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本文ファイル - 長崎大学 学術研究成果リポジトリ

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本文ファイル - 長崎大学 学術研究成果リポジトリ
NAOSITE: Nagasaki University's Academic Output SITE
Title
井川惺亮ワークショップ Peinture絵画 横浜美術館1990
Author(s)
井川, 惺亮
Citation
長崎大学教育学部人文科学研究報告, 43, pp.13-30; 1991
Issue Date
1991-06-30
URL
http://hdl.handle.net/10069/33146
Right
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http://naosite.lb.nagasaki-u.ac.jp
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活水女子短期大学(長崎)
井川捏亮
ワークショップ
1990年11月23日(祝)・24日(土)・25(日)
横浜美術館
市民のアトリエ
YOKOHA団A MUSEUM OFART
横浜蔓画調
パンチュ ル
1976年よりPeinture(絵画)と題し作品を発表し続ける画家、井川慢亮(いかわせいりょう)氏は、現在長崎在住の作家です。
井川氏は東京芸術大学大学院修了後1975年にフランスに渡り、79年までフランス政府給費によりマルセイユ美術学校でクロード・ヴィアラ氏に師事しました。
普通絵画は、いかに色彩を豊かに表すかということがテーマとなり、画家達は白いキャンバスの上で絵の具と格闘するわけですが、井川氏はマルセイユ時代より、
自ら使用する絵の具をアタリリック・ポリマ・エマルジョン(リキテックス)の以下の9色に限定し、混色せず各色を単色で塗り分けるという方法で制作を続けています。
(カドミウムレッドライト、カドミウムレッドミディアム、カドミウムイエローライト、カドミウムイエローミディアム、コバルトブルー、
パーマネントグリーンライト、フタロシアニングリーン、カドミウムオレンジ、アクラバイオレット)。
このように色彩を限定することにより画面上には、いつもほぼ一定のイメージが繰り返し現れることになりました。
必然的に井川氏の絵画的興昧は画面上のイメージから、絵画の描かれる支持体や絵画を描く筆、手、自分といったような絵画の構造へと向かいました。
最初、キャンバスの表面に塗られていた絵の具は、キャンバスの縁にも塗られるようになり、さらに裏にも、キャンバスと木枠の間にまで塗られるようになりました。
ざらに世界から隔絶した絵画の場であったキャンバスと木枠は解体し、各々木の棒と布になり井川氏の絵画は世界へ派生していきました。
このような純粋に絵画的追及から、井川氏の絵画は現実世界に枝を延ばしていった訳ですが、
ここ数年別の理由からも、井川氏の絵画は現実世界の中で、その位置付けを深めるようになりました。
マルセイユ、東京を中心に制作および発表活動を行ってきた井川氏に、あるカルチャーショックが訪れました。
7年前、長崎大学へ絵画担当として赴任するため長崎へ移り住むようになり、
それまで社会に対する発言として充分成立していた純粋に絵画的な活動の社会的意義が突然、極端に希薄になってしまったわけです。
純粋絵画に意味性を感じてくれる人との出会いが希になった井川氏の絵画は、そこで別のアプローチから社会へ参加する試みを始めました。
それは具体的に都市環境、地域文化事業への参画であり提言でした。
現在まで、長与町立ペーロン資料館外壁面、00Mマエダ病院外壁画、第3回世界花いっぱい諌早大会モニュメント、五島三井楽町防波堤壁画1.000m、
