと考えられる。功徳を意味す る b とお り,この語の直接の語源は ソグ ド語の pw n y' n( yh)( <Skt .punya )で しかあ りえない(24 ) . この場合にも * buaa n,* bunya nとい う形式は全 く在覆 されていないが,丘か ら y-の奨化 ( 輿 化)は,後席の鼻音に よって促進されたのであろ う。 もう一つの問題は,古い時代には漢語の全濁聾母の無聾化など考えられず,道 dt 急 uほ *∂' W のように表記 されていることが濠想されることである。 この鮎の十分な説明は筆者にはできな いが, ソグ ド文字では文字 ∂は本来摩擦音を表すので,有聾の閉鎖音を表記す るには文字 tを 選ばざるを得なか ったのではなかろ うか( 2 5 ) 0 2. 1 . 3 喰母の合 口と影母 喰母の合 口は,TⅡT でも Ma i nzでも W-で表記 されている。 ウイグルでも多 くの場合 Wが用いられているが,稀に β -で寓 されているものがある。 ソグ ド文字の音債の見地か らは,β 31 9 〔6 2〕 東 方 学 報 には有聾の摩擦音 【 V]( 或は l L i ] )が想定 され,本来半母音であった と考えられ る漢語の聾母 とは 少 し異なる。 従来知 られている例では止据 4等字に β が現れるとい う( 2 5 a ) 。 しか し漢語の愉母の合 口で止 撮4等の聾母の音債が,他の務のそれ と異なっていた とは考えに くい.貴際止揖 3等合 口の為 2 6 ) 。 また上で言及 した院の車馬 wyn,βyn,yynも参照 され は wyともβyとも表記 されている( W ではな く ww たい( 2 7 ) 。 ここで参考になるのは,軽唇音を聾母 とする夫や副が,期待 される β と表記 される場合があることである( 2 8 ) 。本来 ウイグル語には存在 しない音である W は,Ⅴや f と混同されることがあったのではないだろ うか( 2 9 ) 0 ww と表記 されるのも,本来 l wu]であったものが [ uu]の よ 同様に愉母の合 口字である千が ' うに頚音 された ことに よるのだろ う. この例によって,千が馨門閉鎖音 ( つま り影母 と同 じ扱 い)を伴 って費音 されていた と考 えるむきもあるが,類似の現象を示すチベ ット文字資料でも, 高田は愉母 と影母の合併には否定的である( 3 0 ) 。賓際 ウイグル語では,語頭の母音は聾門閉鎖 / i ' ・と yi / y1 . -の交替 音を伴わなかった と考え られるふ しがあるo ウイグル語に見 られる初頭の i 3 1 ) 。従 って干 ' ww 同様,愉母 と影母の合併を示す は,そのことを考慮すれば よく理解できる( y も,* yy の書記上のヴァリアン トとみな して よい と思われる.逆に ように見える愉母の滅 ' 影母の盃が yyk と表記 されていることも参考になる(32)0 2. 1 . 4t s -と S -の交替 精母は t s -と輯寓 され るのが普通だが,S 一によって表記 され る場合がある。 ウイグル文献全 般を調査 してみ ると,この現象は精母に限られず清母や従母にも認められる。 この背景には, sが Sに とってかわ られた ことがあった と思われる。ただこの 「ウイグ ウイグル語にない音 t sに封する交替形 として並存 していたらしい( 3 3 ) 0 ル化」は組織的な現象ではな く,Sは t s -と表記 されて 説明が困難なのは,S と吏音 されていたはずの心母 と邪母の字が,まれに t 0 0 3 年のマニ教 ウイグル語のカ レンダーに も認め られ る.そ いる事賓である(34).同 じ事例は1 i 6 nが t s ynと綴 られている( 3 5 ) 。庄垣内はその うち寺 t s yについて,この例が弘福寺 こでは辛 s Ⅹwnkβwt s yにだけ見 られ ることか ら,稿の入馨の韻尾 kの脱落の代償 として S -が t s -に襲化 した と考えた。 この説明には説得力があるが,宜 t s wynや辛 t s ynには通用できない。 さらに 『 慈恩俸』には弘福寺に封 して Ⅹw n kβwxt s y も在覆 され ,R6 hr bo r nは Ⅹの脱落を誤寓 とみ な している( 3 6 ) 0 s yn の問題を扱 った とき,これを一種の過剰矯正の事例 とみな したOつま 筆者はかつて辛 t りウイグル語にない漢語の発音 t sを意識するあま り,本来 Sで始 まる字 まで t sで吏音 したも のと考えた( 3 7 ) 。 この説明は嘗面受け入れてよいのではないか と思われ る。 〔6 3〕 31 8 ジグド文字で表記された藻寧音 2. 2 鶴 2. 2, 1 塵母の表記 ' . 1文字の区別が比較的に田雛なことと,讃寓 報については,母音表記に用いられる y 土w L の際の醜寓の可能性などか ら,尊母の場食はど封厳の例外を特愛 しに くい。例えば恭 k i wo n g がk y n kと表記 され ることに開 して,庄垣内は 「介母 iを直接反映 してお り,額母 i 村を立てた y n k以外に k wl l kと去記 されている例に言及 して . い」 としているo十方 R6hrbom は恭がk k y n kを醜寓 とみな し k t i pと特番 している( 3 8 ) a n gk y yの場合, 日本の演音ケイか ら,y yは 匝i jを蒙す と考えられている( 鉾。 しか 環 垣W 管 し環は合 口字 で, この種の轍 口呼の分母は前書化 した楓唇母音になる療向がある(40)O徹 って y[ k 触]と表記 されていることが期待され,k y yは誤審ではないか と思われ る。[ 一 触] の 燦は 稚w ようなJ. 重母音は後に畢母音化 して LB]に嘩化する傾向がか ・ つたし 三 日O この例を ここで特に問 腰 にするのは,下で扱 うトル ファV出土 の漢字の注音資料に見える常住, 「頃音強」の背後に あるウイグル蘭を考えるためである.頃 kt 主 wa n gは庄垣内が考えた ように,環 と似た哉音を 浮 っていた と推定 され,後 の時代 には畢母音化 して r k缶j と単音 されたであろ うO-方強 gt 主 a n g は陽報の 3尊字で,【 k 6 ] と凄音 されていたはずである。雨ゴ 削まそれほ ど連・ U 'た発音で はないので,この例が 『 慈厳俸』にみ られ る藻字音薦系では説明できない とす る説は見直 され てもよいのではないか と思 う臼 2 ㌔ 重t s wは,本来 ・ 咽 が失われることのない通癖の字であるO ここで ・ n gが見 られないのは, 単に誤審 に よって取落 した ものか, コ-タソのブラーフミ-文字資料に姦謬 され る通草字の 血 豆 -bj の脱落のように,渓語 として-妙進んだ版腰を示す ものか,gこわかかこは判断 し難 い(43)0 2. 2. 2 人馨の韻尾 tは,-壕に ・ rと嚢記されていて問題がない。一万 pは,『 慈恩樽』で 入寒の韻尾の うち ・ 『 慈恩侍』以外の資料では ・ βで表記 されているものが は例外な く pで寓 されているものの, Ⅴ >垂の登展過程を示す」 と投粥 してい あるく 尊 重 ) O庄垣内を まこれを 「 報尾 も鼻V,ゼロは丁度 も> pと1 5の例の出現状況を る(45)O この理解はそれ 日放 としては問題ないが,ウイダル交際中で 網べると,感ず Lもpを持つ文献が 一 声を示す文献 より青いわけではない。それ どころか 甥 の例 を持つ文巌の方が,-毅的にいってより☆い身を こ虜するように思われ るO 織物の名稀の立機 1 皇 a pk j 賃 iは,数塩出土のウイグル文書ではl y 帥y,1 ' wk yと表記 されてい る織 O教短出土の ウイ グル文教はほぼ1 0 世紀頃のものであ り, ウイ グj i , 文献の率では最古慶 に属するものといえるO また庄垣内が引用する欄 t ' L iは Ma i t r i s i itのセ リギム本に,甲 Ⅹ' m L 3 ほ 『 天地八陽紳呪鮭』の京都本に現れ るが,どちらも比較的に古いテキス トである( 4 7 ) 。 さら yx などと同棲者い時代の借欄欝だ と考えられ る繊O定義内が に秤量の単位の合 Ⅹ鳩 も,尺 c : ) ' 1 7 〔64〕 東 方 学 報 引用するもの以外でも例 えば粒 l i a pl yL 3は, 1 0 世紀後半の文書に現れるので古い形式である( 4 9 ) . 無論 Pが p に襲化 したのではあ り得ないので,このあ り方は奇妙であ りなんらかの訣明を pは内破音で登音 されてい 要する.筆者は現在の ところ攻のように考えているO漢語の入聾の I たと考えられるので,ウイ グル語に導入された とき,pで表記 され ることも β( あるいは W) で表記 され ることも可能であ った。貴際 l yβkyに関 しては,同時代の ソグ ド語文献に l y pkyと 天地八陽紳呪経』の ロン ドソ い う表記が在鐙 され る(50). また京都本 よ り古い とされている 『 pを営てている(51 ) 。その後大量の漢字音が導入 されるに至 って,一種の 本では,甲に対 して Ⅹ' 規範意識が働 きこの韻尾はすべて pで表記 されることになった。『 慈恩俸』はそのような均質 化を経た段階を代表 してお り,β で表記 された ものはそれ以前に導入 され定着 していた借用 語である( 5 2 ) 0 入馨の韻尾に関す るもう一つの問題は,k が脱落 した ように見える例の扱いである.庄垣 内によれば 『 慈息侍』にはそのような事例 として,僕 pw と副 βWの 2例が在謹 される.上述 し Wは単なる誤寓 と考えて よい。前者は僕射 たように副には βwxとい う形式 もみ られるので,β y'の 2種類の表記があるとい うが,この問題は射の発音に i aと d zt 皇 a の場合で,pwxy'と pwS の 2種類があるためにさらに複雑になっている( 5 3 ) .僕射 とい う稀窮では,射は i a と読 まれて いた ことが知 られている( 5 4 ) 。従 って pwxy'にはなんら問題がない.pwS y'の方はこの講みが 正 しいならば,pwxy'の誤寓であろ う.庄垣内が言 うように,文字 Ⅹと昌は よく似た形を して いる。従 って少 な くとも 『慈恩俸』中の漢語には,入聾の韻尾が脱落 した例はないことにな る( 5 5 ) 0 2. 2. 3 3・4等字の母音 上で榛 1 i m について,同報 ( 優韻)の他の字が一般に前舌母音を伴 って登音 されていたこと i e kは通常 1 ykと表記 さ と矛盾す るとい う問題に言及 した. この種の例は他にも存在する。暦 1 0 0 3 年のマニ教 ウイグル語のカレ れていて,前舌母音が含 まれていた ことが分かる。 ところが1 ンダーでは,暦 日が 1 yxz yrと綴 られている。 この例では -Ⅹ-から判断 して,先行の母音は後舌 の母音であったろ う( 5 6 ) 。並行す る例には石 蓋 yx菖 ykがあるO菖 y xは秤量の単位を示す場合の形 yxも,『 慈恩俸』の通常のあ り方に従えば,* c ykが期待 され 式である。また上で言及 した尺 c 7 ) .蜜 m主 e tは質韻に属 し,通常は前舌母音を伴 ってウイグルに導入 され るはずである. し る(5 か しウイグル語化 した myrは,後舌母音を含んでいる( 5 8 ) 0 上 で引用 した例が どれ も比較 的古 い時代 の借用語 であ る ことは注 目され る。1 ym は Ma i t r i s i mi tのセソギム本に既に在覆 される(59)0 l y xz y rは1 0 0 3 年のカレンダーに現れるので, 比較的古い文献中の例 と見な し得 る. また秤量の単位である石 島 yxや尺 c yxが,古い時代の i r は11 世紀に遡 るカーシュガ リーの新書にもみ 借用語であることは説明を要 しないだろ う.c 〔6 5〕 3 1 6 フグド文字で表記された藻字音 える(6 0 ) O さらに蜜 m' i rは,明母が脱鼻音化する以前の状態を示 している(61 ) a この観察が正 しい とすれば,攻のような推定が成 り立つのではないだろ うか。『慈恩俸』の 漢字音線系では前書母音を食むものとして導入される 3・4等の字は,比較的に古い時代には後 者母音を持つ ものとして受け入れ られることがあ り得た。無論すべてが後者系 として扱われた , i t r i s i mi tのセ ソギム本には I yk岳 yr( <暦 日) 『 天地八陽紳呪経』 わけではなか った.例えば Ma ykz yrが見 られ るO さらに稀親の刺史 t 貞t 終k 等 iほ,ルーン文字碑文でも の ロン ドン本でも 1 e i g菖 i のように, 前者母音を伴 っていた (6 2 ) 0人聾の鶴尾の p/ β の場合 と同 じように, 本来前舌, 後者の どちらでも導入され得たものが,後 に前者に統- されるようになったのであろ う。 yt s yは早い時期の借用語 とみなされるが( 6 3 ) ,後苦母音を含んでいる。子 t s iが t s i 'と謹 弟子 t 1 ]への襲化の反映であると考えられて まれることは漢語の側の,薗頭音 と結合す る母音 [ i ]の [ いる( 朗 ) a Lか し上の議論を参考にすれば, この例を 【 i ]か ら川 への襲化の護嬢 として使 うこと は危険である( 6 5 ) 0 2. 3 饗詞 馨調言語ではないウイグル語に導入 された漠字音は,本来の整調の区別を失 っていた と考え られ る(66)。 ところが 『慈恩俸』では,上聾字に二重母音表記が多 く現れ,経常増 に よって発 見 されたチベ ッ ト文字資料の状況 とよく一致することが籍摘 されている( 6 7 ) O この ことは 2つ の鮎で検討を要するo第-に,高田は羅常塔の指摘を再検討 し,次のような否定的な結論を下 した。「・ ・ ・ ・ -母音を重ね るな どの,見かけの上での長母音表記は決 して上客に特徴的なもの と することは出来ず,入馨以外の全ての聾網に現れ得るO恐 らくは,外囲文字に よって漢語を表 記 しようとす る場合の,漢語音節の相封的な長 射 こ由来す るものと考えるのが正 しい と思われ i nzなどの ソグ ド文字による資料ではこの現象はみ られない。 る」( 6 8 ) 。第二に,TⅡT や Ma これ らの 2つの問題は,二重母音表記が漢語の側の音便の追いになん ら封鷹 しないことを示 W と・ ww の 2種類の表記がある陽報の開 口 3等字では,攻のような 唆す る。賓際同 じように 分布が見 られ る細) : W ・ WW Wy 栄 ( 午)l w w 梁 ( 辛)l 梁 ( 平日 wy 良 く 平)l w 栄 ( 卒 ・去)C珊 涼 ( 平 ・義)I vy 張 ( 平 ・去)c w 長 ( 午)c w耶 薄 ( 卒 ・上)c w 相 ( 卒 ・去)s ww 秦 ( 午)s w 常 ( 午)菖ww 翠 ( 午)c w 楊 ( 午)yww 噂 ( 辛)c w 31 5 〔66〕 東 方 学 報 昌 ( 午)c w 備 ( 義)義 W 揚 ( 午)yw この分布から判断すれば,W とww 及び wyの速いが馨調に依存 しているのではない ことは 明かである。また去聾字の戊に見 られ る pww と pw の交替や,去聾字の義の表記 ky yなどか 8 ) .母音を重ね ら考えて,魚登の上聾字に 欄W で衰記 された例が多いのは単に偶然であろ う(7 ることが長母音を示す ものな ら( 亨 i ) , この場合 も高田が推定 した ように,漢語の特に介母を含 む母音が, ウイ グル人には少 し長めに意識 されたのかもしれないO 3, 1 高田の 「ウイグル字音 」訣 トルファンでき見 された,傍典に封す る 2種類の注音資料を研究 した高田は,その昔注の基 底を こは ウイグル語を こ導入 された藻字音があることを明らかに したく 7 2 ) 。その際, この 2つの狂 者資料がモンゴル期のものであることと,ベ-スを こなっている藻字音が中古漢語塾の言語であ ることも発見 した。古い時代に導入 された漠字音が後の時代まで用いられていることか ら,彼 は ウイグル語にも, 日本語や朝鮮語を こ導入 されたのと同 じような性格の漠字音,すなわち字音 が存在 した と結論 したO高田のこの指摘は,ウイグル話中の漢語の要素に擁 して従来知 られて いたことを説明す る原理を授供 した とい う鮎で,虞にエポ ックメ←キ ングな豪農であるO ウイ r aによっても受け入れ られ利用 されている( 7 3 ) o グル語に字音があった とする彼の主張は,Ka 高田のウイグル字音孜には, もう一つ重要な主張が含まれているO彼によれば, これ ら 2種 源の往昔資料か ら想定 される漠字音は,その聾母において大規模な融合が見 られ るものの,韻母 mgの韻尾を持つ字が例 についてはきわめで保守的で,漢語の鰹系か らの逸脱は少ない。特に 一 外な く ngの額尾を持つ字によって音注 されている寮費は,ベースになった漢語が,宕蘇 ・梗 ngを保持 していた ことを示唆する。一方 ウイグル語に導入 された通常の漠字音 藩においても ・ では,宕潅 ・梗満の ngは取落 しているか ら,両者が同一の漢語をべ-スに した ものとは考え ngの報尾を組織的に保有するのは,チベ ット文字資料では第 1 られないO彼の研究に よれば - 常で,長安の標準的夜着を反映す る言語である。従 って通常のウイグル語文献中の漠字音は河西 方言をべ-スに しているのに封 し 2種の往昔資料のそれは河西方言 よりは古い時期 (9世紀) 臥, トルファンで行われていた標準音か ら,経典讃斎音 として導入 されたものであるoつま り ウイグル人は,ち ょうど日本人が鼻音や藻音などの複数の字音牽系を持つ ように, 2種常の字 音を使い分けていた (7 4 ㌔ 下では この高田のウイグj L , 字音祝が持つ問題鮎を扱 うことにする。 〔6 7〕 L ' ) ' 1 4 ソグド文字で表記された藻字音 3. 2 字音が存在 した ことの澄明 ウイ グル語文献に見 られ る,河西方言に基づ く通常の漠字音がある時期に導入され定着 し, 漢語の億t l の轡化を こもかかわ らず,基本的に導入潜時の形式で発音されていたことは,モ ンゴル期 に書かれた もの と特定で きる交番に,この種の河西方言形が現れ ることか ら明かである(75)Q 高 田はさらに,モンゴル期の世俗文書を こ現れる定恵 t ykwyの定 t yが,河西方言形であること も附け加えている。借用語だけでな く,その時々に新 しく作 られる人名が河西方言形であるこ とがまさしく,字音の存在を推定 させるとい う( 7 6 ) 0 字音を定義することは容易ではないが,字音であることにはい くつかの必要練件があるOそ の一つは,漢語の音韻襲化 とは沸立 して導入時の漠字音を保持することである。上の議論で用 い られた諭嫁は,基本的にこの健件に係わ っているOただ しその限 りでは,借用語についても ≧ 同 じことが言える。第二の健棒は,原則 としてすべての漢字に対 して, 1つ ( ない し複数)の 藻字音が用意されていることである。 これが字音と借用語 ( いわゆる語音) とを区別す る基準に なる。 とはいえこのことを澄明す ることは容易ではない。上で言及 した固有名詞の形式は,鰐 用語ではあ り得ない とい う意味で,第二の凍件を満たす ものであるoCs o ngo rもまた ウイグル 語か こ入 った通常の藻字音が,単なる借用語 とは異なる鮎を強調 している( 7 7 ) 0 庄垣内は 『 慈恩俸』の評者のシソコ-サ 1 )が原文を誤解 し,本来固有名詞ではないものまで こ 固有名詞 と見な し,封鷹の藻字音を輿えている例をい くつか指摘 しているoそ して攻のようせ 結諭 した。「このような固有名詞に関す る誤謬 と,その漢語の音寓 とは S i ' qqoSa l iが翻弄に際 して定着 していた名辞を用いたのではな く,原典の漢語を常時の発音形式を こ従 って寓 し入れた ことの謹撰 となるOすなわち,『 慈恩倦』中の漢語形式は,基本的には謬出常時の漢語 ( 漢字) の発音形式であった ことを示 している」( 7 8 ) o字音が存在すれば,この登音形式は必ず しも常 時の漢語の蒙音である必要はないが, シソコ-サ リが誤って固有名詞 と見な した漢字にまで, 封厳する登音形式を輿えることができた とい う事貴は,潜在的に全ての溌字に射 してウイグル 式の発音が用意されていた密接になるだろ う( 7 9 ) . 3. 3 2骨のウイグル字音の問題 ウイグルに入った漢学者は,2つの必要棟件を藩た しているので,字音であった と考えて聞 こ2種類存在 したのだろ うか. 達いないだろうOでは ウイグルの字音には,高田の主張するようを つま り 『 慈恩倦』に見 られ るような通常の凍字音以外に,それ よ り以前に導入され定着 した字 音が本者に存毒 したのだろ うかO 高田の主張にはい くつかの問題鮎があることは,誰 もが認めるであろ う.第-に,彼の言 う ような漠字音が,ウイグル文字で表記 された資料は見つかっていない。高田は 『 天地八陽画呪 経 』の ロン ドン本の,八陽経 p ' ry' nkkyの例を引いて,陽が y w ではな くy' nkと表記 されて 31 3 〔6 8〕 東 方 撃 報 いることか ら,この y' nkを こ古い恩の字音の現れを見 ようとする( 8 0 ) o Lか しこれか こは,下で論 じるように別の祝明が輿 えられ るし,経が * kynkではな くkyと綴 られていることも,彼の説 には不利であるO i n z の存在である。高田は 2種類 の字音が存在する背景に,用途の追いを想定 第二は,Ma している。つ便 り 「 -は経典意蘭 としてのそれであ り,-はそ ういった制限のない字音であ i n z る」( 8 ㌔ 彼紅よれば経典護凝用には古い瀞の字音が用いられたことになるO ところが,Ma 紘,ま削 こ経典講商用に作 られた ものに洩いない。確かに高田は,上で言及 した Ka r aの紹介 「 ---時の推移に したがい ウイ グル文献に現 す るウイグル文字表記の漢語併典の存在を こ解れ , れるような河西方言型の字音鮭系 もまたそれ とは別個の字音 として形成 されていったのではな いか と考えられ る節がある」 としている(82). しか しこの説明はモ ンゴル期の ものである督該 1 0 世紀 ( 後年)のもの と考え られる Ma i n 笈 には通用できない0 1 0 世 の資料にはあては まっても, 紀の トルファンで,後の ウイグル文激動 こ見 られるもの と基本的に同 じ藻字音に よって,併典 が漬諭 されていたのであるO では高田の主張す る古い藩の字音は存在 しなかったのだろうかO もしそれが存在 しなか った とすれば,高田の扱 った 2種類の往昔資料のべ-スにあ った漢語は どんなものであったのだろ ngを持つ字が例外な くngを持つ字で往昔 されていると うか。薯際 この往昔資料で,韻尾に 喝 が失われていなか った ことを想定 させ る。例えば 「 凍音平」 い う事寛は,宕寮 ・梗轟でも 一 から,この藻語 の腺糸では,曾孫の氷 pかng と梗癖の平 bt 如 ng が同 じ発音であった ことに yy と表記 されているし,妹の例はみつか っていない ようだが, なる。平はウイ グル文字では p 同 じ韻を こ屡する来 島 ynk,偽 蓋 ynkの例か ら,通常のウイグ} L , 字音では * pynk と表記 されてい たはずである( 8 3 ) 0 このような紛擾があるにもかかわ らず筆者は,高田が扱った 2種楽の注音資料のペースにあ った漠字音は,通常 の ウイグル字音その ものであ った と考えているOその鍛接 の第-紘, Ka r a の紹介 した資料の存在に よって,寮際にモンゴル期にこの音で併典を讃諦 していたこと こす るための が分かることであるO問題の 2後発の注音資料 も,そのような傍典の講義を容易を 便宜であったと考えられる0第二に,高田の主張するように,古い膚の字音が 9世紀に導入 さ れた とすれば,それ らか ら1 0 0 年ほ どの間に,同 じように係数文化を背景に別の字音の膿系が 導入されたことになる。一般的に考えてこれはあ りに くい状況である。 第三に, 注音資料中の「 炎 旗音厳」か ら,愉母の字である炎 i a m と旗 主 a m が疑母の厳 ng 主 t ! m と同音であった 音厳」 と 「 ことが分かることである(84).通常の ウイグル字音でも疑母 と愉母 の合流はなか ったが,何故 ym と表記 されている秘) 。 2つの注音の背景には, 通常の ウイグル語文献におけ か蕨だけは y るように,厳が yi m のように発音 されていたことがあったに蓮いない. ng 韻尾が完全に保有 されていた ようにみえることについては,攻のような課明ができるか 〔6 9〕 31 2 ソグド文字で表記された湊字音 もしれない。上で も述べた ように ngが晩落 した宕兼の字は -Oない し 6と登音 され,硬麻の 字は eと発音されていた と考えられ る。 ところが他の黄では o/ 6ヤ ー eで終わ る字は存在 しな ng額尾 い。従 ってこれ らの稀の字が他の藩の字 と同音になることはなか ったO高田に よれば ・ 0 世紀の敦塩出土の漢文霧本では,梗凍字が密接字 としば しば通用す るo Lか し の脱落の結果 1 問題の狂者資料ではその ような例が全 く見 られないことか ら,ng が晩落 していなか った と結 論する。 ところが ウイグル語では梗漬 3・4等が eであるのに対 し,牽轟の 3・4等は iで 発音 されていた らしいOそのことはブラーフミ-文字で表記 された資料で,閉 pi e iが pi ,定 dt i e ngが dhe,丙 p真 耶 ngが peと綴 られることか ら容易を こ推測される( 8 6 ) O従 って ngが脱落 していた としても,宕轟や梗横の字は他 と区別できたことを こなるく さ 7 ) a 確かを こ上で引用 した 「 淡音卒」の例は,この説明では解決できないo Lか し字音は定着後, 散発的か こ人為的改肇を蒙 った可能性があるO例えば Ka r aの紹介 した資料の車に繁p a uが p 甘Ⅹ と表記 された例があるO これは中国語の音韻史の観鮎か らは全 く訣明がつかないO この例y こ関 して Ka r aは,攻のような説明を輿えている。賓は ウイグル語では通常 p' W と表記 されそのよ うに登音 されていた。 ところが中音漢語か ら近世漢語へ奨化する際に入寮の額尾が股落 し,近 世漢語の費音形式か らだけでは,その事が本来入寮であったのかどうかは分か らな くなった。 正統のウイグル字音では入馨の親展は保持 されるので,モンゴル期の ウイグル人が,近世漢語 とウイグル字音の追いを強調するあま り,本来入質ではない賓にまで入饗の額尾 Ⅹ を附加 し . た( 8 8 ) 「 妹昔年」の例 も,一 mg の韻尾が脱落することのない近世漢語に接 した ウイ グル人によ る入籍的な改愛 と考えれば説明できようO もちろん上で洩べた ことで高田の論線がすべて覆 された とは考えないoそれ故 この問題は今 後なお検討 されつづけ るべ きであろ う.筆者の説明も可能であ り,必ず しも 2種瀬 の字音を想 定する必要がないことが認識 されれば,拙論のこの部分の 目的は十分達せ られる( 8 9 ) 0 3. 4 ウイグル字音の成立 と襲容 本節では ウイグj i , 語には,通常 ウイグル文字で表記 されるタイプの字音 しか存在 しなか った とい う儀定に基づいて,その成立 と導入後の襲容笹ついて考察 してみたいO 3. 4. 1 字音の成立 漢語 とウイグル語 ( あるいは舌代 トル コ語)が接鯛 した際,最初は借用が行われたに違いな いOいわゆる語音の借用である。特に ウイグル人が トルファンに定住 し傍教化 した後,すなわ ち 9世紀後半の西 ウイグル園の成立後は,中国沸教-の依存から漢語の使用が頻繁になったで あろ うO ウイグル人は俳教及び併典の導入に際 して, トカラ傍教 と中国沸教の両方に依存 した よ うである( 9 0 ) o このことは西 ウイ グル図の立地を考慮すれば箇然の ことであったO従 って ト 31 1 [7 0] 東 方 学 報 カラ併教経由で導入 されたイ ソ ド語の要素 と,中園沸教経由で導入された漢語の要素には,め る程度並行する状況を想定できるであろ う。 R6 hr bo r n に よれば ウイグル語におけるイ ン ド語の要素は 『慈恩侍』の繭等時には,単に借 用語 とは見なし難い段階にあった とい うOつま りすべての係数発語の要素が,潜在的に ウイ グ ル語の要素 とな り得 る段階に達 していた( 9 1 ㌔ 漢語でも単なる借用の段階を除す る と,すべて の藻語すなわち漢字が ウイ グル語の要素 とな り得るようになった と思われ る. これが と りもな おきず字音の成立である.そ してそれが起 こったのは,西 ウイグル閥の成立か ら Ma i nz まで 0 世紀後年 までの間である. の間,言い換えれば 9世紀後半か ら1 この字音の基礎になったのは,高田のいわゆる河西方 言であったoただ完全に均質なもので nk と表 はな く,新巻の要素が若干は混在 していたO例えを ま三の字は,『 意思倦 』では常に W' ngが失われていたはずである。庄垣 記 されている( 9 2 ) O王は宕藩を こ屡す る字で,河西方言では - 内はこれを こ関 して 「 葛尾 勺を股落する以前に借用され,定着 した形式 といえる」 としている( 9 3 ) O nk として借用 され,その後字音借用潮紅 も,王 王は字音借用期に発行す る落書借用期に W' -W' nkの結びつきの強 さか ら新来の * ww によって駆逐 されることはなか った ようだO こうし ry' nkkyの て古い要素が字音の中に残 ることになったと考えられるO上で言及 した入陽鮭 p' 場令 も,語音借用期に導入 された例えば陰陽 y yny' nkのような表現か ら( 9 4 ) ,陽-y' nkの結び 附 きが定着 していた ものと思われ る。 ところが この場合には,字音借用期に導入 された y wと の共存時代の後 ,y' nk はついには y w によって駆逐 されたのであろ う( 9 5 ) O同様に語音の一部 が後に,字音に よって とって代わ られた場合 もありたであろ うO道場 t ' wc ' nkに対 して t ' wc w をあてることも,借用語の C ' nkが後に字音の c w によって置 き換えられた ものと見なす こと ができるか もしれない( 9 6 ) 0 ym などは明 らかに新 しい単音である.通常のウイグル字音では * ky m と これに射 して厳 y 綴 られたであろ う。疑母が峨母 と合流する傾向があったことは確かだが, どのような経緯で こ の字音が導入されたのかは今は不明である。 高田が想定 した ように,通常のウイグル字音は トルファンで話 されていた,河西方言型の言 i nzの様な資料の存在を 語か ら導入された と考えるのが最 も自然である( 約。 しか し筆者は Ma 見るとき,督時河西の併教の中心地であった教燈で行われていた漢語か ら導入 された可能性 も 否定できない と思 う。 9世紀以降の トルファンの言語状況も含めて,この鮎は十分解明されて いない問題 として洛乗の研究に委ね るべ きではなかろ うか。 3 . 4 . 2 字音の襲容 勉の言語における字音 と同 じくウイグル字音でも,導入された漠字音を こは 3つの鮎 に注意を 沸 う必要があるO第 1は本来の湊字音が,ウイグル語の音韻濃系に塀渡 して襲容を受けること 〔7 1〕 3 1 0 ソグド文字で表記された漠字音 である。第 2は襲容を受けるものの,完全にウイグル語の音韻鰹系に合致す る形式になるので はな く,ある程度 の逸脱が許 され るとい う事葺である(98)。第 3は導入 された字音 が,使用者 p の規範意識か ら人為的 な形式 に奨容 され ることがあることである。上で も述べた よ うに ,- 入馨の韻尾をすべて pで表記するのは,嘗時の漠字音がそ うであった とい うよ り,p 入聾字 p で導入 しようとす る意園があったものと思われ る。同 じように 3・4等の字の母音を一 は - 様に前舌母音 として扱 うことも,語音借用期には見 られなかったことである。 下ではこの うち第 2の鮎を字音導入後の奨化 とい う観鮎か ら, やや詳 しく論 じることにす る. 導入され る漢語の発音に近づけるために,多少 ウイグル語の音韻鰹系か ら逸脱 した形で受け入 れ られた字音は,その後再び ウイグル語の音韻鰹系に合致するように 「 土着化」 され ることが あった (99)。ただ し逸脱 した要素は完全に駆逐 されたわけではな く,両者が共存 している場合 も多か った と考えられ る。例えば語頭の t s -ほ ウイ グル語には存在せず,字音中の聾母の t s は S 一に韓ず ることが しば しばあった。 しか し両者は共存 し,その現れに資料の時代に よる偏 りは認め られない とい う(100)0 t s -以外の聾母でこの 「 土着化」の封象 となったのは,喰母の合 口の W一及び 日母の 云 -であ 0 1 ) 0 った。上でも論 じた ように,前者は既に 『 慈恩偉』中に摩擦音の β一 に襲化 した例があった( 1 半母音の W-ほまた母音に襲化することもあ った。『 慈恩博』中の干 ' ww はその例 と考 えたが, Ka r aの紹介 した資料に も王 ' ynkw が見 られる(1 0 2 ) 。 この例は通常の字音の W' nkに比べてあま りにも奇妙な形式なので多少不安が残 るが,語頭の W -が失われていた ことは知 られ る。 日母 の乏 -は後期の文献では しば しば 義 一と表記 されている(1 0 3 ) 0-万後期の文献中の壬 ' 云 m は,外 y 来音の 蓋を敢えて有馨音で護音するために,語頭に母音を附加 した ものであろ う(104)0 泥母の字は ∂ -で表記 されていた と考えられるが,後には t -で綴 られ ることもあった。その yr p' nの例か ら明かである。∂と tの交替は後期のウイグル文献に ことは注11で引用 した浬奨 t 顕著な現象で( 1 0 5 ) ,泥母の字が tで表記 され ることも一種の 「 土着化」 と見な し得 るであろ う。 韻母の 「 土着化」 としては,uで終わる二重母音の解消があげられ よう。 この場合 uが β に特ず るもの と,単母音化す るものの 2種類があった.道 t ' L 3 ,小 S' β, 収 菖 yL 3は前者の例であ り,州 c w は後者の例である( 1 0 6 ) 。州 c w は既に 『 慈恩俸』に,c y w とともに用いられている。 なお wyが Www に奨化す るのも,二重母音の解消の例 と見なす ことができるか もしれな い( 1 0 7 ) 0 以上 ウイグル字音に係わ る諸 々の問題を扱 ってきたが,未解決の問題 も多い。何 よ りウイグ ル語 ・ウイグル語文献について門外漢である筆者の初歩的な誤解や無知か ら,先学の説明に不 常な批判を加えた り,解決済みの問題に誤 った解樺を加えた りしていないか と恐れている。専 門家か らの御教示を乞 う次第である( 1 0 8 ) 0 : ; 0 . ( ) 〔7 2〕 東 方 学 報 Ⅴ 敦塩 出土の俗文書中の漠字音 の検討 最近 Si ms Wi l l i a msと Ha mi l t o nは,敦燈出土の ソグ ド語文書 8鮎を校訂出版 した( 1 ) 。 これ らは後期の草書鰹で書かれてお り,その中には多 くの古代 トル コ語の要素 ( 借用語,構親,固 有名詞及び透寓表現)が含 まれている。著者たちは,9世紀の終わ りか ら1 0 世紀の間に見 られ た虞範な民族間の接鰯がその背景にあるとしている(2)0 これ らの文書の中には漢語の要素 も少なか らず認め られる。本節では Ha mi l t o nが比定 した それ らの漢語の要素を集め,上の Ⅲ・ Ⅳ章で得 られた成果を参考に してその比定に問題がない かを検討する( 3 ) 0 まず彼 らの作成にかか る語嚢表の中か ら漢語の要素を抜 き出 し,封鷹の漢字 とその中古漠語 形を提示する。 1" mr '押衛 ・ a pnga wr t ' n)安 ・ a n 2 " n( c 3' n k"牙 nga 4 βr t ' n( ? ) 5 βwc y n( βW菖 ynL 3 ws yn)( ? ) ( 4 ) 6C ' n kl ' γ ( 5 )常葉 軸 ngl a k 7c w( kym5 ' n) ( 6 )張 ( 金山)モ 呈 a ng 8c wn倖at i wa n 9[ γ ] ( ∫ ) n昌 ' m 汗杉 γ 急 nS a m l Oγ y n k杏/ 榊?γ で ng/ r i e ng l l kw 虞/ 摩 ?n g 主 u/ gt i u 1 2 kwr pyγ屈伏/ 服 kt i ua tbt 真 uk/ bt i uk 1 3 ky m菖 ' n( 6 )金山 ki a m 頭n ? ) 1 4 ky n l wn k( 1 5 kyt wnk( ? ) 1 61 yf l j i 主 a pk j e i 1 71 yp ky立機 1 ? ) 1 8 pyB w( o rpys w)( 1 9S ' nkwns nkwn賂軍 t s 主 a ngki ua n 2 0s ync yn信虞 si e nt 言 i 6 n 2 1菖 ' γ石 顛 k 〔7 3〕 3 0 8 ソグド文字で表記された漠字音 2 2孟 ' mt s y彰子 ! a mt s i 2 3菖 nkw 升 g i a ng a でk) 2 4t ' k笹 dt i e k( o r t 2 5t nk定 dt i e ng a tkua n 2 6t r x' n達官 dt 2 7t wt wx都督 t uot uo k 2 8t ym( c y)店 t i e m 2 9t yn田 dt i e n 3 0t ynkT t i e ng -文'家 ka 3 1 Ⅹ' 3 2 Ⅹ'何/ 賀γ a '( ? ) 3 3 Ⅹwt 3 4 史 y γ園 k wa k 3 5y wz y論示/旨 i ud乏t i / t g i この種の表記か ら封鷹の漢字を捜す ことは至難である。漢語であるか さえ定かではな く,難 解な文書においては文脹す らも明かではないか らである。従 って上記 の例の中には,漢語でな いものが含 まれている可能性す ら存在す る。 s.1 ,2,7,1 3,1 6,1 7,1 9,2 2,2 3,2 6,2 7,2 8,3 1であ る。 この うち 確賓 と見なせ るのは,No No s.1 ,2,1 9,2 3,2 6,2 7,2 8は既に上に論 じた( 7 ) 。張金山 ( No s.7,1 3 )とい う名前は,敦燈 出 No.1 6 )は敦燈文書中に姓 として普通に見 られ るもの 土の漢文文献に箕際に在覆 され る(8)。李 ( ypky( No.1 7 )と 菖' mt s y( No.2 2 ) で, この比定は妥首である。 また文書の文服を勘案すれば ,1 を各 々布地の名稀 である立機 と衣装の名稀 の彰子に同定す ることに も問題がない (9)0 Ⅹ' -蕊'が 家に由来す ることについて も,課得力ある説明が輿 えられている(1 0 ) .なお Ⅹ 上に 2崇占を施 し た文字は,軟 口蓋 ( ない し口蓋垂)の閉鎖音を表すためのものであろ う(ll ) 0 y n( No.2 9<田)や Ⅹ' ( No.3 2<何/ 蛋)も文肱や表記の面か ら問題がな これ ら以外でも姓の t く,ほぼ確賓な比定である。 C n ( w No.8<俸)や s ync yn( No.2 0<信虞)は登音の面か らは問題がないが,意味の面か ら問 題が残 る。同様に,敦燈出土文書では虞や摩 ( No.l lkw)とい う姓は一般的ではなか った よう なので( 1 2 ) ,表記に問題はないが確薫な比定 とは考えられない。 C' nkl ' γ( No.6<常襲)は敦燈 の東北東 1 0 0km の ところにあった集落の名前である。 この地 名は コ-タン語の文書では 言 え l a ha と綴 られている(13)O常は輝母の字 なので, コークソ語 の形 式は韻尾の脱落 も含めて河西方言形 として期待 され るものである.稗母は ソグ ド文字 でも 言と 表記 され るのが普通なので, この地名の Cはいかにも奇妙である。 さらに1 0 世紀の文書に現れ 3( ) / - 〔7 4〕 東 方 学 報 るのにもかかわ らず,韻尾の 一 mg は保存 されている。 しか しこのことか ら C ' nkl ' γ-常葉の比 定そのものを疑 う必要はない。上で も述べた ように紳 ( d孟t )・押 ( i )・林 ( d写t )の発展は一様で はな く,各聾母が [ t さ ] ,[ t st ] ,[ 昏 ]に襲化 ししか もその儀件が特定できない.押母の毒 c y w はよ い例である。賓際チベ ッ ト文字資料でも,常の聾母を破擦音 として j a n g のように表記す る例 が存在する。 しか もこの例では韻尾の 一 mgを保存 している(14)。従 って長安の標準音では常の聾 母は破擦音で単音 されていた可能性が高 く,C ' n kl ' γ はこの標準音を反映 した もの と考え られ る。一方 コ-タン語 の 貞 a l a ha の方は,同 じ地名を河西方言で単音 した形式である(15)。ちなみ に- ミ地方にあった地名の納職 n a pt 軸kについても難似の現象が見 られる。 ウイグル語の文 pc y kと綴 られているのに射 し, コークソ語文書では da p急 c iと表記 されているo ウイ 書では n' グル語文書中の例は晩鼻音化以前の古い形式に遡 るのに封 して,後者は晩鼻音化以後の状態を 示すだけでな く,職 の入質の韻尾を も失 っている鮎で,同時代の漢字の発音を停えている(1 6 ) O これ ら以外の比定には意味の面だけでな く,表記の鮎でも何 らかの問題がある( 1 7 ) 。 ' nk"牙 ( No.3 )の場合には,疑母の 1 ・2等の字で,聾母には γが期待 され る。 また γ ynk ( No.1 0 )では,杏あるいは刑は どちらも梗鋸に属 し,河西方言では韻尾の 一 mgが脱落 していた nk( No.2 5 )及びT t y nk( No.2 0 )についても言える。前者に関 と考えられる。同 じことは定 t a ngに比定す ることを提案 した(18).t y nkに関 しては成案がないが,中国人の して筆者は,等 t a 姓なので骨衆の字の都 dt a ngを想定できるか もしれない.掛 こは dt i e kと t t ! kの 2種類の登 9 ) o従 って cyγ 音があった。敦塩 では少な くとも姓の笹は後者であったことが知 られている(1 あるいは C' γと綴 られていたはずであるOHa mi l t o nは t nkと読んで邸 dt a ngの可能性 も示唆 するが,この比定が正 しいか もしれない。その場合には上の t ynk には別の姓を想定 しなけれ ばならない( 2 0 ) 0 kwr p yγ( No.12)の場合 pyγを,伏あるいは服に嘗てるのは不可能である。軽唇音化 した聾 母を pで表記す ることはかろ うじてあ り得た としても,核母音の uを yで寓す ことは無理であ る(21 ) .同様に 文yγを園に嘗てることにも無理がある. ウイグル文字による車馬では Ⅹ wx と綴 2 2 ) 0 られている( y wz y( No.3 4 )を諭 旨に比定す ることの問題鮎,すなわち旨 t 貞 iが z yに封癒 し難いことは既 に Ha mi l t o n自身が指摘 している.そのため彼は交替案 として示 dzt iを提案 した.示は ziを 経て現在の s hi hに襲化 したので,z y と表記 されることに問題がない とした( 2 3 ) 。 しか し上逃 し た ように紳母の字は通常 畠で表記 され,破擦音化 した場合には C で表記 されたので,Zで綴 ら れることもあ りに くい。 菖 ' γを石に比定す る際 ,Ha mi l t o nは ウイグル語の 岳 y γに言及 し,その形式 よりトカラ語 Bの C 豆 k に近いとしている。 トカラ語の形式は中古漢語の再棒形の 顛kか らは説明 しに くく,菖 ' γ のような表記があ り得なか った と言 うことはできない。 しか し音韻の核母音は, ソグ ド文字で 〔7 5〕 30 6 ソグド文字で表記された湊字音 もウイ グル文字 で も等 しくyに よって表記 されていたので,意味の明かではない この語 を敢え て石に比定す る理 由はないだろ う。 上のⅢ節 での議論か ら明 らかな ように,匝母は無馨化 して暁母 と合流 したので ,N0 .9を汗 杉 に比定す るな ら [ Ⅹ] ( ' ) n菖' m と復元す るべ きであろ う。 ちなみに表音 の見地か らは ,Ⅹ' n菖' mを 汗杉に比定す ることに問題 はない。 ( 2 4 ) 0 Ⅵ おわ りに 最初に も述べた よ うに, ソグ ド語 に導入 され定着 した漢語か らの借用語 は非常 に少 ない。残 された資料 の多 くが中国語圏で書かれていた ことを考慮すれば, これは意外 な事賓 である。一 方 ウイ グル語 は漢語 の影響 を強 く受け,多 くの借用語を導入 しただけでな く字音 まで凄達 させ pr e s t i ge )のあ り方が飴程異 な ってい た。 ソグ ド語 と漢語 及び ウイ グル語 と漢語 ではその威信 ( た と考 え ざるを得 ない。 この問題 は中国園 内におけ る ソグ ド人の赴合的地位や活動 とい う鮎か ら,別 に研究を要す る問題であろ う。 ソグ ド語 と漢語 の関係 とい う鮎 では,漢字で表記 された ソグ ド語 の問題 も扱われ なければな らない。代表的な資料 としては,敦燈や トル ファンで出土 した文書 中にあ らわれ る ソグ ド人名 がある( 1 ) o他 には史書 な どの典籍 中の名詞や固有名詞 も見逃せない (2). さらには墓誌銘 中に も 若干の人名が見 られ る( 3 ) 。 これ らを集めて,封慮す る ソグ ド語形を復元す る作業 が攻 の課題 で あ る。 注 は じめ軒 こ (1)護 雅夫 ( 1 97 6)1 6 9 頁 ;林 梅村 ( 1 99 2)49 -5 0 頁参照。 (2) ソグ ド語では,c yn( 複数形 c yn t y) 「中園人」,c y ns t n「 中国」 ,c y n' nc kn∂「高昌」 ,c y n' W 「中国語で」 が知られている。出典については GMS§さ1 0 4 0, 1 118及び吉 田 豊他 ( 1 988)1 1 頁参照。古代書簡 ( nc A i e ntLe t t e r s )中の c yns t n は,中隊全髄ではなく中原地域のみを示す という,W.B.He nni ng, 1 948,6 06n. 7参照。 (3)' Ⅹwmt ' n( Anc i e ntLe t t e rI I ,c f .x wmt ' nc w,P21233)を,「 威陽」から導き出そ うとするのは, Ha l o un の7イデアである,H.Ha l o un,a Pud He n ni n g,1 9 48,6 08 参照。他の語源については H. Sc ha e de r ,1 9 3 4,48 -5 0参照。 (4)出典については下記参照。他の語についても同様である。 (5)各 々 G.Cl a us o n,1 97 2,76 6,5 03,34 6参照。なお t y m 及び p' nについては N.Si ns Wi l l i a msa nd Ha mi l t o n,J . ,1 99 0,3 0も参照。近世ベルシア語に入った t y m の例は He nni ng,1 93 9,94及 び 0.Ⅰ . Smi r no va,1 9 70,1 32 -3 4に詳 しい。 3 0 5 〔7 6〕 東 方 学 報 (6)P・Po uc l l a,1 9 3 3,8 8 -9 0及び H.B.Ba i l e y,1 9 3 7,91 5参照。 (7)Si s Wi l l i a msa ndHa mi l t o n,1 9 9 0,3 2 -3 3参照。 n (8)H.L也de r s ,1 9 3 3,1 0 21参照。 (9)Ba i l e y,1 9 3 7 a,92 9及び Ba i l e y,1 9 7 9,3 3 5参照。最近では Ha r ma t t aが Ba i l e yの祝に従 っている, Ha r ma t t a,1 9 8 9,3 01参照。 ( 1 0 )Si ns Wi l l i a msa ndHa mi l t o n,1 9 9 0,5 4参照。 ( l l )妻伯勤は,pny の語源を文であるとす る,妻伯勤 ( 1 9 8 6 )3 5 貢参照.文の中古音 * mi ua n か ら考 えて, 分以上に受け入れ難い。 ( 1 2 )He nni ng,1 9 4 6,7 2 3参照opnyの用例についてはさらに,M・N・Bo go l j ubo va ndSmi r no va,0.Ⅰ . , 1 9 6 3,5 6も参照せ よ。ちなみに,pnyが頻出するムグ文書 ( ち2 7 )では, 日附が ソグ ドのカ レンダーに よる日の名辞 ではな く,ト3 0までの数字で表 されている。他のムグ文書では, 日附は 日の名稀に よっ て指定 されてい るので, この鮎は注 目に値す る。 この文書は漢文の地籍の紙背を利用 して書かれてお り,地籍 自膿は中国国内で書かれた ものである。一般には廃紙を紙の材料 として輸入 した もの とされ 1 93 5 )1 3 7 -3 8 頁参照), 日附のあ り方 と考えあわせれば,裏 の ソグ ド語文書 ているが ( 岩佐精一郎 ( も中開園内で書かれた もの と推測 され る。 この推測が正 しければ,B2 7は 8世紀初め ソグ ド商人が, 中国 とソグ ドを行 き来 していた ことの直接の密接になる。なお同様に中開園内で書かれた古代書簡で も, 日附は数字で表記 されている。 ( 1 3)下でも述べ るように,個別 の形式や,特定の文献についての研究はあ った。 しか しそれ らには,全 港像についての硯鮎は妖けていた。 Ⅰ (1)古 くか ら議論 されて きた古代書簡の年代については F. Gr e ne ta ndSi ms Wi l l i a ms, N. ,1 9 8 7,1 0ト2 2 参照。Ha r ma t t aは最近 この論文に封す る反論を登表 した,J .Har ma t t a,1 9 92参照. (2)He nni ng,1 9 4 8及び Ha r ma t t a,1 9 7 9参照oなれ 古代書簡全鮭については Si ms Wi l l i a ms ,1 98 5が ms Wi l l i a ms ,1 9 9 1をあげることができる。 便利な解説である。 また最近の研究 として Si (3)B.Ka r l g r e n,1 95 7に よって再構成 された中古漢語の形式を掲げてお く.以下 同様。 (4) この比定は Ha r ma t t a,1 9 7 9に よって行われ ,Gr e ne ta ndSi ms Wi l l i a ms ,1 9 8 7に よって採用 された。 古代書簡中の酒泉の表記についての古い殻に関 しては下記参照. (5)H.Re i c he l t ,1 9 31 ,4参照。 (6)He nni ng,1 9 4 8,61 0 -11参照。 (7)Ha r ma t t a,1 9 7 9,1 6 2参照。以下 Ha r ma t t aが現代の北京音で表記 している地名に封慮す る漢字の比 定は,榎 一雄 ( 1 9 8 0 )に引用 された蔀 勇蓮に よる古代書簡の 日本語詩を参考に した。 (8)Gr e ne ta ndSi ns Wi l l i a ms ,1 98 7,1 0 9,n.3 3参照。 (9)榎は,都城 ki e i軸 ngにあて,疑問符窮を添えている。 ( 1 0 )He nni ng,1 9 4 8,61 1参照。 ( l l )Ha r ma t t a,1 9 7 9,1 6 4頁参照。 ( 1 2 )榎 一雄 ( 1 9 8 0 )2 71 頁参照。 ( 1 3 )Gr e ne ta ndSi ns Wi l l i a ms ,1 98 7,1 1 5参照。 ( 1 4 ) この資料については,Si ns Wi l l i a ms ,1 9 8 9及び i de m,1 9 8 9 a;i de m,1 9 9 2参照O ( 1 5 )Si ns Wi ni a ms ,1 9 8 9 a,1 9及び i de m,1 9 9 2,5 8参照。 ( 1 6 )S.G.Kl j a g t o r nyja ndLi v菖 i c ,Ⅴ.A. ,1 9 72参照。 1 5で彼 らが Ⅹ菖 y n y" w ul r e r "と読む部分は,寓贋版 ( あま り質が良 くない)で見 る限 り, ( 1 7)例えば,B2 〔7 7〕 3 0 4 ソグ ド文字で表記 された漠字音 Ⅹ菖 y' ZY「 彼は支配 した。そ して」 と読める。 