長崎爆心地公園・誓いの火・灯火台モニュメント、くつのまえだ外壁面制作、国立諌早少年の家鐘の塔のモニュメント、ミューゼJR、などのプロジェクトが実施されています。
このように井川氏は、常に自らの絵画に生じる問題を明確に捕らえ整理し、決して表面的な趣味に流されない、
常に足元のしっかりした展開を続けている貴重な作家で、今後の展開にますます興味が持たれます。
今回のワークショップでは、井川氏の設定に基づき皆様に共同で、Peintureの制作に参加していただきます。
また、最終日には井川氏による、「井川怪亮・マルセイユ時代から現在までの制作と、長崎地域活性化と絵画について」と題してのスライドレクチャーがあります。
楽しくまた、現代における絵画を考える上からも大変貴重な体験になると思います。皆様のこ参加をお待ちしております。
井川慢亮略歴
1944年愛媛県生まれ。1970年東京芸術大学大学院修了。1975∼79年フランス政府給費生としてマルセイユ美術学校に留学。1978年在マルセイユ
総領館 から1990年お茶の水画廊・道ノ尾駅(JR九州)まで各年個展多数。1976年ARO2(パリ近代美術館)から1990年韓・日大学交流展まで
各年グループ展多数。1986∼90年モニュメント、壁画制作多数。現在、長崎大学教授。
ワークショップ日程(3日連続)
11/23
i祝)
10:00∼lLOO オリエンテーション
P1:00∼12:00制作
P2:00∼1:00昼食
P’00∼5:00制作
10:00∼12:00 セッティング
10:00∼12’00制作
刊/24
i土)
P2:00∼1:00昼食
P:00∼5:00制作
U/25
i日)
P2:00∼1:00昼食
P:00∼2:00 セッティング・鑑賞
Q’00∼3:00休憩
R.00∼5:00 スライドレクチャー・ディスカッション
申し込み
はがきに住所・氏名・年令・電話番号及び井川帯側ワークショップ参加希望と明記の上、下記の宛て先まで。
申し込み先
〒2EO横浜市西区みなとみらい三丁目4番1号 横浜美術館 市民のアトリエ係
締め切り日
11月EO日(火)必着
定員
60名程度(応募者多数の場合抽選となります。抽選もれの方のみこ連絡致します。)
参加対象者
中学卒業以上
参加費用
無料
お問い合わせ
盈045(221)0315 市民のアトリエ係 午前10時から午後5時まで(木曜休館)
会場
横浜美術館 アートギャラリー及びポルティコ
ワークショップで制作した作品は、12月11日まで、アートギャラリー及びポルティコで展示いたします。
参加者は、23日午前10時にオリエンテーションが始まりますので、横浜美術館市民のアトリエ平面室にお集まり下さい。
制作で汚れますので服装にご注意下さい。また、昼食は各自ご用葛下さい。
ワークショップの見学は自由です。はがきで申し込みされなかった方もお気軽においで下さい。
●交通/電車:桜木町駅(JR、東急、市営地下鉄)
下車、日本丸方向の「動く歩道」を利用、
自民のアトリエ入口
憐自己向館
ヒ,本丸
徒歩15分
バス横浜駅東口2番ポール125系統
本牧車庫前行/桜木町駅4番ポール
125系統横浜駅前行、あるいは140系統
横浜館前行(巡回バス)
ハス停
いずれも「横浜美術館前」下車4分
燭巨柔島山酌 ●
動く歩直
●匠美1君1館前
ハス停播
主JHI員h駅
肢木町暇
至顛倉腺局豊田〕駅
国頑1爬課
II
[======コぴあノテ・
長崎大学教育学部人文科学研究報告 第43号 13∼30(1991)
井川星亮ワークショップPeinture絵画(註1)横浜美術館 1990
井
川
怪
見
はじめに
横浜美術館(註2)のアトリエ課より,9月半ば頃〈井川怪亮ワークショップ〉の依頼
が入った。同課の関淳一氏が打ち合わせのため,わざわざ長崎大学の私の研究室まで来ら
れた。その時,私のこれまでの主な研究発表資料等を見て頂くこととなり,特に長崎での
絵画活動が話題となり,長崎で何故絵画なのかという私なりの絵画論を述べたりした。こ
うした打ち合わせの中で,〈井川怪亮ワークショップ〉の内容を具体的に設定することの提
案があり,私はその設定内容を考えることとなった。この設定は受講生募集のパンフ(註
3)のためや,また,実際に受講生のためのテキスト作りとしても必要となるものである。
特に,このテキスト(案)作成について私なりの考え方等を中心に今回は述べてみたい。
また,実際行われた横浜美術館での11月23日㈱,24日倒,25日(日)の3日間のワークショッ
プについては,後で記すテキスト(ワークショップの実施について)と写真(写真①ん⑳)
とを合わせて報告としたい。
ワークショップ(註4)について
ワークショップという言葉は最近,国際会議等とかその他でよく使われているが,横浜
美術館で使われる意味内容は関氏との打ち合わせを通して私は直感的に公開制作であると
感じとった。予め,ワークショップそのものがどんな日本語訳となるのか関氏に直接的に
聞かなかった。私の中で,ワークショップなるイメージ作りを直ちに手の平に乗せないで,
打ち合わせと私の考えとを練り合わせながら,時に作品写真資料を出しながら,次第に私
なりのワークショップイメージ作りをした。イメージが涌いては,それを壊し,また,育
てていくイメージそのものがワークショップとなるようにしたいと思った。
打ち合わせを進めているうちに,集中講義形式で行うように伝えられ,そこで私はこの
ワークショップでは私自身の仕事(現場)を語り,かつ受講生が直接的に参加することに
よって,現代美術を理解してもらう方向で考えが固まってきた。そこで,私の設定に基づ
いてテキスト(案)を作成することとなった。
ワークショップのテキスト(案)作成について
この設定及びテキスト(案)作りは,私が長崎で行ってきた絵画による地域活性化のその
実例を下敷きとした。主として,みいらく海岸1,000メートル壁画制作(註5)(註6)と
カラーメッセージ(何れも五島で)(註7)等である。
現代美術とは何かと一言でいうことは難しい。日本では一般的にいえることは,情報が
集中化する大都会の中で,もっとも新しい時代を切り開くための条件が揃い,あらゆる総
合的な実験や活動が行われる中で成立するといえよう。特に,美術のジャンルでは美術評
24
井 川 怪 亮
論家が存在している地域であり,彼らは現代美術を語り現代美術の位置付けをし現代美術
の現況を作りあげながら,他方現代美術作家のシチュエーションの保護,保障をし,その
向上に努力しているようだ。そのような中で作家が育成されていく。確かに,それが正当
化された現実であろう。だが,今,大都会では大洪水のような情報化の中での現代美術は,
果して全てそのようにいい切れるのだろうか。その間が私の心の中に常にあり,現代美術
といわれるそのものから考え方を切り離し,もう一度,芸術活動の原点にたち返る試みを
行う機会が訪れ,しかも画面上の周辺思考(解体と構築)(註8)から生活そのものを,つ
まり,日本の地理的な周辺に自ら身を置く(註9)実験へと,そして,その実験から見え
るものを見て行こうという冒険であった。こうした体験をもとにしたものがこのテキスト
(案)作りの設定の骨子となり,しかも日本の西端から大都会へ向けての何らかのメッセー
ジとなるものとして,新たな現代美術?の活動を提示して行くまたとないチャンスである
と思われた。
テキスト(案)の内容について
作家の公開制作といえば,演壇の上にキャンバスを置いて制作している様(独り芝居)
を皆に見てもらう光景を想い浮べるが,間違っても私はこんなことをしたくない。ただ,
私という自然な状況(現場)の中で,皆と共に動き行動することは芸術活動の根本である
と思う。しかしながら教員職を何年も続けていると,自己の仕事の中から出た成果に忠実
であれぼあるほど,壇上という舞台はややもすれば,大変危険なところに身を任せている
ようでとても苦痛となり,この職が重荷になることがしばしばある。そういったもやもや
の中で,横浜美術館での今回のワークショップのテキスト(案)作りは,それを手伝ってく