さらに k' W伽 . ys ' rpwr s t y( B2 1 )を彼 らは 「神に尋ねる」 と詳 したO しか し,( ' ) pr s -r 尋ね る」が pwr s -と綴 られることはないので,む しろ ( ' ) pw' r t「 輯ず る, t a ngi r)のほ う-返 った」 と詳すべ きか もしれな 振 り向 く,返 る」の 3人稀単数過去形 と見な し,「紳 ( い。なお この碑文では文字 Ⅹ と γ が語末以外の位置でも区別 されている鮎に関 しては,吉 田 豊 ( 1 9 9 0 )7 6 頁参照。 ( 1 8 )破損部に しか現れない :S ( nk) [ wnt ]( B2 2 ) ,( s nk) [ wn] t( B2 8 ) 0 ( 1 9) トル コ民族に早い時代 に借用 された と考え られ るこの語は,構鱗 として も人名 として も頻繁に用い られた。 7-8世紀に吐火屋 にいて,突廉 と見なされていた人 々にもこの語が知 られていた らしいこ j a t a r a 血g in王中に見 られ る トル コ人名 c a nk n na -か らも知 られ る,A.St e i n,1 9 0 0,vo l ・1 ,1 4 3 とは,R尋 a dkupa -は, トルコ語文献で S ( ' ) nkw n と表記 されている語 と同源で,西突蕨 -4 4,n.211参照。 この c の言語に借用 された将軍を死語化 した ものと考え られる。 ( 2 0)Kl j a 菖 t o r ny ja ndLi v菖 i c,1 9 7 2,8 9;護 雅夫 ( 1 9 7 2 )8 3 -8 4 頁参照O ( 21 )森安孝夫 ( 1 9 9 0 91 )1 9 5 -9 6 真参照。 ( 2 2)青 田 豊他 ( 1 9 8 8)参照。 ( 2 3 )( 丸括弧)内は文書中の行数。以下同様。 ( 2 4 )最近荒川正晴は ,C' n姓の問題を再び とりあげ,歴史的背景及び墳墓の所在地 の鮎か ら,張に嘗てる ことが十分可能である旨逮べている,荒川正晴 ( 1 9 8 9 )1 3 8 -4 0 貫参照。一方林梅村は,青田 豊他 ( 1 9 8 8 ) を批判す る論文 において,C' n は C' Z の署ではないか とし昭武九姓の うちの石に封鹿す るもの と考え た,林梅村 ( 1 9 9 2 )51 頁参照。 これは明らかに牽強附合であ り,反論の必要 もないであろ う。 また彼 wy' kkhkwt r ' nc hの c w-は同 じく昭武九姓の菅に封鷹す るとした.彼は kwt r は, この同 じ文書中の c 「 氏,族」 に先行す る要素が漢語 の姓でなければならないと考えているよ うだが,それが必ず しもそ うではなか った ことは,キ リス ト教文献中の g l yl ' yqq wt r y「ガラ リヤの一族のもの,キ リス ト教徒」 か ら知 られ る,0.Ha ns e n,1 9 41 ,9参照。それ故 c wy' kkhは kkで摸張 された典型的な hypo c o r i s t i c ns Wi l l i a ms ,1 9 9 2,3 4参照。 na meとして何の問題 もない,Si ( 2 5 )池田温氏は筆者-の私信において,「 y' ns y' n は延順 といった法名が濠想 され ますOはぼ同年代の弘 賛寺借及奴婦名籍断巻 ( 『吐魯番出土文書』第 4放牧)などには, この名は見あた りませんが, どこ かに残 っているか もしれ ません」と言 ってお られ る。可能性だけなら,延相な どもあげることができ, ns y' n にはぴ った りと封鷹す る。む しろ可能性が多す ぎて,どれかに限定す ることができ この方が y' ns y' nは焚語の ya na s e na-「 乗軍」韓寓である ないのである.一方林梅村は 「 上掲論文」のなかで,y' としている。焚語の表記に問題があるだけでな く,y豆 na -「 乗 り物」 と s e na -「 軍隊」の組合せは,僧 侶の名前 としてはあ りに くいのではないだろ うか。 A9r e c t o3 )に p' Ⅹ蓋 ' yと責める語があ り,Li v孟 i c ,1 9 6 2,2 0 6は漢語の博士 pa kd写t iか なおムグ文書 ( らの借用語ではないか と考えたo Lか しこれについては,動詞 pxg ( n)「 退 く」の 3人稀単数未完了希 求法形 ( p' Ⅹ菖 ny或は p' Ⅹ菖 ' y と読む)であろ うとす る Ge r s he it v c hの祝を採用 してお く,Ge r s he it v c h, 1 9 6 2,8 6参照。 ( 2 6 ) ソグ ド併典の絶封年代は,開元1 6 年 ( 7 28 年)に謬 された とい う奥書をもつ 1鮎を除いて不明である。 1 9 91 )参照。 しか し,他の俳典 も大概 これ と同 じ頃に讃 された と考えてよいだろ う,吉田 豊 ( ( 2 7 )静は俳教徒の間では入聾で読 まれていた ,R.Ga ut hi o ta ndP.Pe l l i o t ,1 9 2 6 -2 8,9 4 -9 7参照。 ( 2 8 ) この語の比定は必ず しも確賓ではない,Ga ut hi o ta ndPe l l i o t ,1 9 2 6 -2 8,5 7参照。 ( 2 9 ) この比定は He nni ng,1 9 4 8,6 0 3,n.2による。 ( 3 0) この種 の例は他にも知 られている,青 田 豊 ( 1 9 8 9 )9 5 頁参照o敦塩出土の 8世紀の漢文文書に見 3 0 3 〔7 8〕 東 方 寧 報 1 9 8 0 )2 0 4 頁 えるソグ ド人の人名中に,明らかに トル コ語の人名がみつかることについては,梅村 坦 ( も参照せ よ。 ( 31 )D.N.Ma c Ke nz i e,1 9 7 0,5 9参照。 ( 3 2 )出典については Ma c Ke nz i e,1 9 7 6,2 01参照.なお ' nwt r ' y' nは, 焚語の形容詞 a nut t a r a -の活用形 ( f . l o c.s g. )a nut t a r 豆 y豆 r Pに封鹿 しているo ( 3 3 )下記Ⅲ章参照。 ( 3 4 )P.Pe ui o t ,1 9 3 4,3 2;Ma c Ke nz i e,1 9 7 6,5 5参照。 ( 3 5 )音詩語に用い られた漢字の吏音が,個別に蒙音 される場合 と異なる現象は, ソグ ド語文献に限らず, チベ ット文字や コークソのブラーフ ミ一文字によって漢語を表記 した資料にもしば しばみ られる,高 1 9 8 8 )5 8 頁注 1等及び同 ( 1 9 8 8 a) 8 6 頁等参照。 田時雄 ( ( 3 6 ) ソグ ド語に導入されたイ ンド語の借用語について,筆者は別に論文を準備中である。 ( 3 7 )" m' t '( P2 ,1 1 9 3 )は単に "my t 'の誤寓であろ う。 ( 3 8 )s ypw∂ y( STi i8,5 )紘,s y wpw∂ yの誤寓である可能性 もある。 ( 3 9 )Si ns Wi l l i a ms ,1 9 8 3,1 3 8参照。 ( 4 0 )Be nve ni s t e,1 9 4 0,2 4 0は,焚語に a mi t a -とい う名前が存在 した ように書いているが,この如来が死 語で a mi t a -と呼ばれることはない,中村 元 ( 1 9 81 ) 9頁参照。 ( 41 )Si ns Wi l l i a ms,1 9 8 3,1 3 7 ;∫.Br o ugh,1 9 6 2,5 0参照。 Be nve ni s t e,1 93 3,2 31もBr o ug h と同 じ課である.Br o ug h は闇 ( 皇 a m)に封鷹するc nb y a n]は,闇の d i e m を反映 したものだ としている。 しか しソグ ド語形が,それほど古い漢語の吏音を為 して 上古音 * いたとは考えに くいO上でも述べた ように,この場合にも焚語音詩語の特殊性が i a m とc n との禾離 の背後に存在す るのだろ う。つま り, ソグ ド語評者は,闇浮榎が焚語を音詩 したものであ り,その原 語の初頭音が 和 一 ]であることをある程度知 っていたのであろ うO ( 4 2 )Si ns Wi l l i a ms ,i bi d;F.W.K,Mt i l l e ra ndLe nt z,W. ,1 9 3 4 ,5 5 1参照。 ( 4 3 )漢字闇に封慮す る c ymb r i m]については上記注4 0 参照。 ( 4 4 )Be nve ni s t e,1 9 3 3,2 31 ;∫. P.As mus s e n,1 9 6 5,1 41参照。 ( 4 5 )赤沼智善 ( 1 98 6 )5 2 頁参照。 ( 4 6 )Be nve ni s t e,1 9 3 3,2 2 5が引用する ga uya r pniはその l o c a t i ve形である。 ( 4 7 )百済康義 ・Zi e me( 1 98 5 )1 5 7 -5 8 頁参照。ただ しウイグル語形が, ソグ ド語に由来するかどうかは別 e me が ソグ ド語形 k' wy' ny に言及す るのほ適切ではな く,む しろ に議論を要する。なお百済 ・Zi kwy' n'と比較すべ きであろ う。 ( 4 8 )Ma c Ke nz i e,1 9 7 6,5 5参照。 ( 4 9 )俳教焚語には ma A j u言 i r i -とい う形式 も知 られている,F.Edg e r t o n,1 9 5 3,41 4参照。従 って,g yr y だけを板嬢 とすることには慎重でなければならない。 ( 5 0 ) ウイグル語では,前舌母音 t i ,6を表記するのに文字結合 wy-を用いることはよく知 られている, Si ms Wi l l i a ms ,1 9 81 ,3 5 9参照。 ( 5 1 )vi d y豆 dha r a -に封す る βy t t y' t r( Pa dm)及び βy t y' ∂ r( P1 5 )などの例から知 られているとお り,焚語の 母音に後績する dh-は, ソグ ド語では t -とも∂ -とも表記 されるので,この鮎か らpw∂ ' yの焚語起源 を排除することはできない。 ( 5 2 )Be nve ni s t e,1 9 3 3,2 2 5;As mus s e n,1 9 6 5,1 41参照。 ( 5 3 )Be nve ni s t e,1 9 3 3,2 2 5参照。 ( 5 4 )Ma c Ke nz i e,1 9 7 6,5 5参照。 〔7 9〕 3 0 2 ソグ ド文字で表記 された藻字音 ( 5 5 )『慈恩俸』の ウイグル語詔 では pur wa di ' 菖 ( <p色r vade g a )は,「 東の園」 とい う意味で中国を さす言葉 nGa ba i n,1 9 3 5 ,1 6 5参照。 として用い られている,A.Yo ( 5 6 )Ma c Ke nz i e,1 9 7 6,5 5 ;MGl l e ra ndLe nt z,1 9 3 4,5 51参照O ( 5 7) この種 の例は,表 の中にあげた もの以外に も存在 した可能性が高い。竹園の名前である迦蘭陀 ka l a ndt ま(<Skt.kal a nda ka ,ka r a nda ka ,ka la pda ka ,ka r a pda ka )に封鷹す る k' r ' ynk'の ような,漢 語か らも焚語か らも,あるいはまた中期イ ン ド語か らも説明できない形式については, ソグ ド語諾者 a r aa nd Sunde r ma nn, の誤解によって成立 した可能性を考慮すべ きであろ う。 この語について Kud 1 9 8 7,3 4 5 は,あ くまでもソグ ド語形に類似する貴在 したイ ン ド語形に基づ くもの と考え よ うとする が,む しろ ka l i 血ga-との混 同があったのではないだろ うか。ka la nda ka ,e t c.と ka li hga -との混同に 関 しては 『 普曜経』第 8巻 ( 『 大正』vo l .3,5 3 3 C) の迦陵 ( kal i a ng)竹園 も参考になるだろ う. ( 5 8 )この俳は ウイグル語でも a bi t aとい う漢語に由来す る名前で呼ばれている, K.R6 hr bo r n,1 9 7 6 ,3 7; 百済 ・Zi e me( 1 9 8 5 )5 3 -5 4 頁参照。 ( 5 9 )Cl a us o n,1 9 72 ,3 6 9 ;Ga ba i n,1 9 7 4,3 3 2;庄垣内 ( 1 98 6 )2 8 頁など枚挙にい とまがない。奇妙なこと に これ らの トル コ語学者の語源祝 の中で, ソグ ド語形が言及された ことがない。筆者の知 る限 り唯一 ut ,1 9 8 6,1 4 4である。 の例外は P.La ( 6 0 )Be nve ni s t e,1 9 4 2 -4 5,1 8 9;La ut ,1 9 8 6,1 4 4参照。 ( 6 1 )庄垣内 ( 1 9 8 6 )2 8 頁参照。 ( 6 2 )Ba i l e y,1 9 6 7,2 4 2参照。 ソグ ド語の Wは,先行す る雨唇音の影響で成立 したのか もしれない。pと ms Wi l l i a ms ,1 9 8 5 a,6 1参照。 歯音にはさまれた母音の唇音化については Si ( 6 3 )上記注59参照。 ( 6 4 )その場合には トカラ語 ( Apt 豆 免kat ,Bpuda孟 kt e` b̀udd ha go d" )と類似の構成になる, P.Aa l t o,1 9 6 4 , 71参照。 ( 6 5 )古 くは Pe l l i o tが併-bur寵には懐疑的であった,Pe l l i o t ,1 9 2 9,21 6参照。 また La ut ,1 9 8 6,1 4 4は併 u r xa nは掲げ られていない。従来 の説は採用 し難い とい 教 ウイグル語に常用の語嚢を集めているが,b う La utの見識を示 した ものだろ う。同様に森安孝夫 ( 1 9 8 5 )3 3 頁注31も bu r xa n,bur s a ngの漢語起 源説に対 して慎重である。 ( 6 6 )He nni ng,1 9 4 0,2参照。 ( 6 7 ) トルファンのマニ教史全般については,森安孝夫 ( 1 9 9 0 91 )に詳 しい。 ( 6 8)He nni ng, 1 9 45, 47 2が [ p] W菖 y ( 布施) と読んだ語は,薫際には U】 W岳 y と讃むべ きである, Be nve ni s t e,1 9 5 1 ,1 1 9参照。 ( 6 9 )これは トル コ語を仲介 して ソグ ド語に入 った語であると考えられている, Si ns Wi l l i a ms ,1 98 l a,2 3 6 参照。 この語の意味 と語源に関 しては As mus s e n,1 9 6 5 ,2 2 7及びそ こに引用 された参考文献参照。 ( 7 0 )Ma hr na ma g の該普部分は,最初の校訂者である F.W.K.M也l l e rの詮に従 って,一般に残 りの部 i l l e r ,1 91 2 ,5 -7 ;M.Bo yc e,1 9 7 5 ,5 2参照。 しか しこの考え方は 分に発行す るもの とされてきた,Mt r ma nn に よって最近指摘 されている,Sunde r 正 しくな く,問題の部分が奥書であることは Sunde ma nn,1 9 9 2,7 1 -7 3参照。 ちなみにこの鮎については筆者 も猪 白に同 じ結論に到達 していた。 ( 71 ) J .Hami l t o n, 1 9 5 5 ,1 1 1;森安孝夫 ( 1 9 7 9 )2 1 1 -1 2 頁参照Oただ し, M也me r 自身は昭薩可汗 ( 8 2 4 -3 2 ) の時代のもの と考えてお り, この説に従 う人 もいる,M也l l e r ,1 91 2,2 9 ;Bo yc e,1 9 75,5 2参照。 ( 7 2 )Mnl l e r ,1 91 2,5 ; Zi e me,1 9 9 2,3 2 6参照.なお I B6 3 71のテキス トは Mt i l l e r ,1 91 2 a,2 0 7 -13を参照 し た。 ( 7 3 )この種の構窮に関 しては Ec s e dy の研究が便利である, Ec s e dy,1 9 6 5 ,8 3 -91参照。ただ し彼女は Ml 301 〔8 0〕 東 方 学 報 B63 71の ものは扱 っていない。 中の稀窮は引用す るものの I ( 7 4 )Si ms J Wi l l i a msa ndHa mi l t o n,1 9 9 0,2 9参照。 ( 75 )M也l l e r自身が静めるとお りこの比定は確箕ではない。 ( 7 6 )Ec s e d yが引用す る 主yl ' ngは存在 しない。 ( 77) この比定は筆者に よるものである,吉 田 豊 ( 1 9 8 8 )4 2 頁注2 9 参照.なお4 7 行 目の s y r t w畠は行末形 yyを軟 くことに問題はない。 であ り,- ( 7 8 )圭 ' ys ' ng n w ,圭 ' ymγ ' t r x' nの結合の中に兄いだされ る。 ( 7 9 )筆者による比定。 ( 8 0 )上記3 7 0 頁参照。 ( 8 1 )Ec s e dy,1 9 6 5,8 6は,カラバルガス ソ碑文の ソグ ド語版に t wt wk' nが在謬 され るとす るが,これは Ha ns e nの古いテキス トに依 った もので,現在では受け入れ られない。 ( 8 2 )Mt i l l e r ,1 91 2,3 4参照。 ( 8 3 )He nni ng,1 93 7,8 7 ;He nni ng,1 9 4 0,1 7参照。 ( 8 4 )Si ms Wi l l i a ms ,1 9 81 a,2 3 6 参照O この機合に中世ベルシア語文書 M7 4 のキ ャプシ ョンに現れた f ' m昌 y yn w' qの f ' m岳 yyについて論 じておきたい。 この語は一般に漢語の法師か らの借用語 と考えられ J.Kl i mke i t ,1 9 8 9,2 0 3参照。 しか も Kl i mke i tは後練の nw' qを 「新 しい」を意味す るパ ている,H. ' mで ルテ ィア語形 であるとしている。 しか し漢語の費音か らは この説は支持 されない。法師の法が f 表記 され ることは,あ りえない ことであるか らである。n w' q は無論 「 新 しい」を意味す る語ではな w' g と綴 られ る語であ り,その意味は 「メロ い。 これはこのような場所に しば しば用いられ,通常 n ' m菖 yy を法師に比定す ることに問題があることが分かるO筆者は デ ィー」である。 このことか らも f 後清の 「メロデ ィー」を考慮 して, この語を俳教用語の焚聾か らの借用語ではないか と考えている。 ( 8 5 ) Bul a yi q出土の ソグ ド語文献全鮭及びその歴史的背景については, Si ns Wi l l i a ms ,1 9 91 a;i de m,1 9 9 2 a参照。 ( 8 6 )上記 「は じめに」注 5参照。 ( 8 7 )Ha mi l t o n,1 9 81参照。 ( 8 8 ) 前者は Si ms Wi l l a ms ,a pu dHa mi l t o n,1 9 81 ,2 9 8;高田時雄 ( 1 9 8 8 ) 4 5 頁に, 後者は Si ms Wi l l i a ms , 1 9 91 ,1 8 6に見えるO今,費音に息賓なキ リス ト教 ソグ ド語文献中の数詞 7を例に とれば ,7: bt ' ,' bt ' ; 1 7:bt t s とな っている。また ソグ ド文字に よる 2 7 :' pt wys t h( 青田他 ( 1 9 8 8 )5頁 テキス ト2行 目参照) を参考にすれば,数詞 7は,猫立 して用い られる場合 と,複合された場合では形式が異な り,後者で は語末の 'を軟いている。 これはおそ らく,8,9についても同様であった と考え られ るので,漢語 の数詞に附加 された 'をこのことと関係附けることができるかもしれない。 ( 8 9 ) ソグ ド語の数詞 に解れた機合に,『宿曜経』にみ られる曜 日の名稀中の数詞 の問題を取 り上げたい。 この経典にイ ラソ語起源の 2種類 の曜 日の名前が現れることはよく知 られている。それ らの うち胡名, すなわち 日曜 日を蜜で呼ぶ系列が, ソグ ド語に定着 した西イラン語 ( 中世ベルシア語あるいはパルテ nni ng,1 9 3 6,8 5参照。 しか し波漸名 と呼ばれ ィア語)形に由来す ることは既に澄明されている,He る他の一方,つ ま り1か ら 7までの数詞 と s a bba t hを意味する森勿 !i a m mi ua t( おそ らく 5 a mba ∂を 寓 している)の組合せで表現 されている方の数詞が, ソグ ド語に由来す るものか,中世ベルシア語に i l l e r ,1 9 0 7,4 5 9,n.1は ソグ ド語であると 由来す るものかについての問題は未解決のままである。Ml va nne sa ndPe l l i o t ,1 91 3,1 7 4 -7 6,n.1は Mt i l l e rの考えを否定 し中世ベル シア語形だ と考え し,Cha 1 9 8 6 )2 0 頁参照。今便 た。問題の形式は矢野道雄に よってまとめ られてお り便利である,矢野道雄 ( 宜のために,矢野の表 の一部を採録す る ( なお不適切 と思われる箇所は適宜改めておいた) : 3 1 翌日E 3 0 0 ソグ ド文字 で表記 された漢字音 波漸名 1 曜 2 婁( 鍋) 中古音 中世ベルシア語形 ソグ ド語形 ま え w e w ' y w 1 2 u( γ ua ) d6 ' ∂ W( ' ) 3 勢 軸i s e ' ∂ r y( Chr .畠 y) 4 撃 t 貞t i a t e a ha r c t P' r 5 本 pu∋ n pa qy pnc 6 数 s i u 岳 a 岳 wxw菖 W( Chr .xw菖 W) 7 着 xi a p ha f t ' βt ( ' ) Mt i l l e rは 1・2・6は ソグ ド語 で しか説 明できない とし,洩 りについては どち らの言語か決め られない と a va nne sa ndPe l l i o tは , 1は ど した。従 って全鮭は ソグ ド語 とみな され ることになる。 これに対 して Ch ち らの言語に もあては まる ;2の形式 は確かに ソグ ド語形に近 いが,中世 ベル シア語形 とそれほ どかけ離 ∂ r y か らほ説明できず,中世ベル シア語形 である ;4の撃は単音 れ ていない ;3については ソグ ド語 の ' l e a r ]を表記 した ものであ り, これ も中世ベル シア語形 に近い ;5の本は どち らの言語 の ものか決定で きな 菖 畠 a mba h( <邑a嘉島ambah)の *喜一に い ;6の数は ソグ ド語形 とは程遠 く,中世 ベル シア語形 の韓靴 した形式 * 封鷹 している ;7の嘉 も初頭 の Ⅹ-か ら判断 して,中世ベルシア語形 としか合致 しない.従 って全鰹 は中 世 ベル シア語 の数詞であ るとした。現在 の我 々の知識 で両者 の課を検討す ると, どち らか一方 の訣だけが 正 しい とい うわけではない。 1・5は雨言語 の形式が類似 していて, どち らの言語 の音寓形か決定で きな い。 2では,来母 ( 1 )の字 を用 いてお り, これは摩擦音の ∂を寓す ものであ り得 て も,閉鎖音には封癒 し 得 ない。従 って ソグ ド語形 を寓 した ものであ る。青馬形 にみ られ るヴァリア ン トの妾 と婁禍の うち,後者 は ' ∂ W'[ ( a ) ∂ wa ]にぴ った り封鷹す るので, こち らの形式のほ うが正 しいであろ う。ただ しソグ ド語には ' ∂ wl a ∂ uw]とい う形 もあ り,宴 はそち らを表記 した可能性 もある。 3について も漢字の書母 ( 貞 一 )か ら判断 して, ソグ ド語の 菖 yに近 く,中世ベル シア語の s eとは合わない。 ∂ r yは歴史的書記法 であ り,貴際の単音は シ 1 )ア文字の綴 り 蓋 yか ら知 られ る。 4を表 なお ソグ ド文字 の ' す撃は確かに,[ e Vr ]( Vはなん らかの母音を表す)を音寓 した もの と考え られ,その限 りでは中世ベルシ l l e rも述べているように,漢字 の音鳥形は しば しば短縮 され るので,撃 は ソグ ア語形 に近い。 しか し,M也 ド語形 の最初 の音節 [ e a t ]に封鷹 しているとも考えられ る。 6を表す教は,【 ぬ]を青馬 した もの と考 える l l e rは これ も短縮形 であ るとし, ソグ ド語形 のが最 も自然である。 これは どち らの言語 とも合わない。MB 言 W に封鷹す る部分が洩 った もの と考えた。 7については ,Ch a va nne sa ndPe l l i o tの言 うと の語末 の音節 一 お り,中世ベル シア語形 のほ うに似てい る。 つ ま り,2・3 ( さらに 6も ?)が ソグ ド語形 ,7が中世ベル シア語形,残 りは どち らとも決定 で きな い とい うことになる。 この矛盾は どの よ うに した ら解決できるだろ うか。波斯名 とい う表現は,文字 どお りには 「ベル シアの名前」を表す。 しか し薫際には明 らかに ソグ ド語 の要素 も含 んでい る。それ故 この表 現 の中の波斯 は,言語 ( あ るいはそれが話 されている園)を表す ものでは有 り得 ないO筆者 は この波斯ほ 宗教の名前ではないか と考 える。 1 9 9 0 ) 波新 の名前 で呼ばれ る宗教は,ネス トリウス渡のキ リス ト教であることが知 られてい る,妻伯勤 ( )ウス派 のキ リス ト教徒が使 う名稀 とい う意 味 ではなか ろ う 6-8頁参 照O ここで も波斯名 とは,ネス ト] か.彼 らは中央 アジアでは シ リア語及び中世ベル シア語を教合 の典薩言語 とし, 日常は各 自の母国語 (ソ グ ド語 あるいは古代 トル コ語)を使 っていた ,S i ms Wi l l i a ms ,1 9 9 2 a参照。本来 中世ベル シア語 で呼ばれ ていた曜 日の名前に,次第 に ソグ ド語 の要素が入 りこんでいったのであろ う。 ちなみに ソグ ド人 のキ リス ト教徒 もマニ教徒 も,数字 と 菖 mb∂ を組み合わせた曜 日の名前を使 っていた ことが知 られている,He nn- i ng,1 9 4 5 a;Si ns Wi l l i a ms ,1 9 85 a,2 3 6参照。 