れた学生から,「これこそ教育実習の時のプラン作りと同じですね」といわれた時,これが
現場における美術教育に役に立つかも知れないとは!教育学部という看板が笑っているよ
うでとても不思議な気がした。
さて,テキスト(案)の内容は,私が演壇でのガラス張りを取払って,受講生,参加者が
私の制作現場に入って頂くこと,すなわち,私が制作してきたことを皆で追体験してもら
うことによって結果的に共同制作となり,やがて,それらの作品作りを通してセッティン
グにまで輪を広げ,私という一個人の感性が,参加者全員の感性まで伝わり,共に喜び合
える感性まで高めていく内容を想定している。
このテキスト(案)の内容は,〈モチーフ(設定)〉,〈制作手順〉,〈着彩にあたっての注
意〉,〈スケジュール表〉の構成となる。(横浜美術館ではこの原案をもとにまとめ,また,
受講生のための諸注意事項を加え,オリエンテーション前に受講生に配布した。)
ワークショップの実施について
それではテキストの内容に沿って紹介しよう。但し,この紙面のサイズの都合上,横浜
美術館がまとめたテキストを再編成したり,縮小したりした。そして,このテキスト紹介
の後でワークショップ実施の報告のため※印を付け※1から※12までを,また,写真
番号も加えた。尚,この〈井川里下ワークショップPeinture絵画〉実施の3日間全記録
をVTR及びカセットテープで行い,また,写真撮影もした。その後,編集,書き起こし,
写真ファイル等でまとめた。
井川慢亮ワークショップ Peinture絵画 横浜美術館 1990
ワークショップテキスト
〈モチーフ(設定)〉
素材1
内 容
ダンボール(1m正方形) ※1
参加者
全員
ィ 曽 “ . 曽 一 一 一 冒 冒 冒 幽
f材2
古(たんす)サンダーをかける 布で拭く
@1/2
H , 冒 冒 脚 回 一 需 , 冒 ロ 胃
f材3
@ 廃車 サンダーをかける 布で拭く
@1/2
@ アクリル(絵の具)
〈制作手順〉
1.素材1のダンボール配布(1人5∼6枚程度)
2.素材1のアクリル絵の具配布(1人につき6色)
絵の具の配布について ※2
①ダンボールの三彩について,参加者は各ブロックに分れる。
プロツク
人 数
A
B
C
D
E
22名
計
83
10名
10名
21名
20名
※3
②受講生は各ブロックの担当者の指示に従って絵の具を各々受け取ること。(わか
らないことがあれば受け持ちの担当者に聞くこと。)
③古たんす,廃車の光彩について,参加者は各ブロックに分かれる。
プ ロ ツ ク
p 車
3.着彩開始
@D
4.素材2と素材3について。
①サンダーをかける6
②布で拭く。
③着彩へ。
5.セッティングについて(アートギャラリー集合)
①説明及びその意味。
②敷きつめていたビニールをしまう。
25
26
井 川 怪 亮
③外庭に500枚並べる。(全員)
横13列,縦38列(但し,6枚目控えとして残すため計494枚となる。)
④③を並べ終えた後,車(素材3)を外庭に走行させてデモンストレーションと
する。
⑤③を集めてアートギャラリーへ運ぶ。
⑥アートギャラリー内の壁面全体にセッティングする。
④班分け 4ブロック
⑤各ブロックでセッティングし合流
⑦アートギャラリーの床面にも全体的にセッティングする。
⑧残った三彩ダンボールを入口のところへ記録として重ねる。
⑨素材2のたんすやいす等もアートギャラリーに配置する。
〈着彩にあたっての注意〉
①見本が用意してありますので,それをご台下さい。
②アクリル絵の具は混色しないで,平頚の具を単色で描いて下さい。
③着彩する形については,窓ガラス拭きのようなタッチで腕を一杯動かせて描いて下
さい。
④どんな方向から描き始めても構いません。
⑤着倒の形を画面に任意に置くため,四角から切れても構いません。
〈スケジュール表〉
11月23日㈱
(平面室・ポルティコ・アートギャラリー)
10:00∼11:00
オリエンテーション ※4