2 9 9 〔8 2〕 東 方 学 報 ( 9 0 )Si ns Wi l l i a msa ndHa mi l t o n,1 9 9 0,9 -11参照。 ( 91 ) この 2鮎の部分的解講については,寺 田 豊 ( 1 9 8 4 )8 3 頁注 8参照。 ( 9 2 )Si ms Wi l l i a ms,1 9 81 a,2 3 5及び Si ms Wi l l i a msa ndHa mi l t o n,1 9 9 0,3 2 -3 3参照. ( 9 3 )W .Sunde r ma nna ndZi e me,P. ,1 9 81 ,1 9 0参照。 ( 9 4 )Ma c Ke nz i eは コレズム語にみ られ る e k「 達文」は,漢語の筋 t ! a kが ソグ ド語を仲介 して借用 された ものだ としている,Ma c Ke nz i e,1 9 90,9 0参照。 ソグ ド語文献に在透 され る形式ではないので,今は この リス トに含めない。 Ⅱ (1) この断片 とは別 に ウイグル語 の極小断片が,同 じガラス板に挟み込 まれていて,同 じ香坂を持 って いる。 (2)『 金剛五経』については,川崎 ミチ コ ( 1 9 8 0)3 0 7 -1 6 参照。 さらに上山大峻 ( 1 9 9 0)4 01 -2 3 頁 も参考 になる。 (3)Mt i l l e ra ndLe nt z,1 9 3 4,5 0 8参照。 まれに βの上に 1鮎を施 した文字が見 うけ られ る,M也l l e ra nd Le nt z,1 9 2 6,pl a t e2( TM3 5 1 )参照。 これは βを yと区別するための ものであるに違いない。 (4)deLaVa l1 6 ePo us s i na ndGa ut hi o t ,R. ,1 91 2参照。 (5)A.vo nLeCoq,1 91 9,Ta be l l e参照.注意すべ き鮎は,Ⅹの下に 1鮎を附ける方式は,いわゆる 「ソ グ ド文字」 ( すなわ ち正書鰹 の ソグ ド文字)で表記 された ウイグル語文献 に限定 され ることである, A.vonGa ba i n,1 9 7 4,1 7参照。 なお この種の資料については,最近の研究である D.Fe da ka r ,1 9 91 が参考になる。 (6)閉鎖音を示す ことについては Ha mi l t o n,1 9 8 6,ⅩⅩi i参照。無琴音を表す ことに関 しては D.Ma ue, 1 9 8 3,91及び n.7参照。なお Ma ueに よれば,Ⅹに補助記班を附けた文字の音債についての全鮭像は まだ不明であるとい う.閉鎖音 に補助記坂を附けるか,無琴音に記親を附けるか文書 ごとに異なって いた ことと,一つの寓本内部 で も補助記既の使用は首尾一貫 していなか った ことを想定すれば,多 く の事例は訣明できるか もしれない。 ウイグル語の専門家か らの教示を待ちたい。 (7)Si ns Wi l l i a msa ndHa mi l t o n,1 9 9 0,3 7 -3 8参照。 (8)Si ms Wi l l i a ms ,1 9 8 9 b,1 7 6参照. 1鮎を附けた文字は Wa l ds c hmi dta ndLe nt z,1 92 6,Ta f e lI I( TM 3 5 1 ,ve r s o1 )に見 られ る。 (9)Si ms I Wi l l i a ms ,a budMa c Ke nz i e,1 9 7 6,9参照。 ( 1 0 )Mt i l l e ra ndLe nt z,1 9 3 4,5 0 7 -8参照。 ( l l )Si ns Wi l l i a ms,1 9 7 8,2 5 7 -5 8参照。 ( 1 2 )吉 田 豊 ( 1 98 9 )9 8 -9 9 頁参照。 ( 1 3 )No.2 5 2 5の裏 もソグ ド文字で表記 された漢文俳典か もしれない。ただ しNo.1 1 2 3な どとは別の文書 である.なお大谷探検隊将来 の全イ ラン語資料は,龍谷大草善本叢書 として近い洛乗馬虞版 とともに 費表 され る濠定である。 Ⅲ (1) D.Si no r ,1 9 3 9;B.Cs o ngo r ,1 95 2,1 9 5 4,1 9 6 2;庄垣内正弘 ( 1 9 8 6 );高田時雄 ( 1 9 8 5 );同 ( 1 9 9 0 ) ; Ka r a,1 9 9 1参照。 (2) ウイグル欝 の 『慈恩俸』には 5種類 の寓本が残 っている,K,Kuda r aa ndZi e me,P. ,1 9 8 4参照。そ の中で ここで問題にす るのは,最 も量が多 く古 くか ら研究 されている寓本で,パ リ,善 レニングラー e me, ド,北京,ベル リソに分癌 されているものである。最近見つか ったベル リンの断片については Zi 1 9 9 0 参照.なお この論文では ( 9 4 頁),漢語の過部多 ( 賓際には焚語の a dbhut a )に封慮す るウイグ 〔8 3〕 2 9 8 ソグ ド文字で表記 された漠字音 r but 【 i 】が引用 されている。 ここでは r -の代わ りに t 一或は ♂ -が期待 され るが,r 一に ル語形 として,a e meが並行例 とした S na a r( <So gd. な っているのは湊字音に引 きず られたか らであろ う。従 って Zi ・s a m畠dhi )とは本質的に異 なる0本論文執筆中に,『 慈恩俸』の校訂本が新たに 3鮎公1r l S ' m' r<Skt された :K・R6 hr bo r n,1 9 91 ; L.J u・Tugu菖 e v a,1 9 91 ; Ka ha rBa r a t ,1 9 9 2。 これ らは どれ も相嘗量のウ イグル語のテキス トを含んでいる。 しか も R6 h r bo m と Ka ha rBa r a tのものは文字特薦 まで提 出 して い るので,庄垣内の読みを確認す るには便利である。 しか し一方で,庄垣内の漢語の リス トには,漢 語形の現れる巻数は示す ものの,行の指定がなされていないために,問題 の形式がテキス トの どの部 分に封鷹するのか決定できない場合がある。それ故,本稿では庄垣内の読みをそのまま引用す ること に した。 ウイグル語のテキス トを扱 う際の問額鮎については,下記 Ⅳ章 も参照 されたい。 (3) 従 って寓本には存在す る文字 Ⅹ と 文 の区別は無税せ ざるを得ない.また森安に よれば ここで扱 う『 慈 恩俸』の寓本には, 語末の Ⅹと γは尻尾の長短によって字形が区別 されているとい う, 森安孝夫 ( 1 9 9 0 頁参照。残念なが ら, この指摘に従 って語末の Ⅹ と γの匡Br J を確認す ることもできなか -91 )1 7 9 -8 0 った。 (4)Ka r l gr e n,1 9 5 7参照。 (5)羅常培 ( 1 93 3 ) ;高田時雄 ( 1 9 8 8)参照。1 0 世紀のもの と考えられ るコークソのブラーフ ミ一文字 で表記 した漠字音資料 も同様に重要である。それについては高 田時雄 ( 1 988),同 ( 1 9 88 a),R.E. Emme r i c k,1 9 9 2を参照せ よOなお Emme r i c k と E.G.Pul l e y bl nkに よる新研究 ACh a i n e s et e x ti n Ce nt r a l As i a nBr a h mis c r i pt ,ne we v i d e n c e f o rt h ePr o n u n c i a ti o no fLa t eMi d d l eCh i ne s ea n dKh o t a n e s e ( -Se r i eo r i e nt a l eRo maLXI X) ,Ro me,1 9 9 3が濠昔 されている。 (6)高田時雄 ( 1 9 8 8 )1 07 -09 頁参鳳 , 1 9 8 8 )9 8 -9 9 頁参照。 (7)高田時雄 ( (8)kについては下記参照。 (9)TⅡT の漢語は Ma i nzに比べてやや古風である。そのことは下に訣明され ることか ら次第に明 らか になるだろ うoちなみに高田時雄 ( 1 9 8 8 )1 0 7 0 9 頁に よれば,全濁聾母は全清あるいは攻清聾母 と融 合 したが,よ り古い盾では他の聾母 と比較的明瞭に区別 されている,高田時雄 ( 1 9 8 8 )6 9 -7 4 頁参照。 ( 1 0 )高田時雄 ( 1 9 8 8 )8 6 -9 3 頁参照。 ( ll ) この種の聾母はチベ ッ ト文字では ' b-のように表記 されてお り,その表記か ら弱い鼻音要素が洩 って 1 9 8 8 )8 8 -9 3 頁参照。TⅡT の表記は,その推測が正 しか っ いたことが推測 されてきた,高田時雄 ( た ことを澄明 している。 ( 1 2 )高田時雄 ( 1 9 85 )1 4 0 頁 ;庄垣内正弘 ( 1 9 8 6 )2 6 頁参照。 ( 1 3 ) ブラーフ ミ一文字資料の,m-と b-及び n -とd-の区別が後唐の鼻音要素の有無に依存す るか どうか 1 9 5 9)7 5 -6 頁及び庄垣内正弘 ( 1 9 8 6 )2 6, 3 0 頁は否定的であ り,高田時雄 ( 1 9 8 8 a) 8 7 について,水谷虞成 ( 頁は肯定的である。高田の詮の方が適切であろう。 ( 1 4) ウイグル語で も類似の現象が報告 されている,庄垣内正弘 ( 1 9 86 )26 -2 7 頁参照。従 って高 田時雄 ( 1 9 8 5 )1 4 0 頁が 「 必ず しも ( m-と p-の区別は)規則的に寓 されない」 とす るのは,正 しい表現 とは いえない。 ( 1 5 )高田時雄 ( 1 9 8 8 )9 7 -9 8 頁参照。 ( 1 6 )高田時雄 ( 1 9 8 8 )9 6 -9 7 頁参照。 ( 1 7 )庄垣内正弘 ( 1 9 8 6 )1 21 頁注7 9で,TⅡT には舌頭音 ・歯頚音で,有聾 ・無聾の対立があるとす るの は誤解である。庄垣内が言及す る筆者の未定稿でもそのような記速はない。 ( 1 8 )高田時雄 ( 1 9 8 8 )8 9 真参照。 2 97 〔8 4〕 東 方 学 報 ( 1 9)Si ns Wi l l i ams,1 983,1 35,n.2 6参照。 ( 2 0)高田時雄 ( 1 988)76 -78 頁参照。 ( 21 )庄垣内正弘 ( 1 986)1 21 頁注7 9 参照。 ウイグルの重 t s w は,その比定が正 しいとすれば,聾母だけで nk を失 っている鮎で例外的であ り,この例をあま り重要視することはできない。 この な く韻尾も,- 表記の暫定的な説明については下記Ⅳ章注3 7を参照せ よ。 ( 2 2) もう一つの可能性は,文字 Sあるいは Cによって 【 t s ]を表記 しようとしたもの と考えることであるO まれに文字 Cが [ t s 】を表す場合がある e・ g.mc '「こちらに」 ( Fr agment3 6,a PudSi ns Wi l l i amsand Hami l t o n,1 990,pl a t e39 a )<mr t s ' r,Yos hi da,1 9 93参照。マこ文字の例については GMS S7 2参照。 ( 23)庄垣内正弘 ( 1 98 6)3 4頁参照。 ( 2 4)下記Ⅳ章参照oHami l t o n,1 981,3 00は先行の 菖 yp【 昌 i b]の bに同化 したものだ と考えている。一方 高田によれば, チベ ット文字の九九表では, 四を一貫 して z i と表記 して, s i と書 くことはないとい う, 高田時雄 ( 1 98 8)82 真性 1参照。高田はこの現象を琴調の影響 として説明 しようとしている。筆者に iと我 々の資料の z yの関係は不明である0 はチベ ット文字表記の z ( 2 5) マニ文字でもソグ ド文字でも,文字 Cは D】も表記することができるので,Ⅹwnc wyの CもU]と襲音 されていた可能性は高い。 ( 2 6)高田時雄 ( 1 98 8)76 -81,8 3 -86 頁参照。 ( 2 7 )庄垣内は, ウイグル文字の表記か ら 5聾母は合流 していた としている,庄垣内正弘 ( 1 986)35 京参 照O無論ウイグル文字でも [ 6 ]と[ 声 ]の区別はできなかったと考えられるので,この表記か ら漢語の側 の発音の区別の有無について議論することはできないだろう。 ( 28)高田時雄 ( 1 988)77頁参照。庄垣内はこの場合 も, ウイグルの表記をもとに, この系列は合流 して 1 9 86)35 頁参照。 しまっていた と考えている,庄垣内正弘 ( ( 29)高田時雄 ( 1 988)85 -86 貢。 ( 3 0)寿 cyw についてのこの解樺は,高田時雄氏に負 うところが大きい。記 して謝意を表すo ( 31 )高田時雄 ( 1 985)1 3 4頁注36は,チベ ット文字資料では日母の無聾化の兆 しがみえるとするが,高田 時雄 ( 1 9 8 8)1 01 -2 頁は暗にその主張を撤回 している.ちなみにそこでは, 日母が無聾の s h・で表記 さ hi n( TD61.15)が脱落 している。 れる例 として,人 s ( 3 . 2)Ha mi l t on,1 9 81 ,2 98 -9 9参照o ( 33 )Cs ongo r ,1 95 2,8 6;庄垣内正弘 ( 1 98 6)37 -3 8 頁参照。 ( 3 4)なお迦には 3等の ki aの読み もあるO ( 35 )E.G.Pul l e ybl ank,1 965参照。 ( 3 6)高田時雄 ( 1 9 85)1 40 -1 頁参照。なお ウイグルでもまれにこの原則に従わないものがある。それらに ついては,下記Ⅳ章注3 7 参照。 ( 3 7)介母の区別が明らかになるように, ここでは高田時雄 ( 1 9 88 )による再棒形を引用 した。 ( 3 8)暫定的な解決案については下記注42も参照せ よ。 ( 3 9) この鮎については上記重唇音の項を参照せ よ。 ( 40)Si ms Wi l l i ams,1 981,35 5参照。 ( 41 )疑母の 1・2等には 琴が用いられないことか ら,耳とⅩ( すなわち補助記親を附けない文字)は各々 無聾 と有聾に封慮す ると見なす ことができるかもしれない。 しか し無馨の摩擦音であった と考えられ る暁母 ・匝母の表記に 耳が使われないことから,この考えは容易に否定される。 ( 42)暁母 ・匝母の 3 ・4等字は現 1字 しか見あたらないので速断はできないが,もしこれ らの 3 ・4等 字の表記にも k が用いられたのなら ( Ma i nzや ウイグルではそ うなっている),閉鎖音を意園 した k 〔8 5〕 2 9 6 ソグ ド文字 で表記 された漠字音 と,摩擦音 ( つま り[ 9 1 )を意園 した kの区別であった可能性 もある.その場合恐 kwn kな どの例外は, 補助記親 の使用が一貫性を炊いていた ことによるものだ と解辞 され るだろ う。いずれに しても kの使 y ,kwyの例か ら明らかである。 用に一貫性がない ことは,鬼 kw ( 4 3 )Ma c Ke nz i e,1 9 7 6,1 0 -1 1参照。なお この奥書を林梅村 ( 1 9 9 2 )5 2 頁が 「 洛陽城之沖,天子開元十六 c Ke nz i eが諾す とお り,「 洛陽城 で紳な る天子の 年」 とす るのは,完全に誤謬である。 この部分は Ma 閲元十六年 であった」を意味す る。従 って彼が, ここでは洛陽を もって中国を呼んでいるとす るのは ,1 2 3 4にあるとす るのも初歩的な ミスである。 全 くの誤解である。また この奥書が P2 ( 4 4 )下記3 2 8 頁参照。 ( 45 )閑 も康 も有気音を聾母 とす るので,Ⅹ- は有気性を表すめたに選ばれたのではないか とい う疑 いは残 る。 ( 4 6 )kが有聾 ,kが無聾に封鷹す るとい うことではないことに留意 されたい。疑母の特薦用に用い られた kが,他の聾母を表記す る kや kとは異な り,有馨音を表す とい う意味である. ( 4 7)高 田はチベ ッ ト文字資料に見 られ るこの現象を取 り上げ,チベ ッ ト文字 の音便の特殊性 に よって祝 1 9 8 8 )9 0 頁参照。一方 ブラーフ ミ一文字資料については,特に取 り 明 しようとしている,高田時雄 ( 1 9 8 8 a ) 93 貢参照。 ウイグル文字の表記に鼻音性が現れない ことは 上げて論 じてはいない,高 田時雄 ( 1 9 8 6 )3 9 貢参照。 こ 庄垣内が指摘 し,同時にブラーフ ミ一文字資料にも言及 している,庄垣内正弘 ( れ らの状況を勘案すれば,漢語 の側で疑母の晩鼻音化の進行状況は,明母 ・泥母の場合 とは必ず しも 同 じではなか ったのであ り,単なる表記上の制約に よるものではなか った可能性が高いのではないだ ろ うか。 ( 4 7 a) 龍谷大挙園書館所蔵の西域文化資料 No .1 1 2 9( 上記3 5 7 頁参照)には,γ ' のよ うに,文字 γを分 γを後績の文字 と分かち書 きす ることがあるので, 綴 した例が見える。文字 Ⅹとγを区別す るために, ms Wi l l i a ms ,上 砂udSunde r ma nn,1 9 81 ,1 9 4 -9 8参照。 この表記は明らかに有聾音を意園 している,Si ノも疑母の字を為 した ものであろ うO 従 って γ ( 48 )股鼻音化の進行過程については水谷の専論がある,水谷虞成 ( 1 9 5 7)参照。彼に よれば,唐初には 洛陽までこの現象がみ られた とい う。なお筆者は 『 大唐西域記』の音詩字の中に,既に晩鼻音化現象 1 9 9 2 )1 3 6 頁参照。 の兆 しが見えるとする水谷の説に異を唱えた ことがある,桑山正進 ( ( 4 9 ) ウイグルの我 nγ'( あるいは ' γ ' ) については下記 Ⅳ草 江1 0 4 参照。 ( 5 0)例 :我 ha' : ,ha' ; 義h i ' : 0 ( 51 )高田時雄 ( 1 9 8 8 )91 頁参照。 ( 5 2 )高田時雄 ( 1 9 8 8 )9 0 -91 頁参照。 ( 5 3 )水谷は,ブラーフ ミ一文字の h' : は疑母の摩擦化の傾向を示す ものと考えている,水谷虞成 ( 1 9 5 9 )7 5 9 頁参照。一方高田は,摩擦音化については疑問視 している,高田時雄 ( 1 9 8 8 a) 9 3 真参照。 ( 5 4 ) 3・4等字の例が多ければ,その聾母を k-で表記 した ものもあったであろ う。 ( 5 5)漢詩マニ教文献 では,影母の字は例外な くイラン語の初頭の母音を寓すために用い られている,普 1 9 8 6)1 5 頁参照。 このことか ら,イ ラン語でも漢語でも,初頭の母音が際だ った馨立てを持 田 豊 ( っていたことが知 られ る。 ( 5 6 )庄垣内正弘 ( 1 9 8 6 )41 -4 2 頁参照。庄垣内は,チベ ッ ト文字資料,ブラーフ ミ一文字資料でも基本的 に同 じであった としている。 しか しソグ ドとウイグルでは開 口と合 口に対 して常に y-と W-を嘗てる 1 9 8 8 )1 0 2 1 のに,チベ ッ ト文字 とブラーフ ミ一文字では表記にかな りの揺れが見 られ る,高田時雄 ( 頁 ;高田時雄 ( 1 9 8 8 a) 1 0 0 -1 頁参照。 7 ( 5 7 )例えば Ga ba in,1 9 7 6,71 ;Fe da ka r ,1 9 91 ,9 2 9 4参照O 29 5 〔8 6〕 東 方 学 報 ( 5 8 )' y と yの区別はない としたが,賓例に則 してみれば,前者が後者 よ り廉い母音を為す傾向があった ようにも見える。 ( 5 9 )例 :育 軸 u主 ' y w,標 t s i a kt s yko ( 6 0 )例 :者 噴ac '( TI IT) ,舎 g i a菖 '( Ma inz ) 0 ( 61 )チベ ット文字資料に見 られ る類似の現象については,高田時雄 ( 1 9 8 8 )1 1 5 頁参照。なお軽唇音の場 合には例外がない。軽唇音化 とともに物音介母が失われた結果であ り,漢語 自腹の音韻襲化であるか ら,ここでは問題に しなか った。 ( 6 2 )例 :世 軸 ig y' y( TI IT) ,l qy( Ma i nz ) o ( 6 3 )Si ms Wi l l i a ms,1 9 7 9,3 4 3参照0倍用語では Skt .pr a t ye ka b uddha ->pr t ' ykpwtをあげ ることがで きる。 また TⅡT でも物音介母を yで表記 した 3等字の例が非常に少ないことも参照 されたい。 ( 6 4 )高田時雄 ( 1 9 8 8 )1 21 頁参照。 ( 6 5 )例 :観 ku畠 n耳W' n,化 Ⅹwaxw' ,論 l ua nr n ,尊 t w s ua nt S Wn。 ( 6 6 )高田時雄 ( 1 9 8 8 )1 1 3 頁参照。 ( 6 7 )「 入着切」 ( 『 虞萌』)参照。 ( 6 8 )束 r " yの表記は例外だが ,【 e 】ではな く [ a i 】であることを明確に示そ うとした ものであろ う。 ( 6 9 )庄垣内正弘 ( 1 9 8 6 )6 9 頁注5 2 参照。 ( 7 0 )高田時雄 ( 1 9 8 8 )1 1 9 -3 2 頁 ;高田時雄 ( 1 9 8 8 a )1 0 6 -1 0 頁参照。 ( 71 ) まれにみ られ る綴字 p w∂ yほ,pw∂ ' yが定着 した後で成立 した ヴァ1 )アン トであろ う。 ( 7 2)高田時雄 ( 1 9 8 8 )1 2 9 -3 0 頁参照o ( 7 3 )1 0 世紀のもの と考 え られ るコーク ンのブラーフ ミ一文字資料に確賓に観察 され るなら, この常時の 漢語一般にこの襲化が起 こっていた可能性は高いo Lか しソグ ド文字同様,チベ ット文字に よる表記か らも,そのいずれであったか判断できない とい うのが賓状であろ う。 ( 7 4 )GMS S7 6,n.1参照。 ( 7 5 )高田時雄 ( 1 9 8 8 )1 4 4 頁及び注 3参照。 ( 7 6 )高田時雄 ( 1 98 8 )1 1 8 参照。 ( 77)チベ ット文字資料では,折は他の魚韻の字 と比べて,不安定な表記を受けている,高田時雄 ( 1 9 8 8 ) 3 1 4 -1 5 参照. この ことか ら,チベ ッ ト文字資料や TI l T は,漢字 1字 1字の発音を表記 した ものでは な く,併典が連漬 して登音 された様子を表 していたのではないか と推測 され る。 この ような単音を, 語音 ( つま り借用語の費音)及び字音 と区別 して文音 と呼んでは どうだろ うか。 ブラーフ ミ一文字表 記の資料 も,明らかに文書 に よるものである。 この種の資料では個 々の字の襲音の揺れは,字音や語 音におけるよ りもはるかに大 きくなることは容易に想像できる。 ( 7 8 )高田時雄 ( 1 9 8 8 )1 1 9 参照。 ( 7 9 )高田は r w を正 しい例であるとし, γ w yや γ Wβ'の形式の課明を行わない,高田時雄 ( 1 9 8 8 )1 1 7 参 照。 ( 8 0 )Ha mi l t o n,1 9 81 ,3 0 0;庄垣内正弘 ( 1 9 8 6 )6 5,6 8 参照。最近,多魯坤 ・梅村 ・森安 ( 1 9 9 0 )紘, ウ uv( すなわち c wβ)の語源 として,抄 t St a uを提案 したO これが正 しいとすれば,ここで イグル語の e もuの後に L iが析出 している。 これ らの例に照 らして考えれば ,Ha il m t o nが最近費表 した文書の中 gi wokwyは,やは りkwJ 3と読むべきであろ う,Ha mi l t o n,1 9 9 2,1 1 6参照o の語 n ( 81 )Ha mi l t o nは正 しくその並行性を指摘 している,Ha mi l t o n,1 9 81 ,3 0 0参照。 ( 8 2 ) 8世紀前半の突蕨語 の碑文にも既に現れている。 ( 8 3 )高田時雄 ( 1 9 8 8 )1 4 3 -4 9;高田時雄 ( 1 9 8 8 a )1 1 2 -1 4 参照。 〔87〕 2 9 4 ソグ ド文字 で表記 された漠字音 ( 8 4 )高田時雄 ( 1 9 8 8 )1 5 5 -5 6及び下記山猿の項参照。 ( 8 5 )高田時雄 ( 1 9 8 8 a)1 1 3 頁参照。 ( 8 6 )Ha mi l t o n,1 9 81 ,3 0 0;高田時雄 ( 1 9 8 8 )1 48 4 9 参照。 ( 8 7 )庄垣内正弘 ( 1 9 8 6 )6 2 頁参風。 ( 8 8 )例 :巻 kwy n。 ( 8 9 )高田時雄 ( 1 9 8 8 )1 5 5 -5 6 参照。 ( 9 0 )庄垣 内正弘 ( 1 9 8 6 )61 頁 ;高田時雄 ( 1 9 8 8 )1 5 6 -5 7;高田時雄 ( 1 9 8 8 a) 1 1 6 頁参照。 ( 91 )延は ソグ ド語の語 y' n「 恩恵」を為すために用いられ ることがある,Yo s hi da,1 98 4,1 4 9参照。 ( 9 2 )高田は,痕韻の母音がチベ ット文字では iで表記 されていることか ら,薫際の音便 は [ i ]ではなか っ 1 9 8 8 )1 5 8 頁参照.庄垣内もウイグルの綴 り字 y-か ら母音 I 1 -を想定 し たか と考 えている,高田時雄 ( 1 9 8 6 )5 8 頁参照。 た,庄垣 内正弘 ( ( 9 3 )高田時雄 ( 1 9 8 8 )1 5 8 -5 9 参照。ちなみに庄垣内は,この種の サ の音債 として [ i 】を想定す るが,彼 l ' ]を想定すべ きではないだろ うか,庄垣内正弘 ( 1 9 8 6)5 9 頁参照O のシステムに従 うならばむ しろ l ( 9 4 )高田時雄 ( 1 9 8 8 )1 5 9 -6 0 参照。 ( 9 5 )韻尾 ngの脱落に関す る従来の詮 も含めて高田時雄 ( 1 9 8 8 )1 61 -6 4 参照。 ( 9 6 )上記注95 参照。 ( 9 7 )庄垣内正弘 ( 1 9 8 6 )9 3 -9 5 頁参照。 ( 9 8 ) ウイグル文字の語末の Ⅹとγの区別は考慮 していない. この鮎については上記注 3を参照せ よ。 ( 9 9 )Cs o ngo r ,1 9 5 2 ,1 0 6m.2 8参照。