11:00∼12:00
説明・準備(ポルティコ) ※5
素材2・3について サンダーかけ,布拭き
尚,素材2及び金属に関するものにプライマー塗布
12:00∼13:00
昼 食
13:00∼14:20
車(D)/たんす(E) i ダンボール(A,B,C)
14:30∼16:45
16:45∼16:55
17:00
制作(着彩) i 制作(着彩)
制作(虹彩) 制作(着彩)
ダンボール(D,E) 車(A)/たんす(B,C)
筆 洗 い
1日目終了 アートギャラリーにて解散
写真⑰
⑱
写真⑫
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井川怪亮ワークショップ Peinture絵画 横浜美術館 1990
11月24日(土)
(アートギャラリー・ポルティコ)
絵の具溶きについて ①説明 ②皆で絵の具を溶きましょう
10:00∼11:00
6つのグループに分かれる ※6
A(赤),B(榿), C(黄), D/2(緑), E(青), D/2(紫)
11:00∼11:25
制作(着彩) i 制作(着彩)※7
車(D)/たんす(E) i ダンボール(A,B,C)
11:25∼11:45
禦ン讐(論※8i車裁)糖(登IC)
11:45∼12:00
筆 洗 い
12:00∼13:00
昼 食
13:00∼13:55
制作(二丁) i 制作(丁丁)
13:55∼14:55
制作(丁丁) i 制作(着彩)
写真⑩
14:55∼15:50
制作(着旧) i 制作(着彩)
車(D)/たんす(E) i ダンボール(A,B,C)
写真⑬
15:50∼16:50
制作(着彩) i 制作(着彩)
写囎
16:50∼17:00
筆 洗 い
17:00
2日目終了 アートギャラリーにて解散
写真⑪
車(D)/たんす(E) i ダンボール(A,B,C)
ダンボール(D,E) i 車(A)/たんす(B,C)
ダンボール(D,E) i 車(A)/たんす(B,C)
11月25日置日)(アートギャラリー・ポルティコ・広場・平面室)
セッティング説明及びその意味
10:00∼11 00
11:00∼11:30
11:30∼12:00
外庭へ500打着彩ダンボール並べよう
車を走らせる
ビニールとり(アートギャラリー,ポルティコ)
セッティング準備
13:00∼15:00
15:00∼17:00
写真⑧
※10
写驚
食
昼
12 00∼13:00
※9
セッティング
アートギャラリー内壁面全体及び床面を全体的に※11
更に素材2のたんすやいす等も配置する
スライドレクチャー,ディスカッション
平 面 室
17:00
↓
8
写真⑮
⑯
全て終了
※今回のワークショップで制作した作品は,平成2年12月11日まで,
す。(休館日:11/29,12/6)
※12
写囎
この場に展示致しま
28
井 川 慢 亮
※1〈モチーフ(設定)〉素材1のところ
ダンボール表面が白く,大きさは1m×1mの正方形のものを,合計500枚分用意し
た。正力形を選んだのは,画面上における地平線を排除することによって,どうにでも
並べ変えることができ,他とのいろんな組み合わせが可能となる。
※2〈制作手順>2のところ
このワこクショップにおいて,一番難しい手続きがこの絵の具の配布であろう。参加
者多数であればある程要注意となる。今回は予めやや大きなタッパーに絵の具を溶いて,
それをビニールコップに小さく分けて配布した。
※3〈制作手順>2のところ
参加者(受講生)人数は60名と限定していたが,実際には83名の申し込み者があp,
全員申し込み者を受け入れた。
大多数で行う場合は,大きくブロック毎に分けて行うと混乱がさけられる。
※4〈ス,ケジュ」ル表>11月23日オリエンテーションのところ
このオリエンテーションがこのワークショップの出来,不出来を左右するぐらい大切
な存在である。(写真⑰,⑱)
※5〈スケジュール表>11月23日素材2,3サンダーがけのところ