庄垣内は この区別は漢語の 2種類の韻尾,前舌の k′及び後舌 の ・ k に封慮す るもの と考えた,庄垣内正弘 ( 1 9 8 6)9 5 頁参照。 しか し庄垣内 自身 も認めているように,一 般に再構 されている k'と kにウイグルの I kと Ⅹは必ず しも封鷹 しているわけではないので,筆者 は この課は採 らない。 ( 1 0 0 )TⅡT の Ⅹと γの違いが,何に依存 していたか全 く不明である。 ソグ ド文字 としてほ無聾 と有聾 の匝別だが,漢語の側にそのような違いがあったことは知 られていない。 ( 1 01 )音債の推定には ウイグルの表記 と,それに基づいた庄垣内の議論を参考に した,庄垣内正弘 ( 1 9 8 6 ) 5 2 -5 3 頁参照。 ( 1 0 2 ) さらに攻の梗寂 の城 z ynの例 も参照せ よ。 ( 1 0 3 ) この鮎については,吉田 豊他 ( 1 9 8 8 )1 1 頁 も参照 されたい。 ( 1 0 4 )庄垣内正弘 ( 1 9 8 6 )5 6 頁参照。 ( 1 0 5 )主母音には [ i ]を想定す る根接 もある。賓際 この溝の 3・4等字は封鷹す る成東及び山擬 の 3・4 等字 とは異な り,チベ ッ ト文字資料で も iが用いられている。同 じように コークンのブラーフ ミ∼文 字で もiによって表記 している。庄垣内は これ らを勘案 し, ウイグルに導入 された漠字音には [ i ]を再 構 した,庄垣内正弘 ( 1 9 8 6 )8 0 頁参照。 ソグ ド文字特薦料,特に TⅡTで [ i ]を想定すべ きか [ e ]を想定 すべ きかについては,未解決の問題 として将来の研究に委ねたいO ( 1 0 6 )高田時雄 ( 1 9 8 8 )1 6 6 -6 7 貢 ;高田時雄 ( 1 9 88 a) 1 21 -2 2 頁 ;庄垣内正弘 ( 1 9 8 6 )81 貫参照。 ( 1 0 7)庄垣内正弘 ( 1 9 8 2 )参照O庄垣内は栢韻の字が yx と ' Ⅹの 2種類の表記を受けていることに関 し i rを,後者に a γを想定す るが,彼の [ 9 ]説に従えば,両者に 一 打 を想定 し,yxと ' Ⅹの て,前者に 交替は表記上の問題 とす ることもできよう。 ( 1 0 8 ) ウイグルの徳韻の表記 ykをどのように解樺するかは難問である。庄垣内は音債 として [ i g]を想定 したが,漢語の側か らは [ ヤ】が期待 され る,庄垣内正弘 ( 1 9 8 6 )8 1 頁参照。yが [ a ]を表記 した と考 えれば核母音に問題はないが,韻尾の kは前舌の母音が先行 していることを想定 させ る。上記注 1 0 7 2 9 3 〔8 8〕 東 方 学 報 3 r推定 したが,この場合 Oは後舌母音の扱いを受けていることに ではウイグルに導入 された陪韻に g】を想定す ると,9は ウイグルでは前舌母音 として も,後舌母音 としても扱われた こ なる。徳韻に トa とにな り矛盾す る. しか しウイ グルには玉 kwy xの ように核母音 と聾母及び韻尾が調和 していない例 もあ り,この鮎にあま り拘泥す る必要はないのではないだろ うか。箕際刻 k< a k の ような牙音を馨母 とする字が ウイグルに導入 された場合,* Ⅹyk と表記 された と推定せ ざるを得ないであろ う。 ( 1 09)高田時雄 ( 1 988)1 67 頁 ;高 田時雄 ( 1 98 8 a)1 2 2 頁参照。 ( 11 0) この例だけな ら,馨母が物音介母を吸収 して,全港が徳韻 と同 じ扱いになっていた と考えることも できる。箕際 この種 の尊母 の後では,核母音は他の同 じ韻の字 よ り虞めの母音が現れ る場合がある, 高田時雄 ( 1 988 a)11 4,11 6,11 8 頁参照。 しか しこの聾母の後でも期待 どお りの表記が行われている例 も多 く,漢語の側 で組織的な音韻襲化があったとは考えに くい。 ( 1 11 ) 高田時雄 ( 1 988)1 65貫参照。 ( 11 2 )ウイグルの入馨字で も wx と表記 されていた, Cs ongo r,1 95 2,11 8,no.1 85;庄垣内正弘( 1 98 6)1 26 頁 ;高田時雄 ( 1 990)33 6頁参照。 ( 11 3) この鮎については庄垣内正弘 ( 1 986)4 9 頁注31も参照o ブラーフ ミ一文字資料には,この韻に展す る字は少ない,高 田時雄 ( 1 98 8 a)1 21 貫参照。 しか し降 h叫 1 : h aなどか ら判断 して,チベ ット文字資料 と同 じであると考えて良いだろ う。 ( 1 1 4)高田時雄 ( 1 988)1 77 頁 ;庄垣内正弘 ( 1 98 6 )49 頁参風。 ( 11 5 )高田時雄 ( 1 988)1 79 -80,1 8 6 -8 7頁 ;高田時雄 ( 1 9 90)3 3 7 -38 頁参照。 ( 11 6 )高田時雄 ( 1 9 88)3 4 -3 6,1 63 頁参照。 ( 11 7 ) ソグ ド俳典一般については吉田 豊 ( 1 9 91 )参照。敦燈において 8世紀後半以降, ソグ ド人の商業 活動が衰微す ることに関 しては,池田 温 ( 1 9 65 )及び池田 温 ( 1 98 0)331 -3 2 参照。 ( 1 1 8 )森安孝夫 ( 1 985)5 8 -6 0頁参照。 ( 11 9 )上山大峻 ( 1 9 90)4 0ト23 参照。 ( 1 2 0)L Gi l e s,1 95 7,1 94( no.61 8 4 ) ,1 99( no.6 331 )参照。 ( 1 21 )森安孝夫 ( 1 985)36 頁 ;森安孝夫 ( 1 98 7)6 6 -6 9 頁 ;森安孝夫 ( 1 99 0 191 )1 45,1 81 頁参照。 ( 1 22 )吉田 豊 ( 1 9 91 )1 03 頁参照。 Ⅳ (1)高田時雄 ( 1 985)1 35 頁注23 参照。 (2)上記 Ⅲ章注 3参照。 (3)庄垣内正弘 ( 1 986)20 頁注 6 ;K.R6 hr bor n,1 991,2 21参照。 (4)R6hr bo m は,文'( つ ま りq' )が正 しい とし,庄垣内の蔑みは湊字音に引かれた ものだとする。 (5)R6 br bo m,1 991,21 8参照。 (6)庄垣内正弘 ( 1 986)41 -42 参照。 nと読んでいる,庄垣内正弘 ( 1 986 )2 0参照. (7)彼 自身は R6hr bor nが yyn と読む箇所を y' r a,1 983,45参照。 (8)G.Ka (9)庄垣内正弘 ( 1 986)6 4 -65 頁参照。ちなみに彼は榛を一貫 して 1 i m で表記 している。 ( 1 0)庄垣内正弘 ( 1 986)30頁参照。ただ し彼は別の箇所で ( 47 頁)では, ウイグル諸の 『慈恩偉』の漢 語に,泥母の脱鼻音化が存在 した可能性 も示唆 している。 ( ll )年の例は,R6 hr bo m,1 991,23 5参願。∂ yr p' rの例は高田時雄氏か らの教示による.記 して謝意を表 したい。 この部分を校訂 した Tugu菖 e vaは この鮎に気附いていない,Tugu菖 e va,1 9 91 ,2 98参照。な お ウイグルには埋葬 t yr p' nが在透 され る,Zi e me,1 988,44 9,i dem. ,1 9 91 ,31 7参照. 〔8 9〕 2 9 2 ソグ ド文字 で表記 された漠字音 事程左様 に 『 慈恩俸』のテキス トの校訂は容易ならざるものらしい。庄垣内はその困難 さを,既に 校訂 ・ 費表 されたテキス トの蔑み と詔 を批判す るとい う形で如薫 に示 して くれ ている,庄垣 内正弘 ( 1 9 8 6 )1 8 -21 参照.また彼が引用す る部分では 「 救西京留守左僕射--」ki di nkikyc y w ba l i ' qba gi s o l t Ⅰ nq ipuγ yaは,「背後 ( 留守)の kyc yw城の役人僕射 ・ --」 と詳 されているが,「西京」 に封鷹す di nkikyc y wba l Ⅰ q「西の kyc y w 城」であ り,ky c y w は Tug u菖 e vaが考えた とお り京兆に由来 るのほ ki ・ 」 と詳 されるだろ う。 す る。従 って全召 勤ま 「 西の首都の役人である左の僕射・ -・ ( 1 2 )R6 hr bo n ,1 r 9 91 ,1 8 9参照。 ( 1 3 )庄垣内正弘 ( 1 9 8 6 )3 2,3 5 頁 ;R6 hr bo m ,1 9 91 ,1 9 6参照。 ( 1 4 )庄垣内正弘 ( 1 9 8 6 )3 7 頁 ;Ha mi l t o n,1 9 81 ,2 9 9参照。 ( 1 5 )Ha mi l t o n,1 9 8 1,2 9 9があげるのは,そのような例である。 この現象については下記 も参照せ よ。 ( 1 6 )高田時雄 ( 1 9 8 5 )1 3 4 頁注3 5 参照。 ( 1 7 )ちなみに Mt i l l e rが黙然か らの借用であるとした p' kc' n「夏坐,夏安居」は,庄垣内が指摘 した とお 1 98 6 )3 7 頁注2 3 参照。ただ しその原語は Te z c a n り漢語か らの借用語ではあ りえない,庄垣内正弘 ( が想定 した Skt .* bha kt a c hi nna ka - ではな く, トカラ語 A の p豆 k急 c c えr P " Auf e nt ha ltf ar d i e s e ba e r t ,1 9 8 3,4 0参照。 Re ge nz e i t "である,L I ( 1 8 )Cl a us o n,1 9 72 ,5 6 9参照。 ( 1 9 )Ha mi l t o n,1 9 8 6,2 5参照。 ( 2 0 )庄垣内正弘 ( 1 9 8 6 )3 6 頁注2 2 参照。 1 9 8 8 )4 9 -5 0 参照。 ( 21 )高田時雄 ( ( 2 2 ) この問題 に関 しては森安孝夫 ( 1 9 8 9 ) 1-5参照。 ( 2 3 )例 :a f i i ' r :a y i γ,q a 負u:qa yu「 誰」,e t c. ( 2 4 )Yo s hi da,1 9 9 0,1 7 9,n.9参照。 ( 25 ) ソグ ド文字で有聾の閉鎖音 【 d]を寓す場合には,薫際に文字 tが選ばれることは既に上 で論 じた。 ウ ns Wi l l i a ms ,1 9 81 ,3 5 4 イグル文字でも古い時代には文字 ∂は摩擦音を表 していた可能性がある,Si 参照。 ( 2 5 a) 庄垣 内正弘 ( 1 9 8 6 )4 2 頁参照。 ( 2 6 ) この問題は, ウイグル学者が しば しは W-と L 3 -を区別せず Ⅴ-と特薦す るために,必要以上に複難 に なっている。 さらに厄介な ことに,y-と β-は字形がそっくりで,語源を考慮 しなければ区別できな い場合がある。 薦w y の例は S.Te z c a n,1 9 7 4,48,1 .4 8 4に見 られ る。彼は t i 'と読んでいるが誤講である,Zi e me, 1 9 8 8,4 4 9参照。βyの例は庄垣内正弘 ( 1 9 91 )2 1 2,3 3 6 頁に見 られ る。 ( 2 7 )yynは J 3 ynの誤読か誤寓の可能性が高いO同様に R6 hr bo r nが y w と特薦す る永 の初頭の y-も β-と R6 hr bo r n,1 9 91 ,2 3 5参照Oちなみに庄垣内は w y 蔑むべ きか , と翻字 している, 庄垣内正弘 ( 1 9 8 6 ) 4 1 頁参照。 ( 2 8 )Zi e me,1 9 8 5 ,2 4 3参照。 ( 2 9 ) ここには漢語の韻尾の uが βで表記 され る例 も加えられるか もしれない。 この種の例については上 0及び R6 hr bo m ,1 9 91 ,211参照。 記 Ⅲ草 江8 ( 3 0 )庄垣内正弘 ( 1 9 8 6 )4 2 頁 ;高田時雄 ( 1 9 8 8 )1 0 2 -5 頁参照。 ( 31 )Yo nGa ba i n,1 9 72 ,5 2参照。 ( 3 2 )庄垣 内正弘 ( 1 9 8 6 )4 0 参照。 ( 3 3 )Cs o ngo r ,1 9 5 2,8 8 -8 9;高田時雄 ( 1 9 8 5 )1 3 9 真 ;高田時雄 ( 1 9 9 0 )3 4 0 頁 ;庄垣内正弘 ( 1 9 8 6 )3 3 頁 2 9 1 〔9 0〕 東 方 学 報 参照。 ( 3 4 )庄垣内正弘 ( 1 9 86 )3 3 -3 4 頁参照。 ( 3 5 )吉 田 豊 ( 1 9 8 8 a )1 7 3 -7 4 頁,注 5参照。 ( 3 6 )R6 hr bo n,1 r 9 91 ,2 1 5参照。 ( 3 7 )青田 豊 ( 1 9 8 8 a )1 7 3 17 4 頁,注 5参照。C と表記 されるべ き澄母 の重が,t s w と韓寓 される ( 上記 2 9 6 頁参照)ことに封 して も,同 じ説 明が可能か もしれない。なお澄母の字が t s - で表記 された例には, s w' nny が知 られている,庄垣内正弘 ( 1 9 8 6 )3 2 頁注1 5 参照 ( そ こで t ua nniとす るのは誤 他に仲尼 t 値 である) 。 これ ら以外の若干 の例外的事例についてもここで解れておきたい。数詞の八は多 くの場 rと表記 されているo ところが 『慈恩俸』以外の資料には,P' rと綴 られている場合 合,期待 どお りp' がある。漢語 の音韻史に照 らして八が軽唇音化す ることは全 く考え られず,庄垣内は正 しくこれを ウ 1 9 8 6 )2 5 頁参照。ただ しウイグル語内部でも pが fに イグル語内部の護展形 と考えた,庄垣 内正弘 ( 襲化す ることは考えに くく特別な訣 明を要す る。筆者は これ も一種の過剰矯正ではないか と考える. rと発音 されていたのだか モ ンゴル時代の漢語では,八は pa と護音 されていた。 ウイグル語では pa 一に襲えることに よっ ら,両者は十分異なる登音であるが,一部のウイグル人は初頭の p-をさらに f て,その差異を強調 しようとしたのではなかろ うか。 nでは,比定そのものが誤 っている,庄垣内正弘 ( 1 9 8 6 )2 8 頁注 1 2;森安孝夫 ( 1 9 9 0 -91 )71 飯 ⅩW' 頁参風 。また褐子 q a r zqa r s( 庄垣 内正弘 ( 1 9 8 6 )1 6 頁注1 6 参照)は,単なる借用の問題ではない,∫ . Ha mi l t o na ndBe l d i c e a nu,N. ,1 9 6 8 ,3 3 0 -4 6参照。なお牙 ・喉音 の 1等の聞 kwn及び 3等の鬼 Ⅹwy は例外であるが,適切な説 明ができない,高田時雄 ( 1 9 8 5 )1 3 5 頁注2 8 参照。 ( 3 8 )庄垣内正弘 ( 1 9 8 6 )5 0 頁 ;R6 1 1 r bo r n,1 9 91 ,2 11参照。 ( 3 9 )庄垣内正弘 ( 1 9 8 6 )5 4 -5 5 頁参照。 ( 4 0 )例えば止擬の合 口字の例を参考に されたい,庄垣内正弘 ( 1 9 8 6 )7 3 -7 4 貢参照。 ( 41 )下記3 0 2 頁参照。 ( 4 2 )庄垣内正弘 ( 1 9 8 6 )1 2 2 -2 3 頁 ;高田時雄 ( 1 9 9 0 )3 5 5 頁参照。 ( 4 3 )高田時雄 ( 1 98 8 a)1 2 6 頁参照.ちなみに庄垣内が柳中の上古音を属 した もの とす る地名の l t i ke t i l ]は, 1 9 8 8 a ) 81 頁参照。l i l ket i q はむ しろ六種に近いが, 漢字では六種 と表記 され ることもある,高田時雄 ( t i ke t i q とい う昔時の地名を漢字で表記 したもので しかない。なお 旭kの kが上古音に 六種のほ うは l i l e y,1 9 8 2,5 9にも提案 されている。 由来す るとす る考 えは,Ba ( 4 4 )人草の韻尾が完全に失われた ものは,中古漢語以降の よ り新 しい漠字音 に由爽す るもので,ここで は問題に しない,Cs o ngo r ,1 9 5 2,1 0 4,n.4;庄垣内正弘 ( 1 9 8 6 )1 1 5 頁参照。 ( 4 5 )庄垣内正弘 ( 1 9 8 6 )8 5 頁参照。なお彼の b,Ⅴは本稿の p,βに封鷹す ることは言 うまで もない。 ( 4 6 )Ha mi l t o n,1 9 8 6,1 31参照。 ( 4 7 )『 天地八陽紳呪経』の京都本がやや古いテキス トであることは,菩薩を表す語が pw∂ ys Ptと綴 られて 1 9 8 8 a )1 75 頁注3 0 参照。 いることか らも知 られ る,青田 豊 ( ( 4 8 )尺 c y xについては庄垣内正弘 ( 1 9 8 6 )8 0 頁参照。 ( 4 9 ) これは森安が最近校訂 したマニ教 ウイグル語の文書に現れる,森安孝夫 ( 1 9 9 0 -91 )5 9 頁参照。 ( 5 0 )Si ns Wi l l i a msa ndHa mi l t on,1 9 9 0,5 7 -5 8参照O ( 5 1 )庄垣内正弘 ( 1 98 6 )9 8 頁参照。 ( 5 2 )Cs o ngo r ,1 95 2,1 0 8,m.6 0は bとⅤの区別の由って来 るところは不明であるとしている。 ( 5 3 )庄垣内正弘 ( 1 9 8 6 )3 5,7 8 頁参照。 ( 5 4 )R6 hr bo m ,1 9 91 ,2 4 6参照。 〔9 1〕 2 9 0 ソグ ド文字で表記 された漠字音 ( 5 5 )同様に k が股落 した例だ とする副 ww は, 副使 ww貞 y に見 られ るものである, 庄垣内正弘 ( 1 9 8 6 ) 7 8 貢参照。副にも入聾の p' i a k 以外に去葦の p ' i ヨ uの読みがあ り,副使では去馨で読 まれていた。それ故, yが入寒の韻尾が組織的に脱落 した後の漢語か ら導入 された ものか,それ以前に導入 された 副使 ww菖 ものかは速断出来ない。 ( 5 6 )l ykの例は庄垣内正弘 ( 1 98 6 )8 0 頁参照。1 y xz yrについては Ha mi l t o n,1 9 8 6,Ⅹvi i ,n.2 8 ; Ha il m t o n, 1 99 2 a参照。 ( 5 7 )庄垣 内正弘 ( 1 9 8 6 )7 9 -8 0 頁参照。なお Ⅹで特薦 した文字は,少な くとも石の場合には Ⅹではな く Ⅹで特薦 した。 γである。 しか しここでは便宜上すべて - ( 5 8 )質韻 の他の文字については庄垣内正弘 ( 1 9 8 6 )8 3 -8 4 頁参風 ⊃myrが後舌母音を含む ことは格語尾等 Cl a us o n,1 9 7 2,7 71参照。ただ し前舌母音を含む mi rの讃み もあ った らしい, G.R. か ら明かである, rだけをあげ るのは適切ではない。 Ra hma t i ,1 9 3 2,4 3 2,4 4 3参照。いずれに しても蜜の蔑み として mi ( 5 9 )Ka r a,1 9 8 3,4 5参照。 ( 6 0 )Cl a l l S On,1 9 72,4 0 4参照。 ( 61 )庄垣内正弘 ( 1 9 8 6 )2 6 -2 7 頁参照。 ( 6 2)Cl a us o n,1 9 7 2,41 7参照。 この構掛 こついてはマニ文字に よる c yg畠 y y も参照 されたい。マニ文字の 資料は 8世紀後半のものである。 ( 6 3 )庄垣内正弘 ( 1 9 8 6 )6 9 頁中5 2 参照。 ( 6 4 )Cs o ngo r ,1 9 5 2,1 01;庄垣内正弘 ( 1 9 8 6)72 頁参照。 ( 6 5 )kwn( <間 ktuan)も早い時期の借用語であるが,逆に後舌母音が期待 され るに も拘 らず,前舌母音 が立 っている。 これ も並行す る現象か もしれないOなお甲は ウイグルのブラーフ ミ一文字資料 では, qya p と表記 されている,庄垣内正弘 ( 1 986 )85 貫参照 。 2等の字が y- を伴 っていることか ら Cs o ngo rは, 牙 ・喉青草母の 2等字に散見す る物音化の 1例 とみな した, Cs o ngo r ,1 9 6 2,5 2 -5 3参照。 この説 明は確かに魅力的だが,問題がないわけではない。下で述べるように,多 くの場合 ウイグルの 漠字音は字音 となっていて,個 々の漢字に一個の定着 した聾者形式が封癒 していた と考えられ る。それ らが ウイグル語内部 で襲化す ることはあ り得ても,漢語の側の襲化に封鷹 して襲化す ることは原則 と pか ら推測 して,qa b であ った と考えられ る。従 してなか った。甲の字音は ウイグル文字の表記の Ⅹ' ya p は,単なる誤寓 でなければ,訣明が困難であるO今は不明の例 として解明を賂束の研究に って q 委ねたい。 ( 6 6 )高田時雄 ( 1 9 8 8 )1 4 6 -4 7 貢 ;高田時雄 ( 1 9 9 0)3 2 9 -3 0 頁参照。 ( 67 )例 :許 ( 上)kww,庄垣内正弘 ( 1 9 8 6 )95 -9 6 頁参照。 ( 6 8 )高 田時雄 ( 1 9 8 8 )1 8 5 頁参照。 ( 6 9 )例は庄垣内正弘 ( 1 9 8 6 )1 2 7 -2 8 頁か ら採 った。ただ し 『 慈恩俸』中のものだけを対象 とした。 ( 7 0 )ちなみに, 魚韻の除が ブラーフ ミ一文字で e6 と表記 されていることか ら, 魚韻 の韻尾の音便 として 1 6 1 9 8 6 )7 6 頁参照。 しか し賓際には,除は c y u と綴 られているので が推定 されている,圧垣内正弘 ( e t iと韓寓 されるであろ う,Ga ba i n,1 9 5 4,7 4 ;Cs o ngo r ,1 9 6 2,51参照.従 って魚韻の音債 としては,也 を想定す るのが適切であるO この青原はまた,チベ ット文字資料か ら想定 されたそれ とよく一致す る。 ( 71 )Ga ba i n,1 9 7 4,4 5 -4 7参照。 ( 7 2 )高 田時雄 ( 1 9 8 5 ) ;高田時雄 ( 1 9 9 0)参照。 ( 7 3 )Ka r a,1 9 9 1 ,1 2 9 -3 3参照。 ( 7 4 )高田時雄 ( 1 9 9 0 )3 3 7 -4 2 頁参照。 2 8 9 〔9 2〕 東 方 学 報 ( 75 )Cs o ngo r ,1 9 5 2,1 0 4 -5,nn.4,8;庄垣 内正弘 ( 1 9 8 6 )1 1 7 -21 頁 ;Ka r a,1 9 91 ,1 3 0参照。なお庄垣内 正弘 ( 1 9 8 6 )3 6 頁の成 e eは ,Cs o ngo r,i bi d・に従 って,* e e [ 勺】( あるいは * e i b] )に改め られ るであろ う。 ( 7 6 )高田時雄 ( 1 9 9 0 )3 3 7 -4 2 頁参照。 ( 7 7 )Cs o ngo r ,1 9 5 2,7 6,1 0 5,n・8参照。ただ し彼が借用語 との差異を強調す るあま り,これ らの漠字音 f̀ o r e i gnf o r m"とみな し,きわめて定着度の低い形式 とみなすのは適切ではない。字音はいずれに を` しても,定着 した ものであるか らである。 ( 78 )庄垣内正弘 ( 1 98 6 )21 頁参照. シソコ-サ リの 『 慈恩俸』の研諸 の特殊性については R6 hr bo r n, 1 9 9 0も参照せ よ。 ( 7 9 )Ka r aが紹介 している俳教漢文 の韻文を ウイグル文字で樽寓 した資料 も,組織的に漠字音を用いてい るとい う鮎で,字音の存在を澄嬢附け るものである,高田時雄 ( 1 9 9 0 )3 3 9 -4 0 頁及び Ka r a,1 9 91参 照。 ( 8 0 )高田時雄 ( 1 9 9 0 )3 3 8 -3 9 貢参照。 ( 81 )高田時雄 ( 1 9 9 0 )3 4 2 頁参照。 ( 8 2 )高田時雄 ( 1 9 9 0 )3 3 9 頁参照。 ( 8 3 )庄垣内正弘 ( 1 9 8 6 )1 2 2 頁の議論を引用 した。 ( 8 4 )高田時雄 ( 1 9 8 5 )1 3 9 頁参照。 ( 8 5 )華厳経を表す Ⅹ' y ymkyがそれである,Zi e me,1 9 81 ,3 8 7,m.1 3参照。yym とい う字音は この経典名 に由来 しているのか もしれないOそれに してもこの名前が どのように して成立 したかは不 明のままで ある。 ( 8 6 )Cs o ngo r ,1 9 6 2,51頁参照。 ( 8 7 )高田はさらに,往昔資料では教燈文書 と異な り魚韻が止横の開 口字 と混 同されない ことか ら,この uの音債を持 っていた常時の長安の標準音 と一致す るとい う,高 資料のベースにある漢語は,魚韻が 田時雄 ( 1 9 9 0)3 3 8 頁参照。 しか しこの鮎 も通常 の ウイ グル字音で説 明が可能である。すなわち ウイ a/と / i /の対立があ り,魚韻は前者,止鞍の開 口字は後者の母音を含む ものとして受け入 グル語には / れ られていたので,両者は全 く混同されることがなか った と考えられ る。 ( 8 8 )Ka r a,1 9 91 ,1 3 0 -31参照. ( 8 9 )なお TⅡT に見 られ るような藻字音は,決 して これ らの注音資料のベースにあった とは考えられな T では晩鼻音化現象を示す ものの,まだ鼻音要素を失わ い。なぜなら明 ・泥 ・疑の鼻音聾母は ,TⅡ ず他の非鼻音聾母 とは異なる表記を受けている0-万注音資料では,晩鼻音化 した聾母 と非鼻音聾母 の通用が見 られ るか らである,高田時雄 ( 1 9 8 5 )1 4 0 -41 貢参照。 ( 9 0 ) この間の事情は,最近の森安の論文に依嬢 している,森安孝夫 ( 1 9 8 9 )1 5 -21 頁参照。 ( 91 )R6 hr bo m ,1 9 8 8,2 3 2 -3 3参照。 ( 9 2 )庄垣内正弘 ( 1 9 8 6 )5 2 頁参照。 さらに Cs o ngo r ,1 9 5 2 ,1 1 6,no.1 2 8も参照。 ( 9 3 )庄垣内正弘 ( 1 9 8 6 )5 2 頁参照。 ( 9 4 )陰陽 y yny' nkの例については ,R6 hr bo r n,1 9 91 ,2 5 1参照。 ( 95 )y' nkについての高田の考え方については,高田時雄 ( 1 9 9 0 )3 3 9 頁参照。 ( 9 6 )t ' wc w の例については,Zi e me,1 98 5,1 0 6 ,2 3 2参照。ただ し彼は t ' wc' nkの方が t ' wc w よ り新 しく, e me,1 9 8 5,1 5 4参照。t ' wc' nkとい う形式は 『慈恩俸』 モンゴル期に借用 された ものと考 えている,Zi にも現れるので ( Ra hr bo m ,1 9 91,2 2 5参照),彼の束は受け入れ られない。 ( 9 7 )高田時雄 ( 1 9 9 0 )3 3 8 -3 9 頁参照。 〔9 3〕 2 8 8 ソグ ド文字で表記 された漠字音 ( 9 8 ) これ らの 2鮎は庄垣内によって明解に述べ られている,庄垣内正弘 ( 1 9 8 6 )1 2 3 貢参照。 ( 9 9) この鮎は借用語についてもあてはま り,字音に限 られた ことではない。 ( 1 0 0 )高 田時雄 ( 1 9 8 5 )1 3 9 頁 ;庄垣内正弘 ( 1 9 8 6 )3 3 貢参照。 ( 1 01 )語頭の β-もまた ウイグル語本来の音ではな く,「 土着化」することがあ った ようだ。Ka r aが紹介 し n と表記 されている,Ka w r a,1 9 91,1 31参照. この字 は 『慈恩俸』の鰹系では,β yn た資料では閲が ' と表記 されていたであろ う。 ( 1 0 2)Ka r a,1 9 91 ,1 3 1 13 2参照. ( 1 0 3 )庄垣内正弘 ( 1 9 8 6 )3 7 頁参風。 ( 1 0 4) この説明は庄垣内に よるものである,庄垣内正弘 ( 1 9 8 6 )1 1 9 頁及び注7 4 参照。Zi e me はいわゆる I ns a di s ut r aの中に我を nγ'と表記す る例をあげている,Zi e me,1 9 91 ,31 7参照。 しか しこれ も ' γ 'と 読んで,有聾の摩擦音を正 しく孝音す るために敢えて語頭に母音を添えていた と考えるべ きであろ う。 ( 1 05 ) この現象に関する最近の解樺については D.Do e r er f ,1 9 91 ,1 7 6 -77参照O ( 1 0 6)庄垣内正弘 ( 1 9 86 )6 5 -6 8 頁参照。Ha mi l t o n が校訂 した敦塩出土 の1 0 世紀頃の文書では,沙州は 蓋 ' c yw,畠 ' C ' W,邑 ' c w と表記 され,後舌の格語尾を とる。一方モ ンゴル期の文書では 孟 ' c w と表記 され, Ha mi l t o n,1 9 8 6,2 5 0;森安孝夫 ( 1 9 8 5 a) 8 4,9 8 頁 ;Ha mi l t o n,1 9 9 2,1 2 0参照。 前舌の語尾を とっている, 前者では二重母音 としての費音か ら後舌 とみなされ,後者では母音の融合 に よ り前舌母音 として扱わ ywは,介母を失 って後舌の単母音に襲化す る場合 れたのであろ う。ただ し地名の構成要素である州 c 1 9 8 6 )6 8 頁 ;G.Ka r aa ndZi e me,P. ,1 9 8 6,3 5 4参照。上の後舌の も多か ったようだ,庄垣内正弘 ( 菖 ' c w はそのような例であろ う。 これは語音借用期の 「 土着化」の例である。 ( 1 0 7) 例 :英 kwykⅥW, 巻 kwy nkww n 。庄垣 内は巻 kⅥ wnの例をチベ ット文字資料 の kwo n と結び附け, 1 9 8 6 )6 2 -63 頁参照O これに封 して高田 漢語の側の登音に由来す るもの と考 えている,庄垣内正弘 ( nの特殊性は漢語の単音 とは無関係でチベ ッ ト文字 W の影響に よるものとしている,高田 は,巻 kwo 1 9 8 8 )1 5 3 頁参照。 時雄 ( ( 1 08)新資料 の出現 に よって も,本稿 の記述 は改善 され ることになるだ ろ う。例 えば 1 992年 の夏 S. Ra s c hma nn 女史 と森安孝夫氏はベル 1 )ソの資料の中に,漢文のテキス トに ウイグル文字で吏音を記 Ch2 9 21-TⅡT1 5 0 6 )を費見 した。 この資料については Ra s c hma nn女史 と高田時雄氏が 入 した断片 ( wl m を 共同で論文を費表す る濠定であると聞 く.森安氏の備えるところに よれば,そ こには願 ng主 ' wkwn と音注 している例があるとい う。 この字は 『慈恩侍』のシステムでは * kwyn と綴 られている W-が立つのは, はずである.wyが W に単純化 され ることは濠想され るとお りである.一方初頭に ' 我 ' γ 'の場合 と同様有聾音の妻音を容易にす るための便宜であろ う。 Ⅴ (1)Si ns Wi mi a msa ndHa mi l t o n,1 9 9 0参照。 (2)Si ns Wi l l i a msa ndHa mi l t o n,1 9 9 0,9 -1 2参照。 (3)この本に封す る書評において,筆者は既にい くつかの例について検討を加えておいた,Yo s hi da, 1 9 9 3 参照。ただそ こでは書評 とい う性質か ら,特に問題があると思われ る比定だけ しか扱 うことができな か った。 (4)文書では βW岳 ynあるいは βws ynと書いてあったものを βwc ynに改めてある。 (5)文書では斜格形 C ' nkl ' r yで現れ るので, γと特薦 した文字が Ⅹか γかほ不明である。 (6) この人名は Si ms Wi l l i a msa ndHa mi l t o nが校訂 した文書に現れるものではな く,敦塩 出土の コーク i l e y,1 9 6 9,1 0 4及び M.Dr e s de n,1 9 5 5,4 46参照。 ソ語文願の欄外に書かれた ものである,Ba (7)" nc wr t ' nにぴ った り封鷹す る人名の安拙単が,敦燥出土の漢文文書に現れ ることが最近明らかにな 3 8/ - 〔9 4〕 東 方 寧 報 1 9 9 3 )1 1 3 頁参照。 った,青田 豊 ( (8)熊本 裕 ( 1 9 8 5 )1 2 2,1 3 8 頁参照。 出土文書か ら推定すれば,張金山は コーク ン出身の貴族 ( あるい は富裕な商人)で,壬午年 ( 9 8 2 年)には敦塩において,寓経や燃燈の功徳を施 した らしい。彼 自身 0 世紀の教壇 とコークソ出身の は トルコ系であ ったか らか, 自分の名前を ソグ ド文字で書いている。1 mi l t o n, トル コ人が何 らかの関係を有 していた ことは,敦塩出土の トル コ語文書か らも知 られ る,Ha 1 9 8 6,1 0 3 5参照。 (9)Si ns Wi l l i a msa ndHa mi l t o n,1 9 9 0,3 4 -3 5 ,5 7 -5 8参照。 ( 1 0 )Si ns Wi l l i a msa ndHa mi l t o n,1 9 9 0,2 7 2 8参照。 ( l l )Si ns Wi l l i a msa ndHa mi l t o n,1 9 9 0,2 3 ,6 4は,漢語に由来する語にのみ この補助記親が用いられて 4の 2例 しか存在 しないので,性急な判断は避ける いるとする。補助記窮を伴 う語は, これ と No・3 べ きではなかろ うか。 ( 1 2 )土肥義和 ( 1 9 8 0 )2 5 3 -5 8 頁併収の敦塩文書に現れる人名の表を参考に した。 ( 1 3 )Ha mi l t o n,1 9 5 8 ,1 2 2 -2 3参照。 ( 1 4 )高田時雄 ( 1 9 8 8 )8 5 8 6 京参照。 ( 1 5 )C' nk l ' γと 言 え l a haの差異についての この説明は,高田時雄氏によるものである。氏の快諾を得てここ に引用 した。なお Ha mi l t o n自身は この聾母に関す る矛盾については言及 していないo ( 1 6 ) この例は森安孝夫 ( 1 9 8 9 a ) 7 2 -8 0 頁か ら引用 した。 ソグ ド商人や ウイグル商人は, この地名を古い時 代に彼 らの言語 に定着 した発音で, しか も背後にある漢字を考慮せず使 っていたのに対 し, コークソ 人は敦燈や- ミの周過の地名を常時の漢字音で襲音 していた ことになる. ( 1 7) これ らには どれ もクエスチ ョンマークが附け られてお り,Ha mi l t o n 自身 自分の比定に問題があるこ ng 韻尾の脱落のように,どの時代の漢語か ら借用 されたか不 明の場合には, とは東知 しているOまた - yn k が古い時代の借用語で 必ず しも比定その ものを排除す ることができない。例えば下に論 じる杏 γ あれば,形式そのものには問題がない。ただ この場合には,借用語であった とすれば もう少 し多 くの 事例が,中央 アジア出土の諸言語文献に在詮 されたはずである。 ( 1 8 )Yo s hi d a ,1 9 9 3参照。 ( 1 9 )高田時雄 ( 1 9 9 1 )2 61 頁参照。 ( 2 0 )t ' kと恵んで徳韻の姓 ( 例えば徳な ど)を比定すべ きだろ うか。 ( 21)軽唇音化す ると介母は失われ るので,敦塩出土の数字の表の六 I yγ( ∼l wk,1 wk' )と比較す ることは できない。 ( 2 2 ) この鮎は既に書評の中で指摘 しておいた,Yo s hi d a,1 9 9 3参照。 ( 2 3 )Si ns Wi mi a msa ndHa mi l t o n,72参照。 ( 2 4 ) リス トの中の (?)を附けた もの ( No s .4 ,5 ,1 4 ,1 5 ,1 8 ,3 3 )は,漢字 2字か ら成 り立 った漢人の名 である,S i ns Wi l l i a msa ndHa mi l t o n,1 9 9 0 ,2 6,e t c .参照。 これ らについては可能性が多す ぎて,確 賓な比定ができない。 Ⅵ (1)それ らについての代表的な研究は池田 温 ( 1 9 6 5 )及び We be r ,1 9 7 2 である。他には筆者による「ソ グ ド語の人名を再構す る」『 三省堂ぶ っくれ っと』( 1 9 9 1 年 1月窮) 6 6 -71頁 もある。そ こでは人名の 再構成の手法 ・問題鮎 ・意義をまとめておいた。散費的な人名比定は Yo s hi da,1 9 8 4 ;i d e m,1 9 91, 2 3 7 -4 4にも捷案 されている。 また未登表なが ら,作 功一氏が平成元年度に大阪大学文学部に提出 し た卒業論文 「トル ファンの トル コ人」 も参考になる。 (2)最近比定 された ものに 『通典』に引用 された杜環の 「経行記」中の,康園の神南の名稀の扶 b' wa t 〔9 5〕 2 8 6 ソグ ド文字で表記 された漠字音 がある。 M.Sc hwa r t zは これを ソグ ド語で寺院を意味す る ' pw' ∂ ' kの韓寓であると考えた , Sc hwa r t z, 1 9 7 4,2 61参照。 この語に附いての従来の祝については桑田六郎 ( 1 9 6 1 )3 8 3 -9 8 貢を参照せ よ。古 く 1 9 8 8 a )1 6 5 -7 6 )を見 られたい。 か ら議論 されて きた薩賓に関 しては筆者の研究 ( 吉田 豊 ( (3) この種の資料は向達 『唐代長安輿西域文明』北京 ( 1 95 7)ト1 1 6 頁に引用 されている。 これ以後 も資 料は襲見 されているらしいo例えば超振華 ・朱亮 「 安善墓志初探」『中原文物 』( 1 9 8 2 )第 3期参照 ( 筆 者未見) 0 ( 本稿は平成 5年度科学研究費 ( 一般 C) に よる研究成果であ り,共同研究 「4-8世紀の中央 アジア とイ ン ド」 ( 班長 桑山正進)の成果 『 慧超往五天竺園侍研究』附論の一部に相普す る。) 附録 1 TⅡT の漠 字 音 (ソグ ド文字表記のアルファベ ッ ド順) 中古音/ 現代音 ソグ ド文字 行数 悪 ・ 蝕ノ o "Ⅹ 4,6 敷 g' 白山k' n i ' ky( n) 2 業 ng主 で p/ ye ' nk' y p 6 # ngj i / yi ' nky 6 魔 mua / mo ' np' 4 昧 mu呑 i / me i ' nf ) ' y 3 滅 mi 急t / mi e ' np' y T 6 乃 na i / na i ' nt ' y 1 念 ni e m/ mi e n ym ' nt' 4 薄 b' 畠k / po ' p' Ⅹ 6 於 ・ uo / wu ' W 7 ( bi s ) 憂 ・ 主 更 t Jy u ' y' W 7 益 I i ak / yi ' yγ 2,3 ・ i e t / yi ' y r 3 ,6 網 m主 wa ng/ wa ng β' nk 6 文 m主 ua n/ we n βn 2 微 mj w妄 i / we i L i y 6 万 pi wa ng/ f ng a β' nk 4 俳 b'皇ua t / u f er 1 ( bi s ) ,4 誹 p j w妄 i / f e i L き y 5 着 t 軸/ c he c' 2 ,3 ( bi s ) ,4 ( hi s ) ,5,6,7 ( bi s ) 長 d' i a ng/ c h' a ng 諸 t 言 主 wo / c hu c w 4 ( bi s ) ,6 専 t 言 主 W急 n/ c hua n c wy n 2 至 t g i / c hi ' c y 1 之 t 岳 i / c hi ' c y 4 ,5 障 t 軸 ng/ c ha ng c y"nk 6 境 ki t mg/ ki ng k' ynk 7 軽 k' 歩ng/ k' i ng k' ynk 1 2 8 5 〔9 6〕 東 選 ki e ng/ ki ng k' ynk 1 敬 ki t mg/ ki ng k' ynk 1 恐 k' i wo ng瓜' ng u kw n k 4 覚 k ak ni 也e kw( γ ? ) 6 鬼 kj w妄〟kue i kwy 4 ;Oi wy )5 界 kえi nde ky' y 7 九 ki gu ndu k( y) ' W 5 起 k' j i / k' i ky 2 明 mi wmg/ i ng m m' ynk 2 能 na ng/ ne ng nnk 2 ,4 誘 pwa ng/ pa ng p' nk 5 不 pua t / pu pr 1 ( bi s ) ,4 ( bi s ) 菩 b' uo / p' u pw 1 怖 p' uo / p' u pw 4 束 1 冬 i / l a i r " y 1 ,7 乳 l ua n/ l ua n r w' n 5 論 l ua n/ 1 un r wn 2 利 l j ul i r y 3 離 l j i 帥i r y 5 ,7 六 】 加k/ l u,l i u r ywγ 7;r ywγ5 三 s a m/ s a n s ' m 3 ,4 薩 s a t / s a s ' r 1 四 s i / s l s y 5 死 s i / S 王 s y 1 修 s i a u/ s i 1 1 S y' W 2 心 s l a m/ s i n s m y 2 倍 s i e n/ s i n s m y 2 ,7 併 ! i wo / s o s 4 ( bi s ) ,5 生 ! mg/ s he ng 菖 ' nk 1 甚 軸 m/ s he n 菖 ' ym 5 成 顛 ng/ c h' e ng 孟 ' ynk 1 少 軸 u/ s ha o 菖 ' yw 2 祝 言 i wa t / s huo 菖 W' yr 2 是 i i e / s hi ' 菖 y 1 常 z l a ng/ c h' a ng 菖 y' nk 3 世 軸i / s hi ' 菖 y' y 3 深 軸m/ s he n 5 紳 d云 ' i 6 n/ s he n 菖 y m 菖 y n 十 *p/ s hi 一 言 y p 3 ,4,5 多 t a / t o t ' 2 他 t' a/ t ' o t' 1 方 学 報 5 2 8 4 ソグ ド文字 で表記 された漠字音 嘗 t 急ng/ t a ng t ' nk 1 ,3 道 d' a u / t a o ' w t 2 ,5 種 t 畠 i wo ng/ c hung t c wnk 3,5 重 a' i wo ng/ c hu喝 t c wnk 6 得 t a k/ t e t k 2 ,3 ,7 切 e i / t s ' i e t sì t s ' y 6 漸 t s i 畠 m/ c hi e n t s ' ym 6 ;t s ym 6 櫓 t s a ng/ t s e ng t s nk 7 罪 dz' ua i / t s ue i 6 此 s' i 妄 / t s ' ' i t 精 t s i 且 ng/ t s i ng ( dz' 顛m/ t s i e n) 七 t s ' i e t / t s ' i t s w' y 【 t ] ( S ) y t s y n k t s y r 馬 ] ' i賃 w / we i Wy 3 ( hi s ) ,4 ,5 云 i ua n / y Bn j Wy n 3 速 j i w1 2 n/ y t i a n Wyn 5,7 何 γ 畠 瓜o xI 3 現 γ i e n仙i e n xJ yn 3 護 γ uo / hu XW 4 五 nguo / Ⅵ1 γ W 2,6 3 2 7 外 ngua i / Wa i γ W' y 5 悔 nl ue i Ⅹu呑i xw' y 7 寧 γ a k/ h也e X Wγ 3 惑 r wa k/ h uo Ⅹwk 5 故 kuo / ku 写W 1 観 kua n ku畠n/ 羊Wl n 7 更 k1 mg収e ng 耳y' nk 1 L i ; i / yi yy 1 二 丘云 i / e r S y 4 若 丘ま ま ldj a o 等 y' γ 2 如 彪主 wo / j o S yW 2 ,7 . > ・,a .I,f 2,5,8 V3 附録 2 Mai nzの漠字音 ・ i 6 t / yi b' 如 m/ f a n 法 pi wt ! p/ f a 虜 b' 主 wa ng/ f a ng 夫 pi u/u f 的 .Z. b' i wBm/ f a n ・pf 凡 焚 9 4 ,7,V4β ( ' p ) ,V7β ( ' ) 【 p ] V6 V3 〔9 8〕 東 b' i u/ u f 方 p i wa ng/ f a ng # mi u/ wu W W W n pn pn P . 徴 mj w賃 i / we i β( wy? ) V2 俳 b' i uat / u f 住 a' i u/ c hu 伽 C 父 3 2( bi s ),6( bi s ),V3( bi s ) 中 軸ng/ c hung 【 c wn] k V5 t 貞 i / c hi ' c y 8 県 t g i 血/ c he n [ c y】 n 2 c w V8 7 照 t 岳 i a u/ c ha o c yw 境 蜘 ng/ ki ng ( k) 日 3 迦 ka / ki a k' Vl 去 k' i wo / k' 也 kw 2 虚 Ⅹi wo / ht l kw 7 願 ng i wt m/ y也a n kwyn 6 砥 g' j i e / k' i ky 6,V5ky 敬 ki で ng/ ki ng ky V5 極 g' i a k/ ki kyk 6 金 k由m/ ki n ky m V2 ,V4,V7 金 ky( m) V8 九 1 由uJ ki u ( ky) 【 W1 9 蘭 mua n/ ma n m' n 7( bi s ) 無 mi u/ Ⅵ仙 mw 4,7,Vl ,V4,V7 名 mi a ng/ mi ng my 9,9( m) [ y] ,Vl my 1 [ n] ( I ) m V5 ? 南 般 7,Vl ,V4 n紬1 / na n ? ny Vl pua n/ pa n p' v4,V6,V8 V2,V4,V6,V8( p) [ ' ] pua / po p' mua / mo p' 9 百 pt 2 k/ po ) [ Ⅹ] ( p' Vl 北 pa k/ pe i p' k 8 報 pa u/ pa o p' ( W) 7 母 m責 u / mo u pw 9 批 b' j i ノ p' i p( y) 5 遠 pi we n/ pi e n pyn 蜜 mi さ t / mi 羅 1 a / l o l i ul a i E J・ 「 、 =・ 波 摩 # 学 報 9 之 場 方 6 V2 ,V4,V6p( y) [ r ] V2 ,V4,V6 ry LV6r ( ' ) l y] 9,2( r ) 2 8 2 ソグ ド文字で表記 された漠字音 l i e ul i 林 I i a m/ 1 i n 蓮 I i e n/ l i e n 三 S畠m/ s a n s i wa t / S 也e # s i u/ s t i 叩 M sy sy 如 雪 紬 穫 ワ ーy ーy ーym ーyn l j wi / l e i E 累 6 V5 ,5 ,8【 r ] y 1 V5 5 6 8 V5 V6 s i 妄 / s i ' 息 s i a k/ s i 心 s l a m/ s i n 舎 岳 i a / s he 樺 軸 k/ s hi 色 s i a k/ s e V3 山 車n/ s ha n 6,8 筒 i i a ng/ s ha ng 常 z l a ng/ c h' a ng 生 卵ng / s he ng i i a ng/ c h' e ng S * ng / s he ng 十 麺 p/ s hi 一 煤. 軸m/ s he n 甚 勿 m/ s he n 貞 主 さ n/ s he n 軸 p/ s hi t 多 t 畠 / t o t a k/ t e 徳 道 ? 尊 t s ua n/ t s un 化 紬 慧 身 十 , sW , sW , sy 帥 , sy , sy ㌣ 叩 , 叩如 ㌢ *i / s hi ' 城 諾 世 印⋮ 斯 V4 2,8,5S [ ym] V5 VI 0 3 8 V7 V5 V3 3 V2 ,V4 ,V7 V2 ,V4 義 ) 【 y n] 4 ,V1 ,7( 9 V2 ,V4 ,V5 4 ,6 V8 3 V7 t s ' 主 a ng/ t s ' i ng 浄 dz' 歩ng/ t s i ng 横 t s i a k/ t s i 千 t s ' i e n/ t s ' i e n 同 d′ ung/ t 一 ung 地 d' 〟t i 燈 ? t ' i e i / t ' i 和 γ ual ho 2 81 吟 軸 t Syn k t n W t yt y伽 ・ > 清 樹 dz' ui i / t s ue i 和 # V3 4 4,9[ t ] ( S ) y 6 Vl ,5[ t s y] ( n) 3 ,Vl ,4( t ) [ wnk】 8 7 V9 0 〔 1 0 0 〕 東 J I Wで ng/ y ung j i w畠 i / we i y 也a n J I W且 n/ ? 下 我 迦 海 界 剛 ng畠 / wo ka / 丘i a xa i nl i a kえ i / ki e ki ng/ ka ng V4 V5 7 V9 ] - γ a 仙i a 学 報 9 n . . ・7 ・ ; I . . .I , ・ : :・ [・ E . ;・ wy ;・= ・ 維 永 衛 囲 i i/ w we i 方 V7 V5 V3 9 6 7 V2,V4 ? 化 華 功 Ⅹw 1 xwa / hua xw' V1 γ wa / hu且 xw[ ' ] 5 kung/ kung xwnk 4 空 文w nk 7,V3( bi s ) ⅩW( nk) V9 ;I .. ; . . : .; ? 行 耶 棄 若 如 人 k' ung/ k' ung γ で ng/ hi ng i a / ye 主 急p/ ye 点ゑ 主 a / i o nz ‡ wo/ j u 丘云 i 占n/ j en 6 9 5 V4,V6,V2【 i ] ' ,V8【 d( ' ) 2,8,V6 V3 附録 3(1) ソグ ド語 の音 韻 膿 系 と文 字 歯茎 硬 口蓋 軟 口蓋/ 口蓋垂 と 聾門 k S Z S , S ﹀ z ( t s ) β∂ ( g) Ⅹ ( h) I l - n y m w 半母音 m 鼻音 p 伽 - - 摩擦音 歯 - 仙 唇 閉鎖 ・破擦音 襲 撃 聾 聾 無 有 無 有 子音 ソグ ド語の音韻膿系 流 音 C j 3g l u 0 仏 L 叩 川 榊 2 ) 母音 ( r a C 3 〔 1 01 〕 2 8 0 ソグ ド文字で衰記 された藻字音 文字 と音償 文字特寓 ソグ ド文字 ウニ文字 シ リア文字 I 左( a,i) 芸( a ,i ) 豆( a,i ) ( ∫ ( 4 ) + b ち( 4 ) ( b) β β . β β β( b) i C edy,t v s) e G) e G,t _ S) d D( 4 ) ( d) a ♂ ♂,♂,( 1 ) ( 5 ) ∂,♂ i ( -β ,p ) f f ( g) ( g) γ γ g γ γ h( 6 ) 豆,ゼ ロ ( h) ( 7 )I ( h) ( 7 ) h( 8 ) . ゼロ ( h) ( 7 ) J 乏 G) k k( g) k 良 1 L(4) ( 1 ) ( 5 ) ( 1 ) L ( 5 ) m m m m n n,也 ( 9 ) n,也 ( 9 ) n,也( 9 ) p p( ち) ,f p( b) p( b) 負( l O ) f q Q( l l ) =k( 1 2 ) k( g) r r , 1 ( 5 ),r( 1 3 ) r,r( 1 3 ) r,r( 1 3 ) S S S S S S S S t ( t au) t ( a) t ( a) t ( t et h) _( 1 4 ) -t ( 1 5 ) Ⅹ( 1 6 ) Ⅹ( h) ( 7 ) Ⅹ W( 1 7 ) W ,u,0 W ,u, 0 y y ,千 ,e ♂ Z Z_ ,Z 写/ 萎( 1 8 ) Z,蓋 i ) / p y ,i ,i ・Z t ♂ . Ⅹ W ,u,0 y ,i ,i Z 〔 1 0 2 〕 東 方 学 報 ( 注) (1)Si ns Wi l l i a ms,1 981 ,1 984,1 98 9 a を参考に した。なお表中の ( 丸括弧)内のものは,周連 的な音素或 いは異音 である。 (2)畢母音のみ。他に羊重母音 a 血[ -a a ] ,e t c・及びそ り舌母音 i r ,e t c .がある。 (3)音素 / a /の異音。 (4)i deogr am 拓. だけ使われ る。 (5)1はほ とん ど借用語に限 られ る。 (6) ソグ ド文字では語末に しか現われない。 (7)hはほ とん ど借用語に限 られ る。 (8)マニ文字では語末に しか現われない。 (9)血 は二重母音の後分 となる鼻音要素。