参加者全員が初顔合わせにもかかわらず,こうしたサンダーかけをすることにより,
一致団結して仕事ができた。その上,制作開始にふさわしくウォーミングアップとなつ
た。
※6〈スケジュール表>11月24日絵の具溶きについてのところ
初めて描く方の参加もあり,また,日頃絵を描いている方にとっても,この絵の具の
溶き方は興味や関心があるもので,ブロック毎に分けて,皆でこの作業を行う。この時
のコミュニケーションは意外な効果がある。
※7〈スケジュール表>11月24日制作(着彩)ダンボールのところ
※8〈スケジュール表>11月24日制作(着彩)ダンボールのところ
描いた後,中間批評会を行う。一人ずつていねいに感想を聞く。井川の追体験をして
頂くといっても,なかなかそのように受け留めてもらえない場合もあり,何故そのよう
にするかを再三説明する。また,質問も受ける。(写真⑪)
※9〈スケジュール表>11月25日セッティング説明及びその意味のところ
予め,セッティングも制作の延長にあり,皆で行うことを説明するが,ここで作品作
りは,いかに周りの状況に関っていたかをもちろん出来上がった作品も認識してもらい,
美的価値と美的効果の違いなどまじえながら話す。(写真⑧)
※10<スケジュール表>11月25日外庭へ500枚並べようのところ
ここで,いや全スケジュールで感謝の念をこめて特筆すべきは,晴れたことである。
決して偶然に身を任せているのではないが,常に皆で共同で並べ,外界の空気を吸い,
着縦したダンボールの敷き詰めた上にあがり込んだ参加者たちの気分は最高!この感触
わかってもらえるでしょう。更に,着製した廃車が走り出し,観客たちも大喜びだった。
(写真⑦→④,②)
※11〈スケジュール表>11月25日昼食後のアートギャラリーにてセッティングのところ
一度,外庭で並べた作品群との出来事の興奮が一段落したところで,次に,皆でアー
井川捏亮ワークショップ Peinture絵画 横浜美術館 1990
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トギャラリー室内一杯,壁面も床も煙焔したダンボールを展示する。室内4隅かち展示
するため4つのブロックに分けた。こうすることによって全員の手や足が動き,思考す
るのである。(写真⑤,⑥→③,①)
※12〈スケジュール表>11月25日スライドレクチャー,ディスカッションのところ
スライドレクチャーでは,私の長崎での絵画による地域活性化として,今夏,行った
Mus6e−JR(註10)を中心に,それから一連の外壁面制作や,また近作について紹介す
る。そのあとディスカッションとなる。(写真⑮,⑯)
ここでは,80余人の熱心な意見質疑が行われた。これについては,VTR等の録画が
あるので,是非,御覧下さい。(註11)
ワークショップでの成果及び問題点』
まず,私がこれまで行ってきた絵画による長崎での活動の総結果としてまどめることが
出来たこと。これはこのワークショップの準備段階においての資料まとめと実際のワーク
ショップでの資料とがファイルとなったことである。次に,日本の西端で活動したプロジェ
クトの実験そのものが大都会の,未来都市を象徴する美術館で応用出来たことば私にとっ
て意義深いものとなったこと。これによって美術館が新しい役割を模索している今という
現状に美術館がどうあるべきかの問に対して一つ答えを提出することになったと自負して
いる。それから,都市と地方との人々の感性やまた積極性の違いを見ることが出来たこと
等々が成果としてあげられよう。(註12)
ところで気付いた点は,長崎では空間スケールが常に風景の中(日常空間)においてで
あるのに対して,横浜美術館は大きなスペースを持ったアートギャラリーであり,それは,
限定された室内空間であり,また,非日常的な空間であるため,スケジュールがそつなく
行われ,進行の効率のよさや,ある一つの不確定要素も予想が立てられた点であろう。そ
れがかえって大自然の中の緊張感とか,偶然による面白さとか,それによる新しい工夫と