上記注 2参照。 ( 1 0) この文字はマニ教 ソグ ド語文書にのみ現われ る。その他の p に補助記窮を附 した文字につい 8 -35 7 頁参照。 ては,本文35 ( l l )Q と文字輯為 され1 00を表わす数字 として使われ る。 ( 1 2)文字 k と同 じ音債。 ( 1 3)そ り舌母音を示す。 ( 1 4) この文字が使用 された例は見つか っていない。 ( 1 5)文字 tと同 じ同債。 ( 1 6)Ⅹに補助記親を附けた文字 の音債については本文35 8 貢参照. ( 1 7)wyは t 1 ,6を表わす。 ( 1 8)Zに補助記既を附けた文字 の音債については本文3 57 頁参照。 参考文献 和文 ・中文 1 9 86) 『印度俳教固有名詞節典』 ( 再版) 、京都 赤沼智善 ( 1 989) トゥル フ ァン出土 「 麹氏高昌園時代 ソグ ド文女奴隷賓買文書」の理解をめ く "って。『内 荒川正晴 ( 37 」5 3 頁 陸 アジア言語の研究』Ⅴ、1 1 965) 8世紀中葉における敦塩の ソグ ド入寮落。『ユーラシア文化研究』1,4 9 -92 頁 池田 温 ( 1 98 0)教塩の流通経済。『 講座散瞳 3 教壇の敵合』、東京 、29 7 -3 43 頁 池田 温 ( 1 935)唐代 ソグ ド城塞の束掘 と出土文書.『 東洋学報』2 2 -3,1 29 -39 頁 岩佐精一郎 ( 1 9 90) 『 敦蛙俳敦の研究』、京都 上山大峻 ( 1 980)住民 の種族構成一敦煙 をめ ぐる諸民族の動 向…。『講座数煙 3 敦塩の敵合』、東京、 梅村 坦 ( 1 9 7 -2 23 貢 榎 一雄 ( 1 98 0) ソグ ド商人の手紙。『 講座敦燈 1 敦塩の自然 と現状』、東京 、263 -75 頁 1 980)鹿讃文 ・塔文.『 講座数煙 8 敦燈俳典 と辞』、東京、3 07 -1 6 頁 川崎 ミチ コ ( 1 986)敦塩 ・吐魯番 とシルクロー ド上のソグ ド人 ( 二) 0『季 刊東西交渉』第 5 糞 伯勤 ( 池田 温諾) ( 巻 2窮、26 13 6 頁 妻 伯勤 ( 1 9 90)敦塩輿波斯。『 敦塩研究』1 99 0 年第 3期、1 -1 5 貫 e me,P.( 1 985)『ウイグル語 の観無量蕎経』、京都 首清廉義 ・Zi 1 985) コークソ語文献概説。『 講座敦塩 6 敦煙胡語文献』、東京、1 01 -40 頁 熊本 裕 ( 〔 1 03 〕 2/ 8 ソグ ド文字で表記 された漢字音 桑 田六郎 ( 1 961 )校勘杜環緩行記。『 和 田博士古稀記念東洋史論叢』、東京 、3 83 -98 頁 桑山正進 ( 1 9 9 2)『慧超往五天竺園俸研究』、京都大学人文科学研究所、京都 1 98 2)古代 トル コ語 n 方言における i / l 'の低母音化について。『紳戸外大論叢』、第 3 3巻第 3 庄垣内正弘 ( 坂、3 9 -5 7 頁 庄垣 内正弘 ( 1 986) ウイグル文献 に導入 された漢語に関す る研究。『内陸 アジア言語の研究 』 Ⅱ、1 7 -1 5 6 頁 庄垣内正弘 ( 1 991 )『 古代 ウイグル文阿毘達磨倶舎論賓義疏の研究』 Ⅰ、京都 1 9 85 ) ウイグル字音考。『 東方撃』7 0,1 3 4 15 0 頁 高田時雄 ( 1 9 88)『 教壇資料による中国語史の研究』 、東京 高田時雄 ( 1 98 8 a)コークソ文書中の漢語語嚢。『漢語史の諸問題』、京都大学人文科学研究所、京都 、71 -1 2 8 高田時雄 ( 貢 高 田時雄 ( 1 99 0) ウイグル字音史大概。『東方学報』京都、第 6 2 射 、3 2 9 -43 頁 1 9 91 )五姓を説 く教壇資料。 ( 国立民族学博物館研究報告別冊1 4 競)、2 49 -6 8頁 高田時雄 ( 1 98 0)貯義軍 ( 唐後期 ・五代 ・宋初)曙代o『 講座数塩 2 敦塩の歴史』、東京、2 35 -96 頁 土肥義和 ( 多魯坤 -関白爾 ・梅村 坦 ・森安孝夫 ( 1 99 0) ウイグル文沸教尊像受領命令文書研究IUSp.No.64な ど に見える " e uv' 'の解樺を乗ねて- 0『アジア ・ア71 )カ言語文化研究』4 0,1 3 -3 4 頁 1 9 81 )『俳教語大鮮典』 ( 縮刷版)、東京 元 ( 中村 1 95 7)唐代に於ける中国語語頭鼻音 De na s a l i z a t i onの進行過程。『 東洋学報 』3 9 -4,1 -31 頁 水谷虞成 ( 1 95 9)Br a hm‡文字特需羅什謬金剛経 の漠字音O『名古屋大学文学部十周年記念論集』、749 -7 4 水谷虞成 ( 頁 護 1 972)突蕨帝国内部におけるソグ ド人の役割に関す る-資料- ブグ ト碑文。『史学雑誌』81 -2, 雅夫 ( 7 7 186 頁 護 雅夫 ( 1 9 76)『古代遊牧帝国』、東京 1 9 79)増補 :ウィグル と吐薯 の北庭争奪戦及びその後の西域情勢について。『アジア文化史論 森安孝夫 ( 9 9 -23 8 頁 叢』 3、東京、1 1 9 85 ) チベ ッ ト文字で書かれた ウィグル文沸教教理問答 ( P. t .1 2 92)の研究。『大阪大学文学部 森安孝夫 ( 5,ト85 頁 紀要』2 森安孝夫 ( 1 98 5 a)ウイグル語文献O『講座敦 燈 6 敦塩胡語文献』、東京、1 -98 頁 森安孝夫 ( 1 98 7 )敦燈 と西 ウイグル王国- トゥルフアンか らの書簡 と贈 り物を中心に-0『東方寧』74,5 8 頁 7 4 森安孝夫 ( 1 9 8 9) トルコ併教の源流 と古 トル コ語併典の出現。『 史学雑誌 』9 8 -4,1 -35 頁 1 98 9 a)ウイグル文書衝記 ( その二 ) 0『内陸アジア言語の研究』 Ⅴ、69 -89 貢 森安孝夫 ( 1 99 0 -91 )『ウイグル-マニ教史の研究』『大阪大学文学部紀要』31・3 2合併貌 森安孝夫 ( 1 9 86)『イスラム初期の天文学 ・占星術書に見 られ るイソ ド要素 の研究』昭和 60年度科学研究 矢野道雄 ( 補助金 ( 一般 C) 研究成果報告書、京都産業大学国際言語科学研究所 1 9 84 ) ソグ ド語研究文献 目録 ( 1 97 4 -1 98 4 ) 0『 西南 アジア研究』2 3,81 -87 頁 吉田 豊 ( 1 9 86)漢詩マニ教文慮かこおける漠字音寓された中世イ ラン語について ( 上) 。『内陸アジア言語 吉田 豊 ( -15 頁 の研究』 Ⅱ、1 1 98 8) カラバルガス ソ碑文の ソグ ド語版について。『 西南アジア研究 』2 8,24 -52 頁 青田 豊 ( 1 9 8 8 a)ソグ ド語雑録 青田 豊 ( Ⅱ 。『オ リエ ン ト』3 1 -2/1 6 5 -7 6 頁 吉田 豊 ( 1 9 8 9) ソグ ド語雑録 Ⅲ 。『内陸アジア言語の研究』 Ⅴ、91 -1 07 頁 27 7 〔 1 0 4 〕 東 方 学 報 1 9 9 0 )新海維吾爾 自治区新 出 ソグ ド語資料。『内陸アジア言語 の研究』Ⅵ、5 7 -8 3 頁 青田 豊 ( 1 9 91 ) ソグ ド語併典解説。『内陸アジア言語の研究』Ⅶ、9 5 -1 1 9 頁 吉田 豊 ( 1 9 9 3 )書評 :森安孝夫 ( 1 9 9 0 -91)O『 史学雑誌』1 0 2 -4 ,1 0 5 -1 1 5 頁 吉田 豊 ( 1 9 8 8 )麹氏高昌園時代 ソグ ド文女奴隷膏買文書。『内陸 吉田 豊 ・森安孝夫 ・新顔経書爾 自治区博物館 ( -5 0 頁 アジア言語 の研究』 Ⅳ、1 羅 1 9 3 3)『 唐五代西北方音』、上海 常培 ( 1 9 9 2 )粟特文男稗契輿練綱之路上的女奴貿易。『文物』1 9 9 2 年第 9期、4 9 -5 4 頁 林 梅村 ( 欧文 Aa lt o,P.( 1 9 6 4 )Wo r dpa i r si nTo kha r i a na ndo t he rl a ng ua ge s .Li n gu i s t i c s5,6 9 J7 8. Ao F: Al t o r i e n i a l i s c h eFo r s c hu n ge n. AOH: Ac t aOr i e nt a l i aAc a d e mi a eS c i e nt i a r u mHmg wi c a e . AR4W: Ab h a n d l u n g e nd e rPr e u s s i s c he nAk a d e mi ed e rWi s s e n s c h a f t e n. As mus s e n, J . P.( 1 9 6 5 )Xu d s t v a J mf t .St u d i e si nMa ni c h a e i k m,Co pe nha ge n. Ba i l e y,H. W ( 1 9 3 7 )Tt a uga r a. BSOS4,8 8 3 9 21. Ba i l e y,H. W ( 1 9 3 7 a )Hva t a ni c a.BSOS4 ,9 2 3 -3 6. Ba i l e y,H. W ( 1 9 6 7 )Pr o l e x i st ot h eb o o ko fZa mb a s t a . Kh o t a n e s et e x t sVI ,Ca mbr i dge. Ba i l e y,H. W ( 1 9 6 9 )Kh o t a ne s et e x t sI I l l ,2 nde d. ,Ca mbr i dge. Ba i l e y,H. W ( 1 9 7 9 )Di c t i o n a r yo fKh o t a nS a ka ,Ca mbr i dge. Ba i l e y,H. W ( 1 9 8 2 )Th ec ul t u r eo ft h eS a k a si nAn c i e ntI r a n i a nKh o t a n,Col umbi al e c t ur e so nl r a ni a n s t udi e s ,No.1 ,Ne wYo r k. BBB-He nni ng( 1 9 3 6 ) . Be nve ni s t e ,E.( 1 9 3 3 )No t e ss url e st e xt e ss o gdi e nsbo uddhi q ue sd uBr i t i s hMu s e um. J A2 2 3 ,1 9 3 -2 4 5. ,E.( 1 9 4 0 )Te x t e ss o g d i e n s ,Pa is. r Be nve ni s t e Be nve ni s t e ,E.( 1 9 42 -4 5 )Re vi e wo fR. Bl e i c hs t e i ne re ta l . ,Wb ' y t e r b u c hd e rh e ut i g e nmo n g o l i s c h e nS py l a C h e mi tk u ne mAb r i s sd e rGr a mma t i ku n da u s g e wd h l t e nS pr a c h p r o b e n,Wi e nPe ki ng,1 9 41 . Bu l et l i nd el a S o c i d t e ' d eLi n g ui s t i q u ed ePa r i s42,1 8 8 18 9. Be nve ni s t e,E.( 1 9 51 )No t e ss o gdi e nne s . 〟 2 3 9 ,1 1 3 -2 4. Bo go l j ubo v,M. N.a nd0. Ⅰ .Smi mo va( 1 9 6 3 )S o g d l j ' s k i ed o k u me nt ysg o 7 yMu gI I I ,Mos c o w. Bo yc e,M.( 1 9 7 5 )Ar e a d e ri nMa ni c h a e a nMi d d l ePe r s i a na n dPa r i h i a n,Ac t al r a ni c a9,Te hr a nLi と ge. Br o ug h, J . ( 1 9 6 2 )Th eGa n d h d n Dh a r ma p a d a ,Lo ndo n. BSO( A) S: Bul l e t i no ft h eSc h o o l o fOr i e nt a lP a n dAf r i c a n )St u d i e s . Cha va nne s , E. a ndP.Pe l l i o t( 1 91 3 )Unt r a i t 6ma ni ch e e nr e t r o uvee nChi ne( de uxi t mepa r t i e ) . J A, 9 9 -1 9 9 , 2 61 -3 9 4. r f a na n dTu n h u a n gt h et at s ,Fl o r e nc e. Ca do nna,A.( e d. )( 1 9 9 2 )Tu 1 9 7 2 )Ane t y mo l o gi c a l d i c t i o n a r yo fPr e i h i r t e e ni h c e nt u r yTu r k i s h,oxf o r d. Cl a us o n,G.( Cs o ngo r ,B.( 1 9 5 2 )Chi ne s ei nt heUi h urs g c r i pto ft heT' a ngpe r i o d. AOH 2,73 11 21 . Cs o ngo r ,B.( 1 95 4 )So memo r eChi ne s eg lo s s e si n Ui h urs g c r i pt . AOH 4,251 15 7. Cs o ngo r ,B.( 1 9 6 2 )Chi ne s egl os s e si nUi h urt g e xt swr i t t e ni nBr a hmi . AOH 1 5 ,4 9 -5 3. Dhu:s e eMa c Ke nz i e( 1 9 76 ) ,3 3 -51. Dhy:s e eMa c Ke nz i e( 1 9 7 6 ) ,5 3 -7 7. 〔 1 0 5 〕 27 6 ソグ ド文字で表記 された漠字音 Do e r f e r ,D.( 1 9 91 )Be me r kunge nz urc hr o no l o is g c he nKl a s s i 丘ka t i o nde sa l t e r e nT伽ki s c he n. Ao F1 8 ,1 7 0 1 8 6. Dr e s de n,M. J .( 1 9 5 5 )Th eJ d t a k a s t a v ao r` p̀r a i s eo ft h eBu d d h a' sf o mu ! rb i dh s .( Tr a ns ac t i o nso ft he Ame r i c a nPhi l o l o gi c a lSo c i e t y,N. S.γo l .4 5,Pa r t5 ) ,Phi l a de l phi a. Ec s e dy,H.( 1 9 6 5 )Ol dTur ki ct i t l e so fChi ne s eo r i in. g AOH 1 8 ,8 3 91 . Edge r t o n,F.( 1 9 5 3 )Bu d d h i s t Hyb r i dSa n s k r i t gr a mma ra n dd i c t i o n a 7 y,Vo l .Ⅰ Ⅰ :Di c t i o na r y,Ne wHe a ve n. Emme r i c k,R, E.( 1 9 9 2 )TheDunhua ngMS.Ch0 01 2 0 :i t si mpo r t a nc ef o rr e c o ns t r uc t i ngt hepho no l o gi c a l s ys t e mo fKho t a ne s e.i n:Ca do n na( 1 9 9 2 ) ,1 45 7 0. Fe da ka r ,D.( 1 9 91 )I ) a sAl t t t i r ki s c hei ns o gdi s c he rSc hr i f t .Te xt ma t e r i a lundOr t ho gr a phi e( Te i H) .U r a l 0,8 5 -9 8. Al t a i s c h eJ a h r b i i c h e r1 Ga ba i n,A.vo n( 1 9 3 5 )Di eui g ur i s c het J be r s e t z ungde rBi o gr a phi eHae nt s a ngs ,Ⅰ .Br uc hs t Bc kede s5. Ka pi t a l s .S b E 沌W,151 -8 0. Ga ba in,A.vo n( 1 95 4 )Tt i r ki s c heTur f a nTe xt eVI I I ,Ab h a n d l u n g e nd e rDe ut s c h e nAk a d e mi ed e r Wt ' s s e n s c h a f t e nz uBe r l i n,J a hr ga ng1 9 5 2 ,Nr .7. Ga ba i n,A.vo n( 1 9 7 4 )Al t t l i r k i s c h eGr a mma t i k ,3 r de d. ,Wi e s ba de n. Ga ba i n,A.vo n( 1 9 7 6 )Al t t t i r ki s c heTe xt ei ns ogdi s c he rSc hr i f t .Hu n g wo Tu r c i c a .St u d i e si nh o n o wo fJ . Ne ' me t ,Buda pe s t ,6 9 17 7. Ga ut hi o t ,R.a ndP.Pe l l i o t( 1 9 2 6 12 8 )LeS i i t r ad e sCa u s e se td o sEHe t sd uBi e ne td uMat ,To meI I ,Pa is r . Ge r s he vi t c h,Ⅰ .( 1 9 5 4 )Ag r a mma ro fMa ni c h e a nS o g d i a n,0Ⅹf o r d. Ge r s he vi t c h, I . ( 1 9 6 2 )TheSo gdi a nwo r df o r' ' ad vi c e" , a nds o meMu rdoc ume nt s .Ce nt r a l As i a t i c Journ al 7, 7 7 -9 5. Gi l e s , L.( 1 9 5 7 ) De s c r i pt i v ec a t a l o g ueo ft h eCh i ne s ema n u s c ni ) t s f r o mTu n h u a n gi nt h eBr i t i s hMu s e u m,Lo ndo n. GMS:Ge r s he vi t c h( 1 9 5 4 ) . Gr e ne t ,F.a ndN.Si s Wi l l i a ms( 1 9 8 7 )Thehi s t or i c a lc o nt e xto ft heSo gdi a nA nc i e ntLe t t e r s .Tr a n s i t i o n n pe r i o d si nI r a ni a nhi s t o 7 3 ' ,( St udi al r a ni c a.Ca hi e r5 ) ,Pa r i s ,1 01 -2 2・ Ha mi l t o n,J.( 1 9 5 5 )Le so u i g h o u r sal ' e ' po q u ed e sCi n qDy n a s t i e s ,Paris. Ha mi l t o n,J.( 1 9 5 8 )Aut o urd uma nus c itSt r a e 1 Ho l s t e i n.T' o u n gPao4 6,1 1 5 15 3. Ha mi l t o n,J.( 1 9 81 )Le sno mbr e sc hi no i sdeunat r e nt ee nt r a ns c r i pt i o ns o gdi e nne.So ymi 6,M.( e d. ) , No u v e l l e sc o ni r i b u i i o na u xe ' t ud e sd eTo u e nh o u a n g,Ge ne ve,2 9 5 -3 01. Ha mi l t o n,J.( 1 9 8 6 )Ma nu s c r i t so u i i o u r sd ulXe-Xes i e c l ed eTo u e nh o u a n g,TomeI ,Pa r i s. Ha mi l t o n, I.( 1 9 9 2 )豆t udeno uve l l edel al e t t r ePe l l i o to ui go ur1 6bi sd' unBo uddhi s t ed' 6 po q uemo ngo l e. i n: Ca do nna( 1 9 9 2 ) ,9 7 -1 21. Ha mi l t o n,J.( 1 9 9 2 a )Ca l e ndr i e r sma ni c he e nso ui ' go ur sde9 8 8 ,9 8 9e t1 0 0 3 ,Ba c q u6 Gr a mmo nt ,J. L.e ta l . ( e d s . ) , Me ' l a n ge so Ue r t saLo ut sBa z i npa rs e sdi s c i pl es ,c o l l e gue se ta mi s ,Pa is r ,7 -2 3・ Ha il m t o n,J .a n dN.Be l d i ce a nu( 1 9 6 8 )Re c he r c he sa ut o u rd eq ws ,no m d' unee t o f F edeF o i l . BSOAS3 1 , 3 3 0 4 6. Ha ns e n, 0.( 1 9 41 ) Be r l i ne rs o ghdi s c heTe xt eI . Bnl C h s t i i c k ee i n e rs o ghdi s c he nVe r s i o nde rGe o r g s ba s s i o n( C1 ) , A1 3 4W, Nr . 1 0. a ns o ur c e so nt hehi s t o r yo fPr e I s l a mi cCe nt r a lAs i a.Ha r ma t t a,J.( e d. ) ,Pr o Ha r ma t t a , J . ( 1 9 7 9 )So g d i l e g o me n at ot h es o u r c e so nt hehi s t o 7 3 , O fPr e I s k l mi cCe nt r a l As i a,Budapes t ,1 5 3 -6 5 . i ) / T L ・ 了 〔 1 0 6 〕 東 方 学 報 Ha r ma t t a, J. ( 1 9 8 9 )Thel a ngua geo ft heSo ut he r nSa ka s . Ac t aAnt i q u aAc a d e mi a eS c i e nt i a r u mHu n g wi c a e 3 2 ,2 9 9 -3 0 7. Ha ma t t a, ∫.( 1 9 9 2 )Or i gi no ft hena meでunhl l a ng.i n:Ca do nna( 1 9 9 2 ) ,1 5 -2 0. He nni ng,W・ B.( 1 9 3 6 )Ei nma ni c hA i s c he sBe t -undBe i c ht buc h. AR AW,Nr.1 0( publ i s he di n1 9 3 7 ) . He nni ng,W. B.( 1 9 3 7 )Al i s to fMi ddl ePe r s i a na ndPa r t hi n wo a r ds . BSOS9,79 92. He nni ng,W. B.( 1 9 3 9 )So gdi a nl o a nwo r dsi nNe wPe r s i n. a BSOS1 0,9 3 -1 0 6. He nni ng,W. B.( 1 9 4 0 )S o g d i c a,London. He nni ng,W. B.( 1 9 4 5 )So gdi a nt a l e s .BSOASl l ,4 6 5 18 7. He nni ng,W. B.( 1 9 4 5 a )TheMa ni c ha e a nf a st s Jo u mal o fRo y a l As i at i cSo c i e t y,1 4 6 16 4. He nni ng,W. B.( 1 9 4 6 )TheSo gdi a nt e xt so fPa r i s . BSOASl l ,71 3 -4 0. He nni ng,W. B.( 1 9 4 8 )Theda t eo ft heSo gdi a nAnc i e ntLe t t e r s . BSOAS1 2 ,6 01 -1 5. I nt o x:s e eMa c Ke nz i e( 1 9 7 6 ) ,7 -1 0. I s e ba e r t ,L.( 1 9 8 3 )De rBe i t r a gde ri ndi s c he nLe hnw6 r t e rz uPr o bl e me nde rt oc ha r i s c he nPho no l o ie. g R6 hr bo r n,K.a ndW.Ve e nke r( e ds . ) , S by a c h e nd e sBu d d h i s mu si nZe nt r a h l S i e n,Wi e s ba de n,3 5 4 3. J A: J o u ma l As i a t i q u e . Ka l1 a rBa r a t( 1 9 9 2 )TheUi h urXua g nz a ngbi o gr a phy,vo l umeI I I . J o u r n a lo fTu r k i s hSt u d i e s1 6 ,5 -6 5. Ka r a ,G.