の出会いが少ないのは仕方ないことだろう。それにしても,都会人は何に飢えているのか,
何を欲しているのかがこちらによく伝わってきた。
次に,こうして出来上がった共同作品が全て井川怪亮作品になるのかという問題があげ
られよう。これについては紙面の関係で別の機会に譲るが,ここでいえることは井川が設
定した出来事であることをあげておこう。
後々まで問題になった点は,共同制作した作品群をどうするか。つまり保管や収納につ
いてであり,(註13)また,その活用であろう。長崎の場合は外界にあるコンクリート等の
壁面にダイレクトにペインティングしたため,自然風化までで,それも永遠に残ることな
ど至難の技であるので,問題とならない。
結 び
絵画とは終りない活動だと思う。それは19世紀後半の印象派の活動がこれを証明してい
る。特にアトリエ内での制作から戸外での制作へ,間接描法から直接描法へ(註14)と画
家たちは眼を変革している。更に,アメリカ現代美術のジャクソン・ポロックによって,
垂直描法から水平描法へ(註15)と絵画の制作方法を展開させた。私はその2つを今,念
頭に置きながら,特権化された絵画から階級のない絵画へと私なりに絵画の問題として取
30
井 川 慢 亮
り組みながら長崎で制作活動を進め,横浜までそれを持参した。この成果の報告そのもの
が横浜美術館でのワークショップとなったのである。(註16)動く絵画が走り出した。(写
真⑲,⑳)
註
註1
このタイトル名は,横浜美術館で行われたものである。
註2
1989年3月,丹下健三氏の設計によって建設された。
註3
このパンフは表裏に印刷されている。この写しは本文21頁(表では作品写真と横浜美術館シンボル
マークはカラー刷となっている。)と22頁(裏)を参照のこと。
註4
work−shop 1仕事場,2米国用法では,研究集会,ワークショップ(講義式を改めて参加者に自
主的に活動させる方式の講習会)以上,噺英和中辞典 白水社”による。
註5
1988年5月5日,五島福江島三井楽町みいらく夢裡楽部企画による。壁画1,000メートル世界記録挑
戦と称し,当日3,000人余りが参加し,皆で描いた。
註6
美術手帖 vol.40 no.599 9月号(1988年)p.243参照。
註7
長崎大学教育学三人文科学研究報告Nα38(平成元年3月発刊)〈Peinture(絵画)一五島でのペイン
ティング=絵画の出来事〉拙文を参照。
註8
フランス留学で得た絵画の論理的な展開として〈白い幾何学による色彩の飽和〉から,それに対し
て帰国(1979年4月)してからく白い幾何学による色彩の拡散〉へと移行し,それ以降長崎に来る
(1984年4月)までの展開をいう。
註9
長崎への移住を意味する。
註10
Musεe−JRについては,井川プロジェクトチームによってその記録がまとめられることになってい
る。
註11
これらの資料等の問い合わせば横浜美術館アトリエ課,または,長崎大学井川研究室まで。
註12
横浜美術館ではこのワークショップについてのアンケート用紙を配布し,意見や感想文を回収した。
註13
このワークショップで,参加者が皆で作りあげた作品群はかなりの量と数であり,それらを今後ど
のようにするか,目下検討中である。
註14
一般的には印象派主義を境にして,それ以前を古典技法といわれる。印象派主義によってこの秩序
ある技法を解放し,よりマットな,そして,感覚的でダイレクトな表現へと向つた。
註15
彼はイーゼルペインティングを放棄し,彼自身が画面の中に突入し制作した。
註16
横浜美術館アトリエ課の堀井課長,林係長,関川,他の皆様に深く感謝の念を表すると共に,今回
協力してくれた長崎短期大学重野講師,活水学院白浜教諭及び長崎大学の私のゼミナールの研究生
(波多野,姜),学生(松野,吉岡,増田)にも感謝したい。
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