( 1 9 8 3 )Si n° ui gur i s c heWo r t e r e kはr unge n.R6 hr bo r n,K.a ndW.Ve e nke r( e ds. ) ,S Pr a c h e nd o s Bu d d h i s mu si nZe nt r a l a s i e n,Wi e s ba de n,4 4 15 2. Ka r a,G.( 1 9 91 )Mi t t e l c hi ne s i s c hi m Spa t ui gur i s c he n.Kl e nge l ,H.a ndW.Sunde r ma nn( e ds. ) ,Agゆt e n Vwd e r a s i e nTu r f a n,Be r l i n,1 2 9 -3 3. Ka r a, G. a ndP.Zi e me( 1 98 6 )Di eui gur i s c het J be r s e t z ungde sa po kr y phe nSBt r a sF̀odi ng芝i ndat uol uo ni ' . Ao F1 3,31 8 76. Ka r l gr e n,B.( 1 9 5 7 )Gr a mma t aSe r i c aRe c e n s a,St o c kho l m. Kl i mke i t ,HA. ( 1 9 8 9 )Hy mn e nu n dGe b e t ed e rRe l i gi o nd e sLi c h i s . I r a ni s c h ea n dt i i r k i s c h el i t u r gi s c h eTe x t e d e rMa n i c h d e rZe nt r a l a s i e n s ,Opl ade n. Kl j a 凱o r ny j ,S. G.a ndV. A.Li v昌 i c( 1 9 7 2 )TheSo gdi a ni ns c r i pt i o no fBugutr e is v e d. AOH 2 6 ,6 9 -1 0 2. Kuda r a, K. ndW. a Sunde r ma nn( 1 9 8 7 )Zwe i Fr a gme nt ee i ne rSa mme l ha nds c hr i f tbuddhi s t i s c he rSAt r a si n s o hd g i s c he rSpr ac he. Ao F1 4,3 3 4 14 9. Kudar a,K.and W.Sunder mann ( 1 988 )Fr a gme nt ee i ner s oghdi s c he n Hands c hr i f t des Pa n l c a v i ms ' a t i s a h a s r i k a L Pr a j n ∼ d ba r a mi t d s i i t r a . Ao F1 5 ,1 7 4 -81 . Kuda r a, K. a ndP. Zi e me( 1 9 8 4 )Fr a gme nt ez we i e runbe ka nnt e rHa nds c hr i f t e nde rui gur i s c he nXua nz a ngBi o gr a ph i e. Ao Fl l ,1 3 6 -4 8. L:So gdi a nf ra gme nto ft heLe ni ngr a dc o l l e c t i o n,s e eRa go z a,S o g d b ' s k i ef r a gme nかce nt r a l ' n o a z i a i s k o g o s o b r a mj aI n s t i t ut av o s t o k o v e d e mj a ,Mo s c o w,1 9 8 0. LaVa l6 ePo us s i n,L. d ea n dR. Ga ut hi o t( 1 9 1 2 )Fr a gme nt丘n l ad el aNi l a ka n t ha d h a r a ni e nBr a h mie te n t r a ns c r i pt i o ns o gd i e n n e .J o u ma lo fi k eRo y alAs i a t i cSo c i e t y, 6 2 9 4 5 . La ut ,P,( 1 9 8 6 )Di ef r i i hei d r k i s h eBu d d hi s mu sun ds e i nel i t e y ar i s c h eDe n k md ' l e r , Wi e s bade n. LeCo q,A.vo n( 1 91 9 )Kur z eEi nf n hr ungi nd i eui g ur is c heSc hr i f t k nd u e .Mi t t e i l u n g e nd e 忌S e mi n a r sf a r Or i e nt a l i s c heSpr a c he n. We s t a s 由t i s c h eSh L d i e n2 2 ,9 3 -1 0 9. Li v菖 i c ,Ⅴ. A.( 1 9 6 2 )So gd% j s k i ed o k u me nt ysg o 7 yMu gI I ,Mo s c o w. Lt i de r s ,H.( 1 9 3 3 )ZurGe s c hi c ht ed e sOs t a s i a t i s c he nTi e r kr e i s e s .S b R AW, 9 9 8 1 0 2 2 . 〔 1 0 7 〕 27 4 ソグ ド文字 で表記 された漠字音 M1 :s e eM也l l e r( 1 9 1 2 ) M1 1 5:s e eM也l l e r( 1 9 0 7 ) Ma c Ke nz i e,D. N.( 1 9 7 0 )TheS̀虎t r ao ft hec a u s e sa n de He c t so fa c t i o n s ' i nS o gd i a n,Lo ndo n. Ma c Ke nz i e,D. N・( 1 9 7 6 )Th eBu d d hi s tSo gd i a nt e xt so ft heBr i t i s hLi b r a 7 y,Ac t al r a ni c a1 0 ,Te hr a nLi と ge. eKh wwe z mi a ne eme l nti nt heQun y a ta l Mu n y a ,Lo ndo n. Ma c Ke nz i e,D. N.( 1 9 9 0 )Th Ma ue,D. ( 1 98 3 ) Vo r l え uf igeBe me r kunge nz ude nGut t ur lgr a a phe me n. Ur a l Al t a i s c heJ a hr b i i c he r3,90 -9 6. Mnl l e r ,F. W. K. ( 1 9 0 7 )Di e" pe r s i s c he n"Ka le nde r a l l S dr t i c kei mc hi ne s i s c he nTr i pi t a ka.Sb fAW,4 5 8 -6 5 . M也l l e r ,F. W. K. ( 1 91 2 ) Ei neDo b Pe l b l a t t a u se i ne mma ni c h d i s c h e nHy mn e nb u c h( Ma hr n虎 ma gJ , A月且W,Nr .5 ( publ i s he di n1 9 1 3 ) . M也l l e r , F. W. K. ( 1 9 1 2 a ) De rHo f s t a a te i ne sUi gur e nK6 ni gs .Fes t s c hnf tV2 ' l h e l mTho ms e n, Le i pz i g, 2 0 7 -1 3 . I ,Sb FAW,Nr . 21 ,5 0 4 -6 0 7. Mt i l l e r ,F. W. K.a ndW.Le nt z( 1 9 3 4 )So h di g s c heTe xt eI P:Pe l l i o ts ogdi e n,i n:Be nve ni s t e( 1 9 4 0 ) . Pa dm:s eeMac Ke nz i e( 1 9 76 ) ,1 2 -1 7. Pe l l i o t ,P.( 1 9 2 9 )Ne ufno t e ss urde sque s t i o nd' As i eCe nt r le. T' a o u n gPa o26,201 -6 6. Pe l l i o t ,P.( 1 9 3 4 )To kha r i e ne tko ut c he e n.J A2 2 4 ,2 3 11 0 6. Po uc ha,P.( 1 9 3 3 )Toc ha r i c aVI .Ar c hi vOr i e nt a ' l n t5 ,8 8 -9 0 . Pul l e ybl a nk, E. G. ( 1 9 6 5 ) Thet r ns a c r i pt i o no fSa ns kr i tka ndk hi nChi ne s e.As i aMa j o r( N. S. ) ,l l , 1 9 9 -21 0. 1 9 3 2 )ZurHe i l kundede rUi gu r e n.Ⅰ Ⅰ .Sb R AW,4 01 4 8 . Ra l1 ma t i ,G. R.( Re i c he l t ,H.( 1 9 3 1 )Di es o ghd i s c he nHa nd s c hnf t e nr e s t ed e sBr i t i s c he nMu s e u ms ,He i de l be r g. n,K.( r 1 9 7 6 )U2 ' gur i s c h e sW6 y i e r b uc h,Wi e s ba de n. R6 hr bo R6 hr bo m,K.( 1 9 8 8 ) Zu r Da r s t e l l n gde u rGut t ur lei a nde ni ndi s c he nFr e mdw6 r t e r nde sUi gur i s c he n. Ce n- t r a l As i a t i cJ o u ma l3 2,2 3 2 1 43 . R6 hr bo m, K.( 1 9 9 0 ) Zurẁe r kt r e u' de ra l t t Br ki s c he n廿be r s e t z ungde rHs t i a nt s a ngBi o gr a phi e.La ut , P. ndK.R6 a hr bo r n( e ds . )Bu d d hi s t i s c heEy z d hl l i t e r a t urun dHa gi o gr a phi ei nt i i r k i s c he rt 払e r l i e f m m g, Wi e s bade n,6 7 -7 3. R6 hr bo m,K.( 1 9 91 )Xu a n g z a n gsLe b e nandWe r k ,Te i 13 .Di eal t t i i r k i s c heXua n g z a n gBi o gr a bhi eVI Z , Ve r 6 fe nt l i c hunge nde rSo c i e t a sUr a l o I Al t a i c a ,Wi e s ba de n. Sb FAW:Si t z un g s b e r i c hi ed e rPr e u s s i s c he nAk a d e mi ed e rWl ' s s e n s c h a f t e n, Phi l . hi s t .Kh Z S S e . SCE:s e eMa c Ke nz i e( 1 9 7 0 ) . Sc ha e de r ,H.( 1 9 3 4 )I r a nc a,Be r l i n. Sc hwa r t z ,M.( 1 9 7 4 )So gd i a nf ra gme nt so ft heBo o ko fPs a l ms , Ao Fl ,2 5 7 6 1 . Si ns Wi l l i a ms ,N.( 1 9 7 8 )Re vi e wo fMa c ke nz i e( 1 9 7 6 ) . I n d o I ra ni a nJo u y n a l2 0 ,2 5 6 16 0. Si ms I Wi l l i a ms ,N.( 1 9 7 9 )Ont hepl ur la a nddua li nSo gdi a n.BSOAS4 2 ,3 3 7 -4 6. Si ms Wi l l i a ms , N. ( 1 9 8 1 ) TheSo gdi a ns o n du s ys t e ma ndt heo ig r inso ft h eUyg h urs c ip r t .J A2 6 9 , 3 4 7 6 0 . Si ns Wi l l i a ms ,N.( 1 9 8 1 a )TheSo gdi a nf r a gme nt so fLe ni ngr a d.BSOAS44,23ト40. Si ns Wi l l i a ms ,N.( 1 9 8 3 )I ndi a ne l e me nt si n Pa r t hi na a ndSo gdi a n.R6 h r bo r n,K.a ndW. Ve e n ke r( e d s . ) S pr a c he nde sBud dhi s mu si nZe nt r al a s i e n,Wi e s ba de n,1 3 2 -41 . Si ms I Wi l l i a ms , N.( 1 9 8 4 )TheSo gdi a n' r yt hmi cl a w' .Ska l mo ws ki , W. a ndA.vanTonger l oo( eds. )Mi d- d l eI y a n i a ns t u di e s ,Le uve n,2 01 -1 5. Si ms Wi l l i a ms ,N.( 1 9 8 5 )Anci e ntLe t t e r s .Ya r s ha t e r ,E( e d. )Enqc l o pa e di aZ r ani L : a,γol .Ⅰ Ⅰ / 1 ,Lo ndo n, Bo s t o na n dHe n l e y, 7 9 . 27 : 3 〔 1 0 8 〕 東 方 学 報 Si ns Wi l l i a ms ,N.( 1 98 5 a )Th eCh r i s t i a nSo a d i a nma n u s c r i ptC2 ,Be r l i ne rTur f a nt e xt eXI I ,Be r l i n. Si ns Wi l l i a ms ,N.( 1 9 8 9 )TheSo gdi a ni ns c r i pt i o nso ft heUppe rI nd us .Apr e l i mi na r yr e po r t .J e t t ma r , K.( e d. )An t i q u i t i e so fNo r t h e m Pa k i s t a n,vo l .1 ,Ma i nz ,1 3ト3 7. Si ms Wi l l i a ms , N・( 1 9 8 9 a )S o g d i a na n do t h e rI r a n i a ni n s c r i ptio n so ft h e物 e rI n d u sI , ( Co r pusl ns c r i pt i o num l r a ni c a mm,Pa r tI I ,γo l .Ⅰ Ⅰ Ⅰ / Ⅰ Ⅰ ) ,Lo ndo n. Si ns Wi l 1 i a ms ,N.( 1 9 8 9 b)So gdi a n.Sc hmi t t ,R.( e d. ) ,Co mp e n d i u mLi n g ua nm I r a m' c a r u m,Wi e s ba de n, 1 7 1 -9 2. Si ms I Wi l l i a ms ,N.( 1 9 91 )A So gdi a ngr e e t i ng.Emme r i c k,R. E.a ndD.We be r( e ds . ) ,Co r o l l aZ r a n i c a , Fr a nkf ur ta m Ma i n/Ber n/Ne wYo r k/Pa r i s ,1 7 6 -8 7 . Si ms Wi l l i a ms ,N,( 1 9 91 a )Di ec hr i s t l i c hs o gdi s c he nHa nds c hr i f t e nvo nBul a yⅠ q.Kl e nge l ,H.a ndW. sunde r ma nn( e ds . )Agゆt e nVo y de r a s i e nTu r f a n .Pr o b l e med e rEd i t i o nu n dBe a r b e i t u n ga l t o r i e nr l i n,1 1 9 12 5. t a l i s c h e rHa nd s c h nf t e n,Be Si ns Wi l l i a ms , N. ( 1 9 9 2 )S o g d i a na n do t h e rI r a ni a ni n s c r i pt i o n so fi h eと 砂e r hd u sI I , ( Co r pusI ns c r i pt i o num l r a ni c a mm,Pa r tI I ,γo l .Ⅰ Ⅰ Ⅰ / Ⅰ Ⅰ ) ,Lo ndo n. Si ms Wi l l i a ms ,N.( 1 9 92 a)So gdi a na ndTur ki s hChr i s t i a nsi nt heTur f n a a ndTunhua ngma nus c r i pt s . Ca do nna( 1 9 9 2 ) ,4 3 -61. Si ns Wi l l i a ms , N.a ndJ. Ha mi l t o n( 1 9 9 0 )Do c u me nt st u r c o s o g d i e n sd uI Xc Xe s i e c l ed eTo u e n h o u a n g,( Cor pusl ns c r i pt i o num l r a ni c a r um,Pa r tI I ,γo l .Ⅰ Ⅰ Ⅰ / Ⅰ Ⅰ Ⅰ ) ,Lo ndo n. Si no r ,D.( 1 9 3 9 )Apr o po sdel abi o gr a phi eo ui go ur edeHi ua nt s a ng.J A1 9 3 9,5 4 3 -9 0. Smi mo va,0. I .( 1 9 7 0 )OE e r k il ' zi s t o r i iSo g d a ,Mo s c o w. STi :F. W. K.M也l l e r , So gh d i s c h eText eI ,( AR AW 1 91 2 ) ,Be r l i n,1 9 1 3. STi i :Ml i l l e ra ndLe nt z( 1 9 3 4 ) . St e i n,A.( 1 9 0 0 )Ka l h a 野a' sRa 1 a t a r a h g i 妨 We s t mi ns t e r . Su n de r ma nn,W.( 1 9 81 )M3 ' t t e l i 7 1 a ni s c h ema l l i c h L i i s c h eTe x t ek i r c h e n g e s c h i c ht l i c h e nI nh al t s ,Be r l i ne rTur f a nt e xt eXI ,Be r l i n. Sunde r ma nn, W.( 1 9 9 2 )I r a ni a nMa ni c hae a nTur f a nt e xt sc o nc e mi ngt heTur f a nr e gi o n.Ca do nna( 1 9 9 2 ) , 6 3 -8 4. Sunde r ma nn, W. ndP. a Zi e me( 1 9 81 )So h di g s c ht t i r ki s c heWo r t l i s t e n. S c h o l i a . Be i t y l d g ez u rTu r k o l o gi eu n d Ze nt r a l a s i e nk u n d e ,Ann e ma r i ev o wGa b a i n… d a r g e b y a c h i…,Ve r 6 f f e nt l i c hunge nde rSo c i e t asUr a l oAl t a i c a1 4 ,Wi e s bade n,1 8 4 -9 3. Te z c a n,S.( 1 9 7 4 )Da su i g wi s c h eZ n s a d i Si i t r a ,Be r l i ne rTur f a nt e xt eI I I ,Be r l i n. Tug u孟 e va,L J u.( 1 9 91 )U j g ur s k a j av e r s t ) ' ab i o g r a j i iS j u a n' t s z a n a ,Mo s c o w. Vi m:s e eMa c Ke nz i e( 1 9 7 6 ) ,1 8 -31. Wa l ds c hmi dt ,E.a ndW. Le nt z( 1 92 6 )Di eSt e l l u n gJ e s ui mMa m' c h d i s mu s ,AZnW,Nr . 4. We be r ,D.( 1 9 7 2 )Zurs o gdi s c he nPe r s o ne nna me ng e b u n g.Z n d o g e r ma ni s c heFws c hun ge n7 7 ,1 91 -2 0 8 . Yo s h i d a,Y.( 1 9 8 4 )So gdi a nmi s c e l l a ny.St udi aI r ani c a1 3 ,1 4 5 4 9 , Yo s h i d a,Y.( 1 9 9 0 )OnaMa ni c ha e a nMi ddl el r a ni a nf r a g me n tl o s tf r o mt heOt a nic o l l e c t i o n.Sa ki ya ma, 0. a ndA.Sa t o( e ds . ) ,As i a nl an gua ge sa ndge ne r all i n g u i s t i c s , To kyo ,1 7 5 -8 1 . Yo s hi da,Y.( 1 9 91 )Sogdi a nmi s c e l l nyI a I I .Emme r i c k,R. E.a n dD.We be r( e d s . ) ,Co r o l l aI r a n i c a , Fr a nkf ur ta m Ma i ″ Be r n ノNe wYo r k/Pa r i s ,2 3 7 -4 4 . Yo s hi da, Y. ( 1 9 9 3 )Re ie v wo fSi ms Wi l l i a msa ndHa mi l t o n( 1 9 9 0 ) , t obep u bl i s he di nt heAd o I r a n i a nJ o u r 〔 1 0 9 〕 27 2 ソグ ド文字 で表記 された漠字音 nal . Zi e me ,P.( 1 981 )Be me r kunge nz urDa t i e r u ngui g u r i s c l l e rBl o c kd mc ke .〟 269,385-99, Zi e me ,P.( 1 985 )Bu ddhi s t i s c heSt ab r e i mdi c ht un ge nd e rUZ gur e n,Be r l i ne rTur f a nt e xt eXI I I ,Be r l i n. zi e me , P. ( 1 988 )Da sPr au dr PaS虎t r ai na l t t Br ki s c he rt J be r l i e f e r u ng.S unde r ma nn, W. e ta l . ( e ds . ) , Agr e e 7 i l e a f・ P a pe r si nho no uro fPr o f e s s o rJ e sP.As mu s s e n, Ac t al r ni a c a28,Le i de n,445 153. zi e me ,P.( 1 990)Ⅹu a n z a ngsBi o gr a p hi eundd a sXt yu j ii na lt t Br ki s c he rt J be r l i e f e r un g.La ut ,P.a ndK. R6 hr bo r n( e d s . )Buddhi s t i s c he Er z d ' hl l i t e r at ur md Ha gi o gr a Phi ei nt i i r ki s c he r 伽e r l i e fe nmg, Wi e s ba de n,75 -1 0 7. Zi e me,P.( 1 991 )Di eSt ab r e i mt e xt ed e rUZ gur e nv owTur jT anu ndDunhua n g,Bud a pe s t . Zi e me,P.( 1 992 )Ma ni c h且 i s c heKo l o pho neundK6 ni ge.Wi e s s ne r ,G.a ndHJ.Kl i mke i t( e ds . ) ,Si u di a e s ba de n,319127. Mani c hai c a,Wi 27 1 〔1